怪 物 図 録

ver.4



世界にはいろんな怪物がいるものです。東京でも北海道でも沖縄でも、フィリピンでも中国でもインドでも、ヨーロッパでもアフリカでもアメリカでも、案外似たような幻想がうろうろしていて、水木しげるさんの「妖怪千体説」ではないですけれど、[親類さん]が世界中に棲息している。それは現在進行形でもあるのです。新しい種族が生まれ、世界中にぱっと広がる。宇宙人、なんてそんな存在。

この様相を自分なりに総括してラクガキにしてみようと思い立ったのはもう13年前のこと。練習(と勉強)の合間に大学図書館で情報収集、でも結局はわけのわからない妄想が形になってしまった。んでヒトに見せないままイママデきてしまっているのですが、このたびインターネットという微妙なメディアを手に入れたことで、ちょっと載せてみようかなあ、とおもったわけなのです。全部えんぴつがきで未完成ですけれども(てゆーかラクガキなんですけど)解説を付けたのもありますので、「妖怪」「怪物」「化け物(マジムン)」なんてものに興味のあるかた、

是非観てね!!

なんてたいしたもんじゃ少しも全くぜんぜん無いんですけど、要は個人的なラクガキ供養なのでした。

では・・・(2001記)






@ryookabayashi

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怪物図録最新版(ブログカテゴリ)


唐津妖怪


唐津の城の裏濠に妖怪がいたという。出会ったものは失神してしまうので、正体を知るものはいなかった。土井侯が唐津にいたとき、味地義兵衛というものが儒学の先生として招致されていたが、この噂を聞いて、殿のいます城にそのような怪しがいるとは恥ずべきことと一人で現地に行ってみた。人家からとおく離れ、妖怪をおそれ人通りもなく、白昼でもそら寒い様子だった。ほとりに佇んでいると、不意に濠の中から妖怪が現れた。藍より蒼い顔をして大きな眼の眼光人を射るよう、背丈は高く大きい。義兵衛を睨んで水上に立っていた。少しも恐れずその前にすっと座り、眼を睨み相対すること数時間、まるで氷が日に溶けるように徐々に消えてついに跡形もなくなってしまった。妖怪は以後現れず、義兵衛は称賛されたという。(思斉漫録)

狸火


諸国里人談によればこの怪火は摂津の川辺郡東多田村の堤防にあらわれた燐火で、人の形をしている。ときに牛を率いて火を携えて行くようにも見え、知らない人が火を借りてタバコを吸いながら談笑することもあるが、別に普通の人のようだといい、一切害をなさない。

雨の夜によく出る。地元では狸火と呼んでいる。

私がこれを見た話は10年以上前、書いた。

窟女


伊勢の川俣川、劒が淵に方一丈余りの岩窟があった。寛文年間、窟の中に人が見えた。川むこうの家城村から様子を見て怪しんだ里人、筏を組んで窟に渡ってみると、30くらいの女、髪をざんばらにして、仰向いたまま髪先を上の岩に漆で貼付けたように吊るし、しかし辛そうでもなく中にいた。

里人抱き下ろそうと試みても髪ははがれず、真ん中で切り下ろし、里で水を注ぎ薬など与えれば正気に戻った。

事の次第を聞いても前後記憶なく、ただ美濃国竜が鼻村の村長の娘であると言う。津の国であるため上役所に訴え、国主から美濃に伝えられた。迎えのものが大勢来て連れて帰ったという(諸国里人談)

出奔話しは女房に多いが役所勤めの武士にもままあったようだ。理不尽で厳しい規制はいつの世もなくならず、さしずめ出奔は個人的テロリズムといったところかなあ。

旱母


本草の山操の項目の下に「旱母」というものがある。身の丈計2,3尺で裸、頭の上に目があり走ること風の如く速し、という。よく人の家に入り姦淫をなし、火を放って物を盗み、人に害あること甚だしい。また、これが現れると必ず旱魃がある。日本で言う河童のことだろう(卯花園漫録)

この随筆にも河童について現代語られるような考察がかかれている。つまりはこの時代既に「伝説」だったわけである。中国と同期をとっているような記述になっているが、そのじつ中国から来た物という読み方もできるようになっている。違うものが混合した伝承という意識のもとに、河童の一種としてこの旱母というものを挙げているのだが、そもそもこれは異民族や盗賊のような「人にあらずのもの」のことだろう。旱魃の件は読みからのこじつけかもしれない。旱の字をあてた妖怪がけっこうあり、いずれも違う姿と属性を持ちながらも、旱魃をもたらすという点が一致している。この随筆には「人にあらずのものに対して害をなすもの」という書き方がされているのが面白い。

隠身術(隠蓑)


隠蓑というのは中国の「隠レ身ノ」術を日本語に移し変えるさい似た響きをあてたものである。華厳経には「安巻那」という薬が出てくる。目に塗ると他人から見ることができなくなる。抱朴子には、1000年を経る柏の木の根方に七寸ほどの人が座るような形をしたものがあり、刻むと血が出てくる。これを身に塗ることで姿を隠すことができる。再び見えるようにするには拭けばよい。(立路随筆)


昔は隠身術もしくは隠形術という超能力的な方法の存在がまことしやかに語られていた。恐らくここで(てきとうに)指摘されているように中国からの輸入概念で、昔話として加工され面白おかしく伝えられたものだろう。怪しげな山伏天狗や陰陽仙人の奇術として考えられ、しばしばその持ち物が能力を与えるともされたから、隠れ蓑などという発想も生まれた(音読みからの発想、という可能性も十分ありうる)。「自分の目に」塗ると「他人の目に」映らない、というのは「視覚」に対する認識のあいまいな古いとらえ方だなあと。狼の睫をもらって目にかざすと人間の「真の姿」が見えた、という江戸話もあるが(輸入っぽい・・・江戸も後期にはヨーロッパの民話までもが知られるようになっていた)寓話に近いものでだいぶん形を変えたオチ話である。いずれ身を隠したいという欲求は世界中の人間が古来抱いてきたもの、昔サイトのほうで紹介した明治時代の少年が隠身術を身に着け新聞に載った、という田中貢太郎の記録も、当時の(今で言う)三面記事の温度を考えると、埃をかぶった昔話の焼き直しの捏造、というのが妥当な線かもしれない。開化は今考えるほどぱっと起こったわけではなく、相変わらず心中江戸人が跋扈していたのが近代日本である。

槌子坂


金沢城下小姓町の中ほどに槌子坂というなだらかな坂がある。草が茂り水が流れて昼でも何か気味の悪い道である。ことに小雨が降る夜中などたまたま怖いもの知らずの人など通ると、ころころ転がり来るものがある。よくよく見れば碾き臼ほどの大きな横槌だ。しかし真っ黒である。あちらこちらと転がり廻って、視界から消えそうになる刹那、カカと雷のような大声で笑うとぱっと光って消える。この怪を見た者は古くから数多く、いずれも毒気にあたり2,3日病みつくという。そのため槌子坂という名がついた。夜は自然と行き交う人も少なくなる。昔から言い伝えられているから、そうとうに古い妖怪だと思われる。(北国巡杖記)


江戸の随筆には奇談というジャンルがあり、この編著も奇談と銘打ったものである。従って怪しいものや面白いものが好奇心のままに集められており信憑性もそのくらいのものと思っていい。江戸怪談を読む場合、極めて限られた数の類型話に収斂していくことに気づくだろう。人の自由な移動を制限された江戸初期や、土地に封じられる農民の間においては、都市など他所の土地から流れてくる数少ない原話をもとに様々な態様の口伝が分派していったさまが察して取れる。現代においては都市伝説なるものが短いスパンでくるくると生まれては発展し消えていく状況があるけれど、意図的に社会の情報化が抑制されていた江戸時代では、そのスパンが速くなりようがない。しかし結局は同じことである。現代を見れば江戸が見えてくる、そういう側面はあります。


解釈についても同様。現代でも厳密な検証過程を経ずに、机上で怪しげな根拠をもとに「科学的説明」がなされる。「野槌の怪」とでも総称できそうなこのあたりの話は、そこらじゅうを転げまわる、水気が近くにある、毒気にあたって病みつく、光って大音響をあげて消える、という状況証拠をもとに「球電」という説明をつけられることがある。だが、この説明は黒く巨大な筒状の物体という大前提を無視している。宵闇で人間が視認できる範囲は限られているし、針小棒大になりがちということを考えると、転げまわる、というのは狸のような黒っぽい動物が走り回るという説明で十分かもしれない。昔話は、特に話のインパクトが弱い場合、いくつかが合成され再構築される傾向がある。球電でもプラズマでも構わないが、黒くて転げまわるものと、大音響で破裂する光は別物で、どこかの地方で誰かが、同じような場所に起きるこの2つの怪異を合成し、以後各地で再話されるとき、「セット販売」されるようになった、そういうこともあるかなあ、と思いました。長いな。

疱瘡の疫神


日本の疱瘡の起源は推古34年とわかっている。この年米穀不作のため、三韓時代の朝鮮半島から米粟を船170艘ぶん取り寄せた。その中に三人の子供がいて、病にかかった。一人には老人、一人には僧、一人には婦人が付き添っていた。しかし、付き添いらはどこの国の者とも知れず、ある日本人が問うと、「我らは疫神だ」と。疱瘡という病を司っているが、我らも元はといえば疱瘡で死んだ者で、そのため疫神の手先となってしまった、今三人に憑いてこの地に渡ったが、心が痛い、という。今よりこの国の人もまたこの病を病むことになるだろう、我らは畠芋を好む。我を祀るなら畠芋を使えと言って、人の形を失った。これが疱瘡の起源だと言い伝えられている。

また越後の一森の中に疱瘡の宮というものがある。二間四方くらいで、四方に板がはめられており、そこに直径3,4寸ほどの穴が所々あいている。鼬のような小さな獣、無数にこれらの穴から出入りして、巣としている。木の実などを好み、畑を荒らすことも殆ど無い。地元の者もただ追うだけで駆逐することはない。昔からその数は増えも減りもしないが、世間に疱瘡が流行すると、消えていなくなる。近在はおろか全国的に流行すると一匹もいなくなり、疱瘡の流行がおさまるとまた元の数に戻る。不思議の獣だ。(卯花園漫録)

前の話は比較的有名な伝説で、間接的に正しいことを言っているようにも思える。死んだ者が次の者を引き込んで成仏するといった類型話も含まれている。いずれそれほど古くない話のようにも思う。後者はひょっとすると、病気に敏感に反応して死滅する繊細な小動物だったのかもしれない。

東方の大魚のお産


正和壬子の年4月12日、相模の海水の色が赤くなった。西は伊豆/静岡から、東は関東/房総に至るまで海浜300余里の間、朱い泡波が茫洋として漂う。人みな驚き怪しみ歎いた。虎関禅師が福山にいて、海辺に行って見ると紅色の波が限りなくさざめき、いつもの一滴の碧も見られない。禅師は手で水をすくいよくよく観察すると、紅い粟をしょう水に浸したようにぬめり滑り、粒だっている。魚の卵をにこごりにしたものの、椀底に残ったもののようだった。紙で水を掬うと湿りはするが破れない。携えて帰りいろいろな友に見せてみた。

国家の災いを予告するものではないか?禅師は玄中記にある東方の大魚のせいではないかと考えた。海を行く者、この魚の頭を一日目に見て、七日目にやっと尾を見る。この魚が卵を産むとき、100里の水が血に染まる。恐らくはこれだと。何の災いがあるかと思っていたが、3日後、元の碧い海に還って全てが無事であったという。ほっとしたのもつかの間、元亨、建武の乱が起きた。(南畝秀言)

これは古い話だが、江戸時代、大阪の淀川が真っ赤に染まり、虫眼鏡で覗くと微細な蟹がびっしり見えたという話もある。プランクトン、すなわちどちらも赤潮のことなのだろう。破壊なくとも赤潮は自然に古来起きていた。ただ、こちらはいくらなんでも異常なスケールの話、原書とされる済北集の誇張というなら訳は早いが。。

狐魅截髪


髪切りという事件が江戸から明治にかけておおいに流行った。往来で歩いているとき、寝ている間、いつのまにか髷や結い髪を切り落とされる。髪は文字通りの命と考えられていて、それらは今もたまに起こる事件のように単なる性癖の発揮やストレス解消のみならず、何らかの目的を持った「人間による」通り魔的犯行、恐らく奇妙な迷信、願掛けが背景にあったものだと思われるが、それだけで片付けられないような事件もあった、という。これもその一つと言えるかもしれない。



〜著者幼年のころ髪截(切)というものが非常に流行った。知り合いがふと夕寝した間に髪を切られた。しかし枕に付いたところは切ることができなかった。その切り跡はとても臭く、よだれがべっとり付いていた。ある人、これを見て狐が噛み切ったのだと言う。今思うに、桐油と胡麻油で塗り固めた時は、どんな獣も近づけてはならない、ということだ。中国にも鼠の妖怪が寝ている間に髷を取る話や狐魅が人の髪を切る話があるからだ(中陵漫録)

石鹸女


死蝋という言葉を最近聞かなくなった。遺体の脂肪分がローソクのような成分に置換され、干からびて白骨化するより先に、真っ白い肉を保ったミイラの感じになる。。。更に稀に[石鹸化]現象にまで行き着く。全身が成分的に石鹸と化したソープウーマンというミイラの名を聞いたことがあるだろうか。米国の研究所に標本展示されている古い遺体で、南北戦争頃の上流階級の中年の女性が、贅沢暮らしの結果得たふくよかな体躯に満たされた上質の脂肪分を、埋葬後絶妙の環境のもとで腐敗させることなくそのまま石鹸と置き換え、生前の姿をミイラなりにではあるが保ったまま、現在も眠り続けているのである。珍しい現象ではあるが、ある程度の蝋化はよくあることで、そのあとにどろどろと崩れることなく原型を保っていて、たまたま棺をあけて目撃されたところが、キョンシーだのゾンビだの吸血鬼だのキリスト教の教えに反いた悪魔だの、もしくは逆に神仏に加護された不滅の尊いものと言われるミイラになる。見る人によって評価は別れるが、ほんとに稀な条件下で原型をほぼ保ったままとなる遺体もあるわけで、その皮の下には石鹸が詰まっているかもしれないけれども、とりあえずは、怪しきものと思われて仕方ないだろう。中には人為的に原型を留める張りぼてのようなものもあるようだが。。。

頭蓋骨の上に、あきらかに石鹸に見えるような、白いぼそぼそで肉付けされた、復顔術を施したかのような遺体が見つかる。

鈴村喜平さんはここのところ、風呂に入ろうとするたび石鹸がなくなっていることに悩まされていた。十数回にも及んだという。余りの奇異に、変な噂をたてられないよう近隣には黙っていた。

黙っているのには別の理由もある。決まって2のつく日になくなるのである。11月12日、ふと口にしたことがある。同居していた娘の喜代子のことだ。奔放な性格の喜代子は高校1年生、同じく同居していた祖母のうるさい小言に嫌気がさし家を出て、そのまま行方不明になっていた。祖母は喜代子がいなくなった日である2のつく日には、いつも線香をあげ無事を祈っていたのだという。いなくなった日というのは、昨年の11月12日に他ならなかった。

12月12日、父親の喜平さんはいつもそんなことはないのに、朝、何気なく仏壇の前に座っていた。蝋燭の火をつけると、風もないのに揺らめいた。嫌な予感がしたという。捜索願を出してから1年もたつが何の手掛かりも無い。

午前10時半、森戸山の丘陵の造成地で騒ぎが起こっているという話を聞いて、喜平さんは鍬をほおり出し、まっすぐに向かった。

作業員が駆け寄ってきた。死体が出てきたんだよ、若い女の。

喜平さんは仲間と現場へ赴く。人間の形をした、塊のような物が見えた。なるほど泥だらけのミイラに思える。

だが泥の上からでも、白い顔がはっきりと見えた。

喜代子にまちがいなかった。

こんな古い遺体でも、はっきりと若い女、それも紛れも無く娘に見える。

奇妙な塊を持ち帰った警察は鑑識にまわした。鑑識医は驚嘆したという。見たことも無いものだ、石鹸状になった若い女の死蝋だ?

犯罪史の文献にも無い、何百万人に一人いるかいないかの珍しい状態だという。他殺らしいが犯人は不明だった。しかしなぜ湿気のある土中で1年、こんなに完璧に石鹸と化していたのか説明がつかない。近所では顛末が知られるにつれ、噂がたった。

石鹸が紛失する出来事が頻発していたわけは、喜代子が持ち去っていたからではないか?

腐り落ち失われ行く顔の肉を補うため、、、石鹸をべたべたと、貼り続けて、いつか見つけてくれることを祈っていた、死蝋と化してまで親に会いたいという一念であったのではないか、と。(日本の怪奇)

龍燈


肥後の海中に現れる。大海の上に、夜中火が燃え出ること、人々語り伝える。今は滅多に出なくなったので詳細は誰も知らない。西湖の水灯なる怪火、景行帝が西国巡行のおり海中に見た知らぬ火から「火の国」則ち肥前・肥後の名がついたなど、例は多い(楢軒小録)

生きながら鬼女となりたる者


享保のはじめ、三河の保飯郡舞木村の新七というものの女房いわというもの、年25。京都から嫁いで来たが、常に心が刺々しくヒステリックで夫、気に病み失踪してしまった。あとを慕い追っているうちに静岡の新井まで来たが関所を通ることができず、仕方なく帰ったものの、日増しに荒んだ心持ち増して、乱心のようになり、折しも隣家に死んだ者があった。田舎の習いで近所の私有林で荼毘に付したが、彼女そこに来行って、生焼けの遺体を引き出し、腹を裂いて臓腑を掴み出し、まるで飯のように器に入れて、素麺を啜るように食っていたところ、施主が火の燃え具合を見に来た。そのさまに大いに驚き村中から棒など持ち寄って追い払う。女は大いに怒り、これほど美味しいもの、汝らも味わうべしと踊り狂い、蝶や鳥のごとく飛び去って行方痴れずになってしまった。

その夜近隣の山寺に入り、いつものように持参した器から臓物を出して喰らう。僧侶大いに驚き騒ぎ早鐘で里へ知らせ、村人たちは飛んで集まった。彼女はこのさまを見てここも騒がしいと背後の山の道なきところを平地を行くかのように駆け登って消えた。生きながら鬼女となったこと、顛末をお上に申し出て、村々にお触れが出たという(諸国里人談)

江戸話にはこのたぐいが多い。都市部の町民にくらべ閉鎖的で制約だらけのかなりのストレス社会だった地方においては、身分を捨ててまで出奔したり、ちょっとしたことで気を違える例が多い。これは誇張を除けば恐らく単なる気狂いだろう。カニバリズムもごく普通に見られる。栄養状態のわるさ、現代とのモラル感覚の違いがあることも確か。仏教社会だったことがそういった本来の姿/性向を隠していた側面が多いのではないか。お上がとても厳しかったから、報告義務があるとはいえ下手をすると連座させられてしまうのだ。妖怪のせいにすればいい。。そこには人間の身分を与えらなかったり剥奪された者たちもいる。。

身替わり天狗


正徳の頃、江戸神田鍋町小間物商の14、5歳の調市、正月15日の暮れ方に銭湯に行くと言って手ぬぐいなど携えぶらり出て行った。少しして裏口に佇む人がいた。誰だろうと咎めると、先ほどの調布であった。股引草履の旅姿で、藁包みを杖にかけて中に入ってくる。主人は聡い男、慌てることなくまずわらじを解き足をすすぐがいいと桶を出した。恐縮して足を洗い、台所の棚より盆を出して、包みを開けば野老だった。積んで土産ですと差し出した。そうして、今朝はどこから来たと尋ねる。秩父の山中を今朝出た、長々と留守にしてご迷惑をおかけしましたと言う。いつ家を出たと問えば、昨年13日煤払いの夜、かの山へ行き昨日までそこにいました。毎日お客が来て給仕をしておりました。様々の珍しい物をいただきました、お客様はみなご出家の僧侶でありましたとのこと。昨日おっしゃるところ、明日は江戸へ返そう、土産に野老を掘りなさいと達しがあったことによって掘って参りましたなどと語った。師走にこの者が出たことなど、家に気付いた者は誰ひとりいない。身替わ りに何者かが化けていたのだと、後になって知ったのである。そのあとはとくに不思議もなく、それきり。(諸国里人談)

盗まれた町、ですね。SFボディスナッチャー!表題が天狗を雇う、となっていたので天狗とした。

腐骨瘡


腰周りから下、股脛の間に理由もなく大きく腫れて、4、5日のうちに破れて膿数升が出る。毒消し薬を服用して膿を吸い出し、膏薬を貼っておくとよい。しかし、流行り病のため、軽くて1年、重いと3年にして初めて治る。そのまま2年も過ぎると、傷口から骨が出ることがある。骨は傷の大小によって2、3寸くらい、少し頭を出し、日々長く出てついに落ちる。驚くことは無く、膿によって骨が朽ちて出たものだ。このとき、鰻弁昆布を朝夕煮て食べれば、格別早くその骨は抜け出る。この傷を医書では腐骨瘡という。これを癒すにはまず人の口で膿を毎日吸い出すより他ない。膿が体内深くあって出すことができないとなると、骨を侵すのである。癒えた痕は痺れて感覚がなくなる。死肉と呼ぶ。しかし、だからといって生涯何の害も及ぼすことはない。著者の友もこの傷をわずらい、骨3、5寸くらいのものを十余り出した。今は癒えて少しも支障が無い。(南陵漫録)

これは何の病だろう???癒えるということから化膿して腐り落ちたわけでもないらしい。骨を生じるというのがどうにも不思議なので、怪物として扱う。

九人橋


加賀の味噌倉町という武士町に九人橋という小さい橋がある。昼夜を問わず、十人並んで渡ると、影が一人足りない。九人ぶんしかない。不思議と思う人々が試しにいろいろ渡り直しても、ことごとく足りない。不審に思い何か人影の写らないかと試してみると、右か左端、あるいは真ん中の人影にうつらないものがある。毎回出現パターンが違うのもましてや不気味である。九人橋は必ず手をとりあって十人が同一に歩ければ障りを受けない。このあたりは寂しく武家屋敷だらけであり、向いに竹やぶが見られる。そこも転居して痕跡をのこしていないが、元は武家屋敷だったろう。土地が余りよくないから不審に思う(北国巡杖記)

蠅池の神蛇


越中蓑谷山の頂上にある蠅池は広さ三百七十間四方で鏡のように満々と水を湛えていた。この池には神蛇が住む。毎年7月15日の夜、容顔美麗な女体が現れ、池の上で一夜遊び楽しむため、人を制し登山を禁ずる。また、この池には椀貸しの伝説がある。この里の農民が豊作の祝に村長古老を饗応しようとしたものの、貧しく宴のための器すらなかった。ある日この池のほとりに行き嘆息して歎くと俄かに池面が波打ち、朱椀など十人前が浮いた。主の同情を得たと喜び厚く礼拝して明後日まで貸してくれるよう頼み、饗応をすますと約束通り返した。村中にうわさが拡がり皆これを真似るようになったが、ことごとく翌朝必要なぶん椀など浮いたという。やがて家具なども借りるようになったが、そのうち一人の老婆、家具を三人ぶん借りてそのまま十日ばかりも返さなかった。しまいには椀を二つばかり失ってそのまま返した。すると池の波はにわかに沸き立ち雷鳴大雨洪水が起きて、老婆は屋敷ごと潰されてしまい、以後祈っても頼んでも二度と家具が出ることはなかった。今は刺刺と薮が繁茂し荒れ果てて、深さは千尋にも及び、常に太陽の光もあたらず、木々の枝が池面すら隠し狐狼の住み処という寂しく何も無いところになってしまった(北国巡杖記)

神軍(飽海神軍)


出羽国庄内飽海社は大物忌大神と号され、祭神は倉稲魂神である。年に一度、風が激しく震動して、天気がいつもと違うことがある。そんなときは、雪や霰に混じって、矢の根が降る。これを神軍と呼び地元の人は非常に恐れている。晴れたあと、木陰に石でもなく鉄でもなく、鏑矢や蟇又などの鏃が数種類見つかる。これを雷斧という。鹿伏の矢の根と変わらないものである。また奥州、能州の中にもそういう話がある。常州鹿島にもあるという。まさに本草に書いてあるところの雷楔(くさび)、雷斧のたぐいだろうと思われる。(諸国里人談)

自然系の変異だとは思われるが、それにしてもはっきり該当する現象は思い付かない。霰とは違うとはっきり書かれ、さすると雹もまたしかりと思われるから、火山の噴出物か隕石のたぐいでもあろうか。神軍については他にも記録がある。同書にも別の場所についての項目がある。いずれ「神軍」と呼ばれている。

洋中の新堤(海市)


薩摩の小敷島の沖で漁師が何かを見た。皆が不思議に思って近づいてみると、洋上に堤がある。松の板を釘で打ち付けた中に、堤防を築き、上に7、8尺の松を植え、芝草を敷き詰めている。長さは3丁ほどだが、海中の広いところで3丁ほどとすれば、実質1里ほどあるに違いない。漁師達は恐れて帰り人に語ったが、後で船を出して行っても、二度と見ることができなかった。

これは海市と思われる。朝鮮の文献に、海上に門屋のような物を見たという記録がある。西海から来た漁師にも聞いたことがある(南陵漫録)

南陵は最終的に蜃気楼と結論付けているが、洋上で、細かな部分まで観察していることから現代で言う光学的な蜃気楼とはどうも違うように思う。隠れ里の類の怪かもしれない。

牛の鼻の歌


静岡に牛の鼻というところがある。20年前にその上の絶壁が欠けて落ちた。すると壁面に歌が一首現れた。ありありと見える、という。

よぶ牛の鼻の車に法の道引れてここにめぐりきにけり

この歌、大昔からこのあたりの人の言い伝えにあるもので、古老に知らぬ者はいない。そういった歌が自然に現れるのも不思議なりとて、ここの木挽の談話である(中陵漫録)

敢えて詮索しないほうがいい奇談だろう。これはそういうものなのだ。少し前、筑波研究学園都市に[お姉さんビル]なるもの、話題になったことがある。死んだ子供の断末魔の声がマンションの壁面にひび割れとして焼き付いたということだった。私も実見した。何人ものスキモノが調べ上げてもそのような事件の痕跡は確認できなかった。いずれ詮議は無粋、もっとも中陵は奇談の詮議に積極的だったようで、桜島の巨大兎を探しにいって嘘だと断言したりなどしているのだが。

古壺


豊後の某村に、いたって粗末な古い社があった。中にはただ一つの壺があった。ある時一人の乞食が住み着き、時々村中に出て食を乞う。ある日、里正が乞食を見ると、伝来の壺に酒を買って入れていた。他にも目撃者が沢山いて、腹に据え兼ねた里正は罵り、出て行くよう追い立てた。この夜より里正をはじめ村中の人が夢に見たのは、この壺が現れ、我はなはだ悲しい、日々彼と酒を入れ共に楽しんでいたのに、今はよその村に行き連れもなくつまらない。なにとぞ、元のように日々、酒を入れて共に楽しみあれば、我幸なりと。毎晩のことについに乞食を呼び戻し、毎日酒を買い与えて社で寝させるようにしたという。古い壺はおかしなことをなすことがある。備中松山の東毎字というところの辻堂の中にも旧い壺があった。誰も手をつけようとしなかったが、ある時一匹の犬が顔を突っ込むと、どうやっても抜くことができなくなった。これらは恐らく昔の骨壺であったと思われる(中陵漫録)

罰当たりが逆に大当り、という昔話のパターンにすぎないが、少し中国の故事のような風味もあり面白い。著者は当時の茶道を風刺して、珍重される道具が骨壺を加工したものだったり西洋諸国の便器だったりする、元を知らずして楽しむのもいいが知ることがあったら避けておくのも吉、と置いている。

血余


江戸某の婦人、髪の長さ9尺余りもあり、引くと更に3尺過ぎる。月に3、4尺切るが、すぐさま3、4尺伸びる。ついには剃って尼になった。昔一人の婦人、髪を結って寝ると一夜にして解けてしまう。果たして夜見ると髪の毛が自ずと散って揺れ動いている。ある医者、深夜に動揺する髪を取り短刀で根本から切り、直に熱湯に投げ入れた。髪はたちまち血と化して、以後この病は収まったという。これらは血のなすところとされる。医書に髪を血余と書くとおり、そのような髪を器に納めて焼くと皆血と化す。薩摩の農民に頭頂部に瘤のある者がいて、医師の土橋氏が削り取って見ると細い毛の塊が入っていた。解いて見ると牛の毛のような長さ一寸ほどの髪の結えたものだったという。(中陵漫録)

異像


肥前の佐嘉から西6里の多久というところに四本柱の堂がある。そこにまつられているのは古い木像で、何ともわからないものである。時に見えなくなり、また現れる。村人たちは路傍などで見かけることがあるという。拾って来て自宅の仏壇に入れ2、3日いろいろ供養して貴重な食べ物など供え、お帰りやいなやと言って堂に返す。もし路傍からそのまま堂に持って行くと、直ちに腹痛してはなはだ苦しむという。長崎の吉雄幸左衛門の婿桔梗屋という日連宗の紙屋では、先祖伝来の農神像を汚いと言って盥で磨き洗ったところ三人腹痛してとても苦しんだ。慌てて清水を汲み寄せ加治祈祷したところおさまった、以後おおいに尊賞したと著者は主人より聞いた。

著者自身の体験として、江戸渋谷長谷寺の円通閣の左の木の下に高さ3、4尺ほどの石像があった。形はまるで鬼子のようで、左手に木を杖代わりに突いている。誰もその由来を知る者はおらず、誰彼ともなく願をかけて不思議ありといって、噂が拡がり、程なく流行神となった。堂も寄進され額を奉じる者もいて、日に3、400人を越える参詣客となっていた。誰からともなくこれを野双神と称して天の星なりと言い伝えるようになった。半年もすると参詣客も途絶えた。

著者の父が言うには昔これは某の庭にあったものだが、忽然と亡くなり家の跡形もなくなったところ、別の某に贈ったところが同じく滅びて跡形も無くなった。僅かの間に主人を亡くすこと5〜7人にもなり、畏れて寺におさめたのだという。敢えて近づかないようにと言われたとのこと。

麻布桜田町の秋月侯の庭園の後ろに似た石像があり、昔から夜中に時の鐘を打つ者がここを通り掛かったところ人が立っているように見えておおいに驚くことがあった。翌朝見ればこの石像だったのだが、いつの時か刀で斬られ痕が残っている。

銅で異像を作った人の家が突然絶えた、このような異像を入手した者の一家全員に祟りがあったなど枚挙に暇が無い。珍しいといって絶対に求めてはならない。著者の知り合いの家に一つの銅像があったが、甚だおかしな異像で何という物なのか知らない。仏壇に置くと時折唸り声をあげて家中の者を震え上がらせた。著者はこれを貰い鋳潰して印鑑を4つ作った。とても固いもので何度も鋳直さなければならなかった。それを聞いた貰い元の家では気の毒だと思う余りか病んでしまったというが、この頃著者は異像を沢山鋳潰しており何の害も受けなかった。ただ、出来のよい印は一つもできなかった(中陵漫録)

この驚異的な随筆には竹島についての記述なんかもある。既に領土問題でもめていたさまが読んでとれる。

地縮


倶利伽羅山のあたりに起こるという。蜃気楼に似て、晴れも曇りもしない穏やかなとき、見たことも聞いたことも無いくらいの遠い深山幽谷が目のあたりに見え、山木の数々から谷川の流れる音まで間近に聞こえる。鳥獣や行き交う人々も俯瞰するようにことごとく見え、さながら聞いた仙境から見た様子に似ている。陰気水煙の気のなせるわざか、雨が降るとき遠い島が間近に見えるたぐいと同じとはいうものの、松風水音のそばに聞こえるさまが訝しく、よそでもみられない点だ(北国巡杖記)

このあたりも伝説が多いようである。光学的なものだけではなく、音まで近くなるのが不思議、ということ。

猫多羅天女


越後の弥彦山周辺には霊験ある史跡が多いが、弥彦神社末社に猫多羅天女の禿というものがあった。佐渡島の雑太郡小沢に一人の老婆がいたが、ある夏の夕方、上の山に登り涼んでいたところ、一匹の老猫が来て戯れる。そのうち砂の上に臥し転んで、様々に不思議な遊びをする。老婆も浮かれて同じように砂の上に転んで真似てみた。何とも涼しく快い。翌晩も行くと猫がいて同じく戯れる。何日も取り付かれたようにしていると、自然と全身が軽くなり、飛行が自在になり、魔力で天地を駆け巡り、たちまち目にくまどりが浮き頭は禿げ、毛を生じ形相が凄まじく、見る人はみな肝を潰し気絶した。しまいには家を出て虚空に去ってしまった。空一面鳴雷し山河は崩れるが如く、やがて越後の弥彦山にとどまって数日霊威をふるい雨を降らせたが、里人は難渋しこれを鎮めるべく猫多羅天女と祭った。以来毎年一度佐渡へ渡り、雷鳴で島じゅうを揺るがすのみとなった。(北国巡杖記)

弥彦山の山姥伝説と関係があるのだろうか。

竜蛇


出雲の秋鹿郡佐陀社には様々な神事がある。神在月の10月11日から15日までの間、沖から一尺ばかりの小蛇、波にのって磯に寄る。蛇は金色をもって特徴的でありとても美しい。竜蛇と呼ばれる。神官は潔斎して波打際に出て待っている。来た蛇は海藻に鎮座している。神官が海藻を手にとると蛇はすぐ神前にすすむ。海神から佐陀社へ海藻を献上しにくるのだとか?藻につくといえばタツノオトシゴの類かもしれない。(諸国里人談)

御浅明神の仕者(人魚)


若狭の大飯郡御浅嶽は魔所で八合目から上は立ち入り禁止にされていた。使者は人魚という言い伝えがあった。宝永年間に乙見村漁師が漁の最中、岩の上に異様なものが臥しているのを見た。頭は人間、襟に鶏冠のようにひらひら赤いものをまとい、それより下は魚だった。条件反射で手にした櫂を打ち下ろすと即死したので海に投げ入れて帰ると、それより大風で海鳴り17日止まらず、さらに30日くらいで大地震があって、御浅嶽の麓から海辺まで地割れし、村はそっくり沈んでしまった。明神の祟りと伝えられた。(諸国里人談)

蛙石


摂津国東生郡林寺村の民家裏にあったという。鳥や虫などが上にとまると、頂きが二つに割れて中に落とし、元通りに閉じる。まるで口を開くように、蛙が丸呑みにするかのよう、ということでこの名がついた。殺生石とも呼んだらしい。(諸国里人談)

三頭蛇骨


米沢の日朝寺に所蔵されていた骨。長さ二尺、一端は双頭、一端は一頭でひときわ大きい。大蛇の骨と称するものは沢山あるがこのようなものは江戸時代でも珍しかった。(提醒紀談)

天王坂妖怪


享保初年頃、勝間郡蔵という一刀流師範の浪人がいた。腕は未熟だったが不思議と門弟が多く各所に稽古場があり、掛け持ちで指南して生計を立てていた。ある年暮の頃青山あたりの道場の稽古納めといって門弟二人と酒宴を行った。興がのり夜が更けるのにも気づかず、夜半の鐘に驚き帰途についた。明かりのない闇夜の道に、門弟が用心のため提灯をといい取りに戻ろうとしたが、勝間は提灯は足元だけ見えて前後がわからなくなる、このような時こそ心がけが大事だと制した。四ツ谷にさしかかり南伝馬町という所の横の小道をたどり、名高い天王社(江戸時代のうちに神田明神境内に移築され現存)の前に来たところ、道に広く老松古松が枝を交わし立て込んで、森々として恐ろしげだった。さすがに門弟たちが尻込みするさまを見て、勝間は世に恐ろしいものはない、怪しいものもしょせんは狐狸のたぐい、臆病な心を見極めて付け込み驚かす。人は万物の霊、まして武士たるもの臆した心はあってはならない、日頃何のために剣術稽古しているのだと呟きながら小坂を下る。

左に寺が見えてきた。表門の冠木に龍が彫ってある。前にさしかかると龍は冠木をはなれこうこうと眼光を放ち角をふり立て、紅の舌を火炎のように揺らしながら勝間の目先でくるくる廻った。門弟たちはあっと叫ぶと逃げた。勝間は刀に手をかけ、おのれ古狐ばかにするなと言って瞬きもせず睨みつけると、しばらくして冠木に戻り止まった。それみろと笑って先に去った門弟に声をかけながら道を急いだ。折しも霜が溶けぬかるんだ道、まばらな杉垣の際から足元のよい場所を選んで通る途中、垣根の間から氷のように冷たい手が延び勝間の耳をつまんで引いた。驚いて振り向く鼻先に、お歯黒をぎらぎらさせた細眉の色白の女が顔を突き出し、にたーっとえもいわれぬ気味悪い風情で笑った。不意を打たれた勝間は一声叫んで気絶し横に倒れだらしなく伏した。先に逃げた門弟たちは待っても勝間が来ないため知り合いから提灯を借り戻ったところ、失神した師匠をみつけ目を覚まさせた。

以後勝間の評判は急に落ち目となり、門弟もいなくなりどこかへ引っ越してしまった。大言壮語ぶりとあいまって笑いの種になっていたという。(思出草紙)

とくに目だったところのない平凡な話だが、既に「実録怪談」の様式が出来上がっているところが面白い。すなわち年月、(実際に存在したかはわからないが)主人公の実名と詳細な場所が明示されており、真実味を与えている。この江戸実録ものが後代の一つの怪談のフォーマットとなったのは確かである。

一目連


鍛冶の神としてダイダラなどとの関係が指摘される天目一箇神の別名とされるが、実際には伊勢に今も実在する土地神に近い祭神であるらしい。諸所の文献にみられるが、名前こそ今ひとつ不可思議であるが(創作妖怪説のつよい目々連と何らかの関係がありそうだ)水神たる龍の片目であるものという。猿著聞集には洪水のさい一目連の名を連呼したら助かったが、誰もその姿を見なかった、という話もみられる。社に扉を設けないのは願に即応するためという。ただ、荒ぶる神とする逆の説もあり、伊勢湾の原始的な自然神が習合したものと考えられる。

かまいたちの地方名という記録もある。

オボ


檜枝岐七不思議に数えられる、いわゆるウブメ。山に入るときは鉈の紐を二寸違えて長短にしておく。オボがそれを解いている間に逃げる

ウロ


兵庫七不思議のひとつ。生野町馬淵を夜通ると、必ず何者かに引き止められ、歩けなくなるという。

舌出し椿


埼玉県深谷の七不思議に数えられ、夕闇に下を通ると、椿の花が舌を出して灯芯を舐めるという。

三足亀


宮路山七不思議の一つ。持統天皇が車で通り掛かったさい邪魔なので行き交う亀の足を一本切った。以後宮路山の亀は三本足になったという。

八の字蝮


頭に八の字のある蝮は人を噛まない。愛知宮路山の迷信、七不思議のひとつ。

やすら姫


長篠の戦いで敗走した武田の落人伝説のひとつ、前野の「やすら姫の塚」は武田のある姫様を葬ったとされ、奇怪な伝説がある。ある夕方に美しい娘が近在農家に杵を借りにきて、ほどなく餅をつく音がしはじめた。娘が消えたあたりに塚をみつけ、掘り返すと深紅の甕が。。骨壷の蓋をとると中の白骨がまたたくまに白い蝶となり飛び去った。塚付近では小便をしたり転んだりしても祟られるといわれる。

根入の杉


諏訪下社秋宮境内の杉の大木で、夜根本に耳を当てるといびきが聞こえるといわれる。じっさいは根が入り組んでいるという意味の漢字の読み替えにすぎないかも。

水戸の蛇娘


天保四年春三月、水戸の施療院は身分限らず領民全てに難儀の者あらば専門医者をあてがい薬を処方することで有名だった。水戸城下下町の町人に奇妙な娘がいた。13なる娘は見目麗しく、だが、生まれてこのかた明るい場所を極端に嫌い暗闇を好む。表に出すとパニックに陥るから奇病の評判、それと裏腹に年頃になると稀に見かける娘の美しさ、驚嘆に値するほどという。両親悩み施療院ができた旨御達示があると、役人たちぜひお上に書き出すべしとつたえた。殿様は手当次第とすぐ連れ来るよう命じた。両親おおいに喜ぶが娘、表に出ることを頑なに拒む。役人は表に待っている。言い争いの末、両目に墨を塗った紙をあてがい連れ出した。道すがら評判の娘を一目見ようと人ごった返す。だが娘、城そばでがんとして拒み、役人父親も困り果てた矢先、不意に人垣掻き分けて走り出す。風のように人の上をおどり越え帯つかむ人を振り落とし凄まじい形相、掘まで五、六間のところで軽々と飛び上がり、ひらり身をおどらせて水中に飛び込んだ。それきり浮かぶことはなく、許可を 得てさらうも死体もみつからない。

その日を命日とし人々忘れかけた8月1日、稀にみる大嵐が各地に被害をおよぼす中、掘の中から異様なものがたちのぼったという証言が多発した。娘は龍になった、とうわさになったという。異聞雑稿より。

秀頼の人面石


元和元年五月、淀君と塵と消えた豊臣秀頼がのち、人面石として大坂城内に現れ七不思議に入ったという。

木娘


佐和山城関連の伝説で清涼寺七不思議の一つとなっている。清涼寺は石田三成家老老島左近屋敷跡であり、木娘は夜な夜な女に化けた椨の老木の化身。数百年激動を見てきたが、参詣客を脅かすので鉄面和尚に封じられて、今は魂の抜かれた古木として庭に堂々と聳えている。この寺の七不思議はいずれも陰惨で怪しい。

桂林


小千谷七不思議のひとつ。この中に入ると出られなくなる。

鎌切坂の大蟷螂


小千谷七不思議の一つ。鎌切坂にいたといわれ、今でもこの坂を通るとカマイタチにやられる、という。

二十五日様


旧暦1月25日に訪れるという「怖い神様」。明かりを消して物忌みする。神津島七不思議の一つ。

虎狼狸(コロリ)


幕末のコレラ(コロリ)大流行にともない擬獣化キャラクターとして描かれた図像妖怪。当時瓦版にわかりやすく描かれる画題としてこのての「象形文字的表現」はよく見られる。

万年山の異獣


大分は怪物妖異の本場です。これは玖珠郡万年(はね)山七不思議の一つで、猿のようで猿でなく頭のでかい毛の生えた幼獣の屍が、頂の岩の上で見つかった。頭を割って粉にしたものを病人に飲ませると病気が治ったという。雷獣から猿酒から降臨神から混ざり合った伝説みたいですね。。何か裏のありそうな話でもあります。商売の売り文句か、あるいは禁制を破って作ったものだとか・・・

飲まず水


薩摩七不思議のひとつ。薩摩郡樋脇町のこの水は飲むと腕が痛くなるという。腕に影響する毒って???失われた伝説の効果だけ伝わったものか。

亀ヶ丘の阿弥陀


薩摩七不思議のひとつ。川辺郡大浦町の亀ヶ丘では、落日のとき山頂から阿弥陀様が現れるという。律儀な仏が信徒檀家のため毎日来迎を示したのか、しかし毎日現れたらそれは自然現象か化かされか。。

山登り蟹


奥多摩雨乞山の尾根筋へ蟹が登ると洪水が起きるという。奥多摩七不思議の一つ。 雨乞山は現在は奥多摩湖きわ尾根上の小ピークになってしまっており、蟹が上るどころか蟹すらいない・・・往古をしのんで想像するしかないでしょう。

参考:ttp://nakayamayu.web.fc2.com/record/2007/07nanatsuishi/index2.html (h埋め要)

* 雨乞山という名は全国にあり、いずれも信仰の山として知られる。恐らく古代には頂あたりのイワクラで雨乞いが行われたのだろう。いや、古代にかぎらず。

化け物清水


南会津郡檜枝岐村七不思議のひとつ。三本爪の化け物があらわれると言われる清水。

仏教説話的には三本指は鬼のものとされ、二本欠けているのは人間になるには足りない2要素(知と慈悲)の象徴的意味があるそうだが、「湧水」ときてすぐに思い付くのは寧ろ龍だろう。中国では皇帝のみが五本指の龍を描き、寺社は四本指、一般人は三本指を描くことしか許されなかった。それが東西の国々に龍は三本指であるという図像的な印象で伝わったとされる。この忘れられた古い伝承で三本爪というのも恐らく龍もしくはそれと何かの混淆したものではないか。

膝に目のある化け物


南会津郡檜枝岐村七不思議のひとつ。「七不思議」はいくつかの類型に分類できるが、このあたりでは妖怪伝説が多いようだ。

「土佐の怪異的地蔵その他」


土佐は他の土地からの人の流入が多かったせいもあって全国の伝承が変化して転用される例が非常に多い。天女の羽衣や耳無しほういちの話でさえ土佐の伝承として語り伝えられており、独特の怪としては七人みさきくらいではないか。

見渡し地蔵は高知龍馬空港そばに戦後移転したものだが、引っ越しのさい「ばちがあたるならあててみよ」と言った者の足が即座に動かなくなったという。しばてん地蔵は土佐に多い河童系妖怪をまつる地蔵のひとつで、五台山下に今も残る八州の狸弁財天のあたり、しばてんが化かした酔っ払いがよく地蔵と相撲をとっていたという。

ちよ地蔵は土佐にたくさん残る陰惨な、特定の人物の供養のためのもののひとつ。幕末頃朝倉で川を鎮めるため水神に人柱をたてることになったが、選ばれたちよという娘は母親の面倒をみてもらう約束でそれをのんだ、しかし約束は守られず、水害はおさまらず、村人は罰とみなしちよと母親の供養地蔵をたてた。水難よけ地蔵として今も信仰される。勝手でひどい話だ。新之丞地蔵も怪ではないがひどく勝手な理屈で、400年前に行き倒れていた遍路が村人に介抱を受け、礼にと苦労してたいへん美しい七色紙のすき方を開発し教えた。国入り直後の山内一豊の耳に入ったところ大喜び、土佐の特産にせよとの御達示、しかし役目が終わったとして遍路は国に帰るという。よそに七色紙を伝えるのを防ぐため、藩命で遍路は斬られた。災難よけの御利益とは皮肉。

空とぶ地蔵は鎌倉時代に日下の農民が家庭内のいざこざで母妻を殺した供養に京で作ったしっかりした木彫で、しかしじき堂ごと忘れ去られ荒れ果て猟師の獲物さばきと食事の場所になってしまう。あるとき一人が不浄のものを境内で食うと祟りがあるかもと言い出す。嫌なら出ていけ、と他の男が言うと、光を放ちながら飛び去るものがあった。後を追うと、この本尊だった。

ゆうげん地蔵は佐川の児嶋又玄という名医が殿様に呼ばれ、猫の脈を障子越しにとらされてからかわれた。薬はと問われかつをぶしになされと言い残すと、怒りのあまり自宅に火を放って焼身自殺した。以後たたりが相次いで、地蔵で鎮めたらしい。龕に安置されている。

中土佐のしゅむか地蔵は悪ガキが小便をかけながら「しゅむかや、これでもしゅまんかや」と囃し立てていたところ農民に罰があたると諌められた。すると農民は原因不明の病におかされた。太夫によれば地蔵が出てきて、子供にしゅむか地蔵と呼ばれて楽しく遊びよったにいらんことしゆがと大変怒ったという。御利益は子供の病。遠野に似た話がある。この地蔵には他に怨霊がらみの伝説もあるという。

西向き地蔵は大方にあり、はりまや橋の話に似た学僧と村娘の悲恋に絡んだもの。こちらは娘が命をたってしまい、その供養のため作られたもののいつのまにか坊さんの去った西向きになったという。似た話が非常に多く、沖縄は石垣島にさえある。後付けだろう。

物言う地蔵はやや不気味。中村近く峠にあり、江戸時代追いはぎにあった男が殺され、毎年妻子が供養に訪れていたところ、十年目、役人とともに峠で出会った男が、この地蔵は喋るのだ、十年前追いはぎしたとき、誰にも言うなと話かけたら、お前が言うなよ、と返しよった、と言う。役人立ち会いではからずも自ら白状したのだ。

瀬登りの太刀は高知市内の寺にある名刀で箱根権現から来たといい、曽我兄弟仇討ちのさい自ら鞘から抜け川を遡り敵を突き刺した、頼朝の家来から宿の主人が盗もうとしたが蛇となって川を逃げたなどいう。今でも不思議なことがあり、日下から山内家に召し上げられそうになったものの高知城内でいろいろな怪異を引き起こし、刀が場所を選んでいるとして今の龍乗院の本院におさめられた。

鍛冶が婆は野根山街道の有名な化け狼だが石燕本でお馴染みゆえ深くは触れない。同じ街道筋の木下由里は「身二つ」にせず埋葬した妊婦の、いわゆるうぶめ伝説の延長上にある実在の人物。小さな墓石には文政四年とある。番所の娘で山むこうに嫁いだもののろうがいになり里に帰され死んだ。が、赤子に乳を飲ませるため山をこえて通ってくるようになったという。墓石をどうにかしようとすると大雨が降る。赤頭は土佐化物絵本、山父のたぐいか。宇賀鬼女は不気味な噂のたえない深浦あたりに出没したらしい。未確認だが一領具足供養地蔵の敷地に供養墓があるという。

「見世物・民間信仰の怪物たち」


見世物はシビアに売上によって序列があった。めずらしくもない奇形系の鳥娘は、伝統化したもののスマッシュヒットはしないたぐいのマンネリ出し物だったらしい。蛇娘もそのたぐい。牛娘と同じ源にあろうが、牛娘のほうは猥褻芸の逃げ口上にも使われるなどさまざまに変容した。中年男の轤首は自然奇形と推定される稀有なろくろ首の例でいずれの文献にも同じ名がある。目の玉出す坊はアメリカにもいるたぐいの眼球が飛び出しやすい奇形らしく、目頭を押さえて飛び出させた。腹芸は江戸大道芸の基本だが艶芸の要素もはらんで臍でタバコをふかす婦人がいた。艶芸というかもはや当局に取り締まられるたぐいの猥褻芸の口上にあらわれるは蛸娘。蛸がそもそも猥褻の隠喩である。両頭の亀が元亀年間に上がったのは珍しい。

頭に五輪塔を載せた神像は神仏習合の奇怪な表現。八束小脛は伝説的存在の小人で馬を操るのに長けていたが、腋の下の羽根がスピード倍加に役立っていたとされる。化け狐はタヌキにくらべ悪意を真剣に表現するニヒリスト。

三本足のどうろくじん様


房州に伝わる民間信仰で、1755年から1802年にかけて印旛郡内に集中的に造立された特異な双体道祖神像の姿から想像されたものらしい。像は男女が睦まじく杖を共に支え肩を抱き立つもので、道祖神にありがちな性的隠喩も孕んだ形態だが、女性の左足が省略され、かわりに杖が彫り込まれていることから、「足の悪い道祖神が弁財天様に想いを寄せたが逃げられてしまった、でも必ずまた来るだろうと村はずれ(道祖神が立てられるのは村境)で待ち受けている」という怪異的な伝承を産んだとされる。すなわち二つ頭に三つ脚の杖つく怪物が「どうろくじん様」というのだ・・・いかにも江戸後期の流行神である。弁財天は水神であり、それを待ち受けるための道祖神の造立というのは意味ありげで、様々な農村信仰が混交しているのかもしれない。見た目で、脚の御利益があるとも信仰される。

グレムリン


河童


烏天狗


大乗院の鬼


大分県の小寺に大正時代より伝来するミイラ。巨人症の女性の人骨が使われているとも言われるが、おおむね牛骨からできている。現在は有名にもなり、たいへん身近に親しまれている。

羅漢寺の鬼


耶馬溪羅漢寺の仁王門前に群れていたという小鬼で、ミイラの写真によってのみ知られる。羅漢寺が火災にあっているため現存していない。

羽犬

筑後市のマスコットにもなっている名犬で、羽根の生えた犬の姿で表現されている。

メキシカン・ヒューマノイド


余りにパニックになってるようなんで。メキシコって麻薬戦争のせいかかなりいっちゃってるパラノニュースが出てくるねー。。最初はメキシコにモスマンあらわる、だったのが筋骨隆々の絵が出てバットマンとなり、今は単にメキシカン・ヒューマノイドとされてるみたい。

チフアフアのヒューマノイド、パニックに

壁座頭


文政年間の文献にちらとだけ出る名前だがだいたい想像がつく。おおかた追いはぎに襲われて殺された座頭が壁に現れるといったものだろう。怨霊譚は妖怪譚にくらべてどうも魅力に欠ける。

四隅小僧


文政年間の文献に見られる怪異で、四隅の怪(前に描いたシナリオ付らくがき「お部屋さま」参照)と言われるものに座敷わらしの姿を投影したものか。余りちゃんと調べあげた文献にあたらないのだが(私自身は江戸時代の東北の随筆録で見た気がする)、座敷わらしの話自体はよく言われる明治時代以降イメージの固まった「妖怪」ではなく、古い伝承かと思う。

しかし子供ではなく女中連れの姫であったり貧乏神を彷彿とさせる老人だったり、どちらかといえば「カナダマ」のような漂泊する福神のイメージのほうが強く、気まぐれな自然神の末裔であろうし、ひょっとすると世俗的な成功を願う民間信仰と、祟り神を含むワラシ神信仰(言うまでも無く水子や間引きされた子・・・子供は神のうちとされ人間扱いされていなかったがための因習でもある・・・の霊供養が原型となっているが、被差別集落の子など「違う社会に属する子供」であった可能性もあり、河童や山童などに分化していったものと同じだろう)の混淆が生み出したものだろう。座敷わらしには固有名詞が語られることもあるが、直接的にその人格が「成った」ものというより、屋敷神が独立して大狐社になるが如く、信仰の高まりによっていろいろな付帯的要素(いろいろな人の重なる願いや思い)が本体を膨らませ大きくしていったものではないかなあと思う。これは実際にオカルト的な意味も含む推測。

四隅の怪自体は因習とは関係なく今でも語られる。「隅」は怪異の出現場所としては代表的なものの一つで、個人的に外界における「辻」と同等の機能を有する「境界」としての装置だと思う。西欧の呪術的なものにも「隅」に何かを出現させるものがあったような覚えがあるが・・・いずれ、うす暗い部屋で天井の隅を見つめていると、何かしら見えてくる気がするものである。

かたい・・・w

三目入道(三つ目)


江戸時代の文献に見られるもので、どちらかといえば図像的な怪異というか、怪談的なものとは結び付かないもののように思える。民話で確か「三つ目の里」というものがあり、そこに紛れ込んだ人間が額に何かを付けて三つ目のふりをして暮らしているが、ふとした拍子でそれが取れてしまい追いかけられる。後はいわゆる棗の種を投げる等の神話の典型に収斂する話。

竜のようなもの


弥生時代の土器には海山の文物がよく描かれ、それぞれ祭祀に関連したものと考えられているが、中には不可解な形態のものも見られる。これは大阪府池上遺跡出土の土器に描かれたもので、海と密接な関係があったといわれる後期弥生人の、中国の影響を受けた信仰のありようが想像されるが、鋸歯のような鰭に蛭状の長い体の上下を覆われたさまは今日的な竜とは掛け離れたものを感じさせる。岡山、奈良にも同様のものが見られるがいくぶん中国的な形式化したデザインの竜のように見える。鰭がそのまま化したような足と羽根、波頭にひらめくさまは簡素ながらも迫力があり、竜巻をうつしたものかもしれない。

巨大なスカイフィッシュにも見える。

だるまさんがころんだ


風呂で頭を洗っているとき、「だるまさんが転んだ」について、一切思い浮かべてはならない。

背を丸めているあなたの姿を、だるまさんが転んだをやっている、と勘違いしたモノが、背後から寄ってくるかもしれないからだ。

振り向いたらだめだ。

きっとすぐ肩の後ろから、髪の長い女が覗き込んでいる。その血走ったまなざしは、死を告げるものだ。

いろいろバリエーションが考えられ尾鰭がくっつけられたネット怪談。

身の毛立ち


名前だけでよくわかっていない江戸妖怪だが名前から身の毛がわけもなく総毛立つことを言うのだろう。ぶるぶるみたいなものか。?「変態伝説史」

ドラコントピデス


ストゥンプシウスから引用したというトプセルによると巨大で強力な人面蛇がいて、人間の乙女の顔をしたドラゴンという。イヴを誘惑した蛇かもしれない。

参考・アシュトン「奇怪動物百科」高橋宣勝訳博品社

欽ちゃん走りの妖精


「欽ちゃん走り」ってけっこう根が深そうなんだよなあ・・・人間を異化するさい「足」というのは重要で、意味があるらしい。一本足についてはよく話題にされるので触れないが、東南アジアにきかれる足が前後逆についている怪異は恐らく、鹿などの獣の後足の関節が人間と逆についていることから、日本で言うところの畜生道説みたいな迷信と結び付いてのものではないか。横歩きというのも尋常ではない。しかも欽ちゃん走りというのは独特の奇怪さを印象付ける(だから笑いにもなる)。普通に走れるのに何故そういう動き方をする?というまっとうな思考からすると怪異なのだ。SOPHIAの松岡充さんはわりと精神世界系の人で妖精を見るという(芸能人に多い話だが)が、千葉の葛西で見た小人は三角帽子に全身緑という典型的な姿で、欽ちゃん走りをしていたという。このてのものに興味があるなら前に書いたノームの記事参照。速報的に書いたのでらくがき勘弁。


芸能人がテレビで話しをするとき、前は妖精という言い方より小人っていう言い方をしてた気がする。妖精のほうが綺麗でインパクトがあるからだろうなあ。

おじさん天使


最近の若い女性に流行っているという都市伝説的な話。類縁種として「妖精」「座敷わらし」「オーブ」があげられる(というかこれら情報がお洒落に?アレンジされてきているだけで、元は同じもののように思われる。光の粒のようなもの、という話と妖精、という話が夢と絡んで出てくるところに話の初源的なありようが読み取れるのは面白い)。モデルの道端ジェシカによればアホの坂田師匠に似ている。欽ちゃん走りをするものがいるというのは海外からの情報だろう。モデル業界ってヘイアメイクさんとかにそういう話を好きな人間がいるので、わりとこういう都市伝説が流行るらしいがどうでもいいす。


妖精を見たという若い人が実に多い。

妖精というワードが古臭いお化けや妖怪のイメージを払拭し欧化してるんですね。そのわりに玄関を綺麗にしておくとおじさん妖精が寄ってくる、なんて話、ほとんど座敷わらし系の「寄り来る福神」の因習的なものを思わせる。黄色いおっさんが流行らせた風水で金持ち、なんかの思想的影響もあるのだろう。江原的なものとか。でもそんなのどうでもいいのだ。

おじさん妖精という言い方がおもしろい。

妖精って元は幽霊か地下労働者。だいたい七人の小人はおじさんなのである。ノームのビデオを前に載せたがあのニュースのインパクトも影響しているかも。

ここ十年の若い子の「おじさんの戯画化」という風潮ももちろんあるんだけど。

腸チフスメアリー


20世紀初頭にニューヨークにいた実在の女性。腸チフスは重大な伝染病として患者は隔離対象とされたが、彼女が料理をした数家族に腸チフス禍が襲ったため、当局より保菌者として隔離されたものの、三年たっても菌の気配もなく発症もせず、自由にされた。料理人として働くことを禁じられたが、消息をたちまったく音沙汰がなくなった。

五年後、産院で25人の腸チフス患者が出たとき、調理場で偽名で働くメアリーが発見され再度隔離された。

だが五年間はどこにいてもチフスは発生しなかったといい、突然感染源になるようだったという。保菌者だが免疫があった、としても菌を自在に操れるのではないか、と噂となった。いずれ恐怖の対象になった。

参考・ミッチェル、リカード「フェノメナ 怪奇現象博物館」村田薫訳 北宗社

わいらうわん


村上氏らの研究をコピペした批評文がやたらネットに出回っている、「水木サンの元ネタ大将」にして「捏造師」扱いの藤澤衛彦氏、「妖怪画談全集日本篇」だが、これは「変態伝説史」で出た名前。今はもう忘れられてしまいつつある妖怪、そのひとつというが、わいら、と、うわん、を混同したうろ覚えの名前の可能性がある。

昭和初期はおおざっぱで煽情的な書き物が流行りまた世俗的に許されてもいた。妖怪の名前はそもそも書き言葉ではなく口碑通称であるのが当たり前だからこのくらいのブレは許容すべきだろう(じっさいフィールドで聞き取れる口伝の精度なんてそんなものだ)。今の感覚で民俗学者としての氏を断罪するのはいささか冷たい。

闇夜に蒟蒻を掴むような、妖怪とはそんなものである。怪異を分類的にうつつにうつした元祖たる石燕でさえ、元ネタはバラバラで根拠は希薄だったと言われ(「絵画に見えたる妖怪」)、そもそも蒟蒻が闇では何と感じられるか、怪異の本質は己の側にある。石燕はああ捉えただけなのだ。

捏造を問う?なら妖怪は雲散して消えよう。元から霧のようなものなのだから。

江戸は昭和なんかより物凄いパクリと想像と面白がりの時代だった。怪力乱神を書き残すような者はとくにその気強し。そもそも江戸より前を見ずして真相は探れない。

人喰いサモタチ


「食べ物」が人を食うことがある。

安政二年上十川村の農民、腹中に腫瘍のようなものが生じ非常に苦しんだ。医薬の甲斐もなく瀕死の状態にいたったが、家人に遺言として、

死んでも腹中にこの病を溜めおくのは浮かばれない、速やかに腹を裂いて塊物を取り除いてくれ

と。翌日屍を葬場に担ぎ、密かに腹を裂いて腫瘍を取り除くと、中から当時サモタチと呼ばれていたキノコ、傘の直径二寸余りが完璧な形で出てきた。少しも欠けておらず、こんなものをそのまま呑み込むわけもなく、切らないで食うわけもない。奇異なことである。

これは治療にあたった桑野木田の医師島田某の話。

文政年間にニシンの子を数十年好んで食べていた者が急に当たり、四日間苦しんだ挙句げっと言ってカズノコを吐き出し落ち着いたが精気が抜け翌明け方に死んだ。このカズノコも少しも欠けず痛んでもいなかった。

その他小ダコを食って当たり、足を丸一筋吐いて二日目に死んだ者などいた。

そもそも当たるようなものではない食べ物に当てられ、丸のまま吐いたあと、気が抜けて死ぬこと、理由がわからない。怪しいことだ。(谷のひびき)

小子部栖軽


奈良時代の人物で雄略天皇に仕えた。不思議な力があったようで、天皇が軽い気持ちで神を捕らえて来いと命令すると、実際に目の前に捕らえてきて畏れさせた。

日本霊異記によれば天皇が皇后と寝ているところに気づかず入ったスカルに対し、恥じて止めたところ、丁度雷鳴が聞こえたので、

雷をお招きしてこられるか

と言うとお招きしましょうと答えた。スカルは都境の辻にて馬上より鉾を掲げ、天皇の命にて鳴神を呼ばわり、戻る途中に落ちていた雷神を神官を使って輿に封じ、そのまま宮殿に運んでいった。

宮中にて光り明るく輝いたところ天皇は恐れ敬い、御幣を供え落ちた場所に戻させた。それが現在の飛鳥の雷の丘である。その後スカルは死んだ。天皇は忠信を偲び、もがりの日を七日七晩もうけ、雷の丘に墓を作り「雷を捕らえた栖軽の墓」と碑文を入れた。

雷神がこれに怒り碑文の柱に落ちたところ裂け目に挟まれ動けなくなり、再び捕らえられた。天皇はこれを放免したが、雷神(原話は「雷」としている)は死なず七日七夜気の抜けたようになっていた。天皇は碑文に「生きていても死んでも雷を捕らえた栖軽の墓」と入れ立て直させた(日本霊異記)。

日本書紀には雄略6年3月、7年7月の条に栖軽の名が出、後者によると三諸岳の神の姿を見たいという天皇の詔勅に従い山に登ると、大蛇を捕らえ献上したという。

天皇は斎戒しなかった。大蛇は光り輝いた。

恐れて山に戻させたという。

円了の蜘蛛の怪物


これは幻覚と結論を置いたうえで井上円了博士が報告した怪物である。

越前勝山で食あたりにあい四、五日臥せってから夜行列車で帰郷したあとのこと。家につくとまだ午前中だったがそのまま座敷に横になった。

蠅除けの蚊帳を吊っていたが、天井を見ていると、急に蚊帳が動く。

次第次第に縮まってくる。

手で握られるくらいまでになり、顔に触れるものだから止めようとすると手が動かない。身体が動かず人を呼ぼうにも咽喉を押さえられているようで声が出ない。呼吸が止まりひどく苦しんだ。懸命に動いて、何とか立つと、後ろから頭を押さえてくる。わきの下から大きな毛むくじゃらの足が二本見えた。

オノレ怪物!

と組み付いてねじ倒して見ると首から下は一面毛の生えた蜘蛛であった。

見回すと枕頭に扇があったので要で蜘蛛の咽喉を突き刺した。

ふと安心したところでこれが夢であることに気がついた。

しかし眠って見る夢ではなく目がさめていて見た夢であった。

精神身体に異常のあるときは「眠らず見る夢」があるものである、思えば蜘蛛の怪物を見たのは天井に蜘蛛の巣があったのを見ていたからなのだ、としている。

(佐世保軍港新聞)

時代柄があらわれている。蜘蛛の化け物など今の人は見ないだろう。ゾンビは見るかもしれないけど。

大頭


見世物では定番だったが今は水頭症の病人だったというのが定説となっており、長くは生きられなかった。それゆえか福助のごとき善神のイメージでご利益をうたわれ迎えられることもあったようだ。ここには体の三倍もあったという天保九年にかかった江戸史上最大の大頭児をあげた。七、八歳だったが器用に手先ごとをすることができたという。

赤口めらりひよん


もう歴史に、開化の光に、科学のもとに消し去られた江戸妖怪の一つ。「変態伝説史」にあるがここまでくるともうなんだかわからない。ぬらりひょんの仲間ではありそうだ。

痘の神


もう歴史に、開化の光に、科学のもとに消し去られた江戸妖怪の一つ。これは「百物語評判」に記録されているが筆者は原本を見ていない。イモノカミと読むが病系、おそらく天然痘の悪神であろう。この本は石燕のものの底本の一つとも言われる。

眼張入道


もう歴史に、開化の光に、科学のもとに消し去られた江戸妖怪の一つ。百物語や百鬼夜行絵巻果ては稲生平太郎武勇譚の影響で、江戸後期からさかんに行なわれた怪談百物語の場に呼ばれた狂歌師が自題を作って詠んだものについている名前には、今はまったく知られない妖怪変化の名前が出てくる。これは文政12年鹿都部左衛門尉が百物語のさい呼んだ狂歌師が挙げたもの。菊野廻眞恵美「百鬼夜狂」に記録された題で、出目怪人の意かもしれないがこう解釈した。一般に目が多い怪異というのは少ない。銭の象徴、能力の象徴、恨みの象徴として目がたくさんある妖怪が考案されることはあるが、奇形系でも少ない。

佐助ヶ谷の河童


鎌倉の佐助ヶ谷は稲荷で有名、中世初期から今にいたるまで奇怪な土地の噂があったが、遺蹟として発掘したところ庶民の呪咀に使われたかわらけなどが出土している。あまりうまくない墨絵皿の中に、表面にはウサギのようなもの(ねずみ以外は判然としがたい)、裏面に、このようなものがあった。かわらけは依り代、形代の役目をはたしたと思われる。河童とすれば日本最古の図絵となる。比較民俗学の名著「河童駒引考」にある称名寺の栄仁五年、猿が馬を曳くらくがきに似ていて、猿と河童の類縁性が指摘される(但し現在河童とエンコウは別物だとする地域もある)。呪咀の目的は不明。

流行神様


幕末にさかんだったもの。何でもちょっとでも奇瑞を示した「とされる」ものを祠におさめ幡をたてわっと群がって拝む。しょっちゅういろんなところに祠ができて、拝む対象もさまざまであったと田中貢太郎「村の怪談」にあるから明治時代においても続いていたのだろう。土佐では多くは無形の狸であり名を持ち、それも獣としてのものからなにやら妖怪めいたもの、よくわからないものまであった。石塔の頭であったりただの石であったりといったことも多く、ほんとうに「鰯の頭も信心」で、眼が見えるようになった、足がきくようになったという噂だけで神様になった。今残る祠にはこの時代に量産されたものが多いと思われる。例えば東京の澤蔵司稲荷など、居場所のなくなった祠・社を大量に境内に集めていたが、おさめられるものはさまざまで形式もさまざまであった。今は整理されているようだが奇妙な石造など見るものは多い。

犬神持ち


田中貢太郎「村の怪談」によれば、土佐では多分に差別的意識が反映されていたもののようである。「妬み」「そねみ」といった悪感情や強い念が犬神という動物と化して・・・往々にして無意識のうちに・・・相手の家へ行き祟るという。あるじの家の門戸から出入りしているところを見た、などといった話もあるが、多くは祟られたとされる人からの依頼で、「拝み屋」がサニワを通して「犬神」を召喚し、「誰のもの」なのかを喋らせる。しばしば犬神は折衝を拒み帰ろうとするが何とか説得し、例えば握り飯など、「犬神持ち」の本人へ贈り物をすることで手打ちとする。

本人に犬神持ちの自覚がないこともあり、わけもわからず贈り物を受け取ることもあった。

犬神持ちは眼光に一種独特のものが宿っているともいう。北欧の邪眼思想に近いものだろう。

最近やたらと人から貰い物をしている家を、「犬神持ちだ」と噂することもあったというから厭なものだ。ようはイジメに近い幼稚な考え方とも言えそうである。

「犬神持ち」もしくは「筋(家系)」というのは好まれず婚姻も忌まれた。今風に言えば超能力を持つ家筋とも言えそうだが、その能力ゆえというよりも、恐らく別の意識から冤罪を被せられた家筋だったか、被差別職能集団の出身だったか、「拝み屋商売」の墨付きを得て「合法的に」差別していたということかもしれない。被差別集団というのは一種権威的な存在でもあり(日本独特の社会構造である)特別な技能を伝承し、しばしば庶民よりも幅をきかせていた。

豊年亀


和歌山熊野浦で捕獲された怪物。一丈八尺(5メートルくらい)とアーケロン並みの大きさだが、和モノのキメラの図像に多い、姿絵を守りにすると悪疫を除けられるといった文句を伴うことから、お札を売って回った今で言う「霊感商法」の廉価版みたいな人たちの作り出した奇獣だろう。名称からは豊年を告げる奇瑞であったとも想像され、尼彦のような「上げておいて落とす(今年は豊作だが来年は悪疫で大変なことになる)」予言獣だったのだろう。

落馬の地


北浮田村から鯵ヶ沢へ抜ける道に砂坂という場所がある。ここは昔から落馬すると必ず死ぬと言われ、嘉永年間の初め、御蔵町の子がここで落馬したところ、さして骨が痛くも苦しみもなかったけれど、何となく病みついて、十日ばかりで死んでしまった。十年に一二度はあるといわれ、このような祟りのある場所は他にも両浜の街道の二、三箇所にあるが実例は聞かない。(谷のひびき)

頭が石になった小エビ


果実や豆が石と化す話はままあるが、天保年間に小泊村の市之介、明神の沼というところから小蝦を掬い炒って食べたところがちっと歯に当たるものがあった。吐いて見ると小海老の半身が石になりかけていて、下半身だけは普通のエビだった。一寸足らずのエビだけれども頭は脳髄が透き通って大変堅い石、尾のほうは赤くなって少し割れているが肉は繋がっている。(谷のひびき)石に成るという話は江戸時代に多かった。一部は自然現象で解釈できそうだが、エビの話は・・・小石が混ざっただけか、フェイクか・・・

白ナブサになった蛸の足


文政二、三年の頃、鯵ヶ沢で漁師たちが一匹のタコを獲ったが、その足の一本が白ナブサという蛇になっていた。うろこもしっかりとあり、蛇の頭はタコの頭側についていて、目や口は無いけれども他の七本の足とまったく同じ長さで、三時のあいだ他の足が死んだ後も動き続けた。魚屋の語った話(谷のひびき)

蛇タコの話は数多い。しかしこの話はひょっとして、特殊なアナゴのような魚や寄生虫がとりついたものかもしれない。

変化


天保五、六年のころ、どこかの海からあがったという大魚は頭のほうはソイという魚、下半身は蝦蟇であった。ある太夫の家に運びこまれた話を七戸某が語った。(谷のひびき)

水かけ蟲


深山渓谷にままあるもので、髪の毛のような形で長さ六七寸、八九寸にも達し、色は薄赤くせわしなく動く。この蟲、タラの肉の中にもまま見られるが沢のものより赤みが強く三寸くらい。毒が強いので気をつけなければならない。川の水だけでなく井戸水にも髪の毛のような生き物が出た。いずれ濾して飲むのがよい。(谷のひびき)

毒云々、井戸水云々は別かもしれないが寄生虫やハリガネムシなどの類と思われる。タラの肉のものは別に毒はなかった(適当に除いて料理して食べた経験あり)。

一回しか出なかった妖魅


板柳村正休寺の二男が若い頃、弘前の眞教寺で勉学にいそしんでいたが、夜に部屋の外で物音がする。障子の隙間から覗き見ると大変痩せ疲れた女が顔に髪を垂らして立っている。亡者に違いないと布団をかぶって伏せていると、障子の裂け目から何度か息を吹きかける。頭に当たってまるで雪を被ったように寒かった。やっと去って寝ようかというときに台所で火の焚かれる光が見え、用人がもう起きたのかと火に当たって休みに出て行ったら、今見た女が髪を前に垂らしてじっとこちらを見据えている。顔色物凄く見るに堪えずあっと叫ぶと火が消え自分も気を失った。用人がそれを見つけて気付けをしたが、しばらく冷や汗が出て十日以上病みつくことになった。どういう化け物なのか、その後誰も見た者はいない、と浄徳寺住職が語った。(谷のひびき)

油を嘗る女


有名な怪談で、化け猫系の話とされるが、栄養失調やある種の病気などと解釈されることのほうが多い。

文政中期の版木屋が品川宿の紅屋という安宿に雨宿りに入り、宿の若い衆に誘われるがまま縁の下の座敷(品川の入り口は海沿いで坂になっており縁の下にも座敷を設けた)美女の飯盛と飲み契ったが、客が多い時、いったん床を外された。暴風と床下の波の音(海に突き出した部屋だった)と外の座敷の煩さと薄布団に眠ることも出来ず、しかし夜が更けるとおさまってきたらしんとした広い座敷で心許なくなった。ふと女が部屋に入ってきて、草履もなく駆け寄ってきたので嬉しいと思って寝たふりをしていたら寝息を確認したあと行灯を隅へやって戸を開け、考え込んだ後再度寝息をかぎに来て、また戸を開けてなにやらしているので善い人に手紙でも書いているのかとチラ見したら、火口を向こうへ向けて、さも美しい顔に笑みを含んで、そのまま行灯の中に顔を差し入れ、油を吸った。背筋がぞっとしているとびたびたと音をたてて油を啜っている。やがて何食わぬ顔で戻り布団に入ってきた。

わっと立ち上がって外へ駆け出したら女は手水に行くのかと聞いてついてくる。階段を上がろうとすると帰るのかと思って引き留める。無理に引き離して上がると女もついてきた。寝ず番にてきとうな言い訳をして帰ると言うと、若衆が女を責め困った顔をしている。何卒堪忍して朝までいてくださいと懇願される顔が大行灯にまたぞっとするほど美しく、この程度の安見世にこんな美女がいるはずもない、妖物に違いないと色々侘びて外へ出た。素直で気高い様子に不審にも思った。

隣の戸を叩き泊まりたい旨つたえると女もいずお断りしますという。無理に入って酌女も得てほっと一息ついて、隣の出来事を伝えると笑いだす。あれは妖物ではございません、そういう癖なのですと。皆様驚き大方このようなはめになるのですと言うから共に笑った。理由はわからないけれどもたまにいるのです、仕事柄舌が荒れるのでああして潤わせるとしのぎよく、ついつい食べ慣れたら止まらず好きになる。猪口などで飲めばよいのに、行灯で暖まったものを皿から吸うのがいいらしい、という。ほっとしていると、あの女は生まれもよく容姿礼儀も整って品川の飯盛風情にはなるべきものではないのだけれど、あの癖ゆえにこの安見世に成り下ってしまったのだ、と。

これが泊まらず帰ってしまったらきっと妖物に逢った、という話止まりだっただろう、そんなものである。友の内藤某の話にはさる方の奥方にもこの癖がありさほど珍しいことではない、ということだった。(想山著聞奇集)

大座頭


大入道や座頭(差別と裏腹に特殊能力を持つと畏れられた)系の妖怪の一つだろうか。文政十二年の百物語の会で狂歌の題と記されたものの一つ。

祈り坊


これがよくわからない。文政三年の百物語の会で狂歌の題と記されたものの一つ。

一つ眼


一つ目小僧のことか。文政十二年の百物語の会で狂歌の題と記されたものの一つ。

しら児


色素異常の子のことか。文政三年の百物語の会で題と記されたものの一つ。

河媼(かわおうな)


河媼(かわおうな)は山姥の河版というか、年齢を超越している以外は普通の物狂いのようなものである。雌野澤の林業者たちが山に入って薪を伐り川へ流して弘前に送るべく、諸所に「塞柵(やらい)」と呼ぶものを作っていたが、番館村の川辺にも一つあった。ここは村の端である河童湾(とろ)という淵を少し避けて造り設けたもので今でもあるだろう。弘化四年八月のことだったか、月が明るい夜にこのやらいの小屋の傍で声がした。

己が子供らが大変世話になっている、皆々衆に一礼を述べるために来た

樵たちは驚いて誰だろうとあたりを見回しても影すら見当たらない。その声は老女のものでとてもとても淋しいものであったので、これは話に聞いた河媼というものだろうと震え上がり、寝ることができずに皆起きて火を焚いて夜を明かした。

里老の話によるとこの河媼というものは昔から番館村の河童湾に住んでいるもので、五、六十年前までは時折里に出て、同じように礼を言うことが度重なったものだから、誰もおかしいと思わなくなっていた。最近は村には来ずただ樵の小屋にのみ五、六度も来ることがあった。食べ物を貪るのでも人を悩ませるのでもなく、一言言い終わればそのまま帰り二度と来ることがないと語った。村市村の子之丞という者の話である。(谷のひびき)

最初は姿があったものが声だけになって未だに挨拶に来る・・・ブレアウィッチプロジェクトを思い出した。変に河童因縁話と絡めないところがこの随筆のジャーナリスティックなスタンスをあきらかにしている(河童湾にいながら河童を束ねる総大将ではちっともないのだ)。

山中のサメ


小国澤目山本村の山の二重堀の土塁跡には奇怪な噂があるが(別項)、同山中の川で地元の人が毎年やなをかけて雑魚を捕るさい、ときどき小さな鮫がかかることがある。この鮫がとれるときは必ず祟りがある。この川の上流にあるひとつの淵には鰐が住んでいるという言い伝えがある、と石郷岡氏が語った。(谷のひびき)

古墳の怪異はどこに書いたか忘れたのでサマリーを書くと、古墳、というか砦か城だと思うのだが、板石が大小たくさんあったのを見た村人が造作にあてようと翌日馬五、六匹を曳いて来た所、昨日はあった石が一片も見えず、怪しく思って馬を堀傍にはなちあまねくくるわの中を見たけれども似た石すらなかったので、狐に化かされたような気持ちで馬どもを曳いて帰ろうとすると、四蹄がことごとく鮮血に塗れていたので、ぞっとして身の毛逆立ち、ちょっとでも留まるに堪えず早々に逃げ帰った、これは嘉永末年の話だという。

山中の小鮫というのはじっさいどういう種類の魚をいったのだろう?チョウザメのたぐいが渓流に住むとも思えない。鰐は言葉どおりではなく恐らく巨大化した岩魚のたぐいだろう(大口で何でも飲み込む貪欲な魚というイメージは日本における鰐という名称のイメージと一致する)が、鮫、と言い分けているのが不思議。江戸時代は「方言」が誤解されて「ボラがトドになる(茨城あたりの方言で今でも使われる出世魚的な呼び分け)」ような話が伝わっていた。これもサメという方言名の川魚がいるのかもしれない。

怪蟲


文政年間、千葉某という人が山の温泉に湯治に行ったとき、同僚の二、三人に誘われてタケノコを取ろうと山へ上がり、笹藪に入って探していると、なにやら音がして竹の葉が揺れわたった。何が出てきたのかそちらを見ると長さ二尺ばかり周囲一尺もあるような芋の如く短いもので、背に金色のウロコを重ね頭は子供の弄ぶ獅子というものに似て、眼口大きく髪を被っている。するすると出てきたところを怪しとて撃ち殺そうとしたところ一人に堅く制止された。手を下さずに見守っているとこの生き物は驚きはばかるようなそぶりを見せず、しっかり道を横切って傍らの藪に入っていった。龍でもうわばみでもない、未だ諸誌でも見かけたことの無い大変奇異なものだったと氏は語った。「榎のうわばみ」という南渓の西遊記にみられる「太く短いもの」でもあろうか。(谷のひびき)

江戸時代には珍しいわりとUMAらしいUMA。獅子頭という点には疑問はあるが(これじゃ「おとろし」だ)ツチノコの類とするにもいささか奇妙な描写のようにも思う。中国のセンザンコウの類が逃げ出したものでもあろうか。

アンコウの如き異魚


名古屋の西、巾下というところの江川に遡上してきたという「足のある鮟鱇」の怪物。天保八年七月盆前に子供が発見、大口にずらりと鋸のような牙をもち、大人たちが危険をよけつつやっとあげたそれは、大きな目も口も鮟鱇に似ているが脇びれは通常の魚、尾はナマズ、うろこはなくてガマのような色をしていた。四尺の長さがあり、大きな腹には四対の、蛙になりかけのオタマジャクシのような、サンショウウオのような足を持っていた。浅い川で本流にも生育できるような大河はなく、どこから迷い込んだか知れない。捕縛後はおとなしく人に慣れ半月は生きていたが、山師に買われ見世物にされたらすぐ死んだ。(想山著聞奇集)

どうも科学的検証をしようという意識が想像力をスポイルしたり変な誤解を与えたりしがちだが、なかなか読み応えのある奇談随筆集。

マナナンガル


この吸血鬼に関する噂は混乱します(他の噂と同様に)。 「東南アジアに関する幽霊伝説」はほとんど多くの噂と伝説が混ぜたものです。それ。 特定の外観に固定できないそれのケースは非常に豊富です。 aswangの最も一般的な外観は民話1です。 一言で言えば、Itは「架空」で、醜いです。 1人の女性の上側の身体は夜分離します、そして、浮かびます、そして、子供と妊娠している女性は攻撃されます。 屋内のAswangは屋根から長い舌を垂らして、眠っている犠牲者の血液を吸い込みます。 また、Aswangは、小さいので(上側のボディーだけ)、小さい窓に内外に行くことができます。 Aswangは直接血液の噛み付きを吸い込むかもしれません。 aswangの外観はしばしばバットのイメージで継承に入ります。 また、年取った領主の影響を受けて、ヨーロッパからの実際に流入であると考えられて、旧植民地の幽霊には可能性である噂があります。 吸血鬼の影響がヴァンパイアのこの「部分」ヨーロッパにあります、そして、それは否定的であることができないでしょう。 しかしながら、aswang外観の噂は現在、中止されません。 大部分は偽物ですが。 (以上直訳終わり)

アスワン


フィリピンの女性吸血鬼なんですが、地方によってもびみょうに属性が違っていて、都市伝説としては更に混乱している・・・ホラー映画が一時期すごく作られた・・・で、大昔に洒落で書いてすっかり忘れていた英文・らくがきブログに「アスワン」のヒドイらくがきをのっけてたら、数年の時をへて、フィリピンのエンジニアのかたから

「違ってるよー、それアスワンじゃないよ(緩くはアスワンのように描かれることもあるけど、全てのアスワンがそれってことはないわ)」

て米があった。夜になると上半身が千切れ羽根が生えて飛んでいき、妊婦(=血のイメージです)の匂いをたどって、針のような舌を屋根から刺しおろし、腹から胎児を吸い取ったりする(日本にもよくある妊婦の怪異譚ですね)・・・ってあくまで一説にもとづいてかいたんですが、、、

今更直すのがこっぱずかしいんですが。だいたい、俺何で行ったことも無いフィリピンの妖怪紹介したんだろ。誰かに聞いたんだな。ちなみに、私の書いたのは「マナナンガル」だそうで。ゲームかなんかでわりと有名みたいだ、日本語wikiにも載っている。

manananggal ; the root word "tanggal" which means "remove".

とのことでした。なるほど、日本語で言うと「千切れ」とか呼ぶべき妖怪ってことか。なんか気持ち悪いな。。

日本語wiki;マナナンガル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AB



・・・じゃあ、アスワンってどこからどこまでなんだー

アスワンの写真とかいうやつ

フィリピンの神話上の生き物(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E4%B8%8A%E3%81%AE%E7%94%9F%E3%81%8D%E7%89%A9

フィリピンのお化け(この記述がかなり正解ぽい)

・・・

消えてなくなる女


田岡典夫談。高知で中学校へ通学していた頃、夜の八時ごろに友人二人と堀詰から上町のほうへ帰っていると、ちょうど停留所に電車が止まって少女が乗り込むのが見えた。電車は出てしまったがのろのろしたもので次の駅で追いついた。座席は一杯で少女一人がつり革につかまっていた。二人は両側から挟むようにつり革をもちにやりと互いに笑うとすぐに大橋通に着いた。すると傍らの老人が立って降りた。譲り合うさまをみせてさあ少女に座らせようと見ると立っているのは二人だけ。外を見ても先ほどの老人しか見えず、それきり二度と見ることは無かった。(田中貢太郎「日本怪談実話」)
少女は老人に憑依したものだったのかもしれない。

自殺を阻止する生霊


昭和元年五月三十一日午前二時半頃代代幡署へ青ざめた青年がやってきた。山形県の豪農の長男だったが四月に郷里の中学を中退して上京、犬猫病院に見習いで勤めたものの過労で逃げ出しさ迷い歩きついには一文無しになってしまった。悲観のあまり渋谷から代々木の間の山手線で数回飛び込みをはかったが、そのつど郷里の母親の生霊が現れ説教を始めたという。結局どうしても自殺できないので身の振り方を相談しにきた、とのことだった。(田中貢太郎「日本怪談実話」)

藤右衛門火事


愛知県の津具村で上のほうの上町に、藤右衛門という農夫がいた。明治初年、浪人上がりの流浪の老人が入り込んできた。いわゆるユスリタカリのたぐいで村人に蛇蝎のように嫌われ、火の玉小僧という隠語で呼ばれた。誰も抵抗しないものだからどんどん付け上がる。

それで殺そうということになり、村民で竹やりやこん棒を使い追い込んでいった。たまたま出くわした藤右衛門が打ち殺し、一件落着となった。七月の昼だった。

まもなく藤右衛門の家が謎の炎上、類焼にいたるほどひどいものとなる。

以来上津具で起こる火事は全て藤右衛門の家が中心になった。落雷火事、ガソリン火事、いずれも七月の昼前後と決まったようになってしまった。

この火事を村では藤右衛門火事と呼ぶようになった。

(田中貢太郎「日本怪談実話」桃源社)

河童のほうき


南会津の桧枝岐の三九郎という家の話。厩までわざわざ尻小玉を抜きに来た河童を見て家人が驚いた。

河童は箒に化けていた。

見破られ、いつものように侘び証文を書いておわった。(畠山弘「東北の伝奇」大陸書房S51)

河童の碗


羽後の仙北郡のある淵に、赤いお碗に化ける河童がいた。水面に浮いている赤い碗に気づかない子供が水底に引き込まれ尻小玉を抜かれた。しかし河童は馬に対してこれをしかけたところが、馬のほうが力が強い。あべこべに水上に引きずり出され、厩で飼葉桶に隠れているところを飼い主に見つかり、命を助けてもらった見返りに匙を置いていった。この匙ですくうと傷の妙薬となるという。(畠山弘「東北の伝奇」大陸書房S51)

深沢の大蛇


延宝三年、鎌倉の深沢が洪水になったとき諸所の山が崩れる中、三尺もの長さの髑髏が転がりだした。歯の大きさも一寸八分余りある。江ノ島縁起に深沢に大蛇ありというものがあり、まさにそれではないかと評判になった。(新著聞集)

安宅丸の呪い


秀吉の命で建造された無茶な巨大戦艦安宅丸は各地の名木神木を無理やり斬らせて作らせたが、実用に余り向かず勾留されるまま水漏れなど整備不良が目立ったきたため結局解体され下々にさげられた。しかし魂のひときわ入ったこの船には、たとえば拘留中勝手に流れ出し故郷に戻ろうとしたりなど奇妙な噂があり、神木関係でよくある話だが、この板を払い下げられた酒屋、穴蔵の蓋にしたが、同時に召使に何者かがとりついて言った。「我は安宅丸の魂なり、はばかりもなく穴倉の蓋にするとは汚らわしい庶民に踏まれたくないわ。一人ひとり取り殺していこう」あわてて女の頭をこづき、侘びて作り変えたら収まった。安宅丸は神格を持っていて今でも祀りをする神社がある。(新著聞集)

日岡山


兵庫県加古川市(加古庄)の日岡山(日岡神社)の安産神はかつては厳しい神で、年中行事である「亥巳籠(いこもり)」についての戒律が伝わっている。

参考:神戸新聞「安産祈願し「亥巳籠」 日岡神社」

亥巳は「忌み」とのダブルミーニングと思われる。日本武尊命の生誕神話で、その安産を祈祷したことから始まったとされるが、明治時代の文献によれば今よりもかなり厳しかった。

陰暦初の亥の日(元日が亥の場合二番目の亥の日)から巳の日まで七日間を亥巳という。

氏子はその前日までに糧食を準備し、初日は全ての仕事を休んで、みな門戸を閉ざし、台所の刃物や竈口など厳重にしまったり蓋をする。戸や障子を開け閉めするのにも決して音をたててはならないから、布や紙で巻く。鋤や鍬は縄で堅く縛る。畳の上は渋紙か毛布を敷いて、内庭にはむしろを拡げ、下駄やぽっくりは一切履かず男女とも草履を履き、大笑い、大声は禁止、とにかく静粛にしている。御見舞と称して毎朝日岡神社に参詣する以外は一切外出はしない。夜は遅く寝るが、寝るさいには必ず焼餅を一つ二つくらい食べる。四日目だけは中の宵と称して風呂にも入り火も起こし刃物も用いる。この日に湯に入ることを御相伴という。さらに後三日ぶんの糧食を補給する。明治末の段階では商工家にかぎってご祈祷を受けると残りを免除されたといい、大半の家はそうしたという。

この物忌みのような行事では神罰がやたらと伴うとされていた。

まず夜に便所へ行ってはならない。無理に我慢する。

籠もり中に騒いだり、火や刃物を使うと日岡山が鳴動し、その者は必ず神罰を受ける。

籠もり中に出産すると、親子共死ぬ。そのため維新前までは、生月が正月になりそうだとなると、祟りをおそれて無理に流産させることも少なくなかったという。

ただ、氏子が正月に臨月を迎えることはたいてい無かった、とも言う。(大畑匡山「日本奇風俗」晴光館M41)
そもそも江戸時代、神仏でも神はひどく畏れられる存在で、神仏習合のさい仏を仲立ちにしてやっと神様へお参りができるようになった(伊勢神宮)、といった厳しいものであった。明治時代、天皇の権威が非常に高まったのはこの神様の極めて異様な権威がそのまま引き継がれたところにも理由があったと思う。じじつ江戸時代まで天皇は権威や型式は別としてかなり人間的な存在としてあり、武家に姻戚関係を利用され、幕末はとくに権謀術策にも関わっていたのである。

蛭食う蛇


京洛にある長者がいたが、物乞いが集まってくると米を溝に捨て、お前らにやるくらいなら捨ててようぞとのたまうたという。長者は不意に病みつき死んでしまうが、ある晩家族全員の夢に出て、広沢の池に行ってくれという。翌日広沢池近くで車座になって座っていると、池より一匹の蛇があがってきて仲に入った。体中びっしりと蛭がたかり血肉をすすられ惨いものであった。一同、これは長者の生まれ変わりぞ、と箱におさめねんごろに弔ったという。新著聞集。

正雪とんぼ


駿府に生まれ散った由井正雪にちなみ、静岡にはいくつか伝説がのこるが、夏の初めにあらわれる川とんぼを静岡市では「正雪とんぼ」といった。理由は知れないが由井正雪の怨念で何万もの群れが余り綺麗ではない水のあるところで群れ舞い、押すと潰れて群青色の液を出す。今は減った。鳥の餌などにした。(「静岡県 史話と伝説 中部篇 富士川から大井川まで」松尾書店S31)

生きながら天狗になる僧侶


京都の東松が崎に日蓮宗の寺があった。ここの上人は徳が高く門弟にも上人格の聖が多くいた。上人、患いついて遷化(死)遠からずと見える頃から、何となく、顔付きにぞっとするものが現れ、看病する面々は心配に思っていた。

あるとき上人が不意に起き上がった。

「只今臨終ぞ」

四方をきっと睨み付ける眼は輝き、鼻が見る見るうちに高くなっていくと、左右から羽根が生え開き、寝室より走り出て縁側に行ったと思うと、向かいの如意が岳のほうへ飛び去った。

そのまま行方知れずとなった。

弟子であった五人の上人は皆宗派を改めた。

浄土宗に一人改宗した了長坊は東山で念仏をとくかたわら、このことを詳しく語った。人々は舌を震わせ畏れあった。

この上人の跡様が思いやられて哀れである。

(新著聞集)

言うまでもなく念仏宗派寄りのこの随筆の、他宗に対する(特に修験の山伏への)偏った見方が反映された採話ではあるが、僧侶がいまわのきわに天狗に化ける、というのは後生が牛になる、という俗説にも通じて興味深い。新著聞集にも前世が僧侶の牛の話が出てくる。

厠の報いを受けた男


和州高市郡鳥や村という所の話。農民の甚七は常から親不孝であったが、あるとき耕作から帰ったところ、母は茶を煎じて飲んでいた。飯の仕度もせず何をするかと大いに怒り、釜の中の茶袋を引き出し傍らの茶葉とともに紙袋に詰めて厠に投げ捨ててしまった。日々そういったことを続けているうち熱病を患い、ついに死んでしまった。

死骸を整えて置いたところ、不意に起き上がり厠の方へ走り出た。追いかけると、厠の隅にうずくまっていた。

引きずり出して葬式をあげていて、しばらくは晴天で風もなく、このような悪人のときには珍しいことだと言ったはなから一天俄かに掻き曇り雷が天地を轟かせ土砂降りとなった。仕方なく止むのを待っていると、戌の時ごろに晴れたため運び出そうとしたところまたもやバケツを引っくり返したような雨になり、前にも増して雷鳴激しかったが、もう待てないとそのまま野辺送りをし、穴の中で火にかけた。

翌日、灰を寄せようと見に行ったところ、男が炭になったそのまま、穴の中に起きあがっていた。

見た者身の毛がよだち、薪を山ほど積んで、二日もかけてようやく灰にすることができたという。

(新著聞集)

これは中国のキョウシ(キョンシー)の話によく似ている。走屍ともいい日本でもしばしば報告された話で、「中身」が無いため取り捕まえて無理やり棺おけにおさめたりした。猫に魅入られると動き出す、という俗説も多く囁かれた。猫や鼠はこの世とあの世を行き来する霊獣として東西アジアに広く知れ渡っている。

頭で食う者


上総国庁南の妙覚寺門前に人々がたくさんいるところへ、ある農民が十六人でも十七人でも一筆書いてくださいと訴えていた。奉行久保田平右衛門そのゆえを質したところ、まずお見せしてからということになり、俄かに設えた小屋へ行き戸を開くと、耳、目、口、鼻が無い瓢箪のようなものが黙然として座っていた。これは私の父です、若い時に鳥刺しをし霞網を張ってあらゆる殺生をしたところ、応報を受けたか、俄かに患いつき、こうなってしまいました。物を食うところを見せましょうといって粥を頭に注いだところ、鳥の嘴がいくらか出て、少し啼き声をあげ、食ったという。(新著聞集)

頭で物を食う瓢箪のようなのっぺらぼうの男の話は平安時代くらいのものにもあった気がする。いずれ病で哀れをさそい物乞いをする類でもあろうか。

頭に生える嘴


延宝年間、江戸通銀町二丁目に堯順なる商家あり、八王子山家の鷹の餌取りの子を年季に使っていたが、流行の熱病で死んでしまった。沐浴させ剃髪せんと髪に剃刀を入れるに歯がまったく立たない。髪の根を見ると頭蓋一面に鳥の嘴が生え、巌のようになっていたという。(新著聞集)

疱瘡か皮膚病の瘡蓋か何かだと思われるが鳥取りの子に鳥祟るというのはこの説話集によく出る因果応報話でもある。ちなみにこの随筆、やたらと念仏を奨励し他宗徒を貶める奇怪な話が多いが、江戸本にはよくあること。

両面三目馬


文政8年5月に天草の富田村の農家、幸次郎の家に生まれた牧用馬で、真ん中の目は潰れ膿汁が出ていたが他の目に異常は無く、翌々年7月、11月に名古屋で見世物に出た馬の図が残っているが、恐らく同じものだろう(「見世物雑誌」)。この種の畸形が生き永らえるのは珍しい。古来(現代も)洋の東西を問わず頭や手足の複数ある畸形体は見世物として(今はネットのジャンクニュースとして)重宝されている。ゆえに捏造されることもあった。

赤子(猩々、猩々太夫)


現代はモラルに反する差別的なたぐいの怪し物として余り採り上げられない人間の畸形見世物だが、比較的多くあらわれるいわゆる「白子(アルビノ)」は、最近アフリカで肉体内臓が病苦に効くという俗説からバラバラ殺人事件に発展しニュースになったことからもわかるように、江戸人や中国人も含め有色人種にとっては怪異の対象とされた(日本ではとくに瑞祥とされ植物は人為的に白くされ人間においては「八百比丘尼(白比丘尼)」のように神様扱いもされた)。西欧ではそれほど目立ったニュースにはならないように思う。

白子同様、赤子は猩々とも言われしばしば見世物にされたことからも、先天性の何らかの病気だった可能性は大で、酒呑童子は人間形の「鬼」の原型となった人物だが、肌が常に赤いことから酒呑みという名を付けられたと云われ、つまり「赤鬼」の末裔は天保十一年以降各地で見世物に出た赤子もしくは猩々太夫だったといえようか。明治以降も赤子は報告され、「西洋人との密通子」と悪噂をたてられるも医師によって先天性の色素異常と判断された記録もある。実際は毛細血管が透けて見えるほどのアルビノだったかもしれないし、皮膚の病だったのかもしれない。

大正14年には台湾で全身が赤、黒、白の三つ子が産まれショックで母親が死んでしまうというニュースもあった。「三国志」になぞらえ関羽、劉備、張飛の生まれ変わりと見物人が跡をたたなかったが、白子以外は発育不良であったという。世に言う黒子は色が黒いというより多毛症のことを言ったらしいが別項においておく。

参考:「変態見世物史」

ウンギョ


文政十年見世物にかけられた魚で、蟹(甲羅)の生じる畸形だったようだ。「見世物雑誌」。

人形突き


東北の村むらに伝わっていた一種の呪法。いわば(どこの村にもどこの国にも普通にあった)掟を守るための厳しい戒めの儀。糧物などの盗難が発生すると、相談をして高さ一丈もある人形をしつらえ村の四辻に置き、各家々から盗まれたというものと同じ物を少しずつ持ち寄って、人形に背負わせたりぶら下げたりする。神主が「盗人早く出せ、人形責めても盗人以外に天罰下すな」といった旨の祈祷ののち、人形の腹の央に、思いっきり御幣を突き刺す。

そこに向かって一番盗まれた量の多かった村人から順に、槍や鎌や刀でも何でも、恨みを篭めて突き刺していく。「よくも人の家の米を盗んだな悪疫で死んでしまえ」・・・被害者からの責めが終わったあと他の村人は人形に悪口雑言を浴びせかけ、全員で好きなように罵倒し叩き切り刻む。

人形に移した盗人への呪いは火あぶりによって完結し、つまりは気持ちの蟠りを転嫁するという人形祀りの一種にすぎないのだが、じっさいは神主などが一人ひとりの責める様を観察し、不自然な責め方、悪口をきいた者を盗人として吊るし上げるための「試験」であったようだ。

昭和初期にはおおかたすたれていた模様だが山間の小さな村には残っていたという。もともとサイノカミや大将軍といった大人形を使った祭りを行う習慣のある東北では、意味性が失われ形式のみ残っているかもしれないがよく知らない。

参考:「東北の民俗」仙台鉄道局編、日本旅行S12、秋田県仙北郡長野町

井ノ頭池の主


武蔵井ノ頭池の古い伝説。北澤の長者サンネなるものの娘、たいへん美しく井ノ頭弁天様の申し子といわれていた。十六になった四月八日、長者夫婦に連れられて弁天様にお礼参りに行ったとき、水面をしばらくじっと見つめていたかと思うと、身投げしてしまった。驚いて駆け寄った両親の目にうつったのは、見る見る白蛇に変化していく娘の姿だった。

弁天を見下ろす大盛寺門前茶屋近くにある人頭蛇身の宇賀神像は、この娘の供養のためのものと言い伝えられている。

大頭


文政三年、蜀山人、山東京伝らが宿の飯盛をまじえて行なった百鬼夜狂の会の題に名を連ねているが、正体不明。おそらく単に大きい頭のバケモノか、福助のような一種の病気の見せ物の怪物化だろう。

たかれ小僧


文政三年、蜀山人、山東京伝らが宿の飯盛をまじえて行なった百鬼夜狂の会の題に名を連ねているが、正体不明。

子を引く山伏


信州高遠に山辺八郎兵衛という男がいた。子沢山だったが、一人の子供が酷く患い、死ぬるのだろうかと思っているうちのこと。夢うつつに部屋に山伏が入ってきて煩う子供を立たせ修行に連れて行こうとする。そちらへはやらじと腕の引き合いとなるが、とられてしまったところで目が覚めた。

翌朝その子は死んでいた。

このようなことが相次いで子供はたった一人を残すのみとなった。

その子も患い極み、果たして例の山伏がはっきり見えて、連れて行こうとする。さりとも今度はやるまじと力の限り曳き止めると、ついに山伏は根負けして帰った。夢はさめた。

翌日子供はけろっと回復した。

二度と夢を見ることも子が患うこともなくなった。

(新著聞集 第十 奇怪篇)

孫を食う祖母


上州厩橋から二里ばかり離れた大胡村の名主大塚七之助という者の母、七十余歳なるが、三歳になる孫を抱いて、昼夜寵愛した。ある夜、

「ワレ、孫を食った。手ばかり残っている」

といって見せた。七之助、はと目が覚めすぐに捕らえて牢に入れた。

(新著聞集 第十 奇怪篇)

大阪の死神


死神につかれ何度も自殺仕掛かった婦人の話。

あるとき不意にこの世の中が詰まらない様な気がしてたまらない。傍らの研ぎ澄ました鋏で喉を突こうとし、寸で主人が鋏をもぎ取ったが、後日もわけもなく自殺を思い立つようす、催眠術などでいっときはおさまった。

しかしある晩二階で似ていると、誰だか知れない女が枕元で呼ぶ。目をあけても知らぬ女だったが「こんな詰まらないところから出ていっしょにいいとこへ行こうよ」と強く責めるように奨める。困っていると少しずつ移動して、階段の上まで引き立てられていた。

たまらず助けを呼ぶ。皆死神の痕跡を探すがまったく無い。

三度目風呂の帰り、とある街にさしかかるとあの夢の女がいる。ふらり、と寄って

例のように

死ね

死ね

とささやく。

別にその必要も感じなかったのだけれど、ふらふらとついていった。

そこは緑深い谷で百花繚乱の中、美しい婦人が何人も何人も楽しそうにあそんでいる。

、、、急いで行かなきゃ。

気付いたら三宝木津川波止場で、大川にひとり身を投げようとしていた。

(福来友吉「不可思議」より「死神の附いた婦人」、「ムラサキ」掲載、「不思議の研究」博士書院M42収録)

小さき化仏


大津の黒木商いに念仏をおさめた者がいた。いつとなく、空中に小さな仏を幻視するようになった。年月を重ねるうちに幻像は肥大化し、等身大で拝めるようになったという。百万遍の万霊和尚に聞いたところ珍しいが、このようなことは人に語るなかれと諫められる。

ある時すこし気分が悪いと言う。釈迦をはじめお迎え衆が眼前に来迎した、有り難く迎えているところだと告してのち、死んだ。(新著聞集)

この話、一見念仏宗派の説教に読めるが、その場面を想像するにむしろ何かにとりつかれた者の怖い話に受け取れるのだが。Tags:江戸 怪奇 イラスト

二人の男郎花


女郎花(おみなえし)の対花として知られる白い男郎花(おのこえし)は、戦国時代の悲話にその名のルーツがあると「狗波利子」にある。

越前朝倉氏は不落の一乗谷に山城や城下町を構え幾代も重ねた名家だが、信長や一向一揆に谷ごと焼滅させられ、最近「戦国のポンペイ」と言われる中世の町並みの遺蹟が掘り出され復元されるまでは巨大な石垣や立派な石仏の散在するのみで生活の実態が謎に包まれた国だった。

朝倉の小姓に小石弥三郎という利発な美男子がいた。足軽大将洲河藤蔵はこれに心奪われた。小石も情深く応え、遂に一夜をすごした。夜明けに別れの歌を詠み合せ、いつまたも定めず別れたが、翌日臼井峠の合戦で、藤蔵は討ち死にした。弥三郎は悲しみ、一騎駆けして後を追うように戦死した。

いくさの後、哀れに思った人々は二人を塚に一緒に葬った。数日して塚から不思議な草が二本生えた。それをいつともなく男郎花の名で呼ぶようになった。

塩間の稲荷


二見ケ浦近くの塩間(しわい)浦の乾物商人が京都に商売に出たさい、とある稲荷の前で一休みしていたところ、老いた狐が一匹出てきて、大鳥居をあちらこちらに飛び越えた。

商人がおもしろく見ほれていると、その狐、汝も越えよ、と言う。私にはお前のようになれない、と返すとやり方を教える、羽織を脱げという。狐は羽織に長縄をつけ鳥居の上にひっ掛けて、あちらこちらと引っぱってみせた。商人は自分が飛び越えているような気持ちがしてきて、ぼうっとしてきた。

国へ帰り我が家の戸を叩くと、妻子、恐ろしい古狐が来た、中に入れるなという。亭主だ親だと言っても入るなとわめき騒ぐばかり。

自分が狐にされてしまったことにはっと気付いた商人はさめざめと泣き立ち去り以後海辺に住み藻草や魚の鱗などを食べて生活した。のちにこの元人間の狐は人に、我が子をたくさんもうけたが定まった棲み家がないので迷惑をかける、どこかに設けてくれまいかと託した。地元民たちは哀れみ小さなほこらを作って、塩間の稲荷としてまつったという。説話集としての室町期の著聞集をベースとした一連の江戸随筆のひとつで、宗教的説話や教訓を基調としているが怪しげな怪異ニュースをも雑多に盛り込んだ「新著聞集」より。著者は推定されてはいるが不詳とされてきた。

蟹女


昔、一人の婦人が蟹と契り七匹の雌蟹を産んだ。川へ投げ捨てたものの勝手に這い上がり、岸辺に家を建てた。

七人の男がそれらの水浴する場に出くわした。

彼女らは蟹の殻を脱ぎ、人の形をしていた。男らは殻を持ち去ってしまった。しかし彼女らを人間の美女と勘違いし結婚したので、まるくおさまった。

中央セレベスのトラジャの伝説。「台湾生蕃伝説」;藤澤衛彦「変態交婚史」文芸資料研究会S2(発禁、紀田順一郎監修「精選社会風俗資料集第2巻変態十二支(2)」クレス出版H18収録))によれば蟹から人への変態する話自体が少ないように読めるが、言葉遊びに近いとはいえ江戸随筆に蟹に羽が生えて飛び去る話などがあり、竜への変態についても確かあったと思う。中国の古籍、いわゆる志異書の怪異に蟹がネズミになる話があるがそれに似ている(氏は誤認説として紹介している)。

藤澤氏は異種婚姻についてこのような山気の高い一般書と別にきちんと研究書をまとめているが未見。戦後「妖婚譚(変態交婚の話)」国民教育社S25に平易な小説体で書きなおしている中にこの話も収録されより詳しく分析されている。

椿の手


見世物でよくあるもののひとつで、たいていは植物の病気や奇形とされる。古来椿の木には人間の手が生じるといい、古山の椿にやどるという精霊が妖怪をなす話のうちにある。文化二年上州上田の龍舞村のある椿の枝に小児の手が下がったというので、大評判となったが、五月ごろにはよくみられるツバキノモチビョウノカビという寄生菌糸によるものらしい。大島などにもこの話があったのはやはり椿を産するからだろう。(植物妖異考、藤澤衛彦「変態見世物史」文芸資料研究会S2)

南天竺摩伽津羅魚


魚の見世物は数多いがそのひとつ。金の鱗に覆われ二つの頭と四つ足がある。今の木魚はたいていこの形を模している。文化15年正月オランダ人からもらったもの。(諸方見聞図絵、藤澤衛彦「変態見世物史」文芸資料研究会S2)

篠魚


飛騨の荒城郡高原の奥、平湯村にのみ発生するといい、篠竹のもとの節に、枝ではなく魚の形の稲穂のようなものが織り出され、五月雨を受けて谷水に落ち、やがてヒレができて岩魚になる。竹の根は蝉になり、山芋は鰻となるといわれている。(兼叢堂雑録、藤澤衛彦「変態見世物史」文芸資料研究会S2)

菖蒲魚


江戸時代の見世物の原型としても非常に話題になったもの(旧サイトで原話を紹介してます)。土佐家御用絵師板屋桂意慶長の昔話として文政7年5月、縁の下にあった枯れた鉢植のひとつから魚のようなものが飛び出ていた。息子桂舟がよく見ると菖蒲の根の蠢くところだった。父を呼び、あやめの根が魚の形と化し、抜いて水に入れるとまず、口から出来始め、そのうち尾鰭がついて、一時ばかりの間に全く魚になってしまった。

少し金色の入った鯉の子に見えるそれを噂する人や見物に来る人ひきもきらず、そのうち屋代弘賢翁が蟄龍ではないか、龍種はみな最初は小さく別の物でいるが時日を待って風雨を起こし昇天しようとするものだ、さわらぬ神にたたりなしの諺にしたがって広い水中に放ってやるのがいいという噂をした。そこで弁慶堀に放した。自然変化は中国の古書から移入された考え方だが(完全変態の昆虫、たとえばカブトムシやスズメガからの連想だろう)、これは絵師が出来事を絵に起こして腕を売り込む詐話だったとされている。植物が動物に変化する見世物は作り方が難しいので少ないようだが、話としては腐った草が蛍になる(科学的に説明できそうだが)ものが有名。

(諸方見聞図絵、藤澤衛彦「変態見世物史」文芸資料研究会S2)

鳳相魚


天保九年六月伊豆の浦賀の浜にたびたびあらわれ夜は岡にあがり昼は海に入って怪しまれた。ついになんごの浜で生け捕りにされたという。頭はショウジョウ(赤毛の猿)のようで顔は馬、目は鐘のよう。ヒレは左右の手足のようで蛇腹からは金色の光が発され、全体的には海老のようだった。浅草の見せ物。(諸方見聞図絵、藤澤衛彦「変態見世物史」文芸資料研究会S2)

たんぽの踊り蟹


室戸から徳島の境のあたりにたんぽと呼ばれる入り江があった。埋め立て計画があがると無数の蟹が浜を埋めつくし妨害したという。

あるひときわ踊り好きの男がいた。結婚する直前のこと、踊りの輪で散々踊り疲れて座っていると、美しい女が艶やかに踊っているのを目にする。

ふらふら誘われるままついていき、ふたり踊りだすが、いかに踊り好きとはいえ体力には限界がある。不実にも二人だけで踊り来たのはたんぽの浜、女は衰えることなくにこにこと男を促す。意地も通り越してただ踊りをやめることができず瀕死のまま、女と無数の子蟹のしおまねきに囲まれて海の中に消えていったという。たんぽの蟹は踊り蟹と畏れられた。

「海の伝説と情話」T2大阪朝日新聞・盛文館より。

沼島女郎


沼島という小島の話。美女が美男と恋に落ちた。しかし仲をさかれてしまう。

ある晩、女は海を泳いできたというびしょぬれの男から呼び出される。二人は人知れず逢瀬を重ね、気分もたかまりついに淡路島へ駈け落ち渡ろうと漕ぎだしたところ、沖の荒海で振り向いた男の顔は恐ろしい海神であった。水ぞこに妻として永遠に引きずり込まれそうになるものの、なんとか逃げ出し気を失ったまま漂着。

海神が取り返しに来るのを畏れ、欺くべくわざと醜女に描きかえた似顔絵を海に依代として投げ込むと、げんめつしたのか海はしずまり、以後この絵そっくりの醜いオコゼが繁殖したものだから、それを沼島女郎と呼んだ。「海の伝説と情話」T2大阪朝日新聞・盛文館より。

ミシガンドッグマン


ドギーマンではありません。 ウェアウルフ(狼男)の一種ともされるが定かではない。最近何故か脚光を浴びている。 本来北ヨーロッパのものである狼男がアメリカに存在し、ネイティブの魔法とかかわりがあるとも、怪物サスカッチ(ビッグフットの一種)であるとも推定されている。 ミシガンの山中での目撃談や写真がいくつかあり、「犬男」と呼ばれる。 最近はビデオが撮影され話題となった。 見た目はゴリラみたいで、四足の大猿のような歩き方であるが、着ぐるみの偽装歩行のようにも見える。

http://www.youtube.com/watch?v=FBkTQDEcBpI
http://www.youtube.com/watch?v=Pv12BnvKgPk
参考
http://www.mlive.com/kzgazette/news/index.ssf/2008/10/author_legend_of_the_dog_man_s.html

生笹


大台ヶ原の伯母峰峠の「一本足」として知られる。師走の二十日にはかならず出る。もとは生笹と呼ばれる怪物で、山腹の伯母谷村を頻繁に襲っていた。作物人畜すべて食らった。闇夜に出るので姿には諸説あった。

村が滅びる寸前にある狩人が伝来の宝である火縄銃を持ち出し、山に籠もって数日、なんとか手を負わせたが、本人は帰山後すぐに熱病で祟り殺されだ。

その頃、有馬温泉に四十前後の不審な侍がいた。入浴中はけして他人を入れようとしなかったが、主人がふと覗くと湯おけ一杯に、牛のような全身笹毛の生えた怪物が一本足で立ち、膝までしかない足の傷口を洗っている。湯からあがると主人に身の上を打ち明け、狩人は自分の毒気で死んだろうが、完治したら村ごと黒焦げにしてやる。怖いのは宝銃だけという。主人は手紙を出して村に知らせた。村は鎮守神に先の火縄銃をおさめ生笹避けとした。

さて治って戻ると銃の加護で入れない。

悔しさ余って伯母峰峠へあがり旅人をとって喰うようになった。となると評判が悪い。使えないと困る生活道路でもあり、そこで村人は(どうやったのかは不明だが)交渉をして、師走二十日のみ自由にしていいことにしたという。(「山の伝説と情話」s2募集奇談を再版時に編集、大阪朝日新聞)

「一本だたら」とはこの怪物をいうのだろう。山神(もしくは雪怪)の典型的な姿であるが名前に特徴がある。生きている笹、というと自然神のようにも思え、一本足という姿は生き神=生贄としての「人工畸形」を想起するものでもある。神事と山男の話が絡んだのか、一部昔話化しているがちょっと面白いと思った。

目力持


天保12年11月かかった見せ物男で、浅草の小屋では破格に当たった。僅か15で大阪下り若松出目太郎といって、並みはずれた出目に五貫目からのものを引っ掛け持ち上げた。醤油樽、四斗樽、銭五貫文を順に吊し上げてみせたという。腹芸、足技女とならび、奇形なだけではなく芸ができたことで名声を得た。(諸方見聞図絵、藤澤衛彦「変態見世物史」文芸資料研究会S2)

八尺様


2ちゃん妖怪。妙に背が高い(一尺は30センチ)。見た者を執拗に追いかけ、とり殺すことから直視を忌まれる。2008年8月報告。通り悪魔の一種で、高女、口裂け女やあまのじゃくや高速婆、寄り来るたぐいの悪神や座敷女や鼠先輩の属性を兼ね備えているのが特徴。憑依性の浮遊霊だがたたる力が強いため道みちで地蔵に封じられていることが多い。

安易で不自然な登場人物などツッコミだしたらきりがない、いささか長すぎるわりにオチも想像力の喚起もない、ただ怖い話。





人工精霊


日本の一部のオカルト主義者が製作すると主張する精霊。小瓶に封じ込められた形になっており、売買されているものには兵器の名前がつけられている。FOBS(フォボス)という名前のものが有名。実体は見えない。一時的な呪力を持つとされ、即物的な効果が謳われる。思想的に西洋の魔術の影響を受けているが、実際には「ポケモン」の影響を受けたものと思われる。日本古来の考え方に、主として陰陽道の術者が使う「式」という一種の鬼があり、術者によって使役される。仏教にも高僧が使役する童子と呼ばれる天界の存在が語られることがある。いずれの考え方も古代中国から伝わったものと思われる。漫画でもよく使われる概念。(例)「ローゼンメイデン」

~むかし2ちゃんでも話題になったけねえ。人工精霊フォボス、ナパーム、トマホークetc.。言葉のインパクトだけで、昔からあるいかがわしい呪いグッズのひとつにすぎない。召喚悪魔、使役神なんてそれこそゲームでもメジャーな概念だし。ムーの広告なんかで細々長々とやっていたのが、けっきょく漫画に使われるといっきにメジャーになって、そっちがソースみたいな扱いになるのだね。言葉自体は別に新しいものではない。呪いグッズにしては割と安いけど、子供には大金だ。フォボスがいちばん安いのかな。霊的ロボット(笑)力が強いほど制御が難しい・・・て漫画か。漫画だな。つか、霊的ミサイルってもはやなんだかわけがわからんぞ。

さすが大阪。部分軌道爆撃系って変語、一部で流行ったけ。なんか軍事ヲタの匂いもするなあ。

悪魚


豚喰い生首


呉の国境守備軍司令官であった喜、豚を殺して神に捧げた。祭儀の後、豚を吊るしておいたところ、人間の生首が現れ、肉に近づいて食おうとする。喜、弓をつがえてこれを射抜く。すると三日の間、屋敷の周りをうんうんと呻く声が回ったという。

何者かから喜が謀反を企てていると訴えがあった。一族は全て処刑された。(捜神記)

アマビコ


大神社姫






人面そう


麒麟



ケンタウロス




メデューサ


火星ゴリラ


NASA映像で発覚した「火星に棲むゴリラ」。岩の影にすぎないというのが定説。

「針聞書の虫たち」












イクネウモン、海ライオン、黒人魚


たまにはUMA系を。中世の見世物系怪物。

イクネウモン:鼬のような生き物で16世紀に見世物にされていた。正体はエジプトマングースと言われるが、アフリカに棲んでコブラの天敵とされ、ひいてはワニをも食い殺すとの触れ込みだったという。

海のライオン:中世にはさまざまな姿で描かれたが、いずれもライオンの頭に鱗だらけの体というキメラ様で描かれる。翼のないスフィンクスのような形でも描かれた。数々の文献のルーツと思われる一部図像は大アザラシであることが推測される。

黒人魚:差別的意識の多少はあると思われる中世の人魚の一種で16世紀半ばにバルト海で捕らえられ、服を着させられている姿は「海の司教」など宗教的恣意性を感じさせる。

悪魔;ベルフェゴールとアモン


ベルフェゴールは発見や発明をつかさどる悪魔だが排泄物を好み玉座の形の便器に座っている。若い女の姿をとることができる。スカトロの元祖。アモンは悪魔の世界の侯爵で狼の体に蛇の尾があり、頭はさまざまに描かれる。かなり地位が高い悪魔であることから映画やコミックなどでよく見られる。そもそもこのような図像化された悪魔は象徴的意味合いが強く、七つの大罪を中心とする戒めるべき考えにいちいち名前をつけて具体化したところから発生したものである。おそらくその意味でアモンはしばしば金銭欲を象徴する「商売人もしくは商才にたけた一部民族の暗喩」ともされる。

悪魔;アザゼル、アンドラス、アスタロト、エウリノーム


ブランシーの地獄辞典によると悪魔にはたくさんの種類がある。

アザゼルは山羊の守護天使であったがサタンの旗振り役をつとめ以後地獄の旗手となる。
アンドラスも堕天使。黒犬獣(ヘルハウンド)にまたがったフクロウ顔の戦闘的な侯爵で破壊の剣を振るう。
アスタロトは怠惰を象徴する堕天使で蛇やドラゴンを使う。
エウリノームは狐皮をまとった位の低い悪魔で、死者を支配するといわれる。

ルシフェル、アスモデウス、ガンガーグラマ


悪魔編のつづき。

ルシフェル、ルシファー;悪魔の王、堕天使の主で大天使ミカエルとは兄弟だったという説がある。美貌を奪われ三つの醜悪な頭に蝙蝠の羽を与えられたというが図像上は必ずしもその説に沿ったものは少なく、寧ろ美貌をもって逆に邪悪性を煽っているふうにもとれるが、ダンテの神曲あたりの挿画の影響が大きいだろう。

アスモデウス;下等な悪魔であるが、知識欲の象徴である。学術的知識を得るために召還される。そもそもこれら小悪魔はいずれも知恵や力の象徴であり悪魔信者=支配者への反逆者へそれらを与えるものとして召還される。知恵や力を現実の力で封じられた庶民や支配され虐待される他民族の心理的暗黒面を象徴しているものとも言える。支配者がそれらを恐れ、精神的に縛るために悪魔に加えたという側面もあるだろう。キメラ的な表現はよく見られるが、図像化するさいに各属性に姿をあたえ庶民に理解しやすくする配慮上のもので、そのまんま絵にすることには余り意味は無い。家畜は庶民の生活に密着したものであり神への捧げ物でもあり、人間を特別な存在としたユダヤ教来のキリスト教において野蛮で制御しようのない、すべての戒めを守ることのできない野獣の象徴でもある。蛇がアダムとイブを誘惑する邪悪なものとして加えられているのも象徴的意味にすぎない。知恵を得ることが楽園を失うことというのは支配者側論理に合致する思想でもあった。そういう解釈をさせたとも言える。

ガンガーグラマ;女性の悪魔である。器とフォークという持ち物に女性性の象徴が見てとれる。雄山羊の生贄を求めるというのも淫欲の象徴を示しているととれなくもない。今も昔もかかあ天下が跋扈する状況というのは変わらない。夫の負の力の生み出した悪魔だろう。

ククルカンとケツァルコアトル


ククルカンとケツァルコアトル:古代マヤのいずれも羽のある蛇で象徴される神的存在。ケツァル鳥は大気の象徴である。

マルドゥックとムシュフッシュ


マルドゥク神;バビロンの主神で怪物ムシュフッシュをねじ伏せ二種の神器、杖とリングを持つ姿で描かれる。

クロノス


クロノスkronos:時と運命を司る神、はかなさの象徴として砂時計と大鎌を持つ。

ぬりかべ(動物型)


数年前に見つかった江戸時代の図像にもとづく。それまでぬりかべは水木しげる等による創案で 他の妖怪図絵から編まれた姿しかなかった。

悪魚


海男


「ぬりかべ」の横にかかれていた「海男」

深浦の女


高知市深浦神社近辺につたわる磯女系の妖怪。

鬼子


生まれた子供がオニだったらすぐに捕らえて封じないと床下に逃げたりして悪魔になります。これは畸形話の変形でしょうが西欧にもある話で、魔女が悪魔と通じて産んだ子ということになる。近世には見世物のミイラが出回りました、日本では。

くだん


アリエ


道祖神


民間信仰のもので混交した異様な態様がみられる。歓喜天的な愛欲の表現が昇華されたものと考えるのが普通なのだろうか。陰陽を男女にうつしかえ、更に老女老男におきかえて長寿のしるし、とかなんとか。安曇野あたりだと原点回帰の行為が示された石仏が多数あるし、農耕神としての石棒とかそのへんまで話を広げるとめんどくさいのでおわり。

あかなめ、一反もめん、天井さがり


<あかなめ>いわゆる教訓妖怪が発展して子供を脅かすためだけのものになったようだ。
<一反もめん>いわゆるwrapper系(ラッパー系じゃない)の世界共通の怪異。布状のものに闇夜に突然頭を覆われたりするところがはじまりだったり、「くねくね」が終わりだったり。
<天井さがり>これも夜の恐怖の具象化というかんじか。

くさった死体


ゾンビの名称を避けたRPGドラクエ上でのみ通用する名称。一般には食屍鬼をさし、ブードゥーなど一部混交宗教では使役魔としての意味合いが強くなる。東洋一般にも仏教的な火葬が一般的ではなかった土葬国には多く伝えられる魔で、キョウ屍すなわちキョンシーは使役魔としても害悪のみをなす姿だけ人間のむくろを使った鬼としてもみなされる。

宗源火、河童、笈の化け物


<宗源火>日本の火の玉伝承にはかなりの割合で固有名詞がある。それも死人の名をつけている。よくよく調べてみると当時の都市伝説臭かったりして、火の玉自体とは別のものである場合が多いのではないか。
<河童>現在の形式化された河童はいくつかの空想ならびに実在の生き物が渾然一体となって総称化されたもののようである。河原者などと蔑称された被差別集団や職能集団だったという見方も強い。そして彼らは大和族に征服された先住民族という説すらもあるが空想の域を出ない。
<笈の化け物>非常に古い妖怪で古文献の図像上にあらわれるもの。すなわち年ふる器物が変化するいわゆるツクモ神の一種であり、これは日本の古い民間信仰が元であったとおもわれる。年月は猫や蛇のみならず器物も変化させるという考え方は大陸的である。

オトロシ、トロのばあさん、しまっちゃうおじさん、現代の二口女、七人塚、座敷女


<オトロシ>私が子供のころ脅かされた名前だけの妖怪で、戸袋にひそんでいるといわれた。子取り系の教訓妖怪である。
<トロのばあさん>同じく子取り系の教訓妖怪だが、戦後の人さらいの記憶が残って妖怪化したとも言われる比較的新しい都市伝説的な存在。
<しまっちゃうおじさん>同じく子取り系の教訓妖怪だが、新しい話のようであり、山に連れて行くという話は人攫いの典型的なパターンというより「ハーメルンの笛吹き男」であり、デイビィ・ジョーンズのソウル・ケージ(魂の箱、海でおぼれ行方不明になった者の魂を箱詰めしてコレクションしているといわれる。いくつか違う話もあり、パイレーツオブカリビアンは別の伝説を使っているようだ。イギリス)伝説にも近い。
<現代の二口女>頭上に横開きの大きな口をもつという口さけ女系の都市伝説。
<七人塚>実在するが、都市伝説化しており、七人みさき伝承の影響が強い。
<座敷女>望月峯太郎のマンガの影響が都市伝説としてあらわれたもので、貞子もこのイメージを利用している。

はなもー、黒さま、よたろう


<はなもー>沖縄の有名な伝承で無用な男を呼ぶ美人顔であることをなげくあまり自分の鼻を切り落とし果ては海で自殺したという女の亡霊。鼻もげ、の変化形とおもわれる。
<黒さま>屋敷神にかんする都市伝説化した話で、石造神家から大きな黒い手があらわれるなどするという。
<よたろう>おそらく夜太郎の読みで、金縛り系の幽霊話の変化形とおもわれる。

ねずみばばあ、ジャンピングばばあ、ベッドの下の男、首探し


<ねずみばばあ><ジャンピングばばあ>老女怪異談は近年の核家族化と高齢化社会の急進により子供の間にきわめて広く伝えられバリエーションも非常に多い。前者はむしろ江戸時代の伝承を水木しげる氏の妖怪画を通じて知った者の創作か、欧米の獣人系の話が義務教育の過程で学ばれたゆえの混入だろう。後者は異常に元気な老人というのがしばしばメディアをにぎわせたことと、夜の体育館の怪異話がまざったものとおもわれる。
<ベッドの下の男>古典的な怪異談でストーカー談でもある。よく知られた、よくできた話なのでここでは多くを語らない。
<首探し>失ったからだのパーツを集めるたぐいの幽霊話はむしろイギリスの首なし騎士のような話のほうが一般に広まっている気がする。だからこれも輸入創作の可能性がある。

竈の中の顔、丹六と烏、貼りつきばばあ、空坊主
<竈の中の顔>江戸時代の話の再話らしく、邪道に入った行者の呪をおこなう使役霊とおもわれるが、田中貢太郎の実録怪談であるため創作の可能性もある。この話自体は非常に不条理で貢太郎怪談の中でも良く知られたものである。
<丹六と烏>盲人の落とした金を盗んだ男が烏に両目をえぐられるという同じく田中貢太郎怪談である。因果応報説の具体例化であり名前も定かではない。
<貼りつきばばあ>これも老女怪異談のひとつだが、高速を走ったりバスケをやったりするアグレッシブな老婆妖怪と違い高所の硝子に張り付いたりする。すなわち同様のよくある怪談を老女に置き換えただけである。
<空坊主>グレムリンのような航空機にとりつく幻覚的妖怪の日本軍版。

<2ちゃんねる都市伝説>コトリバコ、ひょうたん事件、一人かくれんぼ


<頭に石をのせるカワウソ><尾がイルカのプレシオサウルス><オスロのインカ人><ニューファンドランド島の氷山の骨><ニュージーランドのシーモンスター><メキシコのフライングヒューマノイド><肉吸い>








角大師

元三大師が自ら鬼となり疫神と闘ったという伝説から、角を生やした鬼形の大師の御像が崇拝されるようになった。弘法大師の「鬼大師」と並んで有名な密教秘儀を体現する逸話である。

一眼一足

元三大師とならんで比叡山を守った(守り続けている)高僧慈忍和尚の姿として総持坊につたえられている一目一足の奇妙な形。これは和尚が死後に山内で悪いことをしたりさぼったりしている者を諌めるために夜間巡回する姿とされ、赤い杖も伝えられているという。必ずしも図像にはかかれていないが、首から鐘をかけて鳴らして歩いているともいう。各地に残る一目一足の怪との関連性も興味深い。

二本足

一つ目

山父

幽霊

ユナウワー、ジンモラ

ウミマジムン

しばてん、えんこう(猿候)

高知の相撲好きな河童だが、目撃談がかなり最近まで至るのが特徴。山童と同じものという説もある。

陸タコ

入道

昭和になってから高知市灘・横浜近辺の砂浜に夜中に現れたという一種の「のびあがり」。

ムン

見返りの木

モクマオの首つり幽霊


かさねの物語は仏教の因果応報の説を裏付けるまことしやかな怨霊譚として後代にいろいろと変えられている節があるため、果たして芝居として語られるものが本当なのかどうかはお岩さん同様定かではない。

怨霊

犬小幽霊(犬小マブイ)

イチマジムン

布団幽霊

ヒーダマ(火玉)

ヒダマ(火玉)

ハンドバック幽霊

化け猫

河童


ぶるぶる、なで神、臆病神
絵ばかりが先行したイメージだが、ようは臆病風に吹かれた、というその背筋が意味も無くぞっとする感覚の擬人化のようだ。

柳女

笑い栂(つが)
大樹の根方だけ残っている。

鬼熊

おきな

寝肥(ねぶとり)
病気のたぐいとも考えられる。ホルモンの病気とか、過食症のようなものとか。

溝出(みぞいだし)


ミルク
沖縄の神はたいてい海からやってくる渡来神だが、現代も脈々と受け継がれ変化し増減し続けるものである。一般的なミルク(弥勒)もそれほど古いものとも思えない感じがする。漁師の町では太平洋岸どこでも盆に帰ってくる先祖霊がそれぞれの名をつけられ語られるが、それとも違う感じなのだ。造形は大陸的。

豆狸

葛の葉
葛葉狐は歌舞伎にもみられるとおりアシヤドウマンの母なのだがアベノセイメイと混同されることもあるらしい。いずれ奇術を使う陰陽師のような異人はこのような異界の者と人間の交わりから生まれたとされる事が多いのは言うまでもない。

クボタセンタロー
「毒蛇」の意味がわからない。ハーンより前に日本の怪談を外国に伝えた初のものだったのではないか。フランスは日本にとりわけ興味をもっていた国だ。

気仙沼の孫一
死人が生き人の体でよみがえるという話は江戸時代にいくつか語られていて、一瞬生まれ変わり譚であるかのような錯覚を覚えるが、結局「憑依」であり、元の「住人」はたまらない。

帷子辻

どんなに高邁な考えに基づく行為であってもその結果が悲惨であれば結局猟奇と受け取られるのがオチなのかもしれない。帷子辻は後代になっても怪しい不気味な場所というレッテルを貼られ続けた。

かみなり(雷獣)
現茨城にあらわれたもので、雷神の眷属というよりやはりムササビのような獣の様相をていしていたという。

骨狼、骨猪
この古街道は寂しい山上の尾根道で、伝説にはこと欠かない。ちなみに名称はてきとうにつけたのであしからず。

兵務司
油取り一揆はけっこう有名な話だったようだが最近聞かないですねえ。

破逆玉
中国に多いたぐいの話に思うが、江戸時代の随筆にも数寄者の話題としてまま見られる。

道後の大蛇
奥道後のほうはホテルの敷地になっているので注意。大蛇とはいうものの、頭骨の現物を見ると一部とはいえニシキヘビ程度のように思える。

赤子の怪
そっくりの経験というのはお札の場面だけね。詳しくは百鬼夜話の夢魔の項参照。

桂男
英語で言うところのルナティックな精霊で、月を見詰めていると現れ不幸をもたらし命を奪うという。

鍛冶ケ婆
鍛冶屋の婆さんが狼に襲われ食い殺されたが、その体に白狼が取り付き悪さを働いたと言う。ウェアウルフ系の話である。

つづきは以下で。

怪物図録(1988〜1994)

はみだし怪物図録(2004〜)

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山囃子(やまばやし)、マモン、木心坊(きしんぼう)、平山婆、チリ ラ・ノリアのエナーノ、チリ コンセプションの小人ミイラ、ブラジルのETガイコツ、善国寺僧、幽霊千人、田村家の石、朱盤、千年もぐら、赤石川サルコ淵の怪獣、斉藤朴園がのちぞひの妻、ラブーン、猫猿カンガルー、七足の蛸、狐の玉、天より降る官人、釜鳴、十騎町山崎門扉の大眼、犬の思、やろか水、山本勝之助の傘に入った者、笑地蔵・泣地蔵、突き

悪魔、青ひげ、ガンギ小僧、ガラッパどん、遺念火、人面そう、狐、コロポックル、吸血鬼、目競(めくらべ)、水子、猫股、ねねこ、ぬりぼとけ、鬼火(ウィル・オ・ウィスプ)、おさかべ

赤魚需、大神社姫、永平寺の虫、羽の生えたカッパ、蛇女、石虫、ぬえ、お茶の水の水中の化け物、落ち武者、奥州会津の怪獣、新潟親不知の怪物、雷龍、霊蝶虫、信濃青沼の怪虫、水虎、丹波笹山の虫、魑魅・魍魎、一角獣、蛇蛸、たこへび、石距(てながだこ)、やかん(野干)、さとり、水妖、手長足長、天吊し、天馬(ペガサス)、やまわろ、ざしきわらし、悪魚、アマビエ、アマビコ、アンズー、アリエ、グミョウチョウ、豊年魚、亀女、猫蛇鳥

雪男、アマビコ入道、アレシェンカ、ハローシェンカ、アズキ洗い、ペシャクパラング、ブルガリアのエイリアン髑髏、へきじゃ、ホグジラ(ホジラ)、筑後深沢村の怪物、印幡沼出現の怪獣、加賀の怪魚、川子、建長寺の虫、木霊、子取坊主、くたへ、ライオンキラー、飛ぶネコ、人形魚、野女、野槌、怨霊、オーブ、パプアの恐竜、天池の怪物、緑鳥、せんじょ、下総の妖虫、死霊、袖引き小僧、竹原古墳の怪獣、テンサラバサラ、天山の神、チリのヒト型生物、羽人、海鬼、牛鬼、夜刀の神、ヅオン・ドゥー、ドーバー・デーモン、応声虫、ジャージー・デビル、ぶんぶくちゃがま、ハーピー、ハルピュイア、ハヨーテ、野守、濡れ女、オサキ狐、天蛇

アタカマの恐竜、ゴム男、リトルグリーンマン、ノディングシンドローム、プエルトリコの小人、鳥男(トリオ)、安達が原の鬼婆、ロシアの赤い球体、アカナメ、ビッグフット、灰色の巨人、ひきこさん、フゴッペの奇人、ジーナ・フォイロ、亀が岡遮光器土偶の怪物、マッドガッサー、モンキーマン、ムノチュワ、セヨール・モンスター、たきたろう、タッシリの白い巨人、チブサン古墳の奇人、地霊、トチ、弥彦山の鬼婆

ランダ夫人、抜け首、シグルト、海坊主(海のだいだらぼっち)、オーブ、つくも神、高級霊、海の精、ドラキュラ、人面魚、首噛り、尻子玉、人魚、提灯首(行灯首)、濡れ女、長首、バンイップ、ヤマピカリヤー、バッツカッチ、フロリダの蛙男、ガマン、大足族、オウルマン、ホラディラ、一反木綿、人面そう、ムムディ、無頭人、ピー、ポンティアナ、サマール、サンディエゴの有翼人、支配霊、死人坊、タツウェルブルム、トーニャ

墓みがき、ハク、鬼火、河童、人魚、グロブスター、バチヘビ、水死人、チョンチョン、二口女、腹中虫、おはぐろべったり、がしゃどくろ、グリーンジャイアント、グレイ、ケンタウロス、コカトリス、ざしきわらし、スクリーマーズ(造語)、ゾンビ、たんころりん、ビッグバード、堕天使、一本ダタラ、浦島の亀、火吹き男(ひょっとこ)、火龍、餓鬼、海おんな、地縛霊、吸血鬼、死に神、手の怪、女妖、女霊、人面そう、人面花、スノーマン、狸火、天使、百鬼夜行、百目鬼、浮遊霊(ノゾキ霊)、魔女、夜告げ鳥、霊団

ヨーウィ、野人、タルギャル鬼神、スカンクエイプ、羅刹、蛇鳥、ピグミー象、オランペンディク、人魚、猫蛇鳥、河伯、グラスマン、ブロブ、鬼、件、アルマス、エイリアン・ビッグ・キャット、3メートルの宇宙人(フラットウッズ・モンスター )、芋虫女(牛女)、三面鬼、わに男、でーでっぽ、かくれ座頭、インカニヤンバ、シルフ(シルフィード)、スフィンクス(獅子のスフィンクス)、大蛸(テンタクルズ)、川赤子、蛇女、ブロックネス・モンスター、キャディ、ガタゴン、ホークスベリー・モンスター、食人鬼、かわうそ、クッシー、モーゴウル、むじな(のっぺらぼう)、小平霊園ののっぺらぼう、リーン・モンスター、ローペン、箱根精進池の大蛇、渋谷のタケシ君、ヤマゴン、八百比丘尼、4つんばい女

油すまし、アドヒスタ、アイク、アヌビス神、びしゃがつく、亡魂船、グレイと人間のハイブリッド、かりょうびんが、マカラ、マンティコア、パーントゥ、レプティリアン、太陽のしっぽ、オリオン、ワンジニ神、山子、赤いマスクの女、アプサラス、人面犬、髪結い女、顔が3つある人、子供の首、ニューヨーク地下水道の白いワニ、ピピェタインタオ、猿橋の鬼女、太郎カッパ、妖怪ヨダソ

牛御前、牛玉、タウポ・モンスター、水馬、シーサーペント、寒戸婆、ルスカ、ラウ、オリチアウ、オモ荒れ、ングマ・モネネ、ンデキデキ、南極ゴジラ、ムビエル・ムビエル・ムビエル、ミニョコン、メガロドン、マハンバ、コンガマト、ケンモンウマツ、カイ・クワイ(海の魔物)、ジャノ、エメラ・ントゥカ、ブル、ブナガヤ火、悪魔のヅラ

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烏天狗、金太郎、くるみの中の少女、桃太郎、大百足、乙姫、レズ・マリー、ブラジルの聖母出現、式神、すねこすり、貝に住む人、かぐや姫、一寸坊主、豚尾魚、唐人川の毒魚、羽犬、左手を産む女、豊年亀、雀変魚、蛙を産む女、海狼、キャビット、鵺魚、大分鶴崎二頭ニ尾の怪物、大三平ニ満面(おおおだふくめん)、青龍、深山の空飛び猫、福井下吉田の奇獣、横浜の白い球体、章魚人形(タコ人形)、狸の玉、桜沢村竜が岩の怪物、天狗トカゲ、蝦夷の空飛ぶ三毛猫、海猿(猩猩)、山芋鰻、予言する赤子、不燃鳥、天日子尊、怪人アンサー、ベッシー、アーガイル湖のブーブリー、ブラン、楚の豚翼鳥、フィッシュピープル、ガンホー、ホワイトリバー・モンスター、一寸ばあさん、邪鬼、神虫(ヘキジャ神)、クムクム、黒い豚、マニポゴ、モラーグ、モッシー、稲生物怪録の女の生首、ンゴイマ、ポニック、ポンティアナク、水の子馬(シーラッハ・ウィスゲ)、楚の羽人、スクリムスル、スライミー・スリム、天刑星(ヘキジャ神)、悪鬼、トヨール、オーナ湖の馬ウナギ、バシャール、ガメ、後家火、人狐、カオルさん、かるら、鬼子母神、狐の花火、コツコツばあさん、耳切坊主(黒鉄座主)、おんま(御魔)、レティキュリアン、三本足の白犬、三本足のリカちゃん、三時ばばあ、ウグメ、うわばみ、やぶ鳥、野猪

11

なぜかルドンの部屋

12

ニンゲン、龍魚、サスクワッチ、雨女、青坊主、牧神、だいだらぼっち、えんらえんら、フェニックス、フライング・フィッシュ(ロッド)、半魚人、一つ目小僧、ほうそう魚、フライング・ヒューマノイド

13

コロポックル、くだん、くねくね、狂骨、まくら返し、まみ、見越し入道、雷獣、山精 、しょくいん、死神、武文蟹、天井下がり、天狗(テンコウ、アマツキツネ)、つるべ火、ツキモノ、つちのこ、ウァンナビ、宇賀神、山じじい

14

とうびょう(蛇憑き)、天狗坊、大トウボウシ、鬼娘、吉原中万字屋の鍋女郎幽霊、味噌五郎、黒い蛙、板谷慶意老の梅、犬娘、百目塚、一ツ目鬼、おっぱしょいし、オイガカリ、鳴神(なりがみ、おなり様、雷神)、牛王(ゴオウ、ゴズ)、足曲がり、荒魂(アラミタマ)、和魂(ニギミタマ)、油坊、座敷魔、ヨダソウ、野干蛍、夜行さん、ユニコーン、東尋坊、鳥男、天井を行く女、タスマニアシーモンスター、たいば(風)、猿行者(孫悟空)、リョウトウ湖の水怪、オトロシ、怨霊火、怨念様、小倉池の竜宮、巨大な顔、巨大マンボウ、黒玉、首なし行列、小人、カエル男、掃部助の火、ジェイク(ワニ男)、石喰いモチの木、ゴム女、ギバ(馬魔)、エナーノ、バンニップ、赤猫、緑の子供たち、丘の人々、ジャック・オ・ランタン、ベルゼブル(ベルゼバブ)、アバダン、ブラウニー、チェンジリング(とりかえっ子)、イズナ、地獄のイナゴ、海人(マリーン・ヒューマノイド)、メロー、ムリアン、リリム、ルナン・シャー、摂州明石の浜の人食い怪物、シードマスター、海女、ウェールズの吸血鬼(吸血鬼のベッド)、野狐(ヤコ)、あかしゃぐま、遊び火、茶袋下がり、デス・バード(死の鳥)、函館の緑の小人、ハンドー小(ハントゥ小、ハントゥー・グワー)、ヒンティファア、ミネソタ・アイスマン、ジャン、人頭杖、乗円寺の生首、河童の皿、カスピ海の半魚人、カワミサキ、ケチビ、マンバ・ムトゥ、ミサキ、オルゴイコルコイ(モンゴリアン・デス・ワーム)、ニホンオオカミ、雲上の大女、ポポ・バワ、埼玉の天使、シーサー、袂雀、畳叩き、渡海神、利根川の水中に住む人、杖突、ワイオミングの小人、ヤマジイ、山姥憑き、屋良むるちの大蛇

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ヤッシー、牛女、海狼、トッシー、とんぞう、てんまる、しゃんこま、ラプシヌプルクル、雷竜、大舌の妖物、オゴメ、オドデさま、ニタゴン、モノス、ミニ・ロッホネス・モンスター(ネッシーの子供)、マツドドン、小イタチ、小玉鼠、毛見浦の海坊主、川熊、かいこモグラ、影ワニ、常元虫、ジンベイ様、イノゴン、フライング・ワーム、ごろめき一ツ目、チュッシー、ベビーシードラゴン(海竜の子供)、チュパカブラ(ス)、ゴートサッカー(山羊をすするもの)、一つ目、神社姫、かむろ(禿)、かっぱ、黒狐、招き猫、人面犬、太歳(タイサイ)、小豆洗い、蛇女、馬の首、もさいち、小呪婆、結界坊主、足売り婆、牛御前、くさびら、犬神の蛆(うじ)、エヅナ使い(イヅナ使い)、土蜘蛛、天神の火、三条橋旅籠に来た怪僧、鸚鵡石(木魂石、響石、新鸚鵡石)、鬼絞(オニジメ)、納戸神、房州浦三頭の犬、陰鳥、護法童子、蛇足、ダラシ、小豆ばかり、天井裏の妖婆、多摩川の雪おんな、シバレボッコ、お竹如来、松代紺屋町銭湯の怪物、コクリ(告理)、キジムナー、幽霊の喧嘩、人喰い鯉、室の中を歩く石、かぐたば、ブレアウィッチ(ブレアの魔女)、赤牛、魔の電柱、牛女、丑女(うしをんな)、牛神、竜姫、ストリゴイ、猫又、またねこ、ナメラスジをいく上半身花嫁、ジャンゴハン、仙人魚

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黄金千枚の護神、まくら返し、耳無し芳一、守谷のお化け石、抜け首の病、お歯黒べったり、お岩さん、お菊、おしらさま、ろくろ首、竜石、酒石、胎内17年(生まれない子供)、テキサスのチュパカブラ、通り悪魔、付けひも閻魔、うぶめ、夜光の玉、首締め地蔵、戻ってくるカツラ、たまゆら(玉響)、セルビアのスーパーマン、夢魂、天保七年毛の降りし事、ツチナロ、山神のカルタ(骨牌)、大骨、小国村の大骨、呪蛍、泣く絵、無形、メトチ(ミズチ、水霊、水魂)、髪の伸びる人形、鏡魚、人面石、井戸神(水神)、人食い虻、蛇塚、羽根の生える沢蟹、屋根の上の仏、大水龍神、隠形術、松井須磨子の写真、まっさかさま女、鶴の上の仙人、砂川薮屋敷より出たる竜、死女芝居見、呪われた飛鳥村、日徒人を祈殺、日蓮宗徒狐使い、根張地蔵、泣く木、九州山童、川童(河狗)、傀霊、北畠家つぼねの怪、影波、加賀の天狗、丈蛇、入鹿大臣の山、福鼠、墓参する犬、伝通院蝮蝎、怪しき経帷子、安昌尼(怪尼)、飛物、天狗六兵衛、モスマン、がしゃんぼ、長寿貝、栄螺、フライングマン、フライングヒューマノイド、チトリ、亀女、かに坊主、傘張長者の銭(金霊)、影取大蛇、小仏峠の怪社、くも男、イワエチシチス、ヒューストン・バットマン、猪笹王(為笹王)、イッシャ、きのこ、万歳楽、カベッケ、入亀入道、口さけ、目黒の氏子、いなもの、ごぎゃなき、浪小僧、人手の猫、バチヘビ、粟田口康綱(凶刀)、ノヅチ(野槌)、アッシー、サイコラー(サッシー、サイポゴ)、ノモリムシ、笑い男子、アラサラウス、サンダーバード、雨蛇、海小僧、アイヌソッキ、ぬらりひょん、三人の尼僧、菖蒲の根に生えた魚、タルギャル鬼神、豆腐小僧、海鳴り小坊主、牛打ち坊、横浜のワニ、やまがろ

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吸血人間,河童,エペタム,パプアニューギニアの”恐竜”,マレードラゴン,コックバジロサウルス,西表の首長竜,グリル,足男,女の生首,くるどぶの化物、名刀とかげ丸,ケンムン,かさね(累),イッシャ,道超,ハーム島の怪物,増える蛇に笑う娘,伊勢福どの,ウェルシュ・ピーサントのパック,島根県大田市三瓶山沼の河童,シリシャマイス,空飛ぶ首無し天使,海御前,海童、少童,ワッセル・ロイテ、ニクゼン,ヤタノカラス,オレゴン・デーモン,青森の赤い河童,ラブランド・フロッグマン、シャウナフーク(カエル男),ガコウラ・ンゴー(バディグイ),ハーキンマー,ハニースワンプ・モンスター,ひょうすべ,ジェニー・ハニバース,ジェヴォーダンの鬼狼(魔獣、ラ・ベート、黒犬獣),河伯,和歌山県紀ノ川の河童,九千坊,リトル・グリーンマン,ミズハ女神,モンスタータートルフィッシュ(亀怪魚、モハモハ),ミューズ島の怪物,ニウヒ,ンヤマラ,ニャーマ(ラウ),トックリヘビ,白犬,オキナ,おぶさり犬(背負い犬),無顎鬼,九頭龍,コヒ,伊豆の妖獣,イワラサンペ,イワホイス,フリー,坊主狸,アツウイコロエカ,アツウイカクラ,アッコロカムイ,残念さん,指突き,水妖,竹塚村の土佐衛門、水死人神様、土佐衛門様,深夜の豆腐屋,しょうけら,新宿老婆王,渋谷円山町の幽霊,無念柳,首かじり,子取りの白蛇,けらけら女,感謝する墓,福助,人が増えていく写真,がしゃどくろ,白狐,電柱の上に立つ幽霊,まつりの中のざしきわらし,猫の湯治,大ムカデ,酒呑童子,ソウカミトゥン,たんつぼ婆,小幡小平治,泥田坊,旧防衛庁跡地の怪,アマテラスオオミカミ,タイのET,人蝉、三重のキジムナー(キ、木のおばけ、プレゼントのおばけ),勉強幽霊,胴面(どうのつら),髪執,古烏,いが坊,マリオ・ロバート 犬の人格を持つ男,二本足,覗坊(のぞきぼう),死者の薬,頭突き灯篭,メキシコの魔女(人を襲うフライングヒューマノイド),ジャッカロープ,ハイゲイト墓地の吸血鬼,アリ人間,按司ニチェー、妹インジュルキ,べとべとさん,疫病神,現代版ざしきわらし,背後霊,橋場のお化け地蔵(酒買い地蔵),飯坂温泉××館の幽霊,生き霊魂,女郎買い地蔵,竹俣兼光(霊剣)

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ぬりかべ、ニクス(ニクシー)、キュクロプス、ジョカ、一目国民、デビルズトライデント、レインボーロッド、オレゴンの三翼スカイフィッシュ、うんむし、ピーナンクタキャーン、ピープレット、ピータイホーン、ピータイタングロム、ピータレー、ピーファー、ピイーイハト、ピークラスー、メンナクルユ、ピートアイゲオ、モギィ、なめそ、野でっぽう、野女、ピーアム、異魚、チュンチライュ、シャギー、天女、川女郎、山婦(やまおんな)、夜怪、若返る老婆、牛鬼、海のねずみ、地下の神楽、手蜘蛛、黒竜、河童、生き人喰い、ハーキンマー、テキサス ロス・フレスノスの2メートルの翼竜、6メートルの蝙蝠翼竜、フランスの古代翼竜、ブルックリンの翼人間、コニーアイランドの蛙足有翼人、オハイオ州ガリポリスの動物虐待者、テキサスのゴリラ翼竜、ハドソン川の翼竜、オハイオ河沿いの血液輸送車誘拐者、ローペン、スキンウォーカー(リミキン、ヤナルドゥーシ、ナヴァホの魔女)、カリフォルニアの5メートルの翼竜、イタリア イソーラのウサギ泥棒、シレノ・ヴァレーの牛泥棒、ワモッカ、アサリカニ、現代風かくれ里、跳ねミミズ(飛みみず)、ムカデミミズ、八兵衛の夜泣き石、百年目、カニ鳥、かわうそボラ、切り株女、逆立ち女、実盛さま、渋谷交差点の死神、手ぬぐいの人、トドボラ、孕女(水子と同一視されるウブメ)、とんぞう、セクロバリ、オーストラリア パースの巨大翼竜

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出っ歯の幽霊,疫病神,こんせい様(金精),ハルピュイア,非人,ホウコウ,福禄寿,人面犬,人面ソウ,漢神,缶たたき(クラップ・カンズ),河童,烏天狗,ケンコ,コ,鮫人(コウジン),モウショウ,大足族,大顔,大天狗,雷神、雷獣,落頭民,龍,山都,品川の魔の踏切,狸の信号提灯,てんまる,刀労鬼,ヨク(渓毒),ヨク(短狐),幽霊,ざしきわらし,大青・小青,ブレミュエス人,ビッグフット,象,腕のある一反木綿,手長足長,しょうけら,書斎の鬼,遮光器土偶の女神,サンタ・ムエルテ(死の聖人),サン・シモン,サン・パスクアル(死神),ランタン女,野守虫,モスマン,水蜘蛛,マレーシアのビッグフット,キュサク村の宇宙人,クダキツネ,小玉ネズミ,鬼会の鬼(一角鬼),上半身幽霊,下半身幽霊,ジャージーデビル,インエルビ村の宇宙人,ハンプティ・ダンプティ,フライングヒューマノイド,チュウレル,ボブ・マーリーの首,鼻行類,ビッグフット,アカンバロの恐竜土偶,アフリカのチュパカブラ,3メートルの宇宙人(フラットウッズ・モンスター),猿神,憑依霊,座敷わらし,井戸神,無顎鬼,アジスキタカヒコネ,斑駒,天忍穂耳(アマノオシホミミノミコト),天ツ神(経津主、建御雷),ひらぶ貝,イザナミ,キギスナキメ,久延彦(案山子),御井ノ神(三井の神、木の股の神),大神実(オオカンツミ)、黄泉醜女(ヨモツシコメ),大国主(オオクニヌシノミコト),オオヤマツミノカミ、イワナガヒメ、コノハナサクヤヒメ,幸魂奇魂,猿田彦,少彦名(スクナヒコ),スサノオ,建御名方(タケミナカタノミコト),手力雄(アマノタヂカラオノミコト),豊玉姫,佃女.オクラホマのラプトル,水葬鬼,たくそうず稲荷,お岩さん,ひょっとこ,青頭巾,知的スカイフィッシュ,赤小豆洗,あまめ剥ぎ,足洗い,ごんごろう火,班女,ひだる神,狒々(ひひ),火を貸せ,火取魔,一つ目,福禄寿,衾,野衾,渡り柄杓,山姥,山鬼,雪女郎,雪ン坊(ゆきんぼ),雪入道,雪女,筬火(オサビ),塗りぼう,乗り越し(ノリコシ),次第高,見上げ入道,白坊主,天狗,テンコウ,口裂け女,河童,ミンツチ,金ン主(カネンヌシ),ばりおん,ウバリオン(負ばりおん),モンモンジャ,モウコ,ミカワリバアサン,生剥ぎ,磯女,二口女,トイレの花子さん,がんばり入道,呼子,牛女,海姫,テケテケ,さがり,三つ目,件(くだん),河童,人面ソ,一つ目,飛竜,油すまし,磯女,河童,古物怪(器物霊、つくも神),木精,人魚,伸びあがり,ふらり火,馬肝入道,灰坊主,あかなめ,抜け首,塗り壁,お岩さん,ろくろ首,さとり,炭鉱霊,天井さがり,宇賀神,馬肝入道,麻布ガマ池の大ガマ,ごぎゃ啼き,はくぞうす(白蔵主),かんじゃや,カリョウビンガ,木むじな,無言電話をかけさせる霊,むじな,ぬらりひょん,砂かけ婆,たぬき,座敷わらし,人魚,口裂け女,宇治の橋姫,上半身,うわん,陽気な幽霊,パーォカーシュ,オンディーヌ(ウンディーヌ),フォースをつかう人,汐吹(しおふき),ラヴェンナ・モンスター,為憎(にくらし),キ(日本),かんじゃや,ひゃくし,ブラクストン・モンスター,馬肝入道(ばっきんにゅうどう),モウショウ,水虎,地神,一つ目,生霊,三つ目,猫つき,魚の見る先,式神,タクシー幽霊,薄い人,上野のケサランパサラン,砂男,ストリガ(ストリガイ),キ,飯綱(イズナ),ホウコウ,貧乏神,河童,ヤラ・マ・ヤー・フー,猟師の老母,縄の鬼,長板の鬼,モノ(鬼),ジドラ,ゴーレム,ゲンセン,ヤフー,シック,ナミビアのサタン(悪魔),ナシャス,邪眼,デュー・ミンク,デーヤベリー族,ブレミュエス族,ズモーラ,ウピール,モーラ,コイラクーンラセッド,ドゥーノンガエス,アスワン,アル,シャドウマン、シャドウピープル(影男),海和尚,うぶめ

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磯撫、小幡小平次、波山(バサバサ)、ケルト神、竜(ドラゴン)、一本だたら、妖精、魔女、ウィル・オ・ウィスプ、第三の目、逆立ち女、象、金歯の女、毛羽毛現、馬骨、フィージーの人魚、白石先生、ハイゲイト・ヴァンパイア、片身、川父、毛の生えた鱒、小幡小平次、子とろ子とろ(しと女、嫉妬女)、くらげ、マリ・ベルラン・ビター、マイアミの大亀、無頭人、ながての頭の子、二恨坊の火、ニンキ・ナンカ(ガンボ)、大耳族、オタイジラ、死の蝋燭、ストロンセイのビースト、笑い婆、ウォーター・ブル、宿守、妖蛸、雪女郎、有尾人、守口大光寺の妖僧、マレーシアのトヨール、豆腐を食う奇虫、頓丘郊外の化け物、天毒虫、田父、スクナ、両面の白骨、ロトパゴイ(ロートファゴイ)の牛、レオントフォヌス、オアンネス、オエス、エウアハネス、エア、モノコラリ、スキアポダエ、キュクロープス、ポリフィーム、江戸深川の黒い虫、火星の少年、イエイル、筑前のべっこうの甲をしたカタツムリのようなもの、馬勢の妻、アリマスポイ族、グリフィン、くらげ女房、屠所の陰鬼(死者薬師寺外記に祟る死霊の首)、セト(テュフォン)、肉吸(にくすい)、ネルガル、蓑むぐら、蛮名コクバカラチキ、蛇腹女、フンババ(フワワ)、ゴグ、マゴグ、馬頭娘、バローラ、ばさん(波山、ばさばさ)、がこぜ(元興寺、元興神、がもじ、がもう)、へうすべ(ひょうすべ)、ひえんま(飛縁魔)、火車、ケルピー、こわい(狐者異)、舞くび、ぬっぺっぽう、ぬっへっほう、ぬっぺっぽふ、のっぺらぼう、ぬらりひょん、濡れ女、ぬり仏、おとろおとろ、毛一杯、おどろおどろ、おとろし、足中の蛇、わうわう、あふあふ、うわんうわん、かろむらうに、夢の精霊、提灯男、ダゴン、蛇の崎の橋うぶめのばけもの、自殺させる老婆、鎌倉若宮八幡銀杏の木の化物、福岡唐人町はしぶと烏の頭の犬、カサドール・エランテ、くらげ女(骨なし女)、黒髪山の化物ども、猫股まもふ、唐土のクサメ風邪君、帷子辻のぬっぽり坊、鬼三兵衛、女とよ(とま)、大穴の怪、ヲロシヤの人魂、釜山海のガマ、霊亀、スワムフィスク、虎にゃあにゃあ、津軽の海辺に在った虫、ツツガムシ、ウミタ(飛び首)、丑女、山父(山地乳)、山鰐(ヤマワニ)、夜なきばば、ゆらゆらしたもの、炙り肉の妖怪、 ブリティッシュ・バナー号を破壊した大海蛇、ドラゴン、ジャゴニニ、アマリ、レッドドラゴン、リパータ、ナイジェリアの馬男、 エルフ、白い小人、シャドウマン、パプア・ニューギニアの大トカゲ、オラン・マワス、ナウエリト、モルジェロンズ病、 グール(食屍鬼)、追いかけてくる赤い液体、ティキ、テティス、スクプス、インプ、ダンター、ディングベル、トカゲ男、半分の顔の女、