つづき。

バシャール

「アウト・オン・ア・リム」以降しばらく流行った一種の神様(今でも信仰は続いてるみたいですが)。宇宙の高次元知性体(謎)で、地球上のさまざまな国の数々の人の脳とシンクロし宇宙の真理をつたえつづけているという。それを「チャネリング(チャンネルをあわせるという意味から作られた言葉)」といい、あくまで高次元知性体の発した信号に「脳のチューニング(謎)」があっただけで、霊媒のようないかがわしいものとは違うというのが売りポイント。ならば一方的に放送を聞くように言葉をつたえるのが本当のはずなのに、ブーム時に同時多発的に出てきた「チャネラー」の中にはあきらかに会話していたりする怪しいのもいた。同時に違うチャネラーが同じ知性体からの言葉として違う内容を喋ったりすることもあったりした。またもっと謎なのはこのバシャール以外にもバシャールの親類のようなものもいること。それらとチャネリングする人がいたり、また全く違う存在とチャネリングする人もいたりとややこしい。

ガメ

後家火

後家さんとねんごろになった男。後家さんが不意に亡くなってしまってのち、彼の家の屋根に怪しい光が見られるようになった。村人は後家が彼に他の女ができないかと監視しているのだと噂した。後家は後をひくものだ。

人狐

妖怪伝承の中には少なからず差別的な意識が介在するものがある。「狐憑き」もまさにそうで、あの家には狐が憑いている、と噂をたてられると息子や娘は結婚もできず人々から避けられる。事実、そんなことはないのに、わざと人を陥れるのに狐の噂を使った例も多かったという。狐は一代だけでなく代々取り憑くともされた。それこそ被差別家系そのものである。狐を「飼う」家というのもあったが、余りいいことではないと思われていた。使役霊(クダとかオサキ等)として役にはたつが、またその家に占いなどの特殊技能によって富をもたらしたりもするが、基本的には忌み嫌われる傾向にあった。人狐とはそういう「狐持ち」(差別用語)のことを言った。狐がついている家の人間ということで、超能力があるが、忌むべき存在。そんな感じである。

耳切坊主

沖縄通ならジョーシキかも。民謡「ミミチリボージ」のもとになった琉球王朝時代の那覇の生臭坊主の亡霊(毒蜘蛛の化身ともいう)。北谷王子の勇猛譚として伝えられる伝説も、余りに名声が高まった大寺に対する王の弾圧ともとれなくもない。でなければ王子の騙し討ちで耳を斬られ殺された亡霊が、王子の住む大村御殿の門前にえんえんと立ち続け(しかも民謡では帯刀した坊主が「3、4人」いることになっている)、男の子が生まれないよう呪いをかける理由がない。でもまあ、非常に子供には恐れられたようである。そんな伝説も、戦争によって跡形も無く焼失してしまった。今では歌のみがその謎を伝える。

おんま

横浜本牧の十二天社では厄流しとして船に載せた茅作りの「お馬」を供物と共に流す行事が伝えられている。そのながれ去る方向で吉兆を決めたという。浜に戻れば疫病不漁とされるのは人形を流す全国的な儀式と同じ。疫病のお払いのために始まったともいうが、それ以前に「お馬」=「御魔」として邪神を流すという説のほうが自然だろう。言葉遊び(連想)のように姿を決めるのは昔のコトダマの国日本では至極フツーのことであった。「あて字」の文化である。本牧に古代には牧場があったというのも馬形になった理由のひとつかもしれない。体が亀なのは竜宮との関係か。亀を厄とするのは奇異ではある。

レティキュリアン

レティクル星からの宇宙人に誘拐され身体検査を受け、記憶を失って放り出されたという1960年代の怪事件「ヒル夫妻事件」は現代の宇宙人誘拐事件の先駆にして典型となった古典的UFO事件である。ここではじめてのちに「グレイ」と呼ばれる宇宙人の「原形」がお目見えした。現在よく取りざたされる胎児のような姿よりは人間に近く、細い目やスリムな体はあきらかに東洋人のイメージである。これより前のロズウェル事件で見付かったと噂される宇宙人の「姿」がヒル夫妻事件のレティクル人の姿に影響されているのは明らかである。ヒル夫妻はのちに離婚するが夫のほうは早くに亡くなり、夫人はレティキュリアンの監視を受けながらも85才まで長生きして、2004年10月ガンにより亡くなった。晩年には最近の宇宙人誘拐事件報告の多さに苦言を呈していたという。そんなに起こるもんじゃない、と。

三本足の白犬

ドイツの黒犬伝説の一派。背中におぶさりどんどん重くなる。

3本足のリカちゃん

もうそうとう古い都市伝説である。真ん中の足がホンモノの人間の足といわれる。最初は便所に座っているという噂だったような気がするのでそう書いた。でもリカの大きさの便器って・・・

三時ばばあ

これも古い学校怪談だ。バリエーションが増えたが、もとは花子さんと同じ便所の伝説で、便所にいないはずの老婆がいるという単純なものだったらしい。今や高速を疾走する四つんばいの婆さんと同一視すらされているスーパーばあちゃんになってしまった。3時でなく4時、さらには5時のじじいというのもいる。「3時」の意味は3時ぴったりに便所の扉を開けるといるとかそんなくらいのものである。

ウグメ

「うぶめ」は全国区の怪奇だが元々のお産で死んだ母子の亡霊という姿から、とにかく人を食らう恐ろしい女妖怪というアグレッシブなものにまで発展していった。それが伊豆のウグメである。百鬼夜話参照。霊が生前の人間性を失うと姿はどんどん怪物化していくものらしいから、こんな姿でいいでしょ。赤ん坊じゃなくて赤ん坊に似た石でいいでしょ。ちょっと杉浦日向子さんの「百物語」に影響されました。

うわばみ

うわばみ、というと小さいころは酷く恐ろしい大蛇というイメージがあった。今の日本でそういうイメージを与える怪物というのは果たして生き残っているのだろうか。ま、言葉としては酒飲みの比喩語として残るだろうな。

やぶ鳥

鳥火という怪火がある。やぶ鳥もその一種らしいのだが、どうもはっきりしない。藪の中で光る鳥、うーん。

野猪(やちょ)

古い伝説では猪も化けた。だいたい人間と接点のある動物はなんでも化けることになっている。こいつは墓場に出没したりしたようだ。食人鬼に化けて斬り殺された話とかがある。毛が無くて光っている怪しい野猪というのもいたという。でもみんな最後は殺された。そういう間抜けさが狸ぽくもある。

>つづく