ランダ夫人

バリの演劇には欠かせない魔女ランダ。もとは普通の主婦であったという。

抜け首

カラダを抜けた轆轤首のこと。中国の伝説が元になっている。

シグルト

海坊主(海のだいだらぼっち)

さまざまな海の亡霊の集合体として書いてみた。毎年夏になると海からやってくる巨人の伝説を残している地域が有り、祭りでそれを追い返す儀式をやっている。比較的新しい祭りだが土佐の絵金祭りも盆に海から帰ってくる恐ろしい死者を退けるため絵金の目も当てられないほど残酷な屏風絵を道端に並べるという静かな祭りである。

オーブ

ちょっとルドンふうに書き直してみました。実はさいきん昔録画した座敷ワラシ番組であきらかに埃とは大きさも模様も違う丸い発光体が出てきたのを見てから、あながちオーブもフライングフィッシュ並のいかがわしさでもないのだな、と思った次第。ちなみにその番組では青い昔の着物を着た子供が後ろの柱の影からこっちをうかがっているという正真正銘の心霊写真も出ていて、座敷ワラシ実在説にちょっと傾いた私がいたわけである。

つくも神

手が乱雑な書き方してるが気にしない。私にとってつくも神とは擬人化するのではなく奇怪な姿をとって奇矯な動きをするイメージが有る。

高級霊

一説には人間はそれぞれ輪廻の中でステージを上がっており、人によっては既に最高レベルで生まれてくるものもいれば、やっと動物から人間になれた最低ランクの人間までいるという。最高レベルの人間は生と生の間に高級霊として機能する。強い力による正しい行いへのいざないを「生業」としている。これがいわゆる守護霊のもっとも頼りになる存在であり、先祖を敬うというのはそういうことだ、と昔の人は教育されたそうだ。

海の精

海は恐ろしい。そもそもの恐ろしさの象徴が海の精の幻想である。

ドラキュラ

吸血鬼ドラキュラという小説はルーマニアの人々にとってははなはだ失礼な小説であって、ドラクール伯爵ことヴラド・ツェペシュ公は故国をトルコからの侵略から守った英雄とされている。串刺しした敵を城の周りに乱立させるなどのサディスティックな伝説からそういうイメージを植え付けられたものだろう。でっまあ、メタリアルな世界では吸血鬼はまだ実在していることになっており、この人は其の中でも最強の怪物とされているのだ。

人面魚

人面魚がふたたび見付かった、とスポーツ新聞に載っていたが、このくらい人面だと驚くんだろうけどなあ。ルドン風に。

首噛り

江戸時代の画題のひとつで必ずしも妖怪ではない。水木情報によれば夜な夜な墓場をうろつき死者の首を齧る食屍鬼みたいなものらしい。

尻子玉

カッパの狙う哺乳類の肛門内部に存在する魂のかたまり。リアルな話し、水死者は水を大量に飲んで大量に排出するから肛門が大きく開きっぱなしになり、何かを抜かれたように見えることからこの伝説が出来あがったらしい。

人魚

たくさん書いてるので今更ごめんなさい。

提灯首(行灯首)

これが私の遠い昔の記憶しかない。どんな本やネットにも出てない。おまけにこの絵も想像で描いた。たぶん光るのだろう。

濡れ女

ちょいと短いバージョンを。汚くてすまん。

長首

ろくろ首のこと。抜ける寸前の状態体質的に気を抜くと首の長さが若干伸びる人もいるらしい。

バンイップ

オーストラリアの19世紀の怪獣伝説。毛だらけだそうで姿はカンガルーを大きくしたもののように見える。

ヤマピカリヤー

西表島でイリオモテヤマネコが発見されたとき、「もっとでかいのがいるさー」といって話題になったのがこのヤマピカリヤー、闇夜に大きな光る眼で見通すもの。だがイリオモテヤマネコ自体殆ど見かけられない状況でその存在が現在までも残っているのかは疑問。

バッツカッチ

アメリカ発奇獣のひとつ。有名なレーニア山の麓で目撃された。体高7〜8メートルの巨人がコウモリのような姿をしている。サスクワッチの大きさに倣ってバッツカッチとしたらしい。

フロリダの蛙男

マイアミリバーで1972年以降目撃されたまたもやアメリカ産単発怪獣。1メートル余りという大きさはカッパを想像させる。

ガマン

バリの女怪。山奥の谷底からとてもやさしい声で男を呼ぶ。谷を降りて戻ってきたものはいない。いわゆる声系の妖怪で姿はない。山奥で人隠しがあったりするとガマンに呼ばれたのだと囁かれる。不定形な有名精霊サマールの悪戯と言う人もいる。

大足族

自分の大きな片方の足で日陰をつくり休むという人々。中世ヨーロッパの想像力の産物。

オウルマン

何でもマンつけりゃいいってもんじゃないぞ。梟男。イギリスのコーンウォールの田舎村を76年から78年にかけて騒がせた鳥人の一種で、邪悪なモスマンに似た様相を呈していた。教会の森にいたというのも怪しい。大きさは人と同じくらい。現在は絶滅。

ホラディラ

アマゾンの謎の湖に棲む怪物が写真に撮られた!鋸状の牙の並ぶ丸い背だけの!93年のことだが、写真も一枚しかなく、私も想像で補うしかない。

一反木綿

布怪というジャンルがある。四国の山中で夜中虚空からだらんと女物の帯が垂れる。何も無い夜空からえんえんと帯が垂れてきている。ただそれだけで気持ちが悪い。狸のせいとされる。狸のせいといえば小さな巾着袋が下がる現象も報告されており、江戸時代にはやはり狸のせいとされたが、新耳袋にも報告されていることから現在も健在らしい。中国地方の地方妖怪一反もめんも元はそういった布怪にすぎなかったのではないか。まきついて窒息させたりする、という攻撃的な面は他の妖怪との混同だろう。ひらひらとただ白い長い布が夜、風も無いのに舞っている、それだけでもう卒倒しそうではないか。一反は6メートル、結構長い。

人面そう

そうの漢字が出なかった。古今東西に聞かれる人の顔をしたイボのこと。

ムムディ

ジャワ語で悪霊の総称を示す。森や村にひそむ精霊で、自分の領域を乱す人間に祟る。嘲笑の声を立てることもあるという。サヌールに似た者として認識されているようだが、決して人に見える形をとらない。特技は人の物をこっそり隠すこと。なくしものをしたバリの人は、ムムディの怒りをかったせいだと思い、謝罪の祈りを捧げる。するとたいていなくしものは返ってくるのだそうだ。これはヨーロッパに似た事例があると聞いた。もっと怒ると人間を異界に連れ去ってしまう。神隠しがあるとバリ人はムムディの怒りに打ち震える。戻ってくることもたまにあるが、一切記憶が無い。このての神かくしは松谷みよ子先生の労作にも収録されており、日本もアジアの一員であったことに気付かされる。

無頭人

中世ヨーロッパの文献上の怪物でこのての奇人の中ではダントツに有名だ。頭が無い。

ピー

フィリピンの幽霊のこと。わりかし身近。

ポンティアナ

そのえぐい姿ゆえ映画にもなった超有名怪物。魔女の首だけが抜け、体内の内蔵をだらりと垂らしながら夜空を飛び回り人を襲って血を啜る。林巧氏によるとポンティアナは恐ろしい怪物の跋扈するボルネオでももっとも広範に知られ恐れられたもので、其の姿は必ずしも一定しないらしい。胎児のポンティアナは大きな赤い目玉となり飛びながら涙を流すという。これは初産の女児が死産であったばあいにのみなるという。男児は大人しく成仏するのだろうか。ニワトリの鳴くような声をあげる爪の鋭い女のポンティアナもいるそうだ。女ばかりのこのポンティアナ、何かしら深い意味が隠れていそうである。

サマール

インドネシア語ではっきりしない、見えない、薄暗いという意味のサマールは人跡の無いジャングル深くや野原、寂れた村に棲む。バリ人は姿こそ見えないもののその雰囲気で存在を感じる。サマールは自分から何かしかけることはない。何の祈りも許しを請う言葉もなく無遠慮に「聖域」を侵す者がいると、サマールは怒りのあまり姿を変えてその者の前に顕れる。サマールは動物にも人間にもなれる。しかし人間になったときは唇と鼻の間のくぼみがなくつるんとしている。サマールは精霊である。まるで隠れ村のように、サマールだけが集まる村があると噂され、覗き見た者によるとすべてが光り輝いていたという(林巧氏「アジアおばけ諸島」参照)。

サンディエゴの有翼人

アジアに比べると新大陸の怪物は即物的で端的だ、厚味が無い。1975年5月に出現。体長は1メートル余り。

支配霊

この言葉は一般には人間にとりつきその行動に強い影響を及ぼすようになる悪霊に使われることが多い。しかし、ある説によれば支配霊が支配するのは人間ではなく、霊そのものなのだという。ある人間や場所に関する他の霊を自分のところに集め、その霊集団の求心力となり、更には直接関係のない様々なフユウレイまで自分のところに集めて使役する。強い力があり、普通の悪魔払いではなかなか払えない。

死人坊

死を前にした者が体を抜け出しお寺や世話になった人のところへ最後の挨拶に回る。それが死人坊。百鬼夜話に私が体験したものを採録してある。死人坊という地名が福島にあるという。もともとは北陸の伝承である。

タツウェルブルム

不可解な怪物。小さくて、寸胴で、小さな足があるともいい、ヨーロッパアルプスの洞窟に住んでいるという。ツチノコの変種ではないかと騒がれた。

トーニャ

その名は愛称らしい。人にちょっと似ているが不釣り合いなまでに大きな頭とやせ細った体で、古い川や湖、海辺などに住んでいる。バリではかなり幅広く分布しているといい、水のあるところにはどこにもいるといういわゆる水妖のたぐいである。トーニャの棲む水辺で不用意に遊んだりすると、怒って足を引っ張り溺れさせたり、病気にさせる。ちょっとカッパ的である。ところで思い付きだが、このての精霊はたいてい大昔の人の魂の変容したものと思うが、戦時中南方で亡くなった日本兵の中にも、地元のハントゥとなって、ひいてはトーニャのようなものになっていくのであろうか。彼等の哀しい魂が南方の優しい心で癒されることを願うのみだ。

>つづく