諸国奇異怪異集成

まとめました。怪談、奇談、ふしぎ話、なんでもないけどちょっと面白い話をブログじゃなくて書いています。


百鬼夜話(1989〜2000)

 

奇談つれづれ

其の一(2002以前)

其の二(2002/12〜2004/9)

其の三(2004/9〜2005/4)

<最新>(2005/5〜)


2005年08月21日

怪談の夜

(某SNSの日記より早々に転載)

山間の村で怪談を聞いてきた。

最近は、きほん的にスケプティカルな立場からコワバナ関係の話を愉しんできたのだが、今日は思いのほかヘビーな話が多く、鎮守の森の下で蝋燭の明かりにひたっていると、


ああ


・・・心の釜のフタが開いてしまったみたいだ!


話者の背後、真っ暗闇の階段を、上のほうから、ずる、ずると、白い影がずり落ちてくるのが、見える。向かって右側の、闇の深い影に。


白装束?

急な石段を、痩せた女が白装束のまま、俯せで、頭を階下に向け、腕は腰あたりに下げたまま、マッサカサマにズリ落ちてくるのだ!

顔を伏せたまま。ゆっくりと、話が進むに従い、降りてくる。。


マジすか。。


上にはお稲荷さんがあった、キ、キツネ??



・・・少し前のほうが騒がしい。ふと話者の前の蝋燭が消えたことに気がついた、あッ

顔を上げた!


顔だけが、話者のすぐ後ろに浮かんだ、茹で卵のようなイヤな質感の、能面のような顔「だけ」が。ぽっ、と不意に左を向いて、そのまま左側の明かりに溶けるように消えた・・・



・・・というわけでさっきから肩が重い。百物語をすると怪異が顕れるとは江戸の世からのならい、しかし百もいかないうちに顕れるとはいささか性急すぎはしまいか。


帰り道同行の人に怪談をまくしたてて少しでもケガレを分散させようとしたんだけど、右の肩にかかる変な圧力が消えないのだ。



指をいっぽんだけ、ぽそっ、と載せたような。





・・・つか替えたばっかの電球切れたぞ急に今!なんでだ!うぎゃー(パニック

マジです(T-T)


00:22


切れてない!なのに点かない!うわー!!



キレテナーイ


(その後、電源コードがぶちっと切れていたことが判明。こんなことは、ここ15年で初めてなんですが。。つかそのご数時間して大量のクスリにより 無理やり寝たので、朝スッキリしてたのは御愛嬌でございます)

<後日談:8/24>
その日の午後に急に熱を出し臥せってしまいました。医者は扁桃腺炎と言っていますが、三日も続くのも夏に風邪ひくのも初めてなのでちょっと不気味です。もっと不気味なのは、昨晩電源コードがひとりでに治ったことです・・・


2005年08月17日

口をきいてはならぬ

墓参りの帰りに妙な話を聞いた。

御年九十三になるというご婦人、話がじつにゆたかで面白く、喫茶の人と永く聞いていたのだが、女学生のころ幽霊を見たのだという。夜半枕許にす、と誰かが座る。


・・・T子


叔父さんだ。しかし幽霊だとわかった、何故なら遠く長野で村長をしているはずなのだ。


T子


「ユウレイと口をきいてはならない」


そう聞かされていた。がたがた震えながら、呼び掛けには決して答えなかった。暫く呼び掛けが続くと、悟ったのか叔父は話を続けた。これから遠いところへ行くからお別れを言いにきたのだ、と。それでも口をきかないでいると、これから別荘にいる妹(この人の母君)にもお別れを言いに行く。す、と消えた。


おとうさま、今幽霊を見ました、叔父さまです。


恐怖に怯えながら父君を起こすと、ん、とやさしく受け止めた。


一緒に寝てもいいでしょうか?


・・・翌朝、電報がきた。危篤ということだったがとうに亡くなっていたのだろう。母君のほうへ行ったかどうかはわからない、でも弟や親戚やみんな死ぬとき、別れを言いにきたのよ、私優しかったからね、とからからと笑った。迷信に阻まれ挨拶を拒まれた叔父さんの胸中如何ばかりだったか、しかしこの死者としゃべってはいけない、という伝承は遠く江戸時代の文献にみられるもので、流石父君が大隈大臣付きの記者だっただけはある、と感じた次第。


昨日の地震と関東大震災が直にリンクする東京の記憶にくらくらしながらのひとときだった。ああ、まだこういうかたがたがご健在なのだ。


恋を識らない青年に教えてあげなさいと頼まれて、一日新宿でデエトをした話、父君の秘密の初恋の話、本で読むような繊細な時代の話が、識らない筈なのに懐かしい気分のうちに伝わってくる。青年は戦後しら骨となって返ってきた、その哀しくも美しい記憶の中に怪異が潜んでいる。その自然なさまに今の不自然に特異な怪異の有様に改めて頭を拈りつつの帰途である。


2005年08月12日

今度はマリアさまの木

farshores.orgに写真モノが載ってたので転載。ちなみにちょっと休みますので今週はがんばって更新しときました。まずはabcのニュース。奇蹟好きだなあこのテレビ。

ノースバレーに処女マリア出現?2005年8月10日


何十人もの人がこぞってマーセッドMercedへ向かいだした。ノースバレーの婦人が近所に奇蹟が起きたと語ったからである。エリザベス・フランコによると彼女の木の幹に聖霊が現れたという。マーセッドの婦人は数週間前にこれに気づいた。それが処女マリアの像であると信じている。既に小さい神殿が木の下に設けられている。訪れ祈る80名の人々によって沢山のキャンドルや花々が供えられている。(abc30) 

エジンバラの地下街に出た顔

次はなかなか面白い心霊スポット探訪記、日本人の大好きなエジンバラの伝説の地下室に出た幽霊の話。長いので省きつつ訳しましょう。徒歩ツアーというのが欧米の夜の街ツアーでは一般的だが、その中でも人気の高い心霊スポットツアーの、エジンバラ版とでもいうべきもの。そこで彼女が撮った写真には・・・

エジンバラの恐ろしい地下街の夜(抜粋抄訳)デリー・キールナンのコラム 2005年8月11日



「あなたは懐疑論者ですか?」石造りのロビーでツアー・ガイドが聞いてきた。エジンバラの悪名高い地下街の扉を開けながら。私は軽く微笑んだ。「あなたは迷っている」彼は楽観的に推してみせる。不気味な軋み音をたてて扉を動かす。「ええ、」私は嘘つきだ。幽霊など信じていない。階段を二つ降りると冷たい微風が頬をかすめ、背筋に沿って恐ろしいメロディを奏でる。私がそれほど冷静でなかったなら、ちょっと不吉な予感がしただろう。誰かが戻れと警告していると。メルカット・ツアーの企画による6時間の地下室の夜。数人の勇気ある人たちが陰気ないにしえの深みに降りて行く。そこでは生者を苦しめるために、死者の霊が息づいている。地下室にキャンドルとランタンが点され、幽かに不気味な雰囲気が演出される。はっとする。魅力的だ。水の滴る壁は汚く、冷たい水がでこぼこの床を湿らせる。気温は保たれている・・・急に凍るように寒くなるまで。これは幽霊の存在のサインだと私は確信する。周辺のエネルギー変化を測定する装置が配られる。ボタンを押せば幽霊が検知できる(注:このてのものは昔からイギリスでは一般的だったが、最近韓国でネット連動型の小型検知器が発売され、日本でもこの夏にサービスが開始されている)。でもこの暗闇で長いこと過ごす間、蜘蛛の足のような針など見えやしない。意味が無い。

ここは1788年に作られた。地下街はかつて店で溢れかえっていた。個室に区切られ、7年前に避難してきた宝石商やパブ、織物屋があった。売春宿やギャンブル場もこの空疎な空間で栄えたものだが、水漏れが激しく1820年までには殆どの店が解散した。1830年永遠に閉ざされる前には、不法入居者と犯罪者が地下街を病気の蔓延するスラムに変えていた。酒場の部屋では私の観光ガイド、ゲーリーとストルーアンが超常現象に関する色々な理論を説明する。ゲーリーは幽霊やスピリッツは具現化するために生きている犠牲者の体から熱を奪うと忠告する。みんな身震いする。ぽたり、ぽたり、ぽたりと水が滴る音が陰気な部屋に響く。酒場を去るときに別の見解が示された。地下室はスピリットにとって「弱点」である、それはハロウィーンが「弱点(weak date)」であるのと同じように。我々はひとしきり理論を聞いた後、12の部屋を単独で歩き回るように薦められた。すると我々の仲間の冒険者たちは急に奇妙な出来事に遭遇し始めた。ある者は不意の病気と頭痛に襲われ始め文句を言う。他の人は瞬風や寒い場所に出くわす。衣服が引っ張られたり、遠くからの叫び声を聞いた者、どんと叩く音を聞いた者、三人の女性は生々しい経験をした。足を引きずって歩いている男性、赤ん坊と一緒にいる女性、舞姫、及び飛び跳ねる子供。文字通り「老人の匂い」を嗅いだ女性もいた。私はまだ鎧兜で武装するほど懐疑論に凝り固まってはいない。まだ何も私の考えを崩すものは無い。私たちがワイン貯蔵庫にそっと入るのにつれて、隣の進入禁止の判事部屋の一つから異様な音が聞こえた。幻聴ではない。事実、本当だ。ゲーリーが確かめに上に上がる。そこには誰もいない・・・。廊下の一つを通って歩いていると、運の悪い女性が彼女の正面に石の落ちる音を聞いた。私は偶然だろうと破れかぶれの言説を投げかけるが彼女は断固としてそれを蹴ることを拒否した。するとストルーアンが言った。「石の一投げ」という現象がこの廊下でよく起きます。ジャックという好意的だが悪戯好きなスピリットが起こすんだと。ジャックは袖を引き足を蹴る。青いベルベットの上着を着た6歳の少年で、子供が参加するときによく現れるらしい。別のツアーでは一人の女性が、ジャックが近寄ってきたと主張した。「お願い行って、彼が戻ってくる、お願いだから」と言った。二続きの部屋の角で、私はすぐにジャックが我々の誰に警告しているのかがわかった。ボタンを押していないのに、私の装置が作動して音が鳴り響いた。ここはブーツ氏が2年前に少女を襲った場所だったのだ。彼は悪魔的な心を持ち、貧しいジャックを殺した人物と考えられている。目撃者によると、煙のような存在が少女の後ろに現れ、彼女の体めがけて突進したという。少女は気が遠くなって、倒れるところを抱き止められた。あるカップルが少女が倒れたとき病的で髭もじゃな男に掴まれていたと言った。田舎道に立ち昇る嫌な霧のように、私は私の懐疑主義が体から抜けていくのを感じた・・・まだ朝まで3時間もあるのだ。(scotsman.com)



いいですねえ。日本では「危険!」とかいってこういうものを遊ばないから却って大したこと無い場所でも好奇を誘って挙げ句犯罪に巻き込まれたりする輩が出るんだよなあ。禁酒法時代のアメリカなんて洒落たことは言わないけど。毎年はとバスで講談師と行く東京怪異ツアーというのがやってたんだけれども、最初夜だったのがまっぴるまになって、今年はやるんだかどうなんだか。ちなみに写真の説明。最初のが壁の中央に顔が大きく写っている「とされる」写真。蝋燭の右側、縦長の紡錘型の顔?二つ目が演出された地下街風景。ツアー宣伝写真だそうです。三つ目は筆者が撮った何気ない写真で、幽霊をよく見ることができるように電灯がついてる場所もあるというのだけれども、え、幽霊ってライトでよく見えるようになるようなものなの???この人の文章や曖昧なスタンス、私はとても共感できました。夏に爽やかな心霊ツアーですね(どこがだ

 

投稿!心霊写真inNY

about.comパラノーマル・ブログギャラリー

投稿写真集でなかなか面白い。日本のコソコソしたものよりばーんと写ってるものが多く、もっとも形は不明瞭だけれども、国民性がゴーストにも現れているというのは面白い現象です。エクソシストの撮影の行われた階段(落ちるやつ)で撮られた幽霊、って誰なんだよw(そういえば2のガラスに浮かぶ顔もコンピュータ合成臭かったなあ)路上になんとなく見える「羊頭の悪魔」とか、日本でもよくある自然叢(相)というやつも入ってる。悪魔と判断してるの、これも国民性だな。未だにオーブも出てるけど無視だ無視。物凄い「でかい」か、色が変かしなけりゃオーブなんて殆ど塵です。まあ、最近エンハンスドな、加工の施された画像が多いので、色すらあてになりやしませんけどね。この中にもいくつか輪郭強調画像がありますけど、捏造画像に占められた日本のサイトよりは素朴で良心的だ。

ちなみに自然ソウというのは木の葉や何かの陰影などがたまたま人間の顔の形に写ってしまったというもので、昔はこのての「心霊写真」が巷に溢れていた。中岡本なんて殆どこれだった。火星の「人面岩」もこの類い。あれはNASAがたまたま光の具合で人の顔に写ったから、宣伝用にピックアップして公表したところ、オカ業界で大騒動になって宗教までできてしまったんですね(昔の日記にその後の正体写真含め載せてます。にこちゃんマークもピラミッドも何でもあるんですよ、火星にはw)。

そこになかったものが写ってる、からといって写真はそもそもメカニズム上事実をそのまま映し出しているとは限らない、寧ろ忠実に事実を写し出すなんてことは稀といってもいいくらいで、そこんとこもよく意識して見る必要性はある。デジカメになるとさらに機構的に「オーブ」のような光が入りやすくなり、デジタル処理や構造の細密複雑化(裏返しで操作の単純化)によってフィルムとは別種の変なものも撮れてしまう可能性が高まる。手軽になったということは「写真の真実」をわかってない人も簡単に撮影を楽しむようになったということであり、心霊写真激増の背景にデジカメ(ケータイカメラ)人口の増大があるのは単純なことです。裏返して反論したくなる人もいるかもしれないけど、じゃあフィルム時代によく見られた「指紋型」「紅い色ムラ型」の心霊写真がデジカメで殆ど出てこないのはなぜ?結局現像という過程で(ポラロイド含みますよ)発生するミスがそういうものを産んでたわけで、テレビではヤラセとして霊能者にそういうものを心霊と「言わせて」いたことも多かったと聞く。奇妙に歪んだ(重なったりぶれたりするのではなく、滑らかに歪む)顔とか最近よく見るタイプの心霊写真だけど、あれも「リング」が公開されるまでは殆どなかった。まさにこれこそコンピューターの得意とする加工写真の典型なのである。ビデオになってくると機構的な問題が更に増大する。顔が溶けるように変化してる、怖いってビデオを見たこともあるけど、あんなのはデジタル映像にありがちな・・・衛星やネットで映像を見る人間にはおなじみの・・・パケット落ちした映像にすぎない(パケットという通信用語が妥当じゃないのはわかってますけどわかりやすくそう書いておく)。物凄く平たく言えばデジタルモザイクかけたような状態が混ざっただけなのである。画質劣化が拍車をかける。

だいたい「心霊写真屋さん」が商売成り立つくらいですもんね。テレビの投稿心霊写真、特に最近のものは殆ど信憑性がないと言っていい。

ただ自然ソウに話を戻すと、人形に魂がやどると言われているように、人の形をしたものは全て依りましになる可能性があるって考えかたもあって、そういう見地から、「これは心霊写真じゃないけど、強烈な霊気を感じる」なんて判定をするおばさんもいます。信じるか信じないかはあなたの自由、でもいるかいないかといえば、「いるんです(by金造)」。・・・PCが一般的になってきたここ10数年で個人で画像のコンピューター加工が容易になったことにより、実物判定の困難な偽画像・映像がやたら見られるようになった。繰り返しになるが今簡単に出てくるあからさまな心霊の顔写真なんてまず偽造だと思ったほうがいいだろう、ああいうのは二重露光でもしなければそうそう撮れるもんじゃない。「自然ソウ」の誤解のほうがまだ罪は軽い。祟られるのはどっちだろうね。

最近の投稿写真をピックアップ。

ソルトン湖の幽霊

カリフォルニア州プラセンティアのリタ・スウィフトさんからの投稿。私が送ったのはソルトン湖(カリフォルニア南東部の景勝地)のインディオの近くで撮った写真です。カメラはブローニーを使っています。私の夫と私は両親と港湾長のボートの上にいました。この写真は20枚撮ったうちの15枚目です。他は普通でした。父は私に多くの人がこの湖で溺れているといいました。父は第二次大戦のためにここでパイロットたちを訓練していました。訓練中に湖に墜落して行方不明になる者もいたそうです。この幽霊はひどく急いで湖から去ろうとしているように見えます。よく見れば手に指があるのがわかるでしょう。私は古代のソルトン湖が砂漠であったという話を聞いたとき、別の奇妙な解釈を得ました。この湖はセント・アンドレアス断層の近くなのです。そして湖の一部では地面から温泉が吹き出し大きな熱い沼地を形成しています。  

父は第二次大戦の間、アイルランドのベルファストに配置されたB-17のパイロットでした。父は一枚の写真を撮っています。写っているのは昇進したばかりのナビゲーターです。彼は昇進を喜んでいましたが、戦争で生き残ったかどうかは定かではありません。1988年、父は亡くなりました。私はこのナビゲータの写真を父のコレクションの中に見つけました。私にはこの人が影の霊体に覆われているように見えます。日本から来た女性が(また日本かい(苦笑))ナビゲーターの足の左側、砂の上に顔が見えるって言うんです。私にも見えます。父のカメラがどんな機種だったか私は知りません。でもたぶん一般的なカメラだったと思います。

〜一枚目は私はかなり面白いと思った。冷静な解釈が入ってるけど、これは真実と思っておいたほうが面白い。二枚目はよくある見間違いの範疇かなと思う。日本人は複数の幽霊が見えると言ったそうだけど、これこそ「自然ソウ」ですね。

 


2005年08月11日

テキサスは謎獣のスクツ、そしてチュパカブラ疑惑

昨年あたりからアメリカの物好きを賑わしている謎獣騒動の中心がこの「テキサスのミステリーアニマル」。目撃者多数。チュパカブラが空を飛んでメキシコから侵入したのと期を一にして現れたこの「場違いな動物」、なんだか凄く似ている動物を見たことがあるような気がするのだがどうなんでしょう?はよーて、とかいったような???イギリスではクロコダイルやらカンガルーやらいろいろ見つかり続けているみたいですけど、だいたい逃げたペットという発想がないのが不思議・・・ていうかわかってて楽しんでるんですよね?というわけでお楽しみくださいませ。

以下KLTVの記事。ROOM322とかRENSEさんのところ参照。目撃場所の映像があるけど・・・いい環境ですねえ・・・

「なんじゃこのいきもの」

テキサス東部一帯で目撃されたミステリアスなもの



これは何の種類の動物ですか?

「見たところハイエナかグレイハウンド、病気の犬、うーん、怖い犬」TJCの学生リンゴン・ギルフォードは言います。ハリソン郡の男性がこのスナップ写真を数日前に撮影しました。オンラインでつながっている数百の視聴者の方々に最新ニュースとしてこれを見せご意見を伺いました。答えは多岐にわたりました。ペルーの毛の無い犬から脱毛狐、オーストラリアのディンゴ等々。今日通行人にこれを見せてインタビューしたところ、同様の反応が返ってきました。一人の女性は「ジャッカルとグレイハウンドの雑種でしょうね」と答えました。他の男性は「醜い動物だね、馬ではないと思うよ」。「病気に見えるね」また他の人はそう言いました。何人かの方は私たちにこの動物がいわゆる「チュパカブラ」に違いないとメールされました。チュパカブラとは「山羊の血を吸うもの」という意味です。プエルトリコのフォークロアにある架空の生き物のことです。ググってみると多くの似た写真が見つかりました。テキサス国務省健康課の人獣共通感染症担当医、ジェームズ・ライトはこの動物がチュパカブラだという説には否定的です。「そうですね、これがよそから入ってきたものだとするならば、私は犬科の動物であるとみますね。宇宙から来たものではなく。」彼によればこの動物は酷い疥癬にかかっている一種の犬かコヨーテであると思われるそうです。「殆ど確実に、これは毛包虫症のせいでしょう」彼によるとこの病気はとても酷い脱毛を伴なうそうです。ライトはこの生物が数ヶ月前アンジェリナ郡のラフキン近くで見つかったものによく似ていると言います。ラフキンの動物も専門家の間では激しい疥癬があるイヌ科の動物だと考えられています。ライトによればこのミステリーは解決済みといいますが、ハリソン郡の動物は果たして犬科の動物でしょうか、決めるのはあなたです。(KLTV2005/8/3)

近似する動物についてはROOM322にリンクがまとめてあるのでそちらを見て。この動物は2004年の始めごろに初めて目撃されたが、一人の目撃者によるとそのときは青味がかったグレーだった。しかし最近その人が再度目撃したさいには、毛が抜け変わったのか(つか毛が無かったはずでは・・・)赤褐色になっていたという(早く捕まえろよ・・・)。チュパカブラ関連はもう噂が噂、憶測が憶測を呼んで「フォークロア」と呼ばれるようにさえなってきているし、ネットでは捏造写真が横行してもうわけわからん状態にあるけど、ただ一つだけ明らかなことがある。これはどう見てもアバダンの使徒ではない。弱そう。

チュパカブラについては、about.comのパラノーマル関係の情報の中にジャージー・デビルや伝説上の生き物との共通点の比較記事がある。ここのリンクからは更に詳しい情報(たとえば)が読めるので興味があればどんぞ。
<チュパカブラ部分の抄訳>
チュパカブラと認識されるものが最初に登場したのは1975年夏、プエルトリコでである。数匹の家畜の死体が発見され、いずれも首に奇妙な刺し傷があった。90年代には俄かに食欲が増したのか目撃例が激増している。これらキャトルミューティレーション(注)に酷似した家畜大量虐殺が全てチュパカブラのせいと考えられた。肉は一切手がつけられずただ血だけが全くなくなっていることから「山羊の血を吸うもの」チュパカブラと呼ばれる。1991年の雄犬の事件については「まるで体内の全てのものが目から吸い出されたように見えた。空の眼窩があった。内臓は全て失われていた」とレポートされている。

(注:そのまんまだが家畜虐殺事件のこと。夜の間に牧場の家畜が何匹も殺されるという。70年代に矢追さん番組で有名になった。しばしば家畜でないものも・・・眉唾だが「人間」についても・・・殺されることがあったという。鮮やかに体の一部(目玉や首、肛門と直腸、生殖器など)が切り取られ持ち去られている、血が一滴も流れていないなどの状況証拠から、かつてはUFOに乗った宇宙人が実験のためサンプルを採取して廻ったと思われていた。今は悪魔崇拝者の儀式や未確認の肉食獣による捕食行為など複合的な要因によるものと考えられている。アメリカ西部でさかんに取りざたされていたが、のち世界中で確認されるようになったそうだ。チュパカブラはこういう背景の上にかっこうの犯人像として注目されるようになったわけである)

このような大量虐殺はしばらくプエルトリコ島内でしか発生していなかったが、90年代の終わりから2000年代にかけてフロリダ、アリゾナ、テキサス、メキシコ、中米、南米(チリ)やカリブの島々でも報告されるようになった。チリでは4月から6月にかけてチュパカブラを捕獲したというニュースもあった。そのチュパカブラはアメリカ政府機関によって持ち去られたとも言われる。この時期のチュパカブラに関する描写はかなり明確に残っている。いわく、

・身長3〜4フィート(1メートル前後)
・顔の表皮は暗い灰色
・体には粗い毛が生えていて、いくつかのレポートによると体皮をカメレオンのように紫や茶色や黄色に変えることができる
・黒、あるいは朱色か赤い目
・狼か犬に似た鼻
・鋭い牙
・三本指の鉤爪のような「手」を持った短い腕
・鰭かスパイクか襞のようなものが背中に一列に並んでいる
・強そうな二本の脚で立つ、鉤爪を持った足
・カンガルーのように、歩くよりも地面を蹴って飛び跳ねる(少なくとも1回のバウンドで20フィート(6メートル強)飛べたという目撃談がある)
・いくつかのレポートでは飛べるように蝙蝠のような翼があると報告されている
・目撃者に不快感を与えるヒス・ノイズをたてる

(個人的ぼやき:あきらかにオウルマンやモスマンやジャージー・デビルなど既出の幻想動物のイメージが重ねられている。もちろん、宇宙人グレイもだ。グレイの顔をしたカンガルー型の獣という見てくれが今や定番となっているが、そういう全ての属性を備えた姿がきちんと写真に捉えられたものはさっぱり出てこない。)

今もチュパカブラ(ス)現象は続いている。最新の襲撃はチリで報告され、これは継続中である。2002年2月、目撃はされていないが、何羽もの鶏が血を吸われ殺されたのはこいつのせいだ、と非難されている。(about.com)

  


2005年08月10日

終末論的チュパカブラス、その恐るべき予言?

言論の自由とはまさにこのことだ。チュパカブラ=聖書の悪魔「アバダンの使徒」という妙な言説をネットラジオで放送できるというのも言論の自由のおかげだ。悪魔崇拝者が世の終わりを唱えいたずらに人心を惑わすのはもうミレニアム騒ぎで勘弁・・・といった感じにはならないのがキリスト教国家の宿命なのか。家族内で解決してくれ、という気もするコラム記事でもあるのだけど・・・ちなみに写真はその悪魔のものというのだが・・・以下やや意訳気味。中に出てくる聖書の日本語訳はちゃんとしたところから別途引用させていただきました。

「それはまさに黙示録から飛び出した世の終わりの悪魔」

先週Aaron C. Donahueのカメラの前でポーズをとりウェブサイトの一面を飾った悪魔は、この日曜日、Glasya-Labolas、即ちGoetia(注:悪魔召還の書)に記された第25精霊であり、まさに黙示録から飛び出した生き物であると特定された。ドナヒューは言う、この霊体は彼のベースを通り抜けるとき奇妙に動く目立つ鼻があるのが見えた。悪魔召喚の儀式の後に現れており、この惑星に終末をもたらすにあたって作られた特別な悪魔なのだという。彼は南アメリカや北アメリカの一部の人々に広く目撃されているいわゆる「山羊吸血鬼goat sucker(注:チュパカブラの英訳)」と呼ばれる生き物は、この霊体であるという。世界の他の地域では奇妙な犬のような生き物が目撃されているが(注:黒犬獣系の動物や「場違いな動物」系のUMAを指していると思われる)、これらについてはそう特定はできない。数年前、ドナヒューが廃墟で呪われているとされるフリーメーソン寺院でGoetiaの精霊を召喚したとき、一連の遠隔透視によって描いた中でGlasya-Labolasについてこう書いている。

「私はいなごのような存在が地球から「飛び」出していくのを見た。彼は男たちを咥えている。この夢はとても恐ろしいが、彼らは男性の病気は別として、未だ自然界の一つのものにも害を及ぼしてはいない」

もしあなたがドナヒューのこの霊体の写真を調べるならば、何か猟犬のような顔をして、しかし上「腕」に長いものがついていて、羽根がある鉤爪もしくは翼を持っているであろうことがわかる。下「肢」はいくぶん鳥のような外観を持った鉤爪の上に伸びている。ドナヒューと彼の姉妹(ジェニファー・シャープ、日曜のショウの主催者)は黙示録の9章よりこの悪魔と、共にやってくる生き物の軍勢に関する描写を引用している。詩にはこうある。

「一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた。この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、それが底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。 そして、煙の中から、いなごの群れが地上へ出て来た。このいなごには、地に住むさそりが持っているような力が与えられた。 いなごは、地や草やどんな青物も、またどんな木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。 殺してはいけないが、五か月の間、苦しめることは許されたのである。いなごが与える苦痛は、さそりが人を刺したときの苦痛のようであった。 」
訳参照)

ドナヒューはこれらの言葉を書いた預言者が「時の終わりからの怪物」のビジョンを持っていたと語った。彼は、生き物が7つの封印の6つ目の始まりの後に姿を現すと語った。人々がこれを目撃しているということは既に6つ目の封印が解かれたことを意味している。もうあと少しの時間しかない。ドナヒューは、悪魔が地球に好意的であり、この惑星を救うために戦っているのだからといって、人々が好意的な霊体として彼らを考えるべきではないとリスナーたちに警告した。「これはあなたの友達ではない。そんなことは問題ではない。しかしもしあなたが緑への愛を持たない人々の一味なら・・・もしあなたが私利私欲のために母なる地球に害を及ぼしている人々の一人なら、この生き物はもうじきあなたを迎えに来る。そしてあなたは想像も及ばない苦しみと痛みを経験することになるだろう。」ドナヒューは言う。黙示録の話はキリスト教者の嘘を支持するように捻じ曲げられている。例えば、いなごが「額に神の刻印を押されている」人々を刺さないだろうというくだりは、第三の目のことを示している(注)。言い換えれば、正しい魂の道にあり、ルシファーの真実に気づいている人々はこれらの生き物に切り裂かれまいということだ。

(注:神秘主義者が主張する、人間が額に持っている「超能力センサー」のこと。ムカシトカゲの額にかつて目のあった痕跡が認められるという古い学術的発表に基づき、人間にも第三の目があった(ある)と主張。謎の器官と「されていた」松果垂体にその主体があり、「覚醒」によって開くことができると言われる。発想の源流はお約束どおりインド、ネパールあたり。主に女性や仏陀がつけている「額のしるし」ですな、キリスト教と何の関係があるんだ。ちなみにムカシトカゲなどの動物の「第三の目」にかんしては一般には熱感センサーであると考えられている。)

Glasya-Labolasに関するドナヒュー・オリジナルの話について、私はこう書いた。我々は恐らくこの悪魔の存在を「サソリの刺し傷の痛みを引き起こした一種の病気」として意識し、それを実見することは難しいと思うと。私は昔の魔術師がこの精霊をドナヒューのように明瞭に見ることはできなかったと書いたが、彼らは接近はしている。「それをグリュフォンの翼を持つ犬のような動物と描写した。もしあなたがドナヒューの写真にある生き物の頭部を近く見るならば、その見た目がある種の猟犬とやや類似していることがわかるだろう。しかしながらそれは頭上を大きく飛び越えて、ベースから遠くへ去ってしまったのだ。」Glasya-Labolasは不和と流血を引き起こす能力でよく知られている。人間にまったくの愛情を持っていないのだから、世界の動物のどれかに害を及ぼす前に真っ先に、人間を殺すだろうに。(James Donahue)


・・・読めばわかるとおり、チュパカブラとアバダンの使徒の一致の根拠となっているのは、この変な写真(チュパカブラにも見えん)を除けば結局「アーロン・C・ドナヒュー」が唱えていた「ビジョン」のみである。そのビジョンに沿って語っているのだから本当にアバダンの使徒であるかどうかも判別がつくはずもない。チュパカブラの刺し傷=病気説にさりげなく触れているジェームズさんもほんとはわかってると思うんだけど、実際どう思ってこのコラムを書いたのだろう。

:顔だそうです。犬じゃないやん。人には見えるけど・・・単なるお化けだったら戸惑ってるだろうな、本人。

息子アーロン・C・ドナヒューのサイト(泣)。若いっ。ウンモ星人だあ??ニッポン大好き。テレビ朝日にも出たよ。他の写真も載ってるよ(めんどくさいので転載はしない)。オーブの写真も(めんどくさいので転載はしない)。幻視図もあるよ(めんどくさいので転載はしない)。

ジェームズ・ドナヒューのサイト。親子揃って・・・  


2005年08月09日

んん〜??龍の写真??

またX51ですごめんなさい。

「ヒマラヤ上空で龍らしき物体を撮影か チベット」

チベットのヒマラヤ上空にて、龍らしき物体が撮影され、話題を呼んでいる模様。2004年6月22日、写真の撮影者はチベットのアムド地方へと旅行し、帰国途中、飛行機の中からヒマラヤを写真で撮影、その中に偶然「龍」らしき物体が写りこんでいたという。その後、撮影者はそれらを「チベットの龍」としてウェブなどで公開した。写真に映し出された物体は、確かにウロコのようなもので覆われ、背に当たると思しき部分には背針のような突起物が見られる。また龍は一匹ではなく、雲の間を縫うようにして、二匹ほどの姿が映し出されているようである。(X51)


「大紀元」の元記事

<元記事より抜粋補足>

ある人がチベットの雪山を飛び越えるとき謎の二つの奇妙な竜状の物体を撮影したとして、ネット住人たちの強烈な興味を惹いている。この人はアマチュアカメラマンで去年6月22日にチベットの青海-西藏間を繋ぐ青蔵鉄道の開通セレモニーに参加したあと、拉薩(ラサ)から内陸へ飛行機で戻っていく途中チベット上空で偶然これを捉えた。彼はこれを非常に珍しいことと感じ、「チベットの竜」という名をつけた。証拠は写真だけだが、この物体の表面にははっきりと這って進む生物の特徴に似たものがあらわれている。即ち体つきにウロコに覆われた体表、背中に椎骨の飛び出るさま、更に徐々に細くなっていく体の後尾・・・部分だけしか撮影できていないのでこの二つの奇異な物体が何なのか不明だが、雲の中を飛行する巨大な竜二匹を彷彿とさせる。この写真はいくつかのサイトとフォーラムに貼り出され、ネット住人たちの好奇を呼び寄せた。ケンケンガクガクの議論を呼び、中には自然界の神秘に心打たれた者、偉大な中国を褒め称える者や未開の地域に巣くう未知の文明の存在への興味、言い伝えられてきた龍との類似を挙げ竜であってほしいとする希望の言葉などが見られる。しかし多くの人はこの写真の真偽を証明してほしいと願っている。

中国の神話では竜とは一種の神仙であり、妖怪的な動物でもある。それは普段姿を隠しており、春風の時に天に昇り、秋風の時には淵に潜む。雲を起こし雨を降らせることができ、皇帝の権力のシンボルとして、歴代皇帝は全て自ら龍を名乗り、器物を龍で飾った。山海経(センガイキョウ、中国の有名な「妖怪地誌」)にも記載されている。黄帝は龍に乗った。先人は4種類の龍を挙げている。ウロコのあるものを蛟(みずち、コウ)龍と呼び、翼のあるものを応龍と呼び、角のあるものは?竜(キュウ竜)、無いものは?竜(チ竜)と呼ぶ(注:このへん本草綱目にも載っている分類法だが言葉の混乱があり一様にこの定義では分類できない。どれも神仙の類いとして信仰されているが最終形態が応竜という説も根強い)。

文化的に言うと竜は中国の先賢たちのトーテムである。古代の王は竜に変化することができたといわれる。中国の殆どどの民族でも竜をテーマとする伝説や物語を持っている。竜船や竜型の灯篭で楽しく祭りをとり行い、天候が平穏であることを願う。本当にこういう動物が実在するのかどうかについては解けない謎となっている。歴代の記録の中にかなり多くの神竜の目撃談を目にすることができる。「竜にぶら下がる」といった怪しい事件や、何らかの特殊な状況下、天上の竜が突然地に落ちてきて衆人に目撃されるといったものだ。比較的近い目撃例としては満州国の時代に記録がある。1944年8月に黒竜江省の牡丹江南岸の陳の家の村に落下した烏竜があった。気息奄奄としていて、現地の村人たちは進んで体に水をかけてやった。そのときのことを伝える話には、この動物の頭には一本の長い角があり、体はウロコに覆われ、強烈な魚臭い匂いを発しだしてハエを大量に呼び寄せた。8、90年代に作家が調査したものが一冊の竜の専門書にまとめられている。竜という不思議な動物の出現と人間の交わりは時代の移り変わりによって変わっていく。このチベット神竜が確かに現れて、好奇心をくすぐったことは確かである。8月5日

:拡大画像

X51いいっすね、速いねーニュースが。私には「加工された」層雲にしか見えないんだけど、夢ですな夢。10日の東京福袋(英訳サイト経由で同じ大紀元の記事が引用)では氷河説が唱えられていたけど、それだとちょっと不自然に大きすぎる気もする。

UFO対UMA 白頭山大決戦

最近下ネタばっかで取りあげるネタがなかった東京福袋のブログ、なにげにUFOなんて取り上げてびっくり。しかも例の中国と北朝鮮の国境の神山での出来事だというのだ。

「北朝鮮の白頭山一帯でUFO目撃相次ぐ」

 北朝鮮を訪れた複数の韓国の観光客が白頭山上空を飛ぶUFOを発見し、つづいて中国側からもその場で怪しい光を目撃したという報告があった。
 韓国の聯合ニュース(注:現在は掲載なし)は中国の男性が7月8日、白頭山にある滝の上空に浮かぶ丸い物体の写真を撮ったと報じた。
 また韓国の写真家による撮影隊のメンバー、リー・マンウックさんは彼が撮影した画像をオンライン・ギャラリー"ePhotoart"に投稿した。その画像には白頭山の上を飛ぶUFOが写っている。マンウックさんはこの写真を7月19日に撮ったという。

 さらに韓国のシンハン銀行の職員ユン・テウンさんは通信社に対し、6月に奥さんが撮った写真の中にUFOを見つけたと語った。「他の人はこれはツバメだと言うけれど、私には鳥に思えないんですよ。」とテウンさんは語る。
 学生のチョイ・ジョンヨンさんは6月16日から17日にかけてこの一帯を旅行した折、同様の写真を4枚撮っている。
 「この物体をUFOと断定するのは難しいけれど、同じ一帯で複数の人が目撃しているのは不思議です。偶然の一致とは思えません。」と名前を明かさない42歳の会社員は語った。(tokyo fuku-blog)


原文farshores.org。こちら
元記事コーリア・ヘラルド(同文)。こちら

こんな記事、気が付かなかった(苦笑)湖水に棲む水怪でも知られる白頭山のUFO目撃談である。写真がかなり芸術ぽいというかなんか加工気味なのが気になるし、観光客が騒いでるだけというのもなんだかなという感じだが、メキシコのUFOくらいには信憑性はあるかも。北朝鮮の新型兵器だとしたら・・・  


2005年08月08日

空を舞うもの・・・今度は「ワーム」

クリッターの仲間出現か??メキシコシティで妙なものが撮影された。フライング・ヒューマノイド、フライングフィッシュ(ロッド)、そして今度は巨大な「ワーム状のもの」である。空にはいろんなものが浮いている。

x51から。

謎の糸状未確認飛行物体が撮影される メキシコ



rense】先月4日、メキシコシティにて、まるで回虫のような姿をした糸状の未確認飛行物体が撮影されたとのこと。撮影者のフラヴィオ・アルカンタラ氏によれば、物体が現れたのは午後1:57分頃、黒く巨大なその姿を自由自在に変形しながら飛行していたという。またほぼ同時により小型のUFOもその付近に現れたと語っている。「奇妙な物体でしたが、不思議と怖くはありませんでした。とにかく興奮して、アドレナリンが大量に出ましたね。実はこれまでにも何度かUFOを見たことがありますが、私自身の見解としてはあれらの物体は宇宙から来ているものなどではなく、地球上のどこかから飛んできているんだと思っています。」

:赤丸が小型UFO?

そう語るフラヴィオ氏は、確かに、今年5月にもメキシコシティ上空で奇妙な物体の撮影に成功している。物体は白い有機体のような形で、その姿を自在に変えながら飛行し、白い小さな球形の物体を次々と排出していたという。

:以前ニュースでも流れた映像。



そして今回フラヴィオ氏はこれらのビデオを研究センターに送付し、今後ビデオの研究が行われると共に、その様子がメキシコの国営テレビで放映される予定である。

実はこうした物体は一昨年の7月にも撮影されている。ホセ・エデュアルド・ディアズ氏がメキシコシティの上空で撮影した物体はあたかも”襟首”のような環状の形で、姿を自在に変えながら、小さな黒い球形物体と共に飛行していたという。



「物体は最初、輪っかのような形をしていましたが、まるで物体それ自体が編み物のように姿をコロコロと変えていました。また物体からは小さな黒い球のようなものが排出されていました。一体何だったのか分かりませんが、とにかく驚くべきものでした。」

またメキシコシティでは近年、これまでに目撃されていたような"既知の"UFOの姿からはほど遠い、奇妙な形の物体が他にも多く撮影されている。それはフライング・ヒューマノイドや、球形飛行物体、今回報告された不定形な有機体的飛行物体などである。(x51)


・・・しかしなあ・・・風のある日とかよくビニールハウスとか紐とか飛んでるよなあ・・・更に言うならこういう紐状の飛行物体のニュースって70年代くらいに一度流れたことがあるような覚えがあるんだけどな。同じような数珠のような感じの。糸、ってあるから一瞬エンゼルヘアーかと思うがそういうもんとは違う感じではある。

また奇蹟のキリスト像

キリスト像が開眼の“奇跡”…しかし教会関係者は冷静

米ニュージャージー州で公営団地の一角の祭壇にある目を閉じたキリスト像の右目が、ある日突然見開いた状態になり、近所のカトリック信者の間で「奇跡だ」と話題を呼んでいる。まぶたの部分が風雨にさらされてはがれ落ちたか、誰かが削り落としたとみられるが、信者らは「何か良いことが起きる前兆だ」と大興奮。しかし地元の教会関係者は「こういう話は時々耳にするが、大抵はちゃんとした理由がある」と“奇跡”にも冷静だ。(ニューヨーク共同)ZAKZAK 2005/08/05

以下、元記事に近いもの。abcのニュース。

信心者たちが偶像は「生きている」と主張
〜ニュージャージーで何十人もの信者が朝から寝ずに像の近くに集合。彼らは口々に言う・・・復活だと。

Hobokenのジャクソン通り公営住宅団地の外側にある「キリストの聖心像」は生誕の場面の中心をなすものである。何人かがこの像が右目を開き群集に向かって頭を向けるのを見たという。彼らの多くはこの出来事をドラッグと暴力のような問題からこの近所を救うために顕れた奇蹟だと呼んでいる。(Hoboken-WABC, July 29, 2005、abc7)


・・・ま、開いたとも壊れたとも、どちらともとれるような像の作りのようで、頭を動かしたというのは集団催眠的な感じもしなくもないが、ほんとこういうニュースが頻発しているってことは余程人々が不安の中に生活しているのだということを示していると思う。アメリカでさえ。  



2005年08月05日

十二番目の惑星まで??

ひさびさにananova見たら1日の記事で十一番目の惑星発見に加えて十二番目の惑星発見のニュースが載っていた。記憶にない。小惑星として伝えられたのかな?いちおうログっておきます。十個目の印象が強烈だっただけに、なんだか扱いが・・・

「新惑星発見」

二つの新惑星が太陽系で発見された。一つ目は米国天文学者のマイク・ブラウンが発見した。ブラウンは生まれたばかりの娘にちなんでライラと命名した。ライラは太陽から970億マイルの距離にある。

二つ目の惑星はスペインのチームが発見した。サンタは、直径ちょうど930マイル、1つの月を持っている。(ananova)  

巨人、骨になる(延長なし)

バングラディシュの大新聞ザ・ニュー・ネーションが「巨人人骨発見」のニュースを掲載していたとプレイボーイ日本版に書いてあった。4月22日発行というがサイトを見るとこの日にニュー・ネーション紙が発行されていた形跡がないのだが。さっそくネットで見ると・・・おい、去年の4月22日じゃねーか!しかも去年のニュースとしてネット検索するとかなりいろんなところに当たるぞ。

「サウジアラビアで巨大人骨発見!」

サウジアラビアの南東にある砂漠地帯”ラブ・ウル・カハリ(からっぽな地帯)”で事件は起きた。天然ガス採掘会社”アラムク”のスタッフが作業中、地中20メートルほど掘り進んだところで、巨大でおびただしい数の骨らしき物体が次々に出土した。同社の現場スタッフ、アル・ザヒリ(32歳)は語る。「もしかしたら・・・と思いました。地元ではこんな伝説があります。巨木を片手で軽々と引き抜いてしまうほどの巨人たち、アアド族がかつて存在した。しかし、アアド族は神にそむき、神を愚弄した。そのため神は怒り、彼らを破滅させたのです」発掘作業が進むにつれ、肩甲骨、胸骨、背骨、腕骨、頭蓋骨が次々に出土する。人間の約20倍の大きさであるという以外は、ほぼ完璧な人骨である。推定身長は焼く25メートル。現在、”ラブ・ウル・カハリ(からっぽな地帯)”はサウジアラビア軍の管理下に置かれ、立ち入り禁止となっている。(4月22日付バングラディシュ「ザ・ニュー・ネーション」/プレイボーイ日本版2005年8月16日号)


ちなみに温度差を示すため直訳ものせておきますか。ラブ・ウル・カハリRAB - UL -KHAALEE・・・ルブアルハリ砂漠のことだよ!

「サウジアラビアで巨人の骸骨が発見〜リヤドRiyadhから」
By Saalim Alvi from Riyadh
Apr 22, 2004, 12:04

近年ガス採掘はサウジアラビア南東部の砂漠にまで及んでいる。この砂漠地帯はアラビア語でルブアルハリ、からっぽ区域Empty Quarterという意味の言葉で呼ばれている。このボディはARAMCO採掘チームによって発見された。これはAAD国とhood国の人々について、アラー(SWT)がコーランを通して語った話を示唆している。彼らはとても背が高く、肩幅が広く、とてもパワフルで、巨木をひょいと片手で抜くことができるほどであった。しかし、誤った道を歩み、アラー(SWT)に背いたため、アラー(SWT)は国ごと破滅させた。サウジアラビアのULEMA KIRAM はこのボディがAAD国のものと信じている。サウジアラビア軍はこの地域全域を管理下に置いた。そして、サウジアラビアのARAMCOの人間を除きこの領域への立ち入りを禁止した。サウジアラビア政府はこれを機密事項として隠蔽していたが、いくつかの軍用ヘリコプターが空撮を行った。その乗務員の誰かがサウジアラビアからインターネットを通して情報を漏らしたのである。
© Copyright 2003 by The New Nation


・・・しかし何度も書くうちにこの話、よくある神話だよなと・・・聖書やギリシャ神話にそっくりな話があったような気がするんだけど。強い人間を神が叩くというのもパターンだ。プレイボーイ誌上で既にこの筋の権威並木伸一郎氏によって偽物と断定されているわけだが(そりゃ25メートルが直立すれば足骨が支えきれないわな)、写真のインパクトはそれなりにある(誌上写真の提供元が並木氏なのはなぜ?)。Wired Newsとして楽しんでおきましょう。プレイボーイは世界中の巨人伝説をついでに載せているので見てみても面白いかも。世界中に巨人がいたんだ、と感心するもよし、世界中みんな考えることはいっしょだな、と思うもよし。以下の記事も載せてありました。同じものを示しているはずなのに・・・この新聞はweb化されてません。

巨大な人骨は西インドの砂漠地帯で発見された。インド政府はその地域を封鎖し、インド軍の管理下に置き立ち入り禁止区域に指定している。インド政府は、この巨大人骨の発見について固く口を閉ざしている。本紙が独占入手した情報では、巨大人骨のそばでサンスクリット文字が刻み込まれた石板が発見された。どうやらその石板がこの巨大人骨の謎を解くカギになりそうだ。石板にはこう刻まれている。”はるか昔、ラクシャサスと呼ばれる巨人族がいた。しかし神にそむき、その報いを受け排除された”と。(5月10日付「ニューデリー・クロニクル」」/プレイボーイ日本版2005年8月16日号)

・・・とまあついでにクリプトズーオロジイドットコムを見てみるとこっちにも載ってましたわ。

・・・そして種明かし。じつに明快でございます。


「この写真はもちろんNYのハイドパークそばを2000年9月16日に空撮したものにすぎない。ここはPaleontological Research Institutionとコーネル大学地球科学部によって発掘された場所で、彼らが見つけたものとはマストドンの化石なのである」

:アメリカマストドン

このサイト主、怒ってます。なんで「ザ・ニュー・ネーション」たる大新聞がこんな捏造写真を載せたのか。答は並木氏が言ってます。「タブロイド紙でしょ、WWNみたいな」Wired News、Wired News。頭冷やそう。  


2005年08月03日

パレルモの魔女の落書き

ここに書くのは可愛らしい魔女が箒にまたがって男の子を助ける物語に関するエピソードではない。知識や智恵を持った者が「魔女」の烙印を押され殺された時代の遺物に関することである。

パレルモというと修道院地下の生き身のミイラ安置所で有名だ。といってもここは神聖な場所であり肝試しのホラースポットなんかではない(勘違いした日本のテレビ局が昔はよく取材に行っていた)。いくつかのキリスト教国家では魂の抜けたはずの屍骸がなぜか物理的に神聖なものとして扱われている。イタリアには特に多く、この修道院の長大なカタコンベは一例にすぎない。人骨で出来た聖堂を見たことのある人もいるだろう。即物的な肉食民族の国民性でもあるのだが、中国だって日本だってそういう例がないわけではない。高僧の即身仏を崇める感覚だって似たようなものだ。アメリカで一般的な屍骸のいわゆる「防腐処理」然り。生前の姿をできるだけ留めておきたいのは本人の願望以上に周囲の切実な願いでもある。この尊厳的行為の結果をショッキングホラーで片付けるのは阿呆のやることだ。

さて話がずれたが、以下に引用するのはAnsaの記事である。若干意訳。

「魔女の落書きがパレルモで発見〜女たちは4世紀前異端審問で裁かれた」

4世紀以上前、異端審問によって断罪された女性たちが火刑を待つ間パレルモ刑務所に残したのは、印象的な一そろいの落書きだった。この火曜日に考古学者たちが発表した。

最も新しい落書きは恐怖の異端審問の行われたパレルモの古い建物の修復工事中に発見された。そこは異端を根絶する使命を課せられたカトリック教会の司法部であった。1601年から1782年まで、数限りない囚人が拷問を課せられ、また試された。この建物の未だ威容をはなつ巨大な施設の中で、である。そこに引きずられる者・・・異端者、占い師、冒涜者、悪魔の仲間と疑われた者は情け容赦無い異端審問によって生きて出られることはありえなかった。「事実、多くの犠牲者は教会が単に脅威と感じたインテリやアーティストだったのです」修復部長のドメニコ・ポリカルディは説明した。この構造物を博物館へ移す作業は昨年始まった。学部長のオフィスのスペースと引き換えにパレルモ大学の支援を含む800万ユーロの基金が使用された。1782年にヴィセロイ・ドメニコ・カラッチョーロは全ての異端審問の文書を燃やすように命じたが、歴史家たちは数百もの落書きがこの構造物で行われた行為をいくつか解明することになるかもしれないと言う。修復作業者が、不運な「魔女」が尋問者に対して残した侮辱の言葉の上に、明らかに呪いを覆い隠す目的で塗られた白い漆喰を擦り取ったとき、最も新しい碑文が発見された。それは一階にあった。「この構造物は驚かせることを止めません。大学は並外れた遺産を保存するために考えられるすべての手段を尽くすと誓約します」ジュゼッペ・シルベストリ学部長は言った。

刑務所の敷地の別の1区画で以前公開された落書きは多彩な図像や文章を含んでいる。シチリアの地図、宗教画、救いや許しを乞う詩や絵を見ることができる。(8月2日パレルモ)


魔女裁判は未だにイタリアの宗教界に暗い影を投げ落としている。オカルトとはくれぐれもこういうものだ。血生臭く、因習的で、しかも多くは「政治」に裏付けされている。オカルト話をそのまま鵜呑みにしてはいけない。楽しむために、フィクションとして扱うならともかく、本当にそういうことを信じようとするのなら、多角的に見、裏の裏を読んで分析することは大事である・・・スケプティカルな立場をとるかそうでないかに関わらず。  


2005年08月01日

キリストいろんなところに出まくり

またかいという感じですが場所が場所。ロイター(本国/UK版)に掲載。exciteが訳してくれてるのでそのまま転載。画像は探しましたが(無料では)ありませんでした。残念。

木にキリストの顔が現れる


[サラエボ 29日 ロイター] 枝を切り取った木の切り口にイエス・キリストの顔と見られる模様が現れたとして、この木を一目見ようとボスニア北西部の町に多くのキリスト教信者たちが訪れている。

「キリストの顔」は、近くで見るとはっきり分からないが、木から2〜3メートル離れて眺めると顔に見えるとのこと。地元紙が伝えたところによると、枝が切り取られたのは約1年前のことで、顔が現れたのは最近のことだという。

無神論者は単なる「造化のいたずら」だとしている。しかし、熱心なキリスト教徒達は木を眺めに連日のように訪れている。信者達はロウソクに火を灯し、ひざまずいてお祈りを捧げ、お金を置いていったり、木の皮を剥いで家に持ち帰ったりしているという。地元教会のバシリジェ司教は、木を傷つける行為や、お金を置いていったりするのは止めるようにと信者達に忠告した。

(excite)


2005年07月29日

ぶよぶよ

なんじゃこりゃ。7/27のニュース

自己治癒能力を持った謎の生命体「太歳」を発見か 中国

【温州网】中国は広東省佛山市、南海区獅子山にて、石のような姿をした謎の物体(写真)が発見され、伝説的に知られる謎の生命体「太歳」ではないかとして、話題を呼んでいる模様。調査に当たる研究者らによれば、物体は重さ2kg、丸みを帯びた形をしており、表面を傷つけると粘液のような物質が身体から滲みだし、自己治癒するという特殊な能力を持つという。(X51)

原記事

シンハネット

また活動を活発化しだしたX51から。かなり詳しく説明されているのでぜひ向こうの記事を読んでください。川でみつかったそうで、土中に存在し掘り出されると災厄をもたらす、でも不老不死の妙薬でもあるブヨブヨ生命体「太歳」(屍骸の成るという「ハク」に似た感じですな)とはまた違うような気もする。きもい。でもこのきもさは海でナマコやアメフラシを見たときのきもさに似ている。川に棲息する新種のナマコだとしたら凄え!山中に生える変にでかい菌類、キノコをみつけたときの感じにも似ている。でも川ですしねえ。2キロというのは大きさに比べてかなり重いので、キノコ説は否定されるのかなあ。記事に大袈裟な見解が入っていたとしたらたんなる何らかの無生物・・・昔よく「太歳」と間違えられたというゴムや樹脂や腐乱物の塊・・・の類いである可能性もある。色はフルーツっぽいなあ。黒や茶色、灰色というのが「太歳」の色とされているので、この黄色っぽい色は何か違う感じがする。切れ込みはイモ貝みたいな入り方をしているけど口というにはちょっと生命力が感じられない。つかほんとに生命?つか昔報道された「水中で燃える(萌えるではない)石」みたいな不法工業廃棄物のたぐいじゃないだろうな。。たぶん中国だから続報はないでしょうなあ。

太歳が日本でも発掘された、という話は中国伝来の可能性が高い。日本の妖物伝承にそのては実に多いのだ。始皇帝をだまくらかした徐福が不老不死の妙薬の主材料として挙げたのもこの太歳なるものであったといわれるが、サルノコシカケか何か所謂「レイシ霊芝」と呼ばれる菌類だったと考えられている。よく知られるとおり菌類は地下で大きな塊を作ることがある。さて徐福が不老不死の妙薬を求めて日本に来たという伝説は有名だが、そのときに既に知識としての太歳が伝来していたとしたらもう、長い間に日本化が進み、全く別物をその名で呼んだ可能性もあろう。違うものを見た目でその属性・・・不老不死や厄物など・・・を持つものと認識することだってあったろう。勿論中国でもそうであるように、他の理由により太歳と呼ばれるようになったもの(危険物・犯罪関連物埋蔵場所や土葬墓場など、明確なタブーをともなう「物体」)もあるだろう。中国でも日本でも、物知り爺さんが「これは何々じゃ」と言って奇妙な解説をするパターンのお話が古今数多いが、くせもの。じーさんが言ったからほんとだ、というのはまちがい。少なくとも現代、じーさんと言っても昭和生まれが多いわけで、昭和といったらもう機械化された大戦争やらかした時代ですよ。素朴な農民だってラジオを持ってるしグリム童話を昔話として子供に聞かせていた時代、もうかなり「伝統的な伝承」というのは失われていた時代なわけで。

の一方でシンハネットに特集記事があった。かなり詳しい(読むの面倒だから読みたい人は勝手にどうぞ)。ここに出てくる画像を転載しておこう。新聞系のサイトはいつリンク切れるかわからんからな。

内モンゴル産の「擬似太歳」太歳ぽいもの。

うんこ。もといこれも擬似太歳。オイルの塊や汚泥を思わせる。

最も今回のものに近い色であるが、より物質的だ。牛皮のような筋があるというが鉱物的な層にも見える。今回のものにやや近い感じはする。これも内モンゴル産。

いずれも最近(1999年以降)みつかったもので、それ以前のものだと更に数もバリエーションも増えると思われる。いずれにせよタイサイなる言葉はかなり広いばっくりした定義のものといえそうだ。

 

赤い鉢巻きの男〜お祭り好きなのか?違うわ!

farshores.orgの調子がどうも悪い。また、ここの話題は欧米中心なので、旧植民地周辺以外の例えば中国なんかの情報には疎いようだ。ぶにょぶにょも海ワニもアップされていない。でも今日の午後に回復したのであけてみる。babel fishで日本語訳ができるようになっていてびっくり。もっとも、英語である以上日本の翻訳サイトを使えば別にこのサービスを使う必要もないわけだが、ハングルも中国語も対応しているのがミソか。ま、そこで古いクリプトズーオロジイの記事を見ていると面白い記事があった。4月くらいに書かれたもののようである。全文忠実に?訳すのはいいかげんうざいので抜粋をてきとうに書きます。

「火山噴火がコモロ諸島の伝説に新たなひねりを加える」

ロイター IDGIKOUNDZI, Comoros

「赤い鉢巻きRed Headband」・・・彼を見て生き残った者はいないという。だから先祖の誰が彼の存在を確かめたのかは雪男やネッシーの正体同様永遠の謎なのである。はっきりしているのは4月17日の大噴火で伝説に新しいひねりが加えられたということだ。有史以来、悪霊が赤い鉢巻きを締めてジャイアント人間として現れるという伝説が語り伝えられている。それはKarthala山頂上のクレーターを徘徊するといわれる。背の高さは家より高いという話もあればドワーフ(小妖精)程度というあてにならない説まである。なんでまちまちかって、彼が非常に遠くからしか目撃されないからだ。「村を離れた住民が帰ってこないと「赤い鉢巻き」を見たと疑われるんだ」イブラハム・アリは60歳になる。噴火で夜のようになり真っ黒な雨が降ったIdgikoundziという山村からやってきた農夫だ。「見たという人はいるよ、巨人だったってね」コモロ伝統の綿のローブを身にまとった他の長老とともに座っている。何世紀も前にylang ylangやバニラを求めるアラブの商人が持ち込んだイスラム教の信者たちだ。トタン屋根の家の中、山羊がメーメー鳴いて鶏がこつこつ床を突っつく・・・そんな雰囲気の中で一部の人々の間に脈々と息づく伝説が語られる。最も有名な犠牲者の話はこれだ。「昔々、7人の猟師が山頂近くまで鹿を探しに出かけた。すると後日彼らのガイコツが見つかった。地元の人々はそれを岩で覆い隠した」山腹から噴出する有毒ガスは1世紀前に17人を殺した。アフリカ東岸沖、大コモロ島を見下ろすこの火山が定期的に噴火を繰り返すこんにち、災厄が繰り返されることを人々は非常に恐れている。でも先祖達は灰が首都モロニの空を曇らせ熱帯のスパイス植物の肥料になる、この火山に住む人々を見殺しにはしないだろうという。「もし誰かがあそこで死んだなら、赤い鉢巻きに殺されたに違いない」アリは岩の上に座って語る。雲で覆われた頂上と直下の海に雪崩れ込む古代の溶岩に覆われた川に目をやりながら。こういう伝承は火山帯に住む人々には一般的なものだ。だがコモロの伝説がユニークなのは、地質学上の大事件、アフリカ大陸を南北に引き裂く痙攣が3000万年以上前にいわゆる「大地溝帯」を形作ったときの記憶が生活の中に今だに息づいている点にある。

コンゴの精霊、タンザニアの神
火山噴火は地質年代でいうと僅かな間隔で発生しつづけるが、緩慢なプレート褶曲を引き戻す軋轢や痙攣はその頻度から滅多に部族文化に影響する例はみられない。東コンゴ民主共和国の長老たちは、祖先の悪霊がNyiragongo火山の溶岩の中に住んでいて、2002年1月の爆発によりゴマ市の大部分を殲滅したと非難した。山頂の上に白い姿が浮いているところを目撃されることがあるという。この説明は彼らがいくら旧ザイールで何年も続く内戦で死んだゴーストたちの復讐だと言っても、単純に古くから炉辺で語り伝えられてきた物語と伝統的な祖霊信仰の焼き直しにすぎない。赤い服を着るケニアとタンザニアのマサイ族は火山に挟まれた大地溝帯の底で牛を曳いて暮らす遊牧民だが、特に目新しい伝承は持っていない。マサイの伝説によると平原の向こう側を放浪していた巨人がつまずいたとき、首都ナイロビ郊外にあるNgong丘陵が形成されたという。彼の拳の指関節の跡が地面を丸く削った。実に何世代も前の話である。山々には変化は無い。隣接するタンザニア北部ではOl Doinyo Lengai火山が未だ活動中であるが、マサイはこの山を神の家としてずっと崇め続けている。ここにも何ら新しい変化はない。地質年代上において既に岩とマグマの激烈な破砕により出来上がってしまった他の国と異なって、コモロは現在進行形で火山神話が形作られるまたとない好機を与えられた土地なのである。

7人の猟師の墓はここにしかない。

10年に及ぶKarthalaの最初の噴火によりクレーター側壁が溶岩の煮える大釜の中に崩れ落ち、1万人の人が避難を余儀なくされた。戦士の安息所は破壊されたかもしれない。何世紀も前の死者に激烈なエピローグをもたらしたかも。「我々は彼らが最後の爆発によって葬り去られたかもしれないと思っている。」アリは語る。しかめっつらをした他の長老たちは、ただ首を縦に振るのみだ。

2005年4月25日(ロイターの元記事は削除) 

 


2005年07月28日

イギリス三大霊場が決定!

theSUNとWWNといったらタブロイド紙の代表格。元祖東スポのノリでウソホント入り混じった刺激的な情報を提供してくれる。問題も。

で、こんな記事。UK Hot! Newsの訳文から。

幽霊とUFO見るならここ! 超常現象の多発地域が判明(27 July 2005)

 7月26日付「
サン」紙によると、幽霊やUFOなどの超常現象を目撃する確率が英国内で最も高い3地域が、最近の調査で明らかになった。いずれも3つの場所を頂点として結ぶ三角形のエリアで、英国版「バミューダ・トライアングル」(*)と言われている。(*フロリダ・バミューダ諸島・プエルトリコを結ぶ三角形の水域。航空機や船舶が突然消えてしまうことで有名)

 旅行会社「
スカイ・トラベル」が、超常現象ツアーの企画のため、その道の研究で有名な専門家に調査を依頼、判明したもの。

 1位はイングランド南西部コーンウォール州のペンザンスやセント・アイブス、ランズ・エンドなどを含む三角地帯。ここではUFOを目撃する確率が英国の全国平均の2倍、幽霊は同3倍となっている。ペンザンスにあるホテル「ドルフィン・イン」は17世紀、裁判所として使われていたが、ここでは絞首刑を宣告された船長の幽霊が出ると言われている。幽霊船が出ると噂されている入り江もあるほか、ネス湖のネッシーに似た「モーガウル」という巨獣や、フクロウと人間を掛け合わせた珍獣「オウルマン」の目撃談もかなり前から伝えられている。

 2位はイングランド北部のヨーク市とリーズ市、ハロゲート市を結ぶエリア。古代ローマ時代の兵士やヴァイキングの幽霊などが目撃されているそうだ。

 続く3位はイングランド東部のノーフォーク州。ここでは、不義の罪を問われた処刑されたヘンリー8世の2番目の妻、アン・ブーリンの首なし幽霊が出たり、幽霊を乗せたバスが走ったりするらしい。さらには、あるエリアを訪れた複数の人が古代ローマ時代にタイムトリップさせられる事件も起きているという。

 調査を行った専門家によると、特定の地域で多くの超常現象が起きる原因としては、過去にその場所で戦争や疫病の流行など悲劇的な事件が起きていること、またその場所の磁場や重力場になんからの変則的な要素があることなどが考えられるという。


・・・SUNはネットでは有料記事も多いのでWWNほどあやしげニュースをズルズル読むことはできないけど、やはり英国一の三流紙だけあって面白い。「3箇所選んだ」というのに「英国版バミューダ・トライアングル」とは・・・3地点結べばどこでもトライアングルだよ・・・だいたい日本もそうだけど狭い土地で長い期間に山ほど人が死んできたわけだから、あとは密度の問題なんだよな。あと、これは気をつけなければならないことだけれども、タブー視されて語られない密集地帯というものも存在する。最近のものではなく歴史的な惨劇ばかりがゴーストの名所として挙げられることが多いのはそういう理由によるのであって、ネットに出ないたぐいの裏情報ではそんな場所も(話半分だが)話題にのぼることもある。ここで挙げられた場所は「安全」が確認されているから旅行会社のツアーに適しているという選定基準もあったに「間違いない」(今はやりのギャグ)。??

2005年07月26日

中国にブロブ出現!

中国情報局のニュース。台風で怪物もなんぎ。シンハネットの原文記事はこちら

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「巨大怪獣」出現:体長12M、台風去った海辺に
2005/07/26(火) 12:10:35更新



  今月19日から20にかけて中国各地に大きな被害をもらたした台風5号「ハイタン(海棠)」が去った後、浙江(せっこう)省・寧波(ニンポー)市の海辺に「巨大怪獣」が出現した。台風の大波で打ち上げられた海洋生物とみられるこの「怪獣」は、体長12メートル。推定体重は約2トン。巨大なワニのような風貌だが、すでに腐乱しており、「その正体を確かめることは専門家でも難しい」という。26日付で北京晨報が伝えた。

  この「怪獣」が寧波市北侖春暁鎮の海岸で発見されたのは、20日昼ごろのこと。発見したのは付近に住む漁民で、「海に出て長いが、こんな魚は見たことがないし、なんだかまったく分からない」という物体に遭遇した。

  噂を聞きつけて「怪獣」を見にきた若者4人は、「研究」のために100キログラムあまりの身を切り取り、持ち帰ったという。

  専門家の話では、「怪獣」は死後1週間ほど経っている様子。海の生物とみられるが、骨格から魚とは判断しにくい。頭の部分が細長く、1メートルもあるので、ワニのように見えるという。(編集担当:恩田有紀)?


まークジラでしょう。博物館でマッコウクジラみたいな歯クジラの顎見てみ。ワニみたいな歯並びだよ。今年はクジラがよく打ち上げられるなあ。東京湾でも既に二匹迷い込んで死んだ。死体漂流のニュースもあったかな。宮崎では巨大なマッコウが打ち上げられたよねえ。


2005年07月25日

江戸びと杉浦日向子し去世事

私の好きな怪話師たちの中でも最も大事なひとでした。10年の寿命を余生に残した完璧ないきざまでした。

百物語は江戸怪談絵草紙の流れのうえに、でもその前の情けと死の気配に溢れた漫画作品群には「それ」を覗いてしまったひとにしか書き得ない稀なるものが通奏低音のように流れていた。

冥福は言わない、きっと幸福に決まっているから。

さようなら。安治に宜しく。

幽霊屋敷という不動産物件取引の難しさに関する論考

・・・というわけでまた訳してみた。内容的にはオカルトというより住民問題、「噂の東京チャンネル」なんかで取り上げられそうなものですけど、まあ、家を壊す壊さないっていう話にまで発展するのもアイルランドならではかな。じつに読みにくい文章でした。単語特殊。。

それにしてもこの記事じゃいわくいんねんが全くわからない。馬と幽霊の関係は?死んだ男はどうしたんだろ?

「ゴーストに会えるチャンスは家の売り文句にはならない」

Belfast Telegraph
By Alan Erwin
newsdesk@belfasttelegraph.co.uk
2005年7月22日

お化け屋敷で評判の家の「販売」が不安がる近隣住民の抗議にあい中止されたことがあきらかになった。北アイルランドの住宅販売業者のチーフエグゼクティブは、8年前恐ろしい目にあい逃げ出した女性からの、この家屋を壊せという要求に直面している。奇妙な、説明のつかない騒音が家のそこここから聞こえるという。話によると古い馬用の墓地の上に建てられた家だそうだ。また屋内では人の居住を拒否するナーバスな所有者が侵入者を拒もうとしてオカルト現象が発生した。

トラックドライバーのブライアン・マーシャル(51)は言った。

「あそこには何か人が住むことを許さない力があるんだよ。何だか周りの人々があそこの土地と相性が悪いって感じなんだけどな。」

この家はロンドンデリー州マネーモア、ロックビュー・パーク地区で売りに出された4つの空き区画にあった。居住者たちは新しい入居者が中に入るのを拒否したと主張する。なぜなら中に潜むものを怖がったためのようだとしている。この地所の評判が更に下がったのは、恐らく昨年近所で男性が殺害されたからだ。二人の家政婦が疑惑を持たれ追い出された。しかし、完全な破壊要求の大元になったのは、55番地を巡る不安だ。二人のシングルマザーが真夜中、階段の上に奇怪な姿を目撃し、隣人が来て一緒にいてくれるまでクスクス笑いのようなノイズが聞こえたと話したと、マーシャル氏は主張する。

「彼女達も聞いてるんです。彼女はチーフエグゼクティブに新しい家を強く求めそれを得ました。あそこはそれきり誰も入居することはありませんでした。」氏は語った。「何かおかしなことがあったと聞いた若い奴らが一度わっと入ったけど、長くはいられなかった。私は彼らを笑いましたが、自分で確かめようと入ってみると直径2フィートくらいの小さな石の輪とウィジャ盤を見ましたよ。」

マーシャル氏と妻のジェンマは住民団体に所属していた。住宅販売業者の経営者たちに対し利殖目的の個人への販売に対する反対運動を行っていた。非社交的な入居者を少しもチェックせずに入ってこさせていると考えていた。

今年の初めに行われたチーフエグゼクティブのパディ・マッキンタイヤとのミーティングで、彼は4つ全部の住所を取り除くように促された。 住民と何の協定もなしに25万ポンドもの売却を秘密裏に行ったと疑われていた。

そして住宅販売業者の広報担当はこう発表した。「地域コミュニティからの要求に従い、この物件を市場から引揚げました。」さらに彼女は付け加える。「私にはロックビュー・パーク55番地の家屋が呪われているかどうかについては判断するに足る情報も知識も無く、そうであると断言することはできません。」

しかし政治団体代表は住民のぴりぴりした神経をなだめるためにこの物件を迅速に処分すべきだと主張した。アルスター中部SDLP議会の議員メンバーパツィ・マグロンは言った。「ここは空家ばかりで無駄なブロックです。ここに置かれていいものはただひとつ、JCB(建設用大型車両)だけです。目障りなだけなんですよ、そして、誰がそこに入居するか、少しのコントロールもなしにプライベートな区域に入ってこられることについての住民の関心もあるのです。」


2005年07月20日

犬神持ちって書いていいの?

「幽」という雑誌が案外好きで買うのだが(漫画が多いからだが)、昨日買った号で、某漫画家さんが「犬神」をユーモアっぽく描いていた。

・・・ああいう「残る」メディアって編集が必ずチェックするもんだと思うんだけど、

「犬神持ち」

っていう言葉が書いてあった。

私は差別意識は人間の抱える根本的な業だと思う。非常に嫌いだが自分の中にその感覚が存在しないとは言い切れない。誤解を恐れずに言えば「あるのが普通」だ。差別的表現に表面だけ拘ってあらゆる場において自意識過剰的に自ら手枷足枷をはめていくのも嫌なので、自分のジャンクサイトではわりとヤバめに触れている。でも、プロが漫画という手段を使って公然と描く場合、事は単純じゃないだろう。

まさかこの用語がかつて差別用語として使われていたことを知らずに書いているとは思えない、だってそこで使われている意味がまさにその差別点に触れている。

漫画は頭に直に入る。視覚イメージと文章論理が一緒に入るから、何も考えずに見ている人・・・とくにこういうことに興味津々な若年層・・・は意識下に刷り込まれやすい。

大丈夫?

「犬神」について詳しく知りたいかたは「犬神博士」を読みましょう。「犬神」という漫画もありますが別物です。漫画が嫌だという人は「日本の憑きもの」でも読んでたもれ。?

ちなみに怪奇スポットとして別の漫画家さんが書いている和田塚(だよね?)には昔意味なく立ち寄ってバシバシ写真を撮ったおぼえがある。小雨交じりの嫌な天気だった。写真自体行方不明になってるけど、やっぱなんか感じたんだろうなあ。ああ、やっぱりそうだったんだ、て。

2005年07月19日

アイスランドの妖精事情

17日のサンフランシスコ・クロニクルにアイスランドの妖精にかんする記事が載っていた。復活したfarshores.orgから転載。

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「アイスランドはエルフを信じているのか?イエス、そしてノー、そしてごく僅かな恐らく」

Sarah Lyall, New York Times Sunday, July 17, 2005
Hafnarfjordur , Iceland


エルフは存在するのか?多くのアイスランド人たちと同じように、Hildur Hakonardottirはその質問が想像するより多くの複雑な要素を孕んでいると考えている。

「これはとても、とても、とてもデリケートな質問です」Hakonardottirは元博物館長に言った。「もしあなたがアイスランド人にエルフを信じていますかとたずねたら、彼らははい、もしくはいいえと答えるでしょう。彼らがはいと答えた場合、恐らく信じていない、そしてもしいいえと答えたら、信じていると思われます」

存在すると仮定して話を進めるなら、彼女はエルフをどのような外見と考えているのだろうか。

「そうですね、私の隣人は女エルフだわ」彼女は唐突に宣言した。「私の家の庭にある岩の崖に住んでいるの」

彼女は15歳のときにただ一度だけエルフを見たことがあるという。それはエルフが「自分の人生より長くを生き、1930年代の民族衣装の祖母のように着飾っていた」と判断するのに十分な年だった。Hakonardottirは67になるが、妖精の存在に疑いのかけらもない。「娘が私に一度言ったの、「エルフが住んでいる場所をどうやって見分けるの?」私は彼女に言ったのと同じ事をあなたに言おう、「勘」だって。」彼女は語った。

アイスランドの多くの人々が同じ「勘」を共有している。統計は人口の大部分の人がエルフ・・・一般的には人間のような形をした生き物で、険しい岩間の家に厳しく守られて生きているとされる・・・を信じているか、存在を否定したくないと考えていることを示している。しかし、エルフ信仰はアイスランドの文化に根ざしている半面、厄介な問題としても残っている。

アイスランドの歌手のビョークは、「あなたは北欧的な言い回しに注意しなければなりません。」と数年前ニューヨークの雑誌何誌かに語った。「私の友人はレコード会社の幹部社員がアイスランドに来るとき、 バンドたちにエルフを信じるかどうか尋ねて、誰であろうとはいと答える人にサインをさせると言ってました」

しかし、ビョークさえ、いいえとはっきり答えることができない。 「私たちは、自然が人間よりはるかに強いと考えます。」彼女は別のインタビューでエルフにかんする質問が上ったとき語った。 「スピリチュアルなものとの関係は未だ遠ざかってはいません。」

エルフだけではなく、予知夢の力、死者の霊力などといった超自然現象を信じる心はアイスランドのケルト族やスカンジナビアの伝統、そして過酷で力強い風景--特に厳しい天気といたる所に現れる岩石に彩られた風景と密接な関わりを持っている。

「もし庭に大きな岩があって、誰かが「エルフ岩だよ」とアイスランド人に言ったなら、彼らはそれを爆破して取り除くようなことをするでしょうか?しないでしょう」テリー・ガンネルは言う。彼はレイキャビクのアイスランド大学民俗学研究室の代表である。

「彼らは何も小さな人々がそこに住んでいて外へ出ては踊ると考えているわけではないのです」彼は付け加える。「彼らを取り囲んでいるのとは違う何らかの知られざる力、作用が存在するという感覚があるのです。」

このレイキャビクの外れにある港町は異常にエルフの人口密度が高いことを誇りにしている。旅行者はエルフの名所巡りに誘われる。エルフが取りついていると言われる大きな岩、数年前、見えない住人たちの生活をかき乱すことのないよう道路が迂回するようになったという場所もその中に含まれている。

Elly Erlingsdottirは町議会の実行委員会の代表だが、そうすることには意味があると語った。彼女が言うには最近、何人かのエルフが彼女の料理バサミを借りたという。彼女が繰り返し探した場所に、1週間後、返してあったというのだ。「私の哲学は、あなたは信じるすべてのものを必ずしも目で見る必要はない、ということです」と彼女は言った。「なぜならあなたの最大級の経験の多くは、眼を閉じているときに起きるからです」

最近、実行委員会は住民のガレージ建設願いについて頭を悩ませている。「一人のメンバーは「私はそれがエルフに了承されることを願う」と言います。」Erlingsdottirは言及した。委員会は事実上それが了承されることはないと思っている。多くの場合、地元の霊媒師がエルフ集団からの声を直接もしくは幻影を通して聞き、決定はなされる。町はプロジェクトを動かすために、霊媒師にエルフへ遠くへ移動するよう働きかけるように依頼するだろう、と彼女は語った。

このようなことは珍しいことではない。近くのKopavogurの「エルフの道Elfhill Road」という区間では、1970年代、二車線の道が一車線に狭められたことがあった。邪魔になる大きな岩・・・エルフの家と信じられていた・・・を何度も破壊しようとしたものの、いずれも装置の故障により断念させられたのである。岩は今でもそこにあり、不自然に道路に突出しているが、居住者がどう思っていたのかは定かではない。

「ここは街灯が沢山立っているので、彼らには明るすぎる。そしてうるさすぎる」Gurdrun Bjarnadottirは言う。彼は道の向かいに30年ほど住んでいる。「多くの人々が、彼らがそこにまだ住んでいると信じているけれども、私は移住したと思う。」

1996年、同じ町で、墓地への道を通すためにエルフの丘elf hillとみられるものを完全に破壊しようとしたとき、ブルドーザーの運転手Hjortur Hjartarsonはトラブルに見舞われた。

二台のブルドーザーは何度も不可解な故障に襲われた。地元テレビのカメラは丘に向けた途端映らなくなった。作業主幹は他の場所で働いていたけれども、プロジェクトを中止した。レイキャビク新聞Morgunbladidにプロジェクトの監督であったジョン・インジは、「エルフと折り合いがつかないかどうか見に行こうと思う」と語った。

地元のエルフ交感者が仲裁のために呼び寄せられた。そしてしばらくして、仕事は再開した。「私の意見としては、ええ、隠れ人であろうがエルフであろうが何にせよ、「それ」がこの工事を受け容れ、そこから立ち去ってくれたということです」Hjartarsonはウラジミール・ハフスタインに語った。彼はアカデミックな研究者であり、1990年代後半に「エルフの視点」という本を出版した。それはエルフとエルフの建設工事プロジェクトに及ぼす影響についてのものである。

彼は多くの似たようなケースを見つけたが、この命題に次第にウンザリし始めた。しばらく、アイスランド観光協会は彼を国家的エルフ専門家として引き合いに出した。「私は本分を尽くしたと少しは思います」彼は語った。彼は最近、UCバークレー校で博士論文を完成した。ユネスコについてのものであり、エルフについてのものではない。

エルフについての会話にぎょろりと目を向けるアイスランド人を見つけるのは簡単だが、筋金入りの懐疑論者を見つけるのは簡単ではない。しかし73歳になるArni Bjornsson翁は数少ないその一人だ。

「こんにち、殆どファッションのように超自然の存在を信じると発言することが流行っていますが、私は割り引いてこれを考えます」Bjornssonは25年間国立博物館の民俗学部長として働いてきた。

しかし彼でさえはっきり「いいえ」とは言わない。「もしあなたが私に「超自然的なものなど存在しないと確信していますか」と尋ねるなら、私は存在を信じていないと答えるでしょう」彼は言う。「しかし、私はその考え方を除外しようとは思わない。」??

2005年07月13日

人魂

また昨日変なのが来て二時くらいまで眠れなかった。なんか夢に入りそうで入らないところでいちいち変な音や雰囲気で目が覚める。先週もいきなり扉を開けた奴がいたが前ほど怖くはなかった。夢もあきらかにおかしい。さいきん夢見がおかしいのは日曜の死ぬ夢(死ぬ夢を見たのは高校生のとき以来だ)以降そうだったのだが、夢に入ると全く別人格の別シチュエーションの人間になってしまう。覚えている限りでは小太りの中年で薄い茶色のスーツを着た商売人になり、6万円を手に入れる云々の交渉をしている。「こりゃ俺じゃない・・・」と一方の頭が恐怖を感じ無理から夢を退けて目を開けた。すると、

薄私の胸の上あたりからしゅん、と左手上空に向かって、太く青白い光が動いた。まるでライトセイバーだ、と思った。残像が後をひくほど「むよ〜」という動き、太筆で紙に線を描くような軌跡がはっきり見えたのだ。しゅん、と書いたが確かに一瞬であったけれどもはっきり見えた。人によっては人魂と言うだろう。私は生まれて初めてこんな発光体を見た。思わずケータイからブログに書こうと思ったが、ここでまた書き始めると翌朝の仕事が辛い。部屋の空気が明らかにおかしく、ふと、ライティングが「出る」光量レベルだったことに気が付いて、ライト全開で眩くして改めて寝た。すぐ寝付いた。

朝方何か来て目がさめたのだが覚えていない。もう薄明るかったので電灯を消した。

 

2005年07月11日

とんべえ

とんべえ地蔵の写真がでてきた。

さあてどれがとんべえ地蔵でしょう?正解は二十秒後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後のふたつでした。最初の印象的な地蔵はかなり時代の下るものです。これを誤ってとんべえ地蔵と載せている本も見かける。ちなみにとんべえ地蔵は多摩川沿いの蒲田に近いあたりにある史跡。今は川から離れていますが元々多摩川沿いに置かれていたもので(流路が変わったのです)、このあたりに集中して残る新田義興の祟り話しの中心地。カン計にあい沈む船上で自刃した新田義興が祟りまくって憎敵雷に撃たれて死んだりいろいろあって(このへんみんな写真とって集めてあったんですがどっかいっちゃった)、挙げ句民衆が計って船底の栓を抜いた船頭役の頓兵衛の建てた地蔵に石をぶつけまくって上記のような痘痕姿になってしまったという。これを呪いで痘痕になったという「とろけ地蔵」的異説もあるそう。東京区部では珍しい室町に遡る地蔵です。新田さんは新田神社という非常に聖域色の濃い神社に祭られており、その社殿の背後にこんもりと盛り上がったのが入ると祟られる義興の墓塚。武具なんか出たともいい、江戸後期には平賀源内プロデュースで塚に生える矢竹ご利益がはやったとかなんだとか。十騎塚とか女塚とか関係する不幸な人々の史跡も健在。

うろおぼえなのでいつかちゃんと書きますが。

2005年07月10日

卒塔婆嫌いの亡者

〜岩政翁のもとに、天保13年の秋、周防の国にいる佐々惟詮が便りに付けて例の問書を送ったが、端のほうに書いてあった話を聞いた。

・・・ついでに怪しいことがあったので申しておきます。本国熊毛郡島田村の百姓、兼清重五郎蔭正という者、大平翁の門人で大分精が出て、少々著書もございました。この人2、3年前に亡くなって、遺族がその墓に「しきみ(墓に植える香のある樹)」と七本卒塔婆を立てたのですが、夜の間に抜いて投げ棄ててあり、立て直しておくと、また夜の間に投げ棄ててありました。それをくりかえして初七日にあたる夜、母と妻の夢に彼があらわれて、この二品は目障りだから立て置きなどするな、と言ったそうです。翌日母も妻も墓参りをして生きている人に語りかけるように、七本卒塔婆もしきみも世の習わしですから、取り捨てなどしたら人聞きが悪くございます。しきみは今から除きましょう。榊に改めます。七本卒塔婆は四十九日の間はこらえて下さい。その後は取り除きますから、と断ったところ、その夜からは投げ棄てられなくなったといいます。これは防府の鈴木高鞆が彼の母妻から直に聞いたと語ったものです。(岩政信比古談・松壷あろじ千家尊澄筆「桜の林」)

なんともそこつな亡者だ。しきみ(確か柑橘系だったか?)などの樹は恐らく元々は腐敗臭を抑え殺菌作用があるから供えられたもので、さするに江戸日本はやはり土葬の国だったんだと思った。武士仏僧のような階級でないと焼いてもらえなかった。もうひとつ不思議な話が書かれている。

・・・又本国大島郡安下庄に新宮の御崎という所があります。そこに御崎霊神という松の森があります。これは昔難破船の船員を浦の人が殺して物を奪ったのを、船員の霊が祟りをなしたために神に奉ったというものです。そういった所を近世になって、快念寺という浄土宗の僧が奪い取ったため、今は仏事で祭っていますが、その後かの霊が時々荒れて人を取り殺し、あるいは人をたぶらかす事が今も絶えません。そこの神主である長尾主計が語ったことです。又この人の話で、この庄の氏神八幡宮の境内に産社という森があります。この社の祭神は大多麻琉別ノ神と言い伝えています。これも珍しいことです。

松壷言うに、霊魂の人を守ること怪しい技などのあること、平田篤胤が玉多須喜に論じている。あわせて見るべきだ。(同書)

このての流れ着いた人を殺して持ち物を奪ったら祟ったという話は枚挙に暇がない。私は沖縄八重山の黒島にあるウタキに同様の伝説があり、今も祟りが息づいているということにちょっと恐怖を覚えたことがもうだいぶ前にある。陰惨な心根を持たざるをえなかった時代の同時多発的犯罪だったのか、それとも何か伝承の源があるのかわからないが、恵比寿さんの起源が流れ着いたドザエモンであるという話しとか、そこから新たな価値が生み出されたという古い神話に原点があるのかな、とも思う。ちなみに黒島の話は新しそうであった。恐らく華南あたりから流れ着いた高貴な異人の遺体を載せた船棺から財宝を獲ったところ酷い祟りが島を襲いウタキに祀ったということである。

・・・

ぜんぜん関係ないが妙に好きな怪異研究家の本を時々ぱらぱら読んでいる。江戸怪異に関する本が古書を探る上で参考になったところから読み始めた。永く読むと頭が痛くなるほど頭でっかちでマジメな理論を展開するが扱う対象が都市伝説から幽霊妖怪噺という分野、なおかつ元々はそのての専門的な研究を生業とはしていなかったようであるがゆえに、なんとなく穴が透けて見えてくる部分もあり、そういうところをてきとうに楽しみながら読んでいるのであるが、その一冊に「霊」と「妖怪」「妖精」のどちらが大モトなのか、といった言及があった。鳶魚さんの江戸本を彷彿とさせるお題だが、持っていき方はやや違っていて、渡来の近代合理科学の影響で「霊」という概念が生まれた(たぶんイギリスやドイツの疑似科学の影響と言いたいのだろう・・・円了さんじゃん)、「妖怪」が大本であり、本家ヨーロッパももともとは霊ではなく「妖精」が怪奇現象の原因とされていたというような意味合いの記述があった。論理的な組み立ての好きな人のようでここでもそうなのかーと信じさせるような書き方がしてあるのだが、よくよく考えると霊とか妖怪とかいう言葉、定義付けには全く意味は無いのである。江戸人なんていいかげんで、怪異話を伝えた人がまた農民市井から武士僧侶という多岐にわたる階層の人々であったがゆえに一つ言葉の意味が全て同じものを指し示していたと断ずるのは無理がある。単語だけなら「霊」という言葉は江戸本に頻繁に見られるものでそれが現代における「霊」とそれほど遠いイメージのものとは思えない。多くは人間、その死が前提にあるという点では同じである。だいたい日本やヨーロッパのように他国との相互的な文化干渉をさんざん繰り返し、また重層的に複数の言語を併用してきた長い歴史を持つ国々では、「霊」「妖精」「妖怪」という単語は横断的記号にすぎない。自明なことだが西欧と日本というかけ離れた国の言語の意味合いを単純統一化して同様に論じようという感覚自体無理があるのだが。

全ては「怪異」を引き起こす原因としての単なる定義である。民話化の過程で少数の典型的な姿に収束していったのが西欧のイメージとしての「妖精」であり、引き起こしたとされる事象は化け物や物の怪・幽霊といったものの引き起こす「曖昧なこと」と結局は大差ない。同じ名前でも多岐にわたる属性の存在はそれらが単に大雑把なくくりで定義されているにすぎない、元々範囲の明確でないものであることを示している。日本の妖怪は平安時代に源があり、そこでの所謂妖怪的なものは割合と妖精に近い少数の典型的な姿・名称のもとに多様な属性を備えた存在であった。ヒマな知識人の多かった江戸時代にさかんに分化され大系化され、リアリズムを求められるまま物質化・動物化していったがゆえに何か独特の「種」として扱われるようになったように見える。現代においては水木翁の更なる細分化及び物質的な視覚化の影響は否定できまい。

だいたいが卵鶏論に陥るような話で、何もどちらに組したいというわけではないが、何か論文的な文章で扱う対象としてはいささか断定的な物言いをしないとならない、そういう欲求で無理にこじつけたような感じがして、ちょっと反感をおぼえて書いてみた。オチなし深慮なし。

 

2005年07月05日

エセ心霊写真撮影成功?

沖縄旅行の写真を現像したら変なものがうつってました。ちなみに余ったフィルムを使い切るためきったない部屋を撮ったものですが。現像屋はプリントから外してました(ネガデータからの転載)。

:どこにも心霊要素ゼロですが。まず真ん中の十字、これはフィルム式の水中カメラで撮ったもので、水中用のファインダーが降りたまま撮ったものと思われます。

問題は黄色。これもたぶんなんかが写ったんだと思うけど、思い当たるものがない。単なる反射だとは思うんだけど、全体にぼけてるのがイヤだなあ・・・だってSOSのチラシはちゃんと明瞭に写ってるしねえ。

にしても狭い&汚い写真でスマソ。

三島由紀夫の霊って??

個人的経験や意見を書くと不評である。でも、ここは元々日記なので書かずにおれないし、別に普遍的な探求うんぬんなどという難しいことを述べるつもりも毛頭無いので念のため。奇談徒然集として読み流してください。

アメリカ南部を中心とする情報をいちはやく世界に伝えてくれる(ときどき落ちるけど)farshores.org、今日見ると何と三島由紀夫についてかかれている。日本ではもちろんあの驚異的な割腹自殺のあと陰ながらも霊的な話が言い伝えられてきたが、元々海外で人気を博している人である、この人自身の死後の世界などといったオカルティックなものに対する態度もよく知られているし、海外のオカルトサイトで伝えられることに別に不思議はないのだ。「わだすはまりりんもんろうだす」なんてイタコの口寄せに近い気もしなくもないが(この噺はビートたけしの持ち「ネタ」)。以下抄訳。登場人物の名前に聞き覚えのある人も多かろう。。

「三島由紀夫の霊に会って」

霊媒魔術師アーロン・C.ドナヒューはこの日曜日に一時間以上にわたってネットラジオの聴取者を魅了した。彼が語ったのは著名な日本の哲学者にして作家、三島由紀夫との邂逅のことである。ドナヒューは彼の先輩にして訓練者であるリモートビューアー(遠隔透視者)エド・デームスと一緒に東京で失踪者捜索能力を披露するためテレビショウに出演した。ターゲットは失踪した子供だった。彼は失踪者を追跡するように頼まれた。しかしドナヒューは彼がリモートビューイングをすることによって深刻な問題が発生すると語った。

彼はこの子供の母親が妊娠しており、最初の子供が行方不明になったとわかって流産に苦しんだことがわかったと語った。今彼女は再び妊娠している。テレビクルーが彼女の周りに集まって、みなアーロンが子供がどこにいたか、そして、何が彼に起こったかを明らかにするのを待っていた。 ・・・

ドナヒューは、実は彼自身が語ることによって今ふたたびの流産を引き起こすであろう、未だ産まれてきていない若い母親の子供を殺すということを知っていたのだと語った。

「私は私が知ったことを披露しなかった。不名誉なことになるからだ」と言った。

ドナヒューはラジオの聴衆に語りかけた。彼は金や名誉のために日本に行ったのではない。しかし、これは明らかにデームズが日本へ行った理由でもあったという。

「私にとって当たり前の決断だった。私はまだ産まれてこない子供を救うために日本の人々の前で私のイメージを犠牲にした。何が起こったのか、これが真実だ。私がもう日本へは戻らないつもりだ、ということの意味をみなさんはわかってくれるでしょう。」

ドナヒューは長い時間、日本訪問中の出来事について語った。個人的なスピリチュアルな探索として、彼は道を歩いてゆき、とある古いビル群を訪れた。彼は古いビルの壁に触れノックすることによってそこに何百年も住んできた人々の”エッセンス”に潜入することができるという。(訳注:築何百年のビルて、、、日本にビルができてきたのって戦後なんだけど)

ドナヒューは東京国際空港に行って長く明るいホールの道を歩いていき合衆国への飛行機に乗り込んだと語った。そのとき、彼は突然見慣れない制服を着た日本人の男に会ったという。

「長く白いホールだった。ドアもなかった。彼は突然どこからか現れたのです。我々は面と向かった。彼はどこか変だった。息をしていない。身体から熱が感じられない。彼は私の両目をじっと見詰め、静かな哀しみをたたえ、静寂を保った。そして彼は語りだした。「日本語をちゃんと話せますか?」ドナヒューは話を続ける。

「私は喋れない、と言った。そのためにはこの国の文化に造詣を深くしなければならない、でも、私はここへ戻ることはないだろうと。」

ドナヒューはこの男が彼の良い旅を願っていたと語った。そして彼は再び歩き始めた。

その刹那彼は著名な作家、三十年以上前に亡くなったはずの三島由紀夫と喋っていたことに気が付いたという。「私は振り向いた、しかし彼はいなかった。誰もそのようなオープンな廊下で瞬時に姿を消すことは不可能だ。私は幽霊と出会ったのだ。」

ドナヒューは、彼の前に立った魂がまるで物質的に見えたという。「極めて驚くべき幽霊でした」と語った。

彼はこの傑出した日本人作家・哲学者の著作や思想に生涯にわたって深く影響を与えられてきたと語った。彼はこの人物の仕事に魅了され多くの著作を読んだと語った。しかし彼は一つないし二つの写真しか見たことが無かった。だから空港で出会ったとき、一見して彼だと認識することができなかったのである。

ドナヒューは三島が1970年に西欧的な生活に毒された日本文化の行く先を憂い、公衆の面前で抗議の自殺に及んだと語った。彼はかつて日本を大きな国に育て上げた古来の道、伝統を持ちつづけるべきだ、と人々に警告したかったのだ。

自殺は悪い結果をもたらし、三島は苦しみの死に至った。結果、彼の魂は光の中に進むことが出来なかった。

「私は信じている。彼が私があの東京国際空港に来るのを待っていてくれたということを。」ドナヒューは語った。

彼は三島由紀夫を最後に行くべきところ、あの光へといざなう手伝いをした。彼が東京の街を彷徨うことはもうないだろう、と語った。


・・・数々の疑問というか半ば眉が水分を滴らせる気分で読んでいたが、ちょっと感動的な部分もないわけではない。恐らく三島ではなく何者か、単なる通りすがりの空港のポーターの霊かもしれないし、でも、まあ、そこまで三島を愛する人がアメリカにいるというのに、日本人の若者で三島を読んでいる人はどれだけいるのかな。誇大妄想の気はあるけど、悪い人ではなさそうだ。事前調査バッチリで恣意的に当ててみせる有名人エド・デームスよりはねw??

旅行帰りを待ち侘びてやがった

旅先ではほんとリラックスした。およそ考えられないくらい熟睡し昼から隙さえあれば眠りこけるくらい。今回の旅は奴からついてこれないくらい遠くに行ってしまおうとした、いわば霊逃避行という意味もあったのだ・・・で。

帰って来た途端、部屋の扉をあけたとたん、そこには何かが座っていた。

空気は嫌な圧迫感に包まれていた。

見えない。寝床につくまではなんてことなかった。だが横たわり電灯を暗くすると、しばらくして頭上からパシン!というかなりでかい音がした。家鳴りというのは木造住宅が気温湿度変化で軋むたんなる物理現象である。だが虚空からひびくというのは何だ?今まで聞こえたことのない場所から響いたのだ。それが始まりだった。

眠りに入って、自我の保てない領域に入ろうとすると、いきなり頭を強く押さえられる。あるいは何か大きな手のようなもので肩を掴まれる。結局、眠っては起こされ眠っては起こされで、繰り返し繰り返し朝まで30分おきに起こされたのだ。前によくやったのだが、自我を取り戻して無防備な半睡眠状態から脱するために、聴覚を刺激しようと舌を打って鋭い音をはっしてみたがダメ。精神的に恐怖に支配されまいと必死で「ヒワイな言葉?」を連呼するも舌もたいして動かないので呂律が回らず意味が伝わらない。意味さえ伝われば冷めると思ったのだが・・・嘲笑うかのように姿なき加害者は距離を狭めてくる。それは見えないが、若い痩せぎすの青白い顔の男だろうと妄想する。

とても無防備な仰向けでは眠れない。暑くても蒲団もかぶらないと怖い。だが来たのはここのところなかった「強いやつ」だった。いきなりこちらの体を硬直させてむりやり体を仰向けにさせようとする奴。とにかく空気に嫌な感じのするときは俯せて寝るのだが、物理的でなくとも「仰向けの気分」(この物理的な肉体と感覚的な精神の乖離を人によっては幽体離脱というのだろう)にさせて脳内に恐怖のイメージを送ってくるやつもいる。このへん精神の機能不全と境目が曖昧なのでわからない、でも、怖いことは確かだ。治療だの医薬品だの一切効かない相手だということは経験上あきらかだ。脳の働きをシャットアウトする睡眠薬以外に逃れる手はない。もしくは見えなくする魔法の薬、酒。

三時半にはうっかりうつ伏せの枕から顔を横に向けてしまった。

横の壁に見えたものにびっくりした。若者だとばかり思い込んでいた。

・・・婆さんだった。

丸っぽい顔だが異常に小さい。黒く皺だらけで、にこにこしてはいるがこちらが恐怖を感じるというのは余りよくないモノである証拠だ。

怖かった・・・

閑話休題。
「脳にはスイッチがある」。たとえば本なんかを読むとき、通常の人は脳内で言葉に出して逐語的に順に読んでいく。速読術の手法では、しかしそんなことをしていたら遅くてしょうがない、ページ一枚をまるごと記憶する、もしくは「読む」。「図像として記憶する」のだ。だから細部においては必ずしも正確にはならない場合も多いが、人間の脳というのは時系列に順に論理が並んでいないと普通は認識できないが、イメージで捉える所謂絵書きやクリエイターといった人種は論理を飛び越えて一切の視野に入る図像をまるごと記憶する。そこに「見たものの意味を解釈する」といった論理野にしかできないことは不可能だが、図像としての記憶は一つ一つ順番に覚えるのではなく全てをいっぺんに記憶するので、驚異的な情報量を溜め込み、それを再現することができる。絵書きはたいてい瞬間的に見たものをそっくり絵に書くことができるが、彼らに論理を組み立てて順に覚える時間は必要ない。それが普通である。絵がわかりやすいのでその例をあげたが音楽なども同じである。天才的な再現能力というのは実は脳の使い方の違いにすぎない。脳のスイッチを変えることで誰でもできる、速読が比較的容易に習得できるといわれるのは、その能力がけっこう普遍的な潜在能力として存在するからこそのことである。彼らがぱっと見で全ての文字を記憶するのは、即読用に脳のスイッチを切り替えてから読んでいるからだ。そういった場合、視覚的な感覚を論理に置き換え素早く理解するところに訓練の難しさがあるのだが、このへんになると多少は才能かもしれない。でも、瞬間的に見たもののいいかげんな素描を書くくらいのことは誰でもできる。これができないのは、脳のスイッチが切り替わっていない、純粋に気持ちの問題だ。

で、私は脳のスイッチを切り替えた。完全にイメージのほうに切り替わった脳を論理に分解する側に切り替える。ほんとに、がらっと変わる。見えていた婆さんの顔は、次第に染みのようなものに変わっていった。黒い輪郭と、目の部分には黒い丸がふたつ、口は黒い線。なーんだ、気が付かなかったけどここにシミがあっただけだ。妄想だよ、連想だよ。無理やりそう思い込んで、薬を大量に服用した。何かまた来る気配がしたが、脳が限りなく活動停止に近い状態に陥るのを引き戻す力はなかったようだ。朝、ガンガンにアタマが痛かったが、とりあえず長い夜は乗り切った。ひょっとすると疲れてたのかな(正直ぜんぜん疲れていなかったのだが)。嫌な日常に入りたくない気持ちがそういう妄想体験を生み出したのかな。

ふと横を見た。

染みのあった部分が見えた。

・・・いっさいの、何もなかった。変なシミのかけらすらなかった、まったくのまっさらな壁であった。

婆さんの顔が染みに変わっていき、壁に溶け込んでいった過程を脳内で反芻しながら、再びぞっとしたのだった。


2005年07月02日

でなかった

昨晩はゆっくり寝れましたわ。なんだったんでしょう。買い物に外出しても風鈴の音がつきまとってましたが。

腹壊しましたが。

予め薬大量にのんだからねえ。

とりあえず眠いです。??

2005年07月01日

後日談など

というわけで、水曜は何ともなかったのだが前日のこともあって4時まで眠れず。それで昨日はまた出た。3時まで格闘(?)結局気持ちが悪いまま薬と疲れでなんとか4時間寝ることには成功しました。けっこうぼろぼろです。今日は仕事を早めに切り上げて週末の沖縄の準備・・・と思って帰ってきた部屋の扉をあけた。

天井から風鈴の音が聞こえる・・・。小さいけどけたたましく。

今晩は寝かせてくれ。ちなみにCDは見つかりませんでした。??

2005年06月29日

おばけは何ルクスがお好き?

眠らせてくれなかった。

きのう、もう数十年前に死んだ友人の死因が病気ではなくて自殺だったと聞いた。中学生の頃の話しなので今さらショックも何もないのだが、親父さんも自殺未遂するとか異常な状況だったので、結局葬式にも焼香にも行けずじまいだった。

小学生の頃の親友だった。たぶん今まで生きてきた中で一番私を評価してくれた人だ。ありがちなことだがある日を境に所謂イジメ関係になってしまい、ぎくしゃくしてからは交友は殆どなかったが、今でも下の名前まで覚えていて、顔も思い出せる小学校の同級生というのは数えるほどしかいない。割り切って市井の戯れ事屋に堕している私も、彼と良好な関係を取り戻し互いに切磋琢磨してさえいれば、何かもっと上の者になれていたかもしれない。そんなことを最近思っていた矢先だった。さりげない風噂で(なぜ今ごろそんな話しが出たのかわからない)、両親が出かけている間に自殺したのだ、ということが知れたのである。

自分にショックがあること自体ショックだったというか、やはりほんとうの友人というものは、たとえ一時期おかしくなっても、トータルではやはりほんとうの友人なんだなあ。例え一方的にではあっても。そんなことを思いつつ、ここのところ3時間くらいしか寝ていないので、今日はよく眠れる、と思って寝床についた1時。CDを探していて結局見つからずふて寝、暑苦しいので、普段絶対に開け放して寝ない扉を開け放して寝た。・・・それがまずかった。

1時半、うつらうつらしているところに背中から引きずり上げられる感覚があった。急に目覚めた。脳内の活動物質が分泌されたように頭がいきなり明晰になった・・・これは「アレ」が来たのだ。まだ体が動くので電灯を明るくする。普段真っ暗にするとよく眠れるのだが、この日は不意に寝入ったので電灯を暗めにつけたままだった。外付け装置をつけてスタンドの光量を変化させられるようにしてあるので、しばらく明るくして、しばらくそのまま「時が去る」のを待った。どうも「晴れない」が、時間は2時になり、いよいよまた睡眠不足かと不安になって薬を飲んで明かりを落とした。でも真っ暗にするのが怖い・・・実は「真っ暗にしたほうが出てこないことが多い」のだが・・・ので、最初くらいの暗めに落としてみた。

即来た・・・目にはまったく見えないが皮膚に霧状のあやふやなものの圧迫感が足元のほうから感じられる。湿った暑い夜であるがゆえ尚更、その「霧状ののしかかるもの」の冷気が気味悪い。こりゃ気味悪い、体が動かなくなる前に!・・・と電灯を最大光に戻す。

更に薬を飲んで無理矢理感覚遮断・脳活動低減により見えなく、感じられなくしようとした。しばらくして、電灯をちょっと暗めにして寝ようとする。

・・・来ない。もう大丈夫か。去った感覚がない、足元の、天井のほうにわだかまりを感じるが、怖いだけで見えない。この独特の「怖い」感覚はわかる人にしかわからないかもしれない、「病的な怖さ」だ。

電灯を更に暗めにした。

あ!

霧は見えない、しかしそのあたり・・・右足の上天井のほうに、白い顔・・・いや、明らかに立体的な「首」・・・がぽわっ、と浮き上がったのである。視覚で捉えるというのは最近の私には滅多にないことだ。

あっけにとられた。

その顔はやや逆三角形、詳しくは見れなかったが(怖いよさすがに)眼窩は空洞に近く闇が覗く。皮膚は青白く血の気はない。ちょっと土のようなもので汚れている、死体の生理的な感覚がする冷えた肌。屍骸のそれ、しゃべれるわけもない。髪はないように見えたが明かりが暗いから見えなかっただけかもしれない。顔に見覚えはないというか、個を特定できるようなシロモノではなかった。ただそれが何故か私のほうを向くのではなくて左斜め下を見下ろし浮かんでいたのが今考えると不思議だ。

以上の観察をものの数秒で行い恐怖が確定する前に「見えない!」と思い込んで寝ようと明かりを完全に落とした。最初に書いたようにまったく暗いと脳内の夢の領域が視覚範囲に広がって「彼ら」の隙がなくなる・・・もっともこの重い空気が晴れないかぎり難しいのだが・・・そこで完全に落とすか完全に明るくするかしかないのだが、落とした。

しゅっ、

・・・何で例えればいいんだろう、WinPCでMSoffice系ソフトを使うとヘルプにイルカが出てくるものがある。そのイルカがうざいので抹消しようとすると、真ん中に収束するようにしゅっ、と消える。

その形で消えたのだ。真ん中に収束するように、まるで風船が急にしぼむように、しかし跡形も無く、同心円状に体積を減らし、ちぢんで消えたのだ。

え、と思って光を強くする。すると明るくぽっかりとした部屋の風景が現れる。首はいない。しばらく・・・30分くらいか・・・テレビで気を紛らわせ、空気は変わらないけれどももういいかも、と思ってゆっくり光を落としていった。

・・・白いぼやけた塊があらわれる・・・

もう顔かどうか認識する気はない。さっきと同じような暗さになったとき、「それ」は再び現れたのだ。インバーターのレバーを一気に下げた。真っ暗に戻り塊も消えた。

恐怖を感じる前にもう何でもいいから、とかなりやばいものを含む薬を飲んだ。うちには古い薬がいっぱいある。多分定量の倍くらい飲んだか、飲み合わせなど考えずにいろんなのを。そしてうつぶせで蒲団に顔をうずめる。小さい頃見えなくなるように、よくやっていたように、敷布団と壁の間に体を捻じ込み、汗だくになりながら彼らが去り脳の活動が落ちるのを待った。

真っ暗な中、すわーっと霧の背にのしかかる感覚があった。ああ、これが「衾」という妖怪の感覚なのかもしれない、体が覆われる。霧状に拡散した人間の残骸が、まるで剥いだ皮膚の中に空気を詰めたような触感で、蒲団の上にはみ出した背にかかる。

長い長い時間、そうしていた。そうしている状態でそれ以上の干渉はしてこなかった。でも、まるでにらみ合いのような「わけのわからない恐怖」との対峙する状態、それは地獄だった。

4時になっていた。

外が明るくなってきた。

すると、背に感じるものが何か強くなってきた。顔をあげると部屋の明るさは、ちょうど、「顔」が見えたときのスタンドの明かりと同じようになっていた。

薬を追加した。そして、今度こそ、まるで泥のように沈み込んで寝た。部屋の空気の重々しさが朝の外気の冷たさと混合して、もう区別がつかなくなったのもある。7時起床は辛かったが、なんとか寝れただけでもめっけもんだ。ただ、頭の中は「これはネタになるぞ!」という気分でいっぱいだった。そういうわけで、今日ここに書いているわけである。

逆三角形の顔をしていた自殺者と浮いている顔の形が似ていたことに気づいたのは会社に来る途中のことだったが、会社に来て昼休みにこうして打っていると、左の肩甲骨のウラが痛くなってきた。

最近はもう衰えてしまったと思ったのだが・・・私の「センサー」は首のウラと肩甲骨のウラにあるのだ。来ている、もしくは「ついてきている。」今晩どうしよう、と今から憂鬱だ。そんな次第である。

いろいろ書いてしまったので主題がわかりにくくなってしまった。今回の面白かった(疲れた)点は、

ああいうモノの好む

「光量」

があることがわかったということだ。
しかもそれは確かにかなり限定されている。

一般化できないとは思う。こっちの視覚的に捉えられる(脳が認識できる)範囲が狭いだけで、年がら年中昼真っからみえてるひともいると思うし、個人差だろうし、また逆に、「ああいうもの」自身の個体差というのもあるだろう。

でも、反射光で見えているモノではない、何か違うものだということがわかる。暗くすると見えるというのは、これが人間の目が捉えられる周波数帯域の問題ではないことを示唆している。では何?私は理系ではないのでよくわからない。ぶっちゃけ妄想の可能性だって大いにある。ただ、今思ったのは、

あの「顔」の向いていたあたりを探すと、見つからなかったCDが出てきたりして・・・??

2005年06月27日

ロズウェルUFOまつり

来る7月1日から4日まで、今年もニューメキシコ州ロズウェルでUFOまつりが開催されるとのこと。いったいどんな祭りなんだろう。「ロズウェルUFOみこし」とか「宇宙人解体ショー」とか盛りだくさんなのかな。みんなで輪になって「政府陰謀音頭」を踊ったり楽しいだろうな。イベント詳細はココ。ううう、日本だったら行きたいぞ(羽咋市UFOまつりみたいなもん?)。

初日夜の「エイリアン・オールディーズコンサート」とか二日目しょっぱなの「エイリアン・チェイス」(走ったり歩いたりする)とか町おこし色満載だ。二日目見ると6時半から銀河コスプレコンテスト・・・ああありがちありがち。子供にエイリアンのかっこうさせて、挙句はビデオに撮って投稿したら矢追さん食いつく、ってやつか。テレストリアル・テハーノ・コンサート・・・ロズウェル・ホンダのロゴってUFOなのか。。貼っておきます。怒られたら外そ。

もちろん大部分は講演とかパネルディスカッションとかなので、けして和風の飲んべえ祭りというわけではない(なんで和風って決め付けてるんだ俺)。UFOが運び込まれたという噂の格納庫HANGAR84ツアーとかいいよなあ。高いけど。「中では厳しい規則を守らなきゃならない。さもないと家に帰れないかもよ・・・”彼ら”みたいに」とか書いてるし。スピルバーグのTAKENって放映されたの?

数千人規模のでかいイベントだから町おこしとか言っちゃうとちょっと違うかな。しかし朝7時から夜何時までやってんだこの祭り・・・パレードもあるでよ。

最終日フォース・オブ・ジュライは独立記念日ですわ。インディペンデンス・デイ。イカしてる。??


2005年06月26日

びびった!

夜更かしすんなって知らせか!?朝4時、建て付けしっかりしてるのにおもいっきり扉が開いて閉まった。うわー、ノブ回る音聞こえた!扉と窓と鏡はけして目につかないようにしてあるので寝床から扉が見えない。空気は終始淀んで風もない。見えなくてよかった。まさに夜明け前の彼は誰どきだな!

2005年06月25日

ストーンヘンジだんだん解明&解明されてるのにロッド?

ストーンヘンジの石切り場がボーンマス大学のメンバーを中心とするチームにより発見されたとのこと。

240マイル離れたPembrokeshire's Preseli丘陵にある標高1008フィートのカーン・メニンCarn Menyn山がそれ。ピークのひとつに周囲1エーカーの正方形に囲まれた窪みがみつかった。そのどこかがストーンヘンジ用に削られたと言うのである。少なくとも場所にかんしては「青石」という特殊な岩質からほぼ間違いないようである。じつに4500年前の石切り場だ。最近のドリル跡のようなものもあるがそこにあるのは大部分は古くに地面から捻り出された岩塊であり、うまくそれらを利用して折り取られたようだ。サイズ的にストーンヘンジの構成岩とぴったりの場所もあるという。1年前にストーンヘンジの近くで見つかった「バンド・オブ・ブラザーズ」の骨の主たちがウィルトシャーの平原を長年かけてえっちらおっちら運んだウェールズ人と推定されており、巨岩の移送の過程については徐々に謎は解明されつつある。その骨の主は歯の分析により南西ウェールズからやってきたと考えられている。わざわざこの距離を運んだというのはやはり宗教的理由があり、山に神聖さを感じてそうしたと推定しているが、なにぶん文献のない状況証拠だけの世界なのでどうとでも言えるか。民俗学的にその山に何らかの伝承があればいいがそもそもイギリスは侵略国家なので北やアイルランドへ逃げたケルトやそれ以前の民族についての「記憶」は残っていない。「バンド・オブ・ブラザーズ」は家族と考えられている。三人の大人と一人の若者、三人の子供が4300年前の青銅器時代初期に荘重に埋められたと推定される。その他にも続々と発見が続いており、伝説や神秘のベールは外され真実の歴史が掘り出されようとしている。

・・・なんてまじめに書いている一方、メキシコでは「ロッド」が撮影。きのうの「クリッター」で触れたモノである。知事候補の演説の最中、彼女の前をロッドのような「うやむやなもの」が何度も動いたというのである。それは朝の視聴率が一番高いニュース番組で流されたというから面白い。こういう出方って日本でもある(たいていはあっさり否定されたりもするが)。広報担当も超常現象だかなんだかわからん、と語った。でも、これは選挙で我々を支持するという希望のしるしだ、と狡猾なまとめ方をしている。司会者は「虫だろ?」と笑い飛ばし、広報担当は「エネルギーだ、そう思える」と応酬。ここでカメラマンのホセ・ルイス・マルチネスとイスラエルのエンリケスが持ち出してきたのが合衆国のUFOキ印と研究家が存在を主張しつづけている「ロズウェルロッド」だ。神秘生命体が宇宙から飛来、とか、未確認生物出現とかいろいろ言われているが懐疑派はカメラが高速で虫をとらえた場合の残像にすぎないと言い放つ・・・え、それってフライング・フィッシュ???そう、「ロッド(棒)」である!ここで記事にはホセ・エスカミラの名が出てくる。このカメラマンは1994年に初めてその存在を示唆した。UFO多発地帯ニューメキシコのロズウェルで働いていたことからロズウェルロッドと呼ばれるようになったのだ。ロッドは人々を惹きつけたが証拠となる死体などの物的証拠は全く見つかっていない。彼女はいろいろ問題を抱えている候補だそうで、これがキャンペーンの一環でしかない可能性もあろう。まあ、いくらなんでも多すぎるだろということですっかり日本では冷めてしまったアンビリバボーの罪作りな産物のひとつだが(確か最初は矢追さんだったような気も)、公式サイトにはトルネードに向かって飛んでいくフライングフィッシュもといロッドの姿もあってなかなかかっこいいので、真偽なんかどうでもいいから見て楽しもう。幻想は楽しんだもの勝ちである。真偽がわかってどうする。

ロッドの公式サイト。日本のフィギュアサイトへのリンクもあってエンタ性たっぷり。商売気も???

2005年06月23日

まぼろしフライヤー

懐かしい話だ。目に見えない巨大な飛行生物が成層圏に生息しているという、いわゆる「宇宙クラゲ」クリッター(critters、生命体)の話し。フー・ファイター(球電と考えられている)など生物のような動きをする掴み所の無いUFOに関する新説として一時期(70年代オカルトブームのころ)話題になった。漫画でもあったかな?今ごろなんでこの話題?とも思うがガーディアン

幻想の飛行者

マーク・ピルキントン
2005年6月23日木曜日

巨大な、これまで未確認の生物が海洋や荒野に生息しているかもしれないというのは多くの人にとってとっつきやすい概念だ。しかし巨大で、原始的な生態を持つ目に見えない生き物が、しかも空に生息していると考えることは可能だろうか?

トレバー・ジェームス・コンスタブルは船員で航空史家、そして科学の常識を覆そうという一人である。彼はそう考えているのだ。ヴィルヘルム・ライヒのオルゴン・エネルギー、ルース・ドロウンのラジオニクスとチャールズ・フォートの著作、アーサー・コナン・ドイルの小説「高空の恐怖」に触発されたコンスタブルは、UFOが異星人の宇宙船であるという1950年代によく聞いた話は間違っていて、実は「生きている物体」なのだと確信するに至ったのである。

高速赤外線フィルムと紫外線フィルタを装備したカメラによって、コンスタブルはこれらの空の生き物の実在を世界に知らせようとし始めた。確かに彼の写真は何かを示している。素人目にはそれは現像過程で色ムラが起こっただけのように見える。しかしじっくり長い間見つめて欲しい。そうすれば、彼らは浮遊するツェッペリン・クラスのアメーバのように見えてくるだろう。

1975年の彼の本「生命の宇宙波動」によると、コンスタブルはそれらを「クリッター(生物)」と呼ぶ。彼は「クリッターこそ地球上のほとんどの生き物よりも古い、地球が固形ではなくガス状でありプラズマ状であった頃の生き物、進化の系統樹の幹をなすものであるように思える」と書いている。「彼らは恐らくいつかわれわれが空と呼んでいる「空気洋」に生息する生き物として、巨大生物学あるいは巨大バクテリア学の大分類の中に位置付けられることになるだろう。」

クリッターは幸いなことにいつもは我々の目に見えない。それは電磁スペクトルの赤外線の領域に大部分が存在するからだ。彼らが我々の周波数帯まで彷徨い出るとき、航空機と誤認されるのである。

コンスタブルの科学、ユーフォロジー、神秘主義、および未知生物学の入り交じった理論は当時読者の共感を得た。一人の動物学者が彼らの発見者にちなんでAmoebae constableaという名前をつけた。

30年経った今、UFO研究家でさえコンスタブルを過激な人物とみなしている。しかし、彼の精神は「ロッドrods」・・・デジカムによってのみ捉えられるアレンジされた空中生物・・・やゴーストハンターに人気の、デジタル画像の中で主に捉えられる光球「オーブ」のような現象の中に細々と生きつづけている。これらの現代の変種たちがゆったりぶらぶら飛んで、デジタル解析の暴露屋たちに却下され続ける間、それらの上空のどこかで、コンスタブルの「空中クジラ」は自由に徘徊していることだろう。


〜なるほど、未だに海外ではやたら話題にのぼるオーブ(雪の野外や埃まみれの部屋を露光時間長めに撮ると必ず写る)などと結び付けられているわけですね。デジタル画像ゆえの新しい形のゴースト、もしくは写真機の原始的な仕組に由来するゴーストがこういう幻想を生み出し続けているわけですが。ここでいうゴーストって幽霊じゃないですよ。??


2005年06月22日

鬼を追うひとびと。

:韓国の鬼やらい

ついな、ていうのは平安時代くらいにはやった「鬼は外」の原形。朝日新聞によれば「鬼は外」みたいなアジアに広く伝わる「鬼やらい」なる行事のシンポジウムが行われた。

<引用ココカラ>
悪鬼追い払う「鬼やらい」 中国で国際シンポジウム
2005年 6月22日 (水) 06:05

 東アジアを中心に受け継がれてきた悪鬼を追い払って疫病を除く伝統行事「追儺(ついな)(鬼やらい)」をめぐって、日本や中国、韓国など各国の研究者らが集まった「国際儺文化学術シンポジウム」がこのほど、中国江西省で開かれた。日本の鬼やらいも中国から伝わった可能性があるという。中国各地に伝わる鬼やらいは、経済発展のかげで後継者不足などから存続が危ぶまれるものも多く、無形文化財を守る訴えが相次いだ。

 シンポジウムは、中国でも鬼やらいが多く残る江西省内で12日から4日間、開かれた。同省や中国民間文芸家協会などが主催。約150人の参加者の中には、日本や韓国、米国、イランなど海外からの約20人の姿もあった。愛知県に伝わる「花祭り」や韓国の民俗芸能も披露された。出席者は伝統が受け継がれる同省内の石郵村に行き、村民の演じる本場の鬼やらいを見学した。

 日中の研究者によると、中国では少なくとも2000年以上前から儺の文化が引き継がれてきたという。はらい清めと福を招くために行われ、鬼などの仮面や仮装をした人物による神事的な舞踊だ。日韓のほかロシアなどにも広く伝わったとされる。

 文化大革命では「迷信」として弾圧され、研究も進まなかった。70年代末から改革開放が始まると見直されたが、農村から街へ出稼ぎに行く若者が増えたため後継者不足も深刻化している。一部の地方では条例を設けるなどの保護の動きも始まったばかりだ。

 石郵村で鬼やらいを演じるメンバーの葉根明さん(38)は「18歳から始め、一代一代伝統が引き継がれたことを感じる。後世にも残さなければならないという住民の信念が大切だ」と話していた。


<引用ココマデ>


中国のお祭りというとドラや爆竹に彩られた派手な祭りが想像される。人民網日本語版の記事を見ると儺戯というのはやっぱり派手なお祭りのようだ(写真は本来の祭りではないようだけど)。日本だけなのかな、地味に豆投げるの。というか、中国から来たとすれば、日本で地味になったのか。何も飾らずただ豆を投げてひたすら鬼にぶつけるというのは、逆に陰険な感じもする。石つぶてみたいな。儺に能のルーツを見る人もいるというが、これももしそうなら日本に来て抽象化され陰惨(「陰惨」と「陽惨」の前者側という意味)になったのか。「人民中国」の記事によると、

>中国の古代には三大祭りがあった。雨乞いの「ウ祭」、神を祭る「臘祭」、厄払いの「儺祭」である。旧暦11月の最終日に行われる「儺祭」では、面をつけた踊り手が、手に武器を持ち、悪鬼を追い払う様子を演じる。「儺」は、「宮廷儺」と「民間儺」に分けられる。二千年前には、孔子が朝服(朝廷に出仕する際に着る服)を着て階段のところに立ち、「郷人儺」(「民間儺」の一派)の役者を迎えた。のちには、寺の鬼やらいを専門にする「寺院儺」、士気を高め相手を脅すための「軍儺」も生まれた。さらには「儺」に娯楽性が加わり、徐々に演劇性が生まれ、「儺戯」へと発展したのである。

・・・となると単に厄払いの祭りということになり余り陰惨さはない。土俗性すら薄い単なるお祭り騒ぎのようにすら思えるが、

>儺面の種類は多種多様で、神聖や善良を象徴する正義の神面、凶暴や邪悪を象徴する不吉の神面のほかにも、また大衆を代表する世俗の面、滑稽やユーモアの道化面などがある。民間では、面をつけると、人間界、霊界、神界がつながると考えられている。そのため、面はとても神聖なものとされ、完成に際しては、必ず祈祷師による開眼式を行い、初めて「神」が宿る。舞台の前に箱から取り出す際と、終了後に箱にしまう際には、きまって面を祭る。しかも、面を跨ぐことは許されず、女性や子供に触れさせてはいけないなどのしきたりがある。このような規則があってはじめて、面に神通力が宿り、「一つの儺戯で百の悪鬼を追い払う」という諺が意味深くなるのだろう。



・・・ということで「非合理的な規則が存在する」という意味では土俗性がないわけではない。元はやっぱり呪術的な、オカルティな儀式だったのだろう。この面に対する感覚などが能に繋がると筆者のかたは考えている。多分古代中国において儀式から始まり祭りになり、日本に渡来して更に儀式に逆戻りしたような、そんな流れがあったのだろう。儺は中国北方では殆ど見られなくなったという。これは体制の影響が大きいと思うが、南部の民族や国をまたいで朝鮮半島にはまだ残っている。厄祓い自体は東洋の専売特許ではないから全部が一つのルーツに繋がるわけはないと思うが、こういう儀式儀礼的なものを追求するとき、日本という小島に特化して考えるのは偏狭だな、と漠然と思いました。ちょっと頭でっかちなことを書いてしまった。??


2005年06月21日

ミニモン・・・またはベビー・ネッシー

古いニュースを掘り出した。去年9月9日のホワイトヘブン・ニュースの記事。「へんな海の生き物がパートン海岸に」だそうだ。純粋に何?て聞いている。住人は困っているとか。それについていろいろな人がいろいろに答えている

「ミニ・ネス湖の怪物」と人は呼ぶ(そうだ)。ジョーン・シングルトンが海辺に打ち上げられているのを発見したもので、釣り舟の船長も今までこんなもの見たこともないと証言。アザラシの身体、鯨の尾、ヒレが上と脇にあって、非常に鋭い鉤爪と歯がついている。ロバート・ベーティは数週前にやや小さいが似たものをブレイストーンズ海岸で見たと言っている。「それには、かなり大きいあばら骨と背骨がありました。魚じゃありません。私はそれがワニ、多分海の中に投げ捨てられたペットであると考えました。」イギリスはペット投棄の多い国だ。ニューキャスル大のドクター・マッカスカーはSt BeesとSeascaleの海岸で奇妙なビーストを見たという。「そうだね、エイリアン・フィルムのエイリアンに似ていたね」4,5フィートの大きさだったそうだ。皮の剥げたペンギンの屍骸にすぎないという人もいる。「ミニ・ネッシーと信じたいけど、アザラシの子供の腐乱死体だろうね」という人も。腐敗ガスで膨らんでいるために変な姿に見えるだけで、穴をあければ正体がわかったんじゃないかとは私も思った。とにかく水に浸かった屍骸は異様な姿に変形する・・・人間も。「むくんだ汽水イルカの幼体だろう」という見解もあった。この種類のイルカはイギリス海域に普通に生息しているが潜水しているため滅多に人の目につかない。イルカの子供説は目下一番有力のようだ。いずれにせよ、写真を載せておく。??

天井からぶらさがる足

小説家の山中峯太郎君が、広島市の幟町にいた比のことであった。それは山中君がまだ九つの時で、某夜近くの女学校が焼けだしたので、家人は裏の畑へ往ってそれを見ていた。其の時山中君は、ただ一人台所へ往って立っていたが、何かしら悪寒を感じて眼をあげた。と、すぐ頭の上の天井から不意に大きな足がぶらさがった。それはたしかに人間の足で、婢(じょちゅう)室の灯をうけて肉の色も毛の生えているのもはっきりと見えていたが、其の指が大人の腕ぐらいあった。山中君は怖いと云うよりもただ呆気にとられてそれを見つめていた。と、二三分も経ったかと思う比、其の足が烟(けむり)のようにだんだんと消えてしまった。(田中貢太郎「日本怪談実話」)

〜おお、なんか新耳袋ぽい。あきらかに番町の「足洗い屋敷」の延長上にある話だが、ほんとわけわかんない。まだ「洗ってくれ」と云ってくれたほうがわかりやすいのに。火事とどういう関係があるのだろう。ひょっとすると「神経」かもしれないがほうっておこう、田中氏がそうしたように。

ドラキュラの息づく村、トーマの心臓

6/19のガーディアンに以下の題名の記事が載った。

「ドラキュラに未だに呪縛されている村
〜恐ろしい墓地での儀式の背景にルーマニア伝統のヴァンパイアへの恐怖が」

ダニエル・マクラフリン

さっそくオカルト系ニュースサイトで紹介されまくっているが、単純に被害者が「トーマ」というのに惹かれて読んでみた。「トーマの心臓」は読んだことないけれど。全文翻訳はいいかげんめんどくさいので以下サマリーだけ。

南西ルーマニア、Marotinu de Susの遠く離れた村でのことである。ペトレ・トーマは普通の肉体労働者だった。彼は飲み過ぎや病気の挙句事故で2003年12月に死んだ。だが、彼の魂は安らかに眠らないだろう、と村人は噂した。彼の死体が6人の男によって損壊されたのはその後である。夜中にこっそり墓地に忍び込んだ村人たちのしたことはショッキングなものだった。「彼らはトーマの心臓を取り出して焼き、その灰をコップの水に混ぜて飲みました」トーマの隣人であったエリザベータ・マリネスクはそう語った。

それはストリゴイstrigoiに対処するためのルーマニアの古代儀式であった。実の妹は息子の妻が病気になったのを見て、彼がストリゴイになったのだ、どうにかしないと、と語った。眠らぬ魂が親族の血を吸うために戻ってくるという言い伝えがそこにはあったのである。そのため、深夜0時を前に、彼らは墓地に侵入してトーマの墓を取り囲んだのだ。

彼の屍骸を掘り起こした六人は熊手で胸を裂き、心臓を取り出し、残る身体に杭を沢山突き刺して、にんにくを撒き散らした。心臓は焼かれ、燃えかすは水に入れられて身の毛のよだつカクテルが作られた。それは病気の女性と六人に飲み干された。1年以上たった今でも不気味な儀式の影響が持続しているという。村の中央通り沿いに住むアニソアラ・コンスタンチンは「ええ、病気の人がまた元気になったから、正しいことをしたんでしょう」と語った。のんびりした道、牛やがちょうや馬が農夫とともにある。鳥のさえずりや家畜の鳴き声、糞まみれの庭。時間はゆったりと過ぎる。共産主義、その前の貴族社会やその後の自由市場によってさえも殆ど何ら恩恵を受けなかった農夫たちの生活を、儀式と迷信が形作っている。

彼らは呪いと邪眼を畏れる。そしてアンデッドを畏れることはないと言って、眠ることの無いストリゴイへ六人が施した処置を誰も非難しない。

地元警察は無理解である。トーマの娘の訴えを受けて、彼らは六人を逮捕して不法な死体発掘を告発した。懲役6ヵ月の判決が下されたが、そんなことは何の解決にもなっていない。「それをしたところで誰も苦しめられない。彼らの問題だ」80歳のチューダー・ストイカは擦り切れた帽子の下から語った。「この儀式はしばしば秘密裏に家族内だけで行われてきた。問題は警察が絡んだ時なのだ」

彼はストリゴイが何世紀にもわたってルーマニアの悪夢を生み出してきたと語った。例えるなら「悪魔のようなものであり、神に逆らい、悪をなすことを欲している。疫病をもたらし、不可解なノイズをたてるが、目には見えない」

しかしブラム・ストーカーが古いアンデッドの恐怖をトランシルバニアの15世紀の王ブラド・「ドラクール」・ツェペシュの伝説とかけあわせて「ドラキュラ」というキャラクターを作ったように、ストリゴイの伝説もしばしばヴァンパイアの匂いをにおわせる。現に発掘した一人はトーマの口許に鮮血を見たというのだ。

Marotinu de Susから数マイル離れたCelaru村のマリア・ドラゴミールは76歳になる。彼女は似たような出来事について何十回も聞いたことがあると回想する。赤ん坊が足から出てきたとき、もしくは胎盤のかけらがまだ着いていたとき、潜在的ストリゴイという人生の烙印を押される。そして、彼が死んだら編み棒を心臓とへそに突き刺し、起き上がって生活の糧を奪いに出かけるのを防がねばならないと言った。

ドラゴミールは死者の頭の下に置く小さいバッグを作る。そこには穀粒、小石、櫛、鏡、そしてリンゴが入っている。それらの組み合わせによりストリゴイが静かに眠るように仕向けることができると信じられている。

EUのリーダーたちが金曜にルーマニアの2007年加入を保証したとき、人々は次の最近のオカルト事件に興味を奪われ興奮していた・・・それは尼僧が3日間冷凍室の中で十字架に縛られたまま食べ物も与えられずに死んだというものだ。*彼女を殺したかどで起訴された僧侶と尼僧は、彼女から悪霊を祓っていたのだと主張したのである。


〜結局後半殆ど訳してしまった。ここには迷信の恐怖がイギリスの保守派らしい論調でしかし冷静に描かれている。軽いオカルトが流行っている。しかし本来オカルトとはこういうものだ。死がその前提にある以上陰惨でなくはいられない。日本だって、探せばこういう話はいくらでも・・・??

*6/24にFOX Newsがつたえている↓詳しくは元記事

まぼろしの歩行者

東京メトロ銀座線表参道駅で線路上を渋谷駅方面に向けて人が歩いているとの乗客の通報あり。全車停車し全路を点検したが人こ一人見つからなかったため運行を再開したとのこと。

単なる勘違いならいいが。??

 20日午前11時55分ごろ、東京都港区北青山3の東京メトロ銀座線表参道駅で、乗客が駅員に「線路に人が立ち入り、渋谷に向かって歩いている」と通報した。

 同社は確認のため電車を止め、表参道―渋谷駅間(約1・3キロ)を捜したが、人は見つからず、20分後に運転を再開した。このため乗客約1万1700人に影響が出た。

2005年6月20日13時44分 ??読売新聞)

2005年06月20日

未知動物コンファレンス:なまずとチュパカブラ

ヒューストンの新聞によれば4年に一度の南部未知動物コンファレンスが先週土曜に開催されたとかされないとか。250人の集会というのは微妙な数・・・しかもやっぱりアマチュアが多いようで。動物学の最先端と言いながら市井の研究家が大半を占めているというのは南部魂か。やっぱりうんざりするくらいビッグフットの話しばっかりしていたようで、その他の話題はというとニューギニアの「生きている恐竜」プテロダクティルス(懐かしい名だな)と大鯰。プテロダクティルスは翼竜(しかもちいさい)、ディノサウアではないのだが、この話題ひょっとして以前出たトカゲ竜の話しとリンクしてるんだろか。cryptokeeper.com管理人で動物学者のムーアさんは南部の貯水湖に住む大鯰研究家だそうだ。ナマズといえば地震国日本、各地の神社に地底のナマズを楔打つ要石が突き差してある。そこまででかくはないようで、報告の多くはせいぜいフォルクスワーゲン・ビートルくらいの大きさだそうだ。ムーアさんはそれでもでかすぎると言って夢をぶち壊している。動物というのは適正な大きさというものがあり、必然性が無い限り途方も無い大きさにはならないものだ。まあ正論です。彼は巨大鯰ツアーを企画していて、何週か後にはLake Conroeに潜水調査を敢行するとのこと。参加者のウェスリー・シンプソンさんは田んぼをきれいにしているときに1メートルの大鯰をとらえたことがあると言って、鯰がどのくらい大きくなるのか知りたいと思って参加したと新聞に語っている。ベンさんはモスマンとチュパカブラについて知りたがっていた。メキシコからやってきた山羊を喰らうもの、チュパカブラ。最近チュパカブラに飽きてきたメディアのせいですっかり日本では忘れられているが、今チュパカブラは合衆国に侵入し、空を飛べるようになっているらしい。ベンさんはそれはウソだと思うと言っている。ウロコに覆われているという情報は初めて知った。やっぱり爬虫類なのか。

なんか牧歌的でいいなあ。??

フェニックスの親子UFO

フェニックスでUFO(「未確認飛行物体」)映像が撮影されたそうだ。
ここで映像が見られる。なかなか面白い。きらびやかで綺麗だ。

小さな「子UFO」が「親UFO」の周回軌道に乗る場面が撮影されている。「撮影者が自ら後で入れた日時によれば」6月5日午後10時の撮影だそうだからもうだいぶ時間がたっている。その筋にはもう有名かもしれないが、たまたまさっきfarshores.orgが更新されたのを見たら出てきたもので報告まで。これが何かはわからん。「山の上に出たそうだからやっぱり軍関係かも(山には基地がありそう)。」撮影者はテキサスの映像作家でアマチュア映画製作者だそうだ。しかもUFOについてのDVDを作るためにアリゾナを訪れていたという。早速ufotheatre.comにアップした(売った)というから怪しまれても仕方ない。過去に鳥の群れをUFOと主張した経歴の持ち主というから尚更だ。しかも早速いろんなおせっかいが群れ集まって、明らかに手が入ってる、機械的におかしい、撮影日時がおかしい(古いビデオ?)といったちょっかいを出したら本人隠れてしまったようで。本人が検証を避けるがゆえこの映像は「未確認」のままとなり、「未確認」の飛行物体、即ちUFOになる。さて、判断はご自由にどうぞ。

野毛大塚異聞

「東京戸板がえし」10年ぶりに読み返すと面白い。なんで文庫化するさいに面白くなくしちゃったんだろう?前書いた野毛大塚の呪いについて、この本で書かれている内容が意外としっかりしているので、これが正解かなと思った。ソースが何なのかわからないが、ちょっと抄録しておく。

明治30年5月、下野毛の若者三人が杉と松に覆われたこの塚を好奇心から堀ったところ、箱型の石棺が出てきた。その中には副葬品にうずもれて甲冑を身に着け刀を携えた白骨が横たわっていた。驚き畏れて棺を埋めなおした三人は、帝室博物館に調査を依頼。副葬品は博物館に納められた。しかしその後三人のうち一人は病気になり、二人は発狂して自殺した。自殺した一人は「夢の中に鎧かぶとをつけた侍が馬に乗って出てくる」と言って5年のあいだ迷妄を彷徨い、挙句畑へ行く途中の芋穴の中に入り剃刀の刃で腹を十文字に切り裂いて悶絶死した。村人は大塚様の祟りだと石棺の上に社を建てたという。

塚が血を噴き出したとか発掘穴の中で自殺したとかいう話は書いてない。この古墳のある地域は今でこそ都心に近い高級住宅地だが明治時代にはド田舎の平凡な畑地であり、伝承はおろか、起こった出来事でさえいいかげんにしか伝わらなかったのだろう。

このあたりは多摩川の河岸段丘の上に位置する等々力という地域になるのだが、今も残る渓谷の滝の音が轟いた範囲を等々力と呼んだという。だから多摩川を挟んで両脇、神奈川と東京の両方に等々力という地名があるのである。川崎のほうはサッカー場で有名になった。但しいくらなんでも距離的にムリがあり、等々力という地名は一般名称と言ってもいいくらいよくある名前なので、両方に別の滝があったのかもしれないし、多摩川の川音が地形の関係でひときわ轟いていただけで、そもそも滝が由来ではなかったのかもしれない。そういえば多摩川を挟んで神奈川側から雪女が来ると言う伝承もあった。これは川筋にかなり広く分布している噺である。あまりにわかりやすい構図、この世とあの世の境界とされていたのだ。疫神などは遥かこの川を渡ってくると考えられていた。一つ目小僧、みかわりばあさんは多摩川から上陸しては田園調布や等々力あたりをうろついていた。目の足りない彼らに対して素朴な村人たちは籠を辻に立てて、籠目・・・無数の目を見せつけることで祓おうとした。これも等々力に限らず広く分布している伝承であるそうだ。そういう厄を撥ね退けるために、大塚様や亀子山といった強い武人の墳墓が設置され、段丘上からの監視役を果たしていたのかもしれない。そういう監視役を掘り出してしまっては祟られるのが道理である。まあ、道理というなら得体の知れない武人の白骨を見てノイローゼになり自殺しただけ、という説のほうが余程道理に叶っていると言えなくも無いが。そもそもほんとうの大塚様はこの石棺が埋められる前にここの主だった人である。前にも書いたようにここには複数の棺が埋められており、一部墓穴はだぶって掘られている(つまり追葬時に前の墓穴を潰した)。通常はこういうものは連綿と続く豪族の一族墓とみるのだろうが、権力を横取りした者が聖なる塚も乗っとったということもあったろう。江戸時代に至るまで日本人の葬送の伝統としてこういうことはよくある。先祖や古人が殆ど塵になった時点で壊滅して綺麗にし、新墓として再利用するなんてこと実によくある。意外とドライな日本人の感覚は、合理的でもある。先祖を敬うなんてことは、直近の先祖を敬うということであり、ぶっちゃけ直接知らない遠い先祖なんて心に何の引っかかりも感じないなら、それはもうどうでもいい。霊は自分の主観の中にしか存在しない。そこに何の敬意も畏れも感じなければ、壊滅させようが何も起こりはしない。けっこうそんな合理性が、既に昔の人の中にもあったのではないか、とも考えるのだ。

この三人は畏れたために祟られたのだ。

墓石の戒名

東京市小石川区第六天町江戸川縁から拓大の方へ往く途中の谷あいの街に、黒板塀の古い家があるが、其の家へ元松嶺の藩主であった酒井と云う子爵が引越した。引越したのは不幸続きで、地所も家作も持っていたが、それがどうにもならない結果であった。

ところで、其の家へ引越してみると、どうにもならなかった地所が高く売れたり、区割整理で家作が買収されたりして、めきめきと有福になったので、そこで本郷千駄木へ邸を新築して、いよいよ引越しと云う時になって、毎日踏んでいた庭の飛石の一つに文字のあるのを見つけた。それは古い墓石に彫った戒名であった。

酒井家では気が注かなかったとは云え、毎日墓石を踏んでいた事であるから、其の仏に対してすまないような気がして、近所の人に訊いてみると、其の家は旗下の家で、其処に非常に可愛がっていた一人娘があって、それが早世したので、邸の内へ葬ってあったが、その後其の家は人手に渡って、墓石は何時の間にか庭の飛石になった。しかし、其の家は縁起の佳い家で、其処へ入った者は皆繁昌して他へ移って往ったが、移って往く時不思議にその墓石の戒名がはっきり見えるのであった。松井桂陰君はそれに就いて、墓石と云うものは踏まれると罪障が消滅するそうだと云った。

(田中貢太郎「日本怪談実話」)

〜墓石にまつわる祟り話を田中氏はいくつか書いているが往古墓石というものは無縁になったら魂を抜いて再利用されるたぐいのものにすぎなかった。移転を繰り返す寺など礎石や石塀に墓石を使っている例は幾らでもある。東京唯一の国宝建造物、東村山の地蔵堂のある正福寺には巨大な板碑が保存されているが、これはもともと小川の渡しに使われていたもので確か江戸名所図会にも出てくる。板碑とは鎌倉〜室町期に流行した墓石の形態で梵字の彫られた薄石の簡素なものが多い。だいたい埼玉から北関東に多いが小規模なものは都下にも普通に見られる。この正福寺の「経文石」は変な字の彫られた石橋と単に認識されていたものを、墓石であると判断したものが外して保存しようとしたところ祟りをなしたという。折角人の足下から救い出し綺麗にまつろうというのに祟るものではないと思うが、この小石川の踏み石といい、人に踏まれる事で供養されるという考え方が意外と民間に広まっていたことを窺わせる。江戸初期には切支丹の踏み絵のようなことがなされていたものを、日本人の宗教意識というのはどうも御都合主義的でいーかげんである。人々が踏むことによる供養といって思い出すのは浅草寺の「踏み付け」縁起の久米平内像であるが、これは参道に自らの像を埋めて人々に踏みつけさせることにより悪行を懲らしめてもらうという、とてもまっとうな?考えかたによるもので踏み石の話とは根本的に違う。最後の松井氏の説はこの久米某の話に近い。子が親より先に死ぬのはそれだけで罪とされた時代である。

それにしても、住む者がいずれも踏み石によって幸福をもたらされている、というのが面白い。この少女はほとんど座敷わらしだ。相手かまわず幸せにするというのはいかにも異界的なわけのわからない怪異である。この本にも続いて二つほど幸福の訪れる家の話が書いてある(しかも一つは首くくりの霊の出る家が幸せをもたらす話、もう一つは「強力わかもと」の創業者の家の話である)。しかし思うのだが、少女はなぜ自分の肉親には幸福をもたらさなかったのだろう。少女の墓石を残して引っ越さざるをえなかった家族、考えてみれば墓石を捨て置いた家族はつまり結局少女を捨てていったのである。寂しい少女は家族が早く帰ってきてまた一緒に住めるように、引っ越してくるよそ者にわざと富をもたらして、さっさといいところへ引っ越させてしまおうと考えていたのかもしれない。今も「座敷わらし」と総称される神の話がそこここに聞かれる。先日テレビを見ていたら青い絣の着物を着た子供の写真が「座敷わらしの出る家で撮られた心霊写真」として出ていた。今やテレビにまで進出した無差別幸せ神、ディスプレイを通じて日本中に幸せを振り撒いてほしいものだが。

 

人面犬ビデオ

ツタヤに久しぶりに入ったら半額だったので、どーでもいいものを、と思ったら人面犬ビデオが目についた。かれこれもう16、7年前のビデオでしょーもない内容だったのを覚えている。時々ツタヤはどこかのつぶれたレンタル屋から大昔のビデオをもってきては並べる。借りてみた。

やっぱりしょーもなかった。懐かしいけどクソビだ。ようはパロディビデオなのである。変なガイジンなんて出てくる。オーケンが見たと言っているがよくきくと「うしろの百太郎」でみたということで電波ゆんゆんである。どうみてもあやしい。

きわめつけはライター石丸某が出てきてまことしやかな話をするのである。人面犬は自分が雑誌の記事を盛り上げるためにでっちあげた作り話、と言ってた石丸が、その雑誌片手にエピソードを語り実在を説いてる。おまえ何でもありだな!

バブルの時代だけあってうさんくささ爆発のこのビデオ、SFXの歴史に興味があったらどうぞ。制作費のほとんどが犬にかぶせる人面犬マスクとオーケンの出演料についやされてます。音楽もふざけてるわ。エロビ的安っぽさが何とも言えないな。


ちなみに人面犬は石丸某だけの創作ではない。古くからのネタなので念のため。

的場さんがやんちゃだったころに創作した話だと公言していたこともあるが、あのころのやんちゃさんたちはみんなそんなことを言っていた。