第94夜、ゆびがいたい
「かあさんの祟りだ」
口火を切ったのは伯母だった。左手の小指に、包帯が巻かれている。
「そうだ。東京なんかに入れてしまったから」
「でも、田舎のほうにも分骨しました」
ぽそりとか細い母の声。その左手の小指にも包帯が巻かれている。
「それが嫌じゃゆうてた!」
しわがれ声を荒げているのは大伯母、もう八十にもなる。
左手を上げ、小指を立てた。固い皺だらけの指に、くっきりと、まるでリングのような赤い環が腫れ出ていた。
「キクは分骨は嫌じゃゆうてた。体がばらんばらんになるようで、嫌じゃゆうてたぞ。それをあんたらが」
母の膝がびくっと震えた。横の父が、深く息を吸うと口を開く。
「でもかあさんは東京で亡くなったんだ。僕らが折角墓を建てたんだし、だいたいあんな山奥に埋められるなんて、かあさん寂しいと」
「伸一はなんもわかっとらん!ご先祖様のいらっしゃるお山にかえるのが一番なんじゃ。東京のあんなわけのわからんところに押し込めて」
「もう止めてよ!」
妹が大声を出して立ち上がった。後ろ手に障子をばしん、と閉めた。
沈黙が流れる。線香の匂いが鼻につく。
「・・・でも何で小指なんじゃ」
伯母がこそりと言う。父は首を振ると、
「分骨したのが、小指だったんだろ」
母の顔が曇る。
「もういいよ。今度田舎行って、全部おさめてくるよ。それでいいんだろ」
「それじゃ、こっちのお墓は・・・」
母が驚いたように顔を上げる。大伯母は大きく首を縦に振ると、低い声で、
「こっちはこっちで、あんたが死んだら入りゃええんじゃ。でも伸一、おまえは」
「もううるさいよ」
「何がうるさいだ。とんだとばっちりだ。痛くてかなわん」
・・・そして、おばあちゃんの入った白壷が、真新しい墓石の下から取り出された。日曜日、父は飛行機で田舎に日帰りした。
その日からだった。
母が高熱を出し、寝込んでしまった。指のみならず、全身がまるで火傷をしたように赤くなり、ぼくは泣く妹をなだめるのに必死だった。
まもなく大伯母が階段で転んで入院したとの知らせが入った。
電話で父が伯母と何か言い争っている。
うちは大混乱だ。
妹が、ふとおかしなことを言い出した。
「きのうおばあちゃんが来た」
「え」
「夜、寂しいって言ってた」
「・・・」
白い服を着た中年の女の人が来た。仏壇に向けてなにやらぼそぼそと言ったあと、父に何やら渡して、帰っていった。
父はそれを母の頭の上に置いた。お守りのようなものだった。そして、僕らに向かって言った。
「また田舎行ってくるから。ばあちゃん、かえしてもらうから」
・・・
良く晴れた日。
すっかり全快した母と、父、大伯母は無理だったけど伯母さんも一緒に、横浜の高台にある墓地に行った。父が包みを開くと、大きな木箱と、小さな木箱が出てきた。田舎に埋めていた小壷の蓋をぽくりと開けると、父は、うっとヒトコト口にしたが、そのまま大きな骨壷の蓋も開ける。そしてやや乱暴に、小壷のほうを、骨壷の上で、ひっくり返した。
ひとかけらの白い骨が、一瞬目に入った。
「小指だ」
そのひとかけらといくばくかの灰が流し込まれた骨壷に、再び蓋がかぶせられ、開かれた墓の下に消えた。
空の小壷はお寺におさめた。
妹が囁いた。
「おばあちゃん、喜んでる」
これで終わったのだ。
・・・
(私の体験ではありませんのでねんのため)