第四十五夜、こえ
ぼくはまだ小さかったから、良くは憶えてないのだけれど。
彼はそう切り出した。
父が亡くなったとき、お棺の中に、家族みんなの声を入れたカセットを入れよう、っていうことになったんだ・・・と思う。
「お別れのことば」さ。
父は明るい性格で、近所の少年野球なんかのコーチをしたり、けっこう有名人だったらしい。だけど、今でも実家にあるんだけどね、オーディオマニアで、カセットやレコードが山のようにあって。
一度だけ・・・家族で旅行したことがあった。兄貴が荒れてたから、家族で何処かへ行くなんてことはまず無かったんだけれど、一回だけみんなで海に行ったんだ。
父は泳ぎも上手で、水を怖がるぼくに得意げにクロールとかバタフライとか見せてくれたっけ。
兄貴もいつになく機嫌がよかった。姉は水に入らなかったけど、母も喜んでいたよ。・・・無理して喜んでいたのかもしれないけど。そのときすでに発症してた、っていうから・・・
あの旅行自体、そういうことだったんだよなあ。
かれはいったん伸びをして、話しを続ける。
そのためにわざわざ「八ミリ」を買ったんだ。もっぱら母が映して、ぼくも兄貴も・・・父も楽しそうに・・・
そのテープは今でもあるんだけど。
見る気が・・・しないね
・・・もう。
しばらく沈黙があって、かれは頭を振って、明るい声をあげた。
そんな調子で、オーディオマニアっていうか、記録マニアだったんだね。だから父を最後に見送るとき、メガネや、好きだったサラ・ヴォーンのレコードの横にそっと、「10分テープ」を置いたんだ。家族全員、ひとりずつ・・・最後の見送りのメッセージを録音して。
ぼくはひとこと「さよなら、げんきでね」だったけど、今考えると、元気でね、はないよな。
そこに兄貴はいなかった。父が入院する前に出ていって、それきり連絡もなかった。当然急死したなんて話し、伝わっているわけもない。なんだか東京のほうに行ったらしいっていう話しもあったんだけど、東京っていったって広い。
医療機器も片づけて、布団も処分して、がらんどうになった寝室を整理していると、一本のカセットが出てきたんだ。
それがなんだったかわかる?
答える前に直ぐにかれは言葉を繋げた。
10分テープだ。しかも、ぼくらが焼き場に持っていったあのテープと、同じ型の。
お棺に入れたテープは父が置き溜めしていた中から使ったんだから、同じ型だったって不思議はないんだけど。
みんなで妙に仰々しい父のオーディオセットに向かって、何故か正座して、聞いてみたんだ。
それが、兄貴へのメッセージだったんだよ。
父は兄貴の勝ち気な性格が、自分の若い頃にそっくりで、自分も家を飛び出してしばらく放浪していたことがある、なんて言っていた。その時点で母も姉も泣き通しだったから、最後までちゃんと聞いてたかどうか定かじゃない。ぼくはまだ子供だったから、「死ぬ」ことの意味もよくわかっていなかったし、最後まで、冷静に聞いていた。
そう、最後に父はこう結んだんだ。
「最後まで、言ってくれなかったから、こちらから言わせてもらおう。
じゃあな。
おまえの人生だ。存分に楽しめ。」
僕は変だと感じたけど、母も姉も、父は兄貴が戻らないことを見越してたんだろうし、別に変じゃないって言ってた。でもおかしいよ。
最後まで”お別れの言葉を”いってくれなかった?
だって、父がなくなった”あと”に、”お別れの言葉”を入れようってことになったんじゃないか。
お葬式の直前に、急いで録ったんだから。
だから、僕は
「さよなら、げんきでね」
くらいしかおもいつかなかったんだから・・・
(この話しを聞いていて、これは怪談とも美談ともとれるな、と思った。そのテープ自体が何を意図していたのか、多分かれの母のいうように兄が戻らないことを想定して、死の直前にでも録音したんだろう。「おまえが”テープで”言ってくれなかったから」とは言わなかったわけだしな。でも、怪談ととったほうが逆に美談性を増す気もする。かれはあのテープは父の亡霊が、お棺のテープを聞いた後に録ったものと信じきって、今でも大事にしているという。最近兄と連絡が付き、聞かせることができたそうである。)