第三十三夜、窓をたたく

夜眠れないとき、そんな眠れない人間を狙って寄って来るモノがいて、さらに眠れなくすることがある。それは夢か現か定かではない。刻がたつにつれ、どんどん回転の速くなるのが常の不眠症の脳は、過剰に脳内麻薬を送り出しては、幻を見させるのだ。あるいは何者かの存在が、強い感情とそれを伝えたいという思念によって、眠りの国のプルートーのもとへ沈潜しようという私の腕をつかんで離さないのだ。それが何という原因のもとに起こっていようと、早く寝させてくれ。分裂症的に疲弊した脳は益々興奮し、狂騒を増す。

先日 そんな状態で睡眠薬に手がのびた その刻、頭の上で音がした・・・コツ、コツ。ノック音。ふと起き上がる。窓。カーテンの長さが足りず、5センチ程のすきま、瞬間見えたガラス越しの細く小さな手。赤いそで。白いシャツの端。

狂気のなせる幻か。

再び天井を向く顔の、ヒタイに再び投げかけられる音。コツ、コツ、コツ、コツ。4つ。眠れないとき特有のイヤな蒸し暑さに苛まれる頭の上で、再び音。コツ、コツ、コツ、コツ。ん、何か音程のようなものがある。コツ、コツ、コツ、コツ。はじめ低く、次 高く、次 やや低く、次、はじめと同じ音高。モールス信号のようだ。最近あんまり「見」なくなったせいか疑い深い私は、それを無風状態の筈の外に吹いていると思いたい風のせいにする。そして、単に音程のことを、面白いとだけ思う。コツ、コツ、コツ、コツ。コツ、コツ、コツ、コツ。大きくも小さくもならない、同じような感じの音がつづく。コツ、コツ、コツ、コツ。コツ、コツ、コツ、コツ。低い、高い、やや低い、低い。コツ、コツ、コツ、コツ。コツ、コツ、コツ、コツ。コツ、コツ、コツ、コツ。低い、高い、やや低い、低い。コツ、コツ、コツ、コツ。コツ、コツ、コツ、コツ。コツ、コツ、コツ、コツ。コツ、コツ、コツ、コツ。

・・・・・タ、ス、ケ、テ。     (1994/8記)