第二十六夜、坊主地獄
あなた夜中に坊主に囲まれてみんしゃい。
恐ろしや恐ろしや。
・・・
夜も老け込んだ深夜のベッドで香の匂いがつんと。
薄明かりに茶色い袈裟がたくさんたくさん、
足元の鉄パイプから枕元のライトまで、ぐるりを坊主が
たくさん、たくさん。
目
目
目
目
自分の死ぬときの夢を見る。
子や孫に囲まれて安らかに往生する布団の男を見下ろしている絵。これは誰だか古い人の書いた話しでその人も死んでいるはずだがどうだったのだろう。
ところで俺はカトリックだ。
坊主の顔をひとつひとつ見るけれどもどれも知らぬ顔で知らぬどころか何の激情も諦念も感情のかけらも落ちてこない。生気をどこかに忘れてきてしまった青白い坊主の集団が取り囲んでいる。
あー
あー
あー
あー
ああはじまった。だれからともなく、どのくちからともなく、
驟雨にふりそそぐ経文の痛痛しさに夢よさめろと叫ぼうと起き上がるやいなや。
むん
むん
むん
むん
むんぐと口が塞がれ嫌な匂。あの匂いだ。あの。
辞儀をする格好で言葉にならぬ声をあげながら、つるりと蒼い頭を布団めがけて押し付けて来る。下の我が体躯に押し付ける。
ぐいぐいと音が出そうでこちらは反吐が出そうで、四方八方青白い肉塊が頭といわず口といわず手と足と胸と腹とそのほかの全てを、
めり
めりめり込ませてくる。
丸い頭の感触。
丸い頭の重み。
丸い頭の力。
ぬめり頭の大軍が一斉に私を陥らせようとしている。
どこへむかって?
身体がずぶりずぶりと布団の「中」に沈んでいく。ヤラレタ。
これはアレだ。
もがき苦しみもがいてもがいても悪夢のように目覚めることがなく身を動かしていても本当の肉体は寝たまま微妙にずれる感覚の嫌らしさに坊主の声が重なっていく。
あー
あー
あー
あー・・・・
舌が動く。
ちっ
ちっ
ちっ
・・・
明らかな音は日陰の言葉を和らげて、その隙間に上半身を起こした。私はベッドに直立している。目の前に餓鬼のようにかがんだ茶色い衣の一団が見える。私はベッドに直立している。
上半身をベッドの上に残して。
下半身はベッドの下の暗がりにある。
目に映る足先はほんとうの足先ではない。
このままでは、死んでいる。
ほんとうの足先に陰風を感じる。暗く大きく、底の無い穴に吊るされて、目に見えないけれどもばたばたと宙を蹴り俺は「下」を恐れている。
「下の世界」を。
下の世界って何だ?
上半身は重なっている。下半身はこの得体の知れないものどもによって、ベッドの下の暗がりに引きずり込まれようとしている。群れて私の上にかがみ身を寄せる、
最早坊主ではない。
鬼畜の類だ。
あー
あー
あー
あー
・・・震える手先を枕元のライトに伸ばした。
あー
あー
あー
あ・・・・
・・・!
ぽん、
という音がするほどにはっきりと元どおりの足がベッドの上に戻って、布団に穴は開いていない。腰に身体を「曲げている」感触が戻る。
あれは「ほんとうの穴」なのだ。
見せかけの穴ではない。
・・・
その部屋にかつて住んでいた男に惚れた女がいた。女は敗れた。この部屋の扉を見詰めながら女は死んだ。飛び降りだった。
・・・
誰か訪ねてきて、扉をあける音がした。友人かと思って振り返った俺の首を徐に絞め上げた巨体に血が引いた。白いシャツの禿げ頭が黒々と隈取りのような目を吊り上げて私を締め上げた。レスラーのような男だった。
どんどんという音がした。
私は暗い部屋の真ん中に正座をしていた。
「おい、おい」
知る声に扉を開けた。
輸血が必要だ、おまえの血液型は。
翌日先輩がひとりなくなった。
組んだ手の蝋燭のように白く、固まったさまは残酷だった。
教習所帰りの事故だった、と聞いた。
・・・
昼間先輩の隣に並んで、順番を待っていた。
いよいよ仮免なんですよ。
返す言葉は覚えていないが、
暖かい笑顔は覚えている。
無事仮免がとれて、友人と食事をした。
近くで救急車のけたたましいサイレンが鳴り続けていたのを、確かに聞いていた。
・・・
死者は悲しい。
置いていかれた者は先ずは呆然と立ち尽くし、
失われたものへの気持ちが固まってはじめて涙を流す。
運命論
それは人を楽にする。
・・・運命だったのだ。
・・・
だがこうも思う。
あの大男は何だったのか。
俺が何かをしていれば、先輩は助かったというのか。
・・・
以後二度と現れない。
俺は今でも思い出す。