第一夜、化物屋敷のこと

慶長(1596ー1615)のころ、現在の三重県北西部にあたる伊賀の国の、とある侍屋敷には、不思議なことが絶えなかった。

夕暮れ時、玄関の前を美しい女が、練の衣を貴人さながら頭にかぶり、するりと歩く。それは首が無くて、胴だけが歩くこともあったという。

又、昼の時分に台所の屋根の煙出し穴から、女と、大きな坊主が下を覗く。

又、やせ衰えた女が白帷子を身に纏い、髪を結わずに散らし広げたまま、四、五人連れで踊っていることもあった。

どれも理由は、さっぱりわからない。このようにいろいろとおそろしいことが起こるものだから、屋敷に住む者はなかった。この話しを伝える「諸国百物語」の書かれた元禄ごろには、そのようなこともなくなったというが、伝説だけが残り、住もうという者は未だいない、とされている。

故遠藤周作氏がはじめて幽霊に出遭ったのは熱海の東海道線沿い、崖上の一軒家でのこと。同業の三浦朱門氏と冬の夜小さな離れで床を並べて寝ていた。二方とも幽霊なぞ全く信じず、「この」後でも時々疑ってみることさえあるという。時は12時半を回り、二方は暫く話しをし、灯りを消した。枕元にスタンドと水差し、コップ。氏はうとうととしはじめた。

暫くして、誰かが右の耳にべったりと口を当てる感触がした。

「私は・・・ここで・・・死んだのです」

は、と目がさめた。氏は、イヤな夢を見た、と思い再び目を閉じた。程なくまどろみがやってきて、すると又、右の耳に口が張り付き、

「私は・・・ここで・・・死んだのです」

今度は恐怖を感じたが、ここで三浦氏を起こせば冷笑、嘲笑は免れないだろう。そう思った氏は我慢し再び目を閉じた。ウトウト、・・・とし、

再び口が・・・

「私は・・・ここで・・・」

氏は思わず叫んだ。三浦氏に向かって。

「起きてくれ、三浦。誰かが、気味の悪い声で囁くんだ」

「ほんとか」

「ほんとだ」

「俺は見たんだ、さっきから三回。俺とおまえの寝床の間に座って、セルを着た若い男で、うしろ姿だが。目を開けるたびに見えてんだ」

歯の根が合わない。逃げようという言葉もなかなか浮かんでこない。二人はじっと寝床にうつぶせになって身じろぎもしない。そして一分ほどたって、三浦氏の「逃げよう」という叫びと共に、二人は、この離れを這うようにして出た。庭木の根に吐いた。

氏の死後のインタビューで三浦氏はこのときのことを問われ、明確には覚えていず、何かがいたような気がしたくらいだった、とだけ語られている。少し温度差があるが、小説家だから多少は割り引いて読むべきかもしれない。

氏はこの時以来、幽霊屋敷というものに興味を持ち、暫く各所調べてまわったという。

いくつか泊まってみたものの、幽霊には出遭えなかったらしい。名古屋の旧中村遊郭の某楼の話しを最後に付け加えておこう。

その家はかねてから客の間で、どんな時計でも夜半の12時になると必ず止まってしまうということで噂に上っていた。それは戦後の12月終わりの雪降る日、そこの女に惚れた男が、女に高い時計を買う為に会社の金をつぎこんでしまった。ところが相手にされず、ひとり、自殺した。そういったイワク付きであった。女の剃刀で手首を切り、畳は血の海になった。その念が、時計を止めたのか。

氏はそこで夜をあかした。

はたして、時計は止まらなかった。