いにしえの情景〜怪異があったところ

江戸・品川第三砲台。今のお台場第三台場史跡公園。なぜここが怪異かって、デートスポットの人工島お台場への道すがら、レインボーブリッジから望める正方形の小島のような、今に残る数少ない江戸湾の防衛拠点、このぽかんと浮かぶ江戸の亡霊が今も夏の夜になると亡霊を引き寄せているというまことしやかな噂があるからだ。これは結構古い噺であるらしいが、今は単に近未来的なお台場の近くにある古い怖い場所、というイメージだけで語られている感もある。左は関東大震災後の風景。下は防壁に囲まれた要塞の無残な内部風景。

神田明神。死して祟る将門の神社、だが中が無残な震災後の姿。一番下の写真は元神田明神のいわゆる「将門の首塚」。内務省が壊して次々と人が死んでいた前後の写真。結局進駐軍が壊滅したのを直したのが今の大手町の首塚の姿。

玄徳稲荷。置いてけ堀を埋めるときに焼きうちにあった白狐の化身の老婆が嘆願して祀られたという。

田中貢太郎も住んだ目黒碑文谷にある古刹円融寺。黒門のむこうに室町時代から現在も残る「蓮華往生」嫌疑で有名な堂宇がある。雰囲気は今も健在。

有名な板橋の縁切榎。この昭和初期の写真ではかなり江戸の伝説の雰囲気を感じることができる。

有名な蛇橋。昭和40年代まではこのような姿を残していた。吉宗の代、農民を救うため立ち上がった庄屋の片目を抉り水へ放り込んだ、その化身の片目の蛇が出るという。吉宗は自分側で殺しておきながらこの噂に感じるところがあって僅かな金をあたえ橋を架けさせた、その橋がこう呼ばれるようになった。

このあたりに切支丹坂と八兵衛石の資料をまとめておく。いずれ独立させる予定です。左は昭和初期の小日向切支丹坂。おそらく「切支丹坂」をあがった右手の屋敷前通りであると思われる。位置関係は一番下(現在図と屋敷図を重ねている。コピーのコピーなので見にくくてごめんなさい)と右の地図、「奇談つれづれ」の記述を参照。下の三枚の写真は八兵衛石、左から順に明治、戦後、昭和、平成に撮影されたもので、右二つはあきらかに違うものを撮影している。これも詳しくは「奇談つれづれ」をどうぞ。現在の写真を載せてます。

白狐の三囲神社。今は更に妖しくなっている。

謡曲で有名な平安の大昔の梅若伝説、妙亀塚と梅若塚。現在も広い隅田川を挟んで存在しているがかなりイメージが変わっている。妙亀塚などほとんど整備された古墳状態で、頂上に緑泥片岩の板碑が建てられている。見ればわかるが夫婦の標のようだ。関係ないじゃん!しかも板碑は室町時代の墓標様式。

縛られ地蔵、大岡政談の雰囲気が残っている。

世を騒がせた生き身の如来お竹さんの像。

お岩さんのお墓。これじゃ怖いわな・・・。

呆れるほどあっけらかんとした隅田川風景。震災後の浅草寺を昇竜の寺ある待乳山から望見した写真。堂宇配置に注目、五重塔の場所が雷門の側にある。平らな風景には鬼婆が出た浅芽ケ原の遠い記憶がまだ残っている。

九品仏浄真寺と並ぶ江戸妖物のデパート、善養寺。異様な地を這う大松だけじゃない。「ムジナけい」と「星の精」

さんこう:
佐藤隆三「江戸の口碑と伝説」「江戸伝説」、東京市公園課「東京の史蹟」、戸川幸夫「東京伝説めぐり」
窪田明治「江戸民話物語」

切支丹屋敷・八兵衛石関連:竹内誠「文京区の歴史」、戸畑忠政「ぶんきょうの坂道」「ぶんきょうの史跡めぐり」、横関英一「続江戸の坂 東京の坂」、カテドラル教会関連資料、山梨賢一「不思議の旅ガイド」、田中聡「東京戸板がえし」