新約聖書のヨハネの黙示録に記されているアンチ・キリストの象徴たる数字、ゴロがいいせいかあらゆるところで悪魔の象徴として使われてきた。「オーメン」のダミアンのつむじに記された666の数字に戦慄した古いホラーファンも多かったろうが、本当は616と書かれた子供こそ悪魔の子だったというわけで、彼はたんなる悪い子だったのである。オーメン3で現れたキリストも616と間違って現れたのだろう。偶然に振り回された何ともうっかりな人たちだったわけだ。
イギリスの
インディペンデント紙5月1日版(全文閲覧は有料)によると、根拠とされるのは目下最古の黙示録写本とされる3世紀頃の紙片で、最新技術で解析したところ、該当の個所には「616」とかかれていたという。この紙片はエジプトのオクシリンクスで見つかったもので、バーミンガム大のデヴィッド・パーカー教授によればこれはゲマトリアと呼ばれる一種の暗号で、彼らを迫害した当時のローマ皇帝カリギュラを示しているのだという。
616という数字自体じつは結構前から論議があり話題に上ってきていたのも事実である。ググってみればそれこそ無数にそれに言及したページが挙がってくる。だが現状あまりに666が一般化しすぎたために、元が616だろうが666が悪魔の象徴であることには変わり無いと考える人も多い。悪魔崇拝者の中には666は単なる信仰者をおびやかす脅しの道具であると言い切る者もいるそうだ。
ネッシーのヘンな牙
昨年末に、スコットランドのネス湖でネッシーの牙が発見されていたそうだ。
Yahooや
X51で報じられている。発見者(アメリカの大学生)はご丁寧にも
ドメインまで取得している。また、研究家と共同して、この牙がホンモノであると証明するため、更なる情報提供に$5000の懸賞金をかけている。
見てもらえばわかるとおり、あきらかに普通の動物の歯ではない。肉食動物の引き裂く、噛み千切る、咀嚼する、いずれの機能も果たせないように見える。ギザギザくらいあれば信憑性があるものを、どうやら鹿の角のかけらという意見に収束しそうだ。
なぜ鹿かって、形状もあきらかに似ているのだが、何より鹿の惨殺死体と一緒に発見されたことが根拠になる。今までネッシーが陸にあがったという目撃事件はごく少ないし、増してや肉食で、陸上生物である鹿を食べたという話も一切ない。だいたい素早い鹿を巨大な水棲生物ネッシーがよたよた追いかけて追いつくのかという疑問もある。研究家の中にはネッシー陸上生物説をとなえる人もいるが、陸上であれば尚更もっと目撃談が多くていいはずでありそれも不自然だ。リンク先の映像を見てもらいたいが、確かにこの「牙」は鹿の体にめりこんでおり、自分の角でないことは確かだ。なら鹿同士の争いと考えるのが自然だろう。それにしては死体は不自然に損壊しているが。。
発見者の学生はネッシーツアーの参加者で、たまたまこの死体を発見したそうだ。だがそれらをおさめたビデオは何故か水上保安局に没収されたという。これが未知動物の遺物であれ単なる屍骸であれ意味不明な行為だが、文字通りにとってはならない、たぶん入ってはならない場所に足を踏み入れたとかそういった別の理由があるのだろう。UFOの基地があるからとか言わないように。
前述の研究家は学生とコンタクトをとり憤りながらこう語ったという(X51より)。
「彼らが牙を発見したのは本当に千載一遇の出来事だったんです。牙を取り戻して、DNA解析することが出来れば、私の理論を証明することが出来るはずです。しかしスコットランドの当局は我々の調査を不届きであるとして、協力することを拒んでいます。」
「不届き」が何に対してのものなのか、ひょっとしてこういういかがわしい噂をよく思わない人がいるだけなのかもしれない。死体という響きは決して気持ちのいいものでもないし。DNA検査させてやればいいのに、という意見については同意するが、ネッシーで村起こしという趣旨に反する証明がなされるのを怖れたのかもしれない。研究家は昨年12月に湖近くで大きな擦痕を見つけてから実在を確信したというが(そんな土の抉れた跡だけで信じるのか・・・)この牙も鹿の角なんかじゃないという。その根拠がふるっている。またまたX51から。
「あれが単なる鹿の角や、他の動物の角でないことは容易に証明できます。あれは若い動物の牙でも、折れた角でもありません。幼い頃、私は父親と一緒によく鹿狩りに出かけていたので、彼らの特徴はよく分かっています。いずれにせよ、我々が探しているのが鹿の角でも他の動物の爪でもないということは、再び牙が手に入れば明らかになるはずなんです。」
・・・んー、幼い頃鹿狩りに出かけたから違うとわかる?・・・この人は専門家なんですよね。狂信家じゃないんですよねえ・・・。
ちゃんとした動物学者入れろっ!
水棲人間現る!
(3月31日日記より転載)
The Supernatural Worldから訳。いかにもマユツバ的夢のある話。
「ミステリアスな水陸両生人間クリーチャー発見」
2005年3月29日Posted by phenomenon
ここ2年間、カスピ海の南部から南西部あたりの沿岸地域の住民から人間に類似した水陸両生生物の目撃が報告されている。
今年の3月に、アゼリ・トロール船「バクー」の乗組員からの目撃証言が、イランの新聞ジンダギに掲載された。
「その生物は長い間、ボートの近くで平行なコースを泳いでいました。」と、船長ガファー・ガサノフは語った。
「最初我々は大きな魚だと思ったんです。しかしすぐにモンスターの頭に髪の毛があるのを発見しました。彼のヒレはかなり奇妙に見えました。・・・そして彼は身体の前面に、兵器を備えていたんです!」と、船長は言った。
アゼルバイジャンに戻ると、誰も真剣に彼の話を受け止めなかった。奴が船室で飲んでいたせいに違いないと思った人々にはおかしく聞こえた。だがこれに反して、彼のインタビューの公表後すぐ、イランの新聞の編集部は大量の手紙で溢れ返ることになったのである・・・「それ」に関する・・・
***
ちなみにこのあとかなり話題になった。事件自体比較的前から起こっていたが、とくに油田採掘が始まったあたりからさかんに目撃されるようになったという。文中の「兵器」というところは訳に困った部分で、恐らく鱗による「装甲」のことだと思う。一説には鰓があり、鰓から口が繋がっている、とかいろいろ細かいところまで姿が特定されている。
X51が突っ込んだ情報を書いているので引用してみよう。
***
これまでの目撃者は、皆一様にその姿をして、"マリーン・ヒューマノイド(海人)"であると報告し、次のようにその特徴を述べている。
1.身長はおよそ165cmから168cm、鱗のついた腹をもち、手足には水かきのようなものが見える。
2.また皮膚の色は薄暗い青で、髪の毛は黒緑色、手足は普通の人間のそれに比べると太短いものである。
3.鼻の先端部にはくちばしのようなものがあり、イルカのそれに似ている。
4.目は巨大で球状の形、口は大きく上あごは突き出ており、下あごは首と滑らかに繋がっているためにないように見える
またイランの人々の間では、この生物は昔から"Runan-shah"、もしくは"海と河の主"などと呼ばれており、その名はこの生物が海に現れると魚が浅瀬に集まるという逸話、また生物が現れるとその部分の海水が非常に透明度が高くなることという逸話に由来しているという。漁師らによれば、生物が現れると捕獲した魚がしばらくの間死ななくなること、また生物が現れる際に魚たち気泡音のような音を立てることなどが報告されている。(中略)
1905年にロシアで発表された科学誌には、カリブ海で「海女」なる生物が目撃されたことや、1876年にはアゾレス諸島において両生類人間の屍体が打ち上げられたことなどが記されている。またそれらの記述は、イランで続くRunan-Shahの報告に類似したものである。更に1928年には、カレリアにおいても同様の生物が目撃され、ペトロザヴォツク大学らの研究者によって調査が行われたが、研究はやがて機密扱いとなり、研究者は強制労働所で死亡したという。
***
「海の僧侶」などといって中世に捕まったとされる生物の絵が転載されているが、これについては「怪物図録」のどっかに書いたので参照。
ちなみに関連記事として挙げられているイランやドイツで女性がカエルを産んだという話は、実は日本の明治時代にもそっくりな話が伝えられている。
ゲラーとのろいの石
(3月14日日記転載)
既にいろいろなテレビで紹介されていて今さらの感もあるが・・・CNN日本語サイトから。
天災続きの英都市、ユリ・ゲラー氏が「呪いの石」の「除霊」提案
2005.03.09
Web posted at: 17:30 JST
- CNN/REUTERS
ロンドン――超能力の持ち主として知られるユリ・ゲラーさんは8日、相次ぐ天災に見舞われている英国北部の都市カーライルにかかっている「呪い」を取り除いてあげようと協力を申し出た。カーライルでは、市が21世紀記念として作った「呪いの石」を01年に市中心部に設置して以来、「旧約聖書並みの」天災に見舞われ続けているとして、市議会が石の撤去を審議するまでに至った。
スコットランドに近いカーライル市は01年、地元作家にオブジェ製作を発注。作家は、重さ14トンもある灰色の丸い御影石に、1525年発祥の呪文を刻み込んだ。グラスゴー大主教起草の呪文は、家畜泥棒や強盗・追いはぎなどを生業とする一族を呪うもの。作家ゴードン・ヤングさん自身の先祖が、この問題の一族にあたるとして、石のデザインになった。
この石が市内中心部の市立博物館と古城の間に設置されて以来、カーライルでは、伝染病・口蹄疫(こうていえき)で大量の家畜を失ったり、工場が閉鎖されたり、少年がパン屋で殺害されたりした。地元サッカーチームのカーライル・ユナイテッドはリーグ落ち。今年1月には深刻な洪水被害に見舞われた。
市議会のジム・トゥートル議員は、「旧約聖書並みの」相次ぐ厄災は石の呪いのせいだとして、撤去を求める動議を市議会に提出。しかし市議会は8日、これを否決した。
そこで「協力」を申し出たのが、英南部在住のゲラー氏だ。
ゲラー氏は8日、ロイター通信に対し、「問題の石を私の庭に移して、除霊をしてさしあげると申し出た」と明らかにした。
「ドームズデイ・ブック(11世紀イングランドの土地台帳)の記録によると、私が住むこの村の中心に古い癒しの場があったのだそうだ。またあらゆるレイライン(霊地と霊地をつなぐ線とされる)が、私の家の庭に集中している」と語るゲラーさんは、「呪いは落とせるはずだ。私が振り子を使って、石からあらゆる悪しき力を取り除いてみせる。その後は、庭におかせてもらって、芸術作品として楽しみたい」と話している。
イスラエル出身のゲラーさんは、ロンドンから車で約1時間ほど西にあるソニング・オン・テムズ村に住んでいる。
ホジラは実在した!!
(3月24日日記転記)
あやしげブタ怪獣ホジラがやっぱり実在したというニュース。supernatural worldから。
「ブタ怪獣”ホジラ”は実在した、と専門家が証言」
Posted by phenomenon on Wed, 23 Mar 2005 07:57:22
ナショナル・ジオグラフィックの専門家チームがサウス・ジョージアの怪物豚・・・地元ではホジラとして知られている・・・が実在し、ほんとうに、ほんとうにでかかったと結論づけた。彼らはまた超豚が昨夏農場で捕らえられ吊り下げられたところを写真に撮られたときに、1,000ポンドで、12フィートあったという誇張されたサイズでは生きていられなかっただろうと書いた。ベヒモス((注)伝説上の巨獣)の残る腐臭を避けるためにバイオハザードスーツを身につけた彼らは、ホジラの大きさはたぶんせいぜい7.5か8フィートで800ポンドくらいだろうと踏んでいた。結論は日曜日の夜のナショナル・ジオグラフィック・チャンネルで放送されたドキュメンタリーに収録された。再放送は水曜と土曜の予定である。「カレはインパクトのある野獣でした、カレはまさしく自然の突然変異体です」ドキュメンタリー・プロデューサーであるナンシー・ドネリーは語った。彼女はホジラの牙・・・1本は18インチにもたっし、もう1本も16インチ近くになる・・・は国際サファリ・クラブ北アメリカの放し飼い豚の新記録になると語った。十分いい状態ではないけれども。
怪力幽霊
シカゴに「蘇生墓地」という名の立派な墓地がある。ここにシカゴで最も有名な「レズ・メアリー(蘇生メアリー)」という幽霊が出る。
ココに詳しいが、彼女は1930年代にダンスフロア帰り彼氏と喧嘩して車を降り、ヒッチハイクを始めたところが、轢き逃げにあって死んでしまった。それ以後、ヒッチハイクをする白いコートでブロンド髪のメアリーという少女が目撃されるようになったのである。決まって少女は彼女が眠る蘇生墓地のゲートで降り、走って入っていったという。最初に目撃されたとき(かなり昔である)には、夜だったのだが、どうしても今墓地のゲートに走らねばならない、と言いのこして、走るままに消えてしまったそうである。
かなりの目撃例があるとのことであるが、日本のタクシー怪談に似た感じも受ける。いわく冷たい肌の少女を乗せて、しばらくおかしな会話を繰り返した挙句に消えてしまったとか、そういった様子だ。むこうはヒッチハイクが普通なのでタクシーのように金銭が絡まないだけ罪が無いが、気味が悪いことは確かで、道を横切るところを轢いてしまったという事件まで発生した。そのとき車のサーチライトでレズ・メアリーのほうを照らし出したところ、蘇生墓地のゲートの一部に異変が見られた。何と鉄棒の二つが曲げられていたのである。まるで人が墓地の中に力ずくで捻じ込んで入ったかのように。。
その緑銅色の表面には、手で強く握ったような跡がついていた。しかも、焼け焦げていたのである。専門家に分析させてもそれらはなんでそういう形で曲げられたのか見当がつかなかった。この手形は消そうとしても消せないという。それ以来この棒のある場所は名所となり、いろいろな人が訪れるようになった。墓地の職員はこの跡は作業中たまたま曲げられてしまったもので幽霊なんかがつけたものではないと主張したそうだが、一方で墓地内ではオルガンの音が録音されたり警報装置や明かりが誰もいないのに作動したりすることはあったという。
1976年になってもゲートのそばで少女が轢かれ、救急車を呼んで来たら消えていた、という事件が発生した。1980年の8月には多数の人々に目撃されている。警察さえ呼ばれたということだ。9月には集団で旅行していたグループが道路脇の叢を歩く少女を目撃、レズ・メアリーだと思って顔を確かめたら、「何も無かった」という・・・ブラックホールのように。同じ月に別の男がレズ・メアリーを拾ったということもあった。彼女を車に載せると「アーチャー通り(レズ・メアリーが轢かれ以後目撃される道路)をただ進んでください」とだけ言った。男は話をしたがったが彼女は黙っていた。「まさかレズ・メアリーじゃないよね?」と聞いても何も言わなかった。墓地のゲートを越えたとき、彼女は消えてしまった。10月にも4人に目撃されている。彼らはレズ・メアリーのことを全く知らず、彼らの父親に聞いて初めてその事実を知ったのである。彼らの目撃の直前に、フェンスの脇でダンスを踊るメアリーを見たという人もいた。このころ教会や新聞が調査をしたが大した成果はなかったようだ。83年にも報告があった。その後もかなり直接的な接触も含む目撃談が続いているそうである。
イリノイ州におでかけのさいはぜひ、怪力幽霊レズ・メアリーに会いに行かれてはいかが?
アレシェンカとプエルトリコのこびと
(9月3日日記から転載)
X51.ORGに書かれてずいぶん有名になったけど、1996年夏、ロシアの老婆に拾われ育てられた異星人?アレシェンカもしくはハローシェンカ、分析の結果はニンゲンだったということで一気に奇形児の捨て子説が高まりました。何それ、という人は
元記事を見てください。コレ、とてもニンゲンとは思えない異様ぶりで、現在残されているミイラの顔部分が右側の写真。タマネギ状の頭、異常に大きな目、身長25センチという小さな体。これを初めて見たのは99年ごろのテレビ番組でしたか、正直気持ち悪かった。例によって謎の組織に奪われたり不意にみつかったりという経緯を繰り返したわけですが、私はピンときてしまったのです。それが左側の写真。1980年夏、プエリトルコ・サリナス市郊外の山岳地帯で、トレジャーハンターがぶち殺した体長30Cm足らずの小人なるもの。彼は死体を自宅へ持ち帰り、アルコール漬けにして保管したそうですが、やはり例によって謎の組織の出現、そして紛失という経緯をたどりました。うーん、夏に現れ身長30センチ足らずという符号にくわえて、この変な頭に顔。似てないすか?プエルトリコの小人は集団だったそうですが、もし異星人だったなら南米からロシアまでひとっとびしたんでしょうかね。但し16年の歳月が流れてますけど。
3メートルの宇宙人だ。
(10月1日日記より転載)
こいつ、怖い。
公式サイト
国内(概容)
国内(研究)
いわゆるアメリカ・ウェストバージニアの「3メートルの宇宙人」というやつだ。夜にUFOのゆくえを追っていた家族によって山林内で発見され、宙に浮きながら向かってきた怪物。輝く両目から怪光線をはっし、動くたびに怪しげなガスを噴出して、くさい(オナラ?腹を壊していたのか?)。写真の恐ろしげなイラストを見て夜トイレに行けなくなったヤンキーボーイが何人いたことか。ワタシもその一人だ(ヤンキーじゃないよ)。最近になってこの絵がテレビの捏造で、ほんとうは円錐形をした機械の体に透明なヘルメットをかぶった丸い頭の怪物だったことが判明(?)1952年といえばドラマや映画やビデオにもなったニューメキシコのロズウェル事件、そしてケネス・アーノルドがUFOを目撃し「空飛ぶ円盤」という名称を発明してから5年、エイリアン事象が一般に浸透し様様なあやしげSF小説がはやった時期であります。ガスを出すなんてマッド・ガッサーの伝説混じってるみたいだし、上記サイトにもあったがこの宇宙人の姿は何か別の伝説的なモノの姿と混同されているふしもある。そうそう、ガスを出すといえば最近のアメリカの「スカンクエイプ」。UMAなのに解説文が「とにかくくさい」。くさいだけでUMA扱いになったこの猿に乾杯。
カッパはカワウソ?
(10月7日日記から転載)
朝日に出てた写真。
本文抜粋。
カッパ? いいえ、カワウソです
水からぬっと出た頭にのったお皿のような石。かっぱに化け損ねたのを照れているかのようなカワウソの姿をとらえた写真を、写真家の田中光常さんが公表した。かっぱの正体をカワウソとする伝承も各地に残っているだけに、「河童(かっぱ)論争」に一石を投じそうだ。
写真は、静岡県・浜松市動物園のカナダカワウソの池で01年夏に、田中さんが写した。3匹で石を取り合っては頭にのせ、遊んでいるようだったという。最近フィルムを整理していて、正面からの写真がかっぱにそっくりだと気づいた。
同動物園では、この時以外も石をのせる行動が何度か観察されていた。しかし、昨年、母カワウソが死に、子ども2匹だけが残されてからは見かけなくなったという。
カワウソに詳しい安藤元一・東京農業大助教授は「石を頭にのせた写真は初めて見ました。カワウソ特有の行動というより、たまたま動物園のなかで生まれた遊びなのではないか」と指摘する。
カワウソは頭が平たく水中での動きも活発で、昔からかっぱのモデルではないかと言われてきた。カナダカワウソの生態も日本のカワウソとほぼ同じとされている。
民俗学者の小松和彦さんは「カワウソが人を化かしたという話は各地にあります。この写真だけで『正体』はカワウソだとは言えませんが、河童研究者の格好の話題になると思います」と話す。
(10/07 06:14)
ノゾキ霊
(10月12日日記から転載)
「幻想日記」の怪物図録に「ノゾキ霊」というのを載せているが当然ワタシの造語である。浮遊霊の中には窓や扉の隙間から中をじっとノゾキ見する趣味のものがいるらしい。たいてい無害だが、この写真のはちょっとたちが悪い。
某有名心霊写真サイトからの転載だが、乳をやる奥さんをカーテンの隙間から覗き見るじいさんの横顔が写っている。いかにもやらしい。にやけている。あきらかに奥さんに興味があるみたいだ。死んでんのに何しようとしてるんだか・・・この死んでもスケベジジイ!!ちょっと写り方に疑問があるというか、視線の方向もちょっとおかしいし、?付ではあるが、この写真につけられた名前が、"This
peeping tom is a ghost!"・・・そのまんまやんけ。このサイトには幽霊感知器の宣伝とかも載っていて怪しさ満載だが、写真は割合と良心的というか、CG系の偽写真はなく伝統的な光系の写真が多い。中にはテレビ画面に写った霊とかいう怪しいものも含まれてるけど。
死なないカメが死んだ話
(10月14日日記から転載)
2004年04月09日
LIFE : 亀が大往生 英
【Sky】イギリスにて最高齢の生物であったといわれる亀が先週、齢160歳にしてついに永遠の眠りの床についた。ティモシーと呼ばれて皆に愛されたその亀はクリミア戦争(1853年〜1856年)の最中に誕生して世界の海洋を駆け巡り、そして先週、一半世紀以上に及ぶ長大な人生(亀生)についに終止符をうったのである。ティモシーは現役引退後はイングランド南西部のデヴォンはパウダーハム城の庭園にてその長い余生を送っていた。城の管理者ティム・ファウルナー氏は"尊敬に値すべき亀"ティモシーが先週、ついに永眠したことを記者達に告げた。「正直なところ、驚くべきことではありませんでした、、。彼はここ最近非常に弱っていましたから、、。しかし、我々が動揺していることはまた否めません。彼はほとんど、我々の城の一部のような存在でしたから、、。」
「私の名前はティモシーです。とても年をとっているので、私を掴み上げないでください。」冬になるなり彼は背中にそう書かれた札を貼付け、静かにバラの園で眠り続けていた。しかし、そんなティモシーの姿ももう、そこにはないのである。
ティモシーは1892年、この城に連れられ、それから凡そ100年以上、デヴォン伯爵の数多いペットのうちの一匹として長い余生を送った。しかし、その穏やかな姿からは想像もつかないまさに亀の英雄ともいうべき激動の亀生をティモシーは送っていたのである。
ティモシーは生まれてまもなく、英国のヴィクトリア女王直属の海軍軍艦のマスコットとして世界を旅することになる。1854年、クリミア戦争の山場となるセバストリポリ攻略戦では軍艦に搭乗してその戦況を見届け、その後も東インド、中国を訪れ、全盛を誇ったイギリス、そして人間の生業を目撃し続けたのである。
「このことでティモシーは勲功賞を送られているんです。しかし、亀特有の奥ゆかしさなのでしょうか、彼はそのいずれもとうとう身につけることはありませんでした。」海軍歴史家でもあるジョージ・カーデュウ艦長は語る。
そしてそれから数十年後、引退先としてパウダーハム城に連れられた後も、ティモシーは自身の最後の秘密を明かし、皆を驚かせたのである。1926年、彼はメスと交配するよう仕向けられたが、頑なに交配を拒んだ。それもそのはず、ティモシーは生後凡そ70年にして初めてメスであることが判明したのである。
そして今、クリミア戦争を見つめ、植民地を訪れ、酒を飲んで酔っぱらったことすらあると言われるティモシーは、ついにその長い亀生を終え、かぐわしきパウダーハム城のバラ園で誰にも邪魔されることなく、静かな永遠の冬眠の床についたのである。
***
x51.orgより。すごいカメがいたもんだ。江戸時代から生きてたんですよ。幕末生まれですよ。最近はぼけてきて赤いペディギュアの女の人の足指を大好物のイチゴと勘違いして噛み付いたりしていたとか。・・・しかし何亀だ?
目下世界最長寿にして最大(300kg)とされる亀はエスメラルダという名前がつけられている。南アフリカのセーシェル群島で安穏に暮らしているおちゃめな170歳。種類はゾウガメ。1834年といえばフランス革命からまだ50年たってませんね・・・北斎がピンピンして活躍してたころです。
ウソ見抜く特殊能力者!!
(10月21日日記から転載)
CNNニュースから。
うそ発見、1000人に1人は9割正解の能力保有と
2004.10.20
Web posted at: 17:17 JST
‐REUTERS
ワシントン(ロイター) まばたきを繰り返したり、ほんの一瞬顔をしかめたり・・・うそをつく時の表情やしぐさは人それぞれ。相手が見抜こうとしても、半分は外れるのが普通とされる。ところが、話している人のビデオ映像を見て、うそをついているかどうかを9割の確率で言い当てることのできる特殊な能力が、1000人に1人の割合でみられるとの研究報告がこのほど発表された。
米カリフォルニア大サンフランシスコ校のモーリーン・オサリバン氏がこのほど、米国医師会が開いた会見で明らかにした。同氏らのチームは、全米各地に住む1万3000人を対象に、ビデオテープを使った「うそ発見テスト」を実施した。テープには、自分の感情や意見、犯罪容疑などについて語る人々の映像を収録。これを見て、うそをついているかどうかを判定してもらったところ、「究極のプロと呼べる成績を挙げた人が14人いた」という。「ほかの人にはない特殊な能力を持っているという意味で、この人たちは『魔術師』とも言える」と、オサリバン氏は語る。
また、特定分野のうそだけを正確に識別することのできる人が13人見つかった。犯罪に関するうそだけは8割以上見抜けるが、感情をめぐるうそは苦手という警察官らがその例だという。
研究チームによると、魔術師グループは学歴も住む場所もそれぞれ違い、目立った共通点が見当たらない。オサリバン氏は「この能力に実用性はあまりない」としながらも、「研究結果は、捜査官や心理療法士など、うそを識別する必要がある職業のための訓練に役立てることができるかもしれない」と語る。チームではさらに、連邦当局に対し、重要事件の捜査にこうした人々による審議会を導入したらどうかと提言しているという。
新書紹介:シンガポールの亡霊
(11月1日日記より転載)
頭が痛くなること請け合い。読みたいけどわざわざ取り寄せて買う気ゼロだな。。
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「シンガポールにゃどこにもゴーストが - Vol 3」
シノプシス:
死んだら魂には何が起こるんだ?いくつかの魂は天国に行くという・・・他は地獄へ。ここにあるストーリーはあなたを震え上がらせることでしょう!
ギャングの地獄めぐり経験。
Pulau Ubin Mystery・・・兄弟が川の精霊に捕らえられた!彼らは川底の洞窟に住む「フィッシュ・ピープル(注:猟師という意味がある)」の奴隷だった!
デーモンがディスコのトイレでモデルによからぬことを!
豚頭に男の体のデーモンがセクシー・モデルを陵辱未遂!
サムライ・ゴーストが出没するホテル・・・日本の軍指揮官のゴーストが、有名なシンガポールのホテルの寝室でハラキリ(自殺の儀式)を実行する!
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・・・なんでサムライがシンガポールに?多分日本兵なんだろうけど、ハラキリばっかしてるイメージなのかな、日本人。沢山ビジネスマンが行ってるはずだけど。Pulau
Ubin Mysteryも不明。ググってもこの書評しか出てきません。まったく。。
フィリピンはさすが英語がうまい国だけあって英語のページがちゃんとしてますが、シンガポールは案外土俗的ですな。
ガーナにキリストの顔出る
(11月5日日記より転載)
最近このてのニュースままありますね。東京福袋から無断転載。
ガーナの教会にキリスト像現る?
ガーナの首都アクラ郊外のマーガレット・マリア・カトリック教会の壁にキリストの像が現れたとして、多くのカトリック教徒が同教会に集まり警官まで動員される騒ぎになっている。キリスト像が現れたとされるのは教会の洞窟内にある大理石。模様が手のひら大のキリストの顔に見えるというのだ。
祝福を受けようと手を伸ばす者、病が治るようにと触れようとする者、ひざまずいて祈る者がいる一方で、この世の終わりが訪れると解釈する者、宗教的な意味はないとする者、いたずらだとする者もあって現場はごった返している。300km離れた町から訪れる者もいるという。
10/30、オランダ人のJohn Straathof神父が像に気づいて集まった人々に見せたのが始まりで、話が広がるにつれ群衆がふくれあがった。神父は「確かに顔のように見えますが、奇跡だと断定はできません。しかしこれを見に集まってきた人々が神を信じ、祈るのであればそれでよいのです。」と断定は避けている。(BBC
NEWS)
怪音現象発生!!
(11月14日日記より転載)
またブロンティーデス・フェノメノン、怪音現象の報告です。昔200xでやってたことがあったけど、あのときは確か謎の兵器の実験音とかいう壮大な結論になっていた。これは規模が小さいので、昔東京の住宅街であったようなものに近いと思う。ただ、日本の場合は戦時中の不発弾の可能性があるけど(中国では日本軍が終戦間際に隠した爆弾の事件もあったそうで)、これはどうかなあ。
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深夜の謎の大音響、住民を悩ませる
インディアナ州フォート・ウェインの住民が深夜の謎の大音響に悩まされている。
住民の一人ヘレン・リリーさんによれば、11/9の夜から朝までにおよそ10回ドーンという大きな音が聞こえ、「まるで戦争のよう」だったという。地元TV局とフォート・ウェイン署には住民から何十件もの通報や問い合わせがあった。
その夜の最大の音は地元の病院のあたりから聞こえ、付近では家が揺れて窓ががたがたいったという。夜9時半から深夜までに4回、朝の6時から8時過ぎまでに4回大音響がとどろいた。
住民は不安に包まれている。「眠れないし、怖いしで誰かに助けて欲しいわ。このあたりの人は皆怖がって、気が動転しているわ。」とリリーさんは語った。
フォート・ウェイン署では音の発生源をつかむため一帯のパトロールを強化した。この町では以前から夜謎の大音響が鳴り響き住民を悩ませていたが、ここ1ヶ月ほどは鳴り止んでいたという。(WANE-TV/tokyo
fuku-blog)
アイスマンの呪い
(3月1日日記より転載)
(CNN/REUTERのニュースに基づきてきとうに書き直し)
2005.02.28
オーストラリア・イタリア国境の氷河で約5300年前の凍結ミイラが発見されてから、今年で14年。当時の生活やこの人物の死因をめぐり、最新技術を駆使した研究が進められているが、依然として多くのなぞが残る。またミイラの発見者らが相次いで不運な死を迎えたことから、不吉なうわさも巻き起こっている。
このミイラは91年、ドイツ人登山家のヘルムート・ジーモン氏が発見。現場の地名にちなんで「エッツィ」と名付けられた。現在はイタリアのボルツァーノにある南考古学博物館に保管されている。
「エッツィ研究には、近年の科学技術の発達がそのまま反映されている」と、同博物館の職員は語る。エッツィについてはこれまでに、推定年齢が45歳前後であることや、20代前後までアルプス南方の渓谷で育ったらしいことが判明。01年にはX線撮影により、肩の部分から矢が見つかった。手にも切り傷があり、衣服に本人以外の4人の血液がついていたことなどから、戦いで死亡したとの説が有力になっている。最近では、DNAからエッツィの人種を推定する研究が進行中。結果は数カ月以内に発表される見通しだという。
しかし科学は未だにアイスマンが見つかってから起こった一連の不吉なアクシデントについて説明ができないでいる。法医学者ライナー・ヘンはミイラに最初に触れた一人だが、エッツィに関する講演に向かう途中に車の事故で亡くなった。案内役だった山岳ガイドは転落死し、発掘現場を撮影したジャーナリストは癌で死んだ。去年の10月にはヘルムート・ジーモン氏自身もエッツィの発見現場近くで突然の嵐に見舞われ命を落とすという羽目になった。エッツィ殺害説を唱えるオーストリア・インスブルック大の考古学者ワルター・ライトナー氏も当夜すぐそばにいた。彼らも悪天候で足止めを喰らい、翌朝ヘリコプターにより救助されたのだが、アメリカのジャーナリストたちに彼のアイスマンに関する理論を説明している最中、余りにも突然の荒らしに見舞われたのである。「その瞬間に私は呪いのことよりもむしろ生き残ることを考えました。私の家族、私の娘の誕生日がまさに翌日だったのです。そのときそこに私はいることができないのだろうか、と。」ライトナーは語った。「翌日、研究所にたどり着くことができたとき、人々が叫んだのです。「聞きましたか?ヘルムート・ジーモンがその山で行方不明になってるんです」私は少しずつ気持ちが悪くなってきました。」考古学者はジーモンがアイスマンの発見によって強く心動かされていたと説明した。それはまるでキリスト教への改宗のシグナルかと思われるほどでした。「しかしなぜ、ミイラは彼にこのようなしうちをしなければならなかったのですか?」ライトナーは付け加えた。「理解できない。」
ナスカより古い地上絵大量発見!
(3月2日日記より転載)
ペルーで新たな地上絵を発掘、ナスカより古く
2005.03.01
Web posted at: 12:51 JST
- CNN/AP
リマ──ペルー南部ナスカの地上絵のすぐ近くで、巨大な地上絵が新たに見つかった。海岸沿いの砂漠地帯約150平方キロの範囲に、人間やサルなど約50体が描かれている。ペルー紙エル・コメルシオが2月27日、伝えた。ユネスコの世界遺産に指定されているナスカの地上絵よりも、さらに古い時代のものだという。
地上絵は、首都リマの南約325キロにあるパルパ市の近くで見つかった。現地で約7年にわたり調査してきたペルーの考古学研究所のジョニー・イスラス所長によると、地上絵として人間やサルのほか、鳥、ネコが描かれているのが見つかった。
地上絵には、紀元前600〜100年ごろの織物や陶器に図柄としてよく使われ、パラカス文化にとって重要だった「目の神」も、大きく描かれていた。このことからも新しく見つかった地上絵は、ナスカより古いパラカス文化時代のものと判断できるという。
パルパから南へ約20キロ離れたナスカにある地上絵は、紀元前50年から紀元600年ごろに栄えたナスカ文化のものと見られている。ナスカの地上絵は、1994年に世界遺産に指定され、年間8万人の観光客が見学に訪れている。
(CNN日本語版より全文引用、写真は英国版)
亡者会
〜蒲田の某撞球場で御家連の天狗たちが集まって某夜亡者会と云うのを催した。それは最も成績の悪い者を亡者に仕立てて笑いあうという悪戯半分の会であった。其の晩には十人ばかりの仲間が集まっていた。皆負けて亡者にせられてはたまらないと思っているので、一生懸命になって技を戦わした。其の結果七勝を得たものが其の晩の優勝者になり、一勝を得たものが三人あって、それが競技によって其の中から亡者を定めることになった。そこでいよいよ亡者戦がはじまった。
「おい、慎重の態度で」
「しんちゅうのパイプで」
もう亡者にせられる恐れのない者は面白がって半畳を入れた。そして、平生仲間からガチと云われている勝負運の強い男で、負けこすなんぞと云うことは信ぜられない会社員某氏は、其の晩にかぎってちっとも当りが出ず、殊に彼が最も得意とするマッセーが全然駄目になったので、とうとう亡者になったのであった。此の大きな番狂わせは仲間のものをいやがうえに喜ばした。
「いよう、亡者先生」
「おめでとう」
「痛快、痛快」
仲間の者ははしゃぎながら、某氏の額に三角の紙を貼り、経帷子を被せて慰労会を開き、例によって夜の更けるまで騒いだが、亡者になった某氏は気が鬱して面白くないので、ビールを飲んでもうまくはなかった。そして、会が終って皆に別れて家へ帰ったところで、病気でもないのに祖母が歿くなったと云って大騒ぎをしていた。
後になって某氏が時間を繰ってみると、祖母の歿くなった時は、己が亡者に決定した時であった。
(田中貢太郎「日本怪談全集」)
〜亡者のフリをしてふざけているともってかれるよ、という説話ともとれるが婆さんはいい迷惑である。亡者の格好が悪いならどこぞの町で亡者装の群れが練り歩く祭りなぞ毎回婆さんが大量に無くしている筈だし棺桶に亡者のふりをして寝る祭りもまた別の町であったりしてそれも婆さんが死んでいる筈である。それにしても昭和初期の庶民はこういう夜会がどうしてか好きだったのだな。悪趣味と云うかデカダンと云うか。でも少なくとも何年前かに学校の先生が「葬式ごっこ」を催したら死人役にされた生徒が本当に自殺してしまったという事件に比べれば罪はあるまい。
殺人毒ミミズいよいよ調査へ
懐かしいと思った。この記事である(またX51ですすいません)→モンゴリアン・デス・ワームの本格的調査始まる モンゴル
原文は長いので元記事を見ていただくとしてさわりだけ引用しておくと、
***
【Metro/etc】この度、英国の科学者らによって組織された研究チームによって、モンゴリアン・デス・ワームの本格的捜索が開始されたとのこと。モンゴリアン・デス・ワームとは1800年代初頭、ロシア人研究チームによってその存在が確認された、モンゴル北部のゴビ砂漠周辺に生息するという巨大な芋虫型の生物である。現地ではこれまで数百人がその毒によって殺されたと言われ、目撃者や犠牲者は後を絶たないものの、その存在は謎に包まれたまま今日に至っている。
目撃者によれば、生物の体は丸々と大きく、明るい赤色で、その長さは最大で1.5mにも上ると言われている。またその姿は牛の腸にも似ることから、現地ではオルゴイコルコイ("腸虫"の意)などとも呼ばれて恐れられている。(中略)
生物は数メートル先から獲物に対して飛びかかるように襲いかかること、また口から猛毒の蒸気のようなものを発すること、感電に似た衝撃を与えて人を殺すことなどが報告されている。
***
なんだか凄い怪獣のようである。だがこれが果たしてワームであるのかどうかも実ははっきりしないらしい。トカゲ(毒を持つミミズトカゲ)説も浮上しており、今回の調査で何がわかるのか、ひょっとするとかなりなーんだ的な結論に落ち着く可能性もある。ゴビ砂漠の雨季にのみ姿をあらわすということで調査隊はその時期、つまり今じぶんを選んで現地に入り、小さな沼を作って誘い込む作戦だという。
・・・つかなんかアナログな作戦というか・・・ころりころげた木の根っこ、みたいな作戦を聞いてピンとこないか。そう、これは動物学者やら科学者やらの絡んだ正規調査と言えない部分があるのである。「未知動物学者」による調査なのだ。
だいたい未知動物という括り方はおかしい。未知の動物にも種類はあるわけで、爬虫類、哺乳類、両生類、あるいは未知の類なんか、それぞれについての専門家がいるべきなのに、「未知」という括り方で学者が存在するのは、まるで100年以上前の博物学のレベルだ。
とまあシニカルなことは置いておいて、誰が中心になっているかというとリチャード・フリーマン博士。UMA(この言葉は日本でしか通用しない、未知動物が正しい)好きには実はけっこうおなじみな名前なのである。この記事にコメントを寄せているイワン・マッカール氏についても最早説明の必要はないだろう。必ず名前の挙がる人である。そしてこの人も、殺人ミミズについての調査を既に行ったことがあるという。彼によれば旧東側の社会主義体制が隠匿していた怪物であり、体制崩壊とともに初めて調査できるようになったという。社会主義体制なら寧ろ調査を積極的に行いわが国にはこんなに凄い生き物がいるんだと誇示しそうなものだが。軍事利用でも考えていたのだろうか。
「地元の人々の話では、生物は砂の下を自由に移動し、突然砂の上に飛び出して攻撃するそうです。また一度敵に出会うと、砂から体半分を除かせて、口元に何か気泡のようなものを作り始めるそうです。そしてそれが大きくなると、爆発して、猛毒をまき散らすんです。」
・・・ほとんど怪獣映画である(最初から怪獣映画だが)。ハリウッド映画に出てきたような気さえする。マッカール氏はチェコの人で何も陽気なホラ吹きヤンキーではないから、余り揶揄するのもどうかと思うが、それにしてもこれは「トレマーズ」とか「砂の惑星」などを彷彿とさせすぎる。だが氏は当然動物学者であるから冷静に、砂漠でワームは生き残れないから、無脊椎動物である可能性は低いだろう、とも付け加えている。アスファルト上のミミズ状態になるというわけだ。毒を噴射するといえば有名なコブラの一種がおり、これは原文でもその可能性が示唆されている。ジュラシック・パークでエリマキトカゲの化け物が噴射する毒を想像してみればいい。ただ、この毒はあくまで通常は人間などより小さな相手を封じるために噴射される。巨大な殺人ミミズが人間相手に大噴射などしたらそこらじゅうに跡が残り証拠は既に容易に手に入っているはずだ。電気攻撃にいたっては、現場は地上なのだから、「ラムだっちゃ」というわけにもいかない。水中でしか効かない攻撃方法であり、毒と電気については博士は尾鰭にすぎないだろうとしている。妥当だろう。
昔世界最大のミミズを調べたことがある。種類はいくつかあるようだが、長さについてはオーストラリアのビクトリア州ジップスランドにいるメガスコリデス・オーストラリアで、4メートルにもなるという。南米には重さ1キロで太さ3センチ弱のものがいるらしい。だが、4メートルはともかく(物凄く細長いだけである、サナダムシのように)太さ3センチというのは人を殺す動物にしてはいささか頼りない。やっぱりミミズではないのか、それとも砂漠に適応し内臓器官の進化した新種のミミズなのか、興味はつきないところである。勿論、成果は期待していないが。
ツタンカーメンの知られざる呪い
ツタンカーメンの呪い、それは墓荒らしに対する死者の復讐として今や最も有名なものとなっている。しかし実際にはこのツタンカーメン墓の発掘にあたって人が次々死んだというのは過剰に演出されている要素があり、それほど頻発したというほどでもなく(当の本人は生き延びたのだから!)、また未知の細菌である可能性などいろいろな説が浮上しており、またつい最近のミイラの詳細な調査にあたって誰も死んでいないという事実もあることから、眉唾の可能性が高いと考えられてきた。
でもじつはツタンカーメンは人知れず祟っていたのである。これはまたもやX51からの二次引用ですが、よろしければどうぞ。全文はこちら
ツタンカーメンの呪いの指輪 -
南アの女性が返還を申し出る
【IOL】南アフリカに住む女性がツタン・カーメンの墓から入手されたとされる指輪(写真)のせいで、家族らを失ったとし、指輪の返還を申し出たとのこと。「彼女は指輪が災厄をもたらすとして、我々に返還を申し出たんです。」エジプト考古物学会会議長のシャリエフ・スバシエ氏は語った。彼女が初めて手紙を送ったのは2004年のことである。手紙には、女性(匿名)はツタン・カーメンの呪いによって家族を失い、自身も身体に痛みを感じているため、宝石を返還したいと書かれていた。しかし手紙に記された住所は判読できず、学会側はどうすることも出来ず、しばらくの間、話は膠着していたという。しかしその後、手紙のことを新聞社が報じ、郵便番号などから女性の住所が突き止められ、返還が行われる運びとなったのである。
この指輪の入手経路について、女性は手紙に次のように記している。「このスカラベの宝石は1960年代、親戚の女性から譲り受けたものです。そしてその女性によれば、もともと指輪は、1920年代に船長であった彼女の夫が、カイロの賭場で入手したものだと聞いていたそうです。彼女の話では、そのとき、賭場にはツタン・カーメンの墓発掘に携わる考古学者が参加しており、賭けに買った彼女の夫はその考古学者から掛金の代わりとして、その宝石を手に入れたそうです。
そしてその後、男性は南アフリカに帰り、娘に指輪を託したのち、ヨーロッパへ出航したんです。しかし、そのとき、船は沈没し、彼女の夫は溺死しました。更にその指輪を手に入れた娘も、白血病で21歳の若さでこの世を去りました。
また私に指輪をくれた女性、彼女は私の義母の従兄弟なんですが、彼女はそのとき、娘の遺品として、宝石箱の中から選らんでそれをくれたんです。そして今から30年前ですが、私はケープタウンの文化博物館に宝石も持って行き、その真贋を見てもらいました。結果、宝石は紀元前2000年頃のものだと言われたんです。私はうれしくなってそれに金の台座をつけて指輪にしたんです。
それからしばらくの間、私はそれを定期的に身に着けていたんですが、それから18年後、私の娘は21歳の若さで事故死したんです。以降、私は指輪をつけることを止めました。彼女の享年は私に指輪をくれた従兄弟の娘と同じ年だったんです。私はそれで恐ろしくなりました。
また私の娘が死んだのは、私がある日、指輪をディーラーに売ろうとしたその翌日のことでした。私はそれから、指輪を銀行の金庫に預け、エジプトから代表団が来るまではそこにしまっておくつもりです。」
***
墓を暴いたところ呪いが降りかかったという「事件」は何もツタンカーメン墓ばかりではなく世界中で起こっている、とされている。東欧でも日本でも起こっている。日本で有名な事件はあえなく解体されることになった高松塚古墳の発掘に関するものだが、東京都世田谷区の野毛大塚古墳の奇怪な事件も有名だ。明治30年というからもう20世紀も近いころ、当時普通の土塚と思われていたこの小山の山頂を近在の三人の若者が戯れに掘ったところ、武人の石棺が出た。普通この頃(5世紀前半)の地方族長墓は木棺だが余程貴人だったのだろう、丁寧に粘土郭で固められた箱形石棺内は朱塗りにされ、更に木棺を入れてそこに葬られており、重層的な棺作りはちょっとツタンカーメンぽいか。話によれば綺麗に残った人骨のまわりに夥しい副葬品が見られたそうである。日本のような湿気の多い土地で人骨が綺麗に残るのは極めて珍しい。
:野毛大塚古墳全景。南面のみが綺麗に刈りそろえられ、二つの造り出しに円筒埴輪が並べられている。少年野球団が昇り降りのトレーニングをしている。とても鎮まっているようだ。
三人は恐れ周りにふれ回りこの件はかなりの話題になった。帝室博物館学芸員によりさっそく調査がなされ、そのときに出た模造刀子などは東博で見る事が出来る。だがこのあと、いくつか説はあるのだが、石棺を鉄の鏝で開けた二人は発狂(その後自殺したとする説もあり)、残る一人は墓穴の中で割腹して死んだ。伝説には一人が行方不明になって探したところ、墳頂の盗掘穴の中に座しているところが見付かった。その穴からは血が大量に吹き出ており、若者は両手に血を擦り付けながら謝罪を口にしていたという。引き上げられてのち程なく血を吐いて死んだそうだ。その葬式のさい、更に頭痛に見舞われる人が出るなど強い呪いが降りかかった。関係者にも病人が続出するなど後々まで引いたそうである。
:とても広い円頂部。ここに社があった。手前の白い部分が明治時代に石棺が見つかった個所を示す。棺自体はとても小さいものだ。血が吹き出たときはもうちょっと広く掘り込まれていたはずである。向こう側にあと3つの棺室の所在を示す白い部分が見える。見た通り、手前の棺室に比べてかなり大きい。中央が「主」だと思われる。
ということで、つい15年くらい前に慶応大学などが調査に入るまで再発掘されないままにされていたのである(ちなみに呪いはなかった模様)。戦中戦後は坊主にされ削られたりもしたがなぜか全部が壊滅させられるようなことはなかった。呪いの伝説を意識したせいかもしれない。平成の調査では何と更に3つの棺が発見され、うち全長10メートルもの主体部からは鎧や鏡刀剣類といった大和朝廷との関係を窺わせる立派な副葬品が発見されており、これが元々の塚の主であると考えられた。つまり呪ったのは主ではなかったのである。
今では綺麗に芝や葺石で覆われ整備されているが(巨大な円墳とされていたが珍しい帆立貝式古墳であることが判明した)、昔は呪いにぴったりな、木が茂り古社の建てられた陰鬱な小山だったようである。社は三人の青年の鎮魂と「大塚様」のため発掘棺室の上に建てられたといわれる。吾妻神社と名づけられた社は霊験あらたかだったというからここのツタンカーメンはリッパだったのだ。日露戦争時に弾よけの神様として参詣者の跡をたたなかったが、昭和初期には荒れて青年団の格好の肝試しの場所になった。
日本の祟り塚の話となると他には元神田明神、現大手町新生銀行ウラの「将門の首塚」も有名だが、ここが墳丘をならしたGHQにたたり、ブルドーザーをひっくり返して死者を出したという話には実は根拠が無いと検証されたこともある。まあ、中世にまで時代が下れば、ツタンカーメン風の「呪い」という言葉より「祟り」という言葉のほうが似合ってくる。そういえば野毛大塚の墳頂から鎌倉時代の常滑焼陶器が見付かっており、長らく失われた「大塚様信仰」があった可能性もあるのだ。更に蛇足を加えよう。近所に23区唯一の渓谷、等々力渓谷がある。この崖面に横穴墓(古墳の石室部分だけを崖面に穿った古墳時代末期(大化の改新後)の民衆墓)がいくつか分布しているのだが、いちばん大きく整備されている3号横穴からは三体の家族の骨が出土している。その父親の骨にはあきらかな刀傷が検出されたが、それだけではなく、無数の細かい傷が見とめられた。3ミリ間隔で38本もの傷がつけられた骨もあった。
これは人肉食の跡と考えられている。
野毛大塚についてくわしくはココ参照。
指輪などの宝飾品の呪いもまた、いろいろな話が伝えられる。ダイアナが呪いの宝石に殺されたという人までいる。ホープ・ダイヤは有名だが、他にも東南アジアの寺院から盗み出されたルビーにまつわる怪異話など枚挙に暇がない。
このツタンカーメンの指輪の逸話にどの程度の信憑性があるか不明だ。ツタンカーメンの顔がCG復元されたとのニュースがあったばかりで、この顔がこの赤いスカラベを指に差していたのかと、ちょっと不思議な気分にもなる。考古学者が掘り出し物をガメることというのは実は結構多いようで、今でも小さなものではお持ち帰りされる場合もあるようだから、インディ・ジョーンズみたいなことはありえない、なんていうことも、実はそうでもないのだ。
奇蹟はペンキ塗り
アメリカで何故か「奇蹟」が頻発している。それは様様な場所に様様な形で姿をあらわし、そのつど人を集めている。たとえば奇蹟というと実際に神の実像が現れ祝福をあたえたとか、あるいは彫像が血の涙を流すなどの比較的リアルな宗教体験を想像させるが、アメリカを中心として報告されるこれらは単に「像」として焼き付けられたものとなっている。昨年有名になった「窓ガラスのキリスト」は私の目にはとても人には見えないものだったが、信仰者にはそう見えたようである。これは社会不安の裏返し以外の何物でもないだろう。一方では日本に劣らず閉塞感にあえぐ巨大国家の庶民の実像を浮き彫りにする幻想とも言えるかもしれない。
:昨年フロリダでキリストとされた窓ガラスの像
今年前半では4月に降って湧いたように報じられた以下の「奇蹟」が話題になった。AP電のニュースをロイターの米版から訳出してみた。
***
高架下の染みが処女マリアVirgin Maryに見える
2005年4月20日水曜日: 東部夏時間午後2時45分(グリニッジ標準時1845)
処女マリアの肖像が火曜日にイリノイ州シカゴの高架下に現れました。
シカゴ(イリノイ)(AP)--祝福と好奇心の間断無い流れが多くの献花とキャンドルを運んで、コンクリートの壁に現れた黄色と白の染み・・・一部の人々が処女マリアの現れであると信じている・・・を見るために、高速道路の高架下に群がりました。
警察は月曜から何百人もの人々が肖像とその周りに増え続ける献花とキャンドルの記念碑を見物するために歩いたケネディ高速下の緊急用非常口をパトロールさせました。
肖像の横には芸術家の或る者が染みの形に似せた形で法王のヨハネ・パウロ二世John Paul IIを抱いている処女マリアを描いた絵が置かれています。
「私たちは、それが奇跡であると信じています。」と、42歳のエルビア・テーヨは言いました。 「私たちには、
信仰があります、そして、彼女の顔を見ることができるのです。」
火曜日の朝、仕事着の男性が肖像の前に神妙に立ち祈っているあいだ、警察のバリケードの後ろではロザリオのビーズを持った女性たちがひざまずいていました。警察官は、群集が車の交通に近すぎることからおよそ3ダースの人数に抑えましたが、彼らが染みのまわりに集まるのを止めることはできませんでした。
イリノイ州運輸局によれば染みは塩分流出の結果の状態によく似ています。当該機関はそれを壁からこすり落とすようなことは計画していません。
「私たちはまさにどんなタイプの道端の記念碑も扱うようにこれを扱っています。」と、イリノイ州運輸局のスポークスマン、マイク・クラファイは言いました。
「私たちには、この場所を掃除する計画は全くありません。」
シカゴのローマン・カトリック大司教は月曜日現在まだ、肖像を認定してほしいという要求を受け取っていません、とスポークスマンのジム・ドワイアーは言いました。
「こういったことは毎日起こるわけではありません。」と、ドワイアーは言いました。 「しばしば人々は、何かを調べるように私たちに依頼してきます。たいてい認められることはありません。
(それの意味するところは) それを見る個人に頼っています。そういうことにおいては、それは本物です。彼らにとってそれは、彼らの信仰を裏付けるものなのです。」
しかし、36歳の見物人ビクター・ロブレスは、処女マリア似の染みに関して疑問視しています。
「私にはまさしくコンクリート壁のどこにでも現れうる像に見えます。」と、ロブレスは言いました。 「その像が、より多くの人々が神へ親近感を抱くことに役立つのであれば多分、良いサインといえるでしょうが。」
世界中で、人々は窓、フェンスポスト、および壁に現れた処女マリアに類似していると信じられている像に惹きつけられてきました。
合衆国で最もよく知られる中に、フロリダ州クリアウォーターのオフィスの窓に見られる像がありました(訳注:冒頭に述べたもの)。数週間のうちに、50万人の人がかの地を訪れたことがありました。ガラスの専門家は、像がガラスコーティングにおける、金属元素の化学反応と腐食によって作成されたと信じていますが、それらは、それがなぜこうした形を取ったかを説明することはできませんでした。
窓は昨年割れてしまいました。
信仰者は、高架下の壁の像を'美しい'と呼び、また他の者は塩の染みの像と呼びます。
***
しかしこういうシロモノに対してキワモノ的な見方をする信仰者達ももちろんいる。寧ろ真摯な信仰に対する冒涜と考える者も少なくない。賢いカトリック教会は言葉を選んで信仰を賛美しつつもやんわりと批判を忘れていない。人々は望むものを見る、それは望まれなければそこに見えることはない。私はけっこういーかげんというか、「この両方ともが真実である」というアンビバレンツな立場をとっているので、どちらも援護したいところだが、そんなときに、まだひと月もたたないうちに、こんなニュースが入ってきた。これはロイターのシカゴ版に基づくexcite日本語訳記事からの引用。全文はこちら
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アノ壁のシミの「聖母マリア像」にいたずらが…
[5月6日 ロイター] シカゴで高速道路の下の壁のシミが「聖母マリア」像に見えるとして、この数週間でたくさんの信心深い人々が訪れたが、このシミの上にいたずら書きがされてしまったため、上からペンキで塗りつぶされることになった。シカゴ警察は、37歳の男性を公共物破損の疑いで告発した。この男性は、「聖母マリア」像といわれた黄色と白のシミの上に、黒い靴墨で
"big lie" (大きな嘘)と書いた。シミは、この3週間で聖地のようになっていた。(中略)道路管理技術者によれば、シミは上部の高速道路から冬季にしみ出た水漏れが原因だと見ている。
***
結局ラクガキされたので消されてしまいました(泣)当局公認の「名物」だっただけに信仰者以外にも怒りを覚えさせたことは想像に難くない。理由はあきらかになっていないが、「大きな嘘」と書いている時点で、このような「不純な信仰」に個人的に怒りを感じたためだということは明白だろう。実は4月のニュースのあとにこの像を揶揄する言説がいろいろなところで見られていた。ネットで見られる中にはかなり酷い、ともするとキリスト教そのものを侮辱するような内容のものもあり、逆にこういったものが伝統的な宗教への不信感を煽ったり、いかがわしさを感じさせるものとなってしまう可能性をも示唆している。
奇蹟のごとに新派ができる、宗教にはそういう側面もある。信仰の対象を物質的なものにしてしまうと、それを崇拝することが目標となり、つまりは物のごとに宗派が生まれる。そして異端化していく・・・その「物」を所有する者が教祖化したりするわけだ。これこそ偶像崇拝の穴であり、聖書Bibleに基づく宗教が偶像崇拝を否定したのもそこに理由のひとつがある。信仰の中心は姿を持たない抽象的な存在、絶対的な唯一神であるとする宗教はなかなか賢いというか、だからこそ成長拡大し長い歴史を得ることができたのであろう。
それにしても、このことによって誰にもなんにも「神の罰」は下されていない。それはおろか、ここでは奇蹟に定番の「クララが立った現象」も起こっていない。心は癒されたかもしれないが物理的に癒された人がいたという話は聞かない。道路管理技術者のいまさらのコメントも笑えるが、総合的に判断して・・・どうなんでしょ。あなたはどう思いますか???
犬が飛ぶ
羽のある四足動物というと真っ先に挙がるのが猫だろう。最近ではロシアでも発見されたというニュースがあった。多くは形だけの羽根で飛べるわけもなく、一種の畸形か、体毛の変形なわけだが、イギリスを中心に広がる羽付き猫の歴史は案外古く、中には悪魔の使いのように描かれる「ほんとに飛ぶ猫」の伝説を見ることもできる。
日本に目を転じると明治時代に羽根のある猫を伝える文章がいくつかみつかる。多くは見世物の猫のようで、あるいは日本に多大な影響を与えた大英帝国からの流入話と考えられなくも無い。ただ、アイヌ系の人が連れてきて見世物にしていたら飛んで逃げてしまった、とか、山奥を歩いていたら巨大な羽根のある猫に遭遇した、とか変化に富んでいる。明治の想像力は江戸にひけをとらない。
他に四足動物で羽根のあるものというのはいたのだろうか(あくまで「幻想世界」の中でです)。ヨーロッパ中世あたりの絵画にはそのようなものがあったような気がするが、実は余り聞かない。羽根のはえた牛なんて想像できないし、羽根のはえた豚もいささかぞっとしない。じゃあやっぱり身軽な猫だけか?
いえいえ。そんなことを言ったら筑後の人に笑われてしまう。だって、町じゅうが羽根の生えた動物の彫像に埋め尽くされた(?)町があるのだから!
JR鹿児島本線に「羽犬塚」という駅がある。地理的には福岡県筑後市である。宗岳寺というお寺があり、二つほどの石塔が飾られている。これが「羽犬塚」、羽根の生えた犬を葬った塚なのである。
伝説には諸説があり詳しくは最後の参考ページを見ていただきたいが、秀吉の愛犬が死んだので埋めた説と、文字通り羽根の生えた獰猛な大犬が人馬を襲っていたのを、秀吉が大軍をもって退治したという説に大きく分かれる。江戸時代の文献に両方が現れているのである。後者の話では敵ながら犬の勇猛さをたたえて塚を作り立派な石塔を立てたとされており、この羽犬というのが「本当に犬だったのか?」という疑問を抱かせるが、話としてはとても面白い。
猫はすばしこく高いところに上り下りするから羽根のイメージが付随してきやすいように思う。でも、犬に羽根があっても飛ぶイメージはわかない。それだけにいっそう創作意欲をかきたてるのか、羽の生えた犬の像やマスコットが筑後に溢れかえる(?)はめになっているのである。
地元では前者の愛犬説を信じたがる人が多いらしい。しかしこちらを信じてしまうと至極あたりまえな伝説が出来上がる怖れも有る。・・・羽は羽柴の羽ではないのか?九州征伐は関白となり豊臣を名乗る1585年より前のことである。「羽柴秀吉公が犬」の略ではないのか?羽根の生えた「ように」飛び回る犬だったという話もあわせて、とてもつまらなくなってくる。
やっぱ飛びましょう。犬が飛んだんです。飛びながら次々と秀吉の兵を蹴散らし噛み殺して回ったんです。万の大軍相手に羽根付き怪物が一匹だけ、まるで怪獣映画のようじゃございませんか。殺されたほうはたまったもんじゃないけど、これから島津を掃討しようと意気込む天下の秀吉をたった一匹で阻んだ羽犬、倒したあとに立派な石塔をこしらえ弔わせた秀吉の意気にも敬意を表しておきましょう。
明治前半以前のお話というのは現代の都市伝説同様に眉唾ものが多い。でも現代のものとは違ってロマンがある。こういう図抜けた面白さがない現代、私が奇想を求める時どうも過去へ目を向けてしまいがちなのも、こういうところに理由があったりします。
参考:
福岡県筑後市のページ(紹介)
郷土史家が語る「羽犬塚」の由来(検証)
いろんな羽犬像(写真)
羽犬塚の犬の謎(レポート)??
私もしばしば取りあげてきていてテレビでもかなり紹介された話(世界まる見えとか世界仰天ニュースとか)なのだが非常にまとまった資料として以下の話がX51に載っていた。見てみてください。→
心臓移植で転移する人格−記憶は細胞に宿るか
ちゃんと否定派(移植を受けた人のうちの否定派だから説得力はある)の話も書いてあるから極力懐疑的心霊主義者な私にも嬉しい。ロマン派の人には移植を受けた人の夢にドナーが出てきて穏やかに話をしたエピソードなどとても感動的に読めるだろう。X51ほんと復活後気合入ってるなー。
手塚のブラックジャックの中に丸一冊を使って描かれた長編があり、これが「脳移植による記憶の流入」を描いたものとしてなかなかホラーで神秘的な感触をあたえていた。心臓移植を受けた人間の嗜好がドナーに似てくるという話など、さしずめこのイメージに近い。私が以前書いた憑依による人格併合みたいなところにも似た感覚である。つまるところ物理的に移植されたから記憶が乗り移ったのか物理的なものが関係ない世界で記憶が乗り移ったのか???心霊主義に立つなら圧倒的に後者だろうし医学的には両方とも受け容れられまい。
脳だけでなく神経索にも脳のような機能が備わっている。これは恐竜のような巨大生物が全身を制御するために脳だけでは足りず腰などにある神経の塊を発達させるという説で有名になった話だ。これを突き詰めていくとこの記事にあるとおり細胞そのものに記憶があるかどうかという話になっていく。
だが、残念ながらそこまで細胞にフクザツな構造が備わっているわけもなく、これも擬似科学の範疇と言わざるを得ないだろう。パラサイト・イブなんていう小説が流行ったこともあったが、エンターテインメントと科学は別だ。脳自体の機能が明らかになっていない以上、完全否定もできないわけだが。
「ほんとにあった呪いのビデオ」シリーズに代表されるいわゆる心霊ビデオものは一段落ついた感がある。初期のエキセントリックな(であるがゆえに非常に怪しい)映像から、なんだかぼやっとしたどうとでもとれるような映像と小説的なシナリオによる内容希薄の補完といったものばかりになるに至って、人気も一気に衰亡していったようである。だがそれに反していわゆる霊能力者モノはテレビでも花盛りだ。スピリチュアルなどといった新らしげな言葉を使って旧来の土俗的な雰囲気を払拭しようとし、でも結局やっていることは「イタコの口よせ」。セラピーの一種として捉えるべきだろうが、時々混ざる心霊科学的な言説や怪しげな映像にはちょっと首をかしげさせられる。また、明らかに確信犯的に奇矯な情報を提供しつづけるアンビリバボーなどの擬似科学番組もまた、分かって見ていれば非常に面白いのだけれども、子供が信じたらやばいよなあ、と思う。
そう、最近は「映像モノ」が減っている。音声モノも、心霊写真モノも減っていると言ってもいい。こういう「証拠」が大好きな私はいたずらに感情を煽るばかりの霊能力者モノがメディアに多い現状は残念なのだが、そんなとこにX51で興味深い記事が掲載されていた。ぜひこちらを読んでみてください。X51絶好調だな→
テープの中に現れる幽霊−電子音声現象とは
参考6に挙げられているページを見ればわかるとおり、これらの大半は最初に言及した「ほんとにあった呪いのビデオ」末期の状態に似てあやふやで怪しい。これを読んで思い出したのはドイツで研究されていたテレビの放送時間帯外に混信する「死後の世界の映像」である。これは日本でスペシャル番組も放送され書籍化もなされたため覚えておられるかたも多いと思うが、砂嵐の中に何か風景のようなものや、人物のようなものが浮かび上がる。今の電磁波塗れの日本なら何らかの「本当の混信」ということがありえるかもしれないが、電波的に穏やかなドイツでああいう映像が頻繁に録画されていたということにはちょっと興味を惹かれた。「ほんとにあった呪いのビデオ」の砂嵐に現れる爺さんの顔の映像の、余りにクリアであるがゆえにCGとしか思えないものと比べ、ギリギリを突いて来ているというか、私のあやしげアンテナにビリビリ響いてくるものがあったのである。
テレビのブラウン管は霊を寄せ付けやすい。かつて霊能力者たちは口を揃えて言った。心霊写真によくあるブラウン管に映りこんだ人間の顔というものはそういう出やすい媒体だからこそありえたのだと。だが今やプラズマ管、さらに液晶やら有機ELやらという時代になっている。そういう新しい映像メディアにもきちんと対応していくのだろうか。幽霊、どうでしょ。??
古人が立つ台所
昔どこかへ書いたが忘れてしまったのでうろ覚え。沖縄の知り合いが話してくれた話。
那覇に国際通りという有名な繁華街がある。ここは今や観光客のメッカとなっているが戦後ヤミ市的に発展した場所で、焼けたり荒れたりした地域に人々が集い街を形作ったとされている。このあたりは古くからの墓が多く存在している。それはヘタすると琉球王朝成立前からのものもあるくらい古いものらしい。沖縄の墓は大きく、亀甲墓を代表とするような、塚に横穴を掘って蓋をした形のものが多い(実は単純ではないらしいのだがおおまかに言えば)。この国際のあたりもそういう墓が群生していたのである。
だが戦後、沖縄の人々はそんなことを言ってられないというか、日々の生活のためにギリギリがんばっていた。墓は・・・家やアパートのために潰されたり、踏み潰されたりした。極端に言えば国際通り沿いのアパートや家はみな墓の上に建てられたと言ってもいい。
それが保護のために土地所有権の無い居住者を立ち退かせ修復整備されて公園化されていくようになった。街中に不意に公園が現れ穴の穿たれた塚があったりするのはみなこの文化財保護という観点からの修復工事の一環で整備されたものである。
でも理由はそれだけじゃないらしい。
私の知り合いは国際のすぐそばのアパートを借りた。奥さんはちょっと「見える」家系の人だった。
その奥さんが言うのだという。
「変な服装をした人が、台所に立ってる」
「古い感じの人が、冷蔵庫の前にいる」
・・・そんなことをえんえんと言うのである。ノイローゼになる。一回ノロ(職業的悪霊払い)に祓ってもらったらしいが、とにかく奥さんの霊感が強すぎたのか、二人は結局別れたと聞いた。そこも実は、墓の上に建てられたアパートだったらしい。引っ越した後はどうなったのかもうわからないというが。
実はこういう話が多いらしい。だから立ち退きがスムーズにいっているというまことしやかな話もある。別に実害は無いらしいのだが、気味が悪いのは事実だろう。国際通りが発展しているさまを見るに、古人もそれほど怒っているわけではないようにも思えるのだが、とにかくその見えた「人」というのが、見たことも無い服を着ていた、いつも目にしている伝統衣装とも違うもの、というところにも興味を惹かれました。??