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幻想日記OKA−COPLEX!Ver.2ー1

KWAIDAN-NEWS


2005年06月17日

カテドラル教会逍遥〜八兵衛さんどこ?

再度昼間時間をみて二駅先の東京カテドラル関口教会に行き、茂みの中の石塊群の中に八兵衛石がないか探した。いくつか文献をあたってみて、ネットでも見た結果、三尺余り即ち1メートルくらいの高さのひょろ長い石碑のようなものが正解らしいということがわかったのだが、そういう石は小日向の切支丹屋敷跡にはなかった。破壊されていたとすればカケラ的なものはあったのだが、それもそうであれば理由が伝えられているはずで、一時安置されていたこの教会にも現場にも一切逸話が残っていないのは不自然だ。たとえば破壊して八兵衛を無事昇天させた、とか。



関口教会にうつったのが恐らく昭和30年代(今日の話しでは小日向にあったカトリック教会を吸収したときに一緒に持ってきた、という経緯はなさそうで、遺構というか石だけ運ばれたっぽい。ちなみにシドッチさんの埋められた大木あともあるということがすぐそばの目白台図書館の本に書いてあった)。そのときは確かにあり(写真も残っている)、しかしリッパなモダンなカテドラル大聖堂が作られ、石のある茂みから向かって左脇にルルドの泉が作られたあと、何故かいわれをしるした御影石?の石碑(小日向に現存)の脇にあるのは三尺の大石ではなく一尺にも満たない石仏の頭に小石を載せたもの。昭和60年のガイドブックには既にこちらのほうが掲載されているからその間に何かあったのだろう。昼に新宿の古本市で「東京戸板がえし」(1990くらい)を再度手に入れたが、その写真では頭石が落ちた石仏が載っている。



売店のかたにお話をそれとなく伺ってみたのだがストレートに怪異物探索とは言えず切支丹弾圧を調べているキリスト教者(ウソではない)ということで無い知恵を振り絞ったら、なんだか親切にしてくれて、いつのまにか切支丹山屋敷における弾圧の実情と明治以後のカトリック復権、そして現在カトリック教会が無いのは何故か、なんてほうに興味がシフトしてしまった。個人名は避けるが偉いかた三人くらいが詳しいので聞いてみたらと言われたが、会社を抜けてきてる(休みはとったが)以上カテドラルにおいては今日はそこまで踏み込めなかった。切支丹弾圧本を一冊取り寄せお願いしておいたが、最近じつは同じ調べ物をしている人が多いようだ。途中でピンときたらしく、ああ、切支丹灯篭のこと?と聞かれてしまったと思った(このへんの経緯は昔のブログか本サイトの日記を見て)。まあマジメなカトリシアンは別にして怪異マニアだったとしたらご苦労なこった。私は怪異も宗教も文学も歴史もごっちゃになった個人的興味をもって、今後50年くらいかけて突き止めようと思っているので、とりあえずこのへんにした。個人的興味といってもあくまでまじめだよ。

元石の写真の載っている本、コピーはあるのだが掲載するにはコピーじゃ辛いので現物が手に入ったら本サイトのほうに載せておこう。ついでに切支丹屋敷の配置図対照や異説なども、のちのち整理して本サイトのほうにのせていきたい。切支丹坂のほんとうの場所といって書いてあったのは屋敷跡石柱の前の道だった。やっぱり土地が平らにならされて本当の場所がずれてしまったらしい。



上の写真は今の茂みの状況。前に書いたとおり茂みのかなりの部分が司教の家建築のさいに失われており、今はその建物とルルドの泉の間に、雑多な石がごろごろして、二つほどの石碑(ひとつは大正時代、もうひとつは新しい。前者は時代的に違うが後者は土台になっている石が若干怪しい)と、山ほどの石くれが積んである。  

なんか怪しい根の深そうな石。頭部分?

教会ではこの切支丹灯篭だけが残り香として認識されているようだが、織部灯篭ともいうこの形は必ずしもキリスト教とは関係なく、ただ文字と祈る像と十字架的な形だけが大名屋敷の灯篭様式にファッションとして取り入れられたにすぎない説濃厚。但し、文京区にはかなりの数分布しているということを考えると、ひそかに信仰していた大名もいたという想像を掻き立てられなくもない。


2005年06月16日

轢き逃げ地獄
 

ああねえ、クルマ、調子こいて乗ってんじゃねーよ、と思うことが多い。ワカモノの無茶な暴走よりオヤジの傲慢なマナーが目に余る。仕事だから許されるなんてことはない。人轢いたら因果、当然だ。昨日の関西の、交通整理のおじさんを轢き殺して逃げた盗難車、事故って死んでるのが発見された。ニュースの短文では、なんか脱輪しただけで死んでいたように読みとれて・・・もちろんそうではないのだろうが・・・人殺して逃げたら自分に反ってきた、そんな事件に感じられたのでここに書き留めておく。轢いたのも轢かれたのも壮年のおっさん。二人もいのちが消えた。ただクルマのために。

生々しい人死に事件は風化するまで書かないポリシーだったのですが、今日はなんとなく書いてみた。  


2005年06月15日

怪談会の怪異
 

・・・震災の前であった。白画堂の三階で怪談会をやったことがあった。出席者は泉鏡花、喜多村緑郎、鈴木鼓村、市川猿之介、松崎天民などで、蓮の葉に白い強飯を乗せて出し、灯明は電灯を消して盆灯籠を点け、一方に高座を設けて、譚をする者は皆其の高座にあがった。

数人の怪異譚がすむと、背広服を着た肥った男があがった。それは万朝報の記者であった。

「此の話は、私の家の秘密で、公開を禁ぜられておりますが、もう時代もすぎましたから、話してもいいと思いますから話しますが、これは田中河内守を殺した話でありますが、それを殺した者は、私の祖父・・・」

と云いかけて詞がもつれだした。一座の者はおやと思って記者の顔へ眼をやる間もなく、其の記者は前のめりになって高座の下へ落ちたので、怪談会はしらけてしまって、未明までやるはずのものが、一人帰り二人帰りして、十二時頃には何人もいなくなった。そして、其の記者は脳溢血のような病気で、三日ばかりして歿くなった。これは市川猿之介の実話を其のまま。

(田中貢太郎「日本怪談実話」)


・・・久し振りに引用モノを。「全集」と違い、短い怪談が脚色無しにひたすら羅列されているさまは壮観であり郷愁でもある。新しい読者は新耳袋を想起するかもしれないが、我々の世代だと中岡俊哉さん、多彩にいろいろ書いていたけれども、虚実入り乱れの短い怪談を集めた心霊本は元祖ミステリースポットガイドブックであるとともに仲間内の怪談会データベースでもあった。講談師の家柄というからさもありなん、言葉の巧みさは子供を震え上がらせるのに十分なものがあったが(見てきたような嘘を言うという点でもね)、元はといえば怪談王田中貢太郎綴るこのような怪談収集本の形態がベースになっている。イマオさん(イワオさんじゃない)あたりの心霊本とも通じるところがあり非常に面白い。もちろんワンパターンが多いし、脚色が無いせいでネタ的に今一つ食い足りないものも多いから飽きもこようが、今とそんなに変わらない都市伝説が語られていたのだなあ、という感慨も受けるし、大正昭和初期の風俗がまた郷愁であり、その中に自分がいて、生のゴシップ情報を聞かされているような錯覚が味わえる。江戸怪談の残り香も感じ取れる。病院で天井に張り付く老婆を追い払ったら隣の部屋の病人が天井を指差しつつ死んだ、なんて昔引用した「官人天から降りる」の話の焼き直しのようだ。死に神のありふれたパターンではあるけれども。

しかしこの話、まさに「ノロイ」なんだけど、結局何だったのかわからないところが面白い。こういったパターンは意外とあり、山岸涼子さんの実録怪談マンガにも、奇怪な台詞を言って消える人影の話が出てくるが、これも隠喩的な状況以外意味は一切わからないとされている。怪談会での脳溢血、偶然と片づけるのはたやすいがそこを怪異をみなすところに人間の心の妙がある。江戸時代に横行した呪いは開化後久しくしてこんな断片的な形で生き残っていた。ひょっとしたら今も、あすこの横丁は人がよく死ぬ、とか、うちの家系は家長が必ず40で死ぬ、という話がたまに聞かれるのは、そういう偶然の不幸の形をとって、大昔の「呪い」が続いているためなのかもしれない。理由が失われたまま、唯呪いだけが。  


2005年06月14日

オクラホマでもミステリー・サークル・キノコ
 

異常気象なんですかね、「菌輪(菌環とは言わないそうです)」がオクラホマでも見つかりました。ロマン派っぽく「妖精がオクラホマでも饗宴を」とか書いたほうがいいのかな。

Area resident awakens to circles on his front lawn
6/8/2005


文章は省略。ちょっとまじめに調べるとなんか結構普通の現象みたいで、たとえばココでも芝生に害をあたえるものとして紹介されています。ちなみにちゃんとフェアリー・リング(妖精の輪)と呼ばれているそうで。シバフタケ Fairy Ring Champignon (Marasmius oreades)なんてまさにそのとおりの名前のものまである。水で茶色く変色するんだって。うーん、無知でしたあ。あくまでキノコが同心円状に拡がって生えるという状態を中心に説明してますが、キノコは菌類が胞子を振り撒くために形成するものですからね、基本的には一緒です。身近な例で言うとマツタケは赤松の周りに円環状に育っていきます。だから一本見つけたら同心円状を探すと他にも見つかりますね。赤松の本根から土中放射状に伸びる菌糸の上に等間隔で顔を出すためリング状に見えるわけです。濃緑色の菌類というまさに前の報告で出てきたものも(ちょっとわかりにくいですが)写真が載ってますので興味のあるかたは見てみてください。芝を枯らす病気というところが前の報告の「寧ろよく育つ」という点と矛盾するため引っかかりますが、条件によって違うのでしょう。こちらにも病気の一種として書いてあります。そういえば世界最大のキノコがシベリアで発見、という話もあったな。あれも菌が土中で根を張ったのが物凄い広大な範囲という話しだった。普通に半径300メートル重さ100トンに及ぶものがあるそう。菌根菌と呼ぶのですね。モンゴルの壮大な菌輪についてはココこりゃ遠目には宇宙人のしわざに見えてもしょうがないわ。モウコシメジという種類だそうです。↓



なんだかガッカリニュースが続いてしまった。  

またもや誤認チュパカブラか?

チュパカブラなんてそうそういないですわ。というか、殆どがイメージ先行で一部ビジネスになっちゃってる。だいたい中南米ならともかくアメリカで本当に現れたら大事でしょうに。

チュパカブラ、南テキサスに舞い戻る
CHUPACABRA BACK IN SOUTH TEXAS
Posted June 13.05
(Original headline: Possible Chupacabra Sighting )

またミステリー・ビーストが南テキサスで見つかった。ある者はそれがチュパカブラではないかと言う。

最初の目撃は昨年エルメンドルフElmendorfでであった。今、サン・アントニオの東にあるルーリングLulingの男性が、ミステリアスな獣をビデオテープに捉えたとNews 4 WOAIに語る。

クリス・コーブルは友達とドライブしているときにそのクリーチャーが藪の中から飛び出したのを見たという。

道路を走っているとき彼がそれを見つけた。恐らく道路から30ヤードくらい離れていたという。コーブルは友達に呼びかけた。彼らはルーリング近郊の森林地帯にいた。

それは体高3フィート、毛はなく、胴長で猫背だったという。

彼はビデオテープをNews4WOAIに持って来た。 ビデオテープを見ると、その動物は犬かコヨーテのようにも見える。しかしコーブルはそれがチュパカブラかもしれないと言う。

エルメンドルフのある牧場主は昨年ミステリー・ビーストを彼の牧場で目撃したと主張した。そのビーストはDNA鑑定で却下された。

News 4 WOAIはルーリングの動物に関する最新の報告について野生動物専門家に話を伺った。

これは全然チュパカブラではないと思う、とNatural Bridge Caverns Wildlife Ranchのティファニー・ソーチングはコーブルの生物について語った。毛の問題を抱えた犬ということに落ち着きそうである。

ソーチングは以前これに似た動物を見たことがあると言った。コーブルは「ビースト」が狼との混血に似ていると語っている。  

 

2005年06月13日

首なしの隣人
 

なんとなく昔のX51の記事を読んでいて気になった事件があった。これは一般のニュースでも報じられたものである。

<以下引用>


助手席に座る首無しの友人に気づかずドライブ 米


【Reuters】米ジョージア州の男性が運転中事故にあい、助手席に座っていた友人の首が千切れるも気づかず、自宅までドライブ、そのまま就寝していたとのこと。翌朝になり、隣人が車の窓から身を乗り出した状態で血まみれた首なしの遺体を発見、通報を受けた警察がかけつけ、泥酔したままベッドで熟睡していたジョン・ハッチャーソンを逮捕したという。

警察の調べではハッチャーソンはその日、(死亡した)友人と共にアトランタ郊外のバーで飲み明かし、明け方になって泥酔したまま車を運転。

そして自宅に向かう途中、路肩の電柱に激突したことを供述したという。その後、警察は供述通り、事故現場付近から死亡した友人の首を発見したと発表している。

警察は泥酔での運転が今回の事故要因である、と話しているとのこと。


<引用オワリ>


これ、昔よく聞いた「サンルーフから首を出す子供」の話しだよな。都市伝説と言うには余りにリアル・・・というか本当の事件らしいけど・・・で凄惨。今、探偵ファイルやってるガルの本で仔細に調査されていた(あれの信憑性云々はわからんが)。低い陸橋の底に声も出さずに首を飛ばされてしまった不注意な子供の話、これの源流は「あくまで伝説と考えれば」バスの窓から手を振っていた子供が路傍の何かで手首を飛ばしてしまった、だから窓からは絶対に顔や手を出さないように、という半ば教訓めいた話だと思うが、そもそも気が付いたら「首がない」という話は江戸時代まで遡ることができる。これは都市伝説に焼きなおされ怪談として語られる場合も多いのだが、疲れた農婦が泣く子をおぶって山道を歩いていた。片手には草刈り鎌を持っている。ある場所で農婦は藪だか枝葉だかに行く手をふさがれる。そこで鎌を振り上げ、それらを薙いでいったのだが・・・気が付くと子供の声がぴたりと止んでいる。



振り向いた農婦の目には、首のない子供が肩にのしかかっている姿がうつった。

鎌を振るったときに子供の首をも薙いでしまったことを知った農婦は狂ったようになり、やがて発作的に路傍の木に首をくくって死んでしまった。以後この不幸な農婦親子のために地蔵が建てられ菩提が弔われるようになった。。。

・・・ま、本人首括ってるのになんで子供の首を狩った事実が知れたの?とかいう矛盾点は置いておこう。私の話もうろおぼえだし、バリエーションは無数にあるから何か合理的な説明のつく正解が別にあるかもしれない。

首がない、というのは古今東西物凄く奇怪で凄惨な状態とされてきた。あたりまえだけど、首なし死体というのは手首なし死体よりニュースになる。身元がわからなくなる、という証拠隠滅的オトナの理由により首を消すという現代の合理的理由はさておき、特に子供にとっては首=顔というのは「人間の全て」であり、それがなくなることは人間自体がいなくなるか、もしくは「人間でなくなるか」ということを示している。それは異常であり、異次元の事件のような不可思議な印象をあたえるものだ。プリミティブで子供めいたのが伝承(現代都市伝説も含む)の特徴、「気が付くと首がない」という単純な話が古くから取りあげられ続けてきたのもそのせいだろう。事実かどうかはそこではあまり重要視されない。事実っぽい、というだけでOKだ。また教訓なんかなくてもいい。「首がない」ことが全てなのだ。

「首なし武者」「首なし騎士」「首なし馬」・・・古今東西怪奇伝説の主要な登場人(馬)物だ。それらが単純に首を狩られたから首がないとするのは早計だろう。首や顔がないというのは「この世のものでないものになる」ということの象徴である。顔を見せたがらない死者というイメージは今も心霊を語るときにしばしば聞かれるものだが、首なしライダーの出没する街道も死亡事故はあったものの実際に首がとんだ事件は果たしてあったのだろうか。それは「この世のものではないライダー」を象徴する見え方として、既に話者の脳内に構築されたイメージにあてはまる「何か」があらわれたにすぎないと私は考える。

・・・あれ?なんかクドクドしてしまった。

 

空からなんか落ちてくる

氷塊ドカーン!屋根に大穴…航空機から落下か

 13日午前8時5分ごろ、栃木県佐野市犬伏下町、無職青木チエ子さん(64)方から「空から氷が落ちてきて、屋根を突き破った」と110番通報があった。

 佐野署で調べたところ、屋根に直径約50センチの穴が開き、4畳半の居間に拳大の氷塊が落ちていた。近くのファンヒーターや茶だんすなどが壊れていた。

 近所の人が12日午後1時ごろ、「ドカーン」という大きな音を聞いたといい、同署は、航空機から氷塊が落下した可能性があるとみて調べている。青木さん方は同日夜まで不在で、けが人はなかった。
(読売新聞)


よくある話ではあるが、

「ドカーン」

という擬音に惹かれたので引用してみた。飛行機に貼り付いた水分が氷塊となって剥がれ落ちる、もしくは汚い話だがトイレの故障で異物が落下、凍ってドカーンというのはよくある話。中には飛行機も何も飛んでないのに大きな氷が落ちてきたという事件もある。多分隕氷だろうという結論になったか。イギリスの老婆やオーストラリアの子供が立ち上がったところに隕石落下、難を逃れたという事件も記憶に新しい。車が飛び上がって民家の二階を直撃した事件もあった(写真)。これらはX51に載ってるので興味があれば。



湖や海の水が竜巻で吸い上げられて、「魚」が降るという事件も聖書の昔から繰り返し報告され続けてきた。しかしこちらは気温等環境上の問題からとても生きてはおれないはずなのに、生きたままの魚が降るという例も少なからずあり(日本でも江戸時代に報告がある)単純な「吸い上げ落とす」というパターンでは説明しきれないらしい。蛙も石も時には破壊された生物・・・血や肉・・・も降る。これらはX51の過去記事に載ってるので興味があれば。

空から降るものとしては他に聖書の昔からマナなどと呼ばれる甘いネトネトが「神の食物」として言い伝えられてきたが、これは何らかの生物学的現象、少なくとも自然現象で説明がつくらしい。翻って日本では、何故か「墨汁」が降るという現象が報告されている。いずれ別項でまとめようと思うが(といっても二例しかないけど)、仏教的もしくは心霊学的説明がつけられているそれらの現象、何か火山活動や隕石落下などの自然現象で雨に黒い物質が混じったのか・・・まさか原爆ではないだろうが・・・興味あるところだ。  


2005年06月10日

超古代遺跡を衛星で解析しよう!

このサイトでアメリカのアンジェラ・ミコルさんが提示している画像は、衛星写真を「精巧なソフトにより精度をより高め、珍しいパターンを抜き出して掲示」したものだそうである。ようは昔はやった月の表面にピラミッドが!とか、火星の表面に人面岩が!といった「やりかた」を地球に適用しているのである。それらよりはよほどマジメに行われていて、フロリダに見つけた「大津波に襲われた古代住居跡」とか「ミノス島のアトランティスの遺構」や「ギザのピラミッド近くに見つけた人面パターン」など、なかなか面白い。これが正しいのか「アート」なのかということにかんしては見た者が判断すればいいだろう。ここにはアンジェラさんのサイトへの導入口だけを設けておく。

三角プロジェクト↓

火星の人面岩↓

福岡ムーミンの木?

昔、人面ブームというのがあった。人面犬、人面魚に端をはっし、そのうちカメムシの背に人面が!呪い!とか、蜘蛛の背に人面が!恐怖!とか、蟹の背に人面が!平家!とかなんでもかんでも自然のフシギをオカルト流に騒ぎ立て、私もうっかり人面本を何冊か買ってしまったおぼえもあるのだが、そのうち派生した「目の生える木」(街路樹の枝の落ちた跡が「目」に見えるだけだが、夜中にしゃべる声が聞こえるとかわけのわからぬ噂がたった)などといったもう小学生の読む図鑑に出てくるような幼稚な科学まで無視したものが出てくる始末でどっちらけて終わった。人面魚も元祖はとっくにお陀仏で今別の人面魚が各所に細々生き残っていると言う。

日本人に限らないが古来人間は自然の姿に人間を見てその名をつけたりしてきた。いや、人間には限らないが、たとえば東海のほうに鮒の形をした鮒石というのがあるが、横にして見ると翁の笑う顔に見える。これは瑞祥とされ古くにまつられたものだ。

だが、そんなものに見立てるかー!!というような奇怪な見立てをする人もいたりして、これだから面白いのだが、朝日。

「ムーミンの木」、境内のクスの木 地域おこしに活用も

:クスの根本から約2.5メートル付近にできている「ムーミン」こぶ=福岡県古賀市青柳の五所八幡宮で

 福岡県古賀市青柳の五所八幡宮に、「ムーミン」が現れた。実は境内にそびえるクスの木の幹にできたこぶ。背中を丸めてしがみついているように見える。地元では3日、世界的な人気者に地域おこしの手助けをしてもらおうと、全国のファンを呼んで交流会を開く。

 木は推定樹齢千年で、高さ約40メートル、幹回り約10メートル。こぶは根元から約2.5メートルの場所にある。下ぶくれの顔に短い腕、丸いお尻のムーミンに似た形だ。

 昨年12月、地区の活性化をめざす団体が視察で同神社を散策した際、市外のメンバーの一人が気づいた。「あれ、ムーミンばい!」。宮司の渋田直知さん(63)は「子どものころからこぶを見ていたけど、ムーミンとは気づかなかった」。

 さっそく地元の人たちが、ムーミンの木にあやかって何かできないかと動き出した。5月に「青柳む〜みんの樹交流会実行委員会」をつくり、ムーミンにちなんで6月3日、木を囲んだ交流会を開くことを決めた。


 青柳地区は江戸時代に唐津街道の宿場町としてにぎわった。実行委の山鹿肇雄さん(64)は「ムーミン談議に花を咲かせながらいろいろな人と交流し、地域おこしのきっかけにしたい」。

 交流会は午後5時半から。ムーミンが好きな人なら誰でも参加できる。参加費は男性1000円、女性500円、子ども無料。問い合わせは五所八幡宮(092・942・2344)へ。


・・・ムーミンの呪い。確かに奴は妖怪だ。けど、フーミンの呪いならありそうだが、ムーミンがしかもよりにもよって福岡を呪うなんて。はるばるフィンランドから何を思ってこの木に宿りに来たのか不明だが、問題は作者トーヴェ・ヤンソンさんが一連のムーミン作品を手がけ始めたのは1945年であったということである。

この木、どう見ても1945年以前に生えている。

ムーミンは古い伝説に基づいている。であればムーミンという名前はともかく、フィン族が語り伝えてきた古い妖精トロールの一人が、遠い昔に来日して(恐らくスカンジナヴィア半島からロシア・シベリアを横断し朝鮮半島から福岡へ渡ったのだ)、この木の胸に抱かれて眠ってしまったら、うっかり樹皮に覆われて動けなくなったのだろう。

・・・・・・・なわけあるかいな!

 

おめでたい海苔仙人魚

亀の年長ずれば背に毛が生える。浦島子の助けた亀は毛の生えた大亀。古亀の背に毛即ち緑藻が生えて髭の如く後ろに垂れるさまは長寿のしるしとして稀に見る瑞祥とされてきた。しかし頻繁に動く魚に藻が生えるのはそれにも増して珍しい。ウロコに異物の生えるのは病気の一種ではあるのだが・・・毎日の雑記帳より。

緑色の付着物に覆われた「仙人魚」 鹿児島で話題



◇鹿児島県長島町の小浜川河口で、緑色の藻のようなものに覆われた魚が見つかり、地元の人たちに「仙人魚」と呼ばれ、話題を集めている。
◇外見や、河口を泳ぐことからボラとみられる。体長は約40センチ。4、5匹の群れの全身や一部が緑色の付着物に覆われている。頭付近のものはひげや毛髪に見え、仙人のよう。
◇葛西臨海水族園(東京)などによると、繁殖期のアオノリの胞子が付着したのではないかという。悠々と泳ぐ姿と縁起よい名にあやかり、手を合わせて祈りたくなる?【松谷譲二】(毎日新聞)


・・・亀の場合は「緑毛亀」「緑藻亀」「蓑亀」などと呼ばれる。ここに詳しいのでよろしければ。仏教の教えと絡められることもあり、吉兆亀、霊亀とも呼ばれるも実は自然にあるもので、平安神宮などにもいるそうだが、元はといえば中国伝来の呼び名、そのとき酒好きという属性もついてきた。種類としては石亀が多く、藻は酸素呼吸の助けになり、また外敵から身を守るのにも役立つものと考えられている。勿論生き物だから飼い方によっては藻が取れてしまったりもする。そこでわざわざ亀に藻を植えて育てるのが中国でも江戸でも流行ったそうである。人工的に瑞祥を作り出す感覚は近代のものだ。今回の仙人魚は自然のものであり、瑞祥と考えればきっと瑞祥になるだろう。人の想いは案外届く。



だが問題はこれが藻ではなく海苔ということである。

食うとうまそうなのだ。ボラは食える。自然海苔巻と考えればこのまま炙って食べたらさぞかし香ばしいことだろう。  


2005年06月09日

土俗と幻想の狭間で
 

怪談は苦手だ。

というか、土俗が苦手だ。土俗の匂いを嗅ぐと気持ちが悪くなる。因習、迷信といったものはこの現代社会においても頻繁に顔を出し当然のように振舞う。いくら非科学的であっても誰も抗わず従っている。それが怖い。

怪談と言ったが小説的な怪談は面白い。読み物だから美文や形容をもって真綿にくるまれている。江戸時代の奇想天外なホラ話を読むのも面白い。

剥き身の怪談が苦手なのだ。何のフィルターもかかっていない、頭に突き刺さってくるような痛覚を伴う怪談。それは残酷であり、率直であり、人間の深い闇を覗き込んでしまったようなたびたびの後味の悪さがある。

ここのところお上品に読書なぞするのだが、土曜からずっと体調を崩していることもあり長いものは読めない。従って資料的なものとか、どこから読んでもいいようなものを読むことになる。怪奇幻想好きを自認する以上あるていどは怪談本も読んでおかないと、と思って田中貢太郎氏の所謂「実録物」の掌編集を読んでいたものの、イイ噺にかぎって小説として読めてしまうものだから、勿論面白いのだけれども、肌身に迫る真実味と言う点では今ひとつの食い足りなさが残る。墨黒金眼の化生蛙が子供を呪い憑り殺す、余りに物語的な道具立てだ。

そこでふと柳田国男氏他の収集した伝承資料集なぞを手にしたわけである。そこには全国の剥き身の噺が整然とあいうえお順で並べてある。場所や由来などには拘らない。全てはバラバラにされ、解体され、ジャンル分けされてはいるけれども、ひたすらに「あいうえお順」なのだ。

怖い。

これはまるで解剖室で腑分けされた死体だ。臓物を整然と並べ一つ一つ指差して「これは〜、これは・・・、」というふうに説明されているような怖さだ。漂白された死体の細部を観察させられる怖さだ。

こんなことをしてはいけない。

その僅かな文字のカタマリのひとつひとつから土俗が匂ってくる。剥き出しの土俗だ。千人殺したから千人塚だ。斬ったばかりの女の首が棒刺しで立っていたから首ケ谷だ(うろおぼえなので追求しないように)。そんなノリで短文がただひたすら、「あいうえお順」で並んでいる。

熱が出た。蒲団からふと目を上げると足元にカーキ色の子供服を着た痩せた青年が立っている。おまえ関係ないやん!

 

バラバラの人

exciteびっくりニュースから。

空からバラバラの死体が降ってきた!
[ 2005年06月09日 05時29分 ]

[ニューヨーク 8日 ロイター] 7日、ニューヨークのJFK国際空港に向かう旅客機の車輪格納部からバラバラになった人間の身体が降ってきた。

ニューヨークおよびニュージャージー港湾局の広報によると、米税関検査官が、ヨハネスブルク発の南アフリカ航空(SAA)203便がニューヨークに着陸後、午前7時30分ごろ男性の身体の残りの部分を発見した。

SAAの女性広報担当は、遺体は密航者の物である可能性が高いという。同便はニューヨークに到着する前にダカール、セネガルに着陸している。

ニューヨーク州ナッソー郡のケビン・スミス刑事巡査によると、機長は離陸時に振動を感じたが、検査の結果、何も不具合は発見されなかった。

フライトの間、機長はさらに「振動を感じ、何かが打ちつけられる音が聞こえたが、機体には何の異常も認められなかった」という。

警察によると、右足、背骨の一部、腰などのバラバラになった身体はニューヨーク州サウスフローラルパークにある民家の屋根を直撃、その後、裏庭に落ちたという。

[日本語訳:ラプター]


・・・可哀相だけど、これを読んで思い浮かぶのは、インド魔術最大の見世物、ロープ魔術のこと。

広場でロープを宙に投げると空へ向かって直立。魔術師の助手の男の子がするする登っていく。見えなくなるまで登っていくと、急にバラバラ降って来るのは男の子のバラバラ死体。おおっと観衆が引くと魔術師はそれを集めて布で覆う。ちちんぷいぷいアブラカダブラとは言ったか言わないか、布を外すと少年は見事繋がって立ち上がる。拍手喝采。

「魔術」である。アーサー・C・クラークはロープ部分だけであるが映像を見てトリックの証拠を見つけられなかったと言っていたそうだ。数学でこれを解いたという本*も話題になった。まあ、奇想天外サーカス魔術バリバリだから、全部タネはあるんだろうけど、最近は見ない。できる魔術師がいなくなり、継承もされなかったのか。

*「数学はインドのロープ魔術を解く―楽しさ本位の数学世界ガイド」
デイヴィッド アチソン[著]伊藤文英[訳]
出版社:早川書房
価格:588円(税込)
(強振動によりロープを立たせるって、理科男さんの本みたいなノリだな・・・)


男の子がバラバラで落ちてくるってのはどこからきた発想なんだろう。中国の古い噺に出てきそうな感じだ。実際目の前にリアルでそれが起こったらそりゃいくら前近代の世の中であっても残酷感は凄いでしょうね。現代にそれが起こった。彼の体は機内にも一部残されていたというが、全部集めて布をかけたところで、そこには無残な肉の集積体しか残らない。

幽霊飛行機にならないことを祈ります。  

2005年06月08日

テキサスのミステリーサークル?
 

昨日のソルズベリー(Salisburyと綴ってあるのでサリスビュリーと呼ぶべきなのか?)のキメラの元記事、削除されてたのは単にそういう仕様なのかな?復旧するかもしれないのでリンクはそのままにしときますが、ちなみにこの記事を見つけたのはココです。情報が早いっす。削除された記事もこちらには残ってますのでどうぞ。

ところで私のサイトが会社で規制されているところがあるとか。あれ?最近はぜんぜん宣伝してないし、敢えて方々に露出しないようにしてアングラ的な色を出そうとしてるのに、キーワードでひっかかったのかな?ちなみに分類は「カルト」・・・うーむ(泣)せめてオカルトならわかる。

今日もこのサイトで拾った記事を書きましょう。

「ミステリアス・サークル〜男性、自分の家で奇妙なリングを見つける」
by ピート・ケンドール Hood County News 2005/6/1

テレビのSFチャンネルではUFOとは未確認飛行物体unidentified flying objectのことを示す。テンプル・ホール・ハイウェイではUFOとは未確認のキノコの奇妙な物体unidentified, fungal and oddということだ。ブルース・ルステンハウアーの土地は黒くて茶色くて灰色の丸いモノを生み出した。その輪はほぼ完全に対称的であり、直径16フィート。目で見た感じでは草が燃えたように見える。これは外宇宙から来たもののようだ。もしくは州外から来たものの。

「たぶん地下で小さなアリンコ人間たちが地下核実験をやってるんだな」ルステンハウアーはにやりと笑って言う。彼は真相を解明する気はないので掘らないと語った。

「シャベルを使うのがあまり好きじゃないんだ」

彼がこれを最初に見つけたのは日曜の朝だった。「黒い半円だったよ、丸の三分の一くらいかな」彼は語る。

火曜日の朝までには別のサークルが中央に形成され始めていた。メディアが観測にやってくるともう完全な円だった。「月曜には黒かったんだよ」ルステンハウアーは語った。「(火曜の)朝、灰色と暗い茶色に変わったんだ。今はもう三分の一は茶色かな」

それは菌類かもしれない。苔かもしれない。

「草の中に粉みたいな物質があるんだよ、こんなもんは今まで見たことがない。苔のカタマリは見たことあるけど、こんなサークルにはなってなかった。草を枯らしているようには見えないし、この粉を通ったことでむしろ元気に成長してるみたいだ。草にはどんな被害も与えてない。違う種類のものだろう。」

隣人たちはこの奇妙なものをじろじろ見るために立ち寄っていく。彼らは何と言っているか?

「それはそれは馬鹿げてますよ」ルステンハウアーは言った。農業相談員マーティ・ヴァーレンカンプは、彼のオフィスに雨後の苔と菌類に関する報告が来ていると語った。事実最近適度な降水があったのである。彼は、苔や菌類が輪になって成長することはありうると語った。「あるものは輪になる。あるものはならない。」

ルステンハウアーは最近別の”環境問題”に取り組んでいる。

「貯水槽の中で魚が死んでたんだよ、先週ポンプを入れようとして見つけたんだ。思うにこれは水面に張る苔のために”酸素欠乏”を起こしたんだな」

恐らく”惑星間菌類”のせいではない、とルステンハウアーは語った。

「おれはUFO本なんて買わないからわからん」

Pete Kendall can be reached at (817) 573-7066, ext. 248, or e-mail pkendall@hcnews.com


・・・この話を受けてHood County News読者のボブ・トーマスがfarshores.orgに送ったメールでは、アトランタのラジオ番組でもこのことが放送されていたという。彼は菌類に間違いないとサイトのURLを送ってきた。forteantimes.comによればこれは「菌環」と呼ばれるものだそうだ、草の上に暗い緑色をして円形をなすものだと書いてあるけどこれって結構有名です。クマグスの国だからな日本は。ここにでも興味深い見解として、イギリスで言われる「妖精の輪」というものはこの菌環と思われるということが書かれている。妖精が真夜中のダンスパーティを行った輪っか、ラフカディオ・ハーンも子供の頃ウェールズの草原で探したという。Fairyloreはダンスパーティに参加して翌日家に帰ってみると20年が経過していた、もしくは友人達が救助に来るまでお祭りの輪から抜けられなくなったサークルへの侵入者の話に彩られている。この民俗学的に興味深い事象については敢えて深く追求しないべきだ、と結んでいる(このサイト昔見たけど今時間無いのでマタ引きですいません)。

ところで写真を見てくださいな。



これって「スマイルマーク」じゃないすか?

・・・担がれてるんじゃないすか?  


2005年06月07日

猫猿カンガルーinソルズベリー

ソルズベリーといえば「ソルズベリーの丘」、ストーンサークルのある場所だ。ウィルトシャーはミステリー・サークルのメッカとしても知られる(その真偽はともかく)。イギリスはやたらと微妙なビーストが出現するが(狩りをする大猫なんて)たいていは法制度の変化によって飼えなくなった野獣を飼い主が勝手に放したりしたもの、などという至極つまらない検証がなされている。しかし、この話はエイリアン・ビッグ・キャットなどとは違う変なもの。なにせ、相手はキメラ・・・合成生物である。6日発信のホットなニュースでございます。原文はこちら

「ビーストがソルズベリーを逃走中」

ソルズベリーの警察は困惑している。ミステリアスな生き物が町の通りを歩き回っているとの目撃報告が次々と舞い込んできているからだ。

その獣はカンガルーと猫と猿を合成したようだ、とされている。

ソルズベリーでの最初の報告はある女性が珍しい生き物を見たというものだった。23歳のニッキ・ローマスによるとあきらかに普通じゃない生き物が道を横切ったという。それは彼女の描写によれば「猫に似た」動物で、犬より大きく、黄色と黒に白いブチの入った長い尾を持っていた。

ウィルトシャーの警察はこの報告を見過ごすわけにはいかなかった。なぜなら、彼らの同僚である二人の警官もまた前夜に1マイル離れた場所で奇妙な生き物を目撃していたからである。

二人はパトロールのためソルズベリーのキャッスル・ロードを走行していた。まだ早い時間である。そのとき道路をある生き物が素早く横切った。彼らはそれを痩せぎすで、2フィートくらいの身長、長い縞々の尾があり、「猿の足を持っていた」と表現した。

引退した航空機パイロットのレイモンド・クラーク(79歳)の報告によって謎は更に深まった。ぶちのある大きな暗い灰色の「アライグマのような」動物はカンガルーのように傾いた背をして長い縞々の尾を持っていたという。

クラークさんは、動物はcoatimundiだったかもしれないと思っている。メキシコの密林から持ち込まれた、昆虫や果物、小さい哺乳動物、および卵を食べるアライグマの一種というのだ。

ウィルトシャー警察のスポークスマンは言った。「地図上に三つの報告例を載せると、それらは約1マイルを隔てておおよそ一直線に並びます。」

そして警官たちはこの動物について、一般的ではないペットが逃げ出した場合と同じように、このエリアで犬や他の凶暴な動物がかみついたといういかなる報告も受けていないのだから、危険だとは考えていないと付け加えた。

「我々にはこれについて見つけ出す手がかりを何一つ持っていません。何か似た事例を探しています。」彼は言った。

「町に住む他の目撃者が、言っても誰も信じてくれない、といって報告していないということもあるかもしれません。」

警察は現在、誰かこの動物が現れたところを写真に撮っていないかと呼びかけている・・・しかし今のところ彼らが手札の中に”身元証明書”を持っているとは思えない。
6.08PM, Mon Jun 6 2005


・・・あれ?具体的な姿が描かれていないぞ?たんに複数の目撃談をぐちゃっとまとめたらキメラになったというだけじゃないか?うーん。結局ファントム・ピューマ騒動のひとつとして落ち着くか、さもなくば、直立レッサーパンダというホラ話に落ち着くかだな。なにせ直立レッサーパンダを海外メディアでまっさきに取りあげたのはイギリスなんだから。  

2005年06月03日

女と馬琴
 

X51のネタです。ごめんなさい。いつもいつも。でも案外勝手に引用してるサイト多いので、メジャー税としてゆるして。

<引用ココカラ>
少女の身体から次々と針が吹き出る パキスタン
【Khaleejtimes】パキスタンはラホールにて、少女の身体の様々な箇所から次々と針が発見され、医師が原因を掴めずに困惑しているとのこと。事の発端は今から五ヶ月前、サイマ・ハネエフさんの足の爪先に突然腫瘍が出来たことに始まる。当初、彼女は原因が分からなかったため、病院にて診察を受けると、医師は彼女の爪先の中から針を発見。それを手術で取り除いた結果、ひとまずサイマさんの症状は回復したという。しかしそれからというもの、彼女は身体の各所に頻繁に痛みを感じるようになり、病院に行く度、痛みを感じる箇所から針が発見されるようになったのである。この謎の現象に対し、医師は全く原因が掴めないまま、これまで少なくとも100本以上の針をサイマさんの前頭部、顎部、背中や腕などから手術で取り除いているという。

また彼女は医学的な原因以外も考慮し、"黒魔術師"にも相談してみたものの、やはり原因は分からず、彼女の身体に起きる謎の現象を止めることが出来なかったとしている。
<引用ココマデ>


・・・これは物凄くメジャーな魔術的現象であり、アフリカや東南アジアでは話題にもならない。昔膝が痛いといって手術したら針が出てきて、飲んだ等の記憶もなく、いつか誰かに呪われたんだろう、わっはっはで終わった話もあった。怪しげな心霊治療でよく針を出す人がいるが、これは針を埋め込む呪術がある、という心理的土壌の上に成り立つ商売だろう。じっさい出てこられると困ってしまうものだ。UFOに誘拐されてインプラントされたとかいうレベルじゃない、挿入された場所によっては命にかかわるのだから。

針の話、なんと馬琴の兎園小説(とえんしょうせつ)にも収録されているというからびっくりだ。そもそもこのてのものは日本では藁人形に針を刺す行為で知られる呪いであるが、ここではオサキのせいとされている。イタチかオサキ狐かで意見が別れているのも面白い。そんなの一緒ジャン、と言う感じではない、江戸のこのころにはかなりはっきり区別されていたことがうかがえる。イタチの呪力について疑問符が投げかけられているのも興味深い。近代実証主義の流入を感じさせる(文政年間の話ですから)。

なんと現代語訳をやってくれているサイトがあるというのにも驚いた。非常にしっかり訳して、注釈も深い。敬意を表してリンクしておく。

「今を去ること約200年前、文化8年、曲亭(滝沢)馬琴の呼びかけにより、当時の文人が集まって、身辺で見聞きした珍談・奇談を毎月一回披露し合う「兎園会」が開かれました。この兎園会で披露された文を集めたのが兎園小説(12巻・7冊)です。」

江戸怪談を手がけている人たちの主要なネタ本になっているもののひとつなので必読。長いけど。古文だけど。ここでは「日本随筆大成 第二期 第一巻」(新装版、昭和48年・吉川弘文館刊行)を訳している。これは本編であり、3,4,5巻と外集等が続く。総揃えだと安くても10万する大成(継続中)なので図書館をあたるのが正しいでしょうね。いいかげん文庫か何かで訳本出せばいいのに。私も耳袋とか妖怪談義とか読んでは廃棄買っては廃棄を繰り返しているので、そもそもそのての古い本は地球資源のために図書館で借りて読むべきなのかもしれんな。。近所の図書館、昔はカルト宗教本や井上円了全集なぞが置いてあるイイ感じの図書館だったんだけど、今は日寄ってしまってます。

(参考)
『兎園小説』
馬琴、山崎美成らの発足した、メンバー持ち寄りの奇事異聞の文稿を披露・回覧する好事家サークル「兎園会」(「耽奇会」とほぼ同メンバー)の記事を集成したもの。会は月一回、文政八年乙酉春正月〜十二月まで開催された。その後にも馬琴他八名執筆による『外集』、馬琴単独編集による『別集』『余録』『拾遺』が書かれている。馬琴はこの作品には強い思い入れがあったようだが、晩年、持筒同心として出仕している孫・太郎に鉄砲を買ってやるため、友人・小津桂窓に五両で売り、結局買い戻せぬまま亡くなったという。

(本篇)『日本随筆大成〈第二期〉1』(吉川弘文館、1973年)
(外集)『日本随筆大成〈第二期〉3』(吉川弘文館、1974年)
(別集)『日本随筆大成〈第二期〉4』(吉川弘文館、1974年)
(余録・拾遺)『日本随筆大成〈第二期〉5』(吉川弘文館、1974年)  

自然人魚


生まれたときから話題のペルーの「人魚ちゃん」が無事手術で人間になった。
現代の人魚は魔法ではなく手術で人間に戻る。というか元から人間であると認めるべきなのだが、そういう報道をされてしまうことに若干の怒りと、自分がそう書いてしまうことへの悔恨の情が湧いてくる。でも書く。なぜならここは誰も見ていない個人的な吐露の場なのだから。

元ネタは例によってX51である。こちらもどうぞ。


<引用ココカラ>
人魚体奇形の少女、両足の分離手術に成功 ペルー
【DailyRecord】昨年ペルーにて誕生した人魚体奇形の少女、ミラグロス・ケロンちゃん - 通称"リトル・マーメイド" - が昨日、無事に手術を終え、ひとまず足の分離に成功したとのこと(写真)。施術を担当したルイス・ルビオ医師によれば、手術は外科医や心臓の専門医など11人の医師からなるチームによって行われ、4時間半に及ぶ手術の末、当初の予定であった膝までの分離のみならず、内股までほぼ完全に足を分離することに成功したという。「膝関節を独立して動かすことが出来るようになりました。手術はここまでのところ、完全に成功しています。」ルビオ医師はそう語っている。
<引用ココマデ>


水泳用のヒレに両足が一本になるように左右が結合したものがある。私の持っているヒレは左右分かれてはいるがマーメイドタイプといって両足を揃えてバタフライの要領で動かすと両足バラバラに動かすより強力な推進力が得られる(コツをつかめないと体が左右に揺れまくるが)。だからといってこの子は泳いだりなんかしたら大変だろう。生まれたときから一本に結合しているので、一本で泳ぐことに違和感はないだろうけれども。この子の手術はただの分離手術ではなく(脳畸形の分離同様)性器、尿道、肛門などが同じ一つの孔に集まっている、肝臓や消化器官の配置にも異常が見られるなど内部にも直さねばならない部位が多々あり、大変だ。この記事を読んで、それではステレオタイプの人魚の体内構造はいったいどうなっているんだろう、と漠然と思ったが、すぐに不謹慎と思ってやめた。

畸形話のついでだが、遺伝病の一つに指が多い多指症というものがある。たいていは5本のところ6本の指があり、左右対称にあらわれ、手足すべてが6本の場合もある。これは病気と言うより気質と言ったほうがよく他に弊害を生じる類のものではない。外部者向け医学辞典にもよく出ているもので中学校の図書室でも目にできるものである。先ごろテレビで白人のおじさんが6本指を披露していた。旅行好きで、アフリカに行ったところ部族の人に悪魔と呼ばれて怖がられたという。案外こういうところに宗教や伝承怪談の源流はある。別の場所では悪魔ではなく神の使いと思われたこともあるという。
:じつに9本の指を持つ足形土製品(三内丸山遺跡)
:土器の取っ手、6本指の足形(三内遺跡)
:参考、子供の足型をとった土製品(六ヶ所村、三内より時代は下る)、ちゃんと5本指です

日本にも稀にあると聞くが偏見の多い土地柄滅多に表に出ては来ない。縄文時代の土偶に扁平な足を模った石板様のものがあるが、主に青森で見つかっているものには「指の数が多い」ものが見られる。6本以上の指が刻まれているのだ。青森を中心とした縄文文化圏では独特の呪術が発達していたようで、三内丸山遺跡などを見るとたとえば数千年もあとのヤマトの埴輪にそっくりな顔が既にあるなど非常に興味を惹かれる造形が数々見られるのだが、この多指足の土偶などを観察するに、そういった普通の人間とは違った形質の人間が敬われていた可能性も考えられる(遮光器土偶が無頭症児の顔に似ていると昔から私は言っているのに誰も相手にしてくれない(泣))。今で言う「神の子」のものか。さしずめ釈迦の体中に現れた奇妙な文様や腫瘍のようなもの。悪魔か特別の力を持った呪術師やもしれないが。縄文文化についてはオカ的にも実に面白いので項を分けていつか書こう。
:ハニワ顔の土製品(三内丸山遺跡。シンプルだがじつに多様な顔が見られるのが中期を代表するこの遺跡出土の土偶の特徴。)
:遮光器土偶の一例(このての土偶は常に一部を欠いた形で出土する。普通に考えれば赤紙不動やおびんずるさまみたいな信仰の源流、即ち体の悪いところを投射して(欠いて)埋めることにより治癒を願う呪術だったということになろう。よく知られる亀ケ岡遺跡のものと微妙に異なるこの種のものは青森各地で出土している。これは三戸出土のもので幼児体型だが豊かな胸〜まるでアフリカの部族の女性のよう〜をもっていて、なんだか倒錯を感じるのは私だけ?縄文晩期ゆえ、かなり文化的に爛熟していた時期でもあり、いちがいに畸形を模ったとは言えないとは私も思ってます。)

多指症の人が左利き以上に生活に苦渋する場面も多いのはあたりまえか。ピアノなんかを弾くにはいいと思うのだが、左手だけの曲は数多あっても12本指用の譜面はないから難しい。でも、番組のおじさんはいたって能天気だった。これは差別的要素を孕む気質ではそもそもないのだ。顔が整っている、足が短いなどの気質の単なる一つの要素にすぎず、長所であり、短所である。それだけのものである。畸形話を出すと決まって不謹慎という指摘がなされたのも今は昔、サブカル流行り、見世物への郷愁が堂々と謳われるようになった現代、突っ込んだ畸形者論が現れても不思議はないのだが。勿論学問的でマニアックな研究はそっちで頑張ってもらうとして、一般レベルまで降りてきてもっと議論してほしいもんだ。アマチュアはそう思います。アマチュアにはできないシゴトですから。  
:びっくりしたなあ、もう


2005年06月02日

全国包丁列島

今朝、とある街道筋のガードレールのビスに挟み込むようにして取り付けられた包丁が発見された。既に錆び付いており、不思議なことに柄の部分で曲げられ、まるで矢印のように一方向を指し示している。

それだけなら「危ないなあ」で済まされるものが、夜。

何と全国各地のガードレールで、同じように挟み込まれた包丁が発見されたのである。総数、現時点で3000余り!!福島の500強が最高だと。(3日現在1万超、以後途方も無い数に・・・)

「サイン」か?

宇宙人が仲間を呼ぶための?ミステリーサークルが請負業者まで出てくるほど地球人の娯楽として定着してしまった昨今、新手のサインが必要となったのか?スピルバーグも大喜びかも?
真相が楽しみ!

各紙各局大々的に報じていますが、いちばん新しい毎日から引用。

金属片:45都道府県で ガードレールに2100カ所超

各地の国道や県道などで最近、ガードレールの継ぎ目に差し込まれるなどして見つかった金属片は、2日の毎日新聞のまとめで45都道府県2100カ所以上に達した。千葉市と埼玉県、長崎市で3人がけがをする事故も起きている。一体誰が何のために付けたのか、謎は深まるばかりだ。

 見つかったのは富山、滋賀を除く45都道府県。個所数は、北海道、鹿児島の1カ所から福島の580カ所までばらつきがあり、宮城(308カ所)▽長崎(156カ所)▽埼玉(155カ所)▽岩手(78カ所)▽山口(74カ所)−−などが目立つ。東京都は「4〜5月に見つかって撤去済みで、個所数は不明」という。金属片の長さは数センチ〜45センチ程度で、とがった刃物のようなものもあった。調査が進めば増える可能性がある。

 神奈川県警によると、先月30日から2日にかけて、横浜市磯子区内の4カ所の市道で、市職員らが長さ約10センチの金属片を見つけた。茨城県北茨城市の国道6号でも2枚が発見された。石川県の金沢河川国道事務所は、県内の国道8、159号で計6カ所10枚を発見、すべて撤去した。

 5月28日に埼玉県行田市で自転車の男子中学生(12)がガードレールに挟まれた金属片に足をぶつけ、2週間のけがをした。この事故後、各地の国土交通省の道路事務所や自治体、警察などが点検作業を進め大量の金属片が見つかった。千葉市稲毛区で4月19日、自転車の男子高校生(16)が、長崎市で5月25日、歩行中の男子高校生(18)がそれぞれ太ももを切り、軽傷を負っていたことも分かった。

 170枚以上回収した埼玉県警によると、金属片は▽悪質ないたずらでつけられた▽ねじ締め作業で使った金属片▽事故車の一部▽反射材の一部−−などと推測されるという。金属片がボルトに固定されたものもあり、「古い道路標識では」との声もある。愛媛県の松山河川国道事務所は「車両などがガードレールに接触した際、ボディーがはがれ挟まった可能性が高い」とみている。

 「理由なく物件を道路に突き出すことを禁じた県道路規則違反の疑いがある」(福島県警)など法律違反との見解のものもあるようだ。

 国土交通省は点検作業を続けるとともに、金属片を発見した場合「道の相談室」(電話0120・106・497)か近くの国道事務所へ連絡するよう呼びかけている。

    ◇

 一方、愛知県によると、03年に事故車の金属片でけが人が出たことをきっかけに撤去作業を行い、同年11月から04年3月までに1074個が見つかったという。

毎日新聞 2005年6月3日 3時00分  


2005年05月31日

津波と仏陀と漁師たち
 

宗教というのは奇妙である。どんな科学者でも知識人でも宗教を持っている人はみな論理を突き詰めた最後にいきなり「神」とか言ってしまうのだ。あきらかに非文明的なのに文明と共に脈々と生き続ける宗教なるもの、日本人は基本的には多神教、宗教感覚が南アジア的なので精霊信仰に近い割合と節操の無い宗教感覚を持っているけれど、それが逆に作用して宗教に対する感覚が他国より鈍感で希薄であったりもする。

ここに挙げる話(後者)は「宗教」が文字通り椰子の実のように遠き島より流れ着き根を下ろすという、まさにそのドキュメントを綴ったものである。不思議性は薄いが、奇談であることは確かなので訳してみる。英国版TIMESオンラインの記事より。海外でかなり話題にはなっていたのでご存知のかたもおられるかもしれない。

仏陀の微笑みの謎 津波によってもたらされた贈り物

From Catherine Philp in Meyyurkuppam, Tamil Nadu

小さな高僧が彼のやってきた海から数ヤード離れた木の下に神秘的な微笑を浮かべて座っている。村人達は彼の前にお香をたき供物を捧げるために集まってくる。キャンドルに火を点すためにひざまずいた漁師ガジェンドラムは言う。「私達は彼の世話をしなければなりません。彼は私達を守るために海の向こう側から遠く1000マイルを旅してきました。そして、いつまでも私達と共にいてくれるでしょう。」

マハーバリプラムの海岸から数マイルのところ、日帰り旅行でやってきたグループはビーチの真中に鎮座する巨大な岩に施された彫刻に驚嘆する。砂上に半身を出した寺院跡がまるまる存在するのだ。「何度もここへは来ているけど、以前はこんなものはなかった」学生ヴィノ・クマーは語る。「津波の贈り物ですよ」

巨大な波がインド洋の向こう側で海岸線に衝突したとき、何千名もの命が奪われた。村を消して、橋、道路、そして数々の漁船を破壊して。

しかしタミル・ナドゥ州(インドの南東端)の海岸線に位置するこの小さい地域に、津波は宝物も運んできた。太古の寺院を掘り出したり、熱心な信者の手の中に馴染みの無い偶像をもたらしたりしたのである。

津波が岸から引いたとき、マハーバリプラムからは何トンもの砂が削り取られた。そしてそこには忘れられた7世紀の寺院跡と虎、象、及び馬の美しい彫刻で覆われた岩が裸にされて残されたのである。

考古学者は新しい発見が浜辺に建っていた「巨大な構造物の上部」を示すと言う。それはマハーバリプラムの他の寺院が建てられたパラヴァ朝(3世紀後半〜893)より更に遡るものと考えられる。

しかし重要なことは他のうっとおしい騒ぎが過去へ目を向けさせるようなことは何一つ起こらなかったということ、ここの村人達は津波がそれらを見せてくれたのだと信じてやまないことである。

海の水がマハーバリプラムの海辺の寺から500m引いたときに、興味を惹かれた観察者たちによれば、あきらかに数百年前に海に飲み込まれた一連のパゴダ(仏塔)のような寺々が海底に並んでいるのを明瞭に見たという。

「私はそこで今あなたを見ているのと同じくらいはっきりとそれらを目撃しました」貝業者クリシュナンは語る。「私達は畏敬の念でそれを見つめました。そして、命からがら逃げ出したんです」考古学者たちはそれらの廃墟がマハーバリプラムの神話に出てくる伝説上の市の一部かもしれないと信じている。伝説によればその余りの美しさに神々が7つの寺のうち6つの寺を洪水で沈めたとされている。

この神話は1798年に同地を訪れ話を聞いたイギリス人旅行者J.ゴールディングハムによって書き残されている。

専門家は長い間、伝説の古都を信じる者とそれが神話にすぎないという者に分かれていた。

しかし今回の何十人もの目撃者によってもたらされた目撃談は宝探しに繋がることになった。水中写真で藻とフジツボに覆われた石の構造物が撮影され話に裏づけを与えている。しかしながら、これらを見たという人々には、科学など全く必要とされていない。

「あれを見た後、私は、神が私達の命を救うために何か素晴らしいことをしてくださっているのだと思いました」とクリシュナンは言う。「私はその時、私達は生き残ると知ったのです。」

だが誰もメユルカッパムの小さな漁師村の村人たちより神の御業を確信している者はいない。小さな仏像が津波の10日後にまったく予期せず流れ着いたのである。

漁師たちはその朝、彼らのボートの残骸を調べて回るために海辺に集まっていた。そこで珍しい形のものが箱筏に掛かって波に叩かれているのを見つけた。好奇心旺盛な9人の漁師が無傷で残っていたボートに乗り込んで調べるために漕ぎ出した。筏の中で台座に止められていたそれは面白い笑みを浮かべた小さな真鍮の像だった。空をじっと見上げている像を彼らは発見した。

彼らは海沿いに筏を引きずってみんなが見ることができるようにキャンドルを点した木の下に置いた。「私たちはそれが何なのか知りませんでした」と漁師サッキベルは言う。

ここに住む誰もがそれまでに、仏陀について聞いたことさえなかったのである。

すぐに専門家が来て、彼らにこの小さな偶像が仏教の高僧Jalaguptaのものであることを告げた。Jalaguptaは筏の上に取り付けられ、海沿いの村々を祝福し守護するために海を航海させるべく送り出されたものだとわかった。そして、彼の家はビルマ、海の向こう1000マイル以上もの場所だったのである。

「それは神からの贈り物でした。私達を守るために遠いところからやってきてくれたんです」漁師ラメッシュは言った。近隣の多くの村々が津波によって大打撃を与えられたが、メユルカッパムでは人口1000人のうち僅か12人の犠牲者で済んだのである。「彼が私達を死から救ってくれたんだと信じています」

村にはすぐに役人がやってきた。彼らは像を博物館に引き渡すよう求めた。しかし村人は拒否した。代わりに彼らはそれを置くための寺院を建てたいと思っている。そこでは正しい形で礼拝を行うのだ。彼らは漁を再開し次第寺院建設を始めるための資金を得られるだろうと言っている。

「私達は仏教のお経を知らないので、かわりにヒンズー教のお経を唱えます。仏陀がわかってくれることを願います。」ラメッシュは語った。「私達は彼に祈らなければならないのです。なぜなら彼は他でもない私達の村を選んでくれ、私達は祝福されているのだということを知ったのですから。」

 


2005年05月29日

指から煙が
 

レッドカレーを作って食べたら腹壊して唸っていると寝転んだ左足先からもわ、と白い煙があがって、すーっと虚空に消えた。

治るかと思ったが治らん。

こーいうことがあってもたいてい他人には見えないので辛いなあ。


そうそう、八戸の方舟のはなし、キリスト渡来話の誤解の可能性あり。竹内のおっさんによれば戸来のキリストの墓に来るまでにキリストは八戸港を経由してるとのこと。現ロシア経由でアラスカから船で八戸にやってきたのだそうだ。たかだか明治の話なのに変容するもんだ口伝話てもんはね。


2005年05月28日

いつの呪いだ?

 

図書館で古い怪談本を読んでいたら、或挿話の前に落書きがあった。古い万年筆の筆跡だからそうとうに昔の落書きだと思われる。

「貴様コレヲヨムト 明日十四時二○分に死ス」

一文字ひらがなが混じっているのが気になるが書体や文体からして戦前戦中のものと思われ感慨を深くした。もちろん呪いは成就せず既に日干しになっている様子である。それにしてもこのてのイタズラが70年前くらいに既にあったとは。今の「不幸の手紙」に通じる感覚が昭和のはじめに世の中にあった。思えば奇怪な流言蜚語なんて江戸のころからあったのである。特に幕末はお札が降るだのなんだの現代の好事家が好む類の噂には事欠かなかった。一方この落書きの10年前には関東大震災後の噂がもとで在日朝鮮人が虐殺されている。日本人の悪乗りの伝統以上にさまざまな世情不安が反映されていたわけで、その裏腹の頽廃的な風潮含めなんとなく現代2005年の奇妙な都市伝説ばやりの状況に似たものを感じて、うそ寒さを感じたりもする。

ところで落書きが書いてあった「呪われる話」とは何だったのか。

化け猫を撃退する話。

・・・牧歌的な時代だなあ。

2005年05月27日

火球的速やかに・・・
 

26日午後9時前、関東より西の本州・九州全域で巨大な火の球が目撃!
巨大UFOがビニールハウスのカバーとわかってどんよりしていた矢先のできごとに浮き足立っているUFOファンも多いのでは?

以下引用
東京新聞

「火球」目撃情報相次ぐ
関東から九州、広範囲で
 26日午後8時50分ごろ、関東地方から九州地方にかけての広い範囲で「光る大きな玉が落ちるのを見た」との通報が、各地の警察や気象台、天文台などに相次いだ。専門家は、明るい流れ星である「火球」ではないかとみている。

 鳥取市の「さじアストロパーク・佐治天文台」に寄せられた情報によると、南東の低い空を明るく光る大きな玉が南の方角に落ちていき、最後は建物の影に隠れて見えなくなったという。

 名古屋地方気象台には「青い光を放ちながら、北から南に向かって飛んでいった」などの情報が数十件寄せられた。

 富山市天文台は8時50分前後に光る玉を2つ観測しており、「2つ見た」との情報が寄せられた天文台もあった。

 佐治天文台は「燃え尽きなければ隕石(いんせき)が落ちた可能性もあるが、方角から見て海の上ではないか」と推測している。

〜以前引用した火球ネットワークのbbsにも多数の目撃談が寄せられています。こないだみたいに色がエメラルドグリーンだったようです。岩石の成分でしょうか??? 


2005年05月26日

青森にノアの方舟が!

GWの話を青森出身のかたとしていたら、なんと八戸近辺に、「ノアの方舟が漂着した港」があるとのこと!

えー!

新約だけかと思ったら、旧約聖書の世界までもが青森に!!

すごい、凄すぎる・・・(別の意味でも)


行きたかった・・・
今度はいつになるやら。






何考えてるんだ青森人。

それにしてもますます五戸奥地への漂着ユダヤ系ロシア人移住説が強まってきましたな。ロシア船はまさにこの港に着いたのでしょう。

さんこう>日本の世界的有名人遺構

ネットの情報はいつ消えるかわかりませんのでまとめておきます。

青森県のキリスト等の墓、釈迦の墓(2005GW報告参照)

・・・ちなみにキリストの墓へ向かうとき、バスの運ちゃんが「芸能人が一人で来てたよ」と言ってたと書きましたけど、こんな文章(末文)を見つけました。小木さん・・・オカ好きですなあ。

石川県のモーゼの墓:何かと話題の羽咋です・・・「伝説の森モーゼパーク」になってる。勿論竹内のおっさんの発案ですが。。

(引用+)「十戒」で知られる聖者モーゼが、天遊船で日本に渡り押水町宝達にやってきて、五八三歳まで生きてのち押水町の三ツ子塚古墳二号墳に葬られたという伝説に基づいて創られたテーマパークである。「ポケットガーデン」や、「安息の広場」、「モーゼの墓」等の多数のアトラクション(!!)からなるミステリアスな伝説の森である。石川県羽咋郡押水町字河原ロ130-2

茨城県のモーゼの十戒石:北茨城市にある皇祖皇太神宮所蔵。言わずと知れた竹内のおっさんの設立した天津教の聖地?です。詳しく書くと哀しくなってくるので省略。モーゼの御神骨石(これを十戒石と呼んでいる模様)、マリアとヨセフの骨で作った御神骨像やキリスト自刻の木板、ヒヒイロカネの三種の神器もあるよ!(写真はモーゼの骨)

山口県の楊貴妃の墓:山口県油谷町久津二尊院所在。8世紀唐の時代の人間が日本の五輪塔で祀られているというのもおかしな話だが(五輪塔の成立は平安末期、最古のものは岩手県平泉に所在)、供養墓とみればおかしくはないかもしれない。大陸との交易があった土地柄でもあり、その関連でこういうものが成立したのだと思われる。だから伝説としては古いことは確かだと思う。

ここはお寺でもあり、観光地である半面真面目な祭られ方をしているようである。楊貴妃は死後玄宗皇帝が葬りなおそうと墓を開けてみると匂い袋のみが置かれていたという逸話があり、ミステリアスな失踪を遂げていることからこういった伝説が派生したのだろう。詳細のお話は最後の画像の札を読んで。この半島の町油谷町では楊貴妃の里づくりという事業が進められており、キリスト公園やモーゼの墓公園みたいな形に整備されることになるのかもしれない。風光明媚な湾海の望める場所である。

長野県の釈迦の墓松代郊外川中島近くの法印塚がそれと言われている。山根キク『光は東方より』に載ってるということは竹内のおっさん絡みです。松代というと松代地震も起こす怪しげ陥没ピラミッドとして全国に知られた皆神山があることでも知られる。ナイナイの番組でも取りあげられ、頂上の池が底無しではないことが証明されたりした。下は皆神山。

神奈川県のヨセフ(キリストの父)の塚:大山のふもと、伊勢原市三の宮心敬塚古墳のこと。未調査で割合大きい円墳。近辺には多数の古墳が分布している。相武国造のものとされるらちめん古墳よりも大きい。名前は室町時代に傍らに葬られた連歌師の名をとっている。山根キク『光は東方より』に載ってるということは竹内のおっさん絡みです。

富山県のマホメットの滞在地:皇祖皇太神宮絡みです。一般的には富山市内稲田城跡とされているが現在の地名ではよくわからない。

戦後の有象無象はよくわからんので省略。


2005年05月23日

石封じの話
 

きのうふとしたきっかけで思い出した話がある。もうそうとう昔の話だ。
スペイン土産に貰ったのは一塊の大理石だった。ピンクがかった白で、綺麗だった。某宮殿が改修しているさい、大理石の壁が崩されて工事中だったところ、足元に転がっていたのでちょっと拾ってきたという。今なら確実に罪に問われる行為だが大昔なので勘弁してもらおう。

だが、この石、勘弁してくれなかったのである。

その夜から私は熱を出し、毎晩うなされるようになった。ガンガンに頭痛がして、学校へ行くのも辛かった。また、それと並行して、具体的に何が起こったとかいうことではないのだが、この白い石が、とても怖いものに思えてきたのである。揺れたり喋ったり顔が出たりということはないのだが、「何かが篭っている」。そのころ結構そういう目に(とくに人形系で)あっていた私は、まるで何かの宿った人形と同じような恐怖を覚えた。

ある朝。朝は比較的そういうモノの力が弱い気がする(気がするだけなのだが)。私は偏頭痛の頭を抱えながらマジックペンを取り出した。打ち消してやればいい。そう、怖い場所を通るとき、子供の頃よく楽しい歌やバカらしい歌を歌って通ったじゃないか。

私は石のなめらかな表面にふたつの目玉を書いた。そして、その下に半弧を描く。

「スマイルマーク」である。笑い顔だ。

石が急にぱっと明るくなった気がした。元が白いから、なおさら。それとともに、なんだかとてもかわいい石のように思えてきたのである。頭痛は程なく消え、熱も下がり、体調がなんとなくよくなった気がした。

でも怖いから学校に持っていって、文鎮として使っていた。それきり石には何の力も感じなくなった。この石は今でも手元にある。

思い込みということもあるのだろう。でも、この宮殿に関してはちょっと変な話を聞いたことがあるだけに、あるかもしれない、とは今でも思う。

***

石については前に顔の出る石のことを書いた。あれはもうこのレベルとは違う怖さがあった。若いのである。年代が若いのである。あれは現代の何かがついてきたのである。あの石はもうないが、一緒に拾ってきた石は今でも、コンポの裏側に落ちている筈だ。  


2005年05月20日

謎のピアノマン顛末

最初ビリー・ジョエルが発見されたのかと思った。数日のうちに一気に日本マスコミの好奇の的となったピアノマン(英語ではpiano manとなっている)についてまとめていこうと思う。4月にイギリス南東部ケント州シアネスSheernessのSheppey島の海辺で発見された、ズブ濡れブランドものタキシード姿の記憶喪失ピアニスト、何故5月になって、という報道に謎が謎を呼ぶ典型のような動きをしているし、奇談のたぐいとしてここに載せても不思議はないはずだ。主部分は某所に書いたものをそのままのっけますが、他の人の書いた内容については骨子だけ引用します。

*この記事はワーク・イン・プログレスです。3日更新。

***
まずは最新情報的な部分を書いていこう(冒頭にも書いたとおり情報次第で随時追加変更していく予定です)。

チェコ人の元ロックキーボーディスト*という話が出ている。ポップス系ミュージシャンという線は私も勘ぐっていたのでかなり信憑性を感じる。当人の顔はチェコの新聞に載っただけでネットでは拾えなかったが、私には余り似ていないように思えた。チェコの有名ロッカーの話によるともうかなり前に一緒に活動したことのある人で、ピアノを弾いている姿がそっくり(ピアノを弾いているピアノマンの映像なぞが流出していたのか不明だが)だということだ。但し当局や病院はあまたある問い合わせの一つとして特に注目しているわけではない、としてあるいは否定的な意見さえ述べている。結局のところこの人間が同一人物である根拠は「イギリスへ行きたがっていた」ということと、ピアノの正式な教育を受けているというところに尽きるらしい。

以下引用。ZAKZAKより。

ピアノマンはバンドマン?チェコ出身との有力情報

元メンバー「彼は英国に行くのが夢だった」

ナゾを呼んでいるピアノマンだがチェコ出身との情報が寄せられた(AP)

 ピアノマンついに判明!? 英国東部ケント州の海岸で先月、ずぶぬれのスーツ姿で保護され、全世界を巻き込んでナゾを呼んでいた「ピアノマン」に、ついに身元判明に関する有力情報が寄せられた。

 英大衆日曜紙メール・オン・サンデーなどが伝えたところによると、ピアノマンは、チェコのロックバンドでキーボードを担当していたトマス・ストルナドさんではないか、という有力情報が寄せられたという。Tomas Strnad

 ストルナドさんは公表されたピアノマンが演奏している写真と非常に似ていることや、バンドに参加する前にはクラシックのピアノで修業を積んでいたことなども判明。ストルナドさんの父はプラハの歯科医といい、一緒にバンドを組んでいたという男性も「彼は英ロックバンドが好きで、英国に行くのが夢だった」と証言しているという。

 ピアノマンに関しては、これまで全世界から1100を超える情報が寄せられていたが、いずれも本人と特定するには至っていない。

 病院によると、ピアノマンは今もおびえた様子は変わらず、いまだに一言も話していないという。医師らは記憶喪失の可能性を指摘。原因を特定しないことには本格的な治療は困難としており、今回寄せられた“チェコ人情報”に関して本格調査に乗り出すことにしている。

*チェコ人はのちに自ら名乗り出て、別人と判明。

参考記事

CNN29日

身元不明者捜索サイト

病院

IOL30日

***

ピアノの腕前についての話が全く二分されている。二度目の収容病院ではプロとはいえないという証言があったが、最初の病院では「クラシックに詳しくないから難しい事はよく分からないのだけれど」すごいピアニストだと思った、という証言が多く、これが最初の天才ピアニストという報道に繋がったようだ。演奏を報道に流してもらえればすぐにハッキリするはずで、探す上での条件が変わるから余計な手間も省けるはずだが、録音するかもしれないという医師の曖昧な発言に留まり未だ実現していない。治療上の都合という話もあるようなのでいちがいには批判できない。

個人的にはピアニストというよりポップス的な意味でいう「ミュージシャン」である可能性のほうが高いように思われる。弾いている曲目の全容が明かされていないので何とも言えないが、チャイコフスキーのバレエ曲「白鳥の湖」のピアノ編曲版というのはよほどの歪んだ思い入れがなければ普通はピアニストが真っ先に取り上げる曲ではない。通常はショパンなどの最も練習し最も弾いてきた曲が思い浮かぶだろう。そのうえジョン・レノンを始めとするポップス系の曲も弾いているそうであり、とすればそのての曲をステージでスポットライトを浴びてグランドピアノで弾く(最初に描いたピアノの絵は影の付き方からスポットライトを浴びた状態のグランドピアノ、即ちステージ上の情景と推測されている)ことはyoshikiかピアニスターでもないかぎり到底考えられない。但し、イギリスはクラシック音楽受容の歴史の古い土地柄ではあるものの、やはりこの半世紀でポップスの台頭により人口は減ってきており、この病院にも彼の弾く曲(大半はクラシカルとは言われている)が何なのかわかる人間がいないから、ポピュラーな白鳥の湖とかジョン・レノン、ビートルズ等しか判明しなかった、それだけのこととも思われる。もうひとつ気になったのは、ちゃんと楽譜を使用しているという点である。楽譜無しでいきなり病院のピアノで弾きまくるという報道だったはずなのに、その全身写真の手には楽譜が携えられている。治療上ピアノを弾かせるのが一番いいと判断され、病院の判断で与えただけとは思うが、気になった。ちなみに音楽を聴く基本であるが「巧い演奏」と「心を打つ演奏」は違う。ピアノマンの音楽はたぶん後者なのだろう。そしてクラシカルな世界で一流のプロであるということはこの両方を兼ね備えているということである。


テレビを除けば日刊スポーツがいちばん情報が速いようだ。BBCやロイターの英文ニュースより速く現場の情報が入ってくる。

(以下引用)2005/5/20
謎のピアノマン、カナダから?
 英南東部シアネスの海岸で保護された身元不明の「ピアノマン」について、19日までに計850件に上る情報が寄せられ、うち可能性のある約300人について担当者が調査している。そんな中、19日の英紙デーリー・ミラーは、カナダ警察当局者の話として、昨年トロントから姿を消した「フィリップ・ステューフェン氏」の可能性があると伝えた。同氏は99年、大けがをしてトロント市内の病院に運ばれた際、記憶喪失と診断された。その後、不法滞在などで有罪となり、昨秋に出所した後は行方が分からなくなったという。当局は「金髪や顔がそっくりだ」としている。(ロンドン=鈴木雅子通信員)

(引用オワリ)

しかしテレビ報道を見る限り別人に見える。髪型の違いはいくらでもどうとでもなるとしても、鼻の形が違う。あんな鷲鼻ではない。(注)他にもフランスの失踪した大道芸人ではないかとか北西部で80年代に活動していたウツ病のミュージシャンではないかとかカンタベリー大の同級生だとか沢山問い合わせはあるが、いずれも断定できる証拠は無いようだ。スウェーデンの若い才能あるピアニストが失踪、かれは来月ロンドンのウィグモア・ホールで演奏するはずだった、という情報もあり、ピアノマンがスウェーデン国旗らしきものを描いていたことから(記憶喪失者が国旗を描くなんてよほどの愛国主義者だな)可能性が示唆されてもいる。(注2)

(注)この男は以前全く同じように記憶喪失で血だらけの顔をして現れた男で「名無しさん(Mr.Nobody)」と呼ばれ話題になった。身長が10センチ違い、同一人物ではないと断言されている。ちなみにこの人物の記憶喪失も事実だったようだがその後失踪を繰り返し整形手術も受けており(鼻はそのときに治されているらしい)不可解である。不法滞在で放り出されて以来行方が知れていない。のちにゲイモデルとして現れた男に酷似しており同一人物視されることもある。このモデルの顔は確かにピアノマンに似ていなくも無く、中間をとったような感じである。不可解に思ったのはMr.Nobodyも曲名であり、あだ名がアルバム名や曲名という点で共通点を見出させようとする意図を感じなくも無い。共通点といえばタグを切り取るという状態にも共通点が見られるそうだが、医師によれば自閉症患者が自分を隠すために自ら切り取る可能性もあるそうである。Mr.Nobodyの奇矯な行動を見ているとそういった原因による自作自演感もする。

(注2)のちに自宅で発見されたためこの説は否定されている。


映画にそっくりという説もある。未だ健在の精神病ピアニスト、ヘルフゴッドの半生を描いた「シャイン」のDVD宣伝説についてはきっぱり否定のコメントが出ている。問題の「ラヴェンダーの咲く庭で」であるが、日本では配給元が否定しているものの、今回の事件を映画に絡めて宣伝してくれという文書がマスコミに出回ったという事実もありやや混沌としている。

漂着の喋らない演奏家という設定は似ている。ただ、この映画には原作がある。西インド諸島の植民地生まれの英国作家ウィリアム・J・ロックのFaraway Storiesの中の一編である。従ってパターンとしては英国のそのての人々には良く知られている可能性もあるのである。ここから模倣犯の推論も成り立つ。


以下オフィシャルサイトから。
ラヴェンダーの咲く庭でLADIES IN LAVENDER
2004/11イギリス、2005/6日本公開


(あらすじ前半引用)
1936年、イギリス、コーンウォール地方。ヨーロッパでは、歴史的な大きな出来事が起ころうとしていたが、ジャネット(マギー・スミス)とアーシュラ(ジュディ・デンチ)の姉妹はいつもと同じように静かな日々を過ごしていた。
そんなある日、1人の青年が嵐の去った浜辺に打ち上げられる。アンドレア(ダニエル・ブリュール)と名乗る異国の若者を、2人は我先にと競って看病するが、時がたつとともに彼は特にアーシュラにとって大きな存在となっていくのだった。徐々に英語を覚える彼との楽しい会話、その指が奏でる美しいヴァイオリンの音色への驚きを味わいながら、叶うわけもないと、もう何年も心の奥底にしまいこんでいた感情がにわかに沸き起こる・・・。


内容は古典的な感動作品。いかにも短編小説的な無駄の無い構造で、今回のピアノマンのシチュエーションとの共通点はどうも最初の設定にすぎないようにも思える。映画を見ないと何とも言えないだろう。



***
濡れたピアニスト
05/18/2005

「ぬれぬれピアニスト」とブログに書いたら評判悪かったのでこういう題にしました。つか、こんなニュースが朝日の朝刊で大きく扱われていることにびっくりした。私は昨日早くにexciteのびっくりニュースで知り(さいきんはめんどくさくて海外サイトは読んでない)、その後いろんなとこで写真や記事を目にするようになって結構話題のニュースなんだなと思った。

知らない人のために。イギリス南東部の砂浜でふらふら歩く一人の男が発見され保護された。かれは20代から30代くらい、きっちり正装していたものの全身ずぶ濡れで、何らかのショックのせいであろう、一切の記憶を失っていた。それだけなら普通の記憶喪失者なのだが、紙を渡すとグランドピアノの絵を書き、ピアノの前に座らせると立派な演奏を行ってみせたのである。その中には自作と思われる曲も含まれていた。不幸なピアニストはこうして逆たずね人状態のまま保護されつづけており、ヨーロッパじゅうから問い合わせが相次いでいる状態だという。

朝日の記事で目新しかったのは、衣服のタグの一切が切り取られ、身元を確認できるものが徹底的に失われていたという事実である。うーん、どうもキナ臭い。マフィアの匂いがする。船の上のピアニストじゃないけど、何かマフィアの組織に雇われてお偉いさん相手に演奏を続けていた「闇ピアニスト」が、何かの理由で組織を追われ、どこからか泳いで逃げてきたか、捨てられたかしたのではないか?

あんまし人の不幸を推理小説するのも良い趣味とは言えないが、捏造含めいろんな可能性に想いを巡らせてしまう「雨だったはずの」晴れた東京の私。


(いい音出してるのかなあ、という書き込みに対して私)

これ、写真出杉なんですよね〜。
何種類見たかわからない。 (但しスウェーデン国旗など他の絵の写真は殆ど出てこない。これも不思議だ。)

いい音という言及はどこにもありませんでした(苦笑
一流だったらそう書くでしょうし、多分・・・


でも思ったんですけど、タグがついていてもそこにクリーニング屋や幼稚園児みたいに名前が書いてあるわけではありませんよねえ。切り取っても意味がないような気も。

(タグは製造元や卸元などの特定を行えるため警察では身元確認の手段として一般的であるとの見解に対して)

なるほどー。なんとなくブランド服を着ているイメージがあったので、それなら国などあまり関係ないかな、と思ったのですが、アシがつくような既製服を着ていたとすれば超一流の扱いをされていたわけではなさそうですね。。どこかの田舎の国で活躍していたピアニストが同業に嫉妬され依頼を受けた組織に拉致投棄されたのかな?

それにしてもここへきてスウェーデン国旗の絵を書くとか、いささか出来過ぎの感アリです・・・・


やっぱり臭くなってきました。

・佇む写真はプロがセッティングして撮影した可能性あり(みの「朝ズバッ!」)・・・黒目にレフ板の反射が映っているよう(某カメラマン)。記憶喪失で怯えている人がポーズをとって手に楽譜を持っているのも演出ぽい。座って怯えている写真もポートレートみたい。


・絵が想像で書くには上手すぎ。この構図は素人がとる構図ではない。筆致は素人なのに。写真を見たら簡単だろう(某画家)。


・昨年11月公開の映画「ラヴェンダーの咲く庭で」に楽器の差があるにせよ設定が酷似(日刊スポーツ)


・収容経緯が二転。最初に収容された病院から失踪し、のち路上で再び保護されたという事実が伝えられていなかった。二度目の保護では病院内のチャペルにあるアップライトピアノに強く興味を惹かれ演奏していたが、白鳥の湖(注:ピアノ曲ではない)やジョン・レノン、自作と思われる曲を熱中して弾いているものの演奏自体は粗くプロとは言えなかった(みの)


・腕前はアマチュア(日刊スポーツ)

どうでしょうね。


(オワリ)
***

ところでこの件で某国のコミュニティ・ブログを見ていたらジャック・カラオケというHNの御仁がいた。大昔ロンドンで張り紙にKISSのメイクの似顔絵に「KARAOKE!!」とおどろおどろしい文字が躍っていたのを思い出した。当時は大爆笑したものだが今はぜんぜん普通。カラオケは世界共通語。5月14日公開。  


2005年05月19日

菊川霊とほっしゃん。のキツネ
 

意味なくヘビーに書いてきたので雑談ベースで。

きのう見てないビデオ必死で見てたら菊川玲の例の霊の映像が出てきましたよ。「霊感バスガイド」(テレ朝系)の最初のシリーズで話題になったやつ。あれ、私が見たスポーツ紙ではバスに乗り込むところでガラスに男が映るというような話だったと思うんだけど、「おしゃれカンケイ」(日テレ系・終了)で菊川と福澤穴が出た回で流されたテープは全然違ってた。暗いところで怖がる菊川のビッグフェイスの大写し、その左肩の後ろに、あまりにあからさまに男の頭、鼻から上が映っているのである。

これは・・・ツクリだろ?

何しろその前のカットでも、頭の影のようなものが既に映っていて、もういかにもスタッフとかそんな感じな若者顔。番組がイマイチ盛り上がってなかったので、こういうウワサをたてて盛り立てようとしたんだな。ちょっと明瞭すぎます。ふーっと顔をこちらへ向ける動きも無造作すぎて却って怪しいです。偶然入ってしまったスタッフの顔を、面白いってんで使ったに過ぎないでしょう。前記のバスの窓含め、どうも宣伝臭いです。もう続編は無いだろな。昔、元気が出るテレビで霊の出る学校で肝試しという企画があって、そのとき「偶然撮れた」幽霊の白い手というのがあった(ビデオうちのどっかに残ってると思う)。これもあきらかに肝試し用にセッティングした会場(たぶんテレビでよく使われる廃校だと思う)で照明もソレ用に青く作られていたし、手が突き出た部屋なんて見るからにスタッフルーム用に準備された場所。しかも人を招くように上下に振れている、なんてお化け屋敷じゃないんだから。

***

ほっしゃんが語り上手なのは言うまでもないが、この人のネタも面白い。先週だか、オカルト情報番組ダウンタウンDXでやってた話も初めて聞くわけじゃないけどやっぱり面白かった。

学生時代に、四人くらいでこっくりさんをやっていたそうだ。

しかし定番、こっくりさんがいつまでたっても帰ってくれない。そのうち一人が急にうめきだし、キツネのような格好をして跳ね回ったりしだした。ピンチ!

あたりには獣の匂いがたちこめてきて、おろおろする仲間を尻目に、キツネ憑きは黒板へ向かう。

○○○は死ぬ!

えー!一人の名前が書かれる。続いて、

×××は死ぬ!

もう一人の名前だ。しかし続いてほっしゃんの番になると、

ほしだは死ね!

・・・ほっしゃん以外の二人は一緒にお祓いに行くことになった。しかしほっしゃんと取り憑かれた当人は、先生とピクニックに出かけることになったという。。。

おそろしい・・・

***
深層心理と外部意識(霊?キツネ?)の間の壁はどのくらい厚いのかわからない。でもたぶん、ごっちゃになって出てくるんだろうな。  

 


 

2005年5月18日

ポポ・バワ、淫欲の夢魔

妖異に形なし、人が形を作る。

懐かしい名前がまた挙がっていた。ロイターが最近伝えたらしいのだが、それをexciteが日本語訳してくれている。話自体は古い。ロイターの記事に触れる前に、数年前にまず話題になったBBCの記事から訳出してみよう。こういう妖怪・・・精霊と呼んだほうがいいのかもしれないが・・・である。

***
Thursday, 19 July, 2001, 12:32 GMT 13:32 UK

ザンジバル諸島の住民を恐怖が襲っている。それは淫乱な幽霊が再び出現し夜ベッドで眠っているあいだに住民を襲っているという噂だ。多くのザンジバル人は今や家で眠ることを拒否している。かれらは自分のベッドで寝込んでいる間にそいつの犠牲になると信じているからだ。この幽霊もしくは魔神はPopo Bawaという名前で呼ばれ、犠牲者の肛門を狙うと信じられている。多くは男性がその餌食だ。

近年半自治状態にあるタンザニアの島々の住民は次のように主張している。Popo Bawaは1995年と2000年に行われた公的選挙の間のみ、投票を行った島民たちだけを訪れていたというのだ。しかしあらゆる種類の選挙が行われていないとき、再びこの現代的な幽霊の訪れが頻繁に人々を脅かしつづけたのである。

煙とにおい

最近起こったパニックによると、彼はザンジバル島の北部とペンバ島の中央部を襲ったといわれている。人々は家の中に彼が出現するときは、つんとするにおいと一吹きの煙が現れることでわかると主張する。そして彼らが言うには犠牲者はトランス状態か夢遊状態に陥った状態で危害を加えられるという。さらに話は続き、もし犠牲者らが何が起こったかを明らかにしないと、Popo Bawaは次の夜も誰かを襲うだろうという。以前にも子供を襲うと信じられていた幽霊が6ヵ月にわたり島々を恐怖に陥れていたという報告もあった。

By Ally Saleh in Zanzibar
***


なーんだ、夢魔じゃないか。でも下衆な好奇心に満ち溢れた無責任な一般市民、つまり私は「男色を好み選挙妨害をする」という属性に興味を抱いた。男色というものは文化的に抑圧されてきたものである。古いアフリカ文化(の中の一部部族)の中には男色文化もあったと思うが、ザンジバルあたりではイスラム文化圏であるから男色は恐ろしいとさえ言われる行為になっている。ちなみに選挙に絡めている点もイスラム教との関係を示唆する部分もあるような気がする。とにかくこういったタブーを破って回る実在の男がいるのではないか?とも思ったのだが、煙と匂いしかしない、という属性がそれを打ち消した。つーんとする匂いと聞いて、そこにまた男色の匂いを嗅ぐ人もいるかもしれない(いないか)。煙というと「怪物図録」に煙が襲ってくるという昔のニュースをのっけたが(これもアフリカ)、畳の間から煙が湧き出て赤ん坊を覗き込むという「新耳袋」にみられる幽霊話、ひいては石燕あたりの妖怪画にもあったような気がする。あやふやな形状・・・ともすると単に幻覚とされかねないもの。パニックの発生の仕方は口裂け女的ですらある。以前も別の幽霊が巷間を騒がせていたというと土壌は元々あったのだ。というわけでサイコップのほうで更に古い報告に基づく検証がなされているので、長文だが訳出しておこう。内容的には子供でも書けそうな感じだけれども(失礼)、BBCの報道より前の、最初あたりの情報が含まれているため敢えて全文載せておく。

***
1995/12
ザンビアの悪魔のレイプに対する懐疑的検証

現代のザンビアにおいて恐怖のモンスター〜悪名高い「popobawa」〜が寝室を急襲して男たちを犯す〜特に疑い深い男性を〜という状況が発生しているという。この悪魔的な獣の名前はスワヒリ語の「蝙蝠」と「翼」という単語からきている。事実このクリーチャーはたった一つの目しかなく小人(ドワーフ)の身体に加えて小さく先の尖った耳、蝙蝠のような翼、および鉤爪を持っているというように描写されている。 地元の村人によるとそれは特に「信じていない者」を攻撃する傾向があるという。(マクグリール1995)

1995年の一人の犠牲者は静かな口調の農夫であった。農民の名前はMjaka Hamadといい、精霊のたぐいを信じていないと語った。彼が最初に考えたのは夢だったということ。しかし、「私はそれを感じたのです」とも語る。「何かが私の上にのしかかってきたことを。このようなことが自分に起こるとは想像も及びませんでした。わかりますか、声が出ないまま絶叫するという感覚が。」彼は言葉を続けた。「確かに夢に似ています、しかし私はそれがあのpopobawaであり、私に何か恐ろしいこと、つまりはセクシャルなことをしようとしていたということを思い浮かべたのです。そんなこと、女に対してやるよりも悪いことだ。」

この悪魔がザンジバルを襲ったのは1970年のことと言われるが、1980年代にも再び現れている。ガーディアン紙によると、「誰がこの噂の襲来を払拭しようとも、依然迷信は存在を強く信じ込んでいる人たちによって支持されつづける。ザンジバルの中央病院は打撲、肋骨骨折、その他傷を負った男達を治療しているが、犠牲者たちはそれがクリーチャーによるものだと主張している。」(マクグリール1995)

一つの記事を引用しよう。これはザンジバルの事件についてマット・チェリー〜「民主主義と世俗主義的ヒューマニズム評議会 (CODESH) 」の新しいエグゼクティブ・ディレクター〜が半分冗談混じりに書いた記事である。「ここに君が解決しなきゃならないケースがあるね」私は数節を読んで返答した。「解決したよ」

まず読む必要があるのはピーター・ヒューストンの「夜の恐怖、睡眠麻痺、及び地獄からの悪魔に襲われた電話コード」である。これは1992年の秋にSkeptical Inquirer(”懐疑的探求”)上で発表された。popobawaは単に「白昼夢」として知られている心理現象のザンジバル版であることを学ばねばならない。これらの夢、より専門的には脱眠時もしくは入眠時幻覚(それぞれ起床直後か眠りに入るときという意味による)に特徴的なことのひとつに、体が重くなり沈み込む感覚、あるいは金縛り感覚がある。それとは逆に「浮遊する」ように感じられ、あるいは体外離脱を体験する人もいるかもしれない。他に特徴的なこととして極度に鮮明な夢、怪奇と/または恐怖を感じさせる内容を含むということが挙げられる。(ベイカーとニッケル1992)

よく似た事象としてもっと一般的なのは中世の夢魔incubus(女性と寝る男性の悪魔)や魔女succubus(女性の姿を借りて男性と寝る)の夜間訪問にかんするものだろう。ニューファンドランドでは、訪問者は「鬼婆Old Hag」(エリス1988)と呼ばれた。 1986年の悪名高いペンシルバニア州西ピッツトンの「お化け屋敷」のケースでは、居住者ジャック・スマールは、彼が魔女によってレイプされたと主張した。「悪魔主義者」エド・ウォーレン(1989)が描いた内容は次の通りである。「彼はある夜ベッドで眠っていたが、醜い老女に目を覚まさせられた。金縛り状態である。彼はもちろん絶叫しようとしたが・・・目の前にあるものにぞっとしたのだ。女の皮膚はウロコで覆われ、白くぼさぼさの髪をして、歯がいくつか欠けていた・・・彼女は何らかの方法で彼を麻痺させていた。 次に、彼女は彼の上に馬乗りになり、彼を犯して性的絶頂を迎えたのである。」

このような話は地理的にも歴史的にも広く言い伝えられてきた。例えば17世紀に起こったこの興味深い遭遇事件を考えていただきたい。 それはコーンウォールからのアン・ジェフリーズという一人の田舎娘に関するものである。 エリス(1988)によると: 「1645年、彼女は床の上に横たわって明らかに痙攣しながら、半分意識の無い状態で発見された。回復したとき彼女は6人の小さい男のグループに話し掛けられたことについて詳細に回想し始めた。麻痺した彼女は彼らが彼女の周りに集まってきたことを感じとった。彼らはキスをしかけてきて、彼女が強い刺すような感覚を感じるまで続けたという。目をくらまされた彼女は気が付くと空を飛んでいて、人々で埋め尽くされた宮殿まで行った。そこで男達の一人(今や彼女と同じ大きさになっている)が彼女を誘惑し、そこで突然怒りの群集が彼女達に向かってきて、再び目がくらまされると空に浮かんだ。そうして彼女は気が付くと床の上に転がって友達たちに囲まれていたという。」 (p. 264)

この話は明らかに多くのUFO誘拐事件・・・ホイットニー・ストライバーが「コミュニオン」(1988)で綴った自身の「誘拐abduction」経験のような類のものは脱眠時もしくは入眠時幻覚の典型と完全に一致している・・・との決定的な類似性を持っている。(ベイカーとニッケル1992)その他古典的な白昼夢にみられる存在としては、幽霊や天使の訪問者が挙げられる。(ニッケル1995)

これらの例が示すように、popobawaは最初一見ユニークなザンジバルのクリーチャーに見えるけれども、実際には単なるよく知られた現象のヴァリエーションにすぎないのである・・・少なくとも、西側の懐疑論者は少しも怖れることはない。

Joe Nickell
***


後半はよくある幻覚との比較及び状況証拠による断定というくだりなので読み流すとして(興味深いので読んでおいて損はないが)、とくに冒頭にあげられた部分に注目したい。小さいサイクロプスが蝙蝠の羽根を持ってカギ爪を振るう、なんだか凄く、最近南方で報告されるUMAの典型に似てはいまいか。チュパカブラはもとより、インドのムノチュワなんてのもカギ爪を持ち人を襲う(打撲云々はどう考えてもこの件にかこつけただけのこじつけだろう)。じつはBBCの報道を見たとき、これは元から形の無い妖怪だったのではないかと思っていたのだが、その前、1995年までの時点で既に蝙蝠男の形状が確立していたことがわかった。しかし・・・姿はわかれどこれを「見た」という証言が、どこにも見つからない。サイコップだからそこまで追うはずだと思ったのだが、はなからそんな姿、偽造としか思われていないのである。

まあそんなものだろうな。爪は人を襲う野生獣の象徴、蝙蝠は危険な夜を象徴する要素、一つ目は・・・なんか民俗的な理由がありそうだが、チュパカブラとも似ているこの変態妖怪、一方では東南アジアのジャングルに棲む精霊みたいな感じもする。「信じないもの」だけを襲う、というのは何か宗教みたいだが、イスラム教的な思考回路との関係も感じなくは無い。

・・というわけで最後にロイターの記事にまいりましょうか。ここまできてやけにリアルになってきてはいるが、都市伝説的な発展の仕方をしている感じが凄くするのだけれども。ハイドビハインド的な要素とかいろんなものが流入してきているようだ。地元の子供は怖いだろうな。あとオトナの男も。


***
ザンジバルの悪霊ポポ・バワ伝説
[ 2005年05月18日 06時56分 ]

[チャケチャケ(タンザニア) 16日 ロイター] モハンマド・ジュマさんは、スパイスの島として知られるザンジバルで最も恐れられている精霊ポポ・バワの物語を語るうちに、震えて冷や汗をかきはじめた。

「コーランを唱えることだけが防御になると信じています。他には何もできません」41歳の運転手で4歳の子どもを持つジュマさんは言った。「しかしポポ・バワは実在し、用意周到なのです」

インド洋の島々の観光客たちはガイドブックに記されたコウモリのような怪物の話を真に受けないだろうが、迷信深いザンジバルの人々にとっては冗談ではない。

誰ひとりとして目にした者はいないとはいえ、人々は怪物の存在をかたく信じており、村中が野宿すらしかねない。ポポ・バワ(スワヒリ語でコウモリの翼の意)は夜間に閉めたドアのうしろから攻撃すると言われているのだ。

犠牲者たちはザンジバルのペンバ島にあるジャックフルーツとマンゴの林に建てられた小屋でロイターに語った。ある人は怪物の非人間的な力を感じる直前に悪臭に気づき、寒気を感じて恍惚状態になったという。

あるときは巨大な翼と爪が小屋の屋根をひっかく音が攻撃の前触れとなり、またあるときは車のエンジンがアイドリングするような音がする。

「私たちは屋根の上で何かが音をたてているのを聞きました」ペンバ島の中心チャケチャケの近くに住む、現在50代後半のアシャ・サレーさんは、35年前の攻撃を回顧する。「誰かが私をなで回しているのを感じました。とても寒くなり、力が抜けました」

「横で寝ている夫の助けを呼ぶことはできませんでした。ポポ・バワは強力なのです。彼は本当にのしかかってきます。しかも本当に長いあいだ、一時間もです! 私は次第に意識を失いました。私は大勢の犠牲者のうちのひとりにすぎません」

アラブ人、ポルトガル人、ヒンドゥー教徒、中国人、英国、ペルシャ、そしてアフリカ人と、支配者が次から次へと入れ替わったせいで、ザンバルには多国籍的な要素のある伝説が多数伝えられている。

インド洋一帯を移住する民族のあいだで何世紀にもわたって伝えられた悪魔物語のひとつにすぎないとして、ポポ・バワを相手にしない人もいる。

ザンジバルはかつてアラブ民族の奴隷市場だったことから、ポポ・バワは奴隷制の恐怖から生じた集団的記憶だとみる学者もいる。

しかし、ポポ・バワは島民たちの信じるその他の種類の小鬼たちとは違っている。

島の住民の多くは悪魔払いに通じており、イチジクの木の根元にお守りを置いたり、ヤギを生贄にしたり、精霊を呼び寄せたりする。特に名高い伝統的なヒーラーたちのもとには湾岸および東アフリカから高額所得者たちが訪れる。

しかし、懐柔の儀式や呪術師たちでもポポ・バワを防ぐことはできないと島民たちは信じている。

ポポ・バワはザンジバルのふたつの島のうち、ウングジャ島でなく、経済の頼みの綱であるクローブ・プランテーションがあるにもかかわらず貧しいほうのペンバ島の方を好むという。また、ポポ・バワは選挙の際にも活発になる。10月に投票を控え、ポポ・バワは人々の神経に障る動きをみせている。

ジュマさん曰く、ポポ・バワが最後におおっぴらに村を訪れたのは1995年の選挙期間中だった。しかし2000年と2001年に姿を現したという人もいる。

ペンバ島の住民たちは野党支持者である。ザンジバルと本土タンガニーカが合併しタンザニア連合共和国となった1964年より、ペンバ島の島民はタンザニア大統領ベンジャミン・ムカパ率いる与党に対して不満を抱えている。

しかしジュマさんは、たとえ選挙時の島民感情がポポ・バワをどこからともなく呼び寄せているとしても、ポポ・バワは非政治的なものだという。「もし野党が勝っても出てきますよ」

ジュマさんは1995年を振り返る。「大勢の人々が恐れて屋外で寝ていました。しかし私は、コーランを読んでいれば大丈夫だと思って自分の部屋にひとりでいました。20分ほどで眠くなりました。屋根に何かが落ちる音がするのを聞きましたが、唱え続けました。部屋に何かがいるのを感じました」

「私は自分の口がどんどん大きくなっていくのを感じました。コーランを唱え続けることができなくなりました。まるで下唇が膝まで伸びているように感じました。力が抜けて、汗が出てきました。自分の頭が巨大に膨らんでいるように感じたという隣人の話にも似ています」

ポポ・バワは、村人が彼の存在を否定すると気分を害するという。元シェフで現在75歳のカミス・ジュマ・ハマドさんによれば、1971年にポポ・バワが少女に取り憑いてペンバ島の村人を脅したそうだ。

「私がポポ・バワだ」ファテュマという名の少女が、不自然に低い男性の声で言った。

「おまえたちが私の存在を疑ったので証明しにやってきた」

数秒後、村人たちは車のエンジン音と近くの屋根が音をたてるのを聞いた。ポポ・バワのしるしだ。「あまりの恐怖に動けませんでした」

[日本語訳:野中モモ]  

 


 

2005年5月17日
ダミアンは悪魔の子じゃない

今まで信じられてきた「獣の数字666」、じつは「616」だった。

新約聖書のヨハネの黙示録に記されているアンチ・キリストの象徴たる数字、ゴロがいいせいかあらゆるところで悪魔の象徴として使われてきた。「オーメン」のダミアンのつむじに記された666の数字に戦慄した古いホラーファンも多かったろうが、本当は616と書かれた子供こそ悪魔の子だったというわけで、彼はたんなる悪い子だったのである。オーメン3で現れたキリストも616と間違って現れたのだろう。偶然に振り回された何ともうっかりな人たちだったわけだ。

イギリスのインディペンデント紙5月1日版(全文閲覧は有料)によると、根拠とされるのは目下最古の黙示録写本とされる3世紀頃の紙片で、最新技術で解析したところ、該当の個所には「616」とかかれていたという。この紙片はエジプトのオクシリンクスで見つかったもので、バーミンガム大のデヴィッド・パーカー教授によればこれはゲマトリアと呼ばれる一種の暗号で、彼らを迫害した当時のローマ皇帝カリギュラを示しているのだという。

616という数字自体じつは結構前から論議があり話題に上ってきていたのも事実である。ググってみればそれこそ無数にそれに言及したページが挙がってくる。だが現状あまりに666が一般化しすぎたために、元が616だろうが666が悪魔の象徴であることには変わり無いと考える人も多い。悪魔崇拝者の中には666は単なる信仰者をおびやかす脅しの道具であると言い切る者もいるそうだ。  

ネッシーのヘンな牙

昨年末に、スコットランドのネス湖でネッシーの牙が発見されていたそうだ。YahooX51で報じられている。発見者(アメリカの大学生)はご丁寧にもドメインまで取得している。また、研究家と共同して、この牙がホンモノであると証明するため、更なる情報提供に$5000の懸賞金をかけている。

見てもらえばわかるとおり、あきらかに普通の動物の歯ではない。肉食動物の引き裂く、噛み千切る、咀嚼する、いずれの機能も果たせないように見える。ギザギザくらいあれば信憑性があるものを、どうやら鹿の角のかけらという意見に収束しそうだ。



なぜ鹿かって、形状もあきらかに似ているのだが、何より鹿の惨殺死体と一緒に発見されたことが根拠になる。今までネッシーが陸にあがったという目撃事件はごく少ないし、増してや肉食で、陸上生物である鹿を食べたという話も一切ない。だいたい素早い鹿を巨大な水棲生物ネッシーがよたよた追いかけて追いつくのかという疑問もある。研究家の中にはネッシー陸上生物説をとなえる人もいるが、陸上であれば尚更もっと目撃談が多くていいはずでありそれも不自然だ。リンク先の映像を見てもらいたいが、確かにこの「牙」は鹿の体にめりこんでおり、自分の角でないことは確かだ。なら鹿同士の争いと考えるのが自然だろう。それにしては死体は不自然に損壊しているが。。



発見者の学生はネッシーツアーの参加者で、たまたまこの死体を発見したそうだ。だがそれらをおさめたビデオは何故か水上保安局に没収されたという。これが未知動物の遺物であれ単なる屍骸であれ意味不明な行為だが、文字通りにとってはならない、たぶん入ってはならない場所に足を踏み入れたとかそういった別の理由があるのだろう。UFOの基地があるからとか言わないように。

前述の研究家は学生とコンタクトをとり憤りながらこう語ったという(X51より)。

「彼らが牙を発見したのは本当に千載一遇の出来事だったんです。牙を取り戻して、DNA解析することが出来れば、私の理論を証明することが出来るはずです。しかしスコットランドの当局は我々の調査を不届きであるとして、協力することを拒んでいます。」

「不届き」が何に対してのものなのか、ひょっとしてこういういかがわしい噂をよく思わない人がいるだけなのかもしれない。死体という響きは決して気持ちのいいものでもないし。DNA検査させてやればいいのに、という意見については同意するが、ネッシーで村起こしという趣旨に反する証明がなされるのを怖れたのかもしれない。研究家は昨年12月に湖近くで大きな擦痕を見つけてから実在を確信したというが(そんな土の抉れた跡だけで信じるのか・・・)この牙も鹿の角なんかじゃないという。その根拠がふるっている。またまたX51から。

「あれが単なる鹿の角や、他の動物の角でないことは容易に証明できます。あれは若い動物の牙でも、折れた角でもありません。幼い頃、私は父親と一緒によく鹿狩りに出かけていたので、彼らの特徴はよく分かっています。いずれにせよ、我々が探しているのが鹿の角でも他の動物の爪でもないということは、再び牙が手に入れば明らかになるはずなんです。」

・・・んー、幼い頃鹿狩りに出かけたから違うとわかる?・・・この人は専門家なんですよね。狂信家じゃないんですよねえ・・・。

ちゃんとした動物学者入れろっ!  

水棲人間現る!

(3月31日日記より転載)
The Supernatural Worldから訳。いかにもマユツバ的夢のある話。

「ミステリアスな水陸両生人間クリーチャー発見」
2005年3月29日Posted by phenomenon



ここ2年間、カスピ海の南部から南西部あたりの沿岸地域の住民から人間に類似した水陸両生生物の目撃が報告されている。 今年の3月に、アゼリ・トロール船「バクー」の乗組員からの目撃証言が、イランの新聞ジンダギに掲載された。 「その生物は長い間、ボートの近くで平行なコースを泳いでいました。」と、船長ガファー・ガサノフは語った。 「最初我々は大きな魚だと思ったんです。しかしすぐにモンスターの頭に髪の毛があるのを発見しました。彼のヒレはかなり奇妙に見えました。・・・そして彼は身体の前面に、兵器を備えていたんです!」と、船長は言った。 アゼルバイジャンに戻ると、誰も真剣に彼の話を受け止めなかった。奴が船室で飲んでいたせいに違いないと思った人々にはおかしく聞こえた。だがこれに反して、彼のインタビューの公表後すぐ、イランの新聞の編集部は大量の手紙で溢れ返ることになったのである・・・「それ」に関する・・・

***
ちなみにこのあとかなり話題になった。事件自体比較的前から起こっていたが、とくに油田採掘が始まったあたりからさかんに目撃されるようになったという。文中の「兵器」というところは訳に困った部分で、恐らく鱗による「装甲」のことだと思う。一説には鰓があり、鰓から口が繋がっている、とかいろいろ細かいところまで姿が特定されている。

X51が突っ込んだ情報を書いているので引用してみよう。

***
これまでの目撃者は、皆一様にその姿をして、"マリーン・ヒューマノイド(海人)"であると報告し、次のようにその特徴を述べている。

1.身長はおよそ165cmから168cm、鱗のついた腹をもち、手足には水かきのようなものが見える。
2.また皮膚の色は薄暗い青で、髪の毛は黒緑色、手足は普通の人間のそれに比べると太短いものである。
3.鼻の先端部にはくちばしのようなものがあり、イルカのそれに似ている。
4.目は巨大で球状の形、口は大きく上あごは突き出ており、下あごは首と滑らかに繋がっているためにないように見える

またイランの人々の間では、この生物は昔から"Runan-shah"、もしくは"海と河の主"などと呼ばれており、その名はこの生物が海に現れると魚が浅瀬に集まるという逸話、また生物が現れるとその部分の海水が非常に透明度が高くなることという逸話に由来しているという。漁師らによれば、生物が現れると捕獲した魚がしばらくの間死ななくなること、また生物が現れる際に魚たち気泡音のような音を立てることなどが報告されている。(中略)

1905年にロシアで発表された科学誌には、カリブ海で「海女」なる生物が目撃されたことや、1876年にはアゾレス諸島において両生類人間の屍体が打ち上げられたことなどが記されている。またそれらの記述は、イランで続くRunan-Shahの報告に類似したものである。更に1928年には、カレリアにおいても同様の生物が目撃され、ペトロザヴォツク大学らの研究者によって調査が行われたが、研究はやがて機密扱いとなり、研究者は強制労働所で死亡したという。
***

「海の僧侶」などといって中世に捕まったとされる生物の絵が転載されているが、これについては「怪物図録」のどっかに書いたので参照。

ちなみに関連記事として挙げられているイランやドイツで女性がカエルを産んだという話は、実は日本の明治時代にもそっくりな話が伝えられている。  

ゲラーとのろいの石

(3月14日日記転載)
既にいろいろなテレビで紹介されていて今さらの感もあるが・・・CNN日本語サイトから。

天災続きの英都市、ユリ・ゲラー氏が「呪いの石」の「除霊」提案
2005.03.09
Web posted at: 17:30 JST
- CNN/REUTERS

ロンドン――超能力の持ち主として知られるユリ・ゲラーさんは8日、相次ぐ天災に見舞われている英国北部の都市カーライルにかかっている「呪い」を取り除いてあげようと協力を申し出た。カーライルでは、市が21世紀記念として作った「呪いの石」を01年に市中心部に設置して以来、「旧約聖書並みの」天災に見舞われ続けているとして、市議会が石の撤去を審議するまでに至った。

スコットランドに近いカーライル市は01年、地元作家にオブジェ製作を発注。作家は、重さ14トンもある灰色の丸い御影石に、1525年発祥の呪文を刻み込んだ。グラスゴー大主教起草の呪文は、家畜泥棒や強盗・追いはぎなどを生業とする一族を呪うもの。作家ゴードン・ヤングさん自身の先祖が、この問題の一族にあたるとして、石のデザインになった。

この石が市内中心部の市立博物館と古城の間に設置されて以来、カーライルでは、伝染病・口蹄疫(こうていえき)で大量の家畜を失ったり、工場が閉鎖されたり、少年がパン屋で殺害されたりした。地元サッカーチームのカーライル・ユナイテッドはリーグ落ち。今年1月には深刻な洪水被害に見舞われた。


市議会のジム・トゥートル議員は、「旧約聖書並みの」相次ぐ厄災は石の呪いのせいだとして、撤去を求める動議を市議会に提出。しかし市議会は8日、これを否決した。

そこで「協力」を申し出たのが、英南部在住のゲラー氏だ。

ゲラー氏は8日、ロイター通信に対し、「問題の石を私の庭に移して、除霊をしてさしあげると申し出た」と明らかにした。

「ドームズデイ・ブック(11世紀イングランドの土地台帳)の記録によると、私が住むこの村の中心に古い癒しの場があったのだそうだ。またあらゆるレイライン(霊地と霊地をつなぐ線とされる)が、私の家の庭に集中している」と語るゲラーさんは、「呪いは落とせるはずだ。私が振り子を使って、石からあらゆる悪しき力を取り除いてみせる。その後は、庭におかせてもらって、芸術作品として楽しみたい」と話している。

イスラエル出身のゲラーさんは、ロンドンから車で約1時間ほど西にあるソニング・オン・テムズ村に住んでいる。   

ホジラは実在した!!

(3月24日日記転記)

あやしげブタ怪獣ホジラがやっぱり実在したというニュース。supernatural worldから。

「ブタ怪獣”ホジラ”は実在した、と専門家が証言」
Posted by phenomenon on Wed, 23 Mar 2005 07:57:22
ナショナル・ジオグラフィックの専門家チームがサウス・ジョージアの怪物豚・・・地元ではホジラとして知られている・・・が実在し、ほんとうに、ほんとうにでかかったと結論づけた。彼らはまた超豚が昨夏農場で捕らえられ吊り下げられたところを写真に撮られたときに、1,000ポンドで、12フィートあったという誇張されたサイズでは生きていられなかっただろうと書いた。ベヒモス((注)伝説上の巨獣)の残る腐臭を避けるためにバイオハザードスーツを身につけた彼らは、ホジラの大きさはたぶんせいぜい7.5か8フィートで800ポンドくらいだろうと踏んでいた。結論は日曜日の夜のナショナル・ジオグラフィック・チャンネルで放送されたドキュメンタリーに収録された。再放送は水曜と土曜の予定である。「カレはインパクトのある野獣でした、カレはまさしく自然の突然変異体です」ドキュメンタリー・プロデューサーであるナンシー・ドネリーは語った。彼女はホジラの牙・・・1本は18インチにもたっし、もう1本も16インチ近くになる・・・は国際サファリ・クラブ北アメリカの放し飼い豚の新記録になると語った。十分いい状態ではないけれども。


怪力幽霊

シカゴに「蘇生墓地」という名の立派な墓地がある。ここにシカゴで最も有名な「レズ・メアリー(蘇生メアリー)」という幽霊が出る。ココに詳しいが、彼女は1930年代にダンスフロア帰り彼氏と喧嘩して車を降り、ヒッチハイクを始めたところが、轢き逃げにあって死んでしまった。それ以後、ヒッチハイクをする白いコートでブロンド髪のメアリーという少女が目撃されるようになったのである。決まって少女は彼女が眠る蘇生墓地のゲートで降り、走って入っていったという。最初に目撃されたとき(かなり昔である)には、夜だったのだが、どうしても今墓地のゲートに走らねばならない、と言いのこして、走るままに消えてしまったそうである。



かなりの目撃例があるとのことであるが、日本のタクシー怪談に似た感じも受ける。いわく冷たい肌の少女を乗せて、しばらくおかしな会話を繰り返した挙句に消えてしまったとか、そういった様子だ。むこうはヒッチハイクが普通なのでタクシーのように金銭が絡まないだけ罪が無いが、気味が悪いことは確かで、道を横切るところを轢いてしまったという事件まで発生した。そのとき車のサーチライトでレズ・メアリーのほうを照らし出したところ、蘇生墓地のゲートの一部に異変が見られた。何と鉄棒の二つが曲げられていたのである。まるで人が墓地の中に力ずくで捻じ込んで入ったかのように。。

その緑銅色の表面には、手で強く握ったような跡がついていた。しかも、焼け焦げていたのである。専門家に分析させてもそれらはなんでそういう形で曲げられたのか見当がつかなかった。この手形は消そうとしても消せないという。それ以来この棒のある場所は名所となり、いろいろな人が訪れるようになった。墓地の職員はこの跡は作業中たまたま曲げられてしまったもので幽霊なんかがつけたものではないと主張したそうだが、一方で墓地内ではオルガンの音が録音されたり警報装置や明かりが誰もいないのに作動したりすることはあったという。



1976年になってもゲートのそばで少女が轢かれ、救急車を呼んで来たら消えていた、という事件が発生した。1980年の8月には多数の人々に目撃されている。警察さえ呼ばれたということだ。9月には集団で旅行していたグループが道路脇の叢を歩く少女を目撃、レズ・メアリーだと思って顔を確かめたら、「何も無かった」という・・・ブラックホールのように。同じ月に別の男がレズ・メアリーを拾ったということもあった。彼女を車に載せると「アーチャー通り(レズ・メアリーが轢かれ以後目撃される道路)をただ進んでください」とだけ言った。男は話をしたがったが彼女は黙っていた。「まさかレズ・メアリーじゃないよね?」と聞いても何も言わなかった。墓地のゲートを越えたとき、彼女は消えてしまった。10月にも4人に目撃されている。彼らはレズ・メアリーのことを全く知らず、彼らの父親に聞いて初めてその事実を知ったのである。彼らの目撃の直前に、フェンスの脇でダンスを踊るメアリーを見たという人もいた。このころ教会や新聞が調査をしたが大した成果はなかったようだ。83年にも報告があった。その後もかなり直接的な接触も含む目撃談が続いているそうである。

イリノイ州におでかけのさいはぜひ、怪力幽霊レズ・メアリーに会いに行かれてはいかが?  

アレシェンカとプエルトリコのこびと

(9月3日日記から転載)
X51.ORGに書かれてずいぶん有名になったけど、1996年夏、ロシアの老婆に拾われ育てられた異星人?アレシェンカもしくはハローシェンカ、分析の結果はニンゲンだったということで一気に奇形児の捨て子説が高まりました。何それ、という人は元記事を見てください。コレ、とてもニンゲンとは思えない異様ぶりで、現在残されているミイラの顔部分が右側の写真。タマネギ状の頭、異常に大きな目、身長25センチという小さな体。これを初めて見たのは99年ごろのテレビ番組でしたか、正直気持ち悪かった。例によって謎の組織に奪われたり不意にみつかったりという経緯を繰り返したわけですが、私はピンときてしまったのです。それが左側の写真。1980年夏、プエリトルコ・サリナス市郊外の山岳地帯で、トレジャーハンターがぶち殺した体長30Cm足らずの小人なるもの。彼は死体を自宅へ持ち帰り、アルコール漬けにして保管したそうですが、やはり例によって謎の組織の出現、そして紛失という経緯をたどりました。うーん、夏に現れ身長30センチ足らずという符号にくわえて、この変な頭に顔。似てないすか?プエルトリコの小人は集団だったそうですが、もし異星人だったなら南米からロシアまでひとっとびしたんでしょうかね。但し16年の歳月が流れてますけど。  

3メートルの宇宙人だ。

(10月1日日記より転載)
こいつ、怖い。
公式サイト
国内(概容)
国内(研究)

いわゆるアメリカ・ウェストバージニアの「3メートルの宇宙人」というやつだ。夜にUFOのゆくえを追っていた家族によって山林内で発見され、宙に浮きながら向かってきた怪物。輝く両目から怪光線をはっし、動くたびに怪しげなガスを噴出して、くさい(オナラ?腹を壊していたのか?)。写真の恐ろしげなイラストを見て夜トイレに行けなくなったヤンキーボーイが何人いたことか。ワタシもその一人だ(ヤンキーじゃないよ)。最近になってこの絵がテレビの捏造で、ほんとうは円錐形をした機械の体に透明なヘルメットをかぶった丸い頭の怪物だったことが判明(?)1952年といえばドラマや映画やビデオにもなったニューメキシコのロズウェル事件、そしてケネス・アーノルドがUFOを目撃し「空飛ぶ円盤」という名称を発明してから5年、エイリアン事象が一般に浸透し様様なあやしげSF小説がはやった時期であります。ガスを出すなんてマッド・ガッサーの伝説混じってるみたいだし、上記サイトにもあったがこの宇宙人の姿は何か別の伝説的なモノの姿と混同されているふしもある。そうそう、ガスを出すといえば最近のアメリカの「スカンクエイプ」。UMAなのに解説文が「とにかくくさい」。くさいだけでUMA扱いになったこの猿に乾杯。  

カッパはカワウソ?

(10月7日日記から転載)
朝日に出てた写真。

本文抜粋。

カッパ? いいえ、カワウソです

 水からぬっと出た頭にのったお皿のような石。かっぱに化け損ねたのを照れているかのようなカワウソの姿をとらえた写真を、写真家の田中光常さんが公表した。かっぱの正体をカワウソとする伝承も各地に残っているだけに、「河童(かっぱ)論争」に一石を投じそうだ。

 写真は、静岡県・浜松市動物園のカナダカワウソの池で01年夏に、田中さんが写した。3匹で石を取り合っては頭にのせ、遊んでいるようだったという。最近フィルムを整理していて、正面からの写真がかっぱにそっくりだと気づいた。

 同動物園では、この時以外も石をのせる行動が何度か観察されていた。しかし、昨年、母カワウソが死に、子ども2匹だけが残されてからは見かけなくなったという。

 カワウソに詳しい安藤元一・東京農業大助教授は「石を頭にのせた写真は初めて見ました。カワウソ特有の行動というより、たまたま動物園のなかで生まれた遊びなのではないか」と指摘する。

 カワウソは頭が平たく水中での動きも活発で、昔からかっぱのモデルではないかと言われてきた。カナダカワウソの生態も日本のカワウソとほぼ同じとされている。

 民俗学者の小松和彦さんは「カワウソが人を化かしたという話は各地にあります。この写真だけで『正体』はカワウソだとは言えませんが、河童研究者の格好の話題になると思います」と話す。

(10/07 06:14)   

ノゾキ霊

(10月12日日記から転載)

「幻想日記」の怪物図録に「ノゾキ霊」というのを載せているが当然ワタシの造語である。浮遊霊の中には窓や扉の隙間から中をじっとノゾキ見する趣味のものがいるらしい。たいてい無害だが、この写真のはちょっとたちが悪い。

某有名心霊写真サイトからの転載だが、乳をやる奥さんをカーテンの隙間から覗き見るじいさんの横顔が写っている。いかにもやらしい。にやけている。あきらかに奥さんに興味があるみたいだ。死んでんのに何しようとしてるんだか・・・この死んでもスケベジジイ!!ちょっと写り方に疑問があるというか、視線の方向もちょっとおかしいし、?付ではあるが、この写真につけられた名前が、"This peeping tom is a ghost!"・・・そのまんまやんけ。このサイトには幽霊感知器の宣伝とかも載っていて怪しさ満載だが、写真は割合と良心的というか、CG系の偽写真はなく伝統的な光系の写真が多い。中にはテレビ画面に写った霊とかいう怪しいものも含まれてるけど。  

死なないカメが死んだ話

(10月14日日記から転載)
2004年04月09日
LIFE : 亀が大往生 英

【Sky】イギリスにて最高齢の生物であったといわれる亀が先週、齢160歳にしてついに永遠の眠りの床についた。ティモシーと呼ばれて皆に愛されたその亀はクリミア戦争(1853年〜1856年)の最中に誕生して世界の海洋を駆け巡り、そして先週、一半世紀以上に及ぶ長大な人生(亀生)についに終止符をうったのである。ティモシーは現役引退後はイングランド南西部のデヴォンはパウダーハム城の庭園にてその長い余生を送っていた。城の管理者ティム・ファウルナー氏は"尊敬に値すべき亀"ティモシーが先週、ついに永眠したことを記者達に告げた。「正直なところ、驚くべきことではありませんでした、、。彼はここ最近非常に弱っていましたから、、。しかし、我々が動揺していることはまた否めません。彼はほとんど、我々の城の一部のような存在でしたから、、。」

「私の名前はティモシーです。とても年をとっているので、私を掴み上げないでください。」冬になるなり彼は背中にそう書かれた札を貼付け、静かにバラの園で眠り続けていた。しかし、そんなティモシーの姿ももう、そこにはないのである。

ティモシーは1892年、この城に連れられ、それから凡そ100年以上、デヴォン伯爵の数多いペットのうちの一匹として長い余生を送った。しかし、その穏やかな姿からは想像もつかないまさに亀の英雄ともいうべき激動の亀生をティモシーは送っていたのである。

ティモシーは生まれてまもなく、英国のヴィクトリア女王直属の海軍軍艦のマスコットとして世界を旅することになる。1854年、クリミア戦争の山場となるセバストリポリ攻略戦では軍艦に搭乗してその戦況を見届け、その後も東インド、中国を訪れ、全盛を誇ったイギリス、そして人間の生業を目撃し続けたのである。

「このことでティモシーは勲功賞を送られているんです。しかし、亀特有の奥ゆかしさなのでしょうか、彼はそのいずれもとうとう身につけることはありませんでした。」海軍歴史家でもあるジョージ・カーデュウ艦長は語る。

そしてそれから数十年後、引退先としてパウダーハム城に連れられた後も、ティモシーは自身の最後の秘密を明かし、皆を驚かせたのである。1926年、彼はメスと交配するよう仕向けられたが、頑なに交配を拒んだ。それもそのはず、ティモシーは生後凡そ70年にして初めてメスであることが判明したのである。

そして今、クリミア戦争を見つめ、植民地を訪れ、酒を飲んで酔っぱらったことすらあると言われるティモシーは、ついにその長い亀生を終え、かぐわしきパウダーハム城のバラ園で誰にも邪魔されることなく、静かな永遠の冬眠の床についたのである。



***

x51.orgより。すごいカメがいたもんだ。江戸時代から生きてたんですよ。幕末生まれですよ。最近はぼけてきて赤いペディギュアの女の人の足指を大好物のイチゴと勘違いして噛み付いたりしていたとか。・・・しかし何亀だ?

目下世界最長寿にして最大(300kg)とされる亀はエスメラルダという名前がつけられている。南アフリカのセーシェル群島で安穏に暮らしているおちゃめな170歳。種類はゾウガメ。1834年といえばフランス革命からまだ50年たってませんね・・・北斎がピンピンして活躍してたころです。


ウソ見抜く特殊能力者!!

(10月21日日記から転載)
CNNニュースから。


うそ発見、1000人に1人は9割正解の能力保有と
2004.10.20
Web posted at: 17:17 JST

‐REUTERS

ワシントン(ロイター) まばたきを繰り返したり、ほんの一瞬顔をしかめたり・・・うそをつく時の表情やしぐさは人それぞれ。相手が見抜こうとしても、半分は外れるのが普通とされる。ところが、話している人のビデオ映像を見て、うそをついているかどうかを9割の確率で言い当てることのできる特殊な能力が、1000人に1人の割合でみられるとの研究報告がこのほど発表された。

米カリフォルニア大サンフランシスコ校のモーリーン・オサリバン氏がこのほど、米国医師会が開いた会見で明らかにした。同氏らのチームは、全米各地に住む1万3000人を対象に、ビデオテープを使った「うそ発見テスト」を実施した。テープには、自分の感情や意見、犯罪容疑などについて語る人々の映像を収録。これを見て、うそをついているかどうかを判定してもらったところ、「究極のプロと呼べる成績を挙げた人が14人いた」という。「ほかの人にはない特殊な能力を持っているという意味で、この人たちは『魔術師』とも言える」と、オサリバン氏は語る。

また、特定分野のうそだけを正確に識別することのできる人が13人見つかった。犯罪に関するうそだけは8割以上見抜けるが、感情をめぐるうそは苦手という警察官らがその例だという。

研究チームによると、魔術師グループは学歴も住む場所もそれぞれ違い、目立った共通点が見当たらない。オサリバン氏は「この能力に実用性はあまりない」としながらも、「研究結果は、捜査官や心理療法士など、うそを識別する必要がある職業のための訓練に役立てることができるかもしれない」と語る。チームではさらに、連邦当局に対し、重要事件の捜査にこうした人々による審議会を導入したらどうかと提言しているという。
  

新書紹介:シンガポールの亡霊

(11月1日日記より転載)
頭が痛くなること請け合い。読みたいけどわざわざ取り寄せて買う気ゼロだな。。

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「シンガポールにゃどこにもゴーストが - Vol 3」

シノプシス:
死んだら魂には何が起こるんだ?いくつかの魂は天国に行くという・・・他は地獄へ。ここにあるストーリーはあなたを震え上がらせることでしょう!

ギャングの地獄めぐり経験。
Pulau Ubin Mystery・・・兄弟が川の精霊に捕らえられた!彼らは川底の洞窟に住む「フィッシュ・ピープル(注:猟師という意味がある)」の奴隷だった!
デーモンがディスコのトイレでモデルによからぬことを!
豚頭に男の体のデーモンがセクシー・モデルを陵辱未遂!
サムライ・ゴーストが出没するホテル・・・日本の軍指揮官のゴーストが、有名なシンガポールのホテルの寝室でハラキリ(自殺の儀式)を実行する!

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・・・なんでサムライがシンガポールに?多分日本兵なんだろうけど、ハラキリばっかしてるイメージなのかな、日本人。沢山ビジネスマンが行ってるはずだけど。Pulau Ubin Mysteryも不明。ググってもこの書評しか出てきません。まったく。。

フィリピンはさすが英語がうまい国だけあって英語のページがちゃんとしてますが、シンガポールは案外土俗的ですな。  

ガーナにキリストの顔出る

(11月5日日記より転載)
最近このてのニュースままありますね。東京福袋から無断転載。


ガーナの教会にキリスト像現る?

 ガーナの首都アクラ郊外のマーガレット・マリア・カトリック教会の壁にキリストの像が現れたとして、多くのカトリック教徒が同教会に集まり警官まで動員される騒ぎになっている。キリスト像が現れたとされるのは教会の洞窟内にある大理石。模様が手のひら大のキリストの顔に見えるというのだ。
 祝福を受けようと手を伸ばす者、病が治るようにと触れようとする者、ひざまずいて祈る者がいる一方で、この世の終わりが訪れると解釈する者、宗教的な意味はないとする者、いたずらだとする者もあって現場はごった返している。300km離れた町から訪れる者もいるという。
 10/30、オランダ人のJohn Straathof神父が像に気づいて集まった人々に見せたのが始まりで、話が広がるにつれ群衆がふくれあがった。神父は「確かに顔のように見えますが、奇跡だと断定はできません。しかしこれを見に集まってきた人々が神を信じ、祈るのであればそれでよいのです。」と断定は避けている。(BBC NEWS)  

怪音現象発生!!

(11月14日日記より転載)
またブロンティーデス・フェノメノン、怪音現象の報告です。昔200xでやってたことがあったけど、あのときは確か謎の兵器の実験音とかいう壮大な結論になっていた。これは規模が小さいので、昔東京の住宅街であったようなものに近いと思う。ただ、日本の場合は戦時中の不発弾の可能性があるけど(中国では日本軍が終戦間際に隠した爆弾の事件もあったそうで)、これはどうかなあ。

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深夜の謎の大音響、住民を悩ませる
 インディアナ州フォート・ウェインの住民が深夜の謎の大音響に悩まされている。
 住民の一人ヘレン・リリーさんによれば、11/9の夜から朝までにおよそ10回ドーンという大きな音が聞こえ、「まるで戦争のよう」だったという。地元TV局とフォート・ウェイン署には住民から何十件もの通報や問い合わせがあった。
 その夜の最大の音は地元の病院のあたりから聞こえ、付近では家が揺れて窓ががたがたいったという。夜9時半から深夜までに4回、朝の6時から8時過ぎまでに4回大音響がとどろいた。
 住民は不安に包まれている。「眠れないし、怖いしで誰かに助けて欲しいわ。このあたりの人は皆怖がって、気が動転しているわ。」とリリーさんは語った。
 フォート・ウェイン署では音の発生源をつかむため一帯のパトロールを強化した。この町では以前から夜謎の大音響が鳴り響き住民を悩ませていたが、ここ1ヶ月ほどは鳴り止んでいたという。(WANE-TV/tokyo fuku-blog)  

アイスマンの呪い

(3月1日日記より転載)
(CNN/REUTERのニュースに基づきてきとうに書き直し)
2005.02.28

オーストラリア・イタリア国境の氷河で約5300年前の凍結ミイラが発見されてから、今年で14年。当時の生活やこの人物の死因をめぐり、最新技術を駆使した研究が進められているが、依然として多くのなぞが残る。またミイラの発見者らが相次いで不運な死を迎えたことから、不吉なうわさも巻き起こっている。

このミイラは91年、ドイツ人登山家のヘルムート・ジーモン氏が発見。現場の地名にちなんで「エッツィ」と名付けられた。現在はイタリアのボルツァーノにある南考古学博物館に保管されている。

「エッツィ研究には、近年の科学技術の発達がそのまま反映されている」と、同博物館の職員は語る。エッツィについてはこれまでに、推定年齢が45歳前後であることや、20代前後までアルプス南方の渓谷で育ったらしいことが判明。01年にはX線撮影により、肩の部分から矢が見つかった。手にも切り傷があり、衣服に本人以外の4人の血液がついていたことなどから、戦いで死亡したとの説が有力になっている。最近では、DNAからエッツィの人種を推定する研究が進行中。結果は数カ月以内に発表される見通しだという。

しかし科学は未だにアイスマンが見つかってから起こった一連の不吉なアクシデントについて説明ができないでいる。法医学者ライナー・ヘンはミイラに最初に触れた一人だが、エッツィに関する講演に向かう途中に車の事故で亡くなった。案内役だった山岳ガイドは転落死し、発掘現場を撮影したジャーナリストは癌で死んだ。去年の10月にはヘルムート・ジーモン氏自身もエッツィの発見現場近くで突然の嵐に見舞われ命を落とすという羽目になった。エッツィ殺害説を唱えるオーストリア・インスブルック大の考古学者ワルター・ライトナー氏も当夜すぐそばにいた。彼らも悪天候で足止めを喰らい、翌朝ヘリコプターにより救助されたのだが、アメリカのジャーナリストたちに彼のアイスマンに関する理論を説明している最中、余りにも突然の荒らしに見舞われたのである。「その瞬間に私は呪いのことよりもむしろ生き残ることを考えました。私の家族、私の娘の誕生日がまさに翌日だったのです。そのときそこに私はいることができないのだろうか、と。」ライトナーは語った。「翌日、研究所にたどり着くことができたとき、人々が叫んだのです。「聞きましたか?ヘルムート・ジーモンがその山で行方不明になってるんです」私は少しずつ気持ちが悪くなってきました。」考古学者はジーモンがアイスマンの発見によって強く心動かされていたと説明した。それはまるでキリスト教への改宗のシグナルかと思われるほどでした。「しかしなぜ、ミイラは彼にこのようなしうちをしなければならなかったのですか?」ライトナーは付け加えた。「理解できない。」
ナスカより古い地上絵大量発見!

(3月2日日記より転載)
ペルーで新たな地上絵を発掘、ナスカより古く
2005.03.01
Web posted at: 12:51 JST
- CNN/AP

リマ──ペルー南部ナスカの地上絵のすぐ近くで、巨大な地上絵が新たに見つかった。海岸沿いの砂漠地帯約150平方キロの範囲に、人間やサルなど約50体が描かれている。ペルー紙エル・コメルシオが2月27日、伝えた。ユネスコの世界遺産に指定されているナスカの地上絵よりも、さらに古い時代のものだという。

地上絵は、首都リマの南約325キロにあるパルパ市の近くで見つかった。現地で約7年にわたり調査してきたペルーの考古学研究所のジョニー・イスラス所長によると、地上絵として人間やサルのほか、鳥、ネコが描かれているのが見つかった。

地上絵には、紀元前600〜100年ごろの織物や陶器に図柄としてよく使われ、パラカス文化にとって重要だった「目の神」も、大きく描かれていた。このことからも新しく見つかった地上絵は、ナスカより古いパラカス文化時代のものと判断できるという。

パルパから南へ約20キロ離れたナスカにある地上絵は、紀元前50年から紀元600年ごろに栄えたナスカ文化のものと見られている。ナスカの地上絵は、1994年に世界遺産に指定され、年間8万人の観光客が見学に訪れている。

(CNN日本語版より全文引用、写真は英国版)


2005年05月16日

亡者会

 

〜蒲田の某撞球場で御家連の天狗たちが集まって某夜亡者会と云うのを催した。それは最も成績の悪い者を亡者に仕立てて笑いあうという悪戯半分の会であった。其の晩には十人ばかりの仲間が集まっていた。皆負けて亡者にせられてはたまらないと思っているので、一生懸命になって技を戦わした。其の結果七勝を得たものが其の晩の優勝者になり、一勝を得たものが三人あって、それが競技によって其の中から亡者を定めることになった。そこでいよいよ亡者戦がはじまった。

「おい、慎重の態度で」
「しんちゅうのパイプで」

もう亡者にせられる恐れのない者は面白がって半畳を入れた。そして、平生仲間からガチと云われている勝負運の強い男で、負けこすなんぞと云うことは信ぜられない会社員某氏は、其の晩にかぎってちっとも当りが出ず、殊に彼が最も得意とするマッセーが全然駄目になったので、とうとう亡者になったのであった。此の大きな番狂わせは仲間のものをいやがうえに喜ばした。

「いよう、亡者先生」
「おめでとう」
「痛快、痛快」

仲間の者ははしゃぎながら、某氏の額に三角の紙を貼り、経帷子を被せて慰労会を開き、例によって夜の更けるまで騒いだが、亡者になった某氏は気が鬱して面白くないので、ビールを飲んでもうまくはなかった。そして、会が終って皆に別れて家へ帰ったところで、病気でもないのに祖母が歿くなったと云って大騒ぎをしていた。

後になって某氏が時間を繰ってみると、祖母の歿くなった時は、己が亡者に決定した時であった。

(田中貢太郎「日本怪談全集」)

〜亡者のフリをしてふざけているともってかれるよ、という説話ともとれるが婆さんはいい迷惑である。亡者の格好が悪いならどこぞの町で亡者装の群れが練り歩く祭りなぞ毎回婆さんが大量に無くしている筈だし棺桶に亡者のふりをして寝る祭りもまた別の町であったりしてそれも婆さんが死んでいる筈である。それにしても昭和初期の庶民はこういう夜会がどうしてか好きだったのだな。悪趣味と云うかデカダンと云うか。でも少なくとも何年前かに学校の先生が「葬式ごっこ」を催したら死人役にされた生徒が本当に自殺してしまったという事件に比べれば罪はあるまい。

2005年05月16日

殺人毒ミミズいよいよ調査へ
 

懐かしいと思った。この記事である(またX51ですすいません)→モンゴリアン・デス・ワームの本格的調査始まる モンゴル

原文は長いので元記事を見ていただくとしてさわりだけ引用しておくと、

***
【Metro/etc】この度、英国の科学者らによって組織された研究チームによって、モンゴリアン・デス・ワームの本格的捜索が開始されたとのこと。モンゴリアン・デス・ワームとは1800年代初頭、ロシア人研究チームによってその存在が確認された、モンゴル北部のゴビ砂漠周辺に生息するという巨大な芋虫型の生物である。現地ではこれまで数百人がその毒によって殺されたと言われ、目撃者や犠牲者は後を絶たないものの、その存在は謎に包まれたまま今日に至っている。

目撃者によれば、生物の体は丸々と大きく、明るい赤色で、その長さは最大で1.5mにも上ると言われている。またその姿は牛の腸にも似ることから、現地ではオルゴイコルコイ("腸虫"の意)などとも呼ばれて恐れられている。(中略)

生物は数メートル先から獲物に対して飛びかかるように襲いかかること、また口から猛毒の蒸気のようなものを発すること、感電に似た衝撃を与えて人を殺すことなどが報告されている。
***


なんだか凄い怪獣のようである。だがこれが果たしてワームであるのかどうかも実ははっきりしないらしい。トカゲ(毒を持つミミズトカゲ)説も浮上しており、今回の調査で何がわかるのか、ひょっとするとかなりなーんだ的な結論に落ち着く可能性もある。ゴビ砂漠の雨季にのみ姿をあらわすということで調査隊はその時期、つまり今じぶんを選んで現地に入り、小さな沼を作って誘い込む作戦だという。

・・・つかなんかアナログな作戦というか・・・ころりころげた木の根っこ、みたいな作戦を聞いてピンとこないか。そう、これは動物学者やら科学者やらの絡んだ正規調査と言えない部分があるのである。「未知動物学者」による調査なのだ。

だいたい未知動物という括り方はおかしい。未知の動物にも種類はあるわけで、爬虫類、哺乳類、両生類、あるいは未知の類なんか、それぞれについての専門家がいるべきなのに、「未知」という括り方で学者が存在するのは、まるで100年以上前の博物学のレベルだ。

とまあシニカルなことは置いておいて、誰が中心になっているかというとリチャード・フリーマン博士。UMA(この言葉は日本でしか通用しない、未知動物が正しい)好きには実はけっこうおなじみな名前なのである。この記事にコメントを寄せているイワン・マッカール氏についても最早説明の必要はないだろう。必ず名前の挙がる人である。そしてこの人も、殺人ミミズについての調査を既に行ったことがあるという。彼によれば旧東側の社会主義体制が隠匿していた怪物であり、体制崩壊とともに初めて調査できるようになったという。社会主義体制なら寧ろ調査を積極的に行いわが国にはこんなに凄い生き物がいるんだと誇示しそうなものだが。軍事利用でも考えていたのだろうか。

「地元の人々の話では、生物は砂の下を自由に移動し、突然砂の上に飛び出して攻撃するそうです。また一度敵に出会うと、砂から体半分を除かせて、口元に何か気泡のようなものを作り始めるそうです。そしてそれが大きくなると、爆発して、猛毒をまき散らすんです。」


・・・ほとんど怪獣映画である(最初から怪獣映画だが)。ハリウッド映画に出てきたような気さえする。マッカール氏はチェコの人で何も陽気なホラ吹きヤンキーではないから、余り揶揄するのもどうかと思うが、それにしてもこれは「トレマーズ」とか「砂の惑星」などを彷彿とさせすぎる。だが氏は当然動物学者であるから冷静に、砂漠でワームは生き残れないから、無脊椎動物である可能性は低いだろう、とも付け加えている。アスファルト上のミミズ状態になるというわけだ。毒を噴射するといえば有名なコブラの一種がおり、これは原文でもその可能性が示唆されている。ジュラシック・パークでエリマキトカゲの化け物が噴射する毒を想像してみればいい。ただ、この毒はあくまで通常は人間などより小さな相手を封じるために噴射される。巨大な殺人ミミズが人間相手に大噴射などしたらそこらじゅうに跡が残り証拠は既に容易に手に入っているはずだ。電気攻撃にいたっては、現場は地上なのだから、「ラムだっちゃ」というわけにもいかない。水中でしか効かない攻撃方法であり、毒と電気については博士は尾鰭にすぎないだろうとしている。妥当だろう。

昔世界最大のミミズを調べたことがある。種類はいくつかあるようだが、長さについてはオーストラリアのビクトリア州ジップスランドにいるメガスコリデス・オーストラリアで、4メートルにもなるという。南米には重さ1キロで太さ3センチ弱のものがいるらしい。だが、4メートルはともかく(物凄く細長いだけである、サナダムシのように)太さ3センチというのは人を殺す動物にしてはいささか頼りない。やっぱりミミズではないのか、それとも砂漠に適応し内臓器官の進化した新種のミミズなのか、興味はつきないところである。勿論、成果は期待していないが。  

 

ツタンカーメンの知られざる呪い

 

ツタンカーメンの呪い、それは墓荒らしに対する死者の復讐として今や最も有名なものとなっている。しかし実際にはこのツタンカーメン墓の発掘にあたって人が次々死んだというのは過剰に演出されている要素があり、それほど頻発したというほどでもなく(当の本人は生き延びたのだから!)、また未知の細菌である可能性などいろいろな説が浮上しており、またつい最近のミイラの詳細な調査にあたって誰も死んでいないという事実もあることから、眉唾の可能性が高いと考えられてきた。

でもじつはツタンカーメンは人知れず祟っていたのである。これはまたもやX51からの二次引用ですが、よろしければどうぞ。全文はこちら

ツタンカーメンの呪いの指輪 - 南アの女性が返還を申し出る



【IOL】南アフリカに住む女性がツタン・カーメンの墓から入手されたとされる指輪(写真)のせいで、家族らを失ったとし、指輪の返還を申し出たとのこと。「彼女は指輪が災厄をもたらすとして、我々に返還を申し出たんです。」エジプト考古物学会会議長のシャリエフ・スバシエ氏は語った。彼女が初めて手紙を送ったのは2004年のことである。手紙には、女性(匿名)はツタン・カーメンの呪いによって家族を失い、自身も身体に痛みを感じているため、宝石を返還したいと書かれていた。しかし手紙に記された住所は判読できず、学会側はどうすることも出来ず、しばらくの間、話は膠着していたという。しかしその後、手紙のことを新聞社が報じ、郵便番号などから女性の住所が突き止められ、返還が行われる運びとなったのである。

この指輪の入手経路について、女性は手紙に次のように記している。「このスカラベの宝石は1960年代、親戚の女性から譲り受けたものです。そしてその女性によれば、もともと指輪は、1920年代に船長であった彼女の夫が、カイロの賭場で入手したものだと聞いていたそうです。彼女の話では、そのとき、賭場にはツタン・カーメンの墓発掘に携わる考古学者が参加しており、賭けに買った彼女の夫はその考古学者から掛金の代わりとして、その宝石を手に入れたそうです。

そしてその後、男性は南アフリカに帰り、娘に指輪を託したのち、ヨーロッパへ出航したんです。しかし、そのとき、船は沈没し、彼女の夫は溺死しました。更にその指輪を手に入れた娘も、白血病で21歳の若さでこの世を去りました。

また私に指輪をくれた女性、彼女は私の義母の従兄弟なんですが、彼女はそのとき、娘の遺品として、宝石箱の中から選らんでそれをくれたんです。そして今から30年前ですが、私はケープタウンの文化博物館に宝石も持って行き、その真贋を見てもらいました。結果、宝石は紀元前2000年頃のものだと言われたんです。私はうれしくなってそれに金の台座をつけて指輪にしたんです。

それからしばらくの間、私はそれを定期的に身に着けていたんですが、それから18年後、私の娘は21歳の若さで事故死したんです。以降、私は指輪をつけることを止めました。彼女の享年は私に指輪をくれた従兄弟の娘と同じ年だったんです。私はそれで恐ろしくなりました。

また私の娘が死んだのは、私がある日、指輪をディーラーに売ろうとしたその翌日のことでした。私はそれから、指輪を銀行の金庫に預け、エジプトから代表団が来るまではそこにしまっておくつもりです。」

***


墓を暴いたところ呪いが降りかかったという「事件」は何もツタンカーメン墓ばかりではなく世界中で起こっている、とされている。東欧でも日本でも起こっている。日本で有名な事件はあえなく解体されることになった高松塚古墳の発掘に関するものだが、東京都世田谷区の野毛大塚古墳の奇怪な事件も有名だ。明治30年というからもう20世紀も近いころ、当時普通の土塚と思われていたこの小山の山頂を近在の三人の若者が戯れに掘ったところ、武人の石棺が出た。普通この頃(5世紀前半)の地方族長墓は木棺だが余程貴人だったのだろう、丁寧に粘土郭で固められた箱形石棺内は朱塗りにされ、更に木棺を入れてそこに葬られており、重層的な棺作りはちょっとツタンカーメンぽいか。話によれば綺麗に残った人骨のまわりに夥しい副葬品が見られたそうである。日本のような湿気の多い土地で人骨が綺麗に残るのは極めて珍しい。

:野毛大塚古墳全景。南面のみが綺麗に刈りそろえられ、二つの造り出しに円筒埴輪が並べられている。少年野球団が昇り降りのトレーニングをしている。とても鎮まっているようだ。

三人は恐れ周りにふれ回りこの件はかなりの話題になった。帝室博物館学芸員によりさっそく調査がなされ、そのときに出た模造刀子などは東博で見る事が出来る。だがこのあと、いくつか説はあるのだが、石棺を鉄の鏝で開けた二人は発狂(その後自殺したとする説もあり)、残る一人は墓穴の中で割腹して死んだ。伝説には一人が行方不明になって探したところ、墳頂の盗掘穴の中に座しているところが見付かった。その穴からはが大量に吹き出ており、若者は両手に血を擦り付けながら謝罪を口にしていたという。引き上げられてのち程なく血を吐いて死んだそうだ。その葬式のさい、更に頭痛に見舞われる人が出るなど強い呪いが降りかかった。関係者にも病人が続出するなど後々まで引いたそうである。

:とても広い円頂部。ここに社があった。手前の白い部分が明治時代に石棺が見つかった個所を示す。棺自体はとても小さいものだ。血が吹き出たときはもうちょっと広く掘り込まれていたはずである。向こう側にあと3つの棺室の所在を示す白い部分が見える。見た通り、手前の棺室に比べてかなり大きい。中央が「主」だと思われる。

ということで、つい15年くらい前に慶応大学などが調査に入るまで再発掘されないままにされていたのである(ちなみに呪いはなかった模様)。戦中戦後は坊主にされ削られたりもしたがなぜか全部が壊滅させられるようなことはなかった。呪いの伝説を意識したせいかもしれない。平成の調査では何と更に3つの棺が発見され、うち全長10メートルもの主体部からは鎧や鏡刀剣類といった大和朝廷との関係を窺わせる立派な副葬品が発見されており、これが元々の塚の主であると考えられた。つまり呪ったのは主ではなかったのである。

今では綺麗に芝や葺石で覆われ整備されているが(巨大な円墳とされていたが珍しい帆立貝式古墳であることが判明した)、昔は呪いにぴったりな、木が茂り古社の建てられた陰鬱な小山だったようである。社は三人の青年の鎮魂と「大塚様」のため発掘棺室の上に建てられたといわれる。吾妻神社と名づけられた社は霊験あらたかだったというからここのツタンカーメンはリッパだったのだ。日露戦争時に弾よけの神様として参詣者の跡をたたなかったが、昭和初期には荒れて青年団の格好の肝試しの場所になった。

日本の祟り塚の話となると他には元神田明神、現大手町新生銀行ウラの「将門の首塚」も有名だが、ここが墳丘をならしたGHQにたたり、ブルドーザーをひっくり返して死者を出したという話には実は根拠が無いと検証されたこともある。まあ、中世にまで時代が下れば、ツタンカーメン風の「呪い」という言葉より「祟り」という言葉のほうが似合ってくる。そういえば野毛大塚の墳頂から鎌倉時代の常滑焼陶器が見付かっており、長らく失われた「大塚様信仰」があった可能性もあるのだ。更に蛇足を加えよう。近所に23区唯一の渓谷、等々力渓谷がある。この崖面に横穴墓(古墳の石室部分だけを崖面に穿った古墳時代末期(大化の改新後)の民衆墓)がいくつか分布しているのだが、いちばん大きく整備されている3号横穴からは三体の家族の骨が出土している。その父親の骨にはあきらかな刀傷が検出されたが、それだけではなく、無数の細かい傷が見とめられた。3ミリ間隔で38本もの傷がつけられた骨もあった。



これは人肉食の跡と考えられている。

野毛大塚についてくわしくはココ参照。

指輪などの宝飾品の呪いもまた、いろいろな話が伝えられる。ダイアナが呪いの宝石に殺されたという人までいる。ホープ・ダイヤは有名だが、他にも東南アジアの寺院から盗み出されたルビーにまつわる怪異話など枚挙に暇がない。

このツタンカーメンの指輪の逸話にどの程度の信憑性があるか不明だ。ツタンカーメンの顔がCG復元されたとのニュースがあったばかりで、この顔がこの赤いスカラベを指に差していたのかと、ちょっと不思議な気分にもなる。考古学者が掘り出し物をガメることというのは実は結構多いようで、今でも小さなものではお持ち帰りされる場合もあるようだから、インディ・ジョーンズみたいなことはありえない、なんていうことも、実はそうでもないのだ。  


 

2005年05月15日
「電話は昔から怪異の棲む処」

〜京都西陣の某と云う商店の主人は、遅い昼飯を喫って店の帳場に坐っていると電話のベルが鳴った。主人は己で起って電話口へ出てみると聞き覚えのある声で、

「あなたは−ですか」

と云ってこちらの名前を聞くので、

「そうです、あなたはどなたです」

と聞くと、

「わたしは○○です」

と云った。それは主人の弟で支那へ往っているものであった。主人は喜んで、

「お前は帰ったのか」

と云って聞くと、弟は、

「わたしは病気になって、今、長崎の−旅館へやっと帰ったところです、兄さんに、是非
会いたいから、どうかすぐ来てください」

と云ったかと思うと電話は断れてしまった。主人は病気の模様を聞きたいと思ったが、電話が断れたので残念でたまらなかった。しかし、病気ですぐ会いたいと云うからには、すぐ往ってやらなくてはいけないだろうと思って、電話口を放れたところで、番頭の顔が見つかったので、

「支那へ往ってた弟が、病気で長崎まで帰って、すぐ来てくれって電話がかかって来たから、これから往って来る、後をよく気を注けてくれ」

と云った。すると番頭が変な顔をして主人の顔を見返した。

「長崎へ電話が通じておりますか」

其の時は明治四十三年の八月比のことで、長崎への長距離電話は無論なかった。主人は気が注いて電話局へ問あわしてみた。果して長距離の電話もなければ、今電話をつないだこともないと云った。主人はますます不思議に思ったが、其のままにしてもおけないので、とにかく長崎へ往くことにして、其の日の汽車で出発して長崎へ往き、怪しい声が云った其の−旅館と云うのへ往ってみると、病をおして支那から帰って来ていた弟は、兄の往くのを待たないで病死していた。後で詮議をしてみると、電話のかかって来た時は弟が息を引とった時であった。此の話は明治四十三年十月、田島金次郎翁が其の時京都にいた喜多村緑郎氏を訪問した際に、其の席上にいあわしていた医師某が、真面目な知人の話だと云って話した話である。

(田中貢太郎「日本怪談全集」〜「長崎の電話」)

〜だいたい昭和初期の文士は好きなのだが、この怪異好きなノンフィクション作家はちょっと特異な作風を持つと言われていた。20年にわたる怪談収集の成果をしるした「全集」には、毛色の面白いもの、あるいは怪談文学として完成されていない生の話が不思議と無造作な文体でかかれていて目を惹く。ちなみに牡丹灯篭や稲生平太郎の話なども収録されており、そういう至極有名な話+小説的な長話に断片的な伝聞モノを混ぜてくる趣向など面白い。私も同じように様々な種類の怪談奇談のカオスを楽しんで綴っているので共感できるのだ。漢字の使い方が独創的で(読み仮名はつけてませんが)、心なしか文章構成もいびつ、書写ながら楽しめた。

さてこの話は文中に出ているとおりまだ日本全国が電話でつながっていなかった時代の怪談である。死者からの電話という現代怪談にとてもポピュラーなパターンが、この時代において既に語られていたという事実に興味を抱いた。電話というのは複雑なようでいてとても簡単な仕組みにより繋がっている。携帯であっても有線であっても仕組みに大した違いはない。衛星電話であろうが糸電話であろうが、何かの「線」が一直線につながることにより会話ができる。必ず相手と自分がいて、その間に物理的・論理的なつながりがなければ会話はできないのだ。手動にしろ自動にしろコンピュータ制御にしろ交換機というものがそのカナメにある。ここを制御しなければ怪異が電話に介入することはできない。それではまさに交換機に、死者が介入して会話を行ったのだろうか。

いやいや。長崎からいちばん近い交換機までの間をそれではどうやって繋いだんだ。ここで初めてこれが「論理で解析してはならない話」であることに気づかされる。電話はブラックボックスである、「魔法の箱」という認識。魔法だからどこと繋がるかもわからない、あの世とも繋がることがある。エジソンの霊界通信とは違うレベルの、もっと過去的で土俗的な怪異の様相が展開されているわけで、夢に虫の知らせが現れたり、枕元に誰かが立ったりする、そのたぐいの怪異話が文明の利器に憑依しただけなのだ。現代でもあいかわらずリカちゃんは電話をかけてくるし、今あなたの後ろにいたりする。明治だろうが現代だろうが、声のやりとりをするハコは相変わらず「魔法の箱」であるということ、文明社会なんていって案外根は進化していないのが人間なんだなあ、とも思ったりするのだ。友達の友達の話、といった現代都市伝説の定石すら、踏んでいるところも見逃せない。

この本は何も蟹のバケモノが女を載せて現れたり人馬が霊になって坂道を登ってくる話ばかりが収録されているわけではなくて、幕末の盲人突きのような怪異とは関係の無い「実録コワイ話」も収録されている。データも載っていてジャーナリズムの香りも忍ばせており興味深い。ちなみに盲人突きというのは目の見えない人ばかりを狙った通り魔的な槍突き殺人事件のことで、二人ほど犯人が捕まったらしいが、事実は述べられているものの理由はぼんやりとしか書かれていない。それが尚更怖かったりする。

ちなみに時代がら差別意識や怪奇趣味も入ってるので毒に弱いかたは注意。そうそう、今の辞書って「支那」って変換できないんだなあ。


2005年05月14日
「まんだら淵に行きたい」

まんだら淵に行こうと思ったら
曇りだというので先のばしにしたら青空出てきた!だまされたー。

所沢と志木のかっぱに会うのはまたこんど。志木はもうすこし調べて別件も見たいしね。

さんこう>

曼荼羅が淵:

地名がよく変わるのでわかりづらいが、埼玉県所沢市北秋津85 真言宗持明院(明治の大火まで曼荼羅が淵のかっぱの詫び証文を持っていた。江戸名所図会では持妙院となっている)下の柳瀬川の淵。所沢駅から近い。ここのかっぱは狭山市笹井の竹坊かっぱと川島町伊草の袈裟坊かっぱと三人連れで伊勢詣でまでしている。ちなみに三人の中ではいちばん下っ端。人の生き肝を抜けず馬の生き肝を抜こうとして捕らえられたのが詫び証文のいきさつで、しかもその生き肝は他二人への献上品だったというからなんだか可哀相。

志木のかっぱ:

志木市柏町宝幢寺につたわる話で地蔵伝説と絡んで伝えられている。柳田「山島民譚集」収録。曼荼羅淵のかっぱとだいたい同じような助けられかたをしているが、こちらは証文ではなく、枕元に鮒二匹を置いて去り、二度と悪さをしなかったという。この周辺にはいろいろ伝説地が多いようである。


2005年05月12日

奇蹟はペンキ塗り
 

アメリカで何故か「奇蹟」が頻発している。それは様様な場所に様様な形で姿をあらわし、そのつど人を集めている。たとえば奇蹟というと実際に神の実像が現れ祝福をあたえたとか、あるいは彫像が血の涙を流すなどの比較的リアルな宗教体験を想像させるが、アメリカを中心として報告されるこれらは単に「像」として焼き付けられたものとなっている。昨年有名になった「窓ガラスのキリスト」は私の目にはとても人には見えないものだったが、信仰者にはそう見えたようである。これは社会不安の裏返し以外の何物でもないだろう。一方では日本に劣らず閉塞感にあえぐ巨大国家の庶民の実像を浮き彫りにする幻想とも言えるかもしれない。

 

:昨年フロリダでキリストとされた窓ガラスの像

今年前半では4月に降って湧いたように報じられた以下の「奇蹟」が話題になった。AP電のニュースをロイターの米版から訳出してみた。

***

高架下の染みが処女マリアVirgin Maryに見える
2005年4月20日水曜日: 東部夏時間午後2時45分(グリニッジ標準時1845)

処女マリアの肖像が火曜日にイリノイ州シカゴの高架下に現れました。



シカゴ(イリノイ)(AP)--祝福と好奇心の間断無い流れが多くの献花とキャンドルを運んで、コンクリートの壁に現れた黄色と白の染み・・・一部の人々が処女マリアの現れであると信じている・・・を見るために、高速道路の高架下に群がりました。

警察は月曜から何百人もの人々が肖像とその周りに増え続ける献花とキャンドルの記念碑を見物するために歩いたケネディ高速下の緊急用非常口をパトロールさせました。 肖像の横には芸術家の或る者が染みの形に似せた形で法王のヨハネ・パウロ二世John Paul IIを抱いている処女マリアを描いた絵が置かれています。

「私たちは、それが奇跡であると信じています。」と、42歳のエルビア・テーヨは言いました。 「私たちには、
信仰があります、そして、彼女の顔を見ることができるのです。」

火曜日の朝、仕事着の男性が肖像の前に神妙に立ち祈っているあいだ、警察のバリケードの後ろではロザリオのビーズを持った女性たちがひざまずいていました。警察官は、群集が車の交通に近すぎることからおよそ3ダースの人数に抑えましたが、彼らが染みのまわりに集まるのを止めることはできませんでした。

イリノイ州運輸局によれば染みは塩分流出の結果の状態によく似ています。当該機関はそれを壁からこすり落とすようなことは計画していません。

「私たちはまさにどんなタイプの道端の記念碑も扱うようにこれを扱っています。」と、イリノイ州運輸局のスポークスマン、マイク・クラファイは言いました。 「私たちには、この場所を掃除する計画は全くありません。」



シカゴのローマン・カトリック大司教は月曜日現在まだ、肖像を認定してほしいという要求を受け取っていません、とスポークスマンのジム・ドワイアーは言いました。

「こういったことは毎日起こるわけではありません。」と、ドワイアーは言いました。 「しばしば人々は、何かを調べるように私たちに依頼してきます。たいてい認められることはありません。 (それの意味するところは) それを見る個人に頼っています。そういうことにおいては、それは本物です。彼らにとってそれは、彼らの信仰を裏付けるものなのです。」

しかし、36歳の見物人ビクター・ロブレスは、処女マリア似の染みに関して疑問視しています。

「私にはまさしくコンクリート壁のどこにでも現れうる像に見えます。」と、ロブレスは言いました。 「その像が、より多くの人々が神へ親近感を抱くことに役立つのであれば多分、良いサインといえるでしょうが。」

世界中で、人々は窓、フェンスポスト、および壁に現れた処女マリアに類似していると信じられている像に惹きつけられてきました。

合衆国で最もよく知られる中に、フロリダ州クリアウォーターのオフィスの窓に見られる像がありました(訳注:冒頭に述べたもの)。数週間のうちに、50万人の人がかの地を訪れたことがありました。ガラスの専門家は、像がガラスコーティングにおける、金属元素の化学反応と腐食によって作成されたと信じていますが、それらは、それがなぜこうした形を取ったかを説明することはできませんでした。 窓は昨年割れてしまいました。

信仰者は、高架下の壁の像を'美しい'と呼び、また他の者は塩の染みの像と呼びます。

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しかしこういうシロモノに対してキワモノ的な見方をする信仰者達ももちろんいる。寧ろ真摯な信仰に対する冒涜と考える者も少なくない。賢いカトリック教会は言葉を選んで信仰を賛美しつつもやんわりと批判を忘れていない。人々は望むものを見る、それは望まれなければそこに見えることはない。私はけっこういーかげんというか、「この両方ともが真実である」というアンビバレンツな立場をとっているので、どちらも援護したいところだが、そんなときに、まだひと月もたたないうちに、こんなニュースが入ってきた。これはロイターのシカゴ版に基づくexcite日本語訳記事からの引用。全文はこちら

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アノ壁のシミの「聖母マリア像」にいたずらが…
[5月6日 ロイター] シカゴで高速道路の下の壁のシミが「聖母マリア」像に見えるとして、この数週間でたくさんの信心深い人々が訪れたが、このシミの上にいたずら書きがされてしまったため、上からペンキで塗りつぶされることになった。シカゴ警察は、37歳の男性を公共物破損の疑いで告発した。この男性は、「聖母マリア」像といわれた黄色と白のシミの上に、黒い靴墨で "big lie" (大きな嘘)と書いた。シミは、この3週間で聖地のようになっていた。(中略)道路管理技術者によれば、シミは上部の高速道路から冬季にしみ出た水漏れが原因だと見ている。

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結局ラクガキされたので消されてしまいました(泣)当局公認の「名物」だっただけに信仰者以外にも怒りを覚えさせたことは想像に難くない。理由はあきらかになっていないが、「大きな嘘」と書いている時点で、このような「不純な信仰」に個人的に怒りを感じたためだということは明白だろう。実は4月のニュースのあとにこの像を揶揄する言説がいろいろなところで見られていた。ネットで見られる中にはかなり酷い、ともするとキリスト教そのものを侮辱するような内容のものもあり、逆にこういったものが伝統的な宗教への不信感を煽ったり、いかがわしさを感じさせるものとなってしまう可能性をも示唆している。

奇蹟のごとに新派ができる、宗教にはそういう側面もある。信仰の対象を物質的なものにしてしまうと、それを崇拝することが目標となり、つまりは物のごとに宗派が生まれる。そして異端化していく・・・その「物」を所有する者が教祖化したりするわけだ。これこそ偶像崇拝の穴であり、聖書Bibleに基づく宗教が偶像崇拝を否定したのもそこに理由のひとつがある。信仰の中心は姿を持たない抽象的な存在、絶対的な唯一神であるとする宗教はなかなか賢いというか、だからこそ成長拡大し長い歴史を得ることができたのであろう。

それにしても、このことによって誰にもなんにも「神の罰」は下されていない。それはおろか、ここでは奇蹟に定番の「クララが立った現象」も起こっていない。心は癒されたかもしれないが物理的に癒された人がいたという話は聞かない。道路管理技術者のいまさらのコメントも笑えるが、総合的に判断して・・・どうなんでしょ。あなたはどう思いますか???


2005年05月11日

犬が飛ぶ
 

羽のある四足動物というと真っ先に挙がるのが猫だろう。最近ではロシアでも発見されたというニュースがあった。多くは形だけの羽根で飛べるわけもなく、一種の畸形か、体毛の変形なわけだが、イギリスを中心に広がる羽付き猫の歴史は案外古く、中には悪魔の使いのように描かれる「ほんとに飛ぶ猫」の伝説を見ることもできる。

日本に目を転じると明治時代に羽根のある猫を伝える文章がいくつかみつかる。多くは見世物の猫のようで、あるいは日本に多大な影響を与えた大英帝国からの流入話と考えられなくも無い。ただ、アイヌ系の人が連れてきて見世物にしていたら飛んで逃げてしまった、とか、山奥を歩いていたら巨大な羽根のある猫に遭遇した、とか変化に富んでいる。明治の想像力は江戸にひけをとらない。

他に四足動物で羽根のあるものというのはいたのだろうか(あくまで「幻想世界」の中でです)。ヨーロッパ中世あたりの絵画にはそのようなものがあったような気がするが、実は余り聞かない。羽根のはえた牛なんて想像できないし、羽根のはえた豚もいささかぞっとしない。じゃあやっぱり身軽な猫だけか?

いえいえ。そんなことを言ったら筑後の人に笑われてしまう。だって、町じゅうが羽根の生えた動物の彫像に埋め尽くされた(?)町があるのだから!

JR鹿児島本線に「羽犬塚」という駅がある。地理的には福岡県筑後市である。宗岳寺というお寺があり、二つほどの石塔が飾られている。これが「羽犬塚」、羽根の生えた犬を葬った塚なのである。

伝説には諸説があり詳しくは最後の参考ページを見ていただきたいが、秀吉の愛犬が死んだので埋めた説と、文字通り羽根の生えた獰猛な大犬が人馬を襲っていたのを、秀吉が大軍をもって退治したという説に大きく分かれる。江戸時代の文献に両方が現れているのである。後者の話では敵ながら犬の勇猛さをたたえて塚を作り立派な石塔を立てたとされており、この羽犬というのが「本当に犬だったのか?」という疑問を抱かせるが、話としてはとても面白い。

猫はすばしこく高いところに上り下りするから羽根のイメージが付随してきやすいように思う。でも、犬に羽根があっても飛ぶイメージはわかない。それだけにいっそう創作意欲をかきたてるのか、羽の生えた犬の像やマスコットが筑後に溢れかえる(?)はめになっているのである。

地元では前者の愛犬説を信じたがる人が多いらしい。しかしこちらを信じてしまうと至極あたりまえな伝説が出来上がる怖れも有る。・・・羽は羽柴の羽ではないのか?九州征伐は関白となり豊臣を名乗る1585年より前のことである。「羽柴秀吉公が犬」の略ではないのか?羽根の生えた「ように」飛び回る犬だったという話もあわせて、とてもつまらなくなってくる。

やっぱ飛びましょう。犬が飛んだんです。飛びながら次々と秀吉の兵を蹴散らし噛み殺して回ったんです。万の大軍相手に羽根付き怪物が一匹だけ、まるで怪獣映画のようじゃございませんか。殺されたほうはたまったもんじゃないけど、これから島津を掃討しようと意気込む天下の秀吉をたった一匹で阻んだ羽犬、倒したあとに立派な石塔をこしらえ弔わせた秀吉の意気にも敬意を表しておきましょう。

明治前半以前のお話というのは現代の都市伝説同様に眉唾ものが多い。でも現代のものとは違ってロマンがある。こういう図抜けた面白さがない現代、私が奇想を求める時どうも過去へ目を向けてしまいがちなのも、こういうところに理由があったりします。

参考:
福岡県筑後市のページ(紹介)
郷土史家が語る「羽犬塚」の由来(検証)
いろんな羽犬像(写真)
羽犬塚の犬の謎(レポート)??


2005年05月09日

記憶器官の謎

私もしばしば取りあげてきていてテレビでもかなり紹介された話(世界まる見えとか世界仰天ニュースとか)なのだが非常にまとまった資料として以下の話がX51に載っていた。見てみてください。→心臓移植で転移する人格−記憶は細胞に宿るか

ちゃんと否定派(移植を受けた人のうちの否定派だから説得力はある)の話も書いてあるから極力懐疑的心霊主義者な私にも嬉しい。ロマン派の人には移植を受けた人の夢にドナーが出てきて穏やかに話をしたエピソードなどとても感動的に読めるだろう。X51ほんと復活後気合入ってるなー。

手塚のブラックジャックの中に丸一冊を使って描かれた長編があり、これが「脳移植による記憶の流入」を描いたものとしてなかなかホラーで神秘的な感触をあたえていた。心臓移植を受けた人間の嗜好がドナーに似てくるという話など、さしずめこのイメージに近い。私が以前書いた憑依による人格併合みたいなところにも似た感覚である。つまるところ物理的に移植されたから記憶が乗り移ったのか物理的なものが関係ない世界で記憶が乗り移ったのか???心霊主義に立つなら圧倒的に後者だろうし医学的には両方とも受け容れられまい。

脳だけでなく神経索にも脳のような機能が備わっている。これは恐竜のような巨大生物が全身を制御するために脳だけでは足りず腰などにある神経の塊を発達させるという説で有名になった話だ。これを突き詰めていくとこの記事にあるとおり細胞そのものに記憶があるかどうかという話になっていく。

だが、残念ながらそこまで細胞にフクザツな構造が備わっているわけもなく、これも擬似科学の範疇と言わざるを得ないだろう。パラサイト・イブなんていう小説が流行ったこともあったが、エンターテインメントと科学は別だ。脳自体の機能が明らかになっていない以上、完全否定もできないわけだが。

メディアに出没する幽霊・・・

「ほんとにあった呪いのビデオ」シリーズに代表されるいわゆる心霊ビデオものは一段落ついた感がある。初期のエキセントリックな(であるがゆえに非常に怪しい)映像から、なんだかぼやっとしたどうとでもとれるような映像と小説的なシナリオによる内容希薄の補完といったものばかりになるに至って、人気も一気に衰亡していったようである。だがそれに反していわゆる霊能力者モノはテレビでも花盛りだ。スピリチュアルなどといった新らしげな言葉を使って旧来の土俗的な雰囲気を払拭しようとし、でも結局やっていることは「イタコの口よせ」。セラピーの一種として捉えるべきだろうが、時々混ざる心霊科学的な言説や怪しげな映像にはちょっと首をかしげさせられる。また、明らかに確信犯的に奇矯な情報を提供しつづけるアンビリバボーなどの擬似科学番組もまた、分かって見ていれば非常に面白いのだけれども、子供が信じたらやばいよなあ、と思う。

そう、最近は「映像モノ」が減っている。音声モノも、心霊写真モノも減っていると言ってもいい。こういう「証拠」が大好きな私はいたずらに感情を煽るばかりの霊能力者モノがメディアに多い現状は残念なのだが、そんなとこにX51で興味深い記事が掲載されていた。ぜひこちらを読んでみてください。X51絶好調だな→テープの中に現れる幽霊−電子音声現象とは

参考6に挙げられているページを見ればわかるとおり、これらの大半は最初に言及した「ほんとにあった呪いのビデオ」末期の状態に似てあやふやで怪しい。これを読んで思い出したのはドイツで研究されていたテレビの放送時間帯外に混信する「死後の世界の映像」である。これは日本でスペシャル番組も放送され書籍化もなされたため覚えておられるかたも多いと思うが、砂嵐の中に何か風景のようなものや、人物のようなものが浮かび上がる。今の電磁波塗れの日本なら何らかの「本当の混信」ということがありえるかもしれないが、電波的に穏やかなドイツでああいう映像が頻繁に録画されていたということにはちょっと興味を惹かれた。「ほんとにあった呪いのビデオ」の砂嵐に現れる爺さんの顔の映像の、余りにクリアであるがゆえにCGとしか思えないものと比べ、ギリギリを突いて来ているというか、私のあやしげアンテナにビリビリ響いてくるものがあったのである。

テレビのブラウン管は霊を寄せ付けやすい。かつて霊能力者たちは口を揃えて言った。心霊写真によくあるブラウン管に映りこんだ人間の顔というものはそういう出やすい媒体だからこそありえたのだと。だが今やプラズマ管、さらに液晶やら有機ELやらという時代になっている。そういう新しい映像メディアにもきちんと対応していくのだろうか。幽霊、どうでしょ。??


古人が立つ台所
 

昔どこかへ書いたが忘れてしまったのでうろ覚え。沖縄の知り合いが話してくれた話。

那覇に国際通りという有名な繁華街がある。ここは今や観光客のメッカとなっているが戦後ヤミ市的に発展した場所で、焼けたり荒れたりした地域に人々が集い街を形作ったとされている。このあたりは古くからの墓が多く存在している。それはヘタすると琉球王朝成立前からのものもあるくらい古いものらしい。沖縄の墓は大きく、亀甲墓を代表とするような、塚に横穴を掘って蓋をした形のものが多い(実は単純ではないらしいのだがおおまかに言えば)。この国際のあたりもそういう墓が群生していたのである。

だが戦後、沖縄の人々はそんなことを言ってられないというか、日々の生活のためにギリギリがんばっていた。墓は・・・家やアパートのために潰されたり、踏み潰されたりした。極端に言えば国際通り沿いのアパートや家はみな墓の上に建てられたと言ってもいい。

それが保護のために土地所有権の無い居住者を立ち退かせ修復整備されて公園化されていくようになった。街中に不意に公園が現れ穴の穿たれた塚があったりするのはみなこの文化財保護という観点からの修復工事の一環で整備されたものである。

でも理由はそれだけじゃないらしい。

私の知り合いは国際のすぐそばのアパートを借りた。奥さんはちょっと「見える」家系の人だった。

その奥さんが言うのだという。

「変な服装をした人が、台所に立ってる」
「古い感じの人が、冷蔵庫の前にいる」

・・・そんなことをえんえんと言うのである。ノイローゼになる。一回ノロ(職業的悪霊払い)に祓ってもらったらしいが、とにかく奥さんの霊感が強すぎたのか、二人は結局別れたと聞いた。そこも実は、墓の上に建てられたアパートだったらしい。引っ越した後はどうなったのかもうわからないというが。

実はこういう話が多いらしい。だから立ち退きがスムーズにいっているというまことしやかな話もある。別に実害は無いらしいのだが、気味が悪いのは事実だろう。国際通りが発展しているさまを見るに、古人もそれほど怒っているわけではないようにも思えるのだが、とにかくその見えた「人」というのが、見たことも無い服を着ていた、いつも目にしている伝統衣装とも違うもの、というところにも興味を惹かれました。??


2005年05月05日


ついこのあいだのニュースで思い出した話がある。まだ日本が生々しい戦争の記憶に引きずられていたころ。

子供たちが山でかくれんぼをして遊んでいた。

山といっても町中の丘のようなところである。危険はないが、防空壕がいくつかあった。深くはないはずなのに大人達は絶対に入るなときつく言い、全てにトタンで蓋をしてしまっていた。

その日も悪ガキたちは山でかくれんぼをして遊んでいた。しかし狭い山のこと、隠れる場所もそんなにない。みんな他にやることがないからかくれんぼをしているだけ。

一人がいつものように隠れる場所を探していると、斜面にトタンが見えた。少し隙間があいている。子供なら入れそうだ。

あそこに隠れよう!

子供は駆けていって、トタンの隙間に手を入れた。すると僅かに拡がって外光が中を照らし出した。瞬間!

・・・子供は声も出ず、その場にへたりこんだ。

中に見えたもの、それは穴ぎっしりに座り込む「人」だった。国民服やもんぺを身につけた老若男女が沢山、まるで生気のない目でいっせいに子供の顔を見つめたのである。

・・・やがて全ての穴は塞がれた。しかしひとつぐらいはまだ残っているかもしれない。そこでは未だに、空襲が終わるのを待ち続ける人々が、座っているかもしれない。。


2005年GW青森・南部あやしげ旅始末記(仮)



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