2006年3月22日

皿明神に行ってみたり

しばらく外出してなかったのでモノのついでに牛込のお菊物件に行ってみた。つまり番町皿屋敷のお菊が祀られて「いた」お稲荷さんだ。現在は桐生稲荷と呼ばれていて蔭もない。社は新しい。JR飯田橋駅牛込橋側から左へわたりちょっといったところに東京大神宮方面へむかう大神宮通りがあるのでそこを左折、するとほどなく左にわけた小道にこじんまりとした鳥居と社がみえる。


番町皿屋敷が一筋縄じゃいかない「伝説」なのは永久保貴一氏の労作漫画を見ればわかるとおり。ククリヒメ(菊理姫)と結びつけるのはいささか遠すぎる話とはいえ(識字率の低い時代によくあったことだが「読み」の近似性からごっちゃにされただけなのかなとも思う)あながちこじつけとも言い切れないところもあり、ここで解決をみていないことからもいずれの説にも断定はできまい。ただ、番町という場所が吉田御殿の物語とごっちゃになった背景から生まれた俗説で、東京においては牛込がどうやら「原住所」らしいというのはわかるような気がする。牛込(飯田橋)は番町(市ケ谷)の近所(駅的には隣)だ。

しかしはっきりいってここは余り何もないというか、何も感じないというか、たぶん「ゆかりの品」が奉納され奉られただけなのではないだろうか。現在は恐らくその品すら入ってないぽい(だって凄く小さい社だ)。このごちゃごちゃした町の中にも伝説は多く埋もれており、ビルの間に懐かしい大正昭和初期造りの建物があったり、道すじがあきらかに非合理的で「幽霊坂」のようなものが数本もあったり(江戸記事参照)、コンクリとアスファルトをひっぺがせば沢山されこうべが顔を出すのかもしれないが(比喩ですよ)、ま、ヒマがあったら訪ねるもよし。桜のシーズン、靖国神社からちょっと足を延ばしてみましょう。靖国は逆側なので右手に入るのね。