2006年03月07日

松原の怪異

柳桜の翁さんと呼ばれる老医師がいた。正名を吉岡栄喜という。とうに亡くなっている。晩年東京に来て甥の永山久満君の家に滞在し研究をしていたが、何かのついでに聞いたことだそうである。

「叔父さんは、これまでに不思議と思った事がありますか」

「別に不思議と思った事はないが、強いて言えば」

高知県長岡郡十市村に開業していたころのことだったか、某日自宅へ客を招くというので朝早くまだ暗いうちに隣村の魚市場へ出かけたことがあった。沙地という部落を越して仁井田に入るところに聖神という場所があって、聖神社という社があった。社は山を背に南に向き、道一つへだてて空壕になっているが、当時闘犬場となっており相撲のような土俵を築いてあった。空壕の前は海岸の松原で、いったいに樹木の多い淋しい、「笑い婆」が出るとか、天狗が出るとか、聖神社の近くの路傍にある楠の老木を伐ろうとすると血が出るだとか、いろいろの事を言われている場所であった。

老医者は少しの迷信も持たない人であったため、平気で社の前へ来た。

空壕の上空に笙や篳篥の雅楽を奏しているような音がしている。

こんな処に音楽の聞こえるのはおかしい、と思った。あまり面白いので足を止めて聞いているうちに、ぱったり止んだのでそのまま魚市場へ往った。

話はこれだけである。(「日本怪談実話」田中貢太郎より抜粋編)



〜由緒正しき実録怪談の定石として「いつ」「どこで」「誰が」というところが不要なまでに明確に記される。けして仮名もぼやかしもない。欧米からのジャーナリズムなるものの輸入に伴う手法の一つでもあったようだが(貢太郎は新聞社出身である)、いざ調べると該当者がいなかったり場所がなかったりということもあると聞く。でも、これらの「ギミック」こそが真実味をあたえ読者をひきつけた。現代はどうだか知らないし興味もない。貢太郎氏はジャーナリスティックな記事と走り書きのような随筆と、本格的な怪談を混ぜて提示する。最初のものがいわゆる実録の体裁をとったものであるが、最後の本格的な怪談というものは剥き身の走り書きにくらべ内容的に薄い物が多いものの、文章の練り上げ、深度が格段にちがい読ませる力がある。案外艶なものほど魅力があるのは生き人描写の妙であり雲霞怪談の妙ではない。貢太郎怪談はこのすべてのパターンを尽くさないことには語れない。

よく実録というとスケプティカルな検証の施された信憑性の高い実話であるという誤解があるが、実録はあくまで文芸形態のひとつである。ドキュメンタリー文学の一種である。怪談実録モノを使ってオカルトを証明したがる人がよくいるが、結局突き詰めると言説はまるで「雲を霞と定義するようなもの」にならざるをえない。元が恣意的文芸の範疇にある以上(創作とは言わない)、これは尽くしてもせんないことである。お岩さんを一意に定義するようなものだ。



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