2005年11月02日

百物語で人が死ぬ

〜或寺の小僧が友達を集めて百物語を始めやうと蝋燭百灯を点して本堂に立て列べた。別室で怪談を一話終ると話手が本堂へ行って一燭を吹消して帰る。臆病の者から先にやり段々剛の者に廻るのである。最後に小僧と庄屋の息子とが残った。灯は二本となり一本となり遂に最後の灯も消えた。先にすんだ人々は終次第家へ帰ったがやり残った人々は今やっとすんだ所。夜は大層ふけた様子。小僧のすすめで二人は寺に泊った。そろそろ眠りついたが独眼がさへているのは庄屋の息子である。其中に物のけはいがするので夜着の袖から細目に見ていると幽霊がうらめしさうに小僧の夜着を持上げふうと吹いて去った。暫すると又来て刀屋の息子をふうと吹いて去った。そこで二人の名を呼ぶに返事がない。もう死んでいる。今度は自分の番かと心配していると鶏の一番どきがしたので安心して家へ帰った。二度と再あんな物に来られぬやうにと氏神に祈りに行った。所が帰りがけにいつも同じ女に会ふ、願がきれた頃には何となく心安くなり遂に其女と夫婦になった。或晩妻が勝手へ行ってはるか来ないから窺いてみると先年寺でみた幽霊其ままの顔で火を吹いていた。夫は急に胸を躍らせた。百物語は去年の今夜。わっと叫んで引きさがった。妻は急に走りより夫を一股ぎにふうと吹く。其一息に夫は絶命した。(里老談、小山真夫編「小県郡民譚集」:野村純一「昔話の森」)

〜言うまでもなくこの話は混乱している。百物語というシチュエーションは江戸噺の系譜、残った豪胆な者の不幸というのも江戸噺。しかし女のくだりはまさにヘルン先生の雪おんなであり、明治の地方伝説である。どこまでがほんとうで、どこからが合成なのだろう。その手立てとなる一端が、末にある。この話、本人死んだのに誰が伝えたんだろう。落語のフォーマットなのである。人が死んだ百物語の話では有名なものに前に書いた夢声や貢太郎の実録談があるが、新しい伝説としてもいくつか聞かれるという。貢太郎の話はどうやら本当らしいのでとにかく、ほとんどが図書室や教室で勉強した怪談の延長上であり、取るに足らない内容であることは言うまでもない。