〜「日吉。お前はトルストイを読め。あれを完全にマスターしたら大したもんだ。」
茶ノ間で酒を飲みながら、ふとこんなことを云われたこともあった。だが、その時は私は卒然としてその言葉を聞き流していた。
庭に薔薇の花が匂っていた夕方だったと記憶する。
とにかく、俳人であり高踏派であると思っていた私の先生に対する幻想は、お会いしているうちに、徹底した現実家としての先生の実像に
置き換えられた。
さて、この二月の十日である。
起きて見たら雪が白く積っていた。先生世にありせば、この雪できっと・・・と、酒を好まぬ私も、ふと盃を思った。この夕、東京で先生の
追悼会があるということも念頭にあったのだ。諸法因縁生・・・何となくそんな語も思い出された。
午後東京へ出て添田君を訪ねて、一緒に会場へ行こうと云った。
「君、あれは延期になったよ。知らなかったのか。」
添田君に云われて、私はビックリした。だが、大森には雪をたのしむ風流の友が多くいる。よし、今宵はこの友達と共に先生を偲ぼうと決心
して、私は大森に腰を据えた。その晩、私は、思いがけない人にも偶然会った。
「日吉。お前はひっ込み思案でいけない。作家は交際が大事だ。」
先生の言葉と、そして諸法因縁生の句が、酔いの廻った私の神経を妙に愉しくさせた。
その夜、鵠沼の家へ帰って、夜半、のどが渇いて目が醒めた。雨戸がない部屋で、ガラス戸がほのぼのと白かった。もう朝かな・・・そう
思って眼をパチパチささせて太陽を待っていたが、ふと気がついたら、もう一方のガラス窓から月が晃晃とのぞいていた。
それから再び私はウトウトしたものらしい。
「日吉。お前はトルストイを皆読んだか。」
声がしたので見ると、田中先生がホームスパンの洋服に身をかためて、ガッチリしたデスクに向ってペンを執ってをられる。額が、あの有名な
額がスタンドの仄光を受けてたくましく暗闇に浮かんでいる。
・・・人生は深い。文学はもっと深い。
そう云っていられる感じだった。
あの幻想を、私は永久に忘れないだろう。あれが本当の先生の姿かも知れない。先生は決して現実家ではない。少なくとも私はそう信じる。
私を最初に文壇的に世話して下すった先生の、あの幻想を胸に抱いて私は何処までも人生と文学に精進したい・・・その翌る日、私は一日
そう考えて暮した。(二月十五日)
(田中貢太郎先生(1880/3/2-1941/2/1)を偲んで、日吉早苗(1900/11/25-1953/1,第35回直木賞候補)筆
、「博浪沙第六巻第三号・田中貢太郎追悼号」所収)
〜そして私は遡って明治の文人であり恩人であるヘルン先生の「ひまわり」を思い起こす。夢?これは幻想である。そして幻想を赦さぬ
科学には私は興味が無い。