招く松の木

杉並区中野町に某と云う家があったが、それは中野の街路からすこし入った十字路の一方の角になった家であった。昭和八年の九月であった。荒牛雪と云う娘があって其の家へ奉公していたが、家庭のつごうで暇をとって、四谷区舟町の実家へ帰っていた。ところが、其日知己のやはり舟町に住んでいる竹内という家へ往って、其処の主婦に

「姨さん、わたし、これから中野へ往って来ますわ、何人か知ら、私を呼ぶような気がして、じっとしていられないのですから」
雪は其の時二十であった。主婦は何の他愛もないと思ったが、とめることもないので笑った。

「そう、往ってらっしゃいよ、佳い人が待っているでしょうよ」
「いやよ、姨さん、佳い人なんかないことよ」

雪はきまりがわるいと見えて顔を赧くした。主婦はそれがおもしろかった。

「隠すことはないじゃないの、あるのが当然じゃないの、彼方にも此方にもあるのでしょう」
「ばか、ねえ、姨さんは」

雪は逃げるように帰って往ったが、其の足で中野へ往ったものとみえて、夜遅くなっても帰って来なかった。雪の家では雪が芳紀(としごろ)ではあるし万一のことがあってはならないので、父親が娘の奉公先へ往った。奉公先では来ないと云うので、父親は心配して他を探すべく帰りかけたところで、門の右側の庭にある松の木に、何か黒い物がぶらさがっているのが電灯の光に見えた。父親は不審に思って往ってみた。それは縊死してぶらさがっている娘であった。

そこで大騒ぎになって医師も来たが、死後九時間も経過していたので蘇生しなかった。其の松の木は、それまで既に二人の縊死者があったので、雪で三人目になるが、今に其の木は昔のままになっているとのことである。(田中貢太郎「日本怪談実話」)


〜「首くくりの木」系怪談のひとつである。現存するかは定かじゃないが、恐らく戦争で焼けたことだろう。この人の語り口は事実をそのまま伝えるようでいて、行間に意味を含ませているのが巧い。この文章には一切直接的な解釈が入っていないが、あきらかにこの木が呪われているという暗喩が含まれている。この「実録本」の文章表現は簡潔であるが故、それぞれ今なかなか読めないたぐいの巧緻な設計があって、大したことの無い話でさえ読ませるようにできている、そう、この話も、この状況証拠だけでは、娘がおばさんと会ったあと、好いた人に逢って、酷い仕打ち(おそらく別れ話か)を受け、衝動的に首をくくったという「偶然」と見るのが筋というものだろう(当時の新聞記事があれば見てみたいものだ)。松の木は首をくくる丁度のところにいい枝があったというだけで、何が取り憑いているわけでもなかったのかもしれない。松木もかつてはある種の霊力を持つものと考えられていたから、これすら暗喩として仕組まれた前提であったと考えれば、貢太郎子の才覚と、昭和初期という過渡的な時代の面白さがあいまって、この短文が出来上がっていることがわかる。

「実録」の体裁をとりながら「怪談文学」として成っている、この種の粋な文学的魅力をもった「実録怪談」は、最近めっきり読めなくなってしまった。ひとつにはそれだけで大きな説得力を持つテレビなどの映像の台頭があり、もうひとつには細密描写や奇想に凝り原点を忘れてしまった「ホラー文芸」全盛の状況があるだろう。私はブンガクには興味がない。でも、昨今の「ホラー文学」には気持ち悪さやモラルの欠如による即物的な恐怖しか感じられず、またそういうところにしか魅力を見出せない需要側、即ちビジュアル世代の貧困な想像力を思って憂う心を抑えられないのである。