第99夜、蛇口の声

その団地で幽霊話が出たのは、5月も半ばのころであった。

ある号棟で、それは起こった。

「絶対、女の声」

「うちも聞こえるのよ・・・」

「蛇口ね」

「そう。夜中なんてハッキリ聞こえる」

「聞こえるなんてもんじゃないわよ。うちの子なんか怖がっちゃって」

「気のせいかなとも思ったんだけど」

「いや、絶対声だわ。だって微妙に抑揚があって」

水道の蛇口をひねると、水の流れる音に混じって、幽かに

「あー・・・うー・・・」

という、唸りとも泣き声ともつかぬ女の声が流れ出す・・・。

「気味悪いわね」

「全部の部屋がそうなのかしら」

「今度、集会で言ってみようか」

「でも変なウワサが立つのも嫌だね」

「そういえば、1Bの××さん」

「ああ、あの」

「蛇口から・・・欠片が出たって」

「彼女の言うことはあてになんないわよ。でも何のかけら?」

「・・・爪だって」

「えー」

「ピンクのマニキュアのついた爪だって」

「嘘でしょ」

「あの人おかしいのよ」

・・・声は二週間ほども続いたが、

一旦、ぷつり、と止まった。

とまったは良いが、ひと月もすると、別の事象が発生した。

生ぬるい梅雨の時期である。

「・・・最近、なんか・・・匂わない?」

「そう!生臭い」

「水?うちは気にならないわよ」

「○○さんちは、浄水器つけてるからよ」

「なんか一寸濁ってない?」

「そうね・・」

かわりに「水」がおかしくなった。寄り合いで話題になり、

遂に住民集会で取り上げられた。

「みなさん、水がおかしい、と感じている方は挙手願えますか」

ほぼ全員の片手が上がる。

「屋上の貯水タンク」

「そうだ、あそこに何か異物が入ったんじゃないか」

「まさか・・・うち赤ちゃんいるのよ!変なものだったら怖いわ。

調べましょうよ、すぐ」

「そうだ。今から行ってみよう」

屋上に大きな丸い貯水槽がある。じめじめとした空気の中で、鍵が解かれ、

丸い蓋が

ぎー・・

と開かれた・・・

「ウッ」

強烈な腐臭が鼻をつく。

「何・・・あれ」

水面にぼんやり浮かぶものがあった。

大きく黒い影。

死骸であった。

人間の。

女の。

扉の裏に・・・引っ掻き傷が、無数に付けられており、黒くこびりついた血液、

そして

ピンクのマニキュアの付いた爪の欠片が、沢山

・・・

死骸は腐乱しきって、ぶくぶくと膨らんでいた。死後一ヶ月、やがて歯形から身元が割れる。団地のそばに住む若い女性。丁度一ヶ月くらい前から、行方不明になっていた。程なく男が捕まった。男は水槽の中に女を閉じ込めたことを認めた。・・・それは「管理人」だったのである。

水槽は綺麗に掃除し直された。

だが、

ぞろりと抜けた髪の毛が一群れ、天井にへばりついていて、

梅雨の時期になると、一本一本、

抜け落ちて、

「キャー!」

「か、髪の毛、髪の毛が、蛇口から・・・」

・・・ウワサ、である。

・・・百話の仕舞い前に、こんな怪談らしい怪談でも、入れておこうと思った。