第98夜、音魂

「壁のあいさつ」

或る地下鉄の駅構内、階段への上がり縁。
霊感のある人がそこを通りかかると、壁の「中」から
”おはようございます!!”
という声が聞こえる。
”お疲れさまです!!”
の場合もある。はきはきとしたキレの良い青年の声だそうである。
なぜそんな声が聞こえるのか、いわく因縁がはっきりしない。
最初は驚くが、じき暖かい気持ちになる、という。

「叩かれる扉」

毎晩夜中の2時半に、扉がノックされる。決まってその時刻に、
ガンガンガンガン!
鉄扉だから可也うるさい。開けてみても、誰も居ない。必ず3回繰り返される。
連夜の睡眠不足に堪り兼ねた男、ある晩待ちかねて、叩かれている最中に扉を
開いた。すると、開いた扉の外側の、丁度人間の手を上げたぐらいのところが、
ガン、ガン!!
という音をたて、僅かにへこんでいた。扉の外には何も見えない。まるで透明
人間か、もしくは扉の薄い鉄板の中から沸き起こるような打音に、初めて恐怖
を感じた。だが翌日以降、扉が叩かれることはなくなった。

「喋るピーマン」

おおきな赤いピーマンを食卓の飾りにと置いていた。しなびかけて捨てようかと
思っていた矢先。早朝、なにやらうるさい音で目が覚める。食堂のほうから、
こそこそこそこそ、
えんえんと繰言をするような、でも中身のさっぱり聞き取れない「声」が聞こえ
てくる。泥棒か、と恐る恐る足をしのばせ、まだ薄暗い食堂へ行くと、
ぴたり
と止まる。ようく目を凝らしてみると、「気配」はするものの、人の姿は見えない。
ことことことこと
小さな音が持続していることに気が付く。ふと卓上のピーマンに目が行った。
ピーマンだった。
地震でも起きているかのように、かたかた震えて、音をたてている。近寄り、
指を伸ばして触れたとたん、
ぎゃーっ!
耳をつんざく叫び声が、天井から降り注いだ。うわっと床にしゃがみこむと、
ピーマンの揺れは止まった。
古びたピーマンに何かがうつったのかもしれない、とその日のうちに捨てた。
果たして、変事はそれきりだった。