第96夜、内匠頭が祟り

港区田村町、江戸も始めのころは入江先の海辺の地であった。ここに銀杏の大樹があり、舟の入る良い目印になったということで”入津の大銀杏”の名を頂いていた。大正まで元気に繁っていたが、震災で惜しくも焼けた。古老によれば三抱えもある大木で、焼けた後も立っていて、夜など大入道が手を広げているように見え気味が悪かったそうだ。

この樹には浅野内匠頭の魂が乗り移っている、といわれていた。

はらはらと舞い散る桜の下で腹を切ったというのは芝居のうえでの話し、実際はこの田村右京太夫邸に生えた大銀杏の下で、切腹の儀を執り行なった。今でも車の喧騒の中、「浅野内匠頭切腹之地」という石碑だけがひっそりと立っている。

震災に焼け残った黒焦げの樹は、それでもまだ辛うじて威勢を保っていたのだが、近所に、増して威勢の良い魚屋が居て、

内匠頭のタマシイ?ソンなものがこの文明の世にのこっているもんか

とバッサリ切り倒し、まな板にしてしまった。

すると、

毎晩夢枕に腹を切った武士が顕れて、

「何故

切った」

と恨み言をのべる。

流石の魚屋もしまいには狂い死にしてしまったという話しが伝わっている。

一説には近所の風呂屋の薪に買い取られたともいい、入浴客の夢枕に立つでもなく結局何事もなかった。二抱えも三抱えもある大樹をマナ板にする馬鹿もいなかろうから風呂屋の説が真相だろう、というのは戸川幸夫氏の説であるが伝承としては魚屋の話しのほうが面白かろう。魚屋が神木を切り倒しマナ板にしたら夢枕、気が狂ったという話しは他所にも伝わっているから、この話しが真実かどうかは甚だ疑問ではあるけれども、つい大正のころまで忠臣蔵の内匠頭が魂の篭った樹木が繁っていたという話しはなかなかロマンがある。