第91夜、左足をかえして

この「夜話」を書き始めたのは「化物屋敷」の話からだった。ここに書くのは或る有名な病院の話し

で、その名を聞けばソッチ好きはピンとくるだろう。ソウ何らかのトラブルで何年も廃虚と化して

いた、神奈川の或る病院址での話し。(今は取り壊されているかと思う)

 まあ5人で肝試しに侵入した輩がいたわけである。

 幹線沿いで割合と車が入り易いせいか侵入者の後を絶たず、「スポット」としてテレビで放送さ

れ続けた一時は、どこの馬のホネともつかない輩でごった返す始末。それがピークであっ

たころなのに、その雨の夜は何故か自分たちだけしかいないようであった。

 ひととおりのコースのようなものがあって、手術室だとか、地下室だとか、ラクガキだらけの廃屋

の中をそぞろあるくわけだけれども、一人がある階段の手前で悲鳴をあげた。

「血だ!」

懐中電灯には紅いといえば紅く見える何かの垂れ滴った段が映し出されている。ゲラゲラ笑う

奴がいて「血なわけねーじゃん。血だったらいつまでもこんな赤い色してるかよ」もっともであった。

だが、その階段はたしかに変だ、と気付いたのは少し霊感のあるといわれていた男だった。

「足・・・いたくねえ?」

「別に」

「なによ・・・なによう、突然」

「いや、左足・・・痛くて、のぼれねえ」

「きのせーだろ」そんなことを信じない奴がいて、彼の左足を軽く蹴り上げた。

「い・・・あれ?あ、治った」そして探検はつづく。

「さあ、こっから地下いくぞ」

「ええ、もういーじゃん。かえろうよ」

「なにいってんだよ、メインじゃねーか」

「メイン」

「レイアンシツだよ、霊安室」

「えー」とかなんとかいいつつも、スプリングのはみ出たベッドの羅列や、壁の不気味なラクガキ

に少し飽きはじめてきた一同は、地下への階段を躊躇無く選んだ。

「さ、、、こ、こ、が霊・・・」開け放たれた扉を先頭をきってくぐった男が、何か言いかけて止めた。

「・・・」

「?」あとにつづく連中。なんの変哲も無いがらんどうの部屋だが強いて言えば壁の

”GATE of HELL”+骸骨というラクガキが嫌な感じだ。

「・・・何か言ったか?」

次に入った男が、先頭の異変に気が付いた。

「・・・ダシテクダサイ・・・」か細い裏声。

「え?」先頭の男が、部屋の奥でぼうっと佇んだまま、呟いたのだ。

「XXX、ビビラスなよー」

安堵の溜め息が狭い部屋に響いた。

「XXXどけよ」しかし彼は呟きを止めない。

「ここからだしてください・・・」

「おいー」

あきらかに尋常ではない。

「もうやだー、かえろうよ」

「かえして・・・」

ふと違う方向から声が聞こえた。懐中電灯の中に例の霊感のある男が、空ろな目をして

呟く姿があった。

向ける懐中電灯の灯りに妙な輝きを返す瞳はあきらかに正気ではない。

部屋の奥から再び、「さむい・・・ここはとってもサムイのよ・・・」

「かえして、ワタシノヒダリアシヲかえして・・・」後ろからは取り憑かれたような空ろな声。

サラウンドで繰り広げられる恐怖の音響にパニックになったのは女の子だった。

「わあーっ」

号泣の声に呼応するかのように、両端の二人も声を高めた。

「足をかえして・・・なんで切ったの・・・かえして!かえして!」

「この部屋から出して・・・一緒につれていってよう!」

「るせえな!てめえいいかげんにしろよ」信じない、信じまいとして正気を保つのがやっとの

状況で、ひとりが奥の男を薙ぎ倒そうと首に手をかけた。

「ぐっ」

ばたり、と倒れたのは手をかけたほうであった。

「くるしい」胸を押さえている。奥の男は微動だにしない。

「ヤバかねえ?」遅いのだった。泣きじゃくりながら逃げ出した少女を追うように、残された

青年は走り出した。その足を倒れていた男が掴んだ。

「出せえ・・・ココカラ出せえ・・・」

扉から半身を出してぶち倒れた青年の耳に遠くから悲鳴が聞こえた。

「イヤー!誰かついてくる!」

足を思い切り振り頭を蹴ると、手放さなかった懐中電灯を彼女の逃げていった方向へ向けた。

ライトの間近に、ハイヒールの女の足があった。

・・・一本だけ。

ライトの薄明かりがその上を映し出すと、真っ白い肌の青ざめた顔が、こちらを見下ろし、

「足を返して」

ぎゃっ、と、

気絶した。

次に気が付いたのは、あとから侵入してきた別の連中に頬を張られたときであった。

全員がそれぞれ倒れていて、それ以外に特に異変はなかった。そう長くは倒れていなかった

ようだ。

「もう・・・こんなことはやめよう」

「ああ」

「もうイヤ・・」

埃だらけで顔を見合わせるのだった。

・・・

さて。

左足のことなのだが、この「ウワサ話に近いもの」を聞いてまもなく、テレビでここが取り上げら

れたさい、

ある霊能者が言っていた。

「ここで手術して、左足を切断したかなにかで、でもほんとうは切らなくても済んだとかで、悲観

して自殺した女の人がいたようね」

・・・さらに別な番組で、別の霊能者が、

「左足・・・ひだりあしがいたい」

と言っていたその場所というのが、「赤いペンキが垂れた階段」だったのである。

まあウワサ噺は千里を駆ける、みな口伝レベルで繋がっているのかもしれないが、

その一致が偶然とすれば、不思議な話しではある。