第89夜、七人みさき

以下は七人みさきと呼ばれる有名な妖物とはひょっとすると違う話しかもしれない。

だがなんとなくゴロが良いので、「七人みさき」としてここに書かせていただこうと思う。

鳥も通わぬ八丈島、とは昔のはなし、上方から潮流に流されて、七人の坊主が

はるばる平根が浦に流れ着いた。小舟を降りて陸に上がった坊主は誰もみな一様の

迫力があり徳を積んでいるようであった。島民が恐る恐る隠れ見るうちに、坊主は水を

探しはじめ、近くに泉が無いことを悟ると、ひとりが小柄を抜いて、地面を掘った。

するとすぐコンコンと泉が湧き出した。島民はあっけにとられた。この泉は「コミノ川」と

名づけられ今も名が残っている。坊主はうまそうにそれを飲んだ。

やがて坊主たちは人家を求め山道をのぼるが、途中で空腹のためへたりこんでしまった。

一人の坊主が頭上に停まった何羽かの鳥に目を止めた。

えいっ、えいっ

気合をかけると鳥たちは一斉に、

ばさり

ばさりと落ちた。

毛を毟り生のまま貪り食う坊主たちの姿はあさましかった。

島民たちは恐怖した。魔術を使う、恐ろしい坊さんたちがやってきた。

そんな魔物を村に入れるわけにはいかぬ。

東山、いまの三原山より村に通じる山道に、早速頑丈な柵が打ち建てられた。

坊主らが村に至るにはその道を伝うしかない。

果たして坊主は柵を越えることが出来ず、島民の情けにありつくことが叶わなかった。

東山の頂き近くに居を構え、鳥や木の実などを食していたが、それだけで生きて行ける

ほどには徳がなかったのだろう。

不動の沢、六ッ羽が峠、果テイの川、それぞれの地で、次々と息絶えていった。

以後、村の家々のまわりを白い衣を着た坊さんたちが歩き回るという怪事が相次いだ。

農作物が不作となり、家畜が死んだりすることが続いた。拝み屋を頼んでおがんでもらうと、

これは七人の坊主の祟りだ、ということになる。村人たちは早速東山に登り、塚を建てて

非情な仕打ちを詫びた。だがそれでも完全には祟りはおさまらなかったという。

東山の頂上付近で、坊主の話しをしたり、悪口など言おうものなら、必ず災厄に見舞われる。

昭和27年のことという。東山を横断する林道工事が行われた。そのとき村人数名が頂上の

近くで、

そりゃ坊さん

こりゃ坊さん

と囃し立てながら地固めをした。その翌日現場付近で山崩れが起き、工事中の村人七名が

生き埋めになったのである。当時はかなり有名になった怨念話。

(参考:「東京ミステリーの旅」みき書房、中岡俊哉著S59)