第73夜、風化老人

大学の頃ほとんどの学生が寮生活を送っていたせいか色々なウワサがとびかったものだ。

主要なものは別項でまとめようと思うのでここにはちょっと特異なウワサを載せておく。

将門伝説より「一の矢」という名(じっさいの地名)をとった寮がある。

そこは二人部屋で広い。

尤も私の卒業する頃は風呂の無い寮よりアパートに入居する人間が増えたせいで、二人ではなく

独りで利用する例が多くなっていたのだが。

そこの一室が、「開かずの間」となっている。

この学校寮に「開かずの間」は多いのだが(しかも毎年場所が変わる)

そのひとつだったというわけだ。

その部屋は一応誰もすんでいないことになっている。しかし、

実際には一人、男が棲んでいる。

「あー酔っ払った」

ガクセイがいつものように飲み会から帰ってきた。

「あれえ、どこだったっけ」

まだ入学したてで部屋の場所をちゃんと憶えていない。

「がちゃ」

「なんだよ」

「す、すいません」

この寮は安全なせいか、鍵を掛ける習慣の無い者が多い。

ふうと酒クサイ息を吐いて走り去る。あ。

この部屋だったような・・・

見覚えの有りそうな汚れの付いたとびら。

中から何も音のしないことを確認して、ノブに手をかける。

・・・

がちゃりとあいた。

ぎーっ、立て付けが悪いような音。

黴臭い風が中から巻き起こる。

部屋の中をおそるおそる覗くと、埃が渦を舞いている。その中に薄明かりが見えた。

そして、本が山積みになった机に向かい、ごそごそと動くちいさな人影があった。

「また・・・ごめんなさい!」

扉を閉めようとした瞬間、人影が振り向いた。

皺くちゃの老人・・・

そして、舞い起こる埃風。見る見るうちに老人の姿が解けていく・・・風化していくのだ。

無数の塵を撒いて骸骨になり、さらにがくんとひらいた顎骨の間からさーっと砂が引く

様に、一片も残さず消え去ってしまった。

ふっと消える灯り。

窓の薄明かりの中に、蜘蛛の巣が縦横に張られた、もう何年も使われていないような

部屋だけが残った。

・・・

原典は荒俣宏氏「日本妖怪巡礼団」であるが私が入学したときにはこの話し自体

「風化」してしまっていた。そう酔客の話しに仕立てたついでだ、もうひとつこれは私自身の

はなし。

・・・

大学構内でヒトが行方不明になった。今は珍しくないが、広大なキャンパスを持つ郊外の

学園都市でのこと、森林や茂みのようなものも多く、ただ真冬だっただけに泥酔して

帰宅する途中消えた、彼の安否が気遣われていた。

おりしもUFOアブダクションブームのころ、

「うちゅうじんにゆうかいされたんだ」

という偏差値の低いうわさ迄出る始末。

さて既に書いたとおり学生時代の私は友人とよく夜中のジョギングをたのしんでいた。

毎回コースが違う。それが面白い。思うが侭に走るから、ときどき迷うことはあっても

大抵は家に辿り着ける。

行方不明の話しも、何の解決もせずに「風化」したころのこと。

その日は普段行かない方角をえらんだ。畑中の知らない道が続き街灯の灯りも

心もとない。引き返して大学沿いの大通りが見えて来るとほっとした。その明るい灯を

目掛けて走る。

ふと道路脇の草ツ原・・・休耕田の雑草地が、気になった。

そこだけ少し暗い。何か、闇がある。

「なんでだろ、なんか、妙なかんじだ。気持ちが悪い」

「早く行こう」

この日は走りすぎていた。いつもじゃない方向を選んだだけに疲れていた。

吐き気がしてもおかしくない状況だ。

そのまま大通りに出て、家に戻ると一杯やって、寝た。

翌日。

テレビが騒然としていた。

「行方不明の某大生、近所の草叢でミイラ化して発見」

大学のすぐそばの、道路脇の草叢に一冬、誰にも見つからず、

そして

その場所。

・・・昨日通りかかった、あの草叢だった。

稲を植えるため雑草を刈っていた最中にみつかったそうだ。

死因は凍死。

ぞっとした。そりゃそうだ。