第51夜、蒼いタイルの世界

誰に言っても信じてもらえなかった、これが私のタイムスリップ体験である。
幼稚園卒業間際、もしくは小学校2年生くらいだっただろうか、続けざまに
妙なものを見ることがあり、決まって土曜日の朝であった。
この朝も家族より先に目を覚まし、布団の上にぼうっと立って、居間の時計を見ると「6時」だった。
寝室に戻って、みんな寝ているのを見た。ふと何を思ったのか、しゃがんで、頭を足と足の間に差し
込んで、そんな格好をしてみたくなったのだ。
顔を上げた。
変わらぬ寝室のはずだ。
が、そこは
全面
蒼い
タイル張りの大広間だった。
美術館のような、柔らかな明かりに満ちてはいるが、どこにも出口の無い、天井の高く、
大きなおおきな広間だった。・・・しばし唖然とする。
遠くにオブジェのようなものがある。巨大な白亜の「手」の像だ。
それが、宙を掴むようにゆっくりと、動いている。
ぎくりとして冷や汗が流れる。怖い。
するとその手のオブジェの横から、背広の紳士があらわれた。
あまりにも遠くて、居たたずまいがよくわからない。
しかし近づいてくるにつれその紳士が
のっぺらぼう
だということに気が付いた。
今思えば、著名な画家キリコ描く人物像によく似たふうの、
だいたいが全体に非常にシュールで・・でも明瞭な「異世界」だったのだ。
泣き出しそうになった。のっぺらぼうはこちらにむかって歩いてくる。
手は宙を掴もうと蠢いている。こちらは逃げ場もなく、
なんでこんなところへきて、
・・・戻れるのかどうかもわからない。
もとの格好をしてみよう。
ふとしゃがみこんで、両足の間に頭をつっこむ。
目をぎゅっとつぶり、祈る。
次に目をあけたらきっと、もとの寝室だ。
夢だったんだ。
・・・顔をあげた。
ソファの上にいた。ソファの上でしゃがみこんで、ぽかんとベランダを見ている。
真夏の昼下がり、肩から虫かごがさがっている。
「ウンチでもしたいの」
母の声がして、台所から顔が覗いた。
夏の。昼下がり。
・・・まだ戻ってない。
ひっと声をあげた。
蝉のひっきりなしの声がして、私は今度こそとソファの上でしゃがみこみ、
両足の間に顔を突っ込んだ。
ふと頭に、カマキリの怪物が暴れるアニメのシーンがうかんだ。
ぎゅっとつむった目を、そろそろと開けて、足の間から周りを伺う。
しんとした冷気。
蒼いタイル。
全面蒼いタイルのあの美術館だった。
また来てしまった。
あっ
のっぺらぼうがさらに近づいている。
木でできたようなのっぺり顔が、少しずつではあるけれど、まるで白亜の掌と同じ
緩慢な動きで、ゆっくりこちらへ向かってくる。
ぎゃっ。
両足を閉じ目をつむった。
・・・そして、次に目をあけると、
もとの寝室・・・薄暗い寝室に戻っていた。
呆然としてふらふらと居間へ出た。
時間・・・5時45分くらいだった・・・。
タイムスリップと人はよくいうけれど、実際にそんなことが起こりえるのか?
これはやはり夢で、幼児期に見るタイプの現実との混同にすぎない。
そう考える方が多いと思う。
その時点では、私もそう思ったのだ。
・・・夏休みである。
昼になって、素麺を食べて、午後は蝉取りに出かけようとしていた。
肩から虫かごをさげ、ソファに乗った。子供特有の無邪気さで、ソファの上で飛び跳ねたあと、
しゃがみこんだ。
母の声がして、台所から顔が覗いた。
そのときの台詞が、
こうだった。
「ウンチでもしたいの」

(これは”あのとき”と一緒だ。
ふと、あのときと同じ格好をすると、「朝に転送される」のではないかと
思った。イマはある種の”接点”なのか?ところが両足の間に頭をはさんでも、
目をあけたら蝉の鳴く夏の昼下がりのままだった。
そのまま蝉取りにでかけるのだけれども、
降り注ぐ蝉の声まで一致している気がした。
嫌な感じだった。
・・・
これだけではないのである。
そのころみんな見ていた人気アニメがあった。
次の日が放映日だった。
そこに出てきた今回の怪物。
あの頭に浮かんだとおりの姿。
カマキリの怪物だった・・・。
以上、
私のタイムスリップの、これがすべてである。
「精神だけ」のタイムスリップ、そのイメージを強く持つようになったきっかけだった。
しかも精神が二重に存在している(同じ肉体を共有した「ふたつの時間」上の精神)。
肉体的なタイムスリップはありえない。でも、心だけが次元の限界を超えて、
いや、もともと人間は四次元的な存在で、感覚器官が三次元にしか対応していないだけで、
存在そのものは四次元的なひろがり・・・たとえば「時間軸」上のひろがりを、持っている
のではないか・・・。
後日談としては、友人を呼んで同じ部屋で同じ格好をしてみたりしたんだけれども誰も
”転送”されなくて、私は一人ぼっちだった。「巨人」を見たり(高田を多摩川グランドに見に
行ったわけではない)、カーテンの下から伸びる老婆の手に足首をつかまれたりと物騒な日々を
送っていた、中でも極めつけのとっておきの話だ。ちょっとごちゃごちゃ輻輳しており、いわくも
元よりわかるはずもなく、カイダンにするならちょっと加工が必要かもしれないが、
前にも書いたとおり、現実の幻想といういうのはこんなものである。
未整理で、不恰好なものなのだ)