第五十夜、誘い

小学校4年生のころ、絵画教室に通っていて、富士五湖の精進湖へ合宿に行ったことがある。
毎日風景を見ながらみんなで絵を描く。その中で、「樹海の近くで木を写生する」という日
があった。遊歩道の入り口近辺で思い思いの木を選んで、画用紙に水彩する。私は数人の友人と、
「少し離れたところへいけば、もっと面白い形の木があるだろう」ということで、みんなから少し
離れることにした。樹海の中の遊歩道を進む。木漏れ日の中ではじめのうちはみんな騒ぎながら
楽しく歩いていった。
「このあたりでいいんじゃない」
誰かが言ったその場所はほかの人たちから大して離れていない場所だった。
「面白くない。もっと奥へいこう」
再び歩き出す。そして10分ぐらいあとに再び別の顔が、
「この樹はどうかな」
するとまたほかの誰かが反論し、歩きつづけざるを得ない。
そんなことが幾度となく続いた。
はじめのうちは楽しそうにふざけあっていた私たちは、やがて誰もが沈黙し、文字通り「何かに
取り憑かれたように」一心不乱に歩みつづけるようになっていた。
ふと我に返った。
森がかなり深くなっていることに改めて気が付いた。
「普通じゃないな」
皆黙りこくって足元を見つめながら、樹海の中をまっすぐ、どんどん進んでゆく。当初の目的を
すっかり忘れ、別の「目的」を見出したかのように。
「戻ろう」
たまりかねて声をあげた。
その声に弾かれたように皆が顔を上げる。
「・・・ここ、どこ?」
「もどろう。絵を描く時間なんてもう無いよ」
そのとおりだった。戻るのには更に時間がかかり、不安げな表情で待つ先生のところへたどり着い
たのは、もうかなり夕暮れ近くのことだった。
それから、私は「誘われる」という状態がどのようなものであるのか少なからず理解できた気がし
た。
あのとき、一番奥で、別の提案があったことを付け加えておく。
「この道沿いじゃ、大した木には出会わないんじゃないか?」
遊歩道を離れ、樹海の中に入っていこう、という提案だった。
それが受け入れられていたら、私たちはどうなっていたのだろう。