第四十二夜、ささいなできごと

(1992ー94記)

「2階を歩く物音」

誰もいないはずだ。
みしっ、みし…
歩き回る。
みしっ、みし…
ばたん。
それきりだった。
扉の閉まる音か、窓の閉まる音か。
何かが出ていったのは確かだったと思う。

「御囃子」

幼稚園の年長あたり、集中的におかしなものを見ることがあって、後述の猫の話、白い布の話や、狸火のこともそのあたりのことなのだが、これもそのひとつ。
当時東北に位置する寝室がなぜか恐くてたまらなかったのだが、そのときもびくびくと暗い部屋に入ろうとした。ふすまを開け、薄暗い部屋に足を入れようとしたとき…ヒュー、ドロドロ。どこからともなく笛と太鼓、いかにもお化けという音が響いたのだ。うわっ、と明るい居間に足を戻して、母に訴える。しかし、我ながら、何だこりゃ、と半ば呆れてもいた。お化けに馬鹿にされた、そんな経験はそのときだけだ。

「風呂場にて」

ぱしっ。

ぱしっ。

ざーっ・・・

ぱしっ。

シャー・・・

ぱしっ。

ざーっ・・・ふう。と言って天井を見上げる。シャンプーの流し残しが目に入って痛く、再びシャワーを手にとる。

シャー・・・

ぱしっ。

ざーっ・・・まただ。何の音なんだろう。私は再び霞んだ天井を見上げた。何も変わった様子はない。

ふと、電灯に目がとまる。そうだ、あの辺からきこえた。何かがきしむ音。ガラス質のものがきしんだり、割れかける音に似ている。とすると、方向と、音からして、電灯の覆いが外れかけているのか。

まあ、いいや。

ざーっ・・・私はひととおり身体を洗い終えると、再び風呂桶につかる。

かちっ。

私はラジオのスイッチを入れる。

「・・・八百万の神、

我を・・・力・・・

スサノオ・・・」

奇妙な番組だ。聞くところラジオドラマのようである。どうやら建国記念日「記念」天孫降臨噺辺りを現代風にやっているのではないか。

「スサノオは頭の毛を抜いた。

・・・・

スサノオは足の毛を抜いた。

・・・・」

ざーっ。ぱしゃ。

がらがら。

ふう。

がらがら。

私は風呂から上がる。

「スサノオは頭の毛を吹いた。

・・・・」

しまった。ラジオを消さねば。と思った。

すると。

「スサノオは脛の毛を抜いた。

・・・

スサノオは足首の毛を・プツン」

・・・

がらっ!

ラジオがひとりでに消されていた。

不思議なこともあるもんだ。

ぱしっ。

はっとして見上げる。そして思った。

誰かが居る、と。

「逆時計」

ふと壁掛け時計を見た。

秒針が「15」のところで、ふと止まる。

そして、次の瞬間、上へと動きはじめる。

2、3秒動いた。

私はその奇矯さに初めのうちはうつつを抜かされていたが、

「おかしい!」

と気付いたとたん、

秒針は下へ戻り、時を刻みつづけた。

ふと、

腕時計を見た・・・壁掛け時計は15分余りも進んでいる。

置時計も見た・・・今度は15分ほど遅れている。

朝見たときには三つとも合っていた。

故障にしても電池切れにしても、符号があいすぎる。

このようなことが、ほんとたまに・・・半年に一度くらい・・・ある。

「死の夢」

(1993年11月記)

他人が死ぬ夢を見る。少し未来のこととして出て来る。3、4日前には、アイルトン・セナが激突死したニュースを、友人と語らう夢を見た。翌日の昼ごろ、旅先の車中でふとそんな夢を見たことを思い出した。これも、近日中ということではなく、やや時間のたった未来というシチュエイションだった。他にもいくつかそのような夢を見ている。実現したものは今の所無い。もとよりそれで良い。

・・・後記。

94年3月、セナの死は不幸にも本当になった。

「生の夢」

(94年7月記)

死の夢をつづけざまに見た後、父の親友で私もお世話になった方が亡くなり、直後父自信も通っていた町医者からの院内感染で入院した。病状は軽いとはいえなかった。母は心臓に不可解な病が発覚し寝込んだ。暫く死の夢は続いた。もっともどれも有名人や政治家という客観視できる相手であり、実現は殆どしなかったものであるが、不安はかなり募っていた。

しかし手術を受けた父の再入院後、二三日あとのことだろうか、会社の隣席の先輩が一旦亡くなり、しかし「復活」するという夢を見た。私はその人が、”「死」はこの程度のもので、乗り越えられるのだ”というかのような幸福な表情で目前に降り立った「絵」があまりに強烈で、起きてからもしばし忘我の様であった。・・・こんなまるでキリストの復活のような絵を見るのは、生まれて初めてだった。

私は、父も母も、必ず助かる、という確信を持った。

事実であった。

そしてその後、人の死ぬ夢は見ない。

(2000後記、そのあと当たったものといえば・・・ソヴィエトでだけ有名だった中堅チェリストに不意に興味を抱いてCDを買いあさっていた最中無くなったことが衝撃的だった。クロサワ映画が不意に「わかる」ようになり、録り溜めて見なかった映画やたけしらとの対談を見、「蝦蟇の油」を古本で読みふけっていたら、死んだ。死後見た「まあだだよ」の最後の夕陽に込められた断腸の想いには涙が止まらず、栄造先生への想いにも重なってクロサワは私の今は亡き師匠の一人となった。そういえば「夢」のトンネル、兵士の物語に最後に出て来る軍用犬・・・淀川さんが絶賛した・・・の吠え声が、今年西表島の船浮集落で、弾薬庫址の洞穴の前を断固として動かない番犬に重ねあわさり戦慄した。そう夢には限らない。頭に浮かんだフレーズがラジオや目前の看板に顕れることは頻繁で、最近は恐ろしさすら感じる・・・病気っぽい・・・が・・・)