第四十夜、牛と水

遠野物語には、次のような話が伝えられる。

小槌川の明神淵の近所に、毎晩大牛が出て、畑の麦を食ってならなかった。畑主が鉄砲を撃って追っていくと、その牛は淵の中にざぶんと音を立てて入ったまま、見えなくなったという。

伊豆は伊東に、一碧湖という湖が有る。ここは昔、大池と呼ばれ、近くの村人は魚をとったり水を引いて畑をつくったりしていた。ところが寛永年間、大きな赤牛がやってきて、水中から船をひっくり返しては村人を食い殺しはじめた。赤牛は岡村の小川沢にある池にいたのだが、干上がってしまったので、深く水をたたえる大池に移ってきたのである。村人は震え上がり噂は山河を渡った。それを聞いた光栄寺の日広上人は大池にやってくるなり十二の小島の一つに渡って、七日七晩、赤牛調伏の読経をあげた。赤牛は金縛りになり湖底に沈み、二度と姿を見せなかった、という。上人はお経を書いて、小島に建てたお堂に納め、赤牛の沈んだ場所に鳥居を建てた。この鳥居は今も残る。

水中の牛の話は中国にもよく伝わる。東南アジアの水牛とはあきらかに違う、何らかのモノノケが、各地にいたことはたしかだろう。