第三夜、化物屋敷のこと、その三

元和(1615ー24)はじめのころ、浅草の観音堂に化け物が出ると話題になったことがあった。江府御鷹匠において豪胆なる士が居り、「わしが行って見てこよう」と言う。人々は良くないことだと止めるが、意地を張ってその日の暮れには馬にて堂へと向かう。下人たちには明日の早朝来いと言い含めてひとり堂で夜を明かすことになった男、亥の刻(午後9時)と思われる頃に、金棒を突いた二人の夜回りらしき者に見咎められる。俗人が入るのは固く禁じられている、すぐに出よ、と言うから、観音様に宿願があってこもり居るのだ、何とぞ許してくれ、と答える。「ひらに」と言って表に出ると、二人は掻き消すように消えてしまった。さては化け物か、と思い居ると、夜半頃、僧従五、六十人が十余りの提灯に火を燈して、葬式の儀式をしようとやって来る。厳かに現れると士を見て言う。「俗人は法度也。すぐに去れ」どう言い返しても、僧従聞く耳を持たない。男は仕方なく、黙って堪える。するとこれも掻き消えてしまう。

(現在の浅草観音堂(戦後再建))

やっと夜が明け、七つ頃になると、十六、七ばかりの小僧、後門から内陣に入る。輪灯に火をともして礼拝する。男はそれを見守るうちに、小僧、あるいは面長くなり短くなり、あるいは顔色赤く又白く、背は高くなり天井低く、身幅広くして堂内狭しと成る。しかし士はこれに少しも臆せず、刀の柄をぐっと握り化け物の面を睨み付ける。すると化け物は三度消え失せる。さすがに乱れる心をとりなおしているうちに、鶏が鳴き、追って鐘の音が響く。東雲も明けゆく空となったので、迎えの下人たちが来るだろうと待っていると、馬を引いて唯一人の者がやって来る。「残りの者は」と問うと、下人の言うには皆すぐに来るだろう、とのこと。「某はお身の上が心配で、急いで御馬にて参りました」そうして士がまず馬に乗ると、下人は「昨晩変わったことが起こりましたか」と問い掛ける。「まさに起こったとも。化け物は三度来たが、二度は何とも思わなかった。三度目に小僧が来たとき、面構えをいろいろ変えたのには、おもしろいがさすがに気味が悪かったことよ」士がそう言うと馬取り、「その様子はこんなではなかったですか」と言う。見ればあの恐ろしい小僧の面に違いない。さてはこれも化け物かと腰の刀に手をかけると、馬も変化であったから、跳ね飛ばされてまっさかさまに落ちた。その時さて騙されたと思うと心乱れた、と後に語ったということである。後で約束の下人が迎えに来てみると、士が気絶していたので、薬などを与えて介抱して帰ったのである。その無様が語り広がって、無念と思ったのだろう、士はお暇申し行方知れず出ていった。

荻田安静は「宿直草」でこの逸話を伝え、評して「恐れるべきものを恐れないのは誉めるに値しない」と記している。このようなありがちな説話も、場所が現存する相当の有名なお寺で、しかも何故出て、何故出なくなったのか、はっきりしていないところはいかにも江戸の怪談といったところで面白い。

(江戸時代の境内、浅草寺はその創建当初から幾度と無く災難に見舞われたが、この図も前記の話しより後の時代の風景となっている。このあたり江戸頃は浅芽ケ原といって、寂しい草原の中にあった。遠い平安の世には鬼女伝説があったが、二本松の安達が原を初め同様の伝説は無数にある。近くの寺には旅人を殺害するのに使われたという石枕が保存されている。

いずれ江戸もまだ初期では、このあたりうら寂しい雰囲気であったから、化け物の付け入る隙も多かったのだろう。今は無理だ。)