第二十九夜、訪問者

とびらのノブがガチャガチャ鳴った。

目をさます。

嵐の夜。刑場跡を訪った日の晩だった。

恐怖や寂しさよりも、狂暴な車の騒音と煤煙の激しさに気を奪われた。

刑場の頃は江戸を離れゆく街道が、森林と海にはさまれた長く静かな道のりを辿ってゆく風情の有る様子だったはずだ。

極狭い刑地は、必ずしもこの風光明媚な土地の代名詞ではなく、ひっそりとした影の一部にすぎなかったろう。

刑死者は膨大であったというが、街道筋故、行き倒れ者も多かったろう。宿場では飯盛女が不幸な末路を遂げることも多かったと聞く。

刑死者はあの陰惨な時代には”特殊”ではなかったし、寧ろ死してあと特別に扱われることもあったとなれば、幸福な後生ともいえたのではないか。

・・・そんな言い訳を考えていたら、ノブはやがて静かになり、扉は開かれなかった。

・・・

人の死んだ場所を訪れると時折あることである。それは人数には関係が無い。人数に関係があるというなら、先の戦争において大空襲で焼け死んだ空前絶後の人々は、何故出ないのか。渾然一体となり深緑色の暗雲のように立ち込めることはあっても明瞭な形をとることはない。・・・死に方の問題なのだろうか。だとすれば「大量死」は何と救いようの無いものなのだろう。