第二十八夜、仙人の話

関敬吾氏の<秘められた世界>には、様々な民俗学的な逸話が解かり易く記されていて面白い。其の中に、日本人の持つ民族心理に視点を据えた<心理の迷路>という章があり、そこに「仙人」についての文章がある。いくつかの話があるが、捕らえられた仙人の話を聞くと150年も前の出来事を語った、とか、昨日まで平凡に暮らしていた者が、不意に山中にはいってしまい、ひとり暮らすといった話。「そんな人々を仙人とよび、仙術を体得したかのように説くのは、当時から今なおつづく、里人どもの解釈のくせだったにすぎない」としながらも、この日本の奥山のどこかに、「自らなる別天地が形成されていたことだけはまだ否定できそうもない」として、結論をはぐらかしている。だが、そのあとに記された内容はなかなか興味深い。なぜならそれは昭和になってからの話だからだ。

毎日新聞記者が29年の秋にインタビューした、青森は”赤倉山の仙人”の話。俗名 荒井万作こと犬山彦江神さんは、明治23年に赤倉山の行者として入山してから63年、「赤倉様」の忠実な使者として俗界を避けての難行苦行を重ねたという。信者は150名たらず、実家前には石碑も建つ予定。

・入山の動機・・・霊気にさそわれて。

・山では何を?・・・神様のいうとおり流れに打たれたり、行をやっている。

・食べ物は?・・・四つ足のもののほかは何でも。でも、行に入れば神様が飯を食わせないから、20日ぐらいは何も食べない。食べ物のないときは、木の実や供物の昆布をなめている。

・信者たちが、いろいろお願いに行ったときは。・・・神様に聞いて答えるだけだ。木の実でなおしたこともある。

・県の山はほとんど歩いた。神様の言うとおり、どこへでも行っている。信者が来るときと、神様に仕えているときが一番しあわせだ。神様に仕えて長く生きたい。

俗人としての荒井万作は、中農に生まれ、妻との間に1男5女をもうけたのにもかかわらず、いきなり山に入ってしまった。妻も死に、自分が死ぬときは自分の死体を隠してしまうのだと語っているという。

今はどうなっていることか、知らぬ。

(1993記)