第二十五夜、武者の聖域

別項にも書いたが鎌倉に通称「やぐら」と呼ばれる横穴がある。山肌に密集するさまは

横穴古墳を彷彿とするが時代は隔絶して鎌倉時代より室町南北朝にいたる関東

武者の慎ましい墓堂である。ごく狭い山海の迫る地であることから、死者をほうむる場所にも

事欠いて、山肌に穴を穿ち死者が出ては次々と追葬をしていったようだ。樹叢の中ぼこりと

あいた黒い入口を覗く。暗い中に半ば壊れた無数の五輪塔(石の継ぎ目やその下などに

骨壷を納める)が林立する。見るからにおそろしいものだ。何故か徹底した調査がおこな

われず鎌倉市だけで4000は数えるのではないかというあいまいな数値しか目にしたことが

無い。其の理由は証拠が少なく答えの無い謎を追うばかりになってしまうから、という以上に

なにか触れてはならぬ厳しいモノの拒む雰囲気がそうさせているのではないかと想像する。

本当に文献等一切残らないことから本来の姿は想像するしかないが、大きさも形も様々で、

石仏を並べたむしろ寺のお堂のようなものから、前室に五輪塔を置き本当の後室をブロック

状の石で塞いだもの(大抵のやぐらは入口に木戸を嵌めて出入り自由にしていたらしい)、

彩色を施し壁に色々な種類の彫り込みや掘り出しの塔、仏像の類を設けたもの、正方

の床にサイコロの如く整然と、丸穴を16個穿ったもの(16の井と呼ばれるが、本当の利用方法

は不明)、ちいさなやぐらの底に大穴を掘り、死者を屈葬した大甕を埋め込んだものなど、興

味を持ったら奥深いものだ。

・・・だが、気をつけなければならない。これは凄惨な時代において最も凄惨な日々を送った荒くれ

武者の墓所である。姿こそ見えないものの、敏感な方は必ず何かを感じるだろう。

訪ねて良いことが起こるわけもない。何個所か有名なやぐら群がある。寿福寺の有名な墓地

に並ぶ整然としたやぐら達は良く管理されまた近年再利用されているものもあり、全てが

綺麗に整えられている。草も抜かれ荒石も除かれている。こういうところは非常に清澄で良い。

ちなみに実朝、政子の墓堂とされるやぐらには、漆喰の塗られた跡や唐草文様の痕跡

があり、初期やぐらが壮麗に飾られたものであったことを窺わせる。この周辺、東慶寺の

美しく大きなやぐら群(大佛次郎などの墓もある)、前述の十六の井周辺、線路を挟んだ

むこうの、最も巨大で壮麗な仏像彫刻で知られる明月院やぐらはいずれも非常に穏かだ。

対し、山中に眠るやぐら、とくに崖の上に人を寄せ付けない様に穿たれたものや、荒れ放題の

巨大なやぐら(末期やぐら)は注意すべきだろう。また、指定を受けながらガイド上から名の消

えたやぐらなどもある。何度かの訪問でやっと見つけたやぐらの中で、異様な気配を背負い

込んでしまった経験がある。素晴らしい彫刻の見るも無残な保存状態を、撮りすぎたのだ。

ここでは配慮して名を特定しないが、以下は警戒すべきだ。どこの墓穴も、せめて頭を下げ

て覗かせてもらうべきで、写真もヒカエルのがよかろう。でないと2年の長きにわたって不幸

に見舞われたりするぞ・・・

・HHやぐら:最大規模を誇る無数のやぐら群で、一般立ち入りのできない寺域内のものや

番号が振られていないものも含めれば200は下らない。バリエーションに富み、江戸時代から

明治に再利用されたさい仏像を追加されたりしたものもある。ハイキングコース沿いで明るい

雰囲気のものはまだ良いが、斜面を少し下って森林の間を探ると、

「来るな」

という幻聴に見舞われるかもしれない。ちょっとだけ入口の覗いた埋没やぐらに灯りを差し込

んだら、多数の白い五輪塔が浮かび上がり、そのあと数日熱が出た。深追いしすぎてはいた

のだが、正式な調査もしくは礼拝目的でないかぎり決して好奇心だけで荒らしまわってはなら

ない。この先に十二所におりる道があり、主君一族の骸を新田の手から守り埋納するために

穿たれた「北条家墓所」の標柱のあるやぐら群がある。ここは平静で、むしろ暖かくさえあった

のが意外だった。小さな流れに面して、まさに「北条首やぐら」「お塔の窪やぐら」があるが、

崩れ掛けの割に、多分よくお参りされているせいだろう、綺麗な様子だった。

十二所のあたりから六浦(金沢文庫)へ抜けるAH切り通しは鎌倉に七を数える切り通しでも

最も険しく最も紅葉の美しいダイナミックな古道だが(当然足元のわるい山道で車不可)、

滑川沿いの崖上に並ぶやぐら様の穴、これらも少し怒りを持っているようで、それらのひとつ、

明るくまばゆい光の中、紫の衣の女(はじめはその姿しかわからなかった)と、ぼろぼろの

筋肉質の男が、よじ昇ってきた私を鋭く睨んだ。・・・恐ろしかった。切り通しに近づくにつれ

何か異様な苦しみを感じ、峠近くの大きな岩盤に穿たれたやぐら(もしくは「武者隠し」や

「罠」だったかもしれない)で凶凶しさの極みをかんじた。この要衝、確かにたくさんの古人が

死んでいる。

激戦区であった化粧坂切り通しなどは側のお寺が非常におさめてくれているようで全く

感じない。一時期ここはいわゆるスポットみたいな言われ方をしていたが、それは

鎌倉時代より昔から葬送場そして処刑場だった葛原岡につうじる道だったからだろう。

たしかに葛原岡のあたりは少し怖い雰囲気もあるが、私は昼間の訪問だったので余程

強くないと感じないから、そのレベルでいけば全然okだ。其の逆方向が有名な頼朝銅像

のある源氏山だ。噂ではここもスポットらしいがここは全くその気がない。海の垣間見える

美しい尾根筋だ。

名越切り通しは小坪方面に抜ける渋滞づくの車道の上を通るひっそりとした道だ。

小坪ときいて「あっそこ・・・」と勘付いた方はオカルトマニアだ。

小坪と鎌倉は小さく険しい岩の山脈に隔てられている。それを越える手段としてここにも

切り通しが作られた。時代が過ぎて荒廃したそのずっとあと、新しい人々が住むようになり、

小尾根が入り組んでいるゆえ、6つのトンネルが穿たれることになった。そこを電車と

車が通る。そのうちのひとつが、お化けが出る定番らしいのだ。

(ちなみに同名のトンネルがずっと海岸側の大通りにあるが、こちら全く別物)

でも私は余り変な感じはしなかった。少なくとも、いつも名が出る、トンネルのほぼ上、

良く整備されており花も多く、またその整然から恐らく可成良家の墓域であった

はずの「まんだら堂跡やぐら群」(ちかぢか寺から逗子市に引き渡されるらしい)は

下手に写真を撮りすぎたり、妙なことを口走らなければ、つまり常識的に振る舞えば

全くに平安そのものを感じよう。穴が余りに沢山整然と並び石塔の数が半端ではない、

それだけで

イメージ的に怖いと感じるのだろう。

ほんとうに怖いのは、そこから大町(鎌倉)方面にむかう「切り通し」の向かって右側の

高台・・・ここは鎌倉中心街に最も近く常に闘いの場となり、かなり死者が出た場所でも

ある・・・恐らく武者が隠れて弓を射たりするために人工的に作られたような窪みを見下

ろす高台の平地に、

ぽつんと大きな無縁塔が立っている。

・・・下手なことはするな。

これだけ忠告しておく。ついこの間、このあたりをうろついていて2度偏頭痛に見舞われた、2度目

がここだった(1度目はなぜかお猿畠だった)。「ヘッドフォンをはずせ!」と怒っていた。

100円供えたのに・・・

さてこれらの下が車のための4つのトンネルである。いずれもそれほど長いものではない。

くれぐれ多くはかたらぬ、私は余り感じなかったのだ。何より生活道であるから日々近隣の方が

利用されている道道なわけで、ヒトケが多いだけにバケも寄る。それだけではないか?

といいつつ念のため、煉瓦造りの「そのトンネル」だけは通過しなかった。大渋滞を横目に、

新トンネルのほうを抜けて、線路脇へ出ると

轢死者供養

という塔がいきなりあった。

寧ろこちらの痛々しい雰囲気が作用しているのだろう、と思う。そういえばかなり高台から

見下ろした電車用の2トンネル、少し凶凶しい”霧”を持っていた。(あれが噂のトンネルか、

と勘違いしたくらい。煉瓦のほう)

ちなみに火葬場が近くにある(よく言われる「上」ではない)が全く影響無し。火葬は死者の存

在を消し去るもっとも効果的な方法だ。それが死者にとっていいかわるいかは別だが、

なにか余程強いニンゲンでないかぎり、炎はソノ力を分解してしまうようである。尤も

やぐら墓は火葬が基本だったからじゃあ何で”残ってる”の?・・・

強いニンゲンの時代だったからね。

煙突が奇抜。

さて。

最大のスポットとされる・・・ただ私は前記のHHやぐらのほうが散々だったが、

SKD切り通し

である。見るからに壮観な岩の門。石落としの仕掛け跡、武者隠し、武者隠しを

やぐらに流用したもの。

今は立ち入り禁止のはずだが撮影者のあとをたたない。心霊写真をとられたこと

があるが、地層のはっきり浮き出る岩肌だからたまたま光加減ということもあろう。

だが、何故かわからないが、

このあたりの地域には何かちょっと、ちょっとある。私にはあわない。

竹林で有名な寺が近所にあり、まるで京都嵐山あたりのようで優雅だったが、

そこをオアシスとして周りが少し暗い。竹林は少し「威力」が強かった。

土の香りのようなものもあって不思議だった。

SKD切り通しを守る為、この洞門のうえに時政の館があったといわれる。そのNG

やぐらは一寸頭が痛くなった。墓穴に顔を寄せすぎたのかもしれない。ちなみに

私有地なので気をつけること。洞門のうえに登る登り口脇のやぐらが非常にイヤ

なかんじがしたが理由は不明だ。

・・・

総じて鎌倉は凄惨である。とくに海岸や山間は酷い。滑川河口は砂浜にそのまま

流れ込んで海に染み込む独特の風情で、夕景の素晴らしさは筆舌尽くせずだが、

馬ごと骨になった武者が山ほど出た場所、といったらみなさんはどう思うだろうか。

相模湾沿いの海で一番怖いのが、私にとってはこの鎌倉に程近い海だった。

幼い頃から・・・。

江ノ島なども少し怖いのだけれども、敏感な人は余りこのへんをうろつきすぎないほうが

いいかもしれない。

「六地蔵」で死者に憑かれた、なんて洒落にもならない・・・