<東京窟めぐり2>

田谷山ユガ洞

(山梨賢一「不思議の旅ガイド」参照)

東京近郊の人工洞窟としては比べるもの無い規模と内容を誇る、通称「田谷の洞窟」は鎌倉も程近い大船にあります。大船駅からはドリームランド行きのバスを使いますが歩いても30分程度です。川沿いの歩道から田畑の中道を行けば、程良いウォーキングになるでしょう。ラドン温泉の向こうにおおきな立て札を見て、そこから小さな段を上がると森閑とした雰囲気のお堂がひっそりと佇んでいます。これが1532年創建の定泉寺。鎌倉の寺と同様関東大震災でかなりの被害をこうむり、洞窟に関しての古い資料は一切散逸していますが、大学調査が入ったときの報告を元にした冊子が置いて有ります。拝観料を払って蝋燭を受け取ると、奥の入口へ向かいます。崖地に穿たれた割と大きな入口は、元は古墳時代の横穴墓だったものを、(このあたりに館を構えていた敗将朝比奈三郎創建と伝えられていますが)鎌倉時代以降修行僧たちがノミ1本で迷路のように掘り広げたものです。現在の地底伽藍が完成したのは、江戸後期は天保年間に崩落荒廃した洞窟を整備して数々の彫刻を施した時であったと思われます。

崩落で入れない部分を除いても1キロほどもある洞内には、無数の見事な仏像彫刻が存在し、見るものを圧倒します(順路は500メートル弱)。仏殿を模したたくさんの小伽藍や座禅修行場(今でも定期的に座禅会をやっているそうですが、夜間だそうで・・・怖そう・・・)を修行道といわれる順路に従って拝観してゆきます。メインは大回廊、ピラミッドの大回廊を彷彿とさせる天井の高い回廊で、両脇には大きな不動明王などの浮き彫りが並び、繋がるひときわ大きな伽藍に本洞のメイン一願弘法大師がまつられています。この伽藍の天井は釣り鐘の内部を模した細長いドーム型の面白い形になっています。奥(順路の最初)は二段構えで、上段には古の御坊さんのお墓、さらにどこまで続くやも知れぬ闇が続いている・・・ここはむかーし稲川淳二さんが「怖い」といっていた心霊スポットらしいが、どちらかといえば神聖ゆえ畏れを感じるような雰囲気。異様は異様だけど・・・。さらにすすむと、音無川・・・「三途の川」とその彼岸(壁)を行く十八羅漢の彫像(このちいさな川は結構深く、きれいに透んだ水中には洞窟の生き物も棲息しているらしい)、幽玄の雰囲気満点、圧巻です。あの世めぐりのオカルティックな趣向もあるのですね。川は名水の湧き出る奥の院伽藍に続き、そこにはこれまた見事な鶴亀の彫像があります。信仰の場所としては、江戸時代に流行った「四国八十八カ所」を始めとする各地の巡礼地を一手に集めた趣向の石彫群や、両界曼荼羅を散りばめた伽藍(曼荼羅の中に入るという趣向)など、お手軽まとめて巡拝といった場所もあって、江戸末期の現世的な御利益趣味を垣間見る思いです。

本洞「見所」は頭上に多いので、蝋燭や蛍光燈以外に手持ちの懐中電灯があると楽しめるでしょう。タトエバ日天、月天。前半途中で上を見上げると満月の形の穴が、別の箇所では三日月型の穴が。洞窟順路は大回廊のところで上に上がる形(つまり全体としては二段構えになっている)に折り返しますが、そこでふと足元を見ると、井戸のような彫り込みがあって、覗くと底に先ほどの丸い穴、さらに別の場所で三日月型の穴が覗けます。先ほどの穴を今度は大師さんの足元から見下ろしているのです。下を歩く人の動く頭が良く見えます。まるでおしゃかさんが雲のうえからカンダタを見下ろしているような感じ。江戸後期の仏教がしばしば見せたエンターテインメント性が感じられます。当時がんじがらめの中に生きた庶民の、息抜き物見遊山の場として、地方寺社は重要な位置を占めていました。そういえば江ノ島の弁天窟もそうですが、どの彫刻にもどことなく人間臭さがあって、不思議なユーモアを感じます。安達が原の鬼女、どこぞの名家の家紋、獅子に龍、天に彫られた蝙蝠(子ウ守り、水子供養の象徴)、金太郎、鳳凰、、、計300余りの「何でもアリ」。興味のあるひとなら一日楽しめるのではないでしょうか。

水のしたたる音、冷ややかな空気、とおくで誰かの話すひそひそ声、立ち入り禁止の真っ暗な分岐・・・幽玄神秘をお手軽に感じたい方、ここはお勧めに輪をかけてお勧めです。帰りに巨大な大船観音に詣でても良いでしょう。もっともコンクリでできた昭和初期のものですが。