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高知松山2

今度は奈半利に戻って徳島との境目のほうへ。参勤交代の野根山街道、険しい林道を途中まで車で登り、引き返す形で歩き下ります。

余りの険しさと山上の雰囲気に「標高じゃないんだなあ」という感じでした。鯨の背のような細い尾根です。

まずは起点とした宿屋杉。室戸台風で倒れるまでこの山の上に屹立していた古木で、うろには4,5人が寝泊りできたといいますが、確かに非常に根の張った「泊まり易そうな」大樹のあとです。

三里塚。この街道(というには余りに細くて淋しい山道ですが)にはきっちり塚が残っています。霧に包まれた異様な雰囲気の中では数々の怪異が報告されていたというのも頷けるものがあります。そもそもこんな不思議な道は犬が切り開いたといわれており、そま人でも恐ろしがったというのもわかる気がします。たとえばこの塚(道の両脇の石積みと切り株)には「骨になっても闘い続けた狼と猪」の伝説があります。大きな虻がまとわりついてきました。その底深い音はまるで坊さんのお経のように聞こえた。室戸でも感じたのですが、「お経怪談」はこのような雰囲気の中で飛虫がかなでる「羽音」が正体なのかもしれない。しかし羽音であっても、それは幽玄の感を強くするものに変わりはありませんね。

林業で成り立っていた樵の土地柄で古い木は皆伐られたといいますが、一部残している、それがこれらの異様な枝振りの大樹です。

藩林として植えられ伐採が禁じられたもので、枝打ちをしない生の杉がこういうものだと改めて認識させるものです。まるで北米。

堂々と寝転がってぐいっと上に伸びる、妖怪的な杉。単に倒れたのではなく、道に向かって崖から生え、間違ったと方向修正したような蠢く生命力を感じます。

緑の苔が狭い石畳を覆い紅い椿がぼたぼたと落ちているのはいかにも南国の道。

この街道の最も怪異なスポットがこちら。険しい道の折れ曲がる場所に生えていた木の折れ株。

「笑い栂(つが)」。樵を襲った天狗山神の怪異、その宿った大木と言われています。もう枯れていますが古樹の趣が強く不思議な感じがします。足の指をすべてもがれたというのは、転げるようにこの急道をくだったときに自傷したものとも考えられますが、いかにも民話化の流れが生々しい。

この上空から笑い声が木霊したのだ。

少々陰惨な雰囲気をもつ六部様。もっとどぎつい話が残っていそうだ。かなり強いかんじがした。

次は一気に愛媛は松山へ。

道後の石手寺は怪異好きも珍奇好きも国宝文化財好きももちろんお遍路さんも注目のスポットであります。

こういうパゴダが日本屈指の古寺にある異様。「トンデモ寺」のナンバー1に挙げられることもあるのがうなづけるものでもあります。しかし観光寺ではない。その証拠に喜捨以外のお金はとりません。

国宝やら重文やらの建物の前にこんなものを据えてしまうサイケな感覚。インチキ臭い?いえ、これも宗教の一つの到達点といえるでしょう。仏教は南国ではほんらいこういうものでもある。中央の武士階級が仏法をしかめっつらの学問に仕立てたのだ。

こういうホラー仕立ての洞窟も掘ってしまう。向こう側には更におかしなものが。全部は見なかったのでちょっとだけ。

さて、この寺の怪異的な目玉といえるのが、奥道後の伝説として伝えられる大蛇の怪の、証拠の一つとされる「蛇の髑髏の一部」。七不思議の要。

全景を見ればわかるとおり、かなり小さいものです。15センチあるでしょうか?剣のほうも恐らく元は違うものだったと思います。典型的な考古学的遺物の様相を呈している、上古の三種の神器の剣もこのようなものです。実用というより書いてある通り招来の祭器ではなかったでしょうか。

他にもこういうようなものがあり、いかにもの感じです。

これは生まれたばかりの赤ん坊が握っていたという丸石。瑞祥ともされる丸石には土俗宗教的な意味もあり、そういった裏を読んで言い伝えどおり信じないことも大事かなと。七不思議のひとつ。

湯の岩。道後温泉の湧き出る音がするという。七不思議のひとつ。

潮音の壺。中に水があり潮の干満と同調しているといいますが枯れているようです。七不思議のひとつ。ぜんぜん解説されてないので何だかわからない人も多いでしょうね。お寺も殊更にこういうものに拘らないのがすがすがしい。神道的な感じがします。塩釜系ですかね。

子授けの石がこの社の中に。古今いろんなものが併合されたお寺です。七不思議のひとつ。

体の悪いところが治るという煙。七不思議のひとつ。

門前の渡らずの橋。弘法大師がこれを渡ったことから余人が渡ることを禁じたもので、渡ろうとすると足が腐るという伝説は七不思議のひとつ。

不動石。不動明王の姿が浮かぶ・・・明確ではありませんがそんな感じもします。七不思議に入れられることもある。門前。

幹の途中から不自然に枝の出た木。こんな怪異も。

コラ!まじめな信仰を茶化すでない!・・・こういうかなりできのいい閻魔様もいるというのに、あの洞窟マンダラの先の白閻魔といったら・・・

珍奇の目からすればまだまだたくさん物件を秘めた仏教アミューズメントパークですが、こんなところにしておきます。

道後温泉のすぐそば。

松山の国宝の寺として二つ目に上げられる大山寺(たいさんじ)。創建の伝説からして古寺の威厳をもち、豪壮な鎌倉建築が光ります。開放的でとても気持ちのいい、静かなお寺。しかし往年かなり賑わったようで、物件もそれなりにあります。

最高の見ものは鐘楼にあり。鐘は引き鐘になっていて重文ですが、びっしりと江戸時代のラクガキが(ラクガキというより一種の土俗信仰でしょうが)書かれている奥に、地獄絵が展開されています。江戸時代のものとしては状態がとてもいい。天井の格子絵の保存は余りよくありませんが、この鐘楼にこの寺の土俗的側面が集約されているといってもいい。

地獄絵の脇に鬼面をつけた竹節が飾られている。恐らく何かの病気の節に面を彫りこんだものだろう。しかしこれは、子供にとっては恐怖である。この堂は近在の子供には、恐ろしい魔界に思えたことだろう。私が見ている間も子供が覗き込んでは、怖いといって出て行っていた。鬼面と地獄絵と一面の墨書きの落書きには、日本という国の古さ深さと恐ろしさを改めて認識させるものがある。地獄絵がこんなに身近にはっきり見られる場所もないだろう。鐘楼の薄暗がりは彼岸との接点を演出して、頭上に仰ぎ見える鐘は魔を払うのか、呼ぶのか。綱を引くと、低く深い音色がひびきわたった。

十字紋がふとくるす紋に見えた。性神信仰を示すようなラクガキも有る(単なる文字通りのラクガキではないだろう)。

明るい表に出るとまだまだこのお寺には奇妙なものがある。

亀甲紋のある不思議な力石。

層塔の礎石だが今は痔を治す土俗信仰の対象となっている。たわしで綺麗に穴を掃除すれば、自分の痔も綺麗に治るというわけだ。

鐘石。

不思議な身代わり観音。

足に効く石。周囲を廻れというが、まさに土俗信仰そのものだ。

アショーカ(愛育王)塔の伝説を持つ層塔だが、確かに鎌倉よりは前に遡れそうだ。特に一層目は日本最古の層塔様式を思わせる。つまりは奈良時代まで遡れるかもしれないということだ。

ひきさき地蔵。二人の男に愛された女が、ある日両腕を二人に引かれてそのまま引き裂かれ死んだという伝説から作られた供養地蔵だが(類例はよくある説である)、何故かうれしそうだ。

捻れ竹。参道沿いの元宿坊の民家庭にあり、男女の遍路の差した竹杖がもつれねじれあい根付いたものといわれ、その男女は不埒な仲であった、そのせいだったとされる。不純な巡礼を諌める説で、竹を遍路の杖に使わなくなったのはそのためだという。実際パンフの写真を見ると今でも異様な捻れかたをしている。これはあるいは何か性神信仰の関係のものが入り込んだのかもしれない。

近在の寺にあるきりしたん灯篭。先ほどの鐘楼のラクガキでくるす紋を想起したのはこれのあるため。

松山三つ目の国宝の寺、大宝寺は駅裏すぐの山際にある。

この小さな本堂が愛媛最古の建築で国宝指定。しかし注目は右手の桜樹である。

非常に樹勢がありそんなに古い樹ではない感じもするが、とにかく本堂建築の由来となっている、ヘルン先生の怪談所収の物語の現存する数少ない例である。

最後に松山城。怪異は天守閣消滅という現象。解体修理中である。天主が傾く怪異伝説を持つ城だっただけに、とても意味深な感じがする(解体修理なのだ)。単に構造的な問題だったということかもしれないが。

おまけ。

大三島宮は武士の信仰厚く国宝武具を多く所蔵している。斎田はそれほど珍しいものではないが、神と相撲をとる「一人相撲」はいかにも戦いの神社というふうの習俗だ。しかし現代では珍奇の目を向けられるものでもある。

この社はコノハナサクヤ姫イワナガ姫の父親オオヤマツミを祭ったとても古い神社だ。

尾道。

この山門下にある岩玉は天から降ってきたといわれるというが実見はしなかった。

おわり。