怪物5(ナ行)

ナーガ

インドのヒュドラといっても過言ではない(か?)神性ある存在。こうかくとやまたのおろちみたいだ。

ナッツ

東南アジアの良い精霊。祭礼時に祭壇から立ちあらわれる、見えない小妖精。

ナハト・コボルト

夜の小鬼、すなわち夢魔のドイツ版。

ナビゲーマジムン

沖縄系マジムン(化物)のひとつ、調理用具が化ける。さしずめ”つくも神”などの古物に霊が宿る系といえよう。イノシシの姿に化けることもある。

ナメラスジ

備前の東部では縄目の筋をこのように呼ぶ。青大将のことをナメラというので、蛇の魔力とかけているのかもしれない。家がこの見えないスジにかかっていると病人が絶えず、たんに通りあわせただけでも気分が悪くなったり、化け物に出遭ったりするという。和気郡のある所の魔筋では、火の玉が通る、ともいう。

恐山でも幽霊の路上にある寺の壁に、うっかりぶち当たった魂が血痕を残すという。「霊の通り道」という考え方はフォークロアとして一般的なものである。海外では黒犬やspiritの道という考え方も有り、又、「レイ・ライン(太陽の道、古代人ののこした遺構が天文な動きを台地に映して配置されているという事例から発展した超古代文明仮説)」にも通じるところがある。

ナンドババ(納戸婆)

掃除しない納戸に棲みつく小妖怪。

ニイギョ

人魚の訛りだと思われる。ここには毛に覆われた姿を描いた。

二恨坊の火

水木しげるさんの著作にみられるものだが、沖縄の「耳切坊主」などを思い出す。殺された旅僧の恨みの火、修行最中誤って命を落とした坊主、もしくは生臭のうちに化身した独僧、僧侶というのは世俗をはなれるがゆえに得体の知れないところがあり、なんらかの神通力をえて、ともすると不気味な力をはっする悪鬼と化すと庶民におそれられていた節がある。

入道鮫

海坊主の変種だ。わにという言葉を使っているとおり、何らかの肉食魚の属性をえているようであるが詳細な情報がないため空想で書いた。

人魚

さまざまな姿をしているのである。とくに江戸時代の文献には体のどこまでが魚なのか一定しない図が散見される。鰭のみが魚であとが女というものや、逆に魚に人の顔だけがつくものもある。諸外国でも目撃されていたようで、顔が魚で体が人間という報告もあるようだ。肉をくらうと不老不死をえられるという俗信から八百比丘尼の伝説も生まれいろいろとロマン溢れる小説などが流布している。反面肉食狂暴で、牙のある口で噛み付くという説もきいたことがある。

ニンフ

フランス近代文学の幻想的な印象では森の美しい沼に顕れるうらわかきおとめの姿がうかぶであろうが、象徴的にえがかれたそれら理想と現実?はおそらくかなり乖離している。東南アジアの精霊にならい各種自然霊(=ニンフ)を書いてみた。ハマドリュアデスは樹木、ナーイアデスは水、ナパイアイは岩石、ネーレイデスは魚、アルセイデスは風、などなど・・・日本誤訳:八百万の神、か。

ぬべらぼう

家中に突然肉の塊のようなものがあらわれる。しっしっと追い出すが何かの前兆であろうか・・・江戸時代の怪異らしい、脈絡の無さが良い。家康が駿府の城にいたとき、突如庭に”肉人”が立ち天と地を指した。まもなく追い出されたが家康はじっさいに会ってのち、その指の方向から天下人になる吉兆と考えたという。宇宙人ではないかとする人もいる。

濡れ女

この絵だと女頭蛇身の宇賀神様に見えてしまうが、民間信仰の色彩をもった宇賀神の零落した姿ととらえられるかもしれない。怖い怖い海の怪物で、人を引きずり込んで食べてしまう。

ネッシー

真偽問わずさまざまな写真がとられているスコットランドの湖沼地方ネス湖に棲むという怪物。中世の坊さんに端をはっし以後数百年にわたっての謎として世界に知れ渡っている。真実の姿がどうあれロマンがある。ここにはあるソナー写真を元に姿を推測してみた。

のびあがり

小児がいる。にこにこと見上げている。その目を見ると、いつのまにか自分の肩くらいの高さになっている。あれよあれよというまに見上げるほどの大男、いつしか山をも越える巨大な影となって覆い被さる。これが、妖怪のびあがり。

のっぺらぼう

ハーンの狢を思い浮かべる向きもあろう。しかし本当は重箱おばけというのがあの話しの原典であるようである。

ノルディック

ノルディックとMIB(映画で有名、メン・イン・ブラック、UFOアブダクションなどを語る人に脅しをかけ、口封じするように仕掛ける力があり長身の黒尽くめの男)を一緒にしたのには意味があって、宇宙人の1タイプとされる長身の北欧男性のような姿が、MIBと比定されるように思うからである。

ノルン

北欧の3女神を怪物としてあげてしまった。

ハイド

カリブの海中にひそみ素潜り人を襲う伝説の生き物。