怪物図録3

サ行 /

座敷わらし

東北の地方妖怪のはずがいつのまにか小児の怪の総称とされている。大人にあそんでほしい子供の霊とされる一方で、子供にしか見えない和装の(河童にもつうじる)小さな精霊とされたり、あるいは家に憑くもので、大金をもたらすが、去ると没落するともされる。どれも世界中で聞かれる精霊や妖異の類と似通った性質でありステレオタイプ的とさえいえよう。単なるポルターガイストをこの名で呼ぶこともあるようだ。

ザツクーム

地獄の底の巨木。「生命の木」とは真逆の存在。

ザラダン

小島とおもったら巨大な生き物の背中だった。海の男のホラ話。椰子の木さえ生えている。

サラマンドラ

中世魔術の世界のもので、紅く燃える炎の中に生きる生き物。サラマンダー。

三シ虫

庚申信仰は中国伝来の伝説にもとづく。庚申の夜、寝込んだ人の体に巣食っている3匹の虫が抜け出して、天帝のもとに一年の行状を告げ口に行く。だから庚申は夜明かしで過ごし、告げ口されるのを防ぐのだ。虫はすべてのひとの中にいる。「腹の虫が納まらない」なんて口にしたことがあるでしょう?

サンドマン

砂男の砂を瞼に浴びる感覚。これがどうも私にはよくわからないのだが、ヨーロッパの昔の人たちは、眠気を「見えない砂男」の振り掛けた砂のせいにした。目が痛くて目をつむるのと、ふわっと眠気におそわれるのとではだいぶ感覚が違うような気がするが、ひょっとすると不意に昼間に襲われる眠気(マイクロ・スリープ)、急に気を失う感覚のことをいっているのだろうか。

ジキト

ひととおり餓鬼の種類をあげつらったが、それぞれなんらかの欲望を抑え切れない人間のあさましさを戒める意味を持っている。この餓鬼は食べても食べても吐いてしまう。だからいつも飢えている。飽食の報いなのだ。

シケツ

死体が葬時に立ち上がり坐する。それ以上何もせず棺に封ずるのも易い。これは積悪の報いとされ、死者の悪行が変異を遺したとされる。これと格闘した話は枚挙に暇が無い。・・・「夷堅志」より。この話しも、老僧が変異を見て「これは、〜じゃ」と説く、中国の説話によくあるたぐいの話しである。〜には固有名詞が入るのだが、そんな名称をまず誰が付けたのか、いつも明らかにはされない。ところでこれと良く似た話しは日本にもある。死後硬直の誇張と言う者もいる。

シシ

百獣の王ライオンも、吐く息で鳥を丸裸にして食らうなどの伝説を付与されこんな怪物になってしまった。

シュリーカー

バンシーとならんで有名な叫び系の妖怪だ。夜、足音だけがついてきて(シズカモチやべとべとさんに似ている)、その叫び声をきいたものなら、近いうちに死ぬ。警告する点ではバンシーとかわりがないのである。死に神扱いをされるが守護する側のものなのかもしれない。ヨークシャーやランカシャー(イングランド)の森に居る。

小人

この話はゾンビを思い起こさせるおそろしい話である。康キ(漢字が出ません、すいません)のとき、手品師がいて、長さ一尺ばかりの小人の入った箱を持ちあるきみせものにしていた。役人が不審に思い問い詰めると、それは塾で勉強していた子供で、帰り道手品師にまどわされ、クスリを飲まされた。すると体がやにわに縮まり、手品師はそのまま箱に入れてしばいの道具にしていたのである。宰は怒って手品師を殺し、子供を留めておいて治療しようとするが、その方法は知れない・・・リョウサイシイ”小人”より。「ゾンビ・パウダー」のようなクスリでもあったのだろう。子供は小さくなったのみならず夢遊病者のようになっていたのだ。科学的に説明のつく話しかもしれない。かなり有名な話しであり、古今いろいろと引用されたものである。

シルフ

風の精。ほんらい姿はないはずで、しいていえばこんな無機的というかくらげのようなものなのではないか?

ジロムン

股を潜られると命を失うか精を抜かれる、奄美以南の化け物の特徴的なひとつの性である。

小龍

龍の子供の話が、リョウサイシイ(漢字が出ないのですんません、でも有名な本だからね)に二つほどある。

一つは、山東臨溜県牛山の或る寺に、瓦と共に落ちてきたミミズくらいの子ヘビの話。たちまち帯くらいに成長したそれを見て驚いた人々は、これは龍にちがいないと山を降りる。中腹くらいにまで降りてきたとき、寺のあたりで大きな雷鳴が轟き、天上から黒雲がかさのように垂れ下がってきた。その中で大きな龍がヒラヒラ舞っているのが見えたが、そのうち見えなくなった。

もう一つは目に入った龍の話。砂埃と共に、白目にうねうねと紅いすじが浮きあがり、痛みを感じた。死を覚悟したその女は、三月あまり後、にわかにかきくもった空から雨が降り、そのとたん一声の雷鳴がひびいた。すると目が裂けて、龍が去っていった、という。

女に怪我はなかったとか。

人面犬

人面がはやったことがあった。これは「高速道路を走る犬が、振り返ると老婆の顔をしていた!」話しが発展して、1988年前後に北関東一円にまんえんした一種のハヤリモノだ。野犬がゴミをあさっているのを見ていると振り返った顔が「おっさん」で、「文句あっか」とヒトコト呟く。ごくちいさいころ、私は年老いた山羊が人語を喋るのを聞いた体験がある。そんな個人的幻想が入り交じって飽和した集団的妄想、それが都市伝説だ。

水鬼

朝鮮の河童である。

スラピーンの怪物

恐竜だというのである。オルニソレステスだとかそんな鳥恐竜のたぐい。「ジュラシックパーク」最初の方でティラノサウルスに追いかけられてたダチョウみたいなやつ、それが出た、と。アメリカだったかな。

聖主

家神の類。祖霊の変異か。

セイレーン

”飢えた”いにしえの海男たちの幻想か。美しい声で鳴き男を惑わし死にいたらしめる。

セジャ

古代エジプトの壁画に出て来る蛇の首をした怪物。いかにも恐竜ふうだ。

センイウ某公

かれは前世のことを覚えていた。閻魔の前で、亡者が罰としてケモノの皮をかぶせられるという裁判を受けた。生前の悪行の罰としてヒツジの皮をかぶせられ、ヒツジに生まれ変わることになったが、かぶせられたあとで生前に人の命をすくったことがわかり、急に許され、皮は脱がされることになった。しかし皮はもう体に張りついていて、鬼がむりに剥がそうとするときの痛さといったらない。やっと剥がれたものの背中には手のひらくらいの皮が残ってしまった。公はやがて生き返ったが、その背にはヒツジの毛の塊があって、刈っても刈ってもまた生えてくるのだった。冬はあったかくてよかっただろうね。

走影

新死の屍が陽気に触れて奔ったもの。走屍のひとつ。

走屍

エンズイエンによると・・・

屍体が奔走する現象は、陰陽の気が合したせいである。けだし人が死すれば、陽気は悉く絶えて純陰となる。陽気さかんな生人がこれに触れると、陰気たちまち開き、陽気を吸収して奔りだす。ゆえに死者の通夜をするものは、足を向いあわせて臥することを忌む。人が寝ると、その陽気は多く足の裏の湧泉穴から放射されるが、それが死者の足に吸収されると、屍体は起立するのだ。これを走屍と称す。決然として立った屍体は生人を追ってこれを襲う。口から息を吹き、その臭気耐え難い。あるいは生人にしっかり抱きつき、爪を食い込ませてたとえ両手が折れ裂かれてもはなさない。あるいは人の頭に食らいつき血を吸い取る。中には髪を振り乱しハダシで現れたキョウシ(キョンシー、ここではほぼ同意)の頬をはたくと、頭が一回転してしばらくして戻る。あたかも木偶人を糸で操るようで、打った手は翌朝見ると墨のように真っ黒だったという話がある。走屍に抱きつかれたときは、棘の種を7つその背に打ち込むと緩む。走屍は箒を嫌がるから、これで掃えばよい。また赤豆、鉄、米粒もおそれ、これを撒いて掃う。又、鈴の音もおそれる。「易経」などの経書も、見せると後ずさりするが、これは他の魑魅魍魎も同じである。

キョウシは昼は棺中によこたわり夜に出歩くが、棺の蓋が失われるともはや祟りをなすことができなくなる。蓋を奪われたものはあわててさがしまわるが、ニワトリが鳴くと、バッタリ倒れて動かなくなる。

「走屍」は奔走するキョウシのことで、「キョウシ」の項のものの殆どがこれに含まれよう。キョウシは飛頭蛮や吸血鬼のような性質を持つとされるところが面白い。

ソンカクシ

若死にした未婚の女性の亡霊。その霊が悪鬼となって代々祟ったり、又は他の処女にとりついたりするのを、朝鮮ではこの名で呼ぶ。一説には単に、処女にとりつく悪鬼ともいわれるが、この場合情緒不安定な少女期特有のヒステリー等の精神変調そのものとみていいと思う。最近でもあった「こっくりさん」集団ヒステリー現象に通じるものだ。此れ専門に祓う巫女がいたそうである。

ダイカツ

大きなさそりは日本にいない。日本にいないものが何故に日本の妖異になったのか??

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