(暫定)

2005年12月03日

とりあえず班女塚について。




くれはひろいに京都まで。たまたま四条烏丸交差点に降り立った私は、帰途につくため烏丸通りを京都駅へ向かった。そしたら室町の警察前に 観光地図があったのである。そこにはこうあった。「班女塚」・・・平安の昔、姉妹がいて、どっちかが結婚もできず死んで、そんで風葬場かなんか に運んで弔って帰ったら門前になぜか死体が戻ってきている。また遠ざけるも戻ってくる。「戻ってくる系」怪談の元祖として古典芸能の題材にもなった有名な噺。結局家ごと引っ越すはめになり、残る場所がいわゆる忌み地となって班女塚と呼ばれるようになった、というが異説多々あるので詳しくはググればいくつか出てきますのでそちらにお任せ。結婚できなかった班女(はんめではなくハンジョと呼ぶが、たんに班という名だったのかも)を 弔うため全裸の男だけでお祭りが開かれた、というのはこの「ハンジョ」を「繁盛」と読み替えた恐らく江戸期に始まる芸能だろう。女神祭りの典型的な形です。なわけで妙齢のご婦人は近寄ると縁談がなくなるともいい、一方ここにお参りすれば商売繁盛間違いなし、ということで今や繁華街のど真ん中 に「繁盛社」というのが別途作られている。塚はもう盛り土が失われ、岩くれの塊みたいなものに小さな社が付けられたかっこうになっている。路地奥にひっそりぽつんと置かれているのみである。・・・

このくらいにしておこう。ちゃんと後日別場にまとめるつもりですので、ここではデジカメ写真を抜粋でいくつか載せておきます。ヒトコト、比較論ですけどここはそんなに悪い感じじゃなかったですよ、ただ、陽だまりのダークスポットて感じなだけで。寧ろ上の地図や写真を 見たとおりたぶん幕末くらいにいろんなものを習合してしまい、それがヤバかったのかも。横の神木がちょっと強い感じがしたけど。あと、「見たい人」 は中心の岩を白っぽく大写しした写真に何か見出すかもしれません。何故か数日たった昨日ちょっと妖怪的なものを見たりもしたのだが、ここと関係が あるかどうか、少なくとも怖いというより怖がるのを面白がるタイプに思えましたよ(このへん妄想として読んでくれ)。妖怪的なものといっても普通と サイズの微妙に違う(でかい)いびつな頭の小さな体の女が便所の扉を開けたり(ありがとう)そんなもんですよ。元は人間なんだな。

まずは通りに面した繁盛神社。班女塚のすぐそばにある。近所の店が管理しており、商売繁盛のお札をいただけます。






それでこっちの路地に入ると班女塚がある。恐らく近くの駐車場やビルも社地だったのだろうが、今はちょっとわかりにくいかも(でも駐車場があるので 見つけやすくなってはいる)



 








石は冷たかった。コンクリでいろんなものと固められていた。たとえばこの織部灯篭。江戸時代(庶民は幕末以後くらいだろう)に流行ったいわゆる「切支丹 灯篭」である。しかも笠のかわりにどこぞの石塔の層石が乗っけられている。変だ。ちょっと「生物都市」ぽい。ぱらいそさいくだー(違う

右横に同じく南向きに並んで住吉勧進社(石塔)がある。こっちのほうが立派に信仰されているようだ。それほど古くは無い。

更に逆を向いて裏路地に対して天照さんの石塔もある。おばあさんが拝んでいた。アマテラス関係は明治時代に無茶くチャされたのでもともとどういう信仰 だったのか定かじゃないし、戦時中なんて唯一神的だったわけで、そのころ作られた新しいものであると思う。

つまりいろんな近所のものをいっしょくたに「変な土地」に集めたということだ。お寺さんにゃよくあることで、稲荷勧進なんかしてる神社関係でもある ことだろうね。ここで一番威勢をはってたのが、この神木というわけでした。





<9日記>昨晩凄い金縛りにあってしまった。談山神社の八方睨みの鎌足お札もきかなかったかあ。この写真群の中に人の顔を見出したかたは忘れたほうがいいでしょうwちなみに上記写真の中で神社の入り口が青く写ったのがありますが、これ、設定が突然おかしくなっていきなり青くなってしまったものです(撮影するときにわかりました)。ケータイカメラなので複雑な動きはできないはずなんですが。いくら逆光でも写真が青くなったのはこれきりでした。