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2005/8/18:東京魂やすめ。

東京に幽霊坂はいくつあるのでしょう?俗に7,8本と言われていますがじっさい地元でしか呼ばれないものを含めるとそうとうの数があると思われます。

こんかい職場の至近の場でべつに特別に行く必要はなかったのですが、まあ、招魂社参りを兼ねて行ったのであります。

:何度も移転を繰り返した将門鎮魂のやしろ築土神社。最近東京に多い新築ビルのデザインに組み込まれた融合型社殿であります。ただ、このビルの会社、必ずしも社と関係がないわけではないのです。

ビル横の狭い通路を抜けるとぽっかりと社殿があります。地図上では完全に建物の真ん中になっていますね。

:立派なのが獅子狛犬。往年のこの社の興隆を物語っています。社向かって左手に宝珠をのせた獅子、右手に一本角の狛犬がいます。

:更にヨコの小道をすりぬけると世継ぎ稲荷が。ここも数奇ですね。

:力石もあり。

:あ、あたらしい・・・

:建築士と古老狐の妥協。

さて、なんでこのビル(会社)がこういう管理をしているのかというと、

戦争はひどいです。あの年3月10日という日がなかったら。

昔の会社員は偉いです。偉いというのは、誇りの裏返しでしょう。虚飾でも肩書きでもなく。

靖国へ向かいます。

・・・不謹慎かもしれない。が、ここで私はえもいわれぬ沈んだ気持ちを感じたので写真をとらせていただいた。「云」が抜けて鬼に見えた・・・靖国へ向かう人は誰も見向きもしない。

:日本最大の鳥居。

:芸術的?

:大村益次郎の日本初のブロンズ立像が今もにらみをきかせている。しかし日本の近代戦争の歴史はここから始まったのだ。

:つぎはぎだらけの零戦。全て南方に散った破片の寄せ集めである。カッコイイなどと言ってはいけない。血だらけ傷だらけで、未だにこの国を守ろうと空を向いているのか・・・

:旧軍各部隊が戦後それぞれに植えた桜樹が境内を埋め尽くす。部隊名をしるした札の裏には今も消息の分からない戦友へむけた連絡先が刻んである。戦に死ぬも戦後を生き抜くも、かれらの心は一本一本の桜に宿り、神仏関なくやすらかにいる。春になりせば桜散るらん故郷の地。

・・・

:飯田橋第一の幽霊坂、なかなか風情がある。左手に富士ヘルスプラザを見て迂回する道は往年は暗くさみしかったろう。

:第二の幽霊坂。広くてイマイチ。降りる右側が看護学校。

:警察病院ヨコまで降りるつきあたりの第三の幽霊坂。ここも広いけど、上の方は狭い路地になっていて往年を偲ばせる(但し幽霊の名はこちらの広い部分をいう)。

三本の坂はいずれも早稲田通りへ下りるごく短いものである。いつごろの命名なのか、定かじゃない。

<オワリ>