-2019/1/9(1/23修正)tchaikovsky
チャイコフスキー (語り),ごく短いシリンダ録音、歌唱にさいしA.ルビンシュタインなどと(放送)
チャイコフスキー:イタリア奇想曲,○ケンペン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ(PHILIPS)1951/12〜久し振りにこの曲を聞いたが、屈託無くよろこびをうたうケンペンの演奏に思わず肩が揺れた。ちっともイタリアっぽくない演奏なのだが、あっけらかんと明るい曲調をそのままに、胸のすくようなテンポ廻し、直線的な演奏はあっさりしているものの音の強靭さがそうは感じさせない。ケンペンのチャイコは発音が強すぎてバレエには絶対向かないが、このての管弦楽曲にはとてもよく似合うと思う。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:イタリア奇想曲,○ラフリン指揮モスクワ・フィル交響楽団(vista vera)1958・CD,,これはリムスキーの録音より20年近く下るにもかかわらず音量が不安定で弱く、演奏的にも印象が薄い。ソロで剥き出しになる管楽器、とくに木管の色が非常に艶めいて美しいのだが、楽器間の受け渡しに音色的断裂がはっきり聴き取れてしまうのはロシアらしいとはいえちょっといただけない。弦楽器がぱっとしないのはラフリンにはよくあることで、スヴェトラなどにも時折聴かれたところだが、これはロシアのセンスというか流儀なので(ムラヴィンなんかは全然違うけど)仕方ない。いずれ無印にしてもいいくらいだが、管楽器を評価して○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:イタリア奇想曲,○レオ・ブレッヒ指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(PACD/Electrola他)1928/3/23,,珍しい録音で、チャイコが模倣しようとしたラテン・イタリアのからっとした雰囲気がおのずと出ていて非常に聴きやすいのだが、余りにさらっとした揺れの無い表現は、オケのアンサンブル力の高さもあって、全く何も印象に遺さないまま終わってしまう。連綿と主題が数珠繋ぎになっていくだけの音楽はやはりそれぞれの主題の孕むケレン味をそれなりに印象付ける表現をとってくれないと、特に楽想が動き出す前と後の変化が調性的には大して感じ取れない場合、こうストレートにただインテンポで進められてしまうだけでは序奏がそのままフィナーレに突入してしまうようで置き去り感がある。引っかかりが無い演奏で、確かにわかりやすいが、確かに何かとのカップリング(抱き合わせ)で聴くくらいの演奏かもしれない。○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:イタリア奇想曲,○ロスバウト指揮ベルリン・ドイツ交響楽団(CEDAR)1940ベルリン・CD,,ロスバウトのチャイコはけして面白いとは思わないが、微細な部分では現代音楽指揮者特有の分節ごとに極端に解釈を変化させるさまが聴き取れる。イタリア風主題の表現はやや冷たくノリづらいが、後半リスト風というかリムスキー・ロシア風の描写的表現になるとやはり巧い。音は悪いが立体的に聴こえる。構造の透けて見えるちょっとフランス的な感じもする演奏ぶりはオケの素晴らしさもあるのだろうが聞きものではある。全般○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:イタリア奇想曲,コンドラシン指揮RCAビクター交響楽団(RCA),,確かに綺麗でロシアオケより余程垢抜けして色彩にあふれている。だが、ここには感興がない。リズム処理の巧さは光っているが、全般に落ち着きすぎている。客観的と言ってもいい。体感的に遅いのだ。もっとギチギチにイタリアンなのがこのチャイコの憧れた幻想の南欧情緒なわけで、ギトギトである必要はないし寧ろからっと乾いているほうがいいのだが、スピードとテンションは欲しい。整えすぎである。これはコンドラシンのせいなのか周囲のせいなのかわからないが長らく復刻されなかったのもわかる凡演である。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:イタリア奇想曲,シュヒター指揮北西ドイツ・フィル(IMPERIAL)LP 真面目すぎるのだ。ちょっと面白味に欠けるか。色彩は申し分ないし瑕疵も無く、音はじつに磨き抜かれていて重厚でいながらスピード感が失われていないのが凄い。だがこの曲はもうちょっとラテン音楽ふうに崩したほうがいいと思う。音を磨き抜けば自ずと音楽が立ち現われてくるような楽曲ではない。ここにはもうちょっと生暖かい解釈が必要だ。個性的と言うには揺れが無さ過ぎるし、情熱的な高まりを感じるたぐいの演奏では決してない。ここでは無印としておく。立派な演奏ではあるけれども。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:イタリア奇想曲,ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(Ades/Universal)1957-59・CD,,管弦楽曲作家として広く認知されていただけあってフランスでもこの曲はやられていたらしく、少しの違和感もなく、ただオケがからっとしているので響きに違和感がある向きもいるかもしれないが「イタリア」だからこれでいいのである。横の動きはイタリアでも縦の印象は重苦しいロシアロマン派ではあるが、そのへんロザンタールはすぱっとスタイルをあわせてロシア的な盛り上がりを派手に作る。リムスキーより違和感がないのは才能の差かなあ、と思ったりもした。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲,D.オイストラフ(Vn)オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(CBS)1959/12/24〜オイストラフが思ったより線が細く感じられた。激烈な技術を見せ付ける場面でも、やや不安のある荒い演奏が目立つ。荒さと力強さは表裏一体、この力感を聴きたい向きには大喝采かもしれないが、オイストラフの太くて柔らかい音色も余り楽しめなかったし、個人的には推薦しない。オーマンディのオーケストラが重厚なひびきで素晴らしかった。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲,D.オイストラフ(Vn)ブランコ指揮ポーランド国立SO
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲,ミルシテイン(Vn)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA他)1953/3/27live ,,チャイコフスキーのコンチェルトは長い、めんどくさい、マンネリの三拍子が揃った難物である。だからこそプロが聴かせる必要がある。ミルシュテインはロシア往年の名手だが録音には「大丈夫?」というものもある。これも冒頭からしばらくはぱっとしない。今の耳からすると技術的に眉間に皺が寄ってしまう方もいるだろう。だが技術を聴きたいならピアノを聴いていればよいのだ。弦楽器は音色だ。音色表現の豊かさが魅力の総てであり、それを邪魔しない技巧を保つだけである。つまりプロのレベルで(かつライヴで)指が回るだのなんだのは二の次。という擁護の仕方でいくとミルシテインの音は変に豪快さや生々しさのない艶が光っている。どんなパセージでも音色は損なわれない。嫌いな曲なのに一楽章は聴いていられて、客席からもいったん大喝采が入り調弦にいく。この曲なんて二楽章がじつは大事で三楽章はぶっ飛ばしていけば出来上がる、訓練だけでいけるもので、その点はどっちとも言えないところがある。その論理でいけば三楽章の凄まじい技巧の発露も実は指を回せば音楽になってるだけと言えなくもないが、前記のとおりの魅力的な音が絶えずに終わりまでいくから、名演のように聴こえる。それでいい。せっかく歌っているところで弓を落としたの誰だ。録音は良くはない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:ヴォイェヴォーダ〜間奏曲,マルコ指揮フィルハーモニア管弦楽団(HMV,EMI/SLS)1950/12,,短い曲で特に盛り上がりもない。穏やかな曲を普通にやっている。CD化不明(SLSはSP起こしCD-R)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:バレエ音楽「眠りの森の美女」〜ワルツ,ランバート指揮サドラーズ・ウェルスO
チャイコフスキー:スラヴ行進曲,○ストコフスキ指揮NBC交響楽団(history他)1942/4/23・CD 派手。しかも技術的に巧緻で迫力がある。この時代の音だから限界はあるものの、最初のズーンとくる重低音からしてストコの演出炸裂。なかなかロシアの暗く重くしかし重戦車のように破壊力の有る響きを再現できている。音色のせいかイマイチ気分は高揚しなかったが、悪くはない。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:スラヴ行進曲,○ドラティ指揮ミネアポリス交響楽団(Mercury)CD,,ライヴか。ド迫力のマーキュリー録音である。これでもかという圧倒的な迫力で迫る最後は「しかしこれロシアじゃないよな」と思いながらもノっている。◎にする人もいておかしくはないライヴ感溢れる強烈な演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:スラブ行進曲,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(Guild他)1959/4・CD,,guildはたまに初出音源が混ざる困ったレーベルだがこれは既出。比較的聴きやすい音に整えられている。牧歌的な雰囲気が支配的な行進曲になっていていかにもバルビというか「イギリスらしいスラヴ」だ。エルガーの曲と言っても通るのではないかというくらいに響きが整いテンポは客観的ですらあるが拍節感はそれほど損なわれない。爆発的威力はハレなので土台求めるのが無理であるが、比較的まとまって出来ているほうの演奏だと思う。ヴァイオリンにはもうちと謳う気持ちが欲しいが。曲の素直な面白さが出ている。guildはプレイヤーによっては外周(終わりのほう)が読み取れないことがある。CDはこれだからあかん。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
チャイコフスキー:ニコライ・ルービンシュタインの命名日のためのセレナード,サイモン指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS)1981/1・CD,,小夜曲の名にふさわしいこじんまりとした挽歌。演奏も地味。珍曲も場合による。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」,○モラルト指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(PHILIPS)LPひさしぶりにモラルトを書く。今日も近所の店頭でモラルトのシュトラウス舞曲集を見かけた。案外盤には出会わない指揮者なのだが、小品集だと割合にお目にかかり易いかもしれない。モラルトのノリはじつに楽しげでスマートで、どんなに複雑な曲にも感情的な盛り上がりをつくってくれる。ウィーンのオケを使った、その音色操作にこの指揮者の価値の全てが有る、とお感じになるかたもいよう。たまたまこの曲はギリギリ私の守備範囲内なので聞いたわけだが、これがいい。すごくいい。とくに速い曲のシャープだが暖かい、古き良き香りが魅力的。私はどうしても弦楽器を聴いてしまうのだが、この曲は管楽ソロ大活躍である。モラルトの棒はピッコロなどの独奏楽器に自発性を保ちながらも全体のノリを損ねないよう絶妙の手綱さばきを見せている。モラルトは小品録音が多く、また同時代に同じレパートリー分野の巨人が多かったので評価が低くなりがちな指揮者だ。でも、スマートに引き締まった造形は義理の父親リヒャルト・シュトラウスやフランツ・シュミットといった大曲で遺憾無く発揮されている。多数の音源を死蔵するフィリップスに復刻を期待したい。なんとかしなさい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」,トスカニーニ指揮NBC交響楽団(rca)1951/11/19音が良い。とにかく気合が入っていて、笑ってしまうほどだ。軽妙なバレエ音楽が軍楽隊のパレードのように響く。花のワルツも強烈だ。面白いが・・・,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」組曲,フランツ・アンドレ指揮ベルギー国立放送交響楽団(telefunken/KING)1956/7/15・LP,,無骨で上手いとは言えないオケだが編成(スコア)を分厚くいじっているようで、録音も近く聴き応えがある。音楽そのものの、メロディそのものの魅力に取り憑かれたような演奏ではなく、バレエ音楽らしいしっかりしたリズム取りで実直に、だが派手にやるところは結構やって、ドイツ的な演奏に仕上げている。雑味はあるが聴きやすく、弦楽器は低音から力強く、ソロ楽器はわりと上手く表現している。日本では廉価盤でステレオだったとのこと。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」組曲,○シュヒター指揮ベルリンFFB交響楽団(IMPERIAL)LP,,きちっと律せられた演奏ぶりで、チャイコフスキー特有の響きの的確な表現、構造の明瞭な描き出しかたに、清々しく聴きとおすことができる。この曲のスラヴ的な側面よりヨーロッパ的な側面を印象付けるところがあり、花のワルツのウィーン的な表現、最後のルバートにはにやりとさせられる。聴きごたえあり。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」第一幕からの抜粋,○コンドラシン指揮モスクワ・フィル、合唱団(GLOBE)1978/3/29LIVE・CD,,2,3,5,6,7,8,9番、珍しい曲選で馴染みのないものもあるが、コンドラシンがノリにノリまくっており、強いリズムと甘さの無い音表現で引き締め系指揮の真骨頂をみせている。これはこれで非常に見通しがよく格好のよい演奏に仕上がっているが、オケや合唱団の力量によるところも大きいだろう。楽しいバレエというよりシンフォニックダンスの趣だが、ソヴィエト末期の姿を伝える好演。やや録音がこもっている。,-----,,,-----,,,-----,
チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」第一幕からの抜粋,○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(GLOBE)1978/3/29live・CD,同上,ずいぶんとボロディン的な民族曲なんだなあと改めて組曲じゃない版を聴いて思った。反じて組曲は洗練された部分だけを抜いた非常に上手い構成のものだと感じる。コンドラシンは音響的には地味だが求心力がありリズミカルに気持ちよく曲を進めている。ややソヴィエト末期的というか個性が薄まっている感もあるが、すっきりとした演奏であり、リマスターもいい。○。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」〜花のワルツ,○オーリアコンブ指揮フランス国立放送フィル管弦楽団(STEF)live・CD,,放送音源か劇場ライヴ音源と思われるモノラル録音。トラックの別け方が乱雑だが、CDアルバム一枚の連続として聴くぶんにはほぼ支障ない。ちなみにSTEFなるレーベル?は何枚か組のフランスで制作された「ロマン派以後の音楽史」教育用CDらしい。組ものとは別に解説書のようなものもあったようだが未見。そもそも廉価盤として一斉に出て後殆ど流通しなかった。オーリアコンブは古典のイメージがあるが活動時期が短く一部マニア以外には余り知られていない。が、ライヴでは結構やっていたんだな、と思わせる演奏。最初からリズムがズレているのは恐らく舞踊を意識した意図的なもので、品を感じさせるがどことなく独特でもある。だから面白く清新に、この手垢塗れの曲を聴きとおせる。音は澄んでおり割と重量感もある。技術的にはけして物凄く高くはないとは思うが(ライヴだからね)安定感がありスピードも保たれ聴きやすい。結構いい演奏だと思います。フランスの演奏家にはロシアものが似合う。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」〜花のワルツ,○ビーチャム指揮LPO(DA:CD-R)1939/4ビーチャム製薬放送live,,放送用録音か。オケの高いアンサンブル能力の発揮された実にかっこいい演奏で、こんな緻密なアンサンブルを颯爽とこうじられるビーチャムの力量はかつての評によくみられた「アマチュア」「二流指揮者」などといった誹謗が事実無根であったことを改めて感じさせる。LPOという「楽器」の素晴らしさにも改めて感嘆した。とてもスピーディで適切なテンションの発揮されたしかし、いかにもイギリスオケのもの。そういう演奏。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」〜花のワルツ,○ビーチャム指揮LPO(DA:CD-R)1939/4/39,同上?,「白鳥の湖」は誤記。ビーチャム製薬放送,,無茶美しいハープで始まる。ラスキーヌ的な「強い女性の音」。しかしホルンから提示されるテーマは勇壮!芯のしっかりした即物的なテンポに強い発音。演奏的にはまさに情にまったく流されない「客観的演奏」。トスカニーニを更に即物的にしたようなあけっぴろげな起伏のない明るく強い感情表現。まあ、名曲コンサートではこれは仕方ないだろう。とにかく、流れるように速い!完全にブラームスの舞曲の表現方法だ。しかし木管が巧みだしアンサンブルは一縷の隙もない丁々発止だから貶めることはできない。全般に勇壮で一直線な演奏で占められた名曲コンサートなので、そういうスタンスのものとしてロマン派の人は受け流してあげて。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」〜花のワルツ,ムック指揮ボストンSO 1917.8
チャイコフスキー:バレエ音楽「白鳥の湖」抜粋,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(Guild)1950/10/17・CD,,かなり生硬で凡庸な、かつ余りよくない録音なのだが何故○かといえば終曲の盛り上がりだけのためにつけたのである。発掘音源というのはおうおうにして名演とは程遠いものでありこれもそのほかの曲に特に聴くべきところはないが、ワルツの浮き立つ雰囲気は壮年期バルビの骨頂だ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:バレエ音楽「白鳥の湖」〜ナポリの踊り(モギレフスキ編),グラズノフ四重奏団(Artplastmass)1951,,チャイコフスキーのイタリア趣味が綺麗に出たごきげんな曲で、ファーストがカラッとした音で終始先導。爽快。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番,○オボーリン(P)ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(VistaVera)1954/9/25live・CD,,オボーリンの硬質で細部までおろそかにしないしっかりした表現が煌びやかな技巧の中から浮かび上がってくる演奏。ガウクは管弦楽曲ではグダグダな演奏をするのに協奏曲の伴奏は素晴らしくソリストと一体化して力強い共同作業を行っている。アグレッシブな終楽章ではこのソリストに珍しく派手なミスタッチも聴かれるが気にならないほど全体が音楽として成り立っている。面白いし飽きない。旧さに比して録音復刻状態もよい。ミスを引いて○としておくが個人的にこの曲のベストの一枚。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番,○ギレリス(P)ゴロワノフ指揮モスクワ放送交響楽団(GREAT HALL)1945-6〜いきなりオケのフレージングがおかしい。乱暴というか、独特というか、旋律の歌いかたが変なのだ。これぞゴロワノフ芸術といったところか。ギレリスは比較的冷静にこなしているが、やはり少し乱暴な気もしないでもない。ものすごく特殊な印象をあたえる反面、飽きさせるという事が無く、ゴロワノフここにあり、といったところだ。2楽章でソロのチェロとフルートとピアノが絡むところがあるが、オケとの間に速度差を生じ崩壊寸前。微妙なズレは常時感じられるし、ゴロワノフの伴奏指揮はあんまり巧くないな、というのが正直な感想だが、でも、3楽章までかっとばしていく潔さは心地よい。○ひとつをつけておく。まあ、ギレリスを聴くより、ゴロワノフを聴くべき盤だろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番,○ニキータ・マガロフ(P)シュミット・イッセルシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団(ARKADIA)1961ハンブルグlive・CD,,最初は縦が揃わずマガロフのソロとリズム感もずれてしまい座りの悪さが露呈するが、ドイツ的な無骨で激しい音表現が次第に板についてくるとマガロフの力感ある確かなタッチとシンクロし、飽きることなく最後まで突き進む。かなり壮烈な演奏になっている。録音はモノクロでやや悪い。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番,クライバーン(P)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(放送)1972/6/9モスクワ音楽院大ホールlive,,webで聴ける(既出かどうかは知らない、私はモノラルで聴いた)。グリーグ、ラフマニノフ2番ときてこの超重量級の曲という負荷にも動じず、いやむしろそれが身体を壊す理由になったのか、ギレリスより強くハッキリ鍵盤を叩きまくり、一楽章はタッチの激しさゆえに響きに雑味を感じるが恐らくミスは無い。オケが冒頭からとぼけたようなところがあるがコンドラシンがロシアオケの個性を抑えてソリストに寄り添っているのはわかる。ひたすらソリストの変幻自在の技を魅せつけていく、これはもう圧倒的。3楽章が終わって大ブラヴォーも頷ける。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番,サペルニコフ(P)チャップル指揮エオリアン管弦楽団(apr/pearl他)1926初録音盤・CD,,録音メロメロ、オケ重くて音つぶれまくりだが、しかし、それでもこのロマンティックな起伏の説得力、引き込む力は何だろう?かつてこの曲はルバートを多用する奏法が施されていた、同時代ではすくなくとも「こう」であったのだ。ピリオドでやるというのなら、これは規範たるべきものになるだろう。その上に乗ってくるサペルニコフがまた「違う」のだ。大仰なしぐさはせず颯爽と、何でもないかのように指を回し続け、音楽の流れに乗って、いや、要所要所おさえつつ音楽のスムースな「流れ」を作り上げていく。そのスタイルはラフマニノフに似ている。この人のことをよく知らないが、ショパン弾きなのではないか?舞曲リズムの絶妙なアクセントの付け方は凡百奏者が普通にやってはできないものだ。そもそもサペルニコフは若い頃チャイコフスキー自身の指揮のもと同曲を演奏しているのである(録音が残されている奏者としては唯一とされる)。アンマッチなのにしっくりくるコンビ、いかにもイギリス風のオケ、格調あるソリストの音色に曲の臭みは取り去られ、ロシアの協奏曲にすら聴こえず、ここまで自然に調和してなお、技巧のすぐれたさまをも聴き取れる。年はとってもまったく衰えなかったのだろう。省略などあるだろうがそれでも佳演だと思う。パブドメ音源なのでネットで探せば聞ける。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番,○ニキータ・マガロフ(P)ブール指揮ミラノRAI放送交響楽団(ARKADIA)1965/3/26ミラノlive・CD ,,ステレオだが録音は一部悪質。曲が凡庸で長ったらしいが、ブールの職人的な処理の光るバックにのってマガロフがそつなく技術をひけらかし最後はフライング拍手で終わる。尤も一部技巧的パセージを流したような表現もみられるところをみるとそれほどノって演奏しているとも思えないが。2楽章の弦楽トップ奏者との室内楽的絡みは美しい。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」,◎アシュケナージ(P)パールマン(Vn)リン・ハレル(Vc)(EMI)1980/1・CD,,評判悪い盤だと思ったのだが15年ぶりくらいに聴いてけっこう仰天した。もちろん録音マジックもあるのだろうがとにかく各人の幅のある表現力(あくまで表層的なアーティキュレーション付けなどの範疇だが)に音色の(一部単調で浅薄な部分もあるが)美しさには平伏である。アシュケナージの柔らかな抑制こそが美しいピアニズムが飛び抜けているのは言うまでもないが、パールマンも諸所に伸びやかかつ感情的な表現がはっとさせられるところがあるし、ハレルの音がよく拾えていて(この曲のチェロは普通だとピアノの左手の音域と同じだったりヴァイオリンとユニゾンだったりと何かと埋没しがちなのである、ロストロ先生でさえ)、この人は前から私は好きだったが何故マニアに疎まれることがあるのかよくわからない。表現力のあるボリュームたっぷりの奏者だと思う。そして全体のアンサンブルの調和もすばらしい。三者解釈が合わされ尽くされ、全体設計も非常に上手く作り上げられている。諸所若さというか浅薄に聞こえるところもあるしよく聴くと集中力にムラのある奏者もいるし、変奏フィナーレ(B部)のヴァイオリンなどいかにも最近よくある全て「飛ばし」で弾くことで粒だった正確なアンサンブルが構じられるものの客観性が表立ってしまいちょっと冷静になってしまった。最後の葬送リズムにのった1楽章主題のリヴァイヴァルは確かに譜面指示以上にルバートして唐突感を抑えようとしているがここはちょっとやはり唐突感を拭いきれていない。いや難しいのだけれども。演奏するうえでは非常に参考にできる演奏であり、往年の演奏が好きな向きにはどうかというところもあるが、今の聴衆にとっては最高のレベルのものと受け止められえるものだと思う。◎。,"",-----,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」,○ハイフェッツ(Vn)ピアティゴルスキー(Vc)ルービンシュタイン(P)(RCA,BMG)1950/8/23,24・CD ,,この三人組の中ではいちばん分が悪いピアティゴルスキーが曲のせいか少し表に出てきて危なげの無い技巧をみせているが十分にその渋い魅力を発揮しているとは言い難い。かなりヴァイオリンとバトルを繰り返す楽曲にもかかわらず、圧倒的なハイフェッツの力(技巧は当然のように満たされていて、その上に「力」である)の前に聴き劣りは否めない。ハイフェッツだってラフだしルビンシュタインにいたってはてきとうに弾き流したりしているのだが、楽曲がドロドロの余分だらけのチャイコであることからしてもそういうあるていど流すスタイルのほうが爽やかで素直に旋律を聞きやすい。だからピアティゴルスキーはこれはがんばっているほうだけれども、ハイフェッツに歩み寄りをみせて音色を似せるなどすればきちっとアンサンブルとして聞けたと思う。まあ、とにかくハイフェッツ、とくに壮年期までのハイフェッツは「弦の王」であることを認めざるをえないです。どういう手だ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」,○バシュキーロフ(P)ベズロドニ(Vn)ホミツェル(Vc)(MELODIYA他)CD,,実に軽やかに自然な流れが出来ていて、非常に美しい。いい意味で聞き流せるというか、ヴィルツオーソの顔合わせの類の多い曲であるがゆえに、この「アンサンブルの手本」のような演奏ぶりには耳からウロコ。そう、ピアノ三重奏はソリストの顔合わせ用の編成じゃない、こういう各声部が完全に有機的に絡み合い、どこにも突出したところがない全体として非常に音楽性の高い「アンサンブル」に仕立てることが可能なのだ。バシュキーロフ先生をはじめとしてロシアの若きテクニシャンたちは殊更に自己主張するでもなく、まるで四重奏を演奏するようにこの曲を組み立てている。こういう観点から演奏する団体があっただろうか?少なくとも録音として残されているものには「ロストロ先生」「リン・ハレル」「百万ドルトリオ」などといったものばかりが目に付き、そのどれも魂を揺さぶられる熱演であったりもするけれど、いささか油っぽく胃にもたれる。はっきりいって変奏曲を全て聞きとおすのは至難のわざだ。しかしこの軽やかな演奏には無理が無い。無個性が逆に各声部の融合をいっそう緊密なものにして、おおらかではあるけれども技術的な隙は一切無い。この曲の「悲愴さ」が苦手な向きにはぜひお勧めできる。若手やセンセイがたにしかなしえない「無為の為」かもしれない。○。LPはモノラル盤もあるが同一演奏。フィナーレの提示部後半(再現部でオクターブ低い部分から始まる)が全カット(カット可と原譜指示もある箇所だが、指示より大きい気がする。。)という点は痛い。,,2010年メロディア正規CD化。,-----,,TITLE: チャイコフスキー作曲、ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」,URL: http://yurikamome.exblog.jp/3664744,BLOG NAME: yurikamomeの妄想的音楽鑑賞とお天気写真,DATE: 03/16/2006 18:24:38, 今日は、チャイコフスキー作曲、ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」。チョン・トリオの演奏。, その名の通りの曲で、沈痛かつ悲痛。夜に一人で聴いてはいけない曲。寂しさがこみ上げて、幼い頃かわいがっていたペットを亡くしたときのどうにもならない悲しさが思,-----,,,-----
チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」,○ルイス・カウフマン(vn) クルト・レーラー(vc) テオドル・サイデンベルク(pf) (VOX),,稀に見る超即物的演奏である。憂いのない、かといって屈託ないわけではない。非常に純粋にテンションが高い。音は常に太く大きく、テヌートすることは決してなく、みな音を短く切り上げる。全て、である。余りにすぐに切ってしまうので紛れもない即物的演奏と言うのである。しかしさすが物凄いテンション奏者カウフマンのぶっといヴィブラート、これが迫力満点で、振幅が大きいのに全くブレがない。他の奏者もかなり巧い。決してのめりこむことはない。しかし、スポーツとしては非常に楽しめる。○。カウフマンは凄いとしか言いようのない迫力演奏家だ。あと、変なパウゼの頻発は録音の継ぎ目?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」,○レーピン(Vn)、ヤブロンスキー(Vc)、ベレゾフスキー(P)(ERATO他)・CD,,バシュキーロフ盤に似た「無為の為」のような芸風で奇をてらうこともロマンティックな起伏を盛り込むでもなく一直線に突き進む。表現そのものより表現の機微できかせ、完璧な技巧こそがそれを可能としているのだろう。意図か録音のせいか、残響のなさがまた凝縮度を高め即物的というかスポーツのように楽しませあっというまに終わる、かっこいい。最終変奏にカット版を使用しているところも変奏曲全体のバランスに配慮してというよりくどさを排し極力削ぎ落とした演奏を目しているからだろう。1楽章のほうが旋律がデロデロなだけにギャップがおもしろい。力強くてアンサンブルとしてもよく組み合っており、ピアノはやや引き気味だが、とくにレーピンが素晴らしく民族性も盛り込む余裕をみせて好きな演奏だが、聴く人によって評価は別れるだろう。じっさい浅いなどと言う人もいる。ここまですべての音符をあきらかに彫刻を尽くしているのに、その二文字で処されるのはかわいそうだが。○。,"",-----,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」〜T,ホロヴィッツ(P)スターン(Vn)ロストロポーヴィチ(Vc)(sony)1976/5/18カーネギーホール85周年live・CD,,祝祭的な大舞台において小規模アンサンブルというのはえてして失敗しがちである。とくにアンサンブル専門ではなくソリストの寄せ集めであったとしたらおのおのの個性が衝突してしまいその場のライヴとしてはスリリングに楽しめたとしても録音としてはなかなか難しい結果となりうる。この演奏はスターンが足を引っ張っている。必ずしも嫌いな表現ではないのだが奏法(音色)が単調で粗く弓を弦に押し付ける耳障りな雑音の混在に力みすぎて音程にならない場面はしょうじき絶対音感のない私のような人間ですら辛く感じるし、スピードに不安定な起伏がつき過ぎて聞きづらい。ロストロは引きのスタイルで全く危なげなく実に余裕たっぷりにつけているが自己主張が無さ過ぎて印象に残らない。いや、巧すぎるのだろう。ホロヴィッツはこの三人の中ではずば抜けて芸術的であり、曲がそうであるということもあるのだけれども細かく詰め込まれた一音一音に意味があり、尚且つ全体の流れを損なわない。結果としてスターンがすべてを支配しようとしているのにホロヴィッツの音楽を聴いてしまう。録音バランスの問題も否定できないか。らしくないミスもロストロ以外にはきかれ、この史上最大のコンサートと称されたアメリカ的な記念碑に、やや稚拙な文字が彫られたかのような、少し残念なかんじをおぼえた。遅いので練習の伴奏用に使える側面はあるかも、明日聴きながらつけてみるか。ロストロにはゴリゴリのソヴィエト・トリオによる物凄い演奏があるが全く違う。ルバートしているのに結構生硬なテンポが練習に向くような気が。それにしても、全員鬼籍に入ってしまったのか。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,,,,,,,
チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」〜U.抜粋,○ハンブルグ(P)ヘイワード(Vn)エヴァンス(Vc)(HMV)SP,,同曲第二部前半の主題と変奏抜粋。SP両面1枚なのでかなりはしょられており、かんじんの終曲が無かったり、取り上げた変奏もカットが多々あるためこちらは不完全燃焼気味。しかし、これは恐らくピアノを前面に押し出した録音であり、実際緩急極端な唖然とする超絶技巧が強い民族性と共に発揮されており、とくに「急」の物凄いテンポや、おのおのの変奏の原曲を思わせる民族的な「揺らし」が、オールドスタイルのロマンティックな解釈としてではなく、厳しい「表現主義」にたった演奏のように聴こえる凄いものとなっている。悪い録音なのとピアノの伴奏的扱いゆえ弦二本はかなり聴こえづらいが、ヴァイオリンはよくつけており、ただチェロだけが時代柄仕方無いのかもしれないがメロメロになっている。テンションの高く、胡麻を撒くようなピアノの素晴らしい指回しだけでも聴く価値はある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:メロディop.42-3,○ポリヤキン(Vn)ヤンポルスキー(P)(MELODIYA)1936,ロマンティックで非常に感傷的だ。この曲にかぎらずチャイコには独特の「色」があり、個人的には難しいメロディ、展開を書く人の印象があるのだが、センスによるということであり、その意味でポリヤキンは非常にセンスがある。ただ譜面を音にうつすのではない、ピアノ伴奏だからなおさら揺らしたということもあるのだろうが、オクターブ上げたり下げたりしながらこの曲の完璧な解釈というものを示している。しかも清潔な感じもあり、デロデロなのに胃にもたれない。いい演奏だと思う。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:メロディop.42-3,アウアー(Vn)?(P)(SYMPOSIUM)1920キャムデン・CD,,ちょっとメロメロ。メロディだけに。弓を強く押し付けて出す音色も嫌味。どうも生彩に欠くが75才の録音であることを考えるといたしかたないか。しっかりした骨組みの上にポルタメントを多用するのであれば構わない、しかし骨組みがグズグズのうえにポルタメントをかけると〜しかもポルタメント自体ちゃんとできてない!〜元の音楽がどうだったのかさっぱりわからなくなってしまう。そんな演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:ユーモレスクop.10-2,○ラフマニノフ(P)(RCA)1923・CD,,取り立ててチャイコフスキーらしさはなくロシア国民楽派が皆書いていたような無邪気な小品で、不思議な諧謔にあからさまな感傷性がつぎはぎされたところを、うまく描いた演奏。録音はよい。,-----,,TITLE: コッポラ ワイン,URL: http://lovewinelove.seesaa.net/article/133508167.html,BLOG NAME: LOVE♪WINE,DATE: 11/21/2009 12:50:42,,,,バリ島の写真集買ったよ☆サンセットもいいけどお昼間のプールサイド写真もナイス♪こんな所で昼からのんびりワインやシャンパンもいいなぁ・・・ってかなり妄想にお役立ち(^^;)あぁ〜一ヶ月くらいのんび...,-----,,,-----
チャイコフスキー:ワルツ・スケルツォ,◎L.コーガン(Vn)ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(VistaVera)1952モスクワlive・CD,,一応ステレオを装っているが殆ど残響付加モノラル。録音状態は併録の交響曲第4番やピーコンにくらべやや明晰。コーガンの唖然とする技術を聴こうもので、ワルツ部分よりもスケルツォ表現の機械のような物凄さにこの時代のヴァイオリニストたちの凄まじい練習量と意識の高さが伺えて感服させられる。◎。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:ワルツop.40-8,○ラフマニノフ(P)(RCA)1923・CD,,チャイコフスキーらしいというより、後期ロマン派そのもの、帝政ロシアをつかの間思い出したような曲で演奏も余り取り立てたものはない。もう少しショパン的なエッジを立たせてほしかったが録音が悪くて伝わらなかっただけか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:歌劇「マゼッパ」より二曲,○サイモン指揮LSO(CHANDOS)1981/1オール・セインツ教会・CD,,教会録音はズルいところがあって、もともと響きが巧く調和するようにできていて、ブラスを如何にぶっぱなしてもちゃんとハマって聞こえる。第3幕間奏曲「ポルターヴァの戦」にしても律せられた弦楽器に木管が絡みブラスが盛大にのっかってくるが、とても強力な推進力を感じる半面、録音場所がスタジオだったらこのバランスだとブラスが出すぎて聴きづらかったろうなと思う(もちろんロシアマニアはそのほうが好きだと思う)。「コサックの踊り」は短いフレーズの刻みで構成され対位法的に組み上げられた小品。弦楽器がまとまりよく勢いもあって巧い。場面転換も自然で楽想変化がなめらかだ。コーダ的な位置でバレエ曲的フレーズが耳をひく。やや冗長な後者より前者のほうが楽しめるだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:管弦楽組曲第1番〜W.小さな行進曲,ムック指揮ボストンSO 1917.8
チャイコフスキー:管弦楽組曲第1番〜W.小さな行進曲,ガブリロヴィッチ指揮デトロイト交響楽団(victor/PRSC)1928/4/18,,バレエ小品を想起するミニアチュアで、これで演奏を評価するのは大変難しいが、ソリストはそれなりに上手く、アンサンブルも時代なりの精度はある、くらいか。全く印象に残らなかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:管弦楽組曲第3番〜W.主題と変奏,○アーベントロート指揮ライプツィヒ放送交響楽団(TAHRA)1951/3/20・CD,,まー単曲でもよく録音された長い曲だが(17分以上、この演奏もスタジオ収録モノ)変幻自在のチャイコの変奏技術を脂の乗り切った時期の作風において聴ける佳作ではある。もっとも私は変奏曲という形式自体がそもそも余り好きではないが、この曲は(チャイコによくあることだが)感傷的な曲想に頼り切ることもなく、弦セレあたりでみせた作風から一歩外へ出て、バレエ音楽ふうに場面転換のくるくるするさまを、時には歌劇、時にはバレエ、時には技巧的なヴァイオリン協奏曲、時には純管弦楽曲、時には描写音楽といった人好きする風景の中に見せてゆく。一種いっちゃったようなチャイコ特有の病的な部分は出てこない。アーベントロートのがしりとした立派な演奏で聴くとじつに板について楽しくも気高い。クライマックスのこれまた「何か(ヴァイオリン協奏曲第一楽章の一場面など)」を想起させるような騎馬民族的な曲想の盛り上がりもリズムをしっかり打ち出し弦楽器に弾け気味に分厚く厳しく雄渾に弾かせ、その上で決して他を圧倒することなくバランスのとれるような抑制をきかせたブラス、総合的にいってそこに描かれるダイナミズムが素晴らしく、単調で長い曲展開を忘れさせるような壮大さを獲得したすがすがしいほどの演奏。バレエ組曲ふうの曲ではあるが、たまに聴くといいなあ。後戯が長いけど。録音は弱いがリマスターはいい。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」,マルケヴィッチ指揮ワルシャワ・フィル(accord)1962/1live・CD,,併録の近代曲二曲とくらべて時代の差異がはっきりついていると思いきや、マルケの方法は一貫していて、曲を整理してオケを磨き切り厳しくアンサンブルを整えエキセントリックな激烈な発音を要求する、打楽器がとにかくやかましいが対抗しうるほど弦に主張させる、メリハリは極端で、特有の個性的な和声は明確に浮き彫りにされ、むしろ現代音楽の方向にチャイコフスキーを引き寄せた解釈にも聞こえて違和感がない。ロマンティックな主題はさすがにロマンティックに歌わせるが、絡む他の楽器がしっかり吹いてくるので耽溺はしない。男らしくストイックなロマンス。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」,◯ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団(ica)1968/6/16live・DVD,,ロストロポーヴィチとの共演記録のおまけだが、この組み合わせでこの派手な曲というのが面白い。やや甘さが感じられるところもあるが、マルケヴィッチ的な端整さというか、しっかり轟かせるところは轟かせる、甘い旋律はスピードを保ち耽溺させず節度を持った表現で、妙に息継ぎをハッキリさせて旋律の歯切れを独特に演出するのは面白い。このやり方で悲愴などやったら即物的で素っ気無く面白かったろう。しかしこの室内編成でここまで大音響を出せるのが凄い。チャイコフスキーがいかに難しいことをやらせているかも映像だとよくわかり、楽団、とくに弦に拍手を送りたくなる。スッキリしたロメジュリが好きな向きにはおすすめ。◯。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」,○A.ヤンソンス指揮ハンガリー交響楽団(C&R:CD-R)1970/10/20live,,思いのほかよくできている。引き締まったアンサンブルで、劇的効果を適度にあげつつ流れを作っている。このオケが結構隙なく最後まで演奏しきっているところが意外だが、まだこのプログラムの前プロだということもあるかもしれない。父ヤンソンスの記録ではかなりいいほうだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」,○イワーノフ指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA)LP,,いずれイワーノフやラフリンの時代が来るだろう。この演奏はゴロワノフかと思った。ボントロ以下重量感溢れる吹きぶり弾きぶりでダイナミックな動きをみせ(表層的なかんじがしないのだ)、かといって冒頭などチャイコとは思えない、中欧的な雰囲気をもちワグナー的ですらあるものもありローカル色も案外薄い。ほんとゴロワノフだと思って非常に愉しんだのでイワーノフと知って意外ではあったが、求心力という面では納得もいった。○にしたのはやや緩徐部が印象に薄いというところではあるが、かといって例の甘いジュリエットの主題は美しいロシアンウッドサウンド。この曲、それほど好きではないのだが、最初がチャイコ臭さがなかったがために面白く聞けた。そういえば弾いたことあるはずなんだけど、冒頭こんなに慎重な響きじゃなかったよなあ。ムラヴィンスキーのイタ奇とのカップリングだがムラヴィンのほうはいつのかよくわからない。珍しく青白の単調なジャケットにロメジュリの抱き合う写真が使われている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」,○ヴェス指揮オーストリア交響楽団(REMINGTON)LP,,非常にしっかりしたドラマの打ち出された演奏でドイツ式の縦の厳しい揃え方もクレンペラー的な重さはなくスムーズに若々しさを保って程よく聞ける。かなりブラームスを意識したような抽象的な演奏になっていることも確かで、チャイコの勢いまかせな部分はやや減退しているものの、ドイツ系の中堅指揮者のそれに比べればずいぶんとアグレッシブだ。派手さはほどほどだがなかなか聞かせる技巧的にもすぐれた演奏。○。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(Guild他)1957/6/13・CD,,これは他にも出ていたものだがバルビの感傷的な旋律回しが聴けるなかなかの演奏で、ただ録音の弱さだけが際立っている。guildは残響がうざい。ドラマチックな音楽は残響がなくても十分伝わるものだ。貧弱な録音から無印にしてもいいのだが、余りにロマンスの主題が美しいので○。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」,○ラインスドルフ指揮シルヴァーストーン交響楽団(Silvertone Record Club/Mercury)1940〜50年代・LP,,マーキュリーではエネスコのドビュッシー他とカップリングされていたもの。WEB上でも流通している模様。メンデルスゾーンとモーツァルトが併録。そこそこ時代なりの感情的な演奏表現がみられるものの解釈的にはトスカニーニを更に直線化したような演奏。軽いオケの音がからっと揚がったチャイコを提示するが、アメリカ的な軽やかさとリズムが売りか。僅かに奇妙な解釈がまざる他、スマートで聞きやすい演奏としか言い様がないが、各主題の強さに流されずまとまった楽曲として愉しむのが好きな向きにはいいだろう。私は聴き易かった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」,クーセヴィツキー指揮ハリウッドボウル交響楽団(vibrato:CD-R)1950/8/30live,,ぱっとしない。オケは雑味が感じられクーセヴィツキーにもあの前進力がなくバラバラの印象を受ける。録音が悪いのは仕方ないが、この曲に求められる強力な求心力に欠ける。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」(1869-80),カンテルリ指揮NBC交響楽団(MUSIC&ARTS)1952/2/2LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」,ムーティ フィラデルフィアO
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」(1869-80),ビーチャム指揮ロイヤル・フィル1947,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」(1869年初稿版),サイモン指揮LSO(CHANDOS)1981/1オール・セインツ教会・CD,,この人にしてはちょっと引いて演奏してる気がする。余りに冗長で(決定稿も冗長ですし)、イメージ的には散漫なリムスキーの手の入らない禿山の一夜原典版を彷彿とさせる。楽想が整理されず機械的な配置をなされ、それがアマチュア勉強家集団クーチカのやり方に凄く近い。音楽的にはグラズノフの一見雑然に近くかんじるかもしれない。勇壮な主題もぜんぜん効果的に使われず機械的に配置され、理知性が邪魔をしている。もちろん楽曲なんて理知的な人間にしかかけないのだけれども、理知性に重みを置くことは勘違いをまねく。即ち数学的に完璧であれば音楽としてもみんな満足するものができあがるという誤解である。チャイコフスキーの慧眼はそれを見逃さなかった。この雑然と楽想が並べられた「原典版(決定稿こそが原典であり、ほんらい原典版ということばはこのての「習作的初版」には不向きだと思うが)」からどんどん削ぎ落とし整理をし、独自の合理的な語法を編み出してそこにあてはめた。曲的にどうも余り好きではないし演奏的にも特徴的と言うほどでもないので○にはしない。参考資料。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」(1869-80),ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA他)1961/4/3・CD,,醒めた演奏で、スペクタクル志向でもあり、終盤を除けば即物的ですらある。最初の方などサラッと聴こえ、オケの音が明るく透明感があり60年代様式とも言うべきか、ミュンシュ晩年スタイルに沿った、しかもあまり思い入れのない感は否めない。だが技術的問題はなく聴きやすい人もいるだろう。私は劇性が感じられずわかりにくかった。ロシア臭皆無。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ,○デュアッテ指揮ルクセンブルク放送交響楽団(club france/ACCORD)1973・CD,

今や高価なクラブ・フランセの録音をまとめて廉価で出しまくったACCORD復刻のCDでアルベルト(アルベール)のシンフォニー5番におまけで入っているもの。とにかくおちょぼ口の品のいいチャイコでパンチがない。繊細で美的ではあるがチャイコ本来の土俗的な民謡調が、意図どおりではあるのだが古典風のサロン音楽に昇華されてしまっていて、盛り上がりも想定内におさまり、なんだかさらっと聞きとおせ過ぎて物足りない。技術的にはさすがまとまりよくスピード感もありいけているのだが、それだけのものか。フランス系のチャイコというものの限界を知らしめるもの。○にはしておく。

,"アルベルトの5番が収録されているので安いし如何?入門版としては悪くない。
Symphonie 5-Serenades Pour Cordes
Tchaikovsky
Accord

このアイテムの詳細を見る
",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ,◎コンドラシン指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA他)CD 名演!じつに厳しく律せられ引き締まった演奏で、張り詰めた雰囲気が聴く者にも漲る緊張感を味合わせる。デュナーミク変化もビッチリ揃い、とにかく動きがきびきびして筋肉質。緊密なアンサンブルはこの曲の醍醐味を存分に味合わせてくれる。響きも統一されソヴィエト国立特有のバラケは全く無い。いかにもコンドラシンらしい演奏であり、ひとつひとつの音符の発音がじつにはっきりしていて、それが緻密に組み合った構造物。強力な前進力はトスカニーニの系譜に連なる即物的指揮者のものとして特記できよう。録音は悪いけれども、聞きごたえのある4楽章。1、4楽章がやはり盛り上がる。とても気持ちのいい演奏です。◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ,◎スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MULTISONIC)1976 録音はやや悪いが、この人の演奏にしては音が揃ってまとまりがいい。オケが馬力を前面に押し出しすぎず、雑味を寄せるのを避けている。終楽章の第二主題を提示するチェロの音色が艶やかで、細やかなデュナーミク変化がその旋律の魅力を更に際立たせる。ヴァイオリンでリフレインされチェロの対旋律と絡む所など加えて素晴らしく勢いがいい。日本のオケにはとても望むべくも無い爆発的な表現力がはちきれんばかりのオケを力で制圧するスヴェトラーノフ、そこに恐ろしく濃い緊張感が生まれる。厳しい表現が目立ち、甘さのない演奏は意外ですらあるが、古典音楽を念頭に置いた機械的な構造の楽曲なのだから突き詰めていくとそうするより他なかったのだろう。チャイコにしてはローカル臭やアマチュア臭が殆どしない普遍的な魅力を持った楽曲であり、生半可なご当地演奏で聴くよりは、こういうしっかりしたアンサンブルを聞かせる演奏でぜひ触れてみていただきたいと思う。純粋な律動だけで明るくやや深みに欠ける感もあるが、3楽章などカンタービレというイタリア語がまさにぴったりの歌心を示しているし、総合的に判断して◎をつけておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ,○メンゲルベルク指揮ACO(SEVEN SEAS,KING)1938/10/6LIVEメンゲルベルクのチャイコフスキーはじつに個性的で豊かな表現力にあふれ素晴らしいのだが、録音がどれも悪すぎる。そのため聴く者に多大な想像力を要求してくる。お手軽鑑賞にはとても向かないので、マニア向けとしか言えないが、チャイコフスキーが好きならば、五線と五線の間を読むような深い解釈の行き届いた演奏に一度触れてみることをお勧めする。この弦セレは1楽章冒頭が欠落しているばかりか低音に高音が潰されて合奏部分の音がとても凄まじいものになっており、交響曲以上にひどい状態であるのだが、たとえばワルツ(2楽章)の噎せ返るような雰囲気には品格が宿り、けっしてウィンナ・ワルツ調ではないのだけれども、これぞワルツ、と思わせる絶妙のリズムにメンゲルベルクのセンスある解釈が光る。下卑たでろでろ演奏のイメージを覆す出来だ(メンゲルベルクというと下品な恣意的解釈の権化のようなイメージを持つ人があるようだが、彼の作るのは解釈を隅々まで徹底させた「コントロールされた音楽」であり、けっしてその場その場の即興ではないことは明白。良い音であったならきっとイメージが変わっただろうに)。終楽章はちょっと個性が薄い気はするが、それでも見栄を切るようなダイナミックなテンポ変化が聞かれ、あまりのあからさまさについ笑いながらも感動を禁じ得ない。指揮者が作曲家的感覚を持ち合わせていた時代の演奏、今は聞けないたぐいの面白い演奏だ。欠けた1楽章はワルツ楽章と同様ドライヴ感あふれ出色。惜しい。音がよければ推薦するところだが、○ひとつに留めておく。知る限りワルツだけの録音が1928年にもなされている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ,ケンペン指揮コンセール・ラムルー管(OTAKEN RECORDS:CD-R/PHILIPS)LP,,ケンペンはあんまり脚光を浴びる事のない指揮者だ。そのレパートリーが私の守備範囲から外れているので、私にとってもあまり馴染みが有るとは言えないのだが、チャイコの5番とイタ奇の録音だけは強い印象を残していた。それは俊敏で愉快な演奏であった(とくにイタ奇)。こういうからっとした演奏をチャイコに求めるかどうかでケンペンのチャイコが聴けるかどうか決まるというわけだが、私はどっちつかずである。イタ奇のように目的がハッキリしている曲ではこの人の解釈はあうと思うが、最も湿ったというか、歌謡的な要素の強い弦楽器だけを使ったチャイコのイメージそのものといえるこの曲についてはどうなんだろう。私はそこに興味を惹かれてこの非正規盤を手に入れた。まず録音だが、初期盤(サンプル盤だとか)LPからの板起こしであり、非常に状態がいいとはいえやはりLPである、雑音や隣溝からの混信のような瑕疵は避けきれていない。それどころかクリアな音すぎて聞きにくい。これはデジタル化音源ではしようがないことなのだが、それにしてもキンキンして耳への圧力が強く聞きづらい。ヘッドフォンには向かない。スピーカーでうまく調整すれば解決はできると思う。さて演奏そのものなのだけれども、予想はしていたのだが、それにしても余りに屈託がなさすぎる。テンポが速すぎだ。直線的で拘りが無く、ただただ雄弁なオケの音を聴くのみである。唯一3楽章のみが「歌」を感じさせる。だからこれはこういう解釈なのだろう。予想通りカラっとした演奏、またオケも明るく硬質で湿り気ゼロ、うーん、どっちかがちょっとでも潤いを持っていれば面白味もあったろうが。後半楽章がしいていえば聞き物か。この演奏に比べればコンドラシンは随分と柔らかい。それほどに客観的で人工的である。無印。フィリップスには未CD化音源やCD化してもすぐ廃盤になるものが多いが、これもまたその一枚である。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ,コンドラシン指揮ドレスデン・シュターツカペレ(melo classic)1960/6/17放送・CD,,これは見事。コンドラシンの面目躍如といったところか。ロシアの曲だとこうもリズム感、力感が違うものか。オケに適度な緊張感が漲り(厳しすぎて「スポーツ」になってしまうことはない)、見通し良いコンドラシンの立体的な表現に沿ったアンサンブルの粋を楽しめる。録音がモノラルでやや悪いのも、こうなると気にはならない。特に前半楽章は躍動感あふれかつボリュームのある音楽で、力強い起伏が心を揺らします。素晴らしい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ,バルビローリ指揮LSO(EMI)CD,,弦楽合奏曲ゆえ元チェリストでアンサンブルもやっていたバルビローリには期待させるものがあるが、チャイコフスキー自体はバルビローリの気質と相容れないものがある気がする。軽いというのともまた違うが。これはバルビ節より、まず弦楽合奏としてまともに出来ていて、楽団もハレより一段上ということで聴きごたえはある。反面バルビで聞かなければならないという必然性は無いかもしれない。人工的に感じるテンポルバートはバルビのスタジオ録音の宿命か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ,フランツ・アンドレ指揮ベルギー国立放送交響楽団(telefunken/KING)1955/10/23・LP,,これは比較的技術に劣る弦楽器だけで演奏されたために、チャイコフスキーのしばしばやる、細かな動きの無理のある合奏で思いっきりゴチャっとしてしまったりする。しかし全体の表現はしっかりしており、音には雑味が混ざったとしても、おおむね楽しめる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(RUSSIAN DISC)1961〜録音が悪すぎる。もう少しアンサンブルの妙味を味合わせて欲しい、演奏のせいか録音のせいかわからないが。ちょっと拍子抜けした。もっとギチギチ軋み音がするようなアンサンブルでないと、弦楽だけの合奏曲としては面白くない。音色が単調な感じもするし、歌いこみもあまり綺麗でない。オケと指揮者はいつものように丁丁発止というわけにはいっていないようだ。これは、無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チェイコフスキー:弦楽セレナーデ,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA/BMG)1957/3/13・CD,,録音は初期ステレオで安定せずぼやけておりはっきり言って悪い。1楽章はとくに雑然としながらもさっさとあっさり進んでしまい何ものこらない。2楽章ものこらない。3楽章あたりでロマンティックな暗い情念がミュンシュらしいうねりとなってあらわれてやっと聞けるようになってくる。4楽章はボストンの威力とミュンシュのチャイコといった趣の楽しいものになっている(雑然感は変わらないが)。総じて無印でもよかったのだが、後半楽章を買って○にしておく。殊更に取り立てる演奏ではない、ミュンシュとしても。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ〜U.W,○フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(EMI)1950/2〜感動的な演奏。全曲入っていないのが惜しいくらいだ。フルヴェン先生はこの曲を完全に自家薬籠中にしており、抜群の統率力でオケをドライヴしている。起伏の大きい演奏ではあるが、悪い音ながらもその魅力はいささかも損なわれていない。4番とのカップリングだったが、こちらのほうが思わぬ拾い物だった。美しい!,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ〜U.W,○レオ・ブレッヒ指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(PACD/Electrola他)1929/3,,これはいい。ワルツは何故か古い録音にいいものが多い気がするのは演奏家のせいか時代のせいか、実用音楽的側面が未だあった時代にあって弦セレ2楽章のSPだからけして実演と同じテンポだとは思わないがしかしこういう、微細な空気の綾が、どんなに古い音であっても骨太に伝わってくる。別に大仰というか表情の変化が豊かなわけではない、確かで太い音の流れを巧く制御している。終楽章はブレッヒらしく即物的でせかせかしたテンポで、これもまた運動性の表現として面白い。◎にしたい○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ〜U.ワルツ,ガブリロヴィッチ指揮デトロイト交響楽団(victor/PRSC)1928/4/17,,pristineの配信で聴いたが盤面状態が悪い点考慮したとしても、どうにもオケがユルくて聞きづらい。適度な起伏は付いているのだが凡庸。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ〜U.ワルツ,○メンゲルベルク指揮ACO(pearl他)1928/5/12・CD,,ニテイクあるがそのうちのこれは有名なほう。これも他聞に漏れず速い。欧風舞曲の揺らし方がメンゲルベルクの自動車的ドライヴ感とあいまって絶妙のバランスをもたらしている。野暮な演奏が多いからこそこの曲はくどく聞こえるのだ。これは素晴らしい。音の悪さを除けば(パールはだいぶがんばって雑音除去している)。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ〜U.ワルツ,○メンゲルベルク指揮ACO(pearl)1928/5/12・CD,,これはパールで初めて出たとされる同日の二テイク目。有名なほうに比べやや甘い。テンポ変化やアゴーギグがややきつめで、冒頭テンポは遅い。コントラストがつけられ主部はほぼ同じテンポだが音の切り方など表現のきつさは上だ。そのぶん雑味が呼ばれている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ〜U.ワルツ,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(victor/biddulph)1936/5/8・CDメンゲルベルクとは全く対照的な芸風のクーセヴィツキーで、同じ緊密な響きと恣意的な解釈を旨としながらも、そのエグさのレベルが全然違う。それに加えてクーセヴィツキーにはロシア的とも言うべき怒涛の力感がある。メンゲルベルクはあれはあれで芸のひとつ、どちらが好きかは聴く人次第だが。このワルツは無茶速い。しかしその淀み無く進むワルツのしらべに酔ってしまう。あっという間の感興だ。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ〜U.ワルツ,○ストコフスキ指揮ニューヨーク・フィル(CALA/COLUMBIA,SONY)1949/11/28・CD,,これはどうやってもうまくいく曲だ。早めのテンポで揺らしつつも根底のテンポ感はズレない。だから安心して最後まで聞ける。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:弦楽セレナーデ〜U.ワルツ,◎メンゲルベルグ指揮ACO(GSE他)1928・CD,,いやー、ワルツですねー。ウィンナー・ワルツです。ウィットに富んだポルタメントとパキパキの「飛ばし」の応酬、かなり構造的なのもこの演奏の特徴で、対旋律がバッチリ決まり立体的な音楽が存分に楽しめる。噎せ返るようなヴァイオリンの音色に酔いまくりの逸品です。◎。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番,○シュナイダーハン四重奏団(新星堂EMI)1940・CD,

復刻状態は悪く、雑音を入れすぎている。この時代にしては息を呑むほど巧い。1楽章、ファーストの装飾音符の異常に短い引っ掛け方とか、決して全体の均整を崩さず、技術のほつれなく基本的にインテンポで整えられた緊密なアンサンブルはこのぐずぐずの旋律音楽を一糸入る隙もない構築物に再構成している。直線的でまじめすぎるかもしれないが、ボウイングがニュアンスに富み、音色は楽天的でドイツふうの渋さは感じない。2楽章アンダンテ・カンタービレも音色の赤艶が暖かな暖炉のあかりを思わせる。4本の音色もよく調和しているが、やはりファーストの旋律表現、懐かしいポルタメントに尽きるだろう。古い録音を聴く醍醐味だし、SP音質向きの今の世にはなき情緒を醸す音楽だ。強奏部分が若干小さく痩せ気味だが録音のせいか。3楽章の勇ましさは民族性を失わず、とにかくファーストの表現力が群を抜いている。テンポは一直線だがフィンガリングやボウイングがハメを外し気味でかっこいい。バックにまわる三本もバランスよく音響にふくよかな深みを加えている。有名な4楽章はわりとテンポに変化をつけている。派手なアゴーギグを最初から付けていく様な野暮はしない。ただ、主題が派手にオクターブ上がって再現するところでも(チャイコらしいところだ)音符は短く切り詰め気味で音量が出ず旋律が痩せる感もある(音量変化が捉えづらいSPだと尚更フォルテが足りない感じもするし、そもそもファースト一本でつづっていくのでわりとやりづらい構造でもある)。そつなく展開部のフーガやらなんやらいつものチャイコ節をこなし再現部までくるとこの形式に拘りすぎて長ったらしくなってしまっている曲に飽きがくるのが、この演奏においてすら否めない。スピードと超絶アンサンブルで煽っていくしかないと思うのだが、そのあとごちゃごちゃ第二主題再現や変奏をへてコーダに至る部分では、やや力感不足もあって、均整感という意味では素晴らしいが、爆発的なチャイコの魅力が存分に出たとは言えないか。○。

,,(参考)ボロディン2番との黄金カップリングの古典的名盤。,"
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番
プラハ四重奏団
コロムビアミュージックエンタテインメント

このアイテムの詳細を見る
",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番,○ヴィルトゥオーゾ四重奏団(HMV)1924/2/26,3月28日,5月2日,4/2・SP,,史上初の全曲録音と思われる。戦前の室内楽における需給がどのあたりで最も幸福だったのか、既にラヴェルを超える前衛音楽が現れていた時代に、相変わらず国民楽派が受けていたことを推測させるに十分な、とてもこなれた演奏。きわめて古い音にもかかわらず、安定したテンポと快活なリズム感に裏付けられた表現はイギリスの団体らしい解釈の無難さも感じさせつつ、美しい音色とフレージングで旋律の魅力を引き出し、一方伴奏方の当意即妙の対応によりチャイコフスキーの天才的な書法を味わうことも十分できる。聴き所は1楽章のスピード感か、この時代にしては奇矯な民族音楽的表現に対し、ソロヴァイオリンと伴奏ということではなく、あくまでアンサンブルとして解れのない緊密さをもち最後まで突き通している。さすがにアンダンテ・カンタービレや終楽章は他にいい録音がたくさんあるから飛びぬけたものは感じないが、同曲けっこう難しくて一貫してスピーディさを保つのは難しいながらも、毛ほども崩壊することはなく、綿密な準備をもって録音されたことが伺える完成度の高さがある。とにかく古い時代のSPなので音はしょうがない、◎になどできないが、国民楽派が室内楽、カルテットに占める位置がいまだに高いのは、既にこの頃から築かれてきた伝統なのだな、と思わせる記録である。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番,○クロール四重奏団(EPIC),,中間楽章は割合とあっさり通しているが両端楽章はかなりテンションが高く激しい。原曲のせいもあるのだろうが、こういう速いパセージと遅いパセージで表現方法を極端に使い分けている感じもする。とにかく音響バランスがすさまじく良く、アンサンブルがまるで一本の楽器のように響いてくるのが凄い。譜面を見ればわかるがこの曲でさえチャイコは結構構造的な書法を駆使しており、それがここまで噛みあって尚且つ響きのバランスにいささかの狂いもないというのは常軌をいっした巧さである。クラシックアンサンブルというのは世界中で古来手軽に楽しめる「自分が演奏する」今で言うバンドみたいなものと扱われてきたジャンルだが、ここにきて「シロウトには太刀打ちできない」演奏を耳にして、自分が恥ずかしくなった次第である。ただ、アンダンテ・カンタービレはかなり「へぇ」くらいの普通さだし、何より三楽章の峻厳さが足りない。気合が足りないのは表面のプロコ1番の演奏を思い出した。総じて○だが、両端だけでいうと文句なしに◎である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番,○ハリウッド四重奏団(TESTAMENT他)CD,,ギチギチした音には好悪あろう。でろでろのロシア民謡音楽にこういう即物的な音は似合わないとは思う。終始テンションが高く弓圧をかけすぎるので却って機能性が失われ、らしくない雑味を呼び込んでいるようにも思う。テンポにもダイナミクスにも音色にももっと緩急ある表現が欲しい。もう少しは揺れてもいいと思う。ファースト偏重にならざるを得ない曲であるとはいえ、四本のアンサンブルらしさを感じさせて欲しい場面もある。うーん。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番,○ハンガリー四重奏団(COLUMBIA)LP,,M&Aセット収録のconcert hall society盤とはメンバー違いの別物で、同ライナーに1956年EMI録音の抜粋として記載されているもの(ヴィオラがコロムザイ)がこれと同一と思われる。とくに珍しいものではないがフランス盤なのでデータ記載がぶれたのだろう。演奏はしなやかでメリハリもある、求道的な謹厳さのあるもの。しかしそれにしてはファーストの音程が不安定だ。年齢のせいもあるのかもしれないが、強奏部で指が甘くうわずった音になる。この団体にしては珍しくファーストに問題のある演奏と感じられる。テンポも遅く生硬で、音を切りまくり整えて行く独特の方法が、じつは問題解決のための手段だったのかとすら思われる。しかしこんな不思議な音量変化、アーティキュレーション付けのなされたSQ1は他に聴けない独特さ。それだけに面白く、新鮮でもある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番,○ベートーヴェン四重奏団(COLOSSEUM/MELODIYA)1952初出,,微に入り細に入る解釈をきわめて速く力強く流麗に流れるテンポの上に隙無く詰め込んでおり、デュナーミク変化やテンポルバートの付け方にかんしてはこれほどまでに解釈を尽くしてやりきった演奏を他には知らない。録音の切り方などの乱暴さと音の遠さ、LPのB面のピッチの高さが気になって○より上はつけられないが、唯一無二の「前世紀の演奏様式」をこの曲で展開した例として価値は高い。ハマれば他がつまんなくて聞けなくなる。ファーストの高い音の音程感のアバウトさはいつものことだがそもそもそういう音程がロシアの伝統的にあるのかなとも思った。主題二度目の繰り返しを常にしっかりエコーとして音量を落とす、デロデロの解釈は緊密なアンサンブルとしっかり芯の通ったテンポで引き締めフォルムを崩さないなどパターンは読めるが最初はびっくりするかも。チャイコのパターンではあるが独自の構造的書法を余分なく駆使したこの曲は旋律にとらわれていては魅力の半分しか受け取れないが、構造への配慮はカルテットでは必須、その点万全で、いわゆるリズム旋律から始まる(単音の羅列にすぎないものを、民族舞曲にもとづく変則リズムで切ることで旋律として聞かせている)1楽章などこのスピードでこのテンションでの噛み合い方はいかにすぐれたアンサンブル団体であっても今もって至難であろう。ここまで情緒てんめんなアンダンテ・カンタービレもあるまい。しかも甘くない。4楽章の駆け抜け方も鮮烈だ。いい音で聞きたい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番(1871),○D.オイストラフ四重奏団(doremi)CD いつ聞いても何度聞いても楽しめるチャイコの室内楽の最高峰だ。オイストラフは結構個性を強く出すのではなくアンサンブルとして必要とされる音を出していると言った感じでそれほど力感も解釈の個性も感じない。ウマイことはウマイのであり、雑音まじりの音の悪さを除けばこの曲を最初に聞くのに向いているとさえ言いたいが、たとえば2楽章のリアルで幻想の薄いアンサンブル、4楽章の落ち着いたテンポ、たしかに緊密ですばらしいアンサンブル能力を持っていると思うが、個性を求めたらお門違いだ。また熱さも求められない。緊密さはあるので飽きはこないから、まあ、チャイ1ファンは聴いて損はないだろう。チェロはクヌシェヴィツキー。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番(1871),ボロディン四重奏団 (MELODIYA),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番〜U.アンダンテ・カンタービレ(後半),○ロンドン四重奏団(columbia)1915・SP,,これも部分単独録音されたもののようだ。再現部より以降が収録されている。やはり丁寧に音楽を追っていき、感情を殊更に煽らない。ある意味現代的だろう(考えてみれば大正三年の録音なのである)。サモンズの音はヴィブラートにえもいわれぬ味があり抒情的である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番〜V,○ロンドン四重奏団(COLUMBIA)SP,,ロンドンQは巧い、ファースト一本でもソリスト級の説得力があり、かといってケレン味は少しも無い、テンポの揺れも音色の無駄な艶も無い表現で、他の団体とはやっぱり違うと思わせる。このチャイコらしい大げさな曲はそういう節度ある表現にはけして似合わないのだが、しかしこの団体ではそれができてしまっている。ライヴを聴きに行きたくなる演奏。もういないけど。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番〜U.アンダンテ・カンタービレ,ロンドン四重奏団(SLS他)1928/1,,ついでに入っていることの多い録音で、SPならではの大カットがあるが、一応主要なふたつの主題は聴くことができる。この時代にしてはグズグズにもならずに適度に懐かしい音色で演じ、トルストイを泣かせにかかるようなスタイルではない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番〜U.アンダンテ・カンタービレ,ガルネリ四重奏団(特典盤)1926・CD ,,ディスクユニオンの2007年初春特典盤です(反則?)。SP原盤、状態はさすが、よくありがちな音痩せもない素直な復刻。SPの収録時間の問題か、異常にカットが多く、単に「アンダンテ・カンタービレ」として演奏したかったがゆえの録音と言ったほうがいいのだろうか。止揚するテンポも気持ち悪い。音は赤銅色の艶あるもの。録音年代からわかるとおり、これは新しいグァルネリ四重奏団とは違います。無印。,"",-----,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番〜U.アンダンテ・カンタービレ.,○レナー四重奏団(COLUMBIA)SP,,最後まで落ち着いた表現で、ただファーストの音だけは纏綿として綴られていく「アンダンテ・カンタービレ」。実直とすら思えるテンポ運びは第二主題でも決して変化しない音色と共に、やや平板で時代なりのケレン味を期待したら裏切られるが、「トルストイも泣いた!」というような看板文句をこのさい取り外して、ゆっくり聴けば悪い録音の奥から、何かしら静かに訴えるものを感じ取ることができるだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番〜U.アンダンテ・カンタービレ,ベートーヴェン四重奏団(Aprelevka)1937,,若々しくも安定した演奏で、グラズノフ四重奏団と比べると随分現代的に感じる。これでさえ情緒てんめんな音と言われるのだろうか。昔の奏者特有の癖は残る。ベートーヴェン四重奏団の戦前戦後の録音は少ないものの、カバレフスキーなど技巧的にすぐれた演奏もあるので復刻が待たれる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番〜U.アンダンテ・カンタービレ(弦楽合奏編),○ターリッヒ指揮スロヴァーク・フィル室内楽団(SUPRAPHON)1950/6/18・CD,,スプラフォンのターリッヒ・エディション最終シリーズ、巻16「室内楽曲集」におさめられたこの曲は、よく知られたお涙頂戴の編曲ものだが、ターリッヒは純音楽的に、ひたすら雄渾に描いていく。大規模編曲されると確かにこういう強い響きの曲になる性向があるにはあるものの、旋律と響きの純粋な「強さ」を打ち出し、トルストイにむせび泣かせることなど考えていない。あのあけっぴろげな弦セレすら思わせる響きも聞こえる。しかし、再現部ではヴァイオリンにいくぶんテンポ・ルバートとアーティキュレーションの微細な変化があらわれはじめ、そこからのどんどんと、深く落ちていくようなデュナーミク変化、休符表現の絶妙さが際立ち、一瞬力強く飛翔するものの、そのまま深き淵へと墜ちていく。ターリッヒはヴァイオリニストであった。室内楽にも強い関心を示していたがついぞその純粋な演奏記録は残されることは無かった(しかしこうして後期には室内楽団を組織し振ったりしていた)。この演奏終盤の沈潜ぶりは、そんなターリッヒの何かしらの思いが反映されているように思えてならない。前半との極端な対比が秀逸。だがまあ、○だろう。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第2番,○コミタス弦楽四重奏団(COLUMBIA)LP ,,アルメニアの団体でコミタスは西欧向けの名称。ソヴィエト時代の名カルテットの一つだが、やや客観的で整えた演奏ぶりが比較的新しいロシア系団体の芸風に近い感じをあたえる。たとえばショスタコーヴィチ四重奏団といったところだ。ただ音色にかんしていえばより国民性というか時代性を感じさせる艶めいたものがある。この曲は西欧のやや古風な楽曲に回帰したような作品で、他の室内楽作品もそうだが1番などに比べると一層大規模楽曲向きのしっかりした楽想と構造を持った内容である。グラズノフの弦楽四重奏作品、とくに4番あたりに強い影響をあたえた(ロシア国民楽派内の)西欧折衷派らしさが遺憾なく発揮された極めて構造的な作品ということができる。渋いけれども「ロシア国民楽派」の純器楽曲書きの中ではずば抜けた技術と個性をもっていたことを証明する作品の一つであり、比肩しうるとすれば同国同時代ではボロディンくらいだろう。 ,,終楽章が何といっても聴き物で、シンフォニーの5番あたりに近い聴感というか、カッコよい騎馬民族的な附点リズムの上でファーストがろうろうと歌うチャイコフスキー旋律、第二主題が余りに有名だ。ディープに聞くなら展開部の当時のロシアとしては異常に込み入ったフーガの書法に寧ろ着目すべきだが、あくまで格調高く引いた態度でせっし激情を持ち込まないことで見通しをよくするようにつとめたコミタスは賢明といえるだろう。2楽章のヘンなリズム(チャイコの室内楽の特徴であり国民楽派でいられたゆえんの民族的なリズム)を除けば同曲中ではダントツで訴える力の強い壮大な楽章であり、旋律の力も非常に強いため、却って楽曲構造的にこの中間部分がしっかり聞こえてこないとたんなる演歌の「つなぎ」と聴き飛ばされ、肝心の構造的意図が聞き取られず浅い楽曲と捉えられる可能性が高い。再現部で第二主題が壮大に再現される部分を生かすためには、このアンサンブルの見せ所はきちっと整えしっかり地盤を作りそのあとの上向音形から再現部への盛り上がりを演出しないと、といったところだ。個人的に再現部からコーダはもっと激してもいい気がするが当時の流行りのスタイルかとも思った。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第2番,○ブダペスト四重奏団(HMV)1929/2/8、9、11・SP,,ロイスマンがセカンドに入った二期メンバーによる演奏ということになる。チャイコフスキーが1番の簡潔な民族主義から西欧的な構造を兼ね備えた先進的なスタイルに進化したさまが如実にうかがえる曲で、演奏にもそれを的確にえぐり出すことが求められる。偉大な芸術家〜に近く、4番以降のグラズノフに大きく影響を与えた、いわば交響曲的な発想を抱えた曲なだけに、1番ほどにはストレートに伝わらないが、飽きない面白さがある。今のレベルからすれば箸にも棒にもかからない演奏でベタ弾きは多用するわ音色も鄙びてはいるわだが、曲の理解はしっかりしており、音程の甘さやアンサンブルの不格好さは置いても聴きごたえがある。二楽章の難しさはチャイコフスキーの室内楽のしばしば示す閉塞的なカイジュウさそのもので、ここでもうまくはいっていないが、他の楽章、長大な一楽章においては前衛的ともいえる頻繁な転調をしっかり追い、あの素晴らしい三楽章においてはチャイコフスキーの魅力をまあまあ引き出し、四楽章においてはあの素晴らしい第二主題を伴奏と切り離さんばかりに自在に表現させ(好悪あろうが)今は聴けないたぐいのロマン性を提示している。や、誉め過ぎたが、最古の全曲記録として価値はあろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第2番,ベートーヴェン四重奏団(Aprelevka)1939・SP,,音が細く不安定なのは録音状態のせいでそう聞こえるだけだろう。懐かしい色ではあるがこれはまさにロシアのカルテットの音である。ロシア往年のカルテット、と言われて想起するイメージはこれなのだ。正しく鋭い発音ときちんと四本のバランスの良い、確かなアンサンブルは今の耳でもそこそこ聴けるものになっているが、時代がかったアピールもしっかりある解釈表現で、これだけやれれば同時代ソヴィエトでは並ぶものなかったろう。2番は1番ほど安直に訴えるものはないが、円熟した技巧の反映された聴きごたえのある曲。魅力的な民謡旋律(ないし変則リズム)にもあふれ、3番のように発想の貧困さを感じさせたり、技巧のみに走ったようなところはなく、ストレートであるべきところはストレートに訴えかけてくる。グラズノフの4,5番への影響は相当にある(特に憂愁の・・・やたら長い・・・3楽章)が、ふとした移調の浮遊感など垢抜けて美しく、チャイコならではのものだ。4楽章はチャイコのカルテットでは瑞逸の楽章で、構造的でよくできており、後期交響曲を思わせる。何より主題がカッコいい。第二主題はチャイコの「生み出した」五指に入る名旋律だろう。この録音はマイクが楽団からやや遠く、アンサンブルの迫力の面で少し残念な部分もあるが、中間部のチャイコ得意のフーガはホールの響きの中で綺麗に融合している。楽曲の部分としてのフーガはこうしっかりやらないと次の展開に魅力をつなげられない。コーダはあまりに管弦楽的発想の過ぎた仰々しすぎる音楽で少々足りないのは曲のせい。しっかりアッチェルして細かく終わる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第2番〜U.スケルツォ,○カッテロール四重奏団(HMV)1921/11/14・SP,,変拍子によるスケルツォである。民族舞踏の特殊なリズムを使用する曲はチャイコフスキーの室内楽には非常に多い。とはいえここではほとんどファーストが歌いときおりフーガのような構造で内声に花を持たせる、第二主題で中低音域の楽器がファーストのかわりをする、という至極普通のやり方をとっているので、構造面での安定感がリズムの不安定さをカバーし聞きやすい。そういう面で楽団も変な揺らしを入れることなく(ボロディンの2番を歌いすぎると聴いてられないグズグズの崩れ方をするのと同様に)音と音の間のポルタメントや微妙なずらしで音楽として仕立てていく手腕はなかなかのものである。技術的問題は無い。○。名曲集一枚で抜粋曲同士カップリングされたあとベートーヴェンの全曲盤穴埋めに再発されたもの。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第2番〜U.スケルツォ,グラズノフ四重奏団(Mus)1930,,昔の人はスケルツォがうまいなあ。リズムに乗って音の引っ掛け方がとてもカッコいい。アンサンブルも「今と違う組み方」いわば即興的。録音に大難あり、でもチャイコフスキーらしい民謡旋律が楽しめる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第3番,○バーギン四重奏団(BOSTON RECORDS)LP,,世界初録音盤と銘打たれている。バーギンの音は深みがなく単調で表現にも特筆すべきところがない。悪いわけではないが魅力を感じない演奏なのだ。ヴィヴラート一つとってみても学生の教科書通りの表現で、チャイコフスキーのカルテットの中でも最も地味で憂愁をたたえた同曲を表現するには解釈が足りない。○にはしておくが、個人的には納得いかない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第3番,○パスカル四重奏団(CHAMBER MUSIC SOCIETY他)チャイコフスキーの最後のカルテット作品。モスクワ音楽院のラウブ教授の思い出に捧げられた内省的で構築的な作品だ。フランス往年の名アンサンブル、パスカル四重奏団がやるとひときわ厳しく思索的な雰囲気に満ちて聞こえる。交響曲第4番の音楽に近いものを感じるが、より渋い味わいがある(おおむね同時期の作品)。主題が余り浮き立ってこないのもこの作品の特徴で、素直な1番、劇的な2番にくらべやや目立たないゆえんとなっているが、時折見せる人懐こいフレーズがひときわ耳を惹くものとなっている。1楽章の厳しい音楽はベートーヴェンを思わせるが、揺らぐ調性感にはあきらかにチャイコ独自の音響感覚を聴き取る事ができる。冒頭はグラズノフのような暗い和音の持続による序奏からこれまた暗いロシア歌曲のうたわれる主部へとつながっていく。暗い主題だが後半長調に転じ救いを持たせる。展開部では古風な曲想がいっそう暗さを引き立てる。盛り上がりどころは1番の1楽章を思わせる書法。パスカルの演奏はここに至っても至極安定しており実に聞き易い。調性のゆらぐさまが手に取るようにわかる演奏だ。これまたチャイコ定番の絡み合うような上り詰めかたが聞かれるが、パスカルのフレージングは突き刺すように激しい。全面に展開される半音階的な動きも明晰で、木の葉が舞うように軽やかで聴き易い。第二主題の夢見るような美しさはチャイコの神髄。しかし長い。。シンフォニー4番もそうだったか。2楽章はチャイコフスキーらしいちょこまかしたスケルツォ。1番から引き継がれた独特な書法はなかなか耳を楽しませる。奇矯さはロシアの伝統。3楽章は重く古風な悲歌に「フィレンツェの思い出」を思い起こす甘い第二主題の絡んだ楽章(「フィレンツェ」は5年後の作品)。4楽章は調性的に重いところもあるが、バレエの終幕を思わせる派手な序奏から始まるとても引き締まった音楽だ。チャイコフスキー流ロシア民謡の魅力をしっかりとした構築的な曲想の中で楽しめる。フィナーレにふさわしい雰囲気だ。第二主題の展開する様には弦セレのような情緒もある。パスカルの演奏は音色こそ渋いが技巧と情熱の高度な融合が充実した聞きごたえをあたえる。壮麗な終幕はこの曲が管弦楽的な構想のもとに書かれたものであることを改めて認識させる。録音マイナスで○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第3番,グラズノフ四重奏団(Aprelevka)SP,,意外だったのが中低弦の雄弁さ。新作ではなくマンネリの王様チャイコの古風な曲になると、ちゃんと弾くのだなあ(失礼)。発音こそロマンティックなそれであるものの、スタイルは実直で、面白味に欠ける。そもそも少ない楽想をこねくりまわすチャイコのやり方は、この曲においては魅力的な旋律の欠如という点でマイナスにしかならず、はじけたようなところがないと退屈になる。一楽章は突如夢見るようなワルツ主題があらわれてハッとするものの、しなくてもいい変奏をして渋味の中に溶け込んでしまう。二楽章は特徴的なリズムと下降音形がチャイコらしさを醸すがそれだけである。三楽章は一楽章とおんなじ。一楽章ほどには古典に倣ったような書法が鼻につかないのと、そこそこの旋律に幸福な和音で前半チャイコ好きにはアピールしよう。グラズノフ四重奏団はこの楽章では厳しくなり過ぎず、そこそこの表現で譜面を再現する。ファーストが歌う長い音符の、ヴィヴラートを伴う音程の不安定さは下手なんではなくて、そういう表現ではあるのだろうが、いかんせんSPの音では暖かみが伝わりづらい。単に下手に聞こえてしまう。後半の闇暗さはチャイコの性格的なものなのでしょうがない。最後、光明がさすような透明感のある高音表現はなかなかよい。四楽章は使い古された言い方だが、交響曲ないしバレエ終幕的な発想に基づくフィナーレで、この曲は一楽章のワルツとこの楽章の民族的高揚のためにあるので、あとはグラズノフ四重奏団がんばってくれ、という感じ。下手ではないが上手いとは言えない。第二主題の弦セレみたいな構造的なところをもっと高音を浮き立たせて聴かせて欲しかったが、録音上の制約か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第3番〜U,フロンザリー四重奏団(victor)SP,,暗いながらも躍動感あるスケルツォだが、闊達なところを見せる。録音が悪いのでおすすめはできないが、ある意味現代的な即物性を持った演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」,○コーガン(1Vn)クヌシェヴィツキー(1Vc)ロストロポーヴィチ(2Vc)他(melodiya/MULTISONIC)CD〜CDになってそうな演奏だが、ふっかけLP屋で思わず衝動買いしてしまった。プレミア盤には手を出さないようにしていたのだが、クヌシェヴィツキーとロストロの競演となると聞かないわけにはいかない(と思った)。コーガンはどちらかというと苦手な奏者なのだが、やっぱりうまいことは認めなければなるまい。高音の音色がやや単調で魅力に欠ける気もするのだが好き好きだろう。中声域の音が弱く聞こえるが、ストヴァイが個人的に歌いまくる系の曲だから違和感はそれほどない。ヴィルツオーソたちが寄り集まって室内楽をやると、ただひたすらお互いに自己主張しているだけの迷演になったりもするが、この演奏はずいぶんまとまっている。コーガンの先導がいいのかもしれない。1楽章終盤など、ややごちゃっとしてしまう場面もあるが、そういう瑕疵はこういった寄せ集めアンサンブルでは仕方ないだろう。民族的な曲想が多い曲だが、意外にも民族的演奏にはなっていない。端正なほどに率直な解釈であり、現代的だ。終楽章は聞き物で、分厚い5本の伴奏にのって勢い良く歌うコーガンはかっこいい。どんな高音でもどんなパッセージでも決して音を外さないコーガンは凄い。・・・おれ、コーガン好きなのか?それはともかく、最後の異常な速さに崩壊寸前のギリギリ状態は聴く価値ありだ。すごい人たちが演奏している、ということだけは誰にでもわかるだろう。ちなみにこの盤「ギレリス」の名もみられるのだが、まさかピアニストのギレリスではないだろう。だれなんだろう?後補:この盤はMULTISONICで一度CD化された。バルシャイも参加しており、ギレリスはピアニストの妹さんか姉さんらしい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」,○パリ室内アンサンブル(bnl)1991初出 軽くて流れの良い演奏であり、聴き易いと思った。どのくらい聴き易かったのかといえば、聴いている最中に寝てしまったほどだ。楽曲的には非常に魅力的なコンサート・ピースであり、旋律の魅力も満点、意外と古風なところもあるが、チャイコフスキー独特の構成感に支えられた佳作である。その作品の、フランス流儀の演奏。機会があれば聴いて損はない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」,グァルネリ四重奏団、クロイト(2Va)シュナイダー(2Vc)(BMGvictor/SLS他)1965-66・CD,,しまった。詳細データがなかったのでSLSだからSP起こし、戦前録音だと思っていたらこれ昔国内盤CDにもなってた、最近まで活動していたほうのガルネリ四重奏団ではないか(ほんっとにややこしい)。どっちみち持ってなかったのでいいけど、データ無しは注意しないとならないレーベルSLS。ちなみに組み合わせもLP、CDの正規セッション盤と同じスメタナのわが生涯より。これはLP起こしのようだ。ノイズはともかく、厚みのある音で、こういうたぐいの音はむかしのCDだと冷たく現代的に感じたかもしれない。CD-R化してるんだから結局デジタルなんだけど、やはり拾う音は異なる。民族的な雰囲気の濃厚な曲で、どこがフィレンツェなんだ、というようなチャイコフスキーでもかなり国民楽派的な作品。ソリスティックな動きを交え旋律線を数珠繋いでいく、この分厚さがないと説得力ある響きが出ず、安っぽくなっていただろう。プロなら大して難しくないであろう早弾きも、小規模なアンサンブル曲に散らされるとそれはそれでこわいものであり、グァルネリの力強くも「教師的な演奏」は崩れる心配をせず安心して聴ける。チャイコフスキー特有の色調の変化のなさも、響きの重厚さで力づくで聞かせてくることもあり、そうは感じさせない。スタジオ録音だから低音楽器がよく捉えられ、チェロが役割をしっかり果たしているのもよく聴こえる。気合の入った演奏ではあるのだが、恥ずかしい旋律、赤面するような演歌を誇張せずきっちりすんなり通していくので、良い歌も同じトーンで素通りさせてしまい、印象に残るものはそう多くないかもしれない。テンポがところどころ落ち着くのはアンサンブル上の都合というか、セッション録音だからと思う。しても上手い、それは認めねばなるまい。一番の聞かせどころである四楽章の盛り立て方はまずまずだが、メロディにインパクトが欲しいし、チャイコフスキー特有の異様に開放感を煽る移調や突然挿入される古典ふう構造的書法の再現は巧すぎて、そういうところが時代を超越して「凄い才能」であることに気づかせない。テンションは素晴らしいものだ。このスピードで乱れぬフィナーレはなかなか聴けない。何度も聴けるたぐいの演奏だが、ロシアの演奏に慣れていると物足りなかったり、別の曲を聴いている気になるかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」〜U,○バシュメット(Va)ロストロポーヴィチ(Vc)ボロディン弦楽四重奏団(MSC)1995/1/19・CD,,"ボロディン四重奏団はメンバーチェンジが激しいが(ある時点までは本サイトにまとめてある)音はさすがというべきか大して変わっていない。奏法の問題なのだろう。ノンヴィブと痙攣的ヴィブラートを入れ替わり多用し民族的な音を全体の雰囲気を損なわないように注意深く挿入して個性を形作っている。このメンバーでは何度も演奏しているはずで、こなれているのはあたりまえのこと、ここでは楽章抜粋なのが惜しまれるがそうとうの年のはずのロストロが弾いているというだけでも価値はあるだろう。過去の演奏と大して変わらないけど、パンチに欠けるけど。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」(弦楽合奏編),スウォボダ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(WESTMINSTER)LP 弦楽八重奏曲の弦楽合奏版。重い3楽章が独特。実に陰欝で原曲以上に暗い。明るい中間部主題もそれほどテンポが上がらず重厚なまま。オケは雑味が多いし、信じられないようなアンサンブル上のミスをおかしている。4楽章冒頭の現代曲のようなバランスの崩れたひびき、続いて素人でもやらないパート間のスピードにズレが生じてアンサンブルグダグダという失態。前半楽章はまだいい。クライマックスのミャーミャーいうステキな感情表現をプラスととっても、○はつけられない。いつもながらこの指揮者はナゾーだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:古い歌(モギレフスキ編),グラズノフ四重奏団(Artplastmass)1951,,曲がもう古臭い。お定まりの編曲。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」,○ゴロワノフ指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA/LYS他)1948・CD,,まるでチャイコにきこえない。意外かもしれないが、「演歌じゃない」のだ。ワグナーを思いっきり力んでやったような、ザッツなんて揃えなくてもぼやっとまとまってればあとは力づくで押し通せ、ということを言ったか言わないかとにかく弦はばらけているのだがそれでも、一本の強い筋の通った紛れも無く西欧的なチャイコなのである。うねりかたはロシアのデロデロ崩し指揮者というより寧ろメンゲルベルクのような恣意的解釈を定着させた名人芸といったふうで、ブラスをはじめ力強くもしっかりみんな理解して演っているのがわかる。終楽章の、さあ盆踊ってくれというような民謡旋律でさえ、テンペストなかんじの管弦楽曲に聞こえる(意味わからん)。録音もゴロワノフにしてはクリアで聴きやすい。なかなか浸ってしまって後で評する言葉を考えあぐねてしまうたぐいの、チャイ1では私、かなり好きな演奏です。まとまりがいい。○。,,"",-----,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」,○コンドラシン指揮NHK交響楽団(NHK CD,KING)1980/1/25live・CD,,しっかし天才作曲家だよなーチャイコ、はいいとして、NHK交響楽団にしてはコンドラシンという暴君相手にがんばったという感じがする。引き締まったひびきとミスの無い演奏ぶり、全体的には余り感興を煽るまでの力感を感じなかったがこれはコンドラシン晩年の一歩踏み出た境地であるのかもしれない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」,○スヴェトラーノフ指揮BBC交響楽団(EN LARMES:CD-R)2002/4/19LIVE 1楽章、死を目前にした指揮者の演奏とは思えない生命力溢れる演奏ぶりだ。BBCを使ったせいもあろうが表現に無理がなく誇張もこけおどしもなく、精度の高い演奏になっているところに驚かされる。2楽章の透徹したまなざしはやはり彼岸に向けられていたのだろうか。3楽章はやや重みがあるがリズム性はそれなりに保持されており、スヴェトラ晩年の重厚長大さはあまり気にならない。4楽章は壮大で民謡風旋律もどこか透明でかつ純音楽的なベートーヴェン的世界に昇華されている。このベートーヴェン性はなにもこの楽章に限らず1楽章から強く感じられるが、スヴェトラの表現様式が晩年においてはかなり西欧的に洗練されていたことの証しだろう。スヴェトラにしてはの話だがちょっと熱気が足りない気もする。しかしこれはまあオケのせいだろう。マゼールくらいの個性は十分にある。寧ろこのほうが万人に受け容れられるかもしれない。終演しての感想としてはスヴェトラの最後の演奏記録と言われても余りピンとこないところがある。はからずも迎えざるを得なかった死により断ち切られたスヴェトラのキャリアを思うと余りに惜しかった感じがする。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」,◎ラフリン指揮ボリショイ劇場管弦楽団(stradivari)LP,,非常に求心力が強く前進する力にあふれ、ラフリン・モノラル期の激しい演奏振りが楽しめる魅力的な演奏。ラフリンのモノラル期に似ている指揮者としてはガウク以外に思いつかないが(後代ならスヴェトラ)、ガウクならばこの曲を散文的に処理するものを、もっと最初から計算したうえでギリギリと締め上げていくトスカニーニスタイルのロシア版といった趣がある。オケがまた素晴らしい。音色にはチャイコの国民性も西欧折衷性も両方バランスよくあらわれ、民族臭さがない一方では他国ではこんな音のする演奏はありえないだろうとも思わせるものになっている。四楽章でややスケールを大きく横の幅をしっかりとった演奏になっているのはこの指揮者特有の予定調和的構成感そのものであろう、もっとガウク的に即興的に熱していってもいいとは思うが、全体としては壮大に終わるからよいのだろう。イワーノフふうのベートーヴェン的解釈に近い部分もあるが、それでも魅力的。◎,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」,○ジュリーニ指揮NYP(DA/VON-Z:CD-R)1974/10/17クリップス追悼live,,終楽章終盤の盛り上がりは出色である。これはジュリーニでも最晩年様式の前の勢いまかせの表現に力感が凄まじい。最後の音が終わらないうちに拍手に雪崩れ込むのはどうかと思うが(作為的にあとから挿入したかのようにさえ聞こえるフライングブラヴォーぶりだが)、ただそれ以外の楽章はというとぱっとしない。2楽章副主題でいかにもジュリーニのカンタービレが聴けるほかはジュリーニ自身の他の録音にくらべて決して褒められた出来ではない。オケがもっさいのである。ザッツという概念が希薄なのかというくらいはっきりしない音の最初と最後の切りかた、これは恐らく膝録なので録音が茫洋としてまったく弱いからという面も強いと思うが、それにしてもこれだけアグレッシブにやろうとしているのに「届いてこない」のはどうなんだろう、と思った。4楽章で一気に揃っていくからいいのか。4楽章全体とそのほか2箇所ほどのカンタービレの美しさだけを評価して○。他をもっていれば必要ない。ボストンかと思ったらNYPか、なるほどね。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」,ジュリーニ指揮ベルリン・フィル(CD-R)1991/9/14LIVE,,精細に欠ける。というか、予想通りの晩年様式のジュリーニである。ベルリン・フィルの音がまったく生かされず、というかベルリン・フィル自体がお仕事としてやっているかのような感じが非常に嫌だ。弦楽器に何ら気合が感じられない、でも瑕疵もない。スピードはいつもどおり緩く、かといってカンタービレもない。リズムはキレがなく、音符と音符の分離も明確でない感じすらする。最初から最後まで何も感じなかった。無難としか言いようが無い。しいていえばチェリ晩年のチャイコに似るが響きはもっと乱れている(録音のせいもあるけど)。クレンペラーみたいなドイツ式の重量感にいくでもなく、まったくこれは、凡演である。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」,○ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)1956/9・CD,,荒れ狂うというか、響きを締め上げ剛速球を飛ばしていく壮年期のジュリーニのまるでトスカニーニな芸風が往年の技巧派オケによって楽しめる録音。音はそれぞれ端正に整えられているが、スピードがまず速いのと、オケの集中力と力感が並じゃない。後年のジュリーニには求めるべくもない娯楽スポーツ的な速さであり、どちらかというとカンテルリに近い感じもあるが、もっとギチギチ締め上げてやっている。オケも必死だが巧い。ライヴに近いくらいの迫力の聴感はやはり同時期のカラヤン録音といいレッグの趣味に他ならないだろう。ステレオ初期にしても録音はかなりいいと思う。ドイツ系の演奏、イタリア系の演奏を想像したら裏切られる。これは国どうこうではなく、曲の本質としての祝祭的娯楽性をまじめに追及したものとして、「小ロシア」の古典的録音として価値が高い。ジュリーニのオケコントロールに拍手。◎に近い○(汗の飛び散る感じはなかった)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」,○ジュリーニ指揮ボストン交響楽団(WME:CD-R)1962/3/2live,,荒れ狂ってます。ジュリーニの覇気のあった時期のチャイ2なので聴き応え十分。もちろん現代の指揮者として破天荒な解釈やオケ崩壊などといったことは引き起こしておりません、むしろ精度の高い演奏ですが、終演後の客席の反応からしても成功していると言っていいでしょう。ボストンの漲る力にアンサンブル能力が素晴らしい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」,○シルヴェストリ指揮ボーンマス交響楽団(BBC、IMG)1966/11/12放送LIVE・CD,,愉悦感に満ちた楽しい演奏で、手堅くも緊張感にあふれこのまとまりにくい「国民楽派のチャイコフスキー」の代表作をローカルな野暮さから救っている。踊りの音楽だ、深刻さなどたいしていらない。響きの軽さはオケの特性でもあり、四楽章の軽やかさ(アゴーギグのきつさはある。派手な箇所は強烈)に違和感のある向きもあろう。リズム感はいいがテンポがやや「ユルい」と私も思う。旋律の叙情性のほうを重くとったのだろう。録音は正規と思えぬほど悪い。放送雑音のような音が終始ジリジリキンキンと聞こえている。モノラル。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」,○ラフリン指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(dolgoigraushaya)LP,,雄渾な筆致で大曲を豪快に描き出してみせるラフリンは、ガウクよりゴロワノフを思わせる主観的なところがある。大ルバートがけっこう多いのだ。しかしガウクで時々きかれるのと同様リズムの激しい曲想でも音の最後をきっちり揃えず、テヌート気味の軟らかいフレージングを使用して、技術的に大雑把な印象を与えることもしばしばだ。テヌートうんぬんにかんしていえばこれはロシア「オケ」の古い伝統であるとも思えるし、ムラヴィンやコンドラシンあたりはだからこそはっきりそういったものと決別した対極的な演奏様式を持った。ラフリンの場合スヴェトラ同様オケの自由度が高いせいもあるのかもしれない。,,この曲はもう歌ったり踊ったりの全4楽章なわけだが、のっけから迫力のある演奏ぶりで、内声の響きが充実しており重厚感がある一方かなり歌心が感じられる。ラフリンは当たり外れが激しいがこれは当たり。ロシアオケ(の古い録音)の場合、弦セクのノリ方でだいたい当たり外れがわかりますが、これはのっているようだ。ラフリンは引き締めるよりは壮大にやりたがるほうで、2楽章のカッコイイリズムを刻む行進曲の上にヴァイオリンから始まる歌謡旋律の情緒たっぷりな歌いぶりは放送コードギリギリ。ねっとりすぎる歌い方も、崩れぬテンポと重心の安定した響きで支えられ、気持ちいい。どちらかといえば弦主体の楽曲が、ラフリンの弦主体の作り方(本来的にアンサンブルというものは弦から組み立てるものだが)にマッチしている。じっさいここの弦の性能はかなりのレベルだ。2楽章はそれだけで完結するほどに出色の出来。3楽章はこのての演奏にしては遅いがキレはよく粘着を引きずらず、焦り過ぎもせずリズミカルにスケルツォ的性格を巧緻に描き出している。終楽章も比較的遅くリズムを煽るようなこともしていないが、発音は明確で、かつオケ全体の響かせかたに広がりが感じられる。「鶴」の主題がえんえんと変奏されつづけるわけでこれを凡人が解釈しようとすると「いつものチャイコの繰言」になってしまい飽きるのがオチだが、この人、例えばコーダ前に沈む場面の太鼓の音が、まるでマーラーの6番の英雄を打ち倒す木槌のようにひびき、聴くものを突如奈落に突き落とす。うわ暗い、とびっくりした。転調をくっきりわかるように表現している。全般、ドラマの起伏が鮮やかに「わかりやすく」作り上げられており、そこが「面白さ」になる、これはゴロワノフに通じるものだ。ゴロワノフはシェルヒェン同様実演録音のイメージで語られるから珍演大将扱いだが、ラフリンもライヴが残っていればあるいは全くゴロワノフなのかもしれない。ロシアマニアが想定するであろう「小ロシア」の構造を更にデフォルメする、「ここでこうやってくれ!」という希望を大幅に叶えるたぐいの演奏。○。録音は悪い(とうぜんモノラル)。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」,○ラフリン指揮ボリショイ劇場管弦楽団(stradivari)LP ,,基本的には別名オケのロシア盤のものと変わらず、同じかもしれない。盤はモノラル期のLPとしては信じられない、片面に交響曲一曲で両面で1,2番収録という長時間録音であるが、デジタル音盤のように詰め込むことで音響的な何かがはっきり損なわれるということは無く十分の音質で、米国製デッキ向けのモノラル音として、元来狭い音場が狭いまましっかり設定されているため、これ以上の音質になる可能性はあるのかもしれないけど(原音がステレオの可能性もある)素直に聞きやすい。ラフリンの芸風はオケの薄い弦のせいで終楽章など少し空回り気味でもあるが、スヴェトラ・ソビ響の一発録音モノにもよくあった状態であり、ソヴィエトでは珍しくも無いたまたまのものであったのかもしれない。この曲はもともと各パートがしっかり弾けてないと曲にならない・・・構造的ではないのでそこを手抜きできないもので、1番に比べても露骨に弱体パートが露呈してしまう。一級とはいえないボリショイ劇場管らしいといえばそれまでだが、そもそもオケというのはメンバーが重複したり事実上同体だったりといった状況もよくあるもので、ボリショイの当時のメンバーがソビ響とかぶっていたりどっちかのトラだったりする可能性もあり、まあ、あんまりこのてのことに推測薀蓄を書くのは野暮だなと思ったり。終楽章のテンポが緩く音のキレもややないか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」,マルコ指揮BBCso(lyrita)19570113live,,前半楽章で感じられるスケールの大きさ、表現の雄渾さが、三楽章ではギシギシ野暮ったいテンポ、四楽章はそれに加えギクシャク枠に囚われたような印象に。オケは下手なんではなく(前半は良いのだから)上手くノれていないのだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」,ロジンスキ指揮クリーヴランド交響楽団(DA:CD-R)1942live,,非常にロジンスキらしい剛速球な演奏で弦のアンサンブルにかける集中力がほんとハンパないのだが、なにぶん録音が余りにデッドだ(特に1楽章!)。さらに、しょうがないのだが収録時間の短いSP複数枚にエアチェック(文字通りのエア経由かダビングを重ねたのか)録音されたものらしく、しょっちゅう盤替えのために途切れるのだ。盛り上がりどころにかぎってぶつっとしばらく切れる。継ぎ方を工夫すれば多分殆ど欠損無いものだろうからちゃんと聞けるとは思うのだが、これは生のままの姿として否定はしないけど、観賞用というより文字通り資料用。物凄い盛り上がるんだけどねー、不躾なSP雑音は雑音耐性のある私でも耳を塞ぎたい感じだった。○にするところ無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」(1872/79),◎スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団 (MERODIYA)〜野蛮なチャイコフスキーといえばスヴェトラーノフ。雑なところもあるが、終楽章など血沸き肉踊る。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」(1872/79),○スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団(CANYON)1990/6/3サントリーホールLIVE〜意外と落ち着いているのだ。二楽章の重々しい歩調に、マーラー「巨人」の三楽章葬送行進曲のリズムを思い起こしてしまった。チャイコとマーラーは関連性がありそうなので(「悲愴」がよく言われるが(たとえば「悲劇的」の最後と「悲愴」の最後の共通性とか)、4番シンフォニーの運命のファンファーレも、マーラーの前期交響曲冒頭で咆哮する葬送ファンファーレを想起する)そういう印象もあながち妄想とはいえないだろう。まあ、チャイ2は至極楽天的なのだが。この演奏はライヴとは思えぬほど完成度が高い。昔のメロディア盤がふんぷんと漂わせていたロシア臭が、ここでは普遍的な響きを獲得しているように聞こえる。全般に遅いテンポである。とくに終楽章の巨大な音楽には圧倒される。昔の血沸き肉踊るロシアン踊りも好きだが、こちらも格調が高くて別の意味で良い。◎はつけられないが、○はつけられる。佳演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」(1872/79),ストラヴィンスキー指揮ニューヨーク・フィル(NYP)1940/1/7live音質に問題あるが、ストラヴィンスキーの棒の力強さは感じられる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」(1872/79),○ストラヴィンスキー指揮ロス・フィル(CETRA/Aulide Classiques:CD-R)1960年代(1950?)・LP,,チェトラ盤(LP)。Aulide Classiquesより裏青化された模様(2009/6現在)。1960年代ライヴ(Aulide Classiquesには50年と記載)。あくまで覚めた一本調子でありながらも、どこか野卑た精力の感じられる音、まさに自作自演で聞けるストラヴィンスキーの棒そのもの。ロス・フィルというところもストラヴィンスキー独特の音感にマッチしているような。NYPとのライヴがNYP記念盤セット(超高価)の一部としてCDになっていますが、水際立った表現の生生しさ、それを聞かせる最低限の音質を満たしているか、という点で遥かに劣っております。「小ロシア」はチャイコフスキーの交響曲で最も国民楽派寄りな曲であるということで、聴衆そして演者をどこまで興奮させられるか、ということが重要だと勝手に思っとりますが、この演奏は必ずしも前のめりにノっていけるものではありません。でも、血しぶきが飛ぶようなひとつひとつの「音」の鋭さに、タテノリの興奮を得る事ができます・・・まるで壮年期のクレンペラーのそれのように。2楽章が好きです。プロ指揮者でない、ライヴであるということで、オケの散漫さが散見されるところには目を瞑ってください!,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」(1872/79),○チェリビダッケ指揮ベルリン・フィル CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」(1872/79),○バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(sony)1967/12/24〜個性的なところは少ないが、曲の面白味を十分に引き出している演奏。終楽章などニューヨーク・フィルの弦楽パートのパワーがびしびし伝わってきて良い。ややごちゃっとする箇所もなきにしもあらずだし、リズムがいまひとつびしっと決まらないところ(中間楽章)もあるが、全般として面白いのだからそれでいいのだろう。チャイコフスキーの交響曲の中で最も国民楽派に近付いた作品だが、この演奏は余り民族臭を感じさせないので、万人に薦められる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」(1872/79),○ビーチャム指揮ロイヤル・フィル (PHILIPS)CD〜ビーチャムのチャイコは「ポーランド」終楽章のエルガー的表現、その独特さによってのみ記憶されていた(この演奏かなりオキニ)。そこにこの「小ロシア」である。3番以上に特色あるものだ。最近アルベール・ウオルフの4番など、「勢い」よりも一歩ひいた響き重視のチャイコを好んで聞くのだが、鋭い音のキレにみずみずしいリズム性溢れる1楽章(中間部)に、とくに強くひかれた。全楽章テンポが遅めにとられているが、一歩一歩踏みしめるような”タテノリ”・・・クレンペラーを思い出してほしい。背筋をのばし足を垂直に上げ下げして、ガツガツ堅い音をたてて突き進むようなテンポ感だ。けして前のめりにならず走りだすこともない、でも確固たる足取りはひたすらインテンポでもギチギチな規則的律動によって飽きる隙を与えないほどに充実している・・・にエルガー的な高潔さやビーチャム特有の「弾けない」気品が宿り、いつしかノっているうち余りの清々しさに浮き立つ心地よさすら感じてくる。4楽章など民族的表現に慣れていた私にはカルチャーショックだったが(わけのわからないカットも横溢しているし)、聞くうちにかなり楽しめるようになった。一方2、3はもっとノリがほしいが・・・余りに遅すぎて、発音ははっきりしているのに、ハクセツ感が弱く感じてしまう・・・いずれ独特の境地といえよう。総じて良い演奏だ。鶴(4楽章の第一主題はウクライナ民謡「鶴」の引用)の切り絵によるLPジャケットもグー。2003年にCD化。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」(1872/79),スワロフスキー指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(urania)1956〜律義で軽い演奏は独特だ。ウィーンの音の魅力というものはあんまり感じないが、内声部というか対旋律とかを非常に際立たせて演奏しており、このチャイコフスキー前期交響曲の最高傑作にしてもっとも民族的な曲にたいして、これはかならずしも「旋律だけ」の曲ではなくて、けっこう構築的に書かれているんだよ、ということを教えてくれる。熱気がないぶん内容がすっきりと見通せて、これはこれでいい演奏だな、とは思った。だがお勧めするレベルではない。1番もあるが未CD化。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」(1872/79),ハイキン指揮ソヴィエト国立交響楽団?(?)〜すいません、ロシア語読めない(笑)でもハイキンだということだけで十分だろう。重く引きずるようなテンポで始まる演奏。そのぶん厚ぼったい音響にも意味付けがなされているように聞こえる。重厚なブラスの響きにロシアを感じる。だが、テンポ感が次第に奇妙にひずんでいく。ハイキンの指揮はあくまで背筋を伸ばして行進するような足踏みテンポを望むが、オケは前のめりで強力な前進性を打ち出そうとしているかのようだ(まあ、よくよく聞けば、というレヴェルだけど)。二楽章は意外と牧歌的だが、やはりちょっと重いか。三楽章は私の盤面状態が異常に悪く正当に評価できないが、弦が強力を発揮した楽章で、ライヴだと乱れがちなアンサンブルが見事に整って聞こえるのが凄い。終楽章はやや遅いか?まあまあ。あと全体的に気になったのが録音バランス。ヴァイオリンのそばにマイクが1本だけ立っているような感じ。レンジ狭いし音場狭いし、セカンドヴァイオリンやブラスが奇妙に遠く聞こえてアンサンブルに聞こえない場面も一楽章などでちらほら。まあ、いい音で復刻されたら聞きなおしてみようか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」(1872/79),ミトロプーロス指揮ミネアポリス交響楽団?(DOCUMENTS)1946/3/10,11〜大量のミネアポリス録音を含む超廉価盤ボックスが出た。以前はHISTORY、今はDOCUMENTS(カタカナでドキュメントと書いてある)と呼ばれるレーベルである。このボックスのシリーズはかつて単独では出しづらかった録音状態のすこぶる悪い古い録音を、指揮者毎にまとめてガバッと出してくれるから、骨董マニアには大助かり、ときおり今まで買っていたものが入っていると、あんなに苦労してお金を使って手に入れたのに、とちょっぴり怒りもわく。CD化も決して悪くはなく、比較的良好な状態であるが(とくにミネアポリスのものは過去の既出盤より状態がいいかもしれない)、若干音が軽いか。1楽章、テンポ廻しがなかなかだ。速めだし、どちらかというと即物的で揺れない演奏、トスカニーニのスタイルを彷彿とする。でも小ロシアはこれくらい気合が入っている方が聴き映えがする。2楽章、一転落ち着いたテンポでコントラストをつけている。3楽章、これまた一転かなり速いたテンポでコントラストをつけている。オケはとてもよくまとまっている。4楽章、冒頭やや音量が小さいのは録音の都合上か?けっこう威厳に満ちていて意外だ。主部はやっぱり速い。第二主題も粘らずあっさり。引き締まった演奏を最後まで通している。音さえよければ問題無しの推薦盤なのだが!(註)このシリーズは記載の楽団が誤っている可能性がある。ミネアポリス響だけではなくNYPのものも混ざっている可能性が濃厚とのこと。未検証だがご注意を。(そのため一応?を付けておいた),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」(1872年版),○サイモン指揮LSO(CHANDOS)1982/8聖ジュード・オン・ザ・ヒル教会・CD,,原典版大好きシャンドスの好企画。このスッキリ締った曲が、最初如何にペトログラード音楽院寄りになっていたかが伺える「ロシア国民楽派」ぶりで、1楽章からいきなりの第二主題の出現に諸所の「延長」ぶり、冗長と見る人もいるだろうが、展開部からしていきなりボロディンになったり、バラキレフやリムスキーの生硬な習作に似た「展開のための展開」が却って拡がりのある世界を作り出し、また録音もよくロシア音楽向きのアグレッシブな勢いを維持しているので、ロシア慣れしている人はふとすると決定稿より好きかもしれない。楽想も民謡主題が追加されていて、更にブラス総出でしょっちゅうブワーブワーとやったり、そりゃこの時期は確かにチャイコはロシア国民楽派に尊敬されていたわけだなあ、という次第である。これ、演奏も流石現代のレベル、そうとうにまとまりがあるうえにロシア式発音・態度で録音も素晴らしいのでロシア好きは堪らないでしょう。私もちょっとかなり惹かれました(原曲が好きすぎて短すぎると思ってたくらいですしね)。長いです、1楽章は16分弱、構造がわかりにくくなるくらい。ジェフリー・サイモンは速めのテンポでまとまりよく進めていくから2楽章なんかも心地よくリズムにのれる。過度にリズミカルにも冷静にもしない。こちらは多分ほとんど変わってないが3楽章いきなりシンコペがテヌートでびっくりする。楽器の組み合わせも違いヴァイオリンが前面主体になって単調に進むところがまた生硬な書法のロシア国民楽派を想像させる。というより日本語解説にあるとおりボロディンの「剥き出しの書法」に影響されているのだろう。中間部は楽器の組み合わせはそれほど目立たないがピッコロ主題が違っていたりと耳を話さない。録音のせいもあるがサイモンとロンドンオケはじつにドイツ的な重厚さも兼ね備えた壮大な好演ぶりが光る。格調をそなえながら野趣を音色作りに昇華している。さて12分43秒かかる終楽章なわけだが、しょうじきこの曲好きの私にはちっとも長く感じない。あっさりしすぎていたのだ。ストラヴィンスキーが自分の意思とも言えなかったものの唯一指揮したのがこの2番改訂版だったことを考えると、ストラヴィンスキーが後年自作に施した簡素化が改訂版の「余りにすっきり短くまとまっているさま」に親和的な部分があったのは確かだろう。楽器が足りなかったり細かくは違いはいろいろありそうだが、展開部が物凄く長い。全曲のバランスとしては後半部を物凄く削ったというのはよくわかる。ようはスタンスの問題で、改訂までの7年のうちにチャイコがどのように変化したのか、クーチカの国民楽派と離別し対立構造まで生まれたのはその「プロフェッショナル性」と「形式性」にあるんだなあと。まあ、さすがに長いです終楽章。何度も第一主題が繰り返されるのに辟易とする向きも、変容の仕方にチャイコが得意とした(個人的には惹かれないが)楽器の組み合わせなどによる変奏手法の面白さは否定できまい。繰り返しは確かに少しずつ音高を高めていって、しっかり盛り上がっていく道程にはなっているのである。しかしこれでも40分ないのである。これだけ大交響曲になってくれたほうが寧ろ小ロシア普及委員会としては好都合だなあ・・・だれがやねん。第二主題、いわゆる鶴の主題の引用が第一主題のひつこさに比べて余り目立たないのはちょっともったいないか。いずれボロディンの1番の構造を彷彿とするところもあり、そのよさ、悪さを共に受け継いで、更に明らかに凌駕する才気がこれだけ響く輝かしい楽曲を仕上げたのだなあと思った。終盤の演奏はやや安定しすぎか。余りに優等生。ルビンシュタインの命名日というチン曲とまぜっぱ抜粋、ロメジュリ初稿(69年という時代の作品だから2番と同じ経緯をたどったのである)とのカップリング。にしてもやる気のある指揮者は音楽が違う、かつてのロジェヴェンやスヴェトラ、ヤルヴィ父よりも「オケのやる気を引き出させ一定の水準を引き出す」力にはすぐれているように感じる。時代の差だろう。オケは変幻自在のロンドンオケだから。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」,○ガウク指揮モスクワ放送交響楽団(?)LP,,どうにも散漫な曲で、勇壮な五楽章まで行き着くのも大変だ。ガウクの音響のまとめかたはおおざっぱでオケも音色的なバラケ感が否めないが、それでもここでは勢い任せにならず力感に溢れたリズミカルな演奏になっていて楽しめる。五楽章の構造的な部分もしっかりまとまっていて、更に迫力ある威勢のいい弾きっぷり吹きっぷりがプラスアルファで圧倒される。全般ガウクにしては成功していると言えるのではないか。拡散的で開放的な解釈+オケが、組曲ふうのこの曲の性格に上手くマッチした部分もあろう。中間楽章、とくに緩徐楽章で(本来的に)ダレるところは、真正面からではなく一工夫コントラストつけた表現が欲しかった気もする。おまけで○。ガウクは他に来日記念盤の6番のLPがあるというが未聴。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」,○A.ヤンソンス指揮モスクワ放送管弦楽団(MELODIYA)LP,,小ムラヴィンスキーの趣のあるヤンソンス父の、若々しくも引き締まった派手な演奏ぶりが楽しめる。三番に名演すくなし、だがこれはその少数派で、本来的な散文性を感じさせず、楽章毎に散漫なメロディが、一つの音列の変奏のように聞こえてくるほど曲を解析しつくしたかんじ。隙間的演目をやる指揮者のイメージもあるが、これもモノラル末期という時期的なものもあるにせよお国録音の殆ど無いものだけに貴重でよい。MRSOはステレオアナログ録音期を含めるとかなりムラがあるオケだが、一部はち切れそうなバラけや突出があるものの、黄金期そのものの充実した個人技も発揮されていて、記録としての価値も大きい。駄々長さがない半面小粒に凝縮されてもいるが、ロシアの音にロシアの残響、しかし西欧的に洗練されたアルヴィット先生のやり方がここではしっくりくる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」,◎スウォボダ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(CHS他)LP,,爽快に抜けのいい録音と割りと垢抜けた明るい表現で、元気よく進んでいく。ノリのいい弦に洒脱な木管、楽曲的に構造の厚みはないが流れ上の細かい仕掛けのおもしろさをなかなかきっちり聴かせる。1楽章は激しいアタックに彩られた色彩的な演奏で、丁丁発止のアンサンブルの面白さを堪能できる。ここでのオケは非常に表情豊かなのにほつれはなく、弦は素晴らしく揃い、ほとんどVPOぽい精度をみせている。民族性の欲しい中間楽章ではやや垢抜けすぎている気もするが、美しく魅力的な音色にごまかされてしまう。いや、録音優秀である、下手にステレオでないほうがいい。移調転調が明らかで、チャイコフスキーはそこがきっちりできるかどうかで書法的魅力を引き出せるかどうかが決まるのだが、下手な楽団がやるとぐちゃぐちゃになり単なる旋律音楽に聞こえてしまう。3番が受けないのは旋律がやや弱いため、そのあたり難しくなってくるのだと思うが(チャイコにも責任はある)スウォボダはよくわかっている。でもまあ、やっぱり冗長感は払拭できないか。弦の緩徐主題になるとウィーンのあの感傷的な音色にボリュームたっぷりのフレージングが引き戻してくれるが。バレエ音楽ふうのスケルツォでは各声部の細かい音が粒だちアンサンブルがきわめて明瞭に繰り広げられ色彩感が素晴らしい。どんくさ指揮者スウォボダの印象を覆すリズム処理の上手さも光る。こういう巧さ含め、エーリッヒ・クライバーぽいなあ。終楽章は鋼鉄の歩みに激しいアタックの加わる期待どおりの力感あふれるものだが、弦にウィーン的な薄さ起因というか音色的なバラケが出る。オケの性向上のもので仕方ない。それでも後半は録音バランスでうまくごまかされているようだ。弦中心の録音で生々しい擦弦音がスリリング。クレンペラー的なスピードと迫力すらある行進主題が回帰するごとに厳しさを増すが、この曲ではなかなか披露の場のないレガート表現を展開部の長い音符に無理矢理突っ込みながら壮麗なフィナーレへといざなうさまが素晴らしい。弦以外が引きにとらえられているためスケールに若干欠けるのが惜しいが、これはポーランドの紛れもない、西欧における名演のひとつである。最後に激しすぎてごちゃごちゃ崩壊してもかまうもんか。◎。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」,○フィテルベルク指揮ロンドン・フィル(dutton他)1946/4/9-10ロンドン,キングズウェイ・ホール・CD,,2011年10月CD化(この曲のみ初CD化と思われる)。フィテルベルクの最盛期の記録といえる一連のロンドン録音がduttonで総括されている(マイスタージンガー序曲は入っていないがwebダウンロード販売でかねてより入手可能)。duttonは未聴だがダウンロード版も非常によくレストアされており、英国盤SP原盤ということもあるのだろうが、まるでモノラル末期のようなクリアでかつ重厚な響きが引き出されており、ノイズリダクションや残響には賛否あろうし、面により状態は異なるものの、鑑賞に耐え得る。このころのフィテルベルグはスタジオということもあってか踏み外すような表現はせずブラスも吼えないし弦もばらけない。引き締まった表現で散漫な組曲風のこの曲を飽きさせずに聞きとおさせる。終楽章などはイギリスオケを振っても英国風の「厳かな」雰囲気は出ていないのが面白い。◎に近い○であり、機会があればduttonで聴いてください。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」,○ビーチャム指揮ロイヤル・フィル1947・CD〜終楽章がエルガーの行進曲のように響き実にノーブルでかっこいい。他楽章の魅力薄の音楽の後にあざといまでに明瞭な旋律を刻むこの楽章は、個人的意見では3番唯一のききどころである。ビーチャムにしろボールトにしろ、イギリス人を惹きつける何らかの要素があることは確かだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」,◎ボールト指揮ロンドン・フィル(DECCA)〜すごいすごい。終楽章の最後で陶然としてしまった。シャープでも重厚な音が耳を否応無く惹きつけ、チャイコフスキーとしてはけして成功しているとはいえないこの組曲風交響曲を、ずしりと重量感ある実りあるものに仕立てることに成功している。流石ニキッシュの落とし子、これはモノラル末期の素晴らしく生気溢れる録音とあいまって、ボールトの特質を非常に良く顕した演奏といえよう。曲自体の弱さは否めないけれども、人に勧める価値のある説得力に満ちた演奏である。兎に角終楽章の偉大な造形は聞きごたえがある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」〜X,○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(放送)1970年代/4/6ブダペストlive,,アンコールの最後の曲として演奏されたもの。欧州の演奏ではノーブルな雰囲気を漂わせた祝典行進曲のような面白さが出るが、これはもうロシアロシアした派手なもので、しかしこちらのほうが正しいのではないかと思わせる。ブラヴォの嵐で終わるのもスヴェトラらしい。そこまで超名演とは思わないが・・・○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第4番,○オッテルロー指揮ハーグ・フィル(PHILIPS),,極めてドイツ風味の堅牢で押しの強い演奏。表現意思が強い演奏というのは気持ちがいい。骨太のドラマが展開される1楽章はまるでフルヴェンのブラームス(同曲と言わないのがミソ)。これはチャイ4嫌いの私でも楽しめる。激しいが決してだらしなくならない、またロジンスキ的に凝縮収斂するのでもなく、構築的でしっかりしたリズムの上に勇壮に展開される統制された音楽は、これがチャイコではないとけなす人がいれば私は喜んで「チャイコ」の方を捨てるだろう。2楽章の悲哀は美しい音色の中に男らしい強さを秘めている。テンポ変化がなかなか面白いが少し気まぐれな印象もある。逆にこれがオッテルローなのだが。弦のザッツの揃い方がハンパではない。とにかくオケも物凄い演奏でもある。ポルタメントの音量も絶妙でいやらしくならない「音楽的な」表現が清々しさをかもす。私のLPが何故かこの楽章の途中でB面に変わるのは大きなマイナス(初期盤だけか)。3楽章はエスプリに欠けるかもしれないが比較的しっかりしたリズム取りでドイツ式を好む人には向くだろう。重心の低い音作りが足枷か。4楽章はドヴォルザーク的でさすがに民族風味を抑え切れない。ここも爆発的な力感と派手な音響の半面やや構築性や解釈が先に立っており、前のめりで突き進むようなものを求めると食い足りなさを感じるかも知れないが緩徐主題の哀感は補って余りある印象深いもの。全体設計が余程うまくできていて、プレスト主題だけを聞きたいという人を除けばきっと何かしら心に残るものをもたらしてくれる佳演だ。録音の悪さを鑑みて○か。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:交響曲第4番,×シェルヒェン指揮ウィーン国立劇場管弦楽団(westminster)1951/6〜シェルヒェンのチェイコフスキーはだめ。超客観主義で(ちょっとクレンペラーを想起する)音のひとかけらにも「やる気」が備わっておらず、長ったらしい1、2楽章、たどたどしい3楽章のあと、終楽章でやっと爆発するかな?とみせかけてそのままかなりルーズなアンサンブルでのっぺりとした解釈をただ音にうつしとっているだけ。ここまでダメとは思わなかった。スタジオ録音とは思えない弦楽器の崩壊具合といい、これはもう指揮者に興味が無いとしか言いようが無い。悲愴でもそうだったが、ライナーを読んでもわかるとおり、シェルヒェンは純然たるロマン派音楽にはもとから興味が無かったのであり、おそらくレコード会社側の思惑などで仕方なくつくったアルバムなのだろう。これを買って聴く人はよっぽどの物好きだ。ここまでダメな演奏は久し振りに聞く。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,◎アーベントロート指揮ライプツィヒ放送交響楽団(deutsche schaltplatten)1949/9/18〜ここまで集中力の高い演奏になってくると、もはや曲がどうのこうのなどと論じる気も起きない。素晴らしい!けっこう垢抜けており、暗く陰うつな雰囲気は皆無だ。オケの巧さ!棒の確かさ!緩急のはっきりついたドラマティックな曲作り!アーベントロートを論じるときによく「ドイツ的」うんぬんの言葉が使われるが、この演奏はドイツ的鈍重さはないし、3楽章の軽妙さはこの指揮者にしては珍しいほどだ。アンサンブル力を問われるこの楽章でもオケは巧い。丁々発止だ。4楽章の楽天的主題〜運命の主題の再現へのダイナミックな流れは非常に自然であり、聴くものを飽きさせない。本場モノとは根本が違うものの、これはチャイ4演奏史上に特異な位置を占める名演として遺して行くべき演奏だろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,○イワーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA),,深みのない音表現はオケ由来かもしれない。1楽章はダイナミックに盛り上げるが、ドラマが拡散的にもかんじる。2楽章も明るい音だがしっとりした情感が表現されている。ヴァイオリンの感情表現が少し人工的だがアタックが明確で印象にのこる。木管ソロも美麗。3楽章は白眉。このオケのアンサンブル力の遺憾なく発揮された完璧なスケルツォ。4楽章はいったん落ち着く。ダイナミクスが結構大きくつけられている。録音ですら突っ走るガウクに比べイワーノフは意識的にコントロールをする人だ。音が引き締まっているので弛緩した音楽の気はせず、1楽章の警句が甦るところもただ起伏をつけるのではなく注意深く心象的な表現をとっている。フィナーレも設計の行き届いた合理的なもの。シンバルが派手に煽る。わりといい演奏です。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第4番,◎ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(VistaVera)1959/4/19・CD,,ガウクの本領はワルツなど舞踏要素の表現にある。リズミカルでも喜遊的な揺れを伴う前のめりの表現で、同時代の西欧指揮者に多かった「即物性」が無く、世俗的なアピール力がある。チャイコの純管弦楽曲の中からも、舞踏要素と思われる部分はいちいち踊れるような表現をとる、そこが聞きやすさであり魅力である。旋律のきわめて明瞭でわかりやすい起伏の付け方、どぎついまでの色彩性はスヴェトラーノフへと受け継がれるロシア伝統、と思われている典型的な芸風でもあるが、アグレッシブでオケの崩壊もいとわない自然アッチェル気味の表現においてはもっと没入型指揮者の気まぐれな発露というものを感じさせる(スヴェトラは寧ろかなり制御する指揮を行ったほうだ)。前半楽章はとにかく瞠目もので、録音のレンジが狭く凝縮的な音響なだけにガウクの拡散的な音楽の作り方、すなわちオケの「バラケ」が余り目立たない復刻となっており、いい部分だけを愉しむことができる。3楽章の攻撃的なピチカートもよその国ではスコアを気にしすぎてできないほどのスピードとアゴーギグをともなう。4楽章はまさに怒涛の攻撃といったふうだがスピードはそれほど速い感じはしない。ガウクはどうも交響曲の最終楽章で尻切れ感を感じさせることも多いがここでも感情の余りスピードや音量を煽りすぎてソヴィエト国立交響楽団的な弦の崩壊がさすがに目だってしまう部分もあり、それがためか若干の抑制が感じられ疾駆とまではいかない演奏ぶりになっている。といっても十分怒涛の攻撃性を煽る演奏になっており、やはりこれは◎だと思う。4番のドラマは1楽章で決まる。この1楽章は一つの交響詩として出来上がっているかのようだ。2楽章の男らしい憂愁も引きずるよりは前向きの力強さがある。ああ終わらない。メロディヤ録音と同一と思われるが、VISTAVERAのライヴ集のシリーズとして出たCDでもあり、ひょっとすると別の「ライヴ」かもしれない。拍手などはすべて入っていない。このガウク集はコーガンのワルツ・スケルツォとオボーリンのピーコン1番のいずれもライヴとのカップリングで復刻状態もよくどれも名演、ちょっと標準価格からは高いが、おすすめの一枚です。,"",-----,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,◎ガウク指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA)LP,,初めて知った。ロシアの初期盤は専用針で再生するようにできているというのだ。現在のLP針よりSP針にずっと近いぶっとい針で再生するんだって。そうすると殆ど雑音なんか無いそうな(がっつり安定するから当たり前だ)。どうりで今まで聞いた初期メロディヤ盤は見た目キレイでも例外無く異常な雑音に塗れて聞こえたわけだ。私はステレオ針を使っているがそれも論外、店でたとえばこの盤をモノラル針で聞かせて貰ったところ、ふくよかで奥行きの有る音、しかも(この盤のコンディションが元々よかったせいもあるが)メロディヤ盤とは思えない雑音の気にならなさ。うわー。買って帰って自宅で聞いた。いつもどーり雑音だらけで不安定な針のブレ。。くそ、いつかはちゃんとセットを組んで聴いてやる!ところでこの演奏自体のことだが、ガウクとは思えぬ集中力の高さで、3楽章以降の疾走する音楽はちょっとガウクらしいアバウトさのない「らしくない」完成度。4番を聞くとき私はいつも1楽章のうちに挫折するのだが、このドラマティックすぎてくどくど長い1楽章が、ただドラマを煽るだけではない「起伏」に富んで飽きさせない。とくにふっと浮きあがる舞曲の気持ちを浮き立たせるリズム使いや、ホルン・ソロのまさにロシアン・ホルン!という痙攣ヴィブラートきかせまくりの哀愁の音など(まるでルーツ通りの木管楽器のような歌いかただ)、「ただ押す」ことによるドラマ作りではなく、引いたり押したり流したり、あるいはプラス面だけではなくて、たとえば冒頭のド肝を抜くファンファーレなど、アクセントをつけない豪放磊落な吹きっぱなしぶりで、それだけでガウクの表現とわかるものだ。好き好きあろうが決して上手い解釈とは言えないと思う。解釈じゃない、クセだろう。でもこの演奏の中ではむしろ息抜きになるというか、弦や細かい管楽器がソロや細かい音符を掛け合っている上に遠くから木霊し轟き渡る神の声のようである。ちょっとスケール大きく書きすぎたが、2楽章の決して落ち着いてしまわない歌心もききもので、この曲が嫌いな私も聞き入ってしまう。3楽章のピチカートアンサンブルの水際立っていること!しかも速い。ガウクはテンポがグズグズでアンサンブルがばらけることも多いが、殆ど終楽章の一部くらいしか瑕疵がないこの演奏では、ムラヴィンスキーの師匠としての面目躍如といったところを感じさせる。いや、ムラヴィンスキーより娯楽的だから方向性は違うのだが、集中力とか、スピード感といった面で。とにかく余りに引き締まったアンサンブルから中間部の管楽器のアンサンブルに入っても変化はなくテンションやスピードがそのまま受け継がれるのも清々しくていい。そしてそのまま大団円から勢いづいて終楽章、決して現在巷に溢れるこの曲の音盤と比べ派手で巧くて盛り上がってかっこいいわけではない。でもスムーズで流れがよく、そのまま聴きとおしてしまうのが凄い。ルスラン風走句も速いことは速いがそんなに完璧に弾けているわけでもなく、でも、総体として音楽がいい。それでいいのだ。ガウクの盤としてはかなり良質な部類に入る。これは◎に足るものである。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第4番,◎カンテルリ指揮NBC交響楽団(ARKADIA)1954/2/14カーネギーホールLIVEいや、凄い演奏だ。引き締まったオケの音が、まるで鋼のように重量感ある音で迫ってくる。カンテルリだから鈍重には決してならない(寧ろスタイリッシュだ。)その音楽のダイナミズム、造形力に、忘我で聴くのみ。4番にかんしては異例のことなのだが、何度も繰り返し聞いてしまった。敢えて気になる点を言うなら、3楽章が余りに実音すぎてエスプリが感じられないところか。作曲家の意図から離れ、あくまで全体の中のスケルツォとして明瞭な音でしっかりと演奏されている。4楽章は出色で、カチカチと決まる対位的な走句が心地良い。運命の主題の回帰も自然だ。終演後のブラヴォーの嵐もうなづける。名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,◎カンテルリ指揮NBC交響楽団(TESTAMENT/MUSIC&ARTS)1949/12/24放送LIVE〜別記ライヴと同じ組み合わせ。どうやらリハ模様を入れたURANIA盤CDの本番は、日程からするとこの演奏であったようだ。1楽章から異様な説得力に引きずり込まれ、3楽章の気が浮き立つようなピチカート、そして怒涛の攻撃、4楽章、前記ライヴとほぼ同じ演奏内容ではあるが、録音は良好。終演を待たずして入るブラヴォー拍手までもが前記のライブと同じ。これは名演だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,カンテルリ指揮NYP(RARE MOTH:CD-R)1955/1/30カーネギーホールLIVE*ARKADIA盤にも2〜4楽章のみ収録 オケの馬力が凄い。機能性はNBCが上だが、この力強さはさすがNYP。ただ、やや雑然とした感もなきにしもあらず(録音のせいかもしれない)。それでも、この盤でもケレン味のないカンテルリのスタイリッシュな音楽を楽しめると言っておこう。4楽章、運命の主題の回帰後の奈落の底に落ちるような空疎、そして最後の力を振り絞るが如く再び盛り上がりを造るあたりの表現力はさすがだ。終演を待たずして入る拍手はこの時代のライヴではたまに聞かれるが、まあ、聴衆の熱狂ぶりが伝わっていいと個人的には思う。リハについては4楽章全て収録されている。カンテルリのヒステリックともとれる指示の声が面白い。それ以上に、演奏のクオリティの高さ、迫力に圧倒される。リハですらこんなに・・・。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,○カンテルリ指揮NYP(RAREMOTH:CD-R)1955/1/30LIVE,同上,あっけらかんとした衒いの無い鮮やかな指揮ぶりでNYPの統率も素晴らしい。やはりトスカニーニを思わせざるを得ないが、トスカニーニはこういう曲はそれほど得意ではなかったと思う。ただ、トスカニーニ/カラヤンの補完指揮者としてに留まらない溌剌とした魅力があり、リズミカルなドライヴぶりはチャイコの舞踏要素をよく汲んでいる。前半楽章が陰鬱で後半楽章が喜遊的という分裂症的な曲だが、前半楽章が苦手な私もこの喜びに満ちた演奏を聴くとそれほど鬱入ることもなく、3楽章のピティカートの饗宴からややテンポの落ち着いたものの勢いは非常にある(NYPも能力を出し切った素晴らしいアンサンブルぶりを見せる)。異様に早いフラブラも仕方ないくらいの終演時には私もこの曲が捨てたものではないと思うにいたった。同曲の前半が苦手な人にはお勧め。前にカンテルリのサインを落とし損ねたことがあったがそれ以来出物を見ない。やや夭折であったカンテルリのものとしてはあの値段は破格だったが、モノラルの悪い録音が多くてもファンが未だ多いのもうなずける。未完の大器ではない、これがたぶんカンテルリそのもので・・・完成していたのだと思う。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:交響曲第4番(リハーサル),カンテルリ指揮NBC交響楽団(URANIA)1949/12/22-23,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,○クーベリック指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1968/9/8ルツェルンlive,,録音は遠めで中央に寄ったモノラル。篭った細部の聞き取りづらい悪い音で、安定感があるためインホール録音にも思えるが、電気的断裂やテープ撚れがあるので放送エアチェックだろう。かなり力感のあるクーベリックらしい表現から始まる闘争的な音楽である。,,長いながーい一楽章。大仰な悲劇を演じるうえで前のめりのテンポをしっかり維持しながら突進していくような感じはいかにもドイツ流儀。諧謔的でオリエンタルな舞曲が木管から提示されると流麗な旋律が流れ出し、インテンポに近い速さでありながらもなかなかノれるなあ、と思ったらいきなり物凄いティンパニの響きと共に音楽は破裂しながら昇天し、やっぱりドイツ的なタテノリで解決へと向かい調性を下げた警句がファンファーレされ半音階的にサゲていく。ここの流れはやや分裂的で、個人的には楽想表現の断裂具合がちょっと気持ち悪かった。しかしこれもドイツ流儀と言われればそうだろう。フィルハーモニアの音が更に音楽を暗いドロドロから救っている。チャイ4嫌いの私もなんだかんだいってこういうもののほうが聴き易く感じたりする。,,ドイツ式の転調表現はどうも個人的にぱっとしないというか、フランス派聞きすぎなのかもしれないが、昨日のN響アワーの40番聴いていても思ったのだけど、作曲家の設定しためまぐるしい転調を明確に鮮やかに示していくことで楽想の貧困さ(モーツァルトは意図的だろうが)を補う色彩性が著しく出てくるわけで、クーベリックにイメージとして時折つきまとう渋さというものがこのへんに由来している気もする。チャイコの曲としてはそもそもこの曲は楽想がやや貧困もしくは単調なのだ。クーベリックらしい流れよさは確かにそのとおりに聴けるし、チャイコ初心者向きとも言えそうな演奏様式ではあるのだが、この楽章のとにかく連環する旋律の「くどさ」が、「流れよさ」だけで解消できるたぐいのものとも思えず、結局力づくで抑え込む、重い音ながらも物凄いアッチェルを無理栗押し込むことで、一回性のライヴとして成立させている感じもする。ていうか、これって演奏というより楽曲批判に近い気がしてきたので1楽章への文句はこれくらいにしておく。1楽章の最後で一発だけ拍手入れた人は誰だ。,,延長戦というかんじの2楽章は相変わらずロシア臭い楽想がロシア臭い管弦楽法によって提示され変奏されつづける陰鬱とした楽章だが、構造の面白さが加わり、西欧折衷派らしい、ドヴォルザーク晩期交響曲を彷彿とするわざを見せてくる。ただ、旋律だけを聴いている人はたんに副主題の盛り上がる局面だけに左右されると思うので、酷使される木管の苦労も水の泡だ(あ、また楽曲批判)。とにかく4番は使われる主題が異なっていても似通っており、使われる音が限られる「チャイコらしい問題」かとも思うが、クーベリックはやはりバス領域を巧く使って起伏なき連環に地鳴りする盛り上がりを作っている。オケの(いささか単調ではあるが)アンサンブル能力の見せ所ともいえる楽章、フィルハーモニアの確かな力量は発揮されている。やはりイギリスの繊細で巧みな木管は素晴らしい。,,3楽章全編弦楽器がピチカートというまさに飛び道具的な「見せ場」では呆れるほど速いテンポで前のめりにフィルハーモニアの表現力が発揮されていく。きほん的に明るいオケなので、こういうバレエ音楽的な愉悦性の表現には長けている。しかしクーベリックの音響は重く叩き付けるような芯の強さがあり、スケルツォの表現としてちょっと押しが強すぎる気もする。,,4楽章第一主題の「ルスラン」的楽天性はしかし録音状態の悪さに邪魔される。ホワイトノイズが邪魔で、確かにこのフィルターの向こう側では阿鼻叫喚の激しい音楽が展開されているというのに・・・という歯がゆさがある。第二主題は比較論としてゆったりと旋律を聞かせるが、きほん的に弦は休めないので辛い。あ、そういうこと書く場所じゃなかった。バス領域がやはり強く表現される傾向にあるが静かな場面でちょっとブラスの反応が悪い気もする。展開部の表現が意外と重いと感じられたのはそのせいか。そこらじゅうの防弾窓ガラスを割って回るような再現部からこの尾崎豊は肩をいからせ続ける・・・もっと肩の力抜いたらつきまとう重さというか暗さというか渋さが抜けていいのに・・・スピード的なバランスも、ここまできたら突っ走れと言いたくなる半端さがある。冒頭の運命のファンファーレが回帰するところまでの雰囲気作りとして暗く重くやってるのだとしたら計算上あっていても・・・チャイ4としては飽きてしまう人もきっといるはず。マーラーかこれは?という暗さからホルンが立ち直ってじつに美麗な高音木管楽器に先導され、終盤へ向けて再再度の再現部というかコーダがあらわれるところで、またしても非常に音が悪くなる。とにかくこのへんはクーベリックのいい意味でも悪い意味でも独壇場だろう。激しくアビキョウカン。重い響きがズシズシ会場を揺らし、物凄い大団円へいたって大ブラヴォー。ああ、録音のせいで暗く感じたのか。なら評は二行で済んだかも・・・冗談です。クーベリックのチャイコ、クーベリックのライヴそのものの予想通りの演奏です。○。,-----,,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,○クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(METEOR)LIVE〜集中力の高い演奏。激しい表現をおりまぜたクーベリック・ライヴの典型であるが、緩急の付け方がしっかりしており、その指示がオケによく浸透している。ドイツオケらしい重量感のある響きが安定した聴感をあたえるため、表現の起伏が気にならない。バイエルンは出来不出来の差がはげしいオケと思うが、クーベリックが振ったときは、最高級の演奏をしてくれるようだ。最後は楽天的すぎる気もするが、それもまたよし。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,○コンヴィチュニー指揮ドレスデン・シュターツカペレ(VIBRATO:CD-R)1960/4/23,,おおむね勢いのある演奏振りで清清しい。2楽章(の一部)と4楽章(のテンポ)はややダレるが、4楽章については大仰な大音響で煽るのがこの人のやり方なのでテンポが重いのは仕方ない。バレエではなく歌劇の終幕のような構成を想定しているように聞こえる。出色は1楽章の攻撃性と3楽章のピチカートの胸のすく疾走ぶり。コンヴィチュニーはどんくさく感じることもあるが、縦 ばかり気にして客観性が強いドイツ系にありがちな指揮者ではないので、うまくハマると重くも力強い音と良く揃った剛直さを兼ね備えた破格の勢いに圧倒される。けしていつも万全ではないし、この人の4楽章は私も余り好きではないが(ルスラン張りに疾駆してほしい)、緩徐部などオケの分厚い響きをよくうねらせて男らしい叙情を感じさせる。オケはちょっと鈍重で機能性に問題があるがこの時代からすれば別に問題はなかろう。1楽章ファンファーレの再現が、直前の部分の音量と差がなく余りしっかり印象付けられないが、その後の暗黒はいい。もっともそこから英雄が復活するところは律儀なテンポで、どうもカタルシスが得にくい。しかし音響は派手になっていきコーダは実に胸のすくスピード感を伴い、この指揮者のいいところがしっかりと出る。チャイ4の演奏、しかもコンヴィチュニーの非ドイツものとしてはなかなかいいと思う。○。,,(参考)店頭では非正規盤が出ているが現役盤ではないようだ。コンヴィチュニーは時代柄仕方なくロシアものも振った。参考までにフレンニコフの現役盤。カルミナも入っていて御得盤だが非正規ゆえ品質は保証しない。別項にも記述。,"
ブリテン:DIVERSIONS(左手のためのピアノ協奏曲)、フレンニコフ:交響曲第2番、オルフ・カルミナ・ブラーナ

MEMORIES REVERENCE

このアイテムの詳細を見る
",-----,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,○コンヴィチュニー指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(PROFIL)1953/11/6国立劇場live・CD,,併録のブラームスとともに正規音源(ブラームスはDG原盤)。海賊盤既出の記載の資料もあるが、知る限り初出。残響が付加されノイズリダクションが強めにかかっているが録音はおおむね良好。ソース起因の篭りがある。アグレッシブでスラヴ的であり、ベートーヴェン的に重くリズムを強調することはなく颯爽と進む。迫力のある音表現はびしっと揃えられたアンサンブルに拠る部分が大きい。指揮者の腕を感じさせる。解釈は素直。変に揺れることはない。アーベントロートを彷彿とさせる部分もある。ロシア方式でブラスや打楽器をぶっぱなすのはいいが感情的に決して乱れない演奏ぶりが4楽章では客観性として伝わり聴く側の熱気をそぐ。整えすぎである。ルスラン的に突っ走ってもいいのではないか。仰々しさが好悪わかつだろう。拍手カット。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:交響曲第4番,○コンヴィチュニー指揮ベルリン・シュタッツカペッレ(WEITBLICK)1961/3/24LIVE〜力感に満ちた演奏。剛直な解釈はまさにドイツ的。その律義さはまるで古典曲をかなでているようだ。やわらかい抒情は求むべくも無いが、この方法においてはそうとう高水準。終楽章などテンポがかなり揺れるが、デジタル的なテンポの切り替えかたがこの人らしい。3楽章が実直すぎるか。録音はモノラルとしては最高水準。レンジもすごく広い。電車の中で聴くときは注意!,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,○シューリヒト指揮シュツットガルト放送交響楽団(TRESOX他)1954/11/26〜起伏に富んだ熱演だ。シューリヒトならではのテンポ回しの良さは余り発揮されていないが、テンポをそうとう動かし(特に終楽章、かなり恣意的)力感に満ちた独特の強靭な4番を描いている。あまり文学的背景を意識していないように聞こえるが(1楽章、あんまり粘らないところなど)「純交響曲」の表現としては非常に安定しており、聴いていて何の抵抗も感じないのだからそれでいいのだと思う。作曲家の注釈なんて汲んでいたらきりがないし、詰まらぬ画一化を産む。録音はモノラルだがリマスターで残響が添付されている。音そのものはクリアなので聴き易い。これは演奏面からも録音面からも、何度でも聞くにたえうる佳演だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,COMMENT:,,,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,◎スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(CANYON)1990/5/24サントリーホールLIVE〜チャイコフスキー150年イヤーのこのチクルスはまさに記念碑的な名演で飾られた。私は5番だけ聴いたが(CDになっている)素晴らしい、有無を言わせぬ凄演だった。スヴェトラーノフにはいくつも録音があるが、この一連のライヴが最も油が乗り切っていて良いと思う。ところで私は4番が苦手である。運命の主題の露骨な悲劇性、いかにもの陰うつさと気の狂ったような明るさの対比が余りに分裂症的、何より1楽章への偏重(この盤では1楽章17分半に対して他楽章は5〜9分)が構造的に頭でっかちで聞きにくい感じがあったからだ。しかし、今ここにスヴェトラーノフの盤を聴くにつけ、そんなことはどうでもよくなってしまった。設計の巧さというのはある。1楽章はしっかり表現するが、暗い2楽章は意外にあっさり通り抜け、3楽章の酩酊にうまくつなげて終楽章へと雪崩れ込む。クリアで万全と言ってもいい録音条件のもと、未だ健在であった弦楽器群の強大な威力、何のてらいもなく提示されるブラスの咆哮、技量を見せ付ける木管、轟く打楽器、それらが渾然一体となって、聴く者に考えるスキを与えない。スヴェトラーノフの音は明るい。その垢抜けた響きが、曲のくすんだ陰うつさを取り去り、健康的な躍動の音楽へと脱皮させている。いや、もう何も言うまい。これが正しい演奏なのかどうかはわからない、しかし、これは名演である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(MEMORIES)1968/1/25LIVE・CD,,録音がどうにも悪い。演奏はトスカニーニ様式で後半になればなるほどとち狂って面白い。また下手に早く起伏を作らずクライマックスで一気に爆発させるのはセルらしいやり方だ。しかし演奏精度にはセルにしては問題がある。また面白みには欠ける部分もある。4楽章コーダの派手さを買って○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第4番,○ホルライザー指揮バンベルク交響楽団(VOX),,一楽章はなかなかスケールのあるしっかりしたドラマが印象的。この指揮者にはめずらしくソロ楽器のニュアンス表現にソリスティックな揺らしも入る。しかし二楽章からがぱっとしない。所々ぎくしゃくしたテンポは実直な表現を求める指揮者と柔軟性を示したがるオケのソゴに起因するものだろうか。ソリスティックな表現にもぎくしゃくした雰囲気がただよう。4楽章はドイツ的で悪くはないが結局ぎくしゃくした感のまま少し拡散的に終わる。1楽章を評価して○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第4番,○マルケヴィッチ指揮ベルリン・フィル(DA:CD-R)1974live,,時期にしては不明瞭なモノラル録音。演奏は意外と濃くマルケの洗練されたイメージとは違う音がベルリン・フィルからギリギリと引き出されている。音質的にベルリン・フィルである必要性は余り感じないが技術的にも音量的にもこのオケならではといったところはあり、マルケファンなら最後の疾駆まで楽しめるだろう。私はもっとロシア臭が抜けているのを期待していたので、意外とスヴェトラふう、って感じを受けてしまった。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第4番,○ルドルフ・アルベルト指揮パリ・フィル(ラムルー管弦楽団)(CFD/ACCORD他)1958/5/10・CD,,しっかりした歩みの独欧的なチャイコで、だからこその構造のわかりやすさが目鱗を落とす可能性もある。この曲は全楽章を通しての種々の動機の有機的なつながりや独創的な管弦楽法とその展開方法に着目してきちんと聴くと、チャイコが苦手な向きもそれなりに面白みを見出すことができる。5番のように単純でもなければ6番のように主情的すぎない。フランスはチャイコに冷淡と言われていたが、この演奏では独逸の指揮者を相手に色彩的かつ構築的な演奏を繰り広げており、アルベール・ヴォルフの録音と比べてもきっちりと収まったさまがなかなかに堂に入っている。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:交響曲第4番,マルコ指揮ウルグアイ国営放送交響楽団(SLS)1955/5/21、プロコフィエフに比べてノイズ塗れ録音も演奏も(曲も)今ひとつなところがあるが、異常な大喝采に終わったので凄い演奏だったのだろう。オケは本当にウルグアイのオケなんだろうか?精度が高すぎる,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,E.クライバー指揮NBC交響楽団(MUSIC&ARTS)1948/1/3LIVE〜この曲、私は苦手である。6曲中最も劇的で、激しい曲想を展開する曲だが、いささか仰々しく大袈裟に感じるのがその理由。ここでも水際立った指揮ぶりでなかなかの演奏を聞かせるクライバーだが、どうも誰の演奏を聞いてもこの曲は同じ印象しか持てない。反じていえば、その凝り固まったアタマを溶かしてくれる清新な演奏に出会えていないのであり、この演奏もそこまでの清新さは無いということで、とりあえず無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,ヴォルフ指揮パリ音楽院管弦楽団(DECCA)1966初出〜ウォルフとするのかヴォルフと書くべきなのかわからないがここではアルベール・ウォルフと読んでおく。フランスもの専門と思われがちだがこういう曲も振っている。おおまかにはさらっとした肌触りのスマートな演奏という感じだが、細かくはけっこうダイナミックな起伏がつけられていて、そのへんのバランスが良い。この演奏で4番を覚えてしまうと、どんな演奏でも生臭く感じてしまうだろう・・・私がその証拠だ。正攻法とでも言うべきか、率直な演奏でクセは無い。パリ音楽院管がイイ味を出している。総じて格調の高い演奏だ。ステレオ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,エネスコ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA/venezia)1946/4/21チャイコフスキーホールLIVE・CD〜エネスコは情緒的な指揮をするが、ここではそれほど派手な解釈というものは見られない。ただ、オケの強力なロシア臭が否が応でも気分を高揚させ、聴く者を楽しませる。やはり弦楽器のフレージングにエネスコならではの個性が聞かれ、なかなかの音楽となっている。音は意外と良い(モノラルだが)。エネスコは細部がアバウトな印象があったのだが、この録音ではライヴとは思えないほど精度の高い演奏を造り上げており耳を惹いた。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,COMMENT:,,,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,ストコフスキ指揮NBC交響楽団(CALA他)1941・CD,,さすがに30年代レベルの音質でノイズも酷く、演奏様式も30年代量産したフィラ管との盤の一部にみられた、音色より「激烈さ」を重視する傾向が強い。極端で恣意的な表現はのちの微に入り細に入る柔軟な演奏とは少し違い、シェルヘンのように強い発声にデジタルな変化を付けるものだ。録音初期には敢えて激烈に発声しないと技術的制約から溝に刻めない時期があったが、ライヴでは伝えられる独自解釈を録音だと貧弱で明確に伝えられないからこその発想が残っているのかもしれない。ストコフスキは同時期の他の指揮者同様トスカニーニに感化されたような表現をすることもまた多くあった。これはNBC響なので尚更トスカニーニ的な「即物的な激烈さ」もまたある。音が冷たく硬質なのがまたフィラ管の生温さと違う明確な曲の印象ももたらす。同曲には一楽章派と四楽章派がいると思うが(全曲の統一感だの三楽章ピチカートだけの創意だのいうメリットは二の次)、私はだんぜん四楽章派で、この演奏は「どうしてお得意であろうソビエトでここまで出来る指揮者がいなかったんだ!」と怒りを覚えるほど極めて劇的に弄り倒され厳しく整えられた「我田引水様式」として、曲を知ろうが知るまいが誰でも「わかる」興奮系演奏として完璧だと思うが、退屈な一楽章最初の方、管楽ソロが突然珍妙としか言いようのない歌い回しをさせられ、そこから変な操作が細かく入ってくると、退屈さが失せていく。沈痛に落ちていくチャイコの鬱的退屈さも、ストコの「それじゃこれでどう?」という最早歌い回しの範疇を超えた「クリエイター魂」によって払拭されてゆく。頭でっかちな曲なので2楽章なんてさすがに印象には残らないが3楽章のピチカートは浮き立つようなリズムにオケの技術的メリットが引き出されシャッとした演奏に仕上がっているのもまたストコの憎いところだ。取り敢えず有名な録音で、NBC交響楽団の奇盤で知られたものではあるので、SP並のノイズ耐性があり、チャイ四が苦手な私のような方は是非聴いて楽しんで欲しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第4番,チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(rare moth:CD-R)1988/9/30live〜圧巻、という謳い文句につられて入手したものの、あれあれ、といったかんじだった。とにかく1、2楽章は退屈。軽妙であるはずの3楽章はこういう構築的な演奏も可能なのか、と少し感心、4楽章はたしかに壮大だが、緻密というとちょっと違う感じがする。前にも書いたが筆者はチャイ4が苦手である。ある意味似たような構成の2番のベルリン・フィル盤の成功を思うと、無論曲の違いによるところは大きいのだが、それでもこれはちょっと落ちる気がした。音は悪い。ラジオ音源らしく、ぶつぶつ音がうるさい。最近の録音であることが信じられない。秋葉原石丸電気では今後CD-R盤扱いは現在在庫のみで、あとは注文の受け付けになるようだが、はっきり言って最近のCD−R盤は新しい実演ものか、かつてイタリア盤などで出ていたものの再発しかなくなっていて、魅力が薄い。そのわりに高価である(今日も愕然とした(苦笑))。買ってがっかりすることも多く、高価なだけに怒りもひとしお。はあ・・・。(2002記),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第4番,フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(EMI)1951/1,2〜古い雑誌で某有名評論家がこれを絶賛していた。まあ、あの時代では比較するものがあんまりなかったのだから、そういう評価もやむないだろうな、と思った。そう、私はこの演奏に否定的なのである。第一、録音が貧弱すぎる。これはひょっとしたらCD化のさいに失敗した結果なのかもしれないが(雑誌には「音質が良い」との記述あり!)、音量も安定しないし、さー、という雑音が入ったり消えたりを繰り返している。フルヴェン先生の盤にはよくあることかもしれないが、この演奏では非常に気になった。全般けっこう実直な演奏であり、フルヴェンにしては起伏が少なく感じる。ドイツ的というほどにはドイツ的ではないし、ロシア的では無論なく、どうも半端な感じが否めない。ウィーン・フィルは独特の叙情性を排しフルヴェンの色に染まっており、好演している。聴いていて思ったのだが、これはチャイコではないのではないか。ブラームスじゃないのか?そう思って聞くと、フルヴェン先生の解釈の節々がたとえばブラームス交響曲第1番の演奏と共通した演奏意識を持っているように思えてくる。フルヴェン先生はチャイコの後期交響曲を全て遺しているが、いずれも私は違和感をおぼえた。まあ、中心レパートリーではなかった、ということだ。精神性ウンヌンを言うにはちょっとこなれていない感じがする。4番でいえば2楽章あたりの虚無的な深淵は特筆すべきかもしれないが、消化不良な感じがしなくもない。・・・最後に良いところをひとつ。終楽章のコーダ、これは激烈だ!,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第4番,プレートル指揮シュツットガルト放送交響楽団(WEITBLICK)1991/6128live・CD,,ライヴというが継ぎ接ぎでもないのに演奏瑕疵はほとんど無く拍手も無い。最初こそプレートルのスタジオ録音のイメージに沿った透明感ある構築性と適度な張りのある演奏だが後半楽章、とくに四楽章は別の面即ちエキセントリックさが明確にあらわれ気を煽る。スピードはひたすら速く、アタックは尽く強く攻撃的である。一本調子ではなく期待されるものを上回って提示してくる。オケは少しドイツ臭いが技術的にむしろプレートルを助けるくらいの心強さである。この曲は得意ではないが、地味な三楽章(弦のピチカートだけによる)のあとの四楽章文字通り火のようなアレグロには傾聴。フランスふうの軽い音響ではないから、プレートルの国民楽派への傾倒ぶりがよりよくわかるだろう。そのあとのビゼーの交響曲が霞む。同日ライヴというのもこの精度では素晴らしい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第4番,モントゥ指揮ボストン交響楽団(RCA)1959/1/28〜うーん。余りにクリアで硬質な音のぶつかりあいが雑然さを産み、モントゥー芸術を曇らせている感じがする、と言ったらいいのでしょうか。ボストン響、音が堅い。昔から意外な名盤として知られていた盤で、ステレオ初期における4番録音の嚆矢に挙げられたこともある盤だが、集中力の高さはとりたてて言うほどずば抜けているとは思えないし、ぶっきらぼうな管楽器の発声も、たとえばクレンペラーのような演奏様式ならいいのだが、中途半端に柔らかいモントゥーにはマイナスに働いているように思う。弦に個性が無いのは、そういう楽団なのだから仕方ないのだが・・・。ああ、この感想が冒頭で挙げた録音の悪さのせいであればよいのだが。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第4番〜W,ムック指揮ボストンSO 1917.8
チャイコフスキー:交響曲第5番,△ゲール指揮ローマ・フィル管弦楽団(GUILDE INTERNATIONALE DU DISQUE)LPどうにもお粗末。3、4楽章は比較的盛り上がるけれども、前半楽章は退屈で奇妙。2楽章がこれほど盛り上がらない(意図的ならまだしもマジメにやってこれでは・・・)演奏は初めて聴いた。到底巧い指揮者とは言えないゲール、せめてラテンのオケなんだから感情的に盛り上がっていいと思うのに、ご自分の奇妙な解釈をオケに強いているような、人工的で散漫な音楽になってしまっている。4楽章の後半の盛り上がりはさすがに熱いし強烈なルバートもハマってくるが、前半楽章だけで聴く気の失せる演奏。録音も悪い。頒布版LP。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○A.ヤンソンス指揮レニングラード・フィル(ALTUS)1970年7月1日、大阪フェスティバルホールLIVE・CD,,圧倒的に終楽章が聞きもの。これを聞いて感激した人間が多かったのか、やたら売れているのも頷ける。別におかしなことをやっているわけではないのだが、ここに聞かれるものは技術的なものを越えたひとつの芸術の頂点であり、チャイコフスキー5番の演奏史上にある他の歴々に劣らない名匠の成せる技の発露と見ていいだろう。ベストセラーとなっているのもさもありなんだ(2005/01現在)。終演後の壮絶なブラヴォーと拍手はスヴェトラーノフ以降のちょっとおかしなブラヴォー乱発期以前の、ほんとうのブラヴォーであり拍手である。彼らが指揮者個人に向けて叫んだのではなく、今回のこの名演自体に向けて叫んだということはこのタイミングや響きを聞けば瞭然だ。素晴らしい記録が出たものである。基本線は余りテンポを揺らさず自然な流れの上にロシア的な強靭で磊落な響きを載せていくやり方で、ムラヴィンスキーの理知的で個性的なやり方とは異なる所謂メリク・パシャーエフ的なソヴィエト式の典型、といった感じだが、内声部までしっかり整えた上で、その内声自体を磨き上げ必要以上に強く主張させていくことで音楽にボリューム感をあたえている。これがムラヴィンスキーのレニングラード?と思わせるようなミスやキレの悪さを感じるところも少なからずあり、指揮技術的にはムラヴィンスキーより劣ると感じる向きもあるかもしれない。だが、これは揺り戻しなのである。ムラヴィンスキー独特の粘らず直線的に盛り上げる方法、悪く言えばアンサンブルは素晴らしいが淡彩的で一つ一つの演奏が個性に欠け、詰まらない完成されてしまった芸ばかり聞かされるのは正直辛い。レニングラード・フィルとてそうだろう。こういう指揮者が脇にいてこそ彼らもモチベーションを保ちバランスのとれた芸を聞かせられるのだ(と思う)。ヤンソンスも単細胞に無茶苦茶やる指揮者ではない。寧ろ無理なく派手に聞かせるすべを心得ている。だからひとつひとつの楽器を聞いていても他の所謂ロシアロシアした指揮者に比べそんなに変なことはさせていない。弦はレニングラードの力強い弦そのものでそれ以上でもそれ以下でもないし(終楽章は胸のすく演奏を聞かせてくれるが)、ブラスは叫ぶところは叫ぶが(ペットの下品な響きはいかにもロシア流でほほえましい)おしなべて抑制され、特に音符の長さを厳しく制約されている。基本的に短く切り上げる傾向があり、結果発音がとても歯切れ良く、いいリズムが保たれている。ヤンソンスがリズム系の演奏にすぐれていた証左のひとつだろう。面白いのは旋律的な部分になるとグダグダとは言わないまでも自由にリズム取りをまかせているところ。基本的に短く吹かせているのに、突然アクセントの甘い長々しい吹き方をさせているところが面白い。ヘタ、と感じる人もいるかもしれないが解釈である。長々と書いたが、もちろんこれが史上燦然と輝く名演とは言わない。でも、5番のいかにも派手にやりましたよ的な演奏や、いかにもムラヴィンスキーなガチガチの演奏に飽きたら、手を出してみていただきたい。佳演。 ,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ヴィルヘルム・シュヒター指揮北西ドイツ・フィル(IMPERIAL)LP 日本と縁深いこの人の演奏は物凄くドイツっぽいわけではない(ブラスの朗々とした斉唱はいかにもドイツだが)。ちょっと発音への配慮が甘く、とくに最強音部分での音量にバイアスがかかったようになるのはどうしたものか(残響のかかる遠い録音のせいのような気もする)。特筆すべきはフレージングの繊細さとデュナーミクへの配慮である。音量変化がけっこう細かくつけられていて、旋律楽器(一本とは限らない)のじつにソリスト的で美しいフレージングとの相乗効果がすばらしい。4楽章など水際立ったアンサンブルの妙味とあいまってなかなか聞きものである。これは録音かもしれないがデフォルメされた大きめのデュナーミクがつけられているところも見られる。とはいえそれらは細かい部分での話。全般的にはおおむね常識の範囲内だ。こういう渋い演奏は復刻されにくいけれども、リマスタリングのやり方によっては大化けする可能性があると思う。どこか復刻してください。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ヴェス指揮オーストリア交響楽団(REMINGTON)LP,,クルト・ヴェスはN響を振ったり近年のブルックナーライヴ音盤化でわりと人気の出た指揮者だと思うが、この演奏もじつに「チャイ5らしい」もので楽しく聞ける。しっかりしたところはしっかりしているがそれ以上に感情に素直で、つくづく「モントゥやチェリにはこれが無いんだよなあ」と思う。いい意味で期待どおりであり、無味乾燥や純音楽的といったチャイコにおよそ似つかわしくない解釈に落ちていないところがいい。このオケの実体はVSO?音が違う気もするが・・・わりと機能的でローカリズムが鼻につかず、バランスのよい音。録音は古い。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
チャイコフスキー:交響曲第5番,○オッテルロー指揮読売日響(DA:CD-R)1973/11/12LIVE,,スタイリッシュで清々しい5番!読売日響の巧さに驚嘆。個性はないが技術は完璧に近い。弦の乱れなどライヴならあって当然、しかしほとんど気にならない。層の厚い響きがロシア的な雄大さすら感じさせる終楽章提示部のブラスからやはりロシアのがっつくような、まるでソビ響のような演奏ぶりというか響きというか、主部は胸がすく流麗さが野蛮な音色のかもすケレン味とあいまって凄まじい迫力をあたえている。前三楽章も十分に楽しめるがあくまでサワヤカ系であり、きわめて速いインテンポの上にアーティキュレーションだけでつけられるドラマの激しさの前には霞んでしまう。ライヴとはこういうもの、そしてかつての日本のオケにはこういう内面から沸き立つ想いがほとばしるさまが確かに聞かれたのである。マエストーソへの受け渡しもあっさりしてはいるが弦の音がキッパリとかっこいい。そしてペットの音はまるでソヴィエトのラッパの豪快さだ。これは外国にも通用しますね。最後までとにかく気持ちのいい演奏。日本のラジオのエアチェックだがきわめて状態がいい。98回定期の記録とのナレーションあり。DAの表記はNHKとなっているがあくまで放送局かホール名称か、最後に僅かに交ざる別のナレーションの誤読だろう。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○カンテルリ指揮NBC交響楽団(ARKADIA/MUSIC&ARTS)1952/3/1live〜あまり録音がよくないが、強靭で男らしい音楽は聴く価値あり。トスカニーニが振っていたらこういう演奏になったのではないか、と思わせるほど。粘らずひたすら颯爽と突き進むさまは賛否があろうが、それでもこのオケの強力さは認めざるを得ないだろう。迫力満点の音表現、ヤワなところは微塵も無い。やはり二楽章が聞き物だが、終楽章の恣意的なテンポ変化も面白い。最後フライングブラボー炸裂。佳演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○カンテルリ指揮スカラ座管弦楽団(EMI原盤,URANIA)1950/9/23-26〜なかなかドラマティックで聞きごたえのある演奏。こういう演奏に当たると、カンテルリの天才性を信じたくなってくる。1楽章序奏部後に急にテンポアップしてそのまま速めのインテンポで突き進み、即物系の演奏を受け継いでいることが伺える。これが2楽章になるとかなり叙情性を深めた演奏になっており、チャイ5の2楽章に期待されるロマン性を存分に引き出して秀逸だ。3楽章のワルツになるとやや精彩を欠き、中間部では弦楽アンサンブルが崩壊しかかっているところも散見される。これはオケの限界に帰すべき問題かもしれない。終楽章はダイナミックだ。基本的にやや遅めのテンポをとっているが自然な抑揚に従い揺れている。力づくではない、トスカニーニとの差異を感じるのはこういうところだ。最後のマエストーソも作為的にテンポを変えて面白い聴感をあたえる。総じて熱演。聴いていてスカッとする演奏である。ウラニア盤は例によって変な残響がかかっているが、この盤では気にならなかった。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,カンテルリ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1953/1/31live,,早く帰りたかったのだろうか。せっかちで、まったく粘らない。せいぜいが2楽章の頭くらいである。終楽章にいたってはオケの機能フル回転、その性能を見せ付けて終わるようなかんじ。浅い曲ではあるが余りに浅浅しい表現で、聴衆も何か指揮者の能力を検査し終わったというような素っ気無い拍手。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○クーセヴィツキー指揮NYP(whra)1942/3/1live・CD,,クーセヴィツキーがニューヨーク・フィルを完全に掌握し、ぎしっと引き締めて表現させたなかなかの演奏。細部は分離が悪く聞き取れないが、メンゲルベルクのようにポルタメントをかけ過ぎてメロメロになることはなく、特に前半楽章でテンポの極端な変化が目立つものの、うまくコントロールして完全に板に着いているので違和感はない。雄渾で誠実であり、クーセヴィツキーの得意な曲目であることを改めて認識させる。オケの上手さ、統率の良さに驚いた。この人は時たま豪速球を投げるだけの演奏をするので。。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(music&arts)1943/11/6live・CD M&Aはこのライヴによる後期交響曲集を恐らく初出としている。4、6番は少なくともASdiscで出ており、この5番だけが私は初めて見るものだった。そのため、この一曲だけのために今回入手したのだが・・・M&Aがウソを書くことはないとは思うのだが、拍手がカットされているせいもありスタジオ録音と同じような感じに聞こえた。演奏時間の違いも非常に僅かで、数秒から数十秒しかない。時間が大きく変化する類の指揮者ではないとはいえ、余りに近似しすぎており、怪しい。リマスタリングの違いの範囲内かもしれないが、それでも1楽章からビクターのスタジオ盤に比べ焦燥感と前進力を感じるのも確かで、とくに4楽章の起伏と迫力は完全に上を行っている。心なしか速く感じるが時間は長い(といっても前記のとおり)。唯一3楽章のみが数秒短く、たしかにこの楽章の躍動感はスタジオ盤より上のようにも感じる。録音は悪い(とくに前半楽章)がスタジオ盤も似たり寄ったりなので特に問題とは感じない。苛烈なデフォルメの施された4楽章の熱狂的な感興はとても素人指揮者ができるものではない。○。但し、ここで言う違いはあくまで録音印象かもしれない。くれぐれも「怪しい」のでご注意を。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(victor/biddulph)1944/11/22・CDこれぞチャイ5!というカタルシスの得られる演奏。終楽章の最後など期待通りの盛り上がりぶり。しかし恣意的に揺れるロシアン指揮者ではない、緊密で怒涛がクーセヴィツキーだ!音質的問題およびモントゥ、ミュンシュというフランス系指揮者のビッグネームに押されて人気薄の感のある人だが、怒涛の推進力、うねるニュアンスそしてしかもロシア系といったらこの人以外にいない。コンドラシン+αの何かを持っていた指揮者であった。この録音も戦中のもので悪く、とても最上評価はつけられないが、この時代のチャイコ、しかもアメリカのものとしては最高級と言っていい。1楽章から強靭で男らしい音楽が始まるが、時々解釈が「えぐい」のがかっこいい。2楽章は比較的常識的な範疇。3楽章は妙に落ち着いていて、品はあるが面白味はイマイチか。そして4楽章、時々変なテンポ・ルバートが入るが全般にはマトモで立派な演奏ぶりだ。響きの緊密さと音楽の力感にはワクワクさせられるが(この速いテンポ!)個人的にはもっと前進力が欲しい気もしたがスタジオ録音としては十分だろう。とにかくマエストーソ後の感情的な盛り上がりがステキです。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○クリップス指揮ウィーン・フィル(emi)1958/9・CD〜いやあ、美しい!ウィーン・フィルの特質を排斥するような指揮者の多い中、このウィーンっ子指揮者、1楽章のシンコペの主題とか、3楽章のワルツとかがじつに舞曲ふうでキマっているが、それだけではない、ウィーン・フィルの特にブラスの個性的な音をつぶさずに、うまいこときりりと締め上げて、颯爽とした、しかも堂々とした演奏をやってのけている。これはあっさりしすぎと感じる人もいるかもしれないが、音色を見よ!じつに多彩な音が聞こえるではないか。私は感じ入った。なんだかんだ言ってもテンポは揺れるし、終楽章の終盤などスヴェトラーノフかと思うようなテンポ・ルバートが聞こえたりする面白い演奏でもある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,クレンペラー フィルハーモニアO
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ケンペン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ(PHILIPS)1951/12〜まずもって凄い迫力だ。コンセルトヘボウの威力を最大限に引き出している。弦楽器のカタマリが真正面にぶつかってきて、多少のバラケも近いマイクが幸いして、すごいイキオイの中に雲散霧消。1、3楽章のテンポ廻しの巧さといったらもう!行進曲や舞曲の表現の巧さには心が浮き立つ思いだ。縦線をきっちり合わせて強い発音をほどこすやりかたはどちらかというとドイツ的か。2楽章がイマイチ潤いに欠けるのと、終楽章がやや遅いのが気になったので○ひとつにしておくが、何度でも聴きたくなる名演だ。音響にかんしては、ブラスをはじめとして、どちらかというとロシアの演奏に近いかも。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ケンペ指揮バイエルン放送交響楽団(METEOR)?〜音もいいしオケもしっくりいくし、これはケンペのオハコの演奏の中でも最良の産物にちがいない。ライヴ?とは思えないような精度の高さ、ハーモニーへの配慮、細部にいたるまでの指示の徹底、聴いていてスキのなさに愕然とする。1楽章、重く引きずるような前奏から、かなりテンポアップした主部、決して粘らず突き進む第二主題のすがすがしさ、2楽章、ホルンはともかく(ぽぽぽぽーぽーという、感情のカケラもない吹きぶりに落胆)次いでチェロで主題が再現されるところのフレージングは豊かで、満点。3楽章は軽やかに進み、4楽章はあこがれに満ちた音楽の饗宴。威厳を保ち格調高く歌われる勝利の歌には感涙。いや、ちょっと聴きスタンダードだけれども、聞き込むことのできる奥深い演奏だ。これは重厚かつ機能的なドイツのオケというところも良い方向に働いているだろう。重厚さが奥行きをもたらしている。機能性は細部までおろそかにしない緻密な表現を可能にしている(じっさいこの演奏は、チャイコ演奏によくあるごまかしやごちゃごちゃしたところは皆無だ)。面白い!という演奏ではないが、素晴らしい!と叫ぶ事は出来る。そういった印象。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ケンペ指揮ロンドン交響楽団(BBC)1964/9/16ロイヤル・アルバート・ホールLIVE〜まったく正攻法なのだが、その格調高い音楽はイギリスですこぶる人気があったようで、この演奏の最後の壮絶なブラヴォーといったらなく、びっくりしてしまう。熱狂するたぐいの演奏ではなくじっくりと聞かせる演奏であるがゆえになおさら違和感も感じるのだが、まあライヴ会場の雰囲気を盤がうまく伝えられていないだけかもしれない。ケンペは内声部に特徴的な音響操作を施す事がある。この演奏もよく聞くと不思議なフレーズの強調などが聞き取れる。スコア片手だときっともっと楽しめるだろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,ケンペ指揮ベルリン・フィル(EMI)1959/5〜ケンペかケンプかケンペンか、昔はぜんぜん区別ができませんでした。じつはケンペの演奏を聞くのはこれが初めてです。非常にオーソドックスで、中庸の指揮ぶりだな、と思った。大きな音量で聴かないと没個性的な凡演とみなしかねない。大きな音で聞けば、ベルリン・フィルの強靭な音(ヴァイオリンのポルタメント!)と水際立った指揮ぶりに、うーん、と納得することだろう。ただ、それは「納得」でしかない。正直、この演奏ではじめて曲に触れる人には丁度よい演奏であるが、すれっからしにとっては特に特徴的な部分もなく、逆にそれが特徴として聞き取れる演奏、という判断になる。ステレオ最初期の録音ではっきりいって(今回日本盤で音質アップしたとはいえ)余り良い録音ではないし、高いお金を出して聴く価値はあるのだろうか。いや、いろいろな演奏家の手垢がついて汚れた曲をすっきり洗い流して、リニューアルしたものとして聴くことはできるから、むしろすれっからしが最後に帰ってくるべき演奏なのだろう。個人的判断では、推薦しない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○コンヴィチュニー指揮ベルリン放送交響楽団(URANIA)1954初出〜素直な解釈でこれといった特徴には乏しいのだが、確とした表現はコンヴィチュニーならではのもので、揺るぎ無き構造を作り上げている。とくに聴き所は2、4楽章で、2楽章においては(まあどんな指揮者でもこの2楽章は美しく聞けてしまう名作なのだが)意外なほど歌心にあふれたあたたかい音楽を作り上げており、一方4楽章においては縦線がきっちりあった折り目正しい演奏ぶりにもかかわらず細かい感情の揺れの表現にも欠けていないのが意外だ。4楽章終盤でアッチェランドがかかるところなどこの指揮者独自の解釈である。まさにドイツ的演奏、という強い個性はないが、ドイツ系の演奏としては上に置ける佳演だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○サージェント指揮ロンドン交響楽団(EMI?),,この指揮者はスタイリッシュと言うと聞こえはいいがつねにそつない演奏を行い、録音ではなかなかその魅力の伝わりづらい中庸の感の強い人だ。しかしながらそれは同時代英国から輩出した名指揮者たちが国外でも派手に活躍していたのにくらべ、あくまで国内での名声にとどまることを好んだような活動ぶりに起因するような気がしないでもない。録音も活動ぶりからすれば少ない。あくまでライヴ指揮者だったのだ。この演奏はサージェントがスマートな指揮者「でもない」ことを伝えるかなりがっしりしたスケールのある演奏で、四楽章では遅目のテンポでドイツ的な重い発音を繰り出し始め、ただ派手にテンションを煽るのではなく構築的な演奏を指向しているのが面白い。マエストーソの序奏がカットされているのは残念だが、そういうところは合理主義指向の即物的指揮者たる片鱗をみせている。ドイツ式チャイコが好きならおすすめする。三楽章までも弛緩なく楽しめる。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ストコフスキ指揮シュツットガルト放送交響楽団(DISQUE REFRAIN)〜モノラルだが音はクリア。ストコフスキのトンデモ節を味わうには最適といえよう。よくぞまあシュツットガルトの固いオケがここまで棒(手か)に付き従ったものだ。あきらかにおかしなカット、妙な箇所でのブラス増強に変な奏法の導入などなど。伸縮自在の棒もここまでくると珍妙で、盛り上がったらはてしなくアッチェランドするのも面白い。速くなったらとことん速い演奏で、全体の構造としてはあきらかに不釣り合いだったりするが、瞬間瞬間の表現としては楽しめる。オケがしっかりしていて聞き易いので、珍味好きにはおすすめ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ストコフスキ指揮デトロイト交響楽団(M&A)1952/11/20LIVE・CD,,以前DAで抜粋を取り上げたが、試験的にステレオ全曲録音として残されたものの復刻である。無謀なカットや指示無視・勝手なアーティキュレーション付けに奏法指示などいちいち指摘していたらブログサーバがパンクするので書かないが、聴衆もわきまえていて1楽章の最後で拍手をし後の楽章間の意味不明なアタッカも受け入れて、やたらアグレッシブなころのストコ芸をアグレッシブなオケで楽しんでいる。いや、ほんとどうやっても崩しようのないかっちりした曲をこうも自分にたぐり寄せるか、といった次第で、この曲に飽きたかた・・・私含め・・・にはお薦めである。ゴージャスな響きより力わざでねじ伏せていく、素っ気ないところはとことんあっさり速く通してしまうなど、新しいものではなかなか聴けないストコ全盛期の精力的な指揮解釈ぶりが楽しめる。録音状態はけして良くはなく、正規盤としてはどうかと思う電気的雑音や高音割れ、部分的な左右位相逆転など問題はあるが、時期を考えるとデトロイトのこの時代のソリッドにアバウトな響きを聴けただけでもよしとすべきだろう。前プロの無名作曲家アブシャロモフの変な曲となぜかクーベリックがマーキュリーのオケを振ったタボールとのカプリング。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ストコフスキ指揮ニュー・フィル(DECCA)1966/9〜過去のやりたいほうだいの指揮ぶりは影をひそめ、諸所にテンポの揺れ、音響の斬新な響かせかたや独特の謡い廻しが聞き取れはするものの、かなりまともで自然な演奏に仕上がっている。ややアンサンブルに荒いところがあるが、音楽のゆたかさはそれを補って余りあるものだ。ニュー・フィルが巧い。弦楽器の豊穣な響きが耳を惹く。1楽章、特徴的な大ルバートなどばしりと決まって恰好がいい。2楽章のホルン・ソロは情緒纏綿で、オケも見事につけていて、幻想味あふれる曲づくりがなされている。この楽章のあこがれと憂愁の音楽は聴くものの心を惹きつけて離さない。歌心あふれる演奏ぶりだ。歌ってばかりでメリハリがないと感じる人もいるかもしれないが、これはこれでひとつの見識だと思う。この2楽章はとにかく特徴的な演奏だ。3楽章にも独特の謡い廻しが聞かれるが全般的にはまともだ。4楽章は威厳をもって始まる。余り速いテンポはとらず、一個一個のフレーズをよく聞かせている。また、各楽器のフレージングの細かい操作の集積が独特の聴感を与えている。基本線は過去の演奏にならっているが、ここまで細かい指示をオケに徹底させていると、たとえばコーダのカットもそれなりに説得力を持って迫ってくるから面白い。音楽をわかりやすく伝えることに一生を捧げた名匠のひとつの結論が、ここにある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ストコフスキ指揮ヒズ・オーケストラ(RCA)1953/2/10,12〜カットはともかく、表現は意外にマトモ。一楽章主題の弦による提示も(依然やや前のめりではあるが)拍をずらすまでのことはしていない。かなりオケが充実しているし解釈がきちんと行き渡っているから、ふくよかな音楽に聞こえる。会心の出来と言ってよかろう。録音の良さもあいまって○ひとつ!正統じゃないけど、佳演だ!,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,ストコフスキ指揮NDR交響楽団(IMD)1951LIVE〜モノラルで音は悪い。シュツットガルト盤でもそうだったが、一楽章第一主題が弦によって提示されるところで、休符を詰め、次の音を一拍早くのっけてくる解釈がまず耳につく。またこれもどの盤にもいえるのだが、二楽章でホルンが旋律提示するところ、音がリアルすぎてデリカシーに欠け、むしろ即物的な表現に近くなっている。いろいろと問題点が耳についてくる演奏だ。解釈の全般はシュツットガルト盤とほぼ同じだから、シュツットガルトが手に入るならそちらをオススメする。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,ストコフスキ指揮フィラデルフィア管(biddulph)1934/11/12〜さすがに音が悪いのでストコフスキ節の妙はあまり聞き取れない。印象深かったのはヴァイオリンの妙な箇所でのポルタメントで、メンゲルベルクを彷彿とするがメンゲルベルクのように必然性をもってつけられているのではなく、もっと気まぐれにきこえる。その証左に全てのヴァイオリンがポルタメントしているわけではない。ストコフスキとしてはストレートな演奏かもしれないが、終楽章コーダの導入部での瞬間カットは後年もひきつがれる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番(抜粋),○ストコフスキ指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1952/11Live,,全曲ならよかったのに!デトロイトの強烈な合奏力とドラマティックな解釈が、チャイ5のアップ系の部分だけを煽り物凄い大見得を切っていく。派手だがデトロイトなのでばらけはしない。ただ、恐らく演奏会自体そういう構成だったのだと思うが*、3楽章のワルツが抜けている。1楽章終わりで拍手が入り一旦途切れるところからも、再編集版かもしくは元からワルツなどという要素を入れたくなかったストコの芸人魂がなしたわざなのかもしれない。つくづく全曲であればよかった。いい演奏。50年代には名演多いねストコ。録音は同時代の放送ACとしては妥当なラインか。細かいフレーズ削除など、ほぼストコ編曲と言ってもいい部分も多々あります。,,*情報をいただきました、クーベリックとのカップリングというわけのわからない組み合わせで最近話題になったM&Aの「ステレオ(正規)実験録音」がまさにこのライヴの「全曲録音」だそうです。音質も違うそうで。修正させていただいたうえ、後日別項にて感想をアップさせていただきます。,-----,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○セル指揮ケルン放送交響楽団(EMI)1966/6/24・CD,,セルは突然近視眼的なルバートをかけることがあり、国民楽派をやるときそこが魅力でもあるのだが、オケがついていけるかといえば必ずしもそうではなく、ここでも1楽章はただでさえばらつきが目立つのに、セルと思えない精度の箇所もある。2楽章もかなり感情的な揺らぎが入るが、緩徐楽章でもありだんだんと揃ってきて、3楽章以降はまあまあの精度に落ち着いている。このオケならではの重量感と鋭さが、4楽章においては回復してきた・・・という程度。無印にすべきかもしれないが○。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(AUDIOR)?live〜EMI盤よりもさらに時間をかけてじっくり演じられたチャイ5。EMI盤と印象は同じで、どんなにゆっくりした場面でも決して弛緩しないオケの緊張感がびしびし伝わってくるのが心地よい。チェリの後期ロマン派音楽の演奏の中でも、この曲の演奏はEMI盤とともに上位に置けるのではないか。チェリの力強い音楽は多分に構築的だが、ともすると中身スカスカの枠組みだけの音楽になりかねない。それがここでは希薄もしくはまったく無い。いったんこのテンポにのってしまえば、極端な遅さも少しも気にならない。個人的にはEMI盤より気合が入っているように聞こえる。佳演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(emi)1991/5/29live〜最初はクレンペラー型の重厚肥大演奏だと思ったが、思ったより情熱的で、場所によってはかなり速度のある解釈をみせている。やはりチャイコフスキー最高の緩徐楽章である2楽章の表現の深さに恐れ入ったが、4楽章などユックリしたテンポでもダイナミックに動く音楽、太筆描きというかいかにもドイツ的な音響感覚(中声部以下の思わぬ音の突出などにびっくりさせられる)にチェリの個性を感じる。雄渾で力強い表現は私にとっては意外だった。ときおりゆっくりしたテンポの場面で音符と音符の間に空気が入ってしまうような感覚にもとらわれるが、これはチェリのどの演奏にも聞かれるもので、この盤では寧ろ少ない。マエストーソの雄大で威厳ある演奏ぶりはなかなか聞けないものだ。こまかいダイナミクス変化はフィナーレを華々しく飾っている。最後はややスカスカ感があるが、次第に盛り上がる拍手とおくゆかしく発せられるブラヴォーの声にとりあえず○ひとつつけておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,◎バルビローリ指揮ニューヨーク・フィル(dutton)〜まずハレ盤から。「おざなり解釈」になりがちな導入部からしてニュアンス深く何か意味を込めた演奏ぶり、否応無く引き込まれる。これぞ「運命」だ。微に入り細に入る暖かい解釈表現は、バルビ節といわれる、「才能」としかいいようのない素晴らしい歌心のたまもの。ハレは音色が明るく単調で、重さ暗さの表現や有機的なフレーズの表現力に欠けるゆえ、バルビの解釈を十分に生かしきれていないように思う。ゆえに演奏面ではNYPの放送ライヴに大きく水をあけるが、録音の良さゆえ○をあげよう。NYPライヴは圧倒的な力感を持ちバルビ壮年期の覇気と憧れに溢れた名演であり、解釈も即興的になりがちだが、その説得力は凄まじい。私にとって5番の理想的演奏、録音の悪さだけが弱点だ。emiスタジオ盤に話しを戻して難点をひとつ。「スタジオの」バルビはワルツ(舞曲)が下手という一面がある。ゆっくり踏みしめる足取りがいかにも人工的で「ノリ」が全く感じられない。妙にあっさりした感じすら受ける。一楽章の第二主題、三楽章など、確かに響は美しいものの、賛否あるだろう。責任の一端は自己主張無く棒に依存するかのようなハレ側にもある。ワルツに限らずバルビのスタジオ録音は可成「ユックリしていて」「キッチリしている」。だから「歌」の有機的で流麗な表現を目していながら、余りにおっとりしたテンポを維持すべく頑固に保たれる縦線のほうが目立ってしまう。結果として解釈は柔らかいのに音は固い、中途半端さが出る。このハレ盤の第4楽章など典型かもしれない。律義さが仇となっている。緩急の急に欠ける、これはバルビ・ステレオ録音後期のすべてに当てはまるといっていいが、反面、弱音部の詠嘆の表現は響の繊細さがよく表現されていて感性の美しさに感動する。マーラーの6番スタジオなどもこのたぐいで、細部の響きに拘泥せずテンポとデュナーミク変化に専念するかのようなライヴとは異なる宇宙だ。ここで今ふたたびNYP盤に目を転じると、打って変わって熱気に溢れ濃密な世界が展開されている。夢や憧れの全てがここにある。NYPという名器をえて劇的な名演になった。深みのある木管・弦楽の音色はハレには求め得ないものがある。ハレは1楽章を頂点として後半になるにしたがい吸引力を失っているが、NYP盤は最後コーダのマエストーソ(このルバート!)に至るまで、長大なドラマの起伏が計算ずくかと思わせるほどに完璧。5番ファン必聴といわせていただきたい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(emi)NYP盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○パレー指揮ORTF(DA:CD-R)1971/1/27LIVE,,いきなり即物主義的なスピードとドライさにオケがつんのめりついていけなくなりそうになるところ、足を踏みならし掛け声をかけて縦を揃え直した結果スピードは落ちたが異常にリズムの強い(附点音符の引っ掛け方などまるでラフマニノフだ)ドイツ風の構造的なチャイ5が出来上がった、2楽章以降もそのテンポが維持されるためカンタービレの余裕ができたせいか弦歌う歌う、パレー的な強靱なフォルムが危うくなるまでうねるような旋律が歌われる。ワルツの歌い回しの巧さもやはりリズム感のよさに裏付けされている。弾けるリズムや強引なスピードに対して音響的配慮があまりなくなる傾向をパレーには感じることがあるが、このライヴでは1楽章前半までで解消されていて聴き易い。4楽章ではわりとよくある解釈に落ち着いていく感も否めないが、しっかりリズムを踏みしめて進むマエストーソまで盛り上がりはしっかり作られていて、パレーらしくないチャイコらしいチャイコになっている。内面的燃焼度の高さは終演後次第に高まるブラヴォの中に窺い知ることができる。祝祭的な雰囲気もある佳演。但しモノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ビーア指揮ナショナル交響楽団(decca/グッディーズ:CD-R)1944/6/8,,なかなか楽しめる演奏。雄渾で前進力があり、オケの調子もよい。弦の揃い方はSP期とは思えない。ソロ楽器もいずれも上出来。惜しむらくはノイズだがこれは板起こしゆえしょうがないだろう。ここを削って聴き易くすると弦の出来などわからなくなる。高音の抜けが悪くなってしまい、演奏自体が悪いもののように聴こえてしまう。○。ホルンはデニス・ブレイン。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○フリッチャイ指揮ストックホルム・フィル(IMG)1957/3/6LIVE・CD たいへんに引き締まった演奏で、フリッチャイらしい男気が漲っている。オケの尋常じゃないテンションはどの楽章でも爆発しているがやはり終楽章のアップテンポでギチギチな演奏ぶりは尋常じゃない。突き刺すような弦楽器のフレージング、強烈な破裂音をたてて乱打される太鼓、野太く張り裂けんばかりに轟き渡るブラスのひびき。まずはもう直情型の演奏であり、また構築的で堅牢なつくりはドイツっぽさをぷんぷん感じさせる。中低音域(とくにブラス)の安定した音響は情緒的に不安定な楽曲に安定感をもたらし秀逸である。オケにやる気が満ちているのが快い。ミスもたびたび聞かれるけど、ロシアのオケを聴くような気分で浸れる。ちょっと影が無さ過ぎる終盤は好悪あろうが、最後まで突き進むやり方は私は心地よく感じた。この曲の白眉たる2楽章は非常に心象的であるが、テンポをあまり緩めないため、すんなり聴き込める演奏になっている。フレージングに工夫がほしい気もするが大局的には問題無い。全般、モノラルで決して良い条件の録音とは言えないけれど、○ひとつつけておく。これを聴いて嫌悪感を感じる人はあまりいないのではないか。これはストックホルム・フィル100周年ボックスに収録されたライヴ演奏。同ボックスは今ならネットショップで廉価で容易に手に入るとのこと。・・・私は廉価でも容易でもなかったが(泣)5番は知る限りDGとOLFEOにも録音が残っている(後者ライヴ)。(2003/1/19記),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○フリッチャイ指揮ベルリン・フィル(DG)〜フリッチャイは情緒的な棒を振るがじつはかなり計算ずくであり、それゆえにアンサンブルの乱れも無く集中力の高い演奏たりえている。これほど情熱的なのに恣意性が浮き立たずきわめて自然に聞こえるところにこの指揮者の凄みを感じる。別記のクーベリックとは対照的だ(もっとも、この盤に限って、ということであり、ライヴではかなり恣意性を感じさせる)。ベルリン・フィルも重厚な響きをもってフリッチャイの要望にこたえている。そこにはフルトヴェングラーを彷彿とさせる勢いがある。日本ポリドールの解説よりフリッチャイの紹介を引用。〜指揮者フェレンツ・フリッチャイは、戦後に台頭した若い世代の指揮者群の中にあって、最も目覚ましい活躍をつづけて、未来を嘱望されている人である。彼は1914年バルトークの生国と同じハンガリイに生れ、ブタペスト音楽院でゾルタン・コダイと、ベラ・バルトークに学び、卒業後ハンガリイ第二の都市であるセゲドの歌劇場で指揮者をつとめていたが、1947年ザルツブルク音楽祭で、急病のクレムペラーに代つて一躍その真価を認められてベルリンに招聘された。以後彼はドイツに止まることを余儀なくされ、ベルリンのアメリカ地区にある放送局の交響楽団の指揮者に抜擢された。西ドイツ文化運動のために果した大きな役割に対し、1952年の音楽賞が、西ドイツ芸術及び音楽批評家連盟から贈られた。〜(解説中村善吉),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ホルライザー指揮バンベルク交響楽団(VOX),,どうも音色といいアバウトな演奏ぶりといいリズムの小気味よさといいウィーンの気がする。つまりはオトもリズム取りも好きということである。指揮は実直で解釈は直線的だが柔軟性がないわけではないからこそ、ライヴに近い雰囲気を楽しめる。後半楽章でとくにテンポが前にいきっぱなしになり弦が走り弓の返しがあわず、木管がつんのめりまくるスタジオ録音とは思えない箇所が気になるが、艶ある音色と覇気のようなものに騙されてよしとしてしまう。BRSO的ではないが4番も同じオトがしているので、ホルライザーの指示が音色にまでうまく反映されているのだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○マックス・ルドルフ指揮スタジアム・コンサーツ交響楽団(WORLD RECORD CLUB他)LP 前半楽章がめっさ良い!鄙びた素朴な音のオケには独特の魅力があるし(深い味わいや高度なアンサンブル力は無いけれど)、棒も多少その場の感情でテンポが不安定になるきらいがあるが、全般なかなかの名人芸を見せている。特に前半楽章、要所要所でかかるルバートが巧い!一貫してかなり速いテンポが維持されるのだが、旋律の頂点が来ると、ごく短いルバートが見栄を切るように挿入される。これがなんとも独特な感じなのだ。後半楽章も楽しめないと言うわけではないが前半に比べ独特の見せ場というものがなく個性は薄いかもしれない。終楽章のコーダで分厚い音響が重ねられた通奏旋律が謡われる場所で、ふと思った。これはブラームスだ。ブラ1の世界だ。オケが余りにあっけらかんとしているためにここまでそう思わなかったのだが、改めて聴いてみると、ドイツ的クセの結構表出している演奏だということに今更ながら気が付いた。常にくっきり浮き彫りにされる内声部(様々な楽器に顕れる付点音符付の音形が主旋律にポリフォニックに絡んでいく様が手に取るようにわかる)、フォルテッシモでの重心の低い音響(普通の部分はそれほど低くは感じないが)、うーん、そうだ。次はブラームスとして聞き直してみよう。と思いながら静電気でやられたCDーRを廃棄して再びRに焼き直すワタシであった。録音モノラルでもイマイチなのでマイナスで○。ほんとは背筋がゾクゾクするような前半楽章の見事さに◎をあげたいところだが。マックス・ルドルフは名前は比較的よく見る。モノラル時代のドイツ系の指揮者だ(たしか)。ラヴェルの「左手」のLPで献呈者ヴィトゲンシュタインのバックをやっていたりする。こういうケレン味ある指揮をするとは思わなかった。セルのアドバイス付きの指揮法本の著者で有名とか。ワールド・レコード・クラブはかつて流行った頒布盤レーベルのひとつで、契約の関係かオケ名がわざと変えてあったり思わぬ指揮者が振っていたりなかなか楽しい。アンゲルブレシュトのダフクロはこのレーベルのLPで初めて聞いた(今はテスタメントのCDで簡単に手に入ります)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(SONY)1954/3/27・CD異常に速く揺れない演奏。だが局所的に凄いルバートがかかったりするところがミトプーらしさだ。2楽章ですら物凄い迫力で、ヘッドフォンで聴いていると思わず周りを気にしてしまう。同曲のマッチョな演奏の嚆矢にあげられる盤だろう。ところで私は最初てっきりムラヴィンスキーかと思って聴いていて、「異様にテンション高いオケだなー、ソビ響?」とか「恣意性が感じられるけど若い頃の演奏なのかな?にしては録音がいいな」とか思っていた。同時に「なんか中身の無い即物的な速さだなー」とかネガティブなことも思っていたのだけれども。ミトプーだとわかったとたん、テンションの高さと恣意性は理解できた。NYPはこんなに巧かったっけ、と言うくらい骨太でしなやかなところを見せていて、スタジオ録音ならではのものなのかな、とも思った。全般、正直あまり惹かれなかったのだが、今日の私のテンションが低いせいだったのかもしれないので、演奏行為としての完成度を評して○つけときます。うーん、ロジンスキのほうが好きだな・・。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○メンゲルベルク指揮ACO(GSE/COLUMBIA)1928・CD,,意識的に操作され再構築されたチャイ5を楽しむための演奏。正当性とか原典準拠を重視する向きには全く薦められないので悪しからず。私はこのしっかりした緊密な音楽作りに共感するし、それがスコア通りなのかどうかなど別にどうでもいい派なので、録音の悪さを割り引いても○をつけるのにやぶさかではない。デロデロな歌い方ではあるが全て個々の楽器の響きが統一され一本だけ突出するなどの不揃いな点は少しもなく、それが艶やかななめし皮のような響きを生み出している。2楽章などいい例だろう。ワルツもいい。この時代の指揮者にはワルツを本来の踊りとして表現できる人が多い。流れを止めるような瞬間的なテンポ・ルバートが導入される場面がある終楽章には賛否あろうが、それを突き動かすだけの根底の推進力はあり、トータルで気持ちの悪い点は見当たらない。非常にすんなり、面白く聞けた演奏でした。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○メンゲルベルク指揮ACO(SEVEN SEAS,KING)1939/11/26LIVEこの演奏、一楽章の欠落を28年盤から補完しているという無茶な盤。でも元がSPらしく明瞭な繋ぎ目がいくつも聞こえてくるので最早どうでもいいやという感じ。気になるのはメンゲルベルクお得意のポルタメント濫用だが、録音が悪いのでそんなに目だっては来ない。むしろそんな些末な部分よりも全体の造形の確かさに感心した。もっとも印象的だったのは2楽章で、カンタービレ!!ってかんじ。しかもソロで歌うわけではなくオケ全体が巨大な波をうっており圧巻だ。ビクビクもののホルンソロも美しい謡いかた。この2楽章は聴いて損はありません。3楽章はワルツ好きのメンゲルベルクにしてはちょっと普通すぎるか。4楽章はどんな指揮者がやっても大差なく感動させる音楽なので、コーダの序奏をカットするという無茶な解釈以外はほどほど楽しめるといった様子である。2楽章のすばらしさに全ての瑕疵が吸収されたということで○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○メンゲルベルク指揮ベルリン・フィル(いろいろ)1940stadio rec CDを探したがどこかへなくしてしまったので、LPを引きずり出して聴いてみた。メロディア盤なので音質はむにゃむにゃだが、がまんして聴いてみた。メンゲルベルクはただ者ではない。これも佳演だ。同人のほかの録音と比べて顕著な差というものはないのだが、ベルリン・フィルの底深い音には感銘を受ける。チャイ5の隠れた名場面、2楽章のホルンのくだりから懐かしい音楽の数々を慈しむように自在なルバートで歌わせているところはなんともいえず感動的である。ルバートと書いたが、けっしてその場その場の行き当たりバッタリではなく、予め解釈として譜面もしくはリハで指示済みなのだろう、アンサンブルはほとんど乱れない。その他微妙な「ずらし」が見事にはまって曲の面白味を倍増させているところも多い。終楽章のコーダの序奏が削除されているのはいつものこととはいえびっくりするが、さすがオハコ、大団円までどきどきしながら聴いてしまった。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○モントゥ指揮ORTF(ina/M&A)1958/5/8LIVE・CD,,熱演。だが余りに普通だ。解釈にまったく特徴がない。3楽章の乱れと4楽章のブラスのぶっぱなしかたくらいか。大ブラヴォはORTFがこの曲をロシアっぽくやりきったことに対してなら、納得できる。モントゥのチャイコは余りにケレン味がなさすぎる。見本品みたい。ステレオに近いくらいのよいモノラル録音で僅かにヨレがあるほかは申し分ない音。おまけで○。Amazonデジタル配信あり。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○モントゥ指揮ボストン交響楽団(RCA)1958/1/8・CDボストンって昔は案外感情的だったんだな。1楽章最初のほうのザッツの乱れ、弦楽器の細かいポルタメントの多用なんかを聞くにつけそう思った。雑味も結構多い。また、直線的にリズミカルに進むのかと思ったらフレージングにあわせて細かく伸縮させたりと(全体的にはそんなに揺れないけど)モントゥとしても意外な感じがした。1楽章は軽い。録音のせいにしても運命の歩みが軽やか過ぎる。2楽章はなかなか聞かせる。1楽章と比べても表現が板についている。オケのノリも心なしか違う気がする。3楽章はモントゥの面目躍如たる所だがそれほど強い印象は受けなかった。1楽章もそうだったが感情の起伏が浅い感じがする。4楽章はなかなかいい。リズムには軽さが残るがテンポ良く進み、音表現やフレージングは起伏に富みかっこいい。意味不明のルバートはご愛嬌。音色がイマイチあけっぴろげなのはアメリカオケだから仕方ないか。好みではないけど、フラットに考えると○。こういうチャイコが好きな人もいるはず。爽やか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1957/4/12live・CD,,これがなかなかミュンシュ張りの求心力の強い演奏で一気呵成に聴かせる。ヨーロッパ風の音、という世評に納得の弦楽器のひびき、弾き方にちょっと感動すらおぼえる(ドイツ的だ)。終楽章マエストーソでポルタメントばりばりで高らかに歌い上げるヴァイオリンに、モントゥの「心理的ドライヴ」の巧さを改めてかんじる。このひとのチャイコは余り好きではないのだが、ライヴとスタジオの違いをしっかり認識させる好演。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1959/7/19live・CD,,同日録音(牧神、ダンディ)同様この時期のライヴとしては素晴らしい安定したステレオ録音で、篭った感じはおそらく高音域のノイズを削ったためだろう。左右の幅の広さと比して上への開放感がないのが逆に音の凝縮力を高めているのか、いや恐らくもともと一層いつにもましてこのチャイコフスキーはスピードと力感、その滑らかな融合ぶりを楽しめるものとなっており、トスカニーニよりも細やかにこなれ、ムラヴィンスキーよりも柔らかく情緒的で、チャイ5でこれだけやれればもう十分だ。速いながらも緩徐部でのアーティキュレーション付けはしっかりなされ、欠けたところがない。アメリカのコンサート特有のマエストーソ前の拍手はもう慣れるしかないが、そのあとの大ブラヴォは頷ける。とにかく納得づくの「誰にも楽しめる」チャイコフスキーです。私のボックスのこのCDは少し質が悪くデジ化失敗率が高い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ルドルフ・アルベルト指揮セント・ソリ管弦楽団(club france/ACCORD)1959・CD,,この組み合わせで後期三部作をClub Francais du Disque(言わずもがな一時期高額沸騰していたフランスのLPレーベル)に録音している(セント・ソリ管は実体がラムルー管と言われている)。トスカニーニ的で軽快だが品格が感じられる演奏で、録音かオケの特性からか透明で音構造の細部まで識別しやすく、感傷的な沈潜のない純音楽的感興を掻き立てられる。CDには3、4楽章に録音難な箇所が二箇所ほどあるが、他はおおむね良好なステレオ。4楽章の人工的なテンポ設定は面白い。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○レオ・ブレッヒ指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(PACD/Electrola他)1930/10,,思いっきりアマチュアリスティックな、オールドスタイルの思うが侭。スタジオ録音なのにオケ崩壊なんて今なら考えられないところだが大曲録音自体珍しいこの頃にあっては許された、しかも決してオケが下手なのではなく指揮が即興的なのである。オケの内圧は高いから揃った部分は素晴らしい切れ味がある。そこにうまく耳を合わせられればこれほど面白いものはない、何か昔このような演奏をとても喜んで聴いていた気がして懐かしかった。きほんアレグロで、休符は須らく半分程度縮められ(本来初歩的な「怒られポイント」である)つんのめりながら爆走、緩徐主題ではデロデロ歌いこむがオケの音色からそれほどロマンティックな表現に聴こえない。SP録音ならではの異様なスピード、前時代的といってもリヒャルトやトスカニーニの香りを確実に嗅いだような即物的な表現も下手な耽溺を呼ばないのだ。ドライですらある、私はとても好きな表現である。終楽章は独自のカットが何箇所か入るがとにかく休符を休まないのであれあれと言う間に次のフレーズに進んでしまう。好悪はあれど、この時代の5番の演奏としてメンゲルベルクが頂点とすれば、そのスタイルに似た専制君主的計算の前提にありながらも、即興的に壊れてしまう「人間臭さ」が、二流を感じさせつつも、何とも言えずいい。割と中間楽章も面白いが、長々しい両端楽章を飽きさせないのがいい。この時代の権威者の見識として、○。以前国内盤CDで復刻されていたと思う。Pristineで丁寧にリマスタリングされ安価でデータ配信もされている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○レオポルド・ルードヴィヒ指揮ハンブルグ・フィル交響楽団(?)LP 期待してなかっただけにその完成度の高さに驚いた。この指揮者、玄人好み。毎度ながら私の盤はあまりに状態が悪すぎて鑑賞できるレヴェルには至っていないのだが、それでも楽しめた。これはすごいことである。一本筋の通った男らしい演奏で、1楽章序奏部の遅さにはいきなりびっくりするが、それ以外は全曲を通してひたすら速めのインテンポで押し通していく。それもごり押しするのではなくしなやかでスマートだ。トスカニーニの影響があるのだろうか、とも思ったが寧ろこれはドイツ流儀か。終楽章のクライマックスでもひたすらインテンポというある意味壮絶な演奏であり、これほど個性的な演奏が今まであまり口辺に登らなかったのが不思議なくらいだ。充実した演奏です。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ロジンスキ指揮クリーヴランド管弦楽団(COLUMBIA)LP ドライ!即物!トスカニーニもかくやと思わせる実に身のぎっしり詰まった凝縮された音楽になっている。1楽章の粘らずひたすら直線的に突き進むさまにあわあわと泡を食っているうちにたちまち終わってしまう高速演奏。じつにテンションが高い。2楽章も筋肉質に進められていくがいくぶん表情に変化を与えている箇所が有り、たとえば第二主題が弦楽器によっておおいに盛り上がる箇所では細かい変化を伴う解釈が奇抜と言えるほどにじつに人工的に施されている。ここでロジンスキのみせている芸風には「瞬間湯沸器的」という言葉がいちばん当て嵌まると思う。瞬間前には弱音のレガートで弾いていたのがいきなりスピットにフォルテッシモで且つマルカートな演奏に変わるような。デジタルな変化の加えかたはシェルヒェンに代表される表現主義の演奏家を連想させる。好き好きだが、独特の解釈であることは万人が認めるところだろう。速度は依然速いまま3楽章を駆け抜けて、終楽章もひたすら速くテンション高く、そしてここぞというところでは人工的にテンポルバートしたり表情を付けたり、あっというまにコーダに行き着いてしまう。マエストーソはもう堂に入ったもの。この演奏、私が聞いた中でも希なほど奇矯です。この速さとテンション、さらにそれを完璧に実現するクリーヴランド管は異常としか言いようがない。ヴァイオリンの細かい「飛ばし」の刻みが全員びっちり揃った演奏なんて知りません。ロジンスキのこのオケに対する圧倒的な権威と、ロジンスキの音楽の異端性が露骨に顕れた極北の「第五」。機会があればぜひ聴いて確かめてください。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィル(ASdisc)1945/10/28LIVE 戦後まもないころのライヴであり、音質に依然問題はあるものの、スタジオ録音盤にくらべ一期一会的な緊張が感じられ、面白く聴くことができる。激しくとどろく打楽器、突き刺すように激しい弦のボウイング、力強い音楽の奔流はロジンスキそのものだ。作為的なテンポ操作もけっしてダレない奏者達によってうまく(半ば強引に)表現されている。音色云々にかんしては録音が録音なのでむにゃむにゃだが、この演奏ではただ力強さを伝える事さえできればOKだろう。チャイ5に期待するすべてがある演奏。反じていえばチャイ5に期待されない意表をついた解釈はない。直球勝負。ロジンスキはいつもそうだ。迫力ある佳演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ロジンスキ指揮ロイヤル・フィル(westminster/mca)1954/10/2,3ちょっとだけ聴くつもりが聴き通してしまった。とくに終楽章の表現の強靭で見事なこと!ロジンスキはクライマックス前でいったんリタルダンドすることが多いが、ここでもその方法が見事に成功している。かなり醒めた視点を持っていながら、オケはギリギリと音がするほど締め上げられ、コンドラシン並に引き締まった演奏をほどこす。コンドラシンと違うのはかなり作為的な解釈をほどこすところで、ロジンスキをロマンティックな指揮者と誤解するもとになっているが、基本的に男らしい指揮者である。だからワルツは下手。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,D.オイストラフ指揮ウィーン・フィル(ORFEO)1972/8/23〜指揮もよくしたオイストラフのライヴ盤。硬い指揮ぶりは解釈なのか技術的なものなのか、いやどちらでも良い。世紀のヴァイオリニストに失礼な物言いだが、「好感が持てる」演奏。はじめモスクワ・フィルかと思ったくらい骨太な音をたてる弦楽セクションが、すこぶる明瞭なリズム感に支えられて、無骨、でも快く体を揺らす。揺れないテンポは往年の即物的指揮者を彷彿とさせる。このインテンポ表現と音作りはクーセヴィツキーのスタイル(=素人指揮?)に近いかもしれない。どうしてもこの人のソロ演奏解釈の傾向と比べてしまうが、やはり決してかけ離れたものではない。奇をてらわず率直な音の響きと流れに重心を置くところなどそのものである。 2楽章の最後、第2主題の静かな回想は、とつとつとして中仲情趣深い。無論良く聴けば”ほころび”もあるし、管楽器、とくに木管の処理が乱暴の気もするが、まあ「聞ける演奏」といえるのではないか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,アーベントロート指揮レニングラード・フィル(SLS)1954/10/31live,,版元は六番悲愴としているが五番。むしろアーベントロートの五番というだけで価値はある。東側を代表する指揮者の晩年記録で、相手がレニフィルというなんともなものである。破天荒さはこの人の持ち味ではないが、距離を保ち細かな揺れを好まないながら劇的効果を狙うところは狙う、そこが魅力であり、コンヴィチュニーらとは違うところだ。ただこの演奏、オケの性質と指揮者の性向が一致しないといえばしない。一楽章序奏、とにかく遅い。遅いインテンポを強いてオケの雑味が出てしまっている。主部で徐にテンポアップして通常の悲愴の感じにはなるが、この人はけしてドイツドイツした指揮者ではないと思うけれど、ここではドイツ的な構成感を大事にして崩さないから、結果ふつうの演奏になる。二楽章にきて、これはホルンとかクラといったソロの曲であるから、レニフィルならではの震える泣きのメロディが圧巻。またここで弦楽器もまとまってきて後半はびしっとアンサンブルする。音色の魅力を求める指揮者ではないから合奏部の音は味気ないが、ソロは凄い。三楽章も同傾向。ただ中間部の細かい音符の応酬ではスピードが速すぎ(ているわけでもないがムラヴィンスキー相手じゃないとこうなるのだろうというかんじで)乱れが出る。メインのメロディの歌い回しは特筆すべきところで、テンポをソロや楽団に任せて、こういうところがアーベントロートの素晴らしい手綱さばき、と思わせる。叩きつけるように終わるのも表現主義的だ。レニフィルの力感。四楽章あたりでは音ははっきり出させ音色を重視しないが人工的にドラマティックなドライヴぶりはシェルヘン的な意味で胸がすく(シェルヘンのチャイコフスキーは凡庸だが)。レニフィルとやっと呼吸があってきたのだろう。ただ、やかましいままダダダダと進んで、一息おいて同じ音量でマエストーソ、というのはすこしやかましいか。音の切り方が独特の部分もあり、またレニフィルのペットが下品で弦楽器の雑味を打ち消しとてもよい。正攻法ではあるが破天荒感ある終わり方。拍手は盛大だがブラヴォに類するものはない。面白い、けれどムラはある。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,アルバート・コーツ指揮LSO(HMV)1922/10-11・SP,,webで聴ける。エリック・コーツとは別人。オケはイギリスの一流どころなので個人技はあるのだろうが、テンポは流れがちで即興的な表現も気になり、楽しむという意味ではメンゲンベルクとトスカニーニをかけあわせて4で割ったようなもの。グダグダな部分があんまりにも多く何かしらの思い入れがないと全曲聴くのは難しい。珍演好き向け。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,イワーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)LP,,うーん私の盤面は悪すぎる(泣)冷静な判断ができかねるなあ。このやり尽くされた曲で個性を発揮するのはなかなか難しい。異常に聞き、弾きも分析もしている私には、それゆえになかなか満足いく演奏に出会えないという代物になっている。この演奏も意志的な流れに少し個性を感じるものの、ルバートのかけ方や各楽器の表現にどうしてもスヴェトラを感じてしまう。勿論逆なわけだし、もっと直截なわけだが、二楽章のホルンソロなど想起するなというほうが難しい。ルバートの振幅はもちろん小さいし、音楽のまっすぐな筋道を重視したイワーノフらしいもので、だからといって全体を厳しくスリムに締め上げ流れを作るムラヴィン様式ともあきらかに違うし、コンドラシンの豪胆な即物様式とも違うのは言わずもがなだ。逆にそういう(決して西欧的な意味でではないのだが比較論として)中庸な解釈ぶりが余り脚光を浴びないゆえんなのかも知れない。二楽章後半は安定したテンポでやや客観が勝る部分もあるが、細かい音量操作に特徴がある。もっともこのオケではなかなか弦楽器の音色の統一を始めとする、全体を一体化して盛り上げを作るのは難しいのだが、何とかレベルは保っている感じだ。三楽章は落ち着いていて個性に欠ける。テンポは相変わらず余り揺れず、微妙な音量操作にのみ特徴を見出だせる。四楽章も落ち着いているが、展開部あたりのリズムは程よく跳ねていてよい。オケはまさにソビ響、号砲磊落なブラス(しかし細部まで隙無く上手い)に開放的な弦楽器の弾きっぷり、それらのパートのおしなべて大ざっぱな音の切り方にうーんと思っていると、何故かテンポをきっちり守る木管群、成る程いつものソビ響だ。やや客観的なままクライマックスからコーダへよどみなく進むが盛り上げがイマイチだ。御定まりのコーダの表現もイワーノフらしくインテンポでリズムを守る。開放感がない。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1943/10/9live,,録音がノイズまみれで極端に聞きにくい。不安定。演奏は荒れ狂う。計算された波乱ではあろうが、急進部と緩徐部の表現が極端に違う。テンポ変化もデュナーミク変化も全然違う。ルバートしまくる緩徐部はボストンの弦楽器の底深い音が唸る凄まじい表現。ただ他の録音とは大した解釈の違いはなく、名人芸的なもの。チャイコはこの亡命指揮者にとって新作発表とは違う個人的思い入れが強い作曲家であることはそのスタイルに伺える。力強さは並みではない。録音マイナスで無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,クーベリック指揮ウィーン・フィル(EMI)1962〜きわめて特徴的な演奏である。かなり恣意的な解釈を入れてきており、それがウィーン・フィル独特の音響バランスとあいまって、不思議な世界が構築されている。これは両義的な意味で言っているのであり、個性的で面白い反面、ぎくしゃくして何だか腰の落着かない聴感を与える。ふつうルバートするところは突き進み、妙なところで謡わせたりと奇妙な解釈。また、クーベリック独特の瞬間湯沸器的なところも現われている。スタジオ録音にしてはばらけたアンサンブルで雑味が多いのはフリッチャイとは対照的である。聴きどころは2、4楽章だ。2楽章は遠い目をしている。ぽっかり穴のあいたような突き抜けた情感・・・諦念を感じる。旋律を提示するホルンのノンヴィブ表現がいかにも夕映えに響く遠い歌。この楽章は聴く価値あり。4楽章は後半の盛り上がりがなかなかかっこいい。前記したが常套的なテンポ設定をせず、普通ちょっとはルバートするようなところはケレン味なくあっさり通り過ぎる。まあけっこう仕掛けのある演奏で、雑味は多いが楽しめよう。このコンビの録音は独特で、弦、とくにヴァイオリンが極めて薄いのがいつも気になる。ウィーンらしい響きのしなやかさも余り感じられない。何か理由があるのだろうか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,コンドラシン指揮ロイヤル・フィル(CD-R)1978/1/24LIVE〜割合と無味乾燥に感じる。コンドラシンのあるイメージを非常に象徴している。剛直適度に揺れるが音色が単調で細かいニュアンスに欠けるようなのだ。悪くはない。2楽章冒頭の寂滅は素晴らしい。だが5番のイメージを覆したり倍増したりという力は無い。そういう演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,シュミット=イッセルシュテット指揮ハンブルク放送交響楽団(北西ドイツ放送交響楽団)(EMI)1952/9-10〜地道な演奏。解釈はかなりフツウ。オケ(とくにVn)に雑味があり、音色もイマイチだが、録音のせいかもしれない。アンサンブルはきちんと整えられ、この悪録音でもそれなりに聞かせる。1音1音はっきり発音するやり方はドイツっぽく、聴き易い。たしかに何度でも聴くに耐えうる演奏だと思うが、それは個性の薄さの裏返しかもしれない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,チェリビダッケ指揮ロンドン・フィル(DECCA他)1948/7/5,6,9・CD〜じつは手元のLPがとても保存状態が悪く、肝心のところで音飛びしたりパチパチいったり聞けたものではない。それでもムリヤリ聴いてみた。チェリらしい虚飾のない表現は既にここで聴くことができる。堅固な構成感が情緒に流れ易いこの曲に一本筋を通しており、聴き易い。率直な解釈は好みが分かれようが、好きな人にはたまらないかもしれない。とはいえ、そういったものは後年のチェリの演奏でも聴くことができるものであり、そちらを聴いておけば十分か。晩年のチェリとは違い比較的速いが、チャイ5の演奏としては必ずしも速い部類ではない。2、4楽章が聞き物、と言っておく。とくに4楽章は飽きさせない。ちなみに、私の手元のLPは2楽章の途中でB面に変わるという信じられないアホぶりである。(後日註:同演奏はかつてKINGから国内盤CDが出ていたし、最近また指揮者ごとの企画盤により復刻したもようである。また、私の手元に同じ録音と思われるLYSのCDもある。これらすべて5番とくるみ割り人形組曲(1948/12/28,29)との組み合わせ),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,デル・マー指揮ロンドン・フィル(EMI)1979/1/10,11〜言われるほどトンデモ演奏ではない。いや、別にストコフスキばかり聞いているからそう感じるのではなくて、独特のテンポ操作や妙なルバートという点では過去にもっといろいろな人がやっていることで、現代においてそれをやったからといって「トンデモ演奏」と片づけてしまうのは可哀相な気がする。終楽章と3楽章は比較的常識的。目立つのは1楽章か。全編ロンドンの明るく中庸の響きに包まれているので、深刻さは無い。デル・マーも鬼籍に入ってしまったが、RVWの使徒としてイギリス音楽紹介にかけた情熱のすさびで、こんなポピュラーな曲のオモシロオカシイ演奏をやってのけたのだろう。・・・さて、このページはもともと「DEAD-MUSICS!」という題名でした。そのせいか、死んだ演奏家が死んだ作曲家の曲を演奏しているものばっかり紹介してしまっている。新しい物にも手を出すべきだろうが、しばらくはこの路線で我慢していただけませんでしょうか・・・。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,パレー指揮ORTF(ina配信)1971/1/27放送live,,録音は放送ノイズがなくはないがまずまずのステレオ。パレーらしくもなく落ち着いたスピードで鼻歌すら交えながらしっかりチャイコフスキーを演じている。オケは決して万全ではなくホルンなど不安定な箇所もあるが、心に響いてくる「パレーらしくない」ゆったり、音のキレにこだわらず、心情的な演奏(ほんとにパレー??)。優秀録音のライヴだと違うのだろうか、パレーはチャイコフスキーのシンフォニーの録音をライヴ含め幾つも残していて、新即物主義の直線的なものばかりだが、これは違う。正攻法の歌謡的なチャイコフスキーであり、訴えかけるものを持っている…個性は減衰したとしても。二楽章もこのオケにしては感情表現ゆたか。とくに弦楽アンサンブルに著しい。かと言って突出することはなく木管アンサンブルとバランスがとれている。明るめで振幅の少ない音色でも、ダイナミクスとスピードで変化はできている(クライマックスでの高速インテンポはパレーらしい)。落ち着いたワルツ(ここでもパレーらしくもない弱音の柔らかさが意表をつくがさらっと拘りなく煽らない表現はパレーらしいところ)をへて、やや色調変化に乏しい雄渾な四楽章へ。細かい操作なくどちらかというと終始同じ調子でやってしまった、盛り上がりどころのはっきりしない構成感だが、よく聴くと内声の木管が変な音の切り方をしたりしているところまで聴こえて楽しい。クラリネットの音符を切り詰めた発音が心地良い。聴きやすいテンポでちゃんとごまかされず中身を味わえる。弦はやる気も体力も減退せず、やや一本調子の曲を飽きずに弾き通す(聴くこちらは少し飽きる)。大きな音のそのまんまマエストーソまで流していってしまう、クライマックスにはうーん、というところはある。ペットとホルンの淡々とした掛け合いからフランス風にあっさりさっと締める、だがブラヴォが飛びまくるのは良い演奏とみなされたのだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,パレー指揮デトロイト交響楽団(Melusina)1962/2/1live,,軽量級のチャイ5が聴きたいと漁ってきた音源だったが、テンポ的には楽譜の指示以上に揺れず速めインテンポではあるものの、三楽章を除き表情のメリハリがついていて、とくに中低音域の充実ぶりが耳に残る。チャイコフスキーの立体的な書法を明快な捌きで明らかにし、単純な旋律音楽ではなく管弦楽の傑作と認識させる。二楽章が印象的で、けしてデロデロではないのだが、パレーの鼻歌が入り続ける、つまりはそういう演奏になっていて意外だ。三楽章こそパレーそのものといった素っ気無い何も残らない(きちっとやってはいる)ものの四楽章は怒涛の音響をぶちまけながら、疾きに流れず邁進する。マエストーソ前でパラパラ拍手が入るのも頷ける迫力。コーダも物凄い。力感とスピード。聴衆ブラヴォの終幕。この音楽には一貫して清潔感があり、高潔な意思の強さもある、モノラルの良くない録音であることは惜しい。オケはたしかにレベルが高いとは言い難く一楽章では特徴的なミスが耳に残るが、それはライヴなので金管ソロにはおうおうにしてあることで、全体的に水準が揃って聴きやすくまとまっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,フリッチャイ指揮ウィーン交響楽団(ORFEO)1955/5/6LIVE・CD 管は下手だし弦はバラバラだし録音はスカスカだし指揮者は空回りすることしばしば。ウィンナホルンのひびきも棒読みのような吹き方では情緒もへったくれもない(2楽章)。2楽章でいいのは第一主題が低弦から顕れるところくらいか(ここは確かに息を呑む)。ミニマムな緩急がけっこうつけられているが変化がディジタルなため作為的に感じる。面白いがオケがついていってない。詠嘆の表現にウィーン響独特の法悦的な余韻があり(変な表現だな)、時々はっとさせられる。ききどころは1、4楽章だろう。4楽章の弦の畳み掛けるような表現には胸がすく。テンポ廻しが「巧い」指揮者ではないが、その直線的な突進はドライヴ感に満ちている。細部にしょっちゅうデフォルメが施されているけれどもルバートは一瞬ですぐに元のテンポに戻るから聴く側のテンポ感も失われずに済む。悪い演奏ではないけれども、お世辞にも上手い演奏とは言えないので無印。ゲテ扱いか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番〜Uリハーサル風景,○フリッチャイ指揮ストックホルム・フィル、ランツキ・オット(HRN)(BIS)1957/3/6LIVE・CD 冒頭が繰り返し繰り返し練習させられる。フリッチャイは何語を喋っているのか?基本はドイツ語だと思うが英語も喋ってる?表情記号はイタリア語(当然か)。それにしてもインスタントに感動できるこの曲この楽章、リハでも十分楽しめます。4分余りですけど、いいなあ。ホルンはやや硬いが、雰囲気はいい。このオケ独特の怜悧だが感傷的な音がする。ヴィブラートしない詠嘆の表現。ああ・・・終わっちゃった。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,フルトヴェングラー指揮ツーリン放送管弦楽団(M&A)1952/6/6live〜フルトヴェングラー唯一のチャイ5記録。ノイズは入るがまあまあ聴ける範囲。但し前半に一個所かなり激しいノイズあり。やはり作為的なテンポ操作が気にならなくはない。多分に情緒的ではあるが同曲情緒的解釈の枚挙に暇がないので特別変とは思わない。ただ、四楽章で気になる事がある。一個所、カットしたのか、あるいは「伸ばした」のか、ちょっと違和感があるのだ。よくわからないので気にかかるかたは聴いてみて頂きたい。コーダ前で拍手が入るのはご愛敬。オケはまあまあ。演奏としてはけっこう凡庸かも。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,マルコ指揮ウルグアイ放送交響楽団(eternities)1956/5/12live,,マルコのウルグアイライヴということでSLSで既出かもしれない。極めて悪い音のはずだがノイズリダクションされ疑似ステレオ化されている。しかしそれでも三楽章まではインパクトのある演奏ぶりで、「マルコのウルグアイライヴは凄い」という印象がモノラル悪録音特有の聞き手のバイアス(想像力)がかかっていたわけではないことがわかる。フォルムを崩さず少し硬直するスタイルとはいいつつ、いかにもロシアの指揮者のアゴーギグというところが散見される。感情には流されないが、オケのやる気、とくに弦は良い。木管が弱く、三楽章あたりになってくると録音がボロボロになっていくこと込で残念感が出てくるが、悪くはない。四楽章はフォルムを大事にしすぎて、遅くて人工感が出てくる。マエストーソ前はやりすぎだ。だがしかしブラヴォの終演。マルコが好きならどうぞ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,◎ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(altus)1977/10/19live・CD〜非常にクリアな音。クリアすぎて耳が痛くなるほど。実演の迫力をよく伝えている。ダイナミックレンジが驚くほど広く、録音に残りづらい小さなダイナミクスの変化まではっきり聞き取れる。それゆえムラヴィンスキーの颯爽とした中にも細かい解釈を明確に把握することができるものとなっている。実演に接する事の出来なかった私のような者に、その芸術の真実の姿を知らしめてくれるものだ。ムラヴィンスキー自身が満足していたと言われる来日演奏だが、当時正規録音は禁じられていたため隠し録りの形で残された録音の、これは夫人激賞・承認のうえの正規盤である。その発売の是非には賛否あろうが、これだけの良い音で、少しの瑕疵もない絶頂期の演奏を聴くことのできる幸せを、素直に喜ぼうではないか。聞きどころは意外に2楽章アンダンテ。ホルン・ソロの遠く心根深い表現に嘆息。ムラヴィンスキーの5番もたくさんある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(DREAMLIFE)1961/2/9LIVE・CD驚異的な迫力で迫る演奏。モノラルであまりよくない録音だがとくに弦楽器の勢いが物凄い。ファーストヴァイオリン各団員の微細ポルタメント入れまくったソリスティックな歌い込み方はオールドスタイルではあるけれども艶やかで全盛期のレニングラード・フィルにふさわしい意気のあらわれだ。ムラヴィンスキーの解釈は基本的にどの盤においても同じで、あとは其の時々でどのくらい団員が音にできるかというところにかかってくるわけだが、この演奏では意外とムラヴィンスキーも感情的であり、盛り上がると速くなる。そこにときどき譜面を見返したようにストップをかけるわけだが団員の勢いはそれを押し返さんばかりのものになっている。ムラヴィンスキーの独特の解釈はスヴェトラのように一般受けするものではなく、いささか哲学的で謎めいている。この感情の爆発そのものの楽曲にあっても安易に盛り上がりを作るのではなく、独特の伸縮を施し新しい面を浮き彫りにしようとする意気に溢れている。私個人的にはこのやり方にはあまり賛成できない。素直にベートーヴェン的勝利を味わいたいのに、盛り上がりどころはあっさり、思わぬ所をゆっくり歌い込むなど恣意性が耳につきカタルシスを味わえない。でも、でもなおこの盤は迫ってくるものが有る。とくに切り裂くような鋭さを見せる終楽章は他に代え難いものがある。これはライヴでしかありえないし、団員すべてが解釈に納得して全精力を傾けて演奏しているとしか言えない。名演である。僅かなバラケが聞かれなくもないのと録音マイナスで○ひとつに留めておくが。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(DREAMLIFE他)1965/2/21live・CD,,録音はぼんやりしてハスキーなところはハスキーで余りよくない。1楽章ははっきり言って凡演である。素っ気無くただ音楽が流れるだけ。2楽章第二主題前のチェロの強奏からいきなりアゴーギグがきつくなってムラヴィン・レニフィルらしさがようやく顔を見せる。ブラスのロシア吹きが余り、けっこうミスが目立ったりとか、ワルツの異常な表情付けとか、4楽章のいつもの物凄いスピードとか、このへんはムラヴィンにしか出しえなかったレニフィルの分厚い響きと乱れぬアンサンブル(他の指揮者のときとはメンバーも違うのだろう)が楽しめる。とにかく1楽章がトスカニーニに聴かせるにも恥ずかしいほどに素っ気無いので気に入らないが、まあ○か。最後はかなり盛り上がる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,△ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(OLYMPIA)1978ウィーンLIVE・CD ステレオという文字に騙されてはいけない。擬似ステである。ただでさえ鑑賞に耐えない篭りまくった最悪録音なのに、変な残響が加わると左からブラス右からヴァイオリンと変なバランスの実に聞きづらい音になる。とにかく篭っているのは致命的で、聞こえるべき音が悉く聞こえない(盛り上がりどころで音がすっと消えたりする!)。こういう悪条件でも聞ける演奏というのはあるのだが、この演奏、どんなに聞いても他のもっといい録音の盤と比べて上にあるとは決して言えない。逆にこんな録音条件だとムラヴィンスキーでも案外ひっかかりが無いというかケレン味のないつまらない演奏に聞こえてしまうのだなあ、と思った。気分が高揚するのは終楽章くらいである。この録音は有名だそうだが、このオリンピアというレーベルがかつてのオリンピアと同じ物かどうかは疑問らしい。うーむ。資料的価値のみ、カップリングのブラ2を聴くべき録音か。△。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,ムラヴィンスキー指揮ソヴィエト国立交響楽団(BMG,MELODIYA/RUSSIAN DISC)1949/1/19モスクワ音楽院大ホールLIVE・CD かなり強引でアクの強いところのある演奏。ムラヴィンスキーの解釈はこの頃から後年までほとんど変わっていないが、瞬間湯沸器的なテンポアップやオケに起因するであろう豪快でバラケ味のある表現には独特のものがある。終楽章はかなりドライヴ感に満ちていていいが、たとえば2楽章のホルンソロなど、レニフィルとはやはり違うソヴィ響ならではのソリスティックな味があり、ちょっと違和感を感じる。ガウクやスヴェトラのオケはやはりムラヴィンのレニフィルとは違って多分にバラケ味があるぶん豪快であり、団員ひとりひとりがソリスト気分で寄り集まったようなところがあって、ソロ場面は聞かせるがオケ場面はちょっと雑味が目立つ。音色的にも感情があからさまというか派手で独特のものがあり、レニフィルが西欧的な艶をもった音色で洗練を見せていたのとはあきらかに違う。ここでもその違いは歴然である。 ○をあげたいが、まだまだ若いといったところで無印にしておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(ICONE,VICTOR)1983/3/11LIVE・CD ビクターが輸入販売しておきながら限りなく怪しい録音ソースゆえに名声を下げたイコンの一枚。BMGの出したムラヴィンスキー集付属のディスコグラフィにも一切掲載されなかった。この演奏も限りなく怪しいのだが、ムラヴィンスキーであることは確かだと思うから、深くは追わない。ライヴ雑音が入るのでモスクワ放送コンサートホールでのライヴという点は正しいだろう。録音日が誤っている可能性は高い。そういう点を念頭におくと、尚更1楽章でのぎくしゃくした演奏ぶりが気になってくる人は多いだろう。この楽章についてはムラヴィンスキーとは思えないグズグズぶりで、恣意的な解釈がじつにぎごちなく表現されている。ムラヴィンスキーではないのじゃないか、と思うほどの出来の悪さだ。これが後半楽章になってくるとやっとしっくりいくようになってくるのだが、ライヴ感というか、終楽章までザッツがばらけてイマイチきちっとハマらない箇所がそれこそ無数に聞かれる。録音がクリアなせいでそこまで聞こえてしまうのだ、と言うのは簡単だが、それにしても感情というものが無くただおかしく伸縮する音楽というのはどんなものか。ここまでこきおろしておいて終楽章後半の勢いはすばらしかった、と付け加えて逃げておきます。いかんせんしっくりこない演奏だった。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(MELODIYA他)1982/11/6live・CD,,生気のない演奏ぶりでどうにも面白みが見出せない。ムラヴィンスキーには解釈はそのままに痩せて弱体化してしまったようなふうの演奏がたまに聞かれるが演奏者側の都合かたまたま録音状態が悪かったのか。オケがいかにもロシアオケの悪い部分を強調したような、しかもレニフィルの良い部分が余り出ていないという、何か別の指揮者がムラヴィンを真似て振ったようなスカスカで不恰好なところが何なのか、テンポ設定もいつもどおり速いが、人工的な感じを与える「らしくない」ものとなっている。最近変な海外レーベルでCD復刻されている。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(RUSSIAN DISC)1983/3/19LIVE・CD 終演後のあたたかな拍手、指揮者再臨を促す手拍子が印象的だった。・・・そう、演奏自体はムラヴィンスキーの厳しくも流麗な解釈そのもので、はっきり言って聞き飽きた感じなので、言うことはない。録音の不安定さ(とつぜんモノになったりする)マイナスで無印。もっとも2楽章は楽曲自体の魅力が凄まじいので何度聞いても感動する。それにしてもつくづくムラヴィンスキーはロシアン指揮者の中では異質だったのだなあ。デフォルメを避け、緻密に設計を行い、ギリギリと音を磨き上げ、冷酷なまでに完璧なアンサンブルを指向する。ステージは極寒の恐ろしさだが客席は暖かい。そんな情景が目の裏に浮かんだ(人はそれを妄想と言う)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第5番,ロスバウト指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団(naxos)1957・CD,,正規録音だがモノラルで音はこもってよくない。音量を上げて聴くことをおすすめする。今まで出ていてもおかしくなかった復刻だけれど記憶の限り無い(CD-R除く)。思わず(間違えて)二枚買ってしまった(売る)。演奏はエッジの鋭い、それでいて重量感もある音で流れ良く仕立てている。モノラルのドイツ系のチャイコとしては野暮さが一切なく、妙な構築性も目立たず(ちゃんと組み立ててはいる)肩ひじ張ったものにはなっていない。むしろかなりスタンダードなスタイルの演奏に思える。情緒を煽ることもしないがチャイコのメロディから湧き立つ匂いは強く伝わってくる。けして中庸ではなく、ドイツ流のガシガシくる演奏の系譜にありながら、世界基準のロシア物を描き出すために流麗さも身に着けた、カラヤンとは音作りもレガートのふうも違うけれど態度は似ているかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第5番,ワルター指揮NBC交響楽団(M&Aほか)1940/3/9live〜新世界と並んで激烈ハチャメチャ演奏で知られる同盤だが、確かに独特の表現はあるものの、ライヴで、チャイコっていったらこんなものかも、といったふう。トスカニーニの隣に位置していたワルター、こんな強引なライヴ演奏はむしろこの時代の典型的演奏といえよう。録音すこぶる悪し。NBCは高音域に偏りがちで響きの重厚さに欠ける。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○マルティノン指揮NHK交響楽団(NHK SO,KING)1963/5/3LIVE,,言っておくが名演である。一部録音に難があるため○にしたまでだ。とにかくN響に拍手!マルティノンのロシア張りのダイナミックな解釈によくぞここまで合わせてきた。音響のドイツ的重厚さが揺れまくる解釈に安定感を与え非常に聞きやすくなっている。特に1楽章は指揮者とオケが一体となって素晴らしい感情表現を行っており感涙もの。同じく止揚する音楽の憧れに満ちた響きがこのオケとは思えないほど感動的に繰り広げられている4楽章も聞きものだ。速めのテンポで激情の奔流を表現し、しかしそのままあほみたいにいくわけではなくきちんとドラマをつけていく。ブラヴォがないのが不思議。名演。とにかくN響の弦すばらしい。ウィーン・フィルくそくらえ。,,-----,,TITLE: NHK,URL: http://nhktoday.seesaa.net/,BLOG NAME: 今日のNHK,DATE: 03/21/2005 15:31:25, 数少ない良質な番組だけに、打ち切られるのは非常に惜しく、やるせない。 1年前の4月3日、三宅民夫アナの第一声、「春爛漫のさくらですねー」から始まったこの番組は 映画演劇、文芸、学術、スポーツと幅広い分野からその第一人者を招き それぞれが思い入れのあ,-----,,,-----,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,マルティノン指揮ウィーン・フィル(LONDON)CD,,個性的だ。余りの弛緩したアンサンブルにまずは驚嘆。やる気あるのかと思わせる「やらされてる感」たっぷりの思い入れなしお君。テンポくらいあわせようよ。。緩徐主題の異様な遅さも人工的すぎだ。展開部以降激しい楽想が続くあたりでやっと暖まってくる。警句的なフレーズの短く切り詰めた表現、あからさまに情念を煽るテンポの変な揺れ、ダイナミクス、余りに狙い過ぎた「トンデモ度」高い演奏ぶりは、面白い、がなんともかんとも。。2楽章は依然粗いが弦の音色の魅力が立っておりそれなりに聞ける。3楽章はオーソドックスといえばオーソドックス。聞かせどころのツボは押さえている。VPOの縦のそろわなさが目立ちそうで怖い楽章だがそれほど気にならない。太鼓の強調に顕著だが烈しく派手な演奏を指向しており、それはある程度成功しているといえる。人工的な感じが残るは録音のせいか。4楽章は情に流されない、しかしドラマのある演奏だ。弦がここぞとばかりに歌い上げるが、録音の明晰さが逆にマルティノンの明るさを際立たせており、,好悪別れるかもしれない。透明感があるのだ。しかし最後の重く深い響きには印象的なものがあり、出色の出来である。それまでの明るさからの流れ、全体設計はうまくできていると言えるだろう。総じては無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○D.オイストラフ指揮ベルリン・フィル(BP)1972/3/16live・CD,,後年は指揮者としても活躍したオイストラフだがさすがに「若手気鋭の指揮者がベルリン・フィルを振らせてもらった」的な扱われ方をしているようにきこえいささか心苦しい。表現は硬くしかし無難に悲愴をやっている、といったふうで、しいていえば3楽章の終盤で極端な他に聴かないたぐいのデュナーミク変化がつけられ盛り上がりが作られているところが聴き所か。しょうじき、なんとなく、オルフェオで出ていたオイストラフ指揮ライヴとか、あるいはフリッチャイのチャイコライヴのような「奇妙な軋みのある生硬な演奏」に聞こえてしまい、凡演と評せざるをえない。ただ、オイストラフのものとしてはオケの協力できちっとしているという意味で○はつけておく。,"",-----,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○アーベントロート指揮ベルリン放送交響楽団(TAHRA)1950/11/28・CD,,ちょっとびっくりするようなリリースだったわけで、録音状態もそんなによくはないがもともとなのかリマスターのせいか弱音部がなくひたすら強い音でガシガシ攻めてくる感じで驚いてしまう。いや、驚かされるのはそんなところじゃなくて極端なテンポ設定の変化、しょっちゅう止揚しそれでも重量級の歩みを止めないデジタルなルバートとかいったところで、縦が大事なドイツ解釈というのにそこに軋みを生じさせすらする嵐のような解釈ぶり、しかもちゃんとついていこうとするオケの反応ぶりには、目隠しして「晩年のシェルヒェンのライヴ」と言われても信じてしまいそうなくらいのものがある。まったく久々にこういう「奇演」を聴いた気がして懐かしいとともに、録音状態をまったく加味しなかった昔なら◎つけたろうなあと思う(ちなみに当のシェルヒェン盤(TAHRA)は凡演)。まあ、2楽章のものすごい作為的な遅さとか、3楽章の縦の揃った重量級の見得切りとか、4楽章の極端なテンポダウンと後半の慟哭のルバートとか、トスカニーニなどに慣れていたら顎が外れて超合金の頑丈な顎に付け替えられるくらいの衝撃を受けるだろう。いや、けっこうこういう解釈はあるのだが、きちっとした演奏にかえてしまえた指揮者というのは限られている。チャイコ晩年の音というのは中低弦の充実したかなり人間の声に近い緻密なものがあって、終楽章後半のひびきをこの音質で聴くとまるで高弦が歌いボントロが追随する下に、男声合唱がエコーを加えているような錯覚をおぼえさせられる。これがプロの作る音響なのだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ウォレンスタイン指揮LSO(LEF他)CD,,板起こしの状態がよくない。おそらく原盤はかなりいいステレオ録音の筈で、左右そっくり返ったり溝が浅くてかすれたりといった復刻瑕疵(1楽章に顕著)はちょっと問題だ。演奏はまっすぐで新即物主義スタイルだが力強くからっと明るく進むさまはこれはこれで爽快。オケは申し分ない素晴らしい出来。録音自体は生々しい迫力もある。だからこそ復刻状態が惜しい。また、山っけが無いだけに食い足りない人もいるかもしれない。でも廉価盤としてこのCDはうってつけの初心者向けの「色のついていない生の悲愴」。おすすめ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ガウク指揮レニングラード・フィル(MWE:CD-R/新世界レコード、CBS?)1958/5/12日比谷公会堂live,,モノラル。この来日記念盤PLS-44、たぶん手に入りません(後補:2017/8にCD-R化されました、白鳥の湖未収録)。聴きたい方は国会図書館へ行きましょう。ここの盤もけっこう古びて音が荒れています。かつてマニアが少なかった頃は普通に出回っていたようですが、同時発売の白鳥の湖抜粋EPのほうは国会図書館にもありませんのであしからず。,,1楽章。録音自体の問題として、元からかなり音量が小さい。篭るのは会場のせいか。レニフィルはソビ響と違い合奏の音の揃い方が違う。ガウクら自身が認めているとおり当時最高の演奏家がオケマンとして集められていたのがムラヴィンスキーのレニフィルなのであり、たとえばムラヴィン英国録音のDGのチャイコが貶められるのも二軍オケしか持ち出せなかったためとも言われる。ここで聴かれるレニフィルがどのような構成なのかはわからないが、他のロシアオケとは土台から違うことは確かだろう。引きずるような序奏のあと、ややきつめのアゴーギグがムラヴィンとの違いを示す。高音がほとんど伸びず音量変化が聞き取りづらいので、音量的な盛り上がりはわかりにくい。緩徐主題はテンポ的には余り粘らない。しかしレニフィル弦の艶のある音とささやかに伸縮する音符がムラヴィンとの違いを出している。ロシア式ホルンをはじめブラス陣の艶も揃っていて綺麗だ。意外とテンポよく展開部が進んでいく。けっこうインテンポであることを意識しているかのようだ。二度目の緩徐主題で一気に表情がつき、やっとガウクらしい見得を切るような表現も聴かれる。そのあとの沈潜も中々に哲学的である。,,運命の一打でザッツがやや乱れる。しかしここから雑味をも味とするガウクの本領発揮だろう。ロシア式に開放的なボントロの響きからじつに艶めいた赤銅色に揺れるホルンの音色、ガウクらしい拡散傾向をはらみつつ曲はしかし比較的インテンポで進む。この性急さもまたガウクなのだ。テンポが前に流れそうになるほどで、タメは一切無い。チャイコらしいソロの掛け合いはさすが完璧である。それにしても、録音が弱い。重量感のあるクライマックスはドラマ性に満ち、三回目の緩徐主題の再現を待つ。しかし再現部のテンポは割合とまたあっさりしており、細かい抑揚で表情をつけている。洗練された感じが、少しガウクのイメージに無い。それほど灰汁の強い表情付けのないまま沈潜するように1楽章は終焉へむかう。最後のクラのソリスティックな伸縮にのみテンポの揺れが認められる。コーダは録音特性でブラスのボリュームが出ないが、荘重なテンポで落ち着いた行進がきかれる。全般、かなり長いと感じた18分7秒。,,2楽章は編集が性急でいきなりアタッカでなだれ込むように聞こえるがじっさいは5秒ほどあいているはずである。颯爽とした速いテンポで弦の旋律表現が木管へ受け渡されじつにムラヴィンぽい完璧なアンサンブルが、逆に引っかかり無く進んでいく。このレベルを一回性のライヴで!すごい。バランスのものすごくとれた演奏であり録音である。第二主題の暗黒への鮮やかな切り替えはガウクらしいコントラストで、こちらのワルツはアゴーギグがつけられ結構強いボウイングでアタックをつけテヌートを駆使し、意外と表情が変化している。休符の取り方も面白い。木管はあっさりしているが弦はかなり気が入っている。ヴィブラートが音色を揺さぶる。そのまま速いテンポで三部目に突入すると、表情自体けっこう抑揚がつけられたまま、「ああオケ暖まってきたな」といった自然な起伏が流麗の上に引き続き聞かれるようになる。テンポがとにかく粘らないので人によっては不満もあるかもしれない、非常に速いワルツである。やさしく旋律断片の受け渡しがなされていき、最弱音のピチカートと、いささか短く切り詰められた低音ブラスでさっさと終わる(編集・収録時間のせいかもしれない)。,,3楽章。そくっと弱音から速いテンポで始まるスケルツォ。しかし少しバラけている。ムラヴィンならこれは無い(しかし大抵のオケはバラける)。気合のテンポ指示声が僅かに入り、少し音色のバランスの悪いブラス間のフレーズの受け渡しから弦の刻みによる結構激しい山にのぼりつめ、主部に入る。勇壮な正攻法の行進曲で、テンポは相変わらず速い。行進曲になるとかっちりし、合奏も乱れなくなる(そういう書法なのだが)。冒頭のスケルツォ動機の再現はいくぶん「まし」である。みなテンポとリズムを手中にとれたのだろう。ややアバウトさが出始めるが、曲自体雄弁なので「ガウクだ!」と思わせるだけに留まる。迫力の行進曲再現でもタメもなく突進していく。ティンパニの律せられた打音が印象的である。,,しかしやはり「レニフィルの」アレグロであり、ガウクのアレグロではない(ガウクがこのオケの自発性にまかせれば十分、と自ら言っていたように)。ブラスのテヌート気味の表現などを除けば感情的な「ガウク要素」は薄いかもしれない。そのために、完成度が上がっているとも言えそうだが。。クライマックスの壮麗な表現も引き締まったリズムの上にきっちりとまとめられて終わる。もう少しバス領域の音圧が欲しい。8分39秒。,,そして、問題の4楽章である。この演奏でガウクを聴くならこの楽章しかない。,,いきなり止揚する「ロマンティックなテンポ・ルバート」に驚かされる。つか、ここってファーストとセカンドが両翼で一音ずつ交互に下降メロディを形成する分裂症的なところで、モノラルだからいいものの、こんなに抑揚をつけるのも至難だと思うのだが、一本の図太い旋律線として揺れまくって聞こえるのがすごい。レニフィルの「弦にかぎっていえば」いかに音色が揃っているかの見本だろう。ふつうのロシアオケでは音色は西欧ほど揃えない。それはソヴィエト時代にソリストとして育てた音楽家をオケに投入し続けるというものすごく贅沢なことをやっていたことに起因するのかと思っていたが、その中でも飛びぬけて技術的に高い連中が集められてできたオケとされるレニフィルの弦の音がこうもしっかりひとつに作り上げられていることに感銘を受けざるをえないのだ。
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○クーベリック指揮バヴァリア放送交響楽団(SOUNDS SUPREME:CD-R)1974/12・CD,,近い年代の盤が廉価で出ている。こっちははっきり言ってそれほど録音状態がいいわけでもなく、別に持っている必要があるとは断言できないしろもの。クーベリックらしい直球勝負の火の玉演奏で、4楽章の感情的なグイグイもっていき方も、一方では2楽章の楽しげなワルツも実にいい。3楽章は勿論盛り上がるが圧倒的かというとそこまではいかないか。盛り上がっているけどクーセヴィツキーなんかに感じられる異様な力感はない。響きはやや雑なこのオケらしさが出ているもののライヴにしては精度はかなり高いほうだろう。ヴァイオリンの対向配置をかたくなに固持したクーベリックだが、途中あきらかにステレオ効果は聞こえるものの、終楽章冒頭など音の融合具合が豊穣で引き裂かれた旋律が引き裂かれたように聞こえない。録音のせいかもしれない。悪くはないが、特筆すべき演奏ではない。ライヴなのか不明。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,クーベリック指揮NYP(DA:CD-R)1975/2/13live,,雑なアンサンブルから始まり、この人にしては遅いインテンポで素っ気無く感じられる。恐らく膝録であるが、3楽章最後で拍手が起こってしまってもアタッカで4楽章に入ってしまうため、結果として4楽章冒頭の2音も聞き取れない。どうしたんだろう、という演奏。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○デルヴォー指揮コロンヌ管弦楽団(DUCRET-THOMSON)1961ケルンLIVE,,明るく軽快に飛ばす序奏部からアレ、やっぱりいつもの「フランスチャイコ」かな、と思うが緩徐主題の歌いまわしには情緒が感じられしっくりしてくる。細かい音符の多い曲なだけにライヴだとバラケが出てしまうが、基本的に速い悲愴は好きなので一楽章はOK。続く二楽章も思いのほか正統なロシアンワルツになっていて、面白くはないが楽しめる。三楽章はゆっくりした構築的な演奏になっており流れからすると意外だ。情緒より音響とリズムに配慮がいっており疾走感はないが後半ノってくると心地よい。上手い指揮者だなあ。。明るく単調な音色も四楽章にいたっては見事に悲愴らしい雰囲気にかわる。豊饒な音響も弦の表層的な薄い音を全体としてカバーできている。クライマックスなどパワー不足も否めないが、独特のテンポルバートと厳しく整えられた音響には手を抜く気配すらない。最後の挽歌も暗く沈潜するさまが的確に描かれている。全般かなりまともで、それらしくできており、個性の発露こそないものの、悲愴の演奏としてはバランスのとれたいい演奏だ。ステレオ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○テンシュテット指揮フィラデルフィア管弦楽団(""0""""0""""0""classics:CD-R",memories)1989/1/13live(1982?),,正攻法の演奏。フィラ管と特に意識しなくても楽しめる。弦楽の巧さは1楽章緩徐主題が二度目に出てきたあとのプレストの激しい動きや、3楽章の(定番ではあるが)第二主題で発揮される。フィラ管というとブラスだと思うがそれはあるていど予想していたせいか余り際立って聞こえなかった。総合的にはしっかりした構築性が感じられるというか、内声部を明瞭に弾かせて(吹かせて&叩かせて)立体的な音響作りに成功しているが、比較的流れがスムーズで自然な響きが得られており声部間に隙間が入るような感じも人工的な感じもせず、ドイツドイツした四角張った演奏にはなっていない。これはプラスととってもいいが、面白さというか個性という面ではマイナスととることもできる。1楽章冒頭あたりのソロ楽器の表現は念を押すような発声がいかにもこの人らしい。クレンペラーなどによく聞かれる表現様式である。クレンペラーといえばワルツがうまくないが、この演奏でも2楽章は愉悦感がなく面白くない。心なしかオケも下手である。,,このテンシュテット唯一といわれる演奏記録の評の中には、「分裂症的な演奏」という言葉も見られるが、元々非常に分裂症的な曲であり、この程度では全然普通である。分裂症的というのはシェルヒェンのようなあらゆるパラメータの極端なコントラストをつける芸風をいうのだ(といってもシェルヒェンの悲愴はそうではないけど)。,,聞き所としては前記の3楽章とともに(3楽章の最後で盛大なブラヴォー拍手が入るのは流れ上カットしてほしかったが)4楽章のダイナミックな感情変化を挙げておくべきか。引き裂かれた感情を表現する第一主題のヴァイオリン二声部間の音符の受け渡しについては通常の楽器配置のため全く聞き取れず、前半はそれほどそそられないが、第二主題からの感情の高ぶりは慟哭と言ってもいい物凄い迫力だ。ちょっとスケールの無い個人的な嘆きの歌という感触ではあるが揺さぶられる音楽ではある。激しさのあまり「これって緩徐楽章だよな・・・」とも思ったが、個性的な表現はないものの、聞き所ではある。,,ちなみに販売されたものとしてはCD-R盤が初出で、1982年のライヴとされていた。最近復活した海賊盤レーベルMEMORIESは名目上はイタリア盤であるがどうやら日本向けにアジアで生産されている模様で(盤面には台湾製とある)、カルロス・クライバーやチェリ、テンシュテットなどのCD-Rによる放送ライヴ海賊盤が非常にヒットしたのを受けて、ほぼその丸写しをCDフォーマットで再発するという形で最近(2005年前半)続々と新譜を出しつづけている。CD-Rに比べ良心的な値段ではあるが、たとえばこの盤、レーベル裏面に書いてある録音時間が不正確で(プレイヤーが読み取る時間はCD-R盤と全く一緒なのに)CD-R盤と異なる演奏であるかのような印象をあたえる。余り良心的な態度とはいえず、げんに大手ショップでは扱われていない。モラルを捨てても聞きたいというマニアには嬉しい復刻もあり、またCD-Rの再発レーベルとみなされているわりには完全初出や放送マスターからのコピーと称するものも含まれているので、いちがいには否定できないが、いずれ消える可能性が高いので、目にしたら注意してみられるとよい。,-----,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○テンシュテット指揮フィラデルフィア管弦楽団(MEMORIES他)1989/1/13LIVE・CD,同上,引き締まった大変立派な名演でフルヴェンの高精度版という感すらある。4楽章前に拍手が入るのが興醒めだが、やや遠いものの録音もいい。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R/naxos他)1938/10/29live・CD,,大変に立派な演奏。3楽章最後に盛大な拍手が止まらなくなってしまい、そのせいか4楽章冒頭が欠如してしまうという致命的な状態と、ピッチが低すぎるゆえこの評価にとどまった(DA盤の感想。naxos盤ではピッチもおかしくなく、拍手は41年録音と同じように収まりしっかり四楽章に入る。ピッチの問題はプライヴェートLP盤も同じなのだが、同じ演奏なのだろうか?)。同年代の録音としては驚異的なクリアさで、トスカニーニが元気だったころのチャイコがここまで確信に満ちてびしっと表現され、板についたものとなっていた(即物的解釈なのに全くそれを感じさせない迫力が維持されるのだ)ことを認識させられなおした。とにかくこれを何度聴いても納得するだろう。ガウクのことを前に書いたが、言い方は悪いがガウクともレベルが違うとかんじた。バラケなんかもあるのだが、それが全く気にならない。3楽章は誰がやってもああなってしまう、とはいえスピード勝負とも言い切れない細かい操作がなされ決して手を抜いたり何もしない解釈にはなっておらず、録音状態というものの重要性を認識させられなおした部分もある。悲愴にはM&Aでステレオ完全補完版が出て話題になったが、それは聴いていないけれども(元の放送音源のほうはDAで聴いている)たぶんやはり、年齢の問題で決定的に完成度に差があることは確かだ。,,トスカニーニの同世代でこんな垂直な演奏をやった人がいただろうか。しかし、垂直といってもそのフォルムの美しさは近代建築の美しさに通じるものだ。,,(参考)トスカニーニの悲愴録音(特記しないものはNBC交響楽団),,1938L private(10/29?),1938/10/29L DA/naxos/youtube,1941/4/19L music&arts/naxos,1942/2/8(18?)S Phila.O. IDIS/youtube,1947/11/24S RCA,1954/3/21L(stereo) music&arts/DA/IDIS/youtube,-----,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(私家盤)1938カーネギーホールLIVE・LP,同上?, CD化した10/29の演奏と思われる。キーが低いのがかなり気になるが仕方ない。トスカニーニにしてはテンポの揺れが大きく、ダイナミックであるように感じた。録音はこの時代にしてはいい方だ。音量変化がもっと明瞭に捉らえられていたら更にダイナミックに感じられていたことだろう。全く揺れず一直線に突き進む最晩年様式とは一味違った親しみ易さがある。とはいえ力感に満ち安易に感傷に陥らない男らしさは全くトスカニーニで、完全に制御されたオケの響きは単純ではある。3楽章の一糸乱れぬアンサンブルは驚異的。この時代にはありえなかった精度だろう。テンポ良さも天下一品。音の迫力にも圧倒される。3楽章終わりに盛大な拍手が入るのは後愛嬌。4楽章は音が明るいのがやや気になるが録音のせいだろう。細かくテンポが揺れるが、盛り上がると早くなるのはこの人のクセか。最後の陰欝さ、それにも関わらず感情を揺さぶる音色の揺らぎは聞きものである。弦楽器のしなやかで艶のあるフレージングが美しい。尻切れで拍手に入るのは惜しいがトスカニーニらしいきっぱりした終わり方だ。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R/MUSIC&ARTS/IDIS)1954/3/21live・CD,,DAはリハ付。本番は何とステレオ(一部モノラル、M&Aは入念なリマスターと擬似ステ化により補完しているとのこと)だが音が軽くまるでデルヴォーの悲愴を聴いているような軽量級の感覚があったのと、トスカニーニとは思えない人工的で生気の感じられない造形が随所にみられ、アンサンブルの弛緩のさまは1楽章の展開部でフーガ構造が完全に崩れ弦が崩壊してしまって木管にまで波及しているところに最もあらわれている。完全に「年齢を感じさせる」演奏になっている。巨匠系指揮者は感覚の鈍化を遅いテンポで補うものだが、この押しも押されぬ前世紀最大の(「最高の」かどうかは人により見解が違うだろうが)指揮者は高齢の中いきなり衰えが堰を切り引退したわけで、それにしてもこれはよくよく聴こうとすれば素晴らしいリズム処理の形骸は聞き取ることはできるものの、ちょっとかなり・・・である。凡百とは言わない、けれどもトスカニーニらしさがもう活かせない状態にまできてしまっていたのか、とちょっと残念に思うのも確かである。後期即ち録音時代のトスカニーニはそれまでよりも即物性が強くどんどん性急になっていったように言われているが、最晩年は少なくともスピードは落ちているし、メカニカルな魅力がもはや失われてしまう寸前までいっていたのだ、と思わせるところがあります。ひょっとしたら案外モノラルで巨匠と呼ばれている指揮者たちも、ステレオの明るみに出したらこんなもんなのかなあ(もちろん録音に限ってですよ)、というちょっと落胆するようなところもあった。「記憶力減退」とはこういう状態だったのだとわかります。いや、4楽章が意外と深刻でいいんですけどね。無印。,4/4の引退決意公演の僅か前、そちらのワグナープログラムもM&Aで復刻されている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,トスカニーニ指揮NBC交響楽団(m&a/NAXOS)1941/4/19live・CD,,m&a盤は原盤状態が悪いらしく二楽章の派手な音飛び(のレベルではない…)を始めとして、終始ノイジーかつ篭った音なのは、もう聞く側で何とかするしかない(とはいえ度を越したパチパチノイズは板起こしとはいえ鼓膜が痛い)(NAXOSはましとのこと)。前半楽章は高音が伸びないばかりか最強音で低音が全く聞こえず、上り詰めた先突然スカっと抜けてモヤモヤする。トスカニーニの悲愴としては3年前の綺麗な録音復刻をおすすめするが、特徴としてはそれより心持ち直線的であるもののリズミカルで、二楽章の歌い込みは独特の節回しが前に立ち堂に入り説得力がある。音符を短く切ってハッキリとした演奏を目している。翻って一楽章は4番交響曲を思わせる劇性が引き立ち、メンゲルベルクのような特殊なものではないがヴァイオリンの僅かなポルタメントがトスカニーニにしてはかかりまくっているようだ(茫洋としてわかりにくい)。それも歌謡性のうちにある。三楽章は時代的に皮肉にも「軍隊的」で、ここにきてティンパニーもしっかり轟き、叩きつけるような表現で最後まで突き通す。これはもう派手派手に、しかし筋肉を緩ませることのない素晴らしいものだ。比較的落ち着いた拍手が入り、いったん絞られ、改めて四楽章が収録される。強いパチパチノイズが気になるものの、トスカニーニらしく、秘められた情念を抉り白日のもとに晒し出した悲劇的なフィナーレ。意外と暗いトーンが録音状態に合っていて、それは演奏家の意図的なものではないが、驚く。終演後戸惑い気味の拍手がパラパラ入りかけたところでトラックは終わる。トスカニーニの悲愴は40年代までだろう。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,トスカニーニ指揮NBC交響楽団(rca)1947/11/24むちゃくちゃ即物的な演奏で、あまりのインテンポに鼻血が出そう。気合の入りかたもすごいが、雑音もすごく、録音状態があまりよくない。これは参考記録として聞いておくにとどめるものだろう。とにかく一直線な演奏。4楽章が若干揺れるか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,トスカニーニ指揮フィラデルフィア管弦楽団(IDIS他)1942/2/8(18?)・CDセッション録音。YouTubeでも聴ける。18日表記のものは誤りと思われる。演奏全体としてはひたすら直線的で原典主義者ここにあり、といった感じである。あまりの即物性ゆえこの音楽の持つ湿った感傷性がさっぱり洗い流されて、何が面白いのかさっぱりわからない演奏となってしまっている。フィラ管は非常に表現力豊かな楽団であり、この指揮者をもってしてもある種の官能性が染み出てくる部分はあるが、それも悪い録音のせいもあり気付かないほうが多勢だろう。オケも調子がいいとは言えない。このオケにしては、たとえば3楽章の弦の刻みが繰り返されるたびにちょっとバラケてきてしまったり、勢いにまかせどんどん走っていってしまいそうになる場面もあったりと結構ヒヤヒヤもの。でもまあ崩れずに終わるのがさすがトスカニーニである。トスカニーニは時に余りに力強すぎる。4楽章の悲痛な音楽、ドラマティック過ぎる。まるでテカテカのボディビルダーが力いっぱい慟哭しているような、もはや繊細な作曲家チャイコのカケラもない音楽で苦笑してしまう。そういえばこの演奏で弦にポルタメントがかかるのはただ一個所だけで、フィラ管としてもこの時代の演奏様式からしても特異。指揮するヴェルディに「その指示、譜面に書いてない」と盾突いたトスカニーニの筋金入りの原典主義は、もはやそれそのものがエキセントリックな一つの芸風として孤高の位置を築いているわけだが、トスカニーニがまったく譜面に解釈を付加していないかといえばそうでもなくて、とくに旋律表現における意外と細かい歌いまわしや緩急自在の音量変化には少なからず感情的な迸りを感じる。「カンタービレ」という言葉をよく使ったそうだが原典主義の前にトスカニーニの中にはまずイタリア人らしい歌心が鎮座しているというわけである。いろいろ書いたが、結論。はっきり言えば聞かなければいけない演奏ではない。マニアでもRCA録音があれば十分だろう。無印としておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ルドルフ・アルベルト指揮バヴァリア放送交響楽団(LE CLUB FRANCAIS DU DISQUE)LP,,非常に格調の高い名演で、ドイツ臭さを程よく排したバイエルンの好演も光る(ハンブルグなどかと思ってしまうほどに技術的な難が無くかといってタテノリの重厚さを煽ることもけっしてない)。終楽章前半の音色の味気なさがなければ文句なしに◎をつけたところだが、とくに前半楽章では微に入り細に入るデュナーミク変化やテンポ変化の非常に繊細なドライヴぶりが流麗な音楽作りの中に発揮され、この指揮者のホントに並ならぬ力量を感じさせる、とても消化が行き届いた板についた演奏となっている。2楽章のワルツのテンポ取りはそのへんのドイツ系解釈など寄せ付けない細かいテンポ変化や音量操作の指示が行き届いておりバランスなど絶妙の域である。技術的にもこのオケにしてはがんばっている。1楽章はこれほど格調の高い演歌を聴いたのは正直初めてで、ドイツ系だとはわかるがドイツのタテノリで何もかもねじ伏せる純音楽的解釈ともデロデロに崩して小唄メドレーに終始する凡庸な爆演解釈とも違う、これが本当のチャイコフスキーの音楽なのか、と・・・背筋がぞっとするほどに感銘を受けた。何度も演奏したことのある曲だけど、こういうふうに見通しよく尚且つ絶妙なパート毎の音量操作がミックスしてあらわれる構造物のフォルムの美しさといったらない。ただ磨き上げる現代風の演奏ではない、チェリのような演奏ではない、耽美に近いが耽溺はせず、何といったらいいのか、さっきから迷うくらいである。3楽章はそれに比べると予想通りといった部分があるが前進的な演奏ぶりがしっかり縦の揃ったリズムの連打に(心地よいとはいえないものの)純度の高い音楽の高揚を感じさせ、更にまったく耽溺しない純音楽的な4楽章後半で突如アッチェエランドをかけ始めどこまでもテンポアップしていくところの「どこまでいくんだこれは」といった部分にまたぞっとさせられた。とにかくこんな名演が何で隠れているのか理解に苦しむ。現代的といえば現代的だが現代の指揮者にこんな演奏はできるだろうか、いや現代の放送オケには・・・◎にかぎりなく近い○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○伝フルトヴェングラー指揮VPO(PALETTE/morgan's:CD-R)1951/10/13ミュンスターlive,,フルヴェン先生かどうかなんてどうでもいいからこの時代の「記録」として、ヒンデミットの「調和」チェトラ盤live復刻してくれー。わいいとして悲愴である。かなり音が悪いのは承知のうえで。音色の美しさは残念ながら録音のせいで伝わらない。一種解釈(音?)の腰の軽さがあるというか、「安定した焦燥感とスピード」など、ライヴの一回性に賭けたフルヴェンのやり方ではないと思うが、強い統率力のもとに極端につけられたアゴーギグのうえであらわされるひたすら高い集中力(往年のVPOがここまで集中するというのは限られたシェフ相手にしかありえないと思うが)には独特のものがあらわれており、コントラスト付けの「非常さ」にはちょっとロシア解釈っぽい感じすらおぼえるが、縦の揃ったテンポ取りは独墺圏のものである。,,なるほど「影響を受けている」のは確かなようである。ワルツでは噎せ返るような雰囲気とか情緒的な揺れというものはそれほど感じられず、これは録音のせいだろうが、男らしい。ライヴとは思えない弦の詠嘆的表現の統一感、ブラスとの対位的構造の浮き彫りの明確なところなどロマンティックな中にも一本筋の通った表現で、「チャイコはオーケストレーションが巧い」とストラヴィンスキーの言を借りたくもなる。,,アッチェルの凄さは1楽章でも感じられるが3楽章はまさに見せ所である。というか、最初から異常に速い。しかしトスカニーニ的な軽快な速さではなく、重く堅牢な構造が楽曲の怒涛の突進を引き締めるようなかんじである。なるほど、評論家先生が一時期最高の悲愴と称えただけのことはある。音さえよければ確かに、これは名演の名録音として文句無いだろう。しかもライヴなのだから!,,クライマックスの異常に割れる音にはこの洒脱なオケが如何に轟音をたてて異例な盛り上げをしていたかが伝わってくる。速いがテンポの揺れのない確信に満ちた3楽章である。ただ、録音の音量が不安定でクライマックスで少し音が小さくなるのが興をそぐ。しかしオケの各セクションがバラバラに主張するのではなく一縷の隙もなくガッチリ一体となって直球で迫ってくる迫力は繰り返すも凄まじい。しかし・・・ほんとうにライヴなのか?会場雑音のたぐいがいっさい無いのが気になる。,,4楽章は全く気分を切り替え、最初の分裂症的なフレーズから揺れまくる。フルヴェンのテンポ設定によく似ているがやはり、ちょっと軽い。VPOのためとも思えるが、音色がはっきりベルリン指向なので、その甘さは弦のザッツの僅かなズレ以外に聞き取れず、その音のせいで軽く感じるというより、かなり意識的に揺らしているのが却ってわざとらしく感じられるのかもしれない。重みあるアッチェランドにはドイツ的なかっこよさもあり、他の楽章の表現とのバランス的にもここまでやらないと全体が締まらないというのもあるとおもうが、「わざとらしい」のには変わりない。統率力はいささかも失われず、並ではないことはわかるが、ちょっとやはり、ロシアっぽい感じもする。とにかく、弦のフレージング指示の恣意的な細かさなどちょっとやりすぎである。ピアニシシモとフォルテッシモの差の異常さは終幕近くでも感じられるが、これは録音操作のせいかもしれない。この時代の録音にしては弦の細かなアーティキュレーションが「合奏」としてはっきり聞こえすぎる。最後の心臓の停止もベートーヴェン的であり、ベースのアタックが激しすぎる。面白いが、ちょっと違う気もする。,,うーん。これだけアクの強い演奏なら今一度きちんと検証すれば結論はすぐに出そうだが、みんな偽演と呼んでいるのに検証するのも今更なので、とりあえず○。,-----,,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○カラヤン指揮ウィーン・フィル (DG)〜私がはじめて買ったクラシック音盤です。いくつかの録音のうち一番充実しているように感じます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,カラヤン指揮NHK交響楽団(DG)1954/4/21日比谷公会堂LIVE・CD,,結構激しく起伏のあるわりに印象の残らない演奏。カラヤン特有の厳格で神経質なまでの統制が行き渡っていない感じがするし、細かい変化には富んでいるが大づかみな解釈は単調といった様相も呈している。1楽章で特に強く感じた。2楽章の弦楽器のねっとりした表現(ばらけるが)や対照的に太鼓連打の勇ましい3楽章には後年のカラヤンに通じるものを感じるが、まだまだ熟成されていないものであるように思う。オケはイマイチだが後半になるにつれ良くなってくる。音色が堅く艶が無いのは興をそぐ。もっとも4楽章はデュナーミクも揃ってきてかなり感情的な盛り上がりを作ることに成功している。これはカラヤンの設計の見事さにもよるものだろう。音色については録音で潰された可能性もあるので実際は超感動モノなのかもしれない。拍手は普通。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」〜U、V,ビーチャム指揮ビーチャム交響楽団(SYMPOSIUM)1916・CD,,さすがにこの音質は辛い。この時代のラッパ録音特有の薄くハスッパな響きが辛い。本数入れられないので特に弦楽器はほとんど1、2プルくらいしか無いような何とも頼りない感じ。本数が多かったらどうなっているかを想像しながら聴くしかない。しかも、収録時間の問題だろう、カットが余りに激しい。両楽章ともだが、特に三楽章は厳しい。違和感を拭えない。テンポが速く颯爽とした指揮ぶりはまさにビーチャムで、インテンポの固持も時代からすると余りに新しい解釈なわけで、もっといい状態であれば演奏史に名を残したかもしれないほど特異である。とにかくチャイコは弦楽器の本数がなければ話にならない。特有のぎっちり書き込まれた細かい音符の表現が一本や二本ではどうしても物足りなく、悪い録音では聞き取り辛く、ごまかしに聞こえてしまう。もうどうにも△にしてしまいたいくらいだが、3楽章は確かに前記のように清新で面白い解釈ではあるので、無印にしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○A.ヤンソンス指揮ドレスデン・シュターツカペレ管弦楽団(WEITBLICK)1971/5/28live・CD,,父ヤンソンスの演奏はムラがある。直截で、いい方に働けば気を煽られトスカニーニのようなスポーツ的快感をロシア式の発声法のうえで得られるが、悪い方に働くとテンポが愚直なまでに揺れないのに演奏はロシア式にグズグズになりがち、ということがある。この演奏は前者というかけっこう素直に楽しめる。揺れないチャイコだなあ、という残念感もあるが、ダイナミクスの変化ははっきりしており、オケの暗く硬い特質をチャイコぐらいのやわらかくほの明るいところまで持ってきている。ライヴでもあり精度にはそれほど期待できないが、アルヴィット・ヤンソンスが精度を上げると聴いてられないくらい冷血演奏になりかねない気もするのでこのくらいがいいのだろう。どの楽章も楽しめるが3楽章は熱く突っ走る。ステレオ表記があるがモノラルぽい、とは店舗の謳い文句だが、客席雑音が入ることからも一本マイクを客席の中央部に立てている可能性もあり、それだとステレオ感が捉えられないこともあろうので、保留としておく。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○イワーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA),,やや雑味があるが一貫して力強く推進するスタイルで、1楽章の第二主題の最初の提示と4楽章が厚く粘る他はドライなテンポで奔流のような音楽を造り上げる。3楽章冒頭が少しごちゃっとして、そのせいかテンポも落ち着き気味にかんじた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ウッド指揮クイーンズホール管弦楽団(COLUMBIA)1923/4/17-18・SP,,正直うまくはない。縦がガタガタだったりベタ弾き過ぎてメロディーがメロメロだったり、録音都合で数の少ない弦楽(バイオリンが1stしかきこえない四楽章冒頭には苦笑)はがんばっているが難がないとはいえない。三楽章こそプロなら誰がやったって聴けるものになるわけで、直線的に気を煽るわけだが、ここでも気になるのは録音都合のカットの存在。一楽章など構造を無視したいくつもの大カットには悲しくなる。まさに悲愴だ。演奏は中庸で悪くないだけに。。演奏を考慮して○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団(COLUMBIA)パリ,,慌てる1楽章は終始つんのめり気味だが颯爽としてリズムよく聴きやすい。音の頭のアタックがつねに強くいちいち気を煽る。オケは雑な往年のフランスオケだが健闘はしている。2楽章もわりと速いのはSPだからというわけでもなかろう。しかしトスカニーニのような無味で乾燥したかんじはしない。3楽章はおおいに盛り上がる。盤の継ぎ目を気にしなければ、時代を意識せずドラマチックなノリを楽しめよう。けっこうテンポ・ルバートしておもしろい。4楽章は冒頭の引き裂かれた主題が音量のバランスが悪く一本の旋律にきこえないが録音のせいだろう。スマートの一言では片付けられないまっとうな悲愴。録音は悪いしオケは雑だが○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(FKM:CD-R)1969/8/16live,,落ち着いたテンポで響かせる演奏でカタルシスは得られないが満足感はそこそこに得ることが出来る。とくに二楽章の最初などいちいちチューニングしたわりに遅すぎてワルツの動きが出ない、三楽章後拍手が鳴り止まなくなっても制することをしないため完全に曲が分断されている、など、得意曲ではあるのだろうがライブならではの臨機応変さに欠けている。一部ノイズがあるがおおむねエアチェックレベルのステレオで安定している。○。響や精度のわりに小粒。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1963/1/9live,,1楽章は雑な始まりかたでやる気を感じないが、緩徐主題の異常な素っ気無さは健在。ここまで新即物主義的な表現だとかなり変な感じがする。さっさと終わらせられるしっとりした場面のあと、テンペストってかんじのトゥッティに入るとオケの集中力が一気に凝縮され爆発。凄まじいパレーが聴けて、ここに持ってくるための布石か、と思わせる。このあたりの力強い揃い方は冒頭と同じオケとは思えない。緩徐主題の回想はスピードこそ速いインテンポなものの、弦の総力を結集して思い切り歌いあげる。こういう設計なのである。運命の鼓動がリズミカルに刻まれ爽やかに終わる。ほとんどおんなじ調子の2楽章も力強いテヌートで貫かれ、速いインテンポのまま音量変化で曲想を継いでいく。「チャイコの憂い」は足りないが無いわけではない。,,3楽章冒頭からはさすがにこの高速でスピッカートが維持できず一流オケとの差が出てしまう。反面管楽器群のアグレッシブでスリリングな吹奏は拍手もの。ティンパニもダンダン響いて、音楽は恐竜パレーの独壇場になっていく。ある意味トスカニーニより新即物主義を貫いた演奏と言えるだろう。ここまでドライに突き通したスポーティなライヴはなかなか無い。雑味はあるけど、客席で聴いていたら間違いなく圧倒される怪演。ガシガシという軍隊行進曲のようなリズムに、黄金期デトロイトの自動車工場の機械音を聴け(謎)いつまでもスヴェトラとか言ってんじゃないよ。表現の幅ではミュンシュには及ばないけど。それにしても案外素晴らしいのは管楽器。アグレッシブな木管に拍手。いや拍手には早い。,,4楽章はさすがにやつれた表情をきちんと出してくる。ある意味常套的でもある。やや即物的表現を保ちスピードもつんのめり気味なところもあるが、テンポ・ルバートが巧みに取り入れられていて違和感がない。意外と泣きの旋律に感情移入して、歌っている。フランスはチャイコ嫌い国と言われながらも結構好む指揮者がいるのだ。とにかくスピードが速いのであっという間に死の挽歌が低音ブラスから提示され、弦が入ると分厚くスピーディにちょっと盛り上げてしまうけれども、低弦が強く音量バランス的に突出はしない。余韻の無い演奏で心臓はあっさり発作的に止まり拍手も入りやすそうだ。独特の悲愴ではある。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",,(参考)パレーは協奏曲伴奏以外にチャイコの大曲を正規録音していない。かわりにこれまた独特のラフマニノフの2番シンフォニーを挙げておく。,"
フランク:交響曲
パレー(ポール)
ユニバーサル ミュージック クラシック

このアイテムの詳細を見る
",,"交響曲第5番非正規盤についてはこちら",
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ホルライザー指揮ウィーン・プロ・ムジカ交響楽団(ウィーン交響楽団)(VOX),,録音もモノラルで遠いのだが、演奏もちょっと地味である。抑制的で熱気が感じられないところが多い。音表現がしっかりしておりリズムが引き締まっている反面、激しい表現が全く無い悲愴もどうかというところだ。1楽章は感情的に盛り上がる場面はいずれもかなり抑制的で表現の起伏が少ない。緩徐部のたっぷり尺を使った清清しい表現が特徴的とは言える。2楽章も普通。3楽章もまた普通だが、解釈の特徴として音を引き締めているだけにVSO(pro musica symphonie-orchester wien,あるいはpro musica symphony of vienneなどの変名がある)らしく縦が危うくなるところがひときわ目立っている箇所がある。4楽章が唯一抑制の個性的な表現に結晶したものとして評価できるか。無印にしたいが○にしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○マルケヴィッチ指揮ORTF(aulide,eternities:CD-R/ina)1958/9/25モントルー音楽祭live,,ターリッヒ張りの意志力にくわえ感情の起伏の大きなロマン性のバランスのとれた演奏。ロシア的なブラス表現と中欧的な弦の表現(RIASみたいな音)に、当時のORTFの底力も感じる。マルケヴィッチの演奏としては別に特徴的なものではないけれども、ムラヴィンスキーやコンドラシンに近いところにあるような演奏で、ムラヴィンスキーよりブカブカと緩いところがありコンドラシンよりウェットな変化をつけた表現が目立つ。なよっとした感傷は無いがトスカニーニよりも柔軟。4楽章はいささか尻切れの感じがしたが、意外と2楽章あたりも聴きやすかった。eternities盤は別項にも書いた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,マルケヴィッチ指揮ORTF(eternities他)1958/9/25モントルー音楽祭live,同上,(以前書いたものと同じでした)マルケはライヴ盤含めるとチャイコフスキー後期交響曲を山ほど残しているようだが、このスタイルだとどれをとってもオケの違い以外に差は無いだろう。はっきりした発音で(一部を除き)デフォルメのない悲愴。音符の最初が総じてあまりに明確で、影の無いあけっぴろげな音もあいまって垢抜けた印象をあたえる。情感を重視するロシア式とは違うチャイコフスキーだ。他の楽章では見られない性急な起伏のついた四楽章(ガウクっぽい)を除き醒めたトーンは変わらないが、内声までしっかり発音させこの作曲家特有の創意を引き出している。三楽章の弦の刻みの下で管楽器がロングトーン吹いてるところが悪いモノラル録音でも明瞭に聴こえてくる。もっとも、そういうブラスにパワーや音色変化が無い点は気になる。音量が上がると録音側で抑えられてしまう残念な点もあり。環境雑音多め。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1961/9/29live,,こってりしたフレージングで遅めに揺れるテンポ、バンスタもかくやというような異質な悲愴だが、盛り上がりどころでは聴かせてくれる。二楽章がかなり重厚な揺れ具合でやりすぎのようにも思う。確かめるようなテンポでありながらも力付くで盛り上げた三楽章後、やはり拍手が入ってしまうが構わずアタッカ気味で辛辣な四楽章へ。一楽章でもそうだったが結構演奏が荒くミスも散見される。個人的には余り惹かれなかったが好きな人は好きだろう、○。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団1961/9/29live,同上,ステレオで迫力あるが低音域が弱い。基本雄渾で押し通すいつもの芸風だが一部即興的ともとれるテンポ操作はあるしVnのポルタメントも聴こえる。基本ニュアンスは無い。3楽章拍手入り無視して4突入はお定まり。DA他,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,△ミュンシュ指揮パリ音楽院管 (LONDON),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」〜リハーサル風景,◎ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)?live,これはロックコンサートである。ミュンシュはボーカルでありオケはバンドだ。全楽章から比較的長時間収録されているが、まさにライヴ!といった感じ。私は恐らくミュンシュの悲愴でこれが一番好きである。荒削りであるべきなのだ。チャイコは彫刻し尽した完成品を提示するような楽曲は書いていない。ミュンシュは本番ではわりとぎゅっとまとまった演奏をやる・・・力強く説得力を主張するもどこかマンネリズムのにおいがする。だがここではミュンシュは感情を抑えない。3楽章の怒涛が一番の聞き物で、ミュンシュは感情の高ぶりのままアッチェランドして平気で終わらせる。これが凄い。実演ではここまでやらない。あけすけに下品な声をあげ調子外れの歌をうたい(一緒に収録されているラヴェルやダンディでは音を間違ったりしている)、怒号を飛ばしたかと思えば落涙の果てに落ちるような雰囲気を醸す。だが1、4楽章に聴かれるように女々しいのは嫌いなのだ。しゃがれた低音の声を張って訛りのある言葉を、でもよく通る言葉をはなつ。実にはっきりしている。実に人間的で、ああ、バンスタは・・・この土壌の上に。ミトプーとは音楽的には似ているが性格的には恐らく違う、バンスタはミュンシュのほうに近い。

,

これは本当に、悲愴は確かにミュンシュの得意とする曲目であったが、1,3楽章は今生まれ出ずる音楽として素晴らしいし、4楽章は通常のリハーサルがじっくり聞け解釈をよく理解できる。感情に任せた終盤のテンポ設定、指示ぶりが凄い。まるで悲愴という名の芝居を聴いているようだ。心臓が止まりにかかる末尾ではヘロヘロな声を出してみせ、ミスティッシモと囁く。かといったら大声をあげ、nine after ”Naporeon”、指揮台を何度も大きく踏み鳴らしながら、デモーニッシュな声を最後まで振り絞る・・・千両役者はもちろんミュンシュである。声だけだとピーター・ガブリエルに似てるが振る舞いも似ている。

,"

2楽章は僅かしかないがミュンシュにはワルツはどうでもいい。それにしても指示のはっきりした強烈な指揮者だ。だが怒りではない、団員に笑わせるだけの、逆説的にそれだけの威厳がある。ヤマカズ先生・・・◎にさせてほしい。録音は悪いが低音はよく出ている。ボストンの強烈な音!50年代の放送録音と思われる。チェレプニンラヴェルダンディとともに収録。

(参考)ミュンシュの悲愴
チャイコフスキー:交響曲第6番
ボストン交響楽団 ミュンシュ(シャルル)
BMG JAPAN

このアイテムの詳細を見る
",-----,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ユルゲン・ワルター指揮北ドイツ交響楽団(JOKER他)LP,,アメリカの「世界のクラシック音楽シリーズ」などに収録されていた廉価盤でおなじみの名前であるが、これがなかなか立派なステレオ録音なのである。いかにもドイツらしいオケの規律、しかしそれがローカリズムとして認識されるほどに厳しくはなく、まさに「クラシック音楽の紹介にはうってつけ」といったしっかりした出来だ。フルヴェンやフリッチャイなどの個性的な指揮ぶりではないが、傾向的にはそちらなので、娯楽的要素もあるものの、むしろ真面目な演奏ぶりである。アメリカでは「ベルリン交響楽団」と表記されていたようである。JOKERはドイツのレーベルなので原盤に近いものか。しかし薄盤で録音再生は似たようなレベルである。○。実のところはNDRSOのどこかか。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,アーベントロート指揮レニングラード・フィル(SLS)1951/1/30レニングラードlive,,録音はホワイトノイズの下でこもっているが聴けなくはない。冒頭からアンサンブルが崩壊気味でやばいが、一楽章のうちになんとか整ってくる。アーベントロートは他にも録音記録があるが、どうもすこし即興的にやる癖があるようで、そこを掴むのに時間がかかったようだ。デジタルに速度を変えたり妙に歌心を出したりエキセントリックな解釈はオケの心も掴んだようで、沈潜する二楽章はバッチリ。アーベントロートの衰えも込で聴くものがある。ガシガシいく三楽章ではやはりほつれはあるがシェルヘンのような重い音にデジタルな解釈は(シェルヘンの悲愴はよくないが)それなりに奇演好きにアピールする部分もある。おおむねはまともだけれど。四楽章アタッカ、もう最初から歌いこむ。冒頭の雑然とした様が嘘の様なレニングラード・フィルの充実ぶり。雑味の混ざる点では二楽章が最も上手くいっているが、何かアーベントロート自身の滅びゆく運命すら思わせる感情的なものがあり、とにかくこの悲愴は全般、最晩年的な雰囲気に満ちている。良い意味でも悪い意味でも。もっと輝かしい音をしていたはずだが録音はいかんともしがたい。下降音形でソリスティックにオーバーなフレージングをさせ、感情的にドラマティックに終わらせるのもアーベントロートらしさだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,ガウク指揮レニングラード・フィル(新世界レコード/WME)1958/5/12東京live,,板起こしCD-R聴取による再掲。けして良い状態ではなくノイズがゴニョゴニョ入り続けいかにも板起こしといったかんじ、音も往年の板起こしといった何の工夫もされていない生のままのもので、加えていったんデジタル化したかのような金属質の音色は正直あまり褒められたものではない。かと言って原盤もよい出来だったとは言えず急ごしらえの記念盤という感じ(白鳥の湖抜粋は未聴・未復刻)。日比谷か、音響も良くない。篭っているというか、ブラスが咆哮してもどこかにあたって発散しない音だ。解釈はムラヴィンスキーの代振りにもかかわらず完全にガウクで、即興的なものを含む前のめりの急くようなテンポは不安定さをかもし、あくまでライブで成立する演奏であり、客観的に繰り返し楽しめるものではたい。とにかくオケも弛くならざるをえず、つんのめる寸前で先へ進むというある意味、職人技の連続である。また、二楽章をきくとわかるが、個性は認められるが、そんなに面白くもない。それを四楽章で思いっきり歌い力強く慟哭するという「つじつま合わせ」で大団円、というのもまさにガウク。普通の拍手で終わる。なぜ録音したのかよくわからない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1945/2/10放送,,非常に悪い板起こしで音飛びがひどい。演奏はいつになくぐずぐずなところがあり、てんめんたる部分にはクーセヴィツキーらしい心象が読み取れるものの、鑑賞に難のある盤と言わざるをえない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1946/2/9LIVE・CDアクの強い演奏でメンゲルベルクのそれに近い感触だ。あくまで客観的な解釈として極端なテンポの変化を施すというところも似ている。似ていないのはごうごういうような迫力と直線的なニュアンス表現だ。やはりクーセヴィツキーは男らしい。終楽章がなかなかに深みがあって印象的なほかは録音の悪さもあいまって正直お勧めとは言えない代物だが、晩年のクーセヴィツキーの衰えない演奏意欲が感じられる。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(BIDDULPH/VICTOR)1930/4/14-16〜男性的。柔らかい抒情、潤いに欠ける。5番ではそれがぴったりハマったものが、ここでは乾燥しギスギスした印象を与えるものとなってしまいました。曲によってアプローチを変える小器用なタイプではないし、それを期待する指揮者では決して無いのですが…。それでも行進曲の攻撃的な音は楽しめます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,ジョルジェスク指揮ルーマニア放送交響楽団( KAPELLMEISTER他),,はじめは野暮ったい演奏だなあベートーヴェンかよ、オケもモッサリしてると感じたが、フォルムがしっかりしてくるとコンヴィチュニーのような構築性が明確になる。オケに甘さは残るが、全体として意識的に組み立てられ、独特のデジタルな仕掛けが施された同作の特長が生きてくる。音の作り方は中欧的でやや重い。際立った個性はなく、シュヒター(チャイコフスキーをレパートリーとしていた)を想起するが、少しスケールは大きいかもしれない。柔軟さは無いがアーティキュレーション付けには表現意欲が聴いて取れる。終楽章もテンポ的にそれほど揺れないものの深い呼吸で劇性が引き出されている。聴き終わって何か残る演奏ではあった。セッション録音か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,ハイキン指揮レニングラード・フィル(Noginsk)1938・SP,,ソヴィエトの力を見せつけるような重厚な録音で、交響曲という大編成にも関わらず弦管のバランスも良く、同時代のフランスの78回転盤と較べると雲泥の差だ。ノイズ慣れしていれば十分聴くに耐えうるものである。既にレニングラードに腰を据えていたハイキンはガウクにテンポ感を持たせたような(あっちはライヴ録音だが)力強さと勢いを制御する術を30代にして身につけており、レニングラード音楽院で教鞭をとるだけの技術的に安定したものを感じさせる(モスクワにも出向いていたと記憶しているが)。録り直しの概念の無い時代ゆえ緩い部分は出て来るが同時代の録音としては極めて統制がとれており、レニングラード・フィルの水準の高さ、やはり弦楽器の力量には感服させられる。四楽章のような音楽ではコントラストがうまくつかず勢いをそのまま持ち込んでしまっている感もあるが、大粛清時代的な陰鬱さは排除されソヴィエトソヴィエトした前向き解釈が是とされていたのかと夢想する。師匠マルコが10年後くらいに同曲をイギリスで録音しているがこちらの方が魅力的である。後年しばしば感じられたレニングラード・フィルの土俗性も無く西欧的な演奏でもある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,マルコ指揮フィルハーモニア管弦楽団(HMV,EMI/SLS)1947/3/26,,SLSは針音がきついが音像が明瞭に捉えられる。当時のマルコの独特の解釈表現〜音を尽く短く切り詰め粘らず、即物的傾向のもと太くハッキリ発音させ、リズムを強調し直線的な流れを重視する〜がのちの煮え切らないスタジオ録音の演奏スタイルと異なり耳を惹く。正規販売されなかったのかフィルハーモニア管にしては一楽章前半からして速いスピードの前に弦楽器が乱れるなど「らしくない」部分もある。二楽章は音に憂いが一切なくリズム処理が明瞭な独特のワルツで、木管の棒吹きなど「単純化」された表現に好き嫌いはあるだろうが、憂愁の主題に入ると起伏が作られ対照的に感情を揺さぶりにかかり、トスカニーニふうの範疇ではあるものの染み入るところはある。シャキシャキした表現が活きてくるのは三楽章でチャキチャキである(何だそれは)。ナポレオンがロシアに生まれたらこういう歌が作られたであろうという軍隊調のところを煽っている。ただ行進曲というのとも違って、音量操作など小技を効かせた特徴的な解釈が光る。四楽章はオケの精妙な響きを活かしたであろう部分が悪録音のせいではっきりわからないのは残念だが、しっとりした夢、そして闇の表現は悲愴そのもので、三楽章との対比は見事である。クライマックスではスピードをむしろ上げ弦楽器の旋律を装飾する肥大化された上行音形は半音階を明確に聴かせずグリッサンドか単なるスラーのかかった音階であるように聴こえるほど速く、チャイコフスキーの書法の異様さが変に響かないのは、録音のせいでもあるか。ロシア流のローカルな色を出さず、しかしイギリスオケの中庸なる限界を超えており、これはSLSだからリアルに実態を聴き取れているせいだと思うが、精度は甘くも勘所だけは厳しく律せられたマルコのやり方が上手に働いて、ライヴでとんでもない名演の出てくることのある地盤の部分を感じ取ることができた。CD化不明(SLSはSP起こしCD-R)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,モントゥ指揮ボストン交響楽団(melusina)1961/8/19live,,キンキンするノイジーなステレオ。環境雑音も気になる。直截な表現、整えたような解釈、押さえるところ押さえて聴き映えはするのだが、「それ以外」のところが弛緩。とくに弦に求心力がないというかやる気が薄いというか一楽章から「え、こんな剥き出しのところで音程がバラバラ…?」といったふうで、最初ミュンシュと勘違いして聴いていてピンとこなかったのは晩年傾向のせいかと思ったらこんなことはミュンシュでは絶対ない、と確認、モントゥーだった。うーん。よく鳴り、よく彫刻され、完成された読みだが、何か手抜き感のある新即物主義的演奏。3楽章終わりで盛大な拍手となり、口笛まで。収まって「シーッ!」という声から終楽章。何故かこれが客席がシンとなるロマンティックでかつ透徹した演奏という。。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,×シェルヒェン指揮北西ドイツ・フィル(TAHRA)1960/4〜はっきり言って駄盤。めったにそういうけなす言葉を書かない私が書いているので間違い無い。ためしに聴くなら無駄な期待をかけないようにしましょう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○アーベントロート指揮ライプツィヒ放送交響楽団(eterna/BERLIN Classics)1952/1/28〜私はこの演奏を聞いて、非常に暗い印象を持った。とくに2楽章、暗闇の中から幻のように浮かび上がるワルツの調べ。アーベントロートの解釈はいわゆる前世紀的な大きな伸び縮みを伴うロマンティック(もしくは表現主義的とでも言った方がいいだろうか)なものだが、この演奏も1楽章から終楽章にわたってえんえんと短いルバートがかかりつづける。それは聴いていて決して不自然ではなく、ドイツ的などっしりとした響きのうえで自由に歌っているような感じだ。決して臭くはならないのが面白い。暗さは引き締まった軍隊行進曲のような3楽章のあとにくる4楽章アダージオにも横溢している。暗黒の中から浮かび上がるような主題提示。号泣するかのような歌は自在なルバートによってその情感を増している。終わってみて、感銘を受けた。決してトンデモ盤ではない。独特の佳演である。1楽章の出だしの余りの遅さにがくりときたが、足取りはしっかりしており、やがて曲が進むにつれアーベントロートならではの表現主義的とでもいうべき緩急の差のはっきりついた演奏ぶりが板についてきて、気持ち良くなってくる。3、4楽章など名演だ。ェルヒェンはこの曲の録音を遺しているもののその個性を十分に発揮できたとはとてもいえない凡演であったが、もし本調子であったならきっとこのようなエキセントリックな演奏をくりひろげたに違いない、と思う。オケがばらついたり管が落ちたりと瑕疵はたくさん聞こえるもののこの演奏の本質的な価値を貶めるまでには至っていない。独特の緊張感がなんともいえない。佳演だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON)STEREOロシア物には定評のあったアンセルメの記録。この人のイメージを覆すような熱い演奏が聞ける。オケ、とくに弦楽器の技量に足りなさを感じる場面も有るが、ドイツ風の構築性が感じられはするものの、基本的には俊敏で水際立った演奏ぶりである。こういう客観的な指揮者が振ると音楽がダレてしまいがちだが、特に2楽章など思ったよりスピードが速くとられており、ダンスという感じではないが、気分を高揚させるものがある。3楽章はどんな指揮者がやっても盛り上がるものだが、正攻法ではあるが非常に昂ぶった演奏ぶりで、最後の方はテンポがつんのめりがちになってしまうほどである。4楽章は美しく雄大だ。スイス・ロマンドのロシア交響曲演奏というと思い付くのはクレツキのラフマニノフくらいか。あちらはオケの透明感を生かした比較的予想通りの演奏だったが、ここではとにかく熱い演奏ぶりが意外だった。こういう演奏もシェフによってはしたのである。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○エーリッヒ・クライバー指揮パリ音楽院管弦楽団(LONDON)〜颯爽とした指揮ぶりには常に品がある。しかもチャイコフスキーにかなり共感を示しているようだ。1楽章の有名な緩徐主題のテンポ・ルバートは独特のもので一聴の価値あり。ちょっとメンゲルベルクなどを思わせる操作的所為。ほかにも特徴的なテンポ操作が施されていて耳を惹くところがある。だがこの盤の特徴は全曲をとおしての一定のまとまりにあると思う。1楽章から舞曲楽章、行進曲楽章から緩徐楽章に至るまで、首尾一貫した演奏方針が感じられ、すんなりと聴きとおしてしまう。起承転結がうまく組み立てられているというか。オケが弱いが、音色に魅力があり、それがクライバーの演奏ぶりとよくあっている。パリがチャイコフスキーを評して「臭い」と嫌ったそのパリの音楽家との演奏、この組み合わせでは4番もある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,エーリッヒ・クライバー指揮ケルン放送管弦楽団(IGI)1955/3/28LIVE・LPどうしてこうなったのかわからないが、過激だ。極端に伸縮するリズム、気まぐれに揺れ動く旋律、揃わない弦楽器。ケルンとのこのライヴ集はいずれの演目も音が悪くヘタレだが、この演奏は部分的には感銘を受けるものの、全体としては「あれれ、どうしてこうなっちゃったのかなー」ていう感じ。クライバーのものとしては初めてこういう乱暴な演奏を聞いたから、正直戸惑いをおぼえる。1楽章がとくに酷く、冒頭より頼りない動機の粗雑なアンサンブル、例の有名な緩徐主題の異常に引き伸ばされた音符要素&異常に詰められた音符要素、しかもほとんどヴァイオリンだけに指示しているようでオケ内でテンポ差が生じている。これはやばい演奏だ。2楽章は逆にそういう人工的な歌いかたが名人芸的に聞ける。さすがクライバーといったところは3楽章、板についてきたというか、指揮者とオケがやっと一体化したというような胸のすく演奏になっている。ここでも異常なテンポの伸縮は聞かれるのだが。4楽章はもう物凄いデロデロ状態で、2楽章、3楽章とだんだん度を越してきた弦楽器(とくに内声)の「泣き」のヴィブラートが、まるで電気録音の頼りない音のようなうにょうにょした背筋の凍るような聴感をあたえる。ここまで感情移入して、オケマンであることを忘れて自主的に歌い出す弦楽パートに感銘は受けるものの、いささかくどい。クライバーの解釈もそうとうに起伏が激しく、最後は死に果てるように終わる。ライヴらしいといえば無茶ライヴらしい演奏でソレ系が好きなかたには堪らないだろうが、いかんせん録音そのものも悪すぎ。私の盤だけではないと思うが音飛びがかなり頻繁に起こっていて興を削ぐ。いい条件の録音であればもうちょっと評価できる極めて個性的な演奏だが、あまりに崩壊気味なこともあるし、ここでは無印としておく。そういえば1、4では異常に長いパウゼも聞ける。一瞬盤がダメになったのかと思った。ここまでタめていいんでしょうか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○カンテルリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)1952/10/22-25&28カンテルリはジュリーニの6歳下の後輩である。それを思うとじつに短い音楽人生だったのだな、ジュリーニ翁の長大な音楽人生と重ねて、そう考える。カンテルリはテクニシャンであり、ジュリーニのような独特の個性はないかもしれないが、何でもそれなりに振って見せてしまうところがすごい。アメリカデビュー当初よりハイドンにヒンデミット、バルトークにフランクと、節操がないまでにいろいろ手を出している(それは残された公式非公式の録音群を見れば一目瞭然だ、ある程度はレコード会社等の思惑によるものといえども)。颯爽とした指揮ぶりはときにトスカニーニを思わせるが、あそこまで即物主義に徹した演奏は行わず、もっと柔軟で、よりわかりやすい。このわかりやすさがミソで、BGM的に聞き流すには丁度よかったりするから、最近私は他のことをしながらカンテルリの何かの盤をかけることが多い。そんな印象に直結するようなのがこの「悲愴」で、じつにオーソドックスで、期待を裏切らない完成度の高さだ。オーソドックスというのは決して否定的な意味ではない。平板で気持ちののらない演奏という意味ではけっしてない。ノリはむしろすこぶる良い。終楽章のかなしさ、これはあきらかに「悲愴」そのもの、それ以上でもそれ以下でもない。モノラルなのが惜しまれる。ステレオならカラヤンに拮抗しうるものになったろうに。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ゴロワノフ指揮ソヴィエト放送交響楽団( boheme)1948〜ゴロワノフの録音にしては破格の音の良さにまず驚き。擬似ステレオ。弦がやや薄く、バランスも余り良くないが、それだけに生の情感が伝わってくる。メンゲルベルク張りの珍妙さやシェルヒェン張りの激しさが求められる指揮者だが、ここでは弱音部の雄大かつ哀感に溢れた響きが印象的。情に溺れない骨太の余韻の中に、男らしい悲しみが満ち溢れる。これも又「悲愴」そのものである。1楽章の終結部、4楽章の第2主題の表現は出色。チャイコフスキーという作曲家のステレオタイプな表現法から少し離れている。2楽章も安易に踊らない。そこがよい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(GLOBE)1978/3/29LIVE録音があまりよくない。今一つ舞台が遠く音場も狭い感じがする。演奏自体は立派なもので、とくに4楽章の情熱的な音楽がいい。悲愴の演奏で4楽章に感動する事は滅多に無い私だけれども、コンドラシンのいつになく震幅の大きい感情的な音楽は、いくぶん個性に欠ける音色の弦、個性が強すぎて下品なブラスを強固な意志でまとめあげているさまが壮絶で感じるところがあった。翻って3楽章、ライヴにしては弦の「飛ばし」も粒の揃っていてまとまりがすこぶるいい。コンドラシン向きの楽章なだけにすんなり聞きとおせる。1楽章はちょっと印象に残りづらかったが2楽章のワルツもなかなかのドライヴ感で聞かせる。総じて際立った個性は感じないが、前進性ある音楽は元気になりたいときにいいクスリになろう。4楽章も絶望で終わる事はない。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(MELODIYA/VICTOR)1965/11〜何といっても3楽章の迫力だ。どうしてもばらけるような箇所(冒頭など)もイキオイの方が物すごくてまったく気にならない。これを聴いてしまうとしばらく他の演奏が聞けない。生ぬるく感じてしまう。やっぱりコンドラシンの本領はこういうところにあるのだな、と思う。私はLPで聴いているが、レンジの広さと生々しい音に気おされっぱなし。ただ、繊細な味わいは薄い。1、2楽章にかんしては意外とオーソドックスに感じるし、4楽章はやや強すぎる気がする。ただ、私にとってはこの3楽章だけでも十分○ひとつの価値がある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ストコフスキ指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(SCORA,ARTE)1958/6/17LIVE・CD ゴロワノフもまっ黄色の激烈演奏。ストコフスキの特異な解釈を、これまたものの見事に音にしてみせる強力オケの異常なテンション。こんな悲愴、古今東西あっただろうか。止揚する音楽、テンポの人工的で奇怪な伸縮、異様な雰囲気でつんのめりながらひたすら突っ走るオケ、ストコフスキはしかしそれらすべてを完璧に制御しきっている。彼の解釈は恐らく予定していた以上のレベルで実現してしまった。脇目もふらず疾走する3楽章の最後で拍手が怒ってしまうのも無理ないところ。4楽章も泣きの旋律をダイナミックな解釈でだいなしにしてしまっている。でもそれがストコフスキなのだ。細部まで音にして鳴り響かせなければ気が済まない豪快さ、それがこの時代の指揮 者なのである。たぶん100人聴いて99人この演奏に違和感を感じると思うが、その違和感こそこの人の狙いか。終演後の拍手はなぜか消されている。2楽章も意外とイケます。○。録音はハッキリ言って最悪。とくに1楽章の途中で殆ど聞こえないくらいに雑音まみれになるところがある。放送エアチェックのようなキンキンする音も辛い。幸い3楽章以降はマシになる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,◎ターリッヒ指揮チェコ・フィル(supraphon)CD廃盤〜名演!とくに1〜3楽章(4楽章はつまんない)。目立った特徴的な解釈はないが、実に統制のとれたオケが微妙な棒の揺れを的確にキャッチしてじつに表情豊かな音楽をつくり出している。新世界よりこちらのほうが良いのでは?チャイコフスキーはただでさえ情緒過多な音楽だから、感情の表出はこの程度がいい。気品に満ちた弦、最高!ポルタメントもすこし聞ける。一回CDになっているが現在は廃盤状態。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○フリード指揮ロイヤル・フィル(LYS)1932LIVE・CD 前へ前へ行くつんのめり気味のテンポが印象的だ。そうとうに速い比較的インテンポな演奏だが、ビーチャム時代のロイヤル・フィルはその中で可能な限りカンタービレを表現しようとしている。貧弱な録音にもかかわらずそれなりに立体感のある音響は演奏レベルが高いせいかリマスタリングがいいせいか。雑音まみれでも、有名なマーラー「復活」の初録音盤にくらべるとずいぶんと聴き易い。弦楽器のしょっちゅうミャーミャーいうポルタメントが耳につくが時代のなせるわざだろう。いずれにせよ「悲愴」初期?の受容のされかたをつたえる録音として貴重だ。マーラーに「影のように」つきまとったというオスカー・フリートの録音はこの時代の人にしてはけっこう残っているほうだろう。世界中転々とした人生だったようだが、そんなコスモポリタンぶりもこの意外に情緒纏綿ではない引き締まった演奏からは伺える。けっこう聞けます。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(DG)1959/9この演奏は圧倒的に4楽章を聞くべき。このオケのヴァイオリン特有の金属的で味の無い音も、フリッチャイのどん暗い解釈の前には感情を込めざるをえない。ステレオ最初期で、録音条件は悪い。舞台に近すぎていびつな生音が入ってしまっているし、分離がはっきりしすぎてアンサンブルを聞き取りづらくしている。1楽章など異様な遅さがオケに歪みをもたらしており、遅さの中で不要に決然とした発音がぎしぎし軋むさまが聴いて取れる。ここまで整えなくてもいいじゃないか、とさえ思う。ヴァイオリンの細かい音符までギッチリすべて揃えるなんて、音楽の流れを妨げるだけではないか?オルフェオのライヴも似たようなものだが。ちなみにこの楽章は指揮者が最録音を望んだが死去してしまったため長らくお蔵入りになっていたのだそうだ。2楽章はこれはこれで美しいがイマイチ感情移入できない。人工的な遅さが気になる。3楽章は聞き込むとよさがわかってくる。この録音はスピーカーで遠ざけて聴くべきだな、ヘッドフォンだと録音の細部のアラが見えすぎてしまう。初めの刻みがぎっちり揃えられているのにはむずがゆさを感じるが、クライマックスの力感は捨て難い。そして4楽章へ戻るわけだが、重病を得てのち復帰した指揮者だけあって深刻だ。第二主題の儚い夢の美しさは筆舌に尽くし難い。ベルリンの音色的に魅力の薄いヴァイオリンも、フリッチャイの魔法で果てしなく美しい音楽に作り替えられている。そして末尾、余りに暗澹とした寂寥感。これは他ではなかなか聞けまい。全般、深みを増しているが、冷たく硬質な音をもつベルリン放響のせいかやや人工的な作為が目立つ、といったところ。4楽章が名演なのでトータル○ひとつとしておきます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,フリッチャイ指揮バイエルン放送交響楽団(ORFEO)1960/11/24live〜無茶面白い解釈で即興の嵐。笑ってしまう人もいるだろう。ただ柔らかいニュアンスに欠ける。フリッチャイの特徴といえば特徴だが、乾いた激情というふう。3楽章などスキモノにはたまらないやりたいほうだいだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(archipel)1951/4/19live〜参考記録。廉価盤。DG盤はこの日の演奏と22日の演奏を切り貼りしているが、この盤は19日の演奏のみを丸ごと収録している。なんとなくではあるが、DG盤より一貫した音楽の流れというものを感じるし、客席のきしみや咳の音など、却って臨場感を増している。1951/2/10シューベルト「未完成」とのカップリング。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○マルケヴィッチ指揮ベルリン・フィル(DG)〜ロシアものは絶対冬だ。夏は暑苦しくてとても聞いちゃいられない。ただ、今年は冷夏だ(2003年現在)。そこでマルケヴィッチのチャイコなどというものを手に取ってみる。私はマルケヴィッチにかんしては殆ど素人だ。だが、なんとなくフランス風にさらっとやってくれそうで、「戦後のベルリン・フィル」というこれまた暑苦しい団体の演奏ではあるが、期待して聴いてみる。・・・うーん。10中1、2くらいは個性的な解釈が入るが、いたってあっさりしている。強いていえばムラヴィンスキー/レニグラの演奏タイプ。もっと言ってしまえばムラヴィンスキーがあればこんな盤いらない。だがそこは「戦後のベルリン・フィル」、重厚な音色が独特の深みをかもし、マルケヴィッチの個性を援護する。1楽章後半と4楽章後半の物凄く攻撃的な演奏ぶりは独特であり出色である。対して2、3楽章はあまり個性を感じない。3楽章で壮麗なクライマックスを築く指揮者は多いが、マルケヴィッチはあくまで4楽章に悲劇的なフィナーレをもってきている。これもひとつの見識。録音は戦後DG、例によって悪いが、その中から響くのは周到に計算された音楽の世界である。それは表現主義的な激しさも伴う、いかにも20世紀的な分裂気質の解釈でもあった。それにしても、ああ、やっぱり暑苦しい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○マルケヴィッチ指揮ロンドン交響楽団(PHILIPS)1962/1〜鋭い感性のあらわれた演奏。マルケヴィッチの厳格な指揮にオケもよくこたえ、非常に充実した演奏に仕上がっている。リズミカルな処理の巧さはこの指揮者のものだ。やはり1、3楽章がすばらしい。ムラヴィンスキーのように、よく聞けば細かく解釈を加えているのがわかるが、何も考えずに聞くととても「スタンダード」である印象が残る。それは悪い意味では無論無く、とてもバランスのとれた良い演奏ということである。録音の良さもあいまって、非常に聴き易かった。ベルリン・フィル盤よりこちらを推すべきかもしれないが、ここでは個性の面で一長一短として共に○ひとつずつとしておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,マルケヴィッチ指揮NHK交響楽団(NHKSO,KING他)1983/1/12LIVE CDも映像もあり。録音は明瞭ではあるがバランスが悪い。派手にぶっぱなすブラスに弦楽器が消し飛んでしまうに至ってはいささか苦笑した。妙にロシア流儀なところも併せ持ったシャープで流麗な演奏ぶりは正直民族音楽的にやるのか純音楽的にやるのかどっちつかずな感も否めないが、N響の演奏としては面白いというか、ドイツ的な重さを保持しつつも繊細な音符のひとつひとつをきっちり表現させて比較的多彩なひびきを産み出す事に成功している。マルケの悲愴は他にもっと聴くべきものはあるけれども、このちょっと聴き無難で手堅い演奏も、マニアなら聞いておいてちょっとしか損はしないと思う(変な言い方)。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ムラヴィンスキー指揮ソヴィエト国立交響楽団(DOREMI)1949・CD録音がめっさ悪いので単純には言えないのだが、エキセントリックだ。細かい恣意的なデュナーミク変化が一部極端につけられていたり(独特のアーティキュレーションだ)、また全般に長い音符を短く切り上げるクセがあり滑らかな曲の流れを阻害してしまっている。オケが後年ほど上手くないせいで極端になってしまっただけかもしれないが。1楽章は妙な居心地悪さがあって馴染めなかった。ごちゃっとしてしまう所もある。2楽章は比べて流れよく聞きやすいがクセあり。3楽章は愉悦的なテンポできっちり揃った弦楽器の刻みが勇ましい。直線的で怒涛のような演奏はけしてトスカニーニにもならずダイナミック。4楽章は異常なレンジ幅を要求する。録音が残念なので味わい尽くすことはできないが、後年のムラウ゛ィンには見られない感情の揺れが感じられる演奏。最後はドロドロに暗い。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(DG)〜たくさんあり。チャイコフスキーの大家ですね。私にはこのひとを評するなどという大それた事はムリです(苦笑)。後期交響曲全集で2組、その他単発が無数にあるようです。直截な演奏様式で、演奏の都度アプローチが変わるような事は決してなかったように思えますが、録音初期から比べるとかなり変わっているとか。あいにく私には確かめるすべがありません。グラモフォンには2回録音している。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,◎メリク・パシャーエフ指揮ボリショイ歌劇場管弦楽団(BMG,MELODIYA)1956・CDパシャーエフはボリショイ劇場管とのタッグで多くの歌劇の録音を遺している。イーゴリ公やスペードの女王など、CD化されたものも少なくない。私はオペラは門外漢だが、パシャーエフの純器楽曲の演奏を聞くにつけ、歌劇の録音への興味がふつふつと湧いてくる。じつに引き締まった、かつダイナミックな彫刻の施された演奏を行う指揮者であり、刹那的な感情に左右されないしっかりした音楽を造り上げることができる。縦が非常によく揃っていて、テンポが良く、シェルヒェンなら絶賛しそうな確固たるスピード感を持つ指揮者だ。この「悲愴」は以前挙げた1楽章だけのものと同じと思われるが、その特質がよく表れた演奏であり、1楽章は勿論、2楽章のワルツの胸踊るようなリズム感、3楽章の(ボリショイのオケゆえ多少は雑味も混じるが)ダイナミズムは絶妙。4楽章は私はよく飛ばして聴いてしまうが、パシャーエフの演奏は思わず聞きこんでしまった。ある程度のロシアの体臭を感じさせながらも、張ちきれんばかりの力感を秘めた非常に勇壮な男らしい演奏であり、ムラヴィンスキーやターリッヒほどの完成度はないが、もっと身近というか、主観的な観点も併せ持った非常に聴き易い演奏になっている。個人的には◎をつけたいところだが、私の盤の状態が悪く(但し日記に書いたとおり私のプレイヤーの針のせいかも)聞きづらい部分があるゆえ○ひとつにとどめておく。でも限りなく◎に近いと考えて頂いて結構です。ちなみに私の盤の真ん中の穴が小さく、叩き込まないとプレイヤーの軸が入らなかった(泣)ひょっとして未使用盤か?(後補)98年に「有名ロシア人指揮者たち」シリーズでいったんCD化されている。ホワイトノイズ程度で聴き易い。ゆえ、評価を◎にします。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」〜T,メリク・パシャーエフ指揮ボリショイ劇場管弦楽団(MELODIYA)1955-62,同上?,1楽章のみ。音色に頼らない男らしい野太い演奏だ。比較的耽溺しないタイプの演奏だけれども、やはりロシア人、冒頭の動機の異常な遅さからしてもう面白い。序奏の最後には通常スピードに戻っている。スピード変化は主部に入るとそれほど派手ではなくなるが、独自の解釈が比較的目立たないところに施されていて、たとえばファーストバイオリンが通常すべてスピッカートでやる上向音形の刻みを、頂点にたっしたところでレガートでやらせてみたり、いかにも現場主義的な職人解釈が入っている。例のタンビな旋律は音色がナマっぽいがおかしくならない絶妙なフレージングが美しい。とくに二度目のところだ。まあ全般ちょっと通好みと言うべきか。無印。*全楽章録音入手しましたので別途改めて書いてます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○メンゲルベルク指揮ACO〜デフォルメ爆演の元祖、メンゲルベルクの演奏。この麻薬のような味は癖になる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,メンゲルベルク指揮パリ放送大管弦楽団(malibran)1944/1/20放送live・CD,,メンゲルベルクの演奏様式は歌舞伎の型のようなものが決まっている。スコアそのものかどうかは知らないが、それをいかにオケが徹底できたかで評価が変わる。特に手兵との演奏や中欧での最盛期の録音が残る十八番であったチャイコにかんしては、新発掘と言われても難しいものがある。malibranが代理店を立てて本格的に発掘音源を売り込んできた背景は知らないが、今回のメンゲルベルク・シャンゼリゼ客演2組は一部既出であるもののフランクの交響曲を始めとしてマニアならびっくりするような「新発見」ものではある。しかし新発見は同時に状態の問題も孕むものである。偶然市場流出したアセテート原盤の劣化が激しく、骨董録音のように全般がノイジーであったりするならそうイコライズして聴けばいい話しなのだが、これは原盤の面ごとに状態が違いすぎる。オケ名も適当であるようだ。1楽章冒頭がけっこう重量感のある音でいいな、と思ったら第二主題で薄くてか細くてSPのような音質に物凄いノイズ・・・こういうのが3楽章の盛り上がりでもやってくる。断裂もあり、苦心して繋いだ様子が伺えるがとても勧められる状態ではない。演奏は冒頭にも書いたとおり難しい。メンゲルベルクの表現が徹底されていない感は拭えない。デルヴォーのように軽い響きは「らしくない」(それでもフランスオケにしては厳格な表現だが)バラケっぷりに裏打ちされ、オーボエなど深い音色にはっとさせられるも正直音質的にどうこう言える部分は少ない。司会者の長い説明に当時のフランスにおける一般的なチャイコフスキーの認知具合を知り、3楽章終わりアタッカ前で笑いながら拍手するおじさんを指揮棒の音で制するメンゲルベルクを愉しむ、そういったマニア向けの音源だろう。個人的には1楽章はなじめず、2楽章は印象なし、3楽章いまいち、4楽章は盛り上がった。メンゲルベルクを知らない人は楽しめるか。,,gooブログはあいかわらずログアウト時間が短い。投稿ボタン押してのログイン表示、その後は投稿完了が普通だろ・・・全部消えてしまったので打ち直し、文章量半減しました。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,○ロジンスキ指揮ロイヤル・フィル(westminster/mca)1954/10/3,4〜この演奏はロジンスキの白眉たるものだ。無論3楽章の行進曲表現の強靭さやクライマックスの比類無い盛り上がりなど、通常聴き所となる箇所でもその力を存分に発揮しているのだが、この演奏が素晴らしいのは、終楽章アダージオの表現である。初めからかなり短いサイクルでテンポを揺らし、非常に強い情感を持たせているが、そういう演奏はなかなかない。この楽章は3楽章の刺身のツマみたいに扱われている事も存外多い。だが、3楽章であれだけ鋼鉄のような盛り上がりを作っておきながら、掌を返したように情念の篭った(無論ロジンスキなりの、だが)葬送音楽を演じているのが実に効果的なコントラストとなっている。ロジンスキとしては珍しいほど歌いまくる。ただ、そこにちゃんと旋律以外の中声部以下の響きが伴っており、歌いまわしだけの平凡な演奏にはなっていない。最後の心臓の音の消えるまで、じっと聞き入ってしまう演奏だ。佳演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィル(COLUMBIA)LP これはいまいち。音が明るすぎて悲愴の悲愴たるところがよくつたわってこない。意図的に揺れるリズムや旋律はけっこうハマっているが、いかんせん演奏がダレダレというか、あまりやる気を感じない。この悪い録音(しかも私の盤は音飛びだらけ)で今更聞き直す必要はないでしょう。確かに解釈は面白いのだが、無印。この演奏も月並みながら3楽章は行進曲的に盛り上がり4楽章は涙ナミダの絶唱で終わる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,ゴルシュマン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(METRONOME)LP 異様に起伏のある解釈で、ウィーン・オケの特質もあいまってとても個性的な演奏になっている。しかし私の盤は異様に音飛びするので(またかい!)浸りきる事ができなかった。作為的なところで拒否感を覚える向きもあるだろう。音質が特殊なウィーンふうで、ザッツの微妙にあわないもっさりとしたオケに苛立ちを覚える人もいることだろう。というわけで無印にしておくが、これはぜひ音飛び無しの演奏で聴いてみたい。そのときはまた評価を変えるかもしれない。とくに4楽章のデロデロの絶唱は聞き物。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,ミトロプーロス NYP
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,コンドラシン指揮モスクワ・フィル(altus)1967/4/4live〜とにかくギチギチで物凄い迫力のある演奏。表出意欲の強いあまり、チャイコフスキーらしい甘やかな雰囲気は皆無であるが、荒々しい男気には独特の魅力がある。激烈な3楽章のあと、終楽章アダージオは力強い慟哭に貫かれ、違和感すれすれの強力な楽章に仕上がっている。爆演、というのはこおいうのをいうのだろう。コンドラシンらしい仕上がりだ。時折、はっきり作為的なテンポ・ルバートが入るが、他演には見られないものであり特徴的である。コンドラシンにはモスクワ・ライヴ(GLOBE)もあるが現在廃盤状態。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト(ロシア)国立交響楽団 〜チャイコフスキーの大家ですね。日本でもお馴染み。キャニオンから日本ライヴと3年後のスタジオ録音が出ています。その他メロディヤにも録音があります。日本ライヴではオケが乱れる部分も散見されるものの、1楽章第2主題のむせび泣くような表現(特に1回目の静謐な出方は出色)はこの盤最大の見せ場。3楽章の強固な前進性は特筆もの。かつてはよくあったのだけれども、各声部が独立して響きすぎるために音楽がばらばらになるような瞬間があるが、強力なブラスセクションは健在だ。乱打するタイコは少し耳につく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(rare moth:CD-R)1992/11/17live〜チェリのオハコだそうだが、前半ははっきりいってあまり魅力的には響いてこなかった。1楽章の例の甘美な主題など、人工的な感じがして好きになれない。だれるまではいっていないのだけれども、音符と音符の間に空気が入ってしまっているような、スカスカな感じがした。だが3楽章、雄大かつ強靭な表現により壮麗に盛り上がる音楽、そして何より、海の底深く沈潜していくようなどこまでも暗い・・・宗教的なまでに、哲学的なまでに暗い4楽章。説得力にあふれるこれらの解釈はつねに構築的な意識のもとに統べられているのだけれども、そうと感じさせないまでに血肉になって演奏されている。録音状態がけっして良いとはいえず、イン・ホール録音と解説文には書いてあるけれども、非常に舞台が遠く全体の音量が小さくとらえられてしまっている。この音楽をあじわいつくすなら、アンプの音量をいつもより上げてお楽しみいただきたい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,チェリビダッケ指揮ミラノRAI交響楽団(HUNT/FONIT CETRA)1960/1/22LIVE〜既にして構築的である。後年にくらべ感情に従った盛り上がりやテンポアップは比較的多く聞かれるものの、人工的なテンポ設定や音色までは粘らない骨太のスタイルはこれがチェリのものであることをはっきりと示している。ドラマティックなのは4楽章で、かなりの情熱が加えられ結果として大きな劇性を持った演奏になっており、「悲愴」の演奏としては珍しく4楽章が聞き物という結果になっている。チェリの晩年様式が苦手の向きでも、これなら楽しめるかも。確かに個性の刻印の残る演奏だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(DG)1951/4/19,22live〜フルトヴェングラーのチャイ6としては二度目の録音である。ライヴとは思えぬ集中力、弦の変幻自在の音色変化に括目。1楽章は思ったより率直な演奏で、派手な演出もなく比較的地味だ。音楽の流れを律する威力は感じるが、「ドイツ的」というほど個性はない。2楽章はこまかいフレージングにロマンティックな味付けもなされているが(第二主題)、あくまで憂鬱な性格を表現する手段として使われているにすぎない。3楽章だが、ヴァイオリンのいきなりのバラつきにぎょっとするが、すぐまとまる。テンポは遅めである。行進曲主題の力強さはさすがである。木管がズレたりするが弦がしっかりテンポキープしている。ベルリン・フィルの弦の威力にただただ聞き入るのみだ。テンポダウンして突入するクライマックスの行進曲は恰好良すぎ!4楽章、3楽章のあとだけに効果的な「落とし」方。ねっとり歌われる第二主題の表現にはポルタメントも入ったりしてちょっと味濃い目。長く息の詰まるようなパウゼ。再び顕れた第二主題の盛り上がりでのドラマティックなテンポ変化は全く西欧のものだ。でも、素晴らしい。最後、ドラがやや軽めに入り、第二主題が変容して地下にはてしなく落ちていくさまが巧く描写されている。総じて熱演だが正統では「おそらく」ない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(DG/history)1938〜フルトヴェングラー唯一の「悲愴」のスタジオ録音。スタジオのせいか音質はこの時代にしてはまあまあだし、指揮者の統率力も高く発揮されており、ミスも少ない。明瞭な(ディジタル的な)テンポ変化が面白い。その作為性がスタジオ録音で整えられているがゆえに際立ってくる。3楽章クライマックスの第二主題前の急なテンポダウン、コーダの異様な高速演奏には唖然。音がもう少しよければ推薦とするのだが。超廉価盤でも発売。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」,ワルター指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(プライヴェート盤)1924〜アコースティック録音ゆえ音量感がなく平らかな録音になってしまっているのは仕方ない。だがあけすけなテンポ変化については明瞭に聞き取れる。それはかなり恣意的な印象を残す。ワルターがライヴでしばしば見せたハチャメチャな珍演につながるものがあるとはいえ、時代(大正時代!)から言ってもこのような頻繁に伸び縮みする演奏は決して珍しいものではなかったし、ワルター個人の問題ではないだろう。ファーストヴァイオリンの薄さが最後まで気になったが、参考資料としては価値をもつ。ワルターに興味のある向きはあたってみてもよかろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」〜T断片,ワインガルトナー指揮コロンビア交響楽団(ARBITER)1914/5/23・CD 異様な録音が出た。ワインガルトナーが残ってるんだったらニキシュも残ってないもんかなー。一楽章の有名な緩徐主題が最初に出てくる場面ひとしきり約4分半の短さだが、ワインガルトナーの全く揺れずに颯爽と進む指揮ぶりはハッキリ確認することができる。この時代にこの解釈とは、まったく恐れ入る。録音が残っている指揮者のうちで新即物主義とでも言うべき譜面直訳解釈をこの時期に示した指揮者はトスカニーニぐらいではないか。しかもトスカニーニはデュナーミクなどで起伏を造る事は行っており、こんなにさっさと拘り無く進んでいく音楽を紡ぐ事はなかった。ワインガルトナー恐るべしだ。とはいえ指揮者がそうでもプレイヤーはそれなりにポルタメントをかけまくったりはしている。テンポはがんじがらめにされているが、マイクの捉えられる範疇内のごく限られた楽器たちは、ミャーミャーいう独特の録音色の奥でそれなりに歌を歌っているようだ(想像するしかない)。それより印象的なのは緩徐主題が明るく展開していく場面での弾むようにリズミカルな表現。タンタカタンタン、タンタカタンタンというリズム音型がじつに躍動感に溢れ前進力があり、私がワインガルトナーに持っていたイメージがちょっと変わった。舞曲も意外といけるんじゃないか?と思った。シンポジウム(SP以前の録音を積極的に復刻しているマイナーCDレーベル)盤並の強大雑音ゆえとても評価は付けられないが、この時代の演奏様式に興味があるんだったら聞いても損はなし。リヒャルト自作自演のドン・ファン、ワインガルトナーのワグナー、フリートのエロイカ(世界初録音盤でCD初復刻とか)他、併録もそれなりに魅力的です。但し蝋管のシャカシャカ雑音に負けるような耳の人はもうちょっと耳を鍛えてから聞きましょう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」〜V,クリュイタンス指揮ウィーン・フィル(EMI)CD ステレオ。冒頭のモルダウからやな予感がしてたのだが、やっぱり拡散気味でグズグズ。各楽器がバラバラで縦が揃ってないというか、甘い。ステレオであることも逆効果になっている。全曲あってもあんまり聴く気がおきない。やっぱりこの人に国民楽派は似合わない。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:交響曲第7番(ボガチレフ補筆完成版),○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(COLUMBIA,CBS他)CD,,長く、ほぼこれ一枚しかなかったはずである。「題名の無い音楽会」などライヴで国内試演されることはあっても全曲はなかなか聴けなかった。チャイコフスキーにそもそも興味を示していなかったオーマンディ(ラフマニノフ以降は大好きだったのに)が、恐らく「新し物好き」の範疇で手を出した編曲作品で、私はLPで聴いているのでやや音が煤けているが、それでも派手な弦楽器が繰り出す強い音楽は魅力的にひびく。曲はよく知られたとおり寄せ集めで、その中でもいくぶん原型をとどめている1楽章は面白い。直前の5番よりむしろ4番を思わせる強引だが細かく複雑な書法、激しい転調などいかにも最盛期チャイコフスキーの鋭敏な感性を示している。とくに響きの移ろいがオーマンディ盤においてはとても明瞭で、チャイコがやや(自己に)保守的になる前の野心を透けてみせる。中間楽章は3番を思わせるところのある渋いもので諸所面白いところはあるし、終楽章は5番を思わせる部分がある。,,フィラデルフィア管は弦の個々人が非常に強く派手なぶんバラケを感じさせるため、求心的な演奏を好む人は避けがちかもしれない。この曲ではブラスが目立たないこともあって長所の一端が失われてしまっているようにも感じる。しかし今もって最も「聴ける」音盤には変わりないだろう。じつにまとまった1枚。現役ではないのが惜しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
チャイコフスキー:交響曲第7番(ボガチレフ補筆完成版),ギンズブルグ指揮ソヴィエト国立交響楽団(VICTOR/MELODIYA)1962/7 ,,有名な珍曲で今更何をというかんじではある。断片だけなら企画もので取り上げられることもある。有名なところでは新し物好きオーマンディ盤があげられる(現役かどうかしらないが)。もともとは未完の変ホ長調交響曲として悲愴の前に位置づけられているもので、1楽章のほぼ完成版と他楽章はスケッチのみという形で残された。1楽章についてはとくに悲愴初演直前の93年10月にピアノ協奏曲第3番1楽章、即ち遺作として転用完成されている(2,3楽章はピアノスコアのみ)。ちなみにピーコン3番はタネーエフが1楽章初演をにない2,3楽章のオーケストレーションを施して「ピアノと管弦楽のためのアンダンテとフィナーレ」という作品に仕上げている。 ,,ボガチレフはチャイコの原譜にピーコン3番とタネーエフ補筆版の「アンダンテとフィナーレ」を参考に4楽章の大交響曲を完成させたが、それはもう戦後55年になってからのことであり、西欧では61年に出版されたとたんオーマンディが定期で取り上げたのがよく知られるようになったゆえんである。したがってこれはまずもって「チャイコのシンフォニー」とは言い難いものであり、破棄された断片による校訂参考版としてはマーラーの10番にすら及ばない「薄さ」である・・・チャイコは事実上この交響曲を「断念」し、素材は他の曲に転用したのだから。「人生」という副題もチャイコが想定していたとはいえ完成しなかったのだから絵に描いた餅である。 ,,正直、この曲は楽章ごとにかなり印象が異なる。1楽章など叙事詩的で、冗長な流れはマンフレッド交響曲に近いかんじもある。また全曲の印象としては「二流(三流ではない)ロシア国民楽派作曲家の交響曲」といったところもあり、チャイコらしい創意や気を煽る独特のノリは余り感じられない。特にグラズノフの作風を髣髴とさせるところが随所にある。 ,,ギンズブルグはロシアでは端整な指揮をする人とされていたような感があるが、適度に客観的で引き締まっているもののロシア的な豪放さ・アバウトさも宿らせたメリク・パシャーエフとガウクの中間のような芸風をもっている。マニアにはそれなりに人気があるものの余り録音が出てこない。1901年生まれであったか、その点からすると決して新しい人ではないのだが、ポストにそれほど恵まれなかった人であることからしてそうそうたる大指揮者の間に埋もれてしまったということだろう、現在の知名度の低さは。ポーランド生まれのモスクワ音楽院育ちであり、指導者としてご記憶の人も多いかもしれない。 ,,1楽章はチャイコの習作としてみなしていいものだろう。非常に冗長である。同曲の中ではやはりだんとつに創意がみられるものの、シンコペとか音選びがフランクぽかったりワグナーふうだったり迷いがみられる。西欧折衷派ならではの表現と言うならばそれこそグラズノフの中期以降の交響曲に非常に接近していると言ったほうが適切だろう。この年代にはチャイコにとって子供のような年のグラズノフも既に交響曲作家としては晩年にあり、当時のロシア・アカデミズムの混沌が象徴されているとも言うべきところなのかもしれない。ギンズブルグの切っ先は決して鋭くないが雄弁ではある。とにかくこの曲はこの楽章でまずは判断すべきで、あとの3楽章は蛇足。 ,,2楽章・・・何この幸福感。切羽詰まらないところがチャイコの晩年らしからぬ安定感を煽り、むしろアメリカで安定しきったころのラフマニノフ晩年の作風に似た雰囲気をもっている(3番交響曲のような)。雰囲気というか、息の長い木管ソロの扱いが似ていて、震えるロシア奏法でやられると完全に同じ領域にいる感じがする。1楽章との統一感に欠ける感は否めない。グラズノフ的なところもある。 ,,3楽章は弦楽器の短い装飾的な音符によるかけあい・フーガ構造やらチャイコ特有のフレーズの癖やらが、やっと「らしい」感じをもたらす。だがわざとらしい。ほとんど旋律の魅力と、バレエ曲から剽窃した素材がモザイク状にでこぼこに組み合わされたような感じである。普通に聴けば楽しめるが、この位置で、しかもチャイコ晩年作として聞くとどうか。 ,,4楽章は「それらしく」大仰な構えで始まるが。オーケストレーションの薄さは否めない。「西欧折衷派ならでは」という感じの曲で、チャイコというより「あのあたりの作曲家」といった風情のモスクワ臭いものだ。教科書的によく作られているが正直威容をほこる5、6番に挟まれた交響曲として扱うのはやはりどうかと思う出来である。強いて言えばチャイコ交響曲の奥座敷第3番(奇しくも?「ポーランド」)の終楽章に近い感じで、諸所チャイコらしさや面白みはあるが、とりたてて喜ぶほどではない。きちっとした構成なのに散漫で冗長に聞こえてしまうのである。
チャイコフスキー:マンフレッド交響曲,○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA/ARLECCHINO)1948・CD,,チャイコフスキーには珍しい叙事詩的標題交響曲で、後期作品としてはいささか異色のアカデミックなマンネリズムと冗長さを持っている。だからこの録音も含めかつてはカット版が主流であった。実演だと両端楽章で寝てしまうこと請け合い(中間楽章はグラズノフのバレエピースのようだ)、それでも原典にこだわるなら筋書きとスコアを首っ引きで聴くべし。ガウクはバス音域の強いブラスを中心とした組み立てで英雄的な1楽章を仕立てている。ロシア楽団の音色の特質を活かしながらもわりとフレージング以外に強い作為はなく、中間楽章もすんなりスマートに通っている感がある。ガウク特有の繊細な音響操作がフランス的。4楽章は短くまとまりすぎてドラマが盛り上がらないきらいもあるが、録音が平板なせいかもしれない。それでも「怒りの日」の断片が運命論的な結末をもたらすまで、アッパー系の演奏で個性を主張している。案外トスカニーニあたりと近いかなあ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:マンフレッド交響曲,○スヴェトラーノフ指揮BPO(KAPELLMEISTER:CD-R/testament)1989/3/5live・CD,,有名な唯一のベルリン客演でラジオ放送もされているが、改めて思った。,,なげーーーーーーーよ!!!!!,,この曲はきほん「筋のある歌無し歌劇」であり、「白鳥の湖の交響曲化」であったりもし、視覚的効果なしに50分を聞きとおすのはかなりキッツイのである・・・チャイコ・マニアじゃないと。このてのものはやはりクーチカ、とくにリムスキーなどに水をあけられている。グリエールのイリヤ・ムーロメッツの面白さと比べたら雲泥だ(リムスキーのアンタールとはびみょうだが)。もっともオーケストレーションの独特さ巧さなどはやはりすぐれており、中間楽章ではかつてはよく比較されたドヴォルザークに近い書法もみられ、リムスキーとは隔絶しているとは言えそうだ。スヴェトラはこの演奏がラジオ放送されたときも思ったのだがつくづく、ソヴィエトに封じられ権威的立場に固執することなく、積極的に西欧に出て、ロシア伝統のクセをもたないオケで本来自分の作りたかった「現代的な演奏」をやるべきだったんじゃないか、と思った。演奏的にまず隈取が濃くなく、非常に繊細な透明感を保ち注意深く演奏しており(晩年を思わせる)、だからちょっと個性は薄まっているものの、最後の楽章は曲の限界近くまで気を煽ろうという意識が聞き取れる。但しスヴェトラ・クレッシェンドはありません。拍手は通り一遍だが徐々に盛り上がっている。ガウクやトスカニーニすら敬遠して聞いてないのに、なぜかこの既に知ってる演奏をわざわざ取り寄せて聴いてしまったよ。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
チャイコフスキー:マンフレッド交響曲,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1946/10/11live,,比較的録音が聞きやすく、まとまりのいいアンサンブルと音響バランスの完璧なチャイコフスキーを楽しめる。チャイコでも(あくまで作風は折衷的だが)いわゆるロシア国民楽派寄りの「ぶよぶよした長大な標題交響曲」の形をとっているが、カット版によっており1楽章以外はさほど冗長感は無い。トスカニーニの余りよくない録音特有の「色の無さ」が音楽をモノトーンで面白くない即物主義的なものに聞こえさせてしまうことも多いが、この録音だとそれほどモノトーン感が無い。本来はトスカニーニは色彩的なバランスのいい音を作っている筈というからこれは真価を少しでも垣間見させる意味で貴重とも思える。ロシア音楽を西欧風に聞きたい、但しチャイコ以外、という性向の人には向く曲、演奏かも。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:四季〜11月「トロイカ」,○ラフマニノフ(P)(RCA)1923・CD,,録音はノイズが酷く悪いが、演奏はドビュッシーと何が違うんだろうというくらい洗練され、細部まで行き届いた素晴らしい解釈表現で、臭さもなく微塵の不足もない完璧さ、やはり師チャイコフスキーの曲だけに、しかも望郷の念を感じさせざるを得ない有名な民謡旋律を孕む小品においては、じつに楽しげに、懐かしげに、演じ上げてみせている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:四季〜Y.舟歌(ワイナー編曲),レナー四重奏団(COLUMBIA)SP,,さすがにこの音だと、ただ暗く地味なチャイコフスキー世界、という印象しか残らない。悪くは無いが、暗闇チャイコが好きな向きでないとどうにもやりきれない編曲に演奏だろう。ぱっとしない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:秋の歌(編),スタインバーグ ボリショイ劇場O
チャイコフスキー:大序曲1812年,ソコロフ指揮クリーヴランド管弦楽団(PASC)1924,,pristineのSP(アコースティック録音)復刻。速いパッセージはまとまってスピーディーで技術的に問題ないが冒頭含めテンポの落ちる場面で編成の薄さが弦のバラけとして現れ、縦が揃わないのはもう、大正時代の録音レベルだから仕方ない。クライマックスから末尾のブラスなど、アメリカのブラスの力量を既によく示していて、上手い。格好が良い。軽く聴き流すにはまあまあ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:大序曲1812年,○シェルヒェン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(WESTMINSTER)CD,,爆発的な破壊力はないがとてもカッコイイ。ウィーンの音は鋭さに欠けるのがこのての曲では難しいところだが、シェルヒェンらしい攻撃的な発音が随所に聞き取れ、晩年の狂気のプレストもかいま見えて興味深い。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
チャイコフスキー:大序曲1812年,○マルケヴィッチ指揮モンテカルロ劇場管弦楽団(ConcertHall/SCRIBENDUM)1968・CD,,颯爽としたスリムな指揮にフランス的な軽さのある楽団なのだが、最後には大砲も鐘も号発乱打で「指示に忠実に」ランチキ騒ぎを繰り広げ、さながらサーカスのような鄙びたキッチュさを前面に出して、しかし爽やかに終わる。まったくロシア的ではないが、子供向けの冒険談を聞いているような感触のある演奏。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:大序曲1812年,○ユルゲン・ワルター指揮ハンブルグ・プロムジカ交響楽団(MUSIQUE POUR TOUS)LP ,,ほんとそつないなあ・・・正直無印にしたいところだが、オケのドイツ的な安定感と流麗な棒さばきを買って○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:大序曲1812年,○ゴロワノフ指揮モスクワ放送交響楽団(GRANDSLAM/MELODIYA)1947・CD,,なかなか気合の入った力強い演奏で編成も恐らくかなり大きいことだろう。録音が弱いので迫力とまではいかないが、解釈(編曲ゆえに弱くなっている面もあるが)の独特のアクの強さがかっこよく曲におさまっているので気持ちいい。それほど「爆演」とは思えないがソヴィエト方式の秀演だと思う。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:大序曲1812年,○シュヒター指揮ベルリンFFB交響楽団(IMPERIAL)LP,,手堅さつまらなさで語られる人だがドイツ伝統の手法を合理的な形に大成し理知的なトレーニングに反映させた職人的指揮者であり、たまに当たるとハマる。ロマン派を古典的にさばくのが巧く、ここでもまるでローカル臭がなくチャイコが国民楽派じゃないドイツ古典派のような均整感をもって引き付ける。ドイツ的な響きの安定感と縦のリズムの整合性を重視した演奏スタイルではあるのだが鼻につくようなドイツ圏特有のローカリズムは音色や発音法から排されており汎世界的な価値を感じさせる。小粒だが非常に立派な演奏。比較的早世したのが仇だがN響の名シェフとして幸いにも日本では名を残せている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:雪娘〜3つの抜粋,○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立(放送?)交響楽団(LUCKY BALL:CD-R)1983/10/20LIVE オケ表記が放送響となっているが怪しい。ショスタコの「革命」のアンコール二曲目。爽やかできらびやかです。アメリカぽい演奏。クリアな録音ですが響きが浅いのが音楽自体の内容も浅いように聞かせてしまうところは痛い。チャイコにしては割合と古風で民族描写的、アクのなさはグリーグを思わせる。3曲めはテンション芸をきかせる音楽、スウ゛ェトラの演奏はやたら派手だが半面しっかりできている。総じて○。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
チャイコフスキー:組曲第4番「モーツァルティアーナ」,○ケンペン指揮コンセール・ラムルー管(OTAKEN RECORDS:CD-R/PHILIPS)LP,,併録の弦セレに比べて(曲のせいもあるが)彫りが深く情緒有る演奏ぶりを見せている。あいかわらずオケは明るく硬質だが、歌を歌としてしっかり表現することができている。モーツァルトを尊敬し新古典主義の範疇と言ってもいいくらい古典に傾倒した作品も残した作曲家であるが、これもそのうちであるものの、各々のモチーフそのものからチャイコ独自の、特にバレエ作品に通じる豊かなロマン派音楽を紡ぎ出しており、スマートな解釈がそれを暑苦しくせずに巧くさばいてみせてくれる。ようは曲が複雑だったりロマンティックなくぐもりを持っていたりするときにこそケンペンの即物的解釈が生きてくるということなのかもしれないが、必ずしも即物というわけでもなく、冒頭述べたようにしっとりした歌も歌っている。いい演奏。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
チャイコフスキー:無言歌op.2-3(弦楽合奏編),○ターリッヒ指揮スロヴァーク・フィル室内楽団(SUPRAPHON)1950/6/20・CD ,,素直なチャイコ初期の民族的な小品だが、ターリッヒの棒はトスカニーニを思わせいささかストイックに過ぎるかもしれない。もっと細かい妙なる揺れが欲しい気もする。これでは単なる「フィレンツェの思い出」だ(別にそれでもいいんだけど)。ターリッヒの芸風がチャイコではこう現れるという典型。好き嫌いはあるかもしれない。○。,"",-----,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:憂欝なセレナーデ,カイゼル(Vn)シュヒター指揮ベルリンFFB交響楽団(IMPERIAL)LP,,つまらないソリスト。弱くて無個性な演奏。,-----,,,,,,,,,,,,,
チャイコフスキー:ハムレット,ムーティ フィラデルフィアO