-2019/1/9(1/18修正)szymanowski
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○ウィウコミルスカ(Vn)ロヴィツキ指揮ワルシャワ国立フィル(MUZA)CD,,シマノフスキの代表作でよく知られており、冒頭から前衛的な透明な書法が光るが、錯綜するわりに少ない楽想に対し25分前後の単一楽章とは長すぎる。まだ初期のロマンティックな重い表現が残っていることとあいまって、けして名曲とは言いがたい部分もあり、個人的にはすかっと割り切った二番のほうが(易しいし)好きだ。オイストラフの演奏が残ってしまっているため、どんな手だれがやってもどうしても比べてしまう。ウィウコミルスカというバリ弾きなソリストをもってしても線が細く心許ない、という印象を抱きかねないところがある。弦楽器というのはけっこう繊細である。録音に残り易い奏法というのがあり、音というのがある。それを前提に話せばこの録音は余り上位には置けない。技術的に落ちるバックオケに引きずられ田舎っぽい感がある。シマノフスキは民族的な音楽を書いていても常に中欧の流行りを意識してきており、コンプレックスもあったのかもしれないが、中期以降は物凄く洗練され都会的である。もとからそういう音楽なのに民族性を下手に強調すると野暮になる。ショスタコがグラズノフになってしまう(どういう比喩だ、私は圧倒的にグラズノフが好きである)。恐らく地獄のような特訓の末生まれたであろう父ド・オイストラフの安定した太い音とアンサンブルに対する鋭敏な感覚にくらべ、やや弱さを感じた。何より、ロヴィツキはどうも相性があわないらしい。○にはしておく。美しい部分はある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○ウィルコミルスカ(Vn)ヴィット指揮カトヴィツェ・ポーランド国立放送交響楽団(放送)1991live,,ウィウコミルスカの腕がまったく衰えず、ライヴなりの荒さ(音にならない激しい発音など)はあるが、なかなかの凄演。この曲の懐深さも感じさせる演奏で、スクリアビンやフランス印象派の影響下にありながらも前衛的で怜悧な響きにより「凍れる熱気」をバンバン放つ楽曲とあって、協奏曲と言うより協奏的交響曲のような壮麗なものに仕立てて秀逸だ。なかなか巧緻なオケである。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○ウミンスカ(P)フィテルベルク指揮フィルハーモニア管弦楽団(LYS/monopol)1945/12/27スタジオ・CD,,シマノフスキの十字軍的に活躍したソリストと指揮者が西欧に残したSP録音だが、録音こそそれほど悪くは無いものの冒頭からオケの乱れ方が尋常じゃなく、この指揮者の面目躍如なるところが見られる(?)。しかしアクの無い音作りで、拡散的演奏であるがゆえの煌く色彩感、美麗さはあり、リズムを強調し押し進めるところ含め、ストラヴィンスキーの硬質な音楽を思わせるものに仕上がっている。この曲は抽象的に演奏される傾向があるが、ここでは無難に演奏をこなしている女流ウミンスカの表現には起承転結がきっちりしたものを感じる。三部構成をしっかり意識しているので、比較的わかりやすいのだ。シマノフスキの前衛でも国民楽派でも無い微妙な立ち位置を示した曲だが、紹介盤としては十分に機能していたことだろう。フィテルベルクにも技術的問題も多いが○。フィテルベルクをポーランドのゴロワノフと呼ぶ人がいるみたいだけど、どこが・・・?強靭さのレベルが違う。ゴロワノフはこんなバラケ方はしない・・・,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○ウミンスカ(P)フィテルベルク指揮ポーランド放送管弦楽団(MUZA/POLSKIE RADIO)1951スタジオ・CD,,私、同じものと誤解していたのですがこちらが全集盤(2曲だけだけど)のほうの録音。フィルハーモニアよりも精度が高く音もより新しい感がある。ただどうもこの時代にしては、やっぱり気になる録音状態ではあるが。フィテルベルクの雑味もこのくらいなら許容範囲。ウミンスカは2番ほどではないにせよ(恐らく2番より1番に思い入れがあるのだ)高音の痩せ方や枯れたようなボウイングが気になる。ただ、十分この曲の正統の表現を提示できているようである。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,COMMENT:,,,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○シムチェフスカ(Vn)ペンデレツキ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア(DIRIGENT:CD-R)2008/8/26live,,最近のエアチェックものは危ないので手を出していないのだがこの組み合わせ(ドボ8・・・)は仕方ないので手にした。いかにもな選曲だが、やっぱり生硬である。遅いテンポで響きをいちいち確かめるように進むから、シマノフスキの音響志向が意図通りしっかり聴こえてくるのはメリットとして、書法的な単調さや曲自体の求心力の弱さが露呈してしまっている。シマノフスキの真価を問ううえでこういう(ちょっと違う気もするが)客観的に整えた演奏は必要ではあるが、ライヴでこの面子だと、このくらいか、清潔だなという印象しか残らない。諸所に非常に感銘を受ける箇所はあり、意外と面白い曲だとは思ったが、やっぱり拡散的な曲だな、モントゥあたりにさばいてもらったほうが聴衆は楽しいだろうな、という感じ。いい意味でも悪い意味でも聴衆反応は大きい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○テツラフ(Vn)ブーレーズ指揮VPO(DIRIGENT:CD-R)2009/6/12live,,ソリストが巧い。曲をよく分析し解釈し表現している。作ったようなところがなく、そういう意味でも隙が無い。人工的で硬質な楽曲をなめらかに全く無理なく、伸び伸びと演奏し、バックオケと相まって、ブーレーズに似つかわしくない生暖かく甘い・・・シマノフスキの本質でもあるのだが・・・聴き心地をあたえる。同時代者トーテンベルクらの民族的だがぎくしゃくした演奏の時代は去ったのだなあ、と思うジェネラルさ。同曲は譜面上ある意味単純なのだが音にすると晦渋、でも、最近はレパートリーにする人が多く誰もそれなりに個性的かつ聞きやすい演奏として提示してくる。同曲をレパートリーとした唯一のヴィルツオーソヴァイオリニスト、オイストラフくらいからの伝統でもあるのだろう。お勧めなのだが、クリアな音で楽しみたいところでもあり、海賊音質だと○以上にはならない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番,◎トーテンベルク(Vn)ヴィスロツキ指揮ポツナン交響楽団(VQR)CD,,モノラルだがモントゥBSOとの素晴らしいライヴ録音で知られざる姿を見せ付けた名教師若き日の正規スタジオ録音になる。これもまた素晴らしいバックオケに支えられ、ウィウコミルスカを彷彿とさせるアグレッシブなスタイルにやや冷たい技巧派の音であるが、ああいったヒステリックな荒々しさが無く、中期シマノフスキの透明感ある繊細な動きとスクリアビン的な音線・響きの妖艶さの両立するこの曲の特殊性を巧緻に描き出す。とにかく「欠けたところがない」。押しが弱いかといえばそうではなく、トーテンベルグ個人だけでも同曲のエキスパートたるところを見せ付け強靭な流れを作っている。民族性を打ち出した演奏ではないので(この曲に民族性はいらないと思うが)ややロマンティックに傾いたようにも聴こえるが、オケも含めて音が東欧的な鋭い響きをほどよく帯び、決して中欧やロシアふうの重ったるい音楽にはならない。ロヴィツキとは雲泥のヴィスロツキの職人的な腕前にも感服するし、このオケの安定感や丁々発止のアンサンブル能力にも驚いた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○トーテンベルグ(Vn)モントゥ指揮?(DA:CD-R)1954/2/5live,,もう少し録音がクリアなら◎にしていたところで、とくに前半がソリスト・オケともに素晴らしい。モントゥの伴奏指揮は非常に巧くオケの響きの多彩さと演奏の集中度を主張しながらきっちりソリストにつけてくる。ソリストもまた技巧的に安定感がありこの難解な曲をみずみずしく描いている。楽曲的にはシマノフスキの最盛期のものと言ってよい。民族楽派の向こうを見据えた東欧近代作曲家の一人であるが、ここではとくにスクリアビンの非構造的な「響きの音楽」をそのまま受け継ぎ、そこにウィーン楽派の影響を理知的に反映させた最盛期の作風がよくあらわれている。清澄な音響を駆使しながらも半音階的な音線への執着がむんむんとするエロティシズムを露呈しているところはほぼフランス印象派の影響から脱しているような感じがする。寧ろ未だ残る分厚い響きへの指向がツェムリンスキーと非常に近いところに曲を持っていったといったかんじである。オリエンタリズムはやや減退して、晩年の作風となる民族主義回帰がヴァイオリンのフィドル風パセージに現れてきている。だがこのあたりが逆に書法の限界とマンネリズムを呼んでいる感もある。シマノフスキは独自の清澄な作風を持っていたといいながらも様々な作曲家のかなり強い影響を受け続け変化し続けた人であり、その影響が作品中にやや直接的で一種閉塞的な特徴としてすぐに読み取れてしまう形で提示されることがままある。ヴァイオリンの書法にせよ初期の無調的な難解さが薄れるとその雲の向こう側から見えてきたのはかなり単純なものであり、2番で見られる書法と殆ど変わらないものが結構出てきてもいる(順番的には2番が枯渇していると言ったほうが適切かもしれないが)。シマノフスキは作曲技法に走ることにより辛うじてその地位を維持できたが、元来それほど大きな独自性をもった作曲家ではなかったようだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番,◎トーテンベルク(Vn)モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1955/1/28live・CD,,DAと同じかどうかわからない(録音状態が違いすぎる)。十分聴くに耐えられる音でわりと迫力がある。この組み合わせはこの曲に向いているらしく、尖鋭で複雑な響きの交錯を精緻に割り出し再構築しながらも、一貫してロマン派の協奏曲であるという本質をしっかり意識した構成は聴き易い。モントゥにあっている曲だと思う。シマノフスキは難しそうでいて、同時代と比べればかなり簡潔な書法を駆使する職人的な作曲家だが、こういう演奏で聴くとそれが単純なのではなく「簡潔」なのだということがはっきりわかる。非常にいい演奏。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番,○ギンペル(Vn)ローター指揮ベルリン放送交響楽団(audite)1950s・CD,,放送録音。ソリストの音がオケに埋没して聴こえないなど状態の悪さには閉口するが、作曲家と同時代ないし近い時代に活躍した著名ヴァイオリニストとしてはシェリングくらいしかこの曲をやっていないので、同じ「お国演奏家」としてもギンペルの演奏が残っているのは貴重である。シェリングの線の細い音で継ぎはぎ的につむがれる精緻な音楽とは遠くかけ離れ、細かい所は省略してでも音楽の連続した流れをひたすら保つ怒涛の演奏スタイルはウィルコミルスカのほうに近いかもしれない(技術的には劣るだろう)。特徴的なのは音をなかなか切らず息の長い旋律、ひいては違う旋律へ移るときでさえ休符で途切れさせることなく音楽をずーっと連続して聴かせていくスタイルで、その中で表現される起伏、ニュアンス表現はなかなかのもの。但し音色や厚みに幅が無く飽きてくるところも否めない。オケが乾燥している(ないし復刻が乾燥している)のも民族的情熱を煽る曲を冷ましてしまう要素である。総じて何度も聴く音源ではないが、同曲の演奏スタイルとしては独特の部分もありシマノフスキに興味があるなら聴いておいて損は無い。シェリングよりは好きだった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番,○キム(Vn)ザンデルリンク指揮NYP(VON-Z:CD-R)1984/1/21live,,このソリストはなかなか聴かせる。音は金属質で細いが音程感が明確になるゆえ曲にはあっており、アーティキュレーションもかなり堂に入ったものである。シマ2でここまで巧く揺らしてくるソリストは余りいない。技術的に難はなく、もちろんライヴだから瑕疵がないわけではない。だがシマノフスキの多用する重音処理の中には元から無理があるゆえ音になりにくいものもあるわけで、フランス的に引いたかんじで綺麗に響かせることはできようが、だいたいが民族音楽なので荒々しく音にならない破音で十分なのである。ザンデルリンクは鈍重で妙な細かい音響に拘るが、いつものことだろう。ソリストと乖離しているかと言えば「それほど」乖離していないのでよしとすべきだ。後半などソリストが熱してきてあわないギリギリのところを綱渡りするようなスリリングな場面もコンチェルトの情景として面白く聞ける。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番(1932-33),◎シェリング(vn)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(youtube/Arlecchino)1963/10/9live,,モノラルながら音が良く奏者も皆素晴らしい(シェリングには十八番の曲だが出来不出来がある、これは最高)。バックは機械的に捌かないと音が混んでわけがわからなくなる曲だがアンセルメ◎。youtubeはArlecchino(CD)と同じ演奏だが録音状態が格段のように感じた。,,第一部,"https://youtu.be/rFYp4Y51AtE",第二部,"https://youtu.be/5m_LJFvDdP8",-----,,,-----,,,-----,,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番(1932-33),シェリング(Vn)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LYS)LIVE PHILIPS盤評参照,同上,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番(1932-33),◎シェリング(Vn)シュミット=イッセルシュテット指揮ハンブルク北ドイツ放送交響楽団(En Larmes:CD-R)シェリングの同曲の演奏記録は知る限り3つあった。やや生硬なスタジオ録音盤(PHILIPS)と、非常に録音状態の悪いライヴ盤二枚(指揮アンセルメ、ロジンスキ)の三種である。だがそこに登場したこのCDーRはシェリングのベストの状態において録音された盤であり、シュミット=イッセルシュテットの硬質で精巧な曲作りの中にあって同曲の価値を改めて知らしめるものとなっている。モノラルだが録音もよい。シュミット=イッセルシュテットは曲の中に埋没した独特のフレーズや響きを抉り出し、シマノフスキが最後に到達した民族音楽の世界が、決して先祖帰りではなく、現代の新鮮な響きの中に巧妙に創り込まれた世界であることを知らしめている。一方ここでのシェリングは完璧な解釈と技巧を披露しており、どの盤よりも成功している。この盤はシマノフスキの二番の古典的演奏と成りうる価値を持つものである。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番(1932-33),○シェリング(Vn)ロジンスキ指揮イタリア放送交響楽団(LYS/DATUM)1955/3/18LIVE PHILIPS盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番(1932-33),シェリング(Vn)クレンツ指揮アバンベルク放送交響楽団(PHILIPS)断然ロジンスキ盤をとる。線は細いが憧れに満ち且つ確信の篭った素晴らしい演奏だ。シェリング独自のロマンティックな解釈がウィウコミルスカ盤に比べて「弱さ」を感じさせるが、双璧をなすシマノフスキ弾きと言って過言ではあるまい。音は悪いが。ロジンスキは作曲家と親交があった。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番〜カデンツァ,シェリング(Vn)スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団(youtube)1978live,,"YOUTUBEで質の悪い「録画画面」を見ることができる。演奏ぶりは非常に安定し雄渾。いかに悪録音の印象が演奏評価を曇らせるかがわかる。。シェリングのライヴは細かいところでは即興的な表現がある。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番,○トレーガー(Vn)サタノウスキ指揮ワルシャワ・フィル(nimbus/muza)1962・LP,,オケのむせ返るような響きに圧倒されるが、ソリストは堂々としたもの。民族感やスピード感はないがリズム感はよく、ベタ弾き気味のボウイングにしっかりした発音の、赤銅色の太い音色に感情的なヴィヴラート、特徴的で面白い。後半主題が登場するところでスネアとヴァイオリンの絡みなど鋭いアンサンブルで、ぼわーっとしたオケの響きを引き締めている。重音がしっかりし過ぎて民族味が足りないのは仕方ないか。音色の似るウィルコミルスカとの違いはそのあたりにある。あと、左手はとても確かなのだが、ミスタッチ気味の箇所があって、あれ、と思った。テンポ設定が一直線で揺れないまま大団円。なかなかの終幕。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番,○パリュリス(Vn)サタノウスキ指揮モスクワ放送交響楽団(melodiya)live,,弓を物凄く弦に押し付ける奏法からしてそうなのだが、力ずくで押し通したような演奏ぶりで、尋常じゃない勢いだ。一部オケがついていけてないほどに突っ走る場面もある。せっかちな感は否めず、緩急の緩のほうが足りないような気もするが、スリリングでライヴ感に溢れたすこぶるテンションの高い雰囲気に圧倒されてしまう。この曲に横溢する民族的表現すら強烈なテクニックの前に鄙びた緩やかな雰囲気を失い、ただ聞くものを唖然とさせるものになっている。技巧的にこのスピードでは無理、というところもなきにしもあらずなのだが、それでもほぼ完璧な音程、重音のハーモニーが素晴らしく耳に残る。ロシアオケのボリューム溢れる音に対してしかし終始支配的に演奏を引っ張っていくさまはウィウコミルスカ盤以上のものだ。寧ろオケが鈍重に聞こえる。ソヴィエトの常、ブラヴォは出ずフライング拍手がパラパラ入ってくるが、そんなのが信じられないくらい、最後のコーダも物凄く、「曲を基本的に解釈していない」ものの「曲を完全に弾ききった」という感慨を受けるものとして、◎にしたいが○にとどめておく。モノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番,○ヤーセク(Vn)ツルノフスキ指揮プラハ交響楽団(PRAGA),,シマノフスキ最晩年の民族的作品だが、弾く人を選ぶ曲だ。ハマらないとイマイチぐずぐずに感じたり、曲自体がわけのわからない印象を残すようになってしまう。技巧的安定はもちろん、民族的表現を加味して積極的に盛り上げを作っていく人でないと難しい。しかも曲は民族的熱狂を包蔵しながら非常に冷たい響きを持っているので、正確な音程感というのも大事である。このソリストはいい。よくわかっている。バックオケも模範的といっていい。余りここまで娯楽的要素を適度に引き出し、曲にした録音というのは無い。単一楽章で主題も限られるためとりとめのない印象を与えかねないが、かなり計算されたように曲想が変化していくのでそこをびしっととらえアクセントを付けていく必要がある。シェリングなど技術的問題もあってここが弱い気もするのだが、この人はしっかり余裕ある技術を背景に明快な表現をとっている。突進するだけの演奏でも曲がもったいないからその点でもこの演奏は真を衝いている。古い録音なので○にはしておくが個人的に理想的。これはCDになっているのだろうか。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番,ウミンスカ(Vn)フィテルベルク指揮ポーランド放送交響楽団(MUZA)LP,,ついに、ついにこの盤を聴くことができた。できたのだが・・・ま、まあ、時期を考えれば仕方のないことなのかもしれないが、たどたどしさが常につきまとい、ソリストの技量が大いに問われる。録音も継ぎ接ぎらしく、正体不明の乱暴な編集痕のようなものが特に二箇所気になった。解釈なのかどうか迷う部分もある。フィテルベルクはかなり大仰で乱暴な演奏をしたから、変なパウゼで大見栄を切るような場面など聴く側が解釈に迷う。最後のほうの怒涛のたたみかけも勢いがないのにひたすらまっすぐ突っ走るような不変のテンポに無意味に起伏する音量、素っ気無い解釈振りが「いや、SP期ならともかく、もうLP期に入ってるわけで・・・」と思わせる。とにかくソリストが素朴で頼りないものの、途中ハーモニクスの旋律・重音表現が非常に美しい。さすが北の香りを感じさせる冷ややかでもどこか質感のあるじつに綺麗にひびく音だ。これは奏法かもしれない。ひょっとするとこのソリストは何か主流の演奏より非常に限られた地域の民族的な奏法にたけた人なのかもしれない。いずれ残念ながら無印より上はとてもつけられない。作曲家の盟友フィテルベルクは1番もこの組み合わせで録音しており、そちらはCD化もされているが、曲的にはこの2番のほうがずっとわかりやすい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番,ツェートマイヤー(Vn)ラトル指揮バーミンガム市立交響楽団(EMI)CD,,シマノフスキといえばラトルの一連のEMI録音であったが今やワーナーで二束三文で販売される始末である。ラトルがまだ若い時期の演奏にみられる生乾き感(特殊な曲ばかりをやっていたせいもある)はまだあるように思う。ソリストは線の細い音で始めのうちはオケ負けするところがあり、曲のせいか録音エンジニアのせいかわからないが(譜面を見る限り曲のせいということもないだろう)バランスがあまりよくない。解釈ははじめは固いと思ったが、カデンツ前ですでに独特の揺らしを入れてきて、これまた丁寧過ぎるオケも法悦的な芳醇なひびきを醸すようになる。民族派に至る前の、スクリアビンからの流れをつぐシマノフスキという作曲家の立ち位置をしっかり示しているところがラトルらしい。派手な第二部ではソリストは徒に譜面づらを強調することなく音量的にも引いた感じで進めていくが、この音量バランスもまた録音のせい、ステレオの分離など違う要素に起因するものかもしれない。オケは明晰にシマノフスキの簡潔だが不可思議な構造、怜悧な中にも燃えるような響きを描き出す。ソリストが細く旋律を奏でる下の、むしろオケにほどこされた周到な書法の面白みが実感できるところは特筆できる。フィナーレに向かって依然ソリストは同じ音色で音量も派手に変化しないが、オケが包み込むように大きな世界観を出してきているため、他の録音と聴き劣りはしない。こんなにスケール感の出せる曲だったのか、という、協奏曲というより協奏的交響曲のような演奏。てそれ交響曲第四番(ピアノ協奏曲風)の別題だって。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番(1932-33),◎ウィウコミルスカ(Vn)ロヴィツキ指揮ポーランド国立管弦楽団(MUZA他)目下最も巧く、ルーツに忠実で、奏法にも目を見張るところが多いのがウィウコミルスカの録音だ。他にも録音があるようだが未聴。初めて聴く向きには是非お勧め。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番(1932-33),シャンタル・ジュイユ(Vn)デュトワ指揮モントリオール管弦楽団 ジュイユはウィウコミルスカを凌ぐほど完璧な技巧をみせるが、音色の多彩さや表現の深みでは大きく水をあける。デュトワのバックはまずまず。N響とライヴをやっているが(指揮はワルベルクだった)オケがドイツ的な重さを伴いややこの透明感ある曲にそぐわなく感じた。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
シマノフスキ:スターバト・マテール,ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団他(DA:CDーR)1966/12/10LIVE,,録音も悪く雑然としてしまった感もある。最後の轟音こそ凄まじいが、そういったデフォルメのわざが効かない神秘主義的な表現の場面ではアクが強すぎて、タトゥラ山地の民謡旋法にインスパイアされた晩年ならではのわかりやすい旋律も何か埋もれがちである。合唱を録音が拾い過ぎているようにも思う。とにかく録音だめ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:タランテラop.28-2(フィテルベルク管弦楽編),○フィテルベルク指揮ポーランド国立放送交響楽団(polskie radio)1953live・CD,,ヴァイオリンとピアノのための「夜想曲とタランテラ」より。曲的にはかなり露骨な民族主義があらわれたものだが指揮者である前に作曲家であったフィテルベルク、よくシマノフスキの芸風を知っていたことが確認できる透明な色彩感溢れるいい編曲。ちょっとリムスキーのシェヘラザードを彷彿とさせるところもある。テンポ感がもっさい部分もあるがウブい音も手伝って力強い舞踏を楽しめる。終演がかっこいいが拍手カット。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:バレエ・パントマイム「ハルナシー」,トマーソ・フランスカーティ(T)ロジンスキ指揮ローマRAI交響楽団&合唱団(SLS)1955/12/31live,,最近はハルナシェと表記されることが多い。単にバレエ音楽としてもよいのだが、独唱も合唱も入り、一味違う合唱管弦楽曲となっているので、本来の副題をつけておく。ウィーンのリヒャルト・シュトラウスの影響下にある第一期、パリからの風を受けスクリアビンの影響下にある第二期、ポーランド民族主義に基づき同時代のストラヴィンスキーやバルトークと歩調を揃えた第三期に完全に別れるが、これは最もわかりやすく、しかし書法の独特に完成された第三期の作品で、タトゥラ山地の音楽や舞踏への取材結果をそのまま取り入れてしまっていること、オリジナリティが薄れ全ての曲が同じ調子でオーケストレーションされていることから余り評価されないが、私は逆に「垢抜けて明るいバルトーク」のような音楽が好きで、この時期の作品しか聴かない。ロジンスキはシマノフスキもスクリアビンも親しみを持っていたようで録音があるが、もちろんリヒャルト・シュトラウスにも一家言持っていたからうってつけの指揮者だ。聴かせどころを、とくにリズムのメリハリとメロディの起伏を充実した合唱と楽団の激しい響きの中でしっかり届ける。覇気漲る演奏でないと民族主義の力が出ない。ここでは合唱とブラスがやかましいくらい印象に残る。独唱が終わると盛大な拍手。SLSらしい針音の目立つモノラル音源。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:バレエ・パントマイム「ハルナシー」より四つの断章,○フィテルベルク指揮ポーランド国立放送交響楽団(polskie radio)1952スタジオ・CD,,こうやって聴くとシマノフスキの非凡な才能が再確認できるわけだが、フィテルベルクの、前時代的なポルタメントをもちい旋律を煽りながらもキレよく尖鋭な響きを整え複リズム的な流れをきちっと収めていく手際よさが感じられ、この指揮者をも再認識させる。余り後期の曲をやらなかったイメージがあるが、後期に寧ろ向いていると思う。晩年のシマノフスキはタトゥラ山地に封じられたようなマンネリズムの中にあったとも言え、この曲と交響曲第4番とヴァイオリン協奏曲第2番は旋律とリズムと構成にバリエーションを得ただけの殆ど三つ子のような様相を呈してはいるのだが、後者二作が余り評価されないのは、この「高地の首長たち」が既に全てを包含してしまっていたからかもしれない。多彩なリズムすら強烈なメロディの一部となり、ミラクル・マンダリンのような木琴からしてペトルーシュカを彷彿とさせて然るべきなのに、響きとリズム旋律の余りに特殊な民族性がそうはさせない。ここが要だなあと思う。フィテルベルクは切り裂くような音響表現が光り、オケすら破壊しそうな前進的なテンポで交響組曲のように仕立てて秀逸。録音は聴き易い。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:ピアノ・ソナタ第2番,○リヒテル(P)(parnassus)1954live・CD,,二楽章制という珍しい構成のくせに最初はいきなりショパン系のゴージャスな音楽で始まる。スクリアビン前期でもかなり前のほうの雰囲気だ。細かい語法は現代的とも言えそうだが内容構成はずいぶんと古風なロマン派ピアノ音楽である。二楽章になるとかなりシマノフスキになってくる。ただこれも中期以降のスクリアビン的な半音階フレーズが駆使され、いわばスクリアビンから痙攣トリルを取り去ったうえで、中欧的なロマン派旋律をしっかり突き通している、といった感じがする。スクリアビン中期の個性には残念ながら匹敵するとは言えない。折衷的な感じが強い。リヒテルはとにかく正確で何より力強い。壮年期ならではのホロヴィッツを彷彿とさせる素晴らしい弾きこなしっぷりだ。演奏的には◎なのだが録音と曲自体の解釈評価を多少勘案して○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:歌劇「ロジェ王」よりロクサーヌの歌(フィテルベルク管弦楽編),○フィテルベルク指揮ポーランド国立放送交響楽団(polskie radio)1952スタジオ・CD,,スタジオ録音のほうがライヴより音が遠いのは何故。まあそれはいいとして、「ロクサーヌの歌」はコハンスキによるヴァイオリン編曲で有名、シマノフスキの代表作と言っていいだろう(後期では「珍しい」)。「メロディ音楽」である。これは盟友フィテルベルクによる管弦楽編曲で、ちょっとハリウッド映画音楽的なロマンチシズムの入った手馴れた編曲に違和感を感じるところもある。原曲そしてシマノフスキ晩年特有の響きが終盤にあらわれるが、もっと怜悧にやったほうが「らしい」感じがしなくもない。甘いメロディを燻らせるさまは聴感悪くはないし、細かい伴奏の動きにも神経の行き届いた演奏にはなっているが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:交響曲第1番,○スティリア指揮ポーランド国立フィル(marcopolo)CD,,今でもweb配信販売されている全集の一部。意外と有名な2番より「聴ける」内容かもしれない。基本的にはリヒャルト・シュトラウスの影響下にあるのだが、2番よりもロシア的なハッタリをかます部分もあって変化に富んだ印象がある。3番でスクリアビン後期の影響を示すシマノフスキだがここでは中期以前の管弦楽曲を彷彿とさせる。半音階的な進行は妖しさをかもす。おそらく意図的に構造を簡素にしているのは当時のたとえばマーラーのようないわゆる世紀末音楽の流れ上にあって、その中で旋律線にヴァイオリンソロを導入するところは2番でもそうだが「いかにもリヒャルト」でありながら、後年のアレトゥーザの泉や協奏曲などヴァイオリンへの独自のアプローチを予感させる。スティリアの演奏はよくできていて、オケ的に弱い部分もそれほど感じずに楽しむことができる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:交響曲第2番,ゲルギエフ指揮LSO(LSO)2012/10・CD,,音は思ったより良くはないがそこはまあそれ。ウィーン世紀末の香りを漂わせる、シマノフスキが中欧的な曲を書いていたころの代表作だが、リヒャルト・シュトラウスの影響であろう、形式的な交響曲の体裁をとらず有機的に繋がる9つの部分からなる。響きはリヒャルト・シュトラウスの影響というよりはもっと前のワグナーを思わせる範疇にとどまる。リヒャルト・シュトラウスのような複雑にモチーフを絡み合わせ細かく配置するようなことはせず、おおまかには抽象音楽として楽章の存在を感じさせるが、いささか冗長で楽想も気まぐれに流れてしまうようなところがあり、構成感は意図したであろうよりは薄いと言わざるを得ない。ゲルギエフは父ヤルヴィを思わせる職人性を発揮しており、捌き方や整え方は(ニュートラルなオケを使っているせいもあるが)かつてのイメージから離れ極めてまともである。ゆえにシマノフスキの終生一貫した個性と言える「シンプル志向」をむき出しにしてしまって、人によってはツェムリンスキーの抒情交響曲の劣化小品と感じるかもしれない。最盛期までの官能的なシマノフスキをやるには解釈が清澄過ぎるか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
シマノフスキ:交響曲第2番,○スティリア指揮ポーランド国立フィル(marcopolo)CD,,今でもweb配信販売されている全集の一部。オケはそれなりといった感じで決して上手くない。雑味が多い。曲自体にも演奏が悪くなる理由はあると思う。とにかく前衛的なまでに半音階的な旋律は全て弦楽器を中心とする一部パートが担い構造的に振り分けられることは殆どなくグズグズ、初期シェーンベルクやツェムリンスキーあたりの影響が物凄く強いわりにブラームス的なかっちりした部分が少ない。構成や和声には工夫がありこの曲がウィーンで受けて出世作となったのもうなずけるところはあるが、短いので耐えられるけれども、当時の通常の交響曲並みの長さだったら途中で飽きてしまったろう。ただ新しい音でないと曲の工夫が聞こえないので、数少ない録音という希少性をかんがみて○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:交響曲第2番,○フィテルベルク指揮ポーランド国立交響楽団(LYS)1947/11/2・CD,,時代なりとも言えないくらい茫洋とした音だが荒々しいこの指揮者の粗雑さが和らげられ「融合的な音響」が形作られており、調和して聴きやすく、より楽曲自体の本質と思われるものが見える録音となっている。これを聴いて思うのは必ずしもリヒャルト・シュトラウスではなく寧ろフランツ・シュミットの趣味に近似しているということである。もちろん実験性の方向(後者は楽曲形式的・和声的な実験にのみ向かっていたように見える)や嗜好性の違いはかなり大きいし、オーケストレーションにはおのおのの独特の部分がある・・・ピアニストであったシマノフスキのほうが細かく構造的密度が高くチェリストでもあったフランツは旋律とそれに寄り添う和音進行にのみ集中しているように聴こえる・・・が、ともに同じ空気を吸った、ロマン派の末期の水をとるような生暖かい雰囲気はなかなかである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:交響曲第2番,○フィテルベルク指揮ポーランド放送管弦楽団(POLSKIE RADIO)1951live・CD,,別録音とは較べ物にならないほど生々しい音質で、そのぶん荒っぽさも引き立っている。もちろんこちらをお勧めするが、人によっては枝葉末節が気になって曲の全体構造に気がいかないかもしれない。マイクがより近く、冒頭のコンマスソロからして大きく捉えられすぎており、生臭い前時代的な半音階旋律と、ベルク的な清澄な大胆さを兼ね備えた音響的表現の融和した独特の表現が、強引でごり押しの指揮演奏によって繊細なバランスを失い、依然ロマン派交響曲ではあるものの、金属のぶつかり合うような軋みがそこここに聴こえる、寧ろ聴きづらさと捉えられる部分もある。いずれにせよこれはフィテルベルクの盟友の純交響曲における最高作のライヴ記録であること、それだけで価値はあろう。○。,,"Polish Conductors -Grzegorz Fitelberg / Grzegorz Fitelberg", Polish Radio National SO," Eugenia Uminska",-----,,,-----,,,-----,,,-----
シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」,○アムラン(P)エラス・カサド指揮BPO(DIRIGENT:CD-R)2011/10/20live,,深く広い響き、ベルリン・フィルでこの曲が聴けるだけでも喜びだ。解釈どうこうではなくこの「楽器」が可能とした表現に、同曲の新しい側面を見た思いである。ローカルオケ、とくにポーランドのオケばかりがやっていて、ソリストもローカル、ルビンシュタインでさえ指がもつれるのも平気で録音した、そういうところの物足りなさを補うものがある。反面お国演奏、とくにルビンシュタインのような鬼気せまる舞曲の迫力はここにはない。アムランの醒めた表現が、悪い録音の中に鎮座している。録音がもっとよければ、客席のブラボーの理由がわかるだろうが、どうしてまあバランスが悪い、とにかく今まであった同曲のどの録音とも違う独特の深みある演奏なので、無価値とは言わない。リバイバルにはうってつけだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」,○パレチュニー(P)セムコウ指揮ポーランド放送交響楽団(EMI)CD,,力強い演奏である。ソリストも打鍵がしっかりしていて更にニュアンス深く、そこそこカタルシスの得られる演奏だが、いかんせん技術的問題がみられオケともども万全とは言えない。何かまだ表現が若く演奏も血を感じさせるまではいかない生硬さが否めない。1楽章冒頭よりソリストの起伏ある表現が目立つのが自作自演を彷彿とさせるが、細部に拘るゆえに重く感じられる。テンポが前に向かわず縦を意識しすぎて足踏みしながらの前進と感じられる。この曲はどうしてもルビンシュタインのイメージがありスピードと超絶技巧が欲しくなる(ロジンスキとのライヴの凄まじい3楽章など悪録音が悔やまれる)。もちろんそれだけではシマノフスキ第三期特有の特殊な民族性がなおざりになり、もう一つの特徴である透明感や繊細さが失われスクリアビンの影響色濃い幻想的な魅力が減衰してしまうのだが、この演奏はそういった繊細な部分も十全に表現しきれているとは言えない。可もなく不可もなく、○。,,"
Szymanowski: Symphony No4; Harnasie Op55

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シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」,○ルービンシュタイン(p)ウォレンシュタイン指揮LAフィル(RCA)CD,,改めて書く。シマノフスキはルビンシュタインとは「若きポーランド」時代からの盟友として長く交流を保ち、最初の劇的な作風変化をもたらしたフランスの作曲家との接点は彼を通してのものだったと言われる。この作品はタトゥラ山地の民族舞曲に傾倒してのちの晩年の平易な作風によるものであるが、作曲家自身演奏するために作られたものの技術的問題等により、結局ルビンシュタインのレパートリーとして生きながらえることになった。,,ただ、ルビンシュタインのスタイルは一切感傷を加えずドライに即物的に処理するといったもので血を思わせるブレはまったく無い。凄まじい技巧家であることを前提に、敢えて同曲の肝要となる特殊なリズムやアゴーギグをまったく強調せず、この曲に依然存在する秘教的な響き、スクリアビン的な神秘や熱狂も無い。曖昧さを排し力強く突き進むのである。録音がモノラルで古いせいもあり細部が聞き取れないのも難点だ。ウォレンスタインの棒もアメリカ50年代の直裁ないわゆるトスカニーニ=ワルター様式であるがために、剥き出しのスコアの、コントラストをただ矢鱈強くしたような音楽を聞いているようなものとなる。,,力強く押し通す力のある指揮者でありルビンシュタインは至極プロフェッショナルに指をまわしていく、そこにただ一種シマノフスキ(第三期)というローカルな作曲家を汎世界的価値のある作曲家として昇華させる「わかりやすさ」が醸しだされているのは事実で、モノラルでオケ(とくに剥き出しで使われることの多い弦)の技術にも問題があるにもかかわらず素直に曲自体の包蔵する魅力だけが強く引き出された演奏となっている。3楽章の集中力と熱気は聞きものだろう。この曲の多面的な魅力、とくに繊細な響きの魅力が聞けるものではないが、ただ熱狂したいときにはおすすめ。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"
ファリャ:スペインの庭の夜
ルービンシュタイン(アルトゥール)
BMGビクター

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シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」,◎ルービンシュタイン(p)ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィル(LYS他)1943/12/12live・CD,,いくら録音が悪くてもここまで両者の方向性が合致して結果異常な集中力で弾ききられると◎にせざるを得ない。スタジオ録音よりも激しく野獣のような演奏で突き進むルビンシュタイン、NYPというこの曲に使われるのは珍しいほど素晴らしい楽器を持ってやはり野獣のような勢いで音楽をドライヴしていくロジンスキ、スピードと力感の余り3楽章にいたってはミスタッチや弾きそこないが散見されるがそれとて大した問題には感じない。既に「音楽」が出来上がっているからだ。,,この曲に生硬な演奏が多いのはひとえに書法上の問題があって、剥き出しになった声部が数珠繋ぎにされ進行する場面が多いため、萎縮したような演奏になることが多く、ソリストもミスを嫌ってマニアックな細かい音符まで表現しようとするから、全体の音楽としては中途半端な近視眼的なものに仕上がってしまい、総合で見て技術的にもイマイチな結果ととられかねないものになる。,,協奏曲ではあるが交響曲という前提があり、オケもソリストも拮抗しながら、同じ方向性に向かってまとまっていく必要がある曲だ。たまたまというか、ルビンシュタインの細部に拘泥しない即物的かつ激情的な性格に超絶技巧が伴っていて、ロジンスキの暴君的な力感がオケをしっかり従わせるだけの説得力(と技術)を持ち、両者とも表現の機微が無いとは言わないがあくまでメリットは「勢い」に置いているという点で相性が(少なくともこの曲では)ばっちりなのである。NYPがもともと一流の技術を持っていたという点も看過できない。この曲はローカルなけして巧く無いオケによりやられることが殆どで、練習が万全の演奏すらできていないことが多いからだ。,,スクリアビンの影響を再度露骨にし、けして技巧的に高いものを投入したとは言えない和声的で単純な書法による曲なだけに、ソリストは時折奇妙にも思える進行をきっちり繋がったまとまった音楽として聞かせるように仕上げなければならないし(2から3楽章へのアタッカの前の下降音形の持って行き方など)、オケ奏者には音量バランス的に無理な負担がかかる部分もある。,,一つの解決法に、シマノフスキ第三期の作風の要となる民族舞踊の特殊性を浮き彫りにして細かい起伏を盛り込み刹那的な魅力を引き出し続けるという方法があるが、これは作曲家自身が自演にて失敗した要因でもある。まとまりがなさすぎてしまう以前に、とことん演奏しづらくなるのだ。となるともう一つの解決法は「勢いで押し通す」、それに如何に説得力を持たせるか・・・つまりは勢いを裏付けるトレーニングとポテンシャルがどこまでいけているか、それしかない。,,山っ気なんていらない。ルビンシュタインは押しも押されぬヴィルトーゾで、即物主義的な表現だけを売りとし音色にも解釈にもそれほど幅のある表現を好まない。だからソロ曲では魅力が無いものも多い。ロジンスキはクリーヴランドを叩きなおすとともに短期間ではあるがNYPに君臨した指揮者であり、オケトレーニングに長けているのは言うまでもなく、その異常な集中力と力任せの表現で同時代流行のスタイルの最先端にいたことは言を待たない。つまりはその両者のこの曲における一期一会的なライヴである、それだけで期待し、満足していい。大音量でノイズを厭わず聞いてほしい。これは余り評価されないシマノフスキ晩年の作品で感傷性や民族性が魅力だが、そういうものを最低限はもちろん表現したうえで、まるでロックフェスのような熱気中心に聞かせていく、それだけでいいのだ。◎。3楽章の暴力的な演奏は凄い。,,↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ," ",
シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」(1932),ルービンシュタイン(p)ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィル ,同上,作風変遷著しい「若きポーランド」の一員シマノフスキ。晩年民謡採集という時代の流行を追うように、残り少ない命を託したのがバイオリン協奏曲第2番と同曲という民族的音楽。「アレトゥーザの泉」や「夜の歌」などの尖鋭なイメージとは余りにかけ離れているため、これら分かりやすい曲は余り人気が無いように思いますが、美麗で清潔な響きはまさしくシマノフスキです。逆にシマノフスキがわかりにくいと嫌っている方も、この曲なら許せるのでは。古い録音でもOKな方には、ぜひ献呈者ルービンシュタイン独奏のRCA録音をお勧めします。(ちなみにこの曲は殆どピアノ協奏曲)ウオレンシュタイン指揮LAフィルのバックも、弾けるようなリズムと胸のすくようなスピード感で迫り、この演奏に限っては独奏者とがっちり噛み合っています。シマノフスキの権威ロジンスキNYPとのライブも残っていますが、音が最悪なのでお勧めできません。もっと溯れば衰え著しいシマノフスキ独奏、盟友フィテルベルク指揮コペンハーゲン放送交響楽団のライブ断片が残っていますがマニア向き。新しい録音も最近は多いのですが、スピード感という点ではやや劣るような気がします。ロヴィツキの振っている盤が2枚ありますが(ピアニストは異なる)、少し雑な印象でした。マルコ・ポーロから出ているツムジンスキ独奏スティリア指揮ポーランド・フィルの演奏は雰囲気があり、私は好きです。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」,○エキエル(P)ロヴィツキ指揮ポーランド国立フィル交響楽団(MUZA,POLSKIE NAGRANIA),,かなり感情的な起伏が盛り込まれている。たっぷり間をとって表現される3楽章中間部など特徴的だ。堅い音に縦ノリのリズムはロヴィツキらしい生硬さや粗さもなくもないが、おおむねうまくいっていると思う。ソリストはスピードと技巧というよりケレンと音楽性で一長を感じる(もちろん下手ではない)。なかなかライヴ感ある名演。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」,○ツムジンスキ(P)ロヴィツキ指揮ワルシャワ・フィル(POLSKIENAGRANIA)CD,,演奏的に完璧とは言わないが録音の新しいステレオものとしてはこの選集収録のものを薦める。硬質の響きと舞踏的表現の強靭さ、二楽章スクリアビンの香りのする前衛書法の隅々まで聴いて確かめることのできる見通しのよさがポイントである。スタジオ録音であるせいかテンポが生硬で、同曲の売りである前に向かっていく感じは今一つだが、ソリストが強いタッチで(ごく一部ミスも聞かれるものの)ロヴィツキの男らしい表現とわたりあっており頼もしい。ロヴィツキバックのものにはエキエルがソリストをつとめたものもある。◎にしたいが、冷静に言って○か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」,◎パレチュニー(P)エルダー指揮BBC交響楽団(BBC,IMP)1983/2/16londonロイヤル・フェスティヴァルホールlive・CD,,ポーランド受難の時代の記録であり、独特の緊張感ある演奏になっている。非力なBBC響もこの曲では怜悧な音色をメリットとして、ブラスも弦楽も頑張っている。シマノフスキに要求される鋭い金属質の音がまさに縦横に出ており、張り裂けそうなアンサンブルが繰り広げられ、これがイギリスにおける演奏というのを忘れさせるような激しさを感じさせる。この曲はけしてケレン味を必要としないが、ここぞというところで起伏が大きくつけられているのも自然。献呈者ルビンシュタインを彷彿とさせる技巧家パレチュニーはこの曲を得意としているだけあって、リズムに破綻の無い演奏ぶりでぐいぐい進める。協奏曲にしては音数は決して多くは無いのだが(ピアノはあくまでオケの一部ではある)特有のリズムと不協和音を絡めた単線的な音楽を流麗に弾きこなしてみせる。けっこう危ない演奏の多い同曲にあってこの安定感はライヴにしては異様ですらある(ルビンシュタインのライヴ記録でも危ない部分が散見されるくらいなのだ)。録音もよく、◎にしておく。ブラヴォが出ないのはちょっと不思議な盛り上がり方。終盤ちょっとデフォルメし過ぎたから?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」,エキエル(P)ロヴィツキ指揮ワルシャワ・フィル(OCC)1967/4/3イギリスlive・CD,,「親しい公演スタッフによる録音」(ありがち)で、音源の権利もそちらにあるとのこと。同レーベルはこのエンジニアさんが自ら立ち上げたプライヴェートレーベルのようだ。ロヴィツキのこのときのツアー記録は他に無く、逆にポーランドの然るべきところに一部音源を提供し、正規のロヴィツキ記念盤として出ているようだから、これも無法盤というわけでは無い模様。,,そういった経緯からあくまで記録としての録音となっており、貧相なステレオマイクで偏ったところから録っているようであり、音質的にも万全とは言い難い。全体が雲に覆われたような篭った音で、ピアノは小さく引いて聞こえバランスが悪い。これは晩年シマノフスキの新古典主義スタイルのシンプルで独特な(気色悪いスクリアビン的な組み物を透明な響きと強い旋律、リズムで押し通すという)作曲法からきているところもあるかもしれないが、スカスカで、アンサンブルが瓦解しているかのように聞こえるところもある(ソリストもミスが聴かれる)。録音だけではなく演奏も荒っぽいのだ。ありがちなことだが緩徐楽章は精緻で美しい。両端楽章がどうも「ライヴ品質」である。,,もっとも全く同じ組み合わせでmuzaが出していた録音でも、技術的な弱さを力づくで強引に押し通した感があって、これはこういうものだったのかもしれない。細かい不備なぞどうでもいい、メロディとリズムで突き通せ!ってロヴィツキぽさが好きな向きは、ひょっとすると楽しめるかもしれない。この作品自体にその気はあるのだから。プロコフィエフとラヴェルの名作が同時代の作曲家に広く新古典主義にたったピアノ協奏曲の作曲へ向かわせた、そのうちの一つとされるが、バルトークの孤高まではいかないものの、民族舞踏音楽を下敷きにフランス印象派から前衛音楽の残り香である硬質の響きを用いながらも聴衆を置き去りにすることなく娯楽に昇華させた協奏曲である、これはポーランド産の演奏だからといって決して民族的な演奏「ではない」ので、もっと良く、もっと新しい録音で聴いてみて下さい。ファーストチョイスには向かない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」,◯マツエフ(P)ゲルギエフ指揮LSO(LSO)2012/12live・CD,,迫力のsacdでこの曲の高精度な演奏を楽しめるだけでも良い。ゲルギーの全集からの一曲であるが、ソリストが良い。強靭では無いのだが、二楽章の表現はこれまでによくあったような直線的なものではなく、解釈されたものであり、聴き応えがある。一楽章もいいが、三楽章はややテンポが停滞する感もある、これは他の盤でもみられる現象なのではあるが。ゲルギーはけして巧緻ではないのだが勢いと力があり、ロシアの伝統と現代のオールマイティ指揮者の融合というような、逆にいうとやや半端な部分もあり、圧倒的では無いが、それなりにリズムも強く、迫力はある。オケのせいもあるか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」,○クピエク(P)コルド指揮ポーランド国立放送交響楽団(POLSKIE RADIO)2007/3/12・CD,,生硬な感は否めずわりと棒のような解釈になっている。演奏陣もぱっとしないが表現の硬さはこの曲の難度からいって仕方の無いことかもしれない。ピアノも余りニュアンスに長けている調子ではなくこなれていない印象を受ける。ただ、透明な硝子質の曲の一面を捉えたところはあり、ロマン性は終楽章終盤のみにとどめあとは即物的に処理するというやり方なのかもしれない。この曲はルビンシュタインの印象が余りに強いため厄介だ、あれ以上の弾き手が取り組むことは今後もあるまいから。悪くは無いので○。,,↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ," ",,-----,,,-----,,,-----,,,-----
シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」〜T、U,○作曲家(P)フィテルベルク指揮デンマーク国立放送交響楽団(コペンハーゲン放送交響楽団)(POLSKIE RADIO)1933/1/19live・CD,,ポーランドの国民的作曲家シマノフスキ晩年の平易でカッコイイ名作である。ルービンシュタインのレパートリーだったことで知られるが、作曲家自作自演によるこの盤は一部がLP(SP)化されてはいたものの楽章全体として復刻されたのは今回が初めてである(3楽章は残念ながら残っていない模様)。ポーランド放送のCDとして作成されたこの盤はコルドによる交響曲全集のおまけとして付けられた歴史的録音であるが、一緒に入っているマズルカ2曲とインタビュー2片はMUZAから出ていたLPボックスの付録EP収録のものと同じである。,,やはり全体を聴かないとわからないところが多いのだなあと思わせた。作曲家の指の弱さ、衰えを感じさせた断片はしかし全体像を捉え切れておらず、何より録音状態が極度に悪いため音響バランスが崩れていたがゆえの印象にすぎなかったのだなあと。ここで通して聴く限り作曲家は非常にニュアンスに富んだ(作曲家にしかなしえないであろう)細かい表現を施しており、舞踏リズムを明確に打ち出してこの曲が抽象音楽ではなく民族音楽であることを強く意識させるところが後発の演奏にみられない大きな特徴である。といっても硬質な響きが目立つ楽曲でありその点を意識しコントラストを付けてもいて(だから録音の問題で不協和なハーモニーの繊細なバランスが崩れて聞こえ、衰えに思えたのだ)、テンポも意外と速いまま維持されていく。ロマンティックなぐずぐず感は皆無である。演奏は熱気はそれほどないし専門ピアニストほどの安定感は無いもののこなれていて非常に印象的である。もっとも1楽章のカデンツァは鬼気迫るものがある。1楽章の聴き所も多いのだが2楽章のソロ部分はマズルカで僅かに聞かれた作曲家の繊細なリリシズムが感じ取れる非常に美しいものである。惜しむらくはバックオケだ。フィテルベルクの粗野な棒に技術的に問題のあるオケ、それでライヴということでシマノフスキの色彩的なオーケストレーションを十分表現できているとは言えない出来である。木管もしょっちゅうとちるしこの程度のソリストの揺らしについていけない棒というのもどうかというところである。鈍重だ。全体として作曲家がやはり素晴らしい民族的作曲家であるという印象は感じられる特筆すべき演奏ではあるが、過度には期待しないほうが、といったふう。○。,,↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ," ",-----,,,-----,,,-----,,
シマノフスキ:夜想曲とタランテラ,○コーガン(Vn)ミトニク(P)(brilliant)1953/5/23・CD,,録音状態はよいが、それだけに聴こえてしまうものがある。それほど精度が高くないように感じた。怜悧なシマノフスキの響きがひたすら民族的な気を煽る強い表現によってただ熱いものにされ、緩急がいまいち。もちろんバリ弾きスタイルなので技術がどうこうという問題ではないのだと思う。民族的な、といっても民族臭をふんぷんと放つでもなく、うーん。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
シマノフスキ:夜想曲とタランテラ,○メニューイン(Vn)ガゼッレ(P)(EMI)1935/12/21パリ・CD,,シマノフスキが独自の印象主義音楽から新しい民族主義音楽に脱したことのわかる曲で、重音進行による舞踏主題が強く印象にのこり、前者の硬質な抒情を好む向きには日和ったと思われるかもしれないが、今の耳にはとても熱く扇情的に聞こえてこれはこれでよい。若きメニューヒンの軟らかい指がオールドスタイルのヴィヴラートを効かせた甘い音色とあいまって、後年ではありえない正確さで迫ってくる、確かにこれは余人を許さない腕前だ。たいしたものです。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,