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ストラヴィンスキー:11楽器によるラグタイム,作曲家指揮アンサンブル
ストラヴィンスキー:11楽器によるラグタイム,作曲家指揮アンサンブル1930
ストラヴィンスキー:11楽器によるラグタイム,作曲家指揮イタリア放送ローマ交響楽団 1955/4/28&29
ストラヴィンスキー:11楽器によるラグタイム,作曲家指揮コロムビア交響楽団(sony/cbs)CD
ストラヴィンスキー:12楽器のための協奏曲,作曲家指揮コロムビア交響楽団(sony/cbs)CD
ストラヴィンスキー:15楽器のための8つの小品集(1962),○作曲家指揮CBC交響楽団のメンバー(SONY)1962/4/29カナダ・CD「〜のメンバー」と書かれた録音は契約上の問題でその「〜」という名前をストレートに書けない場合に使われる名称と聞いたが、ほんとのところはどうなんだろう。この曲集はとても楽しい牧歌的な小品の集まりで、ストラヴィンスキーがフランス楽派に非常に近い位置にいたという事を今更ながら認識させる。古いピアノ曲「5本の指で」(1921)の編曲であり、この録音はこの編成ではほぼ初演に近い演奏になる。編曲も含め六人組の一時期の雰囲気(たとえばミヨーの小交響曲やオネゲルの夏の牧歌のようなもの)によく似ている。娯楽性では六人組を凌いでいるとさえ言える。演奏は達者。こういうのは素直に聞きましょう。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:2台のピアノのためのソナタ,フィダル (P) ゴールド
ストラヴィンスキー:2台のピアノのための協奏曲,作曲家 (P) スーリマ(2P) 1938/2/14&16
ストラヴィンスキー:3つのシェークスピアの歌,作曲家指揮アンサンブル
ストラヴィンスキー:3つのシェークスピアの歌,作曲家指揮コロムビア交響楽団
ストラヴィンスキー:3つの小唄(子供のころの),作曲家指揮コロムビア交響楽団
ストラヴィンスキー:3つの想い出,作曲家指揮アンサンブル
ストラヴィンスキー:3つの日本の抒情詩,クラフト指揮コロムビア交響楽団
ストラヴィンスキー:3つの日本の抒情詩,作曲家指揮アンサンブル
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,○作曲家指揮コロンビア交響楽団(sony/COLUMBIA)CD,,甘さの微塵もない演奏。2楽章の荒涼などいかにもこの人らしい。純音楽的とでも言ったらいいのか。一音一音深く斬り込むような発音の激しさには一種快感すら感じる。前進性も全く損なわれていない。細部まで明瞭な録音のせいもあって実に迫力がある。男らしい演奏の見本だろう。全体設計が見えてこないきらいもあるがそもそも曲を譜面のまま再現できれば演奏家の設計など不要と考えていたこの人なりの様式なのだろう。録音のよさから◎にしたいところだが、作家の意図を越えたこの曲の潜在的な魅力・・柔らかな抒情や幻想・・というものを 求めたい私は○ に留めておきたい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,作曲家指揮NYP1946/1/28(COLUMBIA/SLS)テストプレス 新古典主義を前面に打ち出しジャズのリズムを取り込んで人好きする作品に仕立てた。あからさまな客受けを狙ったかはさておき、録音状態の問題はあるものの自作自演モノとしてはギクシャクせず引き締まっている ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,○作曲家指揮ニューヨーク・フィル(PEARL/COLUMBIA)CD,,PEARLゆえ音は期待できないのだが、やっぱりLPより不明瞭な悪復刻。雑音の奥からは全般は STEREO盤と同じだが、厳しさは減少しているものの柔軟さをみせる作家の意外と音楽的な魅力ある姿が垣間見られる。これは雑なぶん柔軟な表現にたけ自主的な表現意欲の強い技術も高いオケの特性によるところが大きいだろう。演奏的にはこちらのような演奏のほうが好きだが、録音の悪さはどうしようもない。○にしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,○作曲家指揮SWFバーデンバーデン放送交響楽団、ベルグマン(P)(music&arts)1954/5/21live・CD,,世界の踊りのリズムのとりかたは様々である。西欧的記譜法は西欧音楽のみを視野に入れているため、国によってはそれをそのまま音にするだけでは表現しきれないものも出てくる。日本人が舞曲表現を苦手とすると一般に言われるのも、日本人の踊りに関するリズム感覚が西欧的な感覚と違っているからだ。勿論訓練や適性次第で克服できるもので今はそんなことも言われなくなったが、素人がやろうとするとどうしてもエンヤコラドッコイショになってしまう。後拍を取る、附点音符のリズムを取る、三拍子など奇数拍を取るのが比較的不得意というのは、日本人に限らないが、日本人に顕著なものである。西欧諸国においてもこの点には微妙な差異がある。三拍子は騎馬民族の乗馬時のリズムからきている、という話があり、ボロディンの楽曲では頻繁に使用されるが、指揮者によっては無骨に正確なリズムをとって舞踊性を無くしてしまっていたりする。意図的であればよいが無意識と感じられる場合もある。ウィーンの舞曲については言うまでもあるまい、これは逆に正確なリズムを取ることにより「まるで東京人が大阪弁をしゃべっているような」ノリの悪い不恰好さを避ける場合が多いように思う。国民性の色濃い微妙なズレを如何に表現するか、アメリカでいうところの「スウィングする」という感覚は譜面上にどう表記されるべきなのか(アイヴズは「スウィングできるなら何度でも繰り返せ」などと書いている)、このへんは私含め「聞くだけの人」は「ノリ」の一言で片付けるけれど、いざやる立場となると難しい面がある。ストラヴィンスキーの舞曲表現にも独特の「ノリ」がある。リズミカルに前ノリで面白くやればそれはそれで面白く聞けるのだが、そもそもあの複雑なリズム構造はアフロな諸国に顕著にみられる、リズムの絡み合いをメインとして楽曲を組み上げるたぐいのプリミティブなものを意識しているようだ。本当は旧来の五線譜上に書き記せるたぐいのものではない。ストラヴィンスキーはそこを敢えてぎっちり譜面に落としている。客観的で数学的な側面があるから極めて正確に演奏されることによって独特の魅力が見えてくる、このへんはブーレーズあたりを代表とする高度な分析技術によってのみ成しえた演奏様式だが、あくまでバレエのような「踊りの音楽」で使われることを想定した「ノリ」の部分は損なわれがちである。ストラヴィンスキーの自作自演の面白いところは、そういった「正確さ」と「ノリ」を、鋭利で無骨で激しい音表現によって同時に満たしているところである。それは逆に同時に失っていると言うこともできるし、じじつそのために面白くない、下手だなどと言われるのだが、昔も書いたことだけれども、ストラヴィンスキーの頭蓋の中には何らかの肉感的なリズムが存在し、それは西欧的な単調なリズムに無理やりあてはめたものとも、様式を崩した舞曲の面白さとも違う「正確な縦のリズムをとことん突き詰めていくことによる、地を一斉に縦に踏み鳴らすような土俗的なリズムにもとづく」ものであった。その源流は知れないが、このアメリカ時代の復活ののろしとなった名品においてもその流れは依然として存在し縦のリズムが重要な要素となっていて、この演奏では特に精緻で金属質な表現を得意とするオケをもってして、厳しい縦ノリの引き締めと粗野でアクセントの強い独特の発音の中から一種独特の舞踊の「ノリ」というものを感じることができる。,,この演奏で更に特筆すべき部分としては二楽章中間部の抒情性の濃さで、ドビュッシーの「フルートとハープとヴィオラのためのソナタ」へのオマージュや瞬間的なヒンデミットなど、まるでバルトークのオケコンのような「遊び」が楽天的でシニカルな楽曲の中に、清澄で親密な雰囲気を持ち込み変化をつけている、そこが如実にわかる。,,アメリカでは金銭的な理由から作曲を行うことが多かったストラヴィンスキーだが、プロフェッショナルな音楽家にとってその動機が何だろうが産物が素晴らしければそれでよいわけで、アメリカという未だ音楽の新興国とみられていた国において交響曲という権威的で「キャッチーな」ものを作るという意味、そういったものを依属者や出版社が求め続けた意味を鑑みたとしても、この作品の価値を貶めるものにはならない。録音はやや悪いがリマスターはいい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,グーセンス指揮LSO
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,○クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1971/6/16ウィーンLIVE,,エアチェック状態がかなり悪く、ハルサイよりは抜けのいい高音の伸びる録音ではあるが冒頭の歪みから雑音、バランス崩れまでかなり辛い箇所がある。こういう純管弦楽曲は激しくも単純な変拍子をきっちり守って縦を強くテンポをただ煽ればいいところがあり(演奏は大変だけど)、余り舞踏表現がうまくない猪突猛進クーベリックにはあっている。ピアノや弦がやや怪しくても勢いで聴けてしまう。2楽章はクーベリックの熱い中にもひんやりした肌ざわりの抒情が、フランス的な幻想を生々しく描き出し魅力的。だが肝心なところで放送雑音が興を削ぐ。ともかく旋律構造がわかりやすくリアルな2楽章だ。3楽章は冒頭で音量がやや落ちるのがやはり録音の問題として耳につく。高音の伸びがなくなり籠もってくる。演奏は一部辛いながらもなかなかに激していくので惜しい。テンポ感がいい。ピアノが大きすぎるのは好きずきだろう。疲れやバラケもどこかが補い流れを阻害しないのがすばらしい。録音マイナスで○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,○クレンペラー指揮ACO(archiphon:CD-R)1957/1/20live,,一楽章こそ遅くて重苦しいが、二楽章の繊細さに透明感、三楽章のリズミカルさに破壊的な推進力は圧倒的。いずれも音表現が明確で、緩やかになったり細くなったり途切れたりは決してせず、デジタルな数学的合理性を重視するストラヴィンスキーの美学にあったものになっている。クレンペラー壮年期の煌きが未だ感じられる爽演。しかもオケがいい。後年のイギリスでの柔らかい響きのものに比べ未だ鉄壁の機能性を誇るACOの、叙情的なソロからトリッキーな合奏での一糸乱れぬ表現の幅に感服する。惜しむらくはやはり録音状態で、かすれ気味なのは痛い。○。,,↓フィルハーモニア管弦楽団とのスタジオ録音,"
ストラヴィンスキー:三楽章の交響曲
クレンペラー(オットー)
EMIミュージック・ジャパン

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",↓(LPOと記載しているデータもあるが同一音源),"
Klemperer: Merry Waltz; Weill: Kleine Dreigroschenmusik; Hindemith: Nobilissima visione

EMI

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ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,○クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)1962/3,5フィルハーモニアの精妙なひびきが楽しめる。1楽章、3楽章のリズムの饗宴がクレンペラーにしては明瞭で前進性が有り耳を惹くが、2楽章の木管、ハープの幻想的なひびきがすばらしい。ドビュッシーを思い起こす、もしくは初期ストラヴィンスキーを。音響操作のすばらしさは特筆しておくべきだろう。クレンペラーの響きの感覚は確かだ。重みの有る音響も重ったるくはならず迫力がある。クレンペラーのストラヴィンスキーにはあまりいい印象はなかったが、水準以上のものにはなっている。機会があればお試しあれ。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,○シルヴェストリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI,DISKY)CD,,攻撃的な音楽で聞いていて楽しい。内声の動きもくっきり描き出されていて構造的なストラウ゛ィンスキーの見事な技も堪能できる。3楽章もそうだがピアノやハープが大きく捉らえられており、リズムが締まってかっこいいし、フランス的な美感も宿っている。2楽章の抒情も聞きもの。ドビュッシーの室内楽のような典雅さがありトリオソナタあたりが好きな人は楽しいだろう。なかなかの演奏。オケが没個性というか特徴や力感に欠けるのは仕方ないか。録音もやや篭り気味(ステレオ)。それらマイナスで○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,○ホーレンシュタイン指揮フランス国立放送管弦楽団(MUSIC&ARTS)1961/12/19LIVE私は同じCDに入っている「海」よりこちらのほうが好きである。というかホーレンシュタインのしっかりした音楽にあっている。リズムが縦系で明確で、力強く突き進む、まさにホーレンシュタインのスタイルのためにあるような曲ではないか。久し振りに聞く曲というのもあって楽しく聴くことができた。ところが、終演後の拍手が覚めているのである。「海」とは雲泥の反応だ。立派な演奏だと思うのに、叙情性が濃すぎず男らしい歩みがあり、しかも重くならずしっかり出来た演奏だと思うのに・・・ようは曲の差ということだろうか。言っておくがこれはストラヴィンスキーの(広い意味での)新古典主義時代の会心の作であり、明確に性格分けされた3楽章の音楽に凝縮され、そこに娯楽性も兼ね備えた傑作である。とくに2楽章のハープとフルートにいざなわれた典雅な美の世界はストラヴィンスキースタイルの抒情の典型と言うべきものだ。と、ここまで書いて、ああ、2楽章は地味だったな、と思った。録音が悪いせいも有り抒情に引き込まれなかった。渋かった。逆に言えば3つの楽章が、同じ土気色の聴感でまとまっている。そんなところが聴衆に訴えきれなかった原因かな。もはや想像するしかない。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,○ルドルフ・アルベルト指揮Cent Soli管弦楽団(LE CLUB FRANQAIS DU DISQUE)LPとてもフランス的な演奏。この作曲家特有の強烈なリズムはここでは硬質透明で美しくひびき非常に耳心地がよい。ラヴェルや六人組(とくにミヨー)との親近性を強く感じるが、それ以上にメシアンに通じる尖鋭な音響感覚を感じさせるものとなっている。こういうスタンスの演奏だから2楽章がとても抒情的にひびき繊細で綺麗だ。うららかな春の野を思い出す。フルトヴェングラーとは対極の演奏と言えるだろう。この奏者を私は寡聞にして知らないのだが、無名とは思えない良い仕上がりだ。○。録音さえよければ◎もやぶさかでなかった。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(FONIT CETRA/日本ビクター他)1950/8/15ザルツLIVE録音が悪いのはもうどうしようもないことで、まるで30年代の録音のように狭く分離も悪いから、高い評価を付けることはできない。しかし、曇ったロマン性をはらみながらも前進性にあふれ目の詰まった表現は心地悪いわけはない。ピアノソロが突出して聞こえるために、ストラヴィンスキーらしい鮮烈さが放たれ、とても色彩的に聞こえる。ちょっとフルトヴェングラーの演奏とは思えないほどだが、この指揮者が当時の現代曲にも積極的に取り組んでいたことを改めて思い起こさせる。終楽章後半はやや音質がよくなってくる。最後にいきなり解決の和音がひびくところも過不足無く聞こえて○。不協和音で行ったり来たりを繰り返すストラヴィンスキーならではの執拗な繰り返しが、ただひとつの和音で解決する場所であり、ここをしっかり響かせないとちっとも完結しない曲なのだ。フルトヴェングラーのストラヴィンスキーは知るかぎりこれとベルリン・フィルによる「妖精の口づけ」しかない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,シルヴェストリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)CD,,キレッキレ。厳しい統制のもと驚異的な明晰さとテンポやリズムの攻撃性、設計の的確さに加え良好なステレオ録音の迫力に、とにかく聴けとしか言えない。若いうちに世界を手中に収め、アメリカでの長い余生で聴衆に日和った書法、旋律やわかりやすさを新古典主義の名のもとに注ぎ込んだところ、的確に押さえたシルヴェストリには今更ながら人気も頷けてしまう。両端楽章とくに一楽章には全盛期フィルハーモニア管の美しい色彩と技術含めて聴衆を惹き付ける魔力がある。ドヴォルザークやチャイコフスキーもいいが、ラヴェル的な管弦楽の複雑さを備えた曲こそ指揮者としての技量が明確になる。名演。シルヴェストリ正規録音は廉価ボックス化したことがあり、入っていたかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲,マルコ指揮デンマーク放送交響楽団(forgottenrecords)1959/1/29liveコペンハーゲン放送,,力強く重厚な反面、細部がアバウトでリズム感の鋭さに欠けるところがあると言えばだいたいどういう演奏かわかるのではないか。しかしストラヴィンスキーの天才や、自作および他作(新古典主義なのだから古典は言うに及ばず個人的に二楽章にいつもドビュッシーのトリオソナタを想起する部分がある)からの「部品」の転用による「リフォーム術」の優れたさまは、それが少し後ろ向きの客受けを考えたような、ペトルーシュカまでの作品のフランスふうの響き、ピアノとハープの典雅な音響の重用ぶりを、ニコライ・マルコはしっかりとらえ、彫刻はすこぶるわかりやすく、荒さもあるが音色に透明感があり水際立った表現にすぐれるオケによって、ライヴで楽しめる演奏にしたてている。執拗な繰り返しが嫌気を催すストラヴィンスキー特有の書法も、魅力的な音と迫力ある響きをちゃんと取り出せばフランスの曲のように楽しめるという例。もっとも、どうもロシア的な迫力も出させてしまい、野暮ったさが否めないところはある。モノラルであまりよくない状態ゆえ、仔細は正直わからない。しかしまあ、バレエ・メカニックと描いている内容は似たようなものだけど、やはりそうとうに簡潔に整理され独自の新古典主義のもとにまとめ上げたから、まるで出来が違うものだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:4つのオーケストラのための練習曲,作曲家指揮CBC交響楽団
ストラヴィンスキー:4つのノルウェーの雰囲気,作曲家指揮CBC交響楽団
ストラヴィンスキー:4つのノルウェーの雰囲気,作曲家指揮NYP
ストラヴィンスキー:4つのロシアの歌,作曲家指揮アンサンブル
ストラヴィンスキー:4つのロシアの合唱曲,作曲家指揮アンサンブル
ストラヴィンスキー:4つの歌,作曲家指揮コロムビア交響楽団
ストラヴィンスキー:8つの小品,作曲家指揮CBC交響楽団
ストラヴィンスキー:J.F.K.への哀歌,作曲家指揮コロムビア交響楽団
ストラヴィンスキー:アヴェ・マリア(1949改訂),作曲家指揮トロント祝祭合唱団
ストラヴィンスキー:アブラハムとイサク,クラフト指揮コロムビア交響楽団
ストラヴィンスキー:アンセム,作曲家指揮トロント祝祭合唱団
ストラヴィンスキー:イギリスの抒情詩によるカンタータ,作曲家指揮NYP室内O&CHO
ストラヴィンスキー:イタリア組曲,作曲家(P) ドウーシュキン(Vn)
ストラヴィンスキー:イタリア組曲(チェロのための),ピアティゴルスキー(Vc)フォス(P)(RCA),,これは怪しい。チェロにしては高音域で、ストラヴィンスキー特有のトリッキーな動きが施されているから書法のせいでもあるのだけれど、ピアティゴルスキーをもってしても、誤魔化しや弾けていない部分、テンポが滞る部分、必要なところで音量が出ない部分が目立つ。このチェリストは技巧派だが中低音域での深い表現に魅力があり、高音域は無機質になりがちでもある。楽章によって出来にムラがあり、フォスのピアノがバランス的に強すぎると思う所もある。さすがのピアティゴルスキーも指がもつれる、これはストラヴィンスキーにあっていないのか、病気のせいか、らしくない。イタリア古典派に傾倒していたころの擬古典的作品だが、チェロにやらせるには音域幅を広く取りすぎる傾向が感じられ、古典を模していながらも少し流して書き直したような、とってつけたように「兵士」の頃のリズムやハーモニーや装飾的な動きが挿入されたり、そういったところも弾きづらくさせていると思われる。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:イントロイタス,作曲家指揮コロムビア室内アンサンブル
ストラヴィンスキー:ヴァイオリンとピアノのためのデュオ・コンチェルタンテ,○ギドン・クレーメル(Vn)エレーナ・クレーメル(P)(PHILIPS)1980版・CD,,有名な作品だが、まさに面目躍如といった感じのクレーメル、技巧と機械的なアンサンブルを要求するストラヴィンスキーにピッタリ。ガチャガチャうるさいけど冷えているストラヴィンスキーの世界に血を通わせて、やはり共に同じ国を捨てたとはいえ同じ国の血が確かに通っている、そう思わせる。叙情味が薄く曲想にも取り立てた魅力が無いので大して興味のわいてなかった曲なのに結構面白く聞けたのは演奏家のおかげか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:ヴァイオリンとピアノのためのデュオ・コンチェルタンテ,オークレール(Vn)ジョワ(P)(meloclassic)1967/4/10フランス放送LIVE・CD,,これは録音は貧弱だが演奏はハマっている。協奏的に古典的にやるのではなくあくまで現代曲の1曲目として、かつ聴けるように楽しく弾いている。もともと楽しくやるソリストではないと思うけれど、ライヴということもあるのだろう。なかなかわかりにくくも感じる同曲の魅力を引き出している。,-----,,,,,,,,,,,,,
ストラヴィンスキー:ヴァイオリンとピアノのためのデュオ・コンチェルタンテ,○マテラッシ(Vn)ダラピッコラ(P)(stradivarius)1952/4/3フィレンツェ・CD,,楽章ごとの性格別けがきちんとできていて、新古典というより擬古典に近いストラヴィンスキーの書法を、よりこなれた表現によってわかりやすく提示する。ここでも作曲家ダラピッコラはまるで簡単な曲のようにはっきりそつなく、ヴァイオリンもここでは安定した技術で噛み合っている・・・丁々発止ではないが。モノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ヴァイオリンとピアノのためのデュオ・コンチェルタンテ,マカノヴィツキー(Vn)ノエル・リー(P)(meloclassic)1961/6/23南ドイツ放送live・CD,,ヴァイオリンは生臭い楽器だ。音符どおりにいかないアナログな楽器である。新古典主義時代のストラヴィンスキーはヴァイオリンの「非機能性」を逆手に取り、ヴァイオリン協奏曲のような特別な作品を作り上げた。弦楽四重奏用小品についてはそれより非音楽的ではあるが旋律と創意を極めて短い三つの楽章に凝縮した、少し違う魅力を保った「アンサンブル」で、ウェーベルンあたりの簡潔で理知的な志向に近いものがある(ストラヴィンスキーは古風な旋律要素など感覚的なものも組み入れてくるが)。イタリア古典音楽の要素も踏まえ、さらに別種の「完全に器械的な音楽」に仕立てようとしたのがこの作品だが、机上論的な発想であり、そういった意図を「実際に発せられる音」で伝えるのはなかなか面倒。興味の結果としての小品を寄せ集めたような面もあり、演奏家が譜面どおりに捉えず研究し、器械を器械にとどまらない「聴かせる組曲」にすることが必要である。いや、ストラヴィンスキーはそれを意図していないが、そうすべきである。この演奏はじつに達者で不足のない技量と色の無い音によりライヴとは思えない結果を提示している。ノエル・リーに沿うように明晰な演奏で、フランス的な品もある。,,つまり解釈的ではない。ストラヴィンスキーの魅力としての旋律要素がしっかり認識できるのはエグローグT(二曲目)などの一部で、まさにストラヴィンスキーの意図どおりというか、何をやっているのか最後までさっぱりわからない、ピアノのミニマルというかオスティナートリズムというか単調で簡素な律動が目立つものの楽章毎分節毎に変化していき、それだけとも言い難い、二本の楽器による実験工作を聴かされた感がするのだ。演奏は素晴らしい、このコンビらしいもので、直後のトラックであるブラームスが生臭くなくじつに美しいのびのびと、ヴィヴラートをきかせた演奏なだけに、あまりに楽曲の魅力の無さ、適性の無さが際立ってしまう。よくまあちゃんと聴かせている、という録音もある中、むしろ「ちゃんと聴かせる」のは意図から外れた邪道なのだ、と割り切ってスコア片手に聴くのにはよいかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ストラヴィンスキー:ヴァイオリンとピアノのためのデュオ・コンチェルタンテ,ボガス (P) シゲティ
ストラヴィンスキー:ヴァイオリンとピアノのためのデュオ・コンチェルタンテ,作曲家 (P) シゲティ(Vn)
ストラヴィンスキー:ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲,同上?,作曲家 (P) シゲティ(Vn)1933/4/6&7?
ストラヴィンスキー:ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲,作曲家 (P) ドウーシュキン 1933/4/6&7
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲,作曲家指揮コロムビア交響楽団、スターン(sony/cbs)CD
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲,作曲家指揮ラムルー管弦楽団 ドウシュキン 1932
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲,同上?,作曲家指揮ラムルー管弦楽団. S10.10.28/29
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲,プレヴィン指揮LSO、チョン・キョンファ
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲よりT,作曲家 (P-ROLL)
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲,○D.オイストラフ(Vn)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(YEDANG/MELODIYA)1963/2/8ロシア初演・CD,,何とまあオイストラフの凄まじいこと。古典派を強く意識した民族的な曲ではあるがストラヴィンスキーの他聞に漏れずリズムから装飾音から異常に込み入っており、さしものオイストラフも終盤乱れるが、即物的に弾くならまだしもオイストラフはいちいちしっかり「表現」しようとし、成功している。だからストラヴィンスキーの意図はともかく、凄まじい。楽しむに程遠い阿鼻叫喚の雰囲気もあるが、バックのこれまた骨張った軋むサポート込みでひとつのドキュメント。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲,○シュナイダーハン(Vn)アンチェル指揮ベルリン・フィル(DG)1963初出 全楽章、ソロヴァイオリンによる重音から始まる曲で、洗練された知的な作風は古典曲の佇まいを模しており、とても古風な中に新鮮な和声の絡む面白い曲である。ロマン派のヴィルツオーソ系協奏曲とは対極にある作品。ここではシュナイダーハンが凄まじい凄まじい。この曲はドゥーシュキン盤などで聞いても余り強い印象はあたえないが、シュナイダーハンの力強く完璧なフレージングに、オケととても調和する音色がひびきわたるとき、この曲が古典の一作としての個性を確立し、新古典派瑞逸のヴァイオリン協奏曲であることを確信させる。ここまで聞ける演奏とは思わなかった。アンチェルのサポートもいいのだろう。アンチェルは私の苦手なマルティヌーのエキスパートだったため長らく聴いていなかったが、同時代曲への共感と理解に溢れた演奏ぶりはううむと唸らせられる。ここではとくにストラヴィンスキーらしいクセがアク抜きされて聞き易い。○ひとつ。名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲,○スタンスケ(Vn)作曲家指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団(M&A)1955/4/22放送live・CD,,重音進行ばかりで一縷の隙も無い、ストラヴィンスキーのヴァイオリン曲特有のトリッキーな技巧のつぎ込まれた曲ではあるが、このソリストにとっては決して難度が高いわけではないと思う。しかし1楽章でどうもハイポジの音程が悪い。これは演奏自体の「色調」の変化に着目すると理由がわかるように思う。1楽章から2楽章第一部にかけてどうも、特にワルツふうの主題において「色気が出すぎている」・・・ウィーンふうというか、ベルクの協奏曲のような艶があらわれ、それはそれでこの無味乾燥な曲を非常に効果的な「音楽」に仕立てて魅力的な表現なのだが、ストラヴィンスキーの意図から外れていることは言うまでもない。,,とにかく冒頭より四角四面のリズムが厳格に指示されているようで、もともと無理な運指が必要な書法であることもあり、ソリストの表現にかなり「窮屈さ」を感じさせる軋みが生じているのは、一方でよく感じ取れる。重音表現も荒々しく濁るが、アリアも後半になると抜けていく。そして音程も的確に、ただの「音」として、正確に表現されていくようになる。3楽章だけ冒頭の重音表現が短縮され単音による狂詩曲に変化するせいもあるが、音楽が軽くなり、新古典主義の曲であることが改めて印象付けられる。結果としてよくまとまった演奏になっており、雑味はあるが聴きやすい。四角四面と言ってもストラヴィンスキーの指揮には独特の野趣がありオケも非常にこなれている。環境雑音あり、○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲,D.オイストラフ(Vn)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(yedang他)1960/2/8ロシア初演・CD,,鋭く澄んだ音で正確に響きと律動を聴かせる、ストラヴィンスキー的新古典主義協奏曲の粋だが、オイストラフは思い切り野太い音で自分のほうに引き寄せているかのようだ。古典の模倣とは感じさせない、響きの濁りや幅広い音程感も辞さないロマン派協奏曲的な力強い音楽性にむしろこちらは「ショスタコーヴィチの協奏曲を聴くような快楽」を感じさせられる。この人に「兵士」は無理かもしれない。軽やかさのない音楽は終楽章で迫力を増し、ライヴ感あふれる旋回(ストラヴィンスキーの音楽は旋回する)のすえにきれいなフラジオ重音はずるい。正統派ではないが、この「詰まらなく弾くことを義務付けられた曲」を大スケールで面白く楽しむには向いている。音楽としてちっとも起承転結がないようでいて、これで聞くときちんとおさまった気がする。拍手なし。あ、オケも当然引き締まってオイストラフと同化していて良いです。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲,イダ・ヘンデル(Vn)マルコ指揮デンマーク放送交響楽団(forgottenrecords他)1959/1/29liveコペンハーゲン放送,,なるほど少し消化不良かもしれない。冷徹な構造物の側面が強い曲に従来のヴァイオリン協奏曲的な「物語」を持ち込もうとして、均整感が損なわれているように思う。また1フレーズ1フレーズ一音一音の表現には力が入るが流れていかない、音符ひとつひとつに拘泥し全体が出来ないヴァイオリン初心者的なところに手探り感がある。四楽章終盤はそれでも聴かせる流石の腕なのだけれど、私の知っているこの曲ではない。びしっと統一された楽章冒頭の重音が、一楽章冒頭からすかされるというか、バラしたように弾くなど表現が違うのが座りが悪かった。モノラル。楽団は比較的派手だが前プロの火の鳥組曲とは出来が雲泥の差。同日の演奏はSLSでも発売された(詩篇交響曲全編を含む)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:エディプス王,作曲家指揮BBC交響楽団&CHO コクトー(語り)
ストラヴィンスキー:エディプス王,作曲家指揮NDR交響楽団&CHO
ストラヴィンスキー:エディプス王,作曲家指揮コロンヌ放送交響楽団&CHO コクトー(語り)、ピアース
ストラヴィンスキー:エディプス王,〇作曲家指揮フランス国営放送交響楽団 コクトー(語り)
ストラヴィンスキー:エディプス王,作曲家指揮ワシントンDCオペラソサエティ
ストラヴィンスキー:エボニー・コンチェルト,アシュケナージ指揮ベルリン放送交響楽団 D.アシュケナージ
ストラヴィンスキー:エボニー・コンチェルト,ウッディー・ハーマン ウッディー・ハーマン管弦楽団
ストラヴィンスキー:エボニー・コンチェルト,作曲家指揮ウッディー・ハーマン管弦楽団 ウッディー・ハーマン
ストラヴィンスキー:エボニー・コンチェルト,作曲家指揮コロンビアSO ベニー・グッドマン 1965
ストラヴィンスキー:オード,作曲家指揮NYP
ストラヴィンスキー:オード,作曲家指揮クリーブランド管弦楽団
ストラヴィンスキー:オード,〇作曲家指揮ソビエト国立交響楽団 ニコライエワ 1962
ストラヴィンスキー:カノン風変奏曲(原曲バッハ) ブーレーズ指揮LSO 1995/5/
ストラヴィンスキー:カンタータ,作曲家指揮コロムビア室内アンサンブル
ストラヴィンスキー:カンティクム・サクルム,作曲家指揮ロスアンゼルス祝祭SO
ストラヴィンスキー:きつねのレナード,作曲家指揮コロムビア交響楽団
ストラヴィンスキー:クラリネットのための三つの小品,○パネッラ(CL)(ensayo),,なかなかに面白い小品集なのだが、この曲は弦楽四重奏のための三つの小品のあとに収録されており、またその流れで面白く聴くことができる。演奏団体やメンバーが違うにもかかわらずこのエンサーヨのストラヴィンスキー集はパレナンに象徴される客観性と明るさ透明感が統一意識として通底しており、その範疇で過度にのめりこむことも過度に飽きることもなくすんなり聞ける。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ストラヴィンスキー:クレド(1964改訂),作曲家指揮グレッグスミス合唱団
ストラヴィンスキー:コラール変奏曲編曲(原曲バッハ),作曲家指揮CBC交響楽団
ストラヴィンスキー:コラール変奏曲編曲(原曲バッハ),作曲家指揮NDR交響楽団&CHO
ストラヴィンスキー:コラール変奏曲編曲(原曲バッハ),作曲家指揮ウェストミンスター合唱団
ストラヴィンスキー:コンスタンチン・バルモントの2つの詩,作曲家指揮アンサンブル
ストラヴィンスキー:コンスタンチン・バルモントの2つの詩,作曲家指揮コロムビア交響楽団
ストラヴィンスキー:コンチェルティーノ(弦楽四重奏版),シレジアン四重奏団(partridge)1992/4・CD,,これが原曲。管楽アンサンブルに疎い私にはこちらの方が聴きやすい。録音はアルバン・ベルク四重奏団をはじめ結構あるし、その短さと技巧性から演目の合間に取り上げられることもある。楽器の本数が少ないぶん協奏曲的なソロ楽器との対比より、アンサンブルとしての全体の組み合い方に耳がいき印象は異なってくる。最後のほうこそ新古典主義にたったストラヴィンスキーらしい骨張った娯楽面が顔を出すものの、この団体の鋭く研ぎ澄まされた音で聴く限り、1920年作品とは思えない透明感ある不協和音に支配された抽象作品に感じられる。冒頭からどうにも較べてしまうのはアイヴズの「ハロウィーン」だが(どっちがどっちをからかったのか?というような似通った律動と響き)、単に旋回し続けてクレッシェンドのすえ破壊的に終わるあちらとは違い(まあ一晩で書いた一発芸である)、兵士の物語を想起する変化ある構成の妙、ギリギリ許せる響きや律動を直角に交え、謎めいて終わるのも兵士の物語的。すなわちヴァイオリン小協奏曲的な側面はあるものの、カルテットだとそれほど際立ってこない。むしろ弦楽カルテット音楽として新鮮な作品だ。まあ、室内楽でバルトーク張りのバチバチいう低音ピチカート好きだなストラヴィンスキー。晩年のダブルカノンが続くが、あちらもまたアイヴズを思わせるのもどっちが悪いのか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ,○ロスバウド指揮南西ドイツ放送交響楽団(vibrato:CD-R)1952,,vibratoとKARNAは怪しい(表向き)頒布CD−Rレーベルで、他レーベル音源からの剽窃すら行っているらしいが(あるいは同じ音源の使いまわしか)、じっさいアリアなどのリストの下のほうにただ列挙してあるものの中には、データはきちんとしているものの、結局中身が一緒という場合も多いようだ。データ精査と盤の材質にトラックの整備(余計なナレーションのカットなど)、一種の篩にかけて「怪しくなさそうなもの」を選んでくれている、その手数料がこの高額に反映されていると言えなくもないのだが。このサーカス・ポルカも最初いきなりブツ切りで始まるようなかんじで驚くが、聴くうちに余りに音が明瞭で拍手もないことから、恐らく放送用スタジオ録音か・・・未発売正規録音の海賊盤と思われる。演奏自体はきわめて整然と切れ味よく透明感すらあり、元々の世俗的な動機は失われているものの、たとえばペトルーシュカの正規録音のように素晴らしい綺麗な演奏になっている。アンセルメを思い浮かべた。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ,ケーゲル指揮ドレスデン・フィル(HMV他)マインツ・CD,,作曲家本人の演奏のような残響が多くゆっくりした機械的なリズムをとっている録音だが、ケーゲルらしく威厳を持ち込みリズミカルな処理もうまく、まあまあの結果となっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ,ボールト指揮LPO(EMI/warner),,ストラヴィンスキーがアメリカ仕事として書いたがゆえ却って娯楽的に仕上がって楽しい小品。しかしボールトにかかると、、、最後は暴力的なまでに壮大な音楽になった。分厚い・・・,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ(ピアノ独奏版),フォルデス(P)(sony他),,「若い象のためのサーカス・ポルカ」つまり諧謔的な小品ということだ。これをピアノ独奏で聴くとちょっと軋み音が強く、管弦楽によるものがそのままの重々しく不格好な娯楽音楽という側面が弱まり、不協和音とはっきりしないリズムという印象に、ここではフォルデスが重い打音こそ素晴らしいが恣意的に、強弱や伸縮を加えていてかえってわかりにくくなっている。ピアノ曲としての問題点もあるのかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ抜粋,○ストコフスキ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1943/2/21live,,じつに生き生きした前進力のある演奏で好きだ。ただ、冒頭と途中切れている。音源由来というより音源にしたレコードの再生ミスというような感じである。物凄い派手な底からの盛り上がりで終わる。サーカスというよりもっとどでかいものを思い浮かべさせる。ストコフスキのストラヴィンスキーには疎いのでこれが他に出ていないかどうか知らないが、音質は推して知るべし。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ,作曲家指揮CBC交響楽団
ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ,作曲家指揮NYP
ストラヴィンスキー:ジャズ・アンサンブルのための前奏曲,作曲家指揮コロムビア交響楽団
ストラヴィンスキー:セレナード,作曲家(P)
ストラヴィンスキー:セレナード,作曲家(P) ドウーシュキン 1934/7/5&6
ストラヴィンスキー:セレナード,メイエール (P)
ストラヴィンスキー:ソナタ・ラグタイム,メイエール (P)
ストラヴィンスキー:ダブル・カノン,シレジアン四重奏団
ストラヴィンスキー:ダブル・カノン,クラフト指揮アンサンブル
ストラヴィンスキー:タンゴ(新版1953),作曲家指揮コロムビア交響楽団
ストラヴィンスキー:ダンス・コンチェルタンテ,作曲家指揮イタリア放送ローマ交響楽団 1955/4/28&29
ストラヴィンスキー:ダンバートン・オークス協奏曲,作曲家指揮イタリア放送ローマ交響楽団 1955/4/28&29
ストラヴィンスキー:ダンバートン・オークス協奏曲,作曲家指揮コロンビア交響楽団
ストラヴィンスキー:ダンバートン・オークス協奏曲,作曲家指揮ダンバートン・オークス管弦楽団 1948?
ストラヴィンスキー:ダンバートン・オークス協奏曲,ブール指揮ストラスブール室内管弦楽団(forgotten records他)1950年代,,録音が古びているのと、楽団のせいなのか指揮のせいか、雑味が入る。ギクシャクして軋んで聴こえる箇所が多い。リズムの複雑な箇所など楽曲起因と思われる。前衛音楽指揮でならした技巧家でこの新古典主義の楽曲の数学的な構造と白い響きに合っていると思われるが、この時点ではやや力んだ若々しさも残っていたか、演奏スタイルを使い分けるほどこなれていなかったか、ちょっと生乾きで、厳しさが徹底しない感もある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:チリム・ボム,クラフト指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:ツウェツドリキ,作曲家指揮CBC SO
ストラヴィンスキー:ディラン・トマスの想い出に,作曲家指揮NDR SO&CHO
ストラヴィンスキー:ディラン・トマスの想い出に,作曲家指揮アンサンブル
ストラヴィンスキー:ディラン・トマスの想い出に,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:ディラン・トマスの想い出に,ロスバウト指揮アンサンブル ピアース
ストラヴィンスキー:トレニ,作曲家指揮CBC SO
ストラヴィンスキー:トレニ,作曲家指揮NDR SO&CHO 21451
ストラヴィンスキー:ドビュッシーの墓銘碑,○ウルマー(P)(CONCERT HALL)LP らしくない。ストラヴィンスキーのくるくる回るような機械的な作風はまったく反映されていない。やはりサティ的だ。管楽器のための交響曲からの編曲。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:ノルウェーのムード,○作曲家指揮アンサンブル(COLUMBIA/PEARL)1945/2/5グリーグの様式に倣って書いたという筆のすさび。ラヴェルに通じる諧謔性があるが、木管をむき出しにしたりひたすらの繰り返しによる永続性の表現、変拍子的に音楽を止揚させたりするところなど決して全てが過去のロマン派民族音楽にならっているわけではない。1曲めなどは美しいが他はちょっと凡庸か。無駄の無いオーケストレーションの腕だけが際立っている。ストラヴィンスキー・アメリカ時代のオーダーメイド作品。ブロードウェイのショウのためにかかれた。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バーゼル協奏曲(弦楽のための協奏曲(ニ調)),ブール指揮ストラスブール室内管弦楽団(forgotten records他)1950年代,,室内交響曲的な迫力をもつ新古典主義のスタイルによる戦後作品。ストラヴィンスキーのマンネリズムから脱して汎世界的な聴き応えある作品に仕上げようというブールの意思を感じる。やや古めかしく曇った楽想を重心の低いリズム表現で、スピードは失わずに表現しており、ブールがマーラーなど指揮したのも頷けるドラマが内包されている。ベルクを想起する艶めかしいフレーズも出てきて、また、リズムは不規則でストラヴィンスキーそのものではあるが、小洒落た響きとあいまってオネゲルのように聴こえてくるところもある(ザッヒャーの委嘱)。三楽章はバルトークなど連想させる駆け巡るヴァイオリンは同時代性だろう、ブールはかなりまとまりよく仕上げ、この楽団がけして下手ではないことを証している。巧妙な響きの変化を小気味よく不協和なものを交えて自然な流れのうちに聴かせる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バーゼル協奏曲(弦楽のための協奏曲(ニ調)),デゾルミエール指揮ORTF(ina)1950/7/18シャンゼリゼlive・CD,,引き締まった演奏で、音も硬質、アタックが強い。薄いノイズが入り続けるのが残念。新古典時代のストラヴィンスキーらしい、殆どリズムと構造だけで出来た曲だが耳馴染みは良い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バーゼル協奏曲(弦楽のための協奏曲(ニ調)),作曲家指揮RCAビクターSO
ストラヴィンスキー:バーゼル協奏曲(弦楽のための協奏曲(ニ調)),作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「アゴン」,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(放送)1958,,これ、音質的に恐らく海賊盤か何かの良質エアチェック復刻をweb配信しているものを思われるが、音源的に聞いたことがないもので、何かご存知なら教えていただきたい。ストラヴィンスキー最後のバレエ作品で擬古典を除く自身の作風の集大成的な大きな楽曲となっている。とはいえ狐や兵士の物語以降あらわれる必要最小限の編成による作品は音の重なりより重要な音線同士の絡み合いでパッチワークされていく、即ち演奏者個々に多大な負荷がかかるのは言うまでもない。初期バレエの懐かしいエコー、アメリカ時代の交響曲の人好きするエコー、ミュンシュはそういったわかりやすさの象徴をとらえ、手堅くも聴かせる音楽作りをしているようだ。ただ、思った。ほんとにミュンシュ?同時代の演奏記録としてはDGボックスやvega原盤のロスバウトか本人によるものしかない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「アゴン」,作曲家指揮ロスアンゼルス祝祭SO
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「アゴン」,ロスバウト指揮南西ドイツ放送管弦楽団1958
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「カルタ遊び」,マデルナ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団(arkadia)1972/4/6live・CD,,ポーカーをする人々の姿を三幕のバレエ音楽に簡潔にまとめた新古典主義時代の作品で、同時期ストラヴィンスキーが時折やってみせた聴衆に媚びるような、分かりやすくて聴きやすい作品になっている。素材こそ皮肉っぽい調子だが、ここに新しいものへの志向は無く、三幕(第三ラウンド)を中心として幾つかのロマン派音楽のパロディやそれを模したような似つかわしくない書法が耳をつんざくストラヴィンスキー的な響き、リズムを和らげ、マデルナはそれでも鋭くやっているほうだが、わりとふくよかで横の流れの感じられる耳馴染み良い演奏に仕上がり、聴衆反応も良い方。オケ反応もよく変なこともしていない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「カルタ遊び」,作曲家指揮BPO
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「カルタ遊び」,作曲家指揮クリーブランド管弦楽団
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「カルタ遊び」,〇作曲家指揮バイエルン放送交響楽団
ストラヴィンスキー:バレエ組曲「カルタ遊び」,カンテルリ指揮NBC交響楽団(ASdisc)1952/12/2live,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ組曲「カルタ遊び」,カンテルリ指揮NBC交響楽団(MUSIC&ARTS)1952/12/20live〜ASdiscと同じ演奏?,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:パター・ノスター(1949改訂),作曲家指揮トロント祝祭合唱団
ストラヴィンスキー:バベル,作曲家指揮CBC SO
ストラヴィンスキー:バレエの情景,作曲家指揮CBC SO
ストラヴィンスキー:バレエの情景,作曲家指揮NYP
ストラヴィンスキー:バレエの情景,作曲家指揮フランス国営放送SO 19133 ○
ストラヴィンスキー:ハ調の交響曲,作曲家指揮CBC SO
ストラヴィンスキー:ハ調の交響曲,作曲家指揮クリーブランドO
ストラヴィンスキー:ハ調の交響曲,○ストコフスキ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R/Guild)1943/2/21live・CD,,ちょっとびっくりするライヴ録音集なわけだが、ストコフスキのストラヴィンスキー「交響曲」というのも断片的にしか知らなかったので興味を持った(DA盤は欠落あり)。しかし、やはり曲の取りまとめ方に問題があるというか、部分部分のパートは素晴らしく颯爽とした表現で技術力の高さと集中力を示しているのに、オケ全般のアンサンブルが甘いように聞こえる。ストコフスキ特有の、音色統一の無さ、ロシア風ともいうべき「雑さ」のようなものが気になる。もちろん同曲はストラヴィンスキーでも人気のある曲ではなく、中途半端な新古典主義に立っており、このようなのっぺりした演奏になってしまうのも致し方ない退屈さを孕んでいる。だが、まあ、、、曲に指揮者があわないという気がする。NBCに対して○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ハ調の交響曲抜粋,○ストコフスキ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R/GUILD)1943/2/21live・CD,同上,(DA盤について)1楽章の途中から始まり中間楽章の途中で何度も切れたり断続的な録音となっている。原盤のレコード(複数のものを繋いでいると思われる)の状態が極めて悪いらしく、音はきついなあ・・・。鄙びた懐かしい感じはまるでSPの悪い復刻を聞いているようで(良い復刻は生々しくてLPなんかよりぜんぜん明晰だったりする)、でも木管と弦楽器の音色がとても妖しく美しい。弦のポルタメントとかストラヴィンスキーとは思えない雰囲気を出している。主としてストラヴィンスキーに内在する「叙情性」に力点をおいているように思える。確かにストラヴィンスキーは演奏の仕方次第でいろいろな側面を見せる。金のためにハルサイをディズニーに売ったストラヴィンスキー、その買い主から伴奏指揮を頼まれたのがストコだったわけだが、音楽を一種崇高で宗教祭儀の一つと考えているような節のあった(だからこそ世俗音楽に嫌悪を示すこともしばしばであった)ストラヴィンスキー自身はこういう演奏は嫌うだろうけれども、逆にストラヴィンスキーを身近なものとして聴き捉える事も十分可能なのだ、世俗音楽として演奏しても実に魅力的に聞こえるのだ、と思わせるストコの手腕には敬意をはらっておくべきだろう。録音か演奏かどちらのせいかわからないが結構アバウトな感じに聞こえる演奏であり、状態からしても最高はつけられないが、古典の翻案編曲にも力を入れていたストコだけあってこの曲の新古典的側面が出たときはきっちり古典ふうのアーティキュレーションを導入している(ように私には聞こえた、3楽章。ちなみに途中で録音が切れて4楽章にいってしまう)。ストラヴィンスキー独特のパウゼはここではしっかり挿入されている(ストコは流れを分断するようなパウゼの無視などけっこうやったりするのだが)。終楽章の喧騒はストコならではのハイスピードでアンサンブルの饗宴を繰り広げる。ストラヴィンスキーの並ならぬ才能がアメリカの穏健作曲家たち・・・ピストンとか・・・追随者を大きく突き放すものであったことがよくわかる楽章である。逆にいうとストラヴィンスキーもまたワンパターンをもっていて、その範疇から出ない作品ということでもあるのだが、それは素晴らしい個性である。木管がやや単調な吹き方をしているが弦は美しい。拍手はかなりまばら。後年guildより完全版がCD化、別記した。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ハ調の交響曲,アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON)CD,,ぱっとしない。1楽章から生硬さが目立ち、オケも無機質なのに技術があまりないという印象を与える。非常にきっちりしいのリズム刻みはアンセルメらしいといえばらしいのだがこのいささか冗長でストラヴィンスキーにしてはマンネリな交響曲を聴き通させるにはもう少しの感情がほしい。三楽章の交響曲に比べれば録音はいくぶんましだがいいとは言えない。木管の不調を特に感じるが終楽章での弦の乱れはもっと気になる。うーん、最後くらい余韻もほしいし、音だけがあればいいというストラヴィンスキー美学の実践にしてもちょっと苦しいか。無印。,-----,,TITLE: ストラヴィンスキーのこと,URL: http://blog.otegami.com/stravinsky/,BLOG NAME: ストラヴィンスキーの世界,DATE: 07/16/2007 09:16:33,ストラヴィンスキーに関することなどを紹介しています。,-----,,,-----,,,-----
ストラヴィンスキー:ピアノ・ソナタ第2番,作曲家 (P-ROLL)
ストラヴィンスキー:ピアノ・ソナタ第2番(1924),○エスピノーサ(P)(ensayo),,まだノりまくってた頃のストラヴィンスキーの物凄い知能指数が感じられる曲のひとつで、アンサンブル曲ほどの物凄い計算は無いものの、旋律とリズムのかもす特有かつ汎用的な叙情性は比類ない感興をあたえるものである。ペトルーシュカからの三章もいいけど、ピアノ曲としてかかれたものはやっぱり違う。メカニカルな律動にひたすら酔うという意味ではけっこう素っ気無く乾燥した解釈のこの人のスタイルでも十分楽しめる。もっと何かプラスが欲しいし力強さや技巧の余裕からでる面白みも欲しいし、かといってピアノスコアに忠実というガチガチのスタイルでもないところがちょっとハンパな小粒な演奏にも思った。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ストラヴィンスキー:ピアノ・ソナタ第2番,○ベルグマン(P)(COL LEGNO)1963/3/6・CD ストラヴィンスキーのピアノ曲というと無限の運動性という言葉が浮かぶ。古典に立ち返ったことでその色がさらに増したようにおもう。この曲の第一曲などはまさにストラヴィンスキーの典型的作風で、私みたいな快楽派の聴衆は胸がすく思いだ。決して変化する事のないえんえんのリズムに乗ったひたすらの音符の列が、廻り車をクルクル回す二十日鼠を見ているように嗜虐的で動物的な感興をもたらす。調性はしっかり保たれているのでご安心を。二楽章は擬古典的作風でこれもストラヴィンスキーの一面をあからさまに示している。三楽章でふたたび無窮動的な音楽に立ち戻るが、いくぶん調性のあやうさも孕んでいて、一楽章よりも哲学的、悪く言えばわかりにくい。錯綜した楽想の中から飛び出るように響くときおりの高音がとてもきらめいて美しい。そう、ストラヴィンスキーとてフランスの風の中にいたのだ。これにはいくぶん六人組的な感覚がある。バーバリズムに馴れた耳にはちょっと古い世界に逆戻りしたような感覚もおぼえるかもしれないが、単純に音楽として聴き易いので、この器械のような奇怪なメロディにしばしいにしえの楽界を想像しては如何。演奏は強すぎず弱すぎず変な表情も無く突き進む、曲の本質を的確に捉えたもの。○です。案外録音の無い曲だが面白いです。ドナウエッシンゲン音楽祭75周年ボックスより。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:ピアノ・ソナタ第2番,ローゼン (P)
ストラヴィンスキー:ピアノとオーケストラのための楽章,アシュケナージ指揮ベルリン放送SO D.アシュケナージ
ストラヴィンスキー:ピアノとオーケストラのための楽章,作曲家指揮コロンビアSO ローゼン
ストラヴィンスキー:ピアノとオーケストラのための狂詩曲,アシュケナージ指揮ベルリン放送SO D.アシュケナージ
ストラヴィンスキー:ピアノとオーケストラのための狂詩曲,アンセルメ指揮コンセール・ストララムO 作曲家(P)1930/5/8-10
ストラヴィンスキー:ピアノとオーケストラのための狂詩曲,クラフト指揮CBC SO アントルモン
ストラヴィンスキー:ピアノとオーケストラのための狂詩曲,作曲家指揮ソビエト国立SO 1962 ○
ストラヴィンスキー:ピアノとオーケストラのための狂詩曲,アース(P)ロザンタール指揮ORTF(ina)1960/3/29live,,魅力的な旋律のない職人的な新古典の曲にあまり興味がないので(量産型ヒンデミットにもよくある傾向)そこを度外視すると、ソリストが平然と強いタッチで演奏しつづける一方、オケは最初からズレ気味で大味、もちろんこれがフランスオケの味でもあるのだが、律動オンリーで聴かせるストラヴィンスキーならではの部分が甘いのはどうにも座りが悪い。モニク・アースは次第に大喝采を浴びているものの演奏自体に対してということでもないだろう。短いのが救い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ピアノとオーケストラのための狂詩曲〜V,作曲家(P)マルコ指揮デンマーク放送交響楽団(DANACORD)1934/3/22LIVE録音状態が悪いのでなんとも言えないが、イマイチノリの悪い演奏である。ストラヴィンスキーのピアノ協奏曲の中ではこの曲が一番人好きする曲だと思うが、この演奏からは魅力は伝わってこない。オケのばらけ具合も含め、参考記録として置いておくべき演奏だろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:ピアノと管楽器のための協奏曲,アシュケナージ ベルリン放送SO ムストネン
ストラヴィンスキー:ピアノと管楽器のための協奏曲,作曲家指揮コロンビアSO アントルモン
ストラヴィンスキー:ピアノラグミュージック,作曲家(P)
ストラヴィンスキー:ピアノラグミュージック,作曲家(P) 1930
ストラヴィンスキー:ピアノラグミュージック,メイエール (P)
ストラヴィンスキー:ふくろうとこねこ,コロンビアSO
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネッラ」組曲,◎作曲家指揮コロンビア交響楽団(sony、CBS)1965・CD,,この頃のコロムビア響はほんとに達者。各パートのバランスがとれ音もロスフィルが母体とは思えないほどニュートラルで、明るく透明なある意味アメリカ的な一つの極みを示している。パート剥き出しの部分では音色にきつさが垣間見えるところも皆無ではないが、しかしこれだけ弾き熟していれば十分だろう。アンサンブルは機械的といえば機械的だがアクセントの付け方にストラヴィンスキー特有の「乱暴さ」が感じられ、客観的で冷めた演奏にはならない。前のめりのテンポで同曲にしてはかなり熱した演奏ではないか。それを擬古典の範疇を越えずにやってのけるのが作曲家(編曲者?)ならでは?◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネッラ」全曲,作曲家指揮クリーヴランドO サイモンス、シュニットケ
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネッラ」組曲,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネッラ」抜粋,作曲家指揮INSTRUMENTAL ENSEMBLE
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネッラ」抜粋,作曲家指揮コンセール・ストララムO
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネッラ」よりテ゛ユエット、メヌエット、フィナーレ,作曲家指揮SO 1929
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネッラ」組曲,ブーレーズ指揮LSO 1995/5/
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネッラ」組曲,マルケヴィッチ指揮フランス放送SO 1954/3/
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」,作曲家指揮SO 1928/6/27&28
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版),作曲家指揮コロムビア交響楽団(sony/columbia)1969・CD,,イメージのように四角四面でもなくこなれていて、軋みは僅か。リズム感とそれと違和感のない旋律表現が出色。このオケだからこそ変な色もつかないが、まだ往年のアメリカオケのヨーロッパ的な意気というか艶というか、そういうものが残っていてとても耳なじみよい。もちろん主情的な演奏にあるようなものは「ない」し、全曲は長いので飽きる向きもあるかもしれないものの、構造や響きに重点をおいて聴くと、ドビュッシーの驚嘆した理由がわかる。スケスケではないが透明度の高い演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」1911年版による組曲,○作曲家指揮コロンビア交響楽団(sony、CBS)1960/2・CD,,ストラヴィンスキーはこの年に全曲と組曲の二回録音しており、版が違うとはいえそれは曲の選び方の違い程度のもので、これも1911年版によるということになっているが、組曲に編む行為を改版とみなすならば1960年版とでもされていておかしくはない。正直大局的な違いは無い。あるはずの曲が無いなどの違和感のみである。組曲といっても音のいい迫力ある録音で聞き応えは充分だ。明るく透明なオケがピアノなどのきらびやかな音を爽やかに引き立てる。作曲家指揮者としては余りいい評判が聞かれない人のように思うが、結果この迫力で「踊れる正確さ」を提示してこられると何故なのか、指揮の上手さとはそも何なのかわからなくなる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」抜粋,作曲家指揮モスクワ・フィル 1962 ○
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」よりロシアの踊り,同上?,○作曲家指揮モスクワ・フィル(MSC)1962/10/8・CD,,恐らく訪ソ時ライヴの再発。さすがというべきか、なんでこの人の自作自演が貶められるのかさっぱり理解できないのだが、血湧き肉踊る瞬発力のある演奏である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)〜4つの抜粋,作曲家指揮NHK交響楽団(KING,NHK)1959/5/3日比谷公会堂LIVE・CD,,これは完全初出となる。同CDはこれまでバラバラに出ていた来日公演記録音源をまとめたうえで初出音源を加え、公演プログラム再現(三回全て同じこの組み合わせ(うぐいすの歌、火の鳥組曲、花火、ペトルーシュカ抜粋)だったそう)としてまとめている。ペトルーシュカは簡素化された、面白いというより純音楽としての魅力を強調した新しい版に、現場に即してさらに手を加えているという。いきなり「手品師の芸」から始まるのもシニカルというか、「ロシアの踊り」「ペトルーシュカの部屋」「謝肉祭の日の夕方」と続くにつれペトルーシュカの「当初の」魅力が浮いてくるのだが、演奏も終曲前まで事故が目立つ。これが奏者の問題とも言えないのはライナーにもあるとおり、つい即興的なドライヴをかけてしまう、ポリシーと矛盾したストラヴィンスキーの棒のせいでもあるのだろうが、もともとスローなインテンポで楽器の重なり響きをより純粋に原意に沿った正しいものに整えていくうえで、和音の強調がリズムの強調となり、またN響そのものもドイツ的な重心の低さをまだ持っていたからだろう、色彩はロシアより明るいフランスふうのものをよく出してはいるが、それでも鈍重さを感じさせるところがある。偶然にその重さがストラヴィンスキーの指揮スタイルをより克明にさせているとも言える。音は良いので、管の事故の連発が目立ちまくっているのはいただけないが、黛敏郎、岩城宏之氏の参加したパーカスはいけており、弦楽器はよくつけており、面白いものには仕上がっていると思う。観客は冷静な拍手。クラフトの下振り、ゲネ本のみストラヴィンスキーといういつものやり方だそうで、譜読み段階では岩城宏之氏がやったとのこと。黛敏郎氏も岩城宏之氏もそしてクラフト氏すら、彼岸の人となってしまった。クラフト氏の回想録でストラヴィンスキーがこのとき日本の演芸に触れ専ら音要素だけ評価したようなことが書いてあったか。そのとき同行したのが、兼高かおる氏だったか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(編曲),作曲家指揮NYP 1940/4/
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」よりロシアの踊り,作曲家(P) ドウーシュキン
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」モントゥ指揮BPO(TOE他)1960/10/7live,,冒頭からリズムが切れず鈍重で、細かい動きはバラけ、曲に対する理解なのか慣れなのか、そのあたりが不足している感は否めない。反応が悪くソロ楽器も吹きこなせていない箇所がみられ、装飾的な音符はぐちゃっとしてしまい、重心の低い単調な響きへの志向が特有の軽やかさや不可思議さを損ない、数字で整えたようなリズムで前進力もイマイチ。踊る音楽ではまず無い。終演後も戸惑い気味の拍手なのはそもそもこの曲に馴染みが無いせいもあるのか。ストラヴィンスキーがいかに特殊なことをやっているかはわかる。。曲をベルリン・フィル側に寄せたような演奏。だいぶ後半になると板についてくるし、音圧は凄い。モノラルであまりよくない録音。1947年版全曲。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版),○モントゥ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(フランス国立放送管弦楽団)(ina/DISQUES MONTAIGNE/MUSIC&ARTS)1958/5/8LIVE・CD,,正月三日の恒例行事であったロシア音楽マニアのかたとの新年会が、一昨年初頭の大病をさかいになくなった。,,戦後ロシア系音楽・演奏受容史の生き字引のようなかたで、かつては伝説的指揮者や演奏家にせっした生のお話に胸躍らせ、貴重な生録音源に想像力をかきたてられたものだが、15年一昔というか、やはり現在の音楽を愛し過去に拘泥しないスタンスだからこそああいった生々しい話をつたえることができたのだろう、ここ数年は「現在進行形」のクラシック音楽業界と周辺分野の話に終始し、お酒もあまり召し上がらなくなったせいか正直「あまり胸が躍らない」ようになっていた。,,おそらく本をかかれるであろうし、知られざる逸話についてはそれを待つしかない。国内レーベルに音源提供したものの業界自体の不振のため頓挫したプロジェクトも多いようである。,,昨年はそれでもこの会の求心力となっていた男が積極的に動いて開催を促したようであるが立ち消えとなり、今年はついぞその動きすらとられなかった。その男は紹介だけするから聞きたい話などがあればあとは自分で聞けというスタンスで、大学のころに声をかけてきたのがきっかけなのだが、この男とは小学校の頃からの腐れ縁であり、絡めずして余り知らない人(元から「無縁であったわけではない」かたなのではあるが)と直接会うことには躊躇があった。何より積極的にマニアな話を聞くほど(当時は)「聴く事に対するマニア」ではなかったから、そういうことはしなかった。練習場所提供をお願いしようとしていたこともあるが、組んでいたカルテットが文字通り四散してしまった10年前からはその必要も無くなった。,,時間の流れとはそういうもの、だからこそ今の縁に精魂かたむけ、過去は過去として思い出に封じるようにしていかないと、いつまでも引きずるだけでは心がやつれる。既に私は独自の「聴く事に対するマニア」の道をひき始めている。,,モントゥの初演したペトルーシュカの録音には結構数がある。しかし最近M&Aが二巻のCDで東西ライヴ音源をほぼ完全にボックス集成してしまったので、過去のプレミア音源には余り価値が認められなくなったようである。これもそのひとつだ。しかしDMのものは分厚いブックレットこそ貴重であり、モントゥの写真がそれほど手に入らない現在、たとえばミヨー夫妻との写真やサン・サンとのきわめて古い共演写真(驚くほど顔つきが変わっていない)、既に結構な年同士であったころのストコフスキとの握手、それに若きストラヴィンスキーとの写真など楽しめる。ただ、全編フランス語なので抵抗のある人もいるかもしれないが。,,録音はやや弛緩した様子から始まる。あまり温まっていないようにも感じる。DMのフランス放送音源は録音がソリッドでクリアすぎるせいか、音符の間に空気の通るようなスカスカ感がありそのせいで客観的で弛緩した印象を受けることもある(アンゲルブレシュトのものがいい例だと思う)。演奏が進むにつれ流麗な場面転換と舵取りの巧さがききとれはするものの、どこか落ち着いてしまったような感じは否めない。劇伴音楽としてはたぶん素晴らしい解釈になるのだろうが、演奏会様式としてはもう少し「踊りを無視した強い流れ」が欲しい気もする。モントゥも押せ押せのイメージがある一方でスコアの読みは入念で忠実な再現にも力を注いでおりミュンシュのような千両役者を気取ったごちゃっとしたゴリ押し演奏はしない(ミュンシュも好きだけど)。クリュイタンスほど明晰ではないがこれも立体的によく「聞こえてくる」演奏ではあり、録音のよさは特筆すべきだろう。47年版もカットが問題になるが、冒頭が略されないだけで私は満足。○。Amazonデジタル配信あり。,-----,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911原典版),○モントゥ指揮BPO(TESTAMENT)1960/10/6、7放送live・CD,,危惧していたが・・・。作曲家が若いころ愚鈍としたこの指揮者、まさにそのままの冒頭からひとくさり。オケのせいもあるだろう。だが初曲よりしばらくたつと慣れてきたのかドイツオケの迫力がモントゥのバレエ指揮者としての強靭な持ち味とあいまって、ズレがちだった縦も何とかなり、ロシア舞踊では依然ノリや精度に問題はあるものの愚直なまでにリズムを揃えようという意識が感じられ、なんとか許容範囲内に収まる。いやこのリズム感は無いなあと思うのだが(ポリリズムという点を鑑みても)レストアの良さもあって響きは面白い。フルートあたりは上手いし、ブラスはイマイチだが味はある。でも全般として褒められた出来だろうか?出来のいい場面と悪い場面の差がありすぎだ。細かい事故を論ったらきりがない。対して弦は強靭だ。しかしまあ、よく考えたらモントゥのペトルーシュカには多かれ少なかれそういう側面はあったなあと。弱音部のリリシズムはいい。人形が死んで、パラパラと拍手が入ってきて、この曲自体へのベルリンの理解がそもそも無かったのかなあと想像した。BPにこんな色彩感を出させたのは評価できよう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」,モントゥ指揮ボストンSO
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)組曲抜粋,ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(SLS/ODEON)1928/11/23、1929/1/17,,SP原盤は稀に中古市場に出るが、SP復刻から出発したSLSのCD-Rによる待望の復刻だ。針音を残しているものの原盤状態を考慮するとコアとなる録音部分を最大限聴こえるようにしている。一般には向かないしリリカルな曲に必要な透明感も音色もへったくれもない堅いノイジーな音だが資料として意味はあろう(むかしピエルネこそペトルーシュカの初演にして初録音者と読んだがそうではない)。「ロシアの踊り」から始まる八曲15分前後、ほぼ俯瞰的に聴けるが、冒頭ロシアの踊りの四角四面でヘタクソなリズム取りは当時のモントゥーもかくやと思わせ、ピエルネ自身も現代曲を好む一方メカニカルな構造に棒がついていかない録音もままあったから、これは予想の範囲内だ。オケも同様で個別の楽器は美しく弾けているのに、セクション同士が衝突するようなギクシャクもある。ピアノが冴えていて聴かせるが、そのテクニックに劣らず絡む木管などのソロも雰囲気よく、室内楽的編成なら問題はないようである。後半になるに連れこなれてきて、聴きやすくなってくる。参考には良い演奏。組曲2番もある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」組曲第2番(1925),ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(SLS/ODEON)1929/12/16,,マーチ、ワルツ、ポルカ、ギャロップの4曲からなるもので抜粋版とは別録。演奏はよりこなれている気がする。録音場所も違うそうだが、自然に聞けてしまう分、曲の魅力の薄さもあいまってあまり印象には残らない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」全曲,○グーセンス指揮LPO(Ades),,ハデハデのステレオ録音でグーセンスも毒々しいくらいに色彩的な迫力をもって煽ってくるから、クラシック的というよりポップス的な感覚で楽しめる。ただ、基本的にグーセンスは派手な管弦楽処理を行うものの解釈自体は実直で、揺れず生硬なテンポを維持していく「縦の指揮者」の側面が強く、面白さは純粋に録音のよさに起因しているだけなのかもしれない、などとも思う。始終うるさい演奏ではあるので、周囲に気をつけましょう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」組曲,グーセンス指揮ロイヤルアルバートホール管弦楽団(HMV,victor)1923/11,1924/1世界初録音・SP,,グーセンスはこの時期節操ないくらい幅のある録音を残していて、ほとんどがwebで聴けるが、いずれも「楽曲を録音した」という事実以上の価値は感じられない。仕方のないことだが編成は小さく、技術的にも素朴なものだ。同時期に録音に意欲的だったストコフスキとくらべ落差は否めないが、後年の活躍もあって人気はあるようである。ペトルーシュカ組曲初録音が初演のピエルネではなかったのは意外だったが(1927年に録音されたSPもある)、ピエルネがフランスODEONに録音しまくった時期はもっと下る。こういうものはやはりイギリスが真っ先にやったということだろう。ロイヤルアルバートホール管弦楽団というのもエルガー自作自演で知られる名前で、技術的にどうこういうほど録音が無く、かつ録音用に編成を絞ったこの時期のものしか無いから、何とも言えない。この演奏冒頭ではあんまりにもバラバラなさまにガックリする。だがしかし、何故か部分部分によって出来が極端に違ってくる。弦楽器があんまりにもメロメロな音色でノンヴィヴなメロディを奏でる一方、ポリトナルに重なる別の声部がじつにしっかりしていたり、あるいはポリリズムが現れる場面では全くバラけた感じが無かったり、上手いんだか下手なんだかわからない。グーセンスはかなり後に派手なペトルーシュカを録音しており、ストラヴィンスキーの管弦楽の特色を活かしたその色彩感の萌芽は現れていると思う。部分的にはオススメの録音。部分的にはまるでだめ。機会があればどうぞ。もちろん編成が絞られていてまるで兵士の物語のような軽音楽的に響く打楽器など、同曲の録音としてはおおいに難あり。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」よりペトルーシュカの部屋,クーセヴィツキー指揮ボストンSO 1928/11.12
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」組曲,クーセヴィツキー指揮ボストンSO 1928/11.12
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1910ー11/46-47)〜組曲(抜粋),○クーセヴィツキー指揮ニューヨーク・フィル(CALA)1947/11/17悪い録音のせいであまり言われないのだが、クーセヴィツキーはとても色彩的な指揮者である。このような色とりどりの曲を振らせるととても華やかな演奏を繰り広げる。大きなスピーカーで聞いたらけっこうノれるとみた。今は真夜中なので大きな音は出せないが、話しの筋を考えずに純粋に音楽だけ聴いていても楽しい。たぶんストラヴィンスキーの作品中もっとも人好きする作品で、ドビュッシーらは図抜けた傑作と賞賛したそうだが、たしかに3大バレエの中ではもっとも軽やかで(筋書きは悲惨だが)幸福感に満ちた感じがする。「ハルサイ」もいいけど、いいソリストがいるのならペトルーシュカを演奏してほしいもんだ(どこに?←自分ツッコミ)。この組曲はむしろ抜粋と呼んだ方がいいのかな?古い演奏ですが面白いですよ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)〜2つの抜粋,ドゥフォセ指揮セルゲイ・ディアギレフ・ロシア・バレエ管弦楽団(EDISON BELL/MCR)1927/6前半・CD,,モスクワ音楽院レーベルからは驚くような音源が出てくることがあるが、これはセルゲイ・ディアギレフ・ロシア・バレエ団と銘打った1916-1930年のセッション音源を集めたオムニバスであり、後半三曲は直接ロシア・バレエ団と関わりはないものの、アンセルメが1916年に録れたシューマン「謝肉祭(編曲抜粋)」とドゥフォッセのこれは正真正銘ロシア・バレエ団のオーケストラを、団で活躍した指揮者が振ったものとして重要である。謝肉祭はニューヨークにおいてcolumbiaに録音されたもので、danteの板起こしCDがあった。即ちこの有名な9分弱のトラックのみが、エジソン・ベルのSPを起こした初CD化音源として貴重と言える。…とはいえ、演奏はへっぽこ。鄙びた感じはSP期には珍しくない、おそらく録音技術的な問題(録音用編成の問題もあるか)のものと思われるが、グズグズなのはこの時代のものとしても興を削がれる。複雑なリズムを誇るストラヴィンスキーにありがちなしゃっちょこばったところは意外と無い。抜粋は第一部冒頭からの情景と、「ロシアの踊り」からその後すこしまでがコンパクトにまとめられていて、ペトルーシュカの代表的なリズミカルな旋律(借用旋律?)を楽しめるのでこれはこれで良いと思う。ドゥフォセはフォーレ門下の作曲家でもあり編曲などでその名が出てくることもあるが、何を置いてもディアギレフのお気に入り指揮者であり、ピットで振っていたことを考えれば、ピットで演奏される精度を考えれば、よりリアルな記録と考えられなくもない。もっとも初演はモントゥーであり、代表的な初期録音といえばピエルネであるが(後者誰かCD復刻してくれ…)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」,○アンセルメ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1951/12/21live,,録音が悪く、アンセルメらしさというか前に向かわない、弱い縦ノリといった感じの音楽がしばらく続き、魅力的にきこえない。場面転換もいまひとつピンとこない。だがこれはオケのノリ一つだったのだろう、ボストンの腕ききのソリストがムラはありつつ芸を発揮し続け流れを形成していくと、次の合奏部においてはもうモントゥやミュンシュのボストンの音。分厚く、前進力を内包し、適宜アンセルメの煽り一つで溌剌とした表現をみせる。しまいにはアンセルメと思えないほど強い意志的な流れが出来、いきなり切り落とされ終わる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)〜第1場謝肉祭の市場、第4場謝肉祭の市場<夕方>,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(RCA)1940/12/21LIVE・CD,,録音は貧弱だがトスカニーニがまだまだ壮年の勢いを保っていた時期でもありリズミカルな演奏ぶりがよく伝わってくる。冒頭から抜粋で9曲、断ち切れるように終わるのでもっと聴きたい!と思う。トスカニーニとしては引き締めが足りないと思う向きもあるか。○。RCA盤には日付表記が無いものもあるが同じと思われる。そちらは録音がいいとのこと。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」〜ロシアの踊り、御者の踊り,○ドワイヤン(P)ガストン・プーレ指揮パリ・プーレ管弦楽団(decca)SP,,色彩的で派手な演奏だが昔風のてんめんとした、少しルーズな感すらする部分もあるのが父プーレらしい。ロシアの踊りはリズミカルでスピードもあり聴き応えがあるが、ブツ切れで終わる御者の踊りはテンポが落ち着き過ぎていて歯がゆい。短いのでこんなところか。ドワイヤンがソリストを演じているのが意外なところ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」より4つの情景,コンドラシン指揮ACO 1973
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」,マルケヴィッチ指揮フィルハーモニアO 1954/4/
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1910ー11/46-47)〜組曲(抜粋),マルコ指揮デンマーク放送交響楽団(DANACORD)1933/3/9LIVE・LP無骨でたどたどしさすら感じる演奏。モントゥらパリ流儀とは異質のロシア臭い演奏だが、まだまだ若輩のマルコはけっして巧いとは言えない。録音も悪い。無印,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」,○コーツ指揮ロンドン交響楽団(HMV/PASC)1927/10/19、24、1928/1/5、2/15・SP,,pristine他からweb配信されておりそれぞれのレストアでノイズが除去されているが、電気録音時代のロシア音楽と銘打ったこの仮想アルバムの音源はさすがにどれも聞きづらい。録音のせいだけではなく、オケはメロメロ、指揮は一方的に音楽を押し付け、縦がずれても音揃わなくても構わない、ポルタメントは不規則に入る、、、出来不出来もすごい。この曲は指揮者が得意とした同時代音楽、かつ作曲家と同門(リムスキー・コルサコフ門下生)ということもあってロシア特有の色彩性を引き出すわざには長けているようで、このボロボロな音源でも噎せ返るような管弦楽の華やかさが伝わってくる。但し、前記のとおりメロメロな演奏であり、フルートを除けば全員解雇したい。グズグズである。ぜひ細部の聴き取れないスピーカーで遠くで聞いてほしい。第一印象は押しの強いわくわくするような演奏、というものだったので○はつけておく。何度も聴くとアラは見えてくるものだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」,スヴェトラーノフ指揮フランス放送フィル?(warner)1999/3/20パリ、サラ・プレイエルLIVE・CD,,以前CLASSICALRECORDSから出ていたロシア国立SO名義のものと同じ。こちらのほうが生々しくリアルで補正もないが、なおさら白スヴェトラ全開な感じがあからさまで、余りに引いて落ち着きすぎ、音も透明すぎる。このへんはCR盤のほうに書いた印象とまったく同じ。ただ清澄な空気感と透徹したまなざしは晩年の指揮者の悟り切った心境をうかがわせ、ペトルーシュカのグロテスクな雰囲気をなくして聞きやすくしている。きわめて繊細な響きは弱音の鬼と化した客演指揮者時代を象徴するものだ。だぶって持つ必要はまったくないが、迷っているならCRよりこちらのほうがいい。春祭は既出メロディア録音の流用。つまりどちらも既に出ているものだったわけで(そのためか一部店舗は入荷を見合わせたようだ)、前情報にまどわされることのあほらしさを感じさせる(笑)実在するならブームのときにとっくに出てるって、秘蔵録音。この時期ならフランスもロシアもソリストほかいずれ個性がなくなっているのでオケにかんする確定的なことは言えないが、奏法はともかく楽器の音と表現からフランスオケというこちらの表記が正しいだろう。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,TITLE: ペトルーシュカのこと,URL: http://blog.otegami.com/stravinsky/archives/2007/07/post.html,BLOG NAME: ストラヴィンスキーの世界,DATE: 07/16/2007 09:44:56,ペトルーシュカに関することなどを紹介しています。,-----,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1910ー11/46-47),○スヴェトラーノフ指揮国立交響楽団(CLASSICAL RECORDS)CD悠揚たる遅いテンポ(とくに4幕後半の雄大さ!)、角のとれた弦の響き、ブラスの抑制の効いた地力のある発音からして恐らく最晩年の演奏ではないだろうか。ピアノと高音打楽器・木管ソロのアンサンブルに象徴される夢幻的な音楽と、奇怪な民話風物語をなぞるような唐突で奇矯なフレーズが交錯する音楽、テンポの遅さゆえに前者の描きかたが今一つしまらない気もするが、透明感があって非常にキレイな響きではある。後者は振る人によっては嫌悪感を感じさせるが、スヴェトラーノフの爽快な解釈は決して暗くどろどろしたところにハマらない。それが正解なのか不正解なのか意見の別れるところだろうが、漂白剤でシミ抜きされたような演奏ぶりにはひとつの解釈表現として突き抜けたものを感じる。前半で聞かれる同時進行するふたつの旋律のポリリズム的絡み合いなどもやや危なっかしさは残るが非常にきちんと整えようとした痕跡があり特記できる。これは完全に分裂したふたつの動きであり、そこに整合を求めるのはそもそもおかしい、といわれれば確かにそのとおりで、下手にアンサンブルを整えようとする必要はなく、アイヴズのように左手と右手で違うリズムの違う旋律を振り分けるような小技が必要なのかもしれないが、スヴェトラーノフはそんな前衛的なものとは無縁のロマンティストである、これでいいのだろう。録音のせいかやや音が浅く高音域に広がりがちで、それもスヴェトラーノフの「白い解釈」の支えのひとつとなっていて特記できる。とにかく1幕で飽きては駄目。4幕でスケールでかく展開されるスヴェトラワールドまで待ちなさい。ストラヴィンスキーが半音階的な濁った妖しいフレーズを混ぜているところなど、思いっきりスクリアビン的に表現している所も面白かった。そうか、ここにもスクリアビンの痕跡があったのだな。いろいろ言いましたが○。ほんとは無印かな、と思うところもあるのだが(遅すぎてバレエにならないのでは・・?)キレイなところはほんとキレイなので○にしておきます。併録のハルサイのダイナミックな演奏とは対極で有る事は確かだ(こちらはスクリベンダムやメロディアと同じ録音)。録音状態はやや拡散気味だがかなり良好。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1910ー11/46-47),○シェルヒェン指揮ロイヤル・フィル(westminster)1954/9 1911年版。シェルヒェンらしく速くギシギシした演奏で複雑な所は雑然としているし細部がおろそかだが、それを押してまで聴かせる何か強い力のようなものを感じる。シェルヒェンのエキセントリックな指揮ぶりはペトルーシュカの音楽をアクの強いハルサイ並みの前衛音楽に脱皮させており面白い。ペトルーシュカのリリシズムを楽しむ向きには若干物足りないかもしれない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1910ー11/46-47),○フリッチャイ指揮ベルリンRIAS交響楽団(DG)1953/4/19,21 1947年版。これはきらびやか。喜びに満ち溢れた演奏で、聴いているものが踊りだしてしまいそうだ。ペトルーシュカという話しは絶望的な皮肉に溢れたものだが、この演奏は、しあわせ、という感じ。近現代音楽の演奏にかけては素晴らしく切れの良いところを見せるフリッチャイ、その技術の確かさも感じるが、とても共感をもって演奏しているのが伝わってくる。モノラルだが、綺麗だ。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1910ー11/46-47),◎ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(russian disc)1964/10/24live・CD 録音は共にモノラルだが、音の力感でいえば圧倒的に後者のほうがいい。前者は痩せすぎというか、やはり録音が古い。ちなみにこちらだけ1911年版と書いてあるがたぶん後者も同じ。後者とはいえ録音は安定せず茫洋感もあるのだが、ここぞというところでバシバシ決まるアンサンブルがしっかり聞こえてきて素晴らしくかっこいい。ポリリズム風の場面でイマイチ雑然感のある前者に対して後者はしっかり組み合って(ポリリズムで「組み合って」というのもおかしな言い方だが)聞こえてきて安定感がある。シャープでスリリングなアンサンブルは後者でより楽しむ事ができるだろう。ムラヴィンスキーの意外と洒落た横顔を彷彿とさせる演奏記録です。後者のみ◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1910ー11/46-47),同上?,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル1946
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1910ー11/46-47),ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(multisonic)1946・CD russian disc盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1910ー11/46-47),○ルドルフ・アルベルト指揮Cent Soli管弦楽団、Y.ロリオ(P)(LE CLUB FRANCAIS DU DISQUE)LP ちょっと固い。響きはじつに透徹していて素晴らしく、きわめて色彩的だが清々しい。この時代(モノラル)の演奏にしては実によく交通整理されており、スコアが透けて見えるようだ。ポリリズムのところなんて目からウロコが落ちた、いや耳からか。誰、耳糞なんて言ったのは!?とにかくこれが無名盤とは思えない充実した演奏ぶりで、3大バレエ演奏の中では一番落ちるかもしれないが、それでも凡百の演奏とは隔絶した完成度を表している。パワーにやや欠けるのが弱みといえば弱みだが、そのぶん響きが美しく磨き上げられ硝子細工のシャンデリアような繊細さがあって独特だ。音色は適度にフランス的だが音のまとめかたはちょっとドイツ的な構築性を感じる。でもバランスがいいので違和感はない。編集もしくは音量操作がけっこう粗雑に施されており録音の悪さを含め決して最上級の評価はできないが、この曲を好きな人は機会があればぜひどうぞ。ロリオのピアノも美しい。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1910ー11/46-47),イワーノフ指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA)LP 最初はだらけた膨張しがちな演奏だなあ、と思ったが、曲が進むにつれ音にシャープさが加わり色彩的な指揮ぶりを含めそれなりに聴ける演奏になってゆく。ロシア色濃厚なオケではあるが、それほど鼻につかない。ペットなど管楽がやたらと強靭であるほかはスヴェトラーノフのような変な突出も奏法も出てこないから、ああいう演奏が好きな人はちょっと物足りないかもしれない。無印。ステレオ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1910ー11/46-47),クレンペラー指揮ニュー・フィル(TESTAMENT/EMI)1947年版。最初各声部の戸惑うような粗雑さ、テンポのあまりのぎくしゃくぶりに買った事を後悔したが、後半になるとなかなかノってくる。ライヴでもないのに珍しいが、テンポも焦点が定まりすこぶる安定してくるし、いびつな響きもしっかり整えられてくるし(この「いびつさ」は楽曲自体にも問題があるのかもしれない)、音の総体の迫力が違ってくる。クレンペラーらしい偉大な響きが体を揺さぶる。モザイク状にちりばめられた音のひとつひとつが強く主張しあっていて、結果異様な迫力のある音響が生まれている。これはペトルーシュカではないかもしれないが、20世紀音楽の紛れも無い一つの姿を示した演奏である。ストラヴィンスキー自作自演に似てないこともない。あまりに純粋音楽を志向していてこの曲のリリカルな魅力が立ってこないのが不満だったので無印。でもクレンペラーにそれを求めるのが間違っているんだよな。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」,◎ロスバウト指揮ACO(PHILIPS)1962/7・CD,,1947年版はあんまり好きではないのだが、目下現役盤でいちばん聴き易くクセのない、しっかりした演奏としてはこれしか思い浮かばない。ローカリズムやナショナリズム、「伝統」や「慣習」「作曲家との縁」「作曲家そのもの」そして「ディレッタント的見地」のいずれからも開放された純粋なストラヴィンスキー初期楽曲の面白さを、音楽として、しかもロスバウトとしては異例なほどに美しく面白くリズミカルに聞くことができる。立派過ぎるくらいのコンセルトヘボウの響きもきちっと求心力をもってまとめられておりバレエ音楽という面に拘ることもなく、かといって踊りの音楽としてリズム処理にいささかの陰りも無い。ロスバウトでは一二を争う高音質の演奏ともいえる。現代曲に拘らなければもっと名を残せた技巧派だというのは誰しも認めるところだと思うがバーデン・バーデンの放送局では神のように祭られる人、跡をつぐブールすら霞んでしまう存在感だったことをいまさらこの演奏を聴きながら、楽しんで思った。文句なし、◎。DAの放送音源はこれのエアチェック。,-----,,TITLE: ストラヴィンスキー バレエ「ペトルーシュカ」をバレエのDVDで見る,URL: http://classic.dip.jp/2006/11/dvd_1.html,BLOG NAME: クラシック音楽逸品館(CD,DVDの名盤,スコア,関連書籍),DATE: 02/27/2007 13:32:17,春の祭典につづき、次はペトルーシュカです。ペトルーシュカはM・フォーキンが振り付けをしました。ニジンスキーのような革新的な振り付けではなく、またチャイコフスキーのバレエのような普通の振り付けでもありません。各地方の舞踊を織り交ぜた振り付けです。特にロシ...,-----,,,-----
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版),○エサ・ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団(放送)2011/8/17プロムスlive,,目の醒めるような煌びやかさとコンサート形式での「作法」のようなものがしっかり踏まれている、というところに惹かれた。純粋に音楽としてストラヴィンスキーの特異性とは何だったのか、透過的に見通すことができるとともに、これはオケの力もあるかと思うが、けして冷徹で客観的にもならず適度に柔らかく演奏しているところにも惹かれた。技術に殆ど瑕疵なし。現代でこういう演奏が聞けることに感銘。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」1947年版,○ロヴィツキ指揮ワルシャワ・フィル(lys他)1960-67・CD

美しいのだがどこか生硬で、客観的に整えたような感じが否めない。とくに前半だ(切り貼り録音のようだが)。復刻状態にもよるのだろうが冒頭からしばらく音量的に平板でどのパートもただ自分の役割を硬く守っているだけのような感じがし、この指揮者らしくない。技術的な理由がありそうだ。曲半ばにはソロ楽器を中心としてだんだんそれらしさが加わり、繊細な響きが明確に再現される。シマノフスキ的な高精細の怜悧さが美しい。だが、やはりどうも、盛り上がりどころで節度を守りすぎている。テンポは前に向かわずドイツ的な縦を守る表現に終始する。もちろんこのリズムの作曲家にはそのやり方は正しいのかもしれないけれど、もっと弾けるような野卑た躍動感がほしかった。綺麗なんだけど、爆発的なところとか、感情を揺り動かすまでに心にリーチする迫力がない。強音の出だしのアタックでことごとくアクセントが弱く、上品すぎるかな。ソロピアノのリズム処理は少しずらしライヴ性を持ち込んで、他にも音量的に他を凌駕するバランスでかっこよく、例外的によかった。もともと協奏曲的に扱われるピアノが引き立った演奏は締まっていい。最後は一応盛り上がるが、どうも前へ向かわないのは一緒。楽想変化の描き分けもイマイチだが、響きは美しいので○にはしておく。

,,<ペトルーシュカについて>,"このグロテスクだが美しいポリトナリティに貫かれた三大バレエの真ん中の曲、ストラヴィンスキーの曲中でもひときわ自身による編曲や演奏者による変更が加えられたものとして知られややこしい。サマリーはwikiでわかるが、主として4管の初演期の1911年版(厳密には初演版とも違うらしい)と一般的な派手で新古典的な3管の1947年版がある。特に同時代の指揮者による細かい変更は知られており、初演者モントゥやアンセルメなどそれぞれの見識で組み合わせや部分的に「版」(恐らく改変ではなく作曲家も絡んだ演奏上のものである可能性が高いので版としておく)を変えている。またひとつの方法だけを堅持したわけでもなくオケの編成上の問題やバレエ伴奏上の事情などでそのつど変えたり録音でだけ変えたりということもしばしばあった。これは現在も同様である。組曲版でも曲順曲選にかなりの変更が加わっている。この演奏は組曲とされている場合があるが全曲だったのでそう書いておく。","
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカ
モントゥー(ピエール)
ユニバーサル ミュージック クラシック

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",これはハルサイも入った初録音スタジオ盤。ストラヴィンスキーも言っているとおり初演をまかされたとはいえ不器用さの指摘されるモントゥだが、要求されるままつとに演奏してきたために現在ライヴ録音が非常に多く出回っている。しかし考証的興味から仔細を比べる楽しみはあるとはいえ演奏的にはおのおのにそれほど強く個性を訴えるたぐいのものはなく、ひとつの録音で楽しめば十分である。ニジンスキー主演のパリ初演を思い浮かべながら聞きましょう。この時代の人の作品はやはり、いい録音でどうぞ。,"
フランク:交響曲二短調
モントゥー(ピエール)
BMG JAPAN

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ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」より3つの舞曲,チェリビダッケ指揮ORTF(ina配信)1974/2/6live,,固い。その点は自作自演に似ている。表現がガッシリしているぶん音の迫力は凄いが、抒情味は無く、録音はステレオだが雑味が気になるところもあり楽しめなかった。もとより楽しませようとしていないのだろう。客席はブラヴォだが僅かブーイングも聞こえるさまが、延々と収録されている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」〜ロシアの踊り(ピアノ編曲),コルトー(P)(gramophone/marston)1927/12/6・CD,,硬直したテンポ、激しいミスタッチ、コルトーだから後者は仕方がないが幻想を生むにはすこし曲馴染みが薄すぎたようだ。弱音での高音アルペジオには美質があらわれているが、強い音が尽くバランス悪く、ミスまみれ。まさに同時代の録音であり、しかも未発売つまりお蔵になった音源。クリアに復刻されたのはよかったが、こんなものか。このために高い二枚組を買うのはやめておきましょう。自分みたいに。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの三つの楽章,ルービンシュタイン(P)(Ariola他)1961カーネギーホールlive・CD,,依属者唯一の記録とされる。作曲家に超絶技巧曲を要求してその想定レベルを遥かに超える編曲を返され、数年は演奏するも年齢を重ねてから取り上げることはほとんどなかった。そんな70代のリサイタルでの貴重な記録。やはり冒頭から難度の高い一曲目では指のブレ、打鍵の衰え(なのかもともとこういう発音の仕方なのか)、リズムの狂いにより精度をかなり落としてしまって非常に聴きづらい。一方でこの曲には作曲家が言うようなメカニカルなものだけが存在するのではなく、依然抒情が存在すると論議をかけたという伝説を裏付けるが如く、意図して取り出し弾き直すかのようにペトルーシュカ原曲にあるリリカルなフレーズやドビュッシー的な響き、あるいはヴィニェスが得意としたような、つまりルビンシュタイン自身が同じリサイタルで取り上げた南欧の曲のような美観を繊細なさざめきのようなトレモロや極端に柔らかいタッチで感情的に織り交ぜていき、二曲目ではとくに素晴らしく美しい音色世界を、けしてスピードを落とすではなく(大体ヴィルトゥオーゾピアニストがノンミスでリサイタルをやり通すこと自体むずかしいわけでルービンシュタインが曲や時期によりいいかげんという話もどうかと思うし(ギレリスの遅くて端折った演奏はじゃあどうなんだという)、コンサートも終わりと思われるこの曲に至りこのスピードを乱れながらも突き通しただけで凄いものだ)きらびやかに展開したのは素晴らしいと思う。三曲目再び乱れが目立つが一曲目ほどではない。曲と演奏家の志向の違いが既に明確になっている上で、それでも演奏家が自分のものとしてやりきった感のある歴史的記録。今はwebでも聴ける。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの三つの楽章〜T.ロシアの踊り,ホロヴィッツ(P)(EMI/naxos)1932/11/11ロンドンアビーロード第三スタジオ・CD,,最古最速のセッション録音、とは言われるが、時代なりの「演奏精度」でありメカニカルな意味で完璧というわけではない。志向しているのは作曲意図通りの抒情を排した演奏で、楽曲からも根本となる旋律や響きを除けば意図的に排除されているが、この曲集の売りである冒頭いきなりの打楽器奏法、過剰な音の重なりにリズムや和音の交錯、そのいずれの強打っぷり、正確さを捉えるには古すぎる録音であり、盤面状態や復刻にも左右されるレベルで、正直わからない。ダイナミックな動きを正確に、リズムリズムの骨音楽ではあるから、それが切れていることもわかるので、技術はこの時代では確かで新しいタイプだったのだろう。後年の繊細な配慮の行き届いた演奏ぶり、わりと細い音で綺麗に厳しく聞かせるホロヴィッツの片鱗はみえるが曲には合っていない。ホロヴィッツをこと更に持ち上げる必要はない…難しいところではしっかりテンポを落として整えてもいる。ホロヴィッツ自身は同曲を好まなかったというがさもありなん。,-----,,,,,,,,,,,,,
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカによる三つの楽章,○メイエル(P)(EMI他)CD,,さいきんはメイエと表記するようだが、昔はメイエールと呼んでいた。廉価ボックス化されているので入手もしやすかろう。メイエルの録音はいずれもモノラルで分離が悪く、同時代の近現代音楽の演奏が多い人だけに細部が聞き取れないのは悔しい。ただ、細かい部分に拘泥せず強い打鍵で即物的に演奏していくスタイルで、打鍵の余りの強靭さにややテンポが揺らぐようなところもある。ただ、このバレエ音楽に力強くスピードとリズムの粒だった、ヴィニェスのスタイルによる演奏法はじつにハマっている。意外にドビュッシーの影響があるのがわかる編曲だけれどこのスタイルでも何気ない音の表情にその香気が漂い、さすがの表現である。ラヴェルが似合いそうでいて、叙情的な曲のほうが似合う、メイエルはそういう時代感覚にある人。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの三つの楽章,◎ワイエンベルク(P)(EMI)CD,,技術的には言うことが無い。音楽の勢いに指がまったく負けておらず、録音も明瞭で、しいていえばケレン味が無いことが挙げられようが、そういうものが必要かどうかは別問題で、少なくとも透明感あふれる音色は曲にマッチしている。粒だった音はいかにもワイエンベルク、残響過多気味ではあるが私は好き。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの三つの楽章,メイエール(P)(EMI)ヴィニェスの美質を最も良く伝えるのがメイエルのピアニズムではないだろうか?モノラルではあるが様々な録音を残したメイエルは、即物主義とでも言えばいいのだろうか、かなり一本調子で直截な表現をとるため、微妙なニュアンスを要する小曲の演奏には向かないかもしれない。だがアルベニスやミヨーなどラテン系の弾むようなリズムの表現、ストラヴィンスキーのような現代曲での技巧的ハードルを軽く越えた上に表現される「雰囲気」は抜群だ。ただ押せ押せではなく、さらりとした軽やかさすら覚えるが、無味乾燥ではない。早めに安定したテンポ表現はフェヴリエなどとは対照的だけれども、このような曲では大きく凌駕するものがある。メイエルの至宝であり、同曲の隠れた名盤だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの三つの楽章,○レオ・シロタ(P)(columbia他)1929・CD,,時代がかった表現、まるでリストやらなんやらやるような大仰なスタイルでヴィルトーゾ的なところを見せ付けるロシア舞曲からして「うわ・・・」。もう、ストラヴィンスキーではない。後ろに後ろにつけてもったいぶるテンポ、発音のわざとらしさ。しかし巧いなと思うのは同時に2つの旋律をかなでる対位的な進行の部分で対旋律のほうを強く際立たせ、それとわかるように表現している。とても立体感があり、腕はたしかなのだ。第2曲、第3曲になってくるとまっとうなインテンポを取るところも多くなり、すんなりと聴ける。第1曲の評価で迷ったのだが、○はつけておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ペルセフォンヌ,作曲家指揮NYP
ストラヴィンスキー:ペルセフォンヌ,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:ペルセフォンヌ抜粋,作曲家指揮ACO? ゾーリナ(ナレーター)
ストラヴィンスキー:ポール・バーレーンの2つの詩,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:ボルガの舟歌,〇作曲家指揮ソビエト国立SO 1962
ストラヴィンスキー:ボルガの舟歌(民謡による木管合奏編曲),アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(claves)1952/10/15放送録音・CD,,非常に短い一節だけの編曲で、重々しく壮大な編曲というか表現はアンセルメらしくないしストラヴィンスキーらしくない感じもある。まるで国民楽派の大言壮語な音楽のような編曲だ。評価不能。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:マヴラ,作曲家指揮CBC SO
ストラヴィンスキー:ロシアの乙女の歌,◎シゲティ(VN)作曲家(P)(COLUMBIA/PEARL他)CD 「マヴラ」から。ストラビンスキーの小品の中には驚くほど素直な曲があるが、これもそのひとつだ。ヴァイオリン協奏曲での助言/初演で知られるドゥビンスキーの協力でつくられたヴァイオリンとピアノのための小曲で、全編がロシア民謡である。変拍子は「弦楽四重奏のための3つの小品」の一曲目にすこぶる似て、意識しなければ非常に自然に聞こえる。プロコフィエフ程派手ではないが、現代的手法や世俗的表現が要領よく採り入れられ、決して古さを感じない。一歩間違えると「お涙頂戴」になるところを、かっちりした構成により表現の幅を限定することで、クールな楽曲に仕上げている。それ故になおさらノスタルジーがしみじみ感じられる。例えばオルゴールの音にノスタルジーを感じる人は多いが、オルゴールの機械的で非人間的な音だからこその魅力という所は大きいだろう。ストラヴィンスキーの情感はそのようなものだと思う。ギーコギーコと古ぼけた壊れかけのヴァイオリンによる演奏で路地裏で聴きたい。そういう曲だ。シゲティの音は曲にうってつけの枯れた味わいがある。寂しいひびきは古い録音の中でひときわ寂しさを訴えかけてくる。絶品です。(1995記),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:マックス公の墓銘碑 アンサンブル テ゛ィロー、ファックラー、ヘッケル
ストラヴィンスキー:ミサ曲,作曲家指揮コロンビアSW&B
ストラヴィンスキー:ミサ曲,◯ストコフスキ指揮フランクフルト放送交響楽団他(SCC:CD-R/M&A)1955/5/31・CD,,抽象度の高い、まさにミサ曲という曲を作ったわけで、擬古典ではないがほぼ教会で演奏されても違和感の無い曲である。混声合唱も入るがいくぶん生々しいのは演奏のせいか。意外な程ストコフスキーらしさの出ない演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:モニュメンタム・プロ・ゲスアルド〜,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:ラグタイム,メイエール (P)
ストラヴィンスキー:リハーサル,作曲家指揮イタリア放送ローマSO
ストラヴィンスキー:レクイエム・カンティクルス,クラフト コロンビアSO
ストラヴィンスキー:レクイエム・カンティクルス,○ミュンシュ指揮パリ管弦楽団(Altus)1967/11/14シャンゼリゼ劇場live・CD,,Altusのやらしい再発盤に収録されたトラックで渋々これだけのために買った。ミュンシュのストラヴィンスキーというとペトルーシュカとアゴンくらいしか手元にないが他に何があるんだろうか。初物好きだし嫌っていたというわけでもなさそうなのは、この最晩年作、十二音技法を取り込んだ「ちっとも楽しくない音楽」を、「音楽は楽しい」を体現してきたようなミュンシュがパリ管デビューの演目に選んだということからもうかがえるようにおもう。そして演奏がけっこう、しっかりしていて、かつ「楽しい」のだ。たとえばギーレンがやってもこうはならないだろう。前奏曲のポリリズムにハルサイを想起するなと言うほうがおかしい。ここからしかし、ストラヴィンスキー「らしくない」響きが、前衛的な雰囲気を醸していく。といっても、合唱や独唱には前衛の匂いは薄いし、最小限に抑えられた楽器の用法は他の作曲家にも、ストラヴィンスキー自身にもみられなかった独特の「面白み」がある。この「面白み」を引き出す、「前衛の匂いの薄さを突く」のがミュンシュは上手いのか。典礼が進むにつれ本来の意図であるレクイエムに沿った作品構成であることに気付かされ、あっという間に終わってしまうのだが、つまりはポケットレクイエムなのである。,,分析的なことはよそでいくらでもやっていると思われるのでここでは触れない。ただ、ミュンシュマニアなら聴いておいて損はない。中古を探してください<おい,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲,作曲家指揮NYP
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」1945年版組曲,○作曲家指揮NHK交響楽団(NAXOS他)1959live(1959/5/1大阪フェスティバルホール?),,NML限定復刻で昨秋物議を醸したN響シリーズの一枚で、併録は夜鳴き鶯だ。これは映像が残っており、全編だったかは記憶が定かではないが、非常に有名である。youtubeでも見ることができる(5/1大阪フェスティバルホールのコンサート記録が2018/1/30発売されたが同じものの可能性が高い)。N響がこんな鋭いリズムを刻むのも素晴らしいし、響きもこのオケにしては煌びやかでゴージャス。もちろんストラヴィンスキーの指揮だから作為的に派手な響きを演出したのではなくスコアを音に移しているだけなのだが、演奏陣の気合がおそらく違うのだろう。冒頭こそ余りに音が小さくて心配になるが、それは杞憂。モノラルの悪い録音ではあるけれど、ファンは楽しめるだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」1945年版組曲,○作曲家指揮コロンビア交響楽団(sony、CBS)1967/1/18・CD,,ストラヴィンスキーでは最もとっつきやすいがリムスキーやスクリアビンといった先人の示したロマン性が美しい旋律や半音階的進行に残り代表作と言うには躊躇されるところもある。じっさい音だけでは冗長にも感じるから組曲くらいが丁度かもしれない。既に難度の高い複雑な進行や構造がみられるものの高度な技術を誇る当時の同オケとしてはギリギリでも超人的に上手くやってのけている。オリエンタルでロマンティックなメロディーはもう少し国民楽派ふうに情緒を篭めてやって欲しい気もするがこの指揮者にそれは無理な注文だろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲,作曲家指揮イスラエル・フィル(helicorn,IPO)1962/9・CD,,大変引き締まった演奏。ストラヴィンスキーの指揮の評価は(当時は否定的な言説が多かったようだが)両極端に別れるが、ここで聴かれる演奏は立派で聴きごたえがあり、このオケの性質が重心の低いロマン派音楽向きだったこともあろう、ちょうど「境界」にあたる作品と相性が良かったのもあるかもしれない。末尾は短く切り詰めた新古典的に編じられた音楽だがリズムがびしっと決まってちょうど良い。火の鳥の旋律美や物語的展開を追いたい向きには物足りないかもしれないがそれは組曲化した時点でおおかた失われているのである。もっとも、大昔この譜面を見たときわっかりづらい独特の譜面だなあと思ったおぼえもあるので、「ロマン派音楽」ではもはやないのだろうが。アメリカオケのゴージャスさはないが、充実した中欧的な響きは魅力大。瑕疵も弛緩もない周到な準備のうかがえる演奏。ただ、モノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」,作曲家指揮イタリア放送ローマSO
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」,作曲家指揮パリSO 1928
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」〜カッチェイ王の踊り,作曲家指揮スウェーデン放送交響楽団(BIS)1963/6/19LIVE・LPこの人らしいといえばらしいのだが、やや乱暴というか、雑というか。ぎくしゃくした感じが残った。私個人的にこの曲苦手なのでこれ以上のコメントは略。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」リハーサル,作曲家指揮ボストンSO
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」よりスケルツオ,作曲家(P) ドウーシュキン 1933/4/6&6/6
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」より第2幕(ピアノ編曲),作曲家(P-ROLL)
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」(1911年版),○コーツ指揮交響楽団(HMV/PASC)1924/10/24、29・SP,,これは割りと聴き応えがあり、分厚いオケを鳴らす(もっともこの録音では分厚いオケは使われていないだろうが)コーツの適性とも言うべきものが遺憾なく発揮されていると思う。録音の悪さが足を引っ張るが、リムスキーの音楽から始まったストラヴィンスキーの作曲人生の最初の大花にたいして、やっぱりリムスキーへの師事から本格的に音楽家としてのキャリアを開始したコーツが左右わからずスコア分析だけを拠り所にするような演奏をするわけがない。とても音楽的で、とても雄弁。ただ、少しデリカシーも欲しい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」より 火の鳥の踊り、凶悪な踊り,ビーチャム指揮ビーチャム交響楽団(SYMPOSIUM)1916・CD,,スクリアビン的な妖しさをはなつ「火の鳥の踊り」については実に巧緻な木管に圧倒される。引き締まった敏捷な棒にも感服。この貧弱な音でも気分を非常に高揚させられる。とにかくこの極度に錯綜した楽想をさばく手際とオケの技巧の高さに感動。上手い。素晴らしい。リムスキー的な手法が特徴的な「凶悪な踊り」はやや締まらないというか、録音のせいでそうなってしまったのだろうが、リズムが甘い。ちょっとだらしなさが感じられるが、前提として、合奏する楽器の本数が多い曲でこの時代の録音条件(集音器に入る楽器の本数が限られる)はそもそも厳しいのだろう。併せて○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲,○アンセルメ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1949/1/8live,,さすがにこのノイズまみれでは推薦はできないが、迫力満点の演奏でアンセルメ・ライヴの真実の一端を垣間見せてくれる。ブラヴォが飛ぶアンセルメというのも日本人にはイメージの無いところだ。といってもロシア式の押せ押せではなく、きちんと構築整理された音楽は透明で美観も保たれ、オケの技量も確かに感じ取ることができる。これはスイス・ロマンドではできない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲,アンセルメ指揮NHK交響楽団(SLS)1964/5/30東京文化会館live,,オケが力強くも技術的な問題を感じさせ、アンセルメとしてベストではないが、すくなくとも自作自演よりこなれた演奏(解釈は似たようなものだが)。録音が良いとは言えないもののステレオで迫力があり、最初はソロが聴こえなかったり弦楽器がバラけたりするが、中低音の轟きや管楽器の好調ぶりが快い。ライヴということで、許容範囲とすべきか。メロディの生温さのなさが火の鳥らしくないといえばらしくないか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲,○ボルサムスキー指揮ベルリン放送交響楽団(LYS/URANIA)1947・CD,,きわめて録音が悪いが演奏は精度はともかくしっかりした足取りのもので悪くない。煌びやかで色彩的な音を振りまく反面重く粗雑な主線の曳き方には好悪あるか、○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲,アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina配信他)1955/12/13live,,醒めている。オケの各楽器の音色を聴かせるような響きの音楽を意識している「はず」だが、録音の弱さがそれを伝えられていない。アンゲルブレシュトのロシア物は結構見栄を切るようなものもあったと思う。しかしここではまったく動じない。小粒で「内向き」の演奏、としか感じなかった。Amazonデジタル配信あり。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲,アンゲルブレシュト指揮ORTF(forgottenrecords)1958/6/21シャンゼリゼlive,,五曲を選んでのライヴだがina.fr配信のもの同様、録音の悪さ、弱さは気になる。ただこちらの方が盤であるせいもあってか音の迫力はいくぶん大きく、そのぶんオケの乱れやミスが目立ってしまってもいるのだが(やはり機能性を売りにしていないオケにとってストラヴィンスキーは鬼門のようだ、野暮ったいところもある)ドスンドスンと重く壮大にやるアンゲルブレシュトのロシア物への流儀が後半適用されており、抜粋だから盛り上がりどころを分散させてしまった感もあるが最終的には凄みを感じさせる。客席はまあまあの反応。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲,クリップス指揮NYP(forgottenrecords)1961/12/9live,,オネゲル2番と同時演奏だが遥かに素晴らしい。瑞々しさ、華やかさ、フランス音楽的な美しさがクリップスの火の鳥観を示している。オケも作曲家の指揮で演奏した経験があり知見があったのだろう。でも自作自演よりのめりこませる要素がある。ロシア臭希薄なのが良い。録音は良くはないしモノラルだが、意図しない拾い物だった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲,ロジンスキ指揮トリノ放送SO
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲(1919年版・ストコフスキ編),ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1924/10/13・SP,,悪名高いストコフスキーのストラヴィンスキー編曲(編成)だがこんな時期から既にやっていたのである。時代柄録音用編成であることに言を待たないが、状態は悪く、ほぼ同時期のオスカー・フリートの復刻のほうがよほど明晰でストラヴィンスキーらしさが聴き取れる。ただ、困難なフレーズでの各パートの技巧のとんでもないレベル(このスピードで音楽の流れが止まらない!)、アンサンブルのスマートかつ力強い仕上がり、むせ返るような音色、水際立ったリズム処理(ピチカートなど短い音符のキレっぷりが凄い)、前衛的な響きの再現はストコフスキーがひときわ強調する処理を加えていたとしても(普通にやったらここまで聞こえないだろうというような水際立った色彩性がノイズの奥からしっかり実音として届く)この曲をあくまで筋のあるバレエ音楽として理解させる上での見識ではあろう。ストラヴィンスキーが後年志向したあくまで音楽は音楽として、という抽象性はないが、具象的な表現が前時代的な感興と前衛的な耳新しさを併せ持つ同曲、リムスキーとスクリアビンを前提としフランスの和声を消化した同曲を、蓄音機を前にした家庭の聴衆にちゃんと理解できる形で伝えるものとして、良くできている。フリードをはじめとする同時代の欧州録音にみられた大曲におけるごちゃっと潰れる弦楽器を中心としたアンサンブルが、無いとは言わないがほとんどメロらないのは技術陣の成果でもあるだろう。ノイズをうまく取り去ればとても現代的に聴こえそうだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲,◯ストコフスキ指揮NBC交響楽団(SCC:CD-R)1942/4/7live,,綻びやつんのめりもあるもののそれもひっくるめてNBCの演奏だなあ、すげー、という集中力。ストコフスキーがスピードを煽るのもまたいい。色彩的処理の上手さはトスカニーニを凌駕するのではないか、この悪い録音からもむせ返るような音の開放感が感じ取れる。引き締まった火の鳥で、ストコフスキーのイメージから外れるかもしれないが、末尾の切り方のおかしさにストコフスキーらしさは出ている。◯。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲,クリュイタンス指揮ORTF(ORTF,ina)19 56/1/30・CD,,瑞々しい指揮でシャンシャンしたオケの響きを綺麗に響かせ聴かせてゆく。このオケらしく速いテンポの不規則なリズムは完全に乱れてしまうが、そこを除けばこの年代にしてはかなり美しい演奏で、クリュイタンスの棒はものすごく上手いとは言えまいが、力と技術で押し切るスタイルではないぶん、ストラヴィンスキーをリムスキーよりドビュッシー寄りに聴かせることができている。響き重視の向きはまあまあの印象を受けるだろう。生臭さゼロ、でも現代的な冷たさはない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲(1911年版),○モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1953/4/11(11/4?)live・CD,,このスクリアビンショック冷めやらぬ作品、それほど好きではないが、巧緻な設計の音楽で、技巧的に優れたオケにシェフが演奏すると素晴らしく効果的である。モントゥ/BSOは恐ろしく完璧な水際立った演奏を繰り広げ、どうだと言わんばかりだ。凄いスピード、なのに解れが無いのが凄い。最後はやや大人しく、拍手も大人のそれである。モントゥの録音にしてはまあまあの録音状態か。CDレーベルはmusic&artsという記録もあるが詳細不明。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲(1919年版),フリード指揮BPO(polydor/DG/arbiter他(lys?))1928・CD,,とっっくに権利切れパブドメ音源なのに、有名な数曲を除いてネットで(危険サイトを除くと)フリー配信されないオスカー・フリート。その名は正統中欧指揮者、とくに同時代の大曲の最初の紹介者として必ずあがってくるが、ちゃんと評価するには雑な扱われ方をし過ぎている。近年m&aやarbiterが未復刻音源を正規polydorの流れであるDGが既にCD化したものと「混ぜて」シリーズとして出してきて、naxos配信(NML)のラインナップに入っているから定額配信派には許せる状況にしても、後者は初出なのか発掘なのかわかりにくく、目玉が5分だけ新発掘音源といいながらよくよく調べると既出とのことだったり、しかも今は殆ど出していない(在庫は抱えているようだ)。さらにむかしSP時代の演奏家の網羅的復刻をやっていたlysがフリートシリーズを出したときは、当時流行ったイタリア海賊盤レーベルの流れだから仕方ないのだが、ロシア録音だのオケ違いだの嘘データを付けたりしたものだから(シェヘラザード、火の鳥組曲の盤はロシアオケとされていてpolydorとは別録音とされているが、1930年代にならないとソヴィエトとは絡んでこないはずなので、録音年からしても組み合わせ的にも明白にBPOの偽盤…SPは原盤状態や復刻方法で完全に違う印象を与えるほど変わる(微妙な回転数の調整がビビッドに影響し再生時間まで変わる)ので騙されても仕方ないしそれはそれで復刻比較という楽しみ方もある)。,,こういったことで正直識別してコレクションするのが面倒過ぎて、ついに二枚CD買ってしまった。いまどき一枚1600円。そのうちの一枚に、1925年手兵ベルリン国立歌劇場管弦楽団との火の鳥1919年版組曲旧録が入っている。こちら電気時代の新録はSP直の音源がネットでさんざん出回っているが、ロシア音楽とも関係が深いフリートが、さすがマーラーに鍛えられた経験もあるのか、しっかり楽曲を理解して鋭く明快な演奏をなしており、初期78回転盤ではおなじみのグダグダオケ状態(編成)ではあっても、引き締めるところは引き締めて、オケの音色も程よく引き出し、ロシア臭さもなくカラフルですらある佳演。四面に四曲だがDG(ユニバーサル)の詰め合わせでは1トラックにまとめている。いくつかarbiter盤で「子守歌が入っている」と特記していたが、そもそも、1925年の旧録音(6トラック)にすら入っているし、これがないと火の鳥の聴きどころは半減すると思うのですがね。ちなみに、本サイト(まとめサイト)ではフリート指揮を「フリード指揮」と表記しますが、これはセルフ検索時に「ジークフリート」と混同して出てきてしまうので、見づらいことから敢えてそうしています。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲(1919年版),フリード指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(grammophon/m&a)1925?・CD,,オスカー・フリートの旧録だが、録音用小編成がかえって幸いして、細かなトリッキーな動きがビビッドに聴こえ驚かされる。合奏部分はさすがにきついが(このての骨董がメロメロに聴こえるのはそもそも録音が無理な音量なのもあろう、ソロはまともだったりする)これはベルリン・フィル盤より下手をすると技巧的に優れたもので、フリートの手兵ならではの「意図通り」の演奏、ストラヴィンスキーをすぐれて再現した当時としてはフランスでもめったに聴けない鮮やかなものであった可能性がある。確信に満ちた発音のあっけらかんとしたフィナーレは、録音技術上のもので、テンポ的には十分に盛り上げている。ベルリン・フィルのほうがやや遅いがピッチからして誤差範囲だろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲(1919年版),マルコ指揮デンマーク放送交響楽団(forgottenrecords)1959/1/29live,,これは名曲の一番耳慣れた版、楽団も慣れたもので管が素晴らしい腕を発揮してくれる。旋律の美麗さと典雅な響きをマルコなりに打ち出してきているが、オーソドックスといえばオーソドックスで、というか個人技的な部分を除けば解釈に幅の出る曲でもないと思うが、テンポについていえば冷静で、終わりも穏やかにおさめている。が、客席は盛大な拍手。つまりこのモノラル録音がその魅力を伝えきれていない、そういう状態ということ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」〜[.金のリンゴと戯れる王女たち(スケルツォ)ヴァイオリン編曲,マカノヴィツキー(Vn)ヴィタス(P)(voice of america recording/meloclassic)1940年代後半・CD,,メロでは最後の三曲がノエル・リーではない伴奏者によるSP復刻音源となっている。SP特有のノイズは無い。全曲版ないし旧い組曲にしか出てこない断片の編曲で、ドゥシュキンは関わっていないか。作曲家本人によるものかどうかも怪しい。基本的に技巧をひけらかす「熊蜂の飛行」に過ぎず、歓びにみちた疾走のなかに魅力的な王妃のテーマは僅かにちらりと現れるだけ。だがこの2分弱にぎゅっと火の鳥のエッセンスが詰め込まれ、さすがに荒々しくなりながらも技術的な穴はなく、完璧に弾きこなしている。ピアノはいかにも伴奏ピアニスト。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」〜三つの抜粋(編曲),○エリアスベルク指揮アンドレーエフ管弦楽団(ロシア民族楽器オーケストラ)(melodiya)1950・LP,,バラライカを主体とする奇怪なオーケストラによる演奏で、火の鳥の毒々しさが強調されるような感じがする。フォルテの迫力が出ないし、現代オケのように俊敏ではないが、流れはさほど損なわれずに鑑賞に耐えうるものとなっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」〜フィナーレ抜粋(編),◯エリアスベルク指揮アンドレーフ・フォーク・オーケストラ(ペテルブルグ放送)1970/10/7live,,マンドリンだかバンジョーだかツィンバロンだかが前面に出た非常に面白い編曲によるものだが、ごく一部の抜粋なので演奏評はできない。エリヤスベルグと表記されるが原語では確かエリヤズベルクと発音されると思う。私は折衷的にエリヤスベルクと書いていたが、ググった結果、エリアスベルクと統一しておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」〜子守唄,ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(odeon/house of opera)1929,,澄んだ響き。むせ返るような音。弾けるように美しい和音がドビュッシーのような雰囲気をかもす。ストラヴィンスキーのフランス的な部分をよく引き出している。さすが初演者というべきか。何てことない3分間の暗い旋律だが、バックをかなでる弦楽器、ピエルネの録音に特徴的といわれるポルタメント、びろうどのようなヴィヴラートがてんめんと聴かれ、まさにオールドスタイルにもかかわらず、瑞々しい佳演になっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:管楽器のための交響曲(1947版),作曲家指揮イタリア放送ローマSO 1955/4/28&29
ストラヴィンスキー:管楽器のための交響曲(1947版),作曲家指揮北西ドイツ放送SO 1951
ストラヴィンスキー:管楽器のための交響曲,○アンセルメ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1968/1/8live,,前進性、リズム性よりも牧歌的に響き合う管楽器の饗宴だけを楽しむような曲で、アンセルメの十八番でもある。ストラヴィンスキー後期の一種ワンパターンな作風からごつごつした要素を取り去り、純粋な響きの楽しみだけを追求するようなかんじが楽しい。オケのせいであろう、ストコを思わせる多色の派手さがありアンセルメの意外な面を垣間見ることもできる。○。まあまあのステレオ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:管楽器のための交響曲,○アンセルメ指揮シカゴ交響楽団(放送)1968/1/25live,,DAで出ていたと思う。貧弱な録音だがさすがシカゴ、鋭い音で呼応しあう木管アンサンブルを楽しめる。このくらい金属質なほうがいい。アンセルメらしい美観。頭でっかちの新古典で、音楽としては過去作品と変わらぬマンネリを感じさせるものだが、この組み合わせならではのシンフォニーの一つの極地であろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:管楽器のための交響曲,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA?)1961/3?,,五月の正規録音とほとんど変わらず、音もいいことから恐らくデータ間違いの音源(webで出回っている)。リズムにやや生気がないが、ストラヴィンスキーのもはや骨ばかりとなった作風に忠実に沿った素朴な演奏に聞こえた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:管楽器のための八重奏曲,作曲家指揮アンサンブル モイーズ、ゴドー 1932/5/6&9
ストラヴィンスキー:管楽器のための八重奏曲,作曲家指揮イタリア放送ローマSO 1955/4/28&29
ストラヴィンスキー:管楽器のための八重奏曲,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:喜びの歌,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:幻想的なスケルツオ,作曲家指揮CBC SO
ストラヴィンスキー:弦楽四重奏のためのダブル・カノン,作曲家 アンサンブル 1961
ストラヴィンスキー:洪水,クラフト コロンビアSO (sony/cbs)CD
ストラヴィンスキー:詩篇交響曲,作曲家指揮CBC SO
ストラヴィンスキー:詩篇交響曲,作曲家指揮コロンビア放送SO&CHO
ストラヴィンスキー:詩篇交響曲,作曲家指揮コンセール・ストララムO 1931/2/17&18
ストラヴィンスキー:詩篇交響曲リハーサル(ビデオ),作曲家指揮CBC SO
ストラヴィンスキー:詩篇交響曲,ブーレーズ LSO 1995/5/
ストラヴィンスキー:詩篇交響曲,ホーレンシュタイン フランス放送O&CHO
ストラヴィンスキー:七重奏曲,作曲家指揮アンサンブル
ストラヴィンスキー:七重奏曲,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),◎クラフト指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA/TRITON)1962/9/26 モスクワ・ライヴ 春の祭典最高最大の演奏と信じて疑わない。このメロディア盤ボックスLPを手にしたときは震えがきたが、聞いて忘我に至り以後自作自演を除いては他を聴く気がおきなくなるほどだった。数年前国内レーベルでCD化されたが余り話題にならなかったのは不思議である。歴史的なストラヴィンスキー・ロシア凱旋演奏会の一部であるが、自作自演の他曲などと比べても、この演奏の鬼気迫るそれでいて客観的な表現に勝るものはない。オケが余りに強大すぎて反則なのかもしれないが、しかしヒトコトでこの演奏を評するなら、迫力満点あとは聞いてほしい。春の兆しは言うまでもなく、第一部最後のペット、弦の異常異様な早吹き(弾き)が迫り来る様は思わず身をかがめてしまうほどの凄み。太鼓とベースの恐ろしい地響き、耳をつんざくペットの咆哮の連続、暗部を蠢く音色の精妙、そして弦楽の大軍。暴力的なほどの超名演。木管の呪術にかかり、暫く動けない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),○作曲家指揮コロムビア交響楽団(COLUMBIA/SONY)1960/1/5-6作曲当時の雰囲気を保ったというか、幾分の叙情味を醸し出す魅力ある演奏として、フランスのオーケストラによるSP録音が挙げられる。NYPの旧録も近年CD化されているが少し「もたい」感じがする。ライヴ記録として貴重なハンブルグのものはヴェネツイア現代音楽祭の実況だが、このモノラル録音が何故か殊のほかお気に入りなのだ。ドイツオケ弦楽器の深い音色、総体の音響的安定感と底深い迫力が、ストラヴィンスキー棒の荒さを和らげるとともに、ぐあっという力感をもって迫って来る。ペットや木管につんのめったりごまかしたりする所が認められるが、録音の茫洋さがそれを目立たなくし聞きやすくしてくれている。ストラヴィンスキー解釈が棒技術の限界をこえて良く表された演奏だ。ヴェネツイアはこの曲とは縁がある。「118の質問に答える」(吉田秀和訳音楽之友社1960)の中でストラヴィンスキーは、この曲をディーアギレフに初めて聞かせたのが、ヴェネツイアのグランドホテルの、1階にあるピアノであったと語っている。さてコロムビア交響楽団の一番有名なステレオ録音は、私は少しもたついた感じを受けた・・・記憶があったのでそう書いたのだが、全然違った。「ロシア音楽」のダイナミズムだ!同曲フランス的な雰囲気にごまかされてはいけない。併せて収録されていたペトルーシュカが余りに印象が強かったので(それこそリムスキー伝統の音の再現、破裂的舞踏表現)、盤内の比較として少し単調な印象を受けていたようだ。真にプロフェッショナルなアメリカ・オケ・・・すこぶる機能的なレコーディング楽団、自演録音中では技術的に最も高いオーケストラであることは、あのピッコロの異常な速吹き等等を聴けば歴然だ。何より音の良さが意外なほど突き刺さってくる。明るく垢抜けた音には個人的にやはり違和感があったものの(ストラヴィンスキーのロシア棒は余りそういう音響と合わない?)・・・名演だった。第2部に少し単調さを感じたものの、曲の構成上の問題?でもあるし、この演奏をけなす理由にはならない。ごめんなさい!・・・どちらかといえばNYP盤に近い。ダイナミックな(ダイナミックすぎる気がする)マルケヴィッチ盤に似ているといわれることもあるが、マルケヴィッチは音楽的な彫刻を可成施してダイナミズムを獲得しており、漠然とした聴感は別として、元が少し違う気がする。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),○作曲家指揮パリ交響楽団(Pearl)1929/5初版 COLUMBIA盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),◎作曲家指揮北独ハンブルグ放送交響楽団(ARKADIA)1958/9/19LIVE COLUMBIA盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),作曲家指揮NYP(golden legacy他) 1940/4/4初版 COLUMBIA盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),作曲家指揮スウェーデン放送交響楽団(DISCOCORP)1961/9/22(リハ)24(本番)LIVEストラヴィンスキー・ハルサイ最後の自作自演の記録だという。はっきり言ってリハのほうが面白い。この放送楽団は決して上手くない。本番を聞けば分かるが、馬力は無いしソロはミスするしはては入りを間違えるなど、現代音楽に慣れていないことがモロバレである。でもそんな本番に仕立てたのは、微に入り細に入り指示をつけていくストラヴィンスキー自身だ。いかに細かいニュアンスを伝えるかに腐心しているが、要求のレベルが高いようだ。ようだと言ったのは何故かドイツ語になったりロシア訛りの英語になったり聞きづらいからなのだが(ヒアリング力のなさも。。)、まあ、約30分、リハ風景けっこう楽しめる。モノラルだし、本番は他の自作自演盤を聞いたほうがいいだろう。この人の自作自演は身体表現を前提に置いた「踊れるハルサイ」である。それはこんな演奏でも十分に個性として伝わってくる。ストラヴィンスキーマニアには推薦としておきます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),モントゥ指揮グランド交響楽団(PEARL/LYS)1929/5 BSO RCA盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,○モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1957/4/13live・CD,,迫力の重量級演奏でかつ俊敏、モントゥの統率力、それに従うボストンオケ各パートならびにアンサンブルとしての技量の高さが伺える良録音。見通しのよいリズム構造に響きへの配慮が行き届いたさまはあくまで不協和的でありながらも合理的な音楽性を浮き彫りにし、ただ精一杯に元スコア通り振った日々より長年をへて、モントゥがこの曲に対して得た個人的見識が膨大なスコアへの書き込みになったんだろうなあ、とボックス表紙のスコア検証中写真を見て思った。作曲家本人の意思とは恐らく違う娯楽性やドイツ的な構築性が持ち込まれているとしても。◎にしてもいいくらいだが録音が若干悪いので○。どうも既出の気がする。。このてのものの録音月日はあてにならないので、レア演目の場合は特に注意。ハルサイはメジャーなのでわかんないゆえ別としておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,モントゥ指揮LSO(DA:CD-R)1963/5/23春の祭典初演50周年live,,これは演奏というより音盤としての欠陥があり、第二部で長大な「混信」が聞かれるのである。この混信は痛い。男性アナウンサーの声がうるさい。あと、最後は素晴らしくスピーディでドライヴ感のある演奏で間髪入れずのブラヴォとなるわけだが(オケも実にそつなく巧い)、最初はやや温度が低く、引きずるようなテンポが春のめざめに入っても続くのが気になった。まあ音盤としては無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),○モントゥ指揮ボストン交響楽団(RCA)?モントゥはディアギレフのもとで指揮をしていたことがあり、ラヴェルやストラヴィンスキーの初演を受け持ったことは彼の名前を一躍上げることになったようである。その色彩的な指揮はストラヴィンスキー向きだといえる。この3盤のうち初演時の雰囲気を伝えるものとしてはグランド交響楽団の名で残された1929年の演奏があるが、これがけっこう自作自演の最旧盤に似た独特の神秘的な雰囲気をもっている。しかし古い演奏であるため評価はしづらいのでここでは参考記録としておく。モントゥの指揮はけっこう穏かなため、野蛮な響きの表現力に欠ける気もするが、パリ音楽院管弦楽団との演奏はなかなか力感があり、モノラルであるものの(註:原盤はステレオだそうですが筆者は未聴)、このパリのオケの美質を十分に発揮した魅力的な演奏になっている。聴き易いのはボストン盤だが、手慣れた調子で響きも洗練されており、客観的ではあるが、技術的にすばらしい演奏となっている。気持ちを高揚させるに十分な世俗性があるから、初心者にも向いているだろう。ちなみにストラヴィンスキーの初期バレエ作品はけっこう何度も改変されたり、演奏家によって手を入れられたりしており、ここでも盤によって若干の差異が認められる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),○モントゥ指揮パリ音楽院管弦楽団(RCA/VICTROLA)1957初出 BSO RCA盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,○ロジンスキ指揮フィレンツェ五月祭管弦楽団(AULIDE:CD-R)1953/3/1live,,冒頭から激しく踊りだしそのままつっ走るような硬直した音量変化の無い演奏(録音)なのだが、いちおう臨時編成オケでありながらもここまで鍛えられるか、といったまとまりのよさ、ミスの無さに感動すらおぼえる。オケの個性も程よく残され、迫力はあっても派手過ぎず、パノラマ的感興よりも実直な表現により真摯さを保ち、技巧ひけらかしにもならず、最後まで同じ調子で引き込まれて聴ける。ロジンスキという人には確かにアメリカで活躍すべくして活躍したような(問題もあったけど)時代性と職人性がある、でもミトプー同様欧州オケで腕を振るった場合、欧州の鼻を高くして坐ます「巨匠指揮者」と肩を並べるような演奏をものすることもできた。この人の録音は音は悪いが演目にも特徴があり、もっと注目されてもいい人である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,ロジンスキ指揮NYP(SLS)1946/11/30live,,あんまりだイーゴリ先生、というわずかな難関の部分を除けば流石ニューヨークフィルだけあって力感と演奏精度の共に揃った聴き応えのある演奏。余りに耳馴染み良いリズムを殴打しながらの突進ぶりにまるで単純な4つ打ちに聴こえる。がしかしちゃんと振っているし、相当に引き締めて創り上げられたアンサンブルである。ロジンスキらしさの現れた求心的なハルサイ。オケメンバー(特に木管)各々の優れて磨かれた腕によるというべきだろう、音色の華々しい饗宴もあるのだが、フランスの演奏にみられる軽やかなものとは明らかに違う。一種単純化による熱狂の生み方はバンスタ的かもしれないけれど、まあ、それはロジンスキに失礼だし、客は熱狂していない。非常にノイジーで聴きづらいがそれでも伝わる録音。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,マデルナ指揮ミラノRAI交響楽団(SLS)1966/2/11ミラノlive,,こもったステレオ。最初から引き込まれた。抒情的な演奏で、バレエではなくコンサート用として設計されている。オケの弱さもあってそれゆえの「甘さ」もあるが(マデルナにしては引き締まった筋肉質の演奏ではある)増してドラマティックでわかりやすいハルサイになっており、旋律美や響きの鋭さ、リズムの迫力、すべてが「楽しく」期待以上のものを聞かせてくれた。飽きる曲だがこれはどうしようもなく破滅的な拡がりをみせる最後までドラマを楽しむことができた(オケはお疲れ気味)。ブラヴォが飛ぶ。少し冷たい音に聞こえるのは私のプレイヤーのせいだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),○マデルナ指揮ミラノ放送管弦楽団(STRADIVARIUS)1964/4/15LIVEなんとびっくりステレオ録音。でもストラディヴァリウスなので過度な期待はしないほうがいい。音質は悪い。さて、作曲家兼指揮者を楽しむというやり方がある。限られたスコアの中でなんとか個性を出そうと作曲家的創意工夫が練られる、そこを楽しむのだ。前にあげたレイボヴィッツもそうである。現代作曲家で指揮をよくする人は多いけれども、外れも多いが、おもしろ解釈にあたることもあり、そこがひとつの楽しみかただなあ、と思う。ブーレーズに負けず劣らずマデルナもよく指揮をした。個性的なマーラーがその嚆矢にあげられるだろうか。シェーンベルク以降のバルトークなども指揮したけれども、マーラーのように手垢のついた作品に新しい鮮烈な手形をつけている演奏として特記できるものとなっている。むろん、あんな演奏をマーラーが聞いたら怒り出すかもしれないけれども(ただ、スタイル的には表現主義で、前時代的な即興的解釈が加えられたりするものだから、ちょうどマーラー世代の音楽家の指揮ぶりにマッチしていると言えなくもない)。そしてこの演奏、ライヴということもありオケのソロ楽器に不安をおぼえる箇所も散見されるが、まとまっているし感情の昂ぶりも感じる(走りそうになってはゆるみまた走りそうになる、という場面(とくに弦)が少しみられる)。演奏レベルは決して高くはないが、熱い演奏だ。そのうえ案外率直であり、終盤打楽器の饗宴が怪獣映画のようにダイナミックで強烈であったりもするが、総じてはマトモ系の演奏に入れてもよかろう。ストラヴィンスキーのスタイルからするとちょっとやりすぎかもしれないが。終演後は南欧らしく情熱的なブラヴォー拍手。悪くはないので○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,○クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1971/6/16ウィーンLIVE,,籠もり気味のステレオで高い倍音域がすっぱり切れて聞き辛い。重低音でガシガシ攻める暴力的なリズム系の演奏にちょっと聴ききこえるが、冒頭よりあきらかに旋律を中心に据えたロマンティックな演奏と言える。ロマンチシズムが表面的な起伏に余りあらわれないので、BRSOの音質や激烈で重いパーカスのせいもあって野武士のような表現に聞こえがちだが、途切れることの無い長い旋律の数珠つなぎとして聴けてしまう作りになっており、わかりやすい。クーベリックのテンポは前向きのアグレッシブなものだがいささか直線的で、リズム旋律的な色は薄い。おもしろいが、この時期でこの録音では○以上は無理。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,○ベイヌム指揮ACO(LYS)1946/9/11・CD,,トラック分けが細かいとHDDプレイヤーのたぐいは細切れになって聞きづらいなあ。わいいとして懐かしのLYS盤からのピック。怒涛の板起こしでマイナー復刻を行いマニアには受けた。未だコレでしかCDになってないものもあるが何しろ音が悪い。アナログ原盤とはいえ篭り気味で雑音もコンスタントに入りヘッドフォンだとややきついかも。ベイヌムは集中力の高いハッキリした輪郭の(ともすると小さく凝縮してしまう)演奏を行うゆえ、解釈的に聞きとりやすくはある。非常にわかりやすく突き進む。ハリばかりでメリがわかりにくいきらいもあるがまあ、凶悪な曲を檻の中でのたうちまわさせる猛獣使いの風情は下手な搦手がないぶん胸がすく。何を振ってもベイヌムな人だが新しい曲も平気で古典同様にならしてしまえる剛腕に納得。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,グーセンス指揮ロンドン交響楽団(EVEREST),,テンポが落ち着いていて感興にやや欠ける。「やや」と書いたのは大いに管弦楽的な響きに申し分はないからだ。聞いていて悪くは無いが個性を感じられないし印象も余り強くは残らない。グーセンスはとにかくフクザツな響きをうまく効果的に響かせるのが得意だが、これほどの有名曲となるといろいろ文句を言われても仕方無い面もあろう。面白くないわけではないですよ、でも無印。 ,-----,,TITLE: ストラヴィンスキー/春の祭典、ペトルーシュカ,URL: http://blog.goo.ne.jp/webern/e/df1840485cde9ff2457743090239d044,BLOG NAME: Blogout,DATE: 04/18/2005 20:28:29, 小澤征爾 が60年代終盤に、シカゴ響やボストン響を振った若き日のストラヴィスンスキー集です。近くのショップに置いてあったので、音質目当てという不純な動機(後述)で購入してきました。収録曲は「ペトルーシュカ」と「春の祭典」、そして「花火」の3曲。「花火」はちょ,-----,,,-----,,,-----
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,マルケヴィッチ指揮スペイン放送管弦楽団(動画配信)1977/3/20live,,まあ、春と言えば最後はこういうことになる。珍しい映像。,,"https://youtu.be/i5I-oWmflVw",←きわめて質の悪い白黒動画なので注意,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,マルケヴィッチ指揮フィルハーモニアO 1959/2/
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),◎マルケヴィッチ指揮ウィーン・フィル(ANDANTE)1952/4/26LIVE最初かなり危なっかしい(とくにブラス)が、やがて有無を言わせず引き込まれて行く。マルケヴィッチはいい録音に巡り合えず私の中で疑問符付きの指揮者として位置づけられていたが、この名演をもって初めてその巧さがわかった。颯爽とした棒。どんな変拍子でもしっかり振り抜ける。自作自演盤のごつごつした舞踏とは違って、シャープでスマートな踊りだ、いや、これはもはや舞踏のように具体的な表現行為とは隔絶した、純粋な音楽である。スリリングな演奏は曲が進むにつれてどんどん吸引力を増していく。映画音楽ふうに聞こえるところもあるが、現代的な指揮ぶりに「高度に洗練されたローカル色」を持つ手だれ揃いのオケ。ウィーン・フィルでつくづくよかった。弦楽器弾きの私はやはり弦楽を聴いてしまうけれども、この演奏の弦楽器は凄まじいと言ってもいいくらいかっこいい。重量感有るリズム、それでも少しも失われない前進性、表情ニュアンスの深さ。打楽器も重くなりすぎずぴたりとはまっている。冒頭でも言ったがブラスにはミスが多い。ペットの速吹きがついていけてなかったり、ボントロやホルンがこけてたり、それでも合奏部分は過不足無くしっかり鳴っている。とにかく私はマルケヴィッチのハルサイの良さを初めてわかった。◎つけときます。良いものは良い。終演後のブラヴォーがすごい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,○マルケヴィッチ指揮RIAS交響楽団(audite)1952放送録音・CD,,最初は錯綜する音符をいちいち整え前進力が損なわれた感を抱いた。スコアに忠実にしすぎている、というふう。しかし破壊的な踊りが始まると決してそれがテンポの淀みではなく脚を縦に踏み鳴らすようなストラヴィンスキー特有の数学的舞踏を忠実に再現し、自ずと原始の感興を呼び起こすまでの経過点だったことがわかる。マルケの出自を思わせる咆哮、強弱の極端な差異付けやリズム表現の野蛮さが、一方で厳しい統制のもとに踏み外すことを禁じる禁欲者っぷりと並立し、RIASの本気が少しの軋みもきたさずに、マルケのハルサイ、という一つの「解釈」の頂点を示している。モノラルなのが惜しい。,-----,,,,,,,,,,,,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,マルケヴィッチ指揮LSO(bbc)1962/8/26エジンバラ音楽祭live・CD,,演奏瑕疵がないのはさすが英国トップクラスオケというところか。マルケは何故か穏健な印象のあるイギリスオケと相性が良いように思うしこの十八番もフィルハーモニア管とは二度録音している。技術的にそつのない、万能であるように鍛えられてきた音楽愛好国のオケであるところが、逆に大人し目のハルサイにまとまるかと思いきや、所々、木管ソロや弦に露悪的な音色を出させて「やりまっせ」というところを予感させ、もちろんストラヴィンスキーが「モーツァルトにデスメタルを聴かせる」ような「いきなり感」で現代の音楽シーンの幕をあけた(ついでにバレエを破壊し再構築した)記念碑的な大作なわけで、各場面の毒々しい特徴はスコアの中で既に示され尽くしているのだが、そこに大局的な構成感をもってマルケは第二部終盤においてとまさに「阿鼻叫喚」のこの世の地獄のような音響を「正確に」叩き出させて、聴衆の絶大なブラヴォを呼んでいる。オケの音がニュートラルなだけになおさらそのスコアと捌き方の鮮やかさが際立ち、録音操作的違和感もなく、ライヴ録音としても良好。おすすめ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,マルケヴィッチ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI/testament)1951・CD,,旧録。テスタメントは板起こしか?モノラル末期の隈取の濃い音で、ぎちぎち締め上げられたマルケのハルサイが聴ける。冒頭より木管の発音などアクの強い表現がすでに取られており、すでに阿鼻叫喚を呼んで、純管弦楽曲として当時の前衛音楽であることをしっかり意識し、リズムは重くも前進性が強く、凝縮力の強い扇情的な響きで組み立てられている。バレエとして踊る音楽の意識はないように感じられる。第一部で盛り上げ過ぎてしまい第二部は相対的に平板感が無きにしもあらずだが、録音の古さにより弱音部の音色的魅力が損なわれているのも理由のひとつかもしれない。元より英国オケ、録音オケとして最高峰なのは冒頭五分でわかるが、指示して意識させなければそつのない音になってしまうのだろう、コントラストを付けて強音部はそれなりに派手さを取り戻してはいる。終始内容には配慮され必ずしも全く筋に頓着せず交響曲的にやっているわけではないので、筋と構成を意識すれば平板感等はあまり気にならないだろう。そこは劇伴的ではあるが、それでもこれは踊るリズムではない。ボリュームあるブラスの響きは鋭さに欠け、打点はわりとぼわっとしている。でも、おそらく、扇情性の点でこれを取る「ステレオ反対派」もいるかもしれない位には聴ける。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」,マルケヴィッチ指揮ワルシャワ・フィル(accord)1962/1live・CD,,マルケの多種ある中で最も凶悪であるばかりか、モントゥーをさしおいてディアギレフ関係者では最高の録音と言われる有名音源だが、現役盤ではなくデジタル配信販売がAmazonで行われているのみである(mp3には向いている、シャープで耳を突く音)。私はうっかり両方手に入れてしまったが自前リッピングより配信のほうが凶悪に聴こえるのでこれでいいと思う。元の音は良くはない。拍手の歪んだ音を聴けば録音レベルが知れる。,,スピードと鋭い発音で、自作自演のように変則的なリズムを執拗に正確にとるというよりは、音楽の推進力を重視している。その激しさで押し切っていく感がある。旋律性が重視され、骨皮筋衛門的なストラヴィンスキーの書法が露骨になるのを防ぐべく豊饒な響きと表情付けが施されている。とにかく各楽器がよく主張し、打楽器やブラスはよく吼え、静かな場面では弦楽器が思い切りテヌートで分厚く歌う。だからといってマルケなのでスコアを軽視しているのでもなくオケに技巧を徹底し、自然に聴こえるようになめしているのである。そのストイックさにより原曲の言わんとしているところを作曲家よりも的確に引き出して曝け出そうとしている。とにかくやかましいのは無意味に音楽としての魅力を水増しすべくやっているわけではなく、ただ四角四面にやっていてはコンサート形式の音楽会において形にならないことをわかっていて、飽きさせないためメリハリをつける意味でやっている。バレエ音楽としては過剰すぎて使えないと思う。たしかにこの曲は音楽だけでは飽きるから、これが良い選択だ。聴衆反応は普通。一回性の過剰さを世評は最良ととっているのだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),マルケヴィッチ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(CASCAVELLE)1982/6/30LIVEマルケヴィッチのハルサイに私が惹かれないのは音の鋭さがおおむね常識の範疇内におさまり、おおまかにはかなりオーソドックスで特徴の少ない解釈に聞こえてしまうからだ。細かくみれば確かに創意工夫の跡はうかがえるのだが、漠然と聴いているととくに耳を惹かない。このライヴはマルケヴィッチの最後のハルサイ記録だそうだが、ティンパニやタムタムという低音打楽器がやたらと重く派手に轟き渡るほかは、ちょっと音量差がでかいかな、という程度できれいな音でそつなくこなしている、という感じが否めない。オケのせいも無論あるだろう、スイス・ロマンドはいわゆる爆演系のオケではない。バレエ指揮者マルケヴィッチのリズム感がいいか、というとこれも疑問で、とりたてて感情を昂ぶらせるような棒は振っていない。原典主義的と言ったほうがいいのか、とにかく少し期待しただけにあっさり肩すかしをくらったような感じだ。もちろん正統的なハルサイファンには受けるかもしれない。私が自作自演のようなささくれだった激しい音楽を好むだけの話です、ごめんなさい。このレーヴェルは組み合わせをかえてけっこうたくさんCDを出している。かなり廉価で手に入りますのでご興味があればどうぞ。もう一枚あるものがもっともイイらしいのだが未聴。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),マルケヴィッチ指揮フィルハーモニアO(EMI)1959/2 スイス・ロマンド盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(リハ付),○マルケヴィッチ指揮日本フィル(PLATZ/EXTON)1968/2/29東京文化会館live(リハ1963/9/23)・CD/DVD,,本編のみEXTONでDVD化されている。日フィルが技巧的にすぐれている。マルケのシャープな指揮に機能性でこたえ、また重量感のあるバランスのとれた音で気を煽る。ブラス陣がややおとなしいものの、やはりマルケにかかるとここまでリズムのキレたオケになりえるということか。テンポはそれほど速くはなく、それだからこそ小粒にまとまらず、元来の重さが壮大さに置換され、カッコイイというよりしっかりした演奏になっている。マルケのライヴは素晴らしい。リハもなかなかにすぐれた演奏ぶりが断層として聞ける。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」第二部,○マルケヴィッチ指揮シュヴァイツアー音楽祭管弦楽団(RELIEF)1951/8/18ルツェルンlive・CD,,まあ上手いです。オケも鳴る鳴る。バランスのとれた音響で、ブラスは弾けパーカスは派手に鳴らしてなお乱れは無い。マルケらしい締め付けぶりだが窮屈さは無い。バレエ音楽として「踊れる」リズムを刻み、けして片手で数を数えながらアンサンブルするたぐいの軋みは生じていない。厳密に見ればどうか、ブーレーズなどと較べてどうなのかはわからないが、正確かつ音楽的である、ということは確かだ。客席反応は意外と普通だった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),△フレイタス・ブランコ指揮ポルトガル国立交響楽団ライヴ(strauss)1952/12/12LIVEどうも生彩に欠ける。音は明るく清新なのだがまずオケの技巧に限界があり、余裕が無い。管楽セクションの表現が一様に固いのが気になる。押し並べて音を短めに切り上げるやり方をとっており、冒頭ソロからやけに素っ気無い表現が続く。第2部に入ってやっとブランコらしい抜けの良さや音彩の面白さが聞こえてくるようになり、解釈表現にも若干の余裕が出て来る(ブラスと太鼓の響きは良くなってくる)。ただかたくななまでのインテンポは引き続き、叩き付けるような力感のある音はともかく、沸き立つ自作自演より、冷たいアンセルメのようなところがある。オケが粗いだけに耳につくうえ、ワンパターンで飽きのくる演奏になっている。踊る要素も少ないといえよう。選ばれしおとめの最後の踊りに至るまで、あまり起伏も無い演奏となっている。終演後の拍手は暖かいものだが、一寸「手についていない演奏」、オーケストラの限界にあわせて敢えて「変えた」棒なのだろうか。もしくは作曲家の意図を尊重して「揺れ」を抑えた結果の「ぎくしゃく」なのだろうか。併録のルーセルは喜びに満ちた佳演ゆえ尚更そう思う。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),◎ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(weirblick)1977/4/19liveやはり名演だった!鋭い音に激しいリズム表現、精緻な指揮ぶりに脱帽。冷たい熱気のようなものが感じられ、ストラヴィンスキーの独特の世界を追求する姿勢は頼もしい。これだけスピード感があるのに安定感があって安心して聴いていられる。変なアクのようなものがなく、現代の名曲として正確にさばいているため、ハルサイの「匂い」が嫌いな向きには向いている。ラヴェルも巧かったがけっこうフランス寄りの曲をやるとハマるのだな、と改めて思った次第。1913年版による。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(SCRIBENDUM/MELODIYA)1966/5/24LIVE待望の復刻である(2003/12)。しかも「新世界」「ハルサイ」「鉄工場」という無茶な、でもうれしい幕の内弁当の組み合わせ。すべてライヴとのこと。ソヴィエト国立のハルサイとなると私はクラフトの超絶的なライヴを思い浮かべるが、この演奏は思ったとおり輪をかけて爆発的。響きはハデハデしく耳をつんざく破音の連続はあまり大音量で聴いているとおかしくなりそうなほどだ。ただ、思ったのはこれはそれでも余裕があるというか、たとえば春の兆しでの弦の不規則なリズム、この刻みかたなど思ったより軽くて驚く。この盤かなりリマスタリングが加えられているようで、これもリマスタリングにより丸められたのかも、とは思うが、似たようなスカシが他にも僅かだがある。ただまあ、この人のライヴにしては素晴らしく引き締まってボロの出ない演奏であり、それだけでも奇跡的な記録と言えるだろう(誉めてるのか?)。○にしておきます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),◎ルドルフ・アルベルト指揮Cent Soli管弦楽団(LE CLUB FRANCAIS DU DISQUE)LPこの指揮者ナニモノ?!名演です。とにかく美しい。硬質で実にバランスのとれた音が素晴らしく響く。とにかくよく鳴るよく通る。軽やかでパワーヒッターではないがそれを補って余りある音の美しさ。細部まで明快に組み立てられ、全ての楽器がしっかり鳴っているのに、決して重くならない。リズム感は実直だが愚直ではないから過不足は感じない。踊りの要素は薄いが音楽的にそれ以上の魅力を感じる。フランス的な色彩感が何とも言えないものの、フランス的なアバウトさや生生しさはまったく無い。ストラヴィンスキーのアクの強さはそうとう薄められているが、これは音楽的に普通に楽しめるハルサイ、こういう演奏が必要なんですよ、たまには。それがこの人の個性。とにかく騙されたと思って聴いてほしいっす。録音悪いが文句なし◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),○レイボヴィッツ指揮ロンドン祝祭管弦楽団(CHESKY)1960派手で色彩的(それもロシア的な原色というよりはフランス的な綺麗な色)、レイボヴィッツらしさは録音の鮮やかさにも現われている。やや落ち着いて聞こえるのはこの曲のまとめづらさを考慮したものか。ハルサイの録音には縦をそろえてしっかり響かせる演奏が多く、縦も構わず勢いで押し捲る演奏は案外ないように思う。そしてこれもハメを外さない比較的マトモな演奏になっている。私は解釈的には「フツー」の感じは否めなかった。打楽器群の鮮烈なひびきが強いていえば印象的だった(これは譜面どおりにやっているのだろうか。。タムタムの打撃が多いような気が)。録音プラスで○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),カラヤン指揮ベルリン・フィル(sardana:CD-R)1977/9/25ライヴ 純音楽的演奏、といっても前世代のそれ。序曲から春の兆しのコントラストが余りはっきりしない。ペトルーシュカ的な音の精妙美がフレーズの継ぎ目にしっかり見えて面白い。高音打楽器・木管楽器の弱音表現が際立って美しい。第二部の盛り上がり所、選ばれしおとめの賛美ではかなりはっきりとテンポが変わり幾分熱を帯びる。12分半後くらいから選ばれしおとめの神聖な踊り、重厚な音響の迫力がありそれなりに良い。全般劇音楽のようなダイナミズム。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(BMG)1929-30この古い録音は「ファンタジア」での改変版も振ったストコフスキの演奏なのであるが、やはりこの曲で曲の力感を伝えられないほど古い録音はあまり良くない。おおまかには原典どおりの演奏を行っており、その意味では正攻法だし、オケも巧いのだが、二度は聴く気が起きない。ストコは他にも沢山盤を遺しているので、もっと新しい盤にあたるべきかもしれない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),ナヴァロ指揮シュツットガルト放送交響楽団(自主制作盤)1984/11/14・LP明るくて馬力が無い、という一次聴感。イマイチはじけないのだ。楽曲が進むにつれ熱気が湧き起こってきて、最後はけっこう盛り上がるのだが、いかんせん「春の兆し」はこの曲のツカミの部分、シュツットガルトの冷たい音色のせいもあろうが、現代の演奏、という感じがする。ナヴァロも早世し過去の人になってしまったが。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1911-13/47),フリッチャイ指揮ベルリンRIAS交響楽団(DG)堅実な演奏といえようか。水も切れるような颯爽とした指揮、緊密なアンサンブルに耳を惹くものはあるが、全体として技術的に巧すぎるがゆえ特徴に欠け、また爆発的な推進力というものも感じない。ちょっと中庸的なのだ。スタンダードな演奏と呼びたいがモノラルゆえ薦めるには躊躇を覚える。悪い演奏ではないが、春の祭典の新しい姿を見せるまでには至っていない。ぎりぎり無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」より第二部生贄の賛美〜生贄の踊り,ローゼンストック指揮NHK交響楽団(CBS,NHK)1956/11/28live・LP,,このコンビにはあることのようだがかなり生硬で、スコアをちゃんと音にするのに専念するだけになっている感は否めない。血だけでは演奏できない難曲ではあるが血を演出するくらいの「凄み」がどこかにないとつまらない。縦を意識しすぎの気もする。優秀録音のせいで音は激しく迫ってくるが、まったくそそられなかった。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」抜粋,○ローゼンストック指揮NHK交響楽団(NAXOS)1956,,NML配信限定のシリーズだが一部はe-onkyoからダウンロードできる。これは技術的問題抜きにすればわかりやすい演奏で、最初はパワー不足が否めないが旋律や響きの中の抒情性が引き出され、抜粋自体も第一部第二部からのハイライトということで十分楽しめるだけのボリュームはある。最後は打楽器の力感も不足なく終わる。あくまでローカルオケの演奏というレベルではあるが、それなりに楽しめます。タンホイザー序曲と三角帽子二組とのカップリングだが三角帽子(欠落あり)はかつてリアル媒体で復刻されたことがある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネルラ」組曲(1947年版),○クレンペラー指揮トリノ・イタリア放送交響楽団(FONIT CETRA)1955/12/21LIVE 危なっかしいけれど、音が古雅で、と言っても古楽とはまた違うんですが、何かしら惹かれる演奏です。いろんな面で整合していなくても音楽はちゃんと流れて行く。クレンペラー自身の意図とは外れているかもしれないけど、正直一番面白かった。弦楽器って、こういう音がするものだったよな、とひとりごちながら心地よくハマってしまう。ストラヴィンスキーらしいけたたましい音楽が闖入するところは逆に違和感があったが、これは相入れない二つの要素を交ぜずにそのまま配置した音楽、そこで止まっていたらしょうがない。アンサンブルは雑味はあるが乱暴ではない(失敗はするけど)。ある意味民族音楽ふうで面白い。時折クレンペラーの怒号が入るような気もするが気のせいだろう。田舎楽団にプーランクの曲をやらせたかんじ、と言ったらいいのだろうか、とにかくなんか幸せです。○。個人的にはもっと好き。バイエルンの格調高い演奏もいいけどね。終演後は割と好意的な盛大な拍手。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネルラ」組曲(1947年版),○クレンペラー指揮バイエルン放送交響楽団(BRSO)1957/9/28,29LIVE・CD EMIのグレートコンダクターズシリーズ収録のものとは別(こちらはペットの調子が悪く終曲末尾に派手なミスがある)。本盤は拍手が消されているので録音時間が近い点はそのぶんを足せば違ってこよう。録音はやや茫洋としているがまずまず。曲の機械的な構造をしっかり組み上げて、しかも決してスピード感を失わずに前進的な音楽を保っている。クレンペラーでは意外と思えるほどしなやかで完璧であり、まったく、口あんぐりと言っていいほど鮮やかな手腕が発揮されている。完全に古典曲を念頭に置いた客観的な演奏となっているが、曲中にストラヴィンスキーらしい機知が織り込まれるようになってくると攻撃的な突き刺すような音が曲の流れを断ち切ったりなどして面白い。ブラスの個人技にかかってくる部分の多い曲ゆえ、調子が良いと思われるこのオケのブラスをもってしても疲労感が音に表れてしまって失敗を産んでいるところがあるので、○にとどめておく。比べて瑕疵のほとんど無い一日違いのEMIのライヴについては別記する。バイエルン響は雑味が多いオケだが、クレンペラーの強権の下ではピリピリしながら徹頭徹尾指示に従っている。磨き上げるとこんなにもきっちりした音楽を産み出すことができるのだなあ、と思った。同曲は知る限りEMIのスタジオ盤(現在はテスタメントでCD復刻)、ライヴ盤(グレートコンダクターズ)、それにイタリアオケとのライヴ、そしてこの自主制作盤の計4つの録音がある。プルチネッラについては通常この組曲が使われるが、バレエ全曲、ひいては声楽の加わった版も存在するようだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネルラ」組曲(1947年版),○クレンペラー指揮バイエルン放送交響楽団(EMI)1957/9/26LIVE〜グレートコンダクターズシリーズ収録。素晴らしい集中力。久し振りにこういうしっかりした演奏を聞いた気がする。録音も極めて良い。一切ミスの無い引き締まった名演だ。〜まず音質についてふれておきたい。正規盤でいながらこれはかなり厳しい。終演後の拍手がシャカシャカしていることからもわかるとおり、かなり響きが浅い。途中で何か他のラジオ放送が混信したような雑音が入り、とても気になる。それらをまず念頭において聴いてみると、演奏はとても充実している。壮年期のクレンペラーらしい生命力が感じられ、突き刺すようなリズム表現が清々しい。ストラヴィンスキーらしいエキセントリックな響きになっている。この曲をけっこう振っていたようだが、さもありなんと思わせる解釈的な安定感もある。不断のリズムに身を揺らがせよう。オケも野武士のような渋い音で男らしい響きを聞かせている。演奏自体はすばらしいので○をつけておく。ミスもほとんどない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネルラ」組曲(1947年版),○クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(TESTAMENT/EMI)1963/2/18,5月14日,18素朴な音だがなかなか洒落た歌い回しで浮き立つようなリズムが楽しい。クレンペラーにしてはとてもスマート。軽く明るい音は擬古典的な曲にマッチしている。クレンペラー的ぶっきらぼうさは緩徐部の音の重ねかたに表れているがそれほど目立たず、寧ろ急峻部のニュアンスに富んだ表現のほうが目立っている。ストラウ゛ィンスキー的な味付けが次第に大きくなってくると音楽は大きく動き出す。歯切れの良い重い響きがその重さに引きずられることなく前進性を失わない姿は清々しい。又イギリスオケらしい柔軟さが曲の孕むギチギチなところを軽減し、温かな雰囲気作りに大きく貢献している。細部をあげればきりがないが、概ね成功していると言えるのではないか。フィナーレ、ガシガシ鋭いリズムに傾聴。ストラウ゛ィンスキーはリズムだ。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「結婚」組曲,◎作曲家指揮コロンビア打楽器アンサンブル、アメリカン・コンサート合唱団他(SONY)CD 作曲家のバーバリズム、打楽器主義の極みと言ってもいい楽曲で、剥き出しのリズムと回転するような楽想にはトランス効果すら感じられる。響きはどこまでも堅く、ピアノと打楽器という極限にまで削ぎ落とされたアンサンブルはハルサイ後行き着く所まで行ったストラヴィンスキーといった感じだ。とはいえ歌にはどこかメロディアスな部分が残り、シニカルで角張った音楽であっても最後は何か幸せな感じすらする歌唱は美しい。この演奏はかなり録音が硬質でクリア。こういう音楽をやるのには最適な音質だ。ストラヴィンスキーらしい荒さもなく、タノシムという曲ではないが、楽しめる。この曲、実はこの編成は音楽外の必要に応じて決められたらしいが、のちの「兵士」に通じる削ぎ落としの美学が生きていて、ちょうどこの人のピアノ曲を聞くように飾り気の無いもっとも素直なストラヴィンスキーの作風を味わうことができるものとなっている。響き的にはオルフの単純な楽曲にも通じるが、それよりはかなりフクザツ。◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「結婚」,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「結婚」,作曲家指揮コンセール・ストララムO
ストラヴィンスキー:ロシア風スケルツォ<交響楽版>(1944/6),○作曲家指揮RCAビクター交響楽団(PEARL/ANDANTE)1947/9/16・CDリズムが跳ねていてとてもたのしい。ノリのいい楽団だ。最後のぶちきれたような終わりかたもストラヴィンスキーらしくて納得。古い録音だが思ったよりは聴き易い(パールでは珍しい)。自作自演の数多い曲だが、この演奏は高い位置に置けそうだ、○ひとつ。RCAビクター響はコロンビア響の変名でしたっけ?,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:ロシア風スケルツォ<交響楽版>(1944/6),◎作曲家指揮イタリア放送ローマ交響楽団 (CETRA)1957/10/23LIVE(CD化?)ストラヴィンスキーが金のために書いたアメリカ40年代前半の小品群は、中仲どうして面白い。サーカス・ポルカ(バランシンの振り付けによる象のサーカスのための、シニカルな剽窃的楽曲)やノルウェーの情緒(グリーグ風と銘打って、ナチスのノルウェー侵攻に関する映画用に書かれたと本人は語っているが、ブロードウェイの舞台のための作曲だったともいわれる組曲)も良いが、この4分前後の小曲には懐かしきペトルーシュカ風のおどけた無邪気さが感じられ、響きも所々繊細で美しい。音が澄んで音量が大きすぎると、却って大袈裟でこけおどし的印象をあたえてしまう(自作自演のSONY盤)。ポール・ホワイトマン(シンフォニック・ジャズを提唱し、ガーシュイン(グローフェ)との共同作業で有名)のためにジャズ・バンド編成でも書かれていることでもわかるとおり、後年のストラヴィンスキーにしては可成わかりやすく素直な曲想だから、少し野びた雰囲気で肩の力を抜き楽しく流す演奏のほうがいいだろう。連綿と続く変リズミカルな音線は、ほぼ同時期の「三楽章の交響曲」にも繋がる要素が在る。はじめは遠く、いきなり強く打ち出される行進曲風主題が繰り返される間にいくつかの楽想(ムード)が挟まる形で、最後は主題に戻り断ち切れて終わる。アンコール・ピースとして丁度良い長さだ。じっさいここに挙げたライヴは同日のアンコールに演奏されたもので、演奏も楽しげで熱気の在る演奏(一度CDになったときは、この曲はカットされていた)。ロシアを舞台とした戦争映画のために構想されたと作曲家自身は語っているが、実はホワイトマンのためのジャズピースの方が先だったともいわれ、実のところ動機ははっきりしないものの、この管弦楽版、同時期の小曲としては一番引き締まっていて良いのではないか?,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:ロシア風スケルツォ<交響楽版>(1944/6),同上?,作曲家指揮イタリア放送ローマSO 1957/8/23
ストラヴィンスキー:ロシア風スケルツォ<交響楽版>(1944/6),○作曲家指揮バイエルン放送交響楽団(BRSO)1957/10/7LIVE・CDストラヴィンスキーはいくつかこの曲の録音を遺しているけれども、単純平易であるせいかどれも楽しい。縦線がきっちり揃ってリズムを刻まれると行進曲を聴くようで心が浮きたつ。この録音はモノラルで音場が狭く決して十全なものではないけれども、ライヴのわりによく揃っていて、音に安定感と張りがあり、聴き易い。アメリカ音楽に接近したあっけらかんとした曲想をこのドイツの古参オケはよく理解しているようで、初々しさすら感じるのは私だけだろうか。気持ち良く聞けた。録音マイナスで○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:ロシア風スケルツォ<交響楽版>(1944/6),作曲家指揮コロムビア交響楽団(sony)1963/12/17・CD イタリア盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:ロシア風スケルツォ<交響楽版>(1944/6),○ドラティ指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1978/3/2live,,ザ・職人ドラティだけに小品では冴えた演奏を聴かせる。ただ無難といえば無難に気を煽りすぎて「高尚ではない」とか「浅い」とか思わせてしまう部分もあるのだろうか、単純に曲のせいか(楽しくもストラヴィンスキーらしいオスティナートリズムに貫かれた「オーダーメイド作品」なんだけど)、拍手がいかにも戸惑うようでまばら。何故。録音状態はこんなものか。○以上にしてもいいんだけどなあ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ロシア風スケルツォ<交響楽版>(1944/6),○ドラティ指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1978/3/2live,同上,まあさすがというべきか、ドラティにこういう曲はとてもあっていて、愉悦的に聞き流すことができる・・・いい意味で。逆に真面目過ぎたり芸風が偏ったりしているとこういう曲は活きて来ない。職人指揮者向き、現場指揮者向き。面白い曲だし、録音も時代なりのよさがあるし、○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:管弦楽のための4つのエチュード,○コンドラシン指揮ユンゲ・ドイチェ・フィル(BERLIN classics)1980初出 弦楽四重奏のための3つの小品およびピアノラのためのエチュードからの改作で、はっきり言ってマイナー(短調という意味ではない)。原曲とは雰囲気をかなり異にしているが、これはこれで独立した曲としての魅力をはなっている。とくにピアノラ〜からの編曲になる4楽章は楽しい。ちなみにピアノラとは自動ピアノのことだが、豪華な管弦楽によって民族的雰囲気を紛々と漂わせた、まるでアメリカ時代の小曲のような楽しげな、だがぴりりと辛い曲に仕上がっている。原色の音色表現の妙を楽しもう。コンドラシンは透明感ある音表現で精度の高い演奏を繰り広げている。このユースオケははっきり言ってそうとう巧い。あくまで手先の巧さだけではあるけれども、硬質で明るく垢抜けた演奏ぶりは聴いていて気持ちがいい。コンドラシンの凝縮力によってほどよい緊張感を保っており出色だ。併録のショスタコーヴィチ9番のようにフレージングの妙まで聞かせるほどの楽曲ではないので、面白味といえば純粋に響きの奇矯さくらいしかないのだが、それでも十分聞かせるものとなっている。これらの印象がかなり加えられたと思われるリマスタリングによるものである可能性も否定できないが、小難しい事を考えずにこの「音」だけを楽しもう。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:管弦楽のための4つのエチュード,○作曲家指揮CBC交響楽団のメンバー(SONY)1962/11/29-12/1カナダ・CDこれも編曲作品。弦楽四重奏曲の編曲には驚かされるがそれほど違和感はない。硬質で金属的な「組み物」として面白く聞ける(たとえば1楽章ダンスなどは弦楽四重奏で聞くと熱気溢れる民族舞踊にきこえるのだが)。作曲家の指揮は手慣れたものと言っていいだろう。案外スマートだ。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:弦楽のための協奏曲ニ調,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(DOCUMENTS,artone他)1948/3/10・CD,,artoneのバルビローリBOXはどうやらSP廉価復刻レーベルドキュメントの後継らしいのだが、収録曲を誤って記載している通販サイトもあるので注意(ローマの祭が松になっていたり)。最近品薄だったが2012年初旬廉価でタワーに入荷している模様(定価で倍で買った私・・・)。これはハレを使っていることもあり、壮年期バルビの力強い表現が行き届いて尚かなりロマンティックな性向もあらわれており、チェリストであったバルビの面目躍如たる弦楽合奏のキレキレ具合もあいまってかなり楽しめる。ドキュメント音源特有のノイズリダクションと残響が気になる向きは気になると思うが私は聴きやすいと思った。ストラヴィンスキー新古典時代の作品を潤い深く聴きたい向きにはどうぞ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:弦楽合奏のためのニ調の協奏曲(バーゼル協奏曲),同上,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(DUTTON)1948/3/10CD〜響きの美しさが印象的。なかなかこのオケにしては引き締まった仕上がりだが、予想通り抒情味が重視された演奏ぶりで、断片に切り刻まれた旋律がつなげられてスムーズに流れて聞こえる場面でははっとさせられる(両端楽章)。弦楽合奏曲のスポーツ的快楽を求める人にはいささかメロウすぎる演奏かもしれない。だが、ストラヴィンスキー生来のメロディアスな才能がはからずも際立ってくるような演奏であり、アリオーソの美しさはなかなかのものではある。但しそのぶんストラヴィンスキー的な禁欲性が甘くなり半端な二流作曲家の畢生の傑作レベルに落ちてしまった感もしなくもない(ちょっと言い過ぎ)。ハレにしては非常に技巧的なフレーズをこなしておりハレの弦もやればできるじゃん的な感慨をうける。ごく短い連続した3楽章からなる凝縮された曲だが(計11、2分くらい)、気楽に楽しみましょう。○。初演の翌年という録音時期も随分早いものだ。〜この短い曲、ザッヒャーに献呈されたのは周知のとおり、弦楽アンサンブルによる「形式的には」擬古典的な作品だ。厳しく斬りつけるような乱暴な楽想が連続し、ちょっと昔のバレエ音楽を彷彿とするリズムと旋律の饗宴、けっこう難しそうだが聴いているぶんには楽しい。バルビのハレ管との録音はとくに激しいアタックが目立ち、このコンビの録音特有の激しい感情とバラケ味が典型的に現われている。バルビの音は感情の起伏が激しいぶん薄くて雑味の多い独特の音。これをヘタと聞くか個性的と聞くか、私はその中間くらいだけれども、人それぞれだ。NYP時代の激烈さの残った演奏です。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:弦楽合奏のためのニ調の協奏曲(バーゼル協奏曲),◎作曲家指揮Svizzeraイタリア放送管弦楽団(ERMITAGE)1954/4/29LIVE・CDやや硬直していはいるが大変に引き締まった演奏である。この人にこういう棒が振れるとはむしろ意外で、きっぱりした曲想とあいまって非常に潔い聞きごたえがある。これはザッヒャーの依頼により制作された弦楽合奏曲で、3楽章の交響曲などと同傾向にあるが、さすがオケ楽器をよく知った人の作品というか、弦楽合奏曲として古典的フォルムを堅持しながらも、中身は特殊なリズム音形の繰り返し、縦のリズムに分断された途切れ途切れの音楽片の奔流・・・その中には極めて抒情的な楽想や世俗舞踏音楽が含まれる・・・には新しい息吹の吹き込まれた独自の新古典的作品としての輝きが確かに感じられる。曲想がより断片的なので3楽章の交響曲に比べればややわかりにくいかもしれないが、律動だけでも十分楽しめるだろう。この演奏においては余りに律義なテンポ(この人は体内にメトロノームでもあるのか?)はしかしスピードが速いため単調さを感じさせず、スポーツ的な快感だけが残る。ストラヴィンスキーらしい音楽の止揚も余り気にならなくて、流れが良い。これがライヴというのはとても驚かされるが、成功した演奏だったといえるだろう。さすが弦の国イタリアということもあるがイタリアらしい音色とか自主性は皆無。でもそれも凄いことである。自作自演は知る限り他に2つほどある。面白味という点では専門指揮者に負けるかもしれないが、専門指揮者の持つ「臭み」がなく純粋に音楽を楽しめるという点では十分に◎の価値はある。名演。これは珍しい曲の集められた廉価盤です、趣味の人なら一聴の価値はあります。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:弦楽合奏のためのニ調の協奏曲(バーゼル協奏曲),○作曲家指揮コロンビア交響楽団(SONY)1963/12/17CD高齢の作曲家の指揮によるものだが瑞々しい響きの浮き立つなかなかの好演だ。ストラヴィンスキー特有の変拍子でぐるぐる同じ所を廻っているような、あるいは迷路の中を疾走しているような感覚は、ロマンティックな解釈を許さず、ただメトロノームのように永遠のリズムを刻む事を強要する。と言っても別にラヴェルのボレロのような単純な曲ではなく、いちおうの起伏もあり、古典作品を模した編成とはいえ旋律はこの人らしい独特のささくれ立った抒情をかもし、リズムも当然単純ではない(但しストラヴィンスキーの手の内を知ってしまうと「またこれかー」的感想も呼ぶ)。人によっては(たとえば前掲のバルビなどは)勘違い演奏というか必要以上にハイテンションな音楽を聞かせるが、作曲家自身のこの演奏の特徴は何と言っても明るく透明感の有る音色が爽やかに曲を洗い上げ、適度に客観的に演奏してリリカルな美感を保っているところ。すっきりした気分で聴けます(この室内楽集にはそういう美しい作品が散りばめられている)。いっそザッヒャー/バーゼル室内管の演奏を聴いてみたかったものだ。集中力と美感のバランスのとれた演奏になったことだろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:弦楽四重奏のための三つの小品,○シシュロフ、バラショフ、ガルコフスキー、コルチャギン(ショスタコーヴィチ四重奏団)(MELODIYA)1978,,LPにはショスタコーヴィチ弦楽四重奏団の表記は無い。録音がややモノラル期の音に近い凝縮された感じゆえ現在の同楽団のイメージとは少し違っている。生真面目で集中力の高い抽象的な演奏である。曲がそうなのだが民族的な側面が音色にはあらわれているものの、とくに2楽章以降は効果音的音楽の哲学がやや生々しい人間的な演奏方に傾いている。それでも非常に密度の高い中途半端ではない演奏といえる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:弦楽四重奏のための三つの小品,○パレナン四重奏団(ensayo)1970',,スペイン録音。けっこう明るく透明感のあるアナログ音質ゆえこのレーベルのパレナンものは美しいのだが、パレナンのスタイルとして客観性が勝り構造を機械的に分解し硝子細工として再構築するさまは曲によってはひどく非人間的に聞こえる。スピードもえてして遅く余り揺れない。そういう形は現代作品だと逆に生きてくる。この曲は民族的要素を分析昇華し極めて凝縮された抽象作品に仕立てたようなもので、ロシアの演奏団体なんかだと昇華前の民族要素を煽ったりして趣旨がよくわからなくなることもしばしばある(それでも魅力的なのがストラヴィンスキーの懐深さだが)。パレナンは真逆である。一曲めの土俗リズムにのってとめどもなく綴られるファーストの旋律が、普通は民族主義音楽のストラ版のように演奏されることが多く、かなりのスピードと軽やかなリズムどりがスリリングであるのだが、パレナンはいきなり重く、そしてとても思索的な低い重心の音楽をかなで出すのである。二曲目は一曲目とあまりに違う、かなり抽象度の高い曲ゆえ聞いているとわけがわからないことが多いのだが、ここでパレナン団の真骨頂が見える。まったく完成された「現代音楽」的に聞こえるのである。響きも構造もきわめて明快で整理され、比較は悪いがウェーベルンの室内楽を聴いているかのような錯覚に陥る。ああ、ストラヴィンスキーの前衛は晩年に噴出したわけではなく、かなり古い時期から潜在的に存在していて、表明されたイデオロギーや周囲の見方に反してこの人の中には「ハルサイのストラヴィンスキー」などというものはとっくに無くなっていたのだなあ、と思った。三曲目も更にすばらしく、この曲で一曲目以外に魅力を感じたのは初めてだ。客観性の強い演奏団体は余り好きでは無いので◎にはしないが、楽曲理解には素晴らしくうってつけである。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ストラヴィンスキー:弦楽四重奏のための三つの小品,シレジアン四重奏団(partridge)1992/4・CD,,この曲は躁鬱的に激しく、スピーディで、音には一切の曖昧さを残さない、、、という点でこの演奏はなかなか。一楽章はいくぶん民族性がほしいメロディ(?)を持っているが、ここでは後の楽章同様徹頭徹尾現代音楽として冷徹に処理しており、響きに細心の注意が払われている。2楽章にも少し兵士の物語チックな匂いが残るのに、ここでは純粋な響きしか聴こえない。絶望的な3楽章の終わり方は一つの見識だと思う。このCDはストラヴィンスキーとシマノフスキの弦楽四重奏曲全集を謳っているが、この曲はともかく、コンチェルティーノと最晩年のダブルカノンはもっと抽象的。楽団の色彩感の無さが曲の本音を引き出している。とはいえ、どれも短くてよかった、という骨皮筋右衛門。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:弦楽四重奏のための三つの小品,パスカル四重奏団(ars nova/forgottenrecords)1962/5/23live放送・CD,,モノラルだがステレオ再生機できくと位相が変。はいいとしてメロウな発音による一楽章から始まるが通常抑えられるスピードはここでは速く保たれている。ファーストの律動と低音打楽器的な下三本の「コントラスト」は明確ではない。まとまってはいる。この調子で2,3楽章といくと哲学的というより心象的な演奏になってきて、地味目ではあるが、パスカル四重奏団にとってこの曲の解釈は「ここまで」なんだな、という感も否めなかった。ほんらいエキセントリックな曲なのだ。ars nova盤は状態不明。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:交響曲変ホ調(1905-07)(第1番),作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:交響曲変ホ調(1905-07)(第1番)リハーサル,作曲家指揮コロンビアSO (sony/cbs)CD
ストラヴィンスキー:交響曲変ホ調(1905-07)(第1番)解説,作曲家指揮コロンビアSO (sony/cbs)CD
ストラヴィンスキー:交響曲変ホ調(1905-07)(第1番),○C.アドラー指揮ウィーン交響楽団(CONCERT HALL他),,現代音楽の知られざる推進者として主としてウィーンに多くの録音を残したマーラーの使徒によるストラヴィンスキーである。ストラヴィンスキーは交響曲と名のつくものを5つくらい作っていたか、有名なのは三楽章の交響曲あたり二曲だが、これは初期も初期、学生時代のしかし大作である。オケはまあこんなものか。「らしい」演奏だ。終楽章の木管がへろへろなのは曲のせいもあるだろう。自作自演のコロンビア録音とはかなり違う印象。もっと生ぬるくでも聴きやすい。これは、まずはグラズノフのフォーマットで書かれた習作であり、初期ストラヴィンスキーのお勉強の結果が出たものである。そこにはグラズノフ的楽想にリムスキーやリヒャルト的和声の導入がはっきり聞き取れるが、構成的にはどうも気まぐれで今ひとつしっかりしていない。1楽章の展開部以降は教科書的構成観に基づいているくせに何かぐだぐだな感じがする。ぎごちないが清新な転調や「火の鳥」の萌芽を感じさせる魅力的な楽想、リズムも余り執着なく一つの要素として通過され、結局横長の音符による和声的な進行によって退嬰的とも思える感じをもたらしたりもする(これは3楽章の「イリヤ・ムーロメッツ」のような終わりかたにも通じる)。2楽章のアドラーのアプローチはロマン派を意識したものになっている。自作自演だと初期ドビュッシーを思わせるような精妙さをかもす新しさが感じられるのだが、譜面をいじっているのかもしれないが(版が違うのかもしれない)グラズノフの凡庸な模倣者が書いたような、それでもまあロシア国民楽派らしい魅力を保ったものになっている。グラズノフの影響から脱しようという気分は聞き取れる。そしてそれはある程度成功はしている(4楽章の軽やかさ)。3楽章にしてみてもしっとりして美しい、でも何か浅薄なグラズノフ的抒情というものから一歩離れたような感じがする。・・・でも、この演奏自体の「最初はわかりやすいが二度目以降は飽きて聞けない」的アプローチのせいか、正直余り惹かれなかった。美しさでいえば4楽章の簡潔で構成的な音楽がいちばんで、目まぐるしい転調などにフランスの香が感じられるが、そのわりにいささか「枠」に囚われすぎている感もある。この曲は「ロシア国民楽派のストラヴィンスキー」と割り切って聴くべきものである。メロディのグラズノフ性のみを楽しもう。1楽章コーダ末尾でのユニゾン主題再現にのけぞっておこう。演奏的には自作自演よりは面白い。○。,,(後補)近年CD-Rか何かで復刻したと思う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ストラヴィンスキー:交響曲変ホ調(1905-07)(第1番),○ドラティ指揮デトロイト交響楽団(DECCA)1984/11・CD,,ストラヴィンスキーの習作だが、やはりグラズノフとチャイコフスキーの影響が強く、とくにこの演奏では僅かに織り交ぜられた楽想の清新さが引き立たず、完全にロシア国民楽派のデロデロ節をやろうといったふうの態度がとられている。にもかかわらず1楽章などかなり人工的でオケにもやる気が感じられない、まあドイツ式といったらいいのか、ノリが感じられない重くて客観的な演奏になっている。スケルツォは木管がたどたどしい。これはロシア伝統のソリストに過酷な技巧を要求する書法によるものであろうが気になる。3楽章は曲が地味だが、4楽章になると壮麗にアグレッシブに盛り上がり、ドラティらしさがやっと出て大団円になる。まあ、こんなもんかもしれない、職人的に処理するとなると。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:交響詩「夜鳴きうぐいすの歌」,○作曲家指揮NHK交響楽団(NAXOS他)1959live(5/1大阪フェスティバルホール?),,NML限定復刻で昨秋物議を醸したN響シリーズの一枚で、併録は映像が残る火の鳥組曲だ。今はe-onkyoからダウンロード販売されているが、FLACかWAVのハイレゾ音源なのでファイルがでかく、環境によってはかなり不便するだろう(しかも一週間しかダウンロードできない)。こんな古い音源をハイレゾって何だろうと思うし実際目覚ましくレストアされた音とは言えない。(5/1大阪フェスティバルホールのコンサート記録が2018/1/30発売されたが同じものの可能性が高い)。演奏は今日よりにもよって放映された演奏会形式の歌劇(デュトワ)と比べれば歴然だが、発音が鋭く厳しく縦を揃えられている半面、抒情的表現が半端で軟らかさや膨らみがなく緩急がただ音色や音量だけによってつけられた乾燥した演奏だ。デュトワの演奏よりも技術的に優れているように聞こえるのはこの演奏の特殊性に起因しているか。音源として楽しめると言うよりは記録として面白い。交響詩版は歌劇の二幕以降の作風に依ったもので無調的なフレーズとハルサイそのもののようなバーバリズムによったリズムに音響が数学的な面白みをかもす。歌劇の筋書きが入って無いとやや聴き辛いかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:交響詩「夜鳴きうぐいすの歌」,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:交響詩「夜鳴きうぐいすの歌」,クラフト指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:交響詩「夜鳴きうぐいすの歌」,○マデルナ指揮ベルリン放送交響楽団(ARKADIA)1969/5/13LIVE美しい曲だ。心洗われる。同時期のハルサイや結婚あたりに共通するような暴力的な不協和音などもなくはないが、ペトルーシュカ以前に立ち戻ったようなドビュッシーふうのリリシズムをたたえる精妙な場面のほうが遥かに魅力的に感じる。幻想的な場面はドビュッシーよりむしろラヴェルか。そういえば機械仕掛けのうぐいすが出てくるのも、ラヴェルの愛玩した機械仕掛けの小鳥を想起する。偶然だろうが、かなり似た感性も持ち合わせていたこの二人の、その共通項が楽曲に編まれたと言っていいかもしれない。東洋趣味の入った題材だが、音楽にはそれほどオリエンタリズムは盛り込まれていない。ストラヴィンスキーの体臭の比較的薄い音楽なので(シャープな感性の発揮された隙の無い楽曲で、十分独創性はあるのだが)、快楽派でストラヴィンスキー苦手なスジにもアピールすることだろう。こういう感想を書けるほど聞き易い演奏である、ということで、○ひとつ。オペラ「夜鳴うぐいす」からの編曲。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:交響詩「夜鳴きうぐいすの歌」,カンテルリ指揮NBC交響楽団(ASdisc)1954/2/21LIVEカンテルリは小ハルサイのようにこの曲を演奏している。ささくれだった書法、野蛮な響きがしっかりとどろき、どちらかというと豪速球系の演奏だ。ただ録音が悪いためそれがカンテルリほんらいの音であったかどうかは定かではない。繊細なリリシズムをたたえた静かな場面(無調的な部分は意外なほど同時期のシェーンベルクに似ている)と執拗に五音音階が繰り返され打楽器的に破裂する場面のコントラストが明瞭につけられており、まるで躁鬱症のような楽曲展開に戸惑うが、この曲がオペラの編曲版であったことに今更ながら気付かされる。うまい演奏だとは思うが今一つ曲の魅力を引き出しきっていないようにも感じたので、録音の悪さもあわせ無印としておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:交響詩「夜鳴きうぐいすの歌」,シルヴェストリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)CD,,初期バレエ三部作を煮しめたような(というか火の鳥からハルサイに至るまでの素材を切り取ってつなぎ合わせたような)オリエンタリズム、暴力主義、痩せた硬質な抒情、きつい色彩に彩られた少々散文的な作品で、若き才気の感じられる魅力的なフレーズや響きを持っているが、もともと三部作時代のオペラの素材を組み直して作られたものであり、その印象はそのまんまの背景を反映している。純粋な管弦楽作品としてのまとまりという意味では、20分という長さをつなぐにはちょっとわかりにくい数珠つなぎである。シルヴェストリも手練れオケ相手に適度に透明感をたもった色彩によりフランス的な調和をもたらそうとしている感もありつつ、いかにもバーバリズムな音響であったり東洋趣味の音階(東洋なのかアジアなのか)が突発的に破裂するのにはどうにもしようがなくそのままやってしまっているように思った。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:交響詩「夜鳴きうぐいすの歌」,○シルヴェストリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI,DISKY)CD,同上,きわめて色彩的で詩情ある演奏。このくらい派手だと曲本来の力が十二分に引き出され自作自演では味わえなかった音を楽しむという意味の音楽にじっくり浸ることができる。徒に現代性を煽らずにただここにある音楽を素直に思うがまま演じているふうなのがよい。オケもやる気が感じられ自発性すら感じる。やはり詩情溢れる弱音部の繊細さがいい。木管を始めとするソロ楽器の好演も光る。かつてのストラウ゛ィンスキー作品を透過してドビュッシーの淡い光が垣間見えるような演奏だ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:交響詩「夜鳴きうぐいすの歌」,○サバータ指揮ストックホルム・フィル(IMG)1947/9/24LIVE,,音は悪いが俊敏で爽やかな演奏。繊細な響きが美しい。この作曲家本来のどぎつさがない、鮮やかな色彩感に耳奪われる。名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:交響詩「夜鳴きうぐいすの歌」,○サバータ指揮ロイヤル・ストックホルム・フィル管弦楽団(FONIT CETRA,DOCUMENTS)1947/9/29・LP,,シャープな指揮ぶり、音の繊細な美質に明らかに印象派風音楽を指向したフランス的解釈を施しているのがわかる。ストラヴィンスキーの書法は原始主義的にもラヴェル的にも現代音楽的にもいかようにでも成るとても書き込まれた天才的なものだが、ここではラヴェル的な音楽を志向していると言っていいだろう。私はとても好きである。打楽器的な響きも透明な抒情を構築する一要素となり非常に美しく広がる。録音の悪さ以前にこのオケの硬質な特質がくっきり浮き彫りになり、技術的に完成された演奏能力の高さが他の瑕疵をどうでもよく思わせるほどだ。これはサバータの極めてスマートな解釈によるところも大きい。変にいじらず、勢いを失わず、からっと乾いた響きに歌心を仄かににおわせて、音楽を楽しんでやっている。録音マイナスで○とはしておくが、いい演奏です。24日とされる録音も残っており音質的にはそちらのほうがよい(CD)。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:交響詩「夜鳴きうぐいすの歌」,〇クリュイタンス指揮フランス国営放送SO
ストラヴィンスキー:夜鳴きうぐいすの歌,作曲家(P) ドウーシュキン
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,作曲家指揮NYP(COLUMBIA/PEARL)1946/1/28 3分53秒。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,作曲家指揮NYP(NYP)1946/1/27LIVE 4分19秒。ニューヨーク・フィル記念ボックス所集。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,作曲家指揮コロムビア交響楽団(SONY)1963/12/17 3分40秒。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,作曲家指揮ミネアポリス(ミネソタ)交響楽団(MO)1966/1/21放送LIVE 3分59秒。ミネソタ響100周年記念ボックスより。冒頭少し硬い。ストラヴィンスキーの棒の悪いところ(四角四面で粗いところ)が出てしまっている。しかし中間部のスクリアビン的な暗い法悦は思いのほか気味悪く描けており秀逸だ。アンサンブルは冒頭から細かく乱れるが金管がしっかり曲を引っ張っていってそれほど大事件にならずに済んでいる。そんなところか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,作曲家指揮モスクワ・フィル(TRITON・MELDAC/MELODIYA)1962/10/2LIVE 3分45秒。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」(断片),作曲家指揮NHK交響楽団(TDK)1959/5/3日比谷公会堂LIVE・DVD,,音声だけ全曲はCDになった(2018/1/30)。1分半の抜粋だが後半から最後まで収録されている。基本的にやや雑なアンサンブルだが思ったよりN響健闘。垂直に落とされる打音がストラヴィンスキーらしい。四角四面なほどきっちりと音の縦を揃えている。火の鳥1945年版組曲とのカップリング。映像は白黒にくわえ状態悪し、だが音は割と綺麗。無印。有名な来日記録映像も少しだが収録。小柄坊頭でサングラスの作曲家と大きな妻。こうして見るとセルに似ている。羽田で飛行機のタラップを降りるところでクラフトの姿も見える。クラフトの手記にこの訪日時のエピソードが山ほど載っているのでご興味があればどうぞ。兼高かおるも出てきます。断片的にはNHKの番組で紹介されていたが、集成された形でこのたび目にすることができて非常に嬉しい1枚。(2004/3記),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,作曲家指揮NHK交響楽団(KING,NHK)1959/5/3日比谷公会堂LIVE・CD,同上,後半の映像が既出。これは全曲とあるが冒頭?拍手も入っていない。音は極めてよく、晩年ストラヴィンスキーの骨と皮…その骨は野太く皮は分厚い…の音楽をじつによく伝えてくれる。基本的に四角四面でやけに大作りで、緩慢なインテンポにオケが合わせていくのはとても窮屈というか大変そうだが、色彩感とリズムの重みは別種の熱気をはこぶ。ソヴィエト公演記録同様、下振りのクラフトの方が上手にストラヴィンスキーを再現できそうなものだが、これはやはりストラヴィンスキーの即興性(演奏会の度事前準備された現場改変含め)や奥底に眠る作曲時の情熱がそこに生まれてくるところが面白く、花火は短いので演奏上の軋みもすくないから、ストラヴィンスキーの演奏スタイルを知るには良い例だとおもう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,○デュフォー指揮シカゴ交響楽団(RCAvictor)1945/12/12・SP,,意外と言ったら失礼だがワグナー的な迫力を誇る佳演。リズミカルな処理が上手く、響きもしっかりしている。細部にこだわる芸風ではないが珍しい組み合わせであるこの一流オケの威力も感じさせる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,デュフォー指揮シカゴ交響楽団(RCA)1945/12/12・SP,同上,ワグナーみたいな演奏で、変な威厳がある。堅いのだ。その堅さゆえペットなどミスが目立ち現代のスタジオ録音ではありえないような精度(これはシカゴのオーケストラホールでのセッション録音だそうだが)。かっちりしているぶんオケがヘタクソに聴こえるのは痛い。デュフォーはSP末期にはたくさん録音を遺しているが中古市場に余りまくっている、つまりはそういう指揮者なのだろう・・・ネットで聴ける。無印。さっそうとしたシシリエンヌとのカップリング。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(PARLOPHONE)SP,,録音がやや遠く高音の伸びや厚みに欠けるためか弾けているのか弾けていないのか判然としない箇所もある。リムスキーというよりラヴェル、中間部以降はワグナーのような演奏、というと当たり前かもしれないが、リリカルなソロ管楽器の動きを明瞭に浮き立たせ、スクリアビンふうの響きのくぐもりもそれほど音に厚みを持たせず、軽やかでさっとした演奏に仕上げている。それほど深みのない演奏だがそういう曲ではある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,○ブール指揮南西ドイツ放送管弦楽団(lanne:CD-R)1960年代,,リムスキー色の濃い初期作品で色彩的な拡散性や個人技的側面を演奏的にどう自然に纏め上げるか結構面倒なところがあると思う。ブールにかかればしかし勢いを失うことはなく、注意深く色々な音の煌きを余すところ無しに表現される。録音が単色的なので今ひとつなところも否めないが、ブールの実力は発揮された演奏と言える。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,○プレヴィターリ指揮ロイヤル・フィル(HMV,EMI)LP,,プレヴィターリにしては鋭さが足りない気もするが、反面プレヴィターリにしては派手で拡散的な演奏ではある。ちょっと緩緩に思えたのは曲のせいもあると思うけれど、この曲には名演も多いので、刺身のツマ的に付加されたトラックとしてみておくべきだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,サバータ指揮聖チェチリア音楽院管弦楽団(SCO)1945/6/15live・CD,,擬似ステにもかかわらず音がよれて悪すぎる。色彩感とスピード、とくに前衛的なハーモニーがうつろう中間部は上手いが、いかんせん判断のしようのないレベルの録音。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,サバータ指揮E.I.A.R.交響楽団(EDUCATIONAL MEDIA ASSOCIATES他),同上?,ストラヴィンスキーの出世作と言ったらいいのだろうか。師匠リムスキーの痕跡が認められるが、不協和音や奇妙に調性感を曖昧にしたような緩徐部など、後年のストラヴィンスキーを予感させるところもある(その意味ではスクリャービン的かもしれない)。鮮やかな管弦楽法はさすがである。基本的には習作かもしれないが、凡百の作曲家には太刀打ちできないであろう実力が垣間見える。サバータの指揮は颯爽としていて素晴らしいが、録音が悪かった。力感ももう一つほしいところだ。CD化。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団1922/11/6victor,,録音のせいでオケが人の声みたいに聴こえる鑑賞対象外の代物ではある。花火は短く、当時録音しやすい曲だったようだが、弾け散る色彩を描ききった点で同時代これに比する物はなかろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,ヘンツェ指揮ACO(RCO)1968/10/31live放送・CD,,堅さが残るのは作曲家指揮者の演奏らしいところ。フォルムはがっちりしているが響きはそれなりにそれらしく、この曲の綺羅びやかな響き、描写性とは遠いが、同時代の録音で聴かれたような少し解析的なものも含む演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,○カンテルリ指揮NBC交響楽団他(TESTAMENT/MUSIC&ARTS)1951/1/15放送LIVE・CD〜5回分の放送録音を集成したセット。カンテルリの盤はいったいどれくらいあるんだろう、次から次へと増えていく。この録音はいささかどぎつい。耳にキンキンつく灰汁の強い音は正直辛い。だが音が明瞭なのは確かで、むしろ明瞭すぎるがゆえに内声部が表面に出過ぎて全般的には平板になってしまったとも言えそうだ。短い曲なのでどうにもこうにも評しづらいが、ふつう、とだけ言っておく。カンテルリはハマると凄いがレパートリーを広くひろげすぎて、イマイチな録音もじつは多い。まあ、無印にしておく。〜冒頭尖鋭的な鋭い響きが耳をひく。中間部の精妙さにこの人のわりと繊細な感性が現われている。どこか突き放したような乾いたところがあるが、力のある演奏だ。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,カンテルリ指揮NBC交響楽団(ASdisc)1954/1/15LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」,E.クライバー指揮ベルリン・フィル(TELDEC)1932/6/24録音がそうとうに古い。音が悪いのは仕方ない。ややバラケているように聞こえるところもあるが、迫力はある。イマジネーション豊かな演奏だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:三幕のバレエ音楽「オルフェウス」,作曲家指揮RCAビクター交響楽団
ストラヴィンスキー:三幕のバレエ音楽「オルフェウス」,作曲家指揮シカゴ交響楽団
ストラヴィンスキー:三幕のバレエ音楽「オルフェウス」,〇作曲家指揮ソビエト国立交響楽団 1962
ストラヴィンスキー:三幕のバレエ音楽「オルフェウス」,ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1965/12/16放送 live,,優しく暖かいストラヴィンスキー。時期的にも作品的にもロマンティックな響きや聴衆を意識したようなわかりやすさを持ち込んで、筋書きに忠実に描かれていく音楽。少々長いので痩せた演奏だと聴きづらいかもしれないが、今は良い録音がある。私はストラヴィンスキーは基本的に自作自演かロバート・クラフトしか聴かないので(ブーレーズは一枚聴いて以後二度と聴いていない)この曲がこんなにキャッチーだったとは発見で、しかしロザンタールの華やかで、耳ざわりのすこぶる良いふくよかな演奏ぶり(ノイズは無くはないが放送録音としては最上級のステレオであるせいもあるかも)によるところも大きいだろうか。何故かハルサイのコンサートプログラムを所持しているがロザンタールがやるとさぞ耳に楽しい躍りになっていたことだろう。一声ブーイングが入るし聴衆反応は穏やかだがこれは曲に対するものだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:詩篇交響曲,チェリビダッケ指揮ORTF他(ina配信)1973/12/23live放送,,ストラヴィンスキー新古典主義時代の、しかも比較的聴衆受けを考えない抽象的な作品である。新古典主義の作品というと一般に割と情緒的というか、気分を煽るような作品が多く、それはしばしばオスティナートリズムに導かれた原初的な高揚感を伴う。むかしクラシック聴きの人にダンスミュージック(もうEDMに近いもの)を聴かせたところ同じ音形の繰り返しでちっとも面白くないと言われたものだが、同じ音形を執拗に繰り返すからこそ陶酔的な呪術的な影響を与えられるのだ。響きの抑制的なミニマルになると逆ベクトルの影響を与えるが、これは交響曲なので素直に前者。ただ、三楽章の交響曲などのあざとさは無い。音形の繰り返しもオルフのような単純な繰り返しではなく、手法としてしっかり考えて使われている。ただ、チェリのこの演奏はつまらない。一楽章など同じような響きが続き変化がなく、それが単調さに拍車をかけ、歌詞をもってのみ曲が成立しているようだ。楽曲のせいだろうが、それを聴かせるように仕立てるうえで、ただ明晰に骨ばった音を響かせるのではなく、柔らかなアナログ的な部分を残さないと、聴いていていたたまれなくなる。チェリに特徴的な男らしいフレージング、強靭で「正しい」響きは二楽章で威力を発揮する。これはチェリ好きには楽しめるかもしれない。三楽章は演奏的には一楽章のようなものに戻って余り印象がない。拍手は多い方。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:詩篇交響曲〜第三部,マルコ指揮デンマーク国立交響楽団他(sls)1950/1/19,,聴衆なし放送用録音の模様。不明瞭で悪録音は仕方ないがどうにも大雑把というか、漫然として唐突に終わる印象。この指揮者のストラヴィンスキーは少なく、特に現代の大作は向かないように感じた。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:小管弦楽のための組曲第1番,作曲家指揮CBC SO
ストラヴィンスキー:小管弦楽のための組曲第1番,作曲家指揮イタリア放送ローマSO 1955/4/28&29
ストラヴィンスキー:小管弦楽のための組曲第2番,作曲家指揮CBC SO
ストラヴィンスキー:小管弦楽のための組曲第2番,作曲家指揮イタリア放送ローマSO 1955/4/28&29
ストラヴィンスキー:小管弦楽のための組曲第2番,○ロスバウト指揮フランス国立放送管弦楽団(VIBRATO:CD-R)1954/12/6live,,曲が小さくまとまっていていいので、ロスバウトで聴くともっとまとまって浮き立つような気分のままさわやかに聴きとおせる、もっとも録音状態は推して知るべし。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:小管弦楽のための組曲第2番,マルコ指揮デンマーク王立放送交響楽団(danacord他),,web配信音源に含まれており容易に聴くことができる。古い音だがステレオ処理がなされている。曲は兵士の物語までの簡潔で諧謔的なストラヴィンスキーがあらわれた、しかし最も聴きやすい時期の作品として、ピアノ曲からの編曲ではあるが第一番よりも頻繁に演奏される。難しいことを考えず聴くだけならすこぶる平易なのでストラヴィンスキー入門にもオススメ、行進曲やワルツ、ポルカ、ギャロップと、素直に同時期影響されたり、もしくは意図的に取り入れた要素を投影している。鋭敏な感性と娯楽的な素材の融合は、これがディアギレフとの共同作業の時期の作品であることを明確にしめしている。ニコライ・マルコは同世代のロシアの音楽家として、数は少ないが優れたストラヴィンスキーの演奏を残しているが、これもスマートなオケの力もあって過不足ない印象を与える。変な揺れも技術的瑕疵もなく、録音さえ良ければもっと聞かれても良いのにと思う。ピエルネのようなフランスの流儀からぎくしゃくしたものを仕立てるのではなく、やはりメロディとリズムのロシア的強靭さのもとに推進力を与えている。しかしロシアだけではなくストラヴィンスキーにサティ志向があることも明確にする。なかなか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ミューズを率いるアポロ,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:ミューズを率いるアポロ(1947) ,〇作曲家指揮バイエルン放送SO
ストラヴィンスキー:ミューズを率いるアポロより,作曲家指揮RCAビクターSO
ストラヴィンスキー:ミューズを率いるアポロより,作曲家指揮イタリア放送ローマSO
ストラヴィンスキー:ミューズを率いるアポロ組曲,○ボイド・ニール指揮ボイド・ニール弦楽合奏団(decca)SP,,どことなくイギリスっぽい感傷性のある演奏で、ストラヴィンスキーには少々似つかわしくないスタイルかもしれない。擬古典的なこの作品にふくよかなロマンチシズムを持ち込むと何故かヒンデミットのように聞こえるなあ、とおもいながら結構聴けてしまった。余り個性や集中力を発揮した演奏ではないが、聴きやすい。響きはアイヴズ中期みたいだなあ。ということはシェーンベルク。うーん。いややっぱり、ストラヴィンスキーとアイヴズは縁深いのだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:ミューズを率いるアポロより,クーセヴィツキー ボストンSO 1928/11.12
ストラヴィンスキー:組曲第2番,ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(odeon/youtube),,固い指揮のイメージがあるが流麗な演奏。オケの音色が素晴らしく、アバウトな部分がなきにしもあらずだが作曲家の美質をよく引き出し洒落ている。ピエルネはストラヴィンスキー初期作品の初演者として知られる。花火、ペトルーシュカ抜粋、火の鳥抜粋もodeonに録音しているが、火の鳥以外はLP期以降復刻されていない。,,"https://youtu.be/5mrGyejljZk",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ストラヴィンスキー:組曲第2番,マルコ指揮フィルハーモニア管弦楽団(DANACORD)CD,,俗っぽい素材をストラヴィンスキー流儀で料理した聴きやすい曲。古い録音だがマルコは意外とキビキビしておりオケもいつものような「詰まらない音」は出さず楽しませる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:組曲第2番〜ギャロップ,○チェリビダッケ指揮フランス国立管弦楽団(000CLASSICS:CD-R)1974/9/17LIVEアンコール集ブート盤(けっこう多い)より。盤にはサーカス・ポルカと書かれているが「違う」のでご注意を。ちなみにサーカス・ポルカ大好きなので最初の音で拍子抜けした。でもチェリのこの演奏は眼血走っているというか凄い迫力だ。速い速い。イキオイが大事なアンコール、チェリらしいマニアックな選曲も光っている。自作自演など色彩的だが落ち着いていてじっくり曲の妙味を味わえるが、チェリのこれは速い部分と遅い部分の極端なコントラストと、あとは「イキオイ」。遊び心すら感じられて面白い。凄い。サーカス・ポルカと間違うのも道理、たしかに中間部のブラスのパッセージは象のサーカスに聞こえる。○。◎にしてもいいが全曲じゃないので。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:組曲第2番〜ギャロップ,チェリビダッケ指揮スウェーデン放送交響楽団(LIVE SUPREME:CD-R)1970/11LIVEアンコール集ブート盤(けっこう多い)より。ちょっと遠い録音でオケもややお疲れのせいか解れのようなものも聞こえる。でも基本的に速いチェリの演奏は聴衆にカタルシスを与えるのに十分充実している。拍手喝采で終わるのもほほえましい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:二重カノン(ラウル・デュフィ追悼),シレジアン四重奏団(partridge)1992/4・CD,,晩年作といっても50年代、ドデカフォニーを導入してウェーベルンにうかされたような極小作品を書き、そしてまたよく同年代ないし若年の芸術家の追悼作品を書いていたように感じる。これはフランス野獣派の画家で知られるラウール・デュフィ没後6年に書かれた、悲しげだが、まったく甘くない作品。この団体がまた全く甘くないのだが、それでも簡素な響きの中に仄かに宿る感傷を少し燻らせて、一分余りの曲にも何かしら重いものを残す。精緻というのとはまた違うような、色彩のあやなすデュフィの抽象画を思わせる、と書いたら安易だろうか。どうもこの作品にも、アイヴズのHymn(ラールゴ・カンタービレ)に通じるものがある気がする。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:日本の抒情歌による3つの歌曲,○古沢淑子(sp)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団員(claves)1950/11/3放送録音・CD,,シェーンベルクふうの静謐な作品だがストラヴィンスキーらしい癖ある色もまた濃くある。定評あった古沢はこれが日本の古歌によるものであるからこその登板だとは思うが、楽曲の要求するおよそオリエンタリズムとは無縁の抽象的な世界を過不足なくえがいている。バックは特筆すべきほどの表現はない(そもそも曲が短い)が、○には値するだろう。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:兵士の物語(1918),アンセルメ指揮スイス・ロマンド管 初演者による演奏はモノラルだが色彩的。でも(大方の予想通り)冷徹。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:兵士の物語(全曲版),○ギレス(語り)シモン(兵士)ジャック(悪魔)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(claves)1952/4/17ジュネーブ放送録音・CD,,生々しい放送ライヴで迫真味ある演者と最初こそチープであるものの次第に熱をおびたリズムと表現の正確さとのバランスよい音楽が初演時の舞台を想像させるに十分な姿を示している。アンセルメの全曲版はこれだけだそうである。ライヴのアンセルメ、それもフランスもの周辺のものとあればロシアもの同様、冷徹以外のものが期待できる。しかも舞台作品でリズム系の音楽とあれば「譜面表記以外のもの」を「図らずも」引き出してしまう、ストラヴィンスキーは否定したろうしアンセルメ自身も本意でない部分もあったろうにせよ、これは演者の迫力含め、録音の弱さを除けば十分な感興をあたえうるライヴである。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:兵士の物語〜二つの断片,ラミュ(語り)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(claves)1940/2/25ジュネーヴ放送録音・CD,,原作者ラミュ(ラミューズ)が第二部冒頭と終盤コラールあたりを雄弁に語る。皺枯れた声でほとんど一部にしか入らない鄙びた管弦楽を別にひたすらしゃべるだけで、資料価値はあるが音楽としては評価不能。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:兵士の物語(1918)〜組曲,◎作曲家指揮アンサンブル(1961sony)組曲版であるが楽曲としてはこれで充分である。世評は必ずしも芳しくないようだけれども、作曲家自作自演であることを除いたとしても、ステレオのsony自演全集にある1961年録音、恐らくコロンビア交響楽団のメンバーと思われるアンサンブルの技巧は際立っており、各々のソロ楽器は生き生きと自己主張している(演奏家の自発性より強権的な指揮者の指示力が勝っているとはいえるが)。荒々しい力強さが魅力だ。モノラルの50年代前半の録音が別にあり、 2年前くらいに一気にCD化されたが(sony)、より生々しく迫力がある。私はこの録音を一番にとりたい。音と技巧、歌いまわしがバランス良く充実。率直な解釈は新盤と全く同じ。LPジャケは格好良かった(タバコ片手のしかめ面)。 biddulph の旧録は「時代の音」が懐かしく中々良い。ストラヴィンスキーの昭和初期あたりの自演はどうしてロマンティックな音感がある。演奏家の表出意欲を指揮者が抑え切れなかったのかもしれない。音の悪さを我慢すれば聞ける演奏。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:兵士の物語(全曲版),○作曲家指揮コロンビア室内アンサンブル、アイアンズ(ナレーター)(sony)1967,61,2005・CD,,作曲家の残したセッション記録(組曲相当部分は組曲版として出ていたものを流用し、お蔵入りとなっていた僅かな後補(間奏)録音をあてはめている)に当初想定されていた演者本人を加えて取りまとめたもので、組曲部分については長年親しんできたものと全く同じなのでとくに耳をひくところはなく、間奏にしても要素は組曲に全て現れているものなので、贔屓聴きするならば「生き生きしている」とでも言うべきところなのだろうが、どちらかといえば全曲版を継ぎはぐための素材価値しかないと言わざるを得ない。ストラヴィンスキーはかなりこなれているとはいえリズム要素を浮き立たせつつも正確無比な表現を要求している。だからたとえばタンゴはタンゴとして聞こえない。それがストラヴィンスキー芸術であったりもするのだが。,,兵士は元々上演用の演目なのだ。筋的にも古い童話をリメイクした皮肉たっぷりのもので、喋りが入ると非常にわかりやすい。したがってこの曲を音楽としてではなく劇伴として捉えている向きには格好の材料たりうるだろう。ちなみにリマスターも綺麗で聴き易くなめされておりかつての音盤よりも音自体向上している気がする。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ストラヴィンスキー:兵士の物語(1918)〜組曲,◎作曲家指揮アンサンブル(1930年代biddulph)1961年SONY盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:兵士の物語(1918)〜組曲,◎作曲家指揮アンサンブル(1950年代columbia,sony)1961年SONY盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:兵士の物語(1918)(上演全曲版),△ナガノ指揮LSOのメンバー スティングのナレーション(兵士)はアバドとの「ピーターと狼」でもそうだったが、芝居掛かりすぎてやや生臭い。それでなくともこの演奏は粗い。ナガノの指揮は固すぎ、アンサンブルは金属質で耳に付く。録音が良すぎるせいかもしれない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:兵士の物語(1918)(上演全曲版),○マルケヴィッチ指揮アンサンブル・ド・ソリスト、コクトー(PHILIPS)1962/10・CD コクトーの声が貴重であるが、古くから名盤として知られるこの演奏自体も、自演版以上に作品の生まれた頃の時代の空気を如実に伝えるものとなっており、適度に野蛮で、適度にすっきりしている。よく鋭角的といわれるけれども、むしろ柔らかめの音による穏やかなアンサンブル、音響バランスの良さに耳惹かれる。佳演だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:兵士の物語(上演全曲版),◎マルケヴィッチ指揮アンサンブル・ド・ソリスト、コクトー(語り)他(PHILIPS)1962/10/4-8・CD,,予め「音盤」として聴くように仕立てられた「演劇」であり、種々の道具立て含め万全の作りなのは当然、録音も最高、音楽部分だけ聴いてもスリリングなアンサンブルを楽しめるが、やはり「劇伴」として演者と効果音の中に聴くのに適している。音楽は演者と不可分に絡み合い丁々発止にやり取りしているのだ。フランス語なので私はいささか聞きづらいが、それでも情景の手に取るようにわかる盤で楽しめた。演奏者の技量も高く、室内楽の鋭いアンサンブルがギスギスせずに音楽的に渡り合い響くのは指揮者付であるせいだろう。ロシア的というかアゴーギグきつめだが不自然にはならない。まさに情景に付けた音楽であり、音楽単独で聴くべきではないのだが、最後のドラムがやや軽くメロウなのは好みか。演劇音盤の見本。◎。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:兵士の物語(1918)(上演全曲版),ミトロプーロス指揮ジュリアード室内アンサンブル1948/5/21(lys)CD 冒頭の行進曲、余りに粗雑で茫洋としたアンサンブルにひいてしまう。録音を割り引いても、奏者の技術の問題としか思えないテンポの悪さ(楽器間の噛み合わ無さ)、下手に情緒的な解釈表現(急激なルバートとか)も違和感しきり。出演者の演技(声だけだけど)はなかなかで、英語だがききやすい。曲が進むにつれ情緒的音色やテンポにも慣れてきて特にヴァイオリンの表現力に惹かれる(冒頭が悪すぎただけ)。アンサンブルはやや雑であるものの、後半とくに小演奏会〜三つの舞曲あたりは聞き物になっている。しかし総体余りお勧めできないかもしれない。ストラヴィンスキーだったら怒るだろう。自作自演に慣れた耳には少々キツかった・・・。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:兵士の物語(上演全曲版),○ウーブラドゥ指揮器楽アンサンブル、オークレール(兵士)他(EMI)CD,,50年代の名盤で知られたもの。自作自演に近い、デフォルメのない率直なもので、フランス的と言うべき透明度と彩度を加えた美しさが構造性にも音色にも伺える。どの面からも過ぎたところがなく、だからストラヴィンスキー本人の描いたスコアの魅力が浮き立つのだ。ストコとはまったく違う。自作自演に慣れた人にはおすすめ。,"",-----,,,,,,,,,,,,
ストラヴィンスキー:兵士の物語(上演全曲版),○ストコフスキ指揮アンサンブル、マドレーヌ・ミヨー(語り)他(VANGUARD)CD,,女優としても知られるミヨー夫人が参加していることでも有名なもので、録音用に編集されたもの。若々しく華やかなミヨー夫人の声に導かれ、リズムと音響を強調した音楽が比較的穏当に始まるものの、英語で表現が直接的であるせいか演者が劇を演じ始めると暗くシニカルな雰囲気が支配的となる。録音は明快でデジタル的な堅さが感じられ、意外とノリが巧くアンサンブルに伝わらないさまもやや興をそぐ。ストコフスキはやらかそうという意図はあるのだがそれが結果として僅かであるもののグダグダ感を呼び、拡散的で前に向かっていかない。作為的なテンポの操作はないが人工的な印象が残る。リズムのみ異常に強調され、最後は迫力の打撃音で終わるが、とくに弦楽器に技術のキレが無いように思えた。いや、レガートな指向をもった解釈なのかもしれないけれども、自作自演とは明らかに違いすぎるもの。○にはしておく。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ストラヴィンスキー:兵士の物語(1918)〜組曲,○ガンファン指揮室内楽団(ensayo),,かなり生硬さを感じさせる演奏。意図かもしれないがスコアの立体構造の忠実な再現に全力を注いでいるようで、ヴァイオリンなど速弾きが無理なのかそういう趣旨でやってるのか?と迷うようなところもある。音も無個性というか、フランス的である。リズムの正確さへの傾注はクラフトのスタイルを思わせるところがあり、低弦のツィンバロンというよりアフリカの打楽器的な響きを「リズム旋律」として楽しめるが、普通に歌い踊るリズムとは言えないかもしれない。いちおう○にはしておく。爽やかで薄いのがいいと感じることもある。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ストラヴィンスキー:兵士の物語(1918)〜組曲,○ロジェストヴェンスキー指揮ソ連国立交響楽団アンサンブルのソリスト達(venezia/melodiya)1963/9/12・CD,,ちょっと珍しい正規録音の復刻で、演奏的にも充実したロジェスト60年代の覇気溢れる演奏の一つ。音響が重く、音符をきちんと確かめていくようなテンポ取りが特徴的だが、ストラヴィンスキーを正しく表現しようというやり方だろうし気になるほどではない。それより気になるのはヴァイオリンの無駄な派手さ。ニュアンスがなくひたすら大音で弾きまくる。倍音が出なくてもいいところまで出していて主張が過ぎる。ストラヴィンスキーの設定したハーモニーが単色で塗りつぶされるようなところはちょっと気になった。ロシア的というべきだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:牧歌,作曲家 イズラエル・ベイカー
ストラヴィンスキー:牧歌(パストラール)(ドゥシュキン/ストラヴィンスキー編),作曲家指揮アンサンブル ドウーシュキン
ストラヴィンスキー:牧歌(パストラール)(ドゥシュキン/ストラヴィンスキー編),◎シゲティ(Vn)作曲家指揮アンサンブル(COLUMBIA/PEARL)1946/2/9CD 歌曲から。言わずと知れたアメリカ時代の名盤だが、この曲は題名どおりじつに牧歌的。六人組の作品のように素直だが、ひたすらの旋律の連環はストラヴィンスキーならでは。終始ヴァイオリンがかなでる旋律はいかにもうららかな春の雰囲気で心和む。シゲティの味のある音色に傾聴。ストラヴィンスキーという作曲家のイメージからは遠く離れた実にやさしい楽曲だが、こういうものも作ろうと思えば作れたのだ、というところにストラヴィンスキーの凄みを感じる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ストラヴィンスキー:牧歌(パストラール)(ドゥシュキン/ストラヴィンスキー編),ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団メンバー(victor)1934/11/26,,楽団の腕利きが集まって演ったとおぼしきアンサンブルで、指揮者要るのか?という感じではある。ヴァイオリン高音にあやふやな所があるが、クラを始めとして情趣はとても出ている。原曲は初期の歌曲だが通常室内楽編曲版で演奏される。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ストラヴィンスキー:牧神と羊飼い,作曲家指揮CBC交響楽団
ストラヴィンスキー:牧神と羊飼い より羊飼い,マルコ指揮デンマーク放送交響楽団
ストラヴィンスキー:青い鳥,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:説教、物語と祈り,作曲家指揮CBC SO
ストラヴィンスキー:贈り物前奏曲,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:舞踏協奏曲,クラフト コロンビア室内O
ストラヴィンスキー:墓銘碑,クラフト アンサンブル
ストラヴィンスキー:墓銘碑,作曲家指揮アンサンブル 1961
ストラヴィンスキー:放蕩者のなりゆき,作曲家指揮coro e orchestra del teatro alla scala
ストラヴィンスキー:放蕩者のなりゆき,作曲家指揮ロイヤル・フィル
ストラヴィンスキー:「妖精のくちづけ」組曲,○フルトヴェングラー指揮BPO 19497
ストラヴィンスキー:「妖精のくちづけ」組曲,作曲家指揮コロンビアSO
ストラヴィンスキー:「妖精のくちづけ」によるディヴェルティメント,作曲家指揮メキシコSO 1941/11/5,6
ストラヴィンスキー:「妖精のくちづけ」によるディヴェルティメント,マルケヴィッチ指揮フランス放送SO 1954/3/