-2019/1/9ヴォーン・ウィリアムズ(1/18独自追加編集修正あり)
ヴォーン・ウィリアムズ(編):クイック・マーチ〜海の歌,○スラットキン指揮フィルハーモニア管弦楽団(RCA)CD,,派手な行進曲でスラットキンらしいあっけらかんとした、かつ力強い演奏となっている。三分余りの小品。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ピアノ協奏曲(1926-31),ハンドレー指揮ロイヤル・フィル、シェレイ(P)
ヴォーン・ウィリアムズ:二台のピアノのための協奏曲(1926ー31)(46編),ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル、アーサー・ウィットモア&ジャック・ローウェ(P)(NICKSON)1952/2/17LIVEこの演奏でこの曲に触れた人はどう思うのだろう、あまりいい出来とはいえない曲ではあるが、この演奏だとソロが完全にオケに呑まれてしまい(呑まれてしまいがちな曲ではある)尚更わけがわからないのではないか。わりと後期の作品に見られるような鮮やかな旋律に派手なオーケストレーションとなんとなく憂鬱なひびきが聞かれる曲で、ただただ美しく茫洋とした曲の中に唐突に顕れるギスギスしたフレーズは、「ヨブ」や交響曲第4番同様、はっきり姿を現したヴォーン・ウィリアムズ作品の新たな面〜晦渋でささくれだった暴力的な面〜が感じられる。この曲の場合はいささかとってつけたような不自然さがあるが。その展開においてはプロコフィエフなどの同時代のピアノ協奏曲に共通するものが感じられる。新たな作風を模索していたRVWの実験であったのか、不穏な空気が漂いだした第二次大戦前の雰囲気をふとうつしとってみたものなのか。30分近い立派な作品ではあるが、過渡期的な作品であり、またRVW自身あまりピアノが得意な作曲家ではなかったせいもあって、鮮やかなピアニズムというものは殆ど聞かれず、緩徐部の「タリス」的な美しさにピアノが加わった程度の印象しか残らない。二台でやっていてもあまりその絡み合いの面白さというものはない。演奏もいささか地味。元々1台のピアノで演奏される趣向だったが難しすぎるということで(その「難しさ」というものも聴いているとよくわからないのだが)二台用に編曲したもの。名女流ピアニスト、ハリエット・コーエンに献呈された。コーエンはいくつかのピアノ小品を録音している。それらもいかにもピアノを知らない人間の作品のように聞こえるが、ひとつの個性として認識できる程度には完成されたものである。ちなみにラヴェルに師事したとき、「ピアノの無い部屋で作曲をするなんて信じられない」と言われたという。RVWはまずは歌唱がその根底にあり、次に弦楽が来る。そう、このピアノコンチェルトも、緩徐部がピアノだとちょっと固すぎる感じがして、これ弦楽器だったらなあ、と思わせるものがあるのだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:二台のピアノのための協奏曲(1926ー31)(46編),メニューイン指揮ロイヤル・フィル、マルカム&ブロードウェイ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:二台のピアノのための協奏曲,○タル、グロートホイゼン(P)ノリントン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(dirigent:CD-R)2007/10/26live,,若干大人しめの演奏。発音はしっかりしているが横の揺れがなくテンポも比較的遅い。RVWはピアノが得意ではなかったといわれ、親密だったといわれるバーバー同様ピアノで作曲するということをしなかったそうだが、困難なパセージが多発するというより滑らかな表現の難しい「音の少なすぎる」書法に問題があるようにも思う。穏やかな田園風景に焦燥感のある表現を織り交ぜて、だいたいヨブから4番交響曲のあたりの雰囲気をもった曲であるからして、いわゆるRVW好きにとって満足できる曲ではないかもしれない。本来は一台のピアノのために書かれたがその版はほとんど使われない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:二台のピアノのための協奏曲,○ホイットモア&ロウ(P)ゴルシュマン指揮ロビンフッド・デル・フィラデルフィア管弦楽団(RCA)LP,,RVWはピアノが不得手という近代作曲家には珍しいタイプの作曲家で、ピアノのための曲を書いていなくは無いがきわめて単純な旋法的書法に拠り、専門ピアニストがレパートリーとするにはいささか物足りなさを感じさせるような代物だ。壮年期のものには旋律の平易さとハーモニーの美感に特有の魅力があるため、それが何故弦楽器ではないのか疑問に思う部分もあるにせよ、私は好きである。この曲はまだ「才気だけ」で曲の書けた頃のRVWが、「美しいだけ」の音楽から脱却しようとした境目にあたる「ヨブ」と同様の作品で、原曲のピアノは一台だけである(殆ど演奏されない。二台使うには音数が少なすぎるがそういう問題ではない・・・ほらピアノ不得意でしょ)。いずれの曲も後半突如デモーニッシュで構造的になるが、これらのうちはまだ生温く、4番交響曲をもって諧謔性を含むヒンデミット風の新古典主義に移行することになる。この曲は比較的よく受け取られ、書法上参照されたと思われるバルトークから民族性の昇華の面で賞賛も受けている。,,,RVWはしかし真面目な作品となるとどうも単純で美しく描いてしまう。反面シニカルさを表現しようとすると、緻密さに欠けるところもあって、通り越して滑稽に聴こえてしまう。もともとそういうコミカルな部分を聴かせようという意図もあるのだろうが、結局演奏家が取り組むとなると大真面目にやってしまうものだから、楽想に脈絡の無い「ちぐはぐな曲」という側面が強調されてしまう。だから演奏機会が少ないのだろう。でもこの曲の大半は美しくあろうが滑稽であろうが非常にRVWらしい表現の魅力に満ちており、ただ身を浸らせたくなるような部分は多くある。ウォルトンの「オブリガード・ピアノと管弦楽のためのシンフォニア・コンチェルタント」もピアノ向きではない作曲家のぎごちないピアノ協奏曲として記憶される曲だが、聴感も割とこの曲と似ており、旋律やハーモニーの素直な魅力という点ではもっと演奏されてもいいものだ。,,同デュオは主として20世紀前半から中盤に活躍し若々しい録音を数多く残している。演奏スタイルはデュオとは思えない融合振りで技巧的にも高いものを感じさせるが同時期主流だったアメリカ的なドライさはそれほど際立たず、でもやっぱり即物傾向はある。音色は特に特徴的ではない。ゴルシュマンは編成を小規模化したため弱体化したオケをそれでもしっかり取りまとめ、モノラルであることも手伝って求心力の強いアンサンブルをこうじている。拡散的で長ったらしい曲に対しこのソリストたちとバックオケはばらけることなく一貫した強い演奏スタイルを貫いており、RVW節では英国風の中庸に軽い響きでかなり意図に肉薄したものを作り上げられていると思う。曲の魅力を汲んだなかなかいい演奏であり、良い復刻が望まれる。webで聴ける模様。,-----,,,-----,,,-----,,
ヴォーン・ウィリアムズ:5つのチューダー朝の肖像(1935),○ハリソン(ca)ウォーカー(b)ボールト指揮BBC北合唱団、管弦楽団(inta glio)CDこれはどちらかというと田園交響曲の時代の音楽を彷彿とさせRVWの真骨頂を聴く思いだ。但し最初のバラードから決してわかりやすいだけではなく適度な陰影が付けられている。実際には4番交響曲直後の作品であり、余りの作風の違いに驚かされるが、RVWはそもそもそういういくつかの異なる作風を使い分けて作曲活動を続けていた作曲家なのであり、ただ「タリス」の作曲家なのではなく、突然「4番」を書く作曲家でもなかった。当時の人々は驚いたとは伝えられるが。1936年ノーウィッチ音楽祭のために作曲され、初演された。テキストは15世紀の古い詩人のもの。5曲の組曲となっており、歌曲にしては意外な「バラード、間奏曲、ブルレスカ、ロマンツァ、スケルツォ」という名前が付けられている。スケルツォが楽しい。長さで言えばロマンツァが21分弱もあり圧倒的。12分半のバラードを除けば3、4分の曲ばかりなのでいささか不格好だが、「怒りの日」の主題が織り交ざる暗示的な音楽。演奏は楽しめるレベルに至っている。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:5つのテューダー朝の肖像(1935)〜W.ロマンツァ,ロジェストヴェンスキー指揮ロシア交響楽団、リュドミラ・クズミナ(S)エフゲニー・リーバーマン(Br)エフゲニー・アヴルシュキン(Vc)(dirigent)2012/5/23live,,ヴォーン・ウィリアムズ後期の代表作のひとつで、怒りの日の主題に醸される諧謔性はそれとして、後期ではめずらしい、マンネリにも陥らない品の良い穏健さが二十分にもわたって発揮されている。ロジェストヴェンスキーは円熟し、ロシアオケの癖も本人の癖もあまり聴こえず、ソリスト陣とあいまって周到な迫力を演出している。なかなか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:5つのテューダー朝の肖像(1935)〜X.スケルツォ,ロジェストヴェンスキー指揮ロシア交響楽団、リュドミラ・クズミナ(S)エフゲニー・リーバーマン(Br)エフゲニー・アヴルシュキン(Vc)(dirigent)2012/5/23live,,Wに続いて演奏されたバスを中心とする歌曲で、終曲としてRVWに求められるものを壮麗に、覇気溢れる表現で仕立ててブラヴォを呼んでいる。短いが大編成オケをバックとした20世紀の歌曲だからカタルシスを得やすいのもある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:3つのシェークスピアの歌(1951) ,ダーリングトン キリスト教会聖歌隊 1986
ヴォーン・ウィリアムズ:6つの合唱曲〜戦時に歌う歌,○ヒコックス指揮LSO、合唱団(chandos)初録音・CD,,シェリーの詩に基づき第二次世界大戦初期の頃に書かれたもの。手慣れた手腕の発揮された輝かしい合唱曲だが個性や新味は薄く、RVW自身の初期の曲に近い雰囲気がある。内容的に現代からは何とも言い難いものがあり、ヴォーン・ウィリアムズが戦争に対峙したときに、従軍経験や同志の悲劇をへて一筋縄ではいかない思いがあったろうに、何故か単純な音楽で表現する方向を選んでいる、その一つのあらわれのように思える。悲劇から歓喜へというようなベートーヴェン的な構成に何か納得いかないものを感じるが、最後二曲は美しい。ヒコックスの演奏は迫力がある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:6つの小品組曲(1920),マッケイブ(P),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:8つの民謡舞曲のシリーズ,作曲家指揮国立民謡舞曲管弦楽団(pearl他)1930/1・CD,,やや生硬な演奏ぶりで楽団もひなびた音をしている。録音だけのせいではあるまい、むしろ時代からすればいい音であろう。じつに無個性な民謡編曲でありこういう曲もRVWには多いのだが、旋律だけではどうにも弱いのが英国民謡である。何故か民謡というのは旧東側諸国のほうがリズムも特殊でインパクトがある。清清しい響き、職人的な無駄の無いオーケストレーションで今でもブラスアンサンブルなどで演奏されることは多いけれども、RVW好きはそれほどそそられない。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:An Efds Masqueのための音楽(イエイツ編),イエイツ指揮国立ロイヤルスコティッシュ管弦楽団(dutton)CD,,英国民族舞踊民謡協会の前身にEFDS(舞踏の方)があるが、そこで演奏するための民謡編曲ということなのだろうか。ややアカデミックな手堅い書法である意味ヴォーン・ウィリアムズらしい直球民謡編曲。「フォークダンスメドレー」「小行進曲組曲」の2曲にまとめられている。初曲の末尾は祝祭的な行進曲調の印象がある。立体的な書法も英国式行進曲を想起させる。2曲めは田舎風。旋律の中にグリーンスリーブス風の耳馴染みよいものがある。1934年の作品。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:アカデミックな協奏曲(ヴァイオリン協奏曲)(1924-25),◎フックス(Vn)ジンブラー弦楽シンフォニエッタ フックスも亡くなってしまったが、このソリスト、そして室内楽団が、極限まで曲を磨き上げ作り出したものは恐ろしいまでに完璧な演奏なのである。大草原を一気に馬が駆け抜ける、そういった感触が残った。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:アカデミックな協奏曲(ヴァイオリン協奏曲)(1924-25),○メニューイン(Vn)ボールト指揮LPO(EMI)このごく古いメニューインの録音しか聴けなかったころは、深く渋い音からRVW独特の虚無を感じ取ったものだった。他のヴィルトウオジティを主張する類の演奏も聴くようになって、この曲が「深み」よりも「瞬発力」を見せ付けるものと感じはじめるに至り、メニューインの音色が甘美すぎるような気もしてきた。とはいえこのビッグネームは、その名に劣ることなく独自の境地を示しており、ボールトの手慣れたバックに充分応えるものとなっている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:アカデミックな協奏曲(ヴァイオリン協奏曲)(1924-25),カウフマン(Vn)ゲール指揮コンサート・ホール交響楽団(CONCERT HALL SOCIETY:RARITIES COLLECTION),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:アカデミックな協奏曲(ヴァイオリン協奏曲)(1924-25),カウフマン(Vn)ダーンデン指揮ウィンテルトゥール弦楽合奏団(ORION)〜チューリッヒの演奏と同じかもしれない。録音状態は異なる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:アカデミックな協奏曲(ヴァイオリン協奏曲)(1924-25),カウフマン(Vn)ダーンデン指揮チューリッヒ放送交響楽団(CONCERT HALL SOCIETY)〜カウフマンはミヨーなどフランス周辺の現代曲演奏も多い。フックス盤に比べ幾分緊密さに欠けるが、速い楽章は聴き応えがある。2楽章の表現がやや平板か。とにかく指が回るのと懐かしい音色が聞き物。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:アカデミックな協奏曲(ヴァイオリン協奏曲)(1924-25),グリュムリコーワ(Vn)マーク指揮プラハSO,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:アカデミックな協奏曲(ヴァイオリン協奏曲),○メニューイン(Vn)ボールト指揮LPO(EMI)CD,,この古いモノラル録音でも技術的な問題は既に顔をもたげてきている。弓返しや運指の不明瞭さが気になる人は気になるだろう。しかしここでより重く聞き取れるのはそういう子供でもわかるたぐいの浅い問題点より、何かもっと「本質的なもの」を表現しようとした・・・RVWが本質的に内包する自然主義的・哲学的宗教性を抉り出そうとしているとでも言おうか・・・メニューヒンの崇高な意思である。3楽章のジプシー音楽的な(注:ジプシーは差別用語です)無窮動では細かい音符を悉く機械的に組み上げていくことが必要とされるのに対し、メニューヒンは若干ぎごちなさを感じさせるが、音線だけを追っていては見えてこない有機的に組み込まれている「聞かせどころ(もしくはロマンチシズム)」に着目し、余り技巧を見せびらかす方向だけに行かないよう寧ろ気を配っているようにも聞こえる。カスレに近い表現的な音がシゲティに似ているのもその思いを強くさせる。音楽自体は所謂(厄介な定義や知識が跋扈する最近は余り使われない曖昧な言葉だが)新古典主義の範疇にあり、といっても当然擬古典とは違い現代的な和声リズム感覚に明快な構造を与え理知的に組み上げていく方法、特に対位的手法のみをバッハへ帰れとばかりに使いまくる風情は勿論あるし、元々クリスチャンで古楽や宗教音楽に造詣の深かったゆえにドビュッシーの影響を待たずとも既に教会旋法の流用は多数見られた、ところに尚更非西欧的な瞑想的な響が加わり、このあたり前後の作品は楽団も小編成に留められいっそうブリティッシュ・アルカイズムといった感じが強くなっている。いっぽうで前記の「ロマン」というものは流麗な旋律の中に多くも無くしつこくも無く、でもしっかり盛り込まれており、ここを強調させすぎずかといってさらっと流さないように如何に表現し切るか、普通に流してやっても名技性だけでそれなりに聞けてしまう完成度のある曲だとしても、(じっさい短いが)小曲風情に纏まってしまい「もっと表現の広げ方はあったろうに」と残念な気持ちを残してしまう、メニューヒンが避けようとしたのはそういった理に落ちることだったのだ。はっきり伸び縮みはしないがギリギリそこを追求しようとした感じはある。ボールトはまったく重心の低く落ち着いた、かつ適切なテンポ感のもとにメニューヒンをサポートしている。技巧だけ聞ければいいや、RVWなんてそもそも興味惹かれない、なんて人には向かない演奏だろうが(RVWにしては明快スッキリ系なので寧ろそういう人には向く曲)RVWのウェットな薄明の世界が大好きな向きは惹かれると思う。緩徐楽章の平易な二楽章が印象に残る演奏というのは案外ない。そこがRVWの本質だというのに。これはそこがある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:アカデミックな協奏曲(ヴァイオリン協奏曲),○グリンケ(Vn)ボイド・ニール合奏団(DECCA他)1939/6/8,,初録音盤。ソナタもグリンケが初録音だったのではないか。英国デッカのSP盤だが、DUTTONがCD復刻していたようにも思う。演奏は比較的面白い。意外に個性的な解釈が施され、作品の新古典性を意識したようなレガートやスタッカートの機械的表現が新鮮。しかし最古の録音なのだからその印象は逆か。技術的には手堅くうまい。少し硬直したテンポである。音はいい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」(1914-20),○グリッフィツ(Vn)プレヴィン指揮ロイヤル・フィル(TELARC)CD,,やや技巧的に生硬で不安定なところもあるがさすがRPOのコンサートマスターだけあってオケと融合して柔らかな世界を作り上げていく。この曲はけして協奏曲ではなくヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲なのだ。印象的なアルペジオの連続をかなり極端にデフォルメして弾いているところなど面白い。まさに舞い上がり静止し急降下する雲雀の気まぐれな動きである。なかなかいい演奏。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」,○ワイズ(Vn)サージェント指揮リバプール・フィル(COLUMBIA他)1947/4/18初録音盤?,,元がSPゆえノイズがひどく(現在はWEB配信で手に入る)、楽曲の本質といえる静謐さを損なうことしきりだが、ソリストの安定した表現にもまして弦楽オーケストラの繊細な味わいの音表現が印象に残る。ソリストと構造的に絡んでいくような曲でもないのだが、民謡旋律の平易な表現が目立つ曲ゆえそこでの掛け合いに強く挑んでいく演奏もある中、ここではあくまでバックに沈んで、「ひばり」の舞う情景を浮き立たせている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」,ケネディ(Vn)ラトル指揮バーミンガム市立交響楽団(EMI)CD,,面白くない。音色がまったく変わらずただ野太いまま、少しの綾も演出せずに楽譜を音にしていくだけ。この「幻想曲」は音色勝負。RVWはそもそも金属質の細い音で正確な音程を明瞭に示しながらも木の楽器の醸す包み込むような柔らかい響きを一貫して保っていく必要がある作曲家で、しょうじき楽譜に見えているよりも遥かに難しい楽曲を書いた人だ。そこをまるで理解しないかのように、まるで若手ヴィルツオーソにありがちな芸風で、「棒弾き」するだけではガッカリしてしまう。しかも強いパセージでは荒さが目立ち細かいミスのようなものが聞こえる。雲雀が舞い上がり急降下する情景は浮かばない。譜面がかなり自由に書かれているソロの場面でも、印象的な分散和音を揺らすことも張り詰める長い音符をじっと保つこともなく、ただ譜面のままに豪快に弾いてみせる。確かに若さゆえの面白みを感じる人もいるだろうが、私はひたすら残念だった。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」,○イゾルデ・メンゲス(Vn)サージェント指揮管弦楽団(HMV)SP,,ワイズとサージェントによるものが初録音とされているが、音の状態からしてさほど離れていない時期に録音されたものと思われる。これで同一録音だったら恥ずかしいが手元にワイズ盤が無いので確かめられない。。演奏は我が意を得たりというようなまさに小さな雲雀の田園の上を舞う、細い音に確かな音程、というヴォーン・ウィリアムズ向きのソリスト。堂々と野太く弾く最近のソリストとは違う、伝統を感じさせる。ただ録音都合だろうオケが余りにデリカシーがなく、生硬である。録音都合でなければ楽曲理解に問題がある。まあとにかく古い録音なので、参考程度にどうぞ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」,◎ハーン(Vn)C.デイヴィス指揮LSO(DG)CD,,ハーンにとってちょっとした転機になったかもしれない英国協奏曲集(といってもエルガーと同曲だけだけど)の埋め合わせ曲。商売上は埋め合わせとはいえ、ハーン自身の思い入れが故アイオナ・ブラウンを彷彿とさせるような柔らかな音色を通して伝わってくる佳演。バックオケの注意深さも含めてとても心象的な演奏だ。ゆったりしたテンポ、けして急激な変化をあたえず変に揺らさないテンポ、非常に自然で、描写的表現に偏ることもなく抽象性が保たれている。熟考されてこうじられた演奏だ。RVWはこういう音楽なのである。自在なスタイルをとれるこのソリストに並みならぬ力量を感じつつ、力量うんぬんとは無縁なところのある同曲の描く田園風景に浸る。繰り返すがバックオケもよい。ほんとの欲を言えばいくつかハーモニーを正確に整えすぎて音響的に出過ぎてしまっているところはあるものの、ソリストとの関係性をよくわきまえたうえでただ引っ込むのではなくしっかり、薄い情景の変化の綾をまさしく「RVWらしく」表現しているのがたまらない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」,○フレッチャー(Vn)エルダー指揮ハレ管弦楽団(HO)2005/11/3・CD,,なんとものんびりした地味な演奏。ソリストはひたすら丁寧なのだが、その実直さが飽きをもたらしてしまう。やや鄙びた演奏ぶりで音色も単調、但しこの曲には似合った音ではある。そこを加味して○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」,○諏訪内(Vn)メルッキ指揮フィルハーモニア管弦楽団(BBC)2008/8/27プロムスLIVE,,この曲を初めてラジオで聴いたとき、何と美しい曲かと思った。譜面を見たとき、何と自由な曲かと思った。小節線の取り払われた長大な独奏部は舞い上がっては降下を繰り返す雲雀を象徴するトリルとアルペジオで彩られ、気まぐれな旋律がやっと参入したオケから提示され変容する中で微妙に音形を変えながら民謡ふうの主題を雲雀の描写により展開させるソロ。独奏は三部分におよびカデンツァふうに終結する。柔軟ながらも細かい音程を正確に示す鋭い音、それだけがこの曲の要求するソリストへのテクニックなのだが、諏訪内は全く異なるアプローチをもって曲の抽象性に挑んでいる。いわばヴィルトーゾスタイルで一切弱みを見せず、深く太い音でけして余裕しゃくしゃくとではない真摯な演奏を堂々と提示している。これは曲を知らない、ないし苦手な聴衆には実に向いている。RVWの一種極北の抒情を、シンプルであればこその独自性をしっかり意識させることで深層に迫る。バックの女性指揮者ははっきり言って粗くて弱く諏訪内の強靭で磨き上げられた表現とはミスマッチ。だが聴衆反応のよさは諏訪内のレベルがもはや世界で比類無い域に達していることを証明している。これは一つの見識だ。ただ、最近アナリーゼのみに専念し具象性を無視した演奏を提示する演奏家は多いな。。感動はしなかった、感心に○ひとつ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」,ガルシア(Vn)メニューイン指揮イギリス室内管弦楽団(ARABESQUE)1986/7/21-23・CD,,なだらかな、ほとんどが全音符ではないかという心象風景をうつした弦楽アンサンブルの上、トリルを駆使して上がり下がりを繰り返す雲雀のさまをヴァイオリン小協奏曲の形式にうつした音画である。元になっている詩があることだし内容的に音詩と言ったほうがしっくりくるか。私はRVWにこの曲から入った。ラジオで聴いて何て曲だ、とすぐに譜面を取り寄せ弾いてみた。この譜面がまた小節線が省かれたカデンツァが有機的に織り交ざりリズムもラヴェルのように自由で、しかしそこから浮かび上がってくる世界は紛れも無い素朴な民謡音楽の世界。リズムの切れが感じられない、全曲がスラーで繋がったような何とも不思議な譜面である。聴いた演奏のせいか五音音階が際立ちひときわ日本民謡に近いものを感じさせ、清澄で単純な宗教性すら醸す響きにかかわらず、卑近で世俗的な面も持ち合わせた不可思議さが何とも言えない魅力をはなっていた。なんとなく坂本龍一の音楽を彷彿とさせた。それほど難しい技術を要するものでもなく(バックオケは尚更単純ではあるのだが)、だからこそ解釈しがいがあり、学生時分はずいぶんと弾いたものである。発表の機会はついぞなかったが、ここまで内面的な曲に発表の機会なぞ不要とも感じた。あくまで意図は雲雀の飛ぶさまを描写する点にあり、極力抑制されるバックオケはいわば緩やかな起伏に彩られたどこまでも続く農地や草原をあらわせればそれでよい(だからコンサートの演目にしにくいのかもしれない)。雲雀は重要である。最初に聴いて以降この曲に対して私はまったく譜面しか相手にしていなかったので、自分の中で消化したうえのテンポとアゴーギグを、雲雀のさまとして投影しようとした。・・・楽器はもうずいぶん弾いていない。この曲となれば、若さの表徴のようなこの曲となれば尚更、弾けない。しかし頭の中ではずっと鳴り響いていたものがあり、それは私自身の解釈によるものであった。最近聴いた演奏で私は少し驚いた。物凄く遅いのである。雲雀は優雅に滑空してまわる大鳥ではない。鳶とは違う。不意にぴいっと鳴いてひらりと舞い降り、またのぼっていく、見えない羽虫を巧みに捕らえながら、碧空に軌跡をひくのである。何もなく平和に飛んでいる、しかし急にせわしなく、その瞬発力をどう表現するか。ある程度のスピードが必要であり、その変化はテンポだけに留まらず音にもあらわれなければならない。牧歌的というRVWのイメージに統一してはいけないのだ。ソリストは俊敏でなければならない。だが・・・この演奏もそうなのだが、ソリストも含め、遅すぎる。トリルがのんべんだらりと歌われすぎていて、雲雀は落下しそうだ。テンポも表現も生硬で一定にすぎる。純音楽的にやろうとした、と好意的に言うこともできるが、それでは曲が死んでしまう。描写対象のない描写音楽は空疎にしかなりえない。こういうやり方では空疎で印象に残らない音楽にしかならない。これがこの曲が余り演奏されない真の理由にも思えた。音色にも何もあらわれない。いや音色は金属質でいいのだ、しかしそのぎらっと輝く瞬間を、アクセントのきいた下降音形に投影しないと、それが雲雀が羽を翻して下降するように聞えないのである。この盤は全般にまずい。生硬でアンサンブルもぎくしゃくしておりスムーズさがない。解釈はまったく一直線で素人臭い。せっかくのいい曲も、凡庸に聞える。メニューヒンたるもの・・・と思ってしまう。この協奏曲はソリストはメニューヒンではないが、技術的に安定しないのは晩年のメニューヒンに似ている。この簡便な曲でそれでいいのか、という怪しい箇所すら見える。うーん。。無印。(参考)マリナーは絶対に外せないRVW演奏における現代の名手です。アイオナ・ブラウンとのこの録音は古典といっていい。カップリングも素晴らしい。RVWを堪能することができます。ヒラリー・ハーンのSACDが目下有名なようですね。エルガーとのカップリングです。ナイジェル・ケネディもすっかり普通のソリストですね。,,,,,,,,,,,,,,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」,ヤンセン(Vn)ワーズワース指揮BBCコンサート管弦楽団(動画配信)2003/7/19bbcPROMS live",,ストラドの痩せた音は大舞台には向かないとおもう。。この曲は映像より、音だけで瞑想するもんですね。ビデオ録画らしく音が悪すぎバランス悪すぎ。しかしこの単純な曲はソリストもやりづらいろうし楽団も詰まらなかろう。しかし名曲!,,"https://youtu.be/f4NMf2PO_mQ",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」(ピアノ伴奏版断片),諏訪内(Vn)インタビュー等,2008/8/27bbcPROMS live前の映像,,"http://www.bbc.co.uk/events/e45rzc",(本編動画音声なし),,プロムスだとこの人の「あげひばり」が圧倒的だったわけだが、YouTubeには無いなあ。,プロムス音源って一時期は公式ダウンロードできたんだよね。,ピアノ伴奏版は譜面をもってる。youtubeには全曲動画もあります。びっくりするくらい単純で独特、なかなかソリストが個性を発揮しづらいし、そもそも発揮してはいけない。ピアノ伴奏版で初演された曲だが、ヴォーン・ウィリアムズのピアノはあんまりよくないことが多い。弦の人だからね。,,・・・歌うのにぜんぶ繋げて朗々とうたう必要はなくて、自然な流れで抑揚にあわせちょっと切ったりする、ワルツっぽいけど、そういう演奏はないかね。押しの強さで聴かせる曲と、そうでない曲はある。,,"https://youtu.be/PbgmP0R_onc",-----,,,-----
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」,○リトル(Vn)A.デイヴィス指揮BBC交響楽団(teldec/warner)1990・CD,,奇を衒わず静かに田園の風を謡う佳演。この演奏は私にとって先入観の盤となったものの一つで、今聴くともうちょっと起伏があってもいいと思うのだが、安定した暖かい音色や抑制的な表現には抽象的思考を促進する効果があり、幻想曲という名の瞑想曲である同曲の一つのあるべき表現であるとも思う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」,○アン・アキコ・マイヤーズ(Vn)リットン指揮フィルハーモニア管弦楽団(RCA)CD,,明瞭で流麗、とにかく安定した表現で音符を音楽に紡いでゆくソリストに、輝かし過ぎるオケ、丁々発止で巧すぎるソロ、迫力満点のフィルハーモニア管弦楽団、そう言うところが聴きやすくもあり、あれ、こういう曲だっけ、というところでもある。一つの見識として行き着いた表現であり、これを決定版とみなす人もいて良い。私もこれが好きだが、あげひばりは、こうでない、描写的で、起伏のある演奏でも聴きたい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」,プーネット(Vn)ボールト LPO(EMI)1953
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス「あげひばり」,ドルイアン(Vn)レーン指揮クリーブランド・シンフォニエッタ
ヴォーン・ウィリアムズ:イギリス民謡による6つの習作,スコット(cl)ワーズワース指揮ロイヤルバレエシンフォニア(dutton)CD,,新録音のみとなったduttonレーベル、英国音楽が多く秘曲好きは外せないだろうが如何せん日本で大手に出回ることは少なく、直接レーベルのサイトへ行っても既に廃盤が折り混ざる。日本のAmazonは品数は多いがこういう廃盤について法外なプレミアを載せた業者しか出してないので、あとはmp3配信もしくはアンリミテッドで聴くしかない。この曲の入った盤もレーベル在庫無しでデータも消えているが、RVWのこの曲はクラリネットのための協奏曲という珍しい作品なので他で聴けるといえば聴ける。たださすが新生duttonで演奏は素晴らしい。往年の指揮者のような癖もなく、雑味もなく、雰囲気は極めて平穏な民謡牧歌で(冒頭のみディーリアスを思わせる半音階が生臭く習作的)、ヴィオラのための組曲に似ているが、散文的にならず纏まって聴こえる。各章に題名もあるがそも短い曲なのでじっと聴く間がないし深くは触れない。クラリネット協奏曲というほどにはフューチャーされる部分がすくないし、とくに心に何かを訴えかけるのではなく、その場の空気に薄い色をつけて去る、そういう曲にうまく付けた演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:イギリス民謡組曲,○ボールト指揮LPO(PRT他)CD,,浅薄なほうのRVWの手仕事の一つだが、ボールト最盛期の「プロムナードシンフォニーオーケストラオヴロンドン」とのセッションでリズムがよく響きが充実していて音楽の薄さを補う力がある。オケのソロがなかなか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:イギリス民謡組曲(1923), ボールト ウィーン国立歌劇場O 1959
ヴォーン・ウィリアムズ:イギリス民謡組曲,◎マリナー指揮セントマーチン・イン・ザ・フィールズ(london)CD,,この曲は両端楽章の行進曲ではRVWの職人的でややチープな民謡編曲能力が発揮されているが、2楽章インテルメッツォでは「タリス」「田園交響曲」あたりでみせた素直で深遠な世界が垣間見えるものになっていて非常に印象的である。壮年のマリナーがやや性急ではあるが非常に繊細な音響バランスと精度をもって提示したRVWの管弦楽曲の記録はどれも素晴らしい。ゆったりとしすぎることも厳しく整えすぎることもなく(室内楽団の演奏はえてして後者になりがちであるが・・・後者のスタイルだと楽曲が要求する以上の精度が発揮されることで出なくてもいい楽曲自体のボロが出たりすることもある)、自国ものならではの染み渡った解釈と言うべきか、聞きやすい。この頃のRVWは特にユニゾンで動くことが多く、往々にしてただ和声的な変化だけで曲を作っていくが、それだけに縦と横のバランスが難しい。ドイツ系の指揮者だと前者に過ぎて重くなってしまうしバルビみたいな指揮者だと後者に過ぎ好悪分かつ演奏になってしまう。センスが問われる書法であり、マリナーは確実にセンスがある。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:イギリス民謡組曲(ヤコブ管弦楽編),○バーロウ指揮コロムビア放送交響楽団(COLUMBIA)1939/12/19・SP,,ネットで配信されている。録音年代からはあり得ないクリアでしっかりした音となっており十分鑑賞にたえる。曲が曲だけにヴォーン・ウィリアムズというよりは一般的な民謡編曲音楽(原曲はブラスバンド用)として認識すべきところがあり、もちろん書法にあからさまな対位法があらわれ二曲の民謡が独立して絡み合うような場面では(異見があるのを承知でいうが)RVWの管弦楽法の素晴らしさが味わえるが、同時にその内容の浅さも露呈する。こういう曲が好きな向きには薦められる録音だし、同時代でも人気のあった録音というのはわかるが、(私のスタンスとして曲と演奏と録音は不可分として評価する)RVWそのものを楽しめるモノではない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:イギリス民謡組曲(ヤコブ管弦楽編),○バーロウ指揮コロムビア放送交響楽団(COLUMBIA)1939/12/19・LP,同上,やや拡散的で雑にも聞こえる第一曲だが跳ねるようなリズムが曲の世俗味をうまいことアク抜きして最後はカッコヨク締める。第二曲は民謡が前面にたちRVWの開けっ広げでセミクラシック的な悪いところが出やすい曲だと思うが、しっとり重めの響きでRVWの心象風景的な深味を引き出し秀逸。第三曲はまさにRVWの民謡編曲といった世俗曲だが、行進曲ふうの前進的テンポと強い発音でエルガー的な迫力を出しとても高潔だ。なかなか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリン・ソナタ(1954),◎グリンケ(Vn)マリナー(P)(DECCA)LP,,この底から響く深い音で初めて曲がわかった。メニューヒンでは音が明る過ぎたのだ。献呈者による演奏だが、二楽章の不恰好な変奏曲も変奏としてではなくひとつひとつの音詩として解釈し、最後に変奏であったことを思い出す程度の表現をすることによって、新古典派の影響を受けて以降型にはまったような書法に縛られるようになる作曲家の本質的な美質を別のところにしっかり構築し直している。ソリストとしての技量は高く、殆ど本国でしか活動しなかったため知名度は無いが数々の同時代の作曲家の献呈を受けていた「英国的なヴァイオリニスト」(フレッシュとブッシュの弟子であるが)の面目躍如たる大人の演奏をきかせる。サモンズとは別の音色の落ち着いた華麗さがある。同じ曲なのか、と思うくらい・・・それはDECCA盤の重量感がそう聞かせているだけかもしれないが・・・転脳を余儀なくされた。まったく、楽譜から入ると誤解したまま演奏を評するようになるなあ。というか、名曲ではない佳作程度の作品は往々にして積極解釈を施さないと意図通りの音楽として聞こえないものである、だからファーストインパクトは重要だ、と改めて思わされた次第。ちなみに曲の説明は面倒なのであんまりしないけど、RVW後期もしくは晩年の作風に拠るやや晦渋な新古典的作品、とだけしておこう。◎だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリン・ソナタ,ビーン(Vn)パークハウス(P)(EMI)CD,,ヴォーン・ウィリアムズ後期の異色作で新古典主義の体裁をとりながらバッハ無伴奏風の重音、あげひばり風の走句などかつての自身を含む各種作曲様式をちりばめた、特に終楽章変奏曲はとらえどころのない、しかしRVWには珍しいほどの清新な色彩に満ちている。2番カルテットに似たところもあるが、それは部分にすぎず、あのように一つの様式で各楽章を統一することはない。とにかく民謡調以外「らしくない」作品といえ、メロディもとっつきづらいが響きはわかりやすい。終楽章さいご1楽章冒頭の回想からなぜか謎めいた変奏で終わるところには、後年のRVWの冒険的な姿勢が表れている。この演奏は総じて荒く雑味があるが、後半になるにつれ良くなる。1楽章は速い。ちょっとびっくりするが粗さも気になる。2楽章のトッカータ的なダッシュは素晴らしい。速いパセージでも安心して聴くことができる。常に弓元や下半分で飛ばすようなところはちょっと重い感じもするが、音は迫力が出る。このあたりから変奏曲まで、滑らかさが増し耳なじみがよい。変奏曲は曲がトリッキーなので、途中で飽きなければ楽しめるだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリン・ソナタ,フックス(Vn)ヴィッラ(P)1970/2/22live,,特に一楽章の音程が酷い。重音の響も悪い。この作曲家特有の音線は正確に再現しないと訳の分からない音楽に聴こえてしまう。息の超長い旋律を途切れなく歌い上げるのは米国初演者として流石。モノラルで音が小さい。70年代だよ?sls,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリン・ソナタ,フックス(Vn)バルサム(P)(SLS)1969/11/17live,,インホール録音らしくモノラルで籠もり、ヴァイオリンの高音が伸びないのは痛い。「アカデミックな協奏曲」の激烈な録音が思い出されるフックスだが、さすがに70の老境となると元々強靭なスタイルなだけに指が弱ってしまったとたん音程がメロメロになり、ポルタメントに逃げるところもヴォーン・ウィリアムス的に違和感はある。ただ、メニューイン兄妹などの細く柔らかい音で親しんできた身からすると、野太い音でしっかり演奏されると、こう明確なフォルムを持った、ほかの晩年作品に通じる成熟した作品だったんだ、と目から鱗が落ちる。ニ楽章は僅かに師ラヴェルのソナタの中間楽章を思わせる部分さえ聴き取れる。野太いだけではなく三楽章では音色を変えて弱音部が悲痛に響きコントラストが明確となる(末尾の一楽章の再現部からカデンツは録音のせいで音色が歪み分かりづらいが)。主題にそれほど魅力のない変奏曲はマンネリな音楽に陥りがちだけれども、有無を言わせぬ圧迫感がそうはさせない、もっと若い時期のセッション録音を聴きたかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリン・ソナタ(1954),メニューイン(Vn)ヘプツイバ・メニューイン(P)(EMI)ここまでくればRVW遍歴も極北?2本しか楽器が無いだけに、この焦燥にまみれた珍しく技巧的な曲は、露骨に錯綜し晦渋な印象を与える。凡庸作曲家であれば才尽きて技に走るという典型のようにも見えようが、このあとにもう少し新しい音響世界への冒険を続ける老大家という点を考えると、過渡期的なものであるとともに、ある種の強烈な心情吐露的なものが現れたのではないか、と思う。何かあったのかもしれないが調べてないのでわかりません。ごめんなさい。ききどころは2楽章、ラヴェルのとおいエコー下に展開されるがしゃがしゃした刺々しい音楽、次いで終楽章の途切れ途切れ旋律変奏進む過程に、初めて顔を出すRVW的な、儚くも枯れた美しい断片の数々。ここではメニューイン晩年の痛々しい演奏をあげたが、できればほかの演奏を聞いて欲しい。この曲で特徴的な連綿たる重奏のかもす複雑なハーモニーがうまく響いてゆかず、錯綜をさらに錯綜させてしまっている。最近CD化。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴィオラと小管弦楽、無歌詞合唱のための組曲「フロス・カムピ(野の花)」(1925?),◎プリムローズ(Va)ボールト指揮フィルハーモニアO他(EMI) ソロ・ヴィオラと無歌詞による小混成合唱、そして小管弦楽による組曲というヴォーン・ウィリアムズらしい編成によるこの曲。1925年8月、名手ライオネル・ターティスの独奏によって初演されました。リハーサルの段階で演奏家達がいたく感じいり、作曲家を喜ばせたと伝えられます。タリス〜田園の系譜からヨブ〜第4交響曲の系譜に至る迄の輝ける小路を飾る美しい野花。惨い世界戦争の傷覚めやらぬ時期の絶望と慰めの曲です。古い録音ですがプリムローズ独奏によるボールト盤で聞いています。ここではほの暗い夢幻のうちにさ迷う美しくも悲しい想いが、密やかに綴られています。新しい明快な音でないからこそ、心の深層に響く。初めてこの演奏を聞いたとき、あのどこまでも続く灰色の野と冷ややかな霧を思い起こしました。其の中から立ち現れる夢ともうつつともつかない人影。それは恋人の姿か、いにしえの廃虚の住人か、やがて幻の祭列が現れ、過ぎ去ったあと、雲間に薄く光が射し、希望の温もりをもたらす。宗教的な雰囲気の濃厚な曲ではありますが、一聴をお勧めします。新しいものでは、作曲家ゆかりのリドル/デル・マーによる録音が、CHANDOSより出ています。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴィオラと小管弦楽、無歌詞合唱のための組曲「フロス・カムピ(野の花)」,○L.フックス(va)ペルレア指揮マンハッタン音楽学校管弦楽団・合唱団1965/1/21sls,,起伏のある演奏で、穏健な録音の多い同曲「本来の」一面を引き出している。多調の用法は効果的でモノラル録音こそ悪いものの一層はっきり印象付けられる。独奏者はアンサンブルに融合し際立たないところが却って曲のためにはよい。リリアン・フックスは兄とは違いヴィオラ奏者として身を立てた。SLS盤表記(violin)は誤り。同楽団はかつて教鞭を取っていた学校のもの。録音記録データに指揮者違い・録音年月日違いの同楽団のものがあり(市販されていない模様)、SLS盤には初出表記がなく、同一の可能性もある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴィオラと小管弦楽、無歌詞合唱のための組曲「フロス・カムピ(野の花)」,◎アブラヴァネル指揮ユタ交響楽団他(VANGUARD)CD,,この指揮者には期待していなかっただけに驚いた。若々しく、壮麗で美しく、楽曲の立体構造を非常に効果的に聴かせることに成功していて、単なるヴィオラ協奏曲ではないんだ、と改めて認識させた。オケの迫力が凄い。緩急がハッキリしていてマーチにおけるリズム処理も素晴らしい。この曲にこういった覇気ある表現も可能なのだ、RVWはやはり上手い、と膝を打つ。合唱の迫り方、ヴィオラソロの音色も程よく良い。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴィオラと小管弦楽、無歌詞合唱のための組曲「フロス・カムピ(野の花)」,○バルマー(Va)ハンドレー指揮王立リヴァプール・フィル&合唱団(EMI)1986/9・CD,,何故ヴィオラやチェロにヴァイオリン音域を弾かせるかって、音色を求めているのである。響きに倍音が多く含まれるかどうか以前にギリギリの、キュウキュウの音を求めているのだ。透明な音で余裕しゃくしゃくの表現をされると、何か違うと思ってしまう。プリムローズ以上にヴァイオリン的なこの演奏を聴いていると、引っ掛かりの無さが気になる。オケや合唱は透明感があっていいが、そこは非人間的な自然ないし超自然の音を出す役まわりであるからいい、ヴィオラにはその中で翻弄されるような人間味を求めたい。余裕で○だが、私は違和感を覚えた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴィオラと小管弦楽、無歌詞合唱のための組曲「フロス・カムピ(野の花)」,○フランシス・トゥルシ(Va)フル指揮コンサートホールソサエティ室内管弦楽団(CHS)LP,,これ、存外拾い物だったんです。新しい録音より古いほうが、戦争もあったばかりで、真実味があるのかなあ。ヴィオラソロもプリムローズやリドルとは違った陰影がある。イギリスの靄のかかった荒野、浮かんでは消える幻影、最後に陽さす光景・・・歌劇「天路歴程」に通じる美の極致。リドル/デル・マー盤のクリアなステレオ録音より数倍悪い録音なのに、管弦楽、無歌詞合唱の胸に迫ることといったら。リアルなのだ。久々に擁護感なしに○。録音とレア度をマイナスとした。トゥルシはいくつか現役盤がある名手。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴィオラと小管弦楽、無歌詞合唱のための組曲「フロス・カムピ(野の花)」,リドル(Va)デル・マー ボーンマス・シンフォニエッタ
ヴォーン・ウィリアムズ:ヴィオラと管弦楽のための組曲,○リドル(Va)デル・マー指揮ボーンマス・シンフォニエッタ(CHANDOS)CD,,廉価盤にもかかわらずamazonの中古なんかを見ると異様な高値がついている。リドルは線が細くやや不安定だが技巧的には不十分なところはない。この散文的な小品集を弾ききっている。曲はヴァイオリン協奏曲(「アカデミックな協奏曲」)に似た印象を与える、少々新古典様式の入ったもの。3グループに別けられ全部で8曲からなるが、1,2グループにかんしてはいわゆるRVW後期様式に拠っており、いい意味でも悪い意味でも無害な小品集である。5番交響曲的な世界と言えばいいのか、3番や「野の花」のような深みは無い。3グループ目はRVW晩年様式と言えばいいのか、この人にしては実験的な方法で洗練された民族音楽を聞かせる。一曲めのミュゼットはほぼ鉄琴だけの伴奏にヴィオラが低いメロディをかなで、この時期のRVWだからやや旋律的には弱いのだが、印象的な雰囲気をかもす。ほかフィドルふうの奏法を取り入れたり、これもヴァイオリン協奏曲を思わせるのだけれども、なかなか快活で楽しい。ここでのリドルは安定してはいるが少し真面目すぎるかもしれない。ライヴだと面白い曲だろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ウィンザーの森にて(1928), デル・マー ボーンマス・シンフォニエッタ
ヴォーン・ウィリアムズ:連作歌曲集「ウェンロックの断崖にて」(1909),○ピアース(T)ブリテン(P)ゾーリアン四重奏団1945/7最近やっとCD化したもの。モノラル。壮年のブリテンが盟友ピアースと息の合ったところを見せている。やや客観的で強靭すぎるところがあるが、第一級といっていいだろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:連作歌曲集「ウェンロックの断崖にて」,ピアース(T)ブリテン(P)ゾーリアン四重奏団(decca,pearl)1945・CD,同上,RVW完成期(ラヴェル師事後)初期の代表作として弦楽四重奏曲第1番と並び賞される作品。私にとって詩も含め今も大好きな曲。鬱屈の無い素直な感傷がぽっかり明いた青空のように響く。単純さと繊細さの表現がなかなかに難しい作品でもある。録音が古いとどうにも突き抜けた透明感が出ないし、最近の演奏のほうが純度が高く自己主張も弱いので、曲には寧ろあっている。つまりこの演奏は録音が悪いし自己主張が強い。パール盤は恐らく板起こしで、パールにありがちな余り状態のよくないLPからの余り質のよくない素材の盤へのコピーというわけで、正直勧めるまではいかない。この中ではブリテンが一番リリシズムを醸しており、ゾーリアンは長短ない表現、ピアースははっきり、主張が強すぎる。詩が即物的な感もあり、そこは歌唱法で抑えて欲しいところだ。こうあけっぴろげにオペラティックな世界を展開されると、イマイチ入り込めない。○にしてもいいが、ブリテンもリズムやテンポ的には醒めており、今は無印にしておく。前に評したときはLPだったので印象が変わっているかもしれないが容赦願う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヴォーン・ウィリアムズ:連作歌曲集「ウェンロックの断崖にて」(1909),○ブリテン四重奏団、ラングリッジ(p)、シェリー(T)(EMI)1990/3/4-6澄み切った美しさを誇るこの曲の特質を最も良く引き出している。ブリテンQのガラス細工のような精密なアンサンブルがテノールをひきたてている。ブリテンQも解散してしまったが惜しい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:連作歌曲集「ウェンロックの断崖にて」(1909),○キドル(p)エルウェス(T)ロンドン四重奏団(OPAL)1917・CD 最古の録音。独唱者とピアニストは初演を担いました。特に特色有るテノールでもないし、どちらかといえばすっと流れるそつのない演奏。しかし、微妙な解釈が巧い。連作歌曲全体の流れを計算した非常にこなれた演奏という感じがした。ブリードゥンが素っ気無い様子もあるが、次のクランの落ち着いた雰囲気が余韻を保って良い。OPAL CD 9844。ELWESの歌唱によるイギリス歌曲が多数併録されています。大正時代の貧弱な録音なので過剰な期待はしないほうが無難…。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:連作歌曲集「ウェンロックの断崖にて」,○マラン(T)ニュートン(P)ロンドン四重奏団(alto)1955・CD,,これは原曲より伴奏管弦楽編曲版のほうが美麗で好きだったのだが、年を重ねるうちに若さと素朴さの素直な発露たる室内楽曲としての姿のほうが染み入るようになってきた。管弦楽は大仰で曲の内容をロマンティックに展開しすぎる。原曲ですら即物的なロマンチシズムが原作者に嫌われたのだし。,,これは同曲の古典的演奏の一つ。時期的にはブリテンの録音に近い頃の盤だが、こちらのほうが情緒的で自然な演奏となっており聴きやすい。このレーベル、廉価盤ではあるが(廉価盤にはしかしよくあることで)なかなかの隠れた名演をCD復刻してくれており、同シリーズにウォルトンの曲集もある。ロンドン四重奏団は当然あのSP期の楽団とは違う面子ではあるが特徴は薄いにせよいかにもイギリス的な優しく剣のない音でRVWの世界を邪魔せずに彩っている。ピアニストは主張しないけれども曲に音色をあわせてきておりマッチしている。マランはちょっと生臭い。オペラティックとまでは言わないが仰々しさを感じさせるところが若干ある。,,でも録音の古さを置いておけば常に脇に備えておきたいと思う、同曲の佳演の一つと言える。,,"Vaughan Williams -Anniversary Collector's Album / Various Artists",-----,,,-----,,,-----,
ヴォーン・ウィリアムズ:連作歌曲集「ウェンロックの断崖にて」(1909),ロンドン・ミュージック・ソサエティ、パートリッジ(T)ややテノールの表現力が弱いが、楽団は巧い。良い意味で個性の無い演奏であるが、「クラン」あたりの寂々とした表現は中仲のものである。カップリングがウオーロックの唯一の傑作「カーリュー」であるのは嬉しい。「アウトサイダー」の著者で評論家コリン・ウィルソンの若き評論集を読みながら聞き比べて欲しい。われわれに数々の秘曲をつたえてくれた故三浦淳史氏の記を読みながら聞いて欲しい(“ライ”の意味を誤解した話が面白い)。共にこの曲にはやや不利な内容ではあるけれども、晦渋である事が意味深い事、わかりやすいことが浅薄である証左とされた時代の記述だから…,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:連作歌曲集「ウェンロックの断崖にて」(1909),ステュアート・ウィルソン(T)レジナルド・ポール(P)マリー・ウィルソン四重奏団(DECCA)1929チェルシー・SP,,初演者エルウェス(1917録音)に次ぐ骨董録音か。ヴォーン・ウィリアムズの初演も担ったことのあるテノールだがそれ以外では忘れられた感もある。表現は比較的大仰だが響きが浅く音量変化も付けず、嫌味がない。そしてピアノが素晴らしくドビュッシー的なリリシズムをかもし、録音のせいもありカルテットはやや引いた表現でほぼ聞こえない曲もあるものの、ピアノとは調和し、静かに丁寧に、「ブリードゥン」でテンポをたっぷりとって盛り上がりを作るところでも恣意性を感じさせることなく、儚げな世界を茫洋と拡げる。エルウェスとは時代が違うし独唱者も少し弱いものの、全てが一つのトーンで統一されており、それは紛れもなく完成期のRVWの薄明の感傷的なものである。まあ、詩人はこういう感情的には大仰なスコアを嫌ったそうだし、演奏も思いっきり感情に訴える(けれど響きは透明でフランス的)から、これでも正統とは言えないのかもしれないが、いや、ヴォーン・ウィリアムズとしては正統で、聞いた中で最も古い「ヴォーン・ウィリアムズらしいヴォーン・ウィリアムズの録音」である。ノイズを除去しきれないSPの音なのに、しばし沈黙してしまう盤なんてそうそう無い。収録時間の関係で3,4曲目が逆転しているが違和感はない。ブリードゥンの丘はほんとにギリギリ収まっている。つまり、SPの録音制約でなく、正しく解釈を取ったのだ。なかなかでした。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヴォーン・ウィリアムズ:連作歌曲集「ウェンロックの断崖にて」(1909)<管弦楽伴奏版>,◎ラトル指揮バーミンガム市立SO、ティアー(T)スタジオ録音だけあって美しくまとまっている。ロバート・ティアーの声のすばらしさもあるが、ラトルの現代音楽に対するサエが見られる。「ブリードゥンの丘」が素晴らしいが、そのあとの終曲「クラン」が、前曲の余韻を邪魔するほどに力強すぎる。カップリングがトマス・アレンの「旅の歌」(RVWの、です)であるのが良い。「フランス熱」前後の変化が良く分かる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:連作歌曲集「ウェンロックの断崖にて」(1909)<管弦楽伴奏版>,ボールト指揮LPO、ルイス(T)(INTA GLIO)1972/8/12管弦楽版をオーソリティであるボールトの指揮で聞けるのはこれだけである。ライヴのため、ボールト特有の「雑然さ」がやや邪魔をするが、原曲の美しさは損なわれない。微妙な解釈がさすがと思わせる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:オーボエ協奏曲,○ニックリン(O)マリナー指揮セントマーチン・イン・ザ・フィールズ(london)CD,,典雅な室内協奏曲だが、オーボエにはかなりの負担をかけるものだ。ニックリンは音の美しさはあるものの一部やや技術的な理由からかアグレッシブさが足りない感じもする。バックオケが非常に繊細で緻密な指向を持っているだけに押し出しの強さはやはり余りなく、全体として個性に欠ける感もある。ただ美しくただ哀しいというRVWの長所であり短所でもある部分がよくあらわれている演奏ではあり、淡く美しい音にはなかなか他の室内楽団には出せない魅力がある。それはソリストも同じである。また、テンポがだれることなく性急なぶん聴き易さもある。それは少し技術的瑕疵を呼んでいるようにも感じられるが。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:オーボエ協奏曲,○ミッチ・ミラー(O)バーナード・ハーマン指揮CBS交響楽団(PASC)1945/9/9放送録音・CD,,ソリストも指揮者も映画音楽やライトクラシックの巨人という面白い組み合わせ。ミラーがオーボエ奏者としてデビューしたというのは意外と知られていないかもしれない。この時期には、英国作曲界の大老RVWの新作小品、ということで前衛派や「大演奏家」が取り組むことは余りなく、放送オケで職人指揮者が、あるいは比較的若い演奏家が独自のレパートリーとせんと取り組む対象ではあった。しかしこの作品は小粒ではあるが凡作ではなく、古典に一長を持っていたバルビローリの妻イヴリン・ロスウェルの貴重な現代レパートリーの一つだった。懐古的なロマンティックな楽想を持ちながら、中欧的な重ったるさを除外した清新な響きが、新古典の簡潔な書法の上に高らかなまま編み接がれ、室内合奏曲(オケは小編成の弦楽のみ)ならではの絡み合うアンサンブルの魅力もはっきり、明確に耳に届く。短い三楽章制だが、1楽章は憂愁を孕む音楽がしかしあっさり、中間楽章はさっさと終わるスケルツォになっており、終楽章が全体構成的には長く、たっぷりとドラマを聴かせる。技巧的なラインを途切れさせることなくひたすら歌う独奏と、必ずしも伴奏に徹せず独奏者と同様の楽想を発止と絡めるオケの組み合い方が素晴らしく美しい。,,RVW特有の癖というか趣味というか、独奏にちょっと独特の鄙びた音色表現を要求するところがあり、その点でミラーは正面から行き過ぎている。そもそも余り情趣を醸すような表現を得意としていないのか、割と技巧をまっすぐ押し出すだけで一本調子だから、そもそも一発録りであろう放送録音ということもあって瑕疵も目立つのだが、消化しきれていない感もある。もっともアメリカ初演を担ったわけで、この録音だけで判断してしまっても悪いのだが。オケも小編成でかつ、余り録音条件がよくないため正直上手いようには聴こえない。突出が目立ち不恰好である。,,オケともども1楽章の出だしがたどたどしく生硬なのはまさにその「一発録り」のせいだろう、終楽章では比較的まともになる。オールドスタイルの捻りが時々、独奏というよりはオケにきかれ、突然感傷的なポルタメントを入れたりたっぷりテンポルバートしたりすることがある。これも中途半端で(ライトクラシックぽいやり方だけれど)、どっちかに統一してほしい、RVW的には余りロマン派的なほうに寄るのは違うと思う。テンポや重い表現で盛り上げるのはあわない、ちょっとした指先の振れや精巧な音色の操作によって感情がたち表れる、それが後期RVWだと思う。ちょっとちぐはぐで勘違い演奏的側面は否めない二流ものだが、同時代の演奏としては価値あるものだと思う。よくリマスターされているが40年代なりの音。○。,-----,,TITLE: HID 通販,URL: http://www.east-bound.jp,BLOG NAME: HID 通販,DATE: 11/29/2009 00:39:56,サイト内ニュースの更新のため、RSS情報を参考にさせていただきました。上記理由によりトラックバックをさせていただきます。よろしくお願いいたします。,-----,,
ヴォーン・ウィリアムズ:オーボエ協奏曲,○ミッチ・ミラー(Ob)ザイデンベルグ指揮ザイデンベルグ小交響楽団(mercury)LP,,ライヴがPRISTINEから出ているが荒い演奏だった。これは骨太なところは変わらないが精度は高く、なかなかオケもしっかりしていて、とても楽しめた。ヴォーン・ウィリアムズの繊細な魅力も新古典的な書法の中から立ち上り、その点まったくライブ録音とは違う。録音さえよければ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:オーボエ協奏曲,◎ランクール(ob)エルダー指揮ハレ管弦楽団(ho)2010/6/23・CD,,スピード感のある爽快な演奏で、ソリストも音色は無個性なきらいもあるが技術的に不足ない。ハレ管の弦楽合奏の美しさにも心打たれる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:オーボエ協奏曲,○レオ・グーセンス(O)ジュスキンド指揮フィルハーモニア管弦楽団(HMV、EMI/WMS)1950年代・LP,,長生した被献呈者による録音で、1楽章のみWEB正規配信されている模様。録音年月日諸説あるようだがステレオ直前のモノラル期と思われる。それほどクリアな録音状態ではないが、聴感が落ち着いている。ソリストは一貫してアクセントのない平板でレガートな表現をなし、深みのない軽い音色で突き通しており、面白みはない。技巧的な衰えを感じさせるところすらある。始終ダイナミックな変化より、ここぞのところの微細な揺らぎに美学を篭めている、というところか。オケは厚みがありかといって煩くもなく、寸分も足りないところがない。オケだけでアンサンブルをとり進行していく場面では、もっと明確な絡み合いを演出してほしかったがこの演奏はどちらかといえば総体の落ち着いた雰囲気を聴かせるのが主眼なのだろう。ただどうにも構成が不明瞭で、こだわりがなくあっさりし過ぎているのは気になった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:オーボエ協奏曲,◎ロスウェル(OB)バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BS/HMV他)1955/7/4〜5・CD,,夫婦共演の録音だがロスウェルの張りのある表現が素晴らしい。音色こそ平凡なものの力強く起伏のある演奏ぶりは特筆すべき。若々しさすら感じさせる。バックももちろんピタリとつけ、新古典的な構造を十二分にえぐり出している。元々弦楽合奏には定評のあるバルビらしいところで、しかしバルビ特有の変な解釈を入れて来ないのが聴きやすい。協会の復刻も残響に賛否あろうが非常によい。EMI盤と同録だろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:オーボエ協奏曲(1944),◎ロスウェル(OB)バルビローリ指揮LSO,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:オックスフォード哀歌,ウェストブルック(ナレーション)ウィルコックス指揮ジャック管弦楽団他(EMI),,CDは抜粋としてコンピレーション・アルバムに収録されたことがある。ヴォーン・ウィリアムズの中でも秘曲の位置づけで(録音は比較的ある)音響的には「野の花」によく似ている。しばらくは無歌詞合唱が音楽をリードし、暗くも異界的な雰囲気が保たれる。しかしこれは戦後作品であり、ナレーションが入ると(野の花のヴィオラソロとは違い)詩文の内容を明確に伝えてくる。さらに合唱に歌詞が入ってくる。まったくオペラティックに主張する(構想的に歌劇にしようとしていたのはよくわかる)。そうなると野の花の幻想は失われ、南極交響曲の即物的神秘に近づいてくる。ホルスト、さらにはウォルトンを思わせる。かつての作風が持ち合わせなかった音響的な冒険は音楽を立体的にする反面、冷たく突き放したような職人性が気になる。今ひとつ刺さってこない。この曲が評価されないのはそのあたり作風が安定しないところにあるとも思うが、詩文あっての作品なので、あくまでオーケストラや合唱は伴奏なのである。演奏はリアル感がある。それは後期ヴォーン・ウィリアムズには向くが。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:カンタータ「ドナ・ノビス・パセム」,○作曲家指揮BBC交響楽団、合唱団、フライン(Sp)ヘンダーソン(B)(SOMM他)1936/11放送・CD,,よくレストアされノイズカットされた音源が流通している。初演直後の30年代の録音とは思えない迫力(やや音場は狭くなったが)の音楽を楽しめる。テキストはけして聖書だけではなく複数の文学的な要素を構成したもので、両大戦間の不安と希望が投影された代表作の一つと言っていいだろう。美しい宗教的旋律と中欧的に底深くもフランス的な精妙さを併せもった響き、不協和音と激しいリズムの未だ現れない頃の作品として、もちろんヤワな音楽が嫌いという人の中には「ただの美しい宗教曲」と感じる人もいるだろうが、よく構成された楽曲は交響曲的なまとまりと盛り上がりを作り上げ、5番交響曲を思わせる終曲の壮麗さと判りやすい神秘性は特筆すべきだろう。演奏は作曲家自身によるものだが、他の曲の録音同様、構築的で少々固い。オケも録音のせいもあるだろうがやや非力に感じる(本来大編成向けの曲なのでこの時代の録音用編成では実際薄すぎたのだろう)。一方直裁で突き進むような覇気に満ちた棒はこの作曲家の優しいイメージからは意外でもある。スタジオ録音のためミス等の心配はない。RVWが好きならお勧め。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:カンタータ「ドナ・ノビス・パセム」,○作曲家指揮BBC交響楽団、合唱団、フライン(Sp)ヘンダーソン(B)(SOMM他)1936/11放送・CD,,SOMMは正規盤としての初リリースとのことだが既出盤と音質的にはそれほど変化はないようだ。ダイナミックな演奏で覇気があり(そういう曲なのだが)、歌唱・合唱のドライヴの仕方が非常にプロフェッショナルに感じる。比較的有名な録音であり、曲自体も合唱曲好きには知られているもので、私は余り合唱曲は得意ではないけれども、人によっては楽しめるだろう。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BS/HMV)1948/2/26・CD,,冒頭のフルートから歌う歌う。前時代的と言っていい、少なくとも10年は遡る表現。バルビローリの面目躍如といえば違いはないのだがここまで歌いこまれ、部分的には恐らくいじっているであろう、SP時代の演奏にありがちなふうなのはまだ芸風が板についていないからか?とにかく突飛な演奏。SP以来協会盤が初復刻の模様。録音茫洋としノイジー。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲(グリーヴス編),○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BS/HMV)1954/1/5・CD,,依然独特の節廻しの演奏だが旧録よりはかなりまともだ。録音状態もましである。息継ぎまでも厳しくりっしながら力強く旋律を歌い上げるバルビローリの音楽がここにある。何故かこの録音にのみグリーヴス編曲と書いてある(同曲は元々グリーヴス編曲)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲(1908),バルビローリ指揮シンフォニア・オブ・ロンドン,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲,○アブラヴァネル指揮ユタ交響楽団(vanguard)CD,,木管巧いんだよななんでだろ(失礼)。だが曲目が曲目なのでどうにも解釈を押し出すことも個性を捻り出すことも難しく、ニュートラル。その一言しか出てこない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲,○アンソニー・コリンズ指揮新交響弦楽合奏団(LONDON)LP,,ストレートな演奏だがこの曲で何かしようとするのが無理なわけで、力強く聞ける。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲,○ストコフスキ指揮NYP(columbia/sony)CD,,手堅い。あえてモノラルで聴く意味は余り無いし、ソリストにも特筆すべきところは無い。僅かなポルタメントにSP時代のNYP弦楽の演奏スタイルが覗える。そんなところか。6番とのカップリング。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーブス幻想曲,○ストコフスキ指揮NYP(columbia/sony)1949/2/21・CD,,しっとり落ち着いた美観。出しゃばらないフルートに導かれて抑制的に合奏する弦、余り特徴的なところはないが、誠実な演奏である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲,○ヘンリー・ウッド指揮クイーンズホール管弦楽団(DECCA,DUTTON)1936/4/22・CD,,グリーンスリーヴズといえばRVWの編曲によるこの抜粋曲をさす、しかしウッド卿による演奏はグリーンスリーヴス「ではない」中間部主題を異常に強くスピーディに扱ってコントラストをつけており、SP録音特有の金属質の響きとあいまってやや、情緒的に足りない感じも受ける。もともとトスカニーニやビーチャムのやり方に近いものを持っている指揮者なだけに、RVWのしっとりした抒情とは本質的に相容れないものがあるのかもしれない。中間部が引き立った特異な演奏として○にはしておく。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲,○マリナー指揮セントマーチン・イン・ザ・フィールズ(london)CD,,過不足ない演奏。こういう曲に過度なカンタービレなどいらない、という向きにはとてもお勧め。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲,〇サージェント指揮LSO(warner/EMI)CD,,これが決定版といっていいだろう。スピードが弛緩しない中で情緒的な伸縮を含めスムースに構成されており、手あかのついたこの曲をそれでもしっかり楽しませる力がある。情緒におぼれず、しかし無視せず、サージェントらしいかっこよさで、オケも締め付けが厳しそうな雰囲気はあるも、トスカニーニの時代とバルビローリの時代をつなぐような良さを持っている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲(1908),オーマンディ指揮フィラデルフィアO,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲(1908),バーンスタイン指揮NYP 1960年代,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲(1908),ボールト指揮LPO(フィルハーモニック・プロムナード),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲(1908),ボールト指揮ウィーン国立歌劇場O 1959,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲(1908),メニューイン指揮イギリス室内O 1986/7/21-23,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲(1908),ヤニグロ指揮イ・ソリスチ・デ・ザグレブ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲(1908),ラスキーヌ(HRP) ランパル(Fl),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:クリスマス幻想曲,○ストコフスキ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R/GUILD)1943/12/19LIVE:CD,,板起こしで録音はひどい。ストコに繊細な表現は求むべくもないが、RVWのドイツ的な重い響きと強い旋律性を的確にとらえ、浮き彫りにしてみせる手腕はここでも健在である。ちょっと古風な趣のある曲だけれどもRVWならではの奇妙な移調がささやかなアクセントになっている。ストコの音楽は余りRVW的な部分にこだわったものにはならないが、聴きやすさは一倍にある。○。2010年夏CD化。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:クリスマス・キャロルによる幻想曲(1912) ,ヒコックス LSO ロバーツ
ヴォーン・ウィリアムズ:クリスマス序曲(イエイツ補筆編曲),イエイツ指揮国立ロイヤルスコティッシュ管弦楽団(dutton)CD,,CDのラストにびっくり箱。こんな珍曲、きっと二度と録音されまい。管弦楽の響きは素晴らしい。1934年の民謡編曲手腕が遺憾なく発揮されている。メドレーの選曲もいい。真ん中繋ぎ方は乱暴だが自身の完成版ではないのでそこは置いておく。いや重要なのは最初と最後なのだ…大管弦楽による気宇壮大なクリスマス・キャロル「世の人忘るな」。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:この日に:クリスマス・カンタータ(フーディ)1953-54,ヒコックス指揮ロンドン交響楽団 ロバーツ、ティアー〜やや晦渋な印象も…,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:すずめばち序曲,○サージェント指揮ハレ管弦楽団(COLUMBIA)1942/7/3,,復刻有無不明の旧録。RVWが民謡旋律を使って頬を赤らめてしまうような恥ずかしい軽い音楽を編曲していたことは周知のことと思うが、これもそのうちになる。但し今でもたまに演奏されるように、RVW特有のコードが頻繁に挿入され「南極」のような晩年作品に聴かれる、あるいは親友ホルストの作品に見られるようなちょっと「呪術的な」雰囲気もあり、聞き込むとそれほど単純ではない。演奏はやや脇が甘い。サージェントはどうもスマートなようでいてきっちりとはしていない場合があるように思う。ただ、時代が時代なだけに、といっても40年代だけれども、録音としてはこんなものか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:すずめばち序曲,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BS/HMV)1953/6/16・CD,,バルビローリの丁寧な処理ではっとさせられるところの多い演奏。中間部がこれほど「フランス熱」にうかされた音楽だったとは。ドビュッシーに熱狂していたとはさもありなん、な模倣ぶり。いや美しい。リムスキーからの引用ともとれる描写的なパセージは世俗じみた音楽になりがちだがバルビローリのスピーディで迫力ある表現がそうは聴かせない。なかなか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:すずめばち序曲(1909), 作曲家指揮エオリアンO 1925
ヴォーン・ウィリアムズ:すずめばち序曲(1909), ブランコ指揮ポーランド国立SO
ヴォーン・ウィリアムズ:セレナーデ イ短調(ラッシュトン編),イエイツ指揮ロイヤルスコティッシュ国立管弦楽団(dutton)CD,,1898年作品ということで、ラヴェル師事前の中欧的なカッチリ古風な様式による。しかし実に清澄で耳に優しい作品だ。グリーグなど国民楽派の流れにありながら高貴な雰囲気が漂い、しかもオーケストレーションが上手い(編曲の腕だろうか)。面白く聴ける音もありブルッフで停滞しているわけでもない。演奏もやりやすいのか、とくにRVWらしいロマンス(四楽章)やその前の楽章は美麗で聴き応えがある。これは良いトラック。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,ラトル指揮ベルリン・フィル/ウィーン・フィル(EN LARMES:CD-R)2005/4/2合同演奏会LIVE,,英国系の演奏に慣れ親しんだ向きはかなり面食らうだろう。ノンヴィブでそれらしさを出そうとしても、厚ぼったく表出力の異様に強い演奏ぶりは特に前半ロマンティックな揺れすら伴いラトルとは思えない野暮ったさを感じさせる。線の細い音を紡いで繊細な和声の揺らぎを味あわせる曲なだけに、旋律だけが異様に強く対旋律と釣り合っていない部分など残念な点が多い。終始音色に魅力が無いのも気になる。全く感覚的にではあるがウィーン・フィルだけであればこうはならなかった気がする。ドイツ臭いともまた違う、何かただ力で押し切られたような不満が残った。但し録音のせいである可能性も高い。レンジ幅が不自然に広く音量には制約がある(高音が伸びない)。音のアクが強くコントラストがくっきりしすぎている。また放送エアチェック盤ならではのホワイトノイズやブレ欠落はこういう曲では非常に気になる。悪い点ばかり挙げてしまったが、弦楽四重奏部分など盛大雄弁で、曲の特殊な構造を浮き彫りにした特徴的なものになっている。後半の落ち着いた曲運びはラトルらしい客観性も感じられる。構成に疑問は残るが(最後のほうは単調で飽きる)現代の同曲演奏の一つの在り方を示すものとして価値はあるだろう。無印。,-----,,TITLE: ラトルVPO/BPO合同演奏会(2005/4/2)発売,URL: http://blog.goo.ne.jp/r_o_k/e/78e320203d509e1406cc77fec1efe275,BLOG NAME: 20世紀ウラ・クラシック!<最新版>,DATE: 05/24/2005 12:47:03,といってもCD-R(ELS)です。高いです。でも「タリスの主題による幻想曲」が入っている。買いました。悲劇的はおいおい5月の放送と昔のバーミンガムのと比べて聞いてみます。長いからすぐはむり・・・,,しかし予想通りだな・・・海賊盤で出ると思うと高い演奏会にわざわざ行き,-----,,,-----
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○アンソニー・コリンズ指揮新交響弦楽合奏団(LONDON)LP,,あのダイナミックなシベリウスでモノラル時代に名をはせたコリンズによるお国モノ。予想どおりダイナミックにロマンティックで痛切な憂いを秘めた演奏だ。余りに起伏が感情的に感じるかもしれないがコントロールも厳しく雄渾に行き届いたものでけしてメロメロにはならない。ちょっと表現が性急で強すぎる感もあるが、ボールトやバルビにはないいい意味でのニュートラルさはあり、胃にもたれない程度の聞き易さは音楽を純粋に音だけで楽しめる。うねるように力強い旋律から溢れ出す詠嘆は何とも言えない号泣の叫びである。また力強いのはいいがヴァイオリンなどやや「若い」。だから少し割り引いて○にしておいたがモノラル末期の凝縮力が芸風にうまく嵌まった熱演といえるだろう。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"",-----,,,-----,,,-----,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○アブラヴァネル指揮ユタ交響楽団(vanguard)CD,,ユタ馬鹿にしないでよ、といにしえの人は言ったものだ。このコンビはのるかそるかで、そってしまうと盤を割ってしまいたくなるのだが、これは当たり。ユタ馬鹿にできない正攻法で練り上げた演奏ぶりは雑味がなく、技術を裏付けとする透明感と解釈を裏付けとする感傷性の塩梅が難しい同曲にあって、バランスがとれどちらにも偏りすぎない聴き易さを持っている。カルテットと弦楽オケ、という二重構造が乖離することもなくむしろ「そうなの?」と思わせるような自然な融合ぶりにぐっとくる。だが、音の魅力はもう、しょうがない。音がニュートラルすぎて、常にアタマをよぎるバルビの鮮烈な音にくらべ劣って聴こえてしょうがないのだ。あの数少なく細い音のしかししっかりした束、揃わないヴィブラートの絡み合い強烈な感傷性を放ちながら高みに昇っていく感覚をおぼえてしまうと、物足りないのだ。あれも演奏的には「雑味」のうちなので評価は分かれるだろうが、そこはしょうがない。○。web配信販売されているが中古二束三文。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,◎カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)CD,,旧いモノラル録音ゆえ迷ったが余りの美しさに◎をつけざるを得ない。この曲はどうやっても譜面通りに弾かせれば出来上がってしまうたぐいの名曲なだけに純粋に指揮者がオケをどれだけ磨き上げられたかで完成度が決まってしまう。カラヤンにフィルハーモニアの弦というだけで成功しないわけがないのだ。過度にロマンティックでも客観主義でもないところのバランスが素晴らしい。欠点は録音の弱さだけに尽きる。心掻きむしられるようなヴァイオリン強奏部のヴィブラート、カラヤン壮年期の力強いフレージングに感銘を受ける。強い個性や感情の爆発こそないものの細部まで行き届いた配慮にカラヤンがレッグの要請のまま振り散らかした雑曲の一つとは言い棄てられないものを感じる。発音の強さはトスカニーニふうではあるが音色はイギリスオケの柔らかな感傷を帯びて優しくあきらかに違う雰囲気を醸している。復刻CDの音は更に遠すぎる感じ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○ケルテス指揮LSO(medici,bbc)1966/2/15ロイヤル・アルバートホールliveCD,,たいそう印象的な曲であっても、いざ調べてみると作曲動機は大したことなかったりすることが多い。たいそう感情を煽りまくった演奏でも、違和感を感じるというのはそういうきっかけの誇大評価に起因しているところがあるのかもしれない。ケルテスの「タリス」は中庸だ。ロマンティック過ぎることも冷徹過ぎることもない。古典への敬意を示しながらも曲にははっきり後期ロマン派に立脚した旋律の扱いがみられ、宗教音楽ふうの響きによって薄められてはいるものの演奏の仕方によってはとても感傷的にきこえる。バルビローリの名演ですらその面がつよい。,,しかし、それは教会に響く音楽ではない。中世の遠きとどろきではない。,,ケルテスには北方的な清潔さと同時に柔らかなロマン性があり、その配合が絶妙だ。どうしても感情的に高ぶらざるを得ない場面であっても、本人やオケが先行して勝手に盛り上がっていくことは無い。聴くものの心中の波が静かに盛り上がるのを待ち同時に進んでいく。LSOの技巧にほつれの無いしかし細い響きが音楽に崇高さをもたらす。,,録音はやや悪い。しかし拍手はそれなりに盛大である。,,○。,-----,,,-----,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○シルヴェストリ指揮ORTF(vibrato/SUNJAY:CD-R)1966,,20世紀に生み出された最も素直に情緒深く、優しい優しい曲・・・それにしても何という彫りの深さ!冒頭より陳腐なまでに引き伸ばされる音符、しかしいずれの楽器も明るくリアルな硬質の音、それと指揮のルバーティッシモな伸縮・デュナーミク変化の慟哭、アーティキュレーション付けの極端さのミスマッチ、いずれも「シルヴェストリ!」という強烈な存在感を示している。曲が室内楽的な部分を多分にのこし鄙びたひびきで決して踏み外したロマン性を発露させないものであるために、可笑しさは余り感じないのだが、この曲をよく知る者には奇演と聞こえるかもしれない。兎に角ダイナミックすぎる。・・・でも、知らない者は、これ以外聞けなくなる恐れもあるのだ。こんなに哀しく美しい曲をこの前衛の時代に何故書けたのか、と思わせる名曲、しかもRVWにとっても特異なくらいの深みを示している名曲、それをこうもデフォルメされるとまた違った側面も見えてくる。原典主義など何のその、そもそもが主題流用の擬古典を目した曲じゃないか、というシルヴェストリの声が聞こえてきそうだ。どうもドイツ臭い太筆描きの表現が気になるところもあるが、RVWファンでも一聴の価値はある。ただ、初心者が最初に聞くのはどうかなあ。○。こんなにフレーズの一個一個にあからさまに意味を持たせた演奏は初めて聴く。バルビもたしかにそういう方法をとっているが、もっと滑らかで自然だ。RVWの曲が映画音楽と揶揄されるのもこういう演奏なら納得いくなあ。それにしてもほんとに、こんなに引き伸ばされた音符で始め、また締められる演奏初めて聴きます。,"",,-----,,,,,,,,,,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),○ストコフスキ指揮NYP(私家盤)1948/3/28LIVE・LP 録音にかなり難あり。精妙な曲の美感を損なっている。しかし解釈はいい。ゆったりしたテンポでこれでもかというくらい感傷を煽っている。弱音の美しさは比類無い。流石の弦楽器使いストコの面目躍如である。ところで私の手元にはストコのタリス幻想曲はこれともうひとつしかない。後年にいくつかの録音が残されており、特に70年代のものは絶唱とされているそうなので、財布の紐の許す時に是非聞いてみたい。録音マイナスだけで○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○ストコフスキ指揮NYP(DA:CD-R)1948LIVE,,既出と同じか。録音は悪いがストコらしい耽溺とオケの力感があいまって説得力が生まれ、この哀切きわまる曲を十分堪能できる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○ストコフスキ指揮NYP(SCC:CD-R)1962/3/2live,,ねっとりロマンティックで感情的に揺れ動く演奏。オケの響きの問題もあるのかもしれないが、いささか重く感じられる。録音もよくない。○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○ストコフスキ指揮NYP(DA:CD-R)1962/3/4LIVE,,まったくアタック無し、弓の返しを音に出させずえんえん繋がったスラーで、さらさら流れだす冒頭にぎょっとする。意味がわからない。しかしじきに恣意的な感情の揺れが発し始め、スコアが異次元的な揺らぎを加えられ始めるとむしろ安心する。確かにやりすぎの感はあるが、NYPが幅のある音で奇異さを和らげつつもしっかり棒につけてくるのでそれほどおかしな結果にはなっていない。やらかしているほうの演奏だとは思うが録音が悪いのが幸いか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,◯ストコフスキ指揮NYP(guild)1962/3/3live・CD,,レガート、レガート。波のようにうねりまたは囁く。この音源には先行して一日違いのものが二種あり、記載ミスを疑ったが、今のところどうとも断言できない。感動的な演奏の前にそんなことなどどうでもよくなってしまう。録音はこんなものか。悪くはない。クライマックス後によれて、音量が半減するところはマイナスか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○ストコフスキ指揮ニュー・フィル(DA:CD-R/BBC,IMG)1974/5/14LIVE・CD,,何を聴いてもRVW「タリス」を聴けばやっぱりストコはイギリス近代だと思ってしまう。どんな曲からも素晴らしい魅力の種を見出し瞬時に育てあげることができた魔術師である。だが「タリス」にかんしてはもっと個人的な主観というものの存在にも思いはせてしまう。ストコは感情的な指揮者ではない。メカニカルな観点から楽曲を分析再構築するあくまで「科学的な指揮者」の範疇でやりたいほうだいやったというところである。だがこの曲には感情の存在が否めない。詠嘆、激情、届かぬ思い。RVWにしても奇跡的なまでの出来の代表作であるだけにどんな指揮者でもそれなりに聞かせることができるのだが、解釈という観点が存在することすら忘れてしまうほど曲と同化した演奏というのは分析的に聴く気すら失せさせてしまう。ストコはタリスをたくさん残している。しかし復刻はけして十分ではない。これはライヴという意味でも素晴らしい記録である。音質的にマイナス、○。bbc正規CDと同じ音源かもしれない。ニュー・フィルと4日付けの正規録音もあり、詳細検証していないので関係はわからない。解釈は基本的に同じ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),ストコフスキ指揮ニュー・フィルハーモニアO 1974/5/4 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○デル・マー指揮バーミンガム市立交響楽団(EMI)1980/8/21-22・CD,,あまりに素っ気ない出だしから足を掬われるが計算の内、クライマックスでは全体で歌い上げる。カルテットと弦楽合奏という入れ子構造を強調する演奏も多い中、あくまで独特の響きを聴かせるためだけの構造としてできるだけ全体に融合させ、また、ビーチャムの弟子らしくロマンティシズムを煽らずノーブルに演じてみせている。あまり好きなやり方ではないが、作曲の講義をRVWから直接受けていた指揮者の見識として面白い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),デル・マー指揮バーミンガム市立SO(CHANDOS) 同じか,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○ノリントン指揮LPO(DECCA)CD,,さらさら流れるテンポで進む音楽だが、ノリントンらしさではあるのだが音符の切り方が独特で、珍妙な印象を与える。ヴォーン・ウィリアムズで楽譜をそこまで厳密に再現してどうする、というところがある。かえってぎくしゃくする面がある。ただ音は綺麗。純器楽的演奏として特徴的であり、○にはしておいていいだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○バルビローリ指揮ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団(BS)1958/9/13ブカレストlive・CD,,見事な音色。しっかりしたアンサンブルで聴かせる。バルビの烈しさがあらわれており、後年のスタジオ録音にくらべ鋭く変化しスピーディに進行する。テンポ設定は後年のゆったりとしたものとは違うものの、50年代のバルビがみせていた独特の扇情的なアレで、しかも掌中の珠たるこの曲では微塵の不自然もない。ただ・・・録音は悪い。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BS/HMV)1946/6/6・CD,,この深く沈み込むような感傷的な曲についてはバルビローリ特有の歌謡的表現がとてもマッチしている。グリーンスリーブスでは技術的問題も感じさせたハレ管の、とくに弦楽器の,心震わせるヴィヴラートにはもうお手上げである。ニューヨーク時代に身につけたとおぼしき即物性を残しておりテンポは速く意外と揺れない。そのぶん自由に歌い込むところは自由に(むろんバルビ一人の自由としてだが)アーティキュレーションが付けられ、にもかかわらず合奏も乱れず、準備の周到だったことを伺わせる。コンマスの泣きの音がとにかく素晴らしい。それに比べると他のソリストの音はニュートラルだが、このコントラストがいいのだろう。バルビのタリスは正規ではずいぶん後のステレオ録音(しかもどうやら継ぎ接ぎ)になってしまうので、録音状態は悪いが聴いて損はない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),◎バルビローリ指揮シンフォニア・オブ・ロンドン 例えようも無く美しい音。使い古された表現だが一音一音を慈しむように刻むバルビローリの棒。クライマックスでは晩年のサー・ジョン特有の雄大な造形が完全に成功している。一点録音の継ぎ目のような断層が聞こえる箇所があるが、それを差し引いても尚永遠の名盤として残るものだ。何時聴いても深く心を打つ演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○プレヴィン指揮ロイヤル・フィル(TELARC)CD,,ゆったりしたテンポに繊細な音、この曲はオケ次第というところがあるけれどもまさにロイヤル・フィルらしさが活かされた演奏で、感情が高ぶりすぎることもなく明るく温かな世界が演出されている。耽溺しないところが逆にいいのだ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○ボイド・ニール指揮ボイド・ニール弦楽合奏団他、作曲家監修(DUTTON)1936/1/29・CD,,いじりすぎの感もあるけれど良好な音の復刻。テンポに生命力があり、曲の元来包含する擬古典的な客観性よりは前向きなロマンを目した演奏ぶりとは言える。展開部?では慎重に響きをはこぶさまがRVWの静謐な世界をよくうつしていて秀逸。音楽が途切れる事無く連綿とレガートで続いてゆく。ヴィブラートのかけられた程よく厚いひびきが非常に滑らかに繋がってゆく。ソロ部の変な誇張や突出もなく、バランスは理想的だ。暗さや深味、もしくは透明感や典雅さをもとめたらあてが外れるかもしれないが、作曲家意図のそくっと中庸のところを押さえた名演。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○マリナー指揮ストラスブール・フィル(DIRIGENT:CD-R)2010/5/27ストラスブールlive,,ファンタジアというのは古典音楽を模した題であるとともにこの時代のイギリスでよく使われた名称であり作曲コンクールの課題にされるほどだった。フランスやロシアなどで使われていた幻想曲とは少々違う趣のものである。トマス・タリスは今もなおイギリス音楽史上の革新的巨人と尊敬されているが、この曲は素材に使ったというだけで、RVWの真骨頂とも言うべき古典ふうの響をともなうフランス的ロマン派作品だ。ワルターのように揺らしまくったりバルビのように起伏を大きくつけたり単純だからこそ様々にさばかれるが、RVWにあれだけ適性を示していたマリナーがこのフランスライブでは何故か完全に揺れず起伏なく、ただ速いテンポで突き進む。即物的という言葉を久しぶりに使うが、やり口はトスカニーニのようだ。色彩感がそれほどないからまた味気なさに拍車がかかる。前プロで、メインがベト7というのも関係あるやもしれないが、中プロがブリテンなのでそのダイナミズムに引きずられたとも言えるか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○ライナー指揮シカゴ交響楽団(DA/premiere:CD-R他)1957/11/28live(29?),,ちゃんとやっているのに印象が薄い。このオケの弱点は機能的な万能性だ。何のひっかかりもない。録音も悪いがライナーの解釈は決して情緒をいっさい排したわけでもなく揺れるのに、アンサンブル的にすばらしい技術で表現された音楽の、まったく届かないこと・・・説明不能なほど、ちゃんとした演奏ではあるのに駄演感がつよい。技術を評して○にはしておくが・・・DA盤では29日となっている。恐らくweb上で配信されている28日音源と同じ。田園交響曲(3番)の演奏記録があり、それが残っていたら面白いが。何故取り上げたのか?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,○ボールト指揮ニュー・フィル(bbc,medici)1972/7/7ヴォーン・ウィリアムズ生誕100年記念コンサートlive・CD,,軽くも美しい響きのニュー・フィルの特質をしっかりしたコントロールのもとに引き出した佳演。ひょっとするとメインの交響曲第6番よりも出来がいいかもしれない。速いインテンポでさっさと進むが抑制されたカンタービレが胸を衝く。もちろんたっぷりケレン味をふくんだ演奏のほうがこの曲の味は出ると思うのだが、本来的には擬古典的意匠を持った曲であるがゆえ、理論家ボールトの手にかかるとこういった表現になる。ちょっとセルを思わせるスタイルである。最後の「返し」の一音が「伸ばし」とちゃんと分離して聞こえる演奏は初めて聴いた。しばらく沈黙ののち静かに拍手が入るのも演奏の印象深さを裏付ける。○。,,"Vaughan Williams: Symphony No.6", Fantasia on a Theme by Thomas Tallis; P.Hadley: One Morning in Spring, etc / Adrian Boult, NPO, LPO," BBC SO",-----,,,-----,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),ボールト指揮LPO(フィルハーモニック・プロムナード)50年代 ボールトの沢山ある演奏記録はどれもそれほど違いを感じない。個人的に愛着有るフィルハーモニック・プロムナード管弦楽団名義の1枚を挙げた。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),ボールト指揮ウィーン国立歌劇場O(CBS)1959 ボールトのものは数多く残されているが、これはウィーンを振った珍しいもの。ボールトはニキッシュに私叙した元来ドイツ系に属する指揮者であり、ブラームスのような作曲家に適性を示すが、同時にロンドン・フィルとの名コンビで、母国イギリスの近代音楽の表現にも比類無い冴えを見せる。この演奏はその両面の中間的なところを示すもので、美しいというより興味深いドキュメントだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,ボールト指揮BBC交響楽団(EMI/warner)1940/4/9・CD,,戦中録音であることを考えるとノイズも仕方ないか。ただボールトは後年の録音とスタイルを変えていない。ある意味、もっと動きのいい手兵としてこのオケを存分に動かしており、力みすぎている。力む要素の確かにある、感情的な旋律で、戦時中であれば祈りを叫びにして放ちたい気分もあろう(YouTubeにボールトやサージェントらが戦意?高揚的な舞台に立つ映像がある)。ただどうも、細部の分離の悪い古い音だから「気になる度」はステレオ録音の方が上なのだが、この曲は慟哭を表現するのは違う気がする。思ったより奏者をえらぶ曲なので、最初にワルターとかボールトを聴くと「何この曲」となるかもしれないので、あくまでセカンドチョイスにどうぞ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,ボールト指揮LPO(EMI/warner)1975/4/28・CD,,正直、この曲はもっと客観的で透明感のある演奏のほうが望ましい。古風で(タリスの主題を使っているというのである)教会音楽的なものであればあるほど、むしろ心を揺り動かされる。ボールトは主情的だ。ドイツ風の重みある旋律表現が響きに雑味を呼び、まあハーモニーの雑さはこの前のセレナードでも感じられるが、そこが他の安定した後期曲ならいざしらずまだこの作風を会得して間もないヴォーン・ウィリアムズ相手には難しい。録音が良すぎるのも、悪い面を際立たせてしまっているかもしれない。ラストの装飾的な動きはなかなかまとまらないのだが、ボールトはしっかりまとめることで、却って不自然な原曲の一面をはっきりさせてしまっている。旋律音楽だからロマンティックに歌い上げるのはよい。こういう演奏をきくと某いえよう評論家が、ワルターがこの曲と大地の歌でプログラムを組んだことに対し、センスがあると言った意味はわかる。だが、虚無感は精密で繊細な演奏からしか生まれない(ワルターも異様にロマンティックだ)。この曲に満ち溢れる虚無をあらわすには、ボールトは余りに元気すぎたのかもしれない。最晩年ではあるが、この曲を得意としたストコフスキー同様、ボールトは最後まで覇気溢れる職人だった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲,ミトロプーロス指揮ミネアポリス交響楽団(nickson)1945/3/2・CD,,ピッコロが入ってる錯覚に陥るほど状態は悪いのだが、思いっきり情感をこめて表現されるさまはワルターのライヴを思わせるものがある(ワルター盤に聴かれる強烈な恣意性は無いが)。同曲の無常感をミトロプーロスらしくあくまで前のめりに強靭に真っ直ぐ描き、この弦楽器群の硬くて魅力に欠ける音色でも、持っていかれる部分はある。こういうテンポはほとんど揺れず基本大音量の中でその音量の多少の変化のみで仕立てるスタイルはこの時代珍しくない即物的なものではあるが、同曲にはたとえ棒のような表現であっても明確に音色と響きの変化が伝わり自ずと出来上がる名品としての確固たるものが備わっている。だから、これは決して良い録音ではないし、楽曲の魅力を引き出すたぐいの解釈でもないが、悪くはないのである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),ミトロプーロス指揮NYP(SONY)バーンスタインやワルター盤にやはり通ずるものを感じる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),トスカニーニ指揮NBC交響楽団(RELIEFほか)1938/10/15LIVE音はとても艶があっていいのだが、テンポがほとんど揺れず感情表現に欠ける。このようなしっとりとした曲をよくもまあ無味乾燥に仕上げたものだ、といった感じ。トスカニーニお得意の速めのインテンポ、これが曲にあわない!!,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(KING,OPUS蔵/NUOVA ERA他)1945/11/18放送LIVE 38年盤に比べ音像が明瞭なぶん雑音も大きくかなり耳障りだ。SPを聴き馴れていればこれはそのテの雑音なので聞き流せると思う。硬質で鋭い音だから、トスカニーニの即物性がいっそう浮き彫りになっている。だがそれは決して冷たく客観的だということではない。38年盤に感じられた異様さ〜まるでのどかな田園を戦車が蹂躪していくような迫力〜が抜けて、ヴォーン・ウィリアムズ特有の虚無的な空気感が残っている。その虚無は哲学的なまでに響きわたり、情緒的なものが無いぶんオトナの音楽として纏め上げられている。これは随分と変わったものだ。ドビュッシーの影響やラヴェルの教唆が完全に自がものとして取り込まれ独特の清澄なロマンティシズムを醸し出すようになった記念碑的な作品だが、ロマンティックであるとはいえ曲想にはかなり悲壮感があり、暖かい響きの中にもどこか諦めに似た感情が織り交ざる。トスカニーニはたとえばバルビローリのように大きく息づくようなカンタービレは一切かまさない。バルビローリの場合この旋律の魅力をひたすらつたえ、ろうろうと歌う中に仄かに諦念を醸し出す。トスカニーニは旋律はあくまで音楽の構成要素としてきちんと整えて、高度な音楽の抽象化を施すことにより、却って楽曲そのものの持つ感傷性をむき出しにわかりやすくしている感がある。どちらがいいかは好みだが、懐の深い曲なのでいろいろな演奏があっていい。個人的には38年盤よりこちらのほうが心の深層まで染み入ってきた。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),○モントゥ指揮ボストン交響曲(BSO)1963/12/20LIVE 颯爽としてスピード感のある、じつに隙の無い見事な演奏。ソロ、弦楽四重奏がオケとからみ多少まとめづらい感のあるこの室内合奏曲、ほとんどミスもなく演じきった我慢強いオケにも、無論すぐれたモントゥの棒にも拍手を贈りたい。美しい、ただそれだけで十分である。美しさの中にも温もりが有る。よく癒される。ほんらいのRVWとしてはもう少し透明感が欲しいし、諦念もほしい、あるいは危ういまでの情緒のしたたりが欲しい気もするが、これは「音」としてよくできた記録である。総体として○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),○ワルター指揮NYP(ASdisk他)1953/2/22 音は悪いが、この曲はこうも表現可能であるいうことを示す演奏。その甘美なロマン性と前進的な曲作りは見事といえよう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),クーベリック指揮COLOGNE放送交響楽団(METEOR)?久し振りにヴォーン・ウィリアムズを取り上げた。「タリス」はどう演奏してもそれなりに聞けてしまうので(ラヴェル譲りですね)、逆に演奏の特徴的な部分を取り出すのは難しい。トスカニーニやワルターやカラヤンも取り上げたヴォーン・ウィリアムズ(RVW)の代表作だが、クーベリックはやや寸足らずな表現で何か焦燥感のようなものを感じさせる演奏を行っている。テンポはほとんど揺れず、寧ろ急くように感じられる。この曲はことさらにロマン性を引き出すことなく教会音楽のように響かせるのが恐らく正解なのだろうが、こういう”気合”を感じさせる人間的な演奏もいい。耽溺はできないが、面白い演奏だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),バーンスタイン指揮NYP(SONY)1960年代 ワルター盤にやや似るのはNYPのせいだけではないだろう。同傾向を示すロマン的演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),メニューイン指揮イギリス室内O 1986/7/21-23 ECOの音はブリテンの時代からイギリス最高といわれるが、バルビローリのシンフォニア・オヴ・ロンドンより、ここではやや落ちるような気がする。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19),オーマンディ フィラデルフィアO
ヴォーン・ウィリアムズ:チェロと管弦楽のための暗い牧歌(マシューズ編),イッサーリス(Vc)ダニエルズ指揮BBC交響楽団(放送)2010プロムス初演live(映像),,ネットで観ることができる。録音はどうしても悪くなるのでチェロの低音が聞こえづらく、またさすがに編曲初演のため硬さも否めないが、オケがオケだけにバックアップは万全で美しい。プロムスではしばしば雑な演奏もあるので、ちゃんと名の通ったオケ、指揮者そしてソリストということで安心もある。小規模作品だが重く沈潜するような雰囲気はRvwとして独特でもあり、演奏機会も増えるのではないか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:チェロと管弦楽のための暗い牧歌(マシューズ編),ジョンストン(Vc)イエーツ指揮王立スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(dutton)2012版・CD,,ヴォーン・ウィリアムズが第二次大戦中手を付けながら未完の緩徐楽章のみ残されたというチェロ協奏曲を、単独楽章のものとしてBBCの依頼によりマシューズが完成、2010年プロムスにて披露された(イッサーリス独奏、youtubeで聴ける)。dark pastralという題名はRVWがつけたのではない。duttonのRVW未完曲目発掘録音のメニューの中に取り入れられ、録音されたのがこの唯一のCDということになる。ヴォーン・ウィリアムズのこのての静謐な作品は必ずしもライヴに向かない。ノイズレスでたっぷり時間をとって、精緻に作り上げた音響をもって初めて味わうことができる。これはまったく、全盛期ヴォーン・ウィリアムズの牧歌である。40年代のRVWにしてはむしろ古風とすら言える。複調性で深みを出してきた「野の花」よりは田園交響曲や揚げ雲雀の世界で、旋律はけして「ダーク」ではない。これが暗いなら、タリスの主題?も暗いことになる。奇麗過ぎて諦念を感じさせる点で、ヴォーン・ウィリアムズ好きにはたまらない曲で、ヴォーン・ウィリアムズにしてはチェロの使い方が上手いと言えるかもしれない。音域的にチューバ協奏曲を彷彿とさせるかもしれないが、中身にシニシズムはゼロである。むしろドヴォルザークの協奏曲を思わせるところがある。ヴォーン・ウィリアムズは似せて作ることが比較的容易とみえてパスティーシュが多く作られるが、これもそこを汲み取って作ったのだろう。演奏はゆったり、よくできている。ヴォーン・ウィリアムズ好きならどうぞ。それ以外は他の曲と区別がつかないだろう。「チェロ協奏曲」です。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:チューバ協奏曲,○カタリネット(tub)バルビローリ指揮ロンドン交響楽団(BS/EMI/HMV)1954/6/14・CD,,ヴォーン・ウィリアムズの職人的な後期作品でチューバ奏者にとっては貴重なレパートリーだが、小粒で尻窄まりな作品でもあり、常套的でも魅力的な旋律をどう活かすか、という点でバルビローリも楽団も素晴らしく光っているのに、ソリストが冴えない。音程が悪く音色も濁り上出来とは口が裂けても言えない。びっくりするほど吹けてないが曲に無理があるのだと納得しておくか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:チューバ協奏曲,○カテリーン(tub)バルビローリ指揮LSO(EMI)CD,,バルビのRVW小品録音はモノラルが多いので惜しい。とくに煌びやかな晩年作にモノラルの篭った音は向かない。この曲は珍しいせいか、チューバ奏者内にとどまらず聴衆にも名前だけは酷く知られている。しかしRVW晩年の凡作に多い晦渋な響きとよくわからない旋法的旋律による机上曲の雰囲気が、払拭しきれない両端楽章は好みを分かつと思う。低音金管楽器チューバを使ったために象が動いているような滑稽さが加わり、けして他の楽器の協奏曲でみられるような細かい技巧的フレーズは盛り込まれていない(盛り込めない)のだけれど、他に聞かれないような不思議なおかしみはいかにも英国的。,,ドビュッシーがドイツに生まれていたらこういう進行を使った曲を書いただろうなあ、というRVWならではのクセが・・・しつこいくらいに独特の近代フランス風コードにもとづく半音階的進行が繰り返される・・・ある反面、同時期よく映画音楽を書いていたこともあり、古びないスペクタクルな感じや、わかりやすさが強く出ている。8番交響曲を楽しめる人にはおおいに向く。9番よりはずっと親しみ易い。,,二楽章は本来戦後のRVWなら終楽章に持ってきそうな「あの」RVWの牧歌である。静かな感動を呼びさまし、あざといとさえ思わせない、優しい旋律と綺麗な和声が包み込む。晩年作にしてはマンネリズムを感じさせない5番シンフォニーまでの頃の雰囲気がある。,,演奏的には柔らかく程よく表現するソリストはともかく、バックのバルビらしさがどうも無い。二楽章ではオケが出る部分も多いのに、特有の大きくうねるようなフレージングはきかれ無い。優しいが、速い・・・録音時期のせいもあるのだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,
ヴォーン・ウィリアムズ:チューバ協奏曲(1954),フレッチャ−(tub)プレヴィン LSO
ヴォーン・ウィリアムズ:テ・デウム(1928) ,戴冠式合唱団&O 1937
ヴォーン・ウィリアムズ:ドナ・ノビス・パセム(1936) ,ヴォーン・ウィリアムズ指揮BBC交響楽団 1936
ヴォーン・ウィリアムズ:ノーフォーク狂詩曲第1番(1906/07) ボールト LPO(フィルハーモニック・フ゜ロムナート゛)
ヴォーン・ウィリアムズ:ノーフォーク狂詩曲第1番,○エルダー指揮ハレ管弦楽団(ho)2002/11/3・CD,,これはいい。覇気に満ち、特にハレ管の弦の再興具合を感じ取れる。変にヴォーン・ウィリアムズらしくないというか、ヴォーン・ウィリアムズの民謡編曲に見られる「あからさまさ」が巧みな棒さばきでそうと感じさせずに、清々しく響き、なお充実したものと認識できる。前半の感傷的な旋律でなんかのアニメ音楽を想起する人もいるかもしれないがそもそもこれは民謡編曲であり、またヴォーン・ウィリアムズ自身がよく他人に影響された作曲家でもあったので(「ヨブ」にブラームスが忍ばせてあったのには驚いた)、パクリとかそういうのは言いっこなし。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ノーフォーク狂詩曲第1番,○デル・マー指揮バーミンガム市立交響楽団(EMI)1980/8/21-22・CD,,明瞭に緩急を付けた演奏で陳腐な主題に入れ込むことがないから素直にRVWの牧歌的世界を楽しむことができる。中間部の浮き立つようなリズム処理、対して最良のハーモニーが聴かれる両端部の静寂、デル・マーがビーチャムのお鉢をつぎながらも独自の構成力を発揮した指揮者だったことを印象付ける。透明感も持ち味。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ノーフォーク狂詩曲第1番,○ヒコックス指揮LSO(chandos)CD,,重厚な響きと荘重な音使いで世俗性を帯びた民謡編曲をうまくクラシカルな音楽語法に寄せて表現している。上品でかつ壮麗だ。ソロから合奏へのもっていき方がいつもながら自然で、そら聴けここで聴け、という押し付けがましさがない。RVWの曲にはしばしばそういう押し付けがましさがあるので、こういう注意深さは重要。おおむね二部分に別れる民謡編曲ではあるがその間の繋がりも自然だ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ノーフォーク狂詩曲第1番(1914年改訂版),イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団(dutton)CD,,民謡を前面に打ち出したRVWここにありというような曲で効果的だ。北欧的な雰囲気もある。ちなみに2番も不完全な形であるが編曲されたものが演奏録音されることがありこの盤にも収録されている。イギリス民謡は日本と同じ五音音階を使うため日本人にとってもちょっと気恥ずかしい場合がある。NHKの早朝番組で日本の農村を映したようなもので使われていてもおかしくない、いやひょっとするとこのあけすけな管弦楽編曲をまねたところもあるのかもしれない。坂本龍一にもあったと思うがしばしば日本人作曲家はオシゴトにRVWに近似した響きの民謡風音楽を書いていて驚かされる。「もののけ姫」を見た時、「これノーフォークラプソディじゃん!」と思ったものだ。民謡は同じ音階を使うというだけで似たり寄ったりになるものだけれど、管弦楽を伴うとその手法に先人の影を感じさせられざるを得ない。曲を知らない方はこう書いておけばどんな曲かわかるだろう。とても親しみやすいものだ。1906年の作品を14年編曲したもの。このすっきりしたさまは明確にラヴェル後の作風だとわかる。演奏はこのオケの美質がよく出ていて、弦もきれいに歌い、耳にしっかり届く。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ノーフォーク狂詩曲第2番,○ヒコックス指揮LSO(chandos)CD,,1番に比べると映画音楽的な世俗性、単純さの目立つ民謡メドレーで、チェロソロより始まる最初こそ1番に似るが、それ以後は旋律中心の、やや古風な国民楽派ふうでもあり、部分的には後期RVWぽい野蛮さもあり、最後は冒頭主題に回帰するが、まるでディーリアスのような調子の音楽で、少し飽きる。ヒコックスはまあまあか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ノーフォーク狂詩曲第2番(ホッガー補筆編集2001年版),イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団(dutton)CD,,この曲は一番と同時に構想されたが放置され、管弦楽としてまとめられてはいない(当初は三番とあわせノーフォーク交響曲としてまとめる予定だったが放棄し三番は残っていない)。従って本人が管弦楽曲としてまとめたものが残る一番と趣がかなり異なるのは、編曲だけの問題ではなく、それなりの理由があったことは想像に難くない。二番はヒコックスがchandosに初録音して知られるようになった。美しくまとめられているもののヴォーン・ウィリアムズ風の響きを伴いながら明らかすぎるメロディの、初期ディーリアスに遡ったような雰囲気の連環は、何も発見がないし、一番とのつながりもない。モダンな工夫の痕の見られる部分はヴォーン・ウィリアムズとしては違和感がある。まったくヴォーン・ウィリアムズと考えずに聴けば楽しい。演奏は達者で雰囲気がある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽とピアノとハーモニカのためのロマンス(1951),アドラー(hrm)サージェント指揮BBC交響楽団(EMI)〜献呈者の記録(SP期に2回録音したとも読んだが確認できたのはこのEMI盤)。ガーシュインとツアーをしたことでも知られるこのジャズ・ハーピスト(多分存命)、無茶苦茶巧いが音色がなまめかしすぎてこの曲の微妙な色彩を損なっているような気もする。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽とピアノとハーモニカのためのロマンス,○ラリー・アドラー(hrm)サージェント指揮管弦楽団他(columbia)1952?・SP,,依属者による演奏だが、これはEMIで繰り返しCD復刻されているLP音源(RCA)と同じものと思われる。時期的に微妙だがLP盤をSPに焼き直して出したものではないかという説がある。昔のRVWのディスコグラフィーには別録音として記載されているが、音質差はあるものの表現はほぼ同じで、やや感情的にも聴こえるが焼くときのブレにすぎないだろう。サージェントのディスコグラフィーでは同曲は一回しか録音されていないことになっている。この曲の要は弦楽合奏の織りなす暗くも美しい風景にまるでハープか電子楽器のようなピアノがとつとつと異界的な打音を響かせ、その上にソロハーモニカが民謡ふうメロディを連綿と歌い続けるという、総合的な響きの面白さにある。アドラーはやや世俗性が強く表現も少し戸惑い混じりの堅さがある。サージェントはさすがそつない。ピアノが聞こえづらいのが残念だ。アドラーの盤を前に取り上げた時にはまだまだアドラーは現役であった。もう没後12年にもなる。音盤は時の流れとは無関係に、いつまでも時代の空気を伝え続ける。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽とピアノとハーモニカのためのロマンス,○アドラー(hrm)M.グールド指揮RPO(RCA)LP,,以前モノラル盤と混同したが別録。ソリストに献呈もしくは委属した曲集の中の一つ。ピアノが出過ぎて曲の幻想味は後退、アドラーは発音は明確だが細部が不明瞭、モノラル盤より落ちる。オケも重い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽とピアノとハーモニカのためのロマンス,◎ライリー(Hm)マリナー指揮セントマーチン・イン・ザ・フィールズ(london)CD,,ロマンスというのはRVWが幻想曲と共にしょっちゅう使っていた楽曲名であるが、協奏曲未満の短く形式的でない曲に用いられたことが多い。これはアドラーというハーピストを念頭に(ちっともアドラーのアグレッシブな特質を引き出す内容ではないために献呈者には好まれなかったようだが)かかれたRVW晩年の技術的研究のひとつの成果であり、とはいえ殆ど聴感に違和感なくすっと入っていけるのは研究が音楽の本質にいささかの変化ももたらさなかったという、長所とも短所ともとれるものの結果だろう。ピアノと弦楽合奏により進行していく不思議な音響的世界をバックに、半音階的で晦渋を秘めた旋律をしかしその音色の美感によって巧くロマンに昇華させていくハーモニカ、というところはさすがRVWといったところだ。マリナーの驚異的な音響バランスはスピーディでいささか性急なテンポの上で繊細に動き、ライリーの抽象的な美観を保った音とマッチして印象的である。この曲のスコアにあらわれたもの以上に本質を抉り取ったかのような「ロマンス」がここにある。◎。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,,,,,,,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽とピアノとハーモニカのためのロマンス(1951),◎ライリー(Hm)マリナー指揮セントマーチン・イン・ザ・フィールズ(LONDON)CD,,〜静寂の中に響き渡る風のように儚いハーモニカの音に深く感銘を受ける。申し分ない演奏。ヴォーン・ウィリアムズの楽器実験の最も成功した例という認識を持たせる。私はかつて嵐の三宅島にあって黒い溶岩の海辺に座し、この曲を聞いた。それは何か特別の感情を与えるものであった。異界というものがもし存在するのであれば、あの黒と灰色の中からふっと浮き上がりまた消えていくのだろう。朧げに浮かぶ御蔵島の島影を眺めながら、繰り返し繰り返し聞いた。1993,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヴォーン・ウィリアムズ:ヘンリー5世序曲(イエイツ編),イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団(dutton)CD,,ブラスバンド曲で他に録音もある。イエイツ編としておいたがどのあたりを編曲しているのか不明。おそらく弦楽が入るあたりなのだろう。1933年作品でまだ派手派手しい作風に至ってはいないが、「野の花」「4番交響曲」にみられた不穏な響き、焦燥感ある動き、管打の激しい表現が特徴的。民謡も織り混ざり田園交響曲や5番交響曲を思わせる弦楽と木管の平穏な牧歌は言うまでもなく美しい。どうにもイエイツ盤の録音状態はノイジーに聞こえるが私の機材の問題かもしれない。演奏は溌溂としっかりしている。秘曲におさまらないこの時期のヴォーン・ウィリアムズを端的に表した作品。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ミサ曲ト短調(1922) ダーリングトン指揮キリスト教会聖歌隊(nimbus)1986・CD
ヴォーン・ウィリアムズ:ミサ曲ト短調,○ヒコックス指揮ヒコックス合唱団(chandos)CD,,4番交響曲の後にこれとは何という組み合わせ。20年代初期の牧歌的なRVWが全面に出た混声合唱曲で、冒頭キリエの旋律の重なりなど弦楽合奏に置き換えたらそのまんま田園交響曲である。ヒコックスは合唱指揮に定評があるがこの曲にも色々表現方法があるんだなあと思った。旋法的な教会音楽の印象をあたえる静謐で調和を重視したもの、合唱と言うより器楽曲的な情緒的起伏を強調して旋律音楽の面白みを与えるもの、しかしやはり前者が正統だし(後者のスタイルは古い録音にきかれる)ヒコックスもまた前者に近い。バッハに倣ったような曲ではない、そういう意味での古風さは無い曲であり、非常に親しみやすいので、ラテン語に拒否感を感じる人でなければぜひ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ミサ曲ト短調,○ロジェ・ワーグナー指揮マックネリー(SP)他合唱アンサンブル(CAPITOL、ANGEL/PACO)1960ハリウッド・LP,,合唱指揮者として名をはせたアメリカのロジェー・ワーグナーのステレオ録音である。曲は田園交響曲と同時期かつ同傾向のしめやかなもので、それにしては押しが強い。人数が五名と少ないせいもあろう。強弱がはっきりした50年代(+)アメリカらしい表現、ともいえるか。もう少しクリアな録音で聴きたい気もする。PRISTINE配信ではウォルトンのベルシャザールの饗宴ならびにバッハのカンタータの抜粋がカップリング。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ランニング・セット,○ヒコックス指揮LSO(chandos)CD,,騒々しく楽天的なショートピースでオケの派手派手しい響きにやや疲れをきたすも演奏としてはしっかりしている。4番交響曲の頃に書かれているがあの晦渋な世界とは無縁の音楽である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:ランニング・セット(1933) ,デル・マー ボーンマス・シンフォニエッタ
ヴォーン・ウィリアムズ:映画音楽「南極のスコット」より,アーヴィング指揮(作曲、録音:1948、オリジナルサウンドトラック)、 (pearl)2000年発売BRITISH FILM MUSICvolume1CD収録〜これがオリジナル音源とのこと。今後英国映画音楽シリーズは続くらしい。新しい録音もあったような気がするが、私は初めて聞いた。前奏からペンギン、ブリザード等の曲が続き計7曲となっているが、総じて短い。南極交響曲の壮大なフレスコ画が、こま切れとなっている。本当は逆なのだが、違和感を感じてしまう。交響曲にそのまま導入された異界の歌と、省かれた卑近な民謡旋律が交錯するさまが不思議。後者は2曲め「ポニーの行進曲」(スコット隊は無謀にも南極点をポニー馬をつかって極めようとした)のことを言っているのだが、後半には歌劇「天路歴程」風の牧歌的な風景も入り交じって、蒼い悲愴感に満ちた南極風景の描写とのコントラストが激しい。RVW自身の作風の幅を極端なさまに並列している。いかにも往年の映画音楽といったふうの厚く颯爽とした響きは、RVW音楽の重厚感を却って強調した如くで、RVWの白眉たる茫洋と浮遊する幻想風景と、奇妙なミスマッチをみせる。音楽だけを只とおして聴く限り、かなりイってしまった感じだが、いかんせん音楽だけでは片手落ちで、本来まず映画を見るべきだな、と思った。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:映画音楽「南極のスコット」完全版,イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団&女声合唱団、ドミニク(sp)ニコル(org)(dutton)CD,,イエイツによるRVW未完作品等の補筆編曲セッション録音の中の一枚。00年代以降の録音なのだが素朴で音場が浅く耳障りの若干よくない音は、せっかくRVWなのに透明感や静謐さが損なわれてもったいない。演奏はやや冷たいが技術水準も高く、資料としては十分。曲は通常「南極のスコット」としてまとめられる素材にさらにピアノスコアしかないような挿句も復活させ80分近くにわたる絵巻物に仕立てている。・・・しかしこの曲は最終的に「南極交響曲」として7番の番号を与えられている作品だ。その交響曲に親しんでいるとあまりに散漫で、SF映画というか異界的な響き(ブラスと打楽器の重用はまさに親友ホルスト)であるのに、世俗的な音楽が突然織り交ざる、同じようなフレーズがちょっとだけ変わってえんえんと顔を出し続ける、など、どこを重点的に聴いたらいいのかわからない。映画の進行に合わせていると思われるが、それなら「南極のスコット」サントラ組曲で十分だろう。RVWマニア用の録音。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:栄えあるジョンのためのファンファーレ(1957),スラットキン指揮フィルハーモニアO〜バルビローリに献呈されたごく短い珍曲。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナーデ(1938) ,ウッド BBC SO 1938
ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナーデ(1938) ,サージェント BBC SO バイリー 1954
ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナーデ(1938) ,バーンスタイン NYP 1960年代
ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナーデ,○ロット、ミルン他、ノリントン指揮LPO(DECCA)CD,,コントラストははっきりしているが、響きが澄んで美しく、LPOの淡い色調がうまく載っている。歌唱も高らかに安定し、合唱人数が少ないにもかかわらず違和感はない。曲がいいだけによほど変なことをしない限り悪く聞こえることはないのだが、ノリントンらしくない感傷すら醸しており、おしなべていい演奏。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナーデ(管弦楽版),〇イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団(dutton)CD,,これは美しい。大部分がソロヴァイオリンに誘われた美麗きわまる音楽の妙なる流れ、声楽よりも抽象的に、シンプルに迫ってくる、これこそ全盛期ヴォーン・ウィリアムズであり、実験的な習作より本道の作品を聴くのが正しいと思わせる。わずかにディーリアスの半音階が混ざったり、タリスを思わせる未だ生硬な無機質さもあるにはあるがそれもまた魅力。ソロヴァイオリンはディーリアスのようにラプソディックに動き回ったりはしない。ほのかに感傷的な流れの上を揺らぎおだやかに、管弦楽を悠久の流れにいざなっていく。演奏がまたRPOを思わせるとても曲にあった音で、まばゆく美しい。派手に迫ってはこないし録音状態はそんなによくはないが、RVWはこういう曲できちんと評価しないとな、と思った。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナーデ〜ごく短い断片,サージェント指揮BBCso&cho他54年プロムス(BBC)。人気曲。ドビュッシー熱が残る曲だがよりにもよって海からの借用部分を含む断片(弟子コンスタン卜・ランバートが他曲で指摘)。合唱の扱いは海の交響曲に近い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナーデ,ボールト指揮ロイヤル・フェスティバル管弦楽団他(EMI/warner)1951/5/3・CD,,旧録、オケはRPOだろう。録音がいささか旧く、冒頭から弦楽器が薄くバラけたように聴こえるが、鄙びた(RPOとしたららしくない)音も音楽に生命力が宿ると気にならなくなる。管楽器はこのオケらしい軽やかな輝かしさが感じられる。ディーリアスの感傷的なうねりに前向きな旋律をのせ、ホルストを通してジョン・ウィリアムスに受け継がれる神秘的な響きも伴いつつ、完成期からのさらなる中期的な、不協和音や不安な調性が織り交ざるが、すべてがやはりディーリアス的な、そこにもっと民謡風の世俗性を入れて、しかし癖はなく、ボールトはそれをまったく他の同時代指揮者とは違い自然かつ魅力的に、いかにもRVWらしく仕上げている。小粒感はあるがこちらのほうをとる人もいるかもしれない。「原典版」である(合唱あり)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナーデ(原典版),ボールト指揮LPO他(EMI/warner)1969・CD,,原典版とは要は歌唱入りかどうかで、比較的原典版のほうが演奏されているのではないか。ディーリアスふうのロマンティックな響きからはじまり、輝かしく聴きばえのする曲で、明るく透明感溢れる曲に独唱(16人いるので合唱か)がさらなるスケールを与えている。ボールトにおいても特段にロマンティックな味付けはされない。ボールトは合唱指揮やオペラについてほとんど録音がないが、普通にオケのピースとして操って、また適度に自由にさせているようだ。歌唱とオケのハーモニーが濁る箇所はあれど、どこにも欠点のない演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:舞踏のための仮面劇「ヨブ」,○ボールト指揮LPO(ica)1972/10/12ロイヤルフェスティバルホールlive(12/12?)・DVD,,ウィリアム・ブレイクの独特の絵にインスパイアされた作品だが、こうして聴いてみるとヴォーン・ウィリアムズの描写力の強さ、直接的な卑近さ、映画音楽的と言われるのはわかるし(90年代のハリウッド映画音楽だと言ってもバレないだろう)、この作品でストラヴィンスキーなど新しい音楽の要素を取り入れて次の作風へ踏み出したという過渡期性もよくわかる。管楽器の扱いが多様になり、リズム表現に独自性が現れ構造への傾倒が伺え、音だけで聴いていると生臭い部分もあるが、映像だとなかなか面白く見られる。編成がばかでかいのに弦はそれほど増強していないのはボールトのバランス感覚の面白さか(古風な配置も面白い)。やや重く響きに透明感が無いのは録音上仕方ない。もたつくようなところはあるが音はよい木管、このへんはLPOの特色だろう。サックスやオルガンが異色の風景を取り込み半音階的なヴォーン・ウィリアムズらしくない(南極交響曲など予告するものではあるが)音楽の次々と提示されたあと、揚げひばりに似た長い民謡旋律がコンマスから提示され、田園交響曲的音楽に「戻る」さまがまた、ブレイクの絵とも違う、一貫性の無い、でもあざとい構成的魅力をはなつ。献呈者ボールトは顔色ひとつ変えず、ロンドン交響曲に似た楽天的で長大な終焉に向けて音楽をドライブする。さほど魅力的な終焉ではないと思うがオケが盛り上がる。南極交響曲につながるような最後の不協和音が美しい。映像に少し拠れがある。icaからは12 OCTOBER 1972録画と告知されていたため国内販売時のデータ12/12は疑問だが、一応そちらに揃えておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:舞踏のための仮面劇「ヨブ」,○ボールト指揮LPO(intaglio)1972/10/12ロイヤル・フェスティバルホールlive,,仮面舞踏劇という特殊なものでアグレッシブなRVWが現れた最初期の作品として記念碑的意味をもつが、長大な内容はむしろ天路歴程のようななだらかで美しい音楽に、野暮ったい田舎リズムが攻撃的な趣を持ち込むくらいのもので想定外の部分はそれほどない。職人的に巧い表現はホルストに近い管弦楽の多彩さを示し、それでもシベリウスの露骨な模倣やその他同時代もしくは前の時代のロマン派音楽からの影響を拭えず、決して新しさを聴くべき曲ではないだろう。,,ここで素晴らしいのはボールトであり、そのブラームス的とも言うべき力強い表現はヴォーン・ウィリアムズムのともすると削ぎ落とし過ぎてやわになった音構造をしっかり立て直し、中欧的なオーケストレーションの重さとフランス・北欧的な響きの明るさを併せ持つその魅力を最大限に引き出す。こういう演奏だからRVWは生きてくるのである。透明で繊細な表現ばかりしていても印象には残らないし、児戯にすら思えるパセージに苦笑を禁じえない向きもあるだろうし。,,もとよりRVWがキリスト教的主題によって作曲していた時期の作品でウィリアム・ブレイクの代表作である「ヨブ記」挿絵に着想を得たもので、しかしながら毒を孕むそういった原作品から完全にアクを抜き、素晴らしく聴きやすく仕立てる(そこが物議をかもす点でもあるが)ところが、好きな向きにはたまらない。長大なヴァイオリンソロがひたすらアルペジオを繰り返す場面はすっかり「あげひばり」であるが、少ないコードを際限なく繰り返しいささか長すぎて、効果はあげひばりのほうが上であろう。,,但し、終曲の連綿と続く感傷的な「田園」風景とともに、ボールトにかかると非常に印象的なものに変わる。ヴァイオリンソロはまるで二胡のような非常に特殊な音を出していて、(東洋を意識しているのではなく英国民謡が元々そうなのだそうだが)五音音階に拘っている曲だからこそまるで中国や日本の静かな音楽を聴く思い。終幕のあと、永遠に続くかと思われる沈黙もボールトの作り上げた音楽の大きさを実感させる。演奏的にはとても素晴らしく、ボールトのいくつかある演奏の中でも聴くべきところは多いが、ライヴであることから○にはとどめておく。RVWは録音がよくないと繊細な魅力が聞き取れない作曲家だ。,-----,,,-----,,,-----,
ヴォーン・ウィリアムズ:舞踏のための仮面劇「ヨブ」(1931),ボールト LSO 1971
ヴォーン・ウィリアムズ:歌曲集「生命の家」〜Ⅱ.沈黙の正午,○フェリアー(msp)ストーン(P)(decca)1952/6・CD,,灰汁抜きされたドイツ歌曲といったふうの前期ヴォーン・ウィリアムズの歌曲集から。僅かにウェンロックを予感させるパセージが混ざりヴォーン・ウィリアムズの個性が垣間見える。フェリアはやや野太過ぎる感もある声だが、ロマンティックな曲にはこれでいいのだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:歌劇「すずめばち」〜鍋の前の行進曲,○ボールト指揮ニュー・フィル(LYRITA)1973/9/19・CD,,RVWらしい民謡旋律の横溢する鄙びた雰囲気満点の曲で好みは別れるだろうがRVW好きには「いつものRVW」である。ボールトはお手の物であろう。この小品集には他より洩れた珍曲が多いがこの曲も序曲以外余り紹介されないので、こういう復刻は歓迎だ。○。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ヴォーン・ウィリアムズ:歌劇「天路歴程」(1948-49),◎ボールト指揮ロンドン・フィル ティアー、ノーブルほか(EMI)1970-71〜堂々たる大曲です。素材は既に戦中より存在(5番交響曲に転用)。RVWの歌劇中最も長く、充実したもの。RVWに期待される牧歌的な雰囲気が存分に味わえる。リハーサル付。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:歌劇「天路歴程」リハーサル(1948-49) ,ボールト指揮ロンドン・フィル(EMI)1970-71
ヴォーン・ウィリアムズ:管弦楽のための変奏曲(ヤコブ管弦楽編),イエイツ指揮国立ロイヤルスコティッシュ管弦楽団(dutton)CD,,亡くなる前年に手を付け没後編曲されたが録音はこれが唯一か。序奏と11の変奏からなる。ヴォーン・ウィリアムズの変奏曲は長々しくなるが、これは比較的短い。昔の田園風の平穏な音楽から始まるが、南極交響曲くらいの綺羅びやかな響きを伴う後期的な変奏により一気にモダンに変貌してゆく。なかなかヴォーン・ウィリアムズふうに仕立てられた美しくキャッチーな音楽で、演奏も過不足なく楽しめる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:管弦楽組曲「太った騎士」〜歌劇「恋するサージョン」よりイエイツ編曲,イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団(dutton)CD,,「恋するサー・ジョン」というと英国で1,2を争う有名曲「グリーンスリーヴス」(原曲民謡、ここでは「幻想曲」ではないバージョンを収録)が含まれることで知られる。というかそれだけしか知られない。この一応の完成版はイエイツによる8曲からなる編曲だが、RVW壮年期の手札を散りばめたような内容で意外に魅力的な作品となった。「ヨブ」やピアノ協奏曲以降のガチャガチャした作風もおり混ざるし(ヒンデミットぽいところまで)、簡素で穏健な「ただの民謡編曲」ないし民謡調もある。予想では民謡編曲ばかりの恥ずかしい大曲というものだったので、しつこいところはしつこいが、それでもなかなか飽きさせない。タリスのような静謐さは殆どないが、これは譜面にどれだけ書いてあったのかわからないが、楽器の用法がこの人にしては挑戦的でホルストっぽいところもある(立体的な書法はイエイツが施しているのかもしれない)。ちょっと古風な、宮廷風というか明るくゴージャスなところも目立ち、弦楽アンサンブル偏重ではない。「晩年的ではない」ことは書いておくべきだろう。これがどういう意味を示すかはマニアがわかればいいということで、けっきょく全体としてはRVWに田園交響曲や素朴な民謡組曲みたいなものを求める向きにアピールするものだ。フィナーレのように「こりゃヴォーン・ウィリアムズじゃない」というのもあるけど。そもそもRVWにチャレンジングな作風を求めて聴く人はいないだろう。イエイツとロイヤルスコティッシュナショナル管弦楽団は規律正しく立派にやっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヴォーン・ウィリアムズ:感謝祭の歌(1944) ,ボールト BBC SO サダビー
ヴォーン・ウィリアムズ:感謝祭の歌(1944) ,ボールト LPO ドルモア 1952
ヴォーン・ウィリアムズ:牛追いヒュー(1911-14) ,サージェント O 1924
ヴォーン・ウィリアムズ:幻想五重奏曲,◎マッジーニ四重奏団、ジャクソン(Va)(naxos)CD,,推しも推されぬnaxosのスタープレイヤーで英国音楽集はこのヴォーン・ウィリアムズを始め数々の賞をとっている。ヴォーン・ウィリアムズ集にかんしては満場一致で第一に置かれているが、確かに素晴らしい隙のない出来。驚いたのは先達のメディチ四重奏団の懐かしい音によく似ているところだ。感情的な揺れが技巧のほつれになってしまっているメディチのものにくらべ、一切のほつれのない安定感はヴォーン・ウィリアムズの静謐な世界を楽しむのに向いている。解釈もメディチに似ているが、終楽章のヴァイオリンソロは独特の揺れが面白い。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:幻想五重奏曲,○ミュージック・ソサエティ四重奏団、プーネット(Va)(NGS/BS)1925/6,12,,貧弱な録音だが演奏は個性的で、恐らく本来の意図に忠実なものだ。ミュージック・ソサエティ弦楽四重奏団はチェリストとしてバルビローリが加わっておりこのSP盤も協会盤LPで再版された。録音方式以前に、使われた原盤自体が悪いらしく、目下協会絡みの復刻CDにも収録されていない。丁寧なリマスタリングが好評のNGS復刻PJからの配信が待たれるところである。バルビは後年の私的録音を聴くにつけ決して下手ではなかったと思われるが(DUTTONでも小品のチェロ演奏が復刻されている)RVWの曲ではチェロは通奏低音的な役割を与えられるパターンが多く、この曲でも目立たない。そういう興味で聴くには意味が無いかもしれない。,,RVWのヴィオラ偏愛ぶりは同じくヴィオラのための曲を書いた同時代の英国作曲家の中でも飛びぬけており、この曲でも五音音階の鄙びたメロディを冒頭よりソロで弾くヴィオラ(これをファーストヴァイオリンが追ってソロ弾きするのがパターン)、更にヴィオラ二台という編成自体偏愛振りを裏付けている。,,ただここでは古典志向の強かったRVWの音色趣味のみならず、意識的なものであったとも言える。,,同曲は12年に作曲され初演はその二年後であったが、出版は実に21年まで待たなければならなかった。当時アマチュアヴァイオリニストで室内楽演奏会の主催者として知られた実業家W.W.コベットの依属による作品だったのだ。コベットが始めた英国室内楽作曲賞の規定に象徴的に示されている・・・変奏曲の初期形態である「エリザベス朝時代のファンシィもしくはファンタジーの形式」に倣い、「一楽章制か、連続して演奏される四部からなる作品」でなければならない・・・RVWはその「持論」に忠実に、古い音楽を意識して作曲したのである。だから妙に軽々しく、短く、構造的に簡潔で(民謡メロディ以外は)癖のないものに仕上がっている。個人的に番号付きカルテットにより惹かれるのは、この曲がどうもそう「仕立てられた」ものであることが逆にRVWの個性とのバランス感覚を崩してしまっているように思うからだ。もっとも、RVWの室内楽で最も人気がある作品であることは言うまでも無い。別記したと思うが当時英国留学中の某氏もロンドン四重奏団他の演奏を聴いて強く印象付けられたと記している。,,この演奏では非常に速いテンポがとられている。あっという間だ。この演奏時間?抜粋か?と思ったのだが、実際には四楽章が完全にアタッカで繋げられており、現在新しい録音として聴かれる演奏が一応憂いをもたせて少しの間を設けているのに比べ、「単一楽章感」が強い。独特であるが、前記の(ライナーからの抜粋でございますが)とおり依属者がそう指示しているのであるから、こちらのほうが正しいのだ。テンポの速い演奏はある程度腕に覚えのある室内楽団にとっては楽なものだ。ヴァイオリニストも単音で表現するより細かい音符を左手の小手先で廻していく音楽のほうが楽なものである。ただ、小手先とはいえここではまさに前時代的なフィンガリングで憂いある表現がどうにも懐かしい。安定感もあり一切不安感がない。鄙びた音になったり不安定に聴こえたりする箇所も恐らく録音のせいで、元々はきちんとなっていると思う。アンサンブルも緊密で、ソロが動き回る感の強い曲ではあるが一方変則リズムを伴うメカニカルなパズル構造が重要で、ボロディン2番のようになかなか難しい部分もあるのだが、ロマンティックでまだ若いアンサンブルにもかかわらず、全くばらけず集中力が保たれている。変な仰々しさがなくストレートでよい。当時まだ18歳のプーネットが第二ヴィオラで参加していることも特筆すべき。○。,-----,,,-----,
ヴォーン・ウィリアムズ:幻想五重奏曲,◎メディチ四重奏団、ローランド・ジョーンズ(Va)(nimbus)CD,,大田黒元雄氏がロンドン滞在中に初演を聴き、その透明な美観を賞賛した曲である(氏はロンドン交響曲初演も聴き2楽章を賛じた)。氏は接いでサモンズのロンドン四重奏団他による演奏をも聴き、日本にも通じる感覚として「尺八のよう」ともしている。これは両国に共通する民謡音律が多用されていることからくる表層的な感想と思われる半面、ラヴェル師事後「フランス熱」をへてから極度に単純化していったRVWの書法を言い当てている部分もある。この曲にはまったく民謡ふうの旋律線と単純な響き、それほど特殊ではない変則リズムがある他にこれといって複雑な構造もなく(構造的ではある)、RVW特有のノンヴィブによる全音符表現がしんと静謐な田園風景の象徴としてあらわれる(これが「幻想」でもあり、オルガンやバグパイプの模倣と言われることもある)ところが最も印象的である。田舎ふうの音線も洗練された音響感覚によって下品さが感じられず、氏はフランスとロシアの影響を指摘してはいたが、寧ろこれはロシア→フランス→と変化進展していった室内楽書法のひとつの末なのである。この演奏は震えるようなヴァイオリンの音が美しく、ヴィオラが支配的な書法(RVWやバックスは室内楽で常にヴィオラを重用した)ではあるものの天空にひとり舞い上がる雲雀の滴らす一声のように高らかに哀しく響くのがあっている。ここまで装飾的要素が削ぎ落とされた作品はRVWでも珍しいが(しかも五本の楽器を使用しているのだ)、その意図がどこまでも透き通った「幻想」にあることを思うと、そこにささやかな感傷の震えをくわえた演奏ぶりは一つ見識であると思う。◎。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ヴォーン・ウィリアムズ:幻想五重奏曲,ミュージック・グループ・オブ・ロンドン(EMI)CD,,ラヴェル後のRVWがシンプル化を極めた作品で、室内楽では最も著名か。弦楽五重奏曲ではあるが、RVWにしては珍しい五楽章制の四楽章では四本しか弾かない(そういうところもシンプルだ)。楽器は生でむき出しになり、ソロの掛け合いや完全伴奏とメロディのような形になりがちで、逆に清澄なハーモニーを整えるのにさほど工夫はいらず個人技を磨くだけでちゃんとなるとも言えそうだ。奏者は、達者な楽団なので全く問題はない。譜面にも忠実で、力強くも雑味はなく曲に向いている。同曲、ひなびた田舎素材による室内楽ではあるが、ディーリアスのカルテットのようにほんとの田舎音楽にはならず、フランスの洗練をへて当時の現代音楽に昇華された作品として、素材そのものを除けば今でも気恥ずかしさを感じない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:幻想五重奏曲(1912),○イギリス四重奏団、ブルーム(2ndVa)(unicorn-kanchana)CD わりと即物的な演奏をする団体だが音のバランスが良く、声部同志の絡み合いがきっちり組み合って聞こえてくるのが印象的だった。この曲は野暮な民謡旋律と透明なハーモニーのミスマッチがひとつの魅力になっているが、ここでは敢えて野暮さを排し硬質の音でガチガチの演奏が繰り広げられている。弓圧をかけてギリギリ音を出すたぐいの演奏は私は非常にキライなのだが、ラヴェル譲り?の特殊なハーモニーを美しく響かせるためには正確な音程感が必要で、柔らかく甘い響きでは精度が落ちるのは確か。これが正しい姿なのかもしれない。速いインテンポで流れるこの演奏はけっこうすっと聞き流せてしまうが、ひっかかりの無さ、癖の無さはひとつの魅力ではあると思う。○をひとつつけておきます。メディチQの演奏に慣れていると若干物足りないが。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:幻想五重奏曲(1912),メディチ四重奏団他(NIMBUS)CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏のためのスケルツォ 他(遺作),ナッシュ・アンサンブル(HYPERION)先日レコード屋でみつけたCDの背にはこうあった。「ヴォーガン・ウィリアムズ」。知っている者には噴飯モノだが、一般的な認知度などこんなものである。「RVW」などという省略形も某三浦氏の著作がなければこれほど浸透しなかったろう(「これほど」とはあくまでクラヲタ内での話)。だが、この作曲家が20世紀前半のイギリスを代表する作曲家であることは疑いのない事実である。だから当然英国では崇拝され、演奏され続けてきているわけであり、そこから有名レーヴェルを通じて流れてきた音盤を聴いて悦に入る私のようなヲタが日本にも少なからずいるわけである。この盤はそんな英国近代音楽ヲタにとって寝耳に水のお宝であった。2000年に作曲家未亡人(まだご健在なのである・・・但しかなり年若い後妻ではあったのだが)が封印されてきた遺作群に出版と演奏の許可を出したというので、早速ロンドン交響曲の初版が演奏されCD化したわけだが、この2枚組はその中にあった主に習作期の室内楽をはじめて集成録音したものである。だが、やはり習作期は習作期、とくに2枚目に収録された曲は擬古典的(もしくは教会音楽的)なずいぶんと大昔の情緒を漂わせるものであったり(RVWらしいといえばらしいのだが)、民謡風旋律の用法においてはドヴォルザークなどの影響も明確に感じられるし、ブルッフに師事したせいであろうドイツの前代室内楽に接近している所も大きく、まあ「そういうもの」としての出来は素晴らしく緊密な書法からも完成度が高いともいえようが、はっきり言って、われわれが20世紀の作曲家RVWに求める「もの」は、あまりないと言っていい。ラヴェル師事(1908)後の、フランス近代音楽(とくにドビュッシー)への著しい傾倒、そして咀嚼吸収という経過をへるまでの状況を知る上では確かに興味深い。その時期の代表作とされる合唱曲「未知の世界へ」(1907)に聞かれるような明瞭なロマン性はこれら作品群に通底しているが、ここではまさに古い世界から未知の世界への到達をとげる道程が示されている。連作歌曲集「ウェンロックの崖にて」および番号付きの最初の弦楽四重奏曲(1909)は最初の代表作とされる作品で、ラヴェル師事直後のものだが、これらの示す異様な完成度の高さの影には、この2盤に収録された習作群があったわけで、聴くにつけRVWの仕事場で未完成の品々を覗き見ているような感覚をおぼえる。この盤の収録曲を作曲年順に並べて、「あ、変わった」と最初に感じさせるのが、2枚目に収録のこの「スケルツォ」(1904)だ。これはラヴェル師事前に既に新しいものへの興味を示していたことを裏付ける作品であろう。国民楽派ふうの仰々しい開始部からしばらくは手だれのロマン派作曲家の工芸品的作品を見るような想いだが、和声(転調)にちょっと新鮮な味が混ざりだし、それがたんにドヴォルザークの「アメリカ」の世界に止まらないものであることを、調性感がいささか曖昧になる中間部、とくにフラジオ4本による音の交錯と、その後に雄弁な主題が戻ったあとの、半音階的な不思議な下降音形に感じさせる。結局は雄弁な音楽が戻って国民楽派ふうに終わり、ドイツ臭は依然抜けないものの、それなりに面白く聞ける曲だ。演奏は立派。技術的に不安のない団体。この次に聴くべきは1枚目の弦楽五重奏による「夜想曲とスケルツォ」(1906)である。夜想曲は「スケルツォ」とはかなり異なった作風で驚かされる。リヒャルトやシェーンベルク初期の「感じ」も感じるが、それらよりもやっぱり一番影響を感じるのはディーリアスの薄明の音楽だろう。かなり半音階的な作品であり、旋律に、より明瞭な音楽を志向する萌芽はみえるものの、この曲はディーリアンだったRVWを象徴する面白い(かなり面白い)作品といっていいだろう。スケルツォはディーリアスを離れ清新なフランス風作品を意識しているのは間違い無い。ラヴェル前夜で到達できた最後の領域だろう。ホルストの「惑星」がふと頭をよぎったが、あながち外れてはいまい。次のフルートとピアノのための「バレエ組曲」(1913〜1924?)はドビュッシーのRVW式翻案といえようが、ちょっとどっちつかず。楽器の選択を誤ったかも。フルートによる民謡表現がピアノのモダンな響きとアンマッチな感じもする。まあ、このあたりになるともうRVWは完成期を迎えているわけで、「習作」というより「未発表曲」といってもいいはずなのだが、はずなのだが、、、この盤には、「RVW工房の床に転がったままの作品」が入っている。つまり、それまでの作品だったのだな、というところ。ヴァイオリンとピアノのための「ロマンスとパストラレ」(1914)などはじつは近年既に出版されており、私も持っている。ヴィオラとピアノのための「ロマンス」(1914)も出ていたのではないか??言わずもがなのターティス献呈作品である。これら、あまり名作とは言い難い。2枚目の最後に入っている弦楽四重奏による「ウェールズの讃美歌調による三つの前奏曲」(1940/41)は後期RVWらしい曲で、地味だが、他の曲と対比させて聞くと面白い。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第1番,○エオリアン四重奏団(delta/REVOLUTION)1964発売・LP,,恐らく初録音盤。そのせいか現行譜と異なっている箇所があり、目だって違うのは冒頭提示部?の奇妙な繰り返しである。演奏自体も情緒たっぷりと言えば聞こえはいいが、異様に伸び縮みするもので演奏箇所を見失う。いささか聞きづらい部分もある。テンポは全般遅いが、技術的に難があるからというわけではなく終楽章のコーダではちゃんとスピードをあげている。初録音なのにこう書くと変だが、特異な演奏であり、資料的に聴く価値はある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第1番,○マッジーニ四重奏団(naxos)CD,,イギリスの生んだ最も美しい弦楽四重奏曲と思う。マッジーニはそれを恐らく最も美しく演奏した団体である。しかし、余りに隙の無い100%の演奏をしてしまったがために、若きRVWの持ち込んだ借り物のような構造性や不協和音が不要に強調されて聴こえてしまい、そこまで精度を上げると不恰好だ、と思う箇所がいくつかある。また、両端楽章は基本遅いインテンポでハーモニーの調和を重視したやり方をとっているため、もっともっと盛り上がりを演じて欲しい、と思うところもある。もっとも終楽章のコーダは異様な緊張感とスピードで(ファーストがやや弱いが)カタルシスを与えてくれる。譜面には忠実な演奏だと思うので、参考にするにはいいと思う。これを聴いて自分の読みの誤りに今さら気づいたりもした。メディチ盤では気づかなかった。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第1番,◎ミュージック・グループ・オブ・ロンドン(MHS)LP,,これはメディチ四重奏団を越える名演だ。とにかく美音、それもイマドキの磨かれた音ではなく感傷的なヴィブラートと完璧なアーティキュレーションの産物、更にバランスも完璧で、個々の演奏としてではなくアンサンブルとして表現の機微まで完璧に組み合い、不要な突出や雑然がなく(ラヴェルの弟子RVWには三和音の響きのバランスへの配慮は不可欠である)、必然的に多少の客観性は否めないものの、本気度が伝わってくる。音色から聞き取れる思い入れがまた並ではなく、普通流してやってしまうような決して有名ではないこの曲の中に微細にいたるまで解釈を施し驚くほど細かいボリューム変化や計算されたルバートが有機的に表現できている。終楽章はもっと速さが欲しいところだがしかし、世に溢れる客観音響主義演奏のたぐいに比べれば余程速い。すばらしい演奏。この絶対に一般にもアピールするたぐいの秘曲の紹介盤としても最適だろう。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第1番(1908/21),イギリス弦楽奏団(unicorn-kanchana)CD RVWの室内楽では私はいちばん好きな曲である(2番の2楽章は別格)。フランス風の軽く明るく硝子のようなハーモニーに、惚れ惚れするようなロマンチシズムを秘めた印象的な旋律が乗る。この曲をラヴェルの四重奏のパスティシュと断じた評を見たことが有るが、調性の一致はともかく、具体的にどこが似ているのか指摘して欲しいくらい似てない。RVWは本質的にロマンティックな作曲家であり、旋律にはラヴェルのような一歩引いた「古典的な」佇まいは皆無。民謡なら民謡そのものを使うし、大昔の同郷の作曲家に通じる教会旋法への傾倒ぶりは書法上には感じられるものの、旋律自体は紛れも無いロマンチシズムをたたえ、確実に末流ロマン派の範疇にある。しいていえばラヴェルのものよりドビュッシーに近い(それもあまり近くないとは思うが)。だからフランスの曲のようにエスプリだけでは曲にならず、力強い表現も必要となる。この盤、直線的な解釈は正直あまり好きではないが、その音の力強さには惹かれる。その路線で行くならもっともっとガシガシ弾いてもいいと思うくらいだが、まあ、2楽章などかっこよくはある。でもはっきり言ってメディチQの演奏に溢れる豊かな感性はここには無い。それでも十分曲になってしまう曲ではあるのだが、終楽章などもっとクライマックスに向かって突き進むような前進性が欲しかった。やや譜面にかじりつきすぎである。最後の下降音形、難しいんだけれど、ファーストもうちょっと頑張って欲しかった。全般どうもファーストの表現に余裕が無い。高音が怪しい。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第1番(1908/21),ブリテン四重奏団(EMI)CD最近惜しくも解散した。技巧的に優れ怜悧な音響によって曲の一面美質を引き出している。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第1番(1908/21),メディチ四重奏団(NIMBUS) NI5191・CDラヴェル師事直後のRVWはその経験を元に、極めて透明で美しい室内(声)楽を相次いで描きました。連作歌曲集<ウェンロックの断崖にて>と、この四重奏曲です。ラヴェルのそれとの類似性を指摘されるも、 あくまで調性など表面上にすぎず、メランコリックな民謡風の旋律と眩いばかりの清新な響きが見事に調和するさまは、まさにRVW芸術の確立期を告げるものとなっております。とにかく他に類を見ない個性的な曲であるにも関わらず耳触り は良いし、2、3楽章あたりはややあざとさも感じますが、4楽章の聴くものを飽きさせない溌剌としたアンサンブルは聞きごたえありです。演奏する側も無理なく楽しめる曲。英国近代室内楽の頂点。作曲家の晩年を支えたウルスラ(アーシュラ)夫人監修のこの盤お勧めです。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第2番「ジーンの誕生日に」,○ミュージック・グループ・オブ・ロンドン(MHS)LP,,没後50年のRVWの後期作品である。ひんやりした硬質の太い音でしっかりつくりあげられた演奏で、そういう意味ではバルトークやヒンデミットと同じ時代を生きたことを感じさせる複雑な心情を反映した現代的な1,3楽章には向いているが、2楽章や4楽章のRVWの真骨頂とも言うべき美しい音楽において仄かな温かみを感じさせるにはやや「強すぎる」かんじもする。ただ、よほど奏法でも工夫しないと、響きの硬質な美しさを維持しながら「柔らかく淡く優しく表現する」ことが難しいというのはRVWでもディーリアスでも言えることで、RVWのほうが単純な響きや書法を使用するからディーリアスよりはやり易いものの、この団体よりは作曲家の後妻さんと献呈されたジーンさんの監修を受けたメディチ四重奏団のもののほうが、深く染み込んでくるものがあるのはその違いだろう。こちらは音色がやや単調なのと、録音がクリアすぎるのかもしれない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第2番「ジーンの誕生日に」,フィーデル四重奏団(fontec)1979/4/24,,この団体は(このデビュー後10数年時点では)柔らかく暖かい音がどうにも出せないというか、でも、RVWの曲はかなり明瞭で鋭角的な音を要求する場合が多いからどうしてもしょうがないのかもしれないが(ここらへんまさにラヴェル的なのだが)二楽章の荒涼はそういう鋭角的な音でいながら遠く霞むような・・・非常に、非常に難しいのだが・・・灰白色の霧の世界を描かねばならない、その点、ちょっと4本が不揃いということもあって(RVWが折角構造的に書いているのだから内声部にもっと頑張って欲しいものだ)いかにも巷にありがちな表現に止まってしまった。だからこれを聴いてRVWってどの程度の作曲家かわかった、というのは大間違いである。4楽章にはがらっと変わって温もりが欲しい。このコントラストが肝の曲なのだから。クリスマスの夜の小さな思い出のようなこの暖かい誕生日プレゼントは、もっと素直に感情を入れないと余りに軽すぎてバランスが悪い。全般感情の起伏が巧く音に出ていない。だが1、3楽章の焦燥感に満ちた音楽は確かにある程度成功はしているので、マイナスにはしないが、やはり、本国物には負けるのか・・・日本人奏者がんばれ。ム印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第2番「ジーンの誕生日に」,○マッジーニ四重奏団(naxos)CD,,ジーンに捧げられたのは厳密には終楽章である。偶数楽章のロマンチシズムと奇数楽章のささくれ立った現代性が対比的に示された作曲家晩年の境地をよくあらわしている作品だ。ここでも同楽団の技術の高さと演奏精度へのこだわりがはっきり聴き取れる。響きへのこだわりは尋常ではないが、録音が新しいために響きのバランスが本来あるべきバランスと離れちょっと耳を衝く様なエキセントリックさを帯びているのは気になった。あと、2楽章はバグパイプかオルガンを模したノンヴィブの重なりが全ての鍵になる楽章だが、譜面どおりではあるのだがちょっと雰囲気が足りない気もする。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第2番「ジーンの誕生日に」(1942-44),◎メディチ四重奏団(献呈者と作曲家の奥さん監修)(NIMBAS)CD〜驟泣。2楽章と4楽章。私はすくなくともこの盤以外は必要としていない。1、2、ファンタジー・クインテットとのカップリングで1枚なのでオトク。最近RVW選集としてさらにオトク盤が出た。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第2番「ジーンの誕生日に」(1942-44),イギリス四重奏団(unicorn-kanchana)CD この曲は後期RVWの特徴がよく顕れている。2楽章の長大な悲歌が圧倒的に大きな存在感をもって配置されている他は、晦渋で不協和音に満ち、この人なりの現代的な書法が展開された楽章ふたつと、あざといくらいに単純で短く美しい終楽章(これが誕生日の贈り物)からなる。4番シンフォニーから6番シンフォニーに至るあたりの音楽が室内楽の形で実験的に展開されたと見るべきだろう。この演奏は肝心の二楽章が、どうもすっきりしない。ヴィオラソロの活躍する曲で、ヴィオラ奏者はかなり感性ゆたかな演奏を施しているのだが、いかんせんヴァイオリンが馬力不足。ヴィオラから盛り上げられた音楽を引き継いでさらに高みへ持っていく力に欠けているのだ。終楽章は美しいが誰でも弾ける音楽なので評価対象外。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第1番「海の交響曲」,◎ブリッグトン(SP)キャメロン(B)サージェント指揮BBC交響楽団、ニュージーランド・キリスト教会合唱団、BBC合唱協会合唱団(BBC、日本クラウン)1965/9/22live・CD,,コリン・ウィルソン称するところの「君が見りゃあいい」感の無い、スペクタルとミステリーのバランスのとれた品のいい名演。初期RVWの生硬さが薄まり、ロンドン交響曲とのつながりを感じさせる美しい響きと流れのよさを、たとえばまさに押し付けがましいボールト盤とは対照的に楽しませてくれる。計算が尽くされているようだ。ソリストもケレン味がなくていい。マーラーの影響みたいなところは浮き立ってこないが、むしろいい。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第1番「海の交響曲」(1903-10),トムソン指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS)ケニー、クック,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第1番「海の交響曲」(1903-10),ボールト指揮ロンドン・フィル(旧盤)1950',,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第1番「海の交響曲」(1903-10),ボールト指揮ロンドン・フィル(新盤)アームストロング、ケース,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第1番「海の交響曲」(1903-10),ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト文化省SO、スモリアコヴァ、ヴァシリエフ(MELODIYA),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番「ロンドン交響曲」完全版,○ヒコックス指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS)CD,,演奏、版(これが「本当の」オリジナルだそうです)共に重厚壮大。終楽章の「ビッグ・ベン」後に挿入(削除)された長いレントの牧歌は田園以降を思わせる静謐な曲想で(書法は平面的で単純だが)、確かにこれがあると無いとでは大きく違う。ロンドン交響詩というより、イギリス交響詩といった趣を感じさせるものになる。随所に響きの重厚さを感じさせる演奏になっており、やはり後年のRVWを思わせるが、寧ろ古い作曲家の残照の感じもする。「らしくない」感じは同時代の先鋭作曲家の素朴な模倣と思われる部分にも現れるが、寧ろ曲想に変化をもたらし悪い感じはしない。3、4番交響曲の鬱躁気分が交互に顕れる(様様に挿入された英国民謡の中には5番終楽章で印象的に使われたものと恐らく同じものも含まれているが)ところには1番で影響の指摘されるマーラーの分裂症的気まぐれさを思わせるものもあるが、それはあくまで数理的にそう感じるだけで内容は全く違う。RVWが変わったのは田園ではなくこの「ロンドン」であったことを改めて認識させる。とにかく原典版というのは長いので、気持ちに余裕のあるときに聞けばいい。録音もいいし、RVW好きだがロンドンが苦手という向きも非常に感銘を受けるだろう。演奏は偉大さを感じさせるも冗長ではなくしなやかで素晴らしい。1楽章序奏部のビッグ・ベンの朝から「オペラ座の怪人」の元ネタ(?)主題が不安の風を吹き込むところなども胸がすく。ヒコックスに私は悪いイメージを持っていたのだが、ちょっと見方が変わった。やはり録音なのか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番「ロンドン交響曲」,○ヘンリー・ウッド指揮クイーンズホール管弦楽団(DECCA,DUTTON)1936/4/21-22・CD ,,ドラティのような職人的指揮者の演奏にきこえる、さすがウッド卿といった颯爽とした演奏振りだが、どうも叙情的な場面になると表現がリアルで音も硬く、録音が旧くて仕方ないとはいえやや入り込めない。序奏の終わりを告げるビッグ・ベンの響き(これを「学校のチャイム」と表現するやからは日本にしかいません)もハープの金属質な音が近くて幻想味を失っている。しかしそこからの「オペラ座の怪人」にパクられた劇的な主題からの展開は素晴らしくリズミカルで力強い。この時代の指揮者そのもの、クーセヴィツキーやトスカニーニなどを彷彿とさせるスピードとテンションに、イギリスオケならではの適度な規律正しさがまたかっこいい。異様なハイスピードぶりは他の楽章でも聞かれるがSP録音特有の事情によるものかもともとそうだったのか、多分後者だろう。レント楽章が精彩に欠けるのはRVWを本質的に理解していなかったのか録音のせいかはたまた職人的処理の対象としてしか扱っていなかったのか、ボールトとは違ったブラームス臭さを感じさせる中低弦も特徴的である。エピローグの最後、一日の終わりを告げるビッグ・ベン、こちらのほうは冒頭よりやや遠く幻想味を醸しているが、後奏は何かよくわかっていないようなブラームスっぽい感じでいただけない。ラヴェル要素を抜き去りブルッフだけにされたようなRVW、といったら言い過ぎだが(1楽章の現代的なスペクタクルなど素晴らしいし)、この時代にはまだ、こういう表現しか受けなかったのか。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番「ロンドン交響曲」〜T、V断片,○ゴッドフリー指揮LSO(SYMPOSIUM)1923/7/24・CD,,同曲の初録音盤で、完全ではないが数年後再度全楽章の録音も行っている。1920年版の記載があるがずっと後年にわたって改訂が繰り返された曲でこれも初稿ではない筈。ゴッドフリーはサーの称号を持つ英国往年の名指揮者だが同曲の初演はトーイェが行った。この録音はさすがに古びて音も浅いが、ラッパ吹き込みなら編成を絞っているのは仕方なくエルガーの自作自演と同等程度の迫力は保っている。ノーブルで明確な指揮ぶりは心象的な情趣には走らずあくまでしっかり起伏ある交響音楽に仕立てている。だがこれだけではやっぱり何とも言えないか。ビッグ・ベンの模倣に戦前のロンドンの響きを聴く。今はネットでダウンロード販売されている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番「ロンドン交響曲」(1920版)全楽章断片,ゴッドフリー指揮LSO(SYMPOSIUM)1925/4/24、5/1・CD,,やはり音が悪いのはいかんともしがたい。高音が伸びないのでRVW特有の透明感が伝わりづらく、繊細な作りがいきてこない。これが断片ならともかくほぼ全曲となるとなかなか辛い。うーん。復刻の問題もあるか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番「ロンドン交響曲」(1912-13),グーセンス指揮シンシナティ交響楽団,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番「ロンドン交響曲」(1912-13),トムソン指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番「ロンドン交響曲」(1912-13),ボールト指揮ロンドン・フィル1950',,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番「ロンドン交響曲」(1912-13)〜初稿版,○ミトロプーロス指NBC交響楽団((NICKSON他)1945/12/9LIVE この曲が苦手な方おすすめ。私も苦手なひとりだったが、その大部分はあまりにあけすけな民謡のオーケストレーションが気恥ずかしく感じられるせいだった。しかしここでミトロプーロスは民謡は民謡でてきとうに流し、むしろそうではない場所・・・それこそ「タリスの主題による幻想曲」のような極めて美しい場面・・・にたっぷり思い入れを込めて演奏しており、ああ、この曲ってこんなに美しかったのか、と思わせる。ぎちっと凝縮された音響がこの曲全体に構造的な安定感をあたえているのも評価できよう。1楽章がもう絶美でおすすめです。ミトプー/NYPのてきとうに濁った音もグー。この曲、元々かなり透明感があるため、そのまんま透明感ある音作りをすると却って浅くて確信犯的に聞こえてしまう。泥臭いくらいのほうが美しさが浮き立つ。泥沼の中の蓮。○。いちおうオリジナル版としてある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番「ロンドン交響曲」,ミトロプーロス指揮NBC交響楽団(PRSC他)1945/12/9NY、8Hスタジオ・CD,,きわめて状態の悪い録音で、鑑賞に値しないレベルに達している。ビッグベンの音程すら聞き取れないというのは、この描写的で表層的な音楽には完全にマイナスである。演奏スタイルも直線的で、ロマンティックな感情のうねりがRVWのイメージにはあわない。ミトプーらしさというか、即興的で特異な解釈というものも聴き取れない。ただ、3楽章などドライヴがうまく、感動的なものはある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番「ロンドン交響曲」,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI)1959・CD,,ヴォーン・ウィリアムズの代表作(但しこの盤も含み殆ど短縮改訂版しか演奏されないもの)だが、生硬なオラトリオ「海の交響曲(交響曲第1番)」がラヴェル師事後の大規模合唱曲として初の成功作とすれば、これは「理想としてのロンドン」を描写的にうつした試作的な音詩であり、個人的には田園交響曲(交響曲第3番)の夢幻的にもかかわらずリアリティのある世界観に至るまでの、作曲家にとって扱い易い題材(音材)による過渡期作に思える。だから英国の都会者でなければ共感を得られないのではないかという、よそ者を寄せ付けないような独特の「内輪ノリ」がある。,,実際RVWではよく演奏されるほうだとはいえ・・・全般極端にスコアの段数の少なく(といっても1,2番も非常に単純なオーケストレーションによっているのだが)、起伏の無いわりに無歌詞独唱まで伴うことが真の代表作である3番の演奏機会を少なくしている面も否めない一方・・・例えば朝日と日没の即物的な印象派表現が前奏と後奏を如何にもな和声で彩り、ビッグベンが一日の始まりと終わりを(ロンドン者には)わかりやすく告げ、労働者が騒々しく出勤(帰宅)する、その中に起きる色々な事象の情景描写を、何故かスモッグの無いような奇妙に晴れ渡った、でもやっぱりどこかよそよそしい都会の空気感を思わせる生硬な清新さのある響きによってなしているさまは、意味を解しないと中途半端な印象を残す。作曲家はあくまで印象音楽のような聴き方を要求しており描写音楽ではないと言い切っていて、これは表題のある全ての交響曲に言えるわけだけれども、それを言い切るには7番以上に直接的な素材を導入し過ぎではある。迫力はあれど基本的には簡素な構造の上に、コケオドシ的なffを織り交ぜた横の流れ中心で描かれていくさまは好悪別ち、一部田園風景を思わせる表現を除き、私は詰まるところ苦手なのである。,,バルビは余り間をあけず二度録音している。ステレオだが50年代なりの音質。ただ少々ホワイトノイズ的なものがある程度で分離が激しすぎる等の問題はない。ヴァイオリンの音に特徴がありポルタメントやヴィブラートに制限を設けずある程度自由にやらせることで艶を出している(強制されてかもしれないが)。それが雑味を呼び込んでいることも確かで、また、ブラスが弱いというバルビの一面もちょっと感じられるが、50年代のバルビが未だ持っていたスピードと力強さがここにはあり、スケールとのバランスがよくとれている。一流の演奏とは言えないだろうが、ロンドン交響曲の演奏としてはいいほうだと思う。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番「ロンドン交響曲」,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI)1968・CD,,この時代にしてはやや録音が雑な気もするが板のせいかもしれない。演奏も壮年期を思わせるスピーディで激しいものになっている。この曲は作曲家がフランス音楽の影響、とくにドビュッシーからの和声的影響を受けた最初の成功作とされ、しかし初期の生硬で長々しいものから後年短く改訂されたためもあって、ロンドンの一日を「まんま」描いた音詩であり、かつ形式的に締められた純交響曲でもあるという矛盾をはらむ、どう聴いたらいいのかわからない部分もある過渡的な曲である。バルビはそういう曲を巧く聴かせられる練達したわざを投入し、既存旋律をカラフルに飾っただけのフレーズが現れてもそう感じさせない、不自然さを感じさせないように融合的に描く。断続的なスコアを忠実にデジタルに表現してコントラストの強いはっきりした音楽を作るのではなく、旋律の連なりを旋律自身の起伏の延長としてレガーティッシモに表現させてゆき有機的な音楽に昇華させていくやり方がここでは成功している。とても聴き易い半面眠くなってしまう、しかしこれは音楽自身が気持ちよすぎるせいか。この曲に抵抗感を感じる向きには勧められる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番「ロンドン交響曲」(1912-13),バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI)1967/7/11-14 1968と同一か,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番「ロンドン交響曲」,○マリナー指揮シュレスヴィヒ・ホルシュタイン祝祭管弦楽団(DISCLOSURE:CD-R)2003/8/2LIVE,,じつに爽やかに淡彩の音楽をえがく。ダイナミズムの表現にも不要なドグマを持ち込まないから一部で評価が低いのかもしれないが初期RVWにはうってつけだ。短縮された完成版のせいか余りにあっさり終わってしまうが、逆にあっという間に聴けてしまうほどすぐれた適応性の発揮された演奏とも言えるだろう。録音は悪くない広がりがあるが、低音が潰れて深みがなく迫力には決定的に欠ける。オケはニュートラルで過不足ない。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」,マンゼ指揮BBCスコティッシュ交響楽団、クライトン(テノール)(動画配信),,2014年プロムスlive,,"https://youtu.be/m_MzHCPuBiY",,同曲には非常に珍しい動画。テノール独唱も珍しい。マンゼは集中的に取り組んでいるが、古楽系のRVW指揮者はノリントンがいる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」,○A.デイヴィス指揮BBC交響楽団(teldec/warner)CD,,Tp独唱は表記されているが何故か終楽章のヴォカリーズを担当するSpの名前が私の盤には記載されていない。今はwarnerの廉価全集盤となっているものの一枚であるが、廉価にするには惜しいアンドリュー・デイヴィスの素晴らしい記録の一つである。オケには少し機敏さが足りないところもあるし、終楽章のソプラノがあけすけで若々しすぎて(録音のせいもあろうが)よくないが、全般にはこの上も無く美しいRVW前期の代表作にふさわしい出来となっている。次々と重なりあらわれるさまが印象的な旋律群はいずれも五音音階に基づく民謡風のものだが、生々しさや野暮ったさが無いのは和声的なもの以上に構造的に注意深く、編成はけして小さくは無いのに極めて簡素であること・・・スコアのページ上に登場する段数がえんえんとかわるがわるで少ないままである・・・に起因しているだろう。終始牧歌的な雰囲気のまま、時折ブラス群が不安の雲をくゆらせたり、夕暮れを示すようなトランペット独唱・・・従軍中の情景の引用だろう・・・や高空を舞う夜風のようなソプラノ独唱が耳を震わすのみで、全楽章とにかく緩徐楽章であるという点で有名な曲であり、好悪わかつところもあろうが、英国交響曲史上の単独峰であることはたしかだ。デイヴィスの明るく録音も新しく、また感情的ではないがブライデン・トムソンのように突き放したような客観性を見せない演奏ぶりは曲にマッチしている。同曲にはいくつか伝説があり、第一次世界大戦従軍中のフランス北部(〜ベルギー)もしくは南部の田園風景を戦後書き落としたという説と、まったく違って、海の情景を田園に移し替えて書いたものであるという説(これは弟子コンスタン卜・ランバートが同曲にドビュッシーからの無意識の引用があると指摘して作曲家を震撼させたという話に起因した迷信のようにおもうが)があったように記憶している。ボールト盤は重々しくも神秘的な外洋の雄大な風景にぴたりとあっていたが、この演奏は温かみある明るい田園そのもののように思う。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」,○エヴァンス(SP)ヒコックス指揮LSO(chandos)CD,,同曲にしてはシンフォニックでダイナミックな演奏。全体の調和のとれた拡がりある響きで、2楽章のトランペットソロもトランペットだけが突出するのではなく、バックの響きの中にうまくおさまる形で他演と一線を画した表現となっている。ジャケット絵が歩兵の影であるのは象徴的で、RVWがこの静謐な作品を作るきっかけとなったのが第一次大戦従軍中見た田園風景だった、ということでただ静かなだけではなく、想いの起伏をちゃんと盛り込んだところがヒコックスの見識だろう。調和のとれた響きという点では終楽章の無歌詞歌唱とオケの取り合わせにも言えるところだが、少々幻想味が薄く、リアルな音になってしまっているのは録音の良さのせいもあるのか。オケは精緻で隙が無い。この盤は現役盤がヒコックスのRVW交響曲では唯一sacdしかなく、しかもsacd再生が可能な機種でないと聴けないという問題がある。海外ではCD売りもまだしているようである。圧縮音源配信はされていない。naxosオンラインでは聴ける模様。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」,○ノリントン指揮LPO(DECCA)CD,,幻想的なこの曲を牧歌的な五番の世界へむしろ引き寄せたようなリアルな演奏でダイナミズムが強調されているのは違和感がある。冒頭より急くようなテンポで楽器個々の響を金属的に研ぎ澄ませてのぞみ、ボールト盤の柔らかい美観とは異質である。だが激しい四番の前に位置付けられるこの曲の立ち位置をよく意識していると考えて受け止めることはできる。にしてもエキセントリックだ。○。オケが「丸い」のは救い。上手いし。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」,○バーロウ(Sp)ハンドレー指揮王立リヴァプール・フィル(EMI)CD,,ダイナミックなところはダイナミックだがおおかたの静かなシーンにも注意深い配慮が見られ、音量変化がしっかりしていて、かなりイメージに近い演奏。3楽章が聴き物で、他の演奏には聴かれないような、非常にスピードと力感に満ちた表現が交響曲としての構造を引き締めている。2楽章ではちゃんとペットが主張し、4楽章ではソプラノが余り前に出ない。わきまえた演奏。オケが上手いのにも驚いた。◎にしたい○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」,○ホーヘンフェルド(sp)スラットキン指揮フィルハーモニア管弦楽団(RCA)CD ,,スラットキンにしては柔らかく、曲調に合った演奏ぶりで深く沈潜するような情緒がある。意外なほどハマった演奏だった。独唱も遠く美しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」,○ルークロフト(sp)ハイティンク指揮LPO(EMI)CD,,終始美しく明るい。弦楽器のしなやかさ、ニュアンスに富んだ表現は言うことがなく、立体構造をより際立たせるためかブラスや木管をぶっきらぼうなくらいしっかり吹かせ細部までしっかり浮き彫りにして、やや主張しすぎなくらいに、同曲では珍しいダイナミズムを打ち出している。そこがRVW的ではないところでもあるが、この時代の交響曲として、この曲が如何に際立って個性的で意味ある存在だったのか、工夫されていたのか、よくわかる。ソプラノはややおばさんだが音量は程よい。総じてやはりダイナミック、幻想味にはやや欠けるが純音楽的な解釈の説得力は◎にしてもいいくらい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」,◯ドンスカヤ(SP)ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省交響楽団(melodiya)live・CD,,全集から。ロジェストのロシア風の起伏付けが一楽章など気になるし、オケの協和しない特有の響きやブラスなどの突出する音、違和感がある。ただ、二楽章の弦など美の極みだし、木管が出てくるとほっとする滋味がある。四楽章のドンスカヤはやや強めで幻想味は薄いか。総じて面白いが正統じゃない演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」,◯プレヴィン指揮LSO、ハーパー(sp)(RCA)CD,,若干粘り気のあるダイナミックな演奏で、曲の劇性を引き出している。内声がよくきこえ曲の構造を浮き彫りにしている。幻想味よりはリアルな肌触りが際立つ演奏ではあるが、オケの音色が柔らかくてうまく聴かせることに成功している。ハーパーの歌唱はやや強いか。◯。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」,○ヴァレント(sp)オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(ETERNITIES:CD-R/youtube)1972/10/12live,,シベリウスを得意としたオーマンディがシベリウスの使徒とも言えるRVWの、奥座敷のような田園交響曲をどうさばくのか、非常に興味を惹かれたが、録音のせいもあって色彩がビビッド過ぎて、あけっぴろげな表現が陳列されていて、何とも言えない違和感はあった。二楽章のラッパはほんとに何とかしてほしい。あんなに表に出て堂々と吠えるシーンじゃないのだ。ただ、四楽章は何故か良くて、ソプラノも強くなり過ぎず、微かに遠く響き、弦楽合奏がとくによく、重なり合う響きの深さは特筆できる。全般にさっさと進む傾向があるが、ここでは割りと揺れている。分離がハッキリして構造の見えやすい録音なので曲理解を深めるにもいい盤だなとも思った。この曲だけを録音した例を私は知らないし、オーマンディが振ったRVWのシンフォニーはこれしか知らないし、指揮者にも何か理由があってこれを取り上げたのだと思うが、他の既出盤とは違った肌触りは楽しめると思う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」,○ボールト指揮ロンドン・フィル他(LONDON/BELLART)1950'S,,優しく、優しく、しかし限りなく哀しい音楽。世界戦争の時代に産み落とされた極めて美しく繊細な響きの綾、何度も書き直されているとはいえ神がかり的な楽想と絶妙な複調性に彩られた世界は英国人でなくとも深い心象を与えられる。これは陸軍将校であったRVWの悲しみと諦念のあらわれである。戦下に見たプロヴァンスの喉かな風景、明るい光に憧れを抱く暗い気候の国の人は明るい国の人以上に光の本質をえがくことに優れ、これはミヨーの極めて美しい田園作品群と比べて決して優るものではない、だが何と眩いことか、残る気分の切ないことか、平和で穏やかな情景への限りない憧れに満ちたものであることか、その手はけして届くことはない、けれども精一杯手を伸ばし、限りなく上からひびく遠い歌声に静かな涙を流す、これはもう技法どうのこうのいう問題ではない。その描く内容が全てだ。「描けていること」のみに感嘆すべき作品である。,,タリスの主題による幻想曲もそうだが茫洋とした印象派的世界かといえばそうでもなく、明瞭な旋律とリズムが通底するシンプルな(凡庸という意味ではない)書法だ。5番ほど技巧的に完成されていない分あざとさを感じさせること無く素直に入ってくる(私はとても好きだ)。この作品を五音音階(英国民謡に元々あったものだ)や似通ったフレーズだけをたよりにドビュッシーの延長上ととらえるのは誤りである。寧ろラヴェルの技巧的本質を反映した描線の明確な作品といえる。とくにこの時期のボールトで聴くと芯の強い響きと旋律の流れが印象的である。スピード感があり、じっさいかなり速いことは特筆すべきだろう。この旧録はモノラルだが、モノラルなりの凝縮力というものが強みに働いており、ドイツ的なものにも適性を発揮するボールトが、ドイツとフランスという相反する要素を内在するRVWの作品を両面から突き上げて、どちらかに偏ることによる違和感をなくすことに成功している。ボールトから入った私のような人間は新しい数々の演奏にどうも平板でつまらない印象を抱いてしまう、それはフランス的な美しさ、高音要素を強調しすぎているせいだと思う。もっと重心は低いはずである。音は高くても使われている楽器は中低音楽器だったりする、これは単なる癖ではなく意図的にその情報量豊かな響きを狙ったものである。,,たとえば3楽章はダイナミックな音楽であるはずだ。誰かが映画音楽作家ジョン・ウィリアムズへの直接的影響を語っていたが、テデスコの弟子との関係は時代的に絶対ありえないものの、そこには確かに似たものがある。例えばスター・ウォーズのダイナミズムと必ずしも遠いものではないのである。違うのは映像を伴なわない、必要としないことだ。この作品は全てが心象の反映であるから映像や文章論理にあわせてしまうと聴くものの想像力が完全にスポイルされてしまう。挙げ句美しいだけの単なる描写作品と思われてしまうのだ。「印象派的」というイメージを植え付けられている向きは恐らくそういったもの〜多くはジャケット写真や煽り文句〜を見、読んだことが大きいのではないか。明瞭な文脈でしかし想像力を刺激するという稀なる技に成功しているこの作品、もちろんいろいろな聞かれ方があっていいと思うが、まだよくわからないという向きはボールトのバランスで一度聴かれてみてはいかがであろうか。最初は新録をお薦めするけれども。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」(1921/55),ボールト指揮LPO(LONDON/BELLART)1950'S 同上 モノラルだとこの曲はやや聞きづらいか。こういう繊細なひびきの曲に録音の悪さは仇。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」(1921/55),◎ボールト指揮ニュー・フィルハーモニアO、プライス(SP)(EMI)1968最近とみに増えてきたヴォーン・ウィリアムズの交響曲録音ですが、どんなに増えたとしてもボールトの新録は外せません。初演者であるからという音楽外の理由から推すのではありません。終楽章マーガレット・プライスの夢見るような歌唱もさることながら、全般としてボールトの明瞭な描線が軟質な曲の羅針盤となり、すこぶる安定した抒情を与えてくれていること、即物的な乾いた表現がすっかり影を潜め、最良の状態にあるフィルハーモニアOの美質を、いかんなく引き出していること・・・これはヴォーン・ウィリアムズ交響曲演奏のスタンダードです。BBCのライブもありますが本盤をお勧めします。この全集では5、そして何より9番の絶後の演奏が聞き物です。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」(1921/55),ボールト指揮BBC交響楽団、ヒル(SP)(BBC)硬い響きに違和感。録音のクリアすぎるせいかも。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」(1921/55),○トムソン指揮LSO(CHANDOS)トムソンのチクルスではこの曲が一番良い。透明感のあるスケールの大きな曲作りが楽曲にあっている。やや暗さに欠ける演奏であるが、十分に魅力を伝えている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,○A.デイヴィス指揮BBC交響楽団(warner他)CD,,緩急の付いたダイナミックな演奏。オケが程々に派手なのでブラスや高弦の激しい表現に耳が行くが、前半楽章はとくに弱音部の美しさ、晦渋で密やかなフレーズの悲壮感、そのあたりが聴きもの。テンポはやや整えたようなものだが叙情的な雰囲気には他にはない情感がある。3楽章からは縦を厳しく律した構造的に見通しのいい演奏ぶりが耳につく。細部まで疎かにしない配慮はテンポの停滞を招き曲の前進力を損なう危険性もあるが、リズム感の良さがそこを救っている。ブラスにはややキレが足りないところもあるがそのぶん開放的な迫力は出ている。4楽章はもっとはじけて邪悪な明るさを出し、それまでの楽章との変化を明確にしたほうがいい気もするがスタンダードな表現ではある。弱音部へのこだわりは感じる。だがオケの技巧的な弱さがやや感じられるところもある。総じてまあまあ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,○コリン・デイヴィス指揮NYP(dirigent:CD-R)2008/4/3live,,正規配信されていた音源と同じか。コリン・デイヴィスはRVWの激しいめの曲に適性を示し、ここでも金属質の堅い響きを破裂させながらダイナミックかつ「自然な」音楽を提示している。同曲には普段RVWをやらないような、古くはバンスタが録音を残しているし、自作自演盤もあるので、「やり易い曲」というのはあるかもしれない。前の3番「田園交響曲」には全く録音がないというのに。。スコアの密度が違うのだ。ニューヨークフィルの余り色彩味のない音が却って曲にあっているようにもかんじた。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団,,2006年1月21日ミュンヒェン,,※NYPとの録音ほかあり。この曲はよく取り上げられていました。,,"https://youtu.be/R8dO5wKp5H0",音声のみ,-----,,,-----,,,-----,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,○サージェント指揮BBC交響楽団(IMP,medici/BBC)1963/8/16プロムスlive・CD,,アレグロ楽章の出だしからグズグズ、しかし作曲家と親交深かったサージェントなりのリズムとスピードで煽り、若干引き気味のイギリス的なオケの弱い表現を、曲の要求するドイツ的な構造物に仕立てようとしている。4楽章のヒンデミット的展開(ブラスの用法や構造的書法に影響が顕著だ)まで、やや弛緩したようなテンポの音楽が続くが、プロムスだから「ザ・プロムス」のサージェントには大ブラヴォが贈られて終了。ライヴらしい演奏ではあるが緊張感に足りないものを感じた。この曲にライヴ録音は珍しいので○。2楽章あたりが一番板についているか。アメリカ往年のテレビドラマBGMのような音楽。2008年mediciレーベルとして再発売。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"",-----,,,-----,,,-----,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,○ノリントン指揮LPO(DECCA)CD,,表現主義的だが往年のそのように言われる指揮者にくらべ客観性が際立っており、後半は慣れるが最初は拒絶感をおぼえた。LPOのよさが殺されている、柔らかさが払拭されロマンチシズムのかけらもない音そのもののみが響いている。しかしこの曲の内面が逆に浮き彫りになる、ヒンデミット的な構造的な音楽を志向しながらも結局牧歌的な旋律とロマンティックな響きがその中身のほとんどであり、まったくヒンデミットではない代物であることがわかる。客観性の強さが最後まで気になるが、曲を音の構造物として認識する向きには向くだろう。独特ではある。○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,○ノリントン指揮ベルリン・ドイツ交響楽団(放送)2015/1/24live,,テンポが遅いのが気になった。終楽章冒頭からの(そして繰り返される)ファンファーレが特に遅く、盛り上がりどころでリタルダンドするのは定石とはいえちょっと笑ってしまった。中間楽章など6番終楽章との近似性を感じさせる荒廃した雰囲気で、これはなかなか聴かせた。このオケならではというところは楽器の響き以外には特になかったように思う。とりわけうまいというわけではない。ブラヴォが飛ぶ。ブリテンのラクリメなどとの組み合わせ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,○バルビローリ指揮BBC交響楽団(bs)1950・CD,,かなり録音が辛いがよくレストアしている。演奏は冒頭と終楽章の強奏主題は粘着質で遅いテンポをとり、そのような演奏なのだろうと思いきや、重いながらもスピードは上がり好戦的な表現をみせてコントラストを出している。オケがいいせいもあって迫力もあり、バルビローリらしい客観的に整えられた遅さがたまに出るが、おおむねトスカニーニ的な演奏として楽しめる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,◎ヒコックス指揮LSO(chandos)CD,,これは勢いがあっていい。その勢いが昔の演奏みたいに押せ押せで縦よりも横みたいなものにはならず、しっかり構造を引き締めたうえでオケの力量を最大限に引き出しつつ、一歩踏み出した派手な響きを伴い耳を惹く。整いすぎた演奏でもないのである。むしろヒコックスのこの選集の中では異質のライヴ感がある。ブラスやパーカスが活躍するRVW初の純交響曲ということでRVWの中でも異質(部分的には完成期後の作品にあらわれる表現だし6番は特に近い位置にはあるが求心力と娯楽性ではこちらに軍配があがる)の曲、それをヒコックスはきちんと理解して表現を変えている。最初から最後まで見事に楽しめる演奏。戦争と絡めての情緒的な部分を重視する向きには晦渋さがなく食い足りないかもしれないが、RVWにこういう曲が書けたという点をわからしめるにはいい。入門編としては最適だろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,スラットキン指揮フィルハーモニア管弦楽団(RCA)CD,,スピーディーでダイナミックな聴きばえのする演奏で、オーソドックスなやり方というか、同曲の激しいめの解釈を現代最高峰のオケで磨いたかんじ。なので緩徐楽章より両端楽章のほうが面白い。この曲を感じ取るには適切な新しい録音でもある。もっとも、なぜか私の盤は四楽章後半で音飛びする。新しい録音にしてはけして音質がよくはない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,ハイティンク指揮LPO(EMI)CD,,旋律的でドラマティック、響きも明瞭に整えられ面白く、曲の真芯をとらえている。ザッツがメロウで鋭さに欠けるところもあるが録音の残響、拡がりがそう感じさせているだけかもしれない。細かなところでアンサンブルに甘さが感じられるのも優秀録音がゆえきこえてしまうという難点か。終楽章でひたすら刻み動き回る弦の細部がイマイチ揃わないところもあるが、それほど重要ではない内声のことなので看過。ここでの比較的ゆるやかなテンポはこの曲の難しいところを整えようとしたということだろう。この曲にエキセントリックさを感じる人はハイティンクのわかりやすい表現で聴けば、ヴォーン・ウィリアムズらしいくすんだ響きの移ろいや、明確なメロディの魅力をよく味わうことができる。リズム要素ばかり強調されがちだが、しっかりメロディアスなのだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,○ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(SONY)1956/1/9・CD,,無茶ミトプーでゴイスーです(意味不明)。力強く突き進む音楽は説得力の塊となって耳を圧倒する。曲も曲だけにささくれだった現代性が浮き立ちがちであるにもかかわらず圧倒的に抒情性が優り、旋律や和声のヴォーン・ウィリアムズ美がよく表れていて気持ちいい。最初から最後まで一気に聞けます。唐突になりがちの終楽章のファンファーレ主題も大きな設計のもとに組み込まれていて納得の流れ。ミトプーは多分ここでも暗譜で振っているのだろうが、そういう人の音楽は首尾一貫して聴き易い。とくに長い曲では細部に拘泥したいびつな音楽に比べ聴き易さとわかりやすさの点で大きく勝っている(どちらがゲイジュツ的かという問題とは別)。モノラルだがモノラルのほうがミトプーのカタマリ芸が適切に届く気もするのでこれもまたよし。そうそう、NYPのパワーも凄い。○。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番(1931-34),○ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(NICKSON)1949/12/18放送LIVE録音は悪いが音には迫力がある。突進するようなスタイルでミトロプーロスはこの曲のドラマツルギーをひときわ強く抉り出すことに成功している。テンポを結構揺らしたりして独自の解釈を入れてきているが決して曲を壊すことはない。この曲の演奏としては個性の強いほうだろう。別盤より集中力が強く激しいように感じられる。まずは面白いです。この曲が苦手なかたお勧め。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,ミトロプーロス指揮NYP(nickson)1949/12/18、パワフルな曲に指揮者の適性。両端楽章で解釈的に僅かに弛緩する他はNYPも気張って迫力を出している。この作曲家の意外な一面を鮮やかに示した。ノイズ多め。columbia正規あり。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,ミトロプーロス指揮NYP(columbia/sony)1956/1/9・CD,,ライヴ盤もあるが同じモノラルながらこちらのほうが遥かにいい録音。終楽章で派手な改変が入っているようだが、その意味でも「派手で迫力のある演出」がきいた演奏。派手といっても拡散的なわけではなく、凝縮された演奏。良い時のNYPらしいとも言うべき緊張が漲る。このヴォーン・ウィリアムズでもイギリス国外で演奏されることが比較的多い、ハッキリした形式感、交響曲としてのまとまりをもった曲は、焦燥感という意味でも時代性にそったものとなっているが、2楽章の抒情にはRVWらしさがあり、全編凡百の作曲家にはない「わかりやすさ」がある。,,"https://youtu.be/IrEQ3odk6Ts",こちらで全部聴ける(アップロード者は個人ブログでも音源配信している),音声のみ,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番,ロジェストヴェンスキー指揮ロシア交響楽団(dirigent)2012/5/23live,,スカスカでグズグズの冒頭から落胆。瓦解寸前。ソヴィエト末期以降スヴェトラーノフ時代にすでにそうであったのだがこのオケの弦楽の弱体化が今だ続いていることに、またそんな状態のオケをフォルムのハッキリしない莫大な表現、無理に整えたような緩いテンポで不格好に響かせようとする御大にも眉をひそめてしまう。ただ、攻撃的なリズムより叙情性に主眼を置いており、この曲にも通底するヴォーン・ウィリアムズの哀しく美しい響きが、緩徐部においてはよく捉えられ示されている。オケが弱いからテンポの遅い場面は丁寧に整えられているだけのようには感じるが、再びしゃっちょこばった三楽章の激しい音楽に入ると、6番でも出てくるのだが、少しジャズがかったRVWのスケルツォの附点音符付きリズムを巧く(管楽器は上手い)面白く聴かせてくる。これはライヴだからという面もあろう。三楽章からフィナーレは、精度は低いがロジェストヴェンスキーらしい「表現主義的解釈」を楽しめる。これは独自のものであり、米英独ではこんな(変な)演奏はありえない。休符はおろか詰まった音符の間にも風が通るような軋みは収まらないが、だいぶん解釈が板についてきてから、すれっからしとしては楽しくなる。大きなカタルシスは得づらいが刹那的な、細かい操作を楽しめるのは、弦の音色にはその残滓すら無いが、ロシアオケとのコンビならではのもののように思う。ひたすら大言壮語(やかましいということ)で長々しく続くので飽きるかもしれないが、曲に慣れていたら聴いていい演奏。慣れていないなら無難な英国のものを。敢えてテンポを落として整え横の流れを重視するというのは、バーンスタインに少し似ているかもしれない。拍手は少ないがブラヴォが入る。放送レベルの優秀録音。エアチェックらしく薄く砂ノイズは入る。5番というデータは誤り。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番(1931-34),○バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(SONY)1960'昔から有名だった盤で今はCDで容易に手に入る。終楽章のファンファーレ以降の鮮やかさは出色。独自の感情の篭った原曲以上にロマンティックな演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番(1931-34),ストコフスキ指揮NBC交響楽団(CALA)1943/3/14放送LIVE遅い!1楽章、細部の聞き取りづらい録音で、そのせいもあってかだらしない演奏に聞こえる。テンポが上がるまで待とう。NBCにあるまじきポルタメントの多用も何か奇異な感じもするが、劇的効果を狙ったような派手なダイナミクス変化や整合性を敢えて考えていないような激しい表現同士の衝突など、ちょっと雑味が多すぎるけれどもユニークではある。こうして聞くとウ゛ァイオリンがひたすら歌いまくり続ける曲なんだなあと思う。末尾のRVW的な哀しい静寂が静かな感動を呼ぶ。独特の解釈だが素晴らしい。2楽章になるとドラマティシズムの演出が一層明瞭になってくる。ストコフスキの本領はむしろ静寂の表現にある。末尾の長大なフルートソロの救いのなさには深く感銘を受けた。ダイナミックな3楽章は打って変わって攻撃的だ。巧みな起伏の付け方に改めて非凡さを感じる。一直線に駆け抜ける演奏多い中、この楽章にはこんなに魅力的なフレーズがあったのか、といちいち膝を打たされる。4楽章のファンファーレへの盛り上がりがイマイチなのは惜しい。4楽章は落ち着いてしまった感がある。テンポが遅いせいかもしれない。意表を突いたポルタメントにはにやりとさせられるが。構造的な書法を生かした演奏とは言い難いものの、ひたすらパワフルな楽器同士の饗宴だ。しまりないという感じが最後まで残るので無印としておくが、ストコフスキにしては録音が悪すぎるせいかもしれない、と付け加えておく。非常に特徴的な演奏ではある。この曲の解釈としてここまで本気で取り組んでいるのは珍しい。ストコフスキ協会監修盤。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番(1931-34),トムソン指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番(1931-34),ボールト指揮ロンドン・フィル(LONDON/BELLART)1950'S,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番(1931-34),作曲家指揮BBC交響楽団(DUTTON/KOCH他)1937 有名な演奏。RVWは合唱指揮をしていたこともあってかなり指揮記録を残している。RVWのインタビュー入りの盤も出ていたそうだが未聴。音が悪いがまとまりのよい演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番〜V、W(コルバーン吹奏楽編曲),"コルバーン指揮アメリカ海兵隊吹奏楽団""The President's Own""(marineband)CD",,"自主制作でYoutubeにイギリス音楽アルバム""Hope and Groly""全て公式アップされている。いささか堅く前に向かわないスタイルだが精度はそのぶん高く、拡散的になりがちな弦楽器をともなうオーケストラよりも、ヴォーン・ウィリアムズの転機となる立体的な書法を細部までしっかり音にして真価を問うてきている。盛り上がりどころであまり見栄を切らず、尻すぼみの構成もそのまま音になってしまっているが、最後は派手に〆るし、ブラスだけによるヴォーン・ウィリアムズというのをこれだけ聴かせられるのは編曲もさることながら合唱と弦楽器で聴かせてきたようなヴォーン・ウィリアムズの意欲作だった証だろう。そしてこのあとヴォーン・ウィリアムズが色々な楽器に取り組み賛否はあるがブラスにおいても確かな腕を発揮していくことになるのを、改めて実感させてくれる実験的な取り組みとも言えると思う。おそらくほとんどの非RVWマニアのリスナーが原曲との区別がつかないのではないか。管楽器のみのアンサンブルという点での緊密さ、がっちりとした組み合い方が聞き物。なかなかでした。コメントにあるようにゴールドブラムがスタートレックに翻案したり、日本でもビールのCMに剽窃されたりとても格好のいい、しかし独特の悪魔的なスペクタクル音楽で、これ以後の作品が自作も含め映画音楽と関係付けられていくのがよくわかる。録音は新しいので大丈夫。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,△メニューイン指揮ロイヤル・フィル,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,○エルダー指揮ハレ管弦楽団(ho)2011/11/9live・CD,,個性的な解釈はなくオケも取り立てて上手いわけではないが、感情をゆっくりと揺り動かされるような表現はヴォーン・ウィリアムズの良い面をよく引き出している。オーケストレーションがけして上手いわけではないけれども各楽器の美質をわきまえた曲であり、ここではとくに木管の音色が印象的。ヴァイオリン高音の泣きの音色はハレ管弦楽団ならではであるがやや多用され過ぎか。四楽章のリズミカルなパセージでは音をハッキリ切って横より縦を意識させ小気味よい。やや鈍重な曲にオケだからこういう処理が活きてくる。ライヴであることを考えると統制が非常によくとれた演奏であり、とくにブラスは素晴らしい。終盤の感傷的な風景も抑制的で美しい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,◎クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(Guild)1943-48live・CD,,謎の仰天盤でびっくりした。このシリーズは初出は殆ど無いのだが、これもどこかで知られず出ていたのだろうか。とにかく録音は旧いのだが1楽章から弦楽器の素晴らしく整った和音の美しさに心奪われた。ヴォーン・ウィリアムズからラヴェルを引き出している。この硬質の美しさはこの時代にしては驚嘆すべきもので、リマスターがかなり入っているとしても、実演の透明感、美しさを想像させるに十分なものである。クーセヴィツキーのトスカニーニ的な前進力が出てくると、必要以上にドラマを引き出してしまいヴォーン・ウィリアムズの本質をやや遠ざけているようにも思うが、テンポを揺らすほうではなくあくまでアッチェルさせ煽り、打楽器などリズム要素を強く打ち出しブラスを完全にりっした状態にもっていき、だらだらしたロマンティックな演奏にはしない。4楽章前半など余りにベートーヴェン的なテンポの持って行きかたで、表現がダイナミックすぎ常套に落ちる部分もあるが、この曲にその方法論で「常套」を表現した演奏記録などかつて聞いたことはない。ドラマの中に織り交ざる緩徐部での木管を中心とする「金属的な美しさ」もぞっとするくらいの感情の起伏の伏を打ち出している。そして何といってもボストンの弦ならでは(フィラ管にもこの音は出せたかもしれないがハーモニクな合奏力では勝る)、最後の泣きのヴァイオリン合奏。木管ソロに唄い継がれる「戦前の穏やかな風景に向けられた遠いまなざし」、このコントラストがまた素晴らしい。改めて全体が流麗な流れの中に、けしてロマンティックのぐだぐだにも即物主義の筋肉質にもならず、ひたすら骨太な主観のもとに「ロシア風に強く味付けされ」コントラストも激しく構築されていることに気づかされる。いや、ロシアにこんな美しい響きの音はなく、ボストンにしてなしえた奇跡的な名演奏だったと言えるだろう。「こんなドカドカくる演奏、RVWじゃない!」などといって途中で投げ出したら後悔します。どこまでも眩く輝く田園の情景の記憶の中に去り行く、もうこの世にはないものへの深い愛情が、はからずもこの異国の権力的指揮者の手によって表現された、RVWが嫌がったろうくらいの強い表現をとりながらも最後には本質をズバリ言うわよ。◎。ロジンスキなんかもこの方向性に一歩踏み込めていたら・・・オケ的に不利か。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R他)1947/3/4live,,Guildで出ていたものと同じ演奏と思われる。録音は安定せずノイズも酷い。,,RVWの書いた最も美しい交響曲とされる・・・第二次世界大戦当事国で戦時下に書かれた全交響曲中でも最も美しいであろう・・・作品だが、クーセヴィツキーはいつも通りアグレッシブでドラマティック、しかしこの曲はそういった表現も許容するしっかり書き込まれた作品であることが逆にわかる(3番だったら上手くいかなかったろう)。ポリフォニックな書法が印象的な1楽章からこの楽団弦セクの分厚さ滑らかなアンサンブルぶりが印象的で、スケルツォはRVW特有の田舎っぽい和声が強いリズムと速いテンポで野暮ったさを完全に払拭され、ひたすら気を煽る。3楽章はリアルすぎて憂いが無いが、あっけらかんとした勝利から1楽章の淡い回想で収束する終楽章は楽団の機能幅を感じさせる繊細な響きもみられ、老練ぶりが感じられる。シベリウスの影響を受けながらも晩年は寧ろ派手な音響表現に向かっていったRVWがその最後の方向性を定めた曲とも言えるけれども、その意味ではクーセヴィツキーにとっては後期シベリウスより「やりやすい」曲だったかもしれない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,○ノリントン指揮LPO(decca)CD,,さすが(日本でもやった)得意な演目でありいつものエキセントリックさが陰をひそめた慈しむような表現が胸を衝く。しかしアプローチ自体は譜面に忠実、ということでなだらかな譜面を柔らかく表現するあまり特長のない印象も否めない。残響が多めで弦楽器のザッツが結構ばらけているのを上手に隠している。LPOはボールト時代から元々ある雑味を軟らかな美音を伴うロマンティックな表現の中に埋没させるような演奏をする。ノリントンには意外と補完しあう部分があるかもしれない。曲は大戦中の作品とは思えない感傷的な田園風景をベートーヴェンとは真っ逆さまに歌いあげるもの。先鋭な部分を含むものとしての3番のころの柔軟な心象性が、すっかり後期RVWの形式的な響き・旋律重視マンネリズムに転化しているとはいえ、とにかく美しい。ゆえにRVWの交響曲では、とくに最近、最もよく演目に上がっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,ノリントン指揮スイス・ロマンド管弦楽団(eternities)live,,とにかくホワイトノイズバリバリの音の悪さは何とかならないものか。最近の放送エアチェック音源だろうがこれはきつい。SPで鍛えられた脳内ノイズリダクションを発動させなんとか聞いてみる。さっさと進み思い入れのない音に一楽章、落胆する。指揮者ではない、このオケが「ただ鳴っている」、それを良しとする楽団なのだと思ってしまう。スケルツォになると楽想に変化があるせいか、ヴァイオリンが繊細で美しい表現をきかせ、アンサンブルはすみやかに組み上がり自然に聴ける。ただ、ノイズのせいで肝心の高音楽器がきれいに聴こえない、いや、不明瞭でそもそも聴こえない。ところが急激な音量変化とマイクの拾え方の問題か、三楽章はわりとよく聴こえる。誰がやっても印象的なRVWの世界だ。この頃になるとオーケストレーションにブラスのダイナミックさが加わり、万人受けする音楽、深い祈りを届けられるようになっている。が、ちょっと、このオケはやっぱり醒めてるなあと、思わせるところがやはり音色に出ているのは気になる。RVWには珍しいフィナーレらしいフィナーレは教会音楽ふうの旋律から始まるが、ノリントンらしく音響バランスは非常によい。古典的な印象を与える少し引いた感じの整え方だ。スピードは早めインテンポだが楽想次第でデジタルに表情を変えさせており、統制の厳しさ故か軋みを生じているところもあるし、そもそも弦楽セクションが薄いようにも思うが、先人たちの偉大な演奏にはおよばないものの、スコアに立ち返り表現すべきものだけを表現しているさまは賛同は得られるだろう。そのわりに構造的な部分がそれほどきっちり聴こえないのはイマイチ弾けないオケの醒めたところからきているか。あるいは録音の悪さからか!このオケにヴォーン・ウィリアムズを弾かせただけでも良しとすべきか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(DUTTON)1944/2/17耽美なステレオ盤よりこのダイナミックな旧録のほうが私は好きだ。ヴォーン・ウィリアムズの牧歌的なイメージをそのまま具現化したような同曲に対して、当時ライヴで強引な演奏を繰り広げていたバルビローリは、起伏の大きく感情の赴くままに歌いまくる演奏をやってのけている。3番の繊細な音楽であれば壊してしまったかもしれないが、しっかりした構成と叙情性のバランスのとれた5番を選んだのは正解だ。とにかく歌、歌、歌、カンタービレ!音が悪いので(ダットンはリマスタリングで残響を付加しているが、それでもなお)想像力をもって聴いてみてほしい。このヴォーン・ウィリアムズの一番の人気交響曲(日本でもプロアマ最近けっこうやられている)、聞いた事がないならハンドレーやトムソン、ボールトで予習してから聴いてください。バルビがいかに荒れ狂っているかわかるでしょう。聞けば聴くほど面白くなってくる演奏。バルビのRVWは当たり外れ大きいが、これは当たり。LPのほうが音はよかったような気も・・・。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,○ハンドレー指揮王立リヴァプール・フィル(EMI)1986・CD,,ヴォーン・ウィリアムズの今や最高傑作の扱いになる交響曲である(また作曲直後にもヴォーン・ウィリアムズに期待される絶美が、酸鼻を極める戦争直後に提示されたことで演奏されまくった)。しかし「タリス」「田園交響曲」と同じ世界を描きながらブラスの多用、立体的な書法による多彩な響きの晩年様式によるもので(裏腹にあけすけすぎて、かつての室内楽的な密やかさ、絶望の果の諦念は影を潜める…暗い6番ですら然り)余りのわかりやすさに首を傾げる向きもあるかもしれない。勢いだけだとそうなってしまうし、録音が古いとメリットが薄まる。同時代指揮者のものはそういうわけで曲を味わうには不向きで、では現代のものならヴォーン・ウィリアムズの人によっては疑問を提示するオーケストレーションを掌握したうえで、多少ロマンティックであればしっくりくるだろう。ロイヤル・フィル系の明るく透明な音ならこの美しい田園風景をしっかり耳に焼き付けることができる。そのスケール感、晩年様式の特長を明瞭に抉り出す高音ブラスのあけすけな発声(たまたまそういうオケなのかもしれないけど)、ハンドレー盤はかなり期待に応えることができている。特に三楽章は浅薄に落ちず、歌いあげられており心揺さぶられる。野の花とのカップリングだが、明暗を行き来する野の花よりもこちらのほうがハンドレー向きらしい。機会があればぜひ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,○ヒコックス指揮LSO(chandos)1997/10・CD,,5番はRVWの代表作とされることもあるが、比較される3番田園交響曲にくらべ優っているのはよく鳴る管弦楽くらいのもので、曲としてはかなりまとめにかかったふうで凡庸な構成のものである。田園交響曲はソロを多用し殆ど弦楽合奏のような薄い響きに複調性を取り入れて神秘的な趣を出し、管弦楽曲としてはいささか淋しいが独特の世界を構築していたのに対し、こちらは意識的に派手な音楽を志向し意欲的な書法が全面に立ち、シベリウスを意識しながらそれとは別の方向の作曲的探求を行っている。横の流れの美しさこそ特長であったのが4番以来、構造的なものをふくむ縦の要素を重視し、ポリリズムの導入など抽象的な表現において世界を拡げて、それが聴くものに田園交響曲よりもスケールが大きくダイナミックで物語性に富んだ印象をあたえる。静かな終わり方も気が利いていて、だからこそらしくないというか、技巧に走りはじめた晩年RVWを象徴しているように思えなくもない。5番が好きならきっともっと端的に娯楽性を突き詰めた8番も楽しめるだろう。ヒコックス盤はボールトなど往年の名盤とあまり印象に違いがなく、正統ではあるのだが、敢えてこれを買う意味はあったのか、と途中で飽きてしまった。クーセヴィッキーから自作自演、ロジンスキなどと怪物が録音を残した曲でもあり、スコアの完成度も過去作より上がっていることから逆にそのままでは演奏の特長を出し辛くなっていることも想像にかたくないが、ボールト的な安定感、オケのしっくり度にプラス録音の新しさを求めるなら、これもよしだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,◎プレヴィン指揮ロイヤル・フィル(TELARC)CD,,プレヴィンの感傷的な旋律繰りもさることながら、木管が上手い。美しい音色、繊細なアンサンブルどれをとっても一級品。木管ソロが多用されるこの曲にて同オケの魅力が最大限引き出されている。イギリスオケらしい弦楽器の微妙な色彩感の演出、柔らかく張り詰めた音の組み立てがまた素晴らしくよくできている。併録されている「タリス」よりも優しい音楽の、明るさを特に引き出して、きらきらと煌くような音楽はまったく、どの楽器がどうこうというよりも、素晴らしい「交響曲」である。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,プレヴィン指揮ロンドン交響楽団,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,○マリナー指揮セントマーチン・イン・ザ・フィールズ(collins)CD,,マリナーは素晴らしい小品集を同レーベルに録音している(londonやポリドール名義でも出ている)。これはその延長上の静かな情趣の感じられる演奏だが、このくらいの大曲ともなると若干物足りなさも感じてくる。眠くなるのだ。引っ掛かりが無いというか、5番は一応起伏のようなものがある曲なので、終楽章のやや古典的な響きで盛大に盛り上がる場面ではしっかり聞かせてほしい。いい演奏だが、そのくらいの不満は残った。6番とのカップリング。知る限りその二曲が交響曲録音の全て。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,◎ロジンスキ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1944/3/12live(11/30?),,生命力。このアンサンブルの緻密さ・・・巧い!録音の悪さなどこのさいどうでもいい。ロジンスキが一流オケを振るとここまでやれるのだ。もっと長生きしたならベイヌムと比肩しうる名指揮者として記憶に残ることができただろうに。この作曲家には似つかわしくないほど厳しく絞られた筋肉質の演奏だが、RVWの美しさをこういう活発な音楽として描くことも可能なのかと思わせる。とにかくリズミカルである。重くて野暮な(「らしい」)シーンも、このスピードで生き生きと活写されたら気にならない。中間楽章の弦楽アンサンブルでは中低音域から繰り広げられる緩やかで哀しい光景、心を直に揺さぶられずにおれない強烈なロマン性が迫ってくる。精緻に揃ったヴィブラートが眩しい。この曲に「独特の解釈を放つ名演」などないと思っていたがここに残されていた。録音状態を割り引いても◎。RVWがよくわからないという人に、こういう意図のはっきりした演奏はいいかもしれない。まさに作曲された第二次大戦中の演奏としても価値がある。,記録上は11月30日にロジンスキがアメリカ初演したとなっており、3月はデータ誤りの可能性が高い。(世界初演はプロムスにて作曲家自身による),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,◎作曲家指揮ロンドン・フィル(SOMM)1952/9/3プロムスlive・CD,,驚異的な発見である。戦中戦後、その爪あとを癒すかのような曲想に当時の指揮者たちがさかんにとり上げた中での作曲家本人による指揮記録だ(初演も作曲家本人により1943/6/24プロムスで行われている)。RVWの素直で幻想極まる3番と技巧追求が老いの諦念の中に昇華された9番の作風の狭間に両方の長所を備えた作品として、代表作にも数えられるこの曲はソロを除けば難しいところは殆どなく、それだけに演奏陣の思い入れと指揮解釈の幅の出し方・・・とくに和声的な作品だけに「響き」の追求・・・が問われる。極度に録音が悪く楽章によって状態に差があるのはおいておいて、作曲家としての「描きたかった実像」、そこに合唱指揮者としても定評のあった演奏家としての力量が存分に反映され、ロンドン・フィルもボールトとのもの以上の集中力を発揮してきわめて精度の高い演奏を行っている。雰囲気的に演奏陣に並みならぬ思いいれがあるのは感じられる。やはり3楽章のダイナミズムに尽きるだろうが録音の貧弱さが音響音量のバランスを伝わらなくしている終楽章を除けば他の楽章も素晴らしい。RVWの音響の整え方は理想的だろう。ボールトの方法論は正しく、ドイツ的な重心の低い安定した響きを求めていたようである。但し録音ゆえわかりにくいが弦楽器を中心として透明感ある見通しいい響きにはなっており、合唱指揮者ならではの特質が感じられる。テンポ取りにおいては現代のものでは聴けない大きなうねるような起伏がつけられている。ライヴならではかもしれないがボールトよりもよほど感情的であり、だがバルビのように全体のフォルムが崩れるようなカンタービレはなく自然である。旋律線が和声から乖離するようなこともなく不分化であり、とにかく非常にこなれている。作曲家だからといえばそれまでだが、これは規範となる解釈だと思う。ある時期までボールトに非常に近しかったのも出自がドイツ系の作曲家への師事から始まっているがゆえのものであるし、今現在和声に重点が置かれ客観的な整え方をして透明感を強調する場合が多いのは途中でのラヴェルへの師事に着目した解釈であろうが、その両方をバランスよく取り入れた演奏というのは余り聴かない。「民謡臭いブラームス」でも「重厚なラヴェル」でもない、ここには「RVW」がある。旧い録音雑音まみれの録音に抵抗がなければ聴いて損は無い。終楽章のあの高みに昇りつめるような明るさが録音で損なわれ少し不完全燃焼気味でもあるし、拍手もカットされているが、◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,ボールト指揮ロンドン・フィル(LONDON/BELLART)1950'S,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,ボールト指揮ロンドン・フィル(EMI)stereo,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,マンゼ指揮BBCスコティッッシュ交響楽団(動画配信)2012年プロムス,,RVWの「戦争交響曲」、第一次大戦の記憶をうつした3番、第二次大戦下にて平安を求める心をうつした5番。戦争の総括としての6番も人気があるけど、こちらを好む人は多いでしょう。大戦後に大指揮者が取り上げ続けました・・・作曲家も。3番も5番も改訂はあったとおもいますが、問題にならないでしょう。描く世界は似ているものの全編緩徐楽章の3番より5番から入ったほうがいいかもしれません。歌劇「天路歴程」の素材が使われているそうです。もっとも確認できませんでした(RVWのオペラとしては、5番とは似た音楽でもあり最高級です)。,,"https://youtu.be/q9YoEETzYsE",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,ロジェストヴェンスキー指揮BBC交響楽団,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番,ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省交響楽団(melodiya)live・CD,,生生しく鈍臭い昔のソビエトオケによる田園音詩。しかし、そんなオケの、指揮のぎこちなさを微塵も問題とさせないこの音楽の持つ強さは果てない。音の少なく起伏の緩やかな中にも、はっきりとそこに限りなく切なく、切なく望む平和な世界、柔らかな光に包まれ黄金に揺れる大地のどこまでも平和であることを告げる雲雀が、もうそこにはいないのだ、もう戻っては来ないのだという想いの詰まった作品は、瑣末な演奏精度、俊敏で完璧な表現など要求していない。ロンドンの瓦礫の向こう側にさす薄墨の日差しに昔見た南仏の包み込む陽を夢見ている。田舎の祭りを思わせる四楽章はその平穏な裏の虚無を示す曲のおわりに初めてストレートにロマンティックな性向を示すが、ここでのロジェストヴェンスキーの大きな心のゆらめきは音楽のしっかりした起伏となって、交響曲という形式的なもののフィナーレをしっかり演出している。これはすべてただ共感し、想い、望み、思い出すことを喚起さえできればよい曲なのだ。ロジェストヴェンスキーはそこをわかっている。荒い全集の中でこのヴォーン・ウィリアムズ一番の人気交響曲においては、それが何なのだと言わんばかりで、弱く薄い弦楽も静かに泣き、最後には強力なブラス(だがこの演奏では抑制的である)とともに、数々の思い出を暗く孕みながらも、ついには、たとえ妄想だったとしても喜ぶことができることを信じている。ヴァイオリンの非常な高音により繰り返されるメロディは希望を象徴する。演奏は一声のブラヴォで終わる。第二次大戦直前より構想され、終戦前後に完成した作品である。※6/16に逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番(1938-43), トムソン LSO
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番(1938-43), メニューイン ロイヤル・フィル
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番,○ボールト指揮BBC交響楽団(BBC,imp,carlton他)1972/8/16プロムスlive・CD,,初演コンビによる演奏。これは47年に完成されたが第二次世界大戦中に着手されたもので、輝かしい5番と対照的に暗く謎めいていながら48年4月21日初演後一年間に世界中で数百回演奏されたという。クーセヴィツキーによるアメリカ初演や弟子格のストコフスキによるNY初演も含まれる(前者はリハ、後者は恐らく実演と思われるライヴ録音がある)。特に「ヒロシマ・ナガサキ」と強く結びつけて受け止められた。終楽章について核戦争後の世界を描いたのではないかという声などに対し、作曲家は答えなかった。この楽章はロンドン大空襲とも結びつけて考えられている。
ボールトはストコフスキによる1948年2月21日世界初録音の二日後に初録音している。但し同曲の三楽章は50年に改訂されている。その後も複数の録音がある。これはボールトにとっては晩年の記録だがこの人らしくブレは無い。寧ろ弛緩なく硬質の組み立てが曲想に合っていて、過去の同人の記録よりも板についている。かつての手兵BBC響の性向もこの鉄鋼製品のような曲向きなのだろう。,,後期のささくれ立った作風によるこの曲は音響的なフレーズや非旋律的なアンサンブルが弾き難さを示す、RVWには珍しいともとれる構造を示している。ただそれは弦楽器だけのことかもしれない。むしろこの人の興味が打楽器とブラスに移行しつつあることを感じさせる。聞かせどころはやはりうねうねと細かと動く弦楽器の上で派手にぶっぱなす大音量の楽器たちにあるのだ。,,1楽章は全般に派手めであるとして2楽章など平坦なスコアの上に突然鳴り響く警鐘をどう効果的に響かせるか、3楽章スケルツォは唯一娯楽的な楽章(ゆえに皮肉を暗示しウォルトン的な印象をあたえる)で乱痴気騒ぎをどうリズミカルに表現しジャズ風の崩しを聞かせるかにかかってくる。,,このあたり、ボールトはおとなしい。古い録音はブラームス的な指揮者に対してモダンなこの曲はちぐはぐで違和感を感じさせるものに仕上がっていて(しかし初版から録音も初演もボールトなのだ)、硬質のアンサンブルが組み立てられず重い音響が常に曲とずれたような感覚を覚えさせた。この録音はそれらに対してかなり俊敏で違和感のないものになっているが、ボールト自身の興味がないのではないかと思わせるところもある。即ち2楽章はロマン派の解釈流儀に従い機械的に起伏をつけられ、非論理的構造を無理にあてはめようとして却って強い効果を失っている。3楽章は余りに真面目だ。まったく崩しがなく裏返った発音もなく、型にはめたようである。色がない。BBCオケ自体の音に色がないのではなく、解釈がそう指示しているように聞こえる。ただこの二つの楽章とも全体構造からして、また全体解釈からしては間違ったものとも思えず、また、戦車のキャタピラをあからさまに模倣する2楽章や敵国の戦勝パレードをあからさまに描写する3楽章など稚拙な陳腐さ極まる発想(ロンドン交響曲と同じようなものだが)を抽象音楽に昇華させようとする配慮に聞こえなくも無い。,,しかし、4楽章にいたっていきなり強く叙情性が出てくると、ボールトはやはりこれまでの中間楽章には興味がなかったのかもしれないと思う。弦楽器のスラーのついた静かな起伏はまさに田園交響曲や5番の世界であり、木管とシロフォンの美しい響き、これはホルストの惑星の緩徐楽章そのものでもある。3楽章で敵国に蹂躙されたロンドンの廃墟にのぼる月、といったこの楽章の意匠と言われるものが、ここでは別の形で抽象音楽に昇華されている。思索的と言っても晦渋な思想ではなく、心象的なものだ。この楽章でしっかりしめているところにボールトの読みの深さを感じる。,,それにしてもやっぱり通常一番の聞かせどころである3楽章でもっと派手にやってほしかった。○にとどめておく。録音最上。
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ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番,○C.デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団(BR)1987/4/30、5/1live・CD,,自主製作盤のバラ売を買った。ダウンロード販売もされている。古い演奏だがサー・コリン・デイビスは今もRVWに取り組みアメリカでロンドン交響曲をやったばかりかこれからやるか、という情報を見た(2012/11後半現在)。NYPとやった6番のライブを配信したこともあるらしいが聴けなかった。裏青でも何か出回っていた。しかし、まあ、アンドルーのほうがRVW指揮者として名をあげたのは確かで、このライブもやや粗い。ただ戦争交響曲としての指向に忠実なささくれ立った表現が目立つ。二楽章の轟音と荒涼、その流れでのまがまがしい三楽章、死の四楽章、楽団の理解の程度はともかくはっきり解釈を示して印象的だ。名演ではないがこの曲はこう理解すべきだという説得力はあり。三楽章のブラスはふるわなかったな。。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番,○クーベリック指揮イリノイ大学管弦楽団(私家盤)1952/3/29live,,イリノイ大学管弦楽団のライヴ音源がWEB配信されているので参考(近年CD-Rで出た模様)。非常にクーベリックらしいアグレッシブな演奏で、1楽章冒頭からオケが崩壊しまくったさまが凄まじいが、パーカッションを中心にリズムを引き締め、(はなから取りまとめることの難しい)RVWなりの新古典的書法が印象的な弦楽合奏部をとにかく「単純に」整えていくことが功を奏して、2楽章は名演と言っていいであろう、戦慄すら感じさせる集中度の高いものになっている。クーベリック自身のバルトークを思わせるところがある。3楽章はややラフさが出、4楽章は前楽章とのコントラストと弱音表現に雑さを感じさせるが、依然前のめりでクーベリックらしい「擬フルトヴェングラー」なものになっており、音もまあまあで、RVW好きなら一度聴いてみていいと思う。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番,○ストコフスキ指揮NYP(DA:CD-R)1949/1/30live(NY初演?),,謎のアンコールが一曲おまけで入っている。さすがNYPといわざるを得ない集中力でストコとはいえスピードとリズムの怒を尽くしてこの「戦争交響曲」をやりきっている。会心の出来と言えよう。当時NYPが得意とした、前後の時期アメリカで流行のトスカニーニ様式ではあるが、ストコの色彩性は失われておらずこの渋い曲から娯楽性に近いものすら引き出し、こんな魅力的な曲だったのか、と感嘆させられる。通常シニカルなスケルツォのビッグバンド的ブラスにばかり耳が向く曲だが2楽章などもやろうと思えばこんなに躍動感溢れる楽曲に仕上がるんだ、終楽章もこんなにロマンティックな感傷をかもすことが出来るんだ、そういった発見しきりの演奏。オケのソリストが巧くなければこのスピードや表現は出せないし、またストコに才能がなければワンパターンに陥らず曲によってここまでスタイルを変え弛緩しない音楽を作り上げることは不可能。ストコらしくないとすら感じた。CBSに正規録音あり。録音状態は悪いので○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番,○ノリントン指揮LPO(decca)CD,,ノリントンは実演でも日本を含みこの作曲家の交響曲をやっているが、最近は停止しているのか(マーラーに入れ込んでしまったのか)、全集は出来ず、この盤もレア化している。6番はノリントンの鋭い斬り込みを期待して聴いたのだが至極普通である。若干ささくれだった、と書こうとしたがこの曲自体がささくれの塊であることを思うとそれは「正しい表現」なのかもしれない。意気込んで聴いたわりにまっとうだった、という率直な反応。3,4楽章はコントラストを付けすぎないほうが聴きやすいな、とか、1楽章は余り曲の出来がよくないな、とか、ノリントンを通して発見することも多い演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番,◎ノリントン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(ELS:CD-R)2005/4/10LIVE,,かなり音質が良く聴き易い。二箇所ほど瞬断があるが恐らく放送音源だろう。6番の演奏でここまで高い精度と弾み良い発音の活気のバランスが良いものもあるまい。ライヴだというから驚きだ。近年、近現代ものをよくやっていて注目の人だが「音だけで」聞かせられるかはどうなんだろう、というところもあったが杞憂だった。冒頭は鈍重だが、リズミカルな主題に入るととたんに生気を得る。ひびきが綺麗に整えられており、横長のフレーズではフレージングがしつこくないので更に聴き易い。2楽章中間部、ペットの警句が長い音符を鳴らすノンヴィブの弦の完璧なハーモニーで支えられているところなど素晴らしい効果があがる。RVWの静かなハーモニーにはノンヴィブが似合う。,,「RVWの世界」は簡単に聞こえてなかなかフクザツな要素も内包しているから、こういうしゃきっと整えられたスタイルで聞くと耳からウロコなところがある一方で、3楽章の烈しさはバルビローリのような勢い任せのものではないのに非常に攻撃的で扇情的に聞こえる。主として弦のハーモニー、アタック、更にトータルな音響操作、このへんの素晴らしい律し方は古楽経験からの得難い資産として反映されていると感じられる。通常聞きどころのジャズ風のスウィングや楽想の生温さもよくありがちな「娯楽的に」ではなく、この曲の通奏主題である「不安」の一つのあらわれととらえられるくらい音楽的な完成度の高い3楽章であり、「烈しいRVW」としては最もよくできたスケルツォ楽章であるこの音楽の演奏としては、ひょっとしてRVWの最も意図に沿った形で響き突き進んだものであるかもしれない。,,4楽章の夜景への移行がスムーズなのも決して崩れないスタンスのためだ。本来3楽章のドンチャン騒ぎから4楽章の死滅の光景へのあっけないコントラストが意図のところだが、私自身のこの曲への感想として、いつも余りに「あざとくて」耳がついていかない感じがしていた。しかし基本的に両楽章を同音質同音響で伝えようとするこの演奏に違和感は全く無い。4楽章のRVW的美しさも・・・通常の演奏であれば「死滅」にてっしようとする余り音楽的な生気まで失い魅力が無くなってしまいがちであるが・・・巧く引き出されており、ポリトナリティ的な美感が他のRVWの幻想的な曲との間隙を埋めている。廃墟を照らす柔らかな月光の美しさがよく表現されている。,,この演奏で重要なのは「美・精度」と「ライヴ・活気」のバランスだ。前者だけ、後者だけの演奏なら他にいくらでもある(とくに前者だ)。ノリントンはこのリズム処理と速めのテンポだけで既にかなり成功しているといえるだろう。しいていえば純音楽的過ぎる感もある4楽章に少し「怜悧さ」が足りないかもしれない。だが前記の通りここまで美しく「面白い」4楽章は無い。,,本来の「作曲意図」をロマン派的に反映するのではなく「楽曲分析」から浮き彫りにするブーレーズ以降の流れを、更に一歩進めた「情のこもった分析手法」を確立したものとして、最高評点をつけておく。名演。,,・・・直後、A.デイヴィスを聴いたが「いつものRVWの6番」だった。つまらない。どこが違うんだろう?ふとオケの力かもしれないと思った。しかし鈍重さのかけらもない鋭い演奏ぶり、ライプツィヒも変わったものだ。,-----,,,-----
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番,ノリントン指揮サン・フランシスコ交響楽団(放送)1997live,,webで聴ける。ノリントンのアクの強さが出ておりダイナミック。誇張されたアゴーギクが戦争交響曲に実にぴったりなのは三楽章。ヴォーン・ウィリアムズの書いた最も悪魔的な(カッコいい)楽章だが、響きを整えるよりもささくれだったダイナミズムを煽ることに主眼を置いて度肝を抜く。こんなにカッコいい作曲家だったのか。ノリントンのRVWの読みは深い。これも単なる客受けを狙ったものではなく、すべての生きとし生けるものを蹂躙していく国家の「躁状態」を糾弾している。四楽章を味わうにはノイジーなステレオだが、ノリントンは田園的な音楽より都会的な音楽が似合う。バルビのように感傷を加えるのではなく、なんの味わいもない(ノリントンらしさかもしれないけれど)音の羅列を素っ気なく提示している。漫然とやらず構造を抉り出しホルストとの共通点を炙り出す。前の楽章でも軍隊がラッパを吹き鳴らし(三楽章ではジャズ風の乱暴なフレーズを皮肉に撒き散らし)キャタピラが地面を踏み均していくさまを、抽象化して決してそれと聴こえないようにしていたが、四楽章もまた抽象的だ。しかし音楽としてかなり良い線をいっている。さらにオケに恵まれている。派手で技術レベルも高いアメリカオケはなぜかこの曲に合う。なかなかです。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番(1944-47),バルビローリ指揮バイエルン放送SO(ORFEO他)1970/4/10LIVE〜オケがあまりやる気がない。。一緒に入っているブラームスと比べたら雲泥だ。耳を惹くのは3楽章のブラス群くらいか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番(1944-47),バルビローリ指揮ボストンSO(M&A/INTA GLIO他)1964LIVE〜ボストンのブラス陣に傾聴。(1964とクレジットされている後発盤はすべてこれと同じ可能性が高い),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番,○バルビローリ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R他)1964/11/7live ,,まあまあ安定した録音で、金属質の音響的演奏を繰り広げるボストン響と直情的なバルビの間に若干の温度差を感じなくはないものの、バルビ自身もかなりスペクタクルで、かつまだ「求心的な演奏」を志向している様子なだけに、「そういうものとして聴けば」最後まで楽しめる。RVWのこのての曲は決してささくれだった心情の直接的反映ではなく、客観的に(かなり理知的に)悲劇を描こうとしてできたものである節が大きく、オーケストラという楽器の威力を存分に発揮したパノラマ的音楽であるだけに、オケの演奏能力に、録音媒体ではその録音状態が問われる。その点この古い録音はかなり健闘していると言え、かといって浅薄な印象もなく(その音楽の意味性さえ問わなければ)印隠滅滅とした終幕までアタッカで続くドラマに没入できる。けっこういいです。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番,○バルビローリ指揮ボストン交響楽団(statework)1964/10/30live,,web配信されている音源だがこの組み合わせで同曲の録音は結構多くどれかとは一致する可能性がある。部分的に撚れる個所はあるが録音状態はそれらの中では一番いいといっていい。RVWの戦争交響曲なわけだが、冒頭こそやや落ち着いたテンポで始まるものの、その後はスピードと力感にあふれ、他の録音と解釈的にはほとんど変わらない。終楽章においても沈黙に落ちるのではなくしっかり夜景を描き切っている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番,○ヒコックス指揮LSO(chandos)CD,,ヒコックスのヴォーン・ウィリアムズはsacd化されているものが多く、田園交響曲に至っては現役盤がsacdしかなくmp3配信もしていないという状態である。裏返せば最新録音を最新設備で細部まで明瞭に聴け!という製作側の心意気が伝わってくるのかどうか知らないが、実際これは最新録音でふだん聴こえない細部まで聴こえるので、演奏的には上手でまっとうだがそれ以上の特徴を指摘し辛い、いやヴォーン・ウィリアムズの交響曲は演奏比較が難しい、差が出づらいものなので、ようは6番をちゃんと聴ける録音なのでそのように楽しみましょうということ。ブラスとパーカスを全面に打ち出したヴォーン・ウィリアムズにしては珍しい曲であり、ブラスとパーカスの使い方がそんなに上手くない作曲家だがここではカッコよく聴こえてくる、それをロンドン響セクションがケレン味無くしっかりハッキリやっているのが清々しい。高弦も酷使されながら不安なくやり切っている。低弦はいつもながらご苦労様。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番,○ボールト指揮ニュー・フィル(bbc,medici)1972/7/7ヴォーン・ウィリアムズ生誕100年記念コンサートlive・CD,,ボールトにとってみれば最も掌中に納まった曲という意識はあるのだろうが、いくつもある演奏のいずれもどうも曲の浅さ、しかしRVW自身の灰汁の強さをそのまま表現してしまっているように思える。「映画音楽的」コケオドシを真面目に表現することによる違和感がしきりで、特にそういった書法は前半楽章に顕著なのだが、この「戦争交響曲」が結局戦勝国による確かに「抽象化」された回想にすぎないといった感を強くさせてしまう。,,とはいえ首尾一貫した表現を追及するボールトの姿勢は各楽章のがらりと変わる性質を極端に強調して例えば3楽章を娯楽的に派手派手にやっつけ4楽章ですとんと落とすような指揮者とは違った、RVWの意図したところの「抽象性」に挑んだものとして評価できよう。それは3楽章からの流れが断絶されず4楽章の「死の静謐」がきちんとクライマックスとして認識できるよう設計されていることからも伺える。同曲ではこの楽章のみがRVWらしい美しくも哀しいしらべの横溢する印象的な音楽となっているのだが、単純に静かな死として表現するのではなく旋律性を意識した音楽作りは同曲初演後いくつか残されている他の指揮者の録音でも施されているもので、逆にプレヴィン以降これが他の楽章同様「情景描写音楽」としてひたすら低カロリーの「音響」に終始するほうがバランス的にもおかしかったのかもしれないと思う。,,演奏的には弦楽器が弱い。楽器数が少ないのではないか(前座のタリスと同じ数でやったのか)?旋律の裏の細かい動きをメカニカルにしっかり律しないとラヴェルの使徒たるRVWの特長が活きてこないのだが、完全にばらけており聴きづらい。タリスではあれほどまとまり音も美しかったのに、ここでは単に薄くて存在感のない下手な弦楽器になってしまっている。ボールト後期のRVWは細部の纏めが甘く太筆描きのような流れでそれを補う、一種ミュンシュ的な力づくの表現がメリットでもデメリットでもあるが、この曲のようにかなりRVWにしては「無理をした」細かく書き込まれた作品では一流オケでも纏めるのは難しかろうし、仕方の無いことかもしれないが。全般オケとしても弱い感がある。○。,,"Vaughan Williams: Symphony No.6", Fantasia on a Theme by Thomas Tallis; P.Hadley: One Morning in Spring, etc / Adrian Boult, NPO, LPO," BBC SO",-----,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番(1944-47),ボールト指揮BBC交響楽団,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番(1944-47),ボールト指揮LPO1950S,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番(1944-47),ボールト指揮LSO1949,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番(1944-47)〜Vのみ(原典版),ボールト指揮LSO1950,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番,◎マリナー指揮セントマーチン・イン・ザ・フィールズ(collins)CD,,平穏な5番とのカップリングだが結構起伏を持たせて聴かせる。全体的に調和のとれたオケの響きが印象的で、RVWの立体的な書法を単純化せず良い部分のみ注意深く組み合わせて純音楽的にまとめ上げているのは素晴らしい。1楽章はまっとうで派手すぎもせず模範的だが、描写的な2楽章を「描写的ではなく」表現しているのはRVWの意思を尊重しているようで良い。進軍ラッパやキャタピラの音もそうとわからせることはなく、モデラート楽章をただ不安で包み込むのではなく、音楽的にきちんとまとめ上げている。3楽章が凄い。ブラスが中心となってヒンデミット的構造を誇示するスケルツォは派手にぶっ放すバルビ的なやり方をされることが多いと思うがそれだと癖のあるRVWの響きが耳について嫌気がさすことがある。ここでは明晰な録音のせいもあろうが下支えをする弦楽器のスケール的な刻みであるとか木管の走句であるとかいちいちはっきりと認識でき、決して上手いとは言われないRVWの管弦楽法の意外なプロフェッショナリズムを堪能できる。ブラスはブラスでこのオケは余り派手なほうではないけれどアルトサックスから提示される第二主題からしてノリノリ。終楽章は逆に弦楽器が主体となりRVWらしい横の流れの折り重なる中でしめやかに、しかし全楽章とのバランスを崩さず、コントラストをいたずらにあおることもなく終結していく。この楽章、現代のミステリ系映画音楽に通じるところがあるなあと思った。そんなことを考えさせるくらい客観性も保たれている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番,A.デイヴィス指揮BBC交響楽団(warner)CD,,超廉価全集+にもかかわらず内容の良さで買いの、今やRVWのオーソリティとして実演でもおなじみアンドリュー・デイヴィスの6番である。何と言ってもこの人らしい垢抜けた派手なブラスがぶっ放される三楽章などが聴き映えはするのだが、本領は四楽章にあらわれる。ロンドン大空襲後の廃墟、もしくは核戦争後の地上を照らす月光を思わせると言われる(本人は例によって抽象的思考の産物という主張を曲げなかったようだ)突然の怜悧な静謐。しかしここにデイヴィスは美を見出す。他にもそうしている指揮者はいるが、不安な音線を慰める響き、ゆっくりたちのぼる田園ふうの旋律、これは救いの音楽なのかもしれない、、、それが死という救いだったとしても。曲が指揮者にマッチし、また技巧的だが個性的でない硬質のオケも曲にマッチした、なかなかの演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番(1944-47),○ストコフスキ指揮NYP(CALA/columbia/sony)1949/2/21初録音・CD,,とてもわかりやすい。ささくれだった曲を、叙情的な旋律と扇情的な律動を強調することにより、またこの強力なオケの、とくに弦楽の力感溢れるアンサンブルによって他の曲同様の感興を与えることに成功している。4楽章だけはさすがに叙情的というのは無理があるが、感情に訴えかける暗い幻想を提示して秀逸だ。分かりやすさを求めるがゆえいじっているような箇所も見受けられるが、ストコフスキー特有の拡散的でだらしない響きとかそういったものは微塵もなく、楽団の求心力の強さがストコの芸風を補い、多少バラけつつも佳演に仕上げているようにかんじた。グリーンスリーブス幻想曲とのカップリングでSP初出。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番(1944-47),○ストコフスキ指揮NYP(CALA/sony/columbia)1949/2/21初録音・CD,同上,オケがバラける感じがあり、特に特徴的な解釈がみられる三楽章では聴き辛いレベル。雑味が出がちなオケなのでひときわ気になる。推進力と多彩な響きはいいとして、求心力にはやや欠ける。4楽章の予兆が2楽章に現れるところなどは美麗でロマンティック。静かな場面はなかなか。おまけの○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番(1944-47),トムソン指揮LSO(CHANDOS),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番(1944-47),プレヴィン指揮LSO,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番(1944-47)〜リハーサル風景,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(BSO)1949/3/14LIVEうわー。。全曲聴きたかった!情熱的に伸縮するヴォーン・ウィリアムズ。1楽章のリハはクーセヴィツキーの巻き舌グセのある注文が俊敏にオケに伝えられ、この指揮者がいかに精力的だったかがわかる。ただ、弦など敏感とは言えず(曲慣れしていないせいかもしれない)あまり誉められたものではない。クーセヴィツキー時代のボストン響は欧州色が強く表現力に優れる反面雑味が多かったようで、このリハでもその一端は垣間見える。2楽章の不気味な情景も僅かに収録。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第7番「南極交響曲」,○ビューロウズ(SP)ボールト指揮LPO(EMI)新録・CD,,モノラルの旧録とはソリスト違いの別もの。10年程度の録音時期の差とはいえ表面的効果の重要なこのような曲でモノラルかステレオかは大きな違いであり、ソリストには旧録に一長あったとしても、そこは問題にならない。ホルストとRVWがいかに近い場所にいたのか、しかしRVWがホルストより秀でたのはやはりアカデミックな書法を大事にし、直接的な表現の下にも常に這わせておく周到なやり方にあり、おそらく何度も何度も聴くにたえるは惑星ではなく南極だろう、そういう構造におもいはせるに十分な録音であり、演奏である。ボールトの惑星同様、ドイツ臭さというか、野暮ったさギリギリのざらざらした響きがなきにしもあらずだが、透明感があればいいかといえばこの曲にかぎってはそうとも言えないところもあり〜磨き上げた底には何も無いかもしれない〜このくらいでいいのかもしれない。ウインドマシーンと歌唱が少し浮いているが、ボールトも持て余したのだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第7番「南極交響曲」(1949-57),ボールト LPO 1950S
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第7番「南極交響曲」(1949-57),トムソン指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第7番「南極交響曲」(1949-57),バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI他)リッチー,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第7番「南極交響曲」,○ホーヘンフェルド(sp)スラットキン指揮フィルハーモニア管弦楽団&女声合唱団(RCA)CD,,ヴォーン・ウィリアムズ晩年の傑作で、前期交響曲同様、表題交響曲として書かれている。映画「南極のスコット」の音楽からかなりの部分を使って再構成したものでウィンドマシーンなど相変わらず直接的な描写表現が目立つが、立体的な音響表現は比類なく、ブラスからパーカスから木管から、ヴォーン・ウィリアムズなりの最高の技術と個性が注ぎ込まれている。そこにはかつての盟友ホルストの影も見られ、綺羅びやかで美しくも深く異界の轟きを伝えている。最盛期のジョン・ウィリアムズがかなりこの特有の響きに影響されているのもわかる。スラットキンはさらにこの音楽を純音楽として捉えようとし、前進的で求心力の高い表現をとっている。聴きやすく、言ってみれば少し昔のバルビローリ頃の演奏に似ている。反面神秘性は少し落ちるかもしれないが、優秀録音ゆえ聴取環境で変わるだろう。佳演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第7番「南極交響曲」,ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省交響楽団(melodiya)live・CD,,ライヴ全集ゆえこの曲でも演奏瑕疵は多い。精妙な場面でずれたり、ホール残響のせいでぼやっとしてしまうのは厳しい。ただ四楽章間奏曲のような、弦楽合奏の牧歌となるとRVWの独壇場であるばかりかロジェストヴェンスキーにとってもロマンチックな性向を発揮でき、ロシアオケの強みも出せるから良い。現代映画音楽の礎となったクラシック曲のひとつとして、これも映画音楽からの編曲だが、怜悧で往年のSFドラマを思わせる煌めきは、ステレオでスケールもあるこのような録音でこそ楽しめるところもある。正直、この全集ではマシなほうで、拍手も盛大。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,◎A.デイヴィス指揮BBC交響楽団(warner)CD,,この人のRVW全集は投げ売り状態でいい評判も聴かないが、サーの称号を受けた評価の高い人でRVWのシンフォニーを来日演奏した数少ない指揮者の一人。当然エキスパートである。期待しないで聴いたもののいきなりスピーディな出だしからびっくり。テンポはいつのまにか落ち着くが、その動かし方が流麗でありかつ、縦がとてもしっかりしていてダレない。大きく感情は煽る。だがRVWの透徹した視線を意識したような一歩ひいた解釈がいい。バルビやストコとは違う種類の演奏である。RVWは晩年オーケストレーションに凝ったが(書法というより編成だけど)アンドリュー・デイヴィスは新奇な楽器を強調するでもなく調和させてうまくRVWに期待される平穏な牧歌に昇華させている。ブラスはこの演奏では余り個性を出さないが二楽章はブラスだけによるスケルツォで、BBCらしく明瞭にプロフェッショナルに演じている。スケール感もあり、ちょっと聴かない感じの演奏だっただけに、とくにテンポ操作が極端にもかかわらずとても自然なところで◎をあげたくなった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,○エルダー指揮ハレ管弦楽団(ho)2012/2/3・CD,,繊細な音表現が印象的なエルダーの、素晴らしい記録。ヴォーン・ウィリアムズがこの時期にマニアックにやっていたことをちゃんと音にして聴かせ、他の演奏ではおよそ聴こえない内声の面白みを引き出し、若干整えた感が気になる所はあるが、特有の立体感をものにしている。ほんとに素晴らしいのは一楽章の柔らかく優しく繊細なやり取りだが、ブラスの弱いオケをしてちゃんと聴かせた二楽章もいい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,○ストコフスキ指揮BBC交響楽団(IMP/BBC/M&A他)1964/9/15プロムスlive・CD ,,有名な熱演で私も大好きだったが改めて冷静に聴いてみるとどうも演奏精度に問題がある。ブラスが特に乱れがちで、ブラスだけによる2楽章スケルツォは書法あるいはスピードの問題でもあるが冒頭からガチャガチャずれてしまい、つんのめったまま終わる。反して1、3楽章は深情篭り素晴らしく、特に弦楽器のフレージングやアーティキュレーション付けが美しいのはストコの技でもある。4楽章の壮麗なお祭り騒ぎも含め全楽章通して速いテンポで一直線に突き進むこの演奏は、ライヴとしては盛り上がるものであり、精度に耳を塞ぐことができればとても楽しめるが、RVWの精妙な書法を味わいたい向きには向かない。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番(1953ー55),◎ストコフスキ指揮BBC交響楽団(MUSIC&ARTS等多数)1964/9/15ライヴ,わかりやすいところでは終楽章コーダでのパウゼ指示の無視などややいじっている箇所がみられるが、全般に”勢い”が他の演奏と違う。3楽章の表現の深さにもこの指揮者の並々ならぬ力を感じる。時代的に録音は少し劣るが聞きごたえ大の演奏だ。同曲の献呈者で作曲家の全幅の信頼を受けていたバルビローリのものは、現在ライヴ含め3枚の盤が手に入るが、共にどうも鈍重な感じがする。寧ろ器用なプレヴィンのほうが良い(プレヴィン全集の白眉だ)。音響操作を小器用に行う指揮者向きの曲だろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番〜U.,◎ストコフスキ指揮シンフォニー・オブ・ジ・エアー(NBC交響楽団)(EMI、CAPITOL)1957/1/22、29、2/5、8、15NYリバーサイドプラザホテル・CD,,クリアな録音で非常に丁寧な表情付けが聴いて取れる。アクセントを常に強く、民謡主題を野望ったいくらいに民謡ふうに濃く歌わせて、ブラスバンドのみによる楽章を単独曲のように聴かせることに成功している。この味付けのまま全楽章聴いてみたかった。BBCライブは有名だが、こうやって細部まで聴き取れる録音が残っていたらと思う。こんな演奏他にはない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,○バルビローリ指揮NYP(whra)1959/1/3live・CD,,同曲バルビ唯一の国外オケによる演奏記録となろうか。やっぱり迫力が違うと思わせる場面が随所にあり、NYPらしいアバウトさやライブ的な瑕疵はあるものの(吹奏楽による二楽章のあと拍手が入ってしまうのもご愛嬌)、録音状態さえよければカタルシスが得られたであろう出来である。バルビの解釈はほぼハレのものと同じで、ただ弛緩するような緩徐部はすくなく、一貫して前進的なテンポ設定といえるか。音符のキレのよい表現が特徴的で、1楽章の主主題出現から通常はレガート気味に演奏されるところテヌートで切って演奏するところなど、非常にはっきり伝わる。力強く盛り上がる終幕後、ブラヴォが飛ぶのはこのコンビでは珍しいか。とにかく録音は最悪なので○。WHRAのセットものの収録で、恐らくこれだけが未出と思われる(マーラー巨人はNYPのセット他で出ていたもの、惑星は裏青で何度か出たもの)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BS)1956/5/2初演live・CD,,被献呈者による初演記録である。かなりノイズ除去がなされていて却って音の輪郭がぼけて分離が悪くなっている感は否めない。演奏自体は初演ということもあり後年の記録に比べ違った操作が行われているところも聴かれ、派手派手しい響きも耳に残る。ハレ管という分の悪いオケによる演奏ということで打楽器のテンポが危うくなったり色々問題はあるのだが、この曲にしてはブラヴォの飛ぶ演奏というのもなかなかなく、それだけのことはある迫力をもっている。個人的にはバルビの同曲演奏の中では好き。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,◎バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI)1956・CD,,弦楽器が弱い。素直なアレグロ楽章である終楽章クライマックスで音量変化がそれほど無いまま急にテンポ・ルバートするため流れが止まり、旋律線を見失いそうになるところもある。だが全般的には50年代バルビの持っていた力感と直進性が健在で、優秀録音がそれを後押しし求心力のある名演として印象に残る。晩年バルビは孤高の感情的な旋律表現と引き換えに、テンポの弛緩やリズム感のなさ全体設計の不自然さを得てしまったが、ここではそこまで踏み込んだ特異さが現れず、普遍性を保っている。緩徐楽章に晩年のうねるような強烈な歌謡性こそ感じられないものの、全体的な音楽のまとまり、何と言っても木管の音色の素晴らしさ、案外ばしっと決めるブラスや打楽器の、晩年RVW向きの巧さが弦の雑味をも物ともしない美観を提示して秀逸である。バルビのRVWにはグズグズなものもあるが、モノラル録音末期前後のものには締まった佳演がままあり、南極交響曲もその一つだが、これはバルビ自身に捧げられたこともあってもっと思い入れの強さも感じる名演。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(ermitage/aura/bs)1961/4/11ルガーノlive・CD,,録音状態は悪くはないが演奏精度はライブなりのもので綻びや下品さが感じられるところもある。主題の無い変奏曲と題された一楽章のヒステリックなまでの盛り上げは聴かせるし、弦楽合奏だけによる三楽章はバルビローリのビニイリサイニイル解釈をよく聞き取ることができる。ボウイング一つから解釈を付けたというこの指揮者の特徴だ。音の切り方とポルタメントの細かな付け方だけとってみても独特。シベリウス的な細かい松葉がひとつひとつの音に付けられているがテンポが速いのでしつこくならない。四楽章はしっかりした足取りで、ややきつめの表現ではあるが祝祭的雰囲気を盛り立てている。有名録音だが最近協会盤が出た。ナレーション入りだそう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番(1953ー55),○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(bbc)1967LIVE最終楽章の遅さや第三楽章の弦楽器の拙さは少し気になるが、献呈者によるライヴであるこの演奏は、スタジオ盤をはるかに凌ぐ震幅の大きな爆演となっている。聞きどころはやはり第一楽章だろう。そこはかとない哀しみを秘めた緩徐楽章を、これ以上無いほどに美しく歌い上げている。一聴の価値大。同盤にはバルビローリにしては珍しいウォルトンのマーチも収録されているがこれも名演である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,○ヒコックス指揮LSO(chandos)CD,,スタジオ録音なりの整えた感じというか客観性が伝わってしまうのはマイナスなのだが、一楽章からこの曲の難点としてある、特に管楽に多用されるトリッキーな動きの短い音符が鋭くビシッと揃わない点、ここではいずれもしっかり整っていて清々しく聴き通せる。二楽章の管楽合奏などヴォーン・ウィリアムズには不得意な世界でとっ散らかったようなアンサンブルになることもあるが、テンポを落ち着いてとって模範的に通している。このオケの木管の音色が焦りの色を帯びず保たれている。弦楽合奏の三楽章は重厚で、スケールの大きな音楽になっていてコントラストがついている。四楽章は落ち着きが気になるがまずまずの祝祭的フィナーレ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番(1953ー55),ボールト指揮LPO(EMI)1960,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番(1953ー55),ボールト指揮LPO(EMI)1968-1969,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,○ボールト指揮LPO(EMI)新録・CD,,意外といけるじゃん、と思うが二楽章がいまいちだった。この人はブラスにスウィングさせるのが下手なのかそもそもさせる気がないのか、ちっともスケルツォではない。三楽章は持ち直し、四楽章はわりと落ち着いたテンポで仕上げて及第点。こういう軽い曲にボールト盤は期待していなかったが、そこそこではあった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,○ボールト指揮LPO(ica/Ideale Audience Int.)1972/12/12ロイヤルフェスティバルホールlive(10/12?.10/18?)・DVD/BD,,同曲の映像は貴重だろう。例え事故が多く録音バランスもカメラのスイッチングも良くなかったとしても。最晩年のボールトが矍鑠と、長い指揮棒でわりと細かいことをせずに、大きくリズムを割っていくさまは、それが楽団に落とされるとき威厳と鈍重の表裏をよく表している。ヴォーン・ウィリアムズ後期のオーケストレーション、裏でうごめく内声や突然喚くブラスにわけわからなさを感じていたに違いない、と一楽章の凝縮力のないアンサンブル(曲のせいもあるのだ!)や二楽章のまったく野暮ったいテンポや響きに想いを馳せる。一方、三楽章のような横の流れで聴かせるところ、一楽章での木管と弦による緩徐主題の美しい流れはさすが、低音部をしっかり響かせながら感傷的に聴かせる。まあ、一楽章、三楽章ともいささかさっさと早すぎるところがあり、ボールトが普通の指揮者のようにどんどん遅くなっていく「衰える指揮者」ではなかったというドキュメントにもなっている。冒頭から音程に不安もあり、楽団は音色はいいのだが不安定さもはらみ、見た目も結構堅く、それはなんとなくドガジャンで始まる四楽章でも不安を残す。素直でない晩年RVWの書法はボールトには余り好みではなかったのではないかとも想像される。適切な響きは出ているが今ひとつワクワク感がない。ラストはさすがに華やかに盛り上がるが。。ボールト得意の「ヨブ」とのカップリング。むしろヨブがメインというのは面白い。intaglioの記載上10/12と同一?icaからは10/12ライヴと告知されていた。EMIアーカイブDVDからまとめたと思れるBD集(クラシック・アーカイヴ・コレクターズ・エディション第1集〜弦楽器奏者編)のオマケに10/18とされる映像が入っているが同一とのこと。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,○ボールト指揮LPO(WME:CD-R)1972/12/10live,,同日の「ヨブ」のメインプログラムとして演奏されたもの。録音状態については「ヨブ」の記事を参照。モノラルで茫洋としている。演奏はボールトらしく、RVWを知り尽くした要領のよさが感じられるが、ところどころ重い。とくに終楽章が重すぎる感があり、交響曲全体としてのバランスを考えるとそういう解釈でいいのかもしれないが、荘重に始まり軽快に終わるRVWにしては嬉遊的な曲なのだから、スピードは少し上げてもいいかと思った。スタジオ盤よりも重く感じた。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1957/11/1live ,,何というか独特の演奏。ミュンシュが初演もしくは啓蒙を使命としてオシゴトをこなした、といった多くのうちに入ってしまうものだと思う。まるでトスカニーニのように乾燥した押せ押せの演奏ぶりはリズムが強すぎて旋律の魅力を消してしまっているし、そのリズムも精度が低く芸の無いもの。解釈はほんと、フランス人なのにロシア風というかドイツ風というか、アメリカの新ロマン派の解釈ふうというかミヨーの大交響曲のように演奏しようとしたというか、ストコライヴ以上にストコ的奇妙さが織り交ざる(最後の終止音がそれまでの直線的な表現からいきなりルバートして物凄く伸ばされるのはストコ以上(ストコはむしろパウゼすら無視し終止することで曲のいびつさを補正している)、聴衆が沸くと思ってのことかもしれないけど、さすがにブラヴォはちょぼちょぼ)。,,違和感しきりで冒頭からもうガチャガチャで、調子っぱずれのペットはいくらなんでもテープ撚れだとは思うが、早過ぎて木管や弦がごちゃごちゃになる。もちろん流れは強引に作っているけど構造ががちゃがちゃだ。鉄琴や木管が夜曲的な雰囲気を醸しているのに弦のピチカートを異常に強調してぶち壊す(このやり方は確かにドイツ的だ)、チェロから暗示される至上に美しい第二主題(便宜上きらきら星の部分抜粋みたいな下降音形をこう呼んどく)がまったくカンタービレせず埋没。音色も無茶苦茶で無機的。完全に即物的な表現なのだが、それも思いつきのようにやるため出来のいい部分と無茶苦茶な部分が雑多に混ざり合ってとてもRVWの憂いある世界が表現できているとは言えない。練習量が少ないせいかこなれていない感もある。ただ腐ってもボストン、弦のトゥッティが出る部分のボリュームや高音管楽器のソロの巧さは諸所で光る。二楽章はのっているし三楽章はそれなりに盛り上がる(といってもボールトやストコには及ばない単なる音量上のこと)。四楽章の派手な突進に期待して聴いたのだが・・・突進しすぎ。確かに聴いたことのないたぐいの演奏解釈であり、録音も復刻状態も悪いけど(モノラルなのに左右に撚れる・・・)○にはしておこう。,-----,,,,,,,,,,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(PASC)1958/8/2タングルウッド・バークシャー音楽祭放送live,,PRISTINE配信の新発見音源。DA盤と同じとみなされるが録音状態の違いをかんがみても異なるようだ。本編ステレオで格段に状態はよい(ナレーション、拍手はモノラル)。もちろん録音ヨレがなくはないが時代的に許容すべきだろう。演奏は力感があり雑味が感じられるほどに楽器を鳴らし(とくに高音打楽器だ)色彩感はあるが毒々しいほどで英国的な情趣には欠ける。ただ三楽章は聴かせる。ミュンシュがフランス系指揮者とは思えないほど曲のロマン性を引き出し、現代性は響きにのみ現れているような調子で、RVWの書法の「半端さ」を気づかせてしまうところもある。ぼやかしておけばいいような弦のトレモロを粒立てさせ陳腐さを醸す、といったところである。曲慣れしていないようなミスも多い。重要なブラスのソロが落ちたり遅れたり信じられないところがあり、DAの演奏のほうが出来がよかったんじゃないかというところもある。とまれ、十分鑑賞に足る音質のミュンシュのRVWという点での価値はあり、ミュンシュ好きにはアピールするだろう。英国指揮者・楽団が絡まない演奏という点でも希少だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番,ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文科省交響楽団(melodiya)live・CD,,スピーディーでさっさと進み即物的傾向を示す。アンサンブルは緩く音響は派手で起伏の伏に欠け憂いがない。ヴォーン・ウィリアムズの晩年作品でもともと耳やかましい響きを孕んでおり(難聴を患う身ですべて自分で確かめて作れた作品なのかどうかわからないが)それは指揮者の責任ではないかもしれない。ニ楽章などリズミカルな表現に利を感じるし、弦楽合奏による三楽章はしめやかではあるが、あまり良くない録音のせいだろうか、まだ押しが強過ぎると感じるところもある。もっとも、ヴォーン・ウィリアムズらしさの点では最もしっくりくるし、さらにオケの技巧的メリットを誇示する楽章にはなっていると思う。盛大なフィナーレである四楽章の重さは好き嫌いがあると思う。低音打楽器を鳴らしまくりテンポは遅く前に向かわず、どんくさいと感じもするものの、交響曲のフィナーレとしては構成的にバランスが取れている。楽章内の構成はあの映画音楽的な美しさを際立たせるようなものではなく、あくまでスコアをドイツ風の音響的に整えメトロノーム的に追っている感。この曲の軽快なイメージとは違うが、ひとつの見識ではあろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番(1953ー55),スラットキン指揮フィルハーモニアO,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番(1953-55), トムソン LSO
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第9番,○ストコフスキ指揮ヒズ・シンフォニー・オーケストラ(CALA)1958/9/25カーネギーホールlive,,アメリカ初演盤。この曲はRVWの絶筆であり、謎めいた内容や書法に物議を醸した作品でもあるが(このとき既にRVWの耳は聞こえなかった)、同時代の演奏家達に深く愛された作曲家だけあって結構演奏されていたようだ。これはRVWとの親交も深かったストコフスキによる演奏であり、それだけに作品に対する思い入れというものが感じられる。全般的に従来の(といっても今まで発売された音盤の)演奏に比べかなりダイナミックな激しい演奏になっていて、テンポが不用意に揺れるとかではなく(寧ろ率直である)、強烈な発音による印象付けが縦横になされている。そのためしっとりした抒情が必要な2,4楽章が煩過ぎて違和感を感じなくも無いが逆に曲をよく知らない向きにとってはわかりやすいかもしれない。,,そういうスタイルなだけに3楽章の妙におどけたガチャガチャした曲想(ストコフスキの面目躍如が聞ける)も違和感なく溶け込んでいる。モノラルで(派手で色彩的なオーケストレーションを誇るRVW後期作品にとってはマイナス)、1楽章には雑音も混じる拡がりの無い低音質のため、細かいハープの響きであるとか打楽器系の美しい煌きが殆ど聞き取れず、その点でまったくお薦めはできないのだが、それでもこの推進力と、有無を言わせぬ引き込む力には圧倒されるし、とくに1楽章、だらだら始まりがちなところを、ゆっくりめのテンポでありながらも切り裂くような厳しい響きで悲劇的な雰囲気を高め、そのままダイナミズムに溢れる悲劇を演じつづけるところなどは、従来の演奏の1楽章には求め得なかった吸引力と内容深さが感じられ、共感を持った。,,後期RVWの響きを楽しむには録音に不備が多いが、RVW最後の大作の内容を味わうには、ひょっとしてボールト盤とは別の面から深く味わうには、うってつけの演奏かもしれない。◎に十分できる演奏だが録音マイナスで○。,-----,,,-----,,,-----,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第9番,○サージェント指揮ロイヤル・フィル(PRSC)1958/4/2初演live(BBC放送AC)・CD,,RVW好きには驚愕の初演記録である。pristineとしても懐疑的にならざるを得ないところがあったらしいが、よりよい録音記録を手を尽くして探しているうちにアナウンスメント含め本物と確信しレストア・配信に至った経緯があるようだ(最も音質のよい、再放送の海外エアチェック録音が使用されているとのこと)。実際併録のミトプー「ロンドン」と比べて格段に音がよく、音の一つ一つが明確に聴き取れる。輪郭のはっきりしたサージェントのわかりやすい音楽作りのせいもあると思うが、初演当初より「よくわからない」と評されてきた白鳥の歌が、実はこんなにも「歌」でなおかつ「合奏協奏曲」であったという、まさにRVWらしい曲だったということに改めて溜飲を下げる思いだった。わからない、という評は散文的な楽想の羅列、ベートーヴェン的展開を楽曲構成としては意識しつつも、内容的に拒否するRVW晩年の複雑な心象のあらわれに共感を得られなかったからだと私は解釈している。戦勝国としての英国に対する疑念・・・「輝かしい諦念」が「無」に帰するとき、RVW自身がその生涯の終わりを自覚していたかどうかは(奥さんにすら)わからないことだが、ふとこの演奏に返ると、単純かつ職人的なさばきが「憂い」を抑え、フランス的な柔らかい響きの揺らぎより民族的でもある独特のモードを強調して、この曲を聴きやすくはしながらも、RVWらしくは出来ていないようにも思った。初演を担えなかったボールトの演奏には、異例なほど感傷的な響きの美しさがある。ライヴという点、更にサージェント自身の「ダンディな」芸風がそうさせていたのだろう、ボールトより各楽器の役割がはっきりと聴こえオーケストレーションの長所や癖が立体的に面白く聴こえるのは確かだし、初演録音としてはきわめて高い完成度にあると思われるが、○にとどめておく。作曲家が亡くなったのはこの四ヵ月後である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第9番,ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省交響楽団(melodiya)live・CD,,とにかくこの全集はライヴなこともあり粗いのだ。一楽章の弛緩したテンポは聴く気を無くさせる。しかし灰色の霧の中に消えゆく結部から、RVW最晩年の傑作、最後の牧歌である二楽章は素晴らしい。粗野なオケが人間味となり、弦の諦念の中にも余情あふれる歌。ロシアオケの音色面のメリットとあいまって、こういう歌が聞きたかったのだと思う。粗いところは粗いが、なぜか、ここや三楽章の箚さくれた戦争表現はソ連兵の暴虐を思い起こさせる。この粗野さがここでは音楽としてメリットに働いている。三楽章はほかにも調和はとれていないが涼やかなハーモニーが十分不可思議で真に迫ったものになっているし、軍隊調の中で無調的にうねりまくるサックスなどソロ管楽器が、イギリスオケとは違った迫力をかもす。このオケでもロシアオケだからブラスは強い。三楽章で予言された四楽章は、この曲が白鳥の歌を意識して作られたわけではないことを示唆する未完成感、構成の乱暴さ、楽想の錯綜があるものの、演奏側がいかようにもできるもので、ロジェストヴェンスキーはメイン主題への道のりを心を込めてじっくりと盛り上げる。フィナーレはゴージャスなひびきをもつが、新世界のエコーなど、RVW自身のこの先の展望を示しているようで、聴力を失い命も潰える先を思うと、悲しみの響きに聴こえてしまうし、新世界とは何処なのかを思わせる。ソロヴァイオリンが音を間違えるあたりでは哀しさと力強さの錯綜が、他の録音では聴こえない音が聴こえる興味深いバランスではあるが、ただそのいずれでもなくボントロ斉唱により断ち切られる。響きは明るいが挽歌を思わせる中音域の弦楽アンサンブル、フルート他なぞめいた旋律展開をしていく。このオケにしては実に厚く聴こえる。ドガシャーンから高弦と低弦のフーガ風絡み、そこからブラスが最終主題をはっきり打ち出すあたりも力強い。スピットピアノで再び山が作り直されるが、寄せては返す同じ主題のバリエーション、この微妙に変化していく主題の羅列はRVWの得意とするやり方だが、ここでは演奏が濃いのでしつこいと感じるかもしれない。長調に落ち着くかと思いきや短調、ということが繰り返され、音はだんだん少なくなる。そして、最後の慟哭がユニゾンで。一楽章の再現でもあるが、これは悲劇的以外の何物でもない。なぜか解決の和音がハープやサックスに彩られて叩きつけられ、長調として終わる。「nothing」の余情はないが、ブラヴォが出る。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第9番(1958),×プレヴィン指揮LSO〜意図がよく伝わらない…決して名曲の類ではないため、思い入れの少しも無いとただの駄曲に聞こえる危険性があるという典型のような演奏。「音」としては良くできている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第9番(1958),○トムソン指揮LSO(CHANDOS)透明で硬質な音響世界には独特の味がある。悠揚とし奇麗すぎるきらいもあるが、終楽章は味わい深く聴くべきところがある。ブライデン・トムソンも今や亡き人だが、新しい録音ではこの盤を推したい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第9番(1958),○ブランコ指揮ポルトガル国立SOライヴ〜作曲家墨付きのラヴェル演奏で知られ、鮮やかな色彩と切れの良いリズムで聞かせるフレイタス・ブランコが、ここでは真摯で実直な演奏を繰り広げている。解釈の冒険は余りみられないが、作曲家に対する敬意が感じられ好感が持てる。ヴォーン・ウィリアムズの書いた最も美しい曲ともいえる第2楽章から、第3楽章のシニカルな行進に向かう辺りでは、耳新しい打楽器の拍節を際立たせるところにブランコの鋭い感覚が聞き取れる。新境地を開拓しようとしていた作曲家の意図を良く汲んだ演奏といえよう。最終楽章の共感に満ちた弦・木管のフレージング、輝かしい響きを放ち美しい終焉を演出する金管の取り合わせは絶妙。ライヴならではの迫真性が全曲終了後も暫くの沈黙を与える。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第9番(1958),ボールト指揮LPO(EVEREST)コメント付き、旧録〜没後間も無い録音。ボールトがやや即物的傾向を示していた時期のため、前出の新録に比べてざらざらとし聞き劣りがする。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第9番(1958),◎ボールト指揮LPO(EMI)1970〜ヴォーン・ウィリアムズとは長いつきあいだったボールトの、極めつけの名演。同曲のスタンダードたるべき演奏。弦楽器の共感に満ちた音が痛切に響きわたり、晦渋とされ物議を醸した同曲にはっきりとした意味付けを与えている。夫人によれば作曲家は既に次の交響曲を準備しており、死は図らずも訪れた災難であったというが、この演奏の最後を聞くにつけ、さまざまな苦悩が光彩の中に昇華し消え行く概念は、それが死でしかありえないという結論を暗示しているように思えてならない。終盤スコアは浄化されるかのように白くなっていき、暗雲のように蠢く不定形な陰りは、サックスによる一筆を残して消え失せる。ささくれ立ったフレーズの数々は、やがてそれ自体無意味という悟りを得たかのように、解決の場を与えられないまま、響きの中に消滅してゆく。終末の壮麗な和音の向こうに、来るべき世界がある。懐かしいもの、決して忘れ得ないものの中に、行くべきところがはっきりと見える。晩年無宗教者であったというRVWの目前には、それでも神が降り立ったのだ。そしてあの「無」という光の中に、いざなっていったのだ。…,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第9番(1958),スラットキン指揮フィルハーモニアO〜RVW夫人のライナーが付いており興味深い。珍曲とのカップリング。個人的には、純音楽的解釈に過ぎ情緒的な潤いに欠けている気もした。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソ)(1949ー50),◎マリナー指揮セントマーチン・イン・ザ・フィールズ(LONDON)ロンドンのブリティッシュ・コレクションの421 329-2はほんとおすすめで、ヴォーンウィリアムズの入門盤としては最適。中でもこの名作は非常に精妙なマリナーの合奏音響操作が生きて原作以上の魅力を引き出されている。中低弦のふくよかさはヴォーンウィリアムズがラヴェルの焼き直しではないことをはっきりと示すがマリナーの盤でしか聞けないとても充実した、でも透明感も失わない絶妙の響きだ。わずか15分弱の至福の牧歌世界、イギリス音楽のそこはかとない世界に興味のあるかたは、ぜひ。一緒に収録されたハーモニカのためのロマンスは同作最高の演奏と疑わない(別項)しオーボエ協奏曲の高速絶技(ソロだけでなく弦楽のパキパキした反応の良さに感激)も聴き所。グリーンスリーヴスも収録。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソ),○マリナー指揮セントマーチン・イン・ザ・フィールズ(LONDON)CD,同上,ヴォーン・ウィリアムズが「タリス」の美しく哀しき時代をへて晦渋を帯び始めた、新古典主義の影響を露骨に受けた頃より現れてきた後期の技巧的作風がここに反映されており、「イギリス民謡組曲」のような素直さはやや失われている。単純な曲を忌んだ一昔前の向きにはこちらのほうが受けるだろうし、一般的には捉えづらいと感じられるところもあるかもしれない。室内楽団にはそれまでの余りに単純であるがゆえに整えづらい楽曲より取り組み易いところはあるだろう。マリナーでなくてもいいのではないか、という感もなくはないが、やや硬質のRVW新古典時代の作品の魅力を曲なりに引き出している。他の曲にも言えるが、ややマリナーが性急なテンポを取りすぎている感もなきにしもあらず。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ヴォーン・ウィリアムズ:合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソ),ボールト指揮LPOの弦楽メンバー(EMI/warner)1975/10・CD,,もう何でなのかわからないのだが、ボールトはブラームスやエルガーの得意なニキシュ系指揮者であったのに、フランスの風を受けたヴォーン・ウィリアムズに関しては別格なのである。いい。とにかく、分厚い響きと反した清澄な音色、室内合奏ならキリキリ引き締めたアンサンブルで鋼鉄のように完璧な音響世界を形づくるのが普通と思うのに、いつもの雑味を残したまま(編成は大き目だと思うが)心の底から揺り動かされる音響で聴くものを包み込む。両端が擬古典的な曲想によるもので、中間にいくぶん悲劇的なものを感じさせる、ときに悲痛な楽章を3つ挟んでいる。ボールトで聴くと「悲痛さ」を一層かんじる。確かマリナーがやっていたか、あれだと全曲通してアンサンブルの妙を愉しませるメカニカルな新古典主義作品で、それはそれでとても印象的な名品だと思ったものだがこれは、名品とも佳品とも感じさせない。これはヴォーン・ウィリアムズである。晩年の境地にて静かに涙を流す、それを人には見せずにただ無言で筆を進める、筆の遊びでも才能の衰えでもない、ただ心象の強く現れた作品であることを、ボールトはしっかり捉えているのである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:山上の湖,○マッケイブ(P)(DECCA),,ドビュッシーの影響が色濃い幻想的な曲。ただ、民謡風の旋律とRVWの偏愛する奇妙なコードが独自の世界を持ち込んで、やや野暮になってしまっているものの、心の深層に訴えかけるような何か心根の深いものを感じさせる。フレーズの繰り返しや硬質な節回しにサティの影響を感じるのは私だけだろうか。なかなか美しいし独自性の有る煌く曲だ。マッケイブの理解力は並ならぬものがある。 ○。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:讃美歌調の前奏曲〜ギボンズによる13番の歌に基づく(1928),○マッケイブ(P)(DECCA),,旋律だけの、非常に単純な曲。RVWのピアノ曲はえてして単純だが(根本に音の少ない弦楽的発想があるのは言うまでもない)この曲はとくに寂しいまでに音が少なく、素直で、音符の行間に思わず幼い頃教会で遊んだことを思い出して涙してしまいそうになるくらいだ。RVWの「賛美歌チューンによる前奏曲(讃美歌13番(ギボンズ)に基づく)」(正式名称)には明らかに田園交響曲などの代表作との書法上の関連性が認められる。あからさまな対位法的構造(衝突する微妙な音がいかにもRVW的)においてはミサ曲により近いかもしれない。だがここに聞かれる一抹の寂しさはそれらの曲には認められないもっと聴くものの身に寄り添った暖かいものがある。その意味では弦四2番終楽章に非常に近い。技法がどうとか尖鋭性がどうとか言わず、余り多くを期待せずに(たとえばドビュッシーやラヴェルの音の多い曲とは対極の作品だから)素直な気持ちで聴きましょう。旋律だけの曲なので飽きる事は認めるが、他に類を見ない曲ではある。モノラル時代にはハリエット・コーエンの名演があるが(山野でCD化)、マッケイブのさらりとしていてそれでそこはかとない情感もなかなかのものがある。やっぱりRVWの音楽は諦念が決め手だ。その哀しさが立っている。上手い。○。決してピアノが上手ではなく、また余りに単純な書法のせいかピアノ曲においてはまったく知られていないRVWだが、私は非常に好きだ。機会があれば他にもあたってみてください。ピアノ好きよりは、書法的に却って管弦楽好きに受けるかも。余りに構造的でかっちりしすぎている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:讃美歌調の前奏曲〜ギボンズによる13番の歌に基づく(1928) コーエン (P) ,ハリエット・コーエンはバックスの妻だがRVWとの関係も取りざたされた献呈者。この曲はそのRVWの曲を唯一録音したもので規範たる演奏であろう。
ヴォーン・ウィリアムズ:讃美歌調の前奏曲〜ギボンズによる13番の歌に基づく(グラッツ弦楽合奏編),○ヒコックス指揮LSO(chandos)1998/5・CD,,ピアノ独奏で知られる名曲で換骨奪胎ぶりはRVWの独壇場。寂しげで感傷的な主題を古典的かつきわめて簡潔な構造に当て嵌めて、まさにタリスから田園のあたりのヴォーン・ウィリアムズを凝縮したように感じる。それは当然のように弦楽合奏に向いているのだが、こうあからさまに編曲されてしまうと、もっと内省的な曲ではなかったかと疑問にも思ってしまう。編成をかなりしぼったほうが良かったのかもしれない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:讃美歌風の前奏曲第1番(1936) デル・マー ボーンマス・シンフォニエッタ
ヴォーン・ウィリアムズ:讃美歌調の前奏曲第1番「EVENTIDE」(原曲:モンク),◎ハースト指揮ボーンマス・シンフォニエッタ(CHANDOS)CD,,静かな時代、もう還らぬ時代への追憶。RVWの賛美歌や古楽編曲はいずれも殆どRVWの曲となっていることが多い。これもその一つである。とてつもなく長い全音符の、そくっとした導入部からこれがRVWの「あの作風」によるものだとわかる。暖かな幸福感に満ちた曲である。ハーストは非常に遅いテンポで音が途切れることなく注意深く進めており、非常に長いスパンでのデュナーミク変化が実に自然につけられており、それはRVWにとてもマッチしたものである。よく似た作品がいくつかあり、田園交響曲などもその一つに数えられようが、書法が進んだものがあり、ホルストの作品を彷彿とさせるくぐもりも現れる。しかし全般を支配するこの諦念、素直な旋律と単純なコラールによる伴奏の中にたち現れては消える儚い夢の断章は、それが思い出の中にしかなく、遠く高い碧空の中にふと現れた幻影に、晴れやかな絶望をおぼえた者のみの知る心象の限りなく美しい結晶として心刻まれる。演奏の素晴らしさにも深く感銘を受けた。もっと適切な言葉がいくつか浮かんだのだが、これは素直な曲である、美辞麗句でゴテゴテ飾るべき曲ではない。バーバーのアダージオを思い浮かべる曲想だが、ペルトのフラトレスに寧ろ近い。◎。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヴォーン・ウィリアムズ:讃美歌風の前奏曲第2番(1936) デル・マー ボーンマス・シンフォニエッタ
ヴォーン・ウィリアムズ:女王陛下のイングランドからの3つの肖像(1955) ,プレヴィン LSO
ヴォーン・ウィリアムズ:聖なる歌連作(1925) ,ダーリングトン キリスト教会聖歌隊 1986
ヴォーン・ウィリアムズ:聖なる市民(1923-25) ,ロジェストヴェンスキー BBC SO ロバーツ、クック
ヴォーン・ウィリアムズ:四季のフォークソング(ダグラス編曲),イエイツ指揮ロイヤルスコティッシュ国立管弦楽団(dutton)CD,,四季と名付けられているが5曲あり、民謡の標題をもつが主題が四季の順になっているわけでもなく配置は自由である。曲的には短い。四、五楽章は静謐な場面で5番交響曲を思わせる響きを伴いRVW特有の単純な民謡編曲ではない(ダグラスの編曲かもしれないが)。フォルムがやや弱いというか、いつもの明快な調子でもない。演奏はソリストが良く、このオケらしい美質を伝えている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:詩篇第23番(ソプラノと合唱のための編曲(チャーチル)),○ヒコックス指揮ヒコックス合唱団(chandos)1998/5・CD,,構造にヴォーン・ウィリアムズらしさが感じられるが、まずまずの曲。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:巡礼者の舗道,○ヒコックス指揮ヒコックス合唱団、ワトソン(ORG)(chandos)1998/5・CD,,まるきり教会音楽のていをなす合唱曲で静かな伴奏を重ねるオルガンにもいささかの冒険もなく、ひたすら普通の擬古典的な曲と言った風で、ヴォーン・ウィリアムズですらない。演奏は素晴らしい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:勝利への感謝の祈り,○スダビー(sp)ボールト指揮BBC合唱団、子供合唱団、交響楽団(inta glio)CD南極交響曲あたりを思わせる響きを持った前向きな楽曲で、後期RVW特有の重さもあるがおおむね聴き易い。題名が暗示するとおりこれは第二次世界大戦の勝利への希望を託して制作された管弦楽付歌曲(+合唱+ナレーションのオラトリオ的な壮大なもの)であり、ファンファーレからソプラノの高らかなエコーに続く冒頭からして殆ど勝利してしまったかのような祝祭的雰囲気がある。ライナーにあるとおり、その8ヶ月後には広島に原爆が投下されるという悲惨な出来事が起こるのであるが・・・。テキストは聖書、シェークスピア、キプリングの簡潔だがパワフルな言葉による。恐ろしい状況の下でも力強く勝利へと突き進む内容は、後期RVWにしては意外なほど屈折が無く、大戦中も戦争ものを含む映画音楽を数本手がけるといったけっこうアグレッシブな活動を続けていたRVWの実態を裏付けるものとなっている。RVWと第二次大戦の関係を語るとき、必ずといっていいほど5番交響曲と6番交響曲のみが挙げられ、前者は戦争の悲惨さに対する限りない平安の祈り、後者は戦争の悲惨さそのものの深刻な音楽とされ、それだけがRVWの戦争中の作曲活動であるかのように言われる事が多い。実際にはそんなに単純な反戦感情的作曲家ではなかったのであり、プロフェッショナルとしてきっちり仕事していたわけである。もっとも、この曲には部分的に「天路歴程」との近似性が強く感じられ、わかりやすすぎるほどわかりやすい非常に耳馴染みの良い歌には、5番交響曲との関連性も指摘できなくはない。演奏はそれほど魅力的とは感じなかったが、ボールトらしい決然としたしっかりした演奏である。録音はモノラルでやや悪い。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヴォーン・ウィリアムズ:真理のために勇敢に,○ヒコックス指揮LSO他(chandos)1998/5・CD,,キリスト教音楽というのは日本人の一部には拒否感を覚えさせるものであるらしい。西欧音楽であるクラシックを聴くのに根幹をなす宗教音楽を忌避するのもおかしな感じだが、純粋に数学的な意味における音楽に宗教というものは本来関係ないものであると言う主張もわからなくもない。そういう人にとってはバニヤンに材をとったこの合唱曲もまったくキリスト教的に聴こえることだろう。これが賛美歌だと言われても歌詞を置いておけば私も納得してしまうくらい、何も新しい要素のない純粋な宗教曲に聴こえる。RVWは多数の歌曲も書いているがいずれ保守的なものや宗教曲がかったものが多く、これもその範疇から漏れない。ヒコックスはうまい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:青い鳥組曲(イエイツ2017年版編曲),イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団(dutton)CD,,1913年作品というとフランス後のはずだがラヴェルの影響はあまり感じられない。9曲からなり、従前の(だがやや北欧的な)ロマンティックな作風によるもので、編曲により後年の民謡と明るさによるヴォーン・ウィリアムズっぽさを出しているのだろう、雰囲気はなかなかよいが、まさしくヴォーン・ウィリアムズである、という引っ掛かりはない。無害。演奏はなかなか綺麗。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:前奏曲とフーガ ハ短調,○ヒコックス指揮LSO(chandos)1998/5・CD,,完成期後の派手だが晦渋な響きもはらむ作風の管弦楽曲で、こういう筆の遊びのような曲が録音されるのは珍しい。南極交響曲のような前奏曲より民謡調の旋律を使用したフーガの方が聴きやすいだろう。ヴァイオリンが美しいポルタメントを聴かせてはっとする。ただ、やっぱり曲。ブラスが重すぎる。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:戴冠式のためのファンファーレ,○ビーチャム指揮ロイヤル・フィル(WSA/DA:CD-R)1937/4/1live,,オケはWPとあるがロイヤル・フィル。協会盤としてLPにもなっていたもの。ジョージ6世の戴冠式のために作曲されたものとしてはウォルトンの行進曲「王冠」が余りに有名だが、このファンファーレ(正式名称はわからないのであとで詳細資料みつかったら書きます)はオラトリオと言ってもいい壮大なスケールの楽曲で、壮麗なオルガンのひびきわたる中、合唱がまるで海の交響曲冒頭のような強靭な歌唱を続け、ビーチャムがまた物凄い推進力でぐいぐい引っ張っていく。この力感はトスカニーニともまた違う質感のもので、ビーチャムならではといっても後年のビーチャムにここまでアグレッシブなものは余り聴かれないが、曲の性格上力づくで押し通すやり方をやらないと、微温的な「薄くて軽いRVWの軽音楽」に落ちてしまいがちだと思うので、そういう芸風をとっているのか、たんに戴冠式が近いからか。後半部でRVWらしい心象的な表現もみられるがおおむね覇を威る音楽なので、滅多に振らないRVWを振るはめになったのだろう、ビーチャムも。クライマックスの盛り上がりは凄い。ただ、録音悪。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:田舎風組曲(ラッシュトン編),イエイツ指揮ロイヤル・スコティッシュ国立管弦楽団(dutton)CD,,珍しい作品を集めた一枚から。冒頭こそ後年のヴォーン・ウィリアムズを彷彿とさせる民謡を全面に打ち出した剥き出しの音だが、ラヴェル師事前のドイツロマン派ふう音楽に引き戻されそのまま進行してゆく。僅か新しげな和音進行の入るほかはブラームスだ。しかし古風だからといって旋律の扱いや管弦楽の過不足ない捌き方には円熟した技が遺憾なく発揮され、何より透明感があって明るいところは同じである。いや編曲があったとしても上手い。人によってはこのヴォーン・ウィリアムズも楽しむことはできるだろう。漲る力感とか、常に強い発音といったところのない、英国的な慎ましやかさは軽やかでブラームスの木管より板についた牧歌を感じ取れる人もいるだろう。ごめんなさい、達者な演奏なのでなおさら曲が剥き身で迫り、、、飽きてしまった。三楽章間奏曲は暗いと言えなくもないがロシアやフィンランドの国民楽派のように素直で、派手な音響と繊細な音響の交錯もそれらに近い。四楽章フィナーレはどこかで聴いたような嬉遊曲。いやこれもグラズノフぽいか。とにかく幸福で穏やかで、ブーコリックというのは牧歌とか田園風という意味があるが、ヴォーン・ウィリアムズの牧歌や田園風ではない。ブラ1。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:二重弦楽合奏のためのパルティータ,アンドレ・ジラール指揮ORTF(ina配信)1971/3/4放送,,放送用セッション録音の模様。古典と現代のやや珍しい小編成合奏曲を並べた中のメインにあたる。そもそもORTF、ひいてはフランスの楽団がイギリス現代をやること自体非常に珍しく、フランスの指揮者としては娯楽性を備えた職人的指揮者としてデルヴォーよりもマイナーな存在であるこの人の演奏を敢えて聴いてみた。録音は時期からするとあまりよくない。弱音で少し震えがあり、全般やや篭もる。演奏は、いや、これもRVW特有の「弾きにくさ」が横溢した作品なんだなあという厳しい部分もあるものの、全般としてメリハリがききアンサンブルもわかりやすいレベルで上手く組みあい(必要以上に厳しくして骨皮にはなってないということ)、そこそこふくよかさもあり、後半楽章の旋律の伸びやかな歌い方は、なんでこのオケ、この指揮者はもっとヴォーン・ウィリアムズやらなかったんだろう、というくらい、板についていてびっくりする。イギリスの演奏と言っても通じるくらい音が安定し、やさしい。なかなかでした。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:二重弦楽合奏のためのパルティータ,ボールト指揮LPO(warner/EMI)1975/10・CD,,晩年作品。ヒンデミット流の新古典主義をへた後期の特徴として技巧に走ったようなところがあり、依然叙情的な横の旋律が支配的ではあるから聴きやすいが、立体的な構造は6?8番交響曲を思わせる響きに、より複雑なアンサンブルの彩を加えている。二楽章前半はこのコンビではしばしばあることだがセッション録音とは思えないバラケっぷりが聴こえ、専門室内楽団であったらこうはならなかったろう、と落胆もする。しかし分厚い編成なりの迫力は逆に、このコンビでなければ出せなかっただろう。こういうのがボールト流RVWだ。室内楽編成プラス2ndVnを欠く弦楽合奏団という組み合わせは弦の美しさのみを追求したタリス幻想曲を思わせるが、ここでは弦だけで特色ある多彩な響きを出すための単なる装置として働いている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:旅の歌(1904), ラトル バーミンガム市立SO アレン
ヴォーン・ウィリアムズ:老いたコール王(1923), 作曲家指揮エオリアンO 1925
ヴォーン・ウィリアムズ:毒のキス序曲(1927-29) ,デル・マー ボーンマス・シンフォニエッタ
ヴォーン・ウィリアムズ:富める者とラザロの五つの異版,○ストコフスキ指揮CBS放送管弦楽団(SCC:CD-R)1954/2/7放送live,,RVWの人気作品だが引用旋律を強調する余りいささか平易に流れ過ぎるところがあり、ストコフスキのわかりやすさを意識したスタイルだとライトクラシック的でむず痒さを感じる。ただ編成を絞った弦楽オケがやや冷たさを保った強靭な表現をとっているため、生臭いところまではいかない。まさに中庸のイギリスオケのための楽曲のようなものだから、滑らかな感傷以上の表出意欲を余り受け入れられないといったところか。技術的には素晴らしい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:富める者とラザロの五つの異版,アブラヴァネル指揮ユタ交響楽団(vanguard)CD,,アブラヴァネルといって覚えておられる方はいるのだろうか。亡くなってからこちらマーラー全集のことすら口辺に上らなくなって久しい。だがオケに弱みがありながらも強くしっかり引っ張っていくこの人の、どちらかといえば中庸ではあるが、このような曲においての確かな表出力は意識せずとも耳を惹き付ける。フレージングはきわめて丁寧だが滑らかな旋律の起伏を聴かせるたぐいのロマンティックな演奏ではなく、各音符を明確に必要な長さと厚さをもって曳きつけ、ハッキリ重層的に響かせる意思的な演奏であり、楽曲の抽象度を上げるとともに、叫び咽ぶようなことを絶対にしない、一種高潔さをもったヴォーン・ウィリアムズ本来あるべき姿を提示している。この曲を誤解なく聴くには、バルビローリなどよりも向いている。専門室内楽団がやるようにピリピリ厳格な表現ではなく少し古い厚みのある部分も聴きやすい。この曲集ではおすすめ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:富める人とラザロの五つの異版,○スラットキン指揮フィルハーモニア管弦楽団(RCA)CD,,滞りなくハッキリとした調子で、スラットキンの円熟した指揮が音楽に生命力を与えている。一昔前の弦楽合奏曲の演奏のようなまさにオケアンサンブルであるという聴きやすさがあるし、フィルハーモニア管ならではの技術力の高さがスラットキンの職人性とあいまって、熱い思いすら感じさせるものに昇華されている。セントルイス時代のスラットキンと似て非なるものがあるが、けして不連続ではない。しっとりとした演奏ではないが、ひたすら祈るような旋律に彩られた輝かしい曲の魅力を引き出している。晩年のヴォーン・ウィリアムズはこの曲を偏愛したというが、色々新しいことをやろうとしても、結局こういう憂愁溢れる民謡音楽が好きだったんだなあ、と聴いていたらスピーディーに終わり次のトラックの南極交響曲が始まった。さすがに気分台無し。でも、ある種の透明感は指揮者オケ共に持ち味であり、そこは繋がっていた。蛇足。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:富める人とラザロの五つの異版,○デル・マー指揮バーミンガム市立交響楽団(EMI)1980/8/21-22・CD,,なかなか独特。変奏曲の中でアクセントを異様に強調している箇所がやけに印象に残った。緩急の付け方の激しさはデジタルチックで、ある意味正統な古典回帰の演奏法かと思う。新古典めいたRVWの楽曲にピリオド演奏のやり方を少し取り入れようとしていたのではないか?しかし違和感は無く、他にはない個性を発揮した良演として◎に近い○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:富める人とラザロの五つの異版,◎バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BS/HMV他)1953/12/31・CD,,EMI盤CDと同じものだろう。ハレ管弦楽セクションにバルビローリが叩き込んだ奏法が存分に発揮された泣きの一曲。ひたすら旋律で押してくるRVW中期の楽曲にあってはバルビローリの歌謡的表現は他の追随を許さないものがある。迫力がありスピード感もあり、旋律と旋律の継ぎ目もじつに自然でかつ、ひとつひとつの激しい歌い込みには否応なく揺り動かされる。このコンビでしか聴けない艶やかな高音のヴィヴラートに震える。旋律だけでできている音楽はワンパターンになりがちでなかなか聴かせるのが難しいものだが、そこはそれ、バルビローリマジックだ。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:富める人とラザロの五つの異版,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI)CD,,モノラル。バルビ壮年期のアグレッシブな表現ぶりが伺える。曲自体は幻想的な淡いRVW世界のためやや生命力が旺盛すぎるきらいがあり、アタックが激しすぎる気もするが激情的な演奏が好きな向きにはアピールするだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:富める人とラザロの5つの異版(1939) ,メニューイン イギリス室内O 1986/7/21-23
ヴォーン・ウィリアムズ:未知の地域へ,ボールト指揮LPO他(EMI/warner)1973/4・CD,,「未知なる国へ」と最近は表記するようだがどれもしっくりこない。初期(といっても一旦地位を築いてからラヴェルに学びに行くまで)を代表する歌曲の一つで、海の交響曲(交響曲第一番)にはまだ通じるところがあるが、癖のない無駄のない、しかし個性は薄いロマン派音楽である。ヴォーン・ウィリアムズ批判で出る単純さ、オーケストレーションの薄さは、もともとヴォーン・ウィリアムズを構成する重要な要素である「簡素さ」の裏腹であり、ヴォーン・ウィリアムズは年下の師ラヴェルがそう言ったようにラヴェルを書かず好んだのはドビュッシーだったけれども、簡潔であろうとしたことは共通しており、ラヴェルは複雑にはしたが、ヴォーン・ウィリアムズは単純にした。だから剥き出しの響き、剥き出しのリズムがあり、メロディもはっきりしていて、それに対してリスナーに適性があるかどうかだけの問題になってくる。民謡編曲作品があまりに恥ずかしく感じるのはひとえにこの単純さが原曲のスッピンの恥ずかしさを倍増させているからだ。1905年作品のため殆ど行き詰まってラヴェルのもとへ行く直前だったのだが、この曲にも単純志向は出ている。ボールトは器用だったが、結果は比較的バラツキがあり、不得意なものは不得意に聴こえる。この曲はボールトの得意な「ブルッフのヴォーン・ウィリアムズ」の領域にあり、彼にとって未知ではなく、よって、演奏は合唱を伴うにもかかわらず自然に融合し耳に心地よい。十全の演奏である。まあ、そこにプラスは無い。(ブルッフはラヴェルの前のヴォーン・ウィリアムズの師匠である),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:未知の地域へ(1905/18) ,デル・マー バーミンガム市立SO
ヴォーン・ウィリアムズ:未知の地域へ(1905/18) ,トムソン LSO 1989
ヴォーン・ウィリアムズ:夜想曲,○ウィリアムズ(B)ヒコックス指揮LSO(chandos)CD,,ホイットマンの詩による歌曲でこれが初録音とのこと。過渡期的な感の強いミステリアスな楽曲で、シェーンベルクを思わせる抽象性とヴォーン・ウィリアムズらしい民謡風フレーズがミスマッチ。全般にはシマノフスキの夜の歌のような感じの、ヴォーン・ウィリアムズらしくない非常に官能的な曲だがよく書き込んである。演奏もいいのだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヴォーン・ウィリアムズ:野を渡り(1927),マルフィタノ(VN) C.マルフィタノ(SP)(MHS)(MHS1976)ハウスマンの詩に基づく連作歌曲集として「ウェンロックの断崖」につぐ2作目にあたる本作は、エルウェスらによる同年初演後、1954年まで出版されなかった。ソロ・ソプラノとソロ・ヴァイオリンの組み合わせで、8つの小歌から成る。 ウェンロックの断崖に連続するような哀歌風の曲ばかりだが、透明感に満ちている。交響曲でいえば5番あたりの雰囲気だ。一部、半音階的で複調的な和声を伴う旋律の絡みあいは 寧ろ「野の花」の世界に近いかもしれない。1曲めは単純な2本のソプラノ楽器のからみあいが美しく、ウェンロックの「クラン」を想起する。2曲めからは独唱部分も多い。ヴァイオリンは序奏部を除き伴奏に潜む。テノール音域で 支えつつ、時折駆け上り、あるいはフーガのように水晶のソプラノ独唱と絡み合っている。余り録音が無くここでもLPを挙げたが、小さい曲ではあるものの、一聴の機会があればぜひ。 ここにあげた盤にはホルストやヴィラ・ロボスなどの佳曲も収録されている。(一部ウルスラ・ヴォーンウィリアムズさんのLPコメントに拠る),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,