-2019/1/9(2/5修正)roussel
ルーセル:2つの中国の詩より,アルセギュー(sp)ジョステ(p)(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LP,,一曲だけ収録されているのだが、すいません、そもそも二組あるこの曲の、どちらのどの曲かわかりません。評不可。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:3つのアレグロ,○ジョステ(p)(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LP,,この曲名、実は知らない。調べても出てこない。明らかにルーセル中期以降の作品で、フルートをまじえた室内楽を書いていた頃の書法に近似したものが聴かれる。なのでルーセル好きにはアピールする最盛期作品といえるだろう。演奏はそつがないが、録音が古びており、楽しめるとまではいかないものの、○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:ヴァイオリン・ソナタ第2番(1924),○ボナルディ(Vn)ビリエ(P)(ARION,CBS),,バーバリズムが前面に出たルーセルの室内楽としては珍しい曲で、3番交響曲あたりが好きな向きは楽しめると思う。ルーセルの室内楽は完全に新古典主義に回帰した時期のものか印象派の影響がまだ強かった時期のものか(どちらもそれぞれ独自の魅力あるものだが)ほとんどそれらしか演奏されないが、腕におぼえの演奏家はぜひ。あれ?何の紹介だこのエントリ。ガルネリとスタンウェイの饗宴は現代的な硬質なアンサンブルとして提示されている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ルーセル:ヴァイオリン・ソナタ第2番(1924),アンドラーデ(Vn)カステル(P)(meloclassic)1955/3/17フランス放送用スタジオ録音・CD,,フルートトリオや交響曲第三番といった作品を生み出した、ないしその直前の全盛期1924年のものだが、一楽章はいきなりの晦渋さ、対照的なピアノのフランス的なリリカルな響きの奇妙な重なりに、少し後の名作とは言い難い難解なピアノ協奏曲を想起させられる。だが古典音楽的な均整(と窮屈さ)もあり、二楽章にてオリエンタリズムが炸裂するも結局古典的な型式感が支配的になるところは、どうにもまだ個性が出し惜しみされ惜しい。三楽章はそこまでほとんどピアノ、たまにヴァイオリンのメロディの一節にしかあらわれなかった叙情が、一連の三重奏作品に共通するサロン音楽的な躍動を持ち込み安心する。ピアノの細かい動きは他の有名トリオには現れなかった技巧的なもので、オリエンタルな展開もまじえた全盛期の大規模作品にむしろ接近している。ピアノの粒立った音、パラパラ胡麻をまくようにこなれた技巧が素晴らしく、主張せずソリストを引き立てている。フランス的な品も感じさせながら曲自体に内在する中欧古典志向を汲んだ芯の通った演奏もなかなか。短い曲だがもともとルーセルは長い曲はオペラにしかせず、まとまった簡潔な作風である。その短さの中で言うことを整理し尽くした感じはせず、わかりにくさも残る。そのぶん噛みごたえはある。和声を除けばフランクとは対極にあろう。,,録音はこんなものか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ルーセル:ヴァイオリン・ソナタ第2番(1924),ドゥーカン(Vn)コシェ(P)(ERATO,warner/tower records)1960頃・CD,,これ駄目だったなあ・・・アナログの印象ではこうではなかったのだが・・・ルーセルの野趣が全く感じられず、透明な音のドゥーカンがただ無機質に譜面を音にしているようで、理解というか解釈というか、そのへんがよく伝わらない。ゆえに非合理的な晦渋さが前面に立ち、現代演奏家がロマン派をやったような、何か変な感じが最後まで続く。ルーセルの表現方法はエキゾチシズムを前提にすることでただシニカルなままで終わらせないのが常道である。前半部分が薄まってしまうと、機械的に攻撃しておいてシニシズムで終わる、ただ厭な奴である・・・って演奏でもないのだが、とにかく耳に馴染まない。頭が痛い。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ルーセル:ヴァイオリン・ソナタ第2番(1924),カントロウ(Vn)レリング(P)(OLYMPIA)1994・CD 比較的初期の1番とこの2番の二曲が残されているヴァイオリン・ソナタ。なかなか個性的であるが、名曲かと言われると・・・。類似品を提示しづらい作風で、少なくともフランク、ドビュッシーとはぜんぜん違う。しいて言えば後期ロマン派の香りが強く「濁り感」のあるフォーレあたりに近いか。半音階的な揺らぎがもたらす晦渋さの目立つ音楽である。旋律もあまり魅力的ではない。しっかり書き込まれた曲でその点では評価できようが、正直あまりそそられなかった。プレストの軽妙で敏捷な音楽により唐突に終わる3楽章構成は、のちの交響曲第3、4番あたりに見られる構成の萌芽か。あれ、これで終わり?というあっけなさがあるが、演奏時間的には1楽章に相当する長さとなっていてブリッジ構造的。ヴァイオリンの音色を生かした曲かどうかはわからないが、名技性をしっかり発揮できるようにかかれた楽曲だと思うので、興味のあるかたは弾いてみれば面白いかも(楽譜が手に入るかどうかわからないが)。ルーセルのピアノはしっかりした響きがちょっと重い。精妙なドビュッシズムの世界から脱しようとしている過渡期的なものもこの曲では感じる。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:シンフォニエッタ,○エヴラール指揮パリ女性管弦楽団(malibran)1956放送・CD,,時代なりの良好な音。女性による室内楽団ということで名をはせているが、現代においては珍しいことではないものの、当時は珍しかったことだろう。楽団としての求心力はまったくひけをとらず、編成の薄さからくる特有の音響のブレはあれど、客観的に整えられた音楽は聴きづらいものではない。2楽章がなかなかに聴かせる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:シンフォニエッタ,◎カンテルリ指揮NBC交響楽団(ASdisc/MUSIC&ARTS)1951/12/15LIVE・CD厭味の無い実にすっきりした演奏。新古典的なこの洒落た弦楽アンサンブルの粋を見事に描き切っている。キレのいい演奏だ。構造や重いハーモニーに埋没しがちなルーセルの美しいメロディが明瞭に浮き立って響いてくる。ルーセルが苦手なかたにはぜひ聞いてみてほしい。そんなに深くないので、聴きすぎると飽きますが。カンテルリのバランス感覚に拍手。客席の反応は鈍い。◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:シンフォニエッタ,○コミッショーナ指揮DAS RAMAT-GAN室内管弦楽団、コンフォート(Vn)(CONCERT HALL)LP,,リズム感がよく統制もとれている。専門室内楽団の演奏は通常の管弦楽団のメンバー選抜にくらべて非常に密度の高い緊張感のある演奏をくりひろげる反面面白みがないこともあるが、これはちょっと堅苦しさもあるものの素直に楽しめた。短い曲なのでまあ、評価はまあまあというところでとりあえず。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:シンフォニエッタ,ザッハー指揮ラムルー管弦楽団(PHILIPS/fr) ルーセルの創作時期としては最後にあたる4番シンフォニーとほぼ同時期に作曲されたもので、三省堂の作品名辞典だと交響曲のカテゴリに位置づけられているが、曲感としては組曲、小組曲と同傾向を示す3楽章制の小規模な作品となっている。だがこれら組曲作品に伺える才気煥発なルーセル、音楽の清新さや親しみやすさについては落ちると言わざるを得ない。かといって第4シンフォニーの深みと共通するものもない。悪い作品ではないが、「佳作」という以上のものはない。ザッヒャーはあいかわらず明瞭で闊達な音楽を造り上げているが、それも及ばない「曲の限界」を感じてしまう。冗漫。無印。,,2010年現在WEB通販にて板起こしCDが入手可能。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:セゴヴィア(1925),○グーズワード(G)(OLYMPIA)1994・CD 有名な曲。短いが親しみやすい旋律で楽しめる。ギターの世俗的な魅力をよくわかって書いている。セゴビア自身の録音があるのかどうか知らないが、この奏者もなかなか南欧の香りを感じさせてよい。独特の旋律廻しにルーセルらしさも込められていて、単なる擬民謡ギター曲にはなっていないのがまた魅力。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:チェロ小協奏曲,○フラショー(Vc)リシャール指揮ORTF(FRENCH BROADCASTING PROGRAM)LP,,凡庸なものも多いルーセル後期の作品で、オネゲルのもの同様ドヴォルザークまでで行き着いた感のあるこの分野の確立範疇から抜け出せないまま小規模にまとめてしまった、練習曲的な凡作感の否めないものだが、演奏がすこぶるよい。録音はいささか問題があるものの、機械的なアンサンブルを前によく訓練されたオケと、教科書的な書法で仄かにルーセルらしさをまじえたラインを威厳をもって弾き切ったソリストが、曲の限界を越えて魅力的な音楽世界を作り上げている。晦渋さもなく、とくに3楽章の溌剌としたやり取りはキッチュで楽しい。しかしキッチュと言いながらアバウトさは(フランスオケ特有の音符のキレ方とかそのあたりは置いておいて)無い。これはなかなかに聴きものだった。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:ドビュッシーの追悼のためのミューズの歓待,○ウルマー(P)(CONCERT HALL)LPドビュッシーの墓銘碑と称される曲のひとつ。硬質で重い響きはとても思索的な雰囲気を醸している。現代的では無い。そこのところが微妙な曲。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,○クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団(TESTAMENT/COLUMBIA)1963/11/5-8,12・CD録音のせいか音色に魅力はないが表現意欲は伝わってくる。バラバラと言うまではいかないがそのイキオイゆえにちょっと雑な感じもある。ふとこの音楽が踊りの音楽であったことを思い出すと、なるほど、と肯けるところがある。弾むようなリズムに力強い前進力はこの曲の「陽」の部分を強調するものとなっている。これはこれでよい。もっとフランスオケならではのソリストの美しい歌いまわしを聴きたかったものだが、スタジオ録音となるとこうなってしまうのか。録音はわりあいとクリアなので○としておく。正直すんなり聴きとおせすぎた。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(URANIA/ARKADIA,FONIT CETRA)1946/4/7LIVE精妙な楽曲でルーセルの代表作だ。但しルーセルに特徴的な野蛮なリズムとエキゾチシズムはまだはっきり打ち出されていない。ドビュッシーを親しみやすく翻案したような音楽であり、とくにこのような精妙な演奏で聞くととても楽しくきくことができる。いや、このトスカニーニ唯一の録音、みずみずしいリズムはバレエ音楽としても聞けるし、最初と最後に顕れる優雅なフルートの旋律は牧歌的で暖かい幻想を呼び起こす(初期のフランス六人組の作風が思い浮かぶ)。場面場面に鮮やかに描き分けられる音楽は実に多彩な印象を残す。これはいい録音で聴きたかった。素晴らしい演奏だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,○ブランカール指揮ORTF?(FRENCH BROADCASTING PROGRAM)LP,,オケは推定。指揮者は比較的新しい人と思われるが詳細不明。表現も整え方も生硬さが否めず、オケの美質がオケ各部の演奏するままいびつに出ているだけのような、ちょっとアメリカ二流オケ指揮者的なものになっている。録音はまあまあ新しいし○にはしておく。じつは指揮者すら曖昧なのだが併記されているヴォルフではないようだ。解釈的に。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,○ホーレンシュタイン指揮フランス国立放送管弦楽団(MUSIC&ARTS)1966/6/1LIVE少々曇った悪い音だがひとつひとつの楽器の音が明確で隈取りの確かな演奏となっている。繊細さも思ったよりあって、フランスものにも案外定評のあったホーレンシュタインの手際のよさが目立つ。ただ、バレエ音楽の軽やかさだとか細かい描写音形だとか、そういったものへの配慮があまり感じられない。フランス人指揮者のセンスとはあきらかに違うもの・・・シンフォニックで型式感すら感じさせる・・・を示している。ルーセルのフォルムのしっかりした音楽はそのような解釈でも十分許容するものではあり、終演後の喝采もそれを裏付けている。余りにすんなり聞けてしまって残らない(裏を返せば場面変化の付け方がイマイチでひとつのまとまった交響詩のように異質の聞こえ方がする。それでも面白ければいいのだが)が○の価値はあるか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,◎マルティノン指揮ORTF(ERATO)1969・CD,,丁寧すぎて長ったらしく感じさせるきらいもあるが、さすがオーソリティのしっかりした解釈ぶりとともに、音響配慮が繊細で同曲のいかにもフランス的な側面を浮き彫りにした佳演。ルーセルのドイツ的側面よりもドビュッシイズムの未だ影響下にある部分をよくとらえている。この傾向の演奏は少なくないが、マルティノンはプロコフィエフのシンフォニーの演奏で発揮した、楽曲に対して一種突き放したような冷めた感覚とともに構造を余すところなく明瞭に抉り出すことにより曲自体の内包する感興を自ずと最大限に引き出そうという方法論がここでもはっきりとその威力を発揮している。バーバリズムを期待すると裏切られるが、印象派でも必ずしもない。ロマンチシズムは音そのもの以外にはない。そこがよい。バレエ音楽という意味ではやや弱い表現のようにも思うが、普通に音楽だけを聴くぶんには楽しめるだろう。ややおまけで◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,◎マルティノン指揮シカゴ交響楽団?(DA:CD-R)1967/3live,,クレジットがないが時期的にシカゴだろう。これも録音の勝利である。派手で拡がりのあるステレオ音響空間で細やかな仕掛けがすべてあきらかになり、ルーセルがこの曲にたくした様々な要素が煌びやかに浮き立って見える。「砂男」のころを思わせるロマン派と印象派の境界線のような響きから突如中期以降によく聞かれるバレエ的な喜遊的なリズムへの移行がこれほどスムーズに違和感なく聞けるのも録音が明晰で理屈にかなっていることが明白だからだろう。オリエンタルで呪術的なモチーフは後年の作品〜交響曲第3番などにみられる〜をしっかり予言しており、ライトモチーフ以上の音楽的な必然性を浮き彫りにする。演奏は極めて精緻だが繊細になりきらずマルティノンの明確で立体的な音作りがしっかりとしたフォルムをあたえ、この長くは無い曲に大曲の趣すらあたえる結果に至らしめている。録音状態は決して誉められたものではない・・・正規盤にくらべれば。しかし個人技の卓越した部分、無機質透明な音を逆手にとったようなマルティノンの芸風が巧くオケの性格とあったときのしっくり感を存分に味わえる記録として◎にしておく。別盤もあるかもしれないがいずれ海賊盤であろうからいちいち調べない。,-----,,,,,,,,,,,,,
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,○マルティノン指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1967/3live,同上,マルティノンはよく知られているとおりルーセルに作曲を師事しており、そうであるにもかかわらず録音がろくすっぽ残されていないのが惜しまれる。演奏的には立体的で、シカゴの機能性を生かした細部まで統制された非常に現代的なものになっている。そこに逆にのめりこめない要素もあるのだが、奏者も指揮者も非常に巧いということは確かに聞き取れる。巷に囁かれた不協和音が信じられないくらい演奏的にも噛み合っている。録音も非常にいいステレオである。ルーセル後期に繋がる躍動感あふれる場面についてはリズミカルな処理も巧く、決して「裸踊りランチキ騒ぎ」に堕落せずフランス的な粋を感じさせる出来になっている(裸踊りもランチキ騒ぎも大好きな私はそれでのめりこめなかったのかもしれないが)。たぶん◎にしたがるかたの多いたぐいの演奏だと思うが、個人的にそこまではなかったので○。いい録音、と書いたがあくまで放送エアチェックのレベルで、ということで。ちょっと劣化音に近い放送ノイズが耳障り。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「蜘蛛の饗宴」,○マルティノン指揮ラムルー管弦楽団(FR:CD-R/PHILIPS)1953/2,,リズムが切れている、繊細な配慮が行き届いているとかそういう類の演奏ではない。単純に楽しい。オケの特性もあるんだろう、ロマンティックな音楽の流れができていて、単純に聴き入ることができる。マルティノンというよりデルヴォがやりそうな芸風だと思った。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「蜘蛛の饗宴」,プレートル指揮フランス国立管弦楽団(ERATO/icon,warner)CD,,この盤では「交響的断片」の副題が使われている。最初と最後の幻想的な響きは美しいのだが、蟻から蜉蝣の描写的表現はいささか灰汁が強い。荒っぽく力強く突き進み、リズミカルに浮き立つような舞踏表現はワルツ以外あまりうまくいっていないように聴こえる。僅かズレるような感覚があるのだ。あくまで交響詩的に捉えて聴くならばこれで良いが、ただでさえ野蛮主義の影響を受け始めたルーセルの重い響きにそのまま推進力を与えると、アタックの激しさこそ逆にプレートルらしいとも言えるが、このような少し濁った趣を醸してしまう。円熟期の作品であるバッカスが曲の趣旨に沿った佳演だけに、併せて収録されているこの少し遡った代表作にはこの作品向きの繊細な表現が欲しかった。録音は良い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,○ミュンシュ指揮LPO(DUTTON)1947/6/6・CD,,ミュンシュの蜘蛛の饗宴があるとは知らなかった。ルーセルの第一人者といっていいミュンシュによるルーセル集をDUTTONの復刻にて聴けるというのは喜びである。オケがロンドン・フィルというのも珍しい。同オケにてへ調の組曲も収録されている。音色、色彩感ではフランスオケに負けるかもしれないが、軽やかさや精妙さには欠けていない。むしろ技術的なメリットのほうが大きく、ミュンシュの激しいドライブを吸収し完璧に表現している。解釈的にはねっとりした序奏部からもうミュンシュ節、しかし晩年のようなテンポの沈滞や歪みはなく、めくるめくダンスとリリカルな音楽の意外なほど美麗できらきらしたさまは楽しい。まあ、ミュンシュのロマン性は強く、重いと感じる向きもあるかもしれない。モノラルの古い録音のせいもあるか。ミュンシュの古いラヴェル録音を想いおこせば、そういう演奏である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,○レイボヴィッツ指揮パリ・フィル管弦楽団(EVEREST)レイボヴィッツのベートーヴェン交響曲全集がスクリベンダムから発売された(2004/7現在)。このマニア好みの指揮者の本領はもちろんフランスにある。この演奏はサンドマンと組み合わされているが、ロマン派の色濃いサンドマンに比べこの曲は格段に洗練され透明な美しさがある。完成期のルーセルが得意としたバーバリズムふうのリズム表現の端緒もここに聴くことが出来る(但し後年の単純で重いガシガシいうリズムではないが)。録音がステレオといいながらけっこうモノラルっぽいのでちょっと広がりの無い演奏に聞こえるが、不快ではない。このオケは鄙びた音がするが雰囲気はある。品がいいとは言えないし、野蛮とも言えない、いい意味で中庸の美学が生きている演奏、特に耳を惹く個性的な演奏なわけではないが、○ひとつつけときます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,○ロザンタール指揮ORTF(FRENCH BROADCASTING PROGRAM)LP,,ORTFという表記は微妙にややこしい。ORCHESTRE NATIONALもややこしい。この放送録音ナレーションではORTF NATIONAL ORCHESTRAと言っているが、実体は時期にもよりけりで、この盤にデータ詳細がない以上わからないわけで、そのままORTFとしておく。やや録音が悪いが、冒頭よりロザンタールらしいかなり遅いテンポで、仔細な響きを整えていくさまは好き嫌いあるかもしれない。ただ躍動味溢れるルーセル中期特有の愉悦的場面になってくるとバレエ指揮者らしい俊敏さもみせる。他曲の新しい正規録音がいずれも前進力に欠け(そのぶん構造の見えやすいものになっ)ていることを考えると、時期的にそれらより古いだけに若々しさが発露しているとも思われる。また、ロザンタールのしっかりした統制下、黄金期の木管陣の醸すリリシズムには他に替えがたい魅力がある。なかなかいい演奏であり、弦も悪くはない。機会があればどうぞ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,○ワルター・ストララム指揮コンセール・ストララム管弦楽団(VAI)1928-30・CD滑らかで癖のない演奏。品がよく崩れた所がない。暖かい夢幻郷をよく描き出している。強いインパクトこそないが、曲の茫洋感がよく出ている。最後フルートが冒頭の旋律を回想するところでとられる緩慢なテンポが実にいい。穏やかな気持ちのうちに曲は終わる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,◎作曲家指揮管弦楽団(PHILIPS/EMI)1928・CD なんだかんだ言ってこの古い録音を一番に推してしまう私を許して下さい。明るく色彩的な演奏で、その透明なリリシズムには陶然とする。流麗でわかりやすく、その数々の旋律の類希なる美しさが最大限に引き出されている。絶品だ。ハープや鉄琴の煌びやかさも曲の無邪気な美しさを引き立てている。セレナードを彷彿とさせるとても効果的な楽曲、その魅力を知り尽くした人の演奏です(あたりまえか)。◎。フィリップス盤は短いコメント付き。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,アルベルト指揮セント・ソリ管弦楽団(OMEGA/hector:CD-R)1960年代,,往年のフランス録音ではお馴染みの指揮者だが、つまらない。録音が弱く悪すぎるのもあるが、四角四面で、繊細なソリストたちの音色は辛うじて美観を保っているが、もう、聞き取り辛いのが度を越している。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「くもの饗宴」,パレー指揮デトロイト交響楽団(mercury他)CD,,廉価盤は左に高音ノイズが入り、モノラルのうえ環境雑音の多い録音状態に加えて聴きづらい。だが演奏内容はよい。即物主義的というか無物主義的というような、速度変化や表情記号すら無視する勢いのスピード勝負のパレー、これもリズミカルではないけれどルーセルの代表作である親しみやすさ含め耳なじみは非常に良い。トスカニーニがやったらこういう演奏になったかもしれない。いや色彩感や音の澄みやかな彫刻はパレーのものだろう。それに加えてスピードがあるとこの単純性が清々しい気さえする。個人的にはかなり気に入った演奏であり、録音状態がほんとに惜しまれる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ組曲「くもの饗宴」,○パレー指揮デトロイト交響楽団(TOWERRECORD、MERCURY)CD,同上,モノラルで古いせいかCD復刻の遅れた音源で、パレーのルーセルとしてはへ調の組曲とこの二つしか遺されていないそうである。ここでのパレーはミュンシュにくらべ全体のスピード感やリズムのキレは弱いように感じる。響きの美麗で清潔なところはミュンシュよりもよりルーセル前期の核心を衝いており、ロザンタールを想起するところもあった。時々スピードを上げすぎてオケに危うさを感じる部分もある半面、これぞパレーの「ギリギリの魅力」なのだと思うところもある。いつもの一本調子の即物性をそれほど感じさせないが、そのぶん曲の精妙な魅力は出ている。対してルーセルらしい重い響きは強調されず聴き易くなっている。食い足りないルーセルファンもいそうだが。パレーは日本ではマニアに人気の指揮者であるが海外での評価はイマイチぱっとしないように思う。録音に対する評価はともかく。こういう指揮者は実演向きであるのかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「サンドマン」op.13(1908),◎レイボヴィッツ指揮パリ・フィル(everest)1952CD化したか?ジャン・オブリの劇に付けた音楽(4曲)で、サンドマンとは「眠りの精」のこと。交響曲第1番と2番の間に位置し、作曲活動を遅くはじめたルーセルにとって、同曲は初期作品といってもよい。海軍時代にはインドシナまで行っていたものの、まだまだ印象主義の影響が強い時期である。物すごーく優しい曲。ほの暗い前半・夢見る後半、2つの気だるい旋律を軸にして、若干の変容や短い副旋律を織り交ぜながら、妖しくも美しい音の綾を様々な楽器を通して聞かせていく。とくに14分(4曲め)前後からの主旋律は、初期ルーセルでも瑞逸で、感涙ものの名旋律だ。ハープのとつとつとしたアルペジオ、フルートのゆったりとたゆたう雲の下で、むせび泣くように密やかに始まるヴァイオリンの旋律提示には、震えが来る。瑞々しいけれども毛羽立たない演奏ぶりがまた素晴らしく、フルートの、震えるような懐かしい音色も泣かせる。ヴァイオリンの音色がややアマチュアリスティックで洗練されないところがある。でも、曲自体の精妙さと棒の繊細さがそれらをすっかり覆い隠してしまっている。これは素晴らしい。・・・レイボヴィッツらしくない。美しい・・・それだけ。個性などない。寧ろルーセルっぽいところ・・・オリエンタリックな半音階的音線や、展開部でのリズミカルな部分は、不要とさえ思える。くもの饗宴とのカップリングで、かなり似ているところもあるが、冒頭よりリヒャルト的前世代のロマンティックな雰囲気を漂わせ、また曲が進むにつれ「牧神」やラヴェルの「序奏とアレグロ」を思わせる香りも強く感じさせる。新鮮な機知の点では1も2も無く「くもの饗宴」に軍配が挙がるだろう。・・・でも私はこの曲の方がずっと好きだ。誰が何と言おうとね!!「砂男」の砂を瞼に浴びて、気持ちの良いシエスタに浸ろう。ちなみに同録音にはルーセル夫人が立ち会った。”人生のたそがれにおいてこのレコーディングセッションに立ち会えたことは、わたくしにとってこの上ない喜びです。(中略)「サンドマン」は、今や殆ど忘れられた作品ですが、若かりし頃の私たち・・・アルベール・ルーセルと私自身の姿を、うつしたもののように思えてなりません” で始まる感慨深い手紙を、賛辞を添えて送っている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」全曲(第一組曲・第二組曲),プレートル指揮フランス国立管弦楽団(ERATO/icon,warner)CD,,ミュンシュがさかんに第二組曲(第二幕)だけを取り上げたこともありそれが普通のように捉えられているが、派手なダイジェストのようなもので、ダフニスとクロエの第二組曲だけを聴くのと同じ。ラヴェルの導入した新奇要素であるウィンドマシーンが第二組曲に含まれないのは象徴的で、あれはああいうもやもやしたところから周到に計算された筋書きのあとで派手な踊りに至る。これも印象は第一組曲(第一幕)と併せて全曲だと少し異なってきて、ただのバレエではなく筋書きの上にあること(読まなくても聴けば単なる抽象音楽ではないことがわかる)、モチーフがどうやって登場してどう流れて行って第二幕に至るのか(まるで印象派から新古典主義へ向かうルーセル自身のよう)、またプレートルは明瞭なステレオ録音のうえで、いかにもフランス的というような響きの明るさとわかりやすい表現で作品を追っていくので、全盛期ルーセル特有の「曇り」が一切無い同曲を導入版としてお勧めするうえで格好の素材となる録音です。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」全曲(第一組曲・第二組曲),ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1968/9/5放送,,見事な演奏で、舞台音楽をやると水を得た魚のようになるロザンタール(逆に四角張って前に向かないこともある)、色彩感がとくに抜群である。同時代のミュンシュが重量感あるルーセル特有のリズムに重点を置き、中欧的な重い響きを強調し色味に配慮しなかったのとは対照的で、ルーセルとは師弟関係にあったマルティノンのカラーに近いが、あちらはあちらで少し透明で無機質なところがあり、肉感的要素も兼ね備えた(ロザンタールに「肉感的」と言うと語弊がある…?)この長さを緩急すべらかににつけながら、ルーセルらしさはルーセルらしさとして明確に叩きつけつつ、印象派の残響的なところやワグナー的な法悦性はそれ相応の表現へ切り替えて見せる、じつに演劇的に手慣れたところをみせている。バレエ音楽というと場面場面でコロコロ変わる印象があるが、ここでは管弦楽組曲、さらに一種まとまった交響音楽のように聴くことができる。なかなか良い聴き物。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,○オーマンディ指揮バイエルン放送交響楽団(ORFEO)1959/6/5・CD,,この盤の白眉か。ルーセルがドイツ音楽として再構築され舞踏のリズムをひたすらあおる。この作曲家特有の匂いが払拭され、めくるめく饗宴が展開。派手だが聴きやすい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,○ブランコ指揮ポルトガル国立交響楽団(STRAUSS)1959/7/17LIVEドイツ音楽か!?と聴きまごう力強く重厚な語り口。ブランコはこういう演奏もできるのだ。これはあきらかにリヒャルト系末流ロマン派(たとえばツエムリンスキーなど)の影響の強い書法だが、独特の癖のある極めて半音階的な旋律が異彩をはなつ。中欧的な重厚な交響曲と南欧的な色彩を持つバレエ組曲を融合させたような独特の佇まいを持つ曲であり、ブランコもそれをよく理解して確信に満ちた演奏を施している。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,○マルケヴィッチ指揮RIAS管弦楽団(audite)1952-53・CD,,重量感があり濁った響きで(中声部の分離の悪い録音のせいもある)けっして技術的にうまいとは言えない演奏だが、マルケの強力な発音、前進性、さらに舞踏表現にいたってリズムのキレ、このあたりはルーセルを踊りの音楽と捉えることのできる正統な表現として評価できるだろう。ルーセルの分厚い響きの前衛性はともすると重すぎて踊れない音楽として認識させる。中欧オケを使いながらまるでイタリアオケのような浮き立つようなリズムを刻ませるのはさすがの統率力といったところだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,○マルティノン指揮シカゴ交響楽団(RCA)CD,,マルティノンの演奏だ、とわかるけれども、若干ささくれ立った演奏だ。CSOとこの指揮者の組み合わせはどうなんだ、と思ったのは軽やかに舞うはずの場面で冷徹に叩き付けるようなリズムをとったりするところ。まあ、ミュンシュらとは違う、マルティノンの独自性がCSOをもってますます引き立った、とでも言って置こうか。悪くない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,◎ミュンシュ指揮NBC交響楽団(TREASURE OF THE EARTH:CD-R)1954/3LIVEさて、この曲である。ルーセルの五指に入る有名曲、と言ってもミュンシュが取り上げ続けたからこんにちまで有名で有り続ける事ができたと言ってもいい曲だ。バーバリズムの影響を強く受けた作品で、しかも特徴的なのは呪術的なドス黒いひびきや半音階的な妖しい旋律線にひたすらオスティナートに続く単純なリズム。どれもルーセルが最後まで保持し続けた個性だが、とくにリズムの重さ、強さ、鋭さ、凄まじさにおいてこの盤を凌ぐ演奏を未だかつて聞いたことがない。非常に激しい弦の刻みが鼓膜を突き破りそうになる。後の方など3番シンフォニーでのリズム表現を大きく凌ぐ激しい当たりかたで、最後にミュンシュの「ムーン!」という恐ろしい唸り声が入って爆発するあたりなど思わず背筋がピンとなってしまう。まったく恐ろしい名演だ。ブラヴォーも入る。これは同曲最高のライヴ演奏だ。間違い無い。ちなみにミュンシュはカット版を使っているとか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,○ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(000classics:CD-R)1967LIVEたぶん67年ということで(この盤、レーベル表記がアバウトすぎ!)。呪術的なおどろおどろしい幻想から最後爆発的なパワーが炸裂するルーセル芸術の真骨頂だが、この録音はいささか弱い。たぶんNBCの盤にひけをとらない演奏だったと思うのだが(ブラヴォー飛びます)、密閉式ヘッドフォンで鼓膜が割けるほどの音量で聞かないとイマイチつかめない演奏になってしまう。ぜひそういった聞き方をしていただきたい曲です。ハープや低音弦楽器のピチカートまでしっかり聞こえてきて、シカゴ交響楽団というオケの、中欧にひけをとらない魅力的な音とアンサンブルの妙味に肩が揺れ出します。シカゴ響がこんなにウマイ楽団だったとは。これは凄い。ミュンシュも凄いが。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,○ミュンシュ指揮ORTF(ACCORD)1950年代・CD,,ルーセルといえばこの曲、というくらいの象徴的な作品。バーバリズムもオリエンタリズムも丸められわかりやすい。バローのシンフォニーとのカップリングのせいかひときわ良い曲に聞こえる。ミュンシュはスタジオ録音のせいかちょっと大人しいがそのぶん緊密で力強さもある。モノラルとのことだがACCORD盤はステレオ効果が加えられている。音質はよい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,ミュンシュ指揮ORTF(ina)1959/9/15モントルー音楽祭live(20放送),,録音がクリアではないが力強くこの曲では十分楽しめる。半音階的でワグナーの孫のような重厚なうねりから、ドスンドスン単調なリズムが重さはそのままに楽しげな音楽に転じていく。だがそこにはつねに地に足の着いた、浮つかない目の詰まった音響があり、ミュンシュはむしろそういった非フランス的な部分を交響曲のように展開させ耳を惹く。ブラヴォの嵐もさもありなんな、ルーセルにとってもミュンシュにとっても名作である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,◎ミュンシュ指揮フランス国立管弦楽団(LIVING STAGE/DISQUE MONTAGNE)1962/6/5LIVE・CD,,LIVINGSTAGEの盤で評価。録音雑音が消された冷たいリマスタリング効果に異論ある人もいるかもしれないが、ルーセルにもっとも適性のあった指揮者の、これは最大の遺産といってもいい演奏の、最も音の良い記録と言っていいだろう。演奏の集中力、何より現代バレエ音楽としての強烈なリズム表現においてこの演奏の右に出る者はいない。耳をつんざくと思うくらいに激しく固い音は毅然として響き、この日の演目のどれよりも熱狂を呼んでいる(どれも呼んでいるのだが)。しばしばないがしろにされがちな(録音も含め)音響への配慮も、リマスタリングを経て明確に明瞭になった音楽からはいささかの陰りも聞こえないから(ルーセルはやや複雑でくぐもった響きを使うので(ドビュッシーと異なり)冷たい音に加工されると美質がより浮き立つ作家だが)、これは雑味の多い演奏を行うこの指揮者にとっても満足いく出来だったのではないか。ルーセルの決して晩年の作品でもないところ、特にワグナー的なくぐもったボリュームが残っている曲なだけに、その部分のスクリアビン張りの恍惚感も非常に面白い。ミュンシュの特質もうまく浮き立っている。◎。ディスク・モンターニュの再発まとめ盤でお得。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1952/10/27・CD,,ミュンシュが初演した組曲で、ルーセルの体臭が純音楽的に洗練されロマンティックなパセージも含む汎用性の高いバレエになっている、その過渡期的な特質をフランスオケではない機能的なオケでやることにより、さらに万人に受け入れられるような表現に昇華させている。ルーセルの押し付けがましい単調なリズム、空疎な嬉遊性をただ突きつけるのではなく、構造の強固なところも見せつける録音となっている。モノラルは惜しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1952/10/27・CD,同上,何故か同年録音として組み合わされているオネゲルと違い疑似ステレオ処理が加えられている。悪いとは言わないが、オネゲルとルーセルの両曲の単調だが強靭なリズム、和声の微妙なクセに似たものを感じる私には違和感があった。時代なりの古びた音でもあるが、オネゲルにくらべれば十八番という感じで楽想の赴くままに起伏を作り明暗を描き、気楽さすら感じる。(いい意味で)中身のないルーセルとオネゲルには歴然たる違いがあるけれど、ミュンシュは楽しいダンスを床板を踏み抜くほど激しく踊らせて、ペットなど管楽器もスピードに力感まで保たせてよくついてゆく。ラストのカタルシスはミュンシュならでは、音質的にもこのくらいの曲なら十分。ハデハデに楽しく終わる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1960/5live,,この盤は全般に非常に明晰でやや軽く明るすぎる感もあるがそのぶんこのような幻想的な曲では印象派のような繊細な響きの機微を感じ取ることができてよい。ミュンシュはルーセルの(場面転換が少しぎごちないものではあるが)躍動性が表立ってくるといつもの押せ押せの力感を打ち出してくる。しかし、明るさがそのごり押しの部分を薄めて聞きやすくしており、全般まるでスタジオ正規盤のような清清しい音楽になっている。これ、といったところはないが、いつものミュンシュの録音のかなりいいものとして価値を置いておく。,-----,,,,,,,,,,,,,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,ミュンシュ指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya)1965/5-6LIVE・CD,,冒頭少し録音がイマイチだがおおむねまずまずのステレオ録音(レンジが広く分厚くクリア過ぎるのは録音操作かもしれない)。ロシアオケのパワーを発揮しやすい曲のようで聴き応えはある。ミュンシュ色よりロシア色が強いというか、弦楽器も他のオケとは比較にならない力強さとスケール感、ブラスはワグナー張りの吹きっぷり、それがやや重さにも通じているがルーセルをこうやることもできるんだと思う。繊細さ、描写性に欠ける感もあり客席反応は少しブラヴォが飛ぶ程度の理解のさせ方(まず初耳の聴衆が多かったろう)になってしまったようだが、ミュンシュ晩年の徒に煽りまくるだけではない円熟した芸風も出ていると思う。まあ、曲に慣れないオケに奏でさせるために客観的に大人しくしているのだとは思う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,ミュンシュ指揮日本フィルハーモニー交響楽団(KAPELLE)1962/12/20日本LIVE 結構クリアで細部まで聞きとれる音質。たどたどしいところもあるがワグナー性の引き出された重量感ある演奏になっている。音色が冷たいというか生硬なのは仕方ないか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,○ルフト指揮ベルリン放送交響楽団(URANIA)LP 堅牢でドイツ的な演奏だがこの曲の一面をよく浮き彫りにした演奏である。これはマーラーだな、と思うところすらあるカンチガイ演奏、いやむしろこちらのほうが正しいのか?ミュンシュがこの曲の権威であることは論を待たないが、そのミュンシュに感じられるどこか奇妙な感覚、和声がリズムからはみ出してくるような、フランス人がその流儀のままドイツ音楽を演奏しているような違和感が、ここでは見事に感じられない。割り切ってドイツ音楽として聞けばよいのだ、この曲は。ここまでしっかり緻密に書かれていることにも驚かされる。びしっと揃った重い音がお祭りのような盛り上がりではなく軍事パレードのようないかめしくもカッコイイ行進を見るようで、壮観。ドイツで人気があったのはあたりまえだ。こんな曲だったとは。古いので○にとどめておくが、目ウロコの演奏です。チェリが戦後すぐにルーセルを取り上げていたのも肯けるなあ。ルフトは覆面説あり。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,ブリュック指揮ORTF(ina)1960/3/8live,,これがけっして壮麗とか豪速球とかそういう極端な特徴を挙げづらい演奏なのだが、非常に良好な録音、オケのコンディションの良さ、美しく激しくルーセルの人好きする面をひたすら追った、流れ重視の演奏で、ここでは大見得切ってくれ、というところでそれほどルバートしないし音量変化も普通、しかし、まあ、終わると同時に大ブラヴォとなる華麗な演奏なのである。ブリュックはプロコフィエフの炎の天使初演及び録音でのみ知られるがフランスにはまだまだ録音はあるようで、職人的と表現するには惜しいフランス音楽に対する素晴らしいセンスがある。ルーセルのきっちりした構造への配慮をわきまえ、色彩や舞踏表現からは全盛期ルーセル特有の「臭み」が感じられず、素直にドビュッシー後ラヴェル同時代の鋭敏な作曲家のさまを効果的に提示する。しっかりしているが重くはない。曲も良いのだが、何度聴くにも耐えうる録音である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲,○クリュイタンス指揮ORTF(SMC)1959/5/9モスクワ・CD,,ソ連でクリュイタンスがこの演目をこのオケで。信じがたい面白い取り合わせだが、録音は悪い。茫洋として篭っている。クリュイタンスらしい要領良さが曲も後半になって活きてきて、リズミカルで、クリュイタンスのルーセルというものをもっと聴いてみたい気にさせる。ソ連録音の緊張感は感じ取れないが、珍しい録音としてマニアなら聴いてもいいだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:ピアノ協奏曲,○エルフェ(P)ボド指揮セント・ソリ管弦楽団(ACCORD)CD,,往年のエキスパートによる明晰な録音で貴重。ルーセルの、ジョリヴェに先んじたバーバリズムが発揮された曲で晦渋にも聴こえるが、よく構造を聴くとやはりマニアックないつものルーセルの書法で、だんだんと見えてくる良さがある。前衛的かつ分厚い響き。弦は円熟期ルーセル特有の立体的な構造を単純なリズムと共に聴かせ、その上にそれとは乖離したような木管の美しい旋律が載る。演奏がとても巧緻にできていて誰でもこうできるものではあるまい。内声をいかに明瞭に聴かせるかが鍵である。ザッヒャー盤はこうはいかなかった。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:ピアノ協奏曲,GOVSSEAU(P)ザッハー指揮ラムルー管弦楽団(PHILIPS/fr),,この曲はどうも馴染めない。ルーセルの悪い所が寄せ集まった晦渋で硬質な曲、といった感じ。作曲年代でいえば代表作3番シンフォニーの直前あたりの曲だし脂の乗りきった時期の意欲的な作品、と言いたいところなのだが、意欲が空回りしている。ザッヒャーの腕をもってしてもこの曲を魅力的に聞かせることはできなかった。無印。,,2010年現在WEB通販にて板起こしCDが入手可能。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ルーセル:ピアノ協奏曲,ボロフスキー(p)ミュンシュ指揮BSO1951/10/12(sls),,3番交響曲辺の最盛期の作風に依るがピアノを使った点で趣が異なり、両端楽章は露骨にプロコフィエフを模倣した箇所が散見される。2楽章はアメリカ風のドライなリリシズムが光るがこれはオケの特性か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:ピアノ三重奏曲,○ブダペスト三重奏団(GEMINI)OPUS2、ルーセル最初期の楽曲であり、全編がフランス後期ロマン派の香りに満ちている。と言っても遅咲きのルーセル30代前半の作品。ちなみにOPUS1はピアノ曲である(恐らく19世紀に書かれた唯一の作品)。始めは仰々しく、中身は著しく旋律的であり、そこにドビュッシーの初期のような軽やかさが有る。フランクに近いかもしれない。個人的にはディーリアスの初期室内楽を彷彿としたのだが、ドビュッシーの影響があるとすればとってつけたような全音音階の導入や不協和音の挿入・・・非常に僅かでは有るが・・・、でも大部分はフォーレやサン・サーンスやフランクの延長上の「きれいな曲」だ。長い。すごく長い。でもBGMとして聞けば有閑婦人の午後のひとときを擬似体験できるだろう。演奏は感情的で立派。書法が生硬で3楽器の絡み合いがあまり目立たないが、チェロがやや音色的に弱く、ヴァイオリンは音程感を崩す事で艶めかしい音色を獲得している。私はこういうのは好きです。ピアノはふつうだが、たぶんカンタンかと。トータルで○をつけておきます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:ピアノ三重奏曲,○フローラン・シュミット三重奏団(cybelia),,かなりロマンティックでフォーレ以前の作曲家の影響色濃い生硬な曲で、とつぜん理知的に現代的な尖った響きが出てくるあたりはウォルトン若書きのピアノカルテットを思わせる。旋律がとめどもなく美しいので演奏を選べばフォーレやフランクらの室内作品にひねりが少し盛り込まれた様を楽しむこともできるだろう。けして技術的に評価できない団体だがフランス派の音を楽しめる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:ピアノ三重奏曲,○フローラン・シュミット三重奏団(Cybelia),同上,可もなく不可もなく、というか若々しい軽やかさと薄さを併せ持った溌剌した演奏で思い入れとか計算とかいうものはあまり感じられない。繊細な音響操作や解釈といったものを求めず、この生硬な前期作品をそのまま楽しみたいならこれはこれでいいだろう。録音に少し古いステレオなりの悪さ(分離の激しさや茫洋とした低音部分)をかんじるがこれは媒体にもよるだろう、LPだとそう感じるということに過ぎない。創意のない古風なフランス派の作品で、フォーレらの強い影響は否定できず、みずみずしい旋律をひたすら聞き続けるだけのものであり、部分的にドビュッシーを意図したかのような非合理的な不協和音を使用するものの後年のルーセルの萌芽はその武骨な音響にのみ聞き取れる。○にはしておくが、それほど印象的ではない曲の印象的ではない演奏。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ルーセル:フラマンデ狂詩曲,マルティノン指揮ORTF(forgottenrecords)1957/10/3放送live,,暗い序奏からキッチュな舞踏リズムの主部という展開は四番交響曲を思わせる。そのあと序奏とおなじくルーセルとは思えないロマンティックな緩徐部になり、ここの甘く美しい旋律はしかしルーセルとしては異例で別人の作品のよう。ただ、次第に盛り上がり再びキッチュで単調な縦ノリで終わる。ルーセルは20世紀前半のフランス作曲界を代表する一人で、比較的長生きだったにもかかわらず、知られた曲は代表作くもの饗宴を始めミュンシュの録音を残した3、4番交響曲、バッカスとアリアーヌと2つ程度の管弦楽組曲しかない。こういう曲は弟子マルティノンならではの選び方と言えそうで、たしかに上記の曲にほとんどの要素が含まれてしまう代物ではあるが、書いたとおり終盤の感傷的な、現代性を無視したところに折衷的な面白みがあったり、まだまだ発見のありそうな作曲家ではある。名曲だったらとうの昔にミュンシュがとりあげてそうなので、それは期待できないにせよ、やや生硬ながらマルティノンの秘曲実演記録がもっと出てくることを願わずにおれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:フランク人の軍歌,ツィピーヌ指揮パリ大学合唱団、パリ音楽院管弦楽団(EMI)CD,,晦渋でルーセルとしては前衛的な作品。哀歌ふうであり、トランペットによる警句の織り込まれた不安感に満ちた音楽で、短いが重い。この演奏はやや地味な感がある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:フルーティストたち(1924),○ランパル(fl)バイロン・ラクロワ(P)(HORIZONS、AJPR/BAM)1950/2/7・CD,,協会盤復刻。BAMは希少扱いされがちな盤なので嬉しい復刻だ。ランパルの長所でも短所でもあるのだが、そつない。こういう古い録音を聞くと、均質な柔らかい音色で細い音線を自然に揺らしていくさまには、技巧派的な雰囲気はない。曲がよくやられるものでもあって、比較対象が多く、異国趣味がここまで異国的でなくなるものか、技術が誇示されないと無味無臭になるものかと感じてしまうのだが、特有の香気が落ち着いた表現から醸し出されているのは認めざるをえない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:フルーティストたち(1924),ヴァーヘイ(FL)レリング(P)(OLYMPIA)1994・CD 有名な曲だが、ちょっと晦渋。一曲目の「牧神」はドビュッシーをフォーマットにしたようでいて結構濁っている。ドビュッシーの絶妙な精妙さは受け継がれず、ここにはルーセル流の渋さが強い。後の3曲も性格こそ異なるが共通しているのは半音階的な晦渋さのある旋律線。まったく好みとは思うが、何度も聞けばだいたいわかってくるものの、最初は敬遠したくなるようなわかりにくさがある。三曲めのクリシュナはかなりアジアが入っていてこの人の特徴を端的に示したものとして注目されるが、娯楽性という観点からはやはりイマイチな感じ。演奏は達者だが、この曲のよさを良く引き出した演奏とは言えない。無印。もう少し後になると、リズムが際立ってきて簡潔さと構造性ゆえに俄然面白くなるのだが、24年の段階ではドビュッシズムと独自性の拮抗するさまが中途半端で惨くも感じられる。この室内楽全集の一枚は25年の代表作「セレナード」前後の曲が集められている。ちなみに「セレナード」は中でもダントツにいい曲です。そのイメージに囚われ、他の曲を聴いてがっかりしないように。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:フルーティストたち(1924),○ラリュー(fl)ジョステ(p)(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LP,,今も元気に活動中のラリュー若き日の記録になる。正規盤化されているかどうかは不明。線の細い、そのぶん繊細な音で、ドビュッシーのシランクスをなだらかに組曲化したような「フルーティストたち」をかなでていく。やや平板な感もなきにしもあらずだが曲のせいということもあり、それがまた情趣を醸してよいという人もいるかもしれない。録音はやや悪いモノラル。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとハープの為の「セレナード」op.30(1925),◎ガロワ(fl)キャムブリング(hrp)パリ三重奏団(erato)CD やや堅く無機質な音色だが、穏かな客観性に支えられた完璧な音響感覚に魅せられる。ルーセル独特の禁欲的な幻詩世界が良く表現されている。まず技術において文句を言う隙の無い名演である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとハープの為の「セレナード」op.30(1925),○マリー=クレール・ジャメ五重奏団(erato)CD 情熱的な前進性が感じられる。音色の艶が前掲盤に比べ大きく感じられ、夢想的な曲想に対して世俗性を帯びているところ、やや「邪魔」な気もする。マリー=クレール・ジャメは自ずと知れたピエール・ジャメの娘、ピエールは初演パリ器楽五重奏団のハーピストであり同曲の録音も残している。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとハープの為の「セレナード」op.30(1925),プロメテウス・アンサンブル これは多少コントラストがキツい演奏に感じたが、悪くはない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとハープの為の「セレナード」op.30(1925),ラスキーヌ、ランパル、パスキエ・トリオ(EMI)国内ランパル追悼盤、発売2000年9月、ディスコフィル・フランセ原盤1955/2モノ 一応嬉しい復刻としておく。とんでもない黄金アンサンブルだが、以前書いたように自己主張するソリストのアンサンブルはまとまりづらく、却って堅く四角四面な演奏になることもある。これも(近いマイクのせいでもあるのだが)ルーセルの繊細な面が即物的なほど失われており、とくにラスキーヌの強力な打音が耳に障る。ランパルの明晰な発音は硬質な美を誇るものであるものの、ここでは矢張り強すぎるせいかしっくりこない。パスキエは決してうまい団体ではないがシゲティ的な味(運指が柔らかく曖昧な音程のうつろいが独特のおもむき有る掠れ具合もかもしだす)があり好きな団体だった。でもここではヴィルツオーソの迫力に思わずベートーヴェン的アンサンブルを目してしまったらしい。繊細さに欠ける解釈構成であり、残念ながらエラートの新しい録音には大きく水をあける。ちなみにここで懺悔するが、セレナード三楽章大詰めで「フルートのグリッツアンド」と書いたのは間違いで、ヴァイオリンのグリッツアンドでした。フルートができるわけがない。この演奏でははっきり弦楽器の音と分かる(だいたい旋律をフルートが吹いているのだからあたりまえだ)。しかし前掲のエラート盤はそうは感じさせなかった・・・すごいもんだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとハープの為の「セレナード」op.30(1925),○クリュネル(fl)P.ジャメ(hrp)バス(vn)ブランパイン(va)クラバンスキー(vc)(timpani/gramophone)1946/5/24・CD,,やや生硬でテンポが前に向かない。鈍感とすら感じられるところもある。何よりSP録音復刻の状態が悪い。でも音に一種典雅さが感じられ、このルーセルの傑作をそれなりにやりきった、とは言える演奏になっている。そう、「やりきった」のであり、手中におさめたうえで何かプラスしようというところまではいっていない。若いアンサンブル、という感じがした。○にはしておく。それにしてもP.ジャメの音はほんとに柔らかく押しが弱い。オリエンタリズム、バーバリズムの表現としては少し普通すぎるかもしれない。初演メンバー。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとハープの為の「セレナード」op.30(1925),○エンドレス四重奏団のメンバー、ストルク(hrp)シュウェルガー(fl)(VOX)CD,,篭ったステレオ録音。ニセ客観評価指標に分解するとして(昔流行ったねえ印象批評の数値化w)、音楽の三要素にあてはめると、これは「リズム系」の演奏(ラテンやバレエ伴の「リズム強調」ではない、縦を揃えそれにリズミカルな調子を上手く載せている)。,,だからスピードもありドライヴ感はあるが3楽章までいくと単調さに気づいて飽きが来る。終わり近くのヴァイオリンのフラジオのグリッサンドがぜんぜん引き立ってこないなど、オリエンタリスティックで冒険的な部分が眠ったままである。単純なリズムのみがただふた昔前のテクノのごとく続くように感じるのだ。,,ルーセルも中期以降なら書法的にリズムが重要になってくる。単純さが強みでもあった。だけれど印象派的なこの曲だとたんにミニマルな印象をあたえてしまう(退屈だということである)。VOX廉価復刻音源なら50年代から60年代くらいの流行演奏様式がまだ続いているくらいだろうので、それも納得ではあるが。エンドレエス四重奏団の演奏様式はそれに沿ったものと言えるだろう。,,音楽の三要素でいけば旋律とハーモニーはわりと普通にうまくいっている。旋律重視=アゴーギグ付けすぎ超ロマン主義、ハーモニー重視=超客観的演奏精度主義、みたいな別け方からするとまったく違う。わりと直線的だが旋律は歌謡的に流れているしハーモニーはルーセルの編成的にごつごつした音響をそのままに、しかし不自然感はなく素直にこうじられている。2楽章もわりといいのだが3楽章がどうも飽きるのだよな・・・1楽章だけなら◎なのだが。○。オリエンタリズムは希薄だなあ、普通に美しく聴ける。,"
Music for Harp

Vox

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何も書いてませんが品薄で入荷遅れる。注意。",,"ルーセル(セレナード)にかんしてはうちの本サイト>こちら",,↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ," ",-----,
ルーセル:フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとハープの為の「セレナード」op.30(1925),○リノス・ハープ五重奏団(X5 Music Group)2009・CD,,このSERENADEと題された盤(現在は有料配信で手に入る)、珍しいと同時にハープアンサンブル好きには堪らない作品に満ちており、つまり私好みであり、おすすめ。前期ルーセルの代表作、ルーセルの南洋趣味がすこやかに出たものとして真っ先に聴くべき曲の一つである(蜘蛛の饗宴、バッカスとアリアーヌ2組、交響曲第3番とこれでとりあえず事足りる)。演奏は真面目でちょっと遊びが欲しい、地味な印象を持ったが、導入口としては悪くは無い。ランパル・ラスキーヌ盤ほどの押しの強さはいらないけれども。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:ヘ調の組曲,◎ツィピーヌ指揮ラムルー管弦楽団(CAPITOL),,ハープのテンポがわずかにずれるなど大雑把な部分もあるが、ラムルー管らしい洒落た音で前進的に押し進められる音楽は力強くスケールがある。色彩的な書法をよく活かした演奏になっている。管弦楽のすべてのパートが往年のフランスの音で統一されているだけに重さも晦渋もなく、ルーセルの意図したところが過度なリズム強調による濁ったバーバリズム音楽ではなく華やかでキッチュな明るい世俗音楽であったのだろうと改めて感じさせる。ドビュッシイズムも未だ聞き取れ、ルーセルが過去と決別し変貌した作曲家ではなく、あくまで延長上に作風を確立した人なのだとわかる。それが聞き取れるということで正統的演奏といえると思う。ルーセルがたいてい感じさせる不自然さがここにはない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:ヘ調の組曲〜U、V.,ツィピーヌ指揮ORTF(ina配信)1972/1/30(放送日?),,重苦しい緩徐楽章から始まるせいもあろうが濁ったような、渋い演奏に聴こえる。三楽章の躍動もあまりキレが良くない、ラストはブツと切れるのに。録音としてイマイチと言うべきだろう。ina配信,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:へ調の組曲,○ミュンシュ指揮LPO(DUTTON)1947/6/2・CD,,録音が悪いのとオケが中庸で派手さが無いところが惜しいが、ミュンシュには珍しく?対位構造をはっきり浮き彫りにして立体的な音楽を聴かせる3楽章などなかなかのもの。ブラスが抑制的であったりノリが前に向かわないのは気になるが、程よい演奏ではないか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:ヘ調の組曲,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(BSO)1958/3/8放送live・CD,,3曲からなる小品だが、ほぼ3番交響曲のミニチュアなのでミュンシュ向き。ミュンシュのルーセルは構造的に明確に書かれた作品に、肉付けし直して重量感ある前進力で聴かせきってしまう唯一無二の境地を示すもので、もっと録音の良いものもあるだろうが、どの録音も同じ、壮大なカタルシスを与えるものとなっている。ボロボロの音ではあるが一応ステレオで楽しめる精度の高い記録。二楽章サラバンド(およそイメージ通りの新古典主義的なサラバンドではない)のような晦渋な音楽はミュンシュはあまり得意ではないが、そのあとの祝祭的な行進曲への序奏部のジョリヴェ的な神秘が美しい。突進はややオケが危なっかしく感じる。ミュンシュの求心力が少し弱まり、纏めに走ったようなところもあるが、この楽章は楽天的になったオネゲルが書き散らかした作品といっても通用しそうな強固な構造があるので、打楽器で増強されるようになると気にならなくなる。主観的な崩しはできないが、弱音部の美しさはミュンシュがラヴェルの新しいセッション録音でみせたリリシズムを思わせる。客席反応はまあまあ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:へ調の組曲,◎ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1958live,同上?,これはモノラルだがイイ!!こうでなくては、という躍動味溢れるルーセルが聴ける。ずしずし重たいのでもなくカンカン軽いのでもなく、この程度のビミョウさがいいのだ。ミュンシュの解釈は絶妙で、下品ギリギリ、キッチュすれすれの煽り方をしながらも響きがどこかしら透明感を保ってしっかり芯が通っている。これはオケ表記が曖昧ゆえひょっとすると既出盤と一緒かもしれない。素直にクレジットすら見ず聞いていて物凄く惹かれた。喜遊的雰囲気満点。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:ヘ調の組曲,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1955/4/9LIVE・CD,,これは十八番。録音はわるいが激しく乗り、ストラヴィンスキーの硬質な影響は三楽章冒頭の美麗な響きにもあらわれるが、ミュンシュの激しいリズムと楽しいドライヴによりオペレッタ風のキッチュさが醸され、楽しく聴き終われる。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ルーセル:へ調の組曲,パレー指揮デトロイト交響楽団(mercury他)CD,,リリカルな曲だがパレーは健康的な力感があり、ごり押しでない響きの良さが光る。フランス系の音作りゆえそういうことになるが、オケがフランスオケだとまた違ったろう。心に何も残らないが曲がそういう曲なのである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:へ調の組曲,○コッポラ指揮大交響楽団(GRAMOPHONE/lys)1930/1パリ、サラ・プレイエル・CD,,ブカブカ吹かす感もあり雑味含め娯楽的だが、コッポラの録音はたいてい即物スタイルゆえ、色彩的で派手でわりとゆったりしたこういう演奏は珍しい。雑味といってもオケはけして下手ではなく表現に躊躇がないだけであるから、昔の録音好きにはおおいにアピールするだろう。この酒場やキャバレーのワイザツな情景をうつしたような音楽はこうやるのが本来の流儀かもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:へ調の組曲,○パレー指揮デトロイト交響楽団(mercury他)1957/3・CD,,やや雑味あるも金属質に輝かしい懐かしきアメリカオケの音だが、2楽章などけっこう心象的な表現がドビュッシイズムの発露を思わせるも、そののちの半音階的な展開がアメリカのアカデミズム音楽のような印象をあたえるのはオケのあっけらかんとした音のせいだろう。暗い音すらあっけらかんとしている、これはブラス主体の響きにどうしてもなってしまうせいと思う。リズムは強く前進するところはとことん突進、は速い楽章ではしっかり聴こえるが、緩徐楽章の急進部になるともっと重みを持たせており、内声のピアニスティックに細かい動きもしっかり聞こえてきて、パレーらしくもない深さを感じさせる。3楽章は冬の終わりを告げよろこびを唄いまくるペットが超絶に軽やかでトリッキーなところを見せて、さすがアメリカブラスと思わせる。デトロイトは弦がやや揃わないところがあるが、テンポはまったくもって完璧にパレーの即物的な速度にあわせていっている。もともと音色的に多彩な楽章ではあるが、ティンパニの胸のすく表現含めパレーらしい華やかな響きと弛緩しない疾駆を存分に楽しめる。単調で長くなる感は否めないが曲のせいでもあろう。録音のよさが光る。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:へ調の組曲,○コープランド指揮トロント交響楽団(DA:CD-R)1976/11live,,コープランドは指揮もよくしたがいずれも生硬で透明感と客観性が勝るものである。この演奏では録音のせいもあろうが重心が低い響きにいちいちこだわる感じが強く、テンポがちっとも前に向かっていかない。上にも跳ねない。チェリの演奏様式に近いが指揮技術的に劣るというか、整え方が甘いと言うか、がさつである。ルーセルはナディア・ブーランジェらを通してアメリカのアカデミズムに影響をあたえた一人で、コープランドの日和ったほうの作品にはとくにリズミカルな書法や響きの傾向に共通点が見出せるように思う。この作品が選ばれたのもそういう理由だろう。いちおう○にしておく。チェリ以外ではNYPのころのブーレーズにも似たところがあるか。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ルーセル:へ調の組曲,○チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(EMI)1992/9/20,22LIVE・CDルーセルの完成期後の作品はみんなおんなじ。弦楽三重奏曲も交響曲第3番も組曲もみんな溌剌洒脱な舞曲と硬質晦渋な緩徐楽章の交代交代。それであれば短い曲のほうがさっぱりストレートに言いたいことが伝わっていい。チェリが二つの短い管弦楽組曲をレパートリーに選んだのは正解である。チェリにかかるとルーセルの構築性がルーセルの意図のままに完璧に再現される。あまりに完璧すぎて小さな組曲に聞こえない。これは立派に組み上がった交響曲である。惜しむらくはクソマジメなところ。ルーセルの旋律はふざけているしキッチュな魅力〜遊園地やサーカスの響き〜に満ちている。それをチェリはすっかりアク抜きしてみせる。そしてどこかに無骨さが残る。いや、ここまで立派にやられれば曲も本望、とくに1、3楽章の律動は決してドイツ的な重さを感じさせず溌剌として前進する力と漲る気合を透明で美しい響きに託している。ルーセルらしからぬ灰汁の微塵もない美しさに酔おう。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:へ調の組曲,○ブランコ指揮ポルトガル国立交響楽団(STRAUSS)1960/6/27LIVEルーセルらしさが炸裂している作品だが人によってはその独特のひびきにウっとくるだろう。その点この盤はオケの明るさと録音の明るさで大分聴き易くなっている。雑味が多いのは難点だがこのオケの限界か。ブランコの極めて色彩的な指揮も冴えている。録音難あり。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:へ調の組曲,◎ミュンシュ指揮フランス国立(放送)管弦楽団(EURO MUSES,INA他)1958/6/15ストラスブルグ祭LIVEおすすめ。モノラルだがミュンシュの前進的な音楽は少しも損なわれない。ルーセルにこれだけ適性のある指揮者もいない。交響曲第3番の数年前の作品だが同じくボストン響の委属作品である。内容的にも非常に近似しているが、こちらのほうがアクが弱く聴き易い。初期作品の繊細な雰囲気こそ残していないものの、新古典的な簡潔さと構築性が安心感を与える。1楽章前奏曲はまさに3番シンフォニーの1楽章の姉妹作とでも言うべき印象的な楽曲。ミュンシュはクセのないフランス国立の音を使って素晴らしく突き抜けたからっとした演奏をしてのけている。2楽章は3番シンフォニーでは2楽章に相当する位置だが、あそこまで硬質で冷ややかな楽想ではなく、ゆるやかな舞曲を描いていて面白い。サラバンド、である。3楽章(終楽章)ジーグは3番シンフォニーでいう4楽章か。きちっとカタルシスをあたえて終わるさまはまるきり小交響曲である。この曲は名曲だが、ミュンシュの演奏もすばらしかったということで、◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:へ調の組曲,ブール指揮ORTF(Ducretet-Thomson/forgotten records)1951,,frはCD復刻から漏れているようなLPの板起こしレーベル(裏青)で、そういう趣向からしてモノラル期のものが多く、中古高騰のフランス盤がメインなのは嬉しい。ほとんど稀少盤ではないものの、網羅するには非常な労力がかかる。逆にここで復刻されてしまいLPの希少性が失われてガッカリという方も多いのではないか。ただ、私見ではあるが音は篭り気味、手を加えていないせいだろう昔のイタリア盤のように機材が雑な感じもして、資料用・収集用ではなく観賞用としては少し問題があると思う。正規ルートでCDになっているものもあるのでそこも注意。ブールはマニア向けの現代音楽指揮者で、音は冷たいが、瑞々しく明確な表現が持ち味。録音はフランス物が多い。シェルヘンの系譜には決して並ばず、ロスバウトよりも色彩的というか、時代が下るので、むしろベルティーニに近いところがあるかもしれないが、より情緒的である。案外と数が多くて、私も一時期LPまで手を伸ばしたがやめた。この曲ではオケの性向からか、少し重く、ミュンシュに近い聴感がある。セッションなのでミュンシュのライヴよりは余程響きよく感じるが、そこは古いLP起こし、過度な期待は寄せないほうがいい。この人はラヴェルの新しい録音がCD化していることからもわかるとおり、ルーセルのような単純な作品よりも、技巧的な曲に適性を示すようである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:へ調の組曲,コープランド指揮クリーヴランド交響楽団(SLS) 1970/8/1クリーヴランド ブロッサム音楽祭live,,両端楽章の破裂的な舞踏表現、その迫力はまるで本職指揮者のようで、コープランドの作る娯楽的なアメリカ音楽の能天気な破壊性に通じる要素が同曲にあり、だからこそレパートリーとしたのだとわかる。新古典主義音楽だからといって娯楽的に煽って悪いわけはない。中間楽章サラバンドは抽象的な意味でも良演で、伝統的フランス音楽として適切に仕立てており、ルーセルの体臭や晦渋さは目立たない。現代作曲家として、殊更響きや構造を浮き彫りにするのではなく、音「楽」として「聴かせ」にかかっている。録音はノイズ塗れのステレオだが、ノイズがなければ「破壊的な」印象は変わるかもしれないが、この演奏のスケール感、迫力、娯楽性はそのまま感じ取れるのではないかと思う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:ミューズのマドリガル(抜粋),グヴェルネ指揮ORTFリリック合唱団(FRENCH BROADCASTING PROGRAM)LP,,ルーセルは歌曲や合唱曲の世界でも独自の位置を占めていた。仄かなオリエンタリズムを秘めた神秘的な作風は同時代もしくは少し後、象徴主義の影響を維持し続けた作曲家たちと同期をとったものになっている。アカペラ合唱によるこの曲、ほぼ断片なので評は不可能だが、ルーセルの大規模な合唱曲における魅力を垣間見せる。中期以前の耳優しくも壮大な音楽世界を楽しめる作品である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:ロンサールによる2つの詩,○アルセギュー(sp)ジョステ(p)(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LP,,ルーセルの歌曲というのはそれなりに需要があるらしく演奏も録音も意外とあるものだ。この曲は中でも有名なほうだと思うが、異国の匂いを嗅いだルーセルが世俗との接点を上手く紡ぎだしており、そのまま楽しめる。演奏は普通。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:ロンサールの二つの詩,○レチツカ(sp)ランパル(fl)(HORIZONS,AJPR)1957/10/10・CD,,ルーセルの代表作で、また、私はソプラノ楽器による伴奏の独唱に弱い。美しい歌で、けして派手ではないが独特の軽い雰囲気をかもす。演奏もいい。初出か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ルーセル:歌劇「竪琴の誕生」による交響的断章,○コッポラ指揮大交響楽団(GRAMOPHONE/lys)1930/1パリ、サラ・プレイエル・CD,,短い典雅な曲でルーセルならではの重い舞踏リズムから東洋的な色彩ゆたかな幻想的パセージまで、アメリカ印象派のようなパノラマ的展開が面白い。コッポラはアバウトなところもあるがラヴェル的な組み物を整理するのが巧い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:弦楽四重奏曲,◎ノヴァーク四重奏団(SUPRAPHON),,これは軽やかで喜遊的で素晴らしい。ルーセルの室内楽だからといって晦渋だというイメージは誤りだ。この団体は現代的な硬質な音(でも一種東欧的な音ではあるのだが)で統一されていながらも表現がしなやかで自然であり、透明感がばっちりで生々しさが無いぶんルーセルのドロドロしたところが完全に「機構」として機能しており、余計な雑念を持ち込まない。そこがバッチリ曲にはまっている。ファーストの雄弁ぶりも鼻につかず(実際感傷的ではないが瞬間ポルタメントなどそれなりにやっている)、旋律が決して埋没しないのでスケルツォからフィナーレの流れが晩年ルーセルにしては異例に「楽しい」のだ。2楽章ですらアイヴズの「賛美歌;アダージオ・カンタービレ」を更に親しみやすくして、書法のアマチュアぽさを払拭したような、とても完成度の高い叙情音楽に聞こえる。ちゃんと旋律があったのだ、とかつ目する向きもいよう(それ以前にここまでルーセル聞いてる人っているのか?)。とにかくこの演奏、ステレオでいい録音ということもあって、抜群にいい。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:弦楽四重奏曲,○パスカル四重奏団(放送)1957,,webで配信されている音源。モノラルだが録音バランスが悪く、とくに一楽章では内声が前に出過ぎて雑然としてしまっている。楽章が進むにつれバランスはよくなってくるが、曲自体の問題として旋律が埋もれがちなところ、やはり埋もれてしまってわかりづらくなってしまう点は否めない。全般渋い曲だけに、美しい旋律や響きはきちんと取り出して聴かせないと魅力が半減してしまう、そんなことを思わせた。○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:弦楽四重奏曲,○レーヴェングート四重奏団(DG)LP,,旧盤という呼び方でよろしいんでしょうか。モノラルだがとても整理されて聞きやすい。あ、ルーセルってフランスだったんだ、という改めての確認ができる(ミュンシュ的力技の暑苦しさを排し不協和音の繊細な美しさを忠実に浮き彫りにしたブーレーズの3番シンフォニーの演奏なんかでも感じるところだ)。それ以前に音楽に入りやすい。構造が入り組み重なりすぎて(ハーモニーが重過ぎるということもある)旋律線が埋もれがちなルーセル後期の作品は、余り解釈しようとせずに演奏すると、各奏者は面白いが(構造が売りな作曲家なだけに旋律じゃなくてもちゃんと面白く弾けるようにできているのだ)聞く側はわけがわからない晦渋さや耳障りの悪さを感じるだけで、フランス派の単純に美しい音楽を期待する向きはうっときてしまうことが多い。フルートと弦というような組み合わせで音色で描き分けがなされているぶんにはわかりやすいのだが、弦3本、弦4本となると慣れていないと音楽として分析できない(分析しないとわかりにくいのは曲的にどうなのかとも思うが)。レーヴェングートの巧いところは決して奇をてらわず勢い任せにもせず、注意深くバランスを保ちオーソドックスに弾いているところで、音色にも奏法にも特に面白いところはないが、わかりやすい。2楽章の晦渋さはどうしてもぬぐえないが理知的に配置された旋律の美しさがさりげなくもくっきり浮き立たせられているために後半楽章での変容再現が聞く者に鮮やかに印象付けられる。後期ルーセルは構造を無視して弾くことはできない。構造の上に実はちゃんと旋律がのっかっているということを常に意識してやらないと、構造のみを聞かせるマニアライクな曲になってしまう。ルーセルのカルテットが売れないのはひとえにそこの難しさがあるが、この曲を得意としていた数少ない団体であるレーヴェングートの旧盤、学ぶべき部分はたくさんある。でもオーソドックスすぎるので○。ミュンシュもそうだけどルーセルは元々ぎっしり詰め込まれた曲をかくので暑苦しく表現しようとすると濃密すぎてうっときてしまうんですよね。。,,型式重視。こんなに晦渋でも新古典主義の作曲家と位置づけられるのはそのせい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ルーセル:弦楽四重奏曲,○レーヴェングート四重奏団(VOX) ,,二代目メンバー。この曲は案外この楽団にあっているようだ。晩年のルーセルの行き着いた晦渋な世界、余りに渋すぎるその楽想、やたらと厚ぼったく身の詰まった響き(それは四本の楽器によって演奏されるには余りに重過ぎる)、下手に演奏するとほんとに聴いてられないような重くてわけのわからない曲に聞こえてしまうが、この演奏だと多少軽さがあるというか、響きが整理されていて聴き易い。とくに晦渋な緩徐楽章(2楽章)の本当の美しさ・・・旋律線の仄かに甘やかな揺らぎ、線的に絡み合う音響の妙味・・・が出ていて凄くいい。硬質で冷たい抒情が持ち味のルーセル円熟期の緩徐楽章、この演奏だといくぶん温もりすら感じられるのが特筆もの。ルーセルの室内楽はアンサンブルする側にしてみれば非常にかっちり書かれているので面白いが、聴く側からすると主題がわかりにくいままにだらだらと引きずっていくように聞こえるところがある。この曲だと終楽章がそうだ。弦楽三重奏曲終楽章の美しき軽さに通じるパッセージが楽章後半に徐に出てきて非常に魅力的なのだが、それで解決大団円にすればいいものを、ルーセルは再び音楽を構造の中に埋め立てていってしまう。それはこの楽団をもってしてもいささか長ったらしく感じさせてしまう。曲のせいだから仕方あるまい。晩年のルーセルはわかりやすさや素直な感情の吐露を捨ててひたすら構築的で複雑な音楽を求めた。それは作風は違うがレーガーなどと通じる感覚だ。ドイツ・オーストリアで一定の人気があったのはわかる気がする。フランスでは独特の位置にいる作曲家だった。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ルーセル:弦楽四重奏曲,○レーヴェングート四重奏団(VOX)CD,同上,VOXBOXでCD化されていた新録だが現在はNMLなどweb配信で容易に聴ける。しょうじき音程感は甘いところもあるが曲の主軸を要領よく浮き彫りにしてゆき、美しい旋律と微妙な転調の、リズムよく動くさまが簡潔あきらかで聴き易い。とにかく響きが重くならないので、ドビュッシーから連なるフランス派の弦四として同曲を認識し直すことが可能。透明感はないが二楽章の感傷には心惹かれるものがある。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ルーセル:弦楽四重奏曲,パレナン四重奏団(vega/westminster/forgottenrecords)1956,,vegaではイベールと組み合わせられていたがfrはソゲを加えた三曲でお得。モノラル時代のこの楽団の勢いが伝わってくる。しかし後年をおもわせる濁らない響きで、晦渋な二楽章でルーセルが本来響かせたかったであろう透明な美しい音響を美麗に再現しているのもよい。こういう解釈を施ししっかり音にした録音は意外とすくない。三楽章もしっかり軽やかにコントラストがつき四楽章の盛り上げはバッハ的構造性に囚われざるを得ないながらもともとのルーセルの嬉遊性を拾い集め、最晩年の散漫な暗がりから、もうカルヴェ譲りの力強いファーストで押し切っている。この曲を初めて知ったのはこのvega盤だったが裏のイベールの印象がつよかったせいか何故か今まで全く触れてこなかった。私の中では同曲の基準である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:弦楽四重奏曲,ロート四重奏団(COLUMBIA)SP,,第三期メンバー(ロート、アンタール、モルナール、ショルツ)。戦中プレスの日本盤で。ルーセル晩年作、形式的には明暗をしっかりつけ、おおむね古典的なソナタ形式による四つの楽章を保とうとしながら、雰囲気においてそれに囚われてはおらず全曲を通してのムードの変化があり、またオーケストラ的発想に基づいた音楽を四本に縮めたようなところがあるが、全盛期の「管弦楽のための組曲」といったリズムや旋律重視の曲とはまるで異なり、分厚い和声のみに語らせるような内省的な音楽で、過去のフランス楽壇の甘やかな記憶が夢のように浮かび(ルーセルはそこに定住せずむしろ中欧で評価を受けた作風の人だが)悲痛さすら醸し出してくる。これはしかし後年のレーヴェングートなどの演奏からは聴こえないものなので、終始整った客観的姿勢を崩さないロートにあっても、時代が音に出てしまった、と言えなくもない。明るく軽い音の持ち味がラストではルーセルの弱みである重い構造をカバーして、何か開放的な雰囲気が凄い。重苦しい中間楽章からの変化は聞き物。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第1番「森の詩」,○デュトワ指揮フランス国立管弦楽団(ERATO)1985/6・CD,,ルーセルは漢。作風は所謂印象派、バーバリズムから新古典主義へ時代の流れに忠実に非常に明確に変化したが、変化の間にあいまいさは皆無に感じられる。但し、もともと理知的で無駄の無い単純さへの指向も強く、幾何学的な整合性がきっちりとれた作品を作る傾向があった。数学を好む合理的な人だったからカントゥルムの先生にうってつけでもあったわけだが、比較的初期作品にあたるこの作品においても、ドビュッシー=印象派の影響が濃いとはいえけして非論理的な構成構造はとっていない(そもそもドビュッシーが嫌った形式音楽である「交響曲」なのだ・・・表題はあるにせよ)。印象派の影響というのは主題と和声だけにあらわれ、精緻な管弦楽法への指向は寧ろラヴェルに近い。,,極めて明るく透明で美しい音楽は前期ルーセルのメリットが存分にあらわれたもので、この時期だけをとっても非凡な才能であったことがわかる。個人的には一番素直な才能が発揮できていたのはむしろこの頃だと思うし、曲的に好きな時期だ。単調だがそれであるからこそ強い印象を与えるリズムへの指向は既に現れており、後期で濃くなりすぎたオリエンタリズムの曇りや構造起因の響きの重さが無いぶん聴きやすいのは曲のメリットだろう。,,"デュトワ盤はしばらく殆ど唯一の音盤として親しまれてきた。この人はいい意味で曲の個性の灰汁抜きができる人なので、後期作品の入門には最適なのだが、この曲のあたりは比較対象がもっとあれば「無難」とか言うこともできるんだろうけど、現時点では「最適」と書かざるを得ない。明るく繊細な表現はどこにも心を曇らせる要素が無い。フランス作品を爽やかに巧みに表現していた、いちばんいい時期のデュトワが聴ける。○。今は全集でも廉価でお得。
ルーセル:交響曲全集
デュトワ(シャルル)
ワーナーミュージック・ジャパン

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","↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",,"<ルーセル:交響曲第1番>",,1楽章 冬の森,2楽章 春,3楽章 夏の夕べ,4楽章 牧神と森の精
ルーセル:交響曲第1番「森の詩」,ブリュック指揮ストラスブール放送交響楽団(ina)1960/6/21live(7/24放送),,まだ作風の固まっていない時代の作品だが雑多な要素の詰め合わせは楽しく聴ける。リアルでロマンティックな性向の指揮がルーセルの古い面を浮き彫りにしてしまい、透明感が出ないところが少し気になる(マルティノンの正規盤に慣れすぎたのだろうか)。一楽章「冬の森」は前の時代の描写音楽の影響が色濃く、弦の刻みとブラスのユニゾンなど直近ではロシア国民楽派のようだ。形式的にも堅苦しい。もっと堅苦しいソナタ形式の二楽章はバレエ音楽に転用されるのもさもありなんな、ピエルネのように軽やかな音楽で、「春」にふさわしい。ここにきて和声的な新しさを前に出すようになり、印象派を標榜しても良い気がするが、どうも、グリエールの「イリヤ・ムーロメッツ」を思い起こさせる低音ブラス(一楽章でも重用される)など、展開していくところで雑多散漫な印象は否めない。三楽章「夏の夕べ」は期待させる題名に比してパッとしない。ディーリアスを退化させたような音楽だ。四楽章「牧神と森の精」はなるほど冒頭から野蛮ですらある新鮮な響きで、ここへきて、多少キッチュでダンディふうでもあるがルーセルらしさが聴こえてくる。バレエ音楽ふうで響きの重心が上がり、半音階的な動きに拘泥されず作風に取り込んで、虚仮威し的な太鼓などちょっと邪魔だが、手法の新規性はドビュッシーにはとても及ばないものの、南欧ふうの要素をかなり取り入れたうえストラヴィンスキーに近づけようと(近づいてないが)野蛮さ奇怪さすら少し忍ばせて、総体的にはずっと後のアメリカの音楽に似た効果をあげる曲になっている。ハープとフルートが出てくるとやはりドビュッシー後の典雅さが醸し出されて良いが、長続きせず、こういう場面転換の速さがバレエ音楽に転用された所以でもあろうか。やっぱりドビュッシー後とは思えない古臭さが主としてティンパニの用法と半音階的な旋律にワグナーやリストの孫引きのような書法が、「題名ほどの夢幻的な作品ではないよ」と知らしめる。モノラル。少しノイズは入るが概ね可。ina.frとAmazonデジタルは日付が違うがおそらく同じ音源。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第2番,○デルヴォ指揮コロンヌ管弦楽団(EMI/PATHE),,わりと未だ印象派的とかそういうくくりで説明される曲のように思うが、和声的で非構造的な部分も無いこともないものの、寧ろ重厚でも整理された響きで洗練をみせる同時期(1910年代)の中欧産ロマン派交響曲と似た情景が冒頭より展開される。またもや比較に出してしまうがツェムリンスキーの抒情交響曲やRVW中期以降の交響曲(但し共にもっと時代は下る)とスタンスがかなり似ている。その意味で先駆でもある。後半楽章あたりになってくると強い響きを伴う単調なリズムが明確にあらわれており、バレエ音楽に既に出てきた後年の特徴であるオリエンタルな半音階的な音線を支えるひたすらのリズム・オスティナートが、3番ほどのバーバリズムは無いがそのぶん聞きやすい形で提示され単純に心地いい振動となる。スマート快楽派や人生疲労派の聴衆にはこういう曲が適切です。デルヴォーは巧いなあ。マルティノンほどの強烈さがなく、ロマンティシズムが爽やかに紡がれている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),〇アルベール・ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(TIMPANI)1932初出・CD,,SP時代の優秀録音で知られた盤で、初録音だろう。確かに抜けのよい綺麗な音で、軽めではあるが雑音を除けば最近のものであるかのように生々しい。聞きものは前半楽章で、一楽章の強烈なリズムや前進力もさることながら二楽章の見通しのよさには感服させられる。三楽章もそうだがリリカルなルーセル、前期作品を思わせる繊細でフランス的な響きやエキゾチックで感傷を秘めた旋律線がクリアに描き出され、ルーセル三番の本来的な姿がよく捉えられる。ミュンシュの力技では捉えられないルーセルの抒情を愉しめる。前も書いたがルーセルのそういった人好きする側面は後期になると構造の中に埋もれてしまいがちであり、意識的に強調しないと単なるリズムの奔流になりかねない。さすがのヴォルフだ。後半楽章がやや遅い。特に四楽章は表現に弛緩も感じられ解釈が重い。ヴォルフの持ち味である揺れず突き進む直截な解釈ぶりとは意趣を異にしていて、一楽章の突き刺すような刻みと前のめりのテンポ、緻密なアンサンブルぶりと較べ聞き劣りする。よって〇に留めておくが、同曲の原点的な演奏として決して看過できない録音である。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),○チェリビダッケ指揮ORTF(ina配信他)1974/10/25live(1975/2/2放送),,ina配信されているものはステレオの録音状態も良く、前記の既出音源と同一と比定されているものの改めて総括的印象を書いておく。組み立てのうまさが尋常じゃなく、実演経験豊富な、諸所ツボを押さえた生粋の専門指揮者(実際はどうだか知らんWikipediaでも見てください)といった風情で、響きはがっしりしているが前進する力は凄く、かといって即興的なほつれなどあるわけなく、周到に準備された「決定版」である。立体的な造形がオケの華やかな響きと相まってルーセル特有の野暮ったさがなく、厳しく整えられたからといって痩せることも決してなく、アンサンブルというものを強く意識した各パートのデュナーミク等への指示が素晴らしい演奏効果に結実している。二楽章つまらないとか、四楽章間延びするとか、そういうこととは無縁。終盤の激しく単調なリズムの畳み掛けはルーセルの魅力ってここに尽きる、という印象を残す。客席反応は通りいっぺんのものだが、壮年のチェリビダッケらしさの詰まった佳演。同じコンビで別の放送ライヴ音源もあり既出(inaでも配信されている)、昔書いた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),○チェリビダッケ指揮フランス国立放送管弦楽団(VIBRATO:CD-R)1974/10/25シャンゼリゼlive,,4楽章で時折録音の分断のようなものが聞こえるが、編集してる?コーダの最後の音も少ない気がする。弦の湧き上がるような駆け上がりも聞こえない。解釈なのか編集なのか、どうも不審な点のある録音であるが、状態が違うので既出の近日録音とは別と考えておく。マイクが異常にオケに近くて(というかステレオマイクが弦の中に立っているようなかんじだ)、少々チープで生々しすぎる。しかしリマスターはそれなりによくやっているようで、テープ撚れも気にならないように巧くまとめられ、底の浅いスケールの小さな音響ではあるが生のオケの音が左右からバンバン響いてくるような独特の魅力がある。聞こえてこない音がよく聞こえてきたり聞こえてくるべき旋律が遠かったりといったところも嫌味にならないからこれはよくできたリマスターと言えるだろう。単純で直線的な喜遊曲であり、チェリは揺れず野武士の様、と言いながらもかなり娯楽的に(トスカニーニ的に)アグレッシブさを発揮しており、4楽章コーダにいたっては弦が走るのを余り止めることなくそのまま鋭利な和音で断ち切るように曲を終わらせている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),◎チェリビダッケ指揮フランス国立放送管弦楽団(WME:CD-R/ina配信/altus)1974/10/23live,,録音もこの時代のブートにしては良好なのだが※、なんといってもまだ勢いのあったチェリの芯のあるドライヴぶりにくわえ、2楽章の表現解釈の見事さに尽きるだろう。2楽章を聴かせる指揮者というのは余りいない。たいていミュンシュふうに強い楽章だけに注力し緩徐楽章は現代的な怜悧さを撫でるにおさめてしまう。チェリはこの2楽章の中の構造を非常に研究しているふうで、そのままやったらわけがわからなくなるところをきちんと整理したうえで、大きくドラマティックな起伏をつけている。だから一貫してわかりやすく、とても印象的で、この楽章こそこの曲の核心であるかのように思わせる(他の楽章に横溢する楽想がいかにも浅薄なのは同曲が余り取り沙汰されないゆえんでもあろうから尚更ここが重要なのである)。ルーセルには二面性があり、嬉遊的で人好きする側面と深刻で人好きしない側面がはっきり曲により楽章により分かれてくる。すべての曲の中でこの曲の2楽章がとりわけ深刻で人好きしないとは全く言えないのだが、この曲の中では冒頭の木管から提示される動機の不安定さ(4楽章で解決される)からいきなり虚無的な感覚におそわれる2楽章というのは、ジョリヴェあたりに受け継がれてゆく呪術的な旋律の展開含め「そっちのルーセル」に慣れていないと他楽章に比べ極端に耳障りが悪く感じるだろう。チェリも短い3楽章スケルツォではやや表現が甘く印象に残らないところもあるが、両端楽章ではかなり派手に力強く(ちょっとドイツ解釈からも離れるような勢いで)邁進する音楽を創り上げており、ここで2楽章だけが平坦で不可思議なまま孤立するのはバランス的に(曲の問題でもあるのだが)おかしく感じられる筈で、マーラー的ですらあるチェリの力の入れようには理由はあるのだ。録音状態も鑑みると○なのだが、個人的に◎にしておく。聴衆反応はイマイチ。,,※現在はina.frのwebサイトより正規配信されている。AltusによりCD化もされた。,-----,,,,,,,,,,,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),◎デュトワ指揮フランス国立管弦楽団(ERATO)CD,,これは文句なしの素晴らしいリズミカルで透明でかつ「クセのない」物凄く聞きやすい演奏。何もひっかかりません。ささくれだったアブラギッシュな曲でも硬質な響きの現代的な曲でもない、紛れもなく近代フランス交響曲の傑作と言わしめることのできる演奏。色彩感も薄くも過度にもならず絶妙で、やわらかい録音も丁度いい。個性的な音量操作など結構解釈も入れてきているがバランス感覚の優れたところが違和感を感じさせずにただニヤリとさせる。素晴らしい。前も書いたかもしれないが◎。少し軽いと感じたらそれは録音リマスタか機材のせい。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,,,,,,,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),デュトワ指揮フランス国立管弦楽団1985/6,同上,適度に抑制された動きが秀逸。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),○ミュンシュ指揮NYP(DA:CD-R)1967/2live,,ミュンシュのルーセルにハズレなどあるわけがないのだが、この気合い満点の演奏をもってしてこれはひときわ、数あるライヴ記録の中でも第一級の記録である。ステレオだがややノイジーで非力な録音のため◎にはできないものの、思わず一緒になって歌い足を踏み鳴らしてしまう、迫力の記録。融通ムゲなオケが素晴らしい。,-----,,,,,,,,,,,,,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),◎ミュンシュ指揮ハンガリー国立交響楽団(Aulide:CD-R)1967/5/29live,,これは録音が同日の他曲にくらべ悪いにもかかわらず、ダントツに集中力が高く異常なテンションでかつ非常に抽象的に洗練された演奏になっている。ルーセルの楽曲は娯楽的な面が甘さとなって、厳しい不協和音の後に膝から崩れ落ちるようなときがあるが、この演奏できくと娯楽的な3楽章もホルンの咆哮が背筋をただし、軍国調と言ったらいいのか、凄くはっきりとしたフォルムの音楽をたたきつけるのである。ミュンシュのルーセルははずれがないが、これもそのひとつ。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),○ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(000classics/SLS:CD-R)1967/2/16無修正LIVE シカゴ交響楽団の赤いボックスに二日ぶんの録音を編集した「ほぼ同じ演奏」が入っているが、これは修正しないでそのまま録音したものらしい。少なくとも2楽章は同じ(8分強のところで同じ咳が入る)だが、録音はさすがに劣る。明晰さやパワーは圧倒的に劣る。それでもこのライヴ盤の中ではいちばん音がいいのであるが。終楽章も同じようで、割れんばかりのブラヴォーの渦は同じだが、たぶんこのCD−Rでしか聞いたことがない方はなんでこれがこんなに盛り上がったのかわからないだろう。なんだかんだ言ってもミュンシュのルーセルは最高なのだが、録音というのも馬鹿にできないものだ。無印にするのも忍びないので○。この演奏、2楽章が案外いいです。妥当な言葉ではないかもしれないが、とてもロマンティックで感傷的な希有の演奏だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),○ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(CSO)1967/2/16,18liveフランス交響曲史上に燦然と輝くルーセルの代表作。ボロディンやストラヴィンスキーのバーバリズムの影響が強い1楽章の強烈なリズム、4楽章のクライマックスにつながる動機を提示する重要な楽章、独特の硬質な響きの緩徐楽章2楽章(「春の祭典」の静かな箇所に似たところもある)、スケルツォに相当する軽妙な舞曲ヴィヴァーチェ3楽章、新古典的にきりりと纏め上げられた大団円アレグロ4楽章、ルーセルの作風の総決算ともいえる楽曲だ。波瀾万丈の構成で聴いているぶんにはそれほど長い曲ではないように思われるが、この演奏でも24分かかる立派な交響曲である。ミュンシュはルーセルの3番のスペシャリストとも言える。この曲の印象をひとことで言えば「強烈な前進性」だが、ミュンシュはまさにうってつけの指揮者であり、あまりに一致しすぎるがゆえに、人によっては「ついていけない」という感想も残すかもしれない。しめやかな情趣に欠けるがゆえに2楽章がいまひとつノリきれない人もいるかもしれない。でも、たいていの人は、この曲を初めて聴く人はとくに、この楽天的でスピーディな音楽を何も考えずに楽しむ事ができるだろう。シカゴ響はそのずばぬけた機能性を発揮してミュンシュの激烈な指示を音に変えている。ミュンシュの名演というとラムルーの演奏が思い浮かぶが、この演奏はライヴならではの漲る緊張感がラムルー以上に引き締まった表現を可能にしている。ギリギリと締まる音が聞こえてきそうな、もう破裂するんじゃないか、というぐらいにギリギリのアンサンブルがスリリングだ。終楽章の強烈な終演とともに叫ばれるブラヴォーは全く妥当な反応だ。シカゴ響の音にもう少し潤いがあれば大推薦なのだが。佳演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),◎ミュンシュ指揮ラムルー管弦楽団(ERATO)1965国内盤CD あえて言葉を継ぐ必要も無い名演。この指揮者によってルーセルは広く 知られるようになった。ラムルーの機敏でニュアンスに富んだ表現力にも敬服。 色彩性と構築性の備わった強烈な奔流は、比類無い大きさと完璧さで耳に迫り 来る。歌い踊り尚且つ物語る演奏。録音の古さ以外、全楽章欠点がみつから無い のだから困る。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),○ミュンシュ指揮ラムルー管弦楽団(FRENCH BRO SYSTEM/ERATO他)1965/4・CD,同上,<後補>,FBRO盤は1968/8の放送プログラムだが、ERATO盤(ラムルー管とのセッション録音)と演奏時間が完全一致。楽団表記は無いが調べると演奏団体はORTFではなくラムルー管弦楽団と断定されており、同一録音であることは間違いない。環境雑音やミュンシュの怒号もリマスタリング版はともかくERATO原盤には入っているそうなので、裏面のミヨーの小交響曲抜粋(ルクセンブルグ放送交響楽団)ともども既存音源である。このレーベルはラジオ放送の記録なので、そういうものがあるのは当たり前ではあるが、アナウンスで曲紹介があること以外はモノラルの聴きにくい音で意味がない。,,テンションを煽るような表現がみられ、3楽章までは他録と同様だが、緊密に出来ている。4楽章冒頭のテンポが一旦落ち着き生硬になるのは他録とやはり同じだが(このあたりで指揮台がガタンという音がする)、じきにこなれてきて終結(大団円というより駆け抜けるといった感じ)に向けて攻撃的な手を緩めない。演奏的にも統制されている。木管が美しい。弦はこんなものか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),ミュンシュ指揮ORTF(DISQUES MONTAIGNEほか)1964/8/19エジンバラ祭LIVE・CD,,モノラルなのがどうにも惜しい。フランスオケの繊細で色彩的な音色が損なわれてしまっていることは否定できない。またライヴならではの少し雑然としたような箇所も見受けられる。しかしこの演奏、喜遊的な雰囲気がよく表されていて、聴いていて気持ちがいい。ミュンシュのルーセルとしては1番には挙げ難いが、退けるには惜しい特色ある盤である。交響曲第4番ならびにバッカスとアリアーヌ第二組曲(同じDMレーベル(living stage再発)の1962/6/5録音とは別で、1966/11/22(ina配信では1966/12/4放送記載)録音のもの)とのカップリング。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),ミュンシュ指揮WDRケルン放送交響楽団(WEITBLICK)1966/9/30live・CD,,細部まで明晰なステレオ録音。軍隊みたいな一楽章に圧倒される。厚い和音が一糸乱れず、ザクザクと重く切り裂くように迫ってくる。こういう響きこそ必要だ。ルーセルはドイツオケに向いている。ただ構造的な部分を無視とは言わないが流れと勢いの方を重視しているのはミュンシュ流で(二楽章は印象に残りづらい、もっとも内声は良好な録音のため実によく聴こえる)、ERATO録音に似た印象を与える。スケールを保ち、決して前に流れない四楽章の迫力も出色。これはERATO録音とは違う点かもしれない。拍手なし。ほんとにライヴ?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),ブーレーズ指揮ニューヨーク・フィル,,分析的な棒が前記ルーセルの特徴をひときわ浮き彫りにしている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),〇ブーレーズ指揮ニューヨーク・フィル(CBS,SONY)CD,同上,こういう演奏が逆に面白いと感じていたのもかなり昔のことになる。遅い足どりで整形美人が闊歩する・・・擦り足で。NYPの弦楽器の弾きかたはどうもレガート過ぎる。キレがない。響きは透明で美しいのだが、聞き心地は希有壮大で鈍重である。なるほどマーラーをやろうとしているのだな、と二楽章の重厚でロマンティックなうねりを聴きながら思った。オケのせいかブーレーズのせいかは知らぬ。静かな場面のウェーベルン的音響にはたしかにブーレーズが聞き取れる。重心の低さはどちらのせいでもあるのだろう。ただ愉悦感だけ与えるのではない、何かしらを言わせようとしている点は評価できよう。NYPに抵抗のある人には勿論推薦できないが、マーラー好きや分析好きには(様々な小技が十全ではないもののよく聞き取れる)薦められる。テンポよく進む三楽章は名演だろう。しかしロマンティックだな〜。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),マルティノン指揮ORTF(ina配信)1970/5/4ボルドー大劇場(ボルドー五月祭)live 6/21放送,,師の代表作を振った記録ということで興味深く聞き始めたが、落ち着いたテンポに四角四面の表現で拍子抜け。マルティノンらしいとも言える響きだがこれが徐々に熱をおびはじめ、シンバルの音に煽られるように迫力が増していく。二楽章が確信犯的にドラマティックで出色。力強いがあっさりとした三楽章、コンマスソロの入る緩徐部が丁寧過ぎて間がもたない感もある(響きはとても美しい)がしっかりとした足取りでスケール感を出した四楽章は、チェリを思わせる構築性があり、好きな人は好きだろう。徹底した明晰な響きへのこだわりは、この曲が野蛮主義を利用した受け狙いな作品ではなく、まぎれもなく現代フランスへ続く系譜に連なる作品であることを意識させる。もっともミュンシュ好きには物足りない。voxのプロコフィエフ交響曲全集を想起させる。この時期にしては音が悪い。inaにはもう一種ある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),マルティノン指揮ORTF(ina配信)1975/1/6(放送),,おそらくライヴではなく放送用録音。構築的な演奏ぶりは別録と変わらないがいくぶん「内圧」が高いというか、熱量が大きいように感じた。冒頭はやっぱり叩きつけるような激しさがほしいものの、磨き上げられた響きと透明なアンサンブルはマルティノンの持ち味として堪能することができる。二楽章もよいが後半楽章楽しめる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),マルティノン指揮ORTF(warner,icon,ina/ina配信?)1970/6/21シャンゼリゼ劇場live・CD,,実は、このマルティノン後期録音集ボックスを知ったのが最近で、バラバラ集まっていたフランス秘曲CD、eratoからEMIの録音が網羅されているばかりかina所蔵のライヴ音源(しかもina.fr配信の音源と違うもの!)等初音盤化トラックも多くて、14枚2000円台とはなにごと!と思った。昨今古いモノラル音源や余りに名の通った指揮者の音源ボックス叩き売りは多いが(そしてその多くがEMIからワーナーに流れたものだったりするが)、マルティノンクラスの指揮者でこれをやられると、今までの投資なんかどうでもよくなって、聴いてない音源をひたすら再生させ続ける日々になる。つい最近もプレートルで。。このライヴ、データ上は初出だが、ina配信のものは放送日が記載され演奏日とは限らないので、ダブっているかもしれない(確認したところ音源には6/21という日付だけが記載され演奏日・場所は第三者による推定なので、同じ可能性が高い)。もっともあちらはストリーム配信、もしくはmp3なので耳にはこちらのほうが優しい。,,と言って、正直これはちょっと打楽器のドガシャーンで誤魔化しているようにも思う。オケに弛緩が否めず、集中力を欠いているかのように聴こえるところがある。これをスケールがでかくなった結果と取るか、統率力の問題と取るか、解釈の問題ととるか。そのすべてだろうか。でも、ina配信で聴いてない方には、このルーセルの弟子が同曲に籠められた意図、特にバレエ音楽的な要素や、前衛的な響きや陶酔的な表現を強調することによって師の歴史的位置を改めて示し直したものとして、薦められる。娯楽作品というだけではない、この曲にはこれだけ情報がこめられているんだ、というのをついでにユーチューブ的なところで何年か前のプロムスライヴで視覚的にも確かめて(あちらBBCsoなのに緩いがルーセルの効果的なオケ(とくにブラス)の使い方がよくわかる)、楽しんで欲しい。最後の妙に性急な終わり方はマルティノン独自のもの。一声ブラヴォが入る。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),ル・コント指揮ORTF(ina配信),1965/3/11放送 live,,ステレオだがバランスが悪くペットなど引っ込んでいるためアンサンブルが今ひとつピタッとハマって聴こえない箇所が散見される。一楽章など音響も空疎で客観の勝る演奏に聴こえるが、演奏の実態を録音が伝えきれていない可能性がある。二楽章後半の盛り上がりはミュンシュを思わせる攻めの姿勢で胸がすく。最後のコンマスソロが掠れるのを聴いていて、他の場面の瑕疵もひっくるめるとオケ全体として少しコンディションが悪いのかもしれない。四楽章のラストで弦楽器の音量が上がらずブラスと乖離したようなのはどうなのか。だがさかんにブラヴォが飛んでいるのを勘案すると悪くはなかったはず、これも録音のせいかもしれない。ミュンシュより現代的に整っているがマルティノンより主情的で耳馴染み良い演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),○ボルサムスキー指揮ライプツイヒ放送交響楽団(URANIA)LPモノ 1楽章が良い。ライプツイヒが巧い。ドイツの響きはルーセルの別の面を 浮き彫りにする。ホルンなど水際立っているのにしっかりとした響き に惹かれる。弦も良い。後半楽章に少し弛緩が見られるのが残念。弟子マルティノンの盤にお目にかかったことがないが・・・(2番はあるのに),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON)57年ディスク大賞。明快で色彩的。やや軽い。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),クーベリック指揮シカゴ交響楽団(LIVE SUPREME:CD-R)1983/11/3無修正LIVE クーベリックがルーセル?と思って聞いたのだが、あんまり印象に残らなかった。この曲は演奏者を選ぶ。そしてたいていの演奏家は失敗するのだ。何故だろう。楽天的なのに真剣、といういかにもフランス的な矛盾、それを描く事が出来るのは、ミュンシュやアンセルメらご当地指揮者に限られて許されたものなのかもしれない。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),クーベリック指揮シカゴ交響楽団(CSO)1983/11/3,4,6LIVE 11/3のCD-R盤を以前挙げたが、これはそれも含めた三日ぶんの演奏を編集してとりまとめた正規盤である。いくぶん引き締まりきっちりと演奏されているように聞こえるが、印象はさほど変わらない。というか余り個性的な響きはない。そんなところか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI)感覚的で繊細だが、穏かにすぎる感もある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:交響曲第3番(1929ー30),バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(SONY)1961/9/25この曲にしてはやさしい出だし。拍節感が若干だが弱い感じ。緩めのテンポのせいもあろう。非常に色彩的な演奏で、バーンスタインの力を感じる。ややうるさい感もあるが、そういう曲だから仕方ない。最後の急アッチェルからの盛り上がりは盛大だ。粘らずストレートに終わるのも潔い。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:交響曲第4番,○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(brilliant)1956/5/19live・CD,,一連の新作演奏会の記録でこの曲については知る限り初めての音盤化ではないか。ブリリアントの驚異的なガウク集成第二集に収録されている。余りに音が悪いうえマイナー曲ばかりでいくら単価が安くても手を出しづらそうな組ではある。ボロボロの音質でもガウクとソヴィエト楽団のリアルに強引な音作りぶりははっきり伝わる。正直肉感的過ぎ、調和より自己主張をよしとするかのようなクラスターとしての迫力は、ルーセルの簡潔できっぱりした語り口をぶよぶよの豪傑のそれに変えてしまう。ひときわ半音階的で新鮮なラインやコード進行を織り交ぜ初期に立ち返ったようなリリシズムをたたえた高音楽器が組み込まれている(この人にしては)複雑な様相をていした最後の交響曲、ガウクはわりとコスモポリタンな曲の指揮をした人なだけに繊細なフランスものでも納得させる職人的なさばきかたができるが、ルーセルだからリズムの強さはあっても鋭さがない以上違和感が否めない。構成的にはやや散文的なこの交響曲を強引に最後までつき動かす力は聴き易さに繋がっているが、違うもののように思う。ただ管楽の上手さ、フルートの美しさは印象的だった。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第4番,○カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)1949/11・CD さすがモノラルでも明晰な録音である。プロデューサーはレッグ。気合いの入った曲の好きなカラヤン、さすがの迫力だ。粘らず前進的なテンポも清々しい。割合と分厚い響きの好きなカラヤンだが、ただでさえ分厚いルーセルの書法の上ではむしろドライな感覚でやりきっている。カラヤンらしい豊饒なレガートが聞ける2楽章など感情的にもかかわらず確かな造型感覚がある。手綱をしっかり握っているのだ。この楽章は聞きもの。曲に包蔵されたロマンティックなものを白日のもとに引きずりだし、絶妙のバランスで非常に解りやすく表現している。このようなマニアックな曲からこんな面白みを引き出すなんて、さすが。3楽章ちょい重。4楽章も響きの重さを払拭できないでいるが気合いで説得力を獲得している。ガシガシきます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:交響曲第4番,○シェルヘン指揮フランス国立放送管弦楽団(INA,TAHRA)1953/10/29放送LIVE・CD この曲は最初から謎めいていてイマイチわかりにくい印象を与えるかもしれないが、噛めば噛むほど味が出るスルメのような作品だ。この演奏で10分という圧倒的な長さの緩徐楽章2楽章が中心となるが、ルーセル特有の晦渋なラルゴが嫌いな私みたいな者にとっては、この壁を越えることは難しい(ちなみに1楽章は8分半(これもレントから開始)、3楽章アレグロ・スケルツァンドは2分40秒、終楽章アレグロ・モルトは3分40秒)。死去報道のあとひょっこり顔を顕したルーセルの晩年作であり、3番あたりで確立した単純明快な新古典主義的作風から更に一歩思索的に進んだ作品である。とはいえやはりシェルヒェンには代表作である3番を捌いて欲しかったものだが(あの激しいリズムを聴いてみたかった!たぶん構造的にしっかりしたオネゲルのような演奏になったのではないか)、切っ先鋭いシェルヒェンの発音は特にアレグロ部においてギチギチに発揮されている。ただ、原曲の急進部が余りにもあっさりしているというか、3、4楽章なんてほとんど小組曲程度の規模しかないため、終わった後、かなり食い足りなさが残る。共に喜遊的な楽想が魅力的な楽章なだけにもったいない。ただ遅い2楽章だけでも深くドラマティックな情感の盛り上げがあり、やはりこの楽章を書きたかったためにまとめられた作品なのだな、とも思う。シェルヒェンのドラマの盛り上げは曲をより解かり易くつたえる。ルーセル得意の対位法的構造を厳しく磨き上げた非常に充実感のある演奏が聞ける。フランス系の指揮者の演奏のように徒に開放的にならずどこかほの暗い色がある。その不透明な世界の中で非常に構築的な演奏が繰り広げられるところにドイツ的な音楽観の存在をはっきり感じさせる。オネゲルの項でも書いたが、シェルヒェンの手によってローカルなフランス色が払拭され、純粋に律動と構造だけの音楽に立ち返った感があり、この種の近代音楽が苦手な向きにも楽しめる要素が確かにある。楽想と楽想の間の激しいコントラスト、重くも前進的なリズム性の徹底、ハーモニーの妙はそれほど聞き取れないが(フランス音楽の根幹に関わる要素だけど)起承転結の明快な設計が施された緻密な演奏となっている。録音も部分的には撚れるが全般にいい。ライヴと書いたが放送用の一発録りということであり拍手は無し。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第4番,○ツィピーヌ指揮ラムルー管弦楽団(CAPITOL),,比較的冷たい響きでアンゲルブレシュトを現代的に整えたような演奏に感じた。1楽章本編に入ってからつんのめり気味なテンポでどんどん前にいってしまうのはちょっと独特だが、あとはかなり全体の均整の考えられた演奏で、モノラルながら適度に色彩的でもある。わりと急ぐわりに中庸だが、まあ○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第4番,○マルティノン指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1965/10(67/3?)live,,現代的な演奏で客席反応も現代的。アナウンサーはクレジットと異なり67年のライヴと言っている。明晰な演奏で一片の曇りもなく、この曲につきまとう若干晦渋で暗いイメージはまったく払拭されている。いや、ちゃんと分析して解析して組み立てればルーセル晩年作品に曇りがあるわけがないのだ。この人は極めて理知的な楽曲構築の方向に向かった分類上は新古典主義の作家さんなのだから、演奏側が「厚ぼったすぎる」からといってバランスを鑑みずクラスター状にハーモニーを積み上げていくだけでは駄目なのである。演奏機会が決して少なくなかった人だと思うが机上論理だけでかかれたような実践的でない作品が晩年のとくに室内楽に散見されるのはどういった理由なのかよくわからない。しかし、マルティノンはそこを承知できちっと「叙情的な旋律vs各声部に非常に微妙な音量バランスを保つことを要求するハーモニー」という構図を構造の中に浮き彫りにして、わかりやすく、清澄にきかせることに成功している。まったくマルティノンふうの演奏であり、シカゴもその機能性と音色の美しさを崩さずに同調して音楽をやりきっている。冒頭からしばらく続くティッカーノイズのようなものがなければ、相対的に◎にできたであろう、ライヴであることが信じられない高精度演奏。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第4番,◎ミュンシュ指揮フランス国立放送管弦楽団(DM/ina配信)1966/9/13live(10/13?)・CD,,クリアなステレオ録音。かなり生々しく、ブラス陣の美しいひびきがよくとらえられている。ミュンシュの気合声もクリアに聞こえる。ルーセル晩年の美質がくぐもった晦渋な方向ではなく透明で繊細なドビュッシー的方向に向いて聞こえるというのは、ロマンティックなミュンシュの解釈のためもあるが、録音状態の勝利だろう。厚みのあるじつにスケールの大きな録音だ。1楽章にも増して2楽章はクリアで、響きには怜悧さよりぬくもりが感じられ、まるでマーラーのような音響世界が展開され、素直にメランコリックなペット、サックスや木管ソロがオリエンタルな旋律線の奇矯さよりも、安定した一種諦観に近い世界観の構築に役立っている。このオケは高弦の音が中性的で幅がなく余り魅力がないが、打楽器と管楽器と低弦でその物足りなさを補っている。構築的というより印象派的で、少し点描的な印象も受けた。3楽章は元気なアンサンブルのスケルツォだがやはりルーセルのちょっと病的な奇怪さが殆ど感じられず、ブラームス的なスケルツォ楽章にすら感じられた。木管、弦の機能性が光る。数十年前のウィーンを彷彿とさせるような生ぬるさがきびきびと律せられて提示されるさま、ルーセルがドイツで受けたのがよくわかる演奏である。フランツ・シュミット的だが変に変奏を繰り返さず形式的にきっぱり短く楽曲を切るところは違う。4楽章はまさにフランスふうの木管と弦のピチカートなどによる爽やかな主題提示からオリエンタルな展開が弦を中心に広がっていく。楽曲の問題でもあるのだがややとめどなく不思議な軽さがあり、客観性を感じる平坦な演奏になっている。しかしリズムが単純で明瞭ゆえに「整えた感」はなく流れはよい。過不足なく挿入されている打楽器要素の表現もきっぱりしていていい。ハスッパになりがちなところでも抑えたブラスはミュンシュがやや冷静に引き締めてこの楽章を演奏していることがわかる。不思議にきっぱり終わる楽曲に対してだろう、戸惑いの声も聞かれる終演後の拍手。録音の功績が大きいがまずもってこの曲の記録としては◎。ライヴなりの生き生きしたところが聞き所。,,ina配信のデータは10月になっているが、誤りか放送日。,-----,,,,,,,,,,,
ルーセル:交響曲第4番,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1965/2/15live,,これは素晴らしい演奏なのだけれども録音が雑でちょっと聴きにくい撚れ方の部分もある。オケのボリュームと技術的なレベルの高さとアンサンブルの巧さと、癖の無い安定した音表現がこの癖のある曲の晦渋で濃い灰汁を抜き、それをルーセルの解釈者としては史上最高といっていいミュンシュが自在に動かしていく。冒頭の非常に謎めいた序奏を除けば、2楽章のエキゾチシズムが前衛に埋没するような晦渋な音楽を除けば、楽天的で古典的な交響曲として楽しめる曲なのであり、ミュンシュはそういう部分のリズムどりが巧い。ルーセル特有、リズムセクションですら分厚い和音によって鈍重にさせられてしまうという弱点が、ミュンシュにかかると軽くびしっとまとめられ克服させられる。オケの技巧が背景にあれば言うことなしだ。けしてリズム系指揮者ではないけれどもルーセルは特別である。前記の聴きにくい箇所も下手に山気やムラ気を篭めず、スコアのままかっちり聴かせることで額の皺を最小限に留めてくれる。聴衆反応もいい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響曲第4番,フレイタス・ブランコ指揮ORTF(forgottenrecords)1960/02/11live,,派手でガツンガツンくる精力的な演奏で、謎めいた暗闇、あるいは浅浅しい律動を一貫して意味あるものとして、正面から突き通していく。スピードや力感こそミュンシュを思わせるも、ミュンシュ特有の肉感的な変化の付け方はせず、音色はカラフルで旋律はリリカルで、そこにド派手な音響で有無を言わせない。ブランコにこういう暴力的ですらあるやり方ができたのか、という面と、ルーセル適性を強く感じる。ルーセルの中でもクセのある構成の交響曲だと思うのに、ベートーヴェン的起承転結がついて、拍手でおわる。モノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響詩「エヴォカシオン(喚起)」抜粋,○ビゴー指揮ORTFフィル(FRENCH BROADCASTING PROGRAM)LP,,FRENCH BROADCAST PROGRAMの放送音源シリーズ収録になるスタジオ録音で復刻不明。録音はやや悪いモノラル。エヴォカシオンはメジャー系ではプラッソン盤くらいしかないと思うが、ルーセルが印象主義からオリエンタリズムを取り入れた独自のバーバリズムに移行する時期の作品(本来は声楽を伴う大曲)。野蛮といっても蜘蛛の饗宴に近似した前時代のバレエ音楽的な表現にとどまり基本美しい。ビゴーは実直というか職人的というか、はっきりした輪郭を作りながらも響きに繊細な配慮が行き届いたバランスよい演奏に仕立てている。しかしこの抜粋では15分しかないからダフニスでいえば夜明けしかないようなものでもやもやが残るなあ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:交響詩「フランドル狂詩曲」,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1959/2/13live,,非常にフランス六人組的なキッチュさが目立つ曲で、どっちつかずの浅薄さが否めない。ルーセルとはすぐわかるものの、長々しさ含め魅力的とは言えないなあというのがこの曲の印象だった。ミュンシュも冴えない。録音のせいもあるにせよオケが余りまとまっていない。リズムも甘いように感じた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:合唱付バレエ音楽「エネアス」,マルティノン指揮ORTF他、クレーデル(ina配信)1970/4/22放送 live,,1935年ブリュッセル万博のためにシェルヘンから委属された作曲家最晩年の大作(以前のパドマーヴァティに比べれば小規模だが)。ベルギーの歌劇台本作者Joseph Weteringsによる同作には最終合唱 “A Hymn The Roman People”〜ムッソリーニの国の首都ローマを想起させフランス人を怒らせた〜が含まれていたので、論争の的になった。バレエがパリに到着するには3年かかった(1938初演、作曲家の没後)。その後もめったに上演も行なわれず、1960年弟子マルティノンによってeratoへ録音された。しかしながらその後も演奏はほとんどなされていない。これは同じマルティノンによるライヴになる。,,曲は劇性が高く、40分余りかかるがルーセルの少し癖のある作風〜重いリズムと生々しいオリエンタリズム(若い頃の「セレナーデ」にある南洋の鳥のようなうわずったポルタメントも聴こえる)〜が職人的な腕によって引き伸ばされ、聴きやすくなっている。最晩年作品としてはやや後退した感もあり、ルーセルならではの書法は定型化しているものの、しっかり出来上がっている。反面正直飽きてしまうのも確かで、死亡説流布後に発表された4番交響曲の内省っぷりを求めても裏切られる。マルティノンはセッション録音にくらべわずかにライヴ的な攻めの音楽作りを持ち込んではいるが(そのせいか最初の方で縦がズレかける)、原曲のせいもあって全体構成は弱いように思う。オケはしっかり表現しておりマルティノンの作為的な彫刻より音楽的な調和が前に立っている。録音状態は放送レベルでは良好なステレオ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ルーセル:詩篇80番,セネアル(t)ツィピーヌ指揮パリ音楽院管弦楽団、パリ大学合唱団(EMI)CD,,比較的重い響きをもち半音階的なうねる低音部をともなう古風なメロディなど、ルーセルらしさともとれるが少し野暮な雰囲気が続く、と思いきやエキゾチックなフレーズがあらわれ、しばし新鮮な空気に触れるとルーセル特有の単純で強いリズムがしっかりした、若干攻めた響きに支えられて最盛期の作風に至る。高音の長い音符の下で不可思議にゆったり揺れる旋律など前衛にも受けていたこの作曲家の独創性を象徴しており、それが単なる前衛で終わらず、「セレナーデ」を思わせる次世代印象派的な魅力を持っているのが素晴らしい。ちょっと色々と変化に富みすぎて散漫な感もあるが、歌曲や合唱曲も多く残したルーセルの歌唱の扱いも自然でうまい。ツィピーヌはルーセルの譜面に示された変化をデフォルメすることはないが、聴きやすくまとめている。合唱などなかなか良い。モノラルのスタジオ録音。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:小管弦楽のための協奏曲,○ザッハー指揮ラムルー管弦楽団(PHILIPS),「組曲」と同時期、3番シンフォニーを準備する時期の作品で、やや長いが組曲作品に通ずる簡潔さの感じられる作品だ。オケコンという名前がついているだけあってソロでむき出しにされる楽器もあり、コンチェルトふうの走句の掛け合いのようなものも聞けるが、そういう要素はあまり目立たない。響きはしばしば複調的で晦渋さが感じられるが、ザッヒャーはプーランク的に軽くすっと響かせており、六人組の楽曲を聴くような牧歌的でのほほんとした暖かさが感じられるものとなっている。冗漫さもないこともないが、ルーセルにしては面白いトリッキーな構造で、聞き込める余地のある作品だ。◎にしたいがまあ曲的にやや落ちることを加味すると○が妥当か。,,2010年現在WEB通販にて板起こしCDが入手可能。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ルーセル:小管弦楽のための協奏曲,◎デルヴォ指揮コロンヌ管弦楽団(EMI/PATHE)1981/4/30,,LPカヴァーが何と音楽好きで知られたルドンの物凄く美しい「ルーセルのエヴォケイション(復活、ルーセルの初期作品として知られる)」!この演奏はとにかく録音のよさ、交響曲として立派に聴きとおせるほどに大きく、繊細かつルーセル特有のリズム感や響きを聞きやすくならしている。この円熟期の曲にはけっこう古い録音もあるのだが、新しいもので聴くとルーセルが印象派と新古典の狭間で揺れた作曲家だったことが改めて両面から確かめられる(たいていは後者ばかりが強調されがちなのだ)。美しくてデリカシーのある演奏。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:小管弦楽のための協奏曲,スワボダ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(EDITION LIMITEE)スワボダの中欧風の指揮ぶりが南欧のルーセルの響きに重みを与えてしまっている気がする。曲はいつものルーセル節、交響曲第3番の小管弦楽版と考えてさしつかえない。機知に満ちたパッセージも硬質な抒情も、交響曲第3番には及ばない。個人的に、完成期のルーセルはせっかくドビュッシズムの延長上に花開いた瑞々しい感性やインドシナ音楽の影響下に結晶したエキゾチシズム溢れる旋律組織を捨ててしまい(完全にではない、自分の中に完全に吸収してしまい構造の一部にした)、ストラヴィンスキーのバーバリズムや新古典様式をあからさまに取り入れて、マニアかプロしか寄せ付けないような、ぎしぎし軋み音の聞こえる運動的楽曲を造り上げてしまった。旋律や和声で独特で魅力的なものは少ない。それでもミュンシュやマルティノンは素晴らしく聴き易い演奏に整理して提示していたものだが、スワボダにはちょっと重いか?盤面も悪くて○をつけられない。すんません。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:小組曲,◎ザッハー指揮ラムルー管弦楽団(PHILIPS),,パウル・ザッヒャー氏が亡くなっていたということをつい半年前まで知らなかった。数年前、90代の現役指揮者として来日するとかしないとかいう記事を新聞で読んだ記憶があり、バルトークやオネゲルなど20世紀前半の大作曲家を後援し作品委属ならびに演奏を行った時代の生き証人が、まだ現役であるということに感慨を覚えたものだ。このまま死なずにえんえんと生き続けるのではないかと思うほど精力的な活動を続けていたこの人も、結局鬼籍に入ってしまったのか、と落胆した。言わずと知れたスイスはバーゼルの室内楽団の主宰者で、ごく若い頃から既にバリバリ演奏活動を行っていて、演奏精度は他の追随を許さなかったと言われる(そのわりに録音が極端に少ないのはどうしたものか、私もこのほかにはオネゲルの1枚くらいしか持っていない)。それにしてもロザンタールも亡くなってしまったし、いよいよ20世紀音楽も過去のものとなりつつあるのか。うーん、悲しい。さて、これはもうほぼ同時期の3番シンフォニーと並んでルーセルの代表作と言っていいだろう。バレエ音楽で見せた溌剌とした躍動性と硬質な叙情性がオーバード、牧歌、仮面舞踏会の3つの楽章に凝縮されている。シンフォニーよりわかりやすく、簡潔で引き締まった楽曲だ。ザッヒャーは明るくしなやかな音楽を描く。それは不思議なほど垢抜けていて、ルーセルの欠点であるリズムの鈍重さもまったく感じさせない。これも欠点、分厚く脂ぎった響きも見事に灰汁抜きされ、非常に軽やかに、まるで遊園地の音楽のように懐かしいセピア色の感傷を秘めたものへと昇華されている。楽天性はルーセル本来の持ち味だが、それがたとえばミュンシュがやると管弦楽の重たさと相克してしまい、今一つ入り込めない人を産み出してしまう。だがザッヒャーはこの曲で一番晦渋な緩徐楽章「牧歌」においても、ミヨー的なひびきの晦渋さを極力おさえ、わかりやすい調性的な主題を過剰にならないように巧く浮き彫りにしている。ともするとストラヴィンスキーの影響を過大に誇張するようなどぎつい色付けをされがちなルーセル作品であるが、ザッヒャーの適度な透明感と適度な艶美性があいまったきらめくように鮮やかな色彩感は実に見事と言うほかなく、そのすがすがしさ、楽しさはもうこの上ない。アンサンブルも完璧。引き締まった弦楽、規律正しい木管・金管はしかし堅苦しさの微塵もなく、音色やフレージングには遊び心すら感じられる。曲がザッヒャーの性向と見事に一致していると言ったらいいのか。至上の幸福感を味わえる演奏だ。文句無し◎。,,,2010年現在はWEB通販でプライヴェート板起こしCDが入手可能の模様。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ルーセル:小組曲,○チェリビダッケ指揮ベルリン交響楽団(ARLECCHINO)1949/5/5LIVEじつはフランスの作曲家ではルーセルがいちばんこの指揮者このオケにあっているような気がする。なんだか安心する。すこぶる厚く構築的な楽曲がチェリの冷徹な分析能力をしてその特徴を最大限に引き出されたものになっている、とまでは言わないが、ちょっとごちゃっとしてしまうところはあるにせよ(ルーセルの曲はごちゃっとしないほうがおかしいのだが)重量感のある舞踏音楽が繰り広げられる。これは何度も聞くと良さがわかってくる演奏、機会があれば聴いてみてください。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:小組曲,チェリビダッケ指揮ベルリン放送交響楽団(TAHRA/AUDIOPHILE)1945/7/24放送録音こんなゴジセイにこんな軽い曲をよくまあ演奏したものだ。ルーセルはディーリアス同様ドイツで人気があったそうだが、この演奏を聞く限り果たして本来のウィットと機知に溢れたルーセルの芸術を理解して演奏していたのだろうかと疑問に思ってしまう。はっきりいってこの演奏は変。妙にたどたどしく重々しいリズムに不安げな旋律線、チェリらしい透明感はなく、暗い雲に覆われたような演奏になっている。終戦前後の貴重な演奏のひとつには違いないが、純粋に楽曲を楽しむ事はできない盤。そんなところか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ルーセル:小組曲,○チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(EN LARMES:CD-R他/EMI)1990/2/9ミュンヒェンLIVE・CD,,リズムは重いが音が軽く透明感があり、一定のスケール感を保ちながらも洒落た雰囲気を持ち合わせた独特の演奏。1楽章のサーカス音楽のような世俗的な主題も上品で美麗。フランスらしさよりドイツらしさが勝った構築的で遅い解釈なのに、音に深みを持たせずにさらりとやっているから、ルーセルの「濃ゆさ」が薄められとても聞きやすい。3楽章の暴力的であるはずのリズムも一切力みが無くて綺麗だ。盛り上がりはイマイチだがルーセルの演奏としては一つの見識を示しており特筆できる。○。EMI盤とCD-Rは同じ演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ルーセル:小組曲,チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(WME:CD-R)1990/2/10live,,重いし感興がない独特の演奏。喜遊曲なのに喜びも遊びも感じられない。客観主義の権化というか、確かにもっと(もっと!)いい音で、たぶん会場であればルーセルに秘められた響きの変化の素晴らしさに感動しこの録音の最後にきかれるようなブラヴォを叫ぶようなこともあったろうが、この粗雑な録音ではちっとも「カロリー低いなあ」以外の魅力を見出し得ない。一日違いのライヴについて以前書いた印象と同じ。下手すると同じか?WMEは全般エアチェックなだけにとどまらず音が悪いので注意。,-----,,,,,,,,,,,,,
ルーセル:小組曲,○ミュンシュ指揮パリ音楽院管弦楽団(DUTTON他)1946/10/9・CD,,ややカイジュウさを帯びた小品で、喜遊的ながら影もあるオーバード、特有の不協和な響きをもつ長いパストラレ、そして重々しくも華麗なマスカレードと、連続して演奏されるルーセル後期を煮染めたような曲。尻すぼみの終わり方も4番交響曲を想起する謎めいたもの。ミュンシュはその中に楽天性を見出だしロマンチックな音楽に昇華させている。オケは色彩的でよい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:木管五重奏とピアノのためのディヴェルティスマン,○ランパル(fl)ランスロ(cl)ほかフランス木管五重奏団、バイロン・ラクロワ(P)(HORIZONS、AJPR)1957/6/20・CD,,初出か。なんと作品番号6であるがルーセルは初期のほうがよかったり完成されていたりする、まったく違和感ない。僅か異国趣味があるがそれよりこの組み合わせである。ピアノがハープのようなリリシズムをたたえその上でしっかりアンサンブルが組み立てられ、しいていえばクラとバスーンが目立つが、どこかのパートが目立ちまくる、というようなバランス悪さは皆無。もちろんランパルも地味である。比較的低音域の楽器のうまさが魅力的だった。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:木管五重奏とピアノのためのディヴェルティメント,○バイロン・ラクロワ(P)フランス木管五重奏団(ランパルほか)(DISCOPHILES FRANCAIS)1955/2/14,,A面のセレナードはCD化しているがこちらは不明。作品番号6の作曲的初期作品だが上品で既にルーセル的な味のある音楽になっているのが面白い。小品ゆえ余り話を拡げられないが、アンサンブルの巧い演奏、とだけ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ルーセル:夜のジャズ,○リッター=シャムピ(Sp)作曲家(P)(PHILIPS)1929・CDどこがジャズ!?伴奏のリズムや和声にはそれらしい雰囲気はあるが、ソプラノのうたう旋律はフランス近代そのもの。ルーセルらしい晦渋さも織り交ざる歌曲です。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,