-2019/1/9ravel(修正)※未掲載リスト未反映
ラヴェル/シャルドン:ハバネラの主題による小品,○シャルドン(Vc)ミトロプーロス指揮ミネアポリス交響楽団(nickson)CD,,これ、ラヴェルの原曲がわからないんですよ。スペイン狂詩曲でも使われた有名なハバネラではありません。ごく短いので、軽い雰囲気のある演奏、とだけ言っておく。深みは無い。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,◎コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(LYS,DANTE他)1930/10/26昭和7年のフランス・レコード・グランプリ受賞盤。初曲からしなやかで生命力に溢れた音楽作りが鮮烈な光をはなっている。夢のように軽やかで美しい演奏だ。コッポラは速いテンポで時にはなんの感傷も与えずに突き進む。しかしここではじつに雰囲気たっぷりでいかにもラヴェルふうの儚い幻想を紡ぎ出す。テンポの揺れがほとんど無いにもかかわらず音の色彩だけでキャンバスを埋め尽くしている。素晴らしい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(lys他)1930/10/26・CD,同上,1932年ディスクグランプリ受賞SPからの板起こし。内声が聞こえず、ラヴェルの仕掛けた多彩な響きや微細な動きが聴き取れないのは痛いものの、オケの(鄙びた音色はともかく)この時代とは思えない厳しく律せられた機能性、SP特有の事情もあったと思われるがやたらと速いテンポ設定、とくに一貫して揺れず、分節ごとにはっきり変化を付けるデジタルな感覚、醒めた器械的な音構成は、平板な録音であってもはっきり「ラヴェルらしさ」を感じさせる。旋律だけで充分にラヴェルを伝えられる、旋律を構成する楽器それぞれ、あくまでテンポは一定に保ちながら微細な謡い回しを徹底させ、時に独特の美質を与えている。終曲中盤の南欧風の歌い方は効果的だ。ピエロ・コッポラの録音芸術(この人は比較的近年まで存命だったが同時期一気に大量のSP録音をなしただけで実演も全くやらなかった)、技巧的で機能主義的な態度はもともとドビュッシーよりラヴェルに向いていたのだろう。内声が聞こえない内声が聞こえないと書いたが、この時代にしてはラヴェルの先鋭なひびきを収めようとして、ある程度成功している。そこが受賞理由の一つでもあるだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,○ゴルシュマン指揮コンサート・アーツ管弦楽団(NAXOS/CAPITOL)CD,,水も切れるような溌剌としたリズム、速いテンポにびっくり。颯爽と、明瞭なアーティキュレーションで曲を細部まで鮮やかに描きあげていくゴルシュマンに賛美。こういう音楽もいい。典雅なオケの音も解釈にマッチ。繊細なたぐいの演奏ではないがラヴェルにはこれもアリだ。私のLPは状態が悪すぎるので音の詳細が聞き取れないゆえ○にとどめておくが。あっというまに聴けてしまう秀演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,◎チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(METEOR/SARDANA:CD-R他)繊細で美麗な響きがイマジネーションを刺激する。弱音の魅力に溢れた演奏であることに驚く。チェリの別の一面を見せられる思いだ。ドイツ的な地に足のついた演奏であり、解釈に遊びを入れない律義なところもチェリらしい。でも、軽やかさを感じるし、音色変化に感興もおぼえる。ラテン系の演奏家とはあきらかに異なる演奏ぶりであり、「クープラン交響曲」とでも言うべきしっかりとした構成感のある演奏にも関わらず、これはまぎれもなくラヴェルの音楽であり、あのクープランの墓そのものなのである。テンポが揺れないのが特徴的で、縦の音響の神経質なまでのこだわりに比べ横のテンポが一本線なのはいかにもチェリらしい。2楽章などもっとテンポを舞曲っぽく操作してもいい気はするが、まあこれもありか。この演奏の白眉は1楽章前奏曲。ミュンヒェン・フィル木管陣の天上的で夢幻的な素晴らしい演奏を聞ける。木管大活躍の同曲に対してミュンヒェンの木管陣がここまで素晴らしく表現できていることに感動する。アンサンブルの完璧さも合わせて、◎をつけておく。これは最高だ、正統でないにしても。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(mphil他)1984/4/18,19live・CD,同上?,落ち着いたテンポで張り詰めたようでも暖かい音で紡がれる、マ・メール・ロワのような世界。音の一つ一つをしっかり表現させ、踏みしめる足取りの明確さからなぜかリズムの心地よさが感じられてくる。こういう表現はチェリビダッケ独特のものだろう。ドイツオケらしい重さや音色は無くはないが、気が付かなければ気が付かないレベルのものだ。繊細なところまで整えた感じなのに、生気があり聞き心地が良い、ライヴならではか。響き重視のチェリビダッケはピアニッシモの長い音符に現れる、三楽章の結部近くは聞き物。おしなべてソロの木管楽器が出てきたら耳を澄ませよう。四楽章は残響がキレを損なう感もある。しかし、ここでいたずらに弾けないのもチェリビダッケだから、これでいいのだろう。拍手はやや普通。リリカルな佳演。ミュンヒェン・フィル自主制作盤、ほぼ海賊盤で出回った音源だが録音の良さは段違い。このトラックは2日間の編集版とのことで、この形では海賊盤でも出ていない可能性がある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,○チェリビダッケ指揮交響楽団(ナポリ)(HUNT・ARKADIA)1957/12/17LIVE古い録音だが楽しめた。ラヴェルの精緻な音楽に対してチェリの「美音」へのこだわりはとても的確にハマる。しかしオケ側の都合もあるわけで、この演奏でもオケがほころびる場面が聞かれなくもないが仕方あるまい。木管がいい味を出している。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,チェリビダッケ指揮ORTF(DOCUMENTS)1974パリlive・CD,,チェリビダッケとORTFのタッグは長続きしなかった。そのぶん数が少ないのでina.frをはじめ(動画含め)ほとんどが音源化されているようだが、これは何故か復刻が少ない(今はインディーズで裏青盤があるらしい)。ステレオだが放送音質。僅かな録音瑕疵、ホワイトノイズがあり、人工的な残響が気になるが、それでもチェリの存命中に海賊盤化されたライヴ音源としては、同ラヴェルライヴ集にあってもすこぶる良い方である。ラヴェルは木管を異様に使う。この曲はほとんどが木管アンサンブルで出来上がっているため、フランスオケには有利だ。それぞれの細かなニュアンス表現が美しく、技術的にもすぐれ聴き応えがある。チェリビダッケは精緻というより繊細で、ミスを許さない現代的な態度の裏には細部まで配慮の行き届いた解釈がこのような色彩的な曲であればなおのこそ、魅力を最大限に引き出している。拍手カット。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,チェリビダッケ指揮デンマーク放送管弦楽団(NAVIKIOSO:CD-R)1976/9/16LIVEチェリの遅さには定評があるがこれは結構速くリズムも弾んでいる。音に拘りに拘りまくった演奏だ。タテノリ気味で縦の線が息苦しいほどに揃えられている。しかしリリシズムに溢れとにかく美しい。オケがよくついていっている。チェリの海賊盤としては音質はいいほうだろう。まあ、面白いかどうかは好みを分かつと思う。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,チェリビダッケ指揮デンマーク放送交響楽団(FKM)1971/4/1live,,ホワイトノイズが乗り穴もあり音像の安定しないステレオ録音。環境ノイズも多い。オケは個性的ではなく技術的にもセンス的にも優れているわけではない。細部は聴き取れないが素直なテンポ設定でさらっと流れていく。二楽章は木管の表情付けがやや恣意的で、頭拍の強いアクセントや長い音符のフレージングが耳を惹く。三楽章はとにかく繊細。四楽章は無個性さが出ているが、透明感だけは伝わる。普通の拍手。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,○チェリビダッケ指揮デンマーク国立放送交響楽団(Arlecchino)1968/10/3live・CD,,ソロミスもあるが意外と精妙でかつ躍動感のある演奏になっている。後年のチェリ的な透明感と壮年期のドライブ感があいまって、録音も悪くは無く十分鑑賞に堪えうる演奏になっている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,◎ミュンシュ指揮NBC交響楽団(TREASURE OF THE EARTH:CD-R)1954/3LIVE極度の集中力。ガンガン耳に来る。このあとの「バッカスとアリアーヌ」がもっと凄いのだが、音量を落として聞いても鼓膜が痛くなるほどのリズム表現が頭を揺らしトランス状態にいざなう。速い楽章はみなそうなのだが、特に終楽章の主題が水際立った、いやもう血しぶきが飛び散るような屠殺場のたくさんの包丁の音(変な例えですいません)。ほんと、ミュンシュは力で押しまくり速い演奏で荒れ狂う指揮者だ。NBCということでトスカニーニを思い浮かべるのはおかしくないと思うが、引き締まった響きと力で押し捲るところは確かに通じるものの、どこか脂肪のカタマリが叩き付けられるような重さの有るミュンシュに対して、トスカニーニは極めて筋肉質でしかもプロテインなどを使わない、一見痩せているが贅肉が全く無い、しなやかで力強いブルース・リーのような音楽を生み出した。ミュンシュを評するのにじつは「筋肉質」という言葉を使おうと思っていたのだが、この演奏を聴く限りでも、ちょっと違うかもしれないと思った。若い頃のミュンシュはラヴェル振りで有名だったそうだが、クリュイタンスやアンゲルブレシュト、ロザンタールなどとは明らかに違うもっと濁った感じのいわば「ロマン派の流儀を残した」指揮者のようなところがある。終楽章中間部のワルツ主題がウィーンふうにズレてくるテンポ感にゾクゾクした。こういう崩しかたをされると堪らない。うーん、気合いの満ち満ちた音楽にそういうスパイスを加えたミュンシュの至芸に◎。オケも凄い。まとまりの良さ、音の立ち上がりの強さが尋常じゃないのはトスカニーニの残り香だろう。モノラルだが録音極めて良好。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,◎ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1953/10/17LIVE・CD,,上手い!細かい動きが多いピアノ曲編曲作品にあってなかなかぴしっと合った演奏はすくないのだが、木管ソリストたちの上手さのみならず弦楽セクションの明晰なアンサンブル、水際立った表現の素晴らしさ、そこにしっかり板に付いたミュンシュらしい推進力、力強さ、リズム感が加わり、緩急の場面の描き分けもエキセントリックなまでに明瞭で、完成度の高さに感動すら覚える。テンポはやや性急かもしれないがフランス的な名演だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA他)1953/7/26タングルウッド音楽祭live,,長大なナレーション入りの放送エアチェックもの(andanteかどこかが配信したものはどうだかわからない)。ガチャガチャした非常にノイジーなモノラルで、ステレオ再生機で起こしたらしく高音域が拡散し破裂気味、それゆえ分離が上から悪いという状態でまず鑑賞向きではないが、最盛期ミュンシュのラヴェルらしい溌剌としリリカルな音楽で、微細なまでに配慮の行き届いた表現の彩が美しい。リズムの明確さはここではまさに舞曲的に前進するタイプのもの、とても曲にあっている。曲によりロマンティックな重さがなくはないが、意思的な解釈はミュンシュの魅力そのもので取るに足らない要素だ。終曲の勢い、カラフルさは特筆すべきだろう。全般的に非常に演奏精度が高く、録音の悪さが惜しまれる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,○ミュンシュ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R他)1954/3/28live,,これも恐らく既出盤と同じだろう。硬質で瑞々しいNBCSOとミュンシュの前進的で締め付ける指揮が、ラヴェルという硬軟手綱さばきのかなり絶妙さを要求される楽曲で爽やかに組み合ってかなり聞ける演奏になっている。さすが同時代ラヴェルの権威であったミュンシュの経験が指揮者としての個性を上回り一部演奏にみられるハメを外した表現はない。ちょっと「強すぎる」感はあるが。雑音が厳しく、その点で最高評価はできない。,,"同一日収録:ドビュッシー「イベリア」ほかルーセルのバッカスとアリアーヌが演目(録音あり)。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,○パレー指揮デトロイト交響楽団(mercury)1959/4この演奏はやっぱりというべきかとにかく速くて拘りの無いあっけらかんとした演奏を聞かせるものになっている。パレーの本領はトスカニーニ張りの即物的な解釈に非常に明るい色彩、無骨なほどにテンポに無頓着な一直線音楽、雑味の多さ(これはオケのせいであるが)そんなところにある。そこでこの曲だが、じつはけっこうあっている。1楽章冒頭の速いパッセージもより速いテンポでじつにしなやかにバッチリ表現されていて、パレーらしくないくらい整っているし、勢いも殺されていない。オケもけっこう調子が良いのかミスのようなものや解れのようなものも聞こえない。確かにリズムが浮き立って踊り出すとまではいかないが、水際立った演奏とは言えそうだ。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,コープランド指揮クリーヴランド交響楽団(SLS) 1970/8/1クリーヴランド ブロッサム音楽祭live,,二枚組CD-Rのこちら二枚目の方は何故かノイズが無く放送(エアチェック?)品質の最低限の音が確保されており聴きやすい。ラヴェルを得意とする指揮者のやるような品のあるエスプリに満ちた演奏ではないが、ドビュッシーのピアノ録音を残しているとおり、また実際にナディア・ブーランジェ門下であることからもこのあたりのフランス音楽には元々親しみのある人で、あくまで「外国人として」客観的に整えながらしっかり創意の感じられる起伏を織り込み、楽想により表現の変化を明確に付けて、ローカリズムに落ちない、分かりやすい詩情に満ちた演奏に仕立てている。ややもって重いところもあるが、構造が明快で響きの透明感を保ち、現代指揮者の振るラヴェルに近いスタイルと言えるかもしれない。リズムの引き締め方が現代バレエ的というか、縦の拍がきちんとしている。但し、最終音を思いっきり延ばすのは異様で、録音品質からもマデルナを想起させた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,ミトロプーロス指揮ミネアポリス交響楽団(LYS,HISTORY他)1941/12/6,7・CD,,まずは精緻なラヴェルの世界とは隔絶してます。でも面白い。奇演という名がこの演奏にはふさわしい。テンポのロマンティックな揺れ、どうにも雑然とした、でも求心力のある響き、録音さえよければ○をつけてもいいんだけど、演奏の雑さと録音の悪さが聞きづらさを倍増しているので、無印としておく。変な演奏好きにはおすすめ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA)1960/10,11・CD,,アンセルメにラヴェル、理想的な組み合わせである。ちょっと芸風が似すぎているくらい理想的である(作曲と指揮の差はあるにせよ)。透明感のある、しかし水面下では非常に引き締められた演奏でのちのスイスロマンドが信じられないくらい高精度だ。リズム表現も非常に微妙なところで「踊れない縦のリズム」にならずなおかつ「ただリズミカルなだけの荒い演奏」にもならないのがコノ人ならでは。ほんと録音も理想的だが・・・・なぜ◎にしないかといえば・・・・印象にあまり残ってないから。,-----,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」,○ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(Ades/Universal)1957-59・CD,,いきなりスピーディーで驚く。音響を整えたような停滞するセッション録音が多いロザンタールとしては珍しいようにも思う。表現や音色が世俗的にならずに正攻法で、師ラヴェルを克明に描き出した名演で、終楽章のみテンポが落ち着く感もあるが、時代からすると極めて優秀なステレオ録音込で、これをマスターピースとすべきだと思った。アデで聴いているのでリマスターしたらもっと良くなっているかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:組曲「クープランの墓」(ピアノ原曲),◎ルフェビュール(P)(coupd'archet、DRS2)1955/1/8・CD,,デッドな響きの中、物凄い勢いで指が回り凄まじくリズミカルに演奏が繰り出されていく。付点音符付フレーズの舞踏的な表現が特に素晴らしく、ヴィニェスもかくやと思わせる熱気とテクニックだ。歌いながら力みながら鍵盤をかなでていくルフェビュール(ルフェーブル)の表現はただメイエルのように押せ押せでいくのではなく、緩徐主題では自然に、しかし明確に表現を変え、ほのかな情感を漂わせ気品が放たれる。異様な迫力であり、この曲にそれがあっているのかどうかわからないが、純粋に音の律動として魅力的であり、なおかつそこにはぬくもりもある。◎。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:「ジャンヌの扇」よりファンファーレ,ストコフスキ指揮ヒルヴァーサム放送フィル(DECCA)1970/9(8?)サティだ!と思った。調子っ外れのトランぺット、確信犯的だ。ラヴェルは軽くパロディ音楽を描いている。ごく短いし個性ウンヌンを述べる以前のものだが、他の楽曲と連続して聞くと面白味の出てくる作品である。昭和初期のフランス音楽界を代表する作曲家たちが合作した「ジャンヌの扇」、一回は聴く価値あり。6人組の3人にルーセル、ロラン・マニュエル、フローラン・シュミット、ドラノワ、フェルー、イベールという錚々たるメンツである。ストコフスキは派手に音を放っている。この録音の含まれているデッカ録音集ボックスはオトク。メシアンなど今まで出なかったスタジオ録音が発掘されている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「ジャンヌの扇」よりファンファーレ,○ストコフスキ指揮ヒルヴェルスム放送管弦楽団(london)1970/8・CD,同上,ヒルヴァーサムって読んでたけど日本語盤にはこう表記してあった。。ファンファーレ、である。オーダメイドに近い作品。仲間(とされていた作曲家たち)との連作集の一曲にすぎない。ストコは派手にぶっぱなしているが、そもそもそれでいい。それだけの曲なのだから。さすがに技巧的にはうまいと言えるのだろうが、演奏評価とかいう段階に至らない小品。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲〜1.”眠りの森の美女のパヴァーヌ”,ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(NICKSON)1950/11/19放送LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲〜2.親指小僧、3.パゴダの女王レドロネット、5.妖精の園,○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(PARLOPHONE)SP,,EMIで終曲のみLP化しているのは別途書いた。この終曲はしっとりした演奏になっているがそこまでの2曲は割合と無骨というか余り棒慣れした音になっていないのが意外といえば意外である。往時のフランスオケのレベルが知れるといえばそれまでだが、いい面では同時代の他録と同様の微妙なリリシズムをたたえた音が美しい、悪い面では演奏の整え方が雑である。コッポラのような録音専門指揮者のものとは完全に異質なため演奏の完成度うんぬんを指摘すべきではないかもしれないが、ちょっとぎごちなかった。とはいえ「パゴダの女王」の表現にかんしていえば銅鑼等の響きを効果的に使い、如何にも「中国の音楽」といったものを描き出していて、ああ、こういうふうにやるのか、と納得させるものがあった。譜面に書いてあるように演奏するのではない、これは「中国の音楽」をどうやって表現するのか、単にラヴェルが中華素材をもとにオリエンタルな世界を創出したものではなく、これは「中国の音楽なのだ」という意識が強く感じられる。印象的だった。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲〜5.”妖精の園”,ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(EMI)1929,同上,ラヴェル・ボックスを自作自演目当てに買ったが、既所持のロール盤だったのでがっくり(裏面に明記しろよなー、ライナー追わないとわからないなんて)。その他はここでも既に書いているようなレーベルでバラバラに出ていたものがほとんどだった。これはその中でも私がまだ所持していなかった数少ないもののひとつ。雑音がかなり酷く、音色感ゼロだが、音楽的にはそつなくまとめているふうに聞こえる。ピエルネの指揮はあまり多くは残されていないためその芸風を安易に語るのは危険だが、ここでは手堅さと繊細な響きの調和した演奏がなされていると言うべきか。雑音マイナスで無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」バレエ全曲版?,○モントゥ指揮ロンドン交響楽団(PHILIPS)1964/2LONDON・CD何気ない始まりには意表を突かれた。不思議とリアルで幻想がやや足りない。相変わらず色彩豊かな美しい演奏なのに、これは録音がクリア過ぎるせいか。でも一旦流れに乗ると小気味よいテンポに肩が揺れてくる。速いテンポを殆ど崩さず音色変化や巧みなフレージングで起伏を付けていく。耳を惹かれたのは高音打楽器やハープ、弦楽器のピチカートのかなでる金属的な音の交錯。随所で強調され、テンポを乱す寸前のところでとても美しく、そしてクラシックらしくない美声をはなっている。総じて一本調子であっさりしてはいるが極めて抒情的な、イマジネーション豊かな演奏。オケの何ともいえない艶めかした音とそれを余す事なく伝える録音に拍手。程よい雑味が一種魅力になっている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲〜2.”親指小僧”,モントゥ指揮パリ交響楽団(LYS/GRAMOPHONE)1930/1・CD鄙びた音がいかにもこの時代の録音といった感じだが、弦楽器のポルタメントも織り交ざる表現にはちょっと感傷的な雰囲気も篭り、やや生々しいが流れは非常にいい。純粋に音楽としては聴き易いが、解釈にもっと色をつけて欲しい気もする。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」バレエ全曲版,◎ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(ADES他)1959・CDロザンタール極めつけの一枚。ロザンタール追悼盤として再復刻されて間も無いので、手に入るうちに手に入れておきましょう。時には不器用な様さえ見せるロザンタールの指揮だが、ここでは「完璧」である。子供の視線で見る夢幻の世界をじつに繊細な感覚で紡ぎ出している。ラヴェルがその書法に込めた淡い感傷性をこれほど的確に表現してみせた演奏は無いだろう。半音階的に書かれた終曲などロマンティックでさえあるが、ロザンタールはとても深い共感をもって慈しむように表現しており、でもあくまで軽やかで美しい響きを維持しながらであるところにこの人の絶妙さを感じる。また27分余りに及ぶバレエ全曲版であるところにも価値がある。ラヴェル自身の手になる間奏曲の美しさに胸打たれる。作曲家自ら綿密な計算のうえで挿入したそれぞれの間奏曲の放つ個性、その存在によって自然で流れるような場面展開が促され、連綿と間断無く続く音楽絵巻き(と書くと日本の鳥獣戯画みたいなものを想起するかもしれないがあくまで西欧の中世民話絵巻きみたいな感じ)にただただ浸りきることができる。ラヴェルの管弦楽曲で長いものというと歌劇を除けばダフクロくらいのもので、ある程度ボリュームのあるものを求めるならこの全曲版を聴くことを強くオススメする。高音打楽器を多用したちょっとストラヴィンスキー風なものもあれば終曲への間奏曲のようにそれまでの楽章のモチーフが断片的に引用されその中から終曲冒頭の重厚な和音が響き出すというちょっと歌劇ふうの発想のものもある。この曲はじつにロマンティックというか、沫のように次々とはぜては消える儚さ、数々の思い出のようにもう二度とは戻らないものの切なさ、そうであるがゆえの愛おしさに震えてしまう。そして続く終曲のただただ甘い響きの余韻に浸りしばしプレイヤーを止めて黙り込むほどの感傷をあたえる。ディーリアスを想起する人もいるかもしれないがあながち外れた聞き方ではないだろう。この盤は録音バランスは変だが、それを押しても余りある非常に純度の高い幻想である。◎。ロザンタールの盤の中では一番好きな演奏だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),○W.ダムロッシュ指揮NYP(COLUMBIA)SP,,未だNYシンフォニーというクレジットになっている。NYオケ統合(=NYPso)、20世紀前半NYの音楽シーンにおける立役者でもあったウォルター・ダムロッシュの棒のもとに録音された記録は、目下店頭ではビダルフが復刻したブラームスのシンフォニー以外見かけないが面白い指揮者である。ここでは必ずしも際立って技術に優れた棒であるとはいえないもののゆったりしたテンポで繊細な響きをとつとつと表現し爽やかにまとめてみせるダムロッシュの解釈の特長がはっきりと聞き取れる。当時のNYP(S)の各ソロ楽器の演奏技術の確かさもきくことができ、この時点では後年目立つ濁ったロマンティックで重厚な表現は余り目立たず、水際立ったかなり透明感のある音楽を創り上げることも可能であったことがわかる。この感傷的なテンポに慣れるとかなりハマるかもしれない。ただ、ちょっと無骨というか、綻びがないわけでもなく、前記したが棒振りとしての技術が今ひとつだったがゆえのテンポだったのかもしれない。1,2曲めが連続し「親指小僧(一寸法師)」途中で面替えとなるのが聞きづらい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),◎マデルナ指揮バーデン・バーデン南西ドイツ放送交響楽団(ARKADIA)1966/11/9live・CD,,正規と言っても通用するくらいの良い録音で、びっくりするくらい繊細で美しい音楽だ。情緒纏綿にゆったりと進むさまはしかしいつものマデルナのような踏み外し方を一切せず、スタジオ録音的な精度が保たれる。結果としてロザンタールを彷彿とさせるとてもフランス的な品のある演奏に仕上がった。これはいい。ただ、拍手がモノラルで継ぎ足してある。ひょっとすると正規録音の海賊もしくは、フランス指揮者・オケのものの偽演かも。といいつつ、いい。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),◎アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON/KING),,超名盤の誉れ高いアンセルメの真骨頂。シャンデリアもしくは大きな硝子細工が揺れるようにシャンシャンした透明な響き(特に超高音楽器の振り掛ける立体的な響きが新鮮!)と実に流れ良く抑揚の付けられた歌に清々しく心地よく浸れた。その語り口で語られる無邪気な物語にはまったく心洗われる思いだ。私はLPで聴いているが雑音の無いCDで聴けばさぞゾっとするような感動を感じられたことだろう。瞬間的にこの世のものとは思えない響きを導き出している場面があり、そのつど背筋が凍る。今はこれまた名演ダフニス全曲と組みで恐ろしく安く手に入るのでオトクです。私はとくにパゴタの女王あたりまでの前半曲に惹かれたのだが、それはアンセルメの一面〜バレエ指揮者としてのリズム良さと解釈の起伏の激しさ〜が響きの美しさと絶妙にバランスをとっているさまが明瞭に聞かれるからだ。曲想ゆえだろう。終曲のロマン性は逆にアンセルメにあわないというか、ちょっと情緒が足りない客観性を感じたけれど、アンセルメスタイルにない曲想だったということで別にマイナス点には数えなくてもいい。ちなみに私も間違えて書いているのでいつか直さなければならないと思っているのだが、アンセルメはあくまで通常の5曲版しか録音しておらず、この盤も当然22分程度の5曲版によっている(ACOライブはもうちと長い(2分位))。だが、ラヴェルが最終的に加えた2曲を含む7曲版というものも存在し、それはアンセルメが振ったことで一部に広まったとされている。大元をたどればマザー・グースもの、ペローの童話(マーラー「巨人」3楽章はペローの童話本の奇怪な挿画に基づいてましたね)による四手ピアノのための組曲であり、いわばラヴェル版「子供のために」で、技術的にも極力易しく書かれている。初演はフランス・ピアニズムの大御所ロン女史の二人の子供(6才と10才)が行っている。が、単純であるがゆえに極限まで洗練され、純粋に研ぎ澄まされたものとなっていることも事実で、管弦楽版に編まれてもそれはあくまで小編成向けのもの、基本線は変わらない。ある程度の個人技は求められるかもしれないが、合奏はラヴェルの曲にしては比較的楽である。楽想の中に忍ばせられた昔の典雅な時代への憧憬はしばしばこの時代のフランス人作曲家にみられるものだが、ドビュッシーやサティとは違う、即物的に万人にわかりやすい形でそれを具現させてみせたラヴェルの技、そしてその技を最大限に効果的に引き出して表現させているアンセルメのセンスに拍手を贈りたい。名演。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),○アンセルメ指揮ACO(RCO)1940/2/19LIVE事故ぽいところもあるしとにかく録音が悪いが、アンセルメの透明で繊細なリリシズムが心揺るがす佳演。ライブ特有のダイナミズムや情緒的な音がこの人晩年のスタジオ録音とは一線をかくした主情的な演奏を可能としている。勿論大局的なフォルムは崩れないから安定感があり聴き易い。また雰囲気がいい。ちょっと濃厚な、この香気はスイス・ロマンドには出せない。録音マイナスで○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),○アンセルメ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1951/12/21live,,全曲と書いたが抜粋かもしれない。スイスの硝子細工師アンセルメ向きの作曲家・楽曲であるとともに、ボストンの硬質な音も技術的な高さも、小規模アンサンブルもしくはソロの目立つ、繊細で無駄の無い構造を持つこの曲に向いている。録音が悪く、その点不利ではあるが、ミュンシュ的な曇ったロマンチシズムや情感の煽り方とは違った角度から、スコアそのものに明るい光を照射して、オケに投影しているというのか、どうにも文学的表現では説明しづらいものではあるのだが、とても「ラヴェルらしい」演奏と思う。○。弱音部の音の交錯がひときわ美しいがゆえに録音の弱さが惜しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),○コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(PEARL/LYS,DANTE)1934/6(1933/3/15?)CDパール盤とイタリア盤で録音日表記が違い曲順も違うが、元盤(SP)番号は同じなので同一と扱う。なかなかリリカルで瑞々しい。録音状態はサイアクだが音の綺麗さは時代を飛び越えて聞こえてくる。5曲の組曲版であっというまに終わる曲だから、録音上の問題もあってちょっとスケールが小さく感じるが、いつもの即物性が影をひそめ、情緒たっぷりに、でもくどくならない清々しい演奏ぶりに浸ることができる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),○スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団(TRITON)1992/12/27LIVEこの曲にレスピーギ、ストラヴィンスキーの曲を加えて「鳥」と銘打った盤名こそ怪しいが、これはスヴェトラーノフ自らが1夜のプログラムとして組んだもののそのままだそうである。マ・メール・ロアが鳥?と一瞬思ってしまうが、確かに「親指小僧」の後半などで印象的な鳥のさえずりが聞かれるが、それ以外は夢幻的なお伽の世界の発露のまま。まあ、あまり深く考えずとも聞ける曲なので、置いておこう。この演奏はずいぶんと輪郭がハッキリしている。律義な演奏、という言葉が浮かんだ。あまりに堅苦しい・・・それはフランスの洒落た演奏と比べるからかもしれないが、テンポにぴっちりつけてくるソロ楽器、どちらかというとディジタルなダイナミクス変化(なめらかじゃないのだ)が気になった。でも、音色はとても澄んでいて綺麗だし、響きはとても色彩的だ。特筆すべきは録音の良さで、ライヴとは思えないほど。ここまでクリアなのに、スヴェトラーノフのいつもの雑味は殆ど感じられない。寧ろ晩年に顕著だった弱音美へのこだわりがとてもはっきり打ち出されていて、この繊細な曲を演奏するのにかっこうの武器となっている。5曲を選んだ組曲版というところが惜しいが(どうせなら全曲やらないと、どうも違和感がある)、この曲の録音を遺してくれた、ということに感謝しなければならない。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),○パレー指揮デトロイト交響楽団(MERCURY)1957/3STEREO・CD優しさに溢れた演奏で、お伽話の柔らかな叙情を十分に描写している。速い場面や下でリズムが走る場面では胸のすくような快速パレー発車オーライでコントラストがはっきりしていてその変化を楽しめる。○。オケ奮闘。弦にもっと味が欲しいか。ただ強引でフォルテが強いだけじゃだめでしょ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),○プレヴィターリ指揮ロンドン交響楽団(RCA)LP録音は悪いが(当然モノラル)夢幻的な雰囲気が魅力的な演奏。色彩変化が鮮やかで打楽器要素の強調されたいかにもイタリア人っぽい派手さもあるが、それよりまして穏やかで和む雰囲気の場面が多く、それが素晴らしく良い。明るすぎもせず、暗くも無く、この曲はそういう平和な表現があっている。もっと個性が強くてもいいのかもしれないが、私はこれぐらいが好きだ。○。個人的には◎にしたいが録音が悪い。。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),E.クライバー指揮NBC交響楽団(urania)1946擬似ステレオっぽくけっこう聞きづらいが、音はクリアで、クライバーが意外と巧いことに今更ながら気付かされる。ロザンタールによれば、ラヴェルはトスカニーニと並んで”何でも屋”クライバーを尊敬していたというし、たしかにこれはひとつの見識だ。短いが、楽しめる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PEARL/VICTOR)1930/10/27,29・CD夢幻的で穏やかな雰囲気はよく出ている。ダフニスよりこちらのほうが感情的に深く染み入るものがある。割合とストレートではあるのだが、ラヴェルの響きの美しさがよく捉えられていて、これがモノラル末期頃の録音だったらきっと名盤の仲間入りをしていただろう。それだけに録音の悪さが悔やまれる。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)1975LIVE優しい音楽作りに面食らうが、これもスヴェトラーノフの一面であろう。全般に後年の録音によく似ており、それほど奇をてらった感じはしない。個性がないと言えばそうかもしれない。引っかかりの無い演奏だった。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),チェリビダッケ指揮ミラノ放送交響楽団(HUNT・ARKADIA)1960/1/22LIVE繊細な味わいをタノシムには録音が弱すぎる!鳥の声の音形がしゃっちょこばってぎごちないのは技量の問題かチェリの解釈の悪影響か。ラヴェルの曲でももっともわかりやすく優しく美しい曲、これは悪い録音で楽しむにはアンゲルブレシュト並みの派手さが必要。チェリのドイツ式解釈はちょっと野暮。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),チェリビダッケ指揮ロンドン交響楽団(CONCERT CLUB)1980/4/13ロイヤル・フェスティヴァルホールLIVE・CDこのテンポ取りはラヴェルなら激怒モノだろう。余りに伸縮するパヴァーヌに唖然とさせられる。いちおう正規での発売ゆえ録音はマシとはいえ、チェリのテンポを犠牲にしても響きをキレイにしようという意図は捉え切れておらず、結果として珍妙な印象しか残らない(響きの重さは伝わってくる)。非常にゆっくりなのに極端なルバートがかかるというのがおかしな感じだ(前半2曲あたり)。それでいて終曲「妖精の園」の重厚でロマンティックな音楽・・・いかにもチェリ向きな曲・・・はそれほど揺れず、たんたんと進んでしまう。確かに個性的で独特の創意に溢れている。でもこれは解釈のバランスが悪い。無印。じつは結構期待したせいか落胆しました。こんなに演奏効果の高い曲なのにイマイチ盛り上がらないなあ・・・。この演奏の収められたボックスはチェリが身内に配ったライヴボックスの完全復刻とのこと。名高いロンドンでの公演の集大成で、ブラ1など二組もある(一つは海賊で既出)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),チェリビダッケ指揮南ドイツ放送交響楽団(シュツットガルト)(DOCUMENTS他)1972シュツットガルトlive・CD,,冒頭から異様に伸び縮みする音符に驚く。チェリビダッケはまだ個性を色濃く付けた時期にあったが、独特の(スヴェノラーノフ的と言ってもいい)表現が徹底できたのはやはりシュツットガルトとかそのあたりの相性の良いオケとのセッションに限られていたのか。個々の楽器のニュアンスに細かく(かつ過度なデフォルメの)拘りが感じられ、総体としてもしっかりした構築性を前提に周到な解釈を楽団に徹底させ、やりたいことをやっている、と感じられた。この曲に過様なファンタジーを求める向きにはとても向いている。ピアノの小さな組曲から発展した可愛らしい曲なのに、一大交響楽と化しているのがチェリビダッケらしい。美麗な音色はORTFとの別の曲と較べても遜色ない。音質は放送音源レベル、DOCUMENTSのラヴェル集の中では悪い方、ステレオ、拍手カット。データ詳細記載が無いがDOCUMENTS盤は後発と同じ演奏だろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),チェリビダッケ指揮ORTF(ina配信)1974/2/6放送,,一曲目など一部で恣意的に伸び縮みするソロ楽器のテンポ設定にはやや疑問を持つし(前半は客観的に整えた感が出てしまっている)、ライヴだからとことん精緻であるわけでもないが、全般音量を抑え気味にしたうえで弱音の整え方が非常に美しく、表情の柔らかさが印象的で、マ・メール・ロアのもつ優しい雰囲気を効果的に演出している点、他が聴けなくなるほどである。押し付けがましさは皆無だ。録音が明晰なのも良い。次第に盛り上がるブラヴォの中にブーイングが混ざるのが不思議なくらいの佳演。この録音だけでこの曲は事が足りる人もいると思う。(当然ステレオ),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),○チェリビダッケ指揮ケルン放送交響楽団(ORFEO他)1957/10/21・CD,,非常に繊細で隙のない、硝子細工のように出来上がった、静謐なマ・メール・ロアであり、チェリビダッケらしさが既にある。チェリの演奏は一つ様式が出来上がってしまうと、その後の録音記録は基本的に一緒なので、あとはオケ&精度、並びに録音状態しか差が無い。その点この録音はorfeoのヒストリカル程度の音質のもので、一位にお勧めするものではないが、ケルンRSOのまだまだ演奏技術の高い時期のものだけに、聴き応えはある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)CD,,ステレオ録音が古いのが透明感をそこなって惜しいが、得意曲であり、ニュアンスの宝庫をここぞとばかりの雰囲気たっぷりに、しかし飽きさせるような耽溺はせず聴かせきる。ラヴェルが無邪気な夢幻をもっとも美しく、素直にあらわした曲で、ミュンシュの印象からするとピアノ原曲に近いような、旋律を強くひびきをよりリアルに抉ってきそうなところ、この曲ではじつに耳に優しい細やかな演奏、かつわかりやすいものに仕立てている。ボストンオケで良かったというような機能性の高さによって微細な部分までの配慮を行き届かせることができている。素晴らしい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1958/2/19・CD,同上,得意としたラヴェルであり、情感たっぷり、分厚い響きで盛り上げる。少し硬い音で、緩急の緩に柔和さ(響き含む)が欲しい向きもいるかもしれないが、ミュンシュのラヴェルの、これが標準であり、ライヴは派生するものとしてまずこれを聴くのが良いだろうと思う。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1958/1/2live,,各楽曲の特徴を明確に描き分け、非常にわかりやすい演奏になっている。キッチュな表現も板につき、カリカチュアをカリカチュアとわかるようにはっきり世俗的なリズムと響きで煽っていく、これはオケにも拍手である。とても感情移入できる演奏で、ライヴなりの精度ではあるし解釈も音もロマンティック過ぎると思うラヴェル好きもいるかもしれないが、恐らくラヴェルの時代の演奏というのはこのようになされていたのだろう。ミュンシュはラヴェル音楽祭の指揮者としてならした経歴もあり無根拠にやっているわけでもあるまい。四の五の言わずに感動でき、拍手が普通なのが寧ろ納得いかないくらい良い演奏だと思うが、録音状態をマイナスして○。久々にこの曲で感心ではなく感銘を受けた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1958/1/2live,同上,力づくの部分もなきにしもあらずだが、緩急の付け方が激しいにもかかわらず自然な流れの中に巧く配置されていて、さすがに慣れたところを聴かせている。繊細な曲だが時折粗暴なミュンシュでもラヴェル相手となると密やかな表現と暖かな響きを演出してくる。パリ時代はラヴェル指揮者として著名だったのである。録音が拠れたモノラルで粗く、そこがなければかなり上位なライヴ録音。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(ica,naxos)1958/2/4live放送・DVD,,icaが復刻したミュンシュのテレビ放送動画は5枚組で廉価化もしているが、網羅はしておらず嚆矢を飾ったこちらも入っていない。ミュンシュが長い棒で情熱的に振るさま(弱音部であっても振り回す)は未だ闘志みなぎり、解釈も比較的激しいほうで(弱音楽章のほう(終曲の呼吸するようなうねりなど)によりその起伏が明確に表れる)そのわりに乱れはない。ソリストも安定の演奏ぶりだ。音色も透き通り良く、これはさすがボストンオケである。バーンスタイン的な指揮というわけでもない、体幹はほとんどぶれておらず、熟達した解釈はすでにオケに浸透しているようである。演奏後も普通で、前プロだからということもあるのだろうが、音だけ聴けばほぼ「いつものミュンシュボストンのラヴェル」である。完全に映像を見るためのもので、奏者の顔の見える映像の価値は高い。録音状態は当時の放送レベルのモノラルで良くない。iberia、海が続く。icaのDVDには他にブルックナーがある。こちらはCDとは日違いとされるが疑問がある。フランクやワグナーなど見たい方はカタログをどうぞ。ミュンシュに関しては全部映像である模様。ユーロなので直販も国内代理店販売と値段が変わらない。,,ちなみに私は移動中や空いた時間をぬって曲を聴くことがほとんどである。昨日meloを書いたときは久しぶりにじっくりオーディオで聴いたもので聴感がぜんぜん違うのは当たり前だが、楽しめるのは音質環境の整っている場所のほうで当然だ。ストレスがまるで違う。しかしノイジーな古い録音については楽しむことを一番の前提に置かなければ、想像力で補って十分ポイントを押さえることは可能とも思っている。これはioデータのDVDミレルを使いスマートフォンで見た。当然ながら白黒の古い映像であっても動画配信サービスで共有される映像なんかとは天地の差、見やすさも画質も(元が悪いのになお)wifi接続のこの機器からピアトゥピアで飛ばした映像を見るほうが遥かによいから、各楽器の表現の違いを耳目揃えて確認できたのは良い。ただ、前もって聞いてはいたのだが映像が止まったり飛んだりするのが目に余る。機能として備えているCDレコ(リッピングソフト)のノイズ乗りはひどいので今は使っていない。DVDミレルで見ていて音質劣化は感じないが、水平に安置して、しばらく「慣らし」をしたとしても、動作不安定でろくに見れない盤があるというのは、カプリッチオレーベルの実況「ドビュッシー補筆完成舞台版アッシャー家」等のDVDで既に確認済ではあったのだが、icaくらい名の通ったところのDVDもろくに読めないのか、と少々不安になった。たいていバッテリまわりの電圧の不安定さに起因すると指摘されるところだが、ANKERの大容量を満充電で使っています。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),○クリュイタンス指揮VPO(altus)1955/5/15live・CD,,荒い。統制が甘く即興的で奏者がばらける様子も感じられる。フルートなどソロ奏者の調子が悪いのが気になった。速度についていけない場面もある。このコンビは相性がよかったようだが、個人的にはそれほど惹かれる要素はなく、一流指揮者の名にすたるラヴェルをやってしまっている感が否めない。ただ、やたらと大見得を切るようなことはなく気取ったふりのかっこのよさ、人気はあったのだろうとは思える。録音もそれほど。○にはしておく。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),○シェルヒェン指揮RIAS交響楽団(TAHRA)1949/1/31・CD,,思えばこのレーベルはシェルヘン財団ないし娘さんからの蔵出し音源を抱え折しもシェルへン再評価の波に乗って鳴り物入りで登場したのであった。しかし中堅指揮者の秘蔵音源などそう沢山あるものではなく、ここ十年は様々な音源発掘に奔走した揚句廉価再発や端物抱き合わせ商法、リマスタリング商法に手を出して群小レーベルに成り下がった感は否めない。ここにきてこの二枚組発売は朗報と言わずして何と言おうか。端物詰め合わせではある。しかし曲がいい。聴いたことのないような曲、シェルヒェンがやることに意味がある曲、そしてこのマ・メール・ロアと二枚目収録の遊戯という、シェルヒェンの隠れた得意分野フランス近代のド名曲二曲の演奏発掘である。,,オケに難があるがいかにもシェルヒェンの演奏だ。隈取りが濃くはっきりした表現は幻想を排してなお曲のリリシズムを強く打ち出したものだ。終曲の妖精の園、これはシェルヒェンそのもの、強引なアゴーギグ、心を鷲づかみにして直に揺さぶるようなテンポ設定、これに比べればストコやスベトラなど生易しい。久しぶりにこんな特徴的な演奏を聴いた。シェルヒェンファンならぜひ。木管がたどたどしいのには目をつぶろう。録音復刻もわりとよい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(timpani/naxos配信他)1929-33・CD,,酷いSP起こしノイズを前提として同時代の指揮者の録音と比較するとピエルネより技術が勝るのは明白で、国は違うがダムロッシュのような専門指揮者として聴かせる力、オケの統率力の強さは感じるが、何よりラヴェルの「仕掛け」を的確にとらえ、それをしっかり構築させて特有の管弦楽の魅力を届かせている点が違う。勢い任せ、情感に訴える、そういったスタイルではない(かといって情感に訴えないことは無い、スコアから本来的に訴える力を引き出している)。この時代の録音でここまで立体的な構築性を、キラキラしたやわらかなフランスオケの音をもって表現したものは他にあるまい。コッポラほどではないが骨董時代にフランス音楽の網羅的録音を任されただけのものはある(ラムルー管という手兵は技術的にはやや弱いが指揮者とのコンビネーションは板についている)。同曲、もっと新しい繊細な録音のほうが良いことは確かだが、同時代のものに興味あるならトスカニーニなど外国の「作曲家よりも権威のあった」有名指揮者とともにこちらにも触れておき、差異を確かめるのも良いと思う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),コーツ指揮LSO(HMV/PASC)1921/11/25、1922/4/25・CD,,さらさら流れるような演奏はSPの録音時間の制約だけの理由ではなかろう。起伏はあるにはあるがテンポは乱れず、オケは鄙びてとくに木管がひどい。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),ゴルシュマン指揮ラムルー管弦楽団(PHILIPS),,現代的な演奏であり、直線的で揺れの無い構造的な演奏である。中音域以下の木管の「棒吹き」がどうにも気になってしようがなかった。演奏的には別に悪くは無いのだが、リリシズムの表現がどうも足りない。チェレスタなどの鮮やかな響きなど細かい構造の見えやすい諸所には耳新しく感じるほどの局面もあるにはあるのだが。5曲版でパヴァーヌから始まる。○にすべきなのだろうがちょっと相対性を考えて無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),コンドラシン指揮ドレスデン・シュターツカペレ(melo classic)1960/6/15放送・CD,,コンドラシンはソ連時代からラヴェルをレパートリーとしており、ここでも板についた表現をなしている。メリハリがきき立体感もあり、なおかつ穏やかで、オケの潜在能力を活用して美しく仕上げている。少し隈取りが濃いと感じる向きもあるかもしれないがわかりやすい。終曲でコンマスソロの音程が怪しいところもあるが、全般このオケの個性を「抑えて」曲自体の魅力を引き出している。ヒスノイズがある。モノラルで、ラヴェル録音としては後年のものを先に選ぶべきだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロア」組曲(5曲),コンドラシン指揮ORTF(ina配信)1974/11/6放送 live ,,サラサラと速いテンポで入るが二曲目では木管ソロたちがいかにもロシア流儀でいささかぶっきらぼうに、明確な発音により音楽を積み上げ、その厚い響きの上で弦楽器が歌うなど、コンドラシンらしいところを見せる。テンポは重くならずサラサラ速い。そのテンポは三曲目でも維持されフルートなど少しとちりそうになるが、むせかえるような色彩感はこのオケだからこそ臭くならず、いかにも夢幻の東洋の風景をうつしだす。銅鑼も注意深くバランスを保っており、音楽のデフォルメを避けている。木管の歌い回しにもう少し自由があってもいい気もするが、発音をしっかりさせラヴェルの仕掛けた機械的なアンサンブルをしっかり組み立てる意図もあろう、こんなスリリングな掛け合いがあったのか、など発見もあり面白い。相変わらずデリカシーの無い野太い木管のやりとりが続くが、そのぶん立体的ではっきりした構造を楽しめる。弦楽器は強弱を強めに付けられているがおおむね引っ込んだ印象。ロマンティックな終曲はその楽想に似つかわしい安定感のある響きが耳を惹く。ソロヴァイオリンなど事故や音程ズレが膝を折るが、こういうオケなので仕方ない。色彩感に溢れたフィナーレは粘りは無くあっさりめで客席反応も穏やかだが、中プロだからだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲)抜粋,○サバータ指揮NYP(NUOVA ERA/ORIGINALS)1950/3/26NYlive・CD,,サバータのサイン入り写真、飾っておいたらインクが消えてかんじんのsabata部分が筆跡だけになってしまったんだよなあ(悲)歌劇場の指揮者ってイメージゆえかこの人のサインは安いけどね。これ以降サインはやっぱりファイリングして保存することにしました。状態的に額から外せないマーラーとサティと最近の人以外。わいいとして、パヴァーヌから始まる短い組曲です。客席雑音も多いライヴ。劣化率はげしいNUOVA ERA盤なので雑音なのか劣化音なのかわかりまへんがとりあえず「聴きにくい音質」としておきます。だいたいこれって他で出てましたっけ?最近URANIAかなんかで復刻されたやつに入ってたかな?ボレロとアノ凄いラ・ヴァルスは何度も出てるけど。音楽は耽美的・・・当然ながら。速度はやや速めかもしれないが、感傷的な揺れがなんともいえないぬるまゆい雰囲気をかもす。リズム楽器が入るとリっとなり、緩急の差がまた絶妙な手綱さばきとなっている。オケもソリスト指向の強い奏者の多いNYPなので美しいヴィブラートが聴ける。音響的にちょっと硬質で現代的な整え方をしているところもあるが、そこがまたラヴェル独特の印象派世界なのだ(ドビュッシーの印象派とラヴェルの印象派は違う)。ソロ楽器がとにかく雰囲気あって巧いなあ。中国の陶器の東屋のところで激したせいかちょっとアンサンブルがごちゃっとなるのは惜しい。NYPらしいけど。ここは中国風の音響を目した木琴のリズムをもっときちっとして水際立たせないと。・・・と思ったらここで終わっちゃったよ!拍手があ。でもいちおう○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲)抜粋,○サバータ指揮聖チェチリア音楽院管弦楽団(SCO)1945/6/15live・CD,,NYPとのライブが唯一のものだったのでこれはサバータの新発掘音源と言える。ただ、NYP盤同様音が悪すぎる。40年代なので仕方ないのだがノイジーで雑然としている。演奏はラヴェルが好んだ演奏家だけあって素晴らしく揺り動かされるものがあり、オケもNYPより曲にあっている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(5曲),アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(PATHE/SLS他)1929・CD,,ノイズでわりと隠され気味だがかなりの情緒的演奏であり、非常にロマンティックで胸打たれる。終楽章においてはきらきらと輝く音と対照的に左手指メロメロで柔らかく弾きあわせる弦楽器の対照がうつくしい。壮麗な終結部の音響バランスの美しさもたまらない。ラヴェル存命中にラヴェル盟友が振った記録としても価値あるだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(7曲),◎アンゲルブレシュト指揮ORTF(TESTAMENT/DUCRET-THOMSON/LONDON/WING)1955/2/24・CDかつてオケをシャンゼリゼ劇場管としているものがあったが、テスタメントで正式復刻リリースされるにあたってフランス国立放送管と表記されるようになった。契約関係の模様。あえて避けてきたのだがこの曲には少々複雑な事情がある。まず、ラヴェルの多くの管弦楽作品がそうであるように、原曲はピアノ連弾曲で、1910年にかかれている。「眠りの森の美女のパヴァーヌ」「親指小僧」「パゴダの女王レドロネット」「美女と野獣の対話」「妖精の園」の5曲である。管弦楽版のマ・メール・ロアはその翌年に編まれたものだが、曲数・曲順は同じである。一般的にはこれがマ・メール・ロア組曲と呼ばれるものである。しかしさらにこれを本人がバレエ組曲として再編したものが存在する。曲数は7曲に増え各楽章間に5つの間奏曲が加えられ、さらに順番も変えられている。「前奏曲」〜「紡ぎ車のダンス」、間奏曲、「眠りの森の美女のパヴァーヌ」、間奏曲、「美女と野獣の対話」、「親指小僧」、間奏曲、「パゴダの女王レドロネット」、間奏曲、「妖精の園」というもの。バレエとしては12年に初演されている。マ・メール・ロア全曲というとこれをさすと言っていいだろう。個人的には「パヴァーヌ」からいきなり始まる原曲版は馴染めない。全曲で慣れ親しんできたからであり、むしろ邪道なのだが、それでも序奏なしで本編に突入するような感じは否めない。さらに間奏曲を全てカットした版も存在する。これはアンセルメが編んだもので、アンゲルブレシュトなどはそれに倣っている(但しアンセルメは5曲版の録音しか遺していない)。私はあまり違和感なく聴ける。さて、この盤(ダフニス全曲とのカップリング)はかねてよりマニアの間で超名演として語り継がれてきたもので、モノラルではあるがしゃきしゃきした歯ごたえで結構構築性のある半面夢見ごこちな雰囲気にも欠けず、非常に充実している。ただ、テスタメントで復刻されたものを聴くと、ロンドン盤のような少々篭もった重心の低い音に聞こえる。いかにもドイツ・ロマン派ふうの復刻音なのだ。デュクレテ・トムソン盤のシャンシャンいうような硝子のような何ともいえないまばゆい明るさと幻想的な雰囲気がそうとう抜けている。ま、舞台上の雑音まで拾う良好な録音ではあるのだが、もっと抜けのいい明るい音にしてほしかった。デュクレテの印象を含め、◎としておくが、テスタメントでは○程度。もっと浸らせてくれい。ウィングのCDは板起こしのままの音で、比較的デュクレテの音に近い解像度であるものの雑音がかなり耳障りである。もっともLPに比べればマシか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(7曲),アンゲルブレシュト指揮ORTF(forgottenrecords)1961/7/4live,,モノラルではあるがこれは素晴らしいライヴ。アンゲルブレシュトのちから強く確信に満ちた表現に心奪われる。七曲それぞれ夢幻溢れる美しく無邪気で、時に劇的に、最後には春の光差す庭園の緑の霞むが如く管弦楽版を感情的に…感傷的に描ききっている。アンゲルブレシュトは独自の編み方をしているが、ライヴ記録なりの迫力があり、オケも瑕疵なく一心同体となってラヴェルの世界を展開していく。拍手も盛大。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」組曲(7曲),○フレイタス・ブランコ指揮ポルトガル国立交響楽団(STRAUSS)1957/12/28放送LIVE・CD間奏曲抜きの7曲版。けっこう伸縮し情緒たっぷりの演奏だ。噎せ返るような弦楽器の響きが懐かしい。色彩の鮮やかさ、リズムの強調、そういったブランコならではの要素が魅力的にひびく。但しこのライヴ集全般に言える事だがオケが怪しく、この演奏でも縦が揃わず伴奏と旋律が乖離して進んでいくという前衛的な場面がある。ライヴならではの事故もあるし、録音も状態が悪くかすれている。ブランコの貴重な記録としては価値の有る演奏だし、ラヴェルが意図的にロマンティックな情緒を込めて書いたこの作品の本質的なところに忠実な様式として特記できるものではあると思う。ブランコ好きなら絶対聴くべき。マニアでないなら特に聴く必要なし。(ブランコ好きってなんだか幼児みたいだ・・),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」(ピアノ四手原曲),ダルレ、フェヴリエ(p)(forgottenrecords)1958/6/17パリlive放送,,放送エアチェックか、混信的なノイズが入る。この原曲の難しさがよく伝わってくる。ラヴェルのお気に入り(というか友人の子供という感じで可愛がった)フェヴリエは後年のような遅いテンポはとらず速いダルレにつけているが、いかんせんテンポ感や、こんな重音アリかというような響きの調和において、ズレを感じさせる。この不格好さはライヴだから仕方ないともいえるし、フェヴリエのタッチにクセが強いせいのようにも感じた。よたるというか、音圧のかけ方に偏りを感じる(Adesセッション録音集ではスピードを落としてもペルルミュテールなどにくらべ音色はともかく表現にクセは残っていたように思う、、、サイン入りLPが二束三文で出ていたなあ、CDあったから買わなかったけど)。雰囲気(音色)はギリギリというか、ラヴェルなので、繊細にするにも単純なのに工夫が強すぎて限界があり、録音状態のせいかもしれないが、強過ぎる寸前の感。妖精の園はそれでもゆったりとしているから、終わりの方はリズムも交錯しないし無茶な重音もないので、鐘の音の下で木琴のグリッサンドのように残響のないタラララをやって、拍手は普通。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「マ・メール・ロワ」(ピアノ四手原曲),○ペルルミュテール、ファーマー(P)(nimbus)CD,,四手による原曲版組曲。最初余りに素っ気無い演奏ぶりにサティかと思った。子供のための曲ということで書法が至極単純であることは言うまでもなく、それがいいとしした大人によって演奏されることの難しさを諸所で感じる。軽く弾き流す、もしくは淡々と弾き流す、ラヴェルのピアノ曲はえてしてそういったロベール・カサドシュのようなスタイルを要求するが、それにしても僅かに香気が香るくらいのざっくばらんなタッチにはちょっと違和感があった。小さくまとまりすぎというか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:「道化師の朝の歌」管弦楽編曲,○パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1962/3/15live,,録音は厳しいが曲の要求する俊敏さとかキレのよさがまさに発揮されたなかなかの演奏。この曲は原曲もそうだが「狡猾な」演奏センスが要求される。ソロ楽器のミスがない云々よりも(得てしてマニアや職業演奏家はそんなところを聞きがちだが)、トリッキーなリズムや繊細な不協和音、装飾音をぴっちりパズル構造に組み込んで、なおかつ浮き立つような「微妙なズレ」を持ち込んだ舞曲に仕立てなければならない。パレーは基本的にいつもと同じではあるが、力づくの前進性だけではなく、それに沿うように「構造」をぴちっと仕上げてきており、複雑だが無駄のない書法を省かず全て聞かせる。解釈を手抜かれるとわけのわからない散漫な曲になりがちでもあり、かといってただ単純化されたり整理されたりするだけではただのアンコールピースのようになってしまう。「ジグソーパズルのピースが全て明らかに見えてなお全体像もしっかり焼き付けられる」、ラヴェルは全体像だけ見えればいい音楽を描いてはいない。しかもそのパズル画は静止画ではなく時間経過に従い常に動いているのである。難しいものだが、パレーはさすがだし、オケも曲に適した硬質な表現技術を会得している。ライヴだから雰囲気も素晴らしいということもあって、これはなかなか。,,(参考)正規盤,"
イベール:寄港地
デトロイト交響楽団
マーキュリー・ミュージックエンタテインメント

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ラヴェル:連作歌曲集「博物誌」,バルビエ(msp)ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1976/10/6放送 live,,万華鏡のように作曲技巧を尽くした伴奏をもつ抒情詩で、曲間の性格分けは楽想においても書法においてもあまりに明確である。表出力の強さはルナールにしては大袈裟と言わざるを得ず、俳句をオペラに翻案したような不格好さはある。簡潔さが売りの原作をここまで作り込んでしまうか、想像力をスポイルするくらい完璧な描写を持ち込んでしまうか、しかしたんに歌としての魅力はどれも途方もなく大きくて、それと意識せず純粋な歌曲だけのものと楽しむべきなのは何もラヴェルだけの現象ではない(マーラーにおける李白はどうなってしまうのか)。「かわせみ」にかいまみえる沈潜はドビュッシーあるいはそれ以前のフランス音楽へのオマージュをおもわせずにおれないが、響きや単純性にヴォーン・ウィリアムズの自然主義を想起させられて、よく考えたらラヴェルに教授されたのはこの曲の直後であった。演奏はロザンタールによくぞこの明晰かつ情感ある録音が残っていてくれたものだ、そしてソリストの歌唱も表情豊かであると同時に適度な品格を保っており、なかなかの名演となっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:連作歌曲集「博物誌」,○メリマン(msp)マデルナ指揮バイエルン放送交響楽団(arkadia)1960/12/2live・CD,,マデルナのフランスものはコテコテマーラーなどに比べて美しくリリカルだ。この歌曲集においても無邪気なウィットと仄かな感傷が暖かい雰囲気の中に入り混じったいかにもルナールの作風を髣髴とさせる演奏になっていて、ルナール自身が嫌うほどにその世界と隔絶したものではない、むしろ素晴らしく「あっている」作品だと思わせるに十分な出来になっている。ラヴェルというと無機質に感情を入れず透明に響かせる演奏のほうが「正しく作曲家の意図を実現している」と理解されがちだが、歌曲はまず詩があるのであり、またラヴェルの一部楽曲には感情や感傷といったものを表現「せざるをえない」、音楽自身が作曲家の意図から離れ感情をあらわにすることを求めている、といったものが確かにある。ここにも(マデルナはかなりロマンティックではあるが)感情を抑制するよりは素直に表現する無意識的な意図が感じられるのであり、この意外といい録音できくと、かなり心に染みる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:連作歌曲集「博物誌」〜1,2,4,バトリ(MSP)バトリ(P)(EMI)1929 CD化。伝記訳本のディスコグラフィにも記載されている初演者による録音。声質がちょっと下卑た感じがしなくもない。リリシズムをたたえたピアノのほうが耳を惹いた。単純で美しい曲、原作者ルナールは気に入らなかったとか聞いたことがあるが、書法がお上品すぎるせいかも。雑音多し。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:1幕の歌劇「スペインの時」(1907-9),○トリュック指揮管弦楽団、クリーゲル他(PEARL他)CD,,最古の録音だが非常に歌唱に雰囲気があっていい。オケの表現も明瞭で、ラヴェル独特の冷え冷えとした南欧の空気感こそ伝わる録音状態ではないものの、古い演奏特有のぬるま湯のような音がロマンティックな側面を適度に引き出し、ドビュッシーを聴くように楽しめる。流して聴くぶんにはかなりいい演奏。雑音に弱い向きには無理。○。,,"
Ravel En EspagnePearlこのアイテムの詳細を見る
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ラヴェル:1幕の歌劇「スペインの時」(1907-9),○マデルナ指揮BBC交響楽団(stradivarius)1960/11ロイヤル・フェスティヴァル・ホールlive・CD,,ラヴェルの歌劇は苦手で、つかフランス語はわからないし歌詞見ながら聴くほど器用じゃないので敬遠しがちであった。それが、じつは聴いていた演奏にもよるのだな、と思ったのがこのマデルナ盤である。ラ・ヴァルスの暴挙で知られる「解釈しまくる」作曲家指揮者だが、同曲の面白味をよく引き出して、しかもスペイン臭さを感じさせずに熱気を溢れさせる非常にバランスのいい感覚が発揮されている。面白いうえに臭くない。とても気持ちがよく、かといってよくいる硝子系指揮者のようなツマーーーーんない薄ーーーーーい透明音楽に陥っていない、ああ、スペイン狂詩曲だ、とか、高雅だ、とかいう断片も聞き取れたりして、それが心地よい流れに乗っているのだから最後まであっというまに聞けてしまう。舞台の仕掛けが見えないのがもどかしい点も多々ある作品だけれど、音楽だけでここまで聞かせるのはマデルナのラテン気質&現代音楽気質の融合による幸福な結果。録音がやや悪いので○にとどめておく。精度の高いオケもよかったのかも。ラテンオケだったらちょっとそっちに偏ってた可能性あり。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:1幕の歌劇「スペインの時」(1907-9),ジョルジュ・トラック指揮管弦楽団ほか1928“自称”作曲家監修盤(PEARL他),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:1幕の歌劇「スペインの時」(1907-9),マニュエル・ロザンタール指揮ORTFほか1944/12/28(inaVIVA),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:1幕の歌劇「スペインの時」(1907-9),レイボヴィッツ指揮パリ放送交響楽団他(VOX),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:1幕の歌劇「スペインの時」(1907-9),ロザンタール指揮ORTF&CHO他(ina配信他)1957/12/26(1957/12/28?)1958/1/2放送 ラヴェル没後20周年コンサートlive,,1957/12/26と表記しAmazonデジタル(ina)から出たものは同じ組み合わせでラヴェル・フェスティバルとあるためina配信と同一音源、時系列的に12/26が正しいと思われる。十八番の「子供と魔法」とともに演奏されたもの(体力あるなあ、でもたまにある演目の組み合わせのようで。ともに40分余りの一幕のオペラ)。デュヴァル等の名があるがデータがはっきりしないのとフランス語が聴き取れないので詳細は省略。この曲はCD化された記録が有名だがあちらは40年代ということで、モノラルだが音は明晰であり、リバーブをかければほぼ現代のものと遜色無い聴感。歌唱がふるっているが楽曲自体は真面目なもので、ラヴェルに期待されるものがスペインという素材を使って実現されているといったふう。前衛に向かっていたことを示す尖鋭な表現も聴かれる。素直に聴いて楽しめるがコンサート形式のしかも音だけとなると語学が出来ないとイマイチ、歌唱に対しても施されたラヴェルの機知に気づかない。それは私である。付け加えるなら、ダフニスからクープランの管弦楽編曲の流れの好きな人には向く曲で、華やかかつ巧緻なロザンタールの指揮ぶりも楽しめます。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:2つのヘブライの歌〜カディッシュ,○ドルハーノヴァ(Msp)ニーナ・スヴェトラーノヴァ(P)(MELODIYA),,ドルハノーワの持ち歌のようで、50年代から何度か録音が出ているようだが同一かどうかは不明。押しの強いロシアの歌唱にユダヤ旋律がマッチして、冒頭こそ後期ラヴェル的だが次第にどっちつかずの様相をていしていく。スヴェトラーノフの奥さんニーナ・スヴェトラノーワのピアノはまあ、伴奏。○。ロシア復刻CDでもいくつかあるようだ。これは58年だかの録音をもとにした。ブリテンやファリャとの組み合わせ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:3つのヘブライの歌,グレイ(Msp)作曲家?(P)(polydor/cascavelle他)1932/6パリ・CD,,ほとんどの復刻が二曲抜粋なものの(作曲時期が1910年と14年に別れるせいか)、いずれも短いので一曲欠けるくらい些細なことと考えれば自作自演として普通に聴かれてきた録音。だが、cascavelleが三集にわたって大成したラヴェル集およびマドレーヌ・グレイ集としてCD一枚にまとめた音源のデータには従来と異なる記載がある。グレイ夫人の伴奏として自演と言われていたが、無名のピアニストへの指示だけで自分では弾いていない(ラヴェルが自作自演したものはピアノロールしかない)可能性が強いとのこと。録音技術への不審があった、などどういう根拠なのかわからないが、「マダガスカル島民の歌」より小規模でぐっと単純なので誰が弾いても伴奏の範疇でしかなかろう。明瞭で曇りのないタッチ。グレイ夫人の歌唱は癖があって嫌われたそうだが若い頃は正確で音域幅があり、同時代の作曲家に好かれた。それはカントルーブより捧げられたオーベルニュの歌(録音は抜粋、cascavelle等のグレイ集にも収録)からも、復刻の少ない戦前戦中SP録音からも窺い知れる。ここでは単純な歌を恐らくわざと崩して歌っていて民族性を出している。ヘブライ音律が支配的なマジェスケはピアノもろともさほど個性を必要としていない。2分弱の同曲のあと、ラヴェルにはしばしばあることだが不格好に長いカディッシュが入る。3分半あまり、繊細ではあるがピアノは少しも難しくない軽いタッチの歌である。民族的にやるべきところだろうが、この演奏はわりと真面目で面白くない。1分に満たない終曲「永遠の謎」こそこの曲集の要とも思うが、よくレストアされているとはいえ音数の少ない曲の神秘的な叙情を醸すには分が悪い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:5つのギリシャ民謡〜花嫁の歌(花嫁の目覚め),何と楽しい,○ネジダーノヴァ(sp)ゴロワノフ(p)(aquarius)1941・CD,,曲が曲だからか颯爽と溌剌としたネジダーノヴァの歌唱は原語によるものであるものの違和感はあまりない。夫婦共演、プライヴェート盤が元になっているという。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ,○C.ボナルディ(Vn)ノエル・リー(P)(ACCORD)1987・CD,,やはりボナルディが弱いか。ノエル・リーは主張しないピアニストだが粒だった音で余りペダリングせずにとつとつと音を並べていくさまが素朴で繊細で素晴らしい。女性的な演奏。残響がやっぱり多すぎるなあ。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ,○カウフマン(Vn)バルサム(P)(conerthall)LP,,動と静、どちらの表現が難しいかといったら圧倒的に後者である。もちろん音数の少ないものも難しいのだが、この曲のように実に巧緻な設計のもとに繊細な音符が数多く用いられている場合、まず技術的に完璧にこなせることを大前提に、音量を極度に抑えて尚その表現を少しも損なわずに聴く側に伝えなければならない。言葉で言うのは易しいが殆どのソリスト級のプロでもなかなかできないことである。カウフマンは言うまでもなくアメリカ屈指のテクニシャンで、軽音楽や映画音楽などの世俗音楽にも積極的に取り組んでいたヴァイオリニストである。この曲で一般的に特徴として挙げられるのは後期ラヴェルに特徴的な訪米後のジャズからの「影響」だが、当然のことながらラヴェルは異国の民族音楽と同等にあくまで「自己の表現の一部として」その技巧的部分のみを取り込み己が身とした。「影響」などではないのである。決してジャズなど書かなかった。カウフマンがお手の物の筈のジャズの語法を取り入れたこの二楽章を、どうやってさばいているかというと、やはりクラシカルな表現の中に溶け込ませているのである。ジャズを弾こうとしてはいない。冷静に、しかし音色には感情を籠めて素直に(素直にこの曲を弾けるということ自体至難のわざなのだが)アンサンブルを組んでいる。バルサムのリリカルで軽く繊細な音というのもこの曲にはあっている。細かい仕掛けを悉く完璧に「ヴァイオリンとの絡みにおいて」描き出している。慎重で繊細かつ完璧なアンサンブルをここに聴くことができる。ラヴェルのソナタを誤解しないためにはうってつけの演奏だがいかんせん、録音が悪い。しょうがないのだが、カウフマンの再評価が進まないのもそのあたりの時代性にあるのかと思う・・・更に同時代に大ヴァイオリニストがいすぎたのだ・・・ラヴェルはこの曲の中にヴァイオリンとチェロのソナタに先鋭的にあらわれているような線的な絡みや衝突する硬質の響きを用いており、若干わかりにくいが、テクニックだけを聴く曲ではないことを押さえておかないとラヴェルを聴く醍醐味はないとだけ付け加えておく。ピアノ協奏曲と類似したパセージが見られるのも興味深い。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ,○ゴーティエ(v)ジョワ(p)(radio france)LP,,トリオ・ド・フランスのメンバーによる演奏だが、技術的引っかかりのない精度の高さで、スピードがあって聴きやすく、また、ゴーティエのヴィヴラートが美しく、懐かしい音色、ブレのない適切な表現が素晴らしい。同時代の香りがして大変に魅力的だ。ジャズ風を煽らない二楽章もラヴェル的で、これこそ真の姿であろう。綺麗なノイズレスな音にして欲しいが、同時代的雰囲気が損なわれるか。こうやるべきという模範的なアンサンブルで、音楽性は高い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ,○ジェラール・プーレ(Vn)ノエル・リー(P)(ARION)CD,,抽象度高めで遊びがなく、地味めかもしれない。しれっと聞き流せてしまう。美術館がひとつある。印象派展をやるという。私は躊躇なくこの録音を選ぶ。サティのエコーを聴いた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ,◎ジャリ(Vn)プルデルマシェ(P)(EMI)CD,,それほど押しの強くないさらっとした表現から始まるが実は非常に高度な技巧の裏づけが双方にうかがえ、とにかく細かい音符が全部粒だってきちんときこえてきて、さらにそのうえでけっこう大きな抑揚をつけていく、そこがまた自然。フランス派きっての手だれ、共に真骨頂である。2楽章からまったく音にジャジーさはないのにさらっとポルタメントをつけまくりブルーノートを一つのドビュッシー的な世界の表現手段として使いこなしている、ラヴェルが聞いたら納得の演奏だったろう。個人的に変な主題の1楽章で違和感をおぼえることの多い曲だが、この演奏は自然に入り、2楽章以降はあっというまに唖然と、聞きとおした。◎。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ,○ドゥーカン(Vn)コシェ(P)(ERATO,warner/tower records)1960頃・CD,,硬質で純度の高い音、フランスのヴァイオリンに多い縮緬ヴィブラートが美しいドゥーカンだが、反面単調でロマン派的な楽曲など長く聴いていると飽きてくる。反ロマン的なラヴェルが最も相性のいい作曲家であったと思うが、中でもこの曲のように世俗的要素を抽象化させて(アメリカ場末的要素をフランス都市部的に昇華させて)メカニカルな構造との融合をはかった作品においては、安定感のあるテンポでジャズ的な自由な雰囲気を無くしラヴェル的な機械的な律動のみを提示し、もちろん解釈のケレン味無さに物足りなさを感じる向きもあると思うが、旋律も和声も相対的には主張せず断片的な提示に終始する同曲では、このスタイルでも十分許容範囲だし、音色的にはまったくマッチしたものである。録音はいいほう。相変わらず一部マニア店ではフランス盤が高騰し、エラートは権利的にしっかりユニバーサルに移管されているから待てば再発もしようものなのに、アナログ高値が続いている模様。エラートも一時よりだいぶ下がったとはいえ店によりけり、こういうレコード会社主導の企画モノは歓迎だ。もっとも、室内楽はデジタルは向かない・・・ドゥーカンのような無機質スレスレの表現者は特に。ラヴェルは確かヴァイオリンソナタというような表記を避け、ソロ楽器とピアノのためのソナタ、のような表記をしていた筈である。従って是はアンサンブル曲であり、器楽曲ではない。ヴァイオリンとチェロのデュオソナタと同じような独特の丁々発止が楽しめる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ,○マテラッシ(Vn)ダラピッコラ(P)(stradivarius)1958/4/28フィレンツェ・CD,,1、4楽章など技術的にやや不安定なところもあるが、おおむねオーソドックスで楽しめるソリスト。50年代らしいオールドスタイルなフィンガリングに音色もまじえるがそれほど際立たず、かといって無個性でも無機質でもない。悪く言えば半端かもしれない。ダラピッコラのピアノはそつなく、難しい曲も簡単に聴こえる。はっきりした発音だが特にタッチに繊細な配慮があるでもなく無造作と言うほど下手でもなく、デュオとしてはあっているのかもしれない。アグレッシブさはあり、オーソドックスに楽しめる演奏。モノラル。わりと柔らかい音で聴きやすい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ,○ルビン(Vn)スパロウ(P)(fantasy),,荒々しいスタイルでそのぶんいい意味でスリリングな感覚を味わえる。曲自体がジャズなど世俗音楽のエッセンスを抽象化したものであり、それをどこまで世俗的に、あるいは逆に抽象的に描くかが鍵だと思うが、これは抽象的・・・クラシカルなスタイルを堅持しながらも、名技性を娯楽的に聞かせるわざも兼ね備えている。なかなか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ,エルリ(Vn)ビュロー(P)(meloclassic)1952/12/15パリ フランス放送live・CD,,一楽章は非の打ち所が無い、丸みのある音で完璧にラヴェルを描いていくエルリ(人気も頷ける)、ラヴェルの普通じゃない、微細な仕掛けまで汲み取って掛け合っていくビュロー、環境雑音もミスもあるが並大抵ではない高度な技巧を、そうは思わせずにすんなり聴かせてなおライヴ感にも溢れている。旋律の魅力はそれほど無い方の作品だが、それでも横の旋律に入ると、ラヴェルが他の後期作品で使ったもの(デュオソナタなど)に似たところもあって、もうこれは同国人の感性がなせるわざか、何とも言えぬ詩情を漂わせる。激しい動きが入るとライヴなりの雑味は出てきて、これは生硬なテンポと、楽想にあわせて変化することをしない細い音が気になるジャズを取り入れた二楽章で明らかになってくるが、ラヴェルが思いっきりジャズをやらせようとしたとも思えぬどっちつかずのところを突いて、次第に板につき、遊び心の余裕が出てくる。ラヴェルには特異に感じられる旋律表現も却って違和感が無くて良いか。短い無窮動ふうの三楽章はウィットに富んだ出だしから聴衆を和ませるが、なかなかの難しさを音色を損ねることなく走りきっている。左手のためのピアノ協奏曲のものに似た走句を時折投げかけるビュローはほんとにラヴェル風に上手い。軽やかさがあり、二楽章のエコーのようなラヴェルとしては違和感あるフレーズも気にならない。楽曲自体の構成上のこともあるが、先細り感のある演奏ではあるものの、ライヴとしてはこれ以上求めてはならないだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ,オークレール(Vn)ボヌー(P)(meloclassic)1958/11/25パリ放送スタジオ録音・CD,,荒い。音にならない音が多い。音色もあまり好きではないが、ただ硬質なのではなく、それ以外のテクニックで音に艶を付けていくのは独特だ。セッション録音とは思えないガチャガチャしたところもありラヴェルやアメリカのブルースにはとうてい聴こえないものの、ただ激しさを楽しむ向きには向いているかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ,ソリアーノ(Vn)ダルレ(P)(meloclassic)1960/1/8放送用スタジオ録音,,一楽章、シゲティ的な掠れのある、弓圧に頼らない私の好きな音系なのだがぶっきらぼうな発音や荒い表現がきかれるのはその系統の特徴なので仕方ないか。但し奏法(というほどのことではないが)を使い分けていて単調にはならない。部分部分の解釈に感傷は宿らない。全体、流れの作り方、プラス前記のようなところから他の演奏家にはあまり無いたぐいの懐しさをはらんだものが滲み出てきて、余情が残る。鄙びたモノラル録音であることも手伝い、松葉のない棒のような弾き方でも違和感はそれほどないし、ピアノも含めて雰囲気が出ている。二楽章はそのやり方が通用しないようなところがあり、楽曲に特徴的なブルースを演奏で効果的に仕上げることは出来ていない。切り替えなく一楽章と同じやり方だ。精密機械としてのラヴェルとはまた違う方向を志向している演奏なのでこれはこうでいいのだろう。ピアノの正確な粒だった音が光っている。しっかり主張してくることでラヴェルであることをわからしめている(ピアノはどうやってもラヴェルになる)。他楽章の要素が複雑に絡み合う三楽章ではソリアーノのやり方が功を奏する。激しい表現は民族的ですらあり盤石の技巧の上で荒々しさを発揮して、ただ荒いのではなく、荒さを弾いているのだと和音の完璧さを示して終わる。なかなかの演奏だが正統かどうかはわからない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ(遺作),ギドン・クレーメル(Vn)エレーナ・クレーメル(P)(PHILIPS)1980版・CD,,西側デビューから数年の新進気鋭のころに録音されたフランス秘曲集から。クレーメルは日本人には馴染み深い当代瑞逸のヴァイオリニストの一人で稀代のテクニシャンで知られるが、奏法に特徴はあるもののこのころの音色は決して往年の大ヴァイオリニストのような特徴あるもの(たとえば師匠のD.オイストラフのようにふくよかでボリュームのある音)ではなく変化に乏しいところがあり、音楽で聞かせるのではなくテクニックと楽譜読みで聞かせるだけの感もある。ガルネリの音色ということもあろうが金属質な感じもある。ただ、フランス近現代の厳密な音程感(和声感)と透明感を要求する楽曲には向いているとは言える。硬質で内容的に静謐な音楽に向いているから、アナログ盤よりデジタル盤に向く(この盤は「ヴァイオリン・リサイタル」の名で一度だけCD化しているが、私はLPしか持ってません)。これは同曲の初録音である。ロッケンハウスで現代楽曲の啓発に取り組む前のクレーメルの姿勢をよく示した選曲である。,,1897年パリ音楽院時代(22歳)の習作だが、はっきり言ってラヴェルはこの曲を発掘してほしくなかったに違いない。初めから非常に大胆(というか無茶)な和声的書法をとっているが、内容的にはフランクの延長上にあり、あきらかにディーリアスの模倣である。ドビュッシーの習作ピアノ三重奏曲(18歳の作品)と比べても全く魅力を感じない。この曲を久しぶりに聞いたが(譜面は見て全く興味が湧かなかったので入手してません)、執拗なぎごちない転調にぱっとしない旋律(バスクの民族色を意識している感じだけはする)、半音階的な経過句など、聞いていて「これはあの時代にドビュッシーの影響を受けたロマン派の無名作曲家のものだよ」と言われれば納得しそれなりに聞けると評することもできようが、とにかく自己の評価されていない室内楽作品と比べても更に格段に落ちる。クレーメルもロマン派ふうに弾けばいいものを「ラヴェルとして弾いてしまっている」。エレーナ(D.バシュキーロフ先生の娘さん(バシュキロ−ワ)でクレーメルのロシア時代からの夫人、不倫の末バレンボイムと結ばれたのはアルゲリッチ絡みでよく知られた話ですね)のピアノはそつのない繊細なものでフランスもののピアニストとしては適性があると思う。同窓エネスコが初演したまま譜面紛失、75年再発見と共に出版された。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ(遺作),◎ジェラール・プーレ(Vn)ノエル・リー(P)(ARION)CD,,近現代作品を網羅的に録音したうちのフランスソナタ集。なんかの賞をとっていて(いーかげん)一時期国内でも1000円で投げ売りされるほど聴かれた?盤の、目玉トラックだ。このフランス派の名手二人の演奏に◎以外つけるわけにはいかない(ちなみに今はプレミア盤化しMP3配信でも1800円する)と思う私はプーレの自然に変化するヴィヴラートのかけかたに痺れ、リーは言うまでもなく安心して聴ける、新進気鋭やらビルトーゾやらという押し付けがましさのない純粋な美しさ、その上でこの珍品が聴けるのである。譜面持ってるような持ってないような気がするが「え、こんな新しい曲が初期の習作だって?!」という曲で、初期ドビュッシーを遥かに越える技巧的な新しさを提示している。フォーレを吸い付くし独自の先鋭な書法を確立しつつある、ただやや長すぎる。そのためディーリアスの習作ソナタに近いロマンチックさが出てしまっている(共に単一楽章)。何故か陳腐な和声に走ったり。。でもこれだけは言える。習作と言うには惜しい。個人的にはこれに比べれば併録のピエルネなんて屑。演奏はこれしかいらない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ,○C.ボナルディ(Vn)シフォルー(Vc)(ACCORD)1987・CD,,ちょっと技術的に厳しい感じがする。ヴァイオリンは技巧より表現をとる意図というには表現もムラがあり、感傷的な艶を出す場面と何か押しの弱いイギリス的な音を出す場面がちぐはぐである。解釈的には至極落ち着いていて、3楽章などピアノ的な静謐な抽象を描く配慮が行き届いていてラヴェルの意思を汲んだ名演だと思うが、アタックがきちっと決まらないので往年の演奏のような、ちょっとグズっとした感じに思えてしまう〜無調的なパセージなどもっと硬質に整っているべきなのだ。4楽章などチェロがいきなり不安定なリズムで(難しいのはわかるけど)民族性を煽るまでいかないそれ以前の状況のように聴こえる。しかしフィンガリングはセンスに溢れた音を出す。ポルタメントなど美しくそつない。しかしやはり、ここはバーバリズムでいくべき楽章で、叙情的な美しさばかりに拘泥すると激しいリズムと先鋭な響きが阻害される。音程もリズムも怪しい・・・しかし部分的には美しく(ヴァイオリンはトリルが綺麗だ)無印にするには躊躇がある。テンポは冷静なのに技術イマイチ、というくらいか。ひどいいいよう。この曲はそもそも多面的で難しいのだ。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ,○ジェラール・プーレ(Vn)ヘンケル(Vc)(HENKEL)CD,,何かとても荒々しい演奏で、二つの楽器のぶつかり合いを聴いているかのようだ。調和を聴かせるような曲ではないものの、いささか暴力的にも感じた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ,○シュムスキー(Vn)グリーンハウス(Vc)(CASCAVELLE/AMPHION)1948NY・CD,,録音の旧さを除けばラヴェルの前衛性と後衛性(後者は意図的だろうが)を兼ね備えたこの曲をよく理解し、ひびきの観念的な冷美と旋律の直接的な暖美を絶妙なバランスのうえに組み上げた特筆すべき盤と評価できる。前時代的な暖かい音色表現を使いながら安定した技巧をもって率直にすすめていくさまは多少即物的で素っ気なくもあるし、精緻さの抉り出しにおいて物足りなさを感じる向きもあろうが、「音楽として」バランスのとれたいい演奏のなかなかないこの曲においてはかなり頑張っているほうだと思う。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ,グリュミオー(Vn)ベッケラス(Vc)(ANDROMEDA)1953/10/8・CD,,どうにも荒い。チェロは弾けていない箇所が散見されるし、グリュミオーも細かい音程があいまいで、もともと不協和音でもその微妙な彩を聴かせるラヴェルのかくような曲にあって、音程の悪さというのは単純な不協和の渦と聞かせ台無しにする。2楽章冒頭のピチカートのやり取りでもテンポがギリギリ保たれているといった風情でズレているような印象をあたえ、何か準備不足のようなものを感じさせる。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ,ゴーティエ(Vn)レヴィ(Vc)(Le Chant du Monde)1961/5/27,,これは余りに自由過ぎる。たどたどしさやアンサンブルの甘さにもましてとにかく各々勝手に伸縮するのが耳に気持ち悪い。特殊な演奏を好む向きには薦めてもいいが、少なくとも、下手くそだ。無印。webで配信されている。LP原盤の模様。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ(1920ー22),△シェーンフェルド・デュオ(EVEREST)「ワールド・プレミア・レコード」?!このLPの表題を見て思わず唸った。ステレオだし、初録音なわけないと思うのだが、そもそもこの2本のプロ・デュオという存在を知らなかったし、思わず買っていた。聴いてみた。この曲は大好きだし、自分でも弾いたりしている。わくわく・・・えー?!なにこのぎごちなさ。ヴァイオリンがだめなのである。ボウイングは下手だし、かといってシゲティのようにそのぶん音色に注力しているわけでもない。むしろ日本のセミプロに多いタイプの凡庸な音だ。チェロはまあ普通なのだが、ひょっとしてこの曲に思い入れがないのでは、と思ったのはカップリングのオネゲルを聞いたときである。オネゲルでは決して上等とは言えないが「頑張ってはいる」。ラヴェルの奥座敷ともいうべきこの極限まで削ぎ落とされたアンサンブルは、衝突する音線同志のせめぎあいをどのくらい面白く聞かせられるかが勝負である。各音線はそれぞれすこぶる抒情的な旋律を奏でるにもかかわらず一緒になると非常に尖鋭で現代的な音楽になる。ミヨーのカルテットによくあるパターンである。そのため音程音長よほど厳密に譜面通り弾かないと、すぐ晦渋でわけのわからない音楽になってしまう。このデュオはそれ以前の段階であるように聞こえた。うまく響かせられなくても、縦線がずれても、要所要所だけしっかりあわせ、あとは勢いで強引に聞かせてしまう、という荒業すら繰り出す事ができていない。あの魅力的な1楽章の旋律〜最初に単独で作られた楽章で、飛び抜けて抒情的なのはそのせい〜が両者共ちっとも歌えていない。むしろちょっと汚い。ラヴェルらしい2楽章の弾ける躍動もちっともウキウキしない。乱暴なだけだ。4楽章は確かに難しいといえば難しいけれども、細かいスピッカートが動きだけで音になっていないところが多すぎる。総じて解釈以前の問題なのである。練習不足。△。魅力を引き出すのが難しい曲だが、もっとやりようはあったはず。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ(1920ー22),○アルベルティ、シュワルツ(cybelia)CD化不明 併録の三重奏ではクロード・フランセ女史がピアノを弾いているが、同盤共になかなか聞かせる。とくにアルベルティのヴァイオリンの深い音色が良い。音程が怪しくなっても豊かな倍音の響がしっかり支えているためにそう感じさせない。寧ろ魅力になっている。敢えて協和させない音同士の衝突、ささくれ立った技巧のせめぎあうギリギリのアンサンブルを聞かせる曲だが、豊かな旋律性も兼ね備えた同曲の叙情性を浮き彫りにしている。かといって臭くならない。過度の解釈は複雑な曲の本質を損ねる恐れがある(ラヴェルは常にそうだ)。難曲の終楽章が共にやや音色感を損なっているが、3楽章の心を打つ痛切な表現で穴埋めされよう。これで2楽章にもう少しジャズ風の遊びがあれば、もっと推薦できた。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ(1920ー22),○カガン(Vn)グートマン(Vc)(MELODIYA)繊細だがしっかりした音。しかも両者殆ど同じ音色で絡み合うのが面白い。さすが夫婦である。ただ、弓 圧のかけかたや音量に差はあるものの、最初から最後まで二人とも音色が変わらないから、けっこう飽き てくる。2楽章など力強く正確だが求道的すぎる。もっと軽音楽風に遊ぶべき楽章だ。終楽章もいささか 生真面目すぎる。折角の愉悦的な舞曲がバロック時代の頭でっかちな音楽になってしまったような感じす らする。この室内楽はラヴェルの実験的作品としてどちらかというとマイナー扱いされてきた曲だが、単 旋律に剥いてみるととても美しくラヴェルらしい抒情味たっぷりの名旋律だらけ。それが二本の楽器各々 にバラバラに振り分けられ、和声的な調和をほとんど考慮せずに単に律動の絡み合い(1楽章の後半など 二本が少しずつズレていくさまが気持ち悪い!!)だけで表現していこうとするから、結局譜面を見なが らでないとわけがわからない晦渋な曲という印象を残してしまう。ひたすらマニアックな、パズルのよう なアンサンブル(これをアンサンブルと呼べるのであれば)であるがゆえにここまでしっかり弾かないと 曲にならないと感じたのだろう、と邪推する。カンペキなんですけどね。。。技術的な面のみ、○。ステ レオ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ,○ゴーティエ(Vn)ルフェビュール(P)(CASCAVELLE/CHANT DU MONDE)1950/4/10・CD,,ヴァイオリンはオールドスタイルで色のある音だが飽きるし何より音程の不明瞭さは、そういうところに機械的なシビアさを求めるラヴェルにはかなり辛い。だがピアノはすばらしい。まさに技巧とセンスを求めるラヴェルの繊細なリリシズムを描ききっており、終楽章終盤の中国風のひびきをともなうフレーズなど完璧だ。この二者の相反するスタイルが不思議な調和をみせる盤ではある。後期ラヴェルの音楽は(曲にもよるが)情報量が異常に多い。技術的問題の解決は大前提となるし、弦楽器において旧い奏法では対応できないであろう部分も多い。その点やや難がある。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),コンドラシン指揮ACO(PHILIPS)1971/1/4LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),◎コンドラシン指揮モスクワ・フィル(AKKOPA/LYS)1961ラ・ヴァルス同様「これがコンドラシン・モスクワ?」と疑うほどに娯楽的な演奏。かといってただ派手なのではなく精妙のきわみとも言うべきソロ管楽器同士の絡み合いには棒の煌きが存分に発揮され、豪放磊落なロシアの演奏とは思えないほどである。後年の渋さ(=野暮さ)のかけらも感じさせず、明るくパッションの迸る演奏だ。理屈抜きで音楽の楽しさを味わおう。名演。録音もモノラルだが生生しく聞きやすい。CD化済み。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),○コンドラシン指揮ユンゲ・ドイチェ・フィル(BERLIN CLASSICS他)LIVE 1980初出引き締まったしなやかなオケでそうとう巧い。細かい音の隅々まで磨き上げられており、とくに終曲のような激しい曲においては完璧な技術を見せ付けてくる。圧倒的というまで熱気があるわけではないが、ドイツ的ないくぶん冷たい音色が見事に曲に合致。スペインうんぬんは別として、純粋な音楽としてのレベルの高さはそうとうなものだ。初曲など静かな場面は特徴に欠けるけれども、生臭さの無い珍しいタイプの演奏だから聴いて損はなかろう。コンドラシンはじつに息のあったところを見せている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,○コンドラシン指揮ユンゲ・ドイチェ・フィル(kapellmeister:CD-R他)1980/9/25ベルリンlive,同上?,ステレオ。最初こそ地味でぱっとしない若手オケの感があるが、かつてのロシア時代のようにどぎつくも強引さもない洗練された表現と明るい色彩性が次第にあきらかになっていって、祭典のシーンではまるでラテン系の技巧的裏づけもある指揮者が振っているような錯覚にすら陥る。後半が出色の出来といえよう。もはやロシア系の演奏ではない。部分突出もバラバラ感もなく、硬質な透明感ある響きのもとにまとまっている。○。,,↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ," ",,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),○コンドラシン指揮英国ナショナル・ユース管弦楽団(BSR)ロイヤル・アルバート・ホールLIVE ステレオ。ラヴェルでもこの曲はいくつか録音がある。コンドラシンが好んで取り上げた作品だったのかもしれない。強烈な色彩性を打ち出し、並ならぬ推進力を持ったコンドラシンの音楽は、スヴェトラーノフなどとは違ってラヴェルにとても合う。何故だろう?と考えてみるがよくはわからない。揺れ動く演奏という意味での恣意性が少なく、即物的ともとられそうな解釈がラヴェルの極度に完成されたスコアによくハマるせいかもしれない。ちょっと隈取りが明確すぎるので好悪別れるかもしれないが(音が明瞭に捉えられすぎているせいかも)、コンドラシンのラヴェルはお勧めなので、この盤に限らず見かけたら即”買い”です。ここでもブラヴォーと拍手の渦。若々しいラヴェルに拍手。このオケはイギリス屈指のユースオケとして有名。(後補:この録音は特殊なノイズ除去装置による再生を前提に行われたものだそうである。さーという雑音が入る隈取りの濃い録音に聞こえるのはそのせいのようだ。),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,コンドラシン指揮ACO(eternities)1971/1/14live,,荒い。録音も荒いが演奏も粗があり、もはやロシア流とも言いきれない個性が確立されているのだとは思うが、やはり管楽器の発音がいちいち強く、録音バランスが悪いのもあって抑揚の抑の方が聴こえなくて、吹けていないように聴こえたり、ちょっと推せない。ただ終楽章は凄まじい。ミュンシュの迫力に似ているのだがもっと北方的な脂のない筋肉という感じもする。とにかく指揮者もオケもフランス物において音色で売る感じではないので、ミュンシュとは比べられないが、しかし最後のド迫力と盛大なブラヴォ拍手は、この曲をレパートリーとして録音も多く残るコンドラシンの面目躍如といったところだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,○ザンデルリンク指揮レニングラード交響楽団(放送)1952/10/25live,,音量が録音によって抑えられてしまっており、実体がよくわからないところもある。一曲目、意外とまともな演奏でコンドラシンよりスペイン情緒を醸すことに成功しているかもしれない。響きが美しい。二曲目、テンポが変だし安定しないが面白いといえば面白い。こういうところでオケの非力さが垣間見えてしまう。ミス散見。三曲目、一曲目同様響きは美しいがロシア色が出てきて邪魔をする。どうにも鄙びてしまう。テンポにもリズムにも安定感がやや無いか。四曲目、ソロ楽器がスピードについていかない。ミス散見。テンポもやはり安定感がないが、ロシア式はこんなものか。前進力はある。ゆっくりの場面になるとなかなかの気だるさで情緒がある。スピードが上がると精細に欠けるというのは、結局オケの技術的問題が大きいのだろう。ギレリスの左手のためのピアノ協奏曲の前に演奏されたもの。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,◎ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1967/11/19live,,これが客席の当惑反応が信じられないくらい盛り上がるいい演奏なのだ。きついステレオも原曲がすぐれていれば寧ろ素晴らしい録音になる見本。同日の三角帽子では辟易した私もこの手垢のつきまくった曲で熱狂するとは思わなかった。同日イベリアもハマっていた。これはある意味録音の勝利でもあります。録音はエッジも気にならない殆ど正規並。ちょっと大げさすぎて最後ブラスが乱れるけど、齢を重ねるほどにどんどん高速化していったのかこの人は。コノ人とシェルヒェンくらいじゃないのか。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(SCC:CD-R)1967/11/19live,,ストコフスキのフランスものには余りよくないものもある。これも鈍重でテンポがリズムと噛み合わず、不安定かつ遅い。響きが独特の深い原色の美しさを示し解釈にも独特のものがある、ストコフスキの長所ではあるのだが、ラヴェルにはあわない。オケも心もとない。ただ、静かな曲においてはねっとりした情趣がしっくりくる。技術的問題も露顕しない。○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(PEARL他)1934/6・CD録音がかなりきついが水がはぜるような、噎せ返るような音色表現の連続で、技術的にも極めて高いものを聴いているという実感は凄くある。ストコフスキは早めのテンポで颯爽と振り抜けているが音の作り方が扇情的ゆえ、ラヴェル演奏としてはちょっとクセを感じる。面白いが抵抗感を感じる人はいるかもしれない。とにかく音作りの素晴らしく巧い指揮者ゆえハマるととことん聴き込んでしまう要素が確かにある。とりあえず○。私のパール盤は不良品でこの曲の最後が聞き取りづらいので正確には書けません。すいません。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(PEARL他)CD,同上,ストコはいまひとつブレイクしないが絶対に時代が来る。いやマニアにとってはもう当然の確固たる地位を占める芸人もとい解釈者である。この昭和初期の録音を聴いて目覚しい色彩を感じることができる、ソリストの異常に感傷的な節回しと楽団の凄まじいアンサンブル力、その地力がストコによって開放されている。ロマンティックに過ぎるから嫌われたのかもしれない。でも、この時代はロマンティックの表現を「未来へ向かってどうシフトさせていくか」が芸人もとい指揮者の命題でもあったのだ。それが即物主義の方向に傾きすぎてしまい、純音楽的には面白くても、それは音的に面白いだけで音楽の楽のほうをすっかり忘れてしまったようにとる人たちが快楽主義的音楽の方向に逃げてしまったのがコンサートホールの惨状なのである。これは今もって聴くとちょっと感銘を受けてしまう。独特の名演奏なのである。アメリカだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,ストコフスキ指揮ニュー・フィル(DA:CD-R)1974/5/14LIVE,,これはちょっと違和感を感じた。ラヴェルはストコが好んで扱った「素材」だが、古い録音のほうがより緊密で聴きやすかったように思う。これはちょっと重い。隈取がはっきりしすぎていて「そこまで響きを際立たせなくてもラヴェルは大丈夫じゃないんですか?」と。とくに打楽器を強調する傾向が強いが、リズム感がイマイチというかちょっと鈍重なので、軽い音響傾向とアンマッチを起こし却って聴きづらい。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲抜粋,ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(columbia他)1934/3/17,,ねっとりとしたフレージングでロマンティックな解釈を展開していく。ただ野放図ではなく棒できっちり指示を重ねての計算で、巨視的には気にならないレベルの弄り方だと感じた。SP両面なので抜粋になるがわりと聴き続けられる録音。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,◎チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(VON-Z:CD-R)1994live ,,チェリの技術・律しぶりは古典よりむしろ現代の複雑なもの向きで、ラヴェルのようなスイスの時計技師の作品には全く向いている。一時期イタリアで振っていたせいか知らないが南欧ふうの曲がとくにチェリには向いているように思う。リズム表現の明快さ、縦のがっしりした安定感、更に前進力が、ともすると恐怖政治に陥りかねないその支配下のオケを、自主性などなくてもいい、ただついてこいと最後までぐいぐいひっぱってゆく。旧い指揮者のような単調な引っ張り方ではなく、繊細な音響にとくに配慮することによって楽曲そのものに内在するデーモンを引き出し、美しく再現してみせる。熱い演奏というより律せられた演奏ではあるが、素晴らしい満足感である。恐らく既出盤だと思うが正規と聞き惑うほどに音がいい。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(METEOR)LIVE・CD,同上?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(SARDANA:CD-R)LIVE,同上?,美麗な録音でまずはOK。これは隅々まで制御された演奏であり、いったんこの遅さ(何たる遅さ!)に慣れてしまえば独特の禁欲的な響きの世界に浸り込む事ができるだろう。チェリビダッケ芸術の一つ行き着いた世界である事は確かで、ぎっちり揃えられたポルタメントのぎらりと光る鋭さ(そんなところを光らせてどうする!)、ミスの無さ含め、たとえこの演奏がキライでも、認めざるを得ないものはある。ラヴェルではないし、スペインでもない。でも、これは紛れも無いチェリである。ここまで言っといて無印。だって最初からこれじゃあどうにも入れない。チェリが叫ぼうが唸ろうが、フラブラ入ろうがワタシは駄目でした。制御されすぎて音が死んでる気がするのはワタシだけ??,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),○チェリビダッケ指揮カラカス交響楽団(ARKADIA)1962/12/7LIVE・CD初曲の神秘的なひびきにぐっと引き寄せられる。が、弦楽器のヘタさにぐっと引き戻される。それでもまあ、チェリのイマジネーション豊かな解釈、磨き抜かれたひびきには十分引き寄せられるものはあるのだが。マラゲーニャは軽く俊敏。弦のポルタメントがそうとうにいやらしくでろーんとかけられているのが耳を惹くがこれはドビュッシーのイベリアなんかでも聞かれたチェリ独特の前衛的音響感覚によるものだろう。緩急の差がかなり露骨につけられているが不自然ではない。ハバネラではヴァイオリンのヴィブラートをかけまくった泣きの旋律が面白かった。終曲ではふたたび物凄く速いテンポ設定になっているが、空気の通るような明快な音響がチェリの本領発揮といったところでいい。オケがそうとう苦しんでいるようだが、チェリの音楽は揺るぎ無い。急峻部はリアルだが中間の緩徐部はイマジネイティブだ。オケの鄙びた音もいい。テンポ設定もかなり変化に富んでいて面白い。最後の急峻部はとにかく速くリズミカルでラテン気質すら感じる。あまりの速さに軽く聞こえてしまうが、かなり盛り上がり、最後はブラヴォーも飛ぶ。これはなかなかのものである。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),○チェリビダッケ指揮フランス国立放送管弦楽団(RARE MOTH:CD-R他)1973/12/23パリLIVEこの曲にこの音質は厳しい。解釈もそれほど飛び抜けて個性的とも感じられず、遅いテンポにチェリらしい厳しい統制が逆に飽きを催させる。音さえよければ磨き抜かれた響きに浸ることもできようが、これでは何とも言えない。終楽章が水際立ったリズムと溢れる力感でカタルシスを感じさせ抜きん出て気持良かった。間髪入れずの満場のブラウ゛ォにびっくり。悪印象の全ては録音のせいか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,○ドラティ指揮フランス国立管弦楽団(Lanne:CD-R)1970年代(65?)live,,押せ押せスタイルでデトロイトのパレーに似たスタイルなのだが、どこかしっくりこない。この曲に必要な鋭敏な響きへの感覚がイマイチで(冒頭からなにやらリアルで有機的)、細部まで繊細に表現できてはいるのだが、それが「繊細」と伝わらない。明瞭感がなくロマンティックな響きの重みを感じると言ったらいいのか、パレーのからっと明快な感じとは違う。といってもドイツ風と言うことでもなく、「ロマンティック」としか言いようが無い。聴衆反応も今ひとつばらばら、これだけ音楽は盛り上がっているのだからそれは無いだろうと思うのだが、ここは音楽外の理由もあるのか。○にはしておく、普通に楽しめるから。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,○バーンスタイン指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1972live,,意外とラヴェルがあうバンスタだが、オケを選んでいるようにも思える(逆かもしれないが)。美しく、かといって噎せ返るような、とか旋律的ということもなくきちんとしたこの硬質でしかしラテンなノリのある曲を描き出している。リズム処理が明瞭で聴き心地がいい。○。録音はまあエアチェック。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,○ビーチャム指揮RPO(somm)1955/1/18ロイヤルフェスティバルホールlive・CD,,前奏曲からマラゲーニャあたりでは若干しゃっちょこばった箇所がみられるがスピード感と力強さは変わらず、最後は大ブラヴォで終わるほどの怒涛の畳みかけ。なおかつ細部までクリアに組み立てていてトスカニーニを彷彿とさせる。オケの力量ぶんトスカニーニを上回るかもしれない。録音が悪いがいずれ最晩年の指揮者のやる音楽ではない。その点もトスカニーニふうだ。むろん南欧的な色彩は無いがロイヤル・フィルとしてはかなり強めの色彩がある。ビーチャムは譜面に手を入れることがあったようだがこの演奏はどうだろうか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(COLUMBIA)SP,,初演者による記録だがピエルネの指揮の特徴である硬直したテンポとリズムがここでも気になる。オケには素朴なロマン性が生きているものの、解釈には正直人工的なところが否めず、モントゥの無難な録音のようなところもあり、そそられない。SP盤特有の無茶な末尾カットや裏返し断裂がどうしても気になる点含め、とうてい◎ではないのだが、これもまたピエルネの特徴である、しんとした和声のうつろいを聴かせる場面では整理され磨かれた硬質の響きが時代性を越えて印象的な表現に昇華されている。ドビュッシーの雰囲気音楽に適性があったのもさもありなん、ラヴェルにおいては理知的な演奏ぶりが効を奏していると言うべきだろう。○にはしておく。録音にSPに期待されるような明晰さや強さが足りない部分も大きい。盤のせいか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,○ベイヌム指揮ACO(放送)1950年代半live・着任25周年記念盤,,オケが迫力で、そのうえ精度の落ちない集中力が素晴らしい。録音がそれなりでしかないので細部は不明だが、ミスはまったく聞き取れなかった。力強くリアルなベイヌムの指揮は中欧的ではあるがラヴェルから離れた音楽にはなっていない、ミュンシュほどの色彩感やケレン味は無いものの、直裁な表現によって同等の感興をもたらす。あっという間に聴けてしまう録音。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,○ベイヌム指揮クリーヴランド管弦楽団(ecossaise他:CD-R)1955/12/25live,,メリハリのついたキッパリした表現でなかなかの色彩感を出しつつ南欧情緒をあおる。恣意性は高いがオケの水際立った表現は伸び縮みもそう感じさせないほど爽快。弦などかなり無理させているように聴こえるが、ふくよかさこそないものの激しい音表現には惹かれる。録音は悪い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,ベイヌム指揮クリーヴランド管弦楽団(SLS)1955/12/22live,,つまらない。ギチッとした演奏なのだが色がない。ベイヌムは何でもギッチリ振れる職人のイメージがあるが、それはこのあとの幻想交響曲くらいの大作なら生きてくる(この演奏も五楽章前まではしょうじきつまらないが五楽章が力強く盛り上がるので形式的には締まっている)ようなもので、またハデさも歌謡性も無いからラテン系の色を要求する曲には向かない。録音が篭もるモノラルで悪いせいもあって、これは買って失敗。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,○マデルナ指揮フランス国立管弦楽団(arkadia)1971/3/9live・CD,,重ったるくドイツ的ですらある始まり方をするがマデルナらしい歌謡性がすぐに浮き立ってきてラテンの香りがふんぷんとしてくる。面白い。ラヴェルはそれではいけないとは思うが実に個性的で、のせてくれる。響きは厚く充実しておりオケの持ち味と相乗効果でなかなかに飽きさせない。ただ一人おおきくブラヴォを叫ぶ他は異様な雰囲気の客席にまたほくそ笑んでしまう。いい演奏だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,マデルナ指揮ORTF(ina配信)1971/6/30live,,謎のフランス音楽への拘りを見せるマデルナ、まあ、オケがオケだからというのもあるが、さすがラヴェルの作品だけあってどうやっても曲になるというか、どきついとすら思える色彩感が出ている。少し重く、統率力にも問題はあるものの迫力あり(ちょっとシンバルがうるさい)、響きの多彩さがはっきり。緩急もこの人にしては自然についているが、やはり場面場面の切り替えが面白く聴ける。現代の演奏としては問題はあるかもしれないが、ブラヴォが飛んでいるのは良かった。モーツァルトにベルクという無茶苦茶なプログラムの最後。あ、ブーイングもありますよ。,,それにしても、ラヴェルは曲数が少ないので、さんざん聴いてきた曲に今更、というところがあり、よほど個性的でないと頭に残らないし、食指も伸びなくなった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,アンセルメ指揮NBC交響楽団(DA他:CD-R)1948/12/18live,,オケが非力。ミスが目立ち表現も生硬で、時々トスカニーニのNBCらしい凝縮された(萎縮した?)アンサンブルはきかれるものソロが目立つ曲のライヴでは、管楽器のミスや表現力のなさが出てしまうし弦楽器の即応性のなさもわかってしまう。ただ、録音が非常に悪いので、終演後のブラヴォをきくにバランス悪く変な部分が強調されて聴こえてしまう録音だけの問題の可能性もある。解釈はアンセルメらしい客観性がある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,アンセルメ指揮NBC交響楽団(melusina)1948/12/18live,同上,アンセルメの芸風にこの音質はきつい。ボロボロのモノラルで篭りっぱなし、ノイズもひどい。客席反応はブラヴォなのできっとトスカニーニと違った透明で水際立った演奏だったのだろうが、落ち着いて客観的に整えられた物足りない演奏にしか聴こえない部分が大半である。記録としての価値のみか。解釈を聴き取ることくらいは可能だろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(london)1957/11正直このラヴェル唯一の純管弦楽曲、聞き飽きた(爆)。だからよほど特徴的でないと惹かれません。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(timpani/naxos配信他)1929-33・CD,,「フランス交響楽のパノラマ」と題するCDボックスで集成されている中の一曲。ロザンタールのセッション録音に似たところがあり(SP期のオケなので技術・精度には問題があるが)、立体的に明確に組み立てられた管弦楽からは極めて効果的に色彩が引き出され、そのぶん整えた感がありスピードを損なっているが、聴かせるべき創意のこめられた音が常にはっきり捉えられている。高音打楽器の用法、ヴァイオリンの特殊奏法、いろいろ気付かされるところがある。全体構成がよわく、和音のバランスには配慮が行き届いているがロザンタールのようにどこかしら拡散的な印象を与える面は否定できない。まあまあ、という一言。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,デルヴォ指揮コロンヌ管弦楽団(COMMAND/forgottenrecords)1961/5パリ,,このfrのラヴェル集は解像度もよく内容も素晴らしいので、他に買うものがあればぜひ、かつては幻のLPとされた音源をCD-Rで手軽に楽しんでほしい。瑞々しく派手でリズムの切れている、それは録音のせいだけではない、演奏が良いのです。ラヴェル唯一の純粋な管弦楽曲、さらに得意とし思い入れもあるラテンのものであるからして、冷徹さより熱気を重んじるところもあるが、そこを重くならずカラッと揚げているデルヴォーに乾杯。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,フレイタス・ブランコ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(forgottenrecords)1959/04/17ジュネーヴlive放送,,放送エアチェックレベルのノイズや撚れが気になるモノラル録音。中プロとして演奏された、得意のラヴェルである。色彩的で力感もかなりのまっとうな演奏であり、音色は透明でアンセルメ的だが表現はフランスの指揮者である。細かい音符まで明確に聴かせる指示もこのオケにとっては当時お手の物だったろう。ロザンタール的なテンポの落ち着きはあるが、打楽器の重い音による派手っぷりは少し違う。技巧的にも問題ない(すこうし反応が遅いか)。壮絶な終曲にブラヴォ終演。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1950/12/26・CD,,ミュンシュ/ボストン交響楽団のいくつかRCAに残されたモノラル旧録音のほとんどは、迷惑なことに何度もバラで(!)発売されたRCA録音全集の最後の時、大量購買者特典でCD化されたのみでSP以来の再発がないもので、無駄な買い物のできない庶民にとってはコンプリートの夢を諦めざるを得ず得意気なネットの評判にほぞを噛むしかなかった(これは国内盤なので海外マニアにとっても同様である)。それが今年なんと新旧引っくるめた全録音〜しかもフィラデルフィア管との録音まで含まれる〜超廉価ボックスに入るという大逆転。もちろんミュンシュ全集なんて半分は要らないとはいえ、元のとれる値段。昨今の正規音源による往年の録音廉価ボックス化(しかも新リマスター)の流れは前からのCDコレクターにはやる気をなくさせ、中古で売り払うにも30分の1の値段にしかならないという破局的状況ではあるのだけれど、お金を出しても手には入らない特典盤については大歓迎だ。モノラルだとミュンシュの作り出す音のマスの迫力が倍増し、この演奏はとくに緩急の差が激しくついていて、ミュンシュらしさを堪能することができる。実像はともあれライヴ感のあふれる、ミュンシュファンには受けること間違いない録音であった。データが錯綜しかつては間違った録音年月が記されたがSP期なので年月表記はもともと怪しい。確認したところこのデータが正解。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),△マルティノン指揮NHK交響楽団(NHKSO)1953/10/13LIVE・LP面白くない。録音は悪いし(モノ)演奏も精彩に欠けている。解釈もなんだか特徴が無く面白くない。マルティノンらしさ、というのがどういうもののことを言うのかよくわからないが、終曲にいくぶん盛り上がりがあり、そこだけを取り出せばまあ聞ける演奏なんだろうけど。うーん。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),◎アンゲルブレシュト指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(TESTAMENT/DUCRETE THOMSON/LONDON)CDアンゲルブレシュトの棒は客観的だ。(ここでいう客観的というのは情熱的の逆のようなものと考えていただきたい。)だがオーケストラの奏で出す優しくしかしくっきりと鮮明な音の運動は、沸き立つような高揚感を伴うこともしばしばで、冷たい演奏という印象は与えない。これは一期一会的な指揮者のやる没入型演奏の、神がかりな即興芸とは対極にあるもので、その場の感性より理性即ち入念な準備の行き届いた「解釈の再現」としての演奏を目していることを意味する(「楽譜の忠実な再現」ではない)。同時に作曲家とほぼ同じ時代を生きた演奏家たち(指揮者も団員も)の「その雰囲気」を作り出すことのできる「強み」がかなり発揮されているように思う。問題点を指摘されつつも未だ支持を受け続けているドビュッシーの録音など典型だ。かつて本当に仲間であったラヴェルの曲の演奏は、そんなスタイルと非常に相性がよい。後年はそれほど親密ではなかったようだが、適度な恣意性と客観性のとるバランスがすこぶる良い。いつも乍ら比較的落ち着いたテンポで、「立体的」に(寧ろ「寄木細工」的に)、曲内に散らばる色とりどりの音の要素を取り合わせて、風が通るように明瞭なテクスチュアを組み立てていく。必要最小限の、重要と思われる声部だけ(旋律楽器など)を際立たせ、他のポリフォニックな音響を抑えるやりかたではない。あくまで全ての音が明瞭に聞きとれるように、どんな端っこの小さな音でも、奏者が強すぎると思うほどに粒立たせ、くっきり聞こえるまでいちいち指示をしているように思うくらいだ。かといって音を無骨に組み合わせて鳴らすクレンペラー的な磊落解釈でもなく、微妙な音色の綾を表現する「繊細さ」も持ち合わせているのだから凄い。この指揮者の「耳の良さ」を裏付ける硬質でも繊細な響きの感覚、同曲終始に如実に採録されている。総じて名演だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1945/4/21liveCD繊細精妙でしかし針金のように強靭なクーセヴィツキーの高音の響き。それはラヴェルにまさにうってつけのものと言える。ただこの録音は音が悪すぎる。1楽章など指揮者によって神経質に調整されたバランスのすこぶる良い音響が聞けるが、この悪い音ではそんなところに気が付く前に聞くのをやめてしまうだろう。寧ろ速い楽章でこの指揮者の個性は発揮される。2楽章マラゲーニャの表現はおおまかにはトスカニーニ的かもしれないが、娯楽性の介在においてまったく違う視座に有る。クーセヴィツキーといえばロシア流儀の力感溢れるダイナミックな表現と思いがちだが、速いテンポで突き進むようなところがあり、ロシア的というか、19世紀的な伸び縮みはほとんど見られない。意図的にディジタルなテンポ変化がつけられたりもするが、それも事前に準備された理知的な解釈の発露であろう。この人はロシア系だがライヴで乱れまくるという事が無いのだ。そこにラヴェルなどの当時の現代作曲家の作品を演奏するのに必要な素質のようなものが備わっていた、あるいは身につけたと言うことなのだろう。言える事は、ブルックナーは駄盤だがラヴェルは名盤ということ。ベートーヴェンやモーツアルトの演奏が悪いとは言わないが、ラテン系のより新しい時代の作品において、真価が発揮されているように思う。とにかくこのマラゲーニャの小気味良いリズムと絶妙に速いテンポは聞き物。クーセヴィツキーは私に言わせればまずは「リズム!」の指揮者であり、「すこぶる歯切れの良い音」を放ち、ごうごうと音をたてながら直線的に突き進む指揮者だ。ほんとにラテンな指揮者と比べれば音響の重心が低くやや重たい感じもあるが、リズムは軽ければ軽妙でタノシイというものではなく、ある程度の重さが無いと歯ごたえが無い感じが個人的にはする。3楽章ハバネラ以降はやや没個性的に聞こえたが、この2楽章2分10秒はサイコーです。ロシアン・ラテンだ!差し引き○。録音ピッチが高いのでご注意。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),○クラウス指揮バイエルン放送交響楽団(ORFEO)1953/6/4live・CD一種の詩情というものが感じられる。三曲めまでは緻密ではあるが無難という感じがしたが、終楽章の精妙さと爆発的な力感の入り交じった表現はまったく自然で美しい。この人は結構新しい曲を振っていたようだが、ヒトコトで言ってその芸風の根幹には「精妙さ」というものがある。巧緻な音楽作りはどこにも隙がなく、ラヴェルなど非常にしっくりくる。melodiyaふくめまだ他にも録音があるようだが、復刻を願う。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),○ピエロ・コッポラ指揮グランド交響楽団(lys)急くように速く勢いのある演奏ぶりで、ラヴェルにしてはロマンが濃すぎる感もある。ヴァイオリンをはじめとする弦楽器の薄さ(ごく古い録音ゆえ実際に本数が少ないのだろう)や、全般に奏者の技術に問題が感じられるが、コッポラのいつになくダイナミックな起伏は面白く聞ける。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),○ロジンスキ指揮クリーヴランド管弦楽団(COLUMBIA)この曲は一時期異常に聴いていたせいかあまり新鮮な気持ちで聞けないのだが、この演奏は面白かった。ノったときのロジンスキは無敵だ。2、4楽章に尽きるがとくに最終楽章「祭り」の集中力は並ならぬものがある。尋常じゃないスピードとテンションによくついていっているのが木管の各ソロで、クリーヴランド管の技量の高さが見事に生かされた演奏になっている。音は悪い。だから○ひとつにしておくが、たとえばイタリアオケあたりの芸風に匹敵する活きの良さも兼ね備えた正統的な名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(YEDANG)1981イエダンは膨大なロシア秘蔵音源を発掘するという触れ込みで顕れた韓国のCDレーヴェルである。ジャケの表記ミスがあったり過去の別レーベルの録音を組み合わせだけを変えて出すなどいかがわしいイメージがあって、買うのに躊躇していたのだが、改めて見るとなかなか魅力的なラインナップが混ざっており、このたびまとめて何枚か買ってみた。廉価盤だが(1300円弱)中古でも900円くらいの値付けがなされていてレコード店での扱いがちょっと不安定。さて、スヴェトラーノフのラヴェルだが、やはりと言ってはなんだがやはり今一つ乗りきれない。あるいはすんなりと聴きとおしてしまい残るものが無い。ロシアの指揮者としてはとても色彩的な演奏をする人であり、この演奏にも様々な音色が散りばめられており、ブラスのヴィブラートがロシア的な味付けを加え更に濃密な音世界を展開しているのだが、いる「はず」なのだが、なぜか総じて淡彩な印象のみが残るのである。ラヴェルは細密画家である。その音楽は微細な音符や指示記号の隅々までもが意味があってそこに置かれているのであり、それを再現するときには神経質なくらいに繊細で微妙な音の綾を作り上げておかないと、メインの旋律線が生きてこない。「マラゲーニャ」などどんな爆演になっているのか、と思って聞いたのだが、期待される迫力は結局いまいち感じ取れなかった。細部から積み上げていく、たとえばチェリのようなやり方がきっと正しい。そうしないと、いくら付け焼き刃な手段をこうじても迫力が出ない。録音もステレオだが、いまいち。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団(RUSSIAN DISC)1997スヴェトラーノフのラテン系音楽の指揮はきわめて色彩的である。ロシアオケ独特の響きがそれをさらに多彩なものにしている。だが、反面どことなく野暮な感もあり、場面によっては粗いと言わざるをえないところもある。この演奏にもその特徴が現われているが、全体的には印象が薄い。ラヴェルの音楽は繊細である。高度に合理化され、あるレヴェルまでは譜面にある音を指示通りに鳴らすだけで音楽になってしまうが、プロに求められるレヴェルはそれを越えた、微妙なニュアンスを演じられるかどうかにかかってくる。この演奏はそのニュアンスが足りないように聞こえる。だから印象も薄いのだと思う。無理してラテン系を演じている感もあり、そこがまたちょっと苦しい。解釈は客観的で覚めており、曲のフォルムは殆ど崩れない。熱狂して速度が早まるという場面が少なく、終楽章など遅すぎるように感じる。響きの重厚さも気になる(但しラヴェルの珍解釈として面白くは有る)。けっこう四角四面の音作りの中で、ヴァイオリンにいやらしくポルタメントをかけさせたり、ソロ管楽器にわざとらしい歌いまわしをさせたりしているのが痛々しい。意味を持たせすぎなのだ。外様の曲をやっている、そんな印象を残す演奏である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),パレー指揮デトロイト交響楽団(mercury)1962/3これはいちばん印象が悪かった。この決して下手とは言わないが悪い意味で雑味を多く呼び込むオケ、響きも軽くて、それがフランスふうであればいいのだが、非常にアメリカンな安手の音に聞こえる事少なからず。とにかくパレーの「棒」のような解釈にも問題はあると思うが、静かな楽章に漲る緊張感、繊細で複雑なラヴェルらしい響きを味わいたい向きには不適です。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(DG)1951/10/22LIVE inシュツットガルト・CD最初は悪くないかな、と思うがマラゲーニャで重さ露呈、重量感は終楽章祭りでも感じられるが、いくぶん前進しているというか、重戦車の進撃のような感じでこれはこれでアリかも、と思えてくる。決して正統ではないし何度も聴くほどいい録音でもないが、何か面白い演奏ではある。この人はどんな音楽でも自分のスタイルを崩さないなあ、と思った。イタリア録音より「ハバネラ」の雰囲気はいい感じがする。ウィーンなのに音色的面白味がないのは意外。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),フルトヴェングラー指揮トリノ放送(RAI)交響楽団(DIS)1952/3/3LIVE IN イタリア・LP拍手が消されているが演奏中物音が入るのでライヴだろう。貧弱な音だがこの指揮者のじつに骨太な解釈がよく現われている。音が基本的に太く重く響くがテンポは前向きで結構速い。録音状態もあいまって非常に一点集中というか凝縮された音楽になっており、「こりゃ違う」と思いつつもついつい面白がって聞ける。何度も聴く気はしないがこの曲に馴れたらこういう勘違い演奏もよきかな、です。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:スペイン狂詩曲(1907-8),ルイ・マルタン指揮パリ・ソリスト管弦楽団(CHRISTOPHORUS)LPまあ無名盤である。この人の名前でググっても片手で数えられるくらいの盤しか出てこない。そしてこの演奏は、はっきりいって凡庸。ちゃんと弾けているのに魅力に欠けている。ラヴェルの楽曲はただ音符を音にするだけで出来上がるようにできている筈なのに、これはオケの音色が単調なせいか。この曲に慣れてしまった人は(私も含め)まずは惹かれる要素の無い演奏と言っていい。ステレオだがとくに録音がいいわけでもない。とてもフランス的な軽く綺麗な音ではあるが、今一歩の華やかさに欠ける。技術的にもあまり上手ではないようにも感じる。他曲の評を見るとこの人の演奏は素朴ということだが、ここではその素朴さもとくに感じられず、凡庸としか言いようが無い。それにしてもこんな盤にプレミアがつくとは一体どういうわけなんだろう。この盤は中古屋に複数あった盤の中でもっとも安いものを選んで買った。それでもなお損した気分である。。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ソナティネ,○ジェルメーヌ・ルルー(P)(mercury)LP,,トンデモという言葉を極端に嫌う私だがこれはまさにトンデモ演奏。1楽章の極端なテンポルバートは奇妙なペダリングによってほとんどパウゼに聴こえるし(これが旋律線を完全に分断するので音楽が不規則に途切れるのだ)、3楽章では主音が装飾音の残響に埋没してしまい、リスト的なグランドソナタっぽい表現が一切そう聴こえない、多分この二つの楽章に関しては曲を知らない人が聴くと「わけがわからない」という感想しか残らないと思う。しかしバリ弾きタイプのピアニストであることは確かで、後期ドビュッシー的なこの簡素な曲では確かにほんとにバリ弾きなのかどうかわからないが、少なくとも3楽章で指のもつれる心配は一切いらないレベルではある(この時代ではそういうプロ奏者もありえた)。すれっからしが面白がって聴くたぐいでは十分にある。前時代的なロマンティックな激情の表現を、このような小曲でよくもあけすけにやったもんだという一種感服もあり、無下に扱えないと思うのはタッチの繊細さにも起因していて、フランス派的な音は素晴らしく透明で粒立ち綺麗だ。録音が2楽章だけ何故か悪い。全般モノラルのそれほどよくない音なだけに最大評価はできないが、今やったらきっと先生に怒られる解釈。いや昔でさえ、ラヴェルが聴いたらグランドピアノをひっくり返すくらいの解釈。こんなソナチネ初めて聴いた。びっくりした。療養中の私にはちょっときつかったけど。ミラノ・スカラ座四重奏団ほかの「序奏とアレグロ」とのカップリングの小盤。こういうものほど単独ではCD復刻されにくいのでけっこうプレミアがつくのであるが、それがいいことなのかどうか、私は首をひねる。ほんまもんのコレクターはそれでいいと頷くのだろうなあ。いや小編成の曲はアナログの音に限るとマニアな一言を添えて○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ソナティネ,○ワイエンベルク(P)(DUCRET THOMSON/EMI)CD,技術に不足はないものの解釈表現が若く生真面目な印象もある。音に香気があるのは持ち味で、ニュアンスの機微が隙なく付けられており美しい。バランスも素晴らしく残響も過度ではない。落ち着いて聴けるが落ち着き過ぎてもいない、なかなか。モノラルでやや遠い録音。

Rarities of Daniel Wayenberg
Wayenberg",Bour,"Champs-Elysees Theater Orch
EMI [All429]

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ラヴェル:ツィガーヌ,◯グトニコフ(Vn)A.ヤンソンス指揮レニングラード交響楽団(放送)1960s,,正直、太くて荒いソリストなのだが、後半オケを煽ってドライブする力はなかなかのもので、父ヤンソンスは多彩なレパートリーを持っていたせいかここでも色彩的でどこか南欧的な風味を出していて秀逸。レニフィルの二軍とは思えない丁々発止のやりとりを楽しめる。ただ、モノラルで音が良くない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ツィガーヌ,○エルリー(Vn)アンゲルブレシュト指揮ORTF(Lanne/RICHTHOFEN:CD-R)1959/11/8live,,放送録音で拍手カットの模様。ソリストの技巧が安定して高い水準にあり、余りにさっと終わってしまう感もあるけれども適度に憂いもあって聴きやすいツィガーヌとなっている。民族的な描写をしないので物足りない向きもいるかもしれないが、民族的な演奏にありがちな荒さやフランス的な曖昧さもなく、明瞭に粒だった音楽を高精度で軽々と聴かせてきており、バックオケは殆ど邪魔しないようにしか加わってこない最小限の表出のみで見識を見せている。○。RICHTHOFENは恐らく同じ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ツィガーヌ,○カルミレッリ(Vn)ブール指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団(hanssler)1967・CD,,録音極めて優秀。カルミレッリは技術的に隙が無い。あくまで純音楽として力強く弾ききっており、バックオケの客観的なスタンスと合致している。民族的感興を促すとか技巧をひけらかすといったことはなされないが、演奏レベル的には非常に高度なものを感じさせ、ヴァイオリンという楽器の限界を見極めるようなこの曲の模範的演奏と言っても過言ではないだろう。音符が示す以外、色が無いぶん物足りない向きもいるかもしれないが、細部まで明瞭な録音で、ここに投入されている細密画的な技法を仔細まで楽しもう。実に微妙な色彩が様々の特殊奏法により紡がれていく。◎と迷ったが、ドイツ的な鉄製の冷たさを個人的にマイナスして○。,,"tower records;","","",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ラヴェル:ツィガーヌ,◎コーガン(Vn)ハラバラ指揮モスクワ放送交響楽団(multisonic)1957live・CD,,物凄い力みかただし聴衆の雑談(?)も気になるが、「こんなん誰もできねーよ!!」という圧倒的な演奏力で唖然とさせる。表現の深みを問われるような綾のある曲でもなし、豪腕コーガンの淀みなくしかし激しくラプソディックな演奏ぶりはバックオケの好演ぶりとあいまって(無茶明瞭なハープソロから始まる音色表現の巧みさには瞠耳)非常に聞きごたえがある。凄いです。フランスというよりスペインだが(それでいいんだけど)それにしてもこの猛牛は凄い体格だ。合奏部分は響きがやや重いが録音がそんなによくないので元からそうなのかわからない。それにしてもテクニックでいえばピカ一ですよコーガン。凄い国だったんだね。ラヴェルじゃないけど、こんなに耳に歯ごたえのある演奏は初めてだ。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ツィガーヌ(1924),○コーガン(Vn)コンドラシン指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA/LYS)1947・CD恐ろしいほど腕のたつ、恐らくメカニカルな技術の面ではハイフェッツをも凌駕していたのではないか、コーガンという孤高のヴァイオリニストの技巧が存分に発揮された演奏。存分に、と書いたが本人いたって余裕しゃくしゃくなので、ちっとも弾けない自分を顧みると思わずくやしいいとハンケチを噛んでしまう。いや、こんな怪物を相手にハンケチを噛むほうが間違っている。曲はラプソディックな性格のもので気まぐれに進み最後はジプシーふうの民族臭を振り撒いて終わるが、凡人が弾くと音にするだけで精一杯の後半も、コーガンはいたって普通に、しかも気合いまくりの音のままで楽しげな雰囲気さえ加えてしまう。モノラルだがこれは一聴の価値はある。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ツィガーヌ(1924),○クレバース(Vn)コンドラシン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ(PHILIPS)1978/6/17LIVE私この曲苦手です(爆)でもこの演奏が凄く集中力が高く禁欲的なまでに磨き上げられている事はわかる。ラヴェルのヴァイオリン曲ってなんかヴィウトーゾ性を全面に出すだけで旋律もリズムも面白くないなー(ハーモニーもなんか不協和ふう)。コンドラシンとソリストが共にとてもストイックな雰囲気をかもし独特。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ツィガーヌ,◎ジュイユ(Vn)ロジェ(PL)(ACCORD)CD,,同盤に併録されているアンサンブルのヴァイオリニストとはやはり違う高みにあることを感じさせるシャンタル・ジュイユ、ソリストというのは選ばれた人種である。この曲はまったく不安はない。この人は冷え冷えした現代的な作品もしくは東欧北欧的な作品に向くと思う。パスカル・ロジェはまったく危なげなくチェンバロふうの音を振りまく。きらきらしたピアノ・リュテアルが実に民族的で、バルトークらの音楽と接近していることを感じさせるが、そこにラヴェル特有の古雅で異界的な音響世界が展開され、民族音楽との交錯がくらくらとさせる。演奏設計が素晴らしく、このなかなか充実した演奏に出くわさない曲の、ボレロ的な一直線な駆け上がりを完璧に表現している。もっと熱してもいい曲だがスタジオ録音ではこれで十分だろう。十分に抽象的でもあり、◎にするに躊躇は無い。女流ヴァイオリニストにピアノ・リュテアルと原作に忠実な編成で模範たる名演。超絶技巧がそうは聴こえないところが凄い。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ツィガーヌ,○ドゥーカン(Vn)コシェ(P)(ERATO,warner/tower records)1960頃・CD,,これは異質の作品だけにソナタなどとはちょっと違う。ダラニだったか、ジプシー(と言われる)の民族表現を模したテクニカルな絢爛さをひたすら煽るわけで、人工的な持ち味のドゥーカンはもちろん技術に瑕疵があるわけではないのだが、冷め過ぎていて曲の包蔵する内面的起伏が感じ取れない。スピードも安定しすぎ、ただ技巧を無難に聴かせられた、といった感じ。ラヴェルの本領に寄った表現ということで○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ツィガーヌ,◎ヌヴー(Vn)ジャン・ポール・ヌヴー(P)(polskie nagrania他)CD,,この曲で満足したことはない。モノラルだし、ヌヴーのコンチェルトものなど余り好ましく思ったことはない。しかしながらこれは、ラヴェルでも大して魅力的と思えないこの曲に血を通わせ肉をあたえ、しかしスリムでラヴェルらしさを失わずに東欧のヴァイオリニストのように弾き抜けていく。でも民族色はない・・・これはラヴェルだ、ラヴェルという濾過をへた民族音楽なのだ。お国ものがいいとは限らない、ましてやこれはラヴェルという特異な作曲家の工芸品である。でもこれを聴くと、エネスコですら太刀打ちできなかっただろう本質を突いている、たぶんこういう曲をやるために生きて行くはずだったのだろう、と想像する。姉弟による遺された記録のひとつ。◎。なんだか説明できない演奏だ。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:ツィガーヌ,○ハイフェッツ(Vn)ヴォーレース指揮ベル・テレホンアワー管弦楽団(CEMBAL D'AMOUR)1950年代live・CD,,ツィガーヌなんて弾ける気がしない。ハイフェッツの演奏の前に何人のヴァイオリン弾きが楽器を置いたことだろう。もう無茶苦茶だ。ライブなりの音程外しが僅かにある他は完璧。ハイフェッツの弱点は黄金期が未だモノラル録音の時期にあり、真骨頂であろうライブの録音が悪くモノトーンで音色がちゃんと聞き取れるものが少ないところにあるが、この楽器の可能性を尽くした曲にたいする単純な技巧の発露、ボウイングや運指の完璧さ、ニュアンスの取り方や音量変化の流麗さ、全くもって弦の王である。ツィガーヌは才能だけで弾ける曲ではとうてい無く、凄まじい自己鍛練の結果ではあろうが、オケがソリストを邪魔しないように引っ込んでなお、これだけ出来上がっている、呆れるくらい完璧だ。即物的表現が気になる向きは次のトラックのG線上のアリアを聴いてみればよい。現代の耳にはオールドスタイル過ぎるかもしれないが、深い音で自然にかつ感傷的に、そういう演奏をなしている。録音マイナスで○としたが、ツィガーヌのような曲にはこのスタイルがふさわしく、そして完璧だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ツィガーヌ,D.オイストラフ(Vn)ブール指揮ORTF(ina)1959/6/1(1959/6/21放送)live,,ina配信でもAmazonデジタル配信でも聴ける。直前のプロコフィエフより音が明晰。別録か。冒頭から軽く、技術的にも独特なところがあり民族性が薄い。粗さが目立つというか、この曲特有の繊細で特殊な表現に豪快で野太いヴァイオリニズムがマッチしてないと感じた。オケが入り(相変わらず見通しよく適切だが音色が少し鄙びている)安定はするものの、合っているのにどこか違う、こういうのは東欧のヴァイオリニストやグリュミオーあたりが得意とするものでヴィルトーゾには向かない。ブラヴォは飛ぶ。独特だからかも。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ツィガーヌ,グリュミオー(Vn)ヴァイスマン指揮トリノRAI交響楽団(ANDROMEDA他)1962/2/2トリノlive・CD,,巧い。グリュミオーの音は一部すこしこの曲には重い感もあるが色は綺麗で技巧的にはすこぶる安定し、危うさの微塵もない。スピードや曲芸的な表現に陥らず、ただやってやろう感は伝わる演奏で安心して聴ける。オケの音色はカラフルだが反応が遅く、重くもあり、グリュミオーの厚い音とあいまってむしろ東欧的な民族音楽色が濃厚になっている。これは良いのか悪いのか。あと、ANDROMEDA盤は元がモノラル板なのにステレオ起こしされているので左右に揺れて非常に聞きづらい。モノラル再生設定で聴くことをお勧めする。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ツィガーヌ,ゴーティエ(Vn)ロスバウト指揮フランクフルト放送管弦楽団(meloclassic)1937/6/22 放送スタジオ録音・CD,,melo classicを認識したのはこのトラックが含まれるフレンチヴァイオリニスト詰め合わせ一枚で、確か買った記憶がある。しかし他のトラックが守備範囲外の作曲家のものばかりなので、聴く気にならないうちにどこかへいってしまった。代理店を通しても決して高いわけではなかったがDAほど破格でもなく、それなりに考えるべくカタログを眺めるに、揃える骨董音源のあまりのマニアックさにだんだんと「この範囲まで買うなら大枚飛んでいくことになる、範囲を現状維持するならこの一枚だけで終了」という気分になり、結局後者でそのまま敬遠となった。ラインナップ増すら知らずにいた昨年秋、廃盤が続出しているという話を読んだ。えっと見ると最新更新で個人的にとんでもなくレアなアイテムが目に停まった(カルヴェのものである)!やばいこれはDAパターンで突如消滅するレーベルだ!…とまあ、とにかく目ぼしいものを沢山買っているわけだが、ついでにこれも再度買うことにしたわけである。1953年ティボー最晩年の録音やカンデラの珍しい録音など他にも聴くべきところは多い。だが私が最初に目をつけたのは単に、ロスバウトであった。ロスバウトのフランス物がツボだったのである。ゴーティエは幾つか持っているがフランスの奏者に限っても、相対的にははまらなかった。ハッキリ言って荒すぎると書いた覚えがある。この薄ノイジーな骨董音源も果たして、荒いのか。,,荒いのではなく凄かった。この人の全盛期はこのくらい昔だったのではないか。他の何者も入り込めない世界を、冒頭からの独奏で創り上げ、そこからトランス状態に入ったのではないかというくらい目覚ましい演奏が始まる。フランス派の音でこんな正確で強靭な表現を自在に行っていくソリストを知らない。録音状態にもよるのだがロスバウトなんて背景画である。どうでもよくなってしまった。ツィガーヌが初めて分かった気がした。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:ツィガーヌ,フランチェスカッティ(Vn)マルティノン指揮シカゴ交響楽団(SLS)1966/3/17シカゴlive,,このソリストにしては無個性かな、という気もしたが、激してきたところの技巧の完璧さに沿うように音色も甘さが出て、あのフランチェスカッティの音になる。ライヴで細部までミスが皆無、これはすごい。それはオケにもいえる。マルティノンが弛緩傾向を示さずじつに職人的にオケをソリストと融合させている。これは正規レコード化してもおかしくない演奏だなあ。最初に述べたようにカンタービレのない曲だからソリストのメリットがあらわれにくいのは確かだが。盛大な拍手だがブラヴォの出る場所ではない。ステレオ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ツィガーヌ(1924、ピアノ伴奏版),フランチェスカッティ(VN)ファウレ(P)(EMI/SYMPOSIUM)1930(28?)ピアノ伴奏版、たぶん初録音盤だろう。フランチェスカッティにまだあのなまめかしい音色が付いていないのに少し落胆。上手いのだが。ジプシーバイオリン的なものが必要な曲だが、これではちょっと実直すぎる。無印。シンポジウム盤では28年録音と記載。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ツィガーヌ,リッチ(Vn)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON/KING),,ジプシー音楽というのはこの時代魅力的なジャンルであったらしい。演奏家が実際そのあたりの出自である場合も多かったのかもしれないが、弦楽器を名技的に扱う曲を書こうというとどうしても皆ジプシーヴァイオリンあたりの見世物サーカス的な超絶技巧音楽を無視できなかったのだろう。ラヴェルはリストのハンガリアン・ラプソディを意識したといわれるが、民族音楽的な要素をそれまで全く用いる事が無かったわけではないものの、ここまで前面に押し出した曲というのは他に無い。しかし書法はあくまで簡素で骨張っており、怜悧な響きはどんなに熱い演奏を繰り広げようともこの曲がロマン派の楽曲にはなり得ないことを示している。私などはラヴェルらしい旋律も魅力的な響きや流れもなくイマイチ惹かれないのだが、このどうも落ち着いた透明な演奏で聞くと、ちょっとシマノフスキの晩年のヴァイオリン曲を思い起こさせるところがあり魅力を感じなくも無い。リッチは上手いけれど音にちょっと魅力が無く、技巧はすぐれるが飛び抜けたものではない。所々響きは美しいけれど、この曲の感興を引き出した演奏とも、違った一面を引き出した演奏とも言い難く、結論としては録音はいいものの、無印とせざるをえない。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ツィガーヌ(1924),グリュミオー(vn)ロザンタール指揮ラムルー管 (PHILIPS)グリュミオーの音は個性的なものは薄いが安定した技巧の上にそこはかとない気品を感じさせ安心してゆったり聞ける。ヴュータンとかヴィニャエフスキなど苦手な私は、この曲もやはり苦手なのだが、冒頭長い長い独奏部分があるにも関わらず、この至極落ち着いた演奏では技巧誇示協奏曲の要素が希薄に思え、ロザンタールの透明感のある色彩的な指揮ぶりに只、耳を楽しませつづけることができた。ハープの突出する音の閃光がロザンタールの特質を鮮やかに浮き彫りにしている。グリュミオーは割合好きな演奏家だが、押しの強さに裏付けされた個性の煌きには(ここでは)少し欠けていたかもしれない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ハイドンの名によるメヌエット,○ワイエンベルク(P)(DUCRET THOMSON),,ラヴェルの作品中でも極めて簡素でリリカルな美品だが、雰囲気のあるまるでペルルミュテールの新録のような演奏を作っている。タッチも柔らかく、乾いてはいるがそこはかとなく哀しい。音そのものから立ち上る雰囲気を聞き取る演奏。○。,,"ワイエンベルクについてはこちら",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:ハバネラ(ストコフスキ編),ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)マンハッタン・ヴェッツ病院慰問1967/5live,,単純な曲でラヴェルよりファリャっぽい。演奏自体をどうのこうの言うレベルの音質ではない。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ハバネラ形式の小品,フルニエ(Vc)ホレチェク(P)(meloclassic)1957/3/9live南ドイツ放送・CD,,直前のグラナドスにくらべこちらのほうがよほど南欧的な演奏になっているが、単純に相性だろうか。ピアノの雰囲気の醸し出し方ももちろん素晴らしいし、フルニエはそつなく弾きこなしている。芸風としての押しの弱さも楽曲の巧緻に救われている。無味だが、ラヴェルはそれでちゃんと聴ける曲を作っているのだ。さらにチェロ向きにうまく編まれている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ハバネラ形式の小品,○マレシャル(VC)ファウレ(P)(EMI)1929 珍しい曲。親しみやすい曲想だ。ちょっと世俗的過ぎるがなにぶん短いので飽きるまではいかない。マレシャルはテクニシャン、といったふう。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ハバネラ形式の小品(ヴァイオリン編),ジェラール・プーレ(Vn)リグット(P)(SAPHIR)2001/12/8パリ(アルシペル)live・CD,,ホール経営社による自社レーベルだが2000年代前半までの大物最後期のライヴ録音などマニアならずとも聞いておきたいものや他にないフランス音楽のレパートリーをまとめて聴けるので、レーベルとしてすでに存在しないがAmazonデジタル配信などで試してみてほしい。日本のヴァイオリン界に多大な貢献をされているプーレ氏が、ただ派手だったり原典主義のストイックさを聴かせたり程々の技巧で無難にフランス音楽としての音色だけを保ったような演奏ではなく、むろん高度な技術を背景に、時には楽曲の本質を刳り時にはまるで「再生機」のようにただ忠実な音を出すことで、楽曲それぞれへの即応性の優れたさまを示している。現代あるべき演奏の一つの模範を示し、例えばこの曲では抑制的に、音色が音楽を奏でているようだ。柔らかく、しかし精緻。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ハバネラ形式の小品(ヴァイオリン編),◯ジェラール・プーレ(Vn)リグット(P) (SAPHIR)live,・CD,同上,さらりと弾きこなし洒落たアンコールとなっているが、地味か。別のコンピレーション盤に拍手の入らない同曲が収録されているが同一レーベルゆえ同じものと思われる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ハバネラ形式の小品(ヴァイオリン編),ソロフィエフ(Vn)ナテルマン(P)(meloclassic)1960/1/18北ドイツ放送スタジオ録音・CD,,素直な小品を率直にやっている。あまり大げさに民族様式を煽る表現を取る人ではなさそうだが、それにしても沈潜するように深い音色で、朴訥ですらある印象。ラヴェルに潜在するラテンの心がまったく浮き立たず、演奏的には良いのかもしれないが、面白さとは別だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」,○コンドラシン指揮モスクワ・フィル他(放送)1969/2/26live,,武骨でブラスがあけすけなのはロシアオケだから仕方ないか。リズムのキレ、推進力の強さはさすがのものだが、弱音部の繊細で抑制的な表現にも聞かせどころがある。オケはライブらしいミスも頻発するが合唱は凄くいい。あとは弦楽による「朝」の歌わせ方が独特で耳を引いた。扇情的な盛り上げ方だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11),コンドラシン指揮ACO(PHILIPS)1972/11/30LIVEリアルな音作りがやはり違和感。解釈も「ベートーヴェン風ラヴェル」といったふうで幻想が足りない。「ザッハリヒな演奏」という言葉で片づけるのも一面的ではあるが、最後には今一つのめり込めない自分がいた(フランスの曲をロシア人が指揮した演奏に「ザッハリヒ」もないか(苦笑))。もっと繊細な表現が欲しいし、細かい所に雑味が多く(ライヴだから仕方ないが)弛緩したように感じる場面もある。イントロダクションからの一くさりはなかなかに雄大で期待させるが、あまり盛り上がらないまま曲は流れ、夜明けもあまり綺麗に響かないなあ、と思っているうちに全員の踊りがムリヤリに盛り上がりを作って終わる。無理して聞く演奏ではない。ロシア・オケだったらひょっとするとよく響いたのかもしれない。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11),ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1955/1/23,24・CD速い!即物的でリアルな音作り、幻想味ゼロでいかにもミュンシュらしい。揺れの無い解釈は好悪分かつだろう。無骨で一本調子、私は前半で既にけっこう飽きてしまった。曖昧な雰囲気というものもこういう音楽には必要だ。リヴィング・ステレオの録音が余りに音をリアルに拾いすぎたせいかもしれない。夜明けから全員の踊りに至る流れはさすがに熱気溢れ聞かせるが、このあたりの表現で聞かせる指揮者はトスカニーニを始め枚挙に暇が無いので特筆すべきことは無い。唯一感銘を受けたといえば合唱とウィンドマシーンの効果音の絶妙な挿入具合くらいか。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11),○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団他(RCA)1961/2/26,27・CD,,合唱付全曲。ウィンドマシーンなどかなり露骨な音で収録されたリアルなステレオ録音。壮絶な「夜明け」の表現に圧倒されるが、他の部分からもちょっと古いタイプの「わかりやすい演奏」の感じがして、イマジネイティブであるべき繊細な部分がリアルに主情的に抉り出されてしまい、結果としてひたすら「旋律追い」の演奏になってしまっているところは否定できまい。だから本来わかりにくい作曲家であるラヴェルにしてはわかりやすいこの曲を、更に上塗りしてわかりやすくしてしまっているところが力強くも「小さい」(凝縮された)演奏のようにもきこえてしまい、気になるといえば気になる。合唱も乱暴な感じがする。しかし、あっという間に聞けてしまうからコレはこれで素晴らしいのだが。ボストンオケの巧緻さは言うまでもあるまい。何も文句のつけようのない出来である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11),○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(M&A/memories)1961/7live・CD,,音が悪すぎる。また序盤より合唱が強く、管ソロにしても余りにデリカシーのないリアルな音表現によるやりとりがアメリカの匂いを感じさせる。それでもミュンシュならではの繊細な美観は所々感じ取れ、それはいわゆる第二組曲のくだりにさしかかってとたんに開花する。ある意味大道芸人的な終幕ではあるが、これはそういう音楽なのでいい。録音弱者にはおすすめしないし、ラヴェル好きには猛毒の音。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第一組曲より夜想曲、戦士たちの踊り、第二組曲,○ミュンシュ指揮パリ音楽院管弦楽団(sls:CD-R/decca/dutton/lys他)1946/10/9,10・CD,,溌剌とした表現とむせ返るような響き。このオケにしか出せないような音があり、ボストンのオケがいかに技術的にすぐれていようとも、ラヴェルの精妙な音楽はパリのオケにしか再現できないのではないか、とふと思ってしまうのである。復刻状態により聞こえ方に違いはあり、slsの生々しい音だと一層印象的になる。パントマイムのねっとりとした表現は聞き物。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(放送)1960/5/4NHKホールlive(映像),,何かメディアになっていた気がする。ネットで観られる。夜明けではミュンシュは冷静に振り、オケは(個人的にフランスオケよりボストン交響楽団のほうが良い)綺羅びやかな音を振りまき、精度もかなり高い。といっても映像上事故はあり、コンマスがミュートを外し忘れて独り落ちている箇所等目は引くがこの録音では影響はまったくわからない。ともかくミュンシュの棒もあってないようなもので大きなタクトの打点がはっきりしないような振り方もしていて、それでここまでまとまり、力強く美しく推し進め全員の踊りではそれでも少し個性的な表情付けもバッチリ。かなり良い出来である。オケとは別に(もっともオケも冷静ではないように見えるが)ミュンシュはさいご激しすぎてバンスタより激しい上半身の動きをみせ、鬼のような顔で終わる。さっと指揮台を降りると汗だらけの顔は和んでいる。このときの聴衆は幸運だ。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(ART NOVA)1956/9/8 RUSSIA LIVE全員の踊りが圧巻。凄い速さだ。気合がみなぎり、ロシアだけにロシア的爆演を行っている。ブラヴォーも盛大。こりゃいいや。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,COMMENT:,,,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(放送)1956モスクワlive,同上?,これは既出盤と同じかもしれないが一応、アナウンス込みの放送二回分で一回目は米ソ両国歌から始まり、エロイカ3番の1,3,4楽章、二回目はピストン6番終楽章、ダフクロ2組と、私にはよくわからないアンコール一曲(古いぽい)の組み合わせからなる、web配信で聴ける音源である。音質はこのてのものにしてはよい。多少圧縮音源の硬さが気になるがエッジの立った音である。同曲、もういつもどおりなのであり、聴くべき特筆どころは最後の粘りのなさと客席反応だろう。ソヴィエトでこの盛り上がりは異常である。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1962live,,いささか乱暴な録音だが(全曲からの切り出し?)まとまっていてミュンシュのものとしては聴きやすい。外しがなく、不格好なデフォルメもない。なかなか聴き応えがある。ラスト近くできついノイズが入るのは痛いが、物凄いスピードにもものともせずやりきったオケにブラヴォが飛ぶ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲〜リハーサル断片,

○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)?live

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無言劇から全員の踊りの一部。ボストンをしてもやはり難曲なのだなあと思わせる、慣れているはずなのにちょっと意外な緩い感じだが、穏やかに進む。熱気もほどほどであり、ミュンシュもそれほど怒号を飛ばさないけれども、その饒舌ぶりは実にライヴ感溢れる聴感を与える。オケが鳴っていても叫び歌い喋くり、ほとんどロックバンドのボーカルのノリだ。それは一緒に収録されている悲愴のリハでよりはっきり確認できる。他にチェレプニンダンディが収録された恐らく50年代の放送録音。

(参考)一応全曲版をどうぞ。名盤。
ラヴェル:ダフニスとクロエ
ボストン交響楽団 ミュンシュ(シャルル)","ニュー・イングランド音楽院合唱団
BMG JAPAN

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ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,ミュンシュ指揮日本フィル(KAPELLE)1962/12/28LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲〜リハーサル,ミュンシュ指揮日本フィル(EXTON)1962/12/28東京文化会館live・CD,,同日の幻想交響曲本番とその終楽章の僅かなリハ断片に引き続き、おそらくほぼ全部が収録されている。当初エアチェック音源という情報があったが(文化放送「東急ゴールデンコンサート」)当の放送用録音(ステレオ)を担当していた故若林駿介氏ご自身の所持されていたテープで、放送局に残って無い以上、これを唯一のマスターと考えていいものと思われる。他に同一放送のエアチェック音源がなく、これ自体記載データも万全ではなく、聴くと撚れており、エンジニアとして元からこの音質で残したというわけはなく、個人的にエアチェックで残しておいた、そのテープが少し劣化したという経緯は推察できる。前置きは長くなったが、幻想交響曲はともかくラヴェルは当時(フランスでさえ)慣れているオケは限られていたと思われ、ミュンシュ相手だからこそ懸命に頑張った結果ここまでもってきてリハにのぞんだ(ほぼ全楽章が聴ける)オケは素晴らしい。一、二はソリスト(ここではフルートが素晴らしい)を中心とした歌謡性に満ちた楽章で、ミュンシュはもちろん歌いながらオケの表情を「煽る」。この段階(当日)ではほぼ止まって直すようなことにはなっておらず、ミュンシュも要所要所を確認しながら先へすすめる。それにしてもボストン時代のミュンシュのそれを彷彿とさせるのはこのオケの特質なのか素晴らしさなのか。固くてやや冷たくも、充実した響きはボストン交響楽団を思わせる。弦楽器の力強さにも感銘を受けた。歌では済まない「全員の踊り」はさすがに各所に乱れがきたされるが、想定内だったのだろう、ほとんどそのまま終わりまで持っていく。ミュンシュらしくなくテンポが停滞するのは、客演オケ相手に時間が無いところスピードアップをその場で無理と判断したのか、当日のゲネプロだから本番まがいの疲れるようなことはさせないということなのか、どちらであろうか。いずれにせよ、最終音を粘りに粘らせることはしっかりやって、私は老人だからよろしくね、と笑わせて終わる。鬼のような指揮のあとにこれをやるのである。いずれにせよミュンシュがハンガリーなどで客演したものと比べて遜色ない演奏であったことは予測される。本番記録は残っていない。本番会場の幸運な皆さまの頭の中にのみ残っているのだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,ミュンシュ指揮ORTF(ina)1950/7/24live(放送)エクス・アン・プロヴァンス音楽祭※定番の異様な迫力にくわえ細部まで指示の行き届いた高精度ぶりを見せつけて、ミュンシュらしく、かつミュンシュらしくないほど正確に組み上げられた演奏。噎せ返るような表現、鮮やかな色彩、板についたうねり、指揮にぴたりとつけて(一部を除き)ミスもなく、これぞラヴェルというものを示したオケにも喝采。同日のコンサートの最後を飾る快演。モノラル悪録音だが、これはさすがというもの。
※1950年エクス・アン・プロヴァンス音楽祭の録音とされるものと同一と思われる
同日の演目(すべて収録):交響詩アンドレア・デル・サルト(ルシュール)管弦楽のための映像〜U.イベリア(ドビュッシー)ピアノ協奏曲(プーランク)歌曲集「シェヘラザード」(ラヴェル)ダフニスとクロエ第二組曲(同上)
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ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11),◎ミュンシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1962/3LIVE,,前半は突き放したような醒めた音でぶっきらぼうなソロが目立ち、デジタルな表現の力強さが印象的で、作為的とまでは言わないが極めて良好な録音状態(BSO盤と同じ可能性あり)とあいまってやたらリアルな感じが強い。しかし後半ねっとりしたフレージングがなめらかな情緒を臭気たっぷりに煽り始め、朝のあたりでの凄まじいテンポ・ルバートは比類ない誇大妄想が指揮者オケ混然となって圧倒してくる。そのあとはやや金属質な表現に戻り、ルバートも意図と類推可能になるものの、全員の踊りはこれまた強いリズムで軍隊のように破裂し見得を切ってブラヴォを強要する。合唱付きでこの一体感は並ではなかろう、ライヴとは思えぬ精度といいミュンシュの全曲版の記録としては最高峰。ライヴであることは下卑たブラスの響きにしか伺えない。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,ミュンシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1964live?(1962/3),,もう録音のことくらいについてしか書くことがない。。他のライブ記録と変わらないのである。昔のステレオ放送ゆえの左右の乖離が激しく浅薄な音響状態で、厚みが無く前面真っ平らに展開された「軽い音」は正直聞きづらい。しかも要素の主張が弱く冒頭の木管アンサンブルが聞こえなかったり、録音媒体としては問題が多い。終盤はさすがに盛り上がりが伝わり聴衆もブラヴォ大喝采だが、正直、録音として聞くとほんと、他の録音と同じ。オケの表面的な派手さが目立つくらいか。無印。,以前の1962/3記載の音源との同一性未確認。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○ミュンシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1965live?(1963/3),,これは圧倒的だった。同じプログラム内のドビュッシーの海とはえらい違いというか、こうも書法の違いが録音にすら影響し印象を変えるものかと思った。メカニカルな構造はホワイトノイズなど押しのけるようにただ力強く硬質なアンサンブルを提示してくる高機能なオケにとってこれほど「やりやすい」ものはなく、指揮者はそれを舵取りするのみである。分裂的な解釈の奇異さも基本的につんのめり気味の速いテンポの中では目立った違和感は感じさせず、全員の踊り終幕の引き伸ばされたトレモロ松葉でブラヴォの大合唱である。きほんミュンシュのラヴェルの「解釈」(表現ではない)はみんな同じだが、管の余裕すら感じさせる機能性の高さ(ミスがないわけではないと思うが放送エアチェックのノイズ入り録音のせいで余りわからない)、弦も「海」よりも熱くなっており分厚さはないが主張し続け、安定したオーケストレーションの上でがっちり組木細工を固めて剛速球で投げてくるミュンシュ。やはり録音がどうしても気になるが、ドビュッシーよりも聴き応えがあることはたしかだ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,ミュンシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団(PO)1963/3/7live放送・CD,同上?,フィラデルフィア管弦楽団自主制作ボックス所収の音源はいずれも音質に問題がある。立派な箱に装丁なのだが私のボックスには不良盤すらあった。この音源も最初は篭っていて木管が聴き取れず同曲の始まりとしては首を傾げざるを得ないバランスの悪さで、ラスト近くでもノイジーになる。いずれ音像が古ぼけてフィラデルフィア管ならではの色は感じ難い。ただ、一、二楽章の陶酔的なテンポは一聴に値する。ミュンシュの千両役者ぶりが発揮され、音楽は流れのままに極端に伸縮し自己陶酔の極みである。そこを綺麗にやってのけているのはこのオケの技量を窺い知れるところだろう。録音状態が良くないので音色の魅力には言及しづらいが後半は木管の太く明確なフィンガリングが聴き取れ、音楽を盛り立てている。肝心の弦はどうもやっぱり明確に立ってこない、これも録音のせいか。大ブラヴォの終演で、テンポと音量変化だけでも確かにミュンシュの良いところが出まくっているのはわかるので、聴かず遠ざけるには惜しい音源ではある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11),◎アンゲルブレシュト指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(TESTAMENT他)CD 知る人ぞ知るチョー名盤。抑制と情熱のバランスが明晰な音に結晶。若い頃はラヴェルと「アパッシュ」仲間だったアンゲルブレシュト、ドビュッシー指揮者で有名ですが、私はラヴェルのほうが好き。モノラルで悪い音なのに・・・とカツ目することうけあいの怜悧なまでに美しい演奏です。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,◎アンゲルブレシュト指揮ORTF、合唱団(LANNE:CD-R他)1959/11/8LIVE,,目の覚めるような、余りに鮮やかに音粒の総立った朝の壮麗な情景に言葉を失う。たっぷり呼吸するようなフレージングで、細部まで明瞭な音楽がアンゲルブレシュトならではのリアリズムを巨大な幻想の上に構築する。ライヴですらこの鮮やかな表現、盤は板起こしであるもののモノラル末期最良の放送マスターからのものであるらしい。表層の雑音があるゆえ迷ったが、だからこそ痩せのないふくよかな原音が聞けるというメリットをとって◎。恍惚的なテンポもすべて巧緻に正確に発音される各楽器の組み合わされた総体によって揺るぎない構築性に裏付けされている。融合的ではないので風の隙間を通るような非緊密性はあるが、いわゆるこれがフランス的なアンサンブルなのだ。イタリアふうに赤い固まった火の玉になる必要はない。硝子でできた蒼い炎のような組物となる全員の踊りは、アンゲルブレシュト特有のデジタルに鋭角な演奏ぶりが遅く重量感あるテンポから陳腐さやロマンを抜き取り、人によっては乾燥をかんじるかもしれないが、たぶん、これはラヴェルの一つの正しい表現様式である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11),○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON)1965/5,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○アンセルメ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1968/1/8live,,アンセルメ・ライヴらしいリズムの浮き立つ調子と冷静な総括ぶり、しかしおおむね冷たくはなくバランスのすぐれた聞きやすい演奏になっている。ラヴェルにアンセルメは適性が確かにあり、このような感情的な曲ではロマンティックにも客観主義にも振れず絶妙のドライヴぶりで、熱狂こそ呼ばないが感嘆の声はあげさせる。オケがやや拡散的すぎるかもしれないがアンセルメの響きの感覚を実現するのには良い楽器だろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○アンセルメ指揮NHK交響楽団(NHKSO)1964/6/8LIVE・LPやっぱり振る人が振ればノりまくるオケなのだ。最初から最後までオケ全員がノリノリなのにまず驚かされる。ポルタメントだらけの「夜明け」、明瞭に抉り出された内声部の動きが面白い「パントマイム」、浮き立つようにリズミカルな「全員の踊り」・・・テンポはいくぶん落ち着いたアンセルメ流だが・・・、実に聞かせる。アンセルメという指揮者の底力を見る思いだ。なんだかんだ言われてもやっぱりライヴで最もノるタイプの指揮者と思う。繊細だが明確なこの人特有の透明感はややもすると客観的で噛んでも噛んでも味のしない無味乾燥な解釈という印象を与えかねない。無論いろいろ聞けばそうではないのは明らかなのだが例えばドビュッシーのスタジオ録音などは一寸聴きそういったネガティブな感想を持たれがちではある。しかしそこに実演ならではの一期一会の集中力が加わると途端に音楽が弾け出す。終曲などはバレエ指揮者としてのアンセルメの「踊れるリズム感」が良く出た名演だ。これは指揮者とオケの幸福な出会いの記録です。間髪を入れずに盛大な拍手。ステレオ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11),○クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団(TESTAMENT) ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○クリュイタンス指揮VPO(altus)1955/5/15live・CD,,マ・メール・ロアがぱっとしなかったのに比べこちらはウィーン・フィルの力量が遺憾なく発揮されている。単純にプログラムの順番の問題で、暖まった段階での演奏だからかもしれない。もちろん曲が「ベートーヴェン的」構成なせいもあろう、大喝采の終演だ。ここでも「かっこいいクリュイタンス」が発揮されており、オケのせいでフランスの香りは減退しているものの、始まる前に一生懸命練習していたフルートの成果も出ていて精度はそれなりに保たれ、聴き応えはある。もちろんこの曲、いくらでも名演がある中でこれが特質を発揮していると言えるところは余り無い。精妙な響きの感覚がミュンシュなどに比べると備わっていると感じられる程度だろう。ラヴェルの不協和音は音量のバランスが難しく、ましてや楽器を複雑に使い分けたスコアリングは机上感も強いが、それでも感覚的な部分も含めやってのける指揮者はそうそういない。クリュイタンスはそれができた指揮者の感がある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11),○マルティノン指揮パリO(EMI),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11),○ロザンタール指揮パリ国立歌劇場O(ADES)1959,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11),○ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト放送交響楽団(YEDANG)ほんと器用な人だ。どんな曲でもそれなりに面白く聞かせてしまうのだから凄い。この人の異常に広いレパートリーの中でも、20世紀前半モノは中核を占めている。フランスものもよく振っているが、その手慣れた指揮ぶりはこのロシアオケの魅力満載の録音にも聴くことができる。録音がまずかなり奏者に近く生々しい。各ソロ楽器のあけすけな音色は細かい音量操作やテンポ操作によってうまく作品に同化し、下品にならないギリギリのところでロシア流儀の妖しい魅力を放っている。こういう演奏は好きだ。奏者が実に共感をもって臨んでいることが聞き取れる。多少荒っぽくても、「夜明け」「全員の踊り」のような所では期待を裏切らない(とくに「夜明け」は素晴らしい)。当然そういう血気盛んな場面ばかりでなく、たとえば第一部の夢幻的な場面では見事に印象派的な情景を描いている。大きめの合唱とのバランスもいい。また木管ソロが素晴らしい表現を行っている所が縦横に散見される。とくにオーボエの音色が艶があり印象的だった。ライヴ感溢れる演奏、ロシア人の振ったダフクロとしては最上に置きたい。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11),モントゥ指揮ACO(M&A)1955/6/23,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11),モントゥ指揮LSO,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第一組曲,モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(RCA)1946/4/3,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○モントゥ指揮イスラエル・フィル(helicon)1964/3/7live・CD,,イスラエル・フィルの驚異的なライヴ録音を指揮者単位で出し続けているheliconのモントゥ盤のおまけ録音。しかしなかなかいい。オケに中欧臭い響きの重さやアタックの重さがあるもののモントゥならではのリズム感は決して損なわれず、もたれも乱れもしない「全員の踊り」は出色と言っていい。こういう種の演奏のわりに浮き立つような昂揚感がある。私は余りモントゥを好まないが、フランスものではしばしば感じられる適性のようなものが生きている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,モントゥ指揮イスラエル・フィル(helicorn,IPO)1964/3・CD,同上?,同じレーベルから出ている1964/3/7録音と同じようだが印象が違った。分厚く重くてねっとりした、まるでコンセルトヘボウ管の如きオケ相手にモントゥーが懸命にドライヴをかけているような演奏。噎せ返るような響きはいいのだがそれが足枷になり、また肝心の木管が上手くなく、フィラデルフィア管の華々しく開放的な音とも違い、録音が悪いせいもあるのだがとにかく、ラヴェル向きではない。そのぶん「いつものモントゥーとは違う」悪戦苦闘ぶりと、闘争の結果として生まれた何とも言えない独特の音楽はスキモノは面白く聴けるだろう。録音がクリアならもっと面白かったかもしれないがいかんせん、篭ってモノトーンなのは痛い。80周年を迎えるイスラエル・フィルのまだまだ垢抜けない時期の演奏ぶりを楽しめる。この音はマーラーには向くんですよね。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」,ドラティ指揮ミネアポリス交響楽団、セント・ポール・マカレスター大学合唱団(mercury)1954/12/4,,ちょっと驚くほど良い演奏でびっくりした。心持ち短く寸詰まりの発音をさせ、小股の切れ上がった演奏を仕立てていく。設計も上手く、いわゆる第二組曲にあたる「朝」の冒頭があまり盛り上がらないかと思うとそれは最終的に合唱を伴い最強音にいたるまでの大きなクレッシェンドなのである。楽団もかなり鍛えられており木管、フルートあたりはややどうかという吹けなさだがモノラルなので最後の方を除けばあまり気にならない。モノラルなので合唱の押しが弱く残念だがスピーカーでいじりまくった音で聴いていただきたい。セッション録音を聴くと、録音状態の問題はかなり大きいなと思う。一気に聴ける。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○ドラティ指揮フランス国立管弦楽団(Lanne:CD-R)1970年代(65?)live,,ダフクロはもともとボロディンぽい熱狂音楽に行き着く舞踏組曲ゆえドラティくらいの手だれであれば例えフランス的な引いた表現ができないとしても問題は無い。普通に楽しく聞けるし、圧倒的な全員の踊りも楽しい。やはりトスカニーニからパレーというスタイルに連なる感はあるがこのオケをドラティふうのいわば中欧スタイルに変貌させられたというところに、双方の力量を感じる。○。録音年代は表記と添付紙片で違っている。表記はオケ名も明確ではないがフランスオケではあるだろう。ステレオだがキンキンするなどけしてよくはない録音。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(一部割愛),○マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1974/5/26来日公演放送live,,明快な起伏の織り込まれたスリリングな演奏で音色はやや雑味を感じさせるし録音状態に問題はあるものの、意欲的な表現ぶり、今のマゼールの萌芽と同時に旧世代の演奏に通じる「表現主義的なロマンチシズム」分裂症的気質が感じられ面白い。オケがあけっぴろげでセル時代の匂いを思いっきり残したかげりのなさで、個人的には陰影に違和感があるが、ラヴェルなのでむしろこれでいいのだろう。合唱無し。スヴェトラのような粘りからなし崩しの最終和音埋没、それでも拍手盛り上がります。一部放送上の都合でカット。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)<第1、第2組曲>,△ブランコ指揮ポーランド国立交響楽団(STRAUSS)1958/12/20LIVEオケの技量に問題あり。ラヴェルの権威ブランコの記録にしては振るわない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)<第1、第2組曲>,○オッテルロー指揮ハーグ・フィル(HO)1953/5/4&5オッテルローの珍しいCD。ハーグ・レジデンティ・オーケストラとも呼ばれるこのオケは、スヴェトラーノフものを始めとしてたくさんの自主作成盤を出している。これはLP時代にはレアとされていた盤(そのときのレーベルはたしかPHILIPS)で、比較的良好な音質になっているのが嬉しい。輪郭のしっかりした演奏で、すべての音符が適切に鳴っている。そのため空気感というものが音楽の枠組みの中に発生している。それは硬質で透明感を煽るものだ。オッテルローは割合と骨太に演奏していくが、細かい音符もおろそかにしないから、ときおり新鮮な感覚をおぼえる。2組の「夜明け」で無歌詞合唱が入る所、ちょっとびっくりしたかたもいらっしゃるのではないか。いきなり唐突にフォルテくらいで入ってくるのである、オーケストラのまったりしたアンサンブルの中に。合唱が大きいとけっこう迫力が増し、一長一短な解釈かな、と思った。全員の踊りでの申し分ない盛り上がりはオッテルローの非凡な才能を示している。強烈なところが無いからやや評価の対象外とされてきたオッテルロー、頒布盤レーベルの旗手だったのに頒布盤をよく聴いていた世代からもあまり顧みられないオッテルロー。哀しいがたしかに個性は薄い。でも、ここには明快なフォルムと音楽の自然で強力な流れを求める職人的指揮者の姿がある。○としておく。最後はかなり盛り上がりますよ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)<第1、第2組曲>,○クリュイタンス指揮フランス国立放送管弦楽団(TESTAMENT/EMI)1953/6/22-23,25・CDやや狭い音場が気になるといえば気になるが、比較的強い表現(たとえば合唱の音量など)に一たん慣れてしまうと狭いがゆえに寧ろ緊密で楽しめる。この曲の組曲版は第二のほうが圧倒的に有名だが、第二は様々な名演がひしめいているのでその中で抜きん出た演奏とは残念ながら言い難い。私は寧ろ第一の夢幻的な楽想が明瞭な筆致で磨き上げられていくさまを興味深く聴くことができた。この曲の類希な旋律の美しさをわかって強調している演奏である。どこか金属的で固いところがあるものの、それもラヴェルのうち。○はあげても文句は言われないだろう。モノラル。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)<第1、第2組曲>,○チェリビダッケ指揮ミラノ放送交響楽団&合唱団(CETRA)1970/4/17LIVE惜しむらくは録音の悪さ。ミラノ放送響のソロ楽器の美しいひびきがデッドになっており、合奏部の絶妙で、ある意味チェリ特有の響かせかたが、端っこの部分くらいしか聞こえてこない。それなりに迫力はあり、面白い演奏だが、チェリの解釈はあくまで客観的で、熱にうかされたような全員の踊りなどもあまり派手に迫ってこない。ブラヴォーは叫ばれているが、第1組曲の敢えて細部まで明瞭にすることにより浮かび上がる幻想的な雰囲気には惹かれたものの、ここでは○をつけない。それは多分チェリのせいではない。録音のせいである。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)<第1、第2組曲>,チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(AUDIOR他)LIVEチェリ晩年のラヴェルは独特だ。決して感傷に走らないし、どちらかといえば透明で角張っていて、冷たい。響きは非常に研ぎ澄まされているけれども、とりつくしまのない感じを受ける。これでどう感動すればよいのだろう、と途方に暮れてしまう。美しいからいいではないか、というにはこの非正規盤の音質は悪すぎる(まあライヴ盤としては許容範囲内ではあるが)。ダフクロはラヴェルの作品の中でも比較的初期に近い作品で、かなり感傷的でロマンティックな性向を持っている。そういうものを求めて聞くと裏切られる録音であることは確かだ。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)<第1、第2組曲>,◎チェリビダッケ指揮ORTF&cho(ina配信)1974/10/16放送 live,,見事。このオケをここまで統制しこのレベルまで引き上げた手腕、ラヴェルの曲だからこそチェリの厳しいやり方が功を奏し得るところもあるだろう。第一組曲の静寂(僅かな放送ノイズと録音の不安定さが惜しい)と臭くならない透明感のある官能もさることながら、第二組曲の初め二曲の周到な設計、そして圧倒的な「全員の踊り」の迫力〜計算なしに力づくでやってはこの迫力は出まい〜はドイツ的だのいったローカル指揮者の範疇を大きく超えた「ラヴェル指揮者」としての適性をはっきり示している。音響的な調和も素晴らしい。このオケのライヴ録音では聞いたことのない大ブラヴォが鳴り止まないのもわかる。チェリ特有の掛け声は聴かれず、音楽は邪魔されていない。良好なステレオだが放送音質レベル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○チェリビダッケ指揮ケルン放送交響楽団(orfeo)1958/10/5live,,発売直後に中古が出回ったことでもわかるように海賊版を含めればけっこう再発を含むボックス収録の一曲。私は新品で買いましたよ。しかし、チェリのダフニスはわりと古くても新しくても変わらず、晩年のような重厚長大さは無く若々しい前進力が魅力的だが、冒頭から木管ソロの極めてリアリスティックなはっきりした音表現、オケ全体の響きをあくまで純音楽的な迫力として提示していくドイツ的な表現方法はフランス流儀とはかけ離れたチェリらしいものである。ま、チェリのダフニスはどれも一緒といえば一緒で、orfeoなので案外原音重視でリマスタリングが行き届いていないゆえ、このての固く重いラヴェルが好みではない人には向かない。,,-----,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,チェリビダッケ指揮ORTF他(DOCUMENTS他)1974パリlive・CD,,DOCUMENTSのラヴェル集収録の音源で書く。録音日表記が無いが恐らく他で出ているものと同じ。モノラルで74年とは信じられないほど音が悪い。籠っていて折角の音色・音響への配慮も台無し。ねっとりしたフレージングが印象的で、前半二楽章はミラノでの録音と思ったほど粘着的である。かなり楽曲に対して独自解釈(表情付け)をほどこす指揮者で、これで崩壊しまくりなら凡百のロマン派指揮者と同じなのだが、このなかなか「きかんぼう」なオケに解釈を徹底して叩き込み、ミスを一切許さない、ライヴがすべてだと言い切ったとも言われるチェリらしい、普通の指揮者ならセッション録音でのみやるたぐいの神経質さを持ち込んでいる(でもそうと感じさせない自然さが凄い)。それがふだんのこのオケの状態を知っている聴衆に強くアピールし、熱狂的な反応を呼んだと言えるだろう。合唱付きだがこの録音状態なので余り聴こえない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲(途中),チェリビダッケ指揮南ドイツ放送管弦楽団(DA:CD-R)1976,,放送エアチェック。ねっとりとしたフレージングが印象的な、70年代以降のチェリとしては感情の起伏の感じられる演奏。まだ空気の通るような構築性・音響第一の表現には至っていない。そこはそうとして絶望的なマイナスポイントがある。「全員の踊り」の途中でアナウンスがフェードインしてきて「放送が終了する」のだ。こりゃセンスなさすぎ。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○クーセヴィツキー指揮NYP(whra)1942/2/22live・CD,,無茶苦茶な録音の悪さはともかく、この揺れに揺れ伸び縮みに伸び縮みしダイナミクスも極端に付けまくりのロマン派的ラヴェルは一聴の価値はあるかもしれない。ロシア的ラヴェル。しかしニューヨーク・フィルのソリスト陣が凄く、無言劇でのフルートソロの音色、無茶苦茶ソリスティックな変化を付けた表現は出色。独特のラヴェルであり、交流あったラヴェル自身も苦笑したであろうクーセヴィッキー節を堪能しましょう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)<抜粋〜パントマイム>,クーセヴィツキー指揮ボストンSO(BSO)1928/11.12・・・パール盤と同じ?,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PEARL/HMV)1928/11/15,12/20・CD「パントマイム」の陶酔的なテンポが印象的だが、いかんせん20年代の録音、音が悪すぎる。ボストンの音はけっこう無個性的なので、音色で聴かせる力はないから、特徴を捉えようとするとどうしてもテンポに耳がいってしまうのだが、そういう点では「夜明け」はあっさり直線的すぎるし、全員の踊りもストレートすぎる。2楽章だけは聞き物ですが、1、3ははっきり言って想像範囲内。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団1944-45 演奏録音とも3つの中では一番 クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○ストコフスキ指揮LSO、LSCH(london)1970/6・CD,,とにかくストコのダフ2はいいので聴いてみてください。とにかくいじり倒しているところはともかく興奮のしっぱなしなのである。といっても猿のように興奮しっぱなしとか中学生のように興奮しっぱなしというんではない。脳が興奮しっぱなしである(一緒だ)。盛り上げ方がほんと巧い。この楽曲に加えた無茶なうねりをオケに施す、手綱さばきは真似できないレベル。マーベラス!<欧米か!音の一個一個をおろそかにせずそれぞれ極めて明瞭に響かせ、金属質の感はあるものの(つまり人工的な感じは否めない)総体の響きの中に合唱をゴージャスに織り交ぜるさまはまさにハリウッド映画音楽を思わせる。いや、昔は勘違いが多かったんだけど、ハリウッド音楽を造ったのは寧ろ「ストコらアメリカで活躍したクラシック音楽家のほうなのだ」。あのイメージはすべてこの人たちのしわざの延長上にある。作曲家ではラフマニノフの影響などもそこに含まれよう。この最後の合唱だけ高らかに残してドスンとやる編曲にはいささかやりすぎの感もあるが、しかしハリウッド映画でこのパターンの曲って多いではないか。あれもストコらの発明なのである。本末転倒な論説が多いのでちょっと書きました。スタジオ録音ゆえちょっと引いた感じもあり、主情的な盛り上がりには少し欠ける部分で○にとどめておいた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○パレー指揮デトロイト交響楽団(MERCURY)1961/3・CDかつてラヴェル存命中のパリで活躍した指揮者の記録。 この盤ではパレーもオケも割合といいのである。これは意外なほど起伏がつけられていて、ダイナミックだ。録音も生々しく、譜めくりの音までしっかり入っている。それゆえに明瞭に聞き取れるトリッキーな伴奏音形が大変そう。とくに木管ソロお疲れ様、といった感じである。弦も辛そう。このころのラヴェルは変に凝っていないのでわかりやすいが、アマは立入禁止でしょう。このリズムの中にこれだけの音符を収めるなんて。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○パレー指揮ピッツバーグ交響楽団(DA:CD-R)1968/6/28,,不安定なステレオでホワイトノイズも大、終曲の電気的雑音もかなりひどい。しかしすべて音は明瞭で非常にきらびやかで迫力がある。冒頭から伴奏音形の頭拍にアクセントがつきリズムがはっきり打ち出され煌びやかな響きとともに、夢幻性よりリアルな音楽の魅力がしっかりしたタッチで描きだされる。パレーらしい太筆描きでそれほど揺れないがソロ楽器のニュアンス表現はかなり自在である。そのソロをはじめとしてオケははっきり巧い。マスとしての迫力もそうとうのものだ。テンポ自体はそれほど上がらないし響きは重いが、全員の踊りはやはり騎馬民族的なリズムの攻撃性が心地いい。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,フルトヴェングラー指揮BPO(DG)1944/3/21フルトヴェングラーのラヴェルは知る限りこれとスペイン狂詩曲しかないが、この盤も実に腰の座った重低音が印象的な演奏になっている。録音さえクリアならもうちょっと印象も変わった可能性はあるが(よーく聞くと結構色彩的で音響的な広がりのある演奏であった可能性を感じる)、ここで聞けるのはドイツ的ラヴェルに他ならない。しっかり書けているがゆえにどんな解釈であってもそれなりに響かせてしまう魔術的な力を持つ曲ではあるが、フルトヴェングラーの首尾一貫した構築的な解釈は、やっぱりやや重すぎる感がある。3曲が続けて演奏されるのが普通だが、これは編集上の問題かもしれないが3曲がばらばらにトラックが分けられており、そんなところでも興をそがれたりする。終楽章のランチキ騒ぎもは轟音をたてて突進する猪のような力強い解釈で特筆ものだが、2曲目「無言劇」からの間にトラックが分けられてしまうがゆえに音が転がり落ちて熱烈な舞曲に入るコントラストを楽しむことができない。これは残念。フルトヴェングラーはいろいろなミックスで何度も何度も同じ演奏がCD化されるのが常だが、もう少しいい音にマスタリングし直して出して欲しい、もちろんトラックも分けずに。ここではこの単独盤だけの評価として無印としておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○フルトヴェングラー指揮BPO(BP)1944/3/20-22・CD,同上,ベルリン・フィル自主制作盤より。クレジットは若干違うものの恐らく既出盤といっしょだが、かなり残響が加えられリマスタリングが施されて、極めて聴きやすくなっている。丸みのあるリマスターなのでデジタル独特のエッジも気にならない。擬似ステレオと聞きまごうほどの手の入れ方には問題あろうが、フルヴェンの真の姿に近づけようとした一つの試みとして聴くならば、それは成功である。重くて場違いなモノトーンの興奮、という印象は覆される。ドイツ臭さすら余り感じられない。イギリスオケ的にすら聞こえてしまう。盛り上がりはトスカニーニ的といってもいいのではないか。全員がちゃんと踊っている。興奮します。ファンなら◎。私は○。過度なリマスターは気になる。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○フルトヴェングラー指揮BPO(RCD/新世界)1944/3/19ベルリンLIVE・CD,同上?,戦時中モノのロシア流出音源から。DGと同じものじゃないかと怪しい気もするが音がいいので別と考えて書きます。これはかなり聴き易いです。ドロドロとねちっこいダフニスはそれはそれで楽しめる。とんでもなくドイツっぽいのになんか聴きとおしてしまう。これがフルトマジックなのかもしれない。そうそう、ちゃんと設計されているし、歌いまわしのねちっこさに比べて不断のドライヴ感が常に音楽の前進性を支えており結果として凝縮されたロマン性というかメンゲルベルクスタイルというか、とにかくそういう演奏に仕上がっているのだ。ラヴェルじゃないけど、ラヴェルの応用編としてはレベル高いものだと思う。だってかなり興奮したから。○。何度でも聴きたいなあ。中身の詰まった密度の高い演奏ぶりがたまらん。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○マルケヴィッチ指揮NDR交響楽団、合唱団(EMI他)1960/2/15LIVE・CD,,エキセントリックな演奏。マルケらしい鋭い発音と独特の解釈が激しいリズムに乗って踊る。どうもしっくりこない面があるというか、イマイチ万人を納得させるだけの説得力のある演奏とは言えないのだが、一応○としておく。個人的にはあんまり。EMIの盤は以前出ていたボックスもの収録のものと同じ録音。モノ。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○マルケヴィッチ指揮RIAS交響楽団、合唱団(audite)1952・CD,,ミュンシュ張りに愉悦的なリズム、合唱までつくのに曖昧さのない、厳しく律せられた音とアンサンブルでこの曲を両面から、即ち即物的な快楽主義と「ラヴェル的な」メカニズム指向の両方を備えた演奏に仕立てている。実に聴いていてストレスの無い演奏だが恐らく一般受けする芸風ではないのだろう、オケも一般受けするオケではない。戦後のRIAS好きなら垂唾の放送用スタジオ録音、渋い音、完ぺき主義の表れた、でも非常にいい演奏。合唱が出てくるとやっぱりぞくっとするなこの「朝」は。録音がこれでクリアならいいのだが、このレベルでは一般的に勧められる音とは言いがたいか。初出ではないと思うのだが・・・,-----,,TITLE: クロエ,URL: http://lpniqxridwpz.jugem.jp/?eid=1469,BLOG NAME: 皆藤愛子 画像掲示板 ホームページ,DATE: 08/14/2009 00:42:46," ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲 - 20世紀ウラ ...クロエの製作日誌:モグアイ 羊の国のラブラドール絵日記NEW!! クロエちゃんの食べ物紀行",-----,,,-----,,,-----
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○マルケヴィッチ指揮日本フィル(EXTON,フジテレビ)1965/4/15東京文化会館live・DVD,,PLATZで先行CD化されていた春祭とのカップリング映像。クールなようでけっこう大きく乱暴な振り方もするマルケの伝説的映像である。トップ奏者にソリスト級の素晴らしいメンツを抱えて見事に美しく演じてみせた日フィル、とくに木管陣にマルケも満足そうである。まま良好な状態の音に映像、ただこの曲は繊細なリリシズムが肝要。リズム、拍の切れ、テンポに野太く好戦的なアバウトさがあり、的を射た舞踏的感覚は素晴らしいものの、それでも前に流れる印象がある。マルケは音楽的に必ずしもロシア人とは言えないが、ロシア的である。これはオケ総体としての力量のせいもあるが聴感にやや癖もあり、感情は煽られるし客席反応もすごいが、個人的にはマニアの領分を出ない面白さのように思えた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,トスカニーニ指揮NBC交響楽団(NAXOS,CEDAR)1938/11/26放送LIVE・CD最初から強い発音で細かいニュアンスは無視されているが、音楽の大きなうねりの描き方はさすがトスカニーニ、とくにクライマックスでぐいぐいと引っ張っていく力強さは比類無いもの。パントマイムではでっかい鼻歌や独り言が聞けます。けっこう盛り上がるが、なにぶん録音が悪い(でも復刻はよくできている)ので無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1949/11/19?LIVE,,異常にこもった録音で細部がわからず、これは協会盤LPと同じかもしれない。実演はすさまじかったらしくこの音でも全員の踊りのズシズシくる重いリズムが伝わってくる。意外と速くないのがスケール感を感じさせる。ブラヴォや拍手も普通じゃないくらいすさまじい。あきらかにアナウンスと録音状態が同一コンサートとされるドビュッシーなどと違うのでクレジットの日付は疑問。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,△トスカニーニ指揮NBC交響楽団?(協会盤)1949放送LIVE,同上?,オケ名表記が無いがおそらくNBCだと思う。もう論外な録音状態で盤を投げたくなるが、トスカニーニのラヴェルの記録としての価値はそれなりにあるだろう。前後にけっこう長くアナウンスが入り、ラジオのような雑音(じっさいラジオなのだろうが)の渦の中で幽かに夜明けの音が聞こえてくる。特記すべきことと言えば前口上含み4分21秒あたり(T.夜明け)の楽器の掛け合いで、弦の一部が早く入りすぎて大混乱。不自然な響きのままトスカニーニはリズムを冷静に保ってすぐに組み立て直すが、聞き物はそれくらい。とにかく音がめっさ悪い。△。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,◎トスカニーニ指揮NBC交響楽団 (RCA)1949/11/21「全員の踊り」のめくるめく色彩の渦に否応無く引きずり込まれる。希有の名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,△ブーレーズ指揮NHK交響楽団(放送ライヴ)1995ブーレーズ・フェスティヴァル,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,ブーレーズ指揮BBC交響楽団(ARTISTS)LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,◎オーマンディ指揮フィラデルフィア・フィル(SCORA)1958/5/30LIVE・CD録音がやや不安定だが速いテンポでうねるような管弦楽の煌きを結構ねっとりと表現しており興味深い。弦楽器をはじめとするオケの技巧の素晴らしさは際立っており、この時代この国で聴きうるオーケストラ技術を上回る世界のレベルというのを見せ付けているかのようだ。オーマンディの壮年期の芸風は誠に若々しく細部までじつに生々しく美しい。フランス楽派とは路線が違うとはいえフランス曲を奏するのに全く支障はない。いや、むしろ下手な楽団よりフランスらしい繊細さすら感じさせる。この演奏はオーマンディという存在の確かに偉大な音楽性が発揮されたもっともよい例のひとつと言っていい。精神性ウンヌンはどうでもいい曲だから尚更この人の凄さが出易いとも言える。それにしてもノっている。弦は前記の通り噎せかえんばかりで強力な合奏力に音色変化の妙すら備えた恐ろしくレベルの高いもの、パントマイムのフルートに代表される木管のいい意味でグローバルな響きは清々しくこの曲であればフランス風に、といった切り返しかたを巧く行っている。いや、パートパートの巧さはどうでもいいこと(フランスオケの演奏でもそういうのはたくさんある)、アンサンブル能力の高さは比類無い。面白いのがパントマイムから全員の踊りに至る所で顕著なロマン派的なロマンティックさとハキハキした新古典的なリズム良さがまさにバレエの場面変化のように瞬間的に変わるデジタルな切り替え。しかも後者(全員の踊り本編がまさにソレ)異様な速度を伴って疾走する馬のように駆け抜けるようで、凄い迫力、凄い演奏ぶり!オーマンディ壮年期はこうでなくては。ブラヴォー喝采も当たり前だ。このまとまりにこの威力、ガウクに爪の垢でも飲ませたい。ムラヴィンやコンドラシンの特殊なやり方とは行き方が違うがスヴェトラには通じるものも感じる。個性はどうこうでもいい、この曲は感情と勢いがあればいい。これは最高の名演だ。録音悪くても◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○クラウス指揮ウィーン・フィル他(DISQUE REFRAIN/RED:CD-R)1940'?じつに情緒纏綿たる音楽が聞ける。惜しむらくはやはり録音だ。これでウィーン・フィルの甘い音色が明瞭に聞こえていれば最強の「夜明け」なのだが、まあ仕方あるまい。合唱付きなのも嬉しい。じつに深い呼吸、大波の寄せては返すような音楽。ちょっとやりすぎと思うほど揺れている。やや丁寧に演奏しすぎるところがあり、「全員の踊り」は重くなってしまったが、細部まで配慮の行き届いたひびきは決して無駄ではない。クラウスだけに終楽章では「踊り」の妙味を期待してしまうけれどもここではあくまで純然たる管弦楽曲として演奏しているふうで、リズムの細やかな揺れも疾走するスピードもない。だからといってダレてはおらず最後まできっちり演奏されている。この人は音の整理をきちんとつけてその上で解釈をつけていく技に長けている。もっと同時代の曲の録音をいろいろ遺しておいて欲しかった 。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,◎ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(WEITBLICK)1965/9/20・CDこれは凄まじい!録音はモノラルだが、異常な迫力の夜明けからズシズシ重低音が響く全員の踊りへ、スケール感のあるぐあーっという音楽が迫ってきてぞくぞくする。この高揚感は久し振りに聞く。どんな演奏者でも楽譜をきっちり音にさえできればラヴェルになる、とはいえそこに+αがあるかないかで真のラヴェルかどうかが決まる。これは真のラヴェルだ。◎。合唱抜き。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)1975LIVEやっぱりギラギラ派手です。でも巧い。最初はなんだか雑然としていて大丈夫かな、と思わせるが、情緒纏綿、そしてうねるようにダイナミックに演じ上げられてゆく夜明けの風景は、結局のところ細かい瑕疵などどうでもよい気持ちにさせてくれる。クライマックスの壮絶さは言後を絶する。これは一つのやり方の極致だ。ライウ゛のせいもあるかもしれないが、とにかく自然な感情のままに激しく揺れるテンポ、奏者ひとりひとりに漲る緊張感は並ではない。ピッコロの異常な早吹き(こんな速さで吹ききった演奏を私は聞いたことがない!)から雪崩れこむ全員の踊り、ペットのただただ唖然とするまでの強烈な破音、ロシア流儀の神髄を聞かせてくれる。録音が近過ぎるゆえ余計な雑音、衝突音が聞こえてしまうのが惜しかったが。最後はブラボーも混ざる盛大な拍手。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○ボールト指揮フィルハーモニア管弦楽団(BBC)1964/7/30 BBC LIVE意外だが、名演だ。最初に言っておくと、「全員の踊り」はリズムを彩る一音一音にキレが不足していて(というかもともとそういう指揮者であるから仕方ない)それゆえ少し評を下げさせていただいたのだが、何より、「夜明け」の恍惚、バルビローリとはまた違った太い筋を通したうえでの、それでも恍惚とした表情を伴うひたすらなテヌート表現、厚い音の滑らかな響きが大きくうねり流れて、その頂きでは悲痛なまでに愛を歌い上げる、この世界は、ラヴェルではない。ヴォーン・ウィリアムズであり、ホルストだ。「惑星」モノラル時代の名演を彷彿とする。私にとってこれは期待をしていなかっただけに実に嬉しい驚きをあたえてくれた。ドイツ的な重さを伴う独特の表現であり、フルートなど硬質な響きは突き放したような無機性も感じる。ラヴェルの本流を大切にする向きには薦められないが、知識より音楽を楽しむことを無上とする向きには是非一聴をお勧めする。尚音はこのじきにしては輪郭が不明瞭でやや聞きづらい。もっといい音であればボールトが配慮した細部に至る明確な造形性をも楽しむことができよう。終演後の壮絶なブラヴォーと拍手の渦は、ボールトの実演記録では希有の例ではないか。それだけの価値のある演奏なのだ。一緒に入っているシベリウス7番は凡演であった(こちらが目的だったのに)。ビーチャムにコリンス、サージェントにバルビローリといったそうそうたるシベリウス(交響曲)指揮者に対して、敢えて抗わず極力避けたボールトは懸命だった。繊細な音色のニュアンス作りはこの指揮者の専門外なのだから。もう一度言うが、それだけにこの名演は意外だったのだ。「交響曲的表現」と一言付け加えておこう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,J.C.カサドシュ指揮リリー・フィルO,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,カンテルリ指揮イタリア・ローマ放送交響楽団(FONIT CETRA)1954/11/19LIVE・LP音が悪い。楽団も最高とは言えない状態だ。それでも一生懸命音楽だけを取り出して聴いてみようと試みると、非常にドライな印象が残る。サバサバしていて乾いている。芸風も一直線でトスカニーニの影響を否定できない。こんなだったのかなあ?と思いながら聞いたが、最後までピンとこなかった。カンテルリマニアなら。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,カンテルリ指揮NYP(music&arts)1953/3/15コンサートLIVE・CD私はこの曲をききすぎているのと、カンテルリのスマートな芸風に馴れすぎているので、まったく楽しめなかった。あたりまえの演奏だった。録音もとくによくない。曲の新しい面白さというものはまったく見出せず、当たり前のダフクロとしては巧く出来上がっているし、軽やかさすら感じるリズム感のよさは最後にブラヴォーを呼ぶ新鮮な新しい世代の演奏をカンジさせるものの、我々既に生まれたときから新しい世代に生きるものにとってはたいして新味ない。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,カンテルリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(TESTAMENT)1955/8,1956/5/28前半カンテルリにしてはロマンティックに過ぎる感がある。旋律の強調(テンポ・ルバート)は音楽の奇妙な伸縮を呼び、ラヴェルそのものの美感が損なわれている気がする。らしくない。でも、何も前提知識なしに聴く向きには逆にわかりやすいかもしれない。フィルハーモニアは美しい音を出すが、これといった個性的な表現・・・いや、”ニオイ”が欠けている。「全員の踊り」は素晴らしくゴージャスに仕上がってはいるが、何かひとつ魅力に欠けたところがあるのは、聴くものを否応無く惹きつける”ニオイ”が無いのだ。もっと汗のニオイが欲しい。もっとほとばしる血潮が欲しい。ここでは無印にしておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○カンテルリ指揮NYP(ASdisc)1955/3/20live・CD,,迫力たっぷりの演奏でカンテルリのライヴにしては音はいいほうではないか。若さゆえかオケのゆえかけして熱や艶を帯びることはないけれども突進するようでいて音量の非常なる変化や明瞭なアタックでドライヴしてゆくさまはこの指揮者がまさに脂ののりきった時期にさしかかっていることを示している。惜しい人材ということだ。客も盛り上がる。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,ゴーベール指揮コンセール・ストララム(VAI.他)1928-30大戦間のパリの貴重な演奏記録。音が割れ雑音だらけなのは仕方無い。濃厚な味付けというわけでもなく、直截な表現。ソロ楽器の技巧には限界があるものの、全員の踊りなど音楽が力強く良く流れている。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,デルヴォ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団 後期ロマン派風の濃厚な解釈。恣意もこれは余程だ。自由なパウゼやテンポの頻繁な伸縮、ポルタメントの露骨さ、いろいろと言いたい事のある演奏だが、ラヴェル本人は絶対許さなかったであろうこの独特さは耳の宝に聴いておくのも良いかもしれない。・・・面白いことは面白いし。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,デルヴォ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(COMMAND,forgottenrecords)1961/5パリ,同上?,音が良いせいもあり、デルヴォーがそういう音作りをする指揮者ということもあり、リアルな肌触りの夜明けは、夜明け以外の何かの派手な幕開けに聴こえる。ただアクの強い表現も慣れてしまえば、デルヴォーのラヴェルってこうだったな、世俗的なダイナミズムをフランスの音で発する、そういったところで一曲目も中盤以降は、変な解釈も気にならなくなる(これは何もコマンド録音に限らないが)。緩急の緩に欠ける、という表現は大雑把過ぎるけど多用してしまうが、ここでは音色表現において緩急に欠ける、と書いておこうか。濃淡と言ったほうがいいのか、何かそれも違う。すでに迫力があり、だが求心的なミュンシュとは些かも似ず、拡散的であり、しかも豪速球というか、ロザンタールともまた違う。主情的なところがある。三楽章の盛り上がりには誰もケチを付けることはできないだろうが、他の人のラヴェルとは一風変わっている。個人的には構成的にカタルシスを得られなかった感じ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI他)1957,59 ロマンティックにすぎるがハレ木管健闘。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,ボルサムスキー指揮ライプツィヒ交響楽団(URANIA)ボルサムスキーの盤は古く傷だらけのことが多い。できればいい音で聞きたい、そうすればこの人に対するイメージが一新されると思うのだが、CDは一枚も出ていないのではないか。いつまでも潜らせておくには惜しいドイツ気質?の何でも屋指揮者である。中低音域の座った重厚な音響と圧倒的な力感を持った音楽は、時折表現主義の流儀を思わせるほど破天荒だ。打楽器を派手に打ち鳴らすのもこの人の特徴で、しかも大太鼓やティンパニといった低音打楽器に地響きのような恐ろしい音を鳴らさせる、たとえばルーセルの3番シンフォニーの1楽章など、録音編集のせいもあるのかもしれないが、これでもかと言うくらい音を叩き付けるような指揮ぶりで度肝を抜かれた。もっとも弱点もある。弱音部がなんとも情趣が無いのだ。このダフクロは幸いにも非常に曲が良く出来ているので目立たないが、他記のラ・ヴァルスやボレロなど音色変化という点では何も聴くべき所が無い。不器用なところもドイツ気質?といえようか。ダフクロに戻ると、構造的な面に配慮した演奏と言うことができる。ひとつひとつの音を分解し、それぞれきっちり表現させている。そういう几帳面さもドイツ気質?冒頭の「朝」の盛り上がり後の間奏部で鉄琴が突き抜けてきらきらと響くのに、はっと思った。そういう再発見も楽しい。だがひとつひとつの音の複層的な重なりをもって音楽となすやり方は、時折曲の流れというものを阻害することがある。ドイツ系のフランス曲演奏にありがちなところだ。ここではその心配はない。しいていえばロジンスキ的だ。ロジンスキのスタイルにドイツの重厚さ指向を加えたといった感じか。全員の踊りの熱狂がちょっとタテノリで重いところもよく似ているが、割合と気にならなかった。最後はわりとオーソドックスだが、かっこいい。盤面が悪く聞きづらかったし、何より編集痕が目立つ箇所があるので、無印としておく。編集にかんしてはボルサムスキーの演奏にはしばしばあからさまに施されたものがあり、ちょっと興をそぐので注意。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,メンゲルベルク指揮ACO(AUDIOPHILE CLASSICS他)1938/11/23LIVE録音の悪さはこのさい論じても仕方無いだろう。こってり甘く重い演奏かと思いきや、確かに精妙とは無縁の力づくの響きが支配しているものの、特に後半は面白く聞ける。恣意性は諸所に伺えるがそれほど表立ってはいない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,ロジンスキ指揮クリーヴランド管弦楽団(COLUMBIA)ロジンスキは録音が悪くて損をしている。ストコフスキより下の世代なのだからもっといい録音が残っていていいようなものだが、今聞けるのはウェストミンスターの僅かな録音のみだ。50年代くらいの悪い音となると、テンション芸という意味では大御所トスカニーニが最後の輝きをくっきりと録音にうつしているから、分が悪い。この演奏もはっきり言って音が悪すぎる。人造ステレオも変にアンバランスで気味が悪い。雑音まみれの悲惨な音をそれでも想像力で補って聴いてみると、これはこれで正攻法というか、音量の起伏の大きな造形が凝縮されたリズムの中にうねっていて、ちょっと引き込まれるものはあるが、クリーヴランドの無個性な音が結局仇になっている。残念ながら無印。集中力も今一つ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○ブール指揮南西ドイツ放送交響楽団(LANNE:CD-R)1964/1/1live,,録音が悪くて伝わりづらいが明晰で水際立った美演。ブールのフランスものはハズレ無し。朝の、波泡立ちはぜるような表現に技術的な陰りは一切無い。ラヴェルでは重要なことだ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○マーツァル指揮NYP(DA:CD-R)1976/1/1live,これはなかなか煌びやかでリズミカル。派手だがNYP特有の濁りが無くラヴェルらしいラヴェルを楽しめる。アンセルメに似ているか。この指揮者はこういう曲のほうが向いているのだろう。現代オケはラヴェルのような音楽に向く。東欧的透明感、とかわかったようなわからないようなことを書いておこうか。聴衆も盛り上がる。録音優秀。○。

(参考)「のだめ」ドラマ出演で有名になったマーツァル(マーカル)は日本ではゴリゴリのチェコプログラムばっかりやるイメージがある。サービス精神旺盛らしいが指揮はわりと真面目でとっつきづらいかもしれない。アメリカではオケとの衝突もあったようだ。日本人の大好きなチェコ・フィルではなく、アメリカ時代のものとしてはこれは如何?
Romance Classics

Delos

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ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○クレツキ指揮ORTF(RICHTHOFEN:CD-R/COLUMBIA)1948/5/14,,取り扱いをやめる小売店も現れたRICHTHOFENは貴重ではあるが微妙でもあるラインナップで割と抱き合わせ的な形の板起こし活動を行っている。LP原盤は確かに微妙だが収録時間的にも再発しづらいSP録音にかんしては、無いものは無い!また再生が大変、という状況をかんがみて起こしてくれるのは有り難いと個人的には思う。原盤針掛けそのまんまの音でありノイズ耐性がないと、LP重量盤の迫力など仇となる可能性はある。,,クレツキのフランスものは定評があったもので、わりと澄んだ音作りや感情を正面から露にはしない表現様式にも合致するが、これはSP末期の録音ということもあり若々しさが感じられる派手なものになっている。夜明けではたっぷり呼吸するようなレガート表現でスケールの大きな音楽を生み出し、だがそこから破壊的な(リズム感は普通だが)全員の踊りに至るまでの道程を自然にしいていくさまは全く貫禄ですらある。ただイギリス盤の状態がいささか悪いようでSPならではの硝子質の澄んだ響きがノイズに殺され、音量的には弱いメディアであることからも物足りなさがないとも断言できない。ORTFの音、アンサンブル力、それを一糸の乱れなく律するクレツキには強く惹かれるが、逆にクレツキでなくても、SPでなくても、という気がしなくもない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○フランツ・アンドレ指揮ブリュッセル・ベルギーL’I.N.Rグランド管弦楽団(TELEFUNKEN),,無茶ハッキリした演奏ぶりで曖昧さのない純音楽的な感興は独特の若々しさを感じさせる。併録のイベリアよりは印象が薄いが、それでもそうとうに集中力の高い演奏ぶり。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,○ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団(capriccio)1989/11/11LIVE・CD,,この楽団はけっして技術的精度のもともと高い楽団ではないのである。この演奏でも技術的限界を感じさせる部分はソロ部に若干ある。しかし、ごく細部まで神経質に整えられ音量バランスが注意深く保たれ、完璧に彫刻されたアンサンブルからは全く瑕疵のようなものは聞こえてこない。スコアを完璧にうつすという意味では(音響の整え方がドイツ的で重心が低いきらいがあるが)ベルティーニがマーラーより得意としたと言われているラヴェルとは相性がいい、というのは納得がいく。ボリュームや甘さを排した表現にははっきりドイツ様式があらわれているが楽団のほうの性格の反映かもしれない。とにかく、凄い指揮者だったことはわかる。個性的かというと往年の名指揮者と比べるべくもないところもあるが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,ブール指揮ORTF(Ducretet-Thomson/forgotten records)1953,,ブールの得意としたラヴェル。精緻な響きを組み立てながらわりと扇情的な表現を取っていて娯楽的にも聴ける。リズムもキレよく楽しい。ミュンシュほど過度に煽ることはなく、オケのフランス的美質を上手に反映してもいる。なかなか聴ける演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,フレイタス・ブランコ指揮トゥールーズ・コンサート協会管弦楽団(forgotten records)1952/3/6live放送,,さすがにラヴェルの覆面指揮者を演じた人だけありブランコのラヴェルには余人を許さない表現の壮烈さが感じられる。原曲の劇的要素と舞踏要素を激しい音のコントラストと部分に拘らない全体の派手さで煽り、録音が悪いのが難点だがスヴェトラーノフのような終わり方でブラヴォが飛びまくる。「全員の踊り」が思ったより前に向かわずオケの弱点が露呈するバラケ味に肩透かしにあうものの、まあ、この日の最後の演目ということもあるのだろうし、客観的に言って事故だらけで生演奏ならではの傷の絶えないものではあるが、聴いて楽しくなる。これと比べミュンシュの何とスマートなことか。常に置いておきたい演奏ではないが、一回性の粗野な記録としては良い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,プレートル指揮シュツットガルト南西ドイツ放送交響楽団(hanssler)1997/10・CD,,冒頭から木管の音が硬く表情も強張り、鈍重な響きはドイツオケの悪いところが出ている。夜明けの感じがしない。ただゆったりとしたテンポで、柔和な交錯、法悦的な表情付けを連ねてから、やがて過度に人工的に表情が付加され(最弱音でやり取りされるソロ楽器への緩徐部の繊細な操作は耳を澄ませないとわからないほど細かいがとてもソリスティックでいながら予定調和的なまとまりを見せる)、良録音なりの内部の細かな動きまで聴き取れるのも含めて、チェリビダッケよりこなれていないものの、やはりその遅くじっくりとやる点において同傾向の構築的で壮大な演奏となった。さてしかし「全員の踊り」となると無骨で野蛮な面が出てきてピッコロが吹けていなくても関心なしに突き進むプレートルらしさが表立ってくる。整えたようなアンサンブルはまだ残るが、雑味を抑えまとめることにより迫力に昇華されていく。音符間に空気の通るようなデジタルな響きは現代的だが、破壊的に切れ落ちる終幕はきっぱりしていて清々しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1909-11)第二組曲,プレートル指揮ベルリン・ドイツ交響楽団他(WEITBLICK)2006/3/4live・CD,,夜明けのしばらく柔らかい音だと思ったら合唱付きで録音都合の音の遠さということらしい。組曲での合唱付きは珍しい。陶酔的な表現、止揚するテンポにのって合唱が雰囲気を高め、音の少ない部分ではなかなかリリカルなラヴェルらしい音を出させる正攻法のところもあり、それは一つにはRIASを源とするこのドイツオケが元来得意とする低い音域へのこだわりを放棄させ、醒めたくらいの音の上、フルートなど木管にとことん明るく歌わせるところ、さらにプレートルらしくもなくと言っては失礼だがまさにフランス伝統の同曲の演奏、ミュンシュふうに意思的でももっと香り立つ美麗な表現で突き通している、とくに二楽章はオールドスタイルと言えるくらいに夢幻性を煽りまくってくる。頭の揃わないような野暮ったい合奏のトゥッティはともかく三楽章突入すると気を煽るスタイルに切り替えていく(ドイツオケらしく縦を強く意識して前進的ではないが)。ちょっとオケのバランスが悪いというか木管と弦が遠く感じるところもあるものの、太鼓が近く派手に響いて、卑びた雰囲気の、プレートルらしい雑味を孕む独特の縦ノリオケに合唱が大きな幕のように被さってきて、変に空疎な変に盛り上がる、フィナーレ感の薄い独特の破裂でブラヴォが散発。いや、合唱付きなのでそれだけで価値はあります。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノと二つの弦楽器のための三重奏曲,◎デカーヴ(p)パスキエ三重奏団のメンバー(erato)パスキエ三重奏団は決してテクのある団体ではない。しかしそのかわりに何者にもかえがたい「味」がある。ここではデカーヴのピアノの素晴らしさもさることながら、ジャン・パスキエのヴァイオリンの音色に、”懐かしさ”にも似た何かしらの心に直接訴えるものを感じる。線の細い、しかしそうであるがゆえに儚く美しいものを表現するのにもっとも適した音。音程があやしくなろうがどうなろうが、まず「表現すべきもの」を十分に理解し、それを音にすることに専念する。そしてそれがはっきり音として作り上げられていることに、感動する。いや、難しいことは言うまい。これは聞いてナンボの音楽である。まずは聞いてほしい。フランス音楽の粋がここにある。最近廉価復刻された。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノと二つの弦楽器のための三重奏曲,オボーリン(P)D.オイストラフ(VN)クヌシェヴィツキー(VC)(harmonia mundi)1952初期の弦楽四重奏曲とならびラヴェルの室内楽における最高傑作である。円熟期を迎えたラヴェルの独自性が顕れたなかなか面白い曲。旋律も覚え易く、しいていえば終楽章が他楽章に比べやや聞き劣りする程度。さて、この演奏は模範解答のような演奏といったらいいのだろうか。技術的にはどこにも瑕疵はなく、完璧なアンサンブルだが、音色が単調で、特に繊細な表現に欠けている。これはフランス近代音楽を演奏する上で致命的である。「曲聞き」には向くが、「鑑賞」には向かない。そういう印象。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),ロン(P)伝ラヴェル指揮パリ交響楽団(フレイタス・ブランコ補佐)(columbia/EMI/PEARL/CASCAVELLE他)1932/4/14・CD 今は「ラヴェル監修・フレイタス・ブランコ指揮管弦楽団」とされている(EMI盤以降)。ツィピーヌ伴奏盤評参照,,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),◎ロン(P)ツィピーヌ指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI)先ずは献呈者にして大姉御ロン女史の演奏を挙げざるをえまい。今は新旧共にCDで聞ける。前者は貴重な同時代の演奏記録としてのみ価値を得る、じつに雑音に満ちた演奏(とくにバックオケの音の分離が悪すぎる)ゆえ、あくまで参考としておく。ただ脂の乗りきったロン女史の指の冴えが光っている。(ちなみに現在この演奏は、ラヴェル立ち会いのもとに当時フランスなどで活躍していたポルトガル人フレイタス・ブランコが振ったものとされている。EMIでCD復刻されるさいに正式に発表された)最晩年の演奏とはいえ、後者にもまだまだ往年の壮絶な技巧の衰えない様が伺える。ロンはヴィニェスやメイエルを思わせる押せ押せ前のめりのスタイルを持った技巧派演奏家だったようだが(ミケランジェリの無機的スタイルともまた違う、熱い(南国風?)スタイル)、ここでは幾分穏やかなテンポ設定で細かい解釈表現を織り交ぜた堂に入った演奏となっている。耳ざとい向きはいろいろと綻びを聞き出すであろうが、まあ聞いてみて欲しい。録音は・・・ちょっと大目に見てください。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931)〜V,◎ロン(P)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(モスクワ音楽院大ホール百周年記念盤)1955/4/12live・CD ラヴェルに対して姉御的存在だったのがロン。古いブランコ盤でのロンは雑音の多い中でも際立って巧い。逆にロンが最晩年に収録した盤はややオケに難がある。ところでここではコンドラシンの力量をまずもって明らかにする。コンドラシンの素晴らしいコントロールとモスクワ・フィルの巧さをもって非常に耳心地が良い音楽となっている。終楽章だけというのがいかにも残念。ロンはさすがにちょっと老いた感もあるが、聞ける。,,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○クロード・カサドシュ(P)デルヴォ指揮パリ音楽院管弦楽団(CND)LP,,パキパキした演奏で内容は浅いがわかりやすく楽しめる(左手ともども)。オケもやりやすそうだ。このドライヴ感、疾走感は並ではない。細部のニュアンスはともかく力強く手慣れた巧いソリストで旋律の勘どころを全て押さえている。単純だけど単調にはならないのだ。録音もモノラル末期だけあってデルヴォの意志的で立体的な音作りをかなり精緻に捉らえている。また自然なのがこの指揮者の上手いところ。三楽章のブラスがやや不調だが音色にかんしても非常に感傷的で美しく直截なテンポの上にしっかりハマっているのがよい。また念押しするような引きずる感覚がなく自然に融和しているのも出色。変な解釈は無いのに娯楽性を構成する必要なだけの一音一音を若々しいスピード感を損なわずにクリアにしっかり聞かせていて心地よい。ラヴェルがこれでいいのか?いいんです。個人的にしっくりくる。さすがに二楽章は全く深みがなくただ弾いているだけの感は否めないが、少なくとも親父さんのスピードだけの無味乾燥な独特のスタイルとはかけ離れた(ロベール氏は両手は録音してないが)血の通った感じは強くあり、好意的に聞いてしまう。とにかく軽く聞き飛ばせる難しくない録音なので初心者向き。ソリスト指揮者オケの相性がいい、これだけは確かだ。◎に近い○!クロード氏巧いよ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○アルゲリッチ(P)ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団(CAPRICCIO)1985/12/7live・CD,,まず新しいものでは滅多に入り込める演奏に出くわさない難曲だがアルゲリッチの表現力は素晴らしい。野暮ったいロシアスタイルでも鋼鉄機械の現代スタイルでもない、やはりフランス派の表現に近い非常に繊細でしかも変化に富んだ粋っぷりである。オケも若干響きが重いが録音がいい。滅多にこの人の演奏でハマる演奏がないのだが流石こだわりのあらわれた余人を寄せ付けないピアニズムでした。ライヴなりの荒さも録音かホールが吸収。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○サンカン(P)デルヴォ指揮バーデン・バーデン南西ドイツ放送管弦楽団(club france他)1964/10/3-6・CD,,正統的なラヴェルの協奏曲の演奏と言えるだろう。デルヴォーらしい作為がちょっと見え隠れするところもあるけれども、そこがアクセントとなって巧くまとまっている。演奏的には十全といってよく、サンカン先生の解釈の絶妙な「寸止め」は、ロマンティックにならず無機質にもならず、つまりヴィトゲンシュタインにもならずミケランジェリにもならず巧い事バランスを保っている。音色が明るく単調だが楽器のせいかもしれない。そこを繊細なタッチとテンポ変化でカバーしている。特に単純であるがゆえに難しい2楽章の表現は、ギリギリ感傷を煽りながらもラヴェルの厳しい視線をつねに意識しているかのようにそこに溺れないで乗り切っている(デルヴォは溺れる傾向がある)。規範的だろう。ペルルミュテールやフェヴリエよりはロン婦人に近いか。なかなかだが、強い印象を残すわけではない。規範ということで○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),◎サンカン(P)デルヴォ指揮バーデン・バーデン南西ドイツ放送管弦楽団(club france他)1964/10/3-6・CD,同上,こういう音色表現はラヴェル特有の表現で、テンポ操作や音量変化、アーティキュレーション付けといった部分では一切解釈的なものを排除するかわりに、タッチとニュアンスだけで音楽の起伏を作ってゆく。フランス派ならでは、逆に言うとセンスだけを問われるようなものでここまで完成された表現を会得するのは誰しも難しいかもしれない。ソリストもオケも理想的なラヴェルを表現しているが、それを説明するのが難しいという、微妙なところにあるので、◎をもって何が言いたいかを示しておく。ステレオの好録音。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○バーンスタイン(P、指揮)VPO(DG)LIVE・CD,,酷い。管が酷い。バンスタの音色が酷い。3楽章でバンスタの指が回ら無ければ間違いなく無印の演奏である。冒頭のパッパカパカパカが既にド崩壊していて酷いが、とにかくブラスが全くラヴェル向きではなく機敏さが無い。バンスタもバンスタでこんなに無味乾燥した2楽章もないもんだ。この曲で2楽章をこんなにニュアンスもへったくれもなく演奏した記録を私は知らない。タッチも何も無い。音色を速さでカバーしたせいか終楽章最後ブラボーが飛ぶが、若い頃から比べて明らかに劣化したバンスタのピアノは特筆すべきだろう。その得意とした指揮解釈とは真逆。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○バーンスタイン(P、指揮)ロンドン・フィル(HISTORY)1946/1/7・CDまー、よく指が回ります。といっても指が回るだけではだめで、ニュアンスが大事。その点この演奏はやや単純なもののように思える。激しいタッチの両端楽章よりも寧ろ思い入れたっぷりに歌わせる2楽章が美しい。この楽章は人類が考えうるすべてのルバートを尽くしていると言ってもいい。この人ののちの指揮にも言えることだが、作曲家としての感覚が曲の潜在的な抒情味を引き出し尽くしている。そのあざとさを受け容れられるかどうかは聴く人の趣味によるだろう。その点では両端楽章は単純なスポーツ感覚を追求しているから万人に受け容れられる素質があるかもしれない。とにかく指は回るので○。もっともよく聞くとゴマカシっぽいところもあるのだが。ヒストリーの復刻は残響付けすぎ。元の音がよくわからない。オケはやや鋭さが足りないがしっかり表現しきっている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○ホーランダー(P)ルドルフ指揮シンシナティ交響楽団(MELUSINE)1965live・LP,,ソリストがバリ弾きで(ミスタッチもあるけど)凄まじいの一言。一方オケはカスカス。ぼろぼろ。もうまったく渡り合えていない。アマチュアのようだ。このソリストを聴くだけでも価値はあるが、終楽章などどうしたものか、という疲労感漂う高速演奏なのでした。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○マガロフ(P)マルケヴィッチ指揮ベルリン・フィル(DA:CD-R)1974live,,「この面子が揃ったにしては」僅かに瑕疵はあるものの、非常に充実感のある演奏。ラヴェルに充実感という言葉は似合わないがロン最盛期はこうだっただろうなあというマガロフの腕、パラパラそつなくも繊細明瞭で高精度なピアニズム(ラヴェル自身に好まれたピアニストはみなこんなかんじ)、録音もよくマルケも前進的なテンポと的確なリズムで(マルケのフランスものの中欧オケライヴは素晴らしい、VPOとの「海」はARKADIAの不良盤以降耳にできていないがどこか出さないものか)緊密なアンサンブルを維持している。厳しく真面目だったとも言われる演奏家で際立った特徴は指摘しかねるが、ラヴェルのコンチェルトはいいものであればあるほど個性が見出せなくなるものでもある。そういう作曲家であったのだから。そういえばピアニストと指揮者は一応同郷か。エアチェックレベルの録音と個人的好みで○にとどめておく。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",,"(参考)マガロフのラヴェルやフランスものはいくつか現役だが最晩年のこれを挙げておこう。
Magaloff-DeBussy/Faure/Ravel

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ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),ミケランジェリ(P)マルケヴィッチ指揮聖チェチリア音楽院管弦楽団(tahra,ina)1952/5/28シャンゼリゼ劇場live・CD粒だったリズム良い演奏ぶりが魅力。表現のくまどりがはっきりしていて少々エキセントリックと感じる向きもあるかもしれないが。あ、オケがです。ソリストもこの演奏家にしてはいつになくダイナミズムが感じられヨイ。オケの乱れなど何処吹く風、素晴らしくドライヴ感溢れる演奏ぶりで楽しめる。ところで技術的な問題が特に速い3楽章に多く見受けられる。豪快に崩壊しているのが痛い。あ、オケがです。それら以前の問題として録音がリマスタリングのせいかややぼけてしまっており高音が聞き取りづらい箇所が有る。ソリストが俊敏で冴えまくっているだけにもったいない。総じては無印だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),ミケランジェリ(p)マルケヴィッチ指揮聖チチェリア音楽院管弦楽団(tahra)。,同上,収録音量が小さすぎなのはともかく、オケがついてってない。事故多発。ミケランジェリは醒めた音だがニュアンスには富んでいてテクニックも完璧。速いパセージでオケを置いてきぼりにするのはオケが悪い指揮者が悪い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○ミケランジェリ(P)ルンプフ指揮NHK交響楽団(KING/NHK)1965/4/3東京文化会館live・CD,,N響は何度もこのてのライブ音源をシリーズないしボックス化しているが今回は二度めのLPボックスに含まれていたものを含むシリーズ、その中の一枚。全盛期のミケランジェリというだけで大いに期待されるものだが技術的に難のあるドイツ寄りのオケであった楽団との取り合わせの妙も。一楽章は遅い。まるでオケにあわせるように、確かめるようなテンポの上でこの曲に秘められたラベルの独創的な書法を明らかにえぐって見せていく。こんなテンポでは指がもたつきかねないがミケランジェリの技術は確かだ。ラベルが称賛したピアニズムはラベル好みの即物性が際立ち、この曲でもともすると感情のない機械のようなスピードオンリーの演奏をしたりもしているが、腹を開いて音構造を示しながら弾き進めるさまが意外に楽しかった。二楽章はホルンソロに大ミスで台なし。昔なら正規音盤化しなかったかも。三楽章はスピードが戻り鮮やかなミケランジェリの指の踊りを楽しむのみ。オケもまあまあ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○ミケランジェリ(P)サンゾーノ指揮トリノ放送交響楽団(ARKADIA)1952/2/1ライヴ ミケランジェリも晩年のラヴェルに賛美されたピアニストで、カサドシュのタイプ。異常な指の魔術師だが大抵それこそ情(印象)の薄い透明な音色の鋼鉄演奏ぶり。ここでは少しルバートを駆使して演奏を盛り立てるが音色はいかんともしがたい。ライヴの方が熱気を感じるし、より集中力の高い演奏に思うが録音悪し。ピアノにマイクが近すぎる!良く知られたステレオ初期の正式録音は、割合とロマンティックな解釈が光る。細かいニュアンス解釈の妙があるが厚ぼったいオケ・・・また補記します。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),ミケランジェリ(P)グラチス指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)1957/3 サンゾーノ伴奏盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○ミケランジェリ(P)チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(000classics:CD-R)1992/5liveこの組み合わせは映像もある。チェリの透明な造形はラヴェルの音楽とよくあっており、意外にも速さを維持して流麗なところをみせている。ミケランジェリも気持ち良く演奏しているようだが、腕の衰えがみられるところがある。あれほどバリバリストイックに弾いていく人が、けっこうゆっくりとしたテンポに落として弾いてしまったりしている。この組み合わせは非常によいが、過去の記録に比べるとどうなのだろう。録音のよさで○ひとつつけておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),◎ミケランジェリ(P)チェリビダッケ指揮ロンドン交響楽団(VIP:CD-R)?1LIVEミケランジェリの詩情溢れる表現が冴え渡る2楽章が絶品。速い楽章もテクニックに微妙な解釈もからめてまったく臆することがない。チェリ/ロンドンは金管などにやや鈍い表現が聞かれるがおおむねそつなくこなしている。ロンドン響の機能性の高さ、とくに木管楽器の巧さに拍手。やはりチェリの安定した音楽作りはしっかりした聴感をあたえ、下手にロマンティックな奏者がやるとグズグズになるラヴェルの繊細なテクスチュアがしっかり組みあがって聞き易い。これを聞きながら私はロンの新盤を思い出していた。ロンも衰えたとはいえそれを上回る指先の香気をもって聴くものを陶然とさせた。この一寸聞き解釈の特徴が聞こえ辛い演奏、何度も聴くうちに何か同時代の作曲家に対する共感ある仕草がごく細かいコンマ何秒の打鍵のズレに現われているようで、深みにはまっていくような感傷を受けた。ミケランジェリはもっとバリバリ弾く事もできたはずだが、それをしていないことこそが素晴らしい。幼い頃ラヴェルに賞賛されたというピアニスト、これは名演である。ブラヴォー拍手盛大。録音年月日不明。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),アース(P)パレー指揮ORTF(DG)パレーとアースの一本調子スタイルが見事にマッチ。余りの押せ押せムードに、音の強さと反比例の内容的な軽さを感じてしまった。でも運動性という点では終楽章など面白く聞ける。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),ルフェビュール(P)パレー指揮ORTF(SOLSTICE)CD,,パレーはミュンシュのくぐもりを取り去って、どぎつさを薄めたような剛直系指揮者だ。ミュンシュと同じく作曲家存命のころからラヴェル演奏会を振っていたオーソリティであるが、そのスタイルは少なくとも「ニュアンス系」ではない。この演奏はORTFの木管(クラなど)の音が「ボー」というかんじでかなり違和感を覚える。感傷性を排したオルガン的発声、これもTPOで使い分けるべきであるが、フルートの音色が余りに美しい(デュフレーヌ?)だけに一層耳につく。アンゲルブレシュトなら超絶な舵取りで聞かせてしまうかもしれないが、パレーの豪速球はいたずらに耳に奇異感を残すのみだった。悪いところばかり書いているようだが、ルフェビュール(ルフェーブル)の演奏はリリカルなもので、若干テンポが穏か過ぎるきらいもあるが、2楽章など結構聞ける。アース盤とは対照的だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○ルフェビュール(P)オーベルソン指揮ベロミュンスター放送管弦楽団(coup d'archet、DRS2放送)1959/8/24・CD,,ルフェーブルが光りまくっている。とにかく打鍵が強く、しかし女性的な柔らかい表現で聴く者を魅了する。しょうじき巧い。ロンに似ているかもしれない。2楽章は少し音がはっきりしすぎているかもしれないが、そういう解釈としては楽しめる。オケにはたどたどしいところもあるがおおむねしっかりと表現している。2楽章の詠嘆までしっかり聞こえるのはうれしい。録音はやや茫洋としておりモノラルなのが弱みか。○。まあ、よくよく聴くとマイクがピアノに異様に近いだけで、ただただ強靭な、味の無い演奏に聴こえるような気もする。,"",-----,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○園田高弘(P)ブール指揮バーデン・バーデン南西ドイツ放送交響楽団(EVICA,日本クラウン/SWR)1965/12/13・CD,,入りからびっくりしたのだ、あ、ロンの音だ、と。フランスの至宝と呼ばれたマルグリット・ロン女史(ロン・ティボー・コンクールのロンね)の、明快だがどこかロマンティックな軟らかい色のある音。タッチが似ているのか。ライナーにもあるとおり園田氏はブールより、「直伝」と言われたロン女史の解釈(じっさいにはラヴェルは最盛期の女史に容易に口出しできなかったとも言われる)とは異なる、譜面にあるとおり「だけ」の演奏をするように強いられたという。しかし器楽演奏というものは指揮者や作曲家の考えるものとは違う部分がある。統制のきかない部分は確かに残る。これは「ドナウエッシンゲンのブール」の世界に園田氏が埋没させられてしまったのではない、素晴らしい技術的センスと鋭敏な反射的能力を駆使した園田氏が、ブールが思い描く「客観即物主義的な音楽観」を損なわず、かつ(無自覚のようだが)自らのほうに見事に融合させている。寧ろその性向的にブールでよかったという結果論も言える(晩年のロン女史のような「突っ走り」は無いが、フランソワのようにスピード感が失われることも決して無い)。,,両端楽章においてはこの盤の表題になっている「若き日」とはいえ、浅あさしい技巧家ぶりは無い。2楽章は最も繊細な感覚が要求されるがここで古典的構成感とロマン派的旋律性の狭間に確固としたテンポで柔らかく奏される絶妙な音楽は、より直伝に近いと言われたスタイルを持っていた(しかしこの曲は時期的に直伝ではない)ペルルミュテールに似ているかもしれない。,,ブールのラヴェルはロスバウトより色が無く、音は軽やかでも揺ぎ無い構造物となる。だが遅さや重さというのは感じない。巧緻な設計のなせるわざだろう。全く別種の指揮者とはいえ同じ指向も感じさせるケーゲルのムラある芸風とは違い、スコアを固持はするものの、ギリギリ「どちらにも振り切らない」ことにより晩年ラヴェルのロマンティシズムを失わず、あっさりもしすぎない魅力的な演奏を仕立てる。ライヴではこうもいかなかったかもしれないがブールのライヴに精度の低いものは知らない。少なくとも同じ即物的傾向の強い透明なラヴェルを得意としたベルティーニの無味乾燥とは違うものではある。うーん、これは知られざる名演だが、一般的ではない。何故だろうか。○。,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),ツァーク(P)コンドラシン指揮レニングラード交響楽団(放送)1963/1/10(20?)live,,もう最初から無茶苦茶。オケのソリストが落ちまくりでガタガタ、ツァークもミス連発で何の曲やってんだかわからないほどひどい一楽章。二楽章はツァークのぶっきらぼうさが曲のとつとつとした情景にあってきて、三楽章は機関銃のような演奏様式が(あいかわらずニュアンスは無いしテンポは暴走だしミスもあるが)曲とシンクロしてくる。しかしここでオケの弱さがまたも露呈。怖がって前に出ようとしない管楽ソリストとか、もうなんていうか。二軍オケですよ。ツァークのぶっきらぼうさはもう早く終わりたいと思ってるとしか思えない。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○ツァーク(P)スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)1960'?個性派指揮者の伴奏指揮というのは案外普通だったりするものだが、これも意外なくらいラヴェルだったりして、デフォルメを求めると拍子抜けする。ソリスト、オケ共にミスが聞かれたりするが、音楽そのものは悪くない。オケ、ソリスト共に音色が単調なのはちょっと痛いが、良い意味でも悪い意味でもスリリングなアンサンブルを聞かせる1楽章はそれなりに楽しめる。2楽章は真面目。最後の余韻GOOD。3楽章いきなりの快速にちょっと驚くが、なかなか健闘する。オケが持ち味を発揮できていない感もあるが、この曲では仕方ないか。総じて○。ライヴみたいな演奏精度は気にはなる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),ニコレ・アンリオ=シュヴァイツアー(P)ミュンシュ指揮ORTF(ina配信)1966/12/4(11/22?)live,,録音は良好なステレオ。聴衆反応も激しい。ただ、特に一楽章のオケがカッチリしておらず、ラヴェル特有の「細工」が瓦解しかかる場面がしばしば聴かれる。ライヴならこんなものかもしれないが同曲を得意としたコンビにしては毎度ながらアバウトな印象が残る。アンリオは強い調子であまり起伏やニュアンスを作らない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),ニコレ・アンリオ=シュヴァイツアー(P)ミュンシュ指揮パリ音楽院管弦楽団(london)1949/5/31,,原盤起因のノイズはともかく、演奏はたどたどしいと言わざるを。指の回らないアンリオに合わせてオケを抑えるというやり方は管楽ソロのミスを誘発。ガーシュイン再構築みたいなこの曲、ミケランジェリ位じゃないと遊べない。,,音程がどうもズレている。ピアノの音程がズレるわけないので、原盤起因か。ラヴェルは音同士が衝突しかねないバランスの難しい重ね方をすることがある。こういうズレ方をすると単なる不協和音にきこえてしまう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),ニコレ・アンリオ=シュヴァイツアー(P)ミュンシュ指揮パリ管弦楽団(EMI)1968/9パリ・CD,,ステレオだが古ぼけたノイズが載るけして良好ではないもの(私はLPからリマスターCDまで持っているが全般を見通しても70年代も近い頃の標準的なスタジオ録音の中で上位には置けない。LPではライヴかと思ったほど。原音からのノイズ除去勝負だろう)。相対的に言って抑制的な表現で、遅いインテンポで確かめるように進めていく。そのぶん演奏精度は高く、このオケの母体となる団体の(団員が大幅に入れ替わっているのでそれは無いとは言われているがなお)伝統であろう情緒的とでも言うのか、力強い表現とあいまって、ミュンシュのものとしては最も一般的に勧められる。だが壮年期の突進し暴れまくるミュンシュらしさの欠片もないので、そこはどうかというところ。ソリストはかつてない精度で演じているがどこかデリカシーがない、音色が一本調子だ。私にはこの「白鳥の歌」の一枚が、新生楽団の首席として指揮台に立ったミュンシュがしかし板につく表現まで至らなかった「その真価を発揮できないまま」急逝してしまった、生硬な記録として聴こえてしまうのだがどうだろうか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),ニコレ・アンリオ=シュヴァイツアー(P)ミュンシュ指揮パリ管弦楽団(ANGEL他),同上,このソリストも巧いです。ミュンシュ・ラストレコーディングでCD化もしている。アース・パレー盤の感じだが、総じて一枚上手におもう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),ニコレ・アンリオ=シュヴァイツァー(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1957/11/25・CD,,旧録だがステレオ。これが妙に、と言っては何だか魅力のある演奏で、もちろんスタジオ録音だからミスは無いのだが時折瞬間立ち止まるような堅さは、ペルルミュテール/ホーレンシュタイン盤を彷彿とさせるのだ。音はもっと硬質で色が無く無理して強く打鍵しているような荒さがあり詩情を比べるのもおかしいのだけれど、それでもこの演奏は魅力がある。マルグリート・ロンからヴラド・ペルルミュテールに至る同曲演奏の一つの流れの上にいる。私の悪い耳から言えば「ハッキリしている」からわかりやすいのだろう。柔らかさがないのが同曲には向いているのだ。それでも二楽章〜誰がやっても詩情漂うのだが〜はこの人にしては、結構感傷的というか、よく起伏がつき印象深い。ミュンシュはぴたりとつけ、これもロンやペルルミュテールのバック同様何かを付加することはない(ホーレンシュタインはマイナスしている感もあるが)。この演奏は推せます。ニコレ・アンリオについては別記したが自分で検索する上で引っかかりやすくするのと、同じ人であることを強調し統一感を持たせるため、わざわざ結婚前後で名前表記を変えず、シュヴァイツァーまで記載しています。本ブログ(まとめブログ)ではこのようにわざと表記をいじったり、検索用に文中で名前表記を幾つも使ったり(モントゥー、モントゥのように)してます。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○ニコレ・アンリオ=シュヴァイツアー(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1958/3/24・CD,,仕方ないといえばそうなのだがソリストとオケがどうしても細かい部分でかみ合っていない。この曲ではほとんどの人の演奏(録音)がそうなので仕方ないといえばそれまでなのだが、ソリストが思いっきりアグレッシブに出てきている1楽章では、オケがむしろ後ろ向きの縦ノリのテンポをとりバランスが微妙に危うい感じがする。それでもロンの晩年盤によく似たかんじもあり、この楽章は(ほとんどの録音が成功していない中)かなり成功しているとはいえるだろう。2楽章は音色に深みはないが表現がなかなかに情緒的で美しい。テンポどりが絶妙である。主知的な部分と主情的な部分のバランスをどう保って、結論としてどうテンポ設定をし、どう揺らすかが鍵となるが、ここはソリストがまずもって巧いといっていい。3楽章はやや遅い感じがする。ミュンシュにこのソリストとあれば猛烈なスピードが期待されるところ、ライヴ盤でもそうなのだが今ひとつ客観的なテンポ設定にきこえてしまう。スポーティな楽章である、猛烈なスピードのまま弾き切って素っ気無く切り落としておしまい、というところが今ひとつどっちつかずな感じもする。まあ、でも無理は言わないで○だけつけておこう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○ニコレ・アンリオ=シュヴァイツアー(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1958/3/15live・CD,,晩年なじみの組み合わせだがこの録音が新発掘なのかどうかわからない。印象としては適度に派手でなかなか楽しめるが技術的なことやライヴなりの瑕疵を気にする向きには、1楽章始めのほうのオケのばらけぐあいや生硬なテンポ設定に一部ソロミス、3楽章にはオケは素晴らしく一気呵成に攻めるもののソロミスがかなり目立つ、ということを言っておかねばならない。ロンの表現に沿ったような解釈だが、ちょっと若い。2楽章を頂点として織り交ざるイマジネイティブな情景が晩年ラヴェルには珍しく、どの演奏でもそれなりに印象深く感じられるものだが、ミュンシュの音彩が実に素晴らしい。むせ返るようでもある。ピアノソロも細かい粒をたてた美麗で繊細な、抑制された印象派ふうの表現が印象的。総じてライヴなりに、であり、音はこのてのものにしてはいいがモノラル。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○ニコレ・アンリオ=シュヴァイツアー(ペルルミュテール?)(P)ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(DA他:CDーR)1966/7LIVE,,"ピッチ高っ!最初たどたどしくてメロメロ、ミュンシュは大きく伸び縮み、とどうしようかと困惑してしまうが、テンポは余り上げられないものの1楽章の最後にはかなり解釈を入れてきて、激しいタッチで意外なほど熱気をもって終わる。エッジが立った分離の激しいステレオ録音ゆえ、冒頭よりソリストをも含む弱音表現が聞き取り辛い。音質がニュアンスを捉えきれず2楽章はリリシズムの聞こえ具合にやや不満も残った。ロマンティック過ぎるかもしれない。その意味ではリアリテ溢れる表現主義者ミュンシュと見解の一致がありそうだ。この録音に○をつけたのは終楽章いきなりの攻撃性で、オケがついていかなかったり技術的に墓穴を掘ったようなところも出てくるものの、内容のないところが持ち味とも言えるこの曲の運動性の要求には応えている。起伏の付けすぎのような印象もなくもないが、音が割合無個性なので臭みはない。表記上ペルルミュテールになっているがラジオアナウンス内容と解釈から明らかに誤りである。従って既出盤(""0""""0""""0""classics:CDーR)と同一の可能性極めて大。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○ニコレ・アンリオ=シュヴァイツアー(P)ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(000classics他:CD-R)1966LIVE,同上,このソリストは幾度と無くミュンシュとこの曲をやっていたようだが、その中では割合と落ち着いたほうの演奏で、スピードもやや緩い。しかしそれ以前に録音が悪すぎ。高音がぜんぜん聞こえてこないのに、低音はガンガン響いてきて、ソリストが高音をまるで誤魔化して弾いているように聴こえるのが辛い。ただ、強く明瞭なタッチは十分楽しめ、細かいニュアンスを込めることへの拘りがよく聞こえて面白い。ああ、巧いな、と思うフレージングがいくつかある。それだからスピードが緩くても楽しめるのだ。パラパラ胡麻を撒くような芸風のロンがけっこう直感的にやっている「部分」を、意識して誇張しているようにも思える。音が悪いので、よーく聴いてみてください。シカゴ響はこころなしか振るわない。なんとなくちぐはぐな感触だけ残るのは録音のせいだけだろうか。差し引き○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),ニコレ・アンリオ=シュヴァイツアー(P)ミトロプーロス指揮NYP(nickson)1953/11/29live 冒頭から異常な迫力で突き進むソリストにオケが完全にズレるという事態。管楽器ミスだらけ。味も何もなく両端楽章のスピードはライブならではの感興を呼んでいる。,(結婚前のニコレ・アンリオでもわかりやすさを優先してここでは「シュヴァイツァー」の名字をつけています),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○ニコレ・アンリオ=シュヴァイツアー(P)ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(NICKSON)1953/11/29LIVE,同上,ソリストが面白い。ミスタッチもあるけど大まかには強靭なタッチでよく指が回り、聞きごたえの有る音になっている。さらにけっこう即興的に揺らしてくるからオケが慌てる。解釈に意外性があり、とても面白い。3楽章ではあまりの高速にオケがついていけずすっぽり落ちてしまったりずれてしまったり、とても人に勧められるような演奏ではないが、面白さを買って○つけときます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),パッサーニ(P)フルネ指揮コロンヌ管弦楽団(pathe他)1947,,奇を衒わず正面からスピーディーに演奏した記録で、ラヴェルの志向はこういう技巧の綺羅びやかなのに絶対揺れない明瞭な演奏だったのではないか。録音的に細部が聴こえず弾けてるのか誤魔化してるのかわからない所もあるが(テンポがやや緩くなるところはある)芸風としてはしっかり弾いてそう。パキパキいう音、水も切れるようなハッキリした演奏、フルネはまったく個性を感じないが色彩は明るく濁りがすくない。胸のすく演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),◎フランソワ(P)クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI)1959ステレオ いわずと知れた名盤だが、1楽章など聞くと分かるとおり、バックオケは決して巧くはない。これはオケ(木管等ソロ楽器)にとってかなりの難曲だけれども、クリュイタンスは演奏の瑕疵をそのまま録音に残すような指揮者ではないと思うし、多分フランソワの調子を優先してオケの出来は二の次に考えられていたのではないか。フランソワの類希な即興的天才は、特に2楽章の味わい深い表現に結晶している。この人が一旦ノってしまったら、どんなに恣意的表現であってもそれらしく、必然性をもって迫って来るから不思議。ショパンを思わせるロマンティックな「ズラし」やルバートが、ラヴェルでここまで透明感を損なわずに表現できる演奏家というのは、史上この人を除いてはいまい。気まぐれな技巧を持つフランソワ、ここでは持てる力を全面的に発揮している。 3楽章など他の追随を許さぬ指の冴え、揺るがぬ繊細な音色感に脱毛。独特の解釈がめまぐるしい中にも随所に織り交ざり、あれ、あれと思ううちに、「ホー」と目を丸くするしかなくなる演奏だ。3楽章はオケも頑張っていて、フランソワと融合し、共に大きな世界を形作っている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),フランソワ(P)プリッチャード指揮ORTF(EMI他)1964/12/22live・DVD/BD,,EMIから膨大な数の「名演奏家シリーズ」の一枚としてDVD化されていたが(フランソワ版は二枚)、EMIの権利が他へ流れた結果、わずか3,4枚のブルーレイにオマケ付きでまとめられた。そのピアニスト編の一部として現役。白黒モノラル、画質も良くないが、あんな高いところからよくまあ打鍵できるなあ、左手がカマキリ拳法状態で交差、といったフランソワ独特のスタイルを楽しむことができる。はっきり言って軋みっぱなしでフランソワは走ったり端折ったり、でも強靭に押し進めてきわめてハッキリしたラヴェルを打ち出してくる。なぜかイギリスの指揮者という映像だが指揮者の奮闘ぶりよりむしろ何か焦りすら感じずに平然とズレたりするオケが面白い。いや事故ばかり論ったらしょうがない、二楽章の即物ぶりはともかく音色は明快なフランスのそれ、フランソワが同曲を得意としていたのはわかるし、ライヴとしては十分な精度は保っていると思うし、マッチョラヴェルを好むなら観て損はない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○ウーセ(P)ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(WEITBLICK)1974/3/27,28・CD冒頭ピッコロが異常に高いピッチで入ってくるのにびっくり。耳を疑ううちになんとなくつじつまがあってくるが、録音のせいかほんとにずれていたのか?まあライプツィヒ放響だからこんなこともあるだろう。ウーセが巧い。粒立ってコロコロ転げる音楽が素晴らしい。とにかく指がよく回る。この曲のライヴで殆どテンポを乱さない演奏というのを初めて聴いた気がする。冷徹なほど変化しない、水の流れるような演奏ぶりは、ケーゲルの冷徹な音とじつにマッチしている。何度でも聞ける演奏だ。ソリストもオケもまったく危なげないから安心して聞ける。2楽章にもう少し情緒が欲しかったが1、3楽章の俊敏さはそれを補って余りある。録音が茫洋としているのが少し残念。それと3楽章のとんでもない事故が(誰がミスしているかは聴いてのお楽しみ)。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),◎ブランカール(P)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA)モノラル時代の名盤、遂にCD化。(これも名演)プロコフィエフの6番と並んで愛聴していただけに、ほんとうに嬉しい(半分悔しい)復刻だ。アンセルメの瑞々しい音感と明瞭なリズム処理に聴くものの気持ちも浮き立つ。すこぶる安定したテンポに乗る軽やかな足取りは、決して気まぐれに動かないだけに尚更、ブランカールの確かな手腕とともに(目立ったところは無いものの底はかとなく味の有るタッチのピアノ)、理想的な音風景を形作る。オケはけして巧くない(全般しっかりした音程感には欠ける(しかしギリギリセーフなところで踏みとどまってはいる)し、第一、アンセルメ後の状態を思い出してみて欲しい)。なのにこれだけ聞かせる演奏になると思うと、アンセルメの力量はやっぱり大した物だったのだと思う。アンセルメの揺れの少ない解釈はそれほど無機的なものでもなく(録音のせいか新しいステレオ盤はそう聞こえてしまうきらいがあるが)、何より音色(管弦楽の総体的音響)への隅々にいたる繊細な配慮が、周到な準備を経て、計算ずくのスコア(解釈)と絶妙なバランスを保って、それが完璧精妙にすぎるために、冷血に聞こえてしまうこともある。もっと単純に、テンポがゆっくりめで微細には揺れないこと、感情的な表現を抑え目にしていること(周到な準備や計算をホゴにしてしまうから当然そうなるわけだ)が今一つのめりこませない、好かないという向きも多いだろう。無論アンセルメも全てが全て良いとはいえないが、ダフニスをはじめラヴェルは相性ぴったり、名演揃いだ。複雑にからみあった個々の楽器がそれぞれちゃんと適正な役割のもとに正確に組み合わされ、全く単一のアンサンブルの ”結晶”となって耳に届く。ソロピアノの走句とソロ管楽器の絡み合いなど傾聴してみるとよい。こんなにしっかりとした「アンサンブル」を行っている演奏は稀だろう。規範たる演奏ともいえる。ブランカールはやや単調だが美しく透明感の有る音をかなでているが、ソフトなタッチが2楽章では強みとなりその美質を遺憾無く発揮する。技巧的問題は皆無で指は晩年のロンよりもよく回る。この組み合わせは「左手」も名演で、中間部の熱気溢れる雰囲気(ペットの強奏から!)はアンセルメが得意としたロシア音楽を思わせる。こういう曲では前述の「冷血ぶり」も影を潜める。両手に比べ、やや”濁った”曲想だから敢えてそうしたのだ、と思う。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),◎ワイエンベルグ(P)ブール指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(DUCRET THOMSON/EMI)EMIのバジェット盤で出たが不良品だったためすぐに店頭回収になったワイエンベルグの演奏です。私のLPは非常に状態が悪い。けれどもこの曲における鮮やかな色彩性、感傷性、ブールが客観的な立場から厳しく音楽を律しているにもかかわらずそこから溢れ出る香気、熱気は並大抵のものではない。ミケランジェリのような即物スタイルの演奏を多く聴いてきたせいかとくにそう感じる。ワイエンベルグの音楽はテンポを決して崩さないながらもその音量音色によって非常に多彩な表情を見せ、いかにもラヴェルらしい詩情を掻き立てられるものがある。2楽章の感傷性はワイエンベルグのみならず木管を始めとするオケ側も共感を込めて、優しく、哀しく演奏している。ブールの現代音楽指揮者らしい正確さへの希求が、ここでは音楽そのものの秘めた感傷性と全く離反せずに共存し融和しあっている。弦の音色も懐かしい。この2楽章があまりにスバラシイので他の楽章の演奏ぶりを忘れてしまった。とにかくゴマを撒くようにぱらぱらと鍵盤を鳴らし無理も狂いもなくやってのけるスタイル(まあうるさい事を言えば全般にタッチが繊細なため全ての音を鳴らしきれていない場面もあるにはあるのだが、遅くても弾けてない演奏の多い・中、これだけ表現できれば十分でしょう)。テンポが若干遅いため醒めた客観性を感じるが、3楽章などオケとソロのスリリングなアンサンブルには手に汗握る。こんなに構造的にかかれた曲だったのか、と改めて認識させられるが、そんなことを考えているうちにあっというまにエンディング。これは名演だ。◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),○ワイセンベルク(P)小澤指揮パリ管弦楽団(SERAPHIM)CD正直録音があまりよくないのだが、演奏は立派である。このソリストには機関銃のようなテクを見せ付けるイメージがあったのだが、この演奏では意外と感傷的。とくに2楽章は深く心を打つ表現で、私は自分の葬式にはこれを流して欲しいな、とさえ思った。1、3楽章もテクニック+αのきめ細やかな感情が盛り込まれており、凡百の演奏家を寄せ付けないものがある。ただ録音のせいかちょっと弱々しく感じるところもなきにしもあらず(決してテクニックが足りていないわけではないが)。それよりオケが不振だ。杓子定規で心が無い。一部木管の音程は悪いし、何か非常に落ち着いていて、敏捷に動くソリストに付いていかない(付いていけないわけではない)。響きも一様に鈍重だ。この高度なバトンテクを誇る指揮者にしてはいささか振るわない。ソリストだけに○をあげておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),カッチェン(P)ケルテス指揮ロンドン交響楽団(DECCA)特異な演奏だ。ケルテスはロマンティックな方法論に従い交響曲の如き重厚な構造物を創り出す。面白いが違和感あり。カッチェンは巧いがケルテスの硬く重厚な音の一部と化している。ロンドンもそれほどうまくないが、ケルテスの硬質で分厚い曲作りによるところが大きいだろう。曲に慣れたすれっからしか楽しむ類の盤。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(1931),ペルルミュテール(P)ホーレンシュタイン指揮コンセール・コロンヌ (ACCORD,VOX他)1962ホーレンシュタインの指揮が余りに硬くて野暮。コロンヌも反応が悪すぎる。とてもプロとはおもえないアンサンブル・・・作曲家の一番弟子といってもいいであろうペルルミュテールの唯一の盤としては・・・余りに・・・(泣)ペルルミュテールの紡ぎ出す微妙なニュアンス表現のみを「頭の中で」選別して聴いてください。それは素晴らしいリリカルな世界です。ホーレンシュタインの武骨とは真逆!録音は余り良くない。最初ライヴ演奏かと思った。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,◯ノエル・リー(P)ジェンドレ(Vn)ベックス(Vc)(BAM/forgottenrecords:CD-R),,板起こしのモノラル盤でマイナスしたが演奏そのものは素晴らしい。奇をてらうことなく素直に表現している。三人のバランスがよく、突出したり激突したりといったことなく最後まで心地よく聞き流せる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,○C.ボナルディ(Vn)シフォルー(Vc)ノエル・リー(P)(ACCORD)1987・CD,,残響がかなりうるさいがスケールの大きな、かつセンスあるダイナミックな演奏。安定感のある演奏ぶりではあるものの、弦楽器二本の音は感傷的で主情的であり、今回二回目?の録音のノエル・リーが何よりラヴェル適性をはなって素晴らしい。この人のピアニズムは言葉で表現のしようのない清潔で軽く、明確で、しかしどこか感傷的である。ラヴェル向き奏者というのはほんと言葉で説明できない、それこそセンスの問題でもある。ミケランジェリあたりは私は余りセンスがあるとは思わない。完璧であればいいというわけではないのである・・・作曲家が認める認めないにかかわらず。ただ、どちらかというとこのトリオでは引き気味かもしれない。ボナルディの音は線が細く、細いがゆえにナイーブな表現が可能でヴィブラートも細かく感情的にかかるのだが、強い音が出にくいようだ。終楽章の強奏部で音程が「フランス的に」乱れる。惜しい。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,○アルベネリ三重奏団(mercury)LP,,なかなかいいのだ。とくにピアノに表現力があり、1楽章など解釈的にとても感傷的で美しい。トリオの中でけして支配的な雰囲気を醸さず(モノラルで求心力のある聴感だからかもしれないけど)、三者の音色が融合はしないが同調してほどよい。ただ、「正攻法的なロマン派様式」の気があり、解釈が鼻につくところも・・・いやラヴェルの表現として不足はないのだが、終楽章あたり飽きてくるのも否めない。個人的にはもっといい音なら普段聴きにしたいくらいのものだがラヴェル好きには異論あるか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,○アンリ・メルケル(Vn)マドレーヌ・マルチェリ=ヘルソン(Vc)エレーヌ・ツーフルー=エンロック(P)(gramophone)1931/3/12・SP,,読みが違ってたらすいません。フォーレのカルテットで知られた組み合わせのトリオである。メルケルはラヴェルと同時代のヴァイオリニストとして知られ、パリ音楽院管弦楽団をはじめとするオケのトッププレイヤーとしても著名だが、意外と実直で折り目正しい演奏ぶりが、極めて美しいタッチを披露するピアニストと対照的である。この時代仕方ないかもしれないが盛り上がると各々が主張してアンサンブルに軋みが生じたり、反じて堅くなってしまったり、一楽章終盤から三楽章までは、ああこの時代ぽい「録音」だな、と思ったが、聞き物は四楽章にあった。それまでラヴェルらしい繊細で精密な演奏を提示してきたピアノが、リスト風の大見得をきり、メルケルらもまた大きくテンポを揺らしてロマンティックなダイナミズムを発揮、しかし、結果としてズレない!見事な名人芸だ。メルケルの音色は清朗ではあるものの今の耳からすればやはり懐かしいものがあり、それが活きているのもこの四楽章である。なかなかよかった。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,○エルフェ(P)エルリ(Vn)アルバン(Vc)(eurodisc他)LP,,シャンペイユのカルテットの裏面のものとして有名な録音で、原盤はクラブ・フランセか。異常な値段がついているのが不可解だ。オイロディスクあたりの再発は市場によく出てたのに(今でも毎月のように出るが値付けが異常)。演奏は特徴的で、いきなりアグレッシブに攻撃的に始まる。情趣より音楽の律動とやりあいを楽しむ、ピアノトリオとしては常道とも言える演奏でもある。けっこう飽きずに面白く聞けるが、これがこの曲のすべてではない、むしろ特異だということで○。,,"",-----,,TITLE: 音楽療法は、専門的に学ぶのではなく音楽を楽しみながら体験する療法です,URL: http://music-health.seesaa.net/,BLOG NAME: 音楽療法 入門ガイド,DATE: 08/17/2007 15:29:21,音楽療法は、専門的に学ぶのではなく音楽を楽しみながら体験する療法です,音楽を楽しみながらあなたを心身共に元気にしていくのです,-----,,,-----
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,○ケントナー(P)メニューイン(Vn)カサド(Vc)(EMI)1960/7/12・CD,,メニューヒンの腕こそ怪しいところはあるものの(音も細くて固い印象)、情緒たっぷりに揺らし緩急をつけていくさまは、そういう演奏が好きな人にアピールするものだろう。1楽章はラヴェルの本来とるべきやり方からは外れているかもしれないが情緒的に訴えかける力が強く印象的な演奏になっている。2楽章冒頭いきなりメニューインが技術的苦境に立たされている。しかし音はこちらのほうが柔らかくいいようにも思う。テンポもややゆっくりめ。ちょっとバラバラなアンサンブルに聴こえてしまうところもある。3楽章はもっと毅然としっかりした演奏を聞かせてほしいと思った・・・やはり音が心もとない。しかしポルタメントをまじえ絶頂を迎えるメニューインには前時代的な感傷がつきまといそれはそれでいい。4楽章はもっと花が開くような煌びやかな出だしが欲しかったがここでもメニューインの腕の限界・・・?ケントナーは終始安定しているがメニューインとカサドはどうも余り迫力がない。響きの美しさは独特の表現を見せる部分も含めて弱音部で感じられる。終わり近くの再現部?前の盛り上がりでかなり情緒的な伸縮が1楽章以来またもみられ、これは好き好きか。私はけっこう感動的に思った。弦のトリルとアルペジオに彩られピアノが法悦的な響きを放つ部分は、肉感的で、ちょっと技術的問題があったとしても許せる。ラストはかなり盛り上がる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,○チェコ・トリオ(SUPRAPHONE),,120年の伝統を誇るチェコ・トリオ(ピアノ三重奏団)による演奏だが、メンバー全員140歳とかそういうことはなくって室内楽団にありがちな「名前だけ維持」の団体なわけである。とはいえチェコを代表する室内楽の大御所、という位置づけに変わりはなく、このモノラル期の録音においても揺らぎのないしっかりした演奏を提示している。そこが逆に曲にそぐわないと思えるところもある。即物的でリリカルさに欠けるというか、特に気になったのはピアノの「強さ」であり、弦楽器も東欧特有のはっきりした表現をとり、アンサンブルの妙技は魅せまくりだが、曲はそういうところを要求しているのだろうか、とふと頭をひねることもある。3楽章は清新な同曲の中では扱い方の難しい「伝統的な緩徐楽章」であり、ロマンティックで鄙びた民謡風主題を地味に奏でていくものだが、逆にこの楽章ではロマン派音楽のようにしっかりとドラマを作り上げていて、ふだん飛ばして聴いてしまう楽章でも、聴かせてしまうといったところ。4楽章はなかなかリリカルな面も出てきていて、音量バランスが上手くとれており、入り組んだ構造、和声展開の面白みが明瞭に浮き彫りになっている。ラヴェルは弦楽器では横に流れる音楽を描くが、しっかり縦があわないと精妙な和音の変化がちっとも浮き立ってこない。チャイコ以上にピアニスト的で、細かい変化をきっちり正しく表現しなければ単なる旋律音楽になる。ここではそこがしっかり意識されている。重みがあり、ヴァイオリンなどやや線が不安定になるところもあるが音程感に揺らぎはなく、模範的演奏であり、プラスアルファは無いが、そういうふうに楽しめる、そういった演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,○トリオ・ディ・トリエステ(HMV)1947/6/11,13・CD,,ピアノが突出したりヴァイオリンが歌い過ぎたりせず調和のとれた演奏ぶりが、専門アンサンブルとしての能力を魅せつけてくれる。ただ、オールドスタイルで、ロマンティックな解釈が目立つ。ラヴェルでルバートはしてはならない。だが音色がいずれも安定しており暗くならず、とくにピアノはラヴェル向きの音を出していて、テンポや表情付けの過多を感じさせないところがいい。まだ若々しい感じもするが、それほど間をあけずにDGに録音したものがCD集成されているので、聴き比べるのもよし。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,○トリオ・ディ・トリエステ(DG)1959,,ラヴェルとしてはどうかというところはあるが、情感たっぷりの表現はテンポを大いに揺らすところさえあり、耳を惹いた。いわばロマン派音楽の流儀で太くやったラヴェルであり、繊細さや透明感は無い。が、特筆すべき演奏とは思った。最近特筆すべき演奏が無い中でこれは印象的だった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,○ハイフェッツ(Vn)ピアティゴルスキー(Vc)ルービンシュタイン(P)(RCA,BMG)1950/8/28・CD,,百万ドルトリオは必ずしもバランスのとれた団体ではない。典型的な一流ソリストによる「話題性先行」の売り方を「アメリカで」された団体で、かつ恐らく史上もっとも恐ろしい高レベルの技巧派ソリストのそろった「一定期間ちゃんと活動した」アンサンブル団体でもある。ロシアの「オレオレ」自己主張ソリストアンサンブルとは違いバラバラ感はなく、当時流行の「トスカニーニ様式」というか、速いテンポでさっさと、力強く進めていくスタイルにのっとって緊密な演奏にはなっているのだが、天性の「魅力」でいけばやはりこの三人には差がある。・・・とどのつまり、ハイフェッツが凄すぎるのだ。もっとも結構アバウトな演奏も行った人であり、現代的な視点からすれば「もうワンテイク」と言われたかもしれないギリギリな場面もあるのだが、そういった点ではルビンシュタインとて同じであり(カップリングのチャイコではてきとうに流すところでは細かい音をごまかしてたりもするがこれはこの録音に限ったことでは無いらしい)、いちばん実直にきっちり弾いているのはピアティゴルスキーなのだが、一方で魅力の点ではピアティゴルスキーがいちばん劣っているといわざるを得ない。音色と迫力の点で物足りなさを感じることしきりであり、ただ、たぶんこれは録音バランスのせいもあると思う。二人の名手に音量バランス的な遠慮がみられるのである。再生機器でチェロを強調してみよう。恐らく決して二人に負けては居まい(勝つこともないだろうが)。ピアノトリオはきほん、アンサンブルというより三人のソリストのバトルといった側面の強い編成である。ラヴェルにおいては三人が機械的に割り振られたフレーズをモザイク状にあてはめていくような、一本で練習するととても寂しい楽曲になってしまうものになっている。ここでは余り得意としていたとは思えないルビンシュタインが意外とリリカルな表現をみせ、スペインふう、ヴィニェスふうの雰囲気を持ち込んでラヴェルにダイレクトに当たる軽い洒落た演奏振りをみせているがやや引き気味でもある。ハイフェッツは雄弁すぎて他を圧倒しすぎ。ピアティゴルスキーは何をやっているのかよくわからなくなるところがあるが弾けてはいるのである。悪くはないが、感動的な曲のはずなのに何も残らない、しいていえばやはりルビンシュタインの表現に尽きるか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,○プルデルマシェ(P)ジャリ(Vn)トゥムス(Vc)(EMI)CD,,クラシカルなピアノトリオ編成の演奏としては珍しく、主張のし合いで衝突したり、逆に機械的に客観的態度を貫くようなこともせず、アンサンブル的なまとまりがある一方で熱気があり素直に盛り上がる。入り込み易い。フェヴリエの繊細さに溌剌とした動きとスピードをくわえたラヴェルの権威プルデルマシェールはやはりいいし、弦楽器ふたりも決していい楽器で高度な技巧を示すのではなく素直に音楽に腕をゆだねている(このヴァイオリンの音はいい音とはいえないが羊の腸の音がする。古ぼけていて「私は好き」、たぶん私の音を聴いた人はそうだろうなとか言うだろうなあ)。CDはやはりデジタル化により音が痩せて金属質になってしまうから、やや旧いアナログ録音の演奏を聴くには適さない。この音はアナログ向きだ。○。HMVだと1000円切ります。,,http://www.hmv.co.jp/product/detail/1977437,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,○ペルルミュテール(P)ゴーティエ(Vn)レヴィ(Vc)(TAHRA)1954/5/7・CD,,録音の悪さが如何ともしがたい。しかしこの類稀なる面子による演奏はいずれの奏者もきらめくようなそれでいて力強いタッチで曲を描ききっており、オールドスタイル(といってもペルルミュテールの非情緒的な美しい音に象徴されるようにあくまで「ラヴェルの時代の」である)の演奏としては破格の出来である。技術的にも三者じつにすばらしい。三楽章の冒頭からのチェロの音程がやや低い感じがする。これがなければ◎にしたところだが、録音撚れだろうか。一聴の価値あり、ペルルミュテール全盛の覇気と雅味の感じられる演奏。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,○ボルツァーノ三重奏団(WESTMINSTER),,繊細で美しいのである。かといって怜悧に整えられた演奏ではなくオールドスタイルに近い感じのする演奏だ。フランスの団体かのような音の透明感と温かみがあり、メンバーの技量もセンスもマッチしていて変な突出や歌いこみは聞かれない。ラヴェルはこれが基本的には正しい筈である。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,○メルケル、マルチェリ・ハーソン、ズーフルー・テンロック(gramophone)SP,,地味さは否めないが時代からするとすっきりした演奏で纏綿とした重たい演奏にはなっていない。微温的な音色に表現で良い意味でも悪い意味でも引っかかりはなく、ただこういう演奏であれば音が良くないとどうしようもなく、正直このSP音質でこのスタイルでは音楽的に耐えられる人は少ないかもしれない。参考にもならないような演奏ではあるが、ほぼ同時代の演奏としてこういう古臭くも先鋭でもない英国ふうの演奏もあったのだという認識をさせる価値はあるか。○にしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,トリオ・ド・フランス(ゴーティエ(v)レヴィ(c)ジョワ(p))(belle ame)1965/3/13ラヴェル生誕90周年ライヴ・CD,,荒っぽい。音程を犠牲にして感情を全面にあらわすゴーティエ、レヴィも音程はイマイチというかどちらもオールドスタイルな演奏様式で、懐かしく心打たれるものの、濁った響きはやはり気になる。ライブでは心をひかれるたぐいのものであろう、ライブ記録なら仕方のない精度で、それより曲の本質的な部分をえぐりだすさまに感動すべきだろう。本質なんて主観的な比喩にすぎない言葉だ、ここでは両義的に。向こうの演奏家は息の長いフレーズを大掴みにして細かなフレージングの綾、起伏を織り込みれんめんと、聴かせるのはほんとに上手い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,トリオ・ド・フランス(ゴーティエ(v)レヴィ(c)ジョワ(p))(ina配信)1963/9/10放送 live(映像),,作曲家紹介番組の白黒映像で3分程度解説のち直ぐ演奏となる。まず状態からいうとたまにノイズが入り決して良くはない。さらに映像と音に僅かな時間差があって明確なアタックで弓の動きより発音が先行してしまう点ちょっと見づらい(ダウンロード版なのとこちらの再生環境によって差が出る可能性は否定できないことはお断りしておく)。だがこの曲のフランスの、同時代と言ってもいい流儀の演奏を観られるというのは計り知れない価値がある。ヴァイオリンの弓使いだけでも、ピアノの指使いだけでも、チェロはいかにもアンサンブルチェリストで押しが弱いが非常に融和的、そのアンサンブルの調和っぷりを視覚で確かめられるのは価値が大きい。,,ゴーティエはいくつくらいの時だろう、さすがに左手指、弓使いの不安定さ(後半楽章では安定してくるが肘位置や弓筋の揺れは奏法起因と言っても鈴木ヴァイオリン的には気になるだろう・・・個人的にはこのての奏法で、さらに弓の毛をドイツ的にびんとは張らず斜めから柔らかく弦にあて柔軟に面積を変えながら、弓ではなく弦から最大限に豊かな倍音を引き出すべく「撫でるように」弾くことで、運弓上アクセントが犠牲になることはあっても懐かし気な芳醇な音が出せるので大好きなので当然それを板について実践しているゴーティエが嫌いなわけはないのだが今は実践できないので冷徹に、これ以上言わない)はきついところがある。非常に曲慣れしていてほとんど譜面などいらないような適切俊敏な反応をしているので(これも映像があって初めてわかる)、一番気になるのは2楽章冒頭及び再現部でのフラジオ混じりのスピッカートで、実音の方の音が雑音化あるいは出ていない、というところだが弾いている姿を見るとこの弾き方なら機械的な発音ができないから(これも非常にうなづけたところで私はその音のために全部弓元でガシガシ飛ばしていた(そうしないと飛ばない)ので正確(精緻)な音は出にくいがやたら音圧は出た、まさにその音色が出ている、って大先生に滅相もないことを以下略)、これでもピアノ三重奏曲という編成ではもともと各楽器の実によくバランスのとれた構造の曲なのだが、それでもここは意識して大きく発音して印象付けないとならない、そのためのやり方で、仕方ないところもある。豊かな倍音と言ったが音量が出るということではない、むしろ小さくなってしまう。ゴーティエの音は決して太くない。むしろ柔らかいがゆえ細く聴こえる人もいるだろう。,,非常に曲慣れしていると書いたがゴーティエに限らない。この映像ではトリオ名が明確に示されているが私が持っている盤は三人の名前がただ並んでいるものばかりで、もっともフランスやロシアで団体名は後から付けたので当初そういうバラバラだったのが印刷上引き継がれてしまった例は他にもあるが、その場合えてしてアンサンブルに(プロレベルでの)難を感じるものの、この丁丁発止というか融和的な(音色的にも絡み合い的にも)高度なアンサンブルは、やはりちゃんと名のついたトリオとしての活動をしっかりやっていた証左だろう。三楽章はしっとり聴かせるが四楽章で次第にピアノが主導権を握っていき終盤には弦二本を従えて高らかに宣言する、こういうところではジョワのルフェビュール(ルフェーブル)的な腕、美しく粒だった音がはっきり響き渡り、結局ジョワが持ってってるよなあ(それまでの楽章での際立った安定感込みで)と思う。全般、他の録音でも書いたが、ゴーティエに荒さはあるが、それはライヴ感を引き立てるものにもなっており、フランス派の音色と(悪い意味ではなく)スリリングなアンサンブルを楽しむに十分で、なおかつ映像であれば貴重というより他無い。ちょっと値上げしたようだが機会があれば買って観てください。,,"アフィじゃないですよ(直接リンク)>ここ",-----,,,-----,,,-----,
ラヴェル:ピアノ三重奏曲,トリオ・ド・フランス(ゴーティエ(v)レヴィ(c)ジョワ(p))(pretoria/FORGOTTEN RECORDS)1958,,SP(LP)録音と同じと思っていたのだが音が新しく別の録音だと思われる。演奏自体も落ち着いており、粗が無い。とくに一楽章と三楽章の、悲しみを湛えた優しい音楽は亡きものへの密かな想いに応えうる名演である。二楽章も他で聞かれる雑味が無くしっかりできている。このトリオでは引き気味のチェロも明確に絡んできておりゴーティエの技巧も表現力も冴え(音は若干痩せているが)ピアノとの音量的なものも含むバランスも良く、同曲を奏でるならまさにこうすべき、と感じるところ多々である。もちろん年齢や時代から現代の演奏と比べ技術的に万全ではないが(ピアノとチェロは良い)、このトリオのライヴを含む記録では一番良いのではないか。四楽章で疲れが見えてしまうのは惜しい。FORGOTTEN RECORDSがフォーレのトリオとともにCD-R化している。このLP復刻レーベルは発掘はやらないようだがLP以降のフランス盤の板起こしはかなり徹底してやっている。私は今は板起こしまで手が回らないので巡回してませんが、カタログは最新版しか無い直販サイトより国内のアリアCDなどのページを見た方が良い。(動画共有サイトなどwebで聴けますが),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:フォーレの名による子守唄,○C.ボナルディ(Vn)ノエル・リー(P)(ACCORD)1987・CD,,ほとんどサティのようになってしまうピアノが美しい曲だ。ラヴェルは凝縮された時間の中で最も特質を発揮する作者のように思える。管弦楽法の大家というのはあくまで技術上の姿であるように。ラヴェルにとってはあくまで筆のすさび的な「〜風に」に似た「遊び」の範疇にある曲にせよ、抽象的な思考と感傷的な表現を可能とするものだけに、センスが問われる。この演奏はピアノが素晴らしい。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:フォーレの名による子守唄,○ドゥーカン(Vn)コシェ(P)(ERATO,warner/tower records)1960頃・CD,,雑誌企画モノ(贅沢な時代だ)の小品だが譜面がどっかへいってしまうほどペラッペラな紙におさまる2分半。音列はもちろん無調的、そこへ耳優しい初期ラヴェル風の和声を乗せてオーダメイド臭ふんぷんだが、フォーレ的な音線と響きの紡ぎ方、更に最後は単発の和音だけでフォーレというよりサティになる。まあ、これをブラインドテストしたらサティと言う人は多いだろうな。この演奏家だからこそ特にサティのようなとんがった硬い響きが耳に突き刺さるのかもしれない。曲にあっている演奏。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ボレロ,コッポラ指揮グラモフォン・グランド交響楽団(LYS/EMI)1930/1/8初録音盤CD ラムルー管と自作自演レコーディングを行う直前のラヴェル立ち会いのもと録音された盤であるが、ラヴェル自身の演奏とはけっこう趣が違っている。最初はなんだかだらしない感じでリズムもしまらない。ソリストとオケがずれてくる珍妙な箇所も織り交ざる。これは録音のせいと信じたいが(無理あるが)、楽器が増えてくるにつれ、ソリストにもよるがとても懐かしい音色でヴィブラートをバリバリに効かせたり面白い。テンポに瞬間湯沸かし器的な抑揚がつけられているところがあるが、これなどラヴェルが認めていたとは思えないのだがどうだろう。EMI盤のライナーによると録音は終盤まではごく平穏に進んでいったという。だが終盤でラヴェルは突如コッポラのコートの端を掴み激しく抗議した。M&A自作自演集のライナーによるとコッポラがテンポアップしたことが逆鱗に触れたらしい。結局録りなおしになったそうだが、その結果は聞けばわかるとおり依然速い。但し15分38秒というタイムは自作自演盤とあまり変わらないので、このくらいがラヴェル想定範囲内だったのだろうか。単純に速いから非難したわけではなく、クライマックスで譜面に無いアッチェランドをかけたことに怒ったのだろうと思われる(それほど違和感無いが)。ちなみにラヴェル晩年のお気に入りだったフレイタス・ブランコの録音はラヴェルの指示をよく守ったものと伝えられるが(たぶん根拠なし)、史上最遅の演奏と揶揄されるおっそーい演奏。トスカニーニと衝突したという話もまさにコッポラと同じテンポが速くなりすぎるという作曲家のコメントからきたわけで(結局ラヴェルが納得し和解したが)、「速さ」に何かしらこだわるところがあったのだろう。ひょっとするとイダ・ルビンシュテインのための舞踊音楽という本来の機能を顧みるに、連綿と踊るには余りに速くなりすぎだ、という感覚が働いたのかもしれない。まあ単純に譜面に無い事をやるなということだったのかもしれないけど。ラヴェルは完璧主義者であり、試行錯誤を繰り返し悩み磨き抜いてやっと作品を仕上げることが多かった。そこに奏者が安易な解釈を入れてくることに抵抗があるのは当然のことだったのかもしれない。ラヴェルはのちにコッポラに、奏者は自動演奏機のように演奏すべきだ、とのたまったそうで、これはストラヴィンスキーの「奏者は奴隷である」という発言に繋がっていくわけだが、それほどに音楽が複雑化し、一方で演奏技術も向上して様々な表現が可能になった20世紀という時代の持つ矛盾を象徴するものであった。コッポラは元々速いテンポで感傷を排した演奏を行う即物的指揮者だったが、感情のままに突き進んだとしか思えない録音も少なからずあり、ラヴェルとは到底相容れないスタイルの持ち主だったとも言えるかもしれない。トスカニーニほどの説得力も持ち得なかったのだろう。話しがずれたが、最後の方で盛大に盛り上がる所では最初の音像の不安定さもなくなりラヴェル自身の演奏同様毅然としたリズムで威厳をもった旋律が進んでいく。このころのオケなので音色的なバラバラ感は否めないが、当時最高の録音技術によって録音されたこの盤は決して今のオケでは聞けない歴史的価値プラスの何かを持っている。といいつつ無印。オケはレコード社グラモフォンの専属オケでコッポラはこのタッグで精力的に録音活動を行い大量の骨董録音を遺している。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,コッポラ指揮グラモフォン管(ラヴェル監修)cascvelle他,同上,オケはレコード会社のブランド。当時録音指揮者として名を馳せたコッポラが作曲家立会のもと録音。SPは収録時間の問題で早くなりがちだが不断のテンポで進む。実直で事故も厭わず音量も変わらず。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ラヴェル:ボレロ,○作曲家指揮ラムルー管弦楽団(EMI他)1928,,数日前コッポラが初録音を行っており意識はしていたと思う。四角四面の指揮でわかりづらかったという話も聞いたことがあるが、ボレロについてはそれが意図であったのだろう。気を煽らないテンポへの拘り。管に変な演奏の人が,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○作曲家指揮ラムルー管弦楽団(MUSIC&ARTS他)1930/1CD PHILIPS盤評参照,同上,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,作曲家指揮ラムルー管弦楽団(M&A/PHILIPS他)1932/1・CD ,同上,(後補)ラヴェルは一回しか録音していないので、ここで述べられている二つの復刻音源の違いは明らかに原盤が違うか再生条件違いです。それを前提に生暖かく読んでください。あと、日本盤SPからと思われるものを含む独自復刻音源がyoutubeで聴けます。明らかに権利切れ音源ですのでご興味があれば安心してどうぞ。,,M&A盤16分6秒、PHILIPS盤15分30秒。この二つの録音は録音状態がかなり異なり、恐らく別のものだと思われるが、同じものが別々のSPで出された可能性も否定しきれないので(30秒程度の違いはSP盤の繋ぎかたや余白の取り方、回転数の微妙な差異で発生する可能性は十分にある)前もって断っておく。前者には詳細な記述があるが後者のライナーはアバウトで録音年以外の詳細がわからない(このころの盤の録音年表記は発売年と混同されたりもしていたようだ)。両者とも共通するのは不断のテンポ。まったく揺れることなくひたすら固持されるテンポが、最後には毅然としたボレロの舞踏に巧くハマってくる。ひとつひとつの音が強く、びしっと縦が揃えられているから尚更厳しく、また一個所ホルンソロのグリッサンドがわざとらしく入るところ(8分前後のところ)以外での感傷性は一切排除されている。しいていえば録音状態と楽器本来の音色が結果として感傷的な雰囲気を持ち込むくらいのものだ。ここまでは両者同じ。ここからは主観的に違いを言うが、前者はややバラバラ感がある。四角四面のリズムにソリストがぎくしゃくと乗ってくる、結果オケとソリストに微妙なテンポのズレが感じられるのだ。ただ、録音のせいということも否定できない。録音が不明瞭なためにそう聞こえるだけかもしれない。全般にはしっかりした演奏である。後者はまずピッチがやや高い。これは聞き比べるとけっこう違和感を感じる。ひょっとすると30秒の差はここであっさり吸収されそうだ(但し他の部分で両者の進み方にはズレがあり、合計時間だけではいちがいに言えない)。何よりこちらで気になるのは雑音。雑音のレベルが高いので聞きづらい。しかも、SP盤の継ぎ目が余りにはっきりしすぎている。ガラっと雑音の聴感が変わったりして少々興を削ぐ。ただ、M&A盤より音がちょっとだけクリアであり、M&A盤で書いたホルンのグリッサンドもしっかりテンポにハマってなんとも言えない独特の味を加えて聞こえる。念を押すような音の入れ方(ひとつひとつの音符でいちいち思い直すようなアクセント)が明瞭に聞き取れ、後年の他の演奏者とは違う個性があらわれている。こういう演奏を目指していたのか、と目から鱗が落ちます。雑音を加味して前者のみ○とします。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ラヴェル:ボレロ,○メンゲルベルク指揮ACO(pearl他)1920/5/31・CD,,pearlレーベルは新しいものでもダメだ。このCD(90年代末)も肝心のこの曲の中間部分が思いっきし劣化していた。古い日本盤企画(andanteや最近のものじゃなくて)「メンゲルベルクの芸術」にも収録されているものだが、そもそも90年代初頭モノでは日本盤でも信用できない。80パーセントは聞ける状態にあるし、クライマックス前に復旧するのと他のトラックには影響はないようなので(ほんとに劣化か?)何とかとりあえず手段を考えようとレーザーの強力な(?)ドライブを探しているところである。演奏自体はかなり満足いった(だからこそ残念なのである)。パールにしては音もいい(だからこそ残念なのである)。聞きやすさは他のマイナーSP板起こしより上だろう。パワーには欠けるが元々パワー溢れる演奏ぶりであるからいい。メンゲルベルク(のとくに30年代くらいまでのSPモノ)の特徴は、,,1.速い,2.ポルタメント,,の二点である。速さはもちろんSPという収録時間をケチる媒体の特性上の理由もあることだろう。颯爽としたテンポに、弦の頻繁なポルタメント(統率が凄い)を織り交ぜたかなり強烈な揺らし(舞曲的な揺らし方である)をしなやかに織り交ぜてくる。そのためコントラストで「情緒纏綿」といった印象を受ける。じっさいはそれほど物凄くロマンティックに揺れることはない。基本は力強く突き進む、である。ボレロは殆ど音量変化は聞き取れないが(というか劣化のせいかもしれないが途中でいったん音量が落ちたりする(泣))ひたすら突進する音楽の楽しみはまさにショスタコのレニングラード冒頭を彷彿とする「軍隊行進曲」で、小太鼓の鼓舞にしたがって音楽は突き進み盛り上がる。かといってミュンシュなんかの芸風と違い恣意性の目立つやり方をしていないしオケの音色も統一されまとまりがいい。とにかく全般かなりいい。「メンゲルベルクの芸術」のこのトラック、誰か聞かせてくれないですかねー(笑)◎にした可能性をのこして○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----
ラヴェル:ボレロ,○メンゲルベルク指揮ACO1930年5月31日の有名な録音(pearlほか、最近物凄い廉価盤にも収録),同上,コッポラやラヴェル自身の録音と同時期だが、まるでカルメンとかそのへんを聴いているようなキッパリしたカッコよさが多分ラヴェルの気には入らない。トスカニーニよりハマっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ラヴェル:ボレロ,○ウォレンスタイン指揮ヴィルトーゾ・シンフォニー・オブ・ロンドン(AUDIO FIDELITY)CD,,これがウォレンスタインの廉価盤にしては音がよく(ブラームスとか音の悪い盤もある)演奏は言わずもがなの引き締まった、激しさも併せ持つもので非常にいい。どこをどう、という批評はしづらい曲だが(ソリストの腕でどうこう言う声が多いのはそのせいでしょうね)この演奏はバランスがとれているというか、パリとか南欧とかアメリカとか、どっちに転ぶわけでもなく正しくこの曲のイメージを表現している、としか言いようが無い。初めての人にも薦められます。○。タワーがこのレーベルを長く売ってくれているおかげで、ウォレンスタインがルビンシュタインの伴奏指揮者というイメージから外れて評価されることを祈ります。このCDは長く品切れ状態だったが今は店頭に並んでいる。オケはLPOか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ボレロ,○アルベール・ヴォルフ指揮パリ音楽院管弦楽団(DECCA/LONDON/NARROW RANGE:CD-R/Eloquence Australia)1950年代・CD,,フレイタス・ブランコのウェストミンスター録音に近いものを感じる。テンポはあれほど遅くはないが、割合とクリアな録音がゆえに最初から最後まで細部が明確に聞き取れ音楽が多彩に聞こえるのと、はっきりとしたリズム表現に強い描線がブランコの演奏の威厳に近いものを感じさせるということだろう。若い頃のスピードこそないものの、情緒的に揺れない客観性が情緒的な音色変化とバランスをとり進むさまは変わっていない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(london)1963/4アンセルメもちょっと不思議な距離感をもつ指揮者だ。バレエ・ライクでリズミカル、感情的な演奏もあれば、至極客観的で節度の有る、言ってしまえば「面白くない」透明な指揮をしていることも多い。ラヴェルにおいては前者の色が強い感じがするが、独特の恣意性がはさまるのが特徴的ともいえよう。ワルツ音楽における独特の「間」、あまりにはっきり意識的に入れているがために、現代音楽ぽい雰囲気すら持ち合わせていて面白い。この「ボレロ」も独特。響きはスイス・ロマンド特有の無味無臭といった感じでは有るが、徐々に迫り来る音響は非常に明瞭で、ラヴェルの精妙な和声を巧妙に再現しており出色だ。ピッコロの不協和なひびきが自然に聞こえてくるのが嬉しい。なかなかです。しかし圧倒的というまでにはいかなかったので○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○ウォレンスタイン指揮LPO?(LEF他)CD,,恐らく板起こし。しかし音質は柔らかく透明でいい。オケマン出身指揮者だけあって山っ気というかシロウト臭い解釈を入れずアンサンブルの調和を重視する点で聞きやすさがある。テンポは実直に速めのインテンポ、奇をてらわない演奏振りは好感が持てる。それだけに繊細で美しい響き、とくに木管はさすがロンドン・フィルの精妙な表現が生きてきている。最後も派手になりすぎずバランスが非常にいい。スコアを厳しく音にできれば変な伸び縮みを入れなくても十分効果的に仕上がるのがラヴェルなのだ。○。指揮者としての腕より曲への真摯さが伝わる演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(URANIA)1953/3/22早いテンポで押しまくる演奏は私は好きだ。だがこの盤ピッチが高いのが気になる。雑音も継続的に入るし、ウラニアのCDにしてもいささか条件が悪すぎる。オケの好調、シャープなオーマンディの指揮ぶり(とくにリズム感のよさ)を加味して○ひとつとしておく。このころのオーマンディは凝縮された力感がある(モノラルのせいもあろうが)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○カンテルリ指揮NBC交響楽団(MUSIC&ARTS)1952/12/15LIVE・CDかなり速い。軽快だ。カラッと乾いていて、じつにあっけらかんとしている。まさに南欧ふうだ。ブラスにミスが目立つが全体の流れを妨げるものではない。この速さはラヴェルなら怒るだろうが客席は拍手喝采ブラボーの嵐。○。ちなみにこの録音、CDのオモテ面に記載が無い。最近ままある現象だが、収録時間の問題で入れるか入れないかもめたのだろうか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○カンテルリ指揮NYP(ASdisc)1954/3/19live・CD,,打楽器的な演奏というか、とてもリズムが明瞭で切っ先が鋭い。録音はやや悪いがカンテルリの(色艶はなくとも)鋭敏な耳と確かな腕がオケを細部まで統制しきった演奏ぶりがうかがえ、演奏者も盛り上がれば聴衆も熱狂する。NYPにこういう演奏をさせるだけでも凄い。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ボレロ,○ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(WEITBLICK)1985/5/9,10・CDなかなかラヴェルらしい演奏になっている。ケーゲルはラヴェルをけっこう演奏していたようで、「子供と魔法」なんかもあったと思う。理知的で合理的なラヴェルの書法はケーゲルの几帳面でエキセントリックな解釈と意外と相性がいい。快く聴きとおせる演奏です。言われるほど凄まじいというわけではないが、冷たい肌触りがする独特の熱演と言っておこう。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○ゴルシュマン指揮ラムルー管弦楽団(PHILIPS),,やはり構造の見えやすいクリアな演奏ぶりで、直線的で情緒的な揺れのなさ、曲そのものの持っている力だけで聞きとおさせる啓蒙性には、アメリカで活躍したのがうなずける。「棒吹き」にはやはりどうも違和感があるのだが、各ソロ楽器の名技性を数珠つなぎしていくだけが能の曲でもないだろう。こういう演奏のほうがラヴェルの理想に近いのかもしれない。けっこういいです。情緒派には薦めないけど。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,◎サバータ指揮ニューヨーク・フィル(FONIT CETRA他)1950/3/5LIVE「子供と魔法」の初演で作曲家の絶賛を受けた指揮者の演奏である。これはいい。録音はウィーンの「ラ・ヴァルス」に輪をかけて悪い(というか音場がかなり狭い)が、音像が安定しているので聞きやすい。早めのインテンポで進む演奏で、リズムがきわめて明確で音響は決然としており格好がいい。クライマックスで長い音符が僅かに引き伸ばされるほかは人工的な彫刻が無いのが却って個性となっている。とにかく強い発音がメリハリを与えて聞く者を飽きさせない。打楽器要素を目立たせるのもこの人流儀、オケもこの指揮者とすこぶる相性がいいようだ。最後フライング気味に入るブラヴォーの嵐がすさまじい。◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,◎スヴェトラーノフ指揮ボリショイ劇場管弦楽団?(MELODIYA)1960'?個人技の曲である。ロシアオケにとってはお手のものだ。中には余り曲に共感していないようながさつなフレージングの楽器も混ざるが、総じて特徴的な音質、適度な前進性、ひずんだ音響があいまって、とても面白い演奏が出来上がった。弦楽器が余り浮き立ってこないのも面白い。恐らく意図的なものなのだろうが、却って新奇な感じがして格好良く感じた。開放的に豪放に鳴り響いて終わるような激情的な演奏ではないが(スヴェトラーノフがまだ直截であったころの演奏である)、聞いた後に何かしら残る演奏。わたしはとても気に入った。◎。ステレオ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(SCC:CD-R)1969/5/4live,,効果を狙った極端な音量操作が非常に気になる・・・とくにスネア以下パーカスの突発的表現。また、ラヴェルにたいする挑戦のような変更に近いものも散見され、ストコフスキ・クレッシェンドで極限まで引き延ばされる終止和音のあざとさはブラヴォを叫びたくなくても叫ばせるたぐい。オケミスは非常に多いし余り誉められたもんでもないが、不断のリズムはけっしてよれることなく迫力を積み上げていく、これは凄い。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団?(DA:CD-R)1967?live,,クレジットに無いものが入っている場合もあればあるべきもんがない場合もあるこのレーベル、クレーム出しておいてから、しっかりこのクレジットなしトラックについて書きます。多分67年のフランスの放送ライヴ。ラヴェルは正直、ギリギリアウトの不協和音を駆使した作曲家だと思う。そのアウトをセーフに聞かせるのに非常に繊細な各楽器の音量操作がいる。だがストコははっきりいって「アウトでいいのだ!」と不協和なコードを立体的にはっきり響かせてみせる。これは録音のせいでもあろうが却って現代性が引き立ち面白い。ただ、最初からそんな調子なので一本調子にそのまま高みのパレードで終わってしまう平坦さはある。だが面白いことは確か。録音よし。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(LIVE CLASSIC)1982LIVEかなり聞き易いインホール録音。音響バランスがいびつな感じがするのは私だけだろうか。ピッコロが鋭い不協和な音をたてる場面、私はこの中間音を抜いた硬質な響きが好きなのだが、この演奏ではあまりに強すぎて不協和性が強調され、むしろ耳障りの悪い音楽に聞こえる(このへんのさじ加減が微妙なのだが・・・録音だとそれがいとも簡単に崩れてしまう)。チェリのバランスのせいでなく、録音のせいと信じたい。なかなかしっかりとした量感のある演奏で(この録音に限らずだけれども)、晩年は精巧な構築性が持ち味だったチェリのまさにそういうところを感じさせる。音色が若干地味なので(ていうかこれが普通か)派手な南のオーケストラには負ける気もするが、機械細工のような冷たいラヴェルに聞きなれた向きにはおすすめ。にしても私はチェリのフランスものを聞きすぎていて、新味を感じないのがいけない。チェリ・マニア以外は2枚(モノラルの南欧ライヴとステレオの新盤)あれば十分でしょう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(TOPAZIO)1975LIVE・CD,,MORGAN'Sの4/11録音とされるものと同じ可能性あり。チェリビダッケのボレロであり、ブレは無い。前進的でガツンガツンと盛り上がっていくが、かといって何か徒に気を煽ることについては抑えているようでもある。音質は70年代にしてはいいステレオ。拍手はすごい。オーソドックスに楽しめるが、ほんらい求められるボレロではないかもしれない。○にはしておく、今回は。ほかにフィンガルの洞窟が入っているが、更に後年のマーラーの亡き子が著名な海賊盤CD。まとめてCDR化されたと思う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(MORGAN'S:CD-R)1975/4/11LIVE,同上?,引き締まったオーソドックスな演奏で、晩年のものとは違い前進的ではある。ブラヴォが物凄いけど、正直かなり茫洋とした放送エアチェック録音のせいか特筆すべきところもなく、平板で平凡な演奏に聞こえる(精度は認める)。左のチャネルが拍手に入るまで(つまり「終演後」まで)少し弱く聞こえるのも気になる。盤として無印。他盤と同じ可能性あり。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ボレロ,○チェリビダッケ指揮デンマーク放送交響楽団(放送)1971live,,確かCDで出ていたと思われるが最近webで出回っている映像。まだ精力的に棒を振り回し長い髪の先から汗を飛び散らかして音楽をドライブしていく若きチェリの勇姿が見られる。神経質に細かい指示を与えていく晩年のスタイルの萌芽はみえるがまだまだフルベンスタイルに近いと言えるだろう。ソリストのピッチがあわず、一部珍妙な歌い回しを厳密なリズムの中に押し込んでいく者もいて面白い。イタリアオケを振っていた頃を思い出させる。過渡期の演奏ではあるがわりと満足げな表情で終わるところをみるとそれなりに納得はいっていたのだろう。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:ボレロ,○チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(EMI)1994/6/18LIVE踊りの音楽ではない。几帳面にぴっしり揃えられた音楽であり、軍隊行進曲に近い。しかしながら聞き進めるうちに心地よく浸ることができるようになってくる。テンポの遅さも後半になるとまったく気にならない。足踏みするような感じは最初の方は気になるが、音楽が流れていくうちに前進性も伴ってくる。ボレロの面白味を引き出すたぐいの演奏ではなく、ボレロという音楽そのものに立ち返らせるような演奏ではある。それは過去の演奏も同様ではあるのだが。海賊盤で出ている演奏よりも純粋であり、また録音も最上である。スケール感も無駄に大きいのではないのがいい。最後の最後で雪崩落ちるところのテンポがはじめて少しルバートするところが面白い。たぶん他盤では聞けない。ブラヴォー拍手は盛大だ。注目盤。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(VON-Z:CD-R)1994live ,同上?,やや引き気味に聞こえる弦楽器が物足りないが、そこにいたるまでの各ソロ楽器の、自主性はないが完璧なハーモニーをもたらすアンサンブルの妙、もちろんソロとしての技量にまったく不足はなく楽しめる。爆発的エンディングは残念ながら客席のブラヴォーほどには伝わってこないがホール録音というものの限界だろう。恐らく既出盤だと思うが正規と聞き惑うほどに音がいい。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ボレロ,チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(METEOR)?,同上?,録音がまたしてもラジオ・ノイズにまみれ、冒頭の弱音部が聞きづらい。でも演奏は次第に盛り上がり、音が気にならなくなる。規律正しいテンポ感、安定感有る音響、破壊的とまではいかないし、世評のように圧倒的に壮大とも思わないが、とても整えられた演奏で聞き易いとは思う。思ったよりまともな演奏で正直拍子抜けしたが、終演後の熱狂的なブラヴォーと拍手の嵐はすさまじい。たぶん演奏の凄さを録音がとらえきれていないということなのだろう。生で聞くと全く違ったろう。そんな想像をさせる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,チェリビダッケ指揮ミラノ放送交響楽団(HUNT・ARKADIA)1966/2/11LIVEじつに律義で堅固なテンポの上に四角四面の音形を載せていくチェリ。独特の解釈だ。オケがラテンなのでそれだけでも瑞々しいリズム感を持っているはずが、チェリはあくまでドイツふうに「遊び」を許さない。結果として自由に謡いたいオケと独自のテンポを崩さない指揮者の間にとてもスリリングな関係が構築され、いびつな結果が産み出された。どちらかに偏ればまだ聞けるものを、こう拮抗していると少々疲れる。たとえばヴァイオリンが追加されるところであえて音量を抑えて下品なクレッシェンドを避けていたり、縦のハーモニーを意識して各パートに繊細な音操作を加えているなど、面白いことは面白いのだが、奏者が混乱しているところも聞かれる。単純な音形の中にちょっと細かい音符が入るとバラけるのはそれ以前の問題だが。ライヴで聞けたら異常に透明で繊細な「チェリの音」を味わえたろうが、録音が悪くてどうにも不満。最後いささか軍隊調で幕を閉じると、異常なブラヴォー渦にびっくり。ブーイングも少し混ざって、ミラノはこの日も熱かったようだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○チラーリオ指揮ルーマニア放送交響楽団(ELECTRECORD)CD,,ラテンっ!最初はおとなしく規律正しい演奏振りでむしろつまらないかもと思ったが、クライマックスは豪華なイタリアオペラの一幕を見るように派手でかつ威厳ある表現が無茶かっこいい。前半マイナスとしても十分後半だけで○はつけられる。録音は遠くあまりよくない。イタリア指揮者の面目躍如、オケも脂っこさがないため聞きやすい。ぐちゃぐちゃに歌うたぐいの演奏でも、がちゃがちゃに鳴り響かせるたぐいの演奏でもないが、かっこいいとだけ言っておく。若き王子の颯爽たる戴冠式行進曲。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○デゾルミエール指揮チェコ・フィル(SUPRAPHON,EURODISC)LP,,流れるように軽快に進むボレロで、ピッチが若干高いのが気になるが、微妙に(音色的に)洒落たニュアンス表現がいかにもフランス風のエスプリ(の微温)を感じさせる。それにしてもテンポ的には一切揺れないラヴェルに忠実な演奏と言うことができよう。リズムセクションが極めて明瞭で引き締まった表現を見せており、水際立った演奏ぶりでダレを防いでいる。技術的には完璧に磨き上げられており凄い。ホルン以外は非常に上手いと言い切っていいだろう。最後まで律義で軽すぎて派手な歓興には欠けるが、清々しさでは他に類を見ないものだ。クライマックスで旋律の一音一音を短く切ってリズムを際立たせるのはいかにもリズム感重視のデゾならではの機知だろう。いかにもこの人らしいラヴェル、好悪分かつと思うが綺麗なので○。再掲。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:ボレロ,○デゾルミエール指揮チェコ・フィル(SUPRAPHON)CD,同上,素気ない速いテンポ、明晰な発音。スプラフォン盤は加えてくぐもった音響と弱音部の強調(大きすぎる!)という録音上の悪条件が加わる。チェコ・フィルのソロ楽器のレベルの高さがはっきり伺えるこのボレロは、和声的なバランスがよく、リズム感もすこぶるいい。ソロがよく歌うし(ホルンの謡い廻し!)チェコ・フィルにしては異例なくらい色彩感がある。パワーこそ足りないところもあるが(弦!)抜けのよい音が心地よく、クライマックスでも気品を失わない演奏となっている。貴族の行列を観覧しているみたいだ。こういう「味」は今の演奏ではめったに聞くことができないものだ。旋律の独特の歌謡的なフレージングが耳に残った。○。現在中古LPで容易に入手可能。(2003/12記),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○デルヴォ指揮NHK交響楽団(KING、NHK)1978/11/17LIVE・CD,,最初はやけに遅く朴訥とした表現にやはり・・・と思うが、ラヴェルの意図通りというか、まったく揺れないテンポに甘さのない音色を固持して踏み外すことを許さない、果てにスコア通りの積み重なりが破壊的な迫力をもたらす。デルヴォはケルンの録音が有名だが、冷血なまでに真面目な演奏として特筆できる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○デルヴォ指揮ハンブルグ・フィル(EURODISC)LP,,不断のテンポに違和感はないのだが、音の切り方がすべてスパッと切り詰めすぎいささか堅苦しい。デルヴォにしては率直な演奏だがいくつか違和感ある表現もあり、ロマンティックというよりは人工的だ。オケのドイツぽさが露骨に出ているため重く、遊びに欠けるようにも聞こえる。やや技術的問題もはらむ。全般ボレロはこうやるべきというものにわりと忠実だが、反面面白みを失ったか。カタルシスいまいち。録音良好。広く見て○にはすべきか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(MUSIC&ARTS)1939/1/21LIVE・CD,,テンポが速すぎると文句を言った作曲家を、腕ずく(もちろん「演奏」という意味ですよ)で納得させた(とロザンタールが言っていた)トスカニーニのなぜか唯一の記録。30年代にしては破格のいい音だと思う。これはもう各ソロ楽器がトスカニーニの敷いた線路に乗ったうえで勝手にそれぞれ表現しつくしている感じがして面白い。つじつまがあうギリギリまでテンポを揺らしかっこよく歌いこむ人もいれば、つんのめり気味にどんどん先へ突き進もうとする人もいるし、ボレロらしくきっちりインテンポを守る人もいれば思いっきり音を外して恥をかいている人もいてさまざま。こういう楽器おのおのの表情変化を楽しむ曲だ。面白い。,,トスカニーニに「不断のテンポ」があるかといえばそうでもない。長い長い旋律の後半部分でシンコペから3連符に入る音の高いところ、必ずテンポを思い直すように落としているのだ。これは・・・現代の耳からすれば違和感がある。これは踊りの音楽である。こういう盛り上がりどころでのスピットなリタルダンド挿入というのはどうなんだろう?更にクライマックスあたりでもいっせいにテンポを落とす箇所がある。こうなるとトスカニーニ解釈ここにありというか、前近代的なロマンティックな解釈とは隔絶した硬質さはあるのだけれども、まるでムラヴィンスキーのように(影響関係逆だが)確信犯的で予め準備された「崩し」が入るところに独特の作家性を感じるし、違和感はあるけど、それなりに面白くもある。最期はもちろんブラヴォー嵐。何度聞いても面白いですよ。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ラヴェル:ボレロ,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(bescol)?唐突にあらわれたバルビローリのラヴェル集。モノラルだが、手元のディスコグラフィー(HUNT[MUSICAL KNIGHTS])にもまったく書かれておらず、ライナーもないため、出元も年もさっぱりわからない。まあ、ホンモノだと信じて素直に音楽を楽しもう。ハレはハレとは思えないほど精妙に音を重ねて行く。各ソロ楽器の艶めかしい音が「これってハレ?」と聞き直してみるくらいに綺麗に響いている。指揮者の個性が出るたぐいの楽曲ではないため、バルビ節も発揮のしようがないが、意外に「踊れる演奏」になっているのが面白い。バルビはリズム処理がヘタという面があるが、この演奏はまるでメトロノームを置いたように粛々と進んでおり、気を浮き立たせる。素朴な味わいがあり、弦楽器まで入ってくると、スケール感は小さいものの、和声がとてもきれいに響いているのが印象的だ。全楽器が一斉に謡い出してもたいしてスケール感は変わらないが(爆)いちおう壮麗と言っておこう。最後までテンポは一貫して変わらず、フレージングもわりと平坦だが、その一貫性こそボレロの真実であり、この演奏が正統であることのあかしだ。最後の盛り上がりは物足りない感じもするが、耳優しい音楽にたいして○ひとつをあげよう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○パレー指揮ORTF(ina配信/SLS)1957/5/9シャンゼリゼlive,,高速軽量級、やる気漲るパレーの十八番ボレロ。アンコールないし末尾にやられることが多かったようだ。このリズムでは軽すぎるとしても、響きや音色は美しく華やかに統一され、このオケだからひときわソロの魅力が際立つ(ホルン除く)。また弦のピチカートが粒立って激しく轟き軽量級なりのリズムの打ち出し方をしているのも面白い。ひたすら揺れのないテンポはボレロはこのままで完成されていることを実感させる。全奏部に至っては独特の短い発声のペットと強靭な打楽器群が高らかに軍隊を鼓舞し、それ以外の楽器はまったく同じ調子を続けているのに音楽はしっかり大きな山になっている。阿鼻叫喚まではいかないが振り切ったパレーに盛大なブラヴォが浴びせられる。録音はモノラルで音場が狭いぶん録音瑕疵はさほど気にならない(はじめの方で大きく放送エアチェックノイズが入るのは残念)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○パレー指揮カーティス・インスティテュート管弦楽団(DA/vibrato:CD-R)1978/2/13live,,かなり激しく揺れ動く情緒的な演奏。繊細な微音表現もパレーらしくないほどに美しすぎる。この伸縮もけっこう芯のとおったテンポ設定ならではの一直線の上に展開されているといえばそう。ミュンシュではない。カーティス交響楽団と紹介されているが、まるごとコピーか同一音源を使用していると思われるVIBRATO盤で正式名称が記されているのでその名称にしておく。正規にならないのがおかしいくらいの高音質ステレオで演奏もパレーのライヴの、別の一面を見せてくれる面白いものだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CDーR)1961/11/24LIVE,,軍隊。ここまで鋼鉄のインテンポで突き進められれば立派。物凄いテンションとスピードに終演後はすさまじいブラヴォの渦となる。ただ録音が悪くて最初何だかわからないのと、余りの速さにブラス陣がこけまくるのが問題かも。しかしパレーを知るには格好の記録です。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○パレー指揮デトロイト交響楽団(MERCURY)1961/3・CD軽くて速い。確かに録音のせいもあるけど、決然とした重いリズムの演奏ばかり聞いてきただけに新鮮。単純に音楽として楽しい。TP外すなよー・・・おおらかな時代の録音ですね。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1975live,,パレーのオハコであるがここではいつもの剛直直進演奏という超ドライな芸風からやや落ち着いて、小気味いいボレロのリズムを終始楽しむことができる。オケのひびきも心なしか華やかだ。録音が悪いので最大評価はできないが、終演後の大ブラヴォがパレーの晩年評価を物語っている。今なぜ忘れられているのだろう?○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ボレロ,○フバド指揮リュブリアーナ放送交響楽団(MEDIAPHON)CD,,手慣れた演奏ぶりでからっと明るく楽しめる。派手過ぎも重すぎもせず、ボレロのイメージそのままを味わえる。演奏もうまい。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:ボレロ,○フランツ・アンドレ指揮ブリュッセル放送交響楽団(capitol),,がっしりした演奏ぶりで揺れがなく、ひたすら重厚なリズムが叩かれていくが、肉厚な響きが音量があがるにつれ目立ってきて、とくにブラス中声部が必要以上にブカブカとやるものだからドイツふうからだんだんラテンノリにシフトしていってしまう。しかし曲の構成自体はいささかも崩れず、特異な響きの印象を残して格調高く終わる。ばらつきはあるが堅実。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○フリッチャイ指揮RIAS交響楽団(DG)1953/4フリッチャイにしてはかなり速い。けっこうスピードを感じる。発音が細部まで明瞭なので冒頭より音量が大きすぎる気もしなくもないが、きっぱりとして力感ある表現はなかなか聞き物だ。透き通った音が印象的。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管(WESTMINSTER他)CD 威厳のある演奏、まるで王様の行列がゆっくり通り過ぎているのを見ているような感じである。いや、響きはいささか世俗的なのだが。この演奏、ラヴェルお墨付きの指揮者にもかかわらず異様な遅さで有名だ(ラヴェル自身の固い演奏やこれまたお墨付きのトスカニーニの演奏は割合と早めなのに)。しかしブランコの色彩的な指揮、シャンゼリゼの派手な音響とあいまって、面白さは抜群。決して弛緩しない。このテンポに慣れると病み付きか(?)。独特の演奏である。長らく店頭から消えていたが、復刻近いかも。デュクレテ・トムソン原盤。(2003/6/25記),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○ベイヌム指揮ACO(DECCA)CD,,ベイヌムが得意とした分野の一曲だが、しょうじき「スタンダード」であり、それ以上でもそれ以下でもない。録音ほどよく明晰だからファーストチョイスにも向くが「それなり感」が否めず、カラーも迫力も「それなり」なボレロに意味はあるのか?と言われるとびみょうだ。ACOは中欧オケにしてはフランスものにも強かったが、この演奏でもソロ楽器は「それなりに」巧みで音色も「それなりに」繊細。○にするに躊躇はないが、破壊的ボレロを期待すると裏切られる。節度派向けですな。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:ボレロ,◎ホーレンシュタイン指揮フランス国立放送管弦楽団(MUSIC&ARTS)1966/7/1LIVEあっけらかんとしかし不断のテンポで格調高く進み、とてもホーレンシュタインとは思えない明るさとすっきりした美しさをはなっている。ひたすらフランス風の音色をブレなくひとつの響きで統一し、ソロ管楽器はカツゼツのしっかりした発音で明確な音楽を作り上げていく。聴き進めるにつれブラスと打楽器、リズムセクションの音に切り詰めた激しさが加わり・・・でも決して音もテンポも外さない。柔らかなニュアンスなどなく、ただただ不断のテンポがある。ミュンシュの肉汁滴る演奏とはまったく異次元の演奏だ。ここまで高潔で、ここまであっけらかんとボレロを演じ上げてみた指揮者がかつていただろうか。ホーレンシュタイン・ラヴェル不得意説は瞬く間にぶっとんでしまった。フレイタス・ブランコの明快なテンポを聴いて以来の「あっけらかんとして明るい系」ボレロの究極を聴いた気がした。終演前には・・・ブラスの激しく付けられた松葉や轟音の中で・・・私の耳は他の自然音を認識しなくなっていた。終わった後、聴衆の一斉に熱狂する声と共に、私も狂喜しながらプレイヤーの針を止めた。◎としか言いようが無い。個性とかそういう問題ではない、ラヴェルの意図したボレロの姿を自己の個性と感覚的にシンクロさせ、しかも聴衆に訴えることのできた名指揮の記録である。このボックスはまったくホーレンシュタイン像を一変させるライヴ音源の宝庫だ。。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,◎ミュンシュ指揮パリ音楽院管弦楽団(LYS/GRAMOPHONE)1946/10/10・CD歯切れの良い発音としっかりしたテンポ感が印象的。まとまりがよすぎてこじんまりしてしまうかと思いきやまったくそんなことはない。まさにボレロそのもの、イダ・ルビンシュテインの颯爽とした舞踊が目に浮かぶ。威厳すら感じさせる実にカッコイイ演奏です。ミスがあってもモノラルであっても支障なし。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○ミュンシュ指揮パリ管弦楽団(EMI)1968/9/21〜28・CDミュンシュのラヴェルは聴く人を選ぶ。じゅうじゅう肉汁の垂れ滴るような演奏に嫌気を催す人もいるだろうし、熱狂的な感興を覚える(といってもミュンシュは決してからっと明るいラテン気質の音楽を作り出す人ではないのだが)人もいるだろう。私はどちらかといえば前者のタイプなのだが、パリ音楽院管の流れを汲む因縁のオケ、パリ管のある意味とてもローカル色の「薄い」音は、ミュンシュのボストン帰りのスタイルにうまくハマっているようだ。やや雑味があるし、ミュンシュ独特の整えられないひびきが耳につかないといえば嘘になる。この盤に特徴的なのはねっとり粘着質のフレージングだ。後ろに引き摺るような旋律の重さは独特の味。ミュンシュのボレロで一番灰汁が強いと言われる録音、さもありなん。しかしラヴェル独特のキンキン耳に付くような金属質の不協和音はそれなりにしっかり響いており、最後のボントロなんかの重い響きもコケオドシ的で面白い。まあ、これをミュンシュ畢生の名演とは言い難いが、確かに独自のものを持っている。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1956/1/23・CDじつはこの組み合わせ、苦手である。ボストン交響楽団ははっきり言ってそれだけではあまり面白い音楽を作れる団体ではない。だから指揮者の色がとても出易いと思うのだが、ミュンシュの場合個性がきつすぎてヘキエキしてしまう。いや、すべてがすべてオケのせいでもなく、録音のせいということもあるのだが。リヴィング・ステレオのこのCDも高音域が張り裂けるようなギリギリの音で耳触り悪く、中声部がスカスカでラヴェルのような身の詰まった音楽は骨抜きにされ宙ぶらりんになってしまう。ラヴェル得意の不協和音の妙もこのバランスだとうまく響かない。また、何より気になったのが、だいぶ大きくなったところで初めて登場するヴァイオリン、小さいこと小さいこと。そしてクライマックスの真ん中の抜けた奇妙なバランスの、やはり今一つ爆発力のない音楽。ミュンシュはダイナミックな音楽作りが持ち味だが、全ての録音中もっとも速い14分弱という時間も、伸び縮みの極端に少なく、ただただ高速で突き抜けるこの演奏の異様さを裏付けている。情熱が今一つまとまった音楽として聞こえてこない、これは余り面白くない演奏。知る限り同じ組み合わせで1958年にもRCA録音(15分弱)、DECCAでパリ音楽院管と入れた古い録音(17分弱)、そして恐らく最もダイナミックな起伏の施されたEMI録音(17分強)がある。時間バラバラ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)CD,同上,ステレオ。ミュンシュはテンポを崩したような演奏もしているがこれはバランスの取れたまっとうなボレロ、しかし勢いと力感はもはやバレエではない域に達した名演。ラヴェル音楽祭の指揮者を若き日に勤めただけある、オケも不断の緊張感でのぞんでいるし音も技術も素晴らしい。録音が古くて印象的にはノイジーな雲に覆われた感もあるのが残念。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:ボレロ,○モートン・グールド指揮ロンドン交響楽団(varese sarabande,JVC)1978/9/18-20,CD,,これちょっと変なので持ってる方はスコアと比べて聴いてみてください。いじってるみたいです。,不良爺さんのボレロといったかんじで軽いんだけどリズムがやたら明瞭でカッコイイ。足踏みの音が聞こえてきそうだ。音は横に流れない完ぺきにリズム重視、でもラテンのあのリズム感とも違う、でもノリはすこぶるいい。アメリカ的派手さには事欠かない。低音のリズム系楽器が物凄く強調されるのでクライマックスなんてスペクタクルですがオーマンディのゴージャスなブヨブヨとは違う凝縮力を感じる。物凄い個性的とは言えないけど確かに個性の有る演奏、うーん、コトバでは言い表わしづらいな。モートン・グールド自身オーケストラを知り尽くした作曲家だけあってどうやれば最低限の力で最大限の効果を生み出せるか知っている。それが逆にここではただラヴェルの手の上でゴージャスな広がりを展開させるのではなく、割合と小編成のアンサンブルのように整理して組み上げる事でまるでコープランドのバレエ曲のような「軽い響き」を持たせ、そのうえでドガジャカタテノリ解釈を持ち込んで独自の舞踏音楽(これは踊れます!)を作り上げる事に成功している。佳演。ラヴェル指揮者ではないけれど、近代名曲選の中の思わぬ拾い物、といったところ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ラヴェル:ボレロ,○モントゥ指揮ロンドン交響楽団(PHILIPS)1964/2LONDON・CD僅かに萎縮したような危なっかしい所が見られるが、歯切れの良い発音と小気味よいリズムが魅力的な演奏。舞踊音楽としての出自を強く意識しているようだ。奇をてらわずオーソドックスな解釈といえばそうかもしれないし、余りスケールが大きくないといえば確かにそうだが、録音の明瞭さと速い速度だけでも充分スリリングで楽しめる。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○リグノルド指揮ロンドン・フィル(RCA),,律然としたリズムが格好いい。終始崩れない速めのインテンポで押し通し、ボレロの王道といった演奏ぶりである。管楽器の巧さは言うまでもないが、決して個性を出さずに総体としての響きを重視しており、ソロを楽しむ演奏にはなっていないが、「ボレロ」という音楽を全体として楽しむのには最適といっていいのではないか。久しぶりに「正統派」のボレロを聞いた。特徴には欠けるが、最後までわくわくして聞ける演奏。トスカニーニを彷彿としたが解釈的な恣意は全くない。モノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,○レイボヴィッツ指揮パリ・コンサート・ソサエティ(音楽院)管弦楽団(CHESKY)1960/6レイボヴィッツは色彩的な指揮ぶりが華々しい。テンポはわりあいとインテンポを通すがそのぶん音に華がある。このボレロはそういうレイボヴィッツにうってつけ、決して踏み外した演奏はしていないけれども、清々しく感情を昂ぶらせてくれる。変に民族的にするでもなく、変に感情を込めるでもなく、松葉を思い切りダイナミックに開ききらせるわけでもなく・・・と書くと魅力に欠けるオーソドックスな演奏ととられるかもしれないけど・・・これぞコンサート・ピースとしてのボレロだ、というところを見せてくれる。先入観なしに聞ける点で初心者向きかもしれない。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(RCA)1944/11/22,27・CD,,余りに律義で正直びっくりした。速めのテンポは頑なに維持され、ダイナミクスにはデジタルな変化が聞かれるがSP原盤の継ぎ目に過ぎないだろう。録音がクリアなら誰しも歯切れ良いリズムと凝縮された響きに快感を覚えるだろうが、特に前半の雑音がきつい。最後の余りにあっさりした処理は一つの知見である。録音大マイナスに解釈の単純さを鑑みて無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:ボレロ(「偶発的ステレオ」),クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(victor他)1930/4/14,,知らなかった音源であるクーセヴィツキーのボレロを聴いた。(pristine PASC422),,途中までモノラルである。急にステレオになるのだが、どうも擬似ステレオっぽい感は否めない。あまりにリマスターが良すぎるせいもある。ラスト近くになって僅かに左右(試し録りを含む二台のマイクからの音盤録音を左右に振り分けている)が異なる部分があり、しかしそれも断言できるほど明瞭ではない。両のマイクが接近しているため元々そういうものだそうだが、それよりもリマスターの良さにより晩年のモノラル悪録音ばかりしかないクーセヴィツキーによる昭和5年4月14日の演奏をクリアに楽しめるのが嬉しい。楽器ごとの難しさ、出来不出来が如実に現れており、曲慣れしていないのが時代性か。クーセヴィツキーらしい畳み掛けるような推進力は弦が入ってかなりラストに近づいた頃にやっと現れる。ソロ楽器都合で旋律が乱れる他は不断のリズムとスピードで指揮者と作曲意図が一致している。名演と言えないが記録としてはこの時期のSPに共通するスピードを持った演奏として価値はあろうね。 クーセヴィツキーは展覧会の絵をラヴェルに管弦楽編曲依頼したことで有名。有名なチャイコフスキーの悲愴は本物の偶発的ステレオのようだ(一部モノラル、3楽章途中からモノラルなのは惜しい、情報力が違う)。これは絶名演。ほか春の祭典抜粋、動物の謝肉祭水族館ほか(ストコフスキ、エルガー指揮)。春の祭典はちゃんとしている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:ボレロ,シュヒター指揮北西ドイツ・フィル(IMPERIAL)LP LPと書いてますが12インチとか小さいのも含んでます。シュヒターはシュヒターらしくじつに実直でテンポを崩さない手堅い演奏をしている。重みのある音響やきっぱりとした発音にはドイツらしさが出ているものの、それ以外の部分でドイツっぽさというものはとくに感じられない。客観的というのともまた違うのだが、とにかく強烈な個性をぶつけてくる演奏でないことは確かだ。まあ、この演奏内容なら水準よりは上か。録音は古い割に意外とクリアでした。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,デルヴォ指揮ORTF(ina配信)1970/6/14live,,デルヴォーにはいくつも録音があるが、これはやけに遅く客観的な演奏で始まる。マルティノンのようだが精度は上がらず(オケのソリストのせいというか)弛緩傾向を感じさせる。テンポは揺れず、なかなか盛り上がらないながらもクレッシェンドしていき、やや悪い録音のなかやっと大きな音は出るしデルヴォならではのソリスティックな歌い回しもさせてはいるが、かなり控えめだ。それが個性を最後まで出さないで終わってしまった、という感想につながる。急に盛り上がるもすぐ終わり拍手は少し盛大。無料配信されている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,デルヴォ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(COMMAND/forgottenrecords)1961/5パリ,,これが意外や意外?まっとうにボレロでイメージ通りのボレロ。オケの音が少し鄙びているなどあるかもしれないが私の耳には久しぶりの変化球でも即興でもない、ほんとのボレロが聴こえてきた。音量変化はわりと最初から大きめだが、終盤で想像以上にでかくなるので問題なし。リズムは重めというか少し落ち着いたテンポだが、むしろこれがボレロだろう。耳のお口直しにおすすめ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,パレー指揮ORTF(DA/vibrato:CD-R/ina配信)1972live(1972/6/5放送),,vibratoは当時DA盤のコピーを何倍もの値段で出していたので、聴いてはいないがほぼ同じ演奏時間で同じ組み合わせの中にあるこれも、同じものだろう。音質は珍しくクリアなステレオで良好(パレーの放送音源はina.frに大量にある(ウンザリするほどある)。1972/4/12のシャンゼリゼライヴ説が濃厚で、ベルリオーズ「海賊」も演奏されたことからすると、それを含む全演目が1972/6/5放送として提供されており、同一と思われる)。高速軽量級、しかし数珠繋ぎの管楽器にはいささかのミスも手抜きもなく、緊張感と力感に娯楽性が同居したまさにフランスのトップオケによる胸のすくようなボレロ。軍楽隊の如きスネアと開放的な高音ブラス、不断のテンポはどこまでもクレッシェンドしていく音楽に弛緩の隙を与えない。SP時代を思わせる13分弱のボレロだが時計で整えたあちらとは質は全く違う。耳を離す気にならない、みんな同じであってもこの人の大量に残されているであろう(ina.frは目下6/5放送のひとつだけしか確認できない)ボレロ。全部聴きたくもなるものだ。いつも通り大ブラヴォ。DA盤は大拍手をアナウンサーが無残に断ち切りメニューインのベトコンに突入する。粘らないベトコンも良い(さすがにガチガチのベートーヴェンになると細部の音色や音程など気になる)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,パレー指揮デトロイト交響楽団(SLS他)1975/8/16liveミードウ・ブルック音楽祭,,小気味いい!パレーの十八番、ラストはこれでカラッと突き進む。ポリトナルな響きの強調(これを違和感なく、しかししっかり聴かせられる人はそういない)気持ちよすぎるリズム、リズム、リズム!客席録音なのか冒頭から環境雑音が気になるものの、パレーのわりと毎回違う印象を与えるが毎回ワクワクさせること請け合いの「解釈」が、機能的で音にクセのないオケにより爽快に表現され、粋だ。素晴らしい終幕。大ブラヴォ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管EMI、有名な遅速録音で王様の大行列を見ているようだ。管楽器がきつそうで、演奏的にイマイチ。響きにトゥーリナなどを思わせる所があると思うのは先入観か?ラヴェル自身はやや遅めのテンポを想定してはいた。ブランコはラヴェルの覆面指揮者としてピアノ協奏曲を振った。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ラヴェル:ボレロ,フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD,同上,18分36秒のボレロ。イダ・ルビンシテインもあと20キロ太らないとこの重量感は出せない。史上最遅のボレロと言われ、しかしもういいかげん越した演奏もありそうだが、まずソロで剥き出しの管楽器がたまらず、限界の速度はあろう。このオケはあくまでEMI向けの名前で実体はORTFというが(アンゲルブレシュトのドビュッシー全集がシャンゼリゼ劇場名義なところからも容易に推測できる)、音は華麗でORTFの手堅さはなく、これはブランコの芸風としての艶っぽい表現、派手な響きなのだろう。ボレロは普通に聞いていても違和感のあるハーモニーが目立つが、意外とこの派手なぶっぱなし方でバランスが取れる。これはラヴェル自身の高速ボレロと一見違っているが、ラヴェルが覆面指揮者に選んだのもわかる一つの見識を示しており、成功している。遅い遅いといってもプロである、遅いとは感じない。おおいに歌うし、揺れるから飽きることは意外とない。演奏陣はもちろん遅さを感じるだろうし終盤で更にテンポが落ちるなど一寸軋むものの、聴いていて違和感はさほどない。トスカニーニと比べれば別の曲だが、フランスやラテンの指揮者の演奏と比べるとあまり違いを感じない。精度の高さを重視したともとれ、ラストで雪崩落ちる部分もきっちり揃えているところは現代的に感じた。音に色気があるといいですね。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,プレートル指揮フィレンツェ五月祭管弦楽団(MAGGIO)2004/3/6(5/6?)コムナーレ劇場live・CD,,5月録音としているデータもあるが盤には3月とある。独特で、生半可な指揮者には許されなかったであろう演奏。巨匠の時代を彷彿とさせる。否プレートルこそ巨匠の時代の最後を飾る指揮者だったのかもしれない。恣意的にデフォルメされた歌い方は最初から最後まで統一されており各ソリスト任せのものではない。盛り上がりも力技はなかなか出ず、柔らかなフレージングと響きで不思議な美麗さをはなつがこれも妙に末尾を引き伸ばす表現による恍惚感をもたらす結果の感想か。太鼓陣は中でも一貫して強く正しいリズムを保つ。いや、そうしないとこの歌い方ではグズグズになるのだろう。全楽器が出るとやにわにブラスが力強くなる。表情は普通のボレロの英雄的なそれになる。それでも音符の入りも終わりも松葉が付くような感じて柔らかく、ここは好き嫌いがあるだろう。ボレロを大きなクレッシェンドの音楽とするならば、これはあまりクレッシェンドした感じは最後までない。それまでになかった自由な音量変化もあるものの、わりとそのまま終わる。個人的には竜頭蛇尾的。拍手は一応盛大だがこの人にしてはブラヴォはすくないのではないか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,プレートル指揮ベルリン・ドイツ交響楽団(WEITBLICK)2001/10/15live・CD,,音を短く切ってリズムを強調すると思いきや旋律各部後半の長い音符をほんとにポリリズム的に引き伸ばし、旋律の合間の休符で辻褄を合わせるという南欧の指揮者がやりそうな(音は全く南欧的ではないが)独特の、いつ時代なんだというトンデモ演奏(トンデモという汎用語は使いたくないのだが)。ほんとに聴けばトンデモとしか言いようのない旋律表現、それを合奏部分まで八割方(十割ではない!)徹底しているからソロ楽器の洒落た歌い回しのためにやったとかいう範疇ではない。クレッシェンドもなんだかいびつで大きな松葉がきちんとした右開きの三角直線で構成されていない、これは録音のせいか?ブラヴォが出るのはライヴでなければあり得ない、その場の空気を呑み込んだ表現だったからだろう。冷静に音盤で聴くと(同時期の映像もあったのではないか)プレートルの悪いところが出ている個性的演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,ボルサムスキー指揮ライプツィヒ交響楽団(URANIA)ああっ、録音が悪いんだよう!あまりに音飛びするので評価不能としたいところだがあくまで私の盤だけの問題なのでおさえておく。音色変化はないが漲る力感が曲の不断の前進性を強調してすこぶる効果的、圧倒的な音量、スピーカーの紙が破けるほどの破壊的な大音量に忘我。それだけではない。音量がぜんぜん安定しない。これは録音か編集のせいだとは思うのだが、短いスパンで変な抑揚が付きすぎである。音量ツマミを握りながらの鑑賞にあいなった。小さいところはぜんぜん聞こえず大きい所は割れんばかりの大音響(と破裂音)、電車の中でヘッドフォンで聴くときは気をつけないと。苦労はするが面白演奏だった。録音マイナスで無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(MELODIYA)1952ムラヴィンスキー100歳記念盤(2003年)の2枚目。「ロシアでは」初リリースとあるが、書かれているデータが正しければ、国外でも初リリースとなるものも含まれているようだ。このボレロは記載されている情報が正しければ他に挙げた2演奏とは異なるもの。モノラルで録音も若干聞きづらいが、非常に正攻法の演奏で、ソロ楽器にちょっと不安を感じる部分もあるが、全体としてはよくできている。気持ち良く聞ける一枚。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(multisonic)1953この盤どうも古いせいかピッチがおかしいような感じがして、それが若干評価に影響はするのは仕方が無いだろう。この演奏はムラヴィンスキーいうところの「運命のメトロノーム」がフルに活用された演奏で、強固なテンポ感により安心して聞かせる。決して奇をてらったところがなくあくまで正攻法だが、オケの独奏楽器の音色がいかにも特徴的で、面白い効果をあげている。派手ではないが、よい演奏である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(RUSSIAN DISC)1960/2/26LIVEロシアン・ディスクもいーかげんなレーベルで、表記間違いが相次ぎロシア音楽ファンを翻弄してくれたものである(ちなみに2003年6月現在、一応まだ存在している)。でも、10年ほど前、怒涛のように流れ込んできたロシアン・ディスク盤は、その発掘音源の希少性からロシア音楽ファンを狂喜させた。今や昔である。もっと質のよい音で別レーベルから再発された盤も少なくないが、再発から漏れている秘曲のたぐいも残されているのは事実である。さて、このボレロは「幻想」「亡き王女のためのパヴァーヌ」とカップリングされている(録音同日)。幻想はとんでもないロシア流儀の幻想で余りの恣意性に驚くが、このページの対象外の作品としてここでは深入りしない。ボレロはマルチソニック(チェコ)盤を以前ご紹介したが、このロシアン・ディスク盤はより洗練された感じがする。マルチソニック盤の鄙びた音色はここでは聞かれない。この盤も決して録音状態はよくないのだが、聞けないほどではない。むしろムラヴィン芸術のアクの強さが音の多少の瑕疵をものともしない、といえよう。クライマックス近くでペットが事故っている箇所がいくつかあるが、流れゆくライヴならではの前進性がさほどの事故も気にしなくさせ、気分をほどよく浮き立たせてくれる。最後にはかなりロシア色の強いえぐい音表現になるが、面白い。最後の雪崩れかたが今一つびしっと決まらないが、全般にはまあまあといったところだろう。聴衆の反応はそれほどでもない。ムラヴィンファンは当たってみるのもよいだろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ,ル・ルー指揮フランス国立放送管弦楽団(concert hall),,ちょっとハッキリしすぎる感もある出だしだ。録音がよすぎるのかもしれない。かなりしゃっちょこばった規律正しいソロ演奏を指示しているようである。ラヴェルの自作自演あたりに近いとても機械的で堅い解釈のように感じられる。数珠繋ぎのソロ楽器の音色表現がいずれも非常に単調である。というか、余りに個性が無い。抑え込まれている感すらある。元々持っている楽器の音の美しさだけだ。全体の音響はしかしとても整えられている。遅めのインテンポなうえにただ音響がどんどん重くなってゆく。クライマックス近くで音量が若干抑え目に修正されているのもどうかと思う。とにかくこれはとても「正しいボレロ」だとは思うが・・・面白くは無い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ボレロ,ルイ・マルタン指揮パリ・ソリスト管弦楽団(CHRISTOPHORUS)LPうーむ。普通だ。ちゃんと出来上がった演奏なのだがどこか物足りない。この曲にはいろいろな演奏があるから、普通に演奏しても面白味がなく聞こえるのだろう。音色はフランス的でいいオケなのだが。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ボレロ(欠落あり),シルヴェストリ指揮ORTF(belle ame)1959/2live,,音量が最初から大きいという。テンポがちょっと足踏みしたり、音外しまくったり、だいたいが冒頭欠落しているのも音源として問題なのだが、響きがシャキシャキせずガシャガシャしてるというか、そこが逆に飽きさせない作り方になっている。まあ、ほとんど打楽器のせいなのだろうが、ヴァイオリンも音色鄙びてますね。。ペットが入り明るい音に変なクレッシェンドまでついて初めてシルヴェストリらしいなあと思う。フランスオケらしさが良くも悪くも出てはいる、ORTFなのにローカル色の感じられる演奏。派手。ブラヴォも。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:マダガスカル島民の歌,グレイ(Msp)作曲家?(P・指揮)モイーズ(fl)クルクー?(Vc)(polydor/PHILIPS/cascavelle他)1932/6パリ(1928?)・CD,,数々復刻されてきたが、cascavelleが三集にわたって大成したラヴェル集およびマドレーヌ・グレイ集としてCD一枚にまとめた音源の記載データでは従来と異なる記載があり、録音年およびメンバーはそちらに従った。グレイ夫人の伴奏として自作自演していると言われていた「ヘブライの歌」とこの曲は、いずれも示唆だけで弾いていない(ラヴェルが自作自演したものはピアノロールだけしかない)可能性が強いとのこと。ラヴェル屈指の名作であり、ドビュッシー来のサロン風室内楽から前衛の野蛮主義や無調まで、取り入れたというのではなく手法として活用し、三曲、短いながら各々対照的な音楽となっている。編成(歌唱、フルート、チェロ)を指定しての米国婦人からの委属〜それ以外は自由とされた〜にもとづき、マダガスカル島1世紀前のクレオール詩人の文明批判的テクストを読み込み、オリエンタリズムではなく、植民地の原住民目線からの歌として取り込んで、民族音楽は適用しなかったが歌詞と新しい響きが、却って鋭く直截な印象をもたらし物議を醸した。「ナアンドーヴ」はもっともドビュッシー来のフランス室内楽の雰囲気に近く耳馴染みは良い。恋愛の歌である。この演奏ではチェロが冒頭よりヴァイオリンのような音色(時代柄揺れがあり木管のようにもきこえる)で下降音形を繰り返したあと、ピアノ、フルート(この録音状態では残念ながら余り識別できないので取り合わせの妙は新しい録音をどうぞ)とともに典雅な響きを、時折土俗的な、ルーセルを思わせる進行をまじえて展開し、チェロの下降音形ととつとつとしたピアノで終わる。グレイ婦人は最初から力強く正確にしっかり歌い(歌曲は伴奏に対して大きく刻まれた時代なので過度にそう聴こえるのかもしれない)、同曲にてよく言われる官能性は届いてこない。この曲の要といえる「アウア!」は掛け声である(これを珍題と揶揄した無知な作家に怒りを覚えたことがある、テクストも曲も識らない者が作家を名乗って書籍を書いているのが日本の音楽出版界だ)。不協和音と叫びによって白人の侵略を糾弾するもので、同時代前衛的態度に立ったウィーンの晦渋な音楽に近いものの、とても簡潔だ。この曲は怒りにみち、次の「休息」までも暗い雰囲気を引きずっている。ストラヴィンスキーふうの索敵的な攻撃性すら感じる。グレイ婦人はやや冒頭の叫びが甘い気もするが、後半の畳み掛けは感情をぶつけるような表現が見事だ。伴奏もはげしい。ラヴェルのピアノは冷徹に音響的リズムを刻み、フルートの、ストラヴィンスキーよりさらに非西欧的なフレーズと、チェロの暗闇をはらむ通奏低音がバラバラに、後期ラヴェルの室内楽に通じる「ぎりぎり」の衝突的アンサンブルを緊密に提示している。「休息」の伴奏の暗さ、非西欧的なもの、非旋律的なものを含む不可思議な音形が散発的に現れるさまは歌唱の明らかさと対比的だ。ゆったりとした夕暮れの風景が、前曲の侵略者との闘争から、つかの間にすぎない平和を得られたことを示しているような感じがする。ここで弟子RVW「ウェンロック」の最後も思い出すのだが、少し変化して消え入るように終わるのもいい。この録音は特別に残されただけある。ラヴェルがピアノを録音した記録もロール以外無いので、その指の「強さ」を感じ取れるのも貴重。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○ライナー指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1960/3/25live 録音は最悪の状態だが演奏は凄まじいの一言。狂気の乱舞が急激に盛り上がり最後には天地轟かすが如くの音響の中で力づくの終結部が形づくられている。ラヴェルというとどうなのだろう、舞踏音楽というとどうなのだろう?でも、そうとうのカタルシスが得られる過激な演奏。録音マイナスで○。

,,"ライナーのラ・ヴァルスは現役盤が無いようなので、小品に冴えた腕を発揮したライナー芸術を俯瞰できる盤として。
ライナー・サウンド~超絶のヴィルトゥオーゾ・オーケストラ
ライナー(フリッツ)
BMG JAPAN

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ラヴェル:ラ・ヴァルス,○カンテルリ指揮NBC交響楽団(?)1949/2/5放送live,,この音源、どこから持ってきたのか忘れてしまったのでデータ不備ごめんなさい。フランクの交響曲のアンコールとして組まれたもので、トスカニーニに招かれてのNBC交響楽団ファーストシーズンの記録になる。ノイズが酷くおすすめできる代物ではないが、直線的な中にもアゴーギグをきかせた表現の瑞々しさはトスカニーニそのものを思わせる。カンテルリは意外と音源があるので比較してどうこうというのは全てをちゃんと聴き直さないかぎり難しいが、これは腕のある指揮者のものであることは確かなもののトスカニーニの影響を脱していない(オケの性向がそうなのかもしれない)というくらいのことは言えるか。まあオケはうまいです。ちょっと鄙びた音もするけれど。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○カンテルリ指揮NBC交響楽団(ASdisc)1954/2/7live・CD,,即物的なカンテルリの芸風がよくあらわれた演奏で、ワルツ的な揺れの表現よりもしっかりしたテンポと浮き立つようなリズム表現がひたすら追求されている。オケのせいか生気がないというか醒めた感じのする演奏でもあり、そういう意味でけして「面白い」ものではないが、完成度は高いと言えるかもしれない。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○カンテルリ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1951/12/1live,,直線的に突き進む演奏でいくらなんでも、というトスカニーニを思わせる単純性を感じる半面、非常に煌びやかでもあり、複雑なスコアも鮮やかに読み解きオケから色彩性を引き出す指揮者だったことも伺える。録音が悪いのでそうストレートによさは伝わってこないが、少しの曇りもない技術は素晴らしいものだ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,◎スヴェトラーノフ指揮USSRso(melodiya)これ、CD化までに時間がかかったが、阿鼻叫喚、とか先入観で聴かないで欲しい。それは最後だけ。これぞワルツ、指揮者の解釈が素晴らしい。ミュンシュよりよっぽどワルツだし(ほんとに踊れる)オケものっている。ライブmelodiya,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya?/lanne:CD-R)1982/11/26live,同上?,裏青レーベルから一夜の記録として満漢全席で出た盤収録の演目だが、スヴェトラの演奏記録としては他に聞かないリヒャルトのティルが収録されていることから、おそらくmelodiyaより両演目で一枚のLPとして出た稀少盤のものと同一と思われる。何故CD化されないのかわからない名演として喧伝する人が多くもはや伝説となっていた音源で、実は日本独自のコンピで出ていたいくつかの細かい曲も同日の演目だったという種明かしもなされているなかなか心憎い「非正規復刻」(勝手にスヴェトラーノフアンソロジーという題もついている)。板起こしではなく放送エアチェックと思われ、プチプチノイズの無いかわりに音像がぼんやりしてぼろぼろと欠けたような音であり、LP(将来的にはCD?)のほうがいいのはもちろんだから正規復刻の折にはそちらをお勧めする。そういうのに慣れた耳から少し。この演奏は確かに起伏が大きく過剰な表情付けもなされてはいるが、中欧往年の指揮者など「フランスではない演奏」のうちにおいては特に「おかしい」演奏ではない。ブラスや打楽器の鳴らし方はスヴェトラーノフが最盛期常々やっていた派手なものを想像すればそのままだし、テンポについては強引さはそれほどなく寧ろ自然に大きな変化を付けることに成功している。リズム系の曲が得意な指揮者ではないが最盛期にはここまで気を煽るダンスを振れたんだ、と思いながらも、バレエを振れるのだから当たり前か、とも思った。最後に、過剰な期待は禁物。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(lanne)1982/11/26live,同上,録音の悪さもさることながらぱっとしない。テンポも緩くこの人にしては(ラストを除き)揺れが無く、オケの音色にもオケ特有のものがあまり聴かれない。いかにもワルツっぽい浮き立ったリズム感がないのはこの人なので仕方ないが、過度に期待すると裏切られる。ブラヴォが飛ぶので実演と録音の差か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BESCAL)CD,,謎の東洋レーベル、ベスカルからの謎の復刻だが、初期ステレオのスタジオ録音そのままの板起こし音で、演奏自体も取り立てて言うほどのところもなく、しかしまあちゃんと曲を彫刻している、それだけ。プロの演奏として不可はないという意味で○。EMI録音と同じか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○バルビローリ指揮ヒューストン交響楽団(DA他:CD-R)1965/7/12live,,どういうセンスだか(バランスをとるためかもしれないが)、ブラームスの後にプログラミングされたものだが、これがやりたい放題のアメリカンな演奏で、バルビもこういうオケだと案外フランスものを面白くやるんだなあと思った。弦楽器がもうノリノリで松葉も極端に強調され物凄いボウイングの迫力にヴィブラートもポルタメントも異常なほどかけてきて、スウィング感がすさまじい。伸縮も自在の域をこえているもののオケの中から出てくるもので恣意的に感じないのがいつものバルビのフランスものと違うところだ。アンサンブルの乱れなんてどうでもいいって感じで、ラ・ヴァルスを好きなように演奏している。まだ元気なバルビが面白がっているのが手に取るようだ。最後も近くなるとリズム処理は全くウィンナーワルツではなくブロードウェイのミュージカル、あるいは戦争映画の行進曲になる。ウェストサイドストーリーかチャイ5か、といった物凄いものになってしまう。いや、スピーカーで聞いてください。ヘッドフォンだと毒にやられるかもしれない。雑味たっぷり、でもとにかく弦楽器の音色がこんなに色っぽい演奏は他になく、グラマラスな南部の女がウィンナーワルツと称して猥雑に踊る酒場の音楽。個人的にとても気に入ったが、とても人に薦められたものではない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○パレー指揮カーティス交響楽団(インスティテュート管弦楽団)(DA/vibrato:CD-R)1978/2/13live,,鷹揚に起伏のついたパレーにしては異例の演奏。終盤こそそのままインテンポで突進するものの(低弦の最後のワルツ主題でもまったく揺れない)そこまではけっこうワルツしていて面白い。テンポがかなり遅くつけられており、オケへの配慮かと思うが、そのテンポを利用してうねることうねること。パレーの意図とも思えず、終演後拍手がパラパラなのにも(強引なブラヴォが叫ばれるが)けっしてこれが成功した演奏ではないことが伺えるが、しかし音盤としてこのエアチェック盤をきくかぎり(擬似ステレオに近い位相のおかしな録音ではあるが)ただただ突進するデトロイトのパレー「ではない」、緩徐部でのフランスの香気溢れるリリカルできらびやかな音表現も含め、とても透明感ある色彩が感じられて、これはこれでいいと思う。通常のパレーを求めるなら選ぶべきではないが、普通の人が聴いて楽しいと十分感じられる演奏だと思う。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1962/3/15LIVE,,パレーの十八番で最後は大ブラヴォ、これはいつものこと。オケはけして一流どころではないからバラケがなきにしもあらず、でもきちっと縦をそろえるべきところはそろえてくる。最初録音が悪いが最後は迫力ある音響でわりと直線的でもなくうねり、ブラスのニュアンス表現にも即興的な面白みがあらわれたりして楽しめる。熱狂的演奏のたぐいと言えよう。芸風はいつものとおりだけど、雰囲気的に盛り上がったライヴ、という言い方が正しいか。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○ベイヌム指揮ACO(DECCA)CD,,リズムは切れており中欧ふうの充実したひびき、微妙なニュアンスがいい。変に即興的なルバートをつけず最後まで突き通すのもよい。半面やや統制が甘いと感じられる部分や厚みが一定しないと感じられるところもある。録音が古いせいもあってごまかしがきかないのだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団(CAPRICCIO)1988/9/3live・CD,,この曲はじつにたくさんの実演・録音記録が存在し、しょうじき全く目新しいものに出くわさないのが実情である(奇演認定できるレベルを達成させることですら難しい)。ベルティーニはまったく正攻法で冷えたリリシズムが最後には熱するという感じだが、まあ、個性的って何なんだろう、この曲で個性なんて表現できるのだろうか、というジレンマに陥ってしまう。○にするしかないのだが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○マルケヴィッチ指揮日本フィル(PLATZ)1968/2/29東京文化会館LIVE・CD,,下品な音が崩壊寸前の爛熟ぶりを示しているようで、一つの見識ともとれる。重ったるく弦などはっきり言って余り巧くはないが、終盤のブラスとパーカスの無茶な破裂具合と終止形の大ルバートにはブラヴォが乱れとぶ。前半ぱっとしないがマルケらしいはじけっぷりでドイツ的なオケを無理して鼓舞し仕舞いには明瞭なワルツのリズム感を獲得させるさまが面白い。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,◎マルティノン指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1967/10live,,マルティノンはやはりルーセルやラヴェルのような音楽のほうが得意なのだなあ、とこのエアチェックにしては(粒は粗いが)広がりのあるステレオの派手な録音をききつつ思った。これは多分に録音のよさ(もちろんエアチェック盤の比較論としての「よさ」)に帰結する。派手にぶち上げており、またシカゴもその機能性を音楽の赴くままにマルティノンの棒のもと乱れもなく軍隊のようなリズムでワルツを刻んでみせる。まあ、ワルツは刻んではいけないのだがこういうのもアリだろう。パレーの多くのものは求心力の極めて強い力技の行進曲だが、マルティノンのラ・ヴァルスは色彩的で透明感があり、音響的に拡散的な造り方をしていてこれはこれで面白い。とにかく「エアチェックとしては」素晴らしいライヴ記録となっており、エアチェックゆえキンキンする音はスピーカーで調整して聞きましょう。かなり盛り上がります。◎。いちいちチェックしてないが他の海賊盤でも出ている可能性大。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(DENON,VAI)1963live・DVD,,高雅で感傷的なワルツと連続して演奏された終幕曲だが、こちらは中まで詰まった緻密な寄木細工であり、耳に留まらないような部分まで小技が忍ばせてあり、従って軋みを生じやすいものだから、さすがのCSOであってもミュンシュの振幅の大きい解釈に自発性を促す棒をもって、少し感情的でいびつな音楽を生じてしまっている。むろん面白いのだがけしてソリストとして面白いメンツが揃っているオケでもないので、機械がぎしぎし言っているような印象をなんとなく受けてしまう。ミュンシュ/シカゴだとこういう音だよなあ。縦のリズムを強く出し過ぎてドイツの香りを醸し出しているのは指揮者/オケの特質を思うとなるほど、といったかんじ。○。,-----,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○ミュンシュ指揮ハンガリー国立管弦楽団(Aulide)1967/5/29live・CD,,つんのめりながらどんどん気分アッチェルしていくミュンシュでも熱が上がりすぎたタイプの記録だが、そこが魅力と言い切ってしまえる迫力がある。面白いし、この曲の本来の姿はどうでもいい、マンネリな客観演奏を聴くくらいなら多少アマチュアっぽくても気合の入った演奏を聴いていたほうが血が騒ぐ、という人向け。オケが弱い。録音も。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○ミュンシュ指揮パリ音楽院管弦楽団(LYS/GRAMOPHONE)1942/3/3・CD確かなテンポで危なげない出だしから引き込まれる。豊饒で艶やかな響きはとても魅力的。弦楽器のうにょうにょ感がいい(指の揺れ、ポルタメントの多用etc.)。ちょっと音に統一感がないし録音都合で弱音が聞こえないところもあるが、とても見通しのいいミュンシュの解釈は内声部の細かい半音階的な動きもきっちりエグリ出しており、ラウ゛ェルの施した仕掛けを非常にわかりやすく聞かせてくれるので、部分的な雑味などどうでもよくなる。わかりやすくいじっている可能性もあるが、この演奏が一級品であることは確か。個人的には◎にしたいが録音を鑑みて○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(BSO)1962/2/2LIVEこれは派手な演奏だ。後半お祭り状態。ちょっと聞き気まぐれにテンポを揺らし、ドライヴ感溢れる指揮ぶりで熱っぽい音楽を創り出している(もっとも、どこかで制御のかかったミュンシュらしい手堅さも感じなくはない)。ミュンシュのリアルな音作りは曲の内包する夢幻性をスポイルし至極現実的な「舞踏音楽」を組み立てていく。これは好き好きだが、私は新鮮で面白く感じた。音響を凝縮して音楽を作るイメージがあったのだが、ここでは(あくまでミュンシュにしては、だが)開放的な音響をぶちまけており、ライヴならではの「生」のミュンシュを聴く思いだ。クライマックスでのペットは威勢よく破裂音を吹き鳴らし(ミュンシュらしいですが)、耳につくハスキーな音響が至極安定したオケに良い意味での破綻をもたらし、かわりに魅力的な艶を付け加えている。ボストン響にはもっと明るく色彩的な音が欲しいが贅沢な物言いか。ミュンシュにしては面白く聞ける録音。○ひとつ。ミュンシュは作曲家存命中からパリ音楽院管を率いてラヴェル演奏会を開いていた十字軍の一人。無碍には扱えません。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(BSO,IMG)1962/2/2放送 live・CD,同上,放送日との表記があったので演奏日としなかったが詳細不明。荒いステレオ。なまなましく明晰だがノイジー。演奏は前半落ち着き気味で、壮年から晩年への過渡的な感じもする。録音がそういう状態なのでボストンの音だと少しやかましく、ブラス、打楽器系がとくに耳障りなのはけして演奏のせいではない。派手な響きにテンポがあってきて速い流れができるも、緩やかになるとアンサンブルも緩やかになるというか、雑味があり、バレエ音楽として重要なリズム感も失われがちになる(元よりバレエ音楽として同曲を演奏したことはないだろうが)。浮き立つ気分はリズムに裏打ちされるもので、難曲なところをスピードと力で押し通すミュンシュとしては、力は十分だがスピード変化に楽団の表現がしっくり合ってこず、リズムのキレというか、その流れ、まとまりがない感も否めない。最後の方も、録音バランスのせいかもしれないものの弦楽器にもっと張って欲しい。物凄いアッチェランドで強引なブラヴォ誘導。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:ラ・ヴァルス,◎ミュンシュ指揮ボストン交響楽団1962live(DA他),同上?,ちっともワルツじゃない直線的な演奏だが、どうしたの、というくらい気合が漲りアンサンブルもソロも完璧。ブラスの力強さは尋常ではなく、大喝采も頷ける。比較的良好なステレオ録音であることもプラス。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1958/11/29LIVE・CD,,まー、よくもまあここまで自己流でやりたい放題。バチンバチンリズムを叩きシェルヘンのように即興的なデジタルな変化をつけまくる。およそワルツではない。人工的なスウィングを無理矢理貼付けルバートしまくり、録音のせいもあるがとにかく陳腐が売りのラ・ヴァルスとは認識しがたいくらい「現代的」に聞こえる。オケは味も艶もなくただその機能をミュンシュの棒がままに必死で発揮するだけで、それが何とも可笑しくてよい。テンションが上がり切ったミュンシュとバラバラになりながらもつけていくオケ、という典型だ。ミュンシュ好きなら聴いても損はない。ラ・ヴァルス好きはやめておこう。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1950/4/11・CD,,ミュンシュ/ボストン交響楽団のいくつかRCAに残されたモノラル旧録音のほとんどは、迷惑なことに何度もバラで(!)発売されたRCA録音全集の最後の時、大量購買者特典でCD化されたのみでSP以来の再発がないもので、無駄な買い物のできない庶民にとってはコンプリートの夢を諦めざるを得ず得意気なネットの評判にほぞを噛むしかなかった(これは国内盤なので海外マニアにとっても同様である)。それが今年なんと新旧引っくるめた全録音〜しかもフィラデルフィア管との録音まで含まれる〜超廉価ボックスに入るという大逆転。もちろんミュンシュ全集なんて半分は要らないとはいえ、元のとれる値段。昨今の正規音源による往年の録音廉価ボックス化(しかも新リマスター)の流れは前からのCDコレクターにはやる気をなくさせ、中古で売り払うにも30分の1の値段にしかならないという破局的状況ではあるのだけれど、お金を出しても手には入らない特典盤については大歓迎だ。モノラルだとミュンシュの作り出す音のマスの迫力が倍増し、ここでの解釈はひたすら力で押し通すもので、ミュンシュのイメージ通りのものを堪能することができる。実像はともあれライヴ感のあふれる、ミュンシュファンには受けること間違いない録音であった。データが錯綜しかつては間違った録音年月が記されたがSP期なので年月表記はもともと怪しい。確認したところこのデータが正解。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1955/12/5一本調子で面白くない。わざとらしい変化がクライマックスでつけられている他は、じつにオーソドックスなバランスのハーモニーに優等生的な旋律線が乗っているだけで、面白くない。ワルツ主題をウィーンふうにずらすやり方も、ここまで機械的にやられるとどうにもこうにも、にんともかんとも。勉強するにはいい演奏かもしれないが、ラテン系の派手な演奏に慣れた耳には、ちっとも面白く感じられない。浅く聴くにはいい、ディープに聴くほどハマれない。そんな印象でした。もっとも録音のせいというのも十分考えられるのだが。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)ステレオCD,同上,何といっても正規セッション録音を先ずは聴くべきだろう、戦後ミュンシュのラヴェルは。この曲はたくさんライヴ録音がのこっているがすくなくともBSOとのセッションは必ずコンサートで披露してからの周到なもので、妙な破天荒さを求めなければ、そのライヴより劣っていることはけっしてない。この演奏もボストン交響楽団のパワー、あけっぴろげに轟かせる響きを存分に聴かせるよう録音されており、こんな音を出すオケなんだという見本で、ラストへ向かっての畳み掛けもミュンシュはテンポを揺らさず真っ直ぐに圧をかけていく、オケはそれを忠実に、明確にはっきり打ち出してくる。軋みも生じようものだがセッションではギリギリの線でぶつけてくる。ワルツの愉しみなどといった生温いものはない。破滅へと向かうデモーニッシュな舞踏を、ミュンシュのもとに叩きつけてくる。これを軸に興味があれば、いろいろ聴いていくと幅は広がって行くだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1966/12/6live・CD,,序盤「BSOにしては」少し緩さが見えるが、中盤から物凄い。ウィンナーワルツ「風」のリズムの崩しを「作為的に」盛り込みながら舞踏表現を煽りガンガン鳴らしまくる、まさにミュンシュのラ・ヴァルス。モノラルだが間髪入れずの大ブラヴォーはこの実演がホールにて大成功したことを確信させる。最初から最後までもっと緊張感が高くオケのコンディションの一貫して良い演奏記録はあるが、しかしこの音では実際の優劣はわからない。ミュンシュファンでラ・ヴァルスをまだまだ聴きたいという向きはぜひどうぞ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○モントゥ指揮パリ交響楽団(LYS/GRAMOPHONE)1930/1・CD録音がどうにも古いが、オケの美音に颯爽とした前進的な指揮ぶりは魅力的。モントゥの統率力は素晴らしいものがあり、この時代のフランスの演奏にしてはオケがまとまりすぎ。いえ、肯定的な意味でです。10分42秒はかなり速い部類に入るだろう。その躍動感には舞曲を振り馴れたモントゥらしさが篭っているが、これがワルツかというとそうではないようにも思う。こう来るのならウィンナワルツ特有の拍のズレが欲しいところ。完全にインテンポで速度を保っており(最後までしっかり貫き通している)、ちょっと律義すぎる。言うなればトスカニーニ・スタイルに近いのだが、振ったオケの美質が違うので聴感は違う。デュナーミクのダイナミズムは十分感じられるところで、音色変化よりむしろそういった単純な強弱の世界で起伏を作っているようだ。好悪はあると思うし、正直最後には飽きていたが、完成度は高いので○をつけておく。トスカニーニの演奏に違和感を感じた人はたぶんこの演奏でも同じような感想を抱くだろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○モントゥ指揮ロンドン交響楽団(PHILIPS)1964/2LONDON・CD色彩性強調ゆえの雑味はあるがまずは勢いのある演奏だ。この人にしては伸縮しフレージングも色っぽく、特に弦楽器のバラケもいとわないポルタメントなど印象的で、この響きは両刃だが往年のパリ音楽院管弦楽団を彷彿とする香気漂うもの。ロンドン響にこの音を出させただけでも凄い。エスプリに溢れたチョットいい演奏です。クライマックスが一本調子で客観が勝っていたのが惜しい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(CASCAVILLE/VICTOR)1941/4/21,,颯爽と揺れない直進性はならでは。ワルツが怒濤に迫るさまはトスカニーニ感がある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,モントゥ指揮ボストン交響楽団(whra他)1958/7/25live・CD,,この人のラ・ヴァルスはミュンシュのように揺らさず煽らない直線タイプだが、リズム感の良さが際立ち(かといってズラしてウィンナーワルツ風にするとかいったものではなく自然と舞踏的なのである)、派手で色彩感あふれる響きを全て統制して首尾よくまとめる。フランスの伝統的な各楽器演奏上の流儀を、アバウトな部分も込みなこともあるが、このオケに持ち込み、そしてこの晩年に至っても忠実に守っているといった、保守的ではないのだがやはりそれを感じさせずにおれない。何分聴かないとわからない、解釈に仕掛けを入れるタイプではないから、最後大ブラヴォーで終わると書いておけば、ミュンシュに較べればねえ、なんていう聴かず憶測も払拭できるだろうか。録音は弱い。モントゥーの真価たる迫力を収録しきれていない可能性がある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R他)1958/7/25放送live,同上,昔はままあったことだがナレーションが序奏部にかぶっている・・・しかし、演奏自体はオケのパワーをフルに活用したもので凄い。そこを買って○はつけておく。冒頭より悪録音のせいで音量変化がそれほど感じられず、ピッチも高いものの、破壊的な結末に向けてリズムを叩き付け続ける終盤はなかなかの迫力で、確かに同曲をアメリカで得意としたミュンシュやパレーやライナーと比べると中庸の感は否めないものの、集中力は互角、一斉にブラヴォが叫ばれるだけのものがある。これ、指揮者を見ないで聴いて、あ、やっぱり音楽というのは指揮者が準備して結局オケが音にするものだ、と思った。指揮者のネームなんかどうでもいい。オケをここまで持ってくるのが指揮者であり、あとはオケ次第なのだ。このレベルのオケが地元にあったら、どんなに素晴らしいことだろう。もちろん、現代においては編成する事自体が困難だろうし、指揮者にそこまでの力はあるものかどうか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,〇コーツ指揮LSO(KOCH)1926-28・CD,,かなりの速さに冒頭何の曲わからなかったほど。リズミカルでテンポよく突き進む。音色もよくのっているが、私のKOCH盤は劣化がはげしく殆ど鑑賞に耐えなかった。でも〇。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(timpani/M&A/naxos配信他)1931・CD,,timpani盤からの印象で書く。やはり勢いがあっていい。これはノイズを何とかして、大音量で聴くと当時のパリのコンサートホールの(やや猥雑で派手な)雰囲気も伝わってきて楽しい。音量変化にとぼしく解釈もテンポも揺れず一本調子な反面、楽曲自体の魅力が巧緻な指揮から引き出され、またオケの明るく開放的な音にも魅力があるのは確か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,オーマンディ指揮バイエルン放送交響楽団(ORFEO)1959/6/5・CD,,重い。響きに厚みがありすぎて流れに昇華されない。この人のやり方なのだけれど、今日は受け付けられなかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,デルヴォ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(COMMAND/forgottenrecords)1961/5パリ,,デルヴォーの変態性が全面に出た演奏で、とにかく派手派手で、ねちっこいフレージング、ポルタメント多用の下品な節回し、恣意的な操作の数々、聞いたことのない異常なテンポ変化の付け方はとてもウィンナーワルツではないし、ワルツですらない。スヴェトラーノフは変態ではなく大熊だが、デルヴォは間違いなく変態である。まあ、察してください。オケの音色、表現が見事にデルヴォーの意図を汲んでいる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD,,この曲はわりと普通だ。普通にうまいし、普通に盛り上がるのだけど、音が派手ではなく、ブランコである必要はあるのかと思ってしまう。面白い、普通ラヴェルというとラ・ヴァルスでお茶を濁すもので、ボレロができればボレロだろうが、変化があって聴き映えがするし一楽章でまとまるのはこの曲だ。ブランコはラヴェルと親しかっただけにこの曲はそう攻める曲ではないと思ったのか。モノラルのせいもあるが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,プレートル指揮クリーヴランド管弦楽団(SLS)1967/3/30live,,エキセントリックさは感じず、かといってこなれた演奏とも感じない。後者感想はしかしむしろプレートルの後年までの個性でもあるだろう。下手という意味ではないのだ。オケが明晰なクリーヴランド管弦楽団ということもあり、指示の軋みや雑味が音に出やすい。セルでさえ完璧主義といいながらミスのはっきり聞こえるライヴ録音がわりと多いわけで、プレートルならなおさらか。正直デルヴォー的なものを求めたら期待はずれだった。アメリカオケの音にこの人は合わないのか。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,プレートル指揮シュツットガルト南西ドイツ放送交響楽団(hanssler)1995/12,,重さが面白さに繋がっている。軽快にやるべき曲ではなく毒のあるウィーン、往年の王宮、舞踏会のカリカチュア。あんまりにも美しくできているので旋律に騙されるが、トリッキーで暗い響きの彩、破滅的な打楽器がラヴェルの舞台用にきっちり曲をしつらえる職人性と同時に常時新しいものを追い求めて同じ物を二度作ることをしなかった態度をも打ち出し、ここでプレートルはオケのドイツ的な鈍重さを逆手に取るように、まったくワルツふうではない、何かデーモンの引き出されるような世界観を提示している。テンポ的には法悦してるのに、音色もそれなりに綺麗なのに、法悦性も美しさも感じられない。ただ、何か強烈なものをどぎつい色彩で、しかしあくまで冷たい焔として滾らせている。没入も客観もなく、独特のラヴェル。開放的で分厚い音響の派手さ、音の入りや切り方の尽くのアバウトさはロシア的と言いたいところなのに、違う。ロスバウトの響きに似ているし、解釈の実現方法にも似たところはあると思うが、最後はスヴェトラ並みのこれでもかという統制のない阿鼻叫喚。なんかすごい。その6文字で済ませてしまおう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,マルケヴィッチ指揮フィルハーモニア管弦楽団(COLUMBIA/HECTOR他)1952/9,,狂乱のワルツ。冒頭から荒れまくるロシア節とバレエ指揮者としての見事なリズムで煽る煽る。オケが良く指揮者にぴたりとつけていく。技巧的にすぐれたオケでなければコウハかないし、多少羽目を外した揺らしやハスキーな発音も下品に聴こえない。統制はマルケだから厳しく、しかし崩壊に向かう終盤では音符の横の長さをしっかり取って響きをより壮大にぶちまけて、大見得切って終了。これは録音のふるさをおいておけば素晴らしい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(london)1963/4アンセルメのラ・ヴァルスは定番中の定番。古い録音もこのステレオ録音も、アンセルメらしい品の良いリズム感覚がとても美しい舞踏会風景を描きあげていて出色だ。アンセルメの感興溢れる演奏の部類に入るもの。時折特徴的なテンポ変化が加えられている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○アンセルメ指揮パリ音楽院管弦楽団(LYS)1947/8/6実に優美な演奏。パリ音楽院の音色の魅力と、アンセルメ独特の「地に足の着いた軽やかさ」ともいうべき緩やかなインテンポ表現が、見事に調和している。激烈な盛り上がりは無いものの踊りの要素に欠けているということもなく、終始心地よく体を揺らすことができる、なかなか独特な魅力をもった盤。録音は悪いので注意。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○カンテルリ指揮NBC交響楽団(MUSIC&ARTS/TESTAMENT)1951/12/1放送LIVE・CD〜これが一本調子でちっとも面白くないのだ。NBCの弦も一生懸命艶を出そうとしているのはわかるが、一部が突出して下品に聞こえるという最悪な状態。録音もクーセヴィツキー盤なみに悪い。ブラヴォーが叫ばれているけども、この演奏様式であればトスカニーニのほうがずっといい。〜テンポは速くて直線的だが弾けるようなリズム表現に魅力のある演奏。ワルツ的なズラしは全く施しておらず、ウィンナー・ワルツを想定した(?)ラヴェルの意図が正しく入っているとは言い難いものがあるが、他盤にくらべ(あくまで「比較的」だが)音がよく、聴いていて心地悪いことはない。十分聴くに耐えうる演奏だ。トスカニーニと決定的に違うのはいくぶん抒情的な表現への指向が感じられるところで、あっさりしていながらも音色への配慮は怠っていない。弦の僅かなポルタメントにその美感が象徴的に現われている。「あっさり系」演奏へ敬意を表して○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団(ALTUS)1964/5/7LIVEさいきんダメだ。この盤が見当たらなくて探していたら、2組も出てきやがった(泣)このいささか乱暴な演奏、それだからこそのキッチュな魅力満載だ。ペットがブカブカ安っぽい音を吹くと、ヴァイオリンがケレン味たっぷりに放送コードギリギリの音を奏でたてる。ドラムがリズムに拍車をかけると、弦は微妙にアクセントをずらしてワルツっぽく合奏する。ああ、そうだ、ラ・ヴァルスってこんな曲だったよなあ、と思った。もう長いこと聴いてないが、フレイタス・ブランコがこんな演奏を行っていた。ハデハデしく、色もきつめだが、厚ぼったくはならない。音楽は前進性を保ったまま進んで、最後に一挙に崩壊する。前半やや危なっかしかったが、後半かなりまとまってきて安心して聞けるようになるので、間をとって○ひとつ。クリュイタンスの持ち味である透明感とはちょっと隔絶した熱い演奏だ。パリ音楽院管の音って懐かしい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),◎クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI)1961,62参った。弦など音程に難はあるが(フランス特有の病)、まずもって非の打ち所が無い演奏。確かに強烈な個性や音楽に膨らみを与えるケレン味には欠けるが、音の華やかさ、テンポの絶妙さ、品の良さは絶品だ。まさにラヴェルの模したウィンナーワルツそのものを聴いているような感じがして、これは「ラ・ヴァルス」としては何か足りないのかもしれないが、ワルツ音楽としては完璧である。意外と伸縮するテンポも確信犯的に効果的にひびく。明るい幸福感に満ちていて、それでいて最後にはばらばらと崩壊するラヴェルの諧謔も品良く纏めている。ファーストチョイスにぴったりなので、この曲を知らないお友達にもぜひ薦めてあげましょう。オレはEMIの広報マンか?,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,クリュイタンス指揮ORTF(warner/erato他)1951シャンゼリゼ劇場・CD,,最初いいじゃんと思って芳醇でカラフルな響きを楽しんでいるも、あれ鈍臭い、と感じる部分が混ざってくる。テンポ運びが悪いのだ。経過句的なところでもたつく感が否めない。オケの弱みをそのまま出してしまったような。。盛り上がりどころは派手でよいが、テンポがインテンポ気味なのに後ろ向き、とか、部分部分にいまいちな印象がのこった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○クリュイタンス指揮ベルリン・フィル(EMI)1957/2ちょっと面白いかも。ベルリン・フィルとクリュイタンスは相性がよかったという話しがあるが、たしかにこの演奏もそれを裏付ける佳演となっている。例によって特徴の少ない演奏ではあるが抜群の音響感覚とドライヴ感が鈍重なベルリン・フィルをわっさわっさと動かして、なかなか力感のある演奏になっている。「ベルリン・フィルらしさ」という点では食い足りない気がしなくもなく、やや重心の低い音響という以外にこれといった特徴的なものはないのだけれども、なんとなく気持ち良く聞きとおすことができた。人によっては絶品と評する人もいるだろう。私はどうもラ・ヴァルスという曲のイメージが出来上がってしまっているので、そのイメージとあわない部分を若干割り引いて、○ひとつとしておく。フランスらしさは薄いです、念のため。コスモポリタンのワルツ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○ゴルシュマン指揮セント・ルイス交響楽団(COLUMBIA)LPゴルシュマンの雄渾でスピード感のある解釈は魅力的だ。この人はフランス物が巧い。ラ・ヴァルスは曲自体けっこう単純なので一通りの演奏を聞き飽きたあとは中仲面白い演奏に巡り会えないのだが、これはそこそこ楽しめた。アメリカの楽団でありながらどこかヨーロッパの香りがする、ゴルシュマンの解釈ゆえなのだろうか。それはちょっと懐かしい響きのものだ。いい演奏です。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(AKKOPA/LYS)1961豪快な演奏。弱音部の弦がしばしばばらけるが、高音管楽器の早吹き、強奏部の総体の迫力やスピット・フォルテの凄みある表現には圧倒される。細かいデュナーミクが付けられ恣意的解釈に溢れており、ラヴェル自身の意図したであろう世界とは異なっていようが、聞いて面白いこと請け合いだ。コンドラシンにしばしば欠ける色彩味もここでは遺憾なく発揮され、フレイタス・ブランコの愉快な演奏を思い出した。CD化済み。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(ALTUS)1967/4LIVE録音が生々しく、豪快なロシアオケの真ん中に入って聴いているような迫真味がある。これはどこのオケでも大抵はそうだろうが、至近で聞くと案外荒々しく音色が揃っていないように聞こえるものだ。これがコンサート・ホールに入ると残響の中に雑味が吸収されてほどよい音色にまとまるのである。だいたい荒々しいほどゴリゴリ弾かないと響かない場合があるのも事実、いちがいにそれが悪いとも言えまい。この演奏ははからずもその素顔が垣間見えるものとなっているが、スタジオ録音と同様、いや聴感的には一層烈しく揺れる演奏になっており、面白いことこの上ない。繊細さとか品の良さというものとは無縁だが(だからといって大食漢で酒飲みの音楽にもなっていない、そこはコンドラシンだからストイック)もっとやれやれー的な言葉が口を衝いて出るほど、娯楽的な演奏である。もうちょっと色彩感が欲しい気もするが、このオケではこれが限界か。面白演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),コンドラシン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ(PHILIPS)1980/11/30LIVEほんとはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団なのだが私はこちらのほうがしっくりくるのでACOと表記させていただいてます。ロイヤルとつくとイギリスのオケと勘違いしてしまうから。この盤は今やレアなライヴ盤だが、この曲について言えばかなり大人しい。不思議なほど穏やかで、音量感もない。色彩性もあまりなく、全般に印象の薄い演奏だ。ロシア時代の録音のほうが数倍楽しめる。これは無印としておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○サバータ指揮ウィーン・フィル(FONIT CETRA他)1953/8/1ザルツブルグLIVE音が余りに悪く(音像が揺れがち)評しづらいが、独特の演奏。モノすごく速い。ほとんどルバートせず颯爽と進んでいく。とくにクライマックスの速さと揺れなさが凄い迫力だ。唯一緩徐部でテンポを落としワルツっぽく揺らしている(でもけっこう人工的)以外は、ウイーン・フィルとは思えない直線的な演奏ぶりで(弦などけっこう勝手にポルタメントかけたり「やらかそう」という雰囲気は満々なのだが)、サバータの特異さが浮き彫りにされている。録音のせいで音色がわからないのも痛い。終端の破壊的な音響を評価して間をとって○としておこう。最近イタリア盤でCD化。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○チェリビダッケ指揮ミラノ放送交響楽団(CETRA)1969/4/18LIVE私はなぜチェリのフランスものを集めているのだろう。ブラスが1小節ずれたりしてグズグズのこのライヴを聞きながら(この演奏はチェリ本人にとっても汚点だったろう)私はふと考えた。たぶん、新しいラヴェル、新しいドビュッシーを求めてのことだったのだろう。ラ・ヴァルスはラヴェルの最高傑作のひとつであり、オケの力量をはかるやや難しい曲である。永遠の持続性、果てしなく雲間をくるくる回るいにしえの宮廷舞踏会の参加者たち。象徴主義的な暗い幻想をはらんだ曲。チェリのやり方は恐らくいつもの遅いインテンポを堅持しながら音の密度によって音楽の描き分けをしていくという方法に違いない。そうすることでラヴェルの本質を抉り出すのだ。永遠に持続するワルツを表現するために敢えてインテンポを貫き通すに違いない。そう思っていたのだが、後半になると、かなり極端で恣意的なテンポ操作が行われていて驚かされる。イタリアのオケだからということもあろうが、生暖かい音色やはずむようなテンポ感(後半でやっとノってくる)、そういう娯楽的要素を取り入れていることに驚いた。最後の超ディジタルなリタルダンドはさすがにオケの表現がついていけてないが、とても独創的な解釈である。この後半部分、「新しいラ・ヴァルス」を好む人は聴く価値あり。ブラヴォーがすごい。最初はあまりいけてないと思ったけれども、○ひとつ、後半の破天荒なテンポ操作に捧げておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(000CLASSICS:CD-R)1979/6/21LIVE録音に難あり。重厚長大化したあとのチェリの芸風を垣間見させる伸び縮みしまくりの演奏で、ゆっくりのところではあまりに表現が丁寧すぎてスピード感が損なわれている。全般に振れが大きく、速いところは決して一般的にも遅くはないのだが、あまりに極端で作為的なテンポ変化はちょっと違和感がある。その解釈の丁寧さに基づく怜悧なまでに磨き上げられた美しい響きは認めなければなるまい。迫力があり、統一感有る演奏だ。止揚する音楽には好悪あると思うが、ゆったり余裕の有る人向きだろう。私は何とも言えない。録音の悪さがどうも気になるので無印。最後は異様な迫力で多くのブラヴォーを呼んでいる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,チェリビダッケ指揮ORTF(ina配信)1974/10/2live 28放送,,他の既出盤と同じだろう。ina配信音源の中では他のチェリのラヴェルに比べ音がこもって分離が悪く感じる。それでもステレオ録音ではある。音の入りが常にはっきりと、そくっと入るのではなく明確に入るところに醒めた感じがするチェリビダッケだが、音符そのものの表情は適度に付きニュアンスがそれなりに付与されている。始めはあっさりめで音量変化を極端につけるようなこともしないが、展開部?で低弦が旋律の続きを提示するあたりからひとくさり、伸び縮みがはっきり付いてくるのがコントラストとなっている。これは全体の計算だろう。終盤に向けては再びあっさりめ(というか普通)のテンポ設定となるが、圧倒する音響で迫ってくるのはミュンシュを彷彿とさせる。爆発的な感興は呼ばないがブラヴォが飛ぶ。チェリビダッケの演奏としては統制は僅か落ちるかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),◎フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(DUCRET THOMSON/WESTMINSTER他)CDこの演奏は自分の中で余りにスタンダードになっているため冷静に分析するのは難しい。粒立った音の煌きは波頭に砕ける水玉のように明るく鮮やかで、瑞々しい響きの饗宴は蠢く低音から飛翔する高音に至るまでどこにも欠けるところがなく、めくるめく歓興をあたえる。楽天的で刹那的だけれども、優美な踊りの輪はひたすらにゆったりと心を包み込み、後半激しい場面では期待を裏切らない躍動感溢れる曲造り、幻想の舞踏会もシンバルの警鐘に終わりを告げ、逃げ惑ういにしえの貴族たちは朝一番の陽射の中、地下室の闇苅へと消える。そんな妄想を抱かせるほど、この作曲家のオーソリティとしての底力をひしひしと感じさせる名盤。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○ボルサムスキー指揮ライプツィヒ交響楽団(URANIA)録音がよければ◎にしていたところです。狂暴もいいところのスバラシイ演奏。これを大音量で聴く楽しみったらない。ダフクロ、ボレロときてこの曲にクライマックスがあったかとほくそ笑んでしまう。例によって無骨な解釈でリズムも揺れず色艶のかけらもないのだが、ロマン派的響きに彩られたドイツ舞曲はこれはこれで聞けてしまう。何よりやっぱりパーカスのドスドスいう音響が野蛮な気分を盛り上げるし、ガシャーンとシンバルが派手に鳴ればボントロ以下の威圧的な咆哮が轟き(あれ、他の曲だったかな?まあいいや)底深く中身の詰まった響きに安定感を感じる。その上でロジンスキ時代のNYP張りの弦がウィーン情緒のカケラも無い力強いアンサンブルを見せ付ける。そしてひときわ野太い音を発するペットが低音と高音の間を強烈に橋渡し(あれ、これも別の曲だったかな?まあいいや)。とにかく最後はすごいですよ。しょっちゅうマックスに達する音量変化に度肝を抜かれた今日このごろ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),◎マデルナ指揮南ドイツ放送交響楽団(ARKADIA)1972/4/7LIVEこれは面白かった!細かくも大きくもとにかく凄く伸縮している。それが恣意性を通り越して小気味良く聞けるのはひとえにマデルナのテンポの絶妙さにある。ワルツというものを(過剰に?)知っている人の演奏だ。ドイツのオケを使っている所がミソで、マデルナにつけてしっかり弾き切っており、マデルナの解釈を見事に音にできている。重心の低い音もこの曲にはあっている。この演奏の聴きどころは何と言ってもその絶妙なテンポにあるが、じつに美しいフレージングも特筆すべきだろう。弦の艶のある音、木管の震えるような音色は絶品だし、金管の丁々発止の発音も素晴らしい(巧い!)。端にはほころびも見られるが、楽曲の全体設計がしっかりしており安定感がある。合奏としてもよく整理されており、いつになく成功している。とにかくちょっと他では聞けない、すれっからし必聴の奇盤。強引に◎をつけます。聞きなさい。久し振りにラ・ヴァルスで興奮した。なぜか拍手だけモノラル。前にも別盤で同じようなことがあったが、拍手だけとってつけたようで怪しい。まあいずれにしてもマデルナ最晩年の境地を示すものとして貴重な録音だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○ライナー指揮シカゴ交響楽団(CSO)1960/3/25LIVEちょっとライナーという指揮者を見くびっていた。職人的指揮者と思っていたがこの演奏は十分に個性的である。古い録音でこの曲にはやや不利だが、ライナーのスウィングするテンポ感は魅力的で、実演はさぞ凄かったろうと思わせる。音もシカゴらしからぬ重低音が駆使され、クライマックスでは迫力有る演奏が繰り広げられる。面白い。やや雑味があるので○ひとつ。フリッチャイ指揮RIAS交響楽団(DG)1953/6お、重い。。しなやかさが皆無。ねっとりとしたフレージングもじつに独特で、異様なテンポ・ルバート(変なところでテンポを落とす傾向がある)含め、とても正統とはいえない。重厚なラヴェルというのも面白いが、何度も聴きたくなる演奏ではない。踊れません。ドイツ臭い演奏・・・チェリなどとは全然違うが。無印。録音も少々辛い。当然モノラル。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(MUSIC&ARTS)1931CD勢いがあって昔は好きだったのだが、音は悪いし、即物的で急くようなテンポやドライな発音は魅力が薄い。このころのフランスオケの艶やかな音には惹かれるものの、それを堪能するには余りに音が悪すぎでしょう。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団(VOGUE)1927/5/7うーん。たどたどしいというか、雑然としているというか。。この時代の録音技術を考えるとオケや指揮者だけのせいとも思えないのだが、それにしてもぎごちない。しゃれっ気というか、品の良さが持ち味のフィリップ・ゴーベールの指揮も、この悪条件の中で個性を強烈に訴えることができずに敗退してしまった感じである。いや、20年代の録音についてとやかく言うまい。ラヴェルはこういう演奏に囲まれて作曲を続けていたのだ。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団(columbia/vogue)1927/5/7・CD,同上,ラヴェルのこの時代のフランス録音はいずれも何故か硬直したようなテンポや解釈(させない強い力の存在)が多く、作曲家の影が見えるが、これもその例に漏れない。しかしどちらかといえば表出力の弱いフランスオケに強く明瞭な表情付けをし、内声部まで見通しよくまとめ、弦楽器によるワルツ主題は(この時代のオケにもかかわらず)しっかりウィンナワルツ風の抑揚を付けさせており、なるほど、といった発見をすることもできる。早いテンポでとちるのはこの時代のどのオケでもどのパートでも一回は聴かれるものなので、それが10回に増えたところで全体の音の悪さがわからなくさせてくれる。10年以上前酷評していたと思うが、この時代の録音を多く聴いてきて、まったく悪くないと思った。良いと言う程でもない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),セル指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(RCO)1957/11/28放送LIVE結構普通。録音も悪い。音のキレはピカイチだしクライマックスはさすがに揺らしてくるし弦楽器の震えるような音も魅力的だが、大部分はどうもこれといった特長に欠ける演奏。まあセルらしいと言えばセルらしいストイックさ(悪い意味でも)がある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(M&A)1940/4/27LIVE終始高速で、殆ど揺れない一本調子に骨太の音を載せて、即物ここにありといった感じの演奏ぶりは、「らしい」表現とはいえトスカニーニの数少ないラヴェル記録でも際立っている。ペット、トロンボーンやフルートなど管楽器の表現も、「音の震え」の少ないどちらかといえば「ボー」というような太くて率直な発音が目立ち、弦楽器にしても思い入れのある音を作る隙がないらしい。それら独特の音表現のため、同曲の刹那的な美感を重視する向きは違和感しきりだろう。なにぶん音が悪いのでこれ以上の掘り下げはできないが、漫然と聴くと非常に面白い。ひとつひとつの音として聴くと魅力が薄いかもしれないが、総体の流れとしては完璧にハマっているのだ。最後G線オンリーのうねりまでもが加速して行くテンポの中に、より速さを伴ってあっさり通過していくさまなど、ちょっと他にはない面白さ。そのまま破滅も終局もせずに断ち切れて終わるのは、余韻がなさすぎの感もあるが。アルベール・ヴォルフのラヴェル直通解釈もかなり即物的であったから(フランスオケの音色の差はあるが)こういう演奏、決して間違ってはいないのだろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:ラ・ヴァルス,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(GUILD)1940/5/14LIVE・CD,,骨董品の放送ライヴ音源を品質問わず無編集で出し続ける、DAみたいな悪海賊の不始末をつけてる生き残り弱小レーベル。この日のまとまりないプログラムも取りあえずまとめて、既出も含みながら復刻。このラ・ヴァルスは初物だと思うが、いかにもトスカニーニライヴらしい一期一会的な表現で度肝をぬかれる。たぶん1番「ひどい」・・・止まらないアッチェルの果てに大ブラボー、録音も非常に悪いから、なんだこりゃである。ただトスカニーニ全盛といわれる30年代に近く、極めて演奏精度が高いので「ウィンナワルツのカケラもない」にもかかわらず、迫力と音圧で聴き切れてしまえる。律動だ。トスカニーニは間違いなく暗譜しきっており、自分のリズムに自分の揺らしまで徹底させ、本番の空気を支配した、そのドキュメント。発作を起こしたような舞台にはラヴェルはいないが、トスカニーニが獅子様に吠えまくっている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),トスカニーニ指揮NBC交響楽団(MEMORIES/ARKADIA,FONIT CETRA)1943/11/21LIVE録音については1940年ライヴと一長一短である。より明瞭に音像がとらえられる反面、雑音もソリッドに聞こえてきてわずらわしい。個人的にはこちらのほうが安定し聴き易かった。解釈はまったく同じだが、はっきり聞こえるぶん理解し易い。まったく揺れず、リズムもはずまず、全てはかたくななまっすぐの線上に配置された音楽であり、メカニカルだ。それでも感興を呼ばないわけではないし、何度も聞くにはこういう演奏の方がいいのかもしれないが、私は3回目で飽きた。音場が狭いのも痛い。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20),レイボヴィッツ指揮パリ放送交響楽団(VOX)言われるほどレイボヴィッツは悪くはない。だがこの盤、私のLPのせいかもしれないが、聞きにくい。高音楽器はキンキン金属質の音をたて時にヒステリックなほど響き渡る、だが、低音域が薄い。ダイナミクスの差は恐らく実演以上につけられている(録音操作だろう)。 全般何か人工的なのだ。それは音楽的とはいえないのではないかというくらい強い印象として残る。テンポはわりと普通でそれほど揺れず、あっさりしている。音は往年のフランス・オケのそれで、わりと透明で繊細な響きだ。それでいてアクが強いのはまとめ方が異質なのだろう。シェルヒェンのような表現主義指揮者、だが音さえよければ至極明瞭な音色変化のマジックに酔うことも可能かも。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:歌曲集「シェヘラザード」,○コラッシ(msp)アンゲルブレシュト指揮パリ放送交響楽団(INA)1956/9/21live・LP,,長い第一曲など中期ドビュッシー風のロマンティシズムをはらむ曲(本来ソプラノ)だが、極めて精緻な管弦楽構成で繊細な響きを紡ぎ出していくあたり確固として歌曲伴奏でありながらも抽象音楽であるかのような充実ぶりに瞠目させられる。アンゲルブレシュトは往年のフランスオケらしい「前時代的な」音はそのままに、しかしそれぞれの声部間に常に一定の距離を持たせ、室内アンサンブル的な極度の歩み寄りを避けさせることにより空気の通るような大きな音響空間を形作っており、結果ソリストを邪魔することなく包み込むような音楽を作り出している。このやり方でこうまとめられるのは並ではない。やや音場の狭いステレオ録音だが明晰で、それゆえ独唱に感傷性が無く普通に巧いだけ、という印象になってしまうのは現代のデジタル録音同様の問題。,,ふつふつと湧き上がるような感動を呼び覚ます演奏で◎にしたいが、ライヴなりの音質も含め○か。INA音源で一応プライヴェート盤扱いの、ライヴ録音を集めた元廉価LP。流通数は多いのに稀少扱いされている(つまり中古市場では高い)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:歌曲集「シェヘラザード」,ダンコ(Sp)ミュンシュ指揮ORTF(ina他)1950/7/24live,,同音源はかなり前にCD化していたらしいのだが、現在はAmazonデジタルミュージックで配信されている(ミュンシュの「データ不詳の」一夜のライヴとして。クレジットにサティの名があるがそもそも演奏されていない)。ina配信ではナレーション部分も含む全放送が(トラック分けはされていないが)その半額以下で配信されており、データはそちらに基づいた。いずれも古いライヴ記録でかつMP3ということで察しな音であり、デジタル圧縮音特有の歪みや「硬さ」が耳に痛い。アンセルメ盤でも聴けるダンコはフランスの楽曲に向く、というか微妙な表情付けが巧い。基本的には安定している。同曲は3曲からなるが演奏時間的にほとんど1曲目だけで構成され、いかにも中期ラヴェル的な楽器のたくみな使い方、ちょっと古いロマン性も最後に顔を出し、そこはミュンシュも色彩的に描き出している。時代なりのものか、木管の音色が鄙びているのは仕方ない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:幻想的歌劇「子供と魔法」〜5時,◎コッポラ指揮グラモフォン交響楽団(LYS,DANTE)1927/10/14アメリカの香りを感じるのは私だけだろうか。ガーシュインの「パリのアメリカ人」を想起した(作曲 はラヴェルが先)。音響感覚に似たものを感じる。軽音楽ふうの何とも言えないイイ香りを放つ曲だ。時代の空気をつたえるコッポラの洒脱さも冴えている。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:幻想的歌劇「子供と魔法」〜冒頭,○サバータ指揮他(COLUMBIA,serenade:CD-R)1948,,これブールの録音だと思っていたが「平林先生」のデータによるとサバータだそうで、serenade盤に基づき書き記しておく。さすが音に拘った明瞭で生々しい復刻でノイズも気にならない(注:マニアに限る可能性あり)。サバータの演奏が晩年のラヴェルを魅了した話はわりと有名だと思うが、ラヴェルは確信犯的なドビュッシーよりはましとはいえそれでもけっこう場当たり的な感想を漏らし、それを誰かがきっちり記録していることがあると思う。超客観主義的でスコア至上主義者だとされる反面、「風見鶏」に思えるほどその場その場の実演の「印象」だけで「感動」を示したりもする。トスカニーニのボレロ実演に関する「伝説」がいい例だが、サバータも歌劇場を主戦場とする主情的な指揮者だからラヴェルの作曲家絶対主義とは相容れないところがあった筈。この演奏は非常に短い断片なので何とも言えないが、RVWやサティのソクラートを思わせるアルカイックな単純な伴奏音形より始まり得意のすべらかな和声処理による感傷的な序奏をへて、独唱の意思の強い表現、そして晩年の他作品、とくにピアノ協奏曲の簡潔な書法と不協和的な室内楽曲あるいは独唱曲と共通する運動性やオリエンタリズムを色彩的に描き抜いてゆく。場面転換が鮮やか・・・だがそれをしっかり認識する前にさっさと終わる。全部でどのくらい残っている録音なのか知れない。○。,-----,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:幻想的歌劇「子供と魔法」,○ロザンタール指揮ORTF&CHO他(ina)1962/12/6live,,不安定で撚れのある個所もあるがおおむね安定したモノラル。時代的にステレオにしてほしいものだがinaがどこかからかき集めたコピー音源かもしれない。優しい曲でそれほど長くもなく、マ・メール・ロア(マザーグース)の世界にピアノ協奏曲の素材を入れて洗練させたがごとく伴奏もきらびやかで繊細でロザンタールらしい色彩的なオケに、少し大仰ではあるがとてもフランス的な歌唱が入る。上演版でキッチュな場面では笑いも入る。最期はママンのゆったりした女声のあとブラヴォ。いや、ステレオで聞きたかった。Amazonデジタルで配信中。ルーセルとの組み合わせ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:幻想的歌劇「子供と魔法」,○ロザンタール指揮ORTF&CHO他(ina配信他)1957/12/26(1957/12/28?)1958/1/2放送 ラヴェル没後20周年コンサートlive,,1957/12/26と表記しAmazonデジタル(ina)から出たものは同じ組み合わせでラヴェル・フェスティバルとあるためina配信と同一音源、時系列的に12/26が正しいと思われる。スペインの時に続いて演奏されたものだがこちらの方がメインのプログラムと言っていいだろう。ロザンタールはこのバレエとも歌劇ともコミックオペラともつかない作品のバックをしばしば振っており、70年代アメリカでの舞台映像記録もあるというが寡聞にして識らない。録音はモノラルだが明晰(環境雑音や放送ノイズのようなものはわずかに入る)。めざましくめくるめく音楽はくるくると変幻自在に、ラヴェルが自身の管弦楽や歌唱作品で培ってきた技巧が注ぎ込まれ、サティの「パラード」的なガチャガチャした設計を緻密かつ大胆にやり直し、断然に見事な劇音楽に仕上げている。「マ・メール・ロア」を極度に拡大し先鋭的な新しい手法によって組み直し削り落とし、また、ロザンタールはよくその音楽が劇と共にあることをわかっているからコンサート形式であっても(さらに言葉がわからずとも)何となく子供が様々な文物とエキセントリックなやりとりをしながら楽しげに時間をすごしていっているのがわかる。劇はママンで終わるのだがここではママンに抱きつくような野暮な終わり方もしない。ルーセルのエネアスのようなざわめきから不安げな夜景の中に叫ばれるママンである。とにかく十八番、ラヴェルはつねに同じ音楽を書き続けることを避け新しい要素が途切れないように苦心して作曲していったが、それでも同時期の作を思わせる素材が散見されるスペインの時にくらべ、格段に面白い。何故かマーラーの奇怪なメルヒェンをも思い浮かべた(単に大地の歌に現れる中国風のパセージのせいかもしれない)。それはあくまで夢想としてであって音楽とは関係がない。これは価値ある記録である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),インターナショナル四重奏団 (M&A)1927・6 作曲家監修。ラヴェルはけっこう監修が多いような気がするがホントに監修してるのかなあ。例のロン女史とのピアノ協奏曲がじつは自分で振っておらず、フレイタス・ブランコの指揮だったらしいという暴露話(ちゅうかEMIの正式リリースCD)が、著作権切れた(カンケイないか)今になってでてきたり…ただ、録音最初期の室内楽団として知られるインターナショナル四重奏団の演奏は、特徴ある美音に彩られた佳演であることは確かです。…とても一般の鑑賞に耐えうる録音ではありませんが。よくきくと、ラヴェルは交通整理が苦手だったらしいが、そんなぎくしゃくした感じはする。だから、多分しっかり監修はしてるんでしょうが…,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),ガリミール四重奏団 (ROCKPORT RECORDS)1934 作曲家監修で昔から知られていた演奏。やっとCD化。この時期ラヴェルはしっかり監修できたのか?死に至る病(絶望じゃなくて脳症)を発症してたはず。1934年って入院した年ですよね。音の誤りくらいは指摘できたにしても…。ガリミールは数々の現代音楽初演で知られた遠い昔の演奏家です。非常に即物的。ポリドール録音。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○ガリミール四重奏団(新)(vanguard),,この演奏はウィーン時代のガリミール四重奏団の録音を知っていたらまるきり違うことに驚かれるだろう。しかし、まるきり違うのは当たり前で、ガリミール四重奏団は戦争をはさんでまったく二期に分かれる。それを説明するには主催者であり唯一のオリジナルメンバーであるフェリックス・ガリミールについて少々説明を加えないとなるまい。,,フェリックス・ガリミールはウィーン生まれウィーン音楽院出身のヴァイオリニストである。カール・フレッシュに師事しておりソリストとしてもデビューしているが、既に19歳から姉妹と弦楽四重奏団を組織しており、それが家族を中心とした最初期のガリミール四重奏団の母体となっている。初期から一貫して20世紀音楽の紹介につとめ、特に新ウィーン楽派との親密な関係は抒情組曲の録音で聞かれるとおりである。同年ラヴェルの監修のもとラヴェルの初録音も行っているが、このときガリミールはまだ26歳であった。いずれ極めて即物的な演奏として特異な位置を占めるものである。,,1936年当時まだウィーン・フィルに所属していたがナチの影がさし楽団はおろかオーストリアから市民権を剥奪、単身フーベルマンの招きでイスラエル・フィルへ向かい2年をすごすが、その間家族はパリで辛苦をなめたと言われる。,,38年NYにわたったガリミールはソリストとしてアメリカデビューを果たすとともに室内楽活動を再始動させる。これが息の長い現代音楽紹介の活動を続けることになるガリミール四重奏団(新)という形になる。WQXR放送における活動の一方でトスカニーニ下のNBC交響楽団のファーストヴァイオリニストとして過ごし、54年まで所属。シンフォニー・オブ・ジ・エアーになってからはコンサートマスターとして2年を勤め上げる。NY市立カレッジで教鞭をとるようになったのが室内楽指導者として有名になっていくきっかけとなる。NYPに所属する一方で長く続くことになるバーモントのマールボロ音楽祭を組織、現代作品を中心に毎年演奏にも加わっていた。,,62年ジュリアード音楽院でも教鞭をとりフィラデルフィアのカーティス音楽院では72年来室内楽を指導。室内楽のエキスパートとして各地に招かれ指導を行った。ヒラリー・ハーンも生徒の一人である。その間にも演奏活動は継続し、デッカ、コロンビア、ヴァンガード、ピリオドの各レーベルに録音を残している。99年11月10日にNYでこの世を去った。,,つまりガリミール四重奏団は29〜39年のウィーン期(ポリドールのSP録音)、1944年以降のNY期に完全に分かれるのである。ウィーン期のものは限られているが、これだけがクローズアップされがちなのは残念なことである。後期では特に幅広いジャンルの弦楽四重奏曲を演奏し、デジタル初期の名盤として知られたのがこのヴァンガードのラヴェル・ドビュッシーの演奏である。セカンドヴァイオリンは日本人。,,そしてラヴェルの話に戻るのだが・・・これが「普通」なのである。ドビュッシーよりも盛り上がるし、一部大昔の演奏を思わせる即物的な解釈がみられるが(終楽章の5拍子をここまで正確にとれている録音も無いのではないか!)おおよそ一般的なイメージ内におさまるロマン性を表現した演奏になっており、教科書的に読み解けばじつに有意な内容を引き出せる端正な録音だと思う。現役でもいいくらいだが、ラヴェルの演奏というとアルバン・ベルクをはじめいくらでも「エキスパート」が録音しているわけで、因縁的な部分を知らないと、余り特徴のない、でも引き締まった演奏だぐらいの聞き流しになってしまうのはせんかたないことかもしれない。とにかく、正確であり、しかし客観に落ちていない。音的にやや魅力に欠けると思われるのはおそらく全般としてアメリカナイズされた音にならざるをえなかったというところに尽きるだろう。まあ、この4楽章を聞いてびっくりしてください。バスク舞曲とかそういう問題ではなく実にきっかり5拍子をはめてきているのが驚き。○。,,""
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○カペー四重奏団(EMI他)1927-28・CD,,ラヴェルの演奏方法として当初一般的だったのは寧ろかなり非ロマン的な演奏だったのではないか、とインターナショナル四重奏団などラヴェル監修とされた録音をきくにつけ思うが、カペーは違う。カペーも確かに即物的な解釈で演奏者独自の特徴を出さない方向にまとめているのだが(これはドビュッシーも同じ、のちのブダペスト四重奏団なんかに似たところがある)音色にはロマンティックな時代の奏法が高度な技術に裏づけされた形で注意深く反映されそこが違う点となっている。あからさまに下卑た感情的な音だと客観的解釈には乗りにくいし(そういう演奏もこの曲には多いが)非人間的なまでに音色を金属質にしてしまうとそれはそれで寄る瀬のない演奏となり鑑賞するのが辛くなる(分析するのには都合がよい)。後者はガリミール初期を言っているのだが、しかし、バランスという意味でも演奏自体の完成度という意味でも、全般地味ではあるものの弦楽四重奏史に大きな足跡を残すオーソリティなりの若い楽団を寄せ付けないプロフェッショナルなものが聞けるということでこの演奏は一聴の価値はある。○。音盤のプロデューサーによってけっこう音が違ってくるのでそこも注意。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○レナー四重奏団(COLUMBIA),,SPというものはプレイヤー本体から出る音で楽しむのが一番で、電気的に処理してしまうと倍々でノイズが強調され、音楽部分がぼやけてくる。デジタル化したら尚更、これはSPで聴いていると生々しく細部まで聴き取れるのだがケーブル経由で最終的にはデジタル化してしまうと何だがぼーっとしたSP復刻CDみたいな音になってしまう。うーん。従って聴感も違う。うーん。SPで聴いていると細かいところが気になる。一音だけ、違うのではないか(間違ったのか勝手に「伝統的なふうに」変更をしたのか・・・精密機械ラヴェルは一音たりとも変更したら崩れてしまう)、とか、八分休符が無い、とか、カペー四重奏団の(当時としては超)現代的スタイルのインパクトに隠れてしまった録音と言われるが基本的に物凄く巧く柔らかく音色も優しく美しい、作為的な強弱や極端でデジタルなテンポ変化のつけ方が、少し他の雑な団体と違っていて、まるで自作のように独特な解釈だが、自然、ボウイングや音響処理には若干ドイツ的な部分がみられる、とか色々感じるところがあった。しかし、電子化したところ、単に呼吸するようなルバートの巧みさとか、ポイントでのオールドスタイルの大仰な見得切り(ためてためて一瞬間をあける)みたいなテンポに起因する目立つ部分ばかり耳に届く。言われているほどオールドスタイルではない、むしろカルヴェなど後代のカルテットのほうがよほどやらかしている。,,この団体を表舞台に引き上げたラヴェル自身は眉を顰めたであろう箇所は随所にあるが、今の耳からするととても面白い、かつ、それが下品にならない寸止めであり、音色も艶はあるが品よく聴こえる。カペーなどよりよほど面白いのだが。そもそもラヴェルゆかりの団体、SPそのままの音で巧く復刻できないものかなあ。,,激しいフレーズでエッジの立たない1stの発音が少しのアバウトさとともに印象を悪くしている可能性はある。エッジは録音のせいだろう。二、四はいささかリズムを取りすぎの感はあり前進力が時々失われ、一方先へ流れがちで緩いかもしれない。一も時々瞬間的に走る。三はかなり起伏がなく、印象がない。このあたりカペーには劣ると受け取られた由縁か。ドイツ的と書いたが微妙なハーモニーがしっかりした低音と旋律音域の対比という非構造的音響感覚のもとに不協和的にしか感じられないところもある。録音的に捉えられない部分かもしれないが。それでいてアンサンブルは綺麗に立体的に出来ているのである。,,ちなみに最近よく出ているUSB接続のVESTAXの安物ポータブルプレイヤーで録音したが(針も備え付けの通常のステレオ用・・・DJ用ではあるVESTAXの針ははっきりとした音が案外いいので本式プレイヤーでも使ってます)、とてもよく使える。機構はシンプルでアナクロだからそんなにヘビーユースしなければ、交換針式のものでいちいち交換するまでもなく(同価格帯でSP針が別売りされている他社機種もあるが)ほとんど傷もつかなさそう。重量盤なら安定しているので、プレイヤーからはみ出す形式でも歪みは出ない。さすが売り切れまで出るタイプの機種だ、ただ、付属ソフトは優秀なのだがバグると始末に終えないので注意。,-----,,,-----,,,-----,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3)〜T.,○ガルネリ四重奏団(polydor)SP,,落ち着いた演奏で、パッと掴まれるようなことはないが、聴いていくうちに浸りこむことができる。折り目正しいが堅苦しくはない演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),カルヴェ四重奏団(LYS)ドビュッシーの希代の名演に対していささか個性が薄まっている感じ。なまめかしさ後退。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),カルヴェ四重奏団(melo classic)1946/8/2シュツットガルトlive・CD,,演奏精度や「甘過ぎる」音色、さらに録音状態の問題はあるにせよ、ドビュッシーよりこちらのほうが迫ってくるものがあった。セッション録音では逆だっただけに、ライヴという場について考えさせられるところもある。ラヴェルのほうが「良く書けている」ということだと思う。また、ドビュッシーのカルテットのほうがロマンティックな香りを濃厚に残していると思うのだが、ラヴェルでもこの曲くらいの時期では旋律にかなり重きが置かれているのがこれを聴くとよくわかる。カルヴェはこのての旋律を歌うのが旨い。,,一楽章冒頭の、そっと始まる感じは同曲全体の印象をすらぼやっとしたものに感じさせるところがあるが(だからドビュッシーの方が最初は入りやすい)、この旋律の途切れない横の流れはカルヴェにじつに向いている。いきなり情緒たっぷりに歌い上げて、第一主題なのだとハッキリ印象付ける。反面動きの機敏さが求められる二楽章や四楽章は少し鈍さや機能性の低さを感じさせるが、そこはライヴだから仕方ないところもあり、楽団に向かないのかもしれないし、仕方がない。即興的なスピード変化や歌い回しの面白さはその穴を埋めるだけのものはある。ここでとても面白かったのはラヴェルの真骨頂ともいえる巧みな書法をしっかり読み取って、いつものファースト先行型スタイルではなく、集中度の高いアンサンブルを聴かせてくるところだ。チェロもともするとカルヴェ張りに情緒たっぷりなボウイングで主張したりと、四本がこの楽団のスタイルを守ったまま、スコア通り絡み合って立体的な演奏を繰り広げる。いや、今セッション録音を聞き直せば、カルヴェのラヴェルの良さがわかるかもしれない。当時はドビュッシーは素晴らしく個性的だがラヴェルはパッとしない印象だった。このCDには70年代カルヴェがラヴェルとの邂逅について短く語ったインタビューが付いている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3)〜U.断片,カルヴェ四重奏団(web配信(melo classic))1946プラハlive・動画,,同レーベルの同年シュツットガルトライヴ盤のプロモーションとして共有サイトにアップされたものである模様。楽章冒頭からひとくさりを、何故か二回、演じて終わっている(いずれもテスト録画である模様で全編はやらずに弓を置く)。最初の方はピッチが高く聴きづらい。動画だとだいぶイメージが広がる。カルヴェにかぎらずセコバ等もかなり派手なアクションで魅せる。録音が捉えきれていないだけで、生だと思ったより内声部も主張するスタイルだった可能性がある。緊張感のあるアンサンブルをこうじており、一部テンポが流れるようなところはあるが、バラけることは決してなさそうだ。ラヴェルをやり込んでいる感じもする。弦楽カルテットの動画は曲がよく見通せるのでおすすめ。,,※2016年9月12日現在同レーベルのアカウントが削除され動画も見られない状態になっています。
※2017年1月現在、FB公式アカウントで見ることが出来ます。
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ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),ブダペスト四重奏団 カペーもブダペストも演奏はユウメイだけれども私はあんまりひかれない。音色が地味もしくは個性に欠ける。こういう演奏なら現代の新しく明晰でディジタル録音でバランスいじりまくった(暴言だなこりゃ)録音のほうが数億倍いいような。ブダペストはところどころ独特の解釈が入ります。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),プロ・アルテ四重奏団(ANDANTE/HMV他)1933/12/3-8・CD とても正確で、奇ををてらわぬマジメな演奏だ。スピードの極端な変化は避けられ、音はひとつひとつが明瞭に発音されポルタメントのようなものは殆ど排されている。私のようなすれっからしはこういう優等生的な演奏にはケチをつけたくなるものだが、先へ聴き進めるにつれ微細なニュアンス付けや音色への細心の配慮が聴こえてきて、うーん、と唸らせられる。1、2楽章あたりは「つまらん」のヒトコトで斬り捨てる人がいても仕方ないと思うが、3楽章のようにやや捉えどころが無く言ってみればもっとも印象派的な音楽は、微妙なハーモニーが綺麗に決まらないと成り立たないものだから、ここにきてはじめて「正確さ」が威力を発しはじめる。3楽章は必聴。4楽章は前半楽章ではやや後退していた艶めかした音色が前面に立ち耳を惹く。とはいえ基本的に即物的な演奏でありテンポの伸縮のない「棒」のような解釈には若干疑問を感じる。録音は悪い。迷ったがやはり地味で客観的、ノリが悪いから無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○プロ・アルテ四重奏団(biddulph他),同上,危なっかしいところが無きにしもあらず、でも所謂オールドスタイルで、ラヴェル作品として許されない部分はわきまえたうえで、メロディラインの扱いやアンサンブルの自在さが楽しめる。四楽章すごい。刻みがキレキレだが、それよりもすごいのはパッチワークのように継ぎ接ぎされたメロディラインをしっかり繋げて、歌う歌う。大きな流れ。こういうのが理想の歌い方だ。上手かったらこういうのやりたかったのになあ。もう無理。惜しむらくは録音ないし復刻の悪さ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○クレットリ四重奏団(新星堂EMI,COLUMBIA)1929/3/22・CD,,ここへきてクレットリにかえると、物凄い雑音と弱音のSPからの復刻であっても、物凄いしっくりくるのである。収録時間の制約もあるにせよこの曲は余りゆっくりやってしまうと底が見え瑞々しさも失われてしまう。平準化された往古の音質とはいえ明るくも情緒的に膨らみのある音を皆がもち、言われるほど均質化された音楽が噛み合い過ぎて浮遊感うんぬんいったことは少しもなく、各自がラヴェルのえがいた明確な音線をあくまでしっかりソリスティックに表現しフレージングをつけ、それを力業でテンポとリズム(あやうかったり失敗したりしてもリズムさえあっていれば流れは作れる、むしろ楽譜の細部に拘泥し聴く者にコキミいいリズム感を与えられないほうが問題なのだ)をあわせるだけでアンサンブルとして聴かせている。ラヴェルは縦の作曲家だが旋律面では横の流れが意外と重要となる。性急で弾けてないところも多数聴かれるとはいえ、カペーの即物スタイルに若さと色を添えたような往年のフランス派同時代の音楽表現力に耳を奪われた。ファーストの高音域が録音のせいか痩せて子供ぽく聞こえたりチェロのナヴァラの個性が浮き立たなかったり、これを第一に推す気にはならないが、弟子孫弟子クラスの団体が失ったものがここにある。○。板起こし。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○ロンドン四重奏団(M&A)1950/1/27live・CD,,かなりの熱演なのだが1楽章がだめだ。最初からスピードが速すぎて、個人はおろか全部がずれるというアンサンブルミスまで聴かれる。個性のない団体だからそういうところがすごく気になる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),パガニーニ四重奏団(KAPP)LP,,ドビュッシーとラヴェルのカルテットはよくカップリングされる。確かにハーモニーの移ろいには類似したものがあるのだが、演奏スタイルは全く異なるものを要求する(だいたい1楽章の出だしからしてリズム処理と奏法が異なってくる曲だ)。だからドビュッシーがよくてもラヴェルがイマイチ、という演奏によく出くわす。ラヴェルはドビュッシーのようなプラスアルファを要求しない。音だけを譜面どおり組み上げるならば、練習だけでそれなりのものに仕上がる(リズムに慣れればドビュッシーより曲になりやすいだろう)。しかし、「何か一つ突出させる」のは、なまじの解釈では不可能だ。微に入り細に入る綿密な設計と、それを「自然に」精緻な構造の中に組み込む難しい作業が必要とされてくる。ドビュッシーは感情任せで弾くことができるが(そうすることを要求する譜面だが)、ラヴェルは「感情をいかに抑えるか」で決まってくる。ミスが露骨に出てしまうという点でもドビュッシーより余程怖い。パガニーニ四重奏団の演奏も悪くは無いのだが、一部強音の表現で「弓を弦にギリギリ押し付けるような音」が出てしまっており、ラヴェルの繊細な世界をガラガラ壊している。ドビュッシーは録音のせいもあるだろうが穏やかな方向で成功しているのに、ラヴェルは特に2楽章あたりで耳につく強音があるのである。逆に曲想の浅い凡庸な曲に聞こえてしまう。ほんとに難しい曲だ。○にできそうなものだが方法論が意外と凡庸なのとドビュッシーとの落差で無印にしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),パガニーニ四重奏団(RCA)LP,,この団体はドビュッシーのほうが圧倒的にいいが、加えて2楽章中間部前半の大幅カットがあり、いくら演奏が力強く最後まで聴きとおせるものとなっていても、どうしても違和感はぬぐえない。1楽章の展開部で裏のトリルの拍数をいじったりもしており、こんにち復刻されないわけがわかる。純粋に演奏として、やや色味が足りない。素っ気無くお仕事的にやっている。1楽章冒頭でファーストの音が裏返ったりしてもそのまま録音してしまっているのは、スタンスの乱暴さがうかがえるというものだ。録音システムの違いでKARP盤とは異なるブダペスト四重奏団を思わせる渋い音に聞こえるが、それゆえに響きが重くフランス的な軽さがいまひとつ浮き立ってこない。スピードはあるのに重いというのはよくあることだが。無印。メンバーはテミヤンカ、ロセールズ、フォイダート、フレジン。この団体はいわば楽器が主でメンバーは従なのだろう、メンバーはなかなか固定されない。楽器は東京カルテットに引き継がれているそうだ。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"",,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○レーヴェングート四重奏団初代メンバー(DG)LP 独特の演奏。面白さで言えばカップリングのドビュッシーに軍配があがるが、技術面もふくめ完成度はこちらのほうが高い。終楽章の5拍子が最初は最後に1拍「ウン」と思い直すような拍が入って6拍子に聞こえる(3拍子が2拍子になっているバーンスタインの「ライン」冒頭みたいな感じだ)のがちょっと面白かった。無論解釈であり、先々のつじつまはあっているし、途中5拍子に戻るときにはしっかり5拍子で聞こえるからいいのだ。繰り返しになるが線が細く力感がない、小手先は巧いが音色が単純というハンディ?をかかえた団体なので、工夫をすることで独自性を見せているところがある。4本が重なったときの音の純度が高いことも付け加えておこう。4本が音色的にも技術的にも平準化されているがゆえの長所だ。この団体の短所でもあり長所でもある。弱音でのノンヴィブ表現にも傾聴。この演奏は全楽章解釈に手を抜かず起伏があって聞かせる力がある。但し・・・私は2回目で飽きた。ので、○はひとつにとどめておきます。でもぜひいい音でCD復刻してもらいたいものだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),レーヴェングート四重奏団二代目メンバー(VOX)LP ステレオ録音。ドビュッシーよりは柔らかくニュアンスのある演奏。ハーモニーの変化や個々のモチーフの表現は実によく計算されて明確であり、「ここで内声部に既に次のモチーフが顕れてたのか!」みたいな発見がある。ただ、やや危ないというか、変なところがある。このストバイ(ファーストヴァイオリン)、刻みが微妙に拍から遅れるのはどういうわけだろう?2楽章の中間部前・下降音形の三連符の刻みや4楽章の一部、「弾き過ぎて」リズムが後ろにずれていくように聞こえる。他の楽器がちゃんと弾いているので破綻しないで済むのだろうが、ちゃんと刻めないのか?と疑ってしまう。また、2楽章で中間部の最後・副主題の再現前に印象的なハーモニクスを含む跳躍があるが・・・弾けてない!ぐぎっ、というような力んだ音がするだけである。決して技術的に劣っているのではなく、こういう弓圧を思い切りかける奏法なものだから軽くトリッキーな場面で音の破綻をきたすことがあるのだろう。技術うんぬんで言えば1楽章などの分散和音のピチカートはハープと聴き枉ごうばかりの美しさでひびいておりびっくりする。こういうことが出来るのだから技術が無いわけではなかろう。まあ、3楽章の聴きどころとなっている美しいアルペジオがちっとも響いてこないなど、ちぐはぐな技術ではあるのだが。そのアルペジオに載って入るチェロ(だったかな?)が美しい。楽団によっては低音楽器による主題提示が今一つ聞こえてこないこともあるから新鮮だ。これもストバイのアルペジオが下手だから際立ってきたのだが・・・あ、下手って言っちゃった。総じて無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○レーヴェングート四重奏団(新)(CND)LP,,モノラル末期のフランス録音。ドビュッシーよりラヴェルのほうがいいという特異な団体である。そくっと入り込むような1楽章から、終始穏やかできちっとした(一種お勉強ふうの)演奏が繰り広げられるが、技術的に完璧ではないものの、演奏的に隙がない。まあまあ。VOX録音があるのでこれに拘る必要はなく、モノラル末期特有の重厚な音があるとはいえ状態のいいものは高い可能性があるので(私はひさびさディスクユニオンに行って、あの大量消費中古店でもそれなりの値段がついていたものを、半額セールで買ったのだが、それでも裏表音飛びまくりの磨耗ディスクだった・・・半額じゃなければ何か文句言ってるところだ)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○パレナン四重奏団(EINSATZ/PACIFIC)1950年代初頭・CD,,パレナンにしては躍動的で前半楽章では感情的な昂りも感じさせるが、それは主として音色的なものでありテンポはそれほど揺れずアンサンブルはいたってしっかりした後年のスタイルに沿っている。もちろんそういった若々しさ力強さ(+雑味)が醸される理由の大部分は団体のまだ初期の録音だからというところに帰するだろうが、もう一つ、録音の残響がぜんぜん無く、デッドと言っていいくらいであることにも起因していることは間違いない。そのような状態でなお十分に「聴ける演奏」であることこそが一流の演奏家のあかしとも言えるのだが、リアルな肌触り、剥き出しの運動性はひとえにその録音環境(及び復刻)によって生み出されたもので、神経質な向きには薦められないが、慣れた向きには残響バリバリで補正かけまくりのデジタル録音には無い、狭い木造のスタジオで繰り広げられるライヴを現場で聞くような感覚で楽しめると思う。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○パレナン四重奏団(EMI)1969/7・CD,,最近妙に評価が高まっている感のあるフランスの名カルテットだが、現代の演奏スタイルの先駆的な部分があり、遅いテンポできっちり音符を揃えていく、やはり手堅さを感じる。とくに中間二楽章はどうも客観的に整えすぎて音楽が流れていない。余裕があるのかといえば二楽章中間部後半(もしくは再現部)のピチカートアンサンブルは遅いテンポ設定にもかかわらず縦のずれそうな危なさを感じさせ、やや不調ぶりが伺える。音色にも余り魅力はなく、かといってヴィブラートには更に前の世代を思わせる艶もあり魅力がないわけではないのだが、デジタル音源化のせいだろうか、全編通じて音色という点からは殆ど耳を惹かれない。1楽章はしかしそれでも情緒纏綿なフレージングが丁寧に音楽の起伏をつけていてゆっくり浸れる要素はある。4楽章も依然楽譜に忠実であろうとする余り5拍子の刻みがしゃっちょこばって聞こえたり不自然な点もないわけでもないが、特徴的な解釈がみられ適度に激しそれなりの集中力も感じさせる。録音が余りよくない(ホワイトノイズが気になる)せいもあるが、全般に音楽が拡散傾向にあり、ラヴェルなりの緊密さがやや希薄な感じがした。両端楽章を評して○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○パレナン四重奏団(ensayo)LP,,スペイン録音とされているもの。スペインのメルカリぽいところに出ていたので取り寄せてみた。解釈的にはCD化されている録音と殆ど変わらない。ファーストのパレナンの技術に若干不安がある。精度と予定調和的なルバートの人工的なマッチングぶりを売りとした団体にしては、あれ?精度・・・という指の廻らなさが聞かれる箇所がある。全体のテンポの落ち着きぶりと、基本的にはメトロノーム的な流れが、技術的問題に起因するような気すらおぼえる。普通に美しい演奏ではあるし、先にのべたルバートが効果的な箇所もあるが、まあ、CDになってる音源で十分かも。録音はよい。エンサーヨからはドビュッシーとのカップリングのものやストラヴィンスキーの三つの小品なども出ていた。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○カルミレッリ四重奏団(DECCA他)1960・CD,,正直奇演である。上手いんだか下手なんだかわからない、線は細いけどトリッキーな動きがめっぽう巧いカルミレッリ女史と、じつはけっこう支えになっていてこれがないとバラバラで成立しないであろうチェリスト、その他二人(怒られるか)、1楽章は正直「なんだかよくわかんない」。2楽章はトリッキーな楽章だけに女史のソリスティックな技巧が見せ場となるはずが・・・中間部あたりとかいろいろやろうとしているのはわかるのだが・・・ええ・・・こんなに弾けてないのってアリ?しかし3楽章4楽章、とくにクライマックスの4楽章ではここぞとばかりに見せ場をつくり、女史の細い音が繊細な絹の織物のような動きを見せて秀逸である。つか、こんな「いじり方」をした団体は初めて聴いた。「譜面をいじっている」のである。すごい。つか、なんで人気があるとされてるのかわからん。面白かったけど、アナログ盤のほうが楽しめるでしょう。CDは音が平準化され硬質でイタリア四重奏団のときもそうだったけど、室内楽にかんしては音楽が面白くなくなってしまう。ほんとはこんなアンサンブルとしてもどうかと思うような団体に印をつけるべきではないのかもしれないが、面白いと思ってしまったので○。カルミレッリ四重奏団には恐らく同じ音源だと思うがモノラルのLPもある。原盤DECCAでプロコの2番とカップリングされていた。元はステレオ収録。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○シャンペイユ四重奏団(CLUB FRANCE他)1954・CD,,レーベル名はてきとうに略しました。51年の旧録音は正真正銘のレア盤で異常な高値のつくLPですが(※2019年ebay2万円台で落とされていたので静観中)、せっかく新しいほうが(ピアノトリオ未収録など問題はあるものの)安値でボックスに入っているのでこれで安定した音を楽しみましょう、といいつつ、CDのくせにステレオ機で再生すると音がよれるのはいかがなものか。ファーストが雄弁な非常に巧い団体の、模範たるべき超名演なだけに気になった。少し硬質だけどバランスの絶妙な音で完璧に歌い継いでいく。かなり激しいが技術にはいささかの乱れもみられない。若干丁寧に重い程度か。強烈さはないが雄弁。○。旧録音も聴いてみたい。フランス派を代表する団体です。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○パスカル四重奏団(concert hall他)CD,,1楽章は凡庸。しかしこれは明らかにラヴェルである。ラヴェルではない勘違い(決してネガティブな意味ではないよ)の多い時代なだけに安心して聞ける面もあるが、つまんない、という印象のほうが強い。カペーのスタイルを彷彿とする。2楽章はかなりやばい。ピチカートがずれてる・・・これが何と終始ぎくしゃくしたテンポ感の中でえんえん続くのだ。再現部まで。これは・・・である。しかし、その次の緩徐楽章、ここで初めてこのフランス派の先達の威力が発揮される。このラヴェル旋律の持てる感傷性を引き出せるだけ引き出した、余韻のある非常に心根深い演奏ぶりで、音楽の美しさと、ほのかな哀しさに涙する。これができたから半世紀以上あとの現在も名前が残り続けているのか。。即物的印象の大きい演奏録音もある団体だが、この歌い上げ方・・・けして「情に溺れて」はいない・・・はほんと、白眉だ。そして4楽章は見事に盛り上がる。ブダペストあたりの現代的で厳しい演奏とは違うけれども、古いロシアンスタイルのようなデロデロぶりとも全く違う、フランス派のカッコイイ盛り上がり方をすべらかに堪能できる。総じて○。前半楽章で投げ出さないこと、逃げ出さないこと、それが大事。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),パスカル四重奏団(ars nova/forgottenrecords)1956/11/24live放送・CD,,エアチェックだろう、途中混信のような喋り声の入る音源。同じ盤のシベリウスも冒頭から混信が入る。しかしこのラヴェルはいい。パスカルは落ち着いたテンポであるがオールドスタイルのフレージングや解釈を施して、ラヴェルの感傷性をよく引き出して聴かせてくる。楽団のアンサンブルも安定して音色も表現も調和し、ライヴなのに乱れない。熱気が出ないのに感情的、なおかつ終楽章の五拍子リズムを非常に正確に取っているところに象徴されるように、情に流された演奏ではないところが凄い。低音が少し無個性で弱い部分もあるが、ファーストが音色の魅力で持っていってくれるのでそれを支える役目でいるところは違和感はない。これは録音の問題がなければ勧められた。,ars nova盤はエアチェックかどうか不明。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○イタリア四重奏団(EMI)CD,,物凄くゆっくり演奏だけど、この曲に関して言えば(とくに1楽章は)それがとても心地いい。既にして精巧で隙の無いラヴェルの手法を裏の裏まで堪能でき、内声のマニアックな仕掛けもはっきり聞き取れ新鮮な興味をおぼえる。ただ、2,4楽章は余りにゆっくりすぎだ。丁寧、と誉めておいて○をつけるし、ドビュッシーよりは音に魅力を感じるが、それほど取り立てて騒ぐ演奏ではない。唯一速いのは1楽章の急峻部(繋ぎの部分)くらいか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),スタイヴサント四重奏団(BLIDGE)CD ひどく音が悪い。モノラルは当然の事、何やらプライヴェートな実況録音並の録音状態で、とくに高音域がかなり聞こえないというのは痛い。全体的に地味であり、柔らかい音の競演には魅力を感じるものの(1楽章や2楽章中間部、3楽章)スペイン趣味の発露が甘くあまり魅力をもって響いてこない。解釈があまりに平凡ということもある。とにかく地味だ。聴いていて正直飽きた。もう一度聴きたいと思わない。そういう演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,COMMENT:,,,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○ヴィア・ノヴァ四重奏団(ERATO)CD,,パレナンの後輩にあたり67年より今も活動を続けているフランス屈指の弦楽四重奏団である。しかしパレナンより随分とこなれた解釈を高度な技巧にのせた優秀録音が数々のこされており、ラスキーヌなど名手との共演も含まれているがいずれERATOなのでBMGが復刻するより他聴く手段はない。幸いなことに現役盤のようだ。実演は実はかなり技術的にきつかったりするのだが(音色は逸品である)、録音マジックととらえておこう。これは正直スタンダードなラヴェルの演奏としては恐らく史上最高レベルであると思う。二楽章でつまづくフランスの団体も多い中この演奏では、スピードを失わずスペイン情緒も透明感のある響きの中に水が撥ねるように散りばめながら、とくに中間部の掛け合いアンサンブルを楽々と、しかし完璧にこなしており、スピードと情緒が過度にならない一方で客観的に整えるような方向にもいかずバランスのとれた、曲を最大限に生かした演奏を行っている。終楽章の盛り上がりも素晴らしくこれ以上望むべくも無い。ならなんで○にとどめているのか?スタンダードすぎるからだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○ヴラフ四重奏団(SUPRAPHON)1959・CD,,怜悧な表現の得意な東欧派にとってドビュッシーよりラヴェルのほうが適性があるのは言うまでもないが、ラヴェルのカルテットの何が難しいかといって、譜面どおり演奏しないと形にならないとはいえ、その逐語訳的な表現の上に更にどういう独自の語法を載せるか、フォルムを崩さず何を表現するか、解釈の幅を出すのが難しいのだ。ヴラフは「何も載せない」。ここには非常に純度の高い演奏がある。そこに個性など純粋に楽器の音色以外にない。これがやりたかったことなのか、往年の東欧派の音色を聞きたいというだけでこれを聴く意味はあるが、ただ、ひたすら緩慢なインテンポで、人工的なメリハリのついただけの演奏振りはいささか退屈である。アナログで聴くと違うのだろうか。モノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○カーティス四重奏団(westminster) ,,音色、方法論的にラヴェルには適した団体だと思ったが、余りに大胆な表現のデフォルメぶりに1楽章冒頭から引いてしまう。また強い音になると音色が損なわれ単純に留まってしまう、但し3楽章は素晴らしく例外である。優しい音に切り替えるととても響いてくる音楽のできる団体なのだなあと思った。立体的な書法を敢えて強調せず旋律を浮き立たせようとするところもあり、往年の団体らしさが感じられる。ラヴェルの仕掛けたウラの響き動きが聞こえない場面も多々、もちろんモノラルの旧い録音のせいでもあろうが。4楽章はかなりカタルシスを感じさせるが、ちょっとテンポ的には落ち着いている感も。○。,"",-----,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○ブルガリア四重奏団(harmonia mundi),,この団体にしてはけっこう熱の入った演奏。ただ、やはり印象に残る表現はなく、楽曲に忠実な演奏というより他ない。2楽章など技巧のあるところを見せている。精度面では問題ないだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○ルーマニア四重奏団(ardmore:CD-R/electrecord)1950年代後半・LP,,すっきりしたラヴェルだ。まだ初期の扇情的な部分の残っている作品だが、デフォルメがなく、音も綺麗。ニュートラルという言い方にはネガティブな意味が含まれるような気もするのでそうは言わない。前時代的なロマンティックな面白みは無いが同じく前時代的な即物主義の感じも無い、万人が納得できる演奏だろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○ペーターゼン四重奏団(capriccio)CD,,生気が無い。といったら悪いので手堅いとしておくか。いくらラヴェルだからといってインテンポ守りすぎ。表現に伸びやかさや多少の茶目っ気もあっていい旋律音楽だと思うのだが、長い音符でもきっちり型に収めようと制御しているような感じがした。技巧的問題があるのか?とはいえ、ちゃんと聴ける演奏にはなっている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),フィーデル弦楽四重奏団(fontec)1979/4/23,,先入観で聴いてはいけないと思うのだ。確かに現代日本ではこれより巧くラヴェルを紡ぎだす団体はいる(だろう)し、音色的にもやや硬く金属質で柔軟性がないから個人的には人のぬくもりがなくアウトなのだけれども、ラヴェルにはまさに金属質な正確な音程でピアノ的とも言える音価の正確さだけが求められる。それならもっとボロディン並みに磨き上げられた演奏なんていくらでも、と言いたいところもあるが、ちょっと面白かったのは譜面にない表現をつけるところが若干見られたことである。そういうワサビの効いた演奏が私はとても好きだ。それならもっと創意を、と言いたいところもあるが、でも、全般になんとなく、若いけれど、よかったです。ム印。,-----,,TITLE: ラヴェル作曲、弦楽四重奏曲(1902-3),URL: http://yurikamome.exblog.jp/2419018,BLOG NAME: yurikamomeの日記と無手勝流思いこみ音楽ブログ,DATE: 08/02/2005 23:09:56, 写真は、鶴岡八幡宮の源平池の蓮と花火大会一夜明けたみなとみらい。奥に見えるのは県立近代美術館です。坂倉先生の設計です。見事です。私にとって神々の人たちです。, 今日もバテ気味、もう電池切れです。すいません。, 今日は、大桟橋〜金沢八景〜鎌倉腰越が午前中,-----,,,-----,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○ベートーヴェン四重奏団(meldac)1961LIVE・CD,,懐かしい音だ。カルヴェあたりを彷彿とする非常に感情的な音だ。比較的乱暴というかぶっきらぼうな力強さがあるが、艶のある音色には旧きよき時代への感傷が確かに宿っている。透明な響きの美しさを煽る演奏が好きな向きには薦められないが(モノラルだし)、単純に面白さを求めるなら(決して物凄く変なことをしているわけではないのだが)薦められる。リアルなロマンチシズムだ。ライヴならではだが二楽章のピチカートなどちょっとずれたり外したりしている。しかし激しさだけではなく流れとフォルムがきちっと守られており、流麗さも弾むリズムもないがリアルなアンサンブルのスリルを味わえる(うーんスリリングな面白さがあるかといえばそういうこともないんだけど)。実演なら迫力あっただろう。3楽章もリアルなロマンチシズムが横溢する。しかしぶよぶよにはならない(この曲だしね)。4楽章は絶対音感のある人は嫌がるだろうが、「音程」に特色がある。ファーストがかなり高めにとっていて、他の楽器もそれぞれ「極端な音程」をつけている。だから4本で協和するはずの響きも揃わない。しかしこれは実演ならではの感覚で、正規の音程でとるよりもボリュームと一体感があるという、何とも説明しがたい状況の生み出したものなのだ(実際はファーストのチューニングが狂ってきたけど4楽章アタッカだから直す隙がなく指で調整しただけだったりして)。収録を前提としていないライヴの作法だからそれが雑然と感じられても仕方ない(録音状態はロシアのものとしては比較的良好)。音色も(カルヴェ四重奏団だってそうだけど)揃っていないので、とても「正統派ラヴェル信者」には薦められないが、特に後半の盛り上がりは「ここまできてそう上り詰めるか!」といった一種異様な迫力があり特筆できる。私はけっこうこの最後あたりの自主性を保ちながらの丁々発止は好きだ。全体としては○。いわゆる旧来の解釈ぶりであり余り特徴的なものはないが、単独では十分楽しめる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),ベートーヴェン四重奏団meldac,同上,旋律と裏の動き、という対比を強く意識した解釈は面白いと思った。それほどロシア的な演奏というふうでもないし、特別な空気も漂わせてはいないが、録音バランスなのか解釈なのか、とにかく前記のような所が面白いなと。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○ボロディン四重奏団(melodiya/CHANDOS)CD,,オリジナルメンバー(*バルシャイのいた初期ではない)による有名なメロディア録音。ステレオ初期で音はよくはない。更にCD化に伴うデジタルリマスタリングによって元々の録音瑕疵が明らかになってしまうと共に音が硬く痩せてしまいふくよかな音響が失われている(ぽい)ところは非常に痛い。硬質な透明感が持ち味になったのは後年のことであって、オリジナル時代においては必ずしもそういう操作・・・特に擬似的なサラウンド効果の付加による不恰好にレンジの広い音響・・・はいい方向に働かない。ロマンティックと解説に書いてありながらも酷く人工的に感じるのはそのせいだろう。最近復活したメロディヤが出しなおした盤ではどうなっているか知らない。,,この楽団はロシアの楽団とはいえ旧来の艶めいた「音色のロマン性」を煽る方向にいかなかったのが特徴的である。その点独特の位置にあり(続け)、それはこのオリジナルメンバー時代において既にはっきりとあらわれている。オリジナルメンバーならではの「ロマンティック」というより「特異に」恣意的な解釈はともかく、金属質で透明な音響を心がけ、特に「ノンヴィブラート奏法」の多用、スル・タストといった特殊な音を出す奏法の導入によって諸所の静謐な音響に独特の境地を編み出しているのは特筆に価することだ(このノンヴィブによる吹奏楽のようなハーモニーこそボロディンQをボロディンQたらしめているものであり、ドビュッシー・ラヴェルの一家言ある解釈団体とみなされるようになったゆえんである)。ドビュッシーにおいては余りうまくいっていないように思われるこの独特のスタイルだがラヴェルにおいては大成功であり、ラヴェルにこのような独自解釈の恣意性を持ち込んでここまで成功できたのはボロディンQだけではないか。しっくりくるのである。金属質の音はラヴェルにお似合いだし、ハーモニックな音楽作りもハーモニーに拘ったラヴェルに向いている。特に3楽章の解釈は絶妙と言ってよく、いつ果てるともない単音の伸ばしや(こんなのおかしいと思うほど長い)RVWかとききまごうような教会音楽的なノンヴィブの響きに「これはラヴェルじゃない、けど、こういう曲だと言われたら、これしかないように思ってしまう」ほどの説得力である。ノンヴィブにモノを言わせる近現代の室内楽演奏様式というのはソヴィエト発のものと言ってよく、それが古楽演奏の流れにいったかどうかは知らないし興味もないが、ボロディンQのスタイルがおおいに影響したことは想像に難くない。1楽章も言われるほど遅くはなく、2楽章がややリズム感が薄いが、3から4楽章への流れはすばらしい。,,これがスタンダードではない。久しぶりに聞いて、ボロディンQがスタンダードだと思っていた学生時分を恥ずかしく思うくらい、これはラヴェルの典型とは言えないものだけれども、聞いて決して損はしない。ドビュッシーは珍演と言えるかもしれないが、ラヴェルは珍演と呼ぶには余りに板についている。アナログで聞いていないので◎にはできないが、○でも上位という位置づけに誰も異論はないのではないか。のちのボロディンQは完全に響きと現代的客観演奏の方向にいってしまった感があるが、これはその初期における、まだ完成されてはいないけれど、そうであるがゆえに魅力的な一枚である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ラヴェル:弦楽四重奏曲(1902-3),○ボロディン四重奏団(BBC,IMG)1962/8/29live・CD ,,この団体にしてはものすごく情緒纏綿なかんじの演奏である。この遅速はちょっと調子が悪かったのかもしれない(もっとも後年の演奏でもスピードはそれほど上げられないが)。とくに2楽章の中間部から再現部への複雑なピチカート・アンサンブルが完全に「崩壊」しているところはちょっと驚いた。ラヴェルを得意とする団体とは思えない非常に危険な楽章になっている(パスカルの失敗を思い出した、のるかそるかの一発勝負みたいなところのあるパッセージではある)。カップリングのボロディン2番(とあとショスタコ8番)に比べて妙に人間臭いことは確かで、演奏の完成度で言えばまったく話にならないとはいえ、面白みでいえばずっと上である。私はこのラヴェルは好きだ。無印にする人もいるかもしれないが私は○にしておく。往年の演奏解釈を彷彿とさせる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:古風なメヌエット,○ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(CASCAVELLE/andante/timpani/POLYDOR他)1930/1/13・CD,,ヴォルフの得意なスピーディで四角四面なテンポ取りが逆に利に働くと思われる古典志向の曲だが、意外と遅くレガート気味で、音色に抒情味を載せる余裕がある。声部間の音量バランスがおかしいが(精密器械的なラヴェルの書法では致命的になりかねない)、生硬なヴォルフの棒が(危うい箇所も散見されるものの)前時代的な感情をのこした表現を含めている点、個性と受け取れおもしろい。SP音源特有の明晰さを忠実に再現した復刻もよし(CASCAVELLE)。CASCAVELLEは高価なイメージがあるが高いのは国内店舗扱いのみ。andante盤はほぼ既出録音だけをまとめて内外あの値段ゆえ潰れたのは道理か。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:古風なメヌエット,ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(timpani/cascavelle/andante/naxos配信/polydor)1930/1/13・CD,同上,timpani盤からの印象で書く(骨董録音は復刻によりかなり印象が異なってくる)。丁々発止のアンサンブルがリズミカルな中に構築されていて胸がすく思いがする。互いに被せるくらいの勢いの掛け合いがじつに素晴らしい。正直SP期のオケなので、緩い感がつよく管楽器には雑味が多いのは人によっては嫌がる点だろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:古風なメヌエット,ヴォルフ指揮ラムルー管cascavelle,同上,作曲家の同時代としては珍しい録音。SP起こしなりのノイズあり。演奏はややルーズで危なっかしい。新古典主義的とも受け取れられる曲風に対して適したスタイルとは言えない。リズム感もイマイチ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ラヴェル:古風なメヌエット,クリュイタンス指揮フランス国立放送管弦楽団(TESTAMENT/EMI)1954/5/11・CD 新古典主義の先駆と言われる曲だが形式的な部分以外はそれほど古典的な楽想に基づいてはいない。ハッキリラヴェルとわかる旋律が耳を楽しませる。この演奏は手堅い。それだけ。無印。モノラル。原曲ピアノ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:古風なメヌエット,ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(Ades/Universal)1957-59・CD,,もともと新古典主義であるラヴェルのスタイルが世界の流行りに先んじて出た作品だが、管弦楽版はかなり派手で、しかもロザンタールのものは録音のせいもあってか古典的な趣はなく、どぎつい色彩を放ち、同曲の管弦楽編曲の演奏としても特異な威力を放っている。気宇壮大スケールが大きすぎ、シュッとした典雅な雰囲気は0。ハープやトランペットの音が異様に耳側で聴こえてくるのは古い時代の録音のせいかもしれないが、聴くところ50年代ステレオとしては世界最高レベルの録音なのであり、ロザンタールも聴いているだろうから、ロザンタールの好みとしてもおそらく、これで合っている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(london)1960/11これはなかなか楽しめる演奏である。アンセルメはディーアギレフ時代を想像させる舞曲への確かな感覚を発揮しているが、それはただ愉快なリズムを楽しめる演奏ということではなく、新しいワルツ像を描き出す機知に満ちていて面白いということだ。ちょっと聞き遅いテンポで丁寧に描いた「面白くない」演奏に聞こえるが、ラヴェルによって巧緻に仕組まれた細かい音符の表現力がすばらしいし、繊細な音色のゆらぎのかもす何ともいえない香気、それはむしろゆっくりしたワルツの場合に威力を発揮しているのだけれども、とにかく透明水彩のようなピュアな音から湧き起こる爽やかな感興は他の誰のワルツとも比較しえない独特のものだ。8つの素直なワルツの連環はラヴェルお得意の世界。たまにはこういう新鮮な演奏もいいだろう。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,○ヴォルフ指揮Ortf(fbro)テンポは落ち着いているがリズムの取り方がとにかく上手く、心地よい。音は色彩に富みコード変化が明瞭。ロザンタールに似ている。曲ごとに表現をやや変え、処々ツボを押さえた佳演。聴き応えある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,◎オッテルロー指揮ハーグ・フィル(RO)1954/4/1・CD淀み無い音楽の流れ、そこに自在に入ってくる独特のルバート。変なパウゼの挿入などテンポ揺れまくりだが、この曲の本来的に内包する情趣を極限まで引き出した驚くべき演奏であり、「そうそう、こうやってほしかった!」という人もいるだろうし、「目から鱗が落ちた!」という人もいるだろう。勿論噴飯する人もいるはずだが。オケの「やる気」にも傾聴。録音がやや不格好だが◎にします。ライヴっぽいが不明。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,○コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(LYS,DANTE)1934/2/5 2楽章などしっとりとした楽章にこの精妙な演奏の神髄がある。雰囲気がいい。それはこの時代のオケ特有の香気漂う音色によるところが大きいだろう。コッポラの芸風にしては心の奥に響くものがある。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,◎ゴルシュマン指揮セント・ルイス交響楽団(COLUMBIA)LPこれは美しい。ラヴェル瑞逸の旋律の魅力を最大限に引き出した演奏。歌いまわしがとにかく洒落ていて、まさに「高雅で」「感傷的」。流麗な解釈、力感溢れる演奏ぶりはトスカニーニを思わせるものがあるが、そこから一歩ロマンティックな世界に踏み出したような甘さが逆に魅力的。それにしてもこの人はラヴェルの音楽をよく理解しているみたい。ちょっとおまけして◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,○パレー指揮デトロイト交響楽団(MERCURY)1958/3・CD水際立った演奏とは言わないが(いいセンだがリズムが実直過ぎ)きらびやかでしなやかでいかにもラベル風の感覚的な美しさがある。フランスオケみたいな響きのするデトロイト響が素晴らしい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,◎フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(WESTMINSTER)LPデュクレテ・トムソン原盤。デュクレテ盤のほうが抜けがよくクリアだが、雑音が多く一長一短。ブランコの芸風が際立ってきこえるのはデュクレテ盤のほうで、打楽器要素を強調した派手な音響と絶妙のテンポを保った棒さばきがすこぶる世俗的なのに高雅で品の良い音楽を造り上げており出色だ。初曲などワルツというよりフラメンコな感もなきにしもあらずだが、そういう音楽が曲にじつにあっている。わくわくするような演奏だ。感傷的な曲においても乾いた情感は忘れない。ラヴェルの目していた感傷性というのはこういうものだ、ロマン派的なくぐもった音楽ではない。かなり構造的な部分も持ち合わせた演奏だから、ラヴェルの管弦楽法の妙味もぞんぶんに味わえる。じつに明瞭に透明に、構造を見させてくれる。この曲の魅力を最大限に引き出した記録として記憶にとどめるべきもの。◎。なぜCD化しない?,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD,同上,ブランコというとレコード史上最遅速ボレロだが、この演奏はむしろスピーディーだ。指揮者やオケの性向から舞踏表現に長けたものを期待してもそこまで煽るような音楽は作っていないが、派手な鳴らし方、ニュアンスに富んだアーティキュレーション付け、各楽章の要求するものを明確に示し、ラヴェルが信頼した指揮者の一人であることも頷ける。ロザンタール正規録音ほどの精度は無いが、そのぶんライヴ感があり、透明感ある響きには同傾向の精妙なコントロールぶりが感じ取れる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,○マデルナ指揮ローマ放送交響楽団(ARKADIA)1960/12/23LIVEお、遅い・・・。でも聞き進めるうちにだんだんクセになってくる。2楽章などちょっと陶酔的だ。研ぎ澄まされた響きが美しい。寂しげな木管ソロ、それを支える霞が懸かったような弦楽器のひびきが印象的だ。いまさらながらラテンの作曲家マデルナのワルツ上手を実感。こんなに遅いテンポでもしっかり舞曲になっている。細かいフレージングとキレのいい発音の賜物だろう。現代作曲家らしく新奇な和音をあざやかにひびかせているところも面白い。全体のトーンがわりあいと一定で、楽章間のコントラストがあまりつけられていないところが気にならなくも無いが、贅沢な物言いか。7楽章の足踏みするようなテンポもちょっと不思議だ。時折止揚する音楽のおかしな流れ、音色はとても懐かしく美しく練り上げられたものなので、尚更ちぐはぐさを感じる。哲学的にさえ思えた。背後でポリフォニックに重ねられる特徴的な音形がしっかり聞こえてくるのはさすがマデルナ。8楽章終盤はまるでロシア歌劇のようにそれまでの楽章の断片が顕れるということをしっかり伝えてくれる。繊細な表現もなかなか巧い指揮者だ。○ひとつ。拍手はふつう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,○ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(DENON,VAI)1963live・DVD,,楽曲とオケの相性がよい。ミュンシュの過度にロマンティックな解釈が、ライナーに鍛え上げられたプロフェッショナルなアンサンブル、[わざ]が生み出す曇り無く清澄な響きによって、非常に[フランス的な]軽味に昇華されている。精妙と言ってもいい。もちろんブーレーズらの時代をへた現代的な精妙さではないが、ラヴェルという偶像にミュンシュという魂が入っている、これこそ設計者としての作曲家と解釈者としての指揮者の織り成す[音楽]という娯楽なのである。音にムラがあり映像も歪んでいるが、リラックスして演奏者たちに任せているかのようなミュンシュと、素っ気ないふりで完璧に合奏を組み立てていく余裕のオケの何と幸福な世界なのだろう。もちろん一曲一曲の短さ、やりやすさそして順番はあると思うが連続して演奏されているラ・ヴァルスよりも整いまとまっており、ミュンシュらしくないほどでもあり。状態をかんがみて◎にはしないが、幸福な記録。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,○ミュンシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1964LIVE?(1962/3),,開放的なオケを振るとミュンシュの意外とラテンな破天荒さが立ちあらわれてくることがよくわかる演奏。比較的落ち着いたテンポゆえ響きがいちいち派手になり、やや悪いこんなステレオ録音できくと一曲目からキャバレー音楽以外の何物にも聞こえない。録音が悪いと書いたがある意味生々しく、操作されない生のミュンシュを聞いている錯覚に陥る。バンスタを思わせる恣意的な表情付けに拡散的な音響表現はまさにフレイタス・ブランコ的。ただ、緩徐楽章の音響の繊細な整え方にはブランコから更にパリに一歩踏み入った深いものを感じる。リズムが重くどうしてもどんちゃん感がつきまとうがゆえ、ラヴェルマニアには受けないと思うがオケによりまた録音状態により指揮者の表現がどう変わるのかがよくわかる、ミュンシュが身近にかんじられる臨場感のある演奏。ボレロの正規録音でもこれに似た破天荒な表現のものがあった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,ミュンシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団(RCA)1963/3/14・CD,,正規ではフィラデルフィアとの唯一の盤(andanteがかつてスタジオに先立ったライヴ音源を配信していたようだが入手不能、というか個人的には少し疑っている。存在するとすればDAで別日として出ていたもの(別項参照)が同じ可能性大)。9月に集成されるミュンシュRCA全録音超廉価リマスターボックスに収録されるので、早まらないように。じっさいこの単品だと、録音がそれほどよくない。細かいノイズというかシャカシャカが高音楽器の下の方に燻ぶって、とくに圧縮なぞすると聴いてられないレベルになる。,,ものの、フィラデルフィア管弦楽団のラテン的な拡散性のある響きはボストンよりよほどラヴェルの印象としてある「南の方」の音楽に向いていて、またライヴばっか聴いてるとダメだなあと思うのは、ミュンシュのネガティブな面が綺麗に取り除かれ、早まらず力まず小気味よいテンポ、リズムの軽く浮き立った感じ、繊細な響きへの配慮、まるきりラヴェルそのものであり、「ミュンシュのラヴェル」ではない。これならミュンシュが同時代のパリでラヴェル音楽祭の大責を請け負ったのもうなづける。濁らない響きのミュンシュはめずらしいので、スタジオ録音の良さに立ち返りました。耐用回数の多いであろう周到な録音。ラヴェルでも代表的な美品に数えられる編曲作品のその管弦楽法をカラフルにたのしみましょう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1958/11/29・CD,,ロマンティック。いくら「感傷的」な曲とはいえ、そこまでやらなくてもいいだろう、というくらいだ。テンポのデフォルメが凄まじく、瞬間的なルバート・・・ここではああくるだろう、という予想通りのところで、音符を極限まで引き伸ばす。ヴァイオリン奏者だったこともあり弦楽・旋律偏重にしばしば陥る指揮者だが、この曲は編曲ものだとしてもラヴェルとして素直過ぎるくらいであり、旋律を解体配分するようなところが少ない。強引な言い方をすると、機械的なリズムのうえワルツのラインをただ綴っていけばいいようなもので、他の曲では時々感じる「もったいない表現」が気にならず、バランスよく聴こえる。太く力強いうねりに解れの一切無い表現はミュンシュBSOの相性のよさ、更にこの曲との相性のよさを感じさせる。ラヴェルにはたいてい南欧風な演奏と中欧的な演奏があるが、もともとウィンナーワルツ的なものを想定しているので前者的に色彩感やリズムを強調するのは邪道かもしれない、とはいえちょっと中欧的過ぎるような、旋律の裏に隠れた打楽器、低音部の特徴的な響きや動きが余り浮き立たず、単なる曇った下支えに聴こえるところもなきにしもあらず、リズム自体やや単調である(揺れることを前提に舞踏リズム的要素を減らしているかのようだ)。でも、大見得を切るような表現の扇情性は何にもかえ難い。魅力的だ。ハーモニーの美しさ・・・融合する音色の繊細さも印象的である。バラバラで開放的な色彩ではなく、融合した色彩の美しさ。動きにおいて不自然でも、瞬間においては完璧。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,○ル・ルー指揮フランス国立放送管弦楽団(concert hall),,非常に美麗でリリカルな音、割と芯のある重厚な音響をひびかせながらも、流麗でドライヴ感溢れる演奏ぶり、情緒表現も主として音色によっておこなわれ十分で、まさにフランス派の指揮そのもの、ラヴェルそのものであり、ヴァイオリンの音色的不統一感も含め、こういうのを(ラヴェル自身はもっと機械的なものを目したかもしれないが)「ラヴェルらしいラヴェル」というのだろう。雰囲気作りは逸品であり、迫力を伴う多少の重さも構造をちゃんと意識して組み上げている証左、けして貶す理由にはならない。ドイツ的起伏というか、音響的バランスのとれたしっかりした響きの揺らぎが余韻をのこして曲は静かに終わる。なかなかの名演と言える。録音も極めて秀逸なステレオ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,○ロスバウト指揮ローマRAI管弦楽団(stradivarius)1959/3/24ローマlive・CD,,ロスバウドが正しい読み方なのかもしれないと思ったけど別に日本人が日本語でかいてるんだからいいや。これはしょっぱないきなりびっくりする。重い!しかも速い!がしがしドシャドシャ始まるまるで重い荷物をドカドカ床に打ち付けながらリズムを刻んでいるような、この力強いダンスはなんなんだ!!とにかく余りのドイツ臭さにロスバウトの比較的現代的なイメージが崩れる。やっぱりドイツの人だったんだ。聞いた事のない「高雅」、やっぱり初曲が一番びっくりするためおすすめ。ロスバウトはこういうサプライズがあるから嬉しい。この人をバーデン・バーデンの現代専門シェフとかカラヤン的とか書いてた今や聞かない名前の評論文屋がいたけど、余りに聞いてない人の評だよなあ。マーラー中期とか聴いてみるといい。この人のラヴェルが聞けてよかった。個性的。○。オケのせいで「ほんとのドイツ」にならないですんでいるのが何より成功の原因かも。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,ツィピーヌ指揮ORTF(ina配信)1968/7/28放送,,雑な録音のせいもあるだろう、いきなりドガシャンドガシャンと太鼓は叩かれまくりブラスは吠えまくり、猥雑な感じすらおぼえる。アルベール・ヴォルフがこんな演奏をしていたような気がする。シアターミュージックというと語弊があるものの、劇場で見るダンスの劇伴を思わせる。ライヴ実況録音ではないようだが時代からすると録り方が乱暴というかマイクが近すぎ、荒いステレオゆえ却って臨場感を煽られるところもある。ツィピーヌが一部に人気のあることのわかる起伏にとんだ演奏。ラヴェルのハレの面を味わえる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,マルティノン指揮パリ管弦楽団(EMI)CD,,ラヴェルはこのくらいクリアな録音で聴かないと本質的にはダメで、逆にクリアな音ならどんな指揮者でもそれなりのオケなら名演になる。と極論を言いたくなるがよく聞けば、聴く人によって長所と感じられる所、短所と感じられる所はある。じつに繊細な配慮の行き届いた演奏で、じっくり聴かせる音楽だが、舞曲的ではなく、あくまで一組の管弦楽曲として組み立てられたもので、世俗的なワルツの雰囲気も楽しみたい向きには「高雅過ぎる」だろうし、充実した響きは目の詰まったもので案外と内声がクリアに響いてくるものではなく、たとえばアンセルメふうの硝子細工にはなっていない。それでも、これさえあれば十分だし、物足りなくなって初めてミュンシュだのそっちの方へ行くべきスタンダードなものでしょう。オケは達者です。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,マルティノン指揮パリ管弦楽団(EMI他)CD,同上,少し重いがステレオ優秀録音の情報量の多さゆえそう感じるのかもしれない。内声部の緻密な動き、弱音部の繊細な響きがしっかりとらえられており、開放的で華やかな響きは録音マジックとは思えど、マルティノンの一歩引くもしっかりした音楽作りの成果として、曲を良く知る人にむしろ向く演奏かもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ,ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1976/10/6放送 live,,随分落ち着いた演奏ぶりだが、やがて一音一音慈しむような絃楽器の官能に耳を奪われ、後半にさしかかるとその法悦的な表現に浸りこんでしまう。非常に美麗な響きはラヴェルの弟子ロザンタールの細心を払ったバランス感覚に手兵が応えている、まさにフランス的な音楽であり、ラヴェルそのもの。年齢を重ねても瑞瑞しい音楽表現は変わらない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ〜U,チェリビダッケ指揮ORTF(ina配信)1975/2/2放送 live,,緩やかなテンポでしっとりとした抒情を醸し、恐らくアンコールピースだろうが、コンサートをしめやかに閉じる感。拍手は盛大。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ〜U,チェリビダッケ指揮フランス国立管弦楽団(000CLASSICS:CD-R)1974/9/17LIVE曲数の多いアンコール曲群の中でこの憂うつな音楽だけを取り出したことに意味はあるのだろうか。ただ、急峻な曲目の中で良い緩衝材にはなっているようだ。聴衆は盛大に拍手している。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ〜U,チェリビダッケ指揮フランス国立放送管弦楽団(VIBRATO:CD-R)1974/10/25シャンゼリゼlive,,同日のアンコール中盤の曲だが、アンコールで手を抜かれているところにきて更にこの曲とあっては地味。録音もそんなによくない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ(リハ) ,フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(TAHRA)1953/4LIVE・CD,,通しリハに近いものを含むほぼ全曲が聴ける。しかし録音は悪い。ピッチは高いし篭っていて重い。演奏自体も重く、ロマンティックな厚い雲が本来の軽やかさを覆い隠している。むせ返るような甘い音、力強く分厚い音響は説得力はあるが、ラヴェルのさりげないよさを引き出しているとは言いがたく、テンポの異常な伸び縮みも、さすが自然ではあるが違和感は拭えない。余りザッツを合わせるとかいった意識がないのはしょうがないが、人によっては聞きとおすのは難しいだろう。ぶつ切れリハであり、それを前提に聞くべきなのは言うまでもないが、このロマンチシズムに嫌悪感をおぼえるラヴェル・ファンもいると思う。総じて無印。,,前に書いたおぼえもあるが構うもんか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ(ピアノ原曲),○ミケランジェリ(P)(ARKADIA他)1952/2/12live・CD,,作曲家絶賛のソリストによるモノラルライヴだが、ここでは不思議とよたったようなテンポをとっておりフランソワを彷彿とさせる不安定さがある。体調のせい・・・?○にはしておく。録音悪い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○ヴィトゲンシュタイン(p、依属献呈者)ワルター指揮ACO1937/2/20ライヴ(Asdisc他)CD ヘイガー伴奏盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),ヴィトゲンシュタイン(p、依属献呈者)ルドルフ・ヘイガー指揮ベルリン国立歌劇場O(いろいろ)ワルター伴奏盤が或る意味名演。コルトー同様、違う曲としてきくことが重要(音のロマン派風改変あり)。さすればワルターの綺麗なリズム処理に、ソリストの技術的問題も耳に残らない程度に軽減されよう。否これも貴重な歴史的遺産だ。後者もドイツ系演奏だが、さらに衰え大。もたい。献呈者は演奏権を駆使しほうぼうで演奏しまくった。今はともに正規CD化。ワルター伴奏には別盤もあるというが疑問。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930)(カデンツァ断片他),ヴィトゲンシュタイン(P)作曲家指揮?(配信)1933/1/17パリlive?・動画,,ごく短い断片だがラヴェルを弾く兄ウィトゲンシュタインが見られる。元はサイト掲載のもの。ドイツ語放送が動画共有サイトに上がっているが、音は別との指摘もある(映像と僅かだがずれているが、別物認定するレベルではない)。1932初演リハの映像という話は不明、初演はラヴェル指揮ではないしパリでもない(ヘーガー)。作曲家指揮とウィトゲンシュタイン独奏による、和解した記念碑的演奏すなわち1933年1月17日のものという意見もあるが、舞台上はそれらしい感じだが、証拠がないし出来すぎている。同日のものという映像が別の映像として同じく動画共有サイトにあるが、これは冒頭部を室内で鍵盤だけ撮影しており(確かに走ったり揺れたりするのはウィトゲンシュタインぽい)録音状態とピアノのメーカーから1940年代とする説が妥当か。しかし興味深い。隻腕という言葉は最近使われないが、第一次世界大戦の惨禍を経て演奏活動を再開すべく、左手のための曲をプロコフィエフやブリテンなど名だたる作曲家に依頼した中、群を抜いた出来に大いに気に入り、、、作曲家はウィトゲンシュタインの改変に難色を示しのち息子のように可愛がったフェヴリエを真の初演者であるように仕立て上げたが、一方でその権限により愛奏し続けた。両者の腕の差はあったたろうが、この実況でも感じ取れるように、左手だけで演奏するというのは器械的に五本の指しかなくなることではない。身体のバランスが変化し、重量の掛け方も変わる。ましてここまで忙しい曲なら相当に大変。案外と看過される点だ。元から弾けなかったのだ、とする論調はあるが、これはフェヴリエがメリットあって当たり前。ラヴェルは器械的に書いたのであり、良い悪いではないが、勘案すべき点だ。この映像ではその身体で曲と格闘する真摯な態度が見て取れる(音も粒立って届く)。まあ、恐らく音を減らしたり表情を加えるのは時代を考えてもパーソナリティを考えても仕方ないと思う。大柄という面でメリットはあるが、あの高さから左手だけで打鍵してよれているようにも見えない。他のソロ曲演奏もあるので聞いてみるといいがこれはアマチュアでは決してない。ウィトゲンシュタインの全曲録音は著名なものが2つある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),フェヴリエ(p、原典版初演者)ツィピーヌ指揮ORTF1957(EMI)CD ミュンシュ伴奏盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),フェヴリエ(p、原典版初演者)ミュンシュ指揮パリ音楽院歌劇場管弦楽団1942(columbia,LYS)CD 録音をきくかぎりいずれも遅く穏かすぎる。ADESのソロ録音集成でもそうだが、何故かラヴェルに関しては至極冷静に遠い目をした演奏を行う。この曲には熱狂がほしい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),◎コルトー(p)ミュンシュ指揮パリ音楽院歌劇場管弦楽団1939/5/12(pearl,LYS)CD今の耳からすればド下手もいいところだろうが、様々なニュアンス(恣意的解釈)が作曲家を離れたひとつの素晴らしい結論を導き出している。コルトーは解釈の人だ。ミュンシュの熱演とあいまって総合で秀演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○R.カサドシュ(P)シェルヒェン指揮ケルン放送交響楽団(TAHRA/medici)1957/3/11LIVE・CD,,冒頭からやけにリアルなシェルヒェンの重厚音でねっとり始まるが、いきなりカサドシュ、ミスタッチが目立つ。打鍵が弱いわけではないが指の力弱さは感じられる。ひとしきり盛大にやられた(シェルヒェンはこの後も驚異的なスケールと明確さでロスバウトの先輩たる威厳をみせていく)提示主題への答唱がピアノソロで返される部分で初めてリリカルな美質を魅せ始めるが、本当に力が出ているのは末尾のソロのほうだろう。荒くミスはあるが、豊潤なしかし冷たいラヴェルを理性的に表現しきっている。音質の制御も荒くリリカルさが保てていない感もあるが、シェルヒェンの破壊的な表現に呑まれているだけかもしれない。おもしろいが一級とは言えず、カサドシュにしても成功はしていないほうだが、シェルヒェンの実力がよくわかる。○。TAHRAの発掘で拍手はカットされているがシェルヒェンライヴとしてはかなり明快な録音。併録のモルダウとチャイ4はいずれも既出WESTMINSTER正規音源。TAHRAは最近このての抱き合わせが目立つ。発掘が難しくなってきたということか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○R.カサドシュ(P)オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(columbia)作曲家の全面的な信頼をうけていた即物的演奏家。フィラデルフィアが凄く、でもたじろがぬ堂に入ったもの。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),◎R.カサドシュ(P)オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(COLUMBIA他)CD,同上,まあ聞く時聞く状況によって印象なんていくらでも変わるものだ。今回この演奏とヴィトゲンシュタインの新盤を連続して聞いた感想としては、,,すごすぎ。,,ていうところか。まずフィラデルフィアのオケの力量といったら並外れており、この曲の演奏にありがちなオケ側のソリストの不備といったところが欠片も見つからない。そのすぐれた表現力と完璧な技巧にアンサンブルは、余りに豊穣すぎるがゆえに多少重たさも感じつつ、唖然とさせられるほどだ。戦後すぐのオーマンディ全盛期のフィラ管が如何に飛びぬけて凄かったかを実感させられる。録音のよさというのもあるだろうが、管弦楽がこれほどに雄弁に鳴って、また詩情あふれるソリストを一切邪魔しないというのも凄い。カサドシュに関して私は無機質ということをかつて言ったように思うのだが、この演奏においては細かいレベルではかなりテンポ設定を変えタッチを使い分けて、しかも全く不自然さを感じさせないという非常に高度なことをやりとげている。余りに自然で巧すぎるがゆえに引っかかりが無い、ということで無機質と感じたのだろう。よく聴けばこれほど詩情あふれる演奏はない。左手だけの演奏家であるヴィトゲンシュタインの不備はその隻腕が力を入れるバランスに影響している感じがするので、ヴィトゲンシュタインが下手とかいうことも言いたくはないのだが、それでもヴィトゲンシュタインは他の演奏家と並べて論じられる気がするのに、この演奏におけるロベール・カサドシュには他の「作曲家直伝とされる」者を含む演奏家たちとも、隔絶した高度なものを感じる。どこにも言い淀むところもごまかしもなく、その技巧の下で曲を完全に自己薬籠中のものとしている。大ピアニストならではの有無を言わせぬ完成度だ。軽やかなのに軽くは無い。力感にも一切欠けていず、完全にこの曲に適切な力加減である。いくらでも強くできる余裕があるのだが、ここでは「適切」な力感で最も効果をあげている。ロン全盛期に左手を弾いてもここまでのものにはならなかったろう(手があわないといって弾かなかったそうだが)。ざっぱくに言ってしまったが、とにかくモノラルであるのが惜しい。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○R.カサドシュ(P)チェリビダッケ指揮ウィーン交響楽団(DOCUMENTS/orfeo)1952LIVE録音が悪くモノラルで音域も偏在しているような感じなのだが(ソロが裏の木管の絡み合うアンサンブルにかき消されてしまったりしている)それでも聞きごたえの有る演奏だ。チェリの透明で構築的な音楽作りがすこぶる安定した土台を築き、その上でカサドシュがかなりやりたいほうだいの凄演を繰り広げている。カサドシュは決してテンポを揺らしまくって歌い続けるたぐいの奏者ではない。すっと流したような演奏をする客観主義者だ。でも、ここでは録音バランスのせいか打鍵がじつに力強く、音符ひとつひとつが立って聞こえ、緩急のついた(聴感としてそうなのであり実測がそうなのではない)音の流れがじつに流麗だ。多少走って聞こえるところや速いフレーズでころげてしまっているのが聞こえてくる箇所もあるが、どちらかというと伴奏側の問題というところもあろう。明瞭でがっしりとした揺るぎ無いリズムを刻んでいるがゆえに、その後ろ向きな歩みにソロを跪かせる伴奏になってしまっており、その相克が分離をまねいているのだ。でもまあライヴという点を鑑みるとそれもまたひとつの希なる記録であり、楽しんで聞こう。くれぐれも録音は悪いのでそういうのに慣れないかたには猛毒。,,近年orfeoが出した音源と同じと思われる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○R.カサドシュ(P)ベイヌム指揮ACO(MUSIC&ARTS)1946/10/23,24LIVE極めてリリカルなカサドシュのピアニズムに傾聴。録音はかなり悪くバックオケの分離が不明瞭だが、ピアノの音は前面に捉えられていてよく聴き取ることができる。カサドシュの芸風にしてはとても優しくニュアンスに富んだ表現が多々聞かれる。ミスタッチも完全に無いというわけではないが殆ど完璧で、最後のカデンツァなど仄かな感傷をさらりと歌って見せる。その音の美しさは筆舌に尽くし難い。独壇場だ。このソロが聞けるだけでもこの盤を入手してよかったと思えた。バックオケは下手ということではなくあくまで録音が茫洋としているだけだろう。ベイヌムの指揮はソリストに絶妙に絡んでなかなかに聞かせる性質を持つ。この人もラヴェルをよく演奏した指揮者だ。恣意性があるので好みは別れるかもしれない。ソリストに○。ブラヴォはないが盛大な拍手だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),R.カサドシュ(P)ミトロプーロス指揮ウィーン・フィル(orfeo)1957LIVEウィーン・フィルの”ロマン性”が曲にそぐわない・・・カサドシュの無機質なタッチとのアンバランスさが際立っている。ウィーン・フィルとミトロプーロスは相性が良いように思うが、ミトロプーロスと近代フランス音楽は相性が悪いように思ってしまう。カサドシュは作曲家お墨付きのピアニストの一人だが、ここでは一層ラヴェルの曲の秘めている感傷性を否定したかのような演奏をするなあ、、、と感じた。怖いもの見たさで聞いてみるのも一興。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○アンダ(P)ロスバウト指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団(hanssler)1952/3/15放送用セッション・CD,,ミスタッチが目立ち響きには重みがなく、にも関わらず魅力的なのはケレン味溢れ尚乱れぬテンポ取り、細かいニュアンスの美しさ、清潔で透明な音に尽きるだろう。若きアンダのマスターピースではないが特徴的な演奏である。スピードが無いにもかかわらずダレないのは、これはバックオケの影響かもしれないがフォルムがしっかりしており、そのうえで正確なリズムにのっとった発音が極めて明瞭なためだろう。録音のせいかオケが引っ込み過ぎであり、ブラスなどもっと前に出て欲しい。ロスバウトの職人性が裏目か。アンサンブルは完璧。録音状態はよい。モノラル。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○カッチェン(P)ケルテス指揮LSO(decca)1968/11・CD,,美しいソリストだ。ミスタッチも無く、かといってフランスフランスした演奏とも違い、ちょっと東欧や北欧的なところがある。ケルテスはけっこう熱い。だがスタジオ録音のせいか暴走も無く、演奏的には印象的な場面はいくつもあるが、総じては特長をあげづらい部分もある。いい演奏ではある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○ギレリス(P)ザンデルリンク指揮レニングラード交響楽団(放送)1952/10/25live,,ソロ冒頭が難しい曲ではあるがやはりギレリスをもってしても音が濁る。その後は澱みなく進み、オケの非力さ鄙びた響きを尻目に、ギーゼキングを少し思わせるような音色でロシア色はそれほど濃くはない。くれぐれもオケの音色、とくに管楽器ソロはロシア色全開であるが。リズミカルに展開していくところでやっとオケも暖まったようで、調子が出てくる。ギレリスはけして威勢を張らずオケと調和している。カデンツァはニュアンスが無いしバランスもそれほど良くはないが、悪い録音のせいかもしれない。指は良く回り胡麻をまくようにパラパラ鳴っている。拍手ぶつ切りカット。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),◎クロード・カサドシュ(P)デルヴォ指揮パリ音楽院管弦楽団(CND)LP,,こんなに旋律的でわかりやすい演奏は聞いたことがない。ほんと相性のいいソリストに指揮者、隙のまったくない丁々発止だけで充分満足でしょう。浅さ云々含め両手とまったく同じ印象なのでそちら参照。こちらはある意味個性的な左手、ラヴェルとしては異論がある人がいるのを承知で◎。オケがいいよねーまた。デルヴォらしさがしっかり反映されてるし。詰まんない場面は流しちゃえ、でいいんだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○サンカン(P)デルヴォ指揮バーデン・バーデン南西ドイツ放送管弦楽団(club francais/ACCORD)1964/10/3-6・CD,,ステレオで聞きやすい音質。サンカン先生の演奏はラヴェルをよく理解したもの、いい意味でも悪い意味でも正統的なラヴェルだ。感傷は無いが遅いテンポによる静謐な音楽の表現には一種諦念のようなものが漂い、速いパセージでも音を全部表現しようという気持ちが感じられ決して手を抜くことはない。全体のスタイルとしてはペルルミュテールを彷彿とする。「音を全部出すこと」が足を引きずられるようなテンポ感に繋がっていなくも無いが(これはオケのほうが問題なのかもしれない・・・ホーレンシュタインの指揮同様)、少なくともソリストのレベルにおいては非常に高い知見を感じさせるものとなっている。僅かに感じられる足のもつれるようなテンポは寧ろこの知見に引きずられているのであり、技術的な問題や衰えといったものでないことは、全体が少しも損なわれないところからわかる。いい演奏であり、なぜ「両手」だけがCD化されたのかわからないが、デルヴォーの意思的なバックともどももっと聞かれて良い演奏だ。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○スロボディアニック(P)ヴェルビツキー指揮USSRsoピアノはまともなのにオケがロシア。まるでエイコーラみたいな出だしから笑う。朗々と歌うペットからして別の曲のようで、響きは重いが個性的。後半凄い。技術的にはどちらも○。心得ている。録音△melodiya,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○バシュキーロフ(P)ドゥブロフスキー指揮モスクワ・フィル(RCD)1965・CD,,深みは一切無い。ピアノの音色は単調で乱暴だ。でもここまで圧倒的な暴力で迫ってくる「左手」があっただろうか?これはぜひ音をソリッドに設定してガッツンガッツン聞いてもらいたい。ロマンティックすぎるだろ、という重い冒頭、既に大仰な表現でロシアの野暮を感じさせるが、しかし退屈でもあるこのワンフレーズの序奏の表現力からして凄まじく(小さい音で聞いたら何も聞こえてこないたぐいの悪い録音(モノ)なので気をつけて!)、そこから何の憂いもなく鍵盤に指を叩きつける若きバシュキーロフ先生、まるで重い鋼鉄のような、指が何で壊れないのかわからないくらいの力強くも冷たい響きが何故か異様な説得力をもって迫ってくるのだ。終始同じ音色で同じトーンではあるが、解釈表現が凡庸というわけでもなく、実は何も考えてないだけなのかもしれないが、その奇怪さが面白い。これはクロード・カサドシュとも違うし、現代のバリ弾き小僧とも違うし、何なんだろう?ロシアン・ラヴェルだ。勿論ヴィトゲンシュタイン風の前近代のロマンティックな味付けをしたものでもない。主部の少しの惑いもない(フランスの演奏家はここで指がもつれるような惑いを示す者が多い)非常にリズミカルな突進は特筆ものだ。なんなんだろう、この物凄さは。音がよければもっと楽しめたのに、どうも録音が心もとなく、ちょっと腰折れではあるが折角のモスクワ・フィルの伴奏(やはり管が巧い)スヴェトラとも違う独特の無骨な解釈ともども、聞いて損はないだろう。ただ、ラヴェルのファンにはお勧めしないが。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○フランソワ(P)フレモー指揮モンテ・カルロ劇場管弦楽団(EMI)1964/10/24live・DVD,,映像はかなり悪い。ビジュアル面はむしろマイナスととれる演奏のように思われる。視覚的なズレがあり、音符の細かいところではまるでつんのめって弾けていないように見えてしまったりする。音だけ聞いていたほうがいい。比較的繊細で低カロリーな演奏ではある。でもフランソワの楽曲への適性は確実にかんじられる。有名な録音ほどではないにせよフレモーのやや色のついた指揮ぶりと特に穏やかな部分で融合し、地味めではあるが不足のない演奏になっている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),◎フランソワ(p)クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI)1962 DVD盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○フランソワ(p)フレモー指揮ORTF(EMI,BBC:DVD)1964/10/24LIVE EMI盤は言わずと知れた名盤。オケの弱さ、やや客観が優る点を割り引いても最高といえる。後者映像だが音やや悪し(モノラル)。決して没入するのではなく醒めた視点から透明な詩情を引き出す腕は独特のもの。品の良い弾きっぷりが楽しめる。細かい音符の粒だった美しさ!調子はいい。オケは素晴らしいが録音のせいかブラスなどちょっと下品。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○ペネティエ(P)ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1976/10/6live,,重音の響きが素晴らしい。安定したバランスで全く引っ掛かりなく楽しめる。ただぶっ叩くだけの演奏とは違う。最初の方の些細なミスなど看過できる。ニュアンス表現も素晴らしいが、これはロザンタールとそのオケも同じ。楽曲をよくわかっている。師匠の協奏曲を振った記録はこれが唯一なのではないか、それが信じられないほど立派で、ロザンタールらしい華やかさがあるとともに、オケへの統制も行き届き、むろんソリストとも融合し、案外存在しない「王道」を楽しませてくれる。これは拾い物だった。フランスの演奏の精髄を堪能。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○ペルルミュテール(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R/M&A)1958live,,ペルルミュテールはアーティキュレーションが繊細で非常に品がある。タッチが少し弱いしミスも散見されるのが惜しいが、この曲に最もふさわしいピアニストではないかと感じるほど「最もラヴェルのイメージに近い演奏様式」を持っているように聞こえる。ホーレンシュタインのぎごちない指揮ではとうていその魅力に達し得ないところを、恣意的で大げさではあるものの強い推進力をもって曲をドライヴしていくラヴェル指揮者ミュンシュのしなやかさが、ソリストと不協和を起こすのではなく寧ろ巧くバランスがとれて秀逸だ。厚ぼったく迫ってくる方にも客観的に冷たくこなす方にも寄るのでなくまとまっている。ああこれでもっとペルルミュテールの指が回れば、スタジオでそれをやってくれていれば、と惜しい思いがする。ミュンシュなりの感興はしっかり織り込まれていて面白さも格別。このふたりのラヴェルに対する感覚の相性は余りよくないとは思うが、しかしお互いの弱い部分を補うというか、ああほんとに正規がホーレンシュタインじゃなくてミュンシュだったらなあ。録音は悪くはないがよくはない。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),ペルルミュテール(P)ローゼンストック指揮管弦楽団(vibrato:CD-R)1972live,,第一部のペルルミュテールの左手がやばすぎる。だいたいペルルミュテールがラヴェル直伝だからって言ってもピアノ協奏曲を書いたのはその教授時期より後なのであって、両手ならロンのほうがラヴェル直伝と言えるだろうし、コルトーは無いにしてもより左手に適したピアニストはいるだろう。第二部はスピードに任せておけるから乱れは目立たないが、硬直したローゼンストックのバックともども、また録音状態の悪さともども○をつけるわけにはいかない演奏だ。カデンツァでもう少しリリシズムを湛えた表現をとってくれていれば、、、そこですらミスタッチされるともう。オケはひょっとするとN響?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),ペルルミュテール(p)ホーレンシュタイン指揮コンセール・コロンヌ(ACCORD,VOX)1962「両手」参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),A.チャイコフスキー(P)シーガル指揮バーミンガム交響楽団(SLS)1976/12/30live,,バックオケが弱い。木管だけは皆うまいが基本的に即応性がなく統制がいまいち。しかもモノラル!ソリストは同曲を録音したり演奏したソヴィエトのピアニストたちと割と同傾向で、重く前時代的な部分を払しょくしきれずラヴェルとしてはいささか軽やかさ(難しいパセージをそう思わせないようにさらっと響きを整えて披露する)に欠け、とはいえ普通に上手いソリストだけれど、ミスもないとも言えないし(悪録音のせいで聞こえない可能性あり)、それもオケがテンポにのらないせいとも・・・悪くはないがこれが70年代の演奏となると疑問は持ってしまう。あと、やっぱりニュアンスに欠けるというか、音色が無機質。これが同日のラフマニノフとなると途端に水を得た魚になるので笑ってしまう。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),アース(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(tahra)1960/11/11live・CD,,これはいただけない。ソリストにもオケにもミスが頻発し、その原因は異常な遅さにあると思われる。第一部ではペットソロが派手に先走るところをはじめとして、ソリストのたどたどしいテンポ取りなど信じられないような演奏ぶりが展開される。ミュンシュはかつてはラヴェル振りとしてならした指揮者であるしアースも極めて著名なラヴェル弾きだが、これは重なる演奏会で疲労が出たとか何か事件があったとかそういったことを思わせるほどにひどい。第二部ではまともなテンポになるが決して速くは無く、これでもアースはテンポ取りに苦労している。もっと速ければ指が回ったろう。さすがにカデンツでは堂々たる演奏を披露してくれるし、終演後の拍手も盛大だが、この妙に重くてぼろぼろな演奏は、単独復刻に値したのかどうかtahraに問いたい。無印。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○アース(P)ホーレンシュタイン指揮フランス国立放送管弦楽団(MUSIC&ARTS)1952/2/11LIVE ホーレンシュタインのピーコンといえば何といってもペルルミュテールの唯一の録音伴奏だが、コロンヌを使っていながら余りにぎくしゃくした軋みの目立つじつにヘタクソな演奏であり、ペルルミュテールの詩情を大きく損なっていた。それがここではアースというデリカシーの無いバリ弾きタイプのピアニストを得て共感と協調の演奏ぶりをみせている。やはり細かく聞くとソリストとのスピードの微妙なずれ等瑕疵は残ってしまっているが、強力な推進力で豪速球といった弾きぶりはホーレンシュタインの剛直さとマッチして、ああ、この手の演奏ってあるよな、という範囲のものに収まっている。正直この曲の魅力を引き出すタイプの演奏とは言えないが、演奏会の一演目としてはちゃんと出来上がっていると言えるだろう。録音悪し。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○ブランカール(p)アンセルメ指揮スイス・ロマンドo(london)秀演。「両手」参照。ソサエティ・フィルはパリ音楽院管弦楽団の伏名。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○ブランカール(p)ミュンシュ指揮パリ・ソサエティ・フィルo1938(lys) LONDON盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○ワイエンベルク(P)コンドラシン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ(PHILIPS)1979/3/1LIVE最初ソリストのタッチがおぼつかなくて大丈夫かな?と思わせるが、オケの豊穣な響きと、迫力あるソリストの表現が最後には壮大な結末を呼ぶ。コンドラシンはロシア時代にこの曲は録音していない(たぶん演奏もしたことないのでは?)が、この演奏記録があればとりあえず大丈夫!といったところだ。もっとも「正統的な」演奏(この曲は初演者ヴィトゲンシュタインや同窓コルトーによってみょうちきりんな編曲をされてきている曲でもある)からするとイマイチ”成りきれて”いないかもしれないが、ラヴェルが賞賛したフェヴリエだってけっこうユックリで平板な演奏を行っていることだし、まあこのくらいならアリだろう。楽しめるレベルになっているので○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),○ワイエンベルク(P)ブール指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(DUCRET THOMSON/EMI)ワイエンベルグの詩情溢れるタッチが堪能できるが、この曲にしてはやや重みが足りない感じもしなくはない。ブールの呆れるほど明確な棒はここでも独特の光彩を放っている。微に入り細に入り精密機械のように組み上がった音楽は恐らくラヴェルの目するところにかなり近い。けして前のめりにならず縦も横もきっちり揃った音楽、あくまで音符の通り正確に聞こえるようにマニアックなまでに突き詰めた音楽がここにはあり、「え、ここって大抵ごちゃっとするけど、こういうふうになっていたの?」的面白さを味わえる。打楽器要素が強調されているが、その意図する所のリズム感を巧く捕らえている。じつに構造が見え易い。こういう演奏はいい音で聴きたい。最後のカデンツにおけるワイエンベルグの表現に涙。乾いた涙というか、陶酔の果てというか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),アントワネット?(p)ブランコ指揮ポルトガル国営放送o(strauss)1957/12ライヴ放送音源。雑音がはっきり。それでなくても…,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930),リヒテル(P)ムーティ指揮テアトロ・コムナーレ交響楽団(stradivalius他)1969/6/14LIVE録音がよくない。折角のピアノがオケの無遠慮な大音響に隠れてしまうところが散見される。これは指揮者の問題かもしれない。オケが全般に重い。詩情溢れるリヒテルのタッチも、録音のせいで貧弱に聞こえてしまう。リヒテルに集中して聞けば、その完璧なテクニックと美音に浸ることはできる。テンポは相変わらず遅いがここでは割合と気にならない。現代好き二十世紀後半の超人による演奏は「もたい」。ガーシュインでも同様の感想。ムーティが寧ろ熱演。重いテンポ、打鍵・ペダル微妙に遅すぎる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(1930)〜カデンツァ,○フリエール(P)スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(?)1965/12/29live,,フリエールは雄弁だが響きが濁ることがある。この曲の難しいところだろうが余裕綽々で弾いているのに耳障りな響きが混ざる、うーん。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),作曲家指揮マソン(hrp)ミュルシー(Fl)他(COLOMBIA原盤、 M&A他)1923・CD 決してこなれた演奏ではないが、この時代の楽器の個性的な音色に惹かれる。技巧的には最高とは言えないにしろ、指揮・演奏共に一種の雰囲気がある。テンポ操作等”解釈”の素晴らしさは流石作曲家(ラヴェル「指揮」には眉ツバが多いので、信憑性はなんともいえないが)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),○ヴィルトゥオーゾ四重奏団、cockerill、murchy、draper(HMV他)SP,,英国のSP録音は団体こそ無名で手堅いところが多いものの音がよく、古くてもかなり楽しめる。この演奏もロシアやドイツやフランスといったお国柄から離れて純音楽的に演奏しようという意図が程よくきいているところにかなり明瞭なハープの音が耳に楽しく、SPにはハープが似合うなあと思う。この団体の録音はそれほど多くは無いようだが一時期レコード会社肝入りで集中的にセッションが行われた記録がこうやって残っている。爽やかで変な艶もなく、なかなかラヴェルらしい演奏。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),◯ニューウェル(HRP)スタイヴサント四重奏団他(columbia)1940/3/22,,なかなか雰囲気のある演奏で、スタイヴサントらの客観性が出るかと思いきや、縮緬ヴィヴラートをはじめとして歌い込みもあり、全般かなり揺れる演奏になっている。ハープが強引に先導するわけでもなく、バランスの良い響き、音色がとてもラヴェル的な典雅さを演出している。法悦的な目も虚ろになりそうな演奏であり、これはなかなかいける。ニューウェルのソロは変にロマンティックな揺れがなくてよい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),○グランジャニー(HRP)シルバン・レビン指揮ビクター弦楽合奏団(HMV/SLS)1940,,作曲家ゆかりの男性ハーピスト、グランジャーニの旧録。ドビュッシーの舞曲と組み合わせ。SLS(CD-R)はSPでのこの組み合わせをそのまま針音も込で復刻した。andanteで舞曲のみCD化していたが、SPも入手困難なものではない。グランジャーニのつまびきはノイズの奥からも古雅にひびき、それは音響的に「引き」でありながらもまったくこの演奏全体を支配している。このムードを安定感あるアメリカの楽団が邪魔も加えもせず保っているふうである。決して「ギターみたい」ではない。ラヴェルとグランジャーニは舞台をともにしたこともあるというがこの曲であったかどうかは知らない。グランジャーニはアメリカのハープ演奏界の父である(戦後国籍を移している)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),○グランジャニー(HRP)ハリウッド四重奏団、アーサー・グレッグホーン(fl)ヒューゴ・ライモンディ(cl)(capital)LP,,ラヴェルの前で演奏し賞賛を受けたことでも知られるグランジャーニの得意曲である。男性ハ−ピストということだけでも珍しかったろうに、20世紀前半の現代フランス曲を積極的に演奏しアメリカ渡ってのちも自作を含む新作を演奏して名声を博した。これは代表的な盤といえよう。モノラルではあるが非常に繊細な抒情を醸しながらも発音は常に明瞭で(これはハリウッド四重奏団他のメンバーにも言える)パラパラ胡麻を撒くように煌く音楽は同曲本来の価値以上のものを与えてくれる。グランジャーニは結構強めの発音をするように思うが(そんなに聞いてないけど)ソロ部分の儚くもいい香りのする繊細な響きに感銘を受ける。ピアノ協奏曲1楽章の緩徐部を思わせる明るくもどこか哀しい音楽だ。F.スラットキンの音が色っぽすぎるのはご愛嬌。リズムがよく、この曲が苦手な私でも楽しく身を揺らすことが出来た。品がよすぎる感もあるが。○。ハリウッド四重奏団はM.ストックトンとも録音している。,-----,,TITLE: 序奏とアレグロ、主観的分析,URL: http://suisse.exblog.jp/2150251,BLOG NAME: 鎌倉・スイス日記,DATE: 06/27/2005 19:18:58,ラヴェルの7人の奏者のための美しい作品「序奏とアレグロ」を主観的に分解してみます。分析とタイトルにつけましたが、本当にただ分解しただけです。悪しからず・・・。,序奏部は二つの部分に分かれ、その最初の部分にこの曲の素材が全て詰め込まれています。,-----,,,-----,,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),○グランジャニー(HRP)コンサート・アーツ弦楽合奏団他(capitol/EMI)LP,,グランジャーニ(グランジャニー)は女性ハーピストという記述を最近読んだのだが、そうするとこのジャケットに写っているロマンスグレーは別人なのだろうか。悪名高かったandanteでCD化した演奏とは一応データ上違っている、結構有名な、そして案外中古が出回っている演奏である。以前、男らしい演奏、と書いた覚えがあるが、時間をあけて改めて聴くとそこまで野太い演奏でもない。ラスキーヌほど繊細で完璧なリリシズムは醸されず、相対的には幻想性も薄いが、それでもリアルな触感の演奏としては強すぎず弱すぎず、アンサンブルの調和のとれたこなれた演奏に聴こえる。アメリカの演奏らしくニュアンスは程ほどで、強いインパクトも深層心理に訴えかけるものも無いが、ラヴェルにしては書法がこなれていない機械的な、楽想も変化も乏しい(楽想に乏しいのはラヴェルの後年までの特徴だが)序アレが余り得意ではない私でもさらっと聴ける。楽団の実体はフェリックス・スラットキン系だろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),○グランジャニー(HRP)コンサート・アーツ弦楽合奏団他(capitol)LP,同上,ドビュッシーらと交友のあった男性ハーピストの渡米後の演奏で、男らしい線の太い音がギタリスティックで個性的だ。しかも粋に溢れ、コンサート・アーツともども本当に巧い。ラスキーヌに飽きたらグランジャーニもお勧め。,,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),○メイソン・ストックトン(HRP)ハリウッド四重奏団他(testament他)1951/10/29・CD,,ハッキリした表現でいささかアクが強い。緩急の大きく付けられたロマンティックな解釈ではあるが、音が強いので耽溺はしない。この曲の叙情性に合うかどうかは。。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),○メイソン・ストックトン(HRP)アーサー・グレッグホーン(fl)ミッチェル・リュリ(cl)ハリウッド弦楽四重奏団(capital),同上,さらっと流して聞けてしまう。この時代のモノラル録音にしては割合と音の分離の明瞭な録音で、演奏自体もコントラストをしっかりつけたリアルなものになっている。だが、「引っ掛かり」が無い。そこがネックだろう。演奏家達はバランスがとれている。突出したスターがいないからかもしれない。ハリウッド四重奏団もそれほど音色表現的な主張が強く出てきていない。ストックトンはグランジャーニと比べるとちょっと音に味がないというか、発音の強さは似ているのだけれども、無機質でやや聞かせる技に欠けている。この盤はひょっとするとグランジャーニとされている盤と同じモノではないかと思っていたのだが、似ているのだけれども、違うと思う。おまけで○。これでステレオならスタンダードな名盤とされていたかもしれない可能性は感じる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),◎パレナン四重奏団、herbert,gratacos,panella(ensayo)LP,,パレナン団は近年の弦楽四重奏の、表現の精度と客観性を重んじるという傾向を決めてしまった、「面白くなくした張本人たち」というイメージがある。しかし現代作品に近いものはそのスタイルでないと作曲意図を的確に再現できないし技術的にも難しいから仕方ない部分もあると思う。ラヴェルあたりになるとびみょうで、カルテットが絡む初期作品はどちらかというと客観的に整えるやり方では限界があるように思う。どうしてか最近パレナン団は評価が再度高まっているようで、音盤の値段が一時は投売り状態だったにもかかわらず、とくに古いものやこのエンサーヨから出ているスペイン録音のシリーズみたいな比較的珍しいものについては、中古LPにかぎってはべらぼうな高騰ぶりを見せている。しょうじき、曲目はともかく複数録音のあるものについては、そんなに解釈表現が変わるものではなく、現役CDで出ているもので十分だし、そもそもスタイル的に、アナログよりデジタルのほうが雑音がなく精度を確かめられていいと思うのだが。。,,だが、この序アレは名演である。録音のクリアさもさることながら(薄盤ゆえ音質はびみょうだが)演奏も硝子細工のような美質をきらめかせた非常に繊細なもので、陽光にきらきらする噴水の透明な飛沫を見ているような爽やかさと穏やかさ、詰め込まれた細かい音符音符の間に悉く涼やかな風が通っている。夏向きのクーラーのような演奏で、序アレの音盤ではいちばん好きかもしれない。ああ、こうやって聴くとこの曲は若書きの生硬なものには聞こえない。繊細な音響バランスの勝利。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),○ピエール・ジャメ(Hrp)キャプドヴィエル指揮フランス放送ソロイスツ(TIMPANI/ducretet thomson)1952/6/16・CD ,,技巧的にすぐれているからこその変な突出やアーティキュレーション付けがなくさらっと弾きこなせるという意味ではP.ジャメはすばらしい演奏家だったのだろう。ただ・・・これも余り印象に残らない。ティンパニはフランス録音のSP復刻をじつによくやってくれる、しかしめったに新譜を出さないレーベルだが、この音質は改善しがたかったのか。○にはしておく。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),ピエール・ジャメ(Hrp)エネスコ、ジョルジュ・アレ(Vn)ガストン・マルケジーニ(Vc)ガストン・クリュネル(fl)ウリス・ドレクリューズ(cl)他(meloclassic)1951/3/1パリlive放送・CD,,エネスコはデュオソナタ初演など請け負い学生時分からラヴェルと交流があった。それに留まらず同時代音楽に積極的で、けしてバッハ主義者ではない(演奏スタイルからして当然だけれども)。これは指揮だけではなく音楽院ホールの公衆の面前で直接弾いているということで年齢からは珍しく思う。この時期にしてはノイズが多く音が悪いのは仕方ない。編成は通常通り室内楽であるが(これは作曲家が何を書こうと依頼どおりハープを際立たせるためにはオケ編成では駄目だろう)さすが大先生エネスコだけあってお歴々が顔を揃えており、父ジャメのtimpaniのSP起こしからは聴き取れない腕をふるっているのは聞き所。盟友ラスキーヌの豪腕とは違う美観がある。ここに記載は無いがSPでジャメ、クリュネルと組んでいたブランパインがヴィオラを担っている可能性がある。ドレクリューズも名を連ねている。,,そこはそこなんだが、解釈を支配しているのは間違いなくエネスコで、パヴァーヌの指揮録音など思わせる古色蒼然とした情緒てんめんな揺れ具合には仰天する。これがチャイコフスキーでは安定していたエネスコの指揮なのか?やはり同級生には思い入れてしまうのか?自身の音はわりと弱く、この時期なりの引きのスタイル。音色も煽らない。というか煽れないのかもしれない。とにかくこれは50年代のものとは思えない情緒過剰な演奏で、好き者にはたまらない30年代的録音であり、余計な音源がたくさん併録された二枚組ではあるが復刻自体素晴らしいことであった。エネスコのラヴェル、それだけでも価値はある。エネスコがルーマニア初演を担ったというショスタコ七番はどうだったのだろう。おそらく固いものだったと想像する。この録音は特別なパリの空気によるものなのだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),マリー・クレール・ジャメ五重奏団他(erato/rca)1976版,,マリー=クレール・ジャメ(hrp)の陶酔的なソロをきくための演奏であり、ヴァイオリンなど不安で没個性的に感じるが、それを含めフルート以下六本はあくまで、ソリストを浮き立たせるための伴奏なのであり、同曲の趣旨通りの演奏と言える。テンポは落ち着き気味で、ジャメの技巧の安定した演奏に沿って呼吸するように伸び縮みするが、過剰な山っ気はなく、音質も綺麗で、柔らかな香気を放っている。コーダではスピードを上げ楽曲の要求するとおりのフォルテッシモで終わる。このくらい揺れたほうが型式ばった曲の飽気が跳ね飛ばされて良い。マリ・クレールの同曲演奏はina配信で三分の二くらい映像を見る事もできる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905)(前半のみ),マリ・クレール・ジャメ(hrp)マリ・クレール・ジャメ五重奏団(ina配信)1963/6/16live放送(映像),,5分40秒余りで切れてしまうため無料配信となっている。白黒で画質も音質も良くなく、テープ撚れが見られる放送記録映像。娘ジャメさんお美しい。それにしてもハープでかいなあ。表現を詰めていくのではなく、ゆったりしたテンポがとられ、伴奏は伴奏に徹しており音には一切「色を付けない」。上手くてこなれている。ジャメ自身は比較的情緒的な表現の綾を作って特質を出している。技巧を見せつけるのではなく、情に溺れるのでもなく、楽曲の典雅な様子を崩さないように調和を保っている。どうせなら全曲聴きたいところだが残っていないのだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),◎ラスキーヌ(Hp)、ランパル(Fl)、ドレクリューズ(Cl)、パスカル弦楽四重奏団(EMI)1955/1・CD,,こんれは名演です!表現力溢れる甘すぎるくらいにうたいまた芯の強い明瞭な発音で圧倒的なラスキーヌ、むせ返るようでデリカシー溢れる他一流メンバーの完璧な世界、これを聴いて何も感じなかったら曲に適性がないのでしょう。最後、ドレクリューズの音程がやや低く不協和に響くのが非常に惜しいが、そこまでの印象派的な世界の香気だけでも◎でしょう!私はこの曲は苦手なのだが(デュランのパート原譜も持っているがうまくまとまる気がしない機械的な譜面だ)、これは有無を言わせなかった、、,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),◎ラスキーヌ(hrp)ヴィア・ノヴァ四重奏団、マリオン(fl)他 (erato他、邦盤CD化)ステレオ ステレオではこの盤を推す。ラスキーヌの近現代アンサンブルものでは、表現的にもアンサンブル的にも、この曲(盤)が最も成功している。ラスキーヌは旧盤と比べ少しも衰えを感じさせず、若々しくデリカシーに溢れ、それでいて力強い正確さで曲を盛り立てている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),◎ラスキーヌ(hrp)カルヴェ四重奏団、モイーズ(fl)他(angel他、邦盤CD化)モノラル カルヴェQの最もフランス的な粋が、ラスキーヌの繊細かつ完璧なハープと、モイーズの艶な音色とあいまって、同曲最高の演奏を形作っている。見事なアンサンブル能力が各個性をそのまま融和させているのも素晴らしい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),○ベルクハウト(Hrp)ムジカ・ダ・カメラ(decca)LP,,とにかくハープが素晴らしい。ニュアンスに富みアーティキュレーション付けがじつに細かく、音は細すぎも太すぎもせずしっかりしているが押しつけがましさは無く、それは楽団も一緒でニュートラルという悪い印象を与えるコトバを使いたくは無いのだが、いい意味でのニュートラルさがある。フランス往年の楽団がソリストに艶めかしい表現をさせたりひっくり返ったような「色彩的」な表現をとっていた、そういうものとは違うけれども、近現代の団体の透明で精緻な演奏ともぜんぜん違う。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),○ミラノ・スカラ座四重奏団、アッピアーニ、ペローソ、ピストーア(mercury)LP,,雰囲気は満点であるものの、少し技術的瑕疵が認められる。それはロマンティックな崩しからくるものではないか。ラヴェルは少しでもルバートして崩すと全体のパズルめいたフォルムが狂い崩れてくる。その点だけ気にはなったが、往年の演奏スタイルでこの曲を楽しめるという意味では価値はある。音色もハープをはじめよい。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),○プロメテウス・アンサンブル 単に音としては現代最高の出来ではないか。無個性な感も。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905),ウィーン・ベルリン・アンサンブル 謡い込み過ぎ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905)(管弦楽編),ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)マンハッタン・ヴェッツ病院慰問1967/5live,,慰問演奏会の一節でオーディエンス録音ゆえ極端に音が悪い。レクチャーの声もよく判別できない。演奏は非常に恍惚としておりねっとりと最後まで引きずるような音楽が聴かれる。ソロ楽器の噎せ返るような多彩な音色表現は伺えるが、そもそもかなり編成が大きいので原曲のシンプルな美観とはちょっと違うかも。無印。でも楽しげ。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905)(管弦楽編),ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1955/10/8・CD,,この曲は大編成でやっちゃいけない!よく音量バランスがとれたというくらいで、録音が極めて悪いためとも思われるが、典雅で繊細なフレーズを沢山の弦楽器でやられるとさすがにミュンシュ的なバラけや勢いの空回りが目立ち、ほんとにラヴェル指揮者だったのか?というくらいロマンチックに揺れすぎでもある。とにかくアンサンブルとしてダメ。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905)(管弦楽編),○ドゥローワ(Hrp)ガウク指揮交響楽団(MELODIYA)LP,,ガウクはドビュッシー、ラヴェルの両者のハープメーカー注文作品を録音しているわけだが、ラヴェルの場合かなり淡く軽い演奏スタイルが要求されるのに、ここではしょっぱなから異常にロマンティックなフレージングで入ってくる。とても重い。そしてその表現方法が最後まで続くのだ。録音がメロディヤなので、盤質というかティッカーノイズはともかく(このへんは再生針の問題でもあるし)録音自体はモノラルながらとてもレンジも広く深いので、聞こえ方がハッキリしすぎるというのもあるが、それにしても凄いアーティキュレーション付けだ。いや、この曲は何かいつも味が薄いというか京風の感じがして、関東人としてはもっと濃いい、どちらかといえば名古屋風の味噌味のほうが好きなので、「これもよし」。ドゥロ−ワは生々しく分厚いはっきりした音だ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905)(管弦楽編),○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1963/10/3live,,このハーピストは誰だろう、力強く確かな発音で管弦楽とわたりあっている。素晴らしい。録音状態こそやや悪いもののステレオでしっかり音楽として聴ける。管弦楽編曲でやると不格好な音楽、とくに弦楽器が分厚く奇妙に響くことが多いのだが、セルはさすが抑制的にバランスを取って楽曲を成立させている。溌剌と流れ良く、透明感がある。だがやはりここはハーピストの素晴らしさに尽きる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905)(管弦楽編),◎ベロウ(hrp)ベイヌム指揮ACO(DECCA他)1952・CD,,さすが指揮者付きで室内楽をやったというべきか、ドラマティックな構成のうえに緊密なアンサンブルがこうじられていてこれほど面白く感じられた序奏アレは未だ無かった。とくにハーピストの繊細かつ高度な技巧が素晴らしく、ラスキーヌのような押し付けがましさがなく、冒頭よりドビュッシー的な世界を展開し同曲の生硬な部分をまったく感じさせない表現力でとにかく聴かせる。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:序奏とアレグロ(1905)(管弦楽編),○フリッチャイ指揮RIAS交響楽団(DG)1957/1 LPでもたまに見かける盤である。明るく透明感のある演奏で、奏者はややアクが強いというかドイツ臭いのだが、非常に見通しがよく聴き易い音になっている。ハープは表現の幅は余りないのだけれども発音が常に明瞭に強く、ピアノ伴奏のようにテンポを保ち流れを作って、より聴き易くしている。フランス的なものを期待すると裏切られるが、素直に音楽のきらめきを楽しもう。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:水の戯れ,○ヴェルコフスキ(P)(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LP,,かなり技巧派で、難曲を弾きこなすのみならず響きや楽想の変化をとらえ非常に繊細な機微の表現をものにしている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:道化師の朝の歌,○T.オーバン指揮ORTFフィル(FRENCH BROADCASTING PROGRAM)LP,,期待していなかっただけに色彩的でスピード感ある表現に感銘を受けた。作曲家としても知られた指揮者だけにオケの組み立てが巧い。瓦解しがちな構造の楽曲、巧みなソリスト陣を緊密に絡ませ、それでいてある程度開放的に南欧ふうの派手さを演出している。これはいい。誰かに似ている・・・フレイタス・ブランコか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:道化師の朝の歌,○アルベール・ヴォルフ指揮パリ音楽院管弦楽団(DECCA/LONDON/NARROW RANGE:CD-R/Eloquence Australia)1950年代・CD,,美しい音色で落ち着いたテンポの演奏になっている。浮き立つ感じはないものの、リズム感がよく安心して聴いていられる。ちょっとイメージ的にドビュッシー的というかフランスに寄りすぎているかんじもするが、南欧にこだわらなければ面白く聞けるだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:道化師の朝の歌,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(london)1960/11この曲はとてもスペインふうで譜面から独特の匂いが漂ってくる。だが「そんな」演奏を聞きたくないときにはこの盤だ。澄んだ空気に爽やかな朝の風景、ただひたすらに磨き上げられた音。湖の水面を見るような怜悧な美しさすらある。純粋な音楽として楽しめる演奏であり、ロマン派ふう音楽がラヴェルの本質ではないと考える向きにはおすすめである。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:道化師の朝の歌,○ガストン・プーレ指揮LSO(MGM)LP,,色彩的な処理の上手さや撥音の使い方の上手さがよく出ている。ただ、演奏は一直線で揺れず性急、慌てて走って走り抜けて終わるような調子で、芸風としては完成度が高いとは言い難いかもしれない。CD化音源とは違う録音。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:道化師の朝の歌,○ゴルシュマン指揮ラムルー管弦楽団(PHILIPS),,突き進む感じ、クリアで立体的な音作りが曲に非常にあっている。リズムどりも素晴らしい。中間部の幻想的な情趣もこの人にしてはうまく描いている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:道化師の朝の歌,○チェリビダッケ指揮トリノ放送交響楽団(ARKADIA)1959/1/3LIVE・CD生気に溢れた演奏で、後年のスタイルとはまったく異なっている。冒頭の鋭いリズムと速いテンポはかなりイケているが、中間部で弦がバラけるところがあり、これはオケ側の問題なのだろうけど気になった。雰囲気は満点だが。中間部を過ぎるとまた鋭いフレージングに速いテンポ、けっこうテンポが揺れるが非常にリズミカルでかっこいい。あっさりした終わり方に聴衆は戸惑うような拍手しかできてないが、これは後年では考えられない凄く俊敏な演奏として特記できよう。音量変化の幅広さ、とくに弱音部の音への拘りに後年に繋がるものはあるが。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:道化師の朝の歌,◎チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(VON-Z:CD-R)1994live ,,このトリッキーなリズムをオケという大部隊を相手にどう表現するか、指揮者の腕が試されるところだがチェリはまさしくその安定した技術をもって「正しいリズム」を刻みそこにエスパーニャな煌きを感じさせる音の輝きを持ち込む。最後の拍前で叫ぶチェリに「いつものアレかあ」とは思わせない真の迫力がありこれは、とくにすばらしい演奏といっていいのではないか。恐らく既出盤だと思うが正規と聞き惑うほどに音がいい。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:道化師の朝の歌,チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(SARDANA:CD-R)LIVE,同上?,ややぎくしゃく固いが音色はいい。いかにもドイツ的な四角四面なところを残しながらもリリカルで透明な音により独特の清潔な夢幻郷を描き出している。中間部が余りの遅さにバラけたりもしているが、情緒てんめんの深い音には魅力がある。最後の゛ティー!!が怖い。無骨なところが個人的にキライ。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:道化師の朝の歌,チェリビダッケ指揮ORTF(ina配信)1974/5/29live 6/3放送,,他で出ているものと同じ演奏だろう。しかし音の迫力が段違いで、中間部もしっかり自己主張しているさまが聞いて取れる。再現後あっさりめの表現でパッと切れるように終わるところはこの人の解釈らしい。次第に熱狂的なブラヴォが混ざる客席反応。音は良い。(当然ステレオ),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:道化師の朝の歌,○チェリビダッケ指揮ORTF(DA:CD-R)1974/6/4ローザンヌ音楽祭live,,非常に明晰でスケールのあるAC録音で、放送雑音や経年劣化による撚れ断裂は避けられていないものの、DA水準では最上の位置に置けるバランスのいいステレオだ。何のことはない日本の放送ソースなのである。それはそうと演奏は依然バス音域が強すぎるもののバレエ音楽的な躍動性は全く失われずスピード感も維持され、イタリアで多彩に活躍していた頃の経験が活きていることを伺わせるとともに、マニエリスティックなまでに整えられた音響や研ぎ澄まされたオケの表現にはスタジオ録音かと聴き惑う緻密さすら感じ取れ、フランスオケらしくもない精度と揃った迫力に驚かされる。晩年の神経質な厳しさと透明壮大な音楽への繋がりもまた感じるのである。この曲の包蔵するローカリズムの魅力は全く引き出されていないと言っていいが、純度の高い汎用ラヴェルとして○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:道化師の朝の歌,チェリビダッケ指揮ORTF(DOCUMENTS他)1974パリlive・CD,同上?,DOCUMENTS盤は月日記載が無く詳細データが不明だが、恐らく他で出ているものと同じだろう。ここではDOCUMENTS盤について書く。録音状態は前に収録されているダフクロ2組と雲泥の差のステレオ良録音で、データが同じなのに違う状態なのはこのラヴェルアルバムが海賊音源の寄せ集めだからだろう。リズムと装飾音の印象が強く旋律が顕わでない(ラヴェル自身の言葉どおりの)楽曲で、ここではチェリは変な解釈を入れずきっぱりとしたものに仕上げている。中間部の印象派的な空間も独自表現によって歪むことはない。拍手無し。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:道化師の朝の歌,○デルヴォ指揮NHK交響楽団(KING/NHK)1978/11/17live・LP,,デルヴォというとフランスの指揮者の中でも劇場中心に活動していたせいか一段下に見られ、演奏自体もムラがあり感情に流されがちなところが「面白い」か「ヘタクソ」か評価が分かれていた気がする。プーランクの作品の録音においては安定した評価を得ている。来日公演も記憶に新しいところでこれはそのうちの一曲。今聴くと管楽器が酷い。この曲はそもそも管楽器のソロ各々の技をパノラマ的に見せつけていく曲であろう。とくに木管だ。急峻部がひどい。単音をタカタカ刻むスタッカートが、誰一人吹けてないと言っても過言ではない。まさに精密機械のように管弦楽を細かいパーツにばらけさせ組みあげるラヴェルの書法は演奏側にとってはまるで連続性のないフレーズの羅列で、特にこの曲は一部ソロ旋律楽器や打楽器を除けばもう指揮者さんまとめてください、というより他ないバラバラな楽譜なのだが、そこは巧い。もう一つ重要なリズム要素にかんしてはもうデルヴォの愉悦的なノリがオケに浸透し、これしかない、と思わせる。これはドイツの指揮者には無理だ。これらを加味して○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:道化師の朝の歌,○フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管(WESTMINSTER他)CD ブランコらしい明るく色彩的な響きが発揮されたすがすがしい演奏だ。スペインふうの楽想はブランコにうってつけ、これ以上のものは望めないだろう。中間部の印象派的な雰囲気のかもしかた、そこで響く打楽器要素の強調、心地が良い。ちょっと旋律が埋もれがちだが、悪い聴感ではない。盛り上がりどころではもう少しルバートしてもいいと思うが、まあ曲を崩す恐れもあるからこれが正解なのだろう。シャンゼリゼ管のセンス抜群の演奏に浸りましょう。この曲、昔弾いた事があるが(しかもコンマスだった(恥))、ぜんぜん違う・・・(泣)原曲ピアノ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:道化師の朝の歌,フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD,同上,数少ない正規録音の中でも作曲家縁のラヴェル集の中の一曲。ライヴ同様ハデハデ、リズムは気まぐれ感がある。ひとつひとつの音にニュアンスは籠めないけれども音の堆積には色彩味が溢れ、自由に力強い。まっすぐに力強いミュンシュとは違う。オケにメリットのある録音にもかかわらず独特の引き締めの緩さがあり、そのあたりモノラルであることとも相まって余り取りざたされなくなったのだろうか、しかしこの人の演奏はつまらないということがない。現代の理知的で精緻な演奏を求めるならそもそもモノラル時代のものには手を出すべきじゃないが、ピリオドうんぬん言うならラヴェルが聴いていた音を聞くべきであり、このポルトガルの指揮者のとくに適性を示した南欧的な楽天性をもつ同曲を、当時の劇場でナマで聞くように楽しんでもいいのではないか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:道化師の朝の歌,○ル・ルー指揮フランス国立放送管弦楽団(concert hall),,重厚な響きが特徴的だが勢いは決して失われず音色は透明感のあるフランスのものである。声部間のバランスが秀逸で、硝子細工のような構造によってもたらされる印象派的な雰囲気を非常に巧く演出している。静かな場面での音響的な面白さは非常に巧く表現されているが、そこにスペイン情緒は余り感じられず、ただフランス的に美しい。録音の見通しのよさもある。木管がとくに秀逸な表現を行っているのがわかる。ちょっと弦楽器にバラケがみられるがこの曲って分裂的で、結構意表を突いた合いの手を入れなきゃならなかったりめんどくさいんです。残響がそのバラケをけっこうよく吸収しているのでデジタル音源化でもしないかぎりバレないだろう(してる?)。基本的に情緒的なテンポ・ルバートがないため強奏部でやや焦燥的になりすぎるところもあるが、終盤になるとロマンティックな起伏が若干ついてくる。自然である。やはり音響的な重さが好悪分かつかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:道化師の朝の歌,○ロジンスキ指揮クリーヴランド管弦楽団(LYS,DANTE/COLUMBIA)1941/12/29・CDリズム表現はお手のもの。冒頭よりトリッキーな律動が始まるが最初を除きほとんど不安感はない。多少アバウトに聞こえるのは録音のせいだろう。ピアノ曲の編曲とはいえこの曲はラヴェルの作品でも中間部などかなり印象派的で、かつスペイン趣味に彩られたドビュッシーの遠縁と言ってもいい作品だ。生暖かいハーモニーが楽天的だがどこか空虚な感傷を煽る。録音はかなり雑音が多いが、音像ははっきりしており十分聞ける。原曲がピアノ独奏とは思えない驚異的なアンサンブルがつづくが、とりとめのない作品に対してロジンスキはしっかり筋道をつけて劇伴のような一貫した音楽を演じあげている。最後の音のなだれこみは引き締まっていてとてもいい。○。別記したコロンビア録音のダフクロ2組、スペイン狂詩曲も同じこのDANTE盤でCD化された。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:道化師の朝の歌,○ワルター・ストララム指揮コンセール・ストララム管弦楽団(VAI)1928-30・CDなかなかいいリズム感だ。冒頭で旋律のままにやや揺れるが、次第に安定してくる。色彩味溢れた指揮ぶりはこの生っ粋のパリジャンによる初めてのオーケストラの特性をよく示している。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:道化師の朝の歌,クリュイタンス指揮フランス国立放送管弦楽団(TESTAMENT/EMI)1953・CDシャンパングラスのようなひびきはいいのだがどことなくぎくしゃくするテンポが気になる。リズム感がイマイチ悪く聞こえるのだ。クリュイタンスのそういうところが私はじつは苦手だったりするのだが、録音がいいから耳触りが良くそれなりに楽しめた。何度も言うがひびきはすばらしいです。モノラル。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:道化師の朝の歌,クレンペラー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(ARCHIPHON)1926なんてぎくしゃくした踊り・・・!全く揺れない一本調子でかつテンポ感がイマイチ、という悪印象の大部分は録音のせいであることを承知のうえで、あえて音だけを聴くかぎり、そこにはビゼーふうの南欧の香りは僅かに感じられるものの、フランスという音楽先進国の洗練された音楽のかもす香気はまったく感じられない。積極的に(当時の)現代曲を取り上げ続けたクレンペラーの十字軍的役割をつたえる記録ではあるが、あまりにヘンである。まあ敢えて言うならば各楽器が多彩に響きあい、とても色彩的な演奏に仕上がっているとは言える(全ての楽器をきっちり鳴らすのは後年までつづくクレンペラーの芸風の特徴ではあるが)。色彩的とはクレンペラーにあるまじき評価だが、こういう曲を後年は振らなかったわけで、もしフィルハーモニアとこういう曲をステレオ録音していたら、クレンペラーの印象はまた違ったものとなっていたかもしれない。それにしても、クレンペラーの原典主義的な「揺れない演奏」は、ラヴェルならきっと気に入ったろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:道化師の朝の歌,コッポラ指揮グラモフォン・グランド交響楽団(LYS,DANTE)1928/3/6,6/7最初のスペインふうのテーマが展開していく中に物凄い恣意的なテンポ変化がつけられていて驚く。この人もまた19世紀的解釈を引きずっていた指揮者のひとりなのだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:道化師の朝の歌,デルヴォ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(COMMAND/forgottenrecords)1961/5パリ,,稀少LP盤で知られていたものの他録と同じという説もあるものをfrがCD-R復刻したもので、音は極めて良く、値段を厭わなければこちらだけを購入しておいても良いと思われるほど、まとまったラヴェル集となっている。嚆矢を飾るこの曲は派手なデルヴォーの響きはありながら、むしろ華々しさによってこそ曲のラテン風味が活きてくる。残響多なので誤魔化される部分もあるかもしれないが、艶のあるオケが良い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:道化師の朝の歌,パレー指揮デトロイト交響楽団(mercury)1962/3異常に速くてひたすらインテンポ、無機質なほど揺れのないパレー演奏の特質が現われている。中間部の神秘的なハーモニーこそ綺麗に響いているもののオケもそれほど巧いわけではない。純粋に律動とスピードを楽しみたいならこれを聴きましょう。それ以外を求めるならもっと起伏のある演奏をどうぞ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:道化師の朝の歌,伝パレー指揮モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団(SCRIBENDUM他)CD,,どことなくだらしないというか、パレーの揺れない率直な解釈を実現しかねているやや技術的に不安のあるオケだが、アメリカオケに比べると温かみというかラテン風味がその音色に充ちており、かつてパレーがフランスで作曲家と交流を持ち活躍していたころの雰囲気を伝えることには成功している。リズムの感じはよくブランコやロザンタール系だが、いささか解釈にいびつさと直線的なところが目立ち、人工的で、大きく水をあけられている。テンポは珍しく遅い。中間部の印象派的な陶酔はなかなかいい。ただ、一部木管と弦のだらしなさはいかがなものか。発音の最後を切らずに伸ばすのは解釈かもしれないがラヴェルだけに気にしざるを得ない。無印。このスクリベンダム発掘盤は長らくプレミアものだったコンサート・ホール(頒布盤)録音の復刻シリーズの一部。,,(後補)この演奏はどうやらル・ルー指揮ORTFのものらしい。オケのだらしなさにちょっと疑問はあるのだが、解釈はデトロイトとは全く違うので恐らくその推定は当たっていると思われる。スクリベンダムも信用いよいよ落ちまくりだな・・・。HMVは未だにパレーと称して売っているが大丈夫なのだろうか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ラヴェル:道化師の朝の歌,ストコフスキ指揮ORTF(EMI/captol)1958/5・CD,,ストコのラヴェルやドビュッシーはスタジオ/ライブ問わず数多くあるが私は正規をたまに聴くのみだ。録音のよさ(これも優秀なステレオ録音)とゴージャスさ、あとは伸縮するテンポ。それだけしかないフランス近現代物とあってはちょっと敬遠してしまう。たとえフランス国立放送管弦楽団を使っていたとしても。冒頭いきなりテンポがもたつく。オケがオケなのでそういうこともあろうとは思うがどうもテンポに乗れないまま続く。リズムはまあまあだが。。中間部のテンポがソロではなく指揮者によって伸び縮みするのもどうかと思う。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○アルベール・ヴォルフ指揮ベルリン・フィル(POLYDOOR)SP,,これは繊細で美しい演奏だ。抑制がきき静謐で、また同時代のベルリン・フィル録音にありがちな音の痩せが無い。爽やかな歌をさりげなくうたうのにたけた指揮者で、間断なきテンポよさは特質といってもいいだろう。ソロがいい。個性を強く押し出すのでもなく総体として曲の雰囲気を作っている。ベルリン・フィルだからといって別に何か特徴的なものがあるでもないが、綺麗に揃っている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○エネスコ指揮シルヴァーストーン交響楽団(mercury他)CD,,最初はあっさりしていて速く、アルベール・ヴォルフを思わせる素っ気無さだったがさすがヴァイオリニストである、設計がしっかりしている。それは前フリで(この有名なホルンソロを前フリにするところが嬉しい)旋律の抑揚にあわせてどんどん歌謡的に揺れていく。とても感傷的な世界へ行き着くのである。美しいハープのアルペジオ、きらめくようなマーキュリーの録音によって余り指揮者としては評価の高くないこのエネスコの「指揮」芸術の一端を垣間見ることができた。パリ音楽院の同窓生の作品を、まるでフランスの雰囲気そのままに、アメリカの光彩の中に最後は静かに、しかし甘やかに終わる。デロデロな演奏であるかのように書いてしまったが決してそんなことはない、品のいい演奏。録音が古いので○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○ガストン・プーレ指揮LSO(MGM)LP,,これをきいていて私はエネスコが振った同曲を思い出した。感情表現豊かなエネスコにくらべ父プーレは余りテンポもデュナーミクも動かさず無骨な感すらあるが、響きの明らかさ、聞こえてほしい音色が聞こえてくる、これはヴァイオリン奏者特有の高音表現にたいする配慮の深さといえようか。あまり上手いとは言えないが時代の空気も伝わってくる演奏。オケはそれなり。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○カンテルリ指揮NBC交響楽団(ASdisc他)1951/12/1live・CD,,あくまで醒めているが、弦楽器がテーマを接ぐところでデリケートな音がそっとルバートして入ってくるところなどなかなかの配慮である。録音がけしてよくないので細部はわからないが、詠嘆の表現なども「カンテルリ意外とやるなあ」と思わせる。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○カンテルリ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R他)1951/12/1live,同上,録音が悪すぎて適正に判断できかねるのだが・・・繊細な構造に裏づけされた特有のリリシズムを確かに引き出し音にすることのできる「ラヴェル適性のある指揮者」だったことはわかる。やや浅薄にも感じたしケレンというか面白みがもう少しはあってほしいが、確かにラヴェルをやっている。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,カンテルリ指揮NBC交響楽団(MUSIC&ARTS/TESTAMENT他)1951/12/1放送LIVE・CD,同上,すべての発音が強すぎる。デリカシーがない。録音状態もあまりよくない。そのせいかもしれないが、とにかくあまりいい演奏にはきこえないのだ。無印。〜ちょっと音が悪すぎるがこのオケらしからぬ感傷的な表現もまじえ特徴的な演奏となっている。ヴァイオリンなど一部の奏者の音が突出して聞こえるなど耳障りのよくないところもあるが、泣き出しそうな旋律表現など印象的。曲が短いのでこれぞカンテルリ、という部分は無いが、悪くはない演奏。録音状態マイナスで無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○ゴルシュマン指揮ラムルー管弦楽団(PHILIPS),,意外としっとりした繊細な音楽を作りあげている。音色がいい。ヴォルフやエネスコのような震えるような音でロマンティックな気を煽ることはもちろんしていないが、すっと入ってくる。そんな演奏。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○チェリビダッケ指揮トリノ放送交響楽団(CETRA)1970/4/10LIVEおっそーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!ホルン、途中で息詰まってこけてます。70年だからそろそろ円熟期を迎えて老年指揮者特有の末端肥大症が発病したのかと思わせる。とにかくこんな遅い演奏初めて聴く。響きの美しさを重要視したチェリにとってみれば、響きをより克明に隅々まで聞かせるために必要なテンポだったのかもしれないが、奏者はたまらないだろうな、と思った。でも演奏的には面白く聞ける。あくまで音に没入せず、やや武骨ではあるが、一貫したテンポで客観的にそろえた演奏は、サティ的な意味で「アルカイック」な雰囲気を醸しており独特の魅力がある。旋律の音符が細かい箇所にはけっこうルバートがかかり、泣き出しそうな弱音の弦楽器が感傷的な気分を盛り上げる(ただ、テンポがずれそうになったりちょっとヤバヤバなところもあるのだが)。このイタリアのオケは音色に関してはとても繊細な美しさをもっており、この録音ではぜんぜんとらえきれていないのだが、さぞ本番の演奏は美しかったろうな、と想像させる程度の片鱗は残っているから、一聴の価値はあり。9分9秒のパントゥム*、といった趣。ちなみにワタクシこのラヴェル/ストラヴィンスキー集一枚のために11枚買いました・・・馬鹿。ま、安かったんですけど。*:とくに意味はありません。雰囲気雰囲気。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○チェリビダッケ指揮トリノRAI放送管弦楽団(WME:CD-R)1970/5/1live,,異常な遅さ。よく息が続くものだなあと。しかもテンポは情緒的に沈むのではなく意思的に遅く保たれ、揺れず重い。ひたすら針金のように非情緒的な音線がつづくさまは、これで録音がよければラヴェル向きのとても美学的な音楽にきこえるのだろうが、余りに分離の悪い篭った録音のせいでたんに重く聞こえてしまう(野暮ったくはないが)。録音は雑音がないかわりにものすごく不明瞭で、そこが私は好みではない。ただ、きっと録音がよければ美演として記憶に残る繊細な音楽だったろうことを思い○にしておく。トリノの管楽器は上手い。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,チェリビダッケ指揮トリノ放送管弦楽団(WME:CD-R)1970/5/1live,同上,録音がいけない。きんとした冷ややかな音響の美しさで売るチェリだが、冒頭のホルンが裏返るところからもうちょっと醒めてしまう。陶酔的ともとれるいちいち思いなおすようなテンポのとり方も、この音質ではウンザリする。無印。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○ル・ルー指揮フランス国立放送管弦楽団(concert hall),,こういう旋律音楽で管がいずれもまったくヴィブラートをかけない「棒吹き」であるのは不思議な感じもするがフランス派ではしばしば聞かれる表現手法である。ヴァイオリンが登場する場面でも弱音への拘りが強く余り泣きのヴィブラートは聞こえない。バランス的にかなりソロ楽器に偏っているようで、弦など他のパートは終始沈んでいるが、ハープの分散和音が実にリリカルで煌びやかなのが印象的だ。個々の楽器よりも総体の沈潜する響きで聴かせる音楽になっており、ある意味ちょっと深みを感じさせる。こういうのもたまにはいいかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA),,冒頭ホルンソロから塩。音色も表現もさらさらして引っかかりがない。ただ全体の響き等の調和はきわめて繊細にとられており、中間部になると管と対話する弦の表現の振幅が大きく響きも重く、依然神経質なほど細かく制御されているのだが、対比ははっきりしていて、計算的にやっていたことがわかる。ふたたび主旋律に戻ると小川の流れるようなさらさらしたテンポに戻り、そっと終わる。小洒落た人は好むだろう。冷たく感じた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA)CD,同上,この王女たぶん死んでない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON/KING),同上,荘重で踏み外さない演奏である。品位を失わず繊細な音色感を保つことを重視したようで、透明で客観的だ。噎せ返るような香気とか歌謡性のたぐいは無く、テンポは殆ど変化せず進む(再現部?で若干テンポアップするが至極さらりとしている)。アンセルメらしいところである。音の厚みがえんえん変化しない演奏ぶりは、しかしちょっと詰まらない感もある。やはりこれは亡き王女というイメージを具現化した曲なのだから、そこに込められた感傷性を排してしまうのもどうだろう。無印としておく。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,ツィピーヌ指揮ORTF(ina配信)1965/4/22放送 live,,さらっと始まり素っ気なく進む。繊細。なめらかな旋律の繋がりはまったく自然で整っているが、そくっとした魅力の反面押しに欠ける。そういう解釈ゆえに僅かな変化も逆に耳を惹き、中間部での少し武骨なフレージングも含む表情変化には特徴的なものを捉えられた。再現部では少し起伏がつくがやはり、あっさりめではある。まあまあのステレオ録音。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,トゥーシュ指揮コンセール・トゥーシュ管弦楽団(pathe/hindenburg:CD-R)1919,,古い録音というものはまず酷いノイズ、これは避けて通れないし、分離の悪さ、音の埋没、これも仕方ない。そこを想像力で埋めるしかないとなるとかなり主観的な印象しか書けなくなる。トゥーシュは比較的無個性な感じがする指揮者で、コッポラがのちにやったような直線的で速い演奏に似ている。盤の収録時間の制約の問題もあるのかもしれない。この演奏は悪くは無いが、印象には残りづらい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,フレイタス・ブランコ指揮交響楽団、ドヴェミー(HRN)(EMI/ANDANTE)1932/4/14・CDパリ速い演奏。前半声部間にテンポのずれが感じられるところがあるが、録音が悪いためほんとにそうなのかよくわからない。テンポが前へ前へ行っていることは確かで、意外と流される指揮者なのだな、と思ってしまう(晩年のアバウトなライヴ録音に通じるといえば通じるかも)。ホルンにドヴェミーがフューチャーされているが、特有のヴィブラートははっきり言ってよく聞こえない。弦で言うところの痙攣ヴィブラートに近いものか。音が一様に軽くてホルンらしくないのは録音のせいだろう。しっとりした情感に欠ける若々しい演奏。邦盤「ギャルド・レピュリケーヌ吹奏楽団の芸術VOL15」より。アンダンテの演奏はこれと同じ物と思われる。というのはこの邦盤には明瞭なデータが印されていないのだ。だいたいがSPからの板起こしと明記されていることからしても怪しいことこの上ないのだが、27年から38年という録音時期にアンダンテ盤に印された月日が含まれるということ、共にブランコ指揮とされる盤であることから同じとみなす。この邦盤、ライナーにも誤植があってどうにもこうにも・・・。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD,,デュクレテ・トムソンからのウェストミンスター、フランスEMIによるCD化ときて今は色々出ているか。ラヴェルの単純な作品でホルンソロに導かれエピソード毎に木管ソロが答唱のようなフレーズを挟み、全体としては原曲のピアノ版以上に優雅で、しかしそれでしかない旋律作品となっている。咽返るようなオケの響きに彩られたブランコの演奏はエネスコのもののような起伏をたっぷり取り入れ、ただボレロほどの遅さはない。ホルンソロのまるきり木管といった音はロシア式のヴィヴラート音を彷彿とさせるほどフランスそのもので、これとオーボエソロの音を聴くだけでも価値はある、これが正統な「亡き王女のためのパヴァーヌ」の管弦楽版である。,,ただ、モノラルだ。モノラルに相応しくない音なので、そこはかなりマイナス。ブランコが国へ戻り放送指揮者になってしまったのはラヴェル直系と言われるだけに残念である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管(WESTMINSTER等)CD,同上,シャンゼリゼ管はロマンティックの極み、木管の鄙びた懐かしい音、注意深く挿入されるすすり泣くような弦の旋律、ここではブランコ、けっこうやっている。個人的にはたんたんと演奏して諦念を感じさせるくらいにとどめておくほうが好みだが、こういう没入するやり方もあるのだ、と教えてくれた。あまりの「懐かしい音」に○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,COMMENT:,,,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○パレー指揮デトロイト交響楽団(mercury)1962/3あいかわらず拘りのないあっさりしたテンポだが、冒頭ホルンの余りにも素朴なボーという音でゲンナリしこそすれ、音楽が展開していくと微細な表情が浮き立ってきて、これはよくよく耳をすませないと、肝心のモノを聞き逃してしまう、という気にさせる。おお、やっぱりフランス音楽じゃないか。そんな感嘆が漏れる仄かに感傷的な煌きがそこここに聴かれる。純フランスの演奏ほどではないが、いやそうであるからこそ程よい聴感で聞き終えることができる。フランスフランスする演奏はイヤ、でも完全に切り離されたような演奏では味気ない、という向きに向くかもしれない。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,◎ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(MUSIC&ARTS)1929パリ・CD何ともいえない雰囲気のある演奏です。ここまでこの曲のイメージに沿ったやわらかでどこか哀しげな録音というものを私は知りません。まさに情緒纏綿といった感じですが、それはテンポや発音の変化においてそう言えるだけであり、音色は透明で爽やかな感傷性を秘めています。春のゆるい風のような、ともするとドビュッシーの印象派的な感じすら与えかねないものになっています。この曲が好きなら一度は聴いてみてください。ちょっとこの曲を知っている方なら、まさにこの曲のイメージそのものを固定化した演奏として感じ取れるでしょう。ラヴェルの演奏史はここから始まったのです。◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○ミュンシュ指揮パリ音楽院管弦楽団(LYS/GRAMOPHONE)1942/3/3・CD軽くてそっけない程快速なさらりとした演奏。響きは極めて美しくデリケート。この人と思えない程だ。明るい夢幻性が感じられる。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1952/10/27(49-55説は誤り)・CD,,2016年9月発売RCA録音全集ボックスに収録。モノラル旧録で、かつて日本特典盤として世界初CD化されたものと同じ(このときの収録音源は全て今回網羅された)。いくつかのデータが1949年から1955年の間の別日録音としているものの、RCAへは二回しか録音していない。LP発売日や再発日などと混同しているか、単純な誤りである。録音時期が時期だけに古びた音で、下手に自分で加工するとノイズが載るが、さすがにセッション録音なので個々の楽器の音はクリアに分離してきこえ、ミュンシュの直截な解釈をまっすぐ受け止めることができる。隈取の濃いクッキリした音作りで、気になる部分はある。管楽ソロの音色におしなべて味が無く、細かなニュアンスに欠けるのだ。逆に大づかみに曲を捉えて変に感傷的にならずバランス良く仕立てているとも言える。透明感はないが曲を理解するには良い演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1952/10/27・CD,同上,モノラル。ホルンをはじめとして管楽器の音色表現は柔らかくも味がないが、弦楽器の震えるようなヴィヴラート、フレージングは感動的。もっとも音色が均質すぎてそこの綾はあまり味わえない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(Ades/Universal)1957-59・CD,,意外と醒めており音も明瞭すぎて色に憂いが無いが、中間部では感情的な分厚い表現もみられ、ハッキリしたアタックに、変な話だがプーランクの弾いたジムノペディを思い出した。ロザンタールらしくもなく、古い演奏スタイルが残っているのかもしれない。響きの繊細なバランス、全体としての密やかさは秀逸。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,△コッポラ指揮パリ・グラモフォン・グランド交響楽団(LYS)1927/10/14パリ・CD異様に即物的な演奏。とにかく異様に速くさっさと進む。録音時間を短くして曲をたくさんSPに入れようとしたのか?ソロが付いていけてない所も多々あり、これはとても推薦できない。この盤はグランド交響楽団にパリと付記されている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○ルイ・マルタン指揮パリ・ソリスト管弦楽団(CHRISTOPHORUS)LP雰囲気がいい。繊細でニュアンスに富んでいて、けだるい午後の感じがとてもよく出ている。休符前の音にいちいち余韻があるのが良い。かといって作為的でもなく、うまくハマっている。ホルン・ソロやハープが特に美しい。これは録音の勝利かもしれないが。弦はちょっと遠めで茫洋と聞こえるが、耳をすまして聴いていると変に力が入ってしまっているところもある。だがまあおおむね実直といった様子で音楽の妨げにならない。総じて○か。このアルバムでは一番いい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○オッテルロー指揮ハーグ・フィル(RO)1951/1/5・CD雑音の入り具合がライヴっぽいがよくわからない。冒頭ホルン、篭り気味な音はいいのだが、ぶっきらぼうな吹き方が気になる。無造作な表情の楽器とニュアンスに富んだ楽器に差があるのがこの演奏の特徴。全体の解釈は個性的で、終わったと錯覚させる大パウゼの挿入を始めとして楽しめる要素は多いが、ちと情緒過多と感じる人もいるだろう。割合解釈に差の出ない短い曲だけに起伏に富んだスケールの大きい演奏ぶりは面白くはある。この指揮者のクセが端的に顕れているので演奏家理解にはいいかもしれない。録音はよくはないが奏者の息遣いまできこえる迫真味のある録音。いかにフレージングにこだわる指揮者だったかがわかる。雑味は多いが。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1946/12/3liveCD昔はこの演奏がダントツで好きだった。雰囲気の有る演奏で、ホルンの響きが生臭くならず絶妙の響きで聞かせるものがある。全体の響きに注意が払われており、いつものことだが非常にまとまりがいい。録音さえ鮮やかだったらきっと非常に現代的な演奏に聞こえたのではないか。意外と明晰なのがこの人の音作りの基本だ。そこに奔流のようなボストン響の威力が流れ込む。録音のせいで弦楽器などやや薄く聞こえるが、あまり違和感を感じないのは全体の作りがしっかりしている証拠。ちょっとやそっとの音の悪さなど関係のない境地を示している。個性の点ではやや落ちるか。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)1975LIVE情緒ある演奏ぶりだ。とくに木管の繊細な表現がいい。解釈の隈取りが濃い演奏ではあるが、音色の軽さ、美しさはこの曲をラヴェルの世界のままに置いている。強いルバートもルバートと感じないほどに自然で、旋律の呟く歌のままに纏綿と歌っている。いい世界だ。拍手も盛大。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,◎スヴェトラーノフ指揮ボリショイ劇場管弦楽団?(MELODIYA)1960'? 盤には「パヴァーヌ」としか書いてなかった。YEDANGで復刻されている演奏とは異なる演奏(イエダン盤は途中咳が入るし、表現もかなりデフォルメされている)。直截な演奏はラヴェルにとってはまったく正しい解釈であり、ソヴィエト国立との演奏と比べてもずっと染み入る感じがする。孤独な魂を慰めるには格好の演奏。ロシアの音は感傷的だ。ステレオ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(YEDANG)1981?このような単純な曲、しかもソロ楽器任せの曲ならお手の物のロシアオケ、聞かせてくれる。いい音色をしている。仄かな感傷性が持ち味の曲だが、その点ではイマイチか。でも気持ち良く聞けたので○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ,◎ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(RUSSIAN DISC)1960/2/26LIVE・CDムラヴィンスキーらしくない?ゆったりしたじつに雰囲気のいい演奏で、ゆっくり聴いていられる。安心感がある。表情付けも繊細で、ちょっと個性的な解釈が入るが、音楽の呼吸にあわせた自然なもので、気分はいい。感傷的ですらあるのがこの指揮者にしては意外だ。とにかく指揮者もオケも巧い。ソリストの技巧も完璧である(音はやや個性が強いが)。美麗。◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ(ピアノ原曲),スヴェトラーノフ(p)(MELODIYA)ちょっと発音がしっかりしすぎている。明瞭な録音のせいかもしれないが、引いて表現することはなく、ひたすら押しの震幅だけで曲を組み立てているから、ちょっと重たい。繊細さや夢幻性というものが無い。解釈は異常とまでは言わないがそこそこ個性的でアクが強い。とりあえずワタシ的には無印です。管弦楽編曲の演奏に比べては、ややきっついかもしれない。この人のつねとして残響を消した音がちょっとサティ的な面白味を醸し出しているところもある。だがまあ、管弦楽でやったほうがこの人向きでしょう。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ(ピアノ原曲),○ワイエンベルク(P)(DUCRET THOMSON)なかなかしっとり落ち着いた表現のできる人でソロでは協奏曲などとは別の姿をみせてくれる。ラヴェル集はわりと若い時期の名盤だが、迷いがなく、しかしニュアンスに富んだ細かな表現を行う、それは難曲で活きるのはもちろん、このような小品においてこそむしろ凡庸との差を如実に見せ付けるものである。あけすけなところもなくもないが、音に品があっていい。モノラルでやや遠い録音。○。

,,"ワイエンベルクについてはこちら",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ラヴェル:夜のガスパール,○ワイエンベルク(P)(DUCRET THOMSON/EMI)CD ワイエンベルクはバリ弾きスタイルのピアニストだが、このラヴェル集では引き気味というか、徒に派手ではなく、そつないスタイルをとっている。一曲目オンディーヌ。幻想味溢れる柔らかな表現はこの曲が本来印象派のスタイルによるものであることを思い出させる。リアリスティックなラヴェルを弾く人は多いがこういう音色から叙情が醸される演奏というのは余り聴かれない。技巧的にすぐれている前提での表現だろう。まだ若い感じはするが、曲も若いので力強いロマンティックな盛り上げかたもしっくりくる。,,"以後も技術論に落ちる曲で書きづらいのだが(苦笑)この人はそつない。技術的な安定感とリアルな表現はミケランジェリを彷彿とするが、いくぶん若く、音楽に甘さが無いわけではない。別にマイナス要因ではないが。モノラルで遠い録音。そのせいか2曲目の鐘の情景などわりとドビュッシー的に幻想的に表現しているようなのに、音響の浅さと音場の狭さでやや味気なく、入り込めないようにも思った。

これは代表的な名録音を集めたもの。ラヴェルの協奏曲や他にもストラヴィンスキー、作曲家監修によるジョリヴェのソナタなど凄まじい力量を感じさせる。但し私の記憶が正しければ不良盤が出たということで回収されたと思う。amazonマーケットプレイスには一応出品されているが・・・
Rarities of Daniel Wayenberg
Wayenberg",Bour,"Champs-Elysees Theater Orch
EMI [All429]

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<ワイエンベルクについて>","ワイエンベルク(daniel wayenberg(蘭))はパリ生まれロン門下のピアニスト。世代的には同門チッコリーニと同じで、49年のロン・ティボー国際コンクールでは同立一位に対し二位(三位はバドゥラ・スコダ)。",,ワイエンベルクは他にもたくさん音盤を出している。ガーシュインなんかも意外と有名。,,*思いっきり勘違いしてましたので曲名等修正しました。,-----,,,-----,,
ラヴェル:夜のガスパール,○ギーゼキング(P)(PADA他)1937,,正面切ってケレン味を表現するには精巧に出来上がった曲であり、即物的な表現で力強く技巧をひけらかすには繊細な音楽である。ギーゼキングは音こそ朴訥とした、墨汁の垂れるようなものになってしまっているが煌く音符の交錯を率直に描き、ロマンティックな趣を音符の緻密な濃淡付けで引き出した感傷的な演奏になっている。突き放したようなところがなく懐かしみを感じる。ギーゼキングが淡彩とか率直とか感じる向きにはちょっと聴いてみていただきたい演奏。奇怪なスカルボすら美しい。,-----,,,,,,,,,,,,,
ラヴェル:洋上の小舟(1906)(管弦楽編),◎クリュイタンス指揮フランス国立放送管弦楽団(TESTAMENT/EMI)1957/1/11・CD耽美的な演奏。揺れ動く波の色彩的な煌きや重い響き、ドビュッシー的な曖昧な音場の広がりは寧ろワグナーまで溯る音楽であるように感じる。リムスキーの時代のロシア音楽を思わせる旋律表現はラヴェルのネタ元を知らせるに足る明確なものだ。とにかく充実した演奏であり、緊密でダイナミック、感情的なテンポの揺れはないが音色で明瞭に差を付けてくるやり方はクリュイタンスならではの手慣れたものである。曲的には余りに曖昧模糊としているので余り好きではないのだが、今まで聞いた中ではもっとも聴き易い演奏だった。これで録音さえよければよかったのだが。ステレオ時代に入っていたはずだがこれはモノラル。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:洋上の小舟(1906)(管弦楽編),アンゲルブレシュト指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(TESTAMENT/DUCRET THOMSON/LONDON)CD さながら装飾音や伴奏音形だけで組み立てられた曲で、漫然と聴く限り茫洋な曲感だから、古の評論家の言う「印象派的音楽」というものの典型といえよう。(印象派というのは技巧上の意味も音楽家の流派を意味するものでもなく単なる絵画芸術からの剽窃言葉にすぎない。表現主義なども似たような言葉であろうが、あるひとつの「曲感」を言の葉で表すのには便利な言葉なので、私は使わせて頂いている。だいたい音楽を言葉で表すこと自体無茶な話しなのだが、かといって音楽理論や技術上の話しに走るのは「音楽鑑賞」とはとおくかけ離れたものであるように思う。私見だが。)そもそも私の苦手なタイプの曲だが、音響(オーケストレーション)の色彩性が強すぎて、元の骨格がわかりにくくなってしまっているようだ。アンゲルブレシュトはひとつひとつの音を研ぎ澄まし、粒立った響きの集積によって、「理解しやすい形」に纏めようとしているように聞こえる。このくらいの音質(モノ末期の明瞭な音)だと一つ一つの仕掛けがはっきり聞こえてきて、初期の下手なステレオ録音よりも原演の感じに近いのではないか、と思う。原曲はピアノ独奏曲「鏡」第3曲。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ラヴェル:洋上の小船(1906)(管弦楽編),○ガストン・プーレ指揮LSO(MGM)LP,,父プーレはドビュッシーと縁深かったが、ラヴェルをより好んだという。ヴァイオリン演奏記録は残念ながら確認できていないが少ないながらも両作曲家の管弦楽作品を振ったものは残されている。非常に色彩的で明瞭、しかし感情的な揺れを短絡的なテンポやデュナーミクでは表さず、繊細なアーティキュレーション付けによってのみ示すやり方はいかにもラヴェル的である。余り構成的ではなく流れで音楽を作ってしまうところが指揮者としての限界だったのかもしれないが、この曲や亡き王女のためのパヴァーヌで聴かれる夢幻的な響きの魔力、きらきらと水玉のように煌めくハープのつまびきには私はやられてしまった。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,