-2019/1/9(修正)ナ、ハ行 hindemith,francaix,frantz schmidt,britten,bruckner,prokofiev,holstは別掲
ニーノ・ロータ:愛のカンツォーネに由来するシンフォニア(交響曲第4番),○児玉宏指揮大阪交響楽団(KING)2011/3/17日本初演live・CD,,言葉が見つからない。名映画音楽作家は純音楽に向かないという見本のような凡曲である。一楽章からしてイタリアどころかロシア国民楽派だ。オーケストレーションも和声も平凡で、100年遡っている。高音打楽器やリズム、甘ったるい旋律(自作映画音楽の引用だ)の一部にはイタリア的なものは認められるが、ロシア国民楽派が中欧古典から周辺国それ以外のオリエンタルな素材まで取り込んだ貪欲さの範疇に余裕でおさまる程度の冒険である。タネーエフとカップリングされたのは道理に適ったことだ。二楽章以降のほうがまだましで、名作映画「山猫」から素材が取られているからと言えば身も蓋も無いが、じじつその通り魅力が増し、三楽章など浮き立つように楽しい(オケが非常にうまい)。いや、それでもとてもストラヴィンスキーと親交があったとは思えない半端な作風、交響曲としてできのいい代物ではないが、指揮者とオケに○ひとつつけておく。よくやる気になったものだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ニールセン:弦楽合奏のための小組曲,○ガラグリ指揮チボリ・コンサートホール管弦楽団(VOX),,古典的な小品で、作品番号1にしては手慣れているが、あまたある弦セレと較べ影響を受けてこそすれ与えるような要素は何もない。ガラグリだからガシガシと堅固なアンサンブルが組み上げられ生命力に満ちているが、アマオケ受けしそうな平易さがあるが、よほど真面目に取り組まないと裏目に出るかも。曲は無印だが○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ニールセン:交響曲第2番,ストコフスキ指揮デンマーク国営放送管弦楽団(DA:CD-R他)1967live,,演奏的には無難。最後、拍手は地味だけど徐々に盛り上がり最後は大喝采となるけど・・・お家楽団に対するものとストコのネームに対するものかな。ストコ特有の拡散的な音作りと職人的な無難なさばき、そこにやや力弱さを感じる楽団が、この「ちぐはぐ」な曲に対して、「何とかやりきった感」を与えてしまう。デンマークにとっては国民的作曲家、でもストコにとっては超幅広いレパートリーの一つにすぎない、そういった感じを受けてしまう。○にしてもいい演奏だとは思うけど、録音状態がとても勧められるものではない。,,いちおう循環形式というのかな・・・ニールセンは鬼門なんです。古い人でもあるので仕方ないんですが、初期シベリウス以上にロシア国民楽派色が強い。そこがどうも匂う。当時としては恐らく尖鋭な、擬古典的フレーズや、音色指向のフランクふう和声展開は清新で、しかし基本線はいわば「末期ミャスコフスキー」・・・ミャスコフスキーを知らない人にはよくわかんない比喩か。いや、ようはオーダメイドに近いというか、社会主義レアリズムの国にもうちょっと後に生まれたらきっと、フレンニコフより大物になっていたような作風だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ニールセン:交響曲第2番「4つの気質」,○ガラグリ指揮チボリ・コンサートホール管弦楽団(VOX),,ニールセンは古臭い。ときどき古典からワグナーくらいまでの曲から「まんま」持ってきたりする。そのへんの擬古典的というか、変にしゃっちょこばった書法が苦手なのだ。ブラームスからフランツ・シュミットという流れにシベリウスを取り入れたかのような作風を総括してさらに個性的な清澄さがあるが、シベリウスほどの確信や閃きが感じられない。しかしガラグリは毅然とした態度で耳を切り裂くくらいに厳しく研ぎ澄まされた音でガツガツと押しまくる。情に流れることはなく、構造へ逃げることもなく、ドイツ的な力強さで、自身のルーツでもある北欧情緒を徒に煽らず、純粋に音楽として完成度の高いものを造ろうとしている。激しい楽章でそれが際立つのは道理か。曲の弱さから中間楽章はそれでも耳に残るものはなかったが、そもそもシベリウスでも7番より1、2番に適性を示した指揮者だから余り情緒的フレーズは向かないのだろう。録音優秀なステレオ。○。ニールセンで○はまれ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ニールセン:交響曲第5番,ホーレンシュタイン指揮ニュー・フィル(BBC,IMP)1971/2/26LIVE 何か得体の知れぬ予感めいたものを感じさせながら雄大に盛り上がり・・・一気にスカす。そんな印象がこの2楽章編成の曲にはあったのだが、こんかいホーレンシュタイン・ライヴ盤を聴いて、やっぱりそうだった、という感想。ホーレンシュタインがまた質実剛健でぎくしゃくした演奏を行う人なのだが、ここでは一層そのしゃっちょこばった解釈を固持し続けていて、好悪別れるだろう。これはほとんど前衛音楽の世界だ。ニールセンのシンフォニーにおける語法はけっこう古典を意識したところがあり、バロック時代の合奏協奏曲の延長上に、小太鼓に代表される打楽器要素や若干の不協和音(尤もシベリウスより古い感じがするが)を表現主義的な感覚で挿入して出来上がったような感じ。ホーレンシュタインの表現主義的なスタイルは決して曲の性向と異なるものではない。この盤では尖鋭な音が響く場面はひときわコントラストをつけられていて、ときどきびっくりする。1楽章に戻るなら無機的な独特の旋律が執拗に繰り返されるが、そのバックにひろがる静寂と、その中の細かく緻密で秘めやかな蠢きが細部までしっかり表現されている。シベリウスの4番あたりの感覚に近い(あれほど人好きする音楽ではないが)。だからあのあたりの音楽を好む人は、聞いても損はしないと思う。ニールセンは6番「素朴な交響曲」まで6曲という中途半端な数のシンフォニーを書いているが、だいたいどれも同じような素地を持っている。私は好まないが、好きな人は全部好き、そういう作曲家だと思います。ライナーによればホーレンシュタインはこの曲の初演の下振りを作曲家立ち会いのもと行ったそうである(本番はフルト先生だと)。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ニールセン:交響曲第6番,○ストコフスキ指揮NYP(VIBRATO:CDーR)1965/9/13,,イマイチ掴みがたい作曲家ではあるのだがこのシンプル・シンフォニーとも呼ばれる確かに楽器数を絞った線的な曲ではあるていど同時代の比較的穏健な作曲家と似通った作風がみられそれなりに楽しめる。きほんシベリウスの響きと弦楽合奏書法からの影響からなっているがロマン性は維持されるものの不思議な打楽器アンサンブルや無調的フレーズと擬古典的フレーズの交錯のさま、非構造的な曲構成など、より現代的で新しい感じはする。後期ショスタコを思わせる骨ばった皮肉な音楽だがあれよりは甘さが残る。ストコはオケのせいもあってか勇ましく攻撃的な音楽を作り上げている。さすが新作珍作慣れしている。アメリカ同時代の交響曲に近似した作風ゆえオケも手慣れておりソロだらけなのを逆に強みとして力量を誇示している。完成度高い。拍手なし、放送用録音か。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ニールセン:交響曲第6番「シンプル・シンフォニー」,○ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1965/12/14live,,ホワイトノイズが耳につくが音はまあまあ。こういう清澄なわりに入り組んだ曲は音がいいに越したことはない。4楽章制ではあるもののソロやパートを限定した異例な編成の楽章/パセージを織り交ぜ、終楽章はショスタコーヴィチを彷彿とさせる諧謔的な変奏曲となっており、腕のあるオケにとってはとても聴かせ所の多い大曲といっていいだろう。ラインスドルフにとってはうってつけの曲でありボストン響にとっても集中力を途切れさせない歯ごたえある難曲だ。新古典的でかつての作風を思わせる上品なロマンスから、いきなり打撃、暗い陰欝な世界より、ブラスの饗宴がヒンデミットかバルトーク晩年のようにシニカルかつ焦躁的な雰囲気をあおり、骨のような鉄琴の響にいざなわれながら楽想が変わっていき、パーカッションが活躍し、その中で中欧的なワルツが印象的に踊られる、マーラー10番のような印象を与えるが、それはラインスドルフ自身の特質も反映されたものでもあろう。アメリカ的なからっとしたところはあるが、とても中欧的だ。なかなか聞きごたえがあり、曲自体が少し尻切れなところがあるから最後はちょっと不可思議な感じになってしまうが、傾聴に値する演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ニコプロヴェツキー:アントニオ・ガウディ賛,○マリウス・コンスタン指揮ORTF(haydnhouse:CD-R他),,この作曲家、まったく情報がない。LP起こしだがレーベルもわからない。作品は基本的に現代音楽でガウディの印象とはほど遠い。セリー作品にありがちな新規さを打ち出してはいるけれども寧ろ冒頭のスクリアビン「プロメテ」に酷似した手法からフランス系現代作曲家の、とくにオネゲルやジョリヴェに似た保守性をはらんだ曲想に惹かれる。五曲からなる組曲。しかしまとまりはなく唐突に終わる。演奏は達者で色彩的。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ノーノ:カンタータ「生命と愛の歌」(広島の橋の上で)(1962),プリッチャード指揮LSO、Collier,Dorow(sp)リチャード・ルイス(t)(PASC)1962エジンバラ音楽祭初演live(bbc放送音源),,三曲からなり両端は8分強、中間が短い。それぞれノーノらしいメッセージ性の強いテクストが採用されており、最初の曲が広島においてかかれた書籍に基づく「広島の橋の上で」として全曲の題名となっている(このpristine久しぶりの発掘音源(CDでも入手可)ではアナウンスが入っており、曲名を「広島〜」としている)。まさに往年の前衛音楽といったらこれ、という響きで耳を懐かしくつんざくノイズが1楽章を支配し、アイヴズを思い出させる弦のグリッサンドから「戦後現代音楽の同時代性」を披露するもので、わりと聴きやすいと思う向きもいるだろう。3楽章の打楽器主義的(アフリカを象徴しているのである)音楽にはラヴェルのマダガスカル島民の歌まで遡れるわかりやすさがあり、全般には本質的直系ともいうべきシェーンベルク無調時代の作風に近似した要素がちりばめられており、ソプラノにシェーンベルクやツェムリンスキーの「どこかの遊星へ行ってしまいそうで結局行ってない」風味がよく残されている。ブーレーズらの先鋭さ、発明、削ぎ落した表現からすると古いのかもしれないが、「人を不快にする前衛」としては音響が肉付きよく耳なじみよく、たとえ聴衆がブーイングを叫んでいても拍手の中に埋もれるくらいには「不快ではない」。それはプリッチャードがロマンティックな味付けというか、この人はフランスでも活動していたと思うが(このあとドビュッシーの夜想曲になる)耳なじみよくならしていて、wergoのギーレン盤のように冷たく構築したものではない、すなわちロスバウトのような演奏ではないから、逆に、迫真性を損なっていると思う人もいるかもしれない。対照的な三章を束ねた作品だが両端で似通った雰囲気を持つ、そういう形式的に整ったようなところも人によっては「甘すぎる」演奏と感じられてしまうかもしれない。放送レベルの録音水準。ステレオ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バークリー:ホルン三重奏曲,デニス・ブレイン(Hrn)ホースレイ(P)パリキアン(Vn)(PALLADIO他)1954(1953?)・CD,,完成が54年のため53年録音表記は誤りと推測される。ホースリーがブラームスのホルントリオの演奏を楽しむうち委託を計画しブレインに献呈したもので、演奏頻度の高い(というかバークリーはこれくらいしか聴かれない)作品となっている。ホルンを絡めている点で作曲家のルーツである六人組あたりのフランス室内楽、とくにプーランクを想起し、遅まきながら手を出した前衛手法はこの時点ではまったく聞かれず適度に平易である。少しの暗さと穏やかさは、やっぱりイギリス近代の作曲家だな、というところで、またせっかくブレインのための曲であるのに細かく動き回るのはどうしてもヴァイオリンになってしまい、それにあわせてピアノと掛け合うところがメインで、ホルンは独立してソロを吹くような場面も目立つ。ブレインの音は性格とは逆に?穏健で柔らかく心象的である。ヴィブラートなどかけなくてもきわめて安定して音程の狂いは一切なくまるで木管楽器のような「薄い音」に驚かされる。山っ気のないところがアンサンブル慣れも感じさせる。だいたいこの組み合わせのトリオで、こういうスコアでまとまりを出すのもなかなか難しいというか、よく設計して組み立てられた演奏で、そういう意味でスコアもよく書けているのだろう。「ルーセルよりもフランスふう」のものを含む懐かしげな旋律を楽しんでいるところもよい。楽曲として素直に楽しめるのは1楽章アレグロ、2楽章レントはそれより少し長いくらい、そして3楽章主題と変奏はそれまでの楽章の倍以上の長さで変化に富み、個性的ではないが、形式的にはブラームスを意識したうえで曲感はいかにもイギリス近代の穏健派の作風を示し、ときたま民謡ふうのものなども織り交ぜて、「正しく」終わる。ブリテンの時代の作曲家とは思えない部分もある。いかにもブーランジェ門下というべきか。初演もこの三名(パリキアンもアンサンブル奏者として上手い)。楽器の組み合わせの妙で聴く価値はある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
パーシー・グレインジャー:イン・ア・ナットシェル組曲,○作曲家(P)ストコフスキ指揮ハリウッドボウル交響楽団(scc:CD-R)1946/7/21live,,この題名は言い回しではあるのだが一般的にそのまま呼称とされるのでここでもそれに従う。オリエンタルで民族的な一楽章から西部劇の幌馬車のような二楽章と、雑多なアメリカ文化を象徴するようないささか古臭い旋律音楽。好きな人は好きだが、20世紀音楽好きにはどうにもむず痒くなるところがあるパーシー・グレインジャー。新民族主義というより旧民族主義というような冒険の無い作風だ。ピアノも平易で旋律に寄り添い、とくに見せ場もない。三楽章はちょっと面白い。ストコフスキー風味の甘ったるさが露呈して、後期ロマン派ピアノ協奏曲というか、ラフマニノフを少し燻らせるが、それも最初だけ。ピアノがなかなか不思議な効果をあげ、打楽器との響きの合わせ技が面白い聴感になっているところもあり、これはプロコ前期の影響かもしれない。旋律はアメリカ的で独自性を感じさせるリリカルなフレーズが美しい。確かなグレインジャーのタッチと甘いストコフスキーとハリウッドボウル(LAフィルか)のオールドスタイルがあいまって、終盤は深い思索に落ちる。四楽章は調子外れの舞踏というか、これもまたアメリカ的というか、楽天的である。ピアノと楽団の響きのズレや打楽器的なやり取りが面白い。思うがままに書いたというようなふうで、起伏に富んでいるが、さすが自作自演というようなドライブ感に上手く合わせていくストコフスキー、録音は悪いがひとつの規範にはなる録音ではないか。グレインジャーはオーストラリア出身だがアメリカの作曲家としておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
パーシー・グレインジャー:デンマーク民謡組曲,◯作曲家(P)ストコフスキ指揮ハリウッドボウル交響楽団(scc:CD-R)1946/7/21live,,洒落たピアニズムを発揮する人なのに曲はどこか野暮ったさがあるなあ。。これはもう非常に音が悪く、よれ過ぎだが、ピアノがカッコイイ。張りがあり、不協和音がアメリカ的な都会味を持ち込んで洒落ている。でもやっぱり民謡なんですよね。。ストコフスキーは伴奏スタイルで颯爽と振り、個性は出していない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハンス・ハース:自動ピアノのための奇想曲、フーガと間奏曲(1927),◎ホッカー(PLAYER PIANO)(COL LEGNO)1930/3/18LIVE ドナウエッシンゲン音楽祭75周年ボックスより。ヒトの腕では不可能な超高速演奏を可能にする自動ピアノのための作品を書いている人はけっこういるみたいだけれども、一口に言ってスポーツ的快感がある。音だけ追えば前衛的ではあるけれども、めまぐるしいスピードで動き回り、異常な速さのスケールを奏でるピアノは圧倒的な聴感をあたえ、これが無調だろうがなんだろうがどうでもよくなる。こういう作り方の曲、今で言えばコンピュータの打ち込み音楽か。でもイマ、ポピュラー音楽の世界でやられている打ち込み音楽など比べ物にならない充実感と迫力がある。ただピアノの音だけという単純なものなだけになおさらすさまじい。リズムが安定しているので聴き易いし、ちょっとクラブサンふうの音響をかもす場面など、バロック音楽に通じる感覚もある(ぜんっぜん違うものだけど)。けしてミニマルじゃないから飽きません。しいていえばプログレ、キース・エマーソンのインプロビゼーションの世界でしょう。彼ならできる・・・か?◎。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
パーセル:1つの音の上のファンタジア,○ゾーリアン四重奏団、ブリテン(Va)(HMV)SP,,なんとブリテン四重奏曲第二番の穴埋めのこの古典曲にブリテンが「ヴィオラで」参加している。ピアノではなく。古典曲とはいえバッハくらいの構造的な書法が取り入れられただ通奏低音を弾いていればいいというわけでもなく、彼の才気渙発なところが伺える。曲は様々な編曲でも知られており、起伏に富んだ3分間。この旋律のロマン性、響きの透明性に近代イギリス作曲家たちは魅了されていたのである。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハーバ:弦楽四重奏曲第2番,レオナルド四重奏団(col legno)1966/7/1ドナウエッシンゲン音楽祭・CD,,"抒情的な東欧近代もの、それを「調子っ外れ」に(ヒンデミットの""酔っ払いワグナー""みたいに)むりやり不協和的に響かせたような、とても計算ずくとは思えない原始的な無調感のある作品だが、本来もっと精緻にやればきちんと聴ける音楽になるのか、そもそもこの演奏が限界なのか、なぜこんなに抒情的なレガートを駆使するのか、長い音符の途中で分数音下げたりはするがちっとも効果的ではなく単にズリ下った感じだけして、ヴァイオリンの囁かな刻みが入るあたりでやっと「抒情組曲」程度に現代的なカルテットになったかと思ったら終わる。そんな曲がお好きならどうぞ。ハーバ初の微分音作品とWikipediaに書いてある。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:ヴァイオリン協奏曲,○オリヴェイラ(VN)スラットキン指揮セント・ルイス交響楽団(EMI)1986/4やさしく語り掛けるようなヴァイオリン、時折現代的な厳しい側面をみせながらもあくまで夢のようなロマンスをうたうオケ。期待していなかっただけになかなか感動した。ヴァイオリニストはけっしてヴィルツオーソ系のバリバリ即物タイプではなく、柔らかく馴染み易い音色にときおり痙攣ヴィブラートを加えて親しみ深く表現しているところが共感が持てた。この曲はバーバーの中でもとりわけネオ・ロマンチシズムの傾向が強く、それだけに近年は演奏される機会も増えてきたようだ。コルンゴルドのそれくらいには演奏・録音されている。二楽章の痛切なうたに感涙。三楽章は無窮動的なソロの動きがヴォーン・ウィリアムズのヴァイオリン協奏曲終楽章に似るが、RVW独特の異次元世界とは隔絶しており、不協和な音響の中にもはっきりとしたリリシズムが感じられる。断ち切れるような終わりかたも新古典主義を経験したネオ・ロマンチシズムの作家ならでは。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:ヴァイオリン協奏曲,◎カウフマン(Vn)ゲール指揮ルツェルン祝祭管弦楽団(ミュージカル・マスターピース交響楽団)(MUSIC&ARTS/MMS)1951・CD,,だんぜんレコードのほうが音がいい。◎にしたのは改めてLPで聴いてカウフマンの生めかしい音色に聴き惚れたからだ。前の時代の演奏様式(主としてボウイングとヴィブラートと微妙な音程操作、アーティキュレーションの付けかたにあらわれる)というのはロマンティックな曲想を最大限に生かすようにできているのであり、ロマン派回帰をうたったかのようなこの作品においてただ冷徹に音だけを表現するのは曲の価値自体を損ねることになりかねない。きわめて叙情的な旋律と流れよく効率のいい構成によって現代のロマン派協奏曲というものを(いくぶん古風になりすぎるところは新古典派の影響だろうが)表現しきっている。ウォルトンの作品とよく似た響きや構造的な部分があり(更に元ネタとなっているプロコの1番のほうを思い浮かべる向きのほうが多いだろうが)、3楽章などは尊敬していたヴォーン・ウィリアムズの「コンチェルト・アカデミコ」終楽章の世界を換骨奪胎したものとも思える。同時代性というのもあるのだろう。そしてカウフマンもまた「同時代の演奏家」なのである。しかも戦後モノラル期の演奏家というのは前時代の艶と現代の技術の共に兼ね備えた超人的な技巧家が多いわけで、カウフマンはその中でも非常にバランスのとれた技巧家であり、オイストラフの安定感とシゲティの表現性にフランチェスカッティの美音(あれは完全に奏法の勝利であり解釈の勝利ではあるが、音はよく似ている)がのったような演奏を時折していたようで、これはその範疇にある。つまりは、名演。よくわからない曲、という印象はきっと、こういうのめりこむような演奏に出会えていないということだと思います。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:ヴァイオリン協奏曲,○ゲルレ(Vn)ツェラー指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(westminster)1963/6・LP,,ゲルレは雑味が多く技術的に不安で、音色的にも特筆すべきところは少ないのだが、のびやかな二楽章の歌いこみは甘く綺麗だ。この演奏で特筆すべきはバックオケで、シンフォニックな拡がりのあるなかなかの表現である。VSOOだからといってウィーン的な音楽ではないしそういう音色が目立つ箇所も少ないが、じゅうぶんに技巧的なメリットを備えたオケであり、録音はやや冴えないが、同曲のヨーロッパ的演奏としては貴重な面があるから聴いて損は無いだろう。ディーリアスとのカップリングというのもめずらしい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:ヴァイオリン協奏曲,○コーガン(Vn)P.コーガン指揮ウクライナ交響楽団(BRILLIANT)1981/12/15live・CD,,むっちゃ荒いな、ごまかすしというところだがソリストにマイクが近すぎて聞こえなくてもいいものまで聞こえてしまってるのは確か。さらに、開放弦を臆面もなく駆使するさまに、これこそロシアのやり方だった!と感動。適度に深くあまり揺れの無い音色はバーバーにあっている。安定した音のほうが古風な同曲にはあう。オケは素晴らしい。ニュートラルというか、バランスよく技巧的にも力感にも問題なし。弦も木管も美しい。ソリストを食ってる。二楽章中盤になってようやく余裕が出て高音に柔らかないい音が聴けるようになるのは、やはりコーガンといえどもやり慣れない曲では硬くなるということか。しかしバックオケも負けずに頑張るのでこのあたりは全体としてよい。コーガンの左手に不安は依然残るものの、三楽章は頑張るしかないといった所だ。ロシアのバリ弾き奏者特有の荒々しい右手もだんだんとのってきてコーガンらしさが感じられてくる。バーバーの録音としてかなり貴重な様式ではないか。バックオケの毒々しいくらいの色彩感にも圧倒される。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:ヴァイオリン協奏曲,○スポールディング(Vn)オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(WHRA)1941/2/7live・CD,,残っていたのが奇跡、公開初演の記録になる(世界初演ではない)。つまり原典版であり、全体に長ったらしく別の曲かと思うようなところもあり、また厚ぼったいが、三楽章はほぼ現行版に近い無窮動となっている。音は悪いが名手スポールディングによる名技的表現を楽しむにはギリギリokといったところか(個人的にはスポールディングの圧力のある音は好きではないが。。)。驚嘆の声を伴う拍手は曲に向けてのものというよりソリストに向けてのものかもしれないが、二度聴きたいとは思わないものの、改訂版にはない重厚で壮大な作品世界は、ロマン派好きにはアピールするだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:ヴァイオリン協奏曲,○ポッセルト(Vn)クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PASC/WHRA)1949/1/7改訂版初演live・CD,,pristine配信音源。すさまじいソリストの迫力とそれにひけをとらないオケの集中力に圧倒される。正直後年の同ソリストの録音よりもバックオケのぶん秀でている。とにかくこの曲は新古典で平易だからこそ表情付けがわざとらしくなってしまいがちで難しい。その点まったく心配なし。この時代の流行ともいえる押せ押せわっしょいの演奏様式のうちにありながらも、恐らく改訂版初演という理由もあるとは思うが厳しく緊張感が漲り、クーセヴィツキーって腕よかったんだ、と今さらながら気づかせるオケやピアノの操りぶり、ソリストとがっちり組み合って決して離れない、まさに協奏曲の醍醐味である。録音もよくレストアされている。心底からのブラヴォが飛ぶ、○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:ヴァイオリン協奏曲,○ポッセルト(Vn)バーギン指揮ボストン交響楽団(WHRA)1962/4/13live・CD,,夫婦共演である。だからといっては何だがわりとオケも前面に出て絡むこの曲では強みに働いていると思う、堅固なアンサンブルである。ちょっとブルッフ1番を思わせるところもある柔らかさとのちのち晦渋な重さを加えていく若き作曲家の志向があいまって、長い難産の甲斐もあり20世紀の名作協奏曲、しかもアメリカ産という特異な作品になったわけだが、初演期には(それほど技巧的な作品でもなく寧ろ簡素で基本に忠実な構成の作品ではあるのだが)技巧的側面がかなりクローズアップされ、非常に速いテンポと強いボウイングで、ロマンチシズムはあくまでビンビンに張った弓の隙間をぬって譜面から立ち上ってくるぶんでいい、みたいな感じのものが多かったようだ。,,"これも荒いソリストでいかにも戦後アメリカで活躍したふうの名技性と、音色で滑らかにロマンチシズムを奏でることとは皆無のある種の新古典性を発揮している。とにかく腕は凄まじく、女流的な細さはあるのだが、どんなに音が荒れようとも力ずくで押さえつけるやり方が随所にみられ、バーバーにあっているのかあってないのか、ちょっとロマンティックすぎる曲、とくに名技的な三楽章には向いているのかもしれない。結構盛大な拍手である。かといって二楽章も悪くは無い、何か「世界的には無名なヴァイオリン科教授の演奏」のようだ。ミュンシュの補完的立場で、またコンマスとしても働いていた指揮者はさすがボストン響を掌握しているというか、強い個性は決して出さず、弦中心のアンサンブルを効率よくまとめあげた。",,ポッセルトは同曲の初演者と記憶しているが異説も聞いた(部分初演がある模様。また現在の無駄の無い版は改訂版でありその初演ライヴはクーセヴィツキーとの共演がCD化している)。少なくとも録音を残したソリストとしては最初であろう。○。,-----,,,,,,,,,
バーバー:ヴァイオリン協奏曲,◎ボベスコ(Vn)ホーレンシュタイン指揮フランス国立放送管弦楽団(MUSIC&ARTS)1952/2/11LIVE平明な1楽章はどうってことないのだが、地味な2楽章が超名演なのである。盛り上がりどころで指揮台を踏み鳴らす音が聞こえるほど熱の入った深刻な感情が重量感をもって印象的に表現されており、ソリストも独特の音色が、この曲をレパートリーとする最近のソリストとは異質の暗く渦巻く情念を感じさせる。こ、こんなに深刻で、こんなに感動的な偉大な楽章だったのか。バーバーというとアダージオのためになんだかヤワで大衆迎合的なわかりやすい作曲家のイメージを持つ人もいるかもしれないが(とくにこの協奏曲においては)、これを聴いてみて欲しい。私は初めてこの曲で感動した。2、3楽章の内容深さに改めてバーバーの悲しみと怒りを感じることができた(この人はもともとそういう人だ)。充実した曲だ、ということをも再認識させてくれる演奏、決してスタンダードとは言わないが、紛れも無い名演である。ソリストの情念に個性、指揮者及びオケの熱情的で重厚な表現がスケールの大きな感動をもたらす。このボックスの白眉のひとつと呼ばせて欲しい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:ヴァイオリン協奏曲,カウフマン(Vn)ゲール指揮ルツェルン祝祭管弦楽団(MUSIC&ARTS)1951・CDバーバーのこの曲はリバイバルしてもう10年以上たつ。現代ヴァイオリニストの間にレパートリーとしてすっかり定着した作品と言っていいだろう。1楽章の親しみやすいメロディと19世紀的なくぐもり・・・たとえばブルッフの作品のような・・・に、ワサビのように効く重厚硬質の不協和音が入り込む感覚は非常に世紀末的である(勿論19世紀末)。現代作品が陥った特殊な超絶技巧の世界を敢えて無視したような、かなりやさしいソロパートはバーバーの反骨精神をもっともよく示したものと言えるかもしれない。バーバーはわかりやすい作曲家に見えるが、シンフォニー1番やカルテットにしても結構晦渋で焦燥感がある。そのイメージはこの協奏曲や歌曲によるところが大きいだろう。あ、もちろんトスカニーニも録音した「弦楽のためのアダージョ」(カルテット中間楽章の改作)もそのイメージを固定化した曲のひとつだ。オーマンディとスポルディングにより41年に初演されている。このCDはあまり録音がよくなく、録音の継ぎ目がかなり露骨に聞こえたり、カウフマンの甘い音色がイマイチはっきり響いてこないと欠点が多い。1楽章などこのヴァイオリニストお得意のロマンティックな音楽なのに、この不明瞭なCDではちょっとぱっとしない。無印としておく。まあ、モノラルだと映えない曲でもあります。ヴォーン・ウィリアムズ(ORIONでLP化した録音)とラーションとのカップリング。おそらくMMSで出ていたレコードと同じ音源と思われる(あちらはミュージカル・マスターピース交響楽団というレーベル名を冠した楽団の演奏ということになっている。指揮者はゲールで同じ)。改訂版と記述。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:ヴァイオリン協奏曲,コーガン(Vn)パーヴェル・コーガン指揮ウクライナ交響楽団(ARLECCHINO)1981/5/9・CD作曲家の追悼に録音されたそうである。だがこれはもう固くて乱暴なコーガンの悪い所が出まくった演奏と言わざるをえない。無窮動的な3楽章ではとくに余りの力みぶりに音になってない箇所まである。とにかく力みすぎで雑だ。しっかりしたいい曲なのだが、どちらかといえば陽の気が多い曲なためにそのまんまヴィルツオーソ的に演奏すると正直聞いててついていけないしんどい演奏になる。バーバーは確かに明瞭で構築的な曲を書いたが、だからこそ緩急の緩の部分に柔らかな情感も盛り込んで欲しいものである。起伏があまりにデジタルだ。無印。ハイポジの音程が低く聞こえる場面が目立つのはオケとの音響バランスを考えてのことなのか、それとも単に失敗したのだろうか?,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:カプリコーン協奏曲,作曲家指揮コロムビア交響楽団弦楽セクション、ユリウス・ベイカー(fl)ミッチ・ミラー(ob)ハリー・フライシュタット(tp)(SLS)1945/6/20CBS「音楽への招待」放送(スタジオ録音),,極めて悪い音だがレア音源ということで仕方ない。戦争末期の演奏ということもあるのか、楽曲のせいか重苦しくもしくはストラヴィンスキーの新古典主義のリズム音楽の影響を受けたような部分での、ささくれだった表現が目立つ。どことなくぎごちなく、こんなに棒、下手だったっけというような四角四面のところもある。曲的にバーバーらしさというのは緩徐部でのRVW的な美しい響きくらいで、むしろコープランドの人好きしないほうの作風に似る。これはバーバーがリズム感があまりよくなかったということでもあるか。ミッチ・ミラーをはじめソリストの音も楽しみたいところだがノイズがひどくて楽しめない。まあ、曲も私は好きではない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:キャプリコーン協奏曲,チェリビダッケ指揮ベルリン・フィル(AUDIOPHILE)1950フルート、オーボエ、ペットに弦楽合奏という小編成の曲。キャプリコーンは作曲家の山荘の名前だそうだ。バーバーは至極わかりやすい曲と晦渋な曲の両極端の作風を使い分けていたようだが、この曲はおおまかには晦渋。しかし僅かに夢見るような美しいメロディが織り交ざり、これだからバーバーはやめられない。アタマのいい人の作ったアタマでっかちな曲、と言った感じもしなくはないが、同時代の前衛作曲家に比べればましだろう。この演奏はとてもまとまっていて楽しめる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:キルケゴールの祈り,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団&セシリア協会合唱団、レオンタイン・プライス(Sp)クラフト(Msp)ミュンロ(T)(WHRA)1954/12/3live・CD,,ミュンシュはバーバーを得意とした指揮者ではないがロマン性を色濃く残したバーバーの分厚い管弦楽を捌くに適した特性を備えていたと思う。この大規模な曲でも合唱団やソリストと一体となり巨大で力強い音楽をつき通し、あっという間に聞き通させる名人芸を見せている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:クリスマスに,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1960/12/23live・CD,,クリスマスへの前奏曲、という説明のとおり、クリスマスにまつわる童謡や賛美歌からの旋律が引用されメドレーのように管弦楽により綴られてゆく。いわば編曲作品だ。バーバーの職人的な仕事はかなりの技巧を要求する一筋縄ではいかないもので、そここそが聞き物である。バーバーはメロディストではあるが、このように聞き知ったメロディを使ったほうがその作曲手腕の見事さが明確になり、魅力的に感じる。ミュンシュは案外曲にあっている。勢いで突き進むだけでも曲になるわかりやすさゆえ、かもしれない。楽団の即物性が余計な色付けをしないのも聴きやすい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:コマンド・マーチ,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(WHRA)1943/10/30live・CD,,快演・・・といわざるをえまい。戦争絡みの曲、演奏ではあるが、前向きで、歌詞でもついてそうな勇ましさ。クーセヴィツキーがまたよく軽快に響かせる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:シェリーからの情景音楽,○ゴルシュマン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団)(VANGUARD),,まさに映画音楽!暗い初期作品だが旋律の魅力と既に確立されたアカデミックな手法の清々しさで聴き通せる。見通しのいい演奏・録音もすばらしい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:シェリーによる一場面のための音楽,○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(TCO)1956/10/25・CD,,セルの近現代はしばしばオケをまとめることに専念し過ぎて人工的でぎくしゃくしたものになることがあるが、この演奏はバーバーの西欧的で前時代的な、しかもいい意味で個性のない聴きやすいものであるがゆえ、成功していると言えるだろう。音場が狭いとはいえ何とステレオでこれまた聴きやすい。暗い音楽を暗いまま演奏してしまっているが、当時のこのオケがアメリカでも西欧的過ぎることで有名な重苦しいスタイルを持っていたこともあるし、また曲的にこれでいいのだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:スキャンダル学園序曲,◎サバータ指揮ニューヨーク・フィル(NUOVA ERA)1950/3/18liveバーバー21歳の作品。耳馴染みがよく、適度にスペクタルである。管弦楽の充実ぶりにはウォルトンを思わせるところがある。この曲はシェリダンの喜劇のために書かれたものだが無論随所にアメリカ的なわかりやすい旋律や垢抜けた響きがきこえるものの、分厚い音響は西欧的でもあり、バーバーの作風を非常に象徴している。デ・サーバタの水際立った指揮は曲にマッチして、この滅多に演奏・録音されない、しかし魅力的な小品のよさをはっきりと伝える演奏になっている。晦渋なところは少しも無いから、ご興味があればぜひ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:スキャンダル学園序曲,○シッパース指揮ニューヨーク・フィル(SONY)1965/1/26情熱的で息の長い旋律、ウォルトンのような華麗なオーケストレーション、いい曲だ。このように良い録音で聞くと、曲構造が透けて見えてわかりやすい。作品番号5、このころのバーバーはとりわけ前時代的でなかなか良い。ニューヨーク・フィルは巧い。さすがだ。いささか唐突な終わりかたはここでも若干違和感を感じる。ところで、私は意地でもこの曲の題名を「スキャンダル学園」としているが、じっさいは「悪口学校」という名で呼ばれるもの。でも、スキャンダル学園のほうが安手のドラマみたいでいいけどなー・・・,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:スキャンダル学園序曲,カンテルリ指揮NBC交響楽団(ASdisc)1953/12/20liveデ・サーバタの演奏と比べるといくぶん落ちる。オケの統率力が弱いとまでは言わないけれど、いまひとつノリきれない。やや散漫な曲の弱点もくっきり浮かび上がっている。全体構造の把握がいまいちなのだ。推薦はできない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:ストップウォッチと軍用地図,○ゴルシュマン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団)、ロバート・デコーミア合唱団(VANGUARD),,いかにも第二次大戦の惨状をかんじさせる暗い男声合唱曲で、バス領域の打楽器とブラスしか伴奏がないというのも鬱々とした情景を盛り下げる。元の詩がそうなのだが、比較対象もなく評価不能なので○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:チェロ・ソナタ,○G.リッチ(Vc)ミットマン(P)(stradivari records)LP,,ビル・エヴァンスやハンコックやらとやる畑違いの人になるとは思えないしっかりした骨太のクラシカルな演奏をする人で、音色が深くていい。ストラディヴァリ・レコーズ四重奏団に参加していたチェリスト(ルジェーロ・リッチと関係あったか?)がカルテットの裏面にいれたもの。ドビュッシーのソナタを彷彿とする枯れ葉のような哀しさをかもす音楽ではあるが、高潔で叙情的な第二主題はまさにバーバーならではの美しいメロディで、この曲、よく聞きこめば余り渋さは無い。響きはもちろん現代のものであるが、ディーリアスのあたりに近いかもしれない(もっと硬質だが)。しっかりした作曲技術に裏づけされた作品である。演奏は手堅さもあるにはあるもののバランスに優れていると言ったほうが適切だろう。技巧をひけらかすより素直に叙情的に弾いていくことに向いたさほど起伏のない作品である。ピアティゴルスキーだったかで聴いたときにはわけがわからない感じもあったのだが、この演奏では非常に理解しやすかった。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:チェロ・ソナタ,○ピアティゴルスキー(Vc)ベルコヴィッツ(P)(columbia,WHRA)1947/5/29・CD,,CDには初出とあるがLPで出ていたものと同じだろう(例の紫雲を燻らせているジャケだ)。芯のとおった音、ぶ厚い音を雄弁に奏でさせる曲、すなわちRVW的な音響の重さを持つバーバーにピアティゴルスキは向いていて、やはりフルトヴェングラーのピアティなんだと思わせる。ややわかりにくいが恐らく初録音であろう曲で、仕方なかろう。ピアノのソロも目立つがそちらも技巧的には素晴らしく、ソリストに沿って一本の音楽としている。ピアティがまだいけてた時代の技巧を味わえる。色彩的な演奏家ではないから色彩が暗く重いバーバーでは弱点がない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バーバー:チェロ・ソナタ,ピアティゴルスキー(Vc)ベルコヴィッツ(P)(RCA),,渋い曲。作曲家22歳の若書きだが、既に「ドーヴァー・ビーチ」や「スキャンダル学園(悪口学校)序曲」といった代表作を仕上げている。晦渋な曲想の上にふと美しく煌くようなピアノの散発音が降り重なるところなどバーバーらしいロマンチシズムが感じられる。第一楽章の6分くらいのところで出てくる感傷的な旋律は出色。作曲家はこの曲の構想を欧州滞在中に9日間の休暇をとってアルプスを歩いたときに得たという。確かに冷たく澄み切った空気感があり、それまでの作品とはちょっと異質なところがある。ただ、チェロという楽器をあまり巧く使えていないようにも感じられる。技巧的なパッセージで音がよくひびいてこないのだ。ピアティゴルスキーがゴリゴリと気張って演奏してやっと伝わるくらいで、それこそ普通のソリストがやったらマイナー曲のしかもあまりうまくない曲という印象しか残らなかっただろう。まさにピアティゴルスキーの暴力的なテクニックの勝利。でもここに甘い陶酔はない(ピアティゴルスキーはそもそもそういう奏者だが)。無印。,,,M&A等の後継ボックスレーベルWHRAで「未発売録音」として2010年CD化した音源と同じか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
バーバー:チェロ協奏曲,○ネルソヴァ(Vc)作曲家指揮ロンドン新交響楽団(decca)1950年代・CD,,ソリストは素晴らしい。オケがどうにも甘い。バーバーはこの名義のオケと他にも録音を残しているし、その指揮技術にも定評はあったが、さすがに協奏曲をさばく腕までは磨き上げられなかったか。曲はオネゲルやウォルトンを彷彿とさせるカイジュウさがあるが、技巧的な見せ場が多くバーバーらしい聴き易さもある、それをソリストは鋭敏に感じとってしっかり表現していてよい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:チェロ協奏曲,○ベングトソン(Vc)ニコライ・マルコ指揮デンマーク国立放送交響楽団(danacord)1955/11/24live・CD,,オケがイマイチ。ライブだし曲もオケパートを剥き出しにして使うところが目立ち(冒頭の弦の強奏などリズム的に合わせるのが難しいだろうが)、仕方ないところもあるが、それにしても余り深みのない演奏を展開するソリストと重く引きずるようなオケの乖離はやや気になる。曲が悪いのは認める。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:ドーヴァー・ビーチ,○フィッシャー=ディースカウ(B)ジュリアード弦楽四重奏団(sony)1967/4/8・CD,,バーバーは本質的にロマンティストだ。アメリカ実験主義とは無縁な存在であり、コープランドでさえかれに比べれば前衛的といえる。アイヴズのことは大嫌い(”彼はアマチュア”)だった。古いLPにバーバーのインタビューが載っていたが、かれ自身そのことをかなり意識してロマンティストでいたようである。少なくとも、歌曲においては。(ちなみにその中でバーバーは「わたしはバイセクシュアルである、両刀だ」などとのたまっている。コープランドしかりバーンスタインしかり・・・アメリカって、まったく、もう。・・・いや、じつはこのインタビューには前後があり、バーバーは比喩表現で口にしたにすぎないのですがね。インタビュアーがイギリスの批評家の「バーバーの音楽の”中核”には”人間の声への理解”がある」という言をひいて、あなたは何を書くときもつねに人間の声を思い描いて書いていますか、ときいたところ、バーバーはそんなことはまったくない、どんな旋律も頭から直接出てくるし、声によって曲を書くことなど全くない。つねにそれぞれの曲の編成を思い描いて書く。管弦楽を書くときに人間の声を想定して書く必要があるなどと考えていたならば、作曲家としてかなり窮屈な感じを受けざるをえない、と言う。そこでインタビュアーが、アメリカには声楽を意識的に避けている作曲家もいます、というと、彼らはおそらくそうするのがまったく正しい。たとえばウォルター・ピストンのような作曲家はまったくぜんぜん叙情的ではない。ピストン、セッションズ、コープランドは、まあ後者ふたりは声楽やオペラも手がけてはいるが、本質的にインスツルメンタルの作曲家なのだ。「その意味では、わたしはバイセクシュアルである、両刀だ」・・・というわけでした。でも、そんなところに本心が露呈することって、あるような)ドーヴァー・ビーチは比較的若書きの作品だが、弦楽四重奏に独唱といういくぶん渋い色彩によってえがかれた一幅の絵画である。バーバーの歌曲にはいろいろな過去の作曲家の曲を想起するところがある。サティの「ソクラート」、ヴォーン・ウィリアムズの「ウェンロックの断崖にて」などなど(と書いておきがてら前記のインタビューを読んでいると、インタビュアーが「あなたはドーヴァー・ビーチを確実にRVWに見せたでしょう」、バーバー「もちろん」。RVWがレクチャーしているところに押し掛けていって、歌いながら聞かせたとのこと。RVWはとても喜んで祝福してくれ、「ワシも何度もこの詩集にはトライしたんじゃが、きみがそれをなしとげてくれた!」と言ったとのこと)。つねにリリカルであり、またときにはニヒリスティックであったり、ノスタルジックであったり。人間の素直な感情を表しており、ゲンダイオンガクが人間のオクソコにネムるフクザツなケイショウをドウサツして奇妙奇天烈な音のカタマリを産み出していた状況とはおよそ遠く離れたところにいる。かといって俗謡作家ではけっしてない。マシュー・アーノルドの、海の形象によせて無情をうたう詩につけた「ドーヴァー・ビーチ」、これを少しでも耳にしたならば、そのそこはかとなく哀しい歌に、俗謡からは与えられるべくもない深い心象をあたえられるだろう。ディースカウはかなり雄弁だが、ジュリアードの美しくも暗い色調にのって8分20秒を歌いきっている。さすが、表現に瑕疵はなく、しいていえばそのそつのないところが弱みなのかもしれない。繊細な味わいをもつ曲に、雄弁さは少し鼻に付くかも。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バーバー:ドーヴァー・ビーチ,○作曲家(B)カーティス弦楽四重奏団(原盤RCA/PEARL)1935/5/13古い録音だが渋い編成ゆえ余り音の古さが気にならない。最初この盤を見たときは目を疑ったが、どうやら若きゴホンニンが歌っているのに間違いないようである。たとえばディースカウのような深みはなく、25歳の若き作曲家は若き情感を痙攣的なヴィブラートにこめて、これまた古き良き味をもつカーティス四重奏団とのセッションをやりとげている。本人はセッション当時の自分の声について、あのころはプリティ・グッド・ヴォイスだったからね、と語っている。そうとうリハをやったようだがこのレコーディングの話しが来る前から私的にもずいぶん演奏していたらしい。くすんだ半音階的な伴奏はいくぶん無調的な晦渋も含んでいるが、カーティス団のポルタメントをきかせた艶めいた音がずいぶんとロマンティックな方向に曲を持っていっている。後半になると少し古典ふうの曲想もあらわれてくるが、他の楽想と有機的に繋がっていてそれと意識しなくても楽しめる。薄暗い天候で暗い気分のときには、この曲を持って海へ行こう。遠く乱舞する鴎を見ながら、灰色の海をみつめて。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:ピアノ・ソナタ,ホロヴィッツ(P)(RCA)1950/5/15晦渋な曲である。聞き込めばいろいろと聞こえてきそうだが、ホロヴィッツも無機質と思えるくらいそつなく弾いており、どこが盛り上がりどころでどこが聴きどころなのか、いまいちはっきり聞こえてこない。旋律が浮き立たないのだ。アレグロ・ヴィバーチェはそれでも例外的に楽しめる面白い音楽だったけれども、それ以外は・・・うーん、私はまだまだ修行が足りない。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:ピアノ協奏曲,○ブラウニング(P)セル指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1965/6/24live,,中間楽章はラヴェルの両手やプロコフィエフを、両端楽章はジョリヴェを彷彿とさせるモダンな作品だが、緻密な書法とソリストに要求されるテクニックの高度さにかんしてはそれらを凌駕する部分がある。大して叙情的でもない中間楽章よりも、いきなりのソロからぐわんぐわんと拡がる一楽章、さまざまな楽想を取り込みながらけたたましく突っ走る三楽章に魅力がある(三楽章にはバーバーの好んだRVWの、ピーコンに類似した主題もある)。いずれテクニックがないと無理だ。初演者によるこの演奏は正規録音もある組み合わせだが、さすがのそつのなさで聞かせる。湿り気のなさが気にはなるがこの曲はそれでいいのかもしれない。オケはバックにてっしている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:ピアノ協奏曲,ジョン・ブラウニング(P)セル指揮クリーヴランド管弦楽団(SONY)1964/1一楽章、いきなり晦渋なピアノ・ソロから始まるが、オケが入ってくると若干ロマンティックな趣が加わる。バーバー独特の語法はわかりやすさと晦渋さの掛け離れたバランスをうまく保っているが、オケとソロのからみがそもそも少ないせいでもあろう。また全般やや冗長か。ちょっとウォルトンのチェロ・コンの雰囲気を思い出した。ピアノ・ソロはプロコフィエフのピーコンの打楽器的用法を彷彿とするところもある。セルはソリストを圧倒するほどうまくやっているが、初演者ブラウニングの汗の飛び散るような強靭なピアニズムもめげずにがんばっている。セル・・・ちとうるさいか。二楽章、一転して穏やかなアメリカの夜。一楽章もそうだったが、現代の映画/ドラマ音楽を思わせる雰囲気でもある。第一主題(?)はノスタルジックで美しい。いくぶん官能的でもある(弦の入る所)。現代フランスものっぽい繊細な不協和音の導入も曲の雰囲気を芸術的に高めている。三楽章、不協和音なバーバー全開!やや無調的な旋律やピアニズムは雰囲気的にはシマノフスキの中期(もしくはスクリアビンの後期)に近い。しっかし終始せわしない動きをするピアノ。疲れそう・・・,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:メデアの瞑想と復讐の踊り,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(ALTUS)1960/5/29live・CD,,来日公演の演目だが珍しかったろう。当時のこの組み合わせのレパートリーであった。その全記録中ではこれは録音がクリアで抜けがいいから聴く価値はある。バーバーというと重い響きだがここでは必要な音しか重ねず旋律的にもヨーロッパ的な古臭さは無い。演奏は達者だ。聞き応えあり。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:メデアの瞑想と復讐の踊り,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA/BMG)1957/4/10・CD,,なんだかんだいってアメリカ・アカデミズム一の才者であり、最も成功したネオロマンティストである。この鮮やかな手腕には無駄も隙もない。個性もないと言ったら語弊があるがクセのあるロマンティストなんてちょっとハンパなわけで、クセはないほうがいいのである。素晴らしいオーケストレイションの腕、音楽は踊る。あきらかにストラヴィンスキーを意識しているがRVWのように決して踏み外すことはなく、職人性という意味ではオネゲルを彷彿とさせる。ミュンシュもフランス的な一種耳馴染みよさを持った曲にはうってつけの指揮者だろう。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
バーバー:悪口学校序曲,○ヤンッセン指揮ヤンッセン交響楽団(WHRA/victor)1942/3/11・CD,,明るく楽しげな様子で縦というかアタックは甘めだが達者な演奏だと思う。ヴァイオリンのポルタメントがなつかしい。バーバーは弦楽器が分厚くないと魅力が出ないが、SP音源にしては、音は割れるが、聴けるものとなっている。ヤンッセンはこの時代の音盤ではよく聞く名前。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:遠足〜1、2、4番,○ホロヴィッツ(P)(HALL OF FAME)1945LIVE煌くような音の魔力。他の演奏家のものとは比べ物にならない本質を突いた(からこそ楽しい)演奏だ。バーバーはときに晦渋だが、ホロヴィッツの手にかかるとすっきりとわかりやすい小品に仕立てられる。ダイナミクスの変化が俊敏な感覚によって激しくつけられ、しかしそれほどの外面的の変化にもかかわらずホロヴィッツの両手にはいささかの危なげな所も無く、これはソリストの物すごいテクによるものであることは明白、さすがホロヴィッツといえよう。初演かもしくはその直後の演奏と思われる。この盤、古い録音だらけだが今まで見なかったものも含む5枚組、それで2000円台だから超お買い得だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:過ぎゆきしものの歌,○ベルナック(B)プーランク(P)(原盤CBS)1952/2/15NYこれもびっくりした盤だけれども、リルケに材をとったフランス語のうた、全曲初演はこの組み合わせでダンバートン・オークスで行われたということで、不思議はないわけで。アメリカの作曲家がフランス語のうたをつくるのは不思議だが、プーランクの非常にセンスにあふれる洒落た伴奏できくと、まるでフランスやイギリスの近代抒情歌曲をきくようで、不協和音すら美しく儚く(いや、儚いがゆえに美しい)こころに響く。作曲家はリルケの詩をフランス語で歌うのは当然としている。プーランクのレコーディングについてバーバーは好意的に語っており、プーランクは「ダーリン・マン」だと言っている(ベルナックとプーランクとバーバーって三角関係?冗談)。彼が夢中になるのは彼の曲に対してだけで、自分の曲に夢中になったとは思えないが、と前置きしておいて、この曲を弾いて聞かせたところ、とても気には入ってくれた、とかたっている。伊達男プーランクについてもちょっぴり語っているが、かなり仲はよかったようだ。この曲はプーランクに献呈されている。短い曲だしベルナックは多少癖があるが、楽しめると思う。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:管弦楽のためのエッセイ第1番,○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(BIDDULPH/VICTOR)1940/8/20さすがアメリカの曲だけあってオケも指揮もノっている。フィラ管の分厚い音が重厚な作品の雰囲気を盛り上げている。バーバーらしい暗い曲だが、華やかな管弦楽のおりなす綾が美しい。ブラス陣の充実は言うに及ばず、速いパッセージではフィラ管の木管・弦楽器の鋭いアンサンブルが楽しめる。素晴らしく颯爽とした演奏だ。セルの演奏ではピンとこなかった私でも、これは面白いと思った。オーマンディの性向と曲の性向が一致したということなのだろう。ブリテンの管弦楽曲を彷彿とする佳作。録音は戦前のものとしてはいい方。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:管弦楽のためのエッセイ第1番,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1939(38?)/11/5放送live,,放送エアチェックで恐らく38年の放送初演時のものだと思う(ラジオアナウンサーは38年11月5日と言っている、但しいっしょにアナウンスされた「弦楽のためのアダージオ」は収録されておらず、拍手の入り方からしてもアダージオ(記録上は同じ11月5日の放送で編曲版初演されたことになっている)が放送上カットされている可能性が高く、39年に再編集放送でもされた記録なのかもしれない)。トスカニーニはアメリカにわたった指揮者が半ば使命であるかのように新作初演を旺盛に行った渦中で、同じようにこういった新作の初演をほとんどヤケのように乱発していた時期があり、解釈的には引きしまったいつものトスカニーニ流儀で通しているのだがオケはかなりきつい演奏をしている場合もある。この異常に速い演奏にしてもさすがに少しバラケが混ざったり、余りに即物的な解釈のせいか余韻のない終わり方でばらけた拍手を呼んでしまったりする。もっとも曲自体が情に溺れすぎない男らしい抒情をかもす、新ロマン主義でもヨーロッパ指向の強いしっかりした作品であるため少しくらいのブレや解釈の素っ気無さ(いい言い方をすればスポーティ)によって揺らぐたぐいのものではなく、30年代昭和初期の時代においてこんなにモダンなアンサンブルがギチギチと生でこうじられていたことにちょっと驚かされる。ピアノの響きがかっこいい。○。メインプロは新世界だったようだ。別項に書く。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:管弦楽のためのエッセイ第1番,◎トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1942/1/24放送用スタジオ録音,,正規でも出ていそうな音源。トスカニーニの中では素晴らしく録音がよく、演奏精度も極めて高い。わりと細かい動きでばらけるNBCオケの弦楽器が細部までぴっちり揃って圧倒的な技術を見せ付ける。ここまできちっと出来ていると逆に、楽曲の何も言わないうちに終わってしまうような、あっさりしすぎた感じ、きつく言えば底浅さに気づかされる思いだ。ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエムに似た曲ではあるが前提となる深慮も構成にも創意はあまり感じられず、技術的才能だけで作った感じが否めない。前半の重厚でロマンティックなメロディと後半のちょこまかした細かい動きのパセージがただくっついている、それが余りにあからさまにわかってしまう。演奏精度が高すぎると、曲が剥き出しになってぼろが出る見本のようなものだ。ただ、演奏者と録音に敬意を表して◎。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,,,,,,,
バーバー:管弦楽のためのエッセイ第1番,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1942/1/24放送録音,,ライヴではないため演奏精度は非常に高い。プロコフィエフ張りのヴァイオリンの走句もブレなく揃い丁々発止のアンサンブルが繰り広げられる。ほとんど判で押したような演奏ぶりで他録と代わり映えのしないものではあるが(当時の演奏会やラジオ放送でのクラシック音楽の視聴状況を考えると、時代の特徴として生演奏であっても「素晴らしかった録音」と同じ演奏がむしろ求められることもあったわけで、社会的状況次第で責められないところもあるのだが、アメリカでは)、42年という時期を考えると録音もよく、細部まで引き締まった「まだまだ元気なトスカニーニ」が聴ける面で価値はあろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:管弦楽のためのエッセイ第1番,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(WHRA)1938/11/5live・CD,,きびきびした動きがはっきりとらえられ、アダージョと同時録音とは思えない。これは食い気味で拍手入るわな、というみずみずしいアンサンブル、鍛え上げられた楽団の性能が発揮されている。曲もバーバーの代表作のひとつ、おすすめ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:管弦楽のためのエッセイ第1番,セル指揮ニューヨーク・フィル(NYP)1950/12/10放送LIVEセルはよくバーバーを取り上げたようだが、この曲ははっきり言って手堅い凡作といったところ。シェフとしてセルは最大限の努力をしているようだけれども、録音の悪さも災いして、記憶に残らない演奏になってしまっている。7分ジャスト。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:管弦楽のためのエッセイ第2番,○ゴルシュマン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団)(VANGUARD),,90年代のハリウッドの映画音楽といったらこういう曲を思い浮べる人が多いであろう、といういわばブーランジェ的アメリカ音楽を中欧指向の重厚確固たる構造の上に組み込んだ折衷的音楽のなかに、ドラマチックなロマンチシズムを展開させていったバーバーの「表の面」が巧みに発揮された起伏の激しい一曲で、ゴルシュマンもすっかりアメリカニズムを体言すべくこの上ないオケ相手に完璧にこの曲の理想的な姿を演じきっている。細部まで隙なく造りこまれた造形の見事さを明瞭なステレオで重すぎず暗すぎず聴きとおすことができる。詩的な側面が技巧的先鋭性、とくにベルクなどを目したような理知的な語法に反映させられ、編成の小さい曲だと露骨に現代性があらわれて非常にわかりにくくなることもあるが、よく整理され綺麗にまとめられた演奏、フランスでもゴリゴリのアメリカ・アカデミズムでもないバーバーの特異性と、異国人にとっての聴き易さを引き出した名演。ゴルシュマンてこんな人だったっけ?つか、このオケ凄いね。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:管弦楽のためのエッセイ第2番,○モートン・グールド指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1978live,,旋律らしい長さを持った旋律を使用していないにもかかわらずロマンティックな流れが終始保たれるネオ・ロマンチシズム。ワルターが好きそうな曲だ。コケオドシ的ともとれる映画音楽的表現によって聴かせ通すバーバー力づくの技が聴ける佳曲。正直いろんな作曲家のハイライトの寄せ集め感もあり、あれ低弦のピチカートに低音ブラスを重ねる印象的な方法はRVWだとか、弦とブラスを対位的に絡ませ派手にかます方法はヒンデミットだとか、この分散和音的フレーズはウォルトンがよく使う、とか、でも、そういう音楽が好きな向きにはたまらないんですよね。グールドは作曲家としても通俗小品の指揮者としても知られ長生したが、こういう曲ではさすが。オケが力ある明るいオケなだけにバーバーの暗さが陰鬱に落ちず直線的に聴けるのはうれしい。優秀ステレオ録音で環境雑音まで極めて明瞭。,,(参考)バーバーといえば「弦楽のためのアダージオ」ですが、編曲作品の多いバーバーにしてもあれは原曲編曲共にかなり簡素で、管弦楽を派手に鳴らす作曲家としてはもっと大規模作品のほうがわかりやすいし、室内楽以下もしくは歌曲ならちょっとブリテンを思わせる諦観を漂わせた抒情を持った曲が親しみ易い。ヴォーン・ウィリアムズに共感していたというとおり、その音楽には中欧的な重さが目立ちながらも常に透明感が維持されている。これは気鋭オールソップの指揮でエッセイ2曲に「ノックスヴィル〜1915年の夏」という連作歌曲の名作が聴けます。,"
バーバー:ノックスヴィル「1915年の夏」/オーケストラのためのエッセイ第2番"," 第3番 /他
オールソップ
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それでも弦楽のためのアダージオが聴きたいならこれを聴いてしまえ。アメリでも観てなさい。
ベスト・シーン-クラシック・ミュージック・イン・シネマ-
オムニバス(クラシック)",中丸三千繪,ヘンドリックス(バーバラ),"ウィーン少年合唱団
EMIミュージック・ジャパン

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バーバー:管弦楽のためのエッセイ第2番,○ワルター指揮NYP(WHRA)1942/4/16カーネギーホールlive・CD,,どうも弦楽器のキレが悪いのだが珍しい曲を少しマーラーチックに深みを持たせてロマンティックに流れさせていくさまはまあまあ面白い。トスカニーニがやっていれば、と思わずにおれないが。。楽団特有の鈍重さがバーバーの響きにはあっているかもしれない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージォ,○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCORA,ARTE)1958/5/30ロシアLIVEフィラ菅の弦の圧倒的な馬力が感じられる演奏。モノラルだがレンジ幅が比較的広いので、クライマックスの畳みかけるような表現と異様な音量、その頂点は凄絶でイヤがオウでも感動を呼びさます。ライヴならではの迫真性が感じられる録音。逆にライヴならではの綻びは皆無。凄すぎる。ブラボー飛びまくり。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージォ,○カンテルリ指揮NYP(ASdisc)1955/3/27LIVE・CDこれは印象的。カンテルリは重厚に演奏しており、表層だけをなぞったお涙頂戴演奏になることを避けている。純粋に音楽の力だけで感動できる演奏だ。バーバーの作品にしてはダントツでわかりやすいと同時にメタクラシック的になりやすい曲ではあるが、カンテルリの品位ある音楽作りは純度の高いクラシック音楽であることを宣言しているかのようだ。○。この盤では一番よかった。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:弦楽のためのアダージォ,◎クレツキ指揮フランス国立放送管弦楽団(KARNA:CD-R他)1952(1952/10/13live?1952/3?),,Amazonデジタルないしina配信から販売されている悲愴との組み合わせライヴ録音と同じと思われる(10/13表記)。forgotten recordsから出ている3月表記のものも同じではないか?何か尋常じゃない思い入れを力と祈りのかぎり音にして歌い尽くしたような、何とも言えない演奏。力強く分厚いオケはクレツキの精緻な操作によってその感情を説得力溢れる大きなうねりに変え、これは先の大戦を経験した者だけが持ちうる感情なのだろうか、何も言わせず、ただひたすら灰色の地の上より、届かぬ雲間の一条の光に向け腕を突き伸ばす。何も、それ以上も以下もなく、ここにはただ慟哭だけがある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージォ,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA/rare moth:CD-R)1969/10/6live,,これはちょっと緩やかさが無いハッキリした起伏のついた演奏になってしまっており、感情的でも客観的でもなく、ただヘンないわゆるストコフスキの悪い癖が出てしまった演奏に聴こえてしまった。特別な日の特別な曲だから演奏が悪くなるわけは決してないのだが、ちょっと違和感。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージォ,○チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(EMI)1992/1/19、20LIVE・CDゆっくり荘重と思いきや、すっきり明るい演奏になっていて意外。かなり美しいが同曲の感傷性が抑えられ純音楽的に聞かせるものとなっている。かといって根底に流れる宗教性も余り引き出されていない。教会音楽的な響きの厚さも余り感じられないのだ。チェリにしては不思議というか意外でもある。それにしてもこの短い曲を切り貼りする必要はあったのかなあ・・・EMIのチェリ・エディションは切り貼りや補正が多すぎてライヴらしい一貫性が無いと感じさせるものもままあるが、これも正直その類のようにも思えた。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:弦楽のためのアダージォ,○テンシュテット指揮フィラデルフィア管弦楽団(POA)1985/11/21放送LIVE感情的な演奏である。録音が若いためちょっとゴージャスな感じがしなくはないが(この曲にゴージャスは似つかわしくない)、フィラデルフィアの弦楽合奏の噎せ返るような音色と威力は印象的ではある。もっと深い思索が欲しい向きもあるかもしれないが、こういう演奏もアリだと思う。○ひとつ。終演後のブラヴォー拍手は盛大。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーバー:弦楽のためのアダージォ,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(RCA,BMG)1942/3/19カーネギーホール・CD,,震える音色、ポルタメント、透明というより重厚な太い感情のうねり。曲を完全に自家薬籠中にしたトスカニーニのひたすらの「歌」。テンポ的には速く淀みないインテンポだけれども音量やデュナーミクや奏法にはかなり大きな変化がつけられており、歌い廻し的な起伏がダイナミックに付けられている一方、静かな場面では録音のせいか弦楽器の音ではなく最早人間の声、歌そのもののような響きがしていて心を揺さ振る。最後のまるでマーラー9番終楽章の末尾のような途切れ途切れの呟きは余りに切ない。トスカニーニの心底からの共感が伺えるし、新即物主義の権化としてのイメージから大きく外れた、ロマンティックな、しかし峻厳な演奏である。トスカニーニの提案により弦楽四重奏曲二楽章より改変された弦楽合奏曲である。早熟の天才バーバー若き頃の傑作擬古典的瞑想曲。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バーバー:弦楽のためのアダージオ,○カンテルリ指揮NYPの弦楽セクション(DA:CD-R)1955/3/27live,,ややテンポが速すぎるが、求心力とブレのない直線的なテンポ、バランスの整えられた響きが見通しよく聞きやすい。パレーを思わせるところもある。ただ、録音は悪い。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージオ,○ストコフスキ指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(M&A)1958/5もしくは6live・CD,,弦楽合奏には定評あるストコのソビエト公演。最初のワンフレーズで既にテンポルバートしているのが違和感。音も生生しすぎてやや野暮だがオケがこれだから録音ではなく元々か。以後も物凄いルバートのかけかた、アーティキュレーションの豪快な付け方で殆どソリストの演奏のようだが、合奏は一糸とて乱れない。やや雑音が入るのはロシア録音のつねだから仕方ないだろう。非常に力強く、旋律のロマンティックな面を強く押し出した演奏振りは、ここまでくると感動を催さざるをえない。高音重視の音響バランスはクライマックスの絶唱に素晴らしく生きている。最後になって低弦が強く個性を主張して終わる。違和感しきりだが不思議な感銘を受ける演奏。モノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージオ,◎トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1938/11/5初演live,,日々湯水のように音楽を浴びる私でも心底感銘を受ける演奏に出会うのは半年に一度あればいいほうである。これは以前紹介した同じDAのライヴ音盤ではカットされていた曲目で、一緒に演奏されたエッセイ第1番のほうは既に書いた。だが、これが素晴らしい。初演というのは後世の演奏スタイルとの違和感を感じさせることが多くある。これも味付けが濃く分厚い音響に貫かれ、透明感の重視される後世の演奏とは違った、かなり「強い」調子の演奏ではあるのだが、トスカニーニの作り出す強靭な流れ、という他に特徴的な「ドライさ」が感じられない。まだせっかちな老年スタイルに至っていないせいもあるのかもしれないが(時期的には完全に即物スタイルだが)オケがひょっとすると「トスカニーニのカンタービレ」という枠を超えて、自国のこの上も無くロマンティックで悲痛な曲に対し濃厚なスタイルを指向した結果生まれた表現なのかもしれない。,,クライマックスの叫びはこの曲本来の(原曲の)「祈り」、という生易しい形式を越えて訴えかける人間の苦しみ悶え、だがそこから這い上がろうとする強い意思への共感に満ちている。実にアメリカ的だ。時代的にも実に示唆的。余りの素晴らしさにあっという間に聴き終わるが、一つ残念なのは2曲目が間髪入れず演奏され拍手も入れないところ。余韻に浸る隙がない(構成的にもクライマックス構築後は余韻を持たせずきっちり打ち切る)。最終音と次のエッセイ1番冒頭の共通した雰囲気からの意図だろうが、聴衆は2曲の差がわからないために静かなのか。現行版とやや違う気もするが元が編曲作品なので詮索は意味無いか。◎にします。トスカニーニ最良の演奏記録の一つだと思う。,,<同日の他曲目>,,前プロ・・・まだ書いてないだけ、マイナー曲,"中プロ・・・バーバー新作2曲;後半が管弦楽のためのエッセイ第1番","メインプログラム・・・新世界","アンコール・・・イベリア",,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",
バーバー:弦楽のためのアダージオ,○バーンスタイン指揮ロス・フィル(DG)1982/7・CD,,ねちっこくはなく、静謐で素直な演奏。クライマックスこそ粘るような表現はみられるものの、それ以外ではむしろ弱音過ぎるくらいの弱音で静かな重奏を聞かせている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージオ,○パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1961/12/28live,,こんな歌謡的なアダージオは初めて聴いた。高音域中心で流麗に歌われる哀歌。響きも輝かしく美しいが、祈りの雰囲気はまったくなく、ただ悲劇の追憶にまなざしを遠くする。録音は余りよくないし、パレーはこの曲をほとんどやっていないが、個人的にはトスカニーニとは別種の感銘を受けた。ちっとも祈ってなんかいない、でも名演には違いない。いつもどおりあっさりと速いながらも、歌の流れに従い自由に細かい起伏がつけられそこはかとなく哀しい雰囲気を盛り立てる、これこそパレー節なのだと理解させられる。◎にしたいが正統ではなかろう、○にしておく。,,この演奏が非常にわかりやすいために気づいたようなものだが、クライマックスやその周辺のコード進行でふと、アイヴズの調性音楽を思い出した。これはわかりやすいところで言えば交響曲第4番の3楽章、それに第3番に似ている。アイヴズは宗教的作曲家であったが、バーバーもまたそういう地盤の上にいた。音楽的には対極でいながら同じ方向を向いている。クラシック音楽におけるアメリカニズムというものがしっかりこの時代に共通地盤として存在していた、ふと感慨深く思った。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",,"(参考)この盤はアイヴズの弦楽四重奏曲も収録しており、その1番の緩徐楽章とバーバーの中間楽章(アダージョの原曲)を比較して聴いたりしてもいいかも。アイヴズの室内楽曲の多くは幼時の宗教的経験を背景にしている。
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Deutsche Grammophon

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ちなみにアイヴズについてwikiがやたら詳述化されているが時系列的に疑問なところや混乱もみられ(私的演奏会での交流が推測されるシェーンベルクによる評価は「時は流れ、称賛された」などというものではなく死後発覚したものにすぎない、カーターによる芸術上の父親殺し云々の記述も、引用と思われるが正面から言葉どおり捉えるには疑問がある、アイヴズは30年代に既に出版歌曲が評価され演奏機会を増やしており40年代からというのは適切ではないなどなど)、関連資料の継ぎ接ぎと思われる部分は原典を明示すべきだろう。あ、ここバーバーの項か。",-----,,,-----,,
バーバー:弦楽のためのアダージオ,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA/BMG)1957/4/3・CD,,もう濃厚なアダージオである。うねりまくるアダージオである。肉汁の垂れるようなアダージオである。独特だ。クセになるか、嫌になるかどっちかであろう。でも多分、ほんとうのアダージオはこんなじゃない。独特さを買って○。,-----,,,,,,,,,,,,,
バーバー:弦楽のためのアダージオ,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1958/12/26live,,感情的なうねりが激しくクライマックスでどんどんテンポが前に流れていってしまうのは気になる。だがミュンシュらしいと言えばミュンシュらしい。かなり速い演奏だが50年代まではこのくらいのテンポが普通だったのかもしれない。ミュンシュは正規でもライヴ含め二種ほどあったかと思う。お勧めはしないが○にするに不足は無い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージオ,○リットン指揮ロイヤル・フィル(放送)2011/8/16プロムスlive,,バックスの大曲あとチェロのソリストによるアンコールならびに休憩明けでしめやかに始まる。これまたアクがなく聴きやすい。過度の感情も冷たい純音楽志向もなく、何かしらの素直な祈りを感じさせる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージオ,テンシュテット指揮フィラデルフィア管弦楽団(PO)1985/11/21放送live・CD,,弦楽のためのアダージョは戦争とは切り離せない。トスカニーニの依頼で編じられた(原型は弦楽四重奏曲第二楽章として聴ける)あと、第二次世界大戦中以降アメリカのかかわる戦争においては必ずと言っていいほど、演奏されてきた事実上のレクイエムである。敗戦後の日本で占領軍により最初に流されたラジオ放送は同曲だったと言われている。名旋律の常として歌詞を付けられてうたわれることも多く、本人が歌曲に編曲したものはケネディ暗殺後にも演奏されている。ベトナム戦争の惨果との関連性も「プラトーン」に象徴されるとおり深い(作曲家は近年まで存命であった)。テンシュテットは分厚いオケを相手に、丁寧な音楽つくりを行っている。これを激情に駆られてやるならばフィラデルフィアoの明るく圧倒的な表出力により陳腐な音楽に成り下がっていたであろう、響きに非常に配慮し、重層的構造を注意深く再現するさまはテンシュテットらしい。特徴の強い演奏ではないし心を強く揺さぶられるようなところもないが、その真摯さにはブラヴォも少し飛ぶ。放送収録であり新しい演奏にもかかわらず環境雑音がとても気になる。惜しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージョ,◯テンシュテット指揮フィラデルフィア管弦楽団(don industriale:CD-R)1985/11live,,情に流されず荘重に過ぎず、注意深く、深淵を覗くような響きも交えてこの曲のもつレクイエム的側面を大人のさばき方で取り示している。印象につよく残る解釈ではないがブラヴォが飛んだ。そういう演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージョ,○ゴルシュマン指揮コンサート・アーツ管弦楽団(Capitol)LP,,モノラルの「アメリカ現代音楽集」から。曇っているぶん充実した響きの「アダージォ」を聴くことができる。比較的中欧風の重心の低い音のするオケだが、締まった表現で自然に曲の起伏に従い盛り上がりを作っていく。トスカニーニ風の即物的な個性は無く、無駄な思い入れのようなものもなく、しかし曲自体の暗く重いロマンティシズムを程よく引き出しており、聴きやすい。透明感のようなものはなく祈りの音楽ではないが、分厚い合奏が時代を感じさせてそこもよい。ゴルシュマンのヨーロッパ的な側面の出た演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージョ,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(GUILD)1940/5/14LIVE・CD,,これぞトスカニーニの美である。人声の厚い響き。このバランスは明らかに歌唱であり、合唱である。弦楽合奏は精妙な重なりの彩により、とくに録音ではしばしばコーラスのようにきこえることがある。偶然の産物であることが大方だが、トスカニーニにかんして言えば、合唱を越えた合唱、というような響き合いを求めているように思える。人声そのものにはきこえないのだが、ハーモニーが厚みを増し単純で力強いアンサンブルを背に音量的に昇り詰めていく、時にはかなりデフォルメされた表現をまじえ一糸乱れぬ調子で真摯な祈りに結実させていく。この感情を歌と言わずして何と言おうか。ケレン味なき芸風に対し真実を伝えるレベルの録音に恵まれたとは言い難いトスカニーニには、私もそうだが響きの美しさやカンタービレの滑らかさよりも、明確なテンポとリズムの快楽的な即物性を求めがちである。だがこう単純でもしっかりと骨太の作品においては、録音が最悪であっても、トスカニーニが何より誇ったとされる歌謡的な美しさがやはり自ずと伝わってくる。数々ある録音でもこれは一際真に迫ったものを感じる。まさにプラトーンの映画の世界に近い、卑近でもずしっと響く解釈表現。録音のせいで○にはするが、トスカニーニの同曲録音でも白眉か。,-----,,,,,,,,,,,,,
バーバー:弦楽のためのアダージョ,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(WHRA)1938/11/5live・CD,,言わずもがなのトスカニーニのアダージョだが、さすがに古く、音がくぐもってしまっている。演奏は感動的なので○はつけておくが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージョ,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(TAHRA)1956/9/21シャルトル聖堂live・CD,,見事なレストア・リマスタリングがなされているが原盤(テープ?)の傷はどうやっても補えないところがあり、音像が不安定に聴こえてしまう。だが、「ミュンシュの凄み」は伝わる。アメリカ的な合理性の行き届いた技術と、もともとの持ち味としてある中欧的な磐石な響きを持つボストン交響楽団弦楽セクションの、異様な大編成にしても張り詰めて一糸の乱れも無い表現は、米国での演奏とは違う緊張感に溢れ、一期一会の瞬間の記録を聴いているのだ、という感覚に囚われる。ミュンシュらしい前のめりのテンポと自由にうねる野太い流れ、ライヴ感溢れるもののライヴ的な雑味が無い、それが特徴的。クーセヴィツキーの作った「BSOの芸風」を取り戻し、プロフェッショナルなわざで進化させたミュンシュ。ここに聴かれるロマンティシズムは原曲の古典的で密やかな佇まいからは遠く離れたレクイエムのそれではあるが、肉のついたロマンではない、宗教的な祈りでもない、現代的な「音楽」である。戦争犠牲者への餞であっても、それは叫びでも嘆きでもないのだ。しかしこれは原盤そのままではとても聴けなかった代物だろう。リマスタリングでそこまで想像させることができる程になっている、盤としての評価は高いが、原盤状態の悪さから○一つにしておく。,-----,,,,,,,,,,,,,
バーバー:弦楽のためのアダージョ,オーマンディ指揮ボストン交響楽団(aulide:CD-R)1983/5/24live,,これほど何の思い入れも感じられない演奏は無かろう。ほぼスタジオ録音レベルの精度とほどほどの音質でありながら、非常に速いインテンポでさらさら流れていき、そのまま終わるのだ。オケがまた近年のボストンだから精緻さが薄味をかもし、ほんとに何をやりたいのかわからない。個性的だがこれでは、どうにも。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのアダージョ,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1958/12/27live,,集中力の高い秀演。ブレることなく確かなテンポで遅くも速くもなり過ぎず大仰な見栄を切ることもない。トスカニーニの依頼により弦楽四重奏曲の中間楽章から編曲されたもので当初よりレクイエム的な捉え方をされ、実際アメリカの関わった数々の悲劇において演奏され、流された。戦後進駐軍が日本のラジオに初めて流したのはこれであったと聞く。のちに声楽編曲すらなしているためバーバー自身が原曲の純音楽性が損なわれるとして好まなかったという伝説は私は信じていない。やはりこの編曲は原曲と違う、しっかりとボリュームのある、起承転結のはっきりした単体で完結する祈りの歌となっている。プラトーンをはじめ数々の映画にも使用された。最初にかえってトスカニーニが熱心に演奏したこととミュンシュのこの直線的なスタイルは無関係でもないと思う。50年代のミュンシュのスタイルが剛進するような直線的な傾向を示していたのはそうなのだが、それでも情熱のあまり歌ったり力み声を入れることがない、それでいて演奏は非常に気合が漲っている、それはトスカニーニをあるていどは意識していたのではないか、と推測する。録音状態は悪くノイジーだがパワーはある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽のためのセレナーデ(もしくは弦楽四重奏のための),○ゴルシュマン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団)(VANGUARD),,作品番号1、19才のときの作品で、擬古典的であきらかにカルテット向きの小品だが、ゴルシュマンは非常に引き締まったオケの技術を生かし、大編成で稀有壮大にやり放っている。三楽章制で中間に「弦楽のためのアダージオ」を予感させる緩徐楽章をはさみ、手法の古さは否めないがこの年の作品としてはきわめて完成されたものの感がある。というかおじいちゃんである。おじいちゃんが筆をすさばせたような擬ハイドンに山葵を僅かに挟んだような。まあ、特に・・・,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:弦楽四重奏曲,○カーティス四重奏団(WHRA)1938/3/14live・CD,,原典版、ということで現行版とは似ても似つかない曲になっている。もっとも二楽章はアダージョへの編曲元のまま、となっているが、両端楽章がまるで違う。一楽章冒頭の印象的な主題はそのままだが、大した変容もせず楽章内の両端を締めるのみで、三楽章では回想されず、いや、三楽章はまるで別の曲と差し替えなので当たり前だが、簡素で現代的な骨張った楽曲という印象はまるでなく、後期ロマン派のヤナーチェクあたりを想起させる楽曲としてまとめられているのである。,,バーバーの面目躍如たる機知に満ちた書法は随所にあらわれ、時にしっかり新しい音楽への志向を示しはしているのだが、ああ、このアダージョはこういう形で組み込まれていたのか、あの唐突感は改訂時に発生したものなのだ、という、結局新ロマン派の曲だったということをはっきりわからしめてくれる。テクニカルな完成度も既に素晴らしいものがあり、要求される技術レベルも相当なもの。カーティス四重奏団がこの精度の演奏をライブでやったというのは、時代的にも驚嘆すべきことである。非常に悪い音なので細部はわからないが、拍手の様子からも成功は聴いて取れる。カーティス四重奏団はけして個性を強く出しては来ないので、音色が単調だとか、表現が即物的でアダージョがききばえしない等々あるかもしれないが、贅沢というものだ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
バーバー:弦楽四重奏曲,○ストラディヴァリ・レコーズ弦楽四重奏団(stradivari records)LP,,ストラディヴァリウス四重奏団とは違う模様。チェロのGEORGE RICCIはジャズやポップス畑で活躍。ドイツ的な演奏を行う非常に巧い団体である。この曲の演奏にも緊張感が満ちていて、山っ気のないマジメで真摯な態度が聞いてとれる。その意味で古いモノラル録音時代のものとしては貴重な記録とも言える。いつも聞いているのと違う曲かと聞きまごうほどである。有名なニ楽章はしかし結構テンポの起伏はつけていて、音色が渋く非常に安定しているため派手さがないだけで、実は結構感情的な演奏様式をとろうとしているのかもしれない。とにかく私は始めブダペスト四重奏団かと思ったくらい緊密で、弦楽四重奏という形態をよくわかった構造的な演奏ができる団体とみた。◎にしたいが録音が弱いので○。バーバーのカルテットの、ニ楽章以外にみられる現代的なごつごつした特質にかんしては、けして浮き彫りにしようとせず、丸めて聴きやすくしてくれているところが寧ろ特徴。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:交響曲第1番,○サバリッシュ指揮バイエルン国立管弦楽団(FARAO)2003/7/12live・CD,,高精度でライヴならではの緊張感をもった締まった演奏。ただ、この曲はもともと1.5流くらいの、時代性の強い作品ゆえ、近視眼的にロマン性を引き出しつつ基本客観的に整えていくだけのやり方では、連綿としているだけで、聴く側のモチベーションが持続しない。もちろん生来の技巧派バーバーだから非常によく書き込まれており、重量感に軋みをはっしない職人的なわざが冴え渡っている作品、しかしながら楽想が弱いことは否定しようがない。そこが原因となり構成感が明確でなく技に偏った、演奏家受けだけする作品に感じられてしまう・・・この頃アメリカや西欧に多かった。部分的にシベリウスの合奏法の影響がみられ新古典的な立体的な書法が織り込まれた緩徐楽章(形式上単一楽章ではあるが連続した4楽章制ととってよいだろう)に魅力があるが、終演部すらはっきりしない、これはクーセヴィツキーやミュンシュといった(整え方には問題があるが)強引に盛り上がりをつくっていく指揮者でないと活きて来ない曲である。SACDでわざわざ出すような演奏ではないと思うが、音のよい録音はこのバーバーの出世作には非常に少ないこと、しかもサバリッシュ80歳記念公演記録とあっては音楽外の理由もあろう。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バーバー:交響曲第1番(一楽章の交響曲),○ロジンスキ指揮NBC交響楽団(WHRA)1938/4/2live・CD,,原典版。バーバーの出世作だが、いまひとつわかりにくさがあるのは、スコアを整頓して即興に流れず山場を計算した演奏を提示する人が少ないということもあるのではないか。ロジンスキの素晴らしさはその点非常に計算された音楽を志向しきちんと緩急がつけられているから、ただの煩いネオロマンになりそこねた交響曲ではないことをわからせてくれるところだ。これはやっとこの曲に耳を向かせてくれた盤。録音マイナスで○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:交響曲第1番(一楽章の交響曲),ワルター指揮NYP(WHRA他)1944/3/12カーネギーホールlive・CD,,改訂版。ワルターはこの曲を評価していたという名指揮者の一人。有名な録音だが、ロジンスキと比べて聴けばわかるのだが、勘どころがつかめていないというか、近視眼的で、流れで聴いていてもどこが聴かせどころで、最終的にどこへ持って行きたいのかわからない。それほど乗った演奏というわけでもなく、ワルターがどうしたかったのか・・・録音も悪い。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:交響曲第2番(1944/47),○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc/WHRA)1944/4/4原典版初演LIVE・CD,,この曲が有名になったのは空挺部隊への従軍経験をもとに作曲家がラジオ・ビーコンの音やプロペラ音などを採り入れて作り上げたといういささか珍奇な出自によるところが大きいと思うのだが、この初演ライヴを聞いても自作自演盤を聞いてもそれらの要素は殆ど目立ってこない。というかはっきり言ってこの演奏からはそういう表層的な効果を狙ったところが微塵も感じられず、純粋にバーバーのメロディメイカーとしての才能の輝きが(とくに1楽章の緩徐主題!!)、実に流れ良いクーセヴィツキーの棒に乗って深い抒情を歌い上げているところに惹かれる。47年の改訂前の演奏ということで尚更「作曲家自身によって弄繰り回されない、作曲当初の構想に忠実な楽像」が浮き彫りにされ、より真実味をもって迫ってくるのかもしれない。独特のコード進行、重厚な響きも鮮やかに描き出され、時折感じられる無理の有る展開も、ここではクーセヴィツキーの作り出した直線的な音楽の奔流に乗ってそうと感じさせない。この曲は1番にくらべ落ちると考えられているようだが、メロディの美しさや手慣れた管弦楽法にはたとえばウォルトンの2番に感じられるような円熟味が染み出して来ており、聞き込めばそれなりに感じる所もある楽曲ではある。これはクーセヴィツキーに敬意を表して○。冒頭の空虚な響きなど、コープランドらのアメリカ・アカデミズムに通じるところもあってそれはそれで面白く思った。録音はクーセヴィツキーのライヴにしてはとても良い。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バーバー:交響曲第2番(1944/47),作曲家指揮ロンドン新交響楽団(EVEREST/PEARL/WHRA/DECCA)1950/12/13・CD,,〜かつてはこの曲、結構好きだった・・・この曲戦争末期に航空隊を称える主旨でつくられたらしいが、その後47年に改訂が加えられている。ウィンドマシーン等描写的な表情付けが特徴とされているがこの古い盤からは余り聞き取れない。そこはかとない哀感と悲痛な表情が入り乱れ、・・・混乱している。冒頭コープランドかとききまごうような中音域スカスカの高響き。以後も何かショスタコーヴィチなどに似た清新な響きが連なる。どこも何か他の作家を思い浮かべてしまう。バーバーの純管弦楽はヴァイオリン等旋律楽器の独特の跳躍(下降音形でも跳躍というのだろうか、それも含む)と、半音階的だが清らかな感傷を催す憂いに満ちた旋律に特質があるが、反面閃きに乏しく個性的な旋律や響きに欠けているところがある。この曲を聞いても1番を聞いてもそうだが、20世紀初頭前後の末流ロマン派作家たちの流れを固持し続けただけのようにさえ思えてしまう。突然ふっとわいたように浮き上がる美質が、余り長続きせずどこかへ流れ去っていってしまう様には、マーラーをふと思い浮かべる。バーバーの歌曲は良い。個性的ではないが、詩のよさとあいまって諦念やノスタルジーといったオンガクお得意の世界を、これでもかというくらいに(でも密やかに)提示する。小曲に魅力ある作家が交響曲のような大きい曲を書くとこうなるのだろうか?とも思ってしまう。無論曲を選べということもあるのだが。この曲がマイナーなのにはわけがあるようだ。ここでこの曲のききどころを唯一つ挙げる。それは1楽章第二主題だ。オーボエ・ソロによる夢見るようにたゆたう提示、次いで重層的にリフレインする弦楽器、山の木霊のように遠く儚くうつろう旋律は、それと判別できる部分は短いが(半音階的に変容してやがて消えてしまう)耳に残る。 CD化済み。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バーバー:交響曲第2番〜リハーサル,○作曲家指揮ボストン交響楽団(WHRA)1951/4/6-7live(6/23放送)・CD,,25分余りのリハーサルだが迫力のボストン響による本番を聴きたかったと思わせるだけのものはある。バーバーはメロディーが重要だが、綿密なリハの中でしばしば作曲家自身が歌って指示しているところ、バーバーの聴き方、というものが改めて提示される。一楽章。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーバー:室内オペラ「ア・ハンド・オブ・ブリッジ」,○ゴルシュマン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア他(NBC交響楽団)(VANGUARD),,ピアノ独奏から始まる意表を突いた極めて短い室内オペラで、ゴルシュマンは弦を増強しゴージャス感を出している。古びたジャズ風のリズムにバーバーが時折見せる無調的なパセージ・・・ベルクを思わせる・・・が乗り、人好きしない表情になりがちなところを歌詞とゴルシュマンの派手な表現が救っている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーナード・ハーマン:映画音楽「市民ケーン」組曲,○作曲家指揮コロンビア放送交響楽団(PRSC)1949/7/3CBS放送,,独立記念日用の録音のようだが、音が弱い。演奏は普通。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハーマン:白鯨,バルビローリ指揮NYP他(bs)1940/4/14初演・CD,,人好きする音楽で適度に現代的だが基本、ウォルトンのトロイラスとどっこいどっこいか少し劣るくらいの聴感。歌劇だがどうしても映画音楽的に聴いてしまう。映画音楽にしては長過ぎる。飽きなかったのは不思議だがこれこそマニア向けで、バーナード・ハーマンはクラシックに明るい作曲家だが、バルビローリのネームで聴くものだろう。バルビローリらしいねちっこさが無くはない。別の指揮者で聞いたらもっと清新かもしれない。録音は悪い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーンスタイン:ウェスト・サイド・ストーリーよりシンフォニック・ダンス,ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団(DISCLOSURE:CD-R),,印象としてはクラシカル。ケーゲルのラプソディ・イン・ブルーを思い出していただければおわかりになるかと思う(最近アメリカの学生がCD-R化しましたね)。ああいう感じなのだ。ストラヴィンスキーやコープランドが随所に顔を出し、ジャズはやや後退気味。非常に美しく磨き上げられたベルティーニらしい演奏なのだが、正直熱気が感じられず、ただただ巧い、美しいという印象しか残らなかった。まあベルティーニにむやみな熱気を求めるわけにもいかないが。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーンスタイン:ウェストサイドストーリーよりシンフォニック・ダンス,○カール・デイヴィス指揮ロイヤル・フィル(REGIS他)1996・CD,,有名盤でバンスタの天才性とマンネリズムをストレートに伝えてくれる。メロディと管弦楽の扱い方はピカイチ、さすがバンスタ、演奏も乗っているが、変則リズムにだんだん慣れてくると旋律も平凡に感じられるようになっていき、これは演奏のせいかもしれないな、と思いつつも、竜頭蛇尾的な感じで終わってしまう。交響作品としてだと弱いのかもしれない。全曲自作自演が二つもあるのだから、時間があればそちらで脚本読みながら聴くのが正しいかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーンスタイン:キャンディード序曲,◯作曲家指揮NYP(eternities:CD-R)1976/6/1live,,派手な出だしから音楽番組に使われるなど有名な作品だが、ここではライブならでは少しアバウトな感じもするものの、勢いがそれを凌駕して突き進んでいる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーンスタイン:キャンディード序曲,○コープランド指揮BBC交響楽団(DA:CD-R)1975/9/16live・CD,,コープランド得意な分野の音楽であり(バンスタが「得意な分野のオトコ」という意味ではない)透明感を保ちつつ派手めの響きでライヴ感ある演奏を繰り広げている。この人は客観的な指揮ぶりが有名だがこれは楽しい雰囲気になっており、BBC交響楽団の硬質な音とピタリ相性がいいこともあって、拍手喝采の終演になっている。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
バーンスタイン:キャンディード序曲,○スヴェトラーノフ指揮LPO(ICA)1978/8/28live・CD,,ハチャトゥリアンみたいなバーンスタインを楽しめる。スピード感あふれ派手派手でオケを煽りまくりながらも破綻はきたさない。オケの能力もあるだろうが全盛期スベトラの凄さが実感できるアンコールピースだ。N響アワーも終わってしまったねえ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーンスタイン:キャンディード序曲,○スヴェトラーノフ指揮フィルハーモニア管弦楽団(ica)1993/3/15live・CD,,題名のない音楽会でお馴染み、バーンスタインの代表的なピースだが、スヴェトラーノフは華麗なブラスを背景にカラフルで軽い音楽を提示する。ライブなりの精度ではあるがアメリカ音楽を案外と演奏していたこの人らしい見識が伺える。ブラス以外にロシア的要素は感じない。バーンスタインが亡くなり、自分も手兵を離れて客演生活を送るうち病に倒れる、その合間のきらめきを、懐かしく聴こう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーンスタイン:キャンディード序曲,○作曲家指揮ロス・フィル(DG)1982/7・CD,,わりとハスッパな音で曲の娯楽性をひときわ世俗的に引き出したような演奏ぶり。生き生きとしたスピーディな音楽。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーンスタイン:セレナーデ,○ブラン(Vn)ツィピーヌ指揮ORTF(hector:CD-R)1960年代LIVE,,曲は多様式主義とでも言おうか、ベルクやストラヴィンスキー風の曲はなかなか聴けるし素直に旋律とコラール風の合奏だけで通している曲もまあまあ。だがバーバーやウォルトンの亜流のようないかにも同時代的作風でこけ脅しに終わってしまったのは格調を損ねている。演奏は達者でオケも緊張感がありライヴとは思えないもの。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーンスタイン:バレエ音楽「オン・ザ・タウン」,○作曲家指揮オン・ザ・タウン・オーケストラ(RCA)1945/2/3・CD,,ミュージカルからの音楽であり個人的には「音楽だけ」で楽しめる内容かな・・?という疑問符を付けたくなる作品。録音が古く演奏もやや鄙びている。わりと晦渋なものを含むのがバンスタらしいところだと思う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーンスタイン:ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」抜粋,○ゴーバーマン指揮管弦楽団、ラリー・カート、キャロル・ローレンス他オリジナル・ブロードウェイ・キャスト(sony)1957・CD,,第一幕(前半)を中心に編まれたオリジナルキャストによる録音。オリジナルではバーンスタイン自身は振っていない(複数ある録音もシンフォニックダンスが殆ど)。音こそ古びて色彩的な派手さがないし歌も素朴、管弦楽もこの頃の雑味を帯びているが、生のままというか、リズムを中心とした粗野な味わいは劇音楽というより劇そのものを直接感じさせる。歌いながら踊っているわけでそこも評価に加味せねばなるまい。平易な英語なのでわかりやすいのも、これがダンス・ミュージカル、「アメリカのミュージカルの真の誕生」であることを実感させる。舞台では啓蒙的であろうとしたバーンスタインが、劇の構成要素であるプエルトリコからの舞踏音楽をジャズの要素と巧みに織り交ぜて、通俗的だが永遠に残る伝説的な素晴らしい歌のメドレー、「トゥナイト」「アメリカ」など(各々さほど長く何度も歌われるわけではない)、踊れるダンス、「マンボ!(体育館のダンス)」「クール」などといった曲でのはっきりしたリズムの連環という形で構成している。コープランド的な「アメクラ」の部分はあるのだが、バーンスタインにとってそれは同時代の風物として「中に取り込む相手」であり、明るく空疎な響きと複雑なリズムだけに純化されたそれとは違い、厚みある響きや色濃い旋律表現によってバーンスタイン化されており、他の要素も同様で、全部を見事に構造的に融和させている。世俗性は何も客受けだけを狙ったわけではなく、たった2日の間に大都会の底辺で起こった、対照的な移民系の若者同士の悲劇を、「刹那的なもの」の連続によって「ロメオとジュリエット」のフォーマットを使い表現したということだ。これは「アメリカ」を代表するミュージカルであるとともに「アメリカ」に問題提起する、今もし続けているミュージカルである。シェークスピアのフォーマットを使って若者を取り巻く社会問題を音楽化したというと、ディーリアスのケラーによる「村のロメオとジュリエット」があるが、ここではディーリアスの時代から半世紀を経、より肌につくような内容が語られている。ケラーは美談を書いたわけではないがディーリアスは世紀末の雰囲気そのままに二人の死を美化してしまった。バーンスタインは、トニーだけが死んで終わる。日常の続きまで描く。このオリジナルキャスト抜粋版では美しい高音でディミヌエンドはするが、あまりにあっけない、現代の悲劇は一瞬で終わると言わんばかりの「銃弾一発」(ま、筋書きはローレンツだが)。さすがに全編聴くのはしんどいが、バーンスタイン自身の豪華盤は話題にもなり、当時はよく聴かれていた(それすら全曲ではない)。ダンスを楽しむには舞台であり、音ではどうにもこうにもだが、それでも、バーンスタインの作曲の腕をもってこの録音くらいなら聴かせる力がある。けしてシリアスなバーンスタインの作風ではないが、ユダヤの出自を押し出した交響曲などよりある意味結局は「アメリカ人」である(トニーのような)自身を素直に投影した作品として聴くことも可能である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」,○作曲家(P)クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1949/4/9live,,初演翌日の演奏とされる。雑音は酷いがクーセヴィツキーにせよバンスタにせよぎちっと合った勢いのある丁々発止なところが聴ける。マニアにはいいものだろう。一般向けの音質ではない。,,この作曲家の本格的な楽曲には時代性を強く感じる部分・・・特にヒンデミットとブロッホと、同時代のアメリカ・アカデミズム寄りの作曲家・・・があり、今の耳には暗くささくれ立った「若者特有の前衛性」を印象付ける。題材もそれを象徴するかのようなものである(アメリカという「戦勝国」にいながら)。しかしバンスタが作曲家として優れていたのはコープランドにも増してジャズと庶民舞踏の理解表現に長けていたところで、真摯で金のないクラシック作曲家としての側面と、時代の「良いところ」に寄り添ったゴージャスなミュージカル作曲家としての側面が組曲ふうの表題交響曲の中に融合しているさまはなかなかに堂々とした才気煥発なところを見せている。,,バンスタのピアノは素晴らしい、テクニックというよりニュアンスだが、この時代のピアニストはスピードとリズムが重要。バンスタ自身の重い音響音楽(そのしつこさがブロッホを思わせる)が何故に光るかといって、もちろんストラヴィンスキーに倣ったようなそういう近現代作曲家は多々いたが、硬質なソロピアノによる音線を多用し、ぶよぶよした大規模楽曲の「引き締め」に使っているせいに思う。この時期くらいまではピアノ協奏曲ふうの交響曲が流行っていたこともあるが、この曲はアップライトピアノまで導入しミュージカル作曲家らしい視覚効果や後年を思わせる空間的発想(誇大妄想)も投入されているが、戦争末期の四人の孤独な男の内面世界、ということを考えるとちょっとむさい。クーセヴィツキーの音楽もどちらかといえばむさいので、一度聴いたら十分という向きもいるかも。好き物なら。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」,クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団、バーンスタイン(P)(BSO)1949/4/9初演(エピローグ・オリジナル版)LIVE・CDいろいろな作曲家の影響が見えてくる作品。ブロッホめいた主題もあるし、ピアノ協奏曲ふうの部分はミヨーのそれを彷彿とする。その他部分部分で同時代の作曲家たちの姿が透けてみえる。全般としてコープランド的なアメリカ・ロマンチシズムの延長上にはあるものの、コープランドの舞踏交響曲のように「昔ふうのモダニズム」の入った無調的なところがあり、案外人好きしない。クーセヴィツキーだからいくぶんわかりやすくきこえるのだろう。私は曲にも演奏にもあまり惹かれなかった。まあ音は悪いが、バーンスタインの強靭なタッチは聞きごたえがあるし、クーセヴィツキーの共感に満ちた起伏ある演奏ぶりはそれなりに感興をおぼえるところもあるから、ご興味があれば一聴を。無印。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バーンスタイン:交響曲第3番「カディッシュ」,○トゥーレル(Sp)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団他(DA:CD-R)1964live,,1月31日のアメリカ初演時のものか。女声の語りによって進行する異例の(しかしバンスタらしい)合唱交響曲。三部構成のテキスト付オラトリオである。楽想は概ね悲歌的で陰鬱だがショスタコふうの清澄さのある現代的な交響曲であり、第三部スケルツォ最後のリズミカルな楽想ではバンスタらしい世俗ダンスが耳を惹く。完成直前のJFK暗殺にさいし急遽委属者であるBSO&クーセヴィツキー財団の許可を得てJFK追悼献呈となった。内容的にはユダヤ教の主として葬送に用いられる朗誦に基づくがバンスタらしい(ユダヤ教らしい)ニヒリスティックで自由な解釈が施され一部問題にもなり改変された。初演もまた委属者への許可を得てテルアヴィブで作曲家とイスラエルの楽団により行われている。,,ミュンシュの力強くブレの無いスタイルはバンスタの曲の分裂的な気質を一本の野太い音線に取りまとめて聞きやすくしている。どうしても長々しく静謐な語りが続くあたりは睡気を禁じえないが、注意深く美観を保つミュンシュの音響処理のスマートさにも起因しており、悪いことではないか。モノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ハイエフ:交響曲第2番,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA) 1958/11/30(1961初出)・CD,,アメリカの初演好きなオケを振るのに避けて通れないアメリカ産現代音楽であるが、ブラックウッドと組み合わされたこちらはピストンに近くストラヴィンスキーの香りを嗅いだ新古典主義の交響曲であり、むしろあっさり聴けてしまう3楽章制の「中品」である。何も残らない、と言ってしまっては何だが、ブラックウッドよりは聴きやすい、アメリカのあるある交響曲、として好きな人は聞いてもいいだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
パイパー:交響曲第3番,○モントゥ指揮ACO(ACO)1969/10/30・CD,,六人組+ストラヴィンスキー×アメリカのような曲。特にオネゲルとミヨーからの影響が強いように思われる。楽想には独特のものがあり決して模倣ではないのだが、音の重ねかたや弦の分厚い和声の作り方にミヨーを感じて仕方なかった。ストラヴィンスキー的という個所はそれこそ結構あるが部分部分に限られる感も強く、たとえばいきなりヴァイオリンのグリッサンドで奇異さを煽るところなどもストラヴィンスキーの硬質な手法を思わせる。散漫な楽想で後半になってくると結構わけがわからないとりとめのなさも感じるが、曲自体が短いのでそう気にはならないだろう。まあ、六人組の範疇の現代曲といった感じである。最後がなんだか変な終わり方。モントゥは無難、セルみたいな凝縮力がないぶんやや聞き応えは落ちるかもしれない。もっとも同じ曲で比較しないと意味は無いのだが。おまけで○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バターワース:イギリス牧歌第1番,○カルロス・クライバー指揮シカゴ交響楽団(MEMORIES)1983/7LIVE・CD,,ワグナーを指向するような不似合いな重厚というか重い表現が強奏部できかれたりもするものの、きほんリズミカルで神経質なまでに繊細なアンサンブルの整え方のなされた演奏。イギリスによくあるタイプの小管弦楽曲だが、そのうららかな雰囲気をおおむねよくとらえている。言われるほど録音も悪くない。残響が気にはなるが。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バターワース:イギリス牧歌第1番,C.クライバー指揮シカゴ響1983年7月ライブ(memories)このへんの民謡運動の産物はみんなこんな感じで、RVWよりバックスを好む人がいるのもわかる〜故三浦氏のように。ディーリアス風の分厚い響きも。しかし何故この曲を取り上げたのか,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
バターワース:狂詩曲「シュロップシャーの若者」,○ボールト指揮ハレ管弦楽団(VAI)1942/3/5・CD,,ボールトらしい牧歌の作り方で、ツボを押さえた演奏だ。RVWの牧歌的な曲をかなでるときの演奏スタイルである。フォルムを崩さず、テンポをいたずらに揺らさず、しかし雰囲気は抜群、かつ高い格調を備えている。同時代もしくは少し前のフランス音楽のエッセンスが、民謡主題でしかないものを汎世界的な価値を持つ音楽に昇華させた曲である。美しく繊細で比較的現代的なハーモニー、音線のうつろいは、結構ディーリアスに似たものを醸し出しているのだが、総体はどちらかというとRVW的であり、あの起伏の無い印象派的な茫洋とした雰囲気の土台に、しっかりした構成を据えた音楽になっている。ニキシュの初演リハに作曲家の隣で立ち会ったボールトは、後年同国の演奏家たちによって行われるようになった思い入れたっぷりのものとは一線を画し、地味ではあるけれども、滋味のある演奏を紡ぎだしている。特徴的なものはないが、還ってこういうしっかりした演奏は本質をよく浮き彫りにするものだ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バターワース:狂詩曲「シュロップシャーの若者」,ストコフスキ指揮NBC交響楽団(CALA)1944/2/13放送LIVE・CDこの曲は若くして戦火に散ったバタワースの数少ない作品の一つだ。もともとは連作歌曲集として編まれた中から「木のなかでいちばん美しい桜」の主題をもとに改作された純管弦楽曲である。バタワースの管弦楽曲は3年にわたってかかれた3曲しか存在しない。ディーリアスを思わせるロマンティックな楽曲だが、ディーリアスほどの癖はなく、耳馴染みのよい音詩となっている。「シュロップシャーの若者」はイギリスでは若者なら必ず読むというメジャーな詩集らしいが私は読んだ事が御座いません。ヴォーン・ウィリアムズが同じ詩集を使って歌曲集を編んでいるが、バタワースのそれはより素直な心象を描き出しているように思える。一方、管弦楽曲として一定の長さを備えた楽曲であるせいか、捉えどころなく進んでいくところもあり、民謡採取の成果も採り入れられていないため、個性が薄い感じもしなくはない。だが何かしら若き者の持つ青臭い心情に訴えかけるストレートなものが一種の香気をはなっているのも事実である。バタワースを偏愛する人々は多分このあたりに惹かれるのだろう。ストコフスキは比較的隈取りの明確な音楽を創り出している。この曲の繊細さにそれが合うかどうかはなんとも言えない。どうも硬い感じがするのは私だけだろうか。故三浦淳史氏の評論集(というよりエッセイ集)に「シュロップシャーの若者」と題された一章がある。個人的な思い出を込めて語られる一葉の物語は、その心根の深さゆえに強く心を打つ。これほどの筆力を持つ音楽論者を我々は殆ど失ってしまった。あとは自分でこの森をさ迷うしかあるまい。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バターワース:狂詩曲「シュロップシャーの若者」,ボールト指揮LPO(EMI/warner)CD,,録音は古いがRVW(バタワースの民謡収集仲間だった)をこのんだボールトの嗜好にあった選曲で、同時代の作曲家たちがこぞってハウスマンの詩につけた曲としては、英国随一の名品とされる。歌曲由来の歌謡性にまして深い心象を厚い響きにのせてつぶやく趣があり、この作曲家の本質をわからしめる。一言で言えば地味である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:「仮面舞踏会」よりワルツ,○サモスード指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(VISTA VERA)1953/2/11live・CD,,奏者には苛烈なことを強いるハチャトゥリアンだがこの曲はまずもって旋律が素晴らしく聴く側はただその愉悦感に身をゆだねることができる。サモスードらしい「崩れ」が出てしまっているところもあるが(メカニカルなハチャが乱れないほうがいいのは言うまでも無い)、ライヴで会場も盛り上がってきたらこんなものだろう。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ハチャトゥリアン:ヴァイオリンとピアノのためのソング・ポエム(Ashugsを称えて),コーガン(Vn)ナウム・ワルター(P)(RUSSIAN DISC)1964/(Arlecchino)1963?録音時間がほぼ一致、恐らく同じ録音。録音年は前者が正しいと思われる。Ashugsはコーカサス地方の吟遊詩人や歌手たちをさすとのこと。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲,○コーガン(Vn)作曲家指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(Arlecchino)1951・CDちょっとウォルトンみたいな面白さがある曲だ。ハチャらしくエキゾチックな雰囲気もある(それほど新味はないが)。ハチャというとコンチェルト・ラプソディ、あちらは(ヴァイオリン版は)ちょっとわかりにくいところもあり、私も譜面を持っているのだが、弾いててもナニを弾いているのかわけがわからないところがある。こちらは何よりとにかく親しみやすい旋律だらけなのでとても聴き易い。アマチュアでこれにチャレンジする人がいるが、難しいとはいえ旋律の分かり易さが弾く上でもかなり助けになることは確か。ハチャの旋律を楽しみたい人はぜひ聞いて下さい。たぶん20世紀ロマン派好きにもかなりアピールする曲と思います。最後はベートーヴェン以上にしつこい終止音の連打で民族性を感じる。コーガンはけっこう余裕があるがテンションは高い。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲,D.オイストラフ(Vn)クーベリック指揮プラハ放送交響楽団(PRAGA)1947/5/15・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲,D.オイストラフ(Vn)作曲家指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(RUSSIAN DISC)1965/8/3LIVE・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲,ジョドリー(Vn)ミュンシュ指揮ORTF(ina)1954/6/19ストラスブール音楽祭live放送,,ムラヴィンスキーの代役で振ったものでヘンデルの合奏協奏曲のあとに新古典主義ということで插入された演目だろう。メインはシューベルト7番(一番力が入っていたことはミュンシュの芸風柄言うまでもない)。ina配信ではPHD89036415というナンバーになる。ジョドリーのアンコールにバッハの無伴奏から1曲入るがとてもメロメロで重音が無音になったりする。まあヘンデルのソリスト、技巧的なハチャトゥリアンのソロのあとなので仕方ない。曲はこの作曲家らしく外しはしないが今ひとつ焦点の定まらない長ったらしさを感じさせ、やはりメカニカルな技術の披露が中心で、いかにも20世紀中盤的な尖鋭さとロマンチシズムの折衷性が民族的な要素の消化吸収によって示されているものの、個性的なものは感じない。スポーティな三楽章が聞きものか。ソリストはあまり強くないがこれを弾きこなす位には力量がある。ミュンシュはオシゴト的な感じがするが、オケがよく反応しハチャトゥリアンの仕掛けを上手にこなして、結果大ブラヴォの終演となる。急な代役としてはミュンシュというかオケが素晴らしい。面白いことに放送ナレーションは演奏後に説明を繰り広げていくスタイル。演奏日はAmazonデジタル配信を参照したが正確性には注意。,-----,,,,,,,,,,,,,
ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲,ジョドリー(Vn)ミュンシュ指揮ORTF(ina他)1954/6/19ストラスブール祭live,,Amazonデジタル配信とina.frは記載曲名が違うがまったく同じもの。ムラヴィンスキーのコンサートの代わりとして決まった割にはさすがミュンシュといった完成度で、ハチャトゥリアンがじつにやりやすく書いていて、ソリストも相当の腕前であることを念頭に置いても、聴き応えは満点だ。ミュンシュ向きの曲だし、ソリストも強靭に、荒々しくすべきところは音を掠らせて、冒頭から最後まで弾きっぱなし、単線的な細かい音符の数珠つなぎでオケを引っ張っていく。大ブラヴォが出てしかるべし、ハチャトゥリアンがソヴィエトにありながら個性をどう保ちアルメニア民謡をコダーイでもバルトークでもない古来ロシアのやり方でもない形で一般人に届く音楽に仕立てたのか、よくわかる。バッハの無伴奏がアンコール。こちらは何も届いてこない。ミスもひどい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:エレヴァンの春,○作曲家(歌・P)(supraphon)1950/4/27プラハ・CD,,なかなかいい声でピアノはちょっと心もとないが楽しめる。おそらく新発見音源か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:ガヤネーより剣の舞,オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(MSC)1958/5/30・CD,,どうも推進力がなくまぬけな感じがする。発音がぼてっとしているせいか?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:コンチェルト・ラプソディ(チェロと管弦楽のための),○ロストロポーヴィチ(Vc)作曲家指揮ソヴィエト国立管弦楽団(IVC)1963LIVE・DVD,,まさに演奏技術と現代ふうの民族書法だけで出来上がっているハチャのハードなほうの作風によるもので、アルメニア人以外にはだいたいみんなおんなじに聞こえるたぐいの作品だろう。ショスタコがダメでハチャのこういう作品が○というのはまったくソヴィエトという怪奇現象の象徴そのものである。大学で初めて買った譜面がヴァイオリンのためのコンチェルト・ラプソディだったが、技巧以前にまったく理解できない、機械のような譜面に、奇妙にわかりやすい民謡ふうフレーズの織り込まれた、子供にとっては奇怪きわまりないものですぐに脇に置きかわりにストラヴィンスキーの火の鳥の王女のテーマ編曲(作曲家が金のために編曲しつづけた中の一つで、しかしなかなか一筋縄じゃいかない独特の特殊技術の盛り込みかたはさすが)を買ったものだ。今はアマチュアでもヴィニャエフスキに挑戦するいわゆるセミプロのたぐいはこれもやったりするが、技巧をひけらかすだけの曲では聴く側は堪らない。至極理知的であり、読み解いて理解しないと良さが出ない難解を内在させているのに、やはりロストロ先生もひたすら純音楽的に弾きこなし(やはり努力家カサルスを退け前世紀最大の天才チェリストなのだ)、けたたましい平板な曲想の輪から抜けていない。しかしこの激しいジプシー音楽(差別意識はありません)ふうラプソディの中に旋律の流れをとらえ歌えるところは完璧なボウイングでろうろうと歌う、まるでヴァイオリンのように軽がると指弓を運び流れるように繋げていくその「現代チェロ奏法の確立者」たる見事な演奏ぶりは見ていて引き込まれざるをえない。ライヴだし冒頭やや甘い発音から始めるしロストロ先生のけして一級の記録とは言えないが、本人も自分のためにこのソヴィエトのカリスマが書いてくれたことを喜びたちまち弾きこなした姿をまた作曲家が喜び、演奏会後目に涙をためていたというのはいいエピソードだ。ハチャはバレエもそうだがビジュアルがあるとないとじゃ違う。無いときつい。これはある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:チェロと管弦楽のためのコンチェルト・ラプソディ,ロストロポーヴィチ(Vc)作曲家指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(RUSSIAN DISC)1973/10/15LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガイーヌ」抜粋,○ドラティ指揮ロンドン交響楽団(MERCURY)1960/6・CD,,じつに職人的な演奏。アルメニアらしさは余り無いがスペクタクルな良録音を楽しめる。剣の舞から始まる。わりとはっちゃけないなあとも思うが録音がいいので許せる。体臭が無いほうが好きなご婦人も多いだろう。二度目の再現で音場を拡げスペクタクルな盛り上がりをみせる。アイシェも音楽の体臭のみを忠実に再現し、オケの体臭を混ぜないようにしている。ロンドン響だからもともと楽団としての体臭は無いけれど。パーカッションで気を煽られる部分は大きいが音表現自体ではそれほど舞踏性を煽られない。ローゼンメイデン(違う?)ではひときわ体臭の無さが気になる。まるでクリスマスの映画音楽だ。リズムが切れていて、重さに失われがちな舞踏性を補っている。派手さと両刃の重さと、鋭いリズムという点はこの後のダンスも同様の印象。曲のせいかもしれないが、テンポが単調なため飽きるところもある。ララバイあたりはイギリスの職人楽団らしい臨機応変さが光る。やはり木管が素晴らしい。弦は巧いが凡庸か。 ボロディン的なかっこいいレズギンカではリズムのキレのよさがメリットになっている。パーカス任せの感もなきにしもあらずだが(録音操作だろうなあ)引き締まった表現。弦と対位的に重なるホルンの旋律はもっと崩して派手にやってほしい気もした。まあ、○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜アイシェの踊り,シャラバラ指揮チェコ・フィル(supraphon)ハチャトゥリアンは踊り大好き人間だなあ。ちょっとボロディンを思わせる曲想だ。ガヤネーは「剣の舞」ばかり有名だけど、こういう曲もある。ワルツ好きは聞きましょう。陰鬱な演奏で無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜アイシェの踊り、アダージオ、剣の舞(ハイフェッツ編(アダージオを除く)),○コーガン(Vn)ミトニク(P)(Arlecchino)1960 剣の舞は50年録音と称するものと同じ可能性あり(録音時間はほぼ一致。録音年はどちらのレーベルも信用できないがしいて言えばライナーがしっかり書いてあるrussian discのほうが正しいか。russian disc併録のソング・ポエムもこちらにも収録されているが、記載録音年は違うものの録音時間がほぼ一致するため同じと思われる)。そのためこちらの項では剣の舞を除く2曲について書いておく。アイシェの踊りはなかなかの情緒だ。元からこの編成で書かれていたかのように感じられる。憂愁の旋律は極めて民族舞踊的に展開していくが、コーガンは正確な重音表現と力強いボウイングでその情緒を倍加する。リキの篭りかたがいかにもコーガンで、好き嫌いはあると思うが、この曲は荒々しくまた緩急激しく演奏するのが正解。つづくアダージオはヴァイオリン独奏曲。個人的にあまりパっとしない曲の印象が有る(有名な第二(副?)主題、独特の民謡音階に基づく抒情旋律がさらっと出てくるところは鳥肌ものだが)。それはこの編成で聞いても同じ。コーガンの力感はあるがあまり個性的ではない音では晦渋な旋律はあまり耳を惹かない。後半音域が高くなる箇所では際立って美しい音が聞けるし、無伴奏の曲だからかもしれないがバッハを彷彿とさせるところもある。聞き込めばお気に入りになる可能性は否定しない。ついでに剣の舞はコーガンらしい技巧が駆使され、やっぱりこの3曲の中では印象的だ。慣れてくるとこのとんでもない編成でもそれなりに聞きごたえは感じる。激しい音量や音色の起伏がつけられ、とくに最弱音と最強音の交錯する自在な流れの作り方は特筆もの。ソリスティックな表現で原曲の雰囲気とは若干違うが見せどころではある。まあ巧いです。総じて○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜レズキンカ,○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立(放送?)交響楽団(LUCKY BALL:CD-R)1983/10/20LIVE オケ表記が放送響となっているが怪しい。ショスタコの「革命」のアンコール一曲目。派手です。録音が浅いので太鼓ばかり耳につきますが、やたら早く煽情的でこの人らしい。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜レズギンカ、剣の舞い,○ゴロワノフ指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA/GRAND SLAM)1944・CD音は悪いが雑音レベルが高いぶん本来の音自体もクリアに聞こえてくる。ゴロワノフの腕の見せ所といった激しい楽曲だが、意外と仕掛けてこない。短い曲ということもあるが、テンポ的な揺れはほとんど無く、もっぱら解釈の中心は音量変化と楽器の響かせかたになる。厚ぼったく重量感があるがテンポは後ろ向きにならずしっかりノって刻んでいる。迫力の有る開放的な音響を指向していながらひとつひとつの音の輪郭をびっしり整えており、ゴロワノフのオケに対する絶対的な権力というものが行き渡ったさまを聴き取ることができる。民族的な舞曲のリズムに肩を揺らし、あっという間を楽しもう。サックスのヴィブラートに感涙。案外マトモです。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜剣の舞(作曲家によるヴァイオリンとピアノのための編曲版),○コーガン(Vn)ミトニク(P)(RUSSIAN DISC)1950き、きしょい。尾藤イサオの「剣の舞」とどっこいどっこいだ。乱暴なピチカートの挿入はハチャらしくてまだいいが、こんなにも恥ずかしい旋律だったのか、と思わせる剥き出しの主題の表現がこれまたなまめかしすぎる。ピアノとヴァイオリンのアンサンブルというところがまた無理がある。なんとなく不自然だ。ここではコーガンの技巧が惜しげも無く晒されるが、ポルタメントが色っぽすぎ。まあ奇盤のたぐいだろう。怖いもの聴きたさで。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜組曲,◎作曲家指揮ウィーン・フィル(DECCA) 1962/3 ソヴィエトの冷え冷えとした荒涼の中でボロディンの夢に引き戻してくれるかのような華麗な民族舞踊音楽、南アルメニアの綿花畠をバックに壮大な叙事詩を見る思いだ。3曲めなどボロディンのイーゴリ公を思い出さずにおれないが、自ずと知れた1曲め「剣の舞」をはじめとして打楽器の鋭い響きが魅力的な光彩を放つ。無論ボロディンの簡素な曲に比べて拍子の複雑さをはじめとする現代要素がふんだんにつぎ込まれている。和声の新しさは皆無だが(これも有名な4曲め「ガヤネーのアダージオ」ではバーバー風の晦渋な音響も織り交ざるが)、時代性や背景を抜きにして無心で聞くならば、決して「時代遅れ」などという言葉で蔑まれるほどヤワな音楽ではないことがわかる。名曲である。私は「ガイーヌ」全曲に触れたことはないが、一曲一曲が引き締まっており、他曲に時折見られる難解さも極力抑えられている。演奏はウィーンで交響曲とともに録音されたが、ハチャトゥリアン自身の指揮は巧いものだ。熱くなりすぎず集中力の高い演奏というのは指揮者の理想とするところだろう。リズム処理の巧さは血のなせるわざか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜組曲,作曲家指揮ロンドン交響楽団(MELODIYA/EMI)1976 この盤、EMIからは発売されていたのだろうか?メロディヤとEMIの共同製作盤とのことである。かなり野蛮な演奏というか、土俗的な雰囲気満点に仕上がっており(メロディヤのリマスタリングのせいかもしれない)、ロンドンのスタジオ録音とは思えないほど熱気がある。ただ雑味が多いことも事実で、ウィーン・フィル盤に比べれば録音や演奏技術的な面も含め完成度は低いと言わざるを得ないが、そういうものとわかって聞けば楽しめる。それにしても本当にこれがロンドン響の演奏?ロシアオケの響きがする。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜抜粋,○ハイキン指揮レニングラード国立歌劇場管弦楽団(MELODIYA他)やはりこの曲はハチャトゥリアンの代表作だ。どこにもスキのない民族的音詩、現代的なひびきも盛り込まれ、その調合具合が絶妙なのだ。あきらかにボロディンの延長上ではあるものの、旋律にはより肉感的な魅力があり、楽器の使い方もより複雑で構築的である。ここではハイキンの素晴らしく統制された音楽に耳を奪われる。オケ、とくに弦には若干不安があるがソヴィエト国立交響楽団くらいのレベルにはいっている(あくまで技術的な話し。パワーの優劣は別)。鮮やかな色彩感は民族的雰囲気を盛り立てるほうではなく、純音楽的に・・・フランス音楽のように・・・曲を盛り上げるほうに働いていて、聴き易い。鋭いリズム感というものはないし、圧倒的な迫力もないが、非常に適切なレベルでそれらを調合しているふうであり、総体的に不足は感じない。「剣の舞い」も迫力満点というわけではないが、単に音楽的に楽しい。管楽器群の味のある音色に心奪われる。後半はかなりブラスと打楽器の鋭い攻撃が派手に盛り上がるが、あっさり終わるのが潔い。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」(原曲1939/42/52)〜抜粋,作曲家指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA/BMG)1975LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガヤネー」,ハイキン指揮キエフ歌劇場管弦楽団(CONCERT HALL SOCIETY)LP,,ガイーヌ全曲?4幕まであり、剣の舞で終わっている。CHSもそうだがロシア原盤西側焼きのLPの音は、やや遠くぼけていてロシア的な覇気漲る演奏がやや腑抜ける傾向がある。しかしこれは録音のせいだけではなく、演奏陣もロシアのトップオケに比べるとアンサンブルがバラけていてちょっと落ちる感じがする。迫力も足りず緊張感が薄い。ピットならこれでいいのかもしれないが、バレエの絵が無くて音だけだと何か締まらない。剣の舞を始めとする聞かせどころもそれほど際立った特徴はなく全曲の中に埋没している。平坦な演奏。ハイキンの引っ張っていこうという力は感じられるが。ハチャトゥリアンらしいパセージもカバレフスキーやプロコやストラヴィンスキーの二番煎じに聞こえてしまう。匂い立つ民族性が余り感じられない。無印。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「スパルタクス」,○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(放送)1955/9/24live,,この日のプログラムのハイライトだろう、ハチャトゥリアンのわかりやすい世界がガウクにはあっているようだ。速い音楽での畳み掛け方はスヴェトラを彷彿とさせ拍手も飛び出る。抒情的な色もあっていい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「スパルタクス」〜3つの抜粋,作曲家指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(RUSSIAN DISC)1973/8/15・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「スパルタクス」〜抜粋,ガウク指揮モスクワ放送交響楽団,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:バレエ組曲「ガヤネー(ガイーヌ)」,○作曲家指揮カルロヴィ・ヴァリ交響楽団(supraphon)1955/9/15live・CD,,オケは若干甘い。曲間にいちいち拍手が入るのも興をそぐ。おそらく新発見の音源だが通俗的にまで知られたガイーヌに求められるレベルを達成できているかどうか・・・ライヴなので仕方ないか。バラの乙女の踊り、子守唄、アイシェの踊り、ゴパーク、剣の舞、レズギンカ。興奮度が低いのだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:バレエ組曲「ガヤネー」,○スヴェトラーノフ指揮ボリショイ劇場管弦楽団(brilliant他)2000/1/3-6・CD,,ガイーヌといったらこの今や1000円しない盤を買っておけばいいというものだ。但し晩年のスヴェトラーノフに近年のボリショイということで音の個性や豪放磊落さというのは抜けていて、派手ではあるが万人受けするような節度がある。ソリストもとりわけ個性を発揮しはしないが全体の響きの中では調和してひびく。このロシアの巨人も西欧志向が強かったのではないかと思わせるニュートラルな響きが印象的だった。壮麗さは変わりは無い。弾けているわけではないが、むろん最近なされるたぐいの録音よりは気を煽る。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:ピアノと管弦楽のためのコンチェルト・ラプソディ,ペトロフ(P)作曲家指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(RUSSIAN DISC)1973/10/15LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲,○イェメリーク(P)クリマ指揮チェコ・フィル(supraphon)1960/11/7-9・CD,,演奏はやや地味目か。というか、曲が余りに古風で特徴に欠ける。すでに以前この曲について書いたとおりで、重ったるいロマンチシズムすら感じる。○にはしておく。ステレオ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲,カペル(P)クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(SLS)1943/10/30live,,これは異常なノイズをまじえた録音状態をさしおいても、まずどこがいいのかわからない曲。バルトークから創意と魅力を抜いたような印象でとりたてて難曲でもなくカペルがやる意味も無い。そもそも解釈が悪いのかもしれないが通常のピアノ協奏曲に期待される形式的なものが伝わらず、え、この尻すぼみでお終い?という結部に拍手が始まると腰が砕けた。お好きならどうぞ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲,フリエール(P)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(BMG/MELODIYA)1963・CDプロコ的だが民族的要素が気恥ずかしいほど露骨に盛り込まれており、管弦楽法も単純で、野暮ったさ満天。1楽章や3楽章の終わりの方がちょっと晩年のシマノフスキぽくて洒落ているし、2楽章真ん中のヒュ〜ドロドロも気持ち悪いけど新奇で面白い。初めて聞くとびっくりするだろう。その後は旋律的でプロコ的だが、奇妙な音色効果を狙った挿句が面白い。3楽章は軽快な出だしがいい。ソリストはバリバリ鳴らしていくウ゛ィルツオーソタイプなのでこういうバリバリな曲にはうってつけ。やがて大時代がかったハリウッド的ロマンチシズムが歌われるが、どこかヘン。やがて独特のカデンツァが長々と鳴らされるが、民族やらジャズやらやりたい放題。あまり面白いフレーズはないがごっちゃな感じがハチャらしさだろう。せわしない主題が戻りわけのわからないうちに頂点へ。やや録音が悪く、オケの没入度も足りない感があるが、コンドラシンのきっぱりした解釈によりしっかり終わる。もう少し盛り上げてもいい感じがするので無印。同じ調子が続き、ただ冗長感が残った。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲,ペトロフ(P)作曲家指揮ソヴィエト国立交響楽団(RUSSIAN DISC)1977/2/15LIVE・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲,ペルティカローリ(P)作曲家指揮イタリア・トリノ放送交響楽団(FONIT CETRA)1963/4/12LIVE・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:レーニン追悼のオード,○作曲家指揮ボリショイ劇場管弦楽団(RUSSIAN DISC)1957これ、プラハのと違うけどまあいいや。派手なオードですな。ロシアのボントロはやっぱ馬力があります。繰り返される泣き節の音形がわざとらしい曲だが、木管の使い方がちょっとマーラーっぽくていい。ミャスコフスキーぽくもある。暗いけれど、この派手な音響で聞くとそれなりに聞ける。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:レーニン追悼のオード,作曲家指揮プラハ放送交響楽団(supraphon)暗い曲想だと元来和声的に新味のないハチャトゥリアンの作品はとたんに輝きを失ってしまう。レーニン追悼当時としてもいささか古い。記憶に残りにくい曲。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:映画音楽「スターリングラードの戦い」,○作曲家指揮ソヴィエト国立放送管弦楽団(CLASSIC EDITIONS)ほんとにこの曲なのかな。あまりにショスタコっぽい。最初はかなり陳腐でうんざりしたが、戦闘的なリズムの交錯など結構かっこいいし、最後、冒頭旋律が帰ってきたときなど感動ものだ。ハチャトゥリアンは当たり外れが多い作曲家だが、これはしっかりした叙事詩になっていていい。最初は「やっぱ映画音楽だな」という感じだが、最後はそういう音楽だということを忘れてしまう。いいもの聞かせて貰いました。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:仮面舞踏会組曲,ストコフスキ指揮ニューヨーク・フィル(CALA/COLUMBIA,SONY)1947/11/3,17・CD,,イケイケの派手さがあるものの浮き立つリズム感はなく、また穏やかな曲については今一つ深みが無く感じる。もちろん短く伸び縮みする解釈は健在で、曲の起伏を強調するやり方には一理あるが、ストコの起伏の付け方はどこか醒めていて、これもまた一種の表現主義と思わせるところがある。その証拠というか、オケの音が一様に明るく金属質で耳にきつい。このNYPでもフィラデルフィアの録音同様のことが言える。速い舞曲の勢いは買えるがどうにも曲自体の包蔵する魅力以上のものを提供できているかといえば疑問。それ以上の解釈を加えているのに、むしろマイナスしているような感触。無印。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ハチャトゥリアン:歌劇「ガヤネー」〜レズキンカ,○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCC:CD-R)1965/6/21live,,ハチャトゥリアンの舞曲のかもす「しつこさ」はまお氏の仮面舞踏会で周知のことと思うが、このボロディン的なアンコールピースは対位法的な書法が素晴らしくかっこよく、ストコ向きである。とはいえもっと引き締まったオケがやるともっとかっこいいが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトウリアン:歌劇「ガヤネー」より剣の舞(ピアノ編曲),○作曲家(P)(supraphon)1950/4/27プラハ・CD,,おそらく新発見音源だと思う。民謡民謡したリズム取りはなく直線的で、プロピアニストではない作曲家らしいテンポ取りリズム切れの甘さがなんとなく感じられる。面白い!というものではないが、資料的価値はあるだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:喜びのオード,作曲家指揮ソヴィエト国立放送交響楽団、合唱団他、オブラツオーワ(Msp)(RUSSIAN DISC)1973/10/15LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:劇音楽「仮面舞踏会」組曲,ストコフスキ指揮NYP(artone他)1947・CD,,圧倒的迫力とキレキレのリズム、オケがニューヨーク・フィルでセッション録音だとここまでやれるのか、というストコフスキー全盛期を聴ける録音。むろんゆっくりめの曲よりイケイケの曲のほうがストコフスキの芸を味わうによろしいわけで、フィギュアスケートに使われたことで圧倒的人気を得たワルツなどシニカルな響きを伴うメロディを、オケをドライヴしまくって分厚く聴かせてくる。ハチャトゥリアンでもガイーヌよりも使えるメロディが多く、カバレフスキー的というかプロコフィエフとは違った親近感を感じさせる、ライトクラシックスレスレのところを狙ってきて、しかしそれはスレスレなんであって、ライトクラシックまんまではない。モノラルの古い音だがストコフスキーの力量を確かめられる集中力高い演奏。この曲はコンサートピースとして五曲からの組曲でしか演奏されない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:劇付随音楽「仮面舞踏会」組曲,○サモスード指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(Arlecchino)1953・CDやっぱりいい曲です。録音が悪くしかも怪しいが(曲によって録音状態が違う)、旋律がとにかくいい。ハチャの憂愁をたっぷり味わえる。サモスードの演奏は出だしがやや雑。大味なところがあるが、聴き進むにつれ肩を揺らしている自分に気付く。曲の良さをわかっている人の演奏だ。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:劇付随音楽「仮面舞踏会」組曲,◎作曲家指揮プラハ放送交響楽団(supraphon)いい曲、いい演奏だ。時代錯誤なところがいい。ラフマニノフの舞踏曲にショスタコーヴィチのジャズ風作品をかけあわせたような音楽。とても聞きやすいし、何より疾走する楽章〜冒頭のワルツ(かっこいいっ!凄くいい曲!)やマズルカ(懐かしい感じの曲、舞踏の時代を懐古するような曲)、最後のギャロップ(すさまじい律動の応酬、運動会にピッタリ!ガイーヌの剣の舞にちょっと似ている)〜の垢抜けたあっけらかんとしたところがいい。わかりやすくて何が悪い、体制迎合の何が悪い!そんな感じに聞こえるところがまた泣かせる。にしてもチェコの音楽水準って高かったんですね。。何この弦!何この管!アンサンブルの粋を見せる分厚いオケがすばらしいのだ。統率する作曲家の腕もあるかもしれないが、聞いて損はしませんのでお勧め(この盤がなければ新しい演奏で聞いてください)。但し、ここに新味を求めてはいけません!和声は何十年も前のものです(ラフマニノフのシンフォニックダンス参照)。楽器の用法もてんで新奇ではありません。でも、聞いてみてください!古きよき時代を思いながら。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:劇付随音楽「仮面舞踏会」組曲,○作曲家指揮モスクワ放送交響楽団(RUSSIAN DISC)1969ハデハデ。どハデな演奏だ。オケも豪放磊落で、弦は気合に満ちた走句の数々を繰り出してくる。しっとり聞かせるところは感情込めてオーバーに弾くし、舞踏音楽(この曲のメインですね)ではケレン味たっぷりにうらぶれた旋律を聞かせる。前にも書いたがこの曲の舞踏音楽にはショスタコのジャズ組曲のような趣がふんだんにあり、意外と都会派なのだな、と思わせる。他の自演記録と比べてそんなに良くはないのだが、まあ、面白いです。かなり旋律的な曲の集合体なので、聴きすぎると完全に飽きてしまいます。ご注意を。ハチャ棒巧い。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:劇付随音楽「仮面舞踏会」組曲,コンドラシン指揮RCAビクター交響楽団(RCA)1958/10/30古風だが愉快で楽しい楽曲である。ワルツ、夜想曲、マズルカ、ロマンス、ギャロップの5曲からなるが、この演奏で聞くと偶数曲番の緩徐楽章はあまり魅力的でない。こういうしっとりと「歌わせる」曲にかんしては余り得意でなかったコンドラシン。比較的若い頃の録音であり、ひときわ感情を排した演奏スタイルを持っていたせいもあろう。奇数曲番も感情的にならず、まるでラフマニノフのシンフォニック・ダンスを録音したときのスタイルと同様、懐かしい響きのする楽曲なのに、敢えてそんな感傷性を出さないようにして音楽自体に語らせようとする志向が顕著である。はつらつとした運動性は認めるが、もう少し遊びが欲しい。オケも少し技術的にきつい様子。そういった演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:劇付随音楽「道化師」組曲,コンドラシン指揮RCAビクター交響楽団(RCA)1958/10/30運動会に貢献した作曲家ハチャトゥリアン。とりわけ「道化師のギャロップ」はガヤネーの「剣の舞」と並んでポピュラーな楽曲だ。社会主義リアリズムの優等生と言われたハチャトゥリアン。この至極わかりやすい組曲を聴いていると、そうだろうなあ、という感じを強く持つ。プロコフィエフやショスタコーヴィチといったあたりの作曲家と共通する部分もあるが、表面的な部分だけであり、前者はウラに何かしらの考えがあることを感じさせるのに対して、ハチャトゥリアンは純粋にこの路線こそ自分の道と思い込んで作っている感じがする。この録音もオケがやや弱い。楽曲の魅力は十分に伝わってくる演奏だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:交響曲第1番,ガウク指揮モスクワ放送交響楽団(RUSSIAN DISC/MELODIYA他)1959・CD やっとこの曲がわかった!ガウクの解釈がわかりやすいせいだろう。1楽章の叙情的な旋律の感傷性だけでもうこの曲許す。フレンニコフ以上ショスタコ未満、といったところか。基本的に民族楽派の主題を用いながらもハーモニーやリズム、打楽器の用法に創意が組み込まれ、かなり洗練された音楽に聞こえるものとなっている。ショスタコほどの個性は無いが(とくにこの曲はハチャの中では個性がわりあい薄いと思う)晩年のラフマニノフくらいの才能は感じる。とにかく42分は長いのだが・・・とくに1楽章冒頭の「ツカミ」の部分があまりに晦渋なため長らくこの曲を聞く気が起きなかったのだが・・・ガウクの技で救われているか。録音はガウクにしては良い。ただ、ガウク独特のしまらなさのようなものが感じられる部分も無いわけではないが。1楽章18分がいちばんききどころ。2楽章12分3楽章11分とあきらかに尻すぼみ(内容的にもそう)。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:交響曲第2番,○作曲家指揮ソヴィエト国立交響楽団(russian disc)1977live・CDそれほど特徴的な旋律も個性的なハーモニーも無い曲なのだが、打楽器金管大爆発の派手な音響と民族情緒溢れる抒情的なパッセージには一部の人を熱狂させるものが確かにある。だが、なんでこの曲をウィーン・フィルとやったのだろう・・・。録音もハスキーだし派手さも中途半端で曲の魅力を正しく引き出したものとは言えない。弦楽器の艶な音色も不要な野蛮音楽だし、そもそも響きにちっともウィーンらしさがない。録音のせいだろうか。高い機能性は感じるが音楽としてのプラスアルファが無い。どうにも腑に落ちない気分で次にソヴィエト録音を聴いてはたと膝を打った。まるでぴったりしっくりくるのである。この曲はロシアオケを想定して書かれているのだ、あきらかに。派手な音響はロシアオケの豪放磊落なひびきを念頭にかかれたのだ。しかもここではスヴェトラーノフの育てた最もロシアロシアしたオケが使われているからさらに聴き易い。金管のひびき、木管の音色、弦楽器のポジティブな表現、全てが国民楽派の音楽を奏でるために必要なものを備えている。だからといってハチャがショスタコに並ぶソヴィエトの偉大な作曲家であると言うことは個人的好みから口が裂けても言えないが、アルメニアの国民性をクラシカル・ミュージックの語法の中で昇華させてみた、といったかんじの音楽、独特の旋律や面白いリズムに遊ぶことはできる、後者なら。ライヴならではの熱気は終楽章ではじける。この終楽章はちょっと面白い音楽で、比喩するならヴォーン・ウィリアムズ、独特の半音階的な動きを伴うスペクタクルな音楽に、後期シベリウス的な楽器法を施している。弦楽器のガシガシ刻む特徴的なリズムの上に朗々とブラスが歌うあたりはシベ5あたりの終楽章を思わせる。パワフルなソビ響の本領発揮である。15年をへて地につき円熟した作曲家の棒が冴え渡る。4楽章は最後に1楽章冒頭の暗い音楽を回想し、冒頭同様に印象的な鐘の音が鳴り響く。いささか骨張った音楽だが、スキモノはぴんとくるだろう。後者のみ○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:交響曲第2番,○作曲家指揮ナショナル・フィル(COLOSSEUM)1953初版・LP,,,カッコいいなあー。でもロシアオケには違いないんだが正体不明だ。録音のクリアさのせいもあるが美しい透明感ある音で、ホルンあたりはイギリスオケみたいに聞こえる。アクが際立ってこないのですっきり聞き通せる。最初のドゥワージャージャージャージャーンから好悪をわかつロシアンバーバリズムだが所々に繊細な響きがあらわれ様々な同時代作品・・・ショスタコだけではなくプロコをもっとあく抜きしたような平明な表現からRVWの交響曲やホルストを彷彿とさせる清澄な響きの連続、20世紀交響曲好きにはわくわくさせられるような感じがある。いろいろな表情が万華鏡のように現れ人好きするものばかりではないが(随分とわかりやすいほうだが)三楽章の怒りの日の変容あたりからシベリウスをモダナイズしたような才気溢れるフィナーレの壮麗な盛り上がりにいたるまでの見事な大作ぶりったらない。指揮がまた引き締まって上手いのである。むろん弛緩はなくもないがオケの気合いはそうとうなもの。盤面が死んでいるので最高評価はやめておくがまずもって飽きない見事な大作なので、ミャスコフスキーに手を伸ばすならまずこちらから聞きましょう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ハチャトゥリアン:交響曲第2番,作曲家指揮ウィーン・フィル(DECCA)1962/3・CD ソヴィエト国立盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:交響曲第3番「交響詩曲」,○コンドラシン指揮モスクワ・フィル、M.グロードベルグ(Org)他(MELODIYA他)1965,,一回CD化している。LPでは音揺れや突如モノラルになったりなど(曲の規模からしてチャンネルの切替がうまくいかないのは仕方無いが)少し聞きづらい。ステレオであるがゆえにかなり派手に聞こえるが、ブラス陣はおしなべて巧く耳が変になることはない(痛くなることはある)。ひたすら高らかに凱歌をかなでるブラス陣に対して非常に抒情的な(しかも古臭くない)旋律で魅了するのが弦楽セクション。弦にかんしてはモスクワ・フィルの実力が発揮されている、と言うに留めておく。だがムラヴィンスキーの初演盤に聞かれるような箱にきっちり収まった音楽にはならず奔放さが感じられるのはコンドラシンとしては意外で、凝縮力も録音のせいかいい方に開放されておりちょっと聞きそれとわからない感もある。とにかくこの曲はハチャによく見られる赤銅色の「焼き付き」がなく、派手でもスマートで聞きやすい入門用の楽曲とすら言えるだろう。オルガンが通奏する半音階的なうねうねした動きにハチャの悪所が出ているとも言えそうだが、そちらに余り傾聴しなくてもすぐわかりやすいセクションが動き出すので問題無し。盤としては○程度か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:交響曲第3番「交響詩曲」,○ストコフスキ指揮シカゴ交響楽団(DA:CDーR)1968/2/15LIVE,,アメリカのブラスは最強なのでファンファーレは鼓膜が破れる。金属的な強いステレオ録音で耳が辛いくらい派手な打音をぶちかますストコのやり方は苦笑しつつも正しい!とうなづかされる。指揮者オケ共にある特性としてどうしても民族色はなくなってしまうので、派手なだけのスペクタクルになっているのは仕方ないところだがそもそもそういう意図の即物的な曲なのだからこれは正解だ。ストコにしてはアーティキュレーションもしっかりつけられている。ただ凄絶な音の饗宴を楽しみましょう。史上最凶の演奏。オルガンまで入るとクラシックというよりプログレだ。民族音階もこの中ではまるで呪術的で、こりゃEL&Pです。ヴラヴォからファンファーレ付の指揮者のリコールまで収録。ショスタコの組曲に交響曲のあとこれを持ってこれるなんてシカゴだけ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:交響曲第3番「交響詩曲」,○ムラヴィンスキー指揮ソヴィエト国立交響楽団(scora)1947/12LIVE・CD初演記録と推定されるとのこと。とにかくハデハデでけたたましくやかましい。ペット何本あるのかわからないくらいやかましい。オルガンが入ってくるとちょっとこれはクラシカル・ミュージックではない気がしてくる。これはプログレの世界だ。独特の民謡音階がまたちょっと宇宙的なレトロ怪奇な味をくわえ、ハチャの特異性を強調する。たしかにこの作曲家にはユニークな才能があったのだ。ペット何本あるかと調べてみたら15本だった。やかましいはずだ。録音はかなりハスキーで浅い。ペロペロになっているところもあるが、音量がバカでかすぎて録音がつぶれたのだろう。スターリンの影が消え文化に一気に現代化の波が押し寄せたこのころ、温厚なおじいちゃんになってしまったプロコフィエフのお鉢を継ぐこのような曲を書いたハチャに感動。これはまさしくプロコフィエフ・バーバリズムの正統な継承者としての音楽であり、ロシア音楽史上希に見るはっちゃけた交響曲(しかも単一楽章)として後々まで語り継がれることだろう。なんて今言っても遅いか。第二次大戦戦勝記念日のためにかかれたファンファーレを主軸とした交響詩的作品です。ムラヴィンスキーもオケが違うとハデだなー。録音かなりマイナスで○。モノラル、拍手カット(余韻までカット。ロシアではよくあること)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハチャトゥリアン:祝杯,○作曲家(歌・P)(supraphon)1950/4/27プラハ・CD,,三曲連続で録音されたもののようである。おそらく未発売ではないか。エレヴァンの春同様、ピアノはまあ聴ける、歌は達者。そんなところか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハチャトゥリアン:組曲「仮面舞踏会」,○作曲家指揮プラハ放送交響楽団(supraphon)1955/9/21-22・CD,,LPで出ていたものと同じと思われる。やや演奏的には甘く楽器によっても出来不出来があるようにおもう。総じて管楽ソロは素晴らしい。ワルツ、夜想曲、マズルカ、ロマンス、ギャロップ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バックス:ヴィオラ・ソナタ,○ターティス(Va)作曲家(P)(pearl他)1929/5/27プライヴェート録音・CD,,pearl GEMMがLP時代に発掘したテストプレスのSP音源で、これが唯一のターティスの同曲録音である。緩急緩の三楽章に明確に性格分けされ、バックスらしい晦渋さと暗い夢が交錯し、総じては「怒れる曲」のように聴こえてくる。ヴィオラという楽器の特性を活かした書法、それを自在に演ずるターティスの腕は、テストプレスで終わってしまったのが不思議なくらい完成度が高い(バックスのピアノは曲に沿ったような感じ、でも下手ではない)。プリムローズと比べればミス(か指のすさび)が僅かにある点落ちるかもしれないが、楽曲の激しい魅力を伝える力は上かもしれない。ヴァイオリン的なプリムローズの音にくらべてまさにヴィオラの深い音色、とくに低音域は美しい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バックス:ヴィオラ・ソナタ,○プリムローズ(Va)コーエン(P)(DOREMI)1937・CD都会的な趣をもつピアノと民謡調のしらべをかなでるヴィオラのハーモニーが印象的な、イギリスの作曲家アーノルド・バックスの佳作のひとつ。バックスには珍しく難しいパッセージも晦渋な雰囲気もなく、ここでは二人の名手によっていくぶん感傷的な音世界が繰り広げられている。ヴォーン・ウィリアムズと比較される事があるが、どちらかというとウォルトンの室内楽作品を感じさせるような所もあるし、旋律構造やピアノ伴奏にはドビュッシーからの顕著な影響がみられる。強烈な個性は余り感じないが、連綿とうたわれる旋律やちょっと特殊な伴奏音形には魅力があり(傾倒していたアイルランド音楽が引用されているらしい)、ロマンティックな中にも近代的な作曲手法が施されたバックスならではの世界を堪能できる。27分弱というかなりの大作であるが、全般にゆっくりとした箇所が目立ち、「アレグロ」とされる部分でもさほどスピーディではない。名技性より音楽性を重視した曲作りは結果としてかなり聴き易い音楽を産み出しており、この点バックスの曲にしてはわかりやすいという印象を与える。バックス入門盤としては適切であろう。コーエンは洗練された手さばきで「イギリスの印象主義音楽」をそつなくかなでている。プリムローズにかんしてはもはや何も言うことはあるまい。少々ヴァイオリン的な明るい響きが快く耳朶を震わす。テクニックの必要な曲ではないが、それでもこれだけ印象的な音楽をかなでられるというのは20世紀のヴィオリストを代表する巨匠にして可能となったものであろう。感傷的な雰囲気が何ともいえない、この曲を聴くには最適のソリストだ。名演。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バックス:オーボエと弦楽のための五重奏曲,○L.グーセンス(ob)インターナショナル四重奏団(NGS/oboe classics)CD,,グーセンスの依属作品でオーボエ協奏曲的な側面が強い。冒頭のオーボエソロのオリエンタリズムにはびっくりするがその後フランスっぽい雰囲気も併せ持つ民謡風メロディの親しみやすさとディーリアスを思わせる妖しげなハーモニー進行にはイギリスの近代音楽特有のものが現れていて面白く聴ける。RVWなどに比べて複雑なバックスなりの書法の新鮮味があり、弦楽の扱いが若干下支えのハーモニーに徹するような部分も多く見られるものの、アンサンブルとしての面白さは諸所にある。グーセンスは軽やかに上手い。ラヴェルの録音でも知られるインターナショナル弦楽四重奏団もそつなくこなしている。NGSのSP録音でも優秀な演奏記録だろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バックス:ファンドの庭,○ビーチャム指揮RPO(SOMM)1949/3/30BBCスタジオ・CD,,ディーリアスの夜明け前の歌などを彷彿とさせる交響詩だが、より規模が大きくワグナー的なブラスがディーリアスとはかなり違う。和声の繊細さについてはむしろドビュッシーの方かもしれない。バックスの代表作である。これは放送用録音のようだが音が悪く、雰囲気を損ねる、ないし変えてしまっている。ビーチャムの力強い推進力はRPOの持ち味である透明感を損なうほど。演奏はこなれておりその点では心配無い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バックス:幻想ソナタ,○ジェレミー(Va)コルチンスカ(Hrp)(NGS他)1928晩夏,,これも正規のネット配信が始まっているが、ヴィオラ集の一部としてCD化されたことがあるようだ。非常に美しい曲ではあるが、前半2楽章はどうしてもドビュッシーのトリオソナタの影響を払拭しきれない。旋律に民謡を取り入れたりRVWふうの単純な音形やイベールふうの感傷的な表現によって、ドビュッシーの神秘的な世界から世俗的な脱却をなそうとしているようには感じるものの、いかんせんそのまんまな音ばかり使われては・・・といったところ。だから逆にドビュッシーの同曲が好きな向きはとても楽しめよう。後半は世俗性が増し民謡的な部分やロマンティックな重さも含めバックスらしさが(それが良いとも言えないが)出てくる。しかしこの曲にもまして印象的なのはハープ!SPならではの硝子のような響きがその原音に迫っているかのよう。深く透明な音で、ヴァイオリンのニスのような渋茶を奥底に覗かせながら、フランス派とは少々違った古雅な趣を醸している。楽器自体違うのかもしれない。古い音だ。ヴィオリストはヴァイオリンと聴きまごう音だがこれはこれでよい。◎にしたかったが録音状態が悪いので○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バックス:弦楽四重奏曲第1番,○マリー・ウィルソン四重奏団(NGS)1930/4/15-16・SP,,この時期の録音特有の奏者のぎごちなさ窮屈さはあるものの、曲紹介には十分な演奏ではある。バックスは技巧的な表現を駆使することがままあるが、この曲でもファーストは酷使というか名技性を発揮させられる。何せ1楽章なんて殆どボロディン2番とチャイコのカルテットを混ぜて英国民謡で換骨奪胎したような曲だし、スケルツォなんて殆どドヴォルザークのアメリカなので(強いて言えば全曲そうなのだが)ファースト偏重傾向や構造的な限界を感じさせる。とはいえバックスの特徴はそこにウォーロックや(当たり前だけど)アイアランド前期のような前衛的な要素をスパイス程度に絡めてくるところで、この作品ではまだまだドビュッシーからしか「採集」できていないような感もあるが、東欧からロシアの国民楽派室内楽が中欧の影響を払拭しきれず鈍重さや野暮ったさから脱却できなかったのと比べては、軽く美しい印象をのこし、前進することに成功しているように思える。RVWのように露骨にフランス罹るのでもなくディーリアスのようにハーモニー頼りのややバランスの悪い民謡室内楽に仕上げるでもなく、特有のものの萌芽を感じ取ることができる。演奏の無難さと録音状態から無印でもいいんだけど○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バックス:交響曲第2番,○リットン指揮ロイヤル・フィル(放送)2011/8/16プロムスlive,,後期RVWを思わせるモダンなひびきと抒情性を兼ね備えた曲で三楽章制の立派な作品。演奏がなかなか素晴らしく、リットンを久々に聴いたがロイヤル・フィルの明るくやわらかい特質によって曲の陰りを抑え聴きやすくしている。なかなか。プロムス特有のブラボー。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バックス:交響詩「ティンタジェル」,
グーセンス指揮新交響楽団(HMV/dutton)1928/5/17,23・CD
グーセンスは戦前戦後アメリカでのオケトレーナー(シンシナティ)及び作曲などの活躍があまりに有名だが(コープランドに代表作「庶民のためのファンファーレ」を依頼し太平洋戦争開戦に際して兵士の応援とした)イギリス音楽にも特別の思い入れを感じる。これはダットンがレストアし過ぎて堅い音色過度な残響によりSP復刻の悪例を示しているが、グーセンスのイメージに無い色彩性や穏やかなドラマの演出ぶりがストコフスキーなどと違う、音詩への的確な理解ぶりをアピールしており、半音を行き来する揺れっぷりはまさにディーリアスのようにきこえ、バックスの代表作としての魅力をよく引き出している。
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バックス:交響詩「ティンタジェル」,○エルダー指揮ハレ管弦楽団(ho)2005/11/3・CD,,アーサー王伝説で観光化されたティンタジェル城を極めて描写的に、また「即物的に」描いた代表作である。個人的印象ではこの個性的とは言い難い、ケルト旋律とワグナーを「アーサー王と関係するということで」直接的に引用し、前時代的なロマンティックさを固持しすぎており、ダイナミックな音表現も波濤や崖の視覚的印象そのまんま、といったところでバックスが交響曲でやったような晦渋で特徴的な表現はここにはない。この演奏は透明感は余りなく、最初は往年のハレ管を思わせるドガジャンとした響きで一流ではないオケとの印象をあたえるが、構造は見えやすく楽曲理解はしやすいと思う。エルダーはまずまずといったところか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バックス:交響詩「ティンタジェル」,○マリナー指揮ミネソタ管弦楽団(MO)1985/9/27live・CD,,雄弁な調子のリヒャルト的作品だがマリナーはこういう曲だとまた室内楽団相手とは違ったスケールの大きな演奏を行う。ただ威容を誇るだけではなく、しなやかな表現にたけ、なめらかでごつごつしないところがイギリスの楽曲にはあっている。少し古風でエルガー的なところもある曲だが、ロマンチシズムが決して臭くならずすがすがしく響く、アメリカオケ相手でも表現にいささかの変化もない。とても美しくしっかりした演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バックス:交響詩「ティンタジェル」〜フィナーレ,○ストコフスキ指揮BBC交響楽団(SCC)1954/5/7・DVD,,ダイナミックな抜粋演奏で、最初と最後だけ指揮姿が映るがあとはティンタジェル城や海辺の風景。レクチャーコンサートの形式をとった白黒テレビ番組の録画である。既に老けている顔のストコフスキーだがカラヤンをすら思わせるカッコのいい指揮姿、映像状態は悪いが音は酷いという程ではなく映像があれば聴けるレベル。フィナーレだけとはいえ曲の要は押さえた演奏なので、十分楽しめる。オケもいいのだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バッハ(レスピーギ管弦楽編):パッサカリアとフーガ(ハ短調),モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA他)1959/7/24live・CD,,古典回帰したレスピーギの編曲だがブラスをぶっ放し派手に盛り上げるスタイルは健在だ。結果としておよそバッハではない世俗的な、ストコフスキーによく似たものに仕上がっている。モントゥーだから、さらに音楽を愉悦的に盛り立てていて、世俗性はさらに増す。ある意味ききやすいが、原曲の瞑想性を求めるとかんぜんに気分を害するだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バッハ:オルガンのためのトッカータ ハ長調(ワイナー編曲),○レナー四重奏団(COLUMBIA)SP,,名作はどんなに手を加えられても名作。もちろん演奏がしっかりしていればこそだが。それを印象付けるものだ。じっさいこの曲みたいなものはカルテット編成くらいなら全然アリ。レコード会社肝入りのレナー、ヴァイオリンのソリスト級の巧さにも傾聴。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バッハ:フーガの技法BWV.1080(弦楽合奏版)〜?未完,カラヤン指揮大ドイツ放送国営ブルックナー管弦楽団(meloclassic)1944/12/14リンツ・放送用スタジオ録音・CD,,実在のことで物議を醸した演奏だが録音は戦中ドイツの良好なもの、と言ってもこれを聴いていたら音が気持ち悪いと言われたので一般向きではないのだろう。言われてみれば浅くて音場は狭い。でもクーセヴィツキーのマタイを思い起こせばとんでもなくノイズレスである。非常に机上論的というか、私が言うまでもなく抽象化された作品で古典芸能の手本みたいな、最小限のスコアに演奏者が表現を付け加えて成立するたぐいの芸術である。そしてその幅はけして広くはない。45分でプツンと切れるまで(未完は未完でほんとに切れるし、順番も異なり全曲でもない)、まったく平板に同じような音楽が「違った動きをし続ける」。カラヤン(の時代のオケ)のイメージとして編成が大きすぎるとかアンサンブルが甘いとか、そんなものの有無はこの平準化された音符の羅列の前には何の意味も持たない。難曲だからまとまらないとか、原典は実はこうこうだからこうこうしたとか、そういう余地はこのスコアには無く(編成や楽器や奏法を変えたらともかく)、だからといって揺らぐものは無いのである。つまりこの「何もしない」のがカラヤンの解釈である、そして、聴いて思ったのはこれはやっぱりフーガの技法である。ただそれだけだ。ブルックナー信奉者ヒトラー肝入りのリンツのオケで戦局の悪化により3年しかもたなかったか、さすがに音が揃って下手ではなく(生気の有無は何とも言えない)、残響のせいもあるが教会音楽ふうの雰囲気もあり、かといって〜バッハの多くの作品には通俗的な側面があると思うがこれはそこが無い〜抽象音楽に徹した演奏ではなく、どっちつかず。まだ若い手練れのシェフが上等な素材を与えられたのでそこそこ美味い料理を作った、というか、せっかくブルックナーの名を冠したオケでカラヤン自身ブルックナー指揮者であったのに、ブルックナー的なロマンティックな面白味が余り持ち込まれず素材の良さのまま提示されている。「お仕事」という言葉が浮かんだ。録音のせいもあって今後あまり聴くことは無いと思う。そもバッハならもっと面白い曲はある。教科書のような作品はまだ私にはわからない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バッハ:マタイ受難曲(1728-29),ヴォーン・ウィリアムズ指揮 レイス・ヒル祭合唱団・管弦楽団他1958年3月5日ライヴ(pearl)2000年発売GEMS0079 一寸反則な古典作品だが、合唱指揮者としても知られた二十世紀の作曲家 ヴォーン・ウィリアムズの貴重な指揮記録としてここに挙げた。 Pearlによって殆どCD化されている自演記録はいずれも 30年代前後で音が悪く、激しい曲想の4番交響曲においてのみ そのダイナミックだが端正な指揮ぶりに触れることができたわけだが、今回この今まで知られていなかった貴重な記録 に触れてみて感じたのは、やはりどことなくロマン派作曲家の解釈だということである。この曲、作曲家について、 私は全くもって門外漢だが、メンゲルベルクなど いわゆる19世紀的解釈といわれるものと比べて、音の透明感など差はあるものの、共通するところがある。「個性の傾向」 ということだろうか。 現在普通に耳にすることのできる録音とは異なる、ほの暗く渋味がありしかし暖かみのある印象だった。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バッハ:マタイ受難曲(1728-29)<第1部>,ワルター指揮NYP(ASdisc)1945/4/1,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バッハ:マタイ受難曲(1728-29)<第1部>,ワルター指揮NYP(BRUNO WALTER SOCIETY)1943LIVE ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バッハ:管弦楽組曲第1番,

○ジョリヴェ指揮ウーブラドゥ・コンサート管弦楽団(LYRINX/INA)1970/11/8live・LP

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音楽は数学である。非人間的であればあるほど純粋な音楽に近づいていく。数式の普遍的な美しさに人は心惹かれ胸打たれる。感傷を覚えるとすれば誤解の産物に他ならない。いかに素敵に騙すかが芸術家の使命である。バッハは極めて理知的な作曲家だが作品には艶かしさが漂う。そう作られている。だからロマン派スタイルの長く続いた演奏史においても忘れられることなく時代のスタイルに従ってより感情の大きな起伏を盛り込まれた方法で表現されてきた。ジョリヴェは派閥と時代のわりに生き方が実に人間的で、好きな作曲家だが、晩年は穏健な作風に落ち着き指揮活動も多く行った。これは没後10周年記念に出たボックス収録のものだが、晩年、もうそろそろ考証派のスタイルが台頭していそうな時期に大編成のオケをかなり大っぴらに鳴らしアゴーギグをつける往年スタイルで演奏している。前衛楽派が最小限編成で最大の効果を生もうとした時期を歩んだにもかかわらずあけすけに感情を煽る前時代的な迫力である。ハープシコードすら派手だ。赤道の作曲家らしく依然楽器数を絞るなんて意識もなかったのだろう。ただ、冒頭で少し縦が乱れるもののしっかりした演奏で、カラヤンとか想起してしまった。派手ゆえの単調に落ちる部分もあるが、変に緩急をつける必要もない曲か。○。

,,(参考)ジョリヴェの音楽。「のだめ」で一瞬有名になりました。,,多作家ですが、自作自演をどうぞ。,,"
Jolivet: Les enregistrements Erato
Various
Warner Classics

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","自作自演を含むAdesの室内楽等の名演集も二枚組みで集成復刻されています。ラスキーヌの弾いている曲がいい。曲目はこちら参照。有名な「マナ」や宗教性を帯びて丸くなった「クリスマスのパストラル」が聴けます。二枚目は典礼組曲、フルート独奏のための「呪文」二曲。","
Jolivet Andre Morceaux Choisis/Var (Fra) (Dig)
Jean Brizard
Accord

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",,自作自演は山ほどあります。。,-----,,,-----,
バッハ:管弦楽組曲第3番,

○ジョリヴェ指揮ウーブラドゥ・コンサート管弦楽団(LYRINX/INA)1971/7/15live・LP

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冒頭からの異常なやかましさもさることながら「アリア」を聴いてみてください。細かいテンポの緩急(あくまで小ルバートの範疇であり基本はインテンポだが)、音量変化の恣意性が著しく現代の演奏家ならのけぞるような音楽になっている。ソロだってこんな演奏はしない(ゴルゴ以外)。分厚い弦楽器のうねりにはしかし指揮者への共感が篭る。この波乱に満ちた人生を送った「若きフランス」の闘士の、同僚であったメシアンとは違う、人間の生活する大地に戻って来た境地を思うと感慨深いものがある。ヴァイオリン初心者にはおなじみの曲が並ぶこの組曲、つまんないや、という向きはこういう今はめったに聞かれない演奏スタイル、戦後くらいまでは普通だったライヴ的な感情の篭った誇大妄想的バッハを聞くといい。そして妄想のオーケストラの中にいることを想像しながら、レッスンの準備をするといい。ヒステリックなペットとかロシアみたいだな。。

,(参考)カラヤンの管組,"
バッハ:管弦楽組曲第2&3番
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ポリドール

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",G線上のアリアなら有名なこちら>,"
アダージョ・カラヤン
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ポリドール

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",,"ジョリヴェの盤紹介についてはこちら",-----,,,,,,,,
バッハ:管弦楽組曲第3番〜U.アリア(G線上のアリア原曲),コープランド指揮クリーヴランド交響楽団(SLS) 1970/8/1クリーヴランド ブロッサム音楽祭live,,ノイジーなエアチェック音質で大きな音がノイズ化するなど聴きづらいステレオ。演奏会の最初(すくなくとも二枚組CD-Rの最初)を飾る小品だが、コープランドはこういう指揮解釈をする人ではないと思っていたので驚いた。しっかりした分厚い弦楽に緩いながらもロマンティックな起伏を施して、ジョリヴェのような前時代的バッハではないにせよ、現代的な演奏とはおよそ言えない。持ち味の透明感はノイズのせいで引き立ってこず、特に気になったのは装飾音符にそれなりの長さをつけて彈かせているところで、スコアを数学的に解釈してそう厳密にやらせているというより、過剰にロマンティックな要素を入れて作為的になってしまった、というふうだ。次のルーセルの組曲がウォルトンを思わせる破壊的な威力を放っているのがまたコープランドのイメージになく、録音が破壊的である点を差っ引いてもこの音楽祭では気を煽る方向に舵を切っているようである。拍手なし。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バッハ:管弦楽組曲第3番〜アリア(G線上のアリア),○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(lanne:CD-R)1980年代live,,恐らく既出のコンピレーションと同じ音源。比べ音質は悪い。ロマンティックでボリュームのあるアリアで、決して褒められるべき演奏様式ではないのだが、異化されたバッハを楽しめる向きには、少なくともストーキーなら楽しめよう。いや、この時期のソビエト国立が鍛えられた精鋭の大編成による演奏、ということで、ストコの編曲とは違う意味なので注意。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのブーレ イ短調,ヨアヒム(Vn)(SYMPOSIUM)1903/6/25?・CD,,重音が潰れ、指がきちんと押さえられていないように聞こえてしまうのが惜しい。指のもつれのように聞こえる部分は恐らく単に収録しきれなかっただけだと思うが、プレリュードに比べ少し落ちる感はある。無論速い曲であるせいもあろう。ただ録音的に高音の鋭く美麗な残響が捉えられているなど奇跡的なところもあり、十分価値のある録音ではある。テンポがミクロに安定しないところもあるが、時代様式を考えると技巧的な場面でロマンティックに揺らすのが普通であった頃にこの程度に(ちょっとポルタメントを残す程度に)抑えられているのはさすがヨアヒムといったところだ。ごく短いのでこのくらいしか書けない。死の4年前、72才の演奏である(年を考えると凄い)。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バッハ:無伴奏ヴァイオリンのための前奏曲ト短調,○ヨアヒム(Vn)(SYMPOSIUM)1903/6/25?・CD,,音はややハスキー気味でさすがに艶やかとは言い難いが(無論録音のせいだ)、重音の響きもテンポも表現もとても安定しており、安心して聴けるし、十分鑑賞に耐えうるものだ。残響がデッドなのはもう録音のせいとしか言いようがないが、古楽器演奏を聴いているような調子でもあり、そんなごまかしの利かない状況でもこれだけきっちり聞かせられるというのは余程高度の技巧とセンスが発揮されているとしか言いようがない。単純な音にも深い味があり(深い残響は無いが)、ヴィオラのような低弦の響きには、楽器もいいものを使っているんだろうな、といった感じ。ヴィブラートのような装飾技巧も(潰れているせいもあるが)最低限しかかけられておらず、ロマンティックな起伏を余り付けないスタイルには現代的な印象すらある。そのような中から峻厳で深刻な心情が引き出されているのは驚くばかりで、シゲティのとった求道的な態度に近いものがあったのかも知れない。短い録音で誉めすぎだが、古いヴァイオリニストの録音を聴いて最も感動したのがこの演奏であったゆえここに特筆させていただいた。とはいえ◎はつけすぎだと思うので○。ブーレとの間に小さいコメントが入るが当人のものかどうか不明。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ババジャニアン:チェロ協奏曲,○ロストロポーヴィチ(Vc)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(russian disc)1964/3/13モスクワ音楽院大ホールlive・CD,,どうにも評しようのない現代曲だが、こういう曲も手を抜かずしっかり表現することができた万能の人ロストロ先生。オケはなかなかの集中力。いちおう○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バライネ:ピアノと打楽器のための変奏曲,マルティーニ指揮Ortf(fbro)デュカスに薫陶を受けた戦後派。ビブラフォンの震える響きから始まりおっさすが現代的と思ったらピアノがとつとつと現れ、叙情的な旋律を。打楽器はそれを邪魔せずに絡んでゆく。なんとも中途半端。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
バラキレフ:交響曲第1番(1864-97),○カラヤン指揮フィルハーモニア管(EMI)1949/11〜まったく筋肉質な演奏で特記できる。眼からうろこが落ちる演奏だ。ロシア国民楽派の体臭(きつそうー)を排し、音符の律動をただ音に移し替えたようなスタイルはたとえばトスカニーニ的でかっこうがいい。この冗漫な曲をここまで聞かせるのだから、全く・・・。フィナーレ必聴。感傷を排したロマン派音楽の表現というのがあってもよい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バラキレフ:交響曲第1番(1864-97),コンドラシン指揮モスクワ・フィル交響楽団 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バラキレフ:交響詩「タマーラ」,アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina配信)1958/11/20シャンゼリゼlive 放送,,ディアギレフがバレエに取り上げたことからこの日のフランス・プログラムのメインとして演奏されたもの。20分以上の大作である。カフカスの民謡採取からオリエンタリズムの香り高い音楽に至る、五人組の宗主として代表作のひとつとなりリムスキーらへの影響を与えたとされている。一夜の物語として緩急緩の構成をもち、そのあたりも五人組とその側に位置したリストとは、書法上のこともふくめ近いところにあり、グラズノフに隔世的に受け継がれた西欧折衷派的ながっちりした構成感、洗練された(手堅い)管弦楽法は、東洋的あるいは民族的主題の導入の影にかくれて見えづらいが、グリンカから後代の橋渡しともなったと思われる。そういう曲にアンゲルブレシュトは適性を示す。派手にシンバルを打ち鳴らしドカンドカンとやる一方で木管、弦の波打つ音形をしめやかに雰囲気作りとして流し、どぎつい音色を避け技巧的瑕疵を生じさせることなく美観を保つ。一本調子なところはあり、楽想的にコントラストを強くつけてシェヘラザード的な旋律は際立って艶かしく聴かせるとか、構造的なところはドイツ的に重く聴かせるのではなく、全体としてひたすら変化しない派手な音楽に仕立てているから、フランスの演奏だなあ、クーチカの音楽の肝心な魅力は損なわれてると思うところもある。アンゲルブレシュトはロシア音楽も得意としていたがプログラムとしてはめずらしい。リムスキーというよりは、むしろボロディンのイーゴリ公的な音楽になっている。モノラル良録音。(ina.fr PHD89036093),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ロイ・ハリス:ピアノ三重奏曲,○カゼッラ(P)ポルトロニエリ(Vn)ボヌッチ(Vc)(fono teca/columbia)1934/10/13、16・CD,,奇妙な現代性を発揮した曲で、鋭く表現すれば曲の本質が見えてくるだろうが、ここでは時折あらわれる叙情性に引きずられ、他は晦渋に感じられてしょうがない。中間楽章は少しショスタコ風だ。カゼッラのピアノはタッチがはっきりしていて曖昧さがない。弦二本が厚く生温かい音を重ねている。ハリスの書法は脈絡がないというか、新古典になってみたり無理な転調を挟んでみたり色々仕掛けていて、楽団としてはそれをよく理解して演奏している。それにしても、最後までカタルシスのない曲だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ロイ・ハリス:交響曲1933(第1番),クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(SLS:CD-R/PEARL/COLUMBIA)1934/2/2・CD RVWぽく聞きやすいが、ややとりとめがない。シベリウスがアメリカ行って書いたような曲と言ったほうが適切か。鄙びた音ゆえ清澄な曲想を損なっているきらいがある。もっと感情移入したほうが聞ける演奏になったろうがクーセウ゛ィツキーはそういう指揮者ではない。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ロイ・ハリス:交響曲第3番(1937),○バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(CBS)バーンスタインがごく一部の作品に見せる異常な説得力というのはなんだろう。有無を言わせないというか、この曲はこういうふうに奏でられるために書かれたのだ、と思わせるほどのもの。とくにマーラー以降の作品、自国アメリカの作品については、ロマンティックすぎるけれども、非常に自然に耳に入りしっかり理解させるまでのものを持っている。ハリスのこの作品については既に書いたが、バーンスタインの演奏は(録音のせいもあるが)図抜けて迫力がある。そして起承転結がしっかりつけられており、不自然な変化を避け、どのフレーズも自然に繋がっていくよう演奏されている。ロマンティックな主題は思い切り歌わせるのもこの人らしい。クライマックスあたりの流れはなかなか聞かせる。この曲は名曲かもしれない、と思わせる部分が有る。私のLPが音飛びだらけなのでここでは○にしておくが、アイヴズの3番における異様なシンクロ度に近いものがある佳演。もっともそのぶん演奏精度は落ちるのだが。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ロイ・ハリス:交響曲第3番(1937),○バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(NYP)1957/1/27放送LIVEスタジオ録音もあるバーンスタインの演奏だが、やはりこの指揮者はうまい。作曲家としての感性がネオ・ロマンチシズムの中にあるこの曲からさらに、ロマンティックな情感を引き出すことに成功している。分厚いオーケストレーションからも適度に脂肪分を抜いて、ぶよぶよしない鋭い演奏を作りあげている。後半の楽天的な旋律の力強さが印象的だ。録音が悪いのが残念。モノラル。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ロイ・ハリス:交響曲第3番(1937),バーンスタイン指揮NYP(von-z)1985/12/5live,,暗く重い出だしから、後半になるに連れだんだんと明るく鷹揚になっていく単一楽章の曲で、アメリカ的なトランペットの走句など交え、シベリウス的な壮大さにいたるこの現代アメリカアカデミズムの模範的作曲家の代表作。最後の破壊的なティンパニはバンスタならではの演奏効果を狙った見事なもの。正直ほかの指揮者では聴いてられない曲、、、かも、、、,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ロイ・ハリス:交響曲第3番(1937)抜粋,バーンスタイン指揮NYP(unitel)1958/2/1放送 ヤング・ピープルズ・コンサートlive・BD,,これは終楽章の楽天的な主題を切り取っただけでじつに惜しい!もっと聴きたい。やや弛緩した莫大な演奏にきこえる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ロイ・ハリス:交響曲第3番(1937),オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCORA,ARTE)1958/5/30ロシアLIVEやっぱりわかりにくい曲。オケもあまりノっていない。ブラヴォーもなし。この曲はアメリカではけっこう演奏されていたようだ。ジャズや民謡に頼らないアメリカン・クラシックの最高峰、みたいに言われることもあるが、この演奏だと、どう聞いても中欧的な音楽にきこえる。オーマンディもガーシュインのときのノリがなく、イマイチだ。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ロイ・ハリス:交響曲第3番(1937),クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PEARL/HMV)1939/11/8・CD重い曲だがこの作曲家の代表作で盤も多い。決然とした表情と重苦しくならないハーモニーが魅力的な演奏で、中盤に登場する明るく美しい旋律など録音さえよければ実に清澄な響きの饗宴となっていただろう。アメリカンなリズムも弾んでおり前進的なものの、不明瞭な録音のせいでデュナーミク変化が捉らえづらく、メリハリが無い。ブラスの充実した響きがかえって鈍重でもある。もっとも曲のせいもあると思うが。明らかに後期シベリウスを意識した単一楽章の楽曲であるのに描く世界は重厚でとりとめのない逆ベクトルのもの。曲をよく知って聞けばこの古い録音にも面白みも見出だせようが、ファーストチョイスには向きません。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ロイ・ハリス:交響曲第3番(1937),トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DELL ARTE)1940/3/16LIVE アメリカ産交響曲のなかでも比較的人気のある曲のひとつだ。単一楽章からなり、半音階的で晦渋な旋律をうねるようなぶ厚い弦が表現する前半から、おもに管によって先導される垢抜けた明るい後半へという構成はおおまかにはベートーヴェン的交響曲の典型を示している。コープランド同様ナディア・ブーランジェ門下だが、その音楽にはフランス的な洒脱な香りは皆無である。重厚なオーケストレーションに中世の旋法を応用しながらも、とても「アメリカ的」な香りがするのが面白い。この交響曲の後半でも徐に短い平易な旋律が登場し、それが至極「アメリカ的」である。クライマックスはブラスと弦と打楽器が一歩一歩踏みしめるような歩みをかわるがわる表現し、何かしらの高みに上り詰めるような情景を演出しているが、ややしつこい。最後は暗雲がたちこめ、不安の打撃のもとに曲は終わるが、いささか謎めいている。トスカニーニは引き締まった演奏を行っておりライヴとは思えないほどの完成度だが、前半やや地味すぎるかもしれない。後半はなかなかに派手で水際立った指揮ぶりが胸がすくような感じ。終盤はやや即物すぎるか。拍手もふつう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ロイ・ハリス:交響曲第5番(初版),
クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PASC)1943/2/27初演live
pristineの発掘音源。前奏曲、コラール、フーガの三楽章からなる短い曲。晦渋さの無い聴きやすい曲で、明るく単調な和声と、舞踏的なリズムに彩られた、まさにアメリカ産交響曲を体現した曲(半音階的でコープランド3番のような書法の簡潔さは感じられない)。pristineが周到なレストアをしても録音がどうにも聴きづらすぎるものの、音楽の爽やかさがなんとか聴き通させる。フィナーレがそれほど強い推進力を持ち合わせていないのでクーセヴィツキーをもってしても少し食い足りなさは残る。聴衆反応はまあまあか。
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ロイ・ハリス:交響曲第6番「ゲティスバーグの演説」,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1944/4/15初演LIVE・CDストコフスキと覇を競った初演マニアとしてのクーセヴィツキーの一面をよく表している盤で、4日にバーバーの2番を初演しといて10日余り後には今度はハリスの6番を初演しているわけである。ヨーロッパから逃げてきた奏者が集まって、アメリカのオケとしては異例な重量感ある響きとバランスの良い技巧を獲得したこのオケにしても、こんな調子ではきつかったのではなかろうか。まあクーセヴィツキーもロシア移民なわけだけれども。こういう曲が矢継ぎ早に初演された背景にはナショナリズムを高揚させる意図があり、第二次大戦が影を落としていることは自明である。リンカーンの演説に題をとり、軍に捧げられたことからしてもこの曲の一面あざとい趣旨が聞いて取れるわけだが、純粋にシンフォニーとして聴いても案外いい。メロディや和声の流れが非常に耳馴染みがよく、ゆったり楽しめる。クーセヴィツキーの引き締まったオケコントロールも安心感を与えてよい。面白かった。○。録音が一部おかしくなっているがおおむね聴き易い。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ロイ・ハリス:子供の日曜日の思い出,○ロジンスキ指揮NYP(DA:CD-R)1946/2/21初演live,,ハリスはバンスタが交響曲第3番をよくやっていたのでご存知のかたも多いかもしれない。重厚な日本のマニア好みのハーモニーを駆使してうねるようなロマンチシズムを持ち味とし、一方では一昔前のアメリカのドラマのBGMのように硬質だが凡庸な、今からするとレトロなモダニズムを感じさせる手法を織り交ぜて割と同時代的には受けた人である。当代一のネオロマンチスト、バーバーのように音楽を隙なく自然に描ける人ではなく、職人的な技師というわけではないので、この曲にしても前半部のハーモニックな進行から後半部の筆のすさび的な無邪気な楽想への変化がとってつけたようで、ロジンスキの直線的で引き締まったアンサンブルをもってしても首尾一貫が感じられない(組曲と捉えてもちょっと違和感がある)。全般ノスタルジーを煽るにはあからさますぎる曲でもあり、それはロジンスキも得意ではない分野なので尚更かもしれない。バーバーは甘甘の曲でもけしてぶよぶよを感じさせない品があるが、ハリスあたりは膨満感が諸所に鼻につくなあ。まあ、短いので○にはしておく、ロジンスキにしては録音が比較的クリア。エアチェック。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハリム・エル=ダブ:ターミール幻想曲,作曲家(ダラブッカ)ストコフスキ指揮現代音楽協会(scc:CD-R)1958/12/3live,,お世辞にもいい曲ではない。ダラブッカは楽しめるが弦楽オケがどうにも戸惑いが伝わってくるほどにグダグダで、半端な前衛音楽の気がある。アイヴズを墓場からアラブに連れてきたような曲。ストコフスキーもよくやったものだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
パルサダニアン:交響曲第1番TO THE MEMORY OF THE 26 COMMISSARS OF BAKU,○スヴェトラーノフ指揮モスクワ放送管弦楽団、カディンスカヤ(SP)(RUSSIAN DISC)1966・CD このへんのソヴィエト戦後派の作曲家なんてナゾが多い。この人もたぶんスヴェトラーノフより若干年長くらいだろう。旧来の交響曲的概念に従っており、アダージオ17分半、アレグロ5分半、アンダンテ10分半という特異な3楽章制をとっている。つまりはショスタコの影響下にある作曲家ということだ。この1番は標題交響曲で3楽章にはちょっと唐突に声楽が入るが、1楽章の始めの陰うつな雰囲気からもうショスタコの暗い曲のセオリーが働いている。こういう重厚な作品が聴きたいときってあるなー、と思いながら聴いていた。若干生硬さはあるが初期ミャスコフスキーよりはよほど聴き易い。スヴェトラーノフは実に統制のとれたオケの機能性を最大限に引き出し、ともすると聞いてられないようなこの大曲にシャープで明晰な音像をあたえている。ただ、やっぱりショスタコの追随者、という印象は拭えない。特徴的で魅力的な旋律やひびきを聞かせる場面も無きにしもあらずだが(2楽章なんて映画音楽的でドラマティック!)、、、どうにも暗い。というわけで○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
パルサダニアン:交響曲第2番MARTYROS SARIAN,スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(RUSSIAN DISC)1969・CD アルメニア的な、ハチャトゥリアン的な速い楽章が印象的だ。新鮮な聴感があり、書法的に新味はないがこれは個性と言っていいだろう。4楽章制でマエストーソ、間奏曲、レント、アレグロ・コン・フオコといういかにも旧来のシンフォニーの理念に沿った構成になっている。が、遅い楽章はあまりに暗く、晦渋すぎる。あからさまな民族音楽である終楽章とその前のレント楽章のコントラストなど余りにありすぎて違和感を感じる。スヴェトラーノフの引き締まった演奏ぶりはいつにも増してマジであり、それで思わず聞き込んでしまうのだが、曲的にどうかと言われると・・・やはり古臭い感、内容空疎の感を拭えないか。他の指揮者がやっていたらどうだったろう。スヴェトラーノフ自身の思い入れも大きい模様。総じて無印。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルスコフ:ヴァイオリン協奏曲,コーガン(Vn)ロジェストヴェンスキー指揮ボリショイ交響楽団(ARLECCHINO)1962・CDゲンダイ曲ぽいがけっこう抒情味があり聴いていて心地いい。ある意味ベルクみたいだ。多少はゲンダイも許容できるという方には勧められます。勧めてもこの曲他に手に入り易い録音があるのかどうか???だが。コーガンもここではしなやかな表現で美しく歌っている。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハルゼイ・スティーヴンス:組曲第1番,○ストコフスキ指揮現代音楽協会(SCC:CD-R)1953/2/22メトロポリタン美術館live,,珍しい曲で当時の同時代音楽として紹介されたもの。短い四楽章からなる曲だが、ヒンデミットの構造性にミヨーの響きを掛け合わせたいかにもな感じ。ヒンデミットの木管の扱いかたが一楽章にはそのままみられるが、以降はミヨーの旋律的な動き、横の流れを重ねた響きのかんじが凄く強い。そこにアメリカ・アカデミズム流儀が導入される、たとえばコープランドふうのリズムなどに。こういう頭で工夫を重ねた曲をきくと、ミヨーがいかに優れた手腕を持っていたかが逆にわかる。ストコにはミヨーもヒンデミットもほとんどないので、代替品として楽しめたりするかも(一楽章を除いてはほとんど小交響曲だ)。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:アレグロ・バルバロ,◎作曲家(P)(HMV/HUNGAROTON)1929/11ブダペスト・CD,,これが妙に録音がいい。びっくりするくらい音がいい。ロールにしては特有のひずみがないので、一応ちゃんとした録音なのだろうが・・・特有のよたるようなリズム感は民族性に基づくものであり下手なわけではない。模範的名演と言えようか、他民族には真似しにくい表現だろう。バーバリズムの流行に沿ったものとしてはいささか理知的にすぎ、ドビュッシーの影響下とはもはや言えない過激な力感に満ちた作品である。バルトークの確かに一つの特徴を決定付けた作品とは言えるだろう。モダンで洗練された野人。◎。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バルトーク:アレグロ・バルバロ,作曲家(P)(HUNGAROTON)1935/1/31ヒルバーサム・CD,,シリンダ録音らしく極端に音が悪い。だが貴重な記録としては聞ける。無印。,"",-----,,,,,,,,,,,,
バルトーク:ヴァイオリンと管弦楽のためのラプソディ第1番,○スターン(Vn)モントゥ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1961/7/23live,,原曲はピアノ伴奏、ここまで豊穣なオケを背景にするとヴァイオリンが埋没し(スターンの安定したニュートラルな音・表現ならなおさらだ)協奏曲風の響きが失われ一つの管弦楽曲にきこえてしまう。ただ、魅力的な演奏になっていることも確かで、キョンファ・チョン以降日本でもよく聴かれるようになったこの曲の、民族的な部分を殊更に強調しない別の魅力を聴かせてくれる(管弦楽が余りに出すぎて違和感すら感じたのでいじっているのかも)。モントゥのさりげない捌きの技が光る。スターンは血を感じさせないがオケと音色的な統一感がとれていて聴きやすい。録音はいまいち。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ヴァイオリンのための第一ラプソディ,◎シゲティ(Vn)作曲家(P)(COLUMBIA/HUNGAROTON)1940/5/2NY・CD,,ワシントン図書館のライヴと録音状態が違うだけだがこちらのほうが聞きやすいか。詳しくはあちらの寸評を。シゲティは凄い。◎。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バルトーク:ヴァイオリンのための第一ラプソディ,◎シゲティ(Vn)作曲家(P)(HUNGAROTON他)1940/4/13ワシントン図書館live・CD,,有名なライヴで録音状態もよく、シゲティ全盛期の素晴らしい音を聞くことができる。この人がかつて非常に感傷的な音を、非常に正確に表現することのできた稀有のヴァイオリニストであったことがわかる。後年は技術が衰え前者だけの演奏家になってしまった感もあるが、同年代には余りいなかった演奏家だろうことが改めて伺える。前時代のロマンチシズムと現代の技術力がここで融合していたのである。表現の正確さが音楽を殺していない、模範的な表現。バルトークは民族性がかなり強い作曲家だがそれ以上に民族的表現に長けた演奏家でもある。リズム表現の独特さは理解できていないと単なる下手に聴こえてしまう。独特のずらしがある。しかしシゲティは意に介さない。シゲティ自身もまたよく理解して表現をあわせているからである。作曲家は旧いライヴ録音で聴かせた土臭い演奏とは違い、ここでアメリカナイズされたと言ったほうがいいのか、こんにちの現代的なイメージとしてのバルトークを表現している。この演奏は凄い。この曲が改めて難しいとも感じた。理解していないと表現にならない、譜面づらのやさしさは見せ掛けだ。シゲティの装飾音の細部まで完璧に適切な音にしているさまは凄い。◎。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バルトーク:ヴァイオリンのための第一ラプソディ,ザスレッキ(Vn)作曲家(P)(HUNGAROTON)1939/11/4live・CD,,非常に状態が悪い。シリンダ録音らしく何度も途切れ独特のノイズが耳を打つ。ザスレッキはかなり前時代的な大見得を切るかっこうの演奏振りで、ちょっと違和感を覚えるが技術的にはまあまあちゃんとしているようだ。ピアノはよく聞こえない。前説や拍手がつき、ほんとのライヴのようだ。無印。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バルトーク:ヴィオラ協奏曲,◎プリムローズ(Va)ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団(green HILL)live・CD,,非常に音はいいし演奏自体も軽さすら感じさせるまでにこなれていて美しい。バルトークの情念的な部分の殆ど無い、ウォルトンのような表現というか、ウォルトンが真似たとも言えそうだが、ヴァイオリン的な音でそつなくこなすプリムローズだけに(そういう演奏ばかりではないがココではそのとおりである)尚更聴きやすく娯楽性が高い。ヨッフムがまたプリムローズと組み合ってありえないくらいの融合ぶりを発揮して、伴奏指揮者として巧い。◎。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バルトーク:コントラスト,○ギレー(Vn)他(concerthall),,クラリネットとヴァイオリンとピアノという編成のジャジーさをバルトークならではの抽象化作業によって硬質の楽曲に作り変えたバトルモード全開(コントラストというほどアンサンブルとしての衝突はせず単におのおのの主張が陳列されるようなところがあるけど)の曲。ピアノの粒だった音とクラのベニー・グッドマンをクラシカルにしたような骨太さにギレーの精力的な音表現は往年のアメリカ楽壇の力強さを表現している。とはいえ、楽曲的に甘さを捨てているわけではなく少なくとも弦楽四重奏曲のようなものに比べればぜんぜん叙情的な曲で、ストラヴィンスキー的ともいえ、ちゃんと弾けるソリストが三人集まってやってる演奏なら十分に楽しめる。東欧音楽が極端に苦手な私も。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ソナチネ,ディッタ・バルトーク(P)(VIBRATO)1944ブルックリン博物館live,,大仰な打鍵から壊れかけのオルゴールのようなフランスの匂いもする美しい響き、まさにソナチネといった練習曲風の民族リズムの軽やかな動き、そのロンド的な交錯を楽しく聴いていく。こういうリズムは他所の人にはなかなか取りづらいのかもしれない。客観的に整えず、指の走るままにえんじる一方個性的な音響の羅列も目立ち、音数を詰め込まないバルトークにちょっとサティ的なものを感じることがあるが、この曲は音数は多いほうではあろう。録音が悪すぎてなかなかつらいが、冒頭の「ヴァイオリンとピアノのための第一ラプソディ」みたいな始まりは指が弱くよたる感じがするものの、その後はまずまずではないか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ソナティナ,○作曲家(p-roll)(HUNGAROTON)1920?・CD,,ウィンダムヒルみたいな出だしからドビュッシーの影響を受けていた初期に通じるリリシズムが印象的。才気と香気のバランスがとれて秀逸な小品。ヴァイオリンのラプソディ第1番と似た粗野で民族的なリズムにのっていることすら忘れさせるような調子だが、短い。作曲家はブレなく、リズムのロール撚れはあるものの自身の確固とした表現をしていることはわかる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ディヴェルティメント,デゾルミエール指揮ORTF(ina/SLS)1950/7/18シャンゼリゼlive・CD,,音の汚れも厭わずひたすら強く発音させ、突き進む。起伏というかメリハリがないようにも感じたがモノラルで立体感のない録音のせいかもしれない。ライブなりの乱れも含めて気を煽るところはありブラヴォがとぶ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:バレエ音楽「中国の不思議な役人」,"",ライナー指揮NBC交響楽団(WHRA)1946/12/15・CD,,この録音では12分しかないが喧しくて十分だ(暴論)。近代オケの機能をフル活用してハルサイを「正しく」構築し直した結果、あまりに目が詰まった情報量の多い音楽となった感じ。洗練された技巧よりもドビュッシーからストラヴィンスキー、そこより己の晩年の作風に至るまでの過渡的な空気も感じる。つまり私は苦手。演奏はまさにこのオケの機能性を存分に発揮したかんじ。作曲家の親友であったライナーは同曲によくあるような機械的なさばきをせず力感あふれる「マスで押し切る」表現をとるが、それがちょっと裏目に出ているか。これはしかし青髭もそうだがテキスト(舞台)無しでは細かい仕掛けまで楽しむのは困難ではないか。バレエ音楽(ないし組曲)として企画されたものではないがここにはバレエ音楽と表記されているのに従った。ライナーのものはNYPとのライヴもある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バルトーク:バレエ音楽「中国の不思議な役人」,○プレヴィターリ指揮ロイヤル・フィル(HMV,EMI)LP,,引き締めるところは引き締め、派手に鳴らすところは派手にガシャンガシャン鳴らすプレヴィターリの音楽はこの曲によくあっている。野蛮主義的な側面のほうに耳をそそられる演奏で、ただ書法を抉り出すたぐいの演奏ではなくあくまで舞台演劇的なわかりやすさが通底しており、鋭いエッジの立った表現にも節度があるのはこの人らしいところだ。耳が痛くなった。もっと柔らかい演奏のほうが好きだけど、こういう音楽なのだろう、○。,-----,,,,,,,,,,,,
バルトーク:バレエ組曲「かかし王子」,○ブール指揮南西ドイツ放送交響楽団(DISCLOSURE:CD-R)LIVE無茶苦茶綺麗な曲。ドビュッシーの多大な影響下にありながらワグナーふうのどっしりしたたたずまいを持ち、民族的な主題も包含した非常に演奏効果の高い曲である。緻密で硬質な響きには後年の洗練された作風が既に予告されているし、何より後年の気難しさがないからとても親しみ易い。一番近いのはルーセルのバレエ音楽か。中国風のかかし王子の音形も無邪気な範囲からはみださないよう配慮が行き届いている。節度は時としてつまらなさの裏返しとなるが、ここではちょうど良い。ブールの気品ある棒も冴えている。録音に少し難があるので○にしておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:バレエ組曲「中国の不思議な役人」,○ドラティ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(RCO)1958/1/30放送LIVEシャープで鋭い切り口の演奏。録音が悪いがさぞ目の覚めるような演奏だったことだろう。こんな不協和音だらけでリズムバシバシ・バーバリズムで、それでも娯楽的な感興をあたえるのだからじつによくできた演奏である。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:バレエ組曲「中国の不思議な役人」,○マルティノン指揮シカゴ交響楽団(RCA他)1967/4/26・CD,,マルティノンの演奏には覇気漲る演奏とまったく無い演奏があるがこれは前者。世界屈指の技巧的オケを相手にギリギリ締め上げてバルトークの音響を余すところなく引き出しており、録音的にも優秀なステレオで、万人に勧められる。オケコンなど耳馴染み良い曲ではないが室内楽ほど頭でっかちの精緻さも際立たず、騒音主義やオリエンタリズムを計算し直して正確なスコアに起こしたような音楽で、主題はどこへ行ったというウイットの無さは気になる人は気になるだろうが、ややもすると煩いだけの平板な印象になるところ、めくるめく管弦楽の色彩変化を変な色を加えず明瞭に示していて、抽象的に仕上げてなお魅力的であり、同じ盤のヴァレーズとの内容の質の落差がはからずも明確になっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:バレエ組曲「中国の不思議な役人」,ドラティ指揮読売日響(tobu)1982/03/13live・CD,,モノトーンの破裂的演奏。雑味はあるし鈍重さも感じるが、同オケの特にソロの上手さにドラティのオケコントロールの熟達した技が聞きどころ。決してバラケはしない。フライング気味のブラヴォほどではない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:バレエ組曲「中国の不思議な役人」,ブリュック指揮ORTF(ina)1960/3/8live,,先鋭な大曲で力量を発揮するテクニシャンのイメージそのままで、マルティノンのように明快でいながらリズム処理には娯楽性がやどり、カラフルなバルトークという、ロザンタールがやりそうな芸風で魅せている。ロザンタールの芸風よりも前へ前へ突き進む感があるが強引さはない。暗く蠢くような音響表現は一切無いのでそれを野蛮主義的にどうなのかという話はあるかもしれないが、ストラヴィンスキー臭くは少なくともなく、書法的に偶然トリルを多用するといったところからかもしれないがむしろスクリアビンの肯定的な管弦楽曲に似たものを志向していると感じる。この諧謔的な曲でフランスでブラヴォが飛ぶのも(そんなに飛ばないが)珍しい。この一夜は特別な演奏会だったようである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ピアノと管弦楽のためのラプソディop.1,フォルデス(P)ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1965/12/16放送live,,バルトークは長らくこの曲しか聴けなかった。フォルデスで、デゾルミエール伴奏のLPだったか(CD化された)。ロシア国民楽派にハマっていただけあって、チャイコフスキーにスクリアビンを少し振りかけて、長々しく単一楽章のロマン派協奏曲に仕立てた、といった今ならウンザリするような曲に親しみを抱いていた。いま聴くとやはり作品番号1だけあって、ロザンタールだからかもしれないが色彩感はあり特に末尾はドビュッシー的な繊細な響きが光りはするものの、殆ど先輩方の協奏作品のバリエーションであり、ラフマニノフですらこれより新しく、グラズノフくらいといったところか。グラズノフは堅固に簡単にまとめているが、バルトークらしさは構造へのこだわり、特に抽象化された民族リズムを上手く溶け込ませているところなど、ドロドロしたところがなく無駄は少ない。楽想は少ないが、フォルデスは師の作品だけあってそのわざと力に言うまでもなく(ここでも盛大なブラヴォがきかれ、フランスでこんな民族協奏曲で盛り上がるのはフォルデスの評価の高さを傍証するものである)、ロザンタールの伴奏スキルの高さもそうとうで、曲がけして協奏曲を名乗らず狂詩曲であることでもわかるとおりその管弦楽の垢抜けた明るさが情緒的な明るさに透明感をあたえ聴きやすくしている。雑味はあるし録音もあまり良い方ではないものの、かなりの喝采、と再度付け加えておこう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ピアノと管弦楽のための狂詩曲op.1〜5つの抜粋,

作曲家(P)ドホナーニ指揮ハンガリー王立歌劇場管弦楽団(HUNGAROTON)1939/4/30live・CD

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音が悪く抜粋であるため確かめるものは余り無いのだが、ドホナーニ父との迫力あるコンサートセッションが聞ける意味では価値はあるか。作曲家もバリバリ弾く。ロシア国民楽派の影響色濃いこの曲が、やっぱりロシア国民楽派の影響下の曲だなあと思わせる演奏でもある。

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ディスク3収録、試聴可能。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:ピアノのための組曲,ディッタ・バルトーク(P)(VIBRATO)1944ブルックリン博物館live,,バルトーク生前の演奏であり録音はきわめて悪いが特筆しておくべきものだろう。VIBRATOはバルビローリのオケコンの埋め合わせのようにこのコンサート記録を入れているが既にフンガロトンかどこかから出ていたかもしれない。奥さんの演奏だからといって、もちろんミクロコスモスは有名な録音だが、バルトークの意図したとおりにやっているかどうかはわからない。1曲目はバルトークの野蛮主義と世俗的な雰囲気のあいまった個人的に一番好きな曲だが、これは自作自演もあるが、なかなかエッジがきいていて小粒な迫力はある。ただ指がそれほど強いわけではなく、通して聴いているとあれっ、と思うところもあるし、専門ピアニストとしてはそれほど上手いとは言えないだろう。歴史的記録としてどうぞ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ピアノ協奏曲第1番,ロロフ(P)クリュイタンス指揮BPO(memories他)1952/9/5ベルリンlive・CD,,クリュイタンス初ベルリン・フィルのライヴ記録で音はこもり気味。それを押しても暴力的なバルトークの野蛮主義が冒頭から破裂し、ナチはもういないんだとばかりにバリバリ弾きまくるロロフ。しかしクリュイタンスは比較的透明感ある音を作り、少しヤワに聴こえる。もっとも民族的表現の昇華の過程でラヴェル的なところも結果として盛り込まれたバルトークはフランスのオケと相性がいいと感じることがある。クリュイタンスは響きの理知的な部分で訴える。まだ雑多な聞き心地のするバルトーク、どうもとっつきづらい一番ではあるが、ドキュメント以上の演奏にはなっている。が、バルトーク好き以外にはすすめない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ピアノ協奏曲第2番(1938),◎リヒテル(P) スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(ASdisc他)1968/8ライヴリヒテルの透明感ある繊細な音色がバルトークの底に在る清々しいドビュッシズムを浮き彫りにして終始心地よく聞くことができる。これがライヴとは・・・。リヒテルにはいつもながら唖然とさせられる。この曲はまずはペット・ソロとティンパニが巧くなければお話にならないが(東欧の音楽って何故いつもブラスセクションの高音部を突出してえがくのだろうか?)、この演奏のバックは納得の表現力と熱意の篭った非常に腕の達者な演奏家のものだ。明るく外向的な曲の特性は、スヴェトラーノフの澄んだ抒情と尖鋭なひびきにマッチしており、これ以上のバックは望むべくも無いだろう。こういう演奏にはじめにふれておけば、この曲にもっと親しめたかも、と思う。余り悪口はいいたくないがDGのアンダ盤はバック・オケが鈍く、同曲の掛け合い的な面白味が失われグズグズになっており、独奏者含めけして調子の良い演奏とはいえないとおもう。泰流社刊グリフィス著「バルトーク」では冒頭のペットはストラヴィンスキー「火の鳥」終曲から「あつかましくも」とられたものとされているが、描く対象が異なる為かとりたてて耳につくことはない。ラヴェルの協奏曲を意識しているといわれ、1番の濁った奔放さが、より流麗な筆致で昇華されたさまは特に二楽章の精妙な音楽で堪能できる。バルトークお得意の「夜の音楽」が、聞きごたえのある断固たる音列の中に遥かに聞こえて来る。コダーイ張りの民謡主題が全く独自の新しいテクスチュアのなかにどっしりと腰を据え、あるいはがしがしと鞭を打つ。決して名曲揃いとはいえないバルトーク全作品中の最も良質な部分をきくことが出来、30年代の代表作とされることもある。但し民謡に抵抗感を覚える向きは終楽章など生臭くこけおどし的と感じるかもしれない。非常に目の詰まった音楽をかくわりに全体構成が不思議と錯綜してしまうバルトーク、じつは私はあまり得意でないのだが、これは割と聴きやすいかもしれない。でも通常は3番のほうが名曲と感じるだろう。逆にバルトークをあくまで”アレグロ・バルバロの作曲家”と考える向きは、この悪魔的な終楽章にカタルシスを得られるかもしれない。もっともこの演奏では終わり方に仰々しさが足りず、盛大な拍手も出だしが戸惑い気味のように聞こえた。でもそこまでの美しさと生き生きとした表現でまずは満点を出したい。この演奏は今は正規盤でもでていると思う。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:ピアノ協奏曲第2番〜5つの抜粋,

作曲家(P)アンセルメ指揮ブダペスト交響楽団(HUNGAROTON/king)1938live・CD

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硝子を弾くように透明で硬質、しかし空疎なSP音質できくとバルトークの音楽はいっそう独特のものに聞こえてくる。初めてバルトークを聴いたとき、聴いたことの無い音楽だと思った。それは珍奇だから聴いたことが無いのではなく、まったく異なる惑星のポピュラー音楽を聴いたような感じだった。冷たいのに熱狂的。今でもその新鮮さはかわらず(すべての曲ではけして無いけれども)この曲にも、またバルトーク自身の「冷徹な熱狂」をもたらすピアニズムにしてもそうなのだが、「これだけしか聴けなくなるとき」というのが私にはある。ブツ切れの抜粋なので評価はできないし、雑音が大きくオケなどほとんど聴けない。バルトークは指がもつれているのかあの特有のリズム感を表現しているのかわからない箇所がわずかに聴かれる他は機械のように音楽を奏でている。そこに透明で硬質のSP音がいかにも不思議な雰囲気を盛り立てる。参考になる演奏ではあると思うし、バルトークの大規模楽曲の自演ライヴとして価値はあろう。音量の盛り上がらない終盤から終演後の司会挨拶まで入る。

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ディスク2収録、試聴可能。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番,○アントルモン(P)バーンスタイン指揮NYP(DA:CD-R)1967/1/21,,冒頭よりやたらと打鍵が柔らかく叙情的な流れを作り出そうとしているようだが曲がいくら平易とはいえ「バルトーク」なので鈍さのようなものを感じさせられざるを得ない。技術的にいささかの不安もないのに(この曲においてさえたいてい不安のある演奏が多い)物足りなさを感じる。バンスタは軽い旋律をメインに据えた薄い音楽を目しているという点でアントルモンと同じ傾向を示しており、個性は無い。旋律偏重・高音偏重という点ではいつものバンスタではあるのだが。綺麗なことは綺麗で、1,3楽章が2楽章と同じように美しく聴けるゆえ○にはしておくが、どうも腑に落ちなかった。篭った録音。,,↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ," ",,-----,,,-----,,,-----,,,-----
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番,フォスター(p)コープランド指揮ボストン交響楽団(SLS)1965/4/9live,,後妻ディッタ夫人がアメリカ人相手に演奏し、数回でも稼ぐことができるよう最後まで頑張った作品である。ラプソディ以来ひさびさのロマン性が先に立ち打楽器的要素は少なく、独特の書法が簡素に(とくに和声的にはほとんど目立たず)忍び込まされ、戦前に流行った新古典主義ピアノ協奏曲のようなスカスカ感の否めない作品にはなったが、よく聴けば依然個性の刻印、熟達した管弦楽法の発露を聴き取ることはできるし、旋律やリズム要素には素直に一般に受け入れられそうなものがあり、全てのバルトークのピアノ協奏曲の中で最もアピールする要素を持っている(僅かに他者補筆あり)。簡素ということでこの演奏でも一楽章は冒頭よりピアニストが少ない音符に対して打鍵の強さを制御しづらいのか雑味が呼び込まれ、コープランドの指揮ということもあって全般に固さが目立つ。見通し良く響きに透明感は感じられ(録音はノイズ混じりのモノラルだがSLSではかなり良い方)、次第に噛み合ってきて、三楽章はソリストオケ共に高い技術を背景に純度を保ちつつ楽曲の要求する娯楽性もしっかり示してきており、力強いクライマックスで大喝采で終わる。ブラスの響きがアメリカっぽいのは作品に対して皮肉か(コープランドもあっけらかんとした表現をするのでシャーンドルがオーマンディのフィラデルフィア管弦楽団と録音したものとはまた違う印象がある)。ちなみに夫人は何度か録音しているというが、VSOとの衰えの目立つ録音以外知らない。何かの機会に一気に復刻されるとよいのだが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番,フランソワ(P)ジンマン指揮ORTF(ina配信)1969/10/19放送 live,,残響を極力使わない分、解像度が高く明晰ではあるが乾燥に過ぎるソリスト、ライブではコンディションが問題とされるが、ここでは2楽章は(いささか素っ気なくも)ウェット過ぎる原曲を透徹したまなざしで哲学的に仕上げて、オケの性向ともマッチして聴きどころにはなっているが、両端楽章は技術的なムラが顔を出し(ヘタなんではなく手を抜いたり二日酔いだったり色々)、オケはオケで大味で、ちゃんと付けてはいるがどこかオシゴト的。3楽章はスポーツ的感覚でスピーディーに仕上げて、暖かい拍手で終わりはするが、フランソワ嫌いには「内容空疎で上っ面鍵盤を鳴らしているだけ」に聴こえると思う。バルトークが聴衆(つまり奥さんの生活)のために敢えて平易に書いた作品で、数学的な技巧が影を潜めているぶん簡素に過ぎ、解釈上のロマンティックな要素が肝要となる。ここにはそれは無い。即興的と言うのも違うと思うくらい解釈は無い。弾けさえすれば自ずと出来上がるラヴェルをやるようにやっている。私はドビュッシーの幻想曲の酷さに比べれば余程良いと思うが、最晩年作から漂う(べきである)諦念を捉えられなかった。ついでに録音悪い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番,ヘルファー(P)マデルナ指揮モンテ・カルロ国立管弦楽団(SLS)1969/11モナコ(スタジオ),,極めて良いステレオ録音で拍手もノイズもないため何らかのレーベルの正規録音であると思われるがソースは知らない。私は初見。ヘルファーは2楽章では重なる音の強弱のコントロールが細かいパセージにおいてうまくいかず不協和的に聞こえてしまうところがあり、また録音が良すぎるせいなのだがマデルナの派手ではあるが大雑把でしまりのない統率が1楽章では音楽をバラバラに聞こえさせてしまう。ただ、ドイツ的な構築性といおうか、テンポの揺れはなく、マデルナらしくもない四角張った組み立て方がやや弛緩した印象を与えているだけかもしれない。響きのカラフルさや透明感、鋭さはフランス的でマデルナの個性よりオケの個性が出ており、同時にバルトークの源流たるドビュッシーの存在に想い馳せさせる。2楽章はバルトークの郷愁を灰汁抜きして私には聴きやすかった。3楽章は元々絶筆で未完成の楽章ではあるから、なおさら慣れない様子のマデルナ(協奏曲伴奏が不得意なのか?)には難しいような感もある。構成が今ひとつピンとこないようなところはあるが、ただ、ソリストともども全曲中もっとも没頭できる演奏になっている。全般異質な感じのバル3だった。指も強くて回るし技術的に余裕があるはずなのになんで音が濁るんだろう。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番,リパッティ(p)ザッヒャー指揮南西ドイツ放送交響楽団(URANIA/TAHRA)1948/3(5?)/30放送live・CD,,TAHRAは五月としている。しょっぱなからオケがグダグダ・・・。最初イタリアのオケかと思った。録音も悪い(何とかしてくれハウリング音)。リパッティもイワユル落ち着き系の演奏振りで、私個人的にはもうちょっとスピード感が欲しい気がする。勢いが無く、音だけ綺麗に磨かれている、いかにも現代音楽演奏家の音楽に近い作り方がされている。1楽章イマイチ。,,2楽章は冒頭から美しく情感を込めて歌い上げられる。作曲家の白鳥の歌と言ってもいい清澄な悟りの音楽(望郷の音楽とも言われるが)、孤独でさみしげなリパッティの演奏ぶりもちょっと並ならぬ雰囲気がある。まだ作曲家が亡くなって3年しかたっていない。作曲家ゆかりの演奏家たちなだけに、ここは感傷を込めずにはいられなかったのだろう。一方繊細な響きがちょっとフランス風な感じもする。若い頃にドビュッシーの影響を強く受けたバルトークの本質の一端が引き出された形だ。中間部の明るい「目覚め」の音楽にもうちょっとテンポ的なコントラストを付けて欲しい気もしたが、そもそもそういう演奏解釈ではないのだろう。ここは落ち着いた音楽にてっしている。美感はそれなりに評価できる。プロコフィエフ的なくぐもりに落ち着く後半部も感情が入っている。冒頭部が蘇るところでのヴァイオリンの鋭い音色が美しい。,,3楽章。あいかわらず落ち着いた演奏ぶりに違和感。リパッティという俊敏そうな名前とは隔絶した遅速ぶりで、勘違いアマチュアピアニストなんて「もっと上手く弾けるわ」なんて思うかもしれない(しかし打鍵は正確確実で音質も純度が高く、危うさを感じさせるところが皆無なところにアマチュアとは全くレベルの違うものが確かに存在していることは言わずもがな)。オケも迫力に欠ける。打楽器系が弱いし木管ソロもつんのめりがち。オケは前へ行きたがっているのかもしれない。いずれ録音が悪すぎるので断言は避けるべきかもしれないが、強烈な個性を感じないことは確かだ。古典的なフーガが現れる場面などアンサンブルの面白さより響きの美しさを重視したような感じもする。どことなくタテの音楽ではなくヨコの音楽を志向している。最後の盛り上がり(絶筆部分前後)は録音がとらえきれてない。ぶちっと切れる。総じてム印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番(1945),△ニコラエワ(P)アノーソフ指揮ソヴィエト国営放送交響楽団(boheme)1956ばらつきがありお世辞にも巧いとはいえない演奏。スピードが遅く、一個一個フレーズを確かめるように進むやり方によって、曲の美質が損なわれている。ソリストもあまりのって弾いているとは思えない。強いて言えば2楽章中間部から3楽章にかけては比較的聴けるようになってきているが、ロジェストの親父さんアノーソフの指揮もプロコフィエフを振るときの集中力がほとんど発揮されていず、結果的に「流した」ような気がしてならない。あまりこういうことは言いたくないのだが、駄演だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番(1945),○ツェヒリン(P)ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(DEUTSCHE SCHALLPLATTEN,ETERNA)LP残響を抑えた弾き方が独特。1楽章はそれゆえ粒だった音が強調され面白い。ただあまり達者じゃないというか、遅めのノリでもつれるような発音がもどかしい。変にインテンポだ。バックもデュナーミクには面白みがあるがケーゲル独特の醒めた視点が感じられ煽情的な曲感を損ねている。ただソリスト共々3楽章は変化がつけられていて響きも充実している。オケに前向きのノリがないのが残念だが縦を重視した演奏ぶりはいかにもドイツ的でよい。ピアノも打鍵こそ弱いがしっかり仕上げている。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番(1945),○ディッタ・パーストリ・バルトーク(P)シェルイ指揮ウィーン交響楽団(MHS)LP,,夫人老年の演奏らしくかなり硬さが目立つ。指が堅いというか、しゃっちょこばったテンポがとくに一楽章では目立つ。ただ打鍵が凄く強く、かなり打楽器的な演奏を指向していることもわかる。細かい音符も一つとして逃さない。だから面白いといえば面白いのだ。未完のこの曲の最後の13小節を補筆した弟子シェルイの棒はすこぶる冴えていて、ソリストを圧倒すると言ったら言い過ぎかもしれないが、やんちゃなウィーン交響楽団を巧くドライヴしてスムーズでかつソリストの解釈との違和感を極力抑えた円熟したワザを見せている。2楽章が技巧的にも平易なせいかいちばん地に足のついた演奏になっていて、夫の望郷の念を、割合とドライにではあるが、美しく透明に描き出している。3楽章は聞き物。盛り上がる。スピードは期待できないし最後の追い込みの弱さが出てしまっているものの、私はアンダなどよりは余程興奮した。決してプロフェッショナルなピアニストとしての技は期待できない、でもバルトークが自分の死後異国に一人残されるディッタが食いっぱぐれないために演奏レパートリーとしてわざわざ平易に書いたこの作品、その思い入れを持って聞けばそれなりに感動はするだろう。録音はいい。ステレオ。シェルイの作品とのカップリング。おまけで○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番(1945),○ファルナディ(P)シェルヒェン指揮ウィーン国立歌劇場o〜やはりハンガリー出身でバルトークの弟子、フバイ晩年の共演者としてアンサンブル・ピアノで名を挙げ、教職に就いて後50代で早世した女流ピアニスト。スタイルは力強く豪胆で、シャーンドルの快速軽妙とはやや趣を異にする。一面ヴィルトウオーソ的だ。シェルヒェンの意表を突く音造りが何といっても楽しめる。やはり「ウマい」指揮者だ。3楽章は秀逸。ミヨーを聞いているような分かりやすさがあり、飽きさせない。難点は2楽章、やや幻想味が足りない気がする。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番(1945),○フィッシャー(P)フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(TOE:CD-R)1956/3LIVE客観的で重く切れ味の鋭いフリッチャイは決してバルトークのようなスピードとテクニックで出来上がった音楽にはあっていないと思うのだが、意外といけたのが2楽章である。ソリストもフリッチャイの重さに共鳴しているようで、選び抜かれた破音の散文に渾身の力を込めている。異様な迫力がありたんなる望郷の歌に留まらない何か芸術的に凄いものを聞かされている思いがする。他の楽章は比較的遅いので娯楽性は落ちるが、フリッチャイ好きにはアピールするだろう。録音はあまりよくない。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番(1945),○ペナリオ(P)ゴルシュマン指揮セント・ルイス交響楽団(EMI)1953・CDバルトークのいちばんわかりやすい曲。この曲とプロコ3番を組み合わせたのはなかなか乙。この演奏は思ったよりも抒情的だ。無論バルトークならではのカラっとした打音はきちんと叩かれているが、望郷の念が篭っていると言われる静謐な2楽章などけっこう聞かせどころを踏まえている。この曲の他の演奏と比べてあまり派手なものはないが、十分楽しませてくれる。やや深みが足りない感もあるが、曲が単純だからそこまで求めるのは殺生だ。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番(1945),アンダ(P)フリッチャイ指揮RIAS響〜表現意欲の強い演奏。曲に慣れる前に聴くと好悪わかれてしまうだろう。バルトークの数多い弟子の中で最も著名なフリッチャイは、その情熱において日本で局所的に評価された指揮者だが、やはり少し「濃」過ぎるか。アンダも少し呂律が回らないようなところがある。一時期もてはやされたが今は余り人気のない盤です。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番(1945),シャーンドル(P)、◎オーマンディ指揮フィラデルフィアO(COLOMBIA/PEARL)/ギーレン指揮(VOX)/フィッシャー指揮ハンガリー国立O(SONY)CD〜柴田南雄氏の著作(「現代の作曲家」S33)でも取り上げられている、初演メンバーによるこの演奏。モノ時代の素晴らしいオーマンディが聞けますが,オケ以上にシャーンドルの存在感が圧倒的。超技巧派だが今ひとつメジャーでないこの人も、ことバルトークに関しては多数録音しています。ご存命です(確か)※。知る限り3つの録音があり、最近のものもぜんぜん衰えていないのにはびっくり。 有名なフィリップス盤(ギーレンとのステレオ録音、VOX廉価盤でCD化)はLP評で表層的に過ぎる*と酷評されたものですが、ストレートに弾き切るタイプ、往年のプロコフィエフやギレリスといったロシア系の鋼鉄技巧派ピアニストに通じるものもあり、そういった演奏を好む人間には至上の愉悦を感じさせてくれます。大袈裟な表情付けや重苦しさが似合わない類の曲ですから、ヴィルトウオーソ向けではないでしょう。リヒテルやフランソワなどには合わない。アメリカ風に垢抜けたシャーンドル*2の軽妙さとモノ末期の滴るようなフィラデルフィアの音がじつに見事に結晶したものです。2楽章のドビュッシー的な響も美しい。最新録音(1989ブダペスト、SONYclassical)フィッシャー指揮ハンガリー国立バックのものは、オケの透明さがシャーンドルの一風無機的な音とシンクロして、別の作曲家の作品か、もしくは「ミクロコスモス」の編曲をきいているのかと思うほどに「静謐」です。自らライナーも書いています。シャーンドルはコダーイにも学んでおり、その意味では民族派音楽家の王道といえるでしょう。この盤はパールでCD化しましたが、音質がイマイチです。*:私見だが、音楽の精神性や芸術性なるモノは、所詮一連の音の連なり、空気振動という物理現象にすぎない代物を、想像力豊かな独善者(音楽をきくものは皆そうだ)が勝手に決め付けているだけ、あくまで主観の産物だ。「これは駄目だ」と言う前にわれわれはつねに「私見だが」というひとことを付け加えるべきだと思う。私見だが。*2:バルトークの弟子。最新録音のジャケ写はシャーンドルとバルトークのツーショットですが、そもそも本盤がSP発売されたときの添付写真で、バルトークの衰えぶりに柴田氏がショックを受けたという話しが前著に記されています※2005年お亡くなりになりました,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番〜U.,○リパッティ(P)ザッヒャー指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団(MEMORIES)1948/5/30live・CD,,最近は端切れのような非正規記録を詰め合わせ商法で売りつけてくるmemoriesだがこれも、いやらしいのはアンセルメとのリストとこの曲くらいしか私には価値がないことで、しょうじきリストだけでは買おうと思わないので、結局10分少々のために3000円以上の二枚組・・・うーん。演奏はザッヒャーらしさのほうが耳を惹いた。リパッティは少し重い。粒だっているがその粒が大きい。録音がかなり悪いので、ぼわんと音符がふやけることもあるのだが、この曲唯一深みを感じさせる楽章だけれども、ロマンティックな重さによって表現しようという部分が若干感じられ気になった。ラヴェルの両手のような透明感ある透明かつ硬質な表現のほうが向いているのではないか。くらべてザッヒャーはもともと透明で薄いバックオケを更に磨き上げ特有の叙情をかもしている。望郷の念を篭めたと言われる楽章だがそういうのとはまた違う抽象的な感傷を示すものになっている。客観的であるがゆえに曲そのものの簡潔さの美学が引立つ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番〜U抜粋,カペル(P)ザッヒャー指揮SWF南西ドイツ放送交響楽団(memories)1948/5/30live・CD,,40年代ライヴということで録音的にはかなり厳しく耳を衝くようなノイズが痛い。楽章の性格上のこともあれオケが重苦しい。透明感あるカペルの音との乖離具合が逆にこの作曲家の作品群中における同曲の立ち位置を考えさせられる。とにかく短いのでこのくらいしか言えない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ミクロコスモス組曲(シェルイ弦楽編曲),ディッタ・バルトーク(p)シェルイ指揮弦楽アンサンブル(vibrato)1944liveニューヨーク・ブルックリン博物館,,5曲からなる組曲で、ほぼ民族的な荒々しい曲からなる。シェルイはよくこういうことをしていた。ピアノ協奏曲第3番の末尾補筆もやったのではなかったか(うろ覚え)。これは録音が貧弱すぎる。ピアノだけならまだしも、民生SP録音機もしくはテープ録音機を素人が使っているのだろう、アンサンブル以上の規模になると音量も音程もバランスも狂ってくる(原盤はSPであるようだ)。特有のリズムと響き、それを支える安定した技巧がライヴで提示されている、そのくらいしか言えない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ラプソディ第1番,○フリード(Vn)コンドラシン指揮クリーヴランド管弦楽団(harvest classics:CD-R)1979/10/9LIVE,,荒々しく重い演奏で、バルトークのわりと素直な民族舞曲にもかかわらず結構ずっしりした聞きごたえの演奏。シマノフスキやウォルトンらの世界に近い清澄な響きとストラヴィンスキー的にメカニカルな構造で一気に駆け抜ける曲だと思うが、この重さはソリストにつけたのだろうか。タッチが粗くてバルトークの隙の無い書法を余すところなく伝えるというわけにはいかない感じなものの、民族的な雰囲気があるのは確かで、盛大な拍手にはうなづける部分もある。ソリスト的にはけして最良ではないし録音も安定しないステレオで聞き辛いが、○にはできるか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ラプソディ第1番,オークレール(Vn)アンブロシーニ(P)(meloclassic)1960/9/23パリ放送スタジオ録音・CD ,,オークレールには向いた曲かもしれない。民族的な荒々しさの中にストラヴィンスキーを思わせる抒情的なフレーズが挟まれるなど分裂的な楽曲を、ちゃんと切り替えて巧みに弾きあげている。荒っぽい奏者ゆえ人によってはちゃんと弾いてくれと思うかもしれないが、独特の世界を形作っている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:ルーマニアの世俗的な舞曲,○チェリビダッケ指揮トリノ・イタリア放送交響楽団(ARKADIA)1962/1/9live・CD ,,そのまんまの5曲からなる組曲である。踊りに向いていないと想われるチェリだが、案外舞曲になっている。やはり力強く純粋な音だ。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲,"",アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina配信他)1957/7/4live 7/11放送,,民族的表情は足りないものの(リズムがまともすぎ、装飾音がハマらないなど)一般的な民謡編曲イメージにて明瞭に演奏されており素晴らしく耳なじみの良い、「フランス風の」洗練された演奏になっている。ロザンタールなどがやるより格調高く(ロザンタールがやったかどうか知らないが)型式ばったところもなく、アンゲルブレシュトの演奏としては「さすが」の範疇にある。このあとダンディの「フランスの山人交響曲(GARTENLAUB(p))」、カントルーブの「オーベルニュの歌抜粋(THEVEN(sp))」、それにアンゲルブレシュトの歌曲Vezelay(CAUFFET(bar))が収録されている。モノラルだがノイズがなく聴きやすい。2016年10月1日Amazonデジタルミュージックでも配信開始されたが、6分ほど長いようである(曲目は同じと思われ差異不明)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バルトーク:歌劇「青ひげ公の城」,○トマス・ステュアート(Br)イヴリン・リアー(S)マルティノン指揮シカゴ交響楽団(放送)1967/4/27,,夫婦共演の歌唱のほうは若々しく乗っているのだが全般に色が無く平凡な印象だ。楽曲自体のロマン性がマルティノンとうまく噛み合っていないのか、味気ない。録音状態も私の手元のものは悪く、ステレオの途中で右に寄ったり小さくなったり気をそぐ。53分程度でおそらくカットはあると思うのだが、まあ、オペラは守備範囲外、こういうロマン派オペラは大守備外ということで、○だけつけて放棄。英語による歌唱。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,○D.オイストラフ指揮モスクワ・フィル(REVELATION)1972/2/25・CD,,メロディヤ音源か。モノラルで非常に籠もっているのが惜しい名演。オイストラフは少なくとも母国では指揮者としても活躍した背景があり、アベレージの演奏は提供できた才人だったが、ここではヴァイオリニスト指揮者としての弦楽アンサンブルの整理方法含め緊密で内圧の高い、しかも力強く圧倒的な演奏を提示している。曲の本質であるシニシズムや楽想の性格分けはそれほどはっきりしないが、素直に聴いて楽しめる(楽天的ではない)。◎にしてもいいくらい。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(Lanne:CD-R)1950年代live,,ちょっと類をみない演奏である。押しの弱さ、一部演奏陣の技術的な弱さが感じられる反面、ロシアものでならしたアンセルメ特有のリズム表現の絶妙さが指揮者への信頼のもとに築かれた丁々発止のアンサンブルに反映され、透明感ある(土臭さのまったくない)音楽を感興的に描き出している。見通しがいいだけに違和感も感じさせるかもしれないし、バルトークにしては翳りがなさすぎるとも言えそうだが、フランス的演奏といってもいいこの表現がほぼ同時代になされていたことは注目に値する。海賊盤にしてはまあまあ音はいい。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,○アンセルメ指揮フィルハーモニア管弦楽団(BBC/IMG)1958/8/28・CD,,この精彩に欠ける新譜の中では格段に光っている。これがアンセルメの正体か!といった感動が既に一楽章から表われる。覇気、バレエを振っていたころの勢いがここにある。力強い!前のめりにはならないし速いわけでもないが、それでもこの曲にどすんと血肉を与えまくっている。アンセルメはこれだからあなどれない。スタジオ録音しかなかったら見えないところが(もちろん悪いところも)あるというのは知っておかないと正当な評価はできないもので、しかもほんとは実演で評価すべきなんだけど。。録音もまあまあ。これはさすが解釈的な技巧派のアンセルメの知られざる名盤。,-----,,,,,,,,,,,,,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,○カラヤン指揮ベルリン・フィル(SARDANA:CD-R)1982/1/24LIVE,,文句の付けようの無い名演中の名演である。こんなの生で聴かされたらフライングブラボーもやむ無しだ(こういう曲でフライングブラボーが何故いけないのか、世の中には神経質なやからが多いのだな)。,,カラヤンは何故これほどまで適性を示した20世紀音楽に積極的にならなかったのか、この人がゲンダイオンガクはともかく世紀末から20世紀音楽に積極的に取り組んでいたらエセ評論家の評価もまた格別に違っただろう。とにかく、生を聞けばわかる指揮者だというのに一度も聞けなかったのが惜しまれる。でも、ベートーヴェンなんかいらない。ワグナーなんかいらない。こういう切羽詰まったギリギリのアンサンブルを駆使した楽曲でこそこの人の恐ろしく研ぎ澄まされたゲイジュツが生きてくるのである。ただ、この録音、肝心?のインタルードの最後が何故かフェードアウトして切れている。これさえなければ、録音の悪さ(といってもAC盤に比べれば格段にいい)を加味しても◎だったのに。圧倒的です。たとえ私がSHUREのフォンに変えたせいもあるといっても。スピーカー?フォンのほうがよく聞こえるよ。,,◎的な○。とにかくこの時代のベルリン・フィルの技や迫力にも瞠目せよ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,○ガルデッリ指揮ハンガリー国立管弦楽団(eternities:CD-R)1988/5/20live,,これがまたまっとうな演奏で、オケは透明感を保ったまま高い精度で、かつライブらしい気概のようなものを感じさせる。ガルデッリらしいかといえばよくわからないがアンサンブルを鍛えるのに十分な腕、それに明るく色彩的な処理に長けているのは確かだ。やや最後が弾けない感がするのは録音の限界かもしれない。粘らないのがガルデッリだ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,○コンドラシン指揮ACO(aulide:CD-R)1977/11/17live,,バルトークは極めてファンの多い作曲家だが私には掴みどころのない作曲家に見える。ドビュッシーの影響下から始まり民族要素を前衛的手法によって換骨奪胎させた独自の書法を展開し、一時期はまったく人好きのしない演奏家好きしかしないような作品を生み出していたが、晩年渡米後は困窮の末その腕をいかした隙のない緻密な書法を売りとする娯楽作品を世に出した、くらいの文学部的な知識しかない。この作品は「国家的作曲家」ショスタコのレニングラード1楽章戦争の主題を揶揄した「中断された間奏曲」で知られるが、まあ、ショスタコの態度については賛否ありバルトークが批判する態度にも賛否あるだろう、そういうことは抜きにして、管弦楽によるアンサンブルというものの素晴らしさを改めて認識させるような名作であり、他曲とくらべそれほどぬきんでた旋律というものは無いものの、聴かせる力は十分にある。オケの力試しという側面も強いこの作品にあって、ショスタコを得意としたコンドラシンが振る、それだけでもちょっと面白いのだが、コンドラシンのギチギチの指揮は曲の性向とマッチしている。ただ、ブラスが弱い。録音バランスのせいかもしれないがいずれも高音が伸びず音が暗い。弦楽合奏と木管とパーカスだけでも楽しめる曲だが、そのバランスは気になった。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,○ドラティ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1974live,,比較的大きなスケールでガチガチの同曲をヒンデミット張りに盛り上げている。バルトークの曲としてはかなり日寄っているというかわかりやすく作られている作品を、少し鈍重なかんじもするがしっかり派手にまとめ上げている。皮肉も殺伐もなく聞きやすい。録音が不安定なステレオで一部聴きづらい箇所もあるがおおむね楽しめるだろう。ただ、ちょっと尻切れ蜻蛉的な表現ではある。○。,DAからは1975/4/20のNYライヴも出ていたが未聴。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,◎ベイヌム指揮ACO(LYS)1948/9/20・CD,,バルトークはちょっと・・・という人におすすめ!これいいです、わかりやすい!構造がわかりやすいというより、前近代的で、直観的に聞きやすいよう上手くまとめている。またベイヌムの適性をつよく感じる。きわめて巧緻な指揮技術が機械的にならず生き生き生かされている。しかもクーセヴィツキーを彷彿とさせそうでいて決してああいう改変の方向に行っているわけではない。オケ的にメリットはあるにせよ(ボストンもヨーロッパ的な弦を持ってるけど)面白いほど「一般におもねった晩年バルトーク」そのものを切り出すことに成功している。「中断された間奏曲」の「DSCHファシストのテーマ」のじつにイヤラシイ嘲笑ぶりにもうなづかされた。冷たい音に重みを加え透明感が失われている点も、好きずきだが私は好きだ。録音(板起こし)の悪さのマイナスも力強い表現の前に屈服する。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,クーベリック指揮ORTF(forgottenrecords)1955/2/10live,,おそらくエアチェックものでノイジー(最初不安定)、モノラルときてモノクロームに聴こえ飽きてくる楽章もあるが、指揮者によってコロコロ変わるこのオケが、クーベリックにあわせて緊張感溢れる演奏を繰り広げている。管楽器の素晴らしさ、内声で動く打楽器系の明晰さにまずは拍手を。その適度に明るい色彩感をプラスに働かせ、律動的な楽章を「蠢かせる」のではなく「羽ばたかせる」。間奏曲のショスタコーヴィチの揶揄とされる引用の派手さ、断ち切れ方はまさしく「揶揄」で、ショスタコーヴィチが聴いたら苦笑したろうやり方だ。しかしこの演奏の聞き所は両端楽章で、クーベリックがなぜ小フルトヴェングラーのように言われたのかわかる、集中力、その根底のロマン、しかも苛烈なアンサンブルが乱れないのはこのオケでは奇跡的としか思えない(バルトークの書法の素晴らしさとも言える)。中間部の新古典主義的な構造のうえで強く民族性を煽るという、このオケではありえないような技も壮年期クーベリックならではか。セッションでは生まれ得ない生々しさだ。録音は進むに連れ安定しノイズもさほど気にならなくなるので、情報量的にはかなり録れているものだから、好きな方はどうぞ。現代の目線からすると色々あるだろうし、ちょっとコケ脅しで叙情的過ぎて深みがないなどの好み的なところもあるかもしれないが、楽章によっては私は非常に楽しめた。クーベリックの棒の技術的にすぐれた、解釈のしっかりしたところが出ている。盛大な拍手に少しブラヴォが混ざる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,セル指揮クリーヴランド管弦楽団(eternities)1965/4/25live,,演奏以前に録音がこもって聞きにくい。セル、バルトークを聴くには不明瞭すぎるしボリュームも小さい。中断された間奏曲終わりで拍手が入りかけるという事態にも拍子抜け。終楽章のめくるめく色彩を振りまき駆け回る弦は拍手ものだし、ハープとのやりとりは素晴らしくみずみずしいが、冒頭テンポの遅い部分では弛緩を感じるし、終わり方も締まらない。他の楽章も勿論録音のせいが大きいだろうが伝わるものがない。どうもテンポ操作が人工的なところがある。パッとしない。一楽章の始めに謎の無音部分が入るのは録音タイミングの問題だけにしても興を削ぐ。うーん。良い録音でどうぞ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(EMI)1995/3・CD,,客観性が勝り生気がない感じがしたのは私だけだろうか。録音状態もそんなによくはなく、結果として(それなりの精度はあるのだとは思うが)それほど厳しい感じのしない柔らかさが、ゆるいテンポとあいまって逆に半端な印象を残した。爆発もせず怜悧な光もはなたず、莫大な中にロマンティックなうねりがあるのはチェリの本質的なドイツ気質によるものだと思うがどっちつかずで終わっている。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,バルビローリ指揮ハンガリー放送管弦楽団(VIBRATO)録音日不明live,,バルビローリのバルトーク?!と思ったが、ハレ管弦楽団とやたら色んなものを録音していた時期の記憶を呼び覚ますような演奏だ。バルトークの鋭さや純粋さはない。しかしこの曲においても歌心を感じさせる「横の動き」に関しては、まったく受け付けない向きもあるだろうが、バルビローリが日寄らずなんとか自分を入れ込もうとした記録としては、すくなくともバルビマニアにはアピールするところはあるだろう。オケはとても上手い。これが二流どころだと惨事になることが予想される解釈だがしっかり力感と緊張感を保っている。バルビは決して職人的技術に欠けていたわけではないので、この曲を振るのに不足はない。過度な個性も持ち込んでおらず、しかしながらバルトークとしてはスリリングな音のやりとりを楽しむことはできないが、トータルして標準的なレベルの演奏ではないか。モノラル悪録音で最晩年の記録ではないだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,ホーレンシュタイン指揮ORTF(M&A)1961/12/19live放送・CD,,好き嫌いのハッキリする指揮者だと思う。曲や時期によってスタイルが変わる指揮者でもあり、莫大で欠伸の出るようなマーラーをやるかと思えば、このように思わず前のめりになるような力のある演奏もする。現代曲指揮者としての側面があり、マーラーにあっても理知的な構築性が背景に存在していて、バルトークではそれが足を引っ張ると思いきや、前進性も損なわれず、色彩は強調されないが間奏曲あたりはしっかり言わんとしていることを言わせていて、ホーレンシュタインの一寸聴わかりにくいスタンスが意外と良い方向に働いたものとして特筆できる。スケールの大きさはいつものこと、ここでは凝縮の余り勢いで終わらせてしまうのではなくたっぷり交響音楽として聞かせている。技術的にもこのオケにしてはよくできている。モノラルだが情報量はある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲,マルティノン指揮ORTF(ina配信)1974/5/15live,,驚くほど明快で軽く、フランス曲を聴いていると錯覚する。作曲家として晩年のバルトークと同時代者だったこともかんがみるとこの人がバルトークを振ることは(リヴァイヴァルの時期を現代指揮者として経験した人でもあるし)当たり前なのだが、録音自体はシカゴでのマンデリン以外知られていない。そもそも現代曲を振りたがる系の人なのに録音の仕事はドビュッシーだのラヴェルだのばかり、シカゴで初めて様々な作品に挑めた感もある。程なく仲違いしたのは不幸な事だが、復刻が進んだ今では認知されている、マルティノンの意欲的で「野蛮な」一面を伺い知れるのはシカゴ交響楽団との一連のセッション録音のおかげだ、、、が、この演奏を聴く限りはイメージは「ドビュッシー」である。バルトークがドビュッシーを尊敬していたのは言を待たないことだが、ドビュッシーに必要な響きに対する細心の配慮、けっして濁った音をゆるさず、そのためにはマスの力で押し切るやり方はせずに、内面の過激さを押し殺し、作曲家的態度で明確に構築し五線のあいだに風の通るようなアンサンブルを作り上げ、フランスオケとフランスふうの音楽作りをした感がある。技術的に磨き上げられ、このオケにしてはミスの聴かれない所も特筆すべき点だ。流れを重視し楽想ごとの描き分けを極端にすることがないので耳馴染みはすこぶる良く(ショスタコを揶揄したフレーズも流れに自然に組み込まれ揶揄に聴こえない)、細かく整理されているとすら感じさせない自然な表現は、プロコフィエフの演奏によく似ている。よくバルトークでこれができたものだ。厳し過ぎず、爽やかなオケコンです。次第にブラヴォが叫ばれる聴衆にも共感。きわめて良好なステレオ録音。ina.frからはマンデリン(注:2016/11現在確認できず)、青髭、協奏曲2番(シェリング)伴奏の放送音源も配信されている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲(1943),○カンテルリ指揮NBC交響楽団(TESTAMENT/MUSIC&ARTS)1951/1/1放送LIVE・CDオケコン久し振りに聞いたがけっこう面白い。カンテルリ向きだ。録音状態はとても最上とは言えないが、颯爽とさばきまくるカンテルリによってとても分かり易い楽曲に整えられている。バルトーク独特の人を寄せ付けない理知的な晦渋が見事に昇華され、オケの機能性を駆使した非常にドライヴ感に溢れる魅力的な演奏となっている。これは録音は悪いが何度聴くにも耐えうる盤だ。インテルメッツオあたりのテンポ感がいい。こういう演奏で聞くとショスタコのレニングラード1楽章を揶揄したと言われる挿句も、とくに違和感無く全体の楽想の中に溶け込んで聞こえる。聞きごたえあり。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲(1943),○フェレンチーク指揮ハンガリー国立管弦楽団(KING,SEVEN SEAS)お国モノです。しかし前提条件として・・・私はこの曲がよくわからないんですよ(泣)。バルトークは無調風で金属的な音楽とやけに生臭い民族的な音楽を掛け合わせずにただ交互に並置したりして、後者は非常に楽しめるのだが、前者はどうも・・・わけわかめ(死語)・・・。バルトークマニアは何やらいろいろと熱いことを言うけれども、たいてい子供が現代音楽をただ珍奇さゆえにかっこいいといってしゃべっているようなモノがほとんどで、ぜんぜん伝わってこない。革命的やら強烈やらいう埃をかぶった60年代的文句は要らない。そこまで入れあげるならちゃんと説得力のある薦め文句を言って欲しいものだ、この種のクラシック・ファンには。なーんて言いつつも、この演奏のように颯爽として各声部ががっしり噛み合った演奏で聞くと、4楽章から終楽章にかけてはじつにスポーツ的に楽しめる。とくに4楽章の中断された間奏曲、例の「レニングラード」1楽章の「戦争の主題」のパロディと言われる旋律など、ここではまるでペトルーシュカに出てくるようなサーカスめいた生ぬるい音楽になっていて、その暖かい響きは郷愁すら感じさせる。これはやはり従来言われているような「皮肉」ではないのではないかな、その証拠に、「戦争の主題」の終止形を原形どおりではなくただ下降音形の繰り返しにすることで戦前のヨーロッパ的な風俗音楽に変容させている。ここで旋律を中断する「嘲笑」とされているペット他の掛け声はそういったサーカス風景を彩るピエロの曲芸のように聞こえてくる。フェレンチークの実直さのせいかもしれない。他の演奏で聞けばあきらかにショスタコーヴィチをただバカにしたように聞こえるのかもしれないが、まあ近現代音楽はいろいろな解釈表現の余地があるものであり、私はどちらかといえばこの演奏のように暖かくやっているほうが好きです。ちょっと鈍重な面もあるが、この演奏はそれなりに楽しめるので○ひとつ(前半楽章は知りません)。録音クリア。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲(1943),○フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(DG)1957初出オケ・コンは苦手な曲だ。ちっとも面白いと思わないのだ。ただ、クーセヴィツキー盤を聴いて、わかりやすい解釈をほどこしているからであろうか、ちょっと興味を抱いた。そこから少し逡巡してみて、やはりうーん、印象に残る旋律もなければ、めざましいオーケストレーションも無い。民謡旋律だけが妙に生臭くて、硬質の響きの中でおかしなバランスを保っている。独特だが、クーセヴィツキーが手放しで誉めるほど一般的な支持を得る理由がわからない。そんなところで、弟子フリッチャイの名演と言われる同盤を手に入れた。オケのせいだろうか、音響に重量感があり、曲に不思議な深みが加わって、何も考えなくても自然にバルトーク・ワールドに引き込まれる、非常に希有な経験をした。じっさいには併録の弦チェレのほうが感動したのだが(爆)、これは聞ける盤、と思った。モノラル。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲(1943),○ライナー指揮ピッツバーグ交響楽団(history)1946/2/4,5ライナーはシャープな指揮者だ。しばしばスポーツ的な感覚をおぼえる。この録音は音が古すぎるけれども、現代的なきびきびした指揮ぶりやドライヴ感はバルトークの娯楽的側面を巧くとらえている。じっさいかなり長い曲だけれども、緊張感が途切れることなく最後まで聞かせる演奏である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲(1943),カンテルリ指揮ニューヨーク・フィル(ASdisc)1953/3/8LIVE・CDカンテルリはバルトークに対しては慎重にやや遅いテンポをとり、縦がずれないように苦心している。結果としてちょっと重ったるい演奏になってしまっている感もあり、録音の悪さとあいまって余り感興を感じない。こういうある意味繊細な音楽はクリアな音質でないと面白くない。演奏レベルがそれなりに高いのは認めるが、印象に残らない演奏といった感だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲(1943),クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(NAXOS Historical他)1944/12/30live・CD,,初演直後のライヴ記録で、フィナーレは初版(カット版)によっている。それでなくとも現行版と違う(譜面どおりなのか?クーセヴィツキーだからなあ)この演奏、”オケ・コン”に親しんでいた向きには、違和感は否めないだろう。私自身は余りこの曲に親しんではいないのだが、精妙な響きの交歓と複雑なリズムの面白さを追う類の華麗にして精巧な組曲、という印象があったのに対して、余りにロマンティックな構成感に基づく「勢い」と「ぶ厚い」響き、曲の”ききどころ”が「古い国民楽派」側にシフトしてしまい、同時期のヒンデミットの、しかも出来のよくない管弦楽曲(何の曲?なんて聞かないでくれー)、あるいはロマン派を固持し続けたマイナー作曲家のしかも「どマイナー曲」を聞いているような、耳痒い感覚を覚えた。暗い熱気を帯びた楽想のがちがちとした構造物、錯綜し、「起承転結」がハッキリせず、掴み所の無いまま狂乱する駄曲に聞こえてしまう。「起承転結」を創り出す演奏家には向かない曲なのか、そもそも。でも、クーセヴィツキーの棒のダイナミズムはとくに舞曲にて破裂せんが如く荒れ狂い、例の間奏曲「レニングラード(ショスタコーヴィチ)」の揶揄とされる唐突な旋律も凄みを帯びて轟きわたりとても揶揄とは聞こえない。寧ろそのへんがききどころで、「夜の歌」を聞くべき悲痛な緩徐楽章は余り魅力的ではない。そうそれが、問題。いや、録音が悪いので、この演奏が本当に「魅力的ではなかった」のかどうか、実際のところはわからない。このオケは、各パート、おしなべて巧い。アメリカ亡命後のハンガリーの作曲家、悲惨な状況。既に病深く、シゲティやライナーを初めとした「業界」の友人に、”注意深く”支えられながらも、聴衆に媚びを売ること無く、孤高でありつづけようとした作曲家のプライドは高く、結果ひたすらの貧困が襲いつづける。理解されないまま自作の演奏機会を失われた作曲家は、自身の演奏活動にしても体力が続かず、ライフワークである民謡研究すら困難となる。1943年には病の為ハーバードでの折角の講義を中途で終わらざるを得ず、傷心のまま入院。結局リヴァーデイルの自宅を退き、サラナクのサナトリウムに滞在することとなる。まもなく明け渡すことになるリヴァーデイルの宅に、5月、福音のように舞い込んだ手紙が、世界一二を争うボストン交響楽団の盟主クーセヴィツキーからの、管弦楽曲作曲依頼であった。内容は明確な報酬金額の提示と簡潔な主旨(故クーセヴィツキー夫人の想い出に捧げること及び財団での手稿保存)以外の何も記載されない簡潔なものだったが、 4年という長いブランクを経て大曲依属の機会を得たことは、金銭的なこと以上に作曲家をこのうえなく喜ばせたという。まもなくクーセヴィツキーはバルトークの病床を訪れ、本依属には一切の強制力がなく作曲期間の指定なども無い、作曲できるときに作曲してくれればいい、という言葉と小切手を強引に残して去っていった、とされている。無論この件クーセヴィツキーだけの意志ではなく、ライナーらの助言があったことは言うまでもない。サラナクで回復の兆しが見え出した8月、バルトークは早速この依属作品に取り掛かる。没頭すればするほど病は回復に向かっていった。サラナクを去り、ニューヨークで校正を終え計算すると、作曲期間は僅か55日だった。それが全5楽章の大曲「管弦楽の為の協奏曲」だったのである。メニューヒンからの「無伴奏」依属など、これを嚆矢に作曲依頼や演奏機会は目に見えて増え始めた。しかしまもなく再び病が深まり、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ後にはプリムローズからの「無伴奏」依属、ならびに妻であるディッタさんが演奏するための、完全なる私的作品「ピアノ協奏曲第3番」だけを選ぶことになった(言うまでもなく遺作となった作品群である)。冬も近いころメニューヒンが無伴奏を初演。カーネギーには称賛の嵐が吹き荒れ、演奏共々舞台に上った作曲家を感激させた。その5日後、1944年12月1日に「オケ・コン」は初演された。バルトークは医師の忠告を退け、ボストンへ向かい臨席した。希に見る大成功であり、クーセヴィツキーは「過去五十年における最高の作品」と熱弁した。譜面にはクーセヴィツキー在籍20周年及び70歳の記念に、とも記されている。クーセヴィツキーと「オケ・コン」の関係はこういったところである。この録音の「存在」はどこかで聞いたことがあったのだが、まさかナクソス・ヒストリカルで復刻されるとはおもわなかった。展覧会の絵(1943/10/9)とのカップリング、安いですよ・・・。この調子でクーセヴィツキーゆかりの現代音楽の、放送録音を掘り起こしていって欲しい。ハンソンの「ロマンティック」とか、コープランドの3番交響曲とか、絶対残っているハズ!・・・話しがシフトしてしまいましたね。聞き方としては、フリッチャイ、ドラティの定番やセル、ショルティらの精巧な演奏で触れてからここ(クーセヴィツキー)に戻る方がいいと思います。あと、雑音だらけのモノラル録音に慣れない方には(この曲では嫌だという向きにも)決して薦められません。,,,,後注)初演記録と称する盤も出ていた(既書、stradivarius等)がこの録音と同一と確認されている。pristineから周到なレストアのされたものが出たので未聴なら検討されても良いかと。ちなみに文中コープランドの3番の存在可能性に触れたが、まさにpristineで発掘復刻された(既書)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
バルトーク:管弦楽のための協奏曲(1943),クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(STRADIVARIUS)1944/12/1初演LIVE?・CDこの自称初演盤とナクソス盤は冒頭客席の咳が一致、各楽章の演奏時間からも同じものと断定できる。音質はラジオ放送を受信して録音したような感じでナクソス盤に比べ落ちる。但しナクソス盤は音をいじっているようなので好悪はあるかもしれない。また、ナクソス盤は演奏時間に明白な誤記があるし、録音月日についてどちらが正しいのかは微妙。カップリングのブラ1はMUSIC&ARTSから全集盤で復刻されたものと同じ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:管弦楽のための協奏曲(1943),ライナー指揮シカゴ交響楽団(RCA)1955/10/22素晴らしく見通しの良い演奏なのだけれども、あまり残るものが無い。4楽章のショスタコ7番のカリカチュアもはっきり聞き取ることができたが、はあ、あれこれ取りざたされるような大した引用でもないな、と思った。経過句的に使われているだけだ。ライナーもバルトークに師事しアメリカ時代にはよく面倒をみていたようだが、その音楽にはハンガリーを思わせる体臭のようなものが感じられない。垢抜け、スマートになりすぎている。シカゴ響という楽器の特性かもしれないが。なぜか併録の「キージェ中尉」組曲のほうが名演という・・・(苦笑),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:管弦楽のための舞踏組曲,ケルテス指揮フィラデルフィア管弦楽団(PO)1970/2/6live放送・CD,,フィラデルフィア管弦楽団自主制作ボックスの中の一曲だが、時期の割に雑な録音は置いておくとしても、面白くない。リリカルな部分の響きの美しさを除いて民族性をまったく灰汁抜きしてしまいクラシックの語法の中に昇華してしまったようなもので、バルトークならではの民族的素材にもとづく気を煽る響き、リズム、メロディの存在は確認できるが、どれに対しても距離をとって整えていて入り込めない。オケの自発性もかんじられず指揮者のおっしゃるままに、という感じすらした。コープランドの自作自演正規盤を聴いているようだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:劇音楽「中国の不思議な役人」,○ストコフスキ指揮ASO(SCC:CD-R)1969/5/19live(2回分),,同日同プログラム二回公演というのが普通にあったのだが、これはその両方を収録したもの。但し録音状態に違いがあり、二つ目に収録されているほうがマイクが近く音が粗い。一つ目のほうがクリアで非常に聴き応えがあり、ともすると拡散的な響きでリズム性を損なうこともあるストコがトスカニーニ的な集中力をもってやり切っているさまが清清しい(共にブラヴォの嵐だが)。バルトークの描いた細かい音符の細部まで瑞々しい感性で引き立てており、小虫の這いずるような痙攣的トリルの応酬から打楽器群を駆使した大音響のオリエンタリズムまで、スペクタクル的なところにとどまらない感興をあたえる。東欧からロシアの作曲家の描くオーケストラの色彩は私にはしばしば七宝焼きの強い原色に感じられ敬遠しがちなのだが、この曲がそうということもあるしバルトークがそうということもあるけれどもフランス的な軽さがスクリアビン的な気持ち悪さを払拭した演奏として、好感をもった。もちろん正規録音でないという意味で◎にはしない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:弦、打、セレスタのための音楽,アンセルメ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1949/1/8live,,アンセルメは速い楽章の動き出しが常に遅い。すぐに流れができるのだが、ザッツを数学的にあわせようとしすぎているような、国民楽派音楽ではスタジオ録音でさえ萎縮したようなものを感じることが多い。この音楽は精密機械指向の強いアンセルメ向きではあるが同時に即興的な動きというか感情的な動きを、ギチギチの弦楽アンサンブルで即物的に表したような部分も多く、2楽章(「マルコヴィッチの穴」で使われた)では実際はそれほどでもないにせよ相対的には異様に乱れたような冒頭の印象を持つ。オケにそれほど機能性が感じられず、もしくは相性が悪いのかもしれないがバンスタ常任時代のNYPのアバウトさを想起した。響きへの配慮は素晴らしいが、オケに染み渡っているとはいえないようにも思う。あと、録音が悪すぎる。もう殆ど鑑賞に値しない。貴重な時期の録音ではあるが、無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:弦、打楽器、チェレスタのための音楽,クーベリック指揮ACO(RCO)1959/10/20live・CD,,録音はモノラルで放送レベル。一楽章が弱音で大人しめだったのが、やはり二楽章にて重い響きで突進するような、ドイツ的堅牢さをもった小フルトヴェングラー的演奏により一気に盛りあげる。音色を含む起伏の付け方が明確で聴き応えある。コンセルトヘボウはかくもシェフによって力量の見せ付け方を違えてくる(ピアノの技量ふくめ細部はともかく)。クーベリックはバルトークの楽器の用法や響きの創意をしっかり汲み取って、その個性をより灰汁強く打ち出し、単なる勢いの音楽にはしていない。同じ血が流れているのではないかというほど寄り添った部分もある(きほん血気盛んな人なのでバルトークの繊細さは無いが)。デフォルメされた奇怪な音楽なので寝起きにはちょっと辛いが真実に触れている。悪い録音でも要点は押さえて聴こえるので良い。終楽章冒頭の弦のトリッキーなトゥッティが揃うかどうかで指揮者がバルトークにしっかり取り組んだかどうかがわかるが、ここはもう完璧に力強く合っている(ライヴでは珍しい)。薄くなるでもなくここまでできている、鮮やかだ。なかなかこう力強く民族舞曲を煽った演奏記録はない。オケの集中力も並ではない。太鼓の煽り方も丁々発止で凄まじい。緩徐部のうねるような半音階もハーモニーをしっかり重ね迫力を維持する。ACOの弦楽器はコンドラシンのライヴ記録もそうだったが時々こういうことをやるから看過できない。変な恣意的変化は付かないが楽想に沿って柔軟にデフォルメしクライマックスをしっかり作って終わるのも聴きやすい。拍手切り捨ては惜しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:弦楽、打楽器、チェレスタのための音楽,"コンドラシン指揮モスクワ・フィル(eternities)1969/2/26live",,これは素晴らしい。録音が良くなく一部ボロボロで、痩せた音に残響を加えたような(というかホール残響だろう)ところに音量が大きくなるとカットされて抑えられてしまう感じは、演奏そのものの印象を不当に貶めかねないが、耳をすませて聴いていてもこの分厚さにもかかわらず、それと認定しうるミスが無く、強い適性を感じる。モスクワ・フィルはブラスが無いとこんなに完成度の高い演奏ができるのか、と不穏なことすら口にしてしまう。三楽章の毒々しさも素晴らしい。終楽章冒頭の激しいピチカート(これはバルトークピチカートと呼ぶのか?)がびしっと揃っている時点で勝ちなのだが、もっともこのライヴ、やや疲れてきたっぽいところもあって、激しい動きで弦の若干のバラけも出てきてしまい、構成感が半端で最後断ち切れるように弱く終わるから、拍手も通りいっぺんの感じだが、まあ、ソ連の聴衆なんて他所の現代曲には冷たいもので、上手くいっても反応は同じだったのかもしれない。コンドラシンにはバルトークの録音が無いわけではなく、いずれ今風の精緻なものではないが(バルトークはミスを許さずひびきの精緻さを追求すべきという意見なら聴かないこと)、いかにこの時代の現代曲において聴衆との接点を保ちつつ、高度な技巧や発想をつぎこんだ意欲作で、他を寄せ付けない魅力的なものであったかは、クーセヴィツキーが振った数多あるアメリカ現代作品の録音と比べると一目瞭然、その時代のオケのスタイルを前提として書かれたとすると、コンドラシン・モスクワフィルのコンビはまさにその道を行っているから、むしろ正統と言っても過言では無いと思う。悪名高いクーセヴィツキー流の改変は無い、クーセヴィツキーに欠けている色彩感もすごいから、機会があれば聴いてみると楽しいと思います。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:弦楽、打楽器、チェレスタのための音楽,○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(MELODIYA)1974・CD,,コンドラシンにこの曲では超ドライな演奏が期待されるがソヴィエト時代のものであることからしてオケにやや不利があり、ライヴのようなバランスの悪さがぼわっとしたロシア独特のいびつな音響となって曲のスリムで無駄のない構造を侵している。コンドラシンの求心力もムラヴィンほどではない、と感じる。コンドラシンはムラヴィンが振らない外国の曲の録音をたくさん強いられていたようだが、いずれもやや個性に欠ける感もあり、またイメージとは離れた感情的な演奏に仕上がっている場合もある。これもやや感情の起伏がオケの音にあらわれ、ドライさが失われている。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バルトーク:弦楽、打楽器、チェレスタのための音楽,シェルヒェン指揮スイス放送管弦楽団(tahra)1954/10/23live・CD,,三楽章の尖鋭な響きの交錯にシェルヘンの本領を聴いた。一楽章ははっきり言ってパッとせず、二楽章もシェルヘンにしてはキツイ表現もなくそれほどバラケもせず、良い意味でも悪い意味でも期待値を満たさなかったが、現代の目から見て技術的にはどうかわからないが、比較的よく音像が捉えられているせいもあってか、前衛的に美しく、説得力がある。四楽章はさすがに冒頭のもともと無理のある弦楽器はバラケ感を感じさせるが(シェルヘンらしい極端な表情付けによるバラケはこの後やっと出てくる)、同曲らしい激しさが増してくるとギリギリ縦のズレない程度にいつもの強い調子で、若干ドイツ臭く重厚なロマンチシズムも交えながら、もちろん今の演奏様式からすれば古風なんだろうが、当時としては斬新であったろう表現主義的な解釈のもと、きちんと構成感ある演奏に仕上がっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:弦楽、打楽器、チェレスタのための音楽,バーンスタイン指揮バイエルン放送交響楽団(HUNGAROTON)1983/11/15ブダペストLIVE,,ユニセフのチャリティ名目で当時契約していたDGとの折り合いをつけ発売されたライヴ盤。バンスタの振る無調や12音の緩徐楽章はとても抒情的だ。どんな硬質なゲンダイ音楽もベルクのようにぬるまゆく響く。この曲の1楽章なんかでもそうで、冷え冷えとしたバルトークの荒涼が苦手な私はこの楽章すごく嫌いなのだが、例外的に楽しめた。管楽器を欠く打楽器と弦楽器だけのアンサンブルで革新的な響きを生み出したと賞賛する割に弦楽器の本来的な抒情を無視する演奏家の多い中、この演奏のレガートはマーラーを彷彿とするまでに音楽的だ。3楽章からの流れもよい。逆に2楽章のような音楽には甘さが感じられる。引き締まった筋肉質のアンサンブルのみが追求されているから、そこに解釈はいらない。弦楽器は抒情などいらない。機械的に組み合い、スポーツ的な快楽を与えられればそれでいい。だからバンスタにはやや不利である。勿論テンションの高さが売り物のオケだから、ライヴということもあり結構楽しめる演奏にはなっている。これでスピード感さえあれば、とさえ思った。とくにフィナーレ最後の落ち着きぶりはどうかと思った。女性のブラヴォが入るけど。無印。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:弦楽、打楽器、チェレスタのための音楽,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1957/7/27タングルウッド音楽祭live,,「マス」で押し切るタイプの演奏で、「組物」をスリリングに聴かせるタイプでは無い。オケ総体の異様な勢いで(もちろん最低限骨格は組み上げた上で)アンサンブルガーと言う口をつむらせてしまう、いつものミュンシュである。といっても始まる直前なのにオケが異常にさらっている音が聴こえてきて、この曲の難曲ぶり、さらに個々の奏者のレベルの高さもちょっぴり伺い知れる。バルトークは巧妙にマニアックで特殊な書法を隠すから前衛っぷりが見えにくいのだが、1楽章(ミュンシュは重い響きでいきなり聴かせにくる)みたいなロマン性を持たない緩徐楽章である3楽章では、弦のポルタメントやピアノや打楽器の散発的な音などクリアにひびき、バルトーク独特の抽象世界がちゃんと展開されている。四楽章は冒頭から少しテンポが遅めに感じる。厳しいアンサンブルを要求されるここではどうしても乱れが目立ってしまうが、もう押し切って盛大な拍手。,,残念なのは録音が悪いこと。ノイズ塗れなのはDAにはよくあったことだ(DAもSLSも「音が良い」と喧伝する向きには注意、これらは一般的な意味で音が良いとは言えず、ノイズ込みの「情報量が比較的多め」と言うべき代物だ)。一応ステレオであるものの分離は悪く(そも昔のステレオ放送なんて「単焦点」みたいな感じでしたね)、高音域が伸びず終始こもってそこに常に放送ノイズが乗り(エアチェックだろう)解像度が悪い。複数種類のノイズが不規則に重なっているため調整でどうにかできるものでもない。音源の希少性だけの価値と言っておく。音の情報量はこちらのほうが上にもかかわらず、聴きやすさではSLSの別録音のほうがましかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
バルトーク:弦楽、打楽器、チェレスタのための音楽,ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1969/3/26 放送live,,整えに走ってしまったか、という感じはする。それは二楽章の遅さに現れているが、ロザンタールは師匠ラヴェル作品のセッション録音を聴いても元々そういう解釈をするところはあり、響きが明るく軽く綺麗に整えられ抒情味すら醸す後半楽章には魅力を感じなくもない。曲自体の内包する要素を薄く延ばしてしまったような、構成が散漫な印象だが、四楽章は冒頭ピチカートよりバラケずしっかり構築されている点(編成が小さい可能性大)、聴き応えのある部分も。拍手はごく普通。録音が良好で特にピアニストは粒立って光っている。全楽章ある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽,○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(放送)1969/2/26live,,どうにも荒いのだが力感と推進力はさすがコンドラシン。録音のせいでよれる部分があるのは惜しい。この曲はコンドラシンにあっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽,◎フリッチャイ指揮ベルリンRIAS交響楽団(DG)1954初出これはもう何も言うことがない。面白いし、名演だ。2楽章の引き締まった演奏。終楽章の一糸乱れぬ開始部から主部への流れよさ。古い演奏だと終楽章の冒頭が乱れてグダグダになっているものが多いが、このモノラル録音は違う。何がそうさせるのだろう、という気合いが感じられる。ドイツのオケにフリッチャイはすばらしい。とくに弦楽器の表現の豊かさに拍手だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽,○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(PRAGA)1967/5/24プラハLIVE・CDずいぶんと荒っぽく感じられるかもしれないが、マイクが演奏家に異常に近いため(しかも古いステレオ録音で各々の音場が極めてはっきり分離しているため)そう聞こえるのであり、意識して聞けば豪腕の演奏家たち、とくにヴァイオリンの張り詰めた緊張感を感じる事ができる。2楽章や終楽章など、対向配置のヴァイオリンパートの応酬が激しいステレオ効果をあげていてスリリングだ。バランスや音質的に問題があるので大推薦とまではいかないが、曲に慣れてきたらこういうのも面白いだろう。メロディヤ盤の完成度にはとても及ばないが、ライヴとしては上々。*ただし偽物の可能性もある。ムラヴィンスキーの録音はいろいろとマスタリング違いのものが出回っており、まるきり別物に聞こえることがある。PRAGAは札付きのレーベルで、MELODIYA盤の加工品をライヴ録音として出しているものがあるとのこと。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽,◎ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(RUSSIAN DISC)1970/10/12LIVE・CD,,物凄い演奏。モノラルだしあまりいい条件の録音ではないが(マイクがファーストヴァイオリンに近すぎる!)、だからこそ何か得体の知れぬ迫力があって凄い。猛獣のような力強さが極限まで凝縮され、さらにギリギリ締め上げられていく、その悲鳴、その軋みがピシピシ聞こえてくる。アンダンテとアダージオはやや粗く感じられるも、ふたつのアレグロ楽章の異常なまでにビシビシ決まるアンサンブルは聞きごたえがある。完璧だ。完璧を越えて暴力的にすら感じられる凄まじい走句の応酬、技術的にどーのこーの言う前にもうこれは紛れも無い「音楽」であり、有無を言わせない。終楽章で両翼展開したヴァイオリンがかけあいをやるところでは、ファーストが異様にでかく聞こえ、モノラルでも擬似ステレオ感覚が味わえる(ようはセコバが相対的に小さく聞こえるということ)。ムラヴィンスキーの厳しさが小気味良さとなってつたわる一枚。◎。,,*ロシアン・ディスクは周知の通りアバウトなレーベルで、ムラヴィンスキー夫人の怒りを買っていた(にもかかわらず公認と印している盤がある)。粗悪な未許可ライヴ盤を多く出しているが、データが誤っていることがしばしばある。オケ名を誤っていた事もある。メロディヤ等の粗雑な復刻モノも多いが、これでしか手に入らないCDも多いのも事実。,,,"→こちらはmelodiyaの有名な録音で、国内レーベルやscribendumからも復刻されたムラヴィンスキーの1965年ライヴ。平林直哉氏が原盤より状態の良いと思われるテープより復刻、周到なライナー付きで再発されるとのこと。私はこういうのはまったく興味が無いが、お好きならどうぞ>HMV",-----,,,-----,,,-----,,
バルトーク:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽,エネスコ指揮フランス国立管弦楽団、リパッティ(p)(TAHRA)ブザンソン音楽祭1951live古い録音のせいもあろうが余り器用な演奏とはいえない。オケの統率がいまいち。テンポも遅くとり「正確さ」をねらうあまり、民族的な色彩が消え面白味に欠けるところも。有名な2楽章や4楽章はオケのパワーを見せつける重要な部分だが、諸所に耳を惹くところはあるものの、、全般の印象・・・どうも古い録音にはいいものがない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽,カンテルリ指揮NBC交響楽団(ASdisc/MUSIC&ARTS)1952/12/13LIVEこれもやはりやや遅いテンポで縦をそろえるのに精一杯という感じがする。NBCはいくぶん技術的余裕があるものの、ギリギリの緊張感を要求する場面ではテンポ感が若干おかしくなる。やはり重い。全般まあまあではあるが、推薦するまでには至っていない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽,カンテルリ指揮ニューヨーク・フィル(stradivarius)1954/2/28liveカンテルリはじつにいろいろ振っている。何でも屋と言うのにはいささか躊躇するが(あまり成功していないと思われるものも少なからずある)、曲によってはぴたりとハマってとてもいい。このイタリア盤の演奏は精度の面では現代多々ある機能的にすぐれたオケ・指揮者のものには負けるが、曲が進むにつれどんどん熱気を帯びてきて、カンテルリの節度ある棒さばきのもとに華麗にまたは怜悧に表現するニューヨーク・フィルに感銘を受けた。録音がすこぶる悪く、とくに低音の分離が悪いのが致命的だが、おそらく実演は大成功だったのではないか。その残滓を聴きながらそう思った。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽,シェルヒェン指揮SUEDOISE RADIO O.(TAHRA)1954/12/23複雑精妙な機械仕掛けのハーモニーとアンサンブル、こういう曲はそういう機能的指揮者にやらすべきであって、勢いや独特の解釈で聞かせるたぐいのシェルヒェンはばらばらとばらける音響を無理から力で押し切っている。同曲、映画マルコヴィッチの穴でマペット人形の踊りに使われていたが、この演奏では使えまい。シェルヒェンの悪い所が出た演奏。もうちょっとパート間の音量を計算して響かせることに気をつけたらいいのに・・・とここまで書いて、オケの機能にゲンカイがあったのかもしれない、指揮者のせいだけではないかも、と思った。だって難曲も難曲なんだから!,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽,バーンスタイン指揮バイエルン放送交響楽団(SARDANA RECORDS:CD-R)この曲にしては鋭さが足りない感じは否めないが、静寂の表現の深さ、不協和音の豊穣なひびき、民族音楽的色彩の強調など、バンスタらしい長所が聞かれる。やはりバイエルンはちょっと技術に不安があるが、適度な集中力で聞かせる力は失っていない。もっとギチギチな演奏家によってかなでられるべき曲ではあるが、こんなロマン派心を持った演奏もたまにはいいかも。両翼展開したヴァイオリンが掛け合いをやる場面は面白い聴感だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽,マデルナ指揮フランス放送フィルハーモニック管弦楽団(ARKADIA)1971/4/9LIVEライブで専門指揮者じゃない作曲家の棒になるものとしては、こんなものが限界なのかもしれない。だらしない演奏になっているのはマデルナ・ライヴの常と言っていいし、むしろマデルナならではの面白さを汲み取って聞くべきだろう(そうでなければ、マデルナを聴くのはやめましょう)。アンダンテやアダージオの荘重で悲愴な音楽はバルトークらしからぬ情感を煽る。弦のひびきが美しい。対して有名な2つのアレグロ楽章では雑然としたまとまりのなさを露呈。それでもステレオ効果を狙ったヴァイオリンの対抗配置の妙は辛うじて聞き取れるし(ちなみに珍しくステレオ録音)それなりに聞ける。ただ、こういう音楽はやはり硬派な楽団に硬派な指揮者で聞くべきであり、高度にメカニカルなこの楽曲を忠実に再構成できるほどの機能性を誇る楽団がやるべきなのだろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(MELODIYA/BMG/SCRIBENDUM/Grand Slam)1965LIVE・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
バルトーク:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(ORGANUM他)1962/2/10ブダペストlive,,ここに立ち返ると物凄く厳しい演奏で、息が詰まる。熱量の高く目の詰まった演奏ぶりは、目前にしたら唖然としたであろう激烈なアンサンブル、ピアノが出てくるとホッとするくらい弦楽が凄い。雑味もいとわない音が激しくて焦燥感しかない。もはや楽章間の対比がどうやら言うレベルではなく終始強烈な音が途切れず、息が詰まる。終楽章にてロシア式の呻くようなポルタメントを交えた表現が出てくると、音楽の高揚に逆行して滅滅としてくる。色彩感がなく、険しい不安な光景。ただ、これは元はラジオ放送されたもので、かなり不安定で穴もあるモノラル録音(ORGANUM盤は安定していると聞いたが未聴)。そのせいで実態が歪んで伝わっている可能性が高いのは、ムラヴィンスキーの実演に触れた人間のことばからも明らかだ。最盛期には録音に収まりきらないほどの情報量をぶつけてくるコンビだったようだ。ムラヴィンスキーに対する無用な不安感を抱かないために、最近プラガからドヴォルザークホール(スメタナホール)ライヴがリマスターSACD復刻されたので、ライヴならそちらを聴くほうが良いだろう。この放送ではブラ4、ライモンダなども録音されている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:弦楽器、打楽器、セレスタのための音楽,○カンテルリ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1949/1/29LIVE,,目の覚めるような演奏。ワザ師カンテルリ面目躍如で、鮮やかに構造をさばき整理しつつ求心的にぐいぐい引っ張っていくやり方が曲にぴたりとあっている。腕におぼえのある楽団もトリッキーな曲に向いている。民族性の匂いのない無機的なところもあるが、熱気は凄い。録音マイナスで○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1958/3/14live,,二、四楽章など専門室内楽団ではないにもかかわらずなかなか見事な出来栄えで、技巧的にすぐれたオケと、指揮者自身の懐深さも感じさせる。むろんザッヒャーの楽団を筆頭とする精密器械的な鋭さには欠け、一楽章は鈍重にも感じさせる曇ったロマン性を浮き彫りにさせてしまうが、それも次の楽章で払拭される。ピアノをはじめとする打楽器ないし打楽器奏法の横溢交錯は聴き応えある。ただ筋肉質にとりまとめただけではない、ある程度はオケ自身の各パートのアンサンブル能力に任せて成功したのであろう。ちょっと意外な佳演だった。民族性にも溺れない。ブラヴォが一声飛ぶ。同曲はDAより別録音が出ていた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:弦楽合奏のためのディヴェルティメント,◎タファネル・アンサンブル(ducretet thomson),,素晴らしい音なのである。この音はこの時代の演奏でしか聞けない。厚みのある、人の肌の温もりのある音。この太い音の艶だけでも飯一杯いける。弦楽合奏はこうでなくては。もちろんソリストが圧倒的な表現力を発揮しているがそれだけではない、合奏メンバー全員がその主張をあわせてスリリングな饗宴を繰り広げる。まさにディヴェルティメントだ。ぞっとする演奏というのがたまにはある。これはその一つだった。裏面のランドスキが目的だったのだが、この演奏でバルトークのローカリズムと前衛の融合という独特の世界が、けして我々の今生きている世界からかけはなれたものではないと感じた。面白い。◎。,"",-----,,,,,,,,,,,,
バルトーク:弦楽合奏のためのディヴェルティメント,○フリッチャイ指揮ケルン放送交響楽団(medici)1953/5/4・CD,,如何にもフリッチャイな四角四面さがあり、編成も大きく交響曲的な想定のもとに作られた演奏であるようだ。ディヴェルティメントの交錯する音のスリルが損なわれており、面白くない。今風の演奏といってもいい。音質は東欧的な金属の肌触りのもので、これも協奏的な部分を楽しむにはちょっと艶がない。無難さで○にしておくし、響きの純粋さは特筆できるが、どうなんだろう。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バルトーク:弦楽合奏のためのディヴェルティメント,○ルーカス・フォス指揮ジンブラー・シンフォニエッタ(TURNABOUT/UNICORN)LP,,こういう曲にジンブラーは合っている。神経質に細い音を絡み合わせていくような演奏ではなく、透明感を損なってでも音楽の力と魅力を押し出していく。だから精度という点では現代の観点からは少し劣るかもしれないが、引用旋律など強調され理解しやすい。曲に好き嫌いはあろうが、バルトークが苦手な向きには薦めやすい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:弦楽四重奏曲第2番,○ブルガリア弦楽四重奏団(HARMONIA MUNDI),,苦手です、バルトーク。いきなりそれはないだろうと思われるかもしれないが、よその国の、しかもかなりアクの強い暗い民謡音楽を、無調的に再構築しなおしたような作品と言うのは、私にとってよその音楽でしかないんだなあ、と思った。無調を聞きたいときでも、この構造的に整合し演奏的に整然とした綺麗な音であっても聞きたいと思わないだろう。確かに弾けば面白いと思う。しかし・・・ショスタコ晩年より聞きづらい・・・ちょっとまだバルトークというよりは同時代の無調作品の香りがする。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:弦楽四重奏曲第4番,○ギレー四重奏団(concerthall),,ギレー団は巧いなあ。。惚れ惚れするような腕と力感、しかし中間楽章での硬質な印象派的情景の描き方もすさまじく繊細で巧い。録音が旧いのでちょっと小粒に聞こえるところもあるかもしれないが、アメリカ往年の室内楽がどのようなレベルだったかがしのばれる(今もそうかもしれないが)。よく20世紀最大のカルテット作家にショスタコを挙げるマニアがいるが、優劣はつけられないものの、影響範囲の広さ、技巧の開拓者としての功績を考えてもバルトークの位置は揺るがないように思う。人好きするかどうかとベートーヴェンぽくない、この二点だけでバルトークのカルテットは日本ではやや分が悪いかんじがする。でも、書法を分析するまでもなくこの作品あたりの緻密さ隙のなさは神がかっている。やはりドビュッシイストであったバルトークの過去がフランスふうの香気をはらむ要素はあるとはいえ、単なる民謡・舞曲編曲にしか行きえなかった国民楽派室内楽の、知性の側面で状況を打開できた唯一の例であると思う。アマチュアが立ち入ることを許されないリゲティ的な清澄さをあわせもつ特殊奏法の饗宴、書法のプロフェッショナルさを抜きにしてもアイヴズとまったく同傾向の新しさをはなつ和声にリズム、よく集中しないとよさがわからない可能性もあるが、しかしギレーは巧い。○。私はバルトーク苦手だけど。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:三つのルーマニア民族舞踊Sz.68,○ストコフスキ指揮CBS放送管弦楽団(SCC:CD-R)1954/2/7放送live,,短い民謡編曲でバルトークにあまたある無邪気な小品だが、ストコフスキにかかるとひときわ無個性にひびく。弦楽アンサンブルを操るのが上手い指揮者だが横の動きに縦が流されてしまう傾向はあり、アタックが弱くハーモニーのはっきりしたメリハリが聞き取れないところにも起因しているのだろう。ただ、とにかく聞きやすいことは確かだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:青ひげ公の城,トロヤノス(msp)ニムスゲルン(b)クーベリック指揮NYP(NYP)1981/3/27live・CD,,きわめてダイナミックな演奏でauditeのマーラーライヴが出るまでは生演奏を聴いたことのない人にとって「中庸」の印象であったクーベリックの、ニューヨーク・フィルという強力な軍兵を得ての演奏ぶりに驚かされるものであろう。録音が優秀なステレオであり正規音源らしい音質でこれもまた良い。ソリストはクーベリックのバックに負けることなく劇的な歌唱を繰り出しておりいささかウンザリする長さの曲とはいえ最後まで聴かせる力はある。前期的なドビュッシーふうのイマジネーションもあわせもつ曲で、その点で食い足りなさはなくはないが、バルトーク的な独特の民族様式が顔を出すところはしっかり聴き取れクーベリックのスタンスもわかる。この曲の演奏ではなかなかのもの。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:組曲 op.14,◎作曲家(P)(HMV,HUNGAROTON)1929/11・CD,,テストテイクも収録されている。私がバルトークでは一番好きな曲集でとくに一楽章はバーバリズム過ぎず、硬質な書法にもかかわらず叙情味を感じさせる妖しい和声展開や不協和音による打音のスマートな挿入がいい。ピアニストならではの技術的余裕を背景に、特有の民族性をスピーディで的確なタッチにより昇華させた表現にはすかっとするものがある。録音は悪いが聴く価値あり。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
バルトーク:組曲「中国の不思議な役人」,マルティノン指揮ORTF(warner,icon,ina)1971/6/24シャンゼリゼ劇場live(1971/10/31放送)・CD,,これもina音源で、ina.fr配信のものと同じかもしれない。比較的新しい録音のためライヴであってもめくるめくドギツイ色彩とパラードのような至極諧謔的な雰囲気、ストラヴィンスキー火の鳥の遠いエコーのような(野蛮主義であってもハルサイからは遠い)、やはり劇音楽であったことを匂わせる筋書きめいたものに沿った不可思議な音楽がよく浮き彫りにされている。マルティノンのような人は新古典主義の音楽より、こういった複雑な音楽を鮮やかに捌き拡げるほうが向いているように思う。スクリアビンのように幻想的で、えげつなさすら感じさせる重層的な響きは、つねに焦燥感を抱えながらもどこかしら楽しませる要素があり、それはやっぱり鮮やかな指揮と録音によるところが大きいし、オケもよく演じきった、この明るく美麗な音色でやってくれると土俗的なくぐもりが払拭されてとてもいい。管楽器群がとにかく、よくやっている。客席からはブーのような声が聴こえるがこの曲なら仕方ない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
バルトーク:第一ロンド,ディッタ・バルトーク(P)(VIBRATO)1944ブルックリン博物館live,,音数が多くなく平易な、両端部は子供の音楽の様相をていするが、中間部の重音の民族的というより呪術的な響きや、最後近くの速弾きはさりげなく全体の雰囲気の中に沈潜させるのがなかなかたいへんそうで、でもディッタはすこぶる上手い。楽しく聴ける。破綻のない演奏。録音は悪い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:中国の不思議な役人,マデルナ指揮モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団(SLS他),,恐らくSLSは正規セッション録音の焼き直しだが元レーベルを調べるのが面倒なので省略(舞踏組曲ならびに既出のマーラー7番との組み合わせ)。音はすこぶる良く現代のステレオ録音レベル、マデルナがそもそもそれほど古い人ではないことを再認識させる。セッションだけあって演奏精度は担保され、マデルナ的に崩したようなところはなく(これは面白さの意味では残念だが、作曲家マデルナはわりと現代音楽に近づくに連れまともな指揮をするようになる)、フランス的なカラフルな管弦楽と繊細な響きによりバルトークの野蛮主義がまだストラヴィンスキーの域へも自らの民族主義的作風へも達していないことを示している、そこをよく抉り取って、明確に力強く提示している。細かなところや知的な構成のみならず、迫力のある音響とシニカルな味わいをしっかり出している。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:田舎の午後,ディッタ・バルトーク(P)(VIBRATO)1944ブルックリン博物館live,,民謡を使った民族的作風だがバルトーク的な異化作用により、少ない音と鐘の音のような響きのかもす孤独で空疎なぽっかりした空間が演出され、メロディアスとも言い難い瞑想的世界が展開されている。ディッタはやや平板か、曲のせいか。録音悪し。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バルトーク:二台のピアノのための組曲 OP.4B(1943),ディッタ・パーストリ・バルトーク(P)コメンソリ(2ndP)(HUNGAROTON),,管弦楽組曲第2番(1905-7,20改訂,43改訂)からの編曲。かなり長々しい曲だが、民族的で平易な曲想ゆえ硬派なバルトークが苦手な向きは寧ろ聴き易いだろう。ドビュッシーの影響が強かった初期バルトークの詩情が漂っている。私のLPは状態があまりよくないのでなかなか入り込めなかったし、ディッタ夫人のピアノもやや硬い(でも繊細なフレーズはとても美しくスマートに決まっている)。今はCDになっているのだろうか?無雑音のCDならきっともっと楽しめたろう。ここでは無印にしておく。ディッタ夫人のレコードはフンガロトンに沢山ある。ミクロコスモスなど比較的平易なものが多いのはディッタ夫人の技巧の限界ゆえかもしれない。この演奏を聞くかぎりでも余り器用とは言えないから。ステレオ。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
バルトーク:舞踏組曲,マデルナ指揮モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団(SLS他),,恐らくSLSは正規セッション録音の焼き直しだが元レーベルを調べるのが面倒なので省略(中国の役人ならびに既出のマーラー7番との組み合わせ)。音はすこぶる良く現代のレベル。演奏はゴージャス感まで感じさせるフランス風のカラフルで爽やかなもので、バルトークがドビュッシーに影響されているのもそこはかとなく感じ取れる。しかし題名がそのまんまだが既に民族主義に立って民謡リズムや旋律構造をはっきり取り込んだ作品となっている。バルトークの腕もあるのだが、マデルナも民族的ロマン主義というような生臭い部分は構造の一部として抽象化し、あくまで音要素として理解し、強調した結果、ほとんど民族臭のしない清潔だが暴力的な舞踏に帰結、けっか余所者にも聴きやすく仕立てられている。わりと簡素な曲で、すぐに民族舞踏的な煙が立ちそうなものだが、終盤は少し手綱はゆるくなるところもあるものの、派手で効果的な音楽を押し進める手腕は作曲家の余技の範囲ではない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハルトマン:交響曲第1番「レクイエムの試み」,○ロスバウト指揮西ドイツ(ケルン)放送交響楽団、トッペル(A)(vibrato:CD-R)1960's,,闘争の作曲家ハルトマンの作品はどうしても戦前前衛のイメージがつきまとい、ツェムリンスキーから新ウィーン楽派の管弦楽付歌曲の感じがどうも拭えない。構造的な部分ははっきりヒンデミットと思われる。しかしかれはナチス下のドイツでこの主張を続けた生き証人であり、戦後改作をかさねた結果が今きかれるものであったとしても、魅力的かどうかはともかく意味はあるだろう。まあ、今の耳からすると洗練されず古いかんじはします。演奏は硬派だが。ロスバウトは縁深くドイツ・グラモフォンにたくさん録音をのこし今は廉価ボックスになっていたとおもう。正規録音だと思われる(もしくは放送正規)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハルトマン:交響曲第6番,○エーリッヒ・クライバー指揮バイエルン放送交響楽団(STRADIVALIUS)1955・CD,,この時代人気があった現代作曲家だが、いい意味でも悪い意味でもそれなりに聞けてそれなりに楽しめるといったたぐいの作風である。決して先鋭ではないし、かといってわかりやすくは全然無い。カップリングのダラピッコラとはっきり言って大して違いを感じないほどがしゃがしゃしているし、ポロンポロンいっている(どんな感想だ)。でも演奏はなぜかノっているので○にしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バロー:ひとりの死者への捧げ物(Offrande a une ombre),パレー指揮デトロイト交響楽団(mercury他)1957/3・CD,,この曲はほぼパレーのこの録音でしか知られず、YouTubeにはこれが上がっている(法的には知らない)。演奏時間10`32なので、共有サイトに上がっている時間の大幅に違うものはわからないが。バローの映画音楽的な側面、気宇壮大で前衛的な響きも含まれるが聴きにくいと感じる要素は少ない、円熟した才気を感じさせる。ステレオでよかったというか、さすがに50年代録音なので古びてはいるが楽しめる。いや、深刻な曲でもある。パレーにしてはじっくり時間をとって周到に表現する部分もみられる。バローへのアプローチということではロザンタールより理知的だと思うが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バロー:弦楽オーケストラのための交響曲(1955-56),アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina配信)1958/11/20シャンゼリゼlive 放送,,終始やかましい焦燥感に満ちた時代を感じさせる曲で、オネゲルほどの多彩さのない響きや骨太の構造の単純さがある意味ききやすくはある。長さや構成はオネゲルの交響曲並みなのだが。力感にみちた演奏は肉感的でもあり、アンゲルブレシュトらしくない印象も受けるがこの人は戦前からグリーグだの何だの色々と録音演奏してきた人で、ドビュッシーとその周辺だけが本領でもない。フィデリオ全曲の放送録音も配信されているが、野太い音で偉大な音楽をくわだてることにも秀でていた。室内合奏曲であっても印象としてははっきり交響曲である。規模の大きな曲を構成的にしっかりさばくのみならず、「規模の大きいように」演奏することができた。反面、次の演目のプーランクなど冒頭でスピードが遅く(というよりプーランクに即興でつけられず)ズレてしまうなど、マイナス面もまたはっきりした指揮者である。エスプリ系の得意な人ではない。オケの機能性のなさでもあるのだが。優秀なモノラル録音。(ina.fr PHD89036093),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
バロー:交響曲第3番,○ミュンシュ指揮ORTF(ACCORD)1961・CD,,アンリ・バローはORTFの長きにわたる音楽監督として知られる。この作品はオネゲルやメシアンなど想起する折衷的な作風ではあるが、いかにも新ウィーン楽派的な前衛ふうの晦渋さが目立ち、好き嫌いをものすごく分けるだろう。ミュンシュは繊細な部分に拘泥せず速いスピードで求心的な表現をもってのみ曲の本質をえぐり出す。そのため色彩感がやや薄く、アメリカの凡庸な現代交響曲のような生気のない音の運動のみ聞こえるところもある。辛うじてステレオゆえ、グリッサンドの応酬など前衛的な面白さについては聴きとりやすいものではあるが、よほどこの時代か、ミュンシュに思い入れでもなければ聴く必要はないだろう。○にはしておく。この音源、現在CDは入手不能だが、itunesでダウンロード可能(amazonフランスからもダウンロード可能だが、周知のとおりamazonは日本サイト以外からのダウンロードができないのでmp3音源として取得は不可能)。,-----,,,,,,,,,,,,,
バロー:交響曲第3番,○ロザンタール指揮ORTF(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)live・LP,,モノラルではあるが拡がりのある音響の中で落ち着いたテンポにのって楽曲をうまく捌き分けている(いかにもロザンタールの芸風だ)。特殊楽器や奏法こそ殆ど聞きとれないものの、ライヴならではの勢いがあり、劇音楽ふうのドラマがちゃんと引き出されており、(聴きにくい曲ではあるが)それほど聴きにくくはない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハンソン:エレジー,パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CDーR)1960/10/13LIVE,,清々しいアメリカンロマンチシズムを振りまくハンソンの楽曲はロマン派回帰をうたう余りワンパターンに陥ってしまうきらいがある。確かに感動を催させる要素を盛りに盛った追悼曲ではあるが、オケが全力で表現しようとすればするほど、録音の悪さとあいまって眠くなってしまう、いや録音のせいだ、無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハンソン:交響曲第2番「ロマンティック」,"こちら",では1939年5月11日ERSO、victor(RCA)SPとなっている。しかしかつてBIDULPHでCD復刻された際のデータは1942年5月7日となっている。リンク先によると1940年4月に初発売とされており、42年ではない。再発日の可能性はあるが。。 ,,知る限りのデータ(所蔵盤)を。記載がなければオケはイーストマン・ロチェスター交響楽団。特記ないものはモノラル。なるべく新しい媒体、レーベルを記載する。 ,,1939年5月11日victorRCA SP, (1942年5月7日)BIDULPH復刻CD ,1946年1月20日LIVE NYP(NYPレーベル)CD ,1952年COLUMBIA LP ,1958年mercury(ステレオ)CD ,1972年3月11日LIVE モルモン・ユース・シンフォニー CITADEL(ステレオ)CD,-----,,,-----,,
ハンソン:交響曲第2番「ロマンティック」,○作曲家指揮イーストマン・ロチェスター音楽院管弦楽団(COLUMBIA)1950年代?・LP,,アメリカ交響曲史上に大きな足跡を残すハンソンのネオ・ロマンチシズムを高らかにうたう名作・・・1回目はシベリウスみたいと思う、2回目はドはまりする、3回目は飽きる・・・だが、モダニズムからポストモダンという時代にあって強烈に単純な保守性を押し出したイデオロギー的色彩の強い作品でもあり、結局のところハンソン自身の指揮による録音が最も多い状況がある。この盤は旧録として知られ、mercuryの有名なステレオ録音とは別とされる。実際音や表現は更に古いとされる自作自演盤に近いものを感じるが、そちら(CD化されている)は40年代以前とされ、50年代という非公式情報が正しければ別となる。いずれスタジオ録音であること、自身が教授であった学校の手兵によるという「厳密な」状況下のものということで、ブレがないと思われ、完全なる判別は難しい。mercury録音はクリアだが音場が狭く、良く言えば凝縮された、悪く言えばかなりせっかちでせせこましい直線的解釈が今一の印象を与えるが、旧録はいずれもモノラルでクリアさも無い半面もっと大きく一歩引いた、ただ少したどたどしいテンポどりの演奏になっている。この盤は技巧的に振るわない感もある。アクセントが弱く楽想のコントラストがすっきりしない。これはのちの自作自演ライヴ(アマチュアオケ)でも聴かれる傾向でハンソンの解釈指揮の問題もあるのかもしれない。○にはしておく。プライヴェートCD-R化されている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハンソン:交響曲第2番<ロマンティック>(1930),×ウィリアム・ジョーンズ指揮全米フィルハーモニック管弦楽団(MARK CUSTOM RECORDING SERVICE)1990/2/10土曜日4:00PM・LIVE・CDへなちょこだ。凄い脱力する。こんな演奏があっていいのだろうか。ロマンティックの演奏にはけっこうイタタ演奏が多いのだが(アメリカの楽団が多いせいもある)ここまでイタタなのは無いだろう。中古だが400円損した。そのぶん昼の焼肉カルビにしとけばよかった。もう最初から最後まで壮絶なスカ演奏。唯一ゆっくりな2楽章だけは感傷的な雰囲気に若干感動。ここまで吹けないブラス、すぐ落ちる弦、そして全ての楽器がばらんばらんな音色というのは聴いたことがない。アマチュアだとしても失格。×。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハンソン:交響曲第2番<ロマンティック>(1930),○スラットキン指揮セント・ルイス交響楽団(EMI)1986/4佳演。この曲にあたるならまずこの演奏で楽しんで頂きたい。自作自演盤のせせこましい録音と違い、雄大なスケールをもって描かれる北国のロマン、時代柄コンパクトにまとまりすぎているきらいもある曲だが、スラットキンは透明感にスケール感を併せ持った指揮者であり、曲のそういった欠点をうまくカバーしている。私もこの演奏で曲を知りいたく感動したのだが、だいぶん経って再びこの盤をかけたとき、その印象が全く変わらないことを確認した。アメリカ20世紀前半におこったネオ・ロマンチシズムの旗手ハンソンの最高傑作を、無名曲の名シェフスラットキンによる演奏で、ぜひご賞味ください。聴きおわったあとのすがすがしさはなかなか得られないものだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハンソン:交響曲第2番<ロマンティック>(1930),○チャールズ・ゲルハルト指揮ナショナル・フィル(RCA)LPもうちょっとオケが艶めかしい音でも出してくれれば面白かっただろうに!なにぶん特徴的なところのない、それなりに機能性だけはあるオケといった感じなところはいかんともし難い。ゲルハルトはこの曲の演奏にしては珍しくかなり恣意的な解釈を加えており、テンポの伸び縮みやルバート、フレージングの克明さは興味深いものがある。終楽章も最後のクライマックスで通奏主題が再現されるところなど、前に大仰なリタルダンドをかけて、大見栄を切るように盛り上がりを作っていてにやりとさせられた。ここまで面白くやっている演奏は他に知らない。曲に特別な思い入れのあるであろう演奏ぶりで楽しめた。アンダンテ楽章のしっとりした情緒もいいし、1楽章も安定していて楽しめる。途中ハープのグリッサンドがとても克明に捉えられていて美しい。録音はまあまあ(新しい演奏ですし)。ただ、編集痕のようなものが曲中に結構聞かれるのはちょっと・・・。編集といっても切り貼りしているのではなくて旋律の音量を強調するような類のものだが。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハンソン:交響曲第2番<ロマンティック>(1930),○作曲家指揮ニューヨーク・フィル(NYP)1946/1/20放送LIVE 名曲解説全集にも載ってる20世紀ロマンチシズムの名作。放送エアチェック盤のようで雑音がかなり気になる。音も平板でパワーが無い。この録音はいかんともしがたいものだが、演奏内容がいいだけにじつにもったいない。自作自演盤はイーストマン・ロチェスター校オケなど比較的マイナーな楽団のものしか出てこなかったのだが、そこに天下のニューヨーク・フィルを振った録音が新たに加わったわけである。ドライで即物的な印象のある指揮者だけれども、ここではしっとりした情感の篭った表現を行っており独特だ。モノトーンではあるが、それだけに音楽的な深みが感じられる。ヴァイオリンあたりに頻発する短いポルタメントがもっとばっちり入っていれば(そして最強奏部の音量がしっかりとらえられていれば!)さらにその印象は強くなったことだろう。この曲はブラスがよく咆哮するが、ホルンの重みのある表現が美しい。とにかくこの盤ホルンの歌いまわしが巧くて曲の印象自体ちょっと変わってしまった。クライマックスのボリュームが足りないし、音楽的な起伏が不明瞭で全体の流れが読みづらい、といった問題点も挙げることができるが、これは90パーセント録音のせいだろう。○としておく。何度も聴く気は起きないが・・・。ニューヨーク・フィル自主制作の「アメリカン・セレブレイション」というボックスに収録。直接NYPから入手可能ですのでご興味があれば。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハンソン:交響曲第2番<ロマンティック>(1930),作曲家指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(MERCURY)マーキュリーの録音は音場が狭くスケールが小さくなりがちである。即物的な感じもして、あまりお勧めではないが、作曲家のいちばん有名な自作自演盤として価値は(若干)ある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハンソン:交響曲第2番<ロマンティック>(1930),作曲家指揮イーストマン・ロチェスター交響楽団(BIDULPH)1942/5/7旧録。ビダルフ・レーベルにて復刻されている。後年のオヤジぶりとは全く異質の好青年顔ジャケットを見ながら聴いてみよう。。。重々しく意味深げ!マーキュリー録音の即物的な音と比べると、ちょっと意外かもしれない。流れを引きずるような雰囲気の中で、盛り上がりを演出していくさまは、同時代他の作曲家が編み出した暗く苦悩する交響曲に通じるものを感じる。時代性が録音にあらわれているようだ。とにかく何か暗く重い(録音も)。終楽章など弦楽を始めとするオケに少し技術的弱みが見えるが、概して感動的な旋律も何故か煮えきらぬものを感じた。録音の不明瞭性に起因しているのか?同曲の垢抜けた演奏に浅薄さを感じる向きは、古い演奏でよければこの盤を聴いてみるのも悪くはないだろう。ロマンティックという題名は、クラシック音楽が一般大衆から離れてプロ・コミュニティ内でのみ煮詰まってゆく様相に(それはそのあともずううっと続く現象だけれども)反旗を翻し、大衆性を芸術の上に置く”アメリカン”(笑?)として、「俺はロマン派だー!!」と突き出した挑戦といわれる。1930年のことだ。スウェーデン系の血筋、同じ北欧シベリウスの与えた重大な影響のうちに、人間としてのほんとうの言葉を伝えることに自分の本質を見出していたのかもしれない。ハンソンはアメリカ社会(or音楽界)にありがちな非常に早熟の才能の持ち主で、20歳でカレッジの作曲科等の講師(事実上助教授)となり、教壇に立つ。やがてイーストマン・ロチェスター校の教授として、オーケストラを長年にわたり鍛え続けてゆくことになる。但しこの曲はボストン交響楽団の初演だ。無論親密であったクーセヴィツキーの依属であったからである。創設50周年記念コンサートのための作曲であった。それはハンソンの最も著名な曲となったが、全作品の中でも図抜けて印象的な傑作といえるだろう。第1番「ノルディック」と比べると歴然(同盤にも収録)。ロマンティックといえばブルックナーだが、例の2拍3連のエコーが1楽章冒頭に下降音形として顕れているのは御愛敬。ビダルフ盤のライナーには書かれているが、映画「エイリアン」に使われたことで、再び脚光を浴びるようになった。ちなみに名曲解説全集の交響曲編にも載っている曲なので興味があれば参照されたい。クーセヴィツキーは恐らくこの曲は録音していない。3番等は残っている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ハンソン:交響曲第2番<ロマンティック>(1930),作曲家指揮モルモン・ユース・シンフォニー(CITADEL)1972/3/11LIVEcitadelレーベルより1995年CD発売のライヴ録音。1972年3月11日ソルトレイクシティで行われたコンサートをまるごと収録しています。自作自演盤としてはマーキュリーの録音がありますが,同レーベルの特徴でしょうか生々しく各楽器の音の分離がくっきりしている分、音楽的にややせせこましさを感じてしまいます。言いかえるなら全てのパートの音が等しく明瞭に聞こえてしまうため、大規模な曲では音響の拡がりに欠けて聞えるように思います。その点この盤は壮大で情感に優れた指揮ぶりがちゃんと聞けますから存在価値は大いにあると思います。ただ、仕方ないのですが、オケがあまりにアマチュア的でカスカスなので、特に終楽章での各楽器の息切れがかなり耳障り。終楽章で最後に1楽章のテーマ(というか全楽章を通じての主題)が再現されるところのルバートは、イーストマン・ロチェスターのスタジオ盤よりずっと大きくかけられていますが、弦の消耗が激しくちょっと残念な形になっています。この部分はリドリー・スコットの「エイリアン」の最後で使われていましたが、旋律の素晴らしさもあって実に爽快な気分にさせてくれる全曲の白眉です。興味ある方はスラットキン盤などで堪能してください。ジョン・ウィリアムス(作曲家)の”ET”のサウンドトラックなんかもこの曲の影響バリバリです。ただそういうことで「ハリウッドSFX映画音楽」と断ずる人がいましたが、それはどうかと・・だってこの曲が書かれたのはそんな映画が作られるよりずっと昔なのですから。本末転倒。ハンソンの爆笑トーク付き。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハンソン:交響曲第4番「レクイエム」,○ストコフスキ指揮NBC交響楽団(GUILD)1944/1/2live・CD,,ハンソンが父親の追悼のために書いた作品で、いわばシベリウス2番の前半楽章を再構成したような曲(だが4楽章制)。もっともハンソン的なブラスや木管の使い方、リズムの創意はみられるが、それ以上にブラスでも低音域のもの、木管ならオーボエやクラリネット、そして弦楽器にみられるシベリウス的な表現が気になる。むろん意図してのものもあろう。だからといって面白くないこともなく、「ロマンティック」に聞かれたキャッチーな趣の旋律や管弦楽の響かせ方もあり、そこに初演指揮者として優秀であったストコの引き出す情緒、拡散的にならず緊密に演じていくNBC響があいまって、古い録音なのに結構聴けるものとなっている。意外とよかった(自作自演よりも)というのが正直な感想だ。しかし、終わり方がぱっとしないな。。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ハンソン:交響曲第4番「レクイエム」,○作曲家指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(mercury),,父親の追悼の意図があって書かれた荘重でありながらきちっと交響曲として楽しませる要素も持った佳作。私の手元にはモノラル盤しかないのだがステレオはあるのだろうか。シベリウスの影響はなくはないが、もはやアメリカ産交響曲の典型的な調子もあり、ハンソンにしては暗いとはいえ、わかりにくくはない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピエルネ: オラトリオ 音楽的伝説「少年十字軍」〜抜粋,ジルー(SP)パレー指揮ORTF、レジオン・ドヌール教育会館少年合唱団(DA/vibrato:CD-R/ina配信)1972live(1972/6/5放送),,vibratoは当時DA盤のコピーを何倍もの値段で出していたので、聴いてはいないがほぼ同じ演奏時間の同じ演目からなるこれも、同じものだろう。音質は珍しくクリアなステレオで良好だが冒頭いささか乱暴な始まり方をしている。いきなり頭切れ気味に強い独唱から。フランス放送音源にはよくあることで、元々そういう状態の可能性が高い。ちなみにボレロ、メニューインのベトコンとナレーションを交えて続く(順番はvibrato盤では逆転している。パレーの放送音源はina.frに大量にある(ウンザリするほどある)。1972/4/12のシャンゼリゼライヴ説が濃厚で、ベルリオーズ「海賊」も演奏された。その組み合わせとするとina配信でトラック別に全演目が6/5放送として提供されており、同一と思われる)。もともとが小オラトリオだが、さらに8分半に纏められ、有名な少年十字軍の悲劇(マルセル・シュウォッブによる)をほぼソプラノ独唱の支配する「歌曲」〜とそれに応える子供の合唱〜として速やかに爽やかに仕上げている。パレーのスピード、音響感覚はピエルネには合っている。鮮やかな手腕で仕上げられたじつに軽やかな明るい曲で、まだ20世紀に入って間もない時期、そのハープに彩られた典雅な響きはドビュッシー初期、あるいはカプレのような新鮮さを示すが、常套的に盛り上げる後半部はともかく、前半部と末尾は後の新古典主義の時代、もしくはソクラートを思わせるくらい簡潔であり、独唱と答唱がただ音量を落とし同じやり取りを繰り返したあとコンマスソロによって〆られる。本来の話のボリュームに比して短すぎて、拍手もあっという間に聴き終えられ、清澄な気分の余韻に浸る暇もなく次の曲へのナレーションに入ってしまう。とはいえ、わずかでも同時代を生きた指揮者のピエルネ作品の録音自体が貴重。続くボレロはいつものパレーの高速軽騎兵だから、同じような響きの感覚にあるとはいえ、少し趣は変わる(ボレロは最後に演奏された可能性もあるという)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピエルネ:ヴァイオリン・ソナタ 二短調,○ジェラール・プーレ(Vn)ノエル・リー(P)(ARION)CD,,フォーレふうの古風なソナタであり、メロディで聴く音楽。ラヴェルとドビュッシーに挟まれて盤の中では異彩を放っている。しかしスタイルを曲に合わせた達者な演奏と言える。盛り上がる。音は美しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピエルネ:バレエ音楽「シダリーズと牧羊神」〜6つの抜粋,作曲家指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(odeon/malibran)1928-34・CD,,ピエルネの代表作だがいかんせん大曲のようで、マルティノンが一枚におさめたのも組曲である。なんてことのない子供の遊びのようなテーマであるせいか、ピエルネの前時代的なロマン派志向が影を潜め(せいぜいシャブリエくらいまでしか遡らない)、蜘蛛の饗宴時代のルーセルや、耳馴染みの良い音楽を書いていた頃のラヴェルに非常に近い、純粋に耳を楽しませることのできるドビュッシー後のフランス音楽の世界を、じつに簡潔に、バレエ音楽向きに仕上げており、これを聴いて気を悪くする人はいないのではないか。灰汁抜きされたペトルーシュカ、洗練されたリムスキー、と言うと悪意がある。ピエルネの指揮はわりと幅があり、自作自演はさすがに巧い。個々のソロ楽器、とくに木管が剥き出しでライトモチーフを持ち回り活躍する曲だが、弾けるような、いかにも「演りやすい」バレエといった流れを崩さず、モイーズも吹いているのだろうか、弦はやや弱いものの音はしっかり出ている。この曲を大味と言って更に演奏も大味と言うと語弊があるので言わないが、小牧神の入場にかんしては近衛盤の方が格好が良い。開放的なカラフルな音響が求心力を損なっているようなところもあるが、それはピエルネのオデオン録音全部そうなので、言わない約束。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピエルネ:バレエ音楽「シダリーズと牧羊神」?小牧神の入場(近衛秀麿編曲),近衛秀麿指揮新交響楽団(columbia)1936/1,,SPだがCDでもまとめられていたか。webで聴ける。二分弱の行進曲ふう小品で、ここではスネアにのってペットが一寸シニカルな旋律を吹き、フルートが五音音階による合いの手を入れてくる。銀河鉄道の夜的なピエルネにしては耳に新しい雰囲気ある曲。ドビュッシーより旋律的だがデュカス以前には戻らない、ラヴェルと同等か少し遡る、といった感じか。ストラヴィンスキーにも近い。同時期に有名なスーザなどブラスバンド曲も録れているが、それらと並べていることからも同曲の人気のあったことが伺えるし、何より、上手い。ハキハキと、リズミカルで、いかにも「小」牧神という軽やかさすら感じさせる。この人の指揮は今でも人気があるようだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピエルネ:バレエ音楽「シダリーズと牧羊神」第一組曲,マルティノン指揮ORTF(erato/warner,icon)1970・CD,,全曲だととんでもない時間がかかる曲なのでだいたいこのくらいがレコード化の限界らしい。たしかに「掴みはOK」系で途中から擬古典的なチェンバロを交えるなどした曲や前時代的な新味の薄いロマンティックな盛り上がりを作る曲など目立ち、その折衷的な技で台本通りの音楽を組んでいく職人性にああ、ピエルネってこういう曲書いてた人なんだよなあ、個性面で減衰するから、聴き流し系の耳優しいフランス音楽としても一級品とはいいがたいところがある。マルティノンは録音がマイクに近いせいもあって冒頭より表出力が強すぎる感じがする。客観的に整える芸風はここでは使われず、素直に効果的な演奏をなしている。曲の前時代性に脚光を浴びせたような、ボロディンの交響曲などやっていたのと同じような感じで流れよくリズムよくダイナミックに、推進力と演出力で聴かせていく。響きはフランスオケの軽くて木管など特徴的な明るさがあるが、マルティノンはその特質も機能性を上げるほうを重視したのか目立って際立たせることはせず「お国もの」ではない音楽として仕立てようとしているふうでもある。しかしまあ、この仕上がりを聴くと、曲は違っても最近よく聴くプレートルより数段上の格を持っているように思うし、あのような時に癖のある解釈はハマるときとハマらないときがあるが、マルティノンは標準以上は必ず持ってくる指揮者なんだな、と思った次第。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ピエルネ:バレエ音楽「シダリーズと牧羊神」第一組曲〜T、U、V、W,デルヴォ指揮ORTF(ina)1955/4/4,,朝にはぴったり。デジタルアルバム(Amazon等)でもina配信でも聴けるコンサート中の一曲(ルフェビュール(ルフェーブル)のシューマン協奏曲をふくむ)。通常演奏される第一組曲冒頭の無邪気な四曲が選ばれている。内容はいかにもドロドロらしいのだが、このあたりでは学校を舞台にした爽やかで印象派的な響きの音楽であり、特に一曲目「小牧神の入場」は古くからお馴染みの鮮やかな色彩の映える小品である。ちなみに「牧羊神の学校(小牧神の入場)」「パンの笛のレッスン」「ニンフの生徒たちの行進」「ダンスのレッスン(ヒポリディア旋法に基づく)」以上になる。この演奏だとコンサート中盤であるせいかオケが乗っていて、ちょっと気が強すぎる感じもする。派手なリズムでダンスの気を煽るデルヴォーの指揮のせいもあるかもしれないが、これはこれで、よく耳に届く音楽になっている。もともと決してリリカルな内容ではないので、リリカルな場面だけ取り出したとはいえ正しいのかもしれない。劇場張りにやってくれるデルヴォーの同曲録音は貴重だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピエルネ:鉛の兵隊の行進曲,○ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(POLYDOR)SP,,ドビュッシーらの前には古臭く地味なピエルネだが、清らかな流れとあい響きあう音色の美しさはやはりこの時代の新しい世代ということを認識させる。ピチカートとハープで収束していくさまはチャイコのような派手派手しい律動とはっきり違うものを提示する。ヴォルフ最盛期の演奏のさまも音色感に重点を置き軽やかさを売りにしている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピエルネ:小牧神の入場,○W.ダムロッシュ指揮NYP(COLUMBIA)SP ,,マ・メール・ロア組曲とのカップリング。ラヴェルに比してかなり速いテンポでリズミカルな音楽を作り上げている。水際立った表現はやはりNYP(S)の力量を推し量るに十分であるが、音盤録音初期における配慮のアバウトさというか(一発録りになったりは仕方ないことだったのだが)、ミスなどあるのが難点でもあろうが、まあここまで聞ける演奏になっていれば全然OKでしょう。ロシア風の元気な行進曲です。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピエルネ:牧歌風の主題によるディヴェルティスマン,テノール不明、ビゴー指揮ORTFフィル(STEF),,ピエルネというと過去にも未来にも行かず折衷的作風の振れ幅が戸惑わせる。コロンヌの後任として指揮者になったせいもあり自作自演が多いが、このような歌曲録音は貴重。雄弁で古風でもピアノが清新。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:9つの楽器によるディヴェルティメント,○ストコフスキ指揮現代音楽協会(scc:CD-R)1958/12/3live,,弦と木管楽器による合奏協奏曲だが、空疎な和音やリズムにアメリカがあらわれているもののかなりストラヴィンスキーぽく、ピストンにしては晦渋過ぎるような古臭い前衛ふうの場面も現れ、首をひねる。アメリカ代表がこの曲でいいのか?ホヴァネスをやったからいいのか?疲労感すら感じたが、美しい歌も織り混ざるので、相殺して○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:ヴァイオリン・ソナタ,クラスナー(Vn)作曲家(P)(COLUMBIA)1939/11/24・SP,,駄目曲の見本のようなもので、初期コープランドに余計な中域音をどばっと注ぎ込んだような、限られた音だけを使い同じ和声をひたすら繰り返し綴っていくような、じつに暗い世紀末的駄作。ピストンの垢抜けた部分は2楽章に僅かに垣間見えるのみである。ベルクの初演で知られるクラスナーも現代音楽演奏家という枠に縛られているようなところがあり、よくこんな譜面を読むのも嫌になる凡庸な曲をそこそこ聞けるくらいまで持ってきたなあという感じ。譜面自体も難しくなさそうだけど。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:ヴァイオリン協奏曲第2番,フックス(Vn)バーンスタイン指揮NYP(SLS)1962/5/18live,,オケとソリストのアンサンブル的な楽しさは聴く側の感じる楽しさと必ずしも一致しない。この曲は前者的なかっちりした構造の面白味はあるものの後者的な「単純に旋律楽器としてのヴァイオリンを聴きたい」欲求には答えられないたぐいの、よくある凡作である。魅力的な旋律をつないでいくだけの前時代的協奏曲が良いとは言わないが、ここでは私に魅力的だと感じさせたメロディは約一つしかなかった。3楽章をとおして。名技性を楽しむほどの工夫も私には聴き取れない。フックスも、楽譜をただ音にした感がする。バンスタがいつものように何か付け加えて盛り上げることもない。録音状態はモノラルではあるが情報量はそれなりにありノイズも入らないが、だからといって二度聞いて二度とも同じ感想だった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:トッカータ(1948),○カンテルリ指揮NYP(ASdisc)1955/3/13LIVE・CDとても躍動的で面白い。はっきりいってまるきりヒンデミットなのだが、ヒンデミット特有の灰汁のようなものが取り除かれ、かわりにアメリカ的なわかりやすさを注入したような感じ。メロディはやや地味で捉えどころのないものだが、悪くない。○にしておきます。カンテルリのリズム感はあいかわらず冴えている。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ピストン:ニューイングランドの三つのスケッチ,○パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1960/2/25LIVE,,音による機械工業製品を仕たてるピストンは音響音楽を指向しながらも半端に聴きやすい、からこそ人好きしないアメリカの中庸作曲家の典型。パレーは設計図が透けて見えるような演奏で迫るが、いっそブーレーズくらいのやり方で冷たくアプローチすべきか。○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:弦楽四重奏曲第1番,○ドリアン四重奏団(COLUMBIA)1939/9/27・SP,,一昔前の中欧の室内楽を踏襲したようなところが気にはなるが、ピストンならではというか、晦渋に没することなく日和ったような楽想を織り交ぜるところは魅力があり、それなりに楽しめる。演奏は達者。3楽章制で短い。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:交響曲第2番,○ウッドワース指揮ボストン交響楽団(プライベート?/PASC)1944/4/8・SP,,現代音楽シリーズとして出された無名レーベルのSPらしいが、曲が楽しい。コープランドに中欧的な構造を与えたような充実した保守的作風、リズム押しの多かった時代に対し単純な三拍子を分割し組み合わせを変えて変化をくわえ、ほどよい。何人かモデル作曲家を指摘できるが曲はいい、他より陰りがないのがいいから、快楽派閥にはオススメだな。演奏はさすがのボストンである。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:交響曲第2番,○ジーン・ディクソン指揮アメリカンレコーディング協会管弦楽団(ARS)LP,,(ドゥーガルではなく)ジーン・ディクソンの名前はアメリカの指揮者を好む人のあいだでは有名だろう。同時代音楽の紹介において定評がありヘンリー・カウエルのシンフォニーも録音している。適度に引き締まった、ちょっと乾いた表現が、この曲のように前時代的なロマン性の前面に立つ曲では甘さ控えめ、聞きやすい。1楽章モデラート、序奏の暗さは嫌な予感がするもののすぐに前向きな音楽に転じ、ちょっとロシアロマン派やシベリウス初期を想起する柔らかな、ちょっと無難な交響世界が展開されてゆく。中間楽章も決して陰鬱さを醸さないアダージオで聞きやすい。しかしやっぱりこの作曲家はフィナーレの華やかさだ。アレグロ楽章でのディクソンの表現は水際立ったというものではないがリズムがしゃんとしており弛緩がなく、ピストンのコープランドとはひと味違った地に足の着く愉悦的なダンスを、そのままに表現している。これは聞き物。この盤はけっこうな値段もつくが、アマゾンでも中古が出ているくらいで希少性はなさげなので、機会があればどうぞ。ネットでも(音飛びを厭わなければ)聞ける。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:交響曲第2番,ウッドワース指揮ボストン交響楽団(sls)1944/4/9,,恐らくpristine(8日表記)と同じSP起こし。SLSは盤から出る音を全て残す方針ゆえイコライジング必須の凄まじいノイズ。教科書的に素晴らしくかつ退屈な曲だが三楽章は少し新鮮で耳を惹く。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:交響曲第2番,ロジンスキ指揮NYP(DA:CD-R)1945/1/21live,,後期ロマン派的な重厚な音と半音階的旋律の多用、そこにあきらかにミヨーを思わせる楽天的な書法が織り交ざり、少々分裂症的な印象をあたえるが、全般に無難で、その場では楽しめるが後に残らないかんじはある。コープランドのように世界を確立することもなく中途半端なところで、ロジンスキのいつものテンションももっていきようがないように感じた。楽曲構成的にも無難であり、アメリカン・アカデミズム少壮の意気を示した以上のものは感じない。曲の凡庸さ(好きな人は好きだと思う)とやや短くこじんまりとしてしまった曲であり、ロジンスキはかなり厳しく統制はしているものの演奏にそれが楽曲以上の価値をあたえていないように思った。録音はいつものロジンスキ・ライヴ並。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:交響曲第2番,ロジンスキ指揮NYP(SLS)1945/11/18カーネギーホールlive,,ロジンスキのピストンのシンフォニーは初か。リズミカルで平易なピストンにロジンスキの集中力高く前進的な芸風はやはり合っている。ピストンは平易だが同時代の「戦争的な」翳りも現れ焦燥感を煽る時もある。ここではそういうところも魅力的。翳りを翳りと感じさせない、近現代の大規模複雑なスコア操りを得意としたロジンスキらしい、理解度が深いからわけがわからない部分が少しもないのだ。アメリカンシンフォニーの佳作をやりきっている。もちろん録音が悪く、また板についているというほどロジンスキ的なものは出ないので、いま発掘されたということなのだろうが、ロジンスキ好きならおすすめする。NYP(ニューヨーク・フィルハーモニック・シンフォニー・オーケストラ)の魅力もしっかり。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:交響曲第3番,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R/ASdisc)1948/4/13live,,ナタリ・クーセヴィツキー夫人の思い出に、という献呈もの交響曲で、アカデミズムの権化みたいなピストンの、いつもの交響曲であり、陰鬱な主題のうねる和声に揺らぐさまから、終楽章急に祝祭的リズムという形式。ひときわレクイエムの暗さが、悪い録音もあいまって聴く気をそぐが、クーセヴィツキーの単純だが求心的な棒は音楽を弛緩させず、いちおう聴きとおすことができる。ASdiscで出ていたと思う(バーバー2番とのカップリング)。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:交響曲第3番,○ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(mercury),,ピストンは晦渋な響きの中からあっけらかんと舞踏が飛び出し娯楽然として終わる交響曲のイメージがあるが、これはまだ娯楽性が足りないというか、一楽章は美麗なのだが、、、四楽章でクレストンかコープランドかといった舞踏がやはり始まるのだが頭でっかちというか、、いやでも聴きやすい曲ではあるが。ハンソンの指揮は要領よい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:交響曲第3番,クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(pristine他、後述)",,,ピストン交響曲第三番、クーセヴィツキー「初録音盤」について: 昨晩調べたのだけど、ネットに公開されているクーセヴィツキーのディスコグラフィーでは、リハは別として(リハ盤は正規のどこに収録されていたんだろう)4月と12月が別のライブ録音とされており(前者はブート、後者は正規)、この12月録音にかいてあった「依頼者クーセヴィツキーは一回しか録音しなかった、初録音盤」というのは疑問。ただ、12月録音についてここには初出の記載がなく、4月と推定していたASdiscが12月だったのかもしれない。ASdiscは「イタリア盤」、裏青の無かった当時のブートなのだが。ちなみに4月とされているものは裏青で出ていた。ディスコグラフィーどおりである。 よって好きでもない曲でもあるけれど、バルトークのオケコン新リマスター音源もついてるし、ノイズは残るが音はイケてる、との謳い文句を信じて購入。すぐ払えばmp3なら700円。 たしかに音は聴ける。こういう余り有名ではない、よって名曲とは言えない曲は悪い録音だと粗ばかり目立って聴こえるものだが、まあ、悪くはない曲ですといった印象。 この曲はクーセヴィツキーの奥さんの追悼の意味もあるが、四楽章は第二次世界大戦の戦勝記念と受け取られクーセヴィツキーにより一年に渡り再演され続けた。ピストンには四楽章がいきなり快活な祝祭的音楽になる交響曲がいくつか見られる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ピストン:交響曲第4番,○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(valis,monopole:CD-R/naxos/COLUMBIA)1954/4/15,,"ミネソタ大学創立100周年記念作で嬉遊的雰囲気に満ち演奏機会も多いほうである。見事といっていい響きとリズムのアカデミックな書法を駆使した作品だがコープランドを思わせる民俗主題も織り交ざり、いや、何より冒頭ミヨー的な牧歌主題(N.ブーランジェの息がかかると皆ミヨー的になるようだ)からしてもう引き込まれる魅力に溢れている。この人のメロディは(当たると)とても素晴らしい。ほとんど曇りなく進む音楽というのもピストンの大曲には珍しいのではないか。演奏も録音も一切の気分の途切れも演奏上瑕疵もなく、こういう指揮者によってこそ魅力の引き出されるスコアを書いていたんだなあ、と思う。naxosはこちら>http://ml.naxos.jp/album/9.80239 状態よりmonopoleは同じ音源と思われる。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ピストン:交響曲第6番(1955),○ガウク指揮ボリショイ歌劇場管弦楽団(MELODIYA)珍しい取り合わせだが、このイギリスで言えばアルウィンのような作曲家の作品は、旋律はややふるわないが(というか独特で、私には「歌」に聞こえないものもある)、構造は極めてしっかりしており、なかなかに中身が濃く聞きごたえがある。この演奏で聞くとアメリカ的な要素がそれほど際立ってこないため、却って色眼鏡をかけずに聞ける。4楽章制で古典的な構成だ。新ロマン派と新古典派の中間点のような感じで、2楽章など同時代のタカタカ系作曲家・・・ショスタコーヴィチやブリテン、コープランドら・・・に通じるが、清々しくクセが少ないのが特徴的。溯って1楽章はやや半音階的だがハープとヴァイオリンの清々しいひびきが救いになっている(こういう楽想はアメリカらしい。今で言えばジョン・ウィリアムズの映画音楽か)。3楽章の悲歌はやや常套的な印象があるが終楽章は面白い。半音階的で晦渋な部分もあるけれども響きは美しい(まあ、この時代にしてみれば常套的)。独特の節回しの旋律はいくつもの特徴的な音形に邪魔されつつも派手な音響の中にその存在感を強く示している。全般、優等生的な作品だがガウクあたりがやると力感に満ちて聞ける曲になる、といったところ。○ひとつ。ボストン響75周年記念委属作。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ピストン:交響曲第6番,◎ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1960/5live,,録音はエアチェックものとしてはほぼ満点である。気になる瞬断はあるものの(気になる人はとても気になるだろう)ステレオ録音でかつ客席雑音も殆どなく、チャネルは時代柄バラけているもののそのために却って拡がりと臨場感をもって聴く事が出来る。録音でマイナスにしようと思ったがやはり凄い、さすがライヴだと感じたのは表現のよりアグレッシブさと端整なほど整理された響きの美しさの融合である。様々な同時代もしくは前時代の作家の影響を受けている作曲家だが、2楽章の緩徐部など2箇所ほど聴かれるハープを主体にした典雅なパッセージは、フランス的な観点からすれば決して個性的ではないがこの楽曲内では鬱なものと躁なものの極端に交錯する中で強い印象をあたえるものになっていて、ミュンシュはさすがはラヴェル指揮者でならした人である、ここの切り替えが鮮やかで非常に美しい。それほど長くない、作曲動機的にもディヴェルティメントふうの合奏協奏曲に近いものであるが、それだけにオケに余程のアンサンブル能力がないと聴けたものではなくなる。終楽章、ボストンの分厚い弦楽器の一糸乱れぬ演奏振りには衝撃を受ける(2楽章くらいならまだ疲れもないからありえるのだが)。3楽章の特異性がひときわきわ立っていることにも気づかされた。他の楽章が性格別けされた「形式的な交響曲のパーツ」であるのに対して3楽章だけは暗い旋律と感傷的な和声に彩られた(このひとは時折ウォルトン的な清清しい和声展開ではっとさせることがある)極めて浪漫的な楽章になっており、ミュンシュの抑制のきいたしかし力強い音表現によってきくと、ピストンがボストンからの委属をうけたさい、この楽章だけは自分の個人的な思いを篭めたように思えてならない。ああ、こういうふうに作曲家の内面まで入り込めるほどに「届いてくる」演奏というのはそうそうない。ミュンシュは自分の楽団のための作品に素晴らしい演奏を施した。このプログラムのメインは幻想であり、皆それのためにこの盤を手にするのだろうが、私はこの曲に一歩進んだ興味を抱かせてくれたこの部分に一番魅力をかんじた。録音部分の瑕疵はちょっとおまけして◎。演奏の綻びの余りのなさに、最初はスタジオ盤の捏造音源かと思った。ミュンシュは正規スタジオ録音にも平気で唸り声とか入れてくる人だったし。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:交響曲第6番,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(altus)1960/5/5来日公演live・CD,,定番の演目であり録音もいくつか存在する中でこれが取り立てていい演奏とは言えないが、スタジオ録音を除けばいずれも悪音質のモノラル録音であるのに対しこれはステレオで明快なライヴ録音である点でとても価値がある。改めて「いい音で」聴いてみると意外と腰が軽く拘りのようなものが感じられない。この近代アメリカ交響曲を体言するような、同時代音楽のアマルガムから枠組みだけ取り出して、「アメリカ的な響き」を鳴らしてそつなく進めていく。どこかよそよそしく若干ぎすぎすした感じもするのは国外ツアー公演だからだろう。演奏精度はそれにしてはそこまで高くはないのだけれど。○。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ピストン:交響曲第6番(1955),ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)アメリカの交響曲に共通する透き通った響きをもった楽曲ではあるけれど、とくに2楽章での多数の高音打楽器の導入や終楽章のフーガにはヒンデミットの影響が感じられ、意外と構造的である。この人の旋律はわかりやすいのかわかりにくいのかわからない独特のクセがあるが、1楽章ではその旋律の魅力?を存分に味わえる。個人的には経過句的に挿入された、弦の最高音の伸ばしをバックに展開されるハープ・ソロの美しい響きに惹かれた。言葉で書くとヒンデミットの「ウェーバー変奏曲」2楽章のような印象を与えるかもしれないが、寧ろバーバーやコープランド的なもっと素直なものを感じる。また、終楽章の主題に見られるようにちょっとストラヴィンスキー的な特殊なリズムの導入も面白い(2楽章のリズムもそうだが)。3楽章がややルーセル的な緩徐楽章でわかりにくいかもしれないが、マーラーと比べたらどっこいどっこい、というレベル。全般、ミヨー的な多様さを含みながらもきっぱりとした形式的な楽曲に仕上がっており、ミュンシュは複雑な場面もしっかり振り抜けて隙のないところを見せている。繊細な打楽器アンサンブルやリズム表現の力強さはばっちりだ。この曲は1955年ボストン交響楽団創立75周年記念の委属作品としてかかれたものである。きちんと4楽章制をとっているが、短く全曲で30分は越えない程度。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ピストン:交響曲第6番,○メイズ(Vc:3楽章)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA/BMG)1956/3/12,14・CD,同上,ピストンはナディア・ブーランジェ門下のバリバリのアメリカ・アカデミズムの作曲家にもかかわらずドイツ・オーストリアふうの形式主義的な作風を持ち、半音階的な音線を多用し重厚な響きをはなつのが特徴的な作曲家である。この作品は両端楽章にコープランドらの舞踏表現に近い垢抜けた力強さとけたたましさを持ち合わせていながらも、全般に後期ヒンデミットの影響がじつに顕著であり、ピストンの楽曲に聴かれる堅牢な構築性の中にヒンデミットの血が脈々と流れていることは確かだと改めて思わせられる。ヒンデミットと異なるのはその主として旋律表現や変容方法にみられる「ハリウッド的な」通俗性だろう。聴き易い半面そういった臭みもある。マーラーすら想起させるロマン的感傷を孕む3楽章アダージオの木管や弦の用い方など全くヒンデミット的である。チェロソロが印象的だがそういった端のほうにはピストンの独自性は感じ取れはする。,,ミュンシュはヒンデミット指揮者では全くないがその血にドイツ・オーストリア圏のものが含まれていることは言うまでもなく、フランス派を象徴するような指揮者でいながら「本流のフランスではない」アルザスの力強い音楽性を前面に押し出し、結果アメリカでも中欧色の濃いボストンでその活動の頂点を極めることになった異色の指揮者である。ドイツ音楽を得意としていたのもむべなるかな、こういった底からくる力強さとオケの技巧を些細ではなく明確にひけらかす場面を多く兼ね備えた楽曲にはうってつけである。曲がむしろオケや指揮者にすりよったものなのであり(BSO設立75周年記念依属作品)、しっくりこないほうがおかしい。ピストンは聴き易い。しかしそれは飽き易いことも示している。ミュンシュを聴けばもう他はいらない、とまでは言わないが通俗音楽のように「使い捨てられた」オーダメイド作品としてはこれだけ聴けば十分だろう。力感やアンサンブルの堅固さにかけてはこれを覆すほどのモチベーションをもった団体はとうぶん現れまい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ピストン:交響曲第6番,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(sls:CD-R)初演live,,なかなか良い感じ。,,SLSにしてはノイズレスでクリアでもとの録音自体が良好な状態なのでしょう。揺れはするけど一部ステレオ?このくらいの音で聴くと静かな部分のハーモニーの美しさ、楽器の取り合わせの妙がわかってくる。ミュンシュは元々ラヴェル指揮者だったんだよね。もちろんリズミカルで激しい部分はキレキレです。四楽章は後年に較べると伸びが無く、落ち着き過ぎているようにも感じます。そのせいかアメリカらしさは希薄に感じられますが、とりあえず名曲だね。,,ミュンシュの記録がやたら多いのはボストン交響楽団75周年委属作品だからですが、それだけじゃない作品の出来の良さがあります。現代音楽とは完全に一線をかくした、職人的な娯楽性があります。ミヨーが戦後に交響曲の名を棄てて作っていた「(委属元の)ための音楽」に感性的に近いものを感じたのは気のせいでしょうが。後期ヒンデミットぽい部分があるのは時代性。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ピストン:交響曲第6番〜W.,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(放送)1956モスクワlive,,これは近年一度出たと思うのだが(そのとき記事書いたと思い込んでいた)現在はwebに出回っており聴くことが出来る。アナウンス込みの放送二回分で一回目は米ソ両国歌から始まり、エロイカ3番の1,3,4楽章、二回目はピストン6番終楽章、ダフクロ2組と、私にはよくわからないアンコール一曲(古いぽい)の組み合わせ。同曲全曲ライブは1960年6月のニュージーランド録音が残っているそうだが、音源化は不明。しかしぜひ聴いてみたい魅力に溢れており、この演奏で同曲に一時期ハマったことをお伝えしておきたい。いつものピストンの、ヒンデミット的対位法を駆使した立体的構造は極めて見通しよく、何より旋律の美しさと管楽器の輝かしさに尽きる楽章。もちろんここにいたる楽章は暗いわけだが、でもいいのだ。コープランドよりもアカデミックだが、それは他国にはない「アメリカ・アカデミズム」である。フィフティーズの舞い上がる気分すらある(言いすぎ)。演奏自体、ミュンシュにしては手堅く踏み外さない面は否定できない。スピーチからはリラックスしたムードは感じられるのだが客席反応はどうかという部分もある(いちばん悪かったのはソヴィエト国歌(笑)のときだが)。ただ、ピストンはガウクもやっている曲であり、作風もソヴィエトアカデミズムに似通った部分があるので、受け容れられなかったわけではないだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ピストン:交響曲第7番,オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(PO)1961/2/10初演放送live・CD,,委属団体による初演記録。目の詰まったピストン円熟の技を聴ける反面、最初の2楽章は晦渋でお世辞にも人好きするとは言えず、焦燥感と暗い気配が充満している。ハープの用法などフランスの香りをすっかりアメリカアカデミズムのものとして取り込み切って、典雅さの無い音響的な新しさに挑んだ感もある。3楽章はピストンらしい律動に回帰して一瞬安心するも、それは激しい打音と変化する動きに支配された非旋律的な協奏音楽である。ダイナミックな構造的書法はオネゲルを拡大したように職人的にかつ、新味も感じられるもので、二度目のピュリッツアー賞に輝いたのも、(あくまでこの時代の流行を鑑みた上で)頷ける。オーマンディはフィラデルフィア管弦楽団の音色という武器を使わず、まるでミュンシュとボストン交響楽団のようにひたすら機能を迫力と突進力に集中させ、ステレオで左右のレンジのやたら広い録音のせいもあろうが、ミュンシュより外へ拡がる響きがスケール感を拡大する。動き回るヴァイオリンが轟音をたてて駆け抜けて打ち倒すような打音連打で終演、大ブラヴォ。ストコフスキーとオーマンディの違いは曲の要請に従って、ここまでの即物的表現を取るかどうかにある。ストコフスキーはどこかに逃げを作り聴かせにかかるがオーマンディは容赦しない。オケはギリギリと締め上げられ、厳しい音楽になる。録音の良いせいで心中湧いた。録音が悪ければ単なるよくある晦渋作品に聴こえた可能性もある。フィラデルフィア管弦楽団自主制作ボックス所収。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ビゼー:歌劇「カルメン」組曲,○ウォレンスタイン指揮LPO?(LEF他)CD,,まとまりがよく小気味いいリズムとともに品のよさを感じさせる好演。とにかくオケが巧い!爽やかでラテンノリを過度に煽らずドイツ的な野暮ったさもなく、しいていえばフランス的なのだろうがフランスオケの雑味はまったくない。木管のソリストの表現が聴き物。音の純粋さが印象的。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ビゼー:歌劇「カルメン」抜粋,○ワルター指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団他(KOCH他)1937/12/22,27上演live,,何より黄金時代のウィーン国立歌劇シーンの活気溢れる雰囲気が伝わるSP板起こしで、状態は悪いもののオケのリズムのキレのよさや脂粉ふんぷんたる分厚い音の香気は十分伝わってくるし、生の歌手、生の合唱、生の足踏みなどといった舞台を「裏側から覗いたような」感じがなんとも言えない。ぶつ切り抜粋なのが惜しい。音的にはウィーンであり南欧のものではない。きちんと整えられた中欧的な演奏でレベル的にもやはりさすがワルターといったところで今と聴き劣りしない感じが聴いて取れる。そこに娯楽性と音楽性が同居している、それがこの時代の演奏様式でありワルターであったのか。状態は悪いしできれば原盤SPのクリアな音で聞きたいところだが、ぶつ切りだし十分か。○。,-----,,,,,,,,,,,,
ビゼー:交響曲ハ長調,プレートル指揮シュツットガルト南西ドイツ放送交響楽団(hanssler)1991/6live・CD,,荒々しく覇気に満ちている分、ベートーヴェン中期以降交響曲、とくに5〜7番の影響を強く感じさせる聴感となっている。この人はドイツものも得意としていただけありビゼーの習作から個性的な(フランス的な)部分を取り出して強調あるいは繊細に描くよりも骨太の曲構造そのものをしっかりとらえ、前時代的な交響曲であることを明確に意識づける。それが個性の薄さを覆し聞きやすさに通じている面はあり、通俗的というか、庶民的な演奏というか、わかりやすい。ビゼーらしいとも思える新鮮な旋律、適度な工夫、それらがいわゆる後期ロマン派の「国民楽派」(といっても19世紀末のドヴォルザークなど先進的な交響曲よりまったく古風だが)と歩調を合わせたぐらいの感じにおさまっている。聴き映えがするのはあくまで押しの強いプレートルだからで、ビーチャムくらいだとぴんとこないかもしれない。「アルルの女」の片りんすら見当たらないが、旋律の中、明るい響きのなかに欠片くらいは聴く人もいるだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ビゼー:組曲「アルルの女」7曲抜粋,ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(odeon/malibran)1928-34・CD,,第一組曲と第二組曲(ギロー編曲)の抜粋からなる。順番はほぼ原曲である劇付随音楽に沿っているが、組曲でいうと,1-1前奏曲,2-1牧歌,2-2間奏曲,1-3アダージエット,1-4カリヨン,2-3メヌエット(ギローによる転用編曲),2-4ファランドール,となっている。,演奏は固い。いつものピエルネといえばそれまでだが緩やかでおおらかな「アルル」をやるには少々「揺れ」が無さすぎる。スコア第一主義なのか時代(録音側)の要請なのか、「楽しめる」という演奏にはなっていない。率直に純音楽的に楽曲を聴くのには向いている。またやはり原盤のSPの状態は良くない。ピエルネのodeon録音はみなそうであるから、ここは諦めるしかない。木管が美しい。,(後補)YouTub○にあがっているSP起こしを聴いたところ溌剌としたリズムのキレに、華麗な木管、弦楽器の響きとまるで印象が異なることに驚いた。SP原盤と板起こしの印象の違いは「ノイズ除去」という一点で大きく異なってくる。音量にも操作を加え聴きやすくしているのかもしれない。別のLPかCDの可能性もある。これは正直、YouTub○を聴けば良いだろう。,-----,,,-----
ピツェッティ:交響曲イ調〜部分,ガエターノ・コメルリ指揮紀元2600年泰祝交響楽団(NHKSO)1940/12/7,8,14,15歌舞伎座、紀元2600年泰祝楽曲発表会LIVE? ・LP,,皇紀2600年記念録音盤。言うまでもなく戦前各国の著名作曲家に依属した祝典用楽曲のこれはひとつである。正直いちばん興味のある楽曲だったが、果たして主催者側はこの現代曲を理解して受けとったのだろうか。いかにもこの時代の楽曲といったふうで、イタリア復古主義の芸術音楽に昇華されたさまをいくぶん楽しめます。惜しむらくは10分36秒しかないこと・・・。オケはN響の前身新響を母体として新たに組織されたもの。 ,,,別途放送用録音されたものの抜粋の可能性がある(columbia、CDではローム、altus)。,-----,,,-----,,,-----,
ヒナステラ:オランタイ,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1968/11/17live,,打楽器主義な殆どジョリヴェな曲だがストコで聴くととても派手でいい。リズム系の音楽が好きな人は好むだろうし、好きじゃない人はみんなおんなじに聞こえるかも。膝録かもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒナステラ:クリオールのファウスト序曲,ミトロプーロス指揮NYP(SLS)1958/8/8live,,取っ付きづらい重い和音のぶっ放しから始まり、リズムにラテン要素はあるもののミヨーよりも中欧志向が強いのかヒンデミットを思わせる新古典主義的構造が織り交ざり、こけおどしのような大太鼓と低音ブラスが晦渋さをかえって煽る形で不穏に終わる。さあこれから始まるぞ的な祝祭っぽい序曲感が無い現代アメリカ音楽の系譜といった感じの、個性が板についてない作品。ミトロプーロスがまた無駄に力感があり表出力のあるのが仇にも思った。録音は新発掘音源レベルのノイズ多め。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒナステラ:パナンビ,グーセンス指揮ロンドン交響楽団(EVEREST),,この時代くらいの作曲家でストラヴィンスキーの原始主義の影響を受けていない作曲家を探すほうが難しいくらいだがこの曲も多分に漏れずストラヴィンスキーである。硬派というか、いかにも若者の書きそうな難しい顔を覗かせつつの作品であり、マジメな近現代ファンにはこの曲のほうがエスタンシアよりウケるかもしれない。私はなんともいえません。ヒナステラの出世作であり作品番号1。パナンビはちょうちょの意味。21才の作品。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒナステラ:パムピアナ第3番(田園交響曲),○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(TCO)1956/11/8live・CD,,どこが田園かと聞かれてもヒナステラじゃないんで困るんだが、全部で20分にわたる3楽章制でストラヴィンスキーふうの野蛮主義を挟むものの最初はアダージョ最後はラールゴという尻すぼみな構成もちょっと時代性な暗い気持ちを抱かせる部分がある。しかし抽象化された民族主義はバルトークのようなオソロしげなものもなく、セルの技術がオケを厳しく律して過不足なき表現に至っている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒナステラ:バレエ音楽「エスタンシア」〜マランボ,フィードラー指揮東京交響楽団(TBS)1961/11/20live・CD,,素晴らしい。曲が面白いのだが。オスティナートオスティナート、飽きずにダレずにひたすら色彩感にあふれるリズム音楽を演じきっている。下品にも生硬にもならず、吹奏楽ないし軽音楽的な曲の魅力をしっかり描き出している。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒナステラ:バレエ組曲「エスタンシア」,○グーセンス指揮ロンドン交響楽団(EVEREST),,吹奏楽編曲が有名ですよね。ヒナステラは大正生まれで86年に亡くなっているアルゼンチンの現代作曲家。とびきり楽しくて美しい曲に派手な音響を加えて体を揺らす南米のリズム。EL&Pのメンツが編曲権交渉のためわざわざ自宅までヒナステラを訪ねたさいおおいに歓迎され、編曲も演奏も絶賛された話は有名だが(あ、ここはクラシックのページか)むしろジョン・ウィリアムズあたりの映画音楽が好きな向きはぜひ聞いてみてください。難しいこと言いっこなし!ガウチョ丸出しな民族音楽に印象派的センスを加えた初期ヒナステラ(当人の言う「客観的民族主義期」ようは単純な民族音楽期)の代表作。グーセンスの色彩的な処理が冴えまくる逸品です。4曲からなり、農園で巻き起こる色恋騒動を描いたファリャ的な内容。一曲め:農園の労働者たち、2曲め:小麦の踊り、3曲め:大牧場の牛追い、4曲め:マランボ。ちなみにEL&Pが編曲したのはピアノ協奏曲第1番第4楽章。音楽一家に生まれバルトークを弾いて育ったキース・エマーソンの面目躍如な演奏です。ロックファンには言わずと知れた「トッカータ」がその作品。クレオールの踊りがここまでハードに昇華されたというのは凄い。キースのパフォーマンスをバカにした坂本龍一が世界一のキーボーディストなんて分かる人に言ったらバカにされますよ。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒナステラ:協奏的変奏曲(リハーサル風景),○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1963/2/23カーネギーホールlive,,がちっと細かく組み上げられたアンサンブルがスリリングな難曲だが、ストコの指示はびしっとして無駄がなく、相変わらず迫力のオケはリズムも切れている。リハなりのアバウトなザッツのブレもなくもないが。この曲の娯楽性はバルトークやビラロボよりウォルトンに近く感じる。つまり後期ヒンデミット的ということだ。曲がただでさえとても扇情的で南米のローカリズムに収まらない魅力に満ちているため、加えてストコがシェフなら別に何もいじる必要は無いように思える。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒナステラ:弦楽四重奏曲第1番,○パガニーニ四重奏団(DECCA)LP,,テミヤンカ、ロッセールス、フォイダート、ラポルテのメンバー。同じく現代ものも得意としたハリウッド四重奏団に似ているもののもっと表現に潤いを持たせたような触感が面白い楽団だが、メンバーが安定しないせいか技術的に意外と乱れることもある。この曲はバーバリズムの範疇にあるわりと常套的な前衛で、聴きやすいが凡庸ととる向きもあるかもしれない。繊細な音響的表現において楽団の技量は素晴らしくピッタリはまって美しい。バンバン弾くような表現でも荒々しさが乱れにならずまとまっている。わりとハマるとハマってしまう、嫌になると最初から聴く気をなくすたぐいの野趣のある曲だが、諸所に美感を引き出した、旧いけどいい演奏。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ビュッセル:ハープと小管弦楽のための小協奏曲,○作曲家指揮ラムルー管弦楽団、ラスキーヌ(Hrp)(HMV他)SP,,これはまったくラスキーヌが素晴らしい。というかラスキーヌを聴かせるための録音だろう、オケなんてほとんど聴こえない。後年豪腕オバサンになった頃にも失われなかったきらめきが、若さゆえの軽やかな快活さの中に弾けており曲の魅力をすら倍増させる。まるでともすると古臭いビュッセルの曲がドビュッシーのように新しく美しいものに生まれ変わったようだ。ペダル付きハープの右に出る者のいなかったラスキーヌ、この録音時には既に巨匠扱い。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ビュッセル:小組曲,作曲家指揮フランス国営放送管弦楽団(COLOMBIA/PATHE)1952いたって普通の曲。つまらない。まったく冒険しておらず、模範的・教科書的。その保守性はドビュッシーはもとよりフランク派より古臭く、あるいはマスネあたりに似るか。印象にまったく残らないが、聞いていて不快ではない。4楽章制。晴朗だが地味感が否めないのはビュッセルの指揮のせいでもないだろう。ビュッセル指揮の盤はこれとドビュッシーの他にグノーのファウスト(部分)の演奏がヴォルフ指揮のものと組み合わせてCD(ANDANTE)で出ている。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒル:交響曲第1番,クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PASC)1943/2/27live
pristine発掘音源で、ハリスの5番(初演)とともに演奏されたもの。1927年作品で初演ではない可能性があるがpristineによるとおそらく同曲唯一の記録で、曲自体の詳細すらわからないらしい。感触はやはりアメリカ現代交響曲(前衛じゃない方)そのもの。3楽章制でアレグロ楽章の中間に緩徐楽章をはさんでいる。20分に満たずハリスの5番よりさらに短い。3楽章は(これもアメリカ現代交響曲の典型だが)舞踏要素が強く、やや雑味はあるが耳なじみ良い盛り上がる曲。クーセヴィツキーも「いつもどおり」といったそつない感じ。
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ビンカード:太陽の歌い手,○クーベリック指揮イリノイ大学管弦楽団(不詳)1952/3/29ウルバナ現代音楽祭live,,いくつかの新作といっしょに演奏されたものでこのてのオケにしては上出来。クーベリックの指揮であることを考えると元々個々の演奏者の技術も非常に高いことが想像される。この作品は独特の新味があり、もちろんプレーリーの作曲家らしいコープランドのエコーは感じられるしヒンデミットのマチス交響曲終楽章あたりの影響も部分的にはあるのだが、この時代にありがちの作風とはいえ、このあとのRVWの6番やオネゲルのモノパルティータ、チャベスのシンフォニア・インディアと比べて「聞いたことの無い動き」が体感できるものとしては特筆すべきところがある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:「三角帽子」〜第一組曲、第二組曲,アンセルメ指揮ボストン交響楽団(SLS)1961/12/8ボストンlive,,初演者晩年のライヴでライヴなりの精度の部分もあるが情熱と正確さの同居した高度な技術を駆使した指揮ぶりはこの人には珍しく?少しのブラヴォをも呼んでいる。篭り気味ではあるもののステレオのため迫力が違う。冒頭などミュンシュのような弦の力みにびっくりする。およそミュンシュでもモントゥでもない、しかしミュンシュの音、モントゥのリズム感といおうか、この指揮者は楽団に好かれなかったとも聞くがそれが音にあらわれないのはまさにプロである。短い曲集なので一気に聴いてほしいが、やっぱり第二組曲だろう。二曲目最後の恐ろしい畳み掛け(もっともブラスのソロが悉くとちっているのは惜しい)、さらに終曲のスケールの大きな大団円は、取ってつけたような言い方をすれば南欧というよりスイスの青空のように明るい。もっとも整えられたような透明感をことさらに煽ることはなく、アンセルメがロシア音楽にも定評があったことを思い起こさせる。色んなバランスを客観的にとって、それをミュンシュのオケがモントゥーふうにやったような、と言えばわかるだろうか。わからないか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:「三角帽子」第二組曲,
○マルケヴィッチ指揮ORTF(eternities:CD-R/ina配信他)1958/9/25モントルー音楽祭live,,オケのせいもあってやや壮麗すぎた感もあるがマルケ的な三角帽子。音色に艶がすくなくラテンの雰囲気は余り無いが、ORTFがその技術力を発揮して(じつはいらないのかもしれないけれど)精度のある演奏を繰り広げる。私は余り惹かれなかったが、○はつけていいだろう。,
(後補)Amazonデジタルミュージックより2016年10月1日この日の演目(悲愴など)全曲mp3配信開始。ina配信ではトラック分け無し。
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ファリャ:「恋は魔術師」〜火祭りの踊り,ボールト指揮LPO(EMI/warner)CD,,ゴージャスな大編成による演奏で、案外といける。ブラームスやエルガーのイメージのあるボールトだが、現代のお国ものをライフワークとしており、30年代頃にはサージェント張りの颯爽とした演奏を繰り広げていた。それはあの時代の録音であるにもかかわらず色彩感があり、高音打楽器を強調するなどコントラストのついたスタイルで、それからするとこのファリャも、とっぴな選曲でもない。意外と良いです。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:「恋は魔術師」より火祭りの踊り,ケーゲル指揮ドレスデン・フィル(HMV他)ベルリン・CD,,ここでは少々激したケーゲルが聴けて楽しい。が、この曲の演奏としては中っくらい、といったところか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:4つの讃歌,ミトロプーロス指揮NYP1954/4/11nicksonアルボス、ドビュッシー(有名)、デュカスらに捧げた別々の曲をまとめて管弦楽化したもので、ナクソス含めいくつか録音がある。ファリャは苦手。古風というかローカルな味に馴染めない。これ録音悪い。駄目。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ファリャ:スペインの庭の夜,アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina)1960/5/24live,,三曲からなる標題協奏曲で、内容的には三角帽子の素材をフランスの山人の歌による交響曲に放り込んだようなもの。わりと単純でとりとめもない曲だが一楽章の神秘的な響きは素晴らしい。ファリャ自体民族臭をうまく昇華させて同時代のフランス音楽と歩調をあわせ時に先んじたようなものを書いているが、アンゲルブレシュトはとりわけ脱臭効果の高い明晰な音で曲を組み上げる。この夜の演奏会の中では比較的熱が感じられるが、それでもこう均質な音で純粋に音楽的に構築されていくと、曲の魅力の薄い部分もはっきり聴こえてしまうし、ソリストもオケと融和的で先導して激しく煽るようなことはしないから、何か技術だけに優れた現代の演奏を聴いているような(悪い意味だけでもない)感覚に陥ってしまう。見通しよく構築的であろうとするあまりスカスカな、、、放送録音としては明晰過ぎるステレオ録音のせいもあるか。放送録音なりのノイズあり。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:スペインの庭の夜,カーゾン(P)ホルダ指揮ナショナル交響楽団(decca/dutton)1945/9/26・CD,,ダットンは痩せてデジダル臭い音に整形されているがリバーブかけると情報量十分。ホルダの色彩的な演奏を楽しめる。作風は古くドビュッシーふうの印象主義的な音楽であり、楽想は多くはないが時に打楽器的なピアノのメロディを通していくぶんはフォルムを整えていくものの、それほど明確な描写音楽ではもともとなくドビュッシーのスペイン語翻案みたいな、新味のない作品だから近代フランスの響きと民族的なリズムのダイレクトな融合っぷりに好き嫌いが別れると思う(私も苦手なほう)。カーゾンのピアノはナチュラルで適度に感情をこめ、ふんぷんとする南欧のメロディーに拘泥することなく、曲をことさらにはピアノ協奏曲のようにしていない。終わり方がブチっと切れるような感じなのは元の録音がそうなのか。構成感のない曲ではである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:スペインの庭の夜,タリアフェロ(P)フレイタス・ブランコ指揮トゥールーズコンサート協会管弦楽団(forgottenrecords)1952/3/6live放送,,生暖かい空気の中で聴くと途端に滲みてくる、音楽においても「適材適所」のようなことはあって、これを真夜中に寒冷地で聴いたらば書法だとか技巧だとかそちらにしか関心がゆかず、そうでなく楽しむためには本質的な部分において想像力が必要となる。ファリャはその要求がかなり強いと思う。そこが私も不得意なゆえんなのだけれど、今日の様な陽気で行き交う人の濃い影を見ながらオレンジ色に包まれていると、これはまぎれもなくこういうシーンで聴くべき印象派音楽なのだ、と思わされざるを得ない。私は野外で音楽を聴くのが好きで、室内で聴くより、ホールで聴くより、シーンがぴったりくれば余程感動する。この演奏はまさにブランコ得意のラテンのノリが、オケの明るく楽しげな音色とマッチして、まとまりない音楽に、いやこれは印象派だからまとまりはなくて良い、と思わせる説得力を持たせている。タリアフェロは巧緻でオケと融合しているが、この曲自体がさほど協奏曲的ではないので、あくまで1つのパートとして聴ける。拍手は普通か。録音はノイジーなモノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:スペインの庭の夜〜抜粋,ハルフテル指揮ORTF(ina配信)1934/5/1,,ソリスト不詳。アンゲルブレシュトの時代なのでアンゲルブレシュトが振ってアルフテルがピアノを弾いたと考えたいものだが、記載データは違う。ORTFの60年、という三回シリーズのラジオ放送のなかで流されたもので、正直この時代にしてはノイズ混じりながら音が良いけれど、曲の魅力が浮き立つほど音色感はない。ファリャっぽさが出ない。終楽章の一部だけでは全体像も見えない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:ハープシコード協奏曲,○ラルフ・カークパトリック(hrps)アレクサンダー・シュナイダー(Vn)ミッチ・ミラー(o)H.フリーマン(cl)B.グリーンハウス(Vc)(mercury)SP,,おそらく40年代末から50年代の録音だろう。当時気鋭の奏者による演奏である。カークパトリックが力強く先導していく形で進み、はつらつとした音楽が展開されてゆくが、アンサンブルはややぎごちない。ザッツが甘いようなところがあり、思い直すようなリズム取りによってテンポを保っているように感じた。しかし悪くは無く、おのおのの技量にも音にも瑕疵はない。ブダペストQのシュナイダー、言わずと知れたミラー、後後まで活躍したグリーンハウス、それにハープシコードの第一人者カークパトリックという取り合わせが決して悪かろうことはない。SP録音ということで音は少しノイジーだが、LPで出直していたかもしれない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:はかなき人生〜スペイン舞曲第1番(クライスラー編),エルリ(Vn)ビュロー(P)(meloclassic)1952/12/15パリ フランス放送live・CD,,エルリはスロースターターなのか、この曲でも発火が遅い。演奏効果のためそうしているのかもしれないが、やはりスペイン情緒が強く出てくるのは最期の方である。ピアノがもっと出てほしいというのは贅沢な物言いか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ「三角帽子」より三つの舞曲,○アンセルメ指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1968/1/25live,,アンセルメがこのクラスのオケ、しかもシカゴのような音と精度のオケを持っていたらずいぶんと同時代の評価も変わっていただろう、と思う。それほどに凄い演奏で、一見前に向かわない縦を意識しすぎたテンポに聞こえるのだが、リズム感が言葉で言い表せないくらい絶妙で、そこにシカゴのボリュームのある高精度の音がびしっと決まってくると、終曲では「もうこれ以外いらん」と思わせるくらいの感興を催されてしまう。これがアンセルメのバレエ指揮者としてのセンスなのだ。録音が余りよくないので○にとどめておくが・・・解釈の基本は他と変わらない、オケの違いだ。ブラヴォも少し飛ぶがシカゴの聴衆らしい落ち着いた反応。ファリャのこの組曲は「第二組曲」と表記すべきなのかもしれないが、ややこしいなあ。アンセルメはややこしい組み合わせの組曲も録音している。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ「三角帽子」第二組曲,〇モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1961/7/23LIVE,,細部まで実に明快で一音たりともおろそかにせず、スコアの仕掛けの魅力だけをオケの見事な技術を背景に聞かせる、しなやかでそつの無い演奏ぶりはいつものこと。だが、聴衆は大ブラヴォ。リズムもテンポも熱狂的では無い冷静さがある。音は温かくこじんまりと固まった充実ぶりだが、クールなところがどこかあるのだ。個人的にはまったく惹かれないが、ステレオだしいいか。,-----,,,,,,,,,,,,,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」,○アルヘンタ指揮スペイン国立管弦楽団(RCA)CD割合と素朴な響きのする演奏だが、まとまりはよく明瞭な輪郭の録音である。アルヘンタはことさらにリズム性や色彩性を煽ることなく爽やかでシャキシャキした演奏をサクサクと進めていく(擬音ばっかり)。これはこれでいいが、何か物足りない気もしなくもない。何か弾け散るような強いアクセントとか目にも鮮やかな響きとか、自在な歌いまわしとかそういったものを求めたくなる曲だから、これはちょっとそつなすぎるのではなかろうか。とても正確でわかりやすさでは一番だから、初心者や演奏家には向いていると思う。差し引きで○。*ライヴではありません!修正しました。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」,アンセルメ指揮ボストン交響楽団(melusina)1961/12/8live,,冷たく厳しく、しかしリズムがキレて扇情的でもある。初演者たるアンセルメのかつてのバレエ指揮者として発揮した劇性を、抽象的に昇華させた晩年の記録であり、オケが機能性を誇るオケであるがゆえにアンセルメの「数学的な」音楽を忠実に再現しながら包蔵される愉悦性まで感じさせる。ノイジーだがクリアなモノラル録音であり、スイス・ロマンドならライヴでこうはいかなかったろう、しかも響きは透徹していながら透明感を感じさせない緻密な響きは時にズシズシくる。オケのカメレオンぶりにも感銘を受ける演奏だ。ミュンシュとは別種の力ある演奏である。2つの組曲版。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」,ブリス(SP)マルティノン指揮ORTF(ina,parlophone/icon,warner)1972/1/3パリ・シャンゼリゼ劇場live・CD,,全曲版。ファリャの管弦楽の色彩、ソプラノを入れることも含め独特な創意のみられる曲(ただ全体としてはそれほど先進的には感じないのだが、、、)。落ち着き払った出だしに「いつものマルティノン節か、30分もつのか?」と思うが、モノラル期より録音してきた曲だけあって、テンポこそ前のめりにならないものの心地よいリズム感、透明感ある色彩により構築された音楽は、組曲に採り入れられた部分で耳が切り替わってしまう戸惑いはあるものの、まさに「BGM」にふさわしい心地よさ。終盤になってちょっとライヴ的な雑味がある気はするが、マルティノンは「律する心」が強く乱れることを許さない。派手にぶちまけるような表現もそれほど粘りはなく軽い突進でそのまま終わり。乱暴なブラヴォが散発、といった感じで感興を呼ぶような雰囲気はない。,-----,,,,,,,,,,,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」〜三つの舞曲,フィードラー指揮東京交響楽団(TBS)1961/11/20live・CD,,オケ(弦)の非力さ、パート間の技術的なバランス悪さは仕方のないところか。一曲目はあまりに生硬でいただけない。二曲目はクラリネットの音色など特筆できる聴きどころがある。三曲目もリズムは重いが色彩的なひびきがよく引き出されており、いささか人工的ではあるけれども、リズムは確かで、比較的楽しい音楽が展開されている。録音はモノラルで悪い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」〜三つの踊り,マルケヴィッチ指揮フィルハーモニア管弦楽団(COLUMBIA/HECTOR他)1952/9,,録音は悪いが指揮もオケもノッている。この曲は完全に○×が別れると感じていて、適性のない指揮者はいかな大家でも何の気も煽られない。決然とした表現と柔和な流れ、色彩的な捌きとリズムのキレ、それらの調和のうえにいかなる人工的な印象もあたえてはならない。マルケはバレエ指揮者としての経験上こういう曲はまるで別人のように南欧的な感興を煽りたてる。チェリとは似て違う、チェリ同様に厳しく絞り上げるタイプのはずなのに、オケから自発的な血の滾りを感じさせる音を引き出す。じつに効果的な解釈で前進的な音楽だが、同時にオケの曇りのない鮮やかな色彩(高度な技巧に裏付けされたもの)を活かし、終曲の終盤ではスピードを落としアンセルメふうの響きの透明感で意外な着地点を求めてゆき、ドガジャーンと戻ると、これはセッション録音なので整えた感は残るは残るし、やや低音ブラスが弱いものの、全体としては歌劇の終幕を思わせる壮麗さに若干の「ロシア的デュナーミク」が少し山葵となって、大きな山場を作って長延ばしで終わる。カラフル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」〜第一組曲、第二組曲,○アンセルメ指揮NHK交響楽団(NHKSO,KING)1964/5/30LIVE バレエ音楽の体裁でこの曲を初演したのは他ならぬアンセルメだそうで、鮮やかなリズムが耳に残る。色彩的なのだがドぎつい原色に彩られ熱気ムンムンのスペイン音楽のイメージとは異なり、薄く透明感のあるパステルカラーの散りばめられた涼しい演奏になっている。そこが特徴であり、弱点でもある。客観性が優るようだ。N響はここでは少し苦戦しているところもあり、動きが鈍重で生き生きしたリズムを刻めなかったりソロ管楽器がとても怪しかったりする箇所も有る。録音のせいか迫力はあり、決して悪い演奏ではない。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」〜第一組曲、第二組曲,◎フレイタス・ブランコ指揮マドリード・コンサート管弦楽団(ERATO)LP むかしからかたりつたえられた名盤。個人的にファリャはこの曲がいちばん楽しめて好きだから、その贔屓目もあるのだが、定評あるブランコのスタジオ録音(ライヴじゃなくて)、色彩的で透明感があって最後には熱い盛り上がりが待っている、まったく模範的というか胸のすくような演奏だ。やや客観的なところもあるがオケをきちんと制御して尚且つ物足りなさを感じさせないほどには派手に、という手綱さばきがとても巧い。ラテンなところを多分に残しながらフランス印象派ふうのオーケストレーションによって独自の作風を確立したファリャ、当時の現代音楽を積極的に取り上げながらも内にはラテンな熱い魂を秘めているブランコとの相性はとてもよい。これはステレオかと聴き枉ごうモノラル録音。◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」〜第一組曲、第二組曲,○ロジンスキ指揮ロイヤル・フィル(EMI,PATHE)ステレオの良好な録音。やはり表出力の強い演奏だがオケのせいかいつもの爆演ぶりは伺えない。引き締まったいい演奏だけれども、やはり他国の指揮者という感じで、お国モノ特有の感興はあまり感じられない。たんにクラシックの古典名曲として演奏しているという感じだ。ロイヤル・フィルはかなり巧く、だからこれでも十分に聞き栄えがするのだが、今ひとつの体臭のようなものが欲しい私は最上級の評価は躊躇する。○。第一組曲も短いが美しい佳曲です。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」〜第二組曲,○フレイタス・ブランコ指揮ポルトガル国立交響楽団(STRAUSS)1960/7/28LIVE この曲はこう演奏しなさい!という創意に満ちた演奏。器用に伸縮するも決して下品にはならず、明るく色彩的。民族色豊かではあるが、まとまりがよく嫌味が無い。とにかく派手にぶっ放してくれるので、雑味が多いとかばらけるとかそんなことどうでもよくなる。気合だ!3曲のどれもテンション高いがやはり終曲の堂に入った解釈が聞き物。客席も大喝采。録音悪し。何度も聞くと慣れてしまう類の演奏なので○に留めておく。スケール感があるともっとよかった。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」〜第二組曲,◎ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(COLUMBIA)LP この力感!ミトプーらしい重量感ある音に加え鋭く俊敏な表現が耳を惹く。ミトロプーロスとは思えぬラテン気質の発露(まあミトロプーロスはギリシャ系だからラテンと言われてもおかしくはないけど)、オケの充実ぶりと同時にこの魅力的な曲の長所を最大限に引き出すのに足る素晴らしい演奏だ。三角帽子の中でもとりわけ有名な三曲からなる短い録音だが、雑味がほとんど無く、浮き立つリズム感、流麗なテンポなどにはミトプー従来の力で押し切る芸風とは一線を画した隙の無い解釈とその完璧な実現が見られる。私は今まで聞いたこの曲の演奏の中では一番感銘を受けた。◎。ミトプーらしさ+αの演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」〜第二組曲,アルボス指揮マドリード交響楽団(THE CLASSICAL COLLECTOR,AUVIDIS)1928/4/18録音は悪い。それは時代柄仕方ない。確かに演奏のパワーは感じられる。この時代のこの楽団にしては体臭をほどよく感じさせつつも結構精度の高い演奏を行う事に成功しているといえるだろう。ただ、あまりにうるさい。音量にメリハリが無い。だからどこでどう盛り上がるのか、これこれこういう経緯をへて最後に大団円が来る、という設計が見えない。始終がしゃがしゃやっている感じで、今一つノれない。もうちょっと情緒的な揺れがほしいし、同時代性を生かした+αがほしい。総じてイマイチ。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」第二組曲,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(SCC:CD-R)1967/11/19live,,俊敏な演奏で、南欧派の音楽に余り適性がなかったと思われるストコフスキにしては素晴らしく駆け抜けるような爽快な演奏。色彩感がゴージャス過ぎるところまでいかず聴きやすい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」第二組曲,◎ドラティ指揮ミネアポリス交響楽団(mo)1958/3/28live・CD,,ミネソタ管弦楽団のBOXより。ドラティのこの曲はとにかくテンション、さらにバス音域のズシズシくる響きが何とも言えず迫力がある。演奏自体重くならずに重低音でリズムを煽る、なかなかにカッコイイのである。ドラティは職人的な気質のいっぽうで一部の曲にかんしては著しく集中度の高い独特の演奏をすることがあるがこれは後者か。トスカニーニとはまた違う音響の迫力である。バレエとしてはどうかわからないが。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」第二組曲,○マルケヴィッチ指揮RIAS交響楽団(audite)1952-53・CD,,やや録音が悪い。いかにも中欧的なしゃっちょこばった表現が聴かれ、音がいずれも四角く整形され、計算的な面白さや一歩引いた熱気といった部分で聴けるものはあるのだが、特徴的な演奏でもあるのだが、何かしら違和感がある。ただ最後だけ異様に伸ばしているのが印象的だった。聴けるので、○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」第二組曲,○マルケヴィッチ指揮聖チェチリア音楽院交響楽団(eternities:CD-R)1952/5/29live,,冒頭からいきなりなし崩しのバラバラでがっくりするが、音の雰囲気はよくイタリアオケのいい部分が次第に出てくる。主題が再現されるころにはしっかりアンサンブルになっている。それほどテンポは上がらないが二楽章のリズムの切れもいいかんじだ。ねっとりした三楽章も壮麗な広がりを見せていて、高弦や管楽ソロにはやや稚拙さを感じさせるところもあるが、後半は派手な盛り上がりが出来る。モノラルだがカラフルで、トスカニーニを思わせる勢いが楽しい。とにかく技術的にはかなり問題はあるが、楽しめてしまったので○。客席反応はいい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」,○アルヴィッド・ヤンソンス指揮モスクワ放送交響楽団他(MELODIYA)LPヤンソンス父の指揮ぶりはシャープで洗練されたものだ。ガウクにゴロワノフにスヴェトラーノフなどなど怪物指揮者の中にあって唯一職人的で整った演奏を行った。この人に比べればムラヴィンスキーすらロシア臭く感じてしまう。実際この演奏でもまるでロシアの響きのしない、寧ろ南欧的な響きになっているのが凄い。曲が曲なので耳だけで聞いていても飽きてしまうが、清々しく引き締まった演奏ぶりは特筆できる。常に一定の水準を守っていて無理が無い。客観的で落ち着いていて、奇矯なところが無いのが仇ではあるが、ロシアでこのような演奏を行っていた事こそ特筆すべきだろう。ステレオ録音とのフレコミだが非常にバランスが悪く、人造ステレオの疑い大。希少性を鑑みて○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」,○ストコフスキ指揮レニングラード・フィル、アルヒポーワ(msp)(venezia)live・CD,,なかなかの凄演。ストコのロシア公演は外しが無いが、レニフィルの技術と迫力が存分に引き出され、またストコ特有の拡散的な響きがここでは目立たず、求心的で聴きごたえのある音楽に仕上がっている。歌唱も迫力があり、チェロソロもよいが、ヴァイオリンソロは少し音程があやふや。これもまたロシアか。録音が悪いので○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」,○フレイタス・ブランコ指揮マドリード交響楽団他(LONDON)LPファリャの音楽は、フランス近代音楽に親しんだよそ者にとってはいわば「種明かし」のようなものを感じさせる。かれはラヴェルやドビュッシーの南欧へのあこがれが生んだ作品の数々を、南欧の立場からあっさり切り返してみせた。さらには極寒のストラヴィンスキーの音楽すらも取り込んで、より「スペインスペイン」した音楽を造り上げている。あっさりとしていて、単純な旋律重視の構造も、色彩的なオーケストレーションによって飽きがくることを避けている(この「飽きる」という感覚、私は南欧のとくにオペラなんかによく感じる。イタリアオペラ大苦手ということもあるのだが、その影響下のチャイコフスキーは好きだったりと、いささか論理性に欠けてはいる)。とくに弦の刻みや旋律に変化をもたらす変拍子等の非常にメカニカルな効果が目立つ。ストラヴィンスキーを思わせるところだが、いくぶんドビュッシーふうのやわらかな情緒も感じさせる楽曲であり、盛年期のブランコの、けっしてリズミカルでも前のめりでもないのだけれども、音の輪郭がしっかりしていて、体臭を感じさせる演奏が気分を盛り立ててくれる。派手でクリアな音響が持ち味で、後年の母国ポルトガルでのライヴ録音集における精彩を欠く指揮ぶりとはまったく異なる(いや、特徴は共通しているが、後年のものには長所が抜け短所だけが残ったような気すらする)瑞々しい音楽を楽しもう。体臭、と言ったが、けっして国民楽派ふうの民族音楽の延長上の音楽を演ずるのではない、20世紀の南欧音楽を演じるのだ、と自覚したようなあっけらかんとしたところがあり、透明感すら感じる。ファリャの、ラヴェルをして嫉妬せしめた機敏な感性が、民族音楽を20世紀音楽に見事に昇華させたように。まあ・・・私はじつはファリャは前述した理由で苦手ではあるのだが、歌の入らない部分は、アンゲルブレシュトのように客観性を感じながらもつねにどこか人間的で心地よい感興を呼ぶ絶妙の技を味わった。録音は古く、何度も聞く演奏ではないかもしれないが、この曲が好きな向きならぜひ。ちなみに最初シャンゼリゼかと思ったほど洗練された音を紡ぎだしたオケにも乾杯。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」,ホルダ指揮ナショナル交響楽団(decca/dutton)1945/9/5・CD,,今はなき(あるのだが)ダットンラボラトリーによる信じられない音質のレストアCDだが、硬質で色とりどりの宝石のような輝きを放つファリャ特有の響きを良く引き出している(ダットンではなくホルダが、と言っておこう)。こういうあるていど中まで見通せる録音でないと、ファリャの管弦楽の独特さ、というかどういうふうに「やるべき」なのかはわからない。新しい録音でも旋律やリズムだけに拘泥してしまっては構造や響き合いの恐ろしく個性的なところはわからない。ただの民族音楽になってしまう。ホルダはファリャと直接交流のある世代ではないがオーソリティーと扱われた人である。アメリカに移ってから活動したためお国ものとして扱うことにも躊躇があるが、しかしこういうふうにやってのけるというのは肌で理解できる血の流れていることを感じさせる。アメリカオケらしいオケだがそれほど腕利きというわけではなく、アメリカ中堅的なニュートラルさというか、少し固くもある。よくピアノ独奏で取り上げられる火祭りの踊りも、管弦楽版はみな少なからずそうなのだが音のエッジの立ち方がもの足りず、腰を落ち着けたテンポでぼわっとしてしまう。ただ全曲(抜粋?)の中においては適切な場所に適切な解釈で配置されているように聴こえる。ネガティブなことを書いてしまったが、きほんホルダのファリャは楽しい。日本にとっては終戦直後のアメリカ録音になるこれがこんなクリアでノイズレスに聴けるだけでも良し。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」(ピアノ編曲(組曲)版),○リッカルド・ヴィニェス(P)(THE CLASSICAL COLLECTOR,AUVIDIS)1929/11/13・CD ヴィニェスのピアニズムの末裔は聴くことができてもヴィニェス自身の演奏というのはほとんど聴くことができない。これは8分以上というこの人にしては長い録音で、貴重な記録である。打鍵の強さはあまり感じられないし(録音のせいかもしれないが)むしろ柔らかいのだが、非常にリズムがいいというか、テンポ感が絶妙で、聞かせるものを持っている。名人芸というか、細部は精度が低いにしても、この民族的音楽の本質を的確にとらえ、抉り出して見せている(それでも重く暑苦しくはならない)。とにかく聴いていると楽しい。「火祭りの踊り」を始め聞かせどころが多い。このピアノ編曲、単純に音が少ないせいかもしれないが、ラヴェル初期の平易な作品を思わせるひびきがあり、いささか常套的ではあるけれども、印象的ではある。録音が悪いので○しかつけられないが、もっと長生きして同時代音楽をいろいろ録音しておいてくれてたらなあ、と思った。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」〜火祭りの踊り,○ロジンスキ指揮ロイヤル・フィル(EMI,PATHE)ファリャの代表作だけれども1914、5年という作曲年代からすると結構古い曲なのだ。ドビュッシー、ディーリアスの後、ラヴェルの横、六人組の前くらいか。「火祭り」は余程聴き映えがするのか様々な楽器によって編曲演奏されている。私はヴァイオリンとチェロとピアノでそれぞれ聞いたが一番しっくりいったのはピアノでした(別記のヴィニェスの盤が見本)。このとき弾いたのはモスクワ音楽院の教授だったか、着席するなりいきなり機関銃のように鍵盤を叩き始め、めまぐるしく異様な迫力の演奏を繰り広げた挙げ句最後の和音を鳴らすか鳴らさないかのうちかに立ち上がった。それが無茶苦茶かっこいいので感動してしまったわけである。単楽器編曲版と比べると原曲のオケではいくぶんアタックの強さやアンサンブルの緊密さが損なわれるように感じる。その反面スケールアップしてずいぶんと広大な広がりを感じさせる。ロジンスキは若干大人しめだがそつなくやってのけている。色彩感があるが、やや淡彩にすぎるか。もっと狂おしいほどの勢いが欲しいと思ったが、オケではこれだけできていれば○でしょう。強くは推さないが、上出来ではある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」〜火祭りの踊り(ピアノソロ版),ブルショルリ(P)(meloclassic)1965/11/19live私的録音・CD,,これはちょっとやり過ぎかな。最初の主題ではテンポがよたり、第二パートでは表情を作り過ぎ。もっとも、面白い。この曲に私がルビンシュタイン的な勢いと力強さしか求めないのはかつてロシアの先生の実演で物凄くカッコの良い豪快な弾きっぷりを観たからで、こういう起伏を付けるソロピアノ演奏を聴いたのは初めてだった。録音は悪いが一応内容は聴き取れる。それほど音が細かく絡み合う曲ではない。生誕100年記念盤より。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ組曲「三角帽子」(三つの踊り),フレイタス・ブランコ指揮ORTF(forgottenrecords)1956/11/5パリ放送コンサートlive,,録音が若干こもっていてモノラルの中心に寄り過ぎ高音が伸びないから惜しいが、演奏は素晴らしい。リズム感のよさ、派手な解釈の板についた様、それを民族臭くさせないオケの透明感ある音、しかしボリュームのある表現。ブランコの劇場指揮者的な特質のあらわれた良い演奏。拍手なし。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:バレエ組曲「恋は魔術師」,◯ストコフスキ指揮北西ドイツ放送交響楽団(SCC:CD-R)1952/7/7,,熱気ある曲に即興的で拡散傾向の指揮者、そこへきて冷たく精緻なドイツオケというところが面白い。精緻さが滑稽なまでに曲の熱気を克明に「再現」しているところが面白い。ストコフスキーの勢い任せの指揮がやや違和感を覚えさせるが、オケがうますぎて崩壊なぞしないものだから迫力に押し切られて、これでいいのだ、と思わせてしまう。筋肉質で圧倒的なオケ。録音も案外良い。◯。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:歌劇「はかない人生」〜間奏曲とダンス,○ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(COLUMBIA)LP 若きファリャの佳作からのごく短い抜粋。マドリード芸術院コンクール入選作とのこと。個人的にはあまり印象に残らなかったが、民族主義的立場に立ちながらも20世紀初頭らしい新しいひびきも持った作品。演奏はふつう。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ファリャ:歌劇「ペドロ親方の人形芝居」,フレイタス・ブランコ指揮マドリード・コンサート管弦楽団他(ERATO)LP じつはファリャの新古典転向後の作品は苦手だ。新古典というより擬古典、この曲もいかにも中世の音楽を意識したような「借り物のような」曲であり、ファリャの特質である熱気だとか色彩だとかいうところが抜けてしまっているように感じる。ひょっとして演奏が悪いのか?・・・うーん、私はいつもこの曲を聞き始めると寝てしまいます。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ファリャ:交響的印象「スペインの庭の夜」,○カサドシュ(P)ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(COLUMBIA)カサドシュが巧い。まったく不安の無い、いつものあの難しくともさらっと弾いてのける技が発揮されている。ミトプーともじつに緻密に組み合い、緊密な演奏が繰り広げられる。ソリスト、オケ共色彩的にもじつに鮮やかだ。決して暑苦しくならず適度に冷静な演奏とも言える。ミトプーを聴くというよりカサドシュを聴く演奏だが、不可分なほどしっかり組み合っているので、コンチェルトと言うより総合的に交響詩として聴くべき曲、演奏であると言えよう。録音は古いがこの曲が好きなかたは聴いて損はないと思う。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ファリャ:交響的印象「スペインの庭の夜」,○カペル(P)ストコフスキ指揮ニューヨーク・フィル(PRIVATE他)1949/11/13LIVE・CD この曲は散漫な感じがしてずっと敬遠してきた。とはいえ盤のほうはそれなりに集まってきているのでもったいない。ためしにこの盤を聴いてみた。1990年のプライヴェート盤だが今は恐らく正規で出ているだろう。カペルのリリシズムがそそられる演奏で、ぱらぱらという弾き方は美しく硝子の破片を振り撒くようにきらきらと輝く。そこにはまったく不足が無い。素晴らしい技術と感性。ストコフスキは決して大袈裟になることなく懐かしい音色を放つオケと夢のようなスペインの夜の情景を紡ぐ。ファリャは民族性を強く押し出すことがありそういう曲は私は苦手なのだが、この曲は割合と初期ドビュッシーのようで親しみやすい。三角帽子に似た痙攣的なフレーズの応酬は聞き物だが、この盤は表現に無理が無く俊敏に立ち回る音楽となっており、印象派風の不協和音のバランスもよく聴き易い。もっと民族性を強く出すほうが好きというかたもいるかもしれないが、一般的な聴衆にとってはとても解かり易いと思う。音が鄙びているのでそれを補うことのできるようなちゃんとしたステレオセットで聴いてもらいたいものです。・・・といいつつヘッドフォンで聞いてる私。なかなか湿った情緒も漂わせた佳曲、佳演です。最後の低い打音まできちっと仕上げている。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ファリャ:交響的印象「スペインの庭の夜」,カサドシュ(P)アンセルメ指揮ベルリン・フィル(DISCLOSURE:CD-R)1957/3/25LIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ファリャ:交響的印象「スペインの庭の夜」,レベック(P)フレイタス・ブランコ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(forgottenrecords)ジュネーヴビクトリアホール放送コンサートlive(拍手なし),,南欧の近現代ものは指揮者によってカラーが出やすい。スイスのオケであろうと音色の艶やかさと濃さは、ファリャのように洗練された薄いオーケストレーションであってもあらわれる。これをアンセルメと間違う人はいまい。ブランコはもちろん、外様オケ相手に羽目を外すことはしないが、ソリストのニュートラルな美観を差し置いてオケのまさしく印象派的表現を強調し、「音詩」を印象付ける。三楽章あったとしても比較的楽章間の対比の明瞭にしづらい音楽なので、これもダラダラ感がないとは言えないが、魅惑的な響きにすべての長所があるといってもいいか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:三角帽子,○ルビオ(Ms)トルドラ指揮フランス国立放送管弦楽団(EMI)1950',,古い録音でモノラルだけれども、なかなか聞かせる。ラテンノリバリバリかと思ったら品がよく響きは綺麗(オケのせいかも)。アンサンブルがきちっと整えられており爆発的なノリはないがまとまりがよく天才的なオーケストレーションの面白さを堪能させてくれる。色彩感も程よい感じで濃すぎも薄すぎもせず、煌びやかな曲に内包される豊かな本質を感じさせてくれる。運命のテーマとか聞きたい人はこういう全曲版で聴くべし。○。,-----,,TITLE: ファリャ作曲、バレエ組曲「三角帽子」,URL: http://yurikamome.exblog.jp/2059570,BLOG NAME: yurikamomeが言いたい放題にしゃべるブログ,DATE: 06/15/2005 16:18:11, 今日、再び先日紹介したチラシ寿司を食べに行こうと思ったら、その2件となりのすし屋で550円でチラシ寿司があるではありませんか。, なんと、50円安い!!。迷うことなく入ると次々とあの制服は市役所の職員だと思いますがお店に殺到。タッチの差で待たされることなく食べ,-----,,,-----,,
ファリャ:三角帽子 第1組曲、第2組曲,○アンドレエスク指揮ベルリン交響楽団(ELECTRECORD)CD,,なかなか清清しい演奏。地味といえば地味だが技術的にはかなり整備され手馴れた感じを受ける。ややそつがない解釈で目立った表現はないが、組曲ふたつを並べて味わえるという点ではいい感じのレコードに仕上がっている。おまけで○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:三角帽子(バレエ全曲),◎ベルガンサ(SP)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA)1961/2・CD,,完璧である。バレエ版初演者であるというメリットを割り引いたとしても、この感興、この確信に満ちた表現は現代のどの演奏をも凌駕する。ケレン味がなく美しすぎる、という堕点をつけることもできようが、音楽としては非の打ちようがない。派手でダイナミックな演奏ぶりはアンセルメのステレオ録音としては意外だが、元々ディーアギレフ配下のバレエ専門指揮者、増してファリャともなればここまで攻撃的にやるのは必定だ。ファリャはプラスα を要求する作曲家である。スコアをそのまま音にするとバラバラでまとまりのない総花的な音楽が出来上がる。没入が必要だし、解釈も必要だ。アンセルメはそのへんをよくわかっていて、わざと速めのテンポ・・・テンポとリズムもファリャにとって最重要の要素だ・・・で盛り立てている。古典指向の案外強い作曲家で、この曲でも些末なところでは「運命」の引用句が聞かれるが、そのあたりの古典的な佇まいの要求する客観的観照と、いかにもエスパーニャな民族舞踊の色彩、感情の爆発の描き分けかたがまた見事。あきらかにスタイルを変えており、しかしテンポ的にはさほど揺れない事で一貫性というか、流れを維持している。とても上手いです。スイス・ロマンドだけにムシムシする嫌味もなく、爽やかでもあります。歌はこの曲では殆ど重要ではないのでベルガンサについては書くことは無い。とにかくアンセルメの攻撃性を味わえる希有の盤で録音もかなりクリアなので、三角帽子マニアは聴かないほうがおかしい。◎。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:三角帽子〜三つの踊り,◎ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(accord/ADES他)CD,,LPの派手さにイカれてCDを買ってみたら、かなり柔らかい音にびっくり。聞きやすいけど。モノなんかステレオなんかもはっきりしない。美しくなまめかしいのは変わらず明瞭なリズムと共に品格を失わずして民族的歓興を呼び起こす。補正痕はアデだから仕方ないがやや聞こえすぎ。薄いヴァイオリンがまとまりよく聞こえるようになっているのは嬉しいが。LPでのバラケ感が消えている。ロザンタールらしい落ち着きが気にならなくもないが、極めて色彩的な音処理で十二分にカバーされている。余りにあっという間に聞けてしまう名演です。ラテンだ!ベガ録音、ウェストミンスターが買い取ってのちアデがCD化、長年を経てロザンタール追悼ボックスの一部として復活した。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ファリャ:三角帽子第一組曲・第二組曲,ロジンスキ指揮RPO(westminster/scribendum他)1958/4-5・CD,,ロジンスキは色々振っているものの割と演目を選ぶところがある。得意はリヒャルト・シュトラウスをはじめとする近現代の中欧音楽であり、次いで国民楽派以降のロシア音楽。規模が大きな作品ほど板についてくるのはミトロプーロスのように即物的指揮者であるせいか。余り作品によってスタイルを変えることなく技巧で押し通すうえで、センスに合う合わないは出てくるもので、ラテン物は合わない方だと感じる。リズム感があまり良くなく縦に整えた感じが強い(それでしかもドイツ的な表現主義の雰囲気もない。特徴はゼロである)。セッション録音尚更、救いはオケが透明感ある技巧派のロイヤル・フィルなところで、それでもガチャガチャしてしまう、スタジオですら軋みを生じているのはもうファリャの力の入れどころと抜きどころをわきまえず全部に力を入れようとした感じである。木管ソロなどうまいが、合奏はノリが悪く教科書的ですらある。発音のみにロジンスキらしいキレが感じられ、前半は響きもよく浸ることはできるが、北方的で固いのは致し方ない。第二組曲は世にあまたある録音の中で凡演と言わざるを得ない。もっと盛大に弾けるためには聴衆の存在が必要だったのだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:三角帽子第二組曲,"",○ミトロプーロス指揮NYP(UA/columbia)1953/11/2・CD,,正規録音の初CD復刻?ライヴではない。重く強い音だが、勢いのある独特のロマンティックな恣意に溢れたミトプーらしい演奏。ファリャらしいからっとした色彩味は余りないが、純粋に娯楽音楽として楽しめる。剛速球はドラティ以上かも。オケがとてものっているし上手い。ここまで発音が厳しいNYPはミトプーの統率力をもってのみありえたのだ。ザッツが明瞭に揃わなくても全く気にならないレベルに納まっている。先入観なしに前提知識なしに、楽しむべき。やや曇った古いモノラル録音だが復刻状態良好。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ファリャ:三角帽子第二組曲,◎アルベール・ヴォルフ指揮パリ音楽院管弦楽団(DECCA/LONDON/NARROW RANGE:CD-R/Eloquence Australia)1950年代・CD,,非常にクリアなステレオ録音。CD−Rは板起こし。ヴォルフの演奏は焦燥感に満ち客観的に響きを整えながらもひたすら直線的に進むイメージがあるが、後年は(少なくともスタジオにおいては)こういうスピードを落とし、ちょっと引いたスケールの大きい演奏も行った。リズム表現は文句なく素晴らしい。踊りの表現は若い頃から巧いが、クリアな録音になってもやはり巧いと思わせる人というのは(ロザンタールを挙げるまでもなく)けっこう少ない。音の隈取が強い男らしい表現で、ライトミュージック的な側面が浮き立ってこないのがいい。音色の煌びやかさも絶妙で、どぎつくなることもなく繊細すぎることもなく、たぶん最もフランス的なバランスのとれた演奏と言うことができるのではないか。今まで聴いた三角帽子組曲では最もしっくりいく演奏でした。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:三角帽子第二組曲,○クラウス指揮ウィーン・フィル(capitol),,じつに中欧ふうの演奏振りでちょっと固すぎる感もあるが、それだけにコンサートホールで聴くに堪えうる格調のある演奏として特徴的なものになっている。安心して聴ける演奏であり、軽音楽ふうの楽しさより中欧のホールでしっかり聞くのに必要なマジメさを取り入れた演奏として、物凄い名演とは言わないが佳演と言うに躊躇は無い。特殊ではあるが、まじめさがその特異性を覆い隠した。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:三角帽子第二組曲,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1967/11/19カーネギーホールlive,,非常に攻撃的でスピーディでガチャガチャ派手な開放的な演奏だが、何か軽い。昔のステレオ録音ということもあるだろう(高音域に偏り、音場が歪んでいる。弦楽器が右に偏りオケ配置上は狂っているが実際は必ずしも反転しているわけでもない・・・ストコが実際配置をいじっている可能性はあるが、このてのことはステレオ中継放送にはよくある)。何か薄っぺらいのだ。これだけやらかしているのに感興が沸かない。底から響く音楽であってほしい、踊りの音楽は。高速で高速道をすっとばすスーパーカーの味気なさ、という感じがした。しかし若いなあストコ。若々しすぎる。オケが拡散的なのも一因かもしれない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:三角帽子第二組曲,○ドラティ指揮ミネアポリス管弦楽団(mercury)LIVE・CD,,わかりやすくて胸がスカっとするファリャ、と言われて真っ先に思いつくのがこの三角帽子である。スカッといってもいろいろあって、本国ふうのからっと晴れた透明感のあるものもあるけど、これはまさにアメリカのオケが楽天的というより物凄い形相で直進し叩きつけてくるような演奏で、ああ、三角帽子はこうだよ、と思わせる。ムーティもいいがしゃれっ気より私は力感とスピード感をとる。ハデハデに鳴らされる各声部、最後の踊りなどスコアどうなってんのというくらい分厚く力みなぎる響きが頭をガツンとやる。この曲好きだし弾いたこともあるけど、面白いと思った演奏というのは数少ない。これはその一つだ。古きよきアメリカの剛速球芸を久しぶりに聞けた。モノラルゆえ、○。名演ではないが、とにかく、凄まじい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:三角帽子第二組曲,○マルケヴィッチ指揮日本フィル(PLATZ)1970/6/3新宿厚生年金会館live,,相変わらず重い音だがそれがかえって破天荒さをかもし非常に派手な演奏に仕上がっている。ちょっと太鼓の音が大きく入りすぎにしてもマルケがこういう音楽をやるというのは寧ろ意外であって、オケがよほどドイツ的だったんだなあ、とか、こう整えるより他なかったのか、といったことを考えさせられる。マルケにしては音の整え方の「雑さ」は否めないが、それが臨場感を呼び、まるでロシア指揮者といった感じの最後のタメにしても(こんなにタメなくても・・・)感情的には非常に動かされるものがあった。この曲はやっぱり小さくまとめてしまうとつまらない。派手にやる、とことん派手で大げさにやるとしっくりくる短い組曲。◎にしたいくらいですが、マルケとしてどうなんだろう、というところもあり、録音も含め○にとどめておく。いや、面白いし聞き応えはある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:三角帽子第二組曲,○モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(MUSIC&ARTS)1946/2/24live・CD,,録音はめっさ悪いが非常に楽しめる。モントゥの颯爽とした指揮振りとオケのからっと明るく技巧的な表現力が噛み合って、ローカル臭もロマン派臭もしないまさにこの曲いやファリャの汎世界的な音楽がここに浮き立つリズムにのって表現されている。録音がよければねえ。バレエ指揮者にしかできないことがある。バレエ指揮者にはできないこともまたあるのだが。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:三角帽子第二組曲,○ローゼンストック指揮NHK交響楽団(CBS,NHK)1956/3/14live・LP,,迫力ある録音のせいもあるのだろうが立派な演奏で、しっかりしたリズムとかっちりしたアンサンブル、中欧臭いとはいえ色彩的に足りないこともなく演奏精度もライヴとしては十分。ラテン系の演奏にありがちな、血のままにリズムをとりがちゃがちゃやって派手に終わるあっさりしたものとは違い、あくまで抽象音楽として(ファリャ的にどうなのかはわからないが)昇華したうえで壮大な音楽絵巻に仕立てていく、生硬さが否めない部分もあるが、なかなか聞ける。両端楽章が聴きモノか。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ファリャ:三角帽子第二組曲,アンセルメ指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1968/1/25live,,録音が左右完全分離したステレオで安定しない。状態も悪いので聞きづらい。アンセルメがシカゴというオケを使ってひときわ透明で「引いた」演奏をしているのがわかる。最後にボリュームは出てくるが基本的に熱狂はしない。聴衆はブラヴォ大喝采なので、オーマンディ張りの迫力だったであろうことはわかるが、録音としてはイマイチぱっとしない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:三角帽子第二組曲,ブルゴス指揮スウェーデン放送交響楽団(BIS)1983/11/17LIVE,,いかにも現代の演奏。美しく整えられすぎ。アンセルメよりも客観的な解釈だ。遅めのテンポも現代ふうである。そつないがために余り魅力的とは言えない。無印。拍手なし。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:三角帽子第二組曲,ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団(DISCLOSURE:CD-R),,これは・・・どうなんだろう。客観主義という言葉が一時期クラシックの狭い世間を席巻したが、まさにそれにのっとったような演奏であり、ひたすら音を金属的に磨き上げながら響きの美しさに拘泥するあまり曲の包蔵するラテン的な熱情を全くスポイルしてしまったといった感じだ。ラヴェル的な熱気すらここにはない。正直困った。わずかだがミスが混ざるから中途半端な印象すら残す。どうしてもこれにはいい点はつけられない。勿論演奏技術的には申し分ないのだが。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:三角帽子抜粋,○アルヴィッド・ヤンソンス指揮モスクワ放送交響楽団他(MELODIYA),,透明感のある音響でロシア系の演奏としては異彩をはなっている。美しい。もっとも細かいことを言えばアタックが揃わなかったり弦の弓返しがばらけたりとロシア流儀ではある。歌唱を含む抜粋版でやや凝縮力の少ない選曲だが、いい音で聴けば十分楽しめるだろう。燃え上がるはずの終曲の落ち着きぶり(特に遅いテンポ)がどうも気になるが、好き好きともいえる。このあたり現代的な指揮者といえ、マリス氏にも受け継がれている要素のひとつだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:讃歌,ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(nickson)1954/4/11live・CD 1938年の作でブエノスアイレスで初演された。4つの楽章はいずれも個人的な賛美を込めて標題がつけられている。1楽章はアルボス(三角帽子第二組曲の項参照)の70歳の誕生日を祝ってその名をメロディに置き換えたファンファーレとなっているが、ちょっと晦渋な感じがする。この録音が極端に悪いせいかもしれないが、ファンファーレらしくなく派手さに欠ける。33年に吹奏楽用にかかれたものが原曲。2楽章はドビュッシーに捧げられている。20年のギター曲の編曲である。あまり印象に残らない。3楽章はデュカス讃歌だがこれも35年のピアノ曲の編曲。最終楽章は師匠のペドレルの思い出を「ペドレリアーナ」という題名にたくしている。ちょっと心にひびくものがある。でもこういう曲は新しく鮮やかな演奏で聞くべき。ミトプーは録音ともども小さくまとまりすぎている。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ファリャ:恋は魔術師〜火祭りの踊り,ロジンスキ指揮RPO(westminster/scribendum他)1958/4-5・CD,,短い曲で、ルスランとリュドミラをやるようなものでこれだけでは特性うんぬんはない。スピーディーにやっているし、悪くも良くもない。ロイヤル・フィルの音がする。,-----,,,,,,,,,,,,,
ファリャ:恋は魔術師〜間奏曲と舞曲,◯ガストン・プーレ指揮LSO(ODEON)LP,,やはりトゥッティが柔らかいというか甘いというか、しかし歌心は感じられ、しかもスッキリした響きと落ち着いた雰囲気がどことなくフランス的でもある。ヴァイオリンの合奏はやはりヴァイオリニスト指揮者だなあという表情付けがあり、やや生々しくはあるが楽しい。舞曲は色彩感ゆたかでガストン・プーレらしさが表れる。重重しさは依然残るが、これは抜粋として単曲でやられているから敢えてそういう表現をとっているのか。同盤ではA面のアルベニスのイベリアが圧倒的に聴きものではあるが、裏面ではこれとトゥリーナもいい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ファリャ:恋は魔術師組曲,デルヴォ指揮ORTF(ina配信)1970/6/14live,,この組曲だと終わり方が何か締まらないがまあいいか。25分ほどで通して聴くとなかなかのボリュームである。デルヴォーも歳を重ねて弛緩傾向が出てきたのか、そもそもファリャはこういうすこし薄くて莫大な感じの管弦楽を描いていたか、火祭の踊りのこけおどし感は後者のせいかもしれないが、これは管弦楽組曲を聴くというより、物語を背景とした劇音楽として通して聴くと起承転結のついた大きなスケールを感じ取れる。通常の同曲抜粋を聴く感じでは知らない曲続きで飽きてしまうかもしれない。個人的にはたしかに飽きるところもあるが、こう聴くのか、という新しい面白みを出してくる、雄大な演奏とかんじた。無料で聴ける。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フィッシャー:シカゴ,○ベニー・グッドマン(CL)モートン・グールド指揮シカゴ交響楽団(CSO)1966/6/18LIVE・CD,,楽しげで、リラックスムードで、でも非常にきっちりしたクラシカルな組み立てのお馴染み「シカゴ」。と言っても殆どベニー・グッドマンのクラしか聞こえないが、これまたクラシカルな美しくも四角四面の演奏ぶりである。クラシック演奏にも積極的に参加していた奏者なだけに技巧が安定し音色も変に揺れない。自分で制御できない音色の不安定な揺れを売りにするミュージシャンは数多いが、クラシックのような音楽においてはそれは両刃、結局安定した高度な技巧を前提にしていないと飽きのこない音楽は創り出せない。ジャズとはいっても結局クラシカルな編曲をしている以上はここまでしっかりしたリズムと音色への配慮がなければ演奏はできないわけで、ベニー・グッドマンの貴公子のような演奏がシカゴ交響楽団のこれまた巧いがちと四角四面な演奏と絡んで(モートン・グールドというところがまた泣かせる)ジャズでいながらクラシカルな精度も持ち合わせた演奏に仕上がった。シカゴのための音楽、というところの余興録音の断片である。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フィビヒ:詩曲 ハ長調,○スヴェトラーノフ(p)(MELODIYA他)CD チェコ国民楽派に属するがドイツロマン派的なしっかりした曲を書いた。この曲は軽くフランス的な香りがするがとくに特徴的なハーモニーや展開はなく、素直なメロディだけで成り立っている。ディーリアスをちょっと過去に溯らせたような雰囲気で、ワグナーの影響もそこはかとなく感じる。比較対照する盤がないのでとりあえず○としておきます。強烈な個性がないのでそういうものに惹かれるかたには不向き。いちおうステレオ。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フィリップ・ワーナー:シンフォニエッタ,ヘンリー・ジョージ・ウェーバー指揮シカゴ・フィル(SLS)1945/11/6 MBSシカゴ放送スタジオ録音,,フィリップ・ワーナーなんて名前まず出てこないが、チェリストのウェンディ・ワーナーのお祖父さんである。アメリカのウェブですらほとんど出てこないので「本格的」だ。指揮者は1991年までご存命だったが知名度は無い。で、録音はノイズだらけのコピー物だから覚悟するとして、曲は良い。典型的な楽天性を発揮したアメリカの保守的作曲家というかんじで、この前に収録されているバーバーのキャプリコーン協奏曲自作自演とは雲泥の差の聴きやすさである。しょうじき、楽しんでしまった。この音で。そういう曲だからスチール機械のような音色でも運動的な楽しさがある。不規則な運動ではなくちゃんと楽しめる運動。演奏がうまいか下手かこれで判断しろというのは無理筋だが、そこは経験的には「中庸」といったかんじかなあと。誰も買わないであろう盤の中でも誰も聴かないであろう曲が1番、楽しいという皮肉でした。(他モートン・グールドのシンフォニー3番初演、指揮者原盤記載なし)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フィンジ:管弦楽のための「落葉」,○エルダー指揮ハレ管弦楽団(ho)2002/11/3・CD,,力無い下降音が三つ。この出だしからして余りに落葉である。そのままいくと思いきや、古風な民謡世界に流れていき、バックスの交響詩に近い、でももっと単純で生硬とすら感じさせる音楽が展開される。遅れてきたイギリス国民楽派、フィンジの地味な時期の地味な一曲だが、こういうのが好きな人もいるだろう。ディーリアスを期待したら裏切られる、歌曲で評価された作曲家だけあって、あくまで旋律音楽。エルダーはこのハレ管弦楽団自主制作の英国音楽集の中でも曲によってムラがあるというか、オケの力の入り方が違うというか、この曲では大人しすぎる感じがする。ま、大人しい曲なのだが。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フィンジ:連作歌曲集「花束を運ばせてほしい」,ジャネット・ベイカー(Alt)パーソンズ(P)(bbc)1983/7/4チェルトナム・タウンホールlive・CD,,最もイギリス的な作曲家として人気の出ているフィンジ。プロフェッショナルな作曲家の道を歩んできた人ではなく比較的短命であったことから作品数は少ない。むしろ英国の文芸や「園芸」の研究に並ならず力を注ぎ、それが作曲の志向と深く結びついていることは注目すべき点である。そして移民の血筋でユダヤ系であることなど全く問題にされず、英国の20世紀における作曲家の代表的存在として存命中から現代に至るまで認識されていることは、ロンドン生まれで海外経験もない人生だったこと以上にRVWらの構築した現代フランスの語法を取り入れた新しい民族主義音楽からの影響について、あくまで自己に忠実な部分のみに留め、必要なだけ「純化」し、まったく作品群の要である英詩にもとづく歌曲において、明快な音律との完全に融合した表現に結実させたところにあると思う。この作品もシェークスピアに依るが深い悲しみから軽快な歓びにいたるまで、実に素直であり、第二次大戦下完成された作品とは思えない陰りの無さである。歌詞に沿った伴奏はリズム面でまったく詞と違うことなく最初から最後までユニゾン的な動き方しかしない。歌詞から入らなければ、凡庸な音楽に聴こえるだろうし、このベイカーのように雄弁な歌いぶりをされると、ああそうですね、と入り込めずにただ感想を口にするしかないだろう。でもおそらく、私は英国人ではないので推測でしかないが、一定の階層の英国人であればここに紛れもないイギリス音楽の伝統を見出し、懐かしく、馴染んだ調子で聴くことができるのではないか。けして若書きではないが(20年代より書き始められたようである)、同じ盤に収録されているヴォーン・ウィリアムズの著名作「リンデン・リー」(乱暴に言えば20年後の山田耕筰「この道はいつか来た道」と同じような歌である)と雰囲気においては似たところがあり、それよりも後退したようなピアノの書法がむしろ、フィンジを特徴づけるものとなっている(リンデン・リーはRVWがラヴェルに学ぶ前の作品である)。初演は1942年ヴォーン・ウィリアムズ70歳の誕生日に行われ、献呈された。弦楽四重奏による伴奏版も作られており、英国的な演奏を求めるのであればむしろピアノ版より良いかもしれない。また原曲はバリトンのための作品である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:2台のピアノのための協奏曲(1932),○作曲家,フェヴリエ(P)デルヴォー指揮パリ音楽院o(ANGEL/EMI)カッサンドルのジャケットデザインで余りに有名な自作自演の旧録。EMIで最近復刻した(2003年)。新録に比べて生気に満ち、切れも良いようです。デルヴォーの颯爽とした指揮によるところも大きいでしょう。何しろ、いろいろな要素のごった煮ですから,悪趣味と聴かれてしまってはもとも子もありませんが、リストを初めとするピアノ協奏曲の歴史、特にプロコフィエフなどの残響〔意図的でしょう〕が、プーランク流儀で次から次へと紡がれていくその流麗さを楽しんでください。終楽章などフランクの交響曲終楽章をちょっと思い浮べるところもありました。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
プーランク:2台ピアノのための協奏曲,ホイットマン&ローウェ(P)ミトロプーロス指揮RCA交響楽団(RCA/nickson)1947/12/15・CD,,戦後同時代のデュオ曲をよく演ったコンビによる正規録音で、nicksonの板起こしは状態が良く音像が安定して聴きやすい(2016/11現在現役)。オケはミネアポリスよりは良くNYPよりは落ちるが(僅か反応が鈍いように思う)、まずはこの二人の演奏を聴かせる録音なのでそこは二の次だろう。基本的には強い打鍵でミスのない、この時代のアメリカで活躍したピアニストらしいスタイルだが、弱音表現も美しく想像力のあるところを見せ、流して弾くことはない。多彩な音が出せるコンビだ。曲は色んな素材をモザイク状に、分裂症的に配置したプーランクらしいもので、楽想・響きの唐突な変化に奇矯な印象もあたえるが、これをどうさばけるかで奏者の適性や柔軟性が問われるといったもので、その点は実によく出来ている、自然に楽しめる。ミトロプーロスの分厚くも律せられたバックのおかげもあるだろう。二楽章のエチュード風の主題からの映画音楽的な展開はソリスト(デュオ)のセンスあふれるニュアンスを全体に巧く組み込んで秀逸。三楽章の色んなパロディなどを混ぜ込んだ変奏曲はスピードで押し切るのも1つの手で、この盤がそれをやっているかはともかく、それに近いものはあり、曲慣れしていなくても違和感を感じさせない類のものだ。六人組を体現する世俗性とフランス音楽の伝統を受け継ぐ繊細な美観が同居するプーランクの世界は、特有の響きや書法をなぞるだけでは再現が難しいところもあると思うし、自作自演ですら意図通り上手くできているか怪しいものだが、これこそピアニストの解釈と「センス」に依るところもあり、この盤はその点は問題無い。曲の起伏に従い大仰な表現をすれば気を煽る音楽は出来上がるものではない、ということにも気付かされるだろう。一本筋の通った、曲を知らない人にも勧められる演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:4手のためのピアノ・ソナタ,ゴールド&フィッツデール(P)(columbia/sony)1953/1・CD,,「フレンチ・アルバム」と称するこのモノラルレコードの最後を飾る名品で、プーランクのピアノ曲でも1、2を争う小品ではないか。都会的で洗練されミヨーともサティともドビュッシーとも違う。世俗性を理知的な音楽に昇華させている。よく指が回るコンビが、この1分あまりの3曲が循環構造でしっかり書かれていることを理解した上で、プーランクのソナチネ的にわざと書かれた(サティ的)2曲目を綺麗に聴かせ、あとは両端楽章で指の強さと靭やかさを示せば曲になる。このコンビは自作自演ではないかと思わせる板につきよう。しかしもっと指が強いからぐっと引き込まれる。良い配列だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:ヴァイオリン・ソナタ(ロルカのためのソナタ),○ルビン(Vn)スパロウ(P)(fantasy) ,,感傷的な旋律がヴァイオリンとピアノでひたすら線的に絡むという、プーランクらしい独特の「世俗美」が最初から最後まで貫き通される。マンネリズムの中に点描的にたち現れる感傷はそのすべてが歌謡的な旋律からきていることは言うまでもないが、やはりこのプーランク的な和声変化は世俗的だろうがどうだろうが感情を動かされざるをえない。このコンビはそういう意味で言うとやや感傷を排したようなところがあるが、雄弁であり、それゆえ少し皮肉な調子が聞き取れるのが面白い。曲的にはかなり簡素ではあるが、こういう平易な「横の音楽」こそセンスを問われる。この演奏にはセンスがある。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
プーランク:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ,メニューイン(vn)フェヴリエ(P)(EMI/brilliant)1964-71・CD,,ステレオ時代のメニューヒンやシゲティは音程は二の次で音色が第一、と思わないと聴いてられない神経質な方もいるだろう。ただでさえ不安定な音線、半音階的なゆらぎを交えた曲(この曲の冒頭のように)は音程第一でないと真価がまったく伝わらないが、あのような激しく諧謔的なフレーズなど置いておいて、旋律を途切れずに歌う場面での甘い音色表現は評価して然るべきだろう。プーランクの甘やかな夢を語るにふさわしい。重音を交えた技巧的な部分でセッション録音でも音程揃わないというのはさすがにどうかという、重音が無造作な不協和音にきこえてしまうのは不味いが、この曲はプーランクにしては異例の弦楽器を前に押し出したものだけあって、いつもの分裂症的なパッチワークを目立たせず比較的穏健なつながりの中に音を並べていくため、大雑把な中では少しゴミが混ざる程度のもので、メニューインの音そのものが、二楽章ではやさしげなフレージングとともに魅力的につたわる、ただそれだけで染みる。ひたすらの歌、不協和に哀しいものも含む現代的な抒情を湛えたこの楽章は技巧的ではなく、それだけにソリストの「味」が剥き出しになるから、同曲が一部のヴァイオリンマニアに受けるのもわかる。そしてメニューインがやる意味があるのだ。間奏曲と名付けられてはいるが、炎のようなアレグロと悲劇的なプレストに挟まれた、この楽章は音色派はむしろアピールすべき楽章。三楽章後半では調性の変転ぶりがプーランクらしい非常にカッコのいい旋律を伴い聴きどころとなる。このあたりもヴァイオリンマニアに受けるところだろうし、プーランクがやりがちな方法とはいえ、ピアノの強い打鍵で断ち切れたあと、短いカデンツふうのフレーズというか、メシアンのように地に臥したヴァイオリンを見下ろして、ピアノが音を散発したらサティのように終わる。このあたりもまたプーランクらしい諧謔ではあるが好き嫌いが別れるだろう。断ち切れたらすぐ終わる、もしくはその前のまま綺麗に終わらせる、そういうことをしていないので、思索的雰囲気が発生し、メニューインの音量や左手を制御しきれない(弓はシゲティよりずっと確かである)危なっかしいところが却って隠されて良いのかもしれない。フェヴリエは手慣れた演奏で気品のある表現に徹しており、ラヴェル演奏などの少し固い表現はしておらず、かといってプーランク張りのエキセントリックさはないので聴きやすい。プーランク苦手派にはまあまあ聴けるほう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:オーバード,フェヴリエ(P)ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1965/1/14放送live,,小編成オケを伴うピアノ小協奏曲でもともとのバレエ音楽として認識されるのは稀のコンサートピースである。朝のイメージが強いがむしろ重苦しい空気のある(筋書きが悲観的なものである)、プーランクのもう一面を顕したものとも捉えられる。ここでは加えて録音がおもわしくなく、ステレオだがくすんでノイジーで分離が悪く、ピアノの繊細な動きが十分に聞き取れない。フェヴリエは十分に手練れであるが正直その個性も「表現する技巧」ですらも、よく聞き取れないのが本音である。木管の素晴らしいアンサンブルのいっぽうブラスは少しふるわない。聴衆反応は良い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:カルメル派修道女の対話,○サンツォーノ(サンゾーノ、サンツォーニョ)指揮ミラノ・スカラ座、ゼアーニ、ジェンチェル他(Legendary Recordings)1957/1/26初演LIVE,,何とも後味の悪い歌劇だが、キリスト教ミステリー流行りの昨今題名で食いつく人もいるかもしれない。長いし言葉の問題もある(これはイタリア語版)ので音だけでは何とも楽しみ(?)辛いところもあるが、劇場の生々しい実況録音として、プーランクの目前で繰り広げられた傑作の「今生まれいづる音」におもいはせると、なかなかどうして、例え放送エアチェックで録音最悪としても、歌のひとつひとつの情感の深さ、あらわな劇性に心奪われないといったら嘘になる。演奏も歌唱も朗誦もとにかく見事。総合力がある。最後のギロチンのドラマが録音のせいでイマイチがちゃがちゃしてしまった感もあるが、プーランクの深い宗教観が、様々な色彩・・・意図的に配された中世宗教音楽につながる擬古典的作風からウィーン世紀末やディーリアス、サティやベル・エポックの群小作家の作風など・・・によって巧みに浮き彫りにされていくところに妙がある。ただ模するのではなく確信犯的にシナリオにそい配置され、しかもどれも擬作ではなくプーランクの流麗な旋律と固い和声によってしっかり味付け直されている。とくに歌の旨さはプーランクならではの真骨頂だろう。スカラ座はそれを的確に捉え熱気をもって応えている。なにぶんかなり聞きづらい録音だし断片的には後日の録音も遺されているので無理して聞く必要はないが、デルヴォー以外にいいものがない、と嘆くなら聞いて損はしない。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!  ",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
プーランク:クラヴサンと管弦楽のための田園コンセール,○ヴァイロン・ラクロワ(hps)マルティノン指揮ORTF(erato)1970/9/24・CD,,攻撃的なクラヴサンというのもなかなかカッコイイが演奏はたいへんだろう。録音上音量操作はされているのだろうか。この小品でスケール感もかんじさせるのがまたなかなかだ。オケの音の透明感もよく、水晶のよう、まではいかないがキラキラ美しい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:グロリア,"",アラリー(sp)ミュンシュ指揮モントリオール交響楽団他(SLS)1965/3/31live,,初演四年後の演奏。ミュンシュのカナダライヴなど珍しい。二枚組だが残念ながら私の守備範囲ではこの曲プラスくらいしか聴くものがない。そして録音状態も悪い。ただ演奏自体もそうなのだがこの曲がプーランクのいわゆる世俗音楽的側面とは対極にある真摯な、しかしわかりやすい宗教曲の再現を目している。この晩年のミサ曲はクーセヴィツキー財団による委属で、輝かしいテクストを忠実に反映し、非常に洗練された無駄のない適切な書法でとても前向きな印象を与える(ただし2曲目は世俗的すぎるとして糾弾され作曲家自身も自覚していたという。またヴィヴァルディが下敷きだそうである)。合唱の担う部分が大きく、フランス語韻律へのこだわりはいささかわかりづらいが分析的にはよく読み取れるらしい。しばしばみられる他作品からの影響があり、派手な1曲目はオネゲル前期のダビデ王を思わせるが手法的にはストラヴィンスキーといわれるし自作引用もある。歌謡的ではないのだが、それに近い純粋な美しさをもった曲がつづく。5曲目では作曲の6年前に亡くなったプロコフィエフ的な一節が織り交ざるがこれも尊敬していたというプーランクらしさであると同時に、時代性を色濃く反映したこの時代の穏健作曲家たちの作風を象徴するものでもあったといえそうだ。終曲は1曲目に立ち返るように輝かしく、シンプルなオケにゴージャスな合唱、歌唱が印象深い。音楽は昇天で終わる。ミュンシュはとても手際よく集中し、また、板についているし、演奏陣もこなれている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
プーランク:グロリア,○アディソン(SP)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団他(DA:CD-R)1961/1/21初演live,,ミュンシュらしい力強く単純なアプローチで、プーランクの宗教曲というともう少しあくの抜けた透徹した表現を求めたくなるが、これはこれでわかりやすい。聞き慣れた賛美歌詞がロマンティックな旋律をつけられ高らかに歌われる、この曲の世俗性がいい意味で引き出された演奏。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:チェロとピアノのためのソナタ,フルニエ(Vc)フェヴリエ(P)(EMI/brilliant)1964-71・CD,,素直に洒落た音楽で、プーランクのメロディに対して音域的にチェロがはまって聴こえる。四楽章制のフィナーレがやや硬派な響きをともなうが、それを除けば旋律や絡み、さらに楽曲構成がわかりやすく、一発聴きでもすぐ掴まれる。ヴァイオリン・ソナタでみられたプーランクらしい半音階的な動きもここではあまり目立たず自然である。技巧的にも難しすぎない。効果的で立派なコンサートピースとして使えるだろう。フルニエの音はうってつけの品と技術の安定ぶりを示し音色は柔らかく美しい。フェヴリエとの相性もばっちりである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:バレエ音楽「典型的動物」組曲,ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1956/2/2live2/9放送,,平易で美しいだけの音楽。最初はプーランク版「蜘蛛の饗宴」かなと思うが、ルーセルよりさらに遡ったくらいの平易な喧しさが耳をつんざき、これはどうなんだろうと思う。プーランクの洒落た戦前的な夢見る心地は戦後のパリ聴衆を魅了したかもしれないが、いかにも大衆的で古い。原詩を頭に入れて聴かないと映像がなければよくわからない描写的表現も多く、ロザンタールだから派手派手で押し切れるが、弱い指揮者だと印象付けることは難しいかもしれない。オケはプーランクに似合った懐かしい音を出すが、俊敏すぎる書法の場面ではギリギリ。拍手はまあまあ。この放送は当然モノラル。ina.frだとPHD89036288。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:バレエ音楽「牝鹿」組曲,デゾルミエール指揮パリ音楽院管弦楽団(cherry他)1951/6・CD,,デゾの戦後録音は病気のせいもあって少ないが旺盛な活動の甲斐もあってこのように同曲の古典的名盤となっているものもある。スピードもリズムも切れがありモノラルという点を除けば実直に音符を音にしたような戦中までの録音活動と違ってスマートですらある。プーランクはオーケストレーションなど癖があり、気まぐれともとれる即興的表現から変なむずかしさがあって上手く演奏できない向きもあるが、これはよくできたバレエ音楽で、舞踏用としてオーダーメイド作品のように、きっちり構造的にもできているから単品の管弦楽曲としても「無害な小品として」新古典主義音楽の妙味を楽しむことができる。新古典主義時代(擬古典的作風)のストラヴィンスキーを極端に簡単にしたような作品。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:ピアノ、オーボエ、バスーンのための三重奏曲,作曲家(P)ラモーレット(Ob)デリン(Bs)(columbia/pearl他)1928-34・CD,,10分あまりの小品だが、新古典主義にのっとって三楽章にきちっと収めたプーランク六人組時代の個性の粋を感じられる作品。暗く鐘の響くような序奏から突如いつもの朝っぽいプーランクのあけっぴろげな本編、そのあとは予想通りのマンネリではあるが、懐かしくも格好いい和音進行など楽しませながら、相互の絡みは少ない方だが各楽器の見せ所はそれぞれしっかり見せていき、二楽章では少し深みを、三楽章ではいつもの爽快なフィナーレを聴かせる。クラリネットのように表情のある音を持つラモーレットを中心に、まだ元気に指の回るプーランクの名技性とデリンの最適なバランス感覚により、最小限編成としてのトリオをちゃんとアンサンブルとして聴かせることができている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:ピアノと18楽器のための協奏舞踏曲「オーバード」,○リヒテル(P)J.F.パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団(doremi他)1965/7/3トゥールlive・CD,,このプーランクはいい。リヒテルものっていて、強過ぎるところはあるけれども、プーランクらしい洒脱さと陰影を楽章毎に描き分けている。きほんプーランクのピアノ付き室内楽はこの曲のような調子で、構成も似通ったところがあり、編成で幅が出てくるわけだが、特に得意とした木管アンサンブルを背景とした曲、パイヤール室内楽団というバックはソリストとしての腕も素晴らしく、「朝の雰囲気」の醸成にとても貢献している。もっと軽快に攻めた演奏や透明に組み立てた演奏もできる曲だが、ライヴということもあり、刹那的な感情に訴えかける演奏になっている、それはそれでいいのだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:ピアノ協奏曲,○ハース・ハンブルガー(P)デルヴォ指揮パドルー管弦楽団(Felsted他)1952・LP,,"初録音盤。ソリストはプーランクと同じアパートの階上に住んでいて親密な交流があった。腕は確か。真面目腐らず、かといってふざけず、響きの薄さはいつものプーランク節であるが、しっかりピアノ協奏曲として楽しめる。この作曲家は思いつきで書いているような非論理的な構成、メタミュージック的な遊び(この曲だとラフマニノフが思いっきり響きを軽くして表われる)を孕む軽さを感じさせるためか、ピアニストが主要レパートリーとして組み入れる例には殆どあたらない。確かにそういった協奏曲を書いた人ではあり、聞き流すのがいい聴き方かもしれない。それらの中でもこの曲はちょっと長いけれども。今はネット配信中。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:ピアノ協奏曲,○作曲家(P)ミュンシュ指揮フランス国立放送管弦楽団(INA)1950/7/24エクス・アン・プロヴァンス音楽祭live・CD,,録音が少し悪く私のCDは1楽章の末尾近くで明確な断裂があるが、媒体自体の品質の問題かもしれない。プーランクは調子がよく、さすがに専門ピアニストに比べると荒いが力強く引っ張っていく意気には欠けていない。何よりミュンシュの棒が作曲家が崩しがちなテンポをしっかり前進的に維持していて、弛緩しそうな旋律に貫かれた曲全体を引き締めている。2楽章のロマンティックな部分を重くならずに爽やかにすっと通すところなどいい。特有の世俗性をはなつ和声を伴うプーランク節を、古典からラヴェルやラフマニノフといった先行作曲家の手法を露骨に引用しながらアレンジしている作品で、けして名作ではないがプーランクの楽しい音楽が好きな向きは楽しめるだろう。終演後の拍手がかなり撚れているのだがブーイングが聞かれるのは何故なのか知らない。○。,,↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ," ",-----,,,-----,,,-----,,,-----,
プーランク:歌劇「カルメル派修道女の会話」,○デルヴォ指揮パリ・オペラ座管弦楽団・合唱団、デュバル、クレスパン他(EMI)1958/1・CD,,内容的に非常に重い曲で最後の断頭台のシーンまで聞きとおすのにはかなり体力の要るフランス派では特異な作品ともいえる。デルヴォの暗く感情的な起伏の織り交ぜられた表現できくと尚更そのスケールとどうしようもない結末に頭を抱えたくなる。古くより名盤で知られたもので殆どこの盤しか知らないという向きも多かったのではないか。録音はモノラルでややくぐもっている。とにかく、疲れた。。しかし名演だと思う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:三つの無窮動,タッキーノ(P)(EMI/brilliant)CD,,非常に明瞭で力強く、あくまでスピードに重点を置いた目覚ましい演奏。わたしはプーランクの代表作はこの5分の組曲だと思っているくらい好きなのだが、自作自演の緩急のついた手綱さばき、なんといっても三曲目の何とも言えない感傷性がここには皆無。ただ、とにかく回る指、完璧に安定した発音、それは表題の意味するところにまったく忠実であり、疲れ落ちるような結部ではさすがに残響を使って静かに収まる。とにかく早い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:三つの無窮動,ルービンシュタイン(P)(RCA/youtube)CD,,フランス曲集の中の一曲として、あくまで「曲集の一曲として」やっているもので、アルバム全体の雰囲気にあわせてやや堅苦しくやっているようにも感じる(通常は「常動曲」と書くようだが、ここでは個人的に無窮動としておく)。しかしテンポは恐らく作曲家のそれに一番近く速い。感情はあまり変化せず客観的に適切なように弾いており、それがこの曲の良さを殺している気もする。それでもスピードというのは大事だ。ルビンシュタインらしく指が滑っていても平気なところがあるが、プーランク自身の指の転びとは異質の「オシゴト感」は否めないが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:三つの無窮動,作曲家(P)(EMI/youtube他)1930,,旧録は復刻回転数がおかしいのも多少あると思うが(ピッチが高い?)新録よりさらに速い。ルービンシュタインですらこんなに急くようなテンポはとっていないが、自分の曲であるからの自在さで細かく即興的な変化を付けドライさは感じない。指が転ぶようなところも散見されるがそれも引っくるめてこの曲の原初的な表現方法の手本として、このくらいスポーティに飛ばす中にニュアンスを散りばめてやれば、プーランクらしい洒脱さの真骨頂が引き出せるというものだろう。まあ、若いなあ、乱暴だというところは正直あるが、躁鬱的な3つの曲の変化を繊細な心情にまで踏み込んでやっている点はルービンシュタインとは違う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:三つの無窮動,作曲家(P)(sony)1950/2・CD,,ソニーでなかった頃から有名なサティ演奏などとの組み合わせの自作自演。時代を考えても音は良くはなく、残響が多くパーペチュアルな感はわりとしない。プーランクのピアノはクセが強くもつれるような表現がもどかしいところもあるが、そのぶん味のようなものが醸される。3つの楽章もおのおのがおのおのの味を情緒的に引き出され、3つめにかんしては技術的問題が気にならないほど印象的な、感傷をもたらす美しい演奏となっている。時代の空気をもったプーランクらしい世俗性がなくはないが、古臭いとかそういったところはない。華やかさや旋律性をことさらに強調せず単線的に、そこをとても細心をはらって表現しているからこそだろう。プーランクらしさは、たいてい曲集では次に入っている夜想曲のほうが(クセの強さも含めて)たくさん詰め込まれているが、サティ的とでもいうべきか、これは簡潔に才能を音にした、曲であり演奏である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:三重奏曲,○フェヴリエ(P)カジエ(O)フザンティエ(B)(EMI/brilliant)CD,,この演奏を含むプーランク集を私は少なくとも三つ持っている。組み合わせを変え全集化しCDになり、更にはbrilliantが超廉価ボックスにまとめるという、このクラスの演奏家のものにしては(逆に知名度が高ければ廉価化されるというのもわかるけれどそこまででもないのに)珍しい。演奏はいずれもフェヴリエが絡んでおり、フランス・ピアニズムの生き字引のようなこの人はしかし特異なスタイルを持っていて、けして激せず遅いテンポで、タッチやアーティキュレーションの細部にのみ独特の変化をつけていく。上品である。ラヴェル的というか、およそプーランクの芸風からは遠い人のイメージがあり、じっさい世俗性のなさがマイナスと思いきや、他二人はじつに素朴な演奏をなし悪い意味でもないのだがフランスの田舎楽団のソリストを聴いているような味わいがある。だからアナクロで腕も超一流というわけではなく音に雑味があり(アンサンブルはそのくらいがいいんだけどね)、地味でもある。全般、素朴で統一されているという意味ではピアノトリオには珍しいまとまりがある。録音は不安定な感じがする。○にはしておく。フェザンティエはシャトー・ラ・バソネリー・・・バソンがバッテンマークに交差したラベルのワイン・・・の醸造家としてのほうが有名か。しょうじき、音的にそれほど陶酔させるような要素はここではなかったけど。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:三重奏曲,◎作曲家(P)ピエルロ(O)アラール(B)(Ades他)1959・CD,,優秀なステレオ録音。現在聴きうる最もレベルの高い演奏記録と言えるのではないか。楽曲の古典性を明確にしそこに新しい和声や世俗的なフレーズを有機的に織り込んでいくプーランクならではのモーツァルト的な喜遊性が、ここまではっきり意識して表現された演奏は無い。ピアニスト作曲家自作自演ならではともいえる。ただ、トリオという編成はソロ楽器が互いに個性を主張しあうという、「アンサンブル」とは少し違った視座で楽しむべき(というかそうなってしまう)もので、これもその他聞に漏れない。作曲家後年のピアノは不安的な録音もあるがここでは調子がよく、30年前にくらべてはテンポも落ち着き円熟味があるものの、攻撃性は失われていない。表現が大きい。ピエルロはただでさえ饒舌なオーボエという楽器の機能性を駆使して自己主張する。一番印象に残るだろう。アラールはバソンということを感じさせない安定感があり、曲的にそれほど前に出てこないにもかかわらず完璧な技巧と、時にアルトサックスのような音で個性を出しオーボエに対抗する。スリリングですらある。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:三重奏曲,○作曲家(P)ラモーレット(O)デラン(B)(EMI/pearl)1928/3/7・CD,,自作自演の旧録。EMI正規としては10年前の作曲家自作自演シリーズがまとめて廉価復刻されたものが現役(と思う)。オーボエ、バソンの「棒吹き」など素朴な味わいがあり音量的な不足や運指の不安定さはフランス派の奏法(と楽器)によるものだろう。あとは録音のせい。ここで聴くべきはプーランク自身のとる攻撃的なテンポでピアノトリオらしい力関係のこともあるが、ヴィニェス門下としての即物的な表現が残っていることが感じ取れる。アンサンブルとしてはもっと新しいものに聴く価値があるが、「伝統的な楽器表現による同時代の演奏」という価値はあり。アラールの教授職前任者デラン若き日の貴重なバソン演奏ということも資料的に意味があるか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:田園コンセール,◎ウィーレ(Hps)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(Theatre Disques:CD-R)1961ジュネーヴLIVE,,モノラルだがクリアな録音でまったくストレスはない。演奏はモノラル録音期のアンセルメの持っていた溌剌としたリズム感覚が清清しく、ハープシコード(表記上はピアノで音量的にも出すのは無理ではないかという迫力があるから仕掛けのあるものかもしれない)もオケとかっちり組み合い、尚強い打音表現で胸のすく思いがする。曲もこの組み合わせにはあっている。双方が俊敏な動きで主張しながらも、しっかりアンサンブルがとれている、協奏曲の演奏として非常によくできているのだ。透明感がある音響、世俗的楽想がその中に昇華されるというプーランクならではの「朝の音楽」。非正規とはいえ◎にせざるを得まい。正直この音質に環境ノイズのなさだと「スタジオ録音では?」と疑ってしまうが一応盛大な拍手が入っている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:田園コンセール,○ギレリス(P)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(eurodisc)1962live・CD,,ライブだけあって音は悪い。しかし抜けは良くレンジも広い。ギレリスの固い音が曲の洒脱さをプロコフィエフ的な方向へ曲げてしまっているようにも聴けるが、ギレリスが冴え渡っているわけでもないのだが、そういう大規模な音楽として聴ける。いわば、ヒステリックなたぐいの。旋律がいずれも演歌調に聴こえるのは気のせい気のせい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:田園コンセール,○ギレリス(P)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(MELODIYA/BMG/eurodisc)1962/10/12LIVE・CD
もともとランドウスカのチェンバロのために作曲されただけあって、第一楽章硝子質の打楽器的な出だしはチェンバロ向き。但しプーランクはピアノで弾く事も容認していたようであり、この長大な序奏部を過ぎるとそれほど違和感はなくなるので、現代ピアノでもいいだろう。私はランドウスカ+ストコフスキ等の古い録音で親しんできたため、ステレオにしては悪いという録音状態も容認できる。プーランクらしい小技が効いていて、内声部の尖鋭性もよく聴き取れて面白い。プーランクは基本的に歌謡作曲家である。洒落た節回しに最低限の伴奏さえあればいい、という曲もけっこうあると思う。この曲もそういった印象が有り、あまり良く書けた協奏曲ではない、と思っていたのだが、クリアな音で聞くとなるほど世俗的な雰囲気を持った歌が主体ではあるものの、それを支える土台のしっかりしたことといったらない。コンドラシンのプーランクらしからぬびりびり引き締まった演奏ぶりのせいもある。ホルンが狩りの角笛を模しているはずなのに、気合のあまり?妙につぶれて浅く響いてしまっているのは惜しい。ロシア式が今一つ曲になじまない伴奏ではあるが、そういう欠点は無視してギレリスのそつのない高度な技巧をただ楽しもう。どちらかというと前半楽章(2楽章まで)は擬古典ふうで、ストラヴィンスキーらと期を一にした新古典主義の作曲家たるところを見せている。3楽章はダブル・コンチェルトなどと共通するプーランク節が聞かれるが、気まぐれで、ちょっと謎めいたところもある。まあ、全般余り印象的な曲ではないが、古典好きで20世紀音楽にも手を伸ばしてみたい、と思っている方は入り易いだろう。ギレリス盤は録音状態、コンドラシンのスタイルの違和感もあってあまり高く評価できないが、ギレリスの素晴らしいピアニズムと併せて、○一つとしておく。この曲は良い録音で聞くべきかも、と思った。プーランクの特質に「透明感」というものがあり、悪い音ではそんな美質が大きく損なわれてしまうから。,,
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プーランク:田園コンセール,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団、プヤーナ(Hpscd)(DA:CD-R)1966live,,こういう曲は聞けるときに聴いておかないと聴かないまま何十年もほうっておくことになる。プーランクには「びみょうな」曲が多いがこれなどプーランクのイメージをかなり決定付けるような世俗性と擬古典性のミキシングミュージックで、ラジオで好きになった向きも多いだろうが、私はどうにも、苦手な部類である。だいたい六人組なんてストラヴィンスキーの影響がどうにも時代的に強いわけで、これもストラヴィンスキーの新古典主義に非常に近い擬古典作品である。単線的に旋律をつむいでゆく、もちろんプロフェッショナルな技巧の裏づけはあるにせよ結局かなり単純な構造の楽曲であり、更にハープシコードという音量の小さな楽器をソロに迎えなければならないことからも、管弦楽は合いの手的に挿入し絡みは最小限になっている。簡素なのはプーランクの持ち味でもあるが、オケの各パートにソロ的な動きが多いのもプーランクらしさではある(オネゲルやミヨーとは対極だ)。深刻な宗教的作品とは一線をかくした世俗的な古典音楽の世界を楽しめる人は楽しんでください(投げやり)。でもストコフスキはさすがです。大管弦楽の響きをハデハデにぶちあげるストコ流儀が、ここでは巧く曲構造を壊さないように配慮されて響いている。録音を前提としていないライヴであるにもかかわらず、よくハープシコードの金属的な響きが捉えられている。もちろん爽やかな朝の田園を演出する配慮は無いが(録音音質的にもそれを聞き取るのは無理)、素直にこういう音楽をどう楽しめばよいのか、別に古典を意識しなくても楽しめるんだ、という一案を提示してくれている。とにかく終始勢いがあり、プーランクが好むソリストとソロ楽器の丁々発止のかけあいが速いスピードの中でもしっかり聞き取れる。ソリストも楽器を壊さずによく響かせている。ストコはやはり弦楽器主体の音楽だと素晴らしい響きを引き出してくれる。古典的な小編成の演奏に一長を持っている。いい演奏です。拍手も盛大。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:田園コンセール,○ランドウスカ(HS)ストコフスキ指揮NYP(DA:CD-R)1949/11/20LIVE,,M&A盤と同じかもしれない。ランドウスカのバリ弾き状態はすさまじく、典雅さよりわくわくするような高揚を感じさせる。じつに若々しい。ストコもはっきりした表現でプーランクの一種マンネリズムを覇気の方向で書きなおしている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:田園コンセール,◎ランドウスカ(献呈者)(HS)ストコフスキ指揮ニューヨーク・フィル(MUSIC&ARTS)1949/11/19 この曲はチェンバロで聞くとぜんぜん違う。オケの音量とのかねあいが難しい所だが、音色が独特なため、けっこう目立って聞こえるようだ。擬古典的な面が強調される反面、擬古典的でない場面では現代曲のように奇矯な印象をあたえる。献呈者ランドウスカはさすが、ものすごい勢いで弾きまくる。自作自演盤もそうだけれども、いきなり異様なスピードで始まる。この曲はそれが正解なのかもしれない(ギレリスは遅すぎた?)。オケもうまいですね。ソリストとの距離感をはかって、適度に調子をあわせていく。きちんと主張し、クライマックスではソリストに配慮しつつも爆演を聞かせる。ストコフスキの伴奏というのはラフマニノフの協奏曲などで馴染みがあるが、やはり新し物好きだけあって新しい音楽を理解し咀嚼し音にする技術にはものすごく長けている。ランドウスカの演奏は火花が飛び散るようだが、古典を得意にしているにもかかわらず、擬古典「でない」箇所ではしっかり旋律線を歌いきるし、しっかり主張する。並ならぬ奏者だ。この盤、音は悪いが終楽章などかなり楽しめるので、機会があれば聴いていただきたい。名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
プーランク:田園コンセール,○作曲家(P)ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(NYP)1948/11/14LIVE・CD
クレンペラーがプーランクの協奏曲を作曲家独奏でやったとき、まったく理解できない、どこかいいんだ、とグチっていたそうだが、プーランクのよさというものは物凄く人を選ぶと思う。私だって6人組の中ではいちばん苦手なクチだ。代表作がない、中途半端な前衛性、しょせんシャンソン作曲家、などなど言おうと思えばいくらでも罵詈雑言を書ける。でもたとえば今日のような青空のもとで、田園のコンセールなぞを聞こうものなら、ぼーっと、漠然としあわせな気分を味わえるだろう。散発的な不協和音(サティのエコーだろう、せっかくの「美しい旋律」に不協和音を叩き付けてだいなしにするような・・・ミヨーにも多い現象)にダダ的なイヤな感じを受けるかもしれないが、それも慣れてくるとむしろ「匂い消し」のような役割を果たしているというか、通俗的でありきたりで世俗の匂いのする旋律に、一種のスパイスとしてはたらいている。また、異種混交性の妙、と言ったらいいのか、プーランクの様式は古典からストラヴィンスキーまでさまざまな要素のごった煮だ。それをそういうものだとわかって聴くのとわからないで聴くのではちょっと結果が違ってこよう。・・・なんだか散発的にごちゃごちゃ書いてしまったけど、さあこの盤。まずミトロプーロスの丁々発止には舌を巻く。ランドウスカのストコフスキ並。そして私は他ではいい印象がなかったプーランク自身の独奏(ピアノを弾いているがあまりペダルを使わないし、弾き方も軽く叩き付けるようでチェンバロを意識している模様)はここではヴィニェスの弟子たるところを見せている。悪い録音のため細部が聞き取りづらく、細かい音符の箇所をちゃんと弾いているかどうかわからないが(はしょってる感じもしなくはない)作曲家だけあって重要な音符のみをしっかり聞かせるように弾き分けている。この演奏も速い。プーランクはこういう演奏を理想としていたのだ、という意味では勉強になる盤でもある。,,
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プーランク:田園コンセール,作曲家(P)アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina配信)1958/11/20シャンゼリゼlive 放送,,オケが鈍重で構築的過ぎる。こんな力感と壮大さを持ったプーランクの(ハレの方の)音楽の演奏はあまり聞いたことがない。強弱の弱がイマイチ、録音バランスの問題もあると思うが、プーランクがこのときは調子良く流れるように長大なメロディにコードの綾を付けてのりまくっているというのに(ヴィニェスの弟子、メイエル同門のプーランクは本来はバリ弾きのタイプのはずだが、戦後録音になると肩肘張って指がうまく回らなかったり強い音を倍音響かせて鳴らせなかったりする記録が多く思う)、アンゲルブレシュトの「型を作って進行させてゆく」方法は、プーランクの非構造的で数珠つなぎの旋律音楽(まあ演奏するのが好きな人はいるんだろうか、いるんだろうが)にはそぐわないというか、一楽章のはじめの方から、特に剥き出しの管楽ソロがピアノのスピードについていけなかったり、テンポのズレはオケとしても散発してしまっている。アンゲルブレシュトの強引さ、分厚い響きがムリヤリ聴かせてくれるところもあるから、この種のプーランクの「軽々しい音楽」を好まない向きには勧められる。私はもっとプーランクのソロのエスプリ、間断のない爽快な弾きっぷりを愉しみたかったが、録音なので聴こえないところはあっても仕方ない。ブラヴォの飛ぶ終演。(ina.fr PHD89036093),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:田園コンセール〜リハーサル,○マルロウ(hps)ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1963/2/23live,,ハープシコードの非常にアグレッシブな演奏ぶりにびっくり。大音量で弾きまくり、ストコは色彩感は保ちつつも直線的で強靭な推進力をもってのぞみ、NYPとやるときのような感じを持たせる。スリリングで聴き応えあり。比較的演奏部分が多い。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:二台のピアノと管弦楽のための協奏曲,作曲家、クロシェ(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1961/1/21(2/21?)live,,プーランクのピアノははっきり言ってうまくない。後ろ向きにテンポを調えて硬直した遅い演奏になりがちで、恐らく技術的限界が背景にあることは想像に難くない。録音がステレオではあるのだがインホール録音に近く二台のピアノの音がいずれも引っ込んでしまいほとんど聞こえない。前へ向かおうとするミュンシュとのアンマッチもある・・・このミュンシュの芸風に揃えてくれればカタルシスが得られたのに!「グロリア」初演の中プロとして演奏されたもの。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:二台のピアノのための協奏曲,フェヴリエ、作曲家(P)ブリュック指揮ストラスブール放送交響楽団(ina)1960/6/21live(7/24放送),,ina配信とAmazonデジタル配信は同じと思われる。生前はよくこのコンビで演奏された。データとアナウンスと混乱しているが一応こうかな、ということで第一をフェヴリエとして記載しておく。プーランク自身はすでに指がよく回らなくなっていたはずである。じっさい一楽章冒頭では両者混乱しまくりでミスタッチもテンポの乱れも頻発、バックオケがすぐれているために崩壊はしないがこれは一般的な商業ラインにはのらないだろう。しかし3楽章になってくると(主としてフェヴリエだろうが)腕がさえてきて、というか、センスがさえてきて、プーランクは決して縦の音数が多くなく、指を旋律に乗ってならすことが主眼となってくるがゆえテンポが気まぐれに揺れがちなところ、発音の明瞭さでしっかりくさびを打ち、代表作ともいえるこの曲をセッション録音をほうふつとさせるしっかりしたつくりで最後まで聞ききらせる。ここはなかなか。ただ、ミスは残るようだ。拍手は別マイクのようだが盛大ではあるものの、ブラヴォは目立たない。会場が大きいせいかもしれない。この前がルーセルの1番シンフォニー、このあとがダラピッコラのけっこうな曲、そしてニグとボリュームのある演目(すべて放送収録販売されている)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プーランク:二台のピアノのための協奏曲,リヒテル、レオンスカヤ(P)マギ指揮ラトビア交響楽団(doremi他)1993/6/26live・CD,,晩年のリヒテルは好きでよく近現代もの、しかもガーシュイン以下軽音楽系クラシックもライヴでは楽しんでいたようだが、スタイルはいつものリヒテルでタッチは重く(音はけして重くは無いがテンポや表現解釈が重い)前進力の無いどうにもミスマッチなもの。レオンスカヤもリヒテルにあわせている部分もあって生硬で無機質。この曲特有のエスプリ、スピーディにくるくる廻る舞台展開、繊細な情趣が一切抽象化されていて、底浅い曲と「誤解させてしまう」。こころなしかオケまでどんくさい。聴衆反応も正直余り乗っているものではない。晩年リヒテルはこういう若々しい曲には向かないなあ。無印。確か海賊盤では既出だったと思う。,"Sviatoslav Richter Archives Vol.16 -Poulenc: Concerto for 2 Pianos FP.61"," Aubade FP.51; Reger: Piano Quintet No.2 Op.64",-----,,,,,,,,,,,
プーランク:六重奏曲,○J.フランセ(P)フランス国立放送管弦楽団木管五重奏団(EMI)1953・CD,,最初から掛け合いの嵐でさすがに軋み生硬なテンポをとらざるを得ない曲だが、ここで牽引役としてそつない流れを作りテンポを安定させていくのはやはりフランセ。細かなフレーズも流れるように軽やかに、しかししっかりしたタッチで発音にいささかの「時差」もない。ORTFメンバーからなるこの木管五重奏団は仏EMIの例の二枚組みCDでまとまったものが復刻されており(一曲欠けているが山野楽器・EMIの「デュフレーヌの芸術」は現役盤として入手可能)現代的な洗練された「フランス式木管楽器によるアンサンブル」を楽しめる。じっさい室内楽団としてはローカリズムをさほど感じさせないが、鼻にかかったような「ザ・木管」な音色や露骨ではないにせよソリスティックな趣のあるヴィブラートなど、低音楽器すなわちバソンとホルンに聞き取ることができる。,,六重奏曲ではどうしても低音楽器は下支えに回る場合が多く、バソンなど横長の旋律でないと表現の差が出ないが、ユニゾンで旋律メドレーを続けるプーランクの特質のうえ、さすが弦楽アンサンブルを捨てて管楽アンサンブルのみに作曲の腕を注ぎ込んだだけあって、特にこの曲ではフランセの曲のような機械的な「役」の割り振りは無く全楽器に聴かせどころが分散しているので、そういったソロ部をあまねく楽しむにはいい曲である。アンサンブルを楽しむ、もしくは勉強するにはうってつけではある。,,急峻な楽章では一人律動的に動き続けるピアニスト次第なところも否めないが・・・とにかくやっぱりフランセ、デュフレーヌを始めとする奏者の方向性が一致しているというか、甘い音色をほどよく維持しながらも世界に通用する抽象音楽を表現する意思が感じられる。これに比べればアメリカの楽団のものなど素っ気無いわりにジャズ風の奏法など取り入れて寧ろローカリズムが強い感は否めない。さすが、ORTF黄金期メンバー。,,後半になればなるほどいい。○。これはアナログで死ぬほどハマった盤なのだが、CDになって「あれ、こんなに醒めた演奏だったけ?」と距離を置いていた。バソンの話題が別のブログで出たので、あ、バソンって意識したことあんまりないや、と思って聴いたら、楽しめた。バソン自体ソリスト向きの楽器で奏者によっても音が全く違うなあとも思ったけど(プレシエルはそれほど独特の音は出さない人の感じがする)、1楽章ではサックスぽい赤銅色の旋律表現が聴ける。伴奏やユニゾンの時とは音を使い分けるんだなあ。,,デジタル化は一長一短ではある・・・古い弦楽アンサンブルの録音が復刻されると倍音が減って(正確に響いて良いという見方もできる)金属的になるのに似た難しさを感じる。書法の多彩さが、特にハーモニーバランスの完璧なこの楽団の長所をいったん解体したところで、俊敏なフランセのもとに再構築された精度の高い演奏ということはちゃんと聴きとれる。モノラルだがクリア。○。,-----,,,-----,,
プーランク:六重奏曲(ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン)1930ー32、改訂39ー40,◎ジャン・フランセ(P)デュフレーヌ(Fl)ほかORTF(フランス国立放送管弦楽団)管楽メンバー(EMI等(国内盤で「デュフレーヌの芸術」の1枚としてCD化している))ジャン・フランセのピアノは驚異的で、他メンバーの技術も冴え渡っており、今後もこれを超えるものは現れないのではないか?フランセは「イベールの息子」とも呼ばれるが、その作風はプーランクとミヨーの良質な部分を重ね合わせたようなところがあり、異常なまでの適性をここでは感じる。兎に角巧いピアノだ。又この古いモノラルの音からは、古い映画の背景音楽のような芳香が立ち昇っており、感動的ですらある。だがベタベタせず下品にならない。曲の良さを曲自体の価値以上に引き出している類の演奏だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
プーランク:六重奏曲(ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン)1930ー32、改訂39ー40,○フェヴリエ(P)パリ五重奏団(PATHE)プーランクの室内楽の代表作だが、その無邪気な美しさや歌謡的な旋律の面白さだけに着目していてはプーランクの本質を見失うおそれがある。プーランクは(その伝記などを読めば良くわかるのだが)ほんらい前衛的な感性の持ち主であり、その一見古臭い作風のウラに何かクセのあるものを忍ばせていることが多い。ピアノにフルート、オーボエ、クラ、ファゴット、ホルンという組み合わせであるが、つねにピアノが前面に立ち演奏を先導していく。このアンサンブルは叙情性よりも曲に内在する現代性を浮き彫りにしていくようなところがあり、プーランクという存在を考えるときに必要な一面を思い出させてくれる。ひびきの新鮮さを浮き立たせるような演奏で、とくに穏やかな場面でのハーモニーが硬質な抒情を引き出し秀逸だ。解釈としても起伏に富み一本調子な解釈の多い同曲の演奏としては特異だ。フェヴリエは余り器用ではないピアニストの印象があるのだが、この演奏では達者なところを見せている。速いパッセージでもそつなくこなしていて、危なげない。ややゆっくりめの終楽章の最後、喜遊的なパッセージがおさまり、プーランクが時折見せる真摯な表情が垣間見える最後の緩徐部、少々さびしげだが、壮大で、その中に高潔な気品を感じさせるフェヴリエのタッチが印象的。佳演だ。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
プーランク:六重奏曲(ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン)1930ー32、改訂39ー40,作曲家(p)フィラデルフィア木管アンサンブル(COLUMBIA他)EMI国内盤の、デュフレーヌをはじめとするORTFメンバー+ジャン・フランセ!による演奏が何を置いてもベスト版ですが(フランセのドライヴ感といったらもう…)、プーランクの独奏の衰えを感じさせるこの盤も…聞いておく価値はあります。プーランクはかなり沢山の歌曲伴奏を残しており,ピアノ独奏も少なからずあります。盟友ベルナックとのタッグで、バーバーの歌曲なんていうのも残っています。自作自演以外においては、曲の本質をさりげなくすくいとることのできる感性の閃きを感じさせ出色です。サティのジムノペディなんて強い表現性に満ちた演奏で、同曲のイメージに固執しない個性的な演奏様式を示しています。2002年CD化。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブーレーズ:カンタータ「水の中の太陽」,○デゾルミエール指揮ORTF、ヨアヒム他(INA)1950/7/18live・LP,,ラヴェルの時代から戦後前衛まで、転地を続けつつ長年にわたりフランス現代音楽の擁護者として活動したデゾによる指揮記録。この時期の録音にしては非常にいい音である(トゥランガリラなんかよりはよほど)。冷たく揺れない無感情とまで思える指揮ぶりは適度な色彩性と透明感を保持しているにせよ特にこのような曲では全く個性があらわれず、バレエ指揮者としてのメリットすら最早投入されることはない。現代音楽好き以外の聴衆には受けないけれどもここでは情感を出さないわけにはいかない「声」を使用した楽曲であることから数十年前のドビュッシーの時代を彷彿とさせる感じも少しある。繊細な響き、新ウィーン楽派からメシアンを繋ぎつつ更に削ぎ落とした彫刻的な美の演出、二つの声部の設計上の巧さ、ブーレーズの天才性のみが浮き立つ。私は意図してまだ存命の作曲家は対象としていないが、デゾの前衛音楽録音は数はあるはずなのになかなか復刻評価されないので、名作としての価値含め挙げておいた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フェルー:弦楽四重奏曲ハ調,○レーヴェングート四重奏団(vox)1960年代・LP,,ミヨーとのカップリング。六人組と同世代でフローランの弟子筋の夭折の作曲家兼批評家である。作風は親しかったプーランクよりイベールに似ており、やや保守性をしめし、構造への執心は師匠に近い。ミヨーを思わせる晦渋な響きも聴かれるが、そういった点からも新古典主義というより折衷的作曲家であるように感じる。室内楽に強い作曲家という面があり、フォーレ的な暗い魅力をもつこの晩年作(とはいえ事故死のため死の予感どうこうというのはないが)も非常に鋭敏な感覚でマニアックに作り込んだアンサンブルが印象に残る。ピチカートを織り混ぜた清新な響きの競演はイベールのそれよりも手が込んでいる。リリシズムをたたえたレーヴェングートQの演奏ぶりは、とても上手くまとめているといったふう。技巧的に難しいところも難なく切り抜けている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォースター:サラバンド様式のアリア,○ウィルク(Vn)ストコフスキ指揮CBS放送管弦楽団(SCC:CD-R)1954/2/7放送live,,編成が小さいと案外すんなり聞けるストコフスキの古楽だが、どちらかといえばオケの自発的アンサンブルだけで出来上がってしまったと言えなくもない。ストコフスキらしさは余りなく、美しくしっかりしたアンサンブルが奏でられる。冷たさのあるオケの音もあっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:「ペレアスとメリザンド」〜シシリエンヌ,ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団(columbia/vogue)1928/6/21・CD,,明瞭な演奏で、早いテンポで(だいたい78回転盤は早いものだが)緩急は明確につけ、変な粘り腰や耽溺は一切なく、空気の揺れるような演奏になっている(音楽は空気を揺らして伝えるものだが)。vogue盤はすぐあとにドビュッシーが入っているがまさに和声的な演奏というか、フォーレ特有の進行を大事にした録音。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第2番,○ギレー(Vn)ギャビー・カサドシュ(P)(POLYMUSIC),,端的に言ってフランクのソナタを超複雑化させただけの曲ってことですが(手馴れた感じは寧ろサン・サーンスかもしれない)、ドビュッシー後の香りを感じさせるめまぐるしい移調や不安定で印象派的な旋律線は、ひたすら息の長い(物凄くとりとめのない)旋律をろうろうとかなで続けるヴァイオリンのやはりロマン性に帰結してしまうのだけれども、実は細かい音符が散りばめられたバックのピアノにこそフォーレの特長があらわれているのであり、旋律だけだったら単なるサン・サン時代のロマン派ソナタで終わってしまう可能性すらあっただろう。ギレーはやや音がごり押しな感じがするが憂いある前時代の音色をきかせる。しかし何といってもカサドシュ夫人の胡麻を振るようなパラパラとした音の散りばめかたが美しい。フォーレはやはりピアノの詩人であり、縫い物はピアノでできている。ヴァイオリンはその上におおざっぱに描かれた熊ちゃんの絵柄にすぎない。縫い物の美しさであり、その微細な色調変化にこそ着目すべきであり、おおざっぱな熊ちゃんが好きな人はともかく、おおざっぱすぎて熊にすら見えない可能性のある一般人からすると(確かに一部旋律と展開は非常にインパクトがあるのだが、フォーレとしても常套的である)、ピアノを楽しむ曲であり、カサドシュ夫人のひょっとしたら女性ならではの繊細で緻密な音表現こそが要の演奏と言えるかもしれない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:チェロ・ソナタ第2番,○ジャンドロン(Vc)フランセ(P)(PHILIPS)CD 長々しい曲・・・。フォーレの曖昧模糊とした和声やディーリアスにも似た半音階的な動きには新しさが感じられるが、それ以外まったく後期ロマン派的で、構造も、旋律と伴奏という役割分担を愚直に守らせているため、アンサンブル的な楽しさが皆無である。飽きてくる。旋律が悪いとは言わない、フォーレだから、仄かな感傷性の漂う極めてフランス的な旋律は聴いていてけっして不快ではない。ただ、長いのだ。フォーレ晩年特有の晦渋性も感じられる。カルテット作品に通じるところである。終曲など冬の曇天を見上げるような音楽で、乾いた憂鬱といったところか(チャイコフスキーとはぜんぜん違う)。とにかくこの長い長い旋律というものが好きな向きには堪らないかもしれないが、私は一寸・・・。ジャンドロンの好演に○ひとつ。フランセはつまらなさそうだ。1962/2/13フランクフルト放送録音が2014年まで発売されていた(廃盤、meloclassic)。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フォーレ:チェロ・ソナタ第2番,ジャンドロン(Vc)フランセ(P)(meloclassic)1962/2/13フランクフルト放送セッション・CD,,PHILIPS録音がつまらなかったので躊躇していたら廃盤になってしまった。二年前の廉価盤にもかかわらず国内流通はおろか海外で相対的にとんでもないプレミアがつき、まだマシなものを泣く泣く買ったらすぐ着いた。日本国内の業者から普通の発送だった。こういうのは二度目。よくある手にかかったわけである(高い海外送料手数料はまるまる上乗せになったのだ)。このレーベルは権利問題からか廃盤や組み合わせ替えがあるものの、長い目で見れば再販されがちだそうなので、私のような馬鹿な目にあわないよう皆様お気をつけて。,,この曲だけが目当てというのは馬鹿な金を払ったものだが、曲自体を久しぶりに聴いたので比較して印象を語ることは難しいものの、まるきり違うのである。今回は感銘を受けてしまった。スタジオ録音とはいえ放送目的のおそらく一発録り、それにしては技術的瑕疵は皆無でカラヤンかというくらいの精度。一縷の隙もないのはフランセのピアノでは当たり前だがジャンドロンの技術、それに音色のあやめいたさまも好みである。フォーレのような「旋律音楽」はドラマティックに振れるやり方が常套手段になりがちなところ、これはまた品が良く、アンサンブルも余裕からかピリピリせず、全体として優美である。録音も素晴らしいステレオだ。正規音源より良いかもしれない。おそらく復刻されるだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
フォーレ:パヴァーヌ,○パレー指揮カーティス・インスティテュート管弦楽団(DA/vibrato:CD-R)1978/2/13live,,非常に優しく暖かい演奏だが音はみずみずしく跳ね返るような明確さがありパレーらしいところ、というかフランス派の指揮者らしいところである。VIBRATOはどうやらDAをコピーしてリマスターしただけっぽい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード,○カスリーン・ロング(P)マルティノン指揮ロンドン・フィル(LONDON)この曲を聴いていて思わず「あ、ドビュッシーだ」と思った。ドビュッシーの「幻想曲」に似ている。もちろんこちらのほうが8年前の作品である。また、旋律廻しにはラフマニノフを彷彿とするところもある(バリバリ弾きするロングのせいかもしれないが)。清新でロマン派のくぐもりがない。終始ピアノが目立つ(原曲がピアノ曲だという事もあるが)。ロングのソロの粒だったひびきは美しく、テンポ感も安定していて聴き易い。曲がいまいち地味だが、○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フォーレ:ピアノ三重奏曲,トリオ・ド・フランス(ゴーティエ(v)レヴィ(c)ジョワ(p))(pretoria/FORGOTTEN RECORDS)1958,,乱暴に言えばラヴェルのトリオ後に敢えてフランクのヴァイオリンソナタの様式に則って仕上げたような作品で、最晩年の簡潔な作風に拠り音の数自体がすくない。3楽章では少し細かな動きと晦渋さが交じるが、すべての楽章は明確な旋律に貫かれ、フォーレ特有の浮遊する和声感覚も、音域が高めで推移することで保たれているが、半音階的な複雑さより明らかな変化のさまを清新に示す表現に収斂されている。そして楽団が非常にやりやすいようだ。ラヴェルでは荒々しくならざるを得なかったようなトリッキーなものがないから、却って音楽性の真価を問えるというもので、その意味でいくと同曲に要求されるものを的確に描き出していると言える。音色の統一感、ピアノと弦のバランスも良い。録音さえよければ、この音色で聴くのはとても心地よかっただろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:ピアノ三重奏曲ニ短調 Op.120,○アルベネリ三重奏団(mercury)LP,,オーソドックスかもしれないがなかなかに雄弁で率直な演奏ぶり。50年代前後に特にアメリカ界隈できかれたような強弁な雰囲気をもち、しかしながら憂いもあってけしてフォーレの繊細さをスポイルすることはない。ロマン派的なラインにフォーレ特有の語法が和声的に展開されていく、この細かさを、しっかり音にしてリアリティの中に描ききっている。従ってここには余り「フランス的」なものはなく、そこに着目する向きは無視してよいものだが、旋律を長々と聴きたい向きにはアピールするだろう。私は正面から重ったるいロマン派的な旋律を長々と聴かされるのは嫌いなので、この様式では1楽章で既に辟易としたが、でもわかりやすいな、とも思った。無印にしたいが一般的には○だろう。巧者。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番,○ベアトリス・ヒューウィット・ピアノ四重奏団(HMV)SP,,纏綿としたヴァイオリンの音色、含め弦楽器三本の小ポルタメント多用、しかしテンポはぶれず低音が明確で引き締まった表現。ピアノがそれほど派手に活躍しない(=アンサンブル曲としてよく書けた)作品ではあるが、フォーレの真骨頂たる精妙な響きの揺らぎが、この骨董盤からも美しく香ってくる。フォーレは20世紀にはけして前衛ではなく、同時代のサン・サンの折衷的大胆さに近い程度で、ドビュッシーらが追い越して回顧する相手ではあった。フォーレのこのての室内楽はとくに弦楽器を使うことで強いロマンチシズムを印象付ける。あくまで旋律音楽であり、ユニゾン進行や転調の新しさといったよく言われる要素は「過剰な臭み」を取り去り、自然に聴かせるべく感覚的に書かれているだけのようにすら思える(じっさいそれら手法もフォーレの創出したものとも言えない)。構成感は伝統的で旧来の国民楽派室内楽より保守的なくらいだ。だが、ここまで古い録音であっても、演奏スタイルが古風であっても、煌めきと清らかさを失わないのは確か(イギリスの演奏だからかもしれないが)。単純なのに技巧的でプレイヤーを引き付ける、そういったところも含めてフォーレの魅力なのだろう。この盤は強い押しはないがSP期のマイナー盤によくあったダメダメ演奏では決して無い。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番,○メルケル四重奏団のメンバー(アンリ・メルケル(Vn)アリス・メルケル(Va)ガストン・マルチェシーニ(Vc))エレーヌ・ツーフルー=エンロック(P)(gramophone)1933/11/29,30・SP,,立派なアンサンブルで、このロマンティックな重みをもつ曲をよく理解した演奏。メルケルの演奏には前時代的なフィンガリングの甘さがあるもののこの時代の録音にしては精度は素晴らしく、まあ精度うんぬん言う曲でもないが、じゅうぶんに楽しめる。中間楽章にあらわれるフォーレらしい精妙な和声が絹のような肌触りで再現される部分など特筆もの。ピアノがやや強すぎる気もするがこれは楽曲や録音機材のバランス的に仕方ないか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番,R.カサドシュ(P)カルヴェ四重奏団のメンバー(sony)1935・CD,,時期的にも古風な点は否めないロマンティックな作品だが、浮遊感のある調性の頻繁な変化に独自の作風があらわれスケルツォもさることながら終楽章では躍動感にもあふれる特有の、しかし自然で偉大なフィナーレを作り上げる。演奏的に今ひとつパッとしない感のあるこの盤でもカルヴェの甘い美音がひときわ輝き音楽に色を添えている。もっとも、編成が若干大きくピアノがあるので、録音制約上、弦楽器はおしなべて背景にまわりがちなのは惜しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:ピアノ四重奏曲第2番,ロン(P)ティボー(Vn)ビュー(Va)フルニエ(Vc)(gramophone/cascavelle/opus蔵他)1940/5/10パリ・CD,,ティボーにオールドスタイル特有のポルタメントや勢い重視の細部のアバウトさが聴こえるほかは思いの外緊密で今でも耳に堪えうる演奏。ロマンティックばりばりの長大な旋律音楽なので私は好まないが、聞き通すことはできた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:ペレアスとメリザンド〜3幕よりシシリエンヌ,○アルベール・ヴォルフ指揮ベルリン・フィル(POLYDOOR他),,自然な抑揚がゆるやかにつき、静かに歌をかなでる。フォーレにはフォーレらしい表現を適用できるなかなか巧緻な指揮者である。オケはとにかくバランスがいい。突出したところがない反面美しくバランスがとれている。音は痩せず、ベルリン・フィルらしい落ち着いた音色が最後のほうでは聞ける。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:マスクとベルガマスク,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA)1961/2・CD,,新古典主義の作品でも擬古典といえるもので、序曲・メヌエット・ガボット・パストラレという楽章名からもはっきり伺える。非常に古風な合奏協奏曲的な内容は好き好きもあろう。清清しいさっぱりした演奏で、たとえば似たような芸風をもつビーチャムのような(ビーチャムがこの曲をやったかどうか知らないが)変な力みによる「ブレ」が全くなく漂白されたかのような中に音楽が生き生きと躍動しているさまはもうセンスとしか言いようのない部分だろう。これこそあるいは数学的演奏かもしれない。ほとんど現代性がないのでほんと、好き好きです。演奏するのはめんどくさそうだなあ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:レクイエム,アンゲルブレシュト指揮ORTF他(ina)1954/12/30live1955/1/6放送,,モツ40、ドビュッシー選ばれし乙女につづくこの日のメイン。アンゲルブレシュト得意の曲だが意外と生命力があり、ロマンティックではないがしっかりメロディを聴かせるような音響になっている。モノラルの放送エアチェックレベルの録音で(一か所撚れる)それほどインパクトの強いものではないし、透明感はあるが繊細さは思ったよりないので、こだわりなければ他の良い録音で聴くのがよい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:レクイエム,カーティン、アレクサンダー他、ミュンシュ指揮ボストン交響楽団他(DA)1962/4live,,DA盤は音質はひどいが一応聴きとおせる。ミュンシュとは親和性のありそうなヴェルディのそれと対極にあるフォーレ、そこにほとんど死を思わせる要素は無く、私的で親密な、暖かな雰囲気すらあり、清澄で静かな旋律のおりなす緩徐曲だが、ミュンシュは厚いオケを使ってある程度は意志的に旋律表現を行い、響きについては特徴的な動きのみに耳を向かせる程度で、ロマンティックな志向を示している。ナチ統制下パリのレジスタンスとして自らフランス人としての道を選び積極的に文化的活動を主導し、ボストンオケもまたヨーロッパ移民の多いオケであり、フランス音楽演奏の伝統もあり、時期は下るが、そういう時代を生き抜いた人々の歌うレクイエムが録音として聴けるのは、こんな音質であっても幸いである。,-----,,,,,,,,,,,,,
フォーレ:歌劇「ペレアスとメリザンド」〜シシリエンヌ,○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCC:CD-R)1965/6/21live,,非常に状態の悪い録音だが、これぞストコ!という悪趣味なデフォルメが逆に聴きものである。テンポが揺れまくり重いロマンチシズムはフィラデルフィアのソリスト級奏者たちによりストコ解釈に忠実に再現されていく。自由な編曲でぬるぬるした情緒を甘く飾りつけ、この時代にポルタメントかよ!というヴァイオリンのフレージング。いや、名曲全集的演目の中ではこれでいい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:歌劇「ペレアスとメリザンド」〜シシリエンヌ,○デュフォー指揮シカゴ交響楽団(RCAvictor)1945/12/12・SP,,世俗的な編曲の施されたアンコールピースといったていだが流れよくよどみなく旋律の受け渡しがなされていくさまを安心して聴いていられる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:歌劇「ペレアスとメリザンド」より抜粋,○フルネ指揮オランダ放送フィル(REGIS)CD,,時代的にはフォーレくらいまでがこの指揮者にはあっているのかもしれない。響きの重厚さやロマンチックな旋律性が売りとなる作品のほうが聴き易さをかんじる。というか、フォーレと相性がいいのか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:歌劇「ペレアスとメリザンド」組曲,○ガストン・プーレ指揮LSO(MGM)LP,,わりと重さも持ち合わせたロマン派音楽でありながら和声進行の独自性のみで聴けてしまう点ディーリアスと似たところもあり、しかしおしなべてラヴェルに繋がるような明るく色彩的な音楽でもあり、フォーレの管弦楽曲は不思議な魅力がある(弟子が紡いだものもあるらしいが)。プーレは速いテンポでひとつひとつの楽想に拘泥せず、力強いが透明感ある表現でフォーレの現代的な側面に光を当てる。プーレの芸風としてはいつもどおり、だが終曲の沈潜するような表現には深い思慮をかんじた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:劇音楽「ペレアスとメリザンド」〜シシリエンヌ,○デュフォー指揮シカゴ交響楽団(RCA)1945/12/12・SP,,ワルツのテンポも心地よい颯爽とした演奏ぶりでカップリングのストラヴィンスキーとはえらい違いである。スピード感がありオケものっているが絞める所はしっかり締めて、終演もきっちり切る。そこがかっこいい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:劇付随音楽「シャイロック」〜X.夜想曲,ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団(columbia/malibran)1936・CD,,フォーレは純管弦楽のための作品(編曲)を僅かしか残していないが何れも優品として知られる。もっともこの曲のように付随音楽の一部であったり、単品として存在しているわけではないが、全曲よりも取り出して演奏される機会がずば抜けて多いのは「シシリエンヌ」の例を見てもあきらかだろう。これは弦楽合奏のための抜粋で3分半程度の小品。「ペレアス」からのシシリエンヌ同様、美しい旋律をなぞる音楽にすぎないが編成の性格上旋律と同時にフォーレの真骨頂である和声の繊細な揺らぎがはっきりと示される点は特筆すべきところで、印象的である(まずは新しい演奏で妙味を味わうことをおすすめする)。シシリエンヌより世俗性が感じられず純音楽的に素晴らしい。,,「魔法使いの弟子(電気録音の方)」の盤面埋めに録音されたもので正直古い録音だ。ゴーベールの指揮記録の中では充実した30年代の電気録音で、「時代に引きずられない」しっかりした奏法でかつその音色に雰囲気はある。だからここでも十分に旋律的和声を楽しむことは可能。復刻盤のほうが普通は楽しめるだろう。SPも流通してなくもないが高いお金を出して買うよりAmazonデジタルミュージックでmp3音源を買った方が得策である(CDは廃盤)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
フォーレ:弦楽四重奏曲,○ギレー四重奏団(POLYMUSIC)LP,,じつはこの曲、曲名をダイアモンドのカルテット3番と勘違いしていて(どういう勘違いだ)、終始「渋くて古風な動機だなあ」とか「フォーレの移調・転調そのまんまじゃん・・・素晴らしいけど」とか「ファーストがえんえんと旋律を弾きつづけるところが多いなあ、終楽章は若干込み入ったフーガが出てくるけど構造的に複雑というほどでもないよなあ」とか「きほん旋律音楽だけど、旋律自体の魅力が強いのでこれはこれで成立している・・・ただ、主題自体が少なくて揺れ動く調性でもたせているのがくどい」とか、結論として「これはロシア国民楽派の折衷派以降、ドビュッシー前(フォーレやイベールやルーセルも型式感という意味では前とする)のフランスの弦楽四重奏曲の影響の強い、隠れた名作」と書こうと思ったらクレジット間違ってた。。なんといってもファーストのギレーの音色が優しく心強い。雄渾でもあり、それがチェロと絡むときにチェロも同じ音色でまったく融合し、結果として全楽器がギレーの音にそろえているため非常に完成度の高さを感じさせる。技巧の曲ではなくハーモニーの曲でも必ずしも無いので、そういったところを如何に補完するかといった部分では純粋に旋律表現や移調の鮮やかさ(中間楽章での無限に転調し高揚していきまた羽根を休めるように収まる幻想的な移ろいの繰り返されるさまは今思うと確かにフォーレだよなあ・・・フランクのエッセンスを凝縮して抽出したような非常に感動的な展開がいくつかあります)だけで聞かせる、言うなれば一本の音線でどれだけ表現しきれるかといった横の流れが重要なのであり、これはギレーだからこそなしえた功績は大きいだろう。全般として○としておくが、フォーレ晩年作の演奏記録としての魅力は相対的にも非常に大きい。名演。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:弦楽四重奏曲,○クレットリ四重奏団(新星堂EMI,COLUMBIA)1928/12/6・CD,,晩年のフォーレと親しく没後の初演にも参加したクレットリによる初録音盤であり、ファーストのクレットリの思い入れが強く感じられる悲しい演奏。クレットリは太く明るい音を出すが、全体の沈潜するような雰囲気(テンポは遅くはないのだが)の中でいたずらにフレージングに凝るのではなく室内楽としての塊の中に気持ちを押し留め、音を甘く感傷的なほうへは持っていかない。それが2楽章など朴訥で生身な感じをあたえ寧ろ悲しさを感じさせて秀逸である。渋い曲とされがちなこの曲だがクレットリ団の音質の揃った音で、フランク的にうつろいつつも更に現代的な硬質で不可思議な感覚をともなう和声がひとつひとつしっかり響かせられてゆくさまを聴いていると、改めてこの曲ができたときには既に世には今もって言うところの現代音楽が出始めていたことを考えさせられる。不可思議に長い終楽章がややとりとめなくなっているし、板起こしからなる録音も古いとあって万人向けにわかりやすいとは言えないが、フォーレが作曲時想定していたのがきっとこういうものであった(病床のフォーレはクレットリ四重奏団による枕元での初演を死病の苦痛から断ったといわれるが)と思いながら聴くのに決して不十分なものではない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
フォーレ:弦楽四重奏曲,○パレナン四重奏団(EMI)CD,,パレナンの演奏録音スタイルには二種類あり、完全に鋼鉄機械のように磨き抜かれた現代的な演奏スタイルをとるときと、情緒的な音色を駆使して旋律に重点を置く古風な演奏スタイルをとるときがある。必ずしも録音時期に左右されるものでもなく、曲によって使い分けている。ただ、後者であっても全体のフォルムを崩さず整った演奏に仕上げようという客観的な感性が通底しており、そこがまたフランス的な品のいい情緒をかもす場合が多い。そしてこのどうやっても感情的になりがちな悲しくも美しい曲にあっては後者のスタイルがとられている。この曲の今や古典的名録音となっているものだけにそこにとどまらず、2楽章アンダンテの印象的な第二主題にあってもスピードを維持し、盛り上がってもしかし安定感あるボウイングを維持して激しないことによって・・・けしてハーモニーに重点を置いた演奏ではないのだが(フォーレだから厚いハーモニーの自在な変幻ぶりを描き出すことは重要ではあるのだがそこは敢えてさほど重視しないふうでもある)・・・ついていけないほど突っ走ることも飽きてしまうほど冷たいこともない中庸のよさを示している。終楽章もさほど激しないため全体の強烈さはないが漂う香気にはフランス派得意のお国ものというメリットが生かされているように思う。個人的にかつてのヴィア・ノヴァのスタイルに近いものを感じた。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
フォーレ:弦楽四重奏曲,○プロ・アルテ四重奏団(HMV/biddulph)1935/11/19・CD,,押し付けがましくない、抽象的で仄かな思いのみ宿る率直な芸風は曲によくあっている。このフォーレ晩年の素直な感傷が語られる作品で、思いっきり歌ってしまうのもまたアリかもしれないが、このくらいに留めて置かれると却ってフォーレ的に感じられ、印象的だ。クレットリをはじめこの絶筆に同時代の奏者はかなり食いついており録音も比較的多い。この演奏は音色以外は主観的でないぶん、染み入るような抒情をかみ締めることができる。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
フォーレ:弦楽四重奏曲,○レーヴェングート四重奏団(VOX),,正直この団体がなぜこんなにもてはやされるのかわからない(マニアに)。フランスのパレナンあたりとだいたい活動は同時期か少し前のような感じで(メンバーチェンジあり)戦後モノラルからステレオ期長く活動した団体であり、スタイルも変動はあるがパレナン同様比較的現代的である。したがって古物マニアに受ける要素というのもあんまりない気がする。この演奏はフォーレの淡い色彩の上で展開されるロマン性、晩年作ならではの結構現代的な音線にハーモニー変化をどぎつく強調することなく、どちらかといえばさらっとした肌触りで仕上げている。しかし二楽章などこの慟哭に近い魅力的な旋律を聞き流させるのはちょっと惜しい。逆に一楽章のような晦渋な楽想にかんしては上手く流し美感を損なわないようにしている。全般あまり特徴的なものはなく、フォーレの中でもドビュッシーら後発組の先鋭的作品群の「あと」に作られた特異な作品であるという点を余りに「強調し無さ過ぎる」がゆえ、もったいない感じ。いずれ精度面で○ではある。音色への好みというところもあるんだろうな。フランス派ならではの音というのは確かにある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:弦楽四重奏曲,プロ・アルテ四重奏団(biddulph)この楽団にしては表情を変えることなく素直だ。慎ましやかさを再現させるのに適切な表現。旋法の導入や半音階的な動き、時折の新鮮な響き、時代性を感じさせる折衷性が現れるが、終始静かで内省的な白鳥の歌。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
フォーレ:舟歌第一番op.26,○作曲家(p-roll)(EMI/telefunken)1913・CD,,フォーレは正直よくわからない。昔ペルルミュテールをよく聴いていたころからわからなかった。門下にはラヴェル、ケクランをはじめそうそうたる尖鋭的なメンツが顔を揃えているが、爽やかな叙情性と微妙な色彩には魅力を感じるものの、基本的にロマン派の人というイメージが拭えない。この曲にしても前半はあまりにロマンティックである。後半音が上がると途端にフランス的な仄かな感傷性が宿り耳を楽しませてくれるが、速い音階表現で名技性を示されると、私のようなピアノしろうとはゲンナリしてしまう。名技ではなく音楽が聴きたいのだから。舟歌の旋律が最後まで繰り返し繰り返しされるが、飽きないのは実に微妙なニュアンスが上手いからで、ロールとは思えない精度のリズムも言うにおよばず、後世の範となるべき自然体のフォーレの高い芸域が垣間見える。内声部と旋律の間には確かにロール特有の僅かな齟齬がなくはないが、ロールとしては最高精度と考えていい。フォーレ弾きなら聴いて損はないかも。フォーレ特性のない私はこれが最高の演奏とわかっていても○止まり。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォーレ:夢のあとに(トロンボーン編曲),○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1967/5/14NYベッツ病院慰問live,,なんとも言えない音色でしっとり歌われる。トロンボーン?サックスでは?と思わせる泣きの名演。ストコらしいねっとりとしたテンポまわしと音響の開放的なさまが、この曲にアメリカンな感傷という表現も可能だということを知らしめる。録音は膝録で最悪。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フォス:カプリッチョ,○ピアティゴルスキー(Vc)作曲家(P)(RCA),,フォスが亡くなったとつい先ほど知った。2月冒頭のことだそうである。最近よく聴いていた作曲家・演奏家なだけにびっくりした。奇遇は終近くにかぎってよく現れるものである。この楽しい小品はチェロピースとしてよく演奏され、曲名に象徴されるとおり技巧的で簡単ではないという印象があるが、軽やかに、時にはジャズ風、時にはボロディン(グラズノフ)風といった背景を思わせるフレーズを織り交ぜながら、民族音楽のフォーマットをもって、牧歌的な情緒を振り撒きつつ春風のように過ぎ去ってゆく。アメリカだから民族音楽と言っても借り物である、しかしそこが我々のような異種民族にとっても入りやすく感じられるのだ。,,フォスの作風は職人的で折衷性を感じさせるものだが聴く者に首を傾げさせない配慮が行き届いている。一方この人は同時代の作曲家の紹介者に留まらない演奏活動をもって著名だったのであり、ピアニストとしてはまさに50年代アメリカのドライなピアニズムを保ったような溌剌としたもので、どんな曲もさらっと弾きこなすような高い技量を感じさせる(一方ピアノという楽器の表現を突き詰めていく専業ピアニスト的な部分は少ない)。アンサンブルピアニストとしてさかんに活動していて、この演奏録音もその一つであろう。そしてここでも、作曲家だからということもあるだろうが、リズムを強く、しかし軽く感じさせるような残響の無い演奏ぶりで音楽を盛り立てていく。一方ピアティゴルスキーはというと、こちらは田園風景だの夜の酒場だのといった情緒的なものは持ち込まない。ここにはただクラシカルな表現による音楽だけがある。これはこれでいいのだろう。技巧が解れ音程がぶれている部分も僅かにあるがこの曲では仕方ないかもしれない。泰斗たるところを見せているといって過言ではないだろう。やはりグラズノフ風の楽想にて心象を与える。○。ご冥福を。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ルーカス・フォス:ピアノ協奏曲第2番,作曲家(P)ワックスマン指揮ロス・アンゼルス祝祭管弦楽団(VARESE SARABANDE)フォスの指揮記録はそれなりに多いが、ピアノ演奏は初めて聴く気がする。かなり達者で指の回る演奏だと思う。打鍵も強く骨太だ。しかし曲がどうにも無個性である。カップリングのワックスマンが近い類例のない作風であったからなおさら〜聴き易くはあるが〜長ったらしく古臭い楽曲に聞こえる。とにかく長くて飽きるのだ。どうも語るべき言葉がない。魅力の薄い楽曲。演奏は透明感があり引き締まって立派だが、無印。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フォルトナー:AN DIE NACHGEBORENEN,○ルッツ(T)スティッカン(語り)ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団・合唱団(000CLASSICS:C-R)1954/8/28LIVE 戦後ドイツの前衛音楽の旗手フォルトナーの小品。聴いていてヒンデミットを思い出した。語りが入っているせいか。ドデカフォニックで、典型的なこの時代の前衛音楽だなあ、というところ。悪くはないです、ケーゲルの棒で聞くと。○。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フォルトナー:オーボエと管弦楽のためのアウロディー,○ヴァント指揮バイエルン放送交響楽団、フェイバー(OB)(Profil、Hanssler、BR)1966/1/21・CD,,やや鈍重に感じた。現代音楽に対しても鋭い耳を持っていたヴァントだが、こういった硬質な音楽はあるていど清澄であることが必須と思う。となると緩慢なテンポやリズム感の希薄化は余りよろしくない。ヴァントがそこまでとは言わないが、ちょっとのんびりやさんに聞こえた。まあ、夏にはこういう脂質のない音楽が涼しい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブゾーニ:小組曲op.23-4(チェロ編曲),○ピアティゴルスキー(Vc)フォス(P)(RCA),,小品だが、小品だからこそピアティゴルスキーの確かな表現が新古典主義音楽に反映され、黒艶光る渋い感傷をあたえるものとなっている。濁りの無い深い音色が邪魔しないルーカス・フォスの伴奏の上で思索的に響く姿は、この人ならブラームスでも透明に弾きこなすことができただろうと思わせる。なかなかの演奏。曲は音選びの新しい古典音楽といったふう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プフィッナー:交響曲ハ調,ベーム指揮シュターツカペレ・ドレスデン(warner)1940・CD,,およそこの曲の往年の録音はベームのものしか見つからない。ベーム自身正規録音をいくつも残しているがこれは最も聞かれる録音か。ただ、最新復刻CDを聴いても音はきつい。ドイツで正規セッション録音ならこの時期にはすでに優秀な音質のものが残っているが、大抵は同時代のどの国のものとも同じ、むしろ30年代より退化したかのような疲弊したノイジーな音で、それはオケそのものにも言えることである。ドレスデンという土地柄もあって先取の気運は余りなかったのか、、、時勢柄か、ほぼ同時代のドイツの大物作曲家の作品であっても、空疎な音楽に聴こえる。音は鄙びている。ブルックナーを思わせる非常に親しみやすい旋律から始まるが、三部に別れるも繋がったほぼ単一楽章の僅か15分、凝縮し変化を明瞭に見せて常套的に三部にて盛り上がりを作るよう構成できるアーチ構造の曲でありながら、ベームは突き放したように、フォルテならフォルテ、ピアノならピアノとただ譜面のままにやらせているような感があり、オケにもそれに逆らうというか、この末期ロマン派交響曲をロマンティックに盛り立てようという威勢のよいところは感じられず、ただ即物的に処理している。というかこの音では何とも言えないか。ドヴォルザークとかそのへんの時代で止まってしまったような曲なので、曲自体はおすすめです。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プフィツナー:交響曲第1番,シュミット・イッセルシュテット指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(URANIA)1952 半音階的なぬるまゆい響きにみたされた爛熟ロマン派音楽の典型。古臭い表現もあるが、ワグナーらの影響が支配的な作品である。オーケストレイションは決して巧くはないが(弦楽四重奏曲第2番の編曲版というせいもあろう)、それも含めちょっとフランツ・シュミットぽい。1楽章はうだうだとつづくあまり魅力的でない楽章。2楽章スケルツオはブルックナー的だがなかなか魅力的な躍動的な楽章。緩徐部は1楽章のつづきのようなたそがれの音楽。依然古い感じだがときどき新しい響きやフレーズが入ってハっとさせられる。イッセルシュテットのリズム感のよさが光る。3楽章ふたたび暗い響きから始まる緩徐楽章。深刻な旋律と現代的な音型のおりなす無調的なフレーズと夢見るように美しくあるいは暖かいフレーズが交互にあらわれる。けっこうマーラー的だ。イッセルシュテット盤は室内楽的な緊密なアンサンブルを構じているが、バイオリンにやや薄さが目立つ(曲のせいもある)。クライマックスへ向けてのモダニズムふうの厳しい音楽は面白いがやや冗長。いくつかのそれまでに出たフレーズの集積の上に輝かしい結末が築かれるが、原曲のせいか指揮者のせいか、ややあっさりめ。聞かせどころの中心点がぶれてしまったような座りの悪さがある。まあ清澄でとてもやさしい旋律も聞けるし、人によっては感動するだろう。ちなみにこの盤で36分の堂々たる交響曲である。2番にみられる凝縮は無い。録音は悪い(擬似ステレオ)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
プフィツナー:交響曲第2番,○ベーム指揮SACHSISCHE STAATSKAPELLE(ZYX MUSIC)1940初出(1938?) 音は悪いが演奏は立派。気合十分だ。3楽章制だがすべて続けて演奏される。15分の凝縮された曲だ。何といっても第一楽章の主題が有名だ。かっこいい。3楽章最後で復活するのはお約束。プフィツナーはリヒャルト・シュトラウスと同年代だが、それもうなづける作風である。マーラーより前、ブラームスより後、といったところか。フランツ・シュミットにも通じる。半音階的ではあるが、テーマがいずれも明確で、構造もわかりやすく、聴き易い。ちょっとフランクを思わせる清新さも持ち合わせている。ベームは颯爽とこの佳作を演じ上げる。悪い音に慣れた向きにはぜひおすすめだ。ベームは同曲38年に1回、42年に2回録音している。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
プフィツナー:交響曲第2番,○ベーム指揮ザクセン国立歌劇場管弦楽団(ZYX MUSIC他)1940初出(1938?)・CD,,循環形式というのはあざとい。そりゃ忘れた頃の「王の帰還」で感動しないほうがおかしい。この3楽章制交響曲のあざといところは晦渋なブラームス志向の音楽でありながらも構成は思いっきりフランクなところで、両端部を飾るワグナー的な響きの旋律そのものがフランクに聴こえる。そう思って聴きなおすと半音階的な進行や終盤の和声もフランクのシンフォニーからの剽窃に聴こえてくる。それでもなおこの曲に価値があるとすれば、その手ごろな「短さ」にある。ベームは同時代者として、プフィツナーの「言わんとするところ」をよく理解している様子だ。ともするとぶよぶよした演奏になる可能性があるこの曲を、スリムに引き締め、厳しく弾かせている。晦渋な2楽章から3楽章循環主題の提示前まで、頭でっかちの構造偏重ぶりが伺えるところ、これをきちんとまとまった音楽として聴かせられるだけでも既に腕のある指揮者であったことがわかる。軍隊のような演奏。録音は極めて悪いものの、○をつけるのはそういった理由による。,,・・・このブログは何度でも同じ音源を取り上げます。その時々で見方が変わるからです。旧評はサイトかまとめブログを参照してください。無邪気に褒めてます。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
プフィツナー:交響曲第2番,フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(LYS他)1949/aout/7LIVE ドイツ最後のロマン派作曲家といわれるプフィツナーは、直接的にはブラームスの影響をうけ、またワグナーなどの音楽要素を参考に保守的だが魅力的な作品を創り続けた作曲家である。「パレストリーナ」ばかりが有名だが、この交響曲もわりあいと聞かれている佳作だ。フルトヴェングラー戦後のライヴ、録音はあいかわらず悪いのだが、意気は伝わってくる。ホルンによる勇壮な主題提示から始まるこの曲はおいしいところがけっこうブラスに行ってしまって、弦は下で細かい動きをして支えたり、経過句的なフレーズを復唱したりとつまらないところもあるのだが、この時代のオーケストレーション(ワグナー以降、と言っておきます)はこんなものであるから仕方がない。でも、悪い音でも目立たなくても、ウィーン・フィルの弦の艶やかな音色は聞き取れる。プフィツナーはウィーンの響きがよくあう。フルトヴェングラーは比較的節度をもって望んでおり、爆演という感じはない。3楽章の最後のロマンティックな旋律をかなでるヴァイオリンの音色は素晴らしく、次いで再現される1楽章主題が晴れやかに凱歌を歌う。ややしつこめの音楽ではあるが、短いので飽きはしない。オケが曲慣れしていないような戸惑いが聞こえるので、ここはまあ無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
プフィツナー:交響曲第2番,作曲家指揮ベルリン・フィル(PREISER RECORDS)1940 自作自演の演奏は少し弛緩気味だ(録音のせいもある)。緩やかな場面ではなかなかに深く美しい情感を漂わせている。派手な場面・・1楽章のテーマ提示部など・・をもう少し派手にやってくれればかなり充足感が得られるのに、と思った。早いテンポで颯爽と進む場面は、ベルリンの強固な弦楽器に支えられている。うねうね半音階的な動きの目立つ曲で、異様に弾きにくそうだが、ベルリン・フィルは何とかやってのけている。そんな感じだから、音楽的ではない。譜面を音にしただけ、という感が否めない。自作自演というのはおおかたそんなものなのだろう。そういう演奏であるがゆえに逆に、ワーグナーやブラームスの影響がよく聞き分けられる。曲を分析的に知るにはいい素材だ。プフィツナーの指揮は固く、揺れず直線的、イマイチ曲の魅力が伝わりづらい。曲の魅力を知りたければ専門指揮者、ベームなどを聞こう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
プフィツナー:小交響曲,アーベントロート指揮ライプツイヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(OTAKEN:CD-R/URANIA) プフィツナーは同時代の、あるいはちょっと前の音楽の影響を受けまくっている。それが若干盗作気味な名曲シンフォニー2番ではすこぶる面白いほうへ動くのだが、この作品はどうもいろいろな音楽のアマルガム、とくに古典、そしてブラームスやワグナーの影響があからさま。最初から最後までなにかしらどこぞの著名作曲家から剽窃したような楽想の連続、しかも少々考えすぎ。晦渋だらけの一曲、アーベントロートも古典曲を演奏する如きで、ビジネスライクにやっている。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:ハンガリー舞曲より二曲,○ビーチャム指揮ロンドン・フィル(DA:CD-R)1939/4/39ビーチャム製薬放送,,勇壮な演奏だ。やや音が潰れるがこの時代のラジオ放送にしては雑音の少ないいい録音である。凄まじく速く、アーティキュレーションも重くならないように緩徐部など譜面どおりの起伏のみはっきりとつけてコントラストを明確にしている。5番など有名な曲ばかりだ。「服地のミユキのCM」の元ネタも聞かれます。ちょっと新鮮だった。しかし古典的な表現がこの人にはあっているのかもしれない。何をやるにしてもモーツァルトをやる的な感覚がどこかにあるように思う。ブラームスは国民楽派のやり方をしながらも新古典派としてしっかりした伝統的な書法を展開しているなあ。ビーチャム製薬は言わずと知れたビーチャムのオヤジさんの一財なした企業で今は合併しなんとかアンドビーチャムという名前で皆さんの使っている歯磨き粉なんかに残っています。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:ハンガリー舞曲第1番,○チェリビダッケ指揮フランス国立放送管弦楽団(VIBRATO:CD-R)1974/10/25シャンゼリゼlive,,同日のアンコールの嚆矢で、これは録音も含め非常によい。アンコールならではの速さと勢いがかっこいい。,-----,,,,,,,,,,,,,
ブラームス:ハンガリー舞曲第1番,○チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(ALTUS)1986/10/15東京文化会館LIVE・CD,,かなり精緻だが迫力のある演奏で、激しく斬り付けるような鬼気迫るものを感じる。アンコールにしては充実しすぎ!,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:ハンガリー舞曲第1番,◎チェリビダッケ指揮ロンドン交響楽団(Concert Club)1979/5/31ロイヤル・フェスティバル・ホールLIVE・CD,,本編の交響曲第1番が何だったのと言いたいくらい打って変わって俊敏で迫力あるサウンドに胸揺さぶられる演奏になっている。とにかくものすごい。瞬時ブラヴォーやむなしでしょう。名演!録音もいい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:ハンガリー舞曲第1番,チェリビダッケ指揮LSO(concertclub)1979/5/31live・CD,,中間部はややダレるがメインの舞曲部分のドライヴ感!しなやかな流れのアーティキュレーション付け、スピーディーなスリルは後年よりこの頃のほうが上だろう。アンコールピース。大ブラヴォ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:ハンガリー舞曲第5、6番,シュワイコフスキー指揮ハルビン交響楽団(columbia/sony)1939・CD,,ハッキリって緩い。技術的な問題もある。だが勢いはあり、解釈自体はテンポ変化をしっかりつけ悪くなく、演奏者側の問題だったのだろう。ヴァイオリンのポルタメントが気持ち悪い。音程の取れない人がポルタメントを先に覚えてしまうとだめなんだよなあ(自己嫌悪)。第6番のほうが変化に富んでいて、一般にも耳なじみが薄いから比較対象が無いのも含めかえって聴ける。5番よりも凝った感じのする曲だ。テンポの著しい変化にも何とかついていっている。とはいえ、この時代のオケでしかも78回転盤の悪録音での再生となるとそう聞こえるだけで実際そこまで同時代的におかしな演奏ではないかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲(ラッブラ管弦楽編曲),トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1939/1/7放送初live,,ハフナーのあと、ロフラーの音詩の前というへんな位置に演奏された大曲(最後がマイスタ前奏曲である)。なぜこの曲を大管弦楽編成で編曲しようとしたのか…とも思うがそこがイギリス人らしい楽究癖、マニア魂というか、結果としてトスカニーニが好んだというから良かったのだろう。程よくブラームスらしい響きも残しつつ、ピアノ原曲の単純さからここまで華美で、しかし余計なロマンティックなものを付け加えず何ならユニゾンも厭わない簡潔な音楽を編み出せたのはラブラの腕だろう。ラブラはこの曲だけで演奏史に名を残したようなものであろう。22分台というなかなかの早さだが、交響曲として聴くなればけっこうズシリとくる。楽器の使い方が単調にならず見せ所を散りばめて、トスカニーニは的確にそれらを描き出す。まあ、正直ひどいノイズに弱い音なので、おすすめはしないが、今でもネットのどこかに転がっていると思うので、パブドメ沼でも探されたら見つかるかもしれない。トスカニーニの歌声は最後の方で聴かれる(かなり盛り上がる)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:弦楽六重奏曲,スペンサー・ダイク四重奏団、ロッキア(2ndVa)、ロバートソン(ロビンソン?)(2ndVc)(NGS)1925/5・SP,,だんだんとよくなってくるが1楽章冒頭からのぎごちなさの印象を払拭するまでには至らない。ダイクが他でも見せている、旋律のままに伸縮しようとしたりボウイングが弓に支配されてぎごちなく、短い音符にヴィブラートがまったくかからないなどまるでスムーズさがなく、同曲のような旋律重視の曲には致命的である。低弦が聴こえない録音としての難点もあり、いくら後半楽章できびきびした律動性とプロフェッショナルな演奏家としての意地をオールドスタイルの名のもとに示せているとしても、やはり1楽章がよくなくては。移弦の試金石のような曲がブラームスは多いですね。無印。セカンドチェロは恐らく浄夜と同じJ.E.ロビンソンと思われるが表記上はJ.E.ロバートソンとなっている。ネットで非公式に配信されている音源(権利切れではある)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番,
ロジンスキ指揮NYP(SLS/columbia)1945/8/2-22・CD
原盤はテストプレスで実際に発売されたものではない模様(流通しているものは録音年月が違う)。状態は推して知るべし、ノイズにまみれボロボロで、SLS直販のCD-Rでも日本焼きCDでもまったく差はない。ロジンスキにしては直線的な推進力のみならず粘り腰の表現もきかれるが、世界史的にきわめて重要な時期に行われた録音〜広島長崎への原爆投下と第二次世界大戦終結〜だという特別なものは一切感じられない。いつものロジンスキスタイル、というか重量感の無い録音のせいかむしろ軽さすら感じさせる即物的なものだ。四楽章冒頭からなどいつもの引き締まった筋肉質のスタイルが緩んでいるように聞こえる。これはオケのせいだろうとは思うが、音は美しい、技術もそれなり、でもどこかよそよそしい。ブラスが音を重ねつらねヴァイオリンの主旋律に入るまでのくだりは、音がぜんぜん重なった感じが無く、数珠つなぎに吹いているだけで、何の盛り上がりもない。録音のせいと思いたい。弦楽器はたかまりを伝えてはくるし、木管も綺麗でうまいが、中音域以下があまりに弱い。加えてテンポも性急に流れがちで、変な焦りがある。あのロジンスキのセッション録音とは思えない緩い演奏だ。軽々しく旋律を撫でていくだけで、戦前のSP録音かと思うような「想像力を要求される」代物。終盤でやっとブラームスらしいアンサンブルの妙味が伝わってくるものの、この曲ではそのくらいはどうやっても伝わってくるものである、遅い。思い入れとかそういうものとは無縁、ロジンスキの志向が近現代の大曲でいかに自分の棒さばきを魅せるかにあり、古典志向の曲は後期ロマン派であっても、こういうことをすることがあるのだろう。影のない、でも明るく吹っ切ったわけでもない、ただの思い入れの無い録音。太平洋戦争への痛烈な皮肉か、という皮肉を書きたくもなる。
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ブラームス:交響曲第1番,○D.オイストラフ指揮モスクワ・フィル(melodiya/revelation)1968/10/14・CD,,録音が悪く低音部の分離が悪いのが難点。何この分厚さ、このテンション。ヴァイオリニスト指揮者というとバランスの悪い音響のイヤーな予感がするが、ウィーンでも人気のあった指揮の腕は伊達ではなかったのだ。ハーモニーも的確にバランシングされている。チャイコなんかよりずっと堂に入っているように思うのはブラームスの緻密なスコアのおかげかもしれない。重厚で力強い二楽章はオイストラフらしさと言えるかもしれない。コンマスソロにやや不安定さがあり音の細さが気になる。三楽章は内声をよく作り対位的な構造がしっかり聴こえる。テンションは相変わらず維持されている。それゆえ「ロシア乱れ」が特にヴァイオリンに散見される。モスクワ・フィルらしい雑味でもあるが。ロシア乱れはひたすらトスカニーニスタイルで突進する四楽章で更に明確になる。展開部でヴァイオリンがしょっちゅう走り、周りもそれにつけるといったことの繰り返しだ。結局ロシア式のアバウトさと強引さがフィナーレを飾る。これは好悪あるだろう。全般憂いが無くブラームスらしさが半端かもしれない。,-----,,,,,,,,,,,,,
ブラームス:交響曲第1番,○カイルベルト指揮ケルン放送交響楽団(WEITBLICK)1967/3/31・CD,,噂に違わぬ名演で驚いた。というかこの指揮者の得意分野じゃない曲ばかり聴いていたのが悪いのだろう。ブラ1を掌握しきったさまは、例えばロジンスキなんか何だったんだ、という迫力に結実する。ただ音を強く出していればいいのではない。フォルム重視のいわゆるドイツ的な重厚な演奏ではない、ステレオだからなおさら感じられる偉大なる表現とともに、音楽の迫真味を追求したライヴ感は四楽章後半の畳み掛けるような、あるいは走ってしまうくらいの勢いが凄く、楽団の限界やライヴ(なのだろうか)なりの精度の甘さなど問題にする気が起きない。いや、これはステレオで残っていてよかった。やはり両端楽章をおすすめする。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番,◎カサルス指揮プエルト・リコ・カザルス音楽祭管弦楽団(GRANDSLAM他)1963/5/31live・CD,,度肝を抜かれた。フルヴェン以来の衝撃の名演だった。むろん、弦が物凄い。音色もアンサンブルも表情付けも素晴らしい、しかも独特の色が付いている、ここが肝心だ。カザルスの指揮は集中力がハンパないことはいつものこととして、この手垢まみれの曲をこう独自の表現で、感情のうねりをぶつけて来られると圧倒されまくり。一楽章でまずそのテヌート気味の音の連射にやられ、恐らく一番の聴かせどころである二楽章でのドルチッシモな法悦。三楽章は軽く流すが四楽章ではアゴーギグ弄り倒してなおテンポは突き進み、弦だけでなくブラスの迫力もそうとうなもの。全て演奏レベルもそこそこありアンサンブルに問題はない。これはフラブラ仕方なしか。◎!,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番,○ガラグリ指揮ベルリン放送交響楽団(ETERNA)LP,,いたって堅実な演奏。爆発も解剖もせずひたすら愚直なまでにインテンポの歩みをやめない。引き締まったキレもまとまりもいいリズム取りもいたって模範的なドイツ的表現、うーん、まさか最後まで堅実を通すとは。演奏レベルという点で悪くはないので○だがとりたてて特徴のない演奏。,-----,,,,,,,,,,,,,
ブラームス:交響曲第1番,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1945/2/17LIVE,,すなおにアグレッシブなブラ1として、特にロシア人の指揮など意識せずにきける。だれることなく、正統と言ってもいいのではないか。録音もこの人にしてはいい。緩徐部の沈潜ぶりがてんめんとして美しい。楽章間に拍手がはいってしまうところも。オケ精度はそれほど高くない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番,○クレンペラー指揮ケルン放送交響楽団(WME:CD-R)1966live,,まずはこの発音の威容と、まだ壮年期?クレンペラーの有無を言わせぬ推進力に力づくで押さえ込まれる。1楽章や4楽章序奏最後のあたりとコーダのあたりの横にぐいーーーーっと引き伸ばされる音には後年の異常なクレンペラーのテンポ感の萌芽が聞いてとれるし、3楽章や4楽章主部あたりは颯爽としたテンポとしっかりした発音に胸がすく。やはり録音が悪すぎること(一部途切れあり)が問題であり、ベートーヴェン的なブラームスをやらせたら右に出る者のいないクレンペラーの迫力に圧倒されることはされるのだが、イマイチ乗り切れない部分もある。終演前にかぶさって入ってくる拍手は正直聴衆のフライングというより編集上の都合というようにも思え、「偽演?」という感じも受けるが、ここまで音が古いと特定も困難。オケがドイツ的で巧い、コンマスソロなんかもハマりまくってるという点少なくともケルンであることは間違いないとは思う(アメリカではないことは確かだ)。いずれクレンペラーの三大Bにハズレは無い。間違いはあるかもしれないけど。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番,○クレンペラー指揮フランス国立放送管弦楽団(WME:CD-R)1954/9/17モントルーLIVE,,冒頭から重厚にドン!と決まるドイツ臭い響きでもうORTFかどうかなんて問題なくなる。技能の高さは言わずもがなだがアンサンブル力もなかなかのオケ、壮年期のクレンペラーもフルヴェン並の力とみずみずしさに前進力がくわわり、録音状態すら問題ないくらいにドライヴされたしっかりした音楽になっている。序奏部に音飛びがあるのは残念。2楽章もよくあるような緩やかな歌謡性を煽る方向にいくことはなく、最重要点として構造を明確にし、目先の情で変わらない音楽を指向する。ベートーヴェン的。ソロすらはっきりした部品として組み込み、ソリスティックな発音を廃し、全て音符どおりの長さに太い明確な音を吹かせている。純音楽的な完成度を目しているように感じる。3楽章はとくに前進力を感じる。極めてまとまった音響は何度でも聞くに堪えうる隙のなさを示している。4楽章も晩年のような横の粘りがなく、ドラマチックな音楽を徐々に煽り、主題の前奏としてあらわれるホルンなどのソロ旋律も徒に止揚し感傷を煽ることなく自然な流れの中に必然としてあらわれ主題の登場までの橋渡しをしっかり行っている。このあたり端正とい言ってもいいくらいだ。主部は迫力にみちた推進力がやはりフルヴェンを思わせる。このあたり録音が悪いのが難点。だがこの威厳とみずみずしさを兼ね備えた演奏の前にたいした問題ではない。オケの柔らかくもニュートラルな音とすこぶるいいバランスが、受難の客演時代の他曲録音でみられるような無味乾燥さや乱暴な処理ととられかねないぶっきらぼうな発音は中和され、もちろん曲の相性もあるんだろうが、まさにフルヴェンに拮抗しうるまとまりのよさっ強靭さを発揮している。50年代最良の遺産だろう。即物的なフィナーレもきっぱりした和音の連打に高潔さを感じさせる。拍手も盛大です。フランスオケをここまでベトオケにできたクレンペラー/ブラームスコンビ、外れはない。もっともどんなオケからも同じ音楽を引き出せる人なので同時期の録音を集めても一緒ですが。時期が違えばまたガラッと変わる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番,○スヴェトラーノフ指揮ハーグ・フィル(RO)1992-3LIVE・CD,,1楽章、主部に入るところで編集してる?ティンパニが妙にまぬけた響きをしている。さすがにブラームスになると慣れたオケで、書法の充実のせいもあるが音が中声部の詰まったドイツ的な響きになり他の秘曲演奏とは格段のしっくり感が響きわたる。,,1楽章はリズミカルでテンポよく、スヴェトラらしいカンタービレも弦にオウイツする。スヴェトラは弦がしっかりしたオケでないと千両役者の持ち味が生かせない。ブラームスも一番あたりは弦を主体にして分厚く構築しないと成り立たない曲なわけで、ハーグはけして弦の充実したオケではないが、慣れがザッツの揃い方に如実にあらわれており、揃う=分厚く聞こえるということで満足いくバランスがとれている。2楽章は法悦的な引きずるテンポを清澄な響きの上にのせて感傷をあおる。ねっとり感もこのオケだとそれほど気にはならない。ブラームスの影響を受けたロシアの作曲家は少なくないが、それらを想起させそうな演奏様式でありながら、ほとんど想起させない。チャイコやクーチカふうの色が出ないのはスヴェトラとして意外でもある。落ち着いた美感はスヴェトラマニアには受けないか。3楽章は余りテンポを上げず雰囲気は2楽章のそれを維持している。旋律の歌い回し、フレージングの巧さはスヴェトラの真骨頂とも言えよう。ただ、音量的に激せず、慎重なテンポ取りを堅持していくところは、少し物足りなくも思う。4楽章序奏部も少し雰囲気を引きずっていて、頭初はコントラストがはっきりしないがピチカートから闘争の主題に傾れ込むあたりから音に芯が出てきて、突如あらわれる浅くも激しいティンパニの打音にはいつものスヴェトラらしい独特さがうかがえる。しかし「第九主題」への展開は沈潜するような響きとテンポで再び落ち着いてしまう。そのまま大人っぽい主題の表現も余り煽られる感はない。弦が再現し動きある古典的展開が始まると重い腰がやっと上がる感じがする。スピード感が出てきて初めてスヴェトラらしいテンポルバートの妙が生きてくる。新古典らしい構造の妙を抉るより旋律の流れの面白さやハーモニーの美しさに傾く感があるのもまたスヴェトラらしさだ。いささか人工的で芳醇さはないが、優しく暖かい演奏ぶりはスケール大きく曲をまとめ、さすがにコーダでは傾れ込むようなテンポと音量設定で気をあおる。ブラスが引いた感じもするが、かえってバランスよくもあり、引き伸ばされた和音のあとにブラヴォが飛ぶ。スヴェトラらしさと汎世界的表現の妥協的融合、とまとめておこう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ブラームス:交響曲第1番,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1966/11/20live,,これは録音がモノラルでぼけている点がなければ◎にしたところで、一部で大変人気があるストコのブラームスが、後年タッグを組んで活躍したASOとのライヴとして示されている、だから面白くないわけがない。スヴェトラなんかに近いんじゃないか、というような表現の激しさで、一縷も決して飽きさせない配慮の行き届いた表現と言え、更に終幕のカタルシスはそうそう聞けるものではないくらいのもので、恣意的にいじっているとかいうことは大して問題には感じない。このベートーヴェン的勝利の方程式を応用した曲の本質的な部分は揺るぎがない。オケのボリュームがストコの求心力によってぐいぐいドライヴされていくさまは爽快ですらあり、スコアにこだわるマニアでなければ絶対的におすすめである。盛大な拍手が最終音の残響の終わる前にかぶさってしまうのはいささか問題かもしれないが・・・というよりちょっと聞き拍手を「重ねて録音」したようにもきこえるのがちょっと気になる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番,○ストコフスキ指揮ロンドン交響楽団(inta glio)1972/6/15、ロンドンデビュー60周年記念live(一回目?)・CD,,指揮者には弦楽器型と管楽器型がいる。おうおうにして弾けるメイン楽器が何なのかに限らない(他に歌謡型もいて、弦楽器型に似て非なる厄介な演奏を仕掛けたりするけど・・・ピアノ弾きに多い)。ストコは管楽器型に見えて、案外弦楽器を中心にしっかり組み立ててから表面をごてごて盛って膨らませていく古風な感覚を維持しており、曲によっては厳しく統制された弦楽アンサンブルを志向する。ストコは確か合唱指揮出身だが同時に弦楽器弾きだったと記憶している。そうなるとこれはメイン楽器に忠実な演奏ということになる。,,ブラ1はとくに両端楽章において弦楽アンサンブルができていなければ成り立たない(中間楽章は木管ソロも・・・この演奏はコンマスソロが硬質ではあるものの異常に美しいが)。ぶっきらぼうなブラスの扱いに増して目だっているのは、纏綿とした音色を駆使した旋律よりも縦を厳しく揃えリズミカルな流麗さを求め、音色は二の次といった弦楽表現で、終楽章はテンポ的にも決してただ求心力が強いたぐいのトスカニーニブラームスではないものの、娯楽的でもバンスタ的でもなく(同じか)自身の予め設定した独特のアーティキュレーション(とブラス増強とか)を伴う解釈に基づいた苛烈な要求をオケに対してなした挙句、オケがどの程度反せたのか、それが演奏の程度に直接結びつくものとなっている。終楽章展開部でオケがやっと疲弊したのか冗長さが感じられるしコーダ前の瞬間湯沸かし器的疾駆で弦楽がばらけたのが惜しまれるものの、ここまでストコにしっかりつけられた弦楽器、そしてその結果がけして情に溺れる演奏ではないという事実に、終演後の盛大なフラブラを納得して受け止めることができる。,,この録音は邦盤が初出だったらしい。日本人はブラームスに物凄く思い入れの強い種族で、愛ゆえに非常に凝り固まった解釈表現しか許さないところがある。しかしここまで凝縮された演奏に優秀録音では、ストコの「改変」ブラームスを無視はできないのではないか。ブラームスのスコアのどこに手を入れる場所がある?と言うのは小物の戯言。音が全てを物語る、それが音楽だ。これは多弁な演奏ではない。しかし野武士のような強靭さと説得力がある。一定の評価を与えるべき。○。,,intaglio盤を参考にした。CALAが60周年ライヴとして出しているCDと聴き比べていないが、CALAの硬質で整形過剰な復刻ぶりからいって板起こしによるintaglioと大した違いがないものと思う。この二つが同日異演奏(チケットが足りず異例の同日二回公演となった)とか、この録音自体が68年のものであるという情報もあり(こちらはネット情報で嘘ぽい)、敢えてintaglioとして挙げた。,-----,,,-----,,,-----,
ブラームス:交響曲第1番,○フルトヴェングラー指揮北ドイツ放送交響楽団(EMI,tahra)1951/5(10?)/27・CD,,太筆書きで描き切った、という演奏で、その雄渾さは他の誰とも違うものである。ロマンチシズムよりも力強さが勝り、イギリスのヤワな抒情的演奏とか、クレンペラーのカタブツ的即物性とか、トスカニーニのこじんまりとした演奏とか、それらとは明らかに非なる。揺れ無く一直線の演奏ぶりなのに、なぜこんなに印象的なのか、説明するのは難しい。しいて言えばこの指揮者だからこそやる気を奮い立たされるオケのため、というしかない。私はこの演奏を決して◎にはしないが、久しぶりにフルヴェンを聴いた、凄い、という印象でこの文を〆る。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,COMMENT:,,
ブラームス:交響曲第1番,○ワルター指揮NYP(DA:CD-R)1943/11/7live,,この時代のワルターのライヴであればこのくらいの音質は仕方ないか。演奏自体は壮年期ワルターらしい勢いがあり、スピーディに力強く進んでいく。ここぞというところでは自然に、しかし激しくテンポルバートしてカンタービレするが、どちらかというとテンポよりダイナミクスで抑揚をつける感じは他盤と変わらない。3楽章と4楽章展開部後半の異常な速さは特筆すべきだろう。このスピードは、ピッチが高すぎるのと無縁ではあるまいが・・・つまりは録音に難ありではある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番,チェリビダッケ指揮LSO(concertclub)1979/5/31live・CD,,チェリの過渡期、個人的に思うに一番脂の乗り切ったバランスの良い時期の得意曲。1楽章はオケのせいかメロウ。ガツンと響かせてほしい音が響き重視で調和的にひびき、きれいだが何かいききれない。2,3楽章はそういうスタイルに向く楽章で、いくぶん情緒的に揺れ聴かせる。4楽章は凄い。1楽章はフリだったのかと思わせる壮大な演奏で、しっかりガツンと響かせて形作る世界は緻密かつ繊細でもある。ブラームスって新古典だったんだよなあ、と改めて思わせる風の通るような明確な彫刻が清々しい。凄まじいブラヴォ。ここまで厳しく磨かれるオケも大変だっただろう(技術的瑕疵はあろうはずもない)。録音状態は決してよくはないが、ステレオの70年代放送レベル。ボックス収録。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番,チェリビダッケ指揮ロンドン交響楽団(Concert Club)1979/5/31ロイヤル・フェスティバル・ホールLIVE・CD,,正直3楽章前半までは集中力がなくのんべんだらりとして(チェリらしい「ドイツ的重厚さ」が中途半端になり、「響きへの拘り」が単なる「横長」の印象につながってしまっている)まったく意趣を削がれた感じでがっかりした。テンポはそれほど落ちていないのだが解釈に面白みがなく飽きてくる。肝心の響きもあまりよくない。録音もホワイトノイズが濃い。正直、がっかりした。3楽章後半から4楽章、とくに4楽章後半ではじめてキレの良い叩きつけるような強い表現がハマってきていきなり楽しめるようになる。でもこれはコントラストがありすぎる。結果的に遅くはあるけれどもすさまじい表情のまま大団円を迎え拍手喝さい、だが、私は無印にしておく。アンコールのハンガリー舞曲のほうがいい!,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番,トスカニーニ指揮NBC交響楽団(guild他)1937/12/25liveクリスマスコンサート(NBC響デビューコンサート、CD記載上スタジオ演奏?)・CD,,さすがに30年代の放送録音なのでレストア復刻にも限界があり、もともとあまり手を加えないギルドの音では不安定でノイジーできついところもあるが、こんなものだろう。演奏はまだ壮年期の意思的なトスカニーニがのこっていたのだろうという感じ。最初からメンゲルベルク的な解釈というか、けっこう細かく揺れるし、弦にはポルタメントが聴こえる。そこは驚きしかない。しかしあくまで力強く太筆描きで、楽章が進むと後年までブレないトスカニーニらしさがグイグイと聴くものを引っ張ってゆく。曲構成上中間楽章は穏やかでソリスティックなフレーズが散在するトスカニーニ向きではないものなので置いておいて(ソリストは上手い)四楽章は偉大とまではいかないがトスカニーニにしては振幅大きく、録音のせいで残念ながら今ひとつ盛り上がりきれないところはあるが、強引に最後まで持っていかれる。カンタービレの感じられる演奏であるのにいかんせんSPの面によって音質が変わったり響きが薄かったり、そこはまあ、後の有名録音を聴けば十分だろう。ブラヴォが遅れて飛ぶ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番,バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(rare moth)1954プロムスlive,,ハレ管と侮るなかれ。タイタンの録音で見せたダイナミックで重厚な演奏ぶりが聴ける。時期的なものだろうが、この頃のバルビは表層的な歌謡性(だがこれを徹底させるのはバルビにしかできない離れ業)に拮抗すべきブラスや打楽器への緻密な配慮、バランスの非常に良い構成、そのうえで全体の凝縮力と重心の低い響きから中欧音楽を表現するのにふさわしい構造的なアンサンブルを見せつける。ソロ楽器を聴けばよい中間楽章はとばして終楽章だ。弦楽器の旋律表現はもはや歌謡的とも言い難い分厚くスケールの大きなうねりで圧倒してくる。ブラ1はこういう流れで聞かせるべきだ的なものは全てそなえた上を超えてくる。一番盛り上がるところで瞬断があるのが実に惜しいし、終始シャカシャカノイズが入るエアチェック音源で、時折聞くに堪えない録音撚れがあるのは残念だけれども、終止音直後大ブラヴォは納得の出来である。これがハレ管というのが驚きだ。モノラルだがリバーブなどかけずマスの迫力を味わった方が録音の悪さも気にならなくていいだろう。音の情報量はそれなりにある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番,ホーレンシュタイン指揮ORTF(m&a)1957live・CD,,ライヴの王様ホーレンシュタインここにあり、といった佳演。このオケにここまでブラームスらしいブラームスを精緻に、かつ強固に作り上げさせた力量は並ではなく、客も沸く。スケール感が素晴らしく時代柄けして良い録音ではないが、その音をもってしても、一躍名を挙げたマーラーの8番を思わせる威容を示すことができている。同曲を単なる旋律音楽、勢い任せの耳馴染み良い交響曲として処理せず、ホーレンシュタインらしく構築的な演奏であり、そこにライヴならではの緊張感が加わるとこうなる。このオケとは思えない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番〜U.,○フリード指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(serenade等)1924・CD,,全曲あるのかどうか知らないが多分無いのだろう。このレーベル以前にもCDで出ていた気がするが目下手に入るのはこれだけだろう。演奏は纏綿とした魅力があるものの、テンポの揺れ、アゴーギグ、そういったところは思ったより露骨にはなっていない。メンゲルベルクが冷静になったような、音はロマンティックだが表現は割りと安定したもの。楽曲構成に加え録音が古いのでソロアンサンブルに聴こえてしまうのはご愛嬌だが、それでも不自然さはない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第1番〜W,○フルトヴェングラー指揮BPO(memories他)1945/1/23live・CD,,まーほんとに稀有壮大な演奏で、のだめオケにはいろんな意味で無理な大人の名人芸ぶりなのである。オケがやる気になっていること、指揮者に酷いカリスマ性があること、一流どころのオケの同じ曲の演奏で違ってくるといえばそういうところに尽きるわけで、更にこの「時代性」が加わるといちだんと「文学的な」興味をそそられマニアは聞き耳を異常な勢いで立てるわけである。しょうじき、フルヴェンのブラ1である。いつもの名人芸という一言で片付けられる。録音状態も悪く一部撚れていて、けしてこれを取り立てて聞く必要は無い。ただ、ベルリン・フィルの重厚かつ統一感溢れる響きが厚ぼったいままルバートされていくさまはじつに板についているとともにこの時期のこの顔合わせでしかできなかったであろう切羽詰まった「ドキュメント」を提示している。まあ、拍手が貧弱なのはいたしかたない。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブラームス:交響曲第2 番,○ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(CON MOTO:CD-R)1952/11/2LIVE・CD,,しっかりした構成感を持ったうえで躍動する音楽。1楽章から圧倒的なオケの合奏力に感服させられる。ムラのあるオケとされることも多いがミトプーの元でもこんなにも一体感のある音楽を作り上げることが実はできたのだ。ブラームスのようにカッチリした曲だからこそのレベルの高さも感じるがそれだけではあるまい。2楽章の憧れに満ちた響きもどうだろう、緩やかな楽章だってうまくやれるのだ。感傷的なグダグダに陥らない、すこぶる幸せな曲の気分を存分に味わわせてくれる。構造のための挿入句のような詰まらない内声のフレーズも疎かにしないからこのまとまりが出るのだ。4楽章は短い序奏のあといきなり物凄い迫力で爆発。速いし激していく指揮者がわかる。そのため多少流れるし極めて瞬間的なコントラストを意図したかのような第2主題の異常な遅さはいつものミトプーそのもののやりかたで、ブ厚い弦の旋律が壮大だ。激しい音楽はかなりのカタルシスをあたえながらガシガシ進んでいく。スピットな変化をアクセントに織り交ぜて豪奢なフィナーレにむかう音楽の前進力こそミトプーの命。拍手が最初だけで切れているがブラヴォ来ただろう。録音悪く○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブラームス:交響曲第2番,○D.オイストラフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(revelation)1968/12/20・CD,,音が悪いので仔細に聞き取れないのは難点。演奏は精力的でとくにヴァイオリンなど弦楽器の分厚い響きとルバートぶりにはヴァイオリニストらしいカンタービレの再現を目した様子が聴き取れる。指揮ぶりは達者で求心力があり、のちにウィーンなどで評されたように楽器のソリストの余技の域は超えている。ただ、オケのせいもあるにせよ雑味は多い。専門指揮者の最低限精度に達していないと感じる人もいるかもしれない。解釈的に独特、とまではいかない結局近視眼的な部分での面白さにとどまり、あとはかなり正統を目している、録音状態も鑑みて別にとりたてて聴くべきものではない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第2番,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1948/2/24LIVE,,非常に弱い録音で編集も一番同様乱暴だが(余韻なく楽章間をムリに詰めてしまっている)演奏はいい。この人はブラームスが振れる人、指揮技術が劣るという説が疑わしく思えよう。弦のオールドスタイルのポルタメント、とくにすばらしい終楽章での、見得を切るような溜めなど確かに古いかもしれないがテンポは乱れずがっしり組み合ってテンションやスピードも保たれる。同時代ブラームスをドイツロマン派音楽として振れるロシア人指揮者はいなかったのではないか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第2番,○ストコフスキ指揮シカゴ交響楽団(PASD)1958/1/2シカゴデビューコンサートLIVE,,PRISTINEのWEB配信。割れまくりのエアチェックで非常に聞きづらい。しかしどこのオケでも(とくに弦)むせ返るようなストコフスキサウンドにしてしまうのがストコフスキの凄さだ。耳が極端にいいのか極端に悪いのかどちらかだろうが技術的な面のすぐれた部分は認めるべきだろう。ストコフスキのブラームスは外しがない。雑味の混ざる隙間が作品にないからだ。ハデハデな響きにはブラームスらしからぬ世俗性も宿るが、軋みは生じず、まともに聞きとおせる・・・四楽章以外。四楽章は私は好き。スヴェトラみたい。逆か。○,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第2番,○ダムロッシュ指揮NYP(BIDDULCH)1928/1/4〜6・CD,,正確には統合前のニューヨーク・シンフォニー。堅実で揺れの無い解釈にポルタメントだらけの情緒てんめんな弦が乗るが、総合して面白みはない。かなりドイツ臭い剛健な造りをしていて、妙に楽天的というかアメリカンな音色(SPの復刻次第なんでしょうが)だけを武器として直進を続けるさまはいささか地味にすぎる。しかし速いテンポに鋭いリズム感をもって煽る4楽章に聴ける要素はあり、最後まで近視眼的なルバートはいっさい無いのだが、なんともいえない浮き立つ感覚が愉快だ。だから○ひとつにしておく。SP復刻というのはノイズ除去をしくじると音を骨抜きにしてしまい、特有のクリアで鋭い音を非力で聞き辛いぼやけたものに化かしてしまう。演奏自体にそういう印象を付加してしまう。これはややその気がある。,-----,,,,,,,,,,,,,
ブラームス:交響曲第2番,○バルビローリ指揮BPO(TESTAMENT)1962/6/6コヴェントリー大聖堂live・CD,,第二次大戦中多大な被害を負ったコヴェントリー大聖堂の再建にかんする逸話は有名だが、これは完成した聖堂にて敵国であったドイツの名門オーケストラとの和解を示した記念碑的演奏会の記録だそうだ。2011年来日記念盤とされている。私は初めて聴いた。同オケの常任ではないにせよ幸福な関係を結んでいた英国人指揮者バルビローリがタクトを振っており、その歌謡的な表現が常任指揮者であった歴々とはまったく違う表情を引き出していくことが期待された。が、録音が悪い!レンジが狭く、レストアも無理に起伏やひろがりを出そうとして、結果色彩感のない硬質な音になっている。演奏は重くて粘る。四楽章になってやっと曲に引っ張られるように躍動しだすが、正直三楽章あたり飽きる。録音のせいでBPOらしさが伝わらず、バルビらしさも粘り腰以上の派手なものにはなっていない。記録としての価値に○をつけておく。裏青レベルの音源だろう。立派な店があきなう盤ではない。この一曲だけ収録、拍手もカット、、、,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第2番,○マックス・フィードラー指揮BPO(BIDULPH/BEULAH/PASC/POLYDOR、grammophon)1931・CD,,マックスのブラームスは4番にかんしてはダウンロード含め多数復刻されており容易に聴ける。ナイとのピアノ協奏曲第二番、大学祝典序曲とあわせて正規スタジオ録音のすべてとなるがCDならびにPRISTINEダウンロード販売の復刻はいずれもSP起こしで状態はピンキリ。ほかピアノ協奏曲第一番がブラームスの生徒たちと題したCDで現役、ヴァイオリン協奏曲も現役。いずれパブドメとして無料配信されたことがある。さて、マックスはブラームスがその演奏を直接聴いた二人の録音残存指揮者の一人として有名だ。もう一人はワインガルトナーである。4番は良い原盤が少なくPRISTINEでさえキンキンしてノイジーだ。対してこの2番は何故かノイズも軽く聴きやすい。何故か復刻もネット配信も4番より格段に少ないが、一つには演奏が「まっとうすぎる」ことが挙げられるだろう。4番の止揚する音楽とは異なり、ワルターよりも揺れないくらいだ。4番はオケの格が落ちて音がばらけ下品に響く。そのぶん人の耳をひくだろうし、また、歌劇場オケのためマックスの解釈をよりビビッドに過激に反映できたのかもしれない。ベルリン・フィル相手の正規録音では無茶はできなかったろう。これは普通に楽しめるし過激ではないが歴史的記録として聴いておいて損はない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第2番,○ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団(WME:CD-R)1962/12/21studio,,スタジオ録音にしては強奏部や細かい動きで弦楽器の音がばらけるところが気になるし、ロスバウトのイメージから遠い。音源もおそらく正規音源ではないため音は余りよくはなく不明瞭で、瞬断もある(デジタル的なので音源というより複製時のミスか盤不良かもしれないが)。,,ただ、演奏は凄い。全面的に歌謡性に着目した表現が目立ち、分厚い音がうねるように豪快かつ壮大にロマンティックな起伏を作っていく。3楽章など別な曲かと思うくらいだし、横の旋律表現は重厚かつとても感傷的だ。4楽章は浮き立つようなリズムが重い響きに足引っ張られる感はあるもののそれがブラームスであるからこそ寧ろぴったりとハマり、ロスバウトだからストイックと思いきやそんなことはなくレガーティッシモな部分も目立ち、オケがアマチュア的にノって思い思いに思いをぶつけているようなさまが迫力をもって伝わる。「ドイツ的」ではないし「ロシア的」でもない、しいていえばイギリス的かもしれないがこの音の分厚さはイギリスでは聴けないものだ。ライヴに近い聴感でもあり、ロスバウト好きならまさにロスバウトならではの独特の魅力溢れるものとして聴いておくべき。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ブラームス:交響曲第2番,〇チェリビダッケ指揮シュレスヴィヒ・ホルシュタイン祝祭管弦楽団(CD-R)1987/8/21LIVE,,滑らかで横の流れが綺麗、縦はもちろんドイツふうにきっちり締めるが、一楽章など非常に優しい感じがする。チェリにしては意外だ。録音の悪さ、遠さというのはあるかもしれない。細部が曖昧なぶん、「描線が極めて明瞭で神経質なくらい金属質の音響を創り出すチェリ解釈」の取り付くシマのなさが、オブラートをかけられてたまたまイイ感じな録音になったということかもしれない。イギリス的な柔らかい音を出すオケ、あるいは萎縮して「そうならざるをえなくなった」のかもしれないが、牧歌的な曲想にもマッチして、疲れた体には程よく響く。よくこなれた解釈は徒に構築性を主張せず、かといって感情を煽らないし、表現意思の強い演奏に嫌気のさした人にも勧められる。ゆったりと、じつにゆったりとした流れを創り出し、しかし古典派的なまとまりを終始固持した二楽章で飽きる人もいるかもしれないが、流して聞くには実にいい。三楽章の刻みや低音の響きにドイツふうのリズムの重さが伴っており、軽やかな印象さえあったそれまでの音楽にアクセントを与えているがこれはチェリらしさでもあり、個人的には他の部分に揃えて低音を抑えて欲しかったが、寧ろあるべきであったものだろう。終楽章は喜遊的な音楽だからここは盛大にやってもいいはずだが、しっかりと縦を揃えつつも、抑制をきかせて、特に弱音のひそやかさを繊細に、かつ自然に表現しつつ牧歌的な柔らかさ優しさを保ち(素晴らしい木管の表現には拍手をあげるべきだろう)、ドイツぽさをどっしりしたバランスでアピールしながらも、弦楽器の紡ぎだす滑らかなイギリスふうの横線が細かい起伏のニュアンスまでも実に美しく、的確に響いている。クライマックスもまるで尾根歩きのピークのようで、余り上り詰める感じはなく自然な昂まりのうちに迎えるが、チェリの気合い声が最後の一発だけということからもわかる通り、自然体が寧ろ意図であったとも思われる。一流楽団なら莫大な晩年様式が徹底されるところだったと思うが、教育的配慮が出来のいい臨時楽団に施された結果こういうブラヴォまみれの名演に行き着いたという不思議な記録。録音の悪さを加味して〇。体調次第で物足りなさを感じる可能性大なのでくれぐれご注意。「ワルターの燃えるライヴ録音」好きは特に。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第2番,C.クライバー指揮シカゴ交響楽団(MEMORIES他)1983/7LIVE・CD,,正直このモノラルと聴きまごう悪質な音では評価のしようがない。スピーカの前でテープ録音したような感じだ。演奏自体も終楽章の愉悦性にこそらしさを感じさせるが基本的にCSOがブラームス向きとは言い難い「冷たいオケ」であることも手伝って、殆ど印象に残るところがない。その終楽章にしてもスヴェトラの演奏くらいの統率力に聞こえてしまうのは録音が茫洋としているせいか。何か壮大感を誤ったかのように一音一音が締まらずだれているのだ。だからといってスヴェトラ壮年期のような強引なまとめの面白みや内から漲る力感もない。慣れている感じはしてもかなでているという感じがしない。これも録音のせいかもしれないけれど。無印。マニア以外不要。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブラームス:交響曲第2番,C.クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団(MEMORIES他)1987/9/20ポンペイlive・CD,,モノラルの悪録音でそのために却って冷静に聞けるのだが、壮年期ワルターを彷彿とさせるリズミカルでしなやかな音楽の流れはあるもののいささか表層的で表現に深みがない。旋律とリズムの表面をなぞったような楽しさが気になった。いや楽しいのであるが。オケの技巧的にもやや落ちる。全体的なアンサンブルはいいが精度には問題があると言わざるを得ないだろう。○にしたいが無印。,"",-----,,,,,,,,,,,,
ブラームス:交響曲第2番,クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィル(mphil)1956/10/13・CD,,録音は良くないモノラル。しかし晩年クナの構築的で整った演奏ぶりを楽しめる。四楽章を除きテンポを揺らしたりはしない。細かく揺らしたりすることはなく、カイルベルトをなめらかにしたような、ああ、こういうブラームスをやったのか、と改めて感じさせる。もちろんワルターなどとは異質の引いたところのある演奏だが、オケに緊張感を持たせ弛緩を許さない。この頃のこのオケではチェリ時代にくらべ綻びは随所に出てしまうけれど、大人の味わいをかんじた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第2番,クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(ica)1956/11/12ロイヤルフェスティバルホールlive・CD,,さすが掌中に収めた演奏ぶりだ。ブラームスで失敗しているこのクラスの指揮者自体いない気もするが、ワルターよりはフルトヴェングラーに近いのか。全楽章が均質な態勢で臨まれており、楽章によって突出したり手を抜いたりすることがなく一貫して楽しめる。クレンペラーでも50年代の演奏ゆえ型式ばったところもなく、流麗とすら言える。オケもイギリスオケの中庸のかんじはほとんどしない。終演後のブラヴォが凄まじい。ただ、録音はノイジーで悪い。冒頭から聴く気をなくす状態である。icaの発掘音源は最近はほぼ初出だが、なぜか早々には代理店販路に乗りにくい気もする。facebookなど見て、直販だと案外安いかも(代理店経由は高い)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第2番,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(ARTISTS)1978/4/29レニングラード・CD,,拍手がないので放送用セッションか。ムラヴィンスキー晩年にしては西欧的な均整感にもとづく緊張の漲る演奏で、ロシアオケ特有の音色表現はほとんど気にならず、立派なブラームスになっている。まったくこれがスヴェトラのブラームスとは異なる、本流のブラームスとして聴ける演奏であり、ロシアかどうかは問題ではない。羽目を外さずしかし凄まじい四楽章は特筆もの。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第2番,ワルター指揮NYP(columbia/sony)1953/12/28・CD,,残念ながらモノラルで、CDは軽くてキンキンした音になってしまいLPのほうがいくぶん重みを感じる録音に聴こえるかと思う。そのせいか曲のせいかどうにも緩くだらだらとした印象を受けてしまうが、4楽章だけは違う、ワルターのデーモンが引きずり出され、NYPも活気づき素晴らしく愉悦的な音楽で圧倒する。ここだけにかんしてはトスカニーニらと同じ趣を持つが潤いがいくぶんある。NYPにしては雑味がなく聴きやすい。いい復刻で聞きましょう。,,※私の手元には以下のものがある。,,NBC交響楽団(1940/2/24),ニューヨーク・フィル(1953/12/28),ベルリン・フィル(1950),フィラデルフィア管弦楽団(1944/2/12),◎フランス国立管弦楽団(1955/5/5),-----,,,,,
ブラームス:交響曲第3 番,○クレンペラー指揮フィラデルフィア管弦楽団(DON INDUSTRIALE:CD-R)1962/10/27LIVE,,どっしりかっちりフォルムの決まったブラームスは情緒系を好む人には「つまらん」と一蹴されるだろう。私もミトプーの2番のあとこれを聞いて無味乾燥だなあと思ったもんだが単品できくとなかなかスケールがあり力強い演奏で悪くない。とくにフィラ管がクレンペラーに「何か」を加えて聞きやすくしている。アポロ的ドラマの表出たる1楽章はオケの上手さが圧巻。3楽章の弦の感情表現はまさにフィラ管の弦の音。ホルンにおもいっきし棒吹きさせたクレンペラーもさすがに弦全員は抑えられなかったようだ。4楽章はベートーヴェン的解釈の行き渡ったタテノリに激しいアタックがクレマニアには堪えられないところだが、やや発音が甘い。ガチガチの硬い音が欲しいところ、どうしても柔らかさが出てしまう。歌も過剰に感じる。総じて無印。録音はステレオで比較的良好。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブラームス:交響曲第3番,○アンセルメ指揮バイエルン放送交響楽団(ORFEO)1966/3/17・CD,,冒頭からいきなりヴァイオリンのすかすかな音にガクリ。音のバラケが酷い。本数が少ないのか?クーベリックのBRSOらしいといえばらしいのだが。うーん、ドイツものにこの方法は響きが薄くなりすぎる。メロディ表現は美しいしリズムも浮き立つように愉しいが、中低音域が物足りない。モーツァルトのような音楽になっている。音色透明。だから2、3楽章は美しい。3のニュアンスは特筆すべきだろう。ヴァイオリンのソリスティックな音の束がここではプラスに働いている。4楽章は急進部で1楽章同様の雑味が出てしまう。しかし輝かしいブラス含め設計のよさはあり、ひとつの見識はうかがわせる。何よりメロディ表現の綺麗さは異論の余地がない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第3番,"○エリアスベルク指揮ソヴィエト国立交響楽団(vista vera)1948/4/19・CD",,荒々しいオケを相手に引き締まった音楽をひたすらインテンポでドライヴしていくが、両端楽章の強靭でリズミカルな処理の巧さと3楽章のカンタービレの纏綿としたさまが聴きもの。エリアスベルグの叩き出すものはけして大きなスケールの演奏でもムラヴィンスキーのような抽象度を高めた演奏でもなく比較的直球ではあるが、1楽章の弱音部で若干生硬さが出ている以外はとにかくリズム、これに尽きる。設計的に突き詰めたものでもなく、クライバーのような感覚的な処理が活きているように感じた。ロシアの演奏としては特徴的表現だと思う。オケの個人技や力強さ、その半面バラケ味の妙もちゃんと聴くことができる。このシリーズ復刻は音質が比較的よく、値段は多少上がるが興味があれば手に取って損はない。○。もちろんモノラル。荒さからライヴかとも思われるが拍手はなく、メロディヤの性質からいってスタジオ録音もしくは放送用音源だろう。,,"","Karl Eliasberg Conducts Brahms / Karl Eliasber", USSR State SO, David Oistrakh," etc","",-----,,,-----,,,-----
ブラームス:交響曲第3番,○クレンペラー指揮ニュー・フィル(TESTAMENT)1971/9/26ロイヤル・フェスティバルホール クレンペラー引退公演live,,あの有名なクレンペラー最晩年様式が、でも間延び感は皆無で、構成感を最小限に留めながら、明るく極めて幸福な音楽に昇華した独特の境地を示す名演。これはクレンペラー自身の壮年期の即物的なライヴ記録とも一線を画する、「違う」音楽である。録音が残響付加モノラルのうえ遠くて分離が悪いゆえ、最高評価にはできないが、ここまで来るとクレンペラーという一個人の狭い解釈の音楽ではなく、クレンペラーという芸術世界の最後を飾るために、演者全員がそのフォーマットをもとにこの上なく美しいフィナーレを作り上げようとし、それが成功したのだ。よくぞ残っていたというドキュメントである。とくに1,2楽章のクレンペラーとフィルハーモニア管の作り上げたハーモニーは「けしてイギリス様式の薄い気分の演奏ではない」しっかりした・・・でも暖かな光の中にもう今にも消えてしまいそうな、悠久の音楽。ワルツの旨くない、でもウィーンが大好きだったクレンペラーに対して、ここではニュー・フィルハーモニア管サイドから贈り物のように「これがやりたかったんでしょう」と言わんばかりの表現。クレンペラーではついぞ聴かれなかった滑らかなアンサンブル。3楽章はまるで壮年期のように速いテンポでボリュームをみせるが、終楽章コーダではまるでマーラーの「告別」の末尾のような、非常な感傷をおぼえる。偉大な芸術人生の正式に最後を飾る音楽会はこの曲で幕を閉じ、聴衆はいつまでも拍手を終えない。ブラームスのシンフォニー録音のたいていは凡演である。私のプレイヤーにはえんえんと聴かないまま溜まっていくナンバーワンの交響曲がブラームスのそれである。大雑把には解釈のパターンが限られ、それを網羅してしまうとあとはどの典型におさめるかしかない。もちろんどれかのパターンを聴きたいというときに、その様式の演奏を聴く楽しみはある。だが、ニュートラルな状態で聴いた場合は、どんな演奏でも、「ああまたこんな感じね」という場合が殆どだ。だが、この演奏は違った。全く違った。だから最後まで没入できた。それだけ付け加えておく。,,↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ," ",,"
Otto Klemperer: The Last Concert - Beethoven"," Brahms

Testament

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ブラームス:交響曲第3番,○クレンペラー指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1962/10/26LIVE,,端整でそっけないテンポで流れる演奏だが楽団のロマンティックな性向が制御され、特殊なことはやっていないのに非常に聞きごたえがある。録音もノイズがない残響気味のモノラルで迫力がある海賊盤としては優秀なもの。古典的な構築性や正確な音響バランスは野暮なまでに堅持するも力強い音そのもののもつ魅力はまさにクレンペラー。正確さ、演奏レベルの高さ、音色の美しさ、籠もり気味の録音でも十分、正規化できる魅力あるものだとおもう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第3番,○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(ArtNova)1965/5/19レニングラードlive・CD,,弦が凄い。引き締まった厳しい演奏で、強音で録音が破裂するほど気合が入っている(録音酷すぎる)。ロシアオケを意識したと思えるくらい派手でカンタービレも美しいが、自然なところがロシアとは違う。抑制的と言われるセルだがこのように内圧の高い演奏においては決して無味乾燥を感じさせない。3楽章の有名な第一メロディはえんえんと抑制的だが第一ヴァイオリンによる最後の再現で一気に開放され大いに歌われ、圧倒的な印象をあたえる。とにかく唖然とするほど噛み合ったアンサンブルはニュアンスこそぎごちない(とくにソロ管)ところはあるもののほぼ完璧。ミスもあるが、じつに中欧的な名演である。4楽章は録音が弱いせいで薄く聴こえるのが惜しいが、スタンダードな解釈の完璧な表現。この流れよさと音圧の制御具合は素晴らしい。良好なリマスタリングによる再発を願う。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第3番,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1946/3/31,,音源が怪しいのであるいはデータは違うかもしれない。音はノイズまみれで音場も狭く、悪い。演奏は溌剌として聴きやすく、オケもきびきびと動き、3楽章ではしっとり聴かせてくれる。トスカニーニのブラームスは過度な思い入れは無いが必要十分の音楽の魅力を引き出しており、音さえよければ万人向けの演奏として推奨できよう。この演奏がライヴだとすれば演奏精度的にもすばらしい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第3番,○ロスバウト指揮ACO(RICHTHOFEN:CD-R)1950年代,,作為的なところや音色への配慮以外に、客観主義的な部分はほとんど感じられないのがロスバウトのライヴだが、この演奏もイメージと実際の乖離を実感させる柔軟なものだ。終楽章で作為的な表現が感じられはするもののおおむね自然で、ドイツ的な重厚な響きよりもウィーン的な軽やかな流麗さすら感じさせるのが更に意外でもある。ただ手兵ではないせいかライヴのせいか、瑕疵が無いわけではなく、相対的に雑に感じられる要素もある。それは録音のせいかもしれないが。良演。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第3番,クレンペラー指揮ウィーン交響楽団(ORFEO)1956/3/8live,,クレンペラー過渡期から円熟期への間にVSOとの活動があり、それはクレンペラーにとって生活上の意味以上のものはなかったともいわれるが(ウィーンのオケには愛着があったにせよ)、この演奏からも余り整合しないちぐはぐぶりが伺える。超即物派のクレンペラーにとってブラームスから何を引き出すかといって冷え冷えとしたメカニカルな構造なのであり、ウィーンの弦にそれを強要する姿勢が無い以上中途半端になる。3楽章の哲学的な感傷が甘甘のロマンに陥らない独特の境地を示すほかは、4楽章に若干の盛り上がりを感じさせるのみで、とにかくスカスカでなかなか大変だった戦後VSOの状況を想像させるものではある。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第3番,コンドラシン指揮ACO(eternities)1971/1/14live,,力強いが羽目は外さずしっかりやる。縦にリズミカルでスピードをいたずらに上げることもない。オケがコンセルトヘボウであることも手伝ってロシア式の発音もありながらも基本線はしっかりブラームス、構造をしっかり意識し音にしっかり中身を持たせ集中力の高い演奏に結実させている。かつてスヴェトラのロシアオケによるブラームスを聴いて「羽目を外したブラームス」に耳を楽しませたものだが、本来ブラームスはいじってはならないほど書き込んでいて、変に表情をつけたり楽器を突出させてアピールさせたりすると不恰好極まりなくなってしまう。コンドラシンは晩年にいたってはちゃめちゃなラフマニノフもやってはいるが、スピードもきちんと制御して最後までいく。音量変化もオーソドックス。発音は激しめなので、オーソドックスという言葉に惑わされぬよう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第3番,フルトヴェングラー指揮BPO(EMI/MYTHOS/PASC他)1949/12/18ティタニア・パラストlive・CD,,普通に聴けば全体構成からいっても後半のほうが面白い。大前提としてフルトヴェングラーベルリン・フィルの集中度の高い素晴らしいコンビであるというレベルから俯瞰して、冒頭はずわーんという感じでザッツが雑というか柔らかい印象もあるし、それは中音域以下の響きを重視するドイツ流儀でもあろうが。むしろ弱音部に魂が宿る。入りが優しい。ブラスなど明確に底深い響きを放ち、毅然とした演奏なのに楽想の変化にけしてディジタルな動きはつけない。すこし雑味のある弦楽器より木管に聴くべき箇所か多い。大きな流れの中に自在に取り込まれすぎてわからないほど板についたテンポ操作など、この人の特徴であり他が聴けなくなる人もいるだろう。3楽章はこの曲の有名部分、感情的でも俗謡的な歌い回しを持ち込まず純音楽的に、雄渾なほど描ききった緩徐楽章はフルトヴェングラーを特徴づける名演。四楽章はその勢いもあいまって満足度は最高度に達する、末尾の弱音までもが勢いに取り込まれるようだ。けして私はこの曲が得意ではなく、飽きるほうだけれど、後半楽章は何度も聴ける。変にいじらないほうがこの音源は良いと思う。そんな綺麗に整形された演奏ではないはずだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第3番,ワルター指揮VPO(angel他)1936・CD,,この時代の録音ゆえフル編成とは思われず音色も正しく伝えられていないと思えるのでウィーン・フィル云々は別として、ワルター全盛期を窺い知ることのできる演奏。スピーディに躍動的な音楽を展開してゆき、アメリカへ行ってのち晩年スタイルへ移行する前の生命力あふれる指揮ぶりに心奪われる。オールドスタイルに無茶苦茶をやっているわけではない、けれども決して飽きない。四楽章の愉悦にはワルターの本領であるモーツァルト的なものを思わせずにおれないものがある。軽々しく感じてしまうところもあるが、そこは音域ふくめ録音のせいの気もする。良い演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第3番(1883),ワインガルトナー指揮ロンドン・フィル(EMI),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第3番(1883),ワルター指揮ウィーン・フィル(1936/5/18,19),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第3番(1883),ワルター指揮ニューヨーク・フィル(1953/12/21、23),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第3番〜Tのリハーサル部分抜粋,クレンペラー指揮ニュー・フィル(archiphon:CD-R)1971live ,,ごく短い。晩年にしては意外と力のある表現。クレンペラーの伝記映画に収録した、その音だけを採録したもので評価外として無印。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブラームス:交響曲第4番,

○K.クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団(MEMORIES他)1996/4/5live・CD

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めんどくさいのでいちいち比較検証してないけど10月のヘルクレスザールの映像とかDGにありますね。なのでこれはこれで参考にするならマニアでもないかぎり音質的にもやっとしたメモリーズで十分かな。けっこう泣きの旋律を聞かせている1楽章、躍動感溢れる生命力の塊といった演奏ぶりから、何か痛々しさを秘めて、落ち着いた「歌」を聞かせる演奏になっている。若々しいダイナミックな表現もあるし、なめらかに進んではいくのだけれども、らしくないテンポの引きずるような感じ、低音部が強調されたような深刻な表現が重い音となって強く印象に刻まれる。残響に包まれ真実は聞こえづらいが、オケもかなりのってやっているように聞こえる。4番の1楽章はかなり難しい音楽だと思うのだけれども、これは素晴らしい解釈だ。2楽章はやはり重厚な演奏になっているがそれでも楽天性を感じるのはクライバーらしい。ウィーンぽい音色の問題かもしれない。落ち着いた歌はブラームス畢生の緩徐楽章を注意深くなぞっていく。無理な起伏をつけず、平穏に、静かに。悲劇的な曲想をティンパニが叩きつけるところでも重厚な音響感はなく、むしろその後の弦楽器の緩徐旋律再現のほうに力点が置かれている。重量感は穏やかな部分のほうがあるのである。派手な起伏がつけられないのは体力の問題であって解釈ではないという見方もあるかもしれないが、この境地でしか描けない音楽のみしっかり描かれている。それでいいと思う。曲の外面的魅力より内面的魅力に気づかされる。3楽章はちょっと響きに鋭さがなくどんくさいか。クライバーらしくないがホール残響のせいかもしれない。パーカスとブラスの表現が妙に派手で弦と乖離するのがストコを聴いているようだ。弦の静かな部分の表現の細やかさには惹かれた。明るく往年の演奏振りと変わらない。4楽章は闘争的な音楽として始まり、従来どおりあくまで人間味のある演奏をほどこしている。テンポも速く煽るようなところがある。ただ、フルートソロあたりなど晩年的な表現とでも言えばいいのか、起伏を抑え透徹し人間味がやや薄れている。クライバーは縦より横の指揮者だと思うが、ここではどちらともつかない、理で割り切れないような乖離した感じがなんとなくする。きっちりできているが構築的な演奏とは言えないと思う。やはり歌なのだ。オペラティックな盛り上がりなのだ。最後叩きつけるような派手な終わりかただが、客席反応は必ずしもよくない。願わくば二、三声だけ聞かれる奇な発音のブラヴォが、日本人のものではないことを。○。

,<96年10月の映像はこちら>,"
交響曲第4番ホ長調 作品98

ユニバーサル ミュージック クラシック

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ブラームス:交響曲第4番,○A.ヤンソンス指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(LUCKY BALL他:CD-R)1984/10/7LIVE,,非常にしっかりし鋭い演奏ぶりで、アルヴィットの真価・・・それはロシアものより西欧の主流の音楽において最大限発揮されるもののようだ・・・が示されたものだと思う。オケのせいもあってほんとにロシアの指揮者とは思えぬ誇張の無い自然な出来になっており、渋いかもしれないけど颯爽とした歩みと躍動感はたとえばドイツ系老人指揮者とも一線を画している。,,どこを面白いと取り出すかは難しいところである。この曲自体の魅力をしっかり引き出した演奏記録というのはもともと極めて少ないところで、この盤もその域まではたっしていない。演奏精度的にいえばライヴとは思えない素晴らしいものだけれども、諸所で引き締める印象的な「掴み」が無く、終始普通レベルなのである。だから拍手の普通さ同様こちらも普通に拍手したくなる感じもある。難しいところだ。2楽章あたりの深い叙情が聴きどころと言っておこう。ちょっとロマンティックである。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ブラームス:交響曲第4番,○C.クライバー指揮ベルリン・フィル(MEMORIES他)1994LIVE・CD,,クライバー最後の有名な協演記録で、多少スリリングな状況で辛うじて行われた演奏会だったが、そういう時に限って稀に見る名演が残ったりするもの。前評判どおり、実に激烈な演奏だ。奇跡的な集中力の保たれた熱演で、最初から低音ブラスとパーカスが激しくアタックをつけて鳴り響き、しかし2楽章では静かな詠嘆が胸を打つ。ただ、モノラルだ。。それと上記感想は録音バランスが歪んでいるがゆえの可能性もある。ただ本人もこの私的録音をのち好んで聞いたらしいから、本人の耳にはこう聴こえて欲しかった、というものではあろう。ワルターライヴよりフルヴェンに近いすばらしい解釈演奏ぶりだが、○にしておく。,"",-----,,,,,,,,,,,,
ブラームス:交響曲第4番,○ヴェス指揮オーストリア交響楽団(REMINGTON)LP,,軽快でつんのめり気味の演奏で、若々しい、というより若い。素直に奔流のような音楽を愉しむということのできる演奏になっており、終始この速さが保たれつつ、しっかりデュナーミクのつけられた音の響きは確固としている。ただ、ザッツは揃いません。技術的問題はかなりあります。難しいけど弾けないことはないはずの弦でさえバラつきが目立つ。あっさり聞きとおしたが、なんとなくカルロスぽいものの、うーん。オケの音が懐かしい。ヴェスの録音は私の守備範囲外に未完成もある。しかし、それ以外はよくわからない。○。,"",-----,,,,,,,,,,,,
ブラームス:交響曲第4番,○エリアスベルク指揮レニングラード・フィル(LANNE:CD-R)1960/5/9live,,一見まるでムラヴィンスキーしかいなかったかのような「レニングラード」オケだが、そのじつ数々の知られざるロシアの名匠、もしくは後年西側に出てきて初めて知れ渡ったような大物が振ってきたオケであり、旧くはニキシュの時代より西欧から招聘された名指揮者が振ってきた歴史ある、比較的西欧色の強いオケである。中欧オケ同様歌劇場との結び付きが強く、もちろん別組織ではあるのだがメンバー的に重複したり、時代によっては歌劇場陣は事実上二軍オケというのも多聞に漏れない。ただ細かいことについては私もあんまり覚えてないのでマニアに聞いてください。そういう経緯で時期により指揮者により音が違うことも多く、レニングラード・フィルと称して録音していながらもムラヴィンスキーが”本国で”振っていた「一軍」とは違う、バラケ味のある(コンドラシンが振った時を除く)モスクワのオケのような音をさせることもままあった。ガウクが日本でムラヴィンスキーのかわりに指揮した悲愴などは寧ろ指揮者の個性に起因する「グダグダ」と「強引さ」があったとも言えるので(寧ろソヴィエト国立を思わせる音になっていた)オケだけの理由で音が変わるわけでは無論ない。,,ムラヴィンスキーが個々の奏者の派手な技巧に強烈な力感を放散するような音楽ではなく、ひたすら内圧を高める全ての凝縮された音楽を指向したのはいうまでも無いが、レニングラード・フィルの歴史に残る”脇役”エリヤスベルクの解釈ぶりもけして拡散的になるものではない。ザンデルリンクの数少ない録音は既にやや横長の作りが出ていたが、比べてニュートラルで速いテンポに強い求心力と割とわかりやすい。とにかく実演で酷使された指揮者特有のストレートで強靭なスタイル、デトロイトのドラティのスタイルをちょっと思い浮かべたのだが、割と音の切れが悪く歌謡的な繋ぎ方をするところがあり雑味を呼び込む、そういう少々のアバウトさもある。3楽章などは曲のせいもあるが・・・しかしこの3楽章はこういった気を煽るも響きの重い舞曲であるべきなのかもしれない。クライバーより正統なのかも。ブラームスの楽曲自体がどうやっても堅固であるので、寧ろその雑味が重厚でメカニカルな書法に血の通った筋肉を加え俊敏さと感情豊かさの両方を倍加させることに成功している。ムラヴィンスキーの禁欲性もいいが、こういった程よく感情的な演奏もいいだろう。,,ただ録音は最悪。特に1楽章は左に音が偏り、後半はノイズがひどい。放送か板起こしか、後者であることは間違いないようにも。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ブラームス:交響曲第4番,○クレンペラー指揮デンマーク王立劇場管弦楽団(DOCUMENTS)1954・CD,,DANACORDで出ていたLP集から漏れたものも多数収録された廉価ボックスより。クレンペラー事故直前あたりのものか。壮年期の演奏らしく速くてやたらと力強い。クレンペラーの同曲異演はスピード以外は年代にかかわらずどれも「新即物主義的」で同じだが、このオケはすこぶる強靭で技術的にも安定しているため、これは買いだと思う。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブラームス:交響曲第4番,○コンドラシン指揮NHK交響楽団(KING、NHK)1980/1/16live・CD,,最初ぱっとしない。二楽章まではまるでイギリスの演奏のように薄味だ。律動的な三楽章からキレが出てくる。重量感のあるN響の響きがコンドラシンによって磨かれかがやきを増してくる。そして四楽章は新古典の観点からは外れるがギチギチに引き締まった現代的な音楽で、キレも半端ない。ドイツ的な響きはブラスの咆哮にも聞き取れる。これは名演。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第4番,○ストコフスキ指揮ニュー・フィル(DA:CD-R他)1974/5/14ロイヤル・アルバートホールlive,,NBCとの41年11月18日のライヴがGuildで出て話題になったが、一部で人気があるストコのブラ4である。私は「この曲は須らくこうすべし」という言説が嫌いで、ろくに楽曲研究も現場的な演奏論も極めていないライター系評論家や兼業売文屋が好みの妥当性を主張する上で根拠無くこのての論を書いていると、開きかけた財布の口を閉め書棚を去ることが多々ある。だが一方で「芸術作品は作曲家の手から零れ落ちた後は万人の共有財産となる」という理想主義的な言説を無批判に受け容れるのもどうかと思う。何でも自由にしたらいいわけはない。程度問題はしっかりある。その「程度」の線引きは難しいが、著作人格権の問題を置いておけば、それほど論理的な根拠が無くとも「音楽を作り出す側には」一定数の聴衆の共感を得ることができるような「改変」までは許され得ると思う。共感が継続的で拡大し続けるものであったなら、共感できない者が何を言ってもそこに鳴り響く「解釈」は一定の価値を有する本物の芸術行為なのだ。ここで初めて「作品は作曲家の手から離れた後は独立した価値創造物となる」説は成立する。当たり前のことを長く書いたが、改変系指揮者ストコの、特に実演における様様な「試み」がこれらライヴ録音によって個別に検証できるようになった今、再びファンを増やしつつあるということをよく考えてみる必要はある。,,枯葉舞い散るさりげない一楽章から峻厳な古典的構造が高潔な感傷を呼び覚ます四楽章まで、40男のためのこの曲をストコは冒頭より、インテンポ気味の速いスピードで、メロディの滑らかな流れのみを重視し構造やハーモニーの堅固さは地盤として支えるだけのものと位置づけている。縦の意識が強くなくザッツは常にブラームスにしては雑と感じられる。木管の音色が素晴らしく綺麗なものの弦は少し野卑ている。ここまで書いて何だが私もこういうブラ4は得意ではない。バンスタを知らないがバンスタの方法論に近い気がする。わりと身の詰まった音響を組み立てたスヴェトラとは違う。そもそもブラームスで「縦を重視しない演奏」はありえないと思っている人間なので聞きづらく思った。しかし良録音ゆえかメロディの終始明るく美しい表現には否応無く耳を惹かれる。この抽象度の高い曲にはそぐわない方法をとっていると思うが、きっちり「ドラマ」を作り、それに沿った音楽を異様にせわしないテンポで煽っていく。アッチェルの止めを知らない一楽章最後では崩壊もあわやというあと拍手が入ってしまう(この狂ったような暴走は4楽章最後にも聞かれる)。,,二楽章はがらっと落ち着くもののテンポは速い。テンポだけ言えばトスカニーニスタイルだ。だが一楽章に引き続きメロディの流れよさと軽い響きの処理の巧さが繊細な音彩の揺らぎをブラームスのシンフォニー瑞逸の緩徐楽章に反映させ、一番の聴き所としている。優しい演奏だ。ストコの弦楽合奏処理の巧みさが一番出ているところとも言える。,,三楽章はこの曲中一番難しい「とっぴな」舞曲だが、とっぴさをならすように細かく楽想を分離し描き分け、飽きの来る感じや違和感を無くそうとしている。ただ平易にすぎ重みが無く、一貫性が薄まっているぶんぶよぶよしている、という感もあるにはある。ジャンジャンという終わり方もどことなくぶよぶよしている。その浅薄さを感じさせる要因が高音部に偏った響きの感覚(オケの特性のせいもあるか)と粘らず流れるテンポにある、と思わせるのは四楽章だが、全般的にはドラマチックな楽想を激しいアゴーギグで煽り、極端な音量変化でわかりやすく提示することに成功している。ストコは音を厳しく揃えないので速い音楽においては勢い任せの印象が強い。中間の穏やかな木管アンサンブルでは「ストコはやっぱりこういうところの美麗さだなあ」という非常に静かな音楽に沈んでいて、ブラームス特有の翳りが無い。結局つんのめり気味の「勢い任せ」がフィナーレを飾り、大ブラヴォが止まない状態はいつものとおり。いや、やっぱり現場でないと真価は見えないのだろうな。不可解なほどの盛り上がりに○にはしておくことにする。,-----,,,,,,,
ブラームス:交響曲第4番,◎チェリビダッケ指揮ジョルジュ・エネスコ・フィル管弦楽団(WME:CD-R)1978ブカレストlive,,すいません、大満足してしまいました。チェリの演奏は録音が悪くてもいいものはいい!並ならぬ緊張感とオケの中から湧き上がる力、それをチェリが大人のさばき方でびっしり、かつ前進的にまとめていく。総体の表出力が物凄く、中声部以下の充実ぶりもすばらしく、よくある旋律追いの演奏ではない、ブラームスの構造を剛直に抉り出している。晩年はそれが聞く側にも堅苦しさを感じさせる場合もあったように思うが、イタリアやロンドンで力強い活動を行っていたころの、より中欧に近い、故国での記録であるだけに、そこには浅からぬ思いとそれまで培ってきた能力の最大値が発揮されているのだろう。とにかく、すさまじいのにまったく無理がない細部まで見事に奏者同士が融合した(融合しない演奏も多いチェリだけにそこがまた素晴らしい)超名演である。録音が悪くたって◎。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブラームス:交響曲第4番,○チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(ALTUS)1986/10/15東京文化会館LIVE・CD,,録音がよろしくなくせせこましい音響がオケのスケール感をそこなっているが仕方ないか。勢いと響きの薄さ(弦)の正比例は比較的若いチェリによく聞かれた調子だが、ひょっとすると1楽章にかんしてはオケが実際にまだ暖まっていないのかもしれない。しかしこの演奏は瑕疵がまったく無く、当時指揮者オケ共にとても納得していたというのは理解できる。2、4楽章が聞き物で、前者はうねるようなレガートのロマンチシズムときわめて客観的に整えられた古典的な響きの威容が極端に交錯し、壮年期から晩年への芸風の過渡期のさまが示されている感がある。やや後者が勝るところもあり冗長にも感じるが、スケールは大きい。4楽章は元が古典的な整合性を要求するがっしりした音楽なだけにチェリにはうってつけだ。スケールだけを煽る壮大に過ぎる演奏にはならず、最後にはガシガシ盛り上がっていく、このあたりは確かに凄い。緊張感が人工的にならず情緒的に煽り続け、しかし瑕疵がまったくない、ミュンヘンフィルが芯から共感し指揮者との高度な協調を成功させている。ブラヴォは必然か。全般チェリらしい抽象度の高いところがロマンティック・ブラームスを好む向きには受けないだろうが、ドイツ流儀のひとつの典型であり、それが好きな人はチェリ壮年期から晩年の過渡的芸風を楽しめるだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第4番,○フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(memories他)1948/10/22放送用studio・CD,,録音が悪いが、「まさにブラ4」である。うねるような情念が極端な起伏もデジタルな感じはさせずにあくまでなめらかに、暗いところはとことん暗く激しいところはとことん派手に迫ってくる。ブラームスがそれほど得意ではない私などはワルターライヴのドライなブラ4のほうが(特に3楽章などは)好きだが、ブラ4好きはこちらのほうを当然のように評価するだろう。枯葉の舞い散る1楽章から美しく哀しみをうたう2楽章、重々しくも「ブラームスのスケルツォ」そのものに忠実な表現をとる3楽章、やはり重くも壮大な4楽章と、オケと指揮者がまるでVPOとバンスタのように一体となって表現している世界は余人を寄せ付けないものがある。正統すぎるような気もするが、まあ、録音が悪いので上げ下げもできずに○。,"",-----,,,,,,,,,,,,
ブラームス:交響曲第4番,○マックス・フィードラー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(DG/biddluph/beulah/polydor)1930・CD,,1929年ベルリン・フィルというデータは誤り。性急でつんのめり気味な1楽章は、ややもすると二つの絡み合う流れが分解され並行してしまうくらいに緩いアンサンブルが目立つが(音的にもイギリスオケみたいな無個性さがある)、時折見栄を切るような聞かせどころを作るところが往年の演奏らしいところだ。フィードラーはかなりオケを制御し、人工的な印象を与える。だが大部分は揺れの無いトスカニーニ的な演奏である。時折混ざる「をっ」というような独特の処理を除けば3楽章までは余り個性的な部分は無い。,,しかし、4楽章はあっというような場所が多い。この人は歌謡的な流れを恣意的なフレージングにより効果的に演出するという点において非常に巧い。誰しも音盤や演奏会を聞くとき、自分の脳内に流れる音楽と如何に近似しているか、あるいは如何に意外性があるかという聞き方もあるかもしれないが、その恐らく自分で演奏しないことには完全に満たされることのない欲求に従って鑑賞するものと思う。この人の自在なスラーの掛け方スタッカートの付け方、その旋律への反映方法が個人的にびっくりするくらいマッチしている。ブラームスの交響曲では最も古典的な曲のパッサカリアだけにドラマチックに演出されるのは作曲家の本意ではなかろうが、しかし地味で渋く大して盛り上がらないとコテコテのロシア国民楽派好みの人たちに思われてる「であろう」この楽章の、何と魅力的なことか、その理由が上記のフレージング配慮にあると言っても過言ではない。テンポルバートや構造の抉り出し方がその中心ではない。旋律の歌わせ方の心得の部分なのだ。弦楽器をよくわかっているなあ、と感心。まあ、技術的に牧歌的な時代に、譜面に手を加えてそれを克服させる手段としてとった方法論なのかもしれない。今の技術なら別にこんな手の加え方はいらなかったかも。・・・と言いつつ、4楽章はブラームスマニアは破天荒に感じられる程度には激しいので、この楽章、注目。録音はSP音源にしてはクリアさがない。ノイズリダクションを無造作にかけすぎて迫力がなくなっている。しかもノイズは残っている。,-----,,,,,,,,,,,
ブラームス:交響曲第4番,○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(ARTISTS)1973/4/28・CD,,うーん。1楽章は意思的な変化がつけられ管楽器にも突出するようなロシア的な表現がみられるが、楽曲が進むにつれ抑制的な方向に行っている感じがする。2楽章はまあまあ、3楽章はこんなものだろう、4楽章はそれまで精彩に欠けた弦がレニフィルらしい力強い合奏をみせそのあと緩徐部ではロシア臭のない平穏な世界を演出しているが、ブラスが引っ込みがちで、最後いきなりぶわーっとまるでソビ響みたいなぶっ放し方で終わるのを除けば、ちょっと抑制しすぎの感もある。1楽章など面白かったのだが、最初レニフィルか?と疑ったくらい本数の少なげな音だったこと含め、マイナス含みの○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第4番,○ロスバウト指揮ACO(richthofen:CD-R他)1950年代live,,既出盤と同じ模様(CD-Rではlanta fe)。トスカニーニの即物性に近いが、トスカニーニ同様に外様オケを使ったライヴであることがネックとなり、バラケ味を醸していて、部分的に聴きづらいほど薄くなったりテンポがずれたりして聴こえる。ただこの人特有の、というか前衛音楽指揮者特有の人工的ルバートに独特のケレン味があって、後半楽章において特に顕著である。音量や音色にかかわらずただテンポ的に終止音を異様に伸ばしたりする、ブラ4ではなかなかこれがちゃんとハマって聴こえる。2楽章は重過ぎる気もするが、腰の据わった響きと速いスピードでじわじわ盛り上げるスケルツォから終楽章のスケール感は比較的こじんまりとした表現をなしがちなロスバウトでも面白い見識が伺える。録音がかなり悪く、けしてお勧めはしないが、マニアなら。○。ブラ4らしさ、というと違う気もする。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第4番,○ワルター指揮ミラノRAI放送管弦楽団(ANDROMEDIA)1954春live・CD,,いわゆる激情型のブラ4で、ワルターのものとしては初出に近いものか。ただ、ブラ4にかんしては激情では済まされない部分もあり(とくに1楽章など)、ゆったりと円熟した演奏のほうが向くということを考えればこのVPO時代を引きずっているような激する表現は本来的には正しくは無く、最晩年の正規録音をとるべきだろう。録音も悪い。これはライヴ廉価全集の一枚だが、この曲のみ初出というちょっと小ズルイ感じも否めないものだ。ドラマティックでけたたましいブラ4が好きなら。二楽章の情趣の深さという面では余り求めるものが無いかもしれない。個人的にこの楽章は非常に期待する楽章なので、むしろ三楽章のほうが印象に残るというのはどうかと思った。イタリアオケの音はしない。どっちかといえばドイツ的な音を志向している。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ブラームス:交響曲第4番,○ワルター指揮ミラノRAI放送交響楽団(ANDROMEDIA)1954春live・CD,,「力強いワルター」が聞けるライヴ録音。4番でこれはないだろう、という人もいようが、ここでもワルターはウィーンのころの芸風(もしくはNYでのトスカニーニの影響)をいい方向に引きずっている。アタックは厳しく、テンポはとにかく速く、そしてリズムは弾むように、ドライヴ感に満ちている。焦燥感と言ってもいい。ミラノのオケというのがまた弦楽器使いのワルターには使いやすかったのだろう、音色はやや乱雑だが内部からびしっと揃えてくる意識が強い。内声部が非常にきちっとまとまっていてブラームスの構造的特質をよく聞かせられている。2楽章がもちろんワルターの神がかった陶酔を聞くことができてよいが、1楽章からオンガクの盛り上げ方を知っているといったふうで、終演時には客席も盛り上がらざるを得ない・・・録音が凄まじく悪いので、この廉価盤全集の目玉としてはやや役不足にも感じるが、飽きないブラ4、黄昏無いブラ4、ワルターのブラ4の数少ない記録としては面白い演奏記録。○。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ブラームス:交響曲第4番,アーベントロート指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス交響楽団(biddulch他)1927/3/3・CD,,余りにグズグズもっさりしていて、1楽章の冒頭でかなり聴く気が失せるが、重厚な語り口には(録音状態も演奏精度も誉められたものではないので歪んで伝わっている可能性もあるが)独特のドイツ流儀の魅力はある。1,2,4楽章はみなそんなかんじがして正直まったくそそられない。しかし3楽章が何故かいいのである。この曲の3楽章は1楽章冒頭いきなりの弦楽アンサンブルと並んでテンポ設定のしづらい、やりづらい部分だと思うが、弾けるようなリズムにガタガタのアンサンブルが勢いよく乗ってくるさまは一種旧びた感興を呼ぶ。輝かしいペットの響きにはこのオケのよさがあらわれているし、アーベントロートに期待されるエキセントリックな部分がこの曲では唯一と言ってもいいくらいにはっきり現れている。まあ、無印ですけど。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第4番,クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(lys他)1938-39・CD,,冒頭から僅かつんのめり気味に漲る音、目の詰まったブラームスの書法にオケはやる気十分に、だがあくまでクーセヴィツキーの毅然とした、情を交えない表現に沿って進んでいく。ブラ4を中年男の悲哀とか枯れ葉の落ちるような冒頭とか形容することがあるけれど、ここには只の男らしさしかない。フルートなど巧みな木管楽器の音色に艶があるのみで、ブラスは破裂するような発音で弦のアンサンブルを援護射撃する。そのような調子なので、三楽章の舞曲に突入しても唐突感が無い、即物主義的である。だが四楽章になると表情の変化が顕著になる。テンポは落ち、音響が途端に深みを増してくる。構成された情緒的な揺れがクーセヴィツキーらしさを一気に醸す。変奏はけしてカラフルに転換されていくわけではなく、一本調子ではあるのだが、結末に向かってしっかりフィナーレとして意識された演奏ぶりで、やや作為的にも感じるところはあるが、最後は割とあっさり終わる。クーセヴィツキー自身はそれほど思い入れている感じはないものの、どこもそうなのだろうが、オケはブラームスとなると、他のよくわからない新作をやるのとは意識が違うようだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第4番,クーベリック指揮ORTF(forgottenrecords)1960/9/9live,,残念ながらノイジーなモノラル録音だがクーベリックライヴらしいテンションのブラ四。フランスオケと思えない重い音でガシガシ来る三楽章などフルトヴェングラー的ですらある。いい意味で安心して聞ける、楽しめるブラ四であり、枯れた味わいは皆無だが、何かを追悼するかのような雰囲気はある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第4番,チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団GH-0017 greenhill,,モノラルの古いCD。さらさら流れる軽量級の演奏。流麗さやリズム良さは一瞬だけC.クライバーを想起した。全く揺れず陰もなく、統制されているがぎちぎちには感じさせない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第4番,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(ORGANUM他)1962/2/10ブダペストlive,,生命力に満ちたブラ4で、トスカニーニっぽいと思う人もいるかもしれないが、オケが決定的に異なる。弦楽器は言うに及ばず、ロシア式の良い部分を押し出したパワフルなブラスも聞き所。どっちも、あの音色で歌う歌う。まるで一人一人がソリストであるかのように音色を主張し、我先にと重なり轟く。オケがこの曲をとても愛しているのがわかる(直前のバルトークとの違いは明らかだ)。二楽章の心根を揺り動かされる美しさ、三楽章のリズムと音色の饗宴は素晴らしいの一言。四楽章の本来もつ古典的な佇まいは、強奏部においてはあまりに表出意欲が強すぎて軋みを生じてしまっているが、そのたぐいのことはムラヴィンスキーのライヴ全般にあることで、ロシア式とも言え、ライヴならではの魅力と捉えるべきである。音色の不統一感も音楽を分厚くすることはあるのだ。ダイナミックだが休符を効果的に使って音楽を引き締め、ラストへ突き進んでいくさまは圧倒的。ムラヴィンスキーのブラームスは素晴らしい。録音は放送レベルのモノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第4番,ワルター指揮NYP(DA:CD-R)1945/5/6live ,,素晴らしいのは2楽章だろう。ワルターの情緒纏綿な部分がとても象徴的にあらわれている。それはあまねく情緒纏綿なのではなく、しっかりした全体設計・音響設計の中で「ここ」という部分で弦を中心に歌わせる、それを如何に自然に描くか、如何に自然に流れの中に配置するかというところで非常に練達なところを魅せるのだ。比べて後半楽章はやや重みが足りない気もするが、NYPの合奏力の凄さを体感できる局面が多くある。NYPが信頼の置ける相手にだけ見せた力量だ。ブラームスは複雑である。細かい音符の機械的な組み合わせ・トリッキーな組み合わせをきちっと仕上げて、その上でどう音楽的に仕上げていくかが難しい。ここでのNYPはワルターの指示に内面から共感しているようで板についている。ただ、この盤、異常に録音状態が悪い。2楽章でも弱音部は壮絶な雑音が聞かれる。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第4番,ワルター指揮コロムビア交響楽団(COLUMBIA/sony)1959/2・CD,,時代なりの質ではあるがゴージャスなステレオ録音で、ワルターがこの時代に間に合ったことは喜びたいが、音響にごまかされているだけで演奏はかなり大人しく感じる。最盛期ワルターは三楽章の力感あふれる舞踏性にのみ顔を出し、ここはテンポこそそれほど早くないものの引き締まったリズムとみずみずしい表現が楽しめるが、一楽章は音量的に平板で横長の印象を受ける。それもクレンペラーのようなものではなく、非論理的に揺れる部分は揺れるのである(全体に埋没するくらい少ないが)。オケの非力さを言ってもしょうがないが、非力というよりは弦楽器の指向性に欠け薄くばらけるような感がある。ブラームスの難しいところを難しいなあと思ってアンサンブルしているようだ。両端楽章にやや顕著である。テンポ設定が遅いのか。うーん。あとは録音が明るすぎる、かな。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:交響曲第4番(1885),○カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル(DG)1980/3・CD若々しいブラームス、と言ったら矛盾しているだろうか。今更クライバーのブラ4かよ、と思われるかもしれないが、いまふたたびこの有名盤(とそれに先駆けてのライヴ・・・荒いが、より前進性がある)に耳を傾けると、ブラ4が中年男の悲哀を描いたなんて妄想はどこかへ吹っ飛んでしまう。ダイナミックで雄渾なブラ4は中年男の希望を示しているのだ(?)。ブラームスのシンフォニー1番からの流れを無視した、4番だけの録音というのはいかにもレパートリーを極端に狭くとるC.クライバーらしいものだが、1〜3番の重みを背負っていないぶん自由に自分の音楽を展開できたといえよう。個人的には、DG盤はいかにも完成された演奏で、海賊盤のライヴのほうが魅力的に感じたが、人それぞれですね。この人のテンポ廻しの巧さ、和音の明快さは格別、もう1楽章の冒頭からとっぷり、ハマってしまいましょう。ホントは◎にしたいが、イマイチ自信がないので○としておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),◎カルロス・クライバー指揮バイエルン・シュタッツオーケストラ(RE!DISCOVER:CD-R)1996/10/21LIVEこれはもう3、4楽章の怒涛のように畳み掛ける音楽に圧倒されてしまおう。クライバーの棒は依然若々しく、楽団をぐいぐい引っ張っていく。楽団も通常以上の力を引き出されているかのようで、これがベルリン・フィルの演奏だと言っても騙せるくらい(ちょっと言い過ぎ)。4楽章は厳しい音楽だが古典的な佇まいから渋い録音が多かった。しかしこの録音は違う。悲哀を叫ぶ4楽章、そのスピーディーな音楽作りもさることながら、これほどの情報量が詰め込まれた4番の演奏はそうそうない。名演だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),○クリップス指揮フランス国立(放送?)管弦楽団(DISQUES MONTAIGNE)1954/10/7LIVE粋な演奏。フランス管(の木管以外)はどうしても技術的に落ちるというか、この演奏の3、4楽章でもそうなのだけれども、とちったりばらけたりすることも多い。だがそれを押してもこの演奏はとても綺麗で暖かみのある演奏、特記できる。クリップスの造型感覚はとても面白い。飽きない。テンポのよさも持ち味だ。ちょっと(ほんのちょっと)クライバーを思い浮かべた。これがウィーンのオケだったらなあ、と思わないでもないが、これはこれで良い演奏記録として記憶にとどめるべきものだろう。熱狂的な拍手もさもありなん。佳演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),◎バルビローリ指揮ウィーン・フィル(1967/12),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1973),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル(EXCLUSIVE)1979/12/16LIVE・CD(DG盤評参照),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),シューリヒト指揮パリ国立管弦楽団(1959/3/24),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),ショルティ指揮シカゴ交響楽団(1978/5),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト・アカデミー交響楽団(1981),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),ワインガルトナー指揮ロンドン交響楽団(EMI),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),ワルター指揮BBC交響楽団(1934/5/21),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),ワルター指揮ニューヨーク・フィル(1951/2/12),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),ワルター指揮ニューヨーク・フィル(1951/2/18),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:交響曲第4番(1885),ワルター指揮ニューヨーク・フィル交響楽団(1946/3/10),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:大学祝典序曲,○ロスバウト指揮ACO(RICHTHOFEN:CD-R)1950年代live,,よく鳴り明快な音楽になっているが、いささか明るく軽く感じる。このコンビというとペトルーシュカの名演を思い浮かべるが、寧ろああいう現代的且つ非ドイツ圏の音楽にあっているのではないかと思うことがある(ロスバウトのラヴェルもなかなかしっくりくるものである)。ブラームスでさえロスバウトにとっては「単純すぎる」のかもしれない。○にはしておく。インパクトは余り無いが聴衆反応はフライング気味でいい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:大学祝典序曲(1881),◎ヒンデミット指揮シカゴ交響楽団(CSO)1963/4/7LIVE驚愕した。この異様な集中力、強靭なリズム、迫力溢れるフレージング、重量感ある音、疑いなくヒンデミット指揮記録の最高峰であり、貴重なライヴ録音といえよう。男性的な荒々しさがあり、ただ荒々しいだけではなくしっかりと発音ししっかりと休符するメリハリがきいているから雑味は感じない。シカゴ交響楽団は申し分ない演奏技術を見せつけている。「大祝」とは思えない、まるでコンドラシンのような力強さはまったく予想外で、面くらってしまった。無論これが絶対とは言わない。ヒンデミットの解釈であり、大祝にはブラームスを得意とする専門指揮者による模範的名演が他にいくらでもある。でも、ヒンデミットが作曲やヴァイオリン/ヴィオラ奏者としてだけではなく、指揮においても非凡な才能を持っていたことを知らしめるものとして価値を認め、◎をつけておく。クレンペラーがいかに馬鹿にしようとも、この演奏の尖鋭性は揺るがない。録音の古さも粗さも問題外と感じさせるほどの、類希な演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:大学祝典序曲(1881),ワインガルトナー指揮ロンドン交響楽団,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:悲劇的序曲,○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(scora)1958/5/30ロシアLIVE重量感の有る響きで力に溢れた演奏を繰り広げているが、どこか明るい。曲にそのケがあるせいかもしれないが、充実したブラームスの書法を満喫できる中身の詰まった演奏でいながらどうも明るいのである。古典的な形式美を追求したんだ、とか言い方はいろいろできるとは思うが、○は確実につけねばならない秀演ではあるものの、物足りなさを感じた。いや、管弦楽の響き的には物足りなさなど口が裂けても言えない物凄さなのであるが。とくにヴァイオリンの弓を叩き付けるような演奏ぶりはロシア式にも匹敵するものだ。終演後の反応はふつう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:悲劇的序曲,カンテルリ指揮NBC交響楽団(stradivarius)1951/1/15live引き締まった音が耳に心地よく突き刺さる。録音状態が悪いためあまり薦められないが、普段このての曲を聞かない私でも、これはタノシイかも、と思った。久し振りにヒゲジョを聞いた、という感じだった。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブラームス:悲劇的序曲,クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(ica)1956/11/12ロイヤルフェスティヴァルホール・CD,,録音が片方に寄ったモノラル残響付というもので聴きづらい。曲は人気はあるがブラームスとしてはやや浅薄であり、そこを分厚いオケでなんとかするのが指揮者のつとめだが、クレンペラーは50年代の精力的なスタイルでのちの黄金コンビとの相性の良さを示している。ドイツ臭い演奏ではなくけっこう流麗でのちのクレンペラーの超構築的だが響きは濁る太筆書きとは違うものを聴かせている。VOX録音時代のものだ。録音マイナスなので評価はしない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラームス:悲劇的序曲(最後欠落),マックス・フィードラー指揮ベルリン帝国放送管弦楽団(PASC)1936/4/17live,,pristineの発掘音源で、別記したが作曲家と面識のあるブラームスの曲ではこれまで2、4番交響曲と協奏曲2曲ほど録音が発売されている。ヒゲジョは12分でこれからという時にブチ切れになる非常に惜しい状態ではあるが、それでもこの雄渾でダイナミズムに満ちた指揮者らしい記録として味わうことができる。ノイズは如何ともし難いもののよくレストアされており演奏精度も当時としてはまあまあで、中低音域がしっかり響きブラームス向きの音。マイナー指揮者感や他所者演奏感ゼロで、当時本場の一流指揮者の演奏として十分楽しめる内容であり、この二枚組相当の音源はバラバラではあるが同年のモーツァルトのコンチェルト、ラインに運命も聴くことができるので、ドイツ音楽好きなら聴いて損はない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブライアン:交響曲第4番「勝利の歌」,○マクレンナン(sp)マッケンジー指揮エジンバラユース交響楽団・合唱団(Aries)LP,,原題はジークフリートである。ブライアンについてはwikiに一通り翻訳されているので詳しくは書くまい。ただ、1番「ゴシック」にくらべて全く演奏されない数多くの交響曲の中で、アマチュアレベルで音もノイジーとはいえ、このような「短い曲(つまり通常の作曲家の交響曲レベルの長さ)」が演奏録音されているだけでも価値はある。ここでのブライアンはゴシックのような巨大なガラクタのごった煮(失礼)で交響曲名義の音楽を作り上げたわけではなく、きちんとオラトリオとしてのまとまりをもった交響曲名義の音楽を作り上げており、アマチュア上がりとは思えない作曲の腕を持っていたことは確かだ。構造こそ平凡ではあるが、和声的に不安定で、20世紀イギリス音楽としてはなかなか野心があり面白い。演奏はさすが合唱の国イギリスだけあって、力強く(文字通り)歌い上げ盛り上げる。うまいなあ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラックウッド:交響曲第1番,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA) 1958/11/9(1961初出)・CD,,2016年秋のRCA録音全集で初めて復刻された音源で、LPでも出ていなかったかもしれない。曲はしかし無調であり、よくこういう曲を録音したものだ、という殺伐としたもの。アメリカでは珍しい新ウィーン楽派ふうの作品なのに、アメリカ的なアカデミックな交響曲のていを取っているのが不思議だ。半音階的な動きに刺激的な響きを伴い、それらはミュンシュにしっかり律せられているものの、曲の個性の薄さ、魅力のなさはいかんともしがたい。ステレオなのでまだ聴けるが、二度聴きたいと思うものではない。真っ昼間に聴く曲ではない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブラッハー:パガニーニの主題による変奏曲,○ヒンデミット指揮ラ・フェニス劇場管弦楽団(放送)1961/4/14live,,例によってパガニーニは冒頭だけ派手に現れてすぐ解体されてしまう。スケール状の音型が多用されスピーディな展開をみせる。ヒンデミットの指揮はしっかりしている。ブラッヒャーはかっこいいのでこのくらいの長さ、16分程度なら耐えられる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランク:ヴァイオリン・ソナタ,◯ジェラール・プーレ(Vn)リグット(P) (SAPHIR)live,・CD,,荒い部分もあるが基本細い音でさらりと弾いてのけるさり気ない系の演奏スタイルで、音も濁りがないゆえ、比較的模範的な演奏に解釈として捉えることができる。音色が単調なのは弱みだが、曲が雄弁過ぎるくらい雄弁なので、解釈含めこの程度に抑制的で、かつ軽やかな方がいかにもフランス的でいいのかもしれない。曲構造もじつに見えやすくフランクらしい対位法も明らかに聴こえる。ピアノがソリストによく合っているとも言えるだろう。◯。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
フランク:ヴァイオリン・ソナタ,アンドラーデ(Vn)カステル(P)(meloclassic)1958/12/2パリ、フランス放送スタジオ録音・CD,,力強くて雄弁。一言で言って標準的なフランクのソナタの演奏。それそのままの、どこかの練習室から聴こえてきそうな音。奇をてらわないどころか皆さんがご想像する通りのフランクのソナタ、率直であることは悪いことではないが、若かったり、根っからの教師気質でソリストとして立たない人の音楽にきこえる。普通に想像する通りの美音(重心の低い太い音)ではあるし、ときどき粘っこいフレージング(弓圧のかけ方)が油分を補給する。心なしかピアノ伴奏もヴァイオリンの発表会に駆り出されたピアノの先生っぽいような印象も受ける。押しの強さはなく、音色も普通で、伴奏にてっしている。ヴァイオリンに近くピアノから離れているマイク位置のせいでそう聴こえるのかもしれないが、主張して絡むピアニストではない。二楽章は主題のムードにあわせて表現を切り替え、いくぶん個性を出しているが、楽曲自体が作為的にコントラストのつけられる類のものではなく、一貫したムードの中にあるので、この力づくの音、裏板からボワンと響いてこない音では楽譜に示された以上のものは作れない。教科書的な暗いムードで終わってからの明るい三楽章、というコントラストは、逆に普通じゃない演奏ばかり聴いてきた身からすると、そうだよね、とは思う。もう、譜面に示されたとおりの起伏が強い調子でなぞられていくが、しっかりした譜面なので楽しく聴いていられる。心情の機微を表現するにはややもって浅いがこれこそ近代的なフランクの演奏なのかもしれないし、何とも言えない。もう、腹一杯ですよ。フランクの旋律に飽きます。モノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランク:ヴァイオリン・ソナタ,カルミレッリ(Vn)シュヌール(P)(melociassic)1966/1/10北ドイツ放送スタジオ録音・CD,,"さすが、冒頭から喫驚させていただける。いきなりの変な運指でフラジオ入れてくるとか、弦を選び音色にこだわるかと思ったら旋律は普通の現代ふうな明るい標準的な音(僅か不安定なヴィヴラートが艶にはなるが低いほうの倍音が出なくて何か軽い)、左手指が柔らかくて時にブレもあるがそれは表現手段のうち、また、運弓も面白くて、音の切り方が別に奏法都合というのではなかろう箇所でタッと、独特。普通はこう持っていくと盛り上がるだろう、というところは無視してさっさと通り過ぎるのに。オールドスタイルな感情表現ではなく、現代的な感情表現とでも言おうか、作曲家演奏家の演奏のようだ。ひょっとしたら録音のせいかもしれない、低い響きの無さが一寸気にはなるものの、言葉で物語るように進むレシタチーボ・ファンタジアは特徴的な音色をひけらかさない分、丁寧に聴かせていく力が強い。激性を示さずに高潔な表現をなそうとし、まあ高潔とまではいかないがじっくり聴かせる演奏に仕上げてくる。技術に胡座をかかず、何かを聴かせにかかってくるのがカルミレッリだ。さらっと、気軽な感じで終楽章の躍動、軽やかな春の陽気を感じさせる、意味性を敢えて込めず、そこから三楽章の暗いエコーが浮かび上がり、高らかな主題によって「成仏」する。こういうサラッと流れる四楽章もいいのではないか。明るい音色が活きてくる。一寸クライマックスを前に持ってきすぎて音量がマックスになりっぱなしに続くから、音色表現の幅のなさが一回性の録音特有の瑕疵とともに気になるところもあるが、一貫して速いインテンポで暗がりを作らないのは、フランクという作曲家の作品としてはアリなんじゃないか。肯定的な演奏…ラスト高音の音外しはご愛嬌。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランク:ヴァイオリン・ソナタ,クリモフ(Vn)スヴェトラーノフ(P)(MELODIYA)1982/3・LP ヴァイオリンの音が魅力薄。じつに平凡で音色の幅が狭い。そつなくこなしているし、それなりに起伏もつけているが、サラっと流して聞けてしまうところにこの演奏の欠点があるように思う。たとえばオイストラフなどお腹一杯にさせてくれる。そういうゴージャスさが無い。スヴェトラーノフは意外に巧い。テンポをゆっくりな方向に傾かせる傾向があるが、それほど個性を押し出して来ない。このソナタは(単純比較はできないが)ピアノのほうが数段難しいし、これはスヴェトラを聴く盤かも。無印。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランク:ヴァイオリン・ソナタ,グリュミオー(Vn)アルトマン(P)(ANDROMEDA他)1951・CD,,美音だが大半があっさりしている。え、このロマンティックな曲をそんな素っ気ないインテンポで?という場面が散見される。むろん解釈なので、部分的に重点を置いている箇所があって、一楽章展開部の短調の旋律の一部をたっぷり時間をかけて哲学的に弾くところではむしろホッとする。通常歌いこむところではあまり音色変化をつけず元からある外連味を払拭し、端正に弾きこなしていくのは、もう好みと言うしかない。楽章終盤の起伏は良い。ただ、荒い。高音の音程感に若干不安を感じさせた。二楽章、やはりこういう曲調が好きらしい。ただ音に憂いがなくはっきりしすぎているため、これでバッハをやっても、ロマンティックなスタイルを容認する立場からもあまりしっくりこなさそうだ。ヴィヴラートで音を作っていくタイプの美音家でもグリュミオーは器用に音を操りマンネリで飽きさせない表現をする、解釈家だが(つまりフランチェスカッティとは違う)、比較的自由な奏法の流れなのに、やっぱりどこか突き抜けてこない。松葉を付けないのもあるが、もう録音のせいと思うしかない。忘れていたがピアニストはとても優秀だ。細かい音符まで綺麗で濁りがない。三楽章に全く同じ音色で入られても何か、旋律が変化したな、という程度でもったいない。曲が傑作なのでこの楽章は誰がやっても失敗「できない」。メロディを弾ければ変に起伏をつけなくてもいい。グリュミオーは一楽章は構成に工夫があり(すぎて前半あっさりすぎ)二楽章はじつはわりと力を入れていて、三楽章はその同程度に力を入れている。冒頭からまたミスが散見されるが、奏法のせいと思おう。あるいは録音のせい(ピアノがここにきて少し濁る)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランク:ヴァイオリン・ソナタ,コーガン(Vn)アルミヤン(P)(FKM:CD-R)1978/2LIVE やさしい・・・。コーガンてこんなに優しい音だったっけ?円熟が如実に感じられる。あまりに繊細なので却って曲にあわないというか、フランクはそもそも結構骨太音楽だから、オイストラフほどの曲との一体感は感じられなかったけれど、それでもこれはいい演奏と言わざるをえない。コーガンにしてはアクが弱いと感じたのは録音が弱いせいだったのだろうか。ライヴ感もなんとなくない演奏でした。とりあえず無印。それよりアンコールのクライスラーが無茶最高。洒脱ですっきり!,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランク:ヴァイオリン・ソナタ,ドゥーカン(Vn)コシェ(P)(ERATO,warner/tower records)1959頃・CD,,さーて難しい曲、ロマンティックで形式に拘る余り長々しく繰言をし、ヴァイオリンは音の種類が少ないがゆえにどう解釈していくか?一方でピアノが技巧的に主張するから、ここもきちんとアンサンブルになっていなければならない。のっぺり長い音符が不規則な附点音符に左右されるシンコペ主題に象徴される不安定な(スラーの切れ目の無い)ヴァイオリンに対して、絡んでしっかり組み合う必要がある。単なる伴奏でもないのだ。この演奏はアンサンブルという点は非常にしっかり押さえている。だが・・・ドゥーカンの音色や表現が単調で、この長さにこの現代的客観スタイルでは、寝てしまう。しかも気持ちよくて寝るのではなく飽きて寝てしまう。美しさの起伏のなさ、全部美しい曲ゆえにその美しさの種類をたくさん持っていないとならない、その点で手札のないのがはっきり伝わってしまう。リマスターにも問題があるかもしれない。録音がやや悪く僅かにノイジーでぼやっとした雲に音符が覆われてしまうさまにちょっと首をかしげる。ディジタル化がその雲の中の音符を強引に整形して取り出している、これがどうも耳に馴染まない。フランクの演奏は世にたくさんある。フランスのヴァイオリンの典型のような演奏でもあり品は認めるが、これを第一に選ぶ必要はなかろう。温度の低さも・・・まあこのへんにしといたるか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
フランク:ヴァイオリン・ソナタ,マカノヴィツキー(Vn)ノエル・リー(P)(meloclassic)1963/2/13ハンブルグ放送用スタジオセッション録音・CD,,少しミルシテインを思わせる彩もあるが、落ち着いた澄んだ音が特徴的。ヴァイオリニストには珍しくないが子供期にすでにデビューしロシア系をはじめとした各楽派をまなんだようで、凝り固まったところのない比較的新しい人なので録音の良いのも含めて、雑味なくクラシックに疎い人に勧めても安心できる系統の演奏。いかにもフランス的な美学も感じられる点は伴奏のノエル・リーとの対話によるものか、リーについては言うまでもあるまい。このコンビの音は合っている。力づくであったり、旋律と響きの顕な曲にあって情緒をおおいにアピールすることも可能な曲である以上プロは、他者との差異を示すことはむしろ難しい。技巧的フレーズが無いわりにモダンさの表面にある和声の上において、音色変化をどう付けるか、「付けないのか」。このソリストは正直音色変化は付けないタイプで、しかもテンポ変化はかなり穏やかというかおおまかにはインテンポ感があるから安定感と裏腹のつまらなさを感じる向きもあるかもしれない。一楽章展開部でのリーとのアンサンブルはしかし、素晴らしい組物になっていて、これはヴァイオリンソナタではなくヴァイオリンとピアノのためのソナタなのか、と思わせる書法の的確な再現をなしている。二楽章は特有のゆったりとした歌が、揺らぐピアノの上で雄大な旋律の波を起こし、チャイコフスキーの憂愁を思い出させる点もある。この楽章つまんない、と流すのではなくフランクの形式主義をしっかり汲んだ優れた楽章となっている。その深い表現のためかそのまんまでも十分軽やかがゆえのコントラストをつけられる三楽章にすんなり入ってしまう。変わらぬ音色、安定感のサラサラはしかし、メロディのロマンティック過ぎる曲には悪くない。「偉大な芸術家の思い出」の長大な第二部変奏曲群を思い起こしていただきたい。まるきりあの感じがある(ここでは良い意味で使わせてもらう(たいてい私はあの曲を悪い意味で使う))。近視眼的な変化は一切つかない。終盤ほんのわずかにタメが入るだけだ。「若い」演奏ぶりとも言えるがこれはこれでいい。曲が若いのだから。清々しく若々しい。この曲はこのくらいがいい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランク:弦楽四重奏曲,
インターナショナル四重奏団(HMV)SP
ラヴェルや六人組と同時期に同レーベル専属のように録音を行っていた団体で、かなりの手練れである。同時期に録音を残したカルテットとしては非常に円熟しており(スペンサーダイクなんて屁だ)、ノイズやSP特有の痩せた音に耐えられる方なら技術的に全く問題の無い、かつ音楽的にも充実した聴後感を得られるだろう。ロンドンやレーヴェングート等後発と比肩しうる完成度。ラヴェル録音についてはオーストリーのガリミールを診たのと同じくこちらも監修記載があり、フランス音楽の精妙な響きと微細な変化を再現する腕は既に確認できる。そして曲によりスタイルも変えてくる。循環主題を用いながら古典的な4楽章制をとり、型式上の整合性を重視したところもあるのかもしれないが50分もの時間がかかる大曲で普通は途中で飽きるものを、こんな音質なのに、まずはフランクのソナタでも発揮されたメロディメイカーとしての能力が全面的に発揮されているところをしっかりとらえ、主として前期ロマン派の楽曲構造からの研究成果をそのものと受け止めて「聴こえるように」作りこみ(メロディ重視の団体・録音にはこれができない)、さらにこれが重要だがフランクを近代フランス音楽の雄として特徴づける和声的な進歩「揺らぎ」をきちんと聴かせてくる。経過的用法ゆえ過度にもならずカルテット形態の構造的面白味の障壁になっていない。フランクとフォーレは急進はしなかったが個性の内側に「フランスの作曲家としての」和声要素を配置した作曲家と勝手に思っているのだけれど、この悪音ですらその展開の新鮮さに耳をうばわれる。この曲で飽きない者はいないと思われる。だがインターナショナル四重奏団は全方位的な完成度によって飽きさせない。少なくとも私はそう思った。ところでフランクとブルックナーもなぜか私の中では同じ位置にいるんだよなあ。
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フランク:弦楽四重奏曲,○パスカル四重奏団(ConcertHallSociety)LP,,パスカル団は二つあるのでややこしいのだがこれはヴィオリストがパスカルさんね。非常に整えられたきちんとした演奏で、ロマン性がそれほど急峻に煽られないのは長ったらしく大味な曲のせいだけではあるまい。とにかく曲が「ヴァイオリンソナタを水で三倍に薄めて交響曲で特徴的に使われる移調がごくたまに差し挟まれる」ようなものなので、しっかりとした書法ならではの演奏のしやすさ、演奏する楽しさはあるとは思うが(録音も多い)、私はとにかく眠くて無難な曲を小1時間聴きたいときくらいしか聴きたくはならない。しかし、この演奏では眠らなかったですよ。パスカル弦楽四重奏団のアンサンブル力の確かさを確認できます。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランク:弦楽四重奏曲,○レーヴェングート四重奏団(PHILIPS),,形式に囚われた長ったらしい曲ではあるのだが、転調移調の新鮮さ、息の長い旋律の美しさには心奪われざるを得ない。4楽章制だが終楽章には繰り返し1楽章の主題が現れ統一感を保っている(他楽章の主題も回想されるが)。アンサンブルの面白さというものはなく、旋律と伴奏、という構造はいささかもぶれず、ろうろうとうたうファースト以外が伴奏音形で掛け合う、というなんとも・・・なところは否定できない。レーヴェングートは穴を一生懸命探しながら聴いても殆ど無い。さすがは昔から名演奏とされてきた録音である。やや線の細いからこそ美しい音のファーストに対して飽きもせず(失礼)ずっとしっかり支えていく残り三本の健闘にも○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランク:弦楽四重奏曲,ロンドン四重奏団(columbia/m&a)1928/11・CD,,よくレストアされ上手くノイズ除去されている。演奏は良くも悪くも安定。強奏部の音色のバラつきに時代を感じさせるところは無くはないが、20年代録音としては非常に安定しており、現代の耳からして違和感がない。3楽章までは正直引っかかりが無かったが、4楽章がダイナミックで勢いがあり聴き応えがある。この団体もメンバーチェンジが激しいが初期はサモンズが弾いていた。この頃でもさかんに演奏会がおこなわれ日本人留学生も聴きに来て、当時の現代室内楽に驚嘆した旨の記録があった(と記憶している)。フランクのカルテットは魅力的ではあるが長過ぎる面は否めない。聞く者にも集中力が要求されることを思うと、演奏レベルの安定感をもって楽曲そのものへの理解を深めることができる意味では、現代音楽演奏者としての資格はおおいにあったと言えるだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランク:交響曲,○アルベール・ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(POLIDOR)SP,,ヴォルフには晩年のデンマークライブがあるが一般的にはかつての手兵ラムルー管との膨大なセッションに含まれるこれが知られた音源だろう。超一流とは言えないしオケの特質も解釈の特徴もはっきりしないものの、唐突で押し付けがましい曲が苦手な私でもこれは素直に最後まで聴けた。音の明るさ軽さ、精度にぎちぎちにこだわることなく音楽的であろうとするようなところがいいのだろう。円熟味、迫力は無いがSPにしては音がよいのもいい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランク:交響曲,○アンゲルブレシュト指揮ORTF(SLS)1955/3/17シャンゼリゼlive,,びっくりの音源で、演っていても不思議はないが録音が出てくるとは思わなかった。また同時期のドビュッシーなどにくらべ一楽章あたりはダイナミックでかつ、ミュンシュのような滑らかな表現でロマンティックな、国民楽派交響曲のように進めていく。ほんとにアンゲルブレシュト?というような、SP期の短い曲で聴かれた主情的な表現はクライマックスあたりでもブラスの露骨な音色に現れてくる。だが、この三楽章冒頭は均整感を重視した構築性があらわれ、やはりアンゲルブレシュトだと確信させる。清々しい透明感のある響きはあるものの、曲に忠実にロマンティックな点はダンディの交響曲を録音したときと同傾向といえば同傾向のスタイルでもある。突進するたぐいの演奏ではない、ミュンシュやパレーとは違うが、プレートルに通じる部分はあるかもしれない。期待しなければ聴けるギリギリの音質。もちろんモノラル。個人的には同曲をドロドロにしないでかつチャイコフスキーみたいにやってのけているのは好み。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランク:交響曲,○ウッド指揮クイーンズホール管弦楽団(COLUMBIA)1924/7/2,9,16・SP,,プロムスの初期の立役者ヘンリー・ウッド卿と手兵による演奏で、録音がよく小規模編成でありながらも堂々とした曲の構造を崩すことなく、トスカニーニ張りのスピードで突き通している。柔軟な物腰はトスカニーニとは違い穏健なイギリス風とでも言ったほうがわかりやすいか。この曲は私は非常に苦手で、変にロマンティックに振れると曲想・表現が限られているゆえ却って退屈になるし、ドイツ的に構築的にやられるとこれまた単純にブルックナー的な意味で飽きる。おそらくこの演奏の成功はそのスピードにあることは明白だが、オケの古びた響きや木造ホール(?)の残響の吸収具合が、作曲当時の生のままの楽曲の魅力を伝えている、というようなことかもしれない。現代のオケにはあわない曲なのかもしれない・・・,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
フランク:交響曲,◎コンドラシン指揮バイエルン放送交響楽団(PHILIPS)1980/2/8ミュンヒェンlive,,このライヴ録音はtahraが復刻した3年前のACOのものに比べてギスギスしているとか内容的に落ちるとかいう評価もあるようだが、しょうじき、フランクの交響曲を聴いて楽しかったと思えたのはこの演奏を置いて他に無い。何というか、コンドラシン晩年に西欧諸国にやたらと残されたライヴの中には独特のテンションにオケがついていかなかったり逆にオケに引きずられてコンドラシンらしさが失われてしまっているものもあるように思う。でも中にはこの演奏のように、指揮者とオケが拮抗し結果いい方向でギリギリの緊張感が生まれてくるものがある。ひたすらスピードと力技にまかせロシア式の分厚い響き(でも色彩感は薄い)を求めるコンドラシン、テンションは高いけれどもどちらかといえば堅実に技巧的な場面はしっかり表現するバイエルン、その両者が歩み寄るというより戦いどちらの長所も兼ね備えた偉大な結果に結実しているように思う。フランクはほとんどドイツだ(言い切る)。バイエルンの表現は西欧的な表現でロシアのやり方を拒否する。しかし特に音楽が盛り上がる場面のブラスにおいては、コンドラシンの指示が異常な表現力を持つロシア吹きに近いところに持っていかれ、まるでロシアの国民楽派を聴くような錯覚に陥る。それもけしてスヴェトラのような「ロシアもの」になりきることは無いから全体のフォルムがかなりの表現の幅を持った形で保たれる。コンドラシンのスピードは音楽を新即物主義的にぎゅっとかためてしまう特性があるがこの曲はそういう方向だとかなり色あいが渋くこじんまりと感じられわけがわからなくなりうるもので、ブルックナーをやるような、ハーモニーのうつろいを重厚壮大に響かせる表現方法をいやおうにもとらないと曲にならない。バイエルンの頑固がそれを可能にしている、と言い切ってしまおう。これはけしてスピードという魅力に流されない演奏として特徴的な名演だ。もちろん、最後はすさまじいスピードになるが。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
フランク:交響曲,○デゾルミエール指揮パリ音楽院管弦楽団(Le Chant du Monde)1951/7/10・LP,,散々ネットに出回っているパブリックドメイン音源だが、確かに良い演奏だ。まさにフランス的な軽さとデゾのしっかりした設計がマッチして、ドイツなどのドロドロした演奏とは一線をかくして全曲通して爽やかに明るく聴ける。アーチ構造も明瞭、オケは少し弱体だが迫力はある。派手な終幕へは向かわないが、なかなか聴けます。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランク:交響曲,○ミュンシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R他)1961live?(1962/3),,左右のチャネルが分かれすぎだが良好なステレオ録音。現代の放送エアチェック録音に近いクリアな音質なので却ってミュンシュのライヴが「現代ならどう聴こえたか」がわかる・・・わりとメロウだったりするのだ。各パートの厳しく統制されたさまは聴き取れるものの、音楽総体は徒にアグレッシブなものを指向してはいない。あれ、こんなライヴ今もありそう、というような響きの中庸さはホールが音を丸めているせいだろうが、フィラ管の開放的な響きはブラスにこそ聞き取れるものの弦は一歩引いて聞こえる。もちろんこれもホールとマイクの問題が大きいだろう。実演の音量バランスなどこんなもんだし、フランクの単純な書法なら尚更である。ミュンシュの下品な音が下品な演奏も得意とするオケをしても目立って聞こえないのは長所と言うべきだろう。ほどよい娯楽性がわりと端整なテンポに乗ってブラスを中心に語られてゆく限り、この曲の押し付けがましさが苦手な私にも、清清しく聴き通せる。中間楽章の、あーフランスだー、というような典雅な落ち着いた表現にも着目すべきで、ドイツ・オーストリアやらロシアやらの方法論で解かれうるガチガチのこの曲に、和声以外にもフランス派を見出す要素があったんだなあと思う。本来は血湧肉踊になるべき三楽章においてもこの「整った録音」のせいでスタジオ並みの端整なフランクに収まっている。テンポの落ち着きぶりに顕著だ。相変わらず響きのバランスはいいし表現はメロウで爆発的なものはない。最後のファンファーレも下品さがかなり抑制されている。どうしちゃったのか。こうしちゃっただけか。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
フランク:交響曲,A.ヤンソンス指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA)LP,,まるきり暗いチャイコにきこえるのはオケのせいだろう。ハーモニーや繰り言のようなフレーズはむしろミャスコフスキーかも。この曲のわけわからなさをわけわからないままに演奏している点で素直でもあり手堅くもあり、最後は立派だが、印象に残らない。統率力も小ムラヴィンスキーといった個性の薄いところに留まる。録音も悪い。○をつけたいところだが無理だ。終楽章など色彩変化をあざとくやらないとこの曲は辛い。不完全燃焼。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランク:交響曲,クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(SLS)1946/2/16NYハンターカレッジlive,,ぱちぱちノイズが酷すぎる音源だが40年代のインディーズSP起こしと思われ、SLSレーベル特有のものとして慣れるしかない。ASdiscがフランクの交響曲を出していたような記憶があり、この演奏との同一性は不明。但し1楽章最後でパラパラ拍手が入るのは記憶になく、あったとしたら別の可能性が高いと思う。演奏はボストン交響楽団がミュンシュ以前に既にこういう楽団だったんだ、と当たり前のことを思い起こさせる重厚かつ明確な表現をなしいい意味でも悪い意味でも予想通りな印象。基本はフランス音楽でもなんでもなく中欧的なロマン派交響曲の力強く突き進む演奏としてしか聴こえない。フランクの工夫したであろう和声的な要素もあまりにすんなりと聴こえてしまい新味が感じられない(3楽章は旋律が顕わでダイナミックなのである程度わかる)。悪い音でも二楽章の弦楽ピチカートとハープソロのユニゾンは聴いて取れ、この楽章だけは僅かにフランス的な空気が感じられる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランク:交響曲,ルネ・バトン指揮パドルー管弦楽団(CON MOTO:CD-R,DECCA)CD,,雑音がかなりキツイ録音だがSPゆえ音自体は明瞭に捉らえられている。骨組みのがっしりしたドイツぽさの強く感じられる1楽章、柔らかな叙情の中にも強く統制のとれた演奏ぶりが頼もしい2楽章、録音が心もとないが、ロマンティックな揺れの皆無な、凝縮された力感と勢いよい開放感が感じられる3楽章と、現代的な感性すら感じさせる、とてもしっかりした演奏である。録音があんまりなので○はつけられないが、驚くほど完成度の高い演奏である。,,-----,,TITLE: フランク作曲、交響曲,URL: http://yurikamome.exblog.jp/174162,BLOG NAME: yurikamomeの徒然日記,DATE: 04/03/2005 08:15:21, 雨音に気づいて遅く起きた朝は、まだベッドの中で半分睡りたかったけど今日は片付け掃除洗濯にします。雨の日にふさわしい音楽はショパンと決まっているけど私はワーグナーだよ。「地獄の黙示録」よろしく掃除機を掛けながら「ワルキューレの騎行」洗い物をしながら「未知,-----,,,-----,
フランク・ミラー:プロセッション(大オーケストラのための小組曲より),○カンテルリ指揮NYP(ASdisc)1952/11/29LIVE・CD おそらくアンコールだろう(2分半)。プロコフィエフか?というようなシニカルな行進曲で、どことなくおどけた雰囲気があって楽しい。旋律とコード進行には常套的であるがゆえの安心感がある。ほんとプロコです、まるきり。そこにハリウッドが混ざっている、というともっと正確か。でも面白いので○。この曲はカンテルリに献呈されたものだそうである。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブリス:ピアノ協奏曲,バッカウア(p)ミトロプーロス指揮NYP(con moto)1960/1/9live,,重厚でロマンティックで、かつ近現代作家らしい晦渋さもある作風は私は好みでない。しかし良く書けていてしっかり聴けば個性が染み渡っているのがわかるから、演奏者のやる気は煽るのだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブリッジ:go not happy day,○フェリアー(msp)ストーン(P)(decca)1952/6・CD,,短い曲だがよく歌われる。フェリアは危なげなく謳い上げる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブリッジ:アイルランドの旋律〜1.ロンドンデリーの歌,○ロンドン四重奏団(M&A/columbia)1925・CD,,珍妙な曲である。民謡を解体して変奏ともつかない奇妙な加工をほどこし原型を留めない状態で提示していく、ブリッジ好きにはアピールするだろうがなんとも言い難い暗さが原曲の夢見がちな雰囲気を壊す。最後に正しいメロディが完成するのだがそこでやっとほっとした。演奏は立派。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブリッジ:ノヴェレッテ第3番,○ヴィルトゥオーゾ四重奏団(HMV)SP,,オーソドックスなスタイルの弦四小品で、ドヴォルザークやチャイコフスキーの轍を踏みながらもドビュッシー後の清新な和声を僅かに織り込んだ快活な曲。出来にムラのあるこの楽団も、この規模の小品では張り切ったところを見せる。ブリッジの曲は他にも録れているようだが明確には知らない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブリッジ:ピアノ三重奏曲第2番,○ブリテン(P)メニューイン(VN)ジャンドロン(VC)(BBC)1963/6/24LIVEこの曲は聞き比べをするほど聞いてきたわけではないが、呆れるほどに巧いこの三雄の手にかかると否応無くその輝きを増すように思える。晦渋で現代的な作風だが、ブリテンの胡麻を振り撒くようなぱらぱらという音の美しさにまず耳を奪われる。フランスふうの静寂は瞑想的な雰囲気をかもす。メニューインの細かいヴィブラートが独特の艶を添える金属質の細音はまた無気質な楽想に感情の綾をくわえている。ジャンドロンが弾いているというのも驚きだが、目立った動きはないもののやはりフランスふうといおうか、ロストロのような豪腕ではなくエスプリを感じさせる繊細な表現が他二者とマッチしている。ふつう三人のソリストやヴィルツオーソが集まったアンサンブルというのはお互いが邪魔しあってあまり成功しないように思えるが、音色的にはギリギリであるもののその他はとても噛み合ったところを見せており、まず成功といっていいのではあるまいか。曲的に派手さはないが、イギリス音楽に興味があるなら聴いてみても損はすまい。○ひとつ。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブリッジ:ロンドンデリーの歌(弦楽四重奏編曲),ロンドン四重奏団(SLS他)1925/11/3,,ドヴォルザーク(アメリカ)らのスタイルにロンドンデリーの歌を解体吸収させ、再構築した、そんな座りの悪い曲ではあるが、今となってはお笑いかもしれないが、ロンドンデリーの歌そのものはとても感傷的でありながら変に揺れることもなくそこがいかにも英国的で、お国ものということもあろうが、聴ける演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブリッジ:海,○ブリテン指揮英国室内管弦楽団(BBC,IMG)1967/6/18LIVE・CD意外と感情的なブリテンの指揮が、ディーリアスか、往年の米国製TVドラマの音楽かと聴きまごう程にセンチメンタルな気分を煽る。重厚なオーケストレーションはしかしディーリアス的な複雑なコード進行をとりながらも構造的にはシンプルなため不要な重さは感じない。基本的に旋律の魅力と印象派的雰囲気(あくまで周辺的な雰囲気にすぎないので印象派そのものとは言い難い)が主軸となっており、その意味では新味は無く個性も薄い感は否めない。同じ海を描いたヴォーン・ウィリアムズの作品に似た広大なスケールの場面も混ざり、同時代のイギリスの作曲家たちとの交流を偲ばせるものがある。明晰なブリテンの解釈はすこぶる見通しが良く聴き易い。冒頭に述べたように、懐かしい少年時代の師匠ブリッジに対する特別の想いがあったのだろう、その煌くような音楽の美しさを夢幻の中にじつにロマンティックに演出し、感傷を煽る。バルビふうに粘った演奏ではないが、節度ある表現が音楽をメタ・クタシック的な奈落に落とすのを回避している。4曲め(終曲)はドラマティックな派手な音楽で、コード進行にリヒャルトかディーリアスのようなくぐもりがあるものの、全体は海の心象風景というより直接的なロマン派音楽ふうである。この曲は印象派の影響を受けながらも一貫して旋律を守りひびきは旋律を飾るものと位置づけられているある意味「古風な」作品であるため、フランス近代音楽的なものを求めると拍子抜けするかもしれない。しかし前記のヴォーン・ウィリアムズがしばしば使った旋律的なロマン派音楽と響き重視の印象派音楽の折衷的作風に通じる世界であり、そのテが好きな人はおすすめ。ただ、形式的にはかなりぶかっこうなので(終楽章は気まぐれすぎ!)そこに拘る人は避けた方がいいでしょう。終演後は熱狂的な拍手。このコンビはやはりスバラシイ演奏家たちだったのだ。自作自演があるが、比べてけっこう違いがあるというか、あたりまえだがこの演奏のほうが相当に壮大な演奏になっていて、それでいて「海」という標題には案外古い自作自演のほうがあっている感もあり、一長一短だ。録音の新しいこちらでまず聴いてみるのがいいと思います。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブリッジ:海,○作曲家指揮ロンドン交響楽団(OPAL,PEARL)1923:LPこの曲を聞いていて何故か新ウィーン楽派の音楽を思い出した。極限まで削ぎ落とされたディーリアス、という感じだろうか。転調の仕方とかかなりディーリアス的なのだが、どこかすがすがしく清潔な感じがする。4楽章からなる組曲だが、雰囲気は統一され楽章間のコントラストは余り付けられていない。この自作自演盤は素朴だがどこか洗練された雰囲気があり、都会的な匂いがする。グズグズな感も否めないが曲の持つ魅力はそれなりに浮き彫りにされている。なかなかロマンティックでいい曲です。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブリッジ:海,ブリテン指揮英国室内管弦楽団(BBC,IMG)1971/6/23LIVE・CDウツクシイのだが、ただそれだけ・・・と言ったら怒られるかな。ディーリアスのような感傷もないし、RVWのような諦念もない。ドビュッシーのイマジネーションはなく、結構積極的に前に出るスペクタクル音楽である。いささか長いのも難しいところで、組曲になっているところもイマイチまとまりのなさを感じさせる。演奏は現代的でいい意味でも悪い意味でも個性がない。ブリテンらしい引き締まったところもそれほど感じないのは曲のせいか。とにかく気持ちにゆとりがあって、なんでもいいからムードミュージックが欲しいときは使えるかも。ただ、ちょっとスペクタクルすぎるかも。そんなところか。○にすべきだろうが独断で無印。ブラヴォが出る。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブリッジ:弦楽のための組曲,○ボイド・ニール弦楽合奏団(HMV)1948-49・SP,,なかなかに面白い。ちょっとブリテンを思わせる新しさがあり、RVW世代の持っていた柔らかさとは違う、だがウォルトンまではいかない諧謔性を秘めている。合奏団もまったく危うげなく曲を愉しませてくれる。一連のイギリス室内合奏曲録音の中で最も惹かれた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブリッジ:三つの牧歌,○ロンドン四重奏団(M&A/columbia)1921・CD,,牧歌とは思えない陰鬱な曲でイギリスらしいと言えばイギリスらしい。反イギリス的作曲家ブリッジにその言葉は似あわないかもしれないが。ディーリアスかもなあ、と思った(つまり中欧寄り)。楽団はなかなか味があるが、結局印象に残らない曲だった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,△クーレンカンプ(Vn)シューリヒト指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団(RE!DISCOVER:CD-R他)1930若き?シューリヒト特有のうねるようにダイナミックな動きの上で、ソリストはなぜか音を外しまくり。解釈にこれといった個性はないし、フレージングはボウイングの都合でしかないし、いったいこの人はプロなんだろうか。艶のある音を出すならせめてシゲティ並に聞かせて欲しい。せっかく自在に動くオケをバックにつけているのだから自在に動いて弾いてほしい。ただたんに機械的な演奏、しかもヘタ。クーレンカンプはいい意味で機械のような技巧を駆使したソリストというイメージをかつては持っていたのだがこういう演奏を聞くにつけどんどん評価下落中。せめて若々しさとかないの?△。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○オドノポソフ(vn)ゲール指揮オランダ・フィル(MMS)ウィーン・フィルのコンマスとして有名な奏者。音が単調で音程にやや不安を感じる所もあるが、語り口の巧さは抜群だ。息の長いフレーズに適度に起伏をつけて歌うことに長けたヴァイオリニスト。バックもしっかりしていてなかなかのものである。聞きごたえがある演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○クーレンカンプ(Vn)シューリヒト指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団(ARCHIPHONE)1947,,技術的な意味含め甘甘で、えんえんとレガート気味の危なっかしい演奏ぶりは好き嫌いが別れるだろう。ロマンチシズムの極みといえばそうで、フレージング起因でフォルムが崩れそうなところ遅いが揺れないテンポとオケの磐石の土台があってしっかり足場ができている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○クライスラー(VN)グーセンス指揮ロイヤル・アルバートホール管弦楽団(CEDAR)1924名人芸です。音がよければ(もっとバックオケがきちんと聞こえてきたら)確実に◎にしていたと思う。想像力をもって聴いて欲しい。クライスラーがいかに巧いか。ケレン味たっぷりのフレージングの嵐は今の演奏家が逆立ちしてもできない世界だ。これは感覚的な問題。練習してどうのこうのではなく、これはもうセンスがそのまま音となって出ているのだ。1楽章などとくにすばらしい。圧倒的と言ってもいい。クライスラーは演奏をとおして再度曲を作曲し直している。2楽章が少し平凡、3楽章は細かい音符が聞こえない(録音のせいかクライスラーがはしょっているのかわからないが)ので○にとどめておくが、ブルッフが作曲した当時行われていたであろう演奏様式を彷彿とさせる演奏、機会があれば聞いてください。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○サモンス(Vn)ハーティ指揮ハレ管弦楽団(HALLE O)CD,,サモンズの安定した技術がじつに素晴らしい。スピーディで一切の崩れもなく、音楽をどんどんドライヴしてゆく。古い演奏でいながらとても現代的なスマートなかっこよさがある。ハーティにもハレにも余りいい印象はないのだがこのSP音源音質でもサモンスと調和して共に補完しあうほどに上手く組み合っていることがわかる。オーソドックスという言葉はさいきんマイナス評価のように受け取られがちだが、敢えてプラス評価の意味でオーソドックスとしておく。いかにも灰汁のないイギリス的演奏の見本。ソリストもオケも。音色の統一感はこういう取り合わせでないと出ない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○タシュナー(Vn)アーベントロート指揮ベルリン・フィル(ANDROMEDA他)1944/12/16ベルリン・CD,,極めて悪い録音のせいもあろうが、この人の音が私は苦手だ。金属質で尖っていて、弾き方も非常にキレていて短い音符には全て激烈なスタッカートがついているようなもの(このキレぶりはバックオケも同じ)、音程は完璧だし音量もやたらとでかいのだが、指揮者で言えばライナーの直球をトスカニーニふうに揺らしたような、ごく小さくも効果的で板についたアーティキュレーションでこうじるさまは確かに技術的な凄みや解釈再現の完璧さを印象づけるものの、これは音楽なのだろうか、と思ってしまう。いや音色は録音のせいかもしれない。でも弓の毛をビチビチに張ってギリギリ押し付けるようなドイツ的な奏法はオケプレイヤーや教師としては魅力的な業師ぶりを発揮しようものだが、ソリストとしては、何かが足りない。というか、上手いなあ、と思っているうちにだんだん、いらいらしてくる。性急な演奏はこの人の持ち味のようで、つんのめったようなテンポ感がしまいには技術的な限界を超えてしまうこともあり、左手指がこんがらがったような演奏になったり緩徐主題がメロメロに崩れる(それも解釈と言えばそれまでだが)感も否めない。この曲はそこまで難しいものではないから単純な曲でこそ腕を見せ付けるこの人らしい魅力が、ブラームスのシンフォニーを奏でるように真剣で素晴らしいバックオケとのアンサンブルあいまって重量級の愉しみは提供する。だから○にはしておく。しかし、もっと潤いが・・・,-----,,,,,,,,,,,,,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○モルヴィッツエル(Vn)コンヴィチュニー指揮ベルリン放送交響楽団(ETERNE)LPちょっと単調な音色では有るが、このソリスト、ドイツ流儀で率直な表現を施し非常に聞かせる力がある。すべてちゃんと弾けるんだけど敢えて弾き崩す、みたいなところがどんなソリストでも必ずある曲だが、この人は細かい音符まで全部しっかり音にしている。じつにマジメ。もちろんバックはバリバリのドイツ流儀、堅牢で重量感ある表現はこの曲の古典性〜たとえばオケとの掛け合いがモーツアルトふうであったりするところ〜を引き出して面白いし、また安心感がある。今まで聴いてきた甘甘のロマンティックなブルッフと違う感じがして、ちょっと清新な感じがする。私の盤は状態が悪いのでちょっと不満も残ったし、二度めに聴いたときは結構飽きてしまった。でもこの盤は敢えて面白いと言っておきます。だってコンヴィチュニーのブルッフですよ。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,アンドラード(Vn)フレスティエ指揮ORTF(ina配信)1970/2/11放送 live,,フレスティエのブルッフ?と首を傾げながら聴いたが、隈取りの濃いハッキリした音作り、またソリストの、この曲にしては荒っぽく音色にこだわらない表現とあいまって、野武士のような、というかドイツっぽいのか?クリアな録音ともども、太筆書きの演奏を、楽しむというよりは、聞いた。作曲上の師匠デュカス、自作にメインがラインというなんともボリュームたっぷりなコンサート。拍手無し。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,クーレンカンプ(Vn)シューリヒト指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団(archiphon:CD-R)1947,,SPからの単純な板起こしらしいが正体不明。継ぎ目があからさまでちょっとどうかという質。演奏自体は部分部分でじつに出来がバラバラで、もともとバラバラつぎはぎ演奏だったのだろうか?冒頭など重々しくいいかんじで始まるものの、3楽章の技巧的なフレーズで思いっきりよたっていたりムラがありすぎる。シューリヒトは「ドイツ臭い」感じでそれはそれでずしりとくる演奏ぶりがこのイタリアンな曲には特異さをおぼえさせ面白いが、いささかデジタルなアーティキュレーション付けが人工的に感じられる。クーレンカンプはいい音を出したものだが戦後は・・・うーん・・・無印。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,ブスターボ(Vn)メンゲルベルク指揮ACO(MUSIC&ARTS)1940/10/27LIVE・CDクセのあるソリストに指揮者。異様なルバートの多用に最初はかなり抵抗をおぼえる。録音も途切れるところがあったり聞こえにくくなったりかなり悪い。ただ、こういう恣意的で前時代的なロマンティシズム溢れた演奏というものは今では絶対聞くことができない。その意味では貴重である。ここが肝心なところだが技術的には非常に高い。ソリストもオケも、メロメロになどならない。余裕があるのだ。3楽章など激しいアタックで目の覚めるような激しさ、聞きものだ。オケも完全にそのノリに付けていくから説得力が違う。ここまでオケパートの表情が豊かで尚且つソリストと絡み合った演奏もなかなか無い。かなり充実した聴感です。録音が劣悪なので○はつけられないが、マニアは聞いてください。2楽章の最後にも何故か拍手。このCDセットは93年初出と古いが店頭で見かけなくはない。CD−R化されているかもしれない。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,ブスタボ(Vn)ウンガー指揮ハノーファー北ドイツ放送交響楽団(meloclassic)1964/5/29live・CD,,安心して聴ける正統なブルッフだ。音の古さや若干の荒さを除けばこれこそ同曲の規範といっていい。ブルッフのコンチェルトが個性を出してなんぼというような曲ではないので、解釈どうこうというものでもないから(それだけ完成度が高いのだ)何か書くのが難しいが、このソリストは中欧系のものであれば安心であろう。そういう音色でもある。繊細で憂いのあるものに向くかどうかは別。オケも不足ない。ライヴなら十分。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,フリードマン(Vn)プレートル指揮ORTF(meloclassic)1964/1/13パリシャンゼリゼ劇場放送LIVE・CD,,一世を風靡したアメリカのソリストというが、アメリカ人ヴァイオリニスト特有の型にはまったニュートラルさ(技術的な完璧さを含む)、現代的な解釈というのはあるとは思うが、言い表せない甘美な音色の魅力がある。三楽章など荒々しいとも言えなくもないが、軽やかで安定した明るい音(少しピッチ高めに取っているか)は金属質にも思えるがそれでも色気が宿り、フレージング、僅かな指のずらし、巧緻なヴィヴラートの掛け方に秘訣があると思うものの、この魅力は何だ?と言葉に窮するのが正直なところである。モノラルだがこの演奏をブルッフを理解しきったソリストによるスタンダードな演奏として推すのに躊躇はない。ラストの引き伸ばしはオケともども派手で良い。プレートルのバックはバックだな、という以上のものはない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,ミルシテイン(Vn)ロジンスキ指揮NYP(SLS)1944/12/31live,, 野太い音、完璧な技巧、即物主義スタイルで突き進む音楽には爽快感というか、ズシンとくるところもあり圧倒されるものがある。オケとのアンサンブルも完璧。テンポは突き進むのみで細かいニュアンスは無いが、箇所により奏法を変えて音楽の単調さを避ける3楽章など、聴きどころはある。録音は戦時中なりのもの。しかしSLSにしては良い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,モリーニ(Vn)フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(DG)CD,,どうも四角四面だ。フリッチャイはドイツっぽさ全開で縦を重視した垂直に風の通りそうながっしりした構えを見せ、モリーニはその上で無難な演奏を繰り広げる。そうとうに自己主張する旋律をはなつ曲ゆえ、その自己主張をどう制御するかが鍵になるのだが、この演奏ではたんに面白くない方向にまとめてしまった、という感じが否めない。正直楽しくなかった。楽章間の曲想のコントラストもはっきりしない。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,レーン(Vn)シュタインコップ指揮大ベルリン放送管弦楽団(meloclassic)1942/4/9ベルリン放送スタジオ録音・CD,,オールドスタイルの演奏であること、戦中の録音であることを考慮しても、雑。ドイツらしく音の入り方をゆるやかにせず明瞭にするのもいいが情趣は損ねられる(オケ)し、ソリストもふくよかな魅力のある部分は多々あるものの、解釈は一貫してない刹那的なもののようで、ごまかしているようなところや、30年代のSP一発録りのようにミスをミスのまま放置してかまわないようなところはどうかと思う。オールドスタイルなりの艶めいた音色の魅力はあるが復刻の際にノイズと共に柔らかな部分が取り去られて金属質にすら聞こえるのも痛い。終盤年なのかな、というような衰えた調子も聴こえる(ほんとうに年なのか調子が悪かったのか知らんが)。直前に聴いたフリードマンの名演とくらべての落差に驚いた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フレンニコフ:ヴァイオリン協奏曲第1番,○L.コーガン(Vn)コンドラシン指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA),,フレンニコフが諸所でやけに目に付くと思ったら先月亡くなったそうで。。。前に紹介したDVDなど見直すことをお勧めする。48年の有名な「批判」でのプロコなどに対する糾弾は悪名高いがこの曲などほとんど、平易な作風に落ち着いた晩年のプロコが美しく力強い旋律を駆使して多少長めに作り上げた、といったふうの作品である。このあたりの作曲家の間には大した距離はなかったのだ。後年擁護の言をとったというのも当たり前かもしれない。この聞きやすさの裏にある目覚ましい機械的な構造は後年のカバレフスキーの余りに民族に阿った作風よりよほどショスタコ・プロコふうにとんがっている。シェバーリンの弟子という位置づけにあるがいろいろな想像を生む話でもある。これは初演メンバーによる演奏である。コーガン最盛期ってこのあたりなのだろうか、すさまじく正確でそれでいて憂いまで帯びたような演奏振りは、この旋律だけで突き通された楽曲を非常によく弾きこなしており、むしろコンドラシンのバックが鈍重と思えるくらいだ(終楽章のピッコロなどひどい)。非常に聞きやすいのに新鮮な感触の味わえる、円熟味の感じられる曲であり、構造的な単純さはともかく、いい演奏で聞けばカタルシスは得られよう。それにしても、ソヴィエトはほんとうに、遠くなった。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
フレンニコフ:軽騎兵のバラードよりアダージオ,スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立(放送?)交響楽団(LUCKY BALL:CD-R)1983/10/20LIVEオケ表記が放送響となっているが怪しい。ショスタコの「革命」のアンコール四曲目。美しい響きはこの人にしては抒情性が浮き立ち聞きやすい。いかにも社会主義レアリズムの曲だ。スウ゛ェトラらしいなめらかな美しさに感傷がやどり、なかなか面白い。だが余り残るものがない。無印。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フレンニコフ:交響曲第1番,○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(SCRIBENDUM/MELODIYA)1973派手にやらかすことによって曲をその本質より大きく押し上げる、スヴェトラーノフの技のみせどころです。その音響、旋律の歌わせかたに思わずミャスコフスキーの晩年交響曲を想起するが、より壮大で現代的な即物性をもった楽曲であることがわかる。この演奏は開放的な手法によって曲のスケールをぐんとアップさせており、1楽章、3楽章(ちなみにこの曲はアダージオを挟んだ3楽章制)は思わずのめりこませる魅力を持っている。とくに3楽章後半、いったん落ち込んだ後一気にたたみかけるコーダの開放感はちょっとショスタコの「革命」を思わせるほど面白い(ほんのちょっとだけだが)。2、3番とカップリングでこのたび良好な音質で復刻されたのでご興味があればぜひ。ソヴィエト体制側作曲家の才能を測って楽しむ事も出来ます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フレンニコフ:交響曲第1番,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1954/11/14LIVE,,フォード社主催のコンサート記録でボストン初演か。MELODIYA盤と同一の可能性あり。音はエアチェックだがずっとクリアで硬質。焦燥感が叙情と皮肉のはざまにただよういかにもな曲で、20世紀前半的なロマンチシズムがミュンシュと相性いいようだ(ルーセル後年作品にちょっと似ているところもある)。統制が行き届き力強く、音色は多彩だが中身の単純なソヴィエト音楽ならでは生きてくるさばき方を心得ている。煌めく色彩味にはフランスものをやるときのあの強くはっきりした、一種鈍重さが示されている。ショスタコに献呈され確かにショスタコに近似したパセージもあるのだが、ヒンデミットによく似た職人的な構造性の寧ろ目立つ曲なので、ライプツィヒ出のミュンシュは見やすいやりやすいのかなとも思った。物凄い勢いの終演とともに大拍手とブラヴォともブーともつかない声が鳴り響く。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フレンニコフ:交響曲第1番,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(MELODIYA)1959/11ボストンlive・LP,,珍しい録音でモスクワ録音とされたこともあるようだがボストンと明記されている。メロディヤではモノラルだが原盤はRCAでステレオの可能性が高い。モノラル末期の比較的良好な録音だがライヴなりのぼやっとしたところは残り、裏面の協奏曲(コーガン、コンドラシン)のほうが数倍クリアである。最初から最後まで焦燥感に満ちたえんえんと続く激しい愚痴、といった曲だがソヴィエトのリアリズム作家に典型的な作風が発揮されているともいえる。ただ、オケが洒落ているのと指揮者が統制力のある人であるために曲の価値が数倍上げられている感があり、ソヴィエト特有のお定まりの盛り上がりもショスタコ的な骨ばったものではなくかといってピストンやらアメリカ・アカデミズムの平易で安易なものでもない、「フレンニコフってなんだかんだいって独特の才能があったんだなあ」とまで言わしめる起承転結を曲想にあわせしっかりつけた演奏になっており、ブラヴォー大拍手も「いつもミュンシュが浴びているたぐいのものではなく」真にこの珍曲を名曲に仕立て上げたミュンシュとBSOへの賛辞と受け取れる。けしてミュンシュは洗練された指揮者ではないと思うのだがここではやはりロシアの指揮者と比べて数段スマートでまとまりいい演奏をする人、という印象が残った。○。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
フレンニコフ:交響曲第1番,ガウク指揮モスクワ放送管弦楽団(MONITOR)ガウクは引き締まった非常に集中力の高い演奏を繰り広げている。しかしそれだからこそ曲の底浅さが見えてしまう感じがした。ガウクの演奏は娯楽性が低い。ムラヴィンスキーと似ているのはあたりまえのことだが、曲の表面的な面白さ、珍奇な響きやアクロバティックなアンサンブル、叙情的な旋律を強調して聞かせるような演奏は行っていない。反じて言えばこれはそういう部分が聞かせどころの曲で、強いて言えばミャスコフスキー晩年の交響曲から旋律の魅力を半分取り去った感じ。カバレフスキーから諧謔を取り除いた感じ。ショスタコーヴィチから個性を抜き去った感じ。ロシア・ソヴィエト産交響曲としてはけっして出来の悪いものではないとは思うが、並み居る気鋭の作曲家たちの交響曲に比べれば聴き劣りがするもの。ガウクの演奏で聞くと凝縮された楽想と極限まで削ぎ落とされた構造が際立ってしまい、面白くもそっけもなくなる。さすがソヴィエト連邦作曲家同盟第一書記、かなり合理性を追求しているようだが、その結果至極単純なオーケストレーションに落ち着いている。ガウクの指揮ではその詰まらなさも剥き出しにされてしまう。各セクションが単純に分割され、弦が半音階的なフレーズを刻む上でブラスが吹きまくり続けたり、低音楽器が通奏低音をかなでる上で高音の木管楽器が速吹きでアンサンブルを演じたりする(まるでグラズノフの時代のアンサンブルだ)。馴染み易いところはある。楽想はおおむね焦燥感に満ちた時代の精神を反映し、にぎにぎしく騒いだ結果何とか地鳴りのようなベートーヴェン的勝利に行き着く(あまりに即物的なやり方なのだが、これこそ社会主義リアリズム?)。ストコフスキ、オーマンディ、ミュンシュなどが取り上げたのもその時代性を鑑みれば肯ける(焦燥感に満ちた時代の産物として)。でも、はっきり言って凡作です。ちなみに2番は名曲とされている。最後に、この録音は悪いです。擬似ステレオ?,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フレンニコフ:交響曲第2番,○コンヴィチュニー指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya)LP,,引き締まった演奏で聴きやすい。拡散的なスヴェトラよりよほど本質を理解しやすいだろう。この人はまだご存命だが周知の通り「戦犯」であり、ショスタコの寿命を縮めポポフやシェバーリンの命運をたった人である。本人によればそれも時局柄仕方がなかったという言い訳になる。ただ一つ、フレンニコフは決して才能がなかったわけではない。ここにきかれるのは悪名高い「社会主義レアリズム」の手本ではあるが、凡作ではない。耳なじみよく、なおかつ控えめな響きの面白さ(まシロホンくらいだけど)も盛り込まれた秀作なのだ。冒険することだけが芸術の目標ではない、確かに社会の比較的低い位置にいるかたがたの耳を楽しませることは重要であり、それを伝統楽器を使って表現することには何の問題もない。フレンニコフは自分ひとりでやればよかったのだが・・・歴史は翻らない。しょうがない。コンヴィチュニーがこれを振ったのも恐らく上からの命令だろう。だからといって(個性的な構築性は聞かれないが)手を抜かない。力強いロシアの響きがコンヴィチュニーの一歩引いた感じ、ドイツ的な重さを軽減し、前進的にまとまる方向に持っていっている。私などスヴェトラ盤より求心力があり余程わかりやすかったのだがいかがだろうか。曲的にはカバレフスキーの交響曲を想い起こせばそれである。○にしておく。傑出してはいないし、演奏家の個性的なものもないが、悪くはないというレベルである。ドイツのスタジオ録音がある(MEMORIESで復刻)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フレンニコフ:交響曲第2番,◎コンヴィチュニー指揮ベルリン放送交響楽団(MEMORIES)1955/4/21スタジオ・CD,,音質きわめて良好なモノラル。けっして巧いオケではないし解釈自体は四角四面のコンヴィチュニー、彼なりの即物主義というか唯物的客観性が発揮されイマジネイティブでは全くなく実にリアルな音の交歓で、純粋に音を表現しているだけで、そこに情緒が醸されるのはやっと緩徐部に入ってからである。3楽章以降の凄絶なアンサンブルの力強さはとにかく聞き物だが、表現の振幅という部分では実直の一言だ。ベルリンのオケにしかできえない部分もあり、重心が低く縦に重く苛烈な発音でこのソヴィエトソヴィエトした曲をドイツのやり方で整え異常な緊張感をもって表現している。ちょっと独特の魅力がある演奏で、スヴェトラとかとは対極にあるようでいて、地力の強い演奏振りには共通する部分もある。力感が録音リマスタリングで増強され聞きやすい。透明で機械のような演奏、という近現代東側指揮者の一種「現代音楽指揮者的なイメージ」とは離れており、そこが魅力でもあろう。ロシア情緒はほとんどない、ドイツだ。この曲の演奏をまじめに聞こうと思ったらひょっとしたら第一にきくべきものかもしれない、変なフィルターがかかってないから。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
フレンニコフ:交響曲第2番,○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA/SCRIBENDUM)1978・CDスクリベンダムもいいかげんなところがあり(ロシア関係はなんでいいかげんなんだ)このCDジャケのスヴェトラの写真とされているものはあきらかにスヴェトラじゃない。恐らくフレンニコフだとは思うが若い写真しか知らないので不明。フレンニコフは3つの交響曲を書いているが最初の二作は第二次大戦前中に書かれた比較的若書きのものである。このスヴェトラの全集は1、2番と3番(73年作品)を比較して聞くことができるので貴重だ。この2番は怪奇趣味入ったロマン派音楽。民族的な主題を使ってプロコを狙ったが才能が足りなかった感じ。強引なスウ゛ェトラの腕でそれなりに聞けるようになっているものの、オーケストレーションがそれほど上手いとは思えず、対位法的な書法も常套的。ブラスの多用で派手さを演出してはいるが個性があまり感じられない。カバレフスキー的だがあれほど無節操な多彩さもないし、緩徐楽章では特にこの時代の典型以外の感想が湧かない。うねるようなスウ゛ェトラの表現で起伏が演出され、陳腐な旋律にちょっと変なアレンジの加わるフレンニコフ節が鮮やかに浮き彫りにされるが、わかりにくい変容を繰り返し、だらだら冗長に続く面はいかんともしがたい。スウ゛ェトラならではのテンション芸は、俊敏でこの曲唯一の才気溢れる3楽章で開花する。スケルツォ的な軽い躍動が続く不思議なアレグロを攻撃的な表現で最後は段階的に壮大な響きを施し盛り上げることに成功している。終楽章は派手でダイナミックだが主題がはっきりせず、途中極めて美しい旋律も現れるが、概ね「社会主義レアリズム」調の軍国怪奇な世界を逡巡するだけで終わる。スヴェトラの演奏に対する評として○。作品はあまりよくないと思う。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フレンニコフ:交響曲第3番,○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA/SCRIBENDUM)1973・CD 73年作品。いきなり攻撃的に始まるがなかなかカッコイイ。いや、フレンニコフは実はカッコイイんだけれど、効果的な旋律が書けないのが最大のネックなのだ。ここでもシニカル怪奇な変な旋律が派手にぶっ放されているが、書法がかなり充実してきているため、多少とりとめなく掴み所がなくても否応なく引き込まれる。これは緩徐楽章も同じで、こうやってくれると感動できるんだなあ、という感じ。ロマンティックで哀しい映画音楽を聴くようで、実に美しく、現代的でもある。プロコぽいが一歩現代へ進んだ感じだ。スウ゛ェトラの一糸乱れぬ壮絶な演奏のおかげもあろう。終楽章もなかなか。充実した響きが矢継ぎ早に現れる楽想を万華鏡のように彩る。下手に感傷を入れずに律動し続けあっさり終わるのもよい。スウ゛ェトラでなくても聞かせる力があるし、スウ゛ェトラの個性が比較的出ていない演奏のようにも感じたが、○は十分付ける価値はある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フローラン・シュミット:3つの狂詩曲〜V.ウィーン狂詩曲,ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(timpani/naxos配信他)1929-33・CD,,いきなりマーラー五番かと思ったらあっさり擬ウィンナーワルツになる。多彩な才能を持ち合わせたフローランらしい展開への創意もこめられてはいるが、フローランらしいパッとしない風味もあらわれてしまっていて、こんなものか、という古風な印象。ヴォルフはカラフルにやっているが曲の趣向に合っているかは??,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:flとVn、Va、Vc、ハープのための「ロカイユ風組曲」T、V、W,(fbro)Ortf。ロココ風の意。人気曲でデュカス的鈍重作風とは違いドビュッシー後発イベールらサロン的室内楽。聴きやすい。技術的にも音質的にも現代的な良い演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
フローラン・シュミット:イン・メモリアムop.72-1「供養の石柱(墓標)」,プレートル指揮ORTF(ina)1960/11/22live,,これが知られていないもののフローランではよく演奏される演目で、マルティノンが1970/4/22録音している(モノラルで動画配信サイトに上がっている。他の指揮者でも「イン・メモリアム(思い出に)」の題イコールで14分程度の同曲が上がっている)。1935年師フォーレ追悼のために作曲された。木管の暗い絡みから重々しい管弦楽の叫びへ、そこから夢見るような、まるでフランス映画のような美麗極まりない旋律が浮かび上がり、再び中欧的な響きに沈み、静かに銅鑼が鳴る。プレートルは時代に先んじたのか遅きに失したのかわからないような、まだ気持ちの落ち着かないフローランのこの音楽から、フォーレのエコーである浮遊感を掬い取るようにけして悲痛さを強調せずに和声を組み立てる。それが中間部では非常な感動を呼ぶ。この前のドビュッシーではブラヴォだったがここでは力強い拍手、次のフランセの協奏曲では大ブラヴォ後ブーイングとの壮絶な混淆を聴ける。最後は新世界である。この一連のプログラムはAmazonから配信されている。ステレオだが薄く放送ノイズが入り続ける。,,参考,"イン・メモリア厶について「フォーレ追悼」",-----,,,-----,,,-----,,,-----,
フローラン・シュミット:サロメの悲劇,○作曲家指揮ストララム管弦楽団(EMI他)1930・CD,,この時代にしては驚異的な音質でかつ演奏様式もまるでトスカニーニを思わせるものがある。オケ自体は悪い意味でフランス的なのだがフローランは厳しく各声部を引き締めて的確に構造を表現させてゆく。リヒャルト的な、もしくは前時代のフランス的な構築性と、ドビュッシーやルーセルといった同時代の作曲家と歩調をあわせたような幻想的リリシズムが不可分に絡み合い、独特の先進的でも後進的でもある作風にあらわれているのがまた如実にわかる。とくにルーセルとの近似性は、ルーセルが一種マンネリズムの穴(作風の確立ともいう)に落ちているのに対して開放された作風として、たとえばタンスマンのようなコスモポリタンの感覚の存在を感じさせるところもあり、そこが掴みづらく折衷的と思われる部分かもしれないが、逆に論客で知られたフローランはアンテナが高く前衛にも敏感だったのであり、よく聴けばこの古い録音からその萌芽くらいは感じ取ることはできるだろう。◎にしてもいいくらいだが、まあSP復刻CDでは○か(SPのままなら違うかも)。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
フローラン・シュミット:サロメの悲劇,コッポラ指揮グラモフォン交響楽団(lys他)1929/9パリ・CD,,ルーセル、オネゲル、ラボーとの組み合わせというさすがにスキモノしか買わないようなCDだがSPではすでに何曲か聴いていたのでその耳で未聴のこれを聴くと、板起こしの段階でパワーダウンしてるところはあるんだろうなあ、というところ。だがしかしフローランのロマンティックで稀有壮大な音楽はsp向きではないし、この曲はそうは言ってもとくに前の方は典雅な雰囲気もあるので、逆にそういう空気を醸すには音がこもりすぎている。あくまで記録として(自作自演を除けば初録音だろうか)、何でも振る職人指揮者のレパートリーのひとつと捉えるのが良い、というところだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:サロメの悲劇,パレー指揮デトロイト交響楽団(mercury他)CD,,これがまったく艶めかしくない。フローランの妖しくうねる音楽がサッパリして、純粋に音の面白さや先鋭さを耳に届けてくれる。ある意味聴きやすいのだ。ロマン派音楽でもこのやり方をしてあんまりに思い入れのない演奏としてしばしば退けられる人でもあるが、フローランがロマンティックな性向を記号や書き込みではなくちゃんと譜面にしてあるのが功を奏しているようだ。面白くはないがこの曲を嫌いな向きには向いている。パレーはバレエ音楽には向かない気もする。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:チェロとピアノのための悲歌,○フローラン・シュミット三重奏団のメンバー(CIBELIA)LP,,いかにも悲歌な小品だが嫌味や重さのないそつないさまがいかにもこの中庸の作曲家らしい。演奏は長短なし。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:バレエ音楽「サロメの悲劇」,○フレイタス・ブランコ指揮ポルトガル国立交響楽団(STRAUSS)CD,,私はデュカが得意ではないのだが、デュカ的な劇性にドビュッシー的な色彩を加え、ルーセル的な(とくに印象主義から脱した頃の)重厚壮大さを反映させたようなこの作品もまた、どうも得意ではない。確かに隙が無く無難に聴けるが、何かに似ている、ここはあれだ、あそこはこうだ、という以上のものが聞き取れない。名演が少ないというのもさもありなんな、例えばルーセルの蜘蛛の饗宴のように代表作なのに名演を決めかねる位置づけのものに思える。この録音は一連のブランコ放送録音の中に含まれてCD化されていたものだが、管楽器がいかにもファリャ的というか、スペイン・ポルトガル圏のオリエンタルな雰囲気をかもし、ちょっと不思議な軽さを感じさせる。フローランはもっと重くスクリアビンと逆側から中欧音楽を眺めたような音楽・・・だが曲にはあっている。合唱はつかず全曲でもないが、このコンビはけして上手とは言えない録音も多く、その中ではよく描ききっており、特にバレエ音楽ふうの愉悦的表現、躍動感と色彩性は特筆すべき聴き所だろう。変化を愉しむ曲でもあり、そのうえでは終始同じ明るさに包まれすぎているようにも思えるが、まあまあ、と思います。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:バレエ音楽「サロメの悲劇」,フレイタス・ブランコ指揮ORTF(forgottenrecords)1955/2/21live放送,,二部併せて30分余りとこの曲の演奏にしては少し長いのだが、明るくきらびやかな音で前半はラヴェルから初期ドビュッシーの要素を散りばめて美観をたもち、終盤はそれをまるきり怒りに転じさせるも、ロザンタールの作るような拡散的な音響とは別の、重みのある中欧的な響きをドガシャンドガシャン叩きつけて終わるのは作曲家の意図をよく汲んでいると言うべきか。フローランらしく多様な「借り物のような」作風をモザイク状に各曲に割り付け、変化に富んだ組曲になっていて、しかしながらそれが奇怪な味になりきれず、バレエ音楽とは思えない、ルーセルでもやらなかった、純音楽志向を感じる。合唱は省略されており録音も篭ったモノラルで、後にポルトガルで録音したライヴとは一長一短だろうが、オケはこちらのほうがフランス的で美しいか。拍手カットでブチ切れる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:バレエ音楽「サロメの悲劇」,マルティノン指揮ORTF、ジュイノー指揮ORTF女声cho.(EMI他)1972/10・CD,,第一部、第二部の全曲はかつてはきわめて珍しかった。爛熟しきった西欧音楽にドビュッシーやラヴェルを加えた同時代音楽の集大成的大作で本人も一部録音している通り代表作には違いない。この人の折衷様式はしばしば複雑で大規模すぎるものになるが、筋書きに沿って緩急つけたオーケストレーションは併録の詩篇と違い聞きやすく整理されている。意欲的であるもののイリヤ・ムーロメッツのグリエールをモダン化したような劇的な重苦しさは否めず、響きの整理されたフランスの音楽ではあるのだが、異色である。聴衆に支持されるわかりやすさや煽情性はフローランの良い面といえ、マルティノンはいっそう輪郭をはっきりさせ半音階的なうねりはわりとごまかすようにはっきりさせず流し、けっか音だけで十分楽しめる、飽きないものにしている。フローランは多様式的でこれとかピアノ協奏曲のようなスクリアビンふうの大言壮語ばかりしていたわけではない。室内楽にはロカイユ風組曲など気軽なサロン的小品も残している。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:ピアノ三重奏によるソナチネ,○フローラン・シュミット三重奏団(CIBELIA)LP,,初期ウォルトンの室内楽のように清新だが生硬なドビュッシーの影響をざっくりのっけたロマンティックなサロン曲。フランセの小品のように楽しめる。短いし。四楽章からなるのも新古典指向で、新味はないがそつなく楽しむにはうってつけだ。演奏はこなれていて聞きやすいし楽しい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:ロカイユ風組曲,quinteto tournier(youtube)live,,この作曲家には珍しい典雅な室内楽だが手練らしくめくるめく色彩変化が楽しめる。演奏はライヴなりの精度、でも楽しむには十分。いい意味で何の引っ掛かりもない朝のひととき向けの映像。,,"https://youtu.be/jUX3gZjwUHI",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
フローラン・シュミット:ロカイユ風組曲,マリー・クレール・ジャメ五重奏団(erato/rca)1976版,,フローランが残した楽曲のなかで最も同時代フランス風の作品ではないか。美しく均整のとれた、簡潔ですぐれた技巧の反映されたアンサンブル曲である。ジョリヴェのハープ室内楽から不協和音や変則リズムを取り除いたような作品。ラヴェルではバックに徹していた弦楽器がここではしっかり主張しており、とくにヴァイオリンの音色は懐かしく、サロン風の同曲にいっそうロマンティックな色を添えている。ラルデのフルートも中音域にて確かでありながらはみ出さない繊細な配慮の行き届いたもの。調和的な演奏にジャメもことさら自分を押し出すことはなく、模範的な流れに乗っている。四楽章はいくぶんフローランらしい前時代的な持って行き方で盛り上げるもので、弦楽器に僅か雑味はあるがほぼ完璧な演奏。同曲はパリ器楽五重奏団が初演したが、そのハーピストがピエール・ジャメ(父)である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:ロンド・ブルレスク,ガストン・プーレ指揮コンセール・プーレ管弦楽団(Parlophone)SP,,あの「スペイン」を振った父プーレだけに詰まらないことはありえない。まして曲が良い。ドビュッシーより、ラヴェル以降の新しいフランス音楽を、ウッカリ古臭いドイツ音楽との折衷様式にしてしまうことなく、まあ、滑稽な、というそのとおりなのだが、ピエルネのシダリーズに現れそうな小牧神が跳ね回り、宮沢賢治の気分にすらなる。フローラン・シュミットが室内楽で使ったサロン風の耳馴染み良い作風を中心に据えている。それにしても、ガストン・プーレはなぜこんなに復刻されないのだろう。力強く楽しいのに。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:協奏的交響曲,セルメ(p)モンテカルロフィル(AV)殆んど唯一の録音。複雑で多様式、構造の中に音が詰め込まれ、独特の音線も異様な印象を与える。オネゲルを思わせる部分もある。スクリアビンの影響という点ではシマノフスキと同源だが、同名曲の新古典主義とは程遠い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
フローラン・シュミット:交響曲第2番,ミュンシュ指揮ORTF(EUR MUSES/INA)1962/6/13・CDうーむ。古い。フランクあたりで止まってしまったかのようなロマンティックで重い作風。同時代ではミヨーに近い気もするが、気のせいだろう。こういう曲は構えて聞かないと楽しめない。フランス音楽の軽くて鮮やかなものを求めて聴くのはまったくお門違いです。よくよく聞けば和声などに特徴的なものがあるような気もするが、気のせいだろう。すいません、ぜんぜん惹かれなかったんです。無印。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フローラン・シュミット:交響的練習曲「幽霊屋敷」,プレートル指揮モンテカルロフィル(EMI)CD,,ポーの原作による。ロマンティックでうねるようで大仰な、フローランとしてはまだ作風が前時代のものをひきずっており、後年の凝りまくった創意はあまり注ぎ込まれていない。ロシアの作曲家、とくにワグナー風という点ではスクリアビンの中期管弦楽作品などを想起する。後半部の活き活きとした音楽はストラヴィンスキーというよりルーセル盛年期の作風を彷彿とさせる。演奏は派手でやや舞台演劇風のライヴ感のあるもの。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:詩篇第47番,アンゲルブレシュト指揮cho&ORTF、モイザン(msp)(SLS)1963シャンゼリゼ劇場live,,1964/3/19放送のina音源と、貧弱な音質的に恐らく同じものだと思われるが、データが明記されており同じプログラムの別日かもしれないので一応手を出した。ちなみにドビュッシーとの組み合わせでそちらは初出と思われる。猥雑な音に、これはベートーヴェンを始めロシア物などロマン派も得意としたアンゲルブレシュトのこと、古臭いロマンティックなスタイルでいくのかと思いきやこれがフランス的なのである。響きが明快で、でもマルティノンのような透明感はなく、録音のせいでもあるかもしれないが一貫した姿勢は最後まで「まるでドビュッシー」「まるでスクリアビン」と思わせず、ああ、これはフランスの曲だ、と感じさせる。センシティブだが迫力は失わず、行進主題もキレを重視せずにまとめ、弾けやすそうなフレーズで弾けすぎないようにしてマルティノンの派手な演奏と違う正統派を主張するような感じだ。もちろんどちらも正統だと思う、このような複雑な曲なので。拍手は普通。繰り返すが録音はあまり良くないモノラルで、オケはミスこそ無いがキッチュである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:詩篇第47番,アンゲルブレシュト指揮cho&ORTF他(ina配信/french bro system)1964/3/19放送 live,,派手派手、からひたすら前向きな賛美の音楽、情報量、「圧」がすごすぎて引いてしまう。隔世的に影響されたと思われるウォルトンのベルシャザールの饗宴(小品にも似た楽器の使い方がみられる)と比べてどこが「魅力的じゃない」のか、と思うと、あまりに早すぎた出世がゆえの作品に残る「古臭さ」、末流ロマン派へのこの人のこだわりも含めて、現代の耳からするとわかりにくいのである。とにかくいろんな工夫をとことん詰め込む人で、スコアがものすごい事になってるピアノ協奏曲とか、もうちょっとマニア以外にも受けることを考えて作れなかったものかと。ラヴェルより前を行くくらいの気持ち前衛派にもかかわらず作品はあまりに鈍重で、20世紀フランスというのは前衛の擁護者を自認する「老人」が多かった国なのかなあ、とケクランやミヨーあたり思い出すも、かれらはかれらの新しい語法で時代をしっかり抱いていた時期がある、比べてフローランは前の時代の語法の範疇でひたすら新しい技術を生み出すばかりで常に時代から離れていたように見える。とりとめもないワグナー的世界の理念を南欧に持ってきて、フランス化したみたいな。。,,ようは、わたくしこの人むかしから苦手です。,,アンゲルブレシュトのこれは録音が弱いせいもあってブチかました演奏には聴こえないが、イギリスの20世紀オラトリオなんてこの後塵を拝し続けていたんだなあ、くらいにはその清新な音楽を楽しむことはできたし、聴衆反応も凄かった。全編無料で聴ける。,,fbroの放送LP音源は同じものと推定。,-----,,,-----,,,-----,
フローラン・シュミット:詩篇第47番,ギオー(SP)リテーズ(ORG)クーロー指揮ORTFcho、マルティノン指揮ORTF(EMI他)1972/10・CD,,フローラン・シュミットといったらこの盤というほど有名な録音の一つで今はどこから出ているのだろう。豊満で妖しいロマンスを振り撒く、それでいてワグナーらの影響はさほど感じさせないフローランの大作である(時間的には20分台)。時代なりの録音ではあるが、マルティノンらしい響きの清浄さを保ちながらしっかり末流ロマン派作品として盛りたて、楽曲の要求するまま効果的に、派手派手にやっている。スクリアビンを思わせるところも緻密で立体的な書法によりさらに説得力を増し、特にブラスの扱いは巧みで各セクションとのバランスがよく、半音階的な動きによるディーリアス的な色彩も、動きの細かさゆえか細くなるということのないように非常に巧緻に組み上げられているが、マルティノンはこの誇大妄想の塊を技術的に決して万全ではないにせよORTFから可能な最大限の表現を引き出して再現しており、あまりに編成が大きすぎて録音上オルガンが小さかったり合唱が狭かったりするものの、ロシア風の行進的なリズム表現から完全に中欧的なフィナーレへと導いていく騒々しいパッセージは、当時ステレオ録音ではこれが最上だったろう、と思う。録音に神経質でなければこれを最初に聴くとフローランの作風の一つをよく理解できるだろう。メロディストでもあるのだ。これが詩篇と言われると…,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:詩篇第47番,デュヴァル(sp)テシエ(vn)デュルフレ(org)ツィピーヌ指揮パリ音楽院管弦楽団他(EMI)CD,,正規セッション録音ゆえモノラルではあるが状態は素晴らしく良い。とりわけ合唱とソロが明瞭に大きくとらえられ、楽曲本来の姿をしっかり示している。総体として迫力があり、部分として創意に満ち、ワグナーの影響はほぼフランス音楽的な清新な響きの中に吸収され、力強くも、彫刻の内部まで見通し良いはっきりした演奏となっているのはツィピーヌの実力を示すものと言っていいだろう。フランスEMIのCDにおいてはアナログ盤では味わえない、混じりっ気のない純粋な音の饗宴が、この作曲家の明るく開放的な一面を前面に押し出して、さまざまな要素が過多に詰め込まれたようなところを全く感じさせない。モノラルでなければ、スタンダードな名演として推せる演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フローラン・シュミット:詩篇第47番,マルティノン指揮ORTF他、アンドレア・ギオ(SP)(ina配信)1973/10/31live,,やかましい!という音響が延々と続くベルリオーズ的な作品で、オルガンや合唱を含む誇大妄想的な音楽はワグナー風でもあり、またウォルトンが似たことをしているが(旋律などほとんど似通った作品がある)、何か他のものを真似て作品を仕立てる職人的な技を発揮している、ある意味フローラン・シュミットらしいところは好き嫌いが別れるだろう。マルティノンというとフローラン・シュミット、というイメージはORTFとのEMIセッション録音盤がもたらしていると思われるが、これは録音が巨大な音響を捉えきれずノイジーになっている点ふくめ余り魅力を感じなかった。それなりの長さなのに楽想、書法に変化のない作品に飽きてしまう。飽きさせてしまうのがこの演奏の悪いところだろう。ina.frからは小品と、人気のサロメの悲劇が配信されている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブロッホ:5つの小品,ロンドン四重奏団(m&a)1950/1/27live・CD,,前奏曲に風景と称する三楽章をはさみ舞曲で終わる表題性のある曲で、さほど長くない組曲だが、曲ごとの性格は結構異なる。晦渋な前奏曲からRVW的なものも含むしかし暗い二楽章ときて三楽章でははっきり特殊な音律を掲げた激しい音楽で、ブロッホらしいユダヤ性というのか、この曲は顕著ではないけれども、職人的な上手さにとどまらない個性が打ち付けられる。ブリッジ構造の中間楽章としての役割を果たしている。続けて仄暗く穏健な楽章、そして舞曲といいながら甘いメロディーやRVWのような軽やかな響きを伴う、あるいはミヨーの二番のように微妙な不協和音をわかりやすさと絡めて、ほとんど踊らないまま美しく新古典的に聞かせる。フランス的(イギリス的)といってもいいだろう。奏者のせいなのかもしれない。演奏自体難度はそれほどなく、この団体が見せ場を作るところに欠けるものの、三楽章、五楽章はブロッホのわかりやすい面を押し出し、この作曲家のイデオロギーを通り越した只者でなさを感じるに良いし、演奏もモノラルの古いものだが一応聞ける。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブロッホ:イスラエル交響曲(1912-16),スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団、Kniazev(Vc)、Boyko、Guerassimova(S)、Alexandrova、Borissova(A)、Safioulline(B)(LE CHANT DU MONDE/SAISON RUSSE/RUSSIAN DISC/brilliant)1998・CD,,びっくりした。アスラエル交響曲(スーク)の再発かとおもった。スヴェトラーノフ向きの曲だから、昔だったら金科玉条扱いしてたな俺。今の好みからいうと、ちょっと透明感があって奇麗すぎるような…汚い音をききすぎたせいか?,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブロッホ:イスラエル交響曲,スヴェトラーノフ指揮フランス放送フィル管弦楽団他(eternities)1998/9/18,,第二部の独唱者不明。手元のものは放送エアチェックの音で常時薄くホワイトノイズ、籠った音だが聴けなくはない。ロシアでの録音が有名だが(russiandisc初出だと思っていたがル・シャン・ドゥ・モンドからのCDでbrilliant再発、らしい)こちらはオケの体臭が感じられない分、より原曲の生のままの末流ロマン派の魅力が引き出され聴きやすい。スウェーデンオケとの一連の演奏からも伺えるとおりスヴェトラーノフの音響的に調和した透明でふくよかな、真の意味でのスケールの大きな曲作りへの志向が表れており、ブロッホ得意の五音音階やユダヤ旋律を取り出して強調するのではなく、マーラーの流れの交響曲の一つとして(しかしスヴェトラーノフのものとしてはマーラーよりこちらのほうが板についているが)それらをあくまでパーツとして組み込み全体の構成感を重視することで、楽曲そのものを紹介するという意味でも適したジェネラルなものに仕上がっている。この一夜はマイスキーを独奏者としたシュロモなどブロッホプログラムであったが、スヴェトラーノフの得意とするジャーンジャーーーーーーーーンというような終わり方をしない尻すぼみの楽曲ではあるもののとてもしっかりしたメインプログラムとして〆られている。ブロッホの数ある交響曲はほとんどアメリカ時代の新古典主義にたったものだが、こちら1910年代の時代色を残した曲でも、決して長くはないので、当時としての民族主義にたった表題作品ではあるが、純粋に音楽として、代表作として聴いてみてほしい、特にブルックナーやマーラーやハンス・ロットなど好きな向きは。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブロッホ:イスラエル交響曲(1912-16),◎リッチャウアー指揮(FRANZ LITSHCHAUER)ウィーン国立歌劇場管弦楽団、Friedl Helsing, Helga Augsten(sp)Elfriede Hofstatter, Lore Dorpinghaus,(alto)Leo Heppe(b)(COLUMBIA,vanguard,Nixa/Pristine(PASC))1952初録音・CD,,汚いジャケットのボロボロLPを愛聴。何故かロジンスキの1944コンサートに寄せた作曲家のコメントが書いてある。いつか訳出しようかなあ…。pristineでCD(WEB配信)化。,-----,,,-----,,,-----,,
ブロッホ:イスラエル交響曲(末尾欠落),ロジンスキ指揮NYP、ステヴェンソン(SP)他(SLS)1944/12/31カーネギーホールlive,,びっくりの音源の登場。リッチャウア盤(前記、pristineが復刻済)に同曲に対する賛辞を寄せていたロジンスキ「自身」が指揮した記録である。残念なのは3楽章が歌唱終了時点で尻切れトンボで終わってしまうところだが(当然拍手も入らない)その後はオケが静かに終了を告げるだけなので主要部分はほぼ聴ける。演奏は非常に速く、力感と起伏に富んだロジンスキのスタイルで、NYPは一糸乱れず筋肉質の表現をなしている。同時代に流行ったトスカニーニスタイル、即物主義的表現であることが、同曲の余計な部分、感情的に弛緩する部分を取り去り、もっとも後半楽章はもともと楽曲的に静まっていくのでそれに沿ってはいるものの、極力ドラマティックにぐいぐいと引っ張っていくさまに目を見開かれる。確かにマーラーなどの前時代ロマン交響曲のにおいを受け継ぎ、中欧的安定感をもとに前進的な語法を織り込んでいくブロッホ前期の大作であり、そういうわかりやすい曲を好む人には向く。歌唱は特徴的なものはなかった。これは戦時中に放送された音源で兵士へのロジンスキのスピーチが短く収録されている。SLS復刻独特の針音は気になるが、戦時中録音としては破格に良好な状態である。ほぼクリアに内声まで聴くことが出来る。同コンサートのプログラムはブルッフの協奏曲(別記)、同曲、ダフニス(残っていないか)という順番だった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブロッホ:ヴァイオリン協奏曲,○シゲティ(VN)ミュンシュ指揮パリ音楽院管弦楽団(PEARL/COLUMBIA)1939/3/22-23意気軒昂のミュンシュの垢抜けた棒もいいが、なんともいえない味のある壮年期のシゲティの美音に聞き惚れる。ユダヤの音楽を追求して悩んだブロッホの、もっとも民俗臭のするたぐいの作品だと思うが、五音音階の多用はヴォーン・ウィリアムズをちょっと思わせるし、かっこいいリズムはまるでウォルトンだ。イギリスっぽいと感じるのは私だけだろうか(だろうな)。とにかく異常に長い1楽章に尽きるのだが、息の長い(無茶苦茶長い)旋律は魅力的だし、ハーモニーも「20世紀のロマン派」らしい程よい面白さがある。まあ、それにしても18分もかかる1楽章はいかがかと思うが、2楽章アンダンテは6分、簡潔で残るものがある。終楽章10分、それにしてもなんで頭でっかちなんだろう。この「頭」に堪えられればブロッホ適性ありです。まあ、私は単純にシゲティの裏板がひびく音に終始聞き惚れました。細かいポルタメントなどオールドファッションだけど、だからこそ今という時代にとっては貴重です。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブロッホ:シュロモ〜ヘブライ狂詩曲,○ロストロポーヴィチ(Vc)アーロノビッチ指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(russian disc)1964/6/16モスクワ音楽院大ホールlive・CD,,ちょっと拡散的な演奏で、この曲の強い体臭の醸す内圧を外に出してしまっているように感じた。だからちょっと聴き把握しづらい冗長感があり、ソリストの醒めた音とオケの抜けのいい透明感が、近代音楽としての清新な魅力は引き出しているものの、ブロッホが自らに課していたユダヤ民族としてのアイデンティティを全く感じさせない演奏ぶりはどうなんだろう、と思ってしまった。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブロッホ:シュロモ〜ヘブライ狂詩曲,ネルソヴァ(Vc)作曲家指揮LPO(decca/pearl)1950・CD,,ブロッホの代表作。二十世紀のチェロ協奏曲の代表作のひとつでもある。ユダヤ音律の支配するかなりクセの強い作品だが、ネルソヴァはほぼ旋律的な崩しや指のズラしを使わず正確に音をとっていくことにより、この音階の特質をイデオロギーと切り離して聞く者に問うてくる。もちろん作曲家晩年の指揮がバックにあっての演奏で、晩年はそれほどこだわらずアメリカの新古典主義に立っていたブロッホの、過去作品に対峙した解釈と理解することもできる。録音的には正直勧められるものではないが、ネルソヴァのブレない演奏ぶりや、見本的な全体設計を聴くにはよい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブロッホ:シュロモ〜ヘブライ狂詩曲,ピアティゴルスキー(Vc)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1957/1/30・CD,,ブロッホが民族に拘っていた時代の代表作で、いわゆるヘブライ旋律が横溢しているが、マーラーのような音楽に比べ確信犯的で、ロマンティックな主情的な音楽からは少し距離を置いているというか、垢抜けたところがある。演奏のせいかもしれないが何となく戦後アメリカの西部劇を思わせる音楽になっているのだ。半音階的な進行は依然中欧ふうであるが、ピアティは得意のレガート奏法を駆使して極めて息の長い音線をかなで続ける。レガートが得意な往年の奏者特有、左手指の柔らかさからくる高音の音程の甘さや音符の切れ目の不明瞭さ(アタックの位置がはっきりせず全体として今ひとつピンとこない)は、ピアティ自身の健康状態に由来しているのかもしれないがいただけない。ミュンシュはともすると渋く収まりがちなブロッホの響きに対し各楽器固有の色を明瞭に打ち出させ新鮮な印象を与える。好き嫌いが別れる曲で私も掴みどころがない曲と思うが、これはまあまあ聞ける。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブロッホ:バール・シェム組曲〜ニグン(朗吟),○シゲティ(Vn)ルールサイツ(P)(COLUMBIA/PEARL)1928・CD情熱的なヴァイオリンソロに優雅に、そして端的に絡むピアノ。これは決して古典曲ではないし、現代曲でもない。旋律には後期ロマン派のそれもいくぶんラテンの入ったラプソディックな感覚が支配的。そう、ブロッホは紛れも無くユダヤ民族楽派を代表する、あるいは「唯一の」作曲家であり、その作品の殆どは末流ロマン派に含めておいてたぶんいいと思うが、この曲はその態度があるていど正しい事を示している。いわゆるユダヤ旋法に独特の生臭い原色を添えた灰汁の強い楽曲が多い中、この曲は依然(その題名や着想からしても)宗教色は濃厚であるものの、単純さに対する希求が既に現われており、割合と聞き易い。ブロッホ初心者向けの曲です。シゲティはこの曲をほとんど自分の曲であるかのように自在に弾きこなしている。この音色が嫌いな人もいるとは思うが、シゲティマニアには堪らない艶めかしい音色美を素直に楽しみましょう。録音古い。○。バール・シェムはハシディ派を興したラビの名(だったと思う)。ハシディ教徒の生活を描いた楽曲とされ、懺悔、朗吟、歓喜の三曲からなる。この曲は2番目にあたる。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブロッホ:ピアノ五重奏曲,○カゼッラ(P)プロ・アルテ四重奏団(fono teca/HMV)1933/2/8・CD,,野蛮主義的な曲に対してややピアノが負け気味にも感じたが録音のせいか。ユニゾンで迫る弦に対しては負け気味にもなるだろう。フランス風の味付けがわずかに洒落気をもたらす。二楽章はユダヤ調が全面に出て土臭さがあるが、楽団の洗練に救われている。それにしても弦のユニゾンが多い。アレグロ・エネルジーコの三楽章は再び激しい音の応酬。カゼッラが不可思議な響きを加える。不可思議なのは緩徐部の妖しいやりとりでユダヤ的だ。ピアノはそれほど浮き立ってこないが弦が盛り上げる。法悦的なフレーズが頂点を形作ると若干メシアン的な趣のある静寂が支配する。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブロッホ:ピアノ五重奏曲第1番,プロ・アルテ四重奏団、カゼッラ(P)(ANDANTE/HMV)1933/2/8まあいかにもブロッホである。暗くて渋い情熱の迸り、妙に浮いて綺麗なフランス風のピアノ、時折のヘブライ音楽の生臭さ。ブロッホ好きは32分を興奮して聴き続けられるだろうが、私はたしかに時折気まぐれに訪れる儚い美しさやヘブライ式の強烈な旋律には感銘を受けるものの、やはり長すぎる気がする。音楽に一流二流というランクを付けるのが嫌いな私だけれども、この曲などはまさにその意味では二流である。ブロッホの室内楽は人を選ぶ。室内楽に馴染みの無い人は避けた方がいいでしょう。音が篭りすぎ、無印。カゼッラのピアノが貴重。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブロッホ:弦楽オーケストラとピアノ・オブリガートのためのコンチェルト・グロッソ第1番,○ワルター・ヘンドル(P)ミュンシュ指揮ニューヨーク・フィル(NYP)1948/2/8カーネギーホールLIVE・CDブロッホの中でもかなり垢抜けた曲。あからさまな不協和音はほとんど聞かれない。というかようは新古典主義にのっとった作品であることは題名からも明らか。4つの楽章は組曲ふうに配列されているが後半から最後へむかっての流れが素晴らしい。PASTRALE AND RUSTIC DANCESと題された3楽章は清明でヴォーン・ウィリアムズかと錯覚してしまうような美しい音楽(ブロッホとヴォーン・ウィリアムズの古典音楽へのアプローチ方法はそのわかりやすさにおいて非常に似ている)。そして極めて擬古典的な終楽章フーガは力強い主題と鮮やかな転調、開放的なハーモニーが印象的である。前半楽章(1楽章PRELUDE、2楽章DIRGE)は清澄ではあるがメランコリックな楽想も目立ち、ピアノを織り交ぜたユダヤっぽい重い響きや旋律、読みにくい展開も織り交ざる。ブロッホらしい音楽だが好みを分かつと思う。ピアノの高音の煌きがホルストあたりを思わせる。3楽章になると急速にわかりやすさを増す。まさにヴォーン・ウィリアムズといった牧歌のあとはここでもヴォーン・ウィリアムズかホルストのような民謡旋律の大編成編曲という楽想が続く。新ロマン主義的な洒落たハーモニー展開が美しい。終楽章に来ると全くバロック以前の音楽そのものといった作風に徹し、印象的な協奏主題のめまぐるしい動きに感興を覚える。ミュンシュの指揮は割合と無個性だがこの楽章ではしっかりした集中力の高い演奏を繰り広げている。僅か2分台のプレリュードはともかく2楽章あたりではブロッホらしさがいい意味でも悪い意味でも顕になる曲だが、3楽章以降はまるで灰汁抜きされたかのようになっていく。しかしそれゆえに親しみやすくなっていくと言える。ミュンシュ以外の演奏で聞いたことがないのでなんとも言えないが、凡人が振っていたらあるいは凡作に聞こえたかもしれない。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブロッホ:弦楽四重奏曲第3番(1951-2),グリラー弦楽四重奏団(献呈者)〜グリラーはかなりブロッホを入れているが、CD復刻も進まず、LP単価がいたずらに高額化している状態である。アメリカ・モノラル時代の名カルテットであるが、特徴に欠けるか。(補足)2004年夏に一気に廉価CD化した。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブロッホ:交響組曲「エヴォカシオン」,ワルター指揮NYP(sls)1946/2/6live(1941?),,金管のひびきはのちのアメリカ音楽に影響をあたえたろうし、いわゆるユダヤ的書法はバーンスタインに受け継がれているだろうし、けれども、このての「こだわりの語法(癖)」をもつ作曲家の作品は、非常に聴く人を別ける。さらに作曲家「自身」の個性があらわれていると感じる部分と、「使命感」として用いている民族的手法の部分というのは別のようにかんじていて、この作曲家に関していえば、後者がどうも私は苦手らしい。独特の音律が陰鬱で呪術的な印象をあたえ、分厚い書法もあいまって、どこか派手なリズムや印象的な「普通の」旋律を入れてもらわないと、ワルターでさえこのようにしかさばけないのか、あるいはワルターだから同調してしまいこういう演奏になるのか、とにかく最近フランスものばかり聴いていてフランスとは浅からぬ縁のブロッホに手をのばしたらこういう結果になった。まあ、いい録音で聴けば若干印象はかわるのだろう。,,1946/2/8liveがASdisc等から既出。本演奏は1941年ではなく1946年の数日違いの録音とのこと。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ブロッホ:三つのスケッチ「ユダヤ人の生活より」,ネルソヴァ(Vc)バルサム(P)(decca)1950・CD,,古くノイジーな録音だが、チェロの陰影ある音色をうまく使った民族主義を昇華させた作品で、それを巧緻に聴かせる演奏となっている。ちょっと「呪術的な音階」や指先を転がすような装飾音が混ざるほかは、普通の人が聴けばそれほど違和感のない、憂愁のメロディーをひたすらかなでるチェロ曲に聴こえるだろう、それほどまでにユダヤの音律はクラシックに浸透し我々もそれを通して普通のロマン派音楽のように享受することができるのである。ネルソヴァはそれでもあからさまに音色に民族性(ユダヤの民族性というのも語弊があるが)をあらわしているほうだが、違和感を感じさせないように、臭みを発しないように、揺れはすくなく、絶妙のところを行っている。音は決して安定して太いわけではないが音色が物悲しくて何とも言えない味のある演奏である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブロッホ:神聖祭儀(アボダシ・ハコデシュ),○作曲家指揮LPO&cho.、ロスミュラー(b)ボンド(sp)コワン(ca)(decca/pearl他)1950・CD,,ダイナミックでロマンティックな「ユダヤ祭儀」である。これが大好きでLPしかなかったころミヨーの似たような作品とともにやたらと聴いていた。イギリスオケのせいかイギリスのオラトリオふう作品、ヴォーン・ウィリアムズの周到な作品に似て耳馴染みがとてもよい。当たり前だが宗教曲だから悪い音はなく、ユダヤ音階などもヨナ抜きに慣れた日本人にとって特に引っかかる要素はなく、しかもイギリスオケとあってイギリス民謡的にも全く違和感がないものだ。かつ、これはブロッホの民族主義の後半の作品となり、新古典主義の洗練が民族の独創性を簡素化、というか漂白し、西欧音楽の語法の上でもすっかり「普通」となって吸収された、まるでマーラーほども普遍的な歌謡性を持ち合わせたものになり、祭祀にふさわしいのかどうか、20世紀音楽の娯楽性をしっかり発揮した大作として先入観なく聴くのが相応しいように思える。体臭のない指揮ぶりがまた面白い。職人だ。歌手もしっかり仕事している。マーラー聴くと思って聴いてほしい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
プロハスカ:弦楽四重奏曲〜スケルツォ,○シェフチク・ルホツキー四重奏団(CHR)1929・CD,,僅かに現代性も感じられるがおおむね国民楽派の範疇にある作品。ルホツキー四重奏団は激しくかすれるほどにハッキリした表現をするが、この曲でもその特質は現れている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:コリオラン序曲,フルトヴェングラー指揮BPO(history他)1943/6・CD,,ベートーヴェンの序曲等の中でも目立った派手なところがなく精神性を求められる曲である。私ははっきり言って苦手で、フルヴェン先生の厳しく引き締まった、ナチ時代の異様な録音であっても、ただの精神性の塊で音楽とは認識できなかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番,○スヴェトラーノフ指揮ベルリン・フィル(KAPELLMEISTER:CD-R)1989/3/5ベルリンlive,,強靭なタテノリの比較的クレンペラー型の、やや客観性のある表現ではあるものの、キレのいい音と強いアゴーギグでスヴェトラらしさが発揮されている。かなりちゃんと解釈され、それが音になっているのはこのオケの機能性ならではといったところだろう(けして指揮者を信用しきった音の感じはしない)。前者のイメージが強いスヴェトラ後期の西欧オケものだが、このソヴィエト崩壊しっちゃかめっちゃか状態の時期においてゴスオケもまた人材流出激しくレベルを保てないと言われていたこともあり、ロンドンのオケもの以上にこの時期のスヴェトラ芸術の真価を確認できるものとして価値はあろう。私もこのころスヴェトラのチャイコ実演と比較的古いメロディヤ録音の数々で魅了されていた(進行中のアンソロジーシリーズは余りに一発録りが多くムラがあり、グラズノフなど私には酷いと感じられた)。とくにブラームスやブルックナーが印象的であったが、ベートーヴェンもなかったわけでもなく、ただ個人的に定めていた範疇から外れているので余り耳なじみはなかったのだが、芸風的にはブラームスの録音のやり方に似ており、じっさい最後のヴァイオリンのプレストからの雪崩れ込みはベルリンの聴衆を魅了するのに十分だったようだ。客演指揮者に対する客席反応(拍手とザワメキ)はベルリンにしてはかなりいいと思う。もっと、もっとプレストに力感が欲しかったがある程度の客観性を求められて抑えているところもあるのだろう。○にしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番,モントゥ指揮BPO(TOE他)1960/10/7live,,野太い音だなー、このオケはやっぱり特別だな、と思わせる録音で、モントゥーとも相性が良いらしい。ほつれの一切ないアンサンブル、全パート見事な技術、そしていづれも個性的な野太い音。楽曲的に小フルトヴェングラーといった印象は否めないが、筋肉質で引き締まった演奏ぶりはモントゥーのプロフェッショナルな統率力があらわれたものとして特筆できる一夜の、前プロがこれになります。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:レオノーレ序曲第三番,○フルトヴェングラー指揮VPO(history他)1944/7/22・CD,,録音が痩せてきついので現代の耳からするとどうなのか。勢いと楽団のやる気は凄いが、この人のベートーヴェンやブルックナーにはいつも何かしら違和感を感じる(ブラームスはピッタリ)私にとってこの演奏にはとくに感銘を受ける要素はなかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第1番,○ゴロワノフ指揮モスクワ放送管弦楽団(melodiya他)1948,,CD化されていたと思うのだが今検索すると出てこない。動画共有サイトなどで聴くことができる。演奏は後期ベトの様式で大管弦楽を鳴らしまくるもので、楽章間の対比が激しく、速い楽章でのバラケっぷりと激烈さはシェルヘンルガーノを思い浮かべる。静かな楽章が余りぱっとしないが、両端楽章を楽しもう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第1番,○ヒンデミット指揮スウェーデン放送交響楽団(ANDROMEDIA)1955ストックホルム・CD,,オルフェオ(再CD化)のボーナストラックとしてCD化された放送音源。記念盤としてLP化はしていた気がする。やや音は悪い。篭っていて、オルフェオ同様エアチェックかもしれない。ヒンデミットの指揮は重く、とくに中間楽章は引きずるようにすら感じる。ロマン派として同曲をとらえているのだ。しかしロマンティックではない。きっちりかつ滑らかに職人的にさばいたふうで、奇をてらうことも派手に見せ付けるようなこともしない。抽象化の程あいがよく、とても聴きやすい1番だ。どうもクレンペラーあたりの伝説に起因する謗りが吹聴されることが多い指揮者ヒンデミットだが、ああいう曲が書ける才人が下手なわけがないのである。じじつ、ブラヴォが飛ぶ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第1番,クーセヴィツキー指揮ORTF(PASC)1950/6/25放送live,,PRISTINE発掘音源、クーセヴィツキーのベートーヴェンシリーズで田園との組み合わせだがこちらは少なくとも初出(田園もおそらく初出とのこと)。比較的珍しいオケとのライヴではあるが、1番の記録はほかになく、最晩年記録でもあり貴重だ。レストア過剰で残響付加やノイズ除去痕が好悪わかつ復刻具合だけれども聴きやすさをとるならレンジも広く分離もなんとか聴けるレベルまで明確にしており(といっても一般的に楽しめるレベルではけしてないが)満足いくと思う。オールドスタイルのベトであり小粒な1番を想定して聴くと裏切られる。編成をしぼりモーツァルト的な軽妙さを楽しむ、ことはまったくできない。むしろ後期交響曲、7番あたりを聴くような感じで迫力とスケールの大きさにびっくり。これはもう4番以降の世界で、田園もそうなのだが、とにかく後期ロマン派的な方法論で押し通しているというか、とくに弦楽編成がでかいのは確かだと思う。その音のマスの強さで、かっちりした曲に筋肉をまとわせ、ORTFらしからぬ集中力を引き出している。音色はBSOにくらべ良く感じる。BSOなら重すぎると感じたかもしれない。機会があればどうぞ。うまいといえばうまいです。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第1番,クーセヴィツキー指揮ORTF(PASC)1950/6/25放送live,,大袈裟で野蛮な発音も目立つが、力強さと勢いはロシアのそれである。音が割れるのも厭わない。激しく突っ走るため、小気味よいような、前時代の空気も保った1番を期待すると圧が強すぎて聞けないかもしれない。ノイジーだが残響を加えた録音だと、キリキリ締め付けられたオケの捻り出す分厚い響きが、とくに四楽章など弦のアンサンブルになるとORTFと思えない精度を伴い、まるで5番のように偉大に響く。拍手喝采もわかるクーセヴィツキーの底力を見せた演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第4番,クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PASC)1943live,,クーセヴィツキーの同曲唯一の記録でpristineの新発掘とのこと。レストアしすぎて擬似ステレオ状態だが、元の音は悪かったんだろうなあ、という篭ったりキンキンしたりガサガサするところは耳につくが、戦中録音としては破格の聞きやすさで普通は(おそらく)ノイズまみれの原盤よりこちらを好むだろう。クーセヴィツキーと思えないほど緊密な中期ベートーヴェンで古典的な佇まいを崩すことなくロマン派的なメリハリきいたメロディアスでリズミカルな音楽をきっちり聴かせる。これ本当にクーセヴィツキー?というマトモさがあるが、四楽章では特有のロシアっぽい感情が弦楽のドライヴに迸り僅かに甘くなるので、本物だと思う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第5番,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1946/3/2LIVE・CD割合とオーソドックスでまじめ、音も引き締まってドイツっぽさすら表れている。そのぶん個性が薄い気がするのも確かで、ロジンスキほどの激しさも持ち合わせていないから、録音の悪さを考えると余り魅力の無い盤と言わざるをえない。ただ、1楽章をかなりいじっており、びっくりするような改変(だと思う)が聞かれる。そこをひとつの個性、魅力と感じて聴くぶんには十分面白く、パキパキ決まるリズム表現と併せていったんノったら最後まで聞きとおせるだろう。一応○をつけておきます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベートーヴェン:交響曲第5番,○クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(TESTAMENT)1957/10/24londonLIVE,,わりと小粒の演奏に聞こえるのは録音状態が余りよくないせいだろう。とくに3楽章までは客観性が勝りとても整ったリズムでたんたんと進むように聞こえる。バス音域に力点を置いているさまは独特だが、時期的にまだ重厚壮大路線には行っていないため、けして重くならず前進性が維持される。終楽章は偉大な演奏、といった感じでクレンペラーの真骨頂をみせており、縦の揃った演奏振りでいながら情緒的な盛り上がりを感じさせる。これもやはりバス音域をズシズシと叩かせることで、古典的な均整感を保ちすぎた薄い演奏にならない配慮と聞ける。まずまず。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,,,,,,,
ベートーヴェン:交響曲第5番,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(bbc,img)1966/12/1live・CD,,最初からもうばらけたハレぶりで、「やっぱり感」がある。ただバルビの力づく技に救われている。2楽章の強引な横の流れ重視の演奏ぶりには確かに聴けないこともない、独特の情緒はある。でもバルビとしてもベートーヴェンを意識しすぎて却って半端になっている。フルヴェンぽさが耳につく。3楽章からは壮年期バルビらしい強さの中にうねるような歌ごころを織り込ませたところもきかれ、ハレの復調したアンサンブルがやはり甘さは残るもののバルビの鷹のような目でドライヴされてゆくさまは結構強烈だ。録音のいかにもライヴ的なささくれだった荒れた感じも印象を強くする。バルビのベトは交響曲でも三つくらい遺されているがどれも曲のせいもあって二回聴けたものではない。荒れ狂うライヴのよく似合う運命くらいはまだ聴けた。贔屓目で○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ベートーヴェン:交響曲第5番,○フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(TOE:CD-R)1961/9/10LIVEフリッチャイのラスト・ライヴだそうである。だがこの演奏に蝋燭の最後の輝きは見られない。まだ成長し続けているフリッチャイの個性が孤独に輝いている、そのさまだけが悪い音の奥に垣間見える。惜しいひと・・・。非常に遅いが確信に満ちた重い歩みはコトバ面だけだとクレンペラーを想起させるかもしれないが、その音に漲る熱いものはやはりフルヴェンに近い。ワルターではないがまるで音楽という神につかえる司祭のように、自分の信念を貫き通そうとする芸術家の姿がある。ライナー?にもあるけれどフリッチャイのこの演奏はけっこうゲテモノというか、奇妙である。声部間のバランスがおかしいし、テンポもどこかぎくしゃくしている。それが解釈だったのか、病によるものだったのか、今となっては詮索するほうが野暮というものだが、フリッチャイ・ファンなら聴いておいて損はないだろう。フリッチャイ・ファンでなかったら、正直聞いてもフーンくらいしか感じないかもしれない。でも、終演後の聴衆の熱狂は、これがただの凡人の演奏ではないことを物語っている。オマケして○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベートーヴェン:交響曲第5番,◎ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィル(HISTORY)1945LIVEびっくりした。無茶苦茶引き締まった演奏で、ロジンスキの気迫にたじたじ。この終楽章の高揚感は並ではない。ベートーヴェンもびっくりの激烈演奏、シェルヒェンもたじたじ。苛烈な指示で知られたロジンスキだが、チェリビダッケのようなかけ声がびしびしと入っていてこれがまた耳に心地良い。どこにも抜けたところのない完璧なライヴ。録音は悪いがロジンスキの真価を問う演奏、ぜひ一度。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベートーヴェン:交響曲第5番,ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(YEDANG)1957/1/23LIVEこれはアマオケの演奏か?と言うくらいバラバラの弦に脱力。でも演奏自体は熱い。ライヴでこの時代のソヴィエトの録音であることからして総合的な完成度の低さには仕方ないところもあろう。強い意志がオケに行き渡らず、縦すら揃わない乱雑さ、ガウクのこれも芸風と言っていいだろうが、弟子ムラヴィンスキーとの落差は凄い。まあ、ライヴですから。「スーパー・チューブ・サウンド」、残響が多すぎてうざい。もっと生々しさが欲しかった。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベートーヴェン:交響曲第5番〜V、W抜粋,クレンペラー指揮ロス・フィル(archiphon:CD-R)1941/2/11サンディエゴ,,クレンペラー快速時代のまるでモーツァルトのように古典的な指揮ぶりと勢いが伺える録音だが、いかんせん録音状態(原盤の状態)がシンポジウム並みに悪い(針飛びにより三箇所完全欠落、雑音もひどい)。ピッチも高すぎる。小気味いいテンポで飛ばしていくが、4楽章冒頭などオケの緩さが出ており、終盤でもややアタックの弱さを感じる。クレンペラーはひたすら突き刺すようにアタックをつけていかないと「らしく」なくなる。クレンペラーのベートーヴェンはやはり素晴らしいが、録音状態だけでとりあえず、参考記録としておこう。無印。アルヒフォンはCD-Rになってやや怪しい音源(映像の音だけとか正規が出ているものとか)を混ぜ始めているようだが、趣味的なレーベルらしいので仕方ないか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」,○C.クライバー指揮シカゴ交響楽団(memories他)1978/10live・CD,,運命は斯くの如く扉を叩く、とはとても言えない明るさに満ちた冒頭からのけぞる。とにかくあっさり軽くて速い!リズム処理は上手いが音に厚みがなく重みに欠け、シカゴ響の悪い面を引き出しているように思う。そう、あの機能的なシカゴ響がバイエルン放送管張りにアバウトなところをはみ出させているのも気になる。歌と流れ、それが心地よさとして与えられはするものの、3楽章あたりまではとにかくこんなに軽くていいのか、と思わせるものがある。こういうのが好きな人はいるだろうが、ベトの奇数番はこれでは余りに表層的と言わざるを得ない。4楽章は確かに見事にクライマックスを作っているが感動はない。ブラヴォが出ているところをみると現場では感動的だったのかもしれないが、録音がとらえられていないのだろうか。シカゴはしばしばこういう演奏を行っておりクライバーのせいだけでもなかろうが、カリスマ音楽家というのは名前を取り去った純粋な音として享受された場合必ずしもカリスマとして聞こえない場合がある、なんとなくそんなことを思った。○にはしておく、「聞ける」から。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(LIRA PANAMERICANA/PASC)1944/4/18カーネギーホールlive放送,,PRISTINEの配信データによればトスカニーニの運命の中でもレアにして最高の演奏ということだが、プライベート盤LPからの板起こしであることもあり状態は悪く、音量的に平板で迫力が損なわれているように感じる。トスカニーニのベートーベンといえば運命や七番など疾駆する爽快さと怒涛の力強さが売り物で、NBCなら音にも特色はない。直球だからそうそう差が出るものでもなく、また凝縮されすぎて少々スケールが小さく感じる点どれも同じ。楽しいがマニア向け。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」,○バルビローリ指揮ウィーン交響楽団(aulide:CD-R)1969live,,意外とNYP時代を思わせるしっかりした演奏で、音符もキレており、VSOもドイツ風の重量感を示している。バルビらしさは確かにテンポルバートのケレン味にあらわれてはいるのだが、殆ど違和感なく、そして殆どルバートとも感知されない。意外なほど正統的な演奏を目して成功しているのである。NYP時代を思わせる、というと2楽章や4楽章第一旋律の恣意性の感じられる揺れが、旋律の大幅な揺れというよりフレージング処理の範疇におさまり、とくに4楽章のほうは意図的に遅くとることで、ただコケオドシの見得を切るのではなく、計算されたバランスをとろうとしていることが読み取れる。この人のベトでは成功したものと言えよう。ただ、録音最悪。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」,○メンゲルベルク指揮ACO(PHILIPS/ANDROMEDIA他)1940/4/18live・CD,,デュナーミク変化が細かいだけでテンポは速めストレートの直球だ。ロマンティックな演奏ではありそれは音色変化にうかがえるが、当時のACOならではのものか。冒頭アンサンブルが乱れる。その後は気にならない。音がよければもっとアピールしたであろう娯楽性を秘めているが、基本的にベートーヴェンという構造をしっかり維持しつつのものである。それにしても裏拍からのメロディを持つ曲なんて作曲当時は異例だったろう。舞踏性を高め曲に変化をもたらすとともにひときわ注意させて引き締める効果もある。ただ、この「運命の主題」を後世の人がオマージュするさいは音のみそのままで、リズムは必ず表拍からに改変されるんだよなあ。じっさいメロディが裏拍からはじまり机上計算的に対位旋律と絡み進行していく理性の音楽を嫌ったり不得意とする指揮者は非ドイツ圏にままいて、バンスタあたりも余り巧くはなかったというか「そう聞こえていた」んだろうなあ。リマスターでも限界あり、ANDROMEDIAは残響付けすぎ雑音除きすぎ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」,クレンペラー指揮ケルン放送交響楽団(weitblick)1966/3/17・CD,,音は何とかレストアしたようなステレオで、ボロボロな所もあるが聴けるレベル。クレンペラーは各セクションをバラバラにし単純化してガツと積み重ねるようなやり方をする。それは各声部が互いにしっかり正確に、凝縮された音を松葉を排した丸太の如く強く打ち出すことで全体のバランスが保たれ、特有の太筆描きの迫力が発揮されるたぐいのものだ。だがここではそれが裏目に出ている。管、打はよい。弦楽器がイマイチすぎる。この時期のこのオケなので弱体は仕方ないが、とくにヴァイオリンのバラケ味が強すぎる。各セクションを乖離させ再構築する方法に対し、もっと小さく、各楽器が乖離してしまっており、SP時代の録音のようだ。往年のロシアオケのような音色の不統一感が、パワーに裏付けされることなく提示され気持ち悪い。それゆえに全体的に薄くなってしまっている。ドイツ的な音にならず、ニュートラルなイギリスオケのように響くのはこのオケというよりこの弦楽器の非力さゆえだろう。クレンペラーのやり方が剥き出しになっているのでわかる人にはわかりやすいと思うが、自身スピードと力強さが持ち味の時期も過ぎており、老境の「振ってるんだか振ってないんだかわからないくらい」スコアの書き込みをそのまま音にしようとした記録に聞こえなくもなく、もちろん録音が悪いせいかもしれないが、私は終盤も終盤まで惹かれなかった。いや、ブラスやティンパニ、木管ソロはビシッと良いのだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」,○ヴェス指揮ウィーン交響楽団(REMINGTON)LP,,リアルな肌触りのけっこう輪郭線のぼやっとした演奏だが、純粋にベトの神的なアンサンブルを楽しもうという雰囲気がオケの内面からこみ上げてくるかのような力強さが特徴的。描写音楽であり、幻想交響曲あたりの元祖であり、わりと構造的ではなく簡素な絡み合いで叙述的に音楽が広がってゆく曲ゆえ、ヴェスのただ純音楽として分厚い響きをかもす熱気ある演奏スタイルにはやや不向きな感じもある。しょうじき後半は飽きた。だが演奏自体はいい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第7番,

○クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)1955/10,12・CD

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旧録だがそれほど間があいていないので演奏スタイルに差はない。レッグのフィルハーモニアとはいえイギリスオケにスタジオ録音というシチュエーションだと客観的に冷めてしまう場面がどうしても気にはなり、リズムの強調や峻厳な音符の切り方などいかにもクレンペラーなのだが、曲指揮者ともに持ち合わせるデモーニッシュな一面がまったく浮き立ってこず美しいだけの演奏になってしまうきらいがある。つまらないと言ったほうがいいところもあるのだ。スピードは後年の遅いスタイルとは違いそれなりに維持されるが、同年代のライヴに比べると遅い気はする。モノラル末期の優秀録音盤とステレオ初期の実験録音盤がともにCD化されているが、後者であってもそれほど音質劣化やバランスの悪さは気にならない。ステレオ初期によくみられた各マイク間の断裂が感じられることは感じられるが慣れればそれほどでもない。○。

1955モノラル正規盤,"
Symphony 5 & 7
Beethoven",Klemperer,"Philharmonia Orchestra
EMI Classics

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",ステレオ実験盤,"
Beethoven: Symphony No. 7; Prometheus Overture

EMI

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","その他クレンペラーの7番について",-----,,,,,,,
ベートーヴェン:交響曲第7番,

○シェルヒェン指揮スイス・イタリア語放送ルガーノ放送管弦楽団(ARIOSO,PLATZ他)1965/3/19live・CD

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初出時にはそのとち狂った速さとテンションと雑さと吼え声でマニアをあっと驚かせたシェルヒェン最晩年のルガーノライヴで、ウェストミンスターの素っ気無い大量録音指揮者シェルヒェンのイメージを一変させ、後支持者をやたらと増やすことになったべト全である。骨董ライヴCD販売におけるエポックメイキングな盤群でもあり、マイナーレーベルの日本盤発売を待てないという(私も含む)マニアに対し、バブル崩壊時満を持してあらわれた外資レコードショップの日本進出という現象とシンクロしてもいた。このあたりから神経質な日本のマニアの世界でも音盤における演奏瑕疵があるていど許されるようになり、却って面白いライヴや戦前録音がたくさん出回るようになった。思えば骨董CD黄金期でもあった。

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これはシェルヒェンでは唯一と思われるステレオ優秀録音によるライヴ録音集でもあり、他の悪音のものに比べても価値は高い。当初日本盤の分売であったが現在ARIOSOから廉価ボックス化している。この曲あたりが一番シェルヒェンライヴらしさがあらわれており、まずとにかく異常なスピード、必死についていくハイテンション二流オケ、それでも縦をびしっと揃えようというドイツっぽい整え方、その鋭い音符のキレ、芸風的に緩徐楽章が面白くないことを除けばこのハイテンション交響曲にはうってつけ。終演後も大拍手が入る。惜しいのだ、緩徐楽章をもっとデロデロにしてコントラストをつければ・・・いやドライな分析家のシェルヒェンにべトでそれはないだろう。○。

,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",,,"これはPLATZ再発盤。全集もあるがえらく高い。外盤はライナーが無い(ARIOSOは録音日すら記載がない)ので注意。
ヘルマン・シェルヘン ベートーヴェン交響曲
ルガノ放送管弦楽団
プラッツ

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",(参考)ウェストミンスターのスタジオ盤はこちら。ウィーン国立歌劇場管弦楽団。,"
ベートーヴェン:交響曲6&7番
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
MCAビクター

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",-----,,,,
ベートーヴェン:交響曲第7番,○C.クライバー指揮バイエルン放送交響楽団(MEMORIES)1999/2/20ヴァレンシアLIVE・CD生命力に満ちた終楽章などこのあと事実上の引退を迎えてしまう指揮者のものにしては余りに激しく余りにカッコ良すぎる。バッカスの饗宴そのものの乱痴気騒ぎでいながら一種別格の気高い気風があらわれているのはこの名手ならではの味か。終演後の凄まじいブラヴォも納得のとんでもない名演の登場である。ここではバイエルンの渋い音が硬派な雰囲気をかもし、重量感のある表現を加えて一味を示している。ところで私はこの曲は終楽章以外は苦手である。ふつうベートーヴェンファンに言わせるとこの終楽章が余りに浅薄で聴く気にならないとかいうものだそうだが、私は運命、第九しか聞かない浅薄人間なだけにその浅薄な4楽章にのみ魅力を感じる。それはこのクライバー盤でもやはりそうだった。ベートーヴェンと聴いて予想できる範囲内の音楽、と言ってしまったら言い過ぎかもしれないが、私にとって3楽章まではそういう音楽にすぎないのである。そこで他人の手を借りて3楽章までを評すると、「柔軟な音楽作りは相変わらずでしっとりとした情緒など絶品」。とりあえず○をつけておくが、◎とする人がいてもおかしくはない。モノラルであるのがほんと信じられない。ちなみにメモリーズはクライバーの死にさいしていくつかのライブを再版した。この盤もそのひとつ。ちなみにCDーR盤とは重複しているので注意(私は思いっきり引っかかっていくつか重複買いしてしもた)。(2004/9記),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベートーヴェン:交響曲第7番,◎ヴェス指揮ウィーン交響楽団(REMINGTON),,この人はもっと有名にならなければならない人。見事。オケにいつもの技巧的アバウトさはあるものの、それが「憂い」となって堅実な解釈を生き生きした血肉で彩るさまが極めて調和して素晴らしい。オケを乗らせるのが巧いのだろう。1楽章の第二主題への鮮やかな移行など、並の表現ではない。録音が古いのでなかなかおすすめするのに躊躇があるが、でもウィーンの音に対してドイツ的な解釈をゴリ押しせず、個性を押し付けないことによって汎世界的な偉大な価値を生み出しているように聞こえる。舞踏の神化と言われたこの曲は余り縦を重くしすぎたりきっちりしいすぎるとアウトである。オペラティックな表現もある程度必要であり弱音部の歌謡的な抒情性も必要不可欠である(逆説的だがブラームス的なものが必要なのだ)。抑制にVSOの音色の艶めいたバラケ具合がくわわると、何ともいえない味を産む。オケの特性にあわせた見事にさりげないアーティキュレーション付けに尽きるかもしれない。,,解釈自体は直線的で奇をてらっているわけではないが、あきらかに凡百の演奏とは違う微細な配慮が行き届いている。やわらかでいながらも「そうでなければならない」という確信がそうさせているのだ。他の表現方法へ頭を回させることがない。とにかくこのオケでこの演奏は立派という他ない。いや、このオケにこういうテンションを保たせたことで既に勝利を得ている。,,私は基本的にスピードが好きである。7番はあるていどはスポーツだ。2楽章においても決して遅く武骨になりすぎてはならないと思う。この録音はトラック間が詰まっているせいかもしれないが、1楽章からの流れで余りコントラストを感じないくらいのスピードになっている。甘さを感じさせる音色のままに弦楽合奏が開始されると、そこには仄かという範囲を超えたロマンティックな流れが生じる。こういう感傷的な演奏は生臭くなるのがオチなのだが、ウィーンの音色は絶妙にそれを感じさせない。,,3楽章は生き生きした舞踏が再び舞い戻る。しかしそれ以上にロンド的に続く緩徐部のコラールが人間的なぬくもりを感じさせ印象的である。俗っぽいと言われればそれまでだがベートーヴェンの簡潔な書法が過度に俗物的なものを寄せ付けない。いくらねっとりした壮大な表現を弦楽器がとったとしても、スピットに音量が落ちる部分でのコントラストとしての極端な静謐さがその気分を引き伸ばすことなく打ち消してくれる。この人はアグレッシブで精力的だが、案外ピアノ表現が巧い。表現主義的かもしれないがその移行はあまりにスムーズで無理が無い。,,4楽章はそれほどテンポを上げないが中身の詰まった音が気分を高揚させる。音量バランスもまとまりもこのオケとは思えない素晴らしい出来だ。多少リズムがぼやけていると感じる向きもあるかもしれないが、打点は確かである。ベートーヴェンになっている。これはホール残響のせいだろう。木管に若干の不安もあるが、全体の喜遊的な雰囲気の中で大して気にならない。クライマックス近くになると異常なテンションで弦楽器が荒れ狂いだす。VSOとは思えないヴァイオリンの一糸乱れぬ見事なうねりがティンパニやブラスを含む中低音部と見事な饗宴を繰り広げ、とても言葉で尽くせない強靭な終幕をむかえる。壮絶である。クライマックスでホール残響がいくぶん多くなるのはマイク位置をかえているのか、操作しているのかよくわからないがそれだけ凄まじい音量だったのだろう。,,もっといい音で聞きたい。私の盤は辛すぎる。でも、ハッキリ7番が伝わってきた。7番が古来のイメージどおりに伝わってくる演奏というのは結構少ない。,-----,,,
ベートーヴェン:交響曲第7番,○オッテルロー指揮ウィーン祝祭管弦楽団(concert hall)LP迫力有る演奏・録音(ステレオ初期)で圧倒される。立派な演奏だ。オケの機能性と音色美が際立っており、力強い音に忘我で聞き込んでしまう。長らく聞いてなかった曲だがこの盤を聞いただけで曲の全てを思い出した。名曲だ、ベートーヴェン嫌いの私が言うのだから間違い無い。1楽章冒頭をはじめとしてモーツアルトの時代に立ち返ったような白い音楽がベースにあるのだが、ベートーヴェンらしい強奏表現、和音の重さ、リズムの微妙なずらし、旋律における強いロマン性がちょっとモザイク的に折り混ざるさまが至極楽しめた。無論オッテルローの表現が素晴らしいせいもある。終楽章はもうちょっとトスカニーニ的なところが欲しかったが、1〜3楽章は解釈が板についていて、しかも部分的にはちょっと現代的な表現というかエキセントリックな部分も無きにしもあらずで楽しい。ちょっと意外にいい演奏でした。オッテルローはウィーンと相性がいいのだろうか。ステレオ録音の醍醐味を感じられます。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベートーヴェン:交響曲第7番,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1944/1/8liveクーセヴィツキーは古典曲に対してはけっこう客観的で常識的な演奏を行うようだ。「あー、スタンダードだなー」というのが第一聴象。ちゃんと「ベートーヴェン」を演じている。適度に熱した演奏にも関わらず非常に格調高く、踏み外した場面というのはほとんど無い。水際立った指揮ぶりが胸のすくような終楽章に傾聴。ボストンの弦楽セクションは強力だ。スピード感を失わずに最後まで見事に弾き切っている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベートーヴェン:交響曲第7番,○クレンペラー指揮ACO(archiphon:CD-R/MEMORIES)1951/4/26live・CD,テープ録音のようで意外とクリアだが劣化が激しくお世辞にもいい音とは言えない。音場はステレオを彷彿とさせるほど不自然に広いが最高音が伸びず篭ったインホール録音のような感じになっており、雑音、不安定さ含めて一般向きではない。演奏はみずみずしいものの、終楽章が意外と前に向かわずクレンペラーらしさが出てしまっている(テンポは速いし最後の畳み掛けは凄い)。激しい音表現の変化が録音のせいで削られ、アゴーギグやデュナーミクのダイナミズムを楽しむことができない。悪くは無いが、パンチがない。○にはしておく。メモリーズでCD化。,,<クレンペラーの7番(参考)>,,VPO・1956ライヴ正規盤,"
Brahms: Symphony No. 3; Beethoven: Symphony No. 7

Orfeo

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",フィルハーモニア管弦楽団・1957ライヴ正規盤,"
Beethoven: Symphonies Nos. 2 & 7

Testament

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",(ニュー・)フィルハーモニア管弦楽団とのスタジオセッション〜,,EMI原盤のどの録音かは曲の組み合わせで識別しましょう。但し時々全集盤から違う組み合わせのものも出たりしますので注意(4と7など)。,,1955モノラル正規盤,"
Symphony 5 & 7
Beethoven",Klemperer,"Philharmonia Orchestra
EMI Classics

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"
ベートーヴェン:交響曲第7番,○クレンペラー指揮VSO(ORFEO)1956/3/8live・CD,,録音が篭っており軽い。ウィーン交響楽団のクレンペラーはいつも少し足りない。VPOでもそうなのだが、オケが音響的に高すぎるから重心の低いクレンペラーの音響感覚にそぐわないどっちつかずのものになりがちなのだ。ただ、クレンペラーに欠けている音色感が付加され変な魅力を生じることも事実で、またクレンペラーの指示を音にできないというジレンマなのか内向する力感が凄くなる。この演奏でもその感がある。四楽章が遅くて重い。これはそれまでの完全に即物的な表現から一皮剥けた表現というべきか。そして最後には圧倒的な迫力の終演にいたり、客席からブラヴォが飛ぶ。神化され始めたクレンペラーの伝説の始まりを感じさせるこのフィナーレはなかなかいいのではないか。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ベートーヴェン:交響曲第7番,○クレンペラー指揮スイス・ロマンド管弦楽団(movimento musica/serenade:CD-R)(1955/3/4)1957/3/6,,スタジオ録音のLPを平林CD−Rに起こしたもので状態は良くはない。オケも思いのほか調子がよく気持ちのいい安心できる演奏ぶりだ。しっかりした描線と威厳のある表情付けがオケにしっかり浸透していて、横広がりの晩年様式でも即物主義的な若年様式でもない、クレンペラーらしさがいい方向に向かった感じで非常に聞きやすい。3楽章までは素晴らしく勢いのある、しかし速すぎもしないまさにベートーヴェンそのものだ。しかし4楽章はどうだろう、遅い。クレンペラーの論理からすればこの第九を予告したようなパセージも織り交ざる7番の終楽章として、楽天的に舞踏を煽るのは世俗的に過ぎる、すなわちここでは遅いテンポで引き締まったアンサンブルを雄大に描くのが正しいのだろう。縦線がしっかり揃っているためリズム感は素晴らしいのだが、ちょっと違和感を感じたのは余りにトスカニーニに私が毒されているせいだろうか。そういえば他の録音でもクレンペラーのものは時期によらずみな遅かった気がする。これは好き好きでもあるかもしれない。じじつ、この楽章は世俗的表現がいくらでもとれる気がする。後期ロマン派的な表情はいくらでもつけられるだろう。何せこれに範をとったような交響曲はその時代たくさんあったのだから。全体構成がとてもしっかりしていて、その中でのこの4楽章の表現は正しいバランス感覚に基づいている。素晴らしい演奏だが、録音瑕疵も含め○。()内はLP表記で誤記らしい。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ベートーヴェン:交響曲第7番,○クレンペラー指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1962/11/3live,,フィラ管とのベートーヴェンはライヴ記録がいくつか残っており、いずれも精度より力づく、というクレンペラーらしさが他のフィラ管指揮者と違う演奏をひね出しており面白い。とにかく洒脱さ流麗さは皆無で、音の重さが違うしリズムの重さが違うし、ただでさえ物凄いフィラ馬力がすべて縦の方向に地面を踏み鳴らすために使役されている。さすがに終楽章の遅さは如何ともしがたくちっとも前に向かわない演奏、音符間の空疎さに違和感しきりだが、録音の悪さが迫力を増している側面もあり飽きることは無い。ほんとうに独特で、ある意味クレンペラーのべト7の究極進化形とも言えるかもしれない。華麗なフィラ管にここまでドイツ臭く雑味の濃い音はクレンペラーにしか出せない。この遅さ重さにもかかわらず大ブラヴォで終了。○。,,"クレンペラーのべト7についてはこちら",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ベートーヴェン:交響曲第7番,○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(放送)1970年代/4/6ブダペストlive,,強奏部になるとぶっ放し音が鳴り響き、合奏ではブラスが突出する、しかし弱音のやり取りはなかなかバランス良くビシッとアンサンブルを決めてくる。ブラームス的なベートーヴェンで、後期ロマン派として聴けば非常に納得感のある演奏。最盛期ソビ響の激烈アンサンブルは当然四楽章でハデハデに炸裂するので安心だ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第7番,"○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(""0""""0""""0""classics:CD-R)1960/10/8live",,がっしりしたドイツ的な演奏で、1楽章の冒頭から余りに縦を意識する余りなかなかテンポが前に向かっていかずこの曲ならではの愉悦性が感じられない。バラケすら感じさせる。中間楽章はなかなかだが終楽章でも縦の重さが気になり、フォルムががっしりしすぎてボストンのドイツ的な側面を引き出してしまい、格調はあるがノリという面ではイマイチしかめっつらすぎる感がのこった。だがブラヴォ大拍手。○。,"",-----,,,,,,,,,,,,
ベートーヴェン:交響曲第7番,○メンゲルベルク指揮ACO(PHILIPS/ANDROMEDIA他)1940/4/25live・CD,,何故かしっくりこない演奏が多い気がする。粗いとはいえこの古典的名演は光っている。ワルターほどの激烈なテンションはないしストコほど変な解釈もないけど、トスカニーニやクライバーの一種即物的な軽さが無い、ベトとしての重量感を音響に保ったうえでハメを外さない絶妙なリズム感が、嗚呼この曲ってこうだよね、と思い出させてくれる。余りに有名ゆえに正統でない演奏が正統になってしまったというか・・・メンゲルベルクが正統とはスコア上決して言えないにせよ伝統的と感じられる。緩徐楽章は無難だが、リズム楽章は素晴らしい。ANDROMEDIAはいじりすぎ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第7番,クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PASC)1944live,,四番とともにpristineの新発掘とのこと(演奏日が明確になっていないため同年の1/8live録音と同一の可能性は残る)。同じくレストアしすぎて擬似ステレオそのものだが、より音が良かったようで拡がりがあり情報量もある。ただ、ストコフスキのそれのように、音楽が開放的に聞こえてしまい、ベートーヴェンらしさを却って損ねている。おなじくノイズや傷もクリアになってしまいストコフスキ録音と聞きまごうような音になっているのは痛い。初期ステレオ、とくにトスカニーニ最晩年ライヴによく似た聴感なのは、スタイルの近似ともども「いやステレオじゃなくていいのに」と思う。トスカニーニ最晩年同様、音のキレがなくなっているのも聴こえてしまう。しかしプレスト楽章と終楽章終盤は流れにはクーセヴィツキーらしい熱気を帯びながらブラスの冷静なテンポ感に象徴されるように愉悦的なリズムに不可欠の縦の厳しさが保たれ、聞き所とはなっている。四番よりは勧めないが、一部分においては至極まっとうに聴ける。楽章間に拍手が入るのはいかにもアメリカだ。そのくせラストの拍手はカット。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第7番,クレンペラー指揮北ドイツ放送交響楽団(music&arts)1955/9/28liveクーセヴィツキーなどとは全く異なる異星人。重々しいテンポ、決然とした表現、要所で響くティンパニの重い破音。スピードもないし、ドイツ的かといえばそうでもない。ベートーヴェンを解体し、クレンペラー式の重々しい曲に仕上げている。クレンペラーのベト7は他にもあるが、みな同じ印象をあたえる。この曲ではやや客観にすぎるきらいもあるが、クレンペラー独特の世界ではあり、こういうものが聴きたくなるときもある。スケール感だけはばかでかい。これは特筆すべきことだろう。あと、非常に格調が高い。これは管や打を弦と同等もしくはそれ以上に響かせる事によって音に奥深さをあたえ、聴感を古典曲にも似たものに仕上げている事にも起因しているだろう。面白いが好みはわかれそうだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベートーヴェン:交響曲第7番,ストコフスキ指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1971/6/19LIVE,,ステレオだがヨレが目立つ。演奏はテンポが重く壮麗に過ぎる。この曲にスケールの大きさを求める向きにはいいかもしれないが、やはり舞踏曲として聴きたい。オケの特性もあろうが音響が軽く高音偏重にもかんじる。またクリーヴランドがセル以外の指揮者の前で見せた一種だらしなさもあり、ライヴとはいえ、勧められない。一音一音に美しさを求め全体の緊密さより大事にしようというやり方はドイツ派の曲には向かない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第7番,セル指揮クリーヴランド管弦楽団(DA)1968/2/7ボストンlive 放送,,同日のプログラム5曲が二枚組に収録されているが、録音状態が異なりアナウンサーも変わったりするので別の音源から取ったものを寄せ集めたか。いずれもステレオではあるものの、ベートーヴェンについては状態が劣り、始めのほうはアナウンスからして心許なく、最後のほうは僅かに音飛びしているようだ。演奏も始めは客観性が強く、スピードも一定して遅く、響きは拡散的で迫力に欠ける。オケのキレの悪さは舞踏の神化と呼ばれた同曲には致命的だ。セルの非正規ライヴ音源には時々こういう覇気の無いものがある(最初のトラックのウォルトンのパルティータについてもセルにしては弦のキレがなく、やる気が少なく感じた)。遅いインテンポは変わらないが三楽章になるとブラスと太鼓で派手な響きを打ち出し、アンサンブルの緊密さで激烈さを演出するのではなくサウンドとしてムリクリ激烈さを出している。この楽章はそれでも緩徐部があり爽やかな響きが耳を休ませるので良いが、四楽章はそのスタイルのままただ拡散的に音を轟かせて、客観的な視点からいかにもわかりやすさを演出しており(トスカニーニの新即物主義とは根本的に違う)、確かにブラヴォでおわるのだが、ボストン交響楽団にはないものを持っているのはわかるが、この流儀の演奏としてはお仕事感が強かった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第7番,ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィル(ASdisc)1946/1/6liveベト7の聴きどころといったら勿論終楽章、”舞踏の神化”といわれた楽章だろう。なめらかで気持ちの良いデュナーミクにのせてロジンスキは筋肉質な演奏をくりひろげる。ニューヨーク・フィルはやや音が薄いが(録音のせいでもあろう)よく統率されている。3楽章プレストも面白い。いや、終楽章よりこちらのほうが聞き物かもしれない。弦楽器のめざましいアンサンブルが心地よく耳を揺らす。ロジンスキの古典曲演奏については全く知らないが、ベートーヴェンの奇数交響曲はその芸風にあっているのかもしれない。ただ、「ベートーヴェンらしさ」は希薄かも。気風の高さ、気高さが感じられない。ロジンスキはやはりロマン派の人だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベートーヴェン:交響曲第8番,○クレンペラー指揮ACO(archiphon:CD-R)1949/5/1live,溌剌として曖昧さの微塵もない快演。リズムのしっかりしたクレンペラーだがそこに引きずられることのない同時期のバランス感覚が、もっともいい形で現れるのはやはりベートーヴェンだろう。8番は冒頭こそ有名だが結構マイナーな曲だと思う。それは均整感や完成度という面ですばらしい域に達しているものの楽想のアピールや発想の前衛性において後期のほかの交響曲と比べるとやや地味であるところに起因しているようにも感じる。演奏によっては地味さが倍増して聞こえてしまう。だがこの8番は終始7番のノリで楽しい。明るく古典的な明快さをリズム感とスピードによって提示し、終始同じような調子ではあるけれども、最初から最後まで聞きとおさせる「連続性」が売りだ。さすがに終演後の拍手も盛大。だが、録音は最悪の域。○。,,<クレンペラーの8番(参考)>,,解釈の基本は同じ。時期的にも軽やかさを保ったクレンペラーの意外な一面を楽しめます。,,ACO・1956/5/17ライヴ盤(music&artsで出ていたものと同じ、共に非正規注意),"
Beethoven: Symphonies Nos. 6"," 8 & 9

GOP

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",フィルハーモニア管弦楽団・1957正規スタジオ録音盤,"
ベートーヴェン:「運命」& 交響曲第8番
クレンペラー(オットー)
EMIミュージック・ジャパン

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",組み合わせの運命が名演で有名。他にも組み合わせを変えるなどして何度も出ています。,,フィルハーモニア管弦楽団・1966ライヴ正規盤,"
Beethoven: Symphonies Nos. 1 & 8; Grosse Fuge

Testament

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ベートーヴェン:交響曲第9番,○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団他(MELODIYA他)1960':LP(CD化?)オケ名は疑問有り。恐らくソビ響だと思う。録音状態も私の盤面も惨いのでちょっと評価しづらいところがあるが、野趣溢れる演奏と言える。といいつつ私はどうもこのガウクやサモスードやハイキンのいわゆるいにしえのロシア大指揮者たちの芸風を掴みかねている。確かにロシアのオケや歌唱にはつねに素朴・強引・技量の高さの三点が揃っているから「野趣溢れる演奏」とは言えるのだが、それは指揮者のものではない。ゴロワノフは関係無い変な位置にいるから放っておくとして、この三名の演奏で「これは絶対この人!!」というものを私は知らないのだ。そういう点からするとムラヴィンスキーは凄かったわけで、ロシアでは逆に極めて個性派だったと言える。ガウクの演奏はハッキリ言えば「大味」であり、それは大曲になるにつれ際立ってくる。だがしかし。この「第九」は必ずしも大味とは言い難い。我々はフルトヴェングラーを初めとする異様な演奏を知ってしまっているのでガウクのこれに新味は薄いのだが、声部間のバランスがとても良いのだ。モノラルだが音場は広い感がある。迫り来る気合いのカタマリのような弦、頂点にて偉大な光彩を放つ分厚いブラスのバランスが野暮なガウクというイメージからは「多少」離れた安定感をもたらしている。設計はやや単調。奇をてらうところが微塵も無いのが意外といえば意外だ。いつものバラケも殆ど無い。音色にやや幅があるかなといったぐらいだ。あと忘れてはならない、この演奏、終楽章の歌唱・合唱は全てロシア語で行われている!そこが異様。その独自性を評して私は○をつけたと言っていい。ロシア語馴れしていない者にとっては何か昔のラテン語か何かを聴くような、これはこれで面白いカツゼツの妙を感じる。奇盤好きは必聴だ。録音の問題は看過できないところもある。終楽章がとくに編成が大きいせいか遠く引いてしまい平板に聞こえる。またとくに一個所かなりハッキリした編集痕が聞かれるところがあり、びっくりする。声部ごとの微妙な調整はいいのだが、完全に音色や雑音、バランスが変わっているところがあるのだ。マイクを違う位置に複数立てて、この中途半端な箇所でいきなり切り替えたように感じたのだが如何なものなのだろうか。最後の残響をブチっと断ち切ってギリギリLP半面に納められている1−2楽章も気になった。これは復刻されることがあれば恐らく修正されるものだと思うので、その時まで待ちましょう。3楽章に言及せねば。この演奏、各楽章いずれもイマイチクライマックスの盛り上げが足りないのだが(ダイナミックレンジの異様に狭い録音のせいかも)3楽章はいちばんイマイチ。もっともっと歌うべきだ、ガウクともあろうものが。とても古風で普通の楽曲に聞こえた。私にとってこの楽章の指標にはワルターがあるのでひときわそう感じたのかもしれない。ワルターはやりすぎだけれども。そんなところか。正直期待外れな感もあるが○ひとつつけておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベートーヴェン:交響曲第9番,◎ジョルジェスク指揮ブカレスト・エネスコ・フィル他(LYS他)1960-61・CD,,見事だ。このリズムのキレの良さ、ガシガシいうアタックの強さ、スピード、3楽章は少々印象に薄いが、見事に最後までワクワクしながら聞きとおせた。フルヴェンコピーとか多い世代で、なおかつドイツで活躍していたわけだからドイツ式、ときそうなものだがオケのせいかちょっと違う。いい意味でニュートラルで、厳しい見方をする人なら弦のザッツに甘さを指摘するかもしれないがそんなこと言ったら殆どのフルヴェンの演奏も否定しないとならない。これは録音時期が新しいからそう「捉えられた」だけだ。そう、音もいい。LPではエレクトローラだかどこかが出していたと思うが、LYSの恐らくLP起こしの音でも十分迫力あるステレオサウンドで楽しめる。ステレオだが左右のマイク距離が狭いせいかモノラル特有の求心力の強さも併せ持つ録音になっており、スケール感には欠けるが、とにかくウキウキするような高揚感を伴う行進曲のような楽曲に仕上がっている。うーん、やっぱこの人は後期ロマン派には似合わない。チャイコのつまらなさとは格段。◎!,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第9番,クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニアO、ジャネット・ベイカー、シルレイほか(CD-R)1970年ライヴ1970年チクルスの記録とされている怪しいCD−R全集の一部。実に優美で壮大な世界が構築されており、この超低速に殆ど乱れることなくアンサンブルを続けるオケの高潔な響きも出色です。個人的には2楽章が気に入っています。最晩年のクレンペラーの貴重な実演記録ですが、結構柔和な表情が意外でした。恐らく放送をそのまま録音したとおぼしきモノラル録音です。年代がら映像も残っているかも。計80分以上。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベートーヴェン:交響曲第9番〜T抜粋,◯エリアスベルク指揮レニングラード交響楽団(ペテルブルグ放送)1963?,,冒頭から二箇所アナウンスを重ねてのごく一部の抜粋のため評はできない。しっかりした勢いのある演奏のようだ。全曲は1974/12/10のライヴがネット配信されていた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」,◯エリアスベルク指揮レニングラード交響楽団、グリンカ教会合唱団、アンドルシェヴィチ、ティクニュス他(放送) 1974/12/10live,,大変引き締まった演奏で、二楽章が素晴らしい。オケはウィーン交響楽団みたいなものでかなり問題はあるのだが、エリアスベルクの気合が曲をしっかり芯の通ったものに仕立てている。四楽章冒頭の弱々しさが気になった他は私は文句が無い。第九にふさわしい名演。合唱も覇気に満ちているがソリストは私には力不足でよくわからないすいません。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」,○イワーノフ指揮モスクワ放送交響楽団他(MELODIYA)1972/10/12live,,非常に充実した演奏ぶりでさすがベートーヴェン指揮者として国内でならしたイワーノフの「第九」である。ライヴならではの迫真味がありまるでフルヴェン先生のもののように力強く迫ってくる、もっとも解釈は一直線の棒状のもので剛速球スタイル、だから緩徐部・楽章では少し飽きる。ただこの超スピードは魅力的で、弦・打がまた素晴らしくキレている。ロシアのライヴものというとグダグダな箇所が一箇所はあるものだが、曲が曲とはいえ(ロシアでもベートーヴェンは昔から楽聖なのである)、この集中力とそれをリズミカルにドライヴするイワーノフの力量は並ならぬものがある。録音バランスのせいだろう、ブラスがやや引きで入っており篭る感じもあって◎にはできないが、あきらかなロシア奏法で19世紀的に処理される音響も含め、現代の耳には新鮮で面白く聞こえる。ロシア語歌唱。ハラショーが僅かに聞こえる。イワーノフは世界に一握りくらいマニアがいるらしく、たまに出物があるとすぐ売り切れるから要注意だ。私も3枚ほど探しているがいつも出遅れる。左欄にシェヘラザードなどを挙げているが、リムスキー指揮者としても有名だった。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」,○メンゲルベルク指揮ACO(PHILIPS/ANDROMEDIA)1940/5/2LIVE・CD,,活き活きした名演。録音は歪むが仕方ない。1楽章では構造を無視したソロパートのルバートが特徴的。合奏部が性急なインテンポで通しそれにソロが後から辻褄を合わせることで全フォルムの崩れを避けている。スケルツォなど特にそうだが短く切り詰めた音符と明快なアクセントがいかにも厳しく雄こんでベト的だが、音色はウィーン的な艶があり、3楽章にその魅力がよく出ている。木管が非常に美しいがこの録音で唯一はっきりヴァイオリンのポルタメントが聞かれる楽章でもあり、4楽章の旋律表現に引き続くカンタービレ表現もきわめて美麗。独唱合唱もがっちり組み合い、ブレもミスも許さない指揮者の専制君主ぶりがハッキリわかるが、団員の自発的としか思えないボリュームある表現は両者が杓子定規な関係でもなかったことを推測させる。音楽は数十人からの高度な共同作業であり、一人のコンダクターがスイッチを入れれば変わるような機械的な単純作業ではない。末尾の大ルバート以外は違和感はなかった。,-----,,,,,,,,,,,,,
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」,A.ヤンソンス指揮ベルリン放送交響楽団他(WEITBLICK)1973/12/31LIVE・CD,,,やっぱりロシアの指揮者だな、と思う。歌謡性の強いパセージでは太く歌わせるが、他はわりとおおざっぱなまとめ方というか、オケのせいもあろうがケーゲルの劣化的な感じがあり、客観性が露骨に出て没入できない、しかも大半オケのザッツが綺麗に揃わず、弛緩したように聞こえてしまう。4楽章の歌唱直前にいきなり厳しく揃いだすと、ドイツっぽい音に独特の抑揚が盛り上げまくる。ここまでくるとオケのパワー不足が合唱に補われ、本来こういうのがやりたかったのか、というのがわかる。歌唱合唱の扱い、バランスはほんとに素晴らしい。オケをこう教科書的に整えたのは素晴らしい独唱合唱とのバランスか、とも思った。たまに盛り上がりの直前に溜めるような独特の抑揚はスヴェトラを彷彿とさせるが、全体がケーゲル的な解剖学になっているのが興味深い。スヴェトラが没入型ではなく予定調和型指揮者であり、この透明な解釈世界とそんなに離れていないことを改めて認識させる。スケールの大きさがまたガウクよりスヴェトラを彷彿とさせる。音源がデジタル圧縮ものか放送エアチェックものなのか、左チャネルに耐えがたい雑音が入ることがある。盤の不良だったら申し訳ないが、録音自体もデジタルなクリアさはあるが雑で悪く、キンキンして聞き辛い。全般、生なら迫力あったろうが解釈が好悪わかつのは間違いなく音だけではお薦めとは言えない。だれるし。無印。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」,ミュンシュ指揮日本フィル他(otaken)1962/12/27live・CD,,有名なライヴだが客席反応は慎ましやか。慎ましやかに思えるほどミュンシュ的な小股の切れ上がったリズム、しかしガシガシ重量感のある発音で、とくに歌唱が入ってからが素晴らしい。冒頭からはすこしひなびた、音量に抑制の効かない音色が、やはりこうなのかなあと思わせるが、最後にここまで熱せれば良い。いい意味でドイツ的でもアメリカ的でも、むろんフランス的でもないミュンシュ。ベートーヴェン好きはどう思うか知らないが、圧倒的歌唱、日本の演奏陣にも拍手を贈りたい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」,ロジンスキ指揮トリノ放送交響楽団他(SLS)1956/2/2,,フルトヴェングラーを想起させられざるを得ないが緩急の付け方が非常に滑らかで恣意的な表現が気にならない。ザッツが揃わながち、いつものロジンスキとくらべオケの統制がゆるい感じもするものの、このオケだから良い方。揺れない(僅かに前へ流れる)テンポに対し急進部の強靱でリズミカルな表現や緩徐部にあらわれる歌心には惹かれるものがある。雑味があったとしても弦楽セクションは褒められて然るべきだろう(三楽章一箇所ポルタメントはこのオケらしいなと苦笑)。木管の音色も美しい。冒頭からブラスがトチる性急な四楽章には賛否あろうがここでも弦楽の歌心が際立って私は好き。緊密なアンサンブルも楽しめる。歌唱もロジンスキ流にのっており違和感はない。終盤の合唱は力強く偉大にひびく。毅然とした、がっちり組み上がったスケールの大きい演奏を好む向きには甘く思われるかもしれない。それを考慮したうえでも飽きさせない解釈ぶりには引き込まれるものがあった。録音はSLSクオリティでノイズが酷い(ロジンスキライヴ録音クオリティとも言える)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベートーヴェン交響曲第1番,○ヒンデミット指揮スウェーデン放送交響楽団(andromedia)1955live・CD,,アグレッシブで重めの響きがかっこいい。いかにもヒンデミットの指揮といった様相を呈しており凄く個性的であるとか即物的であるといったことはなく、普通のロマン派音楽の演奏として楽しめる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ペッピング:交響曲第2番,フルトヴェングラー指揮BPO(arkadia/melodiya)1943/10/30初演live(4/31?)・CD,,melodiya盤の音はノイズを削り過ぎたのかボロボロで音像も安定せず耳に痛い。残響も加えたか?曲は保守的。それなりに和声含め新味を持ち込もうとしながらも、レーガーのような手堅さが目立ち、ヒンデミット的な構造の古典志向はあらわれながらもまったくヒンデミットの前衛手法に近寄らず、一楽章は所々単純なリズムの強調、予想通りの表現、ベートーヴェンとしか言えない。二楽章はエルガーにも似て旋律的で、不穏な挿句を交えつつ基本的には穏やかな流れが厚い響きの上に乗り聴きやすい。フルトヴェングラーなので少し過剰にドラマティックに感じるところはある。オケが力強すぎるのかもしれない。三楽章はドイツ的なスケルツォで、ちょっと民族的な趣のある挿句、ワグナーのように強靭に吠えるブラス、中低音域の活躍する、同曲の中ではフランツ・シュミットレベルの個性のあらわれた、だがしかし単に後期ロマン派に古典的な構造性を持ち込んだもの(ブラームスには似ない)とも聴ける楽章。やかましいスケルツォで長く感じる。四楽章は晦渋だがけして耳に辛くはないメジャーなんだかマイナーなんだかふらふらしたようないかにも世紀末音楽ふうの出だしから(世紀末ではないのだが)。弾きづらそうな変なシンコペーションもフルトヴェングラーとベルリン・フィルは押し通してしまう。半音階的で諧謔性を孕むキッチュな楽想からオーボエより提示される暗い旋律は古典的というか、ちょっと他にない感じ(だが新しくは感じない)。木管の重ね方はマーラーも思い出す。太鼓とブラスをバックに跳ねるキッチュな楽想は弦楽器の協奏的なやり取りを前に壮大さを獲得する前に断ち切れて終わる。拍手カット。アメリカアカデミズムのマイナー曲よりは聴けるが、アメリカアカデミズムのマイナー曲がキャッチーなフレーズを挟んでくるのに対して、こちらは構造に没入するあまり聴衆受けを考えていない模様。二度聞く気にはならない。初演は一回しかないのでデータはいずれにせよ同じもの。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベネット:ヴァイオリン協奏曲イ調(一般的な様式による),○カウフマン(Vn)バーナード・ハーマン指揮ロンドン交響楽団(PRSC)1956/5/20BBCスタジオ放送(英国初演),,素晴らしい掴みを持つ曲で、ルロイ・アンダーソンのような魅力があって、通俗的な部分含めたまらない。しかしソロに要求されるテクニックはクラシカルな王道の難しさ。この職人的な書法の融合ぶりがとても面白い。カウフマンはこの作曲家の初演をよく受け持っているようだが、安心して聴ける技巧家である。とにかくハーマンが振ってるからという意味もあって、古きよき楽しさがある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベネット:ソング・ソナタ,○カウフマン(Vn)ザイデンベルク(P)(forgotten records:CD-R/concert hall siciety)LP,,通俗音楽系の作家のようだが寡聞にして聞かない。曲自体はいかにもアメリカ近代のもので、適度にモダンに書き込まれているが、「歌謡ソナタ」とあるとおり基本は平易な旋律音楽。印象派的な感傷性を孕んだハーモニーがふんだんに盛り込まれているが、寧ろフランクやサン・サンのものに近いか。俗謡主題をラプソディックに展開するところなど初期ディーリアスのようなみずみずしい表現がみられ、構造的には生硬さもあるものの比較的手馴れた作曲手腕・・・部分的に新味はあるけれどブルーノートを混ぜる程度の通俗的な「幅」の中に納まってしまう程度で複雑ではない・・・を素直に楽しむのには向いている。珍しく四楽章制のヴァイオリン・ソナタだが、それゆえ交響曲的発想を思わせるところがあり、終楽章終盤でピアノから主旋律が対位的に再現されるところなど「ヴァイオリンソナタでそれをやるか!」といった具合で、それが面白いといえば面白い。カウフマンは太くブレの無い音を駆使し、この単純な曲に多用される長い音符をだれさせない。下手な奏者だと陳腐に過ぎる結果を招きかねないから、ここはクラシカルな演奏家としての腕の見せ所だろう。演奏的には過不足ない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルガー:ロンディーノ・ジオコーソ,○ベーム指揮SACHSISCHE STAATSKAPELLE(ZYX MUSIC)1940初出・CD92年まで生きた作曲家だが、フランツ・シュミットに学んだウィーンっ子、とても20世紀の作曲家とは思えないロマンティックな作風を持つ。この曲はとても短いが面白い。奇矯な輪舞、いかにも現代的でありながらも、わかりやすい。ストラヴィンスキーの新古典期作品を思わせるところもあるが、わかりやすい。ごくわずかしか曲を残さなかったベルガーだが、もっと書いていてくれたら面白かったのに。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,○ガライ(Vn)ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(DEUTSCHE SCHALLPLATTEN,ETERNA)LPちょっと録音が古いがすっきりとした出だしから早めのテンポで進む音楽は割合とロマン派的な情感を孕んでいる。交錯する複雑な音はかなりすっきり整理され、透明で立体的な響きが美しい。流れもしっかり整理され、ケーゲルの設計の上手さが光る。ソリストはそれほど個性が無いのがかえってケーゲルの解釈を際立たせていい。かと言ってソリストが悪いというわけでもない。よく曲と調和した表現である。スケールも大きく感情の揺らぎがオケと共に実に的確に描き出されている。充実感を味わえる演奏です。納得の出来。古いので○にしておくが。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,○クラスナー(Vn)ウェーベルン指揮BBC交響楽団(CONTINUUM/PHILIPS)1936/5/1LIVE・CDこの曲の演奏としては別格と扱われている名盤である。初演者クラスナーが秘蔵していたアセテート盤が発掘されCONTINUUM盤で現れたときの衝撃は凄かった。ウェーベルンの指揮記録としてもほとんど唯一のものとあって(他はごく短い曲の録音があるのみだ)注目を浴びた。もともとベルクの死後ウェーベルンが初演指揮するはずだったのだが拘りまくるウェーベルンの準備が演奏会に間に合わず、結局急遽シェルヒェンが振った(さすがシェルヒェンである)とつたえられる。これはその後で改めて行われた演奏会の記録であり、その解釈にはやはり相当に前衛的なものがあると言えると思う。この音質の中でも尚響きへのこだわりは仔細に至るまで行き渡っており、ベルク的な感傷性はまったく排されて、クラスナーともどもじつに「純粋に芸術的な」演奏になっている。これは若干の皮肉を込めて言っているのであるが、この曲につきまとうマーラーの亡霊、「可憐な天使」の亡霊、ベルク自身の亡霊、古き良きウィーン・オーストリアの亡霊は全員しっかり除霊され、成仏してしまっている。BBC響というところがまた因縁を感じさせるというか、非常に機能的で怜悧で交響的で現代音楽を得意とするようになるこのオケが、この時点でも既にこういう清潔な美感を伴う正確な演奏を行えるだけの力と個性を持っていたことに驚かされる(ボールトのBBC響が、である)。クラスナーは別掲の演奏が正規録音で残っているが、そちらはあきらかにベルク的な生ぬるさを漂わせたロマンティックな音色の目立つ演奏であり、この一期一会の追悼演奏会にさいしてクラスナーは完全にウェーベルンの掌中に入り、ウェーベルンの冷徹な美意識に従った精妙な音楽を注意深く作り上げていったのだな、と思う。とても36年の演奏とは思えない、雑音を除けばまるきり現代の演奏と言っても通用するのではないかという演奏だ。好みの問題で○に留めておく。この演奏でこの曲に目覚める人もいるだろう、しかし普通の音楽を楽しむ人が最初に聞くべき演奏ではない、理解されにくい、前衛音楽の須らく持つ拒絶感の確かに漂う演奏だから。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,○クラスナー(Vn)フリッツ・ブッシュ指揮王立ストックホルム・フィル(RSP,IMG/GUILD)1938/4/20LIVE・CD,,とても厳しい演奏であり特筆できる。クラスナーはこうして聴いてみるとたいして巧くない感じがするし、バックのブッシュも渋くて頑固なだけの演奏を繰り広げているように聞こえる。だがその両方がたんに録音が悪いせいでそう感じるだけかもしれないので深くは追わない。なかなか聞きごたえがある重厚な演奏ではあるし、かなりドラマ性のある激しい演奏なので、ウェーベルン盤の神経質さやスタジオ盤の生生しさに違和感を感じる向きはあたってみてもよきかも。オケけっこうウマイです。個人的に夢のようなワルツのフレーズはもっと幻想を込めて欲しかった(いつも言ってますが)。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,○クラスナー(Vn)ロジンスキ指揮クリーヴランド管弦楽団(COLUMBIA/LYS/SLS)1940/12/15・CDクラスナーはこの曲の委属者であり現代音楽奏者の草分けの一人である。ここで特徴的なのはベルクの官能性を前時代的な感性に反映させ、豊穣な音楽の中に埋没しているウィンナーワルツだとかマーラー10番ぽい旋律だとかを引き出して魅力的な曲調に仕立てているところだ。この曲を現代曲とするのか末流ロマン派とするのか、まあ作曲家の分類に従って前者とすることが多いと思うが、この演奏ではとてもゲンダイ曲とは言えない。ロジンスキはやや没個性的な棒で付けており物足りないが、とにかくクラスナーの甘い音楽に陶酔してしまう、そういった演奏である。ワタシ的には面白い演奏だった。やっぱ調性だ(謎)。○ひとつ。SLS盤は録音日付が明記されているが同じと思われる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,○コーガン(Vn)ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国営放送交響楽団(YEDANG)1966/10/3ロシア初演コーガンは高く澄んだ音を出す。しかしそれはシェリングほどの個性には結晶していない。私はどうもコーガンが苦手、というか巧いのだけれども(技術的にはとんでもなく凄いのだけれども)、イマイチその音にのめりこめないのだ。しかし、この演奏は美しい。そしてわかりやすい。天使の過去をうつした第一楽章はまったく名演。それはオケの好演も含めてだが、ここにはまさにベルク、前衛とロマン派の幸福な出会いがある。コーガンの歌い込みは的確でシャープだ。個人的に第二楽章より第一楽章のほうが好き(というかわかりやすい)な私はそれだけでもう○ひとつをつけてしまう。にしてもソヴィエト国家がよくこのようなリアリズムから遠く離れた楽曲の演奏を許したものだ。いや、この演奏だから許せたのかもしれない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,○シェリング(Vn)クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(ARTISTS)1976ミュンヒェンLIVE・CD録音はかなり優秀。演奏も素晴らしい。ただこの解釈は本道ではないような気がしたので(甘美さが排されている)○ひとつとした。シェリングの音色や奏法は聴き馴れてくるとかなり独特であることに気付く。清潔で硬質な響きゆえに純粋で何の色にも染まっていないかに思えるが、「清潔で」「硬質な」点においてまったく独自性をはなつ奏者である。特徴的な柔らかく細かいヴィブラート(コブシをきかせるように時間差でかけるところなんて独特)、透明な高音の響かせかた(この演奏はちょっと弓圧が強すぎる気もするが)、確かに個性的なのだ。オケも熱気よりも響きの美しさを重視したようなところが見える。このオケこの指揮者にしてはちょっと珍しい。最初からテンポが速く緊密な演奏ぶりはバイエルンそのものなのだが。全般に北方的で、シマノフスキの2番みたいな演奏と言えばたぶん一番しっくりくる。シェリングのシマノフスキを聞いた人なら同意してくれると思う。とても美しい演奏ではあるので、機会があればぜひお聴きください。私はタワーで新品を手に入れました。(2004/5記),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,◎シェリング(Vn)クレンツ指揮ポーランド国立放送交響楽団(PRELUDE&FUGUE)1958LIVE・CD非常に集中力の高い演奏で、他盤と比べても極めて強い意志の存在を感じる。とても迫真味があるのだ。シェリングにしては美麗に走らず入り込んだ激しい演奏を繰り広げている。だからといって荒くはなっていない。しなやかで個性をほどよく生かした演奏といえようか。いつものシェリングのコブシをきかせたヴィブラートや独特の音色はまるで忘れられたように聞こえてこない。ひたすら音楽にのめりこみ、ストレートに表現していっている。オケ、独奏者ともどもとても調和している。クレンツはあまり器用な指揮者の印象がなかったのだがここではとても巧みな音色操作を聞かせている。透明感があり曲の灰汁を程よく抜いている。ポーランド放送響も巧い。この演奏が今まで聞いた中でもっともしっくりいった。調性的な部分をもっと感傷的にやってほしいかたもいるかもしれないが、曲の性格上そこだけを思い入れたっぷりにやるのもおかしいように思う。ともかく個人的に◎。ステレオと書いてあるが見事にモノラルです。このレーベルはスイスのマイナーレーベルだが2004年5月現在容易に入手可能なようである。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,○シェルツァー(Vn)ケーゲル指揮ドレスデン・フィル(DEUTSCHE SCHALLPLATTEN/EDEL CLASSICS)1992・CDシンフォニックな演奏で、ソロヴァイオリンがバックオケの中に溶け込んで総合的にとてもスケール感のあるドラマティックなものに仕上がっている。私はこの曲を聞くとやはりどうしてもマーラーの影を感じてしまうのだが、ケーゲルの演奏ではいっそうそれが強く感じられる。ソリストは冒頭やや生硬だが終始実直な演奏ぶりで好感が持てる。特徴的な解釈とか強靭な表現力というものはないが、世に溢れるゴリ押し系の奏者とは違って「引きの音色」で演じ上げており、弱音部での繊細な音とフレージングはとても美しく、儚い。はかなさはこの曲には必要な要素だと思う。夢幻の中に遊ぶ幼女の姿を彷彿とする末尾など崇高な中にも感傷的ですらある。演奏全体としては迫真味においてケーゲルの別盤に一歩及ばずという印象を持ったが、いい演奏である。聞けば聞くほど味の出る演奏です。○。ボックスで一気に廉価再版されました。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,○シゲティ(Vn)ミトロプーロス指揮NBC交響楽団(inta glio/MUSIC&ARTS)1945/12/30NYLIVE・CD感情的な揺らしの無い純音楽的解釈だがじつに熱気溢れる凄演。裏板に響くシゲティ独特の音色に酔え!・・・といった感じでしょうか。シゲティは楽譜の解釈はストレートだが指使いに確信犯的な危うさを込めており、発音が不明瞭になる(正確さが失われる)一方で異様な色艶を付けてくる。そこがスキモノには堪らない。どんな曲でも基本的にそういうスタンスで弾いているので、若輩どもは「下手じゃん」と一蹴するだろうが、ちょっと知っている者には面白くてしょうがない。弓使いも独特で、ギリギリ弾くのでもメロメロに弾くのでもなく、太い筆で大きな紙にズアっと一文字を描くように弾く。そこには味の有るカスレやぐっと引き込まれるような勢いがある。まあ、単純に、いい音を出す。ザッハリッヒな奏者とみなされていたシゲティの、でも確実に古き良き時代をつたえる音を楽しもう。ベルクのこの曲はシゲティ的に捌かれているのがちょっと違和感を感じさせなくも無いが、それでも曲の美質がよく引き出された演奏になっている。無調旋律を無調旋律と聞かせないシゲティの手腕はこの十二音列手法を用いた作品でも遺憾無く発揮され、「あれ、これってぜんぜんゲンダイキョクじゃない」とさえ感じさせる。ミトロプーロスのバックは結構即物的だがシゲティと堅固なアンサンブルを構じている。とても相性のいい組み合わせだ。シゲティは楽想と楽想の間の変化をあまりはっきり描き分けず、ともすると単調ととられかねないほどに一本調子なところもあるが、流れをただ追っているぶんには心地よい。理知的に聞くと設計の悪い、盛り上げの足りない演奏に聞こえてしまうきらいもあるが、まあこれはベルクである以前にシゲティの作品なのだ、と覚悟して聞くべきだろう。も少しウィーンふうの幻想が現れてもいい気もするが、この人らしいところだろう。独自性を評価して○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,○マックス・ロスタル(Vn)シェルヒェン指揮BBC交響楽団(SYMPOSIUM)1953/12/22マーラーの未亡人アルマとグロピウスの娘の急死にさいし、現在進行中の歌劇の仕事を止め、その思い出をこめ極めて短期間に書き上げられた曲、それがベルク最後の傑作(おそらく無調・十二音でかかれた協奏曲の頂点に立つ)ヴァイオリン協奏曲である。現代音楽でありながら実に感傷的な美しさに満ちており、あふれる官能性が決していやらしくならず清澄な空気を振り撒いて、天使となって天に昇るひとりの少女への祈りに貫かれている。依属者であるアメリカの現代音楽ヴァイオリニスト、ルイス・クラスナーによって初演されるが、奇しくもベルク自身のレクイエムとなってしまったことでも知られる。クラスナーが弾きウェーベルンの伴奏指揮した盤が十年余り前に発掘され(たしかクラスナー自身が秘蔵していた盤だったと思う(うろおぼえ))、話題になった。クラスナーは何度かこの曲を録音しているというが筆者は残念ながらそのすべてに接することはできていない。幸運にも現代音楽界の大ヴァイオリニスト、ヨゼフ・シゲティが数点の録音をのこしている。無論このての曲は録音がいいに越した事がない。だが、たとえば新ウィーン楽派の庇護者としても知られるシェルヒェンが伴奏し現代音楽に理解があり教師としても有名だったロスタルが弾いたこの盤など、非常にすっきりとしている反面かなり感傷的であり、曲の要求するものをよく伝えている。ロスタルの音は甘く美しく、かつ安定しており、技術的にじつに高度なものを持っていることがわかる。ノスタルジックな旋律線を情感を込めてうたうロスタルは諸所で小さなポルタメントをかけるなど、ライヴとみまごうばかりの迫真性をもって演奏している。シェルヒェンは雑味なくこの曲を知り尽くしたかのようなこなれた演奏を付けている。さすが初演指揮者だ。録音状態がイマイチだが(シンポジウムの盤ではいつものことだけれども)感動できる演奏だ。佳演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,アッカルド(Vn)ブール指揮SWF交響楽団(SOUNDS SUPREME:CD-R)1970'LIVEアッカルドはムラがある。個性が無いわりに弾き淀むところがある。ブールも心象的な表現というか非常に沈潜する音楽を描き出しており、そこに感傷の立ち入る隙はない。冷たい音のオケに冷たい音のソリストというこの組み合わせは、わりと詰まらなかった。そのスタイルでいくならもっとパワーのある演奏で、もっともっと研ぎ澄まされた鋭角的な響きを作り上げていくべきである。その点いささか中途半端である。正直何も残らなかった。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,オドノポソフ(Vn)ギブソン指揮ORTF(ina配信)録音日不明,,非常に落ち着いている。猛烈さや迫力はもはやなくボウイングも滑らかでないところがあるが、無為の中に思索的な雰囲気を漂わせ響きは厚いものの抽象的な美しさを志向している(とはいえしっかり十二音音楽として聴かせることはしておらずそこは独特)。ギブソンORTFは納得だがオドノポソフとしては意外なところもある。敢えてウィーン風にかかれたワルツも抽象度が高く、平板で力強さのないのが残念ではあるが、ドイツ的な重く堅苦しい響きにも、ロマンティックな情念の蟠りから開放されたかのような、音楽そのものの魅力のみ提示していく、時に教会音楽(パイプオルガン)のような響きの中に断片的な感傷を投げていく。時代的にもまだまだ主観的演奏の範疇であるとは思うが、ベルクの同曲を客観視して聴ける点で面白いバランスをもっており、オドノポソフとギブソンのイギリス音楽的なセッションというような、浮遊感ある柔らかい世界に魅了された。ロマンティックはロマンティックだが、雰囲気音楽的なロマンだ。ステレオでおおむね良好な録音。ブラヴォなしの拍手のみ、温かい雰囲気。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,ギトリス(Vn)ジョリヴェ指揮ORTF(forgottenrecords)1959/11/12liveパリ放送,,音が強すぎて何を弾いてるのかわからなくなる。ギリギリと弓を弦に押さえつけて(じっさいギリギリという音が聞こえるところも)出す太い音は、そうであるがゆえにかえって聞く者の音程感を失わせる(前半は実際に音程が狂っているように聴こえるところも)。正しくひいていても何がなんだかわからない。ワルツ主題もその調子なので楽想の描き分けがなく、変化に乏しい。ただ強い音なので曲を知らなければそれなりに聴けるのだろうが(ジョリヴェの指揮は柔らかく達者だ)そういう聴き方ではそもベルクがセリーで描いた意味がない。音色で楽しめないベルクはありえない。これはどうかと思う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,コーガン(Vn)ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(yedang)1966/8/3ロシア初演・CD,,圧がすごい。モノラルだからかもしれないが同曲のかもす空疎な感傷が最後まで強力なソリストにより筋肉を伴ってしまい感傷にならない。情緒は置いておいて技巧的には凄く、ロジェストヴェンスキー全盛期の迫力とともに圧倒される。こういう演奏スタイルは多い。その中でも技巧とアンサンブルの点では、非凡なものを感じさせる。イエダンの総集ボックスには入ったのだろうか。ただのコンチェルトとしてはとても聴きごたえがあった。プラスアルファはなかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,スターン(Vn)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(CD:CD-R)1959/11/7LIVE,,不思議だ。表現にも技巧にも何ら欠点は無いのに、何も残らない。冒頭から内容的な即物性を感じる。ソリストの音色が安定しすぎている、ミュンシュが無感情なうえ繊細な曲のメカニズムを理解してやっていない、、、ともはっきりとはわからない。現代曲に向かない指揮者であることはあきらかだが。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,ドゥーカン(Vn)デュファロ指揮ORTF(ina配信)1971/6/23放送,,硬派な演奏で、ベルクのロマンティックな側面、というか意図的に挿入しているメロディックな部分もすべて抽象化し構造の中に当てはめて、最後まで堅牢な表現を保っている。オケはそんな音は出していないのだがどこかギスギスした荒んだ気分を演出しているようで、夢のように立ち現れる甘やかなワルツもワルツであるように聴こえない。ベルクをちゃんと現代の目から、音楽史の観点から見据えて演奏しているのは確かだと思うが、私はのめり込むことができなかった。というか、この曲をどう楽しみたいかによって印象は違うので、最後の最高音が余りに固くて掠れまで捉えられているの含め(つまり「クリアな録音の余計なお世話」)私は楽しめなかっただけで、そもそも楽しい曲ではないというのであればおすすめ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルク:ヴァイオリン協奏曲,ドルイアン(Vn)セル指揮クリーヴランド管弦楽団?(DA:CD-R)1966/10/30NYlive,,色の無い演奏で、ベルクの濃厚さが無調的な無機質に昇華されている。のっぺりとしてなだらかだ。ステレオで音がいいかと思ったら終盤モノラルになったり混信したり。そんな盤。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルク:ヴォツェックからの3つの小品,○アンネリー・クッパー(SP)エーリッヒ・クライバー指揮バイエルン放送交響楽団、ミュンヘン合唱団(STRADIVALIUS)1955・CD,,擬似ステレオ効果が耳障りだが録音はよい。精妙で生臭さの無い演奏ぶりは流石当時現代音楽指揮者としても知られていたこの人の、今や知られざる一面を垣間見させるものだ。しかし冷徹というわけでもない。オケには時代の響きというか、マーラー的ということではないんだけれども、ロマンティックなところが、フレージングなどにどことなく内在しているように感じられる。そこが次世代以下の指揮者との違いだ。同時代性というのともまた違う、エーリッヒのこれが個性というやつだろう。微温的な佳演。この精度で初演していたなら当時としては最高のものだったろう。全曲聞いてみたかった。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ベルク:ヴォツェック組曲,○K.クライバー指揮ケルン放送交響楽団、ファイン(SP)(GOLDEN MELODRAM,CONNOISSEUR)1972LIVE・CD,,美しい。この時代にしては決していい録音状態ではないがクライバーの調性的な指向の強い解釈は併録のリヒャルトと同じような感触を与える。だから聴き易い。とても12音列技法によるとは思えないロマンティックさである。豊穣でともすると腐臭漂うベルクの世界が清潔にしかしとてもわかりやすく展開される。これならマーラーを聴きこなせるなら十分聴けるだろう。最後がブチ切れるのが難点だが正規盤でないから仕方ないか。これはボーナストラックとして「エレクトラ」の盤に収録。ジャケに記載がないという不思議な盤である。他にも音質向上したものが出ている。○。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ベルク:ピアノ・ソナタ第1番(?1907-8),○グールド(P)(CBC)1952/10/14LIVE新ウィーン楽派のピアノ曲は管弦楽曲と違って非常に純粋な音楽のように聞こえる。シェーンベルクはマーラーらとひとつの音だけで旋律を作れるかどうか論争したという。管弦楽なら音色で旋律を作ることはできようが、独奏曲では音色的にもかなりの制約を受けるため難しいだろう。独奏曲に作曲家の思想がむき出しになったようなものが多いのは、そういう理由もあるのかな、と思う。さまざまな作曲技法を活用できないがゆえに、音楽はその作曲家の削ぎ落とされた剥き身の感性を示す。純粋な音楽と言ったのはそれゆえにである。この曲は比較的若い頃の作品である。この時代の前衛的なピアノ曲ならどんな曲でもそうなのだが、スクリアビンのピアノ曲の雰囲気が濃厚に漂っている。奇矯なリズミカルなフレーズや旋律のあやうい綱渡りはスクリアビンぽい。もっともこの曲については構造的にはあまり似たものはないが、無調に接近した半音階的な書法はスクリアビンの到達したそれとほぼ相似形をなしている。終始あまり派手に盛り上がらない曲だけれども、グールドの意味ありげなピアニズムは何らかの意味を見出してそれを抉り出す事に成功している。後年のベルクの厚ぼったさがない曲、機会があればおためしあれ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:ピアノとヴァイオリン、13の管楽器のための室内協奏曲(1924),○シェルヒェン指揮アンサンブル(WESTMINSTER)1964/1・CD初演者によるウェストミンスター録音である。精妙な各楽器の掛け合いがこの簡素で音の少ない楽曲に一層繊細な味わいを加えている。ステレオ録音の素晴らしさは最早言うまでもあるまい。別記のライヴとは一線を画した明瞭なアンサンブルと完璧なひびき。13の管楽器が混入してくるとアイヴズ的カオスが生まれるが、既にアイヴズの音楽を知っている我々は別に気にならない。こういう音楽もアリである。不穏な時代を生きる現代人の複雑な心象を音に移し替える所から始まった現代音楽であるが、手法と直感の境目がそもそも成り立ってないところに難しさも有る。ベルクは手法の領域を直感が侵食している感じがするが、それがこの作曲家の強みなのだろう。シェーンベルクの50歳の誕生日に贈られたもので、新ウィーン楽派三羽烏の名前からとられた音がモチーフとして導入されている。このような方法は古典の時代から続いてきた由緒有る?遊びだが、ベルクの作品はいたってマジメであるがゆえにこの3人の決して幸福ではなかった人生を象徴しているかのように聞こえる。20世紀においてイニシャルをモチーフとして利用した作曲家の代表格にショスタコーヴィチがいるが、ショスタコはあくまで調性原理の中に諧謔の象徴として導入しており(それだけでもないが)、圧倒的にわかりやすく、根本的に違う。ここで聞かれるベルクは、私の耳には絶筆となったヴァイオリン協奏曲に似た感じがする。些末なところでは2楽章で聞かれるソロヴァイオリンの開放弦のアルペジオ。そのためか何かしら惹かれるものがある。3楽章の冒頭からピアノの強烈な打音が入り、そこにヴァイオリンが意外と「まっとうな」技巧で絡んでいく。私はこのあたりのヴァイオリンは割合わかりやすいと思うのだが、ピアノが激しい効果音を加えるため極めて前衛的に聞こえる。その役割は逆になったりして、そのうちに管楽器が加わって、でもあくまでシェルヒェンはヴァイオリン協奏曲として解釈しているようだ。ちょっと姑息な?ヴァイオリンの特殊奏法がビシビシ決まるのは気持ちがいい。音の鋭さ、硬さはシェルヒェンならではのもので、引き締まった厳しい演奏に仕上がっている。ロマン派をやるとあんなに省略を行うシェルヒェンが、なんでこういう曲だと細部まできっちり磨き上げるのか?多分ロマン派のぶよぶよを極限まで取り除いたものが現代音楽と考えていたのではないか?なんて妄想も浮かんでくる演奏である。この指揮者、ただ者ではない。凄い。「間」の取り方もいい。これはヴァイオリンソロに帰するべき評価かもしれないが、最後のちょろっとした「蛇足」も絶妙。ここまで持ち上げといてこういうのもなんだが、やや冗長、○。ベルクは飽きるな。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:ピアノとヴァイオリン、13の管楽器のための室内協奏曲(1924),○シェルヒェン指揮ケルン放送管弦楽団(STRADIVARIUS)1959/3/2LIVE?・CD3楽章からなるこの曲は、いちおう12音列を使用していながらも割合と調性的なものを感じるぶん聴き易い。音楽総体の中に抒情性が込められており、複雑な反面スリリングな音楽的運動の面白さも感じる事が出来る。それにしてもロマン派をやるときにはあんなにアバウトな曲作りを行うシェルヒェンが、ここでは繊細な響きの交歓をシャープな感覚で描き切って見せている、これはシェルヒェンのバトンテクが良く言われるようにヘタだったとはとても思えない。緊張感、「間」の表現においてシェルヒェンの感覚は非常に正しい。ちょっととりとめのないところもある楽曲だけれども、基本的にピアノとヴァイオリンが主流となり、背景で効果音楽のように管楽器が音を混ぜ込む、この構成にもベルクならではの革新的な計算が盛り込まれている。そう、これはヴァイオリンとピアノのための二重奏、管楽によるオブリガード付きだ。この二本の楽器のスリリングな掛け合いこそが全て、シェルヒェンはそのツボをよおくわかって鋭く纏めてみせている。ライヴのようだが精度は高い。機械仕掛けのシェルヒェンのカリカチュアがあったが、機械のように正確にまたシャープに描くという点、あながちはずれてもいまい。マルケヴィッチの師匠であったことからも、晩年のライヴに図らずも残された(これらはシェルヒェンがただ一度きりのコンサートで組めるプロの時間を考慮して抜粋編集したりしていたもので、あくまで本来の意図(スタジオ録音では殆ど省略をしていない)キ盤のレッテルは、全生涯を俯瞰して見ても決して正確な評とは言えない。○。録音は細部が聞き取れないが全体としてはよく聞こえる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:ルル組曲,○カテリーン・ガイヤー(SP)マデルナ指揮トリノ放送管弦楽団(stradivarius)1961/10/20live・CD,,マーラー的な演奏と言ったらいいのか、とにかく音程や音価その他表記上の記号的意味に神経質に拘りピアノソロや電子楽器を目しているかのような正確さを要求する現代指揮者も多い中(そういう演奏を要求するのがまたゲンダイオンガクなのだが)、この熱い現代音楽家はある意味純音「楽」的にやっていてロマン派的。面白いし聞きやすい。内容的にそうそういつでも聞きたいものではないが、マーラーの末裔がどうなっていったのかを示すものとしてこの演奏を聞いてみるのも一興。マデルナのライヴの標準からすればとてもマトモに仕上げている。聞きやすさで○。マデルナのライヴの標準からすれば録音もいい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルク:歌劇「ヴォツェック」〜三つの歌,○クーセ(SP)ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(DEUTSCHE SCHALLPLATTEN,ETERNA)CDマーラーの正統の後継者としてのベルクの特質をよく引き出した演奏だ。マーラーの歌曲ではなく交響曲の気分をアイウ゛ズ的拡がりの上に展開し、あくまでわかりやすく表現している。アクの弱さに抵抗を覚える人もいるかもしれないが、響きの美麗さとダイナミックな表現にめくるめいてしまう。曲がいいのは勿論だが演奏の俊敏さと感情的な高まりに並ならぬ腕を感じさせる。歌唱もよく調和している。○。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルク:歌劇「ヴォツェック」〜抜粋,○カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル、ヴェゾイック(SP)(EXCLUSIVE)1982/2/28LIVE・CDこれだったら現代ギライもOKでしょう。まったくリヒャルトの時代の音楽。面白いなー。単純にそう思った。奇矯なフレーズは極限まで抑えられ、リズム性を全面に押し出したやり方は非常に耳にやさしい。かなり面白かった。こういう演奏で聞くと、ベルクはやっぱりマーラーの子だな、と思う。マーラーは初期を除いて歌劇を書くことはなかったけれど(「千人」は事実上歌劇と思うが)、マーラー路線を突き進んだ先には、こういう斬新な響きと古風な楽想のあいまった独特の折衷的音楽があるのだろうな、と思った。◎にしたいが正統かどうかわからないので○に留めておく。初演者父クライバーのヴォツェック抜粋を聞き逃している私はこれでとりあえず満足しておこう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:歌劇「ルル」からの五つの交響的小品,○シェルヒェン指揮バイエルン放送交響楽団、SP:アンネリー・クッパー(ARKADIA/URANIA)1953/2/20LIVEベルクは”ロマン派”最後の抒情詩人である。12音列による主題を用いながらも響きには常に「ぬるい」感触があり、マーラー的な豊穣な音世界を築くところが特徴的である。このシェルヒェンによる実演盤は、この指揮者としては非常に精巧に作られているが、それでもなお、非常にロマンティックである。一本筋の通った「物語」を想起させるのは、元が歌劇だからかもしれないが、いずれにせよこの指揮者が、新ウィーン楽派の音楽を聴取者にわかりやすく提示することに適性を持っていることには違いない。なかなか聴ける盤である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:歌劇「ルル」からの五つの交響的小品〜アダージオ,○クーセ(SP)ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(DEUTSCHE SCHALLPLATTEN,ETERNA)CDかなり奇妙な曲だがそつなくこなしている。ソプラノ独唱が役者、ウマイ。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルク:歌劇「ルル」組曲抜粋,○スワロフスキ指揮LAフィル(VIBRATO:CD-R)1967/1/26live,,海賊盤にしては音がよく演奏も精緻。さすがスワロフスキで、ともすると重ったるく響くこの曲を透明感溢れるウェーベルン的ですらある点描性の感じられる、しかしそうであるがゆえに長々しくやや平板な音楽に仕立てている。「ルルの歌」を欠いているせいもあるだろう。いい演奏だと思うが殆ど惹かれなかったのは私がベルクに求めるものが違うせい。新ウィーン楽派をきちんと理性的に聴ける人にはお勧め。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルク:管弦楽のための三つの小品,バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(NYP)1961/3/3LIVEマーラーの香りが辛うじて残っている作品だから、ウェーベルンに比べればバーンスタインもやりやすかっただろう。ぼわーんとした響きは初期シェーンベルクのような肥大傾向を示し、がしゃがしゃした表現主義的な部分も論理性より直感性が勝っている。ベルクらしいといえばベルクらしいのだが、ロマン派が得意な指揮者にはギリギリOKな曲でしょう。プレリュード、ロンド、マーチの3曲は小交響曲的なまとまりを持っている。バーンスタインはやや乱暴ながらもその流れをよく押さえた演奏を繰り広げており、派手な音響は派手にぶち鳴らしている。それはそれで清々しい。バーンスタインの初演したメシアンのトゥーランガリーラ交響曲の響きを先取りするような音響にはちょっとにんまり。個人的には雑味が気になったが、悪くはない。終演後ブラヴォーが凄い。そこまで凄いとは思わないが、まあまあ聞ける演奏と言えるのではないか。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルク:三つの小品op.6,ブーレーズ指揮パリ音楽院管弦楽団(DOCUMENTS)1966パリlive・CD,,ドビュッシーの遊戯と同時に演奏されたようだが、ダイナミックでまるまるスクリアビンの管弦楽曲のようにねっとりした力強いうねりの創り方など、共通するものを感じる。ドビュッシーが作風を前へ向かって今ひとつ固めきれない感があるのに対して、真正面から前衛音楽へ向かう途上の大管弦楽曲ということで、分厚い音同士をうまく繰り合わせて官能的な響きへ昇華させる方法が上手くいっており、まだ全然前衛音楽とは呼べない範囲〜このCDで組み合わされたマーラーの範疇〜で別世界へ一歩いざなっている(三曲トーンの変わらない少々冗漫な曲なので過剰な期待は不可)。この頃のブーレーズはやり過ぎだから面白かった面はあるが、そのぶんどういう音楽なのかハッキリしておりわかりやすかった。音楽院管は雑味があるぶん迫力で聴かせる。ちょっと最後の打撃がつんのめったがあからさまなブラヴォで終わり。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルク:抒情組曲,○ヴェーグ四重奏団(audite)1963/11/10・CD,,ちょっとびっくりしたリリースだが、甘さのないヴェーグの表現は抽象度を高める半面ベルクの特長であるなまめかしさというか分厚い響きの変化に先導される音色効果の妙をきかせるには、禁欲的すぎるというか、筋肉質すぎる気もする。ツェムリンスキーのエコーもあまりそうは聞こえない。そもそも抒情的ではない。むろん曲のせいである。かといってバルトークをやるような激しいスタイルでもなく抑制的にも感じた。にしても掴みどころのない難曲だ。それをまるで難無くこなしているような三楽章など素晴らしい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ペルジチェッティ:ホロウ・マン,○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCC:CD-R)1965/6/21live,,平易でこの時代らしい作品。ストコフスキにとってはお手のものといった作品か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルリオーズ:ファウストの刧罰〜シルフの踊り,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(ORGANUM他)1962/2/10ブダペストlive,,アンコールピースの一つとして演奏されたもので、ライモンダやルスランなどと並ぶ中いっぷくの清涼剤となっている。何故かトラック単位で音が違うが、これもノイジーなモノラルであるが、ベルリオーズのいかにもフランスふうの小洒落た響きをよく写し、ハープが余韻を残す。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルリオーズ:ラコッツィ行進曲,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(ALTUS)1960/5/29live・CD,,「ファウストの劫罰」よりハンガリー行進曲、である。派手なラデツキー行進曲と並んで二大アンコール用行進曲、と言ってもいいか。訪日ライヴのアンコールピースとして演奏されたもの。ベルリオーズに特徴的なブラスの表現にはややしゃっちょこばったところもあるが、全般リズムの切れは健在。終演前に拍手が入ってしまうのも時代か。○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルリオーズ:幻想交響曲,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1943/10/16live・CD,,これが大変劇的で格調高い演奏で、録音の極端な悪さがなければ◎にしたいところだ。ついでながらうちのCDは劣化してしまいました(泣)この音楽のよく鳴り響くことこの上ない。1楽章のまるでチャイコフスキーのようなドロドロしたロマンチシズムから、なめらかに清清しいワルツへうつり、山々を木霊するペットの響きが脳裏に幻想的な朝もやを醸したと思ったら(この演奏の表現が一番私は気に入っている)、サバトへ向けて一気に行進してゆく(やや明るめではあるが)、これら楽想の描き分けが非常に明快で、尚且つ無理がない。オケの並ならぬ腕にもよるだろう。ベルリオーズの奇矯な音響感覚の魅力を存分に引き出す立体的で緻密な音作りはまさにフランス現代ものを得意としたクーセヴィツキーならではの力量が示されたものであり、引き締まったリズムと決して流れないテンポは一方でベートーヴェンを聴くようなしっかりしたフォルムをあたえ、抽象的に昇華された解釈であることも印象付けられる。ミュンシュとは明確に違う、何か同時代性すら感じさせる演奏であるが、具体的にどこがどうこう、と言われると少し困る。ドイツ的なロマンチシズム、抽象度の高さ、と言っておこうか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルリオーズ:幻想交響曲,○シェルヒェン指揮ロンドン交響楽団(TAHRA)1953/9/21,22・CD,,コンドラシンを聴いた後だから尚更この演奏には感動した。重量感溢れるドイツ的な音響に責め立てるリズムの機関銃。このての底からくる推進力はフランスのバレエ指揮者には少なくとも無い。クレンペラーのようなごく一部の「ドイツノリ」指揮者にしか無いような響きと力強さが聞こえてくる演奏で、まったくシェルヘンと意識しなくても十分に楽しめる。表題交響曲は特にベルリオーズのように概要と主題の意味を説明してビラ配って廻ったような作曲家においては単純に音だけで楽しむ態度は誤解を産む側面もあるのだが(洋楽の歌詞を無視して音だけで楽しむのと同様)これだけの情報量の演奏であれば他に知識は要るまい。デモーニッシュと言わなくても十分に暗黒舞踏が繰り広げられる終楽章に戦慄。◎にしたいが古いし一般的な演奏というに躊躇もあるので○。,-----,,,,,,,,,,,,
ベルリオーズ:幻想交響曲,○フリード指揮ソヴィエト国立交響楽団(serenade:CD-R/LYS/eurodisc)1937・CD,,有名なソヴィエト録音である。オスカー・フリートについてはマーラーに「影のように」つきまとっていたとかポジティブだけではないネガティブな説も語られる人だが「復活」をはじめ長時間録音初期にいくつかの有名交響曲の録音をのこし、その時代の交響曲演奏様式を指揮のみならず有名オケの音として聴ける状態で残してくれた点では非常に貴重な指揮者であった。幻想の演奏もドイツ様式の力強さ厳しい統制にくわえ解釈のアクの強さがにじみ出ているが、ソヴィエト国立のこの時代の音が聴ける点でまずは貴重である。後年のソヴィエト国立の破格の分厚さ力強さと統一感のなさバラケ味が既に両方ともしっかり出ており、ソヴィエトの威信をかけて後者精度の悪さは抑えられてはいるものの不恰好な響き具合は否めない感がある。そこがこの演奏をかなり独特のものとすると共に、またフリードのデジタルな変化のついた解釈が拍車をかけている部分もある。ベートーヴェン的な重量感のある芯の通った演奏と思いきや、けっこう分裂的なところが露呈してきて、統制こそすばらしくとれているもののどこか不安定な感がする。いや、近視眼的には非常に面白い起伏がついているし楽器の鳴りもいいのだが。サバトの鐘の生々しい響きには背筋が凍る感がある。けっこうデモニッシュな演奏である。あまり何度も聞きたくなるものではないものの当時ロシアでこれが権威となったという幻想の演奏様式を念頭に、後年のソヴィエト指揮者の演奏録音を楽しむとまた見方が違ってくるかもしれない。セレナーデは音がクリアで分離が明瞭だが基本的にLPからの板起こしに残響が加わっているため人工的で金属質な音に感じられる。lysはアナログ的ではあるが音悪いのは言うまでもない、こちらも板起こし。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルリオーズ:幻想交響曲,○マルケヴィッチ指揮ベルリンRIAS交響楽団(MOVIMENTO MUSICA,WEA,warner)1952/9/18,,ライヴだとは思うが拍手は無い。イタリアオケと聴きまごう乱れも辞さないテンションの高さで、マルケらしい颯爽としたリズミカルな音楽の中に、ロシア的なテンポ・ルバートも顔を出しとても気を煽る。2楽章のワルツの素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。マルケの幻想は幻想的ではないがデーモンの存在を感じるし、それはミュンシュとも違う粋を感じさせる。このての曲は合う合わないがはっきりしており、マルケは「合う」。まず外れはないです。録音がやや悪く3楽章など今ひとつ描写的に聞こえないのが仇。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,
ベルリオーズ:幻想交響曲,○マルケヴィッチ指揮日本フィル(PLATZ)1965/4/15live・CD,,かなり日フィルの調子がよく、巧さが光る。軽く明るくスリムな音楽が鮮やかに紡がれてゆく。4楽章まではそんなに強い印象はないがスピード感とフランス的な美質をかんじる演奏だ。しかしこの人、やはりドハデな響きがお好きなようで、終楽章ではとにかく打楽器とブラスを叩きぶっ放し、弦はもともと持っているベートーヴェン的なひびきをいっそう強め、重厚まではいかないが深い音で支えている(気を煽るまではいかない客観性はある)。終楽章は聞きものだろう、鐘の音がうるさいほどにがなりたてるさまは如何にも空疎な幻想者の夢のようであり、ベルリオーズの書法の独特さをかなり的確に描き出している。終演後の大ブラヴォも納得か。個人的に強い印象や感傷は受けなかったので○にとどめておく。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ベルリオーズ:幻想交響曲,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1960/5live,,そもそもロマン派を終わらせたきっかけの一人であるリムスキーの時代まで生きた長命の天才とはいえ(招聘したときの話がリムスキーの本に出てくる、指揮者としては凄かったけど基本的に老人だとか書いてあった)私の守備範囲から大きく外れたロマン派も中期までの人である。仕方なく?演奏するとき(とうぜんまったく練習しなかったのでぼろぼろ)参考にしたのは唯一手元にあったバルビローリ・ハレ管のイタリア海賊ライヴ盤だった(今はステレオの正規で出ている)。とうぜんバルビローリなのでただでさえ拍節感がなくハレ管なのでワルツもヘタだ。バルビならワルツくらい・・・と思うのだがついに断頭台の行進から怒りの日、サバトへと雪崩れ込む場面にもぜんぜんノれず、結局(当時はいつもだったんだけど)「あー、面白い曲だったんだなあ」と舞台上で気がつく始末だった。いや、のちに何故かいろいろ増えてきて、今探してみたらここで挙げてないものではミュンシュの前任クーセヴィツキーやらワルター盤数種やらピエルネ抜粋版やらフリートやら新しいところではオッテルロやらムラヴィンスキーやら、とうぜんサイケなジャケットのミュンシュの正規などけっこういろいろ出てきた。たぶん探せばもっと沢山出てくる筈、しかし、この散文的な曲は指揮者の解釈次第なところがあって、やりかたを間違えると単なる組曲になってしまう。しかしだからといって、ミュンシュは定番であるものの、このアプローチが絶対とも言い難いのは、これがやはりイマジネイティブな「表題交響曲」であり、純音楽ではないという点だ。すなわちミュンシュの幻想はベートーヴェンである。首尾一貫した、トスカニーニ的なほどにひたすら高速で押し通していく。だから逆に、私みたいに表題曲や組曲が苦手なタチの人間はとても楽しめるのだが、これでいいのだろうか、という一抹の不安ものこる。もっとイマジネイティブに、分裂的にやるべきではないのか?コンドラシンだったか、終盤の鐘にまるで日本の鐘のようなゴーンという音をブキミに使った人がいたが、この演奏ではけたたましく耳元でガンガンと鳴る。音響効果はある、しかし地獄の響きにしてはいささか児戯じみている。録音のせいもあって更に軽い演奏にきこえる。前半、中間楽章まではダレずに非常にいいのだが(これ以上しっくりくる演奏は聴いたことがない・・・ワルツは賛否あるかもしれないが)、後半楽章がどうも地獄に聞こえないのである。ハスッパなのだ。録音のせいだとは思う。軽くて明るすぎる。エアチェックにしてはすさまじくいい音だがそれがCDのようなデジタル媒体に変換された瞬間にキンキン耳やかましく聞こえるようになる。いや、ミュンシュは類稀なる幻想解釈者だけど、「これが全てではない。」もっといろいろな面を聞きたいという気持ちが残った。もちろんブラヴォの嵐。○。ちょっと録音瞬断あり、あるいは媒体が悪いのかもしれない。,-----,,,,,,,,,,,,,
ベルリオーズ:幻想交響曲,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(いろいろ)1964(2月?)live,,ベルリオーズの前衛性をえぐり出すハッキリした彫刻、直線的で颯爽としたテンポ、力強くたたき付けるようなリズム、それら以上にやっぱりこれは断頭台への行進からサバトの流れの鮮やかな盛り上がりに尽きるだろう。この演奏を一位に推す向きもあるようだが放送エアチェック録音ゆえきわめてクリアさに欠け、低音がやたら強く出るのはなんとも聴きづらい。瓦解しがちな構造の楽曲ゆえひときわ骨張った演奏になりがちで、ミュンシュのごり押し肉感スタイルだけでなんとか聴けるレベルになっているような感もある。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ベルリオーズ:幻想交響曲,○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(russian disc)1960/2/26live・CD,,CD大処分を始めます。スペースとお金の問題で。今までほとんど処分というものをせずに溜める一方だったわけですが、CDにかんしては、コレクション対象としての価値がCD−Rの登場からネット配信の時代にいたってまったく失われてしまった感が強いです。ろくなライナーもついてないCDばかりになってしまいましたし、ライナーに書いてある程度の情報はネットに出てたりします。でも、媒体劣化の問題が何より重く、LPにカビ生やかすほうが余程軽微な損傷で済みます。雑音に慣れきった私みたいな人間にとって多少のプチプチノイズは問題ではなく、アナログ音質の馴染みよさのほうが寧ろ気になる年頃になりました。これは私だけじゃないようですが、CD化したら処分、というLPの扱いを逆にして、LPをコレクション対象に戻し、CDはコピーして売るという流れにせざるをえない。CDなんて再発リマスターものも多いし古いからいいということは無い。,,わいいとしてこの盤は今どこのレーベルで出てるんだか。演奏的にはかなり精度の高いもので、ロシアでは特異な指揮者・タッグと言っても過言ではないムラヴィンレニフィルによる異常なテンションの演奏である。ムラヴィンレニフィルでも雑なものもあるが、これは密度もアンサンブルも表現も完璧で瑕疵がない。チャイコを思わせる、というと一気に世俗的な印象をあたえてしまうかもしれないが、そこは抽象化された(渋い、モノトーンと言うとまた誤解されてしまうかもしれないが)高尚なものにはなっている・・・ものの、響き以外にもチャイコ的な爆発というものが感じられる。臨場感もある。トスカニーニ様式でも極北の激しさだろう。,,ただ、ここには幻想は無い。リアルな音の律動だけがある。チャイコふうのリズミカルなワルツ、スポーツ的な行進曲に魅力は確かにある。しかし、情念が無い。,,やはりロマン派の、それも特異な作品なのだ、阿呆みたいなドラマがなければ成り立たない部分があるように思うのである。ムラヴィンは頭がよすぎるのだ。,,○。,-----,,,,,
ベルリオーズ:幻想交響曲,○モントゥ指揮ハンブルグ放送交響楽団(Scribendum/concert hall)CD,,"コンサート・ホール・ソサエティ・ボックスに入っていますが、敢えてド迫力のLPで楽しんじゃいましょ。破壊的威力のある最晩年録音でとにかく音圧が凄くて、拡散的で多彩な響きはあきらかにベートーヴェンを目したドイツ式演奏様式ではなく、かといって散文詩的な非西欧系管弦組曲の世界とも違う硬質の音によって構築された偉大な構築物といった感じが独特の幻想観をうんでいる。録音によるところが大きいとは思うが、ディスク大賞もうなづける出来ではあります。余りに細部まで聞こえすぎるのでハンブルグ北ドイツ放送交響楽団のもっさいザッツとか気にならなくはないのですが、雑然を越えて聞こえてくる意思的な音楽はモントゥの世界が(けして強烈な個性に裏付けられた解釈をもっているのではないものの)この曲にしっかり根付いて表現されている、と思わせるに十分のものになっている。幻想に面白みを求めるならお勧めともいえないところもあるが、正攻法(とはいえブラス増強とかいろいろやってると思う・・・コルネットはよくわからん)で、この曲を「他の何でもない幻想」として確信をもって表現した名指揮者がいた、ということが確認できます。個人的にもっと速い勢い任せの演奏のほうがすきなんですが、ドイツオケ独特の音響をここまで「モントゥの音響」になめした技量などいろいろと聴けば聴くほど面白みが出てくるものと思うので、○にはしておきます。",-----,,,,,,,,,,,,,
ベルリオーズ:幻想交響曲,○ラフリン指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya),,豪放磊落とはまさにこの人の芸風を言うのであり、オケのボリューム、異常なテンションとちょっと引いたテンポのかもす独特のロシア臭、ぞんざいな音処理の雑然とした印象が却ってこの演奏、このオケ、乱れまくっても筋は常に通っているアンサンブルや独特のロシア奏法に、指揮者の「これでいいのだ!」解釈といったものの特長を強く印象付ける。まったくもってこの安定したテンポでここまで強気で押し進められるとまさに「重量級戦車の轟進」といった趣で、緩徐楽章においても常に押しの強いソロ楽器が少しも曲自体の弛緩した部分を印象付けない。まったくロシアだよ、といったラフリンらしさ全開の演奏。幻想で感銘を受けることはそうそうない私だがこれは面白かった。ただ、これが正規録音と考えると、断頭台の行進から警句的な怒りの日の主題をまじえたまさに阿鼻叫喚のくだりにおいて弦楽器のテンション余って揃わないアンサンブルぶりといったらなく、勢いは凄いけど◎にはできまへん。また、有名な舞踏会のワルツはいささかワルツらしい遊びのない「夢の無い」ものとなっている。ラフリンらしいけど。ゴロワノフのジークフリート牧歌とのカップリング。,-----,,,,,,,,,,,,,
ベルリオーズ:幻想交響曲,○ワルター指揮パリ音楽院管弦楽団(CBC/VAI他)1939/5/19,20・CD,,意気軒昂のワルターがズルズルになりがちなオケを引き締めて、目まぐるしい場面転換に従い情緒纏綿であったり直情的に盛り上がったりする往年の演奏らしい音楽を創り上げている。一部やや緊張感に欠けるところもある半面壮年期にしか聞かれない異常な高速テンポとリズム感のよさが楽しめる。録音もまあ、SP復刻ものとしてはいいほうだろう。ただ、後半楽章で音響バランスが変でつながって聞こえない場所もある。鐘がピアノで代用され異様な音響的効果をあげている(原譜表記上代用可とされる)。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,
ベルリオーズ:幻想交響曲,オッテルロー指揮ハーグレジデンティ管弦楽団(PHILIPS)1959/6/10-12・CD,,全くインテンポの無味乾燥なワルツを聴いて、どうしようかと思ったが断頭台への行進などラストへ向けてのヒステリックなアタックと力感あふれる突進はカッコいいと言わざるを得ない。木管など合いの手や怒りの日のモチーフが立体的に絡んでくるところは、弦楽器の素晴らしいアンサンブルともども胸のすく聞き心地。オケはメロディの直線ではなく絡み合いなのだと改めて思わせる。同時代にまだ多かったトスカニーニスタイルと、現代的というか、北方的な理知性の両立した素晴らしい結末だった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルリオーズ:幻想交響曲,コンドラシン指揮ロス・フィル(harvestclassics:CD-R)1979/7/12live,,コンドラシン亡命後の外様オケ客演ライヴにはろくなものがないと誰かが言っておかないと伝説だけが一人歩きしそうな気がする。苛烈な要求(おおむねスピードとテンションにかかる部分)についていけるゴリゴリの技巧派オケだけが「伝説」を残しえたといえよう。いえようって言葉は誰かの専売特許でもないと思うので敢えて言う。「いえよう」。コンドラシンのグダグダな記録というのもアメリカ方面にはけっこうある気がする。特にあまり慣れない曲目はどうかというところもある。まずもってまぬけな演奏としか感じられなかった。木管はいいのだが(唯一聴けるのはロシアっぽい響きの聞ける3楽章くらいだ)弦あたりになってくると2楽章旋律冒頭のような合って当然のザッツすらあわないアマオケ状態であり、テンションで引っ張っていくのも無理があると考えたのかテンポやリズムすらグダグダなままスカスカな響きで最後まで突き通している。田舎っぽい演奏。シンシナティとかピッツバーグあたりの軽くて明るいオケだと思ってレーベル面見たらロスフィルだったのか・・・ちなみにコンドラシン晩年はこの曲でいえば3楽章のような情緒的な緩徐楽章の表現がやわらかくなり聴き易くなる一方、テンションやスピードに対しての迫力がやや失われていったようにも思う。これは振っているオケに逆に影響されたということなのかもしれない、かつてのロシアオケを想定していたらどこでも失敗する可能性はある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルリオーズ:幻想交響曲,フレスティエ指揮セント・ソリ管弦楽団(GRANDSLAM他)1957/4/8-9・CD,,ベートーヴェン的に抽象化された演奏。響きはフランスだがしっかり構築的に、古典的に組みあがったよくできた演奏で、ワルツの生臭さや行進曲の血なまぐささもなく、ベルリオーズの作風的な部分での拡散的傾向もきちっと整え、曲をしっかり楽しむことができるよう仕上がっている。これは復刻したくなる気もわかる。朝から晩まで何の抵抗もなく、この曲が嫌いな向きも文学的背景や伝承を無視して楽しめる演奏。オケはたとえば峡谷で角笛のやり取りをする場面など意図が伝わらない(録音のせいもあるが)、押しの弱さは否めないが基本的に過不足ない。グランドスラムは時代なりの砂ノイズこそ残るもののきわめてクリア。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルリオーズ:幻想交響曲,レイボヴィッツ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(WESTMINSTER),,軽い。明るい。派手なひびきには色彩的な透明感があり、元から深みのない構造の楽曲であるがゆえにそういうフランス的な表現を比較的編成の薄いオケでやろうとすると、いささか表層感が強く出すぎてしまう。感情より客観性が勝り幻想本来のデーモンがキッチュな要素の整理されたさまが人工的に感じられ、更に言えばVSOOのベストではない演奏の典型のような心もとなさが聞き取れてしまいいただけない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルリオーズ:幻想交響曲,ワインガルトナー指揮ロンドン交響楽団(COLUMBIA他)1929/10/29ロンドン・CD,,先入観のない指揮者だが第一印象は「端正」だった。ドイツ的などんくささのなさ。フランス的なグダグダもしくは裏返しの四角四面さはまったくない。こんなに自然な幻想をこの時代に振っていたというのは驚異的だ。もちろんブラームスでも使っていたイギリスオケの個性も反映されているだろう。個性より調和を重視する態度はワインガルトナーの非意志的な解釈にあっている。すんなり最後まできけてしまう。レコードも周到に作られており、SPなので音量操作は苦労したであろう(私の聞いているものは楽章にもよるがフォルテが弱いぶんピアノがよくききとれて細かく吟味できる)が、おおむね幻想のツボはおさえている。何かイデーがほしいひとにはすすめられない。しかし、まあ、youtu○eにもあるし、幻想好きでドイツ的な演奏の嫌いな人は聞いてみるとよい。迫力もそれなりにあり、推進力もなかなかのものである。電気録音初期とは思えない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベルリオーズ:幻想交響曲〜U、W、X,○ピエルネ指揮コロンヌ管弦楽団(LYS)1928パリ・CD,極めて古い録音のせいかワルツに生硬さは否めない。硬いテンポ設定やばらけるアンサンブル(時代柄でもありラッパ録音のせいでもある)に不安定なものを逆に感じるが、音には軽やかさと時代の色というか、どこか香気のようなものをかんじる。断頭台への行進は更に生硬である。テンポがまるでメトロノームを追うかのように硬くて揺れず、音色もアンサンブル力も悪くないのだが、逆に硬い棒に左右されてしまったようで、アバウトに聞こえてしまう。行進も後半になると壮大なテンポルバートがかかり大仰な表現が「やっと」顔を出す。明るい行進から地獄の13階段を登っていくところはちょっとドイツ的な重さがある。そういう表現のベートーヴェン的なところも逆に時代を感じさせる。独自解釈がやっと顔を出してきたという感じで、最後の断頭はそのわりにあっさり終わり、続いてサバトに入るわけだが、当時としてはかなり立派な演奏であったろう、しかしやっぱり録音の限界はあって、折角の求心的な勢いがこじんまりとしてしまうきらいもある。まったくベートーヴェン的に勇壮に展開していく音楽は音色すらもフランスからドイツになってしまったようにかんじる。これは復刻のせいでもあるまい。静かな高い鐘の音から怒りの日に至るまでのところではキッチュなまでに煽られる場面もありちょっと面白い。バスの怒りの日の主題はちょっと音が面白い。楽器が違うのが?何か今の演奏には絶対に聴かれない、全てが木で出来ているような古風な、しかしそれだけに「人の恐ろしさ」というか、「恐ろしいぬくもり」が染み出てくるかんじがいい。テンポはしかしこれはフランス伝統なんだろうな、それほど揺れず、ベートーヴェン的な常套的な表現以上の表情付けはしていない。そのかわり重くはっきりした発音でリズミカルに音楽が進んでいくさまはこのカリスマ指揮者のとても強い統制ぶりを思わせる。テンポもアーティキュレーションもそれほど起伏がないのに剛進する音楽の強さで聞かせてしまう。それはキッチュなまでにベートーヴェン的解放に向けて突き進んでいく。いや、じっさいキッチュな表現もブラスに聞かれる。弦楽器のスルポンティチェルリが更にキッチュさに拍車をかけ、終盤にいたってはオッフェンバックのように軽く明るく、しかし速いテンポで駆け抜ける。いや、なかなかの深い解釈振りですが、「それ以上のものではない歴史的遺物」。○。LYS盤にはファウストの劫罰抜粋やローマの謝肉祭やロメジュリ抜粋など計5曲がおさめられている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ベルリオーズ:幻想交響曲〜U.,△ロスバウト指揮フランクフルト国立管弦楽団(RICHTHOFEN:CD-R)1950年代,,聴力の弱い人は注意すべきだ、何故って私にはファーストヴァイオリンの音が8割がた聴こえなかったからである。あの怖いワルツの入りからして聴こえなかった。Vnだけではない、高音域がSP復刻も余程悪いもののように擦れ消えている。もちろん万全の耳を持つ諸兄はロスバウトの幻想ということで期待して聴いてもいいだろう。演奏は明るく軽くロスバウトが現代フランス(+ストラヴィンスキー)をやるときのそれで、ワルツの音線がすべて聴こえる人は即物的な速いインテンポに俊敏なニュアンスを載せた音楽を楽しめるだろう。伴奏しか聴こえない私には断続的な雰囲気音楽に感じ、この曲の感覚的がゆえの弱点ばかりが引き立つものに聴こえた。無印以下はつけない私もこれは録音として△。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ニコライ・ベレゾフスキー:弦楽六重奏曲〜アダージォ(弦楽合奏編),○ストコフスキ指揮CBS放送室内管弦楽団(SCC:CD-R)1953/9/27,,放送ライブ。アメリカ現代音楽の紹介番組の中で演奏された珍曲。ヴァイオリニストでありクーリッジ四重奏団の一員やオケのコンマスとしてのほうが有名だろうが、それら渡米後の話で、放送の年に53で若死した追悼演奏であるらしい。この放送シリーズは比較的穏健な擬古典派小品でまとめられているが、これは新ウィーン楽派的な晦渋な作品で特異である。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベン・ハイム:ヴァイオリン協奏曲,パールマン(Vn)バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(IPO,helicorn)1968/5・CD,,パールマンの美音、大小ヴィヴラートをかけまくる類のものではなく純粋に深く美しい(少し高音が硬質)、技術的には似た音のフランチェスカッティを凌駕する、世代交代を感じさせる。。素晴らしい演奏ぶりが聴ける。楽曲のこの作曲家にしては前時代的な分厚い響きに対しバンスタの伴奏をつける腕、オケの威力が発揮され、もっとも三楽章あたりは何をやりたいのかわからない逡巡ぶりが楽曲の知名度の低さに繋がっているのがわかるものの、前期ブロッホのお鉢を継いだようなベン・ハイムの、他宗者にとってみればまさに「呪術的な」音線にゾクッとさせられるところが独特に気持ちがいい。一楽章こそ渡米後のブロッホ的というか、ヒンデミットの新古典主義(しかも分かりやすい作風のほう)の影響が非常に強いがニ楽章以降はその感じは薄くなる。ヒンデミットよりウォルトンぽい垢抜けた、アメリカふうの雰囲気も軽く混ざり、本来高音の技巧をひけらかすヴァイオリンを使ったわりに音域が低めで、これはウォルトンのヴィオラ協奏曲のもつ内省的な内容に近い。ベン・ハイムは私もあまり知らないしここにはストコフスキの断片録音の記事のみ載せた記憶があるが、探せば割りと出て来るし、前期ブロッホほど古くはなく、シマノフスキ並にはわかりやすいので、機会があればどうぞ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ベン・ハイム:ピアノ協奏曲(リハーサル断片),○リガイ(P)ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1969/11/9live,,現代的な繊細な音響とロマンティックな旋律の横溢する折衷的作風が耳馴染みやすい曲で久しぶりに聞いた。リハではあるがピアニストの鮮やかな腕が諸所剥き出しに聞こえて興味深い。非常に巧い。ストコのリハは記録が多いが、やはり指示が感情的にならず実に的確でわかりやすくトレーナーとしての能力の高さをうかがわせる。もっとロマンティックな性向の曲のように覚えていたのだが案外硬質で立体的で細かい音符が多いことに気づかされたのはステレオだからか(持っている他盤はモノラルだった)。けっこう長いリハ集になっている。○。ベン・ハイムはイスラエルの作曲家を名乗ったが(この名もヘブライ語)いちおう流派的にというか生地でドイツ・オーストリアとしておきました。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ベン・ハイム:永遠の主題,クレツキ指揮イスラエル・フィル(helicorn,IPO)1966/2・CD,,打楽器を駆使した派手な組曲で、疑似ステレオ臭い録音だがこの箱(イスラエル・フィル創設80周年)収録の古い録音にしてはしっかり高音まで伸びている。現代的な部分は少なく同時代アメリカ音楽に近く、しかし弦楽合奏による協奏的な部分(この演奏は少しバラける)を含む管弦楽にはヒンデミットを消化して娯楽的要素や民族的要素を取り込み融和させた、独自の音楽表現が光る。クレツキはこのオケとは創設期から録音を残しているが、他のオケにはない主情的な音色を出して聴かせる(ともすると往年のミステリーテレビドラマ音楽に聴こえる曲でもあるがそこは高潔に処理している)。鋭い音響〜冒頭からの高音打楽器など〜にはクレツキらしい硬質なところも出るが、バーンスタインとは言わないまでも、あのような自在な表現が曲の格を一つ上げている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ベンジャミン:ハーモニカ協奏曲,○アドラー(hrm)M.グールド指揮RPO,,伸びやかて艶のある音、何より切れ目なく続くメロディの大きな表現が素晴らしい人。この魅力的な曲ではノっており、ジャズ的なフレーズではウィットのある所も見せるが、けしてジャズにはならないのがいい。rca,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヘンデル:サウルからの葬送行進曲,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(vibrato/DA:CD-R)1971/4/8?(6?)live,,6日にNYで亡くなったストラヴィンスキーに捧げる、皆さんもどうぞ黙祷をとストコフスキの声が入っているのでクレジットの3日というのは誤りと思われる。演奏はハデハデしいものだが、前向きな演奏様式はストコなりのストラヴィンスキーへの花むけと言うべきだろう。ストラヴィンスキーが烈火のごとく怒りだすような編曲であっても、これはやはりストコの演奏なのであり、誇り高い演奏家と作曲家の間の大人の告別だ。○。膝録。vibrato盤は6日と表記。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヘンデル:ハープ協奏曲,○ドゥローワ(Hrp)ガウク指揮交響楽団(MELODIYA)LP,,音量変化の極端なアクの強い演奏で、ドゥローワはまるでグランジャーニのように野太い音を出す。ハッキリしていてわかりやすいが、ロマン派のようにきこえ、軽やかさがないわけでもないのだが、どこか変。面白いけど。,-----,,,,,,,,,,,,,
ヘンデル:水上の音楽(ハーティ編),○バーナード・ハーマン指揮CBS交響楽団(PASC)1945/9/9放送録音・CD,,私も知らなかったのだがこういうコロンビア放送の録音が残っていたようである。貴重なのは中プロのRVWのオーボエ協奏曲で、やや不安定だが力強いミッチ・ミラーが独奏、という何とも映画音楽チックなコンビネーション、である(同曲はミラーがアメリカ初演している)。戦後覇気に満ち満ちた、ヨーロッパ中の名手が掻き集められたかのような意気軒昂のオケ相手に、モートン・グールドとならびクラシックもよくしたハーマンが、ミュンシュを彷彿とさせる芸風で何ともアクの強いヘンデルを作り上げる。ゴージャスというか、大風渦巻くような強さ。こんな国相手に戦争しても。録音がまたこの時期としてはいいのである。安定感のある充実した響きの、大管弦楽のための水上の音楽。,,いや、違うと思うのだが○にするくらいのレベルはあると思うのでそうしときます。正統ではとうていないし、薄っぺらいといえばそうかもしれない。名曲大全集のような演奏といえば通るか。じっさいラジオ放送用だし。pristineからネット配信されているがCD化委託も可。メインはエルガーのファルスタッフ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ペンデレツキ:シンフォニエッタ,○作曲家指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア(DIRIGENT:CD-R)2008/8/26live ,,大して知らないのに書いてしまうのが私の傍若無人なところだが売りでもあるので勘弁。小交響曲的なまとまりはさほど感じない。ルトスワフスキとかと同じような、バルトーク晩年の日寄った作品を思わせる民族舞踊を激しいリズムで叩き出す作品であり、演奏もまたそういったもの。余り惹かれる曲ではないが前座プロにはふさわしいだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ペンデレツキ:交響曲第2番「クリスマスシンフォニー」,作曲家指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア(warner)2017/1/9-10・CD,,陰鬱というか天地が大きく揺れ動きあらゆる悪魔が地の底から湧いてきて、それをえんえん30分以上の単一楽章で聞かされる感じ。いや、手法はともかく聴きやすさでいうと現代音楽でもないのでマーラーが聴けるなら、こういう心持の時にしっくりくるかもしれないが、少々飽きた。クリスマスだから救い主が生まれるかと思ったら音楽は最後も暗かった。演奏は達者。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ペンデレツキ:広島の犠牲者に寄せる哀歌,オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(PO)1969/1/10放送live・CD,,極めて抽象的なクラスター音楽である。当初8分37秒(時に8分26秒)と題されたことからもそのままの「哀歌」では無いことがわかる。戦後ポーランドを代表する作曲家のフィテルベルク賞を受賞した出世作であり、同時代の西欧の前衛作曲家と一気に歩を合わせることとなった(ペンデレツキ自身は後に作風を変えた)。広島というのは日本人に吹き込まれた後付けの表題とも言われるが、本人は初めて実演を耳にした後、これを説明する言葉をthrenody(ほんとはロマンティックな哀歌ということばより残酷な悲歌ということばが適切だろう)、そして自ら最も適切な表題として、決して忘れえぬカタストロフ「広島」の犠牲者に捧ぐ、としたというようなことを語った(英語のwikiにもそれらしきことが書かれている)。それは楽曲が先にあって、その「雰囲気」を説明するのに「threnody」があり、そこに当時自分が最も重く受け止めていた事象を当て嵌めたということだと思う。これは漫然と聴くだけでは伝わらない。エキセントリックな響きに一度に理解することは到底能わず、私は何度も何度も聴いて初めてわかったようなわからないような気がした。ただの新しい音響、非常なものとして「シャイニング」等に使われてはいるが、それも「雰囲気」に事象を当て嵌めたという意味では外れた用法ではないだろう。精緻な構造と厳しく計算された構成を持つ作品であり、音要素の全てに削ぎ落とされた創意が注ぎ込まれている。荒んだ気分の粗暴な描写音楽ではなく、宗教的な厳粛さを感じさせる細密作品だ(それでいながら演奏者(解釈者)に任される部分もすくなからずある)。音楽というのが妥当なのか、建築物とすら感じる。,,オーマンディがフィラデルフィア管弦楽団の豊潤な弦楽セクションを使って演奏したというのは驚きだし、曲の一種清澄さにそぐわないと思ったが、案の定良いステレオ録音であっても、マスの迫力のみが伝わり各要素の特徴はあまり伝わらず、響きの細部も聴きとれない。寄せては返すような音の密度の変化、特殊奏法による音響的なアクセントも、あまりに総じて音が大きすぎて耳で識別しづらい。それが雑味に繋がっている。スピードも速過ぎるのではないか。曲を知っている人が聴くべき録音だと思う。客席は物凄い大ブラヴォである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ペンデレツキ:広島の犠牲者に寄せる哀歌,作曲家指揮ポーランド国立放送管弦楽団(EMI)1975/2/3-7・CD,,明晰な録音であるがゆえに相当の覚悟をして聴いたほうがよい。心臓が弱いならスピーカーよりむしろイヤフォンで聴いたほうがいいだろう。弦楽器だけでこれだけの音が出せるのか、驚嘆する「音響」であり、実際明滅する、あるいは起伏する斬新な響きに驚嘆しっぱなしである。不安と焦燥、シェーンベルク以降音楽の一部はかつてなかった人類の直面する悲惨な状況に対し、それを慰めるのではなく、寄り添った「荒んだ響き」を選んだ。一度でも、飛び降りてしまいたいほど追い詰められた経験のある者、また、絶望的な気分がえんえんと続いて終わりの予感すらしない者には、甘い歌やロマンティックな夢は何の意味も持たない、逆に唾棄すべき「頭上に胡座をかいた貴族の遊び」にきこえてしまう。このての現代音楽にそういった要素は一切ない。殺伐とした気分そのものであり、「わかるわかる!」とホッとする。同曲はそれでも行き過ぎたもので(若干は解釈によるがこの演奏は指定より遅いながらかなり先鋒をいっている方)さすがにここまでの荒み方は、後付けの題名に従えば唯一人生き残るも原爆病に蝕まれ心をも病み生活もままならない状況に寄り添う、あるいは、日々サイレンに苛まれ体中を傷つけられながらついに最後に打倒され意識が遠のいていく者の心象風景なのである。ただの机上論的な音響実験でも記譜実験でもない。何か一貫したものを持っている。これはさらに、連続した三部を三部ときちんと意識させながらも、フィナーレは少しも解決をみない。終わりなき苦痛の静かな持続を思わせる。永遠性を感じさせる。ビビッドで耳を突き刺す音でも、こんな私にも、とても響く時があるのである。ホールで聴く気にはならないが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボイコ:交響曲第2番,◎スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(RUSSIAN DISC)・CD昭和6年生まれの若い作曲家だが作風は極めて伝統的。雪解け後のソヴィエト音楽とは思えないわかりやすさだ。こういう曲があるからロシア20世紀音楽はやめられない。後期ロマン派の匂いを強く残した作品で、リムスキー、ボロディンやグラズノフといった国民楽派の色濃いが、それらの持つどんくささは払拭されており、なかなか洒落た響きが特徴的である。20分、あっというまの3楽章です。◎。曲が指揮者にあっているともいえる。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ホヴァネス:オクトーバー・マウンテン,○ストコフスキ指揮マンハッタン音楽学校打楽器アンサンブル(scc:CD-R)1958/12/3live,,比較的有名な曲だが地味。銅鑼を駆使した重い破裂音に、鉄琴と木琴の繰り出す美しくも地味な点景が交錯する。同日のストコフスキーライブは中東から日本から中国から中央アジア果てにアメリカと世界旅行をしたわけだが、思ったのは、何でも振るなあこの人。そして必ずしもどれも上手いわけではなく、あるいは振ってないものもあるかもしれない。音だけではわからない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ホヴァネス:管弦楽のための協奏曲「シヴァス」,○ストコフスキ指揮CBS放送室内管弦楽団(SCC:CD-R)1953/9/27,,放送ライブ。20世紀音楽(アメリカの)紹介番組の中の一曲であるらしい。5曲からなる組曲ふう管弦楽曲で、一楽章こそ胸のすくようなヴァイオリン協奏曲だが他はRVWに倣ったかのような古典風ロマン派合奏協奏曲。意気あがり力強いオケはこれを感情いっぱいに表現している。僅か8分弱、美しいが、短すぎる。録音難あり。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ホヴァネス:交響曲第1番「追放者」,○ストコフスキ指揮NBC交響楽団(GUILD)1942/12/6米国初演live・CD,,世代的にはシベリウスの子というより「孫」というべきだろうか。遠雷のように轟くティンパニに強いブラスという、空疎で「北欧ふうの」響き、緊密な弦楽合奏、それにソロ楽器の息の長い旋律を重層的ではなく乖離的連続的に用いていく。響きは清澄で無駄に楽器を重ねるドイツ的な重厚さを避けている。それはRVWの方法に非常に似ているが、RVWほどの個性、特定の音律への執着は無い。1楽章においてはオリエンタルな趣味を感じさせるが実のところは民謡を源にしているであろう音線が特徴的、非常に耳馴染みのよい音楽は連続的に2,3楽章と続き、前記の「初期から中期シベリウス的書法」を消化したこなれた(ある意味無難な)表現を織り交ぜながら、やっと明瞭な民謡旋律が出てきてRVWやホルストら英国国民楽派に近い直接的表現が発揮される。いっぽうストコフスキの非凡なバトンテクニックが炸裂、弦楽合奏の緊密さは比類なき高揚をもたらし、あっさりと終わる。曲が短くすっきりまとまっており、ストコの広くばらけがちな棒もここでは恐らく曲との相性の問題であろう、あるいは手兵となるNBCSOとの連携のよさかもしれないが、そんなイメージを全く払拭するような素晴らしい出来・・・なのに客席反応は悪い。同時代の新作交響曲でもネオロマンチシズムが強いとはいえ、職人的で良い出来だと思うんだけどなあ。批判も受けた。○。NBCSOはやはり巧い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ホヴァネス:神秘的な山,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1966/11/20live,,ヴォーン・ウィリアムズの派手な部分を聴き易くまとめて示したような曲を更に音響的に派手にした演奏ぶりである。ストコがこのような曲に示した適性が非常によく出ている。スペクタクルな側面だけではなくRVWの得意とした清潔な抒情をうけつぐ曲の性質をよく理解し繊細に表現している。このコンビが如何に相性がよく、機能的であったかを裏付ける音源の一つとして評価が高いと思う。録音マイナスだが、○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ホヴァネス:神秘的な山(交響曲第2番),ストコフスキ指揮ヒズ・シンフォニー・オーケストラ(CALA)1958/9/25カーネギーホールlive,,1楽章アンダンテ、弦楽器の横長で和声的な動きがいかにもヴォーン・ウィリアムズの影響を受けており、教会音楽的で、特筆できるものとなっている。「タリス幻想曲」の影響うんぬんが言われるのもそのせいだろう。そこにホルスト風の神秘主義的なアクセントがハープやシロフォンなどによって付けられて、そこにブラスの分厚い響きがいささか無造作に載せられている。やや印象主義的な掴みどころのなさを感じる。2楽章モデラートの出だしなどいかにもヴォーン・ウィリアムズである。このコンサートではRVWの9番シンフォニーのアメリカ初演がなされているが、オマージュと言ってもいいくらいにその心を揺さぶる美しさがエコーしている。ヴォーン・ウィリアムズが民謡をさばくときのあの独特の土臭い調子に似た感じなのがプレスト部であるが、人によってはより洗練された、またより古典的な調子と感じる向きもあるかもしれない。それにしても弦楽アンサンブルをかっこよくさばくのが巧い指揮者だ。弦楽が細かい音符を刻み続ける上に分厚いブラスが横長の旋律を偉大に歌うところはヒンデミット張りの激しさがほしいところだが、旋律に今ひとつ魅力がないせいか効果はイマイチ。3楽章になると木管アンサンブルには独特のオリエンタリズムがあらわれて耳をひくが弦楽は依然タリス幻想曲の世界である。悪いとは言わないがちょっとだらだらしてしまう。ブラスの相変わらずの横長で半音階的な旋律のまま終わるのもなんだかしまらない。曲がこうなのだからもうちょっとしっとりやったほうがいいのかもしれない。ストコフスキはくっきり演奏しすぎたきらいもなきにしもあらず。ちょっと2楽章以降に雑音が目立つ。曲想にマイナス。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ホヴァネス:前奏曲とフーガ,○ストコフスキ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1964/3/6LIVE,,五音音階による旋律の露骨な提示から、RVWともまた違う細かい動きや調性の揺らぎをともなうがちゃがちゃした展開がやや構造のゆるいままに強引に繰り広げられていく。ストコはこの作曲家この曲に多少共感していたようだが、曲をかっちり組み上げるよりは力で押し切る形で聴かせる。そのためわからない部分はわからないままにされてしまうきらいがあり、曲の限界はともかく、解釈の善し悪しは意見のわかれるところだろう。オケは異様に巧い。弦の楽団BSOならでは。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ポッパー:チェロ二重奏曲,○バルビローリ(Vc)L.ケネディ(2Vc)(BS)1941/1(バルビローリ夫人の私的録音),,イヴリン夫人も知らぬ間に亡くなってしまっていたようだ。これは協会盤LP収録のもので、ビバリーヒルズに居を構えたアメリカ時代のプライベートな録音だがCDになっているかどうか知らぬ。楽器ごとに特化して有名な作曲家というのがいる。チェリストにとってはこの後期ロマン派作曲家は著名であるようだが、よくは知らない。古風な中欧的ロマンチシズムを湛え地味で、特に印象に残るものではないが演奏会では取り上げられる演目とのこと。バルビはこのチェリスト兼作曲家ならではの黒漆塗りの音色感を活かし、歌心たっぷりではあるがボウイングがそれに左右されがちで、フレージングが不自然になるところは古い録音と変わらず、専門チェリストとしては成立しないのかもしれないが、むろん素人とは違うレベルの話ではある。デュオとしてはしっかり融合して不自然さはない。短いのでこれ以上書くことがないが、英国古典派ルイエの作品と(短い会話と)ともに録音されており、その組み合わせだと益々古風な感が強く、バロックとロマン派の違いというのは遠耳に聴けばさほど無いのかもしれないと思った。バルビは室内楽では古楽を好んだようで、絡んだ殆どの録音が英国の古典派か、バッハのものである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ポポフ:交響曲第2番「母国」,○アーベントロート指揮ライプツィヒ放送交響楽団(urania/Hector:CD-R)1952,,一楽章は何とも暗く前時代的な、教会音楽的な趣も持つ音楽で聴きどころはないが、二楽章はいきなり祝祭的でアメリカ風ですらある派手な音楽。これは楽しい。三楽章は一転して今度はショスタコを思わせる一楽章とは違う暗さを孕む音楽。不協和音を忍ばせるなど、保守的でいながらも何かを訴えかけようとしている。最後は僅かに希望を感じさせる。四楽章は弦の律動に率いられ不安さの表現がしばらく続くが、次第に明るさも織り混ざり旋律性が取り戻されていく。独特で見事な書法だが、重厚に迫りくる迫力といいアーベントロートやオケの腕によるところも大きいに違いない。ロシアオケ特有のだらしない響きや独特の音色が混ざらないぶん、曲の価値がしっかり伝わる。明らかに文学的背景を持った内容だが、それを気にしなくても壮麗で悲劇的なフィナーレを楽しむことは可能だろう。典型的な凡庸なソビエト交響曲かと思いきや、なかなかに複雑で汎世界的価値を感じさせる。光がさして終わるところが録音上ブツ切れになっているのは残念。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボリス・チャイコフスキー:チェロ協奏曲,◎ロストロポーヴィチ(Vc)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(RUSSIAN DISC)1964/3/13モスクワ音楽院大ホールLIVE・CD,,これは名演!ボリチャイは数珠つなぎの線的な音楽を書くが、ここでは点線でしかないオケ部を終始ソリストが実線でつないでいく、いわばソリストの音楽の効果音的補強をオケがやる、といった風情であり(曲名はチェロと管弦楽のための協奏曲、が正式名称だが)ロストロの見事に一貫した表現がともすると浅薄なカリカチュアのパッチワークになりかねない作品をきちんと音楽的にとりまとめている。とにかくこの大作をよくやりきった、というかんじだ。フィナーレ最後の音を吐き出すときの何とも言えない気合い声に並みならぬ力の入れ具合も窺い知ることができる。3楽章など乱れなくもないがそういうところで高いテンションでバックオケがサポートするあたりコンドラシンらしさもある。長大な新作にしては客席反応もよい。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボリス・チャイコフスキー:交響曲第2番,○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(PROFIL,HANSSLER)1967/10/17初演・CD,,ライブのような感じがしないというか、MELODIYA盤との違いが見えないくらい精度が高かったので初演とだけしておく。ショスタコ晩年の交響曲、新ウィーン楽派がかった響きが嫌いな向きにはすすめられないし、とにかく大作なのに単線的な流れ、ごつごつしたハーモニーの変化、模倣的フレーズを組み合わせ構成していく、すべてが巧緻とはいえ既聴感のある現代非前衛音楽。コンドラシンの鋭い切れ味なくして聴ける代物にはなりえないような曲かなと思う。むろん好きな人は好きだろう。モスクワ・フィルの管打ソリストはコンドラシンなくしてこの見せ所だらけの神経擦り減らすような譜面をアンサンブルに昇華できなかったろうな。二楽章の響きや音列の叙情性はベルクを思わせて好き。しかしいつ終わったんだかわからない三楽章はいまいち。○。併録自作自演のピアノ曲は耳優しくききもの。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ボリス・チャイコフスキー:交響曲第2番,○コンドラシン指揮モスクワ放送交響楽団(melodiya他),,線的に紡がれてゆく民族的現代音楽。まさにそういったイメージを冷たく静謐な世界の上に時に世俗的な素材を使って展開していっている、50分に及ぶかという大作である。ルトスワフスキとかそのへんを思い浮かべたが、この長さの中には古典からショスタコまでいろんな要素が昇華されているのでいちがいには言えない。ただ、非常に細かなフレーズを非構造的に線で繋いでいく(しかしそれでいて非常に聞き応えがありカッコイイのは特筆すべきだろう)さまは同時代のいろいろな作曲家に見られるやり方であり、ミャスコフスキーからショスタコを経たロシア交響曲の姿としては典型的な部分もあり、その中では極度に洗練されているとは言えるだろう。コンドラシンの緊張感に満ちた張り詰めた表現だと純粋な音の饗宴という意味ではとても満足いくものになりうる。ロマン派はイヤだ、でも「交響曲らしい交響曲」がききたい、という向きには格好のものだろう。元々金属質の音響を巧く使う人ならではの静謐な世界がききもの。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,,,,,,,
ボリス・チャイコフスキー:主題と8つの変奏,○コンドラシン指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(PROFIL)1974/1/23live・CD,,厳しく研ぎ澄まされたと言うよりは肉感的なテンションが感じられる演奏ぶりで、オケは素晴らしく機能的だがショスタコ15番にくらべ若干温度が低いかんじもする。拡散的なかんじもするが、曲のせいか。晩年のショスタコにふたたび血を注いだような特徴が、現代的な金属質で清い響きをもった作風よりも強く感じられた。客席反応はやっぱり客観的なもの。○。◎にする人もいるかも、録音はすこぶるよい。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ボリス・チャイコフスキー:主題と8つの変奏,リュビモフ(P)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(放送)1974live,,ピアノがちっとも聴こえない。多様式主義と言うのか、部分によって好き嫌いがハッキリ出てくる。録音が篭もり気味のモノラルで本来の透明感も伝わらない。うーん。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボリス・チャイコフスキー:主題と8つの変奏曲,○コンドラシン指揮ドレスデン・シュタッツカペッレ(KARNA:CD-R/profil)1974/1/23ドレスデン文化宮殿LIVE,,特殊奏法バリバリだったりするがとてもロマンティックでダイナミックで美しい曲。古典的均整美と旋律的感傷のあざとすぎるくらいのせめぎあいがドラマチックに展開される。少し70年代テレビドラマ的かもしれないが、破滅的表現もそれほど外れた方向にはいかない。録音きわめて優秀。コンドラシンここにありといった激しく斬り込むリズムにドイツ的な厳しい音響が乗り、ライヴなりの精度にせよ盛り上げる。骨だけになってメシアンチックに派手に事切れる曲に客は戸惑い気味だが、ワイルドでこれはこれでいい。○。ショスタコ15番とのカップリングでprofilより正規盤化予定(6月)。但しKARNAにはプロコのヴァイコン2番も収録されている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボリス・チャイコフスキー:主題と8つの変奏曲,○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(GLOBE)1978/11/5LIVE・CDこれは美しい曲だ。特徴的な作風であり、アルヴォ・ペルトなんかの単純性に通じるところもあるし、ワインベルグなどの民族性に通じるところもあるが、どれとも違う何か不思議な作風である。折衷的ではあるのだが、ここでは擬古典的な面が強く感じられ、コンドラシンの合奏統率力が遺憾無く発揮されている。録音はいいとは言えず、この精妙な曲を味わうには不利な条件ではあるが、コンドラシンの力で十分聞ける。○。ボリスはソヴィエト時代のロシアでは抜群の人気を誇った作曲家だが今現在聞ける現役盤は極めて少ない、少々不公平なところに置かれている。25年生まれ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜 だったん人の踊り,ロジンスキ指揮NYP(SLS)1946/4/7カーネギーホールlive,,合唱なし、フィナーレまで。ショーソンやモートン・グールドといったよくわからない組み合わせのコンサートを一枚におさめたもので40年代とは思えないクリアな抜けの良い音で驚くが、演奏は微笑ましい。この曲は剥き出しの木管ソロにより歌い継がれる前半部が最も有名で聞き映えするが、出てくるソリストが尽くとちっている。スピードが速すぎるのはむしろ後半部でとんでもないテンポに食いつくアンサンブル力(それと弦の底力)が良い感じだが、前半の微笑ましい感じは多分、アンコールだからだろう。熱気が戻れば演奏精度も上がる。激情はロジンスキの命なのだ。テンポはデジタルに変化し阿鼻叫喚度が高い、ロジンスキの育った環境を感じさせるものとなっている。中央アジアではないけど。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜 だったん人の踊り,ブレッヒ指揮交響楽団(Aprelevka)SP,,時代が少し新しいのだろうか。なかなか精度の高い引き締まった演奏で、古い時代に時々あったような横に流れることはないが、適度に感情的な解釈ではあり、即物的でないところも特記できる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜 序曲、だったん人の踊り,○コーツ指揮ロンドン交響楽団(HMV/PASC)1926/10/26、1927/10/24・SP,,pristine他からweb配信されておりそれぞれのレストアでノイズが除去されているが、電気録音時代のロシア音楽と銘打ったこの仮想アルバムの音源はさすがにどれも聞きづらい。録音のせいだけではなく、オケはメロメロ、指揮は一方的に音楽を押し付け、縦がずれても音揃わなくても構わない、ポルタメントは不規則に入る、、、出来不出来もすごい。韃靼人の踊りはほとんど記憶に残らない。速すぎて耳に残らないのだ。序曲はだるい。グラズノフのオーケストラ丸出しだからだ(序曲は没後に完成され、グラズノフの「記憶」に大部分拠っている)。曲に反し演奏はむしろこっちのほうが及第点だろう。○ぎりぎり。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」,○メリク・パシャーエフ指揮ボリショイ劇場管弦楽団&合唱団他(GREAT HALL/colosseum/NAXOS/MELODIYA)1941・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り,◎クーベリック指揮ウィーン・フィル他(SERAPHIM)〜合唱付。ここではクーベリック/ウィーンはとても集中力の高い演奏を繰り広げていて出色である。歌は合唱にまかされ、管弦楽はひたすら躍動する。長い音符の表現では雑味をかもしてしまうクーベリック/ウィーンだが、このようにこまごまとした動きにおいて、とくにヴァイオリン2パートのフーガ的な絡み合いなど、胸のすくようなわくわくする素晴らしい出来である。曲と指揮者の相性がいいせいだろう。これはお勧め。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り,○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団&放送合唱団(MELODIYA/CDK他)1974・CDゆっくりとやさしくしかしねっとりした前奏からこの人特有の濃ゆさが匂い出す。合唱がややぶっきらぼうに歌う裏で弦がいやらしくしゃくりあげるようなポルタメントをかけたりするところも意図的に民族音楽ふうにやっている感が強い。この曲は単純がゆえに誰がやってもおんなじような感じになりがちだが、スヴェトラーノフは徹底して野卑た表現を崩さないことで独自性を打ち出す事に成功している。合唱がかなり前面に出てきているため聞く側は旋律追いになりがちで、その点解釈的にあと一歩踏み込んだ所が欲しかったがこの曲では限界か。場面ごとのコントラストはかなり明瞭につけられていて、それは行進曲主題に入るとがらりと変わるテンポ設定に顕著だ。異様に速く緊張感溢れる音楽が絵巻物のように流れていく中にだったん人の合唱の主題が織り込まれるところがあるが、結構すんなり流れていきテンポは大して落ちない。これはけっこうスヴェトラーノフの本質に関わる部分かもしれないが、爆演と呼ばれる感情剥き出しのデフォルメされた演奏を本分としていると思われがちではあるものの、基本的にこの人の響きには突き放したような距離感があり、かなり客観的な視点から作為的にデフォルメを施している。その必要がないところではデフォルメをせず直線的に突き進む。この終曲のあたりも見通しがよくテンポが快速で揺れないぶん割合とスマートな印象も与える。この快速にスポーツ的快楽を感じるのは私だけでは有るまい。録音の限界で合唱が強すぎオケが引っ込んでしまっているが大して気にならない。最終音のぐあーっと引き延ばしクレッシェンドをかけるやり方はこの人のお約束。譜面に無いなどといちいち怒っていたらロシア音楽など聴けない。いいセンだが快速ですっとばしてしまうところに若干拍子抜けしたので○。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り,○ロジンスキ指揮ロイヤル・フィル(WESTMINSTER,WHITEHALL)残念ながら合唱無しの版。ロジンスキの異常なテンションの高さをもってしても合唱の圧倒的な存在感には及ばなかった。ボロディンの簡潔な書法だと尚更音の薄さが目立ってしまうのだな、と感じたが、慣れてくればこれはこれで胸のすくような演奏であり、筋肉質な音楽は聞きごたえがある。ロジンスキの演奏は息が詰まるというか、ともすると堅苦しさと紙一重のところがあるが、この演奏はそのあたりスレスレでなんとか押し通しているといった様子。曲が割合とロジンスキ向きの押せ押せの音楽だから成功したと言えそうだ。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り,◎ハラバラ指揮チェコ・フィル他(SUPRAPHONE)1953,,これはコントロールされた勢いが素晴らしい。合唱付き(ロシア語?)でライヴ感に溢れ、メリク・パシャーエフの演奏のような迫力だ。チェコ・フィル黄金期の香りを残した痩せることなき迫力が、多少の雑味などものともせずただひたすら、オリエンタルなダンサーの回転とコサック兵の雄叫び、これだけを滑らかにフィナーレまで描きあげている。◎。復刻不明。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り,アンゲルブレシュト指揮ORTF、合唱団(STEF/ina配信)1964/3/19(29?)放送live・CD,,はじめは管楽器の表現など生硬で若いオケの感じが強いがいきなりのロシア語合唱から徐々に盛り上がり、指揮の整えた感と演奏者の整えられて軋む感のライヴ的な齟齬をのこしながら迫力のフィナーレにいたる。まあまあ良いモノラル録音であるものの圧倒的であったろうアンゲルブレシュトの支配する大編成の音を拾いきれているとは思えない。ウラーが遠いところで響くのもちょっと勿体ない。私の手元の盤がそうだけなのかもしれないが終止音がいきなりブツッと切れるのはかなり興を削ぐ。ina配信は同じ音源の模様なので、廃盤のSTEF盤を求めるよりそちらがおすすめ。29日とするものもあるがina.frには19日と記載されている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り,アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団、合唱団(pathe/SLS他)1929,,面白いことにinaに残っているORTFとの記録とよく似ているのだ。復刻状態のせいもあるのだろうが厚みがあってより迫真味があり、すでにのめりこむだけではなく引いて整えるスタイルがあらわれているものの、むしろ流れ良く、圧力があって十分に感興を与えられる、音楽的に愉悦を昂めたものとなっている。メロメロとポルタメントがかったヴァイオリンの運指は気になるが78回転盤時代であることが良い方にはたらいている、つまり気になるほどには聴こえない(録音に捉えられていない)。ノイズは凄いが耐性があれば、放送管のものより楽しめるだろう。音程が安定しないように聴こえたらそれは単なる復刻側の問題。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り,デルヴォ指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI)CD,,古い録音に耐性があればこれがあれば十分!踊りの部分は優美に聞かせにかかりリズミカルな舞踏になると小気味よい音楽が弾み音符の切れた素晴らしいアンサンブルがきける。やっぱりこのオケ好きだなあ。,-----,,,,,,,,,,,,,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り(編),ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1925/4/29,,さすがに古い演奏なのでどことなくアバウトだし、いいとこ取りみたいな強引な編曲、収録時間制約によるであろう性急なテンポ。ストコの良さが出ているとは言えない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り組曲(ストコフスキ編),ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1937/4/5,,独自の抜粋。シンフォニックな演奏。あっけらかんとしたソロ楽器は魅力に欠けるものの、分厚い弦を中心とした合奏は噎せ返るような響きが圧倒的。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り組曲(リムスキー・コルサコフ編),○フィテルベルク指揮ロンドン・フィル(DUTTON)1946/4/16 フィテルベルクらしい熱気に溢れとにかく派手な演奏だ。録音が擬似ステレオぽい残響付きのもので却って響きが軽くスカスカな感じもしなくもないが、それでもこれは派手である。荒々しい演奏ぶりはロシア人指揮者以上に民族的な興奮を煽るものであり、プレストでの攻撃的なテンポは聞き物。リムスキーのシェヘラザード的なエキゾチシズムが強く感じられるが、不思議と野暮でないのが面白い。細部を犠牲にしてもとにかく土臭く生身のぬくもりのある演奏を目しているようで、いわゆる「だったん人の踊り」の旋律での装飾音符の詰め方などボロディンの機械的な譜面から離れてケレン味たっぷりの歌を歌い上げる。但しテンポを伸縮させて弾き崩すような恣意的なスタイルではないので念のため。テンポの伸縮はむしろ意外と少ないといえよう。合唱なしバージョンだが十分迫力ある演奏ゆえ物足りなさはない。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜農民たちの合唱,アンゲルブレシュト指揮パドルー合唱団(pathe/SLS他)1929,,というか女声独唱からひたすら平穏な合唱が続くだけなのでアンゲルブレシュトだからどうということはない。なんとなくクリスマス向きの雰囲気がある曲。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り,○スヴェトラーノフ指揮NHK交響楽団(KING,NHK)1999/2/26、27live・CD,,ソリストの美音表現に傾聴。N響木管素晴らしい。落ちついたテンポに重量感ある安定した響きの管弦楽、N響のメリットが晩年スヴェトラの指向と合致して、偏った臭いの無いしっくりくる表現を生んでいる。舞踏表現が激しくなると往年の激しさを取り戻さんとするように派手な音響とテンポが煽られるものの音色は醒めて明るい。フレーズの収め方やアゴーギグなどわりと節度を感じるのも晩年らしい。設計が崩れず明確なのだ。爆発的に突っ走る力は過去ほどには無いが、意外と厳しい縦の整え方にはイワーノフのような西欧指向が感じ取れる。イワーノフのベートーヴェンを思い出させられた。弦楽器の音はいいのだがテヌートが短く伸びが無いのが気にはなる。でもこれは楽団特性だし恐らく音符を短く切りリズムを明示する指示だろうのでこれでいい。ボロディンの構造性がよく浮き彫りにされているところはこのオケをもってだからこそだろう。いつのまにか派手な太鼓にのって音楽は熱狂していく。もちろん制御はきっちりなされている。スヴェトラルバートとクレッシェンドで終わり。観客はまあまあの反応。聞きやすくていいと思う。○。合唱は無し。,-----,,TITLE: イーゴリ遠征物語,URL: http://d.hatena.ne.jp/ryotaro1968/20080518/1211079795,BLOG NAME: ryotaro1968の文学散歩,DATE: 05/18/2008 12:16:48, 南ロシアの領主、イーゴリ公が遊牧民ポーロヴェツを倒しに 遠征に出かけます。 途中、日食のせいで軍がおびえるのですが 「生きて虜囚の 身となるよりは  斬り死にするこそ われらが面目」 などと旧日本軍のようなことを言いましてw 最初は善戦するのですが、やがて...,-----,,,-----,,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1966/12/19LIVE,,こういう通俗名曲においてストコはじつに巧い。もっともボロディンはこれを通俗曲として作曲したわけではないし、ストコは立派なロシア国民楽派の解釈者であり短曲をびしっと振ってみせるわざを持ったプロであるということだ。中低音域が強く響きに独特の安定感があるが、リズムが主体になる後半では騎馬民族的な疾駆のさまを引き締まった音響で煽情的に描ききっており、リズムが弱く拡散的な音楽を作る人というイメージを覆す。低音が強いために大地を踏みならす強靱な蹄のさまを想像させスポーティな軽さすら感じさせる。高音のゴージャスさはその上に飾られる。素晴らしい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り,○マルケヴィッチ指揮ソヴィエト放送交響楽団(lys/MELODIYA)LIVE・CD,,オケ、とくに木管あたりにかなりほつれがみられるものの非常にスマートでスピーディでいかにもバレエ指揮者に向いてそうな揺れの無い演奏である。「らしい」演奏であり、そのぶん正直食い足りない気もするがまあこのスピードでさっと通されるとああそうですか、というくらいには楽しい気もする。なんかネガティブだなあ。ロシアオケなのになんかロシアオケらしくないんですよ表現が。,-----,,,,,,,,,,,,,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り,○モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(M&A)1951/12/23live・CD,,すごいテンポにリズム!流麗かつ躍動感に満ち、録音のやや悪さを除けばこのトスカニーニ張りの推進力は素晴らしい。またオケの内側から爆発するような威勢のよいアンサンブルもいい。合唱なしが惜しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り,○ユルゲン・ワルター指揮ハンブルグ・プロムジカ交響楽団(MUSIQUE POUR TOUS)LP,,ひょっとしたら駅売りCDでCD化してるかもしれない。遠い録音で悠揚とした調子は落ち着いた美感を終始漂わせている。個性的ではなく、合唱もないからかなり「聞き流し」用音楽に近いのだが、覆面を被せられたオケには安定感があり爽やかに流麗である。爆発的クライマックスも不要と思わせる調子で終わる。まあ・・・○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り,シュヴィヤール指揮ラムルー管弦楽団(pathe/hindenburg:CD-R)1922,,ドビュッシーの初演などで知られる伝説的指揮者シュヴィヤールによる人気曲。しょうじき鑑賞に値しない録音再生状態ゆえ○は控えるが、SP期の録音によくみられる縦線のズレや前のめりすぎるテンポでなし崩し的な進行になってしまうところもあるけれども、勢いと力強さは素晴らしい。ほとんど音色というものは聞き取れず楽器の分離すらはっきりしない録音だが、骨董好きは聞いておいてもいいかもしれない。楽想の切り替えが鮮やかでかっこよかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り(合唱付抜粋),○アンゲルブレシュト指揮ORTF・合唱団(STEF)live・CD,,やや不安定なモノラルで終幕もブツ切となり、恐らく上演全曲の最後だけを切り取ったものと思われる。冒頭で少し電気的雑音が入り客席雑音も入ることから、放送中継エアチェックの可能性もあるかもしれない。しかしそれらを気にさせない異様な迫力の捉えられている拡がりのある音で、アンゲルブレシュトがさばくにはいささか単純過ぎる曲ではあるが、そこを解剖学的演奏などに転化することなく、劇場指揮者としての腕を発揮して、特に対位的表現をくっきりと、曲が構造的に包蔵する多彩な要素を全て出し尽くさせたうえで楽団の「フランス的アンサンブル」の魅力を打ち出す(ライヴとして技術的にもまったく素晴らしい)、アンセルメとはまったく違うロシアに媚びない煽情性とでも言うべきか、不思議な、でも曲としては正統な力強さに貫かれている。合唱付きなのがまたいい。,,音源提供していただいたかたありがとうございました。これをwantlistに載せたとたんヤフオクに出品されるかたが相次いでいたようですが、もう手を出さないと思います・・・リブレット付き5枚全集まとめてでなければ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」〜だったん人の踊り(合唱付抜粋),○メリク・パシャーエフ指揮モスクワ劇場管弦楽団他(melodiya他)LP,,かなり「うるさい」演奏で、恐らく全曲版からの乱暴な抜粋だと思われるが全曲は聴いたことがない。ウラーウラー耳元で叫ばれると「もういいよ・・・」と思ってしまう、最初から最後まで合唱メインの演奏で、パシャーエフらしくないロシア臭の強さが特徴的である。韃靼人の踊りに旋律の叙情性を求めるならこれはやめたほうがいい。ロシア合唱歌の奔流を楽しみたいのであればおすすめ。とにかく、強い。弱い人は「あてられる」ので要注意。○。西欧ではル・シャン・ドゥ・モンドでシンフォニー1番と一緒にカップリングされていた。12インチ盤。パシャーエフのカルメン全曲があるのだが、サモスードのヴェルディとともに聴くのに二の足を踏んでる。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」抜粋(舞曲とだったん人の踊りから終幕),○チェリビダッケ指揮トリノ・イタリア放送交響楽団(ARKADIA)1962/1/9live・CD,,最初の舞曲は随分と俊敏で驚いた。そういえばまだこの時期チェリは俊敏だった。しかし統制もかなり厳しくムラヴィン的ですらある。韃靼人に入ると音響指向が出てきて、横の流れより縦の美しさを重視したタテノリな演奏になってくる。さすがに美しい。弦楽器が構造的に絡む箇所などこのへんの神経質な整え方はあきらかにチェリだ。テンポは安定して遅く、ただリズミカルである。弾むようなバス音域のリズム感に乗れる程度にカンタービレを抑えた表現が独特の美観をはなつ。場面転換してくるくる舞う場面に入っていくとまた最初の舞曲のノリに近くなってくるが、以前の演奏スタイルにくらべアグレッシブさをやや抑え少し引いた整えられた響きをもったドイツ的だったん人をもって、格調高さと興奮を共に煽るオペラティックな表現が面白い。響きはとことん磨かれ乱れの少しもないように厳しく統制されている。聴くぶんには何度でも聴くに耐えうる最高のものだが演奏するのは面倒だろうな。個性の面でどっちつかずな感じはあっても、後年の完全に引いてしまったチェリよりは好きだ。管弦楽としての演奏ではなく恐らく歌劇としての演奏を繋いだのではないか、曲間がいちいち開く。もしくはチェリの意向か。踊りの迫力はドイツの重低音に援護され、しかし再び踊り子が出てくると分裂症的にがらっと場面が切り替わって先ほどの遅いテンポでしっかりしたリズムの上に音楽が極めてメカニカルに整えられる。そのメカニカルというのが現代のメカニカルじゃなくて、蒸気機関の時代のメカニカルというか、すこぶるリズミカルな血の通ったものになっている。スネアに煽られて戦闘状態に畳み込む部分の迫力も凄い。強弱のコントラストがはっきりしていて、いかにもバレエだ。ちょっと速すぎてキッチュなオッフェンバックになってしまったりブラスがこけたりするところもあるが、楽しい終幕はちょっとロシアの迫力とも違って面白い。◎にしてもいいが、まあ○でしょう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:弦楽四重奏曲第1番,○ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団(MCA,westminster)1950・CD,,ウィーンらしい音とアバウトなボウイングにアンサンブル、しかしテンションでまとめにかかるのがいかにも往古の演奏スタイルである。ただ、曲がちょっと渋いというか、チャイコに近い「ドイツ+国民楽派」のスタイルを堅持した長々しいものであるがために、このやり方だと飽きてきてしまう。テンションで聞きとおせるのだが、「ボロディンのワンパターン」を知ってしまうとあとは「いつ終わるんだこれ・・・」となってしまうものであるがゆえに、人によっては「なんでこんな曲を録音したんだろ」と思わせることもあるだろう。,,ボロディンはそもそも構造の合理性、民族的なリズム、それに何より旋律である。1番においては独自の合理性に落ちていかない折衷的な中途半端さがあり、リズムもしゃっきりしないところもあるから、あとは旋律をいかに歌わせるかにかかってくるとなると、ウィーンの演奏スタイルはとてもあっている。黄金色の音がぐいぐいと旋律を引き立てる。ただ、ちょっと民族性という部分では特殊奏法の部分含めそれほどはっきりと浮き立ってこないのが難点か。○にしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ボロディン:弦楽四重奏曲第1番,〇ボリショイ劇場弦楽四重奏団(multisonic)CD,,だだ長い曲だがドヴォルザークの多くやスメタナのような旧来のカルテット様式(ベートーヴェンの流れの上にいるドイツロマン派的な楽曲)に沿った構造的な曲であり、耳馴染みがよいと感じる向きもあるだろう。一楽章(ハーモニー、転調の独特のくせや、とくに緩徐主題のワルツは2番スケルツォのワルツ主題そっくりで美しい)や三楽章(中間部のフラジオによるアンサンブルは民族楽器的な意味にとどまらない新鮮な効果をあげている)は2番につながる個性の発揮された名品といっていいだろうが、悲歌的な2楽章や主題の扱いや古臭い構造書法に研究成果的な秀才ぶりが目立つ4楽章は退屈である。もちろんそっちのほうが好きな向きもいよう。簡潔明快な2番とはやはり違う位相のものであり、中央アジア的な「ワンパターンな」ハーモニーの用法も控えめだ。グラズノフはボロディンの「ここ」から派生していきロシア国民楽派には珍しいプロフェッショナルな技術を発揮する折衷派の代表格になっていった。西欧のアカデミックな技巧をロシアの位置で検証吸収しようとしていたリムスキーやボロディンらの研究的側面はあまり知られていないが、直接的成果があまり芳しくないところも理由としてあり(それだけ急進的部分(もしくは民族的部分)の衝撃と魅力が強かった裏返しでもあるのだが)、中では相対的にすぐれたものと言えるものではある。,,ボリショイは慣れている。素晴らしく板についている。厳しく勢いがあり、録音もアナログのふくよかな音を留めていて聞きやすい(板起こしだろう、4楽章冒頭がよれている)。民族色をもっと出してほしいきらいもあるが曲がそもそも「ちぐはぐ」なのでどちらかに合わせるしかなかったのだろう。〇。モノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番,○ガリミール四重奏団(いろいろ)LP,,グラズノフらの小品とのカップリング。小編成の室内楽団はメンバーチェンジによってまったく違う団体になってしまうものだが、この演奏も新メンバーによる。しかしスタイルはまったく「あっさり」で同じ。直線的にさっさと進む即物的演奏で、演奏技術面では非常に興味深く感服するのだが、感情面を余り煽られない。それでもこのあっさりした演奏で目からうろこを落とす人もいることだろう。そういう意味性をとって○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番,◎グラズノフ四重奏団(supraphon他)LP,,なつかしい表現というか、民族色が自然に内面から浮き出てくるような演奏だ。ルカシェフスキーを始めとして各奏者決してローカルな音ではないのだが(ある意味無個性)スタイルが戦前のもので柔らかく、曲調にとてもマッチしている。今まで聞いてきたこの曲の演奏の中でいちばんしっくりきた。ここまでボロディンらしいボロディンもあるまい。民族的なのに洗練もそなえ民族音楽になりきることもない。特にゆったりとしたテンポで情緒纏綿に歌い上げるスケルツォが素晴らしい。この遅いテンポで初めてわかるロシアン・ロマンチシズム。ショスタコの1番(初演団体)の録音にも言えるのだが全般に遅く決して技巧派ではないものの、しっとりした美しさの面で今は聴き得ない特別な郷愁の篭った音楽を紡ぎ出すことが可能な団体だったのだということを改めて実感させられた。ちなみに名前を連ねるモギレフスキーはチェリストのドミトリさんでピアニストともモギさんとも違います。,,メンバー(SP期録音):,Alexander Glazunov String Quartet:,Ilya Lukashevsky 1st violin,Grigory Ginzburg 2nd violin,A. M. Ryvkin viola,David Mogilevsky cello,-----,,,-----,,,-----
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番,○コミタス弦楽四重奏団(COLUMBIA)LP,,まっとう。余りにまともすぎて特徴がない。インテンポ気味で集中力のある完成度の高い演奏だが、あっさり過ぎて現代的というか、モノラル期の録音に求めたい「外れた」ものがない。音的にはショスタコーヴィチ四重奏団にとても似ているが幅がない。チェロあたりにはもっと甘い音も求めたい。夜想曲のソロは余りにそつない。全般力みが目立ち表現が若く起伏がない。憂いがない。未だロマン派の域にいるボロディンの感傷性をもっと表現してほしいところだ。四楽章は比較的聞けたので甘めにして○。雄渾で厳しい演奏でもあり好きなかたもいるとは思うが。ショス1とのカップリング。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番,○ハリウッド四重奏団(TESTAMENT他)CD,,これは室内楽全般に言えるデジタル復刻の問題なのだが音が丸みを帯びた硬質のものに削られていて、エッジが無くめりはりが無いわりに、冷たくはっきりした表現に聞こえる。テスタメントの復刻もけっこうその気があり、この旋律音楽においても横の流れが無味乾燥に追われるのみで、けっこう危ないところのあるハリウッド四重奏団のアンサンブルやスラトキンの音がハスキーな音のみ耳をつんざくように残っていて、そのハスキーな部分にいたる有機的な起伏や、ハスキーな音の下にしっかり発音されている低い部分が聞こえないから、ただ聞きにくいスカスカした雑な演奏に聞こえる。まあ、楽団に曲があっていないようにも思うので、録音復刻のせいだけではないとは思うが。室内楽における即物主義は難しい。テンションが高いわけでもないので(音はテンションを感じさせるけどテンポは大してかっこよくない)どうなんでしょう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番,○パレナン四重奏団(VEGA)LP,,わりとよく見る中古LPなのに昨今のなんたらブームでやたらプレミアンになっている盤だが、VEGA自体かつては見つけたら即買いくらいの勢いだったのが、今やフランス盤全般が高額安定、VEGAは再発が多いばかりか再発時にステレオ化されたり(VEGAは同時期のETERNAなんか同様に、きほんステレオ収録しても普及盤としてはモノラルで出していた)しているせいかあんまりピックアップされなくなり、デュクレテ原盤よりディスクフランセのプライヴェートが高いとか、もちろんレーベルで決まる話ではないのだけれど何か腑に落ちない。わりと手ごろなものが出ていたので即買い、聴いてみた。前評判は意外な演奏、というものだった。,,確かに。初期パレナンの音はカルヴェらの伝統にのっとっているように聞こえる。後年の倍音の少ない純度の高い音への指向の萌芽はあるものの、モノラルであるせいか拡散的にならず、曲の構成のままに素直に譜面を表現している。過度に客観でも古臭く民族的でもない。新世代の演奏家、としてもまだ発展途上でいた、だからこその緊張感がいい方向に働いている。さらっと聴きやすい。それにかなり巧い。パレナンにそんなに巧いイメージは無いのだが、ファーストは伝統的なフランス派の表現としてはかなり精緻に激した演奏を可能としている。,,この時代にしては清新、しかし今の耳からすると郷愁の範疇に未だいる。ボロディンはこのくらいの演奏がちょうどいいのかもしれない。何度でも聴ける演奏だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番,○ハンガリー弦楽四重奏団(columbia),,有名でプロアマ問わずよくやられている曲にもかかわらず、録音がなかなかなされないのはどうしてでしょうか。古い団体は割合と録音を残していますが(復刻は進みませんね)、SP時代になると楽章抜粋が常のようで不完全燃焼。1楽章こそボロディンらしい韃靼人テイストの名曲なのに、すっきり短い2、3楽章が多いですね。1楽章はファーストヴァイオリン(とチェロ)がやたらフューチャーされるので通を気取るかたがたには好まれないのかな。同曲思いっきり国民楽派ですからデロデロ演奏というものがあってもよさそうなのに、何故か率直な解釈でハーモニックに整然と組み立てられた演奏が好まれるようで、個人的に物足りなさというのを感じることが多いものでもあります。この演奏もまさにあっさりスマートでそつのないもので、ひたすら颯爽と直進していきます(フレージングに起因する揺れはともかく)。なめらかにいささかの断絶もなく息の長い旋律をかなで続け、セーケイの音は(私は余り好きではないのですが)万人受けする赤銅色の輝きをはなつ鋼鉄の響きを持っています。,,特色有る音というのは最初は受けますが、あとあと飽きてきます。個人的にはコーガンあたりこの類と感じますが、セーケイ始めハンガリー四重奏団のメンバーはそういう意味ではちょっと中欧、ドイツ的耳なじみのよい模範的な音を出す、裏を返すと「正当派」で安定しまくってるがゆえに、何度聞いても飽きることはない。プロの演奏は録音にすると何度聞いても飽きないが、アマチュアの演奏は例え最初はプロより面白く感じても、録音で何度も聞けたものじゃない(無論一回性のライヴで楽しければそれで立派に成立するのが「音楽」なのですが)。これが単に技術的安定性という話でもないのだな、と最近思うようになりました。何なんでしょうね。,,とにかく余りにあっさりして綺麗なので(ハンガリー四重奏団はそういう団体ですけど)最初無印かなと思ったんですが、何度も何度も聞けて、聞くたびに(とりたてて深くはないけれど)同じように楽しめる、これは素晴らしい長所なんじゃないかなと思って○つけときます。この単純化された曲で技術うんぬんは論じ得ないがために、演奏団体の本当の実力が出るといってもいい、その意味では早々とヴェーグが抜けたこの団体も(殆ど録音もない大昔のことなのになんでいつもヴェーグと結びつけて説明されるんですかねこの団体)、長大なキャリアなりの素晴らしい実力を持っていたと言えるのでしょう。初めにこれを聞くと他が生臭くて聞けなくなる恐れアリ。自分で演奏するかたは参考になるかとも。,,あとやはり2楽章第一主題が遅いなーと思ったんですが、実は私の体内時計が早すぎるような気がしてきたので、そこは敢えて評価とは別にしときます。ワルツ主題とのコントラストをつけるためには譜面表記にかかわらず速めにスケルツォ的な情景を演出したほうがいいと思うんですけどね。ワルツ主題もあんまり遅くなりません。奇をてらう場面の一切無い演奏です。,-----,,,-----,,,-----,
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番,○プラハ四重奏団(DENON)1977/11/8,9荒川区民会館,,何か足りない・・・「憂い」だろうか???民族的な部分も近代西欧的室内楽な部分も適度に盛り込まれ、ライヴ感あふれる鋭い饗宴を楽しめるのだが、どこかのりきれない。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番,○プロ・アルテ四重奏団(ANDANTE/HMV)1933/12/8 ロシア国民楽派の室内楽の最高傑作にしてもっとも有名な曲。アンダンテ・カンタービレで有名なチャイコの1番は他の楽章がややクセがあるが、この曲は最初から最後まで平易簡潔で3楽章「夜想曲」のみならず全ての楽章がサロン・ミュージックスレスレの超名曲。2楽章スケルツォ中間部の優美なワルツは夢見るようなボロディン旋律の決定版。オスカー・ピーターソンも弾いてます。もちろん1楽章冒頭からチェロ、ストヴァイに交互に奏でられる超有名な旋律も忘れてはいけない。「だったん人の踊り」と共通の噎せ返るようなオリエンタリズム!全編が旋律性に満ち、且つ非常に合理的な構造を持った、もはや「素朴な民族楽派」なんてものを超越した普遍性を獲得した楽曲といえよう。ロシア五人組を代表とする民族音楽(非西欧音楽を含む)のイディオムの応用はワグナーとは別の位相で(もちろん先べんをつけたのはリストだが)旧来の調性音楽の根幹を揺るがし、次代の新しい音楽の発明の呼び水となった(ヤナーチェクやバルトークがわかりやすいところか)。とりわけ和声的な面での発明がボロディンの最大の功績であり、この曲にてんこもりにされた清新なひびきはまさにその発露のひとつである。だからこの曲は一見簡単そうに見えてもじつは響きのうつろいに細心の注意が必要なのである。というところでこの演奏だが、とりあえずは手堅い。美しいが図抜けたものはないし、技術もあると思うがとりたてて物凄い技巧をひけらかすたぐいの演奏でもない。たとえばあのトリッキーなスケルツォはかなり遅いし、夜想曲の印象的な上向音形は譜面上は殆どにスタッカートが付いているのに全般かなりレガート気味。そういう解釈なのだと言われればそれまでなのだがちょっとルーズさを感じさせる。だがそれは寧ろトリッキーさを犠牲にしてでもひびき・音色を正しく揃え美しく響かせようという気持ちの発露なのだろう。それはこの曲においてはとても正しい姿勢である。割合と4本の音量・音質バランスがよく音色も全員が一定のレベルを保ち溶け合っていて、アンサンブルとしては非常にまとまっている感がある。すんなり聞ける演奏だが、だいたいこの曲、ストヴァイとチェロがつねに旋律を一本で奏でなければならず、それが結構難しい。そこを違和感や滞り無しにすんなり聴きとおせたということは良い演奏である証拠以外の何物でもない。いい演奏。録音さえ新しければスタンダードと言い切ってしまうところだが。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番,○ポルトロニエリ四重奏団(columbia)SP,,この楽団の国民楽派録音では他にドヴォルザークのアメリカ全曲、チャイコのアンダンテカンタービレがあるというが未聴。しかしpristineで復刻されたマリピエロが余りに素晴らしかったので盤面状態を顧みず買ってしまった。ノイズリダクションの課題はあるものの演奏自体はやはり素晴らしい。トスカニーニのようだ、という表現が正しいか。歌心を保ちながらもオールドスタイルからは一歩抜け出したテンポ設定。ボロディン2番はグズグズになりがちなので即物的なスタイルになる演奏も多くプロ奏者には決して受けない印象があるがこれは、ほんとに細かいところで作為がうまく組み込まれており、とくにソリストとしても活躍したポルトロニエリの全体の流れを乱さないフレージングの独特さ、ルバートのかけ方が素晴らしい。細かい指摘をするのが好きではないので所を明確にはしないが1楽章の「この二度目は付点音符を切ってくれ!」と常々思っていた個所、4楽章の「ここの付点音符はよたったように詰めてワルツ感が欲しい!」と常々思っていた個所が悉く解釈として提示されているのに瞠目した。俺100年前の人間だったのか。そうじゃなくて、これは決してでろでろではないが、確かに「音楽を解釈することで人を楽しませた時代のアンサンブル」なのだ。スケルツォの勢いも素晴らしい。ノクターンは全体の中ではいささか長い感じがするがSP奏者にありがちな音のヨタりがなくかといって単調な美観をはっするでもない、イタリア四重奏団の古い録音の音を思い出す良さを発揮している。◎にしないわけはハッキリ、私の盤の状態の悪さが邪魔して真相が見えないところがあるから。あと、4楽章序奏部フレーズの繰り返しがカットされているのも痛い。4楽章はどうも急いて終わってしまう(盤面にして僅か一面)。夜想曲の人気が高かったからと言ってこれは全体構成上おかしい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番,○ボロディン四重奏団(BBC,IMG)1962/8/31live・CD,,ボロディン弦楽四重奏団はメンバーチェンジによってその特質をかなり変えてきている面もあるが、基本的なイメージとしてある「ノンヴィブラート奏法の多用>オルガン的な分厚い和声表現」「オイストラフ張りの技巧と太く安定した音」「感情的にならない現代的な解釈」の部分はステレオ時代のイメージであり、この演奏はライヴということもあるがノンヴィブを多用してもよさそうな曲なのに(音質に萌芽は見えるものの)余り特徴的に聞こえてはこない。ただ、恐ろしく演奏レベルの高いものであることは確かで、これがステレオであれば十分◎に値するものである。個人的にはどうも、特徴の二点目として挙げたオイストラフ的な安定感が逆に感情を煽られない、集中力も表現力も十二分なのにどこか中に入ってこない感じがする。3楽章の夜想曲などかなり起伏のある解釈をつけてきていて特徴にあげた三点目は余り当てはまらないが、音質がどうも金属的で(これはそういう団体だったが)民族音楽的側面を強調する意味もある「ノンヴィブ」をもうちょっと前面に押し出したらハマったのだろうが、ちょっと中途半端で入り込みにくい。集中力とスピードと解釈の起伏という意味では繰り返しになるがライヴなのでスタジオとは比ぶべくもないすさまじさはあるのだが、「迫力」を感じない。現代的な演奏ではないけれど、モスクワ音楽院弦楽四重奏団の演奏、という一種優等生的な感じもする。もちろんたぶん今録音媒体で聞きうる最高レベルのボロ2のひとつであることに変わりはなかろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番,○リムスキー・コルサコフ四重奏団(ARS)CD,,一楽章はこんなものかなという無難さ(けして激烈上手くはない)があったが二楽章は素晴らしかった。ジャズでも使われる魅力的なワルツ主題の表現が夢見心地、サンクトペテルブルグの弦楽の伝統を感じさせる細かいヴィブラートが耳を打つ。ちょっと硬い音ではあるが録音が余りよくないせいもあろう。三楽章もその流れで美しいが無難といえば無難。四楽章はそのまま盛り上がる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番〜Ⅲ,◯フロンザリー四重奏団(victor)SP,,即物的で速くあっさりめの演奏だが、古い録音にありがちな技術的アバウトさがまったく感じられず、胸のすくような気すらさせる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番〜Ⅲ.,○ガルネリ四重奏団(polydor)SP,,落ち着いた大人の演奏。変な力みや外しがなく、かといってつまらない客観的な演奏にもなっていない。音も美麗で高潔な印象。夜想曲にふさわしい音楽になっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番〜3楽章「夜想曲」,○ブダペスト弦楽四重奏団(novello)1926・CD,,オリジナルメンバーによる抜粋。古い録音のせいでもあるが優しい表現でさわやかに弾ききっている。押しが弱く情緒纏綿のたぐいではない。個性的ではない。でも、これはこれで聞ける。サロンふうとも違うのだが・・・○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番〜V.,○クレットリ四重奏団(新星堂EMI,COLUMBIA)1931/5・CD,,アンコールピースとしてかつてはよく演奏された「夜奏曲」である。クレットリは古びた艶をもつ音をもちいながらも爽やかな聴感をのこすアメリカっぽさすらある軽い演奏をやってのけている。ファーストとチェロの対話により成り立っている曲ではあるが、この楽章では各自それなりに絡み合い見せ場を作る。そこはいいのだが、中核はやはりファーストとチェロの対話だとするとクレットリにくらべナヴァラの表現が若い。音量なわりに個性を感じない。情の薄さというか、表現が手堅く引き気味な感じがするのは録音のせいかもしれない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番〜V.夜想曲,○レナー四重奏団(COLUMBIA)SP,,よく穴埋めに使われていた曲だがレナーのすっきりした演奏は甘い音色(とフィンガリング)を除けば古びることなく届く。もともと楽器同士の絡み合いが単純な曲ではあるのだが、よくアンサンブルが組み合っていて、響きも美しい。録音環境もよかったのだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番〜V.夜想曲,○ロンドン弦楽四重奏団(COLUMBIA)SP,,録音のせいかもしれないがファーストの音が細くて昔らしいアデな表情が無いのと全般に色の無いニュートラルな音でわりと現代的な組物になっているのが意外だ。フレージングには感傷的な溜めはあるのだが、結果出来上がった音楽は抽象度が高く、安定感もある。曲なりのオリエンタルな色がないし、瑕疵は無ではないが技術的にはちゃんとしている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:交響曲第1番,○イワーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya他)LP,,イワーノフらしい強靭で求心力のある演奏で、ベートーヴェン指揮者らしさが曲を極めて聴きやすくしている。何故スヴェトラばかりが取り沙汰されるのか皆目わからないロシアの現代指揮者の系譜の嚆矢にあたる時代の人だが、まさに「これが初期グラズノフ交響曲のルーツか」といった感じの曲風を強く感じさせる。もともと流派にとらわれず折衷派とも積極的に接点をもっていたグラズノフではあるが(よく言われるロシア国民楽派と折衷派の「対立構造」はたんに都市(音楽院)同士のライバル関係とリムスキーの個人的な嫉妬だけだったように見えるけれども)、ボロディンの比較的若い時代(クーチカがバラキレフ総帥の下でまとまっていた時期)にはロシア音楽を如何に西欧の権威的語法・・・交響曲という純音楽形式にこだわったのは外国人にわかりやすいという以外に海外にも通用する権威をつける意味もあった・・・に当てはめ、その枠組みを乗り越え音楽的に凌駕させるかといったところが強く意識されており、これはリムスキーがワグナーに傾倒したとかという内面的意味ではなく(ムソルグスキーは違うが)あるていど学究的に「アマチュアの視点から」西欧古典音楽の実践研究を繰り返してきたことを意味する。新作発表を中心とした室内楽演奏の「金曜日の会」はパトロンの楽譜出版者ベリャーエフ(今でもありますね)の道楽的側面もあったけれども、そのへんの雑曲に時折見られるサラバンドだのなんだの西欧古典音楽のことばは世紀末以後の俗称「新古典主義」とは別の意図によるあくまで理知的な「形式名」である。弦楽四重奏曲第1番とは少し違い、錯綜しない楽想という意味ではまさにグラズノフ前期を彷彿とする洗練がみられ、この流れの創始者バラキレフからの流れも感じられる。リムスキーは表題交響曲と純音楽としての交響曲の両方を書いて後者はさほど成功していないが同じ曲感を更に西欧寄りにしたようなものをもつものである。これらクーチカ(五人組)の交響曲の中の最高峰はもちろん勇士交響曲のほうだが、この1番もグラズノフが楽しいなら十分楽しめるし、グラズノフの交響曲創作開始の背を推したのがまさにボロディンであったことがわかるだろう。理知的な側面も形式にはあらわれており、部分的に整理が行き届きグラズノフの洗練につながるふうが楽しめる。そんなところだが、拡散的にやられると西欧的な部分での真価が出ない。イワーノフの中心点のしっかりした演奏はじつに耳に馴染み良く、まあマニア以外はそれでも凡庸感を受けるかもしれないが、初心者マニアならぐっとつかまれる演奏だと思う。勇士交響曲(第2番)は個性が明確にあらわれた隙の無い(最終的には)傑作だが、それとは違う、未完成感ともまた違う、グラズノフのルーツとして、バラキレフの野暮を抜いた佳作として、イワーノフでベートーヴェン的力強さを楽しんでみてはいかが。西欧ではル・シャン・ドゥ・モンドから出ていた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:交響曲第1番,○ガリエラ指揮フィルハーモニア管弦楽団(ANGEL),,極めて集中度の高い緻密な演奏で、拡散方向に向かいがちなこのての曲をじつにベートーヴェン的なまでにまとめあげた手腕は並ではない。リズミカルで色彩的なこの指揮者の特質もあるが、ただラテンな指揮者がリズムだけを煽っていくような演奏とも違いかなり作りこまれた演奏という感じもして、オケも熱演でこたえ、まったく技術的にもやる気度にも素晴らしいものがある。トスカニーニの芸風のような即物的な詰まらなさとは違う、主情的な解釈は殆どないが、主情的な高速テンポがそれを補って余りある存在感を見せ気をあおられっぱなしである。相対的には◎のつけられる演奏だと思うが、曲が長さのわりに案外単純ゆえ、奇をてらわない演奏ぶりでは、何度もきくと底が見えてしまう感じもする。だからといっていじりまくった演奏がいいとは少しも思わないのだが、そのへんはかなり微妙ということで。ロシアロシアした演奏では全くないので、万人に薦められるが、モノラルなのが難点。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:交響曲第2番,マーツァル指揮NYP(DA:CD-R)1976/1/1live,

どうにも中途半端な出来。弛緩した1楽章冒頭のリズムからマゼール張りの低血圧で、遅くて透明感がありすぎる。しかし突然集中力が発露するところもあり、ムラがありすぎる。この1楽章は設計的にだめ。2楽章スケルツォは突然異様なスピードで煽る。NYPの面目躍如たるところを聞かせるこの演奏で一番の聴き所。3楽章もまあまあだがこの楽章は木管ソロ次第の楽章である。4楽章はなかなかに聞かせる部分もあるのだが1楽章同様弛緩した部分とのギャップが激しく感じる。最後にはうまく盛り上げるから拍手喝さいになっているが、個人的にはアウト、過去この曲がはやった”テンション時代”のスタイルに慣れた耳からすると違和感がありすぎる。無印。

,ボロディンの2番をテンションで楽しめる二枚〜,"
チャイコフスキー : 交響曲第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」 / ボロディン : 交響曲第2番 ロ短調
マルティノン(ジャン)
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〜カップリングのVPOとの「悲愴」は賛否両論。","
R.コルサコフ:シェエラザード
コンドラシン(キリル)
ユニバーサル ミュージック クラシック

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〜コンドラシンRCOコンビの正規録音の中でも代表的な「シェヘラザード」と「ボロ2」のカップリング。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ボロディン:交響曲第2番,○アッカーマン指揮ケルン放送交響楽団(RICHTHOFEN:CD-R)1954放送,,確かに迫力ある復刻で、いちいち重厚な響が折り目正しく飛ばされてくる。ブラームスをやるような演奏ぶりだが悪い意味ではない。羽目を外さないかわりに癖や匂いのないまっとうに西欧的なボロディンを聴ける。ケルンSOのハデハデしい演奏ぶりには賛否あるかも。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:交響曲第2番,○エーリッヒ・クライバー指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1947/10/20LIVE,,さすがにひなびた音だが流石NBC響、テンション高いしドライ。エーリッヒさんの指揮は小トスカニーニそのもので基本的にしっとりした叙情は無くさっさと進むが、後半楽章になるとそれがトスカニーニの熱さとは違った「小気味よさ」を帯びてくる。恐らくそうとうに微妙なリズム感の差なんだとは思う。この曲のロシア臭さが苦手な向きにはおすすめの芸風ではある。ちょっと別の人の作品・・・たとえばドヴォルザークの後期交響曲の垢抜けた響き・・・を彷彿とするほどに整理され綺麗に整えられた現代的な演奏。録音マイナスで無印としたいところだが、いちおう○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:交響曲第2番,○クエスタ指揮ローマ交響楽団(ROYALE)LP,,非常に盤質の悪いいわゆるLP初期の乱発盤の一つだと思う。じっさい覆面オケであることは間違いないだろう。イタリア的な放埓さと高音や旋律への偏重ぶりはきかれるので「国まで偽っていることはあるまい」。迫力はない。アマチュアの演奏と言われても聴けてしまうくらい、レベルは・・・・。だが、解釈に時折「普通ロシア人がやらない」奇妙な音量操作や表情付けがなされているのが面白い。音質的にとても鑑賞にたえうる盤ではなかったが、解釈の特異性・・・アマチュアだけに許されるたぐいのものをプロがやったもの・・・としては特筆すべきものだ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:交響曲第2番,○コンスタン卜・ランバート指揮ハレ管弦楽団(columbia)1943/3/26・SP,,LPもしくはduttonあたりでCD化されていたかもしれない。オケはややアバウトだがランバートの引き締まった指揮ぶりはそれなりに聞かせる。いかにもイギリスのノーブルさといったものがロシア臭を払拭しており、終楽章にそれは顕著だが最後は盛り上がる。テンポは生硬なところもあるがリズム感は抜群。リズム感の有無は指揮者の能力に帰するのでこの作曲家が指揮者としても有能だったことの証左の一つと思う。中間楽章も聴き応えがある。部分的に変な箇所もあり(終楽章で音が一つ多いのか休符の数を変えているのかという箇所が気になった)やはり古い演奏であることには変わりない、ノイズもそういうものだと割り切って楽しんでください。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:交響曲第2番,クレツキ指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1971live,,冒頭からリズムが重く緩慢なテンポに厭気がさすが、しっかりした音表現をとっており、終楽章にいたってスピードも得てマルティノンに近い感興を醸せるようになる。ただ、録音が聴きづらく楽しめない。クリーヴランドは冷めてはいるけど巧いし、けして悪い演奏では無いとおもうが、録音としては無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:交響曲第2番,マルコ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI/sls)1948,,リズムのキレたズシンズシンという響きはカッコいい。一楽章はよい。でも横の動きがどうも・・・音の切れ目が曖昧。それは中間楽章で顕著になる。終楽章は重い和音のキッパリした響きは一楽章同様良いのだが、基本的に縦が揃わない。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:交響曲第2番,ラフリン指揮モスクワ・フィル(USSR/colosseum/Global Village Music)1950,,史上2度目の録音として有名だが、コーツの1度目の録音に比べてレアとされ、ロシアオケによる初の録音、とうたわれることもある(SP原盤は数はあるのだが少し高い)。コロッセウムはモノラル期にメロディア音源を輸入していたアメリカのレーベルで、有名な「ショスタコーヴィチ指揮の交響曲第10番」(ショスタコーヴィチは生涯ただ一度祝典序曲を振ったのみで、これはムラヴィンスキーの50年代録音の偽盤。但し連弾でピアノ版は録音した)などとデータが怪しいものも多いが、時期的にも希少なソヴィエト音源をきちっと聴ける形でLP化していたのは特筆できる。これもソヴィエトではLP化していなかったのではないか。1950年録音というのが驚きで、アメリカではステレオ録音本格展開がすぐそこまで来ているというのに、交響曲を78回転盤で出し、、、しかもかなり音が悪いのである。3つめにあげたレーベル名はitunesで昨年復刻されたデジタル音源なのだが、私はこれを聴いているのだが、素人がSP板起こししたような信じられないくらいのノイズ塗れの代物で、音は薄く(編成自体が小さいと思われる)オケ総体の響きがわからないほど貧弱な録音であり、気の向くままに揺れるのはロシアの古い演奏ではよくあることとはいえ設計も何も無い求心力の無いたどたどしさすら漂う演奏、まるで20年代の録音のようだ。オルロフとかコーツとか。。ゴロワノフと比較するのは失礼だ。こういうときは個別の楽器のメリットに着目して褒めるものだがそのためにはまずノイズを抜かなきゃどうしようもない。コロッセウムの盤の復刻を待ちましょう。itunesはCD化してない音源復刻が多いといわれるが、この一曲で800円はどうかしているよ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),△カルロス・クライバー指揮シュツットガルト放送交響楽団(いろいろ)1972LIVE〜クライバーの絶妙なリズム感が演奏への期待を持たせるが、思ったより期待外れ。作為的な表現も曲向きでない。何よりもオケがロシア向きでない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),△スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)1966〜独特の音色。ただ、スヴェトラノフの絶好調とは”言えない”方の録音で、オケも(特に弦が)部分的に薄かったりして、聞きづらい。やや空回り風だ(それも面白いこともあるのだけれども・・・)。スヴェトラノフの大仰な表現裏目か。この曲は即物的解釈が似合うと思う。スヴェトラノフで聴くなら、名盤と名高い新録をとるべきだろう。1番とのカップリング(MERODIYA盤)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),○E.クライバー指揮NBC交響楽団(MUSIC&ARTS)1947/12/20LIVE〜これが良いのだ。1楽章は歯切れが良いし、2、3楽章の抒情もだれることなく聴くものの耳を引き付け、4楽章ではコンドラシンをほうふつとさせる非常に集中力の高い演奏を聞かせる。このての曲はある程度速いスピードを要すると思うが、すばらしく颯爽としたクライバーの棒はその手綱を緩めることなく大団円へと持ち込んで行く。大ルバートは大きく決まる。まあまあだ。最後までひたすら疾走するNBC響にも拍手。息子の演奏とはぜんぜん違う。録音やや悪。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),◎アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON)〜同曲のスタンダードな名演。適度に熱狂的で、しかも音が美しい。アンセルメのロシア音楽は例外的に熱を感じることがある。カップリングが「イーゴリ公」抜粋と3番であるのもよい(London盤)。合唱付。土俗性は薄く、手触りはやはりフランス的だ(スイスだけど)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),○ゴロワノフ指揮モスクワ放送交響楽団(MULTISONIC/BOHEME)〜初出時はマニアの話題をさらった娯楽的演奏。ここまで思い切ってやるとぴたりとはまるのだ。特に終楽章の狂乱が素晴らしい。クライマックスの大ルバートが成功している録音例は少ないが、こうまで堂々とルバートし成功した例を知らない。恣意的解釈の唯一成功例だ。管楽器の発音の凄みも瞠目モノ。弦には雑味もあるが。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),◎コンドラシン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(PHILIPS)1980LIVE〜恐らくこの演奏がトータルに言って一番に推せると思う。コンドラシンの乾いたスタイルは全くこの曲向きで、色彩感も適度にある(コンドラシンには珍しい)。ムラヴィンスキーを思わせる統率力と迫力に満ちた、凝縮された名演だ。感動はアンセルメ盤をも凌駕する。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),○ザンデルリンク指揮シュターツカペッレ・ドレスデン(eterna/berlin classics)初出1961〜これにはびっくりさせられた!いきなりの柔らかく、ゆっくりとしたリズム表現。ザンデルリンクには私は何故か「固い」印象があるのだが、この演奏、壮大で緩慢で、隅からすみまでまろやかでやわらかく、やさしい。だから、「歌」がすばらしく綺麗にひびく。固く急くような演奏に慣れていた私にはショックだった。でも嬉しいショックだ。この非常に論理的で解釈の余地のあまりなさそうな曲に、このような斬新な切り込みかたがあったのか、というところだ。にもかかわらず非常にきちっとした構成感があるので、ぐずぐずな演奏にはならずにすんでいる。好き嫌いは別にして、○ひとつあげておく。中間楽章も美しい。スケルツォなんかなかなか聞かせる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),○チェクナヴォリアン指揮ナショナル・フィル(RCA)1977〜なかなか力演である。しかし表現は余り震幅が無く、どちらかといえばドイツっぽい重厚さを感じる(1楽章のリズムなど)。それが3楽章ではなかなか雄渾にひびき、古臭い民謡調のアンダンテに止まらないもっと汎的な魅力をはなつものとなっていて出色だ。この楽章で感銘を受けたのは初めて。対して終楽章などはわりあい客観的で、音に力があるから悪くはないのだが、とりたててスバラシイと言い張るほどに感じないのは何ともストレートなテンポにあると思う。祝祭的なアレグロ楽章なのだからこそここぞというところではルバートで見栄を切って欲しい(趣味の問題だなこりゃ)。総じて良演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),○マルティノン指揮ロンドン交響楽団(LONDON)CD〜この演奏はとても気に入っている。マルティノンはアンセルメと同傾向の曲を得意とし、録音も数多いが、イギリス・オケの技巧をバックに集中力が高く尚「楽しい」演奏をかなでている。非常に聞きやすい。面白い。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),○ローゼンシュトック指揮NHK交響楽団(NHK/KING)1977/2/16live:CD,やけに重々しい1楽章や一音一音をしっかり踏みしめる終楽章を聞くとああ、ドイツ系の演奏だなあ、と思う。意外に野卑たN響の音はかなりロシアロシアしているのに、指揮者が即物的というかあまり感情的にならないので、不完全燃焼気味になる。しかしこれはドイツの演奏なのだ、と割り切って聞くとこれはこれで非常に構築的でしっかりしたベートーヴェンの系譜に連なる作品に聞こえてくるから面白い。3楽章などソロ楽器のうまさに拍手。個人的には中間二楽章、とくに2楽章の愉悦感が気に入った。ライヴだしかなり雑味があるのは仕方ないが、意外といい演奏です。○にしておきます。まあ、もっと厳しくザッツが揃うとカッコいいんですけれど。日本の音楽史に名を遺す教育者ローゼンシュトックの晩年の演奏です。名前はよく出るのに録音は殆ど出てこないのはなぜだろう。。,,,2011年CD化。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),クーベリック指揮ウィーン・フィル(SERAPHIM)〜クーベリックの一連のウィーン・フィル盤は私はどうも苦手だ。とくに録音がいけない。あまりに奏者に近い。ヴァイオリンは薄くて雑だし、合奏は人工的で円熟味に欠けるのがモロバレだ。このボロディンも例外ではない。きちんとまとまってはいるがオケの雑味が気になって気になってしょうがない。ただ、私は意外だったのだが、3楽章、壮大で心象的な世界がとても魅力的な音色を発する管楽器群によってニュアンス深く表現されており、この曲で私が唯一親しめなかったこの楽章のよさが、はじめてわかった。だからといって他楽章の雑味が押し退けられるほどでもなく、推薦はしないでおく。終楽章はもっと興奮が欲しい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),コーツ指揮ロンドン交響楽団(PRIVATE他)1929/11/5,6、1931/4/18編集しすぎ。録音年代を見て頂くとわかると思うが2年にわたる演奏記録のツギハギというだけで気を削がれる。演奏はまずまずといったところだが、そんなに編集してこの程度?という疑問がないわけではない。コーツが忘れられた指揮者となったのも必然か。無難、客観的。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団(BMG/RCA)1993/7/6〜もともと単独盤であったがスヴェトラーノフの死去により追悼の全集盤として廉価で再版された。録音のせいか音が比較的柔らかに響くことにまず気が付いた。1楽章はきわめて雄大で壮大な演奏を目しており、勢いだけのイケイケになっていないところが意外である。ただ、たとえば力強い第一主題をゆっくり踏みしめるような表現など、わざとらしさを感じてしまう所もなきにしもあらず。この緩慢なテンポに慣れてしまうと、横ノリで楽しく聴けるが、好悪別れると思う。いきなり爆発的にひびくブラスも「いかにも」だ。旧録の解釈の痕跡も遺している。2楽章スケルツォはなかなか美しい。3楽章は瞑想的な雰囲気をかもし、独奏管楽器の荘重な響きが印象的。ここでも壮大さを表現する意図が読み取れる。4楽章はやはり意外に遅いテンポで祝祭的な楽曲をしっかり響かせている。まろやかさには欠けるが独創的で壮大な演奏である。全般、けして耽溺しない演奏だが、構築的で、いかにもボロディンらしい演奏になっている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),トスカニーニ指揮NBC交響楽団1938/2/26LIVE〜即物的解釈といえばこの人の純音楽指揮が思い浮かぶが、音が悪すぎてよくわからないところが多い。トスカニーニもいささか困迷しているように感じる。日本盤(廃盤だが手に入る可能性あり),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),トスカニーニ指揮NBC交響楽団1942LIVE・私家盤LP〜じつは38年盤よりこちらのほうが聞きやすい音。放送音源です。解釈には当然差はありませんが、幾分楽しめます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),マルコ指揮フィルハーモニア管弦楽団,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),ミトロプーロス指揮デトロイト(フォード)交響楽団〜古い・・・,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル〜スタンダードな印象。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第2番(1869-73/79),ミトロプーロス指揮ミネアポリス交響楽団(HISTORY等)1940年代〜それなりに楽しめる。往年のアメリカ・オケの甘い音色が聞き物。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第3番未完成(1886-87),アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ボロディン:交響曲第3番未完成(1886-87),マルコ フィルハーモニアO
ボロディン:交響詩「中央アジアの平原にて」,○ミトロプーロス指揮NYP(GUILD)1953/4/19live・CD,,どうもどこかで聴いた覚えがあるのだがデータ的には初見である。愉快な演奏で録音状態柄(guildだから放送だろう)リアル感が強くミトプーの芸風からしても音詩的な情景描写感は薄いのだが、純管弦楽としては非常に楽しめる。強靭な推進力を持ったオケの威力を最大限に引き出すミトプーの才能というか、NYPへの適性を感じる。NYPは事実上この人なくしてバンスタ時代には至れなかったと思う。録音状態から◎にはできないが、通俗名曲に留まらない魅力を発揮させた佳演。,,"","Rubinstein & Mitropoulos - Recordings 1953: Saint-Saens", Borodin, Franck, Scriabin / Arthur Rubinstein, Dimitri Mitropoulos," NYP","",-----,,,-----,
ボロディン:交響詩「中央アジアの平原にて」,アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(PATHE/SLS)1929・CD,,落ち着いたテンポで(録音のせいもあろうが)起伏も基調となるテヌート表現の中で極端にはつけられない。フランスの管楽器の魅力は、時代なりのアバウトな感覚もなきにしもあらずだが音色に明瞭に表れている。低音楽器中心に各楽器の力強さは伝わってくる。解釈は結構感情的で、後半に低音から高音へ旋律が受け渡される個所などデロデロなフレージングでアンゲルには珍しい。若い頃の録音ならではのものだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:中央アジアの平原にて,○アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(RICHTHOFEN:CD-R/PATHE)1930年代,,パテ原盤にしてはSPの抜けのよさがなくノイズはかなりひどい。盤面状態の悪いものから起こしたように思われる。しかし演奏はすばらしく、壮年期の情緒的なやわらかさを含んだスケールの大きい高精度のもの。同時期フランスにいくつかあった同曲の録音でも最上位に置けよう。フランス的でもロシア的でもない、スコアから読み取ったものをそのままに、しかし即物的にではなく描写的な意図をしっかり汲んだ表現をなしており、遠くから近寄りまた去っていく隊列を目のあたりに描く。この人はフランスでは図抜けている。○。稀少盤で知られたものを裏青復刻した一枚。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:中央アジアの平原にて,○ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(POLYDOR)SP,,短さと旋律性から通俗名曲として20世紀前半より親しまれてきた曲だがとりわけオリエンタリズムに趣味深いフランスでは受け容れられ録音も多い。ヴォルフはやや新しい指揮者であるせいか録音の新しさにも恵まれピエルネのような柔な音ではなくはっきりコントラストのついた音によって骨太のボロディンを描いている。しかし中間部の隊列の主題はかなり情緒的な表現がたっぷりなされており、フレージングも柔らかく詠嘆の情がにじむ。ヴォルフらしくないがこれは時代と国の欲求だろう。金属的で美しいフラジオも印象的。録音時間に制約あるSPゆえ末尾など欠けたりしている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:中央アジアの平原にて,○ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団(COLUMBIA)1929・SP,,オリエンタリズムの受けるパリではさかんに演奏録音された曲だが、わりと即物的で素朴なこの演奏などきくと高音フラジオのハーモニーに低弦のスラヴィックなピチカートがのるあたりなど先鋭的な響きがして、それらが洗練された単純さの中に配されている。フランスの当時の前衛好きに受けたのもわかるし、演奏もまたロマンティック過ぎも整え過ぎもせず滑らかに、気持ちの良いもの。どちらかというと春昼さがりのバルコニーの情景。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ボロディン:中央アジアの平原にて,○ピエルネ指揮コロンヌ管弦楽団(GRAMOPHONE)SP,,わりとしっとりした演奏で、この理知的な発想の作品を、ロマンティックではないのだが機械的に組み上げるのではなく流れの上に横に引き流していく感がある。この曲は簡素ゆえ演奏によって様々な表現ができ、旋律音楽にも印象派音楽にも前衛音楽にすら仕立てることができそうだが、ゆえに誤解や嫌悪を産む素地がある。この演奏ではボウヨウとした弱い音楽に聞こえる可能性があり、個人的には軽やかで綺麗なもののそれほど好きではない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:中央アジアの平原にて,○ユルゲン・ワルター指揮ハンブルグ・プロムジカ交響楽団(MUSIQUE POUR TOUS)LP,,この人の持ち味として安定感とリズム処理のよさが挙げられる。更にスマートで手馴れている、とまで書くと曲によるのかもしれないが、この演奏はそういったスタイルにあった曲ということで録音の問題はあるにせよ安心して聞き流せる。だったん人のほうが曲的にも盛り上がるし、同曲ならではの印象派的な描写性がリアルなドイツオケの音で損なわれている感もなきにしもあらず。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ボロディン:中央アジアの平原にて,プレートル指揮ロイヤル・フィル(ERATO/EMI/warner,icon)CD,,輪郭のはっきりした演奏で、イギリスオケものではあるが木管ソロの巧緻な歌い回しにフランス流儀の特徴的な美しさがある(ような感じもする)。弦楽器はロイヤル・フィルにしては強靭さが露骨に現れているが録音のせいかもしれない。雰囲気音楽ではなくリアルな抽象音楽と感じたが、すぐれた録音ともども曲を知らない向きにも薦められる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ポンセ:ヴァイオリン協奏曲,○シェリング(Vn)クレンツ指揮ポーランド国立放送交響楽団(PRELUDE&FUGUE)1958LIVE・CD ポンセは南米の匂いがあまりしない作曲家である。透明感のある響きやロマン派的な生臭さの薄い清潔な作風が、これも必要最小限に昇華された民謡旋律とあいまって聴き易い世界を繰り広げる。この曲でいうと3(終)楽章はそれまでの楽章と違い民謡ふうのリズムが目立つともするとミヨーっぽくなりがちな楽曲だが、シェリングとクレンツは爽やかにすっきり演奏して見せている。こういう演奏のほうが長く飽きずに聞けるだろう。曲の面白さを歪めずによく引き出している。独特のコード進行が鮮やかに表現されていて面白い。ここでいう「独特」は新奇という意味ではないので念のため。素直に聴き易いです。また、1楽章のカデンツアは模範的なものとして聞き物。○としておく。ステレオとあるがモノラル。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ポンセ:ヴァイオリン協奏曲,○シェリング(Vn)ハイキン指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(AKKOPA)1950年代・LP,,シェリングの愛奏曲であるが同じ愛奏曲シマノフスキの2番に似た曲想にラテンアメリカのリズムと旋律が僅かに織り交ざる抽象的な作品である。この盤、かつては異常な高額盤だったが確かにバティスのものより抜群にすぐれた演奏ぶりである。シェリングの真骨頂を聴く思いだ。この曲によくもまあそんな心血注ぐ演奏振りを・・・と思わせる一方には録音のよさがあり、シェリング全盛期の凄まじい、しかし高潔な音が聴ける。高潔といっても無機質ではなく、音が撚れない跳ね返らないとかそういった意味でである。ポンセはわりと最初から最後まで弾き捲りで曲をまとめていて散漫な印象もあるが、シェリングはその音を余すところなく表現し、ハイキンもオケのロシアロシアした部分を抑えてひたすらシェリングのバックにまわっている。演奏的には素晴らしい。しかし、この曲は・・・まあ、好き好きかな。終楽章で初めてメキシコってかんじになる。シェリングはほんと珍曲好きというか、まあ、縁のある作品にはしっかり応える誠実さのある人だったのだろう。シェリング全盛期の力量にちょっと驚いた。○。他に2記録まで確認。,"",,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ポンセ:ヴァイオリン協奏曲,○シェリング(Vn)バティス指揮ロイヤル・フィル(SEGUNDA)CD メキシコの作曲家で世代的にはストラヴィンスキーと同じあたり(同じ1882年生まれ)だが戦後すぐ(48年)亡くなっている。イタリア風のからっとしたラテン感覚もあるがそれ以上に印象派後のフランス近代音楽の影響が強い。ことさらに民族性を誇示しない作風はとても間口の広い聴き易いものだ。この珍しいヴァイオリン協奏曲も20世紀のロマン派ヴァイオリン協奏曲の常道をいっている面白い曲だ。民族音楽に基づく「特殊な」部分は主としてリズムに留め、響き的にはシマノフスキの2番やバーバーの協奏曲を想起する割合と耳馴染みの良い(でも19世紀ロマン派より全く自由な)ものを使っている。特筆すべきは3楽章で、これはまったく新しい感覚だ。冒頭より無調的な硬質の走句が奏でられ、清新な聴感をあたえる。リズムも南米的ではあるがデュカス譲りのフランス感覚が安易に民族音楽の翻案に堕することを避けている。トレモロの用法にこの作曲家の本領であるギター音楽の残響を聴くこともできよう。技巧は駆使されているが物凄く難しいわけではなく、特殊奏法のようなものも無い。シェリングはやや怪しい部分もあるもののおおむね美しく歌い上げている。この曲を偏愛しレパートリーとしていたそうだが、シマノフスキの2番も愛奏していたことも考えると、清潔で美しい抒情を歌い上げるような楽曲を好んでいたのだろう。オケがロイヤル・フィルのせいか非常に透明感があり、バティスならではの爆発は無い。旋律性がそれほど強い曲ではないためちょっと聴き掴みづらい感もあるが、聴き込めば楽しめると思う。シェリングは知る限り他に50年代にハイキン、ヤン・クレンツと録音しているが共に未聴(クレンツ盤は現役だがハイキンとのロシア録音は未CD化の模様)。○。ステレオ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ポンセ:ヴァイオリン協奏曲,○シェリング(Vn)ブール指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(EINSATZ/ODEON)1951・CD,,シェリングに捧げられ有名ヴァイオリニストでは殆どシェリングしか弾いてないんじゃないかというポンセのコンチェルトである。既に書いてきているとおりメキシコ人になったシェリングは各地で親友の曲を演奏紹介し、また録音しており、時期やバックオケによって印象が異なる。だがポンセは基本当時の現代作曲家で、終楽章に露骨にメキシコの民族主義的なリズムが顔を出す以外は比較的冷めた機械的な書法で無駄なく「無難に前衛な」音楽を描いている。けして無理のない、でも簡素ではない音楽は新古典主義の気風を受けていることを裏付けているが、あとはソリストの表現力ということになり、その点でいうと後年よりもこの若きシェリングのほうが線が太くはっきりした情感ある音楽を作り上げており、モノラルではあるが一聴に値すると思う。バティスのものよりはこちらを推したい、それはオケがすばらしく「現代的」で、ブールの冷徹な技術がコロンヌ管の透明感ある音を利用して、この曲をローカリズムから脱却させているという点でも言えることである。,,大曲感が強く、だらだらとはしないが聴くのには少々勇気がいるかもしれない曲であるものの、凝縮されたようなモノラルだと寧ろ聴き易い。シェリング好きなら若きシェリングがけして開放的なスケール感を持ち、鉄線のような音でやや技巧的にぎごちなくも美しく表現する人であったのではなく、同時代の巨人的ヴァイオリニストに匹敵する技巧を兼ね備えある程度骨太に滑らかに連綿と物語を綴ることができていることにちょっと驚きがあるかもしれない。特徴としてある高音の音響的な美しさが既に現れている、しかし禁欲的で無味無臭でもない、そこがポンセの立ち位置と合致したところをブールがうまく演出している。倍音を多く取り込むアナログ盤からの板起こしであることを明言しており、それゆえ僅かなノイズは避けられず(但し板起こしが原盤ディジタル起こしを上回る見本のような復刻状態ではある)○にはしておくが、シェリングの出来立てホヤホヤのようなポンセに出会えるいい機会。在庫稀少とは単に僅かしか生産していないだけなので焦ることはない、機会ができたらどうぞ。それにしてもシェリングはステレオ以降の印象が強く、モノラル期はこんなふくよかで自然な面もあったのかと驚いた。,,"Sibelius: Violin Concerto in D minor; M.Ponce: Violin Concerto / Henryk Szeryng", Ernest Bour," Concerts Colonne",-----,,,-----,,,-----,