-2019/1/9(25修正)hindemith
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(naxos)1946-47,,web配信されている音源。録音は悪いが、スケールの大きくゴージャスなオーマンディの芸を楽しむことができる。ヒンデミットは即物的な表現があう作曲家で、譜面が全てを語っているから、演奏家が殊更に何か付け加えると不格好なロマン派音楽みたいになってしまう(この作品のようにわかりやすい後期作品だと特に)。この演奏もその点は否定できないが、一回聴きなら大いにアリだろう。何度も聴くかは?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,○ボンガルツ指揮ドレスデン・フィル(WERGO)ボンガルツもマニアを集める指揮者だが、この演奏を聴くだけでも名匠であったことがうかがえる。気高き幻想は演奏の仕方によってはちっとも面白くなくなるのだが、ボンガルツは旋律を浮き立たせ、その変容や再現のさまを明瞭に描きあげており、無駄が無く、聴き易い。バレエ音楽からの編曲だが、マチスよりも後に作曲されたもので、きわめて論理的な構造と湧き起こる叙情性が耳を惹くわかりやすい作品だ。3曲目はとくにあざといまでに旋律が強調されるのだが、それを隠そうとするととてもわかりにくい音楽になる。ここでは最後で再現されるところなどボンガルツはなかなか芸達者に聞かせてくれる。擬古典的な構築性はヒンデミットのウリであるが、そういうもののかっちりした「組み立て」の上手な指揮者にかかると作品はとたんに輝き出す。往年のドイツの指揮者が得意としたのも肯ける。ボンガルツもその例外ではない。佳演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,ケーゲル ドレスデン・フィル
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,カイルベルト指揮ハンブルグ・フィル(ICON/warner)1955・CD,,もっさりと重くて鈍臭い、客観性すら感じさせるカロリーの低さと雑さ、はヒンデミットの低音域の書法のせいなのだ。ヴァイオリンなどがリズムを刻むときの愉悦感たらなく、それはカイルベルトがこのCDでは直後に収録したウェバ変での素晴らしくキレキレな拍節感に通じるものである。この曲では両極端のカイルベルトがあらわれているようにも感じる。ドン臭さ=ドイツ臭さでもある。その重厚なスケールは、同曲をやたらと振ったモントゥーには無い。むしろこの三曲ではコンパクトにヒンデミットの日和振りを楽しむべきだとすら思わせてきたのが、ここはスルーでいいやと思うフレーズのそれぞれにきちんと役割があったことに気付かされる。最後はシンフォニーを聴いたような感想。まあ、オケに雑味、というかカイルベルトの振るオケはわりと雑味があるので、こだわらない人だったのかもしれないが、冒頭の印象はそれで正しかった、ということでもないだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,コンドラシン指揮NDR交響楽団(TOE:CD-R)1981/1/26LIVEもっと硬質の音で来るかと思ったら意外とレガート気味。悪くはないがコンドラシンらしい鋭さが欲しかった気もする。迫力はあるが集中力はイマイチ。1楽章は一箇所素晴らしいヴァイオリンのカンタービレが聞けるのでお聞き逃しのないように。2楽章は軽快な音楽で明るい調子はウォルトンぽい。なかなか名演だがもう少し軽いといいのに。3楽章もどうも引っ掛かりの無い演奏。4楽章は依然レガート気味で遅いが、通奏主題が明らかで解りやすく盛り上がり易いせいか結構聞かせる。対位的な部分の充実した響きがいい。最後に再び輝かしいパッセジが歌われる所では、やや鈍重さが感じられるが元々分厚い響きの曲と遅いテンポ設定のせいかもしれない。総じてうーん、この曲の名演なんてそもそも知らないけど、無印にしておきましょう。2楽章だけなら○だけど。拍手は消されている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,シュミット・イッセルシュテット指揮NDR交響楽団(EMI)1972/7/3-5・CD面白みがない。落ち着き均整のとれた演奏だとは思うが何を聞かせたいのかわからない。演奏自体もどこに力点を置きたいのか分かりづらい。美しさは認めるが曲本来のものであって演奏のせいとは言えない。サウンドとしては雄大でいい、が、感興は最後だけ、そんな感じか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,作曲家指揮フィルハーモニアO
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲〜V,○作曲家指揮スウェーデン放送交響楽団(BIS)1955/10/16LIVE・LP 音が悪くイマイチ盛り上がりが足りない気もする。やはり並み居る専門指揮者に比べると作曲家指揮者というのは落ちるなあ、とストラヴィンスキーの演奏を聞いても思うが、まあ、ストラヴィンスキーよりは感情を煽るものがある。アンサンブルの鋭さがイマイチなのはひょっとしてヒンデミットをなめているのか?・・・まあ、そんなことはないだろうけど。悪くはないので○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)1954/10クレンペラーのヒンデミット、聞きごたえの有る音楽を期待させるが、案外普通だ。この時代にしてはクリアな音のせいもあるが、とても聴き易い。逆に言えばひっかかりがない。この曲自体が地味なせいもあるかもしれないけれども、緻密にかかれた音楽の構造を楽しむ事はできても、音楽に素直に没頭する事ができない。けっこう壮大で偉大な音楽に聞こえるのはクレンペラーのなせるわざだし、認めないわけにはいかないのだが。クレンペラーにヒンデミットの録音が少ないのもなんとなくわかる。いや、聴き易いんですがね。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,○クレンペラー指揮RIASベルリン放送交響楽団(audite)1954/2/15studio・CD,,auditeのやらしい抱き合わせボックス収録のマスターからの正規音源で、カップリングが難しかったせいか完全初出のようだ。たしかにモノラルだが音は聴きやすく、迫力もある。クレンペラーらしいゆっくりしたテンポ、しっかりした足どりが表面化し、他のライブ記録とはちょっと違っている。ヒンデミットのマンネリがさほど気にならない清新な解釈なのだ。とはいえ和声展開や管弦楽法などメソッド通りのものがダイレクトに聞こえるばかりなり、という点は堪え無ければなるまい。そんなでは転向ヒンデミットは聴けない。わりと暗い曲だがオケにはよくあっている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,○クレンペラー指揮スイス・ロマンド管弦楽団(ETERNITIES:CD-R)1967(57?)/3/6live,,クレンペラーではEMI正規録音に近く、オケのアタックが弱くヤワで迫力には欠ける。しょうじき非力でありやる気もどうかというところだ。最後こそ偉大に盛り上げるがそこまでは退屈で、無理に遅めのテンポに抑えているようだ。ヒンデミットでも作風がマンネリ化した時期の作品で、構造や構成もまったく新味がなく、ヒンデミット慣れしているとこういう客観的なやりかたは退屈きわまりない。うーん。○にはしておくか。ここで美しいのは静かな場面での木管のやりとりだが、木管に鉄琴重ねるやり方はまったく世界の調和他と同じでヒンデミット的にはいつものやつなのである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,○パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1961/12/21,,終曲までは割合と実直な表現で進むのだが、フィナーレに近づくにつれ次第にリズミカルで力強いアクセントが付き始め、一気に盛り上がりをみせる。ダイナミックな表現はスコアが示す以上のカタルシスを感じさせる。方法論的に正しいのか知らないがシンフォニー的なまとまりのあるなかなかの演奏だ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,マルティノン指揮ORTF(ina配信)1969/12/10放送 live,,ヒンデミットは重量感のある音でガシガシやるものと思っていたらこういう透明な演奏がでてきてちょっと戸惑う。主題の一つ一つに意味を持たせることはしない。個々のフレーズに対しては達観したようにニュアンスを盛り込まない(オケの特性でもあろう)。柔らかい音でこの作曲家特有の光明ある響きを、ことさら引き出したような表現だ。目から鱗は落ちるがこんなのヒンデミットじゃない、と思うところもある。オケには「お仕事」的な感じもする。もっとも、ヒンデミットが聴きづらい、暑苦しいという向きにはこういう解釈はありだろう。ここまで書いて、低音を捉えきれない録音のせいのような気もしてきたが、偉大で圧倒的なヒンデミットはここにはない。スコア自体が語るくらいには大言壮語ではあるので、興味があればどうぞ。弦とかもっと音を切って動きを出してほしいよなあ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,マルティノン指揮シカゴ交響楽団(RCA他)1967/10/25・CD,,マルティノンのイメージ通りの演奏となっている。マーラーを得意としただけに中欧音楽でも期待させるものがあるが、これは莫大であまり曲の芯を捉えていないように聴こえる。退屈なのだ。理知的に構築してはいるが楽団はそれを譜面通りに演奏している、そこに加えるものはなく、遅いインテンポで壮麗さを演出しようとするとそこでヒンデミットのわかりやすい曲の内蔵するマンネリズムが表面化し、1枚CDではあわせて収録されたバルトークやヴァレーズにくらべて聴き劣りは否めない。中低音のひびかない楽団の性格もあるのだろう。ヒンデミットはやはり中欧の作曲家であり想定されているのは重い響きである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,モントゥ指揮ボストン交響楽団(SLS他)1963/8/4live,,モントゥーは同曲を得意とし比較的多くの録音が発売されているがこれはその中でも上位に置けるのではないか。ヒンデミットの管弦楽作品は細部まできっちり彫刻し、要である対位構造を明確にしないとまず魅力が伝わらない。モントゥは縦をビシッと揃えてリズムの切れた表現をし、同曲にはわりと多い緩徐部もバランスを整え乱れたところ、グチャッとなるところがない。引き締まった演奏ぶりはそういうものに支えられた上で迫力があり、録音は砂ノイズが入り続け(部分部分で少し状態が違う)モノラルで情報量も少ない(音量も不足している)がなお、聴くに値する。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,モントゥ指揮ボストン交響楽団(whra)1959/01/23live・CD,,時代を考えれば良好なステレオ。モントゥーの定番と言っていいレパートリーで聴衆も慣れたような普通の反応だが、演奏はビビッドに捉えられ迫力がある。求心力を失うとヒンデミットは駄目、モントゥーは拡散的な演奏は決して行わない(録音初期から同じ)。ヒンデミットの構造をきっちり読み解いてきっちり演奏させる。このタイプの常套的で平易な曲ではヒンデミットは外さないので普通に聴いて、その独特の目の詰まった新古典主義っぷりを楽しめます。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,○モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R他)1963/8/4live,同前掲,モントゥーのライヴにはとにかくけっこうヒンデミットがあるので、これも既にどこかで(果てしなくM&Aあたりで)出ている可能性もある。録音状態はエアチェックの60年代初期ということを考えると極めていいのではないか。気になる人は気になる程度の雑音と不安定具合である。演奏は流れるようにロマンティックなモントゥの速いテンポである。板についたもので非常に聴きやすいが刹那的に楽しめるものの全容がつかみづらい・・・のは曲のせいか。綺麗な「日寄ったほうの」ヒンデミットなので、誰のでもいいのでお聞きになってみてはいかがでしょうか。なんかオシゴト的文章になってしまった。○。,-----,,TITLE: ヒンデミット 組曲「気高い幻想」(Nobilissima visione),URL: http://classic.dip.jp/2007/02/nobilissima_visione.html,BLOG NAME: クラシック音楽逸品館(CD,DVDの名盤,スコア,関連書籍),DATE: 02/27/2007 15:51:58, これはちょっと調べてみたんですが、解説らしい解説がありませんね。なので、曲を聴いた感じで紹介しようと思います。 比較的早い時期の作品で、1930年代、ドイツにまだ居たときの作品です。有名な画家マチスと同じくらいの時期ですね。しかし、画家マチスとは大分違...,-----,,,-----
ヒンデミット:「気高き幻想」組曲,○モントゥ指揮フランス国立放送管弦楽団(music&arts)1958/11/8・CD,,「世界の調和交響曲」とほぼ同じような構成の平易な作品で私は大好物だ。漂う抒情性、ネオ・ロマンチシズムにひたすら上り詰めるクライマックス、終始目の詰まった対位的な動きにわくわくさせられる。だが、意外と「わくわくしない演奏が多い」。それはヒンデミットを前衛の旗手「であった作曲家」ととらえそこに焦点を当て客観的に整えているからではないか?とこのようなライヴを聴くにつけ思うのだ。モントゥはまるでドイツオケのようにORTFを鳴らし、引き締まったリズムでぐいぐいと曲を進めていく。内声部の見通しも素晴らしくよいのだが、そこに拘泥せず更に抒情味を漂わせる。本質的に旋律やフレーズに内在する抒情性を引き出すのが巧い、と言ったほうが適切か。とにかく最後は偉大なカタルシスを明確なフォルムの中に味あわせてくれている。ブラヴォが出てもいいくらいだがフランスでは期待できないか。これを聴いているとまるでイギリス近代音楽を聴いているような錯覚にも陥る。懇意であったウォルトンへ与えた影響の強さというものを実感させる。「この」ヒンデミットからウォルトンは影響を受けたのか。ヒンデミットはアメリカ的とも言える中空のブラスの鳴らし方をさせることがあるが、そういったところが「ポーツマスポイント序曲」あたりを彷彿とさせるのだ。モントゥの解釈だからそう聞こえるとも言えるのだろうが。リマスター健闘しているものの録音がやはり悪めである。従って最大評価はできないが、「叙情的で感情的なヒンデミット」が好きな向きは楽しめます。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヒンデミット:歌劇「世界の調和」(1936-57)〜カット版,○作曲家指揮ウィーン交響楽団ほか(STRADHIVARIUS)1960'S LIVE ヘイロクはチェロ協奏曲。音が悪いものの、歌劇としての「世界の調和」の美感をタンノウできます。最後の合唱が入るところは交響曲以上に壮大で感動もの。フリッチャイが初演をめぐってベルリン放響ともめた話は有名だが、結局初演を振る事も録音を残す事もできなかったようだ。全曲版は最近やっと出だしている。実演で見ると凄いらしいのだが。。ヒンデミットは交響曲ではドイツ・グラモフォンへのベルリンフィルとのスタジオ録音(音が不明瞭でイマイチ)、ならびに祝典交響楽団なる実態不明のオケとのライブがエヴェレストに残っている。後者は超名演で、CD化望む!!フルトヴェングラーのライヴが2枚cdになってます。手に入りやすいので興味の有るかたはどうぞ。新しいものではムラヴィンスキー指揮のものがベスト。3楽章が大風呂敷すぎるきらいはあるけど・・・完全版は知る限りヤノフスキ盤しかない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:「世界の調和」交響曲(1950-51),○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(MELODIYA,VICTOR)1965〜ステレオでは一番。緊張感あふれる一楽章がお勧め。終楽章は少々壮大すぎて凝縮力に欠ける(ようするに遅い)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:「世界の調和」交響曲(1950-51),○作曲家指揮ベルリン・フィル(DG)1954/3/20,22〜(LP評)余り魅力のない演奏に仕上がったのは何故だろう?ひとつは音質だ。広がりの無いくぐもった響きと縁取りのぼやけた音像が、独特の響きを殺している。これはヒンデミットが「日寄った」あとの作品で、半世紀ほど前のドイツ・オーストリア音楽の如く、耳障り良くて旋律的である。緊密な音構造や新鮮な音の奔流をタノしむ「頭の音楽」では最早無くなっている。従ってやわらかくロマンティックに表現したり、ギチギチに前進的な演奏で素晴らしい高揚感をもたらすといった、娯楽的音楽の常道表現はいくらでも可能だろうし、寧ろそれがこの曲の魅力の全てだと思う。別記した自作自演ライヴは両者を兼ね備えた恐るべき名演だが、対してこのベルリン盤は、ライヴで燃える指揮者がスタジオでは何故かしゃっちょこばって(変な言葉)ちいさな演奏ばかり残してしまう典型のように思える(他の盤はそうでもないのだが)。ベルリン弦楽器のかなでる重低音の魅力や黒光りする艶は、「一切」きくことができない。フルトヴェングラーのライヴとは、演奏家たちの「やる気」が全く違うようにきこえる。レコード会社の意向で仕方なく演った、というような・・・。「ビジネスライク」という言葉が浮かんだ。技術面では非の打ち所が無いがゆえ殊更に感じる。巨大な松葉(=クレッシェンド)で成り立っているような終楽章も、葉先が枯れてしまっている。うまい。確かに巧いオケだ。でも、記録としては余りに平凡である。 ちなみに未CD化だったこれら自作自演のDG録音(ベルリン・フィルなど)は2003年末ボックスで一気に廉価CD化された。(以下CD評)〜CD化記念に再掲。LPは音の篭った輪郭の茫洋とした感じであまり演奏の魅力が伝わらないものだったが、CDではよりすっきりとしてソリッドで且つ聴きごたえのある音になっている。弦楽器の明瞭で水際立った音はLPでは得られなかったものだ。この曲自体のはらむ爆発的な推進力は十全に発揮されているとは言い難いが、スタジオ録音としてはかなり迫力の有るものには仕上がっている。フォルテッシモな箇所でいくぶん距離を置きがちというか、躊躇があるようには聞こえるけれども、LPで聴いたときの手応えのなさとは格段に違う。ぜひCDで聴いて下さい。これならベルリン・フィルだ、と納得。○。56年に東京で行われたこの録音にかんするインタビューも収録。とにかくこの自演ボックス、曲目の組み合わせがいいし、コストパフォーマンスいいですよ。(2004/1/22記),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:「世界の調和」交響曲(1950-51),◎作曲家指揮祝祭交響楽団(EVEREST)?LIVE ヒンデミットの指揮というと悪い先入観を持ってしまう向きもあるかもしれないが、時代がら良い録音に恵まれていないのも一因だと思う。この録音は恐らく最晩年のライブで詳細不明だが、ベルリンフィル盤より音がクリアで迫真性があり、演奏もムラヴィンスキー以上に引き締まった素晴らしいものだ。終盤の凄まじい高揚はスクリアビン的ですらある。ここでアンサンブルを整えすぎ、不完全燃焼気味になる演奏が数多いのだが、この曲の真価は本盤のような白熱する演奏で聞かないとわからないだろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:「世界の調和」交響曲(1950-51),ケーゲル指揮ドレスデン・フィル(DEUTSCH SCHALPLATTEN)〜悠揚たる演奏。冷たく硬質の音がヒンデミット本来の尖鋭さを抉り出す。面白くは無い…,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:「世界の調和」交響曲(1950-51),フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(EMI)1953/8/30LIVE〜音が悪い。でも白熱は伝わってくる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:「世界の調和」交響曲(1950-51),◎フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(西ドイツ放送局管弦楽団?)(FONIT CETRA/ORFEO他)1953/8/30ザルツブルグlive・CD,,テープ音源であるEMI盤と同じ日付がしるされ、同一演奏異マスターであることを示唆しているが、一部で偽演もしくは演奏日違いという指摘もあるので?付で別項としてあげた(2013年補:orfeoより改めてボックス収録されたため?を外した)。なぜそういうことが言われるかというと、この盤は余りに音が良過ぎるのである。変な操作もなく、演奏中の客席のざわめき(フルヴェンというよりヒンデミットへの反応と思われる)まで聞き取れる。よく知られたことだが戦後イタリアのお金持ちやらなんやらが中欧の放送用などマスターもしくはそれに近い音源を大量に買取り、それがCETRAやカナダではあるがROCOCOなどに流れて「妙に音質のよい海賊盤」として出回った。その一枚というわけである。,,これはあきらかにEMIなど比べ物にならない新しくクリアな音で(戸惑い気味の終演後拍手では撚れが出るが)、もっとも詳細確認をしていないので同一録音のマスターに近いものなのかどうか、冒頭にのべたとおり別物なのかわからない。ただ、演奏自体フルヴェンとしか思えない異常なオケのノリがあり(ヒンデミット事件のこともあるしもともと保守派の多い土地でもあるし客席はぽかーんだが)、しかも書いてあるとおりVPOとするならここまでベルリン臭い集中力の高い正確な音に作り変えられたのは、同時期においてフルヴェンをおいて他にない気がする。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",,,この録音はテンションだけでいっても、演奏自体の完成度、理解度からいっても作曲家自作自演に比肩するもので、ほんとにフルヴェンだとしたら、よくやってくれた、よくオケにここまでノらせて最後のあの凄まじい高揚までをスピーディに力強く完璧に表現してくれた(スコア解釈上ここはけっこう落ち着いてしまいがちで(高音打楽器の緩徐部を必要以上にひっぱったり最後のアッチェルすべきところを弦に気遣ってまったくテンポアップしなかったり)ムラヴィンなどはそこが痛いのだが、旧い演奏はこのように突っ走るのが常だったようだ)、そしてこんなクリアな録音がよく残っていてくれたと思う。世界の調和交響曲の叙情的でロマン的な真価がはっきり見える非常に美しく確信に満ちた演奏であり、偽演だとしたらその指揮者に拍手をおくろう(力感溢れるもっていきかたはいかにもフルヴェン的だがフルヴェンの一回性の独特の解釈が余り盛り込まれていない、率直すぎるようにも思う)。フルヴェンの世界の調和を聞くならこの盤しかありえません。今改めておもった。録音状態の問題はつくづく大きい。,-----,,,,
ヒンデミット:「世界の調和」交響曲(1950-51),フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(M&A)1952/12/8〜音が悪い。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:「世界の調和」交響曲(1950-51),ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(ASdisc)1953/10/25LIVE〜音が悪すぎる!どうしてこう「世界の調和」の演奏は音が悪い事が多いんだろう。この音では曲構造がさっぱり見えず、ただ旋律の流れを追うだけでやっとだ。ヒンデミットお得意の対位法もさっぱり聞こえない。以上は録音への文句だが、演奏については即物的で、ある意味ふつう。ちょっと重みのある音響がきこえるところもあるが、全般、ヒンデミットのDG盤やフルトヴェングラーの盤と似通った演奏という感じ。あまり残るものが無い。そんなところか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:「世界の調和」交響曲(1950-51),ヨッフム指揮バヴァリア放送交響楽団(forgottenrecords)1952/2/8,,二十世紀にこれほどカッコいいフィナーレを描いた作曲家はいただろうか。シンプルにただ昇りつめるだけの三楽章「宇宙の音楽」。ラストを大きく崩して派手にやる演奏が無いのはヒンデミットの緊密過ぎる書法か単にヒンデミットの流儀がそうだったからか、しかしこれはもともと巨大なオペラであり、自作自演の短縮版でさえ2枚組CDである。そのラストをこれほど短く切り詰めたとしても、何か演出が欲しい。難点はセクション毎の音量差というか、悪い録音だと弦楽器の音がそっくり落ちて聴こえることが多い。合奏で揃えるのが難しい、ヒンデミット特有の細かいスケールの無限とも思える繰り返しはその原因の最大のものだろう。ぼこっと音が落ちて聞こえるのはフルトヴェングラーの悪い録音もそうだし、この盤もそうである。自作自演に似た作為の少ないこの演奏はオケに過失があるとも思えず、撚れの多い録音からも収録側の問題でそうなったのだろう。ヨッフムはオケ扱いが上手く欠点を作らないが、踏み外さないことからくる「小ささ」が感じられる。貧弱な録音では尚更、この「天球」を相手にした誇大妄想的なテーマと比べて違和感を感じる。ラストどんづまりでブラスに表情を付けるが、特徴的なのはそれくらいか。この曲は良い録音がなく、自作自演、フルトヴェングラー、ムラヴィンスキーのいずれもスピーディーな演奏であり、ヨッフムもまた同傾向で、そこに負けないものは感じさせなかった。拍手なし。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:主題と変奏「4つの気質」,○ホッレチェック(P)スウォボダ指揮ウィンテルトゥール交響楽団(westminster)1951・LP,,ピアノと弦楽オーケストラのための主題と変奏、ということでテーマを加えて5曲の組曲となっている。ハスキルがやったことで知られる。このソリストはスウォボダと組んでバッハなどいくつか録音を残しているもののよくわからない。読みすらわからないので綴りを書いておく。holletschek。それほどレア盤ではなかった(室内音楽第4番op.36-3ヴァイオリン協奏曲については昔書いた)が今はレアとされることもあるようだ。少し前はwebに出回っていた。演奏は明快な表現をとるソリストにまず好感。スワボダもこの組み合わせは手馴れたものできっちりつけてくる。ドイツ的な重さがそれほどなく、楽曲の歌謡性が浮き立ち楽しい。曲は親しみやすい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:主題と変奏「4つの気質」,ホレチェック(P)スウォボダ指揮VSO(westminster)1951版,同上,楽曲の意図はともかく、簡素なピアノ協奏曲といった趣の曲。ヒンデミットらしく簡潔な構造に輪をかけて音数を減らし、とくにこの演奏で聴くとモノラルなせいもあるがとつとつとした流れの中に繰り広げられる点景をしっとり味わえる。ウィーン交響楽団の生々しい音色の特色はほとんどあらわれず、ほかのオケでもよかったくらいだが、ソリストもその中に溶け込み全体として雰囲気音楽のような特色を示している。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:主題と変奏「4つの気質」,ハスキル(P)作曲家指揮ORTF(パリ国立管弦楽団)(m&a/king)1957/9/22モントルーlive・CD,,ナチからアメリカに逃れた時期の作品で、もともとバレエ音楽として企画されたこともあり、わかりやすい方の作風に依っている。弦楽合奏により奏でられる、音のズレた感じがする特有のメロディ感は、ヒンデミット独自の理論にもとづく音響工学的な観点からくるもの(と思う)、そこに「ズレの発生し得ない」ピアノを協奏的に絡ませることで芯が通り、ヒンデミット慣れしていないと取っ付きづらい作風を丸めている。作品の表題はまったく即物的なもので、主題提示のあと性格分類の四気質に沿った楽想による四つの変奏が続く。滑らかなワルツを伴う第二変奏「血液質」が躍動的で面白い。ピアノ協奏曲と扱われることが多いが、ヒンデミット自演ではピアノは技巧的パセージはしっかり盛り込まれながらも融和的で決して前面に立ち続けることはない。また、単に主題と変奏と呼ばれることもある曲で、鑑賞するさい取り立てて表題性を意識しなくてもいい。楽章間の対比の明瞭さが伝われば良いのだ。ハスキルはこの曲をよく演奏しており、楽曲内の役割もよく理解して、シャープなヒンデミットの指揮にあわせている。太くも明瞭な発音で些かのブレもなく緩急付けて弾き続ける。オケのコンディションも良い。自演はいずれも私の知る限り戦後、orfeoにバイエルン放送交響楽団と(同じハスキル)、他1955/8ないし10にベルリン・フィルとのものが残されている。ほどほどの長さと職人的な面、何より表題の珍奇さが評価されたのか、演奏機会は多い方である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:主題と変奏「4つの気質」,ハスキル(P)作曲家指揮バイエルン放送SO 1959/10/8
ヒンデミット:主題と変奏「4つの気質」,オット(P)作曲家指揮ベルリン・フィル、ギーゼラー(Vn)1955/10/2-3
ヒンデミット:主題と変奏,同上?,オット(P)作曲家指揮ベルリン・フィル、ギーゼラー(Vn)1955/8?
ヒンデミット:主題と変奏「4つの気質」,フランソワ (P)
ヒンデミット:ヴァイオリン協奏曲,D.オイストラフ(Vn)作曲家指揮LSO
ヒンデミット:ヴァイオリン協奏曲,○D.オイストラフ(Vn)ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立交響楽団(YEDANG/MELODIYA)1962/2/25ロシア初演・CD,,ウォルトンを思わせる曲がとりとめなくいささか底浅いが(ウォルトンが真似たわけだが)、オイストラフにとっては掌中のもの、ヒンデミットの型をきちっと理解しているがゆえ演奏にムラがなく雄弁で、ロジェストも西欧現代音楽への広い理解が、最初こそやや惑い気味だったものの楽想に変化が出てくると派手でロマンティックな解釈となって出てくるようになる。とくに3楽章の暴力的な丁丁発止はかっこいい(ややアバウトだが)。曲自体がロマンティックなのか前衛指向なのかはっきりしないところがあるので難しいが、オイストラフはロマンティックな印象をあたえるろうろうとした歌い口だし、ロジェストもまた前衛でも旋律的な解釈でわかりやすく紐解く表現が持味であるがゆえ、ロマンティックなほうに傾いている。2楽章などやや重く感じるところもある。オケが強力ゆえ協奏曲的ではなく末流ロマン派大交響曲のように聞こえる部分もあり、ヒンデミットのモダンな響きが個性としてしっかり抉り出されているが、しっかりしすぎてヒンデミットの軽い部分にまで意味を詰めてしまっているような感もある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ヴァイオリン協奏曲,○カルミレッリ(Vn)作曲家指揮ローマRAI交響楽団(放送)1958/3/22live,,カルミレッリの線の細い音だとやや荒く聴こえてしまうが、テクニック的には十分素晴らしい。曲は和声的にはいつものヒンデミットだがリズムが面白く、ソリストにはその変則的な動きを積極的に引っ張っていく表現の強さが求められるが、さすがそこは心得ている。オケも同様に荒さはなくはないが気にはならない。それよりは録音の悪さだろう。この曲にはオイストラフのソロによる自作自演録音もあるので、これをとりわけ聴く必要性は感じないが、曲が好きならどうぞ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ヴァイオリン協奏曲,○フックス(Vn)ライナー指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1957/11live,,録音はクリアなモノラルだが一部撚れが酷い。いかにもヒンデミット新古典主義のがちゃがちゃした職人的協奏曲で技巧的には面白いし、抽象化されたロマンが未だ新即物主義との辺縁でバランスを保っている。その絶妙のさまは天才的であるものの、あからさまさがないぶん一般受けはしづらい作品だ。この録音からはまさにフックスの音、フックスの力強い技がはっきり聞こえてくる。ライナーの豊饒な楽器CSOを前に全く負けていない。難度に動じない安定感とじつにメランコリックな魅力をはらんだ表現である。2楽章のほぼ無伴奏状態で進むメロディなど雄弁で美しい。フィドル風の無窮動的なソロが調性の不安定な音線をわたり実に鮮やかな色彩変化から始まる3楽章では、ソリスト・オケ共に曲の魅力をきっちり引き出している。フックスがとにかくかっこいい。オケも作曲家意図を越えかねない偉大なロマン性をもって迫力の盛り上がりを見せる。ヒンデミット特有の色調のマンネリズムも否定できない部分だが、古風なカデンツァなど技巧的側面に耳を集中させれば飽きないだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ヴァイオリン協奏曲,○メルケル(Vn)デゾルミエール指揮ラムルー管弦楽団(DUTTON/HMV)1948/12/28,30・CD,,なぜか同じCDに納められているもっと昔の自作自演より録音が心もとないが、現代曲の推進者としても知られたデゾの伴奏による如何にもヒンデミットな作品である。・・・というのは、ヒンデミットであることは確かなのだが、ヒンデミットの全作品中で特徴的な作品かといえば、びみょう、ということである。ただこのての曲を新しい録音で聴くと非常につまらなく感じたりするものだが、何故だか同時代の古い録音で聴くと「しっくりくる」。これは時代性というか、この曲がどういう時代で生きてくる曲なのか、という演奏様式的なところに帰結するにしても、なんだかよくわからん非論理的な世界での感傷はある。ラムルーなので擬古典的なフレーズなど六人組の新古典作品を思わせるキッチュな感じもする。少なくとも木管は非常にうまい。,-----,,,,,,,,,,,,
ヒンデミット:3楽章のバイオリン協奏曲,メンゲルベルク ACO ヘルマン
ヒンデミット:ヴァイオリン・ソナタ第3番,ブゾッティ (P) シゲティ
ヒンデミット:ヴィオラ・ソナタ第3番,サンロマ (P) 作曲家 1939/4/24
ヒンデミット:ヴィオラとチェロのためのスケルツオ,作曲家 (VA) フォイヤマン 1934/1/23
ヒンデミット:4手ピアノのためのソナタ,サンロマ (P) 作曲家1939/4/24
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容,△フリッツ・ブッシュ指揮王立ストックホルム・フィル(guild)1949/12/4live・CD,,guildだし40年代録音なので極端にこもって分離が悪いのは仕方ない。にしてもこのたどたどしさは無い。とくに前半楽章がひどい。ヒンデミットの保守的で形式的な曲だから、特有の書法も論理的に織り込まれているのでアマチュアでも普通に弾けようものなのに、こんなにも縦が揃わないかといったふうで、構築的で大きなスケールのドイツ式と言うまでもいかないほど初歩的な段階で曲を理解してない、多分オケがそうなのだろうが、それにしてもひどい。単純なリズムの終楽章が(ほかも単純なのだが)やっと軍隊調にノリを出せている、けれどもそれも上手いとかいうレベルではない。同盤はモーツァルト以外は当時の現代曲で揃えているが、ベルクのコンチェルトは他のレーベルの箱物でも出ており決してブッシュが現代下手なわけではないことがわかる。不可解であり、ヒンデミットが嫌いなのかと勘ぐってしまう演奏だ。拍手はわりと盛大。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容,○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1969/10/9live,,ステレオということでクリーヴランドの明るい音を楽しめる。ボストンのテンション高い演奏に比べ技術面含めやや落ちる感もあるが、3楽章あたりは落ち着いた感傷的な雰囲気がある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容,○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(naxos/columbia)1947,,web配信されている音源。セルの同曲旧録で、同曲の初録音という。naxosは板起こしのようで、モノラル音源に対しかなり作為的に音をいじっているのが聞きづらいといえば聞きづらい。まだ技術的に問題を残している田舎臭いオケをセルが非常に厳しく引き締めているといったふうで、ソリストのやや自主性の損なわれている感もある。生硬なのだ。迫力はそれなりにあるのだが、セルがステレオ再録したのもわかる出来ではある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容,○セル指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1944最終公演,,オケの機能性をぞんぶんに活かした快演。録音が浅いせいか特に冒頭荒く聞こえたが、速いインテンポで突き進むさまには清々しささえ感じられる。セルにまさにうってつけの作品であり、ボストンとのものは最良とは言えないまでも楽しめる一つの記録であろう。スポーツ的快感以上のものがある。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容,セル指揮クリーヴランド管弦楽団(forgottenrecords)1957/6/12live放送,,このレーベルの放送音源復刻は希少音源なのはいいがモノラルでノイジーなのが気になる。真実はさぞ凄かったのだろう。メカニカルな曲、水を得た魚のように組みあい律動し続ける中で、伸びやかに吹き、リズムを煽る刻み、セルのワグナーをやるような堂々とした「解釈」、弾けるのを承前として、このガチガチの曲でもここまでできるんだ、ということを知らしめている。両者にとってお手の物といったところか。拍手は普通。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),セル指揮クリーヴランド管弦楽団(SONY)1964/10/10軽い!細部まで磨き抜かれ内声部まで曖昧さのかけらもない厳しい演奏だから、曲を詳細に分析理解するには必要な演奏であろうが、タノシム音楽という面ではいささか四角四面で取りつくしまのない感じがする。とにかくクリーヴランド管の音がアメリカ的すぎるのだ。外面的で軽い!ヒンデミットはやはりドイツだ。ドイツ的な鈍重さと轟音だ。1楽章はあまりにひっかかりのない演奏。2楽章など速くて即物的すぎて楽しめない(ペット僅かにとちってます)。勉強盤としての価値はあろうが、私は推薦しない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容,○チェリビダッケ指揮ケルン放送交響楽団(orfeo他)1958/9/29live ,,ボックス収録の一曲で珍しいものだが恐らく既出海賊盤の何度も出たものの一つだろう。海賊盤に比べて音質向上しているかといえばそういうわけでもなく、環境雑音もしくは電気的雑音にも聴こえるようなものがアンプ増幅するとかなり目立つ箇所があり、一楽章の一部で撚れが聴こえるのも少し残念。迫力はあり、ヒンデミットというフォルム重視の作曲家の作品において後年もっとチェリが取り組んでいたらけっこうなものが聴けたであろう残念さを感じさせる「発展途上」の勢いある演奏が聴ける。両端楽章で音線がややはっきりせず奇妙な音階に乗って刻むバックのリズムのキレがやや甘いところもあり、だがそのぶん勢い重視で激しい壮年期チェリの熱意が伝わり、いい意味でも悪い意味でも聴きものか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容,○チェリビダッケ指揮ケルン放送交響楽団(VIBRATO:CD-R)1958live,同上?,前出の録音と同じ可能性がある。録音ピッチが高めで最初やや違和感が否めないが、既にチェリらしいがっちりした縦の響きがあり、それをガツガツぶつけていくような硬派な曲作りが聞こえてくる。まだ時期的にまるでベルリン風のものがある。暗く重い響きに対して強烈な推進力が単彩ながらも発揮されていくさまはこの時期まで特有のものであり痛快でもある。ヒンデミットならではの音色と構造の派手な煌びやかさは聞き取れないものの、それなりに楽しめるものとは言える。チェリのヒンデミット、ということで評価。○。ヒンデミットとしてどうかといえば、必ずしも○には及ばないかもしれない、そういうわかりやすいカタルシスは今ひとつな演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),○チェリビダッケ指揮ケルン放送交響楽団(ANF:LIVE CLASSIC)1970LIVE量販店や駅売りなどで見かけるたぐいの超廉価盤の一枚で、出所不明だが貴重な音源であることは確かだ。しかも(若干ソリッドすぎるが)音質もまずまず。日本語解説もちゃんとついている。100円ショップでフルトヴェングラーの貴重な音源が売られていたりと、最近こういう廉価盤は馬鹿に出来ないのだが(ポップス系ではわりと昔からこのテの半海賊ライヴ盤が多く出回っていたが)、曲目が一般の人にぜんぜんアピールしないために、何故こういう盤を出そうと思い立ったのか理解に苦しむ。でもまあ、嬉しい。この盤はひょっとすると前記のrococo盤と同演異録かもしれない。1楽章のペットの吹き方や4楽章の比較的構築的な演奏ぶりが似ているが、音質はこちらのほうが抜群にいいから、違う演奏にも聞こえなくもない。録音時間は誤差2分以内といったところか。ともにモノラル。一応別演奏として切り離して考えると、なかなかの佳演である。やはりチェリの壮年期の演奏らしく覇気に満ちており、1・4楽章の勇ましさは胸がすく思いだ。4楽章のわりとしっかりタテノリで客観性が感じられるテンポ設定には好悪あろうが、私はこのくらい壮大にやってもらったほうが好きだ。最後ついでに、ライナーから引用〜この曲は、1944年にニューヨークで初演された作品で、ウェーバーのピアノ曲などから引用したものを見事に扱っている。ヒンデミットの代表作と言っていい。第1楽章ウェーバーの4手のためのピアノ曲「8つの小品」作品61第4番。まったく調性を無視したような作曲技法である。←?めまぐるしく変わる楽器が面白い。第2楽章「トゥランドット」からスケルツォ。打楽器が極端に強められている。これは極めて興味が深い。次々と変わる楽器、次々と大きくなる編成。第3楽章4手のためのピアノ曲「6つの小品」作品10第1番。ヒンデミットらしい短い緩徐楽章。濃厚な情緒である。第4楽章4手のためのピアノ曲「8つの小品」作品60第7曲。戯作趣味濃厚なこの楽章は、華やかに、また辛辣に描かれる。(筆者不明),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),◎チェリビダッケ指揮交響楽団(ROCOCO)?LIVE最近はエサ箱漁りはやらないのだが、昔LP狂であったころ、「新入荷」コーナーの段ボール箱に飛び掛かってまず探したのが、ジャケットの上辺がオレンジ色の「FONIT CETRA」盤(イタリア)と真っ青で飾りっ気のないジャケットの「ROCOCO」盤(カナダ)だった(ダナコードというのもあった気が)。基本的にライヴ盤を好む私はこれらを見つけるとダブリでないことを確認もせずにまず買っていた。発掘音源のCD化著しい昨今、この2大ライヴ・レーベルの盤は依然CD化していないものが多い。特殊な曲目や演奏家のものが多いことも要因のひとつだけれども、権利関係でいろいろあるのではないかとも思う。レアLP盤の高価格化がすすみ廉価盤との差が激しくなっている昨今でも、この2レーベルはあまり高価格化もせずに出回っている。しかしいかんせん母数が少ない。まさに宝捜しの気分だ。このチェリ盤は、先日本当に久し振りにLPを物色していたとき発見した。チェリのヒンデミットは「マチス」交響曲の演奏で確認済みである。期待しつつ1500円ほど払って買った。で、聴いてみた。面白い。おそらくまだこの盤のころは熱血男であったチェリの、多分に構築的ではあるけれども白熱した演奏に狂喜。もちろんライヴで、オケが(恐らく)南欧の一流ではないオケであることからも、高い精度の磨き抜かれた演奏とはいかない。チェリが必死で手綱をさばいているはなからオケが暴走気味な気がしなくもない。でも、崩壊はしない。そのあたりのバランスが絶妙なのだ。1楽章は勇み立つようなリズムが頼もしい。強い表現意志の発露と対位的構造の堅持のバランスがイケてる。フレージングに指示があったようで、どの楽器も独特な歌いかたをしているところも聴きどころ。旋律が浮き立ち、精緻で不明瞭なところのないチェリらしい演奏だ。2楽章は面白い。執拗な主題の繰り返しがボレロとは別の形で奔放に盛り上がり崩壊する。その崩壊するあたりでペットがあけっぴろげな音にスラーをつけて吹いているのが面白い。「ハラホロヒレハレ」という感じの崩れかただ(よーく聞いてるとそう聞こえます)。3楽章は落ち着き。4楽章はちゃんと締まって終わる。この楽章も格好がいい。軍隊行進曲のようだ。拍手はフツウ。でも私はこの盤をおおいに推薦する。見通しのいいチェリの解釈もいいけど、チェリの決めた枠組み内で精一杯がんばるノリノリのオケに一票。録音状態は聞ける範囲内、とだけ言っておきます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),チェリビダッケ指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(AUDIOR)LIVE忘れた頃にひょっこり店頭に現れるアメリカ産海賊盤の1枚。例によって録音年月日はわからないし、拍手もカットされているのでほんとにライヴか疑わしいところもなきにしもあらずだが、まあここではそのあたりは深く追わない。ところでチェリのヒンデミットである。精緻な構築物を造る事にかけては人一倍力を入れていたチェリの解釈が、ここではやや空回り。せっかくのドイツ・オケにもかかわらず、その美質があまり生かされていない。録音がステレオなのだが茫洋としており、そのせいでそう聞こえるのかもしれないが、とにかくこのオケ、余りに鈍重である。要するにヘタ・・・。だからこの演奏、意気軒昂の指揮者にまったりとしたアマオケが振られたようなもので、どうにも粗雑な出来上がりになってしまった。。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),◎カイルベルト指揮ハンブルグ・フィル(TELDEC)1955決定盤に出遭った、という思いだ。表現にどこにも弛緩がなく、ひたすら軍隊調のタテノリで突き進むさまが勇ましい。その強い前進力にまず耳を奪われる。また堅固で緊密なアンサンブルが快い。凄いのは旋律以外の楽器もすべてはっきり自己主張しており、それぞれしっかり耳に届くように作られている事だ。ヒンデミットはとても構造的な曲を書く。効果的な対位法が用いられており、またちょっとポリフォニックに響く内声部の断片的なフレーズの数々がヒンデミットの意図(個性、と言い換えてもいい)を表現するのにじつはとても重要だったりする。この曲はどちらかというと旋律偏重で流れてしまうことが多いが、このカイルベルトという指揮者(私はクラウスとカイルベルトについては殆ど馴染みがないのだが)はきちんとヒンデミットの構造性を浮き彫りにして、隅々まで表現しきっている。しかも、「主題とその変奏」という基本線を見失うことなく、矛盾なく表現しきっている。聴く人によってはこの手垢のついた曲に新しい発見をするだろう。私も新鮮に感じた。オケは決して器用ではないと思うが、力感に満ちており、カイルベルトの指示に十分答えられていると思う。1、4楽章はそういった意味で聞き物である。2楽章は中国風の打楽器が響くエキゾチックな音楽だが、カイルベルトはあくまで西欧音楽の流れの中に曲を位置づけている。つまりちっとも中国風ではない、ということだ。どうやったらそうなるのだろう、と不思議に思うほど遊びがなく堅実に響く、でもそんなところが新鮮で、面白いのだ。この演奏全般としても、いわばこの曲のドイツ的な側面を強く押し出した解釈と言えそうである。正統ではないかもしれない。でも、名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),○サモ・フバド指揮ボリショイ歌劇場管弦楽団(MELODIYA)LPなかなか聞きごたえの有る演奏だ。旧ユーゴ出身のターリッヒ門下の指揮者ということで、あまり人気のなかった人のようだが、この曲の演奏にかんしていえばとてもしっかりした演奏であり、引き締まったアンサンブルはロシア・オケのパワーの暴発を抑えそのポテンシャルを正しい方向に最大限に生かす演奏を行っている。ロシア・オケにこのような統率力を施すと無敵である。信じられないほど巧いフレージングが続出する木管アンサンブルはちょっと他にないような緻密さとヒンデミットらしからぬ歌心の類希な結晶を形作っている(1楽章の中間部などとてもいい)。オーボエの吹き回しの巧さにはまったくお手上げだ。ボリショイは結構粗雑なオケの印象があったけれども、ここではムラヴィンスキーのレニングラードやコンドラシンのモスクワのようなストイックな単彩の演奏としての凄みとは全く異なる視座において独自のロシアン・ミュージックが紡がれている。スヴェトラーノフの豪快さともまた違い、きちんと整えられた演奏である。ただ、私のLPの盤面が悪いため、細部が聴きづらく、それが以上のことは思い込みかもしれないという不安もあるので、◎は避けて○としておく。終楽章がきちんと全曲のクライマックスとして機能しているのも驚嘆もの(組曲風に各楽章をバラバラに組み立てる演奏が多いが、ここでは古典的な交響曲の終楽章として力の入った音楽を作り上げているのが特徴的)。いちおうステレオ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),○フェレンチーク指揮BRNO国立フィル(SUPRAPHON)速い速い。最初から最後まで一気に駆け抜ける高速演奏。オケの音(録音?)が軽いのと高音域に偏っているのがちょっと軽薄な感じもするが、私は速い演奏好きなのでそれだけで気に入った。一本一本は技術的に弱い感じだが合奏力で何とかしてしまっているからフェレンチークは巧いのだろう。細かいミスが気になる向きには薦められない(とくに木管)。4楽章の弦楽の畳み掛けるような刻みがかっこいい。弦は総じて力感があり、1楽章などでもスリリングなアンサンブルを聞かせてくれる。ヒンデミットがわかりやすい作風に転じたあとの作品であるがゆえに構造的にシンプルで、合奏の妙味を楽しむにはちょっと単純すぎる感もあるが、初心者にアピールする演奏ではある。◎にしたいところだが録音マイナスで○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),○フリッチャイ指揮ベルリンRIAS交響楽団(EMI)1952/6/3-4LIVE「20世紀の大指揮者たち」シリーズより。この演奏は後半楽章がいい。3楽章(緩徐楽章)は速めの演奏でさらっと弾き流しているのがよい。4楽章は音の切れがとてもよい。歯切れのいい発音が清々しい。この曲はかりそめのわかりやすさを被った皮肉に満ちた曲という見方があるが、フリッチャイはあくまで正面から真摯にとらえており、結果どうやってもワグナーのカリカチュアっぽくなる終楽章の行進曲も、勇ましく格好のよい曲として聞こえてくる。一方、この曲のキキドコロである前半楽章はどうなのか。皮肉たっぷりの2楽章はともかく1楽章はちょっとロマンティックにやりすぎている気がする。この楽章を揺らして振る演奏は殆ど知らないが、フリッチャイは微妙に揺らしていて特異だ。また管楽器はスタッカート付きで吹いているのに弦楽器はレガート、という妙な「解釈」が施されていたりする。けっこう恣意的。でもそこが独特で面白い。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),クーベリック指揮シカゴ交響楽団(CSO)1953/4/3LIVEモノラル。この演奏は余り誉められない。とくに前半二つの楽章はとてもルーズな感じがする。1楽章は遅いテンポの出だしから今一つ噛み合わないアンサンブルが展開する。最後までその感は拭えない。力技でなんとかしようというのはこの指揮者のライヴにしばしば見られる光景だが、2楽章になるとセクション間でテンポがズレてきて崩壊寸前までいく箇所まで見られる。熱血の余り力んでいるのもわかるし、このころのシカゴはけっして巧いとはいえない(とくに弦)から多少はしょうがないと思うが、元来かっちりした書法でかかれたこの曲は横の流れを重視して縦をそろえないという手法は通用しない。勢いと力技はそれでも4楽章を大団円で終わらせているのがある意味すごい。そんなところか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(ALTUS)1965/4/23東京文化会館LIVEクーベリックらしい非常に覇気に満ちた演奏だが、ライヴであるがゆえの粗さというのも感じる。バイエルン放響はドイツ屈指の放送局付楽団だがしばしば非常に荒っぽい演奏をすることがあり、これも例外ではない。いわば「気合いが過ぎる」のだ。録音が硬くて明晰すぎるせいかもしれないが、そういった雑味を露骨に感じてしまった。また、ちょっとマジメにすぎる。2楽章で執拗に繰り返される「トゥーランドットの主題」、もうちょっと飛び跳ねるようなテンポを繰り出してもいいのに、愚直にテンポを固持するさまは軍楽隊のようだ。フガートのジャズ風楽想も、ぜんぜんジャズ風ではなく、そのせいかちょっとこけてさえいる。もちろんこれも一つの見識であり、無碍に否定はできないが、とりあえず・・・無印。そういえばこの曲のステレオ録音を久々に聴いた気が。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容,○クーベリック指揮バヴァリア放送交響楽団(SARDANA:CD-R)1975LIVE,,BRSO名義のものなど他録と同じかもしれない。この曲を純粋に楽しむにはうってつけの娯楽的演奏。愉悦的なリズムでやや軽さも感じるものの愉しい1楽章、異様なスピードで煽情的に盛り上がる2楽章、スピード感は3から4楽章まで維持され、若干つんのめり気味ながらも胸のすく軍隊行進曲が厳しいリズムを刻み鳴り響く。放送瑕疵があるがほぼ完璧なステレオ録音。わずかにブラヴォが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容,クーベリック指揮ヘッセン放送交響楽団(melo classic)1960/2/5・CD,,壮年期の力感にあふれ、はっきりした表現のあらわれた典型的な演奏で、クーベリックがライヴで時々見せる個性的な解釈は無く、強く舞踏的なリズムで重い響きをコントロールし、浮き立つような聴感を与える一楽章はなかなか聴きものだ。手慣れた演奏という感じで、悪く言えば壮年期クーベリックらしい典型だから慣れているとああいつもの、で終わってしまうのだが、モノラル録音があまり良くないのを除けば楽しめるだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),コンドラシン指揮ソヴィエト国立交響楽団(LYS)1961 LYSのコンドラシン録音集は高価だったが中身は充実。ロシアものだけではない(とくにラヴェルのメロディヤ録音がCD化されたのは嬉しい)ところが魅力。これはそのひとつ。コンドラシン向きの曲に思えるがどうか。オケも指揮も強靭で鋼のようだ。テンポは終始速めで否応無しに引きずり込む力がある。が、録音のせいか、各声部のバランスがおかしく感じる。旋律が対位的な内声部に負けてしまい埋没したり、旋律の受け渡しがうまくつながっていかないように聞こえるところがある。まあ録音のせいだろう。流して聞くとやりたいほうだい(トゥーランドットのペットの哄笑!)を楽しめるが、ミニマムに聴いていると、うーん、とうなってしまうところも(余りの速さにブラスが吹けてないところもあったりして・・・これもトゥーランドット)。遊びに欠けるところが今一つなものの、破天荒なトゥーランドットの演奏はこの録音の目玉。4楽章もいいテンポで進むので心地いい。ただ、この曲にしては音のキレが甘い気もする・・・まあ、力感溢れるロシアオケの持ち味の裏返しでもあるのだが。総体としては無印としておく。しょっちゅう破裂する音楽、ちょっと疲れる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(LYS他)1947/9/16LIVEこのころの録音はあまりいいものがない。篭っており、高音域が聞きづらい。そのせいか、1、2楽章はごちゃっとしてしまったかんじで、しかも重い。旋律は辛うじて聞こえるが、ヒンデミットならではの対位的構造が潰れて聞こえないのは痛い。この演奏は後半がいい。3楽章(緩徐楽章)はとてもいい。第二主題がことのほかやさしい。4楽章は鈍重さを逆手に取ったような重々しい行進曲だ。ホルンの第二主題、ちょっとこけるが美麗である。総じてライヴということもあり事故が多く、録音状態からも推薦できないが、機会があれば聴いてみてください。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),作曲家指揮ベルリン・フィル(DG)1955/9自作自演だが、音質は戦後DGにありがちな篭り気味のやや茫洋とした感じがする。私はこの演奏からこの曲に入ったが、当初全然良さがわからなかった。この人はやはり新即物主義者なのである。もっといくらでも娯楽的に演奏できるような曲なのに、ここではそっけない演奏になってしまっている。とはいえ、いろいろと他の指揮者の演奏を逡巡してきて今改めてこの演奏を聞くと、いろいろ「仕掛け」が見えてきて、これはこれで面白いと感じたのも事実。ヒンデミットの要というべき内声部の細かい動きがとてもはっきりと聞こえ、総体の響きとして面白い。1楽章で目立つのは第1主題の音符を総て短く切り詰めているところと(通常後半はレガートっぽくやるのだが。音楽が締まって聞こえる)緩徐主題に入る前にテンポをゆるめてルバートしているところ(意外だ)。2楽章はかなり即物的だ。面白くない。3楽章は遅い。妙にロマンティックだが、古典的な優美さを放つにはもっとすっきりあっさり弾いた方がいいのに・・・と思った。4楽章はキマジメ!金管が辛そうだ。ヒンデミットはそもそも管楽器を酷使しすぎる傾向があり、完璧な演奏というのはなかなかない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943)〜2楽章リハーサル風景,作曲家指揮ストックホルム・フィル、アルムロス(FL)(BIS)1952/2/14LIVEストックホルム・フィルってうまいのだ。この演奏もぜひ全部聞きたかったものである。ヒンデミットは禿げた頭をフル回転させてカツゼツの良いドイツ語をまくしたてる。凄い回転の速い人だということはわかる。トゥーランドット前半の原始的な静寂が冷たく広がっていく場面が繰り返されるが、案外リズム感の鋭い人だったのだな、とも思った。というのがこの人の指揮した正規録音ってそんなにリズム感がいいとは感じられなかったから。テンポは正確だが、流れてゆかないイメージ。でもやはりそれは誤解だったのである、なんてことを感じさせる8分間。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容,○バーンスタイン指揮NYP(sony)1968/1/16・CD,,旋律主体のレガート気味の音作りで、いわばマーラーあたりの後期ロマン派をさばくような方法論の存在が感じられる。バンスタのNYP時代らしい演奏とも言える。1楽章からややキレが悪く精度もこの時代なりのものだが、この曲においては旋律と重い響きへの注力はけして無駄にはならない。楽しいというか、素直に面白がることはできるので、ヒンデミットが近づきにくいという人には向くと思う。もっとソリッドな音で構造が浮き彫りになるような演奏のほうが「らしい」面白さを感じられると思うが、一般的には十分。このヒンデミットアルバムはいずれも親しみやすい曲を選んでいる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容(1943),○バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(DG)1989/4このへんの曲になってくるとヒンデミットはかなりわかりやすくなってくる。1943年というから戦中の音楽ということになるが、焦燥感や虚無感といったものも心なしか感じる曲になっている。ウェーバーからいかに遠ざかった音楽に仕立てられているかが聴きどころだ。バーンスタインは1楽章から繰り広げられる鮮やかな対位的構造をこれまた鮮やかに浮き彫りにしていく。構造的な演奏、というと語弊があるかもしれないが、曲の奥行きを感じさせる演奏になっている。表面的にはかなりわかりやすい旋律の流れがあり、そこに偏重した演奏もできそうだが、バンスタはこの作曲家に関してはそういう態度をとっていない。やはり二楽章トゥーランドットあたりが聴きものか。私はこの曲の終楽章はあまり好きではないのだが、この演奏では非常にわかりやすく聴き易かった。4楽章構造を見据えた計画がなされており、評価できると思う。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容,○ラインスドルフ指揮NYP(HarvestClassics:CD-R)1986/1/17live,,音は当然のことながらいい。ひさびさステレオでガンガンくるウェバ変を聴いた。ラインスドルフは職人性と緊張感の指揮者であり解釈自体派手を狙うことはなく其の点「曲が面白くないと」面白くない場合もある(個人的な感想)。だから余りに聴きなれたマーラーなどはあんまり好きではないのだがこの曲あたりはなかなか新しい録音を聴いていないので新鮮だった。音に圧倒されるものの底を割り引いてフィルタかけて聞いてみると解釈はいたって普通。というかスコア自体機械仕掛けのシンフォニエッタみたいなもので、ヒンデミットの職人的なわざが天才的な曲想展開と見事なアンサンブル技法をシンプルかつ明確な構造の中に余すところ無く発揮されている。3楽章あたりはまあ、ちょっと置いておくとしても1楽章各声部をちゃんとしっかり吼えさせると・・・このような凄絶なクライマックスの響きになる。2楽章はやや幻想味のないリアルな始まり方をするがこれはラインスドルフ的な解釈と言うべきか。ニュートラルな響きに落ち着いたNYPの演奏精度はそのぶん格段にあがり、煩雑ではないが複雑であるヒンデミットの惚れ惚れするような「ボレロ的展開」をいろいろなソロ楽器の自己主張を楽しみながら聴くことができる。もう少し松葉がしっかり明確に表現される演奏のほうが好きだが録音のせいかもしれない。最初から吼えられるとヴァイオリンは困るのだ。しかしその裏で木管などがトレモロ的な半音階を横切らせ、これほど「日寄った」作品にもかかわらず音楽を決して単純化しない、ブラスのジャズ的なフレーズもラインスドルフはきっちりスウィングさせずに表現させるが折り目正しい演奏方法がこの場合は意図なのだろう。落ち着いたテンポに不満もあるかもしれないが、録音の派手さがカバーしてくれていて面白い。しかしこんな曲よくやったなー俺、って殆ど弾いてなかったような。。後から良さに気がついたクチです(それまではハードなヒンデミットしか認めなかった)。音量のコントラストがやや甘いため弱音でのトゥーランドット的な鐘が効果的に響かないなど、オリエンタリズムの点では不満もあるが、ここまでぶっ放してくれれば観客は嬉しいだろう。アメリカ人は肉食うから強いな(謎)。きっちりはしてます。4楽章はまるで断頭台への行進のカリカチュアのような図式を呈している楽章だが、ちょっとリズムの縦が甘い感じがする。NYPだからと言われればそれまでだが旋律群がちょっと横に流れていてせっかくのリズムのキレがもったいない。だが、こういうのが好きな人もいるだろう。転調はきっちり鮮やかな表現でホルンの表現にもいささかの惑いも感じられない。弦楽器がいちように遠いため、低弦が雪崩れ込んでくるところなど今ひとつ迫力が無いが、それでも管楽器と打楽器がこれだけ派手に聞こえれば普通の人は満足するだろう。ほんとは弦のアンサンブルが主体の曲とも言えるんだけどね。旋律を殆ど管楽器が取ってしまっているので、まー、しょうがないか。ブラスを聴く演奏、といったふうの4楽章ではある。ブラスバンド。NYPが余りに出来が良く録音がよすぎて◎をつけたくなってしまうが、○。客席もそれほど派手に反応はしていないし。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容,ヨッフム指揮LSO(BBC,IMG)1977/6/23LIVE・CD,,落ち着いており(リズムはいい、とくにトゥーランドットや終楽章)内声の見通しもよいが、演奏上の不備を含めやや弛緩気味で、音にもキレがない。オケのせいかもしれない。一楽章では一部ブラスに疑問をいだいたが、木管は全般にやはりそうとう上手く、打楽器弦楽器も十全でとくに三楽章は弦楽器の魅力的な音色が聞ける。四楽章はかなりノっているし、前半はオケが温まってなかったのかな?全般抒情味の感じられる中庸の演奏といったところか。壮麗な四楽章がかなりいいので迷ったが相対的に無印としておく。ブラヴォが凄まじい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容,アバド LSO
ヒンデミット:エロスとプシュケ序曲,○作曲家指揮ベルリン・フィル(FIRST EDITION/DG)1957/10(8?)/18&21私の盤がとんでもなくて、ジャケ表記の曲順とじっさいの曲順がぜんぜん違う。そのため長い間、管弦楽のための協奏曲を、このエロスとプシュケだと思い込んでいた。これはアメリカ時代を象徴する非常にわかりやすい曲である。ハーモニーや半音階の使用方法にヒンデミット独自の作風をほのかににおわせながら、全般にはミヨーの六人組時代のようなわかりやすさをたたえている。各楽器が入れ替わり立ち代わり現れ、弦がフーガふうのアンサンブルをかなでる合奏協奏曲ふうのパッセージでは、ヒンデミットの管弦楽法がとても冴え渡っている。弦の表現にやや不安定感を感じたので○ひとつとする。副題に「あるバレエのための序曲」とあるが、たしかにバレエ音楽ふうかもしれない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:エロスとプシュケ序曲,○セル指揮クリーヴランド管弦楽団?(DA:CD-R)1967/4/21live,,時期からすればちょっと録音は貧弱だがセルの職人的なバトンスタイルが機械的なヒンデミットにぴたりとハマって「こういう曲には向いてるよなあ」と思わせる。派手なところはないが曲自体が比較的派手で耳なじみよいためこのくらいがちょうどいい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:エロスとプシュケ序曲,セル指揮クリーヴランド管弦楽団(SLS)1968/4/18セヴェランス・ホールlive,,セルはDAから1967年ライヴなるものが出ていたが、ステレオのこちらは音が段違いに良く(といっても放送エアチェック録音の標準レベル)比較不能なので一応データ通り別としておく。ヒンデミットのカッコいい方の平易な作風によっており、せわしなく動きまくる弦楽器と吠えまくるブラス、茶々を入れる木管と、構造的にはヒンデミットらしく完璧な組物となっており、アンサンブル能力をとことん引き出そうというところでセルやクリーヴランド管弦楽団にとっては不足ない相手だし、性能的にも不足はない。この曲は録音が思ったよりすくないので、自作自演よりカラッとしたアメリカオケによる風の通るように明快なセルを選んでもいいだろう。ヒンデミットともその盟友ウォルトンとも親交のあったわりに両者の作品(書法が込み入ってめんどくさく客受けも悪いのかもしれないが)それほど録音しておらず、非常にわかりやすく六分余りしかないこれに2つも記録が残っていたのは嬉しい。ただ、カップリングがR.カサドシュのリスト2番、リン・ハレルのシューマンと余りに掛け離れた古臭いロマン派作品ゆえ、私と趣味を同じくする向きの中でも、物好きにしか勧めない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット/ヴァイル共作:オラトリオ「リンドバーグの飛行」,シェルヒェン指揮ベルリン放送管弦楽団他(COL LEGNO)1930/3/18LIVEドナウエッシンゲン音楽祭75周年ボックスより。放送劇用のカンタータで、いわゆる実用音楽の範疇と言えるだろう。歌詞はブレヒトによる。ヒンデミットとヴァイルという時代の寵児が、別の意味の時代の寵児リンドバーグを称える音楽を書いたわけだが、ふたりの作風が見事に曲を分かつており、その対比が面白い。魅力の点ではあきらかにヴァイルのジャズふう音楽に分がある。この初演間も無い演奏では朗読は英語とドイツ語によってそれぞれ行われていている。録音にかなり難点があり万人向けではないが、ヴァイル好きなら聞く価値はある。しかしリンドバーグの大西洋横断をこうもクラシック音楽で盛り上げられるとちょっと違和感。「翼よあれがパリの灯だ」で合唱が高らかに賛歌を歌うのは・・・ちょっと違うだろ・・・。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:クラリネット協奏曲,○ズーコフスキー(CL)コンドラシン指揮ロス・フィル(HARVEST CLASSICS:CD-R)1981/2/22LIVE,,呆れるほどに腕のたつソリストと丁丁発止にわたりあうロス・フィル、コンドラシンというコンチェルト伴奏には定評ある、なおかつ乾いた即物スタイルでヒンデミットに適した職人指揮者がその間でしっかりとりもっていたのがこの演奏の成功につながっている。ヒンデミットにしては鮮やかな耳を惹くパセージが多い、楽器のせいもあるのだが、コンドラシンの作り出す音もまた色彩的で透明感がある。個性は薄まったかもしれないがより万人を寄せ付ける芸風にいたっていた、この指揮者にはしかしもう寿命がなかった。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:クラリネット協奏曲,ヒンデミット指揮フィルハーモニアO カユーザック(CL)
ヒンデミット:サキソフォン・ソナタ,ピュイグ・ロジェ (P) ロンデックス
ヒンデミット:管楽器のためのコンサート・ミュージック,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(放送録音)1958/3/12live,,アンセルメのびっくりヒンデミットだが、驚くべき集中力と破壊力である。アンセルメの二面性を改めて思い知らされた。こういうアンサンブルの権化のような曲では「構造はスコアに書いてある、あとはドライヴするのみ!」といった高速機関車のごとき表現をとるのだ。プロコフィエフの6番正規録音がこういう演奏だったが、思えば構造的な現代曲で、自分の理解の及ぶものに対しては大いにやらかすような指揮者だったということだろう。音は悪いがクリアで不足なし。クーベリック的ですらある。オケもよくやる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:管楽器のためのコンサート・ミュージック,作曲家 フィルハーモニアO
ヒンデミット:管楽器のための変奏曲(フィルハーモニック・コンチェルト),作曲家 ベルリン・フィル 1950
ヒンデミット:シンフォニア・セレーナ(1946),○ワルター指揮NYP(セブンシーズ、ASdisc)1948/2/15LIVE〜近代ドイツの作曲家ヒンデミット、アメリカ時代の最後を飾る作品のひとつで、ダラス交響楽団の依属によるものだ。「明るいシンフォニア」の名の通り、冒頭から素晴らしく晴れ渡り、しかし底はかとなく哀しげな、遥けき響きが聞かれる。1楽章モデラータメンテ・レントの確かな「旋律」には、退廃芸術家としてナチスに追われ長い道を辿るうちに、ひたすらの運動性や新新古典主義ともいうべきマニアックな音響的/構造的工夫に、ロマンティックな旋律性というものを加味するようになったヒンデミット晩年の平明さが感じられる。交響曲というジャンルでは表題性を持った(もとは歌劇である)「画家マチス」や「世界の調和」ばかり有名だが、この才気溢れ凝縮し,でもどこか歪んだ「現代対位法」の大家、表題の無い純音楽としての交響曲を書かないわけがない。管楽器のためのものを含め数曲が存在しており、さらに「交響」の名を冠し抽象的な言葉を添えた曲もその範疇ととらえれば、「交響的舞曲」(1937)などの知られざる傑作も見えてくる。シンフォニア・セレーナはそこに含まれる。ワルターの棒で聴くとこれはもう現代曲ではなくロマンティックな旋律に彩られた20世紀初頭風音楽とでもいうべきものに近くなる。無論悪い意味ではない。この曲の美質が実によく謡われて、NYPも「ここで披露しなければどこで披露する」といったふうの機能性を発揮しまくった演奏ぶり、なかなかのノリ。ヒンデミットの曲はその独特の(半)音階や構造のクセを覚えるまでなかなか取り付きづらいけれども、びっちり噛み合うように作られた管弦楽構成の中での演奏行為は、「アンサンブルの醍醐味」的なものを存分に味合わせて呉れると思う。演奏家には受けがいいのだ、やはり。と聞いていて思った。中間楽章(2,3)は「ウェーバーの主題による変奏曲」の2楽章を思わせる響きの繊細で明らかな美しさ、さらに少し暗い雲に被われて時代の労苦を思わせる晦渋さといった趣。そしてフィナーレ(ガイオ)、最後に華やかな音の饗宴のうちに再び高らかな1楽章冒頭の旋律が戻ると、あっさり断ち切れ、しばらく不思議なハーモニーが奏でられると(この ”印象派的な”音響もヒンデミットお得意のものだ)、ぷつりと終わる。このあたり好き好きあろうが、私はこういう唐突で潔いヒンデミットは好きだ。拍手は昏迷気味だが、素晴らしい演奏記録である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:シンフォニア・セレーナ(1946),○作曲家指揮シュツットガルト放送交響楽団(SDR,MEDIAPHON)1963/2/8LIVE やや硬い。生硬である。響きが硬いのはいたしかたないが、なかなかノリが出てこない。いきなり旋律が始まるので、最初からテンション高く入るべきなのだが(ここがなかなか清澄快適でかっこいいのだ)ぎくしゃくしているように聞こえる。リマスタリングのせいかもしれない。楽章が進むにつれ音楽は白熱していく。集中力も上がっていくように聞こえる。この曲は1楽章のように非常に耳を惹く楽想もあるが晦渋でわかりにくくなっている場面も少なからずある。そういう部分ではこの演奏はそれほどわかりにくく聞こえない。音がリマスタリングでよくなっているせいも大きい。セレーナは明るく陽気なという意味だそうだが確かにこの音質で聞くと輝かしいきらめきを放つ楽曲に聞こえる。いきなり始まった音楽はいきなり終わる。終わってみて、ヒンデミットの緻密な構造は良い録音で克明に聞こえないと意味を失ってしまうのだなあ、と思った。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:シンフォニア・セレーナ(1946),作曲家指揮フィルハーモニアO(EMI),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:シンフォニア・セレーナ(1946),ケーゲル指揮ドレスデン・フィル(DS),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:チェロ協奏曲,○シュタルケル(Vc)ライナー指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1957/11live,,録音が掠れる。音量に耐えられず不安定になるところもある。ライナーCSOの精力的な表現がいきなりテンポを煽って始まる。全般的にも速い演奏である。相対的にシュタルケルは心もとないところがある。線が細く弱い。オケのほうが勝ってしまい、チェロを伴う合奏協奏曲的な趣を産んでしまっている。無造作なバランスの録音のせいもあるかもしれない。ライナーCSOも煌びやかな半面厚ぼったく鋭さが無いところもあり(まるでオーマンディPOのように)、ロマン派の主情的表現に慣れた向きには楽しめようが、計算通りの響きの交錯を求める現代志向の人には切れの甘さが気になるかもしれない。なかなか迫力のリズム表現で終わるものの、多くはライナーの水際立った意気のよさに依っているように思える。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:チェロ協奏曲,○ベトヒャー(Vc)チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(MORGAN'S:CD-R)1976/4/2LIVE,,晩年的な比較的平易な作品でやや冗長だが、簡潔な書法にはプロフェッショナルな技が発揮されており感心させられる。ソリストにも無理や特殊技巧は要求されず威厳あるタテノリでつづられてゆく。演奏もやや解釈的なまとまりが弱く叙述的になっているが、チェリのまだ生命力あるダイナミズムと厳しい音響の律しかたが、全体をダラダラ感から救っている。ソリストも正直あまり特徴のないニュートラルな弱い表現で色もなく、単彩透明なチェリ美とともに「純音楽過ぎる」感じが少しつまらない。元がこういう曲だからスコア見ながら頭で愉しむのが正解としたらそれでいいのか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:チェロ協奏曲,○マイナルディ(Vc)作曲家指揮NDRハンブルグ放送交響楽団(stradivarius)1960年代・CD,,世界の調和短縮版のおまけとして収録されているもの。ステレオの極端に歪んだ録音だが音はクリア。マイナルディは少し弱いが録音のせいか。技術的にはなかなかすぐれてヒンデミットのマニアックな動きをとらえて抒情性を引き出している。全般やや長いが「調和」のころの叙情的なヒンデミットに還った曲でありききやすい。弦楽器に精通していたヒンデミットだけあってチェロの音域と他パートやブラスの切り分けや融合の具合が巧緻で無理が無くとりとめのない音楽の流れをただ楽しめる。いやとりとめがないといってもヒンデミットの古典的構造性が発揮されており、その中にも極めて静謐な金属的な音響による印象派的世界が織り交ぜられるさまはこの曲の独特の魅力になりえている。ヒンデミットの四角ばった指揮もこの現代物にもたけたオケを鮮やかにさばいて秀逸。演奏レベルは素晴らしくよく、録音マイナスが痛い。激しい音響とヴァイオリン協奏曲あたりのウォルトンに近似したかっこいい作風に最後まで酔える。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:チェロ協奏曲,○ロストロポーヴィチ(Vc)アーロノヴィッチ指揮ソヴィエト放送交響楽団(RUSSIAN DISC)1964/6/16モスクワ音楽院大ホールLIVE・CD,,ソリストオケ共にやや荒いか。超難曲ではあるがオケが雑になりがちで、色彩感は出ているもののいささか拡散的でもある。わりと聞きやすいほうの作品ではあるがソリストにもそれほど思い入れがないのかもしれない、やや冷たい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:デア・シュヴァーネントレイヤー(白鳥を焼く男),○ゲオルグ・シュミット(Va)クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(ORIGINALS)live・CDなかなか美しい。古典的なフォルムを損なうことなく力強いアンサンブルを繰り広げている。ソリストがややごり押し系で音色に魅力というかデリカシーがないのは惜しい。でも前進力に溢れる演奏ぶりは十分聞かせるものがある。録音も生生しくていい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:デア・シュヴァーネントレイヤー(白鳥を焼く男),GIURANNA(Va)チェリビダッケ指揮スイス祝祭管弦楽団(ROCOCO)1979ルツェルン音楽祭LIVE・LPやや晦渋なこのような曲に対しても明るいひびきで耳を惹く。この曲はヴィオラ独奏と小管弦楽団による組曲で、擬古典的な書法と現代的な書法の融合がはかられた丁度画家マチスと同じ頃に作曲されたものである。古謡を素材としており、題名は3楽章(終楽章)に用いられた民謡に由来する。ヒンデミットにしては響きが薄く、新古典的な単純化がはかられているが、そう感じさせるのはチェリの見通しの良い曲作りに由来しているのかもしれない。独奏者はまあまあか。渋い曲なので無印(すいません)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:デア・シュヴァーネントレイヤー(白鳥を焼く男),○作曲家(Va)フィードラー指揮アーサー・フィードラー・シンフォニエッタ(DUTTON/HMV他)1939/4/12・CD,,画家マチスの旧録とのカップリングの自演集として復刻。ここで聴かれるヴィオリストのヒンデミットは決して技巧派ではないが、(作曲家だから当たり前だけど)非常にツボを押さえた演奏ぶりだ。肝要な部分と経過的な部分を巧みに弾き分け、そのすべらかな組み合わせによる演奏解釈振りは実に堂に入り納得させるものがある。同曲の模範たる録音だろう。フィードラーもリッパなものです。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:デア・シュヴァーネントレイヤー(白鳥を焼く男),プリッチャード O プリムローズ
ヒンデミット:トランペット、ファゴットと弦楽合奏のための協奏曲,ケーゲル ドレスデン・フィル
ヒンデミット:ピアノ協奏曲(1945),チェリビダッケ指揮ベルリン・フィル、プッヒェルト(P)(AUDIOPHILE)1949大衆的作品を指向するようになるアメリカ時代に書かれた作品であるものの、無調的傾向がかなり強く、オーケストレーションも人好きしないもので、そのせいか余り演奏されることはない。ただ晦渋と言って片づけるには余りに硬質な響きの美しさを保っており、シマノフスキを想起させるところがある(たとえば3楽章でフルート・ソロとピアノが絡む場面があるが、シマノフスキのシンフォニア・コンチェルタントによく似た場面がある)。「夜の音楽」的な雰囲気が濃厚だ(私はあまりジャンケレヴィッチを読みこんでないので深く突っ込まないで下さい(笑))。多分に瞑想的な場面も見られる。ピアノ・ソロにはそれほど複雑なパッセージは見られないが(というよりこれはピアノ協奏曲なのか?と思ってしまうほどソロが立ってこない)、オケ・パートには独特としか言いようのない書法が展開され、同時代の前衛作品を彷彿とさせるところもあり、一筋縄ではいかない。非常にいろいろなものが次から次へとつぎこまれたようで、余り構築的な感じもしないが、もっと良い録音で聞けば面白さが見えてくるかもしれない。そう、この録音はこの時代にしては良い状態ではあるのだが、無調以降の前衛?作品を味わうにはいささか物足りないのだ。楽想が中音域以下に偏向しているせいかもしれないが、低く篭った感じがし、とくに1、2楽章は、終止形は妙に古典的で美しいもののその中身は何を言っているのかわからないという場面も多い。無論、旋律がわかりにくく表層的な魅力に欠ける曲自身のせいもある。ただ終楽章「”トレ・フォンテーン”のメドレー」については、大衆受けを狙った「交響的変容」などに通じる楽想も聞くことができる。音域が高く駆け上がり、いささか皮肉めいた魅力的な旋律や常套的な音階表現などがぽんと無造作に配置されているさまは、キッチュな面白さすらかもしているが、全体的にはやはり無調的であり、それらは構造の一部として使用されているにすぎないことがわかる。こちらが本当のヒンデミットなんだろうな、と思いつつも、私はやはり「交響的変容」などの作品のほうが好みだ。最後に、チェリは闊達、巧い。見通しいい指揮ぶりは現代作品に向いている。ベルリン・フィルは無難にこなしている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ピッツバーグ交響曲,ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団(revelation)1965/3/7LIVE・CD,,この曲は構造と響きの鉄鋼製品であり、前衛であるヒンデミットの中ではわかりやすいほうとはいえ大半の普通の人は、ショスタコやプロコの一番マイナーなシンフォニーあたりを想起することだろう。激しい管打の耳をつんざく破裂音の連続に最後はクラスタ状にうにょうにょしだす弦楽器など、確かに覚悟して聞けば楽しかろうが、音楽として楽しむにはいささか暴力的に過ぎる、とくにこの演奏は。当惑したようなパラパラ拍手に苦笑。いい録音だけど無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ピッツバーグ交響曲,ケーゲル ドレスデン・フィル
ヒンデミット:フルート・ソナタ,○ランパル(Fl)バイロン・ラクロア(P)(HORIZONS,AJPR/CLASSIC)1950/6/13・CD,,ヒンデミットはマチス以後の管弦楽曲の緩徐部においてフルート以上の楽器に効果的な旋律を吹かせる場合が多い。鉄琴などを背景として点描的な情景を描き、冷たくも美しい、ややフランス風の音楽となる。これはデュオ編成とあってその「フランス的なるもの」が更に純化されている。冒頭よりヒンデミット特有の半音階的な動きや移調よりも純粋な旋律そのものと構造の新古典性の美観が勝っている。地味だが佳品だ。ランパルだけあって更にそういった特質が強く出ると思いきや、古い録音のせいもあって比較的地味である。ヒンデミットはそれほど無理はさせないので通常の現代ソナタレベルの難度だろうか、音も地味。録音としては篭るもののこの時期にしては上出来で、ノイズリダクトがきつすぎて音場が小さい気もするものの、57年のノイジーなものより新しい演奏のように聴こえる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヒンデミット:フルート・ソナタ,○ランパル(Fl)バイロン・ラクロア(P)(HORIZONS,AJPR)1957/6/20・CD,,50年録音とほとんど同じで、ただ音が悪い。明るく広い反面ノイズが気になる。この人の演奏でノイズがあるのはわりと足を引っ張る。○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ヒンデミット:弦楽と金管のための協奏音楽「ボストン・シンフォニー」,○ヴァント指揮ケルン放送交響楽団(PROFIL)1970/3/6live・CD,,野武士のような演奏が多いがここではそこまで脇を締めまくったわけでもない演奏ぶりが伺える。曲がヒンデミットにしては愉快な律動的作品なだけにこのアプローチでも純粋に機械的に入り組んだ管弦楽の面白さを聞き取ることができる。ただ難点はモノラルだということだ・・・70年なのに!,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ヒンデミット:弦楽と金管のための協奏音楽「ボストン・シンフォニー」,カンテルリ指揮ニューヨーク・フィル(ASdisc)1956/4/8liveカンテルリ、そしてニューヨーク・フィルの力量を示した演奏。晦渋で目立った旋律もないが、高度に機械的に組み上げられた楽曲を見事に再現しつくしている。これ以上の演奏も望めないだろう。曲的にあまり面白くないので○はつけないが、佳演である。録音はまあまあ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ホルン協奏曲,◯デニス・ブレイン(hrn)作曲家指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)1956/11/19・CD,,曲は先細りするような形態をとっており、その先のほうで逆にソリストが腕をふるう。ブレインは技術的には何も言うことがない。力強いわけでは必ずしもなく美しく良く通る音を操りオケと組みあっている。◯。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:ホ調のチェロ・ソナタ(第2番),○ピアティゴルスキー(Vc)ベルコヴィッツ(P)(RCA)まさにヒンデミット!という曲。いたずらに技巧に走らず適度に調性的な動きを採り入れるなどアメリカ後の穏健な作風に依っており、変化に富んだ旋律と微妙にズレる音程感がスキモノには堪らない。バッハ風の機械的なフレーズが印象的。ピアティゴルスキーは水を得た魚のようにこの曲を楽しんでやっているふうだ。さすが百万ドルトリオの一角、この余裕は何だろう。またヒンデミットは弦楽奏者として(というかオーケストラにあるほとんどの楽器は奏でられたらしいが)よくチェロの特性をわかったうえで書いているふうで、とにかく音が鳴る鳴る。安心して聞ける楽曲であり、演奏である。弦に弓を押し付けるピアティゴルスキーの怪力がやや耳につくところもあるが、むしろこういう演奏でこそ生きる曲か。○。LPジャケットは黒をバックに煙草をくゆらせるピアティゴルスキー。かっこいいぜ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:愛する人々へのレクイエム〜前庭に最後のライラックの花咲くとき,○作曲家指揮ウィーン交響楽団、ユンゲン、ブラウン他(EVEREST)CD,,自作自演は三種ほどあったと思う。これはステレオで音色的にもNYPのものより多彩なひびきの煌びやかな演奏になっている。平易な、イギリスかフランスかといったやさしく繊細で明るい音楽やオラトリオふうの壮大な合唱曲を織り交ぜての大作で、ヒンデミットらしくもない晩年的聴きやすさ、簡素なオーケストレーションに反して、非常に理知的に構成構造の練られたマニアックで隙のない作品群になっている。ルーズベルト大統領死去・WW2終結を期にあまれたホイットマンの詩文による作品、文字通りレクイエムとしてしばしば演奏録音されたが、聴感としては歌劇であり、ヒンデミットの本領を考えてもそのように聴くべきだろう。雄弁に独自の構造を聴かせる場面よりもサティのソクラートを思わせる単純で古風な歌唱やRVWのようなロマンティックな楽想の表現において、あたたかな感銘をあたえる演奏・歌唱になっており、作曲家本人の主情がはいってい無いと言えば嘘になるだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:愛する人々へのレクイエム〜前庭に最後のライラックの花咲くとき,○作曲家指揮NYP他、パーカー(CA)ロンドン(B)(CBS)CD,,録音はまずまずのステレオ。細部が明瞭でなく篭って拡がりもないが、初演もかくありなんという重々しい演奏で、面子を揃えただけあって精度も高い。ヒンデミットの音楽はアメリカの明るくはっきりしたブラスの音と職人的で力強い弦楽アンサンブルにあっている。原詩はホイットマンに依るがヒンデミット自身により編み直されている。原題の「愛する者たちへのレクイエム」ではなく「前庭に最後のライラックの花が咲くとき」と歌曲的題名で呼ばれることが多い。,,だが内容的には必ずしも即物的に詩を楽曲に落としたものと言えない。音楽として聴くなら詩と切り離してマーラー的なオラトリオとして聴くとよい。稀有壮大なわりに薄いという部分も含め印象的には似たものがある。鈍重で長いとはいえ(暗くは無い)、第二次大戦後にかかれた作品に特徴的な単純性とロマンティシズムが反映され聴き易い。,,独唱・合唱を伴う大規模作品ゆえにまとまりある演奏は難しいとされる。そもそもヒンデミットの大規模曲はいわゆる拡大された調性の再現が難しく、離れた声部が独立して動くように感じやすいうえ独自の変容を施された入り組んだ構造的書法を駆使するから難しい。しかしこの演奏は要だけ押さえ演奏家としてさすがのところを見せている。原詩はリンカーン、楽曲はルーズベルトの追悼作だが、それだけに留まらない広く死と戦争の余韻に満ちた演奏と聴ける。シニカルさは健在だが。,,晩年のヒンデミットはアメリカに籍を置いていたが時代遅れの作曲家として教育活動と指揮活動に重心を置き、ヨーロッパに戻ってからは音楽家として不遇な最後を遂げたと言われる(葬送の映像が残っているが実に淋しい)。自身の作曲上の才気は戦前のナチとの衝突と前後して既に衰え始め、独自の理論や主義主張に忠実な職人的マンネリズムに落ちていった感がある。戦中亡命時アメリカという国にあわせて結果さらなる転向を余儀なくされていたこともあるようである。だが少なくとも現在ヒンデミットの理論は再び顧みられ一つの規範となっている。転向後の楽曲は専門家や演奏家が好む先鋭で難度の高い楽曲に比べ平易で取り付きやすく、全てを聴く必要は無いがわりと例外無く楽しめるものである。,-----,,,-----,,,-----,
ヒンデミット:歌劇「画家マチス」,○クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団・合唱団、ディースカウ(T)他(EMI,ELECTROLA/DG)CD,,恐らく元はDGで、CD生産されたのもDG(但し殆ど流通していない)だったと思うのだが。,,まあ、長いです(汗)オペラ、特にロマン派のものは重い。多彩な前時代的手法を投入して変化のある楽劇を描いているヒンデミットだが、いかんせん平易すぎてまるでRVWのオペラのような感じがしてしまうところもあり、だがそのわりにある種の毒が混ざるからどうにも重い。クーベリックは娯楽的で、スピードとリズムで曲をドライヴしていく、それは長所も短所もある。男声歌唱がかなり雄弁なのでドイツ語に堪能であれば楽しめるとおもうが、音楽だけでいけば、「このスタイルなら交響曲で十分だな・・・」と思ってしまう。深みに欠けるのだ。平易なら平易なりに計算が必要で、平易なところをただ強調してしまう、おのずから強調されてしまうようなスタイルだと飽きてくる。クーベリックに同曲の交響曲録音はあっただろうか、交響曲ならはまったろう。録音もスケール感も他を寄せ付けない贅沢な布陣もろとも素晴らしくはあるのだが、オケがやや田舎臭いところも含め、◎にはできない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ヒンデミット:歌劇「画家マチス」<抜粋>,◎レオポルド・ルードヴィヒ指揮ベルリン放送交響楽団、マティス役:フィッシャー=ディースカウ(B)、レジーナ役:ローレンガー(SP)、アルブレヒト役:グローブ(T)(DG)ヒンデミット事件の発端となった「画家マチス」(交響曲ではなく歌劇)である。「世界の調和」でもそうだが、ごたごた凝縮されていてなんとなく疲れる交響曲形式にくらべ、多分に旋律的な歌唱を伴う歌劇としての演奏は音に横のひろがりがあり、より深く作品世界に没入することができる。但しこの盤は抜粋、前奏曲(天使の合奏:交響曲の1楽章)、1幕情景1、4、6、2幕情景6、間奏曲、7というもの。今手に入る全曲盤はアルブレヒト指揮のものぐらいだろうか。私には抜粋で十分。このDG盤、私はLPで持っているが、なんで買ったかというとジャケットがとても綺麗だからだった。厚紙で作られたジャケットの表面にはマティアス・グリューネンバルトの絵の拡大図。二人の老人?の対話が描かれている。アメリカ盤なのでいちおう英語対訳付きだったが、面倒なのでまだ読んでません(すいません!)。「聖アントニウスの誘惑」がひとつのキーであることはわかるが。台本もヒンデミット、多芸多才だ(でもちょっと変)。それにしても、交響曲はともかく、歌劇として聴くマチスは、音楽としてけっこうわかりやすい。擬古典的な書法も縦横に入るし、旋律も無調的ではなく明確にひびくし、ハーモニーも決して濁らず美しく、異端の感じはしない。もっともヒンデミットのクセのようなものは現われているのだが(粘着気質なところなど)、どうしてこれが退廃芸術の槍玉に上げられ、ナチスから上演を禁止されたのか理解に苦しむ。フルトヴェングラーも擁護するはずだ。まあ、ヒンデミットは無茶苦茶前衛なものも書いていたから、たまたまタイミングだけの問題だったのかもしれないが。聴いているとディースカウの歌唱が際立って雄弁である。巧い所が嫌味な歌手なのだが(ファンのかたすいません!)ソプラノのローレンガーもなかなかのもので、負けず力感に満ちた歌唱を行っている。ヒンデミットにはその声がとてもあっている。名匠ルードヴィヒの指揮は柔らかくロマンティック、また繊細で緻密だが、個性が弱いといえばそうかもしれない。でもこの”濃いい”曲には丁度あっている。結構楽しませてもらった。録音は古いけれども(モノラル)、◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,◎オーマンディ指揮ACO(RCO)1967/11/12LIVE,,溢れんばかりのダイナミズム、くっきり鮮やかな音表現、実にかっこいい1楽章だ。オケが独特の魅力を誇るフィラ管でないのがこの指揮者の真価を問うものとして注目されるところだが、派手な音響効果を狙いながらも弦の叙情性に極めて深慮をはかっているのが読み取れる2楽章は注目すべき楽章である。常に自己主張が強く非常になまめかしい個性的な音を奏で続けるがゆえに「もういいよ」的な飽きを誘うフィラ管の、ただ華美なだけで、叙情を履き違えたような生臭さがなく、ヨーロッパのオケらしい渋さの中からたちのぼる地に足のついた美感はモノラル時代の凝縮されたオーマンディ芸術を思わせる真摯さがある。指揮者の真価はライヴだ、と唸らせられる破壊的な3楽章の凄みとあわせて◎をつけたい。ああ、もっとヨーロッパで振って欲しかった!,,-----,,TITLE: 没後20周年オーマンディー記念-外伝「考えるな、感じるんだ!!」(4)作品への懐疑を超えてヒンデ...,URL: http://drenkaizan.exblog.jp/1751517,BLOG NAME: 六国峠@ドクター円海山の音楽診療室−きぃついとったら1万...,DATE: 03/22/2005 21:33:16,さてオーマンディの演奏でヒンデミットがあることは名曲趣向から言えば意外に思われるが、ヒンデミットに対しては非常に積極的にとりあげており,1950年にはクラリネット協奏曲を世界初演している次第。,,当曲のオーマンディの音盤の有無は不明ながら、第二楽章にジャズの,-----,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○オーマンディ指揮バイエルン放送交響楽団(ORFEO)1959/6/5・CD,,鋭い切っ先で厳しいアンサンブルを組み立てている。50年代モノラル期オーマンディの熱が伝わってくる。オケが若干薄いが技術不足は感じない。これ以上肥った響きにしないほうがいい、フィラデルフィアのように。録音はやや悪いか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○クリップス指揮NYP(DA:CD-R)1964/10LIVE,,攻めに入った非常に鋭敏繊細な演奏ぶりのNYPに驚愕。ほんとシェフ次第のオケなんだなあ。機能性が遺憾なく発揮され、きほん速い速度で対位的な音楽が展開されていく。ヒンデミットはそれが正解。音色の野暮ったさはこのオケ特有のものだから仕方ないか。すさまじいルバートの終幕は醒めたペットの音は気になるが、余りの最終部の見栄切りぶりに途中拍手が入る。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○ジュリーニ指揮ボストン交響楽団(WME:CD-R)1964,,録音状態もそうだがやや精彩に欠けるか。そのままやると終始分厚いままの起伏の無い拡散的な曲にもなりかねない曲で、何かしら表現したい解釈がないときついのかもしれない。ジュリーニにそれがないとは言わないが印象に残らない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,作曲家指揮ベルリン・フィル(DG)1955/9,10 LPは籠っていて聴きづらかった。何度かCD化され良くなっている。
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○作曲家指揮ベルリン・フィル(CEDAR/DUTTON/TELEFUNKEN他)1934/9/9・CD,,今回DUTTONから久しぶりの復刻でかなりリマスターがいい。飛ぶ鳥を落としまくるヒンデミットの覇気が時代の不運を跳ね返すように感じ取れる。正直30年代の録音とは思えない。これを改ざんととるかリマスタリングによる原音再成ととるか、私は後者と感じられた。ある意味DGのものより若々しくトスカニーニ的で、オケも集中力が高くて素晴らしい。古いものということで、○にとどめておくが鑑賞に十分値する復刻状態です。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○作曲家指揮ベルリン・フィル(CEDAR/KOCH)1934/4/9LIVE,同上?,DG盤より生々しくライヴ的な力感のある演奏だ。録音状態は良いとは言えないものの、それを忘れさせるほど引き込むものがある。作曲から間も無い初々しさがオケを奮い立たせているかのようである。DG盤とは違い内声部の音列を際立たせたり、ことのほか叙情的に歌わせる場面もあり時代を感じさせる。ちょっと不思議な(としか言いようが無い)和声感覚もDG盤ではあまり感じ取れないもので特筆モノ。弦など終楽章で危うい所も有るが(ヒンデミットの奇怪な刻みは弾きにくいのだ)このころのBPOの記録では珍しいものではない。それよりこの初演年の貴重なライヴに素直に浸り込もう。作曲当時から人気を呼んだものの、ナチスに否定され、フルトヴェングラーの弁護に端を発する所謂ヒンデミット事件へとつながった作品である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○チェリビダッケ指揮デンマーク国立放送交響楽団(arlecchino)1968/10/3live・CD,,このオケはソリストこそけっこう失敗もするものの総体としてはかなり腕のある中欧的なオケで、この演奏でもヒンデミットのトリッキーな書法をチェリの鮮やかな手腕のままに比較的冷静透明に描いている。ヒンデミットの管弦楽がしばしばもたらす破滅的な爆発も響きの美しさのしっかり残ったものに収められている。チェリとヒンデミットの日和った曲の相性はよく、聴衆はおざなりの拍手だけれども、それなりに聞ける演奏になっている。チェリ壮年期らしい勢いもある演奏。,-----,,,,,,,,,,,,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,スワロフスキー指揮ORTF(ina配信)1968/3/14放送 live,,さぞかし低体温症な演奏だろうと思いきや、たしかに風がスースー通るようなところはあるものの、ヒンデミットっぽいザクッと斬り込む表現はこのオケらしくないほどで、とくに低い音域でゆっくりうねる長い音符、緩徐部の響きは深く迫るものがあり、マーラーを思わせる。もともとヒンデミットは伝わりやすい構造を持っているが、ここではスワロフスキーの特徴としての見通しの良さよりも、そういった深刻ぶったところや、激しいアタックで演出されるドラマが耳を惹く。耳を切り裂くような高音のトリル、重く轟くブラス、むしろバランスや精度を犠牲にしてまで「音楽」たろうとするところに感銘を受けた。もちろん良い音なので新古典主義らしい協奏音楽的な音の絡み合いも楽しめる。ヴァイオリンがもう少し分厚いと迫力が増すのに、というのは贅沢な要求か。スケールの大きな佳演。大きすぎて構成感が、、、それは曲のせいでもある。聴衆反応はばらける。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(放送録音)1959/10/24,,じつは怪しんでいる。熱過ぎやしないか?それほどにアンセルメの「ライヴ顔」の出た演奏であり、もっとも公衆ライヴではない可能性もあるが、精緻な再現音楽の表現者としての顔は微塵も見られず、再現音楽の「その先」をおおいに熱をあげてやってこなしている。一部ノイズがひどく聴きづらいがクリアで、聴くに堪えうる。マチスは新古典とかだけ言ってないでこういう暑苦しさもあってほしい。クーベリック等の同時代の演奏に非常に似ている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○カンテルリ指揮NBC交響楽団(TESTAMENT)1950/1/7放送live ASDISC盤よりも音がよく聴き易い。旋律線が追い易く、またハーモニーが的確にひびく非常にわかりやすい演奏だが、終楽章の前半くらいがちょっと聞きづらい。曲のせいだろう。熱情的ではない。客観的といってもいいくらいだ。しかし、アンサンブル(とくに弦)の緊密さは充実した聴感をあたえる。壮絶なブラヴォーが叫ばれる。それもうなづける演奏ぶり、カンテルリはやはり天才だったのかもしれない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○カンテルリ指揮ニューヨーク・フィル(MUSIC&ARTS)1952/1/20放送live,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,カンテルリ指揮NBC交響楽団(ASdisc)1953/2/28liveうん、なかなかのもの。これもライヴとは思えない精緻な演奏。1楽章がダイナミックで聴きどころ。3楽章はモノラルのせいかごちゃごちゃしてしまった感もあるが、じっさいの演奏はすっきりしていたのかもしれない。こういう複雑な曲にモノラル悪録音というのはマイナス以外の何者でもない。でもまあまあ。曲を知らない人にはなるべく新しい録音をオススメしたいが、好事家はこれにあたってみるのもまたよし。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○カンテルリ指揮ローマ(RAI)放送交響楽団(FONIT CETRA)1954/11/19LIVE・LP活気溢れる演奏。このオケにしてはとてもしっかりした集中力の高い演奏になっている。だがどうも空疎な感じがするのはカンテルリがそれほど共感を持ってこの指揮に臨していたわけではないということなのだろうか。単純な運動性と構造的な面白さというのがこの演奏を聴いての感想だが、ヒンデミットには今一つの情念のどろどろしたところが欲しい気もしないでもない。でもまあ、この曲の余程のマニアでもないかぎりは素直に楽しめるだろう。どうも盛り上げかたが腑に落ちないが、まあ、○としておきます。拍手も熱狂的。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,クレツキ スイス・ロマンドO
ヒンデミット:画家マチス交響曲,ケーゲル ドレスデン・フィル
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(ORIGINALS)CD結構情緒的な人で、この曲も瑣末なところでは主情的な歌い回しが目立つが、大まかには性急であっさりしている。1楽章の終わりの切り落とされたような途切れ方にしてもクーベリックの突っ走って急についえるという花火のような点をよく表している。オケは細かいフレーズでは乱れがちだが雑味よりも勢いを買いたい。感情のほとばしりを感じる。スケール感は小さいがまま楽しめる。クーベリックは歌劇版も録音している。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○シュミット・イッセルシュテット指揮NDR交響楽団(EMI)1967/8/21-25・CDこういう録音がカンタンに手に入るイマを喜ぶべきだ。このNDRの放送録音シリーズは手ごろな値段で(それでもEMIにしてみればそれほど安いわけでもないが)コンドラシンの最後の「巨人」以下さまざまなライヴ音源を非常に良好な録音で復刻してくれている。このライヴは私は海賊盤で見たことはない。日違いの盤があるにはあるが、比ぶべくもない音質である。この指揮者のシャープで機械のような指揮はステレオで聞いて初めてその正確さに感銘を受けるたぐいのもの。この曲を全声部ここまで明瞭に描ききった演奏というのはチェリビダッケくらいしか知らない。マチスのヒストリカル録音の中ではトップクラスの演奏、NDRの硬質なひびきでお楽しみください。但し瑕疵はなきにしもあらず。(2004/4/20記),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○シュミット・イッセルシュテット指揮ハンブルグ北ドイツ放送(NDR)交響楽団(CINCIN)1961LIVEこれこそ冷静で緊密なアンサンブルが必要となる曲で、イッセルシュテットにはうってつけのように思えるが、じっさい音にして聞いてみると・・・つまらない。少々熱がこもる箇所があるのが意外で、終楽章などはそれなりに盛り上がるのだが、あまりに率直で恣意性の匂いすら感じられないのは寂しい。解釈に何か「芯」になるものがなく、宙ぶらりんの感じもする。まあ元々ちょっと散漫な曲で、ヒンデミットのせいでもあるのだが、曲がどこへ向かっているのかわからない。音の流れを漫然と楽しむには最適だし、イッセルシュテット好きは聞いても損はしまい。だが私はヒンデミットのもっと肉食人種的な脂ぎったところを描いて欲しい気がした。録音はよく、響きはじつに美しい。とくに終楽章後半、ヴァイオリンの超高音(ヒンデミットならではです)トリルだけが響く下で、中低弦がかなで始める音楽の悲愴な美しさは筆舌に尽くし難い(ちょっとマーラーぽい)。苦しみながらもヴァイオリン好演、○ひとつつけておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○シルヴェストリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI/DISKY)初出1958爆演とはこういうものを言うのだろう。ほんとは◎にしたかったが、あまりのテンションの高さに最後には疲れてしまったのでこういうことになった。シルヴェストリという指揮者にはイマイチいい印象がなかったのだが、この演奏ですっかり見方が変わった。たとえばチェリなどの演奏とは対極にある演奏で、ヒンデミットを分析的に見ることなく「そのまま」密度の濃い合奏曲として全精力をかけて演奏している。どちらかといえばロマン派的アプローチといえそうだ。フィルハーモニア管とは思えない力感溢れる音にも傾聴。何度も聴くには濃すぎる演奏だが、一度なら聞いてみてもいいだろう。佳演。ちなみに2003/7現在シルヴェストリのEMI録音をディスキーが集成して10枚組み2000円以下で販売されているのでオトク。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,◎チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(sardana records:cd-r)?liveヒンデミットは資料が少ない。国内書籍にいたっては皆無である。「天球の音楽」という訳本が出た事があるが、「世界の調和」交響曲に触れているだけで、ヒンデミットの演奏家そして作曲家としての多層的な人生を俯瞰することのできるものはない。ヒンデミットに入れあげていたころ、困ったオボエがある。このページ本文でもヒンデミットをたくさん取り上げようとしたが、目下沈没状態である。ドイツ語の文献はあるようだがわからない。ドイツ語のCD−ROMがあるが、語学ができない私は「世界の調和」の指揮姿や室内楽の断片に触れるくらいしか活用できなかった。ヒンデミットはファンが多いのに、なぜなんだろう。アイヴズは一冊出てるのに。作曲家シリーズ本でヒンデミットが取り上げられるのをせつに願う。さて、画家マチスである。マティアス・グリューネンバルトの絵を題材とした歌劇の交響曲編曲である。ヒンデミット事件については詳しく知らないので省略する。このウェーバーの主題による交響的変容と並んでアマオケに取り上げられる事の多い楽曲、私はずっとヒンデミットの自作自演二枚だけを聴いてきた。で、さっぱりわからなかった。「世界の調和」はあれほどわかりやすいのに。セレーナ交響曲だって聞き込めるのに。マチスは散漫な印象があったのである。。。しかし、今日このチェリビダッケ盤を聴いて、はじめてわかった。なんてわかりやすいまとめかたをする指揮者だ!旋律が浮き立ち、関連性のある主題同志の有機的連結があざやかに描き上げられ、しかもヒンデミット独特の透明感が(チェリの芸風にあっただけかもしれないが)完璧に再現されている。ヒンデミットの新古典的作風は、古典的な構築感をもつチェリと抜群に相性があったようだ。名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,◎チェリビダッケ指揮スウェーデン放送交響楽団(DG)1970/11LIVE意気軒昂たる時期のチェリの、非常に良い音での記録だ。気持ち良く聞ける綺麗な演奏。弦はけっして技術的に高いわけではないが、怜悧な美しい音で繊細なアンサンブルをかなでており、心地いい。スウェーデンのオケってけっこううまいんだ、と思った。チェリの解釈は、誤解を恐れずに言うなら「ヒンデミットらしさ」というものを蒸留濾過してしまい、耳なじみのいい音響と旋律の中に埋没させてしまう。古典協奏曲のようなフレーズの表現においては、擬古典的であることを殊更に意識することなく、ふつうのロマン派音楽のように演奏する(だからこの点では構築的とはいえないのだが)。旋律だけが浮き立ち、前衛性は影をひそめる。すべては聴き易さのため・・・チェリがそれを意識していたかどうかはわからないが、私はそう思った。そしてとても面白い時間をすごさせてもらった。名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,チェリビダッケ指揮スウェーデン放送交響楽団(DG)1970/11・CD,同上,時期的にまだ威勢を放っていた頃で曲がチェリ向きの構造的なかっちりしかつ扇情的な作品であることもあり、正規録音として細部の面白い響きまで楽しむことができる。オケのせいもあろう角が取れまろやかすぎる感があって印象に残る演奏ではないとも思うが、神経質に整えられたスコアは三楽章の弱音部や普通乱れる超高音の動き、弦楽アンサンブルのみで進行する部分で威力を発揮し、ヒンデミットが新古典主義であることを改めてわからしめる(日和ったヒンデミットのどっちつかずの大衆性は古典的な構成感よりロマンティックな表層を聞かせがち)。こんなに整ってかつ前進的に聞かせる演奏もそう無い。代表作ではあるが歌劇の編曲で散文的なところ、細部まで彫刻した結果大局的な構成感がなくなっているような気もするが、曲がそうなりがちゆえ、チェリだしこれでいいのだろう。クライマックスがぼわーっとして終わってしまうのはヒンデミットのせい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,◎チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(AUDIOR)?LIVEうーん、録音以外にケチをつけるところがない。この曲にかんしていえばチェリはまったく最高の解釈者だ。もっともそれはロマン派側の視点から見た場合であって、現代音楽側の視点から見たら物足りなさを感じるのかもしれない。この演奏はいつごろのものなのだろう。スピードが極端に落ちていく晩年の演奏ではないような感じがする。スウェーデン放響盤と演奏時間を単純比較すると2楽章以外は僅かに長い演奏になっているが、このぐらいは誤差範囲であるからほんとのところはわからない。ヒンデミットの構造的な書法に対してとても精緻なアンサンブルの妙を聞かせる演奏であることはスウェーデン放響盤等と同様、元来散漫な印象のある曲の構成をきちんと整えて聴衆に理解させるすべを、この指揮者は知っている。ヒンデミットといえば緊密な対位法の導入、フーガの濫用だが(言い切ってしまっていいのかな?)、緻密なアンサンブルというものを常に重視し、小アンサンブルの延長上に大管弦楽というものを位置づけるチェリの視点は、そんなヒンデミットの芯をとらえているように感じる。いや、もう言う事はない(最初からもう言う事はなかったのです(泣))。チェリの「マチス」は絶品。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○チェリビダッケ指揮ロンドン交響楽団(RARE MOTH:CD-R)1978LIVE最初に言っておくと録音状態はかなり悪い。音像が安定せずやや茫洋としている。だが、演奏内容はとんでもなく素晴らしい。ちょっとレガート気味の楽団がチェリのシャープな解釈と合致して、互いの不足?部分を補いとても聴き易い音楽を造り上げている。ロンドン響とはうまいところとやったものだ。ミュンヒェンやベルリンの音とは根本的に違うが、そのぶん曲に別の魅力が発見されるというか、こんなにロマンティックだったっけ、と思わせるところがある。フーガや対位法など構造的なところはきっちり表現されているが(チェリだからあたりまえだが)、ギチギチに厳密にならないことでオケに余裕を与えている。うーん、いい音で聴きたかった。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(NYP)1956/12/23LIVEこれは勢いのある演奏。終楽章最後の盛り上がりは豪快で、終演後のブラヴォーも盛大だ。惜しむらくはモノラル録音である。でも、それでも十分聞かせる力の有る演奏である。ニューヨーク・フィルのもともと持っている強力な推進力と、バーンスタインの若々しく颯爽とした指揮ぶりがあいまって、このちょっと聞きとっつきづらい楽曲でも、まるで古典音楽のように理解し易く、楽しめるようになっている。この「楽しめる」ということこそがバンスタの持ち味であり、変に頭でっかちな演奏の多いヒンデミットの楽曲としては例外的にわかりやすく馴染めるものとなっている。余計な装飾を取り去って楽曲をいわば単純化するような方法はヒンデミットにあっている。1楽章の第1主題と第2主題が絡み合う鮮やかな対位法的パッセージや、精緻に練りあげられたフーガ構造など、聴きどころがとてもくっきりと浮かび上がっている。また各旋律の内蔵するロマン性を引き出すことにかけてはさすがバンスタ、といったところだ。音質に不満が残るので○ひとつとしておくが、機会があれば聴いてみるとよい。新録と比べるのもまた一興である(こちらのほうが分かり易い)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(DG)1989/4このあいだテレビで、昔のニュース映像が流されていた。その中に昭和30年代頃の南極探検隊の映像があったのだが、そこで流されていたバックミュージックが、何とヒンデミットの「世界の調和」のクライマックスだったのである。今はテレビのBGMといったらハリウッド映画の音楽やドラマの主題歌に通俗的に知られたクラシックの断片など、お定まりの曲しか使われない。いや、同時代音楽という側面もあったのだろうが、ちょっと感動した。そのヒンデミットのもっとも有名な曲といえば「画家マチス」の音楽である。演奏されるために交響曲として取りまとめられた、もとは歌劇。バーンスタインの盤は、ちょっと鈍重ではあるが、曲の色彩的な美しさを前面に押し出した演奏となっている。ヒンデミット特有の高音打楽器の天国的な音粒、対位法的構造の強調は、やや「曲の本筋」を見えづらくしている側面もあり、「マチス」に慣れない向きにはひょっとするとよくわからない曲、という印象を与えかねないと思った・・・録音も楽団もすこぶる良いのだが。バーンスタインはいつものわかりやすさや情緒的伸縮をあまり与えていない。晩年のバンスタにしては珍しく正攻法だ。うーん、面白味の点ではいまひとつだが、いい演奏では、ある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○ホーレンシュタイン指揮ロンドン交響楽団(NONESUCH)1975初出 抒情性に重点を置いたなかなかの佳演である。スケールが大きく、それでいて感傷的なまでにやわらかな解釈は作品の新しい面・・・前時代のロマン派交響曲としての側面・・・を引き出している。それが堂に入って聞こえるのがホーレンシュタインの熟練の技のなせるわざだ。無骨な演奏を想定して聞いたら(確かに一本筋の通った構築的な側面もなきにしもあらずだが)ロンドン響の柔らかく明るい音色が武器として機能し、ホーレンシュタインのおおざっぱな棒の振り足りない箇所をうまく補填しているようだ。細かい解釈は施されないが、大掴みの解釈は全体に大きな流れを作り、とても聞き易い音楽に仕立てている。入門盤にいいかも。ただ、これがヒンデミットだと思ったら他の曲や他の演奏家の録音を聴いたらびっくりするだろう。それだけ聞く側に配慮した演奏である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,カラヤン指揮ウィーン交響楽団(ORFEO)1957/2/18LIVE 50年代のカラヤンらしい筋肉質な演奏である。ウィーン交響楽団は高弦に問題があり、カラヤンらしい統率力もいまいち及ばなかった感もあるが、極度に複雑で対位的なパッセージなど、非常に見通しのよい音楽に仕上げており、さすがといえる。モノラルでやや悪い音質。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,モントゥ指揮フィラデルフィア管弦楽団( DA/Premiere/melusina/KAPELLMEISTER U)1960/3/8live,,裏青で再三再発された放送音源で、元は良好なステレオ録音だったと思われるがヒスノイズや音像の気持ち悪いブレ(はじめは左側に極端に寄っている)、圧縮音源によく聴かれるようなキンキンが高音に影響し、ちょっと耳が痛くなる。派手なオケの、特にファーストヴァイオリンを極度にギラつかせ、さすがにこの細かい音符の刻みでは響きがまとまらずバラケ感が出てしまうが、迫力とライヴ感は凄いものがある。モントゥは職人的指揮者とみなされがちだが得意不得意がけっこう出る指揮者で、それはいわゆる職人が何においてもそつなくやってしまうのとは逆である。チャイコフスキーのように評価がまったく二分されるもの、ストラヴィンスキーのようにオーソリティとみなされながらも技術的に?がついてしまうもの、いずれも記録が多く残るが、ヒンデミットは得意とされていた作曲家であるにもかかわらず、記録が少ない。これは、モントゥーがいかにヒンデミットを演奏効果の高い「演目」とみなしていたか、それがじじつ見事な構成や、新古典主義音楽としての内部構造に足を取られることなく、楽想をくっきり描き出すことに結実している部分、画家マチスの散漫としたところに起承転結をしっかりつけて、何よりオケのやる気を凄く引き出している(最後の点は現代曲ではとても重要だ)。マチス交響曲は他にもう一つくらいしか記録がないと記憶しているものの、他の平易な曲もいくつか録音しているので、機会があればどうぞ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:画家マチス交響曲,○モントゥ指揮オケ不詳(DA:CD-R)1962live,,どれか既出盤と同じ可能性がある。広がりのあるソリッドな音でモノラルではあるが聞きやすい。演奏はモントゥにとってレパートリーともいえるものなだけにヒンデミットの日寄った作品の「日寄った部分」をロマンティックに演出しながらも締まった演奏を最後まで突き通している。比較的まとまりのない曲なだけに「締まった演奏」という部分は大事である。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:管弦楽のための協奏曲,○シュミット・イッセルシュテット指揮ストックホルム・フィル(BIS)1958/10/31liveストックホルム・フィル75周年記念ボックスより。この曲は擬古典的な合奏協奏曲であり、各声部のチョウチョウハッシのやりとりを楽しむものだが、冒頭どうも鋭さがない。だらけた雰囲気が漂う。イッセルシュテットらしくないのだ。重い解釈のせいだろうか。展開部?に入ると強烈な一打のあと一気に現代的な「ヒンデミットの音楽」になるが、とたんに元気になるオケにちょっと驚かされる。このオケはそんなに現代音楽に近しいオケでもないように思うが、指揮者のせいか?弦の刻みはぎっちり合うし、ブラスは少々野暮ったいが太鼓は強烈。なんともちぐはぐな感は否めないが、ライブならではのものか。2楽章もそれほど緊張感のない音の応酬から始まるが、木菅ソロのかけあいなどコントラストのきいたはっきりした音楽になっていて楽しめる。主題が展開していくと楽団全体の士気が上がっていき、明瞭さは少ないが勢いのある音楽は気分を高める。クライマックスの金属質の音響の応酬はイッセルシュテットのテクニックがいかんなく発揮され、冒頭の茫洋がウソのような非常にスリリングなアンサンブルを楽しめる。総じて○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:管弦楽のための協奏曲,◎作曲家指揮ベルリン・フィル(FIRST EDITION/DG)1957/10(8?)/18よく引き締まり気合の入った一枚である。戦後のヒンデミット自作自演盤は音が悪い印象があったが、この盤はクリアに聞こえる。即物的傾向を帯びた指揮だけれども、合奏協奏曲を演じるにはぴったりだ。ヒンデミットってじつは指揮巧かったんだ、と改めて思わせる。各声部を過不足無く鳴らし、総体の響きをよくコントロールして曲の概要をわかりやすく提示している。名演だ。ヒンデミットの中でもわかりやすい部類に入る僅か12分の2楽章制の曲、1楽章のほうが人好きするが、ウェーバー〜やマチスに飽きたらこのへんから攻略してみては如何。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:管弦楽のための協奏曲,○フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(MUSIC&ARTS)1950/6/12LIVE協会盤の演奏は20日のライヴとされているが、これは12日との表記がある。ひょっとするとどちらかの表記誤りで同一演奏かもしれないが、こちらは録音状態がなかなかよく、そのせいもあって印象がかなり異なる。そこでここでは別録音とみなすこととする。すこぶる生々しい音がフルトヴェングラーの真意をよく伝える。やはり現代作品としてではなくロマン派作品として解釈されている感じがするが、その力強い響きと歌いまわしの巧さはまさにフルトヴェングラー。演奏の縦がきちんとそろっていないような、ちょっと雑然とした感じがするところもあるが、それよりも強力な表出意欲が勝っており、ベルリン・フィルの力量をも感じる。フルトヴェングラーのフレージングは常にややレガートがかっており、キレのいい音を出す事は割合少ないように思う。ここでも縦より横の旋律の流れを重視しているように感じるが、一本筋の通った演奏態度はそれを余り気にさせない。1楽章コンチェルティーノはとにかく格好いい。古典の合奏協奏曲を模した楽章だが、様々な楽器が絡み合い、どれかに偏重することなく(いかにもヒンデミット的な擬古典ふうのヴァイオリン・ソロのようなものも混ざるが)巧みな書法を見せている。フルトヴェングラーの舵取りは万全。ティンパニの打音で尻切れのように終わるが、潔いヒンデミットらしい終わりかただ。2楽章は憂うつな歩みが短いフレーズの繰り返しによって表現される。やがてスピードが増しヴァイオリンが高音でヒンデミット独特の眩い光を放つようなフレーズの合奏を始めると、曲はクライマックスへ向かう。少し穏やかになったあと、最後の一踏ん張りをへて曲はあっけなく終わる。2楽章制、あわせて12分半強の短い曲だが、こういう演奏で聞くとこの曲はとても垢抜けた名作のように感じる。本当は◎にしたいところだが、大掴みな演奏様式が精緻なヒンデミットの楽曲を再現するにはどうも今一つ足りないような気がしないでもないので、ぎりぎりで○にしておく。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:管弦楽のための協奏曲,フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(協会盤)1950/6/20LIVE1925年であるからヒンデミット30歳のときの作品である。粗削りながらも、擬古典的な曲構造と独自の理論に基づく無調的ハーモニーや旋律がうまくからみあっていて、とても面白く聞ける。ポリフォニックに絡み合う独奏ヴァイオリンなどの音が新鮮に耳を惹く。音響が後年ほどには分厚くなく、そのぶん細かい所がよく聞き取れる(ただ、私個人的には音の多いほうが好きなのだが)。録音も割合と多いのだが、それらの中でこの盤は取り立てて巧いと感じさせるものはない。この時代のヒンデミットはナチスの言う所の「退廃芸術」であるところの前衛性を強く押し出していたが、その中では奇異なほど娯楽性が高い作品である。そこで、フルトヴェングラーの指揮には「遊び」が足りないような気がする。いや、たぶんフルトヴェングラーはイデオロギーとしてのヒンデミットは認めていても、その作品については使命感以外の感情を持っていなかったのでは?と思わせるほど、何かが噛み合っていないような、妙に歯がゆい感を覚えるのだ。奏者はみな巧いが、この音楽に共感して弾いているだろうか?ミニマムな視点で見ると素晴らしく弾き切った演奏のようにみえるが、全体を通して見渡すとそんな愚痴も飛び出すほどに、機械的である。フルトヴェングラーとヒンデミットの音楽性はけっこう噛み合わないな、と他曲の演奏も併せて思った。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:弦楽三重奏曲第2番,作曲家(VA) フォイヤマン、ゴールドベルク 1934/1/21
ヒンデミット:弦楽四重奏曲第3番,ハリウッド四重奏団
ヒンデミット:弦楽四重奏曲第3番,ブッフベルガー四重奏団
ヒンデミット:弦楽四重奏曲第3番,○ブルガリア四重奏団(harmonia mundhi) ,,アマール四重奏団のヴィオリストとして活躍したまだ比較的若い頃、立て続けに発表されたカルテットの習作を除いて3番目、1923年というから、時代的にはまだ前世紀末の暗くロマンティックな色が残っていたころである。後年フルに活用した極めて構築的な独自の「作法」が明確ではなく、却って理知性に囚われない内容本意の無調的作品として、暗い時代性を含んだ魅力をもっている、といえばいいのか。ブロッホを思わせる民族的な主題が粘着気質をかもしているのに、長く弛緩した様子は少しも無く(演奏上の合理性があるのだ)手馴れたすべらかな書法が心地いい。ヒンデミットはやはり天才だったのだなあ、と思う。もっとも作品的にずば抜けた部分も無いといえば無いのだが。合理性と内容重視のバランスという点では後年のショスタコの中期カルテットに似たものを見出すこともできるだろう。この演奏は技巧的な難がなく透明感もあり聴き易い。紹介盤としては十分なものとなっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:交響曲 変ホ長調,○ボールト指揮LPO(EVEREST),,さすがエヴェレストらしい生々しさと迫力ある録音だ。しかしモノラル。ダイナミックで重量感ある反面、響きに鈍重な部分もややある。ヒンデに必要とされる細かい音符のキレがイマイチなのはしょうがないか(現代的に明晰にされても取り付くシマがなくなるからヒンデはこのくらいが映画音楽ぽくていいのかもしれないが)。系統はRVWのシンフォニーでいえば4、6番なのでこちらも「ロマンティックな不明瞭さを持つボールト解釈向きではない」と言ってしまえる面もある。始終盛り上がり続け逆に平板というか、何が言いたいのかわからない気もしてこなくもない。弦楽器に無茶苦茶な要求をする作曲家なのでしょうがないところもあるけど技術的限界も感じさせなくもない(木管は素晴らしい)。「音楽でないものまで音楽にしようとしている」面は評価できるので、○はつけておく。面白いことは面白い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:交響曲 変ホ長調,○作曲家指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ(RADIO NETHERLANDS MUSIC)1949/1/12コンセルトヘボウの放送音源集第一集から。これ以外の収録曲はほとんど既にバラで発売されているもので、目新しさはない。ただ、私の知るかぎりこの交響曲の自作自演は初めて見るものだ。迷ったのだが、結局このトラックのために1万3千円を投入したという次第。収録曲には最近単発されたワルターの「巨人」も入っていて口惜しいのだが、こういうお金の使い方、馬鹿らしい・・・かな?ヒンデミットは交響曲と称する作品をいくつも書いているが、純然たる管弦楽曲としてはこの作品しか書いていない(他は歌劇の改作などの表題性のあるものや、吹奏楽のためのものである)。だが私は勉強不足、この曲を聞いた事がなかった。それもこの盤に惹かれる原因のひとつだったのだが、聴き進めるうちに、おおおっ!という驚嘆の声を発してしまった。これは、ヒンデミットがわかりやすい路線に切り替えたアメリカ時代の当初に書かれたものであるが、まさに「わかりやすさ」を念頭に書かれたような曲で(それでもまだ結構錯綜した書法ではあるのだが)、”純音楽的発想”はヒンデミットにしては珍しく、そこがまた面白く聞ける。同時代のいくぶんロマン派がかった作曲家に似た聴感もあるが、その重厚でも清新な聞きごたえはヒンデミットならではのもので、凡百の追随を許さない。決して最高傑作ではないものの、「ウェーバーの主題による交響的変容」「シンフォニア・セレーナ」「世界の調和交響曲」などの作品で興味をひかれた方は、この曲に聴き進んだらよいと思う。そうしてヒンデミットの渋い面にも免疫をつけたところで、若い頃の作品や「画家マチス」へと聴き進めたらあなたも立派なヒンデミットヲタです(笑)。この盤は録音がキンキンいうところもありあまり良い状態とはいえないが、演奏面は十全だ。コンセルトヘボウのせいか、終楽章など何故かマーラーを思い起こしてしまった。目の詰まったぎっちりした曲を、しっかりぎっちり表現できるのは機能性の高いコンセルトヘボウならでは。低音の響きが心地いい。聴きどころは特定するのが難しいが、1楽章冒頭、3楽章冒頭、4楽章全般あたりだろうか。4楽章の諧謔的な響きを伴う歩みが面白い。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:交響曲 変ホ長調〜リハーサル風景断片,作曲家指揮ベルリン・フィル(MA:DVD)1947LIVEティタニア・パラスト館にてリハーサルを行うヒンデミットの肖像。かなり精力的に指示を繰り出し、厳しい側面を窺わせる。ほとんど音が出ていないので演奏評不可能。日本フルトヴェングラー協会の頒布盤にも収録されていた模様。ヒンデミットの指揮は他に「世界の調和」交響曲のリハがあり、かつて資料集としてCD-ROMで出ていた。いつか書きます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:交響曲 変ホ長調,○ベーム指揮ヘッセン放送交響楽団(vibrato:CD-R)1954,,モノラルだが安定した音。これはヒンデミットなのか?というような重厚でロマンティックな表現は圧倒的だ。前半はひたすら「こりゃマーラーだよな(オルガン的な和音やぬるまゆいウィーンふうの旋律は寧ろフランツ・シュミットだが)・・・」というようなかなり前時代的な魅力に揺り動かされるが、表現がひたすら大きく身が詰まって最後まで隙がなさすぎるため、後半あたりになってくると後期の「日寄った」ヒンデミットに特徴的な楽想の希薄さが却って際立って感じられてくる。正直飽きる。壮大なヒンデミットの交響曲、という意味で孤高の素晴らしい記録にはなっているのだが、余り振らなかったのがわかるような「余りにワグナー的」といったところも強く感じられるわけで、総じては○だ。最初はびっくりした。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ヒンデミット:交響曲 変ホ長調,○ストコフスキ指揮NBC交響楽団(GUILD)1943/2/28・CD,,ストコフスキは拡散的でばーっとした演奏をするときと音符を切り詰めて強いアクセントをつけ突き進むときがあるが、これは明らかにオケの性向に沿って後者のやり方をとり成功した一例である。ヒンデミットの構造的書法をきびきびした指揮で的確にえぐり、前進的なテンポであおる。平易なものの激しいリズムと移調でデモーニッシュな臭いをぷんぷん撒き散らすヒンデミットの特長を存分にかき出している。冗長な緩徐楽章では特徴的な起伏を付けテヌート気味の力強い音でヒンデミットとしては常套的な表現に変化をもたらし聴く者を飽きさせない。この曲の白眉たるスケルツォ楽章では奇怪な音形をはっきり際立たせ動きの面白さを聴かせる。終楽章の盛り上がりも素晴らしい。録音がよくないゆえ○にとどめておく。凝縮された熱演。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:交響曲 変ホ長調,○ストコフスキ指揮NYP(DA:CD-R)1946/12live,,すごい勢いの演奏だがやや拡散傾向がみられる。アンサンブルの乱れはしかし演奏意欲のほうが勝っているというようなかんじで、ストコのドライヴ感は健在だ。ヒンデミットらしい「座りの悪さ」がないのが長所でも短所でもあり、聴きやすさの点では長所とみるべきだろう。これをきく限り省くべきところや欠点など一つも無い傑作に聴こえる。世俗的な意味でかっこいいしひたすら面白い。ただ、録音状態がややきつい。このレーベルのほとんどの音源は市井のラジオ放送エアチェックのようだが、まだ40年代ともなると一般に普及していた録音機材にとってきちんとした録音に残すのが技術的に難しかった点は否めないだろう。途切れたり聴きにくくなったりする部分が散聴される。それにしてもヒンデミットの暴力性がハーモニーやコード進行ではなく「構造」にあると決め、そこで全てをぶちまけて語ろうというやり方はじつにわかりやすい。ストコらしいオーケストラの派手な鳴らし方がヒンデミットの(日寄った)楽曲につきまとう一種渋さを排し、入り組んだ構造も「旋律の一部」と聞かせる巧みさが光る。NYP特有の音のキレの甘さも、ドイツ的な加重を伴う音を多用するヒンデミットのこのての作品には別におかしくなく聞こえる。高弦の天国的な刻みに重なるホルンの咆哮などマーラー的な響きで腹の底から楽しめる。最後は盛り上がります。長くて疲れる人もいるかもしれないけど。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:交響曲 変ホ長調,◎バーンスタイン指揮NYP(sony)1967/3/7・CD,,日和ったヒンデミットの抽象作品の代表作ということになるだろうが、ウェバ変や世界の調和SYMあたりが好きな向きにはお勧めの律動的快楽作品であり、利点も弱点もそれら作品に通じるものがある。それらを長大に交響曲形式にまとめただけと言ってもいいだろう。緩徐楽章はぱっとしないが終楽章はウェバ変終楽章と同じ軍隊調の行進曲で終始ハイテンション(起伏が無い)、ここではバンスタの面目躍如でドンチャン終わる。バンスタNYPの組み合わせならではの硬質な娯楽的演奏で欧州オケとのタッグのように変なケレン味が無い。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:交響曲 変ホ長調,○バーンスタイン指揮NYP(vibrato:CD-R)1967/3/11live,,録音がチープ過ぎる。三楽章などテープ撚れが酷い箇所がある。それでも終演後のブラヴォを聴くにこれは確かに魅力的な演奏であったらしい。どの演奏でもそうなのだが前半楽章は即物的で感情の入る隙がない。三楽章にきて暴力的な律動がヒンデミットの本質を揺り起こし、四楽章で解釈の評価が決まると言ったら言い過ぎだろうか。バンスタのこのライブも三楽章から耳を惹きはじめ四楽章では壮麗なフィナーレへ向けて激しいアンサンブルが繰り広げられる。らしさ、でいくとこの四楽章もどんづまりのロマンティックな盛り上がりだろう。何はともあれ、録音ひどすぎる。○にしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:交響曲 変ホ長調,ケーゲル ドレスデン・フィル
ヒンデミット:交響的舞曲,○シュミット・イッセルシュテット指揮NDR交響楽団(EMI)1970/6/8live,,浮き立つような感興はないが手堅いというかかっちりした演奏で適度に盛り上がりもあり面白く聞ける。音がとにかくいいのでこの指揮者好きは必聴。曲もヒンデミットの中ではわかりやすすぎるくらいわかりやすいのでおすすめ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:交響的舞曲,○フリッチャイ指揮ベルリンRIAS交響楽団(DG)1950/10フリッチャイが振るとRIASは実に集中し持てる以上の力を発揮するように思える。この曲はブラスや木管は吹きっぱなしで弦はひたすらがしがしうねうねと「ヒンデミット音階」を刻み続ける(いや、この曲だけじゃないが)。そのせいか弦は崩壊しやすいし管は息切れしやすい(打楽器は面白いのでは?)。そこを(言い方は悪いが)手を抜く所は抜きここぞというところは全力で奏でる、そのメリハリがよく効いているのだ。音符が多く目の詰まった曲ゆえ、指揮者がある程度整理整頓して聞かせる必要があると思うが、そのあたりの手綱さばきが巧い。ヒンデミットがわかりやすい路線に転じる端緒の時期(スイス移住直前)のものであり、晴朗なひびきと不規則なリズムによりモダニズムとロマン派の折衷点をとらえた作品である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:交響的舞曲,作曲家指揮ベルリン・フィル 1954
ヒンデミット:今日のニュース序曲,◯フレイタス・ブランコ指揮ポルトガル国立交響楽団(strauss)1961/11/25live・CD,,忙しない新古典主義の曲だがオケはきちっと応えている。意外なほどしっかり弾けていて、求心力のある指揮者だなあと思う。序曲だけなのでわずか7分程度だけれども、フレイタス・ブランコのドイツ曲もなかなかいける。◯。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:小室内音楽第2番,ORTF デュフレーヌ(fl)
ヒンデミット:室内音楽第3番(チェロ協奏曲),◎パルム(Vc)ブール指揮バーデン・バーデン南西ドイツ交響楽団(WERGO)LP短い曲だがピリリと辛い。バロックふうのガチガチの作品であるが、チェロが前面に立つから尚更擬古典的な面が強調される。唯一の金管楽器、トランペットソロの高らかな響きもじつに古典風。でも中身は無調であるところが面白い。当然のことながらソロ同志の絡み合いが多いが、この演奏では細かくヴィブラートをかけるヴァイオリンが耳を惹く(チェロも負けずに痙攣ヴィブラートをかけたりする)。緩徐部からアレグロ部へかけて徐々に律動だけで組み上がってゆくアンサンブルが非常に格好がよく、チェロの猛然とした速弾きにもとても惹かれる。こういう硬派な作品は後年あまり聞かれなくなるが、20年代のヒンデミットの真骨頂だろう。ふたたび緩徐部になると2楽器の線的な絡み合いが主流となり、無調的なひびきはシェーンベルクらの同時代人であったことを改めて意識させる。やがて速いフレーズが織り交ざりはじめ、寸断のあとチェロの壮烈な旋律?が流れだすと木管ソロが絡み出す。さほどの盛り上がりも無くペットソロの迎えるエンディングに至る。こういう緊密で現代的な演奏で聞くと爽快だ。名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:室内音楽第4番(ヴァイオリン協奏曲),ライバー(Vn)スウォボダ指揮ウィンテルトゥール交響楽団(WESTMINSTER)LPヒンデミットのこのての曲はまず弾く気が起きないたぐいの頭でっかちさがあるが、聴く側に徹してみれば純粋に律動だけを楽しむという方法はある。独特の無調的な音線がえんえんと紡がれていく中でバロック的な機械的走句が絡んでいくさまは「わかって」聴くと結構面白い。この盤は時折プレミアが付いたりしているようだが、特に集中力が高いとか、抒情的な面が強調され聴き易いといったものではない。無印としておくが、やり方によっては面白い演奏になりうる要素はある。それにしても多産家ヒンデミットの豊穣はミヨーのそれに通じるものがあるなあ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:室内音楽第5番(ヴィオラ協奏曲)〜V、W,作曲家(Va)マルコ指揮デンマーク放送交響楽団(DANACORD)1933/10/19LIVE・LPこの時期(昭和初期まで)のヒンデミットの作品は異様に難しくて苦手ではある。この室内音楽は6番まで集中的に作られた。とくにヴァイオリンよりヴィオラを得意としたヒンデミットだけあって、ヴィオラ独奏と小管弦楽のためのこの曲の演奏では、いくぶん発音が浅いものの、ライヴにも関わらず実に技巧的に高度なところを見せていて面白い。けっしてヴィルトーゾではないけれども、流石自作、半音階的で晦渋な曲の聞かせ所のツボをおさえた演奏を行っている。3、4楽章と書いた(クレジットではそうなっている)がほんらい3楽章制の曲である。他演を知らないので詳細は不明(すいません)。短い曲だが、短くなければ聞いてられない気もする。まあ、この盤のように5分くらいで済ませてくれれば大満足。いちおう無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:吹奏楽のための交響曲(1951),作曲家指揮バイエルン放送SO1959/10/8,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:吹奏楽のための交響曲(1951),作曲家指揮フィルハーモニアO,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:葬送音楽,ライボールド O ヒンデミット 1939/4/21
ヒンデミット:無伴奏ヴィオラ・ソナタ第1番,作曲家(VA)1934/1/23
ヒンデミット:無伴奏チェロ・ソナタ,グートマン(Vc)(MELODIYA)魅力薄・・。ヒンデミットのこのテの作品はひたすら頭でっかちで、指先だけ異常に回る事を要求される。5楽章からなるが漫然と聞くと何処で楽章が変わるのかわからない。魅力的な旋律もなければ目を剥くような斬新さもなく、まあ、よく弾くよなあ・・と独奏者に感心するくらい。独奏者も個性的な奏者とは言えない名匠タイプだから尚更つまらない。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:無伴奏チェロ・ソナタop.25-3,○フォイヤマン(Vc)(COLUMBIA)1934/1/27,,SP音源。極めて短い5楽章からなり全部でも8分程度、ほぼ連続して聴きとおすことができる。楽章分けにはそれほど大きな意味はなさそうだ。演奏的には現代のレベルからすると音程感などやや不確かなところがあり、録音由来かもしれないが、前衛時代のヒンデミットらしい音の鋭さが欲しいと思うところもある。まあ、私はあまりいい曲とは思わないので、これくらいしか言うことがない。古風な前衛好きなら。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ヒンデミット:木管楽器・ハープと管弦楽のための協奏曲,◎ベーム指揮ウィーン・フィル他(IMD)1970ルツェルン音楽祭LIVEじつはこの曲知らなかった。が、ヒンデミットの戦後の作品ということで、平易な作風を期待できるかなと思って聴いてみる。曲はおしなべてシンフォニア・セレーナのように清新な響きに満ちており、非常に清々しい聴感だ。ヒンデミット特有の半音階的な表現も織り交ざるが、やはりヒンデミット晩年の平易さが感じられ、個人的には好きな感じだ。そしてここで特徴的なのがハープと独奏木管楽器のアンサンブルである。ハープととくにフルートの絡み合いは曲にアルカイックな雰囲気をあたえ、夢幻的な調子がD、Gおよびフランス六人組の音楽を否が応でも想起する。いかにも狙って書かれているのは明白、だがちょっと晦渋なヒンデミット作品にこのような場違いでは有るがフランス的な美しさをもつ曲想がからむと、最強!混合する20世紀音楽のひとつの成果だ。元祖はドビュッシーであろうか、ミヨーを思わせる曲想でもある。このアンサンブルは全楽章で聞けるので、注意して聞いてみるとよい。とにかく、なかなかいいのだ。ちょっと構築性に欠け思うがままに書いたような感じもする曲だが、ご興味があればぜひ聴いて頂きたい。この演奏は奏者がみな達者で、最高と言ってもいい仕上がりだ。拍手は比較的穏かだが、もっとブラヴォを叫んでもいい感じだ。ヒンデミットはいろいろな音楽の素材を引用して曲作りをすることがあるが、3曲目のクラリネットによる主題提示を聴いて驚いた。若干錯綜した響きの底で、皮肉っぽく歌われる旋律は、あの「結婚行進曲」!作曲経緯が調べきらなかったので、どうしてここに(主部の曲想と比較してもあきらかに特異だ)引用されたのかわからないが、面白い発見である。結婚行進曲以外の楽想はヒンデミット特有の押しの強い旋律とやや調性感の薄い響きに溢れていて、時折ハープと木管の室内楽が典雅な響きを添えている。その中での「結婚行進曲」はやはりちょっと浮いている感じがする。ヒンデミットお得意の変な変奏も、もはや変奏に聞こえなかったりして、面白い。ヒンデミットらしいあっさりとした終わりかたは賛否あろうが、私は好きだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ヒンデミット:ピアノ、ハープ、管楽器のための協奏曲「コンサート・ミュージック」OP.49,作曲家指揮ベルリン・フィル、アース1957/8/17&19&21