-2019/1/9(1/18修正)gewshwin
ガーシュイン:「アイ・ガット・リズム」変奏曲,○ペナリオ(P)シェリー・マン(ドラム)ラス・チーヴァース(CL)アルフレッド・ニューマン指揮ハリウッド・ボウル交響楽団(CAPITOL,東芝)ガーシュインの大規模な楽曲では一番人気の作品だろう。ドラムは原曲にはないと思うが、とにかく「ガール・クレイジー」のナンバーから作曲家自身が編み出した痛快なピアノと楽団のための作品である。ジャズ・ナンバーとしても有名な曲に基づいているけれども、ジャズ的な書法が目立ちはするものの、このようなゴージャスなオーケストレーションを施されているとやはりクラシカルな面が際立ってくる。ガーシュインの書いたシンフォニック・ジャズの最も成功した作品ではないか、と思えるくらい面白い。変奏はクラシックとジャズ各々のアレンジを交互に繰り出してくる巧みなもの。リズムの重視される(まあジャズはリズムだが)ガーシュインの曲の中でも際立ってリズム変化の効果的な楽曲であり、この演奏はそのツボを良くおさえている。明るく開放的な演奏だが、決してはみ出した演奏にはならない。だらしなくはならない。素直にメロディとリズムを楽しみましょう。「ガーシュウィン・バイ・スターライト」という題名のアルバムにふさわしいフィナーレの曲です。○。ステレオ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:「アイ・ガット・リズム」変奏曲,ワイルド(P)フィードラー指揮ボストン・ポップス(RCA)CDあっというま。古い録音に多い楽しげな雰囲気がここでは余りにあっさりと灰汁抜きされ、何も残らない。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:「アイ・ガット・リズム」変奏曲,○ワイエンベルク(P)アムステルダム・サキソフォーン四重奏団(brilliant)CD,,このガーシュインアルバムでは一番成功しているかも。ワイエンベルクも音色こそ軽くアップライトピアノのようですらあるが、柔らかいタッチで透明感を損なわないながらもパッションを破裂させテンポを煽りスウィングする。サックスがちょっと生硬な感は否めないし編曲も平板だが、ワイエンベルク全盛期を髣髴とさせる部分もあり、なかなか聴き応えがあります。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:「アイ・ガット・リズム」変奏曲,レヴァント(P)M.グールド指揮ヒズ・オーケストラ(columbia/sony)CD,,8枚組レヴァント集より。グールドとのセカンド・ラプソディは既出だがこれは聴いたことがない。レヴァントの志向が現代寄りなのか、モートン・グールドの手がかなり入っているのか、モダンな響き、流れが目立ち、ガーシュインらしからぬ中国風の響きなど、この曲名で呼ばれる「編曲」の幅広さを実感させる。早いパッセージはよいが、遅いとよたる感じがする。レヴァントにしても後期の録音だからか?モノラルなのだが、これはこのレヴァント集全般として、残響がうるさい。音のキレが悪くなり、テンポ感が悪いのかと感じさせるところもある(響きはキレイだけれど流れの作りかたは一本調子でうまくないイメージはあるが)。派手な終盤はカラフルで楽しく、しかし、これ、ガーシュインなのか?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:「アイ・ガット・リズム」変奏曲,○リットン(P)(放送)1980/1live,,ラプソディインブルーのアンコールとしてロシアで演奏されたもの。達者なソリストでガーシュインらしい世界を演出してみせている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ガーシュインメドレー(編),○ワイエンベルク(P)アムステルダム・サキソフォーン四重奏団(brilliant)CD,,落ち着いた室内楽編成の無声ガーシュウィンだがこれはこれで結構楽しい。清新だ。聞き慣れたフレーズも有名な節も、何か別物に昇華されたような、でもやっぱりガーシュウィン。ワイエンベルクも指回ってる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:キューバ序曲,〇ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(MERCURY)CD,,正真正銘ライトクラシックなわけだが、ガーシュインの晩年作といってもいい円熟期の作品で、シンフォニックジャズという理念を越えて純粋に楽しんで作られた感じが何とも(人によっては軽薄と受けとられようが)耳軽くうれしい。カリブのリズムがガーシュイン節と不可分なまでにミックスされ、手法的にはガーシュイン・ジャズの範疇からいささかも離れてはいないのだが、出世作代表作のたぐいの雰囲気とは明らかに違う。ボンゴの存在は大きい。関係性を指摘されるミヨーがやはり南米のリズムや旋律を使いながらも複雑な本質をいささかも変えなかった様相とは違って、この曲が(たとえセレブと呼ばれる階級の別荘地でしかなかったとしても)かのカリブの島々で流れていても少しもおかしくない。普遍的な魅力をもつのは天才ならではの純粋な歌心あってのものだろう。,,ハンソンは緊密でリズムもいいが堅苦しい。統制が厳しすぎて奏者が縮こまっているように聞こえる。だから手堅いのだが楽天的な楽曲の表現としては物足りない。ただ、すぐに飽きる類の旋律荷重の重い曲ゆえに逆にこういう隙のない演奏で純音楽として聴かせたほうが「長持ちする」とは思う。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ガーシュイン:キューバ序曲,○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(放送)1980/1live,,最初は余りの遅さにブラス崩壊し、最後は余りの速さに弦崩壊するというスヴェトラらしい傍若無人な演奏スタイルが反映された面白くも首をひねる演奏。しょうじき、同曲の北欧オケの録音が別にあったと思うので、そちらが聴けるならそちらで判断願いたい。これはもう、ねっとりした中間部含め奇怪すぎる。崩壊するロシアオケというのはライヴでは珍しくないものの、これは余りに崩壊しすぎている。ガーシュインの底浅さも露呈してしまう。部分部分美しい場面もあるし、ソロ楽器によってはとても聴かせるが、まあ、おまけで○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:キューバ序曲,○レヴァイン指揮ミュンヒェン・フィル(OEHMS)2001/12/30,31LIVE・CD,,ボックス単バラ共によく売れているミュンヒェンとのシリーズ。この人、けっこう爆演系の人に人気があるみたいだが、私個人的な印象としては響きは雑で開放的だけれども基本的に揺れが無くマトモな解釈をするというイメージがある。この演奏にしても気持ちのいいライト・クラシックではなくしかめっつらのクラシカル・アプローチでもなく、どちらかといえば真面目な中庸の解釈といったところだ。キューバ序曲の生臭さが嫌いな人はミュンヒェンのやや濁るも透明感がある音、勢い良い中にもドイツ的構築性が緻密な響きを造り上げるさまに興奮を覚えるかもしれない。かくいう私も実はこのような演奏は解釈的にはつまらないが面白がる気持ちを抑えられない。アンビバレンツな感覚を持たざるを得なかった。ただ、けして名演とは思えないので○としておく。ガーシュインじゃない。,-----,,TITLE: ガーシュイン作曲、「キューバ序曲」,URL: http://yurikamome.exblog.jp/2052986,BLOG NAME: yurikamomeが言いたい放題にしゃべるブログ,DATE: 06/14/2005 20:38:38, not guilty×10だそうです。M.ジャクソンです。被害者(とされる)の子供、被告人本人。みんな傷ついた。若貴兄弟にはそうなって欲しくないものです。, 今日は朝、大桟橋で本社に一度戻りまた大桟橋。あまり良い天気じゃないんだなぁ。, と思っていると山手のFさん,-----,,,-----
ガーシュイン:キューバ序曲,スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1996/9/20live・CD,,この人はガーシュインが好きだったそうだが向いてはいない。ガーシュイン特有の響きを楽しみたい人にのみこの「音響的演奏」をおすすめする。マーラーのときと同じで、とにかく間延びして遅く、音符も長く、結果和音がしっかり聞こえるから、しかもオケが比較的冷たく正確に響くオケなので、そういうのが「リズミカルで楽天的なガーシュイン最後の作品」より好きというのなら止めない。やたらうるさくがなり立てるところは往年のスベトラを思い出させるが、リズムが四角四面なのでノリが悪い。一夜のガーシュインコンサートの一曲。スベトラはソ連時代にもガーシュインライブを盤にしている。どちらかといえばそちらのほうが、らしくはある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:キューバ序曲,スヴェトラーノフ指揮ハーグ・フィル(RO)1995/11/25,26LIVE重い。最初かなりやばい。曲が進むに連れ流れ良くなってくるが、前半はテンポ感はいいものの何処か借り物のような感じで、オケがノるのに時間がかかっている。また、録音バランスがおかしい。弦が 右から聞こえるのは違和感がある。どこをどう聞いてもガーシュインではないが、メタ・クラシックでは辛うじてある。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:キューバ序曲,ボールト指揮LPO(EMI/warner),,野暮ったいガーシュインと言えばそれまでなのだが、まっとうなオケ作品として真面目にやっているし、オケは本気だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:キューバ序曲(グレイグ・マックリッチー編),○ペナリオ(P)アルフレッド・ニューマン指揮ハリウッド・ボウル交響楽団(CAPITOL,東芝)ステレオだが私のLPは赤ビニールのやつで音飛びや音質低下が気になる・・・。しかもそのしょっぱなの曲「キューバ序曲」・・・ここまでアレンジしちゃったらもう違う曲ですよ(笑)華やかすぎる。でもまあ、その派手さゆえに、単なるムード音楽にならずに済んだとも言える。違うな違うなと思いながらもその楽しさ、品の良いノリに肩が揺れる。ヴァイオリンのポルタメントも多用されているわりにしつこくならないのが印象的。音色が爽やかなせいだろう。垢抜けたカラッと乾いた南国の雰囲気が横溢する面白い曲(編曲)です。○。テーマさえ原曲のものを使っていれば、あとはなんでもありなのかな、この時代は。ピアノ小協奏曲ふうに改作されたそのソリストであるペナリオは高く乾いた音でそれほど自己主張無しにぱらぱら弾いて見せている。印象には残らない。こういう曲こそペナリオの真骨頂になるはずなんですけど、ま、編曲のせいでしょうか。原曲を知っている人が聴くべき盤です、原曲のもっと旋律的で素朴でセミ・クラシック的な品のいい音楽にまずは触れてみてください。スラットキンあたりの演奏が丁度いい感じです。ステレオ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:キューバ序曲(サックスアンサンブル編曲),○アムステルダム・サキソフォーン四重奏団(brilliant)CD,,超絶技巧だがいかんせんクラシカルだ。音は透明でリズムは四角四面、テンポも安定しすぎており地味さは否めない。悪くは無いし、アンサンブル的には特殊な面白みはあるのだが、基本的にガーシュイン晩年作品のカリブ的な楽しみは無い。丸にはしておく。,,"Gershwin : Rhaps In Blue ", Cuban OV , etc / Wayenberg ," Amsterdam Sax Q",-----,,,-----,,,-----,,
ガーシュイン:セカンド・ラプソディ(1931),○作曲家指揮・P(動画配信),,詳細不明。,,驚いた。これはよくノイズを取り除いている。以前ガーシュイン選集(history)で自作自演が集大成された時、おそらく同じ音源が収録されていた。こんなにきれいではなかったよ。そちらではリハ音源となっていて、かなりルーズなオケ伴奏だった(注:youtubeのコメント欄には1931/6NBCスタジオ(NY)のリハーサル、プライヴェート録音に言及されているがhistory収録のものと同一と思われる)。こちらも似たようなものだが、音が抜群に良いので、クラシカルな方向性をジャズに引き戻すガーシュインの「クセ」が自然に出ている。もちろん自作自演が最高なわけはありません。YouTubeには新しい録音も沢山ありますよ。,,,"",https://youtu.be/dVtbCFoDc9c,-----,,,-----,,,-----,
ガーシュイン:セカンド・ラプソディ(1931),作曲家指揮管弦楽団(HISTORY)1929/2/4・CD 非常に貴重な録音で驚愕の発掘である。これは公開演奏の通しリハの記録だそうだ。そのためか音が篭りまくっていてとにかく聞きづらい。ピッチも低い感じがして違和感しきり。オケの演奏も散漫でしばらく流れがつかめないほどだ。このソロ・ピアノはガーシュインではなさそう。やっとノってきたというところでふと思った。あれ、アレンジが違うぞ・・・。作曲家自身が校定したのかどうか定かではないが、楽器の重ね方やフレーズの処理、表情記号については今聞かれるものと違うみたいだ。録音のせいでしばしば聞こえなくなる旋律線を一生懸命追っていると、とても一本調子で下手な棒だな、という印象。ガーシュインは指揮は下手だったのか。折角仕掛けた様々なフレーズの妙味が生かされていない。曲の後半で律動的な旋律がプロコフィエフ的なオクターブ下降を行う展開を私は偏愛しているのだが、そのあたりではまあまあまとまってきている。レヴァントの直線的な演奏スタイルを思い出したが、あれほど引き締まってはいない。まあ、総じて歴史的記録として留めておくべきもの。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:セカンド・ラプソディ(1931),作曲家指揮管弦楽団・P(MusicMasters,HISTORY)1931/6/26REHEARSAL PERFORMANCE,同上?,これを放送本番演奏と書いている人もいるがリハ記録。なぜそう思うかというとオケがどうも本気ぽくない。弱いし、音がだらけているかんじがする。とにかく精細に欠ける演奏で、録音が悪いのも敗因か。いずれこれが本番記録というわけはないだろう。オケ×だが希少録音ゆえ無印としておく。うーん、なんとも。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ガーシュイン:セカンド・ラプソディ(1931),◎シーゲル(P)スラットキン指揮セント・ルイス交響楽団(VOX)私がガーシュインをクラシック音楽家として初めて意識したのがこの”ピアノ協奏曲風作品”であり、(「パリのアメリカ人」を彷彿とする)喧騒の主題が展開した副旋律(リズミカルな伴奏音形にのって夢見るようにかろやかに謡われる)はガーシュインのクラシック中では一番好きな旋律だ。ブリッジ構造の中間を謡い尽くす緩徐主題(まさにガーシュイン・アリア)の直後で、小太鼓のリズムに乗って勇壮に再現されていくところは、転調にあきらかなプロコフィエフの影響がみられるものの、秀逸。ここだけでも当時脂の乗り切っていたガーシュイン自身をして「これまでの自分の交響的作品中もっとも優れている」といわしめたのがうなづける。ガーシュインをソングライターあるいはめまぐるしい旋律の連環を聞かせる作曲家と考えていた聴衆の半数はしかし、長いわりに主題が二つしかなく、しかも変奏曲としてみるにはいささか平板でお定まりの音色変化や他のクラシカル・ミュージックからの剽窃的表現に終始する、などといって余り評価しなかった。ハードカバーの評伝「アメリカン・ラプソディ」では多少好意的だったように思うが、どこかへいってしまったので(すいません)引用できないのは口惜しい。クレルマンの「ガーシュイン」ではあきらかにそういった意味のマイナス評価がくだされている。でも、たとえばラプソディ・イン・ブルーやハ調のピアノ協奏曲に感じる、大管弦楽におけるガーシュイン・ミュージックの「座りの悪さ」が、このハナから大管弦楽で演奏されるよう企画された曲には殆ど感じられず、特にここに挙げたスラトキンの廉価盤など、ピアノ独奏以外の部分がじつに明るく透明なニュアンスに富んで耳を惹き止まず、立派な近代クラシックとしての「まとまり」を強く感じさせる。作曲家はこの曲を「ピアノ独奏とオーケストラのための曲」ではなく「ピアノを伴ったオーケストラのための曲」とした。其の点を良く意識した演奏だけが真価を探り当てることができるのだろうか。ガーシュインが自ずより巧いと評価したレヴァント盤の即物的表現(オケも恐らく版が違うのか手を入れられていて、編成が細く生彩に欠ける)はあくまでピアノ独奏をきわだたせるような演奏だ。この力強いだけの演奏を聴く限りでは、クレルマンや同時代の評論家のいう”素材に対して長すぎる音楽”という表現は当てはまる気もする。・・・要は演奏なのだ。ちょっと目を転じこれをロシア音楽として捕らえた場合、 14分前後はけして長くはない。トスカニーニをへてクーセヴィツキーにまわった初演権は日をあけずに翌年早々ボストンとニューヨークで披露された。作曲家独奏による。ちなみに作曲家は今までの例にならい、完成前に独自のオケをやとって試演したものをNBCに録音しているが現在一般にきくことはできない。はじめに言ったとおり評価は二分され再演機会は殆どなくなってしまったのだが、スラトキンの引き締まり徒にジャズ・ラインを取り入れない真摯な棒は、この曲がガーシュインの管弦楽曲にしてはかなり凝った音響を目していると再認識させるに十分だ。パリのアメリカ人に比べれば水をあけざるをえないが、秀作といっていいだろう。もともと映画「デリーシャス」の素材を流用したものである。作曲家が一時期呼んでいた「マンハッタン・ラプソディ」の名を、個人的には凄く気に入っている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:セカンド・ラプソディ(1931),○ペナリオ(P)アルフレッド・ニューマン指揮ハリウッド・ボウル交響楽団(CAPITOL,東芝)この曲が目新しくて買った盤だが、ビニル盤ゆえ音が飛びすぎ。うーん、飛んでなかったら、と考えると非常に凝縮され流れ良く引き締まった、でもとびきりごきげんな演奏だったように思う。ライナーには編曲は施していないように書いてあるが、おそらくオーケストレーションも構成も手を加えていると思われる。そのため違和感が無いわけではなく、編成も小さすぎる気もする。だが小さいがゆえに集中力の高い演奏になったことも確かで、物語的なドラマティックな起伏よりも心地良い流れや激しいリズム表現を主眼に置いたような演奏ぶりは印象的だ。緩急の緩が欲しい人もいるかもしれない。寧ろ即物的なレヴァントのスタイルに近いかもしれない。勿論ペナリオはレヴァントより腕は落ちるが、何かイイ香りがする要素があり、侮れない。都会の憂愁よりも精力的な生活の活写といったイメージで作曲されたこの曲、摩天楼の建築現場でリベットを打ち込むエア・ハンマーの強烈なリズムが基調となって一大音画が描かれる(岡俊雄解説より抜粋)、とても前向きな楽曲だ。だから明るくあっけらかんとやるのがいい。結局予想以上にはならなかったが、貴重なこの曲・・・キューバ序曲と並び作曲家最後の純然たるクラシカル・ミュージックの巧緻な筆致を堪能するには十二分です。○。ステレオ。・・・でもこの曲は元々のオーケストレーションが素晴らしいので原曲でやってほしかったな、やっぱり。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:セカンド・ラプソディ(1931),レヴァント(P)モートン・グールド&彼のオーケストラ(SONY) シーゲル盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:セカンド・ラプソディ(二台ピアノ編曲),ノック、ヘラビー(P)(動画配信),,名作ですね。もともとは別の実用的な表題を持つ作品(映画はyoutubeで見ることが可能)だったのを、ラプソディインブルーのセカンド、ということで打ち出した、よりクラシカルに洗練された音楽。それをピアノ二台で演奏する珍しい映像がありました。こういう形態も昔はよくあったと思います。同時代者レヴァントのような無味乾燥な演奏をする人は稀。YouTubeでもすぐれた演奏楽しい演奏、スタイルをさまざまに聴けますのでまずはここからご覧ください。管弦楽では後半でスネアに先導され行進曲ふうになったところで、プロコフィエフ風の跳躍をするところがだいすきだ。気分転換のためアメリカ音楽回帰。,,,"https://youtu.be/ovK1k9Ye_OY",-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,◎オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCORA,ARTE)1958/5/28ロシアLIVE ブラス陣のすばらしい表現が光る。中間部の後半で「そろそろいくか!」と言わんばかりのペットがジャズふうにリズムを崩し始めてからはもうこのオケにしかなしえない名人芸で、「どうだ、これがアメリカだ!」とでもいわんばかりの雄弁さがある。スベトラの野暮な演奏とは天地の差だ。弦も最初から唸りをあげるような強靭な合奏を聞かせている。これだけノりまくっているのに合奏が崩れないのは驚異的だ。このころの脂ののりきったオーマンディの技術の勝利である。軽音楽に落ちないウィットに富んだ語り口も絶妙。大盛り上がりの末、やっぱりブラボーが飛ぶ。名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,◎ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(AMIGA,ETERNA他)モノラルのLPも出ていたのだが、これはステレオでけっこう新しい録音だから、ひょっとすると別物かもしれない。この演奏を聴きながら、「あの」ケーゲルがスウィングするさまを聞いてああ、この人はガーシュインが好きだったんだな、と思った。ちょっと立派すぎるけど、意外と楽しそうだ。かなりジャズを意識しており、調子っ外れなラッパやリズムのずらしなど、音の明るさや純度はケーゲル流でありながらしっかり軽やかにやりのけている。ラウ゛ェルでも驚かされたが、聴くものを飽きさせない仕掛けに溢れた解釈の巧緻さに感嘆する。静かな場面の美しさったらなく、明らかに印象派的な響きを意識した丁寧な仕事ぶりはケーゲルならでは。芸術的要素と娯楽的要素の高度な融合は他の東側指揮者とは一線を画したものになっている。結構「解釈された」長丁場だが、飽きないで最後まで楽しめます。◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,○コンドラシン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ(PHILIPS)1978/6/17LIVEなかなか聞かせる。これは素直に「交響詩」として聞こう。軽音楽として聴くならフィードラーあたりにあたること。リズム感が野暮ではあるが、クラシック的には十分引き締まった演奏と言うことが出来る。ロシア人でここまでできれば凄いものだ。中間の静寂の場面でしっかり印象派的な空気を漂わせるところなどなかなかやるもんだ(でも甘く感傷的な雰囲気はゼロなわけだが)。特筆すべき演奏といえる。スタンダード、と言ってもいいかもしれない。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,○ジョン・ワルサー指揮コンサート・ホール交響楽団(CONCERTHALL/MMS)LP,,ガーシュインのまとまった管弦楽曲ではダントツに面白い曲で、他人の手が(ほとんど?)入っていないからこそ独自の夜の色彩感と濃厚な感傷の煽られる旋律がいっそう生で感じられる。かなり感情的起伏が大きくジャジーな奏法への理解もある、かつスケール感ある指揮ぶりゆえ、恐らくユルゲン・ワルターではないとは思うが、アメリカの職人どころの中堅の指揮者だろう。血のメリット。オケは弦楽器がなつかしくイイばらけかたをしていてザッツ・ハリウッド!だがブラスしょっちゅうコケている。しかしイイ。クライマックスなんて崩れるのもいとわずルバートつけまくり。懐かしくて感動します。瑕疵引いて○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,○シルクレット指揮ビクター交響楽団、作曲家(P、チェレスタ)(PEARL/HISTORY)1929/2/4・CD イイ時代のイイ音色が聞ける演奏だ。廉価セットのヒストリー盤ではガーシュイン指揮とあるがパールのライナーのほうが正しいと思われる。ガーシュインは非常に正確にクラシック的に演奏しているが、時代の空気が懐かしい雰囲気を盛り上げて程よい調子、これこそほんとのジャズとクラシックの融合シンフォニック・ジャズだ。中間部の印象派風の情景がとても美しい。澄み切った美しさではなく、生ぬるい美しさ、都会の酒場の紫煙くゆるる情緒。古きよきアメリカを感覚的に捉えるにはとても向いている。音が浅いのは録音のせいだろうが、録音年代からするとよく音を捉えられているほうだろう。それにしても木琴は非常に勘所を捕らえたシャープな演奏になっているが、ほんとにガーシュインが弾いたのだろうか。だとしたらガーシュインの天才性を改めて認識させられるところだ。音的にやや辛いが作曲家の参加した演奏としての希少性を鑑みて○をつけておきます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)1980/1/16LIVEなんだこりゃ。こんなに違和感があるとは思わなかった。スヴェトラーノフはやはりスヴェトラーノフ流にこのアメリカ音楽をさばいており、アメリカ流に演奏するつもりはさらさらないようだ。とくに最初、あまりにぎくしゃくとしていて、ハナから滑稽なリズムパターンでノリノリといく曲のはずなのに、テンポが定まらず結果としてものすごく遅くなり、統制がとれず方々でぶかぶかいっててんで形になっていない。この曲の新しい像を描き出してくれる事を期待していたのに、ちょっとこれはあまりに独創的だ(好意的に言えば、ね)。このとてつもなく野暮な感じ、ある意味貴重である。ライヴであることを勘案しても、ちょっと奇演としか言いようがない。緩徐部くらい綺麗に響かせるかと思ったら、ロシア流の演奏者たちがみんな我流で・・・,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,○スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1996/9/20live・CD,,ガーシュインのクラシック畑における最高傑作であり、これを聴いたかラヴェルやストラヴィンスキーが弟子入りを拒否したのも当然であり、まったく単純にして独自の極地というべきものである。アメリカ音楽をブラームス・ドヴォルザークの呪縛から軽々と解き放った、技法的にはコードとリズムと特殊楽器の導入にすぎないとしても、旋律の素晴らしさが加わるとこうなる。移民が多く戦乱起因のものも含むコスモポリタンなこの時代、ただでさえ母国の音楽を持ち込み留学先の音楽を持ち込みが繰り返されるなか、ガーシュインもロシア系ではあるのだがロシア音楽などまったく関係のないジャズという、アメリカで生まれた黒人音楽を素地とした作品を作りあげた、アイヴズもそういうことをしていたけれども、短いながらも醸成されていたそういう文化をクラシックに持ち込み、しかも国民楽派の保守的態度を真似ず、アメリカに拘泥することなくパリの街角のクラクションを鳴らす。スベトラもまたコスモポリタンだった。コスモポリタンとはほど遠い位置から、自国の作品にこだわらず積極的に多くの国の作品を取り上げ、ソ連崩壊後は各国のオケを振ってまわった・・・節操ないくらい。作品が語ってくれるからあとは美しく楽しく響かせればいい。最後だけ、異常に伸ばしてクレッシェンドさせてくれさえすれば。スベトラと曲のシンクロを感じ、ソリストの上手さを堪能し、このライブ一番の演目であったことを確認した。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,○タッキーノ(P)不明,,音質より恐らく正規音源によるものだがweb配信のデータでは不詳。ブラスのあからさまな瑕疵があることから放送ライブか。クラシック音楽スタイルながらもきっちりジャズ風を吹かせ、楽しさと理知性のバランスをとっている。同時代のクラシック楽壇によく学んでいるなあ、と細部の響や動きを楽しめる精度。そういう現代的なスタイルだからこそライブ感はなく、凡百感もあるが、日常に楽しむには十分。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(ARKADIA)1943/11/14カーネギーホールLIVE・CD楽しげです。録音はちょっと悪いけど、トスカニーニとは思えない自由さというか、リラックスした感じがある。オケの音色もいい。古き良きセピア色の音、でも決してダレダレではない、締めるとこ締めている。緩徐部がダレ気味になりがちなガーシュインの曲でも、トスカニーニにかかれば一定の緊張感とスピードが保たれるため、飽きがこない。○。それにしてもトスカニーニに似合わない曲・・・。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(RCA,BMG)1945/5/18・CD ガーシュインの代表作。あれ、ラプソディー・イン・ブルーは?と言われてもあれはグローフェが編曲したものだから、クラシックの管弦楽曲としてはこの曲が文句無し一番でしょう。渋滞する車のクラクションもクラシカルな視点からすればゲンダイオンガクの不協和音。20世紀的なもの同志の幸福な出会いがここにはある。トスカニーニは律義だが決して萎縮していない。楽しげではないが心は浮き立ってくる。完成度の高い演奏というものはとくに特徴がなくても何度も何度も聞けるものだが、この演奏はそのたぐいのものだ。私はガーシュインの憂愁が苦手で、中間部のうらぶれた雰囲気は余り好きではないのだが、この引き締まった演奏で聞くととても爽やかで聴き易い。遊び心を求めると失望するが、ゲイジュツオンガクを求めると満足できるたぐいのもの、と言えばいいだろうか。○。大戦末期の演奏としても特筆すべき録音だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,○バーンスタイン指揮RCAビクター交響楽団(SYMPOSIUM)1947・CD冒頭少し乱れるが、いかにもこの時代の演奏という感じで前のめりの速いテンポが維持され、後年の独特の伸縮は聞かれない。力強い表現で古い録音というハンデをものともしない、生まじめだがスマートでかっこいい。ジャズふうの弾き崩しは殆ど無いが、とても生き生きしていていい感じだ。これほどマジメなのに楽しい。バンスタの偉大な才能ゆえか。ちょっとアレンジしているよう。シンポジウムゆえ録音は劣悪。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,◎フィードラー指揮ボストン・ポップス(RCA VICTOR)うまい!流石フィードラーというところ。時にボストンのソリストが固すぎたりもするが、このくらいなら許容範囲だ。静かな場面の意外に精妙な響きは、ガーシュウィンが印象派の影響を受けたと言われるのがよくわかる。雰囲気作りの巧い指揮者、ガーシュウィンの自作自演盤よりもガーシュウィンっぽい。これはクラシック専門指揮者にはできない芸当だ。メタ・クラシックのとびきり楽しい音楽に胸躍らせよう。名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,○フェリックス・スラットキン指揮ハリウッドボウル管弦楽団ペナリオ?(P)(EMI),,親父スラトキンさんの録音としては比較的よく見るもので、最初はかなり楽しめる。だが何度か聞くうちに、この人にしてはいささかこなれていない部分が散見されることに気が付く。解釈の綾(主としてテンポ変化)が時々非常に人工的なのだ。これはデュナーミク変化とうまくシンクロしていないという単純な言い方もできる。もちろんバンド的な演奏ではなくクラシカルなフォームを保った演奏であり、そのせいもあろう。緊密でリズミカルなのはハリウッド四重奏団のころを彷彿とさせる。意外だが響きががっしりしており(速度は保たれる)、そのせいで曲のいわゆる「ライトクラシック」系の魅力と齟齬を生じていると言えるかもしれない。とりあえず私は最初は面白かったが、次第に楽しめなくなった。後半イマイチかも。○。,,私のLPはジャケットはホワイトマンとなっているが中身がフェリックスとなっている(泣,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,◎ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィル(NYP/ASdisc)1944/10/1live鄙びた音だがそこがまたよい。ロジンスキの情感のこもった解釈はニューヨーク・フィルを存分に歌わせて、なかなか聞きごたえのある演奏にさせている。いたずらにポルタメントをかけさせることもしないし、必然性の無い伸び縮みはしないのはロジンスキ流儀。このスウィング、クラシカル・ミュージックの表現ではもはやないかもしれないが、これはそういう音楽。ただ音の楽しさに心浮き立たせよう。名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:パリのアメリカ人,クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団(columbia/erato/warner)1949/2/15-16シャンゼリゼ劇場・CD,,SP期の珍しいセッション録音で、しかもガーシュインのこの曲というのはかなり少なかったのではないか。パリのアメリカ人と言いながらパリで録音されるのはグローフェのオーケストレーションに更に編曲を加えた「ジャズ版」ラプソディ・イン・ブルーくらいで、一応、ガーシュイン単独の管弦楽曲としては、何の素材を流用した、あるいはする前提にせよ円熟期の代表作として「クラシック音楽として」纏められた作品で木琴を叩いた(これが上手いのだがほんとだろうか)自作自演もあるくらいで、個人的にもジャズ・クラシックの金字塔と思っているくらいだから、車のクラクションなどすでにサティで飽き飽きしていたパリの聴衆に受けなかったのかどうかわからないが、やっと戦後に、しかもこの後もあまり演奏されていないのは不思議なものである。パリを揶揄している側面もあるからだろうか。評論家ドビュッシーにしても案外と音楽そのものより背景を重んじる芸術の都である。前置きが長くなったが、アメリカ人はドビュッシイズムの影響下に現代音詩というものをわりと多く書いている。これもその範疇に入れられるだろう、即物的表現より感傷的な響きと何より旋律の美しさ、それらの構成の明瞭さが際立っており、どの作曲家のものより優れて耳に残るし、悪口を書くのも難しい。ジャズとクラシックの融合(併合)をはかったポール・ホワイトマンからはすでに遠く離れた「ガーシュイン」という音楽ジャンルになっている。ミヨーがフィードラーに強いられて書いた凡作「ニューヨークのフランス人」を見ても、ミヨー自身ヨーロッパに帰ってジャズをクラシックにも取り込みうるイディオムを持つものとしていち早く作品化した先駆者だっただけに、長年かかって世界戦争二度も終わってまだ、クリュイタンスにしか許されなかったのかという…つまりは著作権的なものやレコード会社の都合もあったということか…録音事情に、ミヨーがそんな感じになってしまっていたのも仕方ないかとは思う。とまれ、これはけして状態はよくないが、従来通りブラスセクションにはジャズふうの奏法を取り入れているところもあるけれども、クリュイタンスらしくあくまでクラシック音楽として整え、血気盛んな(?)オケを上手にさばきながら、今にも通用するレベルのガーシュインにまとめてきている。根本がジャズであることを下品な響きで強調したり、スコアの再現を精緻に行って却って旋律音楽の底浅さを炙り出してしまったりなどしない。うまいところで「寸止め」している。時代としてはよくやってくれたという気はする。すくなくとも、このまだ懐かしい響きを残したオケで。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:パリのアメリカ人抜粋,バーンスタイン指揮NYP(unitel)1958/2/1放送 ヤング・ピープルズ・コンサートlive・BD,,「アメリカ音楽ってなに?」の冒頭で中間部から最後まで演奏された。大仰でラフな演奏だけれどガーシュインはこのほうが「らしい」かもしれない。ソロ楽器はさすが巧み。バーンスタインの身振りは千両役者。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲,〇リスト(P)ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(MERCURY)CD,,超即物的な演奏で、まったく一直線に感情のなめらかな動きは一切なくただドライに高速で突き進む(ピアニストも同じだ)。あまりにきっちりしすぎており、反してオケはあまり上手くなく、正直まったく惹かれなかったのだが、全くジャズではないながらもクラシカルな趣も皆無な独特さと単純にデジタルな力強さ、クライマックスの畳み掛けるような迫力だけを買って〇としておく。ある意味大人の味わい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲,◎カッチェン(p)マントヴァーニ楽団(DECCA)CD,,迫力!興奮!これに尽きる。夢と憧れの時代の音楽!美しい。楽しい。ものすごく、速い。ジャズ人間の書いた曲はやはりジャズ流儀で映えるものなのだ。オケの大編成が寧ろ大げさに思えてくるほど。そのほかの賛辞はロジンスキ盤の項目参照。木管がジャズそのもの。ああ、この時代に生まれたかった。ものすごい力感の終楽章にも唖然。う、うますぎる。音色なんてどうでもいい、スピードとリズムと力がすべてだ。「スピード」プロコのこの言葉はかれの3番よりこのロシア系移民の長大な曲にふさわしい。長大さはスピードが前提にあるのだ、ロシアの曲が長いのは速くて解釈された演奏を前提にしてるからだよ。とにかく、これは極致の演奏。◎以外ありえない。モノラルだけど、モノラル末期はステレオなんか比べ物にならない密度の濃い音が詰め込まれているからね。ハデハデ!史上最高の派手な演奏、史上最強に集中力の高い演奏です。カッチェンはバリバリ系の弾き方をすると味はないが男らしい打鍵に胸がすくなあ。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲,カッチェン(p)ロジンスキ指揮ローマRAI管弦楽団(CDO)LIVE・CD,,いくぶん大規模でクラシカル指向な曲であるせいかラプソディよりは聴ける演奏だ、でもカッチェンは余りに堅苦しすぎる。これとマントヴァーニ楽団の演奏の違いにまずは瞠目すべしだ。同じソリストで、こうも違うものか!ロジンスキのオケもちゃんとジャズ奏法を取り入れているのに、ノリが違いすぎる。スピードが違いすぎる。遊び(アレンジ?)が違いすぎる。すべてが娯楽的音楽のために、スポーツ的快感のためにできているようなマントヴァーニの曲作りに対して、カッチェンものびのびと、技巧を駆使してやりきっている。もちろんスタジオとライヴの差もあろうが、この曲はやはり、ジャズなのだな、とも思った。クラシカルなアプローチには、限界がある。正直この駄々長い曲をこのアプローチで聞かせるのはうまいとは思うが、飽きた。無印。ほんと面白いし巧いよマントヴァーニ!スケール感もバンド特有の狭さが録音操作でカバーされていて、スウィング、スウィング!遊び、楽しんだもの勝ち!音色どうこうはあるけれど、起伏に富んだ表現力は初心者を夢の世界へいざなうでしょう。あ、ここロジンスキ盤の項目か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲,○ソシーナ(P)A.ヤンソンス指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)LP,,冒頭の太鼓が抑制されすぎだって?ここで大見得を切るのがそんなにかっこいいか?事実この演奏はかっこいい。何がかっこいいって、ジャズにおもねることなくあくまでロシアン・シンフォニーの演奏スタイルで突き通したヤンソンス父がかっこいい。オケもかっこいい。ジャズなど眼中に無い。クラシック流儀で・・・まったく自分達のスタイルを崩さず譜面+解釈だけで・・・最後までやりきっている。ピアノも全くクラシカルで乱暴さの微塵も無い。でも、これはロシアの演奏だ。そういう理念だけのこまっしゃくれた演奏は新しいものにはいくらでもある。この演奏の凄いのはそういうクラシックの形式にはまった解釈と一糸乱れぬ統率力のもとに、奏者それぞれが力いっぱい演奏しきっていることだ。音楽の目が詰まって隙が無いのだ。型に嵌まるということがオケによってはこういう新しい効果をもたらすのか、と瞠目した。ブラスのロシア奏法だって(ヤンソンスだから抑制気味だが)あたりまえのように嵌まって聞こえる。とにかくこの演奏には血が通っている。クラシカルな人たちがよくやるようなスカスカで音符の間に風の通るような演奏ではない。こんな楽想の乏しい長ったらしい曲はジャズ「風」に崩していかないと(アレンジしていかないと)弾いちゃいられないはずなのに、彼らはこの曲を国民楽派のクラシックと同様に強いボウイングとあけすけに咆哮するブラスで楽しみまくっている。それだけなら緩徐主題をデロデロに歌いこんで瓦解していくスヴェトラの穴に落ちるところだがヤンソンス父はメリク・パシャーエフ的にきっちり引き締める指揮者だからそこでも決して緊張感を失わずに聴く耳を離さない。この人らしいところだが雑味がきわめて少なく、モノラルだし雑音は多いが私の厚盤では音にふくよかさがありデジタル変換して聴いても素晴らしく聴き応えのある低音のゆたかな音になっている。ちょっと感動しました。この曲をちゃんと聴きとおせたのは久しぶりだ。さすが20世紀音楽のロシア内における稀なる解釈者!録音マイナスで○としておくが、◎にしたい気満々。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲,◎ペチェルスキー(P)コンドラシン指揮モスクワ放送交響楽団(melodiya)LP,,ナイス攻撃性!いやコンドラシンではなくペチェルスキーのぐいぐい引っ張っていく勢いと鋼鉄のタッチ、そしてこの曲には珍しい自在なアレンジ(ジャジーでもクラシカルでもなく、ライトクラシック的、といったら最も適切か)に拍手である。録音もモノラル末期の聴きやすい安定したもの。コンドラシンは余り精彩のみられないものばかり最近は聴いていたがゆえに、ペチェルスキーと丁々発止でやりあうさまにも感銘を受けたことは事実だ。オケもノリまくっており完璧に噛み合ってこの「大協奏曲」を盛り上げている。リヒテルのような間延びしたクラシックのスケール感を目するでもなくジャズ系の人のやるようなアバウトで刹那的な快楽もあたえない、しかしガーシュインが協奏曲という題名をはからずも付けて内心望んでいたのはこういう完全に融合した境界線音楽じゃなかったのか?アレンジが冗長な曲を更に冗長にしてしまっている部分も正直あるし、違和感を感じなくも無い。しかしこれを聴いて私は今まででいちばん、「この曲そのもの」に対する座りの悪さを感じなかった。ちゃんと聴きとおせただけでも、◎を付ける価値が十分にある。いや、ほんとこの曲って難しいですよ。ジャジーにやるにしてもきちっと時系列に音符(コード)の並んだ楽譜があるだけに思いっきり崩さないことにはうまくいかない、しかしそれじゃオケ側がついていかない。必然的にオケを縮小してビッグバンド並にしなきゃならない、それが自作自演抜粋盤だったりもするわけで、それはそれで面白いんだけど、「協奏曲」と名づけられてるからにはここまで大オーケストラをバックに、クラシカルな技巧の裏づけも持って弾きまくらなきゃ。感傷やロマンは薄いかもしれないけどそんなの誰だってこのての旋律音楽でやろうとすれば煽れるものなわけで、異論封殺。◎。,-----,,,,,,,,,,,,,
ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲,ペチェルスキー(P)コンドラシン指揮モスクワ放送交響楽団(melodiya),同上,ロシア臭くもジャジーでもなく清潔なクラシカルな演奏、かといって四角四面にならないのはソリストと指揮者の腕。曲由来のメリハリのなさ色彩の偏りも気にならず引き締まって聴かせる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲,○ワイエンベルク(p)デルヴォ指揮ORTF1970/6/14live(放送日?),,明るい明るい。軽快に飛ばしていく。冗長な曲を(一貫して同じ音色ではあるが)スピードと細やかな指先でカバー。指揮者ともどもそのドライヴ感は痛快。朝から気分がいいです。ina配信,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲,○ワイエンベルク(P)プレートル指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI,DUCRET THOMSON),,ワイエンベルクは技巧派であるがプレートルの爽やかな音にのってここではクラシカルな演奏をきちっと仕上げている。音が軽いのはレーベル特有の録音によるものだと思うし、その点でジャジーな雰囲気がまったく感じられないのはいたしかたないが、brilliantで出ている若手室内吹奏団とのガーシュイン新録を聴いてもダニール・ワイエンベルグはややガーシュインにかんしては引いた演奏を行うようにしているようだ。プレートルがもともとそういう透明感を重視した引いた演奏をするというのは言うまでもないが、ただオケがけっこうアグレッシブであり終楽章のドライヴ感はなかなかのものである。ワイエンベルクもここぞとばかりに弾きまくりアレンジもものともしない(即興的な面白さのないアレンジではあるが)。スピードがあるのでたとえばスラットキンのVOX録音集成に入っているものよりは余程に魅力はあり、人にも薦められる。リヒテルのような珍妙なクラシカルさは無い。○。楽しめます。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ガーシュイン:ヘ調のピアノ協奏曲,ロイ・バーギー(P)バイダーベック(CL)ポール・ホワイトマン楽団(COLUMBIA/PEARL)1928/9/15-17,10/5・CDシンフォニック・ジャズの提唱者でガーシュインに大出世をもたらした立役者ポール・ホワイトマンの演奏である。当たり前の事だがホワイトマンはガーシュインのこの律義な協奏曲を思いっきりジャズの側に引き寄せている。目茶苦茶手が加えられており、アレンジがきつすぎて違和感しきり。薄いストリングスを全面的に管楽器で補っていて、それがまた楽曲をどんどんクラシックからかけ離している。クラシック的に言うならばホワイトマンはじつに素っ気無い指揮ぶりで、こだわりなく速いテンポでさっさと曲を進めてしまう。楽団は音色(とアレンジ)で何とか起伏を造り上げている、といった感じ。1、3楽章はとにかく速くて揺れない。思い入れとかそういったものはシンフォニック・ジャズには不要、とでも言わんばかりの指揮ぶりだ。一方、2楽章は冒頭から思いっきりジャズの音色で責めてくる。これはちょっと聞き物である。ガーシュインのアンダンテはダレるのが常道だが(ほんとか?)、ここではジャズ的な吹き崩しと「うにょーん」という音色の妙味が最後まで耳を捕らえて離さない。ジャズをよく知らない私も、これはジャズだなあ、と思うことしきりだ。決してクラシック畑の人間には出来ない芸当が聞けます。差し引きゼロということで無印。2楽章から終楽章へはアタッカで雪崩れ込むが、余りに自然でびっくりする。録音は比較的いいです。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲,ロイ・バーギー(P)ポール・ホワイトマン・コンサート・オーケストラ(naxos/youtube)1928/9/15,17、10/5(、9/5?)初録音・CD,同上,初稿による全曲初録音盤。こういうのを聴くと同曲が嫌いになるだろう。編成が無茶小さく録音バランスも悪くてピアノが浮き立ってこない。音盤として音色も再現性が低く、耳なじみ悪い。1楽章は四角四面で固くて、シンフォニックジャズってこういう枠にはめたジャズを目していたのか、と思わせる。終盤ホーンセクションに魅力的な音色が混ざりはじめ、2楽章は大活躍でもうこれはジャズ。3楽章あたりになると弦楽器もそれなりにがんばって、まとまってはくるが、正直、ガーシュインは自身のピアノ演奏を念頭に書いていたわけで、他人がやるとバックオケのつまらなさが露骨にあらわれてしまい、残念な結果になる。これはガーシュインの名手といわれた人々の同曲録音を聴いても思うことだが、体臭を感じさせるようなものが必要な曲であり、そこを離れて、ジャズのイディオムをクラシックに取り入れた音楽として、演奏家が巧く面白味を引き出せるようになるまでは、半世紀以上を要したのだ。それまではジャズとして処理すべき内容。,,"youtube",-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲,○クルト・ライマー(P)ストコフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団(SCC:CD-R)1972TV放送用録音,,クルト・ライマーは一部で著名なピアニスト兼作曲家だが、映像は自作自演の協奏曲のみでこちらは余り明瞭ではないモノラル録音のみである。ストコフスキのガーシュイン自体が珍しく、小品編曲の非正規録音しか知られていないのではないか。ストコフスキらしさは全般にわたる改変(同曲自由に改変されるのが普通でありまたソリスト意向が強いと思われる)、あくの強いソリストに付ける絶妙な手綱さばきと最後のストコフスキ・クレッシェンドにあらわれてはいるが、けしてジャズ風には流さず比較的実直な解釈をみせており(ソリストは一部ジャズ風にリズムを崩しテンポを揺らした結果オケと齟齬を生じている)、クラシック演奏のスペシャリストとして意地をみせている。,,というわけでストコフスキよりライマーの素晴らしい腕とイマジネイティブな表現を楽しむべき録音であろう。レヴァントに近い即物的なテンポでぐいぐい引っ張り、諸所楽しげな遊びを織り交ぜている。ただけして硬質の表情を崩さない。細部まで明確なタッチにもスタンスはあらわれている(事故はあるけど)。スタジオ録音のため即興性が薄まっているところもあるとは思うが、ガーシュインをあくまでクラシック側から表現したということだろう。曲がやたらと冗長で、それがそのまま出てしまったのは裏返しで仕方ないか。わりと攻撃的な演奏ではあるけれど。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ガーシュイン:ヘ調のピアノ協奏曲,○シーゲル(P)スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1996/9/20live・CD,,これは楽しめる。スラットキン盤の緩やかなテンポと透明な響き、整ったリズムを彷彿とさせるスベトラ・スウェーデンのガーシュインだが、よそよそしさを払拭するようにソリストがガーシュインらしさを発揮して、流れをいい方向に持っていっている。ソリストとオケのリズム感に齟齬を生じたような場面もあり、二楽章ではずれて感じるところもあるが、逆に二楽章が一番印象的であり、遅いテンポがリヒテル盤の鈍臭さに近いものを感じさせる三楽章、おなじくリヒテル盤と似て冒頭から重々し過ぎるも、途中からノリが俄然よくなり破裂するようなスベトラフォルテや自在なテンポ変化が驚かせる一楽章とあわせて、聴く価値はある演奏になっている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲,◎プレヴィン(P)コステラネッツ指揮彼のオーケストラ(sony)1960/3/25・CD,,同曲の(録音面も含めて)決定盤。壮年期プレヴィンのニュアンスと攻撃性に富んだ演奏が素晴らしい。タッチも確かでミスなくクラシカルな面からの評価も高くできよう。退屈な曲をこうも魅力的にやられると、やっぱり餅は餅屋ジャズはジャズ屋、セミクラシックはセミクラシック屋だなあと思う。レヴァントは指は回るけどちっともグルーヴしない。プレヴィンは指は回るし自在に手指足を操り音楽を楽しんでいる。これだけあれば一般人はいいです。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ヘ調のピアノ協奏曲,○レヴァント(P)トスカニーニ指揮NBC交響楽団(ARKADIA他)1944/3/2カーネギーホールLIVE(4/2盤と同一?)・CD,,〜レヴァントはガーシュインの友人。直截的で速い演奏をする人で、つまらないものもあるようだが、ここではトスカニーニの磨き抜かれた技に融合し、ジャズのエッセンスを吹き込んでいて、悪い録音ではあるが、なかなか聴ける演奏に仕上がった。〜レヴァントはガーシュインが認めただけあってやっぱり巧い。昔はこの人のピアノを聞くといかにも即物的でスピード出してひたすら弾きまくるだけのように感じたものだったが、そのスピードの中のニュアンスが微妙に時代の空気を伝えていて、聞き込むと味が出る(録音は悪いが)。びしっと正確な音符取りは全くジャズ的ではなく、紛れもないクラシック流儀。レヴァントはあくまで「20世紀のピアノ協奏曲」を奏でているのである。けっこうダレる長い曲だけれども、この演奏が飽きないのはその正確さと緊張感、そしてスピードゆえのことだ。速い。3楽章など出色の出来で、疾走するドライヴ感が堪らない。これを直線的でつまらない演奏と感じる向きもあるかもしれないが、元々起伏に富んだ楽想の連続ゆえ(ガーシュインの管弦楽効果も見事だ)それで十分曲の魅力を伝えるものとなっているように思うのだがいかがだろうか。バックオケもトスカニーニでなかったら雑味が多すぎてくどくなるところ、実にスマートに颯爽と振り抜けており、ガーシュイン独特の灰汁が出ずに済んでいる。レヴァントのスタイルとよくマッチした解釈表現だ。音が悪いゆえ○としておくが、この曲の演奏としては個人的にイチオシです。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲,○レヴァント(P)トスカニーニ指揮NBC交響楽団(?)1944/4/2?live,,これが3月2日ともされる既出音源と同じかどうかは議論がある。私は同じと思うのだが、いくらなんでも一月違いの同日ということはないだろうものの記録と照らし合わせ別録であれば45年ではないかという説もある。演奏は作曲家と縁深いレヴァントによるもので異様なテンポに機関銃のような弾き方は色艶に欠ける音楽を提示する。トスカニーニにいたってはまったくガーシュインをやるつもりはなく、グルーヴのカケラもないクラシカルな整え方で四角四面の表現に終始する。オススメはしないがガーシュインをクラシカルな方向から即物的にやるとこうなる、という意味では聞く価値はあるか。○。録音悪。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ヘ調のピアノ協奏曲,レヴァント(P)コステラネッツ指揮NYP(columbia/sony)1948版・CD,,これはコロムビア録音のレヴァント全集(8枚)収録のものだが初CD化か。レヴァントよりコステラネッツのしっかりクラシカルにうねる棒に分厚く応えるNYPが印象に残る。レヴァントは若干甘めの指なのはノリ、スピード(速い!)重視のスタンスによるもので、それはコステラネッツも同様、もっとも指揮の軋みがあるにせよオケには瑕疵は皆無だが、解釈自体ジャズ的な崩しやスウィングは全く入らず、いや、こんなにクラシカルな大編成では入れられないが、クラシカルな意味での予定調和的な崩しは面白く聞かせる。録音はセッションにしては良くないがこれでもレストアしていると思う。レヴァントのガーシュインとしてはトスカニーニとのライヴよりよほど楽しめる。相性は良かろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ヘ調のピアノ協奏曲,リヒテル(P)エッシェンバッハ指揮シュツットガルト放送交響楽団(VICTOR/hanssler)1993live,,指揮者は弱いものの全ての音がちゃんと発音されているからいいか。リヒテルの詩情溢れるタッチも魅力的。しかし聞きおわって、冗長で四角四面の演奏を聞いたという印象を持ってしまう。なぜか、つまらないのである。スウィングしない。リヒテルはガーシュインのようなものを好んでいたというが、ガーシュインの自作自演盤(終楽章のみ)やレヴァントのような演奏とは一線を画し、遅めのテンポにあくまで自己流の客観的な表現を載せている。ガーシュイン入門盤にはならないと思う。国内盤が回収騒ぎとなったCDだが、ヘンスラーが正規化(2010/5),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ガーシュイン:ヘ調のピアノ協奏曲,ワイルド(P)フィードラー指揮ボストン・ポップス(RCA)CDうわーワイルド激ウマ。パラパラタカタカとよおくもまあ淀み無く滑らかに爽やかに弾きやがる、高速で。これじゃ往年のガーシュイン弾きもカタナシだな、と、思ったのだが・・・なぜかつまらない。聴き進めるうちに、まあもともと冗長な曲では有るが、やはり飽きてくるのである。当たり前すぎるのだろうか。ジャズ味が足りないのだろうか。ジャズ並の編曲を加えているのに、ジャズに聞こえないから、あっけらかん。うーーーーーーーー、無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:ヘ調のピアノ協奏曲〜V(エリオット・ジャコビ編),◎作曲家(P)他(PEARL)1933/11/9ルーディ・ヴァレイ・ショー放送LIVE・CDそれほど良く回る指とは思えないのに、流れ良く音もパラパラとカッコ良く、非常に魅力的な演奏ぶり。さすがガーシュインと言うべきか。演奏的にそう巧い類のものではないのだが、どこか物凄く惹かれるところのある演奏で、思わず◎をつけてしまう。また、木琴やペットの赤銅色の音色!アンタッチャブル!て感じ(わけわからん)。とても魅力的だ。オーケストレーションは小さくスタジオ楽団向きに変えられているが、ヴァイオリンとかも薄いながらもしっかりした奏者が担当していて不足は感じない。それにしてもガーシュインは幸せになる音楽を書いたもんだなあ。ちょっと暖かい気分になる曲です。この放送ではI GOT RHYTHM変奏曲も演奏され録音が残されている。共にパール盤が初出。途中で一端音が途切れるが、恐らく録音の継ぎ目だろう,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),〇リスト(P)ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(MERCURY)CD,,曲のよさというべきか、この色彩的なオーケストレイションにジャズ的なソロの見せ場の多さが(こちらのリストは録音の明瞭さもあり細部まで聴かせる)、派手にぶちまける力技の邁進力とぎちっと纏まった堅苦しいアンサンブルぶりとあいまってミスマッチな、一種雑然とした賑やかさを醸し有無を言わせずとりあえず聴かせる魅力をはなっている。飽きるほど聴いた曲でもまだこのように楽しめるものだな、と思った。緩徐主題あたりの雰囲気も(そこまででお腹いっぱいになるような密度なのだが)いいのである。リストのクラシカルな技術も申し分ない。まあ、録音技術の勝利という感もあるが、押せ押せ演奏の最右翼として価値は認められるだろう。〇。派手にぶっぱなすブラスが耳に痛い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),○カッチェン(P)マントヴァーニ楽団(RCA)CD,,何故ジャズ・ミクスチュアー音楽というだけで大胆なアレンジが許されるのか?クラシックだってこんくらいいじってもいい。指揮者の意図がより明白に見えていいではないか。屈託無くドラマチックに煽情的に(音は普通で単調だけど)スピード感溢れる演奏を提示してみせるこの演奏は示唆的であり、自身の編曲でなかったにせよ本人の録音ですらアレンジまくりである。オケ譜だっていじられるためにとりあえず仕立てられたような乱暴さがある。やはり、オーケストレイテッド・ジャズが本来の形なのだ。ラヴェルやストラヴィンスキーがホワイトマンの招きにせよ真面目に客席でこの曲を聞いていた様子を想像するだに可笑しい。あの原典主義者たちが、である。商業音楽のありようのひとつの原型だろう。クリエイターみんなが一人の天才的メロディライターのもとに結集して「ガーシュイン」が生まれた。シンフォニック・ジャズが生まれたのである。ガーシュインがウタダとすればランバートはさしずめクラキか(わかりにくーい)。やや単調なため○にしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),カッチェン(p)ロジンスキ指揮ローマRAI管弦楽団(CDO)LIVE・CD,,どうも四角四面で堅苦しい。ロジンスキらしいガシガシ急いたクラシカルな音楽作りにも違和感しきりである。機械的で、得意の集中力が変な方向にまとまってしまっている。ガーシュウィンにこの芸風はあわないのだ!しかも一応バックオケを意識しているせいかテンポがかたくなに守られているし個性も薄いというか、みんな萎縮していて凡庸でつまらなすぎる。カッチェンも堅苦しくて辛そうだ。ジャズ奏法を取り入れてはいるけれど、よそよそしい。終演後の拍手もやや冷めている。これはどうも、曲に相性のない演奏スタイルと言わざるをえない。無印。録音悪し。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),○カルディッロ(CL)ワイルド(P)フィードラー指揮ボストン・ポップス(RCA)CD うわーもう舌を巻くほどすごいや。最初聴きはじめて、あまりのフィードラーのカッコよさとアール・ワイルドの超絶技巧に圧倒された。もうこれ以上のガーシュインはあるまい。あるまい、と思ったのだが・・・あれ?こういうフレーズだったっけ?あれ、このパッセージおかしくない?・・・嗚呼ガーシュインの常、当たり前のように編曲されている。勿論より清新で面白くなってはいるのだが違和感しきり。この曲はまだましな方なので○にはしておくが。惜しいなあ。グローフェの通りにやってくれたら最高だったのになあ。シンフォニックジャズってシンフォニックの部分が結構重要ですよう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),○ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(DREAMLIFE)1954/3/18・CD,,このソリストはほんとうに巧いな。不詳となっているが、LPで出ていたものとは別なのだろうか。二種あるとは聞いていた。モノラル。演奏はあいかわらずスケールの大きな力感溢れる、統制されたやりたいほうだいであり、完全にクラシカルな世界での表現主義を体言したような、いささか勘違いに過ぎるようなものである。いや、ガーシュインはこういう演奏があったら喜んだかもしれない、同時代に。クラシックとしてかなり聞ける。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),○ゲール指揮コンサート・ホール交響楽団、アントルモン(P)(CONCERTHALL/MMS他),,ちょっと真面目にクラシックをやってしまっているかアントルモン。滅法上手く詩情あふれ美しいが、ガーシュインとして面白いかというとどうか。ガーシュイン(グローフェ)は割合積極的に表現することを求めるが、その点ややつまらないかもしれない。ゲールのほうは、オケが余り上手いどころではない仮面オケなのが、人により好嫌別れるところだろう。比較的解釈的なものを入れてきているが激することはない。総じて知見だけを評して○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),◎シュテッヒ(P)ゴラッシュ(CL)ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(AMIGA,ETERNA他)テンポ変化が派手なのにびっくり。ケーゲルのしかめつらを想像してると面食らうだろう。まるきりガーシュインを狙っており、クラシック流にやろうとははなから考えていない。ピアノに牽引されることの多い曲ゆえケーゲルの存在が希薄な箇所も多いが、総じての技術水準の高さの後ろにはケーゲルがいることは確か。ピアニストはクラシック流儀だがこれまた舌を巻くほど指がまわる。パリのアメリカ人ではブラスにミスが聞かれたが、こちらは完璧。グローフェの腕かも知れないが水際立った響きの美しさはちょっと感動ものだ。こういうのは本国でも滅多に聞けまい。全般に出来の良さに感嘆。この曲に今更感動するとは思わなかった。◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),○タッキーノ(P)不明,,音質より恐らく正規音源によるものだがweb配信のデータでは不詳。曲がよくできているのでソリストさえ万全なら言うことない。おしなべてうまく、適度に遊んでいるのがいい。美しく透明な音が印象的。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),○トロヴァヨーリ(P)フェレッロ指揮聖チェチリア音楽院管弦楽団(SCO)1953/8/30・CD,,最初固いかな、と思ったがたちまちトロヴァヨーリの変幻自在なピアニズムに引き込まれて行く。スピード感にあふれ粒だった音で明快に弾きこなしていくさまはレヴァントをも凌駕する勢いだ。とにかくかっこよく霊感にもあふれ後に映画音楽家として大成したのもさもありなんといった闊達さ。オケはクラシカルではあるがローマオケのアバウトさは出ず、なかなかの好演。録音がやや悪いか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),○ユルゲン・ワルター指揮ハンブルグ・フィル(SOMERSET)LP,,ハイテンションで弾ききる娯楽的スピードの演奏で、生々しい録音が更に気を煽る。余りに率直だと感じられるかもしれないが、この力感にメタ・クラシックらしくハスッパな発音で応えるオケもまたやる気が漲り、クラシカルな演奏家にもジャジーな演奏家にも見られないまさにライト・クラシックはこれだ、という自信も漲り清々しい。◎にしたいくらい飽きないが、解釈上の工夫がないので○くらいが妥当か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),○レヴァント(P)オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(columbia/sony)CD,,ツボを押さえた演奏、やっとレヴァントがガーシュインより上手いと言われた理由がわかった。これは板につきまくりで、オケもソリスト級の集まったオーマンディの黄金期フィラデルフィア管弦楽団だから何一つ不足がない(ソリストの音が太すぎるとか音程が正しく取れすぎて面白くない、というものならある)この相性の良さもあるのだろう。レヴァントに硬直したり疲れたりしたような、よたりとかミスもなく、しかしそれはどこに力を入れどこを抜くかを知り尽くしているからだ。技術的にすばらしく感じさせるが、スピードの上げ方や指の回し方が完璧に「ガーシュイン的」なのであり、けしてそれが「技巧的」ではないのは他の録音同様、曲がよくできているのはグローフェだからというのはともかく、古い録音でも推せる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),○作曲家(P)ホワイトマン&ヒズ・オーケストラ(PADA他)1924アコースティック録音・CD,,依属者コンビは2録音が知られいずれもbrilliantの集成ボックスに復刻されていたかと思う。これは古いほうだが、ガーシュインの録音は非常に人気が高いせいか、様々なノイズリダクションが様々な人によって試みられており、かなりよい録音当時の状態に近いと思われる音質の復刻を耳にすることができる。作曲家はしゃっちょこばっており録音を意識した機械的なピアノを駆使し、バックもジャズとは思えないリズムの硬直ぶり、踏み外さない表現が際立っている。テンポも録音条件にあわせた速いインテンポ。ただ、そうであるからこそ音色で勝負している。冒頭のクラリネットから赤銅色の古きよき音がベニー・グッドマン様式とは違う、下品と上品の合間スレスレの感情を駆り立てる。編成を絞ったバックのいずれのソリストも、厳しく引き締めにあいながら、ただ音の質だけで起伏を作っていくのだ(この録音時期では音量による変化も期待しえない)。ピアノだって音色勝負である。もちろん、復刻により改変されそう聴こえるよう整えられたせいもあろう。しかしこれは、ポール・ホワイトマンの提唱したシンフォニック・ジャズの本質を今一度意識させるような記録であり、ガーシュインの天才がそこに注ぎ込まれた結果である。音作りは硬めなのにやわらかい印象を与える、こういう中庸のジャンルが当時あった。今はどっちかに別れている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),○作曲家(P)ホワイトマン&ヒズ・オーケストラ(pearl他)1927/4/21NY,,有名な由緒正しい録音で超廉価ボックスに入ったこともある。至極一本調子で即物的だが(特に有名な叙情主題があっさりハイテンポで弾き抜けるところはびっくり!収録時間の関係かもしれない)力強い。20年代の録音としては非常に聞きやすい復刻と言えるだろう。ノリまくるというわけでもないが、ガーシュインの主として細かいテンポ操作における巧さが目立つ。まあ、クラ的にそう固く言うより、即興的な謳いまわしが絶妙、と書いたほうが正しいか。聞いて損は無い演奏。○。決してジャズ寄りではない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),ゴーラ(P)ジョルジュ・ツィピーヌ楽団(parlophone)SP,,音色はカッコ良いがつんのめり気味のクラリネット、そこからやけに性急なのは収録時間に制約のあるSPならではの現象だろうが、大胆なカットも(この曲なんてそんなもんだが)その制約のせいであるのだろう。表現が驚くほどジャジーで、ほんとにツィピーヌなのか、と思うが、輝かしく明瞭な演奏ぶりは、強力なピアニストともどもクラシカルな出自を持っていることは想像にかたくない。短いのが惜しい、けっこう聴ける演奏。英国盤。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),○ワイエンベルク(P)プレートル指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI),,なかなかガシガシくる演奏で、ジャジーさは少なくクラシカルではあるのだが、クリアな録音でいやおうにも感興を呼び覚まされる。ロマン臭さもなく過度な透明感もなく、ガーシュインなりのアレンジを求める人はやや物足りない感じもするかもしれないが、クラシックの範疇ではこれが最大限「引き出された」表現と言えるだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),○ワイエンベルク(P)アムステルダム・サキソフォーン四重奏団(BRILLIANT)CD,,かなり大人しいクラシカルな演奏。余りにスウィングしない「透明感だけの音楽」に違和感を感じる。だが、流石に年齢的にタッチの弱弱しさは否定できないものの、ワイエンベルクらしい美しい音の煌き、カデンツァでは実に軽やかな「胡麻のばら撒き」を愉しむことができる。録音操作か何かやっているのかもしれないが、サックスと音量的に拮抗できており、いや、オケが相手ならかなり辛いのかもしれないが、いや、前半はちょっと辛い部分もあるものの、生真面目なカルテットを相手に生硬なテンポを維持しながら、これが俺のガーシュインだ、と言い切っているような、往年のバリ弾きピアニストの片鱗を垣間見せる。ロンの弟子らしい、クラシカルな美学がこの生々しいロシア系アメリカ人の音楽を灰汁抜きしている。個人的には感銘は受けた。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),◎プレヴィン(P)コステラネッツ指揮彼のオーケストラ(sony)1960/3/25・CD ,,クラリネットのグリッサンドのねっとりしたニュアンスからもう、クラシック専門奏者とは違う。ミューティングされたペットの音があきらかに違う。プレヴィンとコステラネッツの丁々発止「ではなく」融合して作り上げるわくわくするようなグルーヴ。バンスタでもこれはできなかったろう。早熟のプレヴィンは編曲者グローフェとも親交を結び(映画音楽作家であったわけで)若き日を境界線上の音楽にささげたわけだが、その作曲した曲目を改めて見てもそのへんで映画音楽家を名乗る作曲家とは違うわけで、やけに老けて達観したようなモーツァルトをやり京都の寺の縁側で隠居風情、その現在との違和感を往年のファンはどれだけ感じているものか、闊達な演奏を聴きながら想像されるがいい。録音のいい演奏、変なローカリズム(癖)を振りまかない演奏、それでいてこれは「シンフォニックジャズ」である(というか往年のジャズそのもの)。そこはコステラネッツ楽団の力が大きいだろう。録音もよく、楽しめる演奏。同曲に飽ききった私でも楽しめた演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),○リットン(P)スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(放送)1980/1live,,曲ごとに録音状態に違いはあるし(これは悪い)一部にかんしてはLPで出ていたものと同じと思われ果たして同じ日の音源かどうか、そもそもデータが正しいかどうか不明だが、演奏様式からしてスヴェトラというのは間違いない、ガーシュインプログラムの二曲目として演奏されたもの。鈍重だが緩急がはっきりしていてロマンティックな表現も独特のバックオケに対し、俊敏でテクニックも万全、解釈も面白いソリストの対比が面白い。アンドリュー・リットンのサイトで配信されている音源。キューバ序曲も入っているのが珍しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),ベニー・グッドマン(cl)アール・ワイルド(p)トスカニーニ指揮NBC交響楽団(arkadia他)1942/11/1live・CD,,冒頭ベニー・グッドマンはイヤらしい音で睨めあげるし、アール・ワイルドは呆れるほど回る指あふれるセンスで曲をスウィングさせてゆくが、やはりトスカニーニである、つまらない。キッチリして堅苦しくて、かといって精緻な分析を施した演奏でもなく、ライヴで録音が悪いせいもあるが、楽想そのもの以上に盛り上げる要素はなく、飽きてくる。スピードと正確さと技巧だけでは、この曲はただの底浅いセミクラシックなのだ。二人のクレジットされたソリストのみならず音色には本場のアメリカのジャズ風のものが聴かれるが、それとて際立ってアメリカを主張するものではなく、上品志向は否めない。客席は大ブラヴォなので、これは録音が悪いせいということにしておこう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編),◎フィードラー指揮ボストン・ポップス、ネロ(P)(RCA)CD,,ちょっと聴いただけでアメリカ、それもセミクラシック(セミジャズ)の相当の手練れによる演奏だということがすぐわかる。フィードラーのガーシュウィンは、まずこれを聴けというくらい板につき、特に創意が凄い(ソリストの力かもしれないが)。ガーシュウィンはジャズ的な創意を演奏者に要求する。そのまま演奏しても面白いが、数少ない旋律を繋いだだけでつまらない曲、という誤解を招きやすい。この演奏では、特にピアノの表現において、一音一音に実に俊敏な創意が篭められている。それはクラシック音楽に比べて(あくまで譜面上)単純に書かれている音楽ジャンルでは極あたりまえの行為なのだが、元来この曲がシンフォニック・ジャズという概念を実現しようとしたポール・ホワイトマンが自分の理想を余りにクラシック側にアピールしすぎたために、今だにクラシカルなアプローチ、つまり楽譜の忠実な再現に予定調和的解釈といったやり方が優先されすぎている。まるで飽きてしまうたぐいの、旋律と楽器用法の新奇さだけしかない曲にされてしまっている。この演奏には閃きがある。実は勿論予定調和であるのだけれども、それでも瞬時の閃きが音符の一つ一つから眩く放たれているのである。理解という点で、クラシックしか聞かないかたは是非フィードラー盤を聴いてみていただきたい。ここにはライヴではないにも関わらずライヴの熱気溢れる音楽が溢れ生き生きと躍動している。明確な打鍵と胸のすくような解釈で魅せるソリストにも拍手を贈りたい。このような大規模編成のジャズ風音楽で拡散的にならずここまで凝縮されまとめられるというのも凄い。名演。但し、録音が悪いのが生憎・・・ステレオではあるが篭もる・・・でも◎!ちなみに前に書いたフィードラーの別演にかんしてのコメントと全く正反対のことを書いているのは楽曲受容方法の多様性を示すものとして許してくださいね。人間ずーっと同じ感覚ではいられない、だから何度も書きなおす演奏もあります。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編)抜粋,○イタルビ(P)伝クレンペラー指揮ロス・フィル(SYMPOSIUM)1937LIVE,,即物的な速さと意外とジャジーなオケの音色表現にメリハリが聞き取れるくらいで、ほとんどピアニストとロスフィルに任されている。テンポの切り方の律儀な頑なさくらいか。ピアニストはジャズ的かと思ったらシンフォニックな部分ではしっかり協奏曲している。なかなか巧い。前半のみのSP復刻。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルーよりアンダンテ(ピアノ編曲),◎作曲家(P)(History他)1928/6/8・CD,,あっぱれです。これは下手するとオケ付きのものより本来の意図を伝えられているかもしれない。オケ付では即物的に演奏される緩叙主題がここではいくぶんゆったりとして感傷が感じられるのがいい。サクサクした商業ピアニストというよりソロピアニストとして立派に弾きあげている、さすが作曲家。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:交響詩「ポーギーとベス」,◎イワーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)LP,,最初オネゲルかと思った。シンフォニックな演奏ではあるが要領を押さえた見事な解釈ぶりで聴かせる。珍演奇演を求めるならお門違いだ。イワーノフはガウクとスヴェトラにはさまれて損をしているが、オケの特質を損なわずに一本にまとめあげる名人で、意外と国外モノにそのテクニシャンぶりを発揮する。この録音は中でもかなり上手く出来上がったもので、各パートの地力を引き出しながらも強い求心力でグイグイとドライヴしてゆく。メドレー集にもかかわらず一貫した起伏ある流れが出来ていてまるで一大交響詩そのものであり、ノリもまとまりもいい上にソビ響各楽器の素晴らしい音色表現も抜かり無く堪能できるから嬉しい。スヴェトラには出来ない洗練されたわざだ。のっけから木管楽器のように歌うペットにのけぞらされるがブラス陣の圧倒的な力強さ上手さは奏法のローカリティを越え、ロシア系移民の子ガーシュインはまさにこうあるべきなのだという説得力をもって迫ってくる・・・いや、決してガーシュインをロシア側に引き寄せたような演奏ぶりではなく、ジャジーな香漂う喜遊的で色彩味溢れる演奏ぶりで、これなら笑われるまい、という満足げな確信まで聞き取れるのだ。弦楽器の充実した音にも傾聴。リズムが極めていい。冒頭書いたように、弱音部の響きも面白い。イワーノフならではというか、スクリアビンなど現代前夜の作曲家の表現を思わせる。クラシカルな世界でいう印象派的な響きを鋭くとらえ、行き届いた配慮で隙無く聴かせる。最近何度も聞きたくなる音盤はほとんどないのだが、これは何度聞いても気持ちいい。名演と言っていいだろう。ソビ響を暴走させずにここまで完璧にドライヴできたイワーノフという(ロシアらしからぬ)弛緩を知らない指揮者の存在を、世は再び見直さなければなるまい。◎。モノラルが惜しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:交響詩「ポーギーとベス」,○ライナー指揮ピッツバーグ交響楽団(LYS)1945・CD,,録音は弱いがライナーのきっちりしいの演奏スタイルが往年のアメリカオケの情緒的な表現スタイルとマッチして清々しく聞ける。たしかに生硬な解釈ぶりはおもしろいとは言えず、響きの精度を重視したクラシカルなスタイルゆえガーシュインとしてどうなのか、というところもある。オケは往年のスタイルなりの巧さはあるが生硬な解釈に対して人工的に聞こえてしまう場面もある。まあ、○にはしておく。全曲と書かれている資料もあるが管弦楽だけによるメドレー。音の迫力はあります。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:交響的絵画「ポーギーとベス」(グレイグ・マックリッチー編),○ペナリオ(P)アルフレッド・ニューマン指揮ハリウッド・ボウル交響楽団(CAPITOL,東芝)なかなかご機嫌です。メドレーで綴られる作曲家畢生の大作「ポーギーとベス」のメロディたち。もうここまでくると映画音楽かミュージカルか、といったところだが、ガーシュインの天才的な楽想、メロディの妙を、この編曲でお手軽に楽しむ事が出来る。ピアノ独奏とオーケストラ、という編成はそれほど違和感はない。楽曲名だけ並べておくと、サマータイム、「そんなことはどうでもよい」、ここでピアノのカデンツァ、「ベス、お前はおれのもの」そしてポーギーの門出をえがく黒人霊歌のフィナーレ。僅か11分半の無茶な編曲だが、それなりに楽しめる。何といってもガーシュインのメロディが全てだ。それを彩る楽器が何であろうと元々の天才性はいささかも陰ることはない。ステレオ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:交響的絵画「ポーギーとベス」(ベネット編),○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)1980/1/16LIVE さすがに二曲めとなればこなれてくるわけで(前半のパリのアメリカ人は散々だった)、なかなかに聞かせる。編曲もいいのだろう、充実した書法が聞きごたえの有る音響を産み出している。サマータイムが出るところでゾクゾクした。なんだか前半物凄く田舎者だったのに急に都会的な洒落た雰囲気をかもしだすソヴィエト国立響に驚いた。さすがだった。印象派的と言われるような静かな場面の繊細な表情がしっとりと身に染みてくる。やはりジャズではなくクラシックに足を置いた解釈ではあるのだが、それはそれで新鮮でいい。ガーシュインはロシア系移民の子だからロシアと関係がないわけでもないのだが、書いている音楽はあきらかにアメリカの黒人音楽の延長上にあるもので、ロシア風味は微塵もない。強いて言えばその天才的なメロディメイカーぶりにロシアの音楽センスに通じるものも感じようと思えば感じられるがそれはあまりにこじつけだ。よくぞここまでしっかり綺麗に小洒落て表現してくれたもの。ロシア流のソリストの音色もしっかり枠内にハマっているので違和感なし。さすがにこの演奏ぶりに最後は盛大なブラヴォーと拍手が贈られている。この曲のためにこの盤を買ってもいい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:交響的絵画「ポーギーとベス」(ラッセル・ベネット編),○スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1996/9/20LIVE・CD,,スベトラ晩年の肩の力の抜けた楽しい演奏。編曲のせいもあって非常にシンフォニックでガーシュインらしさの薄い演奏になっていて、それでも感傷的で甘やかな指揮ぶりは十分に魅力的なのだが、意外や意外、ラストはとてもリズミカルなガーシュインそのもの、オケが低温なので温まる時間が必要だったのかスベトラが温まる時間が必要だったのか多分後者だが、この一夜のガーシュインプログラムの中では頭ひとつ抜けて感情の入った演奏になっている。○。これはスラットキン(同じようにナマズ横丁組曲版を録音している)とは違う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:交響的絵画「ポーギーとベス」三つの抜粋(バシリエフ編),コーガン(Vn)P.コーガン指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)LP 押し付けがましい音が情緒を削る。もっと洒落た表現はできないものか。オケはなかなかいいのに、力み過ぎ。技巧はすごいけど、音色に幅がないから違和感しきり。場面転換のできない音なのだ。2曲めは艶が出てきていいけど、クラシカル臭は抜けない。3曲めになるとかなりよさげ。編曲者の功績も高いかもしれない。なかなかおしゃれだが、無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:交響的絵画「ポーギーとベス」組曲,スヴェトラーノフ指揮ハーグ・フィル(RO)1995/11/25,26LIVE クラシカルな曲のせいもあるが、キューバ序曲よりは随分堂に入っている。しっかりした演奏で変に立派にもならず、雰囲気音楽らしいところを上手に掴んで浸らせてくれる。サマータイムもちっともサマータイムらしくないが、クラシカルな情緒の中に上手く昇華されており、それと意識しなければクラシカルな意味での主題の一つとしてすんなり看過してしまうところだ。他のソングも同様で、やや掘り下げが足りない感もあるが、この曲に掘り下げはそもそもいらないから問題無し。取って付けた様なポルタメントのほうが気になるが美しい音色には魅力があるし好き好きだろう。情感の表現がぎごちないのは自然なテンポの揺れが無くひたすらゆっくり歌い上げる芸風のせいだ。これはスウ゛ェトラの本質にかかわるところなので仕方ない。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:歌劇「ポーギーとベス」組曲,○ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(DREAMLIFE)1956/2/1・CD,,シンフォニックな演奏で厳しく締め上げられ磨ぎ上げられたガーシュインが耳を切り裂く。スケール大きくゴージャスな、しかし金属質の響きをとどろかせる宇宙的ガーシュインはやや耳に厳しい感もあるが、クラシカルな範疇ではやりたいほうだいの表現の幅を持っている。ガーシュインがクラシックの世界に構築されるとこうも先鋭な音楽に聞こえるものか。ケーゲルらしい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:三つの前奏曲,○シュテッヒ(P)(AMIGA,ETERNA)かなり速い演奏で楽しむ前にあっさり終わってしまう。起伏があり決してしゃっちょこばった演奏ではないのだが、どこかしら遊びが足りない気もしなくはない。でも気分がいい。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:三つの前奏曲,ワイエンベルク(P)(brilliant)CD,,アムステルダム・サキソフォーン四重奏団とのガーシュインアルバムのおまけに入っているものだが、衰えたな・・・と苦笑してしまう。しょうがないのである。もともとバリ弾きでそれほど「深い表現」を突き詰めないピアニストだったので、ましてや老齢となると指先ももつれ1楽章などかなり危うい。3楽章になると復調するが、タッチの弱さは感じられるし、音の強弱の制御も自然さが失われている。録音が極めてクリアであるがゆえに、グルーヴを出さんとリズムを崩しにかかる一方で基本的にはクラシカルなこの人のピアニズム(音色表現)がちょっとちぐはぐで、テンポも上げられず指がついていかないさまはちょっと聞きづらい。好きなピアニストだが・・・無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:三つの前奏曲,作曲家(P)(PEARL他)完全にラグやジャズ畑の人とわかる演奏。そういう観点から見ると無茶苦茶巧い。指がよく回り、スポーツ的感覚を持ったプレイヤーであることがわかる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:三つの前奏曲(ハイフェッツ/ヨーヨー・マ編),ヨーヨー・マ(Vc)カーン(P)(SONY)1992/6/15-19ハイフェッツがヴァイオリン用に編曲した譜面をさらにチェロ用に書き直したものだ。当代一の技巧派チェリスト、ヨーヨー・マのアメリカ室内楽集からの一曲である。はっきり言って、原曲を知っていると聞けない(笑)ヨーヨー・マの音は実直すぎる。クラシカルすぎるのはピアノも同じ。なんでそう聞こえるかって、ガーシュインの自作自演(ピアノソロ)をさんざん聞いたあとだからだ。こんな耽美的なガーシュインなんて(2楽章)ガーシュインじゃない!でも、終曲なんてCMででも使えそうなアレンジ(洋酒とかのCMでね)、この楽章がいちばんハマっているかも。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ガーシュイン:三つの前奏曲より第2番.,○リットン(P)(放送)1980/1live,,ラプソディインブルーのアンコールとしてロシアで演奏されたもの。達者なソリストだがこの曲ではとくに魅力的なガーシュインを演じてみせており、自作自演なんかより数倍素晴らしい。楽しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ガーシュイン:三つの前奏曲より第2番(ブレックマン管弦楽編),クレンペラー指揮ロス・フィル(SYMPOSIUM/RADIO YEAR)1937/9(8?)/8・CD,,いちおうそれらしくはあるのだが、原曲のジャジーさが管弦楽によって大仰すぎるものに化けた感もある。高音打楽器の響きに美しい要素があり、演奏自体は精緻でクラシカルなものだが、ジャズ的な予想通りのオーケストレーションとのちぐはぐさもある。全般、ゆっくり沈潜するような雰囲気はガーシュインメモリアルコンサートにふさわしいとは言える。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,