-2019/1/9(29修正)francaix
フランセ:(語り),作曲家(語り)
フランセ:「モーツァルト・ニュー・ルック」,○作曲家監修マインツ管楽アンサンブル(wergo)1987/1,,フランセお得意の剽窃音楽で、自分の作風に沿って楽器の組み合わせの妙を楽しませるといった軽い趣向の小品。ここではペトルーシュカふうのワルツにのってバス音域のモーツァルトを象のように揺らせていくという趣向。その上で高音木管楽器が小鳥のように囀り続ける。ベースのラインが技巧的で面白い。古くもなく新しくも無い、なかなか面白い聴感がある。わりと有名な曲。演奏は不可無し、といったくらい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:10重奏曲,作曲家(P)フランス8重奏団他
フランセ:3つの軍隊行進曲(原曲シューベルト),作曲家 アマート吹奏楽団
フランセ:3つの小品(原曲シャブリエ),作曲家 アマート吹奏楽団
フランセ:エレジー,作曲家 アマート吹奏楽団
フランセ:15の子供のポートレート,○モーリア指揮ツールーズ国立室内管弦楽団(PIERRE VERANY)CD,,題名から推察できるとおり非常に無邪気で平易な小品集で、筆の遊びとはこのことを言うのだ。何も残らないし、何も感じない、けど穏やかで楽しいこれも紛れも無くフランセの世界。演奏も穏やかなだけにほんとうにフランセが自分の一般受けする作風のバリエーションを陳列しただけのものと受け取れた。軽く流しておくにはいい曲。サロン風というのともまた違うのだけど。パリの暗さはない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:2台のピアノとオーケストラのための協奏曲(1965),作曲家、クロード・パイヤール・フランセ(P)シュトル指揮南西ドイツ放送交響楽団(wergo)1967/6・CD,,私にとって非常になつかしい盤で、プーランクより先にこちらを聴いたがためにプーランクに紛い物感をかんじてしまった次第。楽想は少ないしムードは一貫して世俗的で皮肉っぽさを兼ね備えた嬉遊曲、しかも長い四楽章制ときて、漫然と聴くと飽きてしまうことは飽きてしまうが、立体的な構造を含むメカニカルな点ではプーランクの比較にならない創意の緻密に組み込まれかつ常に変化しつづける、譜面からすればけして「飽きる」類の曲ではない。ピアノは和声的なフレーズはほとんどなく、ひたすら指を横に鳴らし続けるタイプの、ペダルなんかいらない類のスポーティなもの。色んな意味でプロフェッショナルな作品で、フランセとしては暗さもはらむ引き締まった全盛期作品より、委嘱作品的な面の目立つ後期作品だが、旋律や動きには一般にもアピールする面は多々あり、人気もまたあるようだ。胡麻を撒くようなスタイルの演奏で曲にあっていることは言うまでもない。すこし録音がノイジーか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:2台のピアノとオーケストラのための協奏曲(1965),作曲家、クロード・パイヤール・フランセ(P)マルティノン指揮ORTF(ina配信)1968/10/3(放送)live,,父娘共演でもセッション録音よりずっといい。パラパラ流れるように細かい音符がちりばめられ、気まぐれにジャズのリズムを導入してみたりリズム面でもトリッキーな面白さがある洒脱な音楽だが、二台であることを意識させない、四本の腕を持つピアニスト(フランセは技巧派ピアニストとしても活動していた)の演奏といった風情。勢いはライヴならではのものがあり、セッション録音が冗漫で飽きるものであるのに対して、これはこういう「ライヴ音楽」なんだ、とわからしめる。マルティノンもまったくその勢いをそぐことなくつけており、色彩感がいい。気持ちのいい朝の音楽。長いことは長いが、BGMにどうぞ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:2台のピアノとオーケストラのための協奏曲(1965),○作曲家、クロード・パイヤール・フランセ(P)デルヴォ指揮ORTF室内管弦楽団(FRENCH BROADCASTING PROGRAM)LP,,芸術とは存在しないものの模造品、とはラヴェルの言葉だが、フランセの美学においては存在しそうなものの模造品、ということになる。この作品はいつものフランセのように小規模編成ではあるが、長さは一般的なピアノ協奏曲並の長々しいものとなっている。WERGOに別録の自演CDがあったと思うが、親しみやすい主題をひたすら機械でいじくりまわしたような、退屈な印象があった。この古い録音でも印象は変わらない。より狭い音場で親密なアンサンブルが繰り広げられているあたり残響の多い新しいものより聴き甲斐はあるのだが、主題がどこかで聞いた様なものばかり、それも半端にいじくられて机上論的なリズムの組み換えを施され、弾き辛そうだなあピアノ以外、とか思わせる余裕を与える冗長なかんじがある。終楽章などフランセがフランク(のシンフォニー終楽章の主題)を模しているんだなあ――あるいはドビュッシーの幻想曲でもミヨーのピーコンでもプーランクの何かでもいいが――と思ってから終わるまでが長い長い。いや、楽しい曲で、気軽に聴けるのだが、本領はもっと短くスッキリまとめる手際のよさにあり、二台のピアノが必要なのかすら疑問に思わせる「疎」なスコアにも、「らしくなさ」を感じるのであった。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:5つの子供の歌,○ピエッティ、シャモナン(Sp)作曲家(P)(cybelia)LP,,「子供のための音楽」というシューマン張りの曲集ではダブルソプラノというなかなかにぎやかな面白い曲。といってもこの歌唱ではまるで小学校の女教師が子供にぴしぴし躾けているような雰囲気はなくもないが。こういう曲も書けるんだなあ、という単純性、あ、この人はイベールや六人組の系譜の人なのだ、ということにも気づかされる。30年代の作品。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:6つの大行進曲〜第一帝政のスタイルで(映画音楽「ナポレオン」に基づく),ツィピーヌ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(forgotten records:CD-R/pathe),,1954年映画「もし、ヴェルサイユが語られたとしたら」の音楽・編曲を担当したフランセが、それよりまとめた管弦楽組曲の裏面に収録。副題のとおりこれも、フランス革命を主題としており、フランセらしい部分はごく僅かで、いかにも復古的なブラスバンド行進曲の寄せ集めである。しかしながら、劇伴を多くやったフランセらしく、個性を出さず職人的に仕立てる腕は完璧だ。ナポレオン時代の覇気に満ちた雰囲気を(フランセらしい洒落っ気は抜きで)楽天的に打ち出し、もちろんそれ以上のものではないが、ツィピーヌの勢いのある棒と楽団の力で、一般の人にも受けそうだ。コロンヌ管の管楽器はなかなか力強い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:8つのエキゾチックな踊り(11の器楽と打楽器のための),○作曲家監修・マインツ管楽アンサンブル(wergo)1987/1,,ピアノ版もあるが音的にはこちらのほうがしっくりくる。ほんとに軽い冗談のような、フランセらしい洒落た小片集である。ただ軽音楽のようにいかないのはフランセにはよくあることだが、机上論的なパズル構造を持ち込んでいるところで、管楽アンサンブルにやらせるというのは、リズムを揃えるだけでも厳しい。三曲目あたりでは微妙なポリリズムが危ういところで何とか折り目正しく無理やり揃えられている、という感じを抱かざるを得ない。しかしまあ、ほとんどの曲が馴染みやすいラテンミュージックなので、「マンボ」や果ては「ロックンロール」まで(ロックというよりジャズと思うが)、時折変奏曲ふうに共通の主題が表われたりするのを面白がりながら、多彩な響きと職人的な作曲手腕に感心する、それだけの曲か。演奏的には○以上ではない。ちょっとしゃっちょこばっている・・・仕方ないんだけどこの編成では。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:8つのエキゾチックな踊り(二台のピアノのための),○作曲家、クロード・フランセ(P)(A.Charlin),,邪気の無いラテンミュージック集だが、いつもながらドライな演奏振りで特有の素っ気無さが不思議である。これだけ思いっきりふざけた小品集を書いておきながら、奇妙に面白さを引き立たせることもなく、かといって構造の職人的な紡ぎ方を魅せつけようとするわけでもなく、旋律構造だけは明確にくっきり、いわばラヴェル的な表現で再現しようとしている。ただ楽天的でシンプルなわけではなく不協和で複雑な諧謔性があるのは確かで、演奏も意識的にやっているのだろう。曲集自体はクラシックとしてはどうかと思う。が音楽的には文字通り楽しめるし旋律も往年を思わせる閃きがあり、晩年作にしてはいいものだ。wergoに残した協奏曲を含む自作自演集と同じ匂い、何か筆のすさび的な、マンネリズムの産物であるとわかっていてそつなくやっている感じがする。まあ、80年代にもなってまだこういう曲を書いていたというのは、クラシカルな感覚ではなく、ライトミュージックの感覚であったのだろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:BEAセレナーデ,○モーリア指揮ツールーズ国立室内管弦楽団(PIERRE VERANY)CD,,フランセの曲集は極めて少ない。しかしLP時代、多作家ゆえフランスでは自作自演を含めけっこうな数のものが存在はしていたようだ。フランス国内LP盤高騰の昨今あおりを受けた形で入手が困難になっている(人気作家ではないので突然安売りもされるがCDにはならない・・・左欄にも書いたけどデルヴォと自身でやったコンチェルトなんて放送音源ゆえまず無理、喉手だ)。好みにもよるがサロンふうの、イベールの後をつぐ清新なオトと手法を駆使した小規模作品の数々はいずれも雰囲気音楽として癒しと感興の刹那をあたえてくれる。当たり外れはあるがどの作品も同じといえば同じ、モーリアらのこの曲集がボックス廉価復刻でもしたら、ライト派は手にされてはいかが。,,同曲はトップ作品とは言わないが若きフランセの尖鋭な部分も適度に残っており、古きよき時代の艶が同時代者として織り込まれた、今となってはレトロな趣も魅力の大きな部分を占める組曲。ヴァイオリン独奏が狂言回しのように生温い旋律を引っ張り、機械仕掛けのアンサンブルがきびきびと逆にひんやりと絡み、全体としてバランスよく仕上がっている。自作自演のまさに「その時代」の演奏様式で聴くのがいちばんいいと思うが、音が古く技術的にもアバウトである。もっとフランセのプロフェッショナルな書法と、スコアの美質を味わいたい向きにはこの「真面目な演奏」をお勧めする。冒頭より金属質で線の細いヴァイオリンが雄弁に、若干多めの残響の中で実に簡潔なハーモニーを引き立てていく。スケールが大きくコンサートホールの趣である・・・ビヤホールではなく。技術的瑕疵が無く現代の聴き手には向いている。たっぷり時間をとり表現している場面が印象的で、曲間もしっかり時間をとる(自作自演は比較的アタッカに近い形で通していく)。それまでの流れとくらべ終曲がちょっと小粒で尻切れだけれども、これはそうかかれているのだから仕方ない。いずれ、フランセ入門盤としていい演奏。BEAしか使わず旋律を作っているのに、ちゃんと世俗音楽になっているという技を楽しもう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
フランセ:BEAセレナーデ,◎作曲家指揮パスキエ弦楽六重奏団(EVEREST)この盤はCD化不明だが(frがR化したと思う)LP屋でよく出ているので入手できないことはないと思う。敢えて言えばフランセ・ファン必聴の一枚。フランセが持つ世俗的で即物的な作風が、B、E、Aという三つの音によるちょっと音列手法を思わせる(少しお間抜けな)無調的主題を得ることによって一気に深みを増し、フランセの作品の持つ辛辣なウィットがひときわ際立ってとても印象的だ。ナディア・ブーランジェ門下で若い頃から作曲技巧に秀で、職人的な技術を身につけていたがゆえに軽音楽作家的な見られかたをして、じじつコクトーの映画や歌に音楽をつけたりということもしていたフランセ。曲数も膨大な数に及ぶが、悪く言うとどれも同じように聞こえてしまう(フランセのものであるという個性はどれにもはっきりと刻印されているのだが)。むしろこの曲の様に「BEAで作曲しなさーい」というような一定の制約下でこそ真価が発揮される作曲家なのかもしれない。この人はモーツァルトを洒落めかした曲なども書いているがこれも逸品。20世紀のモーツァルト、とは少々大それた言い方かもしれないが私はそういう印象を持っている。ちなみに1950年代も早いうちに作曲されたこの曲は、ベアトリスという美しいダンサーにインスピレーションを得てかかれたという。BEAがこのハンガリー娘の頭文字からとられたことは言うまでもない。この盤、古い録音だが郷愁を感じさせる音がたまらない。音程が悪いのもじつは悪いのではなくて、くだけた酒場の雰囲気を醸し出すためのひとつの手法として使われているのである。フランス奏法のヴァイオリンがかなでるちょっとジャズっぽい旋律はフランセ一流の腕によって極上のワインのような香りを放っている。文句無く素晴らしい。モノラルであるとか、そういう問題ではなく、ここには生きた音楽が有り、譜面に納まらない広がりがある。最後の余韻もいい。何て懐かしい音楽なのだろう。名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランセ:ヴァイオリン協奏曲,長沼由里子(Vn)作曲家指揮モンテ・カルロ・フィル(EROL)CD,,晩年の自作自演記録でご本人とても喜んでいたそうであるが、正直創意の衰えの感じられる冗長な作品であり、演奏も楽想の楽天性に反しいたって冷たく、往年のエスプリがいっそう感じられないものに聴こえてしまう。私の盤評は作品評価と演奏評価を敢えて明確に分けていないが、このような殆ど他に録音のない作品もしくは演奏について評価をきちんと分けるのは(自分で演奏でもしない限り)不可能だと思うからで、このような作品に演奏では、まさにそこが難しい部分でもある。,,印象だけを端的に言うなら「ベルサイユ宮殿」である。聴けば意味はわかるだろうか。技巧をひけらかすだけでまったく新味のない1楽章、もともと不得意な緩徐楽章の凡庸さ(一部響きに先鋭さは伺えるが余りに一部である)と前半楽章に見るべき部分は無い。3楽章がこの曲で最もフランセらしいシニカルで個性的なスケルツォで、冒頭からの奇怪なカデンツァに洒落た主題の展開は往年のフランセの作風を彷彿とさせて面白い。4楽章もフランセらしいといえばそうだが、ちょっとプロコっぽい。緩徐主題には魅力的な暖かさが感じられる。,,無印にするに忍びないと言っても、これを弾きたがる人がいるのかどうか、4楽章制の長大な作品なのに新味を感じる部分が僅かしかない、そういう印象を残す演奏でもあり、やはり、無印にしておく。,,"",-----,,,-----,,,-----,
フランセ:バイオリンとピアノのソナティネ,長沼由里子(Vn)作曲家(P)
フランセ:ハイト・バガテル,作曲家 (P) フランス8重奏団他
フランセ:オーギュスト・ルノワールによる15人の子供の肖像〜4曲(二台ピアノ編曲),○カテリーヌ・フランセ、作曲家(P)(cybelia)LP,,「子供のための音楽」というシューマン張りの曲集では唯一作曲家と娘によるデュオ作品。4曲。なかなかに親子ともども達者である。わりと平易に書いている、子供のためのエチュードなのかな、と思わせて、いやこれは弾けないだろう、という聴後感。さすがだ。これはかなり演奏ともども聴きばえがする。もとは長い管弦楽曲。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:オーボエと管弦楽のための組曲「花時計」,デ・ランシー(ob)プレヴィン指揮LSO(RCA/sony)1966・CD,,フランセの音楽は愉快だ。しかし演奏者が愉快とは限らない。ヒリヒリするアンサンブルに聴いているこちらも神経をすり減らす思いがすることがある。でも、この演奏は優しい。曲の華やかさをことさらに引き立てることなく自然に、柔らかく厚い音もなつかしい。緩いと思う人もいるかもしれないが、こういう録音は癒やされる。精度という機械的な部分とは別で、こなれており、ライヴでは実現し得ないものかもしれない。この曲はオーボエというところがまた癒やされる要素でもある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:オーボエと管弦楽のための組曲「花時計」,ゲーテリュック(Ob)アルベルト指揮ORTF(ina配信)1964/3/17フランス初演放送live,,,円熟期後に顕著にみられるような筆の遊び感は無い曲で、耳心地良い旋律音楽から後半フランセらしい歓びのあふれた音楽に帰結する。フランセの音楽もプーランクなどと同じく木管アンサンブルに向く。だが、肝心の木管セクションとソリストの技巧的なやりとりが延々続くところでズレる。ソリストは個性的ではないが技師だ、ところがオケ側がソリストと何度もズレるのは、書法的に無理があるのか?木管セクションだけでのアンサンブルはまとまっているので不思議だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
フランセ:ギター協奏曲,○セグレ(G)ハンス・リヒター指揮南西ドイツ室内管弦楽団(wergo)CD,,長ったらしい。フランセの滅多に見せない硬派な部分が出て面白いかと思いきや、極度に単純化された書法のうえで晩年に常套的な和声やリズムが飛び交うのは同じ。ギター協奏曲なのにギターに超絶技巧を要求するではなく旋律をつまびかせ、バックはギターの撥音にピチカートで対応するという何とも言えない「全部ギターでよかったんじゃないの」的な印象も持った。使用した楽器の特異性という意味で価値ある作品かもしれないし、もっと簡潔なら意地悪な感想を持たなかったかもしれないが、可もなく不可もない作品。演奏はちゃんとしている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:クラヴサン協奏曲,○作曲家(hrps)ナウモフ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団(wergo)1988・CD,,華やかなハープシコードの八連符連打に始まるフランセらしい明るく軽く楽しい音楽。楽器の特性のせいで、あの世俗的なピアノ小協奏曲に似た内容であるにもかかわらず、典雅さや古雅さが漂うのも面白い。オルガンのように響く重音もフランセの響きとしては異色。5楽章制だがフランセにありがちなこととして「尻すぼみ傾向」があり、特に終楽章はもっと派手にしてほしかった。漫然と聴くより数十倍演奏するのが困難なことが予想される数学的な書法が目立つ中間楽章など聴きこむとそれなりに面白みも見いだせそうだ。巧みな対位法、不規則なリズムや休符の飛び交うさまは聴いているぶんには楽しい。ハープシコードはきほんひたすら伴奏音型を弾き続けるのだがここではフランセの前進的で目覚ましい技師ぶりを再確認できる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:クラリネットとピアノの主題と変奏,作曲家(P) サーヨ
フランセ:クラリネット協奏曲,ガバイ(cl)作曲家指揮コヴァルディO
フランセ:クラリネット協奏曲,○フィリッペ・クーパー(cl)作曲家指揮ブレターニュ管弦楽団(accord)1992・CD,,気持ち良い曲です。演奏は少々客観的。というかオケがちょっと鈍重な感じがしなくもないが、しっかりした構成感を持った演奏とも言える。フランセの曲はけっこう構造的に考えられて出来ているから、たとえば内声の細かい刻みとか重要になってくる。そのへんしっかり聞こえてくるから曲を立体的に楽しめる。曲想はいたって平易で軽快ないつものフランセ節。但し代表作に数えられることもあってなかなか聞かせる。気持ち良く聞かせる。眠らせる。牧歌的で穏やかな雰囲気の中にフランス的な美的感覚が貫かれており、このフランス音楽界のサラブレッドらしいさりげない隙の無さがなんともいえずいい。4楽章制23分はフランセにしては規模が大きいほうだし、主に室内楽編成か小規模協奏曲に力を発揮したこの人にしてはちょっと珍しい音楽の大きさがあるのだが、なにぶん和声が軽いから違和感はない。なんと68年の作品なのだけれども、時代を超越したセミ・クラシカルな喜遊曲として今後も聞かれ続けていくことだろう。クラリネットは飛びぬけてうまいわけではないが曲想とよくあった軽い音で悪くない。○。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:ディヴェルティスマン,○フィラデルフィア木管五重奏団(boston records)1956/7/27・CD フランセらしいシニカルで楽しくも懐かしい組曲。地味ではあるが牧歌的な雰囲気に洒落た歌いまわしが加わるのが伊達者フランセ。独特の軽音楽的な旋律と面白い変拍子感が短いながらも味わえる。こういう人の曲は技術的に巧くかつ洒落のわかる団体にやってもらうのが一番。この団体には向いた曲であろう。もうちょっと「遊びのアンサンブル」が欲しいと思うのはフランセファンの贅沢か。品と節度のある演奏とも言える。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランセ:ディヴェルティスマン,作曲家 (P) フランス8重奏団他
フランセ:ノネット,作曲家 フランス8重奏団他
フランセ:ハープと管弦楽のための6楽章の詩的な遊戯,マリー・クレール・ジャメ(hrp)デルヴォ指揮ORTF(ina配信)1973/11/7放送live,,時期にしてはやや録音は落ちるか。ハープが典雅なひびきの走句を終始奏で続けオケがほとんど前に出ず、譜面めくりの音が入るなど、室内編成と思いきや管弦楽団との二重構造で仕上げられているようだ。なかなかフランセらしい巧緻さである。終盤で盛り上がりを見せてくると書法のメカニカルなところにマリ・クレール氏の感情が入ると少し揺れてしまったりオケのソロ楽器の一部に軋みを生じたりはするが、フランセがあくまで自分の音楽に忠実に、編成と書法を変えるだけでこんなロカイユ風組曲のような曲になってしまうのだ、BEAセレナーデに近い響きも換骨奪胎されてハープの新しい可能性を引き出している、まさに、ギターやハープシコードなどいろいろな楽器でやっていたことが、この曲では娘ジャメ氏のちからを借りてうまくいっていて、今でも演目に上がるのもわかる魅力がひときわ際立って聴こえてくる。デルヴォーは思ったより引きのスタンスで、むしろ後ろへ引っ張る感もあるが、協奏曲ではこういうこともあるだろう。客席反応も悪くない。アナウンス等なし。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:ハイドンの主題による十一の変奏曲,○作曲家監修マインツ管楽アンサンブル(wergo),,ググったらシュッツの国内貸し譜が真っ先に出てきた。吹奏楽ではよくやられるのだろうか。ベースの第一人者野田一郎氏のソロが(とても人を喰っているけど)聴ける、フランセの真骨頂とも言える洒脱なバリエーション。とりあえずこの人のやり方を知るなら、ここに全てがあるというか、これだけというか、ほんとはもっと作り込んだ作品もあるのだけれど、音をこう外していく、こうずらしていく、こうリズムを動かす、そういった常套的なセオリーがすっと揃っている。外観はともするとプーランクやストラヴィンスキーのやり方を剽窃つぎはぎしただけにも感じるものの、変奏曲の要だが各楽章を実に自然に繋ぎ、一貫した流れを作り、聴きやすさ、幸福感に少しのワサビは素晴らしく職人的な手のなせるわざだ。十分個性になっている。,,ただ、案外楽器の音色頼りの部分も多い曲で、ニュートラルに巧い「真面目な」楽団には歪んだ変奏の無邪気なおかしみや、本質的な諧謔の面白みを引き出しづらいのだろうな、と思うところもあるけれど、目下これ以外に1,2枚くらいしか聴くことはできないと思う。初演団体による穏やかな演奏としてうららかな春の日にでもどうぞ。フランセは機械的なアンサンブルでスリリングに聴かせる印象があるが、これは絡みが少なく、平易で殆どゆったりした変奏旋律の数珠繋ぎに終始し意外。遅くなったがこの曲はハイドン94番「びっくり」アンダンテの有名なフレーズの変奏曲だが、世俗ワルツにパラフレーズされるのはいつものことだけれど、ぜんぜん別の曲に(といってもラフマニノフのパガニーニ変奏みたいな「挿入」ではなくあくまで)換骨奪胎されたりして洒落がきいている。ベースソロが「運命」になってしまうのは隠喩というよりユーモアだろう。ブリテンの曲みたいな教育的意図があるのかなあなどとも感じた。11の変奏といっても10分くらいの小品。,,"フランセ財団の公式サイトができていた。ピアニスト・フランセの動画アリ>こちら",-----,,,-----,,,-----,,,-----
フランセ:バカンス,○R.パスキエ、O.シャリエ(Vn)P.フォンタナローザ(Vc)作曲家(P)(cybelia)LP,,"これも組み合わせが楽しい曲でこの「子供のための音楽」という曲集ではイチオシの小品。50年代作品とあって晩年よりも和声や旋律の魅力がある。こちらのご本人サイトでこの演奏そのものが聴ける(LPもこれ)。軽く派手だが弦楽合奏的な厚みがとてもよく、雰囲気を盛り上げる。小品だがぜひ。ピアノは娘の可能性あり。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:バソン協奏曲,○オダン(bs)作曲家指揮コバルディ管弦楽団(cybelia)LP,,結局はフランス人もしくは作曲家本人に聞いてみないとわからないんだけど、バスーンbassoonとバソンbassonって、少なくともフランス製レコードのライナーでは同義に扱われている。ファゴットはドイツ系の呼称だそうで、英語でbassoonとバス音域の木管楽器を意味する言葉を称したときにはバソンもファゴットも含まれる、ということらしい。バソンは形状も違い音域だけは同じだがもっと素朴な作りで少ない穴を正確に押さえて音を出すことすら難しいそう。音色的にファゴットと同じオーボエみたいな音も出せるけれど(というかオケならそれが要求される)いろいろいじれるというかバリエーションの作れる楽器なので、鼻をつままれたような古い楽器系の音やサックスみたいな金属質の音も出せる。ということらしい。ソースはいろんなとこ&ちょっと勘違いしていた別の記憶を整理した結果・・・なので鵜呑みにせんことを。,,で、この曲はいわゆる「フランス式バスーン」用に書かれているのかなあ・・・ファゴットのような機能性が求められている。終楽章は非常に技巧的なフランセらしい走句が難しい。だからバソンであっても結局ファゴット的な明瞭な音程感、ぶれの無い情報量の整理された音色が求められているようだ。ソリストのジルベール・オダン氏は現代バソン演奏の第一人者として一昨年にも来日し、バソンを聞かせているけれども、楽器をちら見したところそれほど特殊な形状ではないなあと・・・素人目に。この演奏も特にフランス式には聞こえないんである。もちろん温まらない?1楽章あたりでは指が辛いことになっているのかなと思わせるぎごちなさも僅かにある。でも特に、音色はちょっと艶があるけれどやっぱりこの音域的にバスーンを意識しすぎたような作品の、横の旋律においては余り魅力的な起伏を織り込めておらず、楽器自体の性格を踏まえていても、あれ、バソンなんだよなあ、と思う。何か冷たくて若い。曲のせいもあるか。正直フランセの曲にしては少し暗すぎる。筆のすさび系のカテゴリに分類できてしまうかも。爽快さよりしっとりした落ち着いた感じである。フランセは縦に厳しく合奏団には非常に切れのいい音粒の立った表現を要求している。新古典的な作風でもない曲だが古典的なアンサンブルを指向しているのは確かである。,,アラールによりパリ音楽院の課題用に求められて作曲された作品であり、上記印象は技巧と旋律という要素を適度に織り込ませるためにとられた作曲上の配慮である可能性は高い。フランセ自身はライナーでバスーンに思いいれがあることを書いている。いわば「管楽器のチェロ」だそうである。弦楽器に例えるところがフランセらしい。オダン氏はアラールのクラス出身で録音当時はパリ国立歌劇場のソロイストとある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
フランセ:バレエ音楽「ソフィーの不幸」抜粋,○作曲家指揮モンテ・カルロ・フィル(EROL)CD,,最晩年の指揮記録のひとつ。曲自体は室内楽的で比較的地味なもの。そつない洒落たふうのバレエ小品集になっている。組曲版になるのか?アレグレット、アンダンティーノ、レント、パウルの変奏曲の4曲。ひそやかな愉悦感が作曲家自身の手によりつむがれている。非常にわかりやすく、フランセ初心者向けかも。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
フランセ:バレエ曲「月の婦人」,○ロザンタール指揮ORTF(ina)1960/3/29live,,フランセはマンネリズムの作曲家、しかしここでは巧みな技術を発揮して飽きさせない。紛れもないバレエ曲、寧ろミュージカルというかオペレッタというか、愉しませるための音楽である。ロザンタールにはお手の物。弛緩せず聴きとおさせる。録音も良い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:ピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ,○カスリーン・ロング(P)マルティノン指揮ロンドン・フィル(LONDON)フランセのピアノのための協奏曲的作品はいくつかあるが、自作自演で知られるピアノ協奏曲を別格とすれば、この曲が上がってくるだろう。構成的に弱いというか、楽章が進むにつれ地味になり、さほど盛り上がらず終わる(スケルツォの途中で終わるような感じがする)のはマイナスだが、1楽章は面白い。ピアノ協奏曲の1楽章は徐に始まるコンマスとソリストの掛け合いが実に面白いが、この曲はソロとオケのちょこちょこした走句の掛け合いから始まり、比較的地味ではあるけれども、上品な味わいがある。旋律も小ばかにしたようなピアノ協奏曲とは違い、ミヨーの1番あたりを思わせる美しいものだ。オーケストレーションの創意はやや劣るが、曲想の展開のさせかたに20世紀的な新しさを感じる。あきらかに新古典的であり、ストラヴィンスキーに接近している。だが根本が娯楽的なこの人の作品はむしろプロコフィエフ的と言った方がいいのかもしれない(3楽章の古典風のペットの挿句などプロコフィエフに似ている)。曲感的にはショスタコーヴィチの2番を思い浮かべる向きもあるかもしれない。世俗的な楽想の中にも尖鋭な音響を絡め、終始タカタカ走り続けるピアノソロ(ロングはじつに指が回る)が時にはサーカス音楽のように聞こえて面白い。マルティノンの丁々発止の攻撃的伴奏も聞き物。ソロとオケが非常に調和していて聴き易い。なまじフランスの楽団ではなく機能的なロンドン・フィルだからよかったのかもしれない。モノラルだがかなりクリアな音。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランセ:ピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ,○マルグリート・ウェバー(P)フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(DG)1956/9/5・CDドイツと縁が無いというわけではないのだけれども、そもそもフランセはフランス20世紀でもかなり軟派なほうの作曲家、ドイツとは程遠い軽妙洒脱な作風ゆえに聴く前に不安をおぼえた。しかし聴いてみるとこれが意外なほど自然な演奏に仕上がっている。ピアニストはどの音も疎かにせずしっかり弾いていながらも、聴感は至極さらりとしている。ほどよく粒だった音符と流れ良い音楽が心地いい。緩徐楽章が地味だが、他はけっこう南欧の開放的な気分をほうふつとするところがあり気持ちいい。そう、この演奏は気持ちいいのだ。何度聞いても気持ちいいのだ。これを佳演とせずして何としよう。○。フリッチャイはこんな曲も振れるのだ。落ち着き安定した指揮ぶりは意外だが協奏曲といえばこんなものか。恐らくこのたびのボックスでCD初出(2004/1/20記)。*なぜかピアノ協奏曲とコンチェルティーノを逆に覚えてました。逆になっていたところを直しました。すんません!(2003記),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランセ:ピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ,○作曲家(P)ボルヒャルト指揮BPO(TELEFUNKEN)LP,,若い頃のフランセはそのピアノの腕前のせいか(作曲の腕前は言わずもがなベル・エポック時代の作曲家であることを謳歌するかのように闊達だが)ベルリン・フィルとよくやっていたらしい。よくよく惚れこまれたのかナディア・ブーランジェ師自ら振って協奏曲録音とあいなっているのはCDでも確認できることだ。この曲は協奏曲より更に軽く(小協奏曲なのだから当たり前だが)楽章こそきちっと揃っているものの、みな非常に短い。これは最近亡くなるまで延々と作風として残り続けたわけだが、やはり源泉となるこのころの作品が一番溌剌としていい。ベルリン・フィルは物凄く統制がとれておりさすがの合奏威力、ザッツの揃い方だが、フランセの撫でるように全ての音をスピーディにこなすフランス的なスタイルとは余りあっているようには思えない。地味感が否めないのはこの組合せと、恐らくベストメンバーではない小規模ベルリン・フィルの無個性からくるものだろう。曲的にもフランセのピアニストとしての壮絶な技巧を見せ付けるほどには複雑ではないこともあって、余りに軽く聞き流せてしまった。それも流麗というのではなく地味であるという意味で。悪くはない、だから○にしておくが、新しい録音で聴くべき「鮮度が肝心」な曲ではあるだろう。フランセより指が廻ることは大前提だ。だから、難しい。他愛のない12楽器のためのセレナーデとのカップリング(イッセルシュテット)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:ピアノ協奏曲(1936),○作曲家(P)プレートル指揮ORTF(ina)1960/11/22live,,構成感、立体的な造形が見事。くっきりと非常に見通しがよい。曲自体がシンプル志向であることも手伝い素直な魅力にあふれ、なおかつ両端楽章ではオケとソリストのスリリングなやりとり(フランセの真骨頂、ポリリズム、ポリトナル!)に胸のすくような思い。また全体の作り方がとてもうまく、他の演奏によくあるようなただ楽譜を音にしたような演奏ではなく、しっかり音楽をやろうとして成功している。このような、フランセのこの曲を理解しきったさま。覇気あふれるプレートル壮年期の名演。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:ピアノ協奏曲(1936),◎作曲家(P)N.ブーランジェ指揮パリ・フィル(WORLD RECORDS他/HMV)1937/12 イベールの息子というよりプーランクの息子と言った方がイメージに合うと思う。そしてプーランクよりも純粋な喜遊曲作家であり、才気溢れるという言葉がこれほど似合う現代作曲家もいなかったろう。一昨年他界したときは悲しかった。珍しい4楽章制のこの曲は、冒頭の人を食ったようなコンマスソロと、立て板に水のピアノ走句の掛け合いからして、これはヤラレタといった感じ。真面目の上に糞の付くクラシック・ファンは眉をひそめようが、これこそライト・クラシックの醍醐味であり、ポップスとの狭間でうやむやになっているもうひとつのジャンルを主張する力強い馬鹿騒ぎだ。馬鹿といっても新古典ここにありといわんばかりの絶妙な音楽的計算は馬鹿には書けないもので、2楽章の穏やかな夜、さらに3楽章から4楽章へ向かう古典交響曲的流れは、ピアノ協奏曲という堅苦しいジャンルを越えて耳に轟く。フランセのピアニズムの凄さは師匠と合わせたこの若い演奏で如実に現れ、後年の達観した軽い響きよりも、ガンガン迫ってくる力がある。部分的にCD化されている(国内盤の自作自演特集のようなセットCDだったと記憶)。フランセのピアノ協奏曲は、良く似た雰囲気のコンチェルティーノ、プーランクのそれに似た2台ピアノ協奏曲ほかがあり、いずれも自作自演もしくは娘さんとの共演で楽しめる。(2000記),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランセ:ピアノ三重奏曲,○ハヴェニス(P)ガウリロフ(Vn)ゴリツキ(Vc)(wergo)1989・CD,,ピアノ三重奏曲というとチャイコしかりラヴェルしかり内容が濃く技術的にはソリスト級の演奏家が集まってやるレベルのものを想起させるが、そこはフランセいつもの調子で軽い。楽章数は4つと平凡だがどれも4分前後で、洒脱な旋律と軽いアンサンブルを楽しむだけの15分強。ジャズふうの走句も「え、現代でまだそれ?」などと言わず素直に楽しむべきだろう。取り立てて言うことは無いが、この作曲家の職人的作風が好きな人ならどうぞ。演奏はやや地味。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:びっこの悪魔,◎キューノ(T)コンラッド(B)作曲家指揮アンサンブル・インストゥルメンタル(vega)LP,,セ・ラ・ヴィから始まる喜劇(うーんテキストが読みたい、あるいは見たい)。精妙かつ精密、ミヨーをオネゲル並みに揉んで組み替えてそぎ落としたような無駄の無い書法(オネゲルは同世代以下では「内容はともかく」フランセの技巧を非常に評価していた)が牧歌的な楽想をいっそう清清しく、またシニカルに盛り立てて素晴らしい。録音も明瞭でモノラルだけど恐らく本当はステレオで収録されたのではないか(ただ私のベガ盤は音とびする(泣))。ミヨーの陰りもオネゲルの晦渋もなく、世俗的雰囲気は殆どメタクラシックだが時代を感じさせこれがまたいい。ワンパターン?それでも美しさには異論はあるまい。とにかく無駄のない機械的構造にはラヴェルが世俗音楽に手を染めたかのようなすぐれた手腕が発揮され、そこにうまく台詞がのり韻律が実に楽しい。機械といっても部品は顕微鏡で眺めるレベルの繊細さだ。「兵士の物語」と結び付けられて考えられても仕方ない室内劇ではあるけれど、もっと軽く、もっと楽しく、BEAセレナーデを更に聞きやすくしたかのような美しい曲。演奏の楽しさ、スピード感は言うまでもあるまい。いささかの陰りもないフランセの世界を楽しもう。◎。「びっこ」は差別用語。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
フランセ:プーランクによる「楽しむための音楽」,○作曲家指揮マインツ管楽アンサンブル(wergo)1987/1,,「プーランクの息子」フランセによる軽妙な小品。プーランクのような妙な重みや毒は無く、モーツァルト的な、ストラヴィンスキーの香りを仄かに織り交ぜた作品で、まあ日曜の午前にはぴったりである。その場限りの楽しみといった要素は否定できないが、何の邪魔もせず、楽しめばいい、それだけのものである。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:フルート、弦楽三重奏、ハープのための五重奏曲,○リノス・ハープ五重奏団(X5 Music Group)2009・CD,,このSERENADEと題された盤(現在は有料配信で手に入る)、珍しいと同時にハープアンサンブル好きには堪らない作曲家の作品が満ちており、つまり私好みであり、おすすめ。フランセらしくない曲、というか真面目なのが不思議な曲で、諸所六人組的な簡素な表現をとってみたり響きに先鋭的なものを混ぜたり変化に富んでいて、マンネリフランセしか知らない向きには1934年のこの作品を薦めたい。フランセはSP録音時代に作曲的頂点を迎えていたのだなあと思った。ドビュッシイストにももちろんおすすめ。演奏もたいへんリリカルで美しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:フルート・ソナタ,○ランパル(Fl)バイロン・ラクロア(P)(HORIZONS,AJPR)1955プラハ放送・CD,,トッカーティナから始まる5曲の組曲だが、そのトッカーティナが物凄い踏み外し方をしていて面白い。もう即興的に音をぶらし、ピアノもその調子でつけていく。フランセの作品はピアノで作られている。八分音符十六分音符がパンチカードのように羅列され不規則なリズムに配分されている。メカニカルな構造は通常は決してこういう奏者の自由を許さないし、それではフランセではなくなってしまう。旋律だけならキッチュな30年代サロン音楽なのだ。だがまあ、フランセを知らない人がこれを聴いたら、他は聴けなくなる。他の楽章では夜想曲など緩徐楽章の旋律がフランセにしては魅力的で、ランパルの表現もゆたかである。最初に書いたがフランセはピアニストである。弦楽器にも管楽器にもきほんとんでもなく疲れる譜面を提供する。ランパルの顔面筋肉の強靭さを知ることができる演奏と言えるだろう。私的には一楽章はやりすぎだと思うが、全般はおすすめ。,-----,,,,,,,,,,,,
フランセ:フルートのためのディヴェルティメント,○ランパル(Fl)ヴェイロン=ラクロワ(P)(Felsted/barclay他)1950年代・LP,,webに出回っている音源は正規録音であるこれと思われるが、ノイズのなさから協会盤かもしれない(その場合ピアニストは異なるが未確認)。erato盤か。モーツァルト、クレメンティ、そしてピストンのソナタとの組み合わせ。楽曲はフランセでもかなりいいほうの充実した作品で、技巧的な部分を散りばめながらも30年代ふうのレトロチックなロマンを漂わせる旋律が美しい。ランパルはもっと若いころだと曲にあっていたのかもしれないがこれでも十分に燻し銀?の美しさが伝わってくる。なかなかいいので探してみてはいかが。○。ランパルに献呈されている。ランパルはfrench BROでフルート協奏曲の放送録音が発売されたことがあるが希少LPとなっている(高価ではない)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:ベルセウス/ロンディーノ・スタッカート/夜想曲/モヴィメント・パーペチュアル/セレナーデ,○ジャンドロン(Vc)作曲家(P)(PHILIPS)LPチェロ小曲集だが、ベルセウスの陰りのある音楽が飛び抜けて印象的だ。フランセの緩徐楽章は極めて旋律的かつ軽すぎてあまり魅力的でない場合が多いように思うが、この曲の思索的な雰囲気は秀逸だ。無論ジャンドロンのチェロの表現力によるところも大きい(ちなみにこの盤にもドビュッシーのソナタが収録されているが、ペラペラの他盤にくらべ厚手でカッティングが深いせいか、じつにニュアンス豊かな表現で、深い音色も技巧的にも完璧に聞こえた。同じ録音だと思うのだが、コンディションによってこれほど変わるものか、と驚嘆し、ジャンドロンというフランスの奏者の類希な力量とセンスに改めて感動した次第。)他の曲はいずれもあまり魅力的ではない凡作。しいていえばセレナーデが楽しい。フランセらしい機知は意外と篭っていない。そんなところか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランセ:ほぼ即興で,○作曲家監修マインツ管楽アンサンブル(wergo)1987/1,,書き散らかしたかのような小片の多いフランセだがこれも思いっきりそのひとつと言える。まったくブレのないマンネリズムの範疇にあってまるで80年時を遡ったかのような雰囲気を持つが、それでもこの短い中にきちんと序破急を組み立てているのは職人技。晦渋なソロだけでいくのかと思ったら結局世俗ワルツか、みたいなところもあるが、まあ。。○でいいでしょう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:映画「Le lit a Colonnes」よりVALSE LANGOUREUSE,○ヤンセン(歌)(FREMEAUX&ASSOCIES)1943/2/17 詩はコクトー。古きよき時代の、古きよき音楽だ。フランセの天才に拍手。美しくもどこか物悲しいワルツだ。優雅で幻想的で華やか。ヤンセンの甘い声もこの短くとも機知に満ちた曲を引き立てている。ハーモニーが気持ちよかった。 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランセ:映画音楽「もしヴェルサイユが語りかけるなら」,ツィピーヌ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(forgotten records:CD-R/pathe),,フランスらしく華やかなオケの音に感銘を受けた。曲が貴族風の擬古典的フレーズ(ラ・マルセイエーズを含む)に彩られたものであることもあるが、ツィピーヌという指揮者はオケによって印象がけっこう変わる人なのだなあと改めて思った。ひびきが拡散的で華麗。終曲だけはYouTubeで聴けるが少しコントラストが強調されており、原盤ではより細やかな表現が楽しめる。フランセは映画音楽もよくこなし、そういうときは書法のマンネリズムが避けられて却って面白く聴ける。職人性が良い方向にあらわれたプロフェッショナルなものである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:映画音楽「四人の郵便屋」,デゾルミエール指揮(動画配信), 4人の郵便屋, 1942年作品, 曲、ジャン・フランセ, 指揮、ロジェ・デゾルミエール,,映画本編,"https://youtu.be/Wnf6owXvzmc",-----,,,-----,,,-----
フランセ:幻想曲,ジャンドロン(Vc)作曲家(P)(ina配信)1962/2/4(放送),,溌剌としたフランセらしさがあらわれる曲ではフランセ自身粒だった音で溌剌としつつもそつなく連打していく。バックに徹する場合はまったく前に出ず無個性にひきこなす。一方チェロにそれは酷というような高音の細かい動きなどある曲で、特に前半ジャンドロンの音程など非常にあやうい。終わりに近づくにつれ安定してきてほっと楽しめる。ジャンドロンの音はじつに味わい深い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:幻想曲,タウアー(c)作曲家(p)19630209エコールノルマルlive(belle ame),,チェロという楽器の渋い響きがこの作曲家の作品特有の薄っぺらさに良い意味で足枷となり、新しい聴き方ができる。フランセは弦楽器に過酷な要求をするのでタウアーもテクニック上苦しい所があるが、貴重。モノラル。拍手喝采入り。,,二枚組3500円という今時信じられない値付けで躊躇したCDだが、フランス放送音源は元々高く(amazonデジタル盤も無茶高)、inaは版元にものすごくふっかけるので有名なので末端価格高騰もやむなしらしい。DENON製造韓国盤。,,フランス放送音源が単発で再発されない、中古高騰するのはそのへんに起因すると思ってる。韓国はごくたまに歴史的録音マニア垂涎の廉価復刻レーベルを輩出するが、最近ミュンシュボックスなど再び怪しげな動きをはじめている。これは昨年盤だが。,DENONが海外のマニアレーベルの下請け、てのmusic&artsにもあった。背景には事実上ダボハゼみたいな日本のマニアのみを対象にした商品であることもあると思ってる。日本のクラシック歴史的録音復刻シーンは異常で、海外ディスコグラフィに日本盤ばかりなことは多々ある。,-----,,,-----,,,-----,,
フランセ:幻想曲,ナヴァッラ(Vc)作曲家(p)(spectrum),,技術的問題を軽々と乗り越えアンサンブルの名手でもある作曲家と高度なやり取りを行っている。録音に鄙びたところがあり、安定しすぎている点も含めこれといった強く打ち出す所は少ないも抒情表現は感傷に頼らず音で心を打つ。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:弦楽交響曲,○モーリア指揮ツールーズ国立室内管弦楽団(PIERRE VERANY)CD,,フランセ晩年に自演も含め作品選集を随時出していたレーベルで、この指揮者も作曲家に近しい間柄だった。作品は小馬鹿にしたような小品の多いフランセの中では名作に類する形式音楽で、軽妙な新古典ふう交響曲に表向き見せながらも真摯さの伺える機知に富んだ作品になっている。旋律が提示されるもすぐ解体され、見通しのよさは維持しながらも装飾音的フレーズやリズム音形が交錯する無調的な雰囲気音楽と化す・・・もしくは旋律そのものが明確に形成されることなく、限られたいくつかの音を音列的に組み合わせ(隠喩的記譜法であろう)その変容に加え律動と絡み合いだけで進行させてゆく。これはフランセが一時期得意としたやり方で同盤収録のBEAセレナーデにも(あちらはもう少し世俗的にこなれている組曲だが)みられるが、作曲技巧に走った筆のすさびとみなされるような凡作も多い中では注意深く、方法が方法だけに(フランセには珍しく)緩徐楽章・部が目立つこの静かな曲では冗長感を醸す部分も少なからずあるものの、新しい印象派表現として楽しめる範疇である。スーラのような「輪郭のはっきりした数学的点描画」を思い浮かべた。大人しいオケで技術的にも弦楽合奏団にしては音色のバラケやアタックの弱さが目立ち押しの弱さが作品自体を地味に聴かせてしまっているところもあるが・・・といってもこれは近代フランスの古「雅」な作品でありドイツやロシアの重くて鋭いもの、あるいは学究的な古典合奏団のような計算的なものを目指した演奏をなすべきではない・・・現代の室内楽団はそれら主流派の影響を受けすぎて無機質高精度で押しが強過ぎるのだ・・・フランセのもうひとつの顔であるひそやかなINTIMATEで優しいものを浮き彫りにしているところは評価できるだろうか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:弦楽三重奏曲(1933),○シベリウス三重奏団(INTEGRAL)CD,,こういう軽い曲の演奏は如何に遊ぶかで(もちろん「名技性において」)決まってくるものだが、実にまっすぐに、譜面に忠実に、若干控えめに演じている。しかし、聴きなれた同曲が実はこういう構造をしていたんだ、とか、技巧派フランセの仕組んだからくり時計のような仕掛けにはっとさせられることしきりで、とくに終楽章展開部やコーダでは現代的な硬質な響きが精妙に組み合わされているところがはっきりとききとれ、古いヴィルツオーソらのただ弾きまくるような演奏にくらべ内容的に勝っていると感じられるところがある。私など譜面も持っていて弾いたりしていたのに、終楽章にカットがあることがあることに(この演奏ではカットはない)初めて気が付いた次第でもある。フランセが軽音楽作曲家兼ピアニストだと思っていたら大間違い、ナディア・ブーランジェの秘蔵子、アンファン・テリブルだったことを実感できる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:弦楽三重奏曲(1933),○ジャリ(Vn)コロー(Va)トゥルニュス(Vc)(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)1969/3放送・LP,,スピードのある即物的な演奏だが過剰なキレがなく柔和な部分もあり好ましく聴ける。技術的に不足はないのだが、技術要素を聴くよりも音色を楽しむ演奏と言うべきだと思う。予想外に達者な演奏だった。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
フランセ:弦楽三重奏曲(1933),○プーネット(Vn)リドル(Va)ピニ(Va)(PYE,nixa)LP,,ウェストミンスター録音。この才気溢れる作品はイギリスの中庸の名手が集まって制作された中の一曲で、一楽章せわしないミューティングされたアレグロの、普通激烈にやるからミュートが生きる筈なのに、穏やかな緩やかな音楽に、そのてのよくある客観解釈かと思ったら大間違い。ミュートを外したスケルツォの丁丁発止のスリリングでも乱れが一切ない凄いスピード、これはフィナーレでもそうだけど音色の個性が比較論で中庸な面を除けば(フランスやヴィルツォーソ系のものとは違いイギリスの優しく柔らかく聞きなじみのある音でBGMふうにきけます、緩徐楽章などとくに)技術的には完璧だし、ひょっとすると例のロシアの巨匠らの凄絶なものよりよほど楽しく聞けるかもしれない。細部まで明瞭に悪戯ぽい仕掛けを聞き取れるのも魅力。フランセは九歳でサン・サーンスがなくなったときル・マン音楽院長の父に、心配しないで僕がいるから、と手紙を送り、程なくソリスト級の腕前だったピアノの曲を書き上げ出版までされたという人である。早熟のテクニシャンの作品は楽想が軽音楽すれすれなのを除けばどれも創意と技巧に満ち、弾くとかならずメカニカルな発見のあるものだが(ミューティングとピチカートの用法にライナー文は触れている)、この演奏ではフィナーレ終盤の低音を中心にした構造的なフレーズのガシガシくる表現は特異なバランスで聞き物。ここは版違いの可能性がある。そのあと超高音のヴァイオリンにはさすがにパワー不足を感じたが普通はこうだろう。ハイポジ技術はあるていど生来の適性のものだ。◎に近い○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
フランセ:弦楽三重奏曲(1933),◎ハイフェッツ/パスカル(パスクワーレ)/ピアティゴルスキー(RCA)CD化 異常な演奏。こんな超絶技巧家による演奏を耳にしてしまうと、それ以外の演奏を漁ったり、自分で演奏したりという気すら失せてしまう。ただ余りに豪速球。圧倒的すぎる。完璧すぎるために、居住まいを正さねばならないような気も。遊びに欠けるか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランセ:弦楽三重奏曲(1933),アルベール・ルーセル弦楽三重奏団(LYRION)CD化不明 音色操作に若干面白みが見出せる(3楽章ノンヴィブによる教会音楽風な響きなど面白い)ものの、遅めのテンポの生真面目な演奏では、酒場で楽しんで聴くようなこの曲の本性を削いでしまう。4楽章の最後は「勢い」で現代的な響きを”飛ばして”しまうのが恰好が良いと思うが、硬質な不協和音をひとつひとつ確かめるように響かせてしまったために、破天荒さが「現代音楽」に覆い隠され、唐突だし、台無し。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランセ:弦楽四重奏曲,◎作曲家指揮レーヴェングート四重奏団(ACHARLIN)ちょっとピッチが高めだが録音のせいか。この団体の盤はどのセコハン屋でもすっかり貴重盤扱いだが、それほど人気があるのだろうか。フランクやルーセルの盤などとても手が出ない高額にはねあがっている(ちなみにこの団体CDは1、2枚くらいしか出ていないはず)。フランスの団体らしい謡い廻しや遊びがない実直な演奏を行う。弱い弓圧で繊細な音色を引出しているところは個人的に非常に好きだが、全員、線が細すぎると思うのは私だけだろうか。そのほうがアンサンブルとしてまとまりやすいから技術面に注視する向きに受けるのだろうか。表面的であからさまな表情を見せないからといって叙情的な面に欠けているわけでもなく、寧ろ「総体の音色」で語れる珍しいカルテットである。この曲はフランセの水準からいってけして良い出来ではない。でも、この演奏はぐっと引き込まれるものがあった。正攻法であっさりした解釈なのに、柔らかく細い音色の美妙な綾を利用して、とても爽やかな叙情味溢れる演奏を繰りひろげている。なかなかやるのだ。遂にはフランセの骨頂である懐かしい時代のパリをまさに思わせるエスプリを演じあげている。あなどれない。4本が技術的に同格のため内声部が生きて聞こえるせいもあろう。ファーストはプロとしては派手さが無く、技術的にけして高度なわけではない。あからさまな感情を音にできないのではなかとすら思わせる。でもそのために逆にレベルの揃った見事なアンサンブルが出来ているのではないか。ドビュッシーなどを聞いても内声が大きく響き構築的な響きを造り上げていて秀逸。ああ、フランセの曲でしたね。フランセの同曲の演奏としては、間違いなく◎。こういう中身を適切に抉った演奏で触れる人が増えれば、この佳曲も有名になるかもしれない。(後補)この演奏、改めて聞くとそれほどには細くて下手な演奏ではありませんでした(泣)ドビュッシーやラヴェルはそうなんですけどね。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランセ:弦楽四重奏曲,作曲家指揮フランス八重奏団のメンバー(EROL)1997年奇しくも作曲家の追悼盤のように発売された自作自演集の中の一曲。4楽章からなるが、このCDで総演奏時間13分2秒という小曲である。1937年作曲の曲で、決して才気の衰えていない頃の作品のはずだが、「イベールの息子」らしい気の利いたところがイマイチ感じられない。旋律がぱっとせず、フランセらしい楽しい躍動が余り見られない。弦楽三重奏曲の天才的な技と比べて、同じ弦楽アンサンブル曲としては見劣りがする。強いていえば第三楽章のスケルツオが、イベールの弦楽四重奏曲の第三楽章のようにピチカートのアンサンブルで始まるところが、いかにも「らしく」、ちょっと耳を惹く。演奏自体は、「巧い」けれども「旨み」の少ない冷徹な演奏といったところ。そのせいで曲の楽しさが伝わってこないのかもしれないとも思った。同盤には他にも沢山の室内楽曲が含まれているのでお徳。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランセ:五重奏曲,○ピエール・ジャメ五重奏団(timpani)1933-52・CD,,ラスキーヌと並ぶフランス派往年の名ハーピスト、ピエール・ジャメ教授によるSP録音復刻集の中の一曲。サロン風というかいかにもベル・エポックの世俗の雰囲気をもった愉しい曲で、脂の乗り切ったフランセの、脂を感じさせないドライな楽曲を、さらっとした肌触りの楽団がさらっとやりきった気品あるもの。SPの音質を決して上手く復刻しているわけではないが、元来シャープで硬質な表現をもったこの楽団の気質はよく反映されていると思う。事前情報なしでは余りにさらっと聞けてしまうがゆえに印象に残らないかもしれないが、フランセのBEAセレナーデあたりが好きな私には、表層的な律動の楽しさだけを追ったわけではないこの曲の正統な表現としてかなりアピールした。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
フランセ:五重奏曲,マリ・クレール・ジャメ五重奏団(ERATO)1963/1 10分余りの小曲なのに4楽章制とは、さすがフランセ。フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとハープというとりあわせ、フランセの室内楽としてはちょっと面白い聴感だ。フルートがちょっと違和感感じるが、なかなかいい音色である。曲自体はフランセの水準からすれば余り高くはない。筆のすさびで書いたのだろう、きっと。この組み合わせの音響的な新奇さ以外に聴き所はあまりない。あっというまに聞けてしまうので、あっけない気もする。弦楽三重奏曲にちょっと似ているか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
フランセ:木管五重奏曲,○フランス国立放送管弦楽団木管五重奏団(EMI)1953・CD,,四楽章からなる小品でじつにフランセらしいが、あまた書いた室内楽の他聞に漏れず細かくトリッキーな動きが難しい曲で如何にもピアニストの曲といった趣だ。弦楽アンサンブル曲でも同じことは言えるが、恐らくもっと鋭い音の切りかたが可能な弦楽器のほうが向く作曲家でなかったのかな、と思う。といっても木管五重奏曲の名作といわれる作品であり、技巧の見せ所満載。フルートとクラとホルンあたりに旋律が偏重している一方、地味ではあるが非常に細かい(特に終楽章!)音符を吹きこなすバソンなど面白い。さすがにこの曲になると高音がちょっと辛い部分が僅かにあるけれど、まあほんとに難曲ゆえのものだ。あと、和音が非常に綺麗!オケ首席楽団だけあって音色が完璧に揃っており音量バランスも計算し尽くしたようですらあり、音響的に素晴らしい。モノラル。アナログではプーランクのゼクステットの裏面。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:交響曲ト長調,マルティノン指揮ORTF(ina配信)1972/7/23(放送)live,,叙情的な演奏でフランセ特有のきびきびした動きより横の流れを重視したようなところがある。統制もそれに従ってやや緩く、響きもリズムもフランセというよりルーセルのようになっている。曲自体はっきり言って佳作とも言いがたい冗長なものであり、つまらない軽音楽をだらだら聴いているような残念なところがあるが、これもまたマルティノンの個性なのだろう。この曲はフランセにしては洒脱さが足りないが規模的にやりやすいのか、室内楽団の演目にあがることがたまにある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:交響曲ト長調,○フィッシャー指揮アルスター管弦楽団(HYPERION),,現行盤としてはこれだけ。日本語紙を付けた外盤でも出ている。自作自演盤が死の直後位にEROLより発売されており、ほぼ遺作に近い曲も含まれていたが残念ながら入手困難。これ、いい曲です。でも、典型的なフランセの「室内楽」て感じ。弦が酷使され、ひたすら飛ばしばっかりのいわゆるフランセの譜面なのである。縦そろわねー!頭拍抜けの変拍子旋律がやらしい1楽章なんて弦楽トリオそっくりの始まり方である。曲想はいい。時期的にも確か近い、BEAセレナーデに似ている。余り目立つ曲とは言えず、特殊楽器も生かしきれていない、膨張したフランセらしくないところも感じられ、交響曲という形式にこのミニアチュールの作曲家がギリギリ接近したのがこの世界、というところだ。プロコの古典と比較されることをあまりよく思っていなかったそうだが楽想的にも余り接点は無い。ハイドンの思い出に捧ぐという副題もプロコを想起させられざるを得ない。しかし結局は響きに古典的なものが感じられる程度で、それも弦楽合奏を主体としたアンサンブルだからということにすぎない。くせがなくて聞きやすい演奏。○。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:交響曲ト長調,○作曲家指揮モンテ・カルロ・フィルハーモニー管弦楽団(EROL)CD,,生前に一目お目にかかりたい作曲家、それがこの人だった。長寿であったが亡くなった報せは唐突で、その前後にEROLより発売された自作自演を含む作品集は晩年の境地を知らしめるものとして感慨深いものがあった。長沼さんとのヴァイオリン協奏曲を含むこの盤に「交響曲」が含まれていたことは意外と知られていない。作品自体はフランセの軽妙洒脱、というよりも皮肉屋としての側面が反映された何とも言いがたい「巫戯気た」ものとなっているが、形式的にも内容的にもフランス新古典主義の交響曲として欠けたところのないものとなっているのが面白い。53年作品とは思えない、プーランク的な1楽章アレグレット、ミヨー的な2楽章アンダンテ、ストラヴィンスキー的なメヌエット(だらだらと長いが)、がちゃがちゃと騒ぐだけのファイナルという姿は、まさにフランセが半世紀以上も様様な形式に使ってきた「型」を交響曲に引き伸ばして当てはめただけであり、正直後半はダレるものの、同時代に類をみない「お気楽交響曲」のさまはソヴィエトのショスタコが9番でみせた軽妙洒脱さが如何に軽妙洒脱では「ない」かを知らしめるような能天気ぶりで、逆に楽しい。ただ聞くだけではわからない、案外難しいのがフランセの書法、和声進行も変則リズムもまったくワンパターンなのに細部にいちいちストラヴィンスキー的な創意が籠められており、初見で読み解くのは難しい。こういうのを初見で弾ける人はヒンデミットのマニアックなガチャガチャもすぐに初見弾きできるんだろうなあ。フランセの指揮はリズムが明確でそのピアニズム同様スピーディで正確だが弦楽器主体にならざるをえないこの型式になると処理にいささか生硬さが滲み出てしまう。横の動き主体の弦楽器に変則的な縦のリズムをきっちりかまさせるのは如何に演奏家として優れていてもプロの指揮者で無い限り難しいものだ。でもオケがけっこうフランス的でありながらも技術的に安定感がありうまくのっている。作曲的にピークの過ぎた作品ではあるが、もっと注目されてもいい幸福な作品だ。何故ショスタコやらマーラーやら不幸な作品ばかりが注目されるのかなあ日本という国は。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
フランセ:三つのエピグラム,○レーヴェングート四重奏団他(A.Charlin)LP,,男声・女声と小規模室内楽という編成や5分程度の演奏時間からしてもミヨーのミニチュア歌劇を思わせる音楽で、いつもの子供っぽい心地も旋律にはあるけれども、実はけっこう声楽を伴う曲も書いている人らしく、サティのソクラートに近い極めて削ぎ落とされた音楽はしんと響くものである。かなり真摯でアルカイックな雰囲気をかもし、演奏陣の精緻で注意深い配慮も効いている。言葉と音楽の不可分な感じはフランスの近代作曲家の多聞に漏れない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:三つの二重奏曲,○ピエッティ、シャモナン(Sp)R.パスキエ、O.シャリエ(Vn)B.パスキエ(Va)R.フォンタナローザ(Vc)(cybelia)LP,,弦楽四重奏伴奏付というのは珍しくないがソプラノデュオというのはなかなかないのではないか。派手かと思いきやそんなこともなく、フランセの室内楽の面白さと歌曲の旋律の絡み合いを楽しめる佳品。演奏は比較対象が無いのでナンともいえない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:四声と二台のピアノのためのカンタータ「ジュブニリア」,○作曲家(P)他(A.Charlin)LP,,11分。流行作家のようなところもある、委属ばかりのフランセの作品は殆どこんな長さだ。流行作家のようなところがあるからこそ、旧い盤になると一回しかプレスされなかったりして異様な高値がついたまま需要もなくどこかの蔵にしまわれているような状態だ。これは新しくて比較的入手がたやすいものだが、作品によって色が違うのが面白い。フランセというとあのマンネリズムの否めないタイプライターのようなピアノの走句が先導するスポーツ的世俗性が思い浮かぶが、声が入ると変わる、というか人声とそれに属する擦弦楽器の音が入るとフランセの音楽には立体性が加わり一気にクラシカルな価値が高まるように思う。アンサンブルの機械的な面白みだけで冒険がなけれは、聴き終わったら忘れてしまう。「縦に叩く音」だけではなく「横に流れる音」が重なって絡んでこそ、機械の体のピアニスト・フランセの醒めた芸風を流麗な音楽へと昇華させる鍵。この曲の四声はまさにこれがフランセの真骨頂だと思わせる。フランセをピアノの中核に絡んだ曲でしか知らない向きには新鮮に感じられるだろう。ここには不協和音が横溢している。初期に書くならともかく、いや初期ではカンタータがはっしのアンサンブルを繰り広げる背景に「いつものフランセのピアノ音楽」を重層的に流すようなわざは使えなかったろう。この演奏は劇性を孕みながらも比較的抑制的な表現で品のよさを示している。フランセ・デュオは殆ど前面に出ないが録音でバランスを整えているのかもしれない、丁度のバランスで不協和な流れに厭味を感じさせない配慮ととれる。○。フランセを知らない向きにもおすすめ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:小さなパガニーニ,○R.パスキエ、P.フォンタナローザ、O.シャリエ(Vn)(cybelia)LP,,"「子供のための音楽」というシューマン張りの曲集の嚆矢を飾る小品で前奏曲とワルツという二曲。平易だが簡単では無い(ワルツをはさむ無窮動などアンサンブルは難しいだろう)。晩年作としてはけっこういい線だと思う。子供には弾けないか。ヴュータンなら弾ける。ヴァイオリンソロと4台のヴァイオリンが指定されているがここでは3本でやっているようだ。○。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:友パパゲーノを称えて,○作曲家(P)マインツ管楽アンサンブル(wergo)1987/1 ,,クラシック作曲家の伝統芸といってもいいパロディ作品で、フランセはラヴェル以上にこういったものを好んだようだ。確かにモーツァルトのメロディなのにハーモニーや挿句がモダンな感傷や殆どジャズのような刹那的快楽を持ち込み、それを流石技巧派フランセの冷たいピアニズムが、気取ったさまで「どうだ」とニヤリと笑ってみせる。くるくる次々とあらわれる主題が基本ピアノで、更にアンサンブルの職人的な手による組み合わせから息をもつかせぬ隙の無い書法に昇華されているさまは、そんな言辞が野暮に思えるほど楽しい。フランセの後期作品はピンとこないものも多いが、冒頭から旋律の魅力が美しく新しく引き立てられているから、個性的かどうかは別として、聴き易い。まあ、フランセのピアノが魅力の8割を占めているかも。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:羊飼いの時間,◎作曲家(P)レーヴェングート四重奏団他(A.Charlin),,うん、これは楽しい。猫の鳴き声から始まってパリ夜のランチキ騒ぎのような世俗的な音楽、メロディも和声も懐かしく馴染みよくレーヴェングートのねっとり、でも小洒落たアンサンブルに対してフランセ自身のピアニズムがしっかり芯を通す、やはりこの人の芸風は自分の作品に最もあっているんだなあと思う。フランセのあまたある作品の中でもかなり上位に置けます。◎。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
フランセ:ヨーロッパ風小ワルツ,作曲家 アマート吹奏楽団