-2019/1/9(23修正25追加修正)debussy
シューマン/ドビュッシー編:泉のほとりで,○プランテ(P)(ARBITER他)1928/7/4・CD,,フランス派の巨匠による、殆ど「初期ドビュッシー」な一曲(なので分類もドビュッシーにしておいた)。華やかなピアニズムで春のうららかな雰囲気を演出している。美しい。「フランス・ピアノ伝統の創始者たち 1903-1939」所収。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー/オーリッジ:歌劇「鐘楼の悪魔」(補筆完成版),ミューラー指揮ゲッティンゲンso他(PanClassics)2013/12live・CD,,ドビュッシーの断片を補筆完成させるオーリッジ氏のプロジェクトの成果のひとつ。これはポー劇として同じく構想された「アッシャー家」と比べ、殆どドビュッシーが書いた部分が無い(シナリオはある模様)。印象は新古典主義的な灰汁のない子供向けの劇という感じ。後半諧謔的で過去クラシック音楽のパロディもまじえた部分はあるが、ドビュッシーという感じは到底しない。聴きやすく演奏もすぐれて見通し良いものではある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー/オーリッジ:象たちのトーマイ,青柳いづみこ(P)(camerata)2012/4/10-12・CD,,オーリッジ氏の補筆完成プロジェクトの成果は最終的に音盤にまとめてほしいものだが、こうやって断片的にしか知ることができないのは困ったものである。奏者としても日本で最もドビュッシーに詳しいソリストによる、初演ではないが盤としては初のもので、四分半ほどの小品ではあるが、元々前奏曲集第2巻11曲めとして構想された(ものを再現した)作品なので、それにしては長い。スケッチはあったらしいがいずれオーリッジ氏はこの曲が「おもちゃ箱」に取り込まれたと判断して、おもちゃ箱より素材を編み上げたそうである。つまりいつも以上に「オーリッジ作品」でありドビュッシーは着想を与えたにすぎない。聴けば分かるがいくつかの様式が混在してモザイク状に配置されており、前衛がとつぜん過去の甘やかな「印象派」になりまた象の足音のような重い打音で断ち切れてはオリエンタルな夢幻が立ち現れる。混乱しているようにすら思えるがキプリングの童話に沿ってきちんと組み立てられており、それゆえの長尺でもあるが、さすがオーリッジ氏の腕は冴えており、晩年ドビュッシー作品として聴けるのである。スタンウェイの響きが美しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:子供の領分,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:子供の領分,作曲家(PーROLL) 1913
ドビュッシー:子供の領分組曲,コルトー (P) 1928
ドビュッシー:子供の領分〜グラドス・パルナッソム博士,○ラフマニノフ(P)(RCA)1921・CD,,やっぱりショパンまでの人なんだなあと思うし、いわゆるバリ弾き系の直線的芸風は、たとえば個人的に凄く好きなバシュキーロフ先生なんかのやり方に非常に似ていて、これがロシアの抽象化作業なのだ、印象派的な繊細なニュアンスを楽器のメカニックを背景としたリアリズムをもって再構築するやり方は、新しいが、ある意味古い。だからショパンなのだ。ロマンチックな起伏ある設計、ここが限界なのだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:子供の領分〜6.ゴリウォーグのケーク・ウォーク,○ラフマニノフ(P)(RCA)1921・CD,,どうも滑稽さが出ない。生真面目な大男の演奏なのだ。洒落た響きもただ音が洒落ているだけでニュアンスに昇華されない。テンポを揺らしても十分に余韻をとってもなお、野暮というか、何か足りない。録音のせいもあるのだろうけど。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:子供の領分〜6.ゴリウォーグのケーク・ウォーク,○M.ノヴェッロ(P)(EDISON BELL)1923・SP,,5年後僅か30歳で亡くなった英国のマリー・ノヴェッロの録音である。レシェティツキ最後の弟子のひとりでブゾーニと演奏したこともある。これがケークウォーク??という音楽で、しょうがないとはいえ、余りノリのいい演奏ではなく、あくまでクラシカルでロマンティックなピアノ音楽といったていである。しかし音には品がある。参考:http://www.78rpm.net/column05.html,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:子供の領分〜6.ゴリウォーグのケーク・ウォーク(管弦楽編曲),○コーツ指揮交響楽団(HMV/PASC)1932/4/25・SP,,まあこんなもんでしょうね。編曲はなかなかかっこいい。木管は上手い。録音が・・・,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:子供の領分組曲(カプレ管弦楽編),トゥーシュ指揮コンセール・トゥーシュ管弦楽団(hindenburg:CD-R/PATHE)1920/12,,冒頭からあまりに鄙びていてがくっとくる。大正時代の盤だからノイズは仕方ないし音色だってこの時代の標準だろうから余り責めるのもよくないが、音のキレも悪いし揃わないしだらだらしている。ただ、曲によっては面白い。といってもカプレの明るい編曲が私は苦手なのでそれも含めてマイナスに聞いてしまうところもあるが、ゴリウォーグのケイクウォークなどは一種独特の雰囲気があって楽しめた。同時代奏者のなせるわざだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:美しき夕べ,ムーア (P) テイト
ドビュッシー:舞曲,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:復活,ロザンタール パリ国立歌劇場O
ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」(音楽),コプレフ、エイコス(双子)カーティン(vox sola)ヴァロン合唱指揮ニューイングランド音楽院合唱団、モス(語)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1956/1/27ボストンlive,,例によってRCA正規録音(1/29-30)直前のライヴで、盤によっては記載データが異なるが(語りをミュンシュ自身としているものもある)おそらく同一メンバーによるもの。モノラルで敢えて選ぶ必要はないかもしれないがSLSにしてはノイズレスで聴きやすく、リバーブをかければほぼ楽しめるレベルまで持って行ける。3時間にもわたる長大なオペラの音楽部分だけを取り出し、必要最小限の語りを残したものは映像でも出ている。その版によるコンサート形式の演奏だと思われる。このての歌劇を音だけで1時間以上聞くこと自体苦痛を伴うものであり、語りが少ないことは救いであるが、一方でカプレが管弦楽配置を手伝っていることによりドビュッシーの難しい、まだ印象派を引きずった曖昧模糊としたものを含む管弦楽がきれいに整理された感があり、言いたいことがきちっきちっと場面場面で簡潔にまとめられ、そつのない書法はまるでイギリスのヴォーン・ウィリアムズやホルストやウォルトンの歌劇ないし合唱曲を髣髴とさせるわかりやすいものになっている。それでも何か楽想を羅列して語りなどでつなぎ最後はすとんと終わるから、ミュンシュでさえ盛大な盛り上げは作ることができず、あけすけにわかりやすい合唱を恣意的操作によってフィナーレっぽく仕上げることも本来はできようが、そこまでのことはしないので、拍手もなんとなくの感じで入ってくる、しょうじき、それほど盛り上がらない。わかりやすい部分部分のパーツだけが印象に残る曲で、そのバラバラ感はすでに別項でのべていることなので、これ以上は書かない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」組曲,○カンテルリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(ica)1954/9/9エジンバラlive・CD,,カンテッリの同曲録音は他にもあるがこれは初出ではないか。意外と重厚な響きでスクリアビン的な音楽に仕立てているのが面白い。スマート、精緻もしくは直情的といったカンテッリの様式のどれとも異なる印象で、トスカニーニとのスタイルの違いを改めて認識させる。交響的断章版だがこれが歌唱が入るとまた違ってきただろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」抜粋,○モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R,WHRA)1951/12/1live・CD,,モントゥらしい、ワグナーとドビュッシーの交互プログラムという啓蒙的な一夜の記録だが、これ、ナレーターは抜粋と言っているが、管弦楽のみにより、恐らく交響的断章だろう(音楽的記憶力がないので定かではない、誰か検証してくだされ)。アメリカオケでこう真正面からやられると何かアングロサクソン的な音楽になるというか、初期なんだか晩年なんだかわからない「わかりやすい」楽想と「不可解な」楽想の混沌のうちに、例えばグリフィスとか、例えばイギリスの群小作曲家とか、そのあたりが稀に仕上げる佳作に見られる垢抜けた印象派ふう表現が、輝かしくもこの作曲家には不釣合いにも思える壮大な「クライマックス」を築き上げる。モントゥはほんとに職人で、未だバラケ味も含め艶のあるこのオケの魅力を引き出しつつも、基本は自分の掌中でまるでルービックキューブのように組み立ててしまう。ルービックキューブなりに色がそつなく揃い過ぎてしまうところは否めないかなと思うが、色彩が整理され聴き易いことも確かで、「パルジファル前奏曲」と「ラインの旅と葬送音楽」に挟まれていると、ディーリアスの長大な歌劇をマッケラスあたりで聴いている気分にもなる。録音が悪いが、性急でスマートなワグナーと違和感無くうまいバランスをとっていることも含め○。WHRAは状態もほぼ同じ。初曲と終曲だけの編曲?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」抜粋,モントゥ指揮ボストン交響楽団(whra)1958/1/10・CD,,1951年の放送録音も同じレーベル(一連のボックスシリーズはモントゥーの弟子等からの直接提供)から出ており、10分あまりの抜粋となっている。いわゆる交響的断章までも至らないので原題からの抜粋としておく。長大な劇の一時間余りの音楽部分(おおざっぱに協力者だったカプレ管弦楽編曲とされることもある)より、神秘的な初期サティ風の響きから日本ぽい音階もまじえた箇所をへて、初期の明るく単純な響きの音楽、さらに「海」以降を想起させる真骨頂ないしマンネリな表現へところころと表情を変えていくのが抜粋の妙である。モントゥーはチャイコフスキーの録音など掴みどころのないというか、魅力を伝えにくい指揮者だが、ここでは官能的なねっとりした印象派的表現から明確な輪郭を持つ旋律表現まで、プロフェッショナルな技でドビュッシーとは何たるかをハッキリ伝えている。演奏精度の高さ(フランスオケよりフランスらしい輝かしい音を出す)、拍手のなさから放送用スタジオ録音音源だろう。短いのが残念だが、このくらいが丁度いいのかもしれない。音楽の要領の良さからキャプレ編曲版なのだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」〜ユリの庭パート1,トスカニーニ指揮NYP(?)1936/4live,,冒頭一くさりだけで音も推して知るべし。レスピーギをやるように派手で響きの詰まったいささか暑苦しさを感じさせる部分はある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」?,アンゲルブレシュト シャンゼリゼ劇場O
ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」?,アンゲルブレシュト フランス国立放送O
ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」?,アンゲルブレシュト フランス国立放送O サスマン 1960/2/23
ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」のファンファーレ,○アンゲルブレシュト指揮ドビュッシー音楽祭大管弦楽団(Pathe/COLUMBIA/RICHTHOFEN:CD-R他)1930年代,,単独曲としてデュカのものとともに演奏されたもの。ごく短いがドビュッシーの過渡期的な奇妙なファンファーレ。どっしりした分厚い響きで古雅で軽やかであるはずの音楽をこれまた妙に力感をこめて表現している。ごく短いのでまあ、これくらい。○。ドビュッシー祝祭管弦楽団とも表記(COLUMBIAのSPで夜想曲とデュカスとカップリングになっていた)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:交響的断章「聖セバスティアンの殉教」(キャプレ管弦楽編),○カンテルリ指揮NBC交響楽団(ASdisc)1953/12/20LIVE・CD,,目の醒めるような演奏で、壮麗で瑞々しい音の世界に身を浸すのみである。曲想にあうあわないはともかくカンテルリの叙情が遺憾なく発揮された美演。録音がもっとよければ!オケもやや冷たいか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:交響的断章「聖セバスティアンの殉教」(キャプレ管弦楽編),○カンテルリ指揮イタリア・ローマ放送交響楽団他(FONIT CETRA)1954/11/19LIVE・LP神秘的な響きに溢れ官能的ですらあるドビュッシーの知られざる傑作。カンテルリは同日の他曲の凡演とは比較にならない精緻な演奏を行ってみせている。残念なことに録音は悪いが、曲自体の放つ香気に陶然とすることしきり。生臭くない透明感ある演奏です。原曲はイダ・ルビンシュテインの委属による。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:交響的断章「聖セバスティアンの殉教」(キャプレ管弦楽編),カンテルリ指揮NBC交響楽団他(TESTAMENT/MUSIC&ARTS)1951/1/15放送LIVE・CDこうした形で聞くとこの音楽がいろいろな要素の混交であることに改めて気付かされる。執拗な五音音階の繰り返しが東洋的な聴感を醸すと思えば新古典主義的な明るく古風な音楽が始まったり、果ては半音階的な重いロマンティックな楽想まで顕れる。かなり前衛的な音楽をカンテルリは色彩的に的確に描く。しかし録音が古くイマイチ浸れない。オケに味が無く、もうちょっと色気が欲しい気もする。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:交響的断章「聖セバスティアンの殉教」(キャプレ管弦楽編),○マデルナ指揮ケルン放送交響楽団(ARKADIA)1963/1/11live・CD,,重くロマンティックな演奏になっており、しかしドビュッシーのこのころの作風を思うとそれはそれで正しいように思える。すっきりした初期ドビュッシー的な響きがスクリアビン的な妖しさとして演出される。マデルナの真骨頂とも言える。ドイツオケのひびきはその前時代性を更に引き立てるが、とりたてて違和感を感じさせるというまでにはいかない。聞き流せるたぐいの演奏ではないが、イマイチ茫洋とした録音の中にまま感動できる要素は秘められている、くらいか。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ドビュッシー:昔のロス伯爵家の人々の行進曲,クリュイタンス パリ音楽院O
ドビュッシー:「負傷者の衣服」のための小品(アルバムのページ),○青柳いづみこ(P)(camerata)2012/6/21・CD,,まるでサティのようなワルツがラヴェルのようになめらかに滑り出す。しかし特有の、すでに古いのかもしれないが甘いフレーズに、ウィットで〆る。きわめて短くも、ドビュッシーの同時代人を想起する部分の多い作品で、凄まじい近代戦を目の当たりにしショックを受けていたというドビュッシーがエンマの参加する慈善団体のために書いたオーダーメイド的作品。だがこれは名品である。第一次大戦。ラヴェルも参加しトラックを運転した。ラヴェルに師事しドビュッシーに心酔したRVWは砲兵隊にて大音に耳をやられ次第に難聴に陥った。ともに積極的に参加したものの目にしたものにショックを受けていた。ドビュッシーにはその気力も体力も、時間も無かったが、イマジネーションはその二人をも凌駕していたのかもしれない。その苦渋の滲み出る作品と、昔の作風によるような愛らしい作品、健康上の問題と時代の劇的な変化はドビュッシーを真の意味で過去の夢のようなものにしてしまった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:愛し合う二人の散歩道,ムーア (P) テイト
ドビュッシー:2つのアラベスク,○スヴェトラーノフ(p)(MELODIYA他)意外と指の回るスヴェトラーノフの、多分苦手なドビュッシー的詩情溢れる楽曲だが、聞ける。というか、面白い。決して普通の解釈はしないこの人のポリシーが顕れている。専門ピアニストのような脱力感がなくひたすら力んで強い打鍵と独特のペダリングで無理に起伏を作っていく。ここまで書いてなぜ○かといえば、先入観なしに聞くとけっこうハマっているからである。ぶっきらぼうで強い発音が目立つが太筆描きのドビュッシーというのも興味深いもんだ。こういう芸風のピアニストはドビュッシーなんて弾かないはずだが、弾いてしまったんですね。○。まあ、比較的とっつきやすい曲ではあるけど、スヴェトラ巧い。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:2つのアラベスク(CHOISNEL編),シュワルツ(Vn)コッポラ(P)(lys)1924/9/25曲を知る者にとってはちょっとブキミな編曲版ではある。気持ちはわかる、といったところか。昔「フルートとヴィオラとハープのためのソナタ」をヴァイオリンで弾いたときを思い出した。結局想定されている楽器で演奏されるのが一番なわけで、どんなに巧い編曲でもそれを覆すのは難しい(小組曲の編曲は類希な優れたものだと思う)。ヴァイオリンがピアノの右手の動きを模して旋律線をかなで始めると、背筋に冷たいものが走った。うわ、ゾワッ。横線の楽器であるヴァイオリンと縦線の楽器であるピアノは相容れない。ヴァイオリンがどんなにスタッカートを弾かせて弾いても、ピアノの粒立った音質感は再現不可能だ。ぱらぱらと豆を撒くような転がり落ちる音の美しさをヴァイオリンで表現するのは無理でしょう。。創意の見られるのは2番のほうで若干アンサンブル的な楽しみがある。ヴァイオリンの安定した技巧と懐かしい音色も魅力だ。だが、無印。まあ録音年代からしても、当時の再現芸術の受容のされかたを伝えるひとつの参考資料とすべきものです。だいたい大正ロマンの時代の録音ですし。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○アンゲルブレシュト指揮フランス国営放送管弦楽団(DISQUES MONTAIGNE他)1962/1/23LIVE(STEREO)エラートのモノラルライヴが一番緊張感があり聞きごたえがあったが(段違い!!)、入手難のため、ここでは深く触れない。ORTFの木管は定評があったが、フルートパートにデュフレーヌの名が記されていたのには(あるのに不思議は全く無いのだが)感動した。シャンゼリゼ盤は省略。名盤の誉れ高い(でも廃盤)ディスク・モンテーニュ盤は穏やかな表現で音響の綾の移り変わりを的確に表現することに重点を置く客観的な演奏。しかし表現は平板ではない。木管の固く四角四面の音も、弦の目覚ましいアンサンブルも、僅かなルバートも全て一種の緊張感に満ちている。集中力が高いのではなく、張り詰めているということだ。各パートがしっかり固まっており、その塊を寄せ集めて巧く舵取りをやっている風。非常に冷静だがロザンタールのように半端な熱情が無い分優れている。ともすると旋律偏重や弦楽偏重の穴に落ちてしまいがちな曲だが、ポリフォニックに重なり合う断片的なフレーズが様々な楽器を渡り歩くさまは非常に明らか。オケはかなり無個性で弱さすら感じるものの、聴後感は他の何物でもなく「ドビュッシーを聞いた」というところだ。楽器により少し弛緩した様子も聞かれるが、結尾のドラマは「海」そのもの。ブラヴォーの渦にこの指揮者の歩んできた道のりを思う。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○アンゲルブレシュト指揮フランス国営放送管弦楽団(ERATO)1958/3/20 LIVE(MONO)DMステレオ盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○アンゲルブレシュト指揮フランス国営放送管弦楽団(シャンゼリゼ劇場管)(EMI/TESTAMENT)(MONO)DMステレオ盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○ミュンシュ指揮トリノRAI放送管弦楽団(TAHRA)1951/6/8LIVE・CD,,せっかちで焦燥感に満ちた「戦後的な」演奏。ものすごい速く、トリノもトリノらしいカンタービレとは無縁のドライなテンション芸を駆使し、余りに速いところは弦がばらけて散々なのだが、気持ちはついていくという、まるでシェルヒェンのもののような独特の魅力に溢れている。3楽章も前半やばいが、最後の夜明けにいたる前には初めてルバート気味のフレージングがきかれ、もちろんその後も異常な速さはかわらないのだけれども、情緒的な揺れが若干ではあるが音にあらわれる。結局激しい表現というよりスピードで押し切って断ち切れるように終わる。ミュンシュにしても独特、そこを買って○。,-----,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(000classics/DA/SLS:CD-R)1967/7LIVE,,DA盤について(15日表記のある他盤と同じと思われる)。録音が悪い。左チャネルが広すぎて位相がむちゃくちゃに聞こえ、とくに右チャネルに偏って聞こえるヴァイオリンが恐らく実際とは異なりごちゃっとばらけてまとまりないドヘタに聞こえてしまっている。雑音や低音ハウリングもひどい。怜悧で鋼鉄のようなアンサンブルが期待できただけに、また指揮自体はノリに流されずかなり制御されたものであるだけに、それらがほとんど特長として聞こえてこないのが残念だ。終盤即物的にスピードアップし物凄いフィナーレを無理栗形作ってブラヴォを叫ばせる老かいさにミュンシュらしさを感じるのみ。そこだけで○にはしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(000classics/DA/SLS:CD-R)1967/7/15レイビニア音楽祭live,同上,DAは日付表示が無いがシカゴとの記録はこれしかない筈(シューマン4番、リスト(アンリオ・シュヴァイツアー)1番との組み合わせ、DAには牧神も収録されている)。この凶悪さというのは何なんだろう。もうこのくらいの年になってくると何でもありなのだろうか。シカゴは機能性のオケである。それでも雑然と聞こえるのは録音のせいだけでもあるまい。しかしその雑は力感からくるものなのだ。やる気が凄い。キンキン金属音をたてる弦楽器も海がどうこう言うよりミュンシュの音楽をやるんだという意気を感じる。1,2楽章も凄まじい何かいじってないのにいじりまくっているような生々しいリアルさをもった迫力演奏ぶりだが、終楽章冒頭の緊張感も何か切羽詰りすぎているというか、ミュンシュにしては何故か専制君主的で陸軍指令官のように指示をとばしまくるさまが聴いてとれるようだ。ベートーヴェンの吹くラッパが進軍を指示するなり逆側から聞こえてくる(爆)弦楽器が轟音をたて始める。ヒステリックで観念的で、原譜検証とか合理的指揮法とかもうそういうのは半世紀以上前に勉強しました、といわんばかりに荒れに荒れまくる。音がまたヒステリックに生々しいのだ(いいとは言わない、エアチェックのレベルだから)。やがて海が凪いで延々我慢のフラジオをヴァイオリンが奏でる下でフルートが凄まじく伸び縮みしながら終盤へ向けて一くさりやるところの実に繊細な雰囲気にはかつてのミュンシュの「フランス派指揮者」としての面目躍如たる部分が出ている。しかしそれが終わると弦の「やっときたかよ!!」というような雪崩れ込みで全ての繊細な夢はぶち壊れる。それはまるで大波と大波の間の束の間の静けさだったのだ。そしてどんどん走っていく。音楽はどんどん走っていく。それでいいのだ。怒涛の海は海岸の木々を薙ぎ倒し、全ての砂が奪われていく。朝には天空を焼き尽くす太陽のもと、黒々とした大海原と、新しい地層をあらわにした海食崖が白く光り輝くのみ・・・燃え尽きた灰のように。これがミュンシュの行き着いた「海」である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1956クーセヴィツキー同様少々ドイツ的な底深い音だが、ミュンシュの手をもってより色めき立った演奏になっている。オケの技術面では言うことが無い。芯がしっかりとしていて、音楽の中心線(「旋律」とも言い切れないところがあるが)をがっしり通しており、周囲の音はあくまで装飾的に添えられているように聞こえる。尤も一部ペットなどの挿句を突出させてみたりわざと対位構造を浮き彫りにするように振ったりしているところもある。ただこれも複雑な音の絡み合いをすっきり聞かせるというよりは、自分に必要と思われる音だけを取り出して際立たせ、他は殆ど聞こえないくらいに低減化という「単純化」作業のようにも聞こえる。私はこのラヴェル指揮者がドビュッシー独特の様々な音色がホログラム映像のように不定形に入り交ぢる「微妙な」世界を、彼のラヴェル演奏の如く色感の明確なモザイク画に(半ば強引に)焼き付けようとしているように思えてならない。聴感はこういったものだが、この曲をよくわからないという向きは、ミュンシュ盤を聞くとよいだろう。「一般の人が感じる類の」わかりやすさという面では、突出した演奏だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(BSO)1962/3/30live・CD,ミュンシュの海、しかもボストンのライヴものは現在山ほど出てきており、さすがに私も追いかけるのをやめたが、その日のテンションやオケの調子、録音後の操作などによって聴感に多少差異はあり、多少追いかける意味はある。この演奏はボストンが比較的落ち着いていて、最後のブラスの異様にチープな響きに彩られた瞬間湯沸し器的な盛り上がりを除けば、ミュンシュらしからぬ演奏精度に重心を置いたような表現が特徴的。だが、そのせいか演奏的に強く惹かれる要素がなく、最後だけ盛り上がりの違和感を残すような中途半端さが否めない。ブラヴォも出るし演奏的にはこれでよかったのかもしれないが、ミュンシュライヴとして期待するものが全部出ているとは言えないか。○。,,↓正規スタジオ録音盤,"
ドビュッシー:海
ボストン交響楽団 ミュンシュ(シャルル)
BMG JAPAN

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ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(BSO/IMG)1962/3/30放送 live・CD,同上,雑にクリアなステレオなので却って聞き辛い。やかましい。それに、集中力に欠いているように思う。拡散的で落ち着き払ったミュンシュなんて、音だけ大きく派手であっても、ストコフスキーまではいかない、どことなくよそよそしいというか、構成的に弱々しいというか。客席反応も普通。あまり盛り上がらない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(altus)1960/5/29来日live・CD,,録音はホワイトノイズに塗れ決してミュンシュの海として上等の出来でもないのだが、ケレン味たっぷりの表現は揺れ動く海の情景描写としてはうまく機能していてそれなりに楽しめる。最後も爆発はしないが客席反応は上々。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(TAHRA)1956/9/19シャンゼリゼ劇場live・CD,,かなりリマスタリングが効いていてノイズが無い反面、やや音域がカットされ狭い聴感がある。音粒が立たず細部が不明瞭になるのは元音源のせいだろう、リマスタリングが良すぎて聴こえないのが不思議に感じられるのだ。ミュンシュの凱旋公演みたいなものでいつもの即興的な盛り上がりは無く、落ち着いた精緻な表現が特徴的。1楽章などねっとり丁寧で、ドビュッシーらしい響きが明瞭に研き出されているのが意外でもあり、ミュンシュの芸の幅を感じさせる。格調が高く、2楽章の一部を除けば崩れて走るようなこともなく、ただ、ちょっと格調が高すぎるかな・・・とも。オケ側の表現力や技巧がどこも素晴らしく、フランスへの挑戦ともとれるような完璧に近いものでこれもミュンシュにしては面白い。いつものミュンシュを期待するとやや遅すぎると感じるかもしれないが、これはこれでいかにもフランスなミュンシュ、ということで。ひさびさtahra買ったが高いなあ。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1958/10/4LIVE・CD,,これはいつものミュンシュのちょっと崩れてるときの海で録音も余りよくはなく、聴き所よりちょっとどうかという点のみ指摘すると、3楽章の終盤でブラスが斉唱する場面、余りに雑なのだ。ぶっきらぼうで音の切れ目もはっきりせず、つまりは投げやりである。何かあるのか疲れたのか?○にはしておくが・・・,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○ミュンシュ指揮フランス国立管弦楽団(ORTF)(LIVING STAGE/DISQUE MONTAGNE)1962/5/8(6/5?)LIVE・CD,,よく知られた一夜のライヴ記録からのリマスタリング再発(LIVINGSTAGE盤)。これも素晴らしい演奏だが、二楽章でミュンシュ的な雑味が少し混ざってしまったか?しかしスクリアビンかと聞きまごうような恍惚感は聞き物だ。壮絶な三楽章クライマックスなどミュンシュの名人芸と言ってもいい。恣意的解釈が雑味を呼ぶことも多いミュンシュだがここまで板についていると気がつかないくらい引き込まれる。LIVINGSTAGEの表記はフランス国立管弦楽団。冷たいリマスタリングが若干気になったの含め、総合的には○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○ミュンシュ指揮フランス国営放送管弦楽団1962ライヴ,同上,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,ミュンシュ指揮ORTF(ina配信)1966/9/13live(1966/10/13放送),,本編ステレオ。しょっぱなからミュンシュが猛り狂っており、掛け声だらけ。それに対してオケも荒々しく、性急で即興的な印象が強く(ほかの録音を聴くにつけミュンシュにとってはとっぴな解釈の入れづらい曲っぽいので細かな伸縮などはない)、けして名演とは言えない。強いライヴ感がカタルシスに昇華されておらず、大声を上げて終幕となっても客席反応は即時ブラヴォとはいかない。雑味は多いがオケはよくついてきたと思う。弱音部のニュアンスに欠けているとは思った。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキ−ス「海」,◎ミュンシュ指揮パリ管弦楽団(ALTUS,ina)1967/11/14シャンゼリゼ劇場live・CD,,Altusスマッシュヒット!こういう盤は年に一度あるかないかだ。ミュンシュ・ライヴを細部まで克明にとらえ、音の一つ一つまで聴いて取れるレベルまでリマスタリングを施している。しかもこれはパリ管(旧音楽院管)のレベルどうこうよりまずはミュンシュの「激しい場合」の解釈表現をとらえたものとして貴重で、他の指揮者とは違う物凄い晩年様式に至っていたことを認識させるに足るものである。ぜひ良い環境で細かい音符までしっかり聴いて欲しい。瑕疵まで聴こえてしまってもどうでもよくなるだろう。異常にねっとりしたフレージングに塗れ、急に瞬間湯沸器的に突っ走りまくる、2楽章を除きこの繰り返しで、躁鬱甚だしい。フランスオケならではの音の細さ、響きの軽さと適度なバラケが、演奏を過度にロマンティックな野暮な表現に陥れることなくバランスを保っている。普通この遅いテンポでは鈍重と感じるものだが、極端な変化が即興的に起こるため気を抜けない。終楽章の最後の異常なテンポアップにはミュンシュの狂気を感じる。同盤にはしかも幻想まで入っている。パリ管弦楽団旗揚げ公演として気合が入っていたのをほんとに実感できる。フランス放送ライヴ音源はもっと復刻されるべきだろう。文句なしの◎。ただ、いつも手元に置いて聴きたいものではない・・・奇演の類。,-----,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○ミュンシュ指揮ORTF(FNAC/ACCORD,CHS他)1968(62?)初版放送live?・CD,,DMとは別録音とのこと。生々しく明晰な音だが、音像が安定せず1楽章などモノラルを強く補正し擬似ステレオ化したもののように楽器位置がごっちゃになり、揺らぐのが少し聴きづらい。がこれは放送音源によくあるホール構造とマイク数並びに配置上の問題だろう。拍手もなく環境雑音も無いが、ミュンシュライヴ特有のパッションの暴走がアンサンブルを崩壊させかかったりするところをみるとスタジオテイクでないことは確かなようだ。木管の繊細な音色感が楽しみな組み合わせではあるが、アメリカナイズされたような即物性やあけっぴろげさ、そのわりに硬質で冷たい響きが雑然としたような感じを少し強めてしまっている。いずれミュンシュの海、でありそれ以上でも以下でもない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○ミュンシュ指揮パリ音楽院管弦楽団(LYS)1942/3/2・CD,,無難に聞けるのである。しかし余りに無難だ。ひとつには録音の弱さ、戦中のものであり復刻のさい音が痩せるか茫洋とするかしたがための印象かもしれない。もうひとつにはフランス的であるがためにミュンシュ的でないというか、アクの強さがなく、推進力はあるがそれほど胸に迫ってこないということもあろう。ただ、解釈的にとてもしっくりくるものであり、聞きとおして心に引っ掛かりが無いというのは自然ということの裏返しだ。気持ちが悪いたぐいのものでは全く無い、むしろ逆である。オケはとてもまとまっていてアンサンブル的には十全である。気持ち的には無印なのだが、巧い演奏であることは確かなので○にしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,ミュンシュ指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya)1965モスクワ音楽院大ホールlive・CD なんじゃこりゃ。最初はクセの強い演奏だなー、ミュンシュのやり方がうっかりロシア式とシンクロしてしまったかな、と思ったら輪をかけてそうだった。ほとんどスヴェトラ。オケに地力と馬力はあるためミュンシュの極端にうねるような指示にしっかりついていき過ぎて、確信犯的な恣意性の強さが醸されてしまっている。和音なんて汚くて結構、勢い任せが信条(?)のミュンシュにしては人工的で、そういえばこういうやりかたでボレロを録音していたなあ、と思い出した。単にオケが曲に慣れていないためこうなってしまったのだろうか。何故か三楽章終盤で巻き始め、いきなりスピードが上がり、やたらとドガシャンドガシャン(これはオケのせいか)。なんだかポカーンとしてしまった。拍手も戸惑うわ。というか、スヴェトラだよねこれ?←違う 異常に良いステレオ録音(但しソビエト品質)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,ミュンシュ指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya)1965/5-6LIVE・CD,同上,オネゲルとは一転スヴェトラーノフのような派手な演奏で揺れ方も即興的で極端、オケの管楽器陣が(チューニングに若干違和感があるが音色起因か)ここぞとばかりに吠え歌い、弦楽器はオネゲルでみせた精度がこの曲のやたら細かい動きでは雑味もやむなし、力づくでやったれ、という調子。3楽章が良い。聴衆は普通の反応。録音きわめて優秀なステレオ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○ミュンシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1965live?(1963/3),,ホワイトノイズがきつすぎてかなり聞きづらい。ミュンシュのアメリカ放送エアチェックものに多い硬質で冷めた響きも耳に痛い。フィラ管が客観的な高機能オケにしか聞こえなくて、中音域の膨らみに欠け、そのために表層的な部分が耳についてしまう。ミュンシュの作為的な解釈が非常に気になってしまうのだ。つんのめり気味のテンポ設定やあからさまなテンポ操作など、オケの響きの柔らかいオブラートに包まれず剥き出しに聞こえてくる。もちろん実演なんて剥き出しだから、そちらのほうが自然な聴感と言えなくも無いが音盤としてはきつい。2楽章までは弦がテンポをやや引きずっているようにも聞こえる。熱していないように受け取れる。だが3楽章の異常な盛り上がり、怒涛の攻めはそれでも圧倒的で、フィラ管はあいかわらず金属質な感じは否めないもののブラヴォの渦を呼んでいる。ドビュッシーの繊細な動きをとらえられていない録音のせいで殆ど入り込めなかったのだが、実演の凄さを推測して○にしておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○ミュンシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1962/3LIVE※以前別日として記載のものとの差異は未確認,,回復してきているとは思うのだがまだ左手首がガクガクで楽器はおろかケータイの左手打ちすら難しい。おかげで右手親指で異常な早打ちができるようになった。たいていここはケータイで更新しているがたまにPCで打つと超長くなるか、まとめて一気に打つので至極簡潔になるかである(そんなときは異様にたくさんのエントリをする)。そういったバラバラ感がこのブログ内容の散漫さいい加減さに直結しているのは御覧のとおりだ。左手が使えないと案外絵や文章も書かなくなるもので、鬱々としてしまうとき、手に取るのはドイツロマン派の暗くて重い盤ではなく、フランス近代かアメリカ現代なのである。楽器を弾かないとよけいに耳年増になり快楽的に盤だけを増やす方向にいってしまう、音楽に対峙するのには悪い態度だなあ、と思いつつ、娯楽度の高いフランス近代にいくのは退廃してますな。この粘着質の演奏はミュンシュの演奏スタイルの典型であり、近視眼的な緩急の付け方はバンスタ的というとわかりやすいか。とくにアッチェルがかかりだすと止まらなくなり突っ走る、最後など異常な速さにいたっているのに希有壮大で、下品なペットの響きからブレーキがかかってドカンと落とす、間髪入れずブラヴォが出ないと寧ろおかしい千両役者ぶりだ。ぼわっとした肉汁の垂れそうな音響にはしかし金属質の鋭い音が効果的に使われ、硬質なリリシズムが演出されるところがフランス派指揮者ならではの奥深さでもあり、フィラ管ならではの個個人のもつソリスト級技術を駆使させることにより、ミュンシュ解釈を慣れたオケに実現させるのとは違った、新鮮に改めて解体再構築した結果よくも悪くもこのような独特の恣意性の顕になった演奏が生まれた。録音が遠いが、どちらかといえばすれっからし向けの奇妙な記録として価値はあると思う。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○ミュンシュ指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団)(M&A)トスカニーニ追悼1957/2/3live・CD,,M&Aが何とトスカニーニ追悼演奏会の全プログラムCD化という快挙だったが、やはりM&A、音質はイマイチ。DA並み。しかしまあ、いつものミュンシュというか、いつもの外様オケを振るミュンシュと言ったらいいのか、荒い。どうにも彫刻が粗雑で、オケの堅い響きを取りまとめずにただ力で押し切った感じが「いつものミュンシュ」の範疇を出ていない。追悼色があるとすれば、あのうねるような感じ、異様なクライマックスのルバートがやや抑え気味で、トスカニーニの単刀直入指揮を意識したような感じがしないでもない。だからだろういつもの異常なブラヴォ拍手喝采もない。○にはしておくが、ミュンシュの海は別にこれでなくてもいいだろう。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),◎アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON)1957/11・CD,,こんな演奏が投売りされていてはいけないのである。確かにステレオ初期なりの録音の篭り方というか弱点はある、しかしアンセルメの個性的な解釈にくわえ最も勢いのある表現がとられた時期なだけに、この曲にかんしていえば非常に面白く、また気を煽られながらも、決してロマンティックに曖昧に崩されない確かな音つくりにも感銘を受けるのである。アンセルメはロシア音楽においてかなり激しい演奏を行ったが記録が冷めているものが多いせいかどちらかというと原典主義者の冷徹な指揮といった印象が強い。しかし、この演奏のように本質としてあるデーモンがはみ出してきているものが、50年代には散見される。終楽章の極端に切り詰めた音符がガシガシと突き刺してくるような感覚というのは、「アンセルメはバレエ指揮者だったんだよ」などといったどうでもいい知識を学習するより余程体感的に理解できるものである。アンセルメの海はいくつかあるが、この「海」もおすすめです。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LYS・DANTE・RADIO FRANCE)1948/1アンセルメのモノラル録音。たぶん最古。スタジオ録音であり、客観的で細部までフォルムを崩さないアンセルメのスタイルが既にしてはっきりあらわれている。バレエを振っていた古い時期の記録に見られる浮き立つようなリズム感がまだ残存しており、オケのなかなか充実した響きとあいまって若々しくかつ緊密な音楽になっている。だが、後年にみられる型式ばったところもなくはなく、もっと遊んでもいいのに、という箇所がいくつもあるが、そのぶんアンサンブルはきっちりと整えられハーモニーもしっかり決まっているし、まあ好き好きだろう。後年のアンセルメの海を好む人は若干生臭く感じるかもしれないが、私はまあまあ聴き易かった。録音悪し。演奏のスケールが損なわれるのはアンセルメ的にはマイナスだ。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○アンセルメ指揮ベルリン・フィル(DISCLOSURE/SLS:CD-R)1957/3/25LIVE,,ときどきオケが静まりかえり、どうしたんだろう、と思わせる。とくに前半、妙に長いパウゼが入ったり、恐らく意図的に響きが薄くなったりして、風がスースー入るような空疎感がある。2楽章の後半あたりからようやくオケがまとまってくる。それでも依然音楽を細片に分解し再構築したかのようなどことなくよそよそしい空気が流れるが(客観・分析的な解釈のせいでもあろう)、何より最初戸惑っていたようなオケがようやく自らアンセルメにつけてくるようになって、聞きごたえが倍増。3楽章も一部楽器が剥き出しになる弱音部では若干バラケ気味なところもあるが、おおむねスマートで美しい。ドイツ的な座りの良い音響がちょっと面白い効果をあたえている。これはアンセルメなんだよな、と一瞬疑ってしまうほどである。アンセルメの演奏としては独特のジャンク臭のある一枚。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),アンセルメ指揮NHK交響楽団(NHKSO,KING)1964/5/21LIVE〜いやあ、固い固い。緊張感が体を固くしたような演奏。非常に人工的な、いわばディジタルな作為にあふれているのも気になるところ。金管にやや不安があるがおおむねN響は健闘しており評価できる。しかしアンセルメの繊細な美意識が、余りに無骨な合奏団によって台無しにされている感じもしなくはない。浸りきる事はできないだろう。すれっからしには興味深いミスマッチな演奏記録である。〜音は案外いい。アンセルメの透明な幾何学造形のような音楽は、N響に思わぬ清新な風を吹き込ませたとみえる。文字どおり風通しのよい音楽、やや四角四面に固くなる箇所も無きにしもあらずだが、音は明るく威厳がある。アンセルメらしい明瞭な筆致で描かれる「海」は描写音楽である事を自ら忘れ抽象的な概念として聴く者に純粋な音の重なりや律動の鮮やかな変化をつたえる。やや重いがそれでもこの時代のN響としては珍しい透き通った音楽を奏でていて、それなりに楽しめる。寧ろLONDONのスタジオ録音よりこちらのほうが個性的で面白いように思う。決してこの曲本来の美しさ力強さを伝える演奏ではないが、特徴的な演奏である。案外独特なテンポ変化がつけられていたり、正統とは言えないだろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(london国内全集盤)1964/11-12レコ芸クラシック・レコード・ブック1000(1986)によれば4種あるよう。冷静、起伏少なし。茫洋とした演奏と感じたが海は大概茫洋としているのでこれもアリか。LONDONには別録音もあるがどこかへいってしまったのでそのうち書きます(すいません)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON)1951/10・CD,,モノラルでこの程度の録音状態ではスタジオ盤としてはきつい。今は音質改善されているのだろうか、スケール感がなく茫洋としている。音楽はリズム感を失わずしっかりとした構築性のもとに音響の透明感を保っており、客観性が強過ぎることもなく絶妙なところを衝いてきている。スタイルも解釈もほぼのちのアンセルメと一緒である。だが構造が透けて見えるほど整えられた感じはしない。スイス・ロマンドの音は実に美しいがそれも際立ってこない。いい演奏だがやや弱いというか残らないのは、私は録音が全てだと思う。○にはしておく。同年3月の録音もある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON)1951/3・CD,,正直どっちがどっちなのかわからなくなるが同年10月にも録音しており、印象としてはこちらのほうが録音がクリアな感じがする。煌びやかでケレン味も強く、人工的な感もあるテンポの揺れやねっとりとしたフレージングが直接的に響いてきた。内声までよく通り、特に中低音域が明確で重心の低い音楽に聞こえる。,,オケは弱さを露呈している。チェロなど技術的なほつれがあり、それは単純に編成が薄いだけかもしれないが、一部木管など他のパートにも、出ていく箇所で前進的になりきれない躊躇が感じられるところが技術的な問題起因と感じられなくもない。響きへの配慮は繊細で、バランスをよく整えているが、モノラルゆえ音盤として限界がある。前記「薄さ」も録音のせいでそう聞こえてしまっただけかもしれない。だからクライマックスで寧ろ薄さが露呈したうえで指揮者による整理が入り、落ち着いてしまうのか。いや、落ち着いてしまうのはアンセルメ特有の解釈と言えるだろう。,,2楽章もアゴーギグの強調と裏腹の落ち着きぶりが諸所気になる。構造の精緻な表現は出色で、高音楽器によるドビュッシーらしいリリカルな響きや、対位構造の明確化された表現はアンセルメの数学的な側面が良い方向に出たものと感じられる(「海」というかドビュッシーは本来構造的に解釈されることを求める理知性が(出来ているかは別として)あるので、押せ押せの演奏では悉くマニアックでリリカルな仕掛けが飛ばされてしまい、ドビュッシーの意図しないベートーヴェン的マンネリズムしか引き出せない。かといって分析的すぎる解釈では表題の意味すら示せない無味乾燥なものにもなるから難しい)。,,3楽章はもともと気を煽るような音楽ではあり勢い任せも許されるような「ミュンシュ向き音楽」だが、アンセルメももっと前には気を煽る方向の演奏を残していたように思うし、これもけして「引きの美学」だけでは無い。ここでもスコアの指示を強調し、強弱のコントラストをしっかりつけ、特に弱音部への配慮が行き届いているだけに逆に、そこは強く押してお仕舞いでいいだろ、的な浅い要求には応えないところもある。録音操作なのか普通聞こえないような機械的に配置された低弦の数小節の強い刻みとか、いきなり前面に出てきたりする。そういうところでは個々の技術的な弱さが露呈してしまっている。最後もややブカブカいってしまった感があり、オケの二流感が漂う。求心力というか準備不足というか、アンセルメはモノラル期の古いほうが面白い演奏は多いけど、技術的にも本人的にも晩年のほうが納得いっていたことだろう。,-----,,,-----,,,-----,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○アンセルメ指揮ハンガリー国立交響楽団(放送)1965/9/20live,,ヴァイオリンに雑味が多いのが気になるが、総じては技巧にすぐれアンセルメの数学的な指示をしっかり水際立った表現で音にしている。内声がよく聴こえて立体的に楽しめる。リズムのキレがよく(リズム感は普通)、ライブなりのスピード感であったり、客観的に整えるスタイルからはみ出たところは楽しい。無闇に熱狂はしないが、音響的な美しさもふくめ、これもまた海のひとつのすぐれた表現であろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,アンセルメ指揮ハンガリー国立交響楽団(放送)1965/9/20live,同上,ネット配信されている音源でベト7,マルタンの管弦楽のための4つのエチュードの後、という変則的な順番の放送。アンセルメだからドビュッシーをメインとしたのか。オケがやや弱く、それに晩年アンセルメ自身の現代的な解釈も加わって固く融通のきかない演奏に聴こえる。融通無碍にされすぎた曲だから、あと、客演だけに解釈を堅くしたのか、面白みは無い。透明感ある響きは水晶のような輝きを放ち、それは一楽章で顕著だ。オケのせいか解釈か、稀に奇妙なバランスの解釈はあるも、終盤を除けば(ここはアンセルメの別の顔を見せている)熱気より精度をとったが如くで、それにもかかわらずオケが熱してしまい軋みを生じている。ライヴにしては堅牢に出来上がっている演奏なのでステレオ良録音であることも加え楽しめないとは言わない。客席反応はすこし良い程度。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),◎トスカニーニ指揮BBC響(1935/6/12IRON NEEDLE),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),◎トスカニーニ指揮NBC交響楽団1940/4/13,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),◎トスカニーニ指揮NBC交響楽団1945/2/11LYS,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),◎トスカニーニ指揮NBC交響楽団1950/6/1,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),◎トスカニーニ指揮NBC交響楽団(GUILD(リハ付き)ARKADIA,FONIT CETRA他)1953/2/14,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),◎トスカニーニ指揮NYP(1936/4/16,19M&A)多すぎて収集がつかない・・・後日追記します。どれも素晴らしいこと請け合いです。NYPあたり古い音でも色彩の渦にめくるめきます,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),◎トスカニーニ指揮フィラデルフィア管(1942/2/8-9RCA/IDIS),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィル(MUSIC&ARTS)1936/4/16,19LIVE・CD,,はっきり言って鑑賞に値しない音質であるが、トスカニーニは若い頃のほうが全然いいという説もあり(実際聞いたんですか?と問いかけたくなる怪しげな言説ではあるが)、いちおうドビュッシーファンなら古い記録として聞いておいても毒にはならないかと思う。けどですね、そんな状態ですので、トスカニーニの覇気は感じられてもオケの威力は感じられず、何かうすっぺらいものを聞いた感触すら残る。よほど曲に造詣のない方には不要、造詣のあるかたは頭の中で音を補って聞いてください。たぶん、後年の録音と解釈的な差はありません。無印。ブラヴォーは凄い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送/LYS)1945/2/11放送live,同前掲,透明感がありみずみずしい海になっているが、少々窮屈な感もある。決して外れた演奏をしないできないさせない空気がソロ楽器をことごとく包み込んでいる。一個一個が手堅いのだ。最後妙に作為的なブラボーが飛ぶが、トスカニーニの海だなあ、という以外特徴はない。録音は度を越して悪い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1948/3/27live,,オールドビュッシープログラムの最後を飾る大曲。引き締まった表現であるがゆえにスケール感が無くなっている感もあり、そこは録音のせいのような気もするが、ここまでの他曲の演奏と比べてそれほど魅力的には聴こえなかった。美しいアンサンブルは最後までその音のきらめきを失うことはなくブラヴォも飛ぶ終演後。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,トスカニーニ指揮NBC交響楽団(SLS)1938/1/8live,,彫刻は深いがあっさり直線、いわゆる新即物主義である。粘りが一切なくスピードが速すぎる。しかし音の一つ一つ明瞭でドビュッシーのリリシズムとドラマを音楽で表現するのに不足はない。二楽章末尾のきらびやかさは波濤の朝陽に煌めくがごとく美しい。分厚くうねるような三楽章の表現はそれまでよりもっとドラマチックだ。インテンポ傾向は残るが音響と音量に確信に満ちた、確立された解釈を聴き取ることができる。音響への配慮は素晴らしく、ミュンシュを求めて揺れのなさに聴くのをやめるのは勿体無い。録音時期からも録音側の問題も斟酌すべきだろう。ブラヴォが飛んでいる。ノイズを残す方針のレーベルなので鼓膜をお大事に。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,トスカニーニ指揮NBC交響楽団
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),コッポラ指揮音楽院管弦楽団(LYS)1932/10/25-7僕は「録音芸術支持者」だ(こんなマニアックもタイガイなページを作っているわけだから自明のことだが)。実演は雰囲気に呑まれがちで、帰路仲間と感激を分かちあいながらも、純粋に音楽として凄いものを聞いたということとは違う気がすることがある。ここだけのハナシ隠し録りしたものを後で聞き直し、「アレ?」はいつものことだ。総合芸術体験としてのライヴは鑑賞者として一片でも批評心をちらつかせるならば絶対に体験し続けるべきものであるが、席のわるさホールのわるさ聴衆のわるさその日の天候体調心づもり、ひいては演者の心情コンディション等等によって、原則一回性のライヴは、一生の歪んだ印象を心の中にもたらすこともありうる。純粋に耳から入る空気振動をたのしむ身として、たとえスコアをいじったり、細切れで録音していても、たとえマイク設定に凝ったり、録音操作をして現実とは違うもしくは現実には有り得ない音響をもたらしたとしても、その結果「スバラシイ」「聞ける」という感動を呼び起こして呉れるものは充分価値のあるものだと思う。モノラル録音時代は、現実とは程遠い貧相なモノラル音でもそれらしく聞かせる為に、色々工夫したに違いない。言ってみれば録音芸術はそもそも現実とは違う音響で作り上げられるものだ。アナログLPがCDより良い音だというのは、LP時代にその音で音楽体験を積み上げてきた結果の「歪んだ状態」といえるように思う。私などカセットテープ(しかも古いモノラル再生機で)のほうが良いと感じることもある。極北だが・・・。でも、それで楽しい。それに拘る。それは一般的ではないにせよ責められるべきことでは無い。私は「録音された音楽の再生」をタノしむ。それだけである。大体演奏評など結局は個人の好みに帰結するものだし、曲に関しても然りだ。あとは度量の広さだな、と思うがディレッタントの性、攻撃的口調がつい出てしまうのは自重せねば、とは思う。ピエロ・コッポラについては「録音指揮者」の五文字しか知らない。最近かなり復刻されたし、ラヴェルあたりはLPで聞いたが、その個人情報は余り知られていない。でも録音専門指揮者だっただけあって、どれも昭和初期のごく古いものでありながら、高い水準を保った中仲のものだ。前進的で且つ色彩的な処理が滅法巧い。巨匠系指揮者とは異なり、「ドビュッシー」を表現する為に「私」を捨てるような純音楽的態度には好感が持てる。この古い音で色彩ウンヌンを論じられるなんて、素晴らしい魔力を持つ指揮者ではないか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(gramophone/lys),同上,よく鳴る演奏でオケのレベルも高く(個性より)機能性が発揮され、昭和初期の当時は鮮烈な印象を与えたことだろう。くっきりと明解で、曲に解釈を加えず、楽器に勝手な表情を付けさせず(時代なりの奏法はある)、スコアを率直に音に変えた点、ほかにも似たようなスタイルの無名SP録音があるにはあるが、コントロールは大したもので、一定の評価を得ていたのは想像にかたくない。あまりに即物的で今の耳からすると「つまらない」のは仕方ないかもしれない。最後の切り方など、余韻も何もなく句読点を置くだけで、それはそれで個性的だが型通りの構成にはまっているだけだ。サウンド的には十分の演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),デゾルミエール指揮チェコ・フィル (SUPRAPHONE)CD化 なぜにチェコ?と思った。デゾはマニア向け指揮者だったのが、最近いくつかCD復刻されたおかげで結構知られてきたみたいですね。やや潤いが足りないような現代的指揮ぶり、一寸不満なのですが、バレエ曲でみせる抜群のテンポ感がある程度生かされていて、「小さい演奏」だけれども面白かった、という聴後感。マニアはぜひ。デゾさんの真骨頂はやはり六人組周辺でしょうか?プーランクの牝鹿なんて名盤です。CDでは忘れてならないのがケックランの曲集。古い作曲家なのに新しい感じの曲ばかり。デゾは流石たくみな棒で振りきってます。オンド・マルトノの使い方が好き。あとプロコかなあ・・・,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○フレスティエ指揮セント・ソリ管弦楽団(GRANDSLAM/disque francais)1955/9/25・CD,,CD復刻では幻想とカップリングされているが音質差がかなり感じられこちらは貧弱なモノラル板起こしで針音もブツブツ入る。ただ、他でDFのカップリングの通り夜想曲と組み合わされている音源を聴くと似たようなものなのでこれは板起こしとしてはまずまず、なのだろう。演奏はかなり明晰で、速いインテンポでさっそうと進む場面が多く、対してオケの細部まで配慮が行き届き細かい音までも粒立てて決して曖昧にしない意志が感じられ聴いていて心地よい。粘るタイプのミュンシュとはまったく異なる、これぞフランス式というようなものだ。派手な解釈はないのでそういうものを求める向きには薦めないが、ドビュッシーの紡ぐ精妙な色彩変化こそを楽しみたい向きにはうってつけだろう。まあ、ラッパは下品だが。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),ロザンタール指揮パリ歌劇場管(Ades)アデ・ロザンタールシリーズの弱み、ステレオ初期のマイクのせいか、音響が各声部毎に分断されたようにばらけて聞こえる。寧ろモノラルの方が聴きやすいかもしれない。全般起伏に欠け、一部音色の魔術的効果(鉄琴の突出等)のみ際立って耳に残る。バレエ指揮者でもこの人はノリノリ系ではないから仕方ない。ある意味「印象派的演奏」。音は明瞭でも全体として不明瞭。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○マデルナ指揮ハーグ管(ARKADIA)1966/12/14ライヴ 二楽章が集中力の高い秀演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○マデルナ指揮ハーグ・フィル(ARKADIA)1966/12/14live・CD,同上,これがまたびっくり、物凄く久しぶりに聞いたのだがグダグダ・マデルナが殆どあらわれない、むしろマジメなくらいの名演なのである。重心の低い音響に表現で粘着質の部分が若干みられるし、イタリア的な明るい感受性が必要以上のカンタービレを呼び込んでしまう部分も1楽章などなきにしもあらずだが、3楽章の全体構成的には充実した交響曲的なものをもった演奏であり、近視眼的に盛り上げるのではなく、しっかり地に足をつけた表現で最後まで「印象派的なところは殆どなしに」明瞭に仕上げている。オケの力が大きいだろう。なかなかの聞きごたえです。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,パレー指揮ORTF(ina配信/SLS)1957/5/9シャンゼリゼlive,,物凄い意思的な演奏で、ゴリゴリ力づくで押し進めるスタイルはトスカニーニよりトスカニーニ。時折面白いテンポルバートをかけたりするけれど、冒頭から最後まで一パートも曖昧な表現は許さず全力で音を出させ、フォルテからフォルテテテテテテテッシモまでの間でドラマを創る、いやドラマだと言い切る。清々しいくらい情緒がなくリアルで、だがアメリカのオケではなくこのオケであるところがソロの音色やオケ全体の明るく柔らかな響きによって辛うじてドビュッシーであることをわからしめている。個人的には個性的で好きだが、これだけ爆弾を投げつけるような音を破裂させながら聴衆は普通の反応、まあ、ミュンシュと同じ力感をミュンシュと対極の残忍な棒さばきで表現したわけで、海ではないか。録音は意外と聴けるレベル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○パレー指揮デトロイト交響楽団(MERCURY)1955/12STEREO・CDびっくりステレオ録音。この人のドビュッシーは曖昧さが無いからいい。一本太い筋の通った表現はミュンシュの野暮にもクリュイタンスの骨抜きにも陥らず独自の強烈な光彩をはなっている(いえ、どちらも私は好きなんですけどね、とフォロー)。オケが技術的に弱く没個性なのでほんとうにこの人が表現したかったレベルには至っていないのかな、などとも思う。トスカニーニにもっとフランスふうの柔らかい響きを加えたような感じ、やっぱり即物志向の演奏、でもけっして冷血ではない。この盤(牧神やラヴェル「マ・メール・ロア」とのカップリング)はパレーにしてはけっこういいセン行ってるので、そこをふくんだうえで○つけときます。「海」の演奏は幾千とあるので、この人がその中でぎらりと個性を放っているかというと疑問だが。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),△バルビローリ指揮ウィーン・フィル(HUNT他)1967/12/17ライヴ EMI盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),△バルビローリ指揮ハレ管(EMI)1957,59全般に重い。旋律へのルバート乱用は、この曲だと少しむずがゆい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),△バルビローリ指揮パリ管(SERAPHIMほか)1968 EMI盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○バルビローリ指揮ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団(BS)1958/9/13ブカレストLIVE・CD ,,ねちっこい演奏だがスピードがあるので刹那的な面白さは感じられる。オケもかなりあからさまな表現をするがバルビのドライブにうまくあわせ大喝采を呼んでいる。録音は安定しない擬似ステ風のものでかなり悪い。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○バルビローリ指揮ブカレスト・フィル(archipel他)1958live・CD,,個人的にバルビの海のベスト。ほんとにバルビ?というくらい弛緩がなく、硬質で東欧的なオケのせいもあるだろうが横揺れもさほどせずにダイナミックな起伏をつけていく。ちょうどNYPの頃のバルビの直線的な芸風に近いが、うねるような作為的な動きも目立たない。シンフォニックな演奏というわけでもなく、確かに幻想味は無いが純音楽として楽しめた。3楽章の力強い盛り上げが素晴らしい。オケ達者。リマスターもよい(残響付加モノラル)。archipelは安いのに凄い。昔はこういう演奏が「新発見」としてえらく高く売り出されたりしたもんだけど。LPならとくに。○。協会盤のジョルジュ・エネスク・フィル名義のCDは同じものか。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○カンテルリ指揮ニューヨーク・フィル(NYP)1954/3/7,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),カンテルリ指揮トリノ放送交響楽団(legend)1955liveカンテルリのドビュッシーはけしてトスカニーニの模倣ではなく独自の表現を含んでおり特筆できるものだが、この録音は音が悪すぎる!トリノのオケもアンサンブル能力の弱さが目立ちあまりいい出来とはいえない。それでも3楽章など聞かせてくれる。わりあいとロマンティックだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○カンテルリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(ica)1954/9/9エジンバラlive・CD,,せっかちで咳込むような表現が気になる箇所も多いがトスカニーニ的なカンタービレに、重々しい響きと精緻なアンサンブルをプラスして独自の「海」を聴かせている。意外と直線的でもなく即興ふうの揺らしが感情に訴えて来てラストは盛大なブラヴォ。ドビュッシーの繊細さは録音の悪さもあって望めないが、なかなかロマンチックに楽しめる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1949/4/2live1楽章からぐいぐいと引っ張るような流れの良さ。高音にきらめきが乏しいが、中音域の充実した豊穣な音の奔流に、違和感無く浸ってしまう。ドラマの起伏は少なく(起ばかり)しかし確かに何か凄いものを聞いている実感がある。2楽章の渦流がそのまま 3楽章「対話」へと雪崩れ込んでいくが、シベリウス交響曲第2番2楽章の不安な心持ちを彷彿とさせる太鼓の轟きに端を発し、完全にコントロールされた激流が、風雨の吹き荒れ海のうねたくる向こうにみえる、一条の光明のような終端に至るまで忘我する。全楽章上手い。急激なリタルダンドでも一糸乱れぬのは隅々まで指示が行き届いている証拠で、このオケに対する絶対的な権力者の横顔も垣間見える。重く大きい旋律廻し、壮大重厚な終わり方、決してスタンダードな演奏ではないが、聞きごたえのある演奏。但し、「古い録音」なので注意!,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(pearl)stadioライヴ盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○クーセヴィツキー指揮NYP(whra)1942/3/1live・CD,,重く粗野なドビュッシーだが、オケは巧緻で、その技術力をよく理解したうえで美麗な響きを引き出しており、ロシアの暴君、もしくはボストンの巧者というアンビバレントな指揮者としての面がよく表れている。最初は抵抗があるかもしれないが2楽章はとても美しい木管アンサンブルが聞ける。3楽章はさすがにミュンシュの力感には及ばない。録音はこのCDの中ではあまり良くない。残響でごまかしている。だが40年代のライブ録音といえばこんなものだろう。むしろ聴きやすいほうだ。クーセヴィツキーは録音が古いため損をしている。こういうリマスター盤はもっと出ていい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(re!discover enterprise他:cd-r)1970年代liveクーベリックのドビュッシーはこれとペレアスしかないという。この演奏を聞いていると、もっとたくさんの「お国モノ以外」を遺していってくれたならばと思う。たしかに美しい。上手い演奏だと思う。音のひとつひとつがやや明瞭すぎる感もあるが、このくらいが万人受けするバランスのとれた所だろう。何度も聴取に耐えうる演奏だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(METEOR)?(re!discover盤と同じ可能盛大)これはよくまとまったいい演奏だ。ドビュッシーが仕掛けた数々の構造を浮き彫りにし、きっちりかっちり組み立てて、とても構築的であるにもかかわらず、漠然と聴いているとそれと気が付かないほどに演奏の中に溶け込んでおり、クーベリックの棒のしたたかさがうかがえる。となんだか分析しているんだかどうなんだかわかんないような物言いだが、はっきりいって私は感動したのである。いい「ラ・メール」を聞いた、という印象。バイエルンは非常に巧い。音色変化にも欠けていない。よくありがちな外国人の勘違い演奏になってないのだ。フランス人でもこの演奏を聞いたら感動するのではないだろうか。確かに個性的な解釈はないし、BGMふうのオーソドックスな演奏であるのも事実だが、聞き出すと最後まで聴き通してしまう威力のある演奏だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○ゴルシュマン指揮セント・ルイス交響楽団(COLUMBIA)LP力強いがごり押しでない。特徴は無いがとても雄弁で流麗。ゴルシュマンという人は録音で損をしているが、モノラルでも十分曲の魅力が伝わってくる演奏。まったく無駄の無い、無理の無い演奏、これは好意的な意味で言っている。聞いても損はありません。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○スヴェトラーノフ指揮ハーグ・フィル(residentie orkest)1993/11 radio west面白い演奏。スヴェトラーノフの「海」は恣意的な表現が目立ち好悪分かつかもしれないが、ドラマティックな造形と、一転静寂の表現の深さにここでは円熟の味が加わっている。特徴的なのは漲る緊張感で、そのあまり2楽章ペットが外しているところがあるのは御愛敬。そのせいか響きに怜悧金属的な感触があり、「海」の演奏としては独特の味をもっている。オケは「がんばっている」といったかんじだが、中でも弦のアーティキュレーションの細かさは特筆もの。ブラスの開放的な表現はロシア流儀か。3楽章終盤の熱気はまるでラヴェルのダフニスの終盤のようで、ここにきてああ、スヴェトラーノフを聞いているという実感をわかせる。同盤は「海」をテーマにあつめられたもので、グラズノフの幻想曲「海」とエルガーの歌曲集「海の絵」とのカップリングである。やはりグラズノフが熱い(ヴァイオリンの艶やかな音がまるでロシアオケのようだ)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○スヴェトラーノフ指揮フランス国立管弦楽団2001/1/25live(naive)やはりロシア盤のほうが際立って印象深い。スヴェトラーノフの「芸」が管弦楽の隅々まで行き渡っており、多少野蛮ではあるが、すばらしく個性的な演奏である。また三楽章終盤の熱気たるやすさまじい。一方最晩年のフランス盤はぐっと穏やかになっている。さらに「フランスの音」を得てかなり趣を異にしている。「海」の演奏としてはより完成度の高いものとなっているが、スヴェトラーノフの個性という点ではおとなしくなった感もある。「純度」ではロシア盤に優るとは思うので、人によってはこちらの方がしっくりくるかもしれない、とも思う。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団1993/2/13live(TRITON/RUSSIAN DISC/GREAT HALL)フランス国立管弦楽団盤評参照,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○スヴェトラーノフ指揮LSO(ica,bbc)1975/4/17live・CD,,凄絶なブラヴォで終わる壮年期スヴェトラーノフの激演。とくに両端楽章のスピードと迫力は凄い。まったくロシア式発音をブラスや太鼓などに指示し、太筆描きの海をギラギラ煌めかせる。音がいちいち太いのがいい。音画ではなく文字通り交響曲として自己流を押し出した演奏だろう。オケがまた良かった。ロシアオケではキツすぎる。○。ストラヴィンスキーが火の鳥を海と改作したような感じの演奏と言ったらどうだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(DG)1977/2/11LIVEこの遅さは癖になる。ゆっくりとたゆたう鈍色の水面、一面灰色にかすむ空、ターナーの絵のようにとても心象的な海。録音がよいだけに、静寂の表現がとても深く染みる。ダイナミックレンジの幅が物すごく大きいので注意。チェリの海はいくつか聞いたが、やや硬い音質であるもののこの演奏のクリアさは瑞逸だ。ところでチェリの客観性はアンセルメの客観性に通じるような気もしてきた(ぜんぜん違うけれど)。チェリのフランスものに対する態度は一貫しており、安定している。この独特の演奏にみんながみんな慣れるかどうかが問題だが、チェリの海の頂点を極める演奏として、○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○チェリビダッケ指揮フランス国立放送管弦楽団(LIVE CLASSICS,ANF他)1974LIVEこの2枚組CD、惜しいのだ。ライヴ・クラシックスは10年近く前に駅売りなどで売られていた廉価盤なのだが、他では見ない貴重なライヴ音源が多数、比較的高音質で収録されていた。どういう経緯でこんな音源が流出したのか不思議ではあるが、ちゃんと日本語解説もついているし、マニアからすれば垂涎の盤といえよう。このラヴェル・ドビュッシー集であるが、半分は海賊盤でも出回っているものだが、とくにフランスオケを振ったものは他では出ていないと思う。しかしながら私の手元にある盤は不良品で*、ラヴェル録音の1枚が丸ごと聞けない状態。2枚目のドビュッシー集はロンドン響とのライヴ2曲とこのフランス国立放送の海の計3曲であるが、前者2曲は海賊盤で出回っているので、結局この2枚で希少なのはこの「海」だけなのでした。さて、愚痴はほどほどにして演奏だが、スタジオ録音と聞きまごうほど整っており、非常に聞き易い。録音も良いのだが、没入型の演奏にみられるような乱雑さが皆無で、客観性がほどよいバランスを保った秩序立った演奏として特筆できる。チェリが晩年に見せたような特異な演奏ではないから、一般的にもおすすめだ。何よりオケがいい。フランスオケの持ち味は客観的な演奏で生きてくる。各楽器の音色の透明な美しさがそのような演奏によって俄然引き立ってきている。アンゲルブレシュトのような迫真性は無いが、○ひとつは十分にあげる価値のあるライヴだ。*今はちゃんと聞ける盤を持っています(2004/7),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(ARTISTS)1980LIVE録音状態をかんがみて○をつけないでおく。決してチェリの他の記録と遜色の無い演奏だとは思うが、放送ライヴは音質的にきつい。音楽がせせこましく感じられ、チェリのスケールの大きい解釈が死んでしまう。ベルリン・フィルとの古い録音以来一貫して、チェリはひとつひとつの音をとことん磨き上げ、一つとして曖昧にすることがない。今やそれら「音の鉄骨」を使って、壮大な伽藍を打ち立てているかのようだ。男らしい太筆描きの解釈、いわゆる印象主義的な書法を完全無視した純音楽的な解釈であり、「交響的エスキース」というよりは寧ろまるごと「交響曲」にしてしまっている。私はこれはこれで好きな解釈であり、「正しいかどうかは別にして」愛聴しているが、クレンペラーの演奏様式のように曲の細部まで明瞭に聞き取ることができるから、思わぬ拾い物をしたりする。今回「風と海の対話」など、示唆的につけられた表題が、意外と生かされていることに気づき面白かった。残響にシンバルを加えた太鼓の音がいかにも大波の打ち寄せる音になっていて、巧いなあ、と思ったりした。音場が狭いのが痛いが、聞いて損はしない。ただ、他に手に入る盤があればそちらを優先してかまわないと思う。そんなところか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),チェリビダッケ指揮ベルリン・フィル(TAHRA)1947/8/31 1楽章何かの始まりを予感させる雄大な出だし、独特だ。繊細な響きへの配慮や緊密な音作りにはこの指揮者の特質が伺える。終始穏やかなテンポは豊かな響きを産んでいる。しかしいかにも古いうえに、フルトヴェングラーの残り香を感じるBPOのアンサンブルはギリギリと強力な反面ピアニシモのニュアンスに欠け少し曲にそぐわない。重厚で中音部の充実した音は、行く宛ての無い曲の中でゴールを探して右往左往する。2楽章は面白く聞ける。中間部の激烈なアッチェルやその後の清らかな終止部の表現に惹かれる。起伏に富みこの演奏中のききどころ楽章だ。3楽章は録音の悪さが目立つ。表現の幅は2楽章なみにダイナミックにとられているが、マイクが拾いきれていない。音粒のはっきりしないぼけた録音である。総じて非常に安定感あるオケの合奏力には感銘を受ける。曲趣にあうあわないはあるにせよ、物すごいオケであったことはわかる。音のひとつひとつに意味が込められすぎている。只総合の響きで聞く曲をドラマの流れで押し通している風でもある。ラヴェルを聞いているような錯覚に陥りそうだ。最後にきて少しバラけた風にもきこえる。ヴァイオリンパートは単調な伴奏音形に飽きてしまったのか?まあ総じては世界の独特さはあるし面白い。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(METEOR)LIVE前掲のEMI盤とは別物。ずいぶん輪郭のはっきりした海だ。一つ一つの音をここまで硬く磨き上げてしまうと、総体の音響で聞かせるドビュッシーとしてはどうなんだろう。違和感がある。横長で、デフォルメといっていいくらいの伸縮も聞かれるが、これくらい思い切り良くやってくれると別の美しさが見えてくる。ペットに事故あり!,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),チェリビダッケ指揮ミラノ放送交響楽団(NUOVA ERA)1960/1/29LIVE/○ミュンヘン・フィル(EMI)1992/1LIVEこの曲はこうも表現可能なのだ、という意味でミュンヒェンの晩年ライブに○ひとつつけておいた。古いライヴと共に余りに異端の演奏のため推薦はためらわれるが、チェリの手によるひとつの翻案として価値はあるだろう。ふたつを比べると全般に遅くなっている。これはチェリの他の曲の演奏でもそうなのであるが、単純に時間だけで比較するとそうなるだけであって、後者はテンポの緩急がそうとうに激しい演奏となっている。時間が止まってしまったかのような瞬間があると思えば、どんどんドライヴして盛り上がりをつくっていく場面もある。ドラマティックかつ精緻で構築的な演奏を目すチェリの計画は、前者ではあまり成功しているとはいえないが(オケの限界)、後者は成功しているといっていいのではないか。もちろんこの二つの演奏はじつに30年もの間をあいて行われたものであり、その音楽は根本的には同じものの、一見まったく違う。ドラマ性が重視され、音に表現主義的な激しいコントラストをつける前者に対し、後者音のひとつひとつの分離ははっきりつけられるがそれほど癲癇性ではなく、低音部のひとつの音符も疎かにせずはっきり響かせた上に、雄大な音楽をつくりあげている。面白さで言えば(個性でいえば)断然後者だ。この演奏を何度も聞きたいかといわれれば躊躇するところもあるが、「ドビュッシー」を聴くのではない、「チェリのドビュッシー」を聴くのだ、と覚悟して聞けばそれなりに成果は得られるだろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○ブール指揮南西ドイツ放送交響楽団(DISCLOSURE:CD-R)1965LIVEこれはすばらしい。海の表現としては正攻法。透明感に音色感、内声部の特定の断片を強調する事によって音楽に厚みをもたせるなどさすが現代音楽指揮者といった芸の細かさが光る。オケの硬質のひびきにはよくあっている曲だ。ブールはそれほど特徴的な指揮者ではないと思うが、この演奏はとても個性的でいて「海」の世界を損なっていない。あっというまの3楽章だった。完璧に近い名演。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○ホーレンシュタイン指揮フランス国立放送管弦楽団(MUSIC&ARTS)1966/6/1LIVE最初のティンパニの激しく明確な打撃からしてこの演奏の性格を物語っている。リアルな海なのだ。打楽器群が強調され、ちょっと乱暴な聴感であるが決して小節線を踏み外してはいない。引き締まりきちんと造形された四角い解釈、と言ってもライヴだけあって音楽的な流れのある訴えかける演奏でもある。特異でいながら違和感無く聞けるという名人芸の発露だ。私個人的には録音の悪さもあって、確かに聴き易く適度に個性的で熱気あるとは思ったがそれほど特別飛び抜けた印象はなかった。そしてそんなに盛大に盛り上がらずどちらかといえば古典的な威厳をもって常識的に終演した、そのあと間髪入れずの一斉大ブラヴォーが意外であった。木管など確かにフランス的ではあるのだが全体にオケはフランスらしさが感じられず(多分に解釈のせいだと思う)、こういう演奏でフランス人に受けるのか、と思ったらとんでもなく大喝采なのである。うーむ、録音の限界というものを信じたくない録音音楽至上主義の私も、ライヴというものの真実を捉え切れない録音があり生演奏こそやはり最高の音楽形式である、という言説にしぶしぶ同意せざるをえなくなるのである。多分なんでこんなにうけてるの、と疑問を抱く方は他にもいると思うが、そういうものなのだな、とムリヤリにでも納得させておくべきだろう。だってこの人のライヴを生で聴くことは金輪際絶対無理なのだから。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○ボルサムスキー指揮ライプツィヒ放送交響楽団(URANIA)LP期待しないで聞いたらこれがなかなかの迫力。録音がそうなのかもしれないが重低音で、高音はステレオと聞きまごうばかりにクリアに突き抜け、音のダイナミクスがとてつもなく幅広い。演奏うんぬんよりその迫力にただただびっくりした。ボルサムスキーは隙間産業的に振ってウラニアに録音していた指揮者だけれども、そんな無名性が信じられないほどにシャープな指揮とダイナミックな音響感覚をもって独特の音楽を造り上げている。ボルサムスキーの演奏に聞かれる構築性はここでは最低限施されているだけでドビュッシーの音楽に対する悪影響はない。古い録音ゆえ私のLPの盤面は粗く、またこういう指揮者だから復刻も望めないのだが、それでも私は支持します。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○ロジンスキ指揮クリーヴランド管弦楽団(LYS,DANTE/COLUMBIA)1941/12/29・CD1楽章序奏部は録音の悪さもあってイマイチ乗り切れなかったが、大波を思わせる主題が顕れるとこの人ならではの力感が発揮され出す。突然の力強いうねりは音楽にいきなりのダイナミズムをもたらす。なかなかいい。だが一番いいのは2楽章のさらにダイナミックな動きときらめくような音詩のさざめき。不穏な低弦の序奏から始まる焦燥感に満ちた終楽章は、歌いに歌いあげるヴァイオリンの走句をへて最後の主題へと至り、重みがあるも前進力を失わない力強さが耳ごこち良い。ペットが高らかに天から降り注ぐと、ヴァイオリンは素晴らしい艶のある音で切り替えす。クリーヴランドはこんな音が出せるのだ。ブラス、弦楽器の強靭さにくらべパーカス方面はややゆるい感じがしなくもないが、最後まで手綱を握る手を緩めないロジンスキは強大な末尾へといざなう。聞かせます、けっこう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),サバータ指揮聖チェチリア音楽院管弦楽団(TESTAMENT)1948/2/28,3/1・CD割合と線が細く薄い。ねっとりとしたフレージングとのアンバランスさが気になるが、多分古い録音のせいなので深くは追わない。揺れまくりで個性が強い演奏であり、オケが非力ゆえ成功しているとは言えないけれど、一つの見識ではある。非力さを強いアーティキュレーション表現で補おうとしているが、アンサンブルの乱れを呼んでしまっている箇所も散見される。どうも2楽章後半まで安定感がない。勢いと色っぽい音で2楽章後半から怒涛の快進撃。緩徐部の響きが美しい。最後まで雑然感が残るが、勢いは買うべきだろう。イマイチまとまりが無いので無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),シューリヒト指揮シュツットガルト放送交響楽団(URANIA/TRESOX)1952/5/23LIVEテンポは決して遅くないけれども、重い感じがするのは響きの重心が低いせいか。1楽章でどっさり落ちていたり2楽章で音を外しまくっていることからしてもブラスがイマイチ。弦も揃わない。ねっとりしたフレージングは意外だがこの人もやはりドイツの人だったというわけだ。カンチガイ演奏にしてもお粗末である。しいていえばハープが綺麗。録音貧弱。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),ブーレーズ指揮ロンドン交響楽団(1995/5ウィーン芸術週間ライヴ),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団(1995ライヴ),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,◯マルティノン指揮ORTF(EMI)CD,,きっちりしていて醒めている。サウンドは鳴るのだが、どの音も余りに明瞭に正しく響きすぎて、解釈とか即興性とかを楽しむことができない。余計なことをしない硬質な演奏。初心者向け、、、でもないか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),ミトロプーロス指揮ケルン放送交響楽団(ARKADIA)1960/10/24LIVE結局この人にとってのドビュッシーは表現主義者の一派だったということか。一緒に演奏されたシェーンベルクを聴きながら、つくづくそう思った。じつにアクの強い、隈取りのはっきりとした演奏であり、ひとつとして曖昧にされる音符は無い。ディジタルなテンポ変化は独特で(こういう恣意的解釈がまたオケにしっかり根付いて聞こえるところがミトプーの凄いところ)、オケがそうだからというわけでもなかろうが、とてもドイツ的に聞こえる。面白いが、チェリのベルリン録音のほうがまだ海っぽい。これは違和感あり。面白いが、無印。録音はアルカディアなので弱いです。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(COLUMBIA/PHILIPS)ひどく個性的な演奏。悪い言い方をすれば勘違い演奏。デュナーミクをいじったり勝手な表情を付けたり強引なルバートをかけたりとやりたい放題だ。まあ・・・ドビュッシーには合わんです。逆にドビュッシーが理解できないというロマン派好きな人にはアピールするかもしれない。面白い以前の問題。録音も篭っていてあまりよくない。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),ミトロプーロス指揮ベルリン・フィル(ORFEO)1960/8/21LIVE音悪し。篭っている。ミトロプーロスらしい、押しの異様に強いドビュッシー。色彩的であるがどちらかというとどぎつい。ミトロプーロスの荒れ狂う棒は2楽章においては弦楽を崩壊させ、3楽章ではソロのミスを誘発している。ベルリン・フィルもその特質を巧く引き出されず、ただこの異様な迫力の演奏に手を貸しているといったふうだ。チェリとは全く違う意味で勘違い演奏。演奏レベルとしてはチェリに軍配があがる。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(RUSSIAN DISC)1962LIVEがっかり。ドビュッシーはやっぱりロシア流儀にはあわないのかなあ。。曖昧模糊としたところが無い明晰な解釈を指向してしまったがために、声部間にスキマ風がぴゅうぴゅう吹いてしまうようなスカスカお粗末な演奏に仕上がってしまった。録音も悪いがそれ以上に演奏がどう贔屓目に見ても巧く出来ているとは言えない。これはムラヴィンスキーの名をけがす中途半端な演奏だ。正規で出ないのは正解(あれ、ロシアン・ディスクって正規だったっけ?)。だいたい、本当にムラヴィンスキーのものなのだろうか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),ワルター指揮ニューヨーク・フィル(ASdisc他)1941/1/19LIVE凄く好きだった演奏だが、聞き比べをやってみるとそれほどでもない(泣)。言われるほどロマン的演奏でも交響曲的アプローチでもない。ライヴだから当たり前だが比較的奔放で少々弛緩や瑕疵も見える。1楽章冒頭に欠落あり。浮き立つテンポ表現の巧い指揮者、独特の前進性はここでも感じられ、流麗で力がある。オケの高度な機能性も感じられる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),○マルケヴィッチ指揮NDR交響楽団(EMI)1971/2/15LIVE・CD,,マルケの海は昔HUNTの盤で目からウロコが落ちた覚えがある(その盤は不良品だったためもう手元に無いが)。そのときの(海だけに)流れ良く瑞々しく水際立った演奏ぶりは今も思い出すほど素晴らしいものだったが、この演奏は確かに録音共に素晴らしく美しいものの、解釈の面白さが際立つのみで余り強いインパクトは正直感じなかった。いい演奏だと思うが興奮しない。冷静な音楽になっている。その冷たさが逆に解釈の面白さを面白さと感じさせず人工的という印象に変化してしまいかねないほどである。ずいぶん不平を言ったが演奏自体はフラットに見れば素晴らしい水準にあるのである。○はつけておく。ステレオ。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○マルケヴィッチ指揮トリノRAI放送交響楽団(HUNT)1967/3/10live・CD,,恐らくHUNT/ARKADIAのマルケヴィッチ・海としては別にウィーン・フィルとのライヴがありオケのしなやかな表現力込み名演だった記憶がある。しかし手元にはない。何故って、劣化が酷かったのだ・・・最初から(見た目からして既に茶色かった)。独特のあのノイズは気になりだすと聞き続けることができない。そちらは確か最初のトラックだったので返品した。こちらは幻想のあと、最後のトラックとなっている。だからといってはなんだが、だから仕方ないということもないんだが、中古ではあるんだけど、劣化しているものの、見た目は全く問題ないので、ひょっとすると最初から劣化した音源だった可能性があるから残した。当時のイタリア盤では劣化というより最初から品質が悪くノイズまみれのものが相当にあった。現在のノイズ上等みたいな市場は無かったが(現在の耳からするとノイズレベルは問題にならないものも多かった)、殆ど流通量が限られていたので、十分通用した。誰でもそのへんのオッサンでも国外盤を偽装していくらでも増やせる「裏蒼」なんて無かったし、値段も「破格に高かった」。いま投売り状態なのはどうにもやるせないような、しかし手に入らなかったものは得した気分にもなる。,,マルケの色彩的というかえぐい表現、ムラヴィンスキー的な強さと神経質さを担保したうえでの「速度」は気持ちが良い。ロシアのトスカニーニ、という言い方が頭をよぎるが打楽器の増強によるリズムの強調ぶりや旋律の単純な煽りぶりは壮年期のスヴェトラーノフに近い感もある。変則リズムや効果音的挿句の妙な強調などロシア流儀の感情表現だろう。だが下品にならないよう抑制し求心力を保てるのがマルケ、全体の流れはすこぶる強靭である。オケはライヴでは非常に調子のよかった時期で弦楽器の程よいバラケ味含め演奏を損ねる方向には向かってはいないが、録音が明晰なステレオであるため聞き方によっては気になる部分はあるかもしれない。このオケだからこそ上記のえぐさが出ているということもあるかも。○。劣化してなければなあ・・・,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,マルケヴィッチ指揮ベルリン・シュターツカペレ(meloclassic)1970/2/13live・CD,,いきなり高速インテンポからのポルタメントかけさせまくり、粘らないのに濃い、オケの響きの特質もあるだろうがマルケがフランスに縁がありながらもロシアの流れを汲んでいるのがわかる。いわばトスカニーニにスヴェトラーノフが憑依したような表現だ(なんだそれは)。独特の起伏の付け方で、高速インテンポは長続きはせず、二楽章は二楽章で立体的な聴こえ方を目し工夫を加える。また三楽章では内声部を顕にし構造的な面白みをえぐるなど様々な工夫を凝らしている(ここまで必死で耐えてきたオケの一部がトチるのはご愛嬌)。ダイナミックで大袈裟、でもテンポを変に細かくいじらず、オケ特有の重量感を活かした純音楽的交響詩として色彩的にもどぎついくらいしっかり音楽にしていく。スピードは落ちずラッパも指示通り吹いてます的な表現だが総体の迫力は物凄い。拍手はカット、音も70年代にしては篭り気味だが、この独特の海を聴きたいならどうぞ。ドイツの海は厳しく荒れる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5),ストコフスキ指揮LSO(london)1970/6・CD,,正規盤を書くのは久しぶりか?これはねっとりしたフレージングに遅いテンポでもう、バラバラといったかんじの海であり、ムラが多く、人工的に感じさせる場所が多い。ストコのやり方が余りドビュッシーに向いて無いんだなあ、と思わせるものだった。無印。録音もそんなによくない。。ただ、風と海の対話の最後のストコフスキ・クレッシェンドには瞠目させられる。この楽章の(音のスカスカ感はあるにせよ)解釈の物凄さは特筆すべきかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(1903ー5)(一部欠落),マルティノン指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1968/5live,,どうも腑に落ちない切れかたをしていて、音盤の問題かもしれないので一応断っておく。手元のものは1楽章最後から2楽章提示部の途中まで大幅に欠落している。演奏はといえば1楽章冒頭は全くやる気ゼロ。素っ気無い無機質なインテンポ解釈、そこに締まらない、やる気の無いときのシカゴそのものの音、こんな状態で音楽はできまい。と思ったらまあ最後にはなんとか・・・というところで突如2楽章の途中にワープしてしまう。なんじゃこりゃ、まあ、でも起伏はだんだんと板についてきてスケールは出てくるがどこかだらしない。録音は明晰なステレオだが、無印以下、このままだと、音盤として。他で出ている可能性がある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○F.アンドレ指揮ブリュッセル放送交響楽団(TELEFUNKEN)SP他,,LPにもなっていたと思う。録音はそれほど古くは無いはずだが音が悪いというか、曇っている。演奏は颯爽としたもので引っかかりの無い解釈。ケレン味を与えず伸び縮みしないところ、細かい音符をきっちり描きこむところは新しい。だが半面個性に欠け、またオケが中欧臭く軽味に欠けている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCORA)1958/5/29モスクワlive・CD,,もちろん古い録音のしかも「CD復刻」のため最高評価にはしづらいのだが、音の密度・ボリュームと音量変化のすさまじさは並ではない(波だけに)。それもいつものフィラ管の少し砂糖の入った味の濃さではなく、ひたすらストイックな強さなのだ。パワーも技量も確実にロシアオケに対抗意識を燃やしているさまが聞いて取れて、いや、オケというのはつくづくこういうものなんだなあ、と思った。かなり凄まじい終演後のそれほどでもない客席の拍手は、政治的理由か?西欧なら文句なしにブラヴォの渦だろう(少しブラヴォも聞こえる気がするが)。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○セル指揮WDRケルン放送交響楽団(EMI)1962/11/16LIVE・CD,,冷たく硬質の海が聴ける。荒れ狂う波頭のひとつひとつが綺羅色に輝く金属でできているようだ。ギリギリ引き締められた音楽はもう少しで内部崩壊してしまいそうな内圧をはらみ、重心の低い音響は描写音楽の枠をこえ最後には交響曲のフィナーレのような凄まじい表現にいたる。しかし、、、セルはいくぶん柔らかく暖かい音を出すレガート傾向のオケのほうが中和されてほどよく聴ける気がする。生で聴いたら度胆ぬかれるだろうけど、この迫力と精度は。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,○セル指揮クリーブランド管弦楽団(ArtNova)1965/5/19レニングラードlive・CD,,凝縮された迫力が凄いセルのロシアライヴ。この時代の西側楽団(米国楽団)のロシアライヴは皆凄く定評があるが、セルも他聞に漏れない。ただ、音が板起こしでやや悪く、3楽章のクライマックスでヒスノイズなど目立つ。こういうふうに音が崩れると、高精度演奏による迫力を目したセルのような人の音楽はとたんに精彩をうしなうのだ。しかし殆どトスカニーニな魅力的な音楽ではある。セルならではの施術により、まるでロシア楽団のような力強い表現とアメリカ一流オケとしての精度が、他のアメリカ録音などとは違う異様な雰囲気をかもし、けしてブラヴォは出ないけれども、有無を言わさぬ拍手は呼んでいる。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,セル指揮クリーヴランド管弦楽団(forgottenrecords)1957/6/12live放送,,録音はノイジーでモノラルなのに不安定で厳しい。演奏は基本的にサラサラしていて速いインテンポを崩さないが内声まで行き届いた統制により原曲の響きや構造の魅力が透過して伝わってくる。この力強いでもなく明晰でもなくしかしまぎれもなく新即物主義にたった「薄い」演奏ぶりはセル独特のものでリヒャルト・シュトラウスやトスカニーニとも違っている。これが3楽章で一気に急くように畳み掛けるように、ルバートすら交えながらどんどん迫力を増していく計算もまたセル独自のものだろう。鼻歌まで入って拍手は盛大だ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,プレートル指揮フィレンツェ五月祭管弦楽団(MAGGIO)1992/10/31ヴェルディ劇場フィレンツェlive・CD,,1楽章は明るくゆったりとした音楽になっているが時折奇矯なことをやって耳を引く。作為が見えてしまい居心地が悪く思えるところもある。2楽章は動きが加わるが1楽章でもかんじられたオケの弱さが気になる。ライヴだからこそ弦楽器の乱れがよくきこえてしまう。90年代前半の演奏なのでまだプレートルも壮年の輝きをはなち弱音の美麗さ、末尾のハープとかさなる楽器のリタルダンドまで美しい。3楽章の不穏なはじまりは明るい雰囲気をちゃんと曲想にあわせて変えてきている。オケに配慮が行き届いている。きちっと激しいところは鋭くやっている。ただメロディ楽器の音符の最後に瞬間テンポルバートをかけ引き延ばしてディミヌエンドさせおさめるなど後年まで続くやわらかい処理は顔を出す。緩急がよくついており、それはよくあるデジタルな変化ではなくやわらかい自然なもので物語性を一貫して演じさせ印象深い。楽想変化もすこぶるあざやかだがすべらかでわかりやすい演出がほどこされる。丁寧で、性急に終わるに向かうことはしない。力づくで叩きつけるのではなく雄大な波のうねる表現はなかなかだ。終わり方も丁寧。少し作為的だが良演だと思う。拍手はふつう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」,モントゥ指揮ACO(RCO)1939/10/12live放送・CD,,冒頭から性急で意思的な強い表現に驚いたがオケの性格もモントゥーの年なりのところもあるのだろう。あけすけなトランペットの響きにもびっくりする。真っ直ぐ突き進むのではなく、縦に音を叩き付け続けるようなミュンシュとは違うスタイル。二楽章のリズムには舞踏的な要素も強く感じる。リアルな音色で楽想変化が明瞭な一方、とくに弦に技術的雑味が多い古い演奏、さらに、ノイジーな録音で余りに状態がひどく、テジ化音源で聴いていると盤面の問題なのかリッピングミスなのか識別できないほど多様なノイズが重なり、多くの部分が耐え難い。ダイナミックな志向の一方で例えばハープや低弦のかもす幻想味が損なわれまくっているのも悲しい。正直鑑賞には値しないが、モントゥー壮年期のフォルムの緩い前のめりっぷり、気を煽るせっかちな芸風はそれなりの色彩味を放ち魅力が無いわけではない。速すぎて吹けないなど三楽章にも技術的問題は多々きかれるのだが、とにかく私の盤の単なる劣化による悪印象かもしれないので、そこは少し割り引いて読んでください。正規盤にしてはひどすぎる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」(カプレ二台ピアノ編曲),アルマンゴー&ショーズ(P)(warner)CD,,私は近代大曲のピアノ編曲が好きではない。大編成のオーケストラの、楽器の特性を無くしただの音符に還元してしまう行為は音楽を音に戻す行為に等しいとすら感じる。それとは別に例えば惑星のピアノ編曲など「別物として楽しむ」ことは可能である(但し惑星はピアノ版で初演された、娘イモーゲン氏と親友RVW臨席だった)。これもそれと割り切れば楽しいが、ここまで精妙に豪華に出来上がった音響を、ピアノが万能楽器であるとはいえ、ドビュッシー自身が優れたピアニストでこの作品もピアノを使って作曲したに違いないとはいえ、四手に縮めてしまうのは無理がある。まず、ドビュッシーのピアノ曲に求めるものをここに求めてはならない。これはピアノ曲として書かれたものではない。また、管弦楽の海をここに求めてはならない。低音楽器の轟きも響かず、弦楽器の有機的なフレージングも楽しめず、ここには漣しか立っていない。そして、これは言わずとしれたドビュッシーの盟友にして使徒キャプレによる編曲ということ。キャプレの作品は必ずしも明るいものばかりではないが、デーモンが感じられない巧すぎる編曲をするところがある。端正で単純なのだ。演奏のせいかもしれないが一楽章はあまりに音が弱すぎて、二台であることすら忘れてしまうほどだった。ニ楽章からはメリハリがついてドラマを演じ始め、ブラスや弦楽器では無理な高速連打を聴くとドビュッシーはピアニストとしてこういうものを想定していたのだなと納得させられる。実際そういうふうにブレなく攻撃的に吹くトランペッターがいたら聴いてみたい。このスピードじゃ無理だけど、、、という、管弦楽に無理なスピードを実現しているところは楽しめる。三楽章のラストなど「動物の謝肉祭」みたいでなんだかしまらないが、編曲にすぎないのだこれは、と思うしかない。何も考えずに聴けば、ただの旋律追いで聴いていれば楽しめるだろう。私は楽しかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:古代のエピグラフ,ゴールド&フィッツデール(P)(columbia/sony)1953/1・CD,,前奏曲集を彷彿とさせる人好きしそうな神秘的な曲集なのにあまり聴かない。このコンビは全く危なげなく、やや強めに弾ききっているが残響が多いので冷えた幻想味がよくつたわる。後半強くなるスペイン風のメロディや、ゴリウォーグのケークウォークを思わせるリズムはオリエンタル(死語か)な情緒を醸すための装置で、それらを彩るハーモニーや動きは全てを石化させるように、蒼く輝いている。この異化作業を否定してミヨーやサティが(一時期)アイデンティティを確立したことを考えると、たしかにこのやり方は袋小路でマンネリになりそうではあるが、とにかくドビュッシーこそコレ、というそのもので、このコンビは過不足なくドビュッシーを提示することに成功している。これはマッチしている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:ビリティスの歌,セイリグ(語り)フレンド指揮ナッシュ・アンサンブル(warner)CD,,フルートとハープが入っているドビュッシーの曲、というだけで典雅さは約束される。ナレーションは人によって邪魔と感じるかもしれないがそれがないと挿入される音楽の意味がわからなくなる。そういう人はアンセルメのような編曲版を聴くべきで、原曲では同じようなフレーズの連続にくどくも感じることだろう。演奏が達者で室内楽的にもよくできているせいか、ドビュッシー全集収録の室内楽トラックの中でもわりと突出して聴きこませる力がある。響きの薄さを内容浅薄ととらえるかそういう削ぎ落された美観(アルカイックではない)が保たれていると感じるかで変わってくるが、生臭さ皆無のドビュッシーを聞きたければこれと「舞曲」と「三重奏曲」で完璧だろう。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:ビリティスの歌,ウィーン・ベルリン・アンサンブル デネーヴ
ドビュッシー:ビリティスの歌〜3曲,コルトー (P) テイト
ドビュッシー:六つの古代のエピグラフ(アンセルメ管弦楽編),○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA)1953/10・CD,,室内楽的なひびきをよくこのように維持した編曲を仕立てたものだなあと思ったものである。2006年末ボックス集成されたのがCDでは初出だそうだが信じられないくらいの名録音であるし、多分にエキセントリックなイマジネーションを持ったドビュッシーの世界を、かなりドビュッシーに入り込んで取りまとめ上げた編曲であるといえる(さすが数学者)。だから単純な教科書的編曲とは聴感の新鮮さが違う。夢幻的な「フルート、ハープ、ヴィオラのためのソナタ」や「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」の繊細な音響世界をそのまま置き換えて、更にラヴェルのように合理的に弾かせ聞かせる。ただ・・・他に比較するものがないので、これがいいのかどうか、◎にするには躊躇がある。どこから聞いても全盛期のドビュッシーそのもの、だが、なにぶんモノラル録音なのだ・・・○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:六つの古代のエピグラフ(アンセルメ管弦楽編),○アンセルメ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1968/1/8live,,アンセルメのアメリカ公演旅行の記録はかなり遺されているようだ。アンセルメ自身がピアノ連弾曲集(元は劇音楽「ビリティスの歌」)より編じた同曲はまだドビュッシーが若い頃の鮮烈で素直な、小組曲のようなわかりやすさと明るさをもっており、アルカイックな内容をその「白さ」によってよく表現している。編曲も無難といえば無難でこれも小組曲の場合に似た手慣れたものだがドビュッシーはそのじつ他人に大規模編曲を任せることも生前からままあった人で、こういった編曲作品はけしてありえない改竄行為とも言えまい。「フルートとハープの入ったドビュッシー」が好きな向きは親しみやすく楽しめるだろう。この演奏は楽団の繊細な部分まで曖昧にしない力量の高さが発揮されている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:六つの古代のエピグラフ(アンセルメ管弦楽編),○アンセルメ指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1968/1/25live,,シカゴとは思えない生身の力強さを感じる。アンセルメは理性の指揮者のように思われがちだが音作りがオケに左右されがちなだけで割りとロシア的な太い音による男らしい演奏を指向するところがある。この演奏はアメリカ交響楽団のものとさほど期間をおかずに行われたものだが、芸風は同じだけれどももっと何か、適性を感じるというか、求める音を持ってなおかつ技量もプロフェッショナルな意識も高い、そういう楽団を相手にアンセルメもドビュッシーの初期的な安易さのみならず和声の複雑な様相を高精細に表現し、機微のよりはっきりした幅の広い表現を行っている。ちょっと世俗的に盛り上がってしまい尻切れのように終わるが、聴衆反応もいい。録音はこのてのものにしては極上。ただエアチェックなのか、天井がやや篭る。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:六つの古代のエピグラフ,クリュイタンス パリ音楽院O
ドビュッシー:六つの古代のエピグラフ(パイヤール編),パイヤール パイヤール室内O ラスキーヌ
ドビュッシー:アラベスク第1、2番,○マルグリート・ロン(P)(columbia/pearl/CASCAVELLE他)1030/7/10パリ・CD,,この辺りの平易な曲を弾いてカッコつける人がバブル期には多かったなあ。残響を殆ど使わず粒立った強い発音と速いテンポで曲をくっきり浮き彫りに。潤いは要らないと言うかのようだ。音量変化とアクセントだけでこの表現力。こういう流れは同国同時代、後代にも。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:アラベスク第1、2番,ギーゼキング (P) (EMI)
ドビュッシー:アラベスク第1、2番,フランソワ (P) (EMI)
ドビュッシー:アラベスク第1番,プイシュノフ (PーROLL)
ドビュッシー:アラベスク第2番 ロビンソン (PーROLL)
ドビュッシー:アルト・サキソフォーンと管弦楽のための狂詩曲(1919年ロジェ・デュカス編),○ロザンタール指揮パリ・フィル、マルセル・ミュール(S)(EMI)CD僅か10分弱の曲だがさすがドビュッシー、一緒に収録されているイベールやロフラーなどとは比べ物にならないくらい美しい曲。管弦楽配置を行ったロジェ・デュカスも決して職人的技に走らず機知に富んでいて、尚且つひたすら「気持ちいい音楽」にてっしているのが清々しい。イギリス音楽でいえば前半はディーリアス、後半はヴォーン・ウィリアムズ。とくに後半の旋律や展開が思いっきり類似。勿論ヴォーン・ウィリアムズのほうが真似たのだろうが、逆にドビュッシーらしくない重みがある音楽になっているのが面白い。取ってつけたようなスペイン趣味も織り交ざるものの、面白い曲である。ミュールはまったく危なげない演奏で凄い。ロザンタールは新しい録音でしばしば聞かれる野暮ったさがまったく無く、俊敏でリズミカルな音楽を演じていて素晴らしい。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:アルト・サキソフォーンと管弦楽のための狂詩曲,コッポラ SO ヴィアード
ドビュッシー:アルト・サキソフォーンと管弦楽のための狂詩曲,コンスタン フランス国立放送フィルO ドゥファイエ
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ,◯ジェラール・プーレ(Vn)リグット(P) (SAPHIR)live,・CD,,スペイン風味は皆無だがライブのせいか他盤より熱を帯びている感がある。粗さと表裏一体になりがちだがここではその心配はない。父ガストン・プーレ氏とドビュッシーの共同作業で生まれたようなこの曲を、表現こそ曲の要求するような幅がないものの我が物のように完璧に弾きこなし、その腕によって譜面上見えるよりも数倍難しい曲であることを今更認識させる。音色が柔らかく安定しすぎていて激しさがなかなか出ない奏者だと思うがこれは激しい。ピアノは丁々発止と言っていいのではないか、これも激しくやりあっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ,○ジェラール・プーレ(Vn)ノエル・リー(P)(ARION)CD,,譜面ヅラわからないところで聴かせるのが非常に難しい曲で(演奏もしづらい)、最晩年に何を描いてくれてるんだといったかんじだが、この演奏で聴くと顕著であるはずのスペイン要素がわりと気抜かれ、完全にフランスのソナタになっている。音色によるところもあるが、技巧的に素晴らしいのにパッションが足りないようにもかんじる。でも、凡庸ではない。いや3楽章は凄い。そのへんの盤とは何が違うのか?ノエル・リーの積極的な表現によるところも大きい。これはヴァイオリンとピアノによるアンサンブルなのだ。独立した線的な表現が目立ちアンサンブルとして組み合わせるのが難しい、そこをリリカルな粒だったノエル・リーが引き立てる。プーレの見せ場を盛り上げる。最後は派手だ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ,◯シェリング(Vn)シュレーター(P)(meloclassic)1957/4/15フランクフルト放送スタジオ録音・CD,,スタジオ録音だが環境雑音がある。一発録りだろう、しかし壮年期シェリングの表現力に圧倒された。まったく、これはこう弾けば良いのだ、とヴィルトゥオーゾらしさを見せつける。力強く、しかしピアノとの微細なやり取りも疎かにせず、「こんな音の少ない曲どうやったら届くんだ?」という疑問を、「音を太くすれば良いのだ!」とまあ、そんな単純な話でもないのだが、無伴奏ソナタでもやるように、これは独壇場である。たぶん、同曲の演奏としては特異なものであろうが、この説得力は同曲が苦手な向きも納得させるものがある。透明感と線の細さが特徴的な後年のシェリングと同じ人とは思えない素晴らしい記録である。特異と言ったが、和音も音線もまったく加工されているわけではなく、ドビュッシーそのものである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ,○コルベンソン(Vn)ウルマー(P)(CONCERT HALL)LP◎にしたいくらいだ。録音が古いので○にとどめるが、ヴァイオリンとピアノが渾然一体となって一つの旋律線を紡いでゆくというこの曲の本質を見事に捉えた演奏である。フランクのソナタと同類項と考えている人はぜひこの演奏を聞いてみて欲しい。こういう演奏でないとこの曲の魅力は伝わらない。私は曲を聞く前に譜面を手に入れてしまって、ヴァイオリンだけ弾いているとわけわからないというか、とてもヘタクソな曲だなという印象しか残らなかった。病に倒れたドビュッシーの晦渋な気持ちが反映されているのかな、と思っていた。ぜんぜん晦渋じゃない。ピアノとヴァイオリンの非常に緊密なアンサンブルの上に成り立つものだから、どちらかだけを聴いていたところで本質はつかめるはずも無い。ヴァイオリンは巧い。非常に的確な表現をするというか、フレージングが巧くとてもわかりやすい。あまりに音楽の流れを重視するがゆえに細かい音符が音になってないところもしばしば聞かれるが、たぶんライヴでこれを聴いたら間違いなく感涙拍手喝采である。今まで聴いてきたこの曲の盤はいったい何だったのだろう、と思わせるほどスバラシイ演奏でした。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ,○シゲティ(Vn)ボーガス(P)(mercury),,CDになっていると思う。ステレオ盤ということは技術的に既に問題が発露していた時期ということであり、音色の不安定な艶めかしさと新即物主義的な非人間性がアンバランスな状態で同居しているさまは、ドビュッシー好きの極右極左双方に受け容れられないかもしれない。ステレオ期のシゲティについてはメニューヒン同様評価がなかなか難しい・・・表現力はあるのだ、指圧だけの問題なのだ。,,曲的にも非常に独特であり譜面も何か変で、2声部をただ小節線とハーモニーを揃え、併置しただけのような単純さと、不安定感があり、ラヴェルで言えば混迷期に書かれたデュオソナタを極度に素朴化したような印象が残る。まさにピアニスティックでヴァイオリンで表現するには余りに機械的すぎる細かい音符や和声的な動きを、ピアノの極めて単純化された「伴奏」に載せていくさいの非アンサンブル的な重層性は、トリルやアルペジオをヴァイオリン独奏だけに多用するRVWの狂詩曲ふう「あげひばり」に似ているけれども、この人弦楽器のメリットがわかんなくなっちゃったんじゃないか、という「不自然な横の流れ」がまったく違う。まあ、これを曲に聴かせられる人はティボーくらいだったんじゃないか。,,特徴的なエスパーニャな曲想さえそれとわかるように浮き彫りにするのが難しい(即物主義者シゲティは当然そういう生臭要素は無視して全編同じ調子で弾き切っている)。ラヴェルのように楽譜を音にすれば自然にそうなる、ということが無く、演奏者が無理やり楽想の「継ぎ目」を意識して演奏法を変えていかなければ、最初から最後までのんべんだらりとした枯れた曲になる(単純さと奏者の表現力任せという点ちょっとディーリアスのソナタの3番に似ている)。最晩年新古典主義期の末尾に位置する曲だが、白鳥の歌ならではの未完成の感すらある。そうそう名演のない、いや恐らくちゃんと名演と評価できる演奏録音の無い曲であり、シゲティのこのステレオ録音においてはただその晩年の不安定な音の独特さを楽しみ、しかし指はしっかり回っている、小節線の間の音符を全部ちゃんと音にしている、そういった即物表現をボガスの確かな伴奏の上に楽しむ、それだけでよいのだろう。,,○。,-----,,,-----,,,-----,
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ,ティボー(Vn)コルトー(P)(EMI/Andromeda/Biddulph/pearl/OPUS蔵他)1929/6/7・CD,,大昔、なるたけかんたんに弾けるヴァイオリン曲を探していた。当時はかんたんとはどういうことなのかまったくわかっていなかったのだが、それはともかくフランクのソナタのような曲を求めていたのである。フランス近代に目をやると、ドビュッシーがソナタを書いている。おお、トリオソナタのような曲なら格好がいい。先輩に「ドビュッシーのソナタってどんな曲ですか」と聞くと、「フランクみたいな曲だよ」と返ってきた。しかもページ数が少ないという。手元の金でも買える著作権切れの譜面。うってつけだ。早速ヤマハに出向き手に入れて、ソロ譜を開いた。で、おどろいた。,,なんだこれ。,,サッパリわからない。ひたすらなだらかに音符の並ぶ旋律の、意味がわからない。統一感を持たせている意味がないくらい、突然ラテン系になったり旋法的になったり不規則で、有機的に繋がる音楽は横に流れるばかりでアクセントを付けて表情を作ることができない。ドビュッシーがソナタ形式に回帰した時期の、新古典主義に影響された作品のはずである。しかし譜面をどう見ても、わかりやすい形でそれを表現することができない。対比も変容も聴くだけだとただ似通った楽想の連なっているだけ、先祖返りしたようだ。切れ目なく、区切りや抑揚を即物的につけていたら何をやっているのかさっぱりわからない退屈な音楽になる。せめてチェロソナタみたいな分かりやすいメリハリがあればよいのに、密度が薄い。いかにもドビュッシー的なリリカルなピアノが響き渡る、、、コルトーの音はこんな古くてもモダンなドビュッシーのそれである、、、いっぽう、ヴァイオリンはそれと関係なく独り踊る。道化師のように晒される。名技性を発揮せよというが、名技性を発揮するような箇所などない(その点ではフランクと同じかもしれない)。,,で、今もってこの曲は、何が正解なのかわからないのである。ティボーはヌヴーとならび同曲の規範的録音を残したとされるが、時代がかった細かなポルタメント、録音のせいかもしれないが端折ったような音の潰れ(一楽章)、規範とは呼べないだろう。だがむしろ、精緻に設計し解釈していることが明確にわかる、そちらの「態度」こそ規範たる部分だと思う。前記したような「わからない」音楽を、私に「わからせた」演奏の一つとして、とくに二、三楽章の切り方やボウイングやスケール感の制御(凝縮せず盛大にやるヴィルトゥオーゾもいたが私はしっくりこない)、色々わかりやすくする工夫がなされている。ドビュッシーって晩年でもそうだったんだな、と思って仕舞った譜面がどこへやら。,-----,,,-----,,,-----,
ドビュッシー:バイオリン・ソナタ,フランチェスカッティ カサドシュ (P)
ドビュッシー:バイオリン・ソナタ,グリュミオー ハイデュ (P)
ドビュッシー:バイオリン・ソナタ,フェラス バルビエ (P)
ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」(ポエム・リリーク),○ブランザ(乙女)デグエット、ロザンタール指揮ORTF他(BAM)1962/5・LP,,ロザンタールのいい部分が出た演奏だと思う。静かで穏やかな、繊細な音楽。歌唱もことさらに主張することなく邪魔をせず、ワグネリズムを巧く薄めて僅かに感情的な部分の織り交ぜた人間的な音楽だ。のっぺりとした表現も音響や楽想に魅力があるためプラスに働いている。惜しむらくは録音の古さか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」(ポエム・リリーク),アンゲルブレシュト指揮ORTF他(ina)1954/12/30live1955/1/6放送,,この日の中プロにあたり(モツ40、フォレレク)環境雑音の気になるモノラル録音。違和感のない低音を欠いた明るい響きで終始軟らかく、初期的な大曲。低音を欠くといってもホルンなどのちのドビュッシーに見られない常套的な挿入もある。アンゲルブレシュトのドビュッシーはわりと客観的でそのぶん響きが美しく、これは録音状態からいってこの曲を楽しむに不十分なものではある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」(ポエム・リリーク),アンゲルブレシュト指揮シャンゼリゼ劇場O(EMI)CD
ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」(ポエム・リリーク),アンゲルブレシュト指揮フランス国立放送O グランシャー 1962/2
ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」(ポエム・リリーク),アンゲルブレシュト指揮フランス国立放送O 古沢、ベッティ1957/12/14
ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」(ポエム・リリーク),ジャーヌ・ギア(sp) オデット・リキア(sp)コッポラ指揮パドルー管弦楽団、サン・ジェルヴェ女声合唱団(gramophone/victor/lys/andante他)1934/11パリ、ラモー・ホール・CD,,ロセッティの詩文に材をとった初期の香りを残す明るい作品で、牧歌的な雰囲気からどんどんと素朴な耽美の世界に沈潜していくさまは、ワグナーというよりまるきりディーリアスであり、世紀末だなという感じ。しかしひたすら女性の言葉が支配する世界はコッポラの一連の録音にみられる「クッキリした輪郭」のためにさらに、幻想味より即物的な表現をもって伝わる。だが、この録音が比較的復刻され続けるのは声と楽団が非常に美しい響きを湛えているところにもあると思う。コッポラはSPという枠にキッチリ合わせた音楽を作る印象もあろうが、パドルー管弦楽団の木管陣、もちろんその他のパートもそうなんだが骨董録音には珍しい技巧的瑕疵の僅かな、時代を感じさせない如何にもフランスの一流オケらしい品良い清潔な音で綺麗なハーモニーを演じて見せ、沸き立つような雰囲気の上で歌を踊らせる。歌唱もじつに確かだ。名唱と言って良いだろう。ドビュッシー作品に過度な暗喩的イメージを持たず、初期作品の一部として、ダンディらと同じ時代のものとして聴けば、この昭和9年の録音でもまったく楽しめるだろう。リアルな音でしか収録できなかった時代(電気録音とはいえ実演とは格段の情報量の差を埋めるための、演奏の調整は、特に大規模作品ではされることがあった)にこれだけ雰囲気を作れるのは凄い。低音の刻みなど、影りもまた曲の陰影として的確に伝わり、そうとうに準備して録音しただろうことも伺える。,,だがまあ、夢十夜の第一夜で思い立って聴いたら脳内の儚いイメージが、まだもってリアリズム表現においては明確な象徴主義絵画の、しかもちっとも暗示的でない美文体を伴うロセッティ路線を直截に推進する音楽の力に押しつぶされてしまった。ドビュッシーは漱石とほぼ同じ頃に生まれ同じ頃に死んでいる。イギリス人の絵に感化された日本人とフランス人の感覚差に面白みを感じる。日本は先んじていたのだろう。残念ながらこの録音は古いと言っても、共に亡くなったあとである。漱石が同曲初演の頃は、極東に戻って帝大をちょうど卒業した時期にあたる。程なく弦楽四重奏曲も初演されドビュッシーは長足の進歩を遂げるのだから、夢十夜の時期はすでに描写的表現からスッカリ離れ牧神はおろか、「映像」を仕上げた頃にあたる。いっぽうコッポラは指揮録音時代を過ぎると1971年まで作曲家として長生した。フランシスとの関係は無い。,-----,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」(ポエム・リリーク),○チェリビダッケ指揮交響楽団&合唱団他(ROCOCO)?LIVE併録の「クープランの墓(ラヴェル)」はおそらくARKADIA盤と同じ録音。珍しい曲選だ。私がドビュッシーの作品で最初に惹かれたのがこの曲だった。きわめて平易、「ピアノと管弦楽のための幻想曲」よりも古い初期ドビュッシーの素直な曲想と僅かな和声上の冒険が、ディーリアスの平穏な曲のように耳馴染み良くひびく。あるいはフランスの先人たちのロマンティックな歌唱作品の系譜につらなると言ってもいいかもしれない。ソプラノ、メゾソプラノに女声合唱という女性づくしの歌唱陣のせいでそう感じるのかもしれない。この演奏は透明感がある一方極めて抒情的な印象を残す。暖かな春の気配に満ちていて、ロセッティの歌詞がわからなくとも、その美意識の一端は感じることができるだろう。「昇天した乙女と地上の恋人の美しく儚い抒情詩」だそうだ。録音はモノラルであまりふるわないが、チェリの精緻な音作りが美しく結晶した演奏と言えるだろう。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」(ポエム・リリーク),○チェリビダッケ指揮トリノ管弦楽団&合唱団、ソーテロー、フィオローニ(arlecchino)1959・CD,,オケはトリノRAI放送管弦楽団だろう。意外と良音で伸びもよく適度なクリアさで曲を楽しめる。未だロマンティックな気配ののこる作品に耽美的な表現で美を引き出すチェリ過渡期の佳演。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」(ポエム・リリーク),○トスカニーニ指揮NBC交響楽団他(MUSIC&ARTS/DA:CD-R)1940/4/13live,,優しい曲感で宗教的な内容は推して知るべし。牧神ぽい移ろう和声的雰囲気の中に前期ドビュッシーが立ち現れる。 オール・ドビュッシー・プログラムのメインに組まれたもので、既にだいぶ前にCD化されている。トスカニーニのまとまりのよい音楽は古い録音だと音楽をせせこましくするが、これはしょうがないというか、まあ聴ける範囲では十分にある。歌唱が入るのは長い牧歌的な序奏の後になるが、オネゲルの夏の牧歌のような弦楽器の音にうららかな陽のさす雰囲気が美しい音色変化の中に描き出されている。微細なリリシズムに一種フランス音楽の王道の表現を聞き取れる。トスカニーニのこういう面は余りクローズアップされない。後期に慣れた向きには甘すぎる曲に聞こえるかもしれないが、聞き込めばこの時代としてはかなり前衛的な書法を使っていることにも気づかされよう。奏法のベルリオーズ的?使い分けが巧みである。盛り上がりどころでレンジが狭いのがきついか。往年の甘やかな弦楽セクション全般の音に傾聴。とくに低弦。ハープなどの壺を押さえたハマりっぷりなども噎せ返るような雰囲気をかもしているがいかんせん録音状態が邪魔をしているようだ。木管が巧くないとこのてのソロバリバリな曲はつらいがこのオケなら心配ない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」(ポエム・リリーク),サヤーオ(SP)フォレスター(CA)クリュイタンス指揮NYP、ウェストミンスター合唱団(forgottenrecords)1957/11/17live放送,,クリュイタンスは隈取りはっきり、でも透明感のある響きで聴きやすいフランス流儀というものを聴かせる。ローカルな色が相対的に薄いためこのオケとの相性もよい。フォレスターが歌っているのは驚きだが尚更フランスフランスしないニュートラルさが曲の初期的な薄っぺらさを構造的にしっかり補うのに一役買っており、技術的な不足も全体に言えることだがまったくない。惜しむらくは録音で、放送音源の発掘だからやむを得ないが、途中で右しか聴こえないのはモノラルなのだから復刻の問題だろう。これがなければ実に聞きやすい演奏、指揮者唯一の演奏として推せた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:カンタータ「放蕩息子」,◎ジャニーヌ・マショー(Sp)ミシェル・セネシャル(T)ピエール・モレ(B)クリュイタンス指揮トリノRAI交響楽団(ARTS他)1962/5/4live・CD,,皆さん書かれていることだが、よくぞこの高音質で残してくれたという音盤で、同曲の骨董録音中最もリリカルで美しい演奏記録だと思う。オリエンタルな旋律線を初期ドビュッシー特有の軽い響きに乗せて思いいれたっぷりに紡いでゆくさま、更に細部まで明瞭に聴き取れるゆえにドビュッシーの先進性、特有の音響が如実。歌唱もいずれもクリュイタンスの注意深い棒と調和した表現を崩さず、管弦楽が先行し過ぎてドラマが置いてきぼりになることもない。クリュイタンスのいずれの録音にも言えることだが感情が比較的出やすいのにもかかわらず精度が保たれ、とくに踏み外したりミスしたりしがちなこのオケの弦楽器が滑らかに磨かれ、音色的な面で個性が抑えられてしまっている面もあるけれども、クリュイタンスのドビュッシーとしては問題ない。◎。ハープがいい!,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:カンタータ「放蕩息子」,モイザン、フィネル、マース、フロマン指揮ORTF?(FRENCH BROADCASTING PROGRAM)LP,,ドビュッシー初期のローマ大賞受賞作だがボロディンらロシア国民楽派のオリエンタリズムの影響が顕著でドビュッシー独自のものは殆ど浮き立ってこない。清潔なロマンチシズムが感じられるにとどまる。この盤は録音が貧弱で魅力に欠ける。歌唱はともかく管弦楽があく抜きされたようで癖がなさすぎる。無印。オーケストラはパリ室内音楽協会付となっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:カンタータ「放蕩息子」,アンゲルブレシュト シャンゼリゼ劇場O
ドビュッシー:カンタータ「放蕩息子」,マデルナ バイエルン放送O
ドビュッシー:カンタータ「放蕩息子」〜1.行列と踊りの音楽,○ビーチャム指揮RPO(BBC)1956/10/22live・CD,,ビーチャムがアンコール曲としてレパートリーにしていたものでライブのほかスタジオ録音も存在する。フランス曲に意外と適性を示すビーチャムだけあってリリカルな小品を爽やかに聴かせる。惜しむらくは録音状態か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:カンタータ「放蕩息子」〜1.行列と踊りの音楽,○ビーチャム指揮RPO(BBC、IMG)1959/11/8live・CD,,前説付きの盤と無しの盤がいずれもBBC名義で出ているので重複注意。ロイヤル・フィルの美麗な音、とくに清潔なフルートソロを聴くべき演奏で、盛大な拍手が贈られている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:カンタータ「放蕩息子」〜1.行列と踊りの音楽,○ビーチャム指揮RPO(EMI)1959/10/5、11/23・CD,,愉悦的な音楽、若干民謡調の入った曲にビーチャムは適性があるし、実際好きでもあったのだろう。生硬なオーケストレーションもものともせず、前進的な音楽を提示し瑞々しく突き通す。短いもののビーチャムらしさのあらわれた演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:カンタータ「放蕩息子」〜1.行列と踊りの音楽,トゥーシュ指揮コンセール・トゥーシュ管弦楽団(pathe/hindenburg:CD-R)1919,,ドビュッシーが亡くなって間もない録音で、最古期の盤といってもいいものであるからノイズや音色のおかしさは我慢するしかない。曲に動きがあるのでなんとなく流れは聞き取れるが、しょうじき、それ以上のものは聴こえない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:カンタータ「放蕩息子」〜1.行列と踊りの音楽,クレナウ指揮ロイヤル・フィル(columbia)1926・SP,,「イベリア」とのカップリング。ごく短い曲ゆえ余り書くことがないのだが、時代なりの鄙びた音にこのオケらしい中庸さがほどよく効いてまあまあ聞き易くなっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:カンマ(ケックラン編),アンセルメ スイス・ロマンドO
ドビュッシー:クラリネットとピアノのための小品L.127,バルデイルー(cl)シャマユ(p)(warner)CD,,特に書くべき内容はなく、狂詩曲とあまり変わりはない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:クラリネットとピアノのための第一狂詩曲L.124a,バルデイルー(cl)シャマユ(p)(warner)CD,,個人的にはあまり好きではない曲で、ドビュッシーの冒険心が後退的に感じられもしてしまう。弦楽器もそうだがピアノやハープなどの縦の粒がはっきりする楽器と違い横の流れを聴かせるメロディ楽器のため、音色や表情付けに左右されるところが大きい。これは甘い旋律線に音楽が引きずられているようにも思うのだ。伴奏がピアノだけというのも心もとない。演奏は達者ではあるが引き込まれるものはない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:クラリネットと管弦楽のための第一狂詩曲,○ドント(CL)ゲール指揮オランダ・フィル(CONCERT HALL)LP綺麗な演奏。ドビュッシーのリリシズム全開でとても美しい。繊細な味わいがある演奏だ。ゲールはこのオケと相性がいい。モノラルだが、モノラルであるがゆえに求心力のある演奏に聞こえてきて気持ち良い。短い曲であるがそつの無いこの方向においては行き着く所まで行ったような感じだ。○。気持ちよすぎてあっというまに終わってしまうのが粗忽。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:クラリネットと管弦楽のための第一狂詩曲,○ベニー・グッドマン(Cl)バルビローリ指揮ニューヨーク・フィル(pearl/DUTTON/CBS)1940/12/16とても懐かしい匂いのする演奏だ。バルビが振っているせいでもあろうが、イギリスのディーリアスの音楽を髣髴とさせる微温湯イ演奏ではある。あるいは初期ルーセルの情緒に似ている。ベニー・グッドマンの実直だがジャズ風の艶めいた音色も「ドビュッシー」という掴み所の無い象徴を具現化するには少々個性的すぎるかもしれない。この人、テクニックは一流で、モーツァルトのクラリネット五重奏(同盤に収録)などは名盤とする人もいるそうだが、クラシカル・ミュージックの演奏家としてはまずパワーヒッターではないし、自分の解釈も殆ど施さないから、物足りなさを感じるところも正直ある。フランセやバルトークのアンサンブル曲なども録音を残しているが、可も無く不可も無くというのが私の印象。ふんぷんと漂う夜の香りはやはりクラシックよりジャズで生かすべき個性だったのだろう。この演奏、聞いていて気持ちはいい。録音は少々古びているが、ドビュッシーだと思わないで聞き流すぶんには十分楽しめると思う。○ひとつ。ちなみに第二以降は無いので念のため。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:クラリネットと管弦楽のための第一狂詩曲,クラサヴィン(Cl)ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(RUSSIAN DISC)1962LIVEこんな曲を演奏していたのかとびっくりさせられるが・・・がっかり。ドビュッシーはやっぱりロシア流儀にはあわないのかなあ。。「牧神」はよくできていたのに。クラリネットソロが野暮。バックが粗雑(というか余りに音色が冷たすぎてぎくしゃくしている)。ドビュッシーの曲の中でもけっこう感傷性を駆り立てる曲だと思うが、感傷を排したムラヴィンスキーの流儀では、空疎しか残らない。いや、録音のせいとしておこう。これ以上は言うまい。。うう、高かったんだぞこの盤。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:クラリネットと管弦楽のための第一狂詩曲,ガストン・アムラン(Cl)コッポラ指揮管弦楽団(lys),,しっかりした演奏ぶりだが曲自体の魅力というか幻想味というか、それは昭和初期の録音のリマスタリング音源では仕方ないんだとはおもうが、正直楽しめるものではなかった。というか、この曲は技巧的な面以外であまりいいと思わないので、そんなバイアスのかかった一言でした。ドビュッシーあるあるとして第2は無い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:クラリネットと管弦楽のための第一狂詩曲,アンセルメ スイス・ロマンドO
ドビュッシー:クラリネットと管弦楽のための第一狂詩曲,ドゥプリュ(Cl)コンスタン フランス国立放送フィルO
ドビュッシー:サル・プランタン,ロザンタール パリ国立歌劇場O
ドビュッシー:シャルル・ドルレアンの3つの歌,アンゲルブレシュト シャンゼリゼ劇場O (EMI他)
ドビュッシー:シャルル・ドルレアンの3つの歌,アンゲルブレシュト フランス国立放送O ベッティ
ドビュッシー:抒情的散文,コルトー (P) テイト
ドビュッシー:シランクス,○ジバン(fl)(FRENCH BROADCASTING PROGRAM)LP,,明るい音で技巧的フレーズを軽々吹きこなしているが、陰影に欠けイマジネーションを掻き立てられない。この奏者は知らないがオケ吹きのように感じる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:シランクス,◎モイーズ(FL)(村松他)2分足らずの独奏曲であるにもかかわらず、これほど複雑な構造を持つ難曲もあるまい。ちょっと聞きでは何を言っているのかわからないかもしれない。聴感の渋さの点では、寧ろ日本の尺八の厳かに響くさまを彷彿とさせよう。二つの全音音階を基調に典雅さと思索と夢見る調子がそれぞれの音階を伴って交互に錯綜し、時にブルースや東洋音階を思わせる走句すら混ざる。分裂症的かといえばそうでもなく、うつろう気分の気だるさに統一された雰囲気はこの作者独特の世界だ。1913年、ムーレの劇プシュケの付随音楽として描かれ、「牧神の笛」という象徴的な言葉をもってその世界が暗示される。晩年作としてフルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ(1915)に近似してはいるが、より思索的に深く、聞けば聴くほど味わい深く思う。新古典の影響はここでは着想以外に見当たらないが、そのことがドビュッシーの複雑でありながら清澄な個性をより際立たせている。フルート独奏曲の今もって最高峰を誇る名作である。モイーズの、これまた尺八を思わせる深い音色は常に安定していながらも、ここで必要となる細やかな表情変化に欠けることは全く無い。ヴィブラートの艶めいた美しさはまったく不世出の才能というべきものだ。シランクスはこの名手の唇のためにあると言っても過言ではない、と個人的には思う。他にいらないのである。この世に唯一のフルートの神(トスカニーニ)、モイーズを聴くのに先ず手にすべき一枚である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:シランクス,ランパル (FL)
ドビュッシー:シランクス,○ランパル(fl)(HORIZONS、AJPR/BAM)1949/5/18・CD,,協会盤復刻。これは後半いくぶん起伏がある。ライブのような肌触りだ。音はいいので、曲への入門にはいいかもしれない。だが何か足りない気がする。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:シランクス,ランパル(fl)(HORIZONS、AJPR/EDUCO)1953/10パリ・CD,,協会盤復刻。これは・・・びっくりした。あまりに柔らかく均質な音で、ただ、音。何も解釈しない。素直に、音。強弱の差もつけず。「らしさ」ではあるのだが、この曲は太筆で一気に書き上げる勢いが欲しい。無印。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:シランクス,パユ(fl)(warner)CD,,丁寧すぎるきらいがある。抽象化が進みすぎて純粋な音の動きを譜面上に追うようなかんじになってしまっている。起伏も譜面通り、独奏を聴くだいご味は少ない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:シランクス,シュルツ (FL)
ドビュッシー:シランクス,デヴォ (FL)
ドビュッシー:シランクス,ブルダン (FL)
ドビュッシー:スケッチ帳より,作曲家(PーROLL)1913
ドビュッシー:スコットランド風行進曲(管弦楽編),アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina配信)1958/11/20シャンゼリゼlive 放送,,とにかく元気な演奏。ドビュッシーの前期作品なので筋肉質に、ドガシャーンとやって良いのだ。アンゲルブレシュトは曲の意図にしたがい、行進曲らしい行進曲ではないのだが、民謡主題による管弦楽曲としてよく盛り立てて、正攻法にくみたてている。モノラル良録音。(ina.fr PHD89036093),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:スコットランド風行進曲(管弦楽編),アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(pathe/SLS他)1929-30,,アンゲルブレシュト最初期の録音でドビュッシーのオーソリティとして既に名の知れた頃のものであるが、芸風は理知的に組み立てる片鱗こそ現れているものの、かなり情緒的で、オケや録音制約のせいでもあるのだが、リズムの切れた民謡パセージ(初の依属作品でもあり、当時知られていた所謂ケルト民謡からかなり生の素材を取ってきていることは確かだと思われる)でははつらつとやっているが、それは律せられたというふうはなく進行上やっているといったような感じがし、まだ初期の作風を残すロマンティックな流れでは明るく軽い響きのまままるでロシア音楽のような盛り上がりを作ろうとしていて、弦などグダグダになってしまっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:スコットランド風行進曲(管弦楽編),◯アンゲルブレシュト指揮フランス国立管弦楽団(french bro)LP,,フォルムをしっかりと、情に流されず透明感溢れる音楽を作り上げている、まさにアンゲルブレシュトの演奏だ。◯。既出音源かもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:スコットランド風行進曲(管弦楽編),アンゲルブレシュト シャンゼリゼ劇場O(EMI他)
ドビュッシー:スコットランド風行進曲(管弦楽編),アンゲルブレシュト フランス国立放送O
ドビュッシー:スコットランド風行進曲(管弦楽編),ロザンタール パリ国立歌劇場O
ドビュッシー:スコットランド風行進曲(管弦楽編),◯マルティノン指揮ORTF(EMI)CD,,春など思わせる楽想も折り混ざる生硬な曲で、演奏も鈍くささを感じさせてしまうくらい曲に引っ張られているのだが、音色はいい。やはり初期作品の編曲ということで響きが重いながらも、まるで後代のドビュッシーフォロワーの英国作曲家の作品のような、民謡主題と新鮮な和声のミスマッチが楽しい。演奏的にはまあまあ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:星月夜,伝作曲家(P)ユリア・クルプ 野村あらえびす氏の著作で知られるがボスの伴奏によるものと判明しLP以降はその表記がなされている。
ドビュッシー:タランテラ・スティリアンヌ;舞曲(ラヴェル管弦楽編),○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PEARL/HMV)1930/10/30・CDいかにもラヴェルらしい手慣れた管弦楽法の駆使された素晴らしい編曲である。クーセヴィツキーもこの時代には珍しく難しいトリッキーなラヴェルの書法をテンポを一定に保つことで完璧に表現してみせている。それでも冒頭の弦の拍のずれるピチカートなどやや危なっかしいのだが、録音のせいかもしれない、新しい音で聴いたらちゃんと弾けてるかも。この曲はCMでも取り上げられる非常に著名な曲だが、ドビュッシー初期の旋律的魅力とちょっとひねくれた展開が端的に現われていて、面白いです。原曲よりいいかも。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:タランテラ・スティリアンヌ;舞曲(ラヴェル管弦楽編),○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1940/4/13live,,ドビュッシープログラムの一部としてスコットランド行進曲の次に演奏されたもの。CDにもなっていたかと思う。さすが職人的な編曲技が施されていて聴感は小組曲に近い清新で無駄のないものだ。有名な編曲であり旋律も耳馴染みよく感傷的なほど美しく響くのはトスカニーニの音色バランスコントロールの技だろう。時折聴かれるヴァイオリンのポルタメントにも耳奪われる。ま結局曲次第でもあるんだけど、これはかなり楽しい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:タランテラ・スティリアンヌ;舞曲(ラヴェル管弦楽編),◎ロザンタール指揮パリ歌劇場管弦楽団(ADES他)CD溌剌とした生命力に満ちたダイナミックな動きの有る演奏で、噎せ返るような音色にフランスのこの時代独特の粋を感じる。リズム取りが明確でかつ弾むように楽しげだ。◎。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:タランテラ・スティリアンヌ;舞曲(ラヴェル管弦楽編),コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(lys)1932/4/22有名な編曲です。初演はパレーがやってるんですね。ホルンで始まるおどけた主題はCMでもたまに使われる楽しげな旋律です。録音のアクが強いので粗い聞きごたえになっているけれども、明るくフランス的な音色は辛うじて聞き取れる。テンポに安定感がなく、妙にたどたどしい音楽作りが今一つノりづらい部分もあるが、中間部の雰囲気や強奏部の勢いは一応買える。総じて無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,○アルバン(Vc)エルフェ(P)(musidisc他)LP,,アルバンのチェリズムはフランス派の最も一般的なイメージをあたえる。ヴィルツオーソ系ではない、しかし技術的には完璧で、なおかつどんなに技巧的なフレーズでもブレがない。すべて同じ美しい音質でそろっている。荒々しさも欲しくなる曲でもあるが、これだけちゃんと音にできているとこれをわざわざ雑音まみれのライヴにしたくはないなあと思う。特徴的な部分はそれほどないかもしれないが、じつにさわやかな演奏。○。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,ガルボソワ(Vc)バルサム(P)(concert hall)LP,,ソリストが頼りない。弱弱しいのだ。ジャンドロンなどに聴き慣れた耳にはどうもイマイチな感じがする。ロストロ先生とは比べ物にならない。もっと迫力のある演奏が必要なのだ、特に後半部は。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,シャフラン(Vc)ボーレ(P)(meloclssic)1959/11/6live南ドイツ放送・CD,,録音がメロウなモノラルのこともありガツンとはこないが、冒頭の縮緬ヴィヴラートからしてセンスに溢れている。技巧的には素晴らしいが制御しきれていない、流される部分も無きにしもあらずそれはライヴ的な精度にはなっているが、音楽の「作り」をドビュッシーではなくこちらに引き寄せて、聴きやすい起伏をつけて弾きこなしている。良い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,ジャンドロン(Vc)フェヴリエ(P)(warner他)CD,,さすがというもので、ドビュッシー全集に入っているが室内楽の並びで突出して聴ける演奏になっているし、曲も晩年のドビュッシーの残した三つのソナタの中で、三重奏曲が後退的、ヴァイオリンソナタが習作的とすれば最も個性の円熟したさまを提示しており、孤独な響きと冷えた熱情の表現のセンスを問われる。フェヴリエは個性を主張しないが音色は邪魔しないのでジャンドロンの伴奏にふさわしい。なかなか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,○ジャンドロン(Vc)フランセ(P)(PHILIPS)CD フランス系演奏では高い位置に置かれている演奏である。フランセのピアニズムはじつにあきれるほどに巧く明瞭なタッチとごまかしのない表現、それにどんなに困難な箇所もさらっと弾き流すさりげなさがあり、それはこの盤では逆に無個性なほうに働いてしまっているように感じた。だがこの曲の主役はチェロだからそれでいいのだろう。ジャンドロンの芸風は現代のバリバリ系の演奏家と比較してしまうと弱く特徴的なところのないお上品なものと感じられてしまうが、細かい部分(あまり細かい所まで聞いてしまうとアブナイところも聞こえてきてしまうが)のニュアンスに紛れも無い「ドビュッシーを演奏している!」という意識が感じられ、2楽章をスペイン民族音楽ふうに弾き散らかす爆演系の演奏とはまったく視座の違うものを感じさせる。繊細で美しい音(音色にはあまり艶は感じなかったが)による「ドビュッシー」を聴きたいかたはぜひ。ちょっと勘違いすると崩れてしまうのがドビュッシーの作風だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,ジャンドロン(Vc)フランセ(P)(forgottenrecords)1957/9/22live放送,,互いに良く知った曲ではあるが、ここではかなり落ち着いた雰囲気より始まる。プロローグはなかなか聴かせる。セレナーデからフィナーレにかけてジャンドロンの腕の衰えがかなり感じられるところがあるが、スピードも起伏も抑えることなく、やろうとしていることはわかる。雰囲気(響き)の調和はフランセの機械的ながらも柔らかく細かい音のうえにしっかり作られており、大ミスがあったにしても温かい拍手で終わる。録音はややノイジー。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,ジャンドロン(Vc)フランセ(P)(ina配信)1962/2/4(放送),,曲がそういうものではあるのだけれど、枯れた味わいがある。表現に野心がなく、滋味を感じる。ジャンドロンの音は伸びやかでフランセのピアノとともに醒めた音ではあるが大きく呼吸をしている。PHILIPSのCDでも知られるコンビの演奏で、しかしそれにくらべればジャンドロンに細部のミスが目立ち、粗さを感じさせる。ina.frから配信されているが、CD化したかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,スカノ(Vc)ゴメズ(P)(ensayo)1970'・LP,,パレナンのカルテットと組み合わせられた録音だが音質が違うので同じ場所で録られたものではないだろう。ちょっと荒っぽいというか、金属質な感じのする音で(薄盤のensayo特有の薄っぺらいステレオ録音起因かも)、脇の甘さの感じられる部分がある。一楽章のスペイン情緒をかもす旋律で南欧風の歌い回しをするかと思いきや、そこは冷たくラヴェルでいるのに、ポルタメントをかけまくるとは。。音色はともかくそういう面白さは楽章が進んでも、ある。左手が柔らかいのだな。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,フルニエ(Vc)プーランク(P)(TAHRA,HARMONIA MUNDI)1953/3/26トリノ放送・CD,,はらはらと枯葉が落ちるようにはかなく哀しい冒頭からスペインの快活な舞曲にいたるまで僅か10分余りの曲だが三楽章をいっきに聞かせる力のある晩年の傑作である。録音の篭りもあって一楽章はいささか地味である。品よく個性の匂いのしないチェリストであり、この民族色濃い曲にあわないというか、さっぱり伝わってこないのだが、プーランクがなかなかやってくれる。明快快活で流石ヴィニェスの弟子、と膝を打つ煥発さだ。細かい所チェロともどもごまかしに聞こえる表現もなきにしもあらずだが、身を斬られて骨を断つ、まさに名人芸の勢いある演奏だ。フルニエの三楽章におけるフレージング、短いレガート表現の的確さには舌を巻く。求道的すぎるというか遊びが欲しいし色が欲しいしピチカートはロシア人みたいにバチバチ指板に当てて欲しいものだが、録音が迫力を捕えきれてないだけのようにも思える。弱音の響きの美しさ、情趣は寧ろプーランクのものだ。うーん、ジャンドロンにくらべ聞き劣りは否めないので無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,フルニエ(Vc)ホレチェク(P)(meloclassic)1957/3/9live南ドイツ放送・CD,,まあ、地味である。しかし曲には合っている。フルニエなので極めて品良く、感情は抑制されている。枯れ果てもせず、しかし生命力もあまりなく、曲のそのままに流れて終わる。ボウイングが音にまったく出ず、流麗で横の流れが重視されている一方、技巧的には弱く激しい音符に付けられるべきアクセントが尽くイマイチで、三楽章でかなり粗が出る。ライヴだから仕方ないか。ドビュッシーのチェロソナタといって、こういう音色で、このように透明に仕上げるというのは「アリ」である。融和的なピアノ伴奏ともども、トリオソナタの雰囲気に近くなっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,マレシャル(Vc)リリ・ビアンヴニュ(P)(meloclassic)1948/11/7パリ、フランス放送スタジオ録音・CD,,マレシャルは戦前来日し録音も残っているフランスの伝説的なチェリストである。1910年代には活動を開始しラムルー管の首席を皮切りにソロ級プレイヤーとして名を馳せた。第一次大戦で勲章を貰ったというから実際の生没年より印象的には「昔の」演奏家である。録音も50年代が限界で、教師のち引退という道は型どおりである。これも残念ながらノイジーで録音状態が悪く、演奏的にも練られた感はなく即興性が感じられる。既に衰えが始まっていたと思しきところがある。,,ナレーションからいきなりぞんざいに始まるピアノの音に違和感を覚える。マレシャルも荒い。曲が形をなしてくると、依然音は荒々しいものの、極めて意志的な表現が同曲にひそむ魔術的な存在を引きずり出し、強いインパクトを与える。ピアノは残響を使わず一歩引いて落ち着いたアンサンブルをこうじることに専念するようになる。僅か10分の三楽章制の曲は後半アタッカで繋がって勢いづいていくが、起伏が大きく名技性も含み聴かせどころが多いから、ほぼライヴ録音のような精度であっても強引な持って行き方に、押し流されたところで心地悪くはない。構成感より指の赴くままに突っ走るそのスピードの速さ、ガシガシした音表現は少し昔ながらの名匠たるところを聴かせる。その意味で特徴的な演奏。フランス的な音と言えなくもないが、上品な演奏ではない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,マレシャル(Vc)カサドシュ (P)
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,ロストロポーヴィチ(Vc)ブリテン (P)
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,○ピアティゴルスキー(Vc)ベルコヴィッツ(P)(columbia,WHRA)1947/9/12・CD,,この曲はピアティにあわない。単色の豪腕技巧家、ピアニストは技巧的に並ではないがこれまた色彩感がない。録音が古いからではなかろう。ピアティは醒めたチェリストで、前時代的な大仰なことはいっさいやらないが、力付くに聞こえてしまうのはその表現方法がどうしてもロシアやドイツの音楽向きに出来上がっているからにほかならない。それが細部のテヌート表現や弓圧のかけかたに出てきてしまう。ロストロ先生を想起したがああいうイマジネーションもないから、確かに原典主義的でドビュッシー晩年には適切ではあるのだが、面白みに欠ける。○にはしておく。技巧はきわめてすぐれている。フランス派にあわない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:チェロ・ソナタ,○ピアティゴルスキー(Vc)ルーカス・フォス(P)(RCA)LP,,ピアティゴルスキーらしくない技術的に怪しい部分がいくつかあるにせよ、スケール感や構成力には天性の才能を依然感じさせる演奏で、力強く豪快さはあるもののロストロ先生とは違い音楽家としてはかなりニュートラルなところが繊細なドビュッシーにあっていて、強みに働いている。ラヴェルの作品のようなところのある難曲だけれども、決してテンポを弛緩させることなく描ききり、またフォスもアンサンブルピアノとして巧くサポートして付けている。打鍵が強くペダルをそれほど使わないいかにもアメリカ的なピアニズムを発揮しているが、晩年のドビュッシーの明確な彫刻には合うのである。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:ディヴェルティスマン,イヴァルディ&ノエル・リー(P)(ARION/warner)CD,,10分以上の単一楽章で、大作と言える。古い感じの曲で、それにしては長すぎるが、ドビュッシーだと思わなければ出来はよく、ロマンティックに楽しむことができる。個人的には求めるものと違う感がつよく、「春」よりずいぶん後ろにいる作品だなと思った。前期にマンネリに感じる特有の明るさ、軽さがこの曲ではあまりなく、そういう受けの良い出来の良さはあるのかもしれない。奏者はとくに可もなく不可もなく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:バッカスの勝利(作曲家による連弾版),イヴァルディ&ノエル・リー(P)(ARION/warner)CD,,神話的題材はいかにもこのころからのちフランスの作曲主題になるものだが、この曲は初期の「交響曲」などとともに作曲されたものでロシアのクーチカの楽曲のような古風なロマンの風をのこす。印象派の新しい絵画よりベラスケスなど古典的な絵画世界に通じるしっかりした印象をあたえる(そういう意図だろうから良い)。ただし明るい響きや軽やかな動き、それは色調の変化に欠けいささか長すぎる感じもするが、とにかく小組曲に至る道筋をはっきり示し、ロマンティックな音楽からの離脱を宣言している。編成は管弦楽によるものもあったといわれるが、編曲され演奏されることもあるが、ピアノ連弾で十分の内容である。演奏的に難しい部分もなかろう、ヴィルトゥオーソ好きする技巧的要素がないので著名演奏家が取り組まず忘れ去られた作品になっていたのかもしれないが、このコンビの演奏なら十分。ちょっとおとなしいが曲の散漫さ(3楽章と、4楽章の二つの断片を除く部分が失われているので尻すぼみ感は仕方ない)をここまで聴かせるようにまとめたのは素晴らしい。じつに明確な二人の高低役割分担、高音が左から聞こえるのはふつう?とまれ、全曲だったら飽きてるかもしれない、この程度でよかったのかもしれない。これが初録音で、譜面もノエル・リーが編じたようである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:ハイドン讃,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:バラード,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:バレエ音楽「おもちゃ箱」(カプレ管弦楽編),○ペルレア指揮RIAS交響楽団(remington)1953・LP,,録音の鮮明さには欠けているが明晰で簡素なオーケストレーションによった作品ゆえそれほど気にはならない。演奏は颯爽として巧緻である。ピアノ二台を始めとした室内楽的な流れが序盤よりいかにもキャプレの作品であるかのようにきこえ、後年自分でオーケストレーションしなくなっていたドビュッシーがそれでも納得していたらそれでいいのかもしれないが、ちょっと手馴れ過ぎ、また楽器の組み合わせた響きが美麗すぎる気もする。作品自体自身を含むいろいろな作品からのパッチワーク的な楽想が目立ち特異な印象も持つが、たとえばゴリウォーグのケークウォークめいた楽しげで無邪気な中に晩年のヴァイオリンソナタのような断片が混ざっている、遊戯のような演劇的で不可思議な風景も想起させるという意味でラヴェルのマザーグースと似て非なる面を持っている。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:バレエ音楽「おもちゃ箱」(カプレ管弦楽編),アンセルメ スイス・ロマンドO
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON)1953/10・CD,,〜<ジュー(Jeux)>のよい校正刷を手に入れ次第、君におくります・・・・・・この<三部からなるおしゃべり(バデイナージュ)>に対する君の意見を、ぜひききたいと思っています。<ジュー>といえば、君は<公園(パーク)>という題の方がいいといっていたから、私がこれを選んだのでおどろいてましたね。しかし、<ジュー>の方がいいことを信じてくれませんか。第一に、より適当しているし、つぎに、この方が、この二つの性格曲***の間におこる<恐怖(ホラー)>を、もっと切実に偲ばせる。〜,,***ドビュッシーは<ジュー>を作曲中、ずっと、私と親しくつきあっていたし、どう管弦楽に移すかという問題で、再三、私に相談した。私は今でも<ジュー>は管弦楽の傑作と考えている。もっとも、あのうちのいくつかは、<あまりにラロー的だ>と思っているけれども。,,〜ストラヴィンスキー/吉田秀和訳「118の質問に答える」音楽之友社,,1913年11月8日パリ付のドビュッシーからストラヴィンスキーへの書簡には、「春の祭典」をピアノ試演奏したときの「何か美しい悪夢」という比喩的感想ののちに、この記述がつけられている。周知のとおりドビュッシーの「管弦楽における(上記文章註でストラヴィンスキーが強調記号をつけているように)」意欲作であったこの隠喩的な作品はハルサイ初演のセンセーションの後ろに隠れ忘れられた存在となり、戦後になってやっと再発見され評価されるようになった作品である。不可思議な管弦楽の響きは「現実に無い光景の描写」をなし、夢のようにあらわれた男女がかなり肉感的にたわむれるものの、いきなり幽霊のように消え去り、ギロチンの歯が落ちるように終わる。<恐怖>は幻想の最も激烈たる発現であるが幾分ニュアンス違いもあるであろうこの訳文を読みながら、世間の評判や売れ方と全く関係の無い未だ仲の保たれていた天才作曲家同士の会話が暗示する、両者が音楽に対して全く異なる視座と美的センスをもっていて、しかしプロフェッショナルな作曲家という点においてのみ密接な関係があったことに気づかされる。別にこの項で引用しなくてもよかったのだが、アンセルメが二人のいる音楽的環境に既に確固として存在していたことも考慮に入れて、このモノラル録音を聞いてみる。,,すると今現在きかれる遊戯よりもかなり娯楽性の強い、リアルな肌触りのバレエ音楽になってきることに気がつく。カッチェイ王が踊りだしそうなほど動きがある。意図的に取り入れられたワグナーふうのロマンティシズムもしっかりそのように重厚に響く。アンセルメはかなり長い間ストラヴィンスキーのよき解釈者であった。20世紀も10年をへて、世情は印象派の定義の曖昧な世界から極めてリアルな肌触りの明確な音楽〜それが理解できようとできまいと空想的であろうと大衆的であろうと目的(「ホラー」ではなく「パーク」)とフォルムの明確な「強い音楽」〜に流れていて、ストラヴィンスキーは賛否あるにせよその象徴的存在となっていた。この作品には間隙にいたドビュッシーがどのような立場を取ろうとしたのかを偲ばせる部分がある。濃厚なエロティシズムと冷え冷えとした前衛的な響きのちぐはぐな交錯が、まさにその発露として現れているように思う。結局、「リアリストの闊歩する世の中に順応できなかった」けれども、形式音楽への志向を題名に示しながら内容的には終まで己に忠実な作品を作り続けた。それがだいぶ後年、流行というものにおいそれと左右されなくなった耳高い音楽家や聴衆によって冷静に評価されるようになった、この段階において今一度アンセルメの生々しい音楽を聴きなおすと、面白いのである。ただ、正しいのかどうか、オーソリティだから正しいという評価は無意味である、ほんとうにこんな娯楽音楽でいいのか・・・・・・・・・・「ジュー(英語でJOY)」だからいいのか。神々の遊び、スクリアビンの好きな世界だ。意味不明。○。,-----,,,-----,,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,○サバータ指揮聖チェチリア音楽院管弦楽団(TESTAMENT)1947/2/7・CD技術的には問題が多いが音色表現には長けたオケで、こういう音色勝負の印象派音楽だと抜群の適性を示す。半音階的動きがまるでスクリアビンを聞いているような錯覚を覚える妖しさだ。サバータの明瞭な輪郭の解釈がそこにしっかりしたフォルムを与える。水際立ったリズムもサバータのものだろう。元来バレエ曲なのだからそこは外せない。テンポの揺れは自然で目立たない。むせ返るような音にひたりまくり。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,○チェリビダッケ指揮ベルリン・フィル(ARLECCHINO他)1948/3/20これが意外と名演なのである。録音がかなり悪いので最初は入りづらいが、聞き進むにつれこの一見気まぐれでまとまりのない楽曲に明確なひとつのビジョンをあたえ、聴衆になんとなく理解したような気にさせてくれる。わかりやすいと言える。ひんやり冷たい空気感が印象的。これはこの曲の演奏においては重要な要素だ。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,○チェリビダッケ指揮ベルリン・フィル(BP他)1948/3/20・CD,同上,この時代からこの曲を取り上げていたことに意味がある。ほとんど再発見直後くらいのものではないか。チェリがドビュッシーを取り上げる、ならこの曲だろう、と思うそのとおりの内容でもあり、ロマンティックな感性を呼ぶ旋律や響きを持つ部分も多々あるにもかかわらずここにはただリズムの明瞭さと律動の面白さが表現されており、きわめてリアルで、かつ「楽曲の面白み」以外の何か恣意的なものを表現しようとしないところにチェリらしさがあり、「これはバレエ音楽であり舞台で躍らせる音楽である」という確信が部分に拘泥せず全体の構成を重視する姿勢にあらわれている。オケの乱れもあるが気にするほどでもない。録音は残響がうざい。だから○にするが、◎にしてもいいと思った。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,○マデルナ指揮ベルリン放送交響楽団(ARKADIA他)1964/1/22LIVE・CDドビュッシーが書いたもっとも前衛的といわれる曲で、テニスをするひとびとを描くという不思議な意匠のバレエ曲である。マデルナの演奏はいつものようなぐずぐずにはなっていない。これはドイツオケの機能性が高いせいでもあろうが、楽曲の硬質な性格が(「遊戯」だけに)遊びを許さなかったのかもしれない。それだけに楽曲の面白さを素直に味わえる。ステレオであり、音質もまずまず。聴いているとシェーンベルクを彷彿とするひびきがあったり、スクリアビンの官能性に通じるひびきや半音階的な動きをほどこしていたり、同時代の前衛作曲家たちと歩調をあわせるかのようである。晩年作ともいえる作品だが(死の6年前)こののちヴァイオリンソナタのように新古典的傾向を帯びたりと、この種の音楽の先駆者にもかかわらず後年にはけっこう時代の影響を受けていたのだな、と妙に感心したりした。生臭さのない、どちらかといえば冷たい演奏だが、個人的には面白く聞けた。○ひとつ。拍手がとってつけたようにモノラルで入るので、ひょっとすると偽演かもしれない。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,マデルナ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団(SLS他)1964/1/22live,同上,最初は雑然としたマデルナ流整え方で「ああ…」と思うが、このオケでこの透明感、かなり色彩的な響きを引き出すところにマデルナのフランス物適性が明確に表れてくる。肉感的な音楽にはならずどちらかといえば冷たいのに、綺麗で自在な旋律表現、法悦的な響きのもたらす陶酔感はなかなかのものである。モントゥとは対極の遊戯で、もちろん時代が違うからブーレーズなどと較べるべきではあるが、これはこれでロマンティックであり、その意味では現代的な演奏とも言えない…整え方はとても客観的に精緻に、とは言えない。ドラマを感じさせることはないが音楽として力があり、大曲を聴いたような気すらしてきた。客席は普通の反応。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,マデルナ指揮ORTF(ina配信)1968/4/18放送 live,,ドイツでの実況録音でも重くてパッとしなかったが、リアル志向の音作りで、にもかかわらず統制が行き届いておらず細かい音符がバラけまくりだから耳心地が悪いままで、解釈も何か一貫せずブロックをただ積み上げているようで、音楽そのものがバラバラに聴こえる。ドビュッシーなりの前衛の入った繊細な表現が再現できていない。音がステレオで非常にクリアだからなおさら細部が気になる。とにかくドビュッシーっぽくなくて、逆にこの曲そのものがドビュッシーぽくないことを認識させられるというよくわからない状態。ギクシャクしているような、オケとの相性も良くないのかもしれない。何故かラスト近くになって小虫の蠢くような表現が板についてくる。狭いホールのようで聴衆の拍手も少なく、終演後いきなり雑談やらブーイングやら始まるのはこの演奏会自体が前衛音楽をメインとしたものであったせいもあるか。これが最後の演目なのである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1958/4/12live・CD,,データを丸ごと信じれば全部初出というさすがWHRAの中の一曲。このてのものにしてはストレス無く聴ける音質というのも素晴らしい。同曲は幻想味と躍動感の融合という相反する要素の不可思議な同居が、曲自体の問題でもあるが、演奏を中途半端にしてしまう、完全に分析的にするのが唯一の解釈の仕方か、と思わせるくらいのものである。しかしミュンシュはここでラヴェル指揮者としてならした腕を発揮して、躍動感を前面に出し、まさにバレエ的な演奏として割り切った表現を見せている。かといって楽器を雑に扱っていることは無く、スコアに示された色彩の綾、音色感も素晴らしくよく出ている。これはオケのポテンシャル、集中力によるところも大きい。BSOはけっこう振れ幅のある演奏をしていたが、これは見事な演奏だ。ブラヴォの一声、録音さえよければ◎だけど、このてのものなので○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1964LIVE,,ノイズは気になるが録音は比較的生々しい。演奏はロマンティックで時折半音階的な動きがスクリアビンののたくるようなワグネリズムのエコーのように聞こえてくる。ミュンシュの造る分厚い響きはドビュッシーからやや遠ざかるような恍惚感を孕むが耳にはわかりやすい。ひんやりした幻想のくるくる回る不可思議さはないが、おもしろいとは思った。ミュンシュのライヴにしばしばきかれるお定まりのものではない、しっかりしたブラヴォが飛ぶ。正統かどうかは別にしてライヴならではの即物的な感興を愉しもう。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,◎モントゥ指揮ORTF(M&A)1955/6/9live・CD,,これが「バレエ音楽としての」遊戯である。素晴らしい。録音の古さは関係ない。この色彩的な音楽がステレオでないことは残念だが、「内容的にステレオのように」聞こえるのがモントゥの素晴らしい音響感覚を示している。バランスがいい。スクリアビンのような音楽、という評をこの曲にかんしてはここに散々書いていた気がするが、モントゥはそんなことを微塵も感じさせない。かれの頭の中には「バレエ」があるのである。踊れなければいけない。場面転換は素早く、ただそのステップを煽るためだけのリズム、キレのいい音表現。直線的な音楽になりかねないが、しかしこの曲をねっとりやってしまうと単なる劇音楽になってしまうし、何よりドビュッシーにワグネリストというレッテルを貼り直さなければならなくなる。ORTFの演奏陣のセンス、表現の繊細さにも帰するメリットとも言える。ORTFは色の付け方を間違えると半端にロシア的になったり崩れたりアメリカ的無味乾燥にもなりかねないが、モントゥとの相性はやはりいい。双方の音質に対する鋭い感覚が一致しているのだろう、ここで聴かれる弦には野暮の微塵もないし、木管が素晴らしくいい。押し付けがましさが無いのが何よりいい。最後のギロチンのような絶ち切れ方まで、舞台が瞼の裏に浮かんだ。◎。ま、私の理想がこれというだけの妄想でありますが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,○モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1958/7/25live,,冒頭からハーモニー、特有の音色感が素晴らしい。悪い録音に鄙びた音だけれども、動きが出てくると非常にわかりやすくなる。舞踏音楽としての遊戯を強く意識した演奏である。どうしても戸惑いを感じさせるドビュッシーの奥座敷で、この前のジーグ単曲同様余り聴衆反応はよくないが、録音としては楽しめた。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,○モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1951/12/1live・CD , ,ジーグと遊戯の組み合わせというのは何度もやっているようである。しかしこちらは同日録音と思われるのにジーグに比べ音が(更に)悪い。ノイズが気になる。演奏自体はDAの別日とされるものと大差なくて、疑問符がなくはないが、遊戯に前衛的な音表現を求めずあくまで舞台上の動作を楽しむ劇伴として聴くには楽しいバレエ的表現となっている。モントゥのドビュッシーはライヴが格段にいい。○。,,"Pierre Monteux in Boston - A Treasury of Concert Performance 1951-1958; Haydn", Schubert, Schumann, Tchaikovsky," etc",-----,,,-----,,,-----,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,○モントゥ指揮フランス国立放送管弦楽団(M&A)1955/6/9LIVE・CD,,録音は篭って悪いがリアルで力感溢れる演奏ぶりはかなり楽しめる。ただロマンティックな演奏形態の範疇にあるかと思う。イマジネイティヴな曲感をやや損ねている感も否めない。現代の視点からすると繊細な美感に欠ける。ただバレエ音楽なのでありこれにあわせてダイナミックに踊るのだからアプローチ的に間違ってはいず、この曲にむしろ前衛性を求め過ぎているのかもしれない、私は。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,○ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(ADES)CDしんとした中に少ない音が神経質な戯れを見せる、といった感じの演奏が正解だと思っていたのだが、このように見事に「遊戯」を具象した娯楽的な演奏をしてみせられると、あれ、こっちが正解なのかな、と思ってしまう。余り期待せずに聞いたせいか、びっくりした。まさかここまで楽しげで親しみやすい音楽だったとは。盛り上がりどころでは何ともいえない懐かしい音色が聞こえる。かといって鄙びた感じはなく非常に生気に満ちている。生気といってもミュンシュのような押し付けががましさも無く、エスプリに満ちた軽妙なものだ。バレエの気分に満ちており、これは踊れると思う。ちょっと比較対照が無いので最高評は避けて○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,アンゲルブレシュト シャンゼリゼ劇場O(EMI)
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,アンゲルブレシュト フランス国立放送O
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,アンゲルブレシュト指揮ORTF(SLS)1955/2/17シャンゼリゼ劇場live,,驚きの演目で否応にも期待が高まる。アンゲルブレシュトの構築的で透明感溢れる芸風が前衛的な曲にあっているようにも思える。が、結果、情緒的であった。もちろんアンゲルブレシュトも手練なので、特に得意のドビュッシーで曲によりアプローチを変えるのは当然なのだがモントゥとまでは言わないまでも結構この時代(録音は篭もって悪いモノラル)このような、バレエ音楽的な演奏は録音されてもいて、そこから離れたものにはならない。でも録音さえ良ければ普通に楽しめるレベルではあると思う。オケはORTFらしい少し無機質だが技巧はフランスでは高い方のそれ。ソリストによっては時代なりの懐かしい音はする。次に収録されているイベリアがいつもの客観性を感じさせる引いた演奏なだけに一際アンゲルブレシュトはバレエ音楽であったことを意識してやっているんだな、そしてあまりこの曲を好きではなかったのかもしれない、と思った。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,アンゲルブレシュト フランス国立放送O 1962/4/4
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(Ades,universal他)1957-59・CD,,ロザンタールは師ラヴェルのそれとともにドビュッシーの曲もかなり網羅的に精緻なステレオで正規セッション録音しており、その明るくリアルな音作りが、ドビュッシーの最初に掲げた感覚的な幻想表現から、後期においては同時代的な先鋭性により結果としてフォルムを明確なものにしていったことにマッチしていて、この筋らしい筋のない男女がテニスをするだけの描写音楽に、未完のポー劇に付けた音楽のようなグロテスクさをも加えた独特の暗い幻覚のような、シュールレアリスム絵画のような不可思議さばかり汲んでしまって、曖昧模糊として煙に巻くことでドビュッシーのプロフェッショナルな技巧的工夫を聴かせることができなくなってしまうことを避け、「そっちへ行ってしまうな!」とばかりにあくまで舞台上で踊らせ(リズムはイマイチ前に行かないが)、客席に聴かせる音楽として成立させている。不可思議なものとして感覚的に処理した、あるいはバレエ音楽としてリズム感のみを打ち出したモントゥーなどのほうが評価が高いだろうが、ラヴェル式にドビュッシー後期をさばくと、感情が無いので(それがフランス式でもある)平板ではあるものの、色々わからなかったものが聴こえてくるのだ、と奥深さに気付かされる。勉強用音源?とでも言おうか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,ロスバウト指揮ケルン放送交響楽団他(ica)1952-55・CD,,要素を全てリアルに刳り出し、音による構造物として楽曲を裸にする方法はまったく現代音楽の演り方だが、作品の前衛性を浮き彫りにする以前に作品の「ドビュッシーらしさ」の方が届いてきて、結果としてドビュッシーの野心作ではなく、ドビュッシーが自身の技術を出し切ったドビュッシー作品の精髄になっているところが面白い。ロスバウトは確実に抽象的志向が強い指揮者と思うが、これは幻想的表現をリアルな音に変えて調えたら、舞台上で跳ね回るダンサーが目に見えるような演奏になり、それは楽曲にひそむラテンの色彩を帯びた感情的なものになったという感じだ。オケは鍛えられておりしっかりしているが、さすがに手兵バーデンバーデンの放送オケのように自在にはいかない、しかしそこがライヴ感として迫力に変わっているのもメリット。モノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,○シェルヒェン指揮ヘルフォルド北西ドイツフィル(TAHRA)1960/2/1live・CD,,まるでシェーンベルクのように始まり、スクリアビンのようにロマンティックな盛り上がりを見せ、再び新ウィーン楽派ふうの点景に戻る。重心の低いドイツ臭さが横溢するシェルヘンのドビュッシー。シェルヘンの系譜にあるロスバウトやブールのスマートなドビュッシーとはあきらかに違うものだ。しかしながらドビュッシーが時代に取り残され追い付こうとする過程で「半端な立ち位置の前衛音楽」を書いた、この曲の本質を衝いているようにも思う。月に憑かれたピエロから始まり、法悦の詩のような山場が築かれていく垣間に見えるのは若い頃傾倒しのち否定したはずのワグナー。この作品は完全ではない。こういう解釈を許してしまうのだから。シェルヘンのプロフェッショナルな指揮ぶりにも驚く。スコア片手に聴くと叩き割りたくなる盤ばかり残した指揮者だが、オーケストラのコントロールの腕前は本物。惜しむらくは録音の悪さで、楽しめるまでにはいかない。これは仕方ない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,○シルヴェストリ指揮ボーンマス交響楽団(BBC,IMG)1965/11/10・CD,,強く意志的な指揮ぶりで、一貫し重心の低い重い音(録音のせいか?)ゆえスクリアビンやリムスキーに倣ったようなロマンチシズムの一面が引き立ってしまった部分もあるが、純粋に普通のロマン派好きが聞いて愉しめるものになっている。リズム感がよい。分析的観点からはわからない。録音は悪い。ドビュッシーならではの不思議に清澄なリリシズムが余り引き立たないのはそのあたりにも原因はあるだろう。演奏はバラケも弛緩もなく非常にうまくいっているのだが。擬似ステレオ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」,ブーレーズ指揮パリ音楽院管弦楽団(DOCUMENTS)1966パリlive・CD,,荒々しいオケを使って一寸耳障りな響きをも克明に描き出し、ラヴェルらとの同時代性、前衛性を浮き彫りにしようという意図は伝わる。リアル過ぎるというか、雲の向こうでモヤモヤするドビュッシーを引きずり出し裸に剥いて露に曝け出すような演奏ぶりで、とにかくリアルである。バレエ構想に基づくものであるという実用音楽的側面をしっかり踏まえた演奏とも言える。が、雰囲気を敢えて作らず動きそのものに語らせるばかりか、もっと言えばシェルヘン張りの音の彫刻の深さがあり、同曲の本来あるべきと思うダイナミックな形をスクリアビンの管弦楽曲のように噎せ返るような表現までも含めて「創作」していくようで、もはや描写的意図からも外れた一個の大管弦楽曲を仕上げている。かつてこの作曲家指揮者が時折やっていたエキセントリックな音楽がここでも熱狂しており、まるでフランスよりドイツ音楽のような重みをもって迫る。静かな場面での響きの美しさはまさにフランス音楽のイメージそのものだが、暴露的な不協和音(これはポー劇として構想されたアッシャー家断片を想起する悪魔的なものだ)との落差は激しく、シェルヒェンのような賛美はできるが、品は良くない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲,○ジャッキノー(P)フィストゥラーリ指揮ウェストミンスター交響楽団(naxos他)1951・CD,,一度CD化しているらしい。今はweb配信されている。この組み合わせで近現代協奏曲が集められているが(オケは異なる)、正直最も古くロマンチックなこの曲が一番しっくりくる。奏者もやりやすそうだ。起伏も大きくスピードもあり、みずみずしい曲をみずみずしく仕上げている。イギリスらしいというのか、木管や弦楽器の音色が軟らかく透明で、そこにピタリとマッチしたピアノもまた美しい。けして録音状態はよくないが、曲構造が非常に見え易く、理解にもよい。和声面の新味は強調されないが、この時期の曲ならべつに構わない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲,ニコレ・アンリオ・シュヴァイツァー(P)ミュンシュ指揮ORTF(DM他)1962/5/8live・CD,,有名な演奏だが往年の名指揮者が振った記録としては破格の音の良さで、ほんの僅かの放送撚れと環境ノイズ以外満点のステレオ録音だ。ミュンシュとレジスタンス仲間でもあったアンリオとは実に多くの録音や演奏記録が残されているがこの曲はこれだけだろうか。正直アンリオは傑出したソリストではなく技巧的な瑕疵も繊細な味わいの希薄さも、ミュンシュは何故彼女を選んだんだろう、という時しばしばで、しかしこの曲くらいになると音が少なく、ただ力強く弾いても悪印象にはならず瑕疵もすくない。1楽章など他の演奏で感じられる同曲の生硬さを上手く丸め、雰囲気で聴かせていく。2楽章の法悦はむせ返るように美しく、ミュンシュの響きへの配慮が行き届いていて、アンリオもそこに融和している。3楽章はアンリオのバリ弾きスタイルで(テンポ感が僅かに揺れる箇所があるが)きっちりまとめながら美麗な初期ドビュッシーの明晰な再現をなし、オケは少しマイクから遠いが、それに沿ってきちっと律せられている。緩徐部はじっくり聴かせる。過度なほど。。イマイチ縦が人工的な感じの揃い方ではあるが、変に情に寄ることもなく、音が少ない曲をスケールの大きなものに持っていこうとする意思が感じられる。冗長感は増しているが。。そんなところ。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲(1889ー91),○ニコレ・アンリオ・シュヴァイツアー(P)ミュンシュ指揮ORTF(EUR MUSES/INA)1962/6/13・CD久し振りに聞いたがミュンシュの手によるからこれだけ引き締まってきこえるのだろうな、という感じ。結構冗長でごつごつした「こなれない」曲だが、ソリストは非常に水際立って透明感のある音を発し、若々しく鮮やかな音楽を描き出している。深みはないが巧い。ミュンシュもこの曲の潜在的なロマン性に火を付けるよう。ミュンシュはラヴェルなども振っているがむしろロマンティックなもののほうがそのアブラギッシュな性質にあっているような気がする。この曲も前衛的で偏った作風の中に依然ロマンティックな箇所を多く残しているからだろう、胸のすくようなスピードと量感溢れる演奏を繰り広げ最後まで飽きさせない。なかなかいいです。スペインふうの情緒は薄いが、録音含め○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲(1889ー91),△フランソワ(P)マデルナ指揮バイエルン放送交響楽団(ARKADIA)LIVEプロコフィエフの場合もそうだったが、このピアニストの録音はムラが多い。スタジオ録音ですら失敗しようがしまいが一回で済ませたというから当たり前だろう。オケと完全に分離してしまった1楽章。例によって遅い独特のテンポ廻し、全くもって個性的で面白い解釈だが、恐らく即興だろう、オケが付けられない。録音(特にバランス)も悪い。最後の拍手も疎らだ。唯一2楽章(と呼ぶのか、中間部・緩徐部とよべばよいのかよくわからないが)、独特の詩情を振り撒き秀逸である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲,ボジャンキーノ(P)マデルナ指揮ローマRAI交響楽団(SLS)1973/4ローマlive,,かなりミスタッチも濁りもあるがフランソワよりまし、というソリストと、恍惚としたスクリアビンの音楽のようなゆっくりしたテンポで慈しみ進むマデルナが、やや腕に不安のあるオケとなんとか技術的限界を迎えずに進めて、結果としてちゃんと聴ける。マデルナの音響感覚(派手なものだ)はそれなりにしっかりしていて、トリッキーなリズムの曲に対し弛緩するテンポにぎりぎりオケをついてこさせている。ラストはそれなりに盛り上がる。フランソワ盤を振り返り思えば同じような解釋だったかもしれない・・・あれはマデルナのせいだった??ステレオで比較的良い。拍手は戸惑い気味。おなじボジャンキーノとのミヨー「エクスの謝肉祭」ほかシェーンベルクは既出。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲(改訂版),○デュシャーブル(P)プラッソン指揮トゥルーズ・キャピトル国立管弦楽団(warner他)CD,,ステレオの良い録音だが音質的には少し古びて聴きづらいところもある。「改訂版」によっており、warnerのドビュッシー全集ではフェヴリエの「原典版」と並べて収録されている(後者モノラル、ともにEMI音源か)。原典版のほうが単純に長い。詳細は省略。明るい音で危なげない演奏をくりひろげ、ミュンシュとアンリオのものなんかに比べるとソリストもそれを含むアンサンブルも技巧的にすぐれているように聴こえる。また全体設計もしっかりできており巨視的にまとまっていて、長ったらしい同曲をちゃんと聞かせるように配慮が行き届いている。だらりとしたテンポの冒頭からは想像できないほどスピーディーでかっちり噛み合った演奏に仕上がっていくさまは圧巻だ。音色は明るくフランス的で、ソリストの透明感もまさしくそういったところだが、指がよく回り緩急も即興ではなくきちんと理由のある付け方をして上手い。セッション録音なので細かな音響的仕掛けも聴き取ることができ、クライマックスの三楽章は聞きもの。どうせならフェヴリエではなくステレオの新録音と並べてほしかった(差がわかりにくい)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲(1889ー91),○アントルモン(P)ミュンシュ指揮フランス国立O(DISQUE MONTAIGNE)LIVEピアニストが恐ろしくハードなタッチで一気に弾き切るようなところが痛快だ。聞いていて飽きが来ない(この曲はロマンティックなので、ききすぎると飽きる)。ミュンシュも手慣れている。ドビュッシーの曲は全般に纏めづらいと思うが、この曲もばらけやすく、その点ミュンシュはしっかり固めている。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲(1889ー91),○カース(P)(DECCA)長年聴いていないLPをふとプレイヤーにかけてみると異様な傷がついていたりする。哀しすぎる。この盤もそうだった。淡彩で繊細な演奏として特記されるこの演奏に、音飛び擦り傷が。情緒台無しなわけである。いきなりグチから入ってしまったが、この曲はドビュッシーの中ではわりと古い作品で、むんむんとする南国情緒を熱気たぎるピアノと管弦楽が汗飛ばしあって演奏するという、ロマン派的な解釈がわりと普通に施されてきた。しかしドビュッシーは不器用なりにもいろいろ仕掛けを施しており、旋律の裏に隠れたハープの頬を撫でるような優しい音色にははっとさせられるし、木々の葉ずれのように涼しげな音響をもたらす耳に止まらないような細かい動きがそこここに配されていて、とくに楽天的に処理されがちな3楽章の繊細さには驚くべき新鮮なものがある。この演奏はそれを十分に生かした演奏であり、アグレッシブな力感にはまったく欠けているし、カタルシスもないが、ドビュッシー的、もっと言えばディーリアス的な淡彩を引き出した希な演奏として記憶されておくべき演奏である。一度は聴いて損はない。演奏技術は疑問を感じなくはなく、正統ではない気がするので最大評価とはしない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲(1889ー91),◎ギーゼキング(P)メンゲルベルク指揮ACO(M&A)LIVE余りに贅沢な組み合わせ、しかも炎の出るようなライヴ、申し分ない録音である。メンゲルベルクの甘く重い指揮も、この時期のドビュッシー作品なら強みだ。そしてACOの研ぎ澄まされた技巧と何の苦も無くわたりあうギーゼキングの強靭なタッチ。今だ真っ先に推すべきモノラル録音である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲(1889ー91),○フェヴリエ(P)ツイピーヌ指揮フランス国立放送管弦楽団(EMI他)1957・CD穏やかなテンポでじっくり聞かせる演奏だ。もともとこのソリストはテンポがゆっくりになりがちなのであるが、ここでは考えに考え抜かれた解釈の綾を聞かせてくれる。この曲はイマイチ珍曲の域を出ない扱いがされているが、フェヴリエはともするとロマンティックで演歌になりかねない歌い廻しで丁寧に旋律をなぞっていく。この曲でここまでしっかり「表現」した演奏は聞いたことがない。重く甘ったるい曲想ゆえに率直で突き進むような演奏でないと胃がもたれる、と思いきやフェヴリエはその軽やかな音と美しい響きで梢をわたるように爽やかに演じてみせている。テンポや音量変化もいささか機械的ではあるがその足枷になるようなことはない。こちらもじっくり腰をすえて聞き込んでみると、いろいろと面白い仕掛けが聞こえてきて、ドビュッシーならではの創意がここにもしっかり込められていることに気付かされる。とくに和声の精妙さにはっとさせられた。フェヴリエの軽やかさの源泉は元々この曲に潜在的に存在した一要素にあったのだ。バックオケはツイピーヌが振っているが、フェヴリエのゆったりした解釈によくつきあっている。けして派手な指揮者ではないし飛び抜けて巧いわけではない、むしろ逆なのだが、フランス近代の協奏曲の伴奏指揮者としては抜群のセンスがあったようである。この曲を理解したければ、まずはこの演奏を聞きましょう。話はそれから。モノラルですが。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲(1889ー91),チッコリーニ(P)マルティノン指揮フランス国立O(EMI)私はミュンシュより色彩的なマルティノンの方が好きだがこの録音は余り印象に無い。スピード感が無いせいかチッコリーニがオーソドックスなアプローチ過ぎるからか。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:ピアノ三重奏曲,シャマユ(P)カプソン(Vn)モロー(Vc)(warner)CD,,なんの引っ掛かりもないロシア的なまでにロマンティックな作品で習作的堅さが終始耳につく。「春」より保守的だ。ガッツリ型式を守り響きは軽やかなものを選んでいるが用法にも進行にも何ら冒険はなく、音線の一つ一つを取り出せばドビュッシー風にも思えるし2楽章のピチカート進行などトリッキーなものはあるが、譜面で見る以上に凡庸だ。演奏は控えめでガッツリロマン派をやるように派手な歌いまわしをすることがない。そのためどこを集中して聞いたらいいかわからなくなる(型式的ゆえ普通に聞けばよいが)。あと録音のせいかもしれないが弦の音色が硬い。紹介盤という意味以上のものは見いだせない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:ピアノのために,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード,アンゲルブレシュト シャンゼリゼ劇場O
ドビュッシー:フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード,アンゲルブレシュト フランス国立放送O プランテ
ドビュッシー:フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード,アンゲルブレシュト フランス国立放送O モーレーン 22748
ドビュッシー:フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード,マデルナ ベルリン放送SO 23398
ドビュッシー:フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード〜第3番,コルトー (P) テイト
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ,◎ガライ(Hrp)ラヴァイロッテ(Fl)ラウア(Va)(musidisc他)LP,,ドビュッシー晩年の、しかし最もドビュッシーらしい室内楽で、ソナタとは形ばかりのこのまさに印象派音楽そのものという響きに、典雅でオリエンタルな旋律は、他を寄せ付けないものを持っている。この編成でこそ行える、まったく新しい音楽を示したものだ。ドビュッシーの書法が素人臭いと言うならこの曲以上のものをぜひ目の前に見せて欲しい。やろうとすればできたのである、この人は楽器や楽理よりも音楽を目指したのだ、瑣末なことはどうでもいい。そして、この演奏はかなりぐっときた。新しめの録音ではなかなかこういう淡い感傷とすっきりした後味のよさを感じることはできない。ライヴ感にも溢れているが技術的瑕疵はみられない。素晴らしい。◎。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ,○ピエール・ジャメ(Hrp)クリュネル(Fl)ブランパイン(Va)(TIMPANI)1948/7/1・CD ,,おお、ガストン・クリュネル!!・・・といって結局さらっと聞き流せてしまった。。P.ジャメ含めどうも地味である。録音の悪さ(ぼやっとした悪さ)が拍車をかける。クリアな音であればそれなりに「引きの個性」というものを発揮していたかもしれないが、これはほんとに、まったく印象にのこらない。かといって香気をはらんだ演奏ではあり○をつけないわけにもいかない。○。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ,○ラスキーヌ(HRP)ボーディン(fl)ルクアン(Va)(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LP,,かなりロマンチックな曲ではあり、明快な旋律を揺らし情感たっぷりに表現するオールドスタイルの解釈でも、受け入れる余地がある。響きの典雅さから曖昧な曲とおもいきや構成感は若い頃のカルテットに近く、むしろアンサンブルを聴かせる曲である。この演奏はライブ感があり、一気に三楽章続けて組み弾き抜けており、スピードが気を煽る。終盤荒さがあるがアンサンブル寄りのメンツで、強い吸引力はないものの充実感は素晴らしい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ,ラスキーヌ (HRP) ランパル(fl)ルキアン(Va)(forgottenrecords)1957/6/18live放送,,ラスキーヌ、ランパルが入ると荒くなる印象をもつが、これはライヴならではか。ラスキーヌ以外の音色が無いように感じるのは録音の荒さもある。ルキアンは少し音が激しすぎて掠れる。最晩年に回帰した響きの繊細さをじっくり味わうのには向かず、「ソナタ」の即物的なドラマを疾走して楽しむのには向く。モノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ,ラスキーヌ (HRP) ランパル、パスキエ
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ,ラスキーヌ (HRP) メニューイン、デヴォ
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ,ラスキーヌ (HRP) モイーズ、ジヌー
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ,ラスキーヌ (HRP) モイーズ、マレシャル
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ,○ノルドマン(Hrp)ランパル(Fl)ブルーノ・パスキエ(Va)(SAPHIR)1999・CD,,ランパルの音線がさすがに細く、速いパセージでは心もとない指遣いも気にはなるが、それを補って余りある他二人の演奏へのパッションが全般として心地よい聴後感をあたえることに成功している。とくにヴィオラが凄い。ランパルの最早個性も押しの強さもない達観したような音遣いはむしろドビュッシー的な幻想味を全般に雰囲気としてあたえ、ノルドマンも個性的ではないが確かな表現をけして雰囲気を邪魔しないように綺麗にのせてきている。3楽章のパスキエを中心とした火花散る音楽の交感が聴き物だろう。ここでのヴィオラは非常に激しく、込み入ったアンサンブルを面白くまたなめらかに聞かせてくれる。改めてドビュッシーがこの曲に「取り戻した」形式感の存在を感じ立体的な音の交錯に耳を奪われる一方で、モザイク状に組み合わされた変則リズムを如何に違和感なくすっと聴かせるかだけではなく、「その違和感こそがドビュッシーなのだ」という部分もちゃんと残している。ドビュッシーを一本の音線で聴くとけっこう無作為で気まぐれなリズム変化や転調が頭を混乱させる結果になりかねないが、そこがやはりドビュッシーの現代性でもあり、ラヴェルにはできない特異な才能の発揮されている部分なのである。二拍三連的な変拍子の多用もドビュッシーが切り開いたアンサンブル技巧の世界だが、その不思議な聴感に不思議な軽い不協和音をともなう旋法的旋律が載ることによって「初めて完成する」世界であることを忘れてはならない。これは表裏であり渾然一体となっており、拍子だけだったらロシア国民楽派が既にやっているマンネリズムだし、不協和音や旋法なら先発後発にいくらでも使い手がいる。それだからこそ、ドビュッシーには「印象派」という言葉によってしか表現しえない部分が存在する。晩年作品には形式を重視しすぎてどっちつかずになってしまうものもあるように思うが(ヴァイオリン・ソナタなどもそう思う。折角のピアノソロ曲にも通じる美しい素材を生かしきれずに形式でカヴァーしてしまったような)、この曲は牧神から一貫して創り上げてきたアルカイックな世界の一つの終着点として、また形式との折り合いをもっともよくつけたものとして(3楽章など驚異的である)特筆すべき、室内楽における最高峰である。編成のわりに「情熱」すら受け容れる曲なのだなあ、と改めてパスキエの表現を聴いて思った。○。,,(お詫び)なんでかわかりませんがいつもとんでもない間違いをします。チェロじゃなくてヴィオラでしょうに・・・(シュヴァルツコプフをソプラノと書いて以来,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ,○ニューウェル(hrp)ウンマー(fl)カティムス(va)(columbia)1945/4/24・LP,,音は軽く単調で浅いが二楽章のフルートには驚いた。あのスピードで吹きまくるのは並ではない。ヴィオラとの絡みが音色的にもマッチしていて素晴らしい。全般ソリストとしてはどうかという地味なソリストたちなのだが、アンサンブルとしてはどうして聴き応えがあるし、フルートは特筆できる。ハープは印象に残らない。解釈はオールドスタイルのてんめんとしたところと即物的なさっさとしたところが交ざりうまく飽きさせないものになっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ,シャラン (HRP) ブルダン、ルキアン
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ,ウィーン・ベルリン・アンサンブル
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ,プロメテウス・アンサンブル
ドビュッシー:ベーメン風舞曲,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:ベルガマスク組曲,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:ベルガマスク組曲〜V.月の光,ゴデンヌ (PーROLL)
ドビュッシー:ベルガマスク組曲〜V.月の光,スヴェトラーノフ(p)(MELODIYA他)ぽつん、ぽつんと始まる旋律、例によって伸縮自在のスヴェトラ節で、しかもこの曲はドビュッシーがやっと俗に言う印象派的な作風を打ち出したばっかりで割合と旋律的でロマン派的な作風によっているから、他の曲よりは違和感は薄い。旋律前半の止揚する打鍵はサティを意識しているのか?と思わせるほど和声だけをひとつひとつじっくり響かせて、音楽につなげていくような感じである。盛り上がってくるとテンポは正常な流れに載って、逆にやりすぎや、と感じるような強打鍵を繰り出し、耳をつんざくほど。メリハリがついているといえばそうだが、このあたりは違和感あり。スヴェトラらしいやり方といえばそうだが。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:ベルガマスク組曲〜V.月の光,○リヒテル(P)(MSC)1962/1/4LIVE・CD,,印象派的でも幻想的でも典雅でもないが、独特の間と純粋な響きに貫かれたとても美しく印象的な演奏。リヒテルにしては感情的と感じる人は多いと思う。演奏時期の問題だろう。ラテン系ピアニストのドライさもなくロマン派ピアニストのうねるような揺れからも遠く隔絶して、ロシアン・ピアニズムの伝統なども完全に無視した、これはやはりドビュッシー以外の何者でもない。フランソワなどに飽きた向きにはかなり新鮮。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:ベルガマスク組曲〜V.月の光,○M.ノヴェッロ(P)(EDISON BELL)1923・SP,,夭折のピアニストノヴェッロのドビュッシー二品のうちのひとつだが、ロマンティックなこちらのほうがケークウォークよりも性に合っていると感じた。同曲に要求される妄想的で夢幻的な表現を、そこまで誇大にはいかないものの、素直に演じており、素直に聴いて染みる。大昔の時代がかったスタイル、という印象もなく、これはなかなかのものである。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:ボードレールの5つの詩,○ブンレ(SP)メシアン(P)(INA)1954/9/13LIVEドビュッシーの19世紀の作品であり、先人たちの轍を踏んだいくぶん古風な感じをとどめている。そのため非常に聞き易い。ディーリアスの歌曲と同傾向である。メシアンが伴奏を弾いたこのライヴ記録は、作品のリリカルな感じをよく顕した演奏で、清新な雰囲気で心地よく聞ける。「悪の華」なのに、無邪気な感じすらおぼえた。ごめんなさい、このくらいが私の耳の捉えられた限界です。フランス語わからない。。録音(モノラル)がやや弱いので○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:ボードレールの5つの詩第3番噴水,ムーア (P) テイト
ドビュッシー:仮面,○レヴィ(P)(ARBITER他)1929・CD,,昭和に入ってあとの録音となればずいぶんと聴きやすくなっている。このレーベルはSP原盤にしてはやや音にクリアさがないが聴けないことはないだろう。レヴィのピアニズムはラヴェルに向くような感じがする。明晰で適度な勢いを維持していて、音と音の分離のよさは非常に正確なタッチに裏づけされている。現代の演奏としても通用するだろうなあ。ドビュッシーの演奏としてももちろん十分に素晴らしい。「フランス・ピアノ伝統の創始者たち 1903-1939」所収。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:仮面,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:仮面,フランソワ (P)
ドビュッシー:マズルカ,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:マンドリン、Bring with Love、ロマンス,○ネジダーノヴァ(sp)ゴロワノフ(p)(aquarius)1941・CD,,マンドリンは力強く、ピアノも名技的なところを抑え気味に示し旨い。次の曲は記載名が違うが忘れられた小唄からグリーン。ドビュッシー自作自演よりもねっとりした感がある。マンドリンにもヴァランの古い録音があるがこの録音よりクリアという状態。ロマンスは甘やかな歌だがロマンティックな書法ゆえゴロワノフの夢幻的なタッチが活きてこない感もある。夫婦共演、プライヴェート盤が元になっているという。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:リンダラハ(管弦楽編),クリュイタンス パリ音楽院O
ドビュッシー:レントより遅く(ワルツ),○スヴェトラーノフ(p)(MELODIYA)陶酔的な揺れの目立つ演奏だ。しょっちゅう止揚する音楽はふと途切れてしまうのではないかと不安になるくらい。いっくら「レントより遅っそく」とはいえ、最後のテンポは遅すぎるような。ミューティングされた最終音がかっこいい。明確な発音はともかく、揺れながらもしっかりしたテンポ感に基づいているので安心できる。ワルツ部分はとくに巧いです。思い入れが強すぎて打鍵も強くなってしまいがちなのはマイナスだが。繊細さがほしい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:レントより遅く(ワルツ),○マルグリート・ロン(P)(columbia/pearl/CASCAVELLE他)1929/11/6パリ・CD,,録音が余りにノイズ塗れなのでわかりにくいが、ワルツっぽくはないものの、繊細な表現を見せる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:レントより遅く(ワルツ),ギーゼキング (P)
ドビュッシー:レントより遅く(ワルツ),作曲家 (PーROLL) 1913
ドビュッシー:レントより遅く(ワルツ),フランソワ (P)
ドビュッシー:レントより遅く(ワルツ)(ヴァイオリンとピアノ編曲),○クリモフ(Vn)スヴェトラーノフ(P)(LANNE:CD-R/MELODIYA)1982/4/13音楽院live ,,板起こし。スヴェトラのピアノはドビュッシーに適性がある。輪郭がはっきりとしメリハリがあり、楽想に流されないところが(本質とは異なるかもしれないが)聴きやすい。時折雑な指揮ぶりと比べてちょっと意外にも思われるフォルムの明確さがある。この曲も恐らく連弾をヴァイオリンに振り分けただけだと思われるが、小組曲よりゆったり入り込める余裕がある。ハスッパで粗雑な印象もなきにしもあらずだが、ライヴであれば楽しめただろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:哀歌(エレジー),青柳いづみこ(P)(camerata)2012/6/21・CD,,YouTubeに自筆譜対照の動画があるのでいっそうわかりやすい。逆に何もないと、何かの断章かのようにいつのまにか始まり終わる不可思議なものとなる。最晩年の作品共通の内省的な趣を持ち、中でもいかにも最晩年らしい「切れ切れの」雰囲気を持つがゆえに有名である。僅か21小節だが、苦しみの中にあるはずのドビュッシーの自筆譜は変わらず極めて端正で読譜の容易なものだ。従って「断章」ではないのだ。1915年の終わり第一次大戦の慈善活動の一環として作曲された。直前に手術を受けている。それが影響しているという人が多いが、ドビュッシーくらいになると複雑で、果たしてどうなのかわからない。旋法的でメロディもあり取り立てて不協和音がどうとかいうところはないが、何かの欠片を掴んで音符にしたのだろう。それゆえ演奏もわりと幅があるように思う。ここではかなり明確に見通しよく、少ない音符を少ないようにしっかり演奏している。夢幻の気配はすくない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:英雄たちの子守歌,青柳いづみこ(P)(camerata)2012/6/21・CD,,重く和声的な作品で、旋律やリズムは至極単調である。第一次大戦勃発時の企画作品だが、沈める寺の雰囲気は一瞬で消し飛び、ベルギー国王軍の抗独戦への挽歌はベルギー国歌の遠いエコーをはらみ、懐かしい響きが残る。こういう曲だとサティを想起するところもあるが、いたずらに尖りもせず、小品ながらドビュッシーらしい創意もあり、美しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:英雄たちの子守歌,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:英雄たちの子守歌(管弦楽編),◯マルティノン指揮ORTF(EMI)CD,,神秘的な暗さをはらんだ幻想曲で、重い曲も好んでやったマルティノンの芸風はとても適している。変にロマンティックにも変に茫洋ともさせず、リアルな音を保ったまま、曲の示す響きによってのみ幻想を描き出してゆく。これは良かった。曲の背景にも合っている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:英雄たちの子守歌(管弦楽編),○ベイヌム指揮ACO(DECCA)1957/5/27,28CD,,ベイヌムのこのあたりの録音は初期ステレオということで、CDではとくに条件の悪さが目立ってしまっている気がする。この地味な曲もひときわ地味に篭った音で響き、サティ的なミニマルミュージックの趣すらある。ベイヌム自身の資質もこのオケの特にブラスの特質もあり、暗く重い面がはっきり出た演奏となっている。いちおう○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:歌劇「アッシャー家の崩壊」(オーリッジ編・補筆完成版),ミューラー指揮ゲッティンゲン交響楽団他(PanClassics)2013/12live・CD,,英仏近代音楽の研究家にしてコレクターでもあるオーリッジ氏のドビュッシー補筆完成プロジェクトについては既に何人もの方が言及されているし、「成果」発表会の一部をYouTubeで閲覧することもできる。ほんの五線の欠片からも1つの管弦楽曲を仕立ててしまう、前に鐘楼の悪魔について触れた通りそれら(氏が発掘し買い集めた断片的作品が含まれる)の要素にはオーリッジ氏が意思的に「作曲」したものが非常に多く含まれている。「現代にドビュッシーが生きていたらこう作曲したであろう」というと前衛手法を駆使し異化されたものを想像されるかもしれないが、氏のスタンスはあくまで「ドビュッシーの時代において「聴ける」音楽」の範疇にとどまる。これはかなり巧く、「聴ける」もので、この盤もそうだが演奏家に恵まれると音楽的に楽しむことすらおおいに可能だ。ただ、例えばサティにおけるカビー版とオーリッジ版の違いがどうなっているかはわからないがそれはマーラーの10番シンフォニーの補筆完成版においてクック版とカーペンター版が違う、というレベルの違いではないだろう。元は考証的であり、この盤(完成版の初演メンバーだが初演記録ではない)などほぼ完成されプレートルらの録音した部分を除いたところを聴く限りも、これほどの編曲ができるのならばクックがマーラーにおいてなしたこと(初版は最低限の管弦楽配置に留まっており盤でも聴ける、つまりアルマへの配慮もあろうが非常に分析的なところから始まったプロジェクトではあった)より余程巧緻な作曲センスの発露がみられる。ただ、繰り返すが、やはりドビュッシーが「完成していない」後半部の大部分に関しては、ドラマチックに過ぎる。現代の耳からすれば半端な前衛性、耳新しさに欠けた、いうなればカプレに構想だけ伝えられたものが没後に書かれたくらいの感触であり、管弦楽は迫力があるが(「遊戯」に似た本人筆の部分とは異質の明瞭さを示すも有機的に繋がってはいる)、歌唱が陳腐というか、フランス的ではないようにも思う。テクストは完成しているはずなのだが、そのうえでペレアスのような歌唱と管弦楽の完全に融和した流れはなく、単なるオペラ編曲になっている。いや、しかし、これはオーリッジ氏の作品としては最も良くできているドビュッシーだとは思う。…室内楽など、さすがに…らしい(聞いたことはない)。YouTubeに別日の録音が全曲あるし、レヴァインだったか、断片的なものもあるので、CDを求める前にそちらで試してみてください。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:歌劇「アッシャー家の崩壊」より前奏曲、第一幕、第二幕(ブリン編曲),プレートル指揮モンテカルロフィル他(EMI)一部を除きイメージ通りのドビュッシー風にまとめており果たしてこれがドビュッシーの求めたものかと思うところあり。演奏歌唱は明朗で引っかかりはない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」,○アンゲルブレシュト指揮ORTF、モラーヌ、グランシェ他(barclay)1963/3/12live・LP,,(フィルハーモニア管録音初出待ちのためのダミー),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」,◎アンゲルブレシュト指揮ORTF、ヤンセン、グランシェ他(disque montaigne他)1962/3/13live・CD,,(仮),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」,○アンゲルブレシュト指揮フィルハーモニア管弦楽団、BBC合唱団、モラーヌ(ペレアス)ダンコ(メリザンド)(TESTAMENT)1951/6/1放送録音・CD,,元々正規録音される予定だった組み合わせというのも驚きだが、完璧な歌唱陣もさることながらイギリスオケがアンゲルブレシュトでこれをやった、明晰でデジタルなアンゲルブレシュトが軟らかな音で技巧的には「何気に」完璧にこなすオケを振ったらこういうものができた、というのがアンゲルブレシュトファンには驚き。アンゲルブレシュトがフランスオケの色彩感を頼りにしていたのがわかる半面イギリスオケの技術が自然で滑らかな音楽表現を可能とし、アンゲルブレシュトの目指すところを一段上に引き上げているようにも感じる。RVWじゃないか、と思わせる瞬間。だが物語が進むにつれ、独唱の圧倒的な説得力にオケはあくまでバックという意識へ落ちる。歌のひとつひとつを単独で歌曲録音として出しても成立しそうだ。。,,しかし録音が悪い!ノイズが終始聞こえる。◎にはできない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」,アンゲルブレシュト指揮ORTF他、ジャン=ポール・ジャノット(ペレアス)フランソワーズ・オジェア(メリザンド)ジェラール・スゼー(ゴロー)ジャニーヌ・コラール(ジュヌヴィエーヴ)ロジェ・ゴスラン(アルケル)ニコール・ロバン(イニョルド)ジャック・マース(医者)(ina配信/SLS)1955/11/24live,,音は意外と良く、この繊細で終始静謐な曲を味わうには十分。歌唱はいずれも安定した手練揃いでアンゲルブレシュトは慣れたものだ。少し客観的で固い指揮に感じる向きもあるかもしれないが他の記録と比べてもむしろ高水準にあり、歌唱もふくめての調和はこの平坦な曲においては特によほど慣れた人でないとできないだろう。変に外連味ある演奏になってしまってはダメなのだ。内容をわかった上で聴けばさらに「聴きやすい演奏」ということがわかるだろう、私はよくわからないけれど、内容は。モノラル。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」,カミーユ・モラーヌ(ペレアス)シュザンヌ・ダンコ(メリザンド)モーリス・ド・グロート(ゴロー),クリスティアーヌ・ゲイロー(ジュヌヴィエーヴ)アンドレ・ヴェシェール(アルケル)マージョリー・ウェストバリー(イニョルド),マルセル・ヴィニュロン(医者),アンゲルブレシュト指揮ORTF(INA)1952/4/29・CD,,データは過去にまとめたアンゲルブレシュトのペレアス録音データを参照されたい。最初に抜粋が詰め合わせCDで出たがモラーヌ生誕100周年記念で全曲盤が出た。今はamazonデジタル等からweb配信されている。拍手等はない。音質はモノラルだが音が明瞭に捉えられ、演奏ともどもステレオのDM盤に次ぐ出来だろう。この曲はあきらかにフランス語の抑揚に合わせて作られたような歌謡の応酬(といってもほとんどペレアスとメリザンド)だけによる大曲であり、器楽的に聴いても初期から全盛期の過渡期的な明るく多少の起伏を含むも平坦で長々しいものとしか認識できない。正直私も苦手の類になるが、あくまで醒めた観点からドラマティックに煽ることも厭わないアンゲルブレシュトのおかげで筋を追えばなんとかついていける。ドラマティックといいながら朝にはとても気持ちよく目覚めてから家事を終えられた、そのくらいのもので、あとはモラーヌとダンコのはっきりした声がわかりやすく、少々耳圧強くも、全体のフォーレを超進化させたような和声的な雰囲気の中で面白くも聴き通せた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」,カミーユ・モラーヌ(ペレアス)ミシュリーヌ・グランシェ(メリザンド) ジャック・マルス(ゴロー),マリー・ルーチェ・ベラリー(ジュヌヴィエーヴ)アンドレ・ヴェシェール(アルケル)フランソワーズ・オジュア(イニョンド),ジャック・ヴィニュロン(医者),、アンゲルブレシュト指揮ORTF(BARCLAY,INEDITS)1963/3/12シャンゼリゼ劇場live・LP,,DMのCDが出るまでは唯一のステレオライヴ録音として珍重されたもので、言われるほど録音が悪くもなければ演奏がパッとしないこともない。ライヴだから独唱が音程を外すなど細かい点で瑕疵はあるものの、そして依然LPでしか出ていない(流通はしている)からノイズを気にする向きはともかく、一応音場の狭いステレオとして聴くことができるし、雰囲気もばっちりである。おそらく入手可能なアンゲルブレシュト最後の同曲全曲録音なので、マニアでなくとも機会があればどうぞ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」抜粋,○アンゲルブレシュト指揮ORTF、ダンコ、モーレーン(INA)1952/4/29live・CD,,素晴らしい記録である。モノラルの抜粋ではあるが丁寧なCD起こしをしていて聞きやすい。輪郭線が決して太いわけではないが明確で、未だ初期の香りを残した同曲のわかりやすい部分を明示し、起伏もあり楽しめる。盤としては歌唱を聞かせるようなものになっている。ダンコの声は通りよく伝わり易い。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」抜粋,同前掲,○ベルナール・プランテ(ペレアス)ミシェリーヌ・グランシェ(メリザンド)クサヴィエ・ドプラ(ゴロー)アンドレ・ヴェシェール(アルケル)アンゲルブレシュト指揮ORTF(FRENCH BROADCASTING SYSTEM,MASTERWORKS FROM FRANCE)LIVE・LP,,放送用解説付き抜粋(一幕情景T、二幕情景T、三幕情景T、四幕情景T、U、W、五幕)で全曲演奏から編集した模様。合計1時間弱、アンゲルブレシュトのキレのよくみずみずしい音楽を味わうのには十分である。しかしここではペレアス役のプランテの若々しく伸びやかな声が印象的で、透明感溢れる舞台をもり立てている。このドラマがフランス語本来の美観を背景に成り立っていることを改めて感じさせるソリスト陣の表現を録音は明瞭にとらえている。ドビュッシーのあやつる変幻自在の色彩を小組曲の温い世界に引き戻すことなく精緻に描こうとする指揮者、それにライブでこたえられるオケの力にも感服。素晴らしいひとときを過ごせた。抜粋ゆえ○ひとつ。,-----,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」抜粋,トラック指揮管弦楽団、クロワザ
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」抜粋,トラック指揮管弦楽団、H.デュフレーヌ
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」,デゾルミエール SO ヨアヒム、ヤンセン (EMI/andante他)CD
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」,モントゥ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団、メリザンド:ネイディーン・コナー(Sp)ペレアス:テオドール・アップマン(B)他(SLS)1954/1/2NYメトロポリタン歌劇場live,,こんなものが存在することにびっくりしたのだが、やはり録音状態は悪く、環境雑音、混信めいたもの、撚れ、針飛びありのモノラルで、二枚組だが一枚目が歌の途中で切れる(二枚目で改めてその頭から収録されてはいる)ということで万人にはオススメしない。同曲は繊細な部分と意欲的に歌う部分に節度を持って均衡を保たせることで、全体のムードを作り上げる必要がある気がするが、これは音盤としては異例の「上演形式」の実況であり、それゆえに音だけのコンサート形式とはまずバランスが異なり、表現も意欲的な方に傾いた過剰さ、ある意味わかりやすさに傾くのは当然といえば当然である。ほぼアメリカ人メンバーだけによる上演というのもまた異例な感じもする(フランス人もいるにはいる)。掠れ気味の音なので残念だけれど、そのせいか歌もけっこうわかりやすくすんなり入ってくるというか、神秘的なところより肉感的なところに惹かれる。反面、憂いというか、弱音を綺麗に歌うという点、とくにバリトンは声が一本調子で繊細さが足りないか。オケは素晴らしい。モントゥーはのるかそるかの指揮をすることがあるが、ここでは力強いスタイルで、筋肉質の(アンゲルブレシュトとは真逆だ)同曲という不思議なものを提示し、躍動的な場面ではまるでバレエ音楽のような煽り方をしていて楽しい。明晰な棒さばきでこの悪録音でも色彩感を出してくる。年代的にもっと良い音で聴きたかったものだが、それほど飽きることなく聞き通せた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」〜三つの抜粋,○ヴォルフ指揮グラモフォン大交響楽団他(andante他)1930・CD,,3幕から情景1(Mes Longs Chevaux Descendent、間奏曲),2(Prenez Garde)の短い抜粋だが通しで演奏されたものか単発の細切れ感はなく、古録音期に多いあくまで歌曲とその伴奏という印象はない。しっとりした比較的ロマンティックな「演奏」も楽しむことができる。どうしてもSP原盤の抜けの良さはノイズリダクトとひきかえになくなってしまいがちであるが、これは原盤が良いのだろう、ノイズはもちろんあるけれども、ロマンティックな歌唱に負けずにオケ部のまるでディーリアスのような美観を垣間見ることが可能。これ以上の評は無理かな。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」〜3幕情景1より”私の長い髪”,メアリ・ガーデン(SP)作曲家(P)(G&T/EMI他)1904・CD ドビュッシーとガーデンの歌による<ペレアス>の一節を聴いた。哀しい歌声だ。歌詞はわからない。しかし90年余りの歳月を経てひびく歌声は、限りない郷愁を感じさせる。録音とは不思議なもので、時を止め、シリンダに封じ込めてしまえる。この時代は、どんな時代だったのだろう。祖父ですら未だ二、三才だった日本は、日清戦争が終わったばかりである。フランスではバックでピアノを弾いているドビュッシーが認められたばかりで、オーストリアではシェーンベルクは未だ無調にすら入っていず、マーラーですら健在であった。ガーデンは1967年まで命長らえたという。しかし、こんな歌声が出たのは、そう長くはあるまい。老いさらばえた頃、彼女はこの音を聞いただろうか。全てが夢の彼辺に消え去ってしまった後、ふと、その夢をつかの間かいま見るために、このレコードを針に掛けることがあっただろうか。亡き芸術家達が華やかに活躍していたこの時代の音。ドビュッシーの横顔が眼の裏に浮かんだろうか。全ては何十年も、半世紀以上も前の話。返らぬ時の波間に、ふと輝いてはふと消えるともしびのような、か細くはかないこの録音を聞きながら、僕もまた、遠き見知らぬ昔に想いを馳せる。(1993/11/30記),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:映像第1集、第2集,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:映像第1集、第2集,フランソワ (P)
ドビュッシー:映像第1集〜T.水の反映,パデレフスキ(p)(Monarch (Cupid)他)1912/2,,パデレフスキ唯一のドビュッシーか。リアルなタッチでタカタン!と弾く。テンポルバートもなく呆気ない演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:映像第1集〜T.水の反映,ブーリッヒ (PーROLL)
ドビュッシー:映像第2集〜T.葉ずえを渡る鐘(コッポラ管弦楽編曲),コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(lys/warner他)1935/3/12・CD,,Warnerではオケ名を管弦楽団のままとしており原盤表記はおそらくそうなっているのだろう。この時代の楽団表記はマストではなかった。曲があまり編曲されないたぐいの繊細なものであるからしてこの前のグラナダよりもさらに静かな編曲で、とりとめもない感じもする演奏となっている。コッポラ自身の編曲だから同じようなソリストを繋いでいくような形であるが、趣はすこし異なる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:映像第2集〜V.金色の魚,ヴィニェス (P)
ドビュッシー:映像第2集〜V.金色の魚,ブーリッヒ (PーROLL)
ドビュッシー:管弦楽のための映像,○クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI)1958/11クリュイタンスはどうもソツがない。巧いのだ、たしかに。でもあまりに自己主張のないフツーの演奏すぎはしまいか。オケがオケなので音色で聞かせる演奏になっており、テンポがかたくなに揺れなくても終始客観的で整理されすぎていてもとりあえずは○ひとつつけることに異存はないが、はっきり言ってあまり感ずるところの少ない演奏であった。まあ、変な色付けがないから初心者向きかもしれないけど。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像,○ベイヌム指揮ACO(DECCA)CD,,ベイヌムらしいというか、イベリアの両端部が飛び抜けていい。明瞭なリズムに充実したひびき、胸のすくテンポ。多少単調だがミュンシュともまた違った、整理凝縮された勢い、というようなものが聞かれる。末尾はこれしかありえないというような、淡泊にも誇張にも振れないきっぱりしたもの。だが対して情緒的な、すこししっとりした、淡彩な印象派の表現が要求される両端楽章にイベリア中間部が、辛い。オケの特性柄管楽器の音色に赤銅色の艶がつき無駄に下卑た主張を感じさせる場面が目立ち、チャイコフスキー的だ。色彩感、職人的な楽器のさばきは上手いが、リアル過ぎてきこえる。よくてシベリウス的とでも言うか。春のロンドにとくに違和感があった。スクリアビンのようなむせ返る表現は夜があけきらず酒の重くのこった朝のよう。イベリアだけならかなりいいが、全体通してでは○のままか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1957/11/22live・CD,,全曲だと結構なボリュームだが春のロンドを一緒にやる必要性はそれほど感じられず、むしろ神秘性を除けばジーグとの似通った情趣が中間の肝心なイベリアを浮いた存在にしてしまう。このCDでは映像としてではなくジーグと映像、という不思議な表記がなされているが、ばらばら作曲されたものの組曲とすればむしろ春のロンドを独立表記すべきだろう。3つの楽章それぞれで拍手が入る。印象的にはジーグは出だしの木管ソロがみな非情緒的に短く切り詰められ即物的な表現をとっており、そのあとのリズミカルな舞踏への布石となっているが、生硬で違和感があった。リズム楽想になってくると途端に独壇場となり、ミュンシュ的な爽快さにただ浸るだけである。イベリアもさすがといったところ。聴きどころは春のロンドかもしれない。すっかり乗ったオケを相手に初期ドビュッシーのロマンティックな香の少しのこった音楽を、そのままロマン性を煽らずに美しく楽しく色彩的に描いている。録音はこのてのものにしてはよい。◎に近い○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○ミュンシュ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R他)1954/3/28live,,ミュンシュのドビュッシーは大量にライヴ録音が残されているのでいちいち追うのはやめたが、ついでに入っていたものは取り上げてみる。これは既にCD/CD-R化されている1954年3月とされているものと同じだろう。,,芸風が比較的一緒なのであとはその場のノリとオケの精度と、何より録音状態なわけだが、この録音は放送エアチェックものにしてはいいのではないか。モノラル末期のいい録音、といった風情である。演奏はわりとスタジオ的な精度を保ち、それに加えてライヴなりの迫力が迫ってくるなかなかのもの。強い合奏力をもった弦が大きくうねり、アメリカ黄金期のブラスが強烈に短く切り詰めた音符を吼えたてる。木管も負けてはいないしパーカスは強調。つまり全パートががなりたてる演奏だ。ただロシア的な阿鼻叫喚ではなく、ミュンシュという統率者によって隊列を組み破裂しそうな内圧を抱えて進軍していくのである。・・・という書き方は全てのミュンシュライヴに当てはまる。あとはそのボルテージをどの程度と評価するかだが、10を完全テンションとした場合、8くらいはいっているかも。録音がわりといいので、そう感じるのかもしれないが、時々ある「いつもの感じ」的ルーティンな雰囲気は無い。ああ、また一緒の芸風か、ということがミュンシュにはままあるのだが、これはそうは思わなかった・・・往々にしてオケ起因のことでありミュンシュはいつも一緒だとは思う。わりとおすすめできます。,,"本サイトのドビュッシーの項目に既出盤(TREASURE OF THE EARTH:CD-R)について記載あり",,(参考)正規スタジオ盤。「管弦楽のための映像」は全曲です。,"
ドビュッシー:海
ボストン交響楽団 ミュンシュ(シャルル)
BMG JAPAN

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ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○ミュンシュ指揮NBC交響楽団(TREASURE OF THE EARTH:CD-R)1954/3LIVE,同上?,ミュンシュのこのライヴ盤は物凄い迫力で驚きに満ちているのだが、この曲が一番バランスがいいか。とにかく分厚く重い音のカタマリをどしんどしんとぶつけてくる演奏で、しかもオケがNBCのせいかそこに硬質で鋭い響きが加わり、とにかく凄まじい勢いでリズムを刻む。このイベリアの喜遊的な1部、3部は独壇場だが、この曲には他にももっと洗練され且つ勢いと味のある演奏があるので、面白いと言うに留めておこう。2部など精妙な響きにいくぶん陰影も加わりこの盤の中では聞き物となっている。ミュンシュらしくないところだ(とくにこの盤の中では)。こういう音の重ねかたに無頓着な人というイメージがあったのだが、ここでは巧く行っている。モノラルだが録音極めて良好。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,ミュンシュ指揮ORTF(ina)1959/9/15モントルー音楽祭live(20放送),,篭ったモノラル録音。直前のピアノ協奏曲などキンキンノイズで非常に悪い。Amazon配信とina.frのものは同じ。ルーセルの前に演奏されているので中盤ということだが、冒頭疲れがみえる。オケは鈍くさく感じ、足どりも重く前に向かわない。ミュンシュは整えにかかっているようだ。音響の迫力はあるが、録音状態からもベストとは言えない。とはいえ第一部最後の再現部はミュンシュらしい勢いが出る。第二部は木管をはじめとしてオケの長所が出る。機能性がイマイチなだけで、このオケは音(響き)は良い。リアルな押しが強く音が中心に固まるのは録音のせいだと思う。そして後半から第三部は地響きのするような凄まじさ。ミュンシュここにありだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,ミュンシュ指揮ORTF(ina)1950/7/24live(放送)
inaから代理店ルートで販売されているダウンロード音源はエアチェックではないかと思うほど状態が悪く、キンキンとデジタル化失敗というかmp3の難点を前面に押し出したようなものでかなり辛い。加えてこのトラックでは第二部冒頭近くで結構な欠落があり(これもブツブツノイズだけ入り放送受信ミスのような感じがする)、私はもうどうでもいいが、興味を持ち、かつまだ聴いていないかたはぜひ、ina.frから直販されているダウンロード音源(放送そのものをすべて収録しておりトラック分けは無いがかなり廉価です)でも同じかどうか確かめてほしい。演奏自体は最初こそ硬いがすぐに集中度の高い強靭な演奏になる。リズムの激しさ、音響の凄まじさ、イベリアはこれでいい。さすがに乱暴さは少なく、手慣れた十八番であることを示したものだ。最後は大喝采。プーランク自演ピアノ協奏曲なども収録。
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ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,〇ミュンシュ指揮ORTF1962
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1965/2/15live,,非常に円熟した名人芸を見せている。録音は良好なステレオで十分一般の鑑賞にも耐えうる。楽しくも軽やかに舞踏的ではなく重い響きでリズムに迫力を持ち込み、テンポもそれほど早くはないがかといってドイツ風の鈍重というわけではない、細部の独特の操作含めこれがミュンシュの同曲における長いキャリアの決算的表現として素直に楽しめばいい。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(ica)1961/10/31ハーバード大学live・DVD,,ミュンシュがまさに手兵といった感じで操る大編成のBSO、フランスオケみたいなお仕事感や「手抜き感」は全く無い、皆真剣に一つの音楽を組み立てる。音楽は自在に動きミュンシュだけが楽しそうに長い棒を振りまくるが背筋は伸びている。曲がイベリアだけに騒いで盛り立てて終わるようなやり方ではない、これは大人のコンサートなのだ。第二部のイマジネーション、そこにも弛緩はなくぴんと張り詰めた雰囲気が舞台を支配する。ハンパなく上手いコンマス。それは全て仕組まれたように、ただ叩き込まれたそのままに全員が演っている。私はミュンシュがフランス、特に音楽院管を振っている古いSP録音も好きだが、対照的に磨き上げられたオケの技術に裏打ちされた「真のミュンシュの解釈」を聴くことができ(また観て確認することができ)、ドビュッシーの少し癖のあるスコアリングもものともせず明瞭に完結させる腕に感服させられた。各奏者の弾き吹き叩くところは見もの。この大編成でのアンサンブルの素晴らしさ。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1961/9/29live,,どうもゆっくり粘るような方向にいきがちで、テンポの停滞を招いている。中間楽章だけでなく速いパセージも確かめるような、固いテンポになりがちで、スポーティなイベリアを求める向きには向かない。録音がステレオで比較的いいので○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1953/10/30live・CD,,ミュンシュとしては手堅くやった演奏で客席反応も普通だが、それでもちょっと聴きミュンシュとわかるような「気分」がわくわくさせる。体臭を感じない演奏で、晩年のボレロの正規録音など想起する人工的なところもあるが、感情にまかせっきりにならないところが普段聞きには聴きやすい。これはすれっからしのミュンシュ好きにはすすめないが、なかなかの演奏。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像,○モントゥ指揮ORTF(M&A)1956/5/3live・CD,,演奏的には決して褒められたものではない。1楽章こそそつなく実にスマートだがいったん拍手の入ったあと、イベリア第一部は冒頭からテンポがもたつき技術に問題があると言わざるを得ない。モントゥの即物性はもたつくテンポだとかなりやばく聞こえる。ただ、音色表現の煌びやかさは認められ、イベリア第二部ではハリウッド的艶も聞こえる。第三部では盛り上がるが、モントゥなのでそんなに大それたことにはならないのが限界か。3楽章は冗長なこの曲でも冗長な楽章だが、演奏はそんなに面白くはない。○にはしておく。雑音が耳ざわりなところもある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜T.ジーグ,○モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1958/7/25live,,モントゥのドビュッシーにはめったに当りが無いのだが、これはリズムと音色が素晴らしい。絶妙である。ソロ楽器が鄙びてフランス風に響くさまはなかなかに懐かしい情緒をかもす。録音次第ということもあるのだろうが(DAなので極めて悪いがマイクが妙に近いらしい)。。この次に遊戯という演目も凝っている。なかなかツボを押さえた選曲。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜T.ジーグ,○モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1951/12/1live・CD,,これがDAの別日と言われる音源(録音状態は向こうのほうが格段に悪いがこちらも良くは無い)と似ている。ただモントゥなのでほんとに同じ演奏を何度もやることができたということだろう。オケがちょっと強すぎる感じがする。必要以上の音色表現、音量、アグレッシブさは所謂往年のアメリカオケらしく、下品なところが特にこのような「生臭さ」の払拭しきれない曲では強調されて聴こえてしまう。明瞭にスコアどおり彫刻されすぎている感もある。しかし、楽しかった。○。,,"Pierre Monteux in Boston - A Treasury of Concert Performance 1951-1958; Haydn", Schubert, Schumann, Tchaikovsky," etc",-----,,,-----,,,-----,
ドビュッシー:管弦楽のための映像,モントゥ指揮BBC交響楽団(ICA)1956/5/11live・CD,,録音は悪いモノラル。それでも瑞々しく躍動感に満ちた「ジーグ」は素晴らしい。バレエ指揮者としてのモントゥの特質があらわれている。響きの透明感と色彩感はBBC交響楽団の力も大きいだろう。3楽章「春のロンド」が先に演奏されるが違和感はこのほうがない。ただ、肝心の「イベリア」はほかにいくらでも名演のある曲であってモントゥには相対的にメリットと呼べるものは感じなかった。1楽章の前進性が一歩後退して、悪い録音によってこじんまりとした茫洋とした音像しか得られないこともあり、結構凡庸と思った。ミュンシュとの違いはここに歴然とする。モントゥのイベリアのライヴは他に1枚あるくらいか。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像,○ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(ADES)CDここでは録音の奇妙な偏りは無く比較的聴き易い。ドビュッシーにしては長い長い曲だが、中間楽章のイベリア単独で演奏される事の方が多い。三曲めの「春のロンド」はキャプレの手を借りての管弦楽配置だし、作曲時期も微妙にずれている。この演奏はまずはフランス流儀の典型例というような感じ。軽く精妙な響きに支配された淡い色彩の音楽、歯切れの良い明確なリズムに支えられたイマジネイティブな音楽、ロマンチシズムをいくぶん残しながらも決して野暮にならない音楽、ロザンタールの面目躍如だ。長いイベリアには名演は他にもあるが、ジーグや春のロンドにはけっこう名演が少ない。これはその数少ないうちのひとつだ。気持ちよく寝れます。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像,アンセルメ指揮ケルン放送交響楽団(MOVIMENTO MUSICA,WEA,WARNER)1956/4/9LIVE・LPアンセルメのライヴはスタジオ録音のよそよそしさがなく独特の熱気に満ちている。速いパッセージではとてもリズミカルで浮き立つような演奏ぶりが満喫できる。言われなければドイツのオケとは気がつかないかもしれない。張り詰めたような緊張感がありハーモニーがとても綺麗に整えられているのは特筆すべきだろう。なんといっても「イベリア」の首尾一貫した見事な解釈に尽きるが、「春のロンド」の夢のような美しさも捨て難い。このLP、なぜかイベリアだけA面で残り二曲がB面に入っているのがなんだかなという感じ。でも演奏内容がいいからいいか。○。録音は悪い。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:管弦楽のための映像,アンセルメ スイス・ロマンドO
ドビュッシー:管弦楽のための映像,マルティノン指揮シカゴ交響楽団(SLS)1967/3/17シカゴlive,,3曲からなる組曲で2曲目の「イベリア」がさらに3部に分かれるという大曲で、組曲といっても内容的な共通点は少ない。しかし音楽的には似たムードがえんえんと続く心地がして、長大なバレエ音楽を聴いているようなつまりダフクロのような、ゆったりと引いたスタンスで聞くべき、そしてそうでもしないと「春のロンド」のせっかく盛り上がるところですでに飽きてしまっている可能性がある。マルティノンは名器を使うと極端に上手い。シカゴは決して良い関係だったわけではないが楽団はほかにないほどぴたりとつけいつもの、音符の間に空気の通るような冷めた技巧を提示するようなところは「ない」。円熟した流麗なドビュッシーの部分部分熱いので、本とこの組み合わせはもったいなかった。爆発的なところはないが、全曲版としてよくできている。もっとも曲が有名だからかな。ちなみにこの精度でライヴなのである。良いステレオ録音。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,クレナウ指揮ロイヤル・フィル(columbia)1926・SP,,クレナウの芸風はちょっと特殊で、冒頭和音のアクセントを「音をテヌート気味に伸ばす」ことで表現していることからも何か違和感を感じる。また古い録音であるがゆえ録音条件もオケの脇の甘さも決して褒められたものではない。ただ、この時期にしては下手ではなく、印象に残りづらい解釈である反面途中でやめたくなることもない。これはこれでいいのだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像,アンゲルブレシュト シャンゼリゼ劇場O
ドビュッシー:管弦楽のための映像,アンゲルブレシュト フランス国立放送O
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,アンゲルブレシュト指揮ORTF(SLS)1959/3/19シャンゼリゼ劇場live,,前へ向かわない遅いテンポはアンゲルブレシュトのこの曲の解釈であり、引き締まったリズムパート、無機質的な透明感がアク抜きされたラテン風味を引き立てる弦楽器、時にからかうような時に情感を引きずるような管楽ソロ陣、バラバラのベクトルを持った演奏様式がアンゲルブレシュトのむりやり縦を揃える方法により纏まる、いつもの解釈ではある。第一部でやや危なっかしいところがあり精度的には別にこれを取り立てて聴く必要はなかろう。情緒的で、第二部のネットリしたところや第三部の散文的な構成(決して弛緩はしない)は強引さを感じさせない強引さで聴かせてしまう一種豪快さが楽しい。客席反応は普通。録音はモノラル、やや悪い。第二部に瑕疵あり。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina)1960/5/24live,,ニュアンスとは無縁。大きな箱を積み上げていくアンゲルブレシュトのデジタルな整え方。それでも余りに定番のドビュッシーとなると、漏れ出る熱気は抑えられない。手兵も慣れたもので、ペットや木管はここぞというところでは味のある表現で耳を惹く。ステレオでこの曲ではノイズも少なく、DM盤同様のものを楽しめる。スペイン音楽特集のラストを飾った曲。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(URANIA)1951/3/11爆発的な推進力と各パートの異常な巧さが結実し、充実した聴感をあたえるなかなかの秀演。弦楽器主体の音楽作りはオーマンディが元バイオリニストであるところに起因するのだろうか。もちろんストコフスキが鍛えたフィラデルフィアの管のハイテク+懐かしい音色も魅力的だ。モノラル時代のオーマンディの充実した演奏ぶりが伺える一曲。個人的に勢いのあるこのころのオーマンディが好き。スコアをいじっている模様。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○ガストン・プーレ指揮コンセール・ピエルネ協会管弦楽団(COLUMBIA)SP,,比較的新しい録音にきこえるがモントゥと並んで本邦紹介された1920年代よりは下るだろう。ジェラール・プーレ氏の父上でドビュッシーのソナタを作曲家と検討・初演したガストン・プーレの指揮記録。この人は弦楽器偏重・打楽器やブラスによる雰囲気付けによって独特のラヴェル的なはっきりした図像を描き、全体設計はけして上手いわけではないが「聴かせる音」を出す。オケは実態がわからないが弦楽器にしてもこの時代にしては非常に揃っていて上手い。キレのいいリズムはSP録音時代とは思えない。弦楽器がとにかく鍛えられている(笑)ホルンがフランス式としては限界みたいな音でほえていたり、果ては第三部、絶対聞こえないヴァイオリンの上昇ポルタメントがSPのくせに耳に突き刺さってくる(かんじんのフォルテ表現は音量が抑えられたうえ割れて聴きづら過ぎるのに)!いや、鐘の音に彩られた弱音の世界がまたイマジネイティブでびっくりした。音色がもう素晴らしいのだが、ガストン・プーレが指揮者として好んだラヴェルっぽい見通しの良さ、粘りの無さがありながら、凄く印象派的なのである。第二部が素晴らしい!生温い音、ハリウッド的でないロマンチシズム。くれぐれも一流指揮者の記録ではない。しかしこれは同時代では文句なく一流の指揮記録である。録音さえよければ!,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○コンドラシン指揮スウェーデン国立放送交響楽団(LANNE:CD-R)1977/10/13live,,スマートとは言えないが瑞々しい演奏で立体的な構造がよくとらえられ、コンドラシンならではの荒っぽい音処理は目立つものの同曲を得意としていた理由のわかるこなれた演奏である。ロシア式と馬鹿にしてはいけない。細部まで統制された響きの饗宴は和オケでは聴けないたぐいの香気を確かにはなっている。現代的な感覚の演奏であることは確かだ。オケの冷えた鋭さもあいまってコンドラシンの無駄な熱気が抜かれ聴きやすくなっている。,,(参考),"
Musiques du XXE Siecle

Lys

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",本当にコンドラシンはすぐ廃盤になる。melodiya原盤のスタジオ録音が何度かCDになっているので、探せばそれほど苦なく見つかる筈。,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,◎コンドラシン指揮モスクワ・フィル(MELODIYA)1972・CD,,復活メロディヤ名義のコンドラシン復刻シリーズより。データは違うが既出音源と同じと思われる。しかし音がクリアで生々しい!音源由来の揺らぎや瑕疵はたくさんあるが、異常なハイテンションとギチギチ煽られまくり絶叫する各声部、荒れた演奏ぶりも圧倒的な力感、リズム表現の前に寧ろポジティブな印象となって跳ね返る。現代的な作品への造詣は第二部の硬質でリアルな音響感覚に反映されている。ねっとりしたフレージングがそこに更にロマンチシズムの異様さを持ち込み、金属系打楽器の耳痛い響きの強調(録音操作だろう)がドビュッシーの遊戯に通じる前衛性を強調する。すかっとするには最適のイベリアです。汚れ具合含め宗達雷神の迫力。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(MELODIYA/LYS)1961・CDコンドラシンらしい激しい演奏だ。恐らくLPからそのまま板起こししたらしき雑音が連綿とつづくが、そんなこと耳に止まらないほど攻撃的な音作りがいかにもコンドラシン/モスクワらしく楽しめる。このように運動性を強調したイベリアは個人的に好きだ。また、ドビュッシーの内声部に施した不思議な音形〜仕掛け〜が見事に浮き彫りにされていて、はっとさせられる場面も多々有る。とくに第二部だ。ポルタメントなどねっとりと言ってもいいくらいはっきりつけられているがこれも譜面通りである。ドビュッシーのオーケストレーションの特異さが際立って聞こえるように出来ている。これは読みの深さと言うべきだろう。見事な手綱さばきだし、オケの演奏能力もおしなべて高い。色彩性が足りないように感じるのは録音のせいだろう。これは併録のラヴェルを原盤LPと聴き比べるとハッキリわかる。モノクロームな音のCDでだいぶ損をしている。いずれにせよコンドラシンはフランスものにも素晴らしく適性があったと思う。とくに彼と一心同体であったモスクワ・フィルとの間に残された録音が極めて少ないのはかえすがえす惜しいものである。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○シューラー指揮プロシア国立管弦楽団(URANIA)LP???な演奏家・演奏団体の多いウラニア盤LPから。なかなか腕の有る楽団に聴こえるから、オケの名前が変えられている可能性が高い。常任だったプロイセン国立歌劇場管弦楽団(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)だろう。ひびきにドイツ的にどっしりした部分もなきにしもあらずだが、寧ろ高音楽器のカンタービレが生かされた演奏ぶりはラテン系の演奏様式に近い。そのミスマッチがなかなかに面白いのだ。ライヴかと聴き枉ごう雑味もあるが、この安定感あるイベリアは聴き易い。これがドビュッシー的にどうなのかわからないが、ドビュッシーマニアは聴いて損はすまい。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(SCC:CD-R)1967/11/19live,,鈍重であくの強い冒頭からストコフスキ解釈の悪いところが出ていて閉口するが、次第にリズムが調い遅いながらも流れがしっかり出来上がると、これはこれで美しい演奏に思えてくる。ロマンティックなドビュッシーが苦手な向きにも第二部の夜の景色の繊細さは奨められる。ドビュッシーの作品がそれだけ懐深いとも言えようか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(DREAMLIFE)1994KORN LIVE・DVD(映像)1楽章。心地良いリズムだ。重くカツゼツの良いいかにもドイツ風の発音のため、遅めのテンポでもダレることはない(と思う・・・)。遅いと言ってもチェリ晩年の標準からすればそれほど物凄く遅いわけではない。音の磨き上げかたが尋常でなく、静かな場面での響きが物凄く美しい。木管の音色が感傷的だ。ライヴゆえちょっとミスもあるが(あとでこってり絞られたかも)最晩年のチェリは画面上では落ち着いた様子で穏かである。「夜の匂い」冒頭の雰囲気を聞こう。怜悧なまでに研ぎ澄まされた、しんと静まり返った夜の空気。しつこいほどにじっくり聞かせるテンポで、ヴァイオリンのポルタメントがやらしいほどにしっかりとうにょ〜んと響くのにはまるで現代風音楽で聞かれるような特殊な音色効果を感じさせる。スコアを観ながら聞けば倍楽しめるかも(私はやりませんが)。細部まで克明に描き出されるドビュッシー。これは「印象派」ではない。爛熟したロマン派音楽のゴージャスな響き、感傷的な旋律の訴えかける声、ゆったりとした、でも背筋に寒いものが走るような余りに冷たく前衛的な意匠も込められたアンビバレンツな20世紀音楽そのものだ。この夜は凄く長く感じるが、やっと夜が明けるところの表現が今一つ明快でない。テンポがさほど上がらないまま突入するためにコントラストがはっきりせず、音量変化もこの録音ではあまりしっかり聞こえてこない。もしくは人工的であり、ちぐはぐな感さえ覚える。響きは相変わらず美しく、弦の感情的な音色も魅力十分なのだが、結局最後の盛り上がりでいきなりテンポが引き締まりストンと落ちるのはちょっと不完全燃焼な気もした。独自性を鑑みて○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○チェリビダッケ指揮ロンドン交響楽団(NHK)1980/4/18NHKホールLIVE・DVD,,そうそうたる面子を揃えたLSOとの来日ライヴ映像より。チェリは演奏時は70近いとは思えない迫力と動きで一切の妥協のない神経質な指示を手先と目で与え続け、最初こそ嬉しそうにこの「名器」をかなでているものの、次第に厳しい表情がふえ、最後はコンマスに睨みをきかせて終わる。木管ソロがちょっと外そうが余り重要な部分でなければ看過するようだが、オケの統率者たるコンマスと弦には確かに厳しい。繊細すぎるほどに細部まで思うがままの音を出させようとするチェリの美学は第二部の幻想に非常に巧く反映されていて、ドビュッシーがまるで冷え冷えした鋼鉄器械のラヴェルに聴こえるのは特筆すべきことだが、第三部がとくにどうも、ちょっと萎縮の感をおぼえた。しかしこの芸風でこの音がよく出ると言ったほうがいいのかもしれない、さすがLSOだ。日本人よ範とすべしと言い切ったチェリの言いたいこともわかる。ただ、オケはこれでいいのか、というと受け取る人によりけりだろう。今はありえないかもしれない。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(NAXOS/LYS他)1940/4/13放送LIVE・CD録音のせいでいくぶん不安定なところもあるけれども、なんといってもトスカニーニのリズム!これに尽きる。全ての楽器はこのリズムを死守し、テンポのブレを避けている。だから安心して聞けるのだ。ドビュッシーの書法は稚拙に見えてじつは物凄く複雑である。タテが合わないとアイヴズのようなごちゃまぜ音楽になりかねない。交通整理は指揮者のシゴト、トスカニーニはそのへんをよくわかっていて、ブレそうになっても絶対に全体の流れを変えない。そうした下地がきちんと出来上がった上に、ヴァイオリンの非常に懐かしい音色、ポルタメントなどのデコレーションが載っているから、まったく充実した演奏、という聴後感。鮮烈なハーモニーがバランスよくひびいてこないのが残念だが、たぶん実演ではきちんと響いたことと思う。音場狭くマイク近すぎ、という点はこの時代の録音では仕方ないので言わないでおきましょう、みんな。イベリアはLYSに1945年、MUSIC&ARTSに1936年の録音がCD復刻されている(LYSは本録音と併録)。他にもあるかも。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1948/3/27live,,オールドビュッシープログラムの最初の演目として放送されたもの。はっきり言ってこれが現代の明晰な録音で提示されていたら寄せ付けるもののないダントツの名演として一位に挙げることができる。残念ながらトスカニーニの放送音源なりのノイジーさで○にとどめざるをえないが内声部までちゃんと聞き取ることができ、リズムや伴奏音形を担うパートの隅々まで行き届いた配慮が確かなアンサンブル能力と各個の技巧に裏付けされて明晰。ドビュッシーのスコア特有の構造的弱みというのが演奏側の配慮によってまったくカバー可能であることをはっきり示している。ブラスに一部弱みがみられるが弦楽器など脱帽の精度だ。とにかく両端部のリズム!このリズム感は旋律「以外」の声部が如何にしっかり音符を音にできているかを示すものだ。旋律はその上にのっかっていくだけでいい。いや、ここでは旋律も自主的にリズムを主張し、その間に一縷の隙もない状態であるのが奇跡なのだが。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィル(MUSIC&ARTS)1936/4/16,19LIVE・CD溌剌としたリズムが印象的なトスカニーニらしい演奏だがいかんせん録音が悪すぎる。このM&AのCDのライヴ録音は全て音が最悪で鑑賞に値しない。それを押しても聴くべきと言うことはできないが、第1部のテキパキした水が弾けるようなリズムには魅力がある。第二部の印象派的表現はもう録音がよくならなければどうにもならない。これは聴いているのが辛い状態だ。オケの調子が悪いのかとさえ思わせる第3部も多分原形は素晴らしく切れの良い名演だろうが(終演後のブラヴォーにも伺える)惜しい。独断で ○をつけておくが普通の人はとても耐えきれない録音状態なのであしからず。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,◎トスカニーニ指揮フィラデルフィア管弦楽団(IDIS他)1941/11/18げげっ、凄いや。フィラ管に比べたらNBCなんてクソオケか。噎せ返んばかりの芳香に満ちた、非常に色彩的でとてつもなくイマジネイティブな演奏だ。これがトスカニーニか、と思うほど恣意的な表情の入る演奏ぶりで、しかもハープの突出に代表されるちょっと余りに印象派的な幻想が一層トスカニーニらしくない、でも紛れも無くドビュッシーであり、その最高の演奏であることを見せ付けるようなものになっている。うーん、うまく言えない。とにかく、最初の「街の道、抜け道を通って」だけでも聴いてみてください。確かに録音はサイアクのたぐいだが、ストコフスキの鍛えたオケにトスカニーニというシェフが付くとここまで凄くなるのか、という見本のような演奏です。リズム感も素晴らしい。トスカニーニの放つ絶妙のリズムをしっかり音として表現しきっている。そこには自発性すら感じられ、その点でもトスカニーニの専制君主的なイメージとは違うものを感じる。コンサートホールに響き渡る音響を想像しながら聞くと一層この演奏の魅力は増すだろう。こんなにノったトスカニーニも珍しい。名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○パレー指揮デトロイト交響楽団(MERCURY)1955/12STEREO・CD冒頭からパレー節炸裂。水際立ったテンポで愉悦的な音楽を盛りあげる。中間楽章もあきない。バイオリンの音色が不統一でバラケて聞こえるのはイタイが長いポルタメントなどチェリのようにおかしな強調をせずに音楽の雰囲気の中に適切に埋もれさせており、結果として非常に感傷的な盛りあがりを作る(もっとパワーが欲しいけれども)。上向音形のポルタメントなどマーラー並みのセンチメンタリズムだ。ハリウッド映画音楽張りのうにょ〜んにもちょっとそそられる。じつに感傷的。個人的にはこうやるのが本来の姿じゃないかと思うのだがいかがだろう。響きの中に断片的に顕れるモチーフをひとつひとつちゃんと取り出して意味を持たせて響かせる、そのやりかたなどミュンシュ的ではあるが、けっこう冷静であり、その切り取りかたのシャープさは寧ろサバータ風である。3楽章への移行も鮮やか。オケの力量の無さが音楽を殺してしまった部分もあるように思うが、特筆すべき優れた解釈を示したものとして孤高の位置にある演奏といえよう。オケマイナスで○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○フランツ・アンドレ指揮ブリュッセル・ベルギーL’I.N.Rグランド管弦楽団(TELEFUNKEN),,リアルなイベリア。派手で力強くラテン系のノリに近いが、とても引き締まっており、けっこう聞ける。ドビュッシーの夢幻性を描き出すよりも、純粋にその音楽の律動と響きの面白さを煽るようなところがあり、生々しく明確で、実演を聴くのに近い感じがある。◎にしたかったが、古い録音ゆえ○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○ミトロプーロス指揮NYP(ASdisc他)1954/2/7live懐かしい映画音楽のような音色の交錯に耳をとられてしまった。ホルンのポルタメントなんか聞こえたりして、ほか高音打楽器など面白い突出がきこえ、”旨い”オケだな、とにんまりしてしまう。第一部「街より道より」、ミトロプーロスは現代音楽の理解者らしく明晰な音響と生来のロマンティックな性向をうまく組み合わせて前進的な演奏に結晶させている。ロマン性は静かな第二部「夜の薫り」に顕著である。ともすると平板でわけのわからない世界を展開しがちなこの”楽章”、ここでは太筆書きの音響とロマン性の篭った歌心が面白い効果をあげており、妥当かどうかは別にして、聞かせる。後半”人工的”なテンポ変化が露呈しているのは難点かもしれない。第三部「祭りの日の朝」、少し音色に飽きてくる。それにこれはやや”もたい”か。ミトロプーロスは良く速めのテンポで押し通す曲作りをするが、時折妙に遅い四角四面なテンポをとることがある(プロコのピーコン3番参照)。そこまでではないのだが、少し飽きがくるのは正直なところである。最後の盛り上がりもやや半端。とりあえず第一部の名演と第二部の妙で○をあげることにする。録音は思ったよりは悪くない。終演後の拍手はまあまあ。ひとりブラヴォを叫んでいる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○ミトロプーロス指揮NYP(URANIA/ASdisc他)1954/2/7live・CD,同上,2006年秋ウラニアの復刻シリーズで再発。かつてASdiscで出ていた録音と同じ。ややリマスタリングが過ぎる感じもある。今聴くとけっこう野暮ったい感じがするというか、音のキレがシャキシャキしていないのがちょっと・・・。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1960/1/27LIVE,,解体現場のようだ。前に向かわないテンポ、バラケたアンサンブル、音の雑味の多さ、第一部冒頭から既にリズムに乗り切れない各伴奏パートにゲンナリ。いったんまとまりをみせ強引に勢いに乗るも、最後には失速して「循環形式的演奏」となる。第二部冒頭と最後の長い和音だけで構成されるシーンで、録音が極めてクリアなこともあり重厚で美しいバランスのとれた響きが印象的だが、いざ動き出すとアンサンブルのズレや軋みが再び目立ってくる。雑然としまとまりがない。鋭い金属質の録音が悪い部分だけをくっきり浮き彫りにしてしまっているのかもしれないが、それでも全般漫然として聴きにくいことに変わりは無い。中堅の全方向系指揮者がフランスものに慣れていない二流ドイツオケを何とか振ったような演奏・・・。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○アンセルメ指揮フィルハーモニア管弦楽団(BBC,IMG)1958/8/28,,あんまり印象に残っていないが、けっこうノれた気がする。フィルハーモニアがやっぱり凄いなあ、というのと、アンセルメはオケを選ぶ、ということを感じた。このオケは相性がいいことはわかった。このCD、現在の正規の新譜なのにやっぱり録音が・・・。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(lys),,リズム感は良い指揮者で、程よい重さでタンタンタンと切れるのは気持ち良い。第一部は気を煽る要素がある。オケの機能性の高さも音色もメリットとして感じられる。あまりオールドスタイルな奏法を使わせようとしないコッポラと相性がよいとも思う。いちように縦の甘いフランスのSP録音の中では、コッポラのものは厳しく律せられているから、現代の耳では聞きやすい面もある。型にはまったやり方ばかりしていたと言えばそうでもなく、第二部のメロディの歌わせ方はスペイン風の崩しをよく表現している。第三部は緩急が巧くつきソロと合奏の対比が見事で、総体としてレベルの高い演奏となっている。この時代なので録音再生技術上どうしても人数を絞ったオケにならざるを得ないのに、コッポラのものは「内圧」を強くしてカバーしている。さほど薄さを感じさせないのは録音操作の賜物でもあるのかもしれないが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団(RUSSIAN DISC)1997スヴェトラーノフのラヴェルは違和感があったが、ドビュッシーはなぜかハマるのである。ここでもラヴェルのところで述べたような客観的で四角四面で重厚なところが現われており、「街の道や抜け道を通って」にはフランス系指揮者のやるカラっと晴れたようなテンポ良さが皆無であるが、反面ロマン派交響曲のような構築性が見えてきて、これはこれで面白い。ロマンティックな趣が正統ではないものの新鮮な印象をあたえる。管楽器の響きがまたよい。静かな場面では印象派的なニュアンスがうまく表現されている。色合いが印象派というよりフォービズムという感じもしなくはないが。「祭りの日の朝」のリズミカルな処理も面白い。徹底してタテノリの軍隊行進曲のようなリズムを刻んでいる。リズム楽器のなくなった場面が多少弛緩するところがなきにしもあらずだが、中身のミッシリ詰まったロシア的音響が最後を飾る。まあまあ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(000CLASSICS:CD-R)1979/6/21LIVE音が悪い。また、第一部はイマイチノリが悪い。アクの強い解釈もやや抵抗感を感じる。第二部に入るとけっこう丁寧にねちっこく表現しだす。チェリの表現様式には速い舞曲よりも遅くてハーモニーで聞かせる緩徐楽章があっている。上降するヴァイオリンの金属的なポルタメントがかなり強調されているが、ほんらいこのポルタメントは余り尖鋭的な響きをあらわす意図があったとは思えない。こんな前衛的なやり方をするのはチェリくらいだろう。不思議だ。この楽章の後半は後期ロマン派かと聴き枉ごうばかりの表現で特筆ものだ。晩年の熟成はまだないが特徴的な聴感である。重い。第二部から第三部へのやや作為的な変化を織り交ぜた移行のさまもいったんハマってしまえば面白く聞けよう。最後はあっさり。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,チェリビダッケ指揮ロンドン交響楽団(ARTISTS/LIVE CLASSIC)1981LIVEイベリアだけをよく演奏したようだが、映像全曲を演奏することはなかったのだろうか。ミトロプーロスもイベリアしか演奏記録を残していないし、やはりちょっと大曲すぎるのかもしれない。精妙にして豪快、という点は他の曲の演奏と同じ。チェリはもともと割合と北方的というか、ひんやりとした肌触りが気になるが、民族的興奮を好まない向きには薦められる。録音まあまあ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,チェリビダッケ指揮ロンドン交響楽団(CONCERT CLUB)1980/4/10ロイヤル・フェスティヴァルホールLIVE・CD重さがつきまとう演奏で、ちょっと気を抜くとすぐ頭から抜けてしまう感じ。ちょっと悪い言い方をしすぎかもしれないが、チェリにしてはとても弾むようなリズムの舞曲にしてもどこかそらぞらしく、ラテンなノリが微塵もない。勿論そういうものがチェリの本質とは異なるから当たり前だとはいえこの人もイタリアを中心として活動していた時期があったわけで、そのころのノリというのがかなり抜けてきているのがわかる。響きに拘るにしてもちょっとハンパな感じでもある(録音のせいもある)。全般、印象薄し。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,チェリビダッケ指揮デンマーク放送交響楽団(memories他)1970/2/19live,,CD-Rの再発だそうだが見覚えが無い。これはあまりお薦めできない。音が悪い、しかもピッチがとても高い。別の曲のようである。古いチェリを期待して聞いても、そこには新しいチェリから円熟味を抜いたような漂白された音楽があるばかりである。オケの音にはまるで北欧のオケのような新鮮な響きが宿っているが、たとえば末端だけとってみても余りに余韻がなく「ハイ終わり」的な切り方をしている。チェリ自身何を思ってこの演奏に望んだのだろうか。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,トスカニーニ指揮NBC交響楽団(GUILD/ARKADIA/FONIT CETRA)1953/2/14カーネギーホールLIVE・CD録音状態はいい。目の覚めるようなリズムと音色の煌き。第一部のリズムが交錯するところでいくぶんごちゃっとするもののすぐに流れを取り戻し、胸のすくような音楽が繰り広げられる。NBCのソロ奏者はツワモノ揃いだ。素晴らしく歯切れの良い発音が心地よい。指揮者と奏者の丁々発止のやりとりがスリリングだ。いくぶんの綻びよりも素直にノリの良さは評価できる。ラテン系というローカル色濃いコトバでは表現しきれないトスカニーニの普遍的な解釈はごく自然に耳に入ってきて、自然に気持ちを高揚させる。いつ聴いても新鮮な印象を持つ清々しい演奏だ。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,トスカニーニ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R他)1941/11/18live,,かつてIDIS他で出ていた音源のラジオ放送エアチェック盤と思われる。腰が軽く非常に録音状態が悪いが、ある意味原音に近いのかもしれない。また妙な欠落などもみられ、よほど「リマスター前の音」にこだわりがなければ選ぶ必要のないものだ。DA盤として無印。(他盤では絶賛しましたね),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R他)1938(39?)/11/5live,,トスカニーニはすごいね、もうなんかこれが正解、としか言えなくなる。もっとも「正解」が一つではないのが音楽の世界なんであり、正解をやれるからいいというものでもない。もっとローカル色が強くてもいいだろうし、純音楽的に客観的に響きを整えることも可能だろう。録音が悪いのは言うまでもないが、DA盤は妙にフォルムが明確で(「生々しい」とは違うと思うが)雑音の中からも聞こえる最低限のものは聞こえてくる。ほんらいこの録音状態では無印のはずだが、トスカニーニの直線的なドライヴっぷりと第二部でのイマジネーションに○。当初39年放送ライヴとされていた。同日のバーバー二曲、新世界他一曲も収録されているが、年表記はいずれも混乱している。それぞれの別項参照。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(PRSC)1950/3/25Studio8H放送live,,リズム感と色彩感に威勢のいいだけではなく、ねっとりとした弦楽器のフレージング、それらケレン味をはらみながらも決してフォルムの崩れない音楽作りが素晴らしい。楽曲もオケもトスカニーニも全てが調和した結果このような演奏が生まれる。ただ少し落ち着いていてトスカニーニらしさが後退したようなリズムの取り方には老いが無いとも言えないか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,バルビローリ指揮NYP(GUILD)1937/11/14LIVE・CD,,音悪。時期的に仕方ないが。うねるようなポルタメントだらけの古風な演奏だけど、テンポはけして弛まないバルビ壮年期の魅力的な芸風を楽しめる。まだ許せるリズム感だろう。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,バルビローリ指揮NYP1938/2/7・CD,,----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,トスカニーニ指揮NBC交響楽団(?)1945/2/11放送live,,音が悪すぎる。音量もなく、このラテンの迫力に満ちた舞曲がまったく魅力的に聞こえない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜U.イベリア,◎ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1967/11/19live,,粒立った音作りが功を奏している。明瞭鮮やか、清清しいくらいにきらびやかなイベリアが聴けます。そんなに恣意性も気にならない。客席反応もまずまず。これ生でやられたら他聴けないだろうなあ暫く。ストコもオーマンディも、結局生の人であり、これはたまたま録音がいいから「伝わった」が、基本的に録音に捉えきれないレンジの広い音楽を繰り出していたんですねえ。ブラスパーカスだけじゃないよ、寧ろストコは弦。木管もうまいけど。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜V.春のロンド(キャプレ編),ツィピーヌ指揮ORTF(ina配信)1968/07/28放送 live,,華やかでヒステリックですらある発音が楽曲の瑞々しさを際立たせて秀逸である。オケとの相性はすこぶるよい。ツィピーヌはこういういかにもフランス近現代の音楽の聴かせどころを押さえた演奏をする。初期的な楽想(歌曲の素材がつかわれているといわれる)ではあるが時期的にはイベリアなど他の曲と同じ最盛期のもので、なぜ小組曲ぽい無邪気さが響きの彩り方に出るかと言って、カプレにオーケストレーションを任せたとも言われている。確かにカプレの得意な管弦楽の響きのようにも聴こえる。映像第三集(管弦楽のための)の中では一番マイナーな三曲目ではあるものの、ツィピーヌの手にかかるととにかく楽しくもスマート。(ina.fr PHF07009293),-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜V.春のロンド(キャプレ編),◎ブーレーズ指揮バイエルン放送交響楽団(BRSO)1959/3/9LIVEブーレーズのフランス近代ものには余りいい印象がなかった。とくにブーレーズ・フェスティバルでやったラヴェルのダフクロには落胆さえ覚えた。人工的で機械的でおよそ音楽により聴衆を楽しませるという意識が見えなかったのである。だが、今回この自主制作盤のライヴ録音を聴いて驚愕したのである。どんなに細かい音符もおろそかにしない音響作りはいつものことだが、それぞれの音に明瞭な大小のランク付けをして、徹底して計算しつくした演奏を作り上げたうえで、さらにとても強い表現意欲に基づき「音楽」を描こうとする意識を強く感じた。何度聞いてもこの演奏はカンペキである。◎。こんなドビュッシー、アンゲルブレシュト以来だ。凄い指揮者だったんですね。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,◯エリアスベルク指揮レニングラード交響楽団、合唱団(放送)1962live,,なかなか感情の入る演奏だがロシア式デロデロというわけでもなく、ドビュッシーの表現になっている。立体構造があきらかでシレーヌの無歌詞合唱との絡み合いは生々しくも美しい。録音は悪いが◯。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○アンセルメ指揮BBC交響楽団、大合唱団(BBC/IMG)1964/2/2・CD,,これがスタジオ録音のはずなのに音が極めて悪いのである。かつ無味乾燥な1楽章など「なんじゃこりゃ」以外に言葉が出なかった。「悪いアンセルメ」だ。2楽章はそこそこ盛り上がる。透明感を担保した情熱、というアンセルメの特徴もしかしこの音ではいかんとも言いがたい。ミトロプーロスの録音に似ているとすら感じられた状態だった。シレーヌの声が聞こえだすあたりで一旦録音が途切れる。この後の展開はよい。まるで宵の空に流れる雲を見上げているような感覚で浸れた。トータルでは○。しかし前半は、よくない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団・合唱団(london)1957/11・CD,,やや3楽章が長い感じがある。弱音部がじっくり表現されているというか、50年代アンセルメの勢いはあるのだが、やや際立った個性として感じられなかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,アンセルメ指揮ボストン交響楽団他(melusina他)1955/12/3live,,明晰にそっけないテンポでサラサラ流れていく中、繊細な表情の綾を聴かせる「雲」が秀逸。「祭」はさすがにリズムが正確すぎて踊るような表現には至らないが色彩的で透明感あり、ミュンシュのそれとは異質だ。「シレーヌ」は合唱付だが演奏会形式で、2楽章とはきちんと切っている。どちらかというと静かな音楽の細かい響きや動きを注意深く聴かせる演奏といえる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○アンセルメ指揮ボストン交響楽団(NBC交響楽団?)(DA:CD-R)1955/12/3live,同上,ナレーションがボストンとはっきり言っているので表記上NBCとあるのは誤りだろう。演奏は充実はしているが録音がやや貧弱か。整えるタイプの演奏だけれども「祭」など縦は徹底的にそろえているにもかかわらずリズムに特有の舞踏性があり非常に楽しめる。実際はもっと迫力があったろう。見通しのいい(一種スカスカな感じさえする)音響感覚も特有。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○スヴェトラーノフ指揮ボリショイ劇場管弦楽団?(MELODIYA)1960'?同曲をスヴェトラーノフがどのように調理しているか興味津々だったが、案外マトモ。そういえばソヴィエト国立を振る前のスヴェトラーノフは割合と直截な演奏をしていたなあ、と思う。聞いているうち、けっこうのってくる。2楽章でひとしきり盛り上がった後、ペットが遠くから近付いてくるような場面があるが、その間のパウゼが異常に長い。これはこれでひとつの見識だなあ、と思った。シレーヌのなんともいえない女声合唱、なんだかこの世のものとは思えない響きで妙な魅力があった。総じてロシアオケ独特の響きはあるものの、十分鑑賞に耐えうる演奏である。○ひとつ。ステレオ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1968/11/17ミュンシュ追悼live・CD,,意外なほど聴けるのがストコのフランスものだ。オケいじりも単純に音量増強や旋律強調にはならない。響きの重心は低いものの、ミュンシュとは違った繊細なニュアンスを含め色彩感をはっきりさせ、品よくリズムの力感を示す「祭り」などなかなかの名演である。ストコはオーケストラの魔術師と呼ばれただけあって近現代楽曲の立体構造を際立たせた演奏(時に改変)をなしたが、ドビュッシーなどあっていると思う。ミュンシュ追悼演奏という機会もこの随時臨時編成な手兵に一定の緊張感をあたえていただろう。追悼スピーチのみ客席録音。恐らく急遽差し込まれた演目だろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○パレー指揮デトロイト交響楽団(MERCURY)1961/3・CDどことなく暖かい「雲」はまるで一面の野原に横たわり空をわたる雲のかたまりを見上げているような感触がある。ちょっとヴォーン・ウィリアムズ的だ(この曲からヴォーン・ウィリアムズはかなり影響を受けていると思う)。パレーには南欧の気配がする。太陽が眩しい演奏。途中のチェロ・ソロの感極まったようなヴィブラートがとても感傷的。そのあとのヴァイオリンソロはふつう。でもこの演奏ではデトロイト響のソリストの力量の高さが確認できていい。これは「当たり」のほうの録音だ。「祭り」はパレーお得意の急峻な音楽、ばらつきがなく非常にまとまりのいい演奏である。そうとうに速いけれども綻びは目立たない。弦に徹底されたフレージング〜弓の上げ下げや弓圧の程度まで〜の成果がこうした集中力の高い演奏ぶりに現われている。盛り上がりどころでの派手で開放的なぶっぱなしかたがいい。さすがペットなど巧くつけてくる。あっというまに通り過ぎてシレーヌがやってくる。サイレンとも呼ばれる海の妖怪、その美声で船乗りを魅了しては命を奪う(確か)。わりと即物的に女声合唱でシレーヌの歌が模倣されるが、この演奏はあいかわらず暖かく、いささか明るすぎ。和声の揺らぎは明瞭に聞き取れる。旋律及びその下の動きが明快に表現されており、曖昧な所が無い。またいわゆる印象派という曖昧さがかなり払拭されているので、むしろロマンティックな音楽であるようにすら感じる。こんなところにもヴォーン・ウィリアムズのネタ元があったりして。最後にはけっこう夢幻的な世界の色濃くなってきて、かなりいい感じ。ホルストの惑星もこのへんがネタ元だろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団他(ODEON/columbia/Parlophone)SP,,ODEONだと雲と祭は連番でシレーヌのみ離れており、ばらばらで録音した可能性がある。ピエルネの指揮は硬直したようにかんじることが多いのだが、一楽章はなかなかの雰囲気。まさに夜の雲、静かに浮かび、繊細だ。動きのない曲のほうが向くのかもしれない。楽団のソリストの音が懐かしい。,,祭は雲とのコントラストを期待するが、思った以上に鄙びており、むしろピエルネらしい硬直したものとなっている。そも非力な録音から期待される音量を出しきれず聴き取れる変化の幅がかなり狭い。ピエルネの盤にはしばしばあることだが元の録音がそうなのだろう。リズミカルに自由にやるにも、録音上の制約もあったかもしれない。演奏的に弦など心許ない、バラけたようなところがある。木管は良い。中間部で物凄く音量とテンポを落とし、いつペットが吹き始めるんだというリズム打ちが延々続く解釈は面白い。やり方が機械的で現代的だ。壮麗というより、次のシレーヌへつなげるように終わる。,,シレーヌは印象派音楽表現のセンス溢れる素晴らしいもので合唱とオケのバランスもモノラル録音としては理想的。美麗で典雅。ブレの無い克明な演奏からはアンゲルブレシュトあたりに通じる、フランス特有の曖昧さを排したオケコントロールぶりも伺える。SPゆえ速めのテンポをとっている可能性があるがそう感じさせないのは音色の繊細な妙だろう。○。,,(日本パーロフォン盤の全曲(祭)を入手したためODEON盤評と併せてまとめました),-----,,,-----,,,-----,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T.雲,○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(ODEON)SP,同上,オデオンに三曲とも残しているが祭はほとんど見たことがなく※日本盤ならある、ネットではオデオン以外のレーベルで出ていたのを一度確認したのみである。雲と祭は連番でシレーヌのみ離れており、本来ばらばらで録音した可能性がある。ピエルネの指揮は硬直したようにかんじることが多いのだが、これはなかなかのアトモスフェール(雰囲気で書いてみました)。まさに夜の雲、静かに浮かび、繊細だ。動きのない曲のほうが向くのかもしれない。楽団のソリストの音が懐かしい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜V.シレーヌ,○ピエルネ指揮コロンヌ芸術協会他(ODEON)SP,同上,全曲録音しているのではないかと思うが(※している)、他に確認できているのは雲だけ。印象派音楽表現のセンス溢れる素晴らしい演奏で合唱とオケのバランスもモノラル録音としては理想的。美麗で典雅。ブレの無い克明な演奏からはアンゲルブレシュトあたりに通じるフランス派の曖昧さを排したオケコントロールぶりも伺える。SPゆえ速めのテンポをとっている可能性があるがそう感じさせないのは音色の繊細な妙だろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○ブリュック指揮ORTF(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)放送・LP,,プロコフィエフの初演で知られるシャルル・ブルックだか、フランス近現代ものの指揮には聴くべきものがある。この曲もリリカルで甘やかな雰囲気を漂わせるものとなっていて、怜悧で精密な解釈表現とは一線をかくしている。シレーヌなど幻想的というよりなまめかしい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○フレスティエ指揮セント・ソリ管弦楽団他(Ardmore:CD-R/disque francais)1955,,「海」とのカップリングでLPで出ていたものの板起こし。オケは臨時編成の録音オケらしい。これが巧い。きらきらするようなフレスティエの色彩的な処理を精密に音にしている。解釈自体は「海」よりも起伏があるように感じたが、「祭」はやはり少し客観的に落ち着き過ぎか。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○ベイヌム指揮ACO・合唱団(PHILIPS)CD,,ドビュッシーやラヴェルを得意にしただけあって色彩的で美しい音楽を描く。ほの暗い響きを明瞭に整理しすべらかに聴かせる。オケのせいであろうやや重さが感じられるものの手堅いというほど退行的でもなく、聴き易い。各楽章の性格分けも明瞭で(「雲」はもう少し繊細なほうが好きだが)初心者向けとも言える。ステレオ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○マルティノン指揮ORTF(EMI)CD,,構成感が抜群で、第三曲シレーヌなど盛り上がりどころ勘所を良くおさえた演奏となっていて出色。響きの感覚も素晴らしく、合唱とオケのバランスがとてもよい。やや無個性な音ではあるが、現代的な鋭敏な感覚で仕上げられた演奏。個人的には第二曲祭りの序盤のテンポがもっと前に向かってほしかったがリズムを重視するならばこう整えるしかないのだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○ミュンシュ指揮ハンガリー国立交響楽団(Aulide:CD-R)1967/5/29live,,両端楽章の雰囲気は満点で美しい。しかしこうなると録音が悪いのが気になる。祭はやや前のめりでつんのめったような感がある。オケの冷え冷えとした美しさが活きる場面と活きない場面が明確に分かれる、なかなか面白いが、やはり録音が気になる・・・○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団他(M&A/DA)1962/2/2live放送,,こもっているが解像度のあるステレオ。僅かに針音のような音が入る(三楽章)。二楽章途中でデジタルノイズが入るのは惜しい(盤劣化かもしれない)。よく歌い響かせ、リアリスティックな(録音のよさゆえかもしれない)一楽章は純管弦楽的な魅力がある。はっきりしている。二楽章は落ち着いているがリズムは明確で変に即興的なふうに流れず力強くテンポを維持している。こちらもはっきりした演奏だ。構成がしっかりしていて、シレーヌへの繋がりも上手い。響きの変化がよくとらえられ、内声の細かな装飾音まで聴こえてきて、ドビュッシーはここまで聴こえないと本来の独創性は満喫できないとも思う。時期的なものもあるだろうがミュンシュは力づく、というイメージは当てはまらない。ファンタジーよりやはりリアル、波濤まで描き出した「海」のような演奏と言えると思う。ここまでやっての管弦楽のための夜想曲だよな、と思った。合唱が管弦楽の部品としてハマっていてよい。そのぶん管弦楽は抑え気味で抑揚を弁えている半面、ちょっと手を抜いたか、という粗さも少し聴こえる。シレーヌはリアルにやってしまうアンゲルブレシュトのような人もいるが、ミュンシュは幻想味が最後の輝かしい和音まで続く。拍手は普通。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜U.イベリア,○ミュンシュ指揮フランス国立管弦楽団(ORTF)(LIVING STAGE/DISQUE MONTAGNE)1962/6/5LIVE・CD,,ディスク・モンターニュで再三再版されたもののこれはリマスター新盤(LIVING STAGE)。非常に精密にリマスタリングされており音は極めていい。ただライヴ録音ならではのよさはどうなんだろう。第一部の(ミュンシュのリズムはいいのだが)ソロ楽器の刻むテンポのたどたどしさが、リマスターの過程で因数分解され洗い直され再構成された結果更に明確明瞭になってしまい、古い時代の恣意的解釈がクリアな音だとこう聞こえてしまうのか、と逆に感心する。第三部最後もそうなのだがソリストのノリがイマイチで弦なんかの強靭な合奏とバラバラ感が否めない。ライヴ特有の音感が環境雑音以外全く失われており、痩せはしないがミュンシュといえども集中力はこんなものかと思わせる点褒められない。しかし第二部のむせ返るような雰囲気はアク抜きされとても受け取り易くなっている。まるでジョン・ウィリアムスの最盛期の映画音楽のように聞こえる何とも言えない感傷性だ。バーターで○にしたゆえんである。とにかくこんな揺れ方をしたら現代のオケでは背中を向けてついていかないだろう。ミュンシュの正体はこんなものかもしれない。いつも困るのがオケ表記だが、時期的なことを忘れたので、EU盤の英語表記を素直に訳して国立オケとしておく。フランス盤でORCHESTRE NATIONALとなっているとORTF(国営放送管)である。昔のオケはフランスに限らずぐちゃぐちゃしてるので一つに断じえない場合がある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜U.イベリア,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1961/9/29live,,放送実況レベルのほぼ良好なステレオ。音を短く切り詰めてリズムを明確にする第一部は印象的。リアルな肌触りの演奏はその後も続き、ドビュッシーの仕掛けたトリッキーな音色の妙もしっかり聴こえる。第二部の官能的な夜の響きも精緻で、かなり録音撚れがあるのは残念だが良い。陶酔するような緩やかな起伏が心地よい。第三部もトランペットなど音を短く切り詰めて引き締まった演奏を志向するが、録音がやや悪くなるのと、客観的に整えた感があり、音量的な迫力や盛り上がりの作り方が足りず不満が残った。客席反応は普通。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団他(Ades他)CD,,鄙びた音の時々するオケはまあ、いいとして、ロザンタールの常、テンポの落ち着き具合が気になる。第二曲祭りはリズム感はたしかにいいのだが、テンポが前に向かってゆかず、客観的に整えた感じすらある。にもかかわらず、神秘よりはちょっと世俗的な感じがする演奏。オケが弱いせいもある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,アンゲルブレシュト指揮ORTF&合唱団(SLS)1962/1/23シャンゼリゼ劇場live,,データが正しければ初出だが、この指揮者にかんしていえば演奏毎に違うことをすることはないから判別は難しい。若干の粗さがあったりあとは録音状態の違いだろう。これはあまり音がよくない。60年代だがモノラルで10年さかのぼったような音がする。思いっきり引いた客観的な演奏なのでそういう音だとほんとに地味である。予想を下回る温度で来るので膝から落ちるか、記憶に残らないか、とにかくこの人の夜想曲はほかにもけっこうあるので、選ばれし乙女、フォレレク(いずれも既出)との組み合わせで買うかどうか決めたほうがよい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,アンゲルブレシュト指揮ORTF他(ORTF,ina他)1958/3/20live・CD,,ORTF設立80周年記念ボックスに収録。ina配信にはないが既出盤。録音状態は悪い。モノラルで雑味が多く分離も良くない。ヴァイオリンが薄くて鄙びた音をさせ、二楽章では一部バラけて聴こえる(録音のせいでそう聴こえる場合もあるので本当のところはわからないが、ノリノリでないことは確か)。祭りはそれでなくとも作為的な構築性が裏目に出て、瓦解するんじゃないかという軋みが気になる。アンゲルブレシュトはシレーヌの入りをちゃんと切る。二楽章最後で管楽器の暗示する音形がそのまま終わってしまい、三楽章冒頭女声合唱がとうとつに現れるように聴こえる。繋がりが無く、実存感が強すぎる。この録音では特に発音が下品、というかリアル過ぎる。ここでもさきほど感じた軋みを覚えざるを得ないが、うねるような音程の上下動が始まると、かなりねっとりしたフレージングが目立ってくる。このあたりの雰囲気はアンゲルブレシュトがもっと古い時代に持っていたであろうスタイルの残滓かもしれない。情緒的な音楽となり、引き込まれ、さすがの終演を迎える。拍手無し。とにかく音が悪いので、アンゲルブレシュトの夜想曲といって、わざわざこれを選ぶ理由は無い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○アンゲルブレシュト指揮ORTF、サスマン(DM)1963/12/17・CD,,ディスク・モンテーニュの豪華盤から今や廉価でぜんぶ手に入るようになっているアンゲルブレシュトのステレオライヴ選集の一曲。これは今聴くと割合と地味で、透明で怜悧な解釈ぶりと適度な感興のバランスで聞かせているようにも感じる。解釈は時代的には独特だったことだろう(このころはもう分析的指揮もたくさん出てきたわけだが)、まるで解剖実習のような楽曲分解・再構築の成果として聞こえる。ミュンシュのドライヴ感とはまったく対極である。しかし清清しいリリシズムにはしっかりしたポリシーが宿り、ただ綺麗なだけのデュトワにもなっていない(クリュイタンスと言わないとこがミソ)。アンセルメの薄味とも違うのは、ライヴであることと無関係ではあるまい。その解釈ぶりが余りに「ミュージシャンズ・ミュージシャン」的であるがゆえに、また録音に奥手だったことも加えて恐らく今後もイマイチ評価の上がらない人かもしれないが、小曲ばかり残してしまったことも大きな理由である。ペレアス(いちおう別録とされているINEDIT盤ライヴもある)のような大曲で緻密繊細かつ大局的な解釈ぶりの巧緻が生きてくる人だと思う。特徴を短い曲で説明すると、手を伸ばしかねる人が出てくることを逆に私は恐れる。いずれこれは、私自身朝に他のことをしながら聴くには最適といいながら、しっかり耳を揃えて聴かせていただく、躍らせていただくというにはちょっと・・・他を選ぶかも、というくらいの位置づけにある。○。ほんとは夜想曲じゃなくて「イベリア」を含む大曲「映像」ステレオライヴがあれば聴きたかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○アンゲルブレシュト指揮ドビュッシー祝祭大管弦楽団他(ANDANTE)1932-34・CD,,復刻が進み過ぎてすっかり有り難みが無くなってしまった指揮者だがかつてはドビュッシーお墨付きの指揮者としてマニア間では珍重されていたものである。フランスでは同時代音楽のスペシャリストとして今もってビッグネームを保っており、確か作曲も手掛けラヴェルらと共に活動していた時期もあったと記憶している。重要な書籍もいくつか出している。,,古い音のせいで余計な想像力が働いているせいかもしれないが、意外と情緒的な感じがする。冷たく突き放したような演奏に聞こえる録音も多い中、ライヴ的な雰囲気作りがみられ、なんともいえない香気を放っている。覇気も感じられるが、貧弱な録音ゆえ力感はイマイチ。楽章ごとに録音時期が違うので統一感もあまりない。総じては真ん中くらい、鋭いアンゲルらしさはせめてもうちょっと雑音が減らないと感じとれない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜U.祭,アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina配信)1934/3/13,,「ORTFの60年〜T.1934-44」(歯抜け期間を含み3日連続放送、バラで配信)1994/2/7の初回から。このオケの創設者としてまず取り上げられる。最初に抜粋、そのあと改めてしっかり流れるが、やけに音が良く、表現に振幅がありロザンタールのようなジャーンという派手さも気になり、律せられた明晰さはアンゲルブレシュトらしさと言えなくもないが、完成度がまだまだというか、少し違う感(最初の僅かな抜粋だけを改めて聴くとアンゲルブレシュトらしかったが)。,
修正済み(5月→3月)
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ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜V.シレーヌ,◯アンゲルブレシュト指揮フランス国立管弦楽団(ORTF)他(french bro)LP,,重厚というか耽溺というか、前進力が無いもののそれぞれの楽器の、あるいは合唱の音を注意深くあるべき姿で表現させ、それにより合奏として力強く訴えかけるアンゲルブレシュトの力量がわかる演奏。既出音源かどうか不明。放送録音。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団他(lys他)CD,,カラッと乾いて即物的な芸風に曲があっていて、SP期のものとしてはデッドな音質にもかわらず硬質の幻想を立体的に描き出し、ピエルネよりモダンな組み立ての合理性がプラスに働いている。特徴的なのは緩急の緩の部分の美観で、憂いすら帯びた表情はオケのメリットかもしれないが、リズムとスピードだけではない、コッポラ(と録音にたずさわるすべての技術者)が録音芸術として、ラヴェルのような明晰さで同時代の香りを伝えてくれているのは驚きだ。コッポラの芸風から「祭」のみ聞き所と考えるのは早計で、「シレーヌ」のダイナミズムを感じてほしい。無歌詞女声合唱がオケの牽引役として機能し、弦などオールドスタイルの音色を引っ張りながらも、そうであるがゆえに、何か異界の風を感じさせる流石の出来となっている。トスカニーニの肉汁滴る音楽の時代に、フランスではこうやるんだという心意気を聞かされる思いだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団他(ANDANTE)1937/11/7,1937/12/12,1939/4/9録音年月バラバラで、とくに祭りとシレーヌの間に完全な断裂があるのが今一つ興をそぐ。別の演奏、と予め意識して聴くべきだろう。演奏はかなり色彩的でいかにもストコフスキの世界だ。弦楽器が美しい。フィラ管の巧さとストコの立体的な解釈がこの曲に不似合いなほどの押しの強さを与えている。録音が悪いのはこの曲には致命的で、どうしてもそこが気になったので○はつけないが、悪い演奏ではない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CDーR)1968/11/17LIVE,,ストコのフランスものはのるかそるかである。これはのりまくっている。祭りなどまるで軍隊の地獄祭りだ。リズムが物凄い。異常な迫力、毒毒しい色彩、さすがに3楽章はリアルすぎて幻想味は薄いが、全般にロックな演奏として強烈な吸引力をもつ。ほんとストコはのるかそるか、これはおもしろかった。録音ややマイナスで○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜U.祭,ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(columbia)1927/10/11,,速い速い!SPらしいスピードだがこれでしっかりとちらず駆け抜けられるのはストコのフィラデルフィア管弦楽団ならでは。ソリストもびしっとつける。フランスオケならこうはいかないだろう。祭はドビュッシーでも一番盛り上がりやすい曲なだけに、これは盛り上がるから、さぞ売れたことだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(DG)1980/11/15LIVE*映像もあり(PIONEER)遅いテンポが何より特徴的。指揮者曰く、音の多い音楽を演奏するときは、全ての音がホールに響き渡りあまねく聴衆に届くように、遅く演奏するのだ、ということだそうである(ちょっと意訳しました!)。チェリはフランス音楽に独自の哲学を持っていた。それはフランス指揮者の考えるフランス音楽のイメージとはまた異なる、もっと禁欲的で、ある意味「印象派」という言葉にもっとも忠実な、精緻にコントロールされた音色の微妙な揺らぎによる「雰囲気音楽」を描く。当然透明であり、繊細であり、そして限りなく美しい。別な見方からすると超客観主義であり、演奏会の前に既に音楽が出来あがっているような演奏とも言えようが、そういうネガティブな捉えかたは野暮かもしれない。この演奏は第一印象は「何じゃこりゃ、ぬべーっとしていて良くわかんない」かもしれないが、聞き込むにつれこの独特の世界観のようなものに捉えられるようになるだろう。「祭り」のテンポは何度も聴かないと慣れないと思う。・・・と、ここまで書いて、無印にしてしまう私を許して下さい。だって、慣れないんだもの。。録音、バランスは完璧。スタジオ録音のように精密で完成度が高い。けど無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,バルビローリ パリO 1968
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,ブーレーズ指揮VPO(DIRIGENT:CD-R)2009/6/12live,,音が悪い。低くくぐもり過ぎだ。これだけ美しく明確に形づくられ、かつこなれた解釈を印象派のもやもやした時代に引き戻すような音質はいただけない。VPOだからといってここはもうどこでも一緒である。まあ、アメリカオケでないだけ聴けるのかもしれないが。ブーレーズの聴き易くなった晩年様式を、聞きにくくしている。海賊だからね。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,プレートル指揮フィレンツェ五月祭管弦楽団&合唱団(MAGGIO)2004/3/6コムナーレ劇場フィレンツェlive・CD,,1楽章はひそやかに、時に止揚しつつ進む音楽。近年にはめずらしいタイプのロマンティックな解釈だが徹底してピアニッシモの世界なので奇妙さは感じない。祭りも独特の創意は解釈に表れているが「まつり」というには重いというか、ゆっくりというか、テンポも変化はするけれど早い遅いだけでなく細かく速度を計算的に動かしていてひとことでは言いづらい。静まってゆき3楽章へといざなう。このころのプレートルは静寂のほうが向いていたのではないかと思わせる、ホルストのような神秘だ。世俗的なオケソリストのフレーズも合唱で神秘にまとめられる。癖のない非常に繊細なシレーヌで、おおきなディミヌエンドで消えていくまで聞き入ることができる。これはよかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,プレートル指揮ORTF(ina)1960/11/22live,,千両役者のような指揮っぷりにブラヴォの飛ぶプレートルの抜粋ライヴ放送記録。雲こそ茫洋とした立体感ある音楽を演出するものの、デルヴォーを彷彿とさせる舞台音楽っぽい演出というか発音が弾ける祭は俗っぽく猥雑感があるも、ライヴでのプレートルはこの時期ですでにそうだったんだ、という感激を与える。三カ国語のナレーションが入るが解説はフランス語のみで、薄い放送ノイズが入り続けるのは少々聴きづらい。コンサートの前プロで、次はフローラン・シュミットのイン・メモリアム。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,モントゥ指揮ボストン交響楽団&合唱団(whra他)1958/7/25live・CD,,円熟した解釈、熟達した演奏ぶりで、ごく一部緩く感じるのも色彩性や前進性を優先したモントゥーの自覚的なものだろう。録音がもう少し良ければ現代にも通用する演奏で、このオケにフランス音楽の伝統を根付かせたと言われるモントゥー(クーセヴィツキー前の早い時期に常任であった)が、それを確認するような大人の演奏となっている。聴衆反応は普通だが、並ならぬ演奏である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R他)1958/7/25live,同上,うわ、即物的。何も残らない性急な演奏。ほんと、気も煽られなければ夢幻的な気分も醸さない。ただ、音。速度と圧力、解釈の単純さから最初ミュンシュかと思ったが、ミュンシュはワンパターンとはいえ毎回何かしらのインパクトはある指揮者で、これは・・・。モントゥのドビュッシーはやはりどうも私にはあわない。録音最悪。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜U.祭,モントゥ指揮LSO(sls)1963/4/15大阪フェスティバルホールlive,,ベト8、ブラ2のアンコールとして演奏されたものでブラヴォが飛ぶ。モントゥー得意の愉悦的な曲だからリズムよく進む。音色が懐かしいがロンドン交響楽団と知って驚いた。機能性はボストン並である。ちょっと下品な歌いまわしも含めて個性的であり、イギリスオケのイメージから少々外れる。録音はやや遠くモノラル。よくはない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲,ロスバウト指揮ケルン放送交響楽団他(ica)1952-55・CD,,リアルで抽象的、即物的な演奏で、和声など音楽の微細な変化まではっきりさせた、肌触りのしっかりしたドビュッシーだが、ケルンのオケにしては十二分に良くできているものの、程よく突っ走るというか、ロスバウトの熟達した指揮のもと、拡大解釈的に走る感もあり、2楽章ではテンポがつんのめる寸前までいくなど普段のロスバウトでは考えられない「制御できない」状態が発生しており特徴的だ。しかしおおむね厳しく鍛えられているとは思う。「牧神」でも聴かれたロスバウトの職人的な巧さはドイツのローカリズムを超えて汎世界的に通用する一流のもの。必要な場面では南欧情緒も醸される、重厚単彩と思いきや独自の色彩感があってドビュッシーを演るのに不足はない。CDとしてはモノラル音源に無理して残響を加えた結果、かえって音場が狭く、真ん中に押し込められてしまったところに左右エコーがただ増幅されてくるだけ、という聴きづらい状態になってしまっており、残念。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T.雲,○モリナーリ指揮聖チェチリア音楽院管弦楽団(SCO)1942・CD,,独特のバランスでアクセントをきかせがしっ、がしっと組み上げていくさまが面白い。牧神にくらべエキサイティング。牧神も翻って聴けばアクセントがしっかりして清々しかった。録音悪い。モリナーリはローマの松初演で有名だがパリで海を振った際ドビュッシーに大絶賛されたという。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,○カイルベルト指揮バンベルク交響楽団(hosanna:CD-R他)1958live,,これが存外よくて、別にドビュッシーとしていいわけではなく、いかにもカイルベルトの構築的な姿がいいのだ。勘違い演奏と言って過言ではないのだけれども、ここにいろんなドイツ的な古い音楽の香りを嗅ぐことができたならきっと、ドビュッシーはその影響を受けているに違いない、そう感じさせるほどに板についている。旋律線がしっかり描かれ、中音域以下の響きがしっかり保たせられている、ドビュッシーでもこの曲ならそれは十分許容できる。何よりこれはけしてぶよぶよしていない。骨太であるが肉太ではない。レミントン盤のドビュッシー録音によくあったような、あの感じ・・・ライヴでもきちんとしている、N響と縁深かったのもさもありなんという部分もあり、いや、中欧のドビュッシーというのはこうでなくては。◎にしたい○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,○カンテルリ指揮NYP(ASdisc)1955/5/8LIVE・CD,,録音うぶで良好。リアルな肌ざわりのドビュッシーがたのしめる。メロディやリズムが強くハーモニーの綾で聴かせる音楽ではないがそのぶん聴きやすい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,○デルヴォー指揮NHK交響楽団(KING、NHK)1978/11/17LIVE・CD,雲はやや生硬だが祭はデルヴォらしい愉悦が重いオケを揺り動かし盛り上げる。ドビュッシーにはあわないオケのように思うがかように美しい響きを引き出したのはデルヴォの腕だろう。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,デルヴォー指揮ORTF(ina配信)1970/6/14放送 live,,70年代にしては音が悪い。こもっていて音場も狭いように感じる。合唱付きのシレーヌを除く二曲だけの演奏で拍手が入るが、全般やや表出力が弱い。無難な(イメージ通りの)ドビュッシーを聴かせている。とにかくこのての近代曲は大音量で聞かないと駄目なので再度大音量で聞いたら弱音の演奏というわけではなかったが、ひ弱さこそ無いものの、雲では幻想味は曲本来の持つものを引き出すのみ、祭りでは浮き立つような感じもそこそこといったところで、精緻さも乱暴さもなく、昔の裏青盤DAや、放送ライヴwhraボックスで言えば「繋ぎ」でついでに詰め込まれているレベルの中プロ曲が、一楽章一楽章個別に販売されているという理不尽さを噛み締めて、でも普通に聴ける演奏だよな、と自分を納得させるのであった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,フレイタス・ブランコ指揮ポーランド国立SO
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,フレイタス・ブランコ指揮トゥールーズ・コンサート協会管弦楽団(forgotten records)1952/3/6live放送,,ブランコらしく「祭」はリズムがグズグズだが音のボリュームと音色の変化がはっきりしていて非常にわかりやすく、雲ともどもこの指揮者が「ライヴ向きの指揮者」であり、ライヴでこそその「名人芸」を発揮できたんだと思う。リズムのグズグズ感は何もこの曲に限ったことではなく、セッション録音のボレロの異常な遅さ(いくらラヴェルが指定したとはいえ踊りの音楽だ)にも「メロディと音響を聴かせることに全力を尽くす」姿勢が清々しく聞いてとれる。まあ、アンサンブルの乱れやアマチュアぽい「ヤル気」は、つんのめるようなテンポ感と共にオケのせいだとも思えるが、ブランコは著名オケにこだわった人ではないし、これは個性として消化しておくべきだろう。変な打音で終わると盛大な拍手。録音は悪い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜U.祭,クレンペラー指揮BBC交響楽団(ica)1955/12/11・CD,,これもセッション録音か。録音は悪いが目の覚めるようなドビュッシーらしいドビュッシーでびっくりする。音響バランスもよく解釈も愉悦的な弛緩のないリズム取りに速いスピードで、戦前のベルリンでクレンペラーが当時の現代音楽に積極的に取り組んでいたことを思い出させる。杓子定規の解釈をする人ではないのである。アンゲルブレシュトを彷彿とさせる、と言ったらいい過ぎか。オケの有能さもあるのだろう。演奏精度だけは少し落ちるかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1949/11/19LIVE,,さすが新即物主義、さっさと過ぎてしまうのであっけなく感じられるが響きはしっかりイマジネイティブかつ明確で耳にとらえやすく馴染みやすい。音質は最悪とは言わないが悪い。既出盤と同じ可能性大。許せるぎりぎりの雑音、○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,トスカニーニ指揮NBC交響楽団(ARKADIA/MUSIC&ARTS)1952/3/15LIVE・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1940/4/13live,,このオールドビュッシープログラムのライヴ記録としては初出か。雑音が辛いが音像はクリアではある。ニュアンスが完全にドビュッシーを自家薬籠中のものとしているさまが雲の最初から聞き取れる。このビミョウさはいい録音で聴きたかった。ヴァイオリンなど噎せ返るような音である。正直他の録音とどこが違うのか指摘しづらい録音ではあるが(NBCだし)一夜のライヴを締める演奏として通して聴けば楽しめるか。スコットランド行進曲、舞曲、選ばれし乙女、そしてこの二曲である。パーカスにのって慎重なフルートの独り言が終わるといきなり拍手がはいってしまうが、祭りはまあ、録音にパワーがないとこうなるか、といったところもありちょっと残念。スピード感のよさだけが際立った。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,トスカニーニ NBC SO
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜U.祭,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(RICHTHOFEN:CD-R)1948/3/27NBClive,,録音悪。速い。とにかく鬼速すぎる。これでも非常に機能的なオケの、限界までテンポを上げ爽快に曲の表層を愉しませまくる。いいのだが、どんどん棒がつんのめりを促すような前に向かいすぎの様相をていしてきて、ソロ楽器など解れが発し始める場面がみられ、さすがのトスカニーニも年のせいか抑えきれないものが出てしまった、という感じがする。とにかく一言、速い。単独演奏のもののようで拍手で終わる。これはアナウンス込みの放送エアチェック音源だがソースは協会?DA?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜U.祭,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1948/3/27live,同上,リズム系の楽章になると俄然強い指揮者だ。付点音符付の伴奏が溌剌として、引っかけるような表現は胸がすく。余りにスピードが速くつんのめっていく様子はたまにトスカニーニの演奏で聞かれるものだが、珍しい乱れといえば珍しい(ここでは走ってるとまでは言わないけど)。ブラス陣がやや窮屈か。楽章単独演奏。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCORA)1958/5/30モスクワlive・CD,,これはちょっとリアルに過ぎる。音が完全に「楽器の音」として分離して聞き取れてしまい、録音媒体にしては音色の混合具合を見ると言う「幻想的な楽しみ方」ができないぶん評価は余りできないかもしれない。即物的でまるでトスカニーニだ。しかしトスカニーニのレベルの精度、力強さは十分に獲得しているという意味も含めている。だから無印にはしない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1944/3/11liveCDドビュッシーはラヴェルに比べるとこの指揮者には向いていないかもしれない。明瞭でくっきりとした隈取りの音楽を指向するクーセヴィツキーの芸風だと、ドビュッシーのオーケストレーションは中声部以下にスースー風が通るような薄く空虚な響きが目立ち、妙なバランスに聞こえる。「祭り」はこの人向きの音楽だが、ドビュッシー的なしなやかなひびきがイマイチ出来ていないので、聴く者は「旋律追い」になってしまい、結果余り充実した聴感を得られない。スピードとリズムとまとまりには大いに評価をあげたいところだが。途中「ピー」という放送雑音が入るのが気になった。なんだかんだ言っても悪くはないので○をつけときます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,○デ・サーバタ指揮L'RCHESTRA STABILE DELL'ACCADEMIA DI S.CECILIA,ROME(EMI)録音年不明・CDそんなにすごいパワーは感じないが、繊細な感覚にあふれた魅力的な演奏。響きの美しさはこのモノラル録音からもじゅうぶんに伝わってくる。「祭り」の気分を浮き立たせるようなテンポ廻しの巧さは特筆もの。速めのテンポで音楽の流麗な流れを作っている。そのスタイリッシュな指揮ぶりはラテンの血のなせるわざか。「雲」も良い。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,○デゾルミエール指揮チェコ・フィル(SUPRAPHON)「雲」の繊細な音響操作は美しい。デゾの音楽はぼやけたところがなく細部まで明瞭だ。そのぶん明るくなって曲の質感に影響しているところもあるが好みだろう。「祭り」は面白い。客観的なテンポは若干気になるが、慣れれば心地いい。音響的には派手だ。最後の一打までしっかり聞こえるところにこの指揮者の几帳面さが出ている。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(MELODIYA他)1952・CDムラヴィンスキー100歳記念盤(2003年)の2枚目。「ロシアでは」初リリースとあるが、書かれているデータが正しければ、国外でも初リリースとなるものも含まれているようだ。この演奏は録音がいまいち(モノ)だが、ドビュッシーの繊細なひびきをよく表現している。言われなければロシア楽団の演奏とは思わないかもしれない。それほどに研ぎ澄まされている。ムラヴィンスキーの意外なレパートリーとしてベートーヴェンと双璧をなすドビュッシー、レニングラード・フィルもその機能性を発揮し、抑制のきいた緊張感のある演奏を繰り広げている。「祭り」は一転面白い。やはりここはロシアオケにやらせるとこうなってしまうのか、さながら軍隊行進曲のようだ。元来祝祭的などんちゃん騒ぎが、ここではしかめっつらの軍人たちが轟音をたてて果てしなく歩き続けるような曲になっている。煌くような色彩感が足りない。だがまあ、全体的には非常に高水準の演奏だと思う。○ひとつ。「雲」はチェコのMULTISONICよりリムスキーやスクリアビン、ラヴェルと一緒に単発で出ていた。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団(VOGUE)1928/3/6これは綺麗。悪い録音でも雰囲気は伝わってくる。どうせなら全曲録音してほしかったが贅沢な物言いか。爆発的な推進力というのは(たとえ実演では伴っていたとしても)録音からは伝わらないが、節度の有る指揮ぶりは好感が持てる。印象派音楽というものが同時代でどう解釈されていたかをつたえる貴重な証拠として価値はあるだろう。無論アンゲルブレシュトやアンセルメなどのクリアな録音と比べると貧弱極まりないものではあるが。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(FONIT CETRA)1951/4/1ローマLIVEあまりに録音が悪いため評を放棄したくなるが仕方ない。演奏としても重く構築的で、なめらかで繊細な曲の味わいを台無しにしている。これはよほどのマニアでもないかぎり不要の盤である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜T、U,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(RUSSIAN DISC)1960/2/26LIVE・CDうーん。ふつうかな。録音もよくないし、大方予想通りの演奏に仕上がっている。音作りがちょっとリアルすぎるようにも感じた。「祭り」はあいかわらずうまいけど、今一つウリが無いか。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲(ラヴェル二台ピアノ編曲),クームズ&スコット(P)(warner)CD,,一楽章は前奏曲集第一集にでも出てきそうな気だるい小品として聴ける。あるいは「金魚」のような雰囲気、ジャポニズム的な音階が剥き出しになっていて、ドビュッシーに欲しいものを楽しむことができる。編曲の腕も何もないような曲だが、やはりラヴェルはうまく響かせるように編んでいるかな、と思って「祭」に入るとこれがまた、「いかんともしがたかった」感。このプレイヤーのコンビネーションの問題もあるかもしれないが、単純なお祭りを表現するのには音が無造作に重なりすぎ衝突して耳障りが悪い。ラヴェルらしいところでもあるのか。これはいただけなかった。ピアノニ台だけなので音が冷たく硬く感じるのも、もしくはプレイヤーが醒めすぎているのかもしれない。不可思議なシレーヌは三曲中もっとも凝っていることをわからしめる見通しの良さと、ピアノ曲としても十分通用する聴き応えがあり、合唱まで伴う大曲を凝縮するとここまで創意がこめられていたのかというものだ。ドビュッシーとラヴェルの接点を見る思いでもある。共に違う実験性を志向したが、根っこはドビュッシーが作り、ラヴェルはよりメカニカルに現代化していった(そこにサティの示唆も含まれる)。それがさらなる新しい作家に継がれてゆく。この曖昧模糊とした曲の孕む多様性が、ドビュッシーふうに浮遊する和声とスクリアビンのようなトレモロやアルペジオ、そこに無調を目指すような不可思議なメロディの揺らぎ、ちょっとびっくりするほど前衛性が抉り出されていて、これは原曲とは別物として楽しめる。演奏は残響が多すぎるのもあって見事とは言えないが、珍しい録音としての価値は大きいだろう。この曲を見直す良いサンプルであり、ドビュッシー最盛期の才気のさまをまざまざと見せつけるものであり、ラヴェルの職人的な域をこえた素晴らしい仕事に、ラヴェルマニアも聴くべき作品である。終わり方が残響なしのトツトツとした音なのはサティを思わせニヤッとする。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:夜想曲L.39,ブレンドストルップ(Vc)サロ(P)(warner)CD,,初期的だが洒落た小品でドビュッシーの気配をしっかり感じられる作品。チェロのメロディが意外とドビュッシー節にはまる。サロンで流そう。演奏も四角四面にならずしっかりしている。技巧的ではないが特徴的。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:ピアノのための夜想曲,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:管弦楽組曲第1番(ピアノ連弾版),アルマンゴー&ショーズ(P)(warner)CD,,別記した管弦楽版にくらべ早くから知られたもの。より4曲からなる楽曲の特性が明確になり、おそらくこちらのほうが人好きすると思われる。4楽章は完全に古臭いフィナーレだが、ほかの楽章、とくに前半楽章はいかに創意をこめようかという意気が感じられ、はっとするような移調や不協和音が不思議と自然に明るい透明感の中に調和する、長さを感じさせない楽しさに満ちている。小組曲に至る過程の過渡期的作品に対し、奏者は明確にドビュッシーをやる意思で取り組んでいる。ちらっと現れる「牧神」のようなつかみどころのない響きを「そのように」演奏し、また4手でありながらそれを感じさせないアンサンブルのよさも光っている。これ、といった押しはないので素晴らしいという感想こそ出ないものの、無難に聴けるというか、変な印象を植え付けられずに済む録音で、むしろ管弦楽版よりこれを聞くべきだろう。フランクやサン・サンなどを想起する雰囲気を持ちつつロシアの奇矯で大仰な音楽の要素も取り込んだ意欲作である。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:管弦楽組曲第1番(マヌリ一部補筆),ロト指揮レ・シエクル(ASM/warner)2012/2/2パリ(世界初録音版)・CD,,三曲目「夢」以外は完全な草稿が見つかり(ピアノ連弾版は既に知られる)、びっくりの「ピリオド演奏」による初稿版海とともに発売されたばかりの音源が、早速Warnerに融通されて全集の一部として発売されている(海は未収録)。成人したばかりの学生時代の作品とはいえ同時期にすでに「春」「小組曲」が発表されており、期待は高まる。しかし30分の印象は後ろ向き。ワグナーというよりロシア国民楽派だ。ワグナーの和声や管弦楽の影響があるとすればリムスキーを通じてくらいのものではないか。ロマンティックで、穏やかで書法も自然で、「春」が好きなら勧められるが、ドビュッシーを求めるならかなり聴き込まないとダメである。まさかグラズノフの交響詩みたいなものが出てくるとは思わなかった。まあ、ロシアの革新あってドビュッシーの革新があった証拠ではあるか。補筆された三楽章はひときわ凡庸感が強いので、それを気にする必要はない。四曲目は仰々しくも清々しい響きの盛り上がりをしっかり作っている。各曲の題名は素晴らしくドビュッシーだ。以下,,祭,バレエ,夢,行列とバッカナール,,演奏は透明感があり神経質なほど響きとアンサンブルのまとまりを重視している。フランス往年のオケの持っていた雑味のなさがこのような曲だとすこし逆に、飽きをきたさせるところもある。スコア外の色の変化をも求めたくなる。木管や弦楽はいいがブラスが単調な曲なので派手に鳴らされる箇所はウンザリするが、これこそロシア節からの影響なのだろう。,-----,,,-----,,,-----
ドビュッシー:間奏曲,ミュラー=ショット(Vc)クーレック(P)(warner)CD,,作品番号なし、夜想曲よりも減退しディーリアス的な半音階が特徴的な初期作品。スペイン風の音線は明確にドビュッシー作品であることを示しており、ただまだ醸成されていない。演奏はいたずらにフォルムを崩しては個性を主張するようなことはせず、作品に寄り添っている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:喜びの島,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:喜びの島,フランソワ (P)
ドビュッシー:喜びの島(管弦楽編曲),コッポラ指揮交響楽団(lys他)CD,,ビニェスの初演もかくありなんというスピードと水際立った音の弾け方、南欧的な明るさが素晴らしい。SPでこれを実現したのはコッポラや楽団もさることながら録音・プレス側の腕も優れていたということにほかならない。冒頭からしばらくはつんのめるようなテンポ感がありSP期特有の揺らぎが気持ち悪いが、後半は気にならなくなる。いや、この高速インテンポはコッポラの短所にもなりうるのだが、この曲はこれでいいのだろう。旋法的な動きを際立たせて雰囲気音楽に持っていくには明確すぎる輪郭を持っており、やや浅くも感じさせるだけに、勢いが大切だ。この編曲もいっそ南欧風のカラッとした感じがしてファリャを少し思わせ、モリナーリの編曲としたらドビュッシーの指示も確実に入っているのだから、正しいのだろう(コッポラの編曲かもしれない)。サティと違ったストレートなシテール島への船出、楽しい航海、である。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:劇付随音楽「リア王」ファンファーレとリア王の眠り,マルティノン指揮ORTF(EMI)CD,,ファンファーレは清々しく美麗な、前期の香りを残した音楽で、ヴォーン・ウィリアムズ最盛期の作品と非常によく似た印象を与える。リア王の眠りは転じてドビュッシーらしさの前面に現れた和声が印象的で、多少ワグナー的なところのある官能的な音楽。マルティノンは明晰な録音に釣り合った明晰な演奏をこうじており、前者ではファンファーレを殊更に意識したぶっ放し方はさせず曇りの無い無垢なひびきを印象付け、後者では管弦楽のための夜想曲(雲)を想起させるような繊細な配慮を施している。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,ブルガリア弦楽四重奏団(harmonia mundi),,古今東西の弦楽四重奏曲の歴史を一気に二巻のLPにまとめた後編の冒頭に収録されているもの。クロード・ロスタンによるブックレットなどクレジットより曲紹介に終始しており、基本的に「紹介」なので余計な解釈を入れずかなり生硬にやっているのかもしれない。つまりはつまらない。見せ所がない。譜面に忠実な演奏といえばそうかもしれないが、この曲に余り譜面の読みどうこうというのはいらない気もする。あくまで「紹介」としてしか聴けない演奏。うーむ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:弦楽四重奏曲(1893),◎カルヴェ四重奏団(LYS/PATHE)なんといってもファーストヴァイオリン、ジョン・カルヴェの見事な解釈である。平坦に透明に音響を響かせるたぐいの詰まらない演奏ではない。寧ろロマンティックでさえあるが美しい音色とアンサンブルは決して脂肪太りしたものではない。隠れた名盤としてLP時代より定評のあった演奏。いろいろ書きたいことはあるが、古さを押しても聞く価値のある深情溢れる理想的演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,カルヴェ四重奏団(melo classic)1946/8/2シュツットガルトlive・CD,,録音が篭って聴きづらい。高音が捉えきれていないばかりか、緩徐楽章では混信のような耳障りなシャワシャワノイズが耳を衝く。苦心してノイズ除去したのだろうが硬く冷たく如何にもデジタル音といった感じが、極めて情緒的なカルヴェの表現・美音を殺している。伸び縮みと強弱という点のみ注意して聴いているとスタジオ録音とほぼ同じ解釈だが、より振幅が大きく、即興的とも思えるほど拡大されたテンポルバートなど耳を惹く。貴重な記録ではあるが、寸詰まりも厭わない独特の旋律の歌い方も、セッション録音で十分楽しめるので、こういう解釈でライヴなのに演奏精度が落ちないのも特筆すべき点ではあるが、参考程度におさめておくべき記録か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○ヴィア・ノヴァ四重奏団(ERATO)CD,,注意深いテンポでヒポフリギアというよりイスパーニャな情緒をかもす通奏主題を「少しパレナン的に」ゆっくり、しかし柔らかくやった1楽章からしっとりした感触を残す演奏。若い感じもあるが、ファーストの震えるような細い音がいい。そのために迫力ある和音で弾けるべき表現に少しなよっとしたところがなきにしもあらずだが、野心的で荒々しいばかりがコノ曲の魅力でもなかろう。2楽章は1楽章に通じるピチカート主題を端緒として気まぐれに展開していく、かなり「やりづらい」楽章だ。パチパチ自在に跳ね回るとまではいかないものの、フランスの品を保ちイスパーニャな雰囲気も仄かに維持しつづけるバランスがいい(私はもっと激したほうが好きだが、結構演奏テクニックの相性が必要というか、じっさい難しい楽章です)。3楽章は重奏よりソロと和音という対照的な表現の交錯で微細な世界が形づくられるが、そのままやってもロマンティックで美しい。単にミューティングにより子守唄旋律を顕わにしないといういささか外道なやり方の発端から、中間部ではオルガン的な長いオクターブ重音とかけあうように単線で動く感傷的な音線で教会的な響きのうちに盛り上がりを作り、ミュートを外して解決の中間主題が陳腐に、しかし旋法的な動きにのって神秘的に歌われ、曖昧な調性の移ろいから冒頭の静けさに戻ってゆくが、そこにもミューティングにより陳腐さを暖かさにかえられた子守唄旋律がボロディンを模した締めにむかう。静かな独特の美しさをもった楽章で、ラヴェルはこの雰囲気音楽的な情緒(牧神の前哨とみなす人もいる)までは模倣しなかったが、古風なロマンチシズムすら感じさせるこの楽章、過度の浪漫を投入しないところがまたフランス派らしい表現である。終楽章はかなり謎めいたところがあり、3楽章と全く性格が違うにもかかわらず関連性があるかのような序奏部の静けさには4楽章構成という形式への挑戦の意図もあるのだろう。トリルの多用は単純に気を煽る効果と音色効果がありピアニスト作曲家にはよく見られる盛り上げ方だが、ドビュッシーの場合あるていど構造的効果を計算したトリルであり音の選び方も独特で、複リズム的発想が確かにある。スクリアビンが書くトリルとは違う(スクリアビンは弦楽器の曲を書いていないが)。焦燥感のある音線が従来的な勝利への方程式の「フリ」を独自の方法で提示しているが、このへんの書法については少し異論を唱えられそうな長たらしいかんじもある(形式打破にはこの有機的な「煮え切らなさ」の投入は仕方なかったのかもしれないが)。通奏主題のもはや三連符のリズムしか残っていない変化形の第二主題が、全曲の肯定的解決としてはじめD線音域で提示されるがこの下から入って最後高らかにうたう方法は前時代的であったりするものの、とても効果的だ。このへんはちょっと譜面を率直に読んだだけのような感じはするが下品にならないくらいに盛り上がる。焦燥感の表現として再現される第一主題から更に通奏主題やら2楽章第一主題(通奏主題の変化形)や第二主題が音を変えてリズミカルに織り交ざり、これもロシアの形式音楽の「大団円」への各モチーフ再現のやり方をぎゅっと凝縮したもので、非常にトリッキーな動きからいやおうにも気分を高揚させられるし演奏者はよく練習することを要求される。こういったところで煌びやかなアルペジオの繰り返しを投入する方法はラヴェルに受け継がれる。新鮮な音階を最も新鮮に聞かせることができる方法だ。いちいち創意を挙げだしたらとんでもないことになるのでこの楽章と3楽章はかなりはしょって書いているわけだが、コーダは結局エスパーニャなファーストの駆け上がりで大団円となる。ヴィア・ノヴァはまずは及第点といっておこう。,,非常によく比較されるラヴェルのものに比べ、旋律性の高さから音感は単純素朴に感じるが、その新鮮な(決して「新しくはない」)和声感・移調+「リズム(ピチカートも一種の打楽器だし3拍を基準としたトリルやシンコペなども同様)による旋律表現」の構成の妙を押し出した、循環的形式のかもす直線性の裏に確かに極めて入念に巧緻に仕組まれた理知性が存在し、それこそがそれまでのカルテットになかった「新しい美しさ」の鍵となっている。前時代〜ここには遠く飛び越えて古楽、南国やロシア経由のオリエンタリズムも含まれよう〜の音楽への深い造詣が、更に独自の構成や創意をもって別の大成をなし、結局後代のカルテット作品表現をがらっと変え、いわば現代との橋渡しとなったものである。19世紀後半ロシアに多産された掟破りなカルテット群もドビュッシーへの伏線であったといえばとてもわかりやすい位置づけにおさまる。要素要素はどこからか持って来たものであるとはいえ・・・効果的な立体感と高揚感をもたらす「変則リズム」の源には確実に国民楽派の得意とした「踊りの主要素としての”リズム旋律”」がおり、構成論理的にはかけ離れたガチガチ形式的なボロディンを想起するのはこのあたりのせいだろう。また6連符の動きの上に不規則な4拍子の旋律を載せてくる、そういった二拍三連のようなものを効果を狙って投入してくる構造的な「創意」については、あるいはオクターブ重音のようなものをただの「音の増強」としてだけではなく音色表現の劇的変化を狙って突っ込んでくるといったやり方など、嫌っていたといわれる「しかし確かに革新者であった」ベートーヴェンもしくはワグナーの「王道」に源はある・・・「理念ではなく作品の完成度としては牧神すら凌駕するのではないか」?一部論者の述べるような「ラヴェルよりよほど落ちる」ものとは言い難い。今普通の人に聞かせて「どっちがわかりやすいか」と問われ皆が向くのはこちらであることは自明だろう。ラヴェルは自分で新しいものを生み出そうとしたらドビュッシーあたりに既に開拓されてしまっていて、結局数学的な理知性の追及に走りはからずも現代への扉を更に大きく開けてしまった人である。作品中使用される不協和音を吟味すればドビュッシーがあくまで「どこかに存在する”耳障りのいい不協和音”を発掘・”凌駕”しよう」という意識に立脚しているがゆえに「聞きやすさ」を獲得しているのに対し、ラヴェルが既に踏まれた轍のうえで「独自の別の音を創出すること」を目したがため、曲の一見優しげな表情に不適切なほど硬質で奇怪な不協和音が突出したりするのがわかるだろう。特殊奏法への意欲の差にもあらわれている(フラジオまで使うオクターブ跳躍を伴う装飾音など、古来演奏手法としてはあったものの、ここまで凝ったものを楽譜上に明記し無理に弾かせるなどラヴェル以外の誰もやっておらず、ちゃんと弾けている例も余りない)。まあ、聞けば聴くほどベツモノです。そして優劣などつけられない。ただ、ラヴェルのほうが後だったがために「影響を受けてしまったマイナス面」と「構造的完成度を上げることのできたメリット」はある。ここだけでドビュッシーをつまらんとは言えないよなあ。それぞれの作品の、同時代の目で見よう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,◯レナー四重奏団(私家盤:CD-R)1928,,時代がかった演奏でありアンサンブルも乱れたりファーストが好き勝手やったり、それで演奏技術が完璧ならまだしもオールドスタイルという言葉の裏側、ラフなスタンスで、それでも惹かれるのはこういう演奏が現代では決して聴けないからだろう。旋律の紡ぐ流れ、響きの変化がとても良く浮き彫りにされており、各楽章〜立ち上がりが悪いのを除けば〜発見に満ちてもいる。3楽章がやけに速いのは気になったが、それもスリリングで面白い。カルヴェやカペーには水をあけるが楽しめる。この板起こしは状態が良く聴きやすい。◯。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○レナー四重奏団(COLUMBIA)1928/3/15・SP,同上,ドビュッシーが初期の持ち味であった軽やかな響きにボロディン的な熱気を加え一味違う世界を描き、他の曲とは異なる印象を与える作品。レナーはてんめんとした音表現もさることながらアクセントを強くテンポやリズムを揺らしに揺らして極限までロマンチックな音楽を指向し、恣意性の高さは比類無い。変な演奏だし技術的にもギリギリといった様子だが、勘違い度はヴェーグを思わせるところがあり一回はまると癖になるかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○イタリア四重奏団(PHILIPS)1965/8/11-14・CD,,いわゆる響き系の演奏というか、特徴の無いいまどきの演奏につながる要素の多い演奏で、計算ずくの構築性から感情的盛り上がりにやや欠ける。ただ、いい意味でも聞き流せる演奏である。流せる、というところでは3楽章から4楽章の緩徐部にかけてゆったりとしたテンポの中に極めて精緻で美しい表現が爽やかに表現されており特筆すべきだろう。スタンダード。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○ヴィア・ノヴァ四重奏団(ERATO)CD,,線の細いおとなしめの演奏だが、音色がなかなか繊細で美しい。軽やかで上品だ。フランスらしい演奏とはこういう演奏を言うのだろう。押しの強さではなく、引き方の巧さで聴かせる。全般遅めのインテンポで特徴的なものはないが、聞いていて気持ちのよい演奏だ。かなりさらっとしているので、2楽章などはBGM向きだろう。1楽章は余りに地味と思ったが、3楽章はやはり落ち着いた雰囲気であるものの、楽章の性格上なかなか思索的な演奏になっている。チェロの提示する第二主題が密やかに感傷を煽るのもまた何とも言えない。盛り上がりどころでの音量やテンポ変化がさほどなく、物足りなさを感じる人もいるかもしれないが、全体の統一のとれた解釈であり、静かな場面の表現により傾聴すべきものであろう。4楽章の静かな序奏部から警句的な主部への移行が実に注意深く、周到なアッチェランド含め耳を惹くものがある。主部が余りがなりたてない、やはり控えめな表現だが弓使いが巧く不自然さが無いのが耳心地いい。この団体で聞くべきはやはり弱音部なのだなあ、とシンコペ主題前の沈潜するヴァイオリンを聴いていて思った。その後のダイナミックな展開はきちっと出来てはいるが余り押しが強くない。しかしそこが「我々が思い浮かべるフランス的なるもの」をまさに体言している気もする。実に上品だ。それほど協和した音色でもなく、アンサンブル的に練られているわけでもないのだが、個々の技と全体の解釈の妙で(それほどあるわけではない「構造的な部分」になると敢えて内声を強く押し出し音楽全体の膨らみを持たせるなど、細かく聴けば発見がある)さすがと思わせるものがある。「踏み外さない演奏」というのを私は余り好きではないのだが、これは一つの立派な解釈だと思った。最後の協和音はきっぱり弾ききって清清しい。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○ヴィルトゥオーゾ四重奏団(HMV)1925/9/14,12月4日,9月18日,10/21・SP,,オケプレイヤーを中心にレコード会社主導で編成された録音用団体の模様。ヘイワード以外はよくわからないが他社に対抗して網羅的録音、しかも一部抜粋ではなく全曲という売りで啓蒙的活動をしたもののようである。演奏的にも専門団体にくらべ技術的安定感はあるが飛び抜けて上手くは無く、現在の耳からすれば手堅い解釈で特筆すべき表現もなく、ただそういった啓蒙的観点から?の客観性があるだけに、この時代の演奏に似つかわしくないくらい現代的で聴きやすいものでもある。集中的にかなりテイクを重ねて丁寧に録音していたようだが、なにぶん古い。だから盤そのものの瑕疵と演奏の瑕疵の違いがわかりにくい部分もある。チャイコのような音楽には適性を示すが、ドビュッシーのような風変わりな作品には特にどうも探り探り感が否めない。といっても3楽章などじっくりと、粘らずしとやかに演奏しているのがイギリスらしくて私は好きだ。また、何故か4楽章の出来がいい。ヴィブラートを多用せずポルタメントに頼らない、そこがこの曲の聴きやすさに繋がっている。ファーストが活躍する曲だからファーストだけが上手い(アンサンブル力は他も十分だが上手くは無い)この団体には向いているけれど、チェロなどもっと主張が欲しいかも。○。あ、特徴に付け加えると、この団体、スタッカートを切らない。スピッカート気味にして明瞭なアンサンブルを印象付ける団体が多い中、こういう奏法があったのか、というほどアクセントを強調しない「幅のあるスタッカート」を使うのだ。というか、このての「飛ばし」を使わないというのは遠い昔へっぽこな私も教わった(というか飛ばし自体教わらなかった!)やり方なだけに、英国にこういう奏法の流れがあったのかもしれない。裏返して言うとしっかりしたテンポやリズムを保つのが難しいので、腕のある団体の証左ではある。じっさい、チャイコでは活きている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,◎ヴェーグ四重奏団(ORFEO)1961/8/19モーツァルテウムLIVE・CD,,これぞ荒れ狂うドビュッシー。マイクのそばでぶつかり合い火の粉の飛び散りまくるアンサンブル。尋常じゃないギチギチな集中力。雑音もいとわない弓遣い。弦が悲鳴をあげている。ハーモニー?そんなんどうだっていい。セッションとはこういうもんだ、という見本。カルテットをロックバンド的な激しいグルーヴの中に昇華させた、唯一無比の絶演。この即興的な機知と気合いに任せたキ○ガイ踊りに狂え。◎以外にありえない。血まみれドビュッシーは、こちらだけになります。ライヴって、こういうもんだ!,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○ヴラフ四重奏団(SUPRAPHON)1959・CD,,往年の東欧の名演のひとつとされるドビュッシー・ラヴェル集だが、非常に特異な演奏スタイルが聞いて取れる。ここにテヌートでつながった音符は存在しない。全部いちいち切られている。それが悉く四角四面で理知的な印象をあたえ、極めて人工的である。テンポはまったく揺れない。ひたすらゆっくりしたインテンポが維持されるが、しかしおかしいのはフレーズ毎にブツ切れにされた音符を、その切れ切れそれぞれの中だけで異常なくらい生々しく多彩な音色表現が施されているのだ。現代的なシャープな解釈とオールドスタイルのフレージング処理が平行線のまま最後まで続く。うまいのかヘタなのかまったくわからないが現代の耳からすれば下手なのだろう。ただ、異様な解釈が諸所に点在し、ロシアにもアメリカにもない、いや東欧にすらない、独特のドビュッシーがここにある。存在感、そして特異な解釈だけで○にしておくがしょうじき面白いとは思えない。録音はステレオ初期だがCD復刻では音が硬く倍音が減りとても聞きづらい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○カーティス四重奏団(westminster),,この演奏の独創性は非常に大仰大胆な伸縮、アーティキュレーション付けとそれに反して分節をきっちり別けるように、音をいちいち切って思いなおすボウイングの細かく正確に計ったようなテンポ感、その両者の上に一種浅やかな音色が載っている点にある。前時代のロマンティックな演奏ではない、ロマン性を分析したうえでデフォルメし、あくまで譜面上に反映してから表現したような演奏ぶりはドビュッシーのこの曲に横溢する前時代的な音楽の激しさを、表層的な表現の過虐とは逆に落ち着いた客観的なものに引き戻すようなところがある。どちらかといえば硬質な音色についてはウェストミンスターの録音特有のものもあると思うが、楽器特有のものかもしれない。技術的には決して技巧派集団というわけではなく、技巧が表現しようとしているものについていかなかったりしているような場面も聞き取れる。面白い演奏で、ドイツ的アメリカふう解釈といったもので例えばロシア式とはまったく異なる感がある。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○カペー四重奏団(EMI他)1927-28・CD,,超有名な古典中の古典の演奏記録だが、そのせいか板起こしにしても注意深くやられているようで時代のわりに痩せも耳障りもなく音がいい。演奏様式にかんしては昔聞いていたときと同様、余りにスタンダードすぎて面白みがないという印象だが、逆に言うとこの時代に現代においてスタンダードと受け取れるようなロマン性を抑えた抽象度の高い演奏を行うことができたというのは凄いことであり、この曲の本格的な演奏史というのはカペーをもって始まったということにも気づかされる。音色は板起こし者によっても差異はありEMIなどはちょっと匂いを消しすぎている感じもするが、それでも色艶が品よく乗った往年の演奏の魅力もそなえたものとなっている。ドビュッシーについてはとくにこれがやはり、古典的な時代における模範といえよう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○ガリミール四重奏団(新)(vanguard),,可も無く不可も無くといった感じもするが、聴いていて心地いいたぐいの演奏で、扇情的にも客観的にもなりすぎず、アメリカのすぐれた団体の演奏を聴いている感じがする。デジタル初期ということもあり、録音のほうにやや硬質で金属的な質感がのこり、そこが他の現代の音盤と比べて余り特徴的に聞こえてこないのが更に無個性であるという印象につながっている。しかしまあ、可もなく「不可も無い」わけで、○くらいには十分なりうるきちんとした演奏。ちなみに即物主義ではちっともありません。ちゃんとロマンティックです。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○タネーエフ四重奏団(MELODIYA)LP,,とにかくねっとりしたフレージングに苦笑させられる。しかし麻薬のように効いてくるのは設計の巧さだろう。同じくゆっくりしたテンポでなまぬるい感情を表現した旧ボロディンQに似たものを、とくに1楽章では感じるが、終楽章における(けして速くはないし余り揺れない直截なテンポ設定なのだが)独特の上り詰めかたには耳をひくものがある。ボロディンQの「独特の奏法」には及ばない個性だが、特にあけすけに力強くねっとり表現し続けるファーストの一種暴力性には他国の演奏家には求めえない何かしら「変なもの」を感じさせ、それが慣れてくると面白くなってくる、そんな感じだ。中間楽章に余り魅力がないが、4楽章の「ソヴィエト派としてのドビュッシー」の表現方法に、若干ショスタコ的なものも感じつつ、○をつけておく。旧ボロディンより私はこちらのほうが好き。正直あまりうまくない団体なので、そういう「精度」を求めちゃいけません(残響がやたら付いてるはそのせいか?)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○テシエ、ユーオン、バロー、コーディエ(musidisc他),,なかなか盛り上がる。演奏的にはフランス派のそれだがパレナン以降のような冷徹な方向にはいかず時には熱く時には丁々発止でわたりあう。このメンバーは知らないがいずれきちんとしたアンサンブルの訓練を行っている団体だろう。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○パガニーニ四重奏団(KAPP)LP,,非常に惹かれた演奏である。ストラディだからというわけではないだろうが音色に情感篭りまくりであり、結構即興的な(でも弓いっぱいに使った大きなフレージングが目立つが)ルバートがつけられ、起伏はあるが、ポルタメントで歌い上げる戦前の演奏スタイルとも違い各音符の分離は明瞭で、この曲ではそこが非常に強みになっている。ピチカートが美しい。ドビュッシーの繊細な響きは普通にやろうとすると曖昧模糊になりがちだし、かといって精緻すぎてもまた物足りなくなる。この曲は比較的初期のものということもあって国民楽派のような激情の表現も必要だから、精緻が過ぎても心に残らないということがおうおうにして起こりがちなのだ。これは現代的な整理された演奏ではないし、かといってファーストヴァイオリンが突出して歌いまくる古いスタイルでもなく(パガニーニ伝来のストラディヴァリウスの線の細く音量の無い音が全体のセピア色の響きに溶け込み不思議な感傷を与えるのは特記できる)、「艶めかしいがからっとしている」イタリアふうで、特に弱音部の余韻といったらない。そう、弱音の表現においてこの演奏は非常に秀でている。全楽章中最も凄い出来ばえの1楽章からこの点に気づかされる。弱音に激しい感情を篭めることの難しさを思えば、凄いことをやってのけている。ところどころなんとなく稚拙に聞こえるのは古い楽器独特の生音のせいだろう。生木の楽器を弾いているような感じがあるのだが、録音も古いし(といっても50年代と思うが)やむをえまい。私はそういう音が寧ろ非常に好きなのでこれは大好物だった。確かに何度も聴いていると独特の音に飽きてくるが(「独特の音」特有の弱みだ)、「鳴らない楽器を鳴らそうとしたとき」の「鳴る楽器以上に深く響く」という感覚が味わえる。ただ、私の盤は余りに状態が悪い。音飛びまくりだ。CDになっていればぜひ入手したいところ。◎にしたかったが、何度目かで飽きがきたことや盤面の問題で正確な評価を下せない点を割り引いて○。,,(後日記)KARPとあったのはKAPPの誤記の模様。但しチャント確認していないので別録音だったりして(KAPP名の別ジャケ欧州盤を入手したんですが、たぶんアメリカ盤のほうがリアルで原盤に近いいい音です)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○パガニーニ四重奏団(COLUMBIA)LP,,旧メンバーによる旧録。新盤よりかなり性急で揺れの無い演奏になっているが、なまめかしいファーストの音色はかわらず耳を楽しませる。とくに三楽章の憂いのある表現は新盤ともに出色といえるだろう。こういう色のついた演奏は古ければ古いほどイイ感じの味が出てくる。ライヴで目の前で聴いたら胃にもたれるのかもしれない(自分が演奏していてすら胃にもたれる)。いまどきの演奏に比べればかなり好きなほうです。KAPP盤はこれより音がよく多彩ではあるので、こちらはあくまで若さの余りのスピード勝負、みたいな感じでとらえておくといいかも。中声部以下の技巧は勝っているかもしれない。リズミカルで乱れ無く巧い。一楽章展開部に信じられないカットあり。意味不明。。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○パガニーニ四重奏団(Liberty)LP,,テミヤンカがファーストを張るほかはメンバーチェンジを繰り返すことになる戦後モノラル期に活躍した団体。これはCOLUMBIA録音とKAPP録音の間のもので演奏スタイルは前者に近い直線的なもの。ひたすら突き進む趣が強いが、テミヤンカの古風な艶のある表現はさすが耳を楽しませるものである。ただ、セカンド以下の個性が弱く技術的にも表現力にも物足りなさを感じる。悪くは無いが、コロムビアのほうがアンサンブルとしての完成度は高い。,,この団体は戦後46年全員パガニーニ伝来のストラディヴァリウス使いとしてアメリカで結成された。liberty盤(まだモノラルである)製作のころには西海岸からエジンバラ祭にいたるまで飛び回り1000回以上のコンサートをこなしてきていたといい、録音や映像にも積極的であったというがこんにち余り目にすることは無い名前ではある。セカンドはロッセールスで1680年製の初期ストラディを使用。ちなみにCOLUMBIA録音ではヴィオラがコート、チェロがマース。liberty録音でヴィオラがフォイダート、チェロがラポーテになり、現在よく知られるKAPP録音ではセカンドがリボーヴ、ヴィオラがシュワルツに変わっている。liberty盤のヴィオラはベルリオーズがイタリアのハロルドを作曲するのを手伝うさいパガニーニが使用したという1731年製のストラディで、チェロは1736年製、92歳死の前年の作とされている(従って工房作品の可能性が高いと思われる)。libertyにはシューマンの1番とブリテンの1番も録れている。この盤の裏面には中国出身のリースの新作(2番)が入っている。現代から古典までカバーする団体としても知られた。,,最後にこの録音、何といってもこの時代のハリウッドを象徴するかのような「改変」が特筆すべき点として挙げられる。・・・ニ楽章に奇妙な「序奏」がついているのである!,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○パスカル四重奏団(concert hall)LP,,戦前戦後の名演のひとつである。どの団体でも感じることだがラヴェルとカップリングされたりしていてもスタイルはまったく違い、この曲のほうが歌いやすく単純な感情もあおりやすいせいか、ドビュッシー名演ラヴェル凡演のパターンはある時代まで黄金律としてあった。パスカルも同じである。ラヴェルの精細に欠けるたどたどしさがここにはない。ソロとしても活躍したファーストヴァイオリンの雄弁な曲であるということも理由のひとつに挙げられるだろう。解釈の非常に巧みな演奏を繰り広げている。フランスのアグレッシブさというか、ロシアみたいなごり押しも中欧みたいな普通ぽさもアメリカ的な金属質音もない、オーソドックスと言うべきバランスを備えており、モノラル期のスタンダードと呼びたい。余り強くは印象に残らず特徴的な個性はないが○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○パレナン四重奏団(EINSATZ/PACIFIC)1950年代・CD,,パレナン四重奏団モノラルLP期のPACIFIC録音だが、ドビュッシーに関しては師匠のカルヴェを想起させる感情的な動き、音色の暖かな揺らぎが感じられる。後年かなりクリアな演奏を志向しただけにこの若さや50年代的な力強さ、陶酔的な表現は意外でもあり、楽しくもある。時代のわりの音の悪さはかなりマイナスだが、参考盤としては十分か。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○パレナン四重奏団(EINSATZ他)旧録・CD,同上,モノラル録音のほうで、ドビュッシーとラヴェルというステレオと同じ組み合わせではあるが、よりはっきりとしたコントラストをつけた激しい目の演奏にはなっている。ラヴェルのほうが集中度が高くスピードもあるように感じるが、こちらドビュッシーでは重いテンポでねっとりした感すらある1楽章からやや生硬な2,3楽章、そして4楽章では録音こそふるわないものの輝かしい終結に向けてしっかり設計がなされ、それまでの楽章で感じられた縦を意識した堅い表現というものがロマンティックさを帯びてなかなかに美しい。個性的な解釈が随所にみられるが基本的にはフランスの楽団という印象、技術的にもその「色合い」が強い。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○パレナン四重奏団(EMI)1969/7・CD,,テンポが「遅いほうへ」伸縮する独特のスタイルを持ち、2楽章などかなり生硬ではあるものの、ラヴェルに比べるとずいぶんと情緒的な音色の感じがするのは曲のせいか、師匠カルヴェの影響か、ファーストのヴィブラートのかけ方が甘い古いスタイルのせいもあろう。この団体は技術的に特にすぐれているわけではなく、旋律勝負なところのあるこの曲のようなものでは、ファーストの音が細く弱いのは難しいところだと思う(もちろん録音当時のことであるしデジタル化時に痩せてしまった可能性も高い)。情熱的な表現が苦手なのかもしれない、と思った。テンポが遅く感じるのは勿論演奏があるていど制御されたレコーディングとして行われているという点が大きいだろう、終楽章最後のプレストで異常にテンポアップするところを聞いてもけっして技術的に速いテンポをとれなかったわけではなかろう(最後のファーストの駆け上がりでクレッシェンドが足りないし、頂点で音が揺れすぎとは感じた)。情緒的演奏ではあるのだが客観的に情緒を演じているように感じさせてしまう。3楽章は印象的な沈潜の仕方をする。今ひとつ乗りきれなかったが、独特さを買って○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,パレナン四重奏団(ensayo)1970'・LP,,一部ではスペイン録音で、EMIの録音とは違うとされている。正直違いはわからない。だが私の思い入れのぶん、いつも落ち着いたテンポで現代的な表現をなすこの団体に、部分部分に情緒的な揺れや起伏の感じられる演奏にも聴こえる。2楽章ではどうしても落ち着きが気になるが、3楽章はこの演奏の白眉たる美しく感動的な緩徐楽章に仕上がっている。両端楽章ではカルヴェを思わせるソリスティックな動きが僅かではあるが聴き取れるし、また、音色のそろった楽団と思わせながらも3楽章冒頭など実はけっこう違っているのがわかるのも面白い。ensayoのフランス音楽シリーズはドビュッシーでは他にスペインの奏者によるピアノ曲集、さらにラヴェル(これもパレナン)、ストラヴィンスキーがあるが、ラヴェルなど今すぐでも手に入るような代物なのに、これは10年かかった。やっと昨日、スペインから届いた。どういうわけか、高級中古店の人もこの盤は稀と言っていたが、取り立てて凄い演奏ではないのはプレミア盤の常。特筆できるのは併録のスペインの奏者によるチェロソナタの存在か。いずれとっくの昔にCD化しているかもしれないが、数少ないWant Listから一枚減った。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○プロ・アルテ四重奏団(HMV/biddulph他)1933/2/7・CD,,音色は艶っぽいのにスタイルはいたって率直で、まっすぐなプロ・アルテの演奏。詰まらないととるか正統ととるかは意見が別れるところだろう。ラヴェルでもそうだったが、いたってスタンダードといった呈であり、強く訴える解釈の独創はないが集中力とアンサンブル精度は同時代ではブダペスト四重奏団に匹敵するものがある。まあ、プロである。○。ビダルフではラヴェルとフォーレのカップリング。1楽章に僅かに欠損?,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,プロ・アルテ四重奏団(biddulph),同上,復刻が良くない。細かい音が聴こえず弾けていないように聴こえる。低音もスッパリ抜けたような感じで違和感を覚える。音色がわからない。同曲は古い楽団は気を煽る解釈を施している場合が多い。これは表情付けが面白い,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲(1893),○レーヴェングート四重奏団(DG)旧録。LP独特の演奏。面白い(が飽きるかも)。緩急極端でディジタルなテンポ変化、音量のコントラストの激しさと常套句で言ってもなかなか伝わらないたぐいの演奏で、しいていえば「やらかしてやれ」という意気があふれつつも、諸所でその意気に演奏技術が追い付かず(とくにファースト)、緊急避難的に施されたルバートや最弱音での異様な低速・ノンヴィブ(1楽章)最強音で乱暴に響くピチカート(2楽章)などが結果として独特の聴感をあたえている。2楽章あたりはじつに面白い。4楽章は盛りだくさんなのでいろいろ楽しめる。唯、3楽章はつまらない。・・・聞けばわかるがけっこうぶっとんでいて、この団体のイメージからすると意外だ。音色に特色の少ない奏者の集団だから逆にまとまりはよく、だがその中でもとくにファーストがそれでもいろいろと特殊な音色を出そうとして奏法にさまざまな細かい変化をつけており、気持ちとしては非常にわかる(他の楽器はそつなくうまく弾き抜けている)。終楽章のクライマックスなどいにしえのフランスのカルテット張りの艶めかしいフレージングが頻出してはっとさせる。でもファーストは弱い。最後の駆け上がりがぐちゃっとなって結局ヘタッピだ(こんなんでDGはOKしたのか?)。もっともこれも気持ちは良くわかるが・・・。総じて○としておきます。私は3回目で飽きたが、1、2回目はワクワクした。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○レーヴェングート四重奏団(新)(CND)LP,,モノラル末期のフランス録音。折り目正しくきちんとした演奏ぶりは寧ろ「なんじゃこりゃ」と思わせる雰囲気を漂わせた遅さだが、ドイツ的というか、引き締まった演奏方法が慣れてくると独特のタテノリになり心地よくなってくる。確かに独特の演奏で、当時としても特異だったからこそ評判になったのだろう。正確さを狙ってるのではなく、高音などハーモニーが揃わなかったりするが、カペー師匠に教わった若干引き芸の部分を伸張させ、緊張感をもって構成的な演奏を展開する、中間楽章から徐々に、そして終楽章ではまあまあの感興を催される。VOX録音があるのでこれに拘る必要はなく、モノラル末期特有の重厚な音があるとはいえ状態のいいものは高い可能性があるので(私はひさびさディスクユニオンに行って、あの大量消費中古店でもそれなりの値段がついていたものを、半額セールで買ったのだが、それでも裏表音飛びまくりの磨耗ディスクだった・・・半額じゃなければ何か文句言ってるところだ)。海外じゃ安くて原価2000円くらいか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲(1893),△レーヴェングート四重奏団(VOX)LP新規メンバーによるステレオ録音。非常に厳しい演奏。遊びのない独特の解釈表現は特筆ものだ。録音も硬質で金属的な感じがありキンキンと聞きにくい箇所もある。そしてこのファーストヴァイオリンのあつかましさ!ぎりぎり弦の軋む音が聞こえるじつに耳障りな音。演奏レベルは初代にくらべ格段に上がったかもしれないが、この終始力んだような音色は耐えられないレベルに達している。ドビュッシーがこれほどあけっぴろげに弾かれたのを始めて聴いた。ニュアンスもへったくれもない、ただ3楽章にちょっと聞ける箇所がある程度。勉強用の見本としては存在価値はあるかも。フランセの四重奏では柔らかく軽妙なところを見せているというのに、なぜこういう力みかたになってしまったのか、不思議だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,○ロンドン四重奏団(M&A)1943/12/4live・CD,,LSQのアメリカライブ、図書館コンサートと言われるものの集成ボックス(埋め合わせにコロンビア録音もあり)より。ダウンロード販売だと好きな曲だけ買える(naxos/NML収録済み)。初期に有名メンバーがいてロンドンを訪れた邦人演奏家などにインパクトを与えた、その楽団とは別物と理解したうえで聴くと、いつものLSQだな、という平凡な出だしから1楽章はとくに印象が残らない。しかし、これはライヴだということを忘れてはならない。プレイヤーにもよるが、いつもの羽目を外すのがライヴのだいご味だ。2楽章からフレージングの細かい操作が面白くなり、3楽章のチェロソロのソリスティックな表現(決して派手ではないが)に惹きつけられる。4楽章はどんな演奏でも盛り上がるのでこれはおいておいて、中間楽章の魅力で○つけます。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲〜V後半,○ロンドン四重奏団(columbia)1915・SP,,どうやら穴埋め的に録音されたものらしく組み合わせを違えた盤もみられる。この曲のSP録音でよくみられる展開部のチェロからの第二旋律より始まり、これ以前の録音は確認できる限り無い(知っていたら教えてほしい)。LSQ第一期メンバーによる希少録音であるがサモンスが加わっているという意味は特に感じない。穏やかで柔らかく、丁寧である。いい意味でも、悪い意味でも英国的だろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲〜V後半,ロンドン四重奏団(SLS他)1925/11/3,同上?,おそらく以前あげたSPと同一のもの。これで全曲録音していたらカペーと違った、より「汎用性の高い」録音として同曲演奏史に名を残したかもしれない。少し音程が不安定なところがある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,イタリア四重奏団(EMI)1954・CD,,妙に遅い。気宇壮大な出だしから単線の音楽になってしまっている。つまりは旋律音楽だ。ドビュッシーはハーモニーを響かせないとよさが出ない。それでもこの曲には旋律だけの魅力も十分訴えられるものがあるのだけれども、この演奏にはそれもない。とにかく旋律の歌い方にもドライブ感がないうえにハーモニーが余り意識されていないのだ。これはアンサンブルとしてもダメでしょう。。音色がイマイチで、三楽章の異様な盛り上がりも迫ってこない。無論CD復刻の痩せ方のせいもあろう。ただ、遅い!これだけは確か。三楽章の中間部くらいだろう、速さを感じるのは。遅かったらもうハーモニーか転調を聞かせるしかなかろうもんなのに・・・無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,エベーヌ四重奏団(warner)CD,,ドビュッシー楽曲全集の一枚より。落ち着いたテンポで客観的に構じていくスタイルで、終始そのスタンスを保つため4楽章の込み入った部分のようなところはしっかり届かせているが、1楽章のように激情的な音楽では食い足りない。音色も固い気がする。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,スペンサー・ダイク四重奏団(NGS)1924/8・SP,,いやー、最初から走る走る。と思ったら突然全部の音符を切ったり、弓の赴くままに伸び縮みするする。もう、ここまでくるとアマチュアである。オールドスタイルという言葉では済まされない(じじつアバウトさは同時期の他団体による演奏に比べ段違いである)。スペンサー・ダイクというNGSの代表選手のようなソリストはドイツものではがっしりやっているので、こういう不安定な演奏(音も浅くてボウイングは切れ切れ、とにかくなってない)は曲への無理解があるとしか思えない。確かに終楽章のコーダ前あたりなど法悦的で美しい場面は無いことも無いが、音色の浅さ単調さは如何とも。ボウイングがとにかくぎごちなく、学生時代の自分を思い出して恥ずかしくなった。そういう恥ずかしい演奏が好きなら。私は○をつける勇気が無い。NGS録音は正規にWEB配信化が進められており音質的にもそれなりに聴けるものとなっている。興味があれば検索してみつけてください。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,ハンガリー四重奏団(M&A)1951/8/1南カリフォルニア大学・CD,,悪くはないのだがいささか性急であっさりしすぎている。現代の演奏のようにハーモニー重視で透明感ばかり目立つ類のものとは全く違う、各音符を須らくしっかり発音させ律動で聞かせるスタイルであるが、豊かな表現力の反面解釈に面白みが少なく(無いわけではないが)右から左へ抜けてしまう。技巧が安定して聞きやすいがライブなのかアタックの付け方がややアバウトでテンポが流れやすいようにも感じた。逆に肩の力が抜けた楽に聞ける演奏とも言えそうだが。嫌いじゃないが期待程ではなかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,ボリショイ劇場四重奏団(melodiya)LP,,モノラル。私の盤は盤面が荒れすぎて正直ひどい。でも、演奏も変。これで19世紀的な生ぬるい音色ならロマン派解釈のドビュッシーとして特筆できようが、音色は硬質で冷たいというか、ボロディンQに似た感じで、50年代までのロシア録音にしてはいささか感傷が足りず、でも非常に伸び縮みする独特のテンポ設定、特に3楽章のゆったりとした中で異常に引き伸ばされた起伏が、「透明感があるのにただ伸び縮みしている」、変なかんじだ。1楽章からもう異様な解釈が目立ち、やけにゆっくりだらけた(ように聞こえる)テンポから始まったと思ったらスピッカートを多用して奇妙にブツ切れの動きをしてみたり、酷く人工的なのだ。音色に魅力がないのが痛い。初期ドビュッシーにはロマン性は欠かせないから、ロマン性を音色のバリエーションで補ってほしかった。テンポとデュナーミクだけでは語れない。無印。奇演好きなら。最後の異常なアッチェルでそのまんま駆け上り焦燥感のまま終わるとこなんてのも、なかなか独特。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲,ボロディン四重奏団(melodiya/CHANDOS)CD ,,オリジナルメンバー(*バルシャイのいた初期ではない)による有名なメロディア録音。ステレオ初期で音はよくはない。更にCD化に伴うデジタルリマスタリングによって元々の録音瑕疵が明らかになってしまうと共に音が硬く痩せてしまいふくよかな音響が失われている(ぽい)ところは非常に痛い。硬質な透明感が持ち味になったのは後年のことであって、オリジナル時代においては必ずしもそういう操作・・・特に擬似的なサラウンド効果の付加による不恰好にレンジの広い音響・・・はいい方向に働かない。ロマンティックと解説に書いてありながらも酷く人工的に感じるのはそのせいだろう。最近復活したメロディヤが出しなおした盤ではどうなっているか知らない。(ここまでラヴェルと同じ文章),,この時期のドビュッシーは熱い音楽をまだ志向しているがゆえにボロディンQの機械的に恣意的な解釈はかなり違和感をおぼえさせる。リマスタリングされた細くて冷たい音の違和感が影響していることもあるが、持ち芸であるノンヴィブ奏法にしても用法が徹底されていず(もっと計算したらうまく組み込めただろう場所はある)、どうも不完全燃焼感がある。恐らく板起こしであり、アナログであればかなり印象は違っただろう。このCDでは局所肥大のヘンな演奏という感じだけがおおいに残ってしまった。よくよく聞けばドゥビンスキーの音には艶があるし、ロマンティックな感じもないわけではないとは思うのだが、、、やはりリマスタリングの失敗か。無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲(1893),スタイヴサント四重奏団(BLIDGE)CDひどく音が悪い。モノラルは当然の事、何やらプライヴェートな実況録音並の録音状態で、とくに高音域がかなり聞こえないというのは痛い。ヴァイオリンの音域が失われると骨組みだけ見えて外装の施されていない家のよう。台無しだ。それをしっかり念頭に置いた上で聞くと、この団体、とくにストヴァイはじつに柔らかい音を発しふくよかな響きを引き出していて嬉しい。私好み。やわらかいボウイングがもたらす軽やかで嫌味のない音は実演で聞いたらもっと楽しめたろうにと思う。だがこういう音を出す人は往々にして地味になりがちである。レガート気味で鋭い発音を必要とされる肝心のところで音が弱く埋没してしまう。これは録音だけの問題ではないだろう。優しい音作りは非常に評価したいところだが、この作品の新鮮で野蛮な音楽をしっかり表現するには優しすぎる。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲(1893),ブイヨン四重奏団(新星堂EMI)CDこの演奏は終楽章が聞き物だ。他の楽章は余り個性的とは言い難く、ブイヨンのVnも余りに実直で、しかも音程がやや”フランス的”・・・。鋭い音を避けテヌート表現にこだわる姿勢は独特だが、音が細く、録音の限界もあり高音になるとさらに心もとなくなる。解釈は至って平均的で、ゆるやかなインテンポ表現は正直魅力的には感じなかった。師カペーの亜流に思える部分もある。だが終楽章にきて様相は一変する。運弓や運指に独特の創意が入交じり、面白い音色効果をあげる。付点音符を長めにとり、短い音符を詰めた表現は、今であればセンセイに注意されるだろうが、一種ジャズ的で愉快。速めのテンポにしてもそれまでの穏やかな表現とは一線を画し、心なしか音程も鋭さを帯びる。1VNのテヌート表現はボウイングのぎごちなさとあいまって不思議な効果をも生んでいる。最後の瞬間的なルバートも面白い。カルヴェなどの1Vn偏重とは異なり、技術レベルがまとまっている団体だ。録音は非常に悪い。SP復刻盤に慣れていない方は覚悟が必要だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:弦楽四重奏曲〜V,○ロート四重奏団(ODEON)SP,,深い音色で丁寧に綴られる緩徐楽章。前時代のロマンティックな演奏様式はフレージングにあらわれるがそれほど鼻につく感はなく品がよい。ひそかに息づくようなテンポ運びが美しい。中間部はスピットにテンポが上がり躍動感ある、しかしインテンポで盛り上がる。頂点ではさすがに甘やかなポルタメントが入りまくるが、技術的に安定しているのでおかしくはならない。書法上旋律が薄くなるのは仕方ないが音色でカバーしている。非常に丁寧によくできている。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:交響曲ロ短調断章(ファルドナー管弦楽編曲),ファルドナー指揮シカゴ交響楽団の団員(koch)1991/12・CD,,3楽章構成はとってはいるが断章を束ねたものに近い。原曲がピアノ譜の断片なのだから動機と変容くらいしか原型を留めていないだろうし、一方一楽章がほとんどピアノ五重奏曲というのも交響曲らしからぬところで、ほかの楽章も最低限の管楽ソロが加えられるのみで、生のままの曲を届けたい意図は伝わるがどうせならしっかりオーケストレーションしてもらいたかった。ドビュッシー修行時代の書き残しであり、チャイコフスキーの時代と重なっていることを思い出させるロマン派に立った楽曲で、疎な響きによる明るい色調はドビュッシーだからというより教科書的な書法の結果であり、わかりやすいアンサンブル、明確な構成感は、一瞬フランクを思い出させるところもあるがほぼ一瞬でしかない。ピアノのための幻想曲を八割削ったような作品。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:交響曲ロ短調断章(ピアノ連弾版),○ベロフ、コラール(P)(EMI)1982/4,,ていうかこれってまるきりロシア・ロマン派じゃん。と思わせる憂うつな冒頭旋律は、当たり前では有るがチャイコフスキーをはじめとするロシア国民楽派のピアノ曲を彷彿とさせる。アカデミックという意味でグラズノフに近い世界とも言える。これをまた連弾でやる必要性にも疑問を感じつつ聴いていくと、陰うつでドロドロ重いロマンティックな旋律は、やがて軽やかな響きを伴う爽やかな旋律に繋がっていき、依然ロマン派的な力強さはあるものの、光り輝く開放的な世界に向かって文字どおり花開いていくかのように続く激しい転調の連続から、フランス的な世界の兆しがそこかしこに見え始める。様々なロマン派作曲家を思い起こさせる世界から、あきらかに習作的ではあるものの、新しい音楽を指向して模索したかのような書法が見え隠れするようになる。細かい胡麻を振り撒くような高音域の装飾的な動きと乖離して進む中音域旋律など、連弾ならではの面白さも出てくるようになる。ベロフとコラールのアンサンブルは融合しまったく違和感がない。またベロフの力強い打鍵が原曲の交響曲の広がり有るひびきを想像させるに十分で、たとえばデュカスの交響曲に近い世界を考えていたのかもしれないな、と思った。とにかくこの曲前半はガマンして、後半が聞き物です。ちなみにピアノ連弾版編曲は作曲家自身によって行われ、管弦楽配置もなされたようだが残っていない。いずれにせよ未完の断章であり、これだけではドビュッシー本来の天才は未だあらわれていないと言わざるを得ないから、過度の期待はしないほうがいい。○。別人が管弦楽配置を行った譜が存在する(別項「小組曲」参照)。 ,-----,,TITLE: デュカス ピアノ作品全集,URL: http://nemojun.no-blog.jp/nemojun/2005/04/post_8deb.html,BLOG NAME: ねもじゅんは、ただいま東京都文京区,DATE: 04/15/2005 11:48:16, デュカス ピアノ作品全集 ジャン・ユボー(p) シューマンとフォーレの室内楽全,-----,,,-----,,,-----
ドビュッシー:交響組曲「春」(ビュッセル管弦楽編),アンゲルブレシュト フランス国立放送O 22748
ドビュッシー:交響組曲「春」(ビュッセル管弦楽編),アンセルメ スイス・ロマンドO
ドビュッシー:交響組曲「春」(ビュッセル管弦楽編),○ビーチャム指揮RPO(DOCUMENTS、artone他)1946、1947・CD,,ビーチャムのドビュッシーはノルソルだ。これは乗ったほう。意外と初曲もみずみずしくRPOの美質がよく出ており、モデレは浮き立つようなビーチャム得意の前進的な表現が聴かれ、鮮やかな色彩感もビーチャムらしい。余りに自然な調性変化もビーチャムらしい。それが悪い方には動いていない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:交響組曲「春」(ビュッセル管弦楽編),○ベイヌム指揮ACO(放送)1950年代半live・着任25周年記念盤,,1942/7/8の録音がandante等でCD復刻されていたが、これはLPボックスで出ていた放送局音源(現在web配信されている)。モノラルではあるが音の状態は比較的良好で、ワグナーを聴くような迫力があり、リアルな肌触りの分厚いロマンチシズムが盛り込まれ初期ドビュッシーを雄弁で力強い音楽に仕立てている。オケの力量が存分に発揮された快演。ライヴでこういう音楽を聴けたら最高なのに。ただ、ドビュッシーをドビュッシーとして聴きたい向きには向くかどうか・・・○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:交響組曲「春」(ビュッセル管弦楽編),○A.ヴォルフ指揮ORTF(FRENCH BROADCASTING PROGRAM)1960年代・LP,,アルベール・ヴォルフらしくないゆったりとしたテンポに軟らかい表現で、放送ナレーション部分や盤自体にも指揮者について触れた部分がなくやや?もあるが、ドビュッシーについては性急で四角四面のいつもの芸風とはやや違うものを出していたようでもあるので、信用しておく。不可思議な構成の初期作品だが、冒頭よりしばらく細い編成により最初の主題が奏でられるところは新鮮。牧神以降を思わせるものの、その後はオペラティックで大袈裟、ロシアやワグナーやマンネリ化したアカデミズムからの断片をパズルのように組み立て、僅かに不思議なハーモニーを織り交ぜ、まさに同時期の幻想曲を思わせる長々しいものになっている。編曲ビュッセルの自然な上手さが光る。だが少し手堅過ぎるところもあり、高音で最も生きてくるドビュッシー独特の表現に、しっかり末広がりの中声部下支えを作り付けてしまっているから、退屈な部分も多い。最後の軽やかな主題は諧謔性がでていてヴォルフらしいと思った。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:交響組曲「春」(ビュッセル管弦楽編),○ミュンシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1962/3live,,「小組曲」に似た単調な曲ではあるが(ビュッセルによる復元編曲というのがよくわかる)、ミュンシュも余り激することなくこの春のうららかな曲を長々しく紡ぎあげている。表現が無難というかミュンシュのドビュッシーにしては意外と素直で、聴衆反応も通り一遍のものだ。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:交響組曲「春」(ピアノ連弾版),ラペッティ&ダメリーニ(P)(warner)CD,,組曲といっても二曲、その二曲目に初期ドビュッシーで最も有名な、ユーモラスで愉悦的な主題が入っている。のちのケークウォークみたいなやつだ。ピアノ連弾で聴くと思ったより古臭い曲だなあと感じるが、旋律に現れるものはもうドビュッシーそのもの、色彩もただ爽やかなだけではなく巧みに組み合わされている。長さを感じさせないのはディヴェルティスマンとどこが違うのか、単純に旋律かもしれない。演奏は私は好み。リズム、スピード、ニュアンス、この曲にはあっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:小さな黒ん坊,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:白と黒で,○リヒテル、ブリテン(P)(decca)1967/6/20(1966/9/15?)live・CD,,幾多の共演機会のうちでも唯一のドビュッシー。リヒテルに引けを取らず完全に融合した演奏ぶりを見せるブリテンがすばらしい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:白と黒で,ベロフ (P) コラール
ドビュッシー:白と黒で(抜粋),○バルトーク夫妻(P連弾)(HUNGAROTON)1939/4/23・CD,,細部はかなり自在に動かしていくが打鍵が強く明確でスピードもあり、才気煥発なところを魅せている。妻君はまるでバルトークの3、4番目の腕のようにぴたりつけていく。リズム取りに僅か癖があるが民族性に起因するものだろうか。音色は透明でラヴェルを聴いているかのような冷美を感じさせる。弱音部の心象的表現がとくに美しい。このあたりはもう技巧の上でのセンスだろう。ドビュッシーを得意とし初期において影響下にあったのもさもありなん、自分の曲のように弾きこなしているが、全楽章からの細切れ抜粋なのは惜しい。録音は最悪。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:子供の領分(管弦楽編曲),○クラウス指揮バンベルク交響楽団(VIBRATO:CD-R)1953スタジオ録音,,キャプレ編曲版と思われる。モノラルで遠く、けして良い録音とは言わないが、残響が付加されそれらしく幻想的に聞こえる。クラウスはラテンものにも適性を示しており、フランスものにもその色彩的でスマートな芸風がよく映える。しかしここでは編曲の問題でもあるのだがちょっとロマンティックな響きがするというか、音の重心が低いところがあり、流れはスムーズで重くはないのだが、前近代的な雰囲気のあることは否定できない。珍曲といえば珍曲で、ひそやかで無邪気な幻想の単純な反映でもあるから管弦楽で壮大にやられるのはちょっと違う感じもあり、これはクラウスの芸風というよりやはり編曲の問題なのかもしれない。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ドビュッシー:子供の領分〜Y.ゴリウォーグのケークウォーク,ゴーレヴィッチ(P)(pathe)1929/8/2,,残響のない古録音で、まるでピアノロールのようにヨタったテンポがこの曲の受容史を物語るようだ。響きに配慮なし。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:春の挨拶(1882),ナディーヌ・ソトロー(sp)ロザンタール指揮フランス国立歌劇場管弦楽団、合唱団(Ades他)CD,,パリ・オペラ座管弦楽団として近年SACD化もされた50年代後半のロザンタール最盛期と言われる(実際には70年代までは旺盛な指揮活動を行っておりあくまで録音では、という意味)ステレオ初期の大量の優秀録音に含まれている。ラヴェルに師事した最後の世代でありラヴェル録音集はその意味でも貴重だが、実演をよくやった指揮者のセッション録音にありがちな少し硬直したような(精度的には素晴らしい)印象もある。ただ開放的で浮き立つような、生気溢れる明るさは魅力的で、それはドビュッシー集においてより、はっきり現れていると思う。これはドビュッシーの音楽の性向からもきているのだろう。初期も初期、ローマ賞最初の応募作で過去あるいは同時代の作曲家を研究した結果のようなところはあるが、初期の代表的な作品である小組曲を思わせる伴奏音形など、無邪気で軽い楽想の中にも新鮮な動きや和声への嗜好があらわれている。ピアノ伴奏と管弦楽伴奏のどちらがオリジナルか知らないが後者としたらなかなか良くできていると思う(といっても単純だけど)。女声合唱を使ったところで音楽の華やかさをいっそう際立たせ、そこにロザンタールが生き生きとした表現をくわえて作品の生硬さを鞣している、これは聴ける演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:小組曲(ピアノ連弾),ベロフ&コラール(P)(warner他)CD,,メリハリがあって聞きやすい。退屈なテンポもとらないし、とにかく元気。もはや洗練された初期ドビュッシーの簡潔な書法を活かしたものとなっている。すこし録音が古い感もあるがそれはまた別問題。緩急の差のはっきりしたところが私は好きでした。弱音のニュアンスが、音色においてはすこし足りないようにもかんじるが(というより音色変化をもう少し欲しかった)、これは曲の性格的に仕方ないかもしれない。一楽章の終盤など沈んでいく表現は印象的にやってのけているので、意図して設計しているのだろう。三楽章ですら元気、まあ、ピアノ連弾だと曖昧な表現はできないのでこうなるのは必然か。こういう曲はいつも最後の処理を聴いてしまうが上手い。キレイに収まる。そして四楽章の祝祭的表現はもはやドビュッシーがロシアの作曲家のような、前の時代のフランスの作曲家のような作品は書かないと宣言しているようなもので、単純性から行くと前の楽章もふくめ、ラヴェル的な印象を受ける。嬉遊的な曲はフランスの伝統的なものでもあるのだが。元気。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:小組曲(ピアノ連弾),○R.&G.カサドシュ(P)(COLUMBIA,sony)1959/6/25,26・CD,,この決定盤は他の、とくに最近の録音とは違う。ドビュッシーと同じハーモニーを聴き、サティと同じエスプリを体感し、ラヴェルと同じタッチを聴き、そのラヴェルと肩を並べて教鞭を執ったカサドシュがこの曲が言わんとしていることを明確に変化をつけて弾き通した規範である。ドビュッシーは記譜を重視しなかったといわれる。カサドシュは自分の耳で聞き、一曲目ではとくにドビュッシーのハーモニーを再現するために必要なすべてを尽くしている。ドビュッシーのスコアを再現するためには何もしていない。二曲目からは全曲通しでスコアをまとめることなんかしていない。きわめて細かな文節単位で必要な解釈を施し、その集積が結果として大きなまとまりを形作る。とにかく聴かせる。面白い。それに尽きる。ただ上手いなどという残響を多用する演奏に堕ちてはいない。それはとくに奥さんとのタッチの差への配慮にも現れている。カサドシュはとにかくペダルを使わない(古いステレオ録音のせいである可能性もあるが多分ラヴェルの系統のフランスだから粒だったカラッとしたタッチを好んでいるのだと思う)、それが譜面に現れない真にリズミカルな音楽を生む。この二人の共同作業に匹敵する同曲の演奏コンビを知らない。何度でも聴いて噛みしめる価値のある演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ドビュッシー:小組曲(ピアノ連弾),ベロフ、コラール(P)(EMI)1982/4,,ちょっと力強すぎるか。余りに明確でハリキリすぎてる気がする。単純な曲だし、力を入れる必要はないのだから、もっと詩情を前面に打ち出したほうが曲想にあっている気がする。どうもこの曲は管弦楽で弾いてはじめて知ったもので、ピアノのスカスカな響きには違和感がある。。無印。但し終楽章は明るく溌剌としていていい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:小組曲(ヴァイオリンとピアノ編曲)〜T.小舟にて,○クリモフ(Vn)スヴェトラーノフ(P)(LANNE:CD-R/MELODIYA)1982/4/13音楽院live ,,板起こし。個人的にはこの日の雑多なプログラムの中で一番惹かれたもので、性急な表現になってしまいがちなその他の曲にくらべ平坦でのっぺりとしており、ほっと落ち着くのである(しかし聴衆反応はどの曲でも判で押したように大喝采だが・・・)。編曲がかなり簡素で検証はしていないが恐らく原曲のピアノ連弾をそのままヴァイオリンとピアノに分け持たせただけだろう。ヴァイオリンにとってこういう音数の少なく要求表現の幅の小さい曲は難しい。逆にソリストの技量が試される。その点クリモフは高音の伸びがいまいちというか、長い音で音程が不安定になるところが気になった(ただ板起こしのため原盤が歪んでしまっているだけかもしれない)。でもそれくらいで、違和感しきりの編曲であるにもかかわらず、ほんわかした。何じゃこの感想。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:小組曲(オレネフ独奏編)(原曲1888ー89),○スヴェトラーノフ(p)(MELODIYA他)独奏用の編曲。妙に軽く、ちょっと変な感じの編曲だ。いくらなんでも二手では違和感は拭えないか。旋律の盛り上げかたはスヴェトラそのもの、これが管弦楽だったらさぞアクの強い演奏になったろう、というような演奏。音色はあいかわらずぶっきらぼうだが、弱音部の陶酔的なテンポの落とし方など専門ピアニストじゃ絶対やらないだろう。ふつうは絶対やらないことをしているからスヴェトラは面白いのだ。曲には違和感しきりだが、一歩一歩踏みしめるような表現は耳を惹く。ピアノ独奏ならではの崩しかた、なかなかです。ロシア系の小組曲はそもそも少ないが、管弦楽版となるとコンドラシンの盤がメロディアに存在する(未聴)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編),○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA)1961/2・CD,,ちょっと重いか。もっと颯爽として軽い曲である。編成が大きすぎるのか?こんなに稀有壮大にやられるとマルティノンの正規録音もそうだが「キッチュなほど」大げさに聞こえてしまう。太鼓とかあんまりとどろかせないでほしいなあ。それでいて印象にも残らない。スピードもやや遅い。しかし現代の水準からしても十分通用する技巧レベルから○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編),○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(venezia/MELODIYA)CD,,2012年ヴェネツィアレーベルより復刻、ボックス収録。ステレオ。しょっぱなからいきなり恍惚としたテンポにのけぞる。何というロマンチシズム!それが4楽章の緩徐部にいたるまで続くのだ。コンドラシンらしい前進性は4楽章のワルツ主題にしかあらわれず、それも音のキレだけで、テンポはかなり穏やかだ。意外と色彩的な広がりは好録音ゆえのことだとは思うが、かなりガウク的なフランスものであり、万人向けでもコンドラシンマニア向けでもない。個人的にはロマンチシズムはアリ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編),○ビュッセル指揮コンセール・ストララム管弦楽団(ANDANTE)1931/5/26・CD,,急くようにつんのめり気味なのが時折気になるがこの無理したような速いテンポは収録時間の関係だろうか。新録より若々しいとも言える。素朴な音だけど作曲(編曲)時期に近いだけの生々しさがあり、とくに4楽章は荒さが味になっている。上手いオケではないが音や表現に実に雰囲気があるから、技術や音質にこだわりがなければ楽しめるだろう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)(原曲1888ー89),◎ビュッセル指揮フランス国営放送管弦楽団(COLUMBIA/PATHE)1952:LP SPではパリ交響楽団と表記されていたようだ。ビュッセルは作曲家の友人(指揮、作曲)で、これはその指示を受けながらピアノ連弾の原曲より1907年管弦楽編曲されたもの。春のうららの平明で晴朗な曲感はわかりやすくきれいで、作曲家のオーケストレーションではないにも関わらず人気者。アマチュアでもよく取り上げられる。1楽章:小船にて、2楽章:行列、3楽章:メヌエット、4楽章:バレエ。対照的な楽章をはす違いに配し、いずれも小粒ながら旋律はきわめて明確でしっかりした形式感を持っている。ドビュッシーらしい冒険はまだ控えめだが、ビュッセルの施した水彩画のような色彩はこれが新しい時代の音楽であることを改めて認識させる。この演奏はそんなビュッセルの指揮だから軽やかで耽美的と思っていたが、意外と重量感があり、充実した響きにびっくり。ドイツふうだな、とさえ思った。オケの明るい音色からも、いわゆる鈍重な演奏になることはないのだが。奇矯な音を響かせるよりも全体の構成感を大事にしているようだ。そのため輪をかけて聞き易くなっているのは確かで、ちょっと違和感はあるもののこれが編曲者の意図だったのかとハッとさせられるところがけっこうある。ゆったりしたフレーズのニュアンス付けがロマンティックで情緒てんめんだが、弦が薄い?せいかあまり目立たない。バイオリンの旋律にはしばしばばらけたような音が混ざるが気にはならない。この時代でこの抜けのよい明晰な音であるということは紛れも無く優秀録音ということなのだが、私の手元の盤は傷多く雑音が多い。◎。この盤は高額なら手に入る可能性がある。ビュッセルは100歳以上も長生きし、1970年代まで健在だったが、指揮記録はごく古いものしかない模様。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編),ゴッドフリー指揮LSO(columbia)SP,,解釈的に凡演なうえにオケが弱い。縦があやふやになりがちで、終楽章では弦がズレて崩壊寸前までいっている箇所もある。リズム感の問題か。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)(原曲1888ー89),アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(WING)大仰な表情付けのマルティノン版「行列」をきくと違和感もおぼえるものの、「展覧会の絵」宜しくこれをビュッセル作品とみるなら、典雅で爽やかな佳品といえよう。舞曲の瑞々しさは白眉だが、いくぶんマスネーふうの香りをのこす。効果的だが常套的オーケストレイションは、合理性より哲学性や実験性を重んじる(結果は賛否あるが)ドビュッシーという怪物のものにしては、”引っかかり”がないけれども、耳触りの良さで人気曲のひとつとなっている。新大陸を”発見”したコロンブスのように、全音音階の”発見者”とされるドビュッシーの、若き模索時期・・・80年代とくに前半のドビュッシー初期作品、通常触れる機会はまず無いだろう。ワグネリアンであり、ムソルグスキー&チャイコフスキー+ジャワのはからずも使徒?であった時代の作品、店頭で見つけられる盤もあんまり無い。手元にあるものでいうと80年代中盤から後半・・・交響組曲「春」(非常に”微妙な”バランスのまさに過渡期作品・同名で歌の作品もあるが未確認)、ローマ賞のカンタータ「放蕩息子」(ストラヴィンスキーじゃない)、同「選ばれしおとめ」(私はこの曲、牧神以上に買っている)・・・その他歌曲(「忘れられた小歌」は86ー88年作品)はおびただしくあるが、個人的に苦手(フランス語できない)ゆえ余り聞いていない。歌曲はこのさい一寸省かせていただくと、「メック夫人のガキを教えていたころ、学生の芸術脳は何を画策していたのか?」・・・マラルメを窓(ウィンドウズ)として象徴主義哲学を植え付けられていたのだろう(検証はしてません。予め間違ってたらごめんなさい)。となると、さしずめビル・ゲイツ?・・・わけがわからない脱線マニア冗談はさておき、ドビュッシーは音楽専門バカーではなかった。もっと汎的な芸術の流れの上に自ずの才能を開花させたのは明白だ。アカデミズムの音楽専門バカーに反目しつつも有無を言わせぬ才能を見せ付ける上で、徐々に徐々に個性を開示していったのだろう。なんでこんな話しをするのかというと、手元にドビュッシー初期についての2つの資料がある。ひとつは恐らく録音もされているが、1880年(18歳)の作品、ピアノ三重奏曲の楽譜。もうひとつは1880年より81年に手を付けて完成しなかった作品、交響曲ロ短調のCDである(ピアノ版)。これらはほぼ同じ時期、音楽史上に名を残す大パトロン・メック夫人との、怪しい?カンケイの最中?に編み出されたものだが、雰囲気が違う。トリオ1楽章を例に挙げれば、非常に微細で非論理的な転調・・・たんに一度(or半音)上げて、あいまいなうちに戻るとか、プロコフィエフのような突然のオクターブ上昇、チャイコフスキー張りのシャープ/フラット記号の集中、美しく新鮮な分散和音の挿入など・・・や、後年の新鮮な典雅さを予感させる音形・・・二ないし四分音符+八分音符を巧みに交叉させた、小節線を跨ぐ一寸妙なリズム感覚、そこへ突如気まぐれに紛れ込む・・・春の花びらの窓から舞い込むように・・・十六分音符たちの流麗さ、ウン・ポコ・ラレンタンド(103〜)での緩やかな二拍三連はディーリアス作品のような夢見る動き、アレグロ・アパッショナートの再現(174〜)直前の全ての八分音符にアタックの付いた力強い下降音形はチャイコフスキー的だが、 210からのヴァイオリンの昇降する分散和音は、バッハの昔のそれではなく、のちの弦楽四重奏曲などを思わせる現代的なロマンスが有る。そのあとも 3楽章すべて一応完成されているが、気まぐれな感性の奔放さが見られ、全てのリーフに独自の感性の片鱗が伺える。分析的に見れば既に怪物ドビュッシーの顕れた面白い曲と感じることができよう(感動面では真×の可能性あり、そういう曲)。さて一方の交響曲、単一楽章の断片だけだけれども、「これっていつの作品?」と戸惑うほどなのだ。この息の長い旋律、ひょっとしてラフマニノフ幼児期の作品・・・?白眉といえば白眉(二つの旋律がいかにも初期ドビュッシーの品の良い美感に溢れている)の中間部レントでは微妙にずらした不協和音が織り交ざり、幻想曲などを予感させるが、よほど注意しないとわからないだろう。やっぱり第一印象は、やけに明るく透明感の有るチャイコフスキー・・・「灰汁抜き」されたロマン派音楽。「旋律が全て」。冒頭アレグロ、憂愁の主題がひたすら律義に繰り返し展開。 2楽章ともされる緩徐部が瞬く間に過ぎて、”3楽章”プリモ・テンポでは勝利への闘いが再燃(笑)、憂愁の主題は勇壮の主題となって大団円。旋律が全て。耳をひかない旋律では決して無いが、あからさまで、僅かも旋法的でなく、ドビュッシーらしくない。フレーズ途中で繊細な転調をおこなうといった、トリオにみられる機知が無い。よーく聴けば、小節線を跨ぐフレーズ間の有機的な繋ぎ方や、微妙な転調(トリオ同様)が優雅で軽やかな雰囲気をもたらし、”フランスっぽく”もある。有機的に伸縮する旋律構造に、前記トリオに通じる個性も垣間見えよう。繰り返しになるが良い旋律をもっているし品の良さもあるものの、連弾版でなくKOCHの管弦楽編曲(フォルドナー)できくと特にそうなのだが、聴後何か足りない気がするのだ。同盤は管弦楽といっても2手分のみを小編成の管弦楽配置した、いかにも教科書的なピアノ協奏曲風編曲なのだがシカゴ交響楽団のすこぶる名技(ソロヴァイオリンの美音には驚嘆)に支えられているから聴けるものの、これが啓蒙指揮者のやみくもなオケによる盤だったらどうなっていただろう。 ”3楽章”冒頭の度肝を抜くホルン斉唱(マーラーかこれは?)などオケがオケならほんとにロシア音楽だ。これは編曲の問題だが。 さて、この作風の違い、謎である。作曲動機等調べればカンタンなことかもしれないが、後の楽しみにとっておく。音楽の楽しみの一つに、じっくり謎を追求することが有る。安易に答えを求めては台無しだ。別記した幻想曲や小組曲くらいの頃になると、特徴的なリズム・音形(ピアノならともかく弦は弾きづらいんだこれは)、明るみ、軽やかさ、音楽ではないと揶揄される寸前もしくは寸後の調性感覚が、しかし明瞭な旋律性(抜群に耳触りが良く、サン・サン(サン・サーンスですって、わかってますそんなこと)程度には尖鋭)とあいまって独自のサロン風世界を形作り、おネエ様方を喜ばせる機知に富むようになる。ところが余り間をあけず、さらに一歩進め、「媚び」を完全廃止した記念碑的作品「牧神の午後への前奏曲」(1892-4)ではもう語法の完成された個性ドビュッシーが屹立してしまう。この10年にも満たない期間の瑞々しい音の小宇宙は閉ざされたままとなった。そこで止まっても充分音楽辞典に名を残すくらいにはなれただろうに。ここでヴォーン・ウィリアムズの言葉を思い出す。「彼はしようとしてしたわけではない。彼にはそうするしかなかったのだ」。いやはや、凄い作曲家だ。この人ひとりの才覚で何人の作曲家を創り出せただろう。(賛美おわり)アンゲルブレシュトはロマンティックな濃厚さが漂う「らしくない」演奏。面白いし聴ける演奏だ。なによりパス・デ・ループ(パドルーですって、わかってますそんなこと)の、優しく、色の有る管楽の表現が救いとなっているものの、終始重いテンポ、存外重厚なハーモニー、凡百指揮者のような刹那恣意の挿入には、違和感がある。若かったのだろう。悪いことを書いてしまったが、「音の取りまとめにおける客観性」・・・これは言葉で説明しづらいのだが、融合させすぎず(ちんまりした堅い塊になってしまう)バラバラにもならず(アマオケ状態)の絶妙な間合い、とにかく後年の解釈の萌芽は見えるので、ファンは一聴されてもまあいいではないでしょうか。マイナーだが日本盤ですし。SPの直復刻、さらさらしたホワイトノイズが聴きやすく、併録のマザー・グース(マ・メール・ロアですって、わかってますそんなこと)のブチブチ雑音より数倍聴きやすい。分離もいい方。総じて遠距離感(暗闇で遠くの窓から美しい光景を垣間見ている気分、「マルコヴィッチ」的かも)ある茫洋とした記録ではある。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編),アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(SLS他)1929-30,同上,SP復刻でかつてCDになっていた。ポッとした素朴な味わいは牧歌的な曲やオールドなオケ以上にまだ若いアンゲルブレシュトの正硬な棒による印象だろう。丁寧にスコアをなぞるようなやり口で、人工的にデジタルな大きな起伏を作る感じは後年に通じるが、情緒的に少し鞣しその支配下において情感を醸させる、フランスオケの音色の明るさと華やかさがあるから聞き物として成立している面もあろう。3楽章は装飾的な跳ねる音を明確にコントラスト付けて出させるなど各所に強調的な表現がみられる。テンポはゆったりしたインテンポだが、後年よりぬるまゆい情緒があるのは音色だけの理由だろうか。けして乱れさせないキッチリ揃えられた4楽章、テンポが前に向かわないもどかしさはあるが、響きは充実しており、ドイツの演奏ぽい縦ノリ感だ。まあ、乱れさせないようにテンポを緩めしっかり弾かせるのはSP時代の骨董録音にままあることなので、アンゲルブレシュトだけの話でもない。,-----,,,,,,,,,,,,,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編),○アルベール・ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(POLYDOOR)SP,,SP盤の傾向として収録時間の関係上回転数をやや上げてしまうことがあり、この盤もピッチがかなり高く演奏自体も速度感を強く感じることから元演奏とはやや異なったものとなっている可能性が高い。古い盤ゆえ聞きづらい面もあるがSPは基本的に雑音も多いぶん音が明晰なので、華やかな時代の古きよき情緒を感じさせる媒体としてはうってつけだ。ヴォルフは同時代音楽と非常に縁があり活動期間も長期にわたったが、肝心のパリ時代はSP時代であったゆえに復刻がスムーズにいっているとは言いがたい。一組復刻集が出たほかは単発で他の盤に一緒に収録されているのみである。,,演奏だが颯爽として情緒的な揺れの無い指揮ぶりは周知のとおりである。ラヴェル向きの指揮者であり、ただこの演奏でも奏者側の情緒によってその不感性的な芸風が十分に補われており、ダイナミズムにも溢れ躍動感はなかなかのものである。録音の特異性をかんがみても性急すぎる感は否めないが、まずはオケの噎せ返るような音に耳を傾けよう。また書くかもしれない。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"",-----,,,-----,,,-----,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)(原曲1888ー89),○チェリビダッケ指揮ベルリン交響楽団(ARLECCHINO)1949/5/5LIVEピッチが高すぎる!いくらなんでもこれは違和感の1楽章。2楽章以降はけっこうリズミカルだし、何より正確でひびきが良いのがいい。ドビュッシズムを理解しているとは思えないが、これはチェリズムの既にして完成されたスタイルをはっきり示している。透明感が肝心の曲だがその点でチェリは最適の指揮者、くぐもった重心の低い音響が持ち味のベルリン響に柔和で繊細な味を加えている。ただ、録音悪すぎ。4楽章などライヴらしいグルーヴ感がかなりいいのだが、○止まりです。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)(原曲1888ー89),◎パレー指揮デトロイト交響楽団(MERCURY)1959/4・CDリズミカルな演奏で、明瞭な輪郭の音楽に素直なよろこびが込められている。2楽章のトライアングルが溌剌としていていい。1楽章の喜遊的な雰囲気をさらに盛り立てている。とにかくリズム感がいい。 フレージングも統一され、かと言ってフレージングにテンポが振り回されることはなく、フランス音楽というものをよくわかった人が振っているな、と感じる。最後の上向音形で音をひとつひとつ切りつめていたのはこの人のリズム重視の姿勢が端的に伺えて面白い。3楽章も早めのテンポで明るい色彩を失わない。色とりどりのカラフルな音楽にはビュッセルの職人的な編曲の才が光っている。バレエはもうパレーを楽しんでください、と言った感じ。速い速い。嫌が応にも気分を高揚させられる。踊りの音楽として微妙な揺らしが入るのもポイント。音色にやや独自色が無い感も受けるが元の曲がうまくできているのでこれはこれでいいと思う。楽しい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)(原曲1888ー89),アンセルメ指揮パリ音楽院管弦楽団(LYS・DANTE・RADIO FRANCE)1948どうもイマイチだ。オケの集中力が散漫で技術的にもあやふや。アンセルメも「ならでは」の色薄く、盛り上がらない。つまらない。録音も悪くて牧歌的な雰囲気が損なわれている。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)(原曲1888ー89),コッポラ指揮管弦楽団(lys)1930/1つんのめり気味のテンポがうーん・・・。録音が貧弱なのは仕方ないが、どうにも乱暴な演奏ではある。繊細で淡い色調に魅力のすべてがある曲だから、録音十字軍なこの人の演奏ゆえ無碍には扱えないが、それにしてもちょっと雑です。とくにリズム感の悪さが気になった。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)(原曲1888ー89),マルティノン指揮ORTF(EMI)アンゲルブレシュトと対照的な新しい録音としてマルティノンは光に満ちたオケが最高だが、少し重い。ルーセルを得意としただけあって舞曲表現は浮き立ってきこえるがちょっと録音気張りがあるように感じた。同盤ききどころは実はキャプレ編曲の「子供の領分」組曲で、改めていつか書こうと思うが、ピアノのそれとは全く別の曲と見た場合、素晴らしい名曲。際物に対する意外感覚がいつしか別個の感傷を呉れた。キャプレ独特の世界である(これも冒頭言ったとおりドビュッシーの曲ではなくキャプレの曲と聴くのが正しい)。ヴォーン・ウィリアムズやイベールなどの名曲に匹敵する眩いばかりの美しい曲。・・・ゴリウォーグのケークウォークを除けば。あれはいくらなんでも。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)(原曲1888ー89),クリュイタンス パリ音楽院O
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)(原曲1888ー89),パイヤール パイヤール室内O
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)(原曲1888ー89)〜T.小舟にて,レイボヴィッツ指揮パリ・コンサート・ソサエティ(音楽院)管弦楽団(CHESKY)1960/6うーん、この曲は素直なだけに難しい。ただ旋律を流すだけでいいというものではなく、牧歌的な雰囲気を単純な構造の中にどうやって持ち込んでいくか、という点が難しい。フルートの音色にもっと柔らかい抒情が欲しいし、木管全般にもっと繊細さが欲しい(無茶言ってますが)。弦もちょっとクリアすぎる。これは録音のせいかもしれない。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)(原曲1888ー89)〜T、W,○ビーチャム指揮ビーチャム交響楽団(SYMPOSIUM)1918・CD,,かなり意外なことにずいぶんとクリアで生々しい音だ。木管がド前に出ていて非常に聴き易い。とはいえ古い録音に慣れないかたには薦められないが、ビーチャムとは思えぬ恣意的な解釈(シンバルの強調とか極端なテンポ・ルバートとか)が入り、しかしそれがまた程良い個性となって自然に耳に入ってくる。是がまたいいんです。軽く透明感があり品の良い派手さに浮き立つ音楽性には、フランスものがやっぱりあっている。ひょっとするとディーリアスのくぐもりよりもこっちのほうがあっているのではないか、と個人的には思うくらいフランス音楽になっているこの演奏、◎にしたいが録音マイナスで○にしておく。いい。 ,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)〜T.小舟にて,○ビーチャム指揮?(DA:CD-R)1943/7/6ArmedForcesConcert・放送live,,「コンサートホールオーケストラ」の客演記録。異常にデロデロしたロマンティックな起伏ある解釈の施された演奏で、ロシア式解釈の一種趣すらある。オケも前時代の演奏様式を引きずるような感傷的なフレージングに音色で曲のあからさまな魅力の素直な反映を示している。ビーチャムはときどきこの曲をやっていたが、ここまでロマンティックなものは聞かない。私は面白かった。ビーチャムだからそれでも、爽やかで仄かなのだ。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)〜W.バレエ,○バルビローリ指揮ニューヨーク・フィル(DUTTON/CBS)1940/12/16・CD,,以前書いたラプソディと一緒に録音されたもの。NYPらしいしなやかな表現力が駆使され、バルビらしい歌謡的な流れを重厚に彩っている。この曲の演奏としてはまさに特異で、ロマン派そのもの、ウィンナー・ワルツすれすれの舞曲表現に驚かされると共に意外とすんなりハマって聴くことができる。スウィング、スウィング!バルビにしかできない揺れまくり(でもスタジオ録音だからそれほどズレない(全くとは言わない))の演奏、3分強と短いが一聴価値あり。復刻添付残響がややうざいが聴き易いことは聴き易い。全曲聴きたかった。○。このアルバムはNYP版のラ・ヴァルスなんかも入っている(が、この曲のほうが演奏的には楽しめる)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,○グランジャニー(HRP)シルバン・レビン指揮ビクター弦楽合奏団(HMV/SLS/ANDANTE)1940(1945/3/12?)・CD,,作曲家ゆかりの男性ハーピスト、グランジャーニの旧録。野太く力強い音はやや悪い録音のせいか幾分後退し、寧ろロマンティックなニュアンスの微妙な揺らぎさえ感じさせる雰囲気あるものに仕上がっている。テンポは幾分速く爽やかさに拍車をかける。なかなか普通に聞ける佳演。andanteは45年の日付を記しているがvictorの1940年録音と同一音源の可能性が高い。
SLSがSP復刻したものは同じ音源と思われる。針音をまったく削らない「自炊音質」で「あとはお好きに除去どうぞ」状態なのだが、ぱちぱちノイズの奥からはやはりこの人のフランスで生まれ育ち教育を受けた経験がより近い時代にて澄みやかに伝わる、女流ハーピストもかくやというような典雅な演奏となっているのがわかる(活動の中心はアメリカで1945年国籍取得)。表情付けというか恣意性はここでもわずかに表れ特徴づけるものとなっている。従前日本語としてグランジャーニと表記してきたが、グランジャニーという読みに統一されたようなので以後グランジャニーとし、過去ログも修正する。
ところでいまだに遠い昔に読んだ書籍にあった「ドビュッシーの賞賛を受けた」という文章のソースが見つからない。ラスキーヌと父ジャメがこの曲の解釈について作曲家より示唆を受けた話についてはマリ・クレール女史のLPジャケットライナーにかかれていたが、ラスキーヌとグランジャニーは同世代であり、ハープの世界は当時10代前半で既に音楽学校にてソリストとしての道をひかれるものであったことから、邂逅はありうるものと考えている(がどちらも10代中盤でのことだったのではないか)。ラヴェルと演奏を共にしたというのは時代的に珍しくはない。,,
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ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲(1904),○グランジャニー(HRP)ハリウッド弦楽四重奏団ほか(CAPITOL/emi),ハープのためのアンサンブル集は当時としては珍しかったことでしょう。ラヴェルの序奏とアレグロ、グランジャーニ自身の作を含むソロ曲が併録されています。線が太くて耳に迫る音。ギター並みの迫力は、アメリカ録音のせいだけでもないでしょうね。はっきりした表現ですから好き嫌いはあるでしょうが、ラスキーヌのように透徹したアプローチとは異なるドビュッシーが妙に真に迫っています。この人については余り調べていないので、このレコード以外知りませんが、面白そうですね。ハープのイメージが少し変わりました。ドビュッシーと個人的に親交もあったとのことです。,,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,○グランジャニー(hrp)F.スラットキン指揮コンサートアーツ弦楽合奏団(capital)LP,,しっかりした演奏、といってもドイツ風の重い堅牢な演奏ということではなくて骨組みのしっかりした緩くならない演奏という意味である。グランジャーニのまったく安定した表現は曲と時代と作曲家そのものを知り尽くした人ならではというものか。バックオケもしっかりしている。スラットキン父のおかげだ(自分も弾いているみたい)。グランジャーニは指がしっかりしていて、とにかくパキパキいうのが心地いい。品性の溢れるセンスあるエスプリに満ちた音色にも惹かれる。技術的にはずいぶんと余裕があり、もっとバリバリ技巧をひけらかしてもいいくらいなのに、ここが品格というものなのだろう。世俗的な舞曲の最後はちょっとテンポを落としてスケールを大きめに表現しているが、最後まで品は失わない。素晴らしい。録音マイナスで○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,○グランジャニー(hrp)F.スラットキン指揮コンサートアーツ弦楽合奏団(capital/EMI)LP,同上,同じ音盤を何度書くんだって話だが、こんかいは再生機器によって印象がこうも変わるかという話。グランジャーニのギタリスティックで男らしい演奏と書いていたけれども、わりと自然な環境で聴くと気にならない。音色が比較的モノトーンではあるのだが音楽が音楽だけに、それそのものの色は明らかに聴こえてくるし、野太さというのはマイクセッティングの問題のようだ、聴取環境によって不自然さは十分吸収できた。ラスキーヌらのような女性ハーピストならではの軽やかな幻想は無い。しかし、律動と緊密さの中に香気が程よく漂う細やかさで、アングロサクソン的なアンサンブルの中にあるからか、英国の演奏を聴いているような、穏やかで、サロン的過ぎない純音楽的感興をおぼえる。技巧的には完璧。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,○グランジャニー(HRP)ブダペスト弦楽四重奏団(BRIDGE)CD,,いかんせん古くて音が悪いがこのハーピストの芯の通ったリリシズムを存分に味わえる佳録だ。完全にハープを前面に押し出した録音となっており、グランジャーニの同曲の記録中でも最も細かいところまで聴くことが出来るものになっている。全く素晴らしい技巧と音楽性のバランスで、どこにも淀みも重さもなく、かといって軽く透明感だけしかない類の演奏とも違う。改めてドビュッシーの現代ハープの書法の素晴らしさにも感銘を受ける。また雰囲気がいい。ブダペストも表立ってはこないが完璧な音響を響かせている。世俗的な舞曲における彼らの急くように煽るテンポと、それに応えてハープの魅力を存分に振り撒くグランジャーニの極めて自然でなおかつ覇気のある演奏ぶりにかつてないカタルシスをおぼえた。録音マイナスで○にしておくが、今まで聞いた中でも第一級の演奏である。古い録音に慣れているかたには是非お勧めする。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,○メイソン・ストックトン(hrp)ハリウッド四重奏団(testament他)1951・CD,,明瞭で技術的には過不足無いが、これといった特徴もなく、50年代アメリカの演奏だなあ、という感じ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲(1904),ハリウッド四重奏団他(CAPITAL/TESTAMENT他)CD,同上,やっぱり繊細さが欲しい、ドビュッシーには。まばゆく柔らかく儚いひびきが必要だ。舞曲表現も優等生的で確かに正確だが音楽を浮き立たせるような「揺らし」がない。いいんだけれども、私はよくある演奏、という聴後感。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,○ピエール・ジャメ(Hrp)キャプドヴィエル指揮室内楽協会管弦楽団(TIMPANI/ducretet thomson)1952/6/16・CD,,P.ジャメの演奏はどこか地味である。だから逆に静かな曲には調和して美しくやわらかい光彩をはなつ。ただ・・・録音が悪すぎる。悪録音の場合よほどの個性を発揮していないと「ぱっとしない」以外の印象が残らないものである。けして悪演奏ではあるまい、しかし静かで穏やかという以外の感想はまったく出なかった。○にはしておく。,,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲〜断片,ピエール.ジャメ(Hrp)ブーレーズ指揮アンサンブル・アンテルコンタンポラン(AIH)LIVE、DVD,,死の一年前のインタビュー映像をまとめた回顧的な企画で、私的な弟子の演奏会風景をまじえた最後に、「これで私は音楽人生を終えた」と感慨深く語るごく短い私的映像が入る。冒頭のみでほとんど全容はわからないが、娘マリ・クレールを通しての依頼に駆け付け指揮してくれたブーレーズへの尊敬と感謝の言葉が97歳の老教師から語られる、連綿と確かに繋がっているフランス楽派の結束に羨ましさを覚えたりした。短いが素晴らしい記録映画で英語字幕あり、機会があればぜひ。但し演奏は見えないので無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,マリ=クレール・ジャメ(hrp)デルヴォ指揮ORTF1973/11/7live(放送日?),,パッとしない。ソリストの手元の動きがダイレクトに伝わる一方、とくに最後などオケの音量が完全に落ちてしまってバランスが悪い。ピンとこなかった。ina配信,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,◯ジャニーヌ・パレナン(hrp)アンゲルブレシュト指揮?パレナン四重奏団(french bro)LP,,晴れ晴れとした演奏で音も比較的良く、とくにパレナン四重奏団の感情を上手くコントロールしながらの明晰な演奏ぶりには惹かれる。良い演奏。データではアンゲルブレシュト指揮とあるが作品規模・編成からいって恐らく誤り。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,○メイソン・ストックトン(hrp)F.スラットキン指揮コンサート・アーツ弦楽合奏団(capital)LP,,遅めのテンポで確かめるように進むが決して表現が強くはならず比較的繊細にできているほうである。金属的な音がやや耳につくが(ハープ)ストレートに楽しめるものとは言えるだろう。とつとつとした印象すらあたえるソリストではあるが決して技術が無いわけではないと思う。味が無いだけだ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,ラスキーヌ(hrp)コッポラ指揮グラモフォン交響楽団(gramophone/lys)1929/8,,SP期に信じられないほどの大量録音を成したピエロ・コッポラのドビュッシー山脈より。コッポラはフランスの指揮者にしては隈取りの濃いはっきりした表現をする。颯爽としたテンポというか、メトロノームテンポというかどうも一本調子で、フランスの演奏に期待されるものが無い場合も多い。この曲も起伏がデジタルで、音色は後退するが、そのぶんラスキーヌの例えようもないリリシズムが浮き立っている。まったくデリカシーのない野太い音の奏者というイメージもあるのだが、ここでは若いのにむしろ優しく繊細な演奏ぶりで、ただ美しいだけではない音色表現が、天賦の才能をも感じさせる。,,マリ・クレール女史だったか、音楽院の扉外で父ジャメ氏とラスキーヌ女史が、何かの解釈について喧々諤々やっていて、耳をそばだてると、ドビュッシーはこう言っていた、いや、私はこう聞いた、などというものであった。しばし感慨にふけったと。ラスキーヌという人はいやはや、晩年まで衰えることなく、新しいイメージすらあるけれども、ハープの近代史そのものだったのだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,ラスキーヌ(hrp)コッポラ指揮交響楽団,同上か,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,ラスキーヌ(hrp)パイヤール パイヤール室内O
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,○ベルクハウト(HRP)ムジカ・ダ・カメラ(decca)LP,,繊細でリリカルで節度あるニュアンス付けがなかなかのハーピズムを振り撒いている。このアルカイックでいかにもドビュッシーらしい典雅な作品に期待されるそのものがここにある。感心してしまった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,○ドゥローワ(Hrp)ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団のメンバー(MELODIYA)LP,,輪郭が明確な演奏だ。しかしガウクとは思えないほど表情付けが巧い。フランス的というか、少なくともハリウッド四重奏団あたりがやっていたくらいのレベルには達しているのである。ラスキーヌを思わせる力強いハープの音にドライヴされ、楽曲は至極まっとうに気持ちをドビュッシーの旋律と響きの「はっきりとした美しさ」を浮き彫りにされていく。そう、この曲は印象派でもなんでもない、まったく明確な旋律と構造をもった不明瞭のかけらもない曲なのであり、プロがまとめれば失敗しようがないのである。◎でもいいくらいだが、○にしておこう。何しろ、ガウクとは思えないくらいアメリカ的なニュートラルさがあったのだから。うますぎます。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,○バートレット(HRP)バルビローリ指揮NGS室内管弦楽団(NGS)1927/1/3・SP,,バルビローリ指揮活動初期の録音群のうちのひとつで、前にCD化していたと思うのだが・・・別記したWEB配信元によればバートレットはピアノとの表記があるがハープ。演奏は時代なりの纏綿としたフレージングを多用しそうなものだがそれは世俗的な舞曲の最後だけで、それ以外はテンポ設定もそれほど遅くは無く、音色はいいのだが解釈的には寧ろ無個性にも感じる。特に後年有名となった弦楽器の連綿と繋がるボウイングはここでは聴かれない。SP期ならではのやり直しのきかない、そのあたりの多少のアバウトさは仕方あるまい。全般私は普通に楽しめた。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲(1904),フィリップス(HRP)ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(ANDANTE)1931/4/4変な演奏。なんだか妙に分厚い。雰囲気は悪くないし、音楽も流れて聴き易いのだが、録音の悪さもあって幻想が足りない。典雅な雰囲気の無い独特の演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,シャラン(HRP)クリュイタンス パリ音楽院O
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲,プロメテウス・アンサンブル
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲(1904),サバレタ(HRP)フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(DG)1957/1明瞭な輪郭の音楽は少しあからさますぎる感もあるが、サバレタのハープは一つの個性を示していて面白い。ラスキーヌのような完璧さはないし、グランジャーニのような表現力もないが、古代楽器のような、太鼓に弦をつけたような響きや実直な演奏ぶりは面白い。ともあれちょっと繊細さが足りない(オケ含め)からここでは無印としておきます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲(作曲家二台ピアノ編曲),ラペッティ&ダメリーニ(P)(warner)CD,,工夫の施された編曲なのだが演奏が硬質で柔らかな抒情に欠ける。しかしそういう編曲、楽器なのかもしれないし、そもそもハープのコンチェルトをピアノにやらせるのは無理がある。先入観なしに聴けば唯の旋律音楽として楽しめるかもしれないが、華麗に弾き上げる箇所もあるのだが、この曲は原曲が出来過ぎている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲〜U.,◎モレッティ(HRP)ジェラール・プーレ(Vn)デスジャーディンス(DB)パリジー四重奏団(NAIVE)CD,,古今東西最も典雅な曲だ。確かに神聖な舞曲は余りぱっとしない曲だが、全曲出さなかったのは何故?豊饒な演奏でプーレの自由な表現にゆったり浸れる。他のメンバーもフランスものにかけては手だれ揃い。ゆったりだが通常余りやられない起伏のある演奏は単曲録音したせいなのか?これはオムニバスだが小洒落たカフェ向きなのでぜひ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:石炭の明かりに照らされた夕べ,○青柳いづみこ(P)(camerata)2012/6/21・CD,,一般に、やつれ果てた「エレジー」が最晩年のピアノ曲と思われがちだが、これはその1915年よりさらに2年後のほんとの最晩年作になる。冒頭、同時代の前衛のような硬質の低い轟に最晩年を思わせるや、夢のように立ち昇る古い作品のメロディ、軽やかな響きが意外性をもって聴くものを包み込み、風のように去る。一分半のきわめて短い作品だが、エレジーもそうであるようにすっかり作曲家としての生気を失って、純粋な感覚のみで描いている。厳冬に炭屋への御礼として書いたといい、実際タイトルも含めて過去作品の素材をいくつか流用しているというが、簡素に、いかにもドビュッシーのイメージに沿うた部分を、思い出を語るかのように苦渋の中に書き留めたようで、何とも言えない気持ちになる。作品はむしろ聴きやすく、演奏も過剰なところがなく明確で、おすすめできる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:練習曲集第1集、第2集,ギーゼキング (P)(EMI)CD
ドビュッシー:練習曲集第1集,フランソワ (P)(EMI)CD
ドビュッシー:前奏曲集第1集1、11、10,作曲家(P-ROLL)1913
ドビュッシー:前奏曲集第1集1、6、11、12,○バシュキーロフ(P)(melodiya)LP,,バシュキーロフのドビュッシーにはライヴの前奏曲集抜粋(1-10沈める寺、1-6雪の上の足跡、1-9とだえたセレナード、2-3ヴィーノの門、2-12花火)もあるが、合せて9つがメロディヤ正規録音の全てとなる。こちらはスタジオもので、デルフィの舞姫、雪の上の足跡、パックの踊り、ミンストレルが順番に収録され、裏面にはプロコフィエフの8番ソナタが入っている。演奏は即物的だがやはり非常にすぐれた技巧をきらめかせており、音符の詰め込まれたパセージや、躍動的な楽想で最もその威力を発揮している。いささかの曇りもない表現に違和感や浅薄なものを感じる向きもあるかもしれないが、ソヴィエト様式のドビュッシーというか、プロコフィエフを聴くように楽しめるものとして評価したい。非凡なソリストである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:前奏曲集第1集2.帆,ギーゼキング(P-ROLL)
ドビュッシー:前奏曲集第1集3.野を渡る風,コルトー (P)1928/6/5
ドビュッシー:前奏曲集第1集6.雪の上の足跡,スヴェトラーノフ(p)(MELODIYA)こういう抽象的な作品はどうなんだろう、と思うが、テンポをゆっくりとって巧く切り抜けている。たしかに煌くような繊細なドビュッシーが表現できていて、びっくりする。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:前奏曲集第1集11.パックの踊り,○リヒテル(P)(parnassus)1958live・CD,,焦燥感のあるアグレッシブなリヒテルが聴ける。ミケランジェリを彷彿とする颯爽とした演奏振り、タッチの明瞭さに後年とは全く違う壮年期の煌きをきくことができる。ドビュッシーのピアノ曲は学生時分から大好きなのだがなかなか書く機会を逸しているな。モノラルだけどなかなかの小品の描きっぷりです。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:前奏曲集第1集8.亜麻色の髪の乙女,スヴェトラーノフ(p)(MELODIYA)じつに有名な曲でドビュッシーの代名詞のように語られることもあるが、曲的にはあくまで素直な旋律と繊細なハーモニーだけで出来ており、決して難しくはない。ところが、この演奏、冒頭から無茶苦茶陶酔的に伸縮するテンポで奏でられるので、ちっとも系統立った「旋律」に聞こえない。ここまで間延びさせるとこの前奏曲集きっての単純旋律曲に違う「何か」が宿って聞こえる。うーん、スヴェトラーノフの演奏はこういう良くも悪くも正統じゃない傾向があるから好悪非常に別れると思う。打鍵の強さは気にならなかった。何よりテンポだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:前奏曲集第1集8.亜麻色の髪の乙女,コルトー(P)
ドビュッシー:前奏曲集第1集8.亜麻色の髪の乙女,ガンツ(P-ROLL)
ドビュッシー:前奏曲集第1集8.亜麻色の髪の乙女(グランジャニー編),◯ニューウェル(hrp)(columbia)1940/3/22・SP,,押しの強さはないのだが、ぴんと張り詰めた弦の細いつまびきでこの曲をやられると、まあ美しいと言うしかない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:前奏曲集第1集8.亜麻色の髪の乙女(ハープ編曲),○ピエール・ジャメ(Hrp)(TIMPANI)1948/1・CD ,,ほんとに無個性というかさらっとした音を出す人です。こんなに淡彩な音の「亜麻色」もないだろう。録音のせいか。○。,,"", , ,-----,,,-----,,,-----,,,-----
ドビュッシー:前奏曲集第1集8.亜麻色の髪の乙女(ハイフェッツ編),○ハイフェッツ(Vn)ヴォーエース指揮ベル電話アワー管弦楽団(EMI)1949・DVD,,何とも俗っぽい、古い映像である。人工池のほとりでモジャモジャ髪にブラシをあてるヤンキー娘と直立不動で演奏するハイフェッツのオーヴァーラップ〜フランクのソナタなどにも共通することだが、こういう縦ブレのない横の流れだけで出来た静かな小品はボウイングが下手だと局所的に変に色がついてしまい、大きな旋律形を乱してしまいがちで凄く難しい、長短音符の交錯する不規則な旋律の上にここまで安定した流れを作るのは並の右腕では不可能、やはり自信あるハイフェッツならではの編曲なのだ(ハイフェッツのヴァイオリン編曲作品は一筋縄じゃいかないアイデアが盛り込まれていたりして、作品によってはプログラム上に原作者と編曲者ハイフェッツの名を並べて表記することを求められてたりもする)〜、ここで「いくらなんでも髪の毛ちぢれ過ぎやないか!」と突っ込みつつもハイフェッツの揺れのまったく無い水面を見るような色彩に酔うのである。このギャップが凄い。普通にイブニングアワーみたいなかんじでこれをテレビで流していた時代というのは、ほんと贅沢だ。録音のせいもあるが懐かしい憂いのある音質です。フラジオをまじえたフィンガリングも絶妙。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:前奏曲集第1集12.ミンストレル,○スヴェトラーノフ(p)(MELODIYA)リズムの崩しかたがなかなかサティチック。滑稽な木製人形の動きみたい。ヘンだが独特の境地を示しています。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:前奏曲集第1集12.ミンストレルL.125B(ドビュッシー室内楽編曲),グリエルモ(Vn)ヴィオランテ(p)(warner)CD,,これはなかなか巧みな演奏で、あえてヴァイオリンの高音のメリットを使わずに仕立てた精緻な曲に対して速やかに応えている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:前奏曲集第1集12.ミンストレルL.125B(ドビュッシー室内楽編曲),コルトー (P) ティボー
ドビュッシー:前奏曲集第1集10.沈める寺,ブルショルリ(p)(meloclassic)1966/12/18live(事故直前の最後の公開演奏会)クルジュ・CD,,生誕100年記念盤に収録。全般に録音が不明瞭なのは非正式記録とはいえ惜しい。冒頭、泡の主題(具象的でも神秘的でもなくはっきりしたタッチで抽象化された上向音形)の音量が極端に落ちているのも録音のせいだろう、これはこの曲の出だしとしては痛い。しかし、じきに総体的なクレッシェンドが松葉を開いていくうちこのソリストの大伽藍を聳え立たせるような表現に圧倒される。重く、いささかの不安も抱かせない和音、不明瞭な、狙ったような発音は一切なく幻想味はあくまで曲構造から醸し出されるものに限られ、明らか過ぎるくらい、リアル過ぎるくらいの発音で(録音のせいもあるが低音の残響はマノノーンの潮流のように聴こえる)、でも、ただ解釈を音にしているのではない、何かしら心にズシリとくるような要素をふくみ、深い水の底から現れそして沈む巨大なモノをじっさい眼前に幻視させる。単体で演奏されることが多い曲だからなお、存在感の大きな作品で内包する要素も、たくさんの方が多方向から分析されるくらいにはあるのだが、このスタイルだと衝突する要素が発生して自然さを失いかねないところ、バランスが良い。そもそもの設計が良くできている。その威容に、時間をかけてじっくり演奏されていると錯覚するが、計測上はかなり早い。あまり音楽外の要素を入れて聴きたくないのだが、この直後にブルショルリは事故で演奏家生命を絶たれる。技巧派で同時代作品の解釈表現に一家言あった人として、これが録音記録の最後になったというのは、不謹慎かもしれないが、意味のあったことのように思えてならない。最後に、巨大な寺院〜音楽性〜とともに、水底へ消えていったのである(聴衆からすると)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:前奏曲集第1集10.沈める寺,スヴェトラーノフ(p)(MELODIYA)いやー・・・いい曲ですね。これと金魚さえあれば他はいりまへん。・・・すいません、言い過ぎました。夢幻的な水底からいきなり壮大な伽藍が立ち顕れるような演奏ぶりは、ちょっと激昂しすぎのような気もしなくはないが圧倒的ではある。重いが、まあ、この人はそれを狙っているのだろう。個人的にはイメージにあいませんでした。スヴェトラにこまい幻想は似合わない。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:前奏曲集第1番10.沈める寺,○バシュキーロフ(P)(MELODIYA),,多分全曲に近い録音を行っているのではないか、バラバラでB面埋めのように出てくる前奏曲集抜粋の中の一曲。これはもうマイクが近すぎることも含め、珍演に近い「豪壮な寺」である。最初こそ美しく(でもリアルに)すべらかに入るものの、次第にスクリアビン末期作品をやるようなふうに熱があがっていき、しまいにはバシュキーロフの叩き付ける最強音が耳をつんざく。気合の余りの荒い息遣い、余りに強い打鍵に白鍵の隣に当たってカチャカチャ鳴る音まではっきり聴こえ、水面こそ油を打った様に静かだけれども、いざ潜ってみるとゴテゴテな大伽藍がカツオの群れの中に威容をはなち、海流がぶち当たって烈しく渦を巻くさまが壮絶、そういったドビュッシーとは程遠い世界を想起させるのである。しかしまあ、ほんと、単にマイクセッティングのせいかもしれないが、優秀録音もあいまってなかなか楽しめる演奏。他の曲はけっこう曲想にあわせて変幻自在なんだけどね・・・技術は完璧。センスが問題か。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:前奏曲集第1集10.沈める寺(ストコフスキ編),○ストコフスキ指揮ニュー・フィル(london)1965/9・CD,,ストコは下手な凡庸作曲家より編曲が巧いんである。この曲をまるでヴォーン・ウィリアムズのように壮大な情景音楽に仕立てるとは、ほとんどこれはもう、原曲とは離れたストコの音楽であり、少なくとも寺は沈んでいない。ほんと、イギリスの近現代管弦楽曲にありがちな姿にここまで造り変えられるとは・・・純粋に、個別の楽曲として聴いてください。けして原曲を、振り返らないで下さい。かなりロマンティックです。RVWだよほんと・・・RVWが師ラヴェルよりドビュッシーの音楽を好んだのは有名な話。そういう世界で共通点はなきにしもあらず。ただ、原曲が心象的なだけに、ロマン派管弦楽曲の序奏部だけで終わってしまうような寸止め感がある。。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:前奏曲集第1集10.沈める寺(管弦楽編),○ガストン・プーレ指揮コンセール・ピエルネ協会管弦楽団(COLUMBIA)SP,,比較的新しい録音にきこえるがモントゥと並んで本邦紹介された1920年代よりは下るだろう。ジェラール・プーレ氏の父上でドビュッシーのソナタを作曲家と検討・初演したガストン・プーレの指揮記録。映像U「イベリア」の面埋めになる。この人は弦楽器偏重・打楽器やブラスによる雰囲気付けによって独特の立体的な図像を描き、全体設計はけして上手いわけではないが「聴かせる音」を出す。オケは実態がわからないが弦楽器にしてもこの時代にしては非常に揃っていて上手い。編曲はストコフスキ版か。違和感のあるラッパのぶっ放しが興をそぐもののおおむねドビュッシーらしさも感じさせる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:前奏曲集第2巻3.酒の門,ガンツ(P-ROLL)
ドビュッシー:前奏曲集第2巻7、2、6,○カゼッラ(P-roll)(pierian)1925NY・CD,,明記はないが20年代録音にしては音が綺麗に澄んでいることから(モノラルだが)ピアノロールではないか。ロール特有の撚れは目立たない。タッチは固いが元々はっきりとしたラヴェル的なピアニストであったのかもしれない。7番「月の光が降り注ぐテラス」2番「枯葉」のいずれもロマンティックで重いテンポ取りがカゼッラのフランス派でいながら折衷的であった作風と通じるようにも感じる。抽象度は高いがその方向性はスクリアビン的に感じる。録音状態が違う6番「風変わりなラヴィーヌ将軍」はどちらかといえばグロテスクで軽妙ではない。このての曲ではロール特有のテンポの撚れとタッチの固さ音の重さが気になる。カゼッラ自身はすぐれたピアニストであったろう個性の発露と確かさは類推できるが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:練習曲集第2集7,8、10,11,12,フランソワ (P)(EMI)CD
ドビュッシー:華やかな饗宴第1集、第2集,コルトー (P) テイト
ドビュッシー:版画,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:版画〜U.グラナダの夕べ,作曲家 (PーROLL) 1913
ドビュッシー:版画〜U.グラナダの夕べ,ヴィニェス (P)
ドビュッシー:版画〜U.グラナダの夕べ(コッポラ管弦楽編曲),コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(lys/warner他)1935/3/12・CD,,ビュッセルの編曲とは違うコッポラ自身によるもの。即物的なコッポラらしさは希薄。曲の穏やかさと編曲の妙で雰囲気音楽的であり情緒的である。職人的なわざで換骨奪胎とでも言うべき厚みある音楽を作り出している。ギター模倣のフレーズを担うハープなどソロ楽器が効果的に活用されているが、ファリャが賞賛したスペイン風のところはあくまで技法的に中東風のものが入っているというだけで、完全にフランス的な上品さのうちに収まっている。いや、肯定的な意味で書いている。昭和初期の録音でこれだけ幻想を味わえれば十分。オケも良いのだろう(Warnerではオケは無名となっている)。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:版画〜U.グラナダの夕べ(ストコフスキ管弦楽編),○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(scc:CD-R/PASC)1962/5/16live,,pristineからリマスター配信されている音源。同日のウェーベルンやシベリウス4番などがカップリングされているが、sccから出ていたものと同じ。ストコフスキーの編曲によるグラナダの夕べだが、ドビュッシーの管弦楽曲、たとえば管弦楽のための夜想曲の2楽章などといったものと同じような感じに仕立てられており、原曲とは違う世界観のものと思って聞いた方がいい。ストコフスキーはリズムのキレはそれほどある方ではなく、響きは華麗だが愉悦感はそれほどない。この曲ではリズムを強く打ち出したほうがいいと思う。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:版画〜V.雨の庭,○マルグリート・ロン(P)(columbia/pearl/CASCAVELLE他)1929/11/12パリ・CD,,これも録音が余りにノイズ塗れなのでわかりにくい。一連のドビュッシー録音では一番地味な演奏か。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:版画〜V.雨の庭,メロ (PーROLL)
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,アンゲルブレシュト シャンゼリゼ劇場O(emi)
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,アンゲルブレシュト フランス国立放送O1962/1/23
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,アンゲルブレシュト フランス国立放送O デュフレーヌ(fl)(erato)1955/4/23
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○ビーチャム指揮RPO(EMI)1957/3/25・CD,,引っ掛かりがない。比較的ロマンティックな演奏だと思うが音色には特段魅力的なものはなく、意外と美しくもない。このような起伏の無い曲にビーチャムは合わないようだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,ビーチャム指揮LPO(LSO)(dutton/IRON NEEDLE他)1939/2/13・CD,,SP起こしだがノイズの中からも聞こえてくるのは「勘違い演奏」。音色に問題は無いのに解釈が前時代のロマン派というか、ワグナーのような明瞭さをもった楽曲として演じられ違和感がある。オールドスタイルなのに何か突き放したようなところがある。魅力的ではない。ビーチャムのドビュッシーには当たりはある。これは珍しくハズレだ。LSOと表記しているものがあるがLPOの誤りと思われる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,キンケイド(fl)ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1924/4/28・SP,,ソリスト名は挙げられているが音色など聴きとれる状態ではない。ノイズは物凄く、楽器数も少ない。木管ソロだけが密集してアンサンブルしているような骨董録音である。恍惚としたテンポ設定と、各楽器の決して個性的ではないが主張しあう、響きの色彩感のみ伝わる。しかしこの時代でそれだけ伝わるだけでも大層なもので、黎明期のレコード業界でストコフスキーがさかんに持ち上げられたのは、他が余りに凡庸だったりレコードと言うものの特性を活かさず録音したかということでもある。それだけでもなく、じっさいストコフスキーはドビュッシーを得意とはしていて、改変等のレベルはともかく、のちの良い録音でも評価できる耳馴染み良い演奏を繰り広げている。大正時代から一貫したものはある。あらえびす(野村胡堂)氏がなぜストコフスキー盤を推すかと言って、録音芸術として優れたものが当時相対的にこれしかなかったからであり、また、当時の現代音楽を理解可能な明確な形で、届く音楽として作れたのもストコフスキーその人くらいだったのだろう。最後がブツ切れるのはSPではよくあること、この後の録音の方が演奏時間が短いから盤面制約のせいでもなく技術陣の問題だろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,キンケイド(fl)ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(columbia他)1927/3/10,,さすがに違和感がある(笑)。ほんとに厭らしい音楽に聞こえてしまう。揃ったポルタメントに埋め尽くされた伸縮する音線。1924/4/28のものに次ぐ古い録音(フルート独奏同じ)。しかし録音技術については世界最先端のストコフスキーチーム、ノイズは多いが楽しめてしまうのだ!,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(ANDANTE他)1927/3/10・CD,同上,音が悪すぎる。演奏自体も地味めだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,◯ストコフスキ指揮フランクフルト放送交響楽団(SCC:CD-R/M&A)1955/5/31・CD,,ストコフスキーは大量のフランス物を残しているが、正統的なものではなく、フランス物好きには受けないことが多い。これは意外とからっとした演奏のように感じる。おそらくオケの音のせいだろう。テンポはねっとりしている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○ストコフスキ指揮LSO(london)1972/6/14・CD,,ストコにドビュッシー適性はないというのが私の印象なのだが、このソロを継いで造ったような前期作品については、ソリストのロマンティックな表現を生かしたダイナミズムが巧くはまっている。ストコに後期ロマン派適性はありまくりなのだから。音色の立体感は録音のよさに起因するものか。リアリズムがやや耳につくが、そのての雰囲気が欲しいならフランスをあたるかゴリゴリのオールイギリス陣の演奏でも聴くがいい。大見栄もここぞというところしか施さず、最後は微温的に終わるのが陶酔的な雰囲気を煽る。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1971/4/18LIVE,,耽美極まれる。むせ返るような響きに恍惚としたフレージングが寄せてはかえすような官能を呼び覚ます。まあ、美しいです。ライヴすごかったろうなあ。原曲の意図を逸脱するほどにやらしい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(ANDANTE)1940/5/28・CD派手めな演奏で、依然余り音はよくないが、随分と個性が立ってきたように思える。全ての楽器の輪郭が明瞭で、かといって幻想味が無いということもなく、心地よく聞ける。でもまあ、録音の悪い盤に慣れない向きは避けておいたほうが無難だろう。後者のみ○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,◯マルティノン指揮ORTF(EMI)CD,,ソロよりも管弦楽の総体に重点が置かれたような演奏で、しょうじきソリストたちの音はびっくりするくらい感情が無いのだが、弦などは醒めてはいながらもきっちり付けられたアーティキュレーションに従いよくうねり、やはり合奏部に特長のある演奏と言える。律し過ぎた演奏ということなのかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○マルティノン指揮NHK交響楽団(NHKSO,KING)1963/5/11東京文化会館LIVE,,これは真骨頂。それにしてもN響はいい音を出す。陶酔的で法悦的ですらある。但し元来明確な表現を得意とするオケだけあって、印象派的というよりラヴェル的な感じもする。無論肯定的な意味でである。○。,,-----,,TITLE: 『牧神の午後』 ドビュッシーのあの名曲と、バレエ,URL: http://kotora.ameblo.jp/entry-e2c6c86ab617bd85c9cddab45a675fc6.html,BLOG NAME: 手当たり次第の本棚,DATE: 04/07/2005 23:07:25,唐突だが、クラシックの「プロ」を目指す子供というのは、たいてい、3〜4歳から楽器を習っていたりするものなのだ(一部の管楽器や打楽器を別として)。3つ4つの子供が自分からそんな事をしたいと思うわけはないので、早い話、親がやらせるわけですね。私もそういうクチ,-----,,,-----,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○マルティノン指揮ラムルー管弦楽団(FR:CD-R/PHILIPS)1953/2,,色彩的だが茫洋としており、今日みたいなインディアンサマーな一日にはうってつけ。沈潜し耽溺するような表現が素晴らしく訴えかけてくる。オケがいいのだろう。木管とハープが美しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○エネスコ指揮シルヴァーストーン交響楽団(mercury他)CD,,ラヴェルほどの心の深層に訴えかけるような表現はないものの、なかなかの佳演になっている。フランスものへの適性は出自によるところが大きいだろうが、それであればもっと(ソロ含め)フランス近現代ものを録音しておいてほしかった。時代がそうさせなかったのだろうが。雰囲気はまさに牧神のイメージそのものである。比較的ねっとりした表現をとるのに音が乾いているのがいかにもフランス派の解釈といった感じである。抑揚はかなりつけるがテンポは速めにインテンポ気味、というちょっとぶっきらぼうなところもある棒だけれども、音の切り方がぶっきらぼうというだけで朴訥とした印象の演奏にはけっしてならない。この録音は継ぎ目が聞かれるが、それは作曲家・ソリストの余技としての棒ということで大目に見よう。立派なフランス的ドビュッシー。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○クレンペラー指揮ロス・フィル、リンデン(FL)(SYMPOSIUM)1938/1/1PM3:00-4:00放送・CD,,物凄く「純音楽的演奏」でしょっぱなから幻想は皆無。ただ、聴くにつれ非常に精緻な響きを編み出すことを目していることがわかる。実は凄く現代的なのだ。ブーレーズを引き合いに出すのもアレだけど、とにかく「音だけで勝負しようとしている」。そう思って聴くと「つまんねー演奏」という印象はなくなるだろう。耳からウロコの可能性大。情緒は皆無ではないが期待しないでください。新鮮。これで録音が最新だったら現代の演奏として充分通用するよ。批判も出るだろうけど。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○ストララム指揮コンセール・ストララム管弦楽団(VAI,ANDANTE)1930/2/24シャンゼリゼ劇場・CD,,モイーズが1番フルートで在籍していたことでも有名な楽団。当然冒頭のソロもモイーズということになろう。微妙なニュアンスで歌うというより太く確実な発音で安心して聞かせるという側面が感じられるが、オケプレイヤーとしてはこれでいいのだろう。2枚のCDでたいした音質の差はなく、総じて悪い。SP原盤の宿命だろう。だが十分柔らかい抒情があり、雰囲気は明らかに印象派。作曲後既に数十年がたっているのだから、時代的にこのくらい意図に沿ったこなれた演奏が出てきていても不思議は無いわけだ。佳演。,,-----,,TITLE: 『牧神の午後』 ドビュッシーのあの名曲と、バレエ,URL: http://kotora.ameblo.jp/entry-e2c6c86ab617bd85c9cddab45a675fc6.html,BLOG NAME: 手当たり次第の本棚,DATE: 04/07/2005 23:06:17,唐突だが、クラシックの「プロ」を目指す子供というのは、たいてい、3〜4歳から楽器を習っていたりするものなのだ(一部の管楽器や打楽器を別として)。3つ4つの子供が自分からそんな事をしたいと思うわけはないので、早い話、親がやらせるわけですね。私もそういうクチ,-----,,,-----,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○チェリビダッケ指揮スウェーデン放送交響楽団(LIVE SUPREME:CD-R)1970/11LIVE美しい。今しも止まるかと思うような冒頭のやりとり、妖しさをはらむ旋律は清潔な色彩で飾られ、要所要所で入るハープの散発音がなんともいえない雰囲気を醸している。ごく一部音程が狂っているところもあるが、磨き抜かれた音楽という印象は変わらない。情緒纏綿というコトバはこの人に似つかわしくないコトバだが、意外と伸縮する旋律を丁寧になぞるそのフレージングの妙は印象的。恍惚とした法悦境へと聴くものをいざなう。このオケとチェリの相性がいいのだろう、かなりイイ線いっている。遅い演奏なので余裕の有る聞き方をできない向きには薦められないが、これが印象派と呼ばれた理由がなんとなく理解できるものではある。隈取りのハッキリした表現を行うと思いきやこの指揮者、曲によってスタイルをけっこう変えてくる。ひたすら美しい響きを出す事だけを考えていることには違いないのだが。本質を捉えたなかなかの秀演である。拍手も盛大。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(SARDANA RECORDS:CD-R)LIVE今しも止まりそうな調子で止揚するフルートソロから、ねっとりした、大波がゆっくりゆっくりと揺れるような音楽が始まる。言語を絶するほど美しい響きの連続だ。内声の一部とて疎かにせず、時には奇異なほど強調させてみる。余りに低速なため音楽のダイナミズムが損なわれている気もするが、いったんハマってしまえばそのシンフォニックな拡がりに身を委ねてしまいたくなるだろう。ハープのちらつきが美しい。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(VON-Z:CD-R)1994live,同上?,恐らく既出盤だと思うが正規と聞き惑うほどに音がいい。バランスも安定ししいて言えば弦が遠いくらいで、チェリの理想の音響がきちんと収録されていると言えるだろう。チェリならではの音の彫刻、静謐に律せられた世界が展開され、そこに自由は無いが、美は確かにある。安定感のある音響、縦の重さ、それらが曲にいい意味で構築性をもたらし首尾一貫した聴感をあたえる。ソリストに重心を置くでもなくオケ総体としての迫力と鋼鉄の美はどうしようもなく素晴らしい。迷ったがチェリ美学が余り好きでない向きは無機質ととるかもしれないので○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,チェリビダッケ指揮ロンドン交響楽団(ARTISTS/LIVE CLASSIC)1979LIVE・CDちょっと貴重かも。チェリの牧神、最初聞いたときは引っかかりが無かったのだが、2回目に聴いて、意外と印象派になっているなあ、と思った。ワグナーとの共通性をことさらに強調するでもなく、ただ響きの精妙さがよく生きている。ロンドン響の木管はそつがなくて好みが分かれようが、むしろこれはロンドンのオケを使ったから意外と精妙に表現できただけなのかもしれない。意外と雰囲気のいい、品のいい音楽だ。録音あまりよくない。未検証だがRARE MOTHのCD-R(1979/9/18LIVE)は同一音源と思われる。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,チェリビダッケ指揮交響楽団(ROCOCO)LIVEロンドン響の演奏と同じ?,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○デルヴォー指揮NHK交響楽団(KING、NHK)1978/11/17LIVE・CD,これはソロ次第という部分も多くオケの状態に非常に左右されやすいからして、正直それほど惹かれないが、ややねっとりした合奏の感じがデルヴォらしさか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(?)1945/2/11放送live,,ドビュッシーコンサートの記録で、イベリアと海との組み合わせ。放送エアチェックと思われ音量がきわめて小さく音質もノイズもひどい。演奏はスコアの裏まで明瞭に組み立てたクリアなものでドビュッシーらしさが理知的に引き出されている。速めのインテンポ気味でソロ楽器にもとりたてて魅力はなく、解釈もあってないようなものだが、小粒にまとまって聴けるのは確かだ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R他)1951/2/17カーネギーホールlive,,生暖かい雰囲気を保った演奏というのはいつからか忌まれるようになり、オケは精密な音響機器としてこのての曲を演奏できるように鍛えられるようになった。だがフルートソロの提示する動機始めこれは頭初から「標題音楽」なのであり、綺麗に音だけを聴きたいなら一人そういう指揮者と一つそういう団体があれば十分だ。この演奏は「そのての客観的な演奏の元祖と思われがちな」トスカニーニによるものだが決して情緒的な部分を失っていない。テンポやリズムに起伏がなくても音色で音楽はいくらでも変わる。音色を聴くべし・・・というとこの録音状態じゃ少し辛い・・・とはいえトスカニーニのライヴにしては戦後だし、エッジが立って聞きやすいほうだろう。結果として、○に留まる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1948/3/27live,,夢幻的な雰囲気をかもす「印象派」の代表作だが、トスカニーニはその霧をウィンドマシーンで吹き飛ばして牧神を叩き起こし、筋肉のビリビリするような緊張感ある踊りを舞わせている。これはこれで一つの見識だ。ただ、個性的だとか、面白いとかはなく、旋律だけが頭に残る演奏。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,トスカニーニ指揮NBC交響楽団
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○トスカニーニ指揮ハーグ・フィル(DELL ARTE他)1938雰囲気のよい演奏でトスカニーニのアクの強さがクライマックス以外ではほとんど出てこない。音は悪いが美しい。模範的な牧神と言えるだろう。このオケ独特の表現というものは浮き立ってこない。トスカニーニが振ればどこもトスカニーニのオケになる、そのとおりの状態である。録音は悪いが○はつけさせていただきます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,トスカニーニ指揮NBC交響楽団(GUILD/ARKADIA/FONIT CETRA)1953/2/14カーネギーホールLIVE・CD,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,トスカニーニ指揮NBC交響楽団(MUSIC&ARTS他)1951/2/17LIVE・CD,同前掲,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○バーンスタイン指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1972live,,音はよく、ボストンだけあって硬質のフランスふう情緒がバンスタの生々しさを消している。ただ、特徴的というまでもないか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○パウル・クレナウ指揮ロイヤル・フィル(COLUMBIA)SP,,ロイヤル・フィル録音最初期の指揮者の一人。デンマーク生まれオーストリア中欧圏で活動した作曲家でもあり、ブルックナーなどの影響ある交響曲が今も聴かれることがある。やや性急でしゃっちょこばった始まり方をするが、その後は英国的な慎ましやかさを感じさせる、雰囲気のある演奏ぶり。SPは片面ずつ録音されるため、この録音も途中で演奏自体一旦終わり、再開するが、音色も音量も違和感はない。SP的な音の近さリアルさが、ハイフェッツ版ピアノとヴァイオリンのための「牧神の午後」を思い出させた。あれ、かなり変だけど、考えてみれば学生時代はハープトリオのフルートをVnで無理やりやってたような・・・,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BS/HMV)1953/12/23・CD,,バルビローリ協会のフランス音楽シリーズ復刻盤。音質は思ったより良く像がはっきりしている。結構ドビュッシーの録音を残しているバルビローリだが、これは初CD化か。ソロ楽器云々では無くオケ全体が陶酔しうねるところが聞きもの。まさにバルビローリそのもので、バルビローリ以外には聴かれない息の長い歌いっぷり、ボリュームのある息遣いの大きくも自然な起伏に魅力の全てがある。特徴的な演奏で正統ではないが、ロマンチックな牧神もまたよし。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○パレー指揮デトロイト交響楽団(MERCURY)1955/12STEREO・CDパレーのリリシズム炸裂!十分に感傷的で夢幻的な雰囲気をもった演奏で、しかも割合と明瞭な輪郭をつけてくるためフツーに旋律を楽しむことができる。なんて美しい旋律なんだろう、と思った。印象派と呼びたい人はこんなのドビュッシーじゃないと言うかもしれないが、とりたててこの曲が好きでない私はわかりやすくてすっかり楽しむことができた。○。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,パレー指揮デトロイト交響楽団(vibrato/DA:CD-R)1975LIVE,,余りのリアルな音作りに違和感。このコンビに幻想とか感傷を求めるほうがいけないのだが、なんの思い入れもないソロ楽器の棒のような音の繰り返しには首をかしげたくもなる。録音がいいのが却ってまったく印象を残さない結果にもなっている。冷徹な音響表現の確かさにははっとさせられるが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(CASCAVELLE/ODEON)1930/2/10・CD止揚する音楽。なんという自在さだろう。弛緩せず速めの解釈だが、表現のひとつひとつに心が篭っており、この淡い音楽をその淡さを損なうことなくしなやかに纏め上げている。この時代とは思えないオケの巧さにも傾聴。とくに木管陣のソリスティックな技巧には舌を巻くことしばしば。ピエルネの力量を感じる。作曲家としては凡庸だったがその棒は創意に満ちている。幻想は少ないがリアルな音楽の面白さだけで十分だ。録音状態はかなり悪いが上手くリマスタリングしており感情移入に支障は無い。録音マイナスで○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○マルケヴィッチ指揮ベオグラード・フィル(MEDIAPHON)CD,,ゆったりとした落ち着いた演奏で、ときどきこの人のとる重心の低い響きがここでもきかれる。ピッチが高いのが少し気になる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○ミュンシュ指揮NYP(NYP)1967/2/25live・CD,,とにかく「音の太い」演奏。ミュンシュ的だ。ただ音色は暖かく深くて冒頭のフルートからして気持ちはよい。自由さは感じられないが雰囲気がある。良い録音ではないが悪い演奏ではない。逆に言えばとくに聴く必要のある録音ではない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1967/7live,,恍惚とした演奏ぶりで雰囲気は満点。静かで透明感のある音がよくマッチしている。春向きの演奏。ただ、冒頭僅かに切れる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1967/7live ,同上,予想GUYに神秘的である。「印象派」と言われればそうだね、と返すしかない、非常に注意深い音楽、鋭く細い響きによって構成される針金細工の輝きを見つめる牧神を、木々の間からいくら観察しようとしても目の焦点のあわないかんじ。ここにワグナーの影はない、新しい世代の独立した牧神ではあるのだが、ミュンシュは浪漫性を煽ることもなく、ひたすら忠実に、音楽に忠実に表現する。決して激しない。ソリストも巧い。冒頭が僅かに切れる。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(SLS)1967/2/16live,同上?,エアチェック音源らしく音の欠落や全編砂ノイズに塗れて聴きづらい。オネゲルとルーセルにはさまれて収録されているがこれが一番静かな曲のせいか耳障りが悪い。演奏は陶酔的で、ノイズがなければ浸りこむことができただろう。ミュンシュの同曲の解釈に幅はないのだが、オケが清澄な音を出すせいだろう音楽もねっとりしたものではなく、ニュートラルに聴こえる。拍手はほとんどカット。オネゲルがDAのものと同じとすると収録の三曲中唯一の初出になる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,ミュンシュ指揮NYP(DA)1967/2live,同前掲?,ステレオで、良好とは言えないものの聴ける音だが、何かパッとしない。ミュンシュらしいリアル感もなく(これは曲がそうだからいいのかもしれない)、ニューヨーク・フィルらしい押しの強さもそれほど感じられない。あくまで前プロの曲といったところか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,ミュンシュ指揮ORTF(ConcertHall/GIDE/ESR/sbribendum/FNAC)1968/2パリ(放送)・CD,,FNACはinaが保管していたであろう稀少音源をいきなり廉価で変な詰め合わせで出したレーベルですぐ消えた。データも詳らかでないものが多く、これも何か他の盤と同じものであろう(ディスコグラフィーに従ったデータを記載する)。最初何も見ずにこれがかかって、何だこの押し付けがましい牧神は、と思ったらミュンシュだった。しかもボストンかと思ったらORTF。フランス国立放送管弦楽団をこんな機能的に、力強く使いこなすのはミュンシュしかいない、そういうことだった。環境雑音はあるがライヴではないとのこと。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,ミュンシュ指揮WDRケルン放送交響楽団(WEITBLICK)1966/9/30live・CD,,これも非常に明晰なステレオ録音だが弦が遠く非力にひびくこと、木管が弱いないし音が棒なのがひっかかる。しかしながらミュンシュの明晰なステレオ録音となると、あまたあるモノラル悪録音と違って繊細な響きへの配慮が伝わり、誤解を解くのに十分な説得力がある。ドビュッシー的というよりラヴェル的な作り方で歌謡性に富んだ表現はわかりやすく聴きやすい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1956/1/21live,,SLSにしてはまあまあ良い状態で、演奏もすんなりと聴けるわかりやすいものとなっている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○モートン・グールド指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1978live,,自在に伸縮する恍惚とした音楽。非常に感傷的な音をしている。デトロイトにこんな音が出せたのかと驚嘆する。グールドの指揮の腕前は他の録音でも聴かれるようにけっこうなもので、ただまとまった曲を録音しなかったのが知名度につながらなかったゆえんだろう。作曲家としてもアメリカを代表する一人だ。それにしてもねっとりした前時代的な音楽、であるがゆえに現代の貴重な解釈者であった。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○モリナーリ指揮聖チェチリア音楽院管弦楽団(SCO)1942・CD,,ソリストには古めかしい表現もきかれるが比較的さらさらした演奏で解釈に奇をてらったところがなく、安定した印象を受ける。細かいところには技術的問題も感じさせる一方で雰囲気を保つ細心の注意がはかられ、色彩感ゆたかだ。じつに牧神らしい演奏。録音が悪いのが惜しい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○モントゥ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1959/7/19live,,録音が悪くやや聞きづらい。モントゥは明確な指示で音楽をしっかり構築していくが、「整えてる!」とわからせないそつのなさがいかにも職人的だ。幻想の霧に塗れることなく生々しく実演のさまが聞いて取れるところが面白い録音でもあるが、他録と比べてどうこうという部分はない。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○レイボヴィッツ指揮ロンドン祝祭管弦楽団(CHESKY)1960/6どちらかというと即物的というか、いわゆる印象派っぽい曖昧さはあまりないのだけれども、美しい演奏だ。レイボヴィッツらしからぬ?品の良さが感じられ、ダイナミックな動きや感傷的な雰囲気は程よい程度に抑えられている。彫りの深い表現と本に書いてあったのでたぶんそうなのだろう。私の頭の中の同曲のイメージとは違ったが、十分聞ける演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団(SWF),,意外にねっとりしたテンポで音楽は進む。音響的にはやや重いが硬質で通りはいい。とにかくフレージングに溢れる法悦感が凄く、ロスバウドの余り知られていない一面を垣間見せる。現代音楽専門指揮者というのはともすると客観主義一辺倒のように見られがちだがかつてはかなり個性的な解釈を「分析的に」施すのが特徴であったのであり、セル的な見られ方カラヤン的な見られ方をするロスバウトも、解釈においては個性の投影に躊躇はなかった。マーラーの7番あたりにはその真骨頂が聴けよう。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○ワルター指揮NBC交響楽団(SERENADE:CD-R)1940/3/2陶酔的です。いやー、ロマンティックです。ワルターだから期待していたら期待した通りの濃厚解釈。但し揺れに揺れ歌いに歌うやりかたは、ずっと聴いていると慣れてきて、面白く思えてくる。NBCの個人技にちょっと疑問を持っていたのだが(同日の「モルダウ」の出だしの木管を聴くにつけそう思う)この演奏ではほとんど瑕疵がない。意外なほど聞ける演奏だった。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○ワルター指揮ニューヨーク・フィル(ASdisc)1949/6/19LIVEメロディラインを強調し、その起伏を大きくつけることで曲に筋を通そうとしている。これはこれで「聞ける」のだ。ワルターの芸達者なところだろう。木管がどれも巧く、テクニックはもちろん音色だけで聞かせる力がある。そういう演奏を引き出すのもまたワルターのすごいところだ。全般音楽の流れが良く音の悪さを感じさせない演奏。○ひとつ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,○ワルター指揮フィラデルフィア・フィル(PO)1947/3/1LIVE音が比較的よい。弦の分厚さにびっくりする。陶酔的な歌い込みが独特な聴感をあたえる。ひょっとするとワルターの全「牧神」記録中いちばんデロデロかも。録音のせいか清浄に聞こえるから「臭い」演奏にはなっていないのでご安心を。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(MOVIMENTO MUSICA,WEA,WARNER)1962/10/24LIVE・LP太筆描きの独特の演奏だ。かなりリアルに音が捉えられている。バランスが悪く感じるのは録音のせいだと思うがどうだろう。スタジオ録音とは印象がだいぶ違い、まあ、拘り無く聞けばそれなりに楽しめるか。最後の音が終わらないうちに盛大な拍手が入ってくる。いわゆるフライングブラヴォーだが、どうも作為的な感じがして、スタジオ録音に拍手を加えただけの偽演のようにも思える。が、演奏それ自体は違うものに聞こえるのでここでは別と判断しておく。モノラル。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,アンセルメ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1961/12/1LIVE,,明晰なステレオ録音のせいか冷めたリアリスティックな音が耳につき解釈もじつに無味乾燥。響きの硬質な美しさもライヴの精度では環境雑音もあって限界があり入り込めなかった。ボストンオケはよくこういう無感情な表現をする。好みとしては無印。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,コッポラ指揮(パリ)交響楽団(lys),,往年のオケを使用しているせいか個々楽器の音色が懐かしい。ドビュッシー的な雰囲気がよくかもされ、もっと大編成の曲にメリットのあるこの指揮者にしてはかなり聴ける。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,シュヴィヤール指揮ラムルー管弦楽団(pathe/hindenburg:CD-R他)1922・CD,,ほんと聴きづらいレベルのノイジーな音で楽器の分離も悪く、この曲を楽しむのにはかなり辛い録音。だがドビュッシーの海などを初演したことで知られるラムルー管二代目指揮者シュヴィヤールの貴重な記録ということで参考に聴くのもよし。雰囲気的なものを味わうことは無理です。ちなみにドビュッシーは彼を嫌っていた模様。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,シューリヒト指揮ドレスデン・フィル(BERLIN CLASSICS)1943・CDふつう。録音状態は篭ったモノラルに残響を加えたもの。とくに書くことが無いが、いい意味でも悪い意味でも耳馴染みはよい。雰囲気はドイツらしくない美感があるが、それでも、これ、という興味を引くものはないので無印としておく。シューリヒトは案外同時代モノを好んだと言われ、他にもフランスものの録音を遺している。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,シルヴェストリ指揮ORTF(belle ame)1959/2live,,随分ハッキリした牧神で、ソロ楽器はいずれも音色表現よりハッキリした音を出すことに主眼に置いて吹いているように聴こえる。モヤっとした印象派的ではなく、純音楽的と言えば聞こえは良いが、冒頭フルートがどうのこうの、と拘る方には噴飯物かもしれない。最後の音なんて敢えて棒吹きしてるのかと思うくらい。ハッキリしているので、拍手もハッキリしている。録音のせいか?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,シルヴェストリ指揮ORTF(ina他)1959/3/12live・CD,,欧米の客はなぜ演奏が始まると咳をするのか。はいいとして、おそらくEMIやその廉価版権盤として出ていたものか。ライヴながら前記のようなことが気になるくらいの良好な音質である。この組み合わせは相性が良かったようだ。生粋のフランス指揮者よりもフランス的な粋を感じさせる、素っ気なくない、血肉にまみれてもいない、ねっとりしつこくもない、でも、今の耳で聴くとずいぶん情緒的である。情緒的表現に左右されず質を落とさない力量がある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,フリッチャイ指揮RIAS交響楽団(DG)1953/1引きずるようなテンポが気になるが、気だるい雰囲気は意外に出ている。決して色彩的とは言えない指揮者だけれども、どの楽器の発音も明瞭で、そういう緻密な音の堆積によって表現する方法はドビュッシー演奏へのひとつの見識だろう。止揚する音楽の「間」の取り方がなかなか通好みである。夢幻的な音楽とはとても言えないが、ちょっと面白い。ロマンティックな表現もこの曲なら許されよう。しかし録音がいかんせんあまりよくない(モノラル)。無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,プレートル指揮フランス国立管弦楽団(ERATO/icon)CD,,大人しい。この曲はそれでいいのだが穏やかで、一部表現にプレートル独自のものが出ていなくもないのだが、ごく一部であり、ソリストの個人的表現の範疇にとらえられなくもない。正規録音なので神経質に音質にこだわる人でなければ、この曲を最初に聴くのには向いているかもしれない。曖昧模糊とした「印象派」なるものを実感できるだろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,マデルナ指揮トリノRAI交響楽団(SLS)1967/9/17live,,ノイジーだがクリアな録音。演奏は適度に感情的で瑞々しい透明感がある。ソロより合奏を楽しむ演奏であり、伊オケが色彩的にやるとなかなかボヤッとした印象派というより明瞭な幻想音楽として伝わってくる。佳演。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,マルコ指揮デンマーク国立放送交響楽団(HMV,RCAvictor/SLS他)1951・CD,,オケの特性があまり現れず、録音も良くはなく、演奏的には無難で可もなく不可もなく。という感想を抱いたが参考でググったら10数年前の自分の感想文が出てきて、わりと評価していたので(LPでの評)録音復刻状態によるということだろう。言われてみれば曲の「引きの美学」を押して表現するような感もあり、そこはニコライ・マルコなのだ。多くの復刻があり、昔はともかく今私の手元にある音源はどの媒体から取ったものかわからない。少なくともSLSのような針音を残す方針の復刻盤は避けた方が無難かと。SPではコーカサスの風景とカップリングされていた。LPは忘れた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,マルコ指揮デンマーク国立放送交響楽団(HMV)LPオケにやや難があるものの、手堅い演奏ぶりが伺える一曲。十分に夢幻的で曲の要求するものを過不足無く持っている演奏だと感じた。対旋律を際立たせて構築的な演奏を目するようなところもしばしば聞かれ、響き的にもドイツ的な重さを感じなくも無いが、情緒的には寧ろグリーグに近い感じだ。軽やかさはないが、聴いていて違和感は感じない。録音がやや悪いため、無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1959/7/19live・CD,,昔の性急さや感情任せのリズム主義的なところは影を潜め、牧神の見本のような演奏に仕上がっている。時代からは驚きのステレオ録音だが弱音の多い曲だとソロ楽器の音に少し靄がかかったようになるのが惜しい。僅かにパチパチも入る。曲が進むに連れ響きを厚くして音楽に起伏をもたらす配慮に気付かされ、ライヴでのモントゥーの芸が聴衆に支持されたのもわかる。ボストンのソロ陣も上手い。よくフランスオケ風の音を出す。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(ADES)CDステレオ初期独特の変なバランスで収録されたものであり、最初は抵抗感がある。フランスオケの音色の特徴がかなりデフォルメされて聞こえてきて、ともするとバラバラでヘタじゃん、という感想も呼びかねない。ロザンタールのドビュッシーはテクスチュアの細部が明瞭で、まあこの曲はむしろそれが正解なのかもしれないけど、余りに骨組みが丸見えすぎである。かといってドイツ・ロマン派的な重い解釈は施しておらず、とくに冷たい響きには現代的な感覚を感じる。ワグナーに繋がる生ぬるさは極力排されている。雰囲気に埋没するような演奏でないことは確かなので、そういう演奏を求めたら×です。純粋に曲を楽しみたいときにはいいかも。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲,ワルター指揮NYP(ASdisc他)1949/6/19live・CD,,あからさま。リアルな音。ゆえに冒頭フルートから入り込めないが、止揚するテンポに噎せ返るような響きには渡米前のアグレッシブな芸風の残り香が強く感じられ、このともするとモノトーンになりがちなオケより引き出される豊潤な色彩については、文句のつけようがない。高音域でのぬるまゆい音の交歓はさすが熟練の指揮者によるものであり、バーンスタインより遥かにフランス的である。録音が生々しすぎるのかもしれないが、後半はワルターのフランス物も悪くないと思わせる、そんな記録となっている。きわめてノイジーだがそのぶん情報量はある。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(ラヴェル連弾ピアノ編曲),アルマンゴー&ショーズ(P)(warner)CD,,作曲家自身による二台ピアノ編曲にくらべると地味である。ラヴェルの職人性がただ発揮されただけの感もある。二台ピアノ編曲の幅広い表現は一つの鍵盤という制約下では求められない。非常に縮められた、いかにもオーケストラ曲のピアノ編曲という感が否めない。奏者のレベルとも言えない、アンサンブルはむしろこちらのほうが上に感じる(隣りに座っているのだから当たり前だが)。比較して聞かなければ、これはこれで楽しめるのかもしれないけれど。遊びがない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(作曲家二台ピアノ編曲),ベロフ&コラール(P)(warner)CD,,warnerの全集にはラヴェルによる連弾版とこの本人による二台ピアノ編曲版が盤をまたいで並べられており中々のマニアックぶりである。オーケストラ曲はまずピアノ譜で初演されることなどよくあり、本人の編曲は作曲家としてインスピレーションを得たからというより実用的な意図をもって作られることのほうが多かった。編曲というより原曲である。だが二台ピアノとなるとそれはそれで大規模であり、楽曲普及のためにはラヴェル版のような1台で済む編曲がなされて然るべきで、これは聴けばわかるがコンサートピースとして創り上げられた娯楽作品とみなすほうが妥当な気がする。ロマンティックな曲を非常に華麗に響かせて、音域を広く使ってオーケストラ版にはない名技的なやり方も織り交ぜている。トレモロが眩しい。派手で、たしかにドビュッシーの満を持して発表したピアノ曲群に比べると陳腐な部分の存在もいなめないが、小組曲の世界からも脱し、新時代の扉を開いた作品のピアノ化版としてはなかなかの出来ではないか。すこし二台間に空気を感じるが、この全集内では名が通ったほうのソリスト達、さすがという聴き応えである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:民謡主題によるスコットランド行進曲(本人管弦楽編),トスカニーニ指揮NBC交響楽団(ANDANTE)1940/4/18放送LIVE,,元気だけど曲が国民楽派的なので音色変化の鮮やかさを浮き彫りにして際立たせるまでもなく雄弁なところがつまらない。うーん。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ドビュッシー:民謡主題によるスコットランド行進曲(本人管弦楽編),トスカニーニ指揮NBC交響楽団(MUSIC&ARTS/DA:CD-R)1940/4/13live,,DAはかなり音が悪い。音楽的には民謡主題が「らしくない」雰囲気をかもし冒頭のいかにもドビュッシー的な広がり方と異質の要素が絡んでくる、転調含め「ピアノと管弦楽のためのファンタジー」あたりに近い世界だ。演奏は水際立った引き締まったものではあるが音的に弱さを感じる。録音のせいではあると思うが。かつてM&Aで出ていた。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ドビュッシー:もう家のない子供たちのクリスマス,アンゲルブレシュト シャンゼリゼ劇場O他(EMI)CD
ドビュッシー:夢,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:夢,ブファレッティ (PーROLL)
ドビュッシー:夢,フランソワ (P)
ドビュッシー:ロマンス第1番,ムーア (P) テイト
ドビュッシー:ロマンティックなワルツ,ギーゼキング (P)
ドビュッシー:忘れられた小歌〜第2番巷に雨の降る如く,作曲家(P) ガーデン(G&T他)1904・CD 1,4は未発見(録音されている)。
ドビュッシー:忘れられた小歌〜第3番木陰にて,作曲家(P) ガーデン(G&T他)1904・CD 
ドビュッシー:忘れられた小歌〜第5番緑,作曲家(P) ガーデン(G&T他)1904・CD 
ドビュッシー:忘れられた小歌〜第5番緑,ムーア (P) テイト