-2019/1/9(29修正)bruckner
ブルックナー:テ・デウム,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団他(DA他)1962/4live,,一応ステレオ録音なのだがボロボロ。そのせいか演奏自体も小粒に聴こえる(この曲も24分程度だから編成の大きさはともかくブルックナーとしても大曲ではない)。オルガンも省略されており、曲の魅力がしっかり引き出されているとは言えない。合唱とオケのバランスは良く耳馴染みは良いが、ブルックナーといえばがっしりした堅牢な構造体で、そこに清新な和声が織り込まれているのが後期作品の魅力とかんがえるに、あまりにそつなくスムーズにまとめ上げられ過ぎており、特徴が際立ってこない。響きの移ろいはマスの流れの中に埋没して何処が聴きどころなのかわからない。瑕疵のない演奏で客席反応も悪くないが、録音のせいもあろう、引っかかりが無く、あっけない印象だった。作品的に関連性の指摘されるシンフォニー七番のライヴ録音もMEMORIESより発売中。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:ミサ曲第1番,アドラー指揮VSO&合唱団他(CRV:CD-R/SPA)1957・LP,,アメリカ人でいながらマーラーの最後の使徒として、あるいは知られざる前・同時代音楽の紹介者として(SPAレーベルでは「VPO」と偽りVSOとの演奏を出すアメリカらしいやり方もとってはいたが)ブルックナーにおいても一家言ある指揮者による演奏。CRVは交響曲第1番も復刻した(unicorn原盤となっている)。ことのほかそつがなく、押しの強さもなくブルックナーらしさ(ロマン派的な表現)も強調せず、いかにも宗教曲の雰囲気を保っているのが特筆できる。良く言えば楽曲に変な解釈を盛り込まず、その楽曲の録音自体の希少性(マーラーなどはもはや希少とも言えない時期かもしれないがストラヴィンスキーの初期交響曲などはまさにそうだろう)をかんがみたうえで、当時としては率直に録音したことが同曲ではプラスに働いている。ブルックナー好きにアピールするというよりブルックナーにことさらの印象を持たない向きに勧められる演奏だろう。CRVは単なる板起こし。SPAの数少ない録音を、既に有名であったマーラー6番など除いては全部起こしたのではないか。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:弦楽五重奏曲,◯プリスカ五重奏団(decca)1937/12/29-30・SP,,ブルックナー最盛期の作品で交響曲に匹敵するスケールと個性的な書法を楽しむことができる。古い録音だけあって分厚く書かれた響きも頼りなく鄙びてしまっているが、てんめんとした情感の迸るボウイングなど、同時代の演奏スタイルを彷彿として緩く楽しめる。現代スタイルの精緻な演奏を好む向きには薦められない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第1番,○ブール指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団(sardana:CD-R)LIVE,,偉大なるマンネリスト、ブルックナーの完成されたマンネリズムが発揮された、変といえば変な大交響曲だが、ブールのぎちっと引き締まった演奏ぶりにより更に古典的な趣をつよめている。ベートーベンのようだ。録音はいいが最強音がつねに抑えられる感じ。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第2番,○シェルヒェン指揮トロント交響楽団(DA:CD-R)1965/12/14-15live,,ベートーヴェン臭いが至極まっとうなブルックナーであり、非常に精度の高い引き締まったアンサンブルで繰り出される音楽は純度が高い。しょうじきシェルヒェン??と疑いたくもなるが、ロマンに耽溺することはないものの、清澄な感傷を秘めた響きを精緻に描き出していくことで自ずと叙情をたちのぼらせる緩徐楽章や緩徐部の表現は出色、であるとともに啓蒙的指揮者シェルヒェンらしいブルックナーへの見識を伺わせる。二番は面白い。版どうこうは置いておいて、この二番は録音がよければ解釈・オケともに素晴らしく勧められたところだ。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第2番(ハース版),○ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団(classical radio vault:CD-R他)1956/12/13,,スタジオ録音と思われる(VOX?)。ブルックナーは最初からブルックナーだった。新しさの程度という点ではもちろん後期作品と比ぶべくもないが、少なくとも7番あたりまではほとんど同じ「目的」へのさまざまなアプローチが試みられているだけ、2番あたりでは3楽章などやや古典音楽につながる凡庸な楽想や展開もあるが、十分楽しめる。おおむねスタジオレベルのよい録音で聴くとロスバウドの主情的にはけしてならない一歩引いた立場からの引き締まった表現ではブラームスにもハイドンにもならないまさしくブルックナーそのものを聴いている気分になる。ブルックナーの交響曲のような、主情的なオケにはとくに弦あたりに「修行的なもの」を強いる単調なリズム表現をえんえん連ねる曲はかなりきつく感じられるもので、指揮者も一緒になって旋律と転調に必要以上に重点を置きロマンティックに崩す方向にいってしまいがちな曲において、プロフェッショナルな放送オケとして、またドイツの律せられた冷静なオケが担当しいてるというのは、かなりメリットとなっている。もちろんロスバウドのおかげでもあろう。○。まあ、ロスバウトくらいのレベルじゃないと聴かない曲だけど。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第3番「ワグナー」,○C.アドラー指揮VSO(CRV:CD-R/SPA)1953/9/4,,アメリカにおけるブルックナーの権威であったアドラーの、かなりまっとうな演奏。オケはよく鳴るし最後まで表現を抑制することなくウィーン響の美質をよく引き出してなお、欠点、オケのローカリズムのようなものを出さないのが素晴らしい。一楽章終盤など弦が刻みに耐えられなくなりバラけるところもあるがこのオケにしてはその程度は許容範囲だ。同曲のわりと抽象度高めの演奏として評価できる。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第3番「ワグナー」(ハース版),○ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団(classical radio vault:CD-R)1960/12/17-22放送録音,,ブルックナーのシンフォニーというと通常3番あたりからがよく聞かれるものとなる。柔らかい主題の目立つロマンティックな曲で確かにブラスの扱い等にワグナーへの露骨なオマージュが聴いてとれるが、ブルヲタ以外の人にとっての聴きやすさでは他のブルックナーの交響曲に比べてメリットがあるかもしれない。ブルヲタにはヤワすぎる曲かもしれない。ブルックナーらしい独特の転調が4番を予感させ(前半楽章がやたら長くて後半短いところも)、ロスバウトのように鮮やかに描き出されると心中になかなか響いてくるものとなる。美しく磨き抜かれた艶をもつ弦の音がまず耳を惹く。ウィーンやロンドンではない、硬派の美質で貫かれ、管打のパワーとあいまって大人のブルックナーが築きあげられる。繊細な音響バランスもロスバウトの意外と細かい配慮が光るところだ。律せられた音楽、制御されたドラマには賛否あろうが、この厳しさはクナなどには聴かれないたぐいのものであり、変な言い方だがブルックナーでいえば5番が好きな向きには向いている。縦を揃える系の演奏と言ってもロスバウドは決してスピードを失わない。ドイツ系の指揮者には珍しい「前進力」がその魅力の一つでもあり、その流れよさは曲にもあっている。さすがに「とても面白い演奏」とは言わないが、ブルックナーの本質にある意味忠実でもあり、聴いておいて損はない。○。,-----,,,,,,,,,,,,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),○ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団(classical radio vault:CD-R)1961/5/20,,これは正規盤と一緒ではないか?演奏は冷徹無味乾燥な1楽章で既に聴く気を失うものの後半楽章オケの音がこなれ磨かれてきてとても美しくウィーンふうの風情を醸してよい。ヴァイオリンの音色に聞惚れる。厳しい統制が前半のように露骨に聞こえてくるのではなく自然に太筆描きのロスバウトの強靭な音楽を楽しめるようになっていく。4楽章はなかなかよい。目だったところはないが、地味にいい演奏。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",-----,,,,,,,,,,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),○シューリヒト指揮シンフォニック管弦楽団(1961/12/6),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),オッテルロー指揮ハーグ・フィル(PHILIPS)LPブルックナーを久し振りに聞いたが・・・飽きた。昔あれだけ聞きまくったのは何だったのだろう。そんなことを書いていては話しが進まないが、確かに時間の余裕のあった時代の音楽だ。単調な楽想、無駄に構築的な音楽、いつまでも続く交響的大蛇。長い。長すぎる。論理的な構成に基づく理由付けはあるとはわかっていても、それでも長い。旋律は独特の美しさ・・・マーラーの卑俗さに近い・・・があるし、音響的にも斬新というか清新で面白いものがあることは認める。ここには確かにベートーヴェンやワグナーとは違う何かが有る。4楽章の神の偉大な降臨はのちのちの8番あたりまで続く威容を発している。それは既にこの時点で完成されている個性だ。大地が轟くような音楽を聴きたければブルックナーを聞け。なんてことを言ってみたりする。オッテルローのこの盤は(私の手元にある盤がそうなだけで再発されてるのかもしれないが)発売期間が極端に短かったらしい。ハーグ・フィルはシューリヒトの7番で有名だが、安定感があり重く揃った響きはブルックナーにあっている。さてオッテルローはどうだろう。レコードクラブ頒布盤で知られとにかく何でも録音している指揮者というイメージがあるが、どの演奏も水準以上の完成度を誇るものとなっている。反面派手な個性には欠け手堅さ、中庸といった言葉がよく似合う。この「ロマンティック」でも、オッテルローがブルックナー?という聞く前に抱いた大きな疑問符は杞憂だった。じつに手堅い。録音がやや悪くそれゆえ○は付けないでおくが、1、4楽章はなかなかよくできているし、3楽章などオッテルローらしい敏捷さがあってよくまとまっている。もっと音楽的な広がりが欲しいところだが、この解釈(たとえばブラームスを捌くのと同じ方法)では仕方ないか。小さくまとまるブルックナーが悪いというわけもない。ムラヴィンスキーのようにやるやり方もアリなのだ。ブルックナー好きは凡演と評するかもしれないが、この曲の演奏としては必ずしも悪いものではない。まあ、機会があって、ブルックナーに耐えうる忍耐力を持っているかたなら、聴いてみてもよきかも。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),カバスタ指揮ミュンヒェン・フィル(PILZ)1943/6/30じつはカバスタ初めてなのである。で、思ったのだが、「フツー」だ。フルトヴェングラー並みの統率力で楽団をぐいぐい引っ張っていく芸風を期待したのに、あまりに「フツー」である。「奇をてらわない」と言ったほうがいいか。「自然体」とでも言っておこう。ブルックナー向きの指揮者ではあると思う。録音がイマイチなので本当のところはどうかわからないが、まったく揺れずに前向いて進むやり方は、ブルックナー本来のよさを滲み出させている。素朴な味わいともまた違うのだが、とにかく音楽そのものに耳を向かせる演奏である事は確かだ。しかしいかんせん個性がないのは気になる。真っ直ぐ進むならクレンペラーやシューリヒトのやり方もある。この演奏はたとえば「カラヤンだよ」と言われると、そうかなと思ってしまう。「フルヴェンの新発見の音源だ」と言っても誰も信じない。カラヤンやフルトヴェングラーの位置づけがどうなのかはともかく、たとえばあの「新世界」、フルヴェンではなくカバスタのものだとしたら相当芸風を変えたものだ、と思う。茫洋とした録音のせいもあるのかもしれないが、「きれいな曲だなあ」と思っても「面白い曲だなあ」とは思えない。そういう演奏。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),◎クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル(1955),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル(1964/4/12):ラスト・ライヴ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィル(1943/4/4),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),◎クレンペラー指揮バイエルン放送交響楽団(1966/4/1),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),クレンペラー指揮ウィーン交響楽団(1950),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),クレンペラー指揮ケルン放送交響楽団(1954/5/4),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),コンヴィチュニー指揮ウィーン交響楽団(1961)DENON,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),コンヴィチュニー指揮チェコ・フィル,SUPRAPHON,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),コンヴィチュニー指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管(1960)DENON,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),◎チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(exclusive)1978/4/19シュツットガルトlive・CD,,恐らく正規再発されているだろう。このシリーズが出たときは高額海賊盤CDにもかかわらず演奏会に行けない人が「録音をしないチェリが良録音で聴ける!」とあって値段不相応の安っぽくいかがわしいジャケにもかかわらず買いあさっていたものだ。私はチェリのよさは8番で開眼はしたものの(ブルックナーはチェリで理解したようなものだ)高いので全部あさるわけにはいかなかった。だがそのうち海賊盤狩りや不景気があって各店在庫一掃の売り叩きがあり、プロコなど他の名演にも触れられたのだが、まあ、チェリが亡くなってしまい、正規録音と称したEMIやDGらしい企画ライヴ盤が大量に出回ってきて、データの定かではない海賊盤群はまちまちな検証を受けてはいるが、現在一部を除いては殆ど価値を失っている。チェリについてはベルリン・フィルとのセッションでロシアやフランスものなど違う魅力に目覚めイタリアでの荒れるライヴ盤に興味がいってのち、人工的なたたずまいの晩年には惹かれなくなった。更にCD-Rなど出て何でも振るかのような無節操なレパートリーに辟易もし(後期チャイコフスキーは私は全く受け付けない)解釈の硬直振りと録音の音響的不備が気になりすぎて、今はもう飽きてしまったから追ってもいない。,,でも、10年くらいをへてこれをきくと、海賊盤にもかかわらずこの音質、音場の広さ、分離の程よさに殆ど正規盤と言ってもいい、しかも、やはり素晴らしい。ブルックナーにつきまとうドイツ・オーストリア伝統の重み臭みを透明で美しい音響によって万人に受け容れられよう高精度の純音楽に昇華させている。オケもいいのだろう。最初から最後まで旋律におぼれることも構造に執着することもなく全てがそこにあるべきところにあって、これだけ単純で長い曲なのに、ベートーヴェン的かもしれないがブラームス的では無いロマン性も薄い曲なのに、スピーカの前で息をするのも憚られるほどの圧倒的な崇高さを示すのである。くれぐれもブルックナー的なるものがこれとは限らない、でも、ブルックナーの表現者として稀有の存在であり、この演奏が中でも非常な名演であったことがわかる、◎にするに躊躇のない演奏である。音だけではわりと冷静な演奏ではあるが、終楽章も末尾になってはじめて唸り声掛け声をはなつチェリに、美学の実現に対する真摯さを知ることもできよう、ま、いつものことだけど。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(METEOR)live,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),チェリビダッケ指揮南ドイツ(シュツットガルト?)放送交響楽団(1966/11/22)ARKADIA,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),ベーム指揮ウィーン・フィル(1973/11),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),リヒター指揮ベルリン放送交響楽団(ALTUS)1977/11/7LIVEオープンプライスになっていることにむしろ驚いた。古典は基本的には専門外なので、リヒターについてもよく知らない。ただこの演奏が非常にロマンティックであることはわかる(「ロマンティック」だけに?)。まさしくロマン派的アプローチであり、発声法的にはオルガンふう、もしくはコラール音楽ふうのハーモニー重視の響かせかたをしているものの、総体ではテンポや音量の起伏の烈しい感情的な演奏といえよう。オケにほころびが見られないのはライヴとしては成功しているとは言えそうだ。だが、どこかよそよそしい。これは録音が軽くあけすけなせいもあるかもしれない。シューリヒトやクナッパーツブッシュといった前時代のドイツ正統のブルックナー指揮者を彷彿とさせる、と「言いたいが」、しっかりした構成感とハーモニーの響かせかた以外にどうもドイツの伝統の「クセ」というものを感じない。音色的にすっきりしすぎているのだろうか?うーん、すいませんうまく説明できない。リヒター好きならば聴くのも面白いかも、と言っておきます。かつてブルヲタだった私は、面白いのだけれども、惹かれなかった。現代指揮者のブルックナーを聴いているようだった(あ、リヒターも世代的には現代の指揮者層内か)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省交響楽団(1984/11/19)ICONE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),ワルター指揮NBC交響楽団(1940/2/10),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(1874-80),ワルター指揮コロンビア交響楽団(1960/2/13、15、17、25),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第5番(1879),○クレンペラー指揮ACO(classical radio vault:CD-R)1957/2/16、17live,,じつは私は一時期、チェリビダッケの8番経験以来異常なブルックナーファンになっており、フルヴェン、クナ、クレンペラー、チェリ、コンヴィチュニーあたりを中心に大量に音源を集めていたことがある。しかしサイト・ブログ上では殆ど触れていないため何か中欧音楽に余り関心がないように思われるらしく(ベートーヴェン、ブラームスもそうだが)、見当違いなことを言われることもある。ここのところは音盤整理(とくにCD処分)のひとつのやり方として余りここでは触れてない三大Bの演奏音盤を意図的に取り上げていきたいと思っている。これは再発か初版か確認してないが、CD−Rとしては新しい海賊盤ではある。5番は両端楽章を同じ主題で統一し非常に安定感のある構造をもって威容を示す曲であり、旋律や展開にはロマンティックなものを孕むものの際立ってはおらず、寧ろ目に付く古典的な構築性は4番からの長足の進歩と後に続く作品とも隔絶した記念碑的性向も示している。大伽藍のようなスケール感のある演奏が求められるところだろう。1楽章途中に示される重量感のあるファンファーレの響きをショスタコが7番(5番だったっけ?忘れた)3楽章で引用している(恐らく)。,,この盤は演奏的にはベートーヴェンである。そのように厳しく律せられ凝縮された演奏であるがゆえに比較的こじんまりとまとまった印象もある。録音が極端に貧弱なせいもあると思う。ACOは時期によって出来にムラがあるがこれは非常にまとまった音を出すことに成功しており、崩れのない精緻な演奏振りから機能的にもすぐれたものを持っていることをうかがわせる。クレンペラーの揺るぎない解釈はそのスピードにおいてもテンポ設定においても後年もそれほど変化しなかったが、有名なVPOライヴとはまたちょっと違う、老成しない職人的な演奏のようにも感じられる。この録音状態でも明快でスコアが透けて見えるような演奏ぶりは清清しいが、個性が存分に発揮されているという感じが無い。素晴らしい演奏だとは思うが、厳しく整えられたハーモニーの突き刺すように縦の揃ったさまは(多分に録音のせいかもしれないけど)際立ってはきこえてこなかった。客席反応が穏やかなのは「クレンペラーのブルックナー」の「悠揚たる終演ぶり」というより、ベートーヴェン的な「これでいいのだ!」というきっぱり切り落としたした感じにまとめられているところからきているのかもしれない。○。,,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"",-----,,,,,,,
ブルックナー:交響曲第5番(1879),○クレンペラー指揮ニュー・フィル(WME:CD-R)1967/3/21LIVE,,瑞々しく、生き生きとしたブルックナー。無頼坊の力任せな演奏でも切り裂くような野武士の解釈でもない。得意の演目だが、ウィーンのような音色の座り悪さもケルンのような乾燥した表現の素っ気なさもなく、オケの共感がささえたこのコンビの幸福さがロマンティックですらある制御され歯切れよく統一されたカンタービレに聞いてとれる。ブルックナーのイギリスオケものにほとんど関心のわかない私だが、立体的で迫力満点の音響に後期ベートーヴェン的なスケールの大きな流れが伴い、かつ不断のスピードが未だ覇気を保っているこの偉大な演奏ぶりには圧倒された。ブルックナー転調の鮮やかな描き出し方も圧倒的で、フィルハーモニアならではの安定した音質と機能性のなせるわざだろう。録音の極端な悪さを除けば、この他に類を見ない大ブラヴォに終わる演奏をおいてほかに薦める音盤を知らない。録音マイナスで○にするのが心ぐるしい。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第5番(1879),◎クレンペラー指揮ウィーン・フィル(1968/6/2),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第5番(1879),クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル(1956),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第5番(1879),○シューリヒト指揮ウィーン・フィル(1963/2/24),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第5番(1879),シューリヒト指揮ヘッセン放送交響楽団(1959/2/27),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第6番(1881),○C.アドラー指揮VSO(tahra)1952/2/17放送録音・CD,,無くしてしまい泣く泣く再度買い直した盤だがこの曲は聴かず仕舞いにしていた。版問題がなく(クナ盤同様ローウェ版の表記はあり)ブルックナーでも異色のアグレッシブな表出力がある曲なうえに、アメリカにおけるブルックナーの権威だったにもかかわらず奇演で知られたアドラーが、くせ者のウィーン響をくってなした演奏であり、しょうじきブルックナー後のシェーンベルク前の世代、マーラーとまではいかなくてもコルンゴルトだとかフランツ・シュミットといった世紀末性を孕んだ末流ロマン派交響曲を聴くような新鮮さがある。元々フォルムのはっきりした演奏をする人だからブルックナーに向かないことはないのだが、いや、これは賛否あるだろう。。面白い。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第6番(1881),クレンペラー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1961/6/22),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第6番(1881),クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1967/3/21),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番,フリード指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(WING)1924・CD,,交響曲録音を残した指揮者としては最古参のひとり、マーラーと親しく殆どストーカーだった?ことでも知られたオスカー・フリードの、しかも「復活」と並んで最古の録音である。当然同曲初録音。音質は推して知るべし。演奏はこの音でこの表現力、というような目覚ましいもので、同じく古くて編成の薄いホーレンシュタインのベルリン・フィル盤と比べると格段に音楽的である。愉悦的なリズム感とメロディアスな歌いまわしが耳をひき、リヒャルト的な前進力はありながらも前世紀の香りを残した演奏と言うことができるだろう。残念ながら鑑賞に耐えうる音質とは大部分の人が思わないだろうから、無印。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブルックナー:交響曲第7番,○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(kapellmeister:CD-R/MEMORIES)1958/2/8live・CD,,終楽章が短い・・・はいいとして、案外まともなのはブルックナー7番がこういう風にしか演奏しようがないからなのか、ベートーヴェン指揮者としても知られていたミュンシュの元々のドイツ的な性向に基づくものなのか。録音は言わずと知れた状態ではあるが、クーセヴィツキーのブルックナーあたりを想起させるボストンの中欧風の響きがしっかり前進的で集中力の高い演奏ぶりとあいまって、純粋にロマン派交響曲の小名品を聴いているような感覚を与えられる。すがすがしくさえあるのは単に7番だからか。今の私はブルックナー、バルトーク、ベルリオーズが苦手なかんじなのだが、これは途中飽きながらも力強い音楽作りによって最後まで聞きとおすことができた。そんなにヘンな演奏じゃないです、まとも。○。,-----,,,,,,,,,,,,
ブルックナー:交響曲第7番,ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(ica)1958/2/18ハーバード大学live・DVD,同上?,いったいにブルックナーを聴くのではなく観るはめになるとどうしてこう眠くなるのだろう。七番、ましてミュンシュの力強いブルックナーである。なぜ眠いのか。白黒のぼけた画像のせいだろう。指揮ぶりはとにかくダイナミックなのだが演奏はそれほど激しいわけではなく、大したミスもなくそつなくこなしている。これだけ大編成の管楽器をしたがえながら、モノラルのこの録音では何とも貧弱で、そこも残念どころである。何となくベートーヴェンだな、と思うような手堅さも感じた。まあ52分余り、というのは早すぎるというほど早いテンポでもない。わりと早く進む感じがしたのは、即物的にこなしているからだろう。memories等で出ている音源とは一応違うということになっている(あちらはタングルウッドだったか)。演奏的には違いはない、音はむこうのほうが聞きやすいかもしれない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第7番,○トスカニーニ指揮NYP(DA:CD-R/PASC他)1935/1/27LIVE,,どうも板につきすぎていて疑問符を下げられない演奏。ヒンデミットより巧い。トスカニーニがアメリカでブルックナー???ワグナーもやるくらいだからまあ・・・「らしさ」では3楽章のスケルツォ主題の躍動感溢れる力強い表現、全般に直裁なテンポがある。3楽章緩徐主題では濃厚なカンタービレも聴かれる。しかし、2楽章のしっとりした表現や更に1楽章に立ち返ってもそうだが、トスカニーニの芸ではないような感もある。しかしこれがまたしっかり出来ていていいものだから、○はつけざるを得ないのだが。4楽章もきっちりまとめてくる。ロマンティックさは残しながらもブルックナーという作曲家をよくわかったようでいてドイツ的と言ってもいいしっかりした設計がある。ブルックナー慣れしていても聴きやすいくらいの演奏だが・・・個性的ではない。トスカニーニのベートーヴェンともまた違ったスタイルのように感じる。ワグナーとも。うーむ、でも演奏がよければいいか。放送用スタジオ録音か。盤継ぎがみられ楽章最後がぶち切れる部分もあるがほぼ音も状態も許せる範囲内。時代が時代ですし。pristineからも復刻。,,(参考)といってさすがにこの盤との関連性があるものは・・・無い。ブルックナー7番の参考盤として何となく近いのは軽いシューリヒトよりは意思的なフルヴェンかなあ。クナは違う。クレンペラー(但し中欧オケとのライヴ)はもっと近いか。,"
ブルックナー:交響曲第7番フルトヴェングラー(ヴィルヘルム)ユニバーサル ミュージック クラシックこのアイテムの詳細を見る
ま、恣意性においては違うんですけど。EMI版は現役盤が無いみたいです。",-----,,,-----,,,-----,,,-----,
ブルックナー:交響曲第7番,○ヒンデミット指揮NYP(DA:CD-R/URANIA)1960/2/27live・CD,,客演記録のひとつ。モノラルで雑音も多い。求心力のある「ミュンシュ的な」演奏で、別に雑味が多いとか改変がどうとかいうことではなく、ライヴ感のある速く力強い演奏で、ブルックナーにつきまといがちな野暮さや長さを感じさせないという意味では他の演奏同様ヒンデミットの得意曲と言ってもいいものだろう。ドイツ古典趣味のあるヒンデミットにとって構築的な楽曲は「好み」であり、「あの時代の方法」でそれをさばいている。「あの時代の」というのはクレンペラーの揶揄に象徴されるように「古い聴衆向け」のやり方であり、原典主義とはいえ「フルトヴェングラーの主張した意味での」原典主義である。といっても詳細検証はまったくしておりませんのであしからず。他演と同じ可能性あり(28日と称するCD-Rがある、別エントリ)。ブルックナー嫌いには聴きやすいブラームス的なところのあるロマン性と古典性のあいまった世界。聴衆反応は普通、そんなレベルだろう。○。,-----,,TITLE: ブルックナー:交響曲第7番,URL: http://blog.goo.ne.jp/r_o_k/e/80326530e0e41475e32c766ab9a2fe9f,BLOG NAME: 20世紀ウラ・クラシック!<最新版>,DATE: 02/26/2007 23:37:50,○ヒンデミット指揮NYP(VIBRATO:CD-R)1960/2/28・LIVE,,なかなか聞ける。オケの集中力がハンパ無い。録音はけしてよくないが、一楽章しか聞けなかったこの曲を(ビデオ化もされたボストンのライヴ)全て聞けるのは愉しい。テンポよく流れるような演奏だが即物的では...,-----,,,-----,
ブルックナー:交響曲第7番,○ヒンデミット指揮NYP(VIBRATO:CD-R/BATON)1960/2/28LIVE・LIVE,,なかなか聞ける。オケの集中力がハンパ無い。録音はけしてよくないが、一楽章しか聞けなかったこの曲を(ビデオ化もされたボストンのライヴ)全て聞けるのは愉しい。テンポよく流れるような演奏だが即物的ではない。たんに速いのであり、緩抒部の慈しむようなフレージング一つとってみても決してロマンチシズムには欠けていない。この一楽章でそう感じる向きはフルヴェンやクナの聴き過ぎではないか。寧ろブルックナーの特殊性をよくとらえている(下手に崩すと曲を壊してしまう)。二楽章は古典を意識したようなアンサンブルで爽やかだ。しかし弱音のヴァイオリンの美しさは他にかえがたいものがある。フレージングに魂が篭っている、上辺だけではない、テンポだけで聞いて欲しくはない。録音はこの楽章がいちばん悪い。つぎはぎもしているようだ。これはブートを聞き慣れてないときついかも。雑音も多い。しかしモノラルで音場が近いからく迫真味があっていいとも思える。力強い。解釈的にやや飽きたが古典指向の纏めかたのせいでもあるかも。引き締まった三楽章は躍動を徒に煽らずかといってドイツふうに足取りを確かめることもなく、ひたすら心地よい舞曲を聴き浸ることができる。中間部は楽想的に惹かれないので正直飽きるが録音が立体的でハーモニカルなブルックナーを捉らえきれていないこともあるのだろう。旋律は重要ではないと言いつつこの楽章ではもっと煽情的な旋律が欲しい(ダイナミズムのことを言ってるのではない)。四楽章のいきなりの速さにびっくりするがなかなかに洒落ている。駄々長い楽章を颯爽としたテンポで自作交響曲のようにメカニカルに組み立てていく。そうすることで乗り切っている。最後録音が極端に悪くなるがしかたない。○。精神性とか言われちゃうと、どうかな。精神て具体的にはどういう音形のことを言うの?,-----,,TITLE: ブルックナー:交響曲第7番,URL: http://blog.goo.ne.jp/r_o_k/e/9af3fcce7b944a014ceeec510659648b,BLOG NAME: 20世紀ウラ・クラシック!<最新版>,DATE: 02/26/2007 23:22:43,○ヒンデミット指揮NYP(DA:CD-R)1960/2/27live,,客演記録のひとつ。モノラルで雑音も多い。求心力のある「ミュンシュ的な」演奏で、別に雑味が多いとか改変がどうとかいうことではなく、ライヴ感のある速く力強い演奏で、ブルックナーにつきまといがちな野暮さや長さ...,-----,,,-----,
ブルックナー:交響曲第7番(1883)〜T,ヒンデミット指揮シカゴ交響楽団(CSO)1963/4/7LIVE久し振りに聞くブルックナーだ。これはシカゴ交響楽団の記念セットに収録されたライヴで、1楽章だけしか演奏されなかったようである(拍手が入る)。ヒンデミットはワーグナーと呼ばれる3番を振った録音が残っているが、7番はこれが初めて(だと思う)。録音はかなり篭りがちでよくない。しかし、音楽的には充実していると思う。目の詰まった音作りはやはりヒンデミット。少々暑苦しい気もしないでもないが、悪くない聴感だ。どちらかといえば「ブルックナー指揮者」の演奏ではなく「ロマン派指揮者」の演奏と言えるが、1楽章だけを取り出して聴くかぎり、楽しめる演奏にはなっている。好事家向けではあるが、機会があれば一聴を。(ビデオ(DVD)化された映像との同一性未確認),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番,クレンペラー指揮BBC交響楽団(ica)1955/12/3スタジオ録音・CD,,スタジオ録音ではあるが発掘音源で、録音状態はボロボロのモノラル。演奏は50年代クレンペラーのそれで勢いがあり、同時代トスカニーニからワルターからミュンシュといった大指揮者がやっていた演奏にちかくテンポが横に流れるほどでクレンペラーらしさは薄いが、そういった武骨で響きの濁るところがないのはオケのせいもあるのだろう、聴きやすい。それなりに迫真性はあり、録音の悪さを除けば十分すすめられる。四楽章の最後がそのまんま切れて終わる感じがしてややあっけなかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第7番(1883),○クレンペラー指揮ベルリン・フィル(1958/9/3),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番(1883),◎クレンペラー指揮北ドイツ放送管弦楽団(MUSIC&ARTS)1966/5/3LIVEやっぱり、クレンペラーは凄い!段違いだ。音のひとつひとつが決然としていて、しかも重厚な響きが心を底のほうから大きく揺さ振ってくる。録音も良いので、この名演を味わい尽くせる。もう1楽章から耽溺してしまうのだが、2楽章の追悼音楽の心根深さには心打たれる。多少冷たい響きを持った機能的なオケであるせいか、細部まで彫刻されており、隙が無い。これは聞いても損はないだろう。名演。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番(1883),クレンペラー指揮バイエルン放送交響楽団(1956/4/12),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番(1883),クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1960),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番,ロジンスキ指揮クリーヴランド交響楽団(SLS)1938/3/16放送・CD,,どうもこの曲が苦手です。親しみやすい旋律、ワグナーの死にさいし捧げられることとなった2楽章の感傷的な表現、わかりやすい構成など、この曲がブルックナー指揮者以外にも盛んに取り上げられた(4番ロマンティックよりも骨董録音は多いかもしれない)、その理由は挙げられるだろうが、正直飽きるのも早い。長大な8番などにくらべ「くどさ」が少ないと言われるがワグナー的なモチーフなど却ってウンザリさせてしまうわかりやすさで、ロジンスキのような即物主義的な指揮者の演奏だと最初こそ飽きさせない隈取の濃い表現で耳を惹くが、何も共感していないような一本調子(ブルックナーは共感してロマンティックな起伏をつけるたぐいの作曲家ではないのだが、飽きさせず聴かせるためにはそれも必要だ)、録音はノイズのほうが大きいくらいで音量変化もなくそこは仕方ないが、これを聴いてブルックナー好きになるとは思えない。演奏レベルはクリーヴランド交響楽団との幸福な時期のものだけあって高い。大規模編成を使いこなすのには定評のあるロジンスキらしいブラスの鳴らし方で、ヨーロッパ的ですらある。あまりにもノイズが多いゆえ全く勧めないが、カットせずちゃんとやっているからロジンスキマニアには薦める。ミュンシュのほうが同じスタイルでも面白いだろう。クーセヴィッキーがやったら同じような感じになったろうがカットも激しかっただろう。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第7番(1883),○フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1951/5/1)<原典版>,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番(1883),クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル(1949/8/30),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番(1883),シューリヒト指揮デンマーク国立放送交響楽団(1954),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番(1883),シューリヒト指揮ハーグ・フィル(1964/9),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番(1883),シューリヒト指揮ベルリン・フィル(1938),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番(1883),スタインバーグ指揮ピッツバーク交響楽団,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番(1883),ロスバウト指揮バーデン・バーデン南西ドイツ放送交響楽団<原典版>,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番(1883),ワルター指揮コロンビア交響楽団,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番(1883),チェリビダッケ指揮BPO,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第7番(1883)〜リハーサル風景,○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1949/4live,,1楽章終盤にアナウンスが重なり、メインは30分近くに及ぶ2楽章のほぼ通しリハ。ボストン弦楽セクションの重厚な響きを背景に濃いいロマンチシズムの盛り込まれたクーセヴィツキーらしい演奏で、単体で聴けばワグナーの緩徐楽曲のように聴ける。ルバートな伸縮もすれば音量変化もあざとい(表現主義者のデジタル変化ではなく、弦楽器奏者らしいうねるようになめらかな変化)。力強く速いテンポで音楽は歌われていく。だがこれはブルックナーなのである。このノリが全曲だと疑問に思うかもしれない。クーセヴィツキーの指示は殆どダイナミクス変化にかんするものしかない。ただ音量についていちいち感情的に叫ぶ。あとは歌う・・・ひたすら「旋律だけ」を。たまに表情記号にも言及するが、ロシア訛りの調子で実にボキャブラリーが少ない(陰で揶揄されるわけだ)。怖い頑固爺さんといったふうである。オケは大人の態度でただ鋭敏に従うだけ。異様に指示を理解するのが早く、指示する前に既に準備しているようですらある。そんじょそこらのオケではないので、予めボスの言うようなことはわかるのだろう。リハとはいえ表現に手抜かりはない。クレンペラーが晩年振らなくてもオケが弾いてる状態に至ったのと同じ、これは裸の王様とは違うカリスマ性であり、高度な芸術の世界での老年の奇跡である、としておこうか。,,後代の指揮者に引き継がれるこのオケの実力はしかし(政治的なもの含め)全てクーセヴィツキーが培ったものとも言えるから、無骨な指導ぶりもやはりカリスマ性だけでなく、何かの技があってのもの。これは単なる本番前の断章にすぎないかもしれない。まあ、嫌われそうな人だなとも思った。ミュンシュと似てるんだけど、違うんだよなあ。わりと単曲としては感動的なので○。,,"クーセヴィツキーのブルックナー8番",,"クーセヴィツキーについてはこちら",,"↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ",,"TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング",-----,,,-----
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),○ベイヌム指揮ACO(TAHRA)1955/4/21LIVE・CD,,最初に言っておきますとワタクシ版問題にはまっっったく興味がございません。しかしこれだけは言えます。これ、前期スクリアビンじゃん!!,,物凄く後期ロマン派的解釈というか、クナ?ブラスは力強くゴージャスな重厚さ、露骨に煽情的なカンタービレはブラームスだ。いやまあベイヌムなのでそこまでデロデロではないのだが、スケール感はなく、主観的な解釈がわかりやすさと違和感のせめぎあいの間隙を突き進む。ブル嫌いや苦手な人向きではあり、私もこういう「起承転結」のはっきりしたもののほうが今は聞く気になる。,,結論はこちら。,,「ダイナミック、意志的で強靭。ロマンティックでブラス派手だが重厚でもある。ライヴらしさ溢れるものだが録音が弱い。」,,録音部分的にはかなりひどい。○。,-----,,,-----,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),○カラヤン指揮ベルリン・フィル(1967/3/21ザルツブルグ・ライヴ)HUNT,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90)〜W,○カラヤン指揮プロイセン国立歌劇場管弦楽団(KOCH)1944/9/29(ステレオ録音)い、異常だ。この音質は異常だ。異常に良すぎる。60年代のステレオ録音と言っても十分騙せるのではないか。この高音質に、まずは度肝を抜かれた。この盤には6/28のモノラル録音(1、2楽章のみ)も併録されているが、そちらはクリアなモノラル、といった感じでふつうだ。カラヤンによる初のステレオ録音記録、とあるが、初にしては余りにクリアなステレオ録音である。自然な聴感はやや硬質であるもののじゅうぶんにしなやかで聴き易い。擬似ステレオのようなものを想像していたら全然違った。奥行きがあり、各パートも明確に聞き分けることができるし、ちょっと疑ってしまうほどである。ステレオ録音については、実験的には30年代にストコフスキらが行っていたようであり(一般に出回ってはいないが)、この44年のステレオ録音は決して元祖ではないのだが、この音質に、この名演(カラヤンにしては劇的で起伏の大きい若々しい演奏、ミスなどかけらも聞き取れないオケの精度の高さ!)という意味では、事実上の本格的な(実験ではない)ステレオ録音記録と言えるだろう。カラヤンのブルックナーは若い頃のものが覇気があり面白い。丁寧で甘さのない高潔な指揮ぶりは、この時期のカラヤンがナチのために振っていたという事実を忘れさせるほどに印象的だ。1991年に旧ソ連からドイツへ返還された膨大な録音記録に埋もれていたという盤、貴重な記録としても、素晴らしい演奏記録としても、記憶に留めておくべきものだ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90)〜W,カラヤン指揮ベルリン国立歌劇場管(1944)HUNT KOCH盤と同一音源ではないと思うが。モノラル。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),○ケーゲル指揮ライプツイヒ放送交響楽団(PILZ)1990発売・詳細不明/(ODE CLASSICS)1975/3/11ライヴ ギチギチの音、激しい表現のコントラストで今ふたたびマニアの脚光を浴びる東欧最後の巨匠ケーゲル得意のブルックナーより2枚。そうはいってもここで聞く限り非常に洗練された演奏の感があり、ラヴェル演奏などにみられる理路整然とした棒をそのままブルックナーに適用したような、くっきり明快な表現は清清しくさえある。激しいコントラストという面は終楽章のフォルテ表現などに良く聞き取れるが、オケの音が割れる崩れるなどといった踏み外した演奏になることは無く、ライヴであっても乱れは無い。ブルックナー特有のもやもやや、冗長さをさほど感じさせないから、聞きやすく、入門盤としても適切だと思う。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),○シューリヒト指揮AMBURGO RADIO S.O. ,1950?,URANIA2000年8月現在店頭に並んでいるCD。かなり不安定な擬似ステレオで、ただでさえ狭いレンジの外縁を右へ左へたゆたう音は、はっきりいって聞きづらい。音質はやや篭りがちだが高音の抜けは良く、この時期の原盤にしてはかなり音質改善されているとはいえよう。明るく平和な雰囲気が全編に漂う。ロマンをたたえた叙情的なシューリヒトが聞け、高貴な美感に加え思い入れの勢いと耽溺が聞きとれる。もっともシューリヒトゆえワグナー的体臭は全く感じない。ロマンティックな印象のひとつの要因は楽譜だ。完全な改変版ではないようだが今となっては違和感ある処理がいくつか散見される。版が何かはわからないが(すいません)。ブラスの品の無い咆哮は時折耳につく。もっとも録音のせいでもあるだろう。高音弦楽器がマイクから遠く(薄く?)、細かい音彩が聞きとりづらいが、憧れに満ちたフレージングと確固たる足取り、なかなかのものだ。ピアノ表現が巧く、ブルックナー・トレモロの美しさには、はっとさせられる。2楽章の前進性はまさにシューリヒトのものだ。他演にみられる浮き立つリズムの躍動性は感じられないものの、直截で力強い表現が押してはかえす波のようにダイナミックな動感をあたえている。シューリヒトらしい、3楽章の透明で荘重な表現は好悪あろうが(飽きる可能性あり!)、教会の白亜のドーム、もしくは高原の清澄な空気のように清潔感があり、一方オケにはロマン溢れる音精が宿って(只高音金管楽器にはもう少し繊細な配慮が欲しいところもある)共に遠い世界への遥かなコラールを捧げている。ダイナミックな起伏よりもひたすらの祈り(決して苦しみや死への祈りではない)に専念し、テンポも余り変化せず、最強音時に僅かにルバートするくらいで、ダイナミクス、音量共に少なめだ。もっともこの録音では真実の音変化を辿ることは不可能に近いが・・・。終楽章はまず冒頭で激しいコントラストを聞きたいものだが、シューリヒトゆえ妥当な常道表現になっている。ここではブラスの力感が強みになっている。速めのテンポで押し続けるシューリヒトのライヴは落ち着きの無さを感じるときもあるが、ここでも少しそういった感触を受ける。ワンパターンをいかにそれらしく聞かせるかがブルックナーの要だが(ミニマル的な音・リズムの明確さが必要だと思う)、シューリヒトは表現にロマンを入れてしまったために、同曲の曲想の少なさを却って浮き彫りにしてしまっているようにも感じた。そういう演奏は初めは掴まれるかもしれないが聞き込むにつれ飽きてくるものだ。結部ももう少し雄大なひろがりが欲しい。急くようなリズムのままブラスの合奏を迎え(あいかわらずニュアンスの足りない咆哮だ・・・)、そのまま終わっている。「晩年のチェリの表現を最上のものと考える」私には、余り頂けない。・・・でも総じて駄演では無い。トータルでは技巧に優れたオケでないだけに、一層にシューリヒトの力量を感じさせる佳演だ。円熟味は感じられないものの、手慣れたものといえよう。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),○シューリヒト指揮ウィーン・フィル<1890年稿>,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),◎スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト・アカデミー交響楽団<ハース版>1981、OLYMPIA悠揚ならざるスケールの大きく起伏の激しい音楽に感動。最近別レーヴェル(SCRIBENDUM)で復刻済み。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),◎チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(ライヴ)METEOR終楽章の威容に瞠目。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(1994ライヴ)AUDIOR,同上?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,COMMENT:,,,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(1981/11/26)EXCLUSIVE,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),◎ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル (melodiya,BMG)1959・CDまさに「構築的」で、どこにも漏れの無い、堂々たる演奏。速めのテンポで張り詰めるような演奏であるにもかかわらず、オーケストラの響きはどこか優しく、暖かみが感じられる。オブラートに包んだようなモノラル録音のせいでもあろうが(LPはもう少し鮮やかだった)、弦から木管から美しく研ぎ澄まされた音が絶え間無く紡ぎだされ、金管は厳かに時には高らかに、その感傷を音にして、音の粒は鮮やかだが全てが見事に調和しているゆえ不要にきらびやかな感じはしない。 ”ムラヴィンスキーの演奏ではしばしばあることだが、たとえば3楽章、禁欲的な雰囲気も漂わせながらも、無限の幻想に満ちた歌が遠く遥かに響き渡り、仄かな風の吹く柔らかな大地、どこまでも精妙なアンサンブルの中にゆったりと流れる時間は、極東の小国にてこの芸術の片骸に聞き入る私にも、個人的な記憶の中に潜む込み上げる感情を呼び覚まして止まない。ロシアとか北ドイツといった”地方性”なる卑俗な要素などミジンも感じさせ無い(奏法に起因する高音金管楽器の音色が唯一の例外)。そういう浅薄な個性を主張するレベルの演奏ではないのだ。他の曲でも書いたが、ムラヴィンスキーの演奏記録において崇高な迫力のあるフォルテ表現以上に特徴的なのが、ピアニッシモでの絶妙繊細なアンサンブルだ。レニングラードの弦楽器は反則と思えるほど巧すぎるのだが、最弱音でのピツイカートとVnパートソロの固唾を呑むような絡み合い、フルート、オーボエの必要以上に謡わずにして深い心情を描きだす絶妙な表現。恣意的なデュナーミクや色彩性の強調なくしてこれほど想像力を掻き立てられる演奏は他にあるだろうか。これはムラヴィンスキーの先人として立つトスカニーニすら得られなかった世界である。もっともトスカニーニはブルックナーなど絶対に振らなかったから(振るわけが無い※)、この曲では比較はできるわけもないが。終楽章もダイナミズムに満ちているが、譜面指示を決して強調しすぎることはない。野暮に引き伸ばさずそのままのテンポ(もしくは寧ろ速め)で断ち切れる結部は好みはあろうが、私は例外的に好きだ。曲の流れ上全く違和感が無いからである。・・・とにかく聴けば解かる。これは希有の演奏だ。,,※後補 尤も現在は7番のライヴ録音が復刻されている。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),○ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省管弦楽団1985、MELODIYA,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),◎ワルター指揮NYP(ASdisc他)1941/1/26ライヴ ASディスクで1990年CD化。2003年別レーベルから廉価再発された。1941年1月26日ライヴの記録。ロマンティックなアプローチのブルックナーとして割り切るなら、非常に非常に面白い演奏。ワルターの調子も良。案の定いろいろカット等ありますが、時代的に仕方ないでしょう。潔癖性の方には音質的にもとてもお勧めできませんが、3楽章で展開される嘆きと憧れの歌はもう補って余りある表現、一聴の価値大有り。私はこのディスク入手後しばらくは、8番というとこの演奏以外聞けませんでした。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(1947/12/30ライヴ)Asdisc(クーセヴィツキー版)変なカット・改変だらけの怪演。音に重みがなく明るくロマンティックな解釈もブルックナー向きじゃない。ブルックナーをブラームスの手法で読み解いたような演奏。剛直な曲の演奏などお手の物かとおもえば、半端な解釈に拍手も余り積極的ではないライヴ終演。バルビローリ盤でも感じたのだが、どこか・・・なのだ。2楽章スケルツオの速さにびっくりするが、旋律の流れを手探りしているかのような緩徐部とのコントラストが、表現主義的な奇妙な律動となり、面白いが正統とは言い難い。名演というより迷演か。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1945/4/7live,,正直私は好きではない。感情に任せてうねり通したようなブルックナーでカットも多く、特有の均整感が失われている。こじんまりとしてあっさり、中期ロマン派の半端な交響曲のようだ。ただ、ロマンティックな流れは聴きにくいものではなく、オケは非常に充実しているからブルックナーを知らない向きは素直に聴けるかもしれない。じじつ余り慣れていないと思われるボストンの市民は大喝采である。クーセヴィツキーにはもう一枚ライヴ非正規盤があるがほぼ同様。録音状態は悪いが聴けないことはない。DAはだいぶ音質向上して聞きやすくなっている気がする。無印にしたいが聴きやすさを買って○。何と戦争末期の演奏だ。,,"1947/12/30live・ASdisc盤はこちらのブルックナーのページに記載",,"クーセヴィツキーについてはこちら",-----,,,-----,,,-----,,,-----
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),○クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィル(1951/1/7、8),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),クナッパーツブッシュ指揮バイエルン国立管弦楽団(1955/12/5)<シャルク版>,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィル,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィル(1963/1/24),同上?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),○クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィル(MCA他)CD,同上?,ステレオの有名録音。なんで有名になったかというと某著名評論家のせいだ。しかし私の今手元にある(恐らくCD初出盤の)MCAダブルデッカーのヤツは音が軽く、クナらしい重厚さがない。復刻が遅れたために他の悪音ライヴ盤でクナの芸風に慣れきって正直飽きていたせいもあろうが、薄く莫大ないわゆる晩年指揮者の芸風にきこえて、言われるほど揺り動かされる「録音」ではない感じをおぼえてうっちゃっておいた気がする。今聴くとやはり、この「録音」は薄っぺらい。だから1楽章から3楽章は逆に素直にさらっとBGMとして心地よい。しかしさすがにこの、4楽章のとくに終盤の威容はびっくりすると共に、こんな休符ねーよとかこんなアゴーギグありえねーとか言いながらも、余りの説得力に言葉を失ってしまう。これはロマンティックな「読み」に基づいているだけで「ロマンティックな演奏ではない」。紛れもなくブルックナーの宗教的ですらある崇高な音楽だ。ドイツ的ではあるがその透明感がまたアクの強さを消し去り、聞きやすさがメリットになりまくりである。そういって遡りきくと、確かに薄味に「聞こえる」けど、音楽はかなり隈取がなされている。といってもちゃんと骨組み立った音楽の、その補強材を工夫しているといった意味である。そういう点でおとといベイヌム盤をクナ的と書いたが間違っていた。あれはブラームスである。有機的に揺れ動くなめらかな曲線である。これはコルビジェにゴシック様式を取り入れたような異様さであり、しかも整合しているのはまったく評する言を持たない。いずれアナログで聞き直せば評価も変わろう。今は○にとどめておく。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),クレンペラー指揮ケルン放送交響楽団(1957/6/7),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団<ノヴァーク版>(1972),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90)〜V,クレンペラー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(1924),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),ジュリーニ指揮ウィーン・フィル(1984/5/23-30)<ノヴァーク版>,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),バルビローリ指揮ハレ管(1970/7/20ライヴ)HUNT,BBCほか伸び縮みするブルックナーはハレの独特の音とともに違和感あり。但し3楽章など聞き物。当初モノラルしかなかったが現在はステレオで出ている(BBC盤)。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1944/8/17)<ハース・フルトヴェングラー版>,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1954/4/10)<ノヴァーク版>,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1949/3/15)<ハース版>,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),ホーレンシュタイン指揮ウィーン・プロ・ムジカ・シンフォニー(ウィーン交響楽団)<1890版>Turnabout,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第8番(1884-90),ホーレンシュタイン指揮ロンドン交響楽団(1970/9ライヴ)<ハース版>晩年のチェリビダッケを彷彿とさせるような威容ぶり。4楽章の冒頭など震えが来る。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○C.アドラー指揮VSO(CRV:CD-R/SPA)LP,,かなりロマンティックなブルックナーだがVSOの個性とアドラーの少しアメリカナイズされたような明るい色調が独特の聴き心地だ。演奏精度的には問題ない。マーラーを思わせる一楽章、かなり達者な二楽章、ダイナミックな三楽章。二楽章の厳しい調子はなかなかかっこいい。三楽章は妙に高くうわずった音で浅く始まるが、これは録音の特徴なのだろう。楽器毎の音量バランスがおかしくて別の曲のように聴こえる。卑近な派手さ、といったらいいだろうか、耳の近くでかわるがわる弾き吹きされるような感じだ。全般テンポは鷹揚としているが緊張感があり、アメリカにおけるブルックナーの権威でもあったアドラーの真骨頂であろう、師匠マーラーの曲をやるよりうまいかもしれない。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(MORGAN'S:CD-R)1999/3/5LIVE,,非常に遅いが端正な印象を受ける。オーソドックスと言ってもいい。ブルックナーにしてはねっとりしたフレージングが目立つにしても三楽章あたりになると繊細で怜悧な美観のほうが強く感じられるがゆえに過度にロマンティックではなく思われる。さほど個性的ではないがスヴェトラにしては非常にまっとうなブルックナーを演じているとは言えるだろう。達観や哲学をかもすほどには至っていないが、大曲から客観的に構築性を紡ぎ出すことに専念したかのような晩年の芸風をよくあらわしたエアチェック録音である。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団(CLASSICAL RADIO VAULT:CD-R)1959/2/25,,録音がいささか悪いためわかりにくいが、明晰でサクサクした演奏である。音が醒めていて切れがよい。あっさりとした解釈はシューリヒトの上をいくもので、無味ではあるが乾燥はかんじない。なるほど音の研き方はカラヤンに近い精度を要求したようなふしがあり、重くロマンティックな演奏が苦手ならこういうのも楽しめるだろう。楽しい演奏ではなく厳しい演奏だが。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○ワルター指揮NYP(CLASSICAL RADIO VAULT:CD-R/M&A)1957/2/10LIVE・CD,,即物的で性急。この頃までのワルターライヴに多い。トスカニーニ風に凝縮し明瞭なリズムにのって突進する。ロマンティックな旋律のボリュームと動きを強調するためのものとしてハーモニーを位置づける。オスティナート風の装飾音形も表現は機械的に単純化され旋律に沿うのみ。ブルックナーにはこういうデジタルな処理は意外にあうのであるが。圧倒的な表現の幅をみせるのは3楽章で、それまでのフルヴェンやトスカニーニ風の「音塊による説得力」から「音による説得力」というワルターの世界へ回帰する。最弱音では非常に綺麗な音を一糸乱れず、最強音は天地轟かんばかりに重く破裂する。デュナーミク変化こそ悪録音のため差は大きく出ないが、音色変化にはっとさせられる。,,ただ基本アプローチはアグレッシブで変わらない。そのため最後には飽きてしまう。ブルックナーの交響曲自体「飽きる音楽」、カトリックのミサ曲のようなものだ。だがワルターの「飽き」は、録音の悪さと平板さ、並びにアプローチのワンパターン即ち「通俗的なロマン性の再現に終始する」ところにあることは否めない。初心者向きではあるが録音の悪い、まあ、嫌いではないけど。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○ワルター指揮NYP(DA:CD-R)1950/2/5放送live,,やかましい。ブラスがかなり耳にきつく響く。全般に各声部が余りに主張するので同曲に静かな感傷を求めたいときにはとても聴いていられない。とにかく生命力に満ちている。もちろん悪い録音のせいもあろうが、30年代のワルター未だ健在というか、ロマンティックなうねりはあくまでスコア上の付記にとどまり、音の強さというか表現の強さというか、かなり単純化された音楽をゴリ押しする感じでどうにも入り込めなかった。しかし「強い演奏」を求めるならこういうのもありかもしれない。決してマーラー的とかいったふうはなく(しいていえばウィーンを去る前に録音されたマラ9の30年代のライヴに近い焦燥感はある)かといって今日的なブルックナーでは少しもなく(原典版をやろうとはしていない)、トスカニーニの影響といっても没入度というか視座が違うかんじもして、気分的にこういうのが聴きたいときには「これしか聴けなくなる」たぐいのものかもしれないなあ、と思った。今の私には、やかましかった。放送ライヴのエアチェックゆえ1楽章2楽章間にアナウンスが入る。最後はブラヴォも少し飛ぶ熱気のある拍手。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),ワルター指揮NYP(MUSIC&ARTS他)1946/3/17LIVEワルターのブルックナーはやっぱりロマンティックだ。とはいえ、ロマン派交響曲の語法をそのままブルックナーに持ち込んでいるのではなく、他の曲の演奏と比べれば「ワルター的な部分」は少ないものになっている。この演奏、久し振りに聞くブルックナーであったせいかけっこう感動したのだが、いかんせん録音の悪さというものはどうしようもない。ワルターへの愛着があるかたは、聴いてみても損ではないと思う。ないかたは不要だ。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○ワルター指揮NYP 1953/2/7,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○ワルター指揮ウィーン・フィル(serenade:CD-R)1953/8/20live,,録音はややエッジが立ちすぎてウィーンの音を消している感もあるがこんなものか。このての発掘ライヴ音源には、50年代であってもぼろぼろの音質は仕方ない。むしろよくこんなに分離を明確にできたものだと思う。ヘッドフォンは辛いのでスピーカーで聞きましょう。,,まだ壮年期ライヴらしい濃さをのっけから繰り出している演奏で、一音一音にこんなに意味を篭めなくてもいいのに、という弦の異様なフレージング、意思的な音楽の進め方は他のライヴ同様である。全楽章トーンは一緒であり、とにかく濃さが重さとなり、「押し」はあっても「引き」がないだけに3楽章の最後まで聞きとおすのは私でも辛い。改訂版に慣れていないと恐らく聞き込むのは無理である。体調のいいときにどうぞ。ワルターファンだけ必聴。ワルターライヴならではの色を聞くという意味で○。ウィーンである必然性は感じない。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○ワルター指揮フィラデルフィア管弦楽団(classical radio vault:CD-R)1948/2/2live,,録音劣悪で放送ノイズがかなりきついところもあるが音量も音の芯もしっかりしていて雑音慣れしていればそんなに酷いと言うほどでもない。ただ、演奏自体は好みをわかつだろう。ブルックナー原典主義者はまずワルターなど聞かないだろうが、比較的幅広く聞く私もこの演奏、1,2楽章はニュアンスにはうねる起伏がつけられているものの直線的であるが、3楽章の感情的な動きにはいささか辟易とさせられた。録音状態の問題でフィラ管かどうかすらよくわからないこともあり、少々飽きた。○にはしておくが、ワルターファン以外には不要だろう。ブルックナーじゃなくてブラームスである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○ワルター指揮フィラデルフィア管弦楽団(M&A)1948/2/28放送live・CD,,初出とのことだがLP時代を含めると不明。協会盤LPで未出録音が出たことがあり(但しNYPとクレジット)私は未聴なので違うものかどうかはわからない。録音が悪くフィラデルフィアの音かどうかすら判別困難だが明るい音色、雑味のなさ、ブラスの威力、弦の艶ある音からNYPではなさそうである。押せ押せのテンポで速く、語り口はドラマティックでロマン派的解釈に終始しており、聴きやすいがブルックナーの本質からは外れている。私は好き。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),ワルター指揮コロムビア交響楽団(CBS)1959,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),△バーンスタイン指揮ウィーン・フィル(DG)1990ライヴどうも違和感が否めない…,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),◎クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィル(SUITE)1950/2/4クナの9番記録は知っているだけで3枚、うちベルリン・フィルの1日違いのライヴが2枚手元にありますが、珍奇な響きのMusic&Arts盤よりもここで挙げたsuite盤のほうが安定した演奏です。地に付いた堂々たる仕上がり。(なんていって実は同じ演奏記録だったなんて言われたら大変だけど、その場合は録音技術差とかいうことなのかも・・・きちんと比較してないので自信無いよう・・・)一期一会指揮者ゆえオケが雑然とすることは珍しくありませんが、細部の瑕疵などブルックナーの音楽には毛ほどの傷にもならない。ブルックナーにはヒマな時期そうとうハマりましたが、9番のこの盤をもって遍歴にカタをつけました。つまりこれで満足したということです。“ブルックナー鑑賞道“には版問題というちょっとイヤなハードルがありますが、“普通に”聴くぶんにはそうそう変化がわかるほどのものではないと思います。改訂版しかやらないクナを敬遠される方も、一度無心で聞いてみては。実際どういじたっところで原形の持つ強烈な個性は決して損なわれないもの。ムソルグスキーの曲でもそうですが、他人の手が入ったところで他人の曲になってしまうというなどということは、あったとしても希です。好きな場面をひとつ挙げるとすれば、3楽章冒頭G線の喚きに続き、雄大な盛り上がりの頂点で発せられるペットの咆哮。ここのブラス・セクションにかかるスピットなディミヌエンド、そして強烈なクレッシェンドはクナの独創でしょうが、ほんとうに、素晴らしく感動的なものです。再現部でも聞かれます。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),△クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィル(Music&Arts)1950/1ローウェ版。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),クナッパーツブッシュ指揮バイエルン管弦楽団(hunt)1958モナコlive・CD(改訂版),,1958/2/1の有名なミュンヘン(バイエルン?)のライヴ録音(m&a,king,orpheo,greenhill,arphipel等既出)と同じと思われるが「モナコ」と表記され月日が記載されないため別として載せておく。発売当初はCDらしからぬ低音質高価格無解説で不平不満だらけ、正規再発したら即買い直したhunt/arkadiaレーベルだが、劣化寸前の時期の盤で再発もあるにも関わらず中古店では高価で買い取られるから面白い。正規盤と称するものに多い手を加えた音源ではないから価値があるというのはイメージで、これもモノラルに残響を加えた擬似モノである。orfeoは既に指摘されているところだが正規マスターと称するものを使っていながら音質に難があるのはレーベル開始当初から当たり前で、いくつかは今はなき渋谷CISCOや秋葉原石丸に不良品と文句を言いに行った覚えもある(近年のものは良好なようだ)。,,ブルックナーはクレンペラーをもって収集を止めた作曲家だがこの曲は相対的に短いので今でも聴かなくはない。主流の原典版と称するものに、書くべきようなこと、演奏ブレが無くて詰まらないということもある。クナは今の耳で聴くと、ミュンシュのチャイコフスキーのようだ(ワグナーではない)。これはそういういくぶんトスカニーニ的なスピードとダイナミズムを強調したロマン派音楽であり、しかし、ミュンシュのように意思的な表現、かつ時にブレるミュンシュよりも確固たる解釈に基づく演奏だ。交響的大蛇ブルックナーを飽きさせないための配慮が細部まで行き届き、一時期持ち上げられていたRCAの正規8番ミュンヘンスタジオ録音のような薄く延ばしたようなところはない。1,2楽章は誰しも楽しめると思う。3楽章はこれならワルターを取る人もいるかもしれないが、やはり確固たる恣意的解釈はワルターの柔軟な表現とは違う。深淵を見つめるような繊細な弱音への配慮は厳しいもので、オケ全体の見事な音響バランスはライヴとは思えない(環境雑音や僅かなミスはあるが)。音楽に起承転結を求める向きには非常に向いている。ただ、この曲は「結」を欠いた未完作だが。今聴くと殆どノイズが除去されており(細部が聴こえなくなるのは脳内補完)左右が少し揺れる箇所を除けばアルヒペル並みにはアリな音だなあ。迫力は十分。間髪入れず盛大な拍手はこのハッキリした演奏ならアリ。ルクレチア・ヴェストとのマーラー「亡き子」との組み合わせ(BPO)。,-----,,,-----,,,-----
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○クレンペラー指揮ニュー・フィル(EMI)1970.2 言わずと知れた名盤。言わずと知れすぎているのでここでは一重マル。ノヴァーク版。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),△クレンペラー指揮ニューヨーク・フィル(NYP)1934/8/14原典版と銘打っています。ごく古い録音のため、聴感がこまごまとしいただけません。演奏のせいではないので念のため。ある意味単純な曲なので音質が程々に良くないと痩せてみすぼらしく感じてしまいます。30年代の録音、ホーレンシュタインのベルリン・フィルとの7番や、シューリヒトの古い録音でも感じる事です。ニューヨークフィルの記念盤の一枚。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○シューリヒト指揮ウィーン・フィル(EMI)1961原典版。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),◎シューリヒト指揮バヴァリア(バイエルン?)放送交響楽団(chaconne)1963/3/8バイエルンのライヴは何度かCDになっていたと思いますが、シューリヒトの「整えない」実演の凄みを感じさせます。「私の中では」ブラームスのシンフォニーのライブと並んでシューリヒトの白眉とさせていただいています。悪い音に免疫のある方はぜひ。私はCD初出のchaconneレーベル盤を持っています。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),シューリヒト指揮ベルリン国立管弦楽団 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BBC)1966/7/29LIVEBBCの放送録音シリーズの1枚で、これが存外良いのである。カップリングされているマーラーの7番に比べ、オケの集中力が全然違う。ハレ管にありがちなファースト・バイオリンの「各自勝手バラバラ表現」も無い。きちんと縦の揃った合奏、音響がオルガン的まとまりを見せて、きちんと”交響的大蛇”ブルックナーになっている。無論録音年の違いのせいもあるだろう。解釈も、クナッパーツブッシュなどよりは古典的なほどロマン性を抑制したもののように感じられる。全般として直截とさえ言える。独特のパウゼの挿入や、細かい弦楽の表現操作など独創性もあるのだが、全体構造に弱さが否めない8番ライヴとはうってかわって、筋の通った完成度の高さを感じる。ブラスもよく響く。ハレ管健闘。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル1944/10/7ハース版。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○ホーレンシュタイン指揮ウィーン・プロ・ムジカ・シンフォニー(ウィーン交響楽団)(VOX/TURNABOUT)1953初出,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○マタチッチ指揮チェコ・フィル(SUPRAPHON)1980/12/4&5,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),◎ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(ICONE)1982/12/29ライヴ“原典版”。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),◎ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(MELODIYA/VICTOR)1980/1/30激しく斬り込む鋭い音とあくまでの客観性の、バランスのとれた希に見る名盤。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),ショルティ指揮シカゴ交響楽団 1985/8 ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○チェリビダッケ指揮トリノ放送交響楽団(ARKADIA)1969/5/2ライヴわくわくするような感覚を味わった。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),○チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(EMI)1995/9/10LIVE最晩年様式による希有壮大な演奏だ。ヘッドフォンなどではなく、できるだけ大きなスピーカーで大音量で聞いて、ひたっていただきたい。あまりに横広がりの演奏のため弛緩や瑕疵もぼつぼつ見られるが、この堅固な解釈に対していささかの不安も感じさせない。ブルックナーは演奏のしようによって如何にも表現できる幅のある作曲家だが、すくなくとも聞いている最中は「これぞ決定版」と思わせてくれた。佳演である。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(COLUMBIA)ライヴ“原典版”。演奏時間24.15/6.44+4.16/28.18。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(EXCLUSIVE)1978/4/19ライヴ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(THE BELLS OF SAINT FLORIAN)ライヴ詳細不明,同上?,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),バルビローリ指揮ベルリン・フィル(TREASURE OF THE EARTH:CD-R)1966/9/17LIVE音質は悪いが曲が聞き取れないほどではない。テープ欠落など決定的な難点があるが、音楽の流れはそれほど損なわれずに済んでいる。1楽章はかなりロマンティックな味付けがなされている。伸び縮み系。ベルリン・フィルの威力が発揮された美しい演奏では有るのだが、ワグナー的感覚に満ちていて、宗教音楽的な崇高さの点では少々物足りない気もする。しかし、2そして3楽章では古典的な佇まいを失わずに音楽の大きな構造物を造り上げており、なかなかどうしてうまいものだ。決然とした音楽であり決して柔らかい抒情に流れたものではない(オケのせいもあろう)。3楽章の終焉も繊細な表情には欠けているが、悪くはない。暖かな拍手。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),バルビローリ指揮ハレ管弦楽団+BBC北交響楽団(PASC)1961/12/14放送live(原典版),,バルビローリにはやっぱりブルックナーは合わなかった。pristineが貧弱な音源から何とかレストアして残響付けてここまで持ってきたものの、大元の情報量の少なさ、不安定さ、バランス悪さはいかんともし難かった、という感じで、それを念頭に置いたうえでもブルックナーらしさの希薄さ、上っ面を撫でたような解釈ぶり(?)にはがっかりしてしまった。ブルックナーの交響曲としては特異なほど主情的な作品だからバルビローリ流の情緒的表現と合うかと思いきや、構成感や拍節感の不足、音響バランスへの配慮のなさはそもそもブルックナーの根幹をなす部分を損なうもので、合体オケも分厚いだけでとくに弦楽器の非力さが全体の凝縮力を削いでいる。頭の音の出し方がガーンではなくズヮーンとなるのもどうにもしまらない。妙に音量の強弱が強調されているのはおそらくレストアでの操作だとおもわれるがこれもいらない。バルビローリ中期の覇気に満ちたトスカニーニ的な表現と後期の大波のうねるような「バルビローリ的な表現」がアンバランスに混ざり合いどっちつかずとなった感も。バルビローリはブルックナーをあまりやっておらず、古い時期に一回録音をし、新しい時期にライヴ録音をいくつか残しており、後者はCD復刻されている。どれも正直そそられない。9番はすでに66年のハレ管単独ライヴとベルリン・フィルライヴが出ており以前書いた。3楽章のマーラー9番へのエコーを逆にマーラー風に聴かせているところこそ、この人のブルックナー観を象徴しているな、とも思った。直後にバルビローリのマーラーを聴いてみて、この人はやはり歌謡性を大事にしており、構造的なことにはそれほど配慮していなかったんだな、と思った。しょうじき、マーラーは素晴らしかった。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),ホーレンシュタイン指揮BBC交響楽団(MUSIC&ARTSほか)1970ライヴ,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96),ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA/VICTOR),,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番(1891-96)<4楽章補筆完成版>,アイヒホルン指揮リンツ・ブルックナー管(CAMERATA TOKYO)1992/4&2補筆完成版…(泣)。アイヒホルンのブルックナーは奇をてらわず渋い魅力をもったものだが。。,,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,,
ブルックナー:交響曲第9番〜U,セル指揮クリーヴランド交響楽団(SLS)live,,厳しく律せられた音楽はおのずとテンポよくリズミカルになっている。悪い音なのに迫力もありアメリカオケ的な軽さは無い。拍手が入るため楽章抜粋だろう、交響曲の中のスケルツォとしての構成感よりも、単発の曲の完成度を高めようとしているところはあり、単純さの中にも意味を込めるようなブルックナーとなっていて、現代的な感じはしない。セルのブルックナーはいくつかあったと思うが強烈な個性は皆無なものの軸のある意思的な演奏ではあると思う。完全にデータ不詳のようである。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,
ブルックナー:交響曲第9番〜V,○スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団(EXTON/VENEZIA)1998/4/13-17・CD,,整った演奏ではあるがいわゆる晩年様式の感じはしない、生気ある演奏になっている。既に弦楽器が弱体化している筈とはいえここではロマンティックな表現がスムーズに板についており、さほど気にならない(ホール残響のせいもあろうが)。諸所わずかにロシア臭がするものの、もはや清潔な美意識の中に昇華された感もあり、ロシア音楽アンソロジーシリーズの頃のローカリズムの主張がもはやスヴェトラの芸のうちに無いことを感じさせる。十分に長い楽章抜粋とはいえ、ブルックナーは交響曲総体で意味をなす側面もあり、これだけでは評価しようのない部分もあるが、ロマンティック・ブルックナーを体言した最後の指揮者なのかもしれない、とも思って聴いた。○。,"",-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------
ブルックナー:交響曲第9番〜V,○ベイヌム指揮ACO(放送)1950年代半live・着任25周年記念盤,,LP化されていた音源でナレーションも収録されている。これは単独演奏されたようだが、ねっとりとした重くロマンティックな表現をとりながらもダイナミクスの変化の付け方は至極まっとうで自然である。そのため勘違いブルックナーとも言い難いそれなりに聴ける演奏となっており、深い感動はないが心地よい感傷をのこす。○。,-----,,,-----,,,-----,,,-----,,,--------,